2017年11月22日 (水)

情けない事態になった

 本日の結びの一番で信じられないようなものを見せられた。多分実際に見た人は同様の思いを抱いたことだろう。それは情けないというしかない白鵬の姿だった。

 嘉風との対戦でもろ差しになられて絶体絶命になった瞬間、手を挙げて力を抜いたのである。当然嘉風が勝った。もちろん両者ちゃんと手をついての正式の立ち会いが成立しており、異議はあり得ないから行事も審判員も白鵬の言い分は取りあげない。それが不満だとして土俵上に仁王立ちを続けているが、誰も相手にするものはない。

 自分が負けたのが不満だから抗議の姿勢を示す、というのはおよそあるべき姿とはほど遠い、はっきり言ってみっともない姿である。負けたときは負けを認めないと勝負事は成立しなくなる。そんなこと百も承知のはずの白鵬が、そのことが分からなくなってしまったのである。

 いままで日馬富士と貴ノ岩のトラブルの話には言及する気がしなかった。事実が明らかでないし、当初から報道される内容が次第に変化していて、途中で考えを述べても正しい判断かどうか確信がなかったからだ。しかし次第に貴乃花の態度に不審なものを感じるようになったのは、マスコミがそういう論調だったからというよりも、報道される経過からそうとしか思えなくなったからだ。

 そのようなトラブルの鬱積が白鵬にないはずがない。今回の白鵬のみっともない姿の原因が貴乃花にある、という言い立てはこじつけめいて見えるかもしれないが、多分相撲好きの人からすれば同意する人が多いに違いない。

 不愉快なのである。

 多分相撲の人気は凋落するだろう。あの白鵬の姿に相撲
に対する熱い思いを損なわれた人は多いと思う。私はしばらく相撲を見たいと思わない。白鵬は相撲協会からどのような処分を受けることになるだろうか。そのことをマスコミは面白おかしく伝えるだろう。

 そもそも貴乃花は相撲協会の理事長を目指しているのだというが、理事長はリーダーである。リーダーは相撲の関係者を束ねる役割であり、独裁者で無い限りみなの協力を仰がなければ職責を全うできない役割である。それが誰とも和せずに自己流の相撲道という正義を貫こうとしているらしい。相撲を愛するつもりの者が、相撲を愛するファンをそっちのけで正義を貫いても、そこには不毛の荒野しかない。

 そんな人間がリーダーを担えることなど出来ないことは世の理(ことわり)である。その貴乃花が相撲という世界を奈落に突き落としつつあり、白鵬がその最後のスイッチに触れてしまった気がする。まことに情けないことである。悪くすれば、モンゴル出身力士の造反が始まるのではないか。

 しばらく相撲から愛想を尽かせてもらおう。

雲南旅行(27)石鼓鎮1

雲南旅行から帰ってまだ二週間であることに驚く。あっという間に思い出という彼方に遠ざかりつつあるからだ。その旅行のもっとも充実した一日がこの日であった。天気も良く、いままでとくらべてすべてがクリアであった。


車は麗江から西へ走る。長江第一湾に近い石鼓鎮に向かう。ここは高倉健の『単騎 千里を走る』の舞台の一つだ。麗江からの道路はところどころ未舗装で細いところもあるものの、ずいぶん良くなっている。それらの場所も工事中で、さらに良くなるだろう。

道路は高所を走っている。このまま行けば香格里拉(シャングリラ)からチベットまで通じているのだ。石鼓鎮に向かって脇道を下る。

Dsc_4791

車窓に河が見えた!金沙江(長江)だ。

Dsc_4792

石鼓珍の駐車場に車を置き、村内に向かう。周辺に山が迫る。

Dsc_4793

村の入り口。むかしはこんな入り口はなかった。

Dsc_4796

入り口を入ってすぐのところに美しい蘭の花が咲いていた。

Dsc_4794

これが石鼓珍の名前の由来である石鼓。ここに過去の戦いの勝敗などが記録されているのだという。

Dsc_4797

菜種を絞る工場。農家が菜種を持ち込み、ここで絞る。菜種油の香りがほのかに漂う。前回来た時は春だったので、あたりは一面の菜の花で黄色い絨毯が敷かれたようだった。

Dsc_4800

金沙江の支流に架かる吊り橋。むかしは対岸へ渡るのはこの橋しかなかったが、いまは車も通れる立派な石の橋が出来ている。

雨期に川が増水するとこの吊り橋は水没する。この橋はばらばらにすることが出来て、水没しそうなときは流されないようにばらしてしまう。しばしば大洪水もあり、橋の建屋も破損被害を受ける。

Dsc_4802

吊り橋の途中までわたって川の上流を見る。水は澄んでいて水底が見える。

Dsc_4803

橋のたもとの小屋の中で盲目の老人が楽器を弾いていた。哀愁を感じさせる。彼にどんな人生があったのだろうか。

Dsc_4804

村内は坂だらけ。映画でもこのような坂が登場する。

Dsc_4805

こういうところで暮らすと足腰が鍛えられて長生きするだろう。

Dsc_4807

高台に高楼がある。

Dsc_4809

高台から瓦屋根の連なりを撮る。このような景色が大好きである。

Dsc_4810

ちょっと方向を変えて。天気がよくて良かった。

Dsc_4811

全体を撮る。向こうの方にかすかに金沙江が見える。このあと行く第一湾の方向だ。

Dsc_4813

高楼のさらに上に八路軍の調整の像があり、そこから高楼を見下ろす。向こうに金沙江が見える。

Dsc_4815

これが銅像。八路軍の長征で金沙江をわたるのを助けた漁民から激励を受ける兵士。

さらに村内を散策する。

雲南旅行(26)麗江の朝

前の晩、夜中に係員のおばさんが部屋にやって来た理由にようやく思い当たった。クーラーの苦情ではなく、部屋のカーテンを引け、ということだったようだ。開け放していたので暖房効果は落ちるし、外に光がもれるのである。


寒かった、と苦情を言ったおかげで電気毛布が敷かれていた。おかげでぬくぬくと快適な夜を過ごすことが出来た。

Dsc_4780

翌朝は期待通りの快晴の青空である。向かいの窓には下着が干したままになっている。向こうも宿泊施設のようだから、多分風呂で洗濯して干したのだろう。下着を洗濯できれば持参する数を減らせるから合理的である。

屋根の上をよく見ると、

Dsc_4784

なにかの魔除けであろうか、不思議なかたちのものが載っている。

Dsc_4783

前の建物との間には細い露地と水路がある。

道路に面しているからこのような赤い提灯がぶら下がっている。中国にいるのだ、という思いがする。

朝食を済ませてゆったりしていると、ガイドの和さんが迎えに来た。今日は待ちに待った絶景が見られるに違いない。

麗江古城内は車の乗り入れが出来ない。車の待つ南口まで歩く。天気が良い分だけ気温も低い。しかし気持ちが好いから快適でもある。

もしや、と後ろを振り返ると、

Dsc_4788

おお、ついに玉龍雪山がその勇姿を見せているではないか。感激である。これが見たかったのである。

2017年11月21日 (火)

雲南旅行(25)麗江古城夕景

麗江古城・四方街からやや高台のホテルのレストランに行く。


歩き疲れた足に、高台への階段は少々つらい。日ごろの運動不足を痛感する。

Dsc_4761

ようやく到着。ホテルのレストランといっても、ちょっと大きな家みたいなところだ。

Dsc_4762

突き当たりのホテルの待合室の一角に宴席がしつらえられている。そこで鍋料理を食べる。羊に牛、鶏などとふんだんの野菜、そして豆腐。豆腐は日本の豆腐とほとんど同じ。

給仕してくれる女性たちはまったく言葉が通じない。英語も通じない。和さんが向こうから、パクチー要りますか?と訊くので三人口を揃えて、要ります、と答える。

ちょっと刻んで塩漬けにしたパクチーが出てきた。これを薬味に混ぜると絶品。気がついたら満腹になり、疲れもほとんどとれていた。

海外で食事をするとどうしてこんなに美味しいのだろう。実際に美味しいし、空気が変わることが味付けになるし、ふだんは独りで食べているのに相手がいるから美味しいのだろう。

Dsc_4765

ホテルの横に出る。駐車場からの入り口側らしい。

Dsc_4764

前は広場だが車も人もいない。奥の方はどんどん高台へ登っている。我々は四方街へ下る。

Dsc_4766

四方街は相変わらずの人出。朝の悪天候が嘘のように空は晴れてきて、遠くの山がはっきりと見えるようになった。

明日は好天らしい。

Dsc_4768

てくてく歩いていたらビル・ゲーツに会ったので挨拶した。

左奥のスーパーで晩のビールを購入する。

Dsc_4769

プーチンもいるのだ。

Dsc_4771

太鼓屋さん。

Dsc_4772

漢方薬店。雲南は薬草の宝庫である。

Dsc_4775

ようやく店に灯りが入り出す。前を行くF君の右手にはビールの入った袋が下がっている。

Dsc_4776

これから夜の食事の仕度が始まる。ここでは寒いのに外で食べるのが好きらしい。寒ささえ我慢すれば気持ちは好いかもしれない。

Dsc_4777

こういう風景が大好き。灯りの色が楽しいような、そして哀しいような気持にさせる。異国にいることを実感する。

私はよそ者なのである。

Dsc_4778

虎の毛皮らしきものが置かれている。虎もさびしいのだ。

このあと一息入れて再び酒盛りが開始された。明日は今回の旅のハイライト、虎跳峡だ。

この虎跳峡でも思わぬことに。

能登にいる

Dsc_4965


 ブログでは雲南を旅行中だが、いまの私は能登にいる。以前にも書いたが、十五年以上前から冬用のスタッドレスタイヤを金沢のリース会社でお願いしているので、今日タイヤ交換の予約をしてある。北陸まで来るのに日帰りするのももったいないので、昨晩、能登の見附島(通称軍艦島)の前の、のとじ荘というホテルに泊まった。金沢に泊まって若い友人と飲むこともあるが、今回は失礼した。

 折からの寒波で、昨日は雪に見舞われるのを心配したが、雨であった。数年前、タイヤ交換にやってくる日に大雪に見舞われてこわい思いをしたことがある。雨でさいわいだった。だから景色を楽しむことは出来なかったが、そのかわり冬の日本海の荒涼たる姿を見ることが出来た。能登半島の北の方では道路脇に雪が残っているのを見た。前日は雪が降ったらしい。

 宿は快適。最近は、私は宿の名前をはっきり書くのは余程気にいったときだけにしている。この宿は以前来たことがある。気にいったからまた来た。今回はさらに気にいった。唯一の難点は風呂上がりのビールが自動販売機にないことだ。

 昨晩は能登の地酒、宗玄の生原酒で美味しい料理をいただき、極楽気分となった。宗玄はここから近い恋路海岸のあたりにある造り酒屋だ。以前クラで試飲させてもらったことがあり、それ以来能登に来ればこの酒を飲む。一息入れて風呂(温泉)にゆったり入って、爆睡した。こんなに深く眠ったのは久しぶりだ。

 思いきって来てよかった。これから金沢に走り、タイヤ交換して名古屋に帰る。今年は雪が多いらしい。これで万全である。思い立ったら東北でも北陸でも山陰でも走り回ることが出来る。

雲南旅行(24)再び麗江古城2

Dsc_4745


この四方街の看板を集合の目印に散る。

Dsc_4741

この星印が何を意味するのか分からない。

Dsc_4742

銀細工の店。Yさんはここで何か買ったらしい。

Dsc_4743

広場に民族衣装の若い男女が並んでいて、それを大勢の人が囲んでいる。

その和子に公安の車が会って制服のこわいおじさんが何人かあたりに目を光らせている。下手にカメラを向けて怒られてもいけないので視線を外す。

Dsc_4744

納西族の乙女の盛装。頭の丸いサラのようなものは全部で七つ。頭にこのように飾ることもあるし、背中につけることもある。意味は聞きそびれた。

Dsc_4746

大きなみやげ物屋。奥行きが広い。値切るのが当たり前らしいが、何しろ言葉が分からない。ガイドはそういうとき助けてくれない。店とは顔なじみだし、長いつき合いだから当然だろう。

Dsc_4748

横道に入るとこういう水路が縦横に走っている。

Dsc_4754

日が傾いてきた。

Dsc_4756

どこかで貸衣装を借りたらしい若い女性たち。

Dsc_4760

泣きわめく幼児に、途方に暮れる祖父母らしい二人。

風景と人が雑多に入り交じり、見ているだけで楽しい。

見飽きたので集合場所に戻る。四方街の山の手に夕食の場所があるというのでそこへ向かう。

2017年11月20日 (月)

雲南旅行(23)再び麗江古城1

Dsc_4727


麗江古城に到着。この先が大水車である。

Dsc_4728

羊肉の串焼きのいい匂いがする。この横に皮をむかれた羊が丸ごとぶら下がっていることもある。

Dsc_4733

水車の横の広場にこんなものが。

Dsc_4732

絵馬である。願い事が書かれているそうだ。誰が願いを叶えるのだろうか。

Dsc_4734

四方街まで石畳の道を歩く。古い石畳である。

Dsc_4735

記憶違いでなければ、これを五彩石というはずだ。

Dsc_4736

等身大の銅の像。たばこ屋の店先に置いてある。雲南はお茶とともに煙草が特産なのである。

Dsc_4737

四方街の四囲にはこのような店が並んでいる。二回はレストランや飲み屋になっていて、下の観光客を見下ろすことが出来る。

ライブハウスになっているようなところもあって、大きな音で音楽や歌声が流れてくる。

Dsc_4738

こんな感じ。和さんがしばらくこの辺りで散策してくださいというので、てんでにひとりで歩き回ることにする。

小川糸『キラキラ共和国』(幻冬舎)

Dsc_4958

 あのドラマにもなった『ツバキ文具店』の続編である。この本だけでも楽しめるかもしれないけれど、前作を読んでいないと感動はし難いかもしれない。私はもちろん読んでいるからこの本を買ったのであり、読んでいなかったらどう感じるかをいうことはできない。

 ポッポちゃんこと雨宮鳩子は守景鳩子になる。QPちゃんのお母さんになるのだ。ドラマでは鳩子の役を私の大好きな多部未華子が演じていたので、私にとって鳩子は多部未華子の顔で考え、悩み、感動し、成長していく。

 彼女が先代(祖母)から引き継いだ代書屋という仕事は、彼女を人間として鍛え、成長させていく。彼女が先代に仕込まれた素養と矜持はますます彼女の魅力を増すことに繋がり、彼女の周りの人々との関係を楽しいものにしていく。

 これは絵空事のお伽噺ではない。彼女のような女性だったら必ずそこに生ずる優しい小世界なのだ。この話はさらに続くだろう。なぜなら中途半端に登場して彼女を悩ませた、レディ・ババとの関係はまだ宙ぶらりんのままなのであるから。

 それにしても彼女の引き受けた代書の仕事の結果の手紙文の見事さにはうならされる。私ならその宿題にどういう手紙を書くのか、それを試してみたい気もするが、いまのところ思うだけである。やはり作家というのはすごいなあ。

雲南旅行(22)玉泉公園から麗江古城へ

Dsc_4709


東巴(トンパ)博物館は玉泉公園に接している。公園にはこのように小さな鯉がたくさんいる。この鯉は池の傍の店で売られている。この鯉を買って池に放すのである。放生の功徳である。こっそりと夜中にこの鯉をまた捕まえて売っているのではないか、などとF君と陰口を利く。

それにしても水が濁っているのが気になる。

Dsc_4710

前回、6年前はこの池の水は澄んでいたのである。池のあちこちで清んだ泉がこんこんと湧いていたのである。

そのことを言うとガイドの和さんが、二、三年前から泉が涸れてしまったのです。と哀しそうに言う。確か昨年か一昨年かにこの玉泉公園の水が一度干上がったはずである。ネットの中国ニュースで見たことがある。

それのせいか、と訊くと、それもあるけれど、麗江中の人が地下水を汲み上げるので湧き水が出なくなったのだという。人口が急増しており、みなが水道代を払いたくないのでこっそりと井戸を掘ってしまい、もう元に戻らないだろうというのだ。

麗江の水の美しさを自慢していたのに、同行の二人もがっかりであった。

Dsc_4713

雨はやんでいるが、この景色の向こうに見えるはずの玉龍雪山は姿を見せない。前回来た時も空振りだった。もう一度来いというのか。

Dsc_4714

ややアップで。これで青空と澄んだ水、そしてそれに橋や建物が映れば最高なのに・・・。

和さんがこのまま麗江古城まで歩きましょう、という。そんなに遠くないそうだ。この玉泉公園の水が、麗江古城へ流れ下るのをたどっていけば良いのだという。

Dsc_4718

豊富な水が流れているのに。

Dsc_4719

水が汚れていくと、こういう水草(バイカモか)もなくなってしまうかもしれない。

Dsc_4721

こちらはやや歩き疲れたけれど、和さんはさっさと先に歩いて行く。木の幹が白く塗られている。虫除けのためだという。

むかし西安で街路樹が同じように白く塗られていたのを見たけれど、そのときは夜間白く光って車が当たらないようにするためと聞いたことがある。いまは違うのだろう。

Dsc_4723

水辺を歩くのは気持ちが好い。もうすぐ麗江古城だ。

Dsc_4724

麗江古城の北端は大水車だったが、さらにその北側にも店や建物がどんどん拡がっている。新・麗江古城などという、と前回聞いたことがある。そこで一人で店に入って休憩し、つまみでビールを飲んだのを思いだした。

2017年11月19日 (日)

本を買う

 私は電子書籍を読まないことにしている。私は特に必要な時以外は図書館を利用しない。それは私のこだわりであり、他人が電子書籍を楽しむことも図書館を積極的に利用することについてとやかく言うつもりはない。

 そんな私が本を購入することによる金銭的な負担をぼやいたり、本があふれて部屋を占領することを嘆いたりするのは、一種ののろけ話である。だから電子書籍を読んだり図書館の利用を勧められると、その親切をまことにありがたいことだと思いながら、それに従うことはないのである。

 私は本が好きである。本を愛している。そして書店で本を眺めているだけで快感を感じる。書評本で知らなかった本のことを知ると嬉しい。はるかに私より本を偏愛している人たちにはとても及ばないが、そこに本があるだけで幸福なのである。相手をかけがえのないものと感じるということは、つまり愛しているということであって、そのための多少の負担は却ってよろこびでもあるのだ。

 最近本を読まない人が増えているという。テレビのニュースでそれが取りあげられて、インタビューをされた人が次々に「ここ数年本を読んでいない」とか「そういえばこの一年、一冊も本を読んでいない」などと答えていた。あたかも本を読まないことを自慢するようでもある。そう答えたくなるような質問でもしたのだろうか、世の中はまったく本を読んでいないのが普通であるかのような報道であった。

 まさかと思う。書店に行けばあふれるほど本が並んでいる。本を買う人がいるから出版社も書店も成り立つのだから、本を読まない人が普通になったなどということがあるわけはないと思いたい。

 私の兄貴分の人は私よりずっとたくさん本を読む。私の倍くらい読んでいるだろう。その本はほとんどが図書館の本である。日本史に詳しくて、記憶力の優れた人だから、ともに旅すると、その口から該博な知識があふれ出てきてとてもためになる。

 図書館はそういう意味で多くの人に有用なのだろう。しかし私は内心で、ベストセラーやエンターテインメント本を図書館が数多く置いて一般に供用しているのにいささか疑念を持つ。図書館は存続のため、利用率を上げるためにこの傾向を強めているというが、図書館の存在意味の偏りがあるのではないか。

 繰り返すが私は本を愛している。もともと本を読まない人は別だが、本を読む人がこうして図書館を利用することが普通になれば本は売れなくなる。それは出版業界を衰退に導く。そうなれば本屋ももちろん減り(現にどんどん減りつつある)、世の中から本が減っていく。図書館がそれに加担してどうするというのか。

 愛しているものが失われていくのである。蟷螂の斧であるが、本を買うことにこだわる者がここにいても好いのではないかと思って、私は本を買うことを楽しんでいる次第である。

雲南旅行(21)東巴(トンパ)博物館

麗江に戻る。麗江には玉泉公園という美しい公園がある。玉龍雪山の雪どけ水が伏流水となってこんこんと泉として湧きだしている湖から、天気が良ければ玉龍雪山が見えるのである。

その玉泉公園のとなりに東巴博物館があってそこに立ち寄る。


Dsc_4687

玉泉公園の水が博物館の横にまで引き込まれている。あれっ、どうして水が濁っているのだろうか。雨が降ったからか?

Dsc_4688

こんな風に玉龍雪山が見えるらしい。前回も今回もまだまったくこの姿を拝んでいないので恨めしい。

Dsc_4689

これが東巴文字。典型的な象形文字で、いまは読み書きできる人は一握りしかいない。納西族の文字である。写真のガイドの和さんも納西(ナシ)族だが読めないという。

Dsc_4691

博物館の中に入る。向こうの方で係員と思われる女性が音楽に合わせて踊っている。写真をこっそり撮ったら気がついたらしくちょっと睨んで見せたが、やがて笑い出した。照れくさかったのだろう。

Dsc_4693

木氏は麗江を支配していた豪族。麗江古城内にも木氏の支配していた遺跡があったが、ほとんど20世紀末の大火で焼失したと記憶している。

Dsc_4694

ここに歴史が記録されているらしいが、日本語の説明がないので眺めるだけ。

Dsc_4696

中央やや右手が麗江。金沙江(長江)は左上から南下し、石鼓で大湾曲(長江第一湾)し、北上する。さらにまた右手の方に南下する。

その石鼓鎮や長江第一湾、さらにそこから北上したところにある虎跳峡に明日行くのである。ガイドの和さんは玉龍雪山に近い宝山という山の麓で生まれ育ったそうだ。この図の中に宝山があるが写真では分かりにくいだろう。

Dsc_4698

方位図。中央はカエル。その周りを干支の動物が取り囲む。

Dsc_4699

降魔杵とあるが、密教で使われる独鈷杵のようなものか。

Dsc_4702

納西族の古代祭祀の様子らしい。背景に玉龍雪山が見える。あれを直に見たい。

Dsc_4704

稚拙だが味わいがある。こういうのを眺めるのは愉しい。

Dsc_4707

顔がつけられるとものに生命が宿るような気がする。

東巴博物館は麗江郊外の束河古鎮というところだったか白沙村というところで見た気がする。そこにあったものの一部がこの博物館でも見られたから移築したのかもしれない。

束河古鎮にも行く予定を立てておけば良かった。好いところだし、映画『単騎、千里を走る』の舞台のひとつにもなっているのに。麗江古城も、明日行く石鼓鎮もこの映画の舞台になっている。

訃報に驚く

 ネットの訃報ニュースを何気なく見ていたら、関西大学名誉教授の浦西和彦氏が16日の木曜日に亡くなったことを知って驚いた。膵臓ガンによる病死、享年76歳。

 なぜ驚いたのかといえば、近代文学専攻の浦西氏は私の敬愛する谷沢永一の愛弟子で、たまたま浦西氏による谷沢永一の選集を繙いていたところだったからだ。

 全二巻のこの選集は第一巻を浦西和彦が、そして第二巻を鷲田小彌太氏が編集している。言視舎という出版社によるこの本は谷沢永一のたくさんの著作から選び抜かれた文章を編集したもので、版が大きくて二段組み、内容ぎっしりで谷沢ファンなら垂涎能わざるところであるが、何しろ高い。買うのに迷ってたまたま気が大きくなったときに思いきって購入したものだ。

 棚に飾ってときどき拾い読みして一人で悦に入っていたのだが、それを久しぶりに開いていたまさにそのときに浦西和彦氏の訃報に接したというわけである。偶然ではあるが、ユングではないけれど偶然とは思えないような気もするのである。そもそも訃報などふだんは取り立てて見ないのである。最初浦西和彦という名前にすぐピンとこなくて、どこかで聞いたことがあるなあ、と目を落としたら、目の前の本にその名があったのである。

 追悼の意味でも今日はその本をもう少し読もうかと思う。

2017年11月18日 (土)

雲南旅行(20)印象麗江

印象麗江というのはショーである。地元の人たち数百人が乱舞するという。ガイドの和さんの知り合いが何人も出ているらしい。


正直言うと私も同行の二人もあまりそういうものを見たいと思わないほうであるが、予定にあるので仕方なくつき合う。

Dsc_4686

この向こうの野外ステージでショーは行われる。雨は降っているし寒いして最悪の状況なのにショーは1時間半もあるのだそうだ。和さんには最初の30分だけみたらでてくる、と告げるといささか不機嫌な顔をした。

Dsc_4649

開演前。このようなポンチョが無料で借りられる。そうでなければ座席はびしょびしょで坐るわけにも行かない。

Dsc_4650

ショーの開始時間になっても次々にひとが入場してくる。早く出られるように出口に近いところに坐っているから、いろいろな人の顔を見ることになる。トイレも近い。

Dsc_4662

ようやくショーが始まる。大音響の音楽とともにナレーションが語られるがもちろん言葉が分からない。画面のように中国語と英語が映し出される。Yさんは英語で何とか意味を読み取り、私は中国語でわずかに内容を想像する。

Dsc_4673

少数民族は麗江の場合、主に納西(ナシ)族。納西族の女性は働き者。その様子を描いているようだ。

Dsc_4677

こちらは若い男達。このように大人数の迫力あるショーなのである。

Dsc_4680

大観衆の上を馬に乗った若者達が行く。けっこう高いところで、馬の数もとても多い。

Dsc_4685

リーダーらしき男が馬上で立ち上がり、大声で何か叫んでいる。このあと曲乗りなどもあって、楽しめないことはない。

約束の30分が過ぎそうになったので三人でショーを後にする。尻が冷たい。ポンチョが十分尻を覆っていなかったらしく、ズボンの尻が濡れてしまったのだ。

出ようとしたら出口の扉を鍵で閉めているではないか。あわてて開けてもらって脱出する。和さんは我々が本当に30分で出てくるとは思っていなかったようで、情けなさそうな顔をした。

車の中は暖房で暖かい。ようやく人心地がついた中で、うつらうつらしながら麗江の街に戻る。

いろいろと

 21日に金沢で冬用のタイヤに交換する。金沢に単身赴任して以来ずっと金沢でリースタイヤのお世話になっていて、退職後も、冬も走り回りたいのでそのままお願いしているのだ。
 少し早めに予約したはずなのに、今年は寒気が訪れるのが早かったのである。実はそのついでに能登の魚が食べたくて、20に能登の珠洲に宿を予約してある。ところが19日は北陸は雪で、しかも積もるというではないか。20日に能登へ行けるのだろうか、心配である。

 そういうことで、いま天気予報を注視している。

 今日は久しぶりに朝寝をした。今朝、普通に6時前に目覚めたけれどそれからさらに二度寝をしたのである。私は本質的に保守的で、ふだんしない二度寝などをすると生活のリズムが狂うのがイヤなのだが、ときには体や心を甘えさせてやってもいいか、ということにした。

 旅行中に自宅が恋しいと思うことはほとんどない。そう思うときは余程疲れたときである。その気配があれば切り上げる。今回の中国旅行中も疲れと反対に、気持は後半ほど調子が出て来た。旅行は予定が決まっているから帰らなければならないけれど、また来春にでもひとりで来ようと内心で決めていた。ただ、唯一映画が見たいという気持ちが募るのがいつもと違うところだった。

 では帰ってから映画を見たのかというと、まだ一本しか見ていない。風邪気味で気力が足らなかったということもあるが、その鼻風邪もとっくに治っている。ただ、旅行中に録画しておいたドラマやドキュメントや旅行番組がたまっている。それらは多少鮮度が大事なところがあるので、そちらを優先して見ていたのだ。

 どうして映画がそれほど見たくなったのか。今回の飛行機では国際便も国内便も個別に座席に画面がない機種なので、ほとんど映像を楽しむ機会がなかった。予告編的な映画やドラマの放送はあったが、ほとんど中国語だからそもそもまったく分からない。それに焦れたのかもしれない。

 旅行中は本もほとんど読んでいない。たいてい何冊も抱えていくけれどそのまま持ち帰ることが多いので、今回持参した本はガイドブックと『奥の細道』の注釈本のみだった。一冊しかないと思うと、機内ではけっこう集中して読むことが出来た。中国の空を飛びながら、私はみちのくを旅していた。

 本もいま並行してして五六冊を読んでいる。興味の赴くまま、とっかえひっかえ本を読む楽しみを楽しんでいる。
 
 こうして日常が少しずつ戻りつつある。

2017年11月17日 (金)

雲南旅行(19)雪の雲杉坪

Dsc_4625


ロープウエイを降りてこのような原野の間の木道を歩いて行く。

目的地の雲杉坪まで歩いて15分。しかし木道にうっすらと雪が積もっているので、滑る。

Dsc_4627

右側のカーブが木道。向こうに途中の休憩所がある。滑らないように歩いていると少し息切れがする。そこで生まれて初めて酸素ボンベを使ってみる。劇的に息が楽になる。

六年前に来たときにはここを小走りで行ったので、ガイドでゆっくり歩けと注意されたのに、今回は何たることか酸素ボンベである。何しろ寒いのがこたえる。

Dsc_4628

前回は春だったので、原生林には葉が茂り、もっと鬱蒼としていた。

Dsc_4630

葉はないし、雪で明るいから景色が違って見える。

Dsc_4632

間もなく雲杉坪に到着。柵の向こうの開けた場所がそうである。人影はまばら。

Dsc_4639

それでもこれだけの人がいる。

Dsc_4633

本当は目の前に玉龍雪山の勇姿が聳えているはずなのである。実は前回も雲がかかってあまり良く見えなかった。どうも玉龍雪山とは縁がないのか。

Dsc_4637

ほんの少し雲が薄らいで下の方が見えたが、またすぐ隠れてしまった。山が見えないと、どうしてこんな思いをしてここまで来たのか分からないことになるが、天気のことであって仕方がない。

Dsc_4641

帰り道の木道から外れて原野に入って写真を撮る観光客。彼らは山が見えなかったけれど、珍しい雪を見たという思い出が出来たようである。

Dsc_4642

こちらにも原生林の間に入り込んで喚声を上げている。

木道の横には木道を外れて原野に入るな!と看板があるが、そんなこと頓着しないのが中国人なのだ。

このあとロープウエイを下り、バス乗り場の近くで昼食。そのあと「印象麗江」というショーを見る。

雲南旅行(18)雪

震えなどが高山病の一症状である場合もある。そういえば麗江古城を散策したときに心臓に違和感を感じて息切れしたような気がする。


翌朝、3300メートルの雲杉坪(うんさんぺい)に向けて出発するとき、ガイドの和さんにその心配を伝えたら、「分かりました、酸素ボンベを買っていきましょう」と言われる。

酸素ボンベは一本60元、思ったより大きいのでどこにも入らず、持っているのが邪魔であるが仕方がない。最近まで120元していたそうだが、政府の指導で値下げさせられたそうだ。
いま元のレートは一元19円近いから有難いことである。もともと暴利だったのだが。

雲杉坪は直接車で入れない。上高地や木曽駒ヶ岳のように、エコバスに乗り換えてロープウエイに行く。乗り換え場所に向けてどんどん高度が上がっていく。

Dsc_4610

何と、ある高度から雪である。

Dsc_4611

車窓から見ると、中国人観光客が雪の中ではしゃいでいるのが見えた。

和さんによれば、この辺はめったに雪が降らない場所で、降っても年に二度ほど、早くても12月にしか降らないので、11月の始めに雪が積もるなど極めて珍しいことだという。

大雪です!と胸を張っているのがおもしろい。それほど珍しいのであろう。

Dsc_4614

バス乗り場に到着。待合所でトイレを済ませ、チケットを用意している和さんを待つ。向こうに見える小屋がチケット売り場。ここでもパスポートが必要。

Dsc_4612

待合室の中央にこんな展示物がある。どういうことを表しているのかよく分からない。古代民族のモニュメントなのだろうか。
ガイドの和さんがなかなか来ない。どうもまだ例の手違いが尾を引いているようだ。ちょっとぶつぶつ言いながらやって来た和さんは、大丈夫、大丈夫、心配いりません、と笑っていた。

この和さん、やたらに周りの人に声をかける。知り合いらしい人もいるけれど、若い女性などには特に積極的に声をかけている。無視されても気にしない。どうも調子のいい男である。これが楊さんや杜さんが言っていた、いい男の意味か。

Dsc_4615

バスの終点でロープウエイに乗り換える。以前は大型リフトだったがいまは八人乗りのロープウエイになった。次々にゴンドラがやってくるのであまり待たずに乗ることが出来る。

Dsc_4619

ロープウエイ乗り場から玉龍雪山方向を見る。裾野の部分しか見えない。このはるか上に屹立しているはずなのだが。

寒い。さいわい高山病の兆候はまだ現れない。しかし寒い。

Dsc_4623

暗くどんよりとした雪景色。ロープウエイ乗り場は海抜2900メートル。ここから一気に400メートル登る。

雲杉坪では少しは玉龍雪山を見ることが出来るのだろうか。

落花生

 千葉生まれで、生まれた育った街の周辺が落花生の産地であり、子どものときから落花生が大好きである。むかしは泥付きの採れたての殻から実を取りだして、上下が金の網の籠に入れて七輪であぶって食べた。落花生は古くなると油がわずかに酸化していくので、新しいほど旨い。

 店頭では千葉産の落花生は高い。それに比べて中国産は三分の一の値段だが、残念ながらたいてい酸化臭がかすかにして旨くない。

 雲南ではビールのつまみに落花生、別名南京豆、つまりピーナッツがしばしば出た。食べると旨いのである。ふだん食べている中国産の落花生は何なのだ。多分中国人もあんな落花生は嫌いに違いない。

 今回の旅ではビールと一緒につまみとして中国のコンビニやスーパーで落花生を買った。ガイドのお薦めで、真空パックのものを買ったらこれがいちばん旨い。かすかに味付けがされているのだが、日本のバタピーとは違う。くせになる旨さだ。ただ、落花生は腹の中でビールを吸って、後で腹が膨れて苦しくなるので気をつけないといけない。

 昨晩は中国産ではなく、千葉産の殻付きの落花生をつまみにビールを楽しんだ。千葉産の落花生を食べながら雲南を思い、やはり日本なら千葉産が旨いと思った。

2017年11月16日 (木)

雲南旅行(17)震える

Dsc_4601

麗江古城の一番北、大水車まで来た。

Dsc_4602

世界文化遺産・麗江古城の文字は、私の嫌いな江沢民のもの。ここは写真を撮る人が多いので、ぼやぼやしていると、邪魔だからのけ、といわれる。中国の人は人が退くのを待つことはしない。

Dsc_4604

広場には花が飾られている。

Dsc_4605

花のアーケードもある。ハートマーク。

Dsc_4606

トウモロコシがあしらわれているのがユニークである。

Dsc_4607

高台のほうには高級料亭などがありそうだ。実はこの翌日にそういうところへ行く。ちっとも高級ではなかったけれど。

Dsc_4609

歩き疲れた帰り道にて。ここは湧き水があるのだろう。

晩はホテルのレストランで夕食。期待以上に美味しい食事であった。

翌日は3300メートルの場所に行くので、飲みすぎないように、そして十分睡眠を取るようにいわれているので、酒は控え目にした。

風呂で暖まり、早めに寝についたのだが、とにかく寒い。エアコンを入れて暖房してもほとんど部屋が暖まらない。布団にくるまってようやく寝込んだのだが・・・。

夜中にどんどんとドアを叩く音で目が醒めた。F君はぐっすり寝ている。寒いから起きたくないが仕方がない。なにごとかとドアを開けると制服を着たおばさんがこわい顔をして何やらまくし立てている。何が言いたいのかさっぱり分からない。

もしかしてエアコンの音がうるさいと苦情でもあったのだろうか。確かにうるさいのである。そしてちっとも暖まらないのである。「分かった、エアコンは切ることにする」と答えたらおばさんはこわい顔のまま引き揚げた。

そのままトイレで用を足したら震えが来た。歯の根が合わない震えである。ちょっと普通でない震えで不安になる。

ベッドに走り込み、布団をしっかりと巻き付けてじっとしていたらしばらくして多少人心地がついた。どうもおかしい。麗江は高度2400メートルで、人によっては高山病になることもある。明日の朝もこんな調子なら雲杉坪に行くのはやめた方が好いだろうか、などと考えているうちに寝た。

翌日は体調が多少戻ったが、不安は増している。しかしひとりだけホテルに残るほどでもないので行けるところまで行くことにする。

その翌日というのがえらい日で・・・。
  続く




こたつを出す

 いつもより早くこたつを出した。私は真冬でも靴下をはかない。足が冷たいなどと思ったことがない。身体で発生した熱を足から排熱して生きてきたのである。頭寒足熱などというが、私には頭寒だけが必要で、足熱は不要であった。その私が二、三年前から足が冷えるようになった。足が冷えるということがどういうことか初めて知った。けっこうつらいものである。

 こたつを出して足が温まると、とてもしあわせな気分になる。こうして来春まで「こたつの守」となる。せっかく娘のどん姫がくれた肘付きの大型の座椅子を私の身体で破壊してしまい、不用品回収業者に渡してしまったのだが、あれがあればもっと快適にぬくぬく出来るのに残念である。

 部屋の隅に絶妙の空間を見つけた。工夫すればそこに本箱を収めることが出来そうだ。これで積み上げている本を収納できる。納戸にしている部屋の棚にも工夫すれば利用できる空間がある。ここにカラーボックスを横に置けば古いアルバムやブログアーカイブのファイルを収めることが出来そうだ。

 こうしてまた本箱やカラーボックスを買い込むことを夢想している。ついでに肘付きの座椅子を買おうか。断捨離などといいながらこれでは駄目だなあ。

2017年11月15日 (水)

雲南旅行(16)麗江古城1

麗江古城は以前来た時とあまり変わっていない。


Dsc_4579

ホテルを背にして右手方向(南にあたる)を撮る。むかしは前の水は澄んでいた。濁っている理由を後で聞いた。

Dsc_4580

ほぼ正面。右手の少し高い建物の一階はスーパーである。ここでビールを買い出すことになる。冷やしていないが、気温が低いので、冷蔵庫に入れておけば適温になる。

Dsc_4582

この方向に歩いて行けば四方街や水車小屋の方向に行くことが出来る。

とりあえず部屋に荷物を置く。

Dsc_4583

部屋は二階。窓はこれ一枚なので外気がそのまま室温である。室温の話はまた後で話したいことがある。

荷物を置いて散歩に出る。

Dsc_4585

この道を左に行けば四方街へ行くことが出来る。ホテルは麗江古城の南端にあり、有名な世界遺産のシンボルである大水車は北の端にある。ゆっくり歩くと30分かかるし、道は曲がりくねり、しかも脇道だらけなので、全体のイメージをつかむまでは迷いやすい。

Dsc_4587

何しろ人が多い。

Dsc_4588

麗江は納西(なし)族の街。トンパ(東巴)文字は納西族の象形文字である。これは世界文化遺産である。

Dsc_4590

前回来た時はこのような食べ物広場はなかった。

Dsc_4593

これは虫の空揚げ各種。私は食べてみても好いと思ったが、同行の二人は同意しない。さすがに一人でむさぼり食いたいとは思わない。ほんの一口二口食べてみたいと思っただけである。

Dsc_4594

こうなると何の料理なのか皆目わからない。

Dsc_4596

これは小鳥だろうかカエルだろうか、頭がついていないから分からない。よく見たら写真を撮るな!という札が置かれていた。

Dsc_4597

もうすぐ中心の四方街である。この人混みである、スリも仕事がしやすいであろう。ほとんど中国人観光客だと思う。

麗江古城の散策は何度もしたので似たような写真が繰り返し出てくるのでご容赦戴きたい。何しろ何度散策してもおもしろいのである。

«いまは期待したい

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ