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2011年1月

2011年1月31日 (月)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い⑧

彼女の養い親が、彼女が北京に行くことに反対したのだ。彼女の北京の父親が会いに来るべきであるとして譲らないのだ。婚家先は彼女の気持ちが分かるので貧しいながら何とか交通費を工面して行かせたいと思っている。再三の説得を行い、地元の権力者を担ぎ出してようやく了解を取り付ける。交通費などは下放グループの人たちがカンパした。北京の父親の気持ちは複雑だ。生きているとは思わなかった娘、今の惨めな暮らしを見られることの恥ずかしさ、娘に対する済まないと思う気持ちなどで苦悩する。延安から彼女が上京する。父親は身の置き所のない気持ちだが、娘にとってはどんな暮らしをしていようと父親は父親だった。つづく

「毛沢東 最後の革命」マクファーカー他著(青灯社)を読む

文化大革命についての資料が可能なかぎり網羅されており、現状では最高の本だろう。このような本が出てくるのも、時間の経過とともにそれだけ今まで隠されていたものが表に現れてきたということ、語らなかったひとが語り出したということなのだろう。ところで、これは上下巻の2分冊だが高い。カウンターにだして値段を聞いてびっくりした。内容は価格に見合うが、手を出さないひとも多いだろう。読み応えはあり、読了に二週間以上かかった。今まで文化大革命についていくつか読んではいたが、この本でその想像以上の実態が分かった。たぶん中国の人はかえってそれをほとんど知らないだろう。特に若い人には全く教えないようにしているようだから。感想を述べる代わりに、少し長いが、巻末に引用されている高孔健の文章が締めくくりとしてすばらしかったので、以下にあげる。「当時、人民はみな造反した。ちょうど、一昔前の人民がみな革命したのと同様に。その後、人々は造反ということばを避けるようになった。もしくは当時の歴史をきれいに忘れてしまった。人々は大きな災難の犠牲者となり、災難が自分の身に降りかかる前には多少なりとも加害者だったことも忘れてしまった。歴史というのは、このように何度も顔つきを変える。(略)しかもそれは、いつの日か、人々が忘れた頃にまた復活し、狂気を知らない人間を狂気に陥れ、迫害を知らない人間を迫害者または非迫害者にするかもしれない。狂気はつねに人のこころに潜んでいて、いつ姿を現しても不思議ではないのだから。」

2011年1月30日 (日)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い⑦

文化大革命は約10年続いた。1970年代後半に下放学生の復籍はおおむね認められたが、そのまま農民として残ったもの、地元に生活拠点をもって延安の街に住み着いたものもあった。もちろん多くは北京などの都市に戻った。彼らのその後の暮らしにはかなりの差があり、才覚を効かせて財をなしたものもあったが、都市の下層に沈んだものも多い。あの赤ん坊だった彼女の、親に会いたい、という思いはついに下放が一緒だったグループの人脈に伝わり、世話をする人があってついに父親が北京にいることが分かる。その父親は最底辺にいた。彼女の母親とは北京に戻ってすぐに別れ、今は別の女性と暮らしていた。親子が会うためには、大きな問題があった。 つづく

「姥捨ての里」佐伯泰英著(双葉文庫)を読む

居眠り磐音シリーズの最新刊(第35冊目)。佐伯泰英の時代小説はシリーズになっているものがいくつもあるが、ほとんどベストセラーになっており、特にこのシリーズはNHKでも放映されていて読んでいる人が多いと思う。でももし読んでいないなら最初から読んでみることをおすすめする。登場人物がイメージ化しやすく、親近感がわくし、感情移入すること間違いなし。時代小説はどうも、という人もいるだろうが、これを読まないのはもったいない。シリーズ全体としては当初の絶望的状況から主人公の性格の良さからだんだん開けていき、ついに順風満帆となるのに、突然大きく転変。今回はおこんさんの試練(こんなに苦労させることはないのに)が・・・

2011年1月29日 (土)

「ラスト・チャイルド」ジョン・ハート著(早川文庫)を読む

アメリカ探偵作家クラブ賞と英国推理作家協会賞をダブル受賞と帯にある。すごい。ミステリーファンなら読まないわけにはいかない。上・下巻と二冊だが、物語に引き込まれると一気に読める。ラスト・チャイルドの意味が最後に分かる。不屈のこころを持つ少年が主人公で、凄惨な物語なのにラストがいいので読後感は悪くない。ジョン・ハートの他の小説「キングの死」「川は静かに流れ」を読んでみたくなった。

2011年1月28日 (金)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い⑥

赤ん坊を引き取った農家では、そのあと養母が病死し、後妻に子供ができたので、その子供たちとは着るものも食べるものもずいぶんと差別されて育ち、学校もほとんど行けずにみすぼらしいなりで畑仕事に明け暮れた。読み書きは全くできない。幸い成人してから求められて結婚、嫁ぎ先は優しい家族で、今は子供もできて幸せである。その彼女が本当の両親に会いたいと考えたのだ。文化大革命の時、下放された若者はどうなったのだろうか。中国には戸籍が2種類ある。簡単に言えば農民と市民である。そして農民は都会に市民として住むことはできないことになっている。下放された若者は、下放された時点で農民となっていた。つづく

「史実を歩く」吉村昭著(文春新書)を読む

吉村昭の書くものは、純文学から戦史、そして幕末前後を主体とした歴史小説へと推移していったが、書かれている事実はノンフィクションといってもいいくらい詳細かつ精確だ。史実に関して検証のために可能な限りの資料を調べ、徹底した取材を行ったが、そこでの出会いやエピソードについて語っている。その文章は淡々としているが熱い。三島由紀夫が森鴎外の歴史小説を絶賛した文章をたまたま読んだ(受験の現代国語の問題文だった・集中して読んだので覚えている)ことがあるがそれを思い出した。人物の感情をあえて書き込まないで事実のみを書くことで読者に登場人物の心情を想像させること、できるようでできないことであり、それはやはり書かれたものの背景に膨大な書かれていないもの、があるからこそ伝わるものなのだろう。

2011年1月27日 (木)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い⑤

当時は下放された学生の恋愛は厳禁だった。まれに下放先の農民と結婚することもないではなかったが、きわめて例外的。彼ら学生が住居として与えられていたのはヤオトンという横穴式の洞窟だった。寒く、つらい暮らしの中で互いにぬくもりを求め合うのは自然の成り行きだ。そのような中で妊娠した場合、堕胎が行われるか、その機会を失って生まれてしまった子供は闇に葬られた。たまたま子供がなく、働き手がほしいという農家があって闇に葬られることなく引き取られた赤ん坊があった。女の子だった。  つづく

「異形の大国 中国」櫻井よしこ著(新潮文庫)を読む

日本人は忘れっぽく、ひとがいい。たぶん尖閣列島問題もほとぼりが冷めればほとんど忘れ去られるだろう。戦後、特に文化大革命以後、中国が国として力をつけだした頃から、世界に対して、特に日本や東南アジアに対してどういう行動をとってきたか、その時々に櫻井よしこが新聞や雑誌などに寄稿してきた文章をまとめた本。中国のとってきた行動の根底にある考え方について明らかにし、警告している。中国は露骨に覇権主義である。これが独裁国家、中国帝国の当然の行動なのだが、それを認識しないでつきえば、日本の立つ瀬はない。現在の流れのまま推移すれば、遠くない将来、台湾は中国に取りこまれ、冗談ではなく沖縄もとりこまれるだろう。現に中国内では沖縄は元々中国領だとする論評が公然と唱えられている。極端だと思わず、あり得ることとして中国を見直してみよう。

小旅行

A 大雪の東北B 大雪の温泉C 伊香保から榛名湖への峠からD 榛名湖・凍結している

2011年1月21日 (金)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い④(今回が④、前回は③でした)

文化大革命を識っているだろうか。今や中国人でも若い世代は(日本の若者が第二次世界大戦を識らないように)識らない。犠牲者は2000万人とも4000万人ともいわれている。先日NHKのBSハイビジョンの特集で「民衆が語る中国・激動の時代」第一章~第四章(再放送)を見た。文化大革命に参加し、後に下放された若者など数十人に取材したもの。(下放とは「農民に学べ」という政策で、多くの学生、生徒が、中国全土の農村に送られたもの。元々都会育ちの若者ばかりのため、ほとんど役に立たず、農家の足手まといとなり、農家も若者も限られた実りを分け合うことになり、困窮を極めることとなった。)このドキュメンタリーでは延安(中国共産革命のメッカだが送られたのは貧しい農村)に下放された若者の、当時の生活と現在までの歴史が語られている。  つづく              明日から旅に出るので5~6日休みます。

「葬式は要らない」島田裕巳著(幻冬舎新書)を読む

かねがね葬式に違和感を感じていた。読経(お経の意味は全く分からない)、戒名?。今の一般的な葬式が、死者や遺族にどんな慰めをもたらすというのだろう。日本人の葬式一件あたりにかける費用は平均231万円あまりだという。海外の葬式と比べると何倍にもなる。実質費用もさることながら、葬儀社の利益や僧侶のお布施、戒名料などがずいぶんかかる。葬式のほとんどが仏式であることにその大きな歴史的な理由がある。寺の運営上そうならざるを得ないらしい。しかし最近状況が変わりつつあり、かなり簡素な葬儀で済ますことが了解されつつあるようだ。その具体的な方法が述べられている。元々自分の葬儀は可能な限り簡素にやってほしいと思っていたので共感するところ、参考になるところが大きかった。葬式もデフレの時代になったらしく、葬儀社から簡素な葬式の提案もあるそうだ。

2011年1月20日 (木)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い④

第二次世界大戦がなぜ始まったのか。これを歴史として学ぶこと、それこそが日本人全員が今後再び戦争しないために必要な歴史教育の目的ではないだろうか。しかし近現代史は、学校で詳しく教えられていないようだ。教師がどのようなスタンスで近現代史を教えても、必ず左右から批判が入った。当然入試にもきな臭さを嫌って問題として出されることは少ない。おざなりにながされてきたのが実情だ。だから明治以後の日清、日露戦争から第二次世界大戦まで、世界はどういう状況であったのか、なぜ戦争に至ったかについて知る若者は少ない。まして第二次世界大戦が始まる前から中国と戦争をしていたことを知らない若者は非常に多い。これでは日本人の歴史認識といったって、そもそも何もないのだから問われても答えようがない。もしかして中国はそれを見越して中国の歴史観をすり込もうとしているのだろうか。つづきは明日

「宇宙は何でできているのか」村山斉著(幻冬舎新書)を読む

ひとは誰も宇宙のイメージを持っている。だが今、科学が明らかにしつつある宇宙は、その創造の枠を遙かに超越した姿を見せる。果てしない宇宙が、極小の素粒子の世界とリンクした法則に基づく世界らしいことが垣間見えてきた。宇宙をその中にイメージできる、ひとのこころこそ宇宙以上に広い世界だ、という話もあったが、どうも実際の宇宙はひとのこころより広いみたいだ。ところどころ理解が及ばない難しいところもあったが、近頃うつむき加減で生きているひとは一度壮大な宇宙に目を向けて背筋を伸ばしてもいいのではないだろうか。

2011年1月19日 (水)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い②

コロンブスが、アメリカ大陸を発見した年が歴史の教科書に書かれている。そのときに出会った人たちをインディアンと名付けた。インドに着いたと思ったかららしい。そうやって世界の未開地を発見し、冒険し、未開の人たちにキリスト教を布教し、従わなければ虐殺した。でもこれっておかしくないか。アメリカ大陸は無人の大陸ではなかったのだ。アメリカ人がそういう歴史を歴史としているのは分からないことはない。日本の明治以後の歴史教育は西洋由来のため、日本人もこの歴史観に違和感はない。ことほど歴史というのはその教育で、世界観が形成されてしまう。いま若い中国人が、日本に対してもっている歴史観は、かなり意図的に教育された歴史観にもとづいている。中国は日本人の歴史観をたださなければならないという。つづきは明日

「日教組」森口朗著(新潮新書)を読む

戦後教育について、心あるひとはいささかの関心と意見を持っているものと思う。ひとびとのマナーや公共心に問題を感じている多くのひとが、その戦後教育に関係があると考えている。もちろん家庭のしつけのおろそかであることに大きな要因があるとはいえるものの、学校教育にも何かたらないもの、またはかたよりがあったと感じているひとがおおかたではないだろうか。そしてその犯人として「日教組」の名がしばしばあげられる。しかし日教組そのものの果たしてきた役割や現在持っている影響力についてはあまり知られていない。この本は冷静にその歴史の現在の状況を紹介してくれている。現在政権を取っている民主党にとっての日教組の影響力は想像以上であるようだ。

2011年1月18日 (火)

中国が大好き・・・そして中国が大嫌い①

学校で教わった歴史がどうも嘘くさいと感じていた。歴史は西洋、いやアメリカから見た歴史を教わっていたらしい、と気がついたのは朝日新聞のおかげだった。高校時代に文化大革命について、朝日新聞はそれを賛美していた。はなし半分でもそれなりに必要な社会的な運動だと思っていた。でも友達に勧められて読み出した月刊誌にはそれが権力闘争だと書かれていた。それなら新聞がいっていることはなんなんだと思った。どちらが正しいか、なんてしらない。同じ状況を全く違う解釈をすることがあるのだということを知った。 つづきは明日

「お金の流れが変わった」大前研一著(PHP新書)を読む

副題・新興国が動かす世界経済の新ルール アメリカに流れ込んでいた世界のお金が今、中国に流れ込んでいるという実感は大方の共感するところだが、著者は、すでに中国も限界であり(政治情勢や、賃金上昇をはじめとしたコストアップなど)すでにそのお金の流れがBRICs、さらにVITAMIN-ベトナム、インドネシア、タイ、トルコ、アルゼンチン、南アフリカ、メキシコ、イラン、イラク、ナイジェリアなどに流れ込み始めているという。それをホームレスマネーというそうだが、いかにその一部でも日本に呼び戻すのか、が今後の日本の生き残る道であると説く。中国の今後についてやや悲観的すぎる見方や、日本の借金についての考え方など、同意しにくい点もあるものの、世界を常に飛び回っている著者の、実際に目の当たりにして感じたことが根拠になっており、示唆にとむ。

2011年1月17日 (月)

「定年からの旅行術」加藤仁著(講談社新書)を読む

定年にこだわらず、生きがいとしての旅行を楽しんでいる人は多いが、その人たちに取材してその楽しみ方の実例を数多くあげている。テーマをもって旅することがよりその旅を有意義にすると呼びかける。まず行動すること、それが人生に意味を与える。状況が人に勇気を与える。お金が無くたってそれなりの旅はできるのだ。

2011年1月16日 (日)

「十五少年漂流記」への旅・椎名誠著(新潮選書)を読む

ジュール・ベルヌの「十五少年漂流記」のモデルとされる島を訪ねる旅を主軸に、冒険にあこがれた少年時代から、実際に隔絶の地への冒険を重ねる現在までを語る。椎名誠の旅はリスクの大きな旅とはいえ、確かに20世紀初頭までの命がけの冒険とは異なるが、現代の日常とはかけ離れた困難な旅であることは間違いない。安穏な自宅にいながらその旅を追体験できることは楽しい。新潮選書という本の性格上、いつもの文章より濃度が高いが、軽快で読みやすい点は変わらない。彼のよく言及するへディンの「さまよえる湖」に触発されてシルクロードの一部を旅した経験がある。再びじっくりと訪ねてみたくなった。

2011年1月15日 (土)

目標年間200冊・よかったらのぞいてください

今年の読書目標は年間200冊です。在宅の日にはリアルタイムで読んだ本を毎日一冊ずつ読書メモとして公開します。いまは昨年暮れから読んだ本を順次記録しています。昨年、定年を機にブログを始めましたが、テーマが定まっていませんでした。今年は読書録をメインテーマに時々行く、旅行記録も公開します。読む本は雑読なので系統性はありません。おもしろそうなものだけでも気がついたら目を通してコメントをいただければ幸いです。

「中国人の機知」井波律子著(講談社学術文庫)を読む

副題「世説新語」の世界 中国古典を読むとき井波律子の本は外せない。この本は彼女が彼女が若いときに書いた「乱世の感情-『世説新語』の人びと」をもとに約10年がかりで書き上げたものだという。中央公論から1983年に出版されたものが今回講談社学術文庫に収録された。井波律子がいかに高いレベルの知識と感性の持ち主かがこの本を読んであらためて知った。「世説新語」は竹林の七賢などで知られる2世紀から5世紀にかけての魏晋~南北朝時代が舞台で、乱世の中でいかに知識人がプライド生存とのバランスの中で生き抜き、また死んでいったのか、この本により目の当たりにすることができる。

2011年1月14日 (金)

「やさしさの精神病理」大平健著(岩波新書)を読む

現代はやさしい人が求められ、やさしさに大きな価値が与えられている。何せ地球にまでやさしくしようという時代だ。しかしこの本を読んで、今の若者がいうやさしさは我々が感じているやさしさとはかなり違うのだということが分かる。精神科医である著者のもとを訪ねる患者たちのやさしさの例は当初きわめて理解しにくい。しかし著者がじっくりと話を聞くことでその心の流れを解き明かしていくうちに、なるほどそういう時代なのか、と得心がいく。共感はできないけれど。最後の患者の話は感動する。この話で感動するには最初からちゃんと読まなければならない。必ず読んで良かったと思える。読みやすい本。

2011年1月13日 (木)

「国家の命運」藪中三十二著(新潮新書)を読む

著者は昨2009年、外務事務次官を退官した。この本を読んでいまさらながらつくづく外交は人だと思った。そしてその人を得ないときにどうなるかは先般来の中国やロシア、そしてアメリカとのぎくしゃくした関係を見れば明らかだ。胡錦濤に対する挨拶すらメモを見ながら行うような某国の首相ごときは外交の役割を担うこと自体が間違っているとしか思えない。人と人が誠意とレトリックを駆使して相手と接すれば、その関係に何らかの進展が必ずあるはずだという信念がなければ外交は成り立たない。営業もしかり、いやすべての人間関係もこれが原点だろう。ところが現代の若者の一部を見ると、相手の領域にふみ込むこと、そしてふむ込まれることを極端に恐れるために人間関係が希薄になっているように見える。相手を傷つけること、傷つけられることを極度に恐れており、それを最大の気づかいとすることをやさしさと考えている。どうも並行して読んでいる本のテーマに入ってしまった。やさしさについては次の本で。

2011年1月12日 (水)

「世界を知る力」寺島実郎著(PHP新書)を読む

世界を認識するには歴史を学ばなければならない。しかしそのベースとなるべき学校で習う歴史というのは(少なくとも戦後世代にとっては)アメリカの歴史観であることを知らなければならない。このことはすでに血肉となってしまっており、そうでない歴史観もあることに気がつくためにはかなりの修養を積まなければならない。著者はまずそのことを指摘し、それにとらわれない視点から世界について説き起こす。そもそも明治時代以来日本人は西洋人の視点に準じて世界を認識してきた。世界を知るにはその呪縛から自由になることから始めなければならない。

2011年1月11日 (火)

「漢字と日本人」高島俊男著・文春新書を読む

在野の学者で、辛口エッセー「お言葉ですが・・・」シリーズで知られる著者の、日本語にとっての漢字の役割と存在意味を歴史的に、また根源的に解説した本。そこから国語審議会が行ってきたこと、行おうとしてきたことを強烈に批判する。今更もとに戻せないものの、戦後のどさくさに紛れていかに愚行が強行されたかを思い知らされる。人は信念のもとに、また正義の名のもとに愚行を行う。

2011年1月10日 (月)

「デフレの正体」藻谷浩介著を読む

副題-経済は「人工の波」で動く-。景気の波という考え方で今の日本経済を認識することは間違いであることは大方の日本人が気がつき始めているものの、今までそれを前提に経済対策を行ってきたという流れと、では何が根本的な問題なのかということに回答の無いまま、場当たり的な対応に終始してきた。私としては中国や東南アジアや今まさに経済が活発で急激に発展している国の人々が、過去低い賃金で貧しい暮らしを強いられてきた分、先進国が豊かに暮らしてきたことは紛れもない事実であること、その人々が豊かになる分、先進国と言われた国がいままでよりも生活レベルを下げざるを得ないことは当然のことと考えていた。この本は、日本を中心にその大きな流れのメカニズムを明快に、数字をあげて解析している。統計数字について、率よりも絶対数を見ることの大事であることが再三根拠をあげて提示されている。経済学が、モデルを元とした仮定の学問であることは誰でも承知のことながら、現実が仮定を裏切った場合には仮定のモデルを修正していかなければならないのに、現実がおかしい、とのたまう経済学者がしばしば見受けられるが、それこそ養老孟司氏の「バカの壁」だ。この本を絶賛する向きがかなりあると聞くが、本当にこの本を読む必要がある人間ほど読まず、読む前から今の政治や経済学者はなにかおかしいと思っている人ばかり読むであろう。心あると自認するひとすべてがこれを読んで自分の先入観を洗い直すことを期待したい。

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