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2011年3月

2011年3月31日 (木)

白沙村

白沙村は昔ながらの家屋の残る村で、麗江の街を築いた木氏の本拠地であったところです。白沙壁画と呼ばれる、納西族(ナシ族)、白族(ぺー族)、チベット族、漢族統合の象徴である大きな壁画が残されていることで有名です。残念ながら写真撮影は許されていません。文化大革命の時、この壁画を守るため、大きな毛沢東の肖像を掛けていたそうだが、それでもかなり破損していた。本当に文化大革命というのは文化を破壊する革命だったことが分かる。土産物を売っている店は少なく、それだけに外国人の観光客が主体で、中国人はほとんどいない。中国人は土産を買うのが観光みたいだ。ひところ日本の海外旅行に行くひともそうだったけれど。

Photo_10 壁画のある場所の門。

Photo_11 これが有名なトンパ文字。麗江は自然、歴史、文化の3つの世界遺産指定を受けている世界でも数少ないところ。

Photo_12 この奥に壁画がありました。薄暗くてよく見えません。

Photo_13 柳の古木。15年ほど前に雷の直撃で二つに裂けてしまったが、今も生きている。樹齢推定800年くらい。

Photo_14 ここに壁画が正面と左右の三面、描かれている。ほとんどの像の目がえぐられている。目の部分に金や宝石が使われていたためで、文化大革命の名を借りて何がおこなわれたかがよく分かる。

Photo_15 藍染めの布を売っていた。

Photo_16 日干し煉瓦の壁。

Photo_17 門の両脇の聯(れん)が緑色なのは身内に不幸があって1~2年であることを表す。3年以上から赤になる。

Photo_19 村の食堂で食事をしましたが、野菜の味が濃くてとても美味でした。

Photo_20 雲南省は山で金や銀、銅がとれました。銅の打ち出しをして、銅の容器を作っているところです。

Photo_21 こんにゃくを炒めていました。うまそうでした。こんにゃくは芋ではなく、豆から作るそうです。

Photo_22 これは民宿。

雲杉坪(うんさんぺい)

雲杉坪は、麗江の北、海抜5596mの玉龍雪山の麓、3240mの小さな高原です。上高地と同様、駐車場に車を置いて、専用の観光バスに乗り換えてロープウエイ駅まで行きます。以前はリフトしかなかったそうですが、今は8人乗りのロープウエイがかなり速いスピードでめまぐるしくひとを運んでいます。到着場所から原生林の間を15分ほど歩くと草原があり、正面に玉龍雪山が見える、はずでしたが、当日は小雪混じりの天候で、下半分しか見えず、頂上は雲のなかでした。麗江のガイドの白さんは、この天気でこれだけ見えればラッキーですよ、といっていました。さすがにこの高度だと少しの階段でもゆっくり上らないと息切れします。

Photo 玉龍雪山の下半分が見えます。ロープウエイ乗り場にて。

Photo_2 原生林の間を歩いて行きます。

Photo_3 4月から雨期に入ります。6月頃からこの辺はキノコがたくさん採れるようになるそうです。

Photo_4 ガイドの白さんです。ハルピン出身です。

Photo_5 中国式の絵馬がびっしりとくくりつけてありました。

Photo_7 思い切りアップにしてみました。

Photo_8  チベット式のモニュメントです。山の向こうはチベットです。

Photo_9 雪解け水をためた小さな湖です。小さな九寨溝という感じでした。

2011年3月30日 (水)

麗江古城・昼

麗江は昆明の北西約500Km、飛行機で50分です。海抜約2500mの高地にあり、北隣の香格里拉(シャングリラ)の向こうはもうチベットです。少数民族の白族(ペイ族)と納西族(ナシ族)が、漢族より多いところです。快晴の時には海抜5596mの玉龍雪山が見えます。古い中国が見られるところとして隠れた名所でしたが、1996年の大地震とその際の火事で街がかなり破損、復興の中で、1997年に世界文化遺産に登録されました。一挙に有名になり、観光客が多数訪れるようになりました。ただ中国の観光地は有名になると残念ながら俗化します。麗江も古い町並みとして麗江古城という車を乗り入れ規制した地区をもうけていますが、大半が土産物店と食べ物屋になってしまいました。

Photo 朝の散策で見つけた軒先の飾り提灯です。

Photo_2 ぬいぐるみを洗濯でもしたのかな。

Photo_3 麗江の官庁街のあったところらしい。

Photo_4 朝なのでまだ人が少ない。

Photo_5  右がチベット馬、左が麗江の馬。

Photo_6 帽子はなんとレッサーパンダの毛皮。

Photo_7 麗江古城の四方街(街の中心)

Photo_9 このお店でお茶を買いました。

Photo_10  ひとが出始めました。

Photo_11 麗江古城のシンボルの水車。

Photo_12 麗江古城の新しい区画でレストランが多い。

Photo_13 レストラン前につられた羊。

2011年3月29日 (火)

石林・小石林

小石林は大石林に比べやや小ぶりで、あえて言えば女性的。大石林が覆い被さるような圧倒的な迫力があるのに比べれば広々として柔らかい。最後の二枚は石林公園を出て昆明市内に帰るときの車窓から撮ったもの。公園の外にもこんな風に石がごろごろしています。今回の石林は、雲南旅行のおまけみたいなつもりで行ったのですが、とんでもない、とてつもなくすごいものでした。ガイドの安さんにそういうと、日本の人はみな石林をおまけみたいに言うけれど来てみるとみなびっくりして感激してくれます、といっていました。ところで以前は雲南省は日本人にも人気で、観光客も多かったのですが、近年激減しているようです。この後訪ねる麗江を含め、今度行きたいシャングリラ、シーサンパンナなど見所は山ほどあります。確かに俗化して残念なところもありますが、スケールが違います。北京や上海では中国を見たことになりません。是非雲南省へ行ってみてください。明日から麗江の写真を掲載します。

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2011年3月28日 (月)

石林・大石林後半

大石林の中心部へ進むと奇岩が続く。いろいろ名前がつけられているようだ。どう見えますか。中央の一番高いところに四阿式の展望台があり、四方が見渡せる。たくさん写真を撮ったがきりがないので一枚だけ。最後の写真、通るひとがみな触るので光って見える石がある。これが石林の心臓だそうだ。

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石林・大石林前半

石林は大石林と小石林との二つ見所がある。まず大石林を回る。女性二人はガイドの安さんと公園内ガイドの甘さん。石と石の間の狭いところをいくつもくぐっていく。石が挟まって今にも落ちそうになっているところがあった。下をくぐるのをいやがる人もいるという。地震の時は怖い。現に地震の時に崩れた跡もあった。

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石林・いよいよ中へ

石林公園内に入る。入り口すぐそばの池の中に石がたくさんある。この池は人造の池で、周恩来か誰かがこの景色は水がある方がいいのではないか、の一言でこのような景色になったという。八重桜が咲いていた。三月初めが盛りで今は散り始めだという。少し歩くと大きな穴の開いた石の前に来た。本格的な石林の始まり。近くの広場で少数民族がうたいながら三弦の楽器を鳴らし、踊っていた。定時のショーだという。木の葉と石の間から射すひかりがきれいだった。

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昆明市内から石林へ

石林は昆明市内の東南約100Km、1時間半くらい車で走ります。昆明は年間降雨量が少なく、5月から10月が雨期ですが、ほとんどスコールのような降り方で、日照時間が長いところです。最初の写真は車窓から昆明のアパートを撮っていますが、ほとんどの建物が、太陽熱発電と温水器を屋上に乗せています。昆明の気候は冬暖かく、夏は涼しく、非常に快適です。雪は滅多に降りませんが、3月はじめにめずらしく降ったそうです。石林に近づくと車窓に秋吉台のように大きな石灰石がごろごろしている様子が見られました。そして突然石柱が目に入りました。至る所が石灰岩だらけです。石林の入り口は花が咲いてとてもきれいでした。石林公園内は必ず少数民族衣装を着た現地ガイドがついて回ります。これは現地交渉です。いろいろな土産物などが売られていましたが、特に果物が目に付きました。びわがとても大きくおいしそうでした。

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石林①

中国・昆明旅行のハイライトは石林です。写真で紹介されることが多いので見たことのある人があるかもしれません。私もそれで秋吉台より大きくてとがった石が多い程度だろうと想像して出かけたのですが、とんでもない。はるかにスケールの大きなものでした。これは出かけてみる値打ちのあるもので、感動ものです。中央部の高台に楼閣があってそこからまわりが見渡せます。そこに登るのが少し息が切れますが、お年寄りでも全く問題ありません。予告編として一番有名なものを見てください。これが何に見えるか言うまでもないでしょう。

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2011年3月27日 (日)

計画停電他

東京23区の内、二つの区だけが計画停電の対象になっており、不公平であるとしてその区の区長が東京電力と国に対して猛然と抗議していた。区民からの抗議が多いので、区長として代表してもの申しているのだろう。確かに計画停電のような措置は極力バランスのとれたものにすべきであると思うが、完全な公平などはあり得ず、またひとはほぼ公平なときには自分が分が悪いと感じるものだ。抗議をするからには明らかなアンバランスがあるからだと思うが、そのやや感情的な物言いは、冷静に事態を改善する方向に向かいにくくするのではないか。自分が正しいときこそ静かに事情を訴えるべきで、長として如何かと感じた。
また昨日新聞を見ていたら「近所に福島ナンバーの車が止めてあった。汚染されている恐れがあるから排除してほしい。」と自治体に訴えた人がいたという。訴えた人は万一を恐れて正しいことを言っているつもりなのだろう。こういう相手の立場に立ってものを考えることのできない悲しいひとのいることをもっとニュースのトップに取り上げて正していかないと、冷静で落ち着いた対応を海外で見直されている日本人も、実はたかがしれていると思われてしまうのではないか。

昆明駅構内

昆明駅構内に入ってみた。列車を待っている人、切符を買うために並んでいる人達が数多くいた。やはり少数民族がかなり混じっている。カメラを向けるとじろりとにらまれた。

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昆明駅

昆明市内には滇池(てんち)という大きな湖があるが、今回の旅行では寄ることができなかった。後で麗江からの帰りに飛行機から見ることができたが、思った以上に大きな湖だった。この湖を模して西太后で有名な北京・頤和園の昆明湖が作られたことは有名。今回は昆明駅と駅前風景の写真です。写真の金色の牛は「奔牛」とプレートが着いていたが、いわれは分からなかった。駅前を見回すと少数民族と思われる人がたくさんいた。Photo_18

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昆明の街頭風景2

地下鉄の話を出しておきながら地下鉄工事の写真を忘れていました。それも含めて街頭風景のつづきです。

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昆明の街頭風景

雲南省は一定数以上の少数民族の民族数が25民族(中国の少数民族は55、漢民族を合わせて56が中国の民族数)と最も多い省で、一番高い山は玉龍雪山約5600メートル、一番低いところはベトナムに接する地区で10メートル以下と気候も風景も多岐にわたる。雲南省の省都は昆明で人口約600万の都市である。一日がかりで昆明に到着し、翌朝、外を散策した。ホテルが昆明駅に近かったので駅まで行ってみた。まず途中の街頭風景から。交差点にロボコップが立っていた。駅へ向かうひと、駅から街に向かうひとで歩道は混雑しており、朝食を売っている店も見られた。今昆明は地下鉄工事中、来年には開通の予定。「超市」とはなんでしょう。字の通り英訳すればスーパーマーケットです。

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2011年3月26日 (土)

中国・雲南省

中国・雲南省方面に旅行に行って今帰宅しました。あす、写真を整理してぼちぼちと載せながら旅行の様子を報告いたしますのでよろしくお願いします。

2011年3月19日 (土)

雲南省

明日から一週間、中国、雲南省方面に行って参ります。現地で生の中国ウオッチをして報告いたします。また、天気さえよければできるだけ写真をたくさん撮ってきます。そういうわけで一週間休みます。次は27日に帰朝報告予定です。雲南省の料理はどんなんかなあ。今夜は眠れるかなあ。

2011年3月18日 (金)

「義和団事件風雲録」菊池章太著(大修館書店)を読む

「北京の55日」という有名な映画がある。1901年、義和団事件の際、北京の日米英仏露その他公使館のあった北京の東郊民港に立てこもった人達の籠城の様子を映画化したものである。この本は敦煌文書の蒐集と解析研究で名高いフランスの東洋学者ポール・ペリオがその籠城した一員として経験したことを書き綴った手帳を元に、当時の中国の状況と時代背景を明らかにしたものである。そのとき日本人も数多く籠城し、活躍している。また、西太后が義和団に対してどういうスタンスだったのか、ペリオの手帳や、西太后のおつきの女官で後に上海でアメリカ副領事と結婚してアメリカに帰化した婦人の証言を元に考察する。この話は遙かな昔話ではない。20世紀初めの事件である。各国が中国に対してどういう動きをしたのか、なぜ義和団は外国人の無差別襲撃をおこなうに至ったのかがよく分かる。著者の目配りはバランスがとれており、偏見がない分かえって臨場感のあるものになっている。文章も平易で、よくまとまっており、読みやすいのでおすすめである。

中国ウオッチ 反・反日教育

現在の中国政府は成立のいきさつから、宿命的に反日である。どうしてそんなことがいえるのか、は現代中国史を読んでもらうことにして、それをさらにエスカレートさせたのが江沢民だった。そのため、江沢民時代以前の中国人より、江沢民以降の教育を受けた若者の方がはるかに反日的である。ところが今回の日本の震災での日本人の行動を見て、その若者たちが驚いている。いわく、極悪非道、変態、けち、スケベなどありとあらゆる悪口を日本人に浴びせる教育を受け、そのような日本人が出る漫画や映画を見て育ってきたが、今回報道される日本人にあの下品で醜い日本人は一人もいなかった。当初日本の不幸を喜んでいた若者の一部も今は沈黙している。これで少しでもすり込まれた日本人に対する考えが改善されることを願うばかりだ。実は前外務大臣の前原氏が中国向けのODAに言及したことをきっかけに、日本が中国に1979年以来約2.7兆円ものODA援助していたことが中国国民の一部に初めて知らされたところであり、四川地震の時の日本の援助額が突出して多かったことや援助隊の活動があらためて思い出されていたところでもあった。地震で犠牲になったひと、未だに避難先で苦労されている人達などに申し訳ないが、この震災を機に世界の、特に中国人の、日本人を見る目がいささかなりと温かくなったことは不幸中の幸いと考えたい。

中国ウオッチ 便乗値上げ

新華社が日本の震災後の品物不足の現地取材報道をおこなった。物流に大きな影響が出ていることで、東日本ではスーパーやコンビニで多くの商品が一時的に不足している、との報告の後、ところが全く便乗で価格が上がることなく、通常の価格で販売されており、混乱も起きていないと伝えた。先般の四川地震の時など、一部買い占めや便乗値上げがあったようで、日本の状況は驚きとして伝えられているようだ。経済とは、もうけられるときに思い切りもうけるものだ、というものなのだろうが、それよりももう少し高いところに良識を置いている日本人に誇らしいものを感じる。もちろん良識は安心と安定を基盤に置いているので、政府はそれを損なうことの無いように努力してほしいと思う。

中国ウオッチ 塩

中国各地で食塩の売り切れが続出している。福島原発の事故で放射能が漏れ、海水が汚染されているとの風評被害により、汚染される前に作られた塩を確保しようとする市民が殺到しているためである。また広州地区では放射能にはヨウ素が予防効果があるとの噂により、ヨウ素入りの塩が特に集中して売り切れている。当局は、中国沿岸の海水の被曝の心配はなく、また食塩の海水から作る割合は20%しかない、と冷静な対応を求めている。中国にはそもそも普段から正確な情報というものは少ないので、風評は思わぬところで飛び交うようだ。

中国ウオッチ 犠牲

町民の半数の安否が不明と甚大な被害を受けた宮城県の女川町に中国・大連からの研修生約20人が佐藤水産という会社で研修していたが、今回の地震に遭遇、その直後、津波情報で近くの小高い山に非難していたが、専務の佐藤氏が、津波が来た、と大声で叫びながら駆けつけ、こんなところでは危ないからもっと高いところへ行けと指示、全員はさらに高い神社に避難させた。その後佐藤氏は自分の妻子を避難させるために引き返していったが、そのまま消息不明となった。その夜、大雪で厳寒の中、研修生は行き場もなく、途方に暮れていたが、佐藤氏の兄の佐藤社長が、自分の自宅が津波が流された中にもかかわらず、自分の友人や知り合いに助けを求めて研修生たちの宿泊場所を確保した。
また別の会社でも研修先の社長が自分の子供の安否も不明な中で避難場所を確保、避難場所でも配られた食事は日本人と分け隔て無く平等に配られたという。
このような話は枚挙にいとまがないほどだ。現在中国人の研修生や留学生は順次中国に一時帰国を始めており、彼らの口からこれらの話が語り伝えられ、あらためて日本人を見直す気運が高まっているという。

中国ウオッチ 安否情報

中国のネット上で日本の有名人の安否情報を求める声が数多くある。アニメ作家に関するものが多く、特に宮崎駿についての問い合わせが多かった。そのほか山口百恵、村上春樹、東野圭吾などの名前がある。ニュースになっていなければたぶん無事だろう、との冷静なコメントもあった。日本人が思っている以上に日本のカルチャーは中国人に浸透しており、心底心配している様子であった。

2011年3月16日 (水)

「楽しき熱帯」奥本大三郎著(講談社学術文庫)を読む

こういう本に出会えるから読書はやめられない。奥本大三郎は虫が大好きなフランス文学者であり、奥本昆虫館(正式名:虫の詩人の館)の館長である。題名はレヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」から引いている。アマゾンへ虫を見に、そして採りに行く旅から、見たこと、思うこと、考えたことが語られる。不幸にして虫なんか大嫌い、という残念な人もいるかもしれないが、著者は虫好きであることを決して押しつけたりしない。西洋と南米との歴史を思いつつ、嘆いたり、怒ったり、楽しんだりしながらやがて人間の哀しさが胸に迫ってくる。下手な解説はしない方がいいかもしれない。この本を是非読んでください。読んでよかったと思えることを保証します。

2011年3月15日 (火)

中国ウオッチ 大地震②

中国でも今回の大地震での日本の様子が、かなり詳細に報道されているが、日本人の民度の高さを賞賛するコメントが次々に出されている。日本に滞在中のある中国人は、「数百人が広場に避難していたが、その間誰もたばこを吸うものはおらず、毛布やビスケットの配布も順番に整然とおこなわれ、男性は女性を、若い人は年寄りを手伝っていた。避難所が開設されて全員が移動した後にはゴミ一つ落ちていなかった。」と語っている。評論家は「このような日本人の行動は一朝一夕になったものではなく、社会が長い時間をかけて養ったものであり、学校や役場などが避難所として速やかに設置される体制は見習うべきである。」と言っている。世界の人びとには限られたものを整然と並んで待つというのはかなりめずらしい光景なのかもしれない。もちろん待てばいつかは手に入る、という安心感があることが前提なのだが。

中国ウオッチ 大地震①

中国では、今回の日本の大地震の速報後すぐにネットで、日本を助けるべきかどうか、アンケートをおこなったところ、8割以上が援助すべきだ、と回答した。また、日本政府がとった素早い対応や、避難住民の秩序だった行動の様子を見て、中国も見習うべきだ、との声が多かった。
また、今回の日本の状況に、ネットに心ない書き込みをしている一部の人間に対し、当然ながら著名人だけでなく、一般人からも厳しい非難の声が上がっている。なにかことがあれば第二次世界大戦を引き合いに出すのはやめよう、戦争と天災は別のものである、とのまともなものが多いのは当たり前ながらやや安心する。

鎌倉⑤長谷寺

高徳院・鎌倉大仏を見た後、長谷寺に行く。庭園が美しい。色の濃い木瓜の花が目を引いた。日本最大級の木像と言われる長谷観音像は撮影禁止。残念。見晴台から由比ヶ浜が見えた。江ノ電・長谷駅まで歩いて5分と近い。海岸まで行こうかと思ったが、歩き疲れたのでやめた。江ノ電から由比ヶ浜は見えなかった。

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2011年3月14日 (月)

鎌倉④大仏

鎌倉の大仏はやはり大きくて迫力がありました。ここには外国人もたくさんいました。

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2011年3月13日 (日)

鎌倉③円覚寺

  建長寺から北鎌倉駅前の円覚寺へ。いや駅前ではなくて円覚寺の境内を突っ切ってJRが走っているのだ。だから踏切の手前に白鷺池がある。踏切を渡って山門。椿と梅が真っ盛り。寺のひとに尋ねたら、今年は梅が10日以上遅い、といっていた。円覚寺は元寇の戦死者の菩提を弔うために北条時宗が建てた寺で、奥行きの深い寺だった。

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鎌倉②建長寺

鶴岡八幡から巨福呂坂洞門を越えて建長寺を見学。巨福呂坂では静御前ではなくて静御膳との幟を見て笑った。三門は見事。仏像は撮影不可の表示がなかったので撮らせてもらった。また、法堂の雲龍図は写真のように迫力のあるものだった。

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鎌倉①若宮大通りから鶴岡八幡

鎌倉駅着後、若宮大通りから鶴岡八幡へ。昨年倒れた大銀杏の再生の行事の準備をしていた。梅や椿が青空の中、鮮やかだった。

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富士山

9日に鎌倉に行ってきました。天気がよく、途中で富士山を遠望しました。写真を撮るチャンスがなかったので少し前に撮ったものを見てください。追って写真を整理して鎌倉の写真を何回かに分けて公開します。

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2011年3月12日 (土)

地震

一昨日、昨日と東関東にいました。今朝、新幹線で脱出。先ほど帰宅できました。昨日は激しい揺れが長時間つづき、棚のものがたくさん落ちました。停電が回復したのは深夜2時頃、夜中余震が続きました。80過ぎの年寄りが、自分が生まれてから一番すごい地震だったと言っていました。東北だったらこんなものではなかったはずで、想像を絶します。東京駅は不通になったままの路線も多く、コンコースにひとがあふれて、人を押しのけながら進まないと動きがとれない状態でした。亡くなったかたのご冥福をお祈りしたいと思います。

2011年3月 9日 (水)

また小旅行

プチ旅行に行って写真を撮ってきます。2~3日休みます。

中国ウオッチ 超豪華葬式

浙江省温嶺市の大富豪が、自分の母親の葬儀にリンカーンのロングリムジン9台、1000人の鼓笛隊、16門の大砲からなる大葬列を出した。格差社会が進む中、このような成金趣味は強い批判にさらされている。しかし批判があるのが分かっているのに金持ちをひけらかすのが中国人(いや成金は国を問わないかもしれない)だ。ところが市政府は社会秩序を乱す事件である、として調査を開始した。葬儀場となった中学校のグラウンドを貸した副校長は停職処分を受けたという。批判をかわすための調査も金が動いて終わりだと思うが、これも利権なのだ。

中国ウオッチ 前原元外務大臣

前原外務大臣が、外務省に対中ODAの削減を指示した、というニュースが先週報道された。中国のGDPが日本を抜いて世界第二位になったのを機に、先進各国が対中ODAを削減するのに歩調を合わせたもの。中国政府筋もやむなし、とのコメントを発表していたが、中国国内では、日本に未だにODAを受けていた、という事実を初めて知ったものが多く、驚いていたようだ。中国国民に全く日本の援助を知らせない中国も中国だが、それをアピールもしないでただ金を出していた外務省も外務省だ。ところでその直後に前原大臣の献金問題による辞職騒ぎになったが、陰謀好きにとってはなにか裏があるんじゃないかと勘ぐりたくなるタイミングだ。ただ、前原さんにとっては沈没寸前の船からうまく下りられたから喜んでいるんじゃないかという人もいるらしい。

中国ウオッチ 鉄道汚職

中国は高速鉄道建設ブームに沸いているが、高速鉄道建設と都市交通システムへの投資金額を合わせると毎年約一兆元(約14兆円)となる。きわめて巨額であり、その多くを債務に負っており、国家財政を危機に陥れかねないと、経済学者から警告が発せられていた。そのさなか2月に中国鉄道部のトップが「重大な規律違反容疑」で取り調べを受けて失脚した。職権を乱用して巨額の収賄を受けていたという。愛人の数が二桁あり、実弟は収賄と殺人依頼の罪で死刑判決を受けていたが、死刑を免れていた。うなぎ登りだった鉄道関連株は大幅下落した。しかし一部にはこれも背後に大きな権力争いがあるとの観測がある。大きな利権があればそれに伴って権力争いもあるのだ。その後、そのトップの片腕の高速鉄道局長が続いて取り調べを受け、停職処分になった。

「笑う中国人」相原茂著(文藝新書)を読む

毒入り中国ジョーク集 NHKの中国語講座を長年やってきた著者が、多くの中国のジョークのなかから傑作を集めて紹介してくれている。一番はじめに日本人を揶揄するものが並んでいてやや鼻白むが、それだけ中国人は日本人を強く意識していると言うことなのだろう。中国のジョークは権力をからかうものが多く、文章化したものでなく、ネットで次から次に流通するものが圧倒的に多い。その中で洗練されていくのだろう。中から二、三点紹介してみる。
【会計の仕事】ある工場で会計係を募集することになり、甲乙丙の三人が応募した。工場長は質問した。「もし私が会計から五万元をもってゆき、三万元の物資を購入したとする。残りはいくらかな?」
甲が言った。「二万元です」。甲は採用されなかった。乙はちょっと考えて言った。「一万元です」。乙も採用されなかった。丙は工場長に近づき、声をひそめて言った。「工場長の仰せにしたがいます」。丙が採用された。
【作用無し】ある製薬工場の副工場長、「副」であることが気にくわない。「副」の字を見るのも聞くのもいやだった。ある日、秘書が新薬の説明書の原稿をもってきて、彼に目を通してもらい、確認を求めた。彼は原稿の中に「副」の字を見つけるや、内容にはかまわず、「副」を削除してしまった。数日後、新薬の説明書が印刷されてきた。その中の一文、「本薬はいかなる作用もありません」
【おとこ】男の二十歳は「奔騰」、男の三十歳は「日立」、男の四十歳は「正大」、男の五十歳は「松下」、男の六十歳は「微軟」、男の七十歳は「聯想」
*奔騰はペンティアム、日立は日立製作所、正大は中国の正大グループという大企業、松下はもちろん今のパナソニック、微軟はマイクロソフト、聯想はレノボのことです。このジョークの意味は想像通りですが、詳しくはこの本を読んでください。笑えます。

2011年3月 8日 (火)

「ボケの原因を探る」黒田洋一郎著(岩波新書)を読む

能の仕組みはかなり解明されたとはいえ、まだまだ人間にとって未知の領域である。ひとが生きたままその脳の働きを調べることはきわめて困難である。従来は脳生理学が、脳の働きを研究していたが、現在は、アメリカを中心に神経科学、または神経生物学、という呼び方で、医学、生物学、心理学、情報科学、工学を統合したかたちでの研究が進められている。それぞれの学問が専門化するとともに、それぞれの間はほとんど関係し合うことのない状況だったが、脳の研究についてはそれを統合しなければ進展ができないところまで来ている。著者はその脳が障害を受ける原因の研究から、アルツハイマーの要因を語る。その中で一時問題となったアルミニウム犯人説について、疫学的に、統計上は要因として排除できないとして再度警告をしている。たとえばスモン病の犯人はキノホルムであることはすでに公知の事実であるが実はそのメカニズムは解明されているわけではない。水俣病と有機水銀についても厳密な意味でのメカニズムは解明されていない。メカニズムが解明されないからその要因だとするのは科学的ではない、というのは簡単だが、統計上優位な結果を見たら警告するのは科学者の責任と考える著者の考えに賛成である。この本が書かれて以降、かなりアルツハイマーの研究は進展している。自分がその研究の恩恵が受けられるよう科学者にはがんばってもらいたい。

2011年3月 7日 (月)

中国ウオッチ 農民工

中国の出稼ぎ労働者を農民工という。低賃金の彼らが、海岸部の都市の発展に寄与してきたが、近年では内陸部にも働き口が増えたこと、農民自身の所得も改善されてきたことから、沿岸部の都市へ出稼ぎに来る労働者が年に600万人ずつ減ってきており、人手不足になっている。今年の春節で帰省したのに帰ってこない農民工がかなりの数に上り、工場の運転にも支障が出ているという。また、ふるさとから戻ってきた農民工を駅やバスターミナルで待ち構えて、スカウトマンが高給で引き抜いていく姿も見られたそうだ。農民工の平均月収も21000円ほどになり、5年前からは倍増している。労働条件や労災なども改善されてきた。また、以前は農民工や帯同した子女は市民ではないため、医療や義務教育に大きな差別があったが改善され、市民同様無料で学校にも行けるようになりつつある。

能登・巌門

氷見に宿泊の翌日、能登の巌門に寄った。橋を渡り、洞窟を抜けると別世界があった。今回の小旅行は友達と友達の友達との3人で行った。友達の友達がまた一緒に行こうといってくれた。友達が一人増えた。

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「テレビの嘘を見破る」今野勉著(新潮新書)を読む

テレビの「やらせ」についていろいろ問題になったものを具体的に題材にしてその是非を考えた本。テレビ局の裏側暴露本のような際物かと思って読み始めたが、テレビのドキュメンタリーとはなにかを真剣に考え抜いた良書であった。取材をする、という行為、撮影する、という行為が、取材される側に影響を与えないはずはない。その時点ですでに何らかの歪曲が生じている。また、そもそもドキュメンタリーやニュースはある伝えたいなにかを映像やことばで表現するものであり、それが伝わらなければ番組の意味がない。より伝えたいものが伝わるための作為がどこまで許されるか、難しい問題だ。物事を善悪どちらかに割り切って気楽に生きている人が多いが、そういう原理主義にそそのかされやすい生き方から脱却するために、こういう本を読んでみてもいい。

中国ウオッチ カドミウム米

少し前の2007年に、南京農業大学の調査チームが、全国の主要都市で売られている米の安全検査をしたところ、10%前後から基準値を超えるカドミウムが検出された。そのレポートを公表したが何の反響もなかったという。実は2002年に中国農業部が全国調査を実施しており、鉛が28.4%、カドミウムが10.3%、基準値を超えているものがあった。中国の米の生産量は年に約2億トン、よって汚染米は2千万トンと膨大な量にのぼる。重金属汚染の深刻なのは湖南省と江西省で、市場での抜き取り検査では60%が基準値を超えていた。原因はカドミウムなどを吸収しやすい酸性土壌のせいではないかと調査チームの報告にある。汚染の濃度などがたとえばイタイイタイ病と比較してどの程度か分からないが、当たり前に基準値を超えたものが流通しているのでは、そもそも基準値は何のためにあるのだろう。

2011年3月 6日 (日)

中国ウオッチ 同窓会

中国にももちろん同窓会がある。お互いの近況を報告して久闊を叙すわけだが、最近は自分の成功談をとくとくと自慢し合う会になっており、同窓生の成功をともに喜ぶという心境にはとてもなれずに、同窓会への参加が怖い、という向きが多くなっているのだそうだ。みなが貧乏だった時代に比べて、今はずいぶんと境遇の差が大きくなっているのだろう。日本の同窓会もその嫌いがなきにしもあらずだが、中国人の自己主張は日本人よりかなり激しく、またプライドも高いから負け組にはつらい場なのかもしれない。最近は同様の理由で親元や親戚に行くのも気が重い、というひとが増えているという。

日本海

三方五湖を見下ろし、常神半島へドライブ。食事処無し。カモメを見て引き返す。尼御前のサービスエリアで銅像の尼御前と荒れる日本海を見た。そのあと氷見の宿へ。雪の中の高台の温泉と、眼下の朝の雪景色です。

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中国ウオッチ イラン

イランと中国が、イラン国内の鉄道建設をめぐり130億ドルの契約を締結した。総延長距離5000Km以上を予定。すでに首都のテヘランの地下鉄システムは中国の援助で進められている。今回の契約は、中国のエネルギー戦略の一環であることは明らか。イランの石油は、最大の日本に次いで中国に多く輸出されている。イランの石油については三井物産が苦労したIJPCの油田開発の悪夢が記憶されるが、今世紀に入って世界最大の埋蔵量と目されるアザデガン油田について日本とイランが共同開発を進めるべく契約交渉をおこなっていた。イランを敵視するアメリカの難色はあったものの日本が引けばフランスが調印しそうな事態となり、アメリカが軟化して契約に至った。ところがイランの核兵器開発疑惑が起こり、アメリカから強硬に契約破棄要請がおこなわれる事態となった。イランの核兵器開発阻止にフランスが同調したことから、日本も契約破棄はやむなしと判断し、契約は破棄された。今まで長年にわたって積み上げられてきたイランとの間柄はこれで霧散した。ここに中国が今回の巨額の契約をおこなったのである。アメリカのヤキモチ焼きから、とんびに油揚げをさらわれることになってしまった。痛恨の極みである。

中国ウオッチ 稲糠米

中国は昨年の異常気象のため、完全に結実しなかった穀物が大量に生産されることになった。これを「稲糠米」と言うそうだが、通常は家畜の飼料用とされる。この「稲糠米」が北朝鮮に大量に輸出された。北朝鮮では深刻な食糧不足が起きていると言われているが、その「稲糠米」がなんと軍人の食糧として配給されているようだとのことである。国民が飢えても軍人に食料を優先して配給するのはどこの国でもおこなうことだが、その軍人に「稲糠米」を配るしかないというのは想像以上に食糧危機はひどいのかもしれない。もちろん軍人からは我々は家畜ではないぞ、という反発の声があるが、ないよりは幸せだというものもいるらしい。

2011年3月 5日 (土)

「『史記」と日本人」安野光雅・半藤一利・中村愿(平凡社)を読む

中島敦の「李陵」、武田泰淳の「司馬遷-史記の世界」から三人の鼎談が始まる。司馬遷が、李陵を弁護したことから武帝に宮刑(去勢の刑)に処されたことの意味を心底認識しないと史記のすばらしさと重さは分からない。自分が中国にこだわった読書を始めたきっかけになった本でもあり、一気に気持ちが入る。三人ともいわゆる東洋史の専門家ではないが、その造詣の深さは尋常ではない。互いが史記について打てば響くようにやりとりを重ねていくさまはうらやましい。それぞれの列伝、世家の思い入れの部分について語り、孔子を論じ、墨子へのこだわりを述べる。司馬遷が書いたこと、書きたいのに書けなかっただろうことをその時代背景を考えながら推察していく。中国の歴史に少しでも興味がある人なら、史記はバイブルのようなものだ。ただこの本では春秋戦国時代についての言及は少ない。そこまでやるときりがないからだろう。

天橋立

普通行く傘松公園側からではなく、ビューランド側から見た天橋立の写真です。天橋立の見える宿に泊まりました。最後の写真は宿の窓から見た天橋立の内海の対岸風景です。夜半に雪が降り、白くなった朝景色です。

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国立民族学博物館・アジア(2)

何度も言いますが、大阪万博記念公園内の民族学博物館は見る値打ちがあります。アジア地区の展示の一部、昨日の続きです。

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2011年3月 4日 (金)

国立民族学博物館・アジア(1)

国立民族学博物館の展示物でもアジアの展示が一番多く、おもしろい。アジアは2回にわけて公開します。

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金引の滝

天橋立で有名な宮津に金引の滝という滝がありました。滝まで車ですぐそばまで行けるのでそれほど歩きません。そこそこ迫力があります。宮津へ行かれるかたは探して尋ねる値打ちがあると思います。私が行ったときは誰もいませんでした。

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大阪空港

大阪空港で人と待ち合わせをしました。そのときの写真です。JALとANA平等に撮りました。

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2011年3月 1日 (火)

国立民族学博物館・ヨーロッパ

ヨーロッパの展示物は北欧や東ヨーロッパのものが目を引いた。展示物としては案外地味だった。

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中国ウオッチ パジャマ族

中国では、白昼堂々とパジャマ姿で市街地をうろつく人を見てぎょっとすることがあるが、外国人にひんしゅくを買うことから、重慶ではこのたび行政が規制に乗り出した。昨年、万博に合わせて上海で「パジャマ外出禁止令」が出されたことに続いたもの。しかし、市民からは猛反発があるという。行政は市民の着るものまで口を出すな、ということだが、記事ではそもそも中国人にとってパジャマが夜着で内着であるという認識があまりなく、豊かになった象徴のような意識だからだと言っている。お年寄りならまあしょうがないなと思うが、中年のそれなりの女性がパジャマ姿で歩いていると本当にびっくりする。さすがに若い女性のパジャマ姿は見ないが。思うに西洋でも日本でも、家の内と外というのが厳然と区別されるが、現在の中国はあまりその境目が明確でない状況なのかもしれない。これがひいては公と私の区別の不分明につながっているのではないだろうか。

中国ウオッチ 白鳥

山東省の栄成市は白鳥王国と呼ばれているが、同市のスワン湖で越冬した白鳥約2000羽が食物不足のため、飛び立てないか、飛び立っても体力不足で途中で死ぬ心配があるという。同湖周辺の農業地の80%がすでに開発のため徴用されており、白鳥のえさになる冬小麦がない状態であり、さらに旱魃の影響もある。同湖はアジア最大の白鳥の越冬地と言われており、越冬中の白鳥にトウモロコシなどを与えるなど手を尽くしているがその備蓄も底をつきそうだという。ここを飛び立った白鳥は黄河の河口で水を飲む程度の補給しかできず、体力不足ではシベリアまで帰れないかもしれない。

1000アクセスを越えました。

おかげさまで今朝、アクセス数が1000を越えました。昨年9月からはじめましだが、本格的に書き出したのは1月からです。数を求めているわけではないですが、うれしいものです。ありがとうございます。これからも続けて毎日なにかおもしろそうな話題を提供しようと思います。といっていながら明日から3~4日小旅行に行ってきますので休みます。本日分は記事をいくつか用意していますのであとで公開します。

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