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2011年10月

2011年10月31日 (月)

中国ウオッチ・故宮博物院

中国歴代皇帝の秘宝を収蔵する台北の故宮博物院が、今後10年を掛けて展示面積を5倍に拡張するという。中国人の台湾観光が解禁されたことをきっかけに中国人の観光客が急増して混雑がひどいことが問題となっており、その緩和を狙う。また収蔵品が膨大なことから、数ヶ月ごとに展示品を入れ替えてもほんの一部しか見られなかったがこれもすこし解消される。
ご承知のように故宮博物院の文物は、蒋介石が北京の故宮から特に選りすぐりのものを持ち出したものだが、その北京の故宮にもまだ世界的な秘宝がたくさん残されている。ところがその調査・目録整備がほとんど行われていない。そのためにこっそり横流しされたり、しかるべき保存がされずに朽ち果ててしまうものもあるやに聞き及ぶ。
中国の文物は世界に散逸している。しかしドイツに持ち出されて空襲で失われたものを除いてほとんどが大事に収蔵され、時に展示公開されている。しかるに本家本元の故宮では地下の倉に放り込んだままである。これでは散逸した方が文物にとっても世界の中国研究者にとっても幸せだったことになる。
文化大革命という、文化を破壊する暴挙から中国が早く目覚めて残った文物を正しく管理することを切に望む。今中国は絵画を始め芸術ブームだが、そのものの値打ちより投資のための取引の材料としてもてはやされているようだ。
そんなものは日本のバブル時代にいやというほど見てきた。
おかしなナショナリズムに血道を上げるより自国の文化をまず見直すことをお勧めしたい。

先日、野田首相が韓国を訪問した際に日本に持ち込まれていた韓国の歴史的に貴重な文物の一部を変換した。多くは朝鮮を併合した際に収奪に近いかたちで持ち込まれたもののようだ。世界的にこのような文物を返還する動きが始まりつつある。日本が率先して返還行動することはよいことだと思う。ただし、返還されたものが然るべき扱いを持って保管展示されることが前提なのは当然だ。

中国は今回の日本の行動について即座にメディアでこう訴えた。韓国だけに返還するのはおかしい、中国にも返せ、と。当然収奪したものは交渉の後返還することもあって良いだろう。しかし今、日本にある中国由来の文物のほとんどは遣隋使、遣唐使から始まって、然るべき対価のもとに手に入れたものであり、そのまま中国にあったら戦禍で失われたであろうものが、日本に移されたために貴重な遺産として残ったものばかりだ。そこのところは誤解のないよう日本も中国に対していちいち説明する必要があるのではないだろうか。

多分中国人の多くは日本にある中国の貴重品は全て日本が中国から奪ったものと教えられ、そう思い込んでいるような気がする。下手をすると日本の若い連中もそう思っているのではないだろうか。心配だ。

2011年10月28日 (金)

北海道⑥

10月25日・紋別                                       同行の友人がくたびれたという。口に出すほどだからよほど疲れてきたのだろう。友人は5歳年上だ。気がつくべきだった。28日に仮予約していた小樽からの便を26日に変更した。今日は紋別から層雲峡を通り、道央道で小樽近辺に泊まることにする。明日の小樽からの便は朝10時半出発なのだ。

忍路(おしょろ)という地名が目に入った。すぐ宿を取る。料金を聞いてびっくりする。素泊まりみたいに安いのだ。「二食付きですか?」「そうです」「着いたら肴でお酒が飲みたいのですが、何か追加料理を用意してもらえませんか」「追加料理は必要ないと思います。十分あります。ただしお酒はありませんので着く前に調達してください」「持ち込み料は不要ですか?」「もちろんです」。

何となく不安を感じながら石北峠を越えて層雲峡へ向かう。今にも降り出しそうだ。層雲峡のハイライト、「銀河の滝」と「流星の滝」を見る。国道をちょっとそれた駐車場の目の前にその壮観な滝はあった。

Photo_31 流星の滝。

Photo_32 銀河の滝。

Photo_33 道央道を行く。ついに雨が降り出した。

道央高速道を快適に走るとたちまち札幌へ到着。さらに札樽道から小樽へ。小樽のフェリー乗り場を確認し、小樽駅周辺や町中を何となく走る。時間をつぶして忍路へ。小樽からトンネルをいくつか抜けると人家がまばらになり、国道から脇道に入ると忍路の集落だ。店も何もない。そのまま走ったら小さな港に出てしまった。民宿など見当たらない。宿へ電話する。いわれて気がついたら小さな忍路神社の脇に道がある。そこから登りの道の行き止まりにその民宿はあった。看板は手書きに小さいのがあったが着いてからでないと分からないから目印にはならない。

友人が虫の心配をする。尋ねると今年はこの辺では大発生はないから大丈夫、とのことであった。この民宿は寝るところと食事をするところが別である。主人夫婦の家のほうで食事。心配していた食事は今回の旅で一番すばらしい。おなかいっぱいになって大満足だった。朝も食べ過ぎるくらいいただいた。

朝、小樽のフェリー乗り場に早めに向かう。小樽から新潟への便だ。海上は時化。揺れることを覚悟する。また、出発と到着が一時間ほど遅れるかもしれないという。

Photo_34 これが今回乗る「ゆうかり」。約19000トン。

Photo_36 ほぼ定刻に小樽港を出港。港の職員が整列して見送ってくれている。

Photo_37 カモメも見送ってくれた。

Photo_35 さらば小樽。さらば北海道。

Photo_38昨晩泊まった忍路はこのあたりか。

Photo_39行くほどに暗雲が立ちこめ、波が高くなってきた。うねりで船が縦に横に揺れる。まっすぐ歩きにくい。

Photo_40 まもなく日が暮れる。西の空に光のカーテンが見えた。

長い夜を船体のぎしぎしという音と波の当たるドーンという音を聞きながら眠る。細切れだが、おおむね眠ることが出来た。夕食に飲んだ十勝ワインのおかげか。

Photo_41 明け方、新潟港に入る。少し遅れたが、問題なし。帰ってきたぞ。

今回の北海道の旅はこれでおしまい。ほかにおもしろい話や良い写真もあるけれど、かなり飛ばしてしまった。あしからず。ところで今回の旅のうち、特におすすめの宿のみ紹介します。

ワイス温泉 〒048-2141 北海道岩内郡共和町ワイス256-35                 0135-72-1171  お湯がとても良いです。料理も満足。虫は確認ください。

民宿 くつがた荘 〒097-0401   北海道利尻郡利尻町沓形字本町         0163-84-2038   ご主人も女将さんも話し好きです。

旅人の宿 たなか 〒048-2561   北海道小樽市忍路1-518             0134-54-2000   URL:http://www5.piaia.or.jp/rannsima/  ここはまた行きたい。                                         

  

北海道⑤

結局23日は一日ごろごろして24日の天候待ちとなった。翌朝は晴れとは言えないが雲が切れ始めている。宿のご主人に利尻山の5合目まで車で行けるところがあるというので早めに出発した。稚内へ戻るフェリーは昼に出るのでそれまで約3時間あまりある。十分だ。

Photo_22 五合目付近から頂上を見る。

Photo_23 展望台から目の前に礼文島が見える。残念ながら行く余裕がなくなった。

Photo_24 利尻の景勝地、オタトマリ湖。本当は正面に利尻山が見えるはずだが雲に隠れてしまった。ここは「白い恋人」の絵の元になったところ。

Photo_25 こちらは姫沼。鴛泊港に近い。後ろにうっすら利尻山が見える。

Photo_26 高台から鴛泊港を望む。

Photo_27 利尻頂上付近が見えた。頂上付近の白いのは雪。

鴛泊港に着いて乗船手続きをしようとすると予約が入っていないのでキャンセル待ちです、とのこと。それもキャンセル待ちの8台目。昨日フェリーが欠航したので乗船する人が多いのだ。ちょっと慌てる。これでは稚内に帰れない。利尻に渡るときに窓口のお姉さんに予約を必ず入れるようにいわれていたことを思い出した。後悔したが後の祭りだ。夕方遅くの便ならとれるという。

粘ってやりとりしていたら多分乗用車なら隙間に何とかスペースを作れるでしょう、ということになった。良かった。何とか帰れる。

Photo_28 こちらはフェリーから。さらば利尻島。

稚内に二時に到着。宿を決めなければならない。紋別の民宿を選んで電話を入れる。紋別まで4時間かかるという。6時を過ぎてしまう。宗谷岬に寄ったり、昼飯を食べる時間がない。そうしたら宿の人が慌てなくても待ってるので気をつけて来なさい、といってくれた。

昼飯はあきらめて宗谷岬に行った。

Photo_29 宗谷岬。日本の最北端。サハリンまで43キロ。残念ながら見えない。

紋別までひたすら走る。信号がほとんどないから結構走るが、北海道はスピード違反の取り締まりが格別厳しいところで有名だ。調子に乗ったら危ない。紋別の宿に到着。お酒がないという。自分で買ってきたら持ち込みはオーケー。友人が買い出しに行く。隣にサントリーの角を置いて飲んでいるひげのおじさんがいたので話しかける。昔西濃運輸で務めていて、今は独立して会社をやっているそうだ。見かけはいかついが案外人なつっこい人だった。

Photo_3060歳だそうだ。うまそうにウイスキーを飲む。日本酒を勧めたが苦手だそうだ。

つづきは後で。

北海道④

22日に稚内から利尻島に渡る。1時間50分の船旅。夕方利尻の鴛泊(おしどまり)港に到着。船に乗るときに連絡した民宿のある沓形へ向かう。利尻島は利尻山そのもので、人は山裾の海岸線に散在するだけだ。人口約5500人、島の外周を一回りしても60Kmもない。ゆっくり回っても2~3時間で一回りしてしまうが、見所は何カ所かある。翌日は島内を散策し、余裕があれば礼文島へ渡ることにする。ただ天気が下り坂で心配だ。宿の主人に聞くと「もつんでないかい」というので安心していつものように島の肴で飲む。燗をつけてもらうのが面倒なので一升瓶ごともらう。地酒というのがないらしい。「多聞」を渡された。

眠りに就いていた夜中、ミシミシいう音で眼が覚める。民宿全体が地震みたいに揺れている。雨がたたきつける音がする。台風みたいな暴風雨だ。朝になってもそのまま降り続けている。風は昼頃には収まったが、雨は午後三時頃まで降り続けた。いかんともなしがたい。友人は古い10年前くらい前からのぶ厚い宿帳をめくって遊んでいる。外国人の宿泊客が結構いる。ただ、現在は宿泊客は我々二人だけだ。もう一泊せざるを得ない。もちろんフェリーは欠航。まだ何も見ていないので船が出るとしても乗るつもりはない。礼文島はあきらめてとにかく利尻だけは見ていくことにする。腹が減ったなあ、昼飯をどうしようか、と思っていたら宿の女将さんがジャガイモのお焼きのようなのをコーヒーと一緒に持ってきてくれた。

早めに夕食を出してくれたのでまた飲む。「多聞」も二本目だ。親父さん夫婦と今晩は一緒に盛り上がる。親父さんは隣にある床屋の主人でもあることを知った。同じくらいの年代だと思ったら69歳だという。髪が黒々しているので若く見えるのだ。宿泊客の話になり、スイスからたびたび来る客からスイスに遊びに来るよう誘われている、とうれしそうに話していた。そのスイス人は写真もプロ級で(プロかもしれない)写真集があった。宿の夫婦も写っている。

Photo_20 宿のご主人夫婦。「多聞」とともに。とても楽しかった。左側の浴衣の腕先が友人。

北海道③

今回の旅の宿は、苫小牧を除いて全て民宿ガイドから適当に選んで当日決めた。今までもそうしてきた。当たりがあることもあり、今思い出すと笑うしかないような凄まじい外れの宿もあった。どんな宿に泊まってもその凄まじい外れよりはましだと思うことの出来るようなすごい民宿だったが、すごすぎるので紹介はしない。

さて、今回は積丹半島から雄冬、増毛、サロベツそして利尻到着までの写真を見ていただく。

Photo ワイス温泉から岩内に出る。岩内からは日本海に面した海岸線を走る。トンネルと断崖絶壁と岩場の連続だ。ほとんど車は走っていないのにすばらしい道路だ。トンネルも全く排気ガスで汚れていない。海岸に旧道があったのだろうか、ふさがれたトンネルがいくつもある。不思議な光景だ。この写真は最初に車を停めることの出来たところの積丹の景色。さらに神威岬に向かう。

Photo_2神威岬は女人禁制だったそうだ。ここのゲートは岬の高台の頂上にある。ここから稜線を下ったところに岬の灯台があるが、危険なので今は行くことが出来ない。

Photo_3 岬の先端から見下ろす。ウニかアワビを採っているらしい船が見える。すばらしい水の色だ。

Photo_4 この岬の周辺には3カ所くらいこのようなろうそく岩が立っているところがある。海を見下ろすところまで駐車場から50mくらい登るが、登る値打ちはあるので頑張るように。高台が稜線になって移動するごとに景色がいろいろ変わり、楽しめる。

Photo_5 積丹半島の西肩が神威岬なら、東肩が積丹岬だ。積丹岬の灯台はかなり登るのがしんどそうなのでパス。小さなトンネルを抜けると島武威海岸へ出る。そこの展望台からの景色。ここの海の色もすごい。

Photo_6 積丹半島を一巡りして余市、そして小樽へ。せっかくなので小樽運河を見る。倉庫のツタが色づいて水に映えていた。

Photo_7 雰囲気のある街灯にカモメが止まって絵になっていた。

Photo_8 小樽は観光客がとても多い。今回は観光客は写真に撮らない。おきまりの煉瓦倉庫。おまけ。

Photo_9 運河の近くのレトロなホテルでランチバイキングをやっていた。ランチなのであんなもんだろうが雰囲気が良かった。おばさんが多い。順番を待っている場所から見えた吹き抜けの景色。

Photo_10 日本海を北上。海岸ではやはりウニかアワビを採っているのが見えた。大きな水中を覗く道具で見ながら長い棹を使っていた。

Photo_11 雄冬の滝。国道沿いに海に注ぐ。昔、雄冬は陸の孤島で、道路がすぐ崩落して海からしか入れなかった。

Photo_12雄冬の海岸から夕日を眺める。もうすぐ日が暮れる。今晩の宿は増毛。すぐこの先だ。増毛は映画「駅」の舞台。ここで高倉健と倍賞智恵子が出会い、ふたりで紅白の八代亜紀の「お酒はぬるめの燗がいい~肴はあぶったイカでいい・・・」を聞きながら夜を過ごすのだ。民宿に泊まった翌朝、増毛の駅を見に行こうと思ったが、気がついたら街を出てしまった。小さな町なのだ。仕方がないのでそのまま稚内に向かった。

Photo_13 おびら鰊番屋を見る。これはバス停。

Photo_14 鰊番屋は木造の建物としてはとても大きなものだ。中ももちろん広い。二階構造になっていて、やん衆達は二階に雑魚寝をしていたようだ。写真、向こうの障子と畳のある部屋は親方衆の部屋のようだ。別に仏間などたくさん部屋があった。 土間には鰊を運んだ道具や、網がおかれている。鰊は食用はわずかで発酵させて油を採ったり肥料にしていたようだ。日本の綿花の肥料は鰊だった。

Photo_15 サロベツ原野にいたる。まっすぐ進めば稚内だ。

Photo_16 サロベツ原野の海岸線を行く。右が海。電信柱も街灯も何もない道が延々と続く。何もないことに感激する。

Photo_17 海岸から利尻島が見えた。望遠なので近く見えるが実際は遙か彼方。利尻島は利尻山そのものだ。

Photo_18 稚内からフェリーに乗って利尻へ向かう。天気がだんだん怪しくなる。このときは、翌日利尻島内を観光するつもりでいた。乗るときに「帰りの切符の予約を入れておいた方が良いですよ」といわれたのだが、この船がガラガラだったので予約をしないままでいたのだが・・・・

Photo_19利尻島・鴛泊(おしどまり)港。利尻富士を望む。頂上付近は雪。もうシーズン外れで観光客はほとんどないという。

鴛泊港から西へ四分の一周して今晩の民宿のある沓形へ向かう。ここも道路がきれいで空いている。ここから先は次回。

北海道②・積丹半島から利尻まで

20日は岩内近くのワイス温泉という一軒宿の温泉民宿に泊まった。洞爺湖から羊蹄山の麓を回り込むようにして北上し、もうすぐ日本海というところにあって、ニセコにも近い。宿に着くと、主人がなにやらせっせとやっている。ハエを捕るガラスの道具みたいなのを振り回して天井や壁などを探っている。「カメムシが異常発生しています。部屋も徹底して掃除した上に殺虫剤をまいたので多分大丈夫だと思うんですが」と申し訳なさそうに言う。同行の友人は強面のおっさんで、ドスのきいた声の男だが、それを聞いたとたん逃げ腰になった。虫に弱いとは知らなかった。部屋に入ったが虫は見当たらない。ところが暖房を入れてしばらくしたら一匹、また一匹とどこからか出てきた。主人からもらったガムテープで一匹ずつ片付けていく。つぶしたらこの虫はたまらなくいやなにおいがする。これはうまい片付け方だ。

さて、その後は22日の晩に利尻でリアルタイムで書いたものを見ていただく。

北海道② 10月22日(土)
21日は積丹半島をじっくり回り、小樽で食事して北上し、増毛の民宿に泊まった。本日はそのままさらに稚内まで北上、フェリーに乗って利尻島に渡り、利尻島の沓形という町の民宿に投宿。お風呂で一汗流してこのブログの下書きを始めた。
今回の旅の主要目的地のひとつが、積丹半島・神威岬である。思っていたとおりの絶景に息をのむ。海の碧さのすばらしいこと、筆舌に尽くしがたい。写真で伝わればよいのだが。
神威岬は女人禁制の岬だったらしい。今は岬の灯台への道が崩落の危険性があるとのことで通行止めとなっている。駐車場から岬を見下ろす30~50mの高台まで歩いて坂道を登る。見下ろすといわゆるろうそく岩と呼ばれるタイプの縦長の岩が碧い海に聳えている。
神威岬は積丹半島の西の角、東の角が積丹岬、ここも訪ねる。灯台まで駐車場からかなり登らないといけない。そちらへ行かずにトンネルを抜けて島武意海岸の崖の上へ出る。ここも紺碧の海を見下ろす絶景であった。観光客の集団が来たので退散。中国人では無い。日本語をしゃべっていたが、おじさん、おばさんたちがやかましい。
積丹半島から余市を通過し、小樽で昼近くなる。同乗の友達の提案で小樽運河を見て昼飯を食べることにする。たまたま車を停めたところがランチバイキングのあるホテルの近くだったのでそこで昼食を食べることにする。客が多いので予約を入れて先に運河を眺め、時間をつぶす。運河周辺は観光客が多い。煉瓦や石造りの倉庫に絡まる蔦が赤く色づき、運河に映えて美しい。
昼食をゆっくり楽しんで、北上する。晩の宿は増毛。雄冬、増毛、留萌には思い入れがある。高倉健主演、倉本聰脚本、降旗監督の映画「駅-ステイション」の舞台なのだ。この映画は映画館、ビデオ、DVDと何度も見た大好きな映画だ。あの映画では健さんのふるさとが雄冬で、その頃雄冬は陸の孤島で船で行くしか無い状態だった。海が荒れていると船が出られるのを待つあいだ駅前で泊まらざるを得ない。そうして入ったカウンターしか無いような小さな居酒屋で倍賞千恵子に出会う。ここで大晦日を二人で迎えながらテレビで聞く紅白の八代亜紀の「舟歌」がしびれるほどいいのだ。
雄冬は今はそのまま車で行くことができるが、雄冬のあたりはほとんどトンネルばかりで、海岸は断崖とトンネルのあいだにちらりと見えるだけだ。海岸にへばりつくように木造の家が小さな塊で点在している。
雄冬を通過、日暮れと前後して増毛の民宿に入る。バカ酒を飲んで寝る。
翌朝、増毛の駅に寄ろうと思ったのに、気がついたら増毛の町を通り抜けていた。今更戻る気もせず、そのまま北上。利尻島に渡るには、昼頃には稚内に着きたい。留萌を通過、鰊小屋を文化財として残しているところがあったので立ち寄る。大きい。神社仏閣を除いてこんな木造建築物は日本にはほかに無いだろう。入館料350円を払って中を見学。それなりの値打ちはあった。
さらに北上。サロベツ原野を右手に、左手に日本海を見て快調に走るが、稚内は遠い。電信柱も何も無い。原野を含めて道路以外、人工物は見晴らす限り何も無い。海の向こうに利尻富士が見えてきた。利尻島だ。
ひたすら走り、朝早めに出かけた甲斐があって昼ちょうどに稚内に到着。フェリー乗り場に行くが、窓口は出港一時間前まで開かない。時間があるので昼飯を食べに市内に戻るが適当な店が見当たらない。仕方が無いのでラーメンを食べる。時間待ちのあいだに利尻島の宿を探す。電話を掛けるがどこもつながらない。通年でやっている宿が少ないそうだ。やっとつながったところに予約を入れる。
利尻島にフェリーで渡る。船の一番前に当たる場所に乗ったので、利尻島がだんだん大きくなるのを飽きもせず、乗船時間1時間40分のあいだ眺め続けていた。
天気予報は一週間前から雨。今日も雨の予報だったが一日降らずにすんだ。明日は間違いなく雨の予想だが、私の念力で雨を止めてみせる。

残念ながら雨は止められず、念力は逆に働いて台風みたいな暴風雨になり、フェリーは運航せず、もう一泊することになった。

この項に関連する写真はこの後で。

2011年10月27日 (木)

中国ウオッチ・喫煙抑制

中国でも全国的に公共空間での喫煙を減らそうという動きがあるが、広東省広州市では昨年9月に「喫煙抑制条例」を施行し、「医療機関や学校、役所などの公共スペース、および一定以上の規模を持つ飲食店などの商業施設では分煙を実施する」ことになっている。指定場所以外は「禁煙」ということだ。
これまでの13ヶ月で延べ12万回のパトロールが行われ、警告を多数発したそうだが、実際に違反行為で処罰されたのは個人1名、企業5社だけだったそうだ。ちなみにこの個人1名には罰金50元(600円)が徴収された。
当局は「条例施行後、市民に禁煙が周知徹底した結果だ」と話している。
中国人がこんなにルールを守る国民だとは知らなかった。それとも広州市民が特にルールをよく守る人たちなのだろう。

中国ウオッチ・東南アジアは日本を警戒せよ

野田首相とフィリピンのアキノ大統領の共同声明発表、玄葉外相のシンガポール、マレーシア、インドネシア訪問など、南シナ海について日本と東南アジア各国が協調体制を明らかにしていく中、中国のメディアは「東南アジアは日本を警戒せよ」と呼びかける記事を掲載した。
そもそも日本は南シナ海とは全く関係が無いのに南シナ海について言及し、熱を上げるには理由があるとしてその理由を以下のように列記している。
(1)経済的利益
日本は資源に乏しい国であり、日本の発展の足かせになっている。南シナ海には石油や天然ガスが豊富に埋蔵されているとみられることから、日本はそれに目をつけている。
(2)地理的戦略性
南シナ海はインド洋と太平洋を結ぶのど元に当たる。世界で2番目に航行量の多い南シナ海に日本は大きく依存している。石油の90%、原料輸入と製品輸出の60%が南シナ海を通っている。
(3)安全保障面での戦略性
日本は南シナ海に関与することで、南シナ海に緊張をもたらし、中国からの東シナ海や尖閣問題の圧力を緩和しようとしている。

以上のことから日本は東南アジアの南シナ海問題に積極的に関与して、東南アジア各国と中国との仲をかき乱し、対立を引き起こそうとしている。これは日本の拡張行為であり、国際法の拡張に対する制限に違反する行為である。第二次世界大戦後も日本はその行動を改めること無く、陰で武力を拡張しながら経済拡張の手を東南アジアにまで伸ばそうとしている。
東南アジア各国は虎を飼って災いを残さないよう警戒し、それに備えなければならない。東南アジアが警戒すべきは中国では無く、日本だ。

解析は正しい。よく分かっているではないか。しかしこの解析から東南アジアへの警告へ論理的につながらない。この警告の部分の中国と日本を入れ替えれば現状の力関係と中国の思惑が見える。武力を拡張しながら南シナ海に手を伸ばしつつあるのは中国だからだ。
東南アジア各国はそれが分かっているから日本と協調体制をとろうとしている。それぞれが中国と直面しては歯が立たない。日本という軸を通して連帯して中国と向き合おうということだ。どこの国も日本は虎ではないこと、そして虎にならないことをよく承知している。今まさに虎なのは中国であることもよく承知している。

白山、敦賀からフェリー、苫小牧から昭和新山まで

Photo 白山スーパー林道は紅葉の真っ盛り。

Photo_2 白山スーパー林道のハイライト・ふくべの大滝。快晴の空から滝が降ってきます。

何せ敦賀から苫小牧へのフェリーが深夜の1:00発なので時間をつぶすのに苦労しました。なぜそんな時間なのかと思ったら、乗客よりも貨物の輸送が主体の運行になっていて、その都合だそうです。確かに船倉にはトラックがびっしりでした。そして通常の乗客はわずかしかいませんでした。

Photo_3 夜が明けてから甲板に出た。甲板から船尾方向を見る。前日につづき晴天。波もほとんどなく快適。

Photo_4苫小牧から敦賀へ向かうフェリーとすれ違う。

Photo_5 舷側の波。千変万化して見飽きない。

Photo_6 竜飛岬を右に見て津軽海峡に入る。竜飛岬には7~8年前に来た。岬の一番先端の大きな岩陰の「海峡亭」という民宿に泊まった。大きな「キンキ」がうまかった。他にも食べきれないほどの海の幸に感激した。また行きたい。

Photo_8 もう日が暮れる。結局苫小牧には晩の8:30分に到着。約20時間の船旅であった。新日本海フェリーが着くのは苫小牧の東港で、市内まで20Km以上ある。車を飛ばして予約していたビジネスホテルのような民宿のような宿に入る。晩飯はないのですぐ近くの赤提灯に飛び込む。おばさんひとりで切り盛りしている店で、あまり食材の種類がない。あるだけの材料を次々に出してもらって勝手なことを言ってぐいぐい飲む。良い調子になったところで常連さんが来たので切り上げた。

Photo_9 支笏湖と恵庭岳。人工的なものが何もない。

Photo_10 苔の洞門に行く道。少し登りになっていて気がつくと汗びっしょり。

Photo_11 苔の洞門。本当は両側の崖がビロードのような苔で覆われているはずが、大水がこのあいだを石とともに流れたため、激しいダメージを受けてしまった。崩落の危険があり、進入禁止。下の人はダメージの調査をするために特別に入って測量中なのだ。

Photo_12 勧められて樽前山に向かう。7合目まで行けるというが、急坂のダートで車がかわいそう。途中に熊出没注意の看板があった。そう言われても。

Photo_13 7合目から視界の良いところまで登って眺めた頂上方向。全く草木がなく、石だらけ。登りがきつくなってきたのでこの辺で引き返した。

Photo_14 本日のハイライト、昭和新山。畑の中に突然こんな山が出現したと言うから驚きだ。今もあちこちから噴煙が出ている。

Photo_15 噴煙の出ているところをアップで。すごい迫力でした。満足。今回はここまで。

ただいま帰りました

北海道からただいま帰りました。昨日・26日午前10時半、小樽発のフェリーに乗り、新潟に本日27日午前6時過ぎに到着、北陸道、長野道、中央道と乗り継いで友人を送り、やっと我が家につきました。フェリーは時化のため、結構揺れました。

旅の途中、2回ほどブログを作成しましたが、私のモバイルルーターはE-モバイルのものなので田舎へ行くと、ほとんどつながりません。ドコモにすれば良かったと悔やんでいます。ルーターが安いこと、通信契約料が安いこと、説明してくれた女の人がかわいかったことで、ついE-モバイルにしてしまいました。だいたいドコモはモバイルルーターの販売に全く積極性が見られません。あることすら多分店員が知らないかもしれません。

まあそれはさておいて早速二回分のブログを公開します。写真はそのあとに。

北海道①・10月21日
苫小牧のホテルで朝を迎えた。朝の食事が料金からは考えられないくらい充実していた。満足。昨晩感じたことだが、苫小牧は道路がとにかく広い。特に広いところは片側4車線ある。その苫小牧から支笏湖に向かった。ちょうど紅葉のシーズンの終わりというところか。道路の両側の秋の色を楽しむ。
支笏湖にはあっという間に着いた。湖畔を散策して写真を撮った。そこそこにして洞爺湖に向かうことにする。途中で苔の洞門という看板に出会ったので、見ることにする。小さな観光センターに初老のおじさんがひとり、案内役として待っていた。入り口から洞門まで歩いて15分だという。階段や坂道は無いというのでそれなら見に行こう、ということになった。下は砂地でしかも拳(こぶし)大から漬け物石台の丸い石がごろごろして歩きにくい。しかも急ではないとはいえ上り坂だ。歩き出して5分もすると汗が噴き出した。昨日の酒がみるみる抜けていく。どう見ても沢登りだ。両手にスキーのストックをもった怪しいおじさんが、道とその周辺の林の中をうろうろとしている。何をしているのですか、と訪ねたところ、熊の出没した痕跡が無いかどうか確認しているのだという。「最近はほとんど熊の情報は無いが、今年は札幌の街中までヒグマが現れた。この辺もいつ現れてもおかしくないので毎日確認しているのだ」という。道が歩きにくい、というと「今年の8月に大雨のせいで、洞門から出水して道が流されたのだ」そうだ。大きな石も流されて、景色が変わるほどだったという。ブルドーザーでやっと石をどかして歩けるようになったところなんだそうだ。目的地の苔の洞門に着くと、測量隊が三人その被害状況を調査しているらしいところに出会った。苔の洞門は高さ5~10m、長さ約400mにわたって屈曲した崖に高密度に苔が生えた不思議な景色なのだが、今は進入禁止で、しつらえられた展望台からほんの一部を覗くことしかできない。一見したところかなりダメージを受けているようだ。
入り口に戻って案内のおじさんと話をしたら、案内所の前の道路から、藪の中を突っ切ると支笏湖畔に出る絶景のビューポイントがある、と教えられた。早速行って正面の恵庭岳と支笏湖の写真を撮った。おじさんはさらに樽前山を見に行くようにという。車で7合目まで行くのでそこから少し登ればそこも絶景だという。
先へ進むのを予定変更して引き返して樽前山を登る。途中から急坂の砂利道だ。車とタイヤがかわいそうな道を登りきると係員に止められた。駐車場がいっぱいなのでここに停めて歩いて行けという。
駐車場からは頂上が今ひとつ見えない。さらに歩いて登るしか無い。降りてきた女性に上までどのくらい時間がかかるか聞いたら、少し考えてから、人によって違うから答えようがありません、ときわめて正確な返事をもらった。そこまで正しい答えをお願いしたわけでは無いのだが。しばらく登り続けるとすべてが見渡せるビューポイントに出た。そこで写真を撮って満足して引き返した。
洞爺湖に行く。湖畔に近い有珠岳と昭和新山がハイライトだ。羊蹄山の麓周りで洞爺湖を半周し、昭和新山を見る。これはすごい。異様な風景だ。これば絶対見るべし。
夕方になったので、ニセコの先のワイス温泉に宿を取った。

2011年10月20日 (木)

写真が取り込めません。

残念ながら今のところ写真がパソコンに取り込めていません。これから苫小牧を出発して支笏湖、洞爺湖、ニセコ方面を散策予定です。夜、再度取り込みにチャレンジしますので今朝はこれまで。

北海道に着きました。

北への旅はたびたび実行していますが、今回はいつも行く東北を越えて、25~6年ぶりに北海道まで足を伸ばしました。北陸の敦賀からフェリーに乗って先ほど苫小牧に到着。場末のビジネスホテルに荷物を置いてフロントに教えてもらったすぐ隣の赤提灯に行きました。旧友と馬鹿話をしながら20時間のフェリーの疲れを酒に流しました。おばさんひとりで切り盛りしている飲み屋で、取れたてのキノコが入ったすき焼き風の煮物、常連さんの釣ってきたばかりの鰯の塩焼き、春菊の胡麻汚しなどで、いい気持ちになりましたが、常連さんが来たのを潮に引き上げました。

北海道は若いときに仕事で年に数回走り回りました。仕事なので観光地はほとんど知りませんが、10年以上担当したので距離感だけは承知しているつもりです。10年ひと昔と言うけれどふた昔以上も昔のことで心許ないことですが、毎年あての無い旅につきあってくれる旧友と、行き当たりばったりの旅を始めるつもりです。

旅に出る前に自分が拠点にしていた金沢で若い友達たちと楽しい酒を飲みました。勝手にほざいていたのに翌朝メールで、また是非来てください、とうれしがらせてもらって、おじさんは性懲りも無く、また来よう、と心に誓いました。

そうして旧友(兄貴分のひとで公私ともにたしなめてくれる人です)と紅葉の白山スーパー林道の景色を楽しんでから敦賀に行きました。敦賀から北海道へ渡る新日本海フェリーは夜中に出て、20時間かけて翌日の20時30分に苫小牧に到着します。フェリーはほとんど大型トラックで、乗用車は20台くらいしかありませんが、ほとんど隙間が無いくらい乗せます。

フェリーは雑魚寝の席では無く、一応二等寝台をとりました。2万tのフェリーですが、外洋を行く船なので、ぎしぎし言いながらゆっくりと揺れます。気にしなければなんということもありませんが、船に弱い人にはいささかつらいことでしょう。

船旅の予約のグリルランチを頼みました(実はグリルディナーを食べたかったのですが、ひとり5000円にびっくりして半額のランチに変更しました)。グリルランチも一応コース料理で、船旅の雰囲気をちょっとだけ堪能しました。

長い時間をつぶすための趣向で、ビンゴゲームをみんなで楽しみました。そのビンゴゲームを仕切っていたおねえさんが、ランチのエスコートをしてくれたので、食事の雰囲気もほんわかと楽しめました。船旅もいいものです。

小生はビンゴゲームでソフトクリーム券が当たって後でレストランでブドウ味のソフトクリームをごちそうになりました(旧友はいいところまでいっていたのに当たりが出ず、参加賞だけもらってくさっていました、残念)。

船はかなり陸地から遠いところを航行するので、見えるのは海ばかりです。でも苫小牧行きなので、津軽海峡を横切ります。少し前に旧友と行った竜飛岬をぐるっと回ります。二人で泊まった岬のその先にあった民宿・海峡亭があのあたりか、とふたりで眺めてそのときの思い出に花が咲きました。そしてその後、ひとりで昨年行った大間のあたりのイカ釣りの船の灯をぼんやりと見送りました。

明日朝、白山と、フェリーの甲板からの写真を報告する予定です。

2011年10月18日 (火)

金沢

金沢はよい街です。品があってくずれたところがありません。くずれたところというのは、元々人間が持っているいやなところが集団でにおっているようなもので、長い年月と文化がようやく押さえ込むことできるものです。これは街が無理矢理にでなく、みんながその方がいいなあ、と思いつけることでやっと隠せるものです。その思いが弱るとその街の品というのはあっという間に雲散霧消してしまいます。今、世界は正義をわめき立てているうちにそのような品を失いつつあるようにように見えます。人間が丸裸に戻っているような気がします。

その金沢で若い旧友たちとバカ酒を飲みました。金沢には少し前に単身赴任(元々単身ですが)で暮らしていましたから知っている店もありますが、今回は旧友が初めての店に連れて行ってくれました。駅に近くて雰囲気のいい店でしたが、ぐいぐい飲んでいるうちに酩酊して、いつもの悪い癖で自分ばかりしゃべっていたようです。何を偉そうにしゃべっていたか覚えていません。・・・・またつきあってくれるか心配です。ごめんなさい。

tux@0

2011年10月17日 (月)

ウリジナル

最近韓国のナショナリズムを象徴する現象として、ウリジナルという主張が目につく。ウリジナルとは何々は韓国由来である、という主張のことである。韓国語の「ウリ=われわれの」とオリジナルを組み合わせた言葉である。まだ日本ではそれほど話題になっていないが、中国ではかなり過敏な反応があり、ネットで物議を醸している。
日本に関連したものを拾ってみると、柔道、剣道、合気道、空手をはじめ、歌舞伎、和歌、華道、演歌、海苔、納豆、寿司、味噌、豆腐、ソメイヨシノ、秋田犬、仮名文字、「日本」という国名など。
反論する気がしないものばかりで、中国のように過敏に腹を立てる必要は毛頭ない。韓国は北朝鮮という同一国民の国でありなおかつ敵国を背中に背負いながら、経済で世界に躍進を遂げている。日本や中国に対してのコンプレックスがこのようなかたちになって出てきているのだろう。ただしそれを唱えている輩はただの舞い上がりの連中であって相手にする必要などないのだ。
そういえば先日済州島に行ったとき、ガイドが「ソメイヨシノは済州島が原産です。日本の学者もそれを確認しました」と本気で言っていた。それが証拠に樹齢数百年のソメイヨシノがあるのだとのことであった。彼女は感じの良いガイドだったし、悪気がないのは承知していたので反論しなかったが、ソメイヨシノに原産はない。そもそも江戸時代に人工的に交配して造られた新種である。そしてソメイヨシノは残念ながら、樹齢は100~200年が限度であることが確認されているはずだ。だから樹齢数百年のソメイヨシノがあるならそれはソメイヨシノではない。もし済州島にソメイヨシノがあるのなら、それは日本から持ちこまれたものだ。

今晩から少し長めの北への旅に出かけます。道具はかついでいくので更新もするつもりですが、あちこちで飲んだくれる予定ですので、頻度はかなり落ちます。帰り次第詳しい報告をだらだらいたしますのでそこのところよろしく。

2011年10月16日 (日)

台湾100周年

10月10日が台湾建国100周年だったそうだ。この記念イベントに麻生元総理が参加して歓迎を受けた。場所は台中の健民小学校で、今回の訪問は東日本大震災に義援金を寄せてくれたことへのお礼もかねていた。実は台湾では1999年に大きな地震があり、この小学校も大きな被害を受けたが、日本からの義援金が送られて再建することが出来たそうだ。これを記念して校内には記念亭が建てられているという。

台湾からは、中国よりもはるかに巨額の義援金を寄せてもらったのに、日本政府は中国に気を遣ってお礼らしいお礼もせず、あろう事か被災した台湾からの留学生に対して差別して補助金の拠出すらしないという恥さらしなことをした(他国の留学生には救援金を配布した)。台湾は正式な国ではないという扱いをしたのだ。国会でも取り上げられていたのできちんと処理されているものと信じるが、このような血の通っていない判断をするのが役人というものだとは承知しているものの、同じ日本人として恥ずかしいことだった。麻生さんが日本を代表してきちんと礼を尽くしてくれたのであればそれはありがたいことである。

ところで台湾からの義援金が中国よりはるかに多いことをインターネットで知った中国での反応に、台湾は元々中国であるから我々中国人は胸を張るべきである、というのがあった。さすがに中国は大国である。

2011年10月15日 (土)

逢坂剛著「カプグラの悪夢」(講談社)

この本は逢坂剛の調査員・岡坂神策シリーズの短編集。
ある人物が同一人物か別人かという調査のうちに、過去の夢遊病が原因と思われる殺人事件の真相にたどり着く話。第二次大戦中にカチンの森でポーランド将校多数が虐殺されていた事件を扱ったもの。そのほかそれぞれに興味を引かれる物語展開のあと、もう一つ違う解釈もあり得ることをにおわせて余韻を残す。最後の「過ぎし日の恋」が読後感が良くて、人間が信じられる気持ちにさせてくれた(私はひとのこころの闇を暴く話も好きだが、ほっとするようなやさしい話も好きだ)。

逢坂剛著「禿鷹の夜 Ⅱ 無防備都市」(文春文庫)

「禿鷹の夜」の続編。前編で渋谷への進出拡大を狙って禿鷹に阻止された南米マフィアが再び活動を始める。前編では南米マヒィアが送り込んだ暗殺者を倒すことでかろうじてその侵攻を食い止めることが出来た。
今回南米マヒィアは、あるやくざ組織の幹部を引き抜き、その引き抜かれた幹部が持っていた警察のパイプ(手入れの情報などをリークして金をもらう悪徳警官達)をつかって禿鷹を襲う。その敵に対して禿鷹はどういう手を打ったのか、そして新たな暗殺者との戦いは、というのが今回のストーリー。
とにかく読み出したら一気に読めます。
大沢在昌や馳星周などのテンポのある文章とは少し違う、オーソドックスな文章だが、時には良いものです。
さらに続編があるらしい。

中国ウオッチ・映画館で携帯

中国の新聞で「映画館で携帯を使う人が多い」という記事があった。「何とか対策をしてほしい」という声が多いそうだ。
中国で映画館に入ったことがないのでどれほどの頻度で携帯を使う人がいるのか分からないが、記事によると大声で話すので映画を見る気分が害された人の話がいくつもあげられている。
確かに中国ではバスだろうが列車だろうが回りに斟酌することなく大声で携帯でやりとりしている人を見る。あの調子で映画館でやられたらたまらないだろうと思う。映画館は同時に大勢で見るものではあるが、暗闇にすることで集中して一人で見ている気分になれるところだ。
対策として妨害電波で電話がかかりにくくした映画館の話が出ていた。「この映画館は電話がかかりにくい」とクレームがついたそうだ。妨害電波が出ていることが分かると「商売を妨害された」「急用だったのにどうしてくれる」と言われたそうだ。いったい映画館に何をしに来ているのだろう。
中国人は他人に気配りすることが出来ず、社会的マナーがなっていない、とよく言われる。大声で話す(本当に必要以上に話し声が大きい、幼稚園生か高校生みたいだ)、行列に並ばず割り込む、ゴミを平気で捨てる、など例を挙げたらきりがない。
ところがよく見ているとマナーがなっていない人はかなり多いものの、そうでない人も多いことに気づく。ちゃんと列に並び、割り込まれても耐えている人もいるのだ。子どもみたいなもので、しつけを受ければ多分時間はかかるが少しずつ良くなるような気がする。
韓国でおもしろいことを聞いた。「中国人はおおっぴらにゴミを捨てる。韓国人は隙間にゴミを押し込んで、分からないように、目立たないように捨てる。日本人がそのゴミをせっせと拾う。」
こんな話を聞くとちょっと韓国が好きになりませんか。

2011年10月14日 (金)

高崎宗司著「反日感情」(講談社現代新書)

これほど読むのに苦しんだ本は近年なかった。投げ出さないために大変な精神力を必要とした。この本だけ読んでいたわけではないが、新書なのに読了に3週間もかけてしまった。
冒頭、朝日新聞と韓国の東亜日報が共同で日韓関係についての世論調査を行った。「日本が好きですか」の問いに対し韓国民の答えは「好き」23%、「嫌い」39%、「どちらでもない」34%だった。ところが6年後の1990年に行った同じ調査では「好き」5%、「嫌い」66%、「どちらでもない」24%であったという。
著者はその調査時点での日本の大臣などの失言問題があることを理由として説明するが、普通に受け取れば韓国が「反日教育」に力を入れた効果が現れたと思うのが普通だろう。戦争が終わって徐々に反日意識が沈静化しただろうに、急に「好き」がなくなって、ほとんどが「嫌い」になるのは、日本の問題と見るより韓国側に何かがあったと思うほうが無理のない考えではないのか。日本は取り立ててその6年で韓国に悪意のある行動を取っているとは思えない。しかし著者はそれを認識できない日本人にこそ問題があると繰り返しいう。ここからずっと著者の言説に違和感が感じられてついに最後まで折り合いがつかなかった。
この本は日本側の問題点を詳細に、そして次々に揚げていく。言っていることが分からないわけではないし、どんな見方をしようがどう判断しようがそれはその人の考え方である。それを否定するものでは全くない。
ただ、私が思うに人に自分の主張を伝えるときは、自分の立ち位置をなるべく正しく認識した上でなければ意見の違う人にその主張は伝わらない。たとえば普通の日本人と普通の韓国人では立ち位置が明らかに違う。日本人の、一番韓国寄りの人と一番遠い人があったとしても、その人は日本人に変わりはない。しかし韓国のその向こう側まで行ってしまって、なおかつ自分は日本と韓国の中間にいる、と信じてものを語る人をどう理解しよう。というよりこの人と意見交換することが私には困難だ。
著者の列記する事実はそれぞれ正しい。しかしそれをどう解釈するのか、自分の意見の正当性を裏付けるためにどんな情報を選び、どれを削除したのか、それは自分の立ち位置に正しい認識がないと、全て正しいのに人に伝わらなくなるのではないか。特に私のような人間には。
しかし、同様の思考をする人にとってはすばらしい本かもしれない。
そういう人とはつきあいたくないし、この本は、私には二度と見たくない本だけれど。

数日前に韓国の済州島に行った。観光地だから愛想が良いのは当然だが、平和公園を始め、日本軍の爪痕が無数に残る島で、その時代を語るガイドたちに反日は全く感じなかった(私は鈍感だし、たまたまそういう懐の深い人ばかりに会ったのかもしれないが)。それで初めて韓国をもっと理解しよう、という気になった。
韓国側に立って、反日感情の理由をとくとくと説明して韓国の思いを伝えようとしたこの本は、日本人を韓国嫌いに導くおそれがある。

逢坂剛著「禿鷹の夜」(文春文庫)

逢坂剛にはスペインものを始め、シリーズものがいくつかあるが、「禿鷹」こと禿富鷹秋のシリーズはハードボイルドとして一級だとおもう。
物語としては特別奇抜なものではないが、文体がハメットやチャンドラーに似て乾いていて、主人公の内面を全く表現せず、第三者の目から見えるものだけが表現されている。古いといえば古いが正統派である。
この「禿鷹」、神宮署の警部補なのにやることはむちゃくちゃである。そして一見、成り行きで傍若無人に行動しているように見えるが、実はかなり計算しており、巧妙であることが分かってくる。
少しウェットなやくざの組にダニのように食らいつく。そして結果的に南米マフィアに浸食されそうな渋谷界隈を単身で守ることになる。
見た目も良いとは言えず、フェミニストから見たら特に唾棄すべき存在だが、何となく嫌いになれない。おもしろいキャラクターを造形したものだ。続編をすぐ購入した。

中国ウオッチ・料金所を埋める

中国湖南省で、開通初日にある高速道路の料金所レーンが土砂で埋まった。通行しようとした十数台の車が立ち往生したという。
また手抜き工事が原因の事故かと思ったら、地元政府による封鎖強行だったという。この高速道路は民間事業主が自己資金で工事を行い、開業しようとしたもので、当局の調べでは資金が不十分なために安全対策が出来ていない懸念があると判断、開通を差し止めるために土砂で料金所を埋めて開業を阻止したものだった。
事業主の会社は工事費や作業員の給与を踏み倒している上、道路に付帯すべき安全設備工事が終わっていなかったのでこの措置を取ったことを当局は認めている。やられるほうもやられるほうだが、やるほうもやるほうだ。
ところで中国では高速道路は民間が工事をするケースが普通にある。通行料収入が目的のものもあり、また工業団地や観光地を自分で開発してそこへの道路を作るものなどがある。目的のあるものは通行料金も尋常だが、通行料金狙いのものの中には法外な料金のものもあり、トラブルの原因になっている。当局は適正に作られているかどうかチェックを行っているが、そこはそれ、中国のことなのでお金が動けばよほどひどいことがなければなんとでもなる。今回はお金の配り方が足らなかったのだろう。

2011年10月13日 (木)

中国ウオッチ・対中為替制裁法案

アメリカ議会上院は中国が自国通貨・元の相場上昇を抑制しているとして対中為替制裁法案を賛成多数で可決した。アメリカ議会では人民元の過小評価が中国の輸出援助につながっていると見なしており、下院でこの法案が可決されると今後中国からの輸入品に報復関税が課される。
当然中国のこれに対する反発は強く、中国政府は即座に「法案はWTO違反であり、法案が可決されれば両国の貿易関係に大きな損害を与える。WTOへの提訴も辞さない」という声明を発表した。
同時に2005年に人民元の相場制度を改革して以来、対ドルレートが30%上がっており、経常黒字はGDPに対して2007年の10%から今年前半は2.8%にまで下がっていることをあげて中国は努力していることをアピールした。
アメリカメディアは下院でこの法案が通る可能性は少ないと見ているが、ウォール街騒動などが議員にどういう影響を与えるか分からない。中国がアメリカの雇用喪失をもたらしているという考え方もあるからだ。
多分中国は圧力に屈することを潔しとせず、かえって元レートの切り上げを実勢より遅らせる方向にもって行くであろう。そして報復関税にはさらなる報復関税をかけるものと思う。根比べに負けるのはアメリカとなる。金利の低いアメリカに金は集まらない。それなのに物価上昇の道を選んでインフレになれば、国内はデモ程度では治まらなくなるのは明らかだ。
そもそもこの法案を出すのが10年遅かったのだ。

北朝鮮に異常な動き

韓国の政府当局情報として「昨年11月の延坪島砲撃事件当時とよく似た動きが北朝鮮に見られるので韓国軍が警戒態勢に入った」と韓国メディアが伝えている。
北朝鮮は戦闘機を北方限界線付近に移動させていること、地対空ミサイルを近くの島に移動させていること、地対艦ミサイル基地に動きがあることなどがとらえられているという。
韓国は李明博大統領が国賓待遇で米国を訪問中であり、韓国軍の首脳部の交代時期でもある。そのタイミングを見て何らかの行動を起こす懸念がある可能性があるというのだ。
実は10日に韓国の反北朝鮮団体が、軍事境界線付近で約20万枚の北朝鮮の体制を批判するビラを散布しており、北朝鮮側は、ビラの散布は「公然とした戦争行為だ」という警告を発していた。
北朝鮮は来年、金日成の生誕100年、金正日の生誕70周年、金正恩の生誕30周年にあたり、何らかのデモンストレーションがあることは必至と見られている。また金正恩への政権委譲のためには国内にアピールできる功績が必要であり、金正恩が軍の実権を握りつつあるとの情報の中で、軍部が先走った行動をする可能性も否定できない。
さらに核兵器についてもミサイル搭載可能なサイズへの開発がそろそろ完了する頃と見られており、確認のための核実験への時間稼ぎの行動に出ていることも考えられる。
先般金正日はロシアを訪問し、新型兵器、特に最新の戦闘機の導入についてロシアから了解が得られたことで気が大きくなっている。本当は過去のいきさつから最新の中国の戦闘機を導入したかったのだが、アメリカや韓国に配慮して胡錦濤が断ったことでロシアに頼みに行ったのだ。現在空軍力では機数では北朝鮮が多いが、古いものしかないので最新鋭の戦闘機をそろえている韓国のほうが圧倒的に有利だ。それがロシアの最新鋭機が配備されると戦力バランスが大きく変わる。ロシアの南下政策の意思を背景に北朝鮮がどんな行動に出るか、きわめて憂慮する状況なのだ。金も燃料もない北朝鮮にロシアが後ろ盾として動くからには当然それ以上の見返りを期待しているのは明らかだ。ロシアは現在北方四島への軍備を強化中であり、ミサイルの配備が拡大していることはすでに報道されている。

韓国・済州島④

最後に東門市場に行った。どこへ行っても機会があれば市場に行く。どこ国の市場も活気があって見飽きない。東門市場は比較的に広々していて清潔だった。

Photo_12果物売り場。ミカンは島の特産で韓国では済州島しかとれない。赤いのは柿。完熟して柔らかそうなのが多い。手で皮が剥けそうなズルズルしたやつだ。

Photo_13魚売り場にて。左からイシモチ、鯖、太刀魚。皆新鮮で旨そう。イシモチは日本ではかまぼこになることが多いがここではそのまま塩焼きしたり干物にしているようだ。中国ではイシモチは黄魚と言って高級魚だ。

Photo_14エイをさばいて売っていた。日本ではエイは時間がたつとアンモニア臭がしてくるので食べることは少ないが、韓国では珍重される。釜山あたりではお祝いに食べるという。

Photo_15この豚は穏やかな顔をしている。ほかの店には牙をむいてにらんでいるのがあった。

Photo_16雑貨コーナーにあった帽子の店。

市場のあと、もうどこも歩きたくないのに観徳亭というところへ連れて行かれた。

Photo_17観徳亭の前にあった。石のおじいさん像。島中至る所にある。頭や鼻をなでると御利益があるそうだ。ドルハルバンとか言っていた。これは数百年前の年代物。

これで済州島旅行の報告はおしまい。食事もおいしかった。満足。
















韓国・済州島③

韓国は全島が溶岩由来の岩盤で、その上が30~50cmの表土に覆われているに過ぎない。また島なので水は豊かとはいえない。当然稲作はできない。海岸周辺に耕作地はあるがほとんど野菜と果物を栽培しているようだ。車で走っていると畑の周囲や家の境界が石垣になっている。工作していると石がごろごろ出てくるのでその石を単に積み上げただけだが、台風でも崩れることは無いそうだ。もちろん石積みの専門家がいて、積み方にもこつがあるらしい。

Photo車窓から石積みを見る。

韓国で一番早く観光地化した翰林公園を見に行く。椰子に囲まれた南国風の公園で、園内に溶岩洞窟、植物園、石と盆栽の公園があり、見飽きない。

Photo_2顔を刻んだ石がたくさん並んでいる。

Photo_3顔の無いのもある。もののけ姫を思い出した。

Photo_4公園内の洞窟。幼児を抱いた母親の岩だそうだ。シルエットもそれらしい。

Photo_5盆栽の化け物。

Photo_6野鳥園。足下にクジャクがよってきた。

Photo_7目が覚めるような美しさでした。

Photo_8熱帯植物園のうちのサボテン園。

済州島は古代、新羅に占領されるまで耽羅という独立国だった。沖縄が琉球国だったようなものだ。その耽羅の国の祖先と言われる三人の神様が生まれたところが三姓穴というところで今も神聖視されている。

Photo_9三姓穴入り口。耽羅国発祥の地の石碑。

Photo_10公園内は緑が多く、木漏れ日が美しい。

Photo_11三姓穴は囲いがあって遠望することしかできない。円上に囲んだ石の中に三つの穴がある。
























2011年10月12日 (水)

文京洙著「済州島 4・3事件」(平凡社)

済州島にいくにあたり、聞いたことはあるが詳しく知らない済州島の歴史と特に4・3事件について書かれている本を探していたらこの本に出会った。
第二次世界大戦後に朝鮮半島が分断される前後に起こった島民の虐殺事件には、背景が一口で説明できない複雑ないきさつが絡んでいる。ただ、つい最近までは島民が北朝鮮や共産主義者に扇動された暴動事件としての受け止められ方が主流だったため、島民は被害者なのに今世紀に入るまで肩身の狭い思いをせざるを得なかった。簡単に説明することは難しいので詳しいいきさつはこの本を読んで欲しい。
生き残った人間が事実を語り始めたのは今世紀に入ってからと言っていい。事件の名前の4・3事件は1948年に起きたが実際には、虐殺は1947年3月1日~1950年の朝鮮戦争勃発までの長期にわたっている。犠牲者は3万人以上とも言われるが、名前が確認されているのは14000人。当時の島の人口は28万人。死者の三分の一が女性と子供と老人である。つい最近も済州島の空港の拡張工事で数百人の遺体が工事現場から見つかっている。海に捨てられた遺体もかなりの数に上ると言われる。事件発生時期は、
南朝鮮は米軍の統治下にあり、直接の指示の責任は米軍司令官にあると私は考える。事件がエスカレートしたのが1948年5月10日の総選挙を巡る時点であり、選挙をボイコットした島民に対して民主化の名目で、米軍が徹底的な制裁を指示したことがわかっている。
ここで思い当たるのがイラクやアフガニスタンでの民主化を名目としたアメリカの正義の強要である。たぶんベトナムも同様のことがあったのだろう。
もちろんアメリカだけが悪いと言っているのでは無い。たぶんこの事件のそれぞれの立場の人間すべてが自分が正しいと信じていたのでは無いだろうか。
同様にいきさつは違うが、戦後国民党が共産党に敗れて台湾に流れ込んできたとき、たくさんの若者が殺された。特に教育を受けた有識者がほとんど殺された。またカンボジアではポルポトが毛沢東思想の元に国民の何割とも言われる人数を虐殺した。アフリカでは今現在も同様の事件で多数の人間が虐殺されている。中国では文化大革命で2000万とも4000万人という人間が殺された。
人間とはなんとおぞましい存在なのか、と思うと同時に、状況によっては自分自身も被害者でもあり、加害者でもあり得ることも認識しなければならない。特に思うのは、自分が加害者にはならないためにどう自分を律していくかと言うことである。被害者側に立って加害者を糾弾することはある意味で容易である。正義の味方で気分もいい。自分が加害者たり得ることに思いを致さないとたぶんこのような事件は無くならないだろう。
そのためにもある程度の知識は仕入れないとならない。
この本はそういう点で冷静で、善悪をもって語らないところが良書である。
日本人こそこのような本を読んで人間について考える必要があるだろう。
韓国人が何を歴史認識の原点としているのか理解するきっかけになるかもしれない。日本人なのだから韓国人の立場に立つ必要は無い。しかし韓国人の考えていることを理解しようとすることもときには必要だろう。

今回の済州島旅行で、4・3平和公園や平和公園を見学した。展示品やガイドがきわめて冷静で、善悪を語らない態度に感銘した。中国とは全く違う。これは苦難の歴史を経た上で平和宣言をした済州島だからだろう。

韓国・済州島②

世界最長と言われる溶岩洞窟、萬丈窟へいく。萬丈窟は全長13.4Km。流れ出た溶岩が地下を流れる過程で、周辺は固まっているが中はまだ溶けている状態のため、空洞になってできたという。一般公開されているのはそのうち1Km、入り口に戻らないといけないので往復2Kmを一時間以上かけて歩いた。

Photo_13洞窟を案内するガイドの洪さん。右は溶岩の先頭。

Photo_14洞窟の壁面。溶岩の通った痕跡が残っている。

Photo_15溶岩の石筍。上の階を流れていた溶岩が下に垂れてできた。かなり大きい。見学できるのはここまで。

島の東端、城山日出峰へいく。高さ182m。海から直にそびえている。逡巡したが思い切って登ることにする。

Photo_17城山日出峰。頂上は遙か上。

Photo_19登山途中にこういう奇岩がいくつかある。

Photo_21山頂近くから下を見る。

Photo_24登山途中で出会った赤ん坊。青い目でかわいい。出会う人が皆駆け寄って写真を撮っていた。6ヶ月だそうだ。

Photo_25噴火口。全体は入らない。溶岩に隙間があるらしく、火口湖はできない。

Photo_26横からの景色。右下に日本軍が掘った洞窟がいくつもある。

Photo_29

民族村に行く。約100年前の暮らしがそのまま保存されている。実際におばあさんが暮らしているそうだ。村専門のガイドのお姉さんが案内してくれた。日本語がかなりいい加減だがとてもおもしろい。Photo_32

Photo_37わかりにくいが真ん中に黒豚が顔を覗かせている。昔は人糞をえさにしていたそうだ。

済州島最大の噴火口を持つサングムプリを登る。といっても火口頂上のすぐ下まで車で行ける。ススキで有名なところだそうだ。突然雨が降ってきた。後で聞いたら地上では雨は降らなかったそうだ。Photo_38火口。周囲2Kmで済州島最大。深さ700m。底は見えない。降りるのは禁止。

Photo_39ススキの原。

最後にホテル近くの竜頭岩を見に行く。

Photo_40

Photo_42海鮮料理屋の店先のヤリイカ。うまかった。

韓国・済州島①

二泊三日で済州島へ行ってきました。済州島は火山島で島内には大小300以上の噴火口があり、島の中央に漢拏山(標高1950m)がそびえており、島内どこからでも見ることができる。また溶岩が流れた跡が空洞になった洞窟が島の至る所にあり、最近発見されたところもある。この噴火口跡(現地ではオルムと呼ぶ)と溶岩洞窟を併せて2007年に世界自然遺産に指定された。映画やテレビドラマの舞台に使われたロケ地があちこちにあり、韓流ブームに乗って日本からの観光客が多いが、今は中国からの観光客が急増している。

また太平洋戦争末期、沖縄に続いて日本本土防衛の拠点として島全体を日本軍が要塞化した。終戦が遅れれば沖縄と同じ運命をたどったと言われている。さらに1948年(終戦の3年後)4・3事件という凄惨な事件があり、当時の島民28万人のうち約3万人(確認されているだけで14000人以上、村全体が消滅したものが84ヶ村、行方不明は未だに数がつかめていない)が虐殺されたという忌まわしい過去を持っている。そのためこの島は世界平和の発信地として島を挙げて積極的に活動をしており、そのための博物館がいくつかある。

Photo最初に済州島南部、柱状節理を見に行った。流れ出た溶岩が急激に海水で冷やされて出現したもので、ガイドの洪(ほん)さんによれば、風が強いと波しぶきが高いところまでかかってドラマチックだそうだ。

Photo_3シュリベンチ。映画「シュリ」のラスト、病院のベンチ。目の前の海がきれいなだけ、主人公の心の病が際立っていた。

Photo_5シュリベンチから見える海。すばらしい。

Photo_8病院とされていたホテル。

Photo_2天帝淵瀑布。第二滝。滝は三段ある。

Photo_9山房山の登り口。階段に恐れをなして登らず。

Photo_10平和博物館にある、日本軍の洞窟跡。迷路になっている。数千人がいたそうだ。

Photo_11洞窟内には小部屋があり、これは将校の打ち合わせの部屋。

Photo_12漢拏山。

漢拏山の山頂部を神様が投げ捨ててできたのが山房山だそうだ。









韓国・済州島旅行から帰ってきました

9~11日に韓国の済州島へ友人と4人で行ってきました。済州島は世界遺産に指定された風光明媚なところで、観光地として人気もあり、日本はもちろん今は中国からの観光客も急増しています。同時に済州島は戦争とその後の4・3事件による深い傷跡を残した島でもあります。旅行前から関連した本を読んでいましたので、今回の旅行ではガイドの洪(ほん)さんに事件関係の場所にも連れて行ってもらいました。人間の底知れない残虐さを知るとともに哀しみも感じました。とはいえ済州島は日本とも地理的な点も併せて非常に近い島です。とても親和的で日本語が少しならわかるお店の人も多く、気楽に過ごせます。これから写真の整理をします。済み次第簡単な紹介と報告をいたしますのでお待ちください。

食べ物がおいしく、お酒もうまいので体が重くなりました。

2011年10月 8日 (土)

小旅行に行きます

妻籠、馬籠、木曽駒ヶ岳、開田高原、御嶽山への小旅行から帰ったばかりですが、本日午後からまた小旅行に出かけます。3~4日間ブログを休みます。帰り次第写真での報告をいたします。  

では行って参ります。

中国ウオッチ・逃亡

温家宝首相が人民銀行総裁と財務大臣を引き連れて温州を訪問し、現地の中小企業家や地元政府と会議を行った。
温州市は浙江省の南部の都市で福建省と接する位置にある。温州商人といえば、中国のユダヤ人と称されるほど商才に長けていることで有名。
温州市には中小企業も数多く、活気のある街だが、最近は他の都市と同様、賃金高、元高で経営に苦しむ企業も多い。
そのさなかに、あるオーナー社長が経営難から逃亡、この会社の債権焦げ付きなどから負のスパイラルが発生。竜巻のように他の会社でも閉鎖、倒産が続発。2011年4月以降だけでなんと90人もの社長が逃亡した。当然賃金未払い、債権回収不能が起きている。
中国が国際金融サミットに参加するときのような顔ぶれでわざわざ温州市を訪れたのは事態がそれだけ深刻であることを物語っており、中国全土で注目されている。
訪問団は可能な限りの方策を持って経済・金融の安定に努めるよう地元政府に指示して引き上げたという。
これが一地方の特定の状況なのか、他の地域に飛び火するような中国経済の本質的な問題なのか、しばらく注視してみたい。

2011年10月 7日 (金)

中国ウオッチ・カード廃止

北京市内のバスなどで使われていたカードの多くが新規チャージが出来なくなった。不正利用の多発で対処が出来なくなったためだという。
これまで多くの企業がカードを発行しており、デザインも豊富で贈答としても喜ばれていたが、どの企業が作ってどのように配布されているのか不明のものが多いのだそうだ。
そこに不正にチャージが出来るカードが出回り、交通機関でのチェックが出来なくなってシステムが混乱したため新規チャージを停止させたということらしい。
カードは電子決済の一種だろう。紙幣と一緒で信用の裏付けがなければ成り立たない。偽札が氾濫しては紙幣は意味をなさない。魔法が解けてただの印刷された紙に戻ってしまう。カードも信用がなければただの磁気を帯びたプラスチックだ。
もちろん不正を行う人間はいつの世にも必ず存在する。
ただその不正を社会のロスとして計算してもそのシステムを採用するほうが利点があるから普及する。ロスがシステムの想定コストを大きく超えるようではその社会はその利点を利用できない。まだ社会が未成熟ということだ。中国は自ら発展途上国を自認しているが、現実がそれを実証してもいるわけだ。

欧陽脩の書簡発見

九州大学の東英寿教授が、北宋時代の学者で政治家の欧陽脩の未確認書簡96通を発見した。この書簡は天理大学が所蔵する「欧陽文忠公集」の一部だが、東教授は中国と日本の資料を比較してこの96通が未確認であることを明らかにした。
早速中国のインターネットでは「日本が戦時中に中国から盗んだものだ」というコメントが出された。同時に「韓国で発見されなくて良かった。欧陽脩が『韓国人』だった証拠にされるところだった」という書き込みもあった。
この文書は、日本が古い時代に中国で購入したものを鎌倉幕府が設立した金沢文庫に保管して置いたもので、日本では国宝に指定されている。
書簡は欧陽脩が王安石に宛てたものなどで『科挙』にまつわる裏話なども書かれているという。当時北宋の政治改革を目指した王安石の「新法」について、欧陽脩は当初賛同していたが、後に反対派に回っている。
欧陽脩は唐宋八大家の一人として知られる文人でもあり、詩人、書家としても有名。また「新五代史」や「新唐書」を編纂したことで知られる。
北宋は後に王安石の新法が挫折、国力が衰えて北方民族の「金」に追われて瓦解し、南宋として再興するが、戦乱で多くの文書が失われている。この書簡も日本にもたらされたから残ったのだ。中国の文物で日本にしか残されていないものは数多くある。何でも盗んだ、と言いがかりをつけるのはいい加減にしてもらいたい。つぎには盗んだものだから返せ、というのだろう。北京の故宮博物院の文物が粗雑な扱いによって破壊され、また密かに横流しされている。その数は恐るべきものといわれる。元々どれくらいあるのか未だに整理もされていないのだ。そんな国に世界にひとつしかないものを返したらどうなるのか。恐ろしい。

中国ウオッチ・孔子平和賞再び

中国の体制批判をした劉暁波氏にノーベル平和賞が贈られたことに抗議して、2010年に設立された団体による「孔子平和賞」は今年二回目の受賞者を選定中に中国政府から活動を停止され、賞そのものが空中分解したことは報告した。
ところが文化部社会文化発展基金会が「孔子世界平和賞公益基金会」の活動を始めたことが明らかになった。国連が定めた2012年の9月21日の国際世界平和デーに受賞者を発表する予定だという。
連戦氏に第一回目の賞の受け取りを拒否され、また第二回の有力候補のプーチン氏が選ばれても授賞式に参加することは考えられないことから、恥さらしな茶番の賞として中国政府がストップをかけたはずなのに、今度は公的な組織が新たに「孔子世界平和賞」を設立するなどというのは中国政府は何を考えているのだろう。こういうのは恥の上塗りではないか。

ちなみに渦中の劉暁波氏は父親の葬儀のため、一時的に刑務所から帰宅することを許されたことが報じられた。

2011年10月 6日 (木)

竹島問題Re.Re.

韓国の海洋警察庁(日本の海上保安庁か?)が発行した「2011海洋警察白書」に独島(竹島)を紛争地域と記述していたことが韓国で問題になっているそうだ。
白書では「韓国が独島の領有権を主張することで周辺諸国との対立がますます増大している」と記述している。さらに「2004年と2005年に日本の右翼団体が独島近くの海上でデモをした(いつの話だ)が海洋警察の力強い対応と日本政府の説得で回航した」としている。
これに対しハンナラ党の議員は、「独島問題は日本のごり押し主張に過ぎない」のに白書の記述は日本の主張を反映した「両国問題」としたのは海洋警察の安逸の姿勢を示している、と批判したそうだ。
この指摘に対し、海洋警察庁は、一般人に誤解の素地(こんな言い方があるのか?)]があったのなら今後そのようなことのないように気をつける、と説明した(つまり謝罪したわけだ)。韓国はマスコミも国会議員も、あげて独り相撲をしている(日本人として、その考え方を解釈しようにもしようがないではないか)。
韓国という国はどうしてしまったのであろうか。
こんな状況を喜ぶのは誰なのだろうか。

ところでドイツ・ハンブルグにある国際海洋法裁判所の新しい所長に、日本の柳井氏が選出された。
日本は、韓国の執拗な竹島問題への言及に、海洋法裁判所へ提訴する動きを見せていたが、韓国側は強硬な拒否を続けてきた。
韓国は、新しい日本人所長の就任に「大いに憂慮」を示している。
まことに韓国人は日本人を知らない。韓国人が所長ならもし提訴されれば間違いなく自国に有利になるように行動するであろうが、日本人の所長は公平を期そうとするあまり、自国に不利になる行動をする。そういう国民なのだ。
日本人の美徳を知るからかえって心配である。韓国民にわかるかなあ(分からないだろうなあ)。

中国ウオッチ・ダライ・ラマ

南アフリカのノーベル平和賞受賞者、ツツ元大司教らの招待で南アフリカを訪問する予定だったダライ・ラマが、招待予定直前になっても南アフリカ政府からビザの発給が受けられないことから南アフリカ訪問を断念したことを明らかにした。
ビザ発給が受けられなかった理由は明らかにされていないが、南アフリカ政府が、主要貿易相手国の中国の圧力を受けたため、または自発的に配慮したためである、と見られている。
ツツ元大司教は「アパルトヘイトの時代よりもひどい」と語っているが、南アフリカ政府はあくまで「ダライ・ラマ側の都合による決定である」としている。
中国は、発言権も影響力もアメリカ並みになったようだ。
アメリカの大国主義的やり方にもっとも反発していた中国が、みずからやっていることはなんなのか。
中国も偉くなったものだ。

2011年10月 4日 (火)

中国ウオッチ・折り返し点

本日から3日間ほど旅に出ますので休みます。帰り次第更新します。

中国の複数メディアが、中国の不動産について、価格の折り返し点が目前となっている、と伝えた。
一部専門家は今年第4四半期に大暴落する可能性があるといっている。
たとえば上海ではすでに中高級マンションを中心に大きく値下がりするとともに9月は成約率が激減して過去三年の最低だった。本来、9月は年間でもっとも不動産売買が好調な時期とのこと。
上海ほどではないが、北京、広州、深圳などの大都市で同様の傾向が見られる。
中国政府は今年1月、不動産購入や家賃を規制することで不動産市場の締め付けを強化した。投機的な不動産取引で市場が過熱していたため、日本のような不動産バブルになる前に手を打ったのだ。大都市ではすでに通常のサラリーマンの年収では住宅の購入が困難な価格になっている。
新規住宅着工が続いているのに販売が停滞し、不動産会社の在庫が急増しつつある。同時に上がり続けていた住宅価格がついに止まってきた。不動産会社は一軒あたりの床面積を小さなものにして価格を引き下げ、購入を容易にするようにしているが販売は回復していない。
統計局の統計では、不動産会社の負債率が72%、負債総額は前年同時期比41%増となっている。
銀行は先行きの改善は見込めないと見て融資を絞り込んでおり、多くの不動産会社は資金問題に直面することになった。
価格の上昇が折り返し点に至れば、多少の安売りをしてもまだ下がるのではないかと見て、さらに購入が控えられる事態となる。
事態がどう展開するか、申し訳ないが高みの見物をさせてもらおう。

中国ウオッチ・独立国家共同体

ロシア紙は「中国がCIS・独立国家共同体に侵入し始めた」と報じた。記事によると長くロシアだけに属すると見なしていた利権地域に中国が進出し始めており、ベラルーシとウクライナについては具体的な結果が出始めているようだ。
独立国家共同体とは旧ソビエト連邦の中の12カ国で形成された緩やかな国家連合体である。もちろんロシアが中心である。現在4カ国が準加盟国となり、正式メンバーは8カ国となっている。
ベラルーシは経済の悪化が著しく、ヨーロッパ諸国も含め、各国が距離を置いている中で、中国は積極的に接近し資金援助を約束している。
またウクライナには胡錦濤主席自ら訪問し、共同声明を発表、それによれば両国は軍事パートナーとなったという。ロシアが提供を拒んできた軍事技術が今後ウクライナから提供されることになると見られる。
中国はまことにお忙しいことだ。

2011年10月 3日 (月)

中国ウオッチ・領土獲得

中国とタジキスタンは領土を接している(アフガニスタンと中国もわずかであるが領土が接している)。
従来より両国には領土問題が存在したが、このたびタジキスタンが実効支配している地域のうち、1158平方キロメートルの領土を中国領とすることが正式に決まり、譲渡式典が行われた。
今後両国は国境については争わない。すでに取り決めは9年前にほぼ決まっていたが、タジキスタン国内の反対を抑えるのに時間がかかったとのこと。ただし中国の国民の中には本来2万平方キロメートルを越える領土を中国領として主張してきた経緯があり、今回の合意には不満の声が大きい。その反動が尖閣問題に跳ね返る可能性も大きいといわれている。当然タジキスタン国内にも根強い反発がある。
タジキスタンが実効支配していた土地を手放すのは、もちろん経済関係推進で得るもののほうが大きいという政治的判断が働いたからだ。
なるほど、中国のいうとおり(力に大きな差があれば)平和的な解決もあるのだ。

ウォール街のデモ

若者達がインターネットなどで呼びかけ合ってウォール街にデモを繰り返し行っているニュースが報道されている。
貧富の差や高止まりしている失業率に不満を抱くひとたちが、原因は金融界にあるとして「ウォール街を占拠せよ」のスローガンのもとに結集しているらしいが「ウォール街を占拠」することで何が達成できるのだろうか。彼等の運動が功を奏して、ウォール街が機能不全になると貧富の差が解消されて失業率が改善されるのだろうか。
「ごく一部の豊かな暮らしをしている富裕層に対する敵意」がこの運動の原因だという論評を見たが、この富裕層こそがアメリカンドリームではなかったのか。
テレビでアメリカの貧困層の人が取材に応じて、自分がいかに不幸であるのかを蕩々とまくし立てているのを見るが、みんなまるまると太って結構広々とした住宅に住んでいる。
アメリカは第二次世界大戦後、世界の富を集めてどこの国よりも豊かな暮らしを満喫してきた。当然、彼等が豊かなぶん世界の誰かが貧しかった。そしてその貧しかった人々が少しずつ貧しさから脱却してきた。だからアメリカは昔のように豊かなままでいられるはずがない。
日本人もそうだが、一番良かったときと比較して今が貧しくなった、と嘆いても仕方がないことに気がつかないといけない。
今は不景気などという一時的な状況ではないと思う。世界が平均化し、しかも人口の増加によってひとりあたりの分け前が減少せざるを得ない時代になったのだ。世界が全体として豊かになったことをこそまず祝福すべきだろう。
ウォール街を占拠しても世界は変わらない。多分ウォール街はアメリカだけが豊かであるための仕掛けだった。それを機能停止させてもアメリカの豊かさの崩壊を加速するだけだ。でもそれはもしかしたら世界にとって結果的に良いことかもしれない。デモはそこまで考えての行動なのだろうか(そんなはずはない。正義のためといいながら、人は普通自分のことしか考えていないから)。
シュペングラーではないが「西洋の没落」(歴史哲学者シュペングラーはヨーロッパに対してアメリカやロシアが台頭したことを西洋の没落といったのだが)が始まったのか。いや、すでに進行しつつあるのだ。

インド台頭

ベトナム沖の海底資源開発がインドに委託されることになった。これを機に両国の関係が強化される。中国は強く反発し、インドの南シナ海への進出を強く非難した。
それより先、中国がインド洋での活動を活発化したことに対し、インドが海軍強化の計画を進めることを発表した。2015年頃をめどに2隻の空母、多数の潜水艦、水上艦艇を有する強大な海軍増設を行う。
中国がチベットの軍備を増強している。今年前半、中国とインドの国境を巡って、互いに歩み寄りのための動きがあった矢先のことで、インドは態度を硬化「中国が高い侵略性を持って国境付近の軍備を増強しているのに対し、具体的な措置を取っていく」と表明した。ただし、両国は「平和と安定」を基調としていることには変わりがなく、国境紛争はあくまで「認識の相違」によるものであるとのこと。ただインドは今まで「愚痴をこぼす」だけであったが今後は具体的な行動を取るつもりだそうだ。
アルカイダのビン・ラディン殺害の経緯から、パキスタンとアメリカの関係が冷え込むなか、中国がパキスタンに急接近している。パキスタンの外相は「中国の敵はパキスタンの敵だ」と述べた。パキスタンと敵対しているインドはパキスタンを通して中国と敵対することになった。
ところでインドの新聞によれば2011年にはインドは日本を抜いて世界第3位の経済大国になるそうだ。これはルピアの購買力を基準に算定しての話のようだが、GDPで日本が抜かれるのはそう先のことではなさそうである。現在インドのGDP伸び率は年率8~9%である。
元々インドと中国は国境線を巡って敵対してきたが、ついに中国包囲網にインドが参入してきた。

中国ウオッチ・バラエティ番組制限令

中国当局は来年1月1日から衛星テレビ局に対し「バラエティ制限令」を実施するという。詳細はまだ発表されていないが、情報では一ヶ月のバラエティ番組は9本までに制限されるようだ。ひとつのテレビ局に週2本を越える番組は放送禁止になることになり、半減する見込み。
日本ではそんな制限令は施行されることはないだろうが、自主規制で少し減らしてもいい気がする。今のバラエティ番組の中には楽屋落ち笑いばかりのものが見受けられる。出演者が出演者を笑わせることで笑いを取る手法は、深夜の新米芸人の笑いを見るときのような白けた気分で見るといかにもむなしい。そう思ったら見なければいいし、つまならければチャンネルを変えればいいのだが、ついぼんやり見ているときがある。コマーシャルの異常な長さといい、今のテレビはかなり変だ。そしてそれに耐えている視聴者もかなり変だ。
そう思っている人は多いと思うのにどんどんひどくなる。これはテレビが無料だ、ということに原因があるのだろう。
たたで見ているくせに文句を言うな、ということだろう。ただより高いものはないのだ。貴重な時間を無駄に払わされているのだから。

張平著「凶犯」(新風舎文庫)

張平の字が間違っていました。修正します。

荒岡啓子訳。中国のベストセラー作家・張平の日本初上陸作品(中国での出版は2001年、日本での出版は2004年)。
出版されてすぐ購入したのに読まずにいた(絶対おもしろいだろうと思っていたのに)。読み出したらその圧倒的パワーに衝撃を受けた。
すごい本だ。でもこの本は多分手に入りにくいと思う。この出版社は今まで見たことがないから気がついたときにすぐ買ったけど、普通本屋にこの出版社を置いている棚はない。
張平のこの後の「十面埋伏」という本・上下巻も買ってある。ゆっくり読むつもりだ。
「凶犯」は戦争(中国とベトナムの戦争)で片足を失い、身障者となった主人公が、林野局の監視人の仕事を得て、その仕事を忠実に実行することで
起こる地元との軋轢から物語が始まる。
豊かな山林を背後に控えた村の、山林の入り口に監視の山小屋がある。村はみな豊かである。そしてこの監視人の役を引き受けた前任者達も短期間で豊かになって転任していく。
主人公の狗子(ゴオツ)はそのからくりを知るが、断固として妥協しない。村だけでなく、郷の役人も、さらに県の役人も牛耳っているのは凶悪な四兄弟である。ついに狗子と四兄弟は互いの生存をかけた戦いに突入する。
物語はその戦いの結末となる事件をフラッシュバックのように前後しながら語られていく。いったい何が起きたのか、なぜそのようなことになったのか、これでもか、という圧倒的なボリュームで経緯が語られていく。
物語のなかで中国そのものが善悪を越えてあらわにされていく。
張平は書いたものを告発されて長い不遇の時代を耐え抜いた。不屈の闘志でそれをはねのけた闘士である。この本でも読み方によれば体制批判だが、誰も今、彼を告発できない。それぐらいエネルギッシュでパワフルな物語は、そのままとてつもなく熱くおもしろいのだ。
中国の現代エンターテインメント小説恐るべし。

2011年10月 2日 (日)

仲正昌樹著「知識だけあるバカになるな!」(大和書房)

著者は金沢大学法学部教授で専攻は政治思想史と比較文学。
ツチヤ先生と内田樹先生の本ばかり読んで先生達の語り口がうつってしまうと、誰が語っているのか分からなくなるので、違う本も交えてみようと思想のコーナーで読みやすそうな本(易しくて解りやすいということ)を探したらこの著者の本を見つけた。(もう一冊「なぜ『話』は通じないのか」という本も購入。さらに久しぶりに小浜逸郎の本「生きることを考えるための24問」を購入。これは「なぜ人を殺してはいけないのか」「人はなぜ働かなければいけないのか」「人はなぜ死ななければならないのか」の小浜倫理3部作を一冊にまとめた完全版。二段組みでボリュームがある。読むのが楽しみ。)
この本は大学の新入学程度の若者に、ものを学ぶと言うことの意味をわかりやすく説明し、知っている、ということと識ること、理解することの大きな違い、そして「疑う」ということの学問的意味を教えている。あらためて反省することが多い。
また、基本的な弁証法的論争の成り立ちから「二項対立」思考の愚かしさを説く。弁証法とは、違う意見を、議論を戦わせるうちに互いが自分の間違いを修正することで高めあい、思い込みから新たなる知識にいたる方法のこと。しかしヘーゲルからマルクスの唯物論的弁証法にいたると、その手法を使った論争は「自分は絶対的に正しいから相手は間違い」になってしまった。このメカニズムについて詳しく書かれている。
「知識だけあるバカ」が跳梁跋扈する現代で、いかに生き抜いていくのか、そしてよりレベルの高い知識に至るための最初の入り口をこの本は示している。現代は間違った入り口だらけなのだ。
この先生にオリエンテーリングされている金沢大学の学生は幸せである。
こういう本を大学の教養時代に必読書として学生に読んでもらうと良い。大学で学ぶ、ということ、教養とは何か、ということが、分かる若者には分かってもらえるのではないか。
久しぶりに初心に返った。また大学生の時代に戻ってやり直したい。

映画「キック・アス」を見る。

2010年イギリスとアメリカの合作映画。監督マシュー・ボーン、出演アーロン・ジョンソン、クロエ・グレース・モレッツ、ニコラス・ケイジ。
これもコミック原作映画だが、変な映画である。変な映画だが、ちゃんとシリアスでもあって最後までおもしろく見せる。
ヒット・ガール役のクロエ・グレース・モレッツが大まじめに怪演していてとても魅力的だ。子どもなのに。
ヒーローにあこがれてコスチュームに身を包み、身の程知らずに悪と戦おうとする「キック・アス」は武器らしい武器もなく、戦闘能力もないただのオタクだ。映画でなければあっという間にあの世行きか、良くて身障者だ。その彼がたまたま真のヒーローに出会ってしまい、悪の組織壊滅にそれなりの役割を果たすことになってしまう。
ヒーローものの物語のパロディみたいな話なのにただのヒーローものにないおもしろさがある。ヒーローはスーパーマンみたいに圧倒的に強くてはハラハラしにくいのだ。評価が分かれる映画だろうが、私は○。

中国ウオッチ・孔子平和賞

中国で昨年創設された孔子平和賞は、二回目の今年ロシアのプーチン首相を有力候補としていたが、中国文化省から中止に追い込まれた。
この賞は、昨年中国の反対にもかかわらずノーベル平和賞か劉暁波氏に贈られたことに対抗して、中国の学者や文化人からなる団体が創設したものである。この賞を巡っては国際的に認知されておらず、孔子の名を辱める、という批判もあった。
中止の措置は、中国のイメージを損なう、と当局が判断したためと思われる。この団体は文化省から認定も取り消されたため、賞そのものも存在しなくなる。
ところで昨年の第一回の受賞者は台湾の元副総統・連戦氏であったが、授賞式には出席しなかった。ちなみに賞金は10万元だそうだ。
プーチンさん残念。もちろん受賞しても出席しなかっただろうけれど。
この団体の学者や文化人は公表して明記しておくべきである。
このようなお先棒担ぎの連中こそが国を誤らせてきた。

中国ウオッチ・不正会計調査

アメリカに上場している中国企業の株価が大幅下落している。
これはアメリカ司法当局が、
中国企業を不正会計の疑いで調査を開始したことが原因であると報じられている。
中国企業の不正会計については米国証券取引委員会が一年以上前から調査を行ってきたが、取引委員会は民事措置しか執ることが出来ない。司法局が介入すれば刑事措置を執ることが出来ることになる。調査の強化が進められていると言うことだ。特に虚偽の財務報告が指摘されているようである。
中国企業も当然アメリカの法律に則した会計報告を建前としていたはずだが、中国本土での甘い感覚から脱却できない部分があるのだろう。
香港市場でも関係企業の株価は下がっており、なかには20%の大幅下落をしているところも出ているという。

このところ元がドルに対して高値を更新し続けており、人件費の高騰も併せて輸出競争力にも陰りが出て、中国の企業の株価は低下傾向のようである。

2011年10月 1日 (土)

中国ウオッチ・ダム工事停止

ミャンマーの大統領は、連邦会議で北部カチン州のエーヤワディー川上流に建設中のダム工事を即刻一時停止すると宣言した。
このダムを建設することにより、生態系に対する影響が懸念されること、住民の移転に問題が多いことが民意に反すると判断した、としている。
このダムのプロジェクトには36億ドルが投じられ、工事は中国が請け負っている。
この決定にはアウン・サン・スーチー女史も歓迎のコメントを出した。
軍事政権のミャンマーが民意を忖度するというのはにわかには信じがたい。何が背景にあるのだろうか。いくつか想像できないことはないが、続報を待ちたい。

中国ウオッチ・介入するな!

南シナ海に中国が領有権を主張していることに対し、フィリピンが、ASEAN・東南アジア諸国連合を招集して南シナ海問題会議を開催することに対して、中国政府筋は「南シナ海問題における中国の立場は終始一貫しており、明確である。中国は南沙諸島およびその周辺の海域に対して争う余地のない主権を有している」と述べた。「南シナ海についての係争については当事国との二国間交渉と友好会議を通して平和的に解決することを望む」そうだ。
今回のフィリピンの行動に対して人民日報系の情報誌は中国国民に緊急アンケートを実施した。それによると99%が「フィリピンに実質的な懲罰を与えるべきである」と答えたそうだ。
フィリピンは、その後アキノ大統領が日本を訪問し、野田新首相と会談、防衛問題での協力で合意した。これに対しても中国は「南シナ海への介入に興味を持っている日本がフィリピンと手を結んだ」と報じている。
またアメリカとオーストラリアの外交・国防部長が会談し「南シナ海の航行の自由は両国の利益に関わることであり、国際法に基づいて係争を処理すべきである。一方的な武力使用や武力による威嚇に反対する」との共同声明を発表した。
もちろん中国はこれに強く反発し「航行の自由を口実に南シナ海係争に介入するな。そのようないかなる国にも断固反対する」と表明した。
武力を持って一方的に南沙諸島領有を主張し、関係国を武力で威嚇しているのは中国、あなたですよ。そんな国と二カ国間協議に応じる国なんかありません。こわいから。

譚璐美(たんろみ)著「阿片の中国史」(新潮新書)

著者は中国人の父親と日本人の母の間に生まれ、中学まで日本で学んだ。中国籍。広東省の国立中山大学の講師を経て現在独立し、ノンフィクション作家。1950年生まれの彼女は私と同年である。
列強による中国侵略はアヘン戦争から始まった。そもそもアヘン戦争とは何か。なぜ阿片があれほど中国に蔓延していたのか。そしてなぜ日本は阿片の禍から免れることが出来たのか。
大学に入って真っ先に、私はなぜ日本が日中戦争、そして太平洋戦争に突き進んでしまったのかを知りたいと思い、右側(戦記物)、左側(戦争犯罪告発ものなど)、アメリカ側などの本も読んだ。そうしてそれ以前の歴史を知らないとその背景が分からないことに気がついた。明治維新の前後、そして日清日露戦争について眺めているうちに、なぜ中国はあれほどの大国でありながら遠路はるばる(当時はスエズ運河もパナマ運河もないから、喜望峰を回りインドや東南アジアを経由して中国に来たのだ)わずかな兵力でやってきたヨーロッパの国々にいとも簡単に蹂躙されたのか考えざるを得なかった。そうして中国そのものに興味が傾き、ついに中国の古代史までさかのぼってしまった(中国は古いほどおもしろい)。
だからアヘン戦争前後は私の歴史に対する興味の原点でもある。
この本は新書という量的制約の中で、やさしくわかりやすく、かつまた偏向することなく阿片と中国について書かれている。
阿片と中国という視点から中国の近代史が理解できる良書である。
日本の歴史教育は近現代史をきわめて表面的にしか教えない。ほとんど何も教えていないと言って良い。歴史を教える、ということは事実を羅列して記憶させることでは決してない。歴史について考える仕方を身につけることであると思う。
現代史を善悪で論じるような歴史学者が多いから、学校の歴史の先生は批判を恐れて現代史を避けて通り、日本の若者は近現代史に無知のまま大人になる。そして外国からその歴史観を糾弾されると自分で語る言葉を持たないので萎縮して言いなりになってしまうのだ。
心ある若者は自発的に自分で歴史を学ぶはずでその材料は日本では自由に手に入る。この本はその一助になるはずである。
若者よ、そして心あるひとよ、歴史に親しもう。

中国ウオッチ・北京事務所

昨年1月、国務院弁公室は県級政府や地方関連機構の北京駐在事務所を撤去する法令を発表した。これに基づき昨年11月には625カ所の事務所を撤去した。もちろん新設は認められていない。
ところがマスコミの取材によると法令にもかかわらず、撤去したはずの北京事務所が「潜伏」したかたちで全くなくなっていないことが分かった。しかし管理機構はその問題に気がついていないのか、全く手を打っていないという。
そもそも北京駐在事務所の役割とは何か。企業と資金の誘致、各地の政府との取り次ぎ、陳情者への対応、というのが建前である。しかし実際は賄賂と北京中央政府の官僚との取り次ぎが大きな役割なのである。
北京中央政府は大きな権限を持っている。官僚が法律と規則に則って公明正大に仕事をしていれば、そもそも北京駐在事務所は不要であるし、もし事務所があったところで問題視されることはない。
たびたび言及しているが、中国は権限と利権は裏表の国である。
権限にふさわしい賄賂が渡らなければ何事も前に進まない。地方政府は中央の許認可がなければ出来ないことが多い(日本と同じだ)。
また中央が地方に対する税収入還付金と移転支出は2010年度でなんと3兆611億元という膨大な金額になる。各地方にとってのどから手が出るほど分け前がほしい。
過剰投資による地方債の野放図な発行がつづき、ついに来年あたりから償還が始まるのにその金がなく、破綻必至の地方はかなりの数に上る。金がないからますます袖の下が動いて何とかうまくやろうとする。ついでに自分の懐も潤そうという連中だらけなのだ。
観念的に存在悪を禁止しても実際はどうしようもないことに気がついているから手を打っていないのだろう。中国の病理の根は深い。

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