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2011年11月

2011年11月30日 (水)

高橋源一郎・内田樹選「嘘みたいな本当の話」(イースト・プレス)

日本中から届いた実話の中から高橋源一郎と内田樹が厳選した149編がまとめられています。1000文字以内、短いほど可というのが規定なので読みやすい。
テーマは「戻ってくるはずがないのに、戻ってきたものの話」「犬と猫の話」「あとからぞっとした話」「変な機会の話」おばあさんの話」「私が会ったなかで、いちばん粗忽な人の話」「そっくりな人の話」「ばったり会った話」「予知した話」「私が会ったなかで、いちばん酔っ払っていた人の話」「今年いちばん、嘘みたいだった話」。
どうです。いくつか思いつくものがありそうでしょう。この本のための募集のあと、引き続きテーマをさらに追加して募集は続いています。この本の最後にたくさんのテーマが挙げられているのでチャレンジしてみたらどうでしょうか。その前にまず人のを読んでみましょう。これなら自分にも、と思えるはずです。掲載されると本がただでもらえるようです。

森福都著「狐弟子」(実業之日本社)

中国唐代を舞台にした奇譚集。短編が7編収められている。初版は2005年で、買ってすぐ読んだが、おもしろかった記憶はあるものの印象が薄かった。今回じっくり読み直して大いに楽しめた。森福都は「長安牡丹花異聞」で松本清張賞を取っている。これもなかなかおもしろい本だった。
表題の「狐弟子」が特にいい。体の貧弱で生白い少年・馬孝児が、長安の荒れ寺にすみ、狐の化身と言われる毛潜の元に「狐になりたい」と弟子入りを志願する。毛潜は一目見て「狐はおろか鼠にもなれまい」と思うが、「身の回りの雑用をさせるためにひとりぐらい小者を置いてもいいか」と考えて弟子にする。
毛潜の元には彼に不思議な力があると信じて、人々が進退窮まった難問を持ち込んでくる。
孝児は必死で雑用をこなしながら、毛潜の元に持ち込まれる問題を師匠がどう解決するのか必死で見ている。毛潜は少しずつ孝児に問題解決の手伝いをさせていく。
どちらかと言えば適当なことを言って成り行きで取り繕っていた毛潜が、孝児がきてから紆余曲折はあるものの問題が旨く解決できるようになる。偶然なのか何かの力が働いたのか。
狐になることを懇願する孝児に理由を尋ねるがなかなかその理由を明かさない。しかしついに孝児は、自分は今年一年の寿命であると告げられており、自分の死後残される母親のために狐になってあるものを残したいから、と話す。
毛潜はある事件解決に際し、孝児の「あと寿命は一年」という呪いを払ってやる。そうして孝児も少しずつ成長していく。「狐になる修行が楽しくてしようがありません」と孝児は明るく胸を張る。毛潜は「もう孝児は立派な子狐になった」と思う。
はたして毛潜は狐なのか。最後まで分からない。
ほかにも化身、幽鬼、卜占など不思議な話が楽しめます。

中国ウオッチ・北京の大気汚染

北京オリンピックの時、北京の空気が汚れていることをいやがって参加を拒否したマラソン選手がいた。多くの国が直前まで北京に入らず、日本で調整した。試合が大会の最後の方だから開会式には参加しないという選手もいたという。中国政府はあまりの悪評に、オリンピック前から大会終了までの一年間、かなり規制をかけて大気汚染を軽減する努力をしていた。上海万博の時も上海市は同様の規制を行っていた。そのかわり規制解除後にはそれ以前よりもひどくなったと言われている。
10月にはその北京でオリンピック以後最悪、といわれるほどの状況になった。窒息しそうなほど濃い霧に覆われたのだ。アメリカ大使館は独自に汚染度を調査し、北京の大気汚染は警戒レベルを超えている、と発表した。
ところが同じ時期の北京政府の発表では「軽度の汚染」であった。しかし地元の気象台は市民に「屋外の活動は避けるように」と警告を発していた。その後政府に対して北京市民から非難が殺到した。「15分外にいるだけで喉が痛くなるような大気が軽度の汚染なのか」「軽度でも軽度でなくても軽度というのか」と批判している。
これに対して北京の副市長は「近頃北京の大気について国内のみならず、国外からも横やりを入れる輩がいる。いちいちそれについて論ずるつもりはない。」と反論した。「そのような横やりとは関係なく、さらに大気の質を改善することにつとめ、クリーン北京の概念を実現していく」と述べた。どうも概念を改善することを優先しているようだ。
その後非難が収まらないことから、11月になって環境保護局が「北京の大気は浮遊粒子物質が国家基準を20%上回っているがこれは汚染として軽度だ」と発表した。またアメリカ大使館の発表した数値について「彼らの測定方法も正確度も知らない。メディア扇動を感じる」と述べた。世界的に大気の浮遊粒子物質は2.5μm以下のPM2.5という数値の量で見るが、中国は10μm以下のPM10を使っている。これでは比較にならない。どおりで「軽度」という判定が出るわけだ。この指摘に対して北京の環境保護局は「PM2.5を観測する設備は整っており、いつでも結果を出せるが、国と歩調を合わせる必要がある」と説明している。今のところできるけれどやらない、というわけだ。

珠江デルタ地域、長江デルタ地域、北京、天津、河北などの地域性大気汚染は深刻の度を増している。広州、深玔、上海、南京、蘇州、天津などの大都市がスモッグに覆われる日数は年間30%~50%になっていると発表された。
この発表の後、2016年から中国全土でPM2.5の観測が開始されることがきまった。

2011年11月29日 (火)

中国ウオッチ・紅碱淖湖

中国の陝西省楡林市にある紅碱淖湖(読み方不明)は砂漠にある淡水湖としては中国最大の湖。ここは絶滅危惧種とされている渡り鳥、ゴビズキンカモメの棲息地であり、繁殖地でもある。魚もたくさんいて地元住民のタンパク源となっている。
この湖の周辺は石炭の埋蔵量が多い。中国のエネルギー需要の増加に伴い炭鉱が増加しており、影響で地下水の水質が急激に悪化している。また、湖に流入する河川二本の上流にダムが建設され、湖の水量が減少している。
1996年には湖の面積は67平方キロだったが、現在は41.8平方キロに減少。毎年20~30cmずつ水位が下がっている。そのため、ついに湖水のpHが9.6になり、魚の棲息に適さなくなった。魚類が絶滅の危機に瀕しているという。
これは中国各地で進んでいる事態の典型のようなものである。いったん破壊された生態系はほとんど元に戻ることはないだろう。中国は失ったものの大きさにいつ気がつくのだろうか。

「黒の舟歌」作詞 能吉利人 作曲 桜井順

男と女のあいだには深くて暗い河がある
誰も渡れぬ河なれど
エンヤコラ今夜も船を出す
*ROW&ROW ROW&ROW
 ふりかえるな ROW&ROW

お前が十七俺十九忘れもしないこの河に
ふたりの星のひとかけら
流して泣いた夜もある
*くりかえし

あれからいくとせ漕ぎつづけ大波小波ゆれゆられ
極楽見えたこともある
地獄が見えたこともある
*くりかえし

たとえば男はあほう鳥たとえば女は忘れ貝
真っ赤な血潮が満ちるとき
失くしたものを思い出す
*くりかえし

お前と俺とのあいだにはふかくて暗い河がある
それでもやっぱり逢いたくて
エンヤコラ今夜も船を出す
*くりかえし

この歌が性的なものであることに気がつかない人はいないだろう。はっきり言えば性行為そのものをうたっていると言ってもいいと思う。それにつきる。
確かに男には女のことは分からない。女には男のことは分からない。
ただ言葉を尽くしても分からなかったことが、抱き合うことで一瞬で分かったような気がすることがある。しかし熱が冷めれば実は何も分かっていないことに気がつく。
そうして毎夜暗い河にふたりで舟をこぎ出すのだ。

乾緑郎著「忍び秘伝」(朝日新聞出版)

前作「忍び外伝」は文句なくおもしろかった。この「忍び秘伝」は前作より伝奇色がかなり強い。好みが分かれるかもしれない。前半は物語の展開が少し飛びすぎていて脈絡がつかみにくい。シーンの切り替わりが急すぎるのだ。
寅王丸が主人公だと思って物語を追っていると著者の筆は彼に冷たい。中盤からやっと主人公が小梅という少女であることが分かってくる。前半部は後半への膨大な伏線なのだ。加藤段蔵という忍者となった寅王丸がどのように育ったのか、そして山本勘助との関わりをもう少し書き込んでいたらずっとわかりやすくなるはずなのだが。謎を明かしたくないためとはいえ隠しすぎではないか。
山本勘助や武田信玄についてこちらの持っているイメージとあまりにも違う造形なので違和感が強い。全く違う物語として読めばいいことかもしれないが、史実に離れすぎてはリアリティもなくしてしまう。脇役の造形をおろそかにすると物語が薄っぺらになる。
伏線が多かっただけ、最後になっての展開はおもしろい。おもしろいのはたぶんこうではないか、と読者に予想させ、その通りの展開をした上に、なるほどそうか、と思わせる意外な絵解きを見せてくれるからだ。何を言っているか分からないだろうが具体的なことをあかすとネタバラシになってしまうからだ。ただラストの作者があっと言わせたかったところはほとんど最初から私には分かってしまったけどね。
出来は60点くらいか。かろうじて合格。甘すぎるだろうか。次に期待しよう。

中国ウオッチ・日本経済解析

チャイナネットが、なぜ政府債務残高のずば抜けて高い日本がヨーロッパのような債務危機に陥らないのか解析している。
2010年の日本のGDP成長率は3.9%とアメリカやヨーロッパより高く、失業率でも2011年8月で4.3%、9月には3.9%と低い。アメリカは9%台が続いており、ヨーロッパの債務諸国に至っては10~20%である。このように日本は相対的にファンダメンタルズが健全である。
さらに日本は莫大な国外資産を有している。財務省の発表では、2009年までに日本が海外に所有する純資産は2兆9580億ドルで連続19年間世界第一位の債権国である。2010年もその座は揺るがず、20年連続だったようだ。アメリカは逆に世界一の債務国である。莫大な国外資産が日本経済を下支えしてきており、国債を買う資金ともなっている。これにより国債の利回りを低く抑え、低金利政策を維持しながら債券市場と通貨市場を安定させている。
また日本の製造業は宇宙や航空機、マイクロエレクトロニクス、精密機械、景気、新エネルギー、新素材といった高技術、省エネ、クリーンを特徴とした高付加価値製品を作る工業体系を持ち、輸出力は健在である。また海外進出した企業も旨く日本の親会社によってコントロールされており、利益は再投資され、残りは日本に環流されている。
日本は莫大な外貨準備高を保有している。2011年7月の外貨準備高は1兆1400億ドルで世界第二位である。これにより国際金融市場で空売りや投げ売りなどの操作を受ける可能性が低い。日本の国債の95%は国内の長期国債保有者や銀行、財閥が所有している。ギリシャやほかの債務国は国債の外国所有比率が高いため脆弱で危険である。
中国はよく日本の実情を把握している。このようにわかりやすく説明してくれるとありがたい。日本のマスコミに出てくる経済評論家は、ヒステリックに危機をあおるだけで現状に対する適切な説明が足らないようだ。
ところでこの解析の最後に「しかし日本の家計貯蓄率の下降が続き、政府の財政赤字や債務残高が伸び続けるに従い、負担は軽視できないものになっている。政府の国債の利息支払いは2兆1000億円に達している。日本社会の高齢化が進み、福祉負担が増えると生産力が低下する。そのときには債務危機の可能性は高まるであろう」と結んでいる。
このように説明されれば消費税増税はやむを得ないなあ、と納得できるのに。これも財務省の洗脳に影響されているのだろうか。

大盤振る舞いのばらまき政党に票が行く、というのはいいかげんにやめないといけない。政治を変えるには国民が変わらないといけない。当たり前のことだ。今は不景気ではない。せめて今よりやや悪い程度の生活を維持するためにどうするか、というくらいのつもりで世の中を見ないと、無い物ねだりをすることになるだけだ。世界の貧しい国が豊かになれば、今まで豊かだった国は少し貧しくなるのは当然なのだと覚悟しないといけない。
 

2011年11月28日 (月)

「さらばシベリア鉄道」作詞 松本隆 作曲 大滝詠一

哀しみの裏側に何があるの?
涙さえ氷りつく白い氷原
誰でも心に冬を
かくしてると言うけど
あなた以上冷ややかな人はいない

君の手紙読み終えて切手を見た
スタンプにはロシア語の小さな文字
独りで決めた別れを
責める言葉探して
不意に北の空を追う

伝えておくれ
十二月の旅人よ
いつ・・・いつまでも待っていると

この線路の向こうには何があるの?
雪に迷うトナカイの哀しい瞳
答えを出さない人に
連いていくのに疲れて
行き先さえない明日に飛び乗ったの

僕は照れて愛という言葉が言えず
君は近視まなざしを読み取れない
疑うことを覚えて
人は生きてゆくなら
不意に愛の意味を知る

伝えておくれ
十二月の旅人よ
いつ・・・いつまでも待っていると  RE-フレイン

太田裕美がうたったこの名曲は心に残る。何度聞いてもいい。
この歌は女性の思いと男性の思いが交互に歌われている。日本にいる男性と遙かシベリアを旅する女性が、二人で過ごしていたときに言えなかった思いを互いに語りかける相聞歌だ。男なら「不意に北の空を見上げる」気持ちが痛いほど分かる。
女性は男性に「愛している。結婚してくれ」という言葉をかけてもらうことを待ち続けてついに待ちきれず、傷心の旅に出てしまった。男性には自信がない。彼女を本当に幸せにできるのか、彼女は本当に自分を愛してくれているのか。自分の気持ちはまなざしから読み取って欲しかった。愛していれば言葉はいらない、というが、女性はまず、愛している、ということの確認が欲しい。
「疑うことを覚えて、人は生きてゆくなら、不意に愛の意味を知る」。
二人の心の隙間を吹く風はシベリアの冬の風だ。
だが題名は「さらばシベリア鉄道」だ。
そして男性は「いつ・・・いつまでも待っている」。
彼女は帰るだろう。

最初「君は近視まなざしを読み取れず」の「近視」が聞き取れなかった。意味は分かるがちょっとここは変だ。

内田樹著「映画の構造分析」(文春文庫)

副題「ハリウッド映画から学べる現代思想」。
出だしに「これは映画批評(のような)本ですが、映画批評の本ではありません」とある。「みんなが見ている映画を分析することを通じて、ラカンやフーコーやバルトの難解なる述語をわかりやすく説明すること」を目的とする本なのだ。
映画とはどういう芸術でありうるか、という導入部で、有料であり、多数の観客を動員して支持を得なければ成り立たないものであることを挙げている。当たり前のようだが、非常に重要な指摘だと思う。
取り上げられている映画は誰もが見ているか、見ようと思えば手に入れて見ることのできるものばかりだ。そうした映画をおもしろかった、つまらなかった、の次元とは違うところで分析している。取り上げられている主な作品には「エイリアン」「大脱走」「北北西に進路をとれ」「ゴーストバスターズ」がある。これらの映画を分析していくと思いがけない隠されていたものが次から次に現れる。考えすぎだ、こじつけだ、と思うほどだが、全体を通すとその分析に整合性があり、納得できる。これらの作品はそのような意図を含むことによって繰り返し見ることに耐える作品になっているのだ。見るたびに新しい発見があるはずだ。
たとえば「エイリアン」は「表層的には成功した初めてのフェミニズム映画」で「シガニー・ウィーバーの扮する主人公リプリーは、白馬の王子様の救援を待たずに自力でドラゴンを倒す自立したお姫様」であり「ハリウッド映画が初めて造形に成功したジェンダー・フリーヒロイン」であると見える。その通りなのだが、もう少しよく見ると、実はこの映画は「「体内の蛇」という古代的な恐怖譚の現代的なヴァージョンである」という。確かにこの映画には性的なイメージがちりばめられている。エイリアンの頭部は男性生殖器そのものだ
こうして具体的にシーンごとにその実例を挙げていくうちに表面的に見えていたものと全く逆のメッセージが意図的に埋められていることが分かってくる。ここがこの分析の最もおもしろいところなので是非読んでみてください。
後書きに内田樹先生が「取り上げられた映画をもう一度見たくなるはずだ」とおっしゃっておられる。誠にその通りである。映画を見直し、またこの本を読み返したくなることだろう。

為替相場とインフレ

アメリカでリーダー不在のデモが続いている。ウォール街を糾弾しようという。失業が高水準であるやインフレ傾向が出始めたことが原因のようだ。中国も物価が上がり続けており、賃金の上昇が追いつかない低所得者層からの不満が高まっていろいろ労働争議などが起きている。
韓国で、輸入に頼っている食料品の価格が急激に上昇し、消費者物価の上昇と労働コストも合わせて上昇している。これはどうもウォン安が大きく影響しているようだ。数年前、韓国に行ったときは、ほぼ100ウォンが10円だったが、今年行ったときは100ウォンが7円になっていた。土産物などはずいぶん値上がりしていたが、食事は相変わらず安く食べることができた。これは日本人にとって恩恵だが、韓国の人はかなり生活が大変になりつつあるようだ。
ここで気がついた。自国通貨を安く誘導することで一息ついている国は、実は物価が上がって国民の生活は苦しくなっているのだ。アメリカや中国もそうだろう。そんなことは考えるまでもなく当たり前のことなのだろうが、日本にいるとデフレなので全く実感がない。
TPPなど、自由貿易への動きについては、そうあるべきだとの考えから私は賛成の立場であるが、推進する視点が、輸出企業救済にあると、見失うものが出てきそうだ。韓国国会のFTAに対する騒動を見ると、何をしているのだろう、と思うが、実は韓国国民の今現在の生活実感が反映されているのかもしれないと思うと、あながち笑うわけにはいかない。FTAの恩恵で韓国企業が躍進し、韓国の景気がよくなればウォンも上がるだろう。それなら韓国政府が正しいということになる。はたしてどうか。
中国は世界からの元切り上げ圧力だけが理由ではなく、早晩国内のインフレを緩和するためにも元を切り上げていくしかないだろう。それは中国の輸出企業の様子を見ながらにならざるを得ないから、ゆっくりしたものになるだろうが、中国は基準になる時間のスパンが違うのでそういうのは得意なのだ。
アメリカもオバマ大統領は再選のためには景気を浮揚させざるを得ない。無理にでも景気をよくし、なおかつ国民の生活実感を改善していると思わせなければならない。後でつけを払ってでも今さえよければいいという手を打って景気をよくするだろう。
それを見越して必ずドル高になるだろうと思う。
来年について大胆な予測をしてみたが、さて当たりますかどうか。
さてヨーロッパは?日本は?・・・年越しでじっくり考えてみよう。

2011年11月27日 (日)

中国ウオッチ・鐘楼

陝西省西安の城郭の中心、西安のランドマークである鐘楼の修繕が始まった。
この鐘楼は600年以上昔、明代に建造されたもので、これと対になっている鼓楼とともに住民に交互に時刻を告げていた。西安に行った人はよく知っているとおり、ここが西安城内の中心地であり、有名な料理店などもこのあたりに多く、昼も夜も散策する人が多い。銀座の真ん中のようなにぎやかな場所だ。
そのすぐ裏手にイスラム系の住民の繁華街がある。羊肉の料理や変わった土産物も多く、特にエキゾチックなものが多く、眺めているだけで飽きない。おもしろいところだ。遙かな昔、西安が長安といっていた時代、ここはトルコ系の人たちや日本人など数多くの異国人が闊歩していた街なのだ。20年ほど前に初めていったときに、一人でこの辺をぶらついてその雰囲気に陶然とした記憶がある。しかし最近はガイドもここを一人歩きすることを止めることが多い。結構物騒なのだ。
さてこの目印の鐘楼だが、2008年の四川大地震などでかなりダメージを受け、この3年は雨漏りもひどくなっていたという。修繕は年内をかけて人海戦術で行われ、その間は公開は中止、12月31日に再開予定だという。
城壁に登り、街の中心方向を見ればどこからも鐘楼と鼓楼が遠望できる。その遙かにかすむ姿がすばらしいのだが、しばらくはお預けのようだ。
ところで中国の場合、修繕というとキンキラキンに改悪することが多いが、
まさかそんなことはしないだろうなあ。

2011年11月26日 (土)

中国ウオッチ・魚がいないから

中国国営新華社の機関誌に、中国漁船が相次いで日本や韓国の領海内で違法操業して拿捕されていることにつき「中国の沿海では魚が捕れなくなっており、生計を保つために危険を冒して遠くの海に繰り出して行かざるを得ないのだ」との同情的記事が載っていた。
魚はプランクトンの多いところでとれる。プランクトンは海の水がかき回されるところと川から豊富な栄養の流れ込むところにたくさん生まれる。中国の沿海に流れ込む川は多くが大河であり、泥を多く含んでいる。そのため中国の沿海は泥質で、汽水域の魚は多いが通常の海の魚はそもそもあまりたくさんとれない。その汽水域が汚染されている惨状は目を覆わんばかりだ。
自分の庭の作物がとれなくなったからよその家の庭の作物を採りに行って、同情して欲しい、というのはあまりにも身勝手な話である。逆だったら中国はどういう態度に出るであろうか。
自分のものは自分のもの、人のものも自分のもの、というのは通用しないのだよ、新華社の記事を書いた人!

中国ウオッチ・焼身自殺

今年に入って四川省の若いチベット僧が立て続けに焼身自殺をしている。
これに対して人民日報は、チベット独立派がたきつけているとして批判する記事を掲載した。「ダライ・ラマや彼を信奉するチベット亡命組織は自殺者を英雄や闘士としてたたえることにより、自殺を助長している」と非難した。
焼身自殺する若い僧侶は「チベットに自由を」とか「チベットに独立を」と叫んで自殺している。これがダライ・ラマやチベット独立組織のせいであるという論理は理解しがたいものがある。
多くの軍隊と武器でチベットを不法占領支配している中国に対し、無力であることに絶望しながらせめてもの行動として焼身自殺という過激な抵抗をしているものに対して想像力のかけらもない言葉だ。独立運動をするから自殺者が出る、というのなら、そもそもチベットを占領しなければ独立運動など起こらないのだ。
思い出すのはベトナム戦争時代に南ベトナムのサイゴン(現在ホーチミン市)などで僧侶の焼身自殺が相次いだことだ。この後アメリカは敗北し、ベトナムから撤退する。
中国もいつかアメリカと同じ轍を踏むと思う。

中国ウオッチ・3Dメガネ

湖北省武漢市のある映画館で3D映画を上映中、突然停電により、館内は真っ暗になった。しばらくして回復したが再び停電。地域全体の停電だったという。仕方がないので半券を持ってくれば別の日に鑑賞できます、ということで観客に了解を求めたが、観客は納得せず、料金の返還を求めだした。さらにそれ以上に要求はエスカレートし、騒然となったが暗闇の中ではいかんともなしがたい。

騒ぎが収まった後、かなりの観客が3Dメガネを持ち去ったことが分かった。3Dメガネは映画館専用のものでほかの用途には使えない。映画館側は返却を求めているが持ち去ったままのものがまだ55枚あるという。

日本だったらどうだろうか。必ずこういうとき持って行ってしまう輩はいるものだが、これほど多くはないと思いたい。どさくさ紛れにちょろまかす、というのは何か戦利品のような気分になるのかもしれない。これは子供の感覚だ。まともな大人はあまりこういうことに喜びは感じないものだし、普通はしない。あなたは大丈夫ですか。

中国ウオッチ・ストライキ

輸出産業の盛んな広東省の深玔市と東莞市で工場従業員によるデモやストライキが続発している。昨年も同地区の日系企業の工場でデモやストライキが続発していたが、そのときは賃金値上げを求めてのものだった。今回は台湾系のパソコン部品工場や、ナイキやアディダスの製靴工場であり、主な理由は残業の減少による収入源に抗議してのものだという。

世界的に不況で、特に欧州債務危機などから米国やヨーロッパ向けの注文が激減しており、企業側としては残業をさせるほど仕事がないのが実情である。しかしやや落ち着いてきたものの中国の物価は上がり続けており、低賃金の労働者は残業がないとたちまち生活が苦しくなってしまう。

相次ぐ賃金値上げと原料高により、中国の大量生産、低賃金での競争力はかなり低下している。広東省は特に低価格大量消費型商品の生産地である。中小企業も非常に多い。そこに世界的な需要の冷え込みが重なっているのだ。すでに中小企業の倒産が続出しており、深刻な状況になっている。

中国は産業構造を高付加価値品生産へ替えるべく模索中だが、事態の展開は想像以上に急である。労働者たちはそのような背景について理解できていない。また知っていたとしても生活がかかっているので承知はできないのだ。

問題は中国は共産主義の国のために、デモやストライキについてのあるべき姿についてコンセンサスがないことだ。過去、デモやストライキ、いや、一定以上の人間が集会を持つことすら厳禁してきた国である。そのために労働争議は思った以上にエスカレートしてしまう。何という皮肉だろう。

今後中国は小さな火種を無数に抱えることになりそうだ。

2011年11月25日 (金)

中国ウオッチ・二人目

河南省が「計画出産条例」の改正を可決した。これにより河南省では夫婦とも一人っ子の場合は「二人目」の子どもの出産を認める。
いわゆる一人っ子政策の適用は、都市部ではかなり厳格に適用され、違反した場合にはかなりの罰金が徴収される。つまり罰金を払えば二人目以降が認められる場合があると言うことでもある。しかしその罰金額は通常の人に払える額ではなかった。ただし、農村部ではその適用はそれほど厳格ではないと言われる。また少数民族は一人っ子政策の適用は受けない。
ところが不思議なことに少数民族は相対的にも絶対数も減少するばかり。また中国の絶対出生率が1を切っているという話も聞いていない。人口増加には歯止めがかかっているとはいえ弾力的に運用されてきたというわけだろう。
問題は男女の比率が異常にゆがんでいることだ。出生する女子100人に対し、男子は112~115人という。将来結婚できない男性があふれることが社会問題となるのは明らかだ(生物学的に言えば女100人に男10人でも良いはずなので異常である)。
ところで河南省は国の政策を勝手に変更できるのだろうか。
少子高齢化が懸念されだしたことからテストケースとして実施されるということだろうが、こういうことは地区別にするものではないように思うのだが。

映画「アウトランダー」

2008年アメリカ・ドイツ映画。監督・ハワード・マケイン、出演・ジム・ガヴィーゼル、ソフィア・マイルズ、ジャック・ヒューストン、ジョン・ハート。
悪い予感はしていたが、映画を見始めて予感が当たったことにがっかりした。こういうB級映画に演技力を求めるつもりはないが、セリフの間は悪いし、リアリティは薄いし、これは時間の無駄になると思った。
見るのをやめようかと思いながらぼんやり見ていたら、後半は違う映画みたいにメリハリのきいたものになってきた。ラストの30分くらいは結構真剣に見ていた。映像も背景も一級になった。
物語は、宇宙モンスターが8世紀初頭のノルウェー・バイキングの村で凶暴に暴れ回るのを、そもそもモンスターを持ち込んだ張本人(輸送中の事故のようだがそのいきさつはさっぱり分からないし、説明もないので分からない)の主人公とバイキングたちが力を合わせて倒そうというSFアクション映画だ。SFの苦手な人はこれだけで逃げ出すだろう。
突っ込みどころだらけなのだが、この宇宙モンスターが生きてるのやら死んでるのやら、人間たちを自分の棲みかの洞窟にため込んでいるのだが、ここにヒロインも放り込まれる。バラバラ死体まみれのぐちゃぐちゃのシーンがリアルでここら当たりから見ているほうも目が覚めるというわけだ。これを聞いただけでも逃げ出す人が多いだろう。
最後の滝の上、絶壁の頂上でヒーローとヒロインが抱き合いキスする。そこから遙か下がヒヨルドの海で見ているだけで足がすくむ。ここが一番感動した。
どうもこの映画をほめているのかけなしているのか、薦めているのかやめるようにしているのか分からない紹介だが、こういう映画は好みが分かれるものだからしょうがないのだ。

中国ウオッチ・コマーシャル規制

中国当局は「ラジオテレビ放送の管理強化通知」を発表。それによれば、「ドラマの放送について午後7時から午後9時までのゴールデンタイムのコマーシャルは1番組に1回だけ、時間は1分以内、それ以外の時間は1番組に2回だけ、時間は1分半以内とする」「タイトルと本編の間にコマーシャルを流してはならない」など、ドラマのコマーシャルについて厳しい規制となっている。
先般コマーシャルの歯止めのない増加に対して視聴者から苦情が多いことを取り上げた(それでも中国では番組と番組の間に延々とコマーシャルがあるだけで番組中は日本よりは少なかった。それが山場の直前にコマーシャルを入れるという日本方式をやり出したことから多くのクレームになった)。この苦情を取り上げて規制を強化したようだ。
これでは放送局はドラマの製作の経費が出せなくなる。特にドラマの多かった週末の番組からドラマが激減するおそれがあると心配されている。さらに今回番組中に入れる字幕のコマーシャルは規制が明記されていないことから番組中は字幕だらけになり、字幕の間からドラマを見るようになる、という心配もある。
ところで日本でのコマーシャルの増加には目に余るものがあると感じているのは私だけだろうか。前回も言ったが、さらに腹が立つのは2分ほどのコマーシャルの後にその前の部分が何秒か繰り返されることだ。たった数分前のことを忘れないように繰り返す、というやり方は視聴者を馬鹿にしている。数分前のことも忘れるような記憶力の持ち主はそもそも番組を見ない。番組の頭から時間の経過とともに忘れてしまうだろう。それともコマーシャルがすばらしすぎるので、それにうっとりして番組を忘れてしまうことを心配してくれているのか。

2011年11月24日 (木)

内田康夫著「黄泉から来た女」(新潮社)

ご存じ浅見光彦シリーズ。テレビの浅見光彦シリーズだけを見て、「浅見光彦」のイメージをこんなもの、と思っているひとはいちど本を読んでもらいたい。
映像化した「浅見光彦」で原作のイメージと合致するのは映画「天河伝説殺人事件」で榎木孝明が演じた浅見光彦だけだと私は思っている。育ちの良さから来るやさしさと知性の輝きがないと浅見光彦にならない。テレビで浅見光彦を演じている役者には申し訳ないがそれが感じられない。母親の雪江役も救いがたい。野際陽子?論外だ。
この物語の発端は天橋立だが、舞台は主に出羽三山(山形)。出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)は日本の霊場である。このシリーズは社会問題がテーマのものも多いが、歴史的な怨念の絡んだ、土俗的なものにも傑作がある。重ねて言う。テレビでしか浅見光彦を知らないのならいちど本を読んでほしい。

映画「愛という名の疑惑」

1992年・アメリカ。監督・フィル・ジョアノー、出演・リチャード・ギア、キム・ベイシンガー、ユマ・サーマン。
これは劇場公開時に映画館で見た。恐かった。久しぶりに見て女の恐さをあらためて実感した。
キム・ベイシンガーの蠱惑的な瞳と唇は、美人という枠を越えている。魔性の魅力である。妹役のユマ・サーマンがだんだん女っぽくなっていく様子も恐ろしい。ラストは本当に恐い。
リチャード・ギアは精神分析医の役、患者のユマ・サーマンを治療する過程で姉のベイシンガーに会う。精神分析という治療法は、ある意味で壮大な砂上の楼閣でもある。アメリカはそれを大まじめで権威付けしているが、この映画はその隙間を突いたものだ。

中国ウオッチ・ジャスミン革命の陰謀

これは前回取り上げた市川眞一氏の「中国のジレンマ 日米のリスク」に書かれていたことだが、チェニジアを発端とするジャスミン革命はCIAかどこかの陰謀だった、というのがあった。
ターゲットは中国である。
ここからは私の解釈が混じっている。事実と憶測が混じっているので承知願いたい。
チェニジア、リビア、エジプトは、みな出だしは民主化を標榜していた。そして欧米各国はそれを応援し、見返りに豊富な資源を獲得していた。しかし各国が独裁国家に変貌する中で、欧米のコントロールを外れ、欧米にとってのメリットが損なわれるとともにその関係も悪化していった。
そこに入り込んだのが中国である。リビアに対してだけでも投下資金3兆円、3万人以上の中国人を送り込んでいた。中国は資源確保のためには相手が独裁国家だろうが、テロ国家だろうが全く斟酌しない。アフリカでの中国の影響力は欧米にとって軽視できない状態になっていた。
チェニジアは独裁国家だが、インターネットが格段に普及している国で、昨年からネットを中心に独裁政権打倒の運動が起こっていた。一触触発の状況の中で、今年1月、わずかな後押し(これを陰謀という)から実力行使が始まった。
ジャスミン革命で不思議なのは、リーダー不在と言うことである。煽動者はいる。しかし煽動者は独裁政権を倒した後にどんな国家を目指すのかという理念を持っていたようには見えない。煽動者は独裁国家を倒すことだけが目的で、そのような人間はリーダーになることは出来ない。
チェニジアの独裁政権はわずかなきっかけで倒れる。その影響は当然リビアに及ぶ。エジプトに波及することが計算通りであったかどうか知らない。ターゲットが中国であったとしたらもくろみ通り、中国の北アフリカにおける利権はご破算になった。その後アメリカをはじめとしてヨーロッパはカダフィ政権を倒すために軍事行動をとった。それまでリビアがテロ国家だったときでさえ何もしなかった欧米が、なぜ行動に出たのか。再び中国が影響力を行使しないための布石だ。しかし中国は必死にリビアでの利権の再獲得に動いている。

中国ウオッチ・ニセ薬

アメリカの通信社の発表によると、中国のニセ薬の販売額は年間30億ドルに達するという。中国政府はニセ薬の取り締まり強化を実施しており、摘発を続けるとともに、検挙された場合、死刑になる場合もある。
先進国では医薬品の販売額のうち1%程度がニセ薬だが、発展途上国では30%を占めているという。そのニセ薬によって世界で年間70万人が死亡していると見られ、多くが中国製、次いでインド製。
最近の中国の一斉摘発では約1000人が逮捕され、ニセ薬6500万錠が押収された。
ニセ物が横行する中国では、ニセ物をつかまされるほうが悪いという考え方だ。しかし時計や電気製品のニセ物なら普通生命に別状はないが、ニセ薬はそういうわけにはいかない。
根本的に何が悪いことか、の認識欠如、そして悪いことはしてはいけない、というあたりまえのことが身についていない。
正義が相対化すると、こういう精神の荒廃をもたらす。
中国人は自分だけが損しているのではないか、という心性からものを見ている人間が多すぎる。人がうまいことをやっているのを見ると自分が損をしたような気がして一線を越えてしまう。
「ひとはひと、自分は自分」というアイデンティティの確立が出来ていない人間が多いのだ。つまり大人でなく、子どもなのだ。
子どもがお金をたくさん持って武器を持っていると思うと恐ろしいことだ。

2011年11月23日 (水)

談志が死んだ

談志が死んだ。回文になった。死んでも笑わせる。落語に限らず芸能全般に対して、あるべき世界観を持ち、辛辣な言動を貫いた。

哀しかったのだろう。好きな世界が何も分からない田舎ものに席巻されていったことが。大好きだからこそ、愛しているからこそ毒舌で悪態をついた。

芸能は見たい人が金を出して見に行くものだった。金を出したからにはまずいものはとことんけなす。そうやって芸は洗練されてきた。

テレビがそれをぶちこわした。ただで芸を見せる芸人、ただで芸を見ている大衆が、芸を損なっていく。

それは芸の世界だけだろうか。テレビは人間そのものを損なっているのかもしれない。

独りよがりの談志に今夜は一人で哀悼の杯を捧げよう。

映画「アイス・カチャンは恋の味」

2010年・マレーシア映画。監督・アニュウ、出演・アニュウ、アンジェリカ・リー。ヒロインのアンジェリカ・リーが生き生きとしていて魅力的である。
監督、脚本、主演のアニュウはマレーシアのシンガーソングライターで人気歌手・俳優である。舞台は1980年代の地方の小さな町。
物語はシンプルでノスタルジック。アイス・カチャンとは日本のかき氷のようなもの。芸術的な技巧が全くないことに好感が持てる。田舎の若者たちのささやかな青春を郷愁とともにえがいて共感を呼ぶ。
人気歌手の素人臭い映画かもしれないと心配したがとんでもない。素直に良い気持ちになれる佳作だ。
何とかクラブの石I某氏のわけの分からない河童の映画を見て時間の無駄に怒りを覚えたときのようなことがなくて幸いであった。
アジア映画恐るべし。素直な気持ちを残している大人の人にお勧めである。

映画の中でペナンの町が出てくる。そういえば、ペナンは良いところだよ、とある人に言われたことがある。マレーシアに行ってみたくなった。

市川眞一著「中国のジレンマ 日米のリスク」(新潮選書)

著者は証券アナリスト。小泉政権で構造改革評価委員、民主党政権での仕分け人などの公職も歴任。
経済面から見た世界の動きをわかりやすく解説した本で、内容は自明のことだと見るひとも多いかもしれないが、私にとっては目からウロコの落ちるような内容がたくさんあった。ゆがんだ色眼鏡をひとつ(多分いくつもかけているのだろう)外したような気がする。
特に記憶に残ったものとして「アメリカ大統領は任期の後半は景気浮揚に努め、無理な景気刺激策をとる、任期の前半はその前の景気浮揚の無理を弥縫するために抑制策をとる。だから今年末から来年は、再選を目指すオバマ大統領は無理にでも景気を良くするためのあらゆる方策をとるはずで、来年はアメリカの景気は良くなるであろう」「中国はアメリカのような覇権国になるために元を基軸通貨にしたいと密かに考えている。そのためには元をドルとリンクさせながらも国内情勢を見つつ少しずつ切り上げて実質レートに近づけようとするだろう。同時に金の保有高を増大させていく(基軸通貨は金の裏付けが必要)。内需を増大させ、ゆっくりと貿易黒字から貿易赤字へと転換させていく。これにより海外資本の流入をはかっていくだろう」などがある。
だからアメリカも中国も、EUに資本を回すことなど出来ればしたくないのだろう。今EUからの資本リターンは考えにくいと見ているのだ(これは私の思ったこと)。
中国は2009年に金保有量を約600tから1054tに増大させた。ロシアもこの3年で保有量を急増させている。このような動きが背景にあって金相場が急騰しているのだろうか(初めて私はこのことに気がついた)。
この本ではこれから5年間のアメリカと中国について大胆な予測をしている。この視点から日々のニュースを読み解いていくとそれぞれの関連性が見えてくるような気がする。
市川先生ありがとう。

中国ウオッチ・グリーンランドを狙う

中国誌が、中国企業がつぎに鉱物資源開発の目標にするのはグリーンランドである、と報じた。記事によれば、グリーンランド(デンマーク領)ではデンマークからの独立を求める声が多いのだそうだ。そのため、グリーンランドの経済活性化を目指しており、中国資本の進出を大いに歓迎する意向であるという。
グリーンランドは世界最大の島である。島には石油、鉄、鉛、亜鉛、レアアースが豊富に眠っているのではないかと言われる。世界中の資源を必死であさっている中国にとってつぎのターゲットはグリーンランドらしい。
キルケゴールとアンデルセンの国、デンマークはヨーロッパの中の日本のような国と言われている。詳しいことは知らないし、行ったことはないがヨーロッパへ行くならデンマークに行きたいと思っている私としては、デンマーク頑張れ、とエールを送りたい。
グリーンランド自治政府よ、自らの懐に虎を呼び込む前に良く世界の情勢を見極めよ。

2011年11月22日 (火)

中国ウオッチ・個人的に道路を掘り下げる

南京市の、ある立体交差点付近の道路で地下に敷設した航空燃料のパイプラインが破損し、ジェット燃料が噴出した。現場付近は周辺より低いためにジェット燃料のプールが出来てしまい、緊急事態となった。
周辺住民は避難し、消化剤が大量にまかれ、回収作業が行われた結果、危険な状態をようやく回避できるようになった。
なぜこんなことが起きたのだろうか。
現場付近の倉庫に良く出入りするトラック運転手が、立体交差の道路の高さが低いので、いつも迂回せざるを得ないことに腹を立てていた。そこで下の地面を掘り下げればトラックが通れるようになる、と考えて、人を雇って路面を掘り下げたという。そこにはジェット燃料のパイプが敷設されていた、というわけだ。
以前、路面バスがバスの高さより低い立体交差の下側を無理矢理通り抜けようとして、バスの屋根を半分ぶちこわした状態でそれ以上前に進むも退くことも出来なくなったというニュースに大笑いしたが、そのときは幸い乗客はいなかったらしく被害はバスだけだった。今回も大事はなかったものの万一の場合はどうなっていたことか。
ニワトリ頭(急がば回れ、が全く理解できない人)の人間はどこにでもいるもののこわいことだ。

中国ウオッチ・無賃乗車

上海市の発表によると、市内の地下鉄やライトレール(上海軌道交通)の無賃乗車数が一日のべ2万人(一人で何回も無賃乗車する輩がいるのだろう)に達していることが分かったという。
上海軌道交通は「駅の環境整備および乗車券発行業務の査察」と称する調査を行った。駅構内の路上生活者の実態や違法な広告活動、販売活動の把握の調査に併せて無賃乗車の実態の調査も行った結果である。
無賃乗車の手口として、改札で前の人にぴったりと付いて一緒にゲートを通過する、改札機を飛び越える、かがんでくぐり抜けるなどの目に見えるものと、高齢者用の割引カードを乱用、偽造して使用するなどのケースも多かったようだ。2010年の下半期で、偽造カード利用の疑いで1770人が摘発されているという。
以前バスのプリペイドカードの偽造が蔓延して使用が一時停止されたニュースを取り上げたばかりだ。
上海軌道交通では違法行為が発覚した場合、運賃の5倍の追加料金を徴収することになっていると言うが、ほとんど効果がない。
こののべ2万人という数字が利用者の何%に当たるのか分からないが、驚くべき数字であることは間違いない。違法行為をする輩は中国全体としてはわずかだろうが(そう信じたいが)「うまいことやった」とか「賢いやり方だ」と思う人間はそれ以上にいるはずで、それを通用させている事態こそが憂うべきことだと思う。
都市部の道路の混雑は限界を超えかけており、都市部への車の乗り入れを制限するなどの措置が取られている。その代わり、インフラ確保の一環としてバスや地下鉄などの公共交通機関の整備を進めているときにこのような違法行為を見逃すのは経済的損失以上のものがある。

中国ウオッチ・不正転売

中国では不動産が投資の対象になって、多くの人が不動産バブルに湧いているのはひところの日本と同じである。しかしそれに乗り遅れた人、低所得層の人々は住宅価格の高騰で持ち家を持つ夢を絶たれてしまった。
このことに対する不満が内圧として高まったことを感じた中国政府は、「保障房」と呼ぶ低所得者層向けの建設を地方政府に義務づけた。
ところがこの保障房を不動産会社が大量に買い付けているという。保障房を買うためには身分証と低所得であるという収入証明書が必要である。しかも保障房は集団での購入は禁止されている。
しかし中国では金さえ出せば身分証だろうが収入証明書だろうが偽造はお手の物である。また金さえ出せば規制など簡単にくぐり抜けることが出来る。こうして安く手に入れた保障房を転売し、不動産業者が利益を上げている。なかには保障房を義務づけられた地方政府が、保障房の土台だけ工事をして後はそのまま放置しているものも多いという。
不動産に関しては地方政府と不動産会社が結託して暴利をむさぼってきた。うまみがあれば最大限利用し、うまみがないとなればかたちだけ繕ってサボタージュするのだ。
今、都市部で不動産の販売が前年割れになっているところが増えている。また不動産価格もついに下がり始めている。少なくとも来年は10~15%不動産価格が下落するだろう、との観測もある。投機対象の値下がりが始まれば、
なけなしの金で回していた人々は我先に利益確保して売り抜けようとするだろう。多分もっと金のある連中はすでに手を打っているはずで、放置すればバブルがはじけるのは日本がすでに経験したことだ。中国政府がそれに対してどういう手を打つか興味のあるところだ。
こういうとき共産主義政府というのは思い切った手が打てるという利点がある。

2011年11月21日 (月)

加藤周一著「夕陽妄語 第一輯」(朝日選書)

加藤周一は評論家。この本は朝日新聞に連載されていた評論をまとめたもの。第一輯は1984.7~1987.12。
政治、経済、歴史、文学、絵画など多岐にわたって論じている。知識人とはどういうものか、の代表のような人である。元々東京帝国大学医学部卒業の医者だったが、在学中から中村真一郎や福永武彦たちと交遊し、文明批評や文藝評論を発表していた。
マルクス主義的唯物史観の立場からの評論から出発しており、いささかそのスノビズムが鼻につくが、これが日本のリベラリストの典型なのだろう。ヨーロッパの文学に造詣が深く、それに関する知見と意見は傾聴に値する。
現代中国の覇権主義的動向を彼が論じたらどう言うだろうか。それに興味がある。第二輯、第三輯まで購入しているが、読むのに時間がかかりそうだ。

中国ウオッチ・文化財破損

中国メディアが故宮博物院をはじめとした博物館で、所蔵文化財の破損や腐食が深刻化している、と伝えた。
この件は以前にも取り上げたが、報道が繰り返される割に事態は改善されていないようだ。
記事によれば「本来なら湿度や温度が厳重に管理されるべきなのに、銅器や鉄器の腐食や錆は絶えず、驚くべき状況だ」という。
ところが中国では今、博物館ブームで、今年だけで400カ所以上の博物館が新設されたという。入場料を取って利益を上げることだけが目的の博物館なら経費を掛けて保存管理をするはずがないということか。なんと博物館で結婚式を開いているところもあるという。
またかと言われるだろうが、文化のなんたるかを見失った中国の姿を象徴しているようだ。そういえば共産主義は歴史と文化を否定する思想だった。

ブルーレイ不調

ブルーレイのダビングが出来なくなった。幸いハードディスクに残っていたものは映画が一本だけだったので助かった。仕方がないので今日メンテナンスに出した。中を調べて修理してみるが、修理代があまりかかるようなら買い換えた方が良い、とおきまりのコメントであった。不具合の確認だけなら一週間以内に結果を出し、修理の見積もりを連絡くれるとのこと。しばらくはパソコンで映画鑑賞するしかない。ここで思ってもいない出費はつらいが、最悪新しいブルーレイの購入を覚悟する。カタログをいろいろもらってきた。今晩はそれで楽しもう。

中国ウオッチ・情報産業の移転

中国網(チャイナネット)が日本のICメーカーやソフト開発企業が四川省・成都の企業と情報産業の移転について打ち合わせを始めた、と伝えた。
日本側は「人材の豊富さと雇用流動性の低さ(四川省地区は就職してもわずかな賃金差ですぐ転職するということが少ないということか)、良いパートナーの存在」が成都を選んだ理由としている。今後、組み込みソフトウェアとIC設計について、中国をアウトソーシング先にする動きが加速すると見られる。
これは中国への企業進出が、安価な労働力で大量生産品を作るというパターンから一段階進んだことを意味しているようだ。各企業はノウハウの流出を恐れていたが、中国では情報は漏れるものであり、もうすでに漏れるほどのものは漏れてしまったのかもしれない。中国の企業を日本国内の競争会社と同じ位置付けに見直し、中国の優秀な人材を活用するという段階に進んだのだろう。
成都は中国の内陸部の都市だから、製品を大量生産しても運送経費がかかりコスト競争には不利だが、人口当たりの大学が最も多い都市であり、知的レベルも高い。ソフトウェア関係の進出先としては適しているのだろう。大学生が多いということは政治意識が高いということで、学生による反日騒動もしばしば起きているが、日本の企業の進出がふえていけば意識が変わるだろう。
四川省は三国志の蜀の国であり、行きたいと思いながらまだ行っていない。雰囲気が良くなったら是非行ってみよう。

2011年11月20日 (日)

映画「アイガー北壁」

2008年ドイツ・オーストリア・スイス合作映画。監督・フィリップ・シュテルツェル、出演・ベンノ・フュルマン、フロリアン・ルーカス、ヨハンナ・ボカレクほか。
難攻不落といわれたアイガーの北壁に挑んだ若者の実話をもとにした映画である。
1936年のベルリンオリンピックを目前として、ナチスドイツはアイガー北壁初登頂に成功したドイツ人には金メダルを授与すると発表。
ドイツ人の若者二人とオーストリア人の二人が別々にチャレンジを開始するが、天候が急変。登山は想像を絶する厳しいものになる。その登山の様子をリアルに映像化した映画だ。
悪天候のアイガー北壁は悪魔である。自分が吹雪と雪崩にさらされているような気分になった。
登山映画をいくつか見ているが、この映画は登山の過酷さのリアルさで、その中でも群を抜いてすばらしい。

中国ウオッチ・創造力が弱い

中国政府の著作権関連の責任者が「中国の出版物、美術品、音響や映像作品の90%が模倣か複製だ」と述べたことが新聞に報道された。
「中国国内の文化芸術作品には創造力が不足している」と認めたとのこと。中国政府としては創造力を育てるための基金の創出や支援を行うつもりのようだ。
国家が管理して創造力を育てるという発想自体に創造力の欠如を感じるが、現状認識については正しい。
そもそもハードにオリジナルの権利があることすら無視する国である。ソフトに著作権があるなんて全く認める気がない。創造のための努力やコストは掛けるだけ無駄だと考えているように見える。
これはたびたび言及しているように文化大革命という、文化を破壊する運動を国をあげて行ったことで、創造の土壌を失ってしまったことによるのではないだろうか。技術というスキルは短期間で獲得できる。人口が多いだけ優れたテクニックの人間は生まれるだろうが、失った精神的ベースは取り戻すのに長い時間が必要だろう。
日本もマスコミや教育界が文化大革命の尻馬に乗ったツケをそこら中で見ることが出来る。若い人間だけではない。老若男女あまねく文化を失った顔が街にあふれている。

中国ウオッチ・ばくち好き

人間はばくちが好きみたいだ。特に男、特に中国人は大好きだ。昼日中から仕事もしないで街角や公園で男たちがたむろしているのを覗くと、たいていばくちをしている。
中国の農産物の現物電子商品取引に投機マネーが大量に流入しているという。この商品取引は本来農産物の適正な価格を維持するための仕組みとして始められた。ところが投機の対象として目をつけられると、実際の農産物の生産量を遙かに上回る取引が行われるようになり、実態とかけ離れた価格の乱高下を引き起こしている。
ニンニクやショウガなどが投機の対象となって買い占められ、暴騰したが、嵐が去った後は大暴落を起こし、農家は甚大な被害を被っている。
現在のところ電子取引についての運営ルールはまだ整備されておらず、投資顧問会社が投機をあおって取扱商品をさらに増やしつつあり、トラブルも絶えないという。
中国経済のうち、国民消費の割合は他の国に較べて低く、投資の割合は他の国に較べて際立って大きい。これこそばくち好きの性向の表れだろう。
中国経済が大きくなれば国民が豊かになり、消費がふえ、生産が増える。そうなれば食糧も資源も消費量が大きくなり、世界全体への影響も大きくなる。限られたものは投機の対象になる。ばくち感覚で食糧や資源の価格を左右する投機が管理されないとしたら、中国国民は不幸なことになるだろう。それが中国国民にとどまらないとしたらまことに心配なことである。

相性

三浦友和と山口百恵のカップルと違って、我が家のブルーレイディスクドライブとソニーのメディアは相性が悪いようだ。
以前ソニーの20枚セットのディスクを買ったら2、3枚、いちどでは初期化できないディスクがあった。そういうディスクはダビングも不調である。パナソニックもビクターもマクセルもそんなことは全くない。ただ、TDKだけはたまたまうまくできないディスクがあった。
だからソニーとTDKだけは買わないようにしていた。
ところが手持ちを使い切ったのでビックカメラに買いに行ったらソニーだけ20%も安く売っているではないか。天下のソニーの製品だ。無印の訳ありとは違う。久しぶりに買ってみた。
なんとほとんど初期化が出来ない。ドライブのレンズクリーニングをやってみる。こうすると今までも救済されることが多かった。ところが全く歯が立たない。何度も試してみる。全てのディスクを試してみる。だめなものはだめ。それなのに中には大丈夫なものも何枚かあるから腹が立つ。その上初期化できたのにダビングが途中で止まってしまうやつまである。なんなんだこれは。
ソニーは不良品を安売りしているのだろうか。少なくともわたしのブルーレイディスクドライブにとってソニーのメディアは不良品であることがはっきりしたので未来永劫ソニー製品は買わないことにしようと心に誓った。
本日無駄にした時間約3時間。

2011年11月19日 (土)

映画「I SHOT ANDY WARHOL」

1996年アメリカ映画。監督・メアリー・ハロン、出演・リリ・テイラー他。アンディ・ウォーホールはアメリカ現代アートの巨匠。彼を銃撃した超過激なフェミニスト・ヴァレリー・ソラナスの行動を描いた映画である。
ポップアートの生みの親の一人でもあるウォーホールについてはプレスリーやマリリン・モンローのアート写真などでよく知られている。
フェミニズムはポップアートがもてはやされた時代と無関係ではない。この映画でもホモやレスビアンなどの同性愛があたりまえのアメリカの社会が描かれている。社会の常識をいちど解体しようと芸術家やいろいろな社会運動家が試行錯誤していた時代だったのだ。
アメリカは「新世界」ともてはやされ、移民による開拓で開かれた国だ。それは極端に男性の数が多い、当然女性が希少な世界だった。それならば女性は尊重されていたのか。新世界では力のあるものが正義だった。女性は開拓時代の暴力の世界では弱者であり、守るべき、貴重な存在であっても男性と同等の権利を持つなどとは考えられてはいなかった。
戦争の時代が終われば、暴力の時代が終わる。力の論理ではない時代の到来がフェミニズムを台頭させたのだと思う。
時代の風潮は振り子のようなものだ。ちょうど良いところでは止まらないで必ず反対側に振れていく。主人公のヴァレリー・ソラナスはもっとも極端なフェミニストだった。彼女がこの事件の後、精神病院に収容されるのは社会が許容する限界を超えたその思想の故である。
彼女は「全男性抹殺団」運動を唱えていた。この社会が自分の理想と考える社会と違う、と思うひとは多いが、今現在自分が生きている世界の根底部分だけは否定できない。そこまで否定すると自分自身も否定することになってしまう。人類、いや世界そのものを否定してしまうからだ。彼女はそこを乗り越えてしまった。だがフェミニズムをエスカレートさせると、もしかすると行き着く先は彼女の行き着いた世界かもしれない。今あるこの世界をまず実際にあるものとして認識し、そこから何を変えるかを考えないと、世界そのものの否定になってしまう(フェミニズムについて半端な知識しかないのに言い過ぎになっているようで申し訳ない、この辺でやめておく)。
とにかくしんどい映画であった。主演の女性はブァレリーの狂気を完璧に演じてすばらしい。振り子は振れ戻っていのだろうか。

映画「アイアン・イーグル」

ブルーレイに録画した映画がかなりたまっている。手当たり次第に見ても良いが、ざっとアイウエオ順にして順番に見ていこうと思う。
毎日見ても2~3年は大丈夫。記念すべき第一回がこれ。
1986年アメリカ映画。監督・シドニー・J・フューリー、出演・ルイス・ゴセット・ジュニア、チャールズ・シンクレア他。
この映画はシリーズになり、第4作まで作られた。アイアン・イーグルは本来ジェット戦闘機F-15の愛称だが、この映画ではF-16が使われている。
物語は一方的に領空侵犯の罪で敵国の捕虜となったアメリカのパイロットを、元ベテランパイロットの退役軍人の助けを借りて息子が救出するという、現代のお伽噺だ。
お伽噺だからあり得ないように話がうまくいく。こんなことが通用したらアメリカ空軍のセキュリティはザルだらけだということになってしまう。ばかばかしいのはご愛敬だろう。マンガだと思って笑っていればいいか。
戦闘機の戦闘シーンの緊迫感が残念ながらやや迫力不足。もっと自分が操縦しているような、手に汗握る感じがあればいいのに。
続編は・・・見たいと思わない。

ところで黒人が白人と対等に遇されている映画の中に、なんとなく黒人が痛々しく見えてしまうものがある。この映画もそうだ。もちろん全くそんな感じのない映画も多い。何でそんな感じがするのだろう。どこかに黒人のなかに、対等にしてもらっている、という卑屈さが見えるからだろうか。だから白人側に対等にしてやっている、という優越感もにおうのだ。

これはアメリカ映画の女性を見る目、にも感じられるものだ。

このことを意識しながらもう少したくさん映画を見て、それが自分の偏見かどうかよく考えてみたい。

2011年11月18日 (金)

油坂峠から九頭竜③

九頭竜ダムをさらに下り、小さな仏原ダム湖の前に仏御前の滝がある。駐車場から階段をかなり上らなければならない。だいたい滝はあまり便利なところにはない。ここはぎりぎりチャレンジできる距離だった。かなり息は切れるがそれに見合う景色に出会える。

Photo_14 滝への登り口に鮮やかな紅葉があった。

Photo_15 このような道が延々と続く。登り口に歩いて10分とあつたが、健脚者の場合だろう。休みながら行く場合は倍くらい見ておいた方が良い。

Photo_16 見下ろすと仏原ダムのダム湖のコバルトブルーの湖面が見える。

Photo_17 仏御前の滝。美しい滝だ。これだから頑張って登った甲斐がある。

Photo_18 アップで見る。音があると良いのだが。今回のドライブはこれでおしまい。

映画「座頭市と用心棒」をWOWWOWで見る。

1970年・大映。監督・岡本喜八、出演・勝新太郎、三船敏郎、若尾文子、岸田森、滝沢修、米倉斉加年、嵐寛寿郎、寺田農、他。
座頭市シリーズの第20作目。座頭市が、戦いの日々に倦んで思い出したのが3年前に訪れたのどかな村だった。ところがしばらくぶりに訪れた村は、やくざが支配する殺伐とした村に変わっていた。そのやくざの用心棒が三船敏郎。強敵の出現に村から逃げ出そうとする座頭市だったが、いつの間にか用心棒の対抗馬として村にとどまることを余儀なくされる。実は村には幕府隠密が探索する大きな秘密が隠されており、幕府の大目付まで近々乗り込んでくるらしい。その秘密とは何か。座頭市は人一倍鋭い勘でその秘密を誰より早くかぎつける。
実質的に村を支配している烏帽子屋の用心棒として乗り込んでくるのが九頭竜と呼ばれる男だった。暗い、冷たい目をしたその異相の男に扮するのは岸田森。独特の存在感で、座頭市も三船敏郎の用心も食ってしまっている。ここで「九頭竜」という文字が頭に強烈にすりこまれたわけだ。
岡本喜八らしい、派手で賑やかな大立ち回りがあり、空しさ漂うラストがある。久しぶりに見てもおもしろさは変わらなかった。

米倉斉加年が喜々として小仏の政五郎というやくざの親分をエキセントリックに演じている。そして若尾文子はこんな村に場違いな美しさ。三船敏郎の用心棒が惚れるのもよく分かる。

油坂峠から九頭竜②

九頭竜というと、岸田森が時代劇映画で扮した凄腕の殺し屋の役名を思い出す。映画の木枯らし紋次郎の中で出てきたとばかり思っていたが、調べたら「座頭市と用心棒」だった。ちょうど今WOWWOWで座頭市特集で全作品を放映している。この映画もブルーレイに録画したばかりだ。

岸田森は特異な風貌の脇役で、好きな俳優だったが42歳という若さで病死してしまった。

地名に九頭竜というのがあるのは後で知った。

油坂峠から九頭竜川沿いに九頭竜ダムに向かってひたすら坂を下る。日本海側はどの川も急流なのだ。ダム湖の湖水に紅葉が映えて美しかった。

Photo_8 ダム湖近くの紅葉。

Photo_9 九頭竜湖を望む。

Photo_10 湖畔風景。

Photo_11 湖に紅葉が写る。

Photo_12 湖面に水蒸気が立ちこめている。

Photo_13 九頭竜ダム。ロックフィル式のダムだ。

油坂峠から九頭竜①

油坂峠は郡上白鳥にある。この峠を越えて九頭竜ダムへ至る。九頭竜からは福井県。越前大野から福井に至る。今は、郡上白鳥からは東海北陸道から中部縦貫道路(建設中で、峠越えの部分だけが無料で通行できる)へ分岐して一気に九頭竜湖に降りることが出来るが、いったん白鳥で東海北陸道を降りて、旧道から油坂峠を越える道が絶景である。道が狭く、急カーブ、急傾斜だが大好きな道だ。この峠の、車がかろうじて停められる撮影スポットは2,3カ所しかない。そしてたいてい誰かが三脚を立てて写真を撮っている。知っているひとは知っているのだ。

Photo_2 油坂峠途中から中部縦貫道を見下ろす。写真ではわかりにくいが、中部縦貫の橋桁もかなりの高さがある。この場所はガードもない絶壁の上なので足がすくむが眺望はすばらしい。

Photo_3 つぎの撮影スポット。トンネル手前のわずかなスペースに車をおいて少し下る。

Photo_4 山の連なりが何とも言えずいい。朝なので雲海が見える。左手の太い枝はこの峠で一番好きな古いサクラの木の枝。この木も絵になる。

Photo_5 峠を越えて中部縦貫と合流、九頭竜湖へ流れ込む渓流を眺める。

Photo_6 峠を下る途中に見事な黄葉の樹を見た。青空に映えていた。うっかり電線を入れてしまった。未熟。

Photo_7 小さなお堂の前の紅葉が見事であった。輝いて浮き上がるように見える。

2011年11月17日 (木)

中国ウオッチ・航空市場の純益

国際航空運送協会の最新統計発表によれば、全世界の航空市場における2011年第3四半期の純利益総額は39億4700万ドルだった。注目すべき点は、中国の航空会社の純利益総額が約18億ドル、と世界の半分近いことである。
中国の主要航空会社は中国国際航空、中国南方航空、中国東方航空、海南航空の4社である。世界の航空会社が燃料価格の上昇や経済不振に足を引っ張られている中で、背景は同様ながら中国は特に乗客数の伸びが大きかったためと見られている。
一人で海外旅行へ行くといえばほとんど中国に行く私としては、それ以上に中国の運賃は高いという実感があり、当然利益率も良いのだろうと考えてしまう。
だが日本の航空会社よりは明らかに中国の航空会社の方が安いのは間違いないし、航空券も日本の旅行会社が手配するより中国の旅行会社が手配する方が格段に安い。
ここから考えるに、中国は確かに航空運賃が高めだが、それ以上に日本の航空会社が高いということ。これは生産性がそれだけ日本の方が低いのだろう。そしてそれに輪をかけて日本の旅行会社が利益を上乗せしているので、多分世界一高い旅行費用を日本人は払わされているのではないか。
もっと安く中国へ旅行できると助かるのに。
中国の観光地の、日本語の出来る現地ガイドは日本からの観光客が減って仕事がないとぼやくことが多い。中国は見所も多いし、何より所要時間が比較的に少ないという利点が大きいのだ。もっと中国へ行こう。

小池真理子著「彼方の悪魔」(中公文庫)

ペストという肉体をむしばむ悪魔と、精神を病む悪魔が野に放たれ、交錯するとき恐怖の物語が始まる。
精神を病む者は自らが狂気であるとは思っていない。罪もない者がその標的にされるとき、平和な家庭が崩壊の危機にさらされる。
相手にそばにいて不信を抱いているときより、相手が事件に巻き込まれて不在になったほうが相手への愛が強まる皮肉。人間の弱さだ。
ペストについてよく調べて、その症状と伝染の仕方を詳細に述べているが、後半、その症状が詳しく語られすぎてやや余分に長い。もっと切り詰めたほうが恐怖が先鋭になったような気がする。
これも少し前の本(初版は昭和62年)だが、読みそびれていたのを引っ張り出して読んだ。途中、リアルすぎて読むのが嫌になるほど良く書けていた。面白かった。

深見真著「ブラッドバス」(徳間書店)

blood-bath=革命・戦闘での大殺戮。自衛隊特殊部隊の冷徹な戦士と、彼のために行きがかり上やくざになった男の友情をベースに、中国雲南省の奥地に存在する無法地帯での生存をかけた彼等の戦いの物語。
いわゆるバイオレンスアクションで、スプラッターものが好きな人にはこたえられないだろう。これですかっとさわやか、というひともいるだろうが、わたしには少々きつすぎた。だんだん紙面が血だらけになっていく。
こんなところで戦うことになったことにはもちろん裏がある。途中でそれをにおわすところもあるので分かるひとも多いだろう。
作家・平山夢明氏、驚愕!と帯にある。彼が驚愕するくらいだからやはり凄かったがいささか疲れた。だが悪夢を見るようなものではないからご安心を。

蓮舫議員のおかげです

理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピューター「京」は世界のスーパーコンピューターの演算速度をランキングする第38回TOP500リストで前回につづき世界最速と認定された。
世界第2位の中国の天河1号の約4倍という圧倒的な性能だった。天河一号はすでに完成されたスーパーコンピューターなので前回と性能は変わっていないが、「京」は進化中で、前回は8162テラフロップス、今回は10510テラフロップスだった。
2009年の事業仕分けの際に「世界一になる理由は、何があるんでしょうか?」「二位じゃだめなんでしょうか?」と蓮舫議員に詰め寄られ、普段そのような議論になれていない開発関係者が苦境に立ったことがあったが、これがかえって発憤するバネになったという。
今回の成果は経済効果が4.3兆円ともいう。蓮舫議員もこれで世界一でなければならないことがわかり、納得したことだろう。

2011年11月16日 (水)

しまった

しまった、というほどのことでもない。本日母親のところから自宅に帰ってきたが、近くのスーパーが月に一度の定休日だった。正直なところいささか疲れたので今日は鍋でもつついてゆっくり一杯飲もうと、それだけを楽しみに車を長駆させてきたのに。

弟と暮らしている母のところまで往復約900キロ、それと今回は温泉に出かけたのでそれだけで750キロとあわせるとかなり走った。ガソリンも金も使った。

スイッチを切り替えるためにはいささかの癒しが必要と思ったのに、酒もたべるものもない。それでしまった、というわけだ。仕方がないちょっと遠いけれど買い出しに出かけるとしよう。

そしてしばらくは充電かたがたひっそりとそしてささやかに暮らそう。

自分に乾杯。

事故大国

中国メディアが中国の交通事故について現状と問題点を書いていた。

中国の自動車保有台数は世界全体の3%となったという。今や,年間2000万台を越える新車生産台数で、群を抜いて世界一だが、世界の20%弱という人口当たりではまだまだなのだ。だから年間5000万台の需要がある、という強気な見込みもある。だが昨年の2000万台の生産に対し、20%増産の予定だった今年はそれが達成できそうもないことが明らかとなっている。

だが交通事故死者は世界全体の16%とこれはすでに人口割合並になっている。車の台数当たりの事故死者が多いのだ。都市部における自動車1万台当たりの死亡事故発生率はアメリカの17.8倍だそうだ。

記事では、アメリカの教習所であたりまえに教えている「自動車の死角」など基本的なことが中国では全く教えられていないという。中国の教習所で教えられるのはひたすら「よく見て反応を早くする」ことだ。まことに中国や東南アジアのドライバーの反応の良さ、感と読みの鋭さにはいつも感心する。ただしあれでは反応が遅くなった老人は全く対応できない。若い、反射神経の鋭い人だけの世界だ。

記事では交通事故を減らすための当局の対策が不十分であると批判し、中国が世界最悪の危険地帯であることの責任を追及している。記事にあるとおり確かに当局は「中国のドライバーは資質が悪く、死んでもいい存在」と考えているのではないかと思われるふしはある。

人に譲る、という生き方は中国では一般的ではない。それでは生きていけなかったし今も生きていくのは困難だ。我先に、が中国の一般的生き方だ。この考え方で自動車を運転すれば事故は起こる。日本ではひとつの事故が起こる前にひやりとしたり、はっとすることが何回もあったはずといわれる。だが中国ではひやりやはっとしたときにはもう事故になっている。

中国政府は大都市への車の流入を制限し、個人の車の購入についてもかなり厳しい制限措置を取っている。これが今年の新車の販売台数頭打ちのもっとも大きな理由だ。代わりに地下鉄やバスなどのインフラ整備を全国一斉に行っている。すでに大都市はこれ以上の車を受け入れられない状況であることはラッシュ時の高速道路に乗ってみれば実感できる。

渋滞すれば大きな事故は起きない、というのは日本の話だ。車と車の距離が近くなれば「我先に」の精神により事故が急増するのが中国だ。それがわかっているから当局は車両密度を上げないことを最優先にせざるを得ないのだ。

人口が多いことが中国のパワーの源だが、それは同時に人口集中によるいろいろなトラブルも急激に増大させる。星は大きくなるほど自分の重力で内部が高温に発熱するのと同じ理屈だ。国が大きすぎるのだ。

2011年11月15日 (火)

中国ウオッチ・規則

重慶市政府は地下鉄やモノレールの乗車に関する新たな規則を発表した。
それによると上半身裸の人や酔漢は乗車を認めないという。
この規則が発表される前に地下鉄駅構内で、半裸で涼んでいる乗客を周囲の乗客が注意したところ、乱闘に発展したという事件があったのだそうだ。
そのほかのおもしろい規則には「駅構内で寝そべってはいけない」「運転室の外から窓ガラスを叩いてはいけない」「フラッシュを使って運転手を撮影してはならない」「風船を持ち込んではいけない」などというのがあった。
こういう規則が作られる、ということはこういう輩がいる、ということだ。ところで「風船」禁止というのは、中国の風船は水素ガスで膨らませているものが多く、よく爆発事故を起こすからである。
念のためだが上半身裸禁止といったからといって「下半身裸」や「全身裸」ももちろん禁止であろう。

中国ウオッチ・通行料

陝西省・西安市郊外の農村の公道で、道行く車両から農民が通行量を徴収しているという。この村の近くを高速道路が通っているが、この農村を迂回するとかなりの節約になるため、多くの車両がこの農村を通過する。
これに目をつけた農民たちは通行量として大型は10元(120円)小型は5元の「通行量」の徴収を始めたというのだ。
こんなことが通用するというのが中国の不思議なところだ。お金に辛い中国人ドライバーが素直に支払いに応じているのだろうか。払わなければ通さない、という言い分が通用するものなのだろうか。以前にも書いたが、中国には私的に高速道路を作って私的に高速料金を徴収することが当たり前に行われている。中国人にとっては、それはそういうものだという、日本人とは違う論理があるのかもしれない。

五十嵐貴久著「誘拐」(双葉社)

なぜ犯人が突然こんな犯行を思い立ったのか。しかもその誘拐には目的があった。誘拐という犯罪は、実は破綻しやすい。必ず被害者の家族に連絡を取らなければならないこと、そして身代金を受け取るためのコンタクトが必要なこと。だがこの犯人はそのリスクを最小限にする奇手をとる。最も誘拐の難しい総理大臣の孫をなぜあえて選んだのか。ここに秘密があった。
プロローグで耐えられないような悲劇が犯人を襲う。ここにこの事件の発端があるのだが、最後の最後にさらに大きな動機があったことが明らかになる。
鈍感な私だが、珍しくそれにうすうす気がついていた。だが分かっていてもその衝撃は損なわれない。本当におもしろい小説を読ませてもらって作者に感謝する。

2011年11月14日 (月)

江國滋著「遊び本位」(旺文社文庫)

江國滋は熱狂的な阪神ファンである。江夏とも交友があった。阪神の内紛についてこころから悲しむ。誰も悪い人はいないのになぜそうなのか。そうして巨人はなぜ内紛が表に出ないのか。新聞社がオーナーであることを理由に挙げている。(そうしたら巨人も清武問題から内紛が露呈した。ただこれはチームの問題ではないが)

江國滋は麻雀が大好きである。名人・阿佐田哲也直伝の腕前である。その交友録が語られる。

江國滋の旅と出会いが語られる。そして自分の青春時代、最も得意とする書評が語られる。内田百閒、山口瞳、江藤淳、等々。その辛口の面々の厳しさの内側にあるやさしさまで読み取る。この人は甘さが嫌いなのだ。男は仕事はもちろん遊びにも甘えがあってはならない。それがこの人の生き方なのだ。

江國滋・1997年、満64才を目前にして食道癌で死去。カードマジックはプロをうならせるほどの腕前。また俳句もする。

辞世「おい癌め、酌みかはさうぜ秋の酒」。

2011年11月12日 (土)

時代屋

打って変わって朝から快晴。榛名湖を見に行く。伊香保から峠を越える。峠の最高点は1170m。榛名湖は波静かに榛名富士の姿を湖面に映している。どうせ行かないだろうと思ったのに母は榛名富士のロープウエイに乗るという。ほぼ頂上付近の山頂駅から関東平野が一望に見える。少し雲が出てきた。母をそこに残して本当の山頂1391mまで階段を上る。雲さえなければ富士山も見えるはずだが残念。草津白根が雲間からちらりと見えた。

昼飯はあちこちで看板が目に入った「時代屋」というところの釜飯を食べようということになった。少し早いがどうせ釜飯だから待たされるだろう。ちょうどいい。駐車場が広い。その駐車場はまだ空きがだいぶあるので安心した。これなら待ってもしれている。直前に観光バスが入ったため、大勢のお客がいたが団体は別の場所だ。入り口に名前を記帳するところがある。4番目だ。

11時半に記帳した。12時に一組だけ呼ばれて中に入った。次から次に客が来て記帳の名簿がいっぱいになっている。次の用紙がないらしく、仕方がないから余白に書いている。客は次々に食べ終わって出て行くのになかなか呼ばれない。入り口は人であふれかえっている。だんだんざわめいてきた。すると元気なお姉さんが「隣に土産物の売店があるのでそちらを見ていてください」と叫んだ。みんなとっくに待ちくたびれてそちらを覗いて、見飽きたうえで、それでも呼ばれなくてまだか、まだかといっていた矢先なのでちょっと険悪な雰囲気になる。ようやくまとめて何組か呼ばれた。やっと席に着けた。

席について見回すと三分の一は空席である。なんなんだこれは。ようやく注文してしばらく待つと、釜飯が出てきた。「下の火が消えたら三つ葉を入れて、すぐまたふたをして3分待ってください。そうしたら食べ頃です」。その下の火がいつまでたっても消えない。母は待ちきれずにふたを開けてのぞき込んでいる。気持ちは分かる。

結局釜飯を食べ始めたのは1時少し前だった。

予定の詰まっている人は「時代屋の釜飯」はやめておいた方がいいと。かなりいらいらする。私の後の人はどうしたのだろう。食べ終わった後も入り口は人でごった返していた。レジも行列。

味はちょっと塩気が強い。そば茶の入った魔法瓶がテーブルにあるので何倍も飲むことができる。そば茶健康法があるなら最適だ。

「時代屋」の釜飯を堪能して四万温泉に戻った。ああ疲れた。

中国ウオッチ・孝行心

老人が倒れている。そのそばを平然と人々が行き交っている。
女の子がトラックにはねられた。まだ生きているらしい。そのそばを人が通り過ぎていく。街角のモニターに録画された映像では合計12人がそのまま通り過ぎていたのが映されていたそうだ。その後病院に担ぎ込まれたが手遅れで、意識不明のまま3日後にその女の子は息を引き取った。
中国ではこのような光景が日常茶飯事だという。 関わると責任が生ずることが多いので見て見ぬふりをするのが無難ということらしい。
中国倫理学会はこのような風潮を憂慮したのか「孝行心に富む子供、100万人育成プロジェクト」をスタートさせたという。大人を再教育することは最初からあきらめたのだろう。まず子供から、そして孝行というアジアの倫理の基本から始めようということらしい。5年間で100万人の教育が目標だという。
これに対して孝行心の基準が曖昧であり、孝行心は社会全体の意識の中で自然に培われるものだからこのようなプロジェクトで目標を設定すること自体、社会の効率主義や成績主義につながるものであるとの批判が出ている。
倫理は文化の基本である。人間としての美意識を損得よりも上位に置く、という獲得することが困難な価値観を人間は長年にわたって涵養してきた。それが文化というものであり、文明と明らかに違うものである。西洋がなぜ東洋にあこがれるのか。文明は確かに西洋が優れていたのかもしれないが、文化は東洋に見るべきものがあるのではないか、と感じたからだろう。
その東洋の、今は代表となった中国は、文化大革命という暴挙の元に中国4千年の文化を破壊し尽くした。そしてその破壊から立ち直る過程で拝金主義が人々の価値観の基準になった。再び文化を取り戻すには4千年とはいわず、かなり長期間が必要であろう。これではいけない、と気がついているうちにどんな試みでも試したらよかろうと思う。では文化大革命を礼賛してその思想に共鳴していた、当時の日教組の先生方に教育された多くの子供たちがいる日本は?
(本家の中国は文化大革命について問題点を反省し始めている。しかし尻馬に乗っていた社会党も日教組も大新聞社も毛筋ほどの反省の文言はない。いつものようにひとごとである。これでよく戦争責任の追及ができるものだ)。

2011年11月11日 (金)

中国ウオッチ・工場引き上げ

台湾のニュースによれば、アメリカ企業が中国から工場を引き上げ始めているという。
中国では毎年20%以上のペースで人件費が急騰しており、輸送費を合わせるとコストメリットが薄れていることが大きな理由だという。現在中国からアメリカ本土まで平均で輸送に21日かかっているがそれも大幅に短縮される。
さらに知的財産権の侵害の危険性が大きいことも大きな理由だという。
どれも日本企業も同感の状況である。だからタイなど東南アジアへの移転を進めている企業も多いが、今回のタイの洪水でそれが裏目に出ている。だがそれは一時的なことであり、その大勢は変わらないのではないか。
アメリカは大統領選挙に向けて雇用創出に努力しなければならない状況であり、企業のリターンは大いに歓迎するところである。補助金でも出せばさらに加速するだろう。ドル安であることはこれだけアメリカにとってメリットなのだろう。ひるがえって我が日本の企業は、日本の政府の能力不足で四面楚歌だ。

小脳

医師は両手を顔の前に出してひらひらさせた。

「こうやってみてください。」といわれて母は同じような仕草をした。最初はゆっくり、次第に早くそれをやるようにいわれる。最初はいいが、せかされると旨くできない。つぎに医師は顔の前に人差し指を出して「自分の人差し指でこの指先に触ってください」という。E.T.みたいな仕草だ。「そして次に自分の鼻を指で触ってください」。「私の指と自分の鼻を交互に触ってください」。早くなるとこれがなかなかできない。

たぶん2年前の母なら「馬鹿にするな」と怒り出すところだ。起こらないところが悲しい。

「小脳が少し萎縮していますが年齢相応の範囲です。食事の際に食べ物をこぼしたり、ものを飲み込むのが旨くできなかったりしますか?」「少しこぼしますが、食事に不都合はなく、どちらかといえば食欲旺盛です」と答える。

「今のところ特に問題があるとはいえませんね」との医師の結論であった。

年をとると脳が萎縮するのだ。特に小脳が萎縮すると歩行に支障が出てくる。そして摂食障害が出るのだそうだ。

今群馬県の四万温泉の7部屋しかない小さな宿に母と二人で投宿している。部屋の前が渓流で終日瀬音が聞こえる。

昨日と今日はほかに客がないので借り切り。なんとここはイーモバイルのモバイルルーターがつながる。本を読んだり温泉に入ったり、ネットをしたり温泉に入ったり、ビデオを見たり温泉に入ったりしている。本日は終日雨。

中国ウオッチ・贋作書画

中国では生活が豊かになり、いわゆる成金が大量に出現したのに併せて名作書画が飛ぶように売れている。その名作書画は鑑定書付きで、数万元から数十万元のものが多い。それを中国のマスコミが追跡して報道した。
専門家によれば、もし本物ならそれらはかなり値打ちのものだ、というものがぞろぞろ出てきたのだ。それを再鑑定してもらったところ、9割が偽物であることが明らかになったという。多くは高名な鑑定家の鑑定書がつけられているが、その鑑定書そのものが偽物だということも分かった。鑑定したことになっている鑑定家も全く身に覚えがないという。
販売した老舗画廊もどうやら承知で販売していたことが明らかになっており、元々数百元のものが10倍から100倍に跳ね上がっており、しかも高い値をつけるほどよく売れるという。
贋作は元の名作を写真撮影した上で模写したものでずさんなものらしい。
北京の高級骨董品街・瑠璃廠では毎日1万点あまりの名作が売れているそうだ。

中国ウオッチ・領海侵犯漁船船長逮捕について

6日に長崎県五島列島沖の日本の領海を不法に航行していた漁船を拿捕し船長を現行犯逮捕した件について、中国のブログでの反応はいつものように日本を一方的に非難するものが見られる。例によって尖閣問題と絡めて日本が不当なのだから中国が不当なことをしても当然だ、勇気ある行動だ、という暴論が多い。

しかし中には冷静に「中国側に違法行為があったのが事実なら、日本側を非難することはできない。中国政府も日本を非難できないだろう」というものも見られる。現にこの件で中国政府が日本に対して何らかの抗議を申し込んだという話は聞かない。

もちろん尖閣での領海侵犯については、両国に見解の相違があるので互いを正しいとする意見が生ずるだろうが、今回は明快に領海侵犯が明らかにされており、しかも逮捕の経緯が時々刻々報道されているから中国側につけいる隙がなかった。尖閣についても最初から逮捕に至る経緯、例のビデオが公開されていたらかなり中国側のトーンが違っただろうことはこのことからも分かる。

なぜあのときに海上保安庁が撮ったビデオを公開しなかったのか。あのビデオを公開させなかった人間は、両国の関係に配慮したつもりだろうが、かえって両国の関係を大きく損なった。中国もあのビデオが公開されて大恥をかかされたと思っているだろう。それが証拠に勝利のVサインで凱旋した船長の消息はその後不明だと聞く。これは憶測だが、真相をしゃべらせないために公安に監禁されているのだと思う。

両国の外交を損ない互いのメンツをつぶさせた張本人は責任をとるべきではないのか。

中国ウオッチ・国連分担金

北京のメディアが国連分担金について「国連加盟国193カ国のうち2011年度の国連分担金の支払いが完了している国は134カ国にとどまっている。滞納している国には常任理事国であり、分担金最大負担国であるアメリカが含まれている」と報じた。併せて「中国の分担率は2000年からどんどん上昇しており、10年間で2倍以上に増えている」という。

アメリカは2011年度だけでなく、実は2010年度も完納していない。国連での負担率は確かに22%と群を抜いて大きいが、発言権はそれ以上である。次いで日本が12%、ドイツ8%、英国8.6%、フランス6.1%、イタリア5%、カナダ3.2%、中国3.2%と続く。

中国は今、国連で日本の数倍もの発言権を持ち、経済も日本を抜いてしまった。アメリカの滞納を問題視し、中国の負担金が2倍以上になったというが、負担金が少なすぎるのではないかと思うがいかがか。アメリカの向こうを張るならせめて15%くらい負担してから偉そうなことをいってくれ。

2011年11月10日 (木)

性別格差ランキング

世界経済フォーラムは135カ国を対象に政治、経済、健康、教育の4分野での性別格差を評価した国別ランキングを発表した。日本は前回より順位を4位下げてなんと98位だったという。上位は北欧諸国のアイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、アイルランドが独占した。北欧は女性の識字率がほぼ100%(日本だってそうだ)で、産休や出産手当金の制度も整備されているからだという。

北欧が上位にいることはよしとしよう。確かに高福祉は同時に女性に優しい社会になるのかもしれない。だがアメリカが17位、中国が61位というのを知るとこのランキングがかなり疑わしくなってくる。アメリカが女性に対する格差が少ないなどというのはどうも解せないのだ。アメリカは日本より遙かに女性に対する差別が大きいのではないか。だからこそレディファーストを形の上で見せているのではないのか。本当に差別がないならレディファーストは不要である。アメリカ映画を、特にハリウッド映画を女性差別の観点から注意してみてみたらすぐ分かる。女性は男性と断じて対等ではない。しばしばものでしかない。そしてものだと思っていたらしゃべるし、主張することにびっくりし、そして愛する、というパターンがしばしば見られる。男にとっては女性は人間として発見するまで人間ではない。女性が一個の人間としては普段見られていない国なのだということはそのつもりで見ていれば分かるのに。

中国が日本より上位であるのは分かる。中国の女性は強い。男性より強い。だから男女平等をゼロとしたとき女性が差別されているのがマイナスなら、中国はプラスだ。プラスも差別だという観点から見れば中国が61位というのは納得できる。

あっ、そうか、中国以上に日本は女性が強いということなのか。・・・イヤイヤ寿命が長いことを除いて強いとはとても思えない。それが証拠にこのようなランキングが発表されたところで女性たちが大挙して男性に不満をぶつけるなどということがないことからも分かる。こんなランキングが間違っていることを女性自身がよく分かっているのだろう。西洋人には分からないのだよ。東洋の女性の強さは。

江國滋著(男女驚学」(旺文社文庫)

旺文社文庫は内田百閒の随筆集50冊あまりなどをすべて出版するなど、ほかの文庫にないいい本を出していたが昭和の終わりに休刊になってしまい、ほとんどが絶版になっている。誠に残念である。江國滋の本も持っている限りでは6冊ほどあるが、それがほかの出版社から出ているかどうか知らない。

内田百閒、山本夏彦、高橋義孝、そしてこの江國滋はエッセイストとしては辛口のタイプで、皮肉の効いたユーモアで読ませるので大好きである。この人たちの本をおもしろいと思って読んでいる人なら皆お友達になれると思う。

この本は1982年が初版。副題が「娘たちに送る覚え書き」である。女性と男性の違いをいろいろなキーワードから明らかにしていく。エッセイは(エッセイに限らないが)具体的な事実を積み重ねていくうちに読者が気がつかなかった真理を巧みに明らかにするものが優れている。いいたい気持ちを観念的に、抽象的に書き綴ったものは独りよがりで、書いた本人しか満足できないものになってしまう。一見何も関係がないようなものに関連づけを与えてなるほど、と膝を打たせる名人芸に出会うと楽しいものだ。

直木賞作家・江國香織はこの江國滋の娘。だからこの辛口のエッセイは彼女のために書かれたものでもある。この父の気持ちはそのまま私の気持ちでもあり、この本をタイミングよく娘に読ませることができなかったことを残念に思う。まあ今からでも遅くないけれど。何遍も読める良書。

高嶋哲夫著「冥府の虜 プルトーン」(祥伝社)

老母を説得してようやく温泉に行くことになった。決まったらうれしそうな顔をしている。すねていたのだろうか、よく分からない。今日群馬県のその温泉に出かける。小さな温泉なのでインターネットはつながらないかもしれない。

さて、本題だが、この本の帯に「友よ、娘よ、愛する女よ・・・慟哭の核サスペンス」とある。高速増殖炉の臨界稼働を巡って、科学者とプルトニウムの争奪のための国際的謀略が進行する。北朝鮮からのスパイを中心としたテロリストたちと、ロシアの科学者集団の陰に隠れたスパイが暗闘する。主人公は高速増殖炉の事実上の設計責任者である。主人公の愛する人たちが奇禍にさらされたとき、主人公も傍観者ではいられなくなる。主人公自らが選んだ道とは何か。

400ページを超える大部の本だが、冗漫なところがなく、冒頭から緊張感があり、読者を引きつける謎が与えられているのでどんどん読み進める。チェルノブイリの記憶が重低音で背景に響いている。この本は平成12年に出版された本である。だから今回の東日本大震災を継起とした福島原発事故は想定されておらず、原発に対する世論も違う。しかしその問題点や危険性について賛否両論を含めて詳しく書き込まれている。今だから書かれた当時より実感をもって感じられるものがある。

買ったのに読みそびれていた本が数十冊あって、気が向いたものを抜き出して読んでいる。この本はかなりエキサイトして読むことができた。あたりだった。

2011年11月 9日 (水)

老化

母の内科的診断は問題なしだった。脳神経外科への紹介状をもらってMRI検査を受けにに行ってきた。器質的問題はないとの診断だった。脳の老化はあるが、年齢相応のものだとのこと。なぜ言葉が旨く話せないのか分からない。次は心療内科に行くしかないようだ。

精神的なものもあると思うので温泉へ行くことにしたのに、急に疲れたから行きたくない、といいだした。シーズンだから予約が取りにくい。今決めないと明日から出かけられない。仕方がない、その気になるのを待つとするか。

2011年11月 7日 (月)

中国ウオッチ・山場のCM

日本ではあたりまえの、TV番組の山場で入るCMが中国でも取り入れられているが、大ブーイングを浴びているという。
昔、日本でもCMは番組の最初と最後に限られていた。番組中にテロップが入り出してうっとうしいな、と思っていたらあたりまえのように番組の途中に入るようになり、ついには番組とCMの比率が今に反転するのではないかと思うばかりになった。しかも山場では必ずCMが入り、ご丁寧にもCMが入る前の数十秒を再度放送してくれる。
視聴者はCMの数分の間にその前のことを忘却してしまう、とTV局は思っているのだろう。馬鹿にした話だ。視聴者はにわとり頭じゃないぞ。
中国では山場CMに対して視聴者からのクレームがかなり多く、TV局も対策をしないといけないところへ追い込まれているという。
中国でTVを見ていると普通は番組の前後にまとめてCMが入る。それもまとめてつぎからつぎに入るのでいつになったら番組が始まるのか、とおもうほどだ。その代わり番組中に入ることは少なかった。
CMの過剰は限界に来ている。わたしには限界だがまだ耐えている人が多いからこれからもエスカレートしていくだろう。しかしたいていのひとが不快を感じていると思う。
理由は多分コマーシャル料が下がっているからではないか。企業も以前ほどコマーシャル経費をかけられない。だから何社ものコマーシャルを取って番組を作る。当然コマーシャルがふえる理屈だ。
結局ただほど高いものはない、ということだ。ただで放送するためにコマーシャルを取り、番組を作り、放送局を運営し、テレビ局の役員からスタッフからアナウンサーまでの高給を支払っている。それはCMだらけになるはずだ。そうして番組の中身なんかすかすかになるばかりだ。
地デジの民放もCMなしで有料で番組を作ることをそろそろ考えたらどうだろう。有料だからつまらない番組を作ったらたちまち客が離れる。鍛えられて良いものが出来るようになるのではないか。各家庭も大型のTVを持っているから良い番組を作ればかなり楽しめるはずなんだが。
そろそろ日本も山場CMにクレームをつけても良いんではないか。
今のところ期待薄だからとりあえずWOWWOWでも見るか。

正常

血糖値、尿酸値とも正常であった。ただいつも以上に診察の待ち時間が長くいらいらした。「血圧だけが高いです」といわれたので「気が短いので無駄な時間が耐えられないから」と答えた。医師(せんせい)に「すみません」と謝らせてしまった(済みません、それなりの事情があるのでしょうが、時間つぶしに持っていった本も読み尽くしてしまって本当に腹が立っていたのです。当方の人生、そんなに残り時間がないのですよ)。

10月はあれだけ連日おいしいものをたらふく食べて、お酒もかなり飲んだのに悪くならなかったとは・・・。多分薬が良く効いているのか!はははは

栄養士の先生には「体重が減っていない」(ふえていないだけ良いじゃないか!)、「体脂肪率が上がっている!」と厳しく言われた。機嫌が悪いのか、医師から何か申し送りがあったのか(そんなはずないか)、いつも以上に言葉がきつい。「お酒は極力控えなさい」と無理なことを言われて終わり。

会計を済ませて、薬局で薬をもらって帰ったら昼をとっくに過ぎている。朝飯抜きで朝一番から待っていてこれだから本当に医者へ行くのは大仕事だ。腹減った。

2011年11月 6日 (日)

心配

離れて暮らしている母親が言語障害になっている。調べたが原因がよくわからない。前回会ったとき、少しマシになったように感じたので遊び歩いていたが、久しぶりに連絡した弟の話では程度がひどくなっているという。病院にも連れて行って詳しい検査結果待ちだという。幸いまだおかしな勘違いなどはないようだが心配である。自分の定期検診を終え次第、早速行くことにした。

そういえば杖を買ってやる約束をしていた。明日病院の診察の後に探しに行ってみよう。

都教組

韓国のメディアが「日本政府は都教組に学べ」と報じた。
都教組・東京都教職員組合が教員向けに発行した「中学校新教科書検討資料」において「竹島は日本領であるという歴史的根拠がない」との見解を発表しているからだ。
韓国メディアはそれを大々的に取り上げて「良心的な教師たちは、中学校の教科書で竹島が日本の領土と表記して教えるべきだとの日本政府の方針に反旗を翻した」「日本政府、閣僚は都教組に学べ」と述べている。
この件で問われた玄葉外務大臣は「都教組の意見は我が国の立場と相容れない」と述べるにとどめた。
現在までに読んだ竹島に関して書かれたものから考えて、わたしには日本の立場のほうが正当で、韓国側に無理があると思っているが、物事の判断には絶対的な正解がないもののほうが多い。立場が変われば基準も変わるからだ。ただ判断の前に答えを決めてかかれば絶対的正解が生ずる。
都教組が、ある信念のもとに主張をすることは仕方がない。しかし教師として、これから物事を判断するための方法を学ぼうとする生徒に対して、判断の前に答えを用意して理屈をつけるような方法を正当化するような教育をするつもりであれば、これは非難されるべきである。

水上タクシー代

静かな洪水がタイ・バンコクの繁華街の中心部まで後数キロに押し寄せつつあるが、その深刻さを表す話。
すでに住宅周辺が身長に近い水に覆われた多くの地区では、歩いて生活必需品の買い出しなどが出来ない状況が続いている。そこには手こぎボートなどを買ったり借りたりしたにわか水上タクシーが群がっている。相場は一回100バーツ(約25円)。これでも貧しい人達にとっては大きな負担であるが、ボートなしでは生活できないのでみなあきらめている。この水上タクシー代が徐々に値上がりを始めており、600バーツなどと言うのも現れた。貧しい人の日給の倍くらいだ。
洪水は今がもっとも深刻だが、早晩引いていくことは間違いない。ボートを手に入れるための投資以上に稼ぐために、にわか水上タクシーも必死なのだろう。

2011年11月 5日 (土)

大沢在昌著「やぶへび」(講談社)

ドン姫がブログを見た。不快か?と聞いたら「ホントのことだから」と答えた。大人になったもんだ。仕事は暇だという。世の中確かに不景気なのだ。

さてこの本だが、金も腕力もない40歳の元刑事が、金に困って偽装結婚した。その相手が記憶喪失になって成り行きで転がり込んでくる。
悪い予感が当たり、つぎからつぎに難局が押し寄せる。この男、力はないが妙にストイックなところがあり、普通なら逃げ出すか放り出すところを逆に頭から突っ込んでしまう。そうして事件の全体像がおぼろげに見えてきたとき、全てを打開する方法に思い至る。もちろんそれで物事が治まるはずもなく、意想外の真相にさらに窮地に陥るが・・・。
軽快なテンポで物語が進んでいく。これぞエンターテインメントだ。

2011年11月 4日 (金)

ドン姫来る

今晩娘のドン姫が来る。近くに住んでいるので旅行中に家の様子を見に寄るように頼むと、郵便物などが取りこんである。土産を置いておくとなくなっていて「受け取った」とメールが来る。生きているらしいが夏以来顔を見ていない。
その娘に「鍋でも食べに来ないか」とメールを入れておいた。
午前中はぼんやりしていたので、昼飯を食べたら部屋をざっと片付けて鍋の準備の買い出しをしなければならない。
自己流に生きているドン姫なので世界観がかなり違う。親と違って口数も少ない。だから会話も弾まないが会えると思うとうれしい。
旅行つづきで酒も飲み過ぎた。帰ってきてから控えていたが、今日は酒の力を借りてなるべく会話を試みよう。それが嫌がられることはわかっているけれど・・・。

宮本輝著「三十光年の星たち 上・下」(毎日新聞社)

昨日読み始めて今朝読了した。感動した。
宮本輝は「泥の川」での出会い以来ほとんどの著作を読んだ。ただ「流転の海」のシリーズだけは何となく肌合いが合わず読んでいないが、いつか読むだろう。つぎに「骸骨ビルの庭」を読む予定である。
この本の主人公・仁志は小心な教員の次男坊に産まれ、できの良い兄と弟に挟まれて育った。中学生の時に母を癌で失い、再婚した父に反発して父と諍い、ついに勘当される。家を出ていろいろな職に就きながら日の目を見ず、ある女性と始めた革製品の製造販売の店も頓挫して女性に逃げられ、借金だけが残される。その借金の一部を父に頭を下げて助けてもらい、残りを近所の金貸しの老人に借りて急場をしのぐ。
その金貸しの老人への返済も滞り、進退きわまってその老人に今できることを全てさらけ出して猶予を乞う。
物語はそこから始まる。
30歳の彼に対し、老人は返済の代わりに借金の取り立ての同行の運転手をするよう求める。老人には計画があった。
いろいろな人との出会いがあり、その人生が明らかにされる。主人公にも回り道をした生き方をした分、いろいろな人脈の財産があったことが自覚されていく。
これは大人向けのお伽噺と言って良い。現実の世界はもっと嫌なものだ。だがこの物語の中で語られている人生の生き方こそが実は「生きる」ことなのだ。このような真っ当な生き方をせせら笑うような生き方は本物の生き方ではない。そのことが淡々と語られる中に胸の奥のほうから熱いものが湧いてくる。ひとは一生懸命生きることで真実の人生を生きる。
この本はそのあたりまえのことが激しい喜びとともに実感できる本だ。

2011年11月 3日 (木)

映画「ゲーム・オブ・デス」をWOWWOWで鑑賞

2010年・アメリカ映画。監督・ジョルジオ・セラフィーニ、主演・ウェズリー・スナイプス。ウェズリー・スナイプスは脱税容疑で告発され、控訴していたが敗訴。2010年から実刑判決により収監中。この映画は収監直前に特別に許可されて撮影されたもので、スナイプスのまなざしにこころなしか憂いの色があり、それがこの映画に深みを与えてもいる。

主人公はダーティな部分を受け持つCIAのエージェントで、命令により、武器の密売で暗躍する首魁の用心棒として組織に潜入中である。ところがその取引に巨額の金が動くことを知ったCIAの仲間がそれを奪うためにその首魁の身柄を奪いに来る。主人公は誰のために何を守るのかわからない状況に追い込まれる。警察もCIAの情報から事件の全てが彼の仕業であると決めつけて彼を追う。絶体絶命に追い込まれた彼が取った行動とは・・・。

クリアだが色彩を故意に抑えた映像のトーンと音楽が絶妙にマッチしている。特にタイトルバックに流れる映像と音楽がすばらしい。この街のシーンを見ているだけでこの映画の世界に吸い込まれてしまう。

ウェズリー・スナイプスのアクションシーンの切れはいつもと変わらずすばらしいので、楽しめる。早く刑期を終えて面白い映画をまた撮ってほしい。

映画「バレッツ」をWOWWOWで鑑賞

2010年・フランス映画。監督・リシャール・バリ、主演・ジャン・レノ。

フランスマフィアの首魁だった主人公は、今は引退して家族と静かに暮らしていた。自分の遅くできた息子(小学校の一年生くらいか)をつれてふるさとに住む自分の母親に会いにいく。別れ際に、品の良い母親とかわいい孫が見つめ合う冒頭のシーンがすばらしく美しい。これだけでこの映画が一級品であることが感じられる。

町に帰り、息子を公園前の市場に降ろして車を駐車場に入れたところで覆面の連中に襲われる。なんと後で合計22発の弾丸を受けたことがわかる、凄まじい銃撃を浴びるのだ。

子どもは市場で遊んでいてふと我に返る。父親はいつになったら迎えに来るのか。その立ち尽くす不安の表情が見る者を映画の世界に引き込む。

奇跡的に生き延びた主人公は警察によって病院に軟禁された状態でありながらも身内を頼りに犯人を追う。犯人の手がかりが掴めたとき、当然のようにその包囲網から脱出する。犯人は意外な人物らしいことがわかる。主人公の友達で、ともに相手のためなら死ねる、と思っていたほどの男だった。主人公は復讐を断念するのだが、相手はそんなことは斟酌しない。弟とも思っていた身内が殺され、家族に火の粉が及ぶことが明らかになったとき、主人公の怒りに火がついた。

ラスト近くで最愛の息子が誘拐される。それを救いに行くときの主人公は理性を越えて阿修羅のようになっている。車のトランクに閉じ込められていた息子は、父親によってトランクから抱え上げられても血まみれの父親が一瞬誰だかわからない。何度も呼びかけられて初めて父親であることがわかり、しがみつく。ここもこの映画のリアルさのポイントだ。

最後がどういう終わりかたかはもちろん言わない。でもフランス映画は相変わらず良い作品を作っていることがうれしかった。

中国ウオッチ・韓流熱冷める

日本と同じように、中国でも「韓流」ブームだった。ところが韓国メディアも認めざるを得ないほど韓国の芸能エンターテインメントが中国で受けなくなっている。中には「冷遇されている」と論評しているところもあるそうだ。

実際、韓国の芸能人の活動の機会が大幅に減ってきている、と芸能人自身が語っている。

韓国ではこの理由について、中国で活躍していたある韓国芸能人が韓国に帰国後、報道記者を前に「中国を征服した」と発言したことが中国人の反感を呼んだのではないか、としている。

人気が過熱するとついのぼせて回りを見下すということはある。態度ではそれほどでなくても傲慢な気持ちがあるとわかるものだ。気がつくと回りが引き出す。本人は回りに合わせただけなのに。

韓国人は、と一般化して申し訳ないが、のぼせやすい国民であることを今まで再三見てきた。当然その国民に迎合する言動を芸能人が率先して行うことはあるだろう。その気配が中国人には見えてきたのだろう。韓国人の、日本や中国に対する劣等感の裏返しとしての優越感は時に鼻持ちならない。ただ実際に接する個人としてはみな冷静で優れた人が多い。マスコミは、韓国人とはこういう言動をする、と考えられているとおりの人を探してきて報道する。そんな人ばかりがテレビに出てくれば「韓国人は・・・」となってしまう。

中国人はプライドが高いからいったん反感を持つとなかなか許さない。翻って日本人は?テレビでは芸能人どおしが互いを馬鹿にし合い、笑い合っている。そうしてそのまま視聴者も馬鹿にする。そうするとどっと受ける。自分の馬鹿をさらけ出すほど人気が出る。老若男女が馬鹿な行動をしたり、馬鹿なことを言ってしたり顔でいる。だから「韓流ブーム」は全く衰えることはないだろう。

2011年11月 2日 (水)

船旅の楽しさ

Photo 船旅の楽しさは甲板が一番。潮風と陽光は100%天然である。

Photo_2 船旅の楽しさは食事。海を見ながらちょっと贅沢な料理を楽しむ。今は準備中。

Photo_3 船窓に向かって波をあかず眺める。ビールとちょっとしたつまみかなんかあるともっと最高。

Photo_4 船客を飽きさせないためにちょっとした催しものがあったりする。絶対参加すべし。このときはビンゴゲームがあり、ソフトクリーム券をゲット。うれしい。

Photo_5 陽が落ちると長い夜がやってくる。風呂に入って一杯飲んでおいしい料理を楽しむ。そう、ちゃんとお風呂があるんですよ。船旅万歳。波が高いときは船酔いの薬も売ってくれます。

映画「龍が如く」

WOWWOWで劇場版を放映していた。監督・三池崇史、主演・北村一輝。話が複層的で、それがうまく統一されていないからバラバラにストーリーが進んでいく。話は最後までまとまることがなしに終わる(わたしの理解力のなさによるものなのだろうか)。原作、というか、もとのゲームの展開がわかっている人には面白いのだろうか。北村一輝の予想外に見事な肉体が結構リアルなのに、岸谷五朗の過剰な、あまりに過剰な演技が実写映画を劇画以下にしている(これは実写と劇画とを上下関係で見ている言い方みたいだが、そうではないので誤解のないようにお願いしたい)。この演出は三池崇史のものなのだろう。そういえばこの監督の作品を見てあまり面白いと思ったことがない。
若い人がポップコーンでも頬張りながら笑って見る映画みたいだ。
純粋に楽しめればいいのだが、心がちっとも動かない馬鹿笑いでは正直時間の無駄としか感じられない。ハズレ

飯沢耕太郎著「写真美術館へようこそ」(講談社現代新書)

少し古い本(1996.2初版)。デジタル写真がフイルム写真に取って代わる少し前のものだが、写真の歴史とそのジャンルを整理して解説している。デジタル写真撮影機(古い言い方!)が進歩して、誰が撮っても失敗しないできれいな写真が撮れる時代になった。
写真は誰が撮っても一緒、になったのだろうか。
写真も表現のひとつだと考える者としてそこのところをもう一度見直そうと思い、再読した。
例としてあげられている写真のすばらしさにあらためて感激する。
若いときから多分人よりは少したくさん写真を撮り続け、どうしても自分が写したいと思った写真が撮れずに腹を立て、そしてまたたくさん写真を撮り、ようやくたまに思っていたのに近いものが撮れるようになってきたところだ。それでもこの本にあげられているような写真は撮ることが出来ない。レベルが違うのだ。表現したいという強烈な欲求と、研ぎ澄まされた感性と、手を抜かないテクニックがそろわないと人に何かを伝えるもの=作品は作れないのだ。何でもそうだが、写真も奥が深い。いいカメラをほしがるより、とにかくシャッターを押してみよう。
そして写った写真と、写したかった写真の違いについてときには考えてみよう。

2011年11月 1日 (火)

御嶽山の山道

Photo

10月はじめに木曽周辺を歩いた。そのときに御嶽山のロープウエイに乗って、その終点から7合目まで登った。登ったと言ってもほんの少しだけだが、折しも小雨にぬれて緑が鮮やかで、うっすらと靄がかかっていた。常緑樹の間から覗く紅葉が輝くように美しかった。今、わたしのデスクトップの背景はこの写真である。

竹内まりあ「駅」 作詞・作曲 竹内まりあ

 見覚えのある   レインコート
 黄昏の駅で    胸が震えた
 はやい足取り   まぎれもなく
 昔愛してた    あの人なのね
 懐かしさの一歩手前で
 こみあげる    苦い思い出
 言葉がとても見つからないわ
 あなたがいなくても こうして
 元気で暮らしていることを
 さり気なく    告げたかったのに

 二年の時が     変えたものは
 彼のまなざしと  私のこの髪
 それぞれに待つ  人のもとへ
 戻っていくのね  気づきもせずに
 ひとつ隣の車両に乗り
 うつむく横顔   見ていたら
 思わず涙     あふれてきそう
 今になって    あなたの気持ち
 初めてわかるの  痛いほど
 私だけ愛していたことも

 ラッシュの    人並みにのまれて
 消えてゆく    後ろ姿が
 やけに哀しく   心に残る
 改札口を出る頃には
 雨もやみかけた  この街に
 ありふれた夜がやって来る

「わたし」と彼とは多分不倫関係だったのだろうと想像される(今になってあなたの気持ち、初めてわかるの痛いほど、わたしだけ愛してたことも)。二年前、何らかの修羅場があって別れたらしい(懐かしさの一歩手前でこみ上げる苦い思い出)。彼は妻帯者で、同じ職場であった可能性が高い。そして「わたし」はその会社を辞めた。この二年間の間、全く連絡を取ることもなく、もちろん会うこともなかった二人がすれ違う。わたしは気がついたが、彼は気がついていないようだ。
という状況を想定したうえで、「わたし」の気持ちを考えてみる。
久しぶりに彼を見たことで「胸が震える」。「昔愛していた彼」なのだから当然の思いだ。そうして別れたときのことを思い出し、もし相手が気がついたら何を言えばいいのか考える。しかし相手はこちらに気がつく様子がない。そのことにほっとすると同時に、自分は大丈夫だ、と告げたい思いもする。ここで「わたし」と彼との優位関係が逆転する。
「わたし」は彼への思いを残しながらも客観的に「見る」ことが出来るようになっている。「二年の時が」変えたものは彼のまなざしとわたしのこの髪、だけではない。彼のまなざしの力が衰えていることに気がつくことが出来るようになったのだ(ところで「わたし」の髪は長くなったのだろうか、短くなったのだろうか。これは女性に聞いてみたいところだ)。彼のうつむく横顔を見ていると思わず涙がこぼれてきそうになったということが、「わたし」の優位性を明確にする。
彼の姿はラッシュの人波にのまれて消えてゆく。その後ろ姿は哀しく心に残る。「わたし」と彼との本当の訣別への哀しみであり、ある時期盲目であった人生の華の時代を、過ぎたものとして静かに受け止める大人の女としての諦観でもある。
そうしてこの街にありふれた夜がやってくる。
ところで彼は本当に気がつかなかったのだろうか。でもそれはどちらでもかまわないのだろう。「わたし」にとってひとつの区切り、成熟した新しい段階に至ったことの確認がテーマで、すれ違いがテーマではないのだから。
ところで男であるわたしがなぜこんなにこの歌にこころ惹かれるのだろう。この歌の「彼」に仮託するようなものは残念ながら何もない。
ただこの「彼」の人生の輝きの思い出と黄昏の哀れさが、人ごとと思えない。そしてそのことに何も気がついていない男の哀れさに激しい共感を感じてしまうのだ。
本当に女性はすばらしい。
この歌をあるとき美しい人にリクエストした。受けてくれるとは思わなかったのに歌ってくれた。「この歌が好きです」と彼女は言った。
ささやかな、うれしい私の思い出である。

歌詞

歌を聞く。何度も聞く。好きな歌だから何度も聞くのか、何度も聞くから好きになったのか分からない。歌詞がわかりやすくて映像的なものが良い。ただしあまり説明しすぎてしまうような歌詞は新しい発見がないのでたいてい飽きてしまう。何回も聞けるのは、さだまさしの「雨宿り」みたいな歌詞というより物語みたいなものくらいだろう。
決まり文句過ぎるのはたいてい良くない。演歌の歌詞にしばしばうんざりするほど類型的なものがある。人気歌手が、人気が落ちだしたときの持ち歌がたいていこのたぐいの歌のような気がする。
好みだろうが、私はビデオの映像のような歌より写真のワンショットのような歌が好きだ。「現在(いま)」が切り取られて凝固したような瞬間から過去が浮き上がってくるような歌詞が好きだ。
繰り返し歌を聴いていると、歌われている世界のイメージが膨らむとともに歌詞の解釈が深まってくる。彼や彼女の気持ちが、歌詞そのままではないことに気がつくこともある。なぜ恋が終わったのか、誰が原因なのか、どんな状況だったのか、考えているとひとごとでないような切実な気持ちになったりする。そういう歌がわたしの好きな歌だ。
好きな歌の中から何度も聞いているうちに、人がそのまま聞き流しているよりは少し突っ込んだ解釈をしたものをいちど整理して歌詞とともにご披露してみたい。次回、手始めに竹内まりあの「駅」から試してみよう。この歌、聞けば聞くほど好きになる、良い歌です。

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