« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011年12月30日 (金)

良いお年を

Dsc_0098 龍。

1010_110 故宮の大理石で出来た龍の彫り物。

今晩から息子と千葉の実家へ行く。正月は飲むことも多いのでブログは明日から2日まで休みます。多分3日から再開できると思います。
皆様良いお年をお迎えください。

2011年12月29日 (木)

中国ウオッチ・事故調査報告

Photo_5 上海の高速鉄道虹橋駅。空港みたいに広い。虹橋空港の隣に新設された。

Photo_6 改札。改札を通るとエスカレーターで下のホームへ降りる。

中国温州市での高速鉄道事故の調査報告が出た。
事故に人災の要素が大きいことを率直に認め、信号の不備についても落雷によるトラブル発生後、適切な対応が出来なかったことが事故につながったとしている。また、事故後高架下に落下した車両を、穴を掘って埋めようとした行為は不適切であるとして指示した担当者を処分することを明らかにした。今回の事故で処分されるのは54人に上るという。
ところで振り返ってみると福島第一原子力発電所の事故についての中間報告が出されている。マスコミを通してではあるが、これも人災の要因がかなり多いようである。
地震や津波は不可抗力である。そしてその規模が予想をはるかに超えていたことは事実なので、如何ともしがたいこともあったであろう。だがそれによる緊急事態に対して当然なすべき事をしなかった罪は問われて当然だろう。報告書作成のためにインタビューに答える中で「想定外だった」という言葉がやたらに出ているという。「想定外」を免罪符に、責任逃れをしている場合は厳しく処断すべきである。安全員のサボタージュはどのテレビ局でも報道していた。真っ先に現場からセンターに逃げ、さらにセンターから福島県庁に逃げたという。そのために安全員を経由して伝わるべき情報がみな放置されたままであったらしい。
どうも似たような話が無数にあるようだ。しかしこれも「想定外」ということで何の責任も問われないだろう。中国の方がはるかに対応がしっかりしている、といわざるを得ないのが悔しい。
日本人の公務員や企業の役員の役割に対する無責任さは恐るべきものがある。責任とお手当の額は裏表なのに。どこかで歯止めをしないと、この反発から独裁者を産み出すような事態になりかねないぞ。

中国ウオッチ・作り話?

Photo_4 中国軍の人というわけではない。制服の写っている写真がこれくらいだった。

中国国防省の報道官が、中国軍が北朝鮮に部隊を派遣した、というのは全くの作り話だ、と語った。
この話の事実確認を記者に求められて答えたものだという。ただし国境地帯の警戒強化の有無については返事がなかった。
そう言っているのだからそうなのだろう。朝鮮戦争の時も中国の解放軍は10万人以上の戦死者を出しているが、中国軍は派遣されたことになっていない。あくまで義勇軍だった。

中国ウオッチ・人口移動

Photo_2 昆明駅でチケットを買う人達。

Photo_3 列車待ちをする人々。

中国国家旅遊局(観光局)は2012年の春節(旧正月)の旅行見込み人数の調査結果を報告した。来年の春節連休は1月22日~28日の一週間で、延べ1億8500万人が観光地に旅行に出かけるという。2011年よりも21%も多い。観光収入も22%増の1000億元(1兆2000億円以上)を見込む。
凄い人数だ。この時期に中国旅行に行っても喧しいばかりで旅行にならないからやめておいた方が良いだろう。もちろんホテルがとれない可能性も高い。日本の観光地はうらやましいだろう。一部は日本にも来るに違いないが。
これとは別にもっと長期的な話だが、アメリカの調査によると、今後15年間に中国の農村から都市部に移動すると見られる人口は3億2000万人になるだろうという。
これは人類史上最大規模の人口移動になるそうだ。
中国は世界の人口の20%近くを抱えるのに耕地面積は世界の7%しかない。農民が都市部に移動すると食糧問題が加速し、それは中国にとどまらず、世界に影響を与える。現にもうそうなりつつある。
またすでに飽和状態になった都市部にさらに人口が集中すると、環境問題は今よりさらに危機的状況になるだろう。
貧しい人達が豊かな生活を求めて都市に集まっても、分けるパイがもう残り少なくなっている。一党独裁だから押さえ込めている膨大な不満のエネルギーは、かえって爆発したときには想像を絶するものになりかねない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京の除夜

Photo ライトアップされた西安の鐘楼。現在修復中で大晦日には再開予定。

 官吏はハンコを押す仕事を終える。商店はすでに決算を終えている。そこで大晦日は上も下も安心して年を送り、あるいは夜遅くなってから車馬で飯館(ファンコワン)つまり料理店に上がって飲食したり、あるいは一家団らんで茶菓を飲み食いし、骨牌(カルタ)で遊んだりしながら徹夜する。いわゆる「日月其除、座以待旦」である。市中には所々に爆竹の音がする。この爆竹の起源は「神異経(しんいけい)」に
  西方の山中に鬼あり、その長丈余あり。人これを見れば病む。
  山魈(さんしょう)という。
  竹を焼き、爆発の声を聞けば驚き走る。
とあるのに基づく。つまり元々は悪魔を祓う意味があった。後世竹の代わりに紙を用い、幾重にもまいた中に火薬を入れて作る。これに火を点ければその音が爆竹のようである。
除夜は爆竹の響き、車馬の音、騒がしいことこの上ない。
 家々では正殿に孔子、関帝を祭り、さらにその晩天上から帰還した竈神をお迎えし、神前には蜜供(ミーコン・蜜柑か?)五つと種々の菓子と果物などを供える。蜜供の上には天官賜福、召財童子、利事仙官、喜報三元、福寿の五天人を神で作ったものを立ててある。いずれもみな一家の幸福を祈るものである。そのほか玉欄、海棠、牡丹、桂の四種の造花を飾る。玉欄の玉、海棠の棠は堂と音が同じ、牡丹は花の富貴のものなので富の意味で、桂と貴は音が同じ、つまりこの四種の花を飾るのは玉堂富貴を願うということになるそうだ。
さて、夜の十二時になると家長をはじめとして老幼を問わず、家族はみな神前に集まって、三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼を行う。そのやり方は一度跪くごとに三度叩頭の礼を行い、また立ち上がって跪く事を前後三度、都合三跪九叩頭となる。叩頭の方法は膝をついて腰を浮かし、手は身体に添えて下にたらし、身体を前にかがめて額で地を軽く叩くのである。

2011年12月28日 (水)

映画「アトランティス/失われた帝国」

Photo_4 天使の矢。

2001年ディズニーアニメ映画。ウォルト・ディズニー生誕100周年記念だそうだ。
時代は1914年、誰も信じないアトランティス大陸の実在を信じて逝った祖父の後を継いだ、語学の天才だが誰も評価してくれないひ弱な青年学者、マイロ。彼を祖父の親友だったという富豪の老人が後押しするという。一癖も二癖もある連中が同行して幻のアトランティスを求める旅が始まる。手がかりは祖父の手に入れた「羊飼いの日記」というアトランティスの言葉で書かれた本だけ。その本を読めるのはマイロだけだ。
深海に潜行し、未知の生物や機械獣に襲われて危機一髪を切り抜け、ついにアトランティスに到達するのだが、同行したものたちの真の目的は・・・。というところからが物語の山場になる。
子どもでも判るようなひねりの少ない物語展開だ。これで良いのだろう。ところでこのアメリカコミックそのものの絵作りは本音の所は苦手だ。多分アメリカ人も良いと思わないのだろう。だから最近はみな3Dの絵作りだ。それもまだしっぽに引きずっているものがあって何となく気持ちが入りにくいが、だんだん良くはなっている。文化の違いもあるのか。映画館で金を払ってみることはないタイプの映画だ。

中国ウオッチ・黄砂

Photo_3 マスク。これはベトナムで。

中国から飛来する黄砂により、健康被害が起きている、と台湾のメディアが報じている。
黄砂に含まれる微小粒子状物質PM2.5は喘息や心血管疾患の病気と関連があり、台湾では年間440人が黄砂が原因で死亡しているという。黄砂が直接の死亡原因かどうかは決めつけかねるところもあるが、北京などの大都市では黄砂の後でで病院に駆け込んだり、担ぎ込まれる患者が急増することは中国でも認めているところだ。
ところが中国当局は大気の汚染は改善されていると言い張っている。根拠はPM10というPM2.5より大きな粒子の測定値が下がっているからだそうだが、世界中でそんな大きな粒子を基準にしているところはあまりない。それにPM10は自重で経時的に落下して台湾まで飛んでいったりしない。海を越えて飛んでいき、しかも身体に取りこまれてしまって害をなすのはPM2.5なのでそれを基準に汚染を問題にしているのだ。そもそも中国の調査結果自体もあまり信頼できない。中国人のほとんどが、大気が汚染されていると思っているのに改善されている、などというのはおかしい。
これは大陸からの距離の近い台湾だから、と人ごとのように思ってはいけない。現に日本でも全く工場のない、空気のきれいな地方や島で酸性雨による樹木の枯死が激増しているのだ。黄砂はもう日本でも見慣れたものになっている。その中に含まれる汚染物質は多分ドンドンふえているはずで、我々をむしばみつつあるのかもしれない。

中国ウオッチ・ネズミを食う

Photo_2 こちらは杭州の市場の肉屋。猫やネズミは売っていなかったと思う。

中国広東省で猫を食べる話が続いたが、今度はネズミを食べる話。
広東では昔からネズミを食べる習慣があり、広州市や東莞市ではネズミの補食が盛んだという。目の前でネズミをさばいて販売する店や、ネズミの干物を販売する店もある。多くのレストランでも食材として利用されているという。
食用として使うのは田ネズミという種類で古くから栄養価が高いと評価され、漢方にも使われる。キロ当たり単価は豚肉よりも高いという。
まあ猫を食べるくらいならネズミも食べておかないとバランスはとれない。それに猫を経由するより直接食べる方が効率は良いかもしれない。まことに広州は四つ足なら何でも食べる。アルマジロやハクビシンも普通に生きたまま食用で売っているところらしいから。

「清末見聞録(清国文明記より)」・竈祭

Photo これは東南アジアの神様。

(いくつかの章を飛ばす。時期に合わせた部分を先にして、飛ばしたところは後で紹介することにする)
 竈(かまど)の神は「周礼(しゅれい)」五祠のひとつで数千年の昔から伝えられてきたもので今もその式を行う。師走二十三日の夜、竈の神は高く三十三天の上、紫微宮(しびきゅう)へと上って、家族それぞれのこの一カ年に行った、良かったこと悪かったことなど全てを上帝に報告する。それでこの日は糖(タン)といって飴のような菓子を供えて竈を祭り、送別の意を表すとともに祝福を祈るのである。
 さて神は「易」にいうように七日で往復する。七日目つまり大晦日には報告を終え再び天上からご帰還遊ばされる。その際にはまたお迎えの祭をして種々のお菓子を供える。これも年中行事の重要なもののひとつである。
 竈は飲食物を作るところである。上代に竈を祭ったのはその労をねぎらうためであったと思われる。それなのにその元々の意義が失われて、種々の迷信がこれに加わり、竈神(そうじん)に飴を食わせて自分に利益のある報告をさせようとするのはずいぶん滑稽なことである。

2011年12月27日 (火)

月村了衛著「機龍警察」(ハヤカワ文庫JA)

Photo_3 龍岩(済州島)

この著者の「機龍警察 自爆条項」(早川書房)が面白そうなので購入した。読もうとしたら前作があることを知った。それがこの本である。
近未来のテロリストは機甲兵装をした凄まじく強力なものになっている。これに対抗するために警視庁に設置されたのが「龍機兵(ドラクーン)」である。たった三機しかないそのドラクーンの搭乗員は警察官ではなく3人の傭兵だった。このドラクーンは極秘の性能を秘めていた。
彼等は警察官でないことから警察官たちからのけものにされるている。
折しも密造の機甲兵装をしたテロリストの立てこもり事件が発生する。この事件は実は大きな背後を持つ巨大な陰謀の始まりだった。
話の展開に伴い、その3人の傭兵の凄まじい過去が断片的に語られ、機龍の秘密も最後の戦闘で一部明かされる。激しい戦いの後当面の敵は倒すが、背後の敵は分からないまま話は終わる。続編が冒頭にあげた本だ。
物語を読みながら映像化の出来る人にとっては面白い話だが、それが出来なかった人は放り出したくなるかもしれない。幸い面白く読めた。

海保博之著「連想活用術」(中公新書)

Dsc_0174 本文と関係ありません。

人は連想することで発明、発見、創造をすることが出来る。同時に不本意な連想にとらわれることで悲しみや不安の蟻地獄に陥ることもある。
この連想の仕組みとは何か、そしてその仕組みや働きを理解することで、連想を有意義な方向に持っていく方法を提示するのがこの本の目指すものである。精神的、心理的な傷を癒すことに連想がどう応用されるのか。また、連想によって知識をどう活性化させられるか。いろいろな知識はそれぞれがネットワーク化することで活性化される。また連想を生かすことで創造を支援するとはどういうことか。
以上非常に興味のあるテーマで話が進められている。
人は無意識に連想をはたらかせている。この本に書かれていることは無意識に行っていることを意識化して分類し、方法論化しているものだが、どこか精神分析のような、そして夢の分析のような、おっしゃることは何となく分かるけれども・・・という感じが最後までぬぐえなかった。この感じは昔大学で社会学の講義を聴いたときに感じたものとよく似ている。延々と方法論が語られ続け、ところで社会学って何?という疑問だけが残った。
連想についてしきりに論じられているが、この本にも述べられているとおり、どのように連想を活用するかは人によってみな違う。連想にこだわりすぎると連想にとらわれ、連想そのものがその自由度を失ってしまう。これはかなり危ういことなのだ。本当に。
結局自分が今行っている(多分)連想に基づく直感を大事にしていくしかないのだということで得心した。分かるかなあ。

旭日旗

Photo_2 これは日章旗。

韓国のドキュメンタリー番組で日本の南極基地と越冬隊が取り上げられたそうだが、その際に旭日旗の映像が二度放映された。韓国では旭日旗に対して「日本軍国主義」の象徴として強い反発があり、多くの抗議が寄せられたのだそうだ。
この抗議に対し、放送局は「ドキュメンタリーは事実を伝えようとするもので、日本が旭日旗をつけた軍艦を南極に向かわせたという歴史的事実に基づくものだった」などと説明した。
韓国民が馬鹿だなどと毛頭思っていないが、この抗議をした連中は馬鹿だとしか思えない。放送局の釈明どおり、歴史的事実ならそれを否定しても意味がない。こんなことは子どもでも判ることだ。北朝鮮で金正日の死去の際に泣きわめいていたのを笑うことなど出来ない。旭日旗を見たら抗議をする、というパブロフの犬のような無考えの人間は、扇動されやすい。そのような人間こそが一朝事があると国を誤らせるのだ。
こういう人間と、日本の言葉狩りをする人間とは同根である。言葉をなくせばその事実が消えるかのようなヒステリックな言葉狩りこそがご本人の強烈な差別意識を露呈しているのだ。事実を受け入れる強さのない人間が正義の仮面をかぶって匿名で吠えているだけなのだが本人はそれに気がついていない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・洗湯(銭湯)

Photo 西安城内。城壁から望む。北京の城壁は今はほとんど壊してしまって自動車専用道路になっている。

  洗湯の看板には長い竿の頭に提灯をつるしてある。例えば、両替店には穴銭を糸にさしたかたちのものを下げ、麺類を売るところには紙を小さく素麺のように切ったのをひと束にして下げ、膏薬店には四角の札の中を丸く塗ったのを下げるようなもので、提灯は湯屋の目標である。門の両柱には「金鶏未唱湯先熱」「紅日東客満堂」という対聯を記してある。そのほか、壁には官堂幾座、池湯などの文字が記されている。
 官堂とは上等の浴室で、一室ひとりに限り、楕円形の浴盤に湯を入れ行水する。たらいの深さは20センチ足らずだから、その中に座ると腰の辺りまでしかない。浴し終われば湯は捨ててしまうから割合に清潔で気持ちは良い。冬期には浴室に暖気を通すから、全身入浴することは出来ないが、寒くはないとのことである。
 池湯とは、一口で言えば日本の洗湯と同じである。何となく不潔な気がしてついに入浴しなかった。湯壺の二、三カ所に角材を渡してあるのは、浴客がこれに腰でもかけるのだろう。
さて、湯屋は表口を入れば番台があって浴銭をとるのは日本と同じである。ただ休憩室にはちょっと汚らしい椅子が並べてある。浴室では頼めば流しもしてくれる。湯を出てから休憩室で手足の爪を切ってくれて耳掃除をしてくれるのは日本にはないことである。浴銭は池湯ならば一、二銭、官堂ならば十銭内外である。

2011年12月26日 (月)

ミッションインポッシブル/ゴースト・プロトコル

Photo_4 これは韓国の高層ビル。

腰痛もやや治まったので名古屋へふらふらと出かけた。いつもの飲み友達に未練がましいメールを入れていた。「今日は名古屋まで出かけるけれど飲むのは控える」と。期待通り、ちょっとだけ飲もう、という連絡が入った。彼が仕事を終えるまで3時間ある、映画でも見に行こう。シニアだから1000円で見ることが出来る。ちょうどミッションインポッシブルの最新作がかかっている。混んでいるのかと思ったらそこそこで、自分の好みの席(前の中央)を確保。

この映画は大画面と大音響が必須。ドバイのあの高層ビル(800m以上)の外側に立つという経験を楽しんだ。テンポが早くて変に注文をつける暇がない。ただただ映画の世界を堪能した。いいなあ大画面と大音響。52インチと古いアンプではかなわない。

ストーリーは語らない。繰り返すが、ただただ楽しめた。トム・クルーズが年を取ったなあと思ったのはラストシーン辺りだった。見てね。

北朝鮮三題

Photo_3 北朝鮮を望む丘の上に立つ碑。「在以北父祖神位」とある。

①北朝鮮は、韓国政府が金正日の弔問を制限していることについて「初歩的な礼儀と同胞愛さえも失った、人倫を外れた処置」であると非難した。そしてさらに「今回の弔問妨害が、北南関係(やはり北を先にするのだ)に想像できない破局的な結果を招くことを肝に銘じるべきだ」そうだ。
想像できない破局的な結果というのはなんだろう。想像できない。
同胞愛を云々するのなら、自国民が飢餓と貧窮の中にいることについてはどう言い訳をするのだろう。自国民は同胞ではないのだろう。
②北朝鮮の軍関係企業が、中国側の貿易関係企業に対して「弔慰金」を要求したという。「軍上層部に上納して手柄にするのだろう」という。この貿易企業関係者は「普段も商売を円滑にするために裏金を渡しているが、今回は先方の要求でもあり、かなりな額を渡さざるを得なかった。北朝鮮は中国よりもかなり腐敗している」と語っている。
中国人が言うのだから北朝鮮の腐敗はかなりなものだ。確か役人の贈収賄などの腐敗が、世界でもっともひどいのが北朝鮮だという統計が報道されていた。崩壊前のソ連もそうだったが、役人が低収入すぎたり、給料が遅配されたりしている国は生活できないからあらゆる場面で裏金を要求せざるを得ないことになる。配給の食糧では餓死するので、不足分を闇で買う食料は月収をはるかに超えるものにつくという話だ。
③韓国メディアの報道によれば北朝鮮で、金正日の哀悼期間中の脱北者に対して厳罰が指示されたという。ある一家が脱北を図り、運悪く国境警備隊に逮捕された。その報告を聞いた金正恩が激怒し「哀悼期間中の脱北行為を行うものは逆賊であり、三代にわたって滅族させろ」と指示したそうだ。
北朝鮮国民の不幸に心から哀悼の意を表したい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・果物

Photo

Photo_2

 菓子には西洋菓子があるけれど、値段がとても高い。中国固有の菓子はカステラに似た糟糕(サオカオ)というのだけが口に合うが、そのほかは脂っこくて食べる気がしない。甘党にとっては北京は決して良いところではない。しかし果物はとてもおいしい。
 桃は水蜜桃、天津桃の本場である。西瓜は赤、黄、白の三種がある。このうち白西瓜がもっともおいしい。そのほか、林檎、梨、葡萄、胡桃、蜜柑等なんでもある。中秋以後は果物の季節となる。
 林檎の味は日本のものよりだいぶ落ちるが、梨は川崎梨(そんな種類があったのだ)などよりだいぶうまい。葡萄の味は甲州産と大差ないが、白葡萄のある種のものは種がない。栗は特別上等というほどのこともないが、皮ごと焼いてあるのは独特の焼き方で、味もまた格別だ。胡桃は巧みに殻を割って中の実を取り砂糖で甘く煮る。ご馳走のテーブルには欠くことの出来ないものである。蜜柑は北清では産しないので南清から運ばれてくる。数種類あるうちの橘子(チュイズ)というのはネーブルに似て、もっともおいしい。
 西瓜や南瓜の種を食べるのは少し変わっている。これを食べるときは指でつまみ、前歯でちょっと噛み割り、舌と歯で皮を取りのけながら食べる。最初はなかなかうまくできない。熟練している人は指など使わずに口の中に放り込みながら皮を取って食べる。西瓜の種はあまりうまいとも思わないが、南瓜の種は案外香ばしく、また甘くておいしい。そのほか杏仁、榛(はん)の実なども食卓に上る。蓮の実は料理に欠くことが出来ないものである。棗の蜜漬けはお多福豆よりも大きくて特別に甘い。
 もっとも感心したのは果物の貯蔵に巧みなことである。五、六月頃でも蜜柑、梨、葡萄など、枝から取ったばかりのようなのが出されてくるのが珍しくない。

2011年12月25日 (日)

映画「アデル ファラオと復活の秘薬」

Dsc_0159 これは映画と関係ありません。イメージです。

2010年フランス映画。監督・リュック・ベッソン、出演・ルイーズ・ブルゴワン他。時は20世紀初めの2005年、女性冒険家(女インディアナ・ジョーンズみたい)のアデルは事故(この事故というのも後で説明されるがあり得ないような事故だ)で瀕死の最愛の妹のために古代エジプトの「復活の秘薬」を求めてピラミッドを暴き、「ラムセス二世の侍医」のミイラを盗み出す。折しもパリでは復活の秘儀を編み出した老教授により、博物館の恐竜の卵から翼竜が孵化して騒動になっていた。いろいろな出来事と人物が入り交じって混乱の極みとなるが、ミイラから復活したラムセス二世たちにより、結局妹は生き返る。
腕利きのはずのパリ警視庁のカポニ警部は、寝てばかりいて肝心のことを全て見逃し、思い込みばかりで生きているとんでもない警察官として描かれているとおり、出てくる登場人物はカリカチュアされた者ばかり。それを楽しむつもりで見ないと退屈かもしれない。
アデル役のルイーズ・ブルゴワンは、美人といって良いのかどうか、目と目の間が少し余分に離れている女優だが、それがチャーミングで私は好きである。
ラストにアデルがタイタニック号に乗るシーンがある。つまり続編があるのだ。

中国ウオッチ・猫鍋で死亡

広東省の富豪が猫鍋を食べて死亡した。この富豪は友人二人と一緒に火鍋店に入り、猫肉入りの鍋を食べスープを飲んだところ、一人が味が変だ、毒でも入っているのではないかといったが、もう一人が「良薬口に苦しだ」とやり返していた。その後中毒症状を起こして3人は病院へかつぎ込まれたが、富豪だけが死亡したという。
まだ検査結果は出ていないが、誰かが毒を入れた疑いもあるという。
やはり広州方面は猫を食うのだ。それも料理店で出すのだ。
このあいだの警察官のように焼いて食べればよかったのかもしれない。猫を殺すと七代たたるといわれるが中国の猫はどうなのか。この富豪は猫を殺したのではなくて食べただけのようだけど。

高校駅伝

Pict0013 京都嵐山。駅伝の舞台は京都だが、嵐山は走らない。

新春の箱根駅伝と暮れの高校駅伝を毎年楽しみにしている。今日は高校駅伝の日だ。午前中の女子駅伝では愛知県の豊川高校が首位を奪還した。一所懸命に走る姿を見ると胸が熱くなる。千葉県の成田高校のアンカーは何をぼんやりしていたのか、たすきを受け取るときに7秒くらいロスをしてしまった。何とか悲願の入賞を果たしたが、7秒早く受け取っていたら精神的にもっとゆとりが持ててさらに上位を占めることが出来たかもしれないのに。ミスした人間をむち打ちたくないが、肝心の時に集中力を欠いた行為を見ると本人はもちろん回りがみんなどうして良いか分からないようないたたまれないような気持ちになる。

さあ、午後は男子だ。高校野球も面白くないことはないが時間がかかりすぎる。駅伝での高校生たちの必死に頑張る姿を見ると年末の慌ただしい気持ちに少し余裕が生まれる。今年は西脇が出場する。どのような走りをするか楽しみだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・家畜

0056 二十年前の中国の街角風景。

04032_08 秦の始皇帝が乗った馬車を模した銅馬車。

0403613 いうまでもなく駱駝。

0403904 馬だけど小柄だったから騾だったかもしれない。前を行くのは息子と娘。

北京城内の家畜が多いことに誰もが気がつくだろう。市中の交通機関として、この頃は次第に東洋車(トンヤンチョウ)つまり人力車が流行しているけれど、轎(きょう・肩で担ぐかご)のほか馬車、馬、驢馬などを交通機関として用いている。馬車も西洋風の馬車は王公貴人のみで、旧来の中国馬車が多く使われていて、街の辻辻には辻馬車が立ち並んで客を待っている。この馬車は多くは騾馬、つまり馬と驢馬の雑種で、耳が大きい馬のようなのが馬車を引いている。
 王公貴人が轎または馬車で往来するときは、その従者数十人は馬に跨がってこれに付き従う。中流以下の中国人は多くが驢に乗って往来する。郊外を散策するときには私も時々この驢を利用した。
 小路や原っぱに行くとあちこちで犬と豚が群れになって食べ物をあさっている。都門を出ると、釣り竿のようなものの先に、同じ長さくらいの糸をつけたのを持って、何十頭の羊あるいは豚の群れを牧しているものが多い。冬期になると蒙古人がやってきて、その荷物を負わせてきた駱駝が十頭また二十頭と群れをなして、頸に提げた鈴をガランガランと鳴らしながらノソリノソリ歩くのは、いかにも物珍しくて朔北(ここでは中国北方というほどの意味か)の光景が目に浮かぶような気がする。あの「鶏犬の声相聞こえて」などというのは、村落の有様そのままで、村落のあるところ、必ず犬がいて鶏がいる。だから卵も非常に安価で、北京城内でも卵は一円で170~180箇も買える。
 もっとも感心するのは馬の御し方の巧みであることである。ほとんど神技と言って良い。二頭立ての馬車は少しも珍しいものではない。荷馬車などは往々にして六頭くらいの驢を用いている。その中には時には驢と騾を取り混ぜて用いているのもある。六頭または七頭引きの馬車は、日本の釣瓶縄(釣瓶井戸の桶をつり下げるほどの太さの縄)よりも少し細いくらいの縄を、馬の鞍の左右両側に結びつけて、車に近く二頭、遠く三頭、少し雁行して左右に各一頭という具合にして車を引かせる。そうしてこれを御するのに、前に言ったような糸をつけた竿を持ち、声をかけて、この無心の馬を御することはさながら手足のようで、行くも止まるも、右へ行くも左へ行くもただ意のままにしている。さすがに昔から御をもって六芸のひとつと数えた国柄だと思った。

2011年12月24日 (土)

Dsc_0030k しあわせ。1101_3 雪も良い。

腰痛でドライブも控えている。思い立ったらその晩から徹夜で遠出していた自分はどこへ行ったのだ。テンションが下がると本を読む気にもならない。でもそういうときがあるから自分で大丈夫か、と心配している自分がいる。正月に、親に仁義を切ったら復活しなければ、と酔った頭で考えている。

どうせひとりだ。ひとり旅を楽しもう。出会いがあってもなくてもそれが旅だ。寒い冬の、雪の中の旅こそ旅だ。一月になったら本を抱えて温泉に湯治に行くぞ。

qv@

クリスマスイヴ

毎年のことだが、たったひとりで料理をつくって酒を飲んでいる。
真鰯の良いのがあったので煮付けにした。鶏のモモ肉で棒々鶏風のつまみもつくる。鶏をゆでたスープでたっぷりキャベツもゆでた。合い挽きの挽肉とたっぷりのタマネギを炒めて卵でとじる。濃いめに味付けすれば明日も食べられる。あと中華も少し作れるが、いい加減にしないときりがない。夕方からBSで坂本冬美の絶唱を楽しみながら酒を飲む。
子どもたちが巣立ってから(単身赴任していたからそれよりずっと前から)、ずっとひとりでクリスマスイブを過ごしてきた。寂しいと思ったことはない。何となく少し余分に酒を飲む。
名古屋も夜半からもしかして雪だという。メリークリスマス!

中国ウオッチ・人民解放軍を北朝鮮に派遣

香港紙によれば金正恩の要請を受けて中国の人民解放軍がすでに北朝鮮に派遣され、現地に到着したという。治安維持のためだろう。
事実確認はされておらず、武装警察が派遣されたのではないかともいわれている。
これは昨年、故金正日が訪中した際に、胡錦濤主席に対して万一の時の後事を託したことに基づくものらしい。
中国にとって北朝鮮が北アフリカのように自壊することは望ましくないことであり、現状維持のための行動は今後とも行っていくと見られる。もし人民解放軍が本当に北朝鮮に派遣されたのであれば、1950年以来の派兵となる。ただし前回は国連を慮って、中国国家からの覇権ではなく、「義勇軍」の名目をとった。今回も義勇軍だろうか。

映画「アッシャーのイン・ザ・ミックス」

2005年アメリカ映画、日本では劇場未公開。監督・ロン・アンダーウッド、出演・アッシャーほか。ダンスクラブの人気DJダレル(アッシャー)は、イタリアンマフィアのボス・フランクからボスの娘のドリーのパーティのDJを頼まれる。フランクは、ダレルの死んだ父親が仕えていたボスで、ダレルも大学卒業まで面倒を見てもらった恩義がある。
ドリーはダレルの幼なじみでもある。そのパーティの最中に何者かの襲撃があり、ドリーの危機を、身を挺して助けたダレルは肩に銃弾を受ける。
ドリーには父親が勝手に決めた婚約者がいる。しかしまだ大学院の学生であり、当分は自由に暮らしたい。護身のため、父親がつけようとするボディガードとして、父親のまわりの連中ではなく融通の利くダレルを指名する。ダレルは世話になったボスの依頼でもあり、ドリーのためにそれを引き受ける。ドリーの意に反してダレルはまじめにボディガードの役割を務めるため、かえってドリーは身動きがとれない。そうこうしているうちに元々にくからず思っていた二人は互いに引かれあっていく。
黒人のダレルが娘のドリーと恋仲になるなどというのはフランクの考えたこともないことであり、許せることではない。激怒したフランクにダレルの身が危うくなる。
そのころ敵対する相手の組織のボスが死体となって発見される。一触即発の危機の中、思いがけない黒幕におびき出されたボスをダレルとその友人、そして無能と思われていたボスの息子(ダレルの友人でもある)が助け合ってボスを助け出す。その際にダレルは再び反対側の肩に銃弾を受ける。気遣うドリーにダレルは「君のためなら何度でも」と答える。
今となってはボスもダレルとドリーの仲を許さざるを得なくなる。
1年後、ドリーが大学院を卒業すると同時にダレルとドリーの結婚式が行われる。ダレルは念願だったレコード会社を立ち上げていた。
というハッピーエンドの物語。
しかしマフィアのボスの娘と黒人のDJが恋仲になって結婚するなどという物語はなぜか痛々しく見える。あり得ないことではないのかもしれないが、こちらに偏見があるのだろう。
主演のアッシャーは1978年生まれのR&B歌手で俳優。ナオミ・キャンベルと恋仲だったこともあるという。画面で見る限り好漢である。

中国ウオッチ・埋蔵量1000億トン

0403623 敦煌近くの砂漠の小さな池。0403701 鳴沙山をいく駱駝。

新疆ウイグル自治区のシャル湖での炭田調査が一段落した。調査で確認しただけで892億トンあるという。
確認埋蔵量としてはアジア最大で、炭田の厚さは平均130m、特に厚いところでは217mもある。炭質は良好でイオン、燐、灰分の含有量が少なく、発熱量が高く、火力発電用、ガス化用、動力用に適しているという。
話半分でも凄い量である。もちろん本当に採掘が始まってみないことには真偽のほどは不明だが、本当なら良質な石炭というのだからうらやましい限りだ。問題は輸送コストだろう。
中国は世界の資源を食い尽くしかねない勢いなので、自分の国でまかなえるものがあれば少しは世界にとって救いだろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・対聯②

11031_338 商家。11031_691 民家。 11031_447 これは喪に服している家。

 対聯を重んじるという風習は古く、六朝時代(唐の後、宋の前、10世紀頃)以後、詩賦文章に繊細で華麗な趣を競ったことに発する。しかし、これを門柱に貼付するようになったのはいつから始まったかは不明である。福州の梁章鉅(りょうしょうきょ)の「楹聯叢話(えいれんそうわ)によると、宋初に蜀の孟昶(もうちょう)が「新年納余慶」「嘉節号長春」と題したのが最古であるとのことである。対聯に記された字句はさすがに文字の国であるから、見るべき佳句が少なくない。役所、士族の家、市民の家、商家、寺院、道観みなそれぞれ適切な句を貼付している。官庁や官吏の邸宅などには「帝徳乾坤大」「皇恩雨露深」の句を用いているのは絶妙で巧みである。そのほか、「聖恩春浩蕩」「文治日光華」や「帝徳如天」「臣心如水」などもまた佳句であろう。前の句は雍正帝が桐城(どうじょう)の張廷玉(ちょうていぎょく)に賜った句とのことである。商家はいずれも「開市大吉」「万事享通」などの佳句を用いるほか、多くは自分の家の屋号を取って首字にしている。例えば、徳興堂の対聯に「徳基徳柄」「興譲興仁」というようなものである。そして商店の種類により、違いがある。例えば、書肆には「蔵古今学術」「蘊天地精華」といい、筆舗(文房具屋)には「善掃千軍陣」「能生五夜光」といい、扇店には「清風生掌握」「爽気満襟懐」というのがある。あるいは、「花暖青牛臥」「松高白鶴眠」というのは道院で、「境寂聞天籟」というのは禅寺である。関帝廟には「威震華夏」「志在春秋」などの句を、財神廟には「掌万民之福沢」「通天下之財源」の類が記してある。

2011年12月23日 (金)

中国ウオッチ・猫を食べる警察官

Photo_3 ぶれてぼけているけれどこれは上海の小汚いレストランにいた猫。広州ではないので食べられないで生きていた。

広東省東莞市の公安分署のゲートの前の路上で十数人の男が猫を焼いて食べたという。いずれも制服を着ており、その後ゲートをくぐって所内に入っていった。「警察官にあるまじき行為」であるとして市民の批判が高まっているのだそうだ。
公安分署からは「警察官がやったことではない」として「制服は警備員のものであった。警察が雇った警備員か、どこかの会社の警備員だろう」と説明している。
広州は東莞のすぐ近く、食は広州にありといい、四つ足なら机以外は何でも食べる土地柄である。猫ぐらい食うだろう。
母方の祖父はずいぶんいろいろなものを食べたといっていたが、猫も鍋にして食べたことがあるといっていた。ただやたらに泡が出て少し気持ち悪かったそうだ。今度のは焼いて食べたから泡は出なかったようだ。

映画「熱いトタン屋根の猫」

1958年アメリカ映画。監督・リチャード・ブルックス、出演・エリザベス・テイラー、ポール・ニューマン他。
テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した名作といわれているが初見。ほとんどアメリカ南部の農園の邸宅の中と庭のシーンであり、膨大なセリフのやりとりの中で家族の抱えている問題が浮かび上がってくるという舞台劇のような映画である。文句なしの傑作。
農園主が重篤な病の疑いがあり、病院の検査入院から帰ってくる日の朝から翌日夜明けまでの話である。折しもその日は農園主の65歳の誕生日、誕生パーティのために多くのひとが集まっている。農園主の二人の息子もいる。長男は弁護士で、一部農園の管理も手伝っている。子どもが5人いてやがて6人目が生まれるという。次男(ポール・ニューマン)は元プロフットボールの花形選手だったが負傷して引退、いろいろないきさつからほとんどアル中状態である。最近も泥酔してまた足を負傷し、松葉杖なしでは歩けない。映画はその怪我を負うシーンを最初に入れてから、その次男とその妻(エリザベス・テーラー)の静かな罵り合いで幕を開ける。セリフの応酬の間、次男は決して妻の顔を正面から見ようとせず、言葉に詰まると酒をあおる。愛し合っていたはずの二人が、そして今もその気持ちを失っていないようなのに次男から出てくるのは妻を憎んでいるような言葉ばかりである。妻はまだ夫を愛しているように見える。なぜそうなったのか、その理由がこの物語の山である。
母親も含めてみなには検査に異常がなかったということになっているが、医者は兄弟二人にだけは実は余命幾ばくもないことを告げる。父親の農園主は113平方キロの農園と1000万の財産を持っている。長男夫婦は検査入院したときからこうなることを予測し、自分の子どもたちも総動員して農園主に取り入ろうとする。父親が自分より弟をかわいがっていることを知っているからだ。
いろいろあった後、父親は自分の死が近いことを知る。父親にまとわりつく長男夫婦を疎ましく感じて遠ざけながら、次男と二人で本音の話をする。父親は次男夫婦二人ともが好きなのだが二人の諍いにも気がついており心配しているのだ。そこで二人に深刻な溝が出来、次男がアル中になったわけが明らかになる。さらに父親と自分との関係についての思い、そして父親と祖父との話を聞くにおよび次男は再生する。遺産相続についての父親の方針も明らかにされ、次男夫婦の関係修復に希望を持たせて物語は終わる。
前半でなぜここまで言われて妻(エリザベス・テーラー)は別れないのだろう、と思う。そうしていかにも財産目当てで別れずにいるようにほのめかされる場面がいくつもある。そうでないこともないように見えるような見えないようなところがこの役のポイントであり、テーラーは絶妙に演じている。さすがである。いい女と嫌な女のぎりぎりさかいめの女というのはまことに魅力的だ、ということを識っているのだ。

国境封鎖?

0071 韓国国境の展望台から見える北朝鮮のデモ村。

0072 韓国と北朝鮮の国境。右手のイムジン川が左手の漢江に合流しているところ。

0069 国境展望台。

香港紙によると北朝鮮が24日に国境を封鎖して国内の外国人観光客などの出国を禁じる可能性が出てきたという。
中国の北朝鮮の担当責任者の話では北朝鮮政府は24日に税関業務を全面停止するという。再開が未定であるため、北朝鮮にいる外国人は23日中に出国した方が良いとしている。
北朝鮮当局は都市部の治安維持強化を行っていると韓国メディアは伝えているが、板門店など国境周辺を訪れた報道陣の見たところでは北朝鮮軍には目立った変化は見られないという。
韓国側で見つけるたびにつぶしている無数にあるといわれる地下トンネルの中ではものすごい動きがあるのかもしれないが表向きは平静のようだ。
国境封鎖といってもまさか海外からの弔問客を人質にすることはないだろうけど。

中国ウオッチ・鳥インフルエンザ再び

Photo ニワトリ。黒いのは烏骨鶏。

Photo_2 これはアヒル?ガチョウ?

香港特区政府は九龍西部の家禽卸売市場でニワトリの死骸からH5N1型の鳥インフルエンザが検出されたとして同市場を閉鎖し、1万7000羽を殺処分したと発表した。
ニワトリの死骸はゴミ箱に捨てられていたので仕入れ先は不明である。H5N1型の鳥インフルエンザは強毒性でしかも高病原性ということで警戒レベルが引き上げられることになった。
同市場は来年1月12日まで閉鎖される。また香港市内の全市場の生きたニワトリの販売を停止し、地元養鶏場からの出荷とひよこの輸入が禁止された。
今のところ中国本土側では異常は見つかっていない。
隠蔽体質の中国はいつもこのようなときに対処が遅れて被害を大きくしてきたが、今回は迅速な行動をしているように見える。よほど今までで懲りたのだろう。しかし野鳥が感染して日本や東南アジアなどに飛来するおそれがある。日本も厳戒態勢が必要だろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・対聯①

 横浜・神戸・長崎等の旧居留地(昔はそういうものがあったのだ)に遊んだ人は、中国人の店頭に種々の文句を記した紅い紙を貼り付けてあるのを見たことがあるだろう。これがすなわち対聯(ついれん)である。これには種々の種類がある。門心、框対(きょうだい)、横披(おうひ)、抱柱(ほうちゅう)、春条、斗方(とほう)等である。
 大官の邸宅では街を隔てて影壁(インピ)を設け、これには多くが「鴻禧(こうき)」の二文字を記してある。身分が低く貧しい家の場合はこの影壁の代わりに門に向かい合う他家の壁の上に、「出門見喜」などと記した紅い紙を貼り付ける。さて大門の両扉には種々の文句を彫りつけるか紅い紙が貼ってある。例えば「忠孝伝家久」「詩書継世長」などの対句が多く用いられる。これがつまり門心である。そして大門の左右の柱に貼るのを框対といい、門の上部に横に「国恩家慶」「五福臨門」「為善最楽」などの四文字あるいは二字句をなどを貼るのを横披という。
 大門を入り中門を過ぎて屏門または垂花門というのがある。その門は必ず四扇つまり四枚の扉になっている。その四扇に各一字一紙の菱形の紅い紙を貼り付けるのを斗方という。多くは「厳粛整斉」や「中正平和」などの句が用いられる。そうして廂房、客庁ともにその柱には抱柱を、室内には春条を貼る。春条としてはたいてい「闔室生春(こうしつせいしゅん)」の句が用いられる。紙の色は全て紅い色である。しかし、もし喪に服している場合はその間は藍色を用いる。喪中の時、その横披に「慎終追遠」などと記されているのはいかにも気持ちがこもっている。また、寺院道観では普通黄色の紙を用いる。

2011年12月22日 (木)

中国ウオッチ・ビザ

Photo_6 飛行機の旅は楽しい。

中国人のアメリカ入国ビザの申請が、今年百万人を超えたそうだ。
アメリカ国民に対してビザ免除している国は150カ国あるが、アメリカが免除しているのは36カ国。世界で中国に対してビザを免除している国は74カ国あるが、ほとんどがアフリカと東南アジアの国だ。
なぜ先進国は中国に対してビザを免除しないのだろうか。
これはエクアドルでの例を見れば明らかである。エクアドルはどこの国に対してもビザを免除することにした。その後半年で中国人がエクアドルに1万1000人入国、ところが出国したのは4000人足らず。
エクアドルを不法移民の経由地にした人間がそれだけいたことになる。約半年後にエクアドルは中国人に対してだけビザ免除を取りやめた。
中国に対してビザ免除措置をとる国はなかなかふえない。
ちなみに日本から中国には14日間以内ならビザ不要だが、中国人の日本への入国にはもちろんビザが必要である。

中国ウオッチ・ありえない

Photo_5 上海郊外の火力発電所。

中国江西省の原子力発電所の技術者が「中国では福島第1原子力発電所のような事故はありえない」と発言した。
中国の発電所は日本よりも進んだ基準で造られており、7級地震(日本の震度5)なら稼働を継続し8級以上になると自動停止するが、運転に支障は起こらない。日本のような事故は「絶対」に発生しないそうだ。
江西省にある原子力発電所のある場所
は、過去数千年にわたって大きな地震が発生していないこと、海岸も沖合数十キロメートルまで海の深さが200メートルしかないので津波が来ることがないことからその影響も考えなくてよいという。
日本の原子力発電所も「絶対」事故など起きない、といっていたんだ。高さ7メートルの波でも大丈夫、といっていた。もしそれを超えても二重三重の対策があるから大丈夫といっていた。それでも事故は起きたんだ。あまり偉そうに言わないでちゃんと安全チェックをした方が良い。それでなくとも中国は手抜き工事の国なんだから。
大丈夫でないところまでは大丈夫、といっているのを聞いているとアルキメデスのカメのパラドックスを思い出す。

欠席理由

Photo_4 台北の繁華街。ここはカメラ店街。

台湾の台南大学で学生の授業欠席理由として「宇宙人にさらわれた」という申請を出したものが受理されたとして話題になっている。
ネット上で騒ぎになったことで大学側は「学生の遊び心で出したものを新任の職員が誤って受理のボタンを押してしまったためだ」と釈明している。学生からはあらためて「体調不良」の申請が出し直されて処理済みだそうだ。
大学側の管理体制を批判するものや、学生がふざけすぎているという批判が飛び交っているらしいが、つまらない嘘よりよぼど面白いではないか。こんなものに目くじらを立てるというのもずいぶん暇な人達だ。もちろんこれを取り上げている私も暇だ。

中国ウオッチ・メコン川二題

Photo メコン川。

Photo_2 運河。

Photo_3 たむろする怪しい男たち。

メコン川流域四カ国がダムの建設中止を決定した。参加国はラオス、タイ、カンボジア、ベトナム。ダムの名前をサヤブリダムといい、「大メコン川開発計画」で予定されていた12基のダムの第1基目だった。この開発計画では、エネルギー確保、水位の安定、農業用水の確保などをもくろんでいたが、環境団体などから貴重な生態系を破壊してしまうと批判が出ていた。この計画を裏で推進しようとしていたのはもちろん中国で、この計画に参加し、資本も投下して人員などを投入するつもりだった。計画の初っぱなから頓挫したことで計画そのものがご破算になる可能性がある。

多分東南アジア各国が中国の介入を嫌う動きが出ており、その流れの一つではないだろうか。

雲南省シーサンパンナのタイ族自治州で、中国、ラオス、ミャンマー、タイの4カ国によるメコン川連合巡視執法指揮部が成立し、早速メコン川の巡視任務が開始された。メコン川のタイ側流域で中国の輸送船が襲撃され、船員が殺害される事件が発生したことを受けたものである。このような事件が連続して起きており、中国の水運業者が引き上げる事態となっていた。中国からは200人あまりの海上警察、対テロ警察部隊などが参加している。

中国はシルクロード包囲網構想というのを描いている。旧ソビエトの国などへの援助や道路整備をして中央アジアルートの砂漠ルートの強化をするともに海上シルクロード、さらに雲南省経由のインドへ通じるルートなどを同時並行で整備し始めている。今年雲南省に行ったときには省都の昆明から、高速道路の突貫工事を行っていた。さらに飛行場の拡張を行い、ハブ空港化の準備も整えていた。数年後を見据えて物流の安全確保に動いているのだろう。ただし海賊(川だから川賊か)どもにとっては狙う獲物がふえることでもある。

映画「アーサーと魔王マルタザールの逆襲」

前作の「アーサーとミニモイの不思議な国」に続く3部作の第2部。2009年フランス映画。監督・リュック・ベッソン。3Dアニメと実写を組み合わせたファンタジー。再びミニモイの王女セレニアに会える10回目の満月の前日にミニモイから「HELP」のメッセージが来る。両親の勝手な都合から、ミニモイへ行くことが危うくできなくなりそうになるが、間一髪で間に合う。しかし目指す第一王国ではない場所に出てしまうが、そのおかげでセレニアの弟、ベタメッシュの危機を救うことが出来る。アーサーの来るのを待ちわびていたセレニアは、約束の時間にアーサーが来ないことを嘆き悲しんで城門の外に出ているところをマルタザールにとらわれてしまう。「HELP」のメッセージも含め、全てはマルタザールがしくんだ罠だったのだ。マルタザールはアーサーがミニモイに来る方法の逆を行くことで人間界に侵入しようとしていた。セレニアを人質に、ついにマルタザールは人間界に侵入する。セレニアだけはアーサーがからくも助け出すが、アーサーはミニモイに残される。マルタザールの強行でミニモイとの通路は破壊されてしまう。人間界に侵入して大きくなったマルタザールの哄笑で第2話は終わり。

地面に向けた望遠鏡を逆さに覗くとミニモイの入り口が覗ける。何となくイメージしやすい。ところでアーサーの祖母(ミア・ファロー)は賢くて優しくて聡明だ。そして祖父も技術者で冒険家で自然愛好家なのだが、アーサーの両親は救いようのない俗物だ。アーサーの母親がこの祖父母の娘なのだが、いかなる状況も理解する能力に欠け、何かと金切り声を上げるだけという、ハリウッド映画の描く典型的な女だ。マルタザールにさえ「環境適応能力がない女」と酷評されている。こういう親に育てられるほうが独立心と生活力を持つ子供が育つというのだろうか。原作が童話だから子どもにとって親はそのように見えるものとして描かれているのかもしれない。子どもが自立するためには親離れが必要だ。親は理想と違う存在であることを認識する所から子どもは目覚める。

第3話は日本では公開されていない。早くしないとマルタザールにこの世界はめちゃめちゃにされてしまうぞ。

中国ウオッチ・自然災害?

四川省のある県で小学校が傾いて大きな亀裂が入ってしまい使えなくなった。県の建築局は、そのまえに大雨が降り、敷地の地盤が沈降したための自然災害であると説明している。問題はこの小学校が建てられて半月あまりしか経っていないことだ。
実は建て替え前の小学校の校舎が「危険な建物で使用は不可」との鑑定結果が出されたために新たに建てたものなのだ。
この校舎も建て替えなければならなくなり、その費用の補助として住民から一律お金を徴収することになったため、おかしいのではないかと問題になっている。
建築の責任者である副校長もあくまで自然災害を主張しており「建設局の技術者の検査も受けている」そうだ。
傾いて使えなくなった建物については県の規律委員会があらためて検査することになった。
こんな校舎ばかり
だから四川大地震の時にあちこちで学校がつぶれて多くの子どもたちが命を落としたのだ。この学校も早く使えなくなってよかったが、新しく建つものが大丈夫かどうかは疑わしい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・物売り②

・酸梅湯 氷盞児(ピンツアンアル)といって金属製の盃のようなのを二つ重ねて、右の手の中で巧みに打ち鳴らして客を呼んでいる。これは夏期の飲料ことに酸梅湯を売っているのである。酸梅湯とは、干し梅の真っ黒く堅くなったものに熱湯を注ぐとススのような色の汁が出る、これを適当に薄めて砂糖を入れて甘酸っぱい飲み物にしたものである。私も清国に来てすぐには、多くの日本人と同様北京熱というのに悩まされて、脂っこい中国料理を食べられなくて、故郷の梅干しを恋しく思った。そのとき私と同じ所に寄宿していた宮内法学士に手厚い看護を受けたことはいつまでも忘れられない。宮内君は日本人経営の旅館などに問い合わせて梅干しを捜してくれたけれども、ついに一粒も手に入らなかった。北清には梅がないのだということをそのとき知った。しかしなんとか干し梅を手に入れて手製の酸梅湯を飲ませてもらった。そのときは人の好意がとてもうれしかったけれど、これはちっとも甘くなかった。
、油麺餑々 これは麦菓子の類である。夜九時頃になると手提げの籠にこれらの菓子を入れて、ユーメンボーボーとこころなしか哀れな調子で呼びながら売り歩くのが、何となく夜鳴き蕎麦や、お稲荷さんを聞くような気がして、こくのことなども思い出されしみじみする。夜鳴き蕎麦やお稲荷さんは冬期の間のみだが、このユーメンボーボーは年中売り歩いている。お客は夜更かしをして空腹になった連中で、博打などに夢中になってでもいるのだろう。
・剃頭的 物売りではないが往来でよく見受けるものだからついでに書き加える。剃頭的(テイトウデ)とはつまり床屋である。彼等は一方に踏み台のような腰掛け、一方には青銅製の手水鉢および理髪用具を備えた箱を、左右に振り分けてこれをかつぎ、手には叫頭(チョウトウ)といって音叉、つまりチューニングと、フォークのようなものを持って、これをじゃーんと打ち鳴らしながら歩いている。軒下や樹陰などで、お客はその腰掛けに座って長キセルを口にしながら、髪を結わせたりひげを剃らせたりしているのは、面白い一幅の風俗画である。試みに一度呼び入れてひげを剃らせたところ、剃刀は紙切り庖丁のかたちのもので、腕は実に冴えている。剃った後で頭や肩を按摩してくれたが、なかなか上手であった。
*お稲荷さんというのは稲荷寿司を売り歩くのだろうか。今もあるのだろうか。
**道端での簡易式の床屋は少し前まで中国ではどこでも見ることが出来た。東南アジアでは今でもよく見る。

2011年12月21日 (水)

映画「アーサーとミニモイの不思議な国」

2006年フランス映画。監督・リュック・ベッソン。実写と3Dアニメーションとで構成されたファンタジー映画。なつかしやミア・ファローが主人公のアーサーの祖母役で出ている。ますます魅力的だ。
アーサーの祖父は冒険に出たきり行方不明。両親はアーサーを祖母に預けたきりで遊び歩いている。祖母とアーサーがいま暮らしている家は家賃が払えないために立ち退きを迫られている。頼みは祖父が庭のどこかに隠した宝物(ルビー)なのだが手がかりがないので捜しようもない。アーサーはひょんなことから祖父の残した手がかりを発見する。手がかりにしたがってミニモイの国へ行くことが指示される。不思議なアフリカ人たちに助けられて、アーサーはミニモイの国へ誘われる。突拍子もない方法でアーサーは数ミリの小人たちであるミニモイの一人に変身する。そこでミニモイの国の王女セレニア、その弟のベタメッシュとともに魔人マルタザールを倒しにいくことになる。
ミニモイの国というのがアーサーたちが暮らしている家の庭であること、家が売り払われるとその土地は造成されてマンションになってしまうので、ミニモイの国そのものも消滅する。彼等の利害は一致しているのだ。マルタザールの支配する国にとらわれていた祖父を助け出し、ついに宝石を手に入れることに成功するが、マルタザールには逃げられる。
間一髪で祖父とともに家を売り払うのを阻止して話は終わりだが、アーサーは再び王女セレニアと会うことを約束していた。続編の宣言だ。
リュック・ベッソンは3部作の映画として予定している。原作はそのリュック・ベッソンの児童向けの小説である。セレニアの声はマドンナ、マルタザールの声はデヴィット・ボウイ、ミニモイ王はロバート・デ・ニーロと豪華だ。みんな楽しそうにやっているのが感じられる。なんということのない話だが、素直に楽しめた。
ラストのタイトルバックにリュック・ベッソン自身がミニモイの一人になってちらりと出るのがご愛敬。

続 夢千代日記・第五話

Photo 湯村温泉・荒湯。

Photo_2 吉永小百合の手形。

夢千代日記の第四話が録画されていなかった。無性に悔しい。野球放送が録画されている。放送が伸びたのだろうか。

第五話を見たので、第四話について想像してみる。家出少女の俊子の強姦騒ぎは俊子の狂言だった。教師の上村に好意を抱いていたのに相手にされなかったための芝居だった。上村の弁明は一切受け付けられずマスコミにも大々的に報道されて職を失った。俊子側が告訴しなかったので幸い罪には問われなかった。俊子の母親が迎えに来て彼女は家へ帰っていった。ホテルに勤めていた佐和子が裸足で「はる屋」に逃げ込んできたのは、つとめがコンパニオンとして客の夜の相手もするように強要されたからだ。彼女は失職する。

第五話では上村があらためて夢千代に絵を描きたいと申し入れるが、夢千代は頷かない。その晩、夢千代は倒れる。悔いを残さないために夢千代は上村をあらためて「はる屋」に呼び出す。しかしその場になって気が変わって上村に会うことを拒絶する。上村はふすま越しに「春になるまで待つ」と約束して去っていく。余命の短い夢千代は、上村を頼ることで上村の負担になりたくなかったのだ。しかし、おスミさんに「上村さんもあなたにすがっているのだから上村にすがってもかまわないのだ」と諭される。佐和子の夫が娘の奈美絵を取り戻しに来る。佐和子は無断で奈美絵を連れ出して放浪していたのだ。奈美絵はおずおずと父親の手を取り帰ってしまう。佐和子はあきらめて追いかけない。そして夢千代にいきさつを語る。上村は生計のために毎日漁船に乗っている。毎日日記のように手紙が来る。「春になれば・・・・春が待ち遠しい・・・」。今は夢千代も同じ思いである。夢千代もためらった後ようやく手紙を出す。手紙を出した翌日の晩、上村の乗った漁船が遭難したという知らせが届く。夢千代の出した手紙を手がかりに連絡が入ったのだ。互いにかけがえがないと思いながらついに結ばれることのなかった二人であった。夢千代は冬の海に向かって読まれなかった自分の手紙を読む。春はまだ遠い。今は冬、北風が冷たい。

ああ第四話がないのがまことに残念。

「清末見聞録(清国文明記より)」・物売り①

 中国は一衣帯水のすぐ隣の国だから、北京だからといって物売りは似たようなものだが、特にめずらしそうなものをいくつか紹介する。

・籤引き 籠の中に菓子・果物または雑貨を入れて、右の手には底に皮を張った竹筒に竹籤を入れたのを持ち、これを振ってドンドンと鳴らしながら物を売っている。子どもよりは大人たちが若干の銅銭を持ってきて、右の籤を引いて得意そうに品物を持ち帰るのや、またがっかりして手ぶらで去っていくものがある。これは同じ金額でもその引き籤に引き当てた者は、金額よりも遙かに多くの品物を取り、籤に当たらぬ時は何ももらえないのである。これは一種の富籤で、顧客の投機心を当て込んだものである。このようなのは日本でも昔は時々見かけたことで、多くは子ども相手の駄菓子屋の類だったからなんということもないが、ここでは子どもよりも大人相手だから驚く。中国人はだいたい非常に投機心が強く、彩票(ツアイピヤオ)つまり富籤があちこちで盛んに行われている。その国民性がこのような物売りにも現れているのだろう。

・小売り煙草 中国人には煙草を吸う人がとても多い。少年少女の喫煙家を見受けることもめずらしくない。したがって煙草の小売店や街の角ごとに煙草の小売りの露店を見かけることが多い。それは別に不思議なことではないのだが、よくその商売の様子を見てみると、巻き煙草を一本ごとに吸い口をつけて店先に並べている。貧しい中国人はこのような店に来て一本ずつ買うのである。巻き煙草の一本買いとはずいぶん珍しいのではないか。悪くいえばそのシミッタレ根性、善くいえばその経済思想の発達が、こんなことでもよく分かる。しかし、堂々たる大都会の、特に栄華を極めた大料理店などでも、堂々たる紳士たちが同じように一本買いをするのだそうだから、これを珍しいことというのは野暮なことかもしれない。ちなみにある人に聞いたところでは、中国人はマッチを買うのに、箱の中の本数を数えてその多いのを買うということである。

・肉の煮売り 牛豚鶏肉などの煮たものを俎に載せて切り売りしている。お客は二、三枚銅銭を持ってきて少しずつ買い求めている。一見したところは醤油で煮しめたような色をして、見るからに胸が悪くなのような見かけである。特に豚の腸詰めの見た目がいけない。夏期になるとずいぶん蠅もたかっている。孔子でなくともこんな市脯は食う気がしない。しかし、貧しい人にとってはすこぶる便利なのであろう。彼等はいつも飯も炊かず、副食物を煮炊きすることもなく、不経済な薪を使ってけむりを上げる必要がなく、どれほどかその時間と労力を省いているのだ。

2011年12月20日 (火)

中国ウオッチ・今度はサンゴの密漁

長崎の五島列島沖、日本の排他的経済水域内で、夜間に中国漁船が操業しているのを海上保安部の巡視艇が発見し、停船を命じたが漁船はこれを無視して逃走、翌早朝にようやく拿捕した。船長以下11人は逮捕の際、抵抗しなかったという。海上保安部の調べによると、その漁船からはサンゴが見つかっており、サンゴを密漁していたと見られる。
五島列島沖では違法操業の中国漁船がたびたび見つかっている。
中国漁船は目の細かい網で海域を根こそぎさらうため、稚魚も小さな魚も全ていなくなり、出没する一帯が死の漁場になってしまうおそれがある。
これでは中国漁船はオニヒトデみたいだ。ひとつずつ駆除するしか手がない。昔韓国漁船が日本の領海で同じようなことをしていたが、日本の申し入れで韓国政府は韓国漁民に栽培漁業を指導。さらに乱獲をしないためのルールを徹底して現在は韓国周辺が豊かな漁場に生き返っている。これは韓国政府が自分の国の漁業者に問題があることに気がついたから出来たことだが、今の中国には自国の漁業者に指導するなど思いもよらないことで、中国の周辺海域をすでに魚のいない死の海にした上に他国の領域を侵すことを奨励せんばかりの態度である。罪が重いと思う。

映画「THE OTHERS」

2001年公開(日本は2002年)スペイン、フランス、アメリカ共同制作。制作指揮にトム・クルーズが参加している。主演のにコール・キッドマンとはまだ別れていなかった。監督・アレハンドロ・アメナーバル、出演・ニコール・キッドマン他。

1945年第二次世界大戦末期、イギリスの小さな島の邸宅で、グレース(ニコール・キッドマン)は、フランスに従軍している夫を子どもたち二人とともに待ちわびている。子どもたち二人は重度の光アレルギーで太陽光を直接浴びることが出来ない。この邸宅に新しく使用人として、初老の女性と口のきけない娘、初老の男の三人が尋ねてくる。それまで務めていた使用人が突然いなくなって困っていたところで、募集に応募したものだという。ところが郵便ポストには投函したはずの募集の依頼の手紙が残っていた。

この三人が雇われてから次々に不思議なことが起きる。いないはずの音楽室からピアノの音が聞こえたり、不思議な物音が聞こえ、鍵を閉めたはずの扉が開けられている。子どもは姉と弟の二人だが、姉は男の子を見たという。あり得ないことなのでグレースは嘘はいけない、と強く叱るが不思議な出来事はだんだんエスカレートしていく。グレースは思いあまって教会の牧師に屋敷を清めてもらおうとするが、それを阻むように屋敷のまわりを霧が取り囲み、教会へ行くことが出来ない。その霧の中から突然やつれ果てた夫が現れる。親子で再会を喜び合うが、夫は疲れ果てており、母子の話も上の空である。よほど戦争でつらい思いをしたのだろう。

この辺りで私は結末がほとんど分かった。これ以上あらすじを紹介するとネタバレになりそうなのでやめておく。

グレースの役柄にはニコール・キッドマンの風貌はばっちりである。思い込みが強く、きつい気性のようでありながら突然自分自身を見失ってしまう弱さがある。舞台設定がイギリスの小島にある、15以上の鍵のかかる部屋と50のドアがある屋敷、それも光アレルギーの子どものために昼でも厚いカーテンが閉じられている薄暗い部屋の中で物語が進む。最後のほうまで怪異現象の正体を現さないので緊張感が持続する。しかしこの映画はむやみに怖がらせることが目的の映画ではないので、それほど恐怖感はない。途中でオチが見えたりしなかったらもっと楽しめたのに、似たような映画を見すぎだろうか。

住民への指示

北朝鮮当局は今回の金正日の死去に伴い神経をとがらせているようだ。次々にいろいろな指示が出されているようで、いまのところ人々は整然とそれに従っている。みなが指示どおりに涙を流して深い悲しみを表明し、新たな指導者、金正恩を讃え、忠誠を誓っている。そうしなければどんな言いがかりをつけて処罰されるか分からないから当然の行動だ。
それをそのまま北朝鮮国民はみな深い悲しみに沈んでいる、などと中国メディアみたいに伝えている日本のテレビ局もあったが、何を見ているのだろう。見せようとしてみせられたものをそのまま伝えるのが真実の報道だ、などという馬鹿では報道者として失格だろう。
ところで住民同士の監視団体を通じて出された指示のひとつに「追悼の花束を供えるとき以外は、むやみに5人以上で集まるな」というのがあったそうだ。
当局も北朝鮮国民にたまっている怒りのエネルギーを恐れているのだ。こういうことを伝えて、その意味を知らせるのが報道ではないか。

そういえば文化大革命の時代、テストで差をつけるのは平等主義に反するといって、優等生が他の生徒に自分の答案を見せた、といって表彰されたのを報道し、美談として絶賛していた新聞社があった(某朝日新聞・他にもあったかもしれないが他は知らない)。しかもそれを見て自分の生徒に全て同じ成績をつけるという行動に出た日本の先生が続々と現れたことを思い出す。

北朝鮮も中国も見せたいと思うものを見せたいようにしか報道しない国だと言うことを何より自国民が知っている。

続 夢千代日記・第三話

Photo 夢千代の像。広島市からの寄贈。

第三話では家出してきた少女・俊子にまつわる驚くべき話が語られる。17歳だと夢千代に話していた彼女の実際の年齢は15歳、中学校の3年生であった。彼女は昨年担任の中学教師に強姦されたのだという。その上村という教師を捜して家出したのだということが刑事の藤森から知らされる。持っていた刃物は上村を刺すために持っていたものだと藤森は決めつける。

ヌード劇場の背景画を書くために雇われた画家はどうしてもヌードの絵を描く気になれず、夢千代の絵を描いてしまう。小屋主の山倉(長門勇)の了承を得られるはずもなく、湯村を離れることにするが、その前に夢千代に会いに行き、夢千代の絵を描かせてほしいと頼む。そこに俊子が現れる。画家は元教師の上村だったのだ。わずかな出会いしかないものの上村に好感を抱いていた夢千代は「あんな上村でも13歳の少女を強姦するような狂気をはらんでいるのなら、人間は哀しい」と思う。

夢千代はその晩、煙草屋旅館で上村と俊子を二人だけで会わせる。二人が週刊誌などで騒がれたような強姦教師と被害を受けた生徒などと言う単純な関係ではないことを夢千代もうすうす感じたのだ。

その頃新しいホテルの従業員として雇われていた佐和子(いしだあゆみ)が、小雪の舞う中を「はる屋」に裸足で駆け込んでくる。

中国ウオッチ・兵糧攻め

中国・広東省東部の漁村で、地元共産党の幹部の不正な土地収用に抗議する村民と警察のにらみ合いが続いている。これだけならば全土でおこなわれている抗議行動のひとつとなのだが、漁村の人口13000人のほとんどが結束しており、千人以上の警官が村を包囲しているという異常事態となっている。地元警察は「兵糧攻め」を公言している。事実今のままでは村にある食料はあと一週間分くらいしか残っていないと見られている。これでは戦争である。
この村では地元幹部が村の要職を全て身内で固め、不動産業者に勝手に村の土地を売却して懐に入れていた。これに対して村民は自治組織を結成し、独自に選挙を実施し、代表者を選出して抗議活動を行ってきた。ところがこの代表者たち五人が器物損壊などの疑いで逮捕されてしまった。しかもそのうちの一人が急死したのである。当局は心臓麻痺だと発表しているが、村民たちは納得せず抗議行動となったのだ。
当局は当初「村民の訴えは基本的に解決した」と報告していた。この騒ぎに驚いてこの村の土地開発プロジェクトと称して行ってきた土地の売買を一時凍結し、村の党書記と副書記を免職して補欠選挙を行うと発表している。
香港紙など一部メディアは「不審死」と抗議行動を伝えているが、中央メディアは例によって「一部煽動者による違法行動」と伝え、公安、警察、消防が出動して速やかに秩序回復しつつあるとしている。
この不審死は実際に心臓麻痺だったかもしれないが、村民(私も)は拷問によるものだったのではないかと疑っているのだ。どうせ殺されるならと開き直って抗議行動しているのかもしれない。村民がことごとく結束しているなどというのは、いままでよほどひどいことが続いていたのではないか。
兵糧攻めに対し、周辺の村からこっそりと食糧が補給されているという。事実であればうれしいことだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・露店

 内外城の大街には左右両側に常設の露店があったのは昔の話で、私が初めて北京城に入ったときには大街の改修はまだようやく半分ほど進んだ状態で、露店の多くは取り払われて、後門大街だけその面影を残す状態だった。早く見ておかないと昔の賑わっていた様子が見られなくなると、坂本、小林両文学士に誘われて一日見物に言った。
 露店というのは掘っ立て小屋で、壁などは煉瓦で作ってある。間には天幕を張っているものがある。それが道路の左右両側に建ち並んでいるから、広い大街は狭い三条の道路のようになっている。往来の激しい大街のこと、肩はぶつかる、車同士も接触するなど、ごった返している。しかし、初めて中国街に入った人は、誰しもが一種の悪臭が道路上に漂っているのを感じるだろう。私も大街五六町ほどは、息もつけないほどで、やっとの思いで通り抜けた。
 露店で売っているものには、いろいろな雑貨もあるけれど、多くは貧しい庶民向けの飲食物である。中国人は米飯よりもむしろ蒸し饅頭、麦製の焼き餅、饂飩などを食べることが多い。米は南清、特に江蘇、浙江辺りから大運河を輸送してくるから、特に北清では米は安くない。貧しい庶民は容易に米を口にすることが出来ないのだ。上流の人でも三度の食事のうち、朝は粥、または麦の焼き餅、蒸し饅頭を食べ、昼と晩とに一度が米飯なら一度は麺、すなわち切り麦を食べるのが普通である。つまり一般に常食として焼き餅、饅頭などを食べるために、またひとつには薪や炭がそれなりの値段がするために、家ごとに煮炊きをしないで買って食べるのである。日本で家ごとにご飯を炊くよりもパンを配達してもらうようなものであろう。中流家庭以下では副食物などは買うことが多い。この風俗は多分古代からつづくものであろう。『論語』に「孔子市脯を食わず」とはこのことを言ったのであろう。したがって、露店で飲食物を売るのが特に多いのではないか。
*市脯(しほ)=市場で売っている干し肉。孔子の話は上流階級としてのプライドの話だろうか。不勉強でよく分からない。

2011年12月19日 (月)

哀号

金正日の急死が伝えられた後の北朝鮮の市民や軍人の様子がテレビで伝えられていた。みながみな涙を滂沱と流し、中には泣きわめくものもある。ひれ伏し、地面をたたき、号泣している。親が死んでもほとんど涙が出なかった当方としては異様に感じる。
こんな報道が北朝鮮の人々の本音を表すはずなどなく、無意味なのだが、テレビの絵として北朝鮮に許されたものが何の思想もなく放映されている。
激しく悲しみを表さなければ身に危険が及びかねない彼等の空しさが、その過剰な姿から見えた気がする。
毛沢東が死んだとき、同じように嘆き悲しむ北京市民の姿を見たことがある。あのときは嘆き悲しんで見せなければならなかったのだ。
北朝鮮がせめてこれから今の中国程度には自由になれると良いのだが。

ホットライン

北朝鮮の金正日死後の対応について李明博とオバマ両大統領が電話で打ち合わせたそうだ。北アフリカや中東の話ではない。今まさにすぐそばの国がどうなるが予断を許さない状況の時、日本は蚊帳の外でぼんやりしている。危機管理も何もあったものではない。金正日がいつかは病で死ぬことは誰にでも予想できたことである。では日本政府をになっている民主党の面々にそれに対する何か手立てを考えている人間がいたのだろうか。考えられるのが小沢一郎くらいしか思い当たらないというのが哀しい。

鳩山由紀夫、菅直人両首相は日本が築き上げたアジアでのポジションを壊滅的に破壊した。分かって出来ることではない。無知の恐さをこれほど明らかにしたことを他に知らない。彼等は未だに責任を感じていないだろう。

これから起こりうる万一の事態に対して備えることが喫緊の課題だと思うが、これも民主党は政争の具にするつもりだろうか。

野田首相のこれに対するコメントは「事態を冷静に注視し、万全の体制を整える」「今回の事態が東アジアの平和と安定にマイナスにならないよう万全の体制をとる」であった。辻立ち説法で鍛えられて言葉だけは巧みだが、ではどうするか、具体的な打ち合わせのための人間を招集する様子もない。

万一数多くの人間がボートピープルとして日本海に押し寄せてきたとき、人道的見地(慰安婦問題に対する野田のお言葉)からどうするというのだ。その中には軍人もスパイも犯罪者もいる。なぜならそういう人間ほど逃げる必然性があるからだ。

起こりうる事態を考え、それに備える、これが第一である。観念的な言葉の裏に断固たる方針が見えれば安心できるのだが、残念ながらことごとく裏切られ続けただけに信用できない。日本の国そのものに不安定要因が蓄積していることにすら気がついていない政治屋たちからそろそろ志のある若い議員たちは離陸しても良いのではないだろうか。

野田首相は李明博大統領とホットラインで打ち合わせたそうだ。昨日面談したのに慰安婦問題で話は終始して、電話で何を話したのだろう。昨日この事態を想定した話をしておくのが政治家ではないのか。

金正日急死

昼のニュースで金正日の急死を伝えていた。17日の8時(午前中のようだがはっきりしない)過ぎに、査察先の列車の中で心筋梗塞のために急死したという。69歳だった。最近姿を見せないために話題になっていたあの女性アナウンサーが喪服を着て悲痛な顔で伝えていた。あのアナウンサーは何か失態をしたために外されたと見られていたようだが、この大事なときにまた現れたということはどういうことだろうか。

北朝鮮はどうなるのだろうか。韓国と中国は、北朝鮮の人々が動揺して難民として越境してくる事態に備えたという。中国も今日の放送で知ったようで、その放送を流しているが、その事実を伝える以上のコメントは出ていない。アメリカも日曜日の晩のためにリアクションが遅れているようだ。

今は誰も驚いているばかりでそれ以上の行動はない。しばらくするとそれぞれの思惑から動き出すだろう。一番恐いのは北朝鮮軍部の暴走である。韓国の李明博大統領も、国民迎合のために日本訪問を利用するようなふざけた行動をしている場合ではなくなった。今回の日本訪問の時にあるべき交流が出来ていれば、北朝鮮対策についてもすぐさま打ち合わせに入れたものを、無駄なことをしたと反省してくれていればよいのだが。

そもそも世襲制の共産主義独裁政権などというものが永遠に続くはずはない。その無理を続けるストレスと美食で金正日は心身ともにぼろぼろになっていたのではないか。彼のために死んだ人間が何万人いただろう。しかし恨みを晴らされる前に死んでしまった。

後継とされている金正恩が本当に賢かったら体制を変革することを選ぶであろうが、今のままの方が良い権力者たちがそれを許すとは考えにくい。体制が替わると身に危険の及ぶおそれがあるのだから、命がけで阻止しようとするだろう。しかし変革のエネルギーというのはそんな者で止まらないことが多い。しばらくは北朝鮮とその周辺に注目していこう。

続 夢千代日記・第二話

Photo 荒湯の対岸からの風景。今はドラマの時と違い、河原が整備されて石畳の遊歩道になっているが、昔の石がごろごろしている方がずっと良い。その石が湯で暖められているのを触りたかった。

第二話ではアコをめぐって金魚と産みの母親・恵子(松本ちえこ)の直接対面となる。恵子の話を聞くうちに金魚の気持ちは折れかける。さらに恵子が今度結婚するという男まで現れ、二人から懇願されてアコを手放さざるを得ないような気になってしまい、「はる屋」からアコを呼ぶ。金魚はアコに「アコがこの人たちと汽車に乗っていってしまってもお母ちゃんはおこらへん」といい、アコに決めさせようとする。アコを連れてきた夢千代は二人に「この子のかけがえのない人生を一分で決めさせるようなことをしてはいけない」と諭す。金魚は河原でアコを失う悲しみを抱えてしゃがみ込んでいるが、そこへアコが「お母ちゃん」と叫んで飛びついていく。黙って金魚が抱き寄せる様子を見て、二人はあきらめて大阪へ去っていく。夢千代が家出と知りながら事情を聞かずに連れ帰っていた少女の口からわずかながら事情が話され出す。彼女は好きな人がいて結婚したいのだという。中学校の先生だというその人を捜しているのだと言い、出ていこうとするが、手伝うからと夢千代はかろうじて引き留める。ところがいつも出入りしている藤森刑事(中条静夫)が家出と知って強引に少女の持ち物を開ける。身元を表す定期と小さな刃物が出てくる。他にもいろいろ登場人物に動きが出て物語も動き出した。

小さな温泉のヌード劇場のダンサー役の緑魔子がとても良い。こころがきれいだから人の気持ちがストレートに見えるという役柄がはまっている。こういう人は常に不幸になるこの世の中が哀しい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・道路②

 ところではなはだ不潔な話であるが、中国人は家に便所はあることはあるのだが、窮屈で臭いところよりも青天井の下でするのが好きなところがあって、横町や曲がり角などにしばしばしゃがみ込んでいるのを見ることがある。通りかかった人は見て見ぬ振りをしなければならない。人としてせざるを得ない行為をするのに誰はばかることがあろうか、しかしこれを見るのは罪である、というのはずいぶん勝手な習慣だと思う。あちこちの横町の壁には君子自重の四字が書かれているのがある。やたらに小便するな、という意味である。朝早く街路を行くと、掃除人が桶を肩にして路上を清めているのを見受ける。そうして左右の人家からはしばしば馬桶(マートン)つまりオカワ(おまる)の中の汚水を路上にまく者も見受ける。
 城門の内外は巨大な石を敷き詰めてある。この工事の大がかりだっただろうことは想像を絶するばかりである。それなのに中国の馬車はとても頑丈に出来ていて、交通が頻繁なためか、これらの敷石はいずれもすり減っていてところどころに大きなでこぼこも出来ている。このため人力車などはしばしば転覆することがある。馬はしばしばつまずいて足を折ることがある。それでも彼等は平然としていて、少しも修復をしようとしない。多くのことにおいて彼等は創業の時には大変なことをしてのけるが、その後はどうしようもなく毀れてしまうまでは少々のことならこれを修復するよりも自然の成り行きに任せ、いよいよどうしようもなくなったら、別に新しいものを造るというのが彼等のやり方である。

2011年12月18日 (日)

続 夢千代日記・第一話

Photo 夢千代日記の舞台、湯村温泉の荒湯。

夢千代日記の時の吉永小百合は本当に美しかった。不治の病を抱えて愁いを含んだ顔は、たとえようもなく魅力的だった。当時、吉永小百合がロケに行くとみんなから身体の具合を心配されたそうだ。吉永小百合本人は健康そのものだったが、みんなには夢千代がオーバーラップして見えていたのだ。

続 夢千代日記は、前回からちょうど一年後、11月28日から始まる。神戸の病院で半年に一度の診察を受けて、余命二年と医師に宣告された帰りの列車から始まる。餘部鉄橋を渡る辺りで、夢千代は一人で乗っている少女が震えていることに気がつく。家出だ、と直感する。夢千代にも昔同じような思い出があるのだ。彼女に声をかけ、「はる屋」に誘う。ちょうどその頃金魚(秋吉久美子)の娘、アコが誘拐されたといって騒ぎになっている。アコは金魚の実の娘ではない。産みの母親が7年経った今、取り戻しに来たらしい。幸いアコはその手を逃れて湯村のヌード劇場に潜んでいたところを発見される。そのヌード劇場に外人の踊り子が新たに連れられてくる。温泉に新しく建った大型ホテルに来る客を当て込んだのだ。さらにそのヌード劇場に新しい看板の絵を描くため、画家(石坂浩二)が雇われる。画家は夢千代の絵を描きたいと言うが断られる。新しいホテルに働きに来た女・佐和子(いしだあゆみ)が娘連れで湯村温泉に来る。煙草屋(老舗旅館)に泊まった佐和子は25年前に母親とここに泊まったと告げる。女将の泰江(加藤治子)は古い宿帳を繰ってそのときのことを思い出す。いろいろな登場人物が過去を抱えて集まってくる。物語はこれから始まる。

夢千代は余命二年の自分を思いながら「人を強く愛したい、人から強く想われたい」と考える。人は誰かとの強い関わりを持つことで自分が生きていることを実感したい、という切実な言葉だ。胸を衝つ。

中国ウオッチ・政策性住宅

不動産価格が騰貴して低所得者には住宅の入手が困難になってしまった事態を受け、中国政府は各地方自治体に一定数の公的住宅を建てることを指示していた。それを政策性住宅という。ところがその政策性住宅を食い物にしている実態を以前報告した。地方自治体の役人と不動産屋が結託してそれを買い占めてしまい、安価住宅として転売したり又貸ししたりしているのだ。そのほかかたちだけ土地を用意したまま放置したり、建てかけのままだったりと見せかけの対応でお茶を濁す自治体も少なくないという話であった。
このつづきだが、武漢市の政策性住宅の低品質が問題になっているという。初めて入居した住民によると、壁はでこぼこでひび割れだらけ、トイレは水漏れする、防犯扉は閉まらない、各部屋の扉も閉まらないものがある、壁のモルタルも剥がれ出したという。
さらに屋上の貯水タンクから水が漏れだして階下の壁にしみ出した。建設会社側は、壁の亀裂は温度変化によるものと住民の雑な内装工事が原因だと反論している。専門家の見方は様々らしいが、建物全体が地盤沈下などで傾いている、などと見立てているものもある。
武漢大学の専門家は、明らかに手抜き工事であり、本来の建築基準に合致していない、建設後の役所のチェックが不十分ではないか、といっている。
管理部門の役所に問い合わせると、我々は書類上のチェックを行った、書類に問題がなければ合法である、と責任がないことを強調したという。さらにその部門を管轄する上部の役所に問い合わせたが返事がないという。多分武漢以外の政策性住宅も似たようなものなのだろう。

中国ウオッチ・アフリカタウン

NHKBSで広州のアフリカタウンを取り上げていた。
中国はアフリカとの結びつきを強めている。中国は急激な経済の膨張に伴い、資源の確保をしなければならず、比較的に手つかずのアフリカの資源を狙っているのだ。アフリカも振興策として資源を売り、国内を活性化させたいと思っている。
そこでアフリカから商売をするために続々と中国に人々がやってきているのだ。なんと広州だけで10万人のアフリカ人が暮らしている。彼等は流ちょうな中国語を操り、したたかな中国人と対等に渡り合うだけのしたたかさも持っている。彼等は広州の一角のアフリカタワーと呼ばれる大きなビルを中心にアフリカタウンを形成している。
中国のアフリカとの交易額は現在年間10兆円。これは日本の5倍である。20世紀後半、日本は商社の活躍でアフリカに販路を築いてきた。アフリカでは自動車も電化製品も日本製がもっともシェアが高く、人気もあったのだが、現在はほとんどが中国製になってしまった。これは価格が安いことが大きな理由だが、商売をするアフリカ人をそれだけ受け入れるだけの懐が中国にはあり、日本にはなかったことも大きいだろう。日本でアフリカタウンなど想像できるだろうか。
アフリカはエイズと旱魃と民族紛争ばかりが報道されているが、今新たに開発された資源を担保に、凄まじい勢いで勃興しつつある。このエネルギーの熱さは日本には伝わっていない。
商社にいた叔父が、40年以上昔に、21世紀初めは中国の時代だろう、しかしその後、アフリカが台頭するだろう、といっていた。中国については当たったが、アフリカについては予言は外れたと思っていた。だがアフリカは今ふつふつと煮えたぎるマグマのように爆発寸前のようだ。
しかし今アフリカタウンは縮小しだした。どんどん商売が中国人に奪われ出しているのだ。アフリカの現地の通貨はドルと交換される。そのドルと中国の元とで商売が成り立つわけだ。ところが成長しているアフリカの現地の国々はGDPが伸びるに伴いインフレも加速している。世界的にドルが安くなっているというのに、現地通貨と比較するとドルは値上がりしているのだ。そして元はじわじわとドルに対して値上がりを続けている。アフリカのバイヤーたちは二重のレート変動から、利益を確保することが出来なくなってしまったのだ。永住を決意し、中国人の女性と結婚したアフリカ人たちが苦悩している姿があった。

そういえば悪名高き鈴木宗男氏が、これからはアフリカだ、といって外務省のアフリカに対する対応を強化させていた。ODAも彼の時にかなり増額していた。その時代に日本のアフリカに対する貿易額も急増していたはずだ。ボディーガードに二メートルくらいの身長のアフリカ人をいつも連れていたのを思い出す。アフリカは欧米に対して植民地時代の怨念から反発が根底にある。だから日本に対しては極めて友好的だったのだ。だから国連でも日本の決議に賛同してくれる国が数多くあった。ところがなんたることか、今は中国がちゃっかりそのポジションに治まってしまった。だから中国が反対する国連の案件はアフリカも賛同しない状況になり、日本の国連での発言力は経済以上に低下してしまった。北方領土の問題も含めてのソビエトとの関係でも、あの悪名高き鈴木宗男氏が窓口だったときはかなり対等に交渉が可能であり、スムーズだったように思う。
どうも国益と正義とは必ずしも一致しないようだ。そんなことは世の中ではあたりまえのことで、悪は悪としてなるべく最少に抑えながらしたたかにやっていくようなしたたかさを持たないと、きれい事だけでは、国民がついには食い扶持に困るようなことになってしまうようだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・道路①

 大街は今はほとんど改修が終わっている。日本式に割石を敷き詰め、その上に石灰を流し込み、ローラーでならして、中央を馬車道とし、左右を人道としてその間に溝渠を設け、柳樹を植えて街灯を配している。苦力は絶えず水をまいてほこりが立つのを防いでいるなど、立派な文明的な施設になっている。
 改修される前の古い道路はひどいものだった。中央に馬車道があって左右に人道があるのは今と同じだが、人道と車道の間には幅数間、深さ1~2mの溝渠が造られている。普段の往来には差し支えないが、雨期に入ると、溝渠の水があふれて車道にあふれることもしばしばで、誤って道路で溺死することもあったと聞いている。もちろん誇張された話だと思うが、あながちあり得ないことでもないような気もする。雨の後に苦力たちが鏝(こて)を手に、車道を塗っているのを見たときは、ずいぶんめずらしい光景だと思っていたが、今は昔話になった。
 大街は改修が済んでいるが、一歩路地に入ると昔ながらの悪路である。私は雨の後のある日人力車で友を訪ねたが、道路にあふれた水の中に人力車が転覆して濡れ鼠になった。こんなことが前後3回ほどもあった。雨の降っているときは車夫を呼んでも来ないから、当然家でじっとしているしかない。私が雇っていた語学教師も雨の日は決して来なかった。

2011年12月17日 (土)

多部未華子のカレンダー

多部未華子のカレンダーをインターネットで予約注文した。金を出してカレンダーを買うのは今年に続いて二年目だ。今年のは電車の写真。思ったよりぱっとしなかった。見飽きないのがほしいので来年は多部未華子に決めた。待ち遠しいなあと思っていたのに、連絡があって、入手困難なのでキャンセルになるかもしれないという。やはり人気があるのだ。そうしたら何とか手当が出来たので配送するという。20日に到着だ。うれしいなあ。

腰痛が一進一退だ。ひどいときには起き上がるだけで痛い。しばらく待って覚悟を決めて起き上がる。座ってしまえば後はなんとかなる。立ち上がってしまえば何とか歩ける。酒を飲むと痛みが麻痺するので治った気がするが、醒めてくると飲む前より痛む。酒も控えた方が良いだろうか。気晴らしのドライブにも出かけられない。

台湾売春合法化

台湾は売春について規制している社会秩序保護法の改正案を可決した。これにより、自治体が希望すれば「売春特区(性工作専区)」を設けることが出来るようになった。
元々台湾は日本の公娼制度を受け継いでおり、戦後も台北などで赤線地帯が繁栄していた。これに対し、後に台湾総統となった陳水扁氏が、台北市長の時に台北市の浄化運動を展開、2001年に赤線地帯を消滅させた。これが全国に波及し、現在は公的に許可を受けている売春宿は11軒(それでもまだあったのだ)、49人の公娼がいるのみとなっている。

台湾通に言わせると、「台湾は性産業に肯定的な人が多く、娼婦に対する理解もある。政権の、選挙向けのパフォーマンスの面もあるが、これにより日本人観光客がふえることは間違いない」そうだ。
管理売春は性病の蔓延を防ぎ、地下世界への金の流れを抑制し、税収を確保するという面から必ずしも悪とは言い切れないが、釈然としない向きも多いだろう。
むかし、韓国で伎生(きーせん)をはべらせ、台湾の赤線に行き、タイのチェンマイに少女を買うというのが日本の男の団体旅行の定番であった。この脂ぎった日本人たちが現地の人達の目にどう映っていたのか、多分戦争の時の日本に対する反感より、それらの男たちの振りまいた反感のほうが根深いものがあるように思うが考えすぎだろうか。

中国ウオッチ・下水油

だいぶ前に下水油について取り上げたが、ご存じだろうか。その名の通り下水に浮遊している油やゴミから回収した油のことである。精製して燃料に使うくらいならまだ良いが、ひどいのは食料油として安価に販売されているのだ。下水中には何が流されているか分からない。精製したとは言え身体に害のあるものが混じってしまうおそれが大きい。
不法な業者の摘発で今年だけで6万トンが押収されたという。
ある意味で下水から油を回収しているのでエコに寄与しているのだが、分別されていないので使用できるものではない。
中国で日本のゴミの分別状況が報道されるとみな驚嘆する。
日本でもルールに従わない不届き者は必ずいるが、中国では不届きものだらけでシステムそのものが成り立たないだろうことを中国人自身がよく分かっているのだ。回収再生システムの構築はまだ夢の話のようだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京の家屋②

 大門はいわゆる長屋門になっている。長屋門は三、四室に別れていて門房、倒座児(タオツオール)また南房がある。門房には看門的(カンメンデ)すなわち門番がいる。大門を入り中門を過ぎれば、垂花門あるいは屏門がある。単に衡門(かぶきもん)作りで四枚の扉を用いるものを屏門といい、屋根付きで種々の彫刻などの装飾のあるものを垂花門という。これを入れば中庭で、正面に客庁があり、中庭を挟んで左右に東廂、西廂がある。廂は日本のヒサシと違い、母屋に接続しないで全くの別棟をなしている。客庁の後ろには罩房(チャオファン)がある。罩は蔽うの意味で、最後にあるので罩房ともまた後房ともいう。以上はたいてい通常の邸宅で、その大きなものになると客庁と罩房との間にいくつもの建物があり、さらにそのほかに跨所児(コワソール)つまり離れ座敷や、庭園や馬車室、馬小屋などの設備がある。
 家屋の構造は以上のようになっているが、妻妾にはそれぞれ一室が与えられており、親族が同居する場合も棟を別としており、竈を別にし、食事も別にする。夫婦さえも部屋を別にし、食卓を別にすることが普通なので、中国においては多くの妻妾が同居していても争わないというのが不思議ではないのである。
 室内には西洋風と同じく、押し入れというものがないので、一切の家具はほどよく室内に配置してある。昔、卓文君という美人が司馬相如という才子と手に手を取って、蜀に行き相如の家に行ったところ、お金持ちだとばかり思っていたのに案に相違して室内は壁が立っているばかりだ、という話がある。貧乏のことを壁立とは面白い形容もあったものだと思っていたが、今、中国の家屋を見て初めてその意味が分かった。

2011年12月16日 (金)

かけがえのないもの

ひとが本当に生きている、と言えるかどうかは、その人にとってかけがえのないものがあるかどうかにかかっている、ということをこの頃映画やドラマを見るごとに感じる。これは物語ばかりではない。
生きている実感のない人の話を良く聞くし、ドラマでもよく見る。そのような人が多いのかもしれない。
かけがえのない存在を持つこと、その相手からどう思われるかどうかはさておいて、自分がこころの底からそう思える存在を持てるかどうかなのだ。
人は相手に自分をかけがいがない存在として認識してもらいたいと願うし、それを実感したら死ねる。
しかし相手がどう思おうと、自分が心底大事に思える存在を持っているかどうかが、生きている実感そのものの問題だろう。
最近恋愛映画も含めてドラマの根本はそんなところかと思いかけている。もちろんそれは人生そのものでもあるのだが。

中国ウオッチ・胸元にネズミ

上海の地下鉄車内で、女性が何かの気配で天井を見上げると素早くうごめくものがいた。他の乗客も見上げて「ネズミだ」と叫んだ。そのとたん女性の胸元にそのネズミがぼとりと落下した。
上海市内の地下鉄にはネズミがふえているらしく、目撃情報が数多く報告されていたが、ついに車内でも目撃されたのだ。
これは地下鉄構内や車内で飲食する乗客が多く、その食べ散らかしたゴミがそのまま捨てられて、ネズミの天国になっているためだ。
上海地下鉄当局は駆除を宣言しているが、そもそもゴミを捨てる乗客がいる限り、ネズミごっこ、ではなくイタチごっこだろう。

「塚原卜伝」

今年NHKBSで7回にわたって放映されたものを録画していたので、昨日と今日で一気に見た。主演は堺雅人、ほかに妹役・栗山千明、ヒロインは京野ことみなど。
第一回「鹿島の太刀」。鹿島神宮の神官の家に生まれて幼いときから鹿島の剣を学んで育った塚原新右衛門(後の卜伝)が、回国修行(武者修行)の旅に出て、野盗退治で初めて人を斬る。その後小田原へ出て伊勢宗瑞(北条早雲)・中尾彬の催す御前試合で異様な剣を使う牧元鬼を倒す。
塚原は養子に行った先の名前で、もとは卜部吉川(うらべよしかわ)家の生まれ。父親役の中村錦之介(萬屋錦之介の昔の名前だが別人・もう死んでるからあたりまえか)。この人、役にはふさわしいのだが、多分歌舞伎出身の人だろう、セリフに微妙な間があるので少し違和感有り。舞台の人はなかなかテレビとリズムが合わないことが多い。
栗山千明がいつもどおり良い。この人はエキセントリックな役でも静かな役でも何でもこなす。だんだん美人に見えてきた。
なぜ江戸に行かずに小田原だろう、と一瞬思ったが、時代は16世紀初頭の戦国時代である。江戸はまだ蘆の原っぱの湿地帯で、人はあまりいなかったのだ。
第二回「御前試合」。しばらく小田原にいた新右衛門は、さらなる相手を求めて京都に上る。山中で鹿乃(かの)・京野ことみを助けたことがきっかけで、管領大内義興の家老平賀丹波守・風間杜夫の食客となる。鹿乃は丹波守の娘だった。今回は将軍足利義尹・本多博太郎の御前試合で大内氏の政敵、細川氏が抱える海内無双といわれる大野秀孝と対決し、これを倒す。
第三回「将軍暗殺」。将軍足利義尹が刺客に襲われ、重傷を負う。丹波守に頼まれ、新右衛門は刺客の円珍と戦う。仕掛けのある武器に苦戦し、怪我をするもののからくも勝利を収める。
第四回「一拍子の太刀」。船岡山の戦いで勲功をあげた新右衛門だが、大内氏の政敵、細川氏のたくらみで再び御前試合をする羽目になる。今回の相手は両端に長刀の刃をつけた武器を持ち、しかも異様な面をかぶった難敵・南栄。どのようにしても手元に入り込む手立てを思いつかない新右衛門は苦悩するが、もがき抜いたあげくに新しい境地に入り、当日の立ち会いの場では一瞬の間に相手を倒す。南栄は異人であった。
第五回「最強の敵」。新右衛門のもとには次々に立ち会いを望むものが現れるが、歯ごたえのある相手は現れない。京都を発とうと思っていた矢先に奥津源三郎・榎木孝明という人物が昔最強の剣豪だったという噂を聞く。立ち会いを申し入れた新右衛門に対し、奥津はもう剣は捨てた、と立ち会いを拒否する。京都の夜に、辻斬りが次々に人を襲う事件が発生する。その犯人がなんと奥津であることが判明する。奥津は血に酔う殺人鬼になりはてていたのだ。奥津は今までの敵よりさらに強かった。二刀を使い、つけいる隙がない。はやる心を静めて我に返った新右衛門はようやく奥津を倒すことが出来る。しかし奥津の姿は自分自身の未来を見るようで新右衛門は剣の闇に迷い込む。
第六回「一つの太刀」。新右衛門はこれまで倒してきた敵の亡霊に悩まされる。山内氏とともに山口へ行くという丹波守と別れ、鹿乃とも別れて新右衛門は鹿島の神のもとへ帰ることを決意する。鹿島へ帰った新右衛門は鹿島神宮に千日間籠もる修行をする。血で汚れた身を祓い、新たな境地を求めた新右衛門は夢中で鹿島流の開祖に出会い開眼する。
第七回「卜伝見参」。鹿島領では政争が続いていた。新右衛門も父、義父、師の松本備前守・永島敏行たちに、一派に荷担することを強く求められる。しかし新右衛門は政争には加わらないで再び旅に出ることを伝える。争いから逃げると見て師の松本備前守は真剣で立ち向かってくる。神技でそれを退けた新右衛門に備前守は再び回国修行に出ることを了承する。
塚原卜伝と名をあらためた新右衛門は、旅先で備前守が戦で死んだことを聞くが国元へ帰ることはなかった。

堺雅人は、たいてい笑顔だし、線も細くてなで方なので剣豪役が似合うだろうかと心配したが、そもそも卜伝自体筋骨隆々でいかにも強いというタイプではなかったらしいのでこれで良いのだろう。意外に太刀筋も決まっていて(太刀筋を見極める眼力はないがチャンバラ好きとして)違和感がなかった。立ち会いのシーンはさすがに竹光を使っていたようだが、単独で剣をさばくときは刃引きだと思うけれども本身を使っていたようで迫力があった。
月並みな言い方だがとにかく面白かった。BSのドラマは見逃したら損だ。

中国ウオッチ・つまらない人

次期国家主席になることが確実な習近平国家副主席が、河南省を視察した際、開封市の一流ホテルに泊まったときの話。ホテルとしては中国のトップが泊まるというので最上階のスイートルームを用意していたが、当日になって通常のシングルルームに変更するように指示され、最下層のシングルルームを用意した。さらに習近平氏は自分の枕、自分のスリッパ、自分の歯ブラシを持参し、ホテルの提供するアメニティルイには一切手を付けなかった。
もちろん食事も質素だったようだ。
習近平氏は元々革命幹部の子弟の出身だが、父親が文化大革命などで失脚して地方で不遇の中で育った。どん底から這い上がった人物である。賄賂を受け取るのがあたりまえの世界で彼は一切受け付けなかった、という。
ところがこの習近平氏の行動が報道されると「おもしろみがなくてつまらない人だ」という見方をする市民が多いのだそうだ。

以前、アメリカの中国大使として中国系の大使が来たことが話題になった。その大使が中国系にかかわらず、清廉であることが驚きと賛意を以て迎えられたという報道があったが、大衆というのは勝手なものである。

中国、漢の時代は前漢と後漢とに別れる。実は一度滅びるのだ。そのときに漢を簒奪したのは王莽だった。王莽は一族がみな皇帝の親族として栄華を極めていたとき、父親が早く死んだため、その繁栄に与れなかった。不遇の中、歯を食いしばって彼がしたことはなんだったか。清廉潔白を貫き、礼を尊び、他人に対して慇懃を貫いた。見え見えどころかそれ以上の行動を露骨にすることで成り上がっていき、ついに王朝を簒奪するに至る。これが「新(A.D.8~23)」である。新はわずか15年足らずで自滅するが、どうも習近平のこの評判を聞いて、なにやら王莽を思い出してしまった。中国人もそう感じたのだろうか。

中国ウオッチ・臓器売買

これは在米の中国ジャーナリストの話なので、かなり誇張や憶測のある話である。中国には二つの汚い商売がある。人身売買と臓器売買だ。人身売買は社会の暗部に昔からあったものだが、臓器売買は刑務所と医療機関の絡んだ経済活動として行われている。
中国は死刑執行が世界でも突出して多い国だ。そして臓器の供給源の95%が死刑囚のものだ(これについてはWTOで非難されており、中国衛生部のトップが事実として認めている)。この臓器を世界中があてにしているところがあるのは哀しいことだが事実のようだ。
最近は人権団体などから指弾を受けることが多くなり、中国政府も自粛をする動きがあるようだ。そのため、臓器の供給不足を来しているという。
先頃武漢の女子大学生が殺害されたが、その遺体から腎臓が盗まれていた、という噂が流れた。当局は単なる殺人事件であり腎臓の件はデマだ、としている。この噂は、腎臓移植は適合性がむつかしいので当局の言うとおりだと一応否定されている。
ただ腎臓は一つだけなら売買できるため、貧困者の中には自分の腎臓を売るものもある。実際の価格の何分の一で自分の身体を切り売りせざるを得ない人もいるのだ。また医者が患者の健常な腎臓をだまして摘出していた事件もあった。
世界に例のない話ではないことではあるが、中国は人身売買と臓器移植がかなりシステム化した商売として成り立っている特異的な国だそうだ。
人心の荒廃もきわまれり、というところか。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京の家屋①

 皇居の杜を見なければ天子の尊さを知ることは出来ない、と昔からいわれている。そのとおり皇居は大きく、高く、輝いて壮麗である。しかし市中の人民の家屋が狭くて汚いことは驚くばかりである。北京内外城のうち、もっとも賑やかなところは五カ所、内城では東四牌楼(トンスパイロウ)西四牌楼(シイスパイロウ)、後門大街(ハウメンターチエー)の三カ所、外城では前門大街(チェンメンターチエー)および大柵欄(ターシラル)であるが、内城では天子からの通達として二、三階の建物を建てることを禁じている。天子が行幸する際に階上から見下ろすことを許さなかったわけで、この繁華街の中心部でも全て平屋である。外国公使館、外国商店および最近建ったばかりの京漢鉄路公司等は例外とされている。
 中国の建物は煉瓦と木材混用の建築であるといえばいかにも体裁が良さそうだが、軒が傾き、壁が壊れているようなずいぶんひどいものが少なくない。これが四百余州の大帝国の帝都であるとはとうてい思えない。市街は一体に衰亡の色彩を帯びて見える。ただ前門大街だけはさすがに宮城正門にあたる大街だけになかなか見事で、いわゆる唐様の彫刻で仰々しく飾り立てた華麗な家屋が少なくない。
 中国家屋の便利なところは、壁を塗り直し、室内を張り替え、塵に汚れた垂木や軒などを塗り替えれば面目を一新することが出来ることである。中国国民は実に多くの点において物を糊塗することが巧みな国民なのである。
 さて住宅は大きい小さい、広い狭いの違いはあるが、大概一つの様式にしたがって建てられる。邸宅の周囲は厚い煉瓦壁で、一度大門を閉ざせば家はたちまち城郭となる。これはしばしば戦乱の巷となった京都の家屋と較べ合わせて考えるとうなずけないことはない。政府の威力は割合に信頼するに足らず、警察の制度はほとんど皆無で盗賊の横行するような土地にあっては、どうしてもこのような要害堅固の邸宅が必要かと思われる。この大型のものが北京であり、小型のものが各地の村落である。ほとんどみな城壁を繞らせて盗賊などに備えたものであろう。このように一度大門を閉ざせば一点の灯りも外に漏れないから、夜になって横丁を通過するときは左右の煉瓦の壁が暗く立っていてさながら無人の境を通るようである。(この項続く)

2011年12月15日 (木)

中国ウオッチ・脱線事故の原因

7月に起きた中国高速鉄道の脱線死傷事故について、いつまで経ってもその調査報告がなされない。飛行機事故と違い、ほとんどの証拠は残されているはずなのにどうしたことか、と問題になっている。
いつになったら調査報告書は完成するのかという記者の質問に対して、明確な答えがなかったが、調査副団長からは「管理体制の不備であったようだ」とのコメントがあった。従来の信号設備に設計上の不備があった、という説が覆されたらしい。
今後は管理者や担当者の取り調べが重点になる、そうだ。
そもそも落雷が多数あったことでの信号機の故障も、日頃から設備の手入れをしていれば起こらなかったことである、という話になっているらしい。

どおりであちこちで信号機故障続発のこの会社(中国国内のシェア60%以上といわれる)が処罰されたとか、鉄道から閉め出されたという話は聞いていない。おおかた多額の裏金が動いたのだろう。そもそも鉄道部と納入会社は江沢民という核を中心に巨額の金を回している集団といわれる。江沢民も死んだ(誤報)はずなのに、息を吹き返したら今度の事故のもみ消しに動いているようだ。

ところがこの調査副団長が最近の報道に対して「私はそんなことを言った覚えはない。報道は全て間違いだ」と言い出した。
「自分はその他の仕事に忙しく、事故調査の全過程に関わったわけではないので、調査の全面的な状況や最終結論を把握していない」そうだ。
一体全体どうなっているのだろうか。
おおかたまたどこかからお叱りを受けたのだろう。
これでは調査報告書は永遠に出てきそうもないようだ

中国ウオッチ・麻雀力

江西省の中年女性、淦雪梅(ガン・シュエメイ)さんは交通事故で意識不明の植物人間になってしまった。医師は当初、生存の確率はほとんどなく、まして意識を取り戻すことなど奇跡でしかあり得ないと宣告した。
しかしご主人や家族はあきらめなかった。必ず意識が戻ると信じて毎日のように彼女の耳元に語りかけ続けたのだ。
彼女は麻雀が好きだったので、誰かが「雪梅、早く起きて一緒に麻雀をやろうよ。今ひとり足りないから早く来て」と語りかけたところかすかに反応があった。
それから毎日みなが声をかけ続けたところ奇跡が起きた。二ヶ月後には彼女は意識を取り戻したそうだ。
きっと隣で麻雀のジャラジャラいう音を聞かせたらもっと早く気がついたかもしれない。

従軍慰安婦像

ソウルの日本大使館前に従軍慰安婦(を記念する?)の銅像が設置された。少女がいすに腰掛けて大使館の方を向いている像である。
こんなことを記念するはずはないか。こんな自国にとって屈辱になるような像を造る神経が分からない。
この像を日本大使館に突きつけることで、日本に対する謝罪と賠償金を求めていくそうだ。要するに金がほしいということか。
韓国の新聞が小中学生200人(少ない!)にアンケートを行ったところ、従軍慰安婦なんて知らない、と答えたものが78%だったそうだ。健全である。しかし従軍慰安婦像を設置するような団体は正しい従軍慰安婦についての教育をせよ、と叫ぶだろう。
正しい従軍慰安婦について小学生に教育することにどんな意味があるのだろう。自分が正しいと盲信しているのだろうが、理性を失ったものにしか見えない。
17日に韓国の李明博大統領が訪日する。いろいろな案件を抱えてくるが、そのひとつに韓国が植民地支配を受けたときの賠償請求の話がある。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京城・②

 北京に来たものは必ず先ず城壁に登る。そして、一度はこの城壁が壮大で、本当に金城鉄壁であることに驚嘆する。そうして、この城壁上の正陽門側にアメリカの砲台、崇文門側にはドイツの砲台があって、巨砲を皇居に向けて、いざとなれば一撃の下に粉砕するぞ、という構えを見せているのを見て、さらに驚かない者はいないであろう。中国人は普通は城壁の上に上がることを許されていない。しかし我々外国人は自由に出入りすることが出来る。中国人としてはこの屈辱に対して果たしてどのような気持ちでいるであろう。さて、この城壁上からはもっとも良く北京の全体が見渡せる。内城の中央、正陽門に接するように立ち連なっている大きな建物、黄色の屋根瓦がひときわ目を引くのは皇居である。皇居の正北にある小高い丘は景山という。この丘は緊急事態のとき、燃料にするため石炭を積み上げて造られているので俗にこれを煤山(メイシャン)と呼ぶ。煤とは石炭のことである。明末、李自成の乱の時、烈帝が悲惨な最期を遂げた遺跡でもある。鼓楼および鐘楼はその北に建っている。顧みて南方を見ると外城の南端に碧瑠璃の瓦が見えるが、これが天壇祈年殿である。振り仰げば西天に一帯の連山を見る。いわゆる大行山(たいこうざん)である。この山は遠く河内に起こり、直隷、山西の境を画して北京の西を走り、北の居庸から喝石(けっせき)に連なって北京の西北二面の防壁をなしている。この山を見て、また遙かに天につながる直隷の大平原を望む。誰でも気持ちが雄大になるだろう。

2011年12月14日 (水)

中国ウオッチ・空気銃弾?打ち込まれる

北京の韓国大使館に銃弾が撃ち込まれ、防弾ガラスにひびが入った。強力な空気銃から打ち出されたのではないかと見られている。韓国では海洋警察員が中国漁船員に刺殺された事件で中国への抗議行動が起きているが、それに反発したのではないかと見られる。
中国では貧しい漁船員がやむなく生活のために操業していたものを境界領域で無理矢理拿捕しようとしたのに抵抗しただけだ、という物語を作り上げて韓国政府に逆ギレしている連中がいるらしい。
折から中国・環球時報は「韓国は漁師を軍人と勘違いしている」とした論評を掲げた。「今回、仮に越境行為があったとしても、傲慢な強盗ではなく、生計のためにぎりぎりのラインで操業をするやむにやまれぬ行為であった」ので同情してほしいとしている。「韓国の厳しい処罰のために破産に追い込まれた漁師の悲しみを韓国民は知ってほしい」「中国のひとり当たりのGDPは韓国の五分の一で貧しく、取り締まりに抵抗するのはやむにやまれぬ行為であることを韓国民に分かってほしい」そうである。そもそも韓国のメディアは「中国は韓国をおとしめているという論調に満ちて両国の摩擦を高めている。韓国のメディアは中国政府がこの事件に関与しているが如き報道はやめるべきである」。とメディア批判にまで及んでいる。
こういう記事を読んだら韓国大使館に銃弾を撃ち込むような連中が出てくるのもあたりまえだ。
今中国は豊かになってきて、魚がとても人気があり高価に取引される。漁師は漁さえあれば高収入が保障される。ところが中国近海の一部はかなり汚染が進んでいて魚は捕れないし、捕っても食用に適さない。また捕れるところは群がって乱獲するので魚が激減してしまった。全て国の管理の不備である。漁民はだからリスクを構えて違法操業をする。違法操業が割に合わなければやめるのがあたりまえで、リスクよりも収入が良ければ、そして取り締まられなければやめないだけのことだ。
決して中国の漁民は貧しくなんかない。
中国政府はしてはいけないことはしてはいけない、と自国民に知らしめ、間違っていたことは正していかないと対外的な摩擦が大きくなるばかりだ。
中国の大型海洋監視船、「海監50」が出航し、東シナ海ガス田の周辺海域へ向かったそうである。これは中国の海洋権益を守るための行動だそうである。

中国ウオッチ・ソウルの中国大使館へデモ

韓国の排他的経済水域で違法操業していた漁船の船長が、韓国の海洋警察の警官を刺殺した事件に抗議して、13日、保守系市民団体約300人がソウルの中国大使館前で抗議活動をした。「中国政府の謝罪を要求」「謝罪がなければ軍事行動せよ」「韓国民は中国製品の不買運動を行う」と訴え、ついには警備の警察車両に車で突っ込むものまであった。
これだけの事件なのにまだ300人程度の抗議行動であることは、韓国国民はまだ冷静であることを物語っているように思う。
中国は当初謝罪どころか遺憾の意も表明せずに、一漁民の問題として無視しようとしたが、さすがに世界的な論調を見てまずいと思ったのか、やっと遺憾の意だけは表明した。
確かに事件は一漁民による殺人事件である。日本人がアメリカで殺人事件を犯したからといって日本の国がアメリカに謝罪することなどない。だが今回の中国漁船の違法行為はすでに何年も前から韓国や日本、そして東南アジアやアフリカでも問題とされていたことであり、ここまで公然と違法行為がまかり通ってきた背景を中国政府は知らないでは済まされない話である。
済まされないどころか違法行為をあおってきた、といわれても仕方がないような態度をとってきたのではないか。
取り締まるべき部署の役人が漁業関係者から賄賂をもらって目をつぶってきたといわれている。多分中国政府はそのうちのほんの一部の人間を断罪して、反省の態度の表明に換えることでお茶を濁そうとするであろう。

地震

午後一時頃、長野と岐阜の辺りで地震があった。広い範囲で震度4であり、ここ愛知県西部も震度4。最初にすとんと落ちるような縦揺れがあったので、直感的に大きいと思った。さいわい本棚に乱雑に積み上げている本が落ちるほどのこともなく、まもなく治まった。腰痛で唸っていたが、こういうときはさっと立ち上がることが出来る。自分でもおかしかった。遠からず来るという東南海地震がどれほどのものか、いささか心配でないこともない。

内田樹著「うほほいシネクラブ」(文春新書)

副題・街場の映画論。帯に怒濤の187本!圧巻の400頁!!。「とんでもないページ数の新書になってしまいました。どうもすみません」(ウチダ)とある。
通常の新書の倍のボリュームであり、3倍の内容である。映画が好きで、映画の解釈を読むことにいささかでも興味を持っている人にはおすすめの本である。
映画には寓意が込められているものが多い。映画制作者たちが意図したものもあり、意図しなくてもその時代背景やパラダイムの中からひとりでに形成されるものもある。ただエンターテインメントとして映画を楽しむのも良いが、もう一歩突っ込んでそれを感じられるようになったとき、映画のおもしろさは何倍にも増す。
この本で知らされることは、ものを知る、ということのレベルの深さには限りがない、ということだ。自分の知っていることのあまりに低レベルであることに気づかされるが、今まで何も知らなかったことを知ること、そしてはるか高みまでそのレベルがあることを知ることが知ることの第一歩なのだ。もちろんこれは映画だけのことではない。
つまらない映画だと思った映画にも意味を見いだして楽しむことを内田樹先生は教えてくれる。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京城・①

 北京は順天府または燕京ともいう。愛親覚羅氏が満州からから起こり、明を滅ぼしてついに(清朝として)中国に君臨したが、このとき明朝の都であったこの北京を都とした。元々明は元の大都といわれた北京を都とした。さらに遡れば、最初に北京に帝都をおいたのは遼朝であった。遼、金、元の三朝時代の北京については別に述べることにする。
 今の北京城は内城、外城の二つに分かれている。そして、内外ともに堅固な城壁を繞らせている。内城壁は、南北二面は各二千二百三十余丈(4000m)、東面は千七百八十余丈(3450m)、西面は千五百六十余丈(2800m)、ややいびつな長方形をしている。その高さは約三丈五尺(6.3m)、基礎のところの厚さが六丈余(11m)頂上で厚さ五丈余(9m)ある。城門は南方正面に正陽門があり、俗に前門(チェンメン)という。その左に崇文門(そうぶんもん)俗称哈達門(ハータメン)、右に宣武門、俗称順治門(シュンチメン)があり、東方には朝暘、東直の二門、西方に阜城、西直の二門、北方に安定、得勝の二門がある。あの北清事変の際、正陽、朝暘の二門は火事に遭ったが、今はもとのように修復されている。
 外城は内城が作られてから百数十年後、嘉靖年間(16世紀半ば頃)に築造された。最初は北京の四面を包む予定だったが、経費が膨大であったため、わずかに南面を包むだけに終わった。外城の南面は二千四百四十余丈(4400m)、東面は千八百五十余丈(3330m)、西面は千九百余丈(3420m)、城壁の高さおよび厚さはやや内城より劣る。城門は南面に永定、左安、右安の三門、東面に広渠、東便の二門、西面に広寧、西便の二門がある。(この項続く)

腰痛

昨日から腰痛がひどくなってきた。今朝は起き上がるのにしばらくかかった。とりあえず日常のことは出来るが、じっとしていたら治まってくるのだろうか。ここまで痛いのはずいぶん久しぶりだ。この半年、左肩がずっと痛いし、どうなっているのだろう。頭のほうは・・・自分では大丈夫だと思い込んでいるが、実は・・・。

2011年12月13日 (火)

夢千代日記・第一部

Photo 湯村温泉の夢千代像。

テレビで放映された夢千代日記は三部作。再放送されたときに第一部と第二部だけビデオに録画してあった。
今回第一部1~5話を昨日と今日とで一気に見た。第一部は1981年放映。約30年前である。吉永小百合をはじめみな若い。
舞台になった湯村温泉には二度行った。
温泉の芸者の置屋「はる屋」の女将の夢千代の日記をたどるかたちで物語は進む。置屋の芸者たちにはそれぞれ辿ってきたドラマがある。
物語の中心になるのは、以前、はる屋にいた芸者・市駒(片桐夕子)を殺人容疑で追ってきた山根刑事(林隆三)との関わりである。山根は必ず市駒は夢千代を訪ねてくるはずだと確信して張り込む。
それに6年前の心中の生き残りの芸者・金魚(秋吉久美子)の連れ子に関わる話、さらに温泉の面倒見の良い医師・木原(ケーシー高峰)に関わる話、温泉に勢力を伸ばしに来る広域暴力団と夢千代の母との関わりなど、様々なドラマが輻輳していく。
晩秋から初冬にかけての山陰の海辺とその波のかすかなとどろきが常に背景にある。太平洋側の冬の晴天続きの明るさはそこにはない。その代わり、人のこころにある陰影を感じることが出来る、やさしさとぬくもりがある。寒いから暖かいのだ。

これはドラマ全部に通底しているのだが、夢千代は母の胎内にあるとき、広島で原爆に遭い、五年前に死んだ母と同様白血病であり、あと三年の寿命といわれている。
脚本の早坂暁はそれを露骨に出さなかったのに、映画版の夢千代日記は原爆断罪を声高に叫ぶものになっていて、かえってその哀しみが損なわれた駄作だと感じたことを思い出す。吉永小百合はセリフなど、監督(浦山桐郎)とかなり意見が違ってもめたと聞いている。確かに新劇的感性は時に主題を表に出しすぎてかえって本質を伝えるられなくしているように思う。要するにクサイのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京に入る

 天津に一泊し、翌朝旧友の牧野田学士の案内で、天津を出発して北京に向かった。一望茫々とした平原には、時に沼や池のまわりを柳の樹がぐるりと植えられているのが目に付くばかりである。ところどころ平野の中にぽつんと土饅頭(墓地だろうか)が見える。ヤーソン号ではひとりぼっちだったが、旧友と一緒の今日は、そのときのような寂しい思いがない。耳にうるさい中国語もそれほど気にならず、団匪事件(義和団の乱)の時に、日本軍が奮闘した柳村の古戦場なども車中から眺めているほどに、やがて夕映えとなり、空の一方に淡くかすんで遠くの山が見えてきた。これが北京城西方に連なる西山である。
 暗闇にそびえる北京城壁を仰いで前門駅に着いたのは陽がすでに落ちて灯火が輝く頃だった。あらかじめ天津から電話で連絡しておいたので、旧友の小林学士が迎えに来ていた。ともに出迎えの馬車に乗って扶桑館に着いた。自分はもう北京の人である。暗い中なので北京の何も見ていないが北京の人になった。燃えるような好奇心で北京を観察し、北京を理解しようとしたのはこの後数ヶ月間のことであった。
 北京を観察し、北京を理解するために、私は中国語を学んだ。そうして先輩や旧友の指導もあり、前後1年半の北京滞在中にいろいろ見聞したので、幾分かは北京を理解できた。中国の南北は気候風土の差が大きいので、河北と江南を同日に論じることは出来ないが、北京はある程度までは中国の模型ということが出来る。北京を理解すれば中国の半ば以上を理解したと言っても良い。先ず北京を熟知して、その後に各地を歩き回れば、中国がますます分かるようになるであろう。私はそのように考えそうすることにした。だから先ず北京について語ろう。そうしてその後回った各地について語るので跡をたどってほしい。

中国ウオッチ・抗生物質

中国の抗生物質使用量が、医療用、農業用を併せて年間18万トンに上るという。これは国民ひとり当たり138gにあたる。これはアメリカの10倍だという。日本の実態は知らないが、凄い量だ。
漁業や畜産業で魚や家畜の感染予防に使われているものも多い。飼料に混ぜて投与されているのだ。これも間接的に人間が摂取することになる。
このような過剰な抗生物質の使用は、薬物耐性を持った細菌を産み出す。すでに病院などでの院内感染にこのような細菌が出現している。
今後中国発の抗生物質の効かない変種の病原菌が猛威をふるうおそれが極めて高い。そもそもインフルエンザも香港-型というように中国発である。
中国の抗生物質の濫用には医師の利益追求による過剰投与もある、とは製薬会社の人間のコメントである。
日本でももちろん魚や家畜に抗生物質が投与されている。

2011年12月12日 (月)

韓国海洋警察員、中国漁船の船長に刺殺される

おそれていたことが起こった。
朝鮮半島西側、黄海の、韓国側の排他的経済水域で違法操業をしていた中国漁船を韓国海洋警察が拿捕、職員が乗り込んで取り調べをしようとしたところ、いきなり船長が襲いかかり、ガラス片などで刺されて職員のひとりが出血多量で死亡、もうひとりがけがをした。
このところ違法操業が急増し、韓国側も12月から罰則を強化して取り締まりを強化した矢先であった。このことについては中国政府が何らかの国内対策を講じないと問題は悪化すると懸念していたところであった。尖閣問題や南沙諸島での中国の、国際法を無視した傍若無人な態度は、中国漁民を勘違いさせることになっていたと思う。
韓国政府が中国の大使を呼んで厳重抗議をしたが、中国大使の言葉は「問題の平和的解決を望む」というものだった、と伝えていた。
これではどちらの国に問題があったのか分からない。
こういう場合、ほとんど事実が明らかな場合は、せめて「遺憾である」とこたえるのが礼儀であろう。
韓国の国民がどうこれから反応するのか見守りたい。
また中国がどのような屁理屈をつけてこの問題を納めようとするのかそれにも注目していきたい。
日本に対してだったら「不幸な出来事」として黙殺だろうけれど。

映画「アガサ 愛の失踪事件」

1979年制作イギリス・アメリカ。監督・マイケル・アプテッド、出演・ダスティン・ホフマン、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ティモシー・ダルトン他。
アガサ・クリスティー(知らないひとはいないと思うけれど有名な推理作家)
が1929年秋に9日間失踪した事件があった。今も真相は明らかにされていないが、この映画は残されたいろいろな事実をもとに作られた物語である。
当時の陰鬱な秋のイギリスが再現され、夫の不倫で失意のアガサが偽名で滞在する温泉療養地の景色がめずらしい。
詳しくストーリーを語るとネタ晴らしのおそれがあるのでやめる。
アガサを追っていくスタントン役のダスティン・ホフマン(小柄)とアガサ役のレッドグレイヴ(長身)のダンスシーンやキスシーンがほほえましい。ダスティン・ホフマンがニコリともせずに澄ましているのでなおさらだ。
前半の静かな流れから、後半の山場に向けて緊迫感が一気に盛り上がり、アガサの目的が明らかになったとき、事件は起きてしまう。
アガサの夫・クリスティ大佐役がティモシー・ダルトン、なつかしのジェームス・ボンドだ。適度に嫌なやつ(俗物)の役をうまく演じている。特にアガサが気持ちを込めてカップにわざわざ彫り込みを入れた銀のカップを、眺めただけで礼も言わずに箱にしまうところなどはそれだけで夫婦の関係が見える(分かりやすい)。

公開当時話題になったが見そびれていた。期待していなかったが予想外に面白い映画だった。

中国ウオッチ・道徳再建

シンガポールの中国系新聞が中国の道徳再建についての論文を掲載した。
中国の社会道徳は解体されてしまった、のだそうだ。
しかし社会には道徳は不可欠の存在であり、再建が必要である。
道徳が解体された原因は市場経済である。格差の拡大が道徳崩壊を招いた。
対策は二つある。
一つはマルクス主義だが、これは歴史的に失敗に終わった。
もう一つは市場の適切な管理を目指す社会民主主義の道だ。中国はこの道を歩むしかない。
そのためには政治、経済、社会のバランスをとることであり、従来のような政治優先、企業優先の制度をあらためるべきであり、上からの改革ばかりではなく、市民参加型の社会運動を通じて道徳建設する必要がある、そうだ。
空論である。

道徳を説くものはえてして道徳者ではない。ひところ自民党の代議士がしばしば道徳を説いた。また大衆迎合からの道徳主義は結果の平等を目指してしまい、社会の意欲を阻喪させる。
道徳的社会とは、突き詰めれば、損をしてもたべていけて、損をしても良いと思う人が一定以上いる社会だと思う。

「清末見聞録(清国文明記より)」・天津

 大沽はしかし北清の門戸ではない。真の玄関は天津である。北清航路の船舶も特別喫水を浅く作られたものは、大沽沖から直接に白河を遡って天津の紫竹林の河岸に横付けする。
 私は3時間ほど汽車に乗って天津に着いた。租界、つまり居留地の宏壮で、また賑やかなことに驚いた。天津駅に近いのは露西亜の租界である。そこから白河に架かる橋を渡って流れに沿ってみると、下流側はフランス租界、イギリス租界で、この辺りを紫竹林という。ドイツ租界はさらにその下流にある。日本租界は上流、昔の天津城つまり中国街と紫竹林の間にあって、もっとも便利なところにある。租界は中国貿易のために作られたものだ。当然相手は中国人であるから、中国街に最も近い日本の租界はもっとも場所的に有利なところにあると言える。
 私は祖国にいたときから愛国心に関しては誰にも負けないつもりだったが、日本を離れてからはいっそうその気持ちが強くなった。大沽砲台城に翻る日本の旗を見て心中に快哉を叫んだのも、このためである。今天津租界に来て、日本が有利な場所を占めているのを見ていっそううれしかった。
 しかし、紫竹林が整然とした街区であるのに較べると、日本租界はまだまだだった。三井、大倉、および郵船会社等の大きな建物をはじめとして、数多くの商社商店が建ち並び、国勢の伸張を図ろうとしているのを感じる。さらにいっそう頑張ってほしいと願う。租界の経営のために同胞は団結してクラブを設け、在留邦人の子弟のために学校を作り、これから公園を作る計画もあるという。こころから将来の発展を望む。
 天津は租界に大きな建物があるだけではなく、中国街もさすがに直隷総督のいるところだけに、中国風の華麗な建築物が少なくない。苦力(クーリー)・下層労働者はみすぼらしく汚らしいが、官吏や金持ちは洒落た身なりをしている。総督衙門(がもん・役所の門)は自由に出入りすることは出来ないが、李公祠、つまり前の直隷総督の李鴻章の祠(ほこら)などはけっこう立派で大きなものだった。ただ荘厳とか典雅というような趣はなく、あえていえば俗悪といわざるを得ない。
 しかし、天津が華麗で賑やかであるのはさすがに北清の門戸であるに恥じない。塘沽と較べると天と地ほど差があるが、はたしてこれは中国国民の貧富の差そのものではないだろうか。

2011年12月11日 (日)

「清末見聞録(清国文明記より)」・最初の瞥見

明治39年初め、横浜から郵船会社のチャーター船、亜遜(ヤーソン)号に乗って出航、紀州灘で逆風に遭い、朝鮮海峡で吹雪に遭いなどして数日かけてようやく大沽(タークー)沖に到着する。大沽は港とは名ばかりで、白河の遙か沖合である。このときまだ白河は結氷しており、幾艘もの船が氷の溶けるのを待って投錨している。その晩氷の流れ出るのを見た。果たして翌日昼にはランチ(小型蒸気船・艀)で白河に乗り入れることが出来た。本船から海岸まで6海里あるという。白河の河口・大沽の港まで2時間あまりかけて近づくと有名な大沽砲台の残塁が見えた。そのひとつに日の丸の旗が立っているのを見てうれしい思いがした。河は九十九曲あり、百に一曲足らぬから白河というとの俗説もあるように、ランチは紆余曲折しながら遡り、塘沽(タンクー)に上陸した。
塘沽に上陸して最初の瞥見(ちらりと見た第一印象)は遺憾ながら良くなかった。白河を挟んで建て連ねた民家は、極めてみすぼらしい泥屋で、壁はもちろん屋根まで泥を塗ってある。聞けば高粱(こうりゃん)の幹を壁や屋根として泥を塗ったものだという。折から冬枯れの野は満目荒涼を極めている。塘沽の家屋は豚小屋のようだ。
有りもしない金を算段して見栄を張る必要はないが、港とは名のみの大沽沖、市街とも思えない塘沽を以て北清の門戸とするのは決して中国の名誉とは言えないのではないだろうか。

馳星周著「暗闇で踊れ」(双葉社)

「不夜城」以来、馳星周のファンである。
この本の出だしを読みながらいつもの馳星周と違う、と感じた。第一部の終わる200頁あたりまでは、普通の警察小説のようなスタイルで淡々と物語は進んでいく。ところが第二部は、全く同じ物語が反対側から語られていく。
後半の第三部はいつもの馳星周の世界だ。読み進むと、ここへたどり着くまでに前半が必要だったことが分かる。出だしからラストは想像も出来ない。
逃亡が絶望へ、そして狂気に至る。
馳ワールドは刺激が強いので、好き嫌いがあるだろうと思うが、いちどどっぷりとその凄まじい世界に浸かってみては如何。読み終わったとき、詰めていた息をようやく吐き出す心地がします。

「清末見聞録(清国文明記より)」・序文

これはそのまま引用する。

 千数百年来、我が国との交際はなはだ密切にして、わずかに一衣帯水を以て相距てたる中国の国情は、すでに明白でなければならぬはずで、実はすこぶる明らかでない。
  古の聖経賢伝を読みて中国を解するものは、聖賢並び起こり賢良雲の如き中国は、実にこの世における理想郷なりとしている。中国は果たして理想郷なるか。
 世人往々にして自己の乏しき経験を本とし、直ちに中国人を漫罵して忘恩背徳度しがたいものがある。中国国民は果たしてかくの如く漫罵し去るべきか。
 この書はもと予が在中の日、中国の風俗習慣、社会の事情、名所旧蹟等、事大小となく、故国の双親に書き送ったものである。もしこの書によりて中国事情の一班を世に紹介することを得ば、ただに予の光栄のみではない。(小野哲人)

これが書かれた明治40~41年は日露戦争が終わったばかりで、露西亜の軛をようやく逃れて中国の反日運動はまだ始まっていない(この後、第一次世界大戦後、日本は西洋、特に敗戦国ドイツの持っていた権益を自分のものとし、列強の支配から少しでも身軽になることを期待していた中国国民を失望させた。さらにその権益を拡大するに至り、西洋人ではなく、同じアジア人に支配されることを二重の屈辱として中国国民の反感を買うことになった)。
当時孫文が革命同盟会を結成して清朝を倒す行動を起こしていたとはいえ、辛亥革命で清朝が倒れるまでまだ数年ある。生活は豊かではないが中国はもっとものどかで、日本人とも融和していた時代と言えるだろう。

この序文にあるとおり、日本人は中国を理想郷と考えていたが、日清戦争、日露戦争の相次ぐ戦勝で慢心し、劣等感の裏返しとして中国人を馬鹿にするものが多くなっていた。どちらの態度もあるべき姿ではない。
相手をよく知ること、これこそが親しむための第一歩なのだ。

中国

学生時代からだから、もう40年あまり中国に思い入れがある。
大嫌いで、そして大好きだ。
お金さえあれば毎月でも中国に行きたい。時間だけは幸いふんだんにある。中国に関する本をずいぶん読んだ。ライフワークでもある。

大正3年生まれの父は、20歳すぎから30歳過ぎにかけて中国で青春を送った。生活もしたが、従軍していた時期も多い。あまり中国の話は聞いていない。
少し成長してからは父をあまり好きではなかった。自分に子どもが出来た頃、初めて男として父を正面から見た。父が大きな壁のように立ちはだかっていたおかげで今の自分があることをやっと少しだけ理解した。父は意識してそうしていたわけではない。そんなこと、意識しなくてもひとりでにそうならないと父親ではない、と今では分かる。
だから父と一緒に中国に行きたかった、と父がいなくなった今、思う。

自分が想っている中国と、現実の中国とは違うものかもしれない。「中国ウオッチ」としてその違いをことさら言い立てているところもある。

中国について明治の末に書かれた宇野哲人「清国文明記」という本を読み始めた。宇野博士が北京に2年間留学したときの見聞記をまとめたものだ。もともと両親に手紙のかたちで中国の様子を伝えたものがベースなので読みやすい。町の様子や風習、人の姿など、とても面白い。自分の勉強のために抜粋しながらわかりやすくまとめてみたい。「清末中国見聞録(清国文明記より)」として初めて見る。原文はかなりの量なのでどこまで続けられるか分からないが、自分の勉強のために挑戦してみたい。

2011年12月10日 (土)

卓球はお遊びか

イギリスのある新聞が「卓球は子どものお遊びで、オリンピック競技にふさわしくない」とする記事を掲げた。
先般ロンドンで、オリンピックのテストマッチとなる国際卓球連盟のグランドファイナルが行われ、盛況に幕を閉じたばかりのところなのだが、この記事では卓球をボクシングと比較して卓球を子どもの遊びと酷評したのだ。
中国の卓球選手からは「卓球はあらゆるレベルの人に適した世界的スポーツです」との反論があり、「卓球が子どもの遊びなら、知力と体力が要求される非常にレベルの高い遊びです」と冷静なコメントが返されている。
物議を醸すための意図的な記事だと思うが、根底に自分の持っている世界観が正義で、他の文化を否定する西洋人に特有のにおいがする。捕鯨反対運動の狂気をはじめ、異文化が理解できない人のにおいだ。卓球は中国発祥だと思っているのかもしれない。

慰安婦平和の像

韓国挺身隊問題対策協議会が、ソウルの日本大使館前に「慰安婦平和の像」を建立するというニュースを先般伝えたが、中国のメディアから続報が入った。
なんと日本政府(藤村官房長官)は外交ルートを通じて中止を申し入れたのだそうだ。いわく「この像の建設は日韓の外交活動に否定的な影響を与える」。
それに対し、韓国政府は「この件に関与するのはむつかしい」と表明したらしい。
それにたいして日本外務省は「日本大使館前ではなく、別の場所に設置することを希望する」と韓国政府に要請したのだそうだ。
外務省、並びに藤村官房長官(つまり民社党か)は極めつけの馬鹿ではないか。
こんな像を日本大使館前とはいえ、自分の国に設置しようとすること自体、韓国政府も不愉快に思っていないはずはない。世界中探したってこんな像を建てている国はないだろうし、建てようとする国もないだろう。
放っておけば良いだけのことなのだ。
これを機にさらに反日気運が盛り上がるなどとはとても思えないし、もし盛り上がるなら韓国というのはそれだけの国だ。
日本政府のこんな申し入れこそ反日気運を盛り上げる材料になるだけなのが分からないとは、繰り返すが三重丸付きの馬鹿である。

知多行④内海

野間から小野浦海岸、さらに内海まで海岸線を歩く。強い北風が汗ばむ身体を適度に冷ます。南行するのに北風は後ろから押してくれるので都合がよい。

Photo_7 アロエの花。知多は暖かいところなのだ。

Photo_8 小野浦クリーンセンターの壁面。クリーンセンターが何をするところか不明。

Photo_9 遙か彼方の島が水平線の上に浮いている。右端にも一つ浮いているのが見える。望遠一杯なのでぎりぎりだが分かりますか。

Photo_10 取り残した柿だろうか。

Photo_11 こちらの柿の木には不思議なものがぶら下がっていた、見た瞬間ぎょっとした。等身大の男の子の人形だが、なんでこんなことをするのだろう。

Photo_14 内海海岸。リゾート地だが、海岸の店はほとんど閉まっている。冬だからというだけではない寂れた気配がかすかにした。

Photo_13 内海駅。遠かった。歩いた時間約3時間近く。足が痛くなった。帰りの電車でまた爆睡。かえったら体重はやや改善していた。これでおしまい。

知多行③海

ようやく海に出た。富具崎漁港だ。風が強い日なので船はほとんど港にいる。隣に海釣り公園がある。野間灯台まであと少しだ。

Photo 富具崎漁港。小さな漁港だが、今日はほとんどの船が繋留されているようだ。

Photo_2 富具崎公園のすぐ隣が海釣り公園になっている。この岸壁からアイナメやメバルなどの小魚が釣れる。昔は良く釣りに来た。今日は風が強いので誰もいない。

Photo_3 野間灯台に到着。小ぶりの灯台。おばさんが3人ほど写真を撮っていた。

Photo_4 この風ならウインドサーフィンには最高だろう。けっこうスピードが出ていた。上級者なのだろう。

Photo_5 砂浜に上がったサーファー。けっこう力仕事のようだ。ひげを生やしたおっさんだった。

Photo_6 この日の空は雲がきれいだった。雲大好き。浜辺で休みながらぼんやり見ていたら低い雲は東から西へ、高い雲は北から南へ流れていた。

2011年12月 9日 (金)

知多行②富具神社

野間大坊から海に向かう。まっすぐ西に向かえば海に出るが、手前の国道沿いにしばらく南へ歩く。富具崎漁港へ出る手前に富具神社がある。40~50mの高台に神社はあり、急坂を登る。きつい。

Photo_9 神社へ登る急坂。見た目よりも急である。

Photo_10 坂の途中に小さなお宮があった。このすぐ裏手は崖になっていて、遙か下に富具崎漁港が木の間からちらりと望める。

Photo_11 富具神社本殿。初詣の準備が始められるところのようだった。

Photo_12 本殿の前。奥の院がガラス戸の向こうに見える。

Photo_13 鳥居の横にさざれ石があった。君が代に歌われているあのさざれ石である。

Photo_14 鳥居の後ろの注連縄は朽ちている。新しいのに換えるはずだ。

Photo_15 狛犬の石像のはずだが獅子みたいだ。なかなかいい顔をしている。

Photo_16 反対側の階段を下りていったらかえって遠回りになってしまった。小道の横の家の庭の鶏頭の紅い色がとても鮮やかだった。もう少しで海だ。

知多行①野間大坊

体重計の針が目指している方向とは反対に動いている。

運動は嫌いだが、唯一歩くのは好きだ。思い立って知多方面に、今回は車ではなく名鉄電車で向かう。目的地は内海線・野間駅。その野間から内海の海岸を歩いて内海駅から帰る。地図では9Kmあまりだが、いつものようにうろうろするのでもうちょっと歩くことになるだろう。9時に我が家を出発、乗り換えて野間駅まで爆睡。

Photo 名鉄・野間駅を降りて野間大坊まで歩く。北風が冷たい。道ばたにきれいな花が咲いていた。

Photo_2 野間大坊の大御堂。こじんまりしているが、たたずまいがいい。

Photo_3 義朝廟所。義朝とは源義朝。頼朝や義経のお父さんである。平治の乱に敗れ、この野間大坊で暗殺された。すぐそばに頼朝や義経の命乞いをしてくれた、平清盛の母親(継母)・池の禅尼の墓もある。

Photo_4 義朝は暗殺されたときに何も武器を持っていなかった。「せめて木刀の一振りでも」と叫んだという。供養のためにこうして木刀を手向ける。

Photo_5 境内に三波石(さんばせき)というのがあった。この石をなでると、死ぬときに鳥が飛び立つように苦しまずに楽に死ねるそうだ。もちろんなでた。

Photo_6 野間大坊本殿。義朝の最後について講釈してくれるそうだが、パス。

Photo_7 磔の松の案内。凄い案内だ。実は大坊よりも手前の高台にある。

Photo_8 磔の松の現物。根本しか残っていない。義朝を暗殺した長田氏親子を、後に源頼朝が親の敵としてこの松に磔にした。

2011年12月 8日 (木)

宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」を読む

町の活動写真館でセロを弾いているゴーシュはセロがあまりうまくない。きょうも十日後に控えた音楽会のための練習で、楽長からたびたび注意を受ける。
「君には困るんだがなあ。表情ということがまるで、出来ていない。怒るも喜ぶも感情というものがさっぱりでないんだ」「(みんなと合わなくて)君だけほどけた靴のひもを引きずってみんなの後を歩くようなんだ」
ゴーシュは仕事を終えて、すみかにしている町外れの水車小屋へ帰るとまるで虎みたいな勢いでセロを弾く。何度も何度も弾いているそのとき、戸をたたくものがいる。大きな三毛猫だ。三毛猫はセロを弾けという。腹を立てながらもセロを弾き、最後は猫がもだえ苦しむような曲を弾いて追い出す。
次の晩にはカッコウが、そして次の晩には子狸が、四日目には病気の子ネズミをつれた親子ネズミがやってくる。
そうして残りの六日間も過ぎて音楽会になる。
楽団は喝采を浴び、アンコールに楽長はゴーシュだけで弾けという。
ゴーシュは猫をもだえさせた曲を弾く。その結果は・・・。

今回この話を読み直すまで、セロが不具合でゴーシュの調子が出なかったのだが、病気の子ネズミをセロの中に入れたときにその原因の何かを取り除いたので良くなった話だと思い込んでいた。
別役実は四日間の訪問者のあった夜の後、突然十日後になるのはなぜか、なぜ訪問者が無くなったのか、という点をポイントと見ている。
話が長くなりすぎるし、訪問者をそんなにたくさん考えるのが大変だったのだろうと思うけれども、どうもネズミがポイントではなかったようだ。とにかくゴーシュは虎みたいな勢いで何度もセロを弾いたのだ。

映画「悪人」

2010年公開の東宝映画。監督・李相日、出演・妻夫木聡、深津絵里、柄本明、樹木希林、岡田将生、満島ひかり、宮崎美子他。
人はかけがえのないものに出会わないと生きている実感を持つことが出来ない。実感のないことに気がついて苦しむ人と、何も感じないまま笑って楽しく生きている人とがいる。出会いを求めながら裏切られ、殺人に走ってしまった主人公が、犯罪を犯した後になって、初めて本当の出会いを経験する。「もっと早く光代に会っていたら」と悲痛に叫ぶ祐一の気持ちが伝わってくる。殺される佳乃・満島ひかりにたまたま出会って彼女を車に乗せ、峠道で放置して殺人のきっかけを作る裕福な大学生・圭吾を岡田将生が好演している。佳乃の父親が圭吾に向かって「そうやって死んだ娘のことをみなで笑いあうがいい。そうやって笑って生きていけばいい」と言うセリフが強烈に突き刺さる。父親が立ち去った後の祐一のゆがんだ笑いが我々を衝つ。
祐一役の妻夫木聡が金髪である必然性が映画を見て分かった。
「悪人とは何か、をあなたは考えさせられます」とタイトルバックにあった。記憶に残る映画だ。
若い娘を持つ父親として、殺される佳乃の言動についてもう少し考えてみたいと思う。彼女は本当に哀しい。

慰安婦の像

旧日本軍の従軍慰安婦にされた韓国人女性を支援する団体が、ソウルの日本大使館前に被害女性を象徴する少女像を設置するという。
現場の道路を管理する部署は問い合わせに対し「道路占有許可対象外と判断する」と回答している。像を設置しても問題なし、ということだ。
従軍慰安婦についてはものの見方や立場の違いでいろいろ異論がある(戦争とはそういう嫌なものなのだ)。
百歩譲ってその支援団体の言い分が全てそのとおりにしても、相手の大使館の前にそのような像を設置するという行為については全く理解が出来ない。
韓国国民はそのような像を設置することについてどう感じているのだろうか。韓国の心情を象徴する恨(はん)というのはそういうものなのだろうか。逆の立場だったとして日本人がそんなことをするだろうか。しないと思うけれどさて・・・。

中国ウオッチ・人身売買組織

中国の警察は全国一斉に人身売買組織の摘発を行い、608人を逮捕し、誘拐されていた児童178人を救出した。この摘発には警官5000人が動員されたという。
報道によれば2009年以降で警察が救出した児童は1万8000人、女性は3万4000人だという。恐るべき数である。
そういえば乞食村というのがあった。赤ん坊や幼児を誘拐し、物乞いをする児童に仕立てるのを生業とする村だという。子どもが一緒に物乞いをすると実入りが全く違うのだそうだ。ひどい場合にはその子どもを不具にしてさらに同情を買うようなことまでしていた。子どもは大きくなって組織の一員に組み込まれるものも多かったという。
今回の人身売買組織は一人っ子政策のダークゾーンでもあり、余っているところから足りないところへの売買が主な目的のようだ。
金のために子どもや女性を売り買いするのなどということが組織的に行われていたというのは、中国としてはまことに恥ずかしいことだろう。精神の荒廃、ここに極まれり、という感がする。

能力

走る、飛ぶ、泳ぐ、読む、書く、理解する、計算する、など、ひとには能力の違いがある。これは生まれつきの素質も関わるだろうが、人並みの水準のレベルでは素質よりもそのことに習熟するためにどれだけのエネルギーを傾けたか、で決まってくるようなところがある。
たとえば泳ぐ能力でも、普段から泳ぐ場所があり、泳ぐことが好きでいつも泳いでいれば泳ぎは得意になる。しかしその機会があっても、水に入ること自体が楽しいと思わなければ泳ぎは得意になるわけがない。
そうしてさらに競争の中でどうしたらもっと泳げるか工夫し、集中することで泳ぎの能力はいっそう向上する。そこから先、競泳の世界に入れば能力と言うより才能の世界になって、素質の差が初めて能力の差として現れてくるだろう。
今内田樹先生の映画評の本を読み始めたところで、その能力と言うことをとことん思い知らされた。どうして同じ映画を見てこんなに受け取るものが違うのだろう。だが才能の差の問題と言ってしまえばあきらめになる。能力の違いなのだと思いたい。
それならもっと知見を増やし、集中力を高くして行けば及ばずといえど至らざるなし、だと思いたい。

「こんぼせっと」さん、コメントの返事をありがとうございます。
アウトプットを増やすことはインプット能力につながると信じています。そしてインプット能力が上がればもう少し先までものが見通せるようになることを信じています。

首振り

若い女性が愛嬌でほほえみとともに首を細かくちょっと振る。かわいい仕草に見える人もいる。だがだれもかれもやりだすと、君たち大丈夫か、といささかうんざりする。
中年以上の女性に、まだまねする人を見ないが、今にやり出すのではないかと心配になる。見たくない。
小宮山厚生労働大臣のあれは、申し訳ないが老齢のなせる技で、愛嬌ではないのだろうなあ。わざとやっているとあんな風に見えるからまねするときは注意してください、お嬢さん。

2011年12月 7日 (水)

他の人のブログを見る

この頃ブログの更新に忙しくて他の人のブログを見ることがなくなっていた。以前これは、と思うものをお気に入りに登録して見ていたが、久しぶりに丁寧に見回してみたらいろいろ面白いブログに出会ったのでいくつかコメントを入れさせてもらった。私のブログは少しクセがあるので敬遠されているひとも多いと思うが、他の人のを参考にして少しは読みやすく努力してみよう。そういうわけでよろしくお願いします。ブログを書くのは本当に面白い。

今読んでいる立花隆の本から気づかされたが、本を読んだり歌を聴いたり映画を見たりするのはインプットなのだ。そしてブログはアウトプットなのだ。アウトプットを意識してこそインプットに意味が生じる。 あ またうけうりで偉そうに言ってしまった。

板坂元著「日本人の論理構造」(講談社現代新書)

著者がハーバード大学の講師としてアメリカ滞在中に、学生たちへの説明に窮した日本語独特の言葉を通して日本人の論理や価値観を考察したものをまとめている。
なまじ、いっそ、どうせ、せめて、さすが、しみじみ、など無意識に使いながら日本人なら何の違和感も持たない言葉も、突き詰めて説明を試みようとすると、日本人の考え方の本質に届くような論理構造が見えてくるのだ。
日本語は西洋の言葉のような論理性を持たない、といわれることがある。これは西洋式の論理を基準に考えるからで、日本には日本の論理構造があるのだ、ということが具体的に説明されている。
具体例から一部を紹介できればいいのだが、私にはその力がない。全体が堅牢に出来ているのでこの本を読んでもらうほうが誤解がないだろう。
最後のほうに、西洋と日本の時間に対する考え方の違いとして日本人は瞬間に永遠を見る傾向があることに触れている。至言と言うべきである。短歌も俳句もそこにこそ美学がある。日本人が写真が好きなのもそれにつながっているのかもしれない。歌詞は定点から書かれているものこそ良い詩だ、と思う者としてこの指摘は震えるほど強く共感した。
昔読んだ本で、理解が中途半端だったので再読した。この本は1971年出版、新書の名著と言って良い。
著者はすでに物故している。

中国ウオッチ・地下水(2)

中国華北地区の地盤沈下が大規模に進行している。華北平原の地下水を過剰に採取しているためだという。華北平原の生活用水の75~80%は地下水に頼っている。北京や天津もこの区域に含まれているが、特に深刻な河北省の滄州市では三階建ての建物の一階が地盤沈下で半地下室になり、二階建ての建物になったという。地盤沈下が2m以上の面積はすでに6万平方mを超えている。
対策のために南部の水を北部へ送るためのプロジェクトが進められているが、地下水の復元は絶望的な状況である。
地盤沈下は今後北京と上海を結ぶ高速鉄道の安全性などに影響を及ぼすおそれがある。
このような水不足は今後中国の経済に深刻に影響するだろう。

中国ウオッチ・地下水(1)

北京の地下水の汚染が深刻になっている。北京の生活用水の三分の二が地下水を濾過したものだが、都市部のゴミや工場排水が地下にしみこんで地下水を汚染させているのだ。
家庭から出るゴミは完全には回収されておらず、庭などに放置されているものが多い。雨期に雨水が腐敗したゴミを流し、地下に流れ込んでいる。またゴミの集積場の遮蔽もほとんどなされておらず、周辺の地下水に含まれる細菌や化学物質の量は安全基準をはるかに超えている。
北京からわずか50Kmまで砂漠化が進んでいる。北京の水不足は限界に近く、汚染されていても地下水を利用せざるを得ないのだ。

中国ウオッチ・デマ

「新疆出身のエイズ患者が、食べ物に自分の血を混ぜてウイルスを広めている」
「大学生が就職と引き替えに移植用に腎臓の摘出を要求された」
「青海省で再び大地震が発生した」
このようなデマが中国のネット上を飛び交っているらしい。
中国政府のインターネットを管理している部局は、このようなデマを捏造したり広めた人間を処罰した、と発表した。今後も監視を強化する、という。
中国ではそもそも当局の発表そのものに信頼性がないと思われており、デマが流布されやすい。当局が「事実ではない」と言っていた情報が実は事実だった、という例もたびたびあるのだ。

2011年12月 6日 (火)

牡蠣

ドン姫が休みに伊勢方面に遊びにいって殻付きの牡蠣をお土産に持ってきた。土産など持ってくることは滅多にない。とてもうれしかった。今晩は鍋。ドン姫も早番だったので8時過ぎにやってきた。ドン姫が悪戦苦闘して牡蠣を殻から出した。2箇ずつ生で食べて残りは鍋に入れた。大粒を半生でたべると生よりおいしい。二人で馬鹿話をしながら馬鹿酒を飲んだ。我が娘らしく酒をうまそうに飲む。久しぶりに今晩は泊まっていく。馬鹿親はうれしい。

映画「青空のルーレット」

2007年製作、監督・西谷真一、出演・塩谷瞬、貫地谷しほり他。
主人公の先輩をいびり倒す嫌な役回りを平田満が好演しているので、他の役が引き立っている。作家を目指す先輩の、理屈の先走る人間にありがちな覇気のなさが、若者たちの生気を引き立たせている。うまい。
貫地谷しほりが凄く良い。この人は前から大好きだが、聾唖者に扮したこの役でもすばらしい。この聾唖者である貫地谷しほりがモノローグを語るのが面白い。
登場人物やモノローグに合わせて画面の
色調を変え、だんだん青空が青色になっていき、物語に導入されていく出だしに工夫がある。あまりうまくいっているとは言えないが。
物語は単純でわかりやす過ぎるけれど、見終わった後の気分は良かった。

中国ウオッチ・宝くじ当選の夢

中国河南省商丘市の男性が15万元(約180万円)の宝くじに当選した。喜び勇んで換金に行こうとしたところ、くじ売り場の職員がやってきて、購入した券はニセ物だ、というのだ。
換金センターで確認したところすでに同じ当選くじが換金された後であった。この男性のくじは極めて精巧に作られた複製だったという。男性の夢は打ち砕かれてしまった。
ところでこの当たり券の買い主はくじ売り場のオーナーの息子だったそうだ。
この話は絶対おかしい。「極めて精巧に作られた複製」を、当たる前にわざわざ作るだろうか。
これはさすがに当局もおかしいと考えたようで、問題の宝くじ売り場を閉鎖し、詳細調査を行うという。

中国ウオッチ・濃霧

中国中央気象台は北京、天津に5~6日の濃霧警報を発表した。
可視度は200m以下になっている。4日から発生しているこの濃霧は7日には南下して消散する予定。
この警戒に基づき高速道路をはじめとする交通関係に厳重注意を呼びかけた。北京空港は200便以上が欠航している。
当局は「空気汚染は中程度で、心臓疾患や呼吸器系疾患のある人は注意が必要で、外出を控えるように」と呼びかけている。
病院には通常よりも多い患者が詰めかけ、その三分の二は呼吸器系の疾患だという。医師は濃霧とこの疾患には密接な関係がある、と明言している。
これでは喫煙の害などと言われてもぴんと来ないわけだ。

中国ウオッチ・喫煙室再開

北京空港は今年6月から喫煙室を全て閉鎖し、全面禁煙を実施してきたが、トイレなどで喫煙する乗客が後を絶たず、吸い殻のポイ捨て、火災報知器の作動などが頻発したため、今月から喫煙室を再開せざるを得なくなった。乗り継ぎに長時間の待ち時間があると、喫煙者のストレスが頂点に達して職員とのいざこざもふえていたという。
元々空港内には36カ所の喫煙室があったが、今回とりあえず10数カ所を開放した。
北京市民にとっては北京の汚染大気の方がはるかに害が大きいので、喫煙の健康被害をたてに禁煙を呼びかけても了承する気にならないのだろう。

芝浜

談志の「芝浜」をテレビで見た。「芝浜」はいまの落語の演者では無理だと思っていた。こちらが思っている「芝浜」とは少し違う「芝浜」を談志が熱演していた。
女房が、亭主の拾った財布の始末を自分の才覚で役所へ届けるのがもとの話だと思うが、談志は、女房が思案のあげくに大家に相談する話にしている。信念を持って行動する女ではない女であることを強調することで亭主に振り回されてきた女房の弱さと優しさを表したのだろう。
だから亭主が財布を拾ったのは夢のはずがない、と言い張りながら、女房が嘘を言うはずがない、という矛盾に、女房の言い分に軍配を上げて自分の記憶を夢にすることで納得することで整合性をとる。
私はどちらかといえば女房の才覚ですべてうまくいき、それを打ち明けたときに亭主が腹を立てながらも女房の掌にあることに深くうなずく姿の方に心が動く。それもすべて女房のもくろみ通り。それでいいと思う。

大晦日の晩に密かにさらさらいう音を「おっ雪が降ってきたのか」と言う亭主に、女房が「笹飾りの笹が戸にさらさら触れる音だよ」という。この音が確かに談志の話を聞いていて聞こえた。「確かに星がきれいに見える空だった。雪が降るはずはないなあ」と言う亭主の言葉に冷たい冬の夜の空気が感じられる。名人というべきである。

2011年12月 5日 (月)

中国ウオッチ・フィリピン

フィリピン海軍はフィリピンのパラワン島海域で違法操業する中国漁船を拿捕し、中国人乗組員6人を拘束した。
この中国人らは海南島出身で、フィリピン領海の同海域で漁をしており、船からはワシントン条約で取引が規制されているアオウミガメが見つかった。
起訴された場合、最高で禁固20年に処せられる可能性がある。
この報道について中国の一部新聞では、領有権問題で中国とフィリピンでもめている南沙諸島で拿捕したが、外交問題にならないようにパラワン島付近、と言い換えているのではないか、と伝えている。
たびたび言うが、中国政府は漁業従事者に法律を守るよう務めないといけない。国際的な信用をなくすだけでなく、自国の法律もないがしろにされることにつながることに気がつくべきではないだろうか。

これとは別に、フィリピンのビナイ副大統領が中国訪問を打診したところ、中国政府が拒否したと報じられた。
これは2008年に、マレーシアから広西チワン族自治区に入国したフィリピン人がヘロイン1.5Kgを持ち込んだとして逮捕され、死刑判決を受けたが、その減刑嘆願を求めるための訪問と見られる。
フィリピンでは国を挙げて死刑回避を求める声が上がっているが、中国では50g以上のヘロインを所持していると死刑になることがある。
引き続き副大統領は訪問要請を続けるという。
先般同様な事例でアメリカ女性が減刑された。フィリピン人はどうか。

映画「青いパパイヤの香り」

1993年ベトナム・フランス共同製作。監督・脚本トラン・アン・ユン。以前から見たいと思っていた、名作として名高い映画をようやく見た。
静かな映画で、セリフは極めて少ない。前半は主人公ムンの少女時代。後半はその10年後が描かれている。舞台は、前半は1951年、後半は1961年のサイゴン(今のホーチミン)。
田舎から小間使いとしてサイゴンに出てきたムンの目を通して、屋敷の庭の虫や小動物、植物が生き生きと描かれる。東南アジアの蒸し暑い夜の様子がこちらに伝わってくる。とりわけ雨の映像がすばらしい。
湿気とともに料理や草いきれなど、いろいろなもののにおいが実感として漂う。とにかく映像とわずかな音だけを描きながら五官に伝わってくるものがあるのだ。
まだアメリカとの戦争は始まっていない。
物語に登場したこの人たちが、この後どのような歴史をたどっていったのか、しみじみと考えさせられた。

中国ウオッチ・精神論

江蘇省にある日系の電子機器工場で従業員数百人がストライキを決行。香港の新聞によると、ある日本人管理職が日常的に従業員を叱責し、最近では差別的な罵倒を繰り返していたことが原因だという。工場内には「やる気がないならやめろ」と書かれたホワイトボードがあったという。
中国にいながら身の危険を顧みずそこまでするとはある意味で勇気のある人だと感心する。
中国の従業員は黙っていれば私語はする、勝手に職場から離れる、職場にゴミを平気で捨てる、などと、中国で苦労したひとたちが口をそろえて言っていた。ゴミを捨てないことが身につくまで2~3年かかるが、そうすると生産性が目に見えて向上するそうだ。
彼等は職場をきれいにすることが生産性が上がることにつながることを理解できない。これはある意味精神論だからだ。中国人にこの精神論が身につくと脅威だが、今のところまだまだのようだ。
多分問題の日本人管理職はまじめにその精神論をたたき込もうとして誤解されたに違いない。
ストライキを決行している従業員たちは「その日本人管理者が辞職、あるいは解雇されない限り仕事には復帰しない」と主張しているという。

リンゴと手術

友人からリンゴが送られてきた。一週間前に着いていたのにその間ちょうど留守にしていた。不在で返却される寸前で受け取ることが出来た。大きくて香りが良くて甘くて、今までに食べたリンゴで一番おいしく感じた。たべきれないので娘に連絡して半分を渡した。仕事場でわけると喜ばれる。友人のところを春先に訪ねて、また夏過ぎに行くから、といっていたのにもう冬だ。学生時代からのその友人はまだ仕事を持っているし、元々出不精なので向こうから来ることはほとんどない。年甲斐もなく冬にはスキーに夢中になる。また私よりも馬鹿酒飲みだ。りんごのお返しに一番喜んでくれる酒を送った。出来れば一緒に飲みたい。友人のいる信濃にもう雪は降っただろうか。

世話になった人から久しぶりにメールで連絡があった。C型肝炎から肝臓ガンになり、その手術をすると言う。インターフェロンの治療を何度も受けたが、残念ながら効果がなかった。手術に対する覚悟が書かれていた。急いで書いた文章にその人らしくない言葉の乱れがある。手術の成功を心から祈る。

2011年12月 4日 (日)

中国ウオッチ・1068mのクリスマスケーキ

上海浦東シャングリラホテルのパティシエたちが1068mのロールケーキを作り、ギネス世界記録に認定された。
868Kgの小麦粉、333Kgのチョコレート、526Kgのクリームを使用したという。これまでの記録は207.8m。
200mでもすごいのに1068mは確かにものすごい。
しかし以前から思っていたことだが、単位時間当たりに何回何かをする、とか、何か限定された中で競うのなら分かる。だが今回のような記録は金と人数さえ繰り出せばどんどんエスカレートするばかりで限度がない。もちろん100Kmや200Kmもやろうとする人間はいないだろうから限度がないとはいえないものの、記録そのものにあまり価値を感じないのだがこだわりすぎだろうか。

中国ウオッチ・ダンプカー

陝西省西安市で、やじうまが暴徒化して警察車両など一部車両をひっくり返して騒いだ。
きっかけは土砂運搬用のトラックが人身事故を起こし、一人の少女が死んだことだという。
西安市内ではインフラ整備が急ピッチで進められる中、土砂運搬のダンプカーによる事故が増えている。警察の発表によると、1~10月の間に市内で43件の重大事故が発生し、46人が死亡した。またダンプカーの信号無視や速度超過行為が7月だけで1万2000件摘発されているという。一台で42回検挙された車があると言うから驚きだ。
ダンプカーの運転手の多くが臨時雇いであり、収入のために「たくさん載せて速く走る」ことが常習化しているという。
死亡した少女の両親が事故現場で花束を手向ける姿に、集まった群衆が、日頃のダンプの傍若無人ぶりに憤っていたこともあり、また警察当局の無策ぶりに対する怒りもあり、興奮して暴徒化したらしい。
警察は、数百人の群衆に対し700人の警察官を投入して事態の収拾に当たり、群衆を解散させ、事故を起こした運転手は拘束されたという。
砂埃を巻き上げてダンプカーが町中を次々に爆走する姿は昭和30年代の日本の姿を思い出させる。昔は日本も人の命の値段が安かった。
中国も命の値段が安いと聞く。事故にあっても雀の涙しかお金が出ないことが多い。しかし高速鉄道での事故死に対する保証金の額などを見るとかなり相場が上がりつつあるようだ。こういう騒ぎを繰り返して命の値段というのはようやく上がっていくようだ。

中国ウオッチ・清廉な大使

アメリカの駐中国大使として中国系のゲイリー・ロック(駱家輝)氏が赴任した。その飾らない人柄と清廉ぶりが中国で大人気となっている。
大使というと治外法権を縦にやりたい放題、金も使いたい放題で任期が終わると一財産出来ている、というのが世界的に通例らしい。日本の大使も同様でずいぶんひどい話もしばしば漏れ聞く。
ロック大使は極めてまれな人らしい(本来はこれがあたりまえなのだが)。その清廉ぶりがあまりにもめずらしいので連日中国のメディアは彼の言動を伝えていた。
ところがこれが中国政府のお気に召さなかったのか、各報道機関にロック大使に関する報道を自粛するようにという通達が出された。ロック大使の報道は中国の役人の腐敗ぶりを際立たせるものとなっていることを危惧したのか。
さらに中国のナショナリズム派の新聞・光明日報、環球時報などは「アメリカ大使が中国で政治スターと化している。アメリカは中国人に中国人を抑えさせて中国の政治を混乱させようと企んでいるのではないか。これではとてもアメリカが中国を尊重しているとは言えない」という提灯記事を書いた。
これに中国の民衆が猛反発をしている。ミニブログなどはこの政府の通達を批判しているものであふれている。
やや無い物ねだりに過ぎる気もするが、それだけ役人に不満が鬱積していると言うことなのだろう。

罰則強化

韓国は相次ぐ中国漁船の違法操業に対する罰則を強化する方針を表明した。拿捕しても保釈金を払ってすぐに操業を再開する事態を打開するべく、とりあえず保釈金を増額する。
今年拿捕された中国漁船は現在181隻に上る。最近は拿捕の際に暴力的な抵抗をする漁船が増えているという。
これについては中国政府に問題があると言わざるを得ないのではないか。違法操業はいけないことである、という政府としての意思表明がないからこのような状態が野放しにされているのではないか。
尖閣諸島での違法操業を正当化することにこだわることがこのような事態につながっているのではないか。これは尖閣での中国の行動に無理があることを表していると思う。

2011年12月 3日 (土)

久しぶりに帰宅

母親の調子が少しずつ芳しくなくなっているみたいだ、と弟から聞いたので、一週間ほど母親のところにいた。そばにいたからと言って母親にせっせと話しかけるわけでもなく愛想のないことで、全ての世話は弟の嫁さんがしてくれるのでこちらは上げ膳据え膳でごろごろしているだけだ。それでも心配していたほどには悪くはなっていなくて、医者にも杖を突きながら自分で歩いて行くことが出来た。サボっていた散歩も、医者に促されて寒い中を10分くらいだけ出かけるようになった。暖かくなるまで温泉に連れて行くのは控えたほうが良さそうだが、二度といけない、というほどまだ悪くない。安心した。

そうやって昨日の晩、むこう(実家は千葉県)を出発、今朝早く、名古屋の我が家にかえってきた。今、半分寝ながらたまっていた録画をダビングしている。一段落したら新しい記事を書くつもり。

2011年12月 2日 (金)

中国ウオッチ・確信犯

韓国の海洋警察によると、韓国の黄海上における排他的経済水域で今年拿捕した中国漁船は124隻、うち78%が24時間以内に罰金を払って釈放されている。
韓国の法律では、排他的経済水域では違法操業をしても24時間以内に罰金を払えば韓国の港に連行されることがない上に、捕獲した海産物も引き渡さなくてもよいことになっている。罰金をはらっても海産物の利益が確保できる方が得らしく、同地域は今のままでは「ローリスク、ハイリターン」の好漁場として中国漁船の横行がとどまりそうにないようだ。あらかじめ罰金を準備して、罰金支払後しばらくするとすぐ操業を再開する漁船も出てきているという。
韓国は取り締まりの強化と罰則の強化を検討する必要がありそうだ。ただ罰則を強化すると、日本の排他的経済水域での違法操業が厳しく取り締まられる恐れがあるので韓国としても都合が悪いのかもしれない(これは憶測です)。

冨谷至著「中国義士伝」(中公新書)

節義とは何か。突き詰めていけば時代とともに変わる価値観のひとつでもある。その節義に命をかけて貫き通した典型的な男を中国の歴史のなかから三人選んで、その生き様を語る。そうしてその男たちが貫いた節義とは何かを通して、彼らの生きた時代を浮かび上がらせる。選ばれたのは漢の蘇武、唐の顔真卿、南宋の文天祥。
三人ともすさまじい生き様を見せる。現代から見てなぜここまでこだわった生き方をするのか理解するのが難しい男たちだ。だがこれは彼らが生きた時代にあっても、実は同様に理解されにくかったのだ。
人は追い詰められたとき、妥協せざるを得ないことがある。ここまでがんばったのだから節を曲げても仕方がない、と大方の人が理解を示す事態というのが人間にはある。
ところがそれを自他共に絶対に許さない人間がいる。つきあいにくい人間であるが、そういう人間が歴史に名を残す。真似ができないだけに尊敬されることになる。
だが現代はあまりにも節義のない人間が多すぎないか。
noblesse obligeという言葉がある。エリートと呼ばれる選良が持つべき自覚、責任、義務のようなものである。これこそ中国式の節義に近い。
この本で取り上げられた三人はある意味のエリートである。他人はたとえそう見なくても彼らはエリートであるとの自恃を持っていた。今の日本のエリートにnoblesse obligeはあるのか。

三人の義に殉じた男の物語としてだけ呼んでもおもしろい。少し熱くなります。

中国ウオッチ・マンホールの下は地面

温州市で路面を修復することになった。工事作業員がマンホールのふたを外したところ、マンホールには穴がなく、下は地面であった。このようなマンホール(穴がなければホールではないけれど)は4カ所見つかった。
付近の住民は「そういえば雨が降ったときに路面に水がやたらとあふれると思っていた」と語っている。
このマンホールに関係する工事を10年前に請け負った施工業者は、問い合わせに対して「作業中に特殊な状況が発生して、マンホールをいくつか地下の下水管につなげなかった」と説明している。
しかしその「特殊な状況」とは何か、残念ながら説明はなかったようだ。

中国ウオッチ・CM禁止令に賛成

中国では来年1月1日からテレビドラマを放送するときはドラマにCMを挟んではならない、とする規定を発表した(既報)。視聴者にアンケートを採ったところこの禁止令に賛成との答えが93.4%であった(当たり前だろう)。
本当に実施するのかどうか半信半疑だったがどうも本気のようだ。
テレビ局の経営を心配する向きもあるようだが「テレビ局が多すぎるから少し淘汰される方がよい」という有識者の意見が妥当のようだ。確かに中国はやたらにチャンネルが多い。何十チャンネルもある。
昔のように番組と番組の間にいつ終わるともなくコマーシャルが繰り返される、と言う状態に戻りそうだ。いや、番組自体の時間を短くする手を取るのではないか、との意見もある。なるほど一時間番組を15分番組にして一日四回放送すればいいのか。そうすればコマーシャルは間に入らない。

西垣千春著「老後の生活破綻」(中公新書)

副題「身近に潜むリスクと解決策」。帯には「お金があれば安心、ではありません」。
思っていた以上に内容のある良書であった。ある程度生活が成り立っていた老人が、ちょっとしたきっかけで破綻していく実例がいくつもあげられている。それは老人にとって想定内と思っていることのはずなのだが、人生の落とし穴は思っているより深い。
こういう真面目な本は少し苦手で、読んでいるとすぐ眠くなってしまう。それは筆者のせいではない。老人とは65歳からを言うようだ。定年を過ぎたら老人のつもりでいたが、まだのようだ。しかしこの本に挙げられている状況は自分の周りにいくつも控えていることばかりだ。私も脳天気に遊び暮らしているが、実は目をそらしながらも抱えている問題がいくつもある。そんな本当のことをブログに書く気はないが。その現実に思いが行くのがいやで眠くなってしまったのかもしれない。
老人が破綻に至る原因が挙げられている。①突然の病、怪我。②認知症等による能力低下。③詐欺等の被害。④近親者による金銭搾取。⑤子の病、失業等。⑥事故。その他。
これらの事態に対処するための公的、私的支援の道はいくつもあり、更によりきめ細かく整備されつつある。問題はその支援の相談窓口がどこにあり、どうしたら支援を受けられるかが周知徹底されていないことである。破綻してどん底に落ち込んだ老人たちを見ると、その窓口にたどり着けないために苦境に陥っている。
そもそも老人にはセルフマネジメント能力の低下が避けられない。生活能力の低下とともに社会的役割も喪失していく。そうすると、問題が起きたときに、能動的に支援サービスの窓口を探す、と言う出発点に立つことが困難である。
どこに行って誰に相談したらよいかを知るためにはそれなりの能力が必要なのだ。
老人予備軍として、その能力がある今のうちにその窓口の情報を整理して入手しておこうと思った。そばに頼りになる人がいない人は是非そうすることをお勧めする。
筆者に好感が持てるのは(このような本にありがちなのだが)自分が少し実践的に福祉に関与したことを笠に着て変な社会正義を振りかざすこと、が少しもないことだ。自分が老人の人、老後が迫っている人、身内に老人のいる人、は是非この本を読んでみて欲しい。

2011年12月 1日 (木)

中国ウオッチ・最大排出国とは言えない

COP17の会議で中国の代表が「我が国は世界最大の温室排出ガス排出国とは言えない」と主張した。
「現段階では中国の排出量はアメリカを上回っているが、だからといって世界最大の排出国とは言えない。ひとりあたりの数値、累計排出量、中国の特殊な発展段階など様々な要素を考慮する必要がある」からだそうだ。
言い分に全く理がないとは言わないが、「現段階」でアメリカを抜いて世界で最も排出量が多いことを「世界最大の温室ガス排出国」というのだ。まずそのことを認めないと排出量を減らすために多いところほど努力しなければいけないという当たり前の話が始まらない。何せ日本が30%減らすより中国が5%減らす方が遙かに絶対量が減ることが明らかなのだから。そして中国のエネルギー効率の悪さから見たら5%減らすことは実はその気になれば簡単なことなのだから。
これはアメリカに対しても言えることだけれど。
そしてこの両国がエネルギー消費効率を挙げることは世界のエネルギーの消費の節約に大きく貢献することも明らかなことなのだ。世界にとっても自分の国にとっても利益につながるのだと考えてくれるとありがたいのだがなあ。分からないかなあ。

中国ウオッチ・駆け込み消化

イギリスのメディアが中国の年度末にかけての公務員の予算消化について記事にした。11月から12月末の年度末にかけて消化される金額は3兆5000億元~4兆5000億元(1元=12円)に上るという。財政難に苦しむ欧米から見れば何とも信じがたい話なのであろう。
これを取り上げた中国紙がさらに詳報を伝えた。
中国財政部が公式に認めている年度末に使用される予算は、年間の予算の三分の一に当たり、3億5000億元。予算を使い切るために「公費活用」が盛んになる。食事会、酒宴、忘年会が頻繁に開催され、オフィス備品の購入が急増、パソコンの買い換えや出張がやはり急増する。政府高官に人気のあるアウディのディーラーによれば例年11~12月末にかけて政府関係者の購入が増えるそうだ。
しかし予算消化が盛んに行われる傍ら、多くのプロジェクトは予算不足に陥っている現状がある。
これに対して記事は「公務員は予算を有効に使うことに責任があると感じておらず、その執行と監督に有効な方法はない」と嘆く有識者の意見を合わせて伝えている。
どこかの国にも同じような話があった。最近は批判が多いので、中国のようにおおっぴらに、ではなくさらに巧妙になっているようだ。役人に費用対効果の認識のないのは世界共通なのだろうか。

台湾、日本、韓国はアメリカの資産か?

ニューヨーク・タイムズ紙にハーバード大学研究員が「アメリカは台湾を放棄する代わりに中国に債務を免除してもらえばよい」という文章を寄稿した。
この記事に対して、別の新聞には「台湾を売るくらいなら、日本や韓国を売ればよい」との政治評論家の反論も掲載された。
これを
シンガポールの中国系新聞が取り上げて初めて知ることができた。
ニューヨーク・タイムズの記事も別の新聞の記事も、違うことを言っているようだが同じことだと華字紙で批判している。アメリカは台湾も日本も韓国も自分の所有物として認識していると言う。
中華思想の中国人ですらそう感じるとおり、この記事は台湾、日本、韓国をアメリカの資産として認識していることを間違いなく表している。すべてのアメリカ人がそう考えているとは思いたくないが、精神の根底にはそういう意識があるだろうと言うことがよく分かった。こういう記事を平気で載せるニューヨーク・タイムズにも問題意識がないことがよく分かった。同盟だの盟友だのと言ったところで腹の底ではどう思っているのかがこういうところから見えてしまう。
そのつもりでふんどしを締めてこれからの世界の経済危機を乗り切らないといけない。甘い顔をしていてはいけないことをこの記事は教えてくれた。
甘い顔をしていると売り飛ばされてしまう。

中国ウオッチ・管制無視

28日に関西空港で中国東方航空の旅客機が、管制官の待機指示を無視し、さらに制止も振り切って離陸した。前後のほかの旅客機とは間隔があったため事故には至らなかったが、国際的に見ても前代未聞のあり得ない行動である。
このことに対して東方航空側からは調査中とのコメントのみ出たきりで音沙汰がない。国土交通省からは航空法違反で調査が進められることになった。
中国国内でもこのことは問題視され、マスコミも取り上げている。中国の専門家は「操縦士と管制官の間にコミュニケーションに問題があったとは思えない。事実なら国外の処罰にとどまらず国内でも処分されるであろう」と述べている。
思い出すのは中国の浦東空港で中国の航空機が「カタール機の燃料が残り少ないので着陸の順番を譲るように」という管制官の指示を無視し「こちらはもっと燃料が少ないから譲れない」として指示を無視し強行着陸した事件だ。これはきわどいところで大事故につながるところだった。あとで調べたら残りの燃料は十分あったという。このときの機長は確か韓国人だったと思う。「民間航空業数十年来で最大の醜聞」とされる事件であった。
今回の機長がどこの国の機長か知らないが、中国の航空会社には管制を無視する風潮があるらしい。これはただこの二件から憶測しているのではなく、燃料を節約するために飛行機の運航時間についての厳しい締め付けが中国の航空会社にはあり、パイロットは遅れると大きなペナルティを受けるシステムらしいことは前回書いた。

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ