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2012年1月

2012年1月31日 (火)

中国ウオッチ・農薬の副産物で食塩

 安徽省で、農薬の生産時に出る不純物を含む塩化ナトリウムの一部が食塩として食品用に流通していることが明らかになった。
 摘発されたグループは、江蘇省の除草剤を製造している企業から副産物を買い取る会社を設立。この会社は無資格でこの副産物を「工業塩」として販売していた。この工業塩は不法卸売業者に販売され、さらに不法小売業者に転売されていたという。小売業者は食品加工の業者に売っているものもあったらしい。転売が繰り返されていたため、どの会社がどこにどれだけ食品用に販売されたか現状ではつかみ切れていない。
 この工業塩には農薬成分が、日本や欧米の基準である20mgを越えて55mgが含まれていた。現在のところ健康被害の報告はないが、専門家は潜在的に危害が及ぶ恐れがあると述べている。
 このような食塩の流通ルートはかなり複雑なネットワークのもとに管理されているようで、今回のことは氷山の一角に過ぎない可能性がある。 もともと中国は塩の専売が税収入の基幹であった。そのため、塩の闇ルートによる販売が反体制組織の資金源となり、そのネットワークがいわゆる幇(パン)という地下組織を作った。これは中国マフィアのようなものである。香港などには今も多数存在し、中国全土にその組織が今もあるともいわれている。
 幇は本来的にはそのような反体制組織であり、義侠的連携でつながっていたはずであるが、すでにそんなきれい事とは無縁の単なる社会悪に成り下がっているのだろうか。

マッコリが日本酒に勝った?

 韓国国税庁は、マッコリの対日輸出額が日本酒の輸入額の3倍以上になったと発表した。マッコリの輸出の92%は日本向け。その日本への輸出額は対前年210%と急増している。
 確かにマッコリのコマーシャルは増えているし、スーパーの酒コーナーに何種類もおいてあるようになった。カクテルもいろいろ作られているようだ。マッコリを売る会社の努力は奏功していると言っていいだろう。
 ただ、これをもって韓国のマスコミがマッコリが日本酒に勝った、と騒いでいるのはいささかおもしろくない。マッコリのようにカルピスにアルコールが少し入ったような飲み物は、確かに酒に慣れない近頃の若者には受けるだろうが、所詮ブームで売れているだけだ。何種類か飲んでみたが、日本酒の濁り酒を水で割った方がましな味に感じた。
 日本酒とマッコリは同じ醸造酒でも全く違うもので、ビールとワインを比べてどちらが勝った、といってるようなものだ。ちょっと韓国のマスコミは日本を過剰に意識しすぎじゃないか。
 とはいえ本当においしいマッコリというのがあるのかもしれない。そういうのに一度出会いたいものだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・欽天監

 崇文門から城壁に上って東にゆき、角楼から北に折れて数百メートル行くと、城壁の上にさらに一掃の高台があるのが見える。これが観象台であり、欽天監はその台の下にある。
 欽天監は天文を考え歴算を司り天下に暦を発布する重要な官庁であることは誰でも知っている。暦はもしも計算を間違えると作物の種まき時期などのタイミングを失するなどその影響がきわめて大きい。故に、中国にあっては大昔から特にこれを重要視している。「書経」を見ると、堯は羲和(ぎか)氏を長として天文を観測させた。舜もまたその位につくやまず天文観測の機械を整えさせた。当時その任に当たっていた羲和氏はすなわち今の欽天監正である。暦法はこのようにずいぶん古くから発達して、漢・唐の際には太初歴・大衍歴などが発布された。
 しかし、西洋諸国で科学が盛んになり、数学が発達すると、各種の精巧な観測器ができて、古来伝えられてきた中国の暦学はとうていこれに拮抗することができない。故に暦学に精通した宣教師アダム・シャール(湯若望)等が中国に入ると、康煕帝、乾隆帝の時に抜擢されて欽天監正に任じられた。現在に残る欽天監はその遺跡で、観象台上に安置されている器械は、アダム・シャールたちが作ったものである。
 拳匪の乱(けんぴのらん・義和団の乱)のときにフランスとドイツの兵隊が来てことごとくその器械を奪って去り、台上には何も残っていなかったという。その後フランスは再びこれを送り返してきたが、今は官庁の倉庫に放置されたままである。修繕して昔通りに台上に戻すはずではあるが、台上には、今はただ渾天儀(こんてんぎ)が一個あるだけである。あのドイツのベルリンから遠くないポツダム離宮の園中に、この欽天監にあった幾多の機械が置かれているのを知る人は知っているであろう。
*アヘン戦争をきっかけに西洋列強は中国の文物を破壊し、略奪し、戦利品を持ち去った。どちらが野蛮人か歴史が教えている。その証拠は列強といわれた国々の博物館に今も麗々しく展示されている。

中国ウオッチ・ODA

 日本から中国に対して30年間で320億ドルの政府開発援助=ODAが寄与された。しかし中国国民でそれを知るものはほとんどいない。中国政府が公表していなかったからだ。
 それが、日本が中国に対するODAを中止する意向を表明したため、中国政府がそれを問題視していろいろやり合いがあったことで中国国民にも一部ではあるが知られることになった。
 このことがネット上で話題になっていた。このODAはどこに消えたのだろうというのだ。中国国民で、ODAの具体的恩恵がなんだったのか知る人間がいないからだ。結論は、これは中国の国家機密だから存在すら秘密にされていたのであり、使い道など知ろうとしても無理だ、というのだった。なるほど皮肉が効いている。
 いつも思うが日本の政府というのはお金の使い方が下手だ。2兆円を超える税金を使って何も日本の国にプラスの結果をもたらしていないのだ。役人にとっては税金は所詮自分の金ではないのだ。自分が引き受けた仕事の結果が悪かったら給料が減額されるようにでもしておけばもう少し真剣になったかもしれない。仕事に結果責任をとるシステムでも入れないと日本の役所は正しく機能しないようだ。
 中国に今度はODAをもらう交渉でもしてちょうだい。

中国ウオッチ・アフリカ連合会議

 エチオピアのアジスアベバでアフリカ連合首脳会議が開催され、この会議に中国が招待された。
 中国とアフリカの貿易額は2009年に910億ドル、2010年には1269億ドル、
と40%近く急増している。2011年の9月までで、すでに2010年と同額に近いということなので増加は継続している。
 会議で中国側代表はアフリカ援助についていかなる政治的条件もつけない、と述べたという。政治的条件をつけない、というといいことのように聞こえるが、今までやってきたことを見ていると、西洋のどこの国も手を出さないような独裁政権だろうが何だろうが、相手の国民の状況とは関係なしに、中国にとって利益がありそうなところと平気で手を結び、資本投下を行い、インフラに直接関わり、人員を投下して資源と農地を確保するというやり方を続けてきた。もちろん西洋の意図的中傷の部分も多いだろうが、中国の進出著しい国ほどその国民の中国に対する反発が増えているような報道がしばしば聞かれるのはなぜだろう。
 いかなる政治的条件をつけないのではなく、相手を見てつきあわないと、相手の国の体制が変わったときにはやってきたことが無駄になるかもしれない。いや、反発だけが残ってマイナスになる恐れがある。過去のアメリカのやり方を反面教師にして賢くやるといいのにと思うが、大国主義というのは同じような行動になってしまうものなのだろうか。

引っ越し

 古いデスクトップ(初期のXPマシンでタワー型)がいよいよ不調になってきた。動作が遅いのは仕方がないが、異音がひどくなってきた。外付けハードディスクも認識したりしなかったりする。クラッシュ間近を覚悟せざるを得ない。本日はデータの引っ越しを行うことにしよう。写真のデータが多い。もれなく移さなければ。

 思えば8年以上酷使してきたし、転勤に伴う引っ越しも二回経験している。使用者の無知からずいぶん過酷なことを強いていたかもしれない。それでも今のところ何とか働いているのはありがたいことだ。NECさんありがとう。不要なソフトも削除して身軽になったら結構動くかもしれない。動く間は使わしてもらうからね。

中国ウオッチ・山火事鎮火

Photo玉龍雪山・5596m

Photo_2雲杉坪への遊歩道脇原生林

 中国雲南省麗江市のナシ族自治区で発生した大規模な山火事は、名峰玉龍雪山の観光地区にあと5Kmにまで迫ったところでやっと鎮火した。は40時間燃え続け併せて60ヘクタールが消失した。出火原因に関係すると疑われる地元の村人がひとり拘束された。
 雲南省は6~11月が雨季でいまは乾季である。玉龍雪山の山裾はいま観光地として道路など


の開発が進められているが、中国では珍しく原生林が残っている地区であり、大事に残しておいて欲しい地区である。山火事が鎮火して本当に良かった。

2012年1月30日 (月)

中国ウオッチ・新築の中国の日本大使館、使用できず

 老朽化した北京の日本大使館を移転するため、2006年から72億円をかけて新大使館を建造していた。完成したのでこの旧正月を機に移転するべく準備を進めていたが、中国政府から建物の認可が下りないために新大使館の使用ができない状態になっている。
 新しい大使館は一部設計変更があり、床面積が数%増えたのに変更申請がなかったことが認可が下りない理由とされているが、実際は中国側には別の狙いがあり、一応昨年末にその点は合意ができていたが、合意文書が中国側の希望にやや不足する曖昧な文章だったことが中国側の不満を招いたという(その内容は東京の中国大使館の土地買収に関するものらしいが詳しいことは分からない)。
 要するにいうとおりにしないから嫌がらせをしているのだ。ところがこの嫌がらせが報道されたことからさらに中国側が硬化、いつ認可が下りるか見通しがなくなった。
 外交官というのはこういうもめ事を交渉するために存在するのにこのお粗末さ、嘆かわしいことだ。

中国ウオッチ・ドイツのメルケル首相が訪中

 ドイツのメルケル首相が、中国の温家宝首相の要請を受け、2月の2~3日に中国を訪問するという。双方は両国関係と戦略的経済協力の強化について意見交換し、世界経済情勢やヨーロッパの経済、財政状態について話し合うという。
 ヨーロッパは今お金が欲しい。そしてお金にいちばん余裕があるのは中国だ。だからメルケル首相は中国にお金を出してもらいたい、と頼みに行くのだろう、というのはだれでも分かることだ。
 中国側からの要請、という形をとっているのはプライドの問題もあるだろう。だが日本になぜ寄らないのだろう。わざわざこんなに遠いところまでくるのだ、ちょっと寄って、だめでもいいからお金を出すよう要請してもいいではないか。日本ではわざわざ訪ねてきた人を空手で帰すのは礼儀に反するという意識があるから無駄にはならないと思うのだけれど。
 もちろんこれは日本に何も期待できない、と思っているからだろう。今の民主党政権の誰かと親交を深めたところであとで何の恩恵をもたらさないことが明白だからでもあるだろう。
 そうか、中国の要請というのは、日本からこちらに寄りませんか、と万一声をかけられても断る口実になるのか。 

中国ウオッチ・農地買収、牧場買収

 豪州日報が、中国大手の農業企業が西オーストラリアの農場買収を打診していることを報じた。買収予定の農場は複数で、約8万ヘクタールと見られている。この農業集団はすでにオーストラリア、ロシア、フィリピン、ブラジル、アルゼンチン、ジンバブエ、ベネズエラなどに投資を進めており、現地での雇用100万人に寄与しているそうだ。
 従来はレンタルで土地を確保してきたが、今回は買収ということで、オーストラリアの農業関係者はオーストラリアが中国の食糧生産地にされてしまうと危惧しているが、現地の農民の中には相場の2倍の提示価格を歓迎しているという。
 ニュージーランド政府府は中国の企業(オーストラリアの場合と別の集団)が同国の牧場16カ所の買収を認可した。ニュージーランド政府は、海外の投資家が購入した農場は併せてまだ1%足らずで問題ではないとし、購入を認可して牧場は持ち主が破産して買い手を探していたものだと説明している。
 これに対して土地を手放したい農家がかなり存在する中で海外投資家による買収が加速するきっかけになりかねないとして売却を阻止しようという動きもあるという。
 中国と韓国の食糧確保のための農地買収戦略がかなり世界的に行われている。日本も続け、とはいわないが、これが新しい資源戦争につながるようなことになりそうな気がする。

中国ウオッチ・スーダン

 スーダンの南部の州で、中国企業が反政府武装勢力に襲撃され、現地派遣されていた中国人、29人が行方不明になっている。その後反政府武装勢力は彼らを捕虜として連行したと発表した。
 この企業は道路建設を請け負っていた。この反政府武装勢力の主力は、2011年に南スーダンが独立したときに政府軍となっているが、スーダンに残留した部隊が引き続きゲリラ活動を行っているという。
 アフリカには中国からかなりの数の企業と人員が送り込まれている。現地での雇用に寄与しているケースは少なく、従業員ごと中国からやってくるので、現地での反発を招くことが多い。また中国人は中国人同士の集団をつくって現地に溶け込むことが少ない(日本人も同様)のでこれも反発の原因となっているようだ。

中国ウオッチ・お年玉

 旧正月明けの上海テレビのトーク番組で、お年玉の話題が出た。スタジオに呼ばれた上海の子供たちにお年玉をいくらもらったのか聞くと、2000元~数万元(一元は12円ちょっと)もらったそうだ。平均で8000元くらいか。中国は親類の関係が日本より濃いからくれる人も多く、日本よりずっと多くなっているのではないか。
 お年玉をあげる側の最低は500元だという。これは「もなさん」のブログにも書かれていた。日本なら6000円というところだが、物価などから考えたらその2~3倍の実感だろう。ずいぶん高額だ。
 教育心理学者がこの傾向に対し、金銭感覚を狂わせ、悪影響を与えている恐れがある、と語っていた。教育心理学者でなくともそう思う。そういえば田舎に帰省するのをいやがる人たちの理由のひとつがこのお年玉だった。中国では年寄りや親にもお年玉のようなものを渡す。彼らは苦労して子供の教育費を捻出してきた。その子供が都会に出て高い給料をもらっているはずなのだから見返りを求めるのは当然、と思っているのだが、なかなか都会に暮らしているから、といっても豊かに暮らしているのは一握りでたいていはかつかつの生活をしている。だから帰りたくなくなるのももっともだ。
 一人っ子政策で子供はちやほやされ、小皇帝として家族に君臨するが、あとでその見返りを求められるのだからたいへんだ。お年玉は使わずにためておいて大人になってからに備えた方がいいぞ。

ちょっと間が開きました

 ちょっとブログの更新の間が開きました。申し訳ありません。

 理由は・・・ちょっと恥ずかしいので申し上げられません。またせっせと書きますのでよろしく。

2012年1月29日 (日)

「清末見聞録(清国文明記より)」・貢院②

 ついでに、過去の話にはなったが、試験の光景をいうのも一興であろう。試験は三月と八月の二回である。第一日の朝から夕方までかかって受験者を各室に収容する。受験生はおのおの考藍(こうらん)という籠に入れて持ってきた筆紙墨や食料品やろうそくなどを整理して静かに待っていると、その夕べ試問が出る。それから昼夜の別なく受験者は一生懸命に答案二編の文章と一編の詩を書かなければならない。その答案は細かい楷書で一画も間違えないように書かなければならない。第三日の朝になって初めて各受験生の答案が集められる。すなわち学生は一昼二夜をこの陋室に過ごし、両便のほかは寸歩も室外に出ず、食事もこの室内でする。机に寄りかかって仮眠するのがせいぜいで、もちろん横臥する余地はない。その疲労はいかばかりであったろう。受験生はこの精神疲労や及落の心配で、往々にしてボーッとなって種々の滑稽なことをしてしまう。あるものはほとんど文章になっていない答案の隅に女子の靴の画を描いたものがいた。もちろんこれらは当然落第である。あるものはせっかく書き上げた答案の上に、ろうそくの蝋が流れかかったのを、居眠りして気がつかなかったため、悔恨からにわかに発狂したとの噂である。
 かくの如くして貢院は名利を逐う場所となり、天下の俊才を凡化し、無気力とした。文才のある気の利いた幾多の才子はここから出世したけれど、奇傑はこの卑陋な室内に容れるにはあまりに大きい。これによって人材を登庸しようとしたが、いたずらに官庁の陋習を助長したのみで、国勢は衰退して振るわなくなっていった。しかし、この国も近来この千年来の科挙の陋習を廃止した。世に試験制をただ守るだけでいるものはこれを見習うべきであろう。

2012年1月28日 (土)

新酒試飲会

 本日は午後から新酒の試飲会。もうすぐ出かける。原酒の絞りたてが飲み放題だ。飲み放題といってもアルコール度数が20度前後あるので飲み過ぎるとたいへんなことになる。もう30年ほど毎年参加しているが、前後不覚になって失敗したことはたびたびある。冷やでぐいぐいやるので突然くるのだ。最近はさすがに少し自重して飲んでいるので、ぎりぎりセーフで自宅にたどり着けるようになった。

 この日だけ出会える人たちや、今回初めて参加する友達もいる。楽しみだが、今日は格別寒そうだ。こういう日はつい暖めようと思ってピッチを上げすぎる。心配だ。

中国ウオッチ・山火事

 雲南省で山火事が発生している。名峰・玉龍雪山(5596m)のすぐ近くで、観光客の安全のため、周辺は一時的に閉鎖されている。火はまだ燃え広がっていて、現在森林が42ヘクタール消失したという。
 昨年の春、ここを訪れた。雲杉坪(うんさんぺい)から見た玉龍雪山、虎跳峡から見た玉龍雪山が思い出される。残念ながら麗江近くの黒龍譚公園からは雲に隠れてみることができなかった。旅の最後の日、麗江古城から遠望した絶景は忘れられない。
 雲南省は森林と清らかな水が豊かなところだ。それが損なわれていると思うと胸が痛む。早く鎮火して欲しい。まさか観光客のたばこなどが火元ではないだろうと思うが、残念だ。そういえば1990年代に麗江古城は火事で焼失してしまい、やっと再建された。ただ土産物屋だらけに変わってしまったが。

「清末見聞録(清国文明記より)」・貢院①

 貢院とは科挙試場つまり高等文官試験場である。天下に数カ所の貢院を設けて受験者を収容できるような設備がある。しかし今や新しい学問が台頭し、千余年来の習慣であった科挙を廃止し、日本および各国の留学生を殿試といって皇帝自ら試験の上、進士及第を賜うこととなったのでもはや貢院の必要はなくなった。特に北京の貢院は拳匪の乱(義和団の乱)に某国人がこれを破壊した(どこであろう、後で調べたい。アメリカか、イギリスか、フランス辺りであろう)から、その後はこれを使用することは出来なかった。あるとき、貢院はやがて取り壊されて学堂を新設する計画があるから早く行ってみなさいという服部博士の話があり、急いで小林学士と共に行ってこれを見てきた。
 北京貢院は東城内にある。例の門番に門を開けてもらい、進むこと二十間(36m)ばかりで左へ回れば場の中央とおぼしきところに高楼がある。名づけて明遠楼という。その左右には軒の低い長屋のようなものが、東西に幾十の平行線をなして立ち並んでいる。この楼もかの長屋もすっかり毀れて寂れ果て、煉瓦の破片がゴロゴロとそこここに散乱して、いかにも荒涼としている。楼を過ぎてその北方に一棟の家がある。その内に乾隆帝御筆の詩を大理石に刻んだものが昔ながらに立っていて、今は軒から漏れる雨露にさらされている。
 明遠楼は試験の際、監督官の居るところで、このほか場内の四周にさらに四高楼があり、同じく監督官の居るところである。今はわずかに東北隅の一楼だけ残っていて、他の三隅の高楼は跡形もない。前に云った軒の低い長屋は受験者を収容するところである。この長屋は煉瓦造りで、一棟を数十室に分けてある。そして、その一室の大きさは間口も奥行きも約三尺(90cm)で、軒の高さは私の耳くらいまで、室の奥のところで拳を握って差し上げた高さである。室の両壁には上下二段に穴が開けてあり、下の穴に板を差し入れて椅子とし、上の穴に板を差し入れて机とする。まことにわずかに膝を容れるに足りるだけしかない。かかる室が場中に約一万五千ある。

2012年1月27日 (金)

マツダ事件の裁判

 昨年、広島の自動車会社のマツダで工場内を自動車で走り回って次々に人をはね、一人を殺してそのほかの人にも重軽傷を負わせた事件を記憶しているだろうか。その裁判が昨日行われ、テレビで犯人の言い分が報道されていた。「9人目以降は覚えていない」とのことで、これをもとに弁護士は心神喪失を主張しているという。

 なぜ9人目以降を覚えていないと主張するのか。9人目以降に死亡した人と重傷者がいるからだ。そんなに都合のいい心神喪失などあり得ないが、大まじめに弁護士がそれを根拠に罪を軽くすること(できれば無罪を主張するつもりだろう)を主張しているというのに対して怒りを覚える。

 実はその9人目以降の被害者が私の息子なのだ。突然はね飛ばされて、脇にいた人は即死したと思ったというような飛ばされ方だったらしい。そうして行き過ぎた車は、なんともう一度向きを変えて向かってきて、再びひき殺しに来たという。息子は無意識に工場の壁際に逃げてそれだけはよけることができた。

 息子は昨年秋くらいまで後遺症が残ったものの奇跡的に大きな怪我もなく、九死に一生を得ることができた。あまり神を信じる方ではないが、このことだけは心から神に感謝したい。

 犯人はマツダで就業中のいじめがこの事件の原因だといっている。しかしこの犯人は職を転々として、マツダに在籍していたのはパートとしてのわずかの間だけだった。仕事がきちんとできなければ注意されるのは当然だが、犯人にとってはそれがいじめと考えられたのだろう。詳しいことは裁判で明かされると信じたいが、自分は被害者であるとのいいわけが通用するような事件ではないのに、このような主張をする犯人が心の底から許せない。

 もし息子に万一のことがあったとして、このような犯人が心神喪失で赦免されるようなら、私は法律を犯してでも犯人を殺すことを真剣に考えるだろう。法律が全く機能しないのなら法律は無意味だからだ。

 息子が無事で犯人も私も助かったわけだ。

 

無線LAN

 フレッツ光で無線LANルーターをつないでいたが、昨年秋からたびたびつながらなくなって、そのたびに設定を直して復旧させていた。しかもISDNの時とあまり変わらない速さしか出ないので、いらいらしていた。あまり不具合が続くので、ついに昨年暮れから有線ケーブルにした。スピードはやや回復するし不具合もほとんどなくなったがラインがうっとうしい。電話のある場所と少し離れているのだ。

 無線LANのルーターが古すぎることに気がついた。7~8年かもっと古いのだ。ビックカメラで見たらルーターも安くて早いのがたくさん出ている。思い切ってルーターを替えることにした。パソコンは二台、一台は無線が内蔵されていない古いデスクトップなのでルーターと一緒に子機式のアダプタも購入。併せて4000円でおつりが来た。

 早速ルーターを交換して設定を行う。すばらしい。メールもネットもすいすい開く。何で早く気がつかなかったのだろう。光の速さを初めて実感した。今までのうんざりする待ち時間を返せ!・・・って自分か。

世界七大自然景観

 昨年秋に済州島に行ったとき、済州島が「世界七大自然景観」に選ばれるために韓国が国を挙げて運動中であり、まもなく決定されるであろうと云われた。日本では「世界七大自然景観」などと云うものがある話は聞いたことが無く、そういうものがあるのか、と思っていた。
 結局12月22日に正式に確定したそうだ。とりあえずおめでとう。済州島は良いところだったし、見るところも多く、何より海がきれいだった。さらに観光が発展する可能性も感じられた。中国人の訪問も急増しており、特にクルーズで大量に乗り込んで来るパターンが多くなっているそうだ。
 ところで「世界七大自然景観」を認定するのはスイスのニュー・セブン・ワンダーズ財団というところだそうだ。今回の選定は投票によるものだったそうで、その投票には誰でも参加できて、しかも重複投票が許されていたという。だがその候補地別の得票数がどのくらいだったのか、発表されていない。
 韓国メディアがこの選定についての疑惑を取り上げていた。先ずこの財団について確認するため、所在地を訪ねたところ、そこは財団の創設者の母親が運営する博物館だった。財団について現地で聞き取りを行ったが、その財団について知る人はいなかった。またドイツに事務所があることになっていたがその事務所も存在しなかった。
 韓国はこの投票に公務員を投入し、電話をかけまくった。昨年9月末で1億回以上、その料金は210億ウオン(約14.7億円)に達すると見られる。
 昨年9月で最終候補地の28カ所に残ったインドネシアのコモド公園が、財団から「世界七大自然景観」の発表式の開催費用として3500万ドル(なんと27億円)を求められていたことも判明した。韓国政府は明らかにしていないが、同様以上の支払いを行った疑いがあると見られる。
 済州島の複数の市民団体からは詐欺だったのではないか、との声が挙がっている。
 日本ではそんな話に乗ったところはないことを祈る。 

「清末見聞録(清国文明記より)」・東嶽廟

 泰、華、衡、恒、嵩これを五嶽という(それぞれ泰山、崋山、衡山、恒山、嵩山)。東嶽はその随一で山東省泰山を云う。直隷、山東の各府県は皆その廟を立ててこれを祠る。北京の東嶽廟は朝陽門外にある。元朝延祐(仁宗の時代14世紀初め)の時代に創建され、清康煕帝三十九年重建された。開廟は毎年三月十五日から始まり月末に終わる。特に二十八日は整日といい子女の参詣が多くて人馬が絶え間なく行き交い、すこぶる賑やかである。廟の前面には街を隔てて精巧な牌楼がある。門を入ると正面には昭徳殿、仁聖宮があり、仁聖帝を祀ってある。東西の両回廊には七十二司を祀ってある。七十二司とは道教の神々で、人間界のあらゆる事件、生老病死はもちろん、善悪応報等を司る神々である。わずらわしいのでその神々の名は略す。廟域中には豊碑(いろいろな功徳を讃えた大きな石碑)が林のようにたくさん立っているが、最も有名なものは元の時代の趙子昴(ちょうしごう)の書になる張天師神道碑である。
 信者の間に組織された会が三つある。放生会(ほうじょうえ)、掃塵会(そうじんえ)、白紙会(びゃくしえ)である。放生会は魚や鳥の類を放つもの、掃塵会は廟中の塵を払うもの、白紙会は筆紙墨を献納するものである。放生会と掃塵会は説明しなくとも意味が明らかだが、白紙会については説明を要する。これは神があの世で人鬼を裁判してその功過を記録し、賞罰を明らかにするのに用いるものとして供えるのである。以上の三会はいずれも功徳を施して冥福を祈るものであることは云うまでもない。

中国ウオッチ・偶像崇拝

 北朝鮮で金正日が死んだとき、国民が嘆き悲しむ様を見て、中国国民はかつて毛沢東が死んだときの自分たちを思い出したという。個人崇拝を強要され、心にもないオーバーな身振りで泣き叫ばなければ身の危険があったあの時代の苦い思い出だ。
 今の中国人はもうそんなことは強要されないし、よほどあからさまな体制批判さえしなければ自由にものも言える。毛沢東についても悪いところもあった、と言う程度には批判できるようになっている(はずだ)。
 ところがチベットでは旧正月の前日(1月22日、つまり大晦日)にラサの共産党庁舎で領袖様の描かれた巨大な像の除幕式が大々的に行われたという。領袖とは毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤のことである。
 さらにこの領袖像が印刷されて各家庭に配布された。現在チベット人の人口は三百万人といわれるが、なんと百万枚が配られた。これは少なくとも各家庭に一枚以上であり、各家庭で壁にでも貼って拝めとでもいうのだろう。
 現在チベットでは独立運動を押さえ込むために5人以上が集まっただけで逮捕連行されるという北朝鮮のような様相であり、それに抗議して焼身自殺が相次いでいると漏れ聞く。抗議する手立てはそれしかないとまで思い詰めているのだ。
 その気持ちを逆なでするこのような行事の挙行は、チベットを統治する上では逆効果となっているだろう。もともと胡錦濤はすました顔をしているが、チベットの弾圧支配に成功したことを江沢民に評価されてのし上がってきた男である。後継者たちが同じやり方を踏襲するのは当然だし、北京政府もそれに対しては賛同こそすれ緩和策を指導する可能性はない。
 中国ではチベット問題についてはほとんど情報が開示されていないので、チベットは中国領であることはよく承知しているが、チベットが北朝鮮のように個人崇拝を強要され、抗議行動が相次いでいることはあまり知られていない。別の国の北朝鮮に眉をひそめる前に、自分の国(本来はチベットという独立国のはずだが)の中にまだ偶像崇拝を強要されている場所があることを中国国民は知って欲しい(実は知っているが、知らないことにしているのかもしれない)。

2012年1月26日 (木)

映画「アフリカの女王」

 1951年アメリカ・イギリス合作。監督・ジョン・ヒューストン、出演・ハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘプバーン。この映画でハンフリー・ボガートは念願のアカデミー賞主演男優賞を取った。
 「アフリカの女王」とはハンフリー・ボガート扮する英国人の飲んだくれ、チャールズ・オルナットの持っているぼろ船の名前である。時代は第一次世界大戦勃発の年、舞台は東アフリカ。キャサリーン・ヘプバーン扮するロージーは、兄の宣教師とともに奥地の村でキリスト教の伝道活動をしていた。ドイツ軍の侵攻はこの村にもおよび、村は焼き払われ、住民は連れ去られてしまう。兄の宣教師は失意の果てに死んでしまい、ロージーは一人残され途方に暮れる。そこに様子を見に来たオルナットが現れ、二人はアフリカの女王に乗ってドイツ軍から逃れるのだが、なりをひそめて戦争が終わるまで隠れていようというオルナットに対して、ロージーは川を下ることを主張する。
 川には急流など難所があり、途中にドイツ軍の哨戒所もある。さらに川は湖に注いでおり、そこにはドイツ軍の砲艦が待ち受けているという。しかしその砲艦さえ居なければイギリス軍の支配しているところに行けるのだ。アフリカの女王には爆薬がたくさん積んである。ロージーはドイツ軍の砲艦をそれで撃沈しようという。アフリカの女王そのものを魚雷に仕立てようというのだ。
 急流というのが半端ではない、また哨戒所の銃撃も受けるが、その艱難辛苦よりも困難を極めたのは、蘆の原に迷い込んでしまい浅瀬で立ち往生したときである。しまいには川に入って自ら船を曳くが、出口は見えず、オルナットは毒ヒルに襲われて倒れてしまう。万事休すかと云うときに神の加護があり、ついに湖に出ることがかなうのだが。
 信仰深いが故に融通の利かない中年女性(宣教師の兄の言葉によれば不美人)のロージーと、飲んだくれのオルナットの心が、苦難を一つ乗り越えるごとに近づいていき、やがて信頼に、そして愛に変わっていく。
 ロージーがひとりぼっちになったところにオルコットが様子を見に尋ねてくる最初の頃のシーンがすばらしい。この場面でもう映画を見ている人は二人の将来を確信するだろう。どのように気持ちを表したらいいか分からないロージーはオルコットの姿を遠くに認めながら手元の糸巻きに糸を巻きだしたりする。そういう細部に、気持ちの動きを表す演技が無数にあってすばらしいのだ。
 良い映画だ。

映画「あしたのジョー」

 私はリアルタイムでこの映画の原作になった少年マガジンに連載された漫画を読んだ。力石との死闘とその力石の死、最終回のホセ・メンドーサとの死闘の後の燃え尽きたように真っ白になったジョーの姿とその口元にかすかに浮かんだほほえみ、これはそのまま力石の最期に通ずる。
 映画は力石との死闘をクライマックスとしてその後の戦いは描かない。確かに力石との戦いまでが一つの物語で、原作も再び矢吹丈が戦いの場に戻るまでにかなり遠回りさせており、再び丹下ジムに戻ってからは別の話のようになっているので映画の終わりかたはこれで良い。
 原作のイメージが鮮烈なので、実写映画は難しいだろうと思っていた。アメリカンコミックなら金をかけて特撮だらけにしてそれらしく作ることが出来るがボクシングは肉体むき出しの生ものだ。
 それが原作のイメージを損なうことなくほぼ完璧に再現されていたのに感心した。矢吹丈役の山下智久、力石徹役の伊勢谷友介のふたりの俳優の精進に敬意を表する。あの時代(昭和四十年代)は日本が右肩上がりで経済的に躍進していた。日本中がスクラップアンドビルドの時代だった。その中で日本人が獲得したものと失ったものがある。この物語にはまだ日本人が失う前の熱い思いが込められていたように思う。

 若者が明日に向かって努力することに価値を見いだせなくなって、自分探しなどという名の現実逃避を始めたのはいつからだろうか。
 

「清末見聞録(清国文明記より)」・文天祥祠

 城北安定門大街の東に育賢坊(いくけんぼう)という名の牌楼(パイロウ・中国の市街地にあるやぐら門)がある。ここが府学胡同(日本式に云えば府学横町というところか)でその北に順天府学と文廟がある。文天祥(ぶんてんしょう・南宋の政治家、南下するモンゴル軍(元の軍隊)と戦い続けた。講和交渉中にとらわれたが脱出、南宋が滅びた後、元朝に出仕を要請されたが拒絶。死刑となる。獄中で作った正気の歌は日本でも有名)の祠(ほこら)は文廟の東、府学の中にある。ここは元朝の菜市口(さいしこう・青物市場の入り口)の趾で、文天祥が授命(意味が不明・生まれたのは江西省だし南宋の都は現在の杭州なので、北京に遺跡があるとすると、再三出仕を促した忽必烈汗の命令のことと考えられる)の場所である。祠は明初め、北平按察副使の劉崧(りゅうしょう)がこれを創設した。のち景泰年間に天祥に諡(おくりな)して忠烈といい遺像を改塑して丞相の衣冠とした。遺像の上には遺帯の銘を刻んである。曰く、
  孔曰成仁、孟曰取義、惟其義尽、所以仁至、
  読聖賢書、所学何事、而今而後、庶幾無愧、
想うに当時宋の皇祚(こうそ・皇位)は絶えてはまた続き、その勢力は日ごとに縮小し、大きな建物がまさに倒れかけて一本の木では支えきれないという状態だった。それなのに公(文天祥)は敗残のわずかな弱兵を率いて、百勝の強敵に当たり、刀挫け、矢折れ、力尽きてついに生け捕りとなった。これが嘆かずにおられようか。公は捕らわれて獄中にあり苦難に遭いながらいささかも挫けずに正気の歌を賦してその志を述べた。元人(忽必烈汗のことか)は公の忠義を重んじ、丞相の位と王侯の土地や財産をやると持ちかけたが全く取り合わず、一死を以て国に殉じた。その忠義を貫く心は年月を貫いて千年の後も凛々としてなお生きている(その忠肝養胆、日月を貫き、千載の下、凛々としてなお生気あり)。いま公の授命(どうも死刑になったことを表すようだ)のところに来て、公の遺像を見て、公の遺風を謹んで感じれば、感懐が泉のように湧いて、その辺りをむやみに歩き回りながらなかなか立ち去りがたかった。
*正気の歌は吉田松陰や藤田小四郎など、幕末の志士にも大きな精神的影響を与えた。

2012年1月25日 (水)

中国ウオッチ・ハンティング

 中国の金持ちの趣味にハンティングが加わったそうだ。それもアフリカまで出かけて象やヒョウなど40種類以上の動物をハンティングする。ハンティングを斡旋する旅行会社もあるらしい。ハンティングした獲物は剥製にして持ち帰るのだ。帰ってから自慢するのだろう。
 いかにも成金趣味のにおいがする。過去、白人たちが現地人をガイドにしてハンティングする姿は、植民地支配の象徴だったような気がするのだが、それを今中国人が金に飽かせてやっているという図は滑稽で醜いと感じるのは私だけだろうか。

ブログ紹介

 コメントをいただいた「もなさん」と言うハンドルネームの方のブログを読ませてもらったらとてもハートフルで楽しい。中国で生活されている日本の女性らしいが、試しにご覧になることをお勧めする。ブログ名は「アラフィフの海外の節約生活」。これで検索すればヒットします。家計簿みたいなブログなのになぜか楽しい気分になります。もなさん、勝手に紹介してごめんなさい。

 彼女もご主人の年金でやりくり生活しておられるらしいが、私も年金(まだ65歳にならないので公的年金は雀の涙だが、厚生年金が若干あるので蓄えの目減りがほんの少し緩和されている)生活をしている。

 それでも年金生活者は確定申告をしなければならない。昨年度から電子申告にした。いろいろ必要な資料もそろったので本日電子申告を行った。記入する項目がわずかなので20分もかからずに終了。わずかながら還付がある。うれしい。

 するべき事が済んだので気分がすっきりした。

会議

 議事録について私見を述べたが、ついでに会議について考えた。
 会議とはある目的を達成するために複数の人たち(たいてい意見が違うし、同じなら会議をする意味がない)が集まって、何らかの合意を形成(内田樹先生の受け売り)して方針を決めるものだと考える。
 ところが、会議を、自分の意見を主張する場としか考えない人というのがいる。たいていそういう人は声も大きいし、よく考えてもいるのでその場を取り仕切ってしまい、それ以外の意見を切って捨てて、その意見が会議の結論になってしまう。それでは会議を行う意味がない。時間と労力の無駄だ。仕切るのが最も高位者なら、最初から結論は決まっているので通達でかまわないことになる。会議という名のセレモニーだ。
 そういう自己主張の強い人が複数いる場合がある(この方が多い)。互いが自分が正しいと言い張り譲らないから、結局結論は出ない。何も決まらなければそもそも会議を開いた意味もない。
 繰り返すが、会議は合意を形成(これは妥協では決してない)することを目指すものだ。会議という名の無意味な行為が多いような気がする。

 どこかの国の会議(国会というらしい)というのもそんなもののようだ。

議事録

 東日本大震災で設けられた「緊急災害対策本部」の会合議事録が作成されていないという。

 会議をするときは、特に意図的でなければ議事録を作成するのは小学校の学級委員会でさえ常識である。ましてや「緊急災害対策本部」に出席するような顔ぶれの人達は世間では「有識者」と認められるような人達であろうし、だから委員に選ばれたのであろう。会社であれ、役所であれ、大学であれ、会議があれば議事録を作成してきたはずの人々だ。うっかり作成しなかった、などと云うことはあり得ない。会議と議事録はセットと言って良い。

 議事録がない、というのは本当に議事録がないのか、または議事録はあるけれど公開したくない内容なので、または全く内容がないので、ないことにしているかどちらかであるが、「ない」という結果が確定された場合は会議そのものが存在しなかったということにならないか。会議で決まったことがあり、決定事項が公開されて、それにより何らかの事実の進展があればそれはそのまま不備ではあっても議事録の代わりと云えるが、それすらないのであれば会議はなかったのだ。

 なかった会議に招集された人々は何もしなかったのであり、それに対して日当や交通費が支払われるいわれはない。何せ記録が存在しないのだ。「緊急災害対策本部」の人達は速やかに会議に参加したとされることに対する報酬を返還することで責任を取ることを提案する。

 そのほかにも今回菅直人元首相により作られた組織は三十あまりあると聞く。それぞれの会議の議事録が不備なものがありそうなので検証するという。検証結果を公表し、同様であれば同じ措置を取り、返還されたお金をささやかでも復興資金に充てたらどうだろうか。

中国ウオッチ・ジニ係数

 その国の貧富の差を表す「ジニ係数」というのがある。これは社会の所得の配分の不平等状況を見る数値で、この数値が小さいほど格差が少ないとされ、0.4より大きいと社会不安が起こりうるほど格差が大きいと見られる。
 主要国はその数値を公表しているところがほとんどであるが、中国は2000年まで公表していたのにそれ以後は公表をやめている。なぜ公表しなくなったのか尋ねられた国家統計局の担当者は「高所得者の実態が掴めなかったためである」と答えた。
 ちなみに2000年に発表された中国のジニ係数は0.41だった。ある大学の研究者は2007年に0.48という推定統計値を発表している。また世界銀行は2009年に0.47とする推計値を発表している。
 ジニ係数を公表しなくなったという事実こそ中国の格差が報道されている以上に深刻になっていることを表しているのではないだろうか。高所得者の実態が把握できないなら、把握できている範囲での数値を発表すれば良いだけのことなので、公表しない理由にはならないからだ。
 そして同時に明らかになったことは(いくらそうだとしても)、中国の高所得者というのは所得を正しく申告しないことを国の機関が公然と認めているということである。
 一部の推計では現在の中国のジニ係数は0.5を超えているという。もし本当ならかなり社会不安の危険性が高いと云うことだ。それがオーバーだというのなら、統計局は数値を公表してみて欲しい。

2012年1月24日 (火)

映画「アバター」

 映画館で見そびれていた(月に一度くらいしか映画館に行かないからほとんどの映画を見そびれているわけだが)が、昨年WOWWOWで放映されたのを録画していた。今ランダムとは言え原則的にアイウエオ順に録画したものを見ている。アバターはアだから順番が早いのだ。
 この映画を見たひとは多いだろうし、見ていない人もどんな映画かだいたい知っているだろうから詳しくは紹介しない。
 とにかく映像が精緻で美しい。子どものときからかなりのSF好き(マニアと云うには最近あまり読んでいないからやや忸怩たるところはあるが)として自分が描いていた異世界のイメージがここまでリアルに描かれているとうっとりしてしまう。物語そのものはそれほど目新しくない。映像に「風の谷のナウシカ」の腐海のイメージを感じるのは私だけだろうか。荘子の「胡蝶の夢」を思わせるような言葉「現実の自分とアバターである自分のどちらが本当の現実なのだろう」がある。現実の主人公が不具であることはどういうことか、鋭い人は気付いているだろう。
 いろいろな映画のオマージュがちりばめられているような感じなのでもう一度見たらもっと見つかるかもしれない。とりあえず「スターウオーズ」と「風の谷のナウシカ」「エイリアン」くらいか。ジェームズ・キャメロンが意図したかどうかは別としてだが

ストーカー

 ストーカー行為の果てに相手の家族を二人も殺害した事件について、NHKが特集番組で報道していた。問題点がいくつもあげられ、事件を防ぐことが出来た可能性が極めて高いことを明らかにしていた。
 しかし、これはNHKも分かっていて意識的にやっていたことだと思われるが、常に「警察は」という言い方にして、警察全体の問題であるかのよう語っている
 今回の場合にはするべきことをしていなかったことが明らかなのは習志野警察署であり、その担当者である。事件を一般化して語るのにマスコミは慣れすぎてしまい、個別の責任が明らかなのにそれをぼかしてしまう。これではまじめにやっている警察官たちは浮かばれない。
 責任が明らかな担当者を断罪し、それを許した上司たちが処罰を受ける、というあたりまえのことが行われる前に、「警察の責任」という言い方で問題をとらえるとらえ方をしている限り、誰も責任者を特定できず、また同じ事件をくり返し産み出してしまう。
 警察というのは組織で動く。だから組織として問題視される点がないなどとは思わない。しかし個別の問題のある人物の失態を全体の名前で薄めてしまう行為は日本の病理と言えるのではないだろうか。
 政治家が、公務員が、警察が、と云う言い方で社会に警鐘を鳴らした、と自己満足し、正義の味方のポーズを取るマスコミの言動は、結果的に個人は責任を取らずに済んでしまう社会病理を産んでしまった。
 原発事故の問題も、年金の問題も、何事もやるべきことをやらなかった責任者が間違いなく居るのだ。問題は東京電力や年金局という組織ではなく、それを構成している個人なのだ。このあたりまえのことに気がつかない限りどんな問題にも言い訳が通用し、組織に責任を転嫁し、当事者は安眠して何の恥じることもなく生き続けるだろう。
 責任者は責任を取るために役割が与えられているというあたりまえのことが看過されている社会は異常だし、結果として無責任者を蔓延させて社会を損なっていく。こういう状況は下手をするとリンチを正当化する社会を産み出しかねない。とても恐ろしい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・雍和宮②

 それはさておき、雍和宮の中にはたくさんの殿堂があり皆仏像を安置している。参詣の人がこれを拝むには一殿ごとに一人ラマ僧が居てその入り口の鍵を持っているから、いちいちそれに若干銭をやらないと入ることが出来ない。僧侶は僧侶でも中国の僧侶はなかなか欲が深いのである。宗の風俗は頭髪を剃り、紅色、黄色または藍色の僧衣を着けている。別に日本の僧と変わりはない。さて我々も殿中に入ろうとしたが、その僧が腰の辺りを探っているから何をするのか見ていると、やがて小銀貨を十セント、二十セント取り混ぜて一円だけ出して一ドル銀と交換しろと云う。先に市中雑観の貨幣のところで述べたとおり、市中では銀一ドルは小銀貨一円とそのほかに銅貨七、八セントを添えないと両替できないから、この僧はその利を得ようというのである。この通り銭が欲しくてそれで出家というのも凄まじい。いや、露骨なだけ可愛らしいかもしれない。
 さて、中央の高殿には立像の大仏がある。高さ五丈(15m)ばかり、木彫りで全身黄金色に塗ってある。その相貌は慈悲の面影はなくでやや険悪の相がある。その後堂は荘厳な道場で特に二幅対刺繍無量寿仏の大曼荼羅は精巧無比である。雍和宮中見るべきほどの見ものはただこの曼荼羅のみであろう。朝な夕なに看経するところなので、チベット文の教典をひと包みずつにして山の如くに積んである。その一部を買い受けたいと申し入れてみたが、さすがにそれは出来なかった。このほか在る堂中には天地仏とも和合仏ともいわれる、奇怪醜陋な仏像(歓喜仏のことか。インド・ネパール・ブータン・チベットの仏教芸術によく見られるもので、男新と女神が交合している図が多い。チベット語でヤブユムとも云う。日本にも江戸時代に立川流などがこの仏を祀り、邪教として禁止されている)が祀ってある。さすがに局部は布を以て覆っているけれども、僧が朝夕にこれを礼拝するかと思うと、むしろ滑稽の至りである。これは宗教学上での面白い標本であって、西洋人などは少なくない金額を出してこれを持っていくものがある。

 

中国ウオッチ・春節四題

Photo 上海夜景。

Photo_2 これも上海夜景。

 中国の旧正月・春節に関する話題を四つほど。
①帰省ラッシュで汽車の切符がとれない人が多かったことは報告したが、江蘇省蘇州大学の学生李さんとその友人二人は、案の定切符が手に入らないので実家のある塩城市までの約400Kmを歩いて帰ろうと決心。14日に出発して22日の大晦日には帰着するつもりだったが、なんと19日の午後には塩城市についていた。あいにく冷たい雨の降る日が多くつらい行軍だったらしいが二人とも元気だという。6日で400Kmというのは凄いペースだ。
②年越し商品の贈答は中国の暮れの風習だが、近年魚介類の人気が高いと。ただ中国の国土は広いのでほとんどが冷凍である。この水増しがひどいことになっているという。「反復冷凍法」という手口は、いったん冷凍した魚介類を繰り返し水につけて再び冷凍すると氷で最大4割くらい重量を増すことができるそうだ。小魚やエビの塊で袋に入っている冷凍物はほとんどこの手口のものだという。また大型のエビなどには水を注射器で注入して重さを増やしているものが多い。かなり高価なものなので一割程度の増量でもかなりの利益につながる。中国では魚介類は目方で取引されるのでこのような手口が通用すると云うがいやはや。
③中国の国民的年越し番組「春節聯歓晩会」(紅白歌合戦のまねから始まったが、歌だけではなく、手品やコント、漫才など多彩な番組)で、人気コメディアン二人が演じたコントが、日本のアンジャッシュの「スーパーの面接」というコントのぱくりだったとネットで暴かれて話題になっている。最後を少し変えてハッピーエンドにしているところが違うそうだが、題も「超市面試」だからそのままだ。このコントは拍手喝采で大受けだったらしいが、指摘に対して何のコメントも今のところ出ていない。
④中国では大晦日の晩に家族がそろって豪華な食事を取る「年夜飯」という習慣がある。日本の年越し蕎麦とおせち料理が合体したようなものだ。レストランやホテルに予約して食べに出かけることも多い。毎年その豪華さを競って一本10万円の白酒(パイチュウ)や一卓10万円以上の料理などが話題になったりする。「下着ショー」などというとんでもないショーが付いてくるなどわけの分からないものもあり、エスカレート気味だ。レストランやホテルは稼ぎ時とばかり趣向を凝らして客寄せをする。ところが中国のこと、トラブルのニュースに事欠かない。過剰に予約を受けたために席がない、VIP待遇超豪華コースのはずがみすぼらしい料理しか出てこなかったりというのがあった。なにやら日本でも豪華おせち料理を頼んだら伊勢エビの代わりに車エビだったり、すかすかだったりというのを思い出すが、「家でのんびりと年夜飯を食べよう」と呼びかけるメディアがあるが正論かもしれない。

2012年1月23日 (月)

中国ウオッチ・豚肉禁止

 中国のボート競技の代表選手が、オリンピックまで豚肉を食べることが禁止されているという事実をブログに書いた。北京オリンピックのときに中国の金メダルを取った選手がドーピングで引っかかり、メダルを剥奪された上、二年間の出場停止処分を受けたことがある。調査の結果、摂取した豚肉に興奮剤が入っていたことが分かり、不可抗力として処分は取り消された。中国で行われた競技大会でドイツの選手も豚肉を食べたことでドーピング検査で引っかかっている。
 このようなことから、中国の体育協会は豚肉に関しては北京から特別管理されたものを送り、それ以外は食べないように指導していたが、全面禁止になったというのはその特別なものさえ信用できない、ということだろうか。
 これについて体育総局は外食での豚肉摂取に注意するよう指導しているだけであり、通達が誤解されている、としている。そしてブログの文章は削除された。
 それにしても検出された興奮剤などは使用が禁止されているものであり、それがあたりまえに摂取されてしまうような野放し状態であることがこれで明らかになってしまった。旅行でたまたま何回か食事で摂取するくらいなら、毎日食べている中国人がバタバタ倒れているというニュースもないから大丈夫だと思うが、中国の食の安全はどうなっているのだろうか。
*中国では赤みが多い豚肉が高価で売れることから「痩肉精」という塩酸クレンブテロール、ラクトパミンなどの化学物質が安易に使用されている。これを使うと赤身の肉に変身するのだ。これを摂取すると興奮剤としてドーピング検査に引っかかる。
 

哲学の道

 京都を観光で訪れる中国人に「哲学の道」が人気だそうである。これは観光案内で訪れると云うより口コミでふえているのだそうだ。一度来た人が中国に帰ると、口をそろえて薦めるそうだ。意外である。中国国内の観光地と云えば、飾り立ててけばけばしく、土産物屋だらけのところが人気があるように見える。
 「哲学の道」は私も大好きで毎年一度か二度訪れる。銀閣寺から若王子神社までを云うらしいが、少し足を伸ばして南禅寺まで歩く。どちらかと云えば静かな地味な道である。何しろ哲学の道だ。
 それが中国人の観光客に人気だというから意外なのだが、考えてみたらわざわざ物価の高い日本を、しかも買い物目的ではなく京都を訪ねようという中国人は、それなりのレベルの人達なのだろう。文化や歴史に興味があり、哲学の道の周辺の建物や背景を楽しめるというのはそれなりの知性のある人であろう。
 確かに昨年の桜の時期と一昨年の秋の紅葉の時哲学の道を散策したときにずいぶん中国人が多いと感じた。いつもはヨーロッパの人が多く目についたのがずいぶん変わったなと感じたものだ。中国の旅から帰った後に行ったこともあり、中国の観光地での中国人の多さにびっくりし、日本の観光地にも中国人が多いのに中国も豊かになったと実感したとともに、ややうんざりした記憶がある。

「清末見聞録(清国文明記より)」・雍和宮①

 雍和宮は城北にある。崇文門大街を挟んで文廟と相対している。もと雍正帝がまだ王子であったときの邸宅だが、即位の後これを喜捨(寺社や貧乏な人に施しものをすること)したので、今はラマ教の霊場である。ラマ教はチベット化した仏教の一種である。チベットでは法王政治が行われ、ダライラマ、つまり法王がチベットの首府ラサにいて宗教および政治を統括していることは誰もが知っていることである。雍正帝が自邸を喜捨してラマの霊場としたのは、主としてチベットおよび蒙古を統治する政策上のものである。なぜならばチベット人はもちろん内外蒙古人は全員ラマ教を信じ、ダライラマの命令はすなわち神の命令であって、神聖にして犯すべからずとされている。故にダライラマの歓心を買えば外藩統治上に非常に都合がよいからである。近来清朝のラマ教に対する態度はやや冷めてきていて、雍和宮に対しても従来から若干の支給があったものを、国費多難のためこれをやめているとの話である。露西亜はラマ教と蒙古の関係を熟知しているので、蒙古を併合し、チベットに入ってインドを窺い、イギリスの死命を制するという大きな抱負をたくましくしているので、いわゆる人を射るには先ず先に馬を射よ、とばかり、しきりにダライラマの歓心を買い、また蒙古の庫倫(クーロン)に居るラマ教の活仏を手なずけているらしい。活仏はロシア人のことを露西亜の兄弟などと云っていると聞く。革命軍が武漢で立ち上がり、庫倫独立に次いで活仏が蒙古王になったとの報道が伝えられた。ただしその背後にあるもののことは想像に難くない。ものの分かるほどの人は着眼点を見失ってはいけない。(注・これが書かれているときは明治四十年。明治三十八年日露戦争終戦後、ロシアでは血の日曜日事件などが起こった後、第一次ロシア革命が勃発している。この年孫文が日本で革命委員会を立ち上げた。辛亥革命で清朝が倒れるのは四年後、明治四十四年である。その後第一次世界大戦中にロシアは倒れ、ソビエトが成立した。蒙古は辛亥革命の時にロシアの庇護のもと独立してモンゴルとなったが、弱体政権のため、中国が再支配に動き、中国、ロシア、モンゴル政府との話し合いにより、北モンゴルは中国の支配権のある自治区となり、南モンゴルは従来通り中国領となった。さらにソビエト革命後は北モンゴルはソビエトの庇護を仰ぎ、ソビエト庇護のもとに再独立を果たした。現在のモンゴルである。再独立のとき南モンゴルもモンゴルとして独立の意向もあったが、かなりの漢民族がすでに流入しており、意志がまとまらずに中国領として残ることになった。そもそもモンゴルが中国を嫌ったのは漢民族の意図的流入である。これは今も続けられている中国政府の政策で、チベットやウイグル自治区、満州地区も同様である。民族紛争の最大の原因だ)

本日は春節

 本日は春節。中国と韓国(北朝鮮も)、東南アジアは今日がお正月だ。

 昨日、たかじんのここまで言って委員会という番組で、日本語ぺらぺらの親日外国人の論客たちが、昨年来の国際情勢についてコメントを語っていた。最後に日本人について、東日本大震災での対応も含めて口をそろえて、日本の政治家を除けば、日本人のまじめさ、勤勉さ、礼儀正しさ、思いやりは世界に誇れる美徳だ、と語ったのが何となくうれしかった。

 同時になるほど、と気がついたことがあった。日本人と云ったって全部が全部善良で勤勉なわけではない。中国人だって勤勉で思いやりがあってまじめな人はいくらでもいる。ただ国全体の印象で云っているわけだ。全体としては、日本人には外国人が認めるやさしさがあることは事実であるようだ。だから政治家が無責任で嘘つきになるのだ。

 国民が辛口でやさしさがなければ政治家は責任を問われるし、命の危険もあるから見え見えのインチキはやりにくい。ところが日本では、人前で声高に自己主張して、自分の言ったことに責任を持たなくても平然と言い訳できるような人はまともな人間とは思われていない。だから自分が政治家になるつもりの人間は少ない。だから政治家になるつもりなら人間としてのハードルが低くてもなる事が出来るし、なってしまえばやりたい放題である。だってやりやすいのだから。

 マスコミは政治家が悪い、とわめき立てるが、なんのことはない、そのマスコミと心優しい日本人こそがそのような政治家を産み出しているのだろう。これは官僚についても同様のことなのだろう。原因が逆で、やさしく控えめな国民だから政治家や官僚が悪くなってしまうのだ。

 だけど、ぎすぎすしている国より日本は良い国で好きだ。もうちょっとだけ政治を自分の問題として考えるようになると良いのかもしれないけれど。でももう日本中いろんなことがひとごとではなくなりつつあるような気はする。

2012年1月22日 (日)

男はつらいよ

Photo_2 男はつらくない。

 第一作から、渥美清の遺作となった第四十八作まで、そして後で編集し直された特別編を加えて全四十九作をついに全て録画し終わった。映画館で見たことのあるのが多分そのうちの三十作くらいか。これから一つ一つを楽しみに見ていきたい。このあいだ第一作を見た。たぶん五度目くらいだけれど、はじめて見たとき以上に面白かった。新しい発見があるし、同じところに感じる感じ方が違うのが分かる。

 映画「男はつらいよ」は永遠である。

佐伯泰英著「東雲(しののめ)の空」(双葉文庫)

Photo ご存じ富士山。

 居眠り磐音シリーズの第38巻。田沼一味の画策で、師であり、義父でもある佐々木玲圓を失い、江戸を離れていた磐音たちがついに覚悟を決めて戻ってくる。もちろんおこんさんと息子の空也も一緒である。江戸には両替商の今津屋の好意で住まいも道場も準備されていた。
 今回は江戸を離れていた約3年の間のそれぞれの消息と再会が話の主題である。なつかしい人達との再会にちょっと胸が熱くなる。その中に佐野善左衛門が登場する。この人物が系図の貸し借りを巡って田沼家と諍いを起こし、城中で刃傷沙汰を起こして田沼意次の息子である田沼意知を刺殺するのは史実である。この事件をきっかけに田沼意次は失脚していくのだが、だから磐音を巡る状況も急展開をするはずだ。先走るが楽しみだ。

2012年1月21日 (土)

スキャン

 しばらく前にエプソンのスキャナーを買った。フィルムもスキャンできる。キャノンの汎用プリンターでもフイルムスキャンできるのがあるが、キャノンはタイ工場が水没した後遺症でプリンターが品切れだ。実はそれ以上にスキャンしたいものが別にある。

 DVDのコレクションが500本以上あるが、すべてケースを放棄し、レーベルだけ残してある。これをデジタル化してファイリングしたいのだ。今回購入したスキャナーはフラットヘッドタイプなのでそういうことも得意なのだ。その作業を始めたら思ったより時間を食う。今やっと150枚くらいスキャンして取り込んだ。このペースだとあと4~5時間かかりそうだ。うーむ。

 フイルムのスキャンはもっと時間がかかるのが分かってるので今後楽しみである。フイルムスキャナーはこれで四台目か。きりがないのだ。

ニラの卵とじなど

 今晩のつまみ。つきだしにウルカ。それで〆張鶴を一杯。ニラの卵とじ、麻婆豆腐(四川味)で黒麹の芋焼酎のお湯割りをただいま飲んでおります。幸せ。

 

ゴロゴロ

 本日午後はゴロゴロしている。昼寝をするでもなく、本を見るでもテレビを見るでもなくゴロゴロしている。こういうときは酒でも飲むかドライブに出かけるのが良いのだが、天気が悪くて出る気にならないし、酒は特に理由がないときは昼間は飲まないことにしているので我慢している。やらなければならないことがあるし、やりたいこともあるがゴロゴロしている。オーバーヒートしていたものがクールダウンしつつあるようだから暗くなったら料理を作って酒でも飲もう。ゴロゴロ。

独島の初日の出

Photo 韓国・済州島。美しい。

 雑誌・SAPIOの記事で韓国の正月について書いていた。韓国は正月は中国と同様旧正月で祝う。行事も全て旧正月で行う。しかし年の変わり目は新暦であり、年始の挨拶は新でも旧でも行うそうだ。その新暦での元旦の韓国KBSテレビのニュースは初日の出で始まった。各地の初日の出が中継されたのだが、メインが独島、つまり竹島の初日の出だったという。辛口のSAPIOだからかなり批判的な言葉が続いていた。
 
 日本もNHKが尖閣諸島にカメラを据えて初日の出を実況しようか。
もちろんわざわざそんなことはしないだろうし、もしやってもあまり盛り上がらないだろう。韓国は大統領選挙のたびに日本を敵国扱いにして盛り上げ、票を集めようとする。先般も李明博大統領が来日して慰安婦問題だけ一方的にまくし立てて帰って行った。大統領も馬鹿ではないからそんなことはしたくないだろうが、韓国では大統領を辞めた後には身の危険を生ずるからここらで反日のポーズをアピールしておかないといけない。韓国の病理と見るが如何。
 
 竹島に軍隊を駐留させ、また軍港を作ろうとしている。日本から軍事的に竹島を奪いに行くなんてことはあり得ないことが分からないのだろうか。おかげで中国がどさくさ紛れに竹島を奪うことは出来そうもないのは幸いである。

映画「ミレニアム 火と戯れる女」、映画「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」

 第二部と第三部を一気に見た。第一部はハリエット・ヴァンゲルという少女の失踪事件の真相を追うものだったが、その真相を追う手伝いをしたドラゴン・タトゥーの女・リスベットの秘密については断片的にしか明らかにされなかった。この第二部と第三部はまとめて一つの物語であり、ここでリスベットに関わる秘密が全て明らかにされる。
 この映画もスウェーデン・デンマーク・ドイツの合作映画で、配役はほとんど前作と同じだが、監督がダニエル・アルフレッドソンに替わっている。
 リスベットの悲惨な少女時代、母親との不幸な関係、父親の関係する陰謀など、想像も出来なかったようなストーリーが展開する。ミカエルの所属する雑誌、ミレニアムはその真相を暴くために(そしてそれはリスベットを救うことにもつながると信じて)ミカエルを中心に取材を続けるが、やがてその火の粉は記者たちにもおよび、ついに犠牲者が出る。雑誌ミレニアムもその特集記事を出すどころか休刊の危機に陥るのだが・・・。
 今回はリスベットはほとんど単独で行動する。並行する形でミカエルたちが動くがほとんど絡みがない。しかし気持ちはつながっているのだ。最後のリスベットの裁判がクライマックスだが、全てが仕組まれた中で、ミカエルに弁護を依頼されたミカエルの妹(女性弁護士)が起死回生の弁論を行う。
 原作者のスティーグ・ラーソンは五部作を予定して物語を書いていたらしいが、このヨーロッパで絶賛された小説の出版を見ることなく、もちろん映画も見ることなく心筋梗塞で急死しており、第四部を書きかけたままになっている。この作品はジャーナリストだった彼の処女小説だった。

神秘的な現象

 北朝鮮各地で特異な自然現象が発生している。金正日総書記の葬儀の翌日には黄海北道でとつぜん二重の虹が出現した。付近には全く雨も雪も降っていない天候のもとでのしかも二重の虹の出現は珍しいという。平壌の党創立記念塔の上空にも虹が出現、その虹の片端は記念塔の広場の弔意式場にかかっていたという。
 またある革命記念史跡ではもみの木に止まったまま動かない鳥が、史跡を訪ねた人々の注目を引いた。悲報が伝えられた後、この鳥は悲しみのあまり動かなくなっていたという。その場所は金総書記が以前記念撮影をした場所だった。
 さらに山中では路上で悲しげに泣いている三頭の熊が目撃された。この時期は熊は冬眠中のはずなのに大きな声で泣いていたのは珍しいことだと話題になっている。
 天から賜った金総書記が天に召されてしまったことを自然も悲しんでいるようだ。注意してみていれば他にも数限りなく同じような現象が見られたはずだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・国子監

 文廟の傍らに国子監(こくしかん)がある。つまりいにしえの大学である。乾隆帝五十年ここに辟雍(へきよう)つまり大学を立て、その年二月上丁(じょうてい・陰暦二月初めの丁(ひのと)の日)天子が親臨して釈奠(せきてん・牛、羊、豚などを供えて祀ること。特に孔子を祀ることを云う)の礼を行い、みずから学を講じたことがある。その学生は府州県に設けられた国学から選抜された者たちである。新しい学校がまだ興っていなかった時代は、大学は最高教育の府であったが、近年は京師(けいし・帝都)大学堂を初めとして各種の学校が設立されて、学生は皆一斉に新しい学校に行ってしまい、壮麗な壁雍はその残骸だけが残るのみとなってしまった。
 例の門番に若干の銭を与えて裏門から中に入る。後堂には康煕・乾隆以下歴代天子の御筆が多く、堂の右には石造りの日時計が安置されている。中央に壁雍がある。全ていにしえの遺制にしたがい池を巡らせてある。宮中には乾隆帝臨幸の時の玉座が昔のまま設けられてあるが、塵芥が一寸あまり(3cm以上)も積もっている。東西の軒下の通路には乾隆時代に建てた「十三経」を刻んだ石碑が数十枚建ててある。これは漢代に始まった石経のしきたりを模倣したものである。

2012年1月20日 (金)

池田晶子著「考える日々」(毎日新聞社)

 この人の書いたものに心酔している人もいるらしい。たくさん本が出ている。哲学エッセイというジャンルにくくられる文章を書いていた。過去形で云うのは、2007年に腎臓ガンで46歳という若さで死んでしまったから。本の扉を見ると顔写真がある。美人だ。ネットで調べると若いときはモデルをしていたという。
 どんなことを書いているのか興味があったので読んでみたが、ごめんなさい、全く得るところがなかった。退屈で何度か投げ出したくなったが、もしかしたら今に何かあるのではないかと思って頁をめくっていたら読み終わってしまった。タマネギやらっきょうの皮をむき続けて種を探したようなものだった。
 ソクラテスの「自分には知らないことがある、ということを知っている」という言葉を手がかりに思索を展開しているが、それは出発点の話だ。彼女の文章は始発駅からいつまで経っても出発しない。始発駅から景色を眺めながら読者に向かって「私は出発駅にいる、あなた方は駅がどこにあるかすら知らない」と言い続けている。
 私は列車に乗って初めての景色を見たい。私の駅の場所は別にある。

二千万人突破

 2011年末で北京の人口が2000万人を超え、2018万人になった。そのうち市外からの出稼ぎ労働者とその家族は37%、732万人だという。

 北京には環状道路が次々に作られており、市域は広がるばかり。北京に住む人間も北京の街については住んでいる近辺のことしか分からない。新しく開けた場所に出来た新しいホテルなどに泊まると、タクシーに乗ってもそんなところは知らないし、分からないから行かない、と乗車拒否されてしまう。もう限界を超えているとしか云いようがない。

 街の大きさと人口の多さには限界があるのではないだろうか。今は中国は大きさと多さが力の源になっているが、今に自らの重力で縮壊してしまうような危うさを感じるが、考えすぎだろうか。

映画「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」

 期待しないで見た映画だったが、すばらしく面白かった。ストーリーが優れているうえ、物語の展開の仕方がうまい。観客が馬鹿ではないことをよく分かって映画が作られている。映像とセリフだけでは物語がつながらない。観客が自分でカットのすき間を繋いで見ていくように出来ている。観客はしつらえられた舞台の中に入り込まざるを得ないのだ。
 2009年スエーデン・デンマーク・ドイツの合作映画。監督・ニールス・アルデン・オプレヴ、出演・ミカエル・ニクヴィスト、ノオミ・ラパス他。原作・スティーグ・ラーソン(スウェーデンの推理作家)のミレニアム三部作の第一部に当たる。
 ミレニアムというのは舞台になったスウェーデンの雑誌の名前。主人公のミカエルはその雑誌の発行責任者だが、追求していた実業家の罠にはまり名誉毀損の罪で有罪となる。実刑執行までの半年の猶予期間の間に、ある人物から40年前に失踪した(関係者はみんなすでに殺されたと考えているが死体が発見されていない)少女の調査を依頼される。
 題名のドラゴン・タトゥーの女というのはたまたま調査会社のアルバイトでミカエルの身辺を調査した、パンクファッションのピアスだらけの女である。彼女はミカエルのパソコンをハッキングしたが、その後も興味本位で覗いていたとき、この調査のデータを見る。そしてミカエルが気がつかなかった在る情報を発見し密かにミカエルに連絡する。
 結局このパンクファッションの女・リスベットを助手として調査を進めることになる。このリスベットが不思議な魅力を持つ女で、演じているノオミ・ラパスはヨーロッパのいろいろな映画賞に主演女優としてノミネートされた(残念ながら受賞しなかったようだ)。
 最初はなんのことはない調査だったはずが、真相が分かるにつれておぞましい犯罪の事実が浮かび上がって、彼等自身にも身の危険が迫ってクライマックスに到る。
 スウェーデンだからかどうか知らないが、かなり露骨な性描写があるが、これがある意味で事件の伏線にもなっている。
 繰り返すが中身の濃い、記憶に残る映画だった。ミステリー好みの人に絶対お勧め。

鷲田清一・内田樹著「大人のいない国」(プレジデント社)

 大阪大学総長で哲学者の鷲田清一氏とわが内田樹先生の対談および競作である。
 今の日本は成熟した社会と言えるのか、それともただの幼稚な社会なのか。問題意識をかけらでも持っている人ならば答えは明白だ。ではなぜこうなったのか、何が原因なのか。それに対して表面的な現象をあげつらうことなく、本質的なところについてふたりの識者が考えた。
 本が薄い(約120頁)分二人の意が尽くされていないし、意見の調和にも到っていないが一つの考えるヒントになる本である。

船長の弁明

Photo_2 これは日本のフェリー。安全です。

 イタリアの座礁事故の大型クルーズ船の船長の弁明は不謹慎ながらまことに面白い。
 現在逮捕されて供述調書を取られているが、その中で特に笑えたのは「座礁した船の上で転倒し、転げ落ちたところに救命ボートがあった。意に反して岸に運ばれてしまった」と云うものだ。
 こんな弁明はしない方がマシだと思うが、何よりイタリア人というのはこんなやつばかり、と思われてしまうイタリア人がかわいそうな気がする。
 えっ、本当にイタリア人はみんなこうなの。

中国ウオッチ・重度汚染

 北京市環境保護観測中心(センター)は19日、北京市の大気汚染観測地点27カ所のうち、13カ所で「重度汚染」のデータを観測したと発表した。現在北京は連日どんよりした天気が続いている。
 API(空気汚染指数)では50以下を「優」、50~100を「良」、101~200を「軽度汚染」、201~300を「中度汚染」または「中重度汚染」、301~500を「重度汚染」としている。
 中度汚染、重度汚染の大気のもとでは「心臓疾患、肺疾患のおそれが極めて大きく、運動中の耐久力も著しく低下する」としている。また「高齢者や関連疾患の患者は特に戸外に出ないよう」に呼びかけている。
 同センターは、19日は曇り空で湿度が高く、風速も弱かったので汚染物質が滞留しやすい天候だった、と分析している。

 理由はそうであろう。しかし原因は違うだろう。風が吹いたらどこかへ飛んでいくから大丈夫という話ではないのではないか。汚染物質が異常に多いことが問題なのだから、先ずそれに対する対策を本気で取らないと重度汚染より大きな数字が観測されるぞ。そうしたらなんと呼ぶのだ。「超重度汚染」か。「環境保護」という名前が泣くぞ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・文廟

Photo 現存する石鼓。その名も石鼓村にて。

 北京の城北、崇文門大街を西北へ行くと、街が尽きたところから西に折れて数町(数百メートル)で文廟がある。孔子を祠る(まつる)ところである。門は鎖してある。これを二三回叩くと番人が出てきて開けてくれる。入ってみると左右には数十の石碑がある。これは進士及第者の名を刻んだもので、その最も古いものは元朝のものである。大成門は鎖してある。その左の側門を入ると、大成門内にはあの有名な周の時代の石鼓が門内の左右に並べてある。その数は十個、形はまるで饅頭のようである。柵で囲んであるから、近づいてこの表面に書いてあるものを見ることは出来ないが、鼓面は幾度か拓本を取ったために真っ黒となり、長い時代に剥がれていて刻まれた文章も明瞭ではない。
 城内は古い檜などが鬱蒼としていて(古柏鬱然)襟を正したくなる。大成殿は構えが極めて壮麗、黄色の瓦が燦然として目を射る。粛然として古樹の間を進んで行けば、殿前には台と階段がある。東へ回り東の階段を上がって殿に入れば、正面にはただ神位(霊魂を祭るところ)のみを設けてあり、これに至聖先師孔子神位と書かれている。謹んで神位の前に拝礼すれば、聖霊が彷彿として咫尺(しせき・わずかな距離)の間に在るようで、敬虔な心持ちがする。拝礼を終えて退き左右を見ると、右には復聖顔子之位、述聖子思子之位、左には宗聖曾子之位、亜聖孟子之位を配享(はいきょう・祭りの時に主神に添えて他の神様を祭ること。ここでは孔子の弟子や有名な儒教思想家が名を連ねている)してあり、少し後方の右手には閔子(びんし)、冉子(ぜんし)、端木子(たんぼくし)、仲子(ちゅうし)、卜子、有子、左手には冉子(孔子の弟子には冉子が何人か居る)、宰子、冉子、言子、顓孫子(せんそんし)、朱子を配享してある。顔を上げると、廂(ひさし)の間に康煕帝の御筆「万世師表」、雍正帝の御筆「聖集大成」以下、清朝歴代の天子の題した「斯文在茲」「聖神天縦」「徳斉幬載」「化成悠久」「時中立極」「聖協時中」などの扁額が掲げてある。身を屈めて謹んで堂を下がり、東西両側の廂の下に一緒に祀られている賢臣たちに一礼し、また廟の庭に建っている康煕帝、雍正帝、乾隆帝の石碑を読んで引き上げた。
 辞去するに当たり、門番に相応の謝礼をするのは当然であろう。つまり門を開けてもらった労力に対する報酬である。しかし、潔癖な日本人の考えから云えば、掌を差しだして銭を要求する彼等を見ると、唾棄したいような気持ちがする(当時の日本人のチップに対する感想だ)。少しは聖賢の教えを聞いて恥を知れと云ってやりたいような気持ちがする。請求されなくても心付けはするものを、と云ってやりたい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京の名勝

 この文章は北京の案内記を書くつもりのものではない。それなのに北京の名勝と云っているが、それを全部列記するつもりはない。ただ私が清にいる間、研究の合間に見聞したところを書いておこうと思ったところをここに記す。ただ、北京に来ようと思う人はここに上げたものの中で、面白そうなところを選んで見物すればほぼ十分であろう。

2012年1月19日 (木)

ネット接続できず

 少し変わったソフトを導入したら、あろうことかインターネットに接続できなくなってしまった。いろいろ手を尽くしたが当方、あまり知識が豊富ではない。どうにもならず途方に暮れたが、仕方がないので復元ポイントに戻して導入したソフトを無効化してみた。そうしてやっと直ったのでこうして報告することができている。

 たいしたことをしたわけではないがいささか疲れた。つまみでもつくって酒でも飲もう。あーあ。

 

 

自家製のくさや?

 冷蔵庫の中がしばらく前から異臭がしていた。2週間くらい前に買ったあじの開きのにおいであることは分かっていた。大きめの脂ののった開きなのでとても旨かったが、その残りだ。捨てかねているうちに時間がたった。カラカラに乾いた小さな開きならどうということはないが、水分があるから自家分解が進んで異臭がするのだ。

Photo_2これはイシモチの開き。くさやではない。


 くさやの干物をご存じだろうか。名前は知っていても食べたことのない人の方が多いだろう。ましてや作っているところを見たことのある人はさらに少ないと思う。テレビで見たが、今はかなり衛生管理されているのでにおい以外は驚くようなことはない。昔はすごかった。生まれ育ったところが九十九里浜に近かったので五、六十年前の天然の作り方を知っている。大きな桶に濃い塩水と新鮮な魚のはらわたを大量に入れてさらに何十年と使い込んだくさやの汁を入れる。ぬか漬けの床みたいなものだ。これに開いた魚をしばしつけてから天日で干すのだ。タンパク質は急激に自家分解してアミノ酸となる。これがうまみの元である。ただし同時に強烈なアンモニア臭がする。この臭気とうまみとの相乗効果がくさやの神髄である。食べられる人と絶対に無理な人にはっきりと分けられる食べ物だ。しかも昔のくさやの桶はどろどろになった魚のはらわたの汁で異様な色と強烈なにおいがする。まあ今では見かけなくなったが、むかし田舎でよく見かけた肥たご(大きな桶を地中に埋め込んで糞尿をためておき、発酵させて肥料にするその桶のこと・しばしば子供が夢中で遊んでいるうちに落ち込んで、悲劇的なことになった)と同じ外観だ。

 そんなにおいに近いにおいがし始めた開きを見てしばし考えた。結論は、たぶん旨いに違いない、だった。もちろん焼いて昼に食した。期待したほどではないがそれなりの複雑な味がした。これで何か腹痛などの不都合がなければ次の報告はしない。

 

中国ウオッチ・脳が壊れている

 中国政府系のシンクタンク、中国科学院が、ネット中毒の青少年の脳はヘロインやアルコール中毒患者と同程度に脳の損傷を受けていると発表した。

 うすうす感じてはいたがなるほどやはりそうだったのか。何しろ中国科学院は、ネット中毒の青少年の脳をMRIでスキャンして、ネット中毒でない青少年と比較し、脳の白質の神経繊維に損傷があることを確認したのである。そしてその損傷の状況がヘロイン中毒者やアルコール中毒者と非常ににていることも確認した。ここに損傷があると物事の判断力や感情をコントロールする能力が低下するという症状が見られるという。科学的に立証されたから事実なのである。

 これに同調してロンドンの生物科学教授もネットゲーム中毒者にも同じような状況が見られると指摘している。

 中国のインターネット協会が昨年全国規模で調査したところ、中国の都市部に住むネット中毒の青少年は約2400万人で、さらに約1800万人の初期中毒患者がいるという。

 大変だ。中国は判断力に欠け、感情をコントロールできない国になりつつあるらしい。

 ところで日本の中毒患者の統計はあるのだろうか。私は中毒患者なのだろうか。・・・まあ青少年じゃないからいいか。

中国ウオッチ・18%多い

 中国の国家統計局が発表した人口関連の統計によると、2011年の男女出生の割合は、女児100人に対し男児は117.78人だったという。これは2010年よりも0.16人低下したと云うが驚くべき男子の比率の多さである。
 香港、マカオ、台湾を含まない中国の人口は、2011年末で13億4735万人で、男子6億9068万人、女子6億5667万人だった。これは女子100人に対し男子105.18人であった。
 世界的な統計数字では、出生比率は女児100人に対し男児105人である。これが自然な比率であるが、男児は病気などで死亡する率が女児より高いため、最終的には100~102人に治まり均衡する。
 中国が日本との戦争で失った人命の数は日本よりはるかに多かった。それは直接日本軍との戦いで失われたばかりではなく、国民党軍と共産軍との内戦によるものも多く含まれる。ここで死んだのは女子もいたとはいえほとんど男子である。ということは、当然中国全体の男女比率はほぼ1:1であっておかしくないはずなのだ。
 2011年の出生数が1604万人と云うことなので概算すると女児およそ735万人、男児およそ869万人だ。約135万人程度男児が多い。一人っ子政策が施行されて30年あまり、単純に考えて約4000万人の男子が自然より上乗せされていると見ると、現在の中国の総人口の男女の差よりもやや多いがほぼ了解される数字となる。
 今は医療の進歩で世界中男子の死亡率は女子とあまり変わらなくなった。意図的な比率の偏向を行わなくても男子過剰となる。そこにここまで長期的な、そして国民的なひずみを続けた国がどうなるのか、生物学的な実験をしたようなものだ。自然の淘汰を経ない男子がふえれば当然草食系男子がふえる。中国は将来日本以上に軟弱な国になると断言する(冗談だから信用しないでね)。

「清末見聞録(清国文明記より)」・カムバリック③

Photo 敦煌郊外月牙泉。

 土城に沿って西に引き返し、安貞、健徳門趾を過ぎ、西北隅に行けば、、ここにも角楼の跡があって、布目瓦が多く散乱している。南方を望むと今の北京西直門が一直線上に見える。つまり西面ももとのまま増減しなかったことが分かる。あの垜子(トーズ)はさらに明瞭に見えている。角楼の南約三町(330m)城上に亭がある。その屋根は風雨に崩れて四壁だけが残っており、中に大理石の碑があり、乾隆帝の御筆で表に薊門煙樹と題し、裏には七言律が刻まれている。乾隆辛未御題とあるから乾隆十六年(西暦一七八一)のことである。ここはすなわち北京八景の一つである。見渡す当たり西方には北清には珍しく常緑樹が多く、その梢の上には西山が緑にかすんで見え、眺めがとても良い。
ちなみに北京八景というのは
 西山霽雪(せいざんせいせつ)  薊門煙樹(けいもんえんじゅ)
 金台夕照(きんだいゆうしょう) 廬溝暁月(ろこうぎょうげつ)
 瓊島春雪(けいとうしゅんせつ) 玉帯垂虹(ぎょくたいすいこう)
 玉泉挺秀(ぎょくせんていしゅう)滞易秋波(たいえきしゅうは)
である。強いて云えばどこにでも八景はあるだろう。この類はたいてい無意味なものが多い。八景のことをいちいち説明する必要はないと思う。あえていえばこの薊門煙樹というのは、いにしえの薊(けい・この地区の古名)の故趾であると云われる。しかし「畿輔通志(きほつうし)」には薊の故城趾は大興県の西南にあると書かれているからここではないのではないか。
 城壁に沿って南に行くこと二里(800m)ほどで粛清門趾に着いた。月墻(ユエチャン)もありありと残っている。この日はこれで探検を終えて夕刻に宿に戻ったが、翌月六日に再びまた土城の東を探れば明らかに門趾がある。現地の人間に尋ねると今も光熙門(こうきもん)といっているようだ。しかし月墻は跡形もなくなっている。あのロックハルト氏が元朝の土城は北方には明らかに門趾を確認できるけれども、東西には何の痕跡もないと云っているのは、この東面を見て粛清門もまた同じだろうと憶測したものだろう。廃滅した門趾のうち、粛清門が最も明瞭にその痕跡を残して現存しているのはここに述べたとおりであった。 

2012年1月18日 (水)

「SHERLOCK」第三話「大いなるゲーム」

 ホームズは政府の要職にある兄のマイクロフトからの依頼をなかなか引き受けない。そうこうしているうちに無関係と思われる事件の解決を次々に求められる。相手の指定時間内に解決しないと犠牲者が出るような状況に追い込まれたのだ。
 そうしていくつかの事件を解決したが、その背後にあるものがどうしても掴めない。そしてついにワトソンがおとりにされたうえで、真の黒幕であるモリアーティが登場する。事件には実は目的があった。
 この第三話は宙ぶらりんで終わっている。つぎのシリーズまで待たないといけないのだが、待ちきれない。どうなるのだろう。

「SHERLOCK」第二話「死を呼ぶ暗号」

 初めに大間違いの訂正。このドラマはWOWWOWではなくてNHKのBSで放送したものだった。間違えてごめんなさい。

 第二話では連続密室殺人事件から始まる。初め、警察は密室であることから自殺と判断するが、ホームズの推理で殺人事件であることが明らかになる。一人は銀行員であり、奇しくもその銀行に不審な侵入者があったため、ホームズに侵入方法の特定依頼があったところであった。侵入者は不思議な暗号を残していた。それを手がかりに事件を探るうちに一人の博物館の東洋美術担当の中国女性にたどり着く。ホームズとワトソンは、彼女に事情聴取を行っているところを襲われ、彼女も殺されてしまう。
 そしてワトソンが働き始めた医療診療所で出会った女性も危機にさらされる。それはワトソンがホームズと間違えられたからであった。彼女とワトソンの命は風前の灯となるが・・・。

 本当に良くできていて、あまり金を掛けていないけれど面白い。タイトルバックの冒頭のロンドンの交差点のネオンが、TDKとSANYOなのでなんだか東京の街角みたいに見える。

局部報道

 該当する写真は残念ながらありません。

 多分同じようなことを云っている人が大勢いると思うけれども、テレビで連日「局部」「局部」と女性アナウンサーまで連呼しているのにうんざりする。放送倫理規定がなければ、局部とは何かを大型の模型で作成して、具体的に身体のどこからどう切り取られたかをモザイク入りで解説しかねまじき勢いだ。

 昔「阿部定事件」というのがあり、世の中はその話題で沸騰したと聞いている。そんな時代だったのか、と思っていたが、現代も相変わらずなのだ。これはつまり世の中の醜聞好きの究極的な興味のシンボルは局部だと云うことなのだろう。

 私だって局部に全く興味がないなどと云うつもりはない。あなたと同じくらい興味はあるが、人前で連呼するような事ははしたないと思うし、させられてもしないくらいの見識を持っているつもりだ。

 こんな事件の報道は、当日とその翌日くらいまでかと思っていたらテレビではまだやっている。他の局では取り上げているけれど、私はこのニュースはもうやりません、といいきるキャスターというのはいないのか。馬鹿じゃないか。

「SHERLOCK」第一話「ピンク色の研究」

 イギリスBBC放送が制作したテレビドラマ、3回シリーズ。シャーロックホームズの物語の舞台を現代のロンドンに代えて全く新しい物語が作られた。ワトソンはアフガニスタンに派遣された英軍の元軍医という設定で、傷病により杖をついている。ワトソンが旧友にばったり出会い、その縁でホームズに引き合わされる。
 ホームズの狷介で他人と相容れない性格が第一話の前半で見事に表現されている。これは他人とは思考のスピードがあまりに違うために他人と合わせることが出来ず、他人からは自分勝手だと思われてしまうからだが、不思議なことにホームズはワトソンを拒否しない。何となく馬が合うと云うことはあるものなのだ。ホームズは照れ隠しに、一人で暮らしていたときの話し相手にしていた頭蓋骨の代わりだという。「頭蓋骨は持って歩くと人の顰蹙を買うが、君ならそういうことがないからね」。 第一話では連続自殺という不思議な事件の真相を解明する。危うくホームズもその犠牲になりかかるが・・・。犯人役は確認していないがゲーリー・ビジーのようだ。歳取ったなあ。
 とにかくそのまま劇場に掛けても良いほど出来が良くて面白い。
 BD-REに録画していたので、見終わったら消そうと考えていたが、コレクションに残すことにした。引き続き第二話と第三話を楽しもう。難敵モリアーティの登場が示唆されていた。
このシリーズの続編が今年BBCで放映予定だという。WOWWOW殿、放映してください。必ず見ますから。

孫子の兵法

Photo_2 敦煌故城。これは映画「敦煌」のために作られたもの。中国の古代のドラマや映画ではしばしば使われる。

 中国ドラマ「孫子の兵法」全35話を一気に見た。昨年WOWWOWで放映していたものをまとめて録画しておいたものだ。
 2500年前、中国・春秋戦国時代、斉の国から逃げのびた兵法の天才孫武が呉の国で登用され、呉楚の戦いに戦功を上げるが次第に戦いの空しさを知り、戦いの場から身を引いていく、という物語である。
 有名な「孫子の兵法」を著した人であり、戦略家、戦術家として知られるが、真意は、戦わずに勝つことにあったと云われる。
 その時代の呉の国と云えば、「史記」で有名な呉越の戦いが思い浮かぶが、このドラマでは呉越の戦いは最後の30話以降で、それ以前の楚との戦いに主力がおかれている。だから当然伍子胥(ごししょ)と楚の国との因縁が大きく関わってくる。
 孫武が呉王闔閭(こうりょ)に用兵の能力を試され、宮廷の官女たちを指揮する話は有名である。その際に隊長として任命した闔閭の愛妾二人を軍紀違反で斬殺する。この斬殺された愛妾の一人に妹がいて、孫武を恨み命を狙うが、ついには孫武と運命をともにするというヒロインになっている。もちろんこの女性はフィクションだ。
 楚の国で父と兄を殺された伍子胥がどのように国を脱出したのか、そしてその恨みがなぜあれほど強いのか、があまり描かれていないので(みんな知っていることだからだろうか)、伍子胥が死んだ平王の墓を暴いて屍をむち打つ場面に迫力がない。もっと鬼気迫り目を背けたくなるようでないと迫力に欠ける。
 などと云っていたら全編にクレームをつけなければならなくなってしまう。とにかく中国の歴史ドラマの凄いのは動員数だ。もちろん映像操作もあるだろうが、あのものすごい人数が画面一杯に展開するとそれだけで興奮する。
 いつも思うが中国の時代ドラマはこちらの英雄たちのイメージと合っていたためしがない。嫌がらせかと思うほど考えられない俳優が割り振られている。このドラマでも伍子胥の役を演じている俳優はすばらしいのだが、絶対に史記にある伍子胥はあんなイメージと違う。
 今回はほとんど倍速モードで見た。これなら字幕も読めるしセリフも聞こえる。忙しいときに長いドラマはこれに限る。
 まあいろいろ難点があるが物語としてはとりあえず面白かった。歴史の勉強には成らなかったけれど。

「清末見聞録(清国文明記より)」・カムバリック②

Photo 敦煌故城。

 明治四十年二月二十一日朝十時、矢野氏の西単牌楼劈楼芝胡同(シータンパイロウピーチャイホトン)の宿を出て、西安門へ行き驢馬を雇い、徳勝門を出てちょうど五里(清の里・約2キロ)行ったところで元の土城健徳門の趾(あと)に到着した。土城は東西に亘って延々と続いている。幅は基礎のところで三間あまり(5.4m)頂上のところで三尺あまり(0.9m)あり、高さは約一畳(3m)あまりである。馬を下りて城の上に上る。西部に煉瓦で築かれた高台の、半ば毀れたのがあった。これがマルコポーロの云う煉瓦で作った城門の遺跡ではないかと思ったが、その台上に上ってみると、円形で中央に方形の部屋がある。これはその形から多分墩台(とんだい)といい、昔は五里に一堡(ほ)十里に一墩(とん)を置き、盗賊などの襲撃の備えとして供えたものの跡であって明代のものである。ただし月墻(ユエチャン)と良い、今の北京城なども、城門のところは城壁の外の方に別に半月形の壁があるが、その月墻の跡は今も残っていて城門の左右に両腕を伸ばしたように土壁が突き出している。そのほか道路の中央には大理石造りの橋がある。現地の人間に聞くとその名を天安橋(?)と云う。ロックハルト氏はこの地を探検して元朝の城門のアーチ形の跡が残っていて、城外には元朝の橋をそのまま今も使って通行していると云っているが、この天安橋は元朝のものかどうかは分からない。この道路は明代には昌平州の帝陵に通じる大道であるから、明代のものかもしれない。しかも城門の月墻はあるがアーチ形の部分がない。
 これから外側を土城に沿って東に行くと、いにしえの護城河(ごじょうが)の名残をとどめて小さな流れがあり氷が張っている。さらに二十町(2.2Kmくらい)ほど行くと安定門通りに出る。これが元朝の安貞門趾である。城門や月墻は建徳門ほど明白ではないが、その面影はいくつも見つけることが出来る。さらに東に十町(1.1Km)ほどで東北の隅に到達する。土城の上部は約五間(9m)四方で、角楼の趾がはっきりと見て取れる。城上に立って南方を望むと土城は遙かに南に続いており、北京城の東北角楼および東直門などが一直線上に見える。明代にカムバリックの北五里(2Km)を削ったとき、城の東面はもとのままにして増減しなかったことがこれによって明らかである。城上の女墻(ニュイチャン)つまり城堞(じょうちょう・城の上の低い物見の塀)は崩れてはっきりしないが、垜子(トーズ)すなわち将台のことをいい、これは城の外側に突出す土壁の部分で、その跡が三十間(54m)ごとに歴然と残っていて、あたかも波がうねるようである。

2012年1月17日 (火)

内田樹著・「呪いの時代」(新潮社)

 内田樹先生の本を読み慣れていないと、この本の題名にぎょっとする。オカルトに関する本かと思う人がいるかもしれない。
 言葉は人を呪縛する。日本には言霊という言葉がある。日本の財政破綻を予言する人達は、その予言が起こることを無意識に望んでいる。日本が財政破綻すれば彼の正しさが証明されるからだ。日本中で、特にマスコミで警告を発すると称してあらゆることに対して呪いの言葉が述べられ続けている。それを発した人は、表向きはその言葉が事実になってはならないから警告しているのだが、その言葉が正しかったと認めて貰うために、実は警告したことが起きて欲しいと願ってしまうのだ。
 日本中のほとんどが、いやアメリカでさえ99%のひとが被害者になった。被害者は救済を求め、正義の名のもとにその責任者を呪う。だがどこに責任者がいるのだ。高給を取って功成り名を遂げたあのみのもんたさえ、国民を代表して被害者として政治家や役人に責任を問うている。わらわせるな。
 テレビの中の論客たちはディベートと称して我こそは、そしてわたしだけが正義であり真実を述べているとわめき立てる。自分だけが正しいのだから他人は間違っているに違いない。だから他人の意見を遮り、揚げ足を取り、全く聞く耳を持たない。声が大きく、図々しく、一言で人をぎゃふんと言わせることに長けている人間が評価される。人々は他人とコミュニケーションすることを忘れてしまった。
 子どもの時から「子どもには全ての可能性がある」という幻想を植え付けられ、仕事を選ぶときには「あなたにはあなたを必要としている、そして最もあなたに適した仕事が必ずある」といわれ、伴侶を選ぶときも「あなたに最もふさわしい、あなたに最適な人が必ず存在する」と思わされたひとたちが、現実の前に不全観に立ち尽くしている。
  そんなものなどありはしないことを知ることが知性なのだが、それらの呪いの言葉に縛られて、人は今の自分は本来あるべき自分と違う立場におかれている被害者だ、と思い込まされている。だから自分探しに出かけたりするのだ。

 以上のことがこの本に書いてあることだ、というわけでは決してないので誤解しないで欲しい。ただこの本を読んで貧弱な頭で感じたことをいくつか書いてみただけなのだ。かなりの部分にねじ曲げた受け売りの部分はあるけれど・・・。
 この本ではもちろんそこからの出口を提示している。出口がなければこの本はそのまま呪いの本でしかない。その出口についてはかなりの理解力が必要だ。内田樹先生の贈与論はフランス哲学の中の一つの根源的な真理なのだが、そのことを理解するのはかなりむつかしい。ただこの世には自分が知らないことがあって、しかも大事なことであり、努力すれば分かるかもしれない、と云うことに気がつくことは何より大事なことなのだ。
 自分には馬鹿のカベがあることに気がつくことこそ知の始まりなのだ。

中国ウオッチ・上海の生活ゴミが史上初めて減少

Photo_3 上海庶民の生活。

Photo_4 上海下町の朝。この通りで外食する。庶民は家で食事を作るより外食する方が多い。その方が安あがり。

 奇跡が起きた。上海市の発表によると2011年に処理した上海市の生活ゴミの量が前年より5%減少したという。上海のゴミの量は増加の一途を辿り、処理の限界が迫っていた。上海市は家庭ゴミの減量とゴミの分別を徹底するよう市民に呼びかけてきた。モデル地区をもうけ、指導員を決めて地道に努力した結果がでたのだという。
 これには驚かされた。中国人がそんなことに協力するとは思えなかったので、結果が出るにしてももっと時間がかかると思っていたのだ。多分一番驚いているのは上海市民を初めとした中国人だろう。

中国ウオッチ・餃子造りでギネス認定

Photo_2 中国の家庭料理の講習会(北京で)。先生が大根やにんじんで飾り物を作っているところ。後でドン姫がお土産に貰った。画面には映っていません。

 吉林省長春市で、春節を控えて多人数での餃子造りに挑戦した。広さ六千八百平方メートル(広い!)に二千十二人の老若男女が集い、一斉に餃子を作った。
 中国では、春節の年越しに家族そろって餃子を作って食べる習慣がある。今回のイベントは「最も多い人数での同時調理」の記録としてギネスブックに認定された。
 以前も述べたが、こういう記録は際限がない。金さえかければいくらでもエスカレートさせることが出来る。こういうものに記録としての意味があるのだろうか。・・・別に意味なんか考えてないか。

内田樹(たつる)著「狼少年のパラドクス」(朝日新聞出版)

 神戸女子大教授(今は名誉教授)である内田樹先生の教育論である。副題は「ウチダ式教育再生論」。論とは何か。読者に新たな視点をもたらすものである。凡百の教育論が誰かの受け売り、すでに知っていることの繰り返しであって、その主張から新たに得るものがないものは論ではない(これも先生の受け売り)。
 教育に関心のある人(関心のない人はほとんどいないと思うが)は、この本は必読だと思う。例えば、若者たちの学力が低下しているのはなぜか。文科省が悪いのか、日教組が悪いのか、先生が悪いのか。先生は明快にその理由を説明する。原因が明らかであれば対策も提案することが出来る。提案することは出来るが、実施できるかどうかは危うい。
 この社会のパラダイム、というか価値観そのものについて再考を促すような教育論が語られている。人の意見の受け売りを語るメディアの連中にうんざりしている人、新たな視点を獲得したい人は読むべし。
 でもこういう本というのは、分かる人はあっと気がついて瞬時に分かるし、分からない人は馬鹿のカベが越えられずに意味がさっぱり分からないだろうなあ(これは自慢しているのではなくて悲しい事実なのだ)。

「清末見聞録(清国文明記より)」・カムバリック①

Photo 西安の城壁と城楼。これも明の時代に作られた城壁。北京も同じような城壁があったがごく一部を除いて全て壊してしまった。今は自動車専用道路などになっている。

 カムバリックは蒙古語で汗の都という意味である。元の世祖忽必烈(クビライ)の至元四年(西暦一二六七)都を金の中都つまり今の北京城の西部から東北三里の地に遷し、名づけて大都とした。これがつまりカムバリックである。あのイタリアのマルコポーロがはるかに中央アジアを経由してこの地に来たのは、ちょうど元の世祖の時で、彼は世祖に仕え中国に十七年間とどまった。彼の紀行は後世東洋学者の典拠とするところとなった。彼の紀行によるとカムバリックは四面各三個の城門を有する土城で、その城門だけは煉瓦で作られて、城楼があった。また四隅には角楼があると書かれている。しかし城の東西および南面は各三個の城門があるけれど、城の北門だけは二個であることが中国に残る文献で明白なので、これはマルコポーロの記憶違いであろう。この城北の両門は東を安貞といい、西を健徳という。
 明の太祖洪武年間、元の大都を陥れた後すぐその北方五里を削り、城の東面で最も北の光熙(こうき)門、西面で最も北の粛清(しゅくせい)門の二つを廃した。成祖永楽十九年南京より遷ってここを都とした。その後、仁宗、宣宗を経て英宗の正統年間になって、あらためて煉瓦で城壁を築いた。今の北京は全く明朝時代のものである。いろいろな書物に断片的に書かれているところでは、元の土城は、今の徳勝門外五里にあったというばかりでその場所が詳しく書かれていない。小林学士はカムバリック考を文章にして、元の土城がはっきりしないことが残念だとしている。矢野学士と私とを含めて土城の実測をあらためて行おうと約束した。

2012年1月16日 (月)

至福の時

 若い友人から贈って貰った新潟の酒を飲んでいる。つまみは刺身盛り合わせと自分で作った天ぷら(野菜と小鰯)、ウルカの残り(九州旅行の自分へのお土産)、白菜の漬け物、豚の挽肉とタマネギの卵とじなど。 残った刺身は醤油につけておいて、大根のツマ(大量)と味噌汁を作る。これがうまいのだ。これは甘めの信州味噌と白味噌で作る。
 今は酒を飲んでいる。先ず〆張鶴の原酒生酒(二十度)。三分の一ほどにして景虎の吟醸酒・虎次郎を飲む。うまい。杯は普段は韓国から買ってきた青磁の杯だが、今夜は息子が先日土産に持参してくれた、厚手のやや飴色のずっしりしたガラスの杯だ。冷酒には最高に合う。
 至福の時間だ。友よ、ありがとう。息子よ、ありがとう。

中国ウオッチ・インスタントラーメンで胃がんになる?

 インスタントラーメンは食品の発明品としては世界最大級のものである。毎日何億食と作られて、そして食べられている。
 中国黒竜江省出身のある女子大生が、勉強が忙しくて時間がないため、毎食インスタントラーメンを食べ続けていたそうだ。彼女は一年前から大学院へ進学するために深夜まで勉強に励んでいた。夜食にももちろんインスタントラーメンを食べていたそうだ。ところがひと月くらい前から胃痛がするようになり、痛み止めを飲んで我慢していたが、あまりの痛さに堪えられず病院で診断を受けたところ末期の胃がんと宣告された。
 これを中国の各メディアが一斉に「インスタントラーメンで胃がんになった」と報じた。その後「胃がんは長期にわたるストレスと不健全な食生活や不規則な生活によって起こる」との訂正報道がなされた。

小話を一つ
  生物学の権威であるA博士は蚤について研究した。毎日蚤に語りかけ、訓練を続けた結果、ついに「跳べ!」と号令すると蚤が跳ぶようになった。A博士はさらに、かわいそうなことに前足をもぎ取って「跳べ!」と命令した。蚤はよたつきながら、けなげにも跳んで見せた。さらに博士は後ろ足をもいだ。そして「跳べ!」と命令した。蚤は跳ばなかった。 A博士はこの結果を基に論文を書いた。
「蚤の耳は前足にはなく、後ろ足にあることが分かった」。
大発見である。

帰還

 先ほど病院から無事(というほど大げさなことではないが)帰還した。血糖値は正常値ぎりぎりセーフ、尿酸値は完璧に正常値、血圧高め、LDL-CHO(悪玉コレステロール)の値が高い。このひと月の食生活と飲酒量から考えればこれは服用している薬のおかげとしか云いようがない。感謝。

 医師からはこのままLDLが高いようなら薬を増やします、と警告される。拝聴して、気をつけます、と約束した。その後栄養相談。今回の先生はやさしい人だった。お酒を控えて運動を欠かさないこと、といわれる。本当にそれが励行できれば薬もいらなくなるのにねえ。すみません。寒いけれどなるべく出歩いてみます。腰もだいぶマシになったし。

 病院へ行くと半日以上つぶれてしまう。これは朝一番に血液検査をして貰ってもその結果が出るのが十一時頃になり、それから結果を見ながらの診察だから仕方がないのだが。おかげで本をかなり読めた。それにしても今日は病院は大変な混雑だった。冬は病気になる人が多いのだろうか。大半がお年寄りだけど。

 さあ今夜は健康(!)を祝してひとりでおいしいお酒を飲もう。

 買い出しをかねてこれから街に出かけよう。るんるん。

「清末見聞録(清国文明記より)」・遼・金の土城

2000 2000年元旦初日の出。万里の長城から。凄い人出だった。零下十一度。

 明治四十年三月二日、私は矢野・小林両文学士とともに、遼・金の土城趾(どじょうし)を調査するため、順治門を出て外城を横切り、右安門を過ぎ、驢を走らせて済南に約四里(清の里・1600mくらい)で万泉寺(ばんせんじ)に着いた。その西方に一帯の丘陵があるがこれが金の故城の西南の隅の一部である。高いところは約二丈(6m)あまり、その基礎の幅は約三間(5.4m)あまりある。東西相連なること約二里(800m)、南北は断続してその痕跡のみが残っていて、その間約三里(1200m)、またその土城の外側には、今もいにしえの護城河(ごじょうが)の跡が残っている。歴史書によれば遼朝の城は周囲三十五里あり、金はその上にさらに拡張して七十五里のものを作ったとある。この古趾は金が遼の基礎を使った部分である。
「春明夢余録(しゅんめいむよろく)」によると平則門を出て白雲観に到る途中に、白雲観の北の方向に金の故城があったという。今も白雲観の北方に一つ土の山があるのこそ、「春明夢余録」で云っている金の土城の跡だろう。
 金城の南西北の三面は以上の調査で明らかとなった。そこでさらにその東面を調査するため、三月九日、また矢野・小林両学士と場首を並べて、東便門を出て城壁に沿って南下し、左安門に到着。ここから東に向かって約一里あまり、古老に尋ねることで城趾を知ることが出来た。ここはつまり粛王墳(しゅくおうふん)の東になる。
 これによって想像の線を引くと、金の中都の南面は今の北京外城よりも四里、東西は各一里広く、北面は今の北京内城壁よりもやや北方にあったようだ。ただし東面の土城は延びて遙かに朝陽門外にまでおよんでいる。これがなぜかは今のところ分からない。要するに、遼・金の故城は今の北京外城の西南部を主要部としていた。明朝の外城を築くに当たって、付近に散在していた古い宮殿の礎石を運んできてこれを使用したものと見られ、外城壁の西面の外部と南面の西方には、数多く雲龍などを彫刻した大理石を用いている。東便門外には石碑の基礎に使用した亀頭などを使用したところが二、三カ所あるけれど西方ほどたくさん見られるわけではなかった。 

眠れない

 目をつぶればすぐ眠れる。すぐ寝付けないのは年に数日しかない。

 昼間少し昼寝したからだろうか、眠れない。いろいろな考えがすさまじい勢いで頭の中で駆け巡っている。ちょっと神経がオーバーヒート気味になっている。

 こういうときは酒を飲めばいいのだけれど、血液検査があるので飲むわけにはいかない。つらいところだ。

 眠れなければ起きていればいい、とあきらめて起き出して読みかけの本を読む。雑念が多いのでやや集中力に欠けた読み方になったが、ほとんど読了寸前だったのでとりあえず読み進める。

 本を読みながら浮かぶ雑念を元にメモをとる。思っていることは、ここに書けないこと(変な意味ではない。プライベートな心配事だ)と、あとはとにかく家の中をどう整理していくかということのようだ。そこで家の中の整理計画を立て始めた。

 その大半は本の処分にかかっている。そこで本の仕分けの基準を考えた。古くなって、とっておいてもしょうのない雑書は処分(当たり前だ)。読了した本は特に残したいものを除いて処分。読もうと思って読めずにいる本は、必ず読む、と自信のあるもの以外は処分。好きな作家で集中的に集めているものも選別すること。結構ため込んだ雑誌類もある。一応簡単に目を通して特別の思いのあるもの以外は処分。まずこの選別に引っかかるものから片付けよう。

 そんなことを考えているうちに読みかけの本も読み終わった。まだ眠くならない。次は何を始めようか。

2012年1月15日 (日)

新潟の酒

Photo_4 贈って貰った新潟の酒。

 金沢に住む若い友人が、仕事先の新潟から酒を送ってくれた。「景虎」の吟米醸造酒「虎次郎」と〆張鶴の「しぼりたて生酒」だ。これはうれしい。酒は好きだが、たいていの酒はつまみなしに飲むことが苦手で、本当の酒飲みではない。その私が酒だけでおいしく飲めるのは数少ない。それを贈ってくれるとはありがたいことだ。

 金沢には今のところ雪はほとんど積もっていないという。しかし新潟は昨年ほどではないがかなり雪が降ったようだ。仕事で一緒に得意先を回ったことを思い出した。

 明日が糖尿病、高血圧、痛風などを見て貰っている病院での定期検診の日だ。昨日と今日は酒を控えている。明日、血液検の結果はどう出るだろう。暮れから正月は、例年よりは少ないとはいえけっこう暴飲暴食をしている。体重もかなり増えてしまった。とはいえ病院から帰ったら買い出しをしておいしいつまみを作って、貰ったお酒を楽しもう。

 ところで今月28日(土)には蔵開きの新酒を飲みに行く。もうすでに30年近く毎年友達と飲みに行っている。その場で出会う友達も多い。楽しみだなあ。また酩酊してしまう。

 

酩酊

Photo_3 キムチなどの韓国のつまみ。

 先日先輩と名古屋で飲んだ。調子に乗って楽しく飲んでいつものように飲み過ぎた。それで終わればいつもの通りだが、先輩と別れた帰り道、前から気になっていたハングル文字で看板が出ている飲み屋に酔った勢いで入ってしまった。小さな店なので多分常連ばかりがたむろする店だ。そういう店を覗くとたいてい店の客全員がこちらを冷たい目で見る。

 だが思い切って入ったその店には、店のママさんと中年の男がひとりだけだった。座って飲み出して何かしゃべりたい放題しゃべったようだが良く覚えていない。酩酊して我が家にかえった。

 これでまた血糖値が心配になるが、何となくまたその店に行きたい気になっている。だって韓国料理のつまみを食べてみたくて入ってみたのに(そのとき食べたかもしれないが覚えていない)食べていないのだ。

 

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京の四時(しじ・四季)

Photo 鵲(かささぎ)

Photo_2 頤和園・昆明湖の冬。凍結した湖で市民がスケートをしている。

 春・・・日本では鶯(うぐいす)の歌に夢が呼び覚まされて心楽しく起き出すときであるが、北京では黄鳥(こうちょう・鶯のこと)などは思いもよらない。ただ騒々しい鵲(かささぎ)の声、雀のさえずりばかりである。春眠不覚暁、処々聞啼鳥(しゅんみんあかつきをおぼえず、しょしょにていちょうをきく)というのどかな趣は江南一帯の様子で、北京にはほとんど見ることは出来ない。しかし、乾燥した北清の空は常に一点の陰翳もなく澄み渡っている。そんな朝、陽がわずかに射し掛けた頃、突然天に音が聞こえる。例えば仙人の棲む洞穴に鳴り渡る風の音のようでもある。これを中国人に尋ねると、これは鳩の足に結びつけてある鳴鑾(メイラン)というもので鳩が飛ぶときに風を受けてなるものだという。花も咲かず鳥も歌わず、目に入るもの全て荒涼としているこの地でこのような仙楽を聞くのは実に愉快である。彼等はこのような方法で自然の不足を補うのだ。
 午後になるとたいてい風が強くなり沙漠の砂が濛々として、最もひどいときは空全体が曇って室内が真っ暗になり、昼でも灯りが必要なほどである。いわゆる黄塵万丈というのは決して中国流の誇大表現ではない。 夏・・・晩春から初夏にかけての新緑の光景は、物寂しい北京の空を初めて活気のあるものに変える。城壁の上に立つと周囲が全て緑天地となって西山一帯も青みを帯びて見える。しかし、冬のあいだ氷に閉じ込められていた一切の不浄のものがにわかに蒸発を初めて一斉に悪臭を放つのと、北京はその緯度が仙台より北に当たる位なのに大陸の常として炎暑の酷烈なことは決して愉快なことではない。そのために各邸宅では天棚(テンポン)といって葭簀張りの覆いを作って暑さを避けている。加えて蚤や蚊は仕方がないにしても、蚤よりも嫌な臭虫がいる。蚊よりも強烈な白蛉(パイリン・毒虫のようだが不明)がいる。 
 秋・・・澄み渡った北清の秋は実にさわやかで心身ともに爽快だ。乍陰乍晴(たちまちくもりたちまちはれる・女心と秋の空、と同じで秋の空を変わりやすいものだという意味)といわれるが、北清では絶えず快晴である。騒人(詩を作る人)墨客(書画を描く人)も中秋に雲を恨む必要がない。気候も暑からず寒からず、時には馬に乗って郊外へ遠乗りをするのも非常に気持ちの良いものだ。春や夏の季節に北京に来た人は北京の悪口を盛んに言うが、もし涼しくさわやかな秋の八月(旧暦だから今の10月初め)に北京に旅遊すれば北京に心酔しない人はいないはずだ。
 冬・・・冬の寒いのはどこでも同じだが、北京では春は風の強い日が多いのに冬は風が少ないのが何よりうれしい。気温は零下十四、五度に下がるけれども、家屋の構造は傍観に適しているから驚くほどではない。特に北京城を巡っている護城河(ごじょうが)中に氷滑りをするのはまことに楽しい。ただ降雪は少なくて、いわゆる北京八景の一つ、西山霽雪(せいざんせいせつ・西山に雪が降ってやみ、晴れ上がった様)の美観を見る機会のあまり多くないのは大変もの足らない思いだ。

2012年1月14日 (土)

矢野誠一著「昭和の藝人千夜一夜」(文春新書)

 藝人といっても落語家や漫才師ばかりではない。歌手や俳優も含めて、八十八人が取り上げられている。昭和時代を駆け抜けた面々は、あるいは名人名優だが、中にはついに死ぬまで名をなさなかった者もいる。あるいは破天荒に生きて人には迷惑しかかけなかった者もいた。しかしあげられたひとはみな確かに昭和という時代を生きた藝人であった。
 この本を読んで、確かにこういうひとたちがいたことを思い出した。中には時代が少し違ったので知ることのなかった人もいるが、その人たちを偲びながら、昭和という時代があり、自分もそういう昭和という時代に生きていたのだ、ということをあらためて思った。  

中国ウオッチ・三つの恐怖

 北京の新聞が、春節に帰省する若者に三つの恐怖があると書いていた。
 北京の大学を卒業してそのまま就職した若者が田舎に帰ると、親や親類、近所の人から北京での生活の様子を聞かれ、「月給はいくら?」「北京に遊びに行くから泊めてくれ」などといわれる。そのときに胸を張って答えられる若者はわずかである。たいていは少ない給料で、他人とルームシェアしながらかつかつの生活をしている。人を泊められるような状況ではないのだ。
 また、田舎に帰れば親類縁者の年下のものにお年玉をあげなければならない。それと、
縁者たちへそれなりの土産物を持参することも欠かせない。その出費が負担で、口実をもうけて帰省しない若者もいる。
 さらに晩婚化が進む中国で、親から無理矢理見合いを薦められることが嫌だ、という若者も少なくない。見合いを断りたい女性のためにボーイフレンドの貸し出し業なるものも現れたという。
 一人っ子政策のもと、親にとってたったひとりの子どもである。自分の身を削って子どもに金をかけ、大学を出し、自分の余生を子どもに託せるものと思っている。ところが大学を出ても豊かな暮らしが出来るのは一握りの若者に過ぎない。就職すら出来ないものも多い。親の気持ちが分かるだけに若者としてはつらいところだろう。

中国ウオッチ・蓮舫議員

 日本のマスコミで蓮舫議員の不倫疑惑が取りざたされたというが寡聞にして知らない。そのせいでだろうか、今回の内閣から外された。
 これが中国のネットでかなり盛り上がった話題になっている。たいがいが悪口だ。中国系の血を引く(蓮舫議員は父親が台湾人)ものが海外で活躍しているときは応援するが、何かスキャンダルがあるとかえって反感が増大するのはいつものことだ。ひどいのも多い。
 しかし中には「中国の議員などは女性を二、三人囲っているのが普通なのにそれを棚に上げて偉そうに言うな」と中国の実情と較べて反論するのもある。これが応援になっているかどうかはちょっと迷うところだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・打鬼

Photo これは鬼ではない。

 打鬼(タークオイ)はラマ教の一儀式で、正しくは送崇(そうすい)という。追儺(ついな・鬼祓い)の類である。正月八日には弘仁寺、十五日には黄寺、二十三日には黒寺、月末には雍和宮(ようわきゅう)でこの式を挙行する。弘仁寺は元の興慶宮の跡で西安門内にあったが、義和団の乱の時にフランス人がこれを焼失させてからは送崇の礼を行わない。黄寺は城北安定門外、練兵場の北、蒙古外館の西にある。正しくは普浄前林といったが、建物に全て黄色の瓦を用いたので俗に黄寺という。乾隆四十四年秋七月聖僧班禅額爾徳呢(パンセンエルトニ)がチベット(西蔵)から北京に来朝し十一月に示寂(じじゃく・高僧が死ぬこと)した。乾隆帝はこれを礼して大理石造りの塔を黄寺の西に建て、御製の清浄化城塔記碑を立てた。俗にこの塔を白塔といい、寺を西黄寺という。これより黄寺は東西二つあることになった。黒寺は城北徳勝門外路西にある。建物の瓦が全て黒いので黒寺と名づけられている。前後二つの寺がある。前黒寺は慈渡寺といい明の時代に建てられた。後黒寺は察罕喇嘛(チャカンラマ)廟といい清の時代の創建である。雍和宮については別に項をあらためて説明する。
 以上の諸寺で打鬼の儀式があるが、私は正月二十九日の雍和宮の打鬼を見た。午前十時には寺中のラマ僧およそ百余名、紅色または黄色の法衣を着て、駱駝の毛で作った帽子をかぶり、法螺貝の合図とともに、法輪殿に集まっておのおの着席すると、しばらくして先駆けとして二人が篳篥(ひちりき)を吹き、つぎに大ラマは烏帽子形の黄色い帽子をかぶり、黄色い絹の衣を着て、右腕は肩から下を出して進み出て設けられた席に着く。これより集まったラマ僧一同は読経を一時間ほど行い、しばらく休憩した後、また読経を一時間行い、それが終わると僧たちは皆門内の広場に出てくる。十数名のラマ僧は東方に座ってお経を唱え、そのほか数十名の僧たちは色とりどりの法衣を着て、頭には仏、牛、鹿、その他種々のかたちをした紅黄青黒の面をかぶって鼓をうち、鐘を叩いて楽を奏し、それとともに二人あるいは四人あるいは六人ずつ中央に出て飛び跳ね踊る。これを跳布札(チャオプチャ)という。極めて古式豊かなもので、魔鬼を追い払うためのものであるという。かわるがわる跳舞することおよそ二時間、草や茅で作った鬼を送って門を出て、これを門前で焚き爆竹を鳴らして打鬼の儀式は終わる。
*日本では節分の夜、豆まきをして鬼を祓うがこれを追儺という。昔は大晦日に行ったものだという。

2012年1月13日 (金)

中国ウオッチ・切符売り切れ

 中国鉄道部は22日から始まる春節の長期休暇中の、北京と上海発着便の予約がすでに全て売り切れたと発表した。この時期には「民族大移動」と呼ばれるほどのひとびとの移動があるが、その数も増加の一途を辿り、可能な限りの増便をするようにしているが、すでにその輸送能力を超えることが明らかになっているという。
 ところが北京・上海間の高速鉄道の便数が、春節の期間中一部削減されることが分かった。これは何か削減することで他に振り向けるものがあるのかどうかの発表がないので、理由が分からない。出来る限りの増便をする、という発表と削減とは全く矛盾すると思うのだが。
 今回の春節で故郷へ帰れない人がかなり出るかもしれない。全体から見れば一部だろうが、当人にとってはつらかろう。

ATHENA

 去年録画していた韓国のスパイドラマ・ATHENA全20話を4日間で一気に見た。一話70分だから23時間あまりかかった。一気に見ることができたのは、本当におもしろかったからだ。そうでなければこんなに長いものを一気に見る気がするわけがない。所々突っ込みたくなるところはあるが、話をつなげて行くにはその方がいいのだろうな、ということで我慢した。それでも日本のドラマより金もかかっているし、俳優の質も高いように思う。日本のドラマを最近はあまり見なくなったのであまり言い切るわけにはいかないが。WOWWOWなのでコマーシャルがないのが何よりいい。コマーシャルが入ることでドラマがどれほど損なわれているのか皆分かっているはずなのだが、コマーシャルはエスカレートするばかりだ。

 やはり良いものを見ようとするなら有料であることが必要だと思う。有料だからつまらないものを放送すれば誰も見ない。ただだから作る方もスポンサーに迎合し、スポンサー料の範囲でつまらないものを作らざるを得ない。誠にただほど高いものはない、だ。

 次は孫子の兵法・全34話だ。こちらは一話50分。中国の番組だからと言うわけではないが、ややゆったりしているので所々音声の理解できる倍速にして見ている。何話か録画漏れがあるのでちょっと残念だが、好きな史実なのでせいぜい楽しみたい。

中国ウオッチ・譲らない

 福建省漳州市で四人の男が殴り合い、全員が血だらけになって病院に担ぎ込まれたが、三人が一時的に意識不明になったという。
 比較的に軽傷だった一人に事情を聞くと、「トラックで狭い道を行ったところ向こうから乗用車が来た。こちらが先に道に入ったのでバックするようにいったが頑として譲らない。こちらが二人、相手も二人で言い合いからついに殴り合いになった」という。
 日本でも同様のことがないわけではないだろうが、あえて中国の話として取り上げたのは、中国人には「譲る」という感性が欠けているというのをとことん身にしみて感じているからだ。「譲る」ためには「ゆとり」が必要だ。「ゆとり」なんか持つゆとりのない暮らしが永かったから「譲る」感性を持てずにいることは頭では分かるが、実際に中国を一人で旅したりするとかなり腹が立つことに出会う。
 それなら何で中国に何度も出かけるのだろう。「譲らない」中国人が子どもみたいに見えたりすると、何となく笑って許せてしまうのだから多分好きなんだろうというしかない。

中国ウオッチ・人造鶏卵

Photo_3 これは人造人間。ロボコップもどき。

 山東省煙台市で、ニセ卵が発見された。市場に売られていたもので、本物の鶏卵に何個か混じっていたものだという。ゆでて食べたところ食感が異常であること、白身が黄色であることなど明らかに普通の卵ではないので気がついた人が当局に届け出た。
 煙台大学食品工程学院で調べたところ、白身の部分はアルギン酸ナトリウムとゼラチン、黄身の部分はさらに色素を加えたもので、殻の部分は炭酸カルシウムで作られていた。君の部分をゆでて固め、床に投げつけると大きくはずむという。
 不思議なのは、こんな手間暇をかけて作った卵が、採算が合うのかどうかだ。中国で食べる卵料理は、かなり安くて量も多い。

「清末見聞録(清国文明記より)」・上元節

Photo 夜の灯籠。

Photo_2 昼の灯籠。これは布製。

 正月十五日を上元節とも元宵節(ユワンシャオチエー)ともいい、この夜には家ごとに灯籠に灯りをともすことから、灯節(トンチエー)ともいう。この風俗は漢の時代に始まり、この日には太乙神を祭ったことが記録に残っている。唐の時代になって、十四、十六の二夜もまた同じく灯りを点け、後さらに十三、十七の二夜を加えて五夜とし、五穀豊穣の祈りとする。あの「水滸伝」に梁山泊の豪傑たちが、翠雲楼を焼き、ついに大名府を陥れたことが書かれているが、この元宵節の当夜のことである。諺に

  正月拾五雪打灯 八月拾五雲遮月

というのは、好事魔多し、ということであろう。元宵には幸いに雪が灯を打つようなことはなかったが、午後から朔風(北風)が強く吹いて砂を巻き上げ、目も開けられないようだったから、当夜は見物を思いとどまって、既望(陰暦の十六日)の夜、北京中で最も賑やかな全門外の大柵欄(ターシラル)に行った。灯籠見物のことを逛灯(クワントン)という。見物の人出が山のようでもあり海のようでもあっていわゆる立錐の余地がないのに、良家の子女は馬車で乗り入れてくるから、さらに雑踏が激しくなる。
 さて、灯籠は土地廟や店ごとに吊さないところはないが、中でも呉服店、茶店、菓子舗、時計商などが最も見事で、羅綾(らりょう・薄絹)、玻璃(はり・ガラス)、または羊角(ようかく・羊の皮か?)などを張った灯籠に、「春秋列国三国」や「紅楼夢」などの歴史小説に描かれているような故事、または花鳥山水などを描き、灯籠の下には深紅の房を垂らしたり、あるいは五彩の綢緞(ちょうだん・厚い絹の布きれ?)を結んで垂らしてある。千万の灯籠が一斉に火を点ずれば、光り輝いてまばゆいばかりに目を射る。折から昇る月の光と相照らして、美しさはたとえようもない。
 中でも最も美しかったのは大柵欄の呉服店・瑞祆祥(ずいふしょう)であった。その他階上階下の軒端には鼎形、瓢形、壺形、その他種々の格好の良い灯籠を懸け並べてあり、店先はきれいに掃いて台の上には毛氈を敷き、番頭たちが清潔な身なりで椅子に座って控えているところなどはなかなか奥ゆかしいものであった。
 今宵はいずこでも、一家団欒、音楽を鳴らし酒宴を開き、元宵に食べる大福のようなお菓子を食べたりして、楽しい一夜を過ごすのである。*北京は冬に北風が吹くというが、この文中にもそれが見える。

2012年1月12日 (木)

中国ウオッチ・鉄鋼業界の冬

 中国の粗鋼生産量は現在ダントツの世界一である。しかし鉄鋼生産企業の乱立は過当競争をもたらし、その平均利益率は3%を切るところまで落ちている。これは世界的な資源高の中で鉄鉱石も値上がりしているが、それが過当競争で鉄鋼の価格に反映できていないからだ。そのため銀行からの借り入れが困難になりそうな企業が出始めており、2012年は鉄鋼業界に冬が来る、と業界トップが年頭に当たりメディアの取材に答えている。
 この状況は造船業界も同様である。日本や韓国を抜いて世界最大の造船量を誇っていたが、今や造船の受注が一段落し、淘汰が始まることが間違いない状況だという。
 中国は国土が広く、各省が一つの国のようになっており、国全体での適正な生産をコントロールすることが困難で、生産過剰を産みやすい体質を持っている。自動車会社も各省にある、という状況だ。しかし、それだからこそ激烈な戦いに生き残るのは、したたかで足腰の強い企業であり、国際競争力のある優秀な会社がこれから日本や韓国の企業に対して立ち向かってくるだろう。

中国ウオッチ・大気汚染深刻化

Photo_3 北京の頤和園もスモッグでこんな感じです。

 北京のアメリカ大使館は独自に大気汚染度を測定し、その数値を公表している。それによると昨年秋からの大気汚染がいっそう深刻になっていることが明らかになった。
 北京当局はそれほど大気汚染はひどくなっていないという発表を先月しているが、基準にしている測定値が国際的なものと違うため、ほとんど意味をなさない。アメリカ大使館の発表するものは北京市民の実感とほぼ合致しているようだ。
 PM2.5という世界で標準とされる微粒子物質の値がこの10日には1立方メートル当たり、534マイクログラムを記録した。これは最も深刻とされる「危険」指標に該当する300~500マイクログラムを超えており、健康被害のおそれが極めて大きい。ちなみに日本の環境省が設定している基準は年平均値15マイクログラムである。
 自動車の急増による排気ガスの汚染と、冬場の各家庭の暖房のための石炭消費による汚染が重なっていると見られるが、普通北京は冬になると比較的に強い北風が吹くので汚染大気は滞留しない。ところがこの冬は北風があまり吹いていないために拡散していないようだ。
 スモッグ警報が連日出されており、見通しの悪さから交通事故も増加している。飛行機の離発着の遅れやキャンセルも頻発しており、北京は今深刻な事態を迎えている。この10年で肺がんの死者が6割増えているともいう。外出の際のマスク着用や、家庭用の空気清浄機が必需品で、高性能の高価なものほど飛ぶように売れていて品薄となっているという。
 北京に行く予定の人は是非日本からその準備をして出かけるようにすることをおすすめする。

中国ウオッチ・イラン制裁

 アメリカのガイトナー長官が、中国を訪問し、核開発を進めるイランに対する制裁に協力要請を行った。中国は元々この制裁に対して反対する態度を取っており、今回の要請に対しても明確な回答は行っていないようだ。
 実はイランにとってアメリカや日本は原油輸出先として主要ではあるものの、現在の最大の輸出先は中国であり、中国抜きの制裁を行ってもその分を中国に振り向ければ制裁の効果は半減する。
 ガイトナー長官は今日日本に入って日本政府にイラン制裁協力の依頼を行う。アメリカのように自分の国で原油がとれる国と違い、日本にとってイランからの原油を止めることは産業界のみにとどまらず、社会生活全般にかなり深刻な影響が出ることが明らかなのだが、野田首相はどんな返事をするつもりなのだろうか。
 元々イランと日本の関係は良好であったものをアメリカの強引な圧力で蓄積されたパイプは破綻してしまった。その損失は計り知れない。そこへつけ込んだのが中国であり、中国がその権益を手放すとは思えない。 イランはアメリカの制裁が実施されればホルムズ海峡を封鎖すると通告している。そうなると先ずガソリンはあっという間に200円を超えることになるだろう。そして日本が備蓄で食いつなげるのは2~3ヶ月なのでその後には深刻なエネルギー不足の危機に陥るだろう。

野矢茂樹著「哲学の謎」(講談社現代新書)

Photo_2 敦煌・月牙泉脇の高楼。時の流れの象徴として。

 対話形式で、哲学の根源的な問題を語る。あげられている主なものに、意識とは、実在とは、記憶とは、時の流れとは、体験とは、意味とは、意志とは、自由とは、など。これらの難問に実に分かりやすい考え方のガイドをしてくれている。分かり易すぎてすらすら読めてしまい、ただ読んだだけになるおそれがある。
 特に私も昔考えたことがあるが「時の流れとは何か」、という所は興味深い。時が流れるものだとして、では時が止まったとしたら誰がそれに気がつくのだろう。宇宙の全てが止まって、そしてまた動き出したとして誰がそれを知るのだろう。それを外側から見る超越者でもいない限りそれは認識できない。認識できないものはあると言えるのか。
 この本を読むとつくづく哲学は言葉なのだ、と思う。そして言葉というものはかなり曖昧で、しかも不備なもののようだ。その言葉で人はものを考えるしかない。そして他人とその考えたことを理解し合うことはさらに困難なことでもある。自分と他人は違う、ということを本当に認識することが出発点だと思う。「話せば分かる」という言葉が自分と他人は同じ人間だから、自分が思ったことを言葉で語れば相手は必ず分かってくれる、というのは私は間違いだと思っている。先ず他人は自分と違う、という深い認識があった上で、この不備な言葉を何とか使いこなして思いを伝えようとすることでしか他人とコミュニケーションできないと知っているひとだけが「話せば分かる」という資格があるのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・迎春の準備②

Photo 烏鎮で見た灯籠。

蜜供 日本では歳徳神、祖廟などに鏡餅を供えるが、中国では鏡餅の代わりに蜜供(ミーコン)を供える。蜜供は麦粉で大きさは小指ほど、長さは一、二寸(3~6センチ)くらいの四角な棒状にして油で揚げ、この棒を組み立てて四角形の塔を作り、これに蜜をかけたものである。味はかなり甘い。
灯籠 日本では盂蘭盆会(うらぼんえ)に灯籠を売っているが、北京では上元節の用意のために、歳末に灯籠を売っている。灯籠は絹張りガラス張りなどがあり、山水、人物、花鳥などの画が描いてある。その詳しいことは上元節の項に述べる。
 さて、官庁は十二月の十九、二十、二十一の三日中の吉日を占って、封印つまり仕事納めをし、正月もまた同じ三日中の吉日を選んで開印つまり仕事始めとする。商店はたいてい十二月の十五日から二十日までに一切の計算を終わって仕事を終え、正月は大商店は一ヶ月くらい休むものがあり、小商店は一週間くらい休む。正月の休業では飲食店も一切店を開けないから、幕の内には二週間くらいの糧食を買い込んでおかないとならない。

*「北京の除夜」の項で蜜供のことを蜜柑か?としたが、辞書を調べても不明だったためで、ここに説明がありました。

2012年1月11日 (水)

中国ウオッチ・15日でビル完成

Dsc_0005 万博前、急ピッチでビル化が進んでいたときの上海。手前の住宅は取り壊し直前。

 中国湖南省で30階建てのビルをたった15日で完成させたというニュースが報道された。長沙市、洞庭湖のほとりに建ったこのビルは、建築総面積18万3000平方メートル、マグニチュード9クラスの地震にも耐えられる設計だという。
 建築部材をあらかじめ生産しておくプレハブ工法で建てたのだそうで、このビルを建てた建築業者は以前にも15階建てのビルを6日間で建てた実績があるそうだ。
 すごい。多分何かのきっかけで毀れるまでは建っているだろう。あまりこういうビルには出入りはしたくないけれど。

「清末見聞録(清国文明記より)」・迎春の準備①

 竈祭(既述)の前後から市中は色めき立ち、一般に迎春の準備に忙しい。東西両廟の縁日なども普段は二日ずつであるが、年末には続いて四日間の祭りがある。そのほか城の内外あちこちで年末市が立つが、越年に必要な種々の品物を売っている。
 日本の年の市には門松、〆飾りまたは羽子板などが景気よく売られていて、春が間近に迫ったような心地がするが、北京では松は墓地の印の木に用いるので、門松などという吉事に使うなどもってのほかで、〆飾りもなければ羽子板もない。その代わりに春聯(しゅんれん)といって大小の門、あるいは部屋の入り口に貼り付ける対聯(ついれん)は迎春の時期にこれを新しいものに替えることになっているから、紅紙に吉祥の語句を書いたものを売っている。そのほか、日本の年の市で見受けないものを二、三あげると、
門神 門神とは門を守って悪魔を追い払う二柱(ふたはしら)の神である。一つは白面で一つは紅面である。この門神の画像を門の扉の左右に貼付する。この風俗は一説には漢の時代に始まったという。後漢の応劭(おうしょう)著「風俗通」のなかに

 度朔山(どさくさん)の桃樹の下に二神あり、一は
 神荼(しんと)といい、一は鬱塁(うつるい)という。
 良く鬼を執(とら)う。鬼皆これを畏(おそ)る。
 今人桃の板に二神の像を描きてこれを戸に懸け百鬼を
 禦(ふせ)ぐ、名づけて桃符(とうふ)という。

とあるのがすなわちこの風俗の起源である。ただし現今の門神は桃板を用いずに、紙に描いたもので、白面は神荼で紅面は鬱塁である。また一説によると、門神の起源は唐太宗がかつて鬼を畏れて、秦瓊(しんけい)、尉遅敬徳(うつちけいとく)の二将に命じて門を守らせたことがある。後世この二将の像を描いて門に貼付するようになったというのである。白面が秦瓊で紅面が尉遅敬徳であるという。この二つの説はそのどちらが本当か分からない。この風俗は古くから伝わって今もつづき、新年には門神の像を貼ってそれに代えるのである。

2012年1月10日 (火)

ATHENA

 アイリスという韓国ドラマのスピンオフであるATHENA(アテナ)というスパイアクションドラマを見始めた。一話70分、全20話を録画してあり、やっと6話まで見終わった。出てくる女優は美人だし、テンポは速い(ところどころかったるいが)し、アクションは本格的だし、で結構面白い。竹内結子に似ているイ・ジアと膳場貴子(もとNHKの美人アナウンサー)に似ているスエの二人がどちらも格好が良くていくら見ていても見飽きない。どちらかといえばイ・ジアが好みだが。

 今日は夕方早めから先輩と飲み会。先輩は徳島と名古屋と二つ家があって交互に行き来しているが、今度メインを徳島に移すというので半分送別会のようなものだ。用事もあるのでこれから出かける。だから本日のブログはこれにてクローズ。

中国ウオッチ・農業従事者

Photo_2 中国雲南省の農村風景。

Photo_3 農家はたいてい煉瓦造りの家である。

 正月の中国の経済誌によると、主要な食糧生産地である東北地方の三省、遼寧、吉林、黒龍江省は中国最大のトウモロコシや大豆の生産地だが、青年層や壮年層の農業離れがはなはだしく、現場は高齢者や女性が農業従事者の主力になっているという。
 中国は農業生産能力の増強を目指しており、その30%が東北三省に割り当てられている。しかし同地方では出稼ぎによる労働力の流出が続いている。今のところ機械化が進むことで、高齢者や女性でも何とか生産力を維持してきたが、長期的には増産どころか安定的な生産量の維持すら困難になることが予想されている。
 統計によると農村からの出稼ぎ労働者の平均年齢は男性が34.7歳、女性が32.1歳。農村部に残っている農業従事者の平均年齢は45歳である。農業従事者が今後若返る見込みは全くなく、さらに急速に高齢化が予想される。
 日本の農業従事者の平均年齢はもうすぐ65歳だ。それよりマシだとは言え中国も深刻な事態が目の前に迫っているらしい。
 もちろんこれは農村部と都市部の収入に大きな差があり、それが解消されるどころか拡大していることが大きな理由であることは間違いない。これを改善しようとすれば農家の収入を増やすために農産物の価格を上げざるを得ないが、それは中国人の生活費の増大につながるわけで、国民の不満を招くことになるだろうし、そのために賃金を上げれば国際競争力を失う。世の中はどこかの国だけが急成長を続けることは出来ない。日本然り、ヨーロッパ然り、アメリカ然り。

中国ウオッチ・汚職官僚14万人

 表題は正しくない。この数は中国政府が発表した、2011年に摘発された汚職・腐敗官僚の数であり、それ以外の官僚が全て清廉潔白であるとはとても信じられないことなので、摘発されなかった数はかなりの数、多分摘発されたよりも多いと思う。
  中国の人口が多く、官僚の数もいかに多いとはいえ、この摘発された官僚の数は想像を絶する。
 ところで摘発者が増加しているのは汚職がふえているからではないようだ。中国では権限と権益は裏表で、その権益は公私を問わず行使されることに何の罪悪感もないのが普通だ。ただ、その権限の範囲ぎりぎりとかそれを逸脱して過剰に権益を利得したときのみ罰されていた。
 今、セーフの範囲内という基準が揺らいでいるのではないだろうか。インターネットによる告発がふえているという。また、摘発強化を進めている地方政府によっては市民の実名での告発を呼びかけており、その場合の身の安全に対する保障と報奨金を提示している。実名に限っているのはなぜかは自明である。
このような告発は残念ながら正義感からなされることは少ないと想像される。ほとんどは嫉妬からなされているだろう。しかしそれが結果として社会の健全化につながっていくというのは面白いことだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・百果粥

Photo 上海のデパートで見たお菓子のコーナー。だいたい日本も同じようなものだが、中国の場合一つ一つの量が多い。

 臘月(ろうげつ・旧暦の12月)初八つまり師走の八日にこの粥を作ることから、俗に臘八粥(ラパチョー)ともいう。そして、この粥には種々の具を入れることから百果粥(パイクオチョー)ともいう。上は王公大人から下は百姓に到るまで、師走八日には必ずこの粥を作って祖先の霊を祭り、また普段行き来している友達や親戚に送るのを礼儀とする。
 百果粥はその名の示すとおり、白米、老米、黄米、小米、高粱などを主とし、これに緑豆、小豆、隠元、および蓮の実、栗、胡桃、西瓜、南瓜の種、榛子(しんし・ハシバミの実)、杏仁、棗、龍眼、などを加えたものである。これらの具は生のまま米、粟などと同時に煮て、後に龍眼と蜜漬けの棗とを加えるというが、日本の正月の十一日に食べる小豆粥のようである。白砂糖を加えて食べるとはなはだ美味である。この風俗が何に由来するのか、いつ頃から始まったのか聞き漏らしたが、ともかくも歳末に際しての行事のひとつである。

2012年1月 9日 (月)

中国ウオッチ・火炎瓶男

 8日にソウルの日本大使館に火炎瓶を投げ込んだ男が逮捕された事件をご存じだろうか。
  韓国政府が逮捕した男を調べたところ、その男は韓国系中国人であったことが明らかになり、祖母が慰安婦だったのでその恨みで火炎瓶を投げたと供述しているという。
 さらに調べたところ先月26日に(日本の)靖国神社の石碑に火炎瓶を投げつけて放火したことも供述している。男は日本から韓国へ入り、ソウルで事件を起こしたことが出入国の記録から明らかになった。
 なおその際に日本女性が彼と行動をともにしていることも調べで明らかになっているが、その女性について供述を拒んでいるという。
 事件を起こした後に中国へ逃亡しなかったことについて、中国に迷惑をかけるのが申し訳ないので韓国で、自分だけで責任を取る、といっており、これに対して中国や韓国でいさぎが良く立派だと讃える声が多いのだそうだ。
 この、理念が正しければ犯罪行為もしてかまわないという考え方は、毛沢東の「造反有理」という言葉に象徴されるが、テロリズムの論拠であり、これが世界をいかに害しているか、この不毛の思想を払拭しないと世界の秩序は崩壊してしまう。
 ところで気になるのは犯人と同行していたという日本女性のことだ。取り調べが進まないと何も分からないが、もし彼女が正義感に燃えてこの犯人を応援していたとすると、そのような正義とは何か、真剣に考えないといけないような気がする。彼女の信念に私なら何をもってそれは良くないことだと説得できるだろうか。彼女すら日本国民として、同胞として考えることが出来るだろうか。

夕陽のギャングたち(予告編)

 「夕陽のギャングたち」が16日のNHKのBSで放送される。イタリア映画だが、西部劇だ。でもマカロニウエスタンとは違う(と思っている)。監督はセルジオ・レオーネ(となればマカロニ・ウエスタンだが、私は本格的な西部劇だと思っている。マカロニ・ウエスタンも大好きなのでマカロニ・ウエスタンを普通の西部劇の下に見ているわけではない)。主演はロッド・スタイガーとジェームス・コバーン。
 今、録画予約した。前回見てから10年ぶりくらいか(この映画は1971年)。とにかく大好きな映画なのだ。何回も見た。西部劇ではこの映画とサム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」が最高だと思っているので何度も見た。こんなことを書いているのは出来れば他の人にも見て欲しいからだ。
 この映画はセルジオ・レオーネの失敗作といわれている。興行成績もふるわなかったらしい。多分この映画を見始めると「なんだこの映画は」と思うかもしれない。普通の西部劇とは全然違うし、正義の味方なんかいない。でも、エンニオ・モリコーネ(セルジオ・レオーネといえばこの人が音楽)のすてきな音楽が流れるとわくわくして来るではないか。 緑なすアイルランドの風景と、砂だらけの殺風景なメキシコの景色が強烈に記憶に残る映画なのだ。ああ見るのが楽しみだ、わくわく。

中国ウオッチ・60年で最低

Photo_7 黄浦江。上海。河の汚さ、空の様子。これでも上海は希に見る快晴。

Photo_8 西安郊外、黄河の大支流、渭河。20年前はこのように満々と水が流れていたが、一昨年行ったら河床がほとんど見えていた。二回とも同じ季節の秋。

 中国気象局の記者会見での発言によれば、2011年の中国全国の平均降水量は1951年からの60年間で最も少なくて、556.8mmしかなかった。日本と同様、というより世界的な兆候だが、局地的な異常気象が多発しているという。
 中国は国土が広い割に耕地面積が少ない。その耕地のうち、華北地方の降水量がこのところ継続的に減少していることが気になる。それでなくとも農村から都市部への人口流出が起きているのに、旱魃で農産物の収量が落ちれば、さらに農村の減少、そして崩壊が進むだろう。
 古来中国を治めるものは水を治めなければならなかった。昔は河を治水することが最も重要な仕事だったが、今は水そのものを確保管理することが最重要な時代だと思う。今のように、なけなしの水を汚染し放題にしている状況を改善することがまず真っ先に取り組むべき事ではないだろうか。
 ところで大気汚染も深刻だ。昨年秋以降、大都市では外出を控えなければならないようなスモッグが数時間、時には数日街を覆い尽くすような事が頻発した。
 為政者は水だけではなく大気も納めなければならないようだ。
 考えてみると東京オリンピック前後、昭和30年代から40年代の前半は日本の大気は汚れ、工業地帯の空はスモッグに蔽われ、都市部の河川はヘドロだらけだった。中国は北京オリンピックに向けて急成長を続けた。その勢いがまだ続いているけれど、すでに日本の轍を踏んでいる。ただ反面教師としての日本の公害の歴史を知ることが出来る。日本が試行錯誤した改善への道を、中国は最短距離でたどることも可能なのだ。
 少しくらい経済発展にブレーキがかかってもやるべき事があることが分かるかなあ。
 日本だってもうけにならないことはやらない、という人間ばっかりだけれども何とか昔よりマシになった。なぜなら結局そのときには儲からなくでも後で大きなつけを払うよりやるべき事をやるようにした方が得だと気がついたからだ。
 中国人はいつ気がつくのだろう。見ていると大きなつけを払う段階になっても気がつかないような絶望的な気配がする。

中国ウオッチ・乳幼児誘拐事件続報

Photo_2 子どもが愚図っていましたが誘拐ではありません。

Photo_3 これも自分の子どもでしょう。

 中国では巨大な組織により、女性や乳幼児の人身売買が行われてきた。当局は徹底的な摘発を行ってきたが、特に昨年は全国一斉に大がかりな摘発が行われ、乳幼児だけで1万8500人が救出された。しかしそれは氷山の一角で、実際に誘拐された子どもはその数倍だろうという。
 誘拐されるだけではなく、農村部の貧困家庭などは生活のために泣く泣く自分の子どもを売っているものもあるようだ。また黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる闇の子が売られていることも知られている。黒孩子は一人っ子政策の落とし子で法律的に許されない第二子、第三子のことである。この政策に違反すると年収の何割もの罰金を払わなければならず、貧しい人には支払いは不可能である。その子をひどいときには村の役人が取り上げて業者に売り飛ばして懐に入れたりするのである。
 子どもが欲しいがどうしても子どもの出来ない夫婦はこういう組織から子どもを買う。報道によれば男の子は五万元(約60万円)女の子は三万元だそうだ。ひよこのように、昔は女の子は三分の一以下だったが少し値上がりしている。
 世界中にこのような犯罪があるのは悲しい事実だが、中国のように大々的で、しかも時には公務員も関係しているなどというのは聞いたことがない。幸い中国の一人っ子政策も試験的に緩和され、今後解消する可能性が出てきたようだが、需要がある限りこのような犯罪はなくならないだろう。

小谷野敦著「友達がいないということ」(ちくまプリマー新書)

 「もてない男」以来ユニークな切り口で、自分をさらけ出してテーマを真摯に論じる著者の本はけっこう人気があるようだ。「もてない男」を自称しているのに結婚したので「裏切り者」とジョークで非難されていたりするが。
 「友情論」については古来幾多の本が書かれているが、著者は代表的なものをいくつか取り上げて、友達が出来ない人について書かれているものがない、友達が出来ないのでどうしたら友達が出来るか知りたいと思ってそのような本を読んでも何の役にも立たない、という。自分には友達がいない、とか、友達がほとんどいない、と書かれている本を読んでも、実は書いた人間にはけっこう友人がいる場合が多く、友達の出来ない人の参考になりにくいようだ。
 だからこの本を読みなさい、ということではない。この本を読んでもどうしたら友達が出来るか書いているわけではないからだ。ただ友達が出来ない人というのが現にいること、それはあなただけではなくて私もそうだよ、というメッセージを伝えて慰める本なのだ。だからこの本の帯には「ひとりでも生きていける」とある。
 余談ながら幸い私には、相手がどう思っているか別にして、友達がいる。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蒙古来

Photo ゴビ砂漠。

 元の世祖忽必烈汗(クビライカン)が父祖の遺業を承けて世界を席巻したとき、中国本部はもちろん北は満州から東は朝鮮を併せ、南は交趾(こうち・ベトナム北部)安南(ベトナム)を兼ね、西は中央アジアを経て遙かに欧州に入り、トルコ、ハンガリーを取り、モスクワなども元朝に隷属した。ただ唯一日本だけは相模太郎がいて良く十万の元寇を殲滅したけれども、蒙古人の勢力は隆々として天をつき、天下にこれと雄を争うものがなかった。時代は幾星霜、時は移って当時の遺業はついに一場の夢と消え、元は滅んで明の支配するところとなり、明も滅んでさらに清の支配するところとなった。その清に支配されている蒙古人の古今盛衰の跡を回顧すれば、また蒙古人のために一掬の涙を禁じ得ない。
 蒙古の王公は朝覲(ちょうきん・天使にお目にかかること)のために毎年一回北京に来るのを習わしとしており、鴻雁(こうがん・白鳥や雁)と同じように冬に来て春に去る。あわれ昔は自分の国の都として周囲の朝貢を受けた北京で、今は他人の鼻息をうかがうために入貢する蒙古人は果たしていかなる気持ちでいるであろう。十二月になると朝覲した蒙古王公部下の蒙古人が、駱駝に跨がって市中を往来するものが少なくない。容貌魁偉な彼等は、見上げるほどの大きな駱駝に騎乗して、何十頭もの駱駝を従えて、威風凛凛辺りを払い、帝都を脚下に見下ろして大路を進んでいる。彼等は今は猫のように屈従しているけれども、その風采は堂々としていて昔欧亜の野を蹂躙したときの遺風を偲ぶに足りるものを感じ、思わず「蒙古来」という言葉を思い出した。
 蒙古人が北京に来ると、王公部下のものは外館または裏館に宿泊する。外館は城北安定門外にあり、裏館は城内にある。もとは東交民巷(とうこうみんこう)の御河橋の西にあったが、その地は今は英国公使館所在地になって、東安門内の北池子胡内に移った。蒙古人は土物、例えば毛皮類、獣油、毛織りの敷物、などを携えて来て、自分の欲しい物と交換する。外館および裏館では、冬期中は蒙古人との交易で一年間の生活を支える。故に遺風天下を圧し、蒙古が来るといえば泣く子も黙ったという「蒙古来」の言葉も、いまはかえって屈辱服従の意味とともに、二、三の蒙古貿易業者の福音でしかなくなってしまった。
*清朝は満州人、愛親覚羅氏が興したもので蒙古人ではない。念のため。

2012年1月 8日 (日)

野崎昭弘著「逆説論理学」(中公新書)

Photo_4 亀のひなたぼっこ。

 パラドックスのいろいろについて論理的に解析、解答していく。
 正直なところ三分の一はむつかしくてついて行けないところがあった。20歳前後の頃なら楽しんで一晩考えたかもしれない(無理か)が今はその根気がない。この本は昭和55年に初版だから大昔の本で、若いときに飛ばし読みして、いつか暇なときに楽しんで読もうと取って置いたものだ。
 ギリシャの詭弁哲学の問題、例えば「アキレスと亀」などは自分なりの解答を持っているが、厳密に考えるとけっこうむつかしい問題のようだ。この本の最後にマイナスにマイナスをかけるとなぜプラスか?というのがけっこう数学が嫌いになるきっかけになるところだが、その説明が数学者にもむつかしい問題だと云うことが分かって面白かった。
 無限について、そして集合論など、数学が趣味の人には楽しめる本だと思う。こういう本は古くなることはない。

中国ウオッチ・春運

Photo_3 切符を買うため並ぶ人。

 中国の春節(旧正月・1月23日、普通は2月なので今年は早い)前後、22日~28日に規制、およびUターンで移動する人数は、のべ30億人と推計されている。この移動を「春運」というのだそうだ。
 春運の切符を求めて1月8日から駅には行列が出来ているが、毎日少なくとも200万人の切符が手に入らない見込みだという。高速鉄道はネット予約が可能になっているが、一億6000万人いるという農村部からの出稼ぎ者はネットを扱えるものが少なくて、駅で並ぶしか方法がなく、昨年までよりも切符の入手が困難になっている。
 当局は輸送量をあげるために手を尽くしているが、輸送能力を超えた移動人数の見込みに頭を抱えているという。

仲正昌樹著「なぜ『話』は通じないのか」(晶文社)

Photo_2 人間はなかなか悟れない。

 副題・コミュニケーション不自由論。金沢大学法学部教授の著者は多方面にわたって言論活動を展開している。この本の多くの部分が、著者が講演したときになされる一部の質問についての怒りと、一方的な非難に対する感情的とも言える反論である。
 どんな質問に怒るのか。講演の内容とは無関係な質問、あるいは講演の論旨と明らかに異なる前提の質問である。これは質問する人間が話をそもそも聞いていないことによると考える。聞く能力がない場合と、そもそも最初からその人間に強い思い込みがあり、その思い込みからしか相手の話が聞こえていない場合とがある。
 自分が不勉強であったり能力が低くて内容が理解できないのに、相手の説明が不十分だと決めつけて低レベルの質問をする人間(今の学生に多いらしい。中学生でも知っているようなことを、自分が知らないことを恥ともせず、説明が足らない、というらしい。確かにテレビでも、聞いたことがない、教わっていない、と得々と云う人間を良く見る)にも腹が立つが、これは相手が馬鹿だと思えば何とか我慢が出来る。
 著者が怒っているのは質問の場で一方的に自分の意見を述べる輩である。講演者と無関係に自分が聴衆に意見を述べたいが為だけに質問の形を取る。これには後援者も聴衆もうんざりだろう。だがこのような質問者は自分しか見えていない。(本人にとってのみ)すばらしい言説にうっとりしていて回りの迷惑になど気がつかない。だがこれも馬鹿の一種だと何とか我慢しよう。
 著者が断じて許せないとしているのは相手の話の断片をとらえ、その言葉のみから公的な非難を浴びせる確信犯である。フェミニズムを論ずるときにフェミニストとアンチフェミニストをたとえとして取り上げたとたん、一部のみを取り上げておまえは男根主義者だ、とわめき立てる輩である。文言は全体として成り立っている。断片だけで相手を非難していたらコミュニケーションは成立しない。言葉狩りの不毛なゆえんである。
 まことに同感なのであるが、著者の怒りが強すぎて感情的になっており、やや白ける。相手が興奮しすぎているとこちらが醒める、の類である。
 確かにコミュニケーションの困難な人間が多い。相手の話を先ず受け止めて内容を咀嚼してからこちらの意見を言うのが会話であるのに、自分のセンサーに引っかかった言葉のみしか受け付けないような人間とはおつきあいしかねる。そういう人間は感度の異常に高い負のセンサーを持っていて、自分で勝手に傷ついて人を恨んだりするのでうっかり冗談や皮肉も言えない。
 まあしかし著者も認めているとおり、不特定多数を相手に論を張る人間であればそのような輩からの火の粉も覚悟しなければならない。とはいえどうもほとんど精神科の患者もしっぽを巻くような妄想者がしばしば正義の味方の姿をしているのは確かだ。
 こんなことを書いていると友達を失ってしまうかもしれない。でもそんな人は友達にしていないつもりなので大丈夫だろう。
 上に書いたようなことをおもしろがれる人と著者のファンは(同じか)この本を読んでもいいが、それ以外の人はよく考えてからにしてください。

「清末見聞録(清国文明記より)」・芝居②

Photo 雨の中、田舎芝居とそれを見る観客。

○演奏 しぐさよりも歌に重きを置くので声調の美を尊ぶ。特に高音を喜ぶから甲高い金切り声を出してクライマックスを歌う。当然主なる歌い手は少年ではないと無理で、十四、五の少年が割合に重要な役を務めている。役者は天津や上海では二、三女性を見たが、ほとんど男子だけが普通である。顔の隈取りなどは専門家に見せたら、日本の隈取りと比較研究して面白いと思う。役者は自分の歌うところが済むと自分の出番は終わった、という様子で、黒子から湯を貰って飲んだりしているのがおかしい。しぐさは重きを置かれていないので、ずいぶん幼稚なものである。書き割りというようなものなどなく、日本の能楽のようにかたちばかりのものを持ち出して、家とも船とも見立てるようなもので、しぐさもこれに合わせて鞭を持ったのは馬に乗っているところ、鞭を人に渡し足をトントンと踏んだのは下馬を表しているというようなのが多い。一幕はおよそ三、四十分で終わる。一日に七、八幕つまり七八種の脚本を演奏する。一幕終わるとすぐつぎの幕に移り、物語がよく分かっていない人間にはいつ終わったのかいつ始まったのかさっぱり分からない。
○観客 桟敷も平土間も全て椅子に座りテーブルを置いて、茶を飲み西瓜・南瓜の種などを食べながら見物する。椅子があるのは中国の風俗である(当時の日本の演劇は桟敷に直に座って見ていたのだろう)。酷暑の頃など観客は着物を脱ぎ、肌着になっていたり、ひどいのになると上半身裸になっている。劇場のような娯楽の場所に燕尾服に山高帽のフランス式も窮屈すぎるけれど、中国式はあまりに不作法である。役者の歌が佳境に入ると観客は好好(ハオハオ)と叫んでこれを賛美するのは日本の大向こうのかけ声に似ている。婦人は市中の劇場には入らない。
 要するに、中国の芝居は日本の能楽と歌舞伎を合わせたようなもので、歌舞伎よりは能楽に似ている。元来、我が国の謡曲は元の戯曲にもとづいているものだと云うことだから、元曲の流れをくんで発達した中国劇が、能楽と似ているのは当然だろう。

2012年1月 7日 (土)

OUTLOOK EXPRESS破綻

 パソコンの不調が続いているが、ついにOUTLOOK EXPRESSがつながらなくなった。WINDOWSのプログラムが更新されるたびにメールに使用するプログラムをMICROSOFT OUTLOOK書き換えられてしまい、その都度戻さなければならなかったが、今度のはそう言うのとは違ってどうやっても接続しなくなった。インターネットは問題なくつながっているので、何とか出来ると信じて手を尽くしたが、やればやるほどおかしくなってきた。仕方がないのでアドレス帳とメールをエクスポートしてOUTLOOK EXPRESSの使用を中止することにした。
 これを機に古いパソコンをとことんスリムアップしてしまうことに決めた。覚悟していたことだがそろそろ寿命なのだろう。データは外付けのハードディスクにバックアップしたので、使用頻度の少ないプログラムを全て削除していくことから始めよう。

中国ウオッチ・中国が世界一・二題

①2011年の中国のロールスロイスの年間販売台数が、アメリカを抜いて世界一になった。ロールスロイスの販売台数ランキングはどの国がどれだけ富んでいるかのランキングとも云われている。中国としても鼻が高いことだろう。これを報道した記事は「中国は10年前まで自転車が主要な交通手段の国だったが、今やロールスロイスが最も売れる国になった」と結んでいる。
②2011年の違法象牙消費国の世界一が中国になったという。アフリカから運ばれた違法象牙はマレーシアやフィリピン、タイ、ベトナムなどから中国に運ばれているようだ。中国の象牙のうち違法な手段で持ち込まれたものは合法的なものの6倍にもなるという。ところで今まで世界一違法象牙の消費量が多かったのは日本だそうだ。恥ずかしいことだ。

鳥インフルエンザ

Photo_2 白鳥。

 昨年末に香港の市場のゴミ捨て場に捨てられていた鶏の死骸から強毒性の鳥インフルエンザH5N1が検出されたことを伝えたが、なんと同じH5N1の鳥インフルエンザに人間が感染した。
 感染したのは広東省深圳市の39歳の男性のバス運転手で、症状が進行してしまってから診療に訪れたため重症の肺炎状態で、すぐに入院治療したが手遅れで、心臓や肝臓に障害が発生して死亡した。
 この男性は深圳市から出ていなかったといい、どこから感染したか不明。彼と接触した可能性のある120人ほどが観察下にあるが、今のところさらなる感染はないという。
 鳥インフルエンザは鶏などとのかなり濃度の高い接触をした人間にしか感染しないと云われてきた。バスの運転手では鶏との接触が多いとは思えない。ただ中国人は鳥が好きで、鳩やその他の鳥を飼っていることが多い。鶏は弱いので鳥インフルエンザですぐ死ぬが、野鳥は免疫があって死なずに感染媒介者になる事が知られている。この感染者がそのような経路で感染したのであれば、すでにこの鳥インフルエンザは拡散を始めているおそれがあるのではないだろうか

インターネット接続できず

 普段は古いデスクトップをインターネット用に使っている。USB式の無線LANでインターネット接続しているのだが、ときどき認識しないでつながらないことがあった。再起動するとたいていつながるのだが、何かが邪魔しているらしい。何を消して何を残せばよいか分からない。そうこうしているうちに今朝はどうやっても全くつながらなくなった。
  これではブログの更新も出来ないし、メールを見ることも出来ない。朝から悪戦苦闘したが回復せず。ノートパソコン用のモバイルルーターをつなげたら一発で接続。やっとブログの更新が出来た。
 こんなことなら固定電話からの光フレッツは不要だ。光フレッツはインターネットにしか使用していない。しばらく様子を見てから問題なければ解約することにした。

「清末見聞録(清国文明記より)」・芝居①

Photo 田舎芝居の舞台。右手が囃子方。

 中国では芝居見物のことを聴戯(テンシイ)という。これは役者のしぐさ、つまりその動作を見るよりも、主にセリフすなわち歌謡言語を聴く方に重きを置くためだろう。聴戯の名を以て中国演技の特色を察することが出来る。以下順を追ってこれを説明しよう。
○劇場の構造 およそ日本と同じく、木戸を入って平土間、桟敷、大向こうがある。しかし、花道はなくて舞台は前に出ている。ちょうど能舞台から橋がかりを取り去り、後方の左右に戸を設けたようなものである。舞台の正面の両隅に柱があって目障りになることは能舞台と同じ。
○囃子方 中国のオーケストラは胡弓、蛇皮線、笛、太鼓、鐘、拍子木、ジャガランなどからなり、初めて合奏を聞くときは耳を聾するばかりの騒々しさにとうていメロディがあるように思えない。音楽というよりむしろ騒音のようである。しかし、聞いているうちに、だんだんとおもしろさが分かってくる。これらの囃子方は日本の能楽や歌舞伎の中幕物の一種のように、舞台の上に並んでいる。日本の芝居には出語りあるいはチョボ(歌舞伎で、地の文を浄瑠璃で語るところ)があり、能楽には地謡があって、役者はこれに合わせてしぐさを行うことで趣を添えることは大いに大切なことであるが、中国の囃子方は純然たる囃子方で、そのほかに出語りや地謡の類はない。ただし、囃子方が乱雑な服装で雑然と舞台に並んでいるのはずいぶん目障りである。
○脚本 各地にいろいろな班がある。班は何々一座というのと同じである。班によって脚本の声調や歌詞に異同があることは、あたかも観世、金春、喜太、金剛等の流派が同じようでそれぞれ違うのと似ている。脚本には文、武、および玩笑などがある。文劇は最も唱歌を重んじていて、武劇は刀や槍がうなり、兵馬が倥偬(こうそう)とする(喧しく騒ぎ立てる)。三国志やその他史上の物語をネタ本にする物が多い。玩笑劇はつまりコメディで、主として世話物である。これにはときどき卑猥で見るに堪えない物もある。

2012年1月 6日 (金)

酒を飲む

 夕刻遅くにドン姫が来た。今年初めての顔合わせだ。予定していなかったので、つまみと酒を用意してもらう。こちらの用意は具の多い豚汁。彼女の用意はクリームコロッケとケイちゃん(鶏野菜炒め)味噌味、その他。特に話をするでもなく二人でテレビを見ながら飲む。ちょっと寂しかったところだったのでうれしい。もちろん彼女には用があったわけで、適度に用があるとドン姫も来やすいし、こちらにもありがたいというわけだ。

映画「あの夏の子どもたち」

 2009年フランス映画。監督・ミア・ハンセン=ラヴ、出演・ルイ=ド・ドゥ・ラングザン、キアヌ・カゼッリほか。
 フランス映画はセリフが多い。この映画の前半はそれにくわえてひたすら携帯が鳴り続け、その会話の断片から、主人公の映画プロデューサーが資金繰りに窮していることが分かる。そんな状況の中でも週末となれば妻と三人の娘を連れて田舎の別荘に行き、家族と過ごす。
 この映画ではたったひとつの事件を除いてはたんたんと日常が過ぎていくだけである。正直山場がないので前半は時間の経つのが遅くて途中で眠くなってしまった。しかし後半になって、家族の意味、お互いのかけがえのなさについてしみじみと訴えるものがあり、気がついたらあっという間に見終わっていた。こういう映画もあるのだ。スペクタクル映画の極北にあるこのような静かでやさしい映画も、時には良いかもしれない。

映画「あの頃ペニーレインと」

 2000年アメリカ映画。監督・脚本・キャメロン・クロウ、出演・パトリック・フュジット、ケイト・ハドソン、ビリー・クラダップほか。
 全編を流れるロックミュージックがノスタルジーをかき立てる。こんな映画に出会えたことがうれしい。
 主人公のウィリアム・ミラーは監督のキャメロン・クロウそのものでもあるようだ。弱冠15歳にしてロック雑誌の「ローリング・ストーン」の記者であったことはそのまま実話らしい。彼が「スティルウオーター」という売り出し中のロックバンドのツァーに参加して密着取材する中でペニー・レインと名乗るグルーピーの女性と出会い、いろいろな経験をして少年から大人になっていく物語だ。
 ペニー・レインというのは知っているひとは知っているビートルズの有名なナンバーだが、元々はリバプールにある通りの名前だそうだ。グルーピーというのは追っかけのことだが、ここでいうグルーピーはスターに近づいて簡単に寝る女をいう。ペニー・レインと仲間の女性たちは自分たちは断じてグルーピーではないと言う。
 どのバンドもそうだろうが、グループの中には才能のあるものないものがあり、人気が集中するものと人気のないものがあって互いにまとまったり反目しあっている。元々繊細な神経の連中なのでいろいろぶつかり合い、傷つけあってしまうのだ。ペニー・レインたちがグルーピーとは違う、と言い張る根拠は「グルーピーはその場だけ良ければいい。私たちはバンドと盛り上がり、そしてバンドと一緒に傷つくの」。
 ペニー・レイン役のケイト・ハドソンはちょっとドリュー・バリモア似の女性で物語が進むとともにその魅力が輝いて見えた。
 この映画を見てあの頃(1970年代終わり頃)の音楽をもう一度聴きたくなる、そんなすてきな映画だった。 

高速鉄道逆送

 韓国の高速鉄道が停車すべき駅を通過し、駅に戻るために逆送した、と中国メディアが伝えていた。中国の高速鉄道がトラブルつづきなのを韓国や日本のメディアがしばしば取り上げるので、韓国のこの高速鉄道の話を取り上げて、中国だけではないことを強調したいのだろう。
 報道によれば運転士は通過しても気がつかなかったので駅から緊急通知、それで列車は停止し、駅と連絡してなんと2.6キロ逆送したそうだ。運転士は駅と連絡を取り合ってやったことで問題ないと主張。駅も後続を確認しながらの指示なので、事故になるおそれはなかった、そもそもは運転士の不注意によるミスだ、と自分には責任はないと主張している。
 日本でも停止線をオーバーランしてほんの少しバックすることはあるが、2.6キロの逆送は凄い。列車は駅に戻って、待っていた客を乗せて再び走り出したそうだ。
 事故にはなっていないので笑い話だが、日本でもつまらないミスをすると中国がうれしそうに取り上げるから運転手諸君も気をつけてくれたまえ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・飛鳥技

Photo 20年前北京郊外で見た気球。

Photo_2 フィルムから取りこんだままなので色が悪いが背景は抜けるような青空だった。

 中国人の娯楽としてはカルタや氷滑りなど数々の遊戯かあるが、そのうち最も興味深いのは飛鳥技(ひちょうぎ)であろう。
 中国人はだいたいがとても鳥が好きで、行住坐臥いつも鳥を伴っている。そこここに鳥かごを携えて悠然として立っている人が少なくない。あるいは職人たちが、工場の傍らの木の枝や軒端に鳥かごをかけておいて、仕事の傍ら鳥のさえずるのを聞いて楽しんだり、また風呂敷で鳩を包んで携えているのもいる。鳩は風呂敷から首を出して可憐な目をして左右を見回している。鳥の頸の辺りを糸で結んで撞木に載せて持ち歩く者もいる。ある日、私の下宿で中国語を習っている真っ最中に突然コオロギが鳴き出した。不思議なことだと思っていると、語学教師が懐中から小さな壺を取り出した。コオロギはその壺の中で歌っていたのである。コオロギを懐中に入れているような中国人が、鳥かごなどを持参するのは不思議なことではない。
 ある日例の驢(ろ)を走らせて郊外への遠乗りをしたとき、たまたま飛鳥技を見た。北清の常として一点の雲もなく澄み渡った小春日和に(北京でもそんな空気が澄んだ青空の時代があったのだ)同行者数名で、後になり先になり楽しみながら馬の歩みに任せてすすんで行くと、開けた野原に出た。ここに二、三十人ほどが集まって、空には数多くの鳥が飛び交っている。何事かと思って驢を止めてみていると、鳥はくちばしが黄色、羽は灰黒色を帯び、百舌鳥(もず)よりやや大きい椋鳥である。彼等はこの鳥を手の上に載せ、木の実を空高く投げあげると、鳥はそれと同時に木の実を追って飛び、これをついばんではまた飼い主の手の上に飛び帰ってこれを食べている。人も鳥もともに二、三十が集まって、木の実は空に乱れ、鳥はこれを追って入り乱れて飛ぶけれども、一糸乱れずそれぞれ飼い主の手に帰ってくる。もちろん飼い主の手を離れて空高く飛び去ってしまうものはない。夕刻になれば彼等は鳥の頸を糸で結んで撞木に載せて家路につく。
 最初にこの芸を仕込むには、自分の家の庭か、あるいは人のいないお宮か寺院、郊外などで、鳥の頸に長い一条の糸を結んで飛んで行ってしまわないようにしておいて、気永く何十回も教え込むのだそうだ。十分馴れた後、このようにみなで集まって楽しむのだという。中国人が家畜を飼い慣らすのが上手なことや馬車の馬を操ることの巧みなことは前に述べた。家畜ばかりではなくこのような小さな生き物を馴らしてこれを手足のように操るのは見事なことだと感心する。

2012年1月 5日 (木)

映画「男はつらいよ」

 1969年松竹映画。監督・山田洋次、出演・渥美清、倍賞千恵子、光本幸子、笠智衆、森川信、三崎千恵子、前田吟、志村喬、佐藤蛾次郎、太宰久雄、関敬六、津坂匡章他。
 寅さんシリーズの記念すべき第一作。主要レギュラーがほとんど登場する。おいちゃん役の森川信は最もはまり役で「馬鹿だねえ」というセリフはこの人が言うのが一番ふさわしい。第八作まで出演して病没してしまったのが惜しまれる。
 この映画は何遍も見た。寅次郎がまだ生活破綻者として、世の中の理屈を無視しているという設定であり、だからこそさくらのお見合いをめちゃくちゃにするシーンが生きてくる。さくらのおろおろと困り果てる姿が、いじらしく見えるのだ。
 多くのひとがこの映画を見ているだろうが、私が特に印象に残っていて好きなのは、さくらと博の結婚式で、博を義絶した大学教授の父親が挨拶するシーンだ。父親役の志村喬がスピーチを語り出そうとしながら想いが余ってなかなか話し出せないシーンはいつの間にか息をのませるところだ。訥々と語り出す言葉は真情にあふれており、父親の気持ちを思うといつも涙が出てしまう。
 その前の博の言葉と父親の言葉で、何があったのかは詳しく分からないものの見当はつき、それぞれがその後の8年間にどのような思いでいたのか、想像させずにはおかない。
 冒頭、寅次郎が矢切の渡しを渡り、江戸川の土手を歩いているとき、細いネクタイを締め、コンビの革靴を履いているのが珍しい。さすがに(なんと)二十年もの不義理をした後なので神妙な姿に整えたのだろう。とらやに居着いてからはいつもの雪駄に腹巻きの姿である。
 この映画は何度見ても良い。

深町秋生著「デッドクルージング」(宝島社文庫)

 2015年、日本の格差社会はさらに拡大し、犯罪は過激化している。北朝鮮の混乱から脱北した姉妹の妹が、襲撃事件の巻き添えで死亡する。その姉というのが特殊な訓練を受けた人間兵器のような存在だった。復讐を誓う彼女が襲撃事件の犯人を追及していく中で立ちはだかる敵をなぎ倒していくところが凄まじい。そして襲撃事件のそもそもの目的が明らかになったとき、その事件と彼女が実は無関係ではなかったことも明らかになる。
 最近のクライムノベルの暴力シーンは過激だ。昔は大藪春彦や西村寿行の小説が過激に感じていたが、それがかわいいくらいになってきた。世の中がそれに先行しているしている以上仕方のないことだろうか。リアルすぎるとエンターテインメントを逸脱しそうだ。それがリアル?

「清末見聞録(清国文明記より)」・貨幣②

 さて、一セント銅貨または二厘銅五文を百銭といい、一セント銅十文または二厘銅五十文、、実は四十九文を一吊銭(いっちょうせん)という。そうして、一セント銅八文二厘銅三文は十銭銀貨、すなわち一毛に相当する。日本でも十円以上は補助貨幣だけで支払いを受けることを拒否することが出来るが、北京では小銭で支払うことが出来るのはせいぜい三、四十銭までである。汽車に乗るとき、一ドル五十銭の切符を買うには一ドルと五十銭の小銀貨では受け取ってもらえない。必ず二ドルを払って五十銭の釣り銭を受け取らなければならない。日常には穴銭が主として用いられる。穴銭と銀貨銅貨との組み合わせはいっそう面倒でわかりにくい。これで市中に両替店が軒を並べている理由がよく分かるだろう。中国における有力な銀行家はこの面倒さを利用して巨利を上げており、官吏もこの面倒さのために少なからざる利益を上げているのだ。一般人民はこの古くからの慣習をあらためた方が良いことを知らず、財界の有力者、官界の人々、これらの連中がこの面倒を持って私腹を肥やしているから貨幣制度の統一など喜ばない。いつまで経っても本位貨幣を制定したところでとうてい改革は出来るはずがない。もしも新しい貨幣を鋳造してとういつをこころみたならば、ただ市場に新しい貨幣がひとつ増えるだけで複雑さをいっそう助長することになるだろう。
 要するに、中国の貨幣は一定の本位がなく、全て制定された価格の如何に関わらず、その実質の価値によって取引されるから、貨幣というよりむしろ物品と言っていい。強いていえば穴銭が標準であるけれども、穴銭にも形状の大小品質の良否、いろいろある。
 以上は北京でのことで、各地方でもだいたい同様であるが、ひとたび市内を出ると十銭銀貨はもう通用しない。ちょっとした僻地などへ行くと一セント銅も通用しない。ただ穴銭が使えるだけである。それで旅行者は旅費として馬蹄銀を用意して、そのたびに穴銭に替えなければならない。しかも、百銭または一吊銭の計算も各地によって異なり、北京では穴銭四十九文を一吊とするが、天津では五百文を一吊とする。また南方では九百八十文を一吊とする。それはまだ良い。各省では各省の銅元局で鋳造した銅貨がある。北洋の銅貨は河南に入るともはや一セントとして扱われず、穴銭も山東のは河南に入ると八掛けにしてわずかに通用する。その不都合で不便なことはその地に行ったものでなければとうてい想像も出来ないだろう。

2012年1月 4日 (水)

映画「男はつらいよ 寅次郎紙風船」

 1981年松竹。寅さんシリーズの28作目。監督・山田洋次、出演・渥美清、倍賞知恵子、音無美紀子、岸本加世子、小沢昭一他。
 久しぶりに柴又に帰ってきた寅次郎に小学校の同窓会の招待状が来ている。いつもは旅先なので出席していなかったが、ちょうど良いので出かけていく。寅次郎が同窓会に来る前に同窓生がお互いの久闊を叙している。たまたま寅次郎の話になるが「どうせテキ屋商売の旅先だから来ないだろう」「そういえばあいつにはいじめられた」「あいつが来るなら俺は参加なんかしない」などと散々だが、突然の登場にみな言葉を失う。だが寅次郎はそんな空気を察するべくもない。
 帰る頃になっても戻らない寅次郎をとらやの面々は心配するが、そこへ同級生のひとり、クリーニング屋の保夫(なつかしき東八郎)を連れてべろべろに酔った寅次郎が帰ってくる。もっと飲もうという寅次郎に対し、保夫が「明日の仕事があるから俺は帰る」という。寅次郎は「そんなちっぽけなクリーニング屋なんかつぶれちまえ、世間の誰も困らない」と暴言を吐く。これにはさすがにさくらを始めとらやの面々は寅次郎をしかり飛ばし、保夫に平謝りする。気の弱い保夫は、同級生たちが寅次郎を敬遠してみな逃げたのに、ひとりで寅次郎につきあわされていたのだが、怒りとともに「大きなチェーン店に客を取られて店をたたもうと何度思ったかしれない。でも家族が頑張ろうといってくれている。おまえの洗うシーツでなければ嫌だ、おまえのワイシャツのクリーニングが良い、という得意先があるんだ。おまえみたいなやくざな商売をしている人間には絶対にこの気持ちが分かるか」と痛烈な言葉を吐いて去っていく。
 酩酊している寅次郎にしてもこんな心ないことを言うのはめずらしい。しかしとらやの人々は「よほど同窓会で嫌なことがあったのだ」と悟る。それを酔った勢いで保夫にぶつけたのだ。案の定翌朝みなが起き出す前に寅次郎は再び旅立ってしまう、というところから映画のメインストーリーが始まる。
 その旅先で拾った家出娘が岸本加世子、また商売先でテキ屋仲間(小沢昭一)の女房(音無美紀子)から声をかけられ、その仲間が病床にあることを知る。わざわざ見舞いに出かけた先で、その仲間・倉富から「自分に万一のことがあったら女房を貰って面倒を見てくれ」と頼まれる。さらに帰りがけにその女房から倉富が余命幾ばくもないことを知らされる。倉富の死を知ったのはそれからしばらく後の旅先であった。
 思うところがあって連れてあるいていた家出娘を振り切り、寅次郎は柴又へ帰る。カタギになる、という言葉にみなはまた何かあったのだろうと想像する。倉富の女房・光枝が東京へ出てきて旅館の仲居として働き出した。舞い上がる寅次郎。しかし彼女から「亭主が私のことを寅さんに面倒を見て貰うように頼んである、と聞いているけど本当?」と聞かれると「病人のいうことだからまあ、分かった、といっておいただけだ」と答える。光枝はその顔をじっと見て「ああ良かった。本気にしてないなら安心だわ」と寂しそうにつぶやく。
 そうして今回はお互いうまくいきそうだ、と見ていた柴又の人達をおいて寅次郎は再び旅に出る。
 光枝がとらやにやってきたとき、てきぱきと接客をこなす様子がとても良い。とらやの人達も好印象を持つ。どうしてテキ屋の女房などになったのか、さくらたちに語り始めるとき、煙草を取り出し、一服点けるのを見て、さくらが一瞬「あっ」という表情を見せるところが特に良い。あの煙草のシーンは秀逸だと思う。
 今WOWWOWで寅さんシリーズ全作を放送している。コレクションをしようとしているが、たまたまこの28作をダビングし損ねた。頭の部分だけ見逃して放送そのものを見た。この作品は映画館でリアルタイムで見ていて好きなものの一つだ。 

市井三郎著「思想から見た明治維新」(講談社学術文庫)

Photo_2 夜明け。

 この本によって明治維新について新しい視点から見る見方を得ることが出来た。副題として「明治維新の哲学」とされているとおり、著者は哲学者として、歴史を事実の推移としてみる前に思想の継承から哲学的に解析する。
 この本は明治維新に先立つこと100年、山県大弐の「柳子新論」に説かれる幕藩体制の打倒の思想から説き起こしている。この思想が奇跡的に吉田松陰に引き継がれていく流れは劇的である。
 明治維新に到る経過で最もわかりにくいのは「攘夷」という思想だろう。19世紀前半の列強によるアジア侵略、特に中国に対する理不尽な行動はほぼ正確に日本に伝えられていた。だから夷敵に対する反感から来る「攘夷」については理解しやすい。しかし、下関での長州と四国艦隊との戦いや、薩摩と英国艦隊との戦いの後、反幕府勢力は「攘夷」が無理であることを痛感し、開国しかないことを良く承知していたはずなのである。著者はそれを水戸派に代表されるような「信仰的攘夷」と薩長の「自覚的攘夷」の二つの攘夷があったとして説明する。もちろん薩長の志士たちには多くの「信仰的攘夷」たちがいたことも事実であるが。だから明治維新の後、列強と互していく中で志士たちの中には自分の信念と維新政府の生き方に違和感を覚えるものも多かったことだろう。
 幕末のいくつかある歴史的転換点のなかで大老・井伊直弼の行った「安政の大獄」こそが最も大きなもので、倒幕の必然性を勤王派の共通認識に至らしめた。幕府を立て直すために最も強硬な方法をとった人間が、最も徳川幕府の命脈を縮めたのだ。
 幕末から明治維新については、村松剛著「醒めた炎」が事実を淡々と連ねた中に当時の雰囲気が陽炎のようにわき上がってくる名著だと思っているが、この本はそれに奥行きを付け加えてくれた。この時代に興味のある人にとっては外せない本だと思う。読みやすいし、あまり厚い本ではないので読了には時間もかからない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・貨幣①

Photo 上海・外灘の銀行。

 中国には行って最も不都合で不便だと思うのは、貨幣制度が一定ではないことである。北京でも各種の貨幣が複雑に混ざり合っていてその価値が一定ではなく、慣れない外国人などはみすみす大きな損を被ることになる。何度も当局間の問題となって政府の一両を通貨の基準にしようとする決定もなされたけれど、何の効果もなく旧来のままである。
 銀一両というけれども別に銀一両という硬貨があるわけではない。元宝(ユワンパオ)といって馬蹄形の銀塊、約五両、または十両、時には五十両くらいのものなどがある。これを衡(はかり)で量ってその価値を決める。その衡もいろいろの種類がある。庫平(こへい)、海関平(かいかんへい)、曹平(そうへい)その他市中でだけ通用するものなどがある。他の地方に行くとまたその衡にもまた違いがある。全国に共通する一定の基準というものがない。
 市中に通用している貨幣は今上げた元宝の他、旧メキシコ弗、站人児(チャンレル)、北洋弗、五十銭、二十銭、十銭、五銭などの銀貨、二セント、一セントの銅貨、一厘銭、正金銀行・露清銀行・匯豊(ホイフォン)銀行などの各銀行が発兌(はつだ)する紙幣、中国人経営の各銀号(インパオ)から出している銭票などの数種類がある。これらの貨幣は日々の銀相場、銅相場の変動によって取引されるので、一セント銅貨百枚または十銭銀貨十枚は必ずしも一ドルとは見なされない。銅相場が高いときは九十枚前後で一ドルに替えることが出来る。しかし十銭銀貨はどのような場合も十枚以上あるいは十一枚で一ドルに替えることしか出来ない。そういうわけで、中国には小銀貨はあるけれども、補助貨幣はないと言えるかもしれない。相場は絶えず変動するけれども站人児は小銀貨十一文または銅貨百四文くらい、北洋弗は小銀貨十文と銅貨八銭または銅貨百二文くらい、メキシコ弗は北洋弗より銅貨四文くらい少ない。正金以下の紙幣はメキシコ弗と同じである。(この項つづく)

2012年1月 3日 (火)

高野和明著「グレイヴディッガー」(講談社文庫)

Photo_2 本文と関係ありません。

2011年に読んだエンターテインメントで一番面白かったのは高野和明の「ジェノサイド」だった。そういえばこの作者が江戸川乱歩賞を取った「13階段」も中身が濃くて奥行きがあってとても面白かった。
この物語は中盤まで読んでいる限りどちらかというと軽妙な主人公の言葉のやりとりで、シリアスな展開が損なわれているような気がするが、とんでもない。ラストまで読んでいくうちにぐいぐいと物語に引き込まれていく。ノンストップアクションの映画のように場面がめまぐるしく転換し、ラストへ突入する。タイムリミットのある話なのでそれでいいのだ。この人の本はレベルが高いことがよく分かったのでまた別のを読んでみたくなった。グレイヴディッガーとは墓堀人のこと。

浅田次郎著「沙高樓奇譚」(文春文庫)

Photo 砂の塔(敦煌近くの砂岩の倉庫跡)。

沙高樓(さこうろう)と呼ばれる高層ビルの見晴らしの良い大きなフロアに功成り名遂げた人々が集まって順番にとっておきの話をする。その話は真実でなければならず、誇張や飾りもしないこと、そしてその話を聞いた人間は決して他言をしないことが求められる。
「私」は知り合いの有名な日本刀の鑑定家に誘われてその会に加わる。折しもその日はその鑑定家の話す回であった。
そうしてその話が終わった後、さらに次々にいろいろな不思議な話が語られていく。
どの話も明解な解釈を受け付けないような不思議な話ばかりで余韻が残る。怪談じみている話と言えるのはひとつだけで、恐い話は特にないのでその手の話が苦手な人でも大丈夫。
あらすじを話してしまうとおもしろさを損なうのでここまでとする。
ところで、この会を取り仕切る女装の主人(美輪明宏のイメージ)の話が聞けたら多分一番面白いはずだ。

ストーリーテラー・浅田次郎の面目躍如の本。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京の元旦

明けましておめでとうございます。夜中に帰宅しました。大井松田辺りで事故があり、2時間近い渋滞に巻き込まれてしまいました。帰宅してあらためて息子と新年の祝杯を挙げました。今日からブログを再開します。まずは明治時代終わり頃の北京の元旦の様子など。

 座ったまま元旦を待ち、一晩中寝ない。朝日がようやく昇る頃になれば、再び一家ことごとく神前に礼拝して、二日の早朝にもまた礼拝して終わるという。元旦には角子(チャオズ)といい麦の粉で肉を包んだもの(餃子のこと・若いとき中国で暮らしていた父が生前餃子のことをチャオズ言っていた)を食べる。また年糕(ニェンカオ)といって、餅米や餅粟で作った餅に棗を混ぜたものもあるが、これはお菓子として食べるもので、日本の雑煮のようなものはない。また屠蘇酒は元々中国由来のもので、「歳時記」に
  唐の孫子邈(ぼう)という人、道術あり。毎歳除夜には
    薬嚢(やくのう)を井の中に浸し、元旦にこれを取りて
  酒樽の中に入れ、名付けて屠蘇酒という。これを飲めば
  疫疾に染まず。
とあるのが起源だが、この風習は日本に残って、本家の中国では伝わっておらず、今は屠蘇酒を飲むものはない。ただ木瓜(ぼけ)を細かく切り、酒に浸してこれを飲む。名付けて薬酒という。香気があり味は大変よろしい。
 市中の光景は戸ごとに黄龍旗および紅旗を門に掲げてお祝いをするけれど、店は閉じたままで商売はしない。ただそこかしこの店の中には銅鑼を打ち鳴らしながら騒いでいるところがある。あるいは早朝からあちこちで爆竹を鳴らしている。在留同胞の某君が初めて北京に来たのは団匪の乱(だんぴのらん・義和団の乱)が治まったばかりの頃であった。ときどき政府批判の騒ぎなどもあって人心不安の時だったので、彼は元旦のあちこちで鳴る爆竹の音を寝耳に聞いて飛び上がって驚いたという。爆竹の音に開ける北京の元旦の光景は実に壮快である。年賀の客は主に二日以降であって、元旦は人通りもほとんどなく、除夜の晩とは打って変わって静かな年の始めである。演劇は年末を休んで元旦からやっている。劇場は観客であふれんばかりである。
 年賀のために知りあいの中国人の家を訪ねた。客庁には椅子、テーブルをほどよく配置し、書画の扁額、掛け軸があるのは日本と同じ、そのほか、水仙、梅、桃および玉堂富貴四種の花を飾ってある。日本では先ずお屠蘇を、そして酒肴を供するけれど、北京では茶菓を供するばかりである。これは外国人だからということではなくて、中国人同士でも同じである。そうして中国人の挨拶回りは身分のあるものはたいてい馬車に乗っていき、目指す家に到ればお供のものは名刺ばさみの中から封筒よりも大きな紅紙の名刺を捧げて、大門内の先方の召使いに渡すと、その召使いはまたこれを捧げ持って馬車の傍らに来て、わざわざの御入来ご苦労に存じますと謝辞を述べる。お互いが特に親しい間柄の時は車を降りて客庁に行き、互いに新禧(シンシー)、新禧(新年おめでとう)、良いお年を迎えられましたか、などと言い交わして、しばらく語り合った後辞去する。

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