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2012年2月

2012年2月29日 (水)

情報

 今回の東日本大地震でたくさんの人命と財産が失われたが、不可抗力としての天災であったと受け止めるしか仕方がない面はある。なぜ自分が、そして身内がこんな目に遭うのか納得は決してできないだろうが、誰かを恨むにも恨みようがない。
 だが、福島第一原発の破綻についてはいくら想定外の地震と津波であったとしても、その事後処理については問題があったとしか思えない。このことについて民間立ち上げの検証委員会が、多数の関係者に取材し、まとめた報告書が公開された。これをNHKが取り上げて特にアメリカとの関係の中で今回の原発事故の情報がほとんど遮断されていたことが明らかにされていた。
 原発事故については起こってはいけないことではあるが、絶対に起こらないことではないことは今までも今回も思い知らされたことである。そうであるならばこのような事故についての情報は世界にとってきわめて貴重なものである。その情報を意図的に遮断したことがどれほど日本の信用を損なったのか、このNHKの番組で思い知らされた。
 「なぜアメリカの要請に応えなかったのですか」という国谷キャスターの質問に、この調査をした准教授が、「お互いの不信が原因です」と答えていた。日本側は、アメリカはこの機会に日本のノウハウを聞き出そうとしていると考えたのだろうか。アメリカ側は日本が隠していると受け取った。実は日本側は何も分かっていなかったというのが実情だったのだが何も分かっていない、ということすら知らなかったのだ。
 こういうときに一番大事なことは、今自分が何が分かっていて、何が分からないのか、ということを正しく認識することなのだ。ところが国家を挙げて、特に菅直人という、こういう危機管理の時には最悪の思考方法を採る人間がトップにいたことによって「全てが分かっていなくてはならない」という前提で物事が進められてしまったのだ。だから分からないということが許されなくなってしまった。全てが分かっているのであれば情報は新たに必要でなくなってしまう。だから情報は常に「こうであるべき」ものの影でしかなくなってしまう。事実は二の次で、あるべき姿とのわずかな差の範囲での情報しか認められなくなった。こうなると自動的に情報は遮断されてしまう。スピーディの情報にしてもそのようないきさつで誰かが遮断したのだろう。
 今回の原発事故の情報遮断は世界中の日本に対する不信を生んだ。信用を失うことの恐ろしさは、それが短期間で済まないことにある。安かろう悪かろうの国だった日本が、明治維新後100年かけて日本製品は故障も少なく、アフターケアも確かで信用できる、という立場を確立したが、このようなことで一朝にして信用は地に落ちた。その損失は原発事故どころではない。これを回復するだけのエネルギーを日本人はまだ持っているだろうか。
 ところで今回の検証に関して東京電力は一切の協力を拒否したため、東京電力サイドの取材による検証は全くない。最初にいったとおり、このような事故の状況は日本だけでなく世界の貴重な経験であり、財産である。それを拒否することのなんたるかを東京電力は分かっていない。存在そのものが問われてもいいような態度である。

すみません

 近所の酒屋が破産したようだ。スーパーの酒屋に客を取られたのだろう。夜間などだいぶ遅くまで店を開けてくれていたので重宝していたのだが、残念だ。頼んでおくとよほど手に入らない酒以外は取り寄せてもくれた。
 夫婦二人でやっている小さな店で、客もほとんど見なかったから成り立たなくなったのか。ただ、いつも気になっていることがあった。
 夫婦とも口癖が「すみません」だったのだ。店に入ると「すみません」、品物を選んで持って行くと「すみません」、金を支払うと「すみません」と最低3回は「すみません」を聞かされた。
 そしてついに「ありがとうございます」という言葉を聞くことはなかった。「すみません」は「ありがとう」の代わりにはならない。「ありがとうございます」といったからといって店がつぶれなかったわけではないだろうが、客の気持ちはずいぶん違ったろう。
 あの気の弱そうな夫婦はいったいどうしているだろうか。

中国ウオッチ・恐ろしい話

 重慶市出身の28歳の男性が、広東省東莞市に出稼ぎにやってきた。これから仕事を探すため、部屋を借りて一息入れたところで意識を失った。意識を失った日から数えて四日目に、ある旅館の一室で目が覚めた。
 腹部に激痛が走るので見てみると大きな手術痕がある。翌日病院に駆け込んで検査してもらったところ腎臓が一つ摘出されていることが判明した。そして所持金が二万元(25万円くらい)増えていたそうだ。
 腎臓を二つとも取られなくてよかった。

犬山成田山

 今回の犬山探訪の旅の最後は犬山成田山。千葉県の成田山の分院である。その様子は写真で。

1202_102山門。


1202_104高台に祈祷殿などがある。

1202_112高台から犬山城を望む。右の白い山は伊吹山。

1202_117青空に吹き流しが翻っていた。風が強い。

 ここから犬山駅まで歩いて帰った。1Kmくらいか。歩き疲れた。

 犬山にはこのほか明治村、リトルワールドがある。さらにこの犬山成田山からほど近いところにはモンキーセンターや遊園地がある。それは今度。

中国ウオッチ・iPhone「ガスコンロ」

 湖北省・武漢市で大量の偽ブランドのガスコンロが押収された。
 これが「iPhone」のラベルのついたガスコンロだったというのだ。ご丁寧にも「アップル・チャイナ」の合格証のタグが添付されていたそうだ。
 念のためにいうが、もちろんアップル社はガスコンロを作っていないし、販売も検査も行っていない。
 ばかばかしい話で笑いたいところだが、何となく空しい気がしてしまうのはなぜだろう。

中国ウオッチ・エルメスも敗訴

 iPad商標問題で、中国の商標権の取り扱いに世界中が首をかしげている。今度はエルメスが、中国の会社が「愛瑪仕(エルメス)」を先に商標登録を申請したため、それまで使っていた「愛瑪仕」を使うことができなくなった。エルメス側はこれに不服申し立てを行っていたが、敗訴した。
 エルメスは世界中が知っているブランド中のブランドである。これでは商標権の意味がない。商標権とは長い間に積み重ねられた商品とその会社の信用の上に成り立つもので、それを簡単に真似することでその信用が損なわれないよう保護する目的で作られたもののはずである。
 ブランドがあってしかる後に商標権が存在するはずなのに、商標権だけが一人歩きして商売の種になるなどというのは本末転倒もいいところだ。これを見ていると現在の中国には信用というものなどない国だということがよく分かる。信用のない国に信義はない。信義のない大国は世界にとって脅威以外の何物でもない。
 残念ながらそもそも大国には信義などないことは歴史が証明しているのだが、ここまで露骨なのも情けない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・十三陵⑤

 昔はさぞやと思わせる広大な大理石造りの橋が今は壊れているのがある。川は水が涸れているから直ちにこれを越え、十数町にして長陵に達する。正門よりここまでおよそ十五清里ある。馬を下りて門衛を呼び、門を開けさせて廓内に入る。域内は昔ながらに松柏が鬱然としている。右に牌楼があって順治帝が陵墓の修理を命じた上諭を満漢文で刻し、裏には乾隆及び嘉慶帝の謁明陵八韻を刻してある。これより稜恩門を過ぎ、稜恩殿に上る。殿は東西三十余間、南北十五間、殿中に三十二本の柱がある。その柱は大きさ二抱え余りあって高さは五丈余り、皆楠の木で石のように堅い。中央に明成祖文皇帝の神位がある。殿の後ろからまた小門を過ぎると成祖の陵である。煉瓦で高く築いた上に碑を立てて題して  大明 成祖文皇帝之陵
という。その後ろは円丘で上には楡の木が叢生している。これが成祖が葬られているところである。陵の上に立てば天寿山脈ははるかに西に走って居庸の険に連なり、石人石獣はさながら豆粒のようである。想う、昔燕王はその声望海内を圧し、ついに天下を簒奪し、碩儒(せきじゅ・立派な儒者)方孝孺(ほうこうじゅ・洪武帝、建文帝に重用されるが、燕王(のち永楽帝)の挙兵に抵抗してとらえられる。永楽帝即位の詔書を書くようにいわれたが拒絶したため処刑された)を殺し、拭うべからざる汚点を青史に垂れたけれども、いわゆる逆取(不正な方法で天下を取る)順守(武力で取ったものを文徳で守る)で、永楽十九年都を北京に移して天下の面目を一新し、励精治を図り(政務に励んだ)、海内晏如(天下を平和にして)民をして皆その所を得さしめ、大いに文教を奨励し「永楽大典」を編纂させて長く後生を裨益した。明一代の名君と言うべきである。もし史上にこれに類似し、これを凌駕する人は唐太宗だけであろう。今や祀絶えてすでに久しく、目を挙げれば山河は依然として昔通りである。今昔の興亡、その感慨に堪えられようか。

2012年2月28日 (火)

中国ウオッチ・万里の長城を発見

 万里の長城は、いまさら発見しなくても6000Km以上が確認されているが、今回はイギリスの探検隊がモンゴルで新たに発見したもの。この付近の頂上の記録は12世紀が最後で、確認されたのは1000年ぶりとなる。長さ100Kmが見つかった。
 確かに画期的な発見であるが、それにつけても心配なのは万里の長城があるからここは中国である、といいだしてモンゴルの領土を公然と占領するかもしれないことである。

ディズニー映画「アラジン」「アラジン 完結編」

 「アラジン」の方は本来のアラジンの物語を少しひねってあるだけのミュージカル仕立てのアニメだ。絵もそこそこ美しいし、それなりにはらはらさせるところもある。だから最後まで見ることができたし、ハッピーエンドに満足もした。ただこんな映画では時代遅れでディズニーも焼きが回ったとしか思えない。これでは日本のアニメには太刀打ちできない。この映画が作られたのは1992年、ディズニーが最低の頃だったのかもしれない。
 ところでもっとひどいのが「アラジン 完結編」の方だ。これは映画の続編として作られたディズニーのビデオ作品だ。最初の10分間で見るに堪えず打ち切りにした。物語はアラジンなのにアリババと40人の盗賊の話が組み込まれている。絵の雑なことは目を蔽うばかりで、経費をけちったテレビのアニメ並だ。これで金を取るとは考えられない。魔神のジーニーは前作で腕輪がとれたはずだ。こちらではその腕輪がまたついている。なんたることか。観客を馬鹿にしているとしか思えない。非常に怒りを感じた。こんなビデオを世に出した会社は恥を知れ。

 調べたらこの二作品の間にビデオがもう一作品あるそうだ。まず見るに堪えないことは間違いない。録画なんかしなくてよかった。

中国ウオッチ・車が一斉に故障

 雲南省、貴州省、広西省などの地域で車の故障が多発している。アイドリング中にノッキングを起こしてエンジンが止まってしまい、それを繰り返したあげくエンジンが故障してしまうという。この故障は車種を選ばず、中にはトヨタやマツダなどの日本車も含まれていた。
 理由を調べた結果、どうも劣悪なガソリンが原因らしいことが分かってきた。給油したガソリンスタンドや使用したガソリンのメーカーは同一ではないのでまだ特定できていないが、ほぼ間違いなさそうで、車のディーラーは信用のできる問題の起きていないガソリンスタンドを選んで給油するよう呼びかけているという。
 下水油でも混ぜたのだろうか。儲かれば何でもやるという中国の拝金体質がまたも明らかになった。しかしこんなことはすぐ結果が出て、追求されることが分からないのだろうか。
 心配なのは、今回は特に劣悪だからすぐ結果が出たが、配合がもう少し少ないと、長期間使用した後にしか結果が出ないから見過ごされているのではないか、ということだ。食べ物ですら平気で毒性のあるものを入れる国である。こうなるとなにも信用できなくなってしまう。

有楽苑

1202_68有楽苑の入園料は驚くなかれ、このデフレの時代に1000円。入るのを躊躇したが、このところ出費のかさむことが多くて(今朝も車検のためのお金を払ったところ)、そういうときはお金をけちらないのが性分なので入る。茶席代別途500円をどうしますか、と問われたので瞬時に断る。入り口を入るとすぐ二股になっている。右側の道を行き、左側は帰り道になっている。この後はキャプションなしで写真だけ見ていただく。とにかく庭園がすばらしい。

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犬山城から有楽苑

1202_49犬山城の天守閣で冷え切った(北風も強いし床が冷たいし)体を熱い甘酒で温めました。

1202_60針綱神社の裏側。ここから有楽苑は近い。名鉄グランドホテルの庭にある。

1202_67有楽苑前、ホテルの駐車場から犬山城を見上げる。

1202_101有楽苑の生け垣の椿。

1202_74有楽苑の額。有楽苑は織田信長の弟、徳川有楽斎の造った庭園。園内に国宝・如庵がある。さあ中へ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・十三陵④

 「十三陵」 これよりまた大街を西へ、城門を出て行くこと五清里、堂々たる大理石造りの牌楼が屹立するのを見る。高さは三丈、幅は十余間、これが十三陵の正門である。これより北へ平らな大道が通じていて、煉瓦及び石を敷いてあるが、過半は取り除かれている。牌楼から馬を走らせること十五分で一門を過ぎる。軒は傾き瓦は落ちて群燕がこれを廻って飛び交っている。また騎行すること五分ほどで高楼がある。なかに大明長陵神功聖徳碑が立ててある。碑文は洪煕元年嗣皇帝の作で、永楽帝の神功聖徳を頌したものである。裏には乾隆帝の哀明陵三十韻を刻してある。この碑楼の左右には数歩外側に大理石の華表がある。我が国では鳥居のことを唐風に華表と書くが、中国の華表はそのつくりが、日本の鳥居とは全く様式が違っている。これより北へおよそ十町ばかりの間、神道を挟んで名にし負う石人石獣がある。順序を追って数えると、第一に獅子、次々に獬豸(かいち・牛に似た神獣)、駱駝、象、麒麟、馬及び武将、文臣、宰相等それぞれ二対ずつある。そのうちで石獣は前の一対は跪き後の一対は立っている。皆大理石の一枚石を掘り抜いたもので、なかんずく巨象のごときは壮大目を驚かすばかりである。陵前に石人石獣を立てることがいつ頃から始まったかは詳らかではない。唐代はもちろん、古くは霍去病(かくきょへい・漢の武帝の時代に匈奴討伐に功のあった将軍。24歳で早世)の墓前にも石人を立てたから、この風はずいぶん昔からのことであろう。しかし、ここに石人石獣を立てた理由は、思うに皇威八紘(四方と四隅。つまり天下のこと)に輝き、文武百官を初めとし、獅子吠える南方の天も、駱駝砂漠に臥する北方の地も、来たり服せざるなき威(服属しないものはなかった)を寓したものではあるまいか。はるかに北方を望めば天寿山の南瓦色鮮やかなのは成祖の長陵である。その右には宣宗の景陵があり、左には仁宗の献陵を初めとして谷を隔てて諸陵が散在し、十二帝陵が一眸の内に集まり、それぞれ指摘することができる。また牌楼を過ぎ坂を下り川を渡る。

2012年2月27日 (月)

中国ウオッチ・蘇生

 広西チワン族自治区のある農村で、独り暮らしの老婆が転んで頭痛を訴え、翌日いつも面倒を見ている隣人が様子を見に来たところいくら呼びかけても返事がなく、呼吸もしていない。死んだというので村の人が葬式の準備をした。頼んだ棺桶も到着したので死に装束に着替えさせ、棺に収めたが、たまたま棺に釘を打つことはしなかった。
 翌々日の朝、棺のふたが開いているので大騒ぎになった。全員が探し回ったところ、当人が台所でおかゆを作っているのが見つかった。
 おなかがすいたからおかゆを作って食べようとしたところだという。葬儀の前日のことであり、危うく釘を打って埋葬してしまうところであった。この老婆は96歳だという。これでたぶんさらに長生きするだろう。

犬山城

1202_26犬山城の城門。昔はなかったような気がします。

1202_28犬山城の勇姿。本物の城の美しさを感じます。成瀬家の所有でしたが、寄贈を受けて私有ではありません。そもそも破損修理代を出してもらうために元々の持ち主の成瀬家に所有権が移され、その成瀬家が財産を傾けて補修を続けてきたものです。

1202_34城の内部。ここの階段はまだ登りやすいところです。

1202_41天守閣最上階から木曽川を見下ろす。風が強く、天守閣の北側は出ることができませんでした。冷たい風でした。

針綱神社

1202_17針綱神社本殿。二礼二拍手一礼。

1202_20奥殿を覗く。

1202_22針綱神社の奥からそのまま犬山城へ登る坂へ出ます。

犬山

 本日は車検。車をディーラーに預けたらやることがないので名鉄電車でそのまま犬山に向かった。駅を降りたら犬山城へ向かう。

1202_1犬山駅から犬山城まで1Km足らず。途中は石畳が整備されている。ここは寺町。

1202_6お城が見えてきた。左の無粋な建物は犬山市の公共の建物。この道の両側には覗きたくなる店が並んでいる。1202_7_4五平餅を食べようと想ったら、残念、休みだった。

1202_10見事な手書きの絵馬が飾ってあった。1202_11再び犬山城。正面の鳥居は針綱神社。

 男女の不平等をなくそうと、中国・広東省広州市の女子大生たちが抗議運動を始めた。プラカードには「男子トイレを占拠せよ」とある。
 男子の公衆トイレは空いているのに女子トイレは長蛇の列、といった不平等をどうにかしようというのだ。
 これに対して広州市は主張がもっともであるとして、今後公衆トイレを作る場合は男用対女用を1:1.5以下にはしないことを約束した。彼女たちはこの運動を全国展開したいと赤い気炎を上げている。
 確かに日本でも休日の高速道路のサービスエリアのトイレでは、女子トイレに長い行列ができているのをよく見る。だが切羽詰まってもいるのだろうが、おばさんが連れ立って男子用のトイレを占拠している姿もしばしば見る。日本ではこの運動はすでに実践されていたのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・十三陵③

 「昌平州」 明ければ十四日、松村君は用事で北京へ帰り宮内君はこのままここで静養するというので中村、川村両君と私と三騎で馬夫を従え月影を踏んで湯山を出発する。草木はわずかに眠りから覚め、朧に青柳の霞んでいるのを見ながら湯山を出れば、やがてたんぼ道となり、左方には植え付けたばかりの稲田を見る。北清で水田を見るのはこれが初めてである。大湯山の麓を過ぎ、しきりに鞭を挙げて馬を駆ること二十清里で砂礫の地に達する。今は一滴の水もないが、その昔は天寿山から流れ出た川床であったことは明らかである。さらに十清里にして昌平州に達した。
 規模の大小の差はあるものの、ここも北京と同じく城壁を廻らせてある。州の東門を入ると大きな路が西へ通じている。この州城の大街である。あちこちに老舗がある。中央に鐘楼があり、見上げると風鈴形の大鐘が楼上に吊されている。大街はこの楼下をくぐって東西南北に通じているが、東西のみは繁盛して、南北街はほとんど人影もないようである。休憩所に入って休憩し、馬にえさをやる。宿は表の壁を白亜に塗り、黒く屋号を著し、かつ草料倶全と記してある。これは中国内地の旅行には、馬車かそうでなければ馬または驢馬に騎乗するので、必ず馬糧を要するから、その馬糧も用意していることを示してあるので、従って宿には必ず馬小屋も設けられている。客室はただ戸口があるばかりで小さな窓があるものもある。室内は半ば土間で半ば炕(カン)すなわち土塗りの床がある。床の上には炕席(カンシー)といい高粱の空で作ったアンペラを敷いてある。司馬相如のそれではないが、いわゆる壁立するばかりでほかにはなにもない(北京雑感・家屋の項参照)。そこで旅客は戸口に懸かる簾を初めとして寝具はもちろん、鍋、釜、茶碗、箸のたぐいも携帯しなければならない。宿のものはお茶はご持参ですかと尋ねたが、通常旅客は茶なども用意するのである。現地の連中が珍しがって五、六人どやどやと室内に入ってきて貴国には山があるか川があるかなどとばかばかしい質問をするのにはうるさくて閉口した。

2012年2月26日 (日)

シメジご飯

 何日か外に出ていたので本日は休養とビデオ(ブルーレイディスク)の整理をした。

 晩ご飯はポテトサラダを作り、牡蠣フライを買ってきて適当にタルタルソースを作ってそれをつまみに芋焼酎を飲んでいる。牡蠣フライそのものよりタルタルソースをなめている方がうまい。実はマヨラーなのだ。タマネギも大好き。

先日足利で、シメジご飯がおいしかったので作ってみる。普通のご飯に塩と出汁をいれ、シメジを少し細かくして混ぜて炊きあげる。今炊きたてを少し食べたら結構いける。簡単だけど上品でうまい。たくさん食べるものではないが、ちょっとあるとうれしい。おすすめする。

 少しいい気持ちになった。

 明日は車検。第一回目、たった三年で走行距離は91,000Kmを超えた。

 今回の南紀の旅で旅の楽しさを思いだした。またひたすら走り回ろうと思う。

 旅に出る。知らないところへ行く。初めての人に出会う。わくわくする。

お客様は神様です

 三波春夫が「お客様は神様です」をキャッチフレーズにしたために、この言葉がこの世の真理になってしまった。「この世」は言い過ぎだとしても、少なくともこの日本の真理の言葉になってしまった。これがどれだけ日本人の精神を損なってしまったのか、三波春夫はあの世で反省してほしい。「お客様は神様です」といっても三波春夫にクレームをつける客はいない。そもそも三波春夫が嫌いな人は三波春夫の客ではない。そういうときの「お客様は神様です」は心構えとして通用する。
 しかし、いま日本国中に「神様になった(と勘違いした)お客」が蔓延している。当たり前のことだが、サービスや商品を提供する側とそれを受ける側とは対等である。そこに上下関係はない。
 それなのに「お客様は神様です」という価値観は、金を払う側と受け取る側の間に上下関係を作り出してしまった。
 世の中は何でも平等である。価値の違うものにさえ平等主義を持ち出したり、機会の平等ではなく結果の平等を持ち出してひとの向上意欲をスポイルしたりしていて多くの人がうんざりしている。
 そのおかしな平等主義の世の中に「お客様は神様です」という言葉は風穴を開けたようなところがあった。この言葉はジョークとして受け入れられて、泣き寝入りをしないための魔法の呪文になったところもあった。
 しかしその魔法の言葉には呪いが込められていたのだ。
 一度染みついた世界観は、それがなかった時代には戻れない。この呪いが解けるのはいつのことになるのだろう。デフレの時代を脱却するまでは少なくとも呪いは続くだろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・十三陵②

 午後三時、
 「湯山」 に達し、関帝廟に入って宿泊した。この地は北京から四十五清里ある。温泉が湧出するので湯山(タンシャン)と名付けられている。清の雍正帝が初めて行宮(あんぐう)を置かれてから、乾隆帝、嘉慶帝、道光帝なども臨幸されたけれども、豊咸帝以後は内には長髪賊の乱(洪秀全が起こした太平天国の乱)があり、外はアヘン戦争などがあって、再び臨幸のことがなかったので、行宮もただ荒れるに任せてある。それなので外人に対してはこの行宮内の温泉に入ることが黙許されている。我々はまず温泉に入ることにした。昔は輪奐の美を極めたであろう幾棟もの建物は、いたずらに風雨に任せて軒は傾き壁は壊れ、草ボウボウとして足が没するほどで、蔦葛が綺窓にまつわり、崩れ落ちた煉瓦が累々として、狐狸の住処もかくやと思われる。その間を通り抜けて奥に到ると、ここに大理石の湯壺が二つ並んでいる。幅は四間長さは六間ばかりで、ともに湯をたたえている。湯壺から少し隔たったところに一つずつ小さな部屋がある。右の方は熱くては入れない。左の方は適温である。浴室は石畳で、湯は無味無臭で清らかなことは玉のようである。一浴すると神怡び(よろこび)気暢び(のび)この楽千金といえども購いがたき感がある。我が国のように温泉に富んだところでは何ら天啓に感じることもないが、北清のような黄塵の地では、特にこの感が深いのである。浴し終わって庭園を見る。所々に仮山があり、松柏が繁茂して、中に小池があり、水がきわめて清らかで遊魚も何匹か見られた。中に小島があり、橋が架かっている。惜しむらくは橋が半ば朽ちていることで、池は蒲葦(ほい・がまとあし)に蔽われている。

2012年2月25日 (土)

NHKドラマ「家で死ぬということ」

 白川郷が舞台。余命幾ばくもない義母(渡辺美佐子)を、就職浪人中の息子と東京の病院に移るよう二人で説得に来た主人公(高橋克典)が、ともに白川郷の家で暮らすうちに人間として再生していく物語である。 人生の最後の全うの仕方についてはNHKのドラマ「今朝の秋」や「ながらえば」「冬構え」などの傑作でしみじみと考えさせられた。それに続く久しぶりの人生の終末期のドラマの傑作を見ることができた。
 渡辺美佐子は文句なしにすばらしいけれど、高橋克典の押さえた演技が想像以上によかった。もし見そびれた人は再放送があったら必ず見る値打ちがあります。

ドラマ「大地のファンファーレ」

 NHK北海道制作スペシャルドラマ。北海道のばんえい競馬の新人騎手の成長を大自然をバックに描いている。人馬一体というが、本当にそのことがわかったとき、新人騎手は一人前の騎手に脱皮する。挫折こそが人間を磨く。そしてそれを突き放しながらも暖かく見つめる人たちの優しさが胸を打つ。手助けしては成長できない。この当たり前のことが我慢できずに手を出してしまう大人のいかに多いことか。こうして社会は成長し損なった子供だらけになっているように見える。
 高良健吾がやさしさと弱さのある主人公を好演している。弱いけれども素直であることの美点が、ついに大人への脱皮の力に変わるところがとてもうれしい。それを叱咤しながら適切なアドバイスをするあこがれの騎手役の寺脇康文が男らしくていい。前後編だったドラマを一気に見た。 

鳥羽と伊勢

10横山展望台から英虞湾を望む。ここも絶景。

35伊勢内宮。宇治橋。右側通行。人間ははしを渡る。真ん中は神様が通る。時間がないので内宮には拝殿しなかった。後で罰が当たった。

36おかげ横丁は大賑わい。

45神宮会館に近いこの店で久しぶりににゅうめんを食べた。三輪そうめんの太打ち。といっても冷や麦くらい。赤鶏(伊勢地鶏)五目にゅうめん、だしがきいておいしい。

その後この近くの鉢物、盆栽の店を覗く。

49寒のボケ。

50珍しいピンク色のボケ。

51千両、万両のほかに百両や十両、一両というのもあった。これがどれだか分からないが実が大きかった。

57_2これは梅。香りがいい。

58何という花なのか失念した。

この後駐車場で出発しようとしたら電子式のキーロックが解けない。鍵で開けた。案の定エンジンがかからない。バッテリー上がりだろうか。保険会社に連絡して地元の修理工場に救援を頼む。一時間ほどであっさりと解決。私は宇治山田駅で降ろしてもらい二人と別れた。無事帰れただろうか。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・十三陵①

 明治三十九年五月十三日、宮内学士、松村、中村、川村の四君と待ち合わせて十三陵に向かう。安定門を出て黃寺を過ぎ、元の建徳門址を出て十五清里(一清里約400m)にして清河に達した。時はまさに初夏、柳は緑の糸を東風にくしけずらせ、芳草青々行人の摘むに任す。未だ高粱(カオリャン)が目を遮ることもないので、景色を見るのにちょうどいい。馬に鞭を当てて風を切ってお互いに競うとき、その壮快なことはたとえようもない。路傍の所々に墳墓がある。あるものは一廓をなしていて煉瓦で墳を築き、前に大理石の碑を立て、松柏をしるしの木に植えてあるが、普通は土を積み立ててまんじゅう型に塗ってある。しるしの木もなく、墓の周囲はことごとく耕して穀物を植えてある。祖先を尊ぶことが盛んであるから、墳墓の地は決して他人に譲り渡すことはないけれども、年によって豊凶もあるので、あるいは流賊が起こることもあり、いつ何時この土地が人手に渡らないとも限らない。そうすれば無縁の墓はたちまちにして掘り崩される。古詩に「古墳犁(すかれて)為田、松柏摧(くだかれて)為薪」というのはもっとものことと思われた。
 また行くこと十清里、平西府に到って小憩し、携えてきたパンで空腹をしのぎ、乗ってきた馬にかいばをやった。また、ゆく道の菜黃麦緑の間に丹頂鶴の立っているのを見て、中村君は馬を下りて大声で呼んでこれを追えば、鶴は悠然として飛ぶ。仰げば西北には一帯の山脈が連なり、煙霞がたなびく様はいかにも長閑である。

2012年2月24日 (金)

鳥羽の夕食

114鳥羽のホテルの夕食。まず八寸。何というチャーミングな盛りつけ。器もいい。

115焼き牡蠣。これで独り分。焼き具合絶妙。

116牡蠣鍋。食べてる途中。煮すぎないようにね。

117最後に生牡蠣。香草が効いていてゴージャス。このほかにも盛りだくさんで、おなかいっぱいになつた。

夜になって風が強くなった。

橋杭岩と獅子岩

91串本から少し先、橋杭岩がある。潮が引いていてこの奇岩の様子が少し分かりにくい。

101足下が案外しっかりしているので岩の近くまで歩いて行ってみた。

108本当はこの岩がすべて海の中に一直線に並んで立っている。

109左が獅子岩。ついに晴れた。

110獅子岩のアップ。

 この獅子岩を少し過ぎると鬼かがショウガあり、結構景色がいいのだが、今晩泊まる鳥羽まで行くのに遅くなってきた。パスして鳥羽まで急いだ。しかし田舎の車はみんな揺ったりと走る。それも半分以上が軽自動車なのでだんだんいらいらしてくる。でも紀伊長島の先から高速に乗れたので何とか六時前にホテルに入ることができた。風が強くなってきた。













トルコ軍艦殉難碑

 明治23年、熊野灘沖で六百数十人が乗ったトルコの軍艦が座礁。紀伊大島の人たちは自らの危険を顧みず、嵐の中で決死の救助活動を行った。残念ながら五百八十一人の犠牲者が出たものの、トルコ政府はそれに感謝し、それ以後ことあるごとに交流の機会を持つようになった(現代も毎年ではないがセレモニーは続いている)。元々トルコはロシアの南下政策に苦しんでいたので、この後、日露戦争で日本がロシアを破ったことを高く評価。今でもトルコ人の日本びいきは続いている。

 この立派な殉難碑を見た。トルコにはいつか行きたいと思っている。東洋と西洋のぶつかるところ、イスタンブールやボスポラス海峡はあこがれである。

69右がトルコ軍艦殉難碑。大きい。左の二人が尊敬する兄貴分の二人。

76大谷光瑞、信州大谷派の大谷であり、シルクロード探検や敦煌文書で有名。文字が大谷光瑞。

78トルコの初代大統領、英雄アタチェルク。

この後、遅い昼食を近くの喫茶店で喫した。そこで携帯がないことに気がついた。大騒ぎの後、バッグの中深くしまい込んでいたことが分かり、安心するとともに兄貴分たちの強い顰蹙を買うことになった。こちらの方が先にボケたのか。自信喪失。すまなかった。

本州最南端と紀伊大島

61潮岬灯台の少し先に本州最南端のビュースポットがある。雨は小やみになったが波は高い。海鳥が飛び交っている。

64最南端タワー。左の土産物屋兼レストランは営業しているが、このタワーの入り口はシャッターが下ろされていた。その雰囲気から営業の継続を放棄したようだ。

66潮岬から橋を渡って紀伊大島へ行く。いわゆる「ここは串本向かいは大島」だ。仲を取り持つ巡航船は橋ができたので今は必要ない。ここはトルコ軍艦の殉難の碑があることで有名。それを見に行く。この写真はトルコ記念館の壁のタイル。美しい。

68樫野崎灯台から見下ろす。

82樫野崎灯台。日本最古の石造り灯台だそうだ。

77壁面のタイルの模様はすべて眼。トルコ土産の店の横の壁。

90トルコ土産の店のお兄ちゃん。でかい。ペルシャ絨毯や小物がたくさんあった。ここで魔除けの「眼」を土産に買った。



















「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日⑥

 「蘇州街」 玉泉山を下り万寿山の南麓を迂回し、運河に沿って柳塘を行き、二十余里にして万寿寺に到る。その付近一帯は房屋すべて江南風に作り、名付けて蘇州街という。乾隆帝の時代、皇太后が江南の風景を喜ぶので、ここに蘇州街を設けて鸞輿(らんよ・天子の乗り物)でしばしばこの地に幸したと「嘯亭雑録(しょうていざつろく)」に見える。
 *模擬店なのだが、お店でお金を出して買い物をするのを楽しんだという記録がある。皇太后は庶民の出身だったのだろうか。
 「五塔寺」 ここから河に沿って東へ行くこと一里あまりで五塔寺に到る。寺中に金剛宝座があるので、俗に五塔寺というが、正しくは正覚寺というべきである。この金剛宝座は明・憲宗成化九年十一月の建立で、永楽年間天竺の僧・師板的達(シピテイタ)が携えてきた宝座に準じて作られたものである。すべて大理石を用い、上に朱泥を塗ってある。これを碧雲寺のそれに比較すると、形証の雄と規模の大きさははるかに及ばないけれど、結構の美と彫刻の巧みさはこちらが優れている。宝座の前に乾隆二十六年御製重修正覚寺碑が二つあり、右は満漢文で、左は蒙梵文である。しかし石碑は倒れている。これから流れに沿って東に行き、西直門を入り、日がようやく西山に傾く頃、帰寓した。

2012年2月23日 (木)

潮岬灯台

28潮岬の灯台の駐車場から灯台へ。きれいな石畳の上に風雨で飛ばされた椿の花が落ちていた。雨はほとんどやんでいる。

31潮岬灯台。

44灯台の頂上。中を登ると最後のところの階段は60度くらいの傾斜でなおかつきわめて狭い(そうだ)。私は登らなかった。

54潮崎さんの豪邸。ここは灯台のとなり。潮崎さんはすぐ脇の潮岬神社の宮司。潮岬は正しくは潮・御・崎。この辺は潮崎さんといういう名の家が多いそうだ。










潮岬へ

1白浜のホテルから朝の展望。

13潮岬灯台を遠望する。

23_3海は荒れている。

 白浜の朝は風雨が激しい。横殴りの雨だ。部屋からの眺望は雨にかすんでいる。昨晩の写真と比べてほしい。何とか早めに雨が上がってもらうことを願いながら朝の支度をする。

 一路南下して、潮岬灯台に向かう。台風の通り道。絶壁の上から灯台を遠望する。雨は小やみになってきたがまだ雲は切れない。足下の磯の岩は大波に洗われている。








慰安婦の像

 反日団体が、ソウルの日本大使館前に慰安婦を記念!する少女像を建てた。賠償金を払わないと次々に作るぞ、と脅かしているという。
たびたびいっているが無視したらいい。百でも二百でも作ったらいいではないか。
 当時慰安婦だったと名乗り出た女性たちも八十代後半になった。金目当てにしても時間がない。焦っているのだろう。このようなやくざまがいの行動こそが、日韓関係を損ない、まともな話し合いの機会を奪っていることが分からないのだろうか。まあ分かっていればやらないだろうけれど。選挙前だから韓国政府もそういう団体に迎合せざるを得ない。しばらくうるさいことだ。
 ところで慰安婦像はアメリカにもすでに一つ建てられているそうで、さらに20くらい建てようとしているのだそうだ。
 韓国側の言い分通りの気持ちに立てば恥をかかされたという恨みは分からないことはない。しかしその恥を声高に騒ぎ立てるという行為は彼ら以外は決してしない行為だろう。恥を元手に金を求めるのは恥の上塗りだ。
 以前アメリカの下院が「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議案」を可決した。そのときの議員に問う。アメリカが日本を占領していたときの慰安婦についてはどう思うのか。ベトナム戦争の時のサイゴンの売春宿に出入りしていた米兵は何だったのか。彼らの代わりにあなたは日本やベトナムに謝罪する覚悟があるのか。これくらい正義というのは軽いもののようだ。

白浜の夜

3ホテルの部屋から見た白浜の夜景。8階からなので絶景。幻想的。

4夕食。先付け。

6_2クエのひれ酒。

8_2クエ鍋。具が混じり合ってなんだか分からない。この後雑炊にした。誠にうまかった。ふぐのうまさにもっとこってりした味を足したようなおいしさだった。

 本日は雨。







「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日⑤

 「景帝陵」 臥仏寺を出て東に行くこと十余里、玉泉山の北、金山口に明・景帝陵がある。陵前には碑亭があって表には大明恭仁康定景皇帝之陵と記してあり、碑陰には乾隆御製の明の景帝陵に題す詩と刻してある。陵は広さ約三百歩、赤壁を以て廻らし、内には円形の小墳がある。ただそれだけである。そうして墳の周囲はことごとく鋤かれて田となっている。傍らに小屋があって墓守が住んでいる。昌平州に明十三陵があるが、実は十二陵であって、この景帝陵を合わせて十三陵となるわけである。
 「玉泉山」 景帝陵から南行して玉泉山に到る。康煕十九年この山を開き、名付けて澄心といい、後改めて静明園という。門を入ると、廓然大公殿がある。これより左に折れ林の間を過ぎて湖畔に出る。龍王廟があってその廟前に乾隆御筆の玉泉跔突(くとつ)の碑がある。跔突とは踴出(ようしゅつ・したから飛び出るという意味だがここでは泉が湧き出すことをいっている)という意味である。その傍らに二碑あり、左には天下第一泉と題し右には玉泉山天下第一泉記を刻してある。ともに乾隆帝の御筆である。その下から玉泉滾々として湧出し、清冷掬すべく、実に天下第一泉の名に背かぬと思われる。この泉の下流はすなわちかの万寿山の昆明湖に入り、今日に到って十刹海(シチャハイ)となり太液池に注ぎ通運河となり、通州を経て白河に入る。これから左に行き、高塔の下で昼食を喫し、さらに西に下りて園中に設けられた東嶽廟に拝謁する。中に乾隆御製の二大碑があるけれど、文字が摩滅して読むことができない。これよりまた山によじ登り北方の最高峰に上がると絶頂に玉峰塔がある。数十里の外、京城からはるかに白塔の屹立しているのを望見するのは、すなわちこの玉峰塔である。塔下に立てば万寿山昆明湖はただ脚下にある。はるかに京城を望み、また顧みて碧雲寺、香山、演武庁等を見る。景勝第一の名に恥じない。

2012年2月22日 (水)

白浜

3南紀・御坊市煙樹ヶ浜。

8_2南紀白浜・円明島。なんととなく眠狂四郎の円月殺法を思い出した。

16南紀白浜・三段壁。

31_2三段壁下の洞窟。

 今白浜のホテルに入った。上は今日撮った写真の一部。一番下の写真は波が打ち寄せる中でスローシャッターで撮ったもの。

 これからクエ料理を食べます。

布団を干す

 映画「阿弥陀堂だより」の中に主人公の売れない小説家(寺尾聰)が恩師を訪ねるシーンがある。恩師(田村高廣)は庭に干してある布団を棒でたたいている。恩師は「晴れていたなら何をおいても布団を干せ」といって笑う。そしてその棒をゆっくりと振って主人公に突きつけるような仕草をする。そのときその棒は木刀になっている。反りもないただの棒で、塗ってあるのか元々木の芯の硬いところで作られているのか、黒っぽい軽そうなただの棒なのだが木刀に見える。
 これが伏線になり、ラストの神社の祭礼での剣舞につながっていく。忘れられないシーンだ。
 ここで恩師は主人公に後事を託したのだ。このシーンの時点では恩師が病気で余命幾ばくもないことは、見ている人には明かされていない。しかし並々ならない気迫のようなものがその瞬間感じられるのだ。
 恩師が死ぬとき、臨終を小説家の妻(医師・樋口可南子)が看取る。そして後で主人公にいう。「先生は自分で息を止めたみたいだ」。

竹島の日

 本日2月22日は島根県が定めた竹島の日である。
 韓国の市民団体「独島守護全国連帯」は今日、島根県民会館前で抗議集会を開く、と発表している。「歴史歪曲の是正と、元従軍慰安婦への謝罪と賠償を求めるための抗議」をするそうだ。
 すでに団体主要メンバー3人が昨日日本へ入国しており、抗議集会の後、島根県知事宛に抗議書簡を渡す予定だという。
 頭に血が上って目がくらんでいるこのような異常者たちは相手にしないに限る。強く制圧しようとすればわめき立ててこちらの非を鳴らすし、黙っていれば自分たちが正しいからだとつけあがるだろうが、世界中が結果的に韓国人を馬鹿にすることにつながるだけで韓国にとってちっともいいことはない。まともな韓国人が恥ずかしいと思ってくれればそれでいい。繰り返すが馬鹿とK違い(自主規制)は相手にしないに限る。 さて本当に島根県民会館前で集会を開くであろうか。

紀伊半島

 本日これから大阪へ向かう。大阪で年上の友達たちと合流して和歌山から南紀、そして鳥羽・伊勢まで紀伊半島を旅する。今日は何とか晴れそうだが、明日は雨のようだ。紀州の青いインクを流したような海の色が見られるだろうか。
 夜はちょっといいホテルに泊まる。大先輩に知ったかぶりの話をたくさんしておもちゃにされるのも楽しい。

 パソコンは担いでいきますが、そういうわけでブログの更新は朝と晩だけになります。晩も酔っていると怪しいですが、努力します。

中国ウオッチ・自転車戻る

 自転車で世界一周旅行中の日本人の自転車が中国の武漢で盗まれた話を伝えたが、その盗まれた自転車が発見され、持ち主に返されたという。盗んだ犯人はあまりの騒ぎに怖くなってこっそり返したのかもしれない。でもよかった。その日本人・河原さんは感激しきりだという。
 河原さんはこの後北上して西安へ、そして新疆ウイグル自治区を経て中東、ヨーロッパと旅する予定だという。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日③

 申し訳ない。一つ飛ばしていたようです。

 「香山」 万安山の西が香山である。万寿山、玉泉山と併称して西山三山の一つである。山中に園があり、静宜と名付けられている。西山霽雪(せいざんせいせつ)は燕京八景の一つであることは前に述べたとおりであるが、乾隆御筆の碑はこの静宜園中にある。この香山は樹木が鬱蒼と茂っていて、所々に楼閣高塔がある。みだりに入ることができないから、廓外からその様子を想像するばかりで、買売街という形ばかりの小村を過ぎ、碧雲寺にお参りしてここに宿を取った。この夜松風の声と風鈴の響きとが枕に聞こえてきて、梵王宮裏清静骨に徹するを覚えた(意味よくわからず・梵王宮は場所、その裏手にやすんでいるけれど、清らかで静けさが骨までしみるということか)。
 「碧雲寺」 明け方に起き、仰いで林壑(りんがく・林と谷間)を見、伏して清泉に漱(くちすす)げば、松影満地、胸襟は清らかさを覚えた。碧雲寺は元の耶律楚材(やりつそざい・人名・漢人だが重用された・モンゴル人がむやみに漢人を殺すのをやめさせた・陳舜臣に「耶律楚材」あり・頤和園に耶律楚材の墓がある)の末裔、阿利吉が邸宅を喜捨して山を開いたのに始まり、明正徳中内監于経(うけい)がこれを拓き、天啓中奸臣魏忠賢はこれを修理して、結構は輪奐の美を極めた。乾隆年間さらにこれを修理して、寺中に御製重修碧雲寺碑がある。規模雄大であるが、殿堂はまさに壊れかけている。殿堂の軒にはいずれも大きな風鈴が懸けてある。昨夜夢裡に往来した風鈴の音はすなわちこれであった。本堂の後方から石の階段を数十段登り、大理石造りの碑楼を過ぎると、左右に二碑亭がある。乾隆御製の金剛宝座塔牌がある。右の碑には満蒙文、左の碑には漢梵文が刻してある。これからまた石段を数段上がると金剛宝座に達する。

2012年2月21日 (火)

映画「阿弥陀堂だより」

 すばらしい映画を見ることができた。
 物語は長野県の里山の村の四季を描きながら静かに語られていく。
 売れない小説家がパニック障害の妻を連れて自分の生まれ育った村に帰ってくる。妻は医師なので村の診療所に迎えられる。この二人が阿弥陀堂の堂守をして一人で暮らしているおうめ婆さんやその他の村人と交流する中で癒やされて再生していく物語である。
 日本の自然の美しさと人々の心の優しさが改めて心にしみる。見ているこちらも主人公たちと同時に癒やされていく。
 この映画でおうめ婆さん役の北林谷栄が日本アカデミー助演女優賞を受賞。また小西真奈美が新人俳優賞を受賞している。
 阿弥陀堂だよりとはおうめ婆さんの折々の言葉を小百合という若い女性(小西真奈美)が聞き書きで村の広報に載せている文章である。
 
 だいぶ前に録画していたのに見る機会がなかった。いい映画の予感が強くあった。この映画はまた再び見る値打ちがある。また見るだろう。

中国ウオッチ・民度

 中国の人々が豊かになるに従い、旅行に出かける数も飛躍的に増えている。国内旅行の次に海外旅行と行きたいところだけれど、手始めに香港、マカオなど地続きの元海外や台湾に行く人が多い。その香港で、内地から来る人々が顰蹙を買っている。あまりにもマナーが悪いのだ。
 目に余る行為に対して注意したことがきっかけであちこちでトラブルが発生しており、そのニュースは連日のように報道されているが、その極端なものをさらに中国のマスメディアがまとめて取り上げていた。面白いのでいくつか記す。
 女の子がベンチに座ってお菓子を食べながらゴミや食べかすを投げちらかしているので注意したところ、父親が「後は清掃員の仕事だ」と受け付けなかった。
 着飾った女性が長い行列を無視して入場しようとしたので係員が注意したらすさまじい剣幕でくってかかって来た。
 トイレの洗面台で親が子供の足を洗っていた。
 禁煙場所で地面に座り込んで男性がたばこを吸っていた。
 ディズニーランド内の商店の入り口付近で女の子に親が小便をさせていた。
 これらがすべて写真付きで報道されていたという。中には電車の床に大便をする少年や、少女の銅像の胸に吸い付いて記念写真を撮る女性の写真もあったという。

 中国人の民度の低さをこれでもかと取り上げた報道は、さて、民度の向上に少しは寄与するだろうか。

もなさんのブログにも、住んでいる街の路線バスで、最近飲食を禁止するようになってきたことが書かれていた。きっかけは「腐豆腐」だったという。ブルーチースーか「くさや」のようにかなり臭い代物だが、このにおいに堪えられなかったほかの乗客が、混んだバスの中で吐いたことが話題になって、一部のバス会社が「車内で飲食禁止」のステッカーを貼りだしたという。

 こうなると中国人子供説のとおりだが、だから許されることではもちろんなくて、早くGDPに見合った民度を身につけてほしいところだ。だけど恥を知る文化ではないからなあ。それより心配なのは、テレビの悪影響で日本人が子供化しているような気がするが大丈夫だろうか。

中国ウオッチ・自転車泥棒

Dsc_0031地方都市では自転車は今でも大事な足。

 自転車で世界一周をしていた日本人男性が滞在先の中国湖北省武漢市で大事な自転車を盗まれた。この男性は河原啓一郎さんといいボランティア活動をしながら世界一周旅行に挑戦している。
 武漢の歩行者天国を見るため、近くの駐輪場に自転車を止めた際に見張り役のおじいさんから8時には帰るので見張りがいなくなる。それまでに取りに来るようにいわれたが、30分ほど遅れて戻ると愛車の姿はすでになかった。
 河原さんは友人とすぐに警察に連絡した。捜索を進める内に現地やネット上でこのことが話題に上り、また警察も公式のブログで捜索情報を出すなどした。結局警察が「旅行を続けてもらうために自転車を提供する」と発表。喝采を浴びている。
 河原さんはこのいきさつをFacebookで報告。このことは現地のテレビでも報道され、河原さんへの激励メールが殺到して彼も感激しているという。
 いい話ではないか。

防衛ライン

 人生の防衛ラインを変更しようと思う。攻防の激しい部分のラインを大幅後退する。一時的には大きく食い込まれるが、そこで守りに入る。時間が経てば相手も撤収するはずで、ゆとりが生ずる見込みである。そうしたらほかの部分を新しく展開してみる。何を言っているか分からずすまない。いつも脳天気でいるわけではないのだ。

 この決心に一年近く懸かった。しばらくは煩わしいが、仕方がない。これで低下していたテンションが回復するかもしれない。

 明日から3日くらいの予定で小旅行に出る。残念ながら天気が悪そうだが気晴らしには最高だ。帰ったら少し雑然としてしまった家の中を片付けよう。

中国ウオッチ・地盤沈下

Dsc_0012上海の高層ビル。

 上海で建設中の、上海中心大厦の周辺で地割れや地盤沈下が発生している。このビルは地上121階・地下5階で高さ632mとなる予定で上海一高いビルになる予定。完成は2014年。
 インターネットに寄せられた情報ではこのビルの工事が進められる中で、周辺の地面が沈下し始め、近くの道路では4mに渡って亀裂も入っているという。
 これに対して工事会社側は「周辺の地盤については厳密な観測を続けており、いずれも想定内だ。亀裂は基礎工事に伴う正常な沈降現象の結果だ」と上海当局に説明したという。亀裂については天候を見て補修するし、観測も継続するという。
 専門家は工事によって地下水の流れが変わった可能性があるという。また、工事で水道管が破損して土砂が流され、地盤沈下が進んでいるという意見もある。
 日本では高層ビルを建てるために地下の地盤の強度をかなり厳密に確認して工事を行う。しかし上海は地震がほとんどない。そのためにその辺の確認が不十分ということがないだろうか。建ち上がったビルの重みで「上海の斜塔」ができないといいが。

 大きな事故は想定外で起こるものなのだ。

山岸俊男著「『しがらみ』を科学する」(ちくまプリマー文庫)

 この本の最後の方でこの間読んだばかりの阿部謹也「世間とは何か」が取り上げられている。しがらみを考えていけば世間が出てくるのは当然だが、何かの縁を感じた。また併せて山本七平の「空気の研究」が言及されている。これも日本人を知るための名著だ。
 この本は「しがらみ」というキーワードを使った青少年向け社会心理学入門の本である。社会科学や人文科学が科学といえるのかどうか議論が分かれるところであり、私はやや懐疑的な立場に立つものだが、科学自体が最大の宗教みたいになっている現代、科学がつかないと学問として認められないからしようがないのかもしれない。
 結論から言うとこの本で「しがらみ」とは何か、青少年に十分理解ができるかどうか疑問である。しかしそれはこの本が読むに値しないということではない。しがらみがそれだけ言葉で説明するのが難しいものだからである。
 その難しい問題を何とか伝えようとする言葉の数々の中にこそこの本の値打ちがある。特にピグマリオン効果について書かれている部分は参考になった。ピグマリオン効果についてはこの本を読んでください。もっともおもしろいところなので。
 社会心理学の、しかも著者の知る手法からの世界の解釈の一端が示されている。新たな視点獲得のために寄与するものがあった。それだけで読んでよかったと思える本だった。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日④

 「金剛宝座」 はいわゆる妙高台(妙にはすばらしいという意味があるが妙高台で何か意味があるかもしれない)である。伝え聞く金剛座はインド須弥山にあり、諸仏はこの座にあって金剛定(こんごうじょう)に入るので金剛座という。その形は五塔が向かい合い、おのおの宝相を具足するという。乾隆十三年、西僧がその模型を携えてきた。そこでそれに基づいてここに宝座を作った。すべて大理石製で荘厳を極めている。台の真ん中から階段を上がってすぐに五座宝塔の下に登ることができる。上には乾隆御筆の現舎利光の扁額を掲げてある。台上に立ってあたりを見れば左には玉泉山の高塔、昆明地の波光を望み、右には香山の絶勝を見、前には烟霞の間はるかに帝都を俯瞰し、後ろには大行の山を背負っている。風光絶佳、騒人が嘖々(さくさく)碧雲の勝を艶称する(景色がすばらしいと皆がうるさいほど褒め称えるの意か)のももっともである。
 「臥仏寺」 碧雲寺の住僧に相応の布施をし、厚く一宿の礼を述べて十時にここを立ちい
出て、山麓に沿って東に向かい、十一時臥仏寺に着いた。老柏の並木の間を過ぎて牌楼を入る。この寺は唐代の古刹で、はじめ兜率(とそつ)といい、元の時代には昭孝といい、洪慶といい、明の時代には永安という。後、雍正帝に名を十方普覚寺と賜った。勅賜の扁額及び御製碑文がある。後に臥仏の像があるので俗に臥仏寺という。仏像は約二丈あまりあり、周囲には十二菩薩がある。寺中には唐の貞観の時代に作られた栴檀(せんだん)香の臥仏像があると伝えているが、今はない。堂前には沙羅双樹がある。西域伝来のもので、この寺創建の時植えられたものだという。その大きさは約三囲。

2012年2月20日 (月)

中国ウオッチ・雲南省の干ばつ

11031_25雲南省省都・昆明駅。

11031_375_2雲南省寸景。

11031_439_2雲南省寸景。

11031_489雲南省寸景。

 雲南省が3年連続で干ばつに見舞われ、被害が深刻化しているという。昆明を中心に630万人が影響を受け、そのうち240万人以上が飲み水不足の状態に追い込まれている。今のところ被害総額は約300億円とみられる。
 雲南省は中国南部だが比較的高度の高いところに都市部や農地が広がっている。省都の昆明も海抜2000メートル以上のところにある。そのため冬はあまり寒くなく、夏もあまり暑くない。きわめて

しのぎやすいところである。また中国の中では例外的に水のきれいなところで、西北部の標高5000メートル以上の山岳地帯からきれいな雪解け水が流れ下りてくる。長江も黄河も源流は雲南省の奥地から流れ出ている。
 6月頃から11月頃が雨期だが、今年はどうなのだろうか。また雲南省は薬草やお茶、キノコがたくさん採れる。中国産の松茸はほとんど雲南省産だ。今冬虫夏草や漢方薬の原料になるにんじんなどが生育不足で収穫できず、価格がうなぎ登りになっているという。
 昨年春に昆明や麗江に行ったがすばらしいところだった。漢方薬を買ってきておいたらよかった。お茶(普洱茶)と乾し松茸を買った。
干ばつは心配だがまた行きたい。

中国ウオッチ・イチゴ狩り

 私はたびたび中国人子供説を唱えているが、まさにそれを証明するようなニュースがあった。
 中国の河南省で、けがをしたのでイチゴの収穫作業ができなくなったイチゴ栽培農家が、ネット上で「イチゴ狩り」参加者を募集したところ、二日で数千人の応募があった。
 品種別に目方で単価を決めて、参加者にはその場で試食してもらったうえで好きなものを摘み取って代金を払ってもらうシステムで開場したのだが、現場は開場してまもなく無秩序状態に陥った。未熟のイチゴまでやたらに摘み取られ、イチゴ畑はイチゴごと踏み荒されて散々の状態となった。一口かじって捨てられたイチゴや未熟なイチゴが至る所に捨てられていたという。
 イチゴ栽培農家はため息とともに「人が来なくてもだめだが、来すぎてもだめだということが分かった」とあきらめ顔だったという。
 まさにこの調子で海でも目の細かい漁網で根こそぎ稚魚まで乱獲するから、東南アジアや韓国や日本でも嫌われる。ましてや人の家の庭にまで入れば処罰するしか手はないのだ。
 彼らが大人になる日は果たして来るのであろうか。

中国ウオッチ・日本海に軍港

 韓国紙が書き立てているが、中国が北朝鮮の羅先(ラソン)港の使用権を獲得した。北朝鮮が中国に新たに50年間の使用権を認めたのは羅先港の4~6号埠頭。この見返りに中国は総額約30億ドルを同地区の経済特区に投資する。4号埠頭は7万トン級の船舶が出入り可能。またこの周辺に空港、鉄道、火力発電所が建設されることになる。
 北朝鮮とロシアは日本海で接している。つまり中国は日本海側に出口がないのだ。しかし羅先港が自由に使えるようになれば実質的に日本海に中国は出入り口を確保したことになる。中国吉林省と日本海は指呼の距離(約50Km)である。ここに物流ラインを作れば中国の東北三省との物資輸送が飛躍的にスムーズになる。
 ところで羅先港が中国の軍港になる可能性はあるのだろうか。羅先港の1号埠頭はすでに中国が使用権を確保、しかし3号埠頭はロシアが使用権を持ってすでに使用している。今後ロシアに対し了承を取り付ける交渉に入るだろうというのが専門家の見通しである。
 今まで日本海は日本とロシアと韓国のバランスの上に立っていたが、今後中国がそれに参加してくることになった。韓国とちまちました領土争いをしていると中国に介入されるおそれが出てきたのだ。
 壱岐、隠岐、対馬などの日本海の島に早めに行ってこよう。今の民主党政権と外務省では気がついたらこの辺の島が日本領ではなくなる可能性が否定できない。「昔は日本の島だった」と懐かしむことになりかねない。それ以上に危ないのは沖縄だ。ここも行っておかなければならない。日本国である意味を沖縄県民は見失いつつある(ような報道が盛んにされている。本当だろうか。そうなら危ない)。行かなければならないところだらけで忙しい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日②

 その万安山の東麓に
 「演武庁」がある。演武庁は西山麓の平原であって、西方に観兵台を設け、青磁の甍が碧空に聳えている。南方には丹塗りの馬城が延々と連なり、西北には皇亭があり、また西には雲梯が聳えている。そうして山腹の要所要所に烽火台のようなものが幾十となく散在し、規模がとても大きい。この馬城雲梯、あの烽火台とも何の用であるか分からなかったが、皇亭中にある乾隆帝御製の勅建実勝寺碑記を読んで初めてその訳が分かった。この碑は乾隆十四年夏五月に建てたもので、満・漢・蒙・梵四カ国語を以て刻してある。その大要をいえばこうである。
 乾隆の初、西南の夷、金川(きんせん)を攻めたが、なかなか成功しない。金川の夷は険阻に依って要塞を築いてここに籠もったので、清軍はいかにしてもこれを陥れることができない。そこでいろいろ作戦を立て、持久戦を提案するものもあったが、乾隆帝はそれを退け、西山の麓に要塞を作り、これを攻撃する戦術を研究させた。そして精鋭二千人を選び、大学士忠勇公傳恒を総督として金川を伐たせ、ついにこれを陥れることができた。この研究に使った要塞の側の寺を新しくして実勝寺という名にしたという。
 今、実勝寺は皇亭の西にあるが、ただ門と四壁があるばかりで、堂宇は壊れている。石碑が二基門前にあるが、、同じく乾隆御製の実勝寺碑記で、左には漢梵文、右には満蒙文を以て記してある。右の石碑は倒れて半ばから折れ、左の石碑は残っているものの文字が摩滅している。あの山腹に散在していた烽火台のようなものが金川夷の要塞である。
 今散見する要塞は石で作られた直立した四面、三層の楼で、各層に銃眼を穿ってある。これを攻めるものは近づくことも、これによじ登ることも不可能である。金川の役に、清軍の苦戦したこと推して知るべしである。その後、孟夏の頃には、ここに演武を行いこの要塞をよじ登り、雲梯に上り、あるいは馬を駆け回らせた。歴代の天子は皆閲兵して詩を作った。観兵台中にその詩が掲げてある。当時の精鋭二千人の子孫は健鋭営と称し、今も門頭村から玉泉山の西に到るまで十余里の間に散在しているという。

2012年2月19日 (日)

大将健在

 一昨年、国境近くの韓国・延坪島への北朝鮮からの砲撃事件は衝撃的であった。この黄海上の海域は南北の軍事国境線に当たり、この砲撃を直接指揮したのはその地区を任されていた金格植大将だった。この砲撃は金正恩の存在をアピールするためとものといわれたが、その後公式の場から金格植大将の姿が消えた。このことから金正恩の功績としての評価がなされず、金格植大将は更迭されたのではないかともいわれていた。そして金正日総書記の葬儀の際に列席した国家葬儀委員232人の中にもその姿は見られなかった。
 ところが今月16日の金正日生誕70周年行事で軍関係者の中に金格植大将の姿があることが朝鮮中央テレビの映像で確認された。
 これはどういうことだろうか。勘ぐれば、金正日は金正恩の砲撃指示を認めないか、少なくとも評価していなかったが、彼が死んだので金格植大将が復活することになったのではないか。だとすれば新しい北朝鮮の体制は以前同様か、またはもっとエスカレートする行動に出る可能性を否定できないということではないだろうか。

中国ウオッチ・22兆円

 中国政府は今後の3年間で日本円にして22兆円あまりを水質汚染の対処や検査に拠出すると発表した。これにより中国は今後10年間で日本円で50兆円を水利事業に拠出することになるという。
 中国の河川の水質汚染は深刻である。少なくともその四分の一が汚染されていて三億人の人が安全な飲用水を得られないままでいる。重度の工場汚染水と過剰に農薬を使用した農業用水の流入で、基準の水質を満たしていない河川の水量は実は全体の半分近くに達するともいわれる。
 しかし水質改善のためのこの22兆円の金は、一部ないし大部分がどうもダム建設や「南水北調」(南部の水を北部に送る)プロジェクトに使われるとみられる。何のことはない、汚染が拡大するばかりの結果になる可能性がある。
 この巨大利権に群がるシロアリはどれほどいることだろう。
 今中国に必要なのはまず価値観の汚染、精神の荒廃をまず浄化することからなのだが、誰がそれをするのか。とことん国民全体が汚染の被害を経験してからでないと気がつかないとしたら改善は悲観的だ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西山の二日①

 西山の名勝を探ろうと矢野、小林、宮内の三学士と北京の寓を出たのは三月十六日の午前九時だった。平則門を出て左に月壇を見てやがて八里荘に到着する。ここに一座の高塔があり広寧門外の天寧寺塔とその高さを争うもの、俗に八里塔というが、正しくは
 「永安万寿塔」 という名である。天寧寺塔は隋・文帝の創建で、その建築彫刻等北京郊外でもっとも見るべきものの一つであるが、この万寿塔は明の神宗が李太后のために建てたものである。伝えられるところによると、李太后は仏道を深く信仰していたが、ある日忽然として瑞蓮が宮中に生じた。太后は大いに喜びいよいよ三宝に帰依し、よって功徳のためにここに慈寿寺を建立し、またこの塔を作ったという。街を隔てて影壁(インピ)は元のままだが、寺は全く荒廃し、ただこの塔のみが残っている。塔は十三重で、南に永安万寿塔と題し、そのほかの三面にも題字があるけれども、高いところでよく見えない。塔の後ろに石碑が二つある。右には仏像、左には魚藍観音が彫られている。ともに李太后の筆である。碑陰には一つには瑞蓮賦、一つには関帝像が彫られている。
 「八大処」 八里荘から西北に向かい、順親王・簡親王の墓前を過ぎ、二十余里ほどいってから右へ折れ、嘉嬉寺に到って仏及び四天王の像を拝し、さらに西へ行くこと一里、目的の八大処に到着した。この地は平坡山、覚山、廬師山の三山が並び立ち、その間所々に松柏の鬱蒼としているのが望める。そうして松柏の鬱然としているところには必ず殿堂の甍がある。その数すべてで八つ、よって八大処というのである。曰く、秘魔崖、龍王堂、三山菴、大悲寺、宝珠洞、林官寺、長安寺、香界寺がこれである。平坡山はまた翠微山ともいう。その最も高いところにあるのを宝珠洞といい、最も低いところにあるのを長安寺という。その他あるいは高くあるいは低くあるいは左にあるいは右にそれぞれを確認することができた。長安寺に入って茶飯を喫し、しばらく山僧と歓談した。この寺は明・弘治十七年の創建、康煕十年修復されている。寺前に重修の碑記がある。時すでに未の刻を過ぎたので、八大処を全部見ることができずに東に向けて出発、山門を廻り、行くこと数里、所々に山を切って石を採っているのを見る。また数里を行くと礼親王の墳があり、その北に門頭村がある。この地は西山の門戸に当たるので門頭と名付けられたという。村の後ろに聳えているのを万安山という。

2012年2月18日 (土)

中国ウオッチ・偽のバス停

 四川省成都の新聞が偽のバス停のニュースを伝えていた。 
 バス停の前でバスを待っていたがいつまで経っても来ないという苦情が寄せられて分かったという。よくよくそのバス停を見ると「バス停」と書いてあるものの、広告が貼り付けられているだけでダイヤもバス停の場所の名前もないという。バス停に似せた広告塔なのだ。本当のバス停と微妙に離れたところに立っているのでわかりにくいため、多くの人が混乱して迷惑しているようだ。
 この偽バス停は広告掲載料を取る。商売として成り立っているのだ。よく調べると昔バス会社が乱立していた時代のバス停のなごりで、その後路線は統合されたのにバス停だけが放置されているものだった。しかしそれ以外にも明らかに広告塔として後で設置されたものもある。確認されただけで100基以上あった。
 バス停まで偽物があるというのも中国らしい。そしてそれにだまされる中国人もちゃんといるのだ。

自殺について

 「らも」さんのブログで中国の自殺について取り上げていた(森鴎外の「高瀬舟」のような話-他人の手を借りる自殺-がきっかけだった)。中国の自殺の実情についてはそちら(「アラフィフの海外で節約生活」)を見ていただくとして、私なりに日頃思っていることがある。

 自殺には社会的要因が大きいことは誰もが認めることだろう。また病理的要因による自殺もある。これらは防ぐことも可能であったとして、マスコミによりしばしば犯人捜しが行われる。

 また尊厳死という死に方がある。自死であることもあるし、医師など第三者が関与することもある。私はこの尊厳死を支持する。

 西洋ではキリスト教が自殺を自らに対する殺人として否定するので、現代は自殺を西洋的視点から否定的に見てしまう(しかし考えてみるとキリスト本人は自分が死ぬことから逃れようとしないのだから、ある意味では尊厳死であり、極論すれば人の手を借りた自殺でもある・言い過ぎか)。アジアには(そう括ってしまうのも乱暴だが)本来はそういう見方よりも、人生でもっとも重い自己決定としてのとらえ方があったように思う。

 人間は必ず死ぬ。かけがえのない、限られた生を全うするべきである、という考え方をもとに、自殺を否定するという考え方もあるし、また限られたかけがえのない生をより見事に生きるために、価値が損なわれて生きるに値しないと思える余生を自分で断ち切るという考え方もあり得るわけである。

 私は江藤淳にそのモデルを見た。同じような例がいくつもあるだろう。

 私はよりよく生きるため(死ぬためではない)に覚悟を整えていくことこそ晩年の目的と考えている。

映画「アンストッパブル」

 2010年のアメリカ映画。監督・トニー・スコット、出演・デンゼル・ワシントン、クリス・パインほか。
 この映画は音が命だ。ディーゼル機関車が長い貨物をひいて轟音を立てて走り回る。その轟音が聞こえなければこの映画を真に楽しむことができない。無線のヘッドホン(5.1チャンネル)の音量をほぼフルにして見た(耳が心配だ)。
 この低音の轟音は人を興奮させる。しかも後半は地上と頭上のヘリコプターからの報道をアナウンサーが実況放送する音がかぶさる。臨場感がさらに高まっていく。画面の中に心身ともに没入してしまう。
 100分足らずの映画を心底楽しむことができた。
 主人公二人にはそれぞれ抱えている私生活がある。そのいろいろな家族への思いもすべて飲み込んでディーゼル機関車が驀進する。命がけで暴走機関車を止めようとする二人の主人公のすがたに家族の思いが向けられる。胸が熱くなるように作られているのだ。
 この機関車は何を象徴しているのだろうか。今は思いつかない。
思いつかない間はこの映画を再び見ようという気にならないだろう。そういう映画だった。

中国ウオッチ・海南島ぼったくり事件

 ネットで、先月末に海南島に旅行に行ったときに三亜市の海鮮料理店で高額の料金を請求されたとの記事が話題になり、同様の経験をした、との声が多数寄せられたという。
 これに対し、三亜市の広報部が「春節前後の時期に苦情の電話は一切なかった。観光市場全体の秩序は安定で良好だった」と述べた。事実を検証することなく、まず全面否定を行うというのは中国、韓国の常套手段だ。
 その後のあるマスコミの調査では、三亜市に観光に行き、ぼったくりにあったと答えた人は72%に上ることが分かった。
 観光客が増えれば料金も高くなるのはよくあることだ。たぶん中国全土で同様のことが起こっているのだろう。問題は限度を超えて異常に高額なものを許すと評判を落とし、その観光地に人が来なくなることだろう。それを調べもせずにそんな事実は一切ない、と反応する海南島三亜市の態度はお粗末きわまりない。これで個別の、ある店の話が、三亜市全体の話になってしまった。現在中国のネット上では海南島はぼったくり島と呼ばれている。
 少なくとも私は行きたいと思わない。

 あるメディアの記者が、三亜市の苦情受け付けの電話として登録されている、海南旅発会、観光局、中国共産党三亜市委員会対外宣伝弁公室の3カ所にためしに電話したところ、呼び出し音は聞こえるがいつまでたっても誰も出なかったという。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万寿山③

1廻廊。

2廻廊に掛かる絵。

1_2石の舟。

2_2牌楼。

 これより西邀月門(せいようげつもん)を入り廻廊伝いに湖光を望み、右に仮山を仰ぎながら行く。廻廊はすべて丹碧を用いて花鳥風月を描いてある。所々に留佳亭、奇瀾亭等がある。右肩の山には多く牡丹を植えてある。花の時の眺めはいかばかりであろう。行き行きて排雲門に至ると、湖に臨んで牌楼がある。結構は通常よりさらに金碧燦然たるものである。その左右には奇石を列ねてある。門を入るとすなわち排雲殿で、殿前には龍鳳が並んでいる。左右の廂房を雲錦殿といい玉華殿という。排雲殿の後堂は皇上の便殿で、左右には紫霄(ししょう)、芳輝の二殿がある。これより左に廻り階段を九十だんほど登ると仏香閣の下に達する。さらにくの字型に階段を百余段上って初めて仏香閣に達する。
 閣上に立って見れば脚下に昆明湖の波光を眺め、右には西山の清嵐を望み、左には遙かに帝都を指し、田野が遠く開けて瑞気が一堂に集まっている。いわゆる「山色湖光共一楼」とはこれである。閣の左方には谷を隔てて一大石碑がある。題して万寿山昆明湖という。聞けばこの湖は杭州の西湖を模して作られ、ここに舟を浮かべて北人に水を習わせたこと(南船北馬といい、北人つまり北方民族は水に慣れていない)、かの漢の武帝が昆明池に舟舶操縦の方法を学ばせた如しである。故に湖名もまたその後を継いで昆明という。そうして万寿山はすなわちこの湖を開鑿した土を累積して作ったものだという。閣の後方にまた一段高く牌楼があって衆香界という、築造した煉瓦に仏像一万体を刻んであるが故に俗に万仏楼と称する。
 仏香閣から下って排雲閣に到り、再び廻廊伝いに西に行き、秋水・清遥両亭を経て、西瑞奇瀾堂の傍らに浮かんだ石船に乗って昼食を採る。湖を隔てて西山に対し、風光佳絶なところで携えてきた弁当を開くと、その味は普段と違い、一行三十余名、その楽しさは言葉にできないほどだった。そうしてきた道をたどって湖畔伝いに帰路についた。一行中の数名はさらに文昌閣に謁し、はるかに龍王島まで行く。湖畔に銅製の臥牛があり、その姿は真に迫っていて優れた作品と言うべきである。腹部に乾隆帝の御製の文が鋳されている。もし玉帯橋上に立って万寿山を望めば、楼閣は間近に、金碧燦然として、たとえば紫雲の間に衆仏の来迎を仰ぐかのようである。再び仁寿殿を過ぎ、兵士に送られて門を出て外務部宿直所に小憩し、ここで別れて霞公府の寓に帰ったのは午後四時半であった。四方に光被する聖恩により、外臣(ここでは自分のこと)が一日の清遊を楽しむことができたのは、深く感佩(かんぱい・深く記憶にとどめること)に堪えざるところである。












2012年2月17日 (金)

中国ウオッチ・文化財住宅取り壊し

 北京で文物局が文化財に指定していた著名建築家の梁思成氏の旧宅が取り壊された。文物局は「あり得ないこと」で「近年で最悪の事件」と非難している。
 この住居は北京市の胡同にある伝統的な「四合院」住宅。文物局は「移動や破壊をしてはならない文化財」の指定を行っていた。
 取り壊したのはこの地域の開発を行っていた業者で「古かったので取り壊した」と弁明している。
 この住宅は2009年にも取り壊されそうになり、市民たちの反対運動で北京市が取り壊しを中止させたことがある。ということはたぶん取り壊した開発業者は確信犯であろう。
 スクラップアンドビルドは革命の基本である。文化財をまずスクラップすること、毛沢東よ、よろこべ!文化大革命の精神はここにも生きているぞ。

中国ウオッチ・40倍

 中国人民大学などが1999年からの12年間にわたって調査した研究結果によると、中国農民のなんと43%が地方政府に土地を徴収された経験があるという。そして地方政府による農民からの土地使用権徴収価格と地方政府が企業などに転売した価格の差は40倍以上だったそうだ。この差額が地方政府の税収となっている(もちろんすべてが税収になどなっていないだろうことは明らかだ)。
 土地の徴収についてのトラブルは全国で分かっているだけで数十万件に上り、北京にはその訴訟のために何年もかけて村の代表が住み着いている部落まである。中国のマスコミはよほどのことがないと取り上げないが、漏れ聞いているだけでも農村での争議は年間数万件はくだらないとみられる。
 こうして農村は疲弊し、地方政府と企業は発展してきた。しかし土地は無尽蔵にあるわけではない。また不動産の需要も無限にあるわけではない。現に不動産価格の低下が全国で始まりだし、販売件数が減少してきた。下がり出せばさらに下がるとみられてものは売れなくなる。
 地方政府の打ち出の小槌が振っても何も出なくなった今、各地方政府の政府債の償還時期が来ている。巨額の負債を抱えるおそれのある地方政府がたくさんあるといわれている。

中国ウオッチ・教育格差

 OECD(経済協力開発機構)が2010年に行った国際学力テストで、上海の子供が閲読、数学、科学の分野で世界第一位であった(日本はゆとり教育の成果で残念な結果だった。先日、ゆとり教育を進めた当時の文科省の担当者がテレビで失敗だったと認めていた。その実験により損なわれた十数年間に対してどう責任をとるのだろうか。しかし事実を認めたその文科省の担当者はまだましだ。その風潮をあおり、文科省をそうさせるように仕向けたマスコミと日教組は反省もなく知らんふりだ)。
 中国の教育熱は高い。都市部の親が子供の教育にかける費用はかなり家計に負担をかけている。しかしその教育が受けられない子供たちがいる。都市部に農村から出稼ぎに来ている労働者の子女たちだ。
 都市部に居住する出稼ぎ労働者は現在全国で2億2500万人といわれ、その子女は2500万人もいる。彼らは都市市民としての戸籍がないので公立学校から閉め出されていた。もちろん私立学校に行かせる金などあるわけがない。運がいい子供だけがボランティアの開いている学校で学ぶことができていたが、この問題が広く知られるにつれ、政府も対策に乗り出して一部の都市で公立学校での受け入れを始めている。
 ただし就学のためには出生地証明書など七種類の公的証明書が必要な上、高額の学費が必要なことも多い。また振り分けられる学校もレベルの低いところのことが多いという。ようやく一部の子供が助かった段階で、すべての子供が平等に教育を受けるまで、まだ相当の時間が必要なようだ。
 こうして教育の差別を受けた子供たちは、当然就職でも著しく不利になり、都市部の下層階級に自動的に位置づけられてしまう。
 皆が貧しかった時代はまだしも、豊かな暮らしを横に見ながら下層に甘んじなければならない彼らの不満のエネルギーが蓄積されている。

中国ウオッチ・下着泥棒

 重慶市の下町で洗濯して干しておいた服がしばしば盗まれた。時には下着まで盗まれたという。盗まれた服が安物なので当初は届け出をしていなかったが度重なるので警察に連絡。
 被害者も警察もなぜ男物の下着など盗むのか、よほどの変態がいるのではないかと思っていた。
 付近の監視カメラをチェックしたところ、深夜洗濯物を盗んでいる二人の泥棒の姿が映っていた。その後犯人を特定、ネットカフェで遊んでいた二人を逮捕してその理由が明らかとなった。
 犯人曰く「洗濯物を盗めば自分で洗濯する必要がなくて楽だったから」。二人は盗んだ服が汚れると再び着替えるために盗んでいたそうだ。

 日本でも普通にありそうな事件だ。でも深夜に外に服を干しっぱなしにする人はあまりいないか。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万寿山②

1010_18頤和園。回廊。

1010_31仏香閣。

1010_42昆明湖から仏香閣を遠望。

 大道を挟んで一大牌楼がある。題して涵虚(かんきょ)という。牌楼を入って左へ行き、外務部宿直所に入って休憩する。ここに外務部から一行接待のために派遣された唐家楨(とうかてい)氏が、何くれと一行の斡旋の労を執ってくれた。さて、一行がそろうのを待って、十一時にここを出て頤和園の南門に向かう。門の正面には門と同じほどの大きさの影壁(インピ)がある。これをぐるっと回っていく。正門はもちろん行幸の時のみ開くもので、右の小門から入る。門前には一分隊ほどの兵士が警護しており、一行に対して奉銃の礼を行う。誠に仰々しいことである。さて、さらに門を二つほど過ぎると仁寿殿がある。殿前には銅製の龍鳳がおいてある。ここは臣下に謁見を賜うところで、左右両廂はその後御饌(ぎょせん)を賜るところという。
 仁寿殿の左を回り、松、杉の木立を過ぎるとすぐに昆明湖畔に出る。折から湖上一面は雪降り積もり、日光に映して皎々皚々(こうこうがいがい・雪で真っ白に輝いていること)さながら白玉世界のようである。遙かに楼閣の湖心に浮かぶのを見る、疑うらくはこれ龍宮か、また長橋の空に架せるあり、天の浮き橋とはあれか。振り返ってこれを問うと曰く龍王島、曰く玉帯橋であるという。右手には万寿山が聳え、山腹に殿楼が櫛比し、黄金の瓦色、丹碧の文彩、燦爛として眼をいる。そうしてその最も高いのは仏香閣という、十里向こうからでもこの高閣を望むことができる。正面には湖を隔てて西山に対し、薄紫に茜がさしたような山色、霞のうちにも鮮やかであって、近くは玉泉山の白塔もまた集めて一幅の絵の中にある。
 湖に沿い、石の玉垣を伝い、紆余曲折して楽善堂に至る。堂前には泰山石があり、鶴が舞い鹿が走る。ここは仁寿殿の廂房(しょうぼう)で御饌を賜った後、改めてまた親しく御側に侍するところである。堂の後方は西太后の便殿である。西太后御筆雲和慶韵(けいいん)の扁額が懸かっている。便殿はその他の殿堂と同じく、柱は丹塗りで欄間は丹碧金藍等の諸色を用い、雲龍を描いてある。真にこれは光彩煥発人目をくらませる趣がある。









2012年2月16日 (木)

合理的な決断

 日本の保守系団体「在日特権を許さない市民の会」に属する一団体が、駐日韓国大使館と駐大阪韓国領事館の前に「竹島の碑」を設置する申請を行ったが、不許可となった。
 これに対し韓国メディアが「久しぶりに日本政府が合理的な決断を下した」と伝えた。
 この「竹島の碑」の設置は韓国の日本大使館前に「平和の碑」として従軍慰安婦を象徴する少女の像を設置したことに対抗しようというものだった。
 馬鹿ではないだろうか。「平和の碑」結構ではないか。放っておけばいい。従軍慰安婦の問題については立場によっていろいろ意見があるだろうが、この問題が日本の新聞社の裏付けをとらないずさんな取り上げ方から出発したものであることを忘れてはいけない。これを韓国は日本に対する賠償請求の象徴として利用しているのだ。
 しかし慰安婦の存在が事実であろうがなかろうが、自国の女性が売春行為を強要されたことを騒ぎ立てる行為に盛り上がる韓国民というのはどのようなプライドの持ち主なのだろう。世界中にそんな国がほかにあるとはとても思えない。なんとアメリカのどこかの州にも韓国はそのような像をすでに建てているそうだ。私なら自国の女性がそのような仕打ちを受けたことから守れなかった自分たちをこそ恥と思う。
 そんなものに対抗しようとして「竹島の碑」を建てようなどというのはそれ以上の馬鹿ものである。

中国ウオッチ・日本と中国を一つに

 SAPIOの記事から。産経新聞の古森義久氏と国際教養大学学長・中嶋嶺雄氏(両氏とも中国通で知られる)の対談で、中国の知識人が大まじめで「日本と中国は一つの国になるのが自然である」と語っていたことが紹介されていた。
 それに対して文化の違いをどうするのか、また言語をどうするのか、と尋ねたところ「それはやはり大きな国の方にまとめることになるでしょう」と答えたという。
 これを中華思想というが、彼ら中国人にとって、日本は中国の一地方としてしか認識されていないから、文化が違うことなど想像の外にある。日本語にしても中国の方言くらいにしか考えていない。その発想でチベットもウイグル自治区も内モンゴルも支配している。次は台湾、そして次は沖縄、そして続いて日本が中国に組み込まれていくのが歴史的必然と考えているように思う。
 日本人は中国を「同文同種」などという言い方をしているが、そんな甘い認識でいると中国の思うとおりになってしまう。中国人が日本をどう見ているか改めて認識し直さないといけない。
 そうすると一連の日本に対する言動の意味がよく分かる。すべて一貫しているのだ。

リゾーリ&アイルズ

 アメリカの警察ドラマ、リゾーリ&アイルズの第二シリーズ・全十話が終わった。第十話の終わり方がすさまじい。これからまた再放送があるかもしれないので内容は書かない。ところで第三シリーズはあるのだろうか。こんな終わり方だと絶対あってほしいと思ってしまうが・・・。

 二人のヒロインが主人公。一人はボストン市警の刑事、もう一人は監察主任。それぞれちょっと普通の人とは違う。それが短所でもあり、長所でもある。そしてそこにキャラクターの魅力がある。

 ああ早く次のシリーズが見たい。

内田樹著「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)

 この新書のシリーズは本来中学生や高校生を対象に書かれたものだ。だからこの本は内田樹先生のいいたいことがどの本よりもわかりやすく懇切丁寧に書かれている。
 冒頭で内田樹先生は「あなたは『えらい先生』に出会っているか?」と問う。運が悪くまだ尊敬に値するような、えらいと思える先生に出会っていない、と答える人がほとんどだろう。内田先生は続けて「誰もが尊敬するようなえらい先生」など存在しない、と断言する。だから巷間いわれる「先生運」などと言うものはないと言い切る。では表題の「先生はえらい」とはどういう意味なのか。
 ここから内田先生の「先生」とは何か、についての長い説明が始まる。持論である贈与論から始まり、「師」についての持論が展開されていく。
 内田樹先生の本はどの本も知的刺激に満ちていて、自分の思い込んでいた認識を覆され、洗い直してくれるものばかりだ。いつも先生の本を取り上げると絶賛ばかりしているので耳にたこができているだろうが、でも先生の本は読んでいない、という人がほとんどだろう。まず最初にどんなことを書いている人なのか知るためにこの本は最適である。たった175頁、760円。是非本屋で探して買って読んでみてください。この新書は小さな本屋ではおいていないかもしれないので少し大きな本屋を探す必要があるかもしれない。取り寄せてもいい。
 帯には「何も批判しない教育論」とある。教育とは何か、学ぶとはどういうことか、ゆがめられた教育について原点から見直すことができる本です。

中国ウオッチ・TPP

 日本のTPP参加について中国のマスコミもしばしば取り上げている。おおむね日本のためにならないというトーンであり、それより中国、韓国と関税撤廃の関係強化を優先した方がそれぞれの国にとって利益があり、さらにそれがアジアにとってもいいことだ、という論調である。

 私は無条件にTPPはいいことだと思っていたが、韓国とアメリカの間で結ばれた関税撤廃の条約の付帯条件の話を聞くと、かなりアメリカに都合のよい条約のようである。TPPについてもアメリカリードでアメリカに都合のよい条約になるおそれがありそうだ。このままだと幕末に徳川幕府がアメリカと結んだ不平等条約の二の舞になるともいわれる。大国に限らずどこの国も自分の国に都合のよい条約を結ぼうと全力を尽くす。これが世界だ。ところが日本はそのようなときに相手に妥協してしまうことが多い。日本に主導権があるようなときにも相手に善意を期待して譲ってしまう。

 アメリカと中国のどちらが信用できるかといえばそれはアメリカの方が間違いなく信用できる。しかし条約を結ぶに当たっての押しつけがましさについてはアメリカはかなりえげつない。悩ましいところだ。
 日本の国力はどんどん低下しつつある、とはいえ今のうちならそれなりのポジションであり、今回のTPPについても日本が参加するかどうかでその価値は大きく違う。アメリカにとっても日本が参加する方が都合がいいはずだ。それを手がかりに何とかアメリカの押しつけてくる要求を是々非々で交渉してほしいところだが、できるかなあ・・・。
 アメリカに譲れば中国にも同じように譲らざるを得ないことは幕末の不平等条約の時に経験していることなのだが、交渉に当たる人にそれだけ歴史的な責任を背負っているという責任感の自覚があることを望むが。何せ日本の役人は責任をとらされないですむ時代を長く経験しすぎて責任のなんたるかの自覚がないのが当たり前だし・・・。

 日本の危機は、経済や債務残高よりも遙かに精神的な脆弱性の方にあるのではないだろうか(アメリカの病的な正義感、中国の拝金主義と並んで)。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万寿山①

 太行山は河内を起点として北に走り、直隷・山西の両省の境界線を描き、京師(都・天子のいるところ)の西を擁し、さらに延びて居庸の険となり、廬龍・碣石に連なり、山海関に至って海に入る。北京城上に立って西方に一帯の連山、黛色(まゆずみのような色・遠山の青黒い色をしている様子をあらわす)愛すべきを見るのは、すなわちこの太行山脈であって、俗にこれを西山という。万寿山頤和園はこの西山の麓にあり、京師から約三里である。もと明の永楽帝の創設したもので、今も清朝の離宮で、夏期には西太后、光緒帝がここに行幸するから、西洋人はこれを称して夏宮という。(明治)四十年二月八日、私は京師大学堂教習諸君の後に従って園内拝観の栄を得た。
 午前八時、私は霞公府(シャコンフ)の仮寓を出て、東安門を入り、景山の下を過ぎ、後門を出て護国寺前を経て西直門を出た。これより万寿山に至るまでは、夏期には大官の車馬往来が盛んなところで坦々(平らで広々していること)たる大道が通じている。冬期となれば大官の車馬は通らないので、大道の中央には所々に石塊を横たえて、常人の通行を許さない。この日は我ら一行のために特に中央の石塊は除かれて、車馬の往来ができるようにしてある。さて、郊外に出ると挺然として独り秀でた松と(ていぜんはのびのびしているようす)、霜枯れの梢寂しき柳と、いずれもその趣が少なくない。加えるに野に畑に雪の中に埋没したような村が垣間見える。さらにいっそうの雅趣がある。幸いに天候は穏やかで北京名物の風は
ないが、車上の客はまぶたは痛く足は感覚がなくなるほどの寒気が骨に徹するほどである。十時に万寿山に着いた。

2012年2月15日 (水)

仲正昌樹著「なぜ『自由』は不自由なのか」(朝日新聞出版)

 副題『現代リベラリズム抗議』として24講にテーマを分けて「自由」について論じている。かなりまじめな本で、哲学や政治学の文献からの引用も多く、歯ごたえがある。

 私の妄想によれば、自由とは無重力みたいなもののようだ。ものには質量があり、引力がある。他者との関係が生ずれば互いに引力が生じ、重力が生じて無重力ではなくなる。人は一人では生きていけない。無人島に一人でいても自然があり、生きるための生活がある。

 完全な自由を求めても、そんなものはそもそもあり得ないのだ。自由を求めれば求めるほど不自由になるという、実は当たり前のことをこの本は徹底的に明らかにする。

 自己決定と自己責任についての詳細な分析は秀逸だ。じっくりと考え直してみたいテーマである。

 全般的に少し集中力に欠ける読み方をしてしまったので、淺読みになった。やや文章のリズムに私と合わないところがあって・・・というのは言い訳か。

中国ウオッチ・都市化

 中国の都市人口が昨年ついに50%を超えた。2020年には55%を超えるとみられ、そうすると今後農民から都市市民へ変わる人は約1億5千万人に達する。

 中国社会科学院は各地の大都市が渋滞や環境汚染などの「都市病」の爆発期に入りつつあると分析している。国連の統計によると2010年の中国の都市のスラム街の人口比率は28.2%である。スラムといえばインドを思うが、そのインドのスラム人口比率よりもわずかだが高くなってしまったという。

 爆発的都市病の症状は、人口急増により都市のインフラの不足が定常化し、交通渋滞、環境汚染、秩序の混乱などが慢性化する。まさに中国の大都市で今起こっていることである。

 中国の各大都市では住民の自動車の保有台数が増加の一途で、各都市の受け入れ可能な車両台数は限界状態で、渋滞はいっそう深刻になっている。その対策として、「渋滞費制度」の導入が検討されているという。

 これは交通渋滞が多発する地区の道路の使用者から一定の料金を徴収することで、経済面から交通管理をおこなおうというものである。急ピッチで進められている、地下鉄の整備をはじめとする公共交通機関の拡充はかえって都市圏の拡大を促進している面もある。直接的に料金徴収で車両の流入制限を行おうというのだ。

 症状として気になるのは交通渋滞以上に環境汚染、そして秩序の混乱である。中国のトップが今年替わる。彼らはどのような処方箋を選ぶのだろう。その処方箋にまたぞろ「反日」を選ばないことを心から望む。

帰宅

 先ほど名古屋に帰宅。母親のところの居心地がどうもよくない。これは自分にやさしさがない故であることはよく分かっている。母親は年とともに生気を失い、物事にも興味を失い、自己中心的になっていく。それをふところ深く受け止めなければならない関係になったことは頭では分かっているのだが・・・・。早々に逃げ出した。

 やはり自分の家はいい。何も気を遣う必要がない。

 これから一眠りしたらまた元のペースでがんばろう。

2012年2月14日 (火)

金正恩に平和賞

 平和賞といってももちろんノーベル平和賞ではない。

 ネパールの全国記者クラブは北朝鮮の新しい指導者、金正恩を同クラブの名誉会員とし、同時に2012年の記者平和賞を授与することに決めた。

 このクラブの代表は授与式で「金正恩閣下はすべてに軍事を優先する先軍政治を進めている世界の進歩的人類の最高指導者である」と絶賛した。

 冗談かと思ったら大まじめらしい。こうなると「平和」という言葉の意味すら全く正反対に使われることがあるようだ。こういう人たちと会話は成り立つのだろうか。

 北朝鮮で取り上げられた話題として中国が報道していた。

 

クレイグ・トーマス著「救出」

 著者はイギリスの中堅冒険小説家。帯には野獣の感覚を持つ戦闘力抜群の男、としているが、主人公はイギリス情報部を退任してしばらく経って少し腹回りの贅肉がついてしまった男だ。過去は切れ味鋭かったかもしれないが、今はもう過酷な任務などしたいと思っていない。その男の元に情報部のトップから臨時の仕事としてインドでの調査の依頼がある。普通なら断るところだが、主人公が昔命を助けられた人物に関わることであることから、義理で引き受けることになるのだが。

 インドが舞台の冒険小説はいくつかある。インドは混沌の世界で当たり前の解釈など寄せ付けない。その不定形でどろどろしていてごちゃごちゃしている世界をもっともよく表していたのが「カーリーの歌」という小説だった。インドの闇の中にはまり込んだ恐怖が全編に漂っていて、思い出すだけでその恐怖がよみがえるというすさまじい小説だった。

 この「救出」という小説も、主人公はインドの底深い迷路のような世界をひたすら逃げ回り、這いずり回る。一緒に連れて行った中年で小太りの恋人も聡明ではあるのだが別行動の中で感じるその恐怖心はちょっと過剰で、やたらに繊細なので読んでいるこちらまで神経が参ってくる。極限状況がラストのクライマックスまで途切れることなくひたすら続くのだ。この緊張感を楽しめる人はこんな面白い小説はないだろう。600ページを超えるこの本を読み切っていささか疲れた。

2012年2月13日 (月)

久闊

 本日はこれから柏に住む昔の兄貴分の人と船橋で会うため出かける。久しぶりに会うのでとても楽しみだ。それほど馬鹿酒を飲む人ではないので、たぶん問題なく帰れると思う・・・・。

 そういうわけで本日のブログはこれでおしまい。

佐々木譲著「廃墟に乞う」

 2009年下半期の直木賞受賞作。著者の多くの小説同様これも北海道の警察の物語。主人公はある凄惨な殺人事件がきっかけで、神経衰弱のようになり、休養して療養中の刑事だが、いろいろな人から依頼を受けて地元警察とは別に、いくつかの事件に関わっていくという体裁をとった連作短編小説になっている。

 北海道は広い。そして地方は過疎化が進んでいる。その状況こそが事件の引き金になっているような話もある。もちろん捜査を担当しているわけではないので犯人を逮捕したりすることはできないが、部外者であることから見えてくるものというのがある。明快に解決がつくもの、苦い結末に終わるもの、それぞれの余韻をかみしめながら主人公は精神的に再生していく。

人間の哀しさ、弱さをしみじみと伝えながらどこか暖かい小説である。

中国ウオッチ・慣れるべきだ

 国連の対シリア決議案はロシアと中国が拒否権を発動して否決された。シリアのアサド政権は強気になって反政府活動に対していっそう強硬な行動に出ている。世界のマスメディアはこぞってそれを非難している。

 北京日報は中国を非難する報道に反論し「中国は西側と異なる政治と伝統の文化の遺伝子を持っている」ので拒否権発動は「当然のこと」と主張し、「西側諸国が自国の利益を元に自国の主張に基づく行動をしてきたように、中国もそうする」のだから「世界は中国が拒否権を行使することに慣れなければならない」との主張を掲載した。

 まことにもっともである。日本もアメリカの鼻息をうかがって追従ばかりしないでこれくらい毅然としてほしいものだ。

 中国が言いたいのは、これからは、世界は中国の拒否権に慣れなければならないし、中国の横暴にも慣れなければいけないと言いたいのだろう(もってのほかだが)。

 中国は今までシリアへ投資してきた自国の利益のために、そしてこれからの利権拡張という目的のためにアサド政権の存続を望んでいるのだろう。

 だがアフリカは変わりつつある。中国の思惑通り行くかどうか予断は許さない。アサド政権が倒れたとき、かえって中国は不利益を被ることになりはしないだろうか。まあ中国のことだ。それでもめげずに次の手を打つだろう。アメリカみたいに嘘の大義名分を振りかざさないだけましかもしれない。

「イクメン」キャンペーン

 埼玉県が、「イクメン」キャンペーンをするのだそうだ。「埼玉県の男性は東京に通勤している人が多い。どうしても通勤時間が長いので、男性は朝早くから夜遅くまで家にいない。そのため子育ての主婦は一人で子供の面倒を見る時間が長いことになる。だからイクメンキャンペーンをして少しでも母親の負担を軽減するようにしたい」そうだ。

 イクメンという言葉は嫌いだ。まあそれはおいておくとして、父親がもっと子供の面倒を見る、ということについては賛成である。月並みだが、子供を育てることで父親としての自覚も深まるし、より大人になることにつながると思う。子供を育てるのは結構大変だ。子供は話してもわからない存在だからかなり忍耐を必要とする。そしてふれあわなければ父親と子供の親愛は決して深まらない。

 だが、埼玉県のキャンペーンの理由がちょっと気にくわない。通勤時間が長ければ父親も大変なのだ。公平に見れば(男から見れば、か)大変なのは母親も父親も両方大変なのだ。そもそもこんな理由付けはしない方がいい。イクメンがブームだからあやかって埼玉県をアピールしようとしているように聞こえてしまう。多分そうなのだろうけれど。

中国ウオッチ・世界の三分の一

 アメリカの調査会社の報告によると、中国人の成人の四人に一人が日常的喫煙者だという。世界で一番喫煙率が高いのはインドネシアで、三人に一人であり、中国はそれに次いで二位である。ただし中国の女子の喫煙率は3%しかなく、男子はなんと60%である。計算上世界の喫煙者の三分の一が中国人と言うことになるそうだ。

 中国では公共の場所での禁煙の施策が昨年から強化されたことから、これでもかなり非喫煙者の割合が増加したそうだ。

 本当かどうか、中国では年間100万人の人が喫煙による疾患で死亡しているという。これは一日約3000人であり、このままだと2050年には一日8000人になるそうだ。どんな計算なのだろう。

 ところで大都市でも大気汚染が深刻な状態のまま改善されていない。これによる疾患死と、喫煙による疾患死は区別がつきにくいからお互いを原因だと言い合って煙に巻くことになるだろう。

2012年2月12日 (日)

中国ウオッチ・江沢民は裏切り者?

 中国のある歴史家たちが、論文で「江沢民は父親とともに日中戦争当時、日本に協力した裏切り者だった」と主張した。これに対し、中国中級人民法院(裁判所)は昨年国家政権転覆扇動罪で懲役10年の判決を言い渡していたことが明らかになった。しかしその歴史家たちはすでに逃亡しており、行方不明だという。この歴史家たちはそもそもは共産党の一党独裁を批判、高級官僚の腐敗を厳しく糾弾する論文などを発表し続けていた。

 しかし江沢民の父親が、当時の親日的傀儡政権の汪兆銘政府の高官だったことは事実と言われる。そのために江沢民はのし上がるまでに普通以上の苦労をした。その結果、何もなかった人以上に反日的な姿勢を身につけたとみられる。

 江沢民が主席だった時代の反日教育の結果が、中国と日本との間にどれほどの弊害になっているか、深刻なものがある。江沢民は過剰にそういう姿勢をとらざるを得なかったとしても歴史的な責任は重い、と私は考えている。

 その裏返しのことが今回の判決なのだろう。そしてそれが死刑でなくて懲役10年というところに微妙な感じを受ける。

中国ウオッチ・韓国籍貨物船拘留

 江蘇省の長江下流地域の水道から石炭酸=フェノールが検出されたことから、中国政府が調査したところ、韓国籍の貨物船の排出管のバルブが閉まっていなかった疑いがあることを突き止め、拘留した。

 韓国の貨物船の所有会社は疑いを否定しており、韓国側も「中国政府がこの事件を客観的に、かつ公正に処置するよう望む」と表明した。

 一部地域住民は韓国側に賠償請求するよう求めていると言うが、被害地域は広範囲のようで、貨物船から漏れ出したような量ではないのではないかとの噂もある。

 韓国側からは早速、中国漁船の取り締まり強化の中での暴力事件(韓国の過剰行為と中国が避難している)の報復措置だ、との声が上がっている。

 あながち否定しきれないところがありそうだ。

 そういえば尖閣問題の時には、たちまち報復として日本人が違法な場所に進入したという言いがかりで拘留されたことがあった。中国の常套手段だから本当のところはどうなのかわからない。

鑁阿寺(ばんなじ)

001_59ちょっと傾いていてすみません。足利の鑁阿寺(ばんなじ)表門です。お堀が巡らしてあり、石の橋を渡ります。

001_62正面が本堂。境内は広々している。

001_63_2弘法大師の像。

001_65多宝塔。

001_80お地蔵様もこれなら少し寒さがしのげます。

001_81紅梅が咲き始めていました。春はもうすぐ。

 足利学校を出て、今日も蕎麦で昼食。足利は蕎麦もうまいし、切り込みうどん(ほうとうのようなゆがかずにそのまま煮込むひもかわ状のうどん)もうまい。このあたりの道は石畳で、観光地らしい雰囲気がある。

 鑁阿寺は足利氏の邸宅だった。だから古いお城といってもいい。ぐるりをお堀が巡らしてあり、門が四方にある。昔は梅の時期、桜の時期などにここを散策した(仕事中の息抜きにいいところだった)。表門から石の橋を渡って境内へ。境内は広々している。まだ風が冷たい。

 伊勢崎、桐生、足利あたりは両毛地区といい、昔は繊維産業が盛んなところで、機屋(はたや)が多かった。家は夫人が切り盛りし、旦那は外交に出る。豊かだから懐も温かい。そのためばくちも盛んだった。国定忠治の出た国定村は伊勢崎と桐生の間にある。また両毛地区は関東平野のどん詰まり、ここから山だ。西北にシンボルの赤城山がある。冬は赤城おろしの寒風が吹く。いわゆる常習名物、かかあ天下と空っ風というが、旦那が遊んでいられるのも夫人が家を切り盛りしていたからで、旦那はおかみさんに頭が上がらない、というわけだ。

 境内の建物を眺めて回る。大銀杏の間から見る多宝塔はなかなか姿がいい。お地蔵様が耳当てをしている。寒さにみかねて誰かがつけたのだろう。現代の笠地蔵だ。紅梅がすでにほころんで二分咲きくらい、何となく初々しい乙女のようだ。

2012年2月11日 (土)

足利学校②

001_28_3足利学校表の庭園。美しい。

001_27_3左手茅葺きの大きな建物は足利学校の大教室。

001_41_4脇玄関に並ぶ孔子や孟子などの像。

001_42_2大教室の一角に初級漢字試験のコーナーがあった。

001_43_2大教室横にひな人形がいくつか飾られていた。

001_50_3藤棚の向こうは学生寮。

 孔子を祀る大成殿の、向かって右手に大きな茅葺きの建物がある。その前がきれいな庭園になっている。庭園に面したところが大きな教室のようだ。建物の裏手には素読の部屋などいくつもの部屋がある。玄関から入って中を見学した後、大教室で漢字試験に挑戦した。初級のテストと言うことで60点以上が合格、80点以上が優秀と言うことだったが、問題がやさしかったので100点満点だった(エヘン)。

 足利学校はきれいに整備されていて気持ちのよいところだ。足利を訪ねたら一度行くことをおすすめする。どんなに丁寧に見ても一時間ちょっとしかかからない。すぐ裏手に元足利氏の邸宅だった鑁阿寺(ばんなじ)があるので、併せて見学するとよい。

 この後昼食を食べて鑁阿寺に向かう。
















足利学校①

001_6足利学校入り口。入場料400円。

001_11_3いりぐち入ってすぐ左に立つ孔子像。

001_13_3中門。「大学」の額がかかっている。

001_22_2大成殿。これがメインの建物。孔子像が祀られている。

001_24孔子像。中央に鎮座する。

001_25小野篁像。孔子像の向かって右手にある。

 桐生で友人と痛飲、歓談して一泊し、翌日は隣町の足利へ。足利学校を見たかったのだ。このあたりを仕事で走り回っていた30年以上昔は足利学校は寂れ果てた状態のままで建物も大成殿と2、3あるだけで庭もみすぼらしいものだった。

 案内所横のホールで見たビデオによると昭和55年頃から本格的な再建が始まり、平成5年にすべての遺構が整ったという。ここは日本で最古の学校である。いくつか説があるようだが、開校したのは百人一首でも知られる小野篁だろうかと思われる。大成殿に孔子の像と並んで祀られていることからそう思う。この足利の地に足利氏の後援を受けて歴史を重ねてきたようだ。盛んだったり、寂れたりを繰り返し、江戸時代後期以降、戦後まで名前のみ知られる場所になっていた。


 

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・西堂

 円明園からの帰途、海淀から道を転じて柳塘(柳の立ち並ぶ堤)の下を過ぎ、道々馬子の節の面白い歌など聴きながら、万寿寺と称する大伽藍を見物して、西堂にいたる。
 西堂は元来北京城内の西部にある天主堂で、ここはエスイット教宣教師に賜った墓地であるが、また西堂と称している。団匪の乱(義和団の乱)に多くの教徒が殺されて墓地も会堂もことごとく破壊されたけれども、その後清朝から相当の賠償金が送られて、再び会堂を新築して墓地を修理し、元のすがたに復した。
 会堂は全くの西洋風で、煉瓦の壁に多くの石碑を挿入している。その後ろに一帯の墓地があって、マテオ・リッチ、アダム・シャールなど有名な宣教師の墓が立ち並んでいる。かれらはみな神明の光によって福音をまだ見ぬ同胞に分かち与えようと、故国を遠く数千里も離れた異域に来たのである。孤影煢々(けいけい)何をもってか客心を慰めむ(ひとりぼっちで故郷を遙か離れ、異郷にいる寂しさをどうやって慰めよう)。語るに友なく、誰とともに憂いを分かち合うのか。しかも道のために満腔の熱誠を尽くし、すべての困難をも顧みず、ついに骨を他郷に埋めるに到っても何ほどのことも意にかいさなかったのである。その信仰の確固たることは誠に感服の至りである。彼らのうち二、三は康煕帝、乾隆帝の時代に非常な信任を受け、あるいは欽天監正となり、天文、暦数などの学問に貢献することが少なくなかったが、布教の上にはついに顕著なる効果を奏しなかった。その壮志は大いに悲しむべきものがある。
 墓は煉瓦で長方形に築き、上部を蒲鉾形に塗り、その前に大理石の碑文を立て、その石碑には右に漢文、左にラテン文を用いて銘を刻んである。碑面を撫してこれを読み、当時のことを偲んで佇んでいると、この日はちょうど日曜日で、洋々たる奏楽につれて合唱する賛美歌が、会堂から漏れて風のまにまに聞こえてきた。

2012年2月10日 (金)

桐生川

 妙義山を後にして元へ戻り高崎へ向かう。高崎は道がわかりにくい。肝心の所の標識が外から来た人にわからない地名なのだ。高崎から伊勢崎へ抜け、伊勢崎から桐生へ到着。まだホテルに入るにはだいぶ早いので桐生川をさかのぼって桐生ダムを見に行く。

 桐生川は清流である。昔友達と上流の鮎の梁へ行ったことがある。ダムの手前にあった蕎麦屋で蕎麦を食べる。

 ダムを通り過ぎると道が一気に狭くなる。その狭い道の真ん中で穴を掘って工事をしている。工事の人たちが工事を止めて慌てて小型のユンボで板を渡して通してくれた。ほとんど車が通らないからこんなことができるのだ。その先は昔あまり狭くて危ないので引き返したことのある道だが、地図では春木ダムまで通じているはずだ。どんどん進む。道はさらに険しく狭くなり、雪が凍結してツルツル滑る。

 春木ダムに着いたときは心底ほっとした。そのまま赤城へ抜けて桐生へ戻った。

98桐生川ダム。風が冷たい。

9この蕎麦屋で遅い昼食。

103車が一台しか通れないところで工事中。ここを強引に通った。

104桐生川の清流。

106源流に近いところは凍っていた。

111春木湖と春木ダム。ここへ出たときはほっとした。ここから先は快適な道。ここが渡良瀬川の上流に当たる。ここからさらにさかのぼっていくと足尾銅山に到る。有名な鉱毒水の場所だ。














妙義山

 妙義山の山容は異様である。あまり日本の山では見られない景色であるが、碓氷峠を下りたこのあたりには似た景色が結構見られる。上信越道を群馬県から長野県へ抜けていくときの左右の景色は見物である。

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中国ウオッチ・後悔薬

 中国のネットショップで後悔薬が売られているそうだ。うたい文句によれば、挫折したとき、失敗したとき、現実から逃げ出したくなって「もし・・・」と後悔したくなったときに服用するものだそうだ。

 値段は日本円で10円から数百円でお手頃な価格。「愛情後悔薬」「子供用後悔薬」「ダイエット後悔薬」などいろいろ種類がそろっている。商品写真には白いプラスチック製の瓶に「後悔薬」トラベルが張られていていかにも薬瓶のようである。

 注文すると送られてくるのは錠剤などではなくて、テキストファイルだそうだ。お笑いジョークや、元気の出る文章、場合によっては哲学の文章の場合もある。

 評判はおおむね良好。皆このジョークを楽しんでいると言うから中国人も進歩したものだ。

 きっと日本でもまねするやつが出てくるだろう。

妙義神社②

今回は写真のみ。

42美しい灯籠です。


46本殿へ上がる階段。工事中なので上がれない。

49仮本殿の横手。

51仮本殿正面。







妙義神社①

 碓氷峠を下りて高崎方面に進まず、右手に折れて妙義山に向かう。しばらく行くと妙義神社がある。立派な神社だ。神社の真後ろが妙義山で、神社の横手の道が妙義山への登山道の一つになっている。急な坂道を登り、おおきな山門(神社でも山門というのかどうか知らないが仁王像がある)をくぐる。いくつかの社殿があり、そこからさらに急な階段を上ると本殿なのだが平成19年の台風による崖崩れで大きく破損、現在修復中である。朝の清掃をしていた地元の人に声をかけたら今年の秋か遅くとも冬にはやっと再建が終わると言うことだった。古い建物を仮の本殿にしてある。お賽銭を上げてお参りした。

31妙義山。

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37山門の真ん中に下がっていた釣り灯籠。








「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・円明園

 円明園は西山への道のりの半分くらい、海淀(ハイテン)駅の向こうにあり、元清朝の離宮で、結構壮麗、輪奐(りんかん・建築物の大きくて立派なこと)の美を極めたが、かの英仏同盟軍が北京を陥れたとき、進んでこの園中に入り、諸種の珍宝什器を奪い、ついに一切の建築を焼き、金殿玉楼を一朝にして烏有に帰せしめた。私は矢野、小林両君と馬を駆ってこの地に遊び、この荒廃した遺跡を弔おうとしたが、一兵士が門前でがんばっていて園内に入ることを許さず、致し方ないのでその傍らの、昔は園中の一部かと思われる小さな丘があったのでその丘に馬で登り、その丘の上から遙かに展望すると、園中の光景が眼下にはっきりと見える。右手には煉瓦の破片が累々としたなかに崩れた壁の一部が立ち残っていて、ものの哀れをとどめている。昔は鶴が舞ったであろう園中のあちこちはいたずらに雑草が生い茂るばかりで、左手には麦が青々としているのが見えた。我々は麦秋歌を口ずさみ、はるかに弔意を寄せて去った。

2012年2月 9日 (木)

碓氷峠

19この辺の山は形が変わっている。もっともすごいのが妙義山だ。この後行く。

26_2上の写真の陸橋の下まで行って撮った。峠も一番きついところは過ぎた。

 冬の軽井沢の別荘地というのを写真に撮りたいと思わないこともなかったが、バイパスを快適に走っているうちに通り過ぎていた。軽井沢には蕎麦屋が多い。しかもうまい。ただ高い。昔熊谷に住んでいたときにドライブがてら蕎麦を食べに何回か来たことを思い出した。

 碓氷峠を一気に下る。景色がいいのだが急坂できつい屈曲の連続なので運転に集中した。エンジンブレーキをきかせていてもどんどんスピードが出る。途中二カ所ほどで写真を撮った。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・白雲観②

 さて白雲観の正面には一大牌楼があり、乾隆帝の御筆で洞天勝地と題している。第二の門を入ると中央に空濠があってこれに石橋を架している。この橋の下に東西に各一人の道士が瞑目合唱して座っている。その様子は乞食僧のようである。しかし、参詣人はこれを神仙であるといって賽銭を献じている。善男善女の喜捨を得ようとしてこの僧らはかくのごとく終日瞑目合唱静座していなければならない。瞑目はしているけれども己の前に投げられた賽銭の多寡は、さぞかしあの僧の心眼に映じていることであろう。それともすでに新戦術の修行が積もって霞を食べて生きていけるのかもしれない。
 次々に霊官殿、律堂がある。律堂には太上老君すなわち老子を祀る。道士が朝夕興を念ずるところである。最後に玉清宮があり、玉皇を祀る。香の煙で室内は真っ暗となっている。宮前には邱処機の事実碑が建ててある。そうして、宮殿の四壁には紗灯を懸け、これには邱祖の一代記が書いてある。中でも律堂の後壁に一字一灯で、万古長春の四大灯籠がもっとも人目につく。
 観の後に春花園がある。石を積んで山にして山上に亭を設け、すべて中国風のコテコテした庭園である。その西方の鉄道線路に沿って跑馬場(パオマチャン)がある。跑馬とは馬を走らせることで、我が国の競馬に似ているけれども、ここではただ各自やや太った馬に跨がって玉鞭(ぎょくべん)を挙げ、あるいは軽車を駕して疾駆させるだけで、互いに轡を並べて先を争うようなことはしない。ほとんど無意味なものである。その上蹴立てる砂埃が雲のようで、目も口も開けていられない。それにみんな桟敷をかけるなどして見物している。私たちは塵埃の甚だしいのに辟易してついに神仙に合わず、かえって大学堂教習高橋、森岡の両君にであい、うち連れて帰った。 

2012年2月 8日 (水)

和田峠を越えて

12_4雪が風に舞っている。寒くて暗い。16_6佐久から軽井沢へ抜ける道から。正面が浅間山のはずだが、裾野しか見えない。

 先ほど桐生に到着。高速料金半額を狙って朝四時ちょっと前に高速に乗ったので、休みながらゆっくり行ったのに和田峠でやっと夜明けだった。峠の登り口ではねられたばかりの狸を見た。ライトに眼がぎらりと光った。

 峠の最高点は1300メートル以上。気温は零下五度。小雪が降っているが寒いので雪は積もらず風に舞っている(写真)。

 和田峠から佐久へ抜ける。佐久からまた高速に乗るつもりだったが、時間が早いのでそのまま地道で軽井沢へ抜けて、妙義山を見てから碓氷峠から高崎、伊勢崎、桐生に行くことにする。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・白雲観①

 白雲観は北京西便門外にあり、元の邱処機(きゅうしょき・人名)すなわち長春真人の開基で、道教では最も重要な霊場の一つである。邱処機は不世出の豪傑で、あの有名な元の世祖クビライの尊信を得て、政治上にもその手腕を振るったことは、あたかも天海和尚と徳川家康の関係のようなものである。そしてその開基した白雲観は北方道教の随一となった。その遺風は今も残り、中には道士が数百人いる。
 正月元日から二十日まではこの白雲観の開廟である。常駐の士女が訪れて賽銭を上げるものが多く、車馬が絶え間なくやってくる。特に十八日は会神仙といい、この夜は往々神仙に会うことがある。もし幸いに神仙に会えれば、発財(フアツァイ)つまり金満家になるという迷信がある。それでこの夜は参詣のものは皆徹夜で万一の僥倖に出会わんとする。開ければ十九日、すなわち長春真人の生まれた日で、これを燕九節(えんきゅうせつ)という。この十八、十九の両日は参詣者は平常の倍もいて観内は身動きできないほどの騒ぎである。私もあわよくば神仙に会いたいと思って、小林、矢野両君と白雲観に詣でた。
 順治門を出て城壁沿いに西に行き、西便門を出てさらに西に行くこと数町で白雲観に到着する。観の付近の空き地には数百輛の馬車を置き、乗ってきた馬は付近の樹木につなぎ、あるいは十二三歳の子供一人で、五、六匹ずつを一所に引いて散歩をさせている。これらは皆城中の士女の乗ってきたものである。またあちこちに攤子(タンツ)すなわち露店を出して元宵餅(ユワンシャオピン)、糖葫蘆(タンフロ・葫蘆という小さい果実に蜜をかけたもの)その他飲食物および玩具等を売っている。また覗き眼鏡があり、節(ふし)面白く唱いながら見物人の興を引いている。

2012年2月 7日 (火)

佐伯啓思著「反・幸福論」(新潮新書)

 反・幸福論である。不幸論ではない。幸福とは何だろうか。
 GDPの代わりにGNH(グロスナショナルハピネス)=国民総幸福量という指標を元に国を経営しているというブータンが話題になった。幸福は気持ちの問題ともいえるので同じ状況にいても幸福と思う人とそう思わない人がいて比較するわけにはいかない。だから数値化ができないものだ。
 問題なのは、我々には幸福になる権利がある、と思わされていることではないだろうか。頭の良し悪し、美人か残念ながらそうでないか、金持ちか貧乏か、など比較することが可能であることの違いで人は不幸であると感じることがある。努力で何とかなることならよいが、どうしようもないことの方が多いのがこの世である。世の中の不公平さこそが不幸の原因であり、それをなくすように変えていけば人は幸福になれると思われている。
 でもそんなことでは人は幸福になることはできないのではないか、というのがこの本の言っていることである。同感である。幸福なんて求めるほど逃げていく。幸福にこだわることをやめれば楽になるのではないだろうか。幸福は後になって回顧するものかもしれない。
 その視点で見てみると今のマスコミも政治家も皆幸福追求を絶対正義のように振りかざしてものの価値を計っている。皆幻想に踊らされているのだ。私はおかげさまでいつでも幸せだ。

出かけます

 今晩から一週間くらい出かけます。娘に留守を頼みました。

 明日は中央道から諏訪湖、和田峠から佐久へ抜け、上信越道、北関東道を経て桐生へ行くつもりです。夜は桐生で旧友と久闊を叙するつもり。車なので一応パソコンを担いでいきますが、いつものように更新ができるかどうかわかりません。その後千葉の身内を訪ね、来週は兄貴分の人とこれも久闊を叙してから帰ってくるつもりです。

 四月か五月にシルクロードへ行くつもりで資料を集めました。想像するだけでわくわくします。しかし熟考の結果、今年はやめておくことにしました。シルクロードへ行くとなると最低でも30万円以上の費用がかかる。また、決心をするにはやや遅すぎた。秋には友人との海外旅行が控えている。体調の調整にも努めなければならない。以上のことからシルクロード行は来春に延期することにしました。冬は寒く夏は暑く、秋は高いのです。そう決めたらさばさばしました。ただその代わり国内でまとめて旅をするつもりですが。

 

中国のトイレにはドアや仕切りのないものがある。慣れないと、よほど切羽詰まったときしか利用できない。しかし北京オリンピックや上海万博を契機として都市部では公衆トイレの整備が進み、見違えるようにきれいなものが見られるようになった。喜ばしいことである。
 巨大都市・重慶(人口2000万人を超える内陸の工業都市)でも公衆トイレの改善が進められ、滑り止め防止タイル、トイレットペーパーの設置、観賞植物の配置などとともに、「空き室の表示」サービス導入を行った。これまではそれぞれのトイレの戸の前で並ぶ方式を、空き室表示のモニターがある場所の前にベンチを置き、並んだ順にトイレが利用できるようにしたのだ。中国としては画期的なことである。
 ここまでしても無料なのは特にありがたいことだが、市民の中には、今にモニターに、トイレに入ってからの時間が表示されるようになって時間制料金を取るようになるだろうと心配する向きもあるという。
 そうなったら落ち着いて利用できなくなってしまうが、考えすぎだろう。それよりも中国もウォシュレットになるともっとうれしい。

中国ウオッチ・不動産不況

 一昨年前までバブル状況で投資先のメインだった不動産業界が、昨年後半から急激に冷え込み、四ヶ月連続して前年割れの成約数になっている。 中国の新聞社の報道によると、北京の新築住宅物件は前年に比べて予約が45%減少し、平均価格が25%下落した。
 不動産会社は資金繰りから何とか販売を確保しようと販売価格を下げているが買い手がつかないケースも増えている。どんどん上がると思われている間は早く買わなければ高くなると思って購入にドライブがかかるが、下がりだせばもっと下がるのではないか、と思ってますます買わなくなる。
 中古物件に到ってはさらに大幅に成約が減少しているそうだ。
 すでに大手企業はほとんど不動産部門を撤収済みであり、今はババ抜きのババを誰が手放し損なうかというところのようだ。中国はヨーロッパの不況の影響が予想外に深刻で、今年のGDPの伸びはかなりダウンするとの予想もある。

「清末見聞録(清国文明記より)」・謝畳山祠

 文文山(ぶんぶんざん・名前)と並んで二山と呼ばれた宋末の忠臣謝畳山(しゃじょうざん)の祠は、法源寺の北にある。法源寺を見て帰路思いがけずその祠に出会えたのは望外の喜びであった。
 公が魏天祐(ぎてんゆう)のために強制的に燕京(今の北京・当時の元の首都)に連行されて、謝太后の殯処(ひんしょ)、および瀛国公(えいこくこう)の所在を訪ねて再拝慟哭してついに病に臥し、幾ばくもなく憫忠寺に移った。たまたま寺の壁間に曹娥(そうが)碑を掲げているのを見て、泣いて曰く「小女子なおしかり、吾(われ)豈(あに)汝に若かざらむ」と。このあと絶食して死んだ。
*謝畳山については詳細を知りません。国が滅びるのを憂えて悲憤のうちに亡くなった人のようです。
 曹娥の話は「演技三国志」などにも引かれているから、珍しいことではないが、一応その由来を語ろう。昔、漢の和帝の御代、上虞(じょうぐ・虞はここでは役人の意か)に巫者曹盱(そうく)という者があり、舞が上手であった。ある年端午の節に酔って舟中で舞い、過って江(江といえば長江のこと)に落ちて死んだ。その娘曹娥はそのとき年は十四、江を巡って哭泣すること七日七夜、ついに身を江中に投じ、その後五日後に父の屍を背負って浮かび出てきた。そのとき彼女の魂はすでに天に帰していて身は空蝉の殻であった。里の人はその志を哀れんでこれを江辺に葬った。そのことがついに雲上の聞くところとなり、孝女として表彰し、邯鄲淳(かんたんじゅん)に命じて文を作らせた。淳、そのとき十三歳、筆を執ってたちまち文を作った。のち大儒蔡邕(さいゆう)がその文を読み、題して、
  黄絹幼婦外孫虀臼
という。                                            黄絹は色のある糸(絶)、幼婦は少女(妙)、外孫は女の子(好)、虀臼(さいきゅう)は辛味を受けるもの(辤・じ)、すなわち絶妙好辤の意味である。この物語は長く文壇の逸話となっている。謝畳山が読んだのはすなわちこの邯鄲淳が記した碑文である。曹娥は身を殺してついに父の屍を得た。謝公は国がすでに滅んで誰に向かって忠義を尽くせばよいのか。これが謝公が節を屈せずに絶食死を求めた所以であろう。
 明の景泰の時代に諡(おくりな)を文節と賜り、よって祠堂を憫忠寺のそばに設けた。なお文天祥の祠をその受命(刑死)のところに設けたようなものである。祠は文天祥の祠と同じほどの一棟で、中に肖像を安置してある。扁額には題して薇馨堂(びけいどう)という。これは謝公のことをあたかも伯夷・叔斉が周の粟(ぞく)を食わず、首陽の薇(わらび)しか食べず、ついに死んだのに似て、その馨香(けいこう・よい香り、そしてその香りが遠くまで届くこと)は千載(せんざい・千年)たっても香るとの意味であろう。

2012年2月 6日 (月)

100万台の携帯電話

 北朝鮮の携帯電話の加入数が100万台を超えたそうだ。2009年が7万台だったというからかなり急激な普及拡大だ。
 携帯は高速通信のできる第三世代の中国製だという。
 北朝鮮は確かに決して言及してはならない文言があるとはいえ、案外普通の生活をしている人も多いのではないだろうか。みんながみんな餓死寸前のような報道がされているが、そんな状況で携帯が急速に普及するとは思えない。
 支配者の世代交代もあった。ことによると改革開放が遠からずあるような気がするが、楽観的すぎるだろうか。

中国ウオッチ・科学の発展に邪魔?

 精華大学の教授が、科学雑誌ネイチャー誌上で「孔子や荘子の文化は中国の科学研究の発展を阻害する」との見解を示した。「孔子と荘子の文化は好奇心を抑制し、小さい尺度で自給自足を奨励し、イノベーションや商業化、技術発展を阻害する」そうだ。
 どういうことなのだろうか。
 科学という学問のことをいっているのではないようだ。たぶんグローバリズムという名の拝金主義的な技術競争には精神主義は邪魔だ、といいたいらしい。原爆を開発したことを一生の悔いに考えた科学者がいる。そういうことは考えるな、技術開発には道徳や正義はじゃまだ、といったのだろう。うがった見方をすれば公害を垂れ流しても恬として恥じない技術者の育成を考えているようだ。中国万歳。

中国ウオッチ・写真コンテスト

 中国の芸術写真コンテストで、入選作52点のうち半数以上の27点が受賞を取り消されたそうだ。
 理由は作品の多くが合成処理を施されているからということである。中にはほかのコンテストですでに入賞した作品があったので取り消されたものもあった。
 ところで日本では芸術写真に合成処理されたものはしばしばある。報道写真を合成するのは論外だが、芸術写真は特に問題があるとは思えない。たぶんこのコンテストには合成はいけないという条件でもついていたのだろう。
 中国は本物ではないものが横行している。このコンテストの審査員も合成=偽物と過剰反応したのかもしれない。

阿部謹也著「『世間』とは何か」(講談社現代新書)

 名著である(と思う)。
 元々個人というのはフランス革命あたりからの概念で、西洋発祥のものである。日本は明治以降西洋の思想を受け入れる中でその概念を獲得した。しかし西洋は個人という概念を獲得するまでに1000年近い年月をかけている。日本人は観念的に、わかったような顔でこの言葉を使っているが、本質をつかむまでまだ時間がかかるだろう。
 日本には個人の周りにオブラートのような、ゼラチンのようなものがまとわりついている(これは私のイメージ)。これを世間という。西洋の個人と公的なものの対立関係と異なり、日本では公的なものと向き合っているのは世間である。個人は世間のなから埋もれて融解している。
 世間とは何か。これを万葉集の浮き世(憂き世)から説き起こし、鴨長明の方丈記、吉田兼好の徒然草の文章の中の浮き世や世間に関する記述を取り上げる。そして浄土真宗を取り上げ、江戸時代では井原西鶴の物語を取り上げる。さらに漱石、荷風、金子光晴までが例として俎上に上る。時代とともにその意味が変遷し、定着し、今は日本人の精神に沈着して一体化してしまっている。
 これを丁寧に解析して、これはそのまま日本人の生き方、日本人論になっているのだ。200ページあまりの薄い新書なのに中身は濃い。労作である。世間というものについて元々そんなものだろうとファジーに理解していたことをかなり詳細に分析してくれたので新しい視点を獲得できたような気がする。ありがたいことであった。

 古典を勉強したのは高校の時くらいである。大嫌いだった(人のせいにして申し訳ないが先生がいけなかった)。しかしこの本では古典がたくさん引用されており、著者に手取り足取りしてもらいながら何とか読んだ。内容が深くてしかも共感できることを生まれて初めて知った。なんともったいないことをしてきたのだ。古典に再チャレンジしようと思った。

「清末見聞録(清国文明記より)」・法源寺

 唐の太宗が高麗を征したとき、士卒の戦死したものたちを憐れんで、その遺骸を収めてこれを幽州城西十余里の地に葬り、これを名付けて哀忠墓とした。また幽州城内に憫忠寺を建てた。ときに貞観十九年である。憫忠墓はいまその所在を訪ねてもどこか分からない。憫忠寺は今の北京外城茱子(しゅし)の西南、爛麺胡同(ランメンフートン)の西にある。明の正統七年再建されて名を崇福と改め、清の雍正帝九年再度再建されて「法海真源」の勅額を賜り、よって改めて法源寺という。その額は今も寺中大雄殿に掲げてある。
 寺中には楡、槐、松、柏が鬱然と生い茂り、樹下は苔むして塵ひとつない。そのため心身が爽快になるようである。唐のことわざに「憫忠高閣、去天一握」と称した寺中の高閣はその痕跡すらなく、寺中で最も古いものは遼の応暦七年に建てられた石幢(せきとう・石の柱)が一基、大雄殿の後ろにある。そのほかは明の正統・万暦・崇禎年間、および清の雍正・乾隆年間の碑がある。また寺中には唐李北海書を模刻した碑面がひとつあり、見る値打ちがあるものである。

2012年2月 5日 (日)

中国ウオッチ・中国語はロジックに欠ける?

 中国で科学技術関係のノーベル賞の受賞者がいないことについて、中国の教育心理学の専門家が「母国語である中国語がロジカルでないからだ」との見解を述べた。
 中国語には同音異義の言葉が多いことや、「救火」が火を消すという意味だったり、「吃食」が食堂で食べるという意味になるなど、ロジックに反するものがあることを挙げている。このように漢語を母国語とする人間はロジカル思考が不足するのだそうだ。
 科学技術分野の発明、発見には極めてロジカルな思考能力が必要なので、中国人はハンディがあると言いたいのだろう。
 こんなことは論証不能の意見なので言いたい放題だ。
 
 だから私もその理由について意見を言おう。中国は長いあいだ文化系の知識を持つものが価値があるとされてきた。それについて武、すなわち軍人、次いで商人、農民、最下層に職人という位置づけであった。工学的な知識は低く見られてきた。20世紀の初め、清王朝が瓦解してから、西洋の技術を受け入れるべき時にも日本のようにすみやかに行かなかったのは、そういう精神的な意識があったからだろう。これが列強の浸食を受けてしまった隠れた理由のひとつでもあるとさえ思う。
 その後日本との戦争のあと、社会主義国家として再生したとき、たいへんな間違いを犯した。漢字を簡体字に統一したことである。漢字は世界でも極めて珍しい表意文字である。漢字は確かに身につけるための労力はアルファベットなどよりはるかにたいへんだ。だが、アルファベットのような表音文字の場合はすべての単語のスペルを覚えるという作業が必要なのだから必ずしも楽なわけではない。識字率の低い国民の識字率を上げるために簡体字を導入したことで、漢字はほとんど表音文字になってしまった。そのためにほとんどの国民は過去の中国の文献を読むことが出来ない。遙かな昔のものではなく、戦前のものが読めないのだ。 少し脇道にそれすぎた。表意文字を理解し、駆使するという作業は極めて高度な知的能力を必要とする。そのチャンスを中国は自ら捨ててしまったのだ。
 さらに文化大革命という暴挙があった。すべての文化を否定するという名の下に、積み上げられた文化(科学も含めて)を全否定してしまったのだ。このために失われた文物と時間と精神的なものは大きい。
 これらのすべてが総合して中国は世界から立ち後れたのだ。
しかし、中国語の強みもある。中国語の語形は西洋と類似している。だから英語の習得は日本人より容易だと言われている。文化大革命以後、激しい競争にもまれて台頭してきたテクノクラートたちは海外に留学して英語を自在に操り、過去の偏見を全く持たない。
 だから彼らが育ってきた今、中国はノーベル賞予備軍をたくさん抱えているはずだ。たぶん遠からず中国はノーベル賞受賞者をたくさん輩出することになると思う、豊かなロジックを駆使して。

石光勝著「テレビ局削減論」(新潮新書)

 テレビがおもしろくない。これは大方の人の実感だろう。テレビを見る人が減りだし、視聴率が低下している。そしてテレビ局はこの二三年赤字に陥りだした。これがすべて関係していることは誰でも少し考えれば分かることだろう。
 インターネットや携帯のワンセグは視聴率にカウントされない。また録画されたものもカウントされない。このような事情もある。テレビ局が赤字なのも景気が悪いから企業のCM費削減が影響しているだ、というのもあるだろう。ではなぜテレビはおもしろくないのか。当然金をかけられなくなったから食い物の話やお笑いタレントを集めたトーク番組やクイズ番組を主体にせざるを得ない。いつも同じ顔ぶれが楽屋話の暴露し合いで観客そっちのけでお互い通しで笑い合っている。楽屋落ちの話はたまに聞くからおもしろいので、四六時中繰り返されるとまともな人ならうんざりする。
 だからテレビ局を削減すべきだ、というような短絡的な本ではこの本はない。200頁ちょっとのこの本は実にテレビ業界、いやメディアについて詳細に論じた労作である。
 日本のテレビの民放キー局は5社、それはすべて新聞社と強く連携している。日本テレビは読売新聞、TBSは毎日新聞、フジテレビは産経新聞、テレビ朝日は朝日新聞、テレビ東京は日本経済新聞であることは周知のことである。すべてのキー局が新聞社と関連しているというのは世界的にはあまり例がない。これはテレビ局をキー局とその傘下の地方局に編成するときに、当時の郵政大臣だった若き田中角栄が作り上げたものだった。当初とは若干系列が変更しているが現在も構造は全く変わっていない。これがメディアとしていささか問題があることについてこの本は言及している。
 またテレビ局のやらせ問題の本質とは何かも論じている。ドラマもドキュメンタリーも、今ではバラエティーも番組の多くがテレビ局独自に作られているものはわずかであり、下請け、いやほとんどが孫請けの制作会社の作ったものである。そしてテレビ局の職員の給料は入社して3年もすれば600万円以上なのに孫請けの制作会社の社員は半分以下である。一本の番組の費用も、多くをテレビ局と中間の手配会社に中抜きされて半分以下、ひどいときは三分の一、四分の一になる。これでちゃんとした番組を作れという方が無理なのだ。手抜きがでるのも当然なのだ。ついには安いからという理由で韓国ドラマに頼る始末である。しかし韓国ドラマには安くてもすばらしいものがいくつかある。
 その他多くの問題と現代のインターネットが普及した状況との関係が詳細に解析され、結果としてキー局を現在の5局から3局に減らすべきであると提言している。アメリカや韓国、ヨーロッパなど、他国と比べても日本の5局は多いそうだ。
 今のように経営を維持するためにCMを大量に流し、なおかつ番組のつなぎの部分をCMの前のところを繰り返すことで番組全体をますます薄く短くしていく手法はすでに限界を超えている。私は有料局を充実してくれればそれとNHK(これも有料か)でいいとすら思っているが、この本は少なくともこのくらいしないとならないという、テレビ局内部からの真摯な提案であると感じた。

中国ウオッチ・97%

 ネットユーザーに「韓国政府は中国漁民に謝罪をすべきか」というアンケートを採ったところ、97%が「謝罪すべきである」と答えた。
 設問そのものがおかしなものなので仕方がないかもしれないが、97%と言うのは恐ろしい数字である。昨日予想したとおりなのにもびっくりした。「韓国政府は暴力を振るったのだから謝罪するのは当然で、さらに中国漁民に損失を弁償すべきだ」と答えるものが多かったという。
 ただ残りの3%は「事件の結果はどうであれ、中国漁船が先に韓国の排他的経済水域で違法操業したのであり、韓国側に先に謝罪を要求するのは道理に合わない」と答えたようだ。
 アジテーションにもかかわらず、まともにものを考えることの出来る人が中国には3%いることが分かった。

「清末見聞録(清国文明記より)」・天壇-五壇

 天壇は城南永定門内の東にある。周囲十里(約4キロ)を垣で囲っている。明の永楽帝十八年に作ったものである。門を入ると松柏が鬱蒼として草花もきれいに整えられたなかに一本の路がある。放牧された馬などが木陰に眠ったりあるいは草の上を走り回っている。中門を入り右に折れて塹壕に架かった橋を渡り、別に一廓(いっかく)を成した門の中に入ると、中に一宇の殿堂がある。これは天子が親しく天壇を祀る時の休憩室である。殿中にはただ一脚の椅子があり、その後ろに木製の屏風が立てられている。これが玉座である。椅子および屏風はすべて紫檀および楠を用い特に屏風には南画風の山水の彫刻を施しすこぶる精巧ではあるが、楣間(びかん・ひさしなど屋内の高いところ)に乾隆帝の御筆で「欽天旱天」の扁額が懸かっているだけで、室内の装飾は別に見るべきほどのものもなく割合に簡素である。
 便殿から南へ行き一門を入り、松柏の茂った中を過ぎると、ここに圜丘(かんきゅう・円丘)がある。いわゆる天壇がこれである。壇は三段から成り、最下段は径二十一丈(約63m)、中段は計十五丈(約45m)、上段は径九丈(約27m)、高さは各五尺(1.5m)、その形が円形なのはいわゆる天円地方の説によって天をかたどったものである。天子はこの壇に上がって遙かな蒼穹を仰いで天を祀るのである。この圜丘の北に一殿があり皇穹宇(こうきゅうう)という。また、その北に高い堂宇があり祈年殿という。いずれも天をかたどって円形である。北京城壁の上から南方に碧瑠璃の瓦色燦然とした高塔を望むのはすなわちこの祈年殿である。
 天壇の西方大街を隔てて先農壇(せんのうだん)がある。中に先農壇、天神壇、地祇壇、大歳壇等を設けてある。ここでは天子が自ら籍田(せきでん・天子が祖先の霊に備える米を作るために耕作する田)の祭りを行う。そのほか城東朝陽門外、東嶽廟の南方に朝日壇(ちょうじつだん)があり、また城西阜城門外に夕日壇(せきじつだん)があり、城北安定門外に地壇がある。春分には日壇に祭り、夏至には天壇に祭り、秋分には月壇に祭り、冬至には地壇に祭る。以上天壇、地壇、日壇、月壇、先農壇を総称して五壇という。北京観光の客は天壇に行かないものはないが、ほかの四壇に行くものは極めて稀である。実際天壇が最も整備されていて、先農壇がこれに次ぐが、ほかの三壇は規模も小さくしかもずいぶん荒れている。五壇の沿革や祭祀の法などはあまりにも専門的だからここは省略する。

2012年2月 4日 (土)

女は港、男は舟よ

 今は女性が港ではなくなったかもしれないが、男は舟だと思う。私が男であることが確かなら少なくとも私の実感だ。最近の草食系男子については知らない。
 その舟が11月後半から航海もしないで停泊している。停泊しているのは港ですらない。旅への想いがオーバーフローしかかっている。昨日名古屋に出て中国旅行のパンフレットをあちこちの旅行社でかき集め、今日はインターネットでいろいろ情報を集めた。
 シルクロードへ再び行くことにほぼ気持ちが固まった。気持ちが固まっても先立つものはない。ないけれど行きたい。だから行くことにする。あとはどうなときゃあなろたいだ(おてもやんの歌詞のつもりだけれど耳で聞いただけで正しいのか意味があっているのかも知らないが、気分だけ)。覚悟を決めて予約を入れよう。
 三ヶ月近くもじっとしていたのは何年ぶりだろう。まず動き出そう。予定をばしばしっと立てて来週から走り出すことにした。まず桐生のお友達に電話した。快諾してもらったので桐生の宿をネットで確保。その後は千葉の関係先(親元や家内の実家など)に泊まり歩く。そして久しぶりに柏の兄貴分の人と千葉あたりで飲むことにする。
 2月の後半は、すでに大阪の兄貴分(北海道へ一緒に行った)と三日ほど(もうひとりいて三人旅)のちょっとリッチな旅に出ることが内定している。
 三月は車検。わあ、金がかかるなあ。でもテンション上がってるからいけいけだ。さあ旅の準備だ。「旅の衣を調えよ」!

中国ウオッチ・暴論二題

 日本政府が尖閣諸島周辺の無名の島に名前をつけると発表してから、中国政府を始め反日的な物言いがいくつか成されている。中国政府は国内向け的なポーズの意味で言っているところがあるのでおいておくとして、特に極端なものがあったので紹介する。
 北京大学の孔慶東(コンジンドン)教授(過激な発言で知られる)は「日本の暴挙に対抗できるのは戦争だけだ。中日関係を徹底的に解決するには説得だけでは無理である。武力に訴えなければ効果的な結果は得られない」と呼びかけているそうだ。
 なんと島に名前をつけたから戦争を仕掛けろと呼びかけているのだ。名前をつけることが暴挙なら戦争は暴挙ではないのだろうか。こんなむちゃくちゃな教授が北京大学にいるというのが信じられないが、中国ではどう見られているのだろうか。だいたいこういうおっさんは、自分や自分の家族が戦争に行くとか戦禍に遭うなどと言うことは全く思考のうちにない。たぶん文化大革命時代に紅衛兵をやって多くの人をリンチにかけて平然と生き延びた人間かそのたぐいだろう。
 

 中国のある海洋専門家が、先月中国の漁船が韓国の排他的経済水域で違法操業して韓国海洋警察に暴行を受けた事件が中国で話題になっているのを受けて、「中国政府は再三韓国政府に道義的な対応を求めてきたのに、このような暴力事件を起こすとは韓国は非常に悪辣である」と述べた。この事件の際に韓国海洋警察側にも負傷者がでたのだが「それは韓国の言い訳のためのでっち上げに違いない。韓国海洋警察はそもそも暴力的であり、中国漁民をやりたい放題に殴打して被害者のように装っている」と断定した。そして「中韓国交正常化20年の年にこのような事件が起こったことを韓国政府は軽視すべきではない。改めなければ両国の関係に甚大な影響を与えるだろう」と中国政府の代わりに警告した。

 中国政府もたいへんである。こういう暴論にそそのかされる人間は必ずいるものだが、暴論で扇動した当人は途中で必ず姿をくらますもので、責任などとらない。結局最もバカなのは考えもなしにアジテーションに乗ってしまう輩なのだ。これをコントロールしなければならない。これは韓国にも数多くいる(なんとなく韓国の方が割合が多そうだ)から、ののしりあいが続くだろう。しかし考えようによっては中国もこのようなことすら平然と言える国になったのだ。めでたい。

中国ウオッチ・欧州支援

 ドイツのメルケル首相が二日と三日、中国を訪問して温家宝首相と会談した。その後の記者会見で温家宝首相は欧州支援を検討していると述べた。
 以前にもEUの要請を受けて中国は支援を示唆していたが、その見返りとして要求していた条件が、EUにとっては受け入れがたいものであったため具体化していなかった。今回メルケル首相がどの程度の妥協案を出したのか、そして中国はどの程度の要求に変更したのかは全く分からない。しかし互いに狸である。過剰な要望をぶつけ合いながらいくらかでも有利なものを獲得するべく話し合ったのだろう。
 たぶん妥協点が見えたのだろう。これでEUは一息つくだろう。そして同時に中国はEUに対する発言権を確保することになるのだろう。
 日本の外務省、そして政治家諸君、これが外交なのだ。日本が豊かであった時代、かなりの金をアメリカや中国、韓国、東南アジアにばらまいていたように記憶するが、日本の発言権やポジションがそれで上がっただろうか。何かその遺産でも残っているだろうか。取り返しのつくことではないし、そんな時代はもう来ないだろう。残念だ。

 これからの日本の若者は、自分自身の実力を上げて自分の力で世界の中で競争していかないといけなくなった。今までのように、日本という金看板で、国内だけで日本の企業の力を背景にすることは出来ない時代になった。心ある若者はすでにそれを知っていてがんばっているようだ。君たちに期待する。自分探しなどとたわけたことを言って努力を怠り、下流志向している人たちは、もう親も面倒見切れなくなって、自分で自分の始末をするしかないことに気がつきだしているから、それに引きずられないよう前を向いてチャレンジして欲しい。人の分まで働くことはすばらしいことで、ちっとも損なことではないのだから。
 

朝寝坊

 また朝寝坊してしまった。だいたい朝早く起きる方なので、朝寝坊すると罪悪感がある。昨晩は撮りためていたドラマを明け方まで見ていたのだ。「リゾーリ&アイルズ」というアメリカのドラマでこれは第二集のようだ。

 このドラマはボストン市警の女性刑事リゾーリと女性鑑識官アイルズのコンビが、ボストンで起こる事件を次々に解決していくもの。ふたりの性格が際立って異なっていることから時にぶつかり、対立し、それを乗り越えることでかえって信頼感が増していくという仕立てになっている。一話45分程度なので、あまり複雑な話はないが、テンポがめまぐるしいほど速いので中身は濃い。今回は全体で10話か11話らしいが、現在5話まで進んでいる。それを昨晩全部見たのだ。

 日本でも同様のドラマはいくつもあり、たまに昼間再放送しているのを見ることがある。金もそこそこかけているし、ストーリーもいろいろひねってあるのだがどの話も前に見たことのあるような話ばかりに感じてしまう。最近そこそこおもしろいドラマと言えば「相棒」のシリーズくらいか。性格上最近は恋愛ドラマは全く見ないのでそのジャンルは「ドラマ」というくくりには含んでいない。

 特にいけないのが二時間枠をとったミステリードラマだ。意外な犯人を設定するために無理な仕立てにするので、話そのものに無理が生じてしまう。不自然な展開は興味を著しく損なう。現実とあまりにかけ離れた人物造形のものが多すぎる。そこに俳優のオーバーアクションが入るとくさくて見ていられない。

 浅見光彦シリーズでも、原作はそこそこ皆おもしろいのに、配役が原作のイメージを著しく損なっている上に、事件の背景に絡む人たちの哀しみや怒りが十分表現されていない(表現しすぎて表現になっていないということもある)から、ただただ犯人を捜すだけの消去法パズルみたいなものにしてしまっている。

 あまり丁寧にドラマを見ているわけではないのに一方的な言い方になったが、これが「リゾーリ&アイルズ」というアメリカドラマを見ていて感じたことである。このドラマはおもしろい。来週も続きを見よう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・瑠璃廠

 書肆などがあることで広く一般の日本人に知られている瑠璃廠(ルリチャン)は、城外前門大街から西数町のところにある。この地はもと瑠璃窑(よう)を設けて五色の瓦を製造していたので瑠璃廠という。ここには書肆、古玩舗(こがんぽ・骨董品屋のことか)が立ち並び、聖経賢伝および古書画骨董など、ひとが垂涎措く能わざるものが少なくない。城内隆福寺にも七、八の書肆はあるけれどとうていこの瑠璃廠の盛大なのには及ばない。
 書肆では室の四壁に棚を作り、書籍を満載しこれに署名を記した紙片を附してある。客はまず店に入ると店員に挨拶すると、店員は客に椅子を勧めてお茶をだし、そうしてどんな本を要望するか聴く。なかなかに人をそらさない応接ぶりである。往々写本や珍本も少なくないが、たいていの本は頼んでおけばきっと探し出してくれる。ただ同じ書肆でも一定の価格がなく、高いか安いか決まっていないので、彼らの駆け引きの巧妙なのには弱らせられる。骨董については特にそれが顕著で、とうてい素人の玩ぶべきものではない。

2012年2月 3日 (金)

中国ウオッチ・破産寸前

 昨年11月の中国漁船の船長が韓国海洋警察の警官を刺殺した事件以来、韓国の中国漁船の取り締まりが強化され、拿捕された場合の釈放の罰金が引き上げられた。日本も尖閣での漁船が巡視船に体当たりしてきた事件以来取り締まりを強化し、拿捕も行っている。
 山東省の漁業会社によると、韓国や日本方面で操業していた中国漁船が漁が出来なくなってつぎつぎに帰還しているという。燃料も上がっており、船員に払う給料も出せない状態でこれでは破産だ、と嘆いているという。
 近海の黄海や渤海湾では食用になる魚がおらず、漁で捕れる魚は家畜の飼料用の魚粉にするしかない魚ばかりだという。その魚粉も、ペルーあたりから安価なものが輸入されていて価格も安く、採算が合わないそうだ。
 もしこのままの状態が続くなら2012年には中国沿岸の漁業会社の多くが破産に追い込まれるだろうということだ。
 たびたび言うが原因は明らかだ。近海の魚を根こそぎ捕ってしまうから残った魚は小魚しかいない。その小魚すら肥料用や飼料用に取り尽くしてしまったのだ。金の卵を産む鶏をさばいて食べてしまったのだ。金の卵も鶏もいなくなってしまった。自業自得である。
 これで漁業会社が軒並み破産し、漁をしなくなれば、5年もするとまた魚が棲息するようになるかもしれない。ハタハタは乱獲で激減したが、禁漁にしたら3年で回復しだした。海はつながっているのだ。
 ただし海を汚し続け、少し捕れだしたらまた根こそぎ捕るようなことをすれば同じことだろうが。
 中国のためにも日本と韓国は取り締まりを徹底すべきだと思う。

中国ウオッチ・解放条件拒否

 スーダンで29人の中国人が反政府勢力に拉致された事件で、反政府勢力側から出された人質解放の条件をスーダン政府が拒否した。
 反政府勢力は中国側に対して、スーダン政府が条件をのむよう働きかけて欲しい、そうすれば人質を解放する、と伝えてきた。すでに中国政府は交渉その他のための人員をスーダンに送り込んでいると伝えられている(特殊部隊でも送ったのだろうか)。
 スーダンの反政府勢力というのはもともと南スーダン独立を求めていた勢力であり、現在その主力は独立した南スーダンの政府軍となっている。一部がスーダンに残留していること自体が異常なのだ。この主張(反政府勢力と軍事的に戦わない、そして反政府勢力の捕虜を解放する)を認めるとスーダンそのものの存立に関わることになってしまうのだ。
 ところでスーダンのバシル大統領は、一部マスコミでは「世界最悪の独裁者」と呼ばれており、西部地域のダルフールで住民少なくとも7万人以上を虐殺したといわれている。国際刑事裁判所はバシル大統領に逮捕状を出している。そのスーダンと中国は極めて親密な関係であり、昨年国際的な非難を浴びながらバシル大統領は中国を訪問し、歓待されている。
 こういうややこしいところとつきあう中国というのもなんだかなりふり構わないところがあってさもしい気がする。

中国ウオッチ・嵩山少林寺

 少林寺拳法で有名な嵩山少林寺はインドから来た仏教僧達磨大師の開いた由緒ある寺である。今は武術の聖地として、そして観光名所として中国では名が知られている。
 ところがここを訪れた観光客から数多くの苦情が寄せられているそうだ。調査によると、強引な客引き、白タクの多さ、僧侶が占いなどして金品要求を行うなどしていたことが明らかとなった。
 現在少林寺は観光ランクで5Aが認定されているが、認定している委員会は業務改善しなければその認定を取り消すとしている。
 しかし少林寺側は認定を取り消されても全く影響はない、とコメントしている。つまり改めるつもりはないということだ。考えてみれば少林寺は寺だから観光地としての管理をするいわれはないと言える。ただ僧侶がそれで金儲けをして観光客からひんしゅくを買っているのはやめさせた方がいいと思うのだが。
 むかし10~20年前頃に兵馬俑や万里の長城(中国の主要観光地はたいてい)を見に行ったときは駐車場から現地まで歩く間、群がるように物売りが押し寄せてきてほとほとうんざりしたものだったが、最近はだいぶ管理されているのか、客引きや強引な物売りは少ない(規制されていてもがんばっているものがいないことはないが)。
 少林寺は別に不法に山を切り開いて寺の拡張を行ったとして問題になってもいる。学生時代に少林寺拳法をかじったものとして哀しい。
 達磨大師が泣くぞ。

ドラゴンタトゥーの女

 デヴィット・フィンチャーの新作映画「ドラゴンタトゥーの女」が今話題である。これはもともとスウェーデンのミステリー作家の小説を原作として、スウェーデン・デンマーク・ドイツの合作で制作された「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」(この映画については最近既報)のリメイクである。
 今朝、テレビでおすぎがハリウッドリメークの方の映画を絶賛していた。私はそちらを見ていないので、おすぎが絶賛するならそうなのだろうと聞いていたら、原作がすばらしいのにスウェーデン・デンマーク・ドイツ合作の旧作の映画はつまらなかったと公言していたのに驚いた。
 感想は個人のものであるが、彼(彼女か)の映画評はある程度似た感性で受け取れるつもりでいたのにちょっとがっかりした。旧作は暗いトーンの中に北欧の空気感を表現して、物語の暗さを余すところなく伝えていた。俳優も文句なしにすばらしかった。
 だからおすぎがいうなら旧作もいいけれど、リメークはそれ以上にすばらしい、といって今度の映画を薦めるのが妥当なところかと思う。
 つまらなかったというのも個人的感想だ、というなら批評家として私はおすぎを評価しない。確かにつまらない映画は山ほどある。だが基本的に映画が好きで映画評論をしているのだろう。誰が見てもつまらない映画ならともかくある程度以上のものまでこき下ろして新しいものを推奨するなどというのはスノッブそのものだ。
 食通と称して最高のものしか旨いといわないたぐいだ。普通においしいものをおいしいといい、もっとおいしいものをさらにおいしいという、これが批評家だ。普通のもののうまさを見失った批評家は最高値を求めるただの味覚センサーだ。
 確かにこの頃のおすぎの映画評には切れがない。映画会社に迎合する物言いが多く、絶賛か全然だめ、の判断しかできなくなっているみたいだ。映画があまり好きではなくなったのか。元々そうなのか。今後彼(彼女)の批評は参考にするのをやめようと思った。

大沢在昌著「鮫島の貌」(光文社)

 優秀なキャリアでありながら事情があって新宿署で警部として単独で現場活動をしている鮫島は、通称「新宿鮫」と呼ばれる。新宿鮫シリーズとしてすでに10冊刊行されているが、外れがなくてどれもすこぶるおもしろい。読んでいない人がいたら是非お勧めする。
 この本はその番外編である。番外編というより、デッサンのような短編集といった方がいいかもしれない。それぞれの話は語り手が違う。鮫島の上司であったり、殺し屋だったりする。それが全体として鮫島の姿を浮かびあがらせていく構成になっている。
 中に両津勘吉が浅草であのままのキャラクターで出ている話もある。違和感がなくてしかも愉快である。鮫島のキャラクターが際立つとともに両津勘吉に対する著者の温かい視線も見えてくる。
 シンプルな話ばかりであるが全体として初めて見えてくるものがある書き方になっている。読みやすいので初めての人はここから入ってもいいかもしれない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・回子営②

 そもそも回教はモハメットの創始した教えである。彼は教典と剣とを左右に執り、教典を受けないのであれば剣を受けよ、と称して漸次その勢力を張り、西はアフリカ北部から東は中央アジアを経てついに中国にまで及んだ。現今中国では仏教、道教、ラマ教に次いでその信者も少なくない。北京だけでも礼拝寺は二十三カ所あるという。
 彼らは耶蘇教(キリスト教)と同じく上帝(ここではエホバの神か)を尊奉し、七日をもって一週とし、金曜日をもって礼拝日とする。彼らはこの礼拝日はもちろん、毎日五回ずつ礼拝を勤める。その教えは清真を尊ぶので、礼拝寺には必ず数多くの浴室があって、毎回の礼拝に先立って必ず沐浴する。さて浴室では水桶を高くつるし、一度身体を洗った水は流したままにして、決して一度手足を洗った水を再び用いることはしない。我が日本人を魚人種とし、中国人を豚人種とすれば、彼らは羊人種である。彼らは豚は不潔であるとして、ただこれを食べないというだけではなく、豚という名を口にすることすら忌む。アホンの下に四師傅(ししふ)というものがあって、屠殺のことを司り、すべて牛、羊、鶏、鴨などは、この四師傅が手ずからさばいて清めたものでなければ、これを販売したり食べたりしないとのことである。北京では羊肉舗は多くは回教徒である。なお北京中でいちばん大きな礼拝寺は外城西部の牛街にある。

2012年2月 2日 (木)

映画「レザレクション」

 1999年アメリカ映画。監督・ラッセル・マルケイ、出演・クリストファー・ランバートほか。
 聖書にまつわる猟奇殺人事件の物語。今日は右腕を失った死体、翌週には左腕のない死体、毎週身体の一部を切断された殺人事件が連続する。 捜査に当たったシカゴ市警の刑事・プリュドム(クリストファー・ランバート)は、死者の名前と残された数字から事件の意味と次の犯行を推理する。しかし犯人はさらに先読みしてついに刑事の家族に魔の手を伸ばす。
 レザレクションというのは復活、または復活祭のことである。
 ここまで推理ができているのに犯行を予想された場所で犯人を取り逃がしたり、警察のずさんさが目につく場面が多い。だから犯人はほとんど目的を完成させるところまで犯行を続けてしまう。また凄惨な犯行現場を見てやたらに警官が嘔吐するシーンがあるが、事件の残虐さを強調したつもりだろうがかえってしらける。
 この映画はあと20分くらい短くカットしたらもう少しテンポがでておもしろくなったと思うが、残念。
 クリストファー・ランバートは見た目が格好良くて好きなのだが、はっきり言って演技はへたくそだ。彼は現代物ではなくて古代とか中世とかの舞台設定が似合う。彼の出た映画でそこそこだったのは「ハイランダー」(ただし続編はいただけない)と「ベオウルフ」くらいか。

中国ウオッチ・絶戸網

 世界の漁業国は漁網の網の目に基準を設け、小さな魚は捕らないようにしている。幼魚を捕れば漁業資源が枯渇してしまうことが分かっているからだ。その当たり前のことを全く無視している国がある。
 絶戸網とは網目が細かい漁網のことである。この絶戸網を使用して中国漁船が漁をしているために、台湾海峡から尖閣諸島にかけての魚が激減している。特にこのあたりはウマズラハギがよくとれる漁場だったが、絶滅寸前だという。だから尖閣周辺に中国漁船が押しかけるようになったともいわれる。
 中国漁船は世界の嫌われ者で、ロシアのタラも中国漁船の乱獲で減少しており、ロシアは自国海域での中国漁船の操業を禁止している。またアルゼンチンのイカについても同様である。
 中国政府は絶戸網を使わないよう指導しているが、現地で管理している役人は漁師から多額のリベートをもらって見て見ぬふりをしているのが実情だ。
 中国は地球を食い尽くすシロアリか。そろそろ目を覚まさないと世界中から総スカンを食らうぞ。・・・まさかそのときのために軍備を拡充しているわけではあるまいな。

今野敏著「触発」(中公文庫)

 1998年発行のものの文庫化。日本で発生した爆弾テロの物語。
 爆弾テロの犯人と、自衛隊から派遣された爆弾処理のエキスパートとの戦いの物語だ。傭兵として海外で爆弾のプロとなった犯人が、限られた材料で爆弾を造り、それを最も効果的な場所で爆発させる。その爆弾作りの工程のリアルさが優れている。
 一触即発で生命に関わる作業の緊張感にシンクロできるかどうかがこの本をおもしろく読めるかどうかの分かれ目だ。
 この本の中に社会学についてかなりのページが割かれている。物語上必然性はあるのだが、今野敏が語りたいことをこのような形で表明しているとも言える。
 書かれた時代のせいでニューヨークの貿易センタービルの事件や東日本大震災は出てこないが、古く感じるところは全くない。
 つい最近文庫として出版されたので今行けば店頭にあるはずだ。

中国ウオッチ・島の喪失

 中国国家海洋局は、島嶼部の無秩序な開発によって海洋資源が著しく損失を受けており、現状復帰には最大日本円で一兆円必要だと語った。 同局は詳しい状況をさらに調査するため、2012年に「全国海島資源総合調査」を実施するという。
 すでに中国の島は乱開発で著しく破壊されている。島や珊瑚礁の爆破、埋め立て、採石採掘、島へのゴミの投棄、珊瑚礁の掘削、マングローブの伐採、希少生物の乱獲などありとあらゆる暴挙が行われているという。 中国は島の管理強化のために「海島保護法」を公布したことで島の破壊にはブレーキがかかったことになっているが実情は相変わらずらしい。
 つまりは金のためなら自然破壊など全く逡巡しないという恐るべき心性である。普通どこの国でも行き過ぎがあればそれに抵抗して守ろうという人たちが立ち上がるものだが、そのような話は聞いたことがない。中国の拝金主義の闇は果てしなく暗く深い。
 中国の沿岸部はこのような行動の果てに海洋資源は汚染で壊滅し、仕方がないから他国の漁場に越境して根こそぎ奪おうということになっているのだ。しかもその行動には悪いことをしているという意識がきわめて希薄なことが恐ろしい。
 このままでは中国の未来は暗いのではないだろうか。しかもその未来は案外すぐそこのような気がする。

中国ウオッチ・ガラスの雨

 上海では、2月から住宅、病院、学校、丁字路正面などの二階建て以上の建物はガラス張りにすることを禁止する条例が施行された。上海では昨年ガラスの外壁がくずれてガラスの雨が降る事故が相次いだためである。
 昨年五月には一日に3棟のビルのガラス壁が崩落した。8月には高層ビルの46階のガラス壁が一部崩落、幸い死傷者はなかったが地上の車両などに被害があった。
 調査によると上海には繁華街などに3655棟のガラス壁の建物があり、そのうち35棟に「深刻なリスク」があり、440棟に「リスク」があると判定されている。
 建築規制の緩かった時代の建物もあるだろうが、規制があっても事故が起きるまでは手抜きは判明しない、という論理で作られている建物が少なからず存在しているかもしれない。五年もたてば事故があっても外的条件やら不可抗力といういいわけが堂々とまかり通る世界だ。
 上海だけではないと思うと案外怖い。

「清末見聞録(清国文明記より)」・回子営①

 西長安街に沿って翰林院の西、牌楼の東、道路の南側に、本堂は全くくずれ果ててわずかに功労の壁が半ば落ちた形で昔の面影を残しているのを見ることができる。これがすなわち回教の礼拝寺であって、乾隆帝の時代に創建されたものだ。乾隆帝が即位された初期の頃、ジュンガルを平定し、ついに回部(回教徒の住んでいた地区)の各城を下し、その族長たちは王侯の爵位を与えられ、邸宅も与えられて、そのまま北京に住み着いたものはことごとく長安門の西に住まわされた。官に服し、役に就いたり店を授けられたのだ。北京の街の人々はその地を称して回子営(ホイズイン)という。この礼拝寺付近一帯の地は今も門上にトルコ文字を題している。彼らはすべて最初は回部から来たものの子孫である。
 明治四十年六月十五日、桑原学士とともに礼拝寺に行き、高楼の東から入り右へ折れてまた小門を入ると、かねて約束した矢野、小林両学士はすでに高楼の下でアホンと語っている。アホンとは回教の言葉で、道教の道士や仏教の和尚というようなものである。姓は金という。その祖先はカシュガルから来たとのことで、眉目は一見して蒙古人種とは異なる。またカイホアンというものがいる。その容貌はまるでインド人のようである。
 街路から見える高楼は望児楼という。それは回部の族長某が、その女児が宮中に召されたのを想って、常にこの楼に上がってこれを望んでいたためにそう名付けられたということだ。長安街を隔ててこの楼に対して紫禁城中の一楼がぬきんでて高く立っているのがある。これを見ると、あるいは父はこの楼に、女はかの楼に上がって街を隔ててお互いを思い合ったのではないだろうか。望児楼の南に乾隆帝二十九年仲夏勅建の回人礼拝寺碑記があり、南面には右にトルコ、左に蒙古、北面には右に漢、左に満州の四カ国の文字でこの寺の由来を記してある。 

2012年2月 1日 (水)

内田樹著「期間限定の思想」(晶文社)

 副題-「おじさん」的思考-。
 内田樹先生にかかると「思想」はきわめて具体的で分かりやすいものになる。たとえばこの本の第一章は「街場の現代思想」であるが、論じられているものは「大人になるとはどういうことか」「人はなぜ仕事をするのか」「断定するひとを見たらバカと思え」「邪悪なものが存在する」「女は何を望んでいるか」「フリーターの社会史的意味」等々。
 どの小見出しも魅力的でしょう。読んでみたくありませんか。そして内田樹先生は決してひとと同じことは言いません。必ず、あっそうなのか、とか、そんなこと初めて聞いたけど確かにそうかもしれない、という文言にあふれています。
 「断定するひとを見たらバカと思え」という言葉には断定が入っていますが、これは矛盾ではありません。これについてももちろん論理的説明がなされていますから安心してください。
 内田樹先生のいう正しい「おじさん」たちこそ日本を支えてきた人たちだし、私もささやかながらその一員であったという自負を持って生きていきます。「おじさん」よ、がんばろう。マスコミなんかに負けるな。

映画「ねこばん」

 WOWWOWで見た。猫がやたら出てくるので猫好きはそれを見てるだけで楽しいが、あまり好きでなかったり、嫌いだったらお勧めできかねる。
 主人公の初老の男(伊武雅刀)は電車の運転手をしていたが、定年退職して3ヶ月、暇をもてあましている。妻は習い事などで出歩いてばかりで相手をしてくれない。今日は嫁に行った娘が孫娘を連れてきた。同窓会に行くから面倒を見てくれという。家事をしたことなど一度もなく、孫の面倒を見たこともない男は困惑するが、娘も出かけてしまい、孫娘とふたりきりになる。孫娘は全くなつかない。むすっとした顔でひとりで遊んでいる。
 そんな家の中へ子猫が上がり込んでくる。普段なら追い出すところだが何となく放っておくと次から次に猫がやってくる。頼まれていた家事を片付けたり、孫娘に昼飯を出したり、イヤイヤながらやらざるを得ないことをしたあと、はしごをかけて二回の屋根の上に上がり、ぼんやり空を見る。そこにまた猫がやってきて・・・。その猫の首にはパンティが巻かれていて・・・。
 どうでもいいことが次々に起こるうちに突然男は窮地に陥る。うっかりしてはしごを落としてしまうのだ。高い屋根の上で途方に暮れるうちに自分と家族との関係にぼんやりと気がついていく。ラストが飛び降りるところで終わるとちょっとブラックでいいと思うのだがそうなっていない。
 妻の役のりりィが懐かしい。結構時々見るけどね。こんな映画もある。

中国ウオッチ・拘束されたが解放される

 31日に南スーダンに続いてエジプトでも中国人が拉致された。拉致されたのはシナイ半島にあるコンクリート工場で働く24人と通訳のひとり(すべて中国人)。現地のベドウィン族により建設現場へ移動中のところを襲われ、そのまま拉致されたという。
 ベドウィン族はエジプト政府に拘束されている家族を解放するよう要求してきたという。中国外交部は直ちにエジプト政府と交渉し、人質の安全確保と早期解放に向けた対策を要請したが、早くも1日午前に25人全員が解放された。
 中国政府はエジプト政府に対し、エジプト駐在の中国人の安全と保護を強く求めているという。
 人質解放の見返りはどれほどのものであったのだろうか。これは公表されることはないだろうが、これほど迅速に解決することは珍しい。
 中国人が立て続けにアフリカで拉致されるような事件が起きた。これで味を占めてさらに中国人の誘拐、拉致事件が続けて起きないよう祈る。

 残念ながら南スーダンの人質が解放された、というニュースはまだない。

中国ウオッチ・理由

 ブログで見た笑い話。

 野菜の中華まん(具は野菜だけ)が好きな人が、ある日いつものように買いに行ったところ値段が上がっていた。「値上げしたのか」と店主に聞くと、「肉の値段が上がったので値上げしました」と店主は答えた。「でも野菜まんには肉が入っていないから関係ないだろう」と聞き直すと、店主答えて曰く「中華まんを作る料理人が肉を食べるからです」。

 ブログでは店主のへりくつに腹を立てた形で書かれていたが、思わず笑ってしまったので記す。

中国ウオッチ・注意事項

 日本人とつきあうときに、中国人が行う仕草で注意すべきことがブログで挙げられていた。いずれもありそうなことでおもしろい。
 まず「舌打ち」。中国人は何の気なしに時々舌打ちする。日本人は繊細なので自分が悪いことをしたのではないかととても気にする。同じように「ため息」も場の状況を考えて行わないといけない。
 そして相手を指さす行為も日本では相手を見下す行為として嫌われる。さらに「あごを上向きにした態度」も尊大だとしていやがられる。また会話中にケータイでメールすることも良くない。相手を軽んじているととられる。最後に足や腕を組むこともあまり礼儀正しいととられず、相手と距離をとろうとしていると考えられ、親しみが持ちにくくなる。
 細かくよく観察していると感心する。確かに中国人は日本人から見ると相手の気持ちの動きにやや鈍感なところはあるかもしれない。しかし、取り上げられた仕草は日本人も無意識に行っていることのように思う。
 要はこのような仕草が相手に対する心理的な否定の仕草であることを意識しているか無意識的かということだろう。嫌いな相手に意識して行えば効果的であろう。
 もちろんこのような注意点を挙げてくれるということは日本人と親しくなろうという気持ちの表れであることは間違いのないことでまことにうれしいことである。

「清末見聞録(清国文明記より)」・東西廟

 北京城中では東西廟の二つが最も有名で、その開廟の時は参詣の善男善女が入り交じって非常な賑わいである。隆福寺は東城にあるから東廟といい、護国寺は西城にあるから西廟という。毎月七、八の日は護国寺、九、十の日は隆福寺の開廟と決まっている。開廟といってもこの東西廟はちょうど東京の縁日のようで、信心から参詣するよりも、むしろ当日廟の付近に種々の露天が出るのを冷やかし方々見に行くのである。
 廟の構内はずいぶん広いが、隙間なしに骨董品、玉器、家具、文房具、玩具等割合にいい品物が多く、廟の付近の路上には家具類を売っている。もちろん縁日の商人根性はいずこも同じことと見えて、たいへんな掛け値をいうけれど、玉器を売る店では一個を何百何千円というのも少なくない。往々小切れなどを降り動かして客を呼びながら売っているのなどは、我が国で見受ける露天の競り売りさながらである。
 北京の婦女は平素は滅多に道路を往来するようなことはない。ただこの開廟の時だけは、三々五々参詣するのを見受ける。白粉(おしろい)を壁のように塗り立て、眉尻から顎あたりにかけて臙脂を真紅に塗り、まるでリンゴのようにしている。遠見ではなかなかきれいであるが、さて近づいてみると首筋が真っ黒に汚れているのは一種の奇観である。特に満州夫人は両把児頭(リャンパルトウ)といい、ちょうど梭(ここではおさ、とルビが振ってあるが読みは「さ」で織物の横糸を通す「ひ」の意味である)のようなものを頭上に戴き、大きな花かんざしを挿して両手を振って調子をとりながら大道を闊歩する。実に堂々たる風采である。そうしてその花かんざしも二十歳くらいの若い婦人のものはあまり目につかないが、四、五十歳の老婦人(当時は四、五十歳は老婦人だったのだ)のはまるで掌のように大きいのには驚かされる。

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