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2012年3月

2012年3月31日 (土)

写真を捨てる

 古いフィルムをデジタル化すると共に写真を破って捨てている。どうしても捨てがたい、子供が綺麗に写っているものを除いてほとんど捨てている。

 これから本も処分したいと思っている。捨てるものとイーブックオフで引き取ってもらうものに仕分けしている。どうせ二束三文でしか引き取ってもらえないが、誰かがもう一度読む可能性だけは残ることをよしとする。

 私はたいした物持ちではない。それでも写真、本、DVD(ビデオとLDは全てDVDに変換して捨てた)などは普通の人よりたぶんたくさん持っている。そして衣類など大してためたつもりがないのにタンスにいっぱい入っている。タオルや靴下なんて一生使い切れない。ネクタイはほとんど捨てた。これから背広も捨てるつもり。

 私は自分の持ち物はまさか100万点以上はないだろうと思っている(以前は10万点と思っていたがよく考えるとそれ以上ありそうだ)。もし100万点あっても毎日意識して100点、200点と処分していけばいつかものは減るはずだ。この数日だけでも1000点以上捨てた。

 ものを買ったらそれ以上処分すること、それがこれからの人生の努力目標だ。残しても子供達には迷惑なだけだろう。

 

家族の写真

 昔撮ったフィルムをスキャンしてデジタル化している。まずプレビューをして、変色が強いようなら退色復元をかけ、傷やほこりが目立つようならアイステクノロジーをかける。補正を追加するとスキャンに時間がかかるので必要最小限にとどめる。補正は後で本当に必要なものだけを編集ソフトで加工できる。

 しかしフィルムの黄色く変色しているのが時々ある。ひどいのになると同じ一本の中にまだらに変色がある。これは現像の手抜きだ。洗いが不十分だったり痛んだ現像液を使ったのだ。ちゃんと処理されたものは古いネガでも色が少し薄くなる程度で黄色くなったりしないものだ。良く撮れている写真がまだらに変色していると怒りを覚える。手抜き写真屋の罪は重い。

 子供が小さかったときの写真がたくさんある。見覚えのあるものもあるが、こんなのもあったのか、というのも多い。そういう写真が復活する。試しに補正をかけたものをプリントしてみると思った以上にいい写真だったりする。写真屋の手抜きプリントとは全く違う写真が現れる。もし余裕があるなら皆さんも試してみたらいいと思う。

 子供の屈託ない笑顔を見ていると、アアこの時代に子供からたくさん幸せをもらっていたんだな、と分かった。よく、子供の面倒をみて育てたのだから年をとったら子供の世話になって当然だ、などと貸し借りのような話をするが、どうも子供からもらったものは十分あったようで、それ以上求めるのは贅沢だろう。そこから先は子供からまた誰かにバトンタッチしてくれればいい。

 恩を忘れているのは親の方みたいだと写真を見ていて思った。

名古屋港水族館

120329_39名古屋港水族館にいきました。

120329_46名古屋港水族館は北館と南館に別れていて、北館は鯨類が泳ぐ大水槽である。地下から泳ぐ様子が見られるし、上から見ることもできる。

120329_48違う種類のいるか。人なつこくて観客のほうに寄ってきて愛嬌を振りまき、声を出す。

120329_54これはシャチだったと思う。千葉県鴨川シーワールドから借りている一頭だろうか。でかいから迫力がある。

120329_58南館は日本の海(まず名古屋近海)からだんだん南下して南極まで行くというストーリーに合わせた展示になっていてコンセプトがはっきりしているから面白い。これはご存じマンボウ。廻りで流れて写っているのはほかの魚。スローシャッターなのです。

120329_74ペンギンの展示場所は背景の絵がかっこいい。ただならぬ雲行きの絵である。

120329_75これはふれあい広場。子供達がわあわあいいながら貝やイソギンチャクやヒトデに触っている。ジァージーのお姉さんは水族館の人。

水族館は飽きません。足さえくたびれなければ何時間でも見ていられます。今回特に丁寧に見たのは深海魚のコーナーでしたが、とてもくらいので残念ながら写真は撮れません。深海魚は異様な形をしたものが多く、見ているだけでどきどきします。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・曲阜聖廟③

 愕然として我に返り、左右を顧みれば、右には復聖顔氏、述聖子思氏がいる。左には宗聖曾子、亜聖孟子がいる。やや後方には右に閔子(びんし)、冉子(ぜんし)、言子、顓孫子(せんそんし)、朱子がいる。ここに古の聖賢と一堂の下に会することを得て、万感胸に迫りとどまるところを知らない。楣間には清朝の諸天子の題した
  万世師表 斯文在茲 聖神天縦(てんしょう)
  徳斉幬載(ちゅうさい) 歌聖悠久 時中立極
  聖集大成 聖協時中
等の扁額を掲げてある。辞して堂を出る。東西の小部屋には歴代の賢良従祀の神位があり、寝殿には夫人が祀られている。さらにその後ろには聖蹟殿があり、孔夫子一代の事蹟を大理石数十枚に刻してこれを殿中に置いてある。これは明の万暦二十年十月初めに作ったものである。
 すでに衍聖公が来て拝謁されている。私たちはそれを避けて東の小部屋に入り、陰ながらその様子を見るに、公は朝服して儀表堂々多くの従者を伴い、杏壇の下で賛者の令に従い三跪九叩頭の礼を行い、東の階段から上がって堂に入り、まず爵を執り鬱鬯(うつちょう)の酒を祭り香を焚く。賛者が祭文を読む。公は礼を行って堂を下り次に寝殿に謁する。私はその儀を見たのを喜びとし、さらに廟の西の啓聖殿に詣でて聖父母を拝し、廟の東に孔子家廟に詣でた。

*鬱鬯の酒・・・調べが不十分で不明、個別の字の意味から察するに特別な祭礼用の薬酒のようである。  

2012年3月30日 (金)

映画「御用金」

 どうでしたか、この映画。1969年の映画です。私は大学生でした。やはり石原裕次郎は出ていませんでした。なんたる記憶違い。でもいい映画だったでしょう。何でこの映画がビデオにもDVDにもならなかったのでしょう。殺陣のすばらしさは抜群です。斬り合いの時の仲代達矢の息づかいはリアリティがあります。刀の重さが感じられます。それまでのチャンバラ映画が踊りのように流麗なものだったのが、三匹の侍以来一変しました。もちろん黒澤明の映画はまた別格ですが。
 中村錦之介の殺陣で印象的なのはさやごとたたきつけるように打ち込んでさやが割れたまま押しつけるように肩口から切り下げるシーンです。かっこいい。もっと印象的なのは、仲代達矢のかじかんだ手を自ら自分の胸元に入れて暖める司葉子のお歯黒の色っぽいことです。人妻が眉を剃り、お歯黒を染めていたことをきちんと見せる映画はこの映画くらいまででした。仲代達矢の手は司葉子の胸元のどこにあったのでしょう。おっぱいは案外あまり熱くありませんから少し外していたでしょうか。今なら分かります(初めて見たときはどきどきしましたが)。

浅丘ルリ子のすばらしさ、最初の神隠しに遭った村に群がるカラスの不気味さ、西村晃の居合いの迫力、語りたいシーンはいくつもあります。ありすぎて語り尽くせません。私の中の時代劇映画ベストワンは変わることはありませんでした。
 もちろん録画もしましたから少し間を置いてまた見ます。また新しい発見があるでしょう。

収入を減らす

 世界には豊かな人と貧しい人とがいる。西洋人、そしてそのしっぽにくっついていた日本人は世界の中で豊かな側にいた。そうして日本人は西洋人よりも豊かになったから世界中からバッシングに遭って今のていたらくだ。でも今でも日本人は、世界の中では豊かな暮らしをしている国民であることにかわりはない。
 世界は平均化している、というのが私の認識である。今までは貧しい人が一生懸命働いて稼いだものを我々が頂いて豊かに暮らしてきた。それが中国が豊かになっていくことで一気に崩れていった。貧しくても周りの人も貧しいから仕方がない、と思っていた人の中から豊かな人が次々に出現した。だから中国はしゃかりきになって皆が豊かになろうとしている。13億の人が、貧しいままであることを拒否している。
 中国だけではない。世界中が豊かになろうとしている。それは当たり前の話で、それを止められるものなどいるはずがない。では世界中が豊かになれるのだろうか。
 ゼロサムとは云わないが、貧しい人が豊かになれば、当たり前のことだが豊かな人がそれほど豊かではなくなる。アメリカ人もいつまでも豊かな暮らしができなくなってきた。ヨーロッパはもちろんのこと、そして日本も豊かさを謳歌することはできなくなった。
 貧しかった人たちが豊かになってきた分、我々も豊かさを失わざるを得ない。それはどういう形であるのか。収入の減少であろう。しかし見える形での収入の減少は反発が大きすぎる。
 だから日本人全員の収入を5%減少させるしかない、というのが消費税の増税の話なのだ。増税したら暮らしが苦しくなる、という人がいる。その通り、そういう話なのです。そして、それは誰が犯人で、誰が悪い、という話では全くなくて、世界の大きな流れの中で日本人だけが豊かに暮らすことはとっくの昔に許されなくなっていたと云うことだと思う。

決心

 ついにトイレをウォシュレットにすることに決めた。見積もりをしてもらった。トイレのドアと娘の部屋(今は本と娘のものであふれている)のドア(このドアについては語るには涙なしでは語れない物語がある)を新しいものにしたいので併せてやってもらうことにした。
 最初びっくりするよう(それほどでもないが)な価格提示があったので一つ一つチェックしていき、当初予算にほぼ近いところで(もっとがんばっても良かったかもしれないが人がいいので)妥結した。今は工事が混んでいるという。結局ゴールデンウィーク明けと云うことになった。ドアも含めて一日で済むそうだ。
 トイレは大事だ。本を読んだり、ものを考えたりする。時にはうたた寝さえする。そこが快適になることは人生そのものを快適にすることだ。もっと早く決心すれば良かった。

ちょっとカッコが多いな。

御用金

 今晩、NHKBSで映画「御用金」が放映される。私の記憶では35ミリで撮影しフィルムを半分にカットするという手法で75ミリ映画にしたもののはずだ。またこの映画はフジテレビの時代劇(「三匹の侍」や「無用の介」など)で評判をとった五社英雄が映画を取り出した(当時映画は東映、東宝、松竹、大映、日活の五社が独占して系列を押さえており、テレビ出身の五社英雄は苦労していたところだったはずだ)頃の作品で、この後「出所祝い」(松竹初めてのやくざ映画)や「鬼龍院花子の生涯」などでヒット作を続けて出すきっかけになった。しかしどういうわけかこの映画はビデオにもDVDにもならず、埋もれていた。

 私はこの映画が日本の時代劇のベストワンだと思っているのだが、劇場にかかったときしか見ていない。だから40年以上前に見たきりだ。久しぶりで見ることになるのでわくわくしている。だから予告編として皆様にお知らせする。是非BSを見ることができる人は夜七時半からなので見て欲しい。

(確か石原裕次郎もちょっとだけ出たと記憶しているのだが、ネット検索では確認できなかった。中村錦之介との勘違いだろうか。)

セントレア・空港内

120329_29ほかの空港にもあるのだろうか。セントレアには日帰りの風呂があります。食事もできます。

120329_30店の多い三階の右側は名古屋名物を売るものや名古屋独特の食べ物を食べる店が多い。中にはこのように中華朝粥の店もありますが。

120329_31左手はエスニック主体に海外を売り物にした店が多いです。

120329_33国際線の入場ゲート。がらがら。ウィークデイではあるが春休みなのに。行く人は楽だ。

120329_34わかりにくいけれどカウンターも暇そうだった。

セントレアは出来たての時は空港内のお店も盛況で、飛行機に乗る人だけでなく見物に来る人も多かった。お店も工夫を凝らしているのが見えた。トヨタが指導したというのがよく分かったものだった。

ところがその後自動車会社が元気がなくなると共に名古屋もやや元気を失い、セントレアも何となく沈滞ムードが漂っていた。店も緊張感がない感じだった。

今回春休みと云うこともあるけれど、店の雰囲気はだいぶ良くなっていた。ちょっと見物しに行く値打ちはある。食事もほかの空港よりは割高感がないと思う。

この後名古屋港に向かった。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・曲阜聖廟②

 聖廟は古の闕里(けつり・地名)の地すなわち孔子の古里にある。後漢の元和二年、天子が魯に行幸して孔子を闕里に祀り、爾来伝えて今に至る。廟は曲阜城南門に当たり、金声玉振坊を入れば左右に下馬碑があり、櫺星門(れいせんもん)を入り太和元気坊に到れば東門には徳侔(ひとし)天地と題し、西門には道貫古今と題している。さらに至誠坊、聖時門を入れば、東を快覩門(かいともん)といい西を仰高門という。また、弘道、大中、同文等の諸門を経て、右に衍聖公斎宿所、左に有司斎宿所がある。奎文閣を入ると、唐、宋、金、元、明、清の諸朝の碑亭が軒を並べて立っている。その東に毓拝門(いくはいもん)、西に観徳門がある。私たちは馬を下りて観徳門から聖域に入る。金声玉振坊からの幾重の諸門は天子臨幸の時でなければ、常は決して開かない。廟域中は老檜古柏が鬱蒼として繊塵(こまかいちり、わずかなちり)をも止めない。大成門の東西に金声、玉振の二小門がある。金声門を入れば、門内に一株の古柏があり天をついている。これは孔子の手植えであるという。廟庭の中央に杏壇(きょうだん・そもそもは孔子が教授した遺跡、一般的には学問を講ずるところ・足利学校にもあった)がある。孔夫子道を説き給いし処と云われる。杏壇のことは荘子の書に書かれているが、本当にそこが杏壇だったのだろうか。あの古柏老幹もたいしたものだが千年以上経っているとも思えないが、しかしあの古柏とこの杏壇をうち仰いでは孔夫子の名残があるかと感じられて尊い。歩いて東の階段から上る。大成殿は輪焉(りんえん)たり奐焉(かんえん)たり(併せて建物が立派であることを表す言葉)、荘厳典雅を極める。楣間(びかん・廂の間)に扁額あり、題して生民実有という。鞠躬如(きっきゅうじょ・腰をかがめてかしこまる)として堂に上れば、正面には聖人がおられるではないか。玉冠を戴き袞龍(こんりゅう・天子の礼服)の御衣を着して端座し給い、眉目の間には無限のじん埃を表し、口には笑みを含み、諄々として教えを垂れ給うが如し。覚えず頭を垂れると聖霊髣髴として咫尺の間に来格し(すぐ目の前に孔子が現れたような気がする)、視ずしてその神を見、聴かずしてその声を聞き、ささやかなこの小躯は直ちに偉大なる聖霊に摂取され、恍惚として自分を忘れ、そして周りの人も見えなくなった。

2012年3月29日 (木)

セントレア・スカイラウンジ

120329_11セントレア(中部空港)に行った。

120329_1名鉄電車で中部空港駅を降りてコンコースを歩く。人出が少ない。

120329_9まずスカイラウンジへ行く。とても広い。ただフェンスにワイヤーが張られているので写真が撮りにくい。

120329_12ベトナム航空の飛行機だ。懐かしい。

120329_14飛行機を眺める人々。春休み中のせいか子供連れも多い。

120329_23もう一つ飛び立つところ。滑走路との関係で展望デッキは写真がちょっと撮りにくい。

天気が良いが、セントレア空港は海の上にあるので風がつめたい。花粉症だろうか、やたらにくしゃみが出た。慌てて中に入った。

お出かけ日和

 今日の天気は全国的に晴れの予報、しばらく家にくすぶっていたので出かけの虫がうずき出した。散財が過ぎたので遠出は控えなければならない。

 そうだ、セントレアに飛行機でも見に行こう。旅に出かける人を見て『いいなあ』とうらやましがろう。

 そして今観客数を増やすべく努力している名古屋港水族館にも寄ってこよう。

 本日は朝食の材料がない。タマネギとウィンナソーセージとキャベツとスパゲティがある。おお!ツナの缶詰もある。

 タマネギとウィンナーを炒めて、ゆでたスパゲティとオリーブオイルでさらに炒め、ケチャップで味付け。日本式ナポリタン(朝から!)。粉末チーズをたっぷりかけてタバスコを振ってバジリコを散らして一品。キャベツをたっぷりとざく切り、それにツナを載せて醤油少々、ラップをして電子レンジへ。あったまったらマヨネーズを加えてあえる、これで二品。キャベツから出た水分(結構出る)と醤油とマヨネーズが混ざったもの別にとって熱湯を加えて味を調整してスープにする。これで三品。ココアと牛乳があるのでホットココアをいれる。卵料理もできるけれどこれで十分リッチな気分の朝飯。おじいさんの朝飯は手間はかけなくても結構いけるのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・曲阜聖廟①

 曲阜は古の少皡(しょうこう)氏の村で、周公がここに封ぜられて魯の国はここを都とした。聖廟がある。私は東の海の向こうの日本に生まれ、地を隔てること数千里、時代を隔てること三千年以上、私淑して渇仰すること長い年月が経ったが、今日この日、幸いにして聖廟に謁し、聖林まですぐのところまで来ることができて歓喜の極みである。馬を衙門(がもん・役所)で借りて轡を並べて城北延恩門を入り、城壁に沿って西に行き、また南に向かってまず衙門に行って知県の劉氏に面会した。劉氏曰く、毎月朔望(陰暦の一日と十五日)には必ず衍聖公(えんせいこう)がまず聖廟に謁して後、知県もまた謁すと。衍聖公とは孔子の末裔である。歴代の天子は皆孔子を尊崇しないものはなく、現朝(清朝)は孔子の裔を封じて衍聖公とした。さらに爵を進めて衍聖王としたのはその後のことである。今日は九月十八日で、旧暦の八朔である。何の幸いか聖廟に謁して、さらに衍聖公参拝の儀をも見ることができるのである。知県は部下を我々の案内役につけてくれた。

2012年3月28日 (水)

和田秀樹著「『思考の老化』をどう防ぐか」(PHP新書)

 筆者は精神科の医師で、特に老年精神医学を専門にしている。啓蒙書の著作も多く、そのユニークな言説には啓発されることも多い。
 この本では前頭葉の働きについての最近の知見も交えた説明があり、前頭葉と老化との関係から、思考の老化を防ぐための生活の仕方を提唱している。
 若いときと違い、老齢になったら知識をさらに蓄える、ということに努力しても限度がある。それよりも蓄積された知識を駆使して表現することが薦められている。インプットではなく、アウトプットにこそ前頭葉は使われる。さらに友人や地域の人との積極的な関わりを推奨する。コミュニケーションは前頭葉を活性化させるのだ。

 好奇心を絶やさず、前向きに、そして人に積極的に会い、ブログで自己表現をする。これこそ思想の老化防止の方法そのものではないか。これでいいのだ。

合意を合意する

 消費税率引き上げについて民主党内の意見がまとまらない。どうも最近どんな会議も結論を出せないで終わることが多くなっているようだ。会議は意見の違う人間が行うもので、皆が同じ意見ならそもそも会議をする必要がない。だが最近見聞きする会議や討論、ディベートと称するわめき合いは、互いに自分こそが正しいという主張合戦に終わって何も結論を出すに到らないようだ。
 どうしたらよいのか。多数決で決めるのが民主主義と云うが、それではいつでも数の多いものの意見が決定されてしまう。内田樹先生の受け売り(正しく受け売りしているのかどうか心許ないが)だが、まず会議の前に合意を合意することから始めたらいいのだ。この会議の目的は主張は主張として、合意を目的とするものであることに全員が合意することを確認してから始める、ということだ。合意が目的であるから相手の意見を聞かなければならない。相手の意見を聞かずに合意はできないからだ。そして合意することにだけは全員合意しているのだから合意に努力することが共通の目標になる。原理主義的に自分だけが正しいという囚われ(自分だけが正しいのだからそれ以外の意見は全て間違いであると云うことになる)から脱却すること、それが大人の話し合いというものだろう。

曾野綾子著「人間の基本」(新潮新書)

 最近出た本。帯に「恐るべきは、精神の貧困である」とある。私の精神が貧困かどうかは私が評価できるものではないが(そういうことは他人がどう見ているか確認しないと分からないことで、だからいろいろな人とコミュニケーションする必要があるといえる)、この本を読むかぎり貧困にならないように意識している方かもしれないと思った。
 曾野綾子の主張はおおむね共感するものが多いが、どういうわけか私が尊敬する内田樹先生は曾野綾子があまり好きでないようで、ちょっぴり寂しい。
 この本で言っている「人間の基本」とは、人の生きていく上で必要な力とは何か、ということを知ること、そして人は善だけではないことを知ることから始まるようだ。今日本人は(こんな言い方でひとくくりにするのは乱暴だしえらそうだしあまり好きではないが)マスコミを通して見聞きするとかなり精神がひ弱になってしまったように見える。

 助け合おうと云いながら、がれきの処理に反対する人間がいる。原発は即刻全廃しろ、といいながら電気はちゃんと供給しろという人間がいる。ゴミは捨てるのにゴミの焼却場の建設に反対する人間がいる。そういう人間は必ずいるものだが、どこかで妥協しなければ世の中は成り立たない。そういう子供みたいなことを言う人は一握りの場合が多いのに声が大きいとそれに世間が振り回されてしまう。特にマスコミは黙っている人の声は伝えず(伝えにくいことは分かるが)そのような声高な人間の言葉だけを伝えるから何も決まらず何も物事が先に進まない。

 強い人間というのは争いに勝つ人間のことではない。強い人間とはときには自ら損を引き受ける人間のことだと思う。みんなが限られたものを取り合っているときに「俺の分はいいよ」と云う勇気がある人間のことだ。そういう強さがただの動物ではない人間の基本だと思うのだ。

写真を捨てる

 フィルムスキャンを続けている。昨日はほとんど徹夜。二時間くらいしか寝ていない。500コマ近く取り込んだ。取り込んだものを随時買ってきた写真編集ソフトで補正していく。そして補正がすんだものを項目分けしたファイルに分類していく。デジタルカメラで撮ったものならデータが付属しているから時系列でそろえられるが、アナログは画像しかないので整理の仕方を全く変えた。項目として、息子と娘、両親、親類、山、海、川、滝、城、植物、樹、動物、建物、社員旅行等々。分類不能のものはとりあえずひとまとめにしていく。この分類に首をかしげる人も多いだろうが私にとってはそれでいいのだ。
 当たり前だが写っている写真は皆若い。懐かしい顔も多い。写真を見返して懐かしがるようになるとは上がりが近いのかなとちらりと思う。ほとんどの写真は必ずサービス判でプリントしていた。この量も多い。特に残したいものだけ残して、ほかは思い切って破って捨てた。写真好きにとっては写真を捨てるのはちょっとつらい。本当は取り込みがすんだネガも捨てていいのだがコクヨの大判のネガファィルがあるのでそれにまとめて収納した。
 まだほんの一部済んだだけだが当分飽きるまでやり続けるつもりだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・泗水

 孔子の教えを奉ずることを洙泗(しゅし)の流れを汲むというのは、孔子がこの河及びこの河に注ぐ洙水の間にあって学を講じたためであるから、この河は私にとっては因縁が実に深いものがあり、騎馬のまま徒渉し終わればいくばくもなく南方はるかに曲阜を望む。城上高く黄色の甍が見えるのはたぶん聖廟であろう。その左手に碧色の甍が見えるのはおそらくは顔廟であろう。城北に一帯の檜の森が鬱然としてその廻りを壁で囲んでいるのは紛う方なき至聖林である。私たちはたとえばエルサレムを望見した十字軍の諸士もかくやとばかりに歓天喜地、しきりに鞭を挙げていくばくもなく曲阜城北吉陞店(きっしょうてん)に到着した。時に午後六時、この日の行程百里、使いを衙門に使わして明日往訪のことを告げさせた。

2012年3月27日 (火)

NHK時代劇ドラマ・陽炎の辻

 何年か前に連続放映していたこのドラマをNHKBSで再放送していた。原作が大好きなのでこのドラマも時々見ていたが半分は見逃していた。今回全11回分をとりためて一気に見た。
 もともとは佐伯泰英原作の「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズの第一巻(現在38巻刊行されている)の題が「陽炎の辻」なのだが、このドラマはそちらを題としている。主人公の居眠り磐音を山本耕史が演じているが原作のキャラクターと違和感がない。最初おこん役の中越典子二はやや引っかかったが慣れた。今はこの人しかいない感じにはまっている(話とは関係ないが、武井咲という女優はよく見ると中越典子に似ていると思う)。磐音の婚約者だった奈緒役の笛木優子は完璧にはまり役だ。この人は本当に綺麗な人だ。こういう人が不幸な役をやると本当に似合う。
 とにかく一気に11回分見たので頭の中がドラマの世界にはまってしまった。これは消さずに保存しておいてまた見よう。第二シリーズと第三シリーズがあるのだがいつ再放送してくれるのだろうか。見逃さないようにしよう。
 江戸の市井で暮らす浪人の話をドラマにしたものでは藤沢周平の「用心棒日月抄」シリーズも良かった。あのときの女忍者役の黒木瞳は色っぽかった。NHKの時代劇ドラマは下手な映画の時代劇よりずっと面白いし良くできている。池波正太郎の「剣客商売」もあんな馬面(藤田まこと・彼が悪いのではなくて元々キャラクターが合っていないのだ)の秋山小兵衛ではない配役でNHKでドラマ化してくれないかなあ。でも平岩弓枝の「御宿かわせみ」は昔、殿下こと小野寺昭と真野響子が主演したときはすばらしかったけれど、その後作られた中村橋之助と高島礼子のコンビはドラマのイメージをぶちこわしてしまってひどかった。あんなにやけた東吾は見てる方が恥ずかしくなる。配役は本当に大事だ。
 とにかくドラマのまとめ見はいささかくたびれる。でも韓国や中国のドラマは30回くらいは当たり前で、50回以上のもあるからそれよりはましだけれど(先日は韓国の「アテナ」と中国の「孫子」を撮りためて一気に見た)。これからはドラマは二三回分ずつ見ることにしよう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・寧陽

 十七日午前六時陳家店を出発した。泰山以北は古の斉の地で、その以南は古の魯の地である。この辺りは田野が開けて農産物には大豆、粟、高粱、藍、煙草、南瓜、蕎麦などを見受ける。往々牛、馬、驢馬等を混用して耕しているのがある。行くこと四十里にして寧陽県に到着した。知県の曹氏は敷物、簾、茶碗、鶏二羽、卵、饅頭、思いがけなくもドイツ黒ビール二本を送ってきた。かねて巡部の通知があったためである。ドイツビールはかの青島で醸造したもので、たぶんドイツ人がこの地の知県に送ったものと想像される。山東におけるドイツの手はかくの如く漸次広げられつつあるのである。厚く好意を謝して使者に七百文与えた。れより歩兵二名が我らを送り来ること四十里にして帰り去った。また行くこと二十里にして泗水(しすい)に着いた。

2012年3月26日 (月)

続・フィルムスキャン・DPE店の自滅

 フィルムスキャンを始めたときはまだデジタルカメラはおもちゃみたいなもので、画素数も少なかった。そんな時代にフィルムスキャナーを購入した。なぜフィルムスキャンなどと云う面倒くさいことをやろうとしたのか。
 元々写真が好きだったから白黒時代は自分でフィルム現像から焼き付けまでやっていたことがある。ただカラーになると現像液の温度管理が大変でとても自分でやるのは難しかった。電子バット(現像液の温度を自動的にコントロールしてくれる)が欲しかったが高嶺の花だった。
 だから写真を撮っても現像と焼き付けは街のDPE屋に頼むしかない。昔の写真屋は手焼きだったから値段は高かったがそれなりのプリントにあげてくれた。ところがDPE屋は値段競争に走り、自動プリント機で大量に処理するようになった。とたんにできあがりの写真がおかしくなった。とにかく利益を出すために現像液はくたびれ果てるまで使う、画像の濃度は平均で設定してあるが微妙に狂っている、ひどいのになるとピントがずれたままで全ての写真が微妙にピントが甘くなっている。 同じネガをもう一度プリント依頼すると全く違う写真みたいに上がってくる。違うDPE屋に出すとまた違ったできあがりだ。こんな経験をいやと云うほどした。カメラも一眼レフでかなり神経をとって撮ったはずなのに馬鹿チョンと同じできあがりにしかならない。三脚で撮ってもピントが甘い、それもオートフォーカスで撮っているのに甘くなる。
 仕方がないので専門のラボに依頼するようにした。値段は三倍ぐらいするがまあそれだけの値打ちがあった。ところがそこもだんだんおかしくなってきた。
 自分の腕が悪いのは承知しているが、それなりのカメラで撮っている以上それなりに写っていなければおかしい。そこでフィルムスキャナーを購入することにしたのだ。つまりドライ方式の自家現像だ。それをしてみて驚いた。結構ちゃんと撮れているのだ。
 このとき、たぶん街のDPE屋はほとんどつぶれるだろうと確信した。自分の仕事をきちんとせずに機械任せにして手抜きをし、値段競争だけしていれば必ず人は離れていく。写真が好きでないのに写真屋をやっていること自体間違っていたのだ。そしてそのDPE屋さん達が今日のデジタル化を促進したのだ。

 フィルム時代のデジタル写真、それがフィルムスキャンの写真だっのだ。結構先を行っていたのだ。エヘン。

フィルムスキャン

 しばらく前にビックカメラにフィルムスキャナーを見にいった。フィルムスキャナーが好きで、パソコンで使えるフィルムスキャナーは三台買い換えた。初期の頃からかなりの解像度で取り込めたが、とにかく時間がかかる。そのまま取り込むならいいが、取り込み時に若干の補正を加えると一コマ五分以上かかり、一晩にフィルム二本くらいしか処理できなかった。もちろんパソコン側の能力の問題もある。
 だからたくさんネガはあるのに取り込めているのはその一部だ。最近はフィルムスキャナーもニコンやミノルタが撤退してからちゃちなものしかなくなった。だから今どんなものがあるのか調べに行ったのだ。
 いろいろ店で話を聞いていて勧められたのがエプソンのフラットヘッドタイプのスキャナーだった。キャノンの複合プリンターにもフィルムスキャナー付きのものがあるが、そのときにはプリンターは必要がなかった(今はそれを買えば良かったと後悔しているが)。
 雑誌やいろいろスキャンをしたいものがあったので結局そのスキャナーを購入した。画像の取り込みなどでかなり使いやすいことが分かりおおむね満足していたが、でもフィルムスキャンはまとめてやろうと思ってしばらく手をつけていなかった。
 本日思い立ってフィルムスキャンをやってみた。早いし綺麗だし古いフィルムの退色の補正も期待以上で面白い。いろいろプレビューから補正をかけても一コマ二分以内で、しかも一度に12コマまで処理できる。面白すぎるので以前やったのもやり直してみたくなった。

 こんなことやっているときりがないのだけれど、どうせ暇だし。

転勤

 毎月少なくとも一回は名古屋で一緒に酒を飲む飲み友達がいる。飲み友達というのは不思議なもので、いつも会っていつも同じような話をしているのに飽きることがなく、とても楽しい。話が尽きることがないのだ。その友達が4月から大阪に転勤になる。
 今晩彼と飲む。取りたてて変わった話にはならないだろう。いつものように淡々と飲み、その時間を至福の時として共有するだろう。

 仕方がないことだが寂しい。

ブログの趣旨

 友達が私のブログをさらにその友達に紹介してくれた。パソコンは得意だがブログなど見たことがない人だ。その人から電話がかかってきた。「何でブログなんてやってるの?ブログをやる趣旨は?」と聞かれた。趣旨とはまたすごい質問だ。まあこういう言い方の人なのだ。「趣旨と云うより趣味です」と返事をした。
 そこで改めて何でブログをやっているのか考えた。楽しいからだ。毎日複数の更新を続けるには時間もかけて大変なのに何で楽しいのだろう。
 元々本を読むのが好き、映画が好き、旅が好き、写真が好きだ。だがいつもそれを楽しんだらそれっきりだった。ただ本だけはどんな著者のどんな本を読んだのか手帳に記録してきた。昔は簡単に文章をつけていたときもある(その手帳も毎年更新して現在すでに20冊になった)。何事もそれを楽しんだ後、もう一度反芻してみるとその記憶ははるかに強化される。また反芻する中で自分の頭で意味を考えることができることは経験で分かっていた。

 私にとって、ブログを書くと云うことはその反芻作業に他ならない。ザル頭のザルの目が少し密になる。密になればスカスカ頭に貯まるものが増える。それがうれしくてそして楽しいのだ。それと同時に表現するという楽しみがある。昔からどんな形であれ、表現することは嫌いではなかった。ましてそれが誰かの目にとまることは大いなる喜びだ。

 どんな本を読んだか、どんな映画を見たか、どんな旅をしたか、そしてそれを表現すると云うことはどういうことだろう。実は全て私自身を語ることなのだ。私にはその本はどう見えたのか、私はその映画をどう感じたか、その旅の景色は私にどんな印象をもたらしたか、それを私はたどたどしくブログで語る。読んだ人はそのブログからその本についてどんな本なのだろうと考えるだろう、映画や旅についてもブログを読めば必ず考えるはずだ。そのときブログを読んだ人はその本、その映画、その旅を仲立ちとして私を知るのだ。

 人は自分以外の誰かを知るとき、必ず何かを介在させて知ることになる。人は自らを相手にわざわざ説明することはほとんどない。第三者(それが人であれ、ものであれ、抽象的な概念であれ)をどう見てどう感じ、どう考えるかを伝え合うことを通して相手を知るのだ。それこそがコミュニケーションなのだ。ブログは不特定多数を相手にしていて確かに不確かなコミュニケーションの道具であるが、私にとっては、私とはこういうものについてこう考え、こう感じる人間だという表現をすることのできる貴重な場所なのだ。そしてコメントや「いいね」のリアクションをもらうことはその表現に意味を与えてくれるから無上の喜びなのだ(いつもありがとう)。しかも表現を意識することでザル頭に昔よりものが貯まるようになったという効用もある。

 Nさん、ブログの趣旨とはこういうことです。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・陳家店

 十六日午前六時半泰安府を出発した。護衛兵四名が我らを送ってくれる。二名はモーゼル銃を肩にして騎乗し、二名は大刀を負って歩く。共に花色の服を紅色の布で縁取り、背中と胸とに丸く紅色で兵勇と縫い取りしたのを着ている。行くこと十里にして護衛の歩いていた二人をねぎらい、帰ってもらう。おのおの酒銭二百文すなわち我が銅貨十銭を与えれば彼らは大喜びで請安(チンアン)の礼を施して去る。我らは見事大人になりすまし兵勇二騎を従えて行くこと四十里、十時半張夏に到って休憩した。また行くこと四十里にして汶水(ぶんすい)に到る。汶水は源を泰安府莱蕪(らいぶ)県から発し、滔々数百里流れて運河に入る。詩にいう汶水滔々とはこれだ。幅員およそ三清里、渡し船がある。昔はかつて高節の士が「我を汚すものあらば我将に汶上に在らむ」と云った遺風を偲びつつこの川を渡り、顧みれば泰山が雲のうえに聳えているのが望める。また行くこと五里、寧陽県陳家店に到着した。この日行程百余里。陳家店は一僻村で一軒の商店もなく、わずかに饅頭、卵及び豆腐を手に入れて夕食とした。従ってきた騎兵には各々酒銭三百すなわち我が銅銭十五銭を与えた。

2012年3月25日 (日)

 午後思い立ってソフトを購入するために名古屋へ出かけた。エプソンのプリンターについていた簡易写真編集ソフトが使い勝手が悪いので、ちゃんとしたものを買うことにしたのだ。店頭で眺めていたら面白そうなソフトがいろいろある。目的のものとさらに二つソフトを買ってしまった。もちろんゲームソフトではありません(ウインドウズ7パソコン用では囲碁ソフトくらいしか欲しいものはありません)。
 本屋で月刊のTVガイドの最新号を購入。月末に翌月の見たいものと録画したいものをチェックするのがとても楽しみなのだ。基本的にBSの番組のみをチェックする。ちょうどその頃にはWOWWOWから情報誌が送られてくるので併せて眺めて参考にする。

 出がけには小雨がぱらついていた。傘を持って出かけたのだが途中でやんだ。帰りの電車の窓の外、東の空にうっすらとだが幅の厚い虹が架かっているのが見えた。消えかけているので一つ手前の駅で降りて虹を追うことにした。空はますます雲がなくなっていき、虹はたちまち消えてしまった。
 帰ったら郵便ポストにWOWWOWの情報誌が配達されていた。今夜はこれで楽しめる。

浜矩子著「中国経済 あやうい本質」(集英社新書)

 まことに読みやすい本であった。目配りが単眼的ではなく、しかも論理的なのだ。それに著者の豊かな教養がうかがえるたくまざるユーモアが伴って、快適にしかもわかりやすく読み進むことができる。一般的な中国経済についての知識ベースはこの本を読めばほぼ十分ではないだろうか。もちろん著者も云っているように彼女は中国経済の専門家ではない。しかし必要なことは網羅されていると感じた。
 著者の見方や将来の予想に全て同感はできないが、物事を判断するたたき台としては私のレベルでは必要十分であった。全て我々が普通に手に入れることのできる情報を基にこれだけ明快に整理して分析したものを読ませてもらったことを多としたい。
 著者をテレビでたびたび拝見して、その外観とものの言い方(失礼)からある距離を置いて意見を拝聴していたが、こんごはもうすこし丁寧に謹聴することにしよう。

中国ウオッチ・死刑囚の臓器

 中国では死後の臓器提供制度が確立しておらず、これまでの臓器の供給源はほぼ100%死刑囚であった。当局は原則的に死刑囚本人の意思を尊重していること。また遺体の引き取り手がないか、または遺族が引き取りを拒否した場合にかぎり臓器摘出を行っている、と主張しているが、世界的には、中国が死刑囚本人の意思を尊重しているなどとは信じられておらずずっと問題となっていた。
 このたび中国衛生部は3~5年内に死刑囚からの臓器摘出を撤廃すると発表した。中国には臓器移植希望者が150万人いると言われるが、実際に移植手術を受けることができているのは年間1万人程度だという。今後国民一般からの臓器提供を募るシステムを構築することになるのだが、かなりの困難が予想される。
 中国は死刑執行件数が突出して多い国であったが、内外の批判が多く、最近はその件数がかなり減少している。また死刑囚の中には保菌者も多く、移植後の生存率が他の国より低いという実情も今回の決定の背景にあったとみられる。

 これでお金を大量に用意して中国に臓器移植に出かけてもなかなか移植が受けにくくなったようだ。ただ、需要のあるところ供給を生み出すドライブが懸かる。中国では今までも突然の失踪者の一部が内臓目的による奇禍だったという事件がいくつか報道されている。これがたぶん増加するであろう。休日の朝から不快な話で恐縮である。

黃酒とビールと花茶

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 右が花茶。香りがいい。銚子に入っているのが黃酒。黃酒は醸造酒の総称だが、日本人としては紹興酒が一番なじみがある。これは紹興酒の五年もの。八年ものや十年ものと比べてとても安い。五年ものなら日本のビールを頼むより安いことがある。左はもちろんビール。昔は特に冷たいビールと指定しないとぬるいのが出たが、今はたいてい冷たい。中国では軽いものが多く、アルコール度数は3~4%。結構おいしい。どこに行っても地ビールが何種類かあるので楽しめる。このビールは大理(ダーリ)ビール。ここは麗江。

 お酒はおいしくて幸せな気分にしてくれて最高。飲む相手がいればもっと最高。


「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・泰山③

 今私は泰山の絶頂に立って四方を睥睨して見るに、劫初の風(ごうしょのかぜ・この世が始まったときの風)が雲を吹き霧を起こし、混沌濛々(もうもう)さながら天地が未だ剖(わか)れる前のようである。もし晴天であれば東には日観、西には秦観、南には越観の諸峰があり、東南の方角、眼力つきるところはるかに瑯琊の海を望み、正北に隠々一抹の青黛の如き太行山を見、諸水縈紆(しょすいえいう・たくさんの川が曲がりくねり)帯のように流れるのを見るであろう。孔子ではなくとも真に天下を小とする気概がわいたであろう。折悪しく雨降り霧開かずしてこの大観をほしいままにすることはできないのは遺憾であるが、雨を冒して絶頂を極めることができたことは幸いの極みである。昔は斉の管仲曰く、泰山に封し梁父に禅するもの(泰山に封禅したもの)七十二家と。そうしてその経に見えたのは堯典が始めである。堯は位を舜に譲り、舜は代わって天子になるに及び、その年の二月、東巡して岱宗(たいそう)に到った。岱宗はすなわち今の泰山である。故に賽客(さいきゃく・お参りする人)は今も二月を以てこの山に登る。秦・漢以後封禅(ほうぜん)を云う者は必ず泰山に封じた。泰山は五嶽の宗(中心、大元)である。故に山麓から絶頂まで約四十里、盤道石径新たに修めたようである。
 帰路に就く。盤道急転直下、雨に濡れて滑ることはなはだしいけれども、駕籠かきは巧みにこれを降りていくこと飛ぶが如し。中天門に到れば下界はすでに晴れている。泰安より汶水(ぶんすい)に到るまで眼下にはっきりと見える。古龍泉観の辺りから左に折れ渓流を渡り、五町あまりで石経峪(せっけいこく)に到る。けいりゅうのちゅうしんに当たって山骨が露出している。その幅員が約三十間あるのに経文を刻してあるが、過半は剥落してわずかに小部分が残っている。この石経はいつ刻されたかは定かでないが、たぶん北魏時代のものであろう。字体は古雅なので好事家は多くその拓本を珍蔵しているという。傍らに高山流水亭がある。題して曰く
  晒経石上伝心訣  無字碑中写太虚
ここから往路を辿って、午後五時に帰寓した。

2012年3月24日 (土)

中国ウオッチ・干ばつ

11031_8141雲南省・金沙江(長江上流)最狭隘部、虎跳峡の怒濤。

 雲南省の干ばつが深刻の度を増している。小麦の収穫が絶望的な地区も出ており、南部ではサトウキビの収穫に大きな影響が出ているという。雲南省は長江の最上流地区であり、また東南アジアへ流れる河川の最上流部でもある。それらの川に流れ込む中小の河川の300近くがすでに水が途絶えており、ダム400カ所以上が干上がってしまった。
 雲南省は5月頃から本格的な雨期に入るが、早ければ4月には雨が降り出すはずである。だがそれまで待てない状況のようだ。中国では珍しく、綺麗な水の流れる数少ない地域なので本当に心配である。

 四川省の重慶地区でも一昨年くらい前から降雨量が減少しており、一部のダムが限界に近づいているという。北京も同様である。

 中国では古くから何でも汚いものは川に流してきた。汚染物質は増える一方なのに川の水が減少している。濃縮が進めば川は再生能力を失ってしまう。この干ばつが一時的なものであれば良いが、自然の再生能力を無視した開発が原因で起きている現象だとすると中国は思わぬところから破綻し始めるかもしれない。文明は外部からの要因で破綻するのではなく、必ず内部から崩壊する、というのは歴史の鉄則である。




中国ウオッチ・地鶏卵

 中国人も経済的に豊かになり、健康に留意して質の高い食品を購入しようとする人が増えている。中でも人気なのが地鶏卵だという。伸び伸びと放し飼いにされて育った鶏が産み落とした天然の卵で、汚染がゼロだというのが売り言葉だ。その代わり価格は倍以上する。
 ところがマスコミの調査により、その地鶏卵のほとんどが、普通の養鶏場から出荷された卵にただ地鶏卵のラベルをつけただけのものであることが明らかにされた。鶏を放し飼いにしているのはわずかな数を飼っているだけの小さな農家であり、通常の商業ルートに乗せるような量を確保することは元々不可能だという。もしわずかなそういう本物を売ったらもっとずっと高価につくらしい。
 市場に出回っている地鶏卵のうち本物は一万分の一だという。
事実と信用に裏付けられていないブランドはブランドの意味そのものを失わせてしまう。中国は嘘と偽物から脱却する気があるのだろうか。

NHKBSドラマ「とんび」

 少々型破りで乱暴ではあるが、人に愛される「ヤス」(堤真一)は愛妻(西田尚美)との間に旭という息子を得て幸せな暮らしをしていた。妻は広島の原爆の生き残りであり、親を知らない。ヤスも幼いときに父親が家を出て、後に母も亡くしてしまい、家庭というものを知らなかったが、周りにはたくさんの心温かい人々がいた。
 ところが旭が三歳の時に不慮の事故で突然愛妻を失ってしまう。
 このドラマは父と息子の物語である。息子が成長していく中で親離れと親の子離れがドラマティックに語られていく。常にヤスの蔭になって親子を支えるのが居酒屋の女主人、たえ子(小泉今日子)だ。彼女も娘を婚家先に残して離縁された女だ。
 広島が舞台のドラマだが出演者が皆熱い。特に堤真一のテンションの高さは見ている方をぐいぐいと引きずっていく力強さがある。この人の演技力は最高だ。それにびくともしない小泉今日子もすばらしい。
 劇的な事件があるわけではないのに熱い感動のシーンがいくつもあり、不覚にも涙が出てしまった。このドラマはもっと多くの人に見てもらいたい。特に若い人にお勧めしたい。親の気持ちが痛いほど分かる。文句なしに一級品だ。
 「とんび」という題名は旭が生まれるときにヤスが「とんびの子はとんびで、とんびは鷹の子を産まない」と揶揄されたところからとられている。

何かが落ちた

 この10日間ほど身体がだるくてやたらに眠かった。何かが身体にまとわりついているようで立ち居振る舞い全てが重い。熱があるわけでもない。気持ちまでどんよりしそうになるので自分を叱咤激励し続けていた。映画を見る気にもならず、本も続けて長時間読むことができない。こんなことは生まれて初めてだ。
 それが突然今朝何かが落ちたように楽になった。寝起きもさわやかだ。昨日くらいから本が立て続けに読めるようになったし、撮りためたドラマを見る気になってきた。
 関連づけたくないことだが、石巻の津波の被災地で何かを背負ってきてしまったようだ。しばらく付いていたがそろそろいいだろうと云うことでそれが離れてくれたみたいだ。
 何もしなかったので家の中がぐちゃぐちゃになっている。気合いを入れ直して少しずつかたづけよう。復活だ。

中国ウオッチ・収蔵品が紛失しないことに驚愕!

 中国の広州日報が、台湾の故宮博物館をリポートして、大陸からの見学者が急増していること、建物の大増築計画が進んでいることを伝えると共に「過去五十年で紛失したのはわずかに紙一枚と塩一包みであった」と報告した。
 中国国民党の指導者だった蒋介石が、北京の故宮の重要な収蔵物を中国奥地に疎開させ、戦後、それを南京に移したが、共産党に大陸を追われた際にその中から特に逸品を選んで台湾に持ち出した。それが台北の故宮博物館の収蔵物である。その数約70万点。そして北京に残っている収蔵品は21万点に過ぎないと云われる。
 北京の収蔵品については何が何点あるのか未だに目録もなく、その収蔵品の多くが密かに持ち去られているのではないかと云われ、今まで何度もそのずさんな管理状況が告発されている。収蔵品の破損、毀損はたびたび報道されている。それを中国では皆知っているので、台湾の厳格な管理状況が驚愕と共に伝えられたのだ。
 
 北京の故宮には敦煌文書を始めとして、宝物としての収蔵品以外の収蔵物が何万何十万点あるとも云われるが、未だに収蔵されたままで地下に朽ちているのではないかと心配されている。敦煌文書は十万点以上のものがフランス、イギリス、ドイツ、日本、ロシアに散逸したが、それでもかなりのものが中国に残された。そのうち残念ながらドイツのものは空襲で焼失して失われたが、それ以外の国のものはきちんと管理され、研究されている。ところが中国に残されたものは先に述べたとおりの状況である。これでは散逸した方が良かったと言っても過言ではない。
 世界中の中国研究者は、もし中国政府が故宮の収蔵品を公開して分類整理を認めてくれたら皆大喜びで飛んで行くであろう。ましてや中国国内の研究者ならなおのことだろう。しかし中国政府はそのまま放置している。疑えば文化大革命やその後長期にわたってのずさんな管理のためにすでに故宮にはめぼしいものはほとんど失われているか、または湿気や虫食いによって損なわれてしまっているために公開をすることができなくなっているのかもしれない。そうでなければ未だに手がつけられていないことに説明が付かない。
 真に文化喪失のための文化大革命であった。そして文化と共に中国の良心も失われたのである。その再生はいつ叶うのであろうか。その必要を国民が自覚しないかぎり困難だろう。まあそれは世界中がそうだけれど。失われた貴重な文物のことを思うと心が痛む。それ以上に毛沢東の大躍進政策と文化大革命で失われた3000万人とも4000万人ともいわれる生命に心が痛む。南京大虐殺についての狂気のような日本非難は実は裏にこのトラウマがあることは中国人の大半が承知していることなのではないか。知らないのは江沢民により洗脳された中国の若者と、中国のお先棒担ぎの日本のマスコミの一部とそれに振り回されている愚かな人たちだけだろう。哀れなのは中島知子だけではないのだ。

高田明和著「『病は気から』の科学」(講談社ブルーバックス)

 著者は執筆当時浜松医科大学教授。副題は「心と体の不思議な関係」。病気の進行や痛みが精神的なありようで改善されることがあると云うことはよく言われることである。そういう事実が実際にあるのではないかという視点から多くの事例を挙げて科学的にその真偽をただしていく。 私もリューマチの激痛がお笑い番組を楽しむことで軽減したという実話を聞いている。精神は体にどれだけ影響力を持つものだろうか。もちろん身体の状態は測定値に基づくと云っても身体そのものではない。ましてや精神や心は数値化して比較することは難しい。だから日本ではこのような研究は一笑に付されるし、論文として評価されることもほとんどない。ところが海外ではかなり真剣に研究されているし、それなりの評価もされている。何らかの統計的な報告があるとそれに反論するための検証も熱心に行われて、その研究も再現性のあるものに洗練されてきている。
 私は元々気持ちの問題が身体に極めて大きな影響を与えるものと信じているので、この本に書かれた事例は素直に情報として受け止めることができる。信じるものは救われる、である。病気になれば気持ちも余裕がなくなり低調になるのは間違いない(原因と結果の問題だと決めつける医者が多いに違いない)が、なにくそ、と思う人ほど病気を撥ねのける力がある、というくだりは、そうに違いない、と確信をした。
 この本の最後のところで、妻帯者と独身者、友人の多い人と少ない人、それも友人との行き来を積極的にしている人と受け身の人では有意に寿命に差があるという統計の数値を見るとそうだろう、そうだろうとうなずくことができる。おっくうに思わず、どんどん人に会うことが寿命を延ばすのだ。孤独死は孤独であることから起こるのだ。
 医学的な例をたくさん挙げながら多岐にわたって身体と心について考察しており、著者自身は明確な結論を出していないが、気持ちの持ちようで場合によって病気を退けることがあることを認めていると思われる。
 不治の病であっても精神の持ちようで生き方の濃度が高くなる。残された時間は同じでも結果的にそれは寿命が延びたことにつながると思うのだ。
 この本は生きることに勇気を与えてくれる良書だと思う。ただし医学的にかなり詳しいので、そこのところは飛ばしながら読めばいいだろう

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・泰山②

 また行くこと数里、檜樹(かいじゅ・ひのき)が少なくなり松樹が多くなる。ここへ来た者達が岩を削って字を題している。あるものは造化鍾(あつむ)神秀といい、若登天然という。従善如登などはあまりに儒臭を帯びてむしろ不快に感じる。水流雲在などがこのような山水秀霊の地にはふさわしいと思う。懸崖があり、滝が懸かっている。題して太古清音という、実に天地開闢の初めから同じ声韻を伝えてこの瀑布は鳴っていたのだろう。橋を渡って黄峴嶺(こうけんれい)に到れば二本の大きな松の木がある。それぞれ一抱えもありその形は傘を広げたようである。名にし負う五大夫松というのがこれである。昔秦の始皇帝がこの地に遊歴して雨に遭いこの松の蔭に雨宿りして封じて五大夫としたと伝えられている。それ以来二千余年、当初の松はもちろん朽ちたのであろう、その後幾度か同じ形の松を植え継いで名勝を残しているのである。この辺りをまた御障巌(ぎょしょうがん)というのは宋の永定年間に御幸を止めたからである。また上ること数里、朝陽洞がある。前峰がそびえ立ち老松が多い。これより上り坂はますます険しくなりいわゆる十八盤の険となる。挙足騰(のぼる)雲の感がある。後人は前人の履底を見、前人は後人の頂を踏むとは真にこのことである。上から鉄鎖を下げて登攀に便利なようにしてある。そんなところなのに駕籠はこの難所を登っていくので、我らは駕籠の上からはらはらするばかりで、自分で歩く方がいくらか気安いかもしれない。この要害を過ぎると南天門である。門柱に題して、
      開闢九霄仰歩三天勝蹟
      階崇万級俯臨千嶂奇観
という。顧みれば雲は深く咫尺を弁じない(しせきをべんじない・わずかな距離なのに識別ができない)。上に三、四の人家があるのでここで小休止して昼食を採る。一里あまりで碧霞元君の祠があり、さらに一里あまりで東嶽廟がある。有名な摩崖碑はこの東学廟の後ろにある。すなわちその名の示す如く懸崖を摩して紀泰山銘を刻してある。唐の開元十四年九月十二日の建造で、高さは約三丈、隷字を以て書し一字の大きさ約五寸、筆勢飛動するが如し。真に一偉観である。また登ること数丁で玉皇廟がある。すなわち泰山の絶頂である。廟前に無字碑がある。高さおよそ二丈、秦の始皇帝が建てたものと伝えられる。碑面には一字も刻していないから、これを無字の碑という。碑は花崗岩であるが年数を経ること久しく、刻した文字は空しく風雨に消えたのではあるまいか。

2012年3月23日 (金)

中国ウオッチ・プライド

少し前のニュースだが、相次ぐ中国の商標登録問題、たとえば米沢牛、近江牛、松阪牛、あるいは讃岐うどん、有田焼、鹿児島、クレヨンしんちゃんなど枚挙に暇がないが、このことについて枝野経済産業省が、国会の場で問われて「大変ゆゆしい問題であり、こんなことがまかり通っているのは中国の国家としてのプライドに関わる。中国にはプライドがないのか」とごく当たり前の答弁を行った。鳩山あるいは菅内閣時代では絶対あり得ない答弁であるが、正しい認識であり、中国もここまで言われたら国家として何らかの対策をとるべきだと思うのだが、中国の反応はいつものように異常である。
 「商標」という文字も日本が中国から盗んだものだ、南京で30万人も虐殺した国が反省もせずにプライドを語る資格がない、などとむちゃくちゃである。日本は中国から多数の商標を盗んでいるのだそうだ。
 漢字が商標だとは知らなかった。こういう感情的な物言いが、メインのマスコミに取り上げられている姿は真にプライドのない国と云われても仕方のないことである。世界に対する恥さらしだと云うことが分からないのだろうか。

中国ウオッチ・ダンピング認定

 アメリカ商務省は中国から輸出された4品目に対してダンピング、補助金認定をした。4品目は、増白剤、亜鉛メッキ鋼線、鋼製ホイール、シリコン携帯用電池ユニット。
 このわずか一ヶ月の間で中国商品に対して7回同様の措置がとられていると中国側は指摘し、アメリカの貿易保護政策による貿易摩擦は、アメリカ大統領選挙が背景にあるとみている。
 中国は国策で太陽電池をクリーンエネルギー産業の要としており、国家として補助をしてアメリカに売り込んできた。これがダンピング認定されることは中国にとってはダメージが大きい。

 昔日本商品がアメリカで目の敵にされて鉄鋼、自動車などをはじめ多くの品目がアメリカの産業を保護する名目でダンピング認定された。日本の産業はこのためにかなりつらい目に遭った。繊維産業などは政争の具にされてついに産業として没落の憂き目を見ることになった。しかしそれを乗り越えて日本の製造業は鍛えられて強くなった。保護されたアメリカの製造業は結果的に多くが没落した。保護されて伸びる産業はないことが証明された。
 アメリカは日本に対して行った強腰の貿易交渉とは違って中国にはかなり気を遣ってきたが、出る杭は打たれる。目立てばそれに対して対策をとるのはアメリカの常である。ただ、日本が苦労した時代と違い、保護すべき製造業がアメリカ国内に少なくなっており、中国で作られているものも多い。だから中国に対しては中国独自品に絞って手を打ってくるだろう。先般のレアメタル、レアアースに対する提訴がまず第一弾だったことがこれで分かる。

佐藤健志著「本格保守宣言」(新潮新書)

 この本との相性が悪いのだろうか、特に難解なことが書いてあるわけではないのだがどうにも読みにくくて困った。睡眠薬のような本で、開いて読み出すと必ず寝てしまう。読み進めないのだ。内容に問題があるわけでもなかったし。
 そういえば西部邁の本を読んでいたときに感じが似ている。そして主張するスタイルもずいぶん似ているようだ。でも西部邁の本はもっとずっと難解だけど理解するとなるほどそうか、と思わせてくれるところがあった。結局本格保守とは何か、人に説明できるほど理解するに到らなかった。それはたぶんこの本を通して新しい知見を獲得することが全くできなかったからだろう。
 この本が悪いのか、たぶん私の頭が悪いのだろう。 

中国ウオッチ・レアアース

 中国メディアは、世界のレアアースの埋蔵量の36%しか持たない中国が、世界の90%の供給をまかなっているのに、アメリカや日本がWTOに提訴したことは不当であると訴えた。環境の保護、資源の持続的確保を目的とした調整を違法な輸出規制であるとみるのは不当である、というのだ。
 これは話が逆なのである。中国の言うとおり、レアアースは中国以外にも産出し、製造工場もアメリカやオーストラリアなどにもあったのだ。しかしレアアースの製造時には環境汚染を起こす副産物が大量に出てくるためにその対策にかなりコストがかかる。ところが中国は汚染を無視して大量の廃棄物をだしながら低価格で世界に輸出したから世界中のレアアースの製造工場は太刀打ちできずに閉鎖に追い込まれてしまった。だからシェアが90%になったのだ。シェアが大きくなったとたん、突然3倍以上の価格に値上げ(中には7倍以上のものもある)した。値上げしただけでなく、突然日本に対して供給を激減させたのだ。これは尖閣問題の直後であった。あからさまな報復である。その後他の国にも供給制限を行ったからレアアースを使用しなければならない多くの世界中の工場は困惑した。価格が上がれば閉鎖した中国以外の工場でも採算が合うので再開したいところだが、再開には数年かかるところが多い上、環境問題もあるのでしばらくは中国のものを輸入するしかない。中国国内では中国国営企業のみには問題なく供給しているとも言われる。そこで被害を受けている国がWTOへの提訴をすることになったのだ。
 
 中国はこのような商売の仕方を得意とする。限られた資源などに資本を集中的に投資し、対抗会社をつぶした上で、独占的に確保した市場で価格をつり上げ、巨大な利益を上げるのだ。この手法は中国ばかりでなく、今は世界中の巨大資本が行っている商行為になってきた。社会的な存在である組織が、社会の利益に反することを平然と行う社会、このような社会こそ資本主義の悪としてマルクスが憎んだものではなかったのか。そうして自壊した社会の次に来るのが共産社会であり、それを目指したのが中国ではなかったのか。まあ言うだけ空しいが。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・泰山①

 城北の方角に泰安を圧してそそり立つ泰山は雲に隠れて、今にも雨が降り出しそうな光景だか、思いとどまるわけにも行かない。十五日午前六時山駕籠に乗って行く。駕籠の構造は箱根、日光等で用いるものよりも一層簡単で、日本の天秤棒を並べてこれに駕籠を乗せ、縄を張って座席とし、下に一本の棒を吊して足を載せるのに用い、上には布を張って被いとする。前後二人でこれを担ぐ。乗り心地ははなはだ良い。北門を出ればすぐ泰山の裾野で行くこと二清里、だらだらのつま先上がりになり、路傍には老檜が枝を交えている。また一里ほど行くと一天門を入り、天階を昇り万仙楼(ばんせんろう)を過ぎる。道は渓流に沿って、遡り、両岸檜や柏の木が多く展望は極めて佳である。小さな滝があり、淙々として鳴る、上に小亭があり題して聴泉という。また登ること数里、古びた龍泉観があり、前には高山流水を見、顧みて泰安府城を望む、名付けて聴泉山房という。対聯があって
   客心洗流水、山骨露清秋
また曰く
   檻外紅塵不到、山中翠色常関
と。これよりようやく佳境に入る。そうして霧もまたようやく深く雨は霏々として降る。また登ること数里、壺天閣を経て玉皇票に謁す。その傍らは廻馬嶺すなわち馬返しである。道が急でこれ以上は馬に乗っていくことはできないのである。嶺を廻り路を行くほどに薬王殿がある。また上ること数里、雨はますます激しくなる。中天門に到り小憩した。駕籠かきが言うには、今日の雨は寒冷で骨まで冷えるし風も強い、おそらく頂上まで行くのは無理であろうと。私たちもちょっと無理かなとも思ったが、すでに天門まで来たことであるし、せっかくここまで来たら頂上に上らずに下界に降りる気にはなれなくてさらに上り続けることにした。しばらく行くとイギリス人が山を下りてくるのに出会った。彼はこの山中に避暑していたが今山を降りるところだという。身には中国服をまとっている。その妻は中国婦人である。妻は山駕籠に乗り、愛児三人は勇ましく雨の中を歩いている。かれこれ二、三言葉を交わして別れた。

2012年3月22日 (木)

中国ウオッチ・南京大虐殺否認罪

 名古屋市と中国・南京市は姉妹都市の間柄である。その名古屋市の河村市長が南京の30万人の大虐殺を否定したとして南京を中心に強い反発運動が起こり、親善のためのいろいろな行事が取りやめになっている。 以前にも取り上げたが、河村市長は当時一般市民が殺されたこともあっただろうが、中国が言うような30万人もの市民を虐殺したようなことはなかったのではないか、といっただけである。作戦として市民を殲滅するような計画的な殺戮行動を日本軍は行っていない。意味がないからだ。ただし、市街戦の中で少なからざる一般市民が犠牲になったであろうことは間違いないだろう。そして中国軍も市民に紛れ込むという行動をとることによって市民の犠牲を増やすことになったであろうことも事実だろう。河村市長は意図的虐殺はなかったと云ったのであり、市民に多数の犠牲があったことを否定しているのではない。
 同じことではないか、と思う人もいるだろうが、私は全く違うと思う。アウシュビッツのような計画的、殲滅的殺人行為は、戦争とは違う次元の犯罪である。もちろんだからといって戦争を肯定するつもりなど毛頭ない。
 だが一部の中国人は南京事件をアウシュビッツと同格に置こうとしている。これに対しては断固として違うものだと主張していいと思う。南京事件を否定することは日本の中国侵略を否定するものだというのは云いすぎである。南京事件が中国の言うとおりでは無いのではないかと思う日本人は数多いが、その人たちは日本が中国で行った戦争が侵略行為であったことは認めざるを得ないと承知している。
 ただ人道的見地から中国の言い分を丸ごと受け入れるのはそれこそ歴史認識が間違っていると思う。

 南京大虐殺否認罪というのはドイツやオーストリアでナチスの犯罪を否定したものに適用される「大虐殺否認罪」を参考にしたもので、これを法律化して河村市長を告発しようとするものだそうだ。そのままでは川村市長に罰則はないが、中国に入国したとたん処罰されることになるそうだ。もちろんまだこの法律は提案されただけである。私もこのようなことを公言していると適用されるのだろう。

 最初、南京大虐殺避妊剤と変換されたので不謹慎にも笑ってしまった。

中国ウオッチ・10年連続世界一

 中国が世界記録をまた塗り替えた。
 中国の自動車事故による死亡者数は2011年には6万2000人以上となり、これで10年間連続世界一を達成した。なかなか目指しても達成できることではない。中国は人口が世界一なのだから当然、という意見もあるだろうが、自動車の保有台数は中国が1億400万台、アメリカは2億8500万台であるのにアメリカの死亡者数は4万2000人とだいぶ少ない。日本の保有台数は約7000万台だが、死亡者は4611人であった。比較すればいかに中国の死亡者数の割合が高いか明らかである。
 中国でタクシーなどに乗って高速道路を走るとその神業的な運転(数センチの余裕があれば割り込む技術)と度胸の良さにはいつも敬服する。とても自分で運転したいとは思わない。とにかく中国(東南アジアもそうだが)では運転は気合いである。逡巡したら負けであり、負けたときは命が危ない。
 中国当局は交通法規違反に対する処罰が軽すぎることと、ドライバーの道徳教育が不十分であることを問題としている。処罰についてはだから強化されていくだろう。しかし道徳教育などというものが中国で可能なのだろうか。年間に何十万人もの役人が不正行為で告発されて処分を受けており、それでもそれはほんの氷山の一角、などという国に道徳などあり得るのか。道徳などにこだわっていたら人に後れをとって損をしてしまう。親も子供が損をするようなことを教えるはずがない。人に譲るなどという精神は、かなり高等な文化のもとでしか成立しない。中国は文化大革命でその高等な文化を徹底的に破壊したのだからそんなものはそもそも存在しないのだ。

中国ウオッチ・炭素税とエアバス

 EUは炭素税の導入を決定し、EU圏内に乗り入れる航空会社に炭素排出費の支払いを求めている。これに対し各国、特にロシアと中国から強い反発が起きている。
 中国はエアバス・A330、45機の購入の認可を延期している。さらに10機の認可中止も追加されるという。これにより、中国からボーイング社へボーインク777、30機が新規発注された。
 この中国による事実上の報復措置は関連会社にかなりのダメージとなっており、関連企業9社からEU各国に対し、炭素税が貿易摩擦の原因になっているので対策を講じて欲しいと訴えた。

 欧州の債務危機にたいし中国のこのような報復措置はかなり深刻な影響を与える可能性がある。中国は結果が出るまでさらに追加の報復措置をとることが予想される。EUは炭素税の恒久的な利益を放棄して中国と妥協するかどうか意地の張り合いがつづくだろう。
 中国もえらくなったものだ。ここで味を占めると世界中で自分の意を通す行動を繰り返すだろう。それが結局は世界の反発を招くことになることに気がつけばいいが、中国はこの200年間世界に簒奪され続けたという怨念を持っている。それが晴れるまでは実力行使を続けるのが当然と考えるのではないだろうか。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・泰安府

 十四日午前六時に張夏を出発した。残月が高く楡樹の枝に懸かり、暁風が袂を払ってすこぶる壮快である。村を出ると一筋の川が山の間から流れ出ている。右の山は形が冑のようで、左手の山は岩石稜々、所々に虧隙(きげき・虧は欠けていること)が有り、風雲を呑吐している。青楊樹村の辺りは柳が多い。金岑関(きんしかん)、湾徳、長城等の村落を経て墊台(しつだい)に到り休憩した。これよりようやく山道になり、到る処に岩石が露出して、馬車はほとんど転覆しそうになること数回、頭はむろん何回となく打った。耿義亭(こうぎてい)に到れば泰山はすでに左手に見える。全山岩石である、詩にいわゆる「泰山巌々」とは虚言ではない。山麓を右へ、泰安府に入り午後四時半に徳昌号に宿泊した。この日の行程百里。
 ここも済南と同じく府であるが、済南が全省の首都でこちらは一府の首市であるにすぎないから、その規模の大小、商売の繁閑はとうてい同日の談ではない。しかし塵土少なく街上清潔である。衙門にいたって知府に面談した。庭上草茫々、白洲は一段高くなって、この府の民事刑事一切の判決はこの公廷で行われるのであるが、何事だろうさながら乞食のような賤夫が炕席(カンシー)を公廷上に敷いて眠っていた。時の知府は玉構氏といい六十余歳の好人物である。衙役等は主客各一椀の茶を持ってくる。話が終わって辞するときは主客共にこの茶を飲むのが礼である、茶を飲むのはすなわちもう暇を告げると云うことと同じである。かねて巡撫からの通知があったので、当時知県は留守であったが、敷物、簾、茶碗、燭台の類いを送ってきた。

2012年3月21日 (水)

中国ウオッチ・茶葉残留農薬

 日本政府は農産物の残留農薬の基準を改定することになった。これにより、中国産の茶葉の日本向けの輸出が全面的に禁止になるおそれがあるという。
 たとえば農薬成分であるトリアゾホスの残留基準がKgあたり0.05mgから0.01mgになる。現在EUの基準は0.02mgである。これまで福建省の茶葉はこのEU基準を複数回超過している。日本のポジティブリスト制度では、基準を超えたものが5%発見された場合、全面的にその製品の輸入が禁止される。
 トリアゾホス系の農薬は元々日本では使用禁止であり、検出されることはない。しかし中国では茶葉には使用しないようになっているが、一般農園ではまだ使用している場合があり、茶葉への汚染は可能性として排除できないのが実情である。
 中国側は日本の茶葉業界を守るために基準を定めた、と不満を漏らしているという。

 花粉症というのは、50年前には存在はしていたかもしれないが聞いたことのない病気だった。そして一定量のアレルゲンの蓄積された大人にのみ発症するものとも言われていた。それが今では普通に子供の花粉症患者がいる。アトピーを初めとしたいろいろなアレルギー症の患者が過去と比べたらどれほど爆発的に増加しているか、恐ろしいほどである。これがいろいろな化学物質の蓄積によるものであることは常識である。すでに手遅れであるものの、さらにそれを加速させないためにもやや厳しい規制は必要なことである。特に農薬については微量でも人体に対しての影響が極めて大きなものであることは、人類全体が期せずして人体実験をした結果分かっている。
 中国はその規制について不満を漏らす前に、中国自身が規制を強化するように対策を進める方が良いと心から思う。そしておいしくて安心なウーロン茶を飲ませてもらいたい。

中国ウオッチ・日本人の祖先

 湖南省の湖南大学法学院院長の杜教授が、湖南から韓国や日本に移り住んだ人々が韓国人や日本人の先祖に当たる、という説を発表した。
 史記・秦始皇本記に「秦の始皇帝が韓終、侯公、石生に仙人の不老不死の薬を求めさせた」との記述があるが、この中の韓終は清の時代に湖南省の岳麗山で修行した方士で、韓国人の祖先にあたるとしている。韓国に漢字が伝わった時代と韓終が朝鮮半島に渡った時期も符合するという。
 また、漢代に入ると、呉氏長沙国王と劉氏長沙国王の家族とその子孫が大量に日本に移住し、日本国の形勢と日本文化の発展に重要な影響を与えたとしている。その後さらに湖南の法制度が聖徳太子の「十七条憲法」にも影響を与えたという。

 この教授の言っていることはおおむね正しい。というよりすでに多くの人が論説していることで全く目新しいことではない。目新しいのは(これもさほど目新しくもないが)上記のことを根拠に日本人の先祖が湖南人である、としていることだ。
 すでに学問的に検証されているように紀元前数万年前の石器時代から日本には人が住んでいた。そしてその起源はたぶん北方南方からのいろいろな種類の民族が混じり合ったものであるだろうことは現在常識である。その中に湖南からの人たちがいたこと、かなり大きな影響があったことは事実だろうが、だから日本人の先祖が湖南人、すなわち中国人であったというのは明らかな間違いだ。ましてや漢代となればはるかに後の時代の話である。

 中国人は自国で歴史を作り上げる名人である。そして作った歴史を事実として認めることを強要し、認めないと歴史認識が間違っている、と強弁する。その伝で行くと、日本人の先祖は中国人なのだから日本人はそもそも中国人で有り、だから日本は中国領である、ということになるであろう。冗談ではなくしかも何の悪気もなく本気でそういう発想でものを考え、本来あるべき姿に正すための行動を起こそうとしている国が中国という国なのだ。 

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・張夏

 さて、一切の用意が整ったので内堀君に熱く謝辞を述べ、十三日午前九時、二頭立ての馬車に乗って済南を出発した。二頭立ての馬車と云えば馬は龍の如く車は漆塗りの金紋付きで、峨冠繡衣(高い冠ときらびやかな衣装)の大臣大将、帝都の大道を疾駆する様を思い起こさざるを得ないが、当地の馬車はもちろん中国馬車で、一言で言えば大八車の上に蒲鉾形の箱を載せ、その被いは浅黄色の布であって、雨に濡れ、砂に汚れている。主人は車の中に座し、轅(ながえ・馬車の前方に突き出た長い棒)の左に御者、右に従僕が乗る。私は内堀君の雇っている中国人を借りて従者とし、私と同行する飯河道雄君は内堀君乗用の白馬を借りてこれに騎乗した。
 西関を出て城外に出れば、気も心も空と共に晴れ渡った。道は歴山の西に通じ三間幅の大道である。所々に重修大道の碑が立っているが、ことごとく破損して砂礫が磊々(らいらい・石がごろごろしている様)としているから、バネ無しの馬車は特に振動が激しく、うっかりすればたちまち頭をいやと云うほどぶつけてしまう。馬には代わる代わる乗ることとしたので、飯河君は三回、私は一回頭をぶつけた。十二時黄山店に到り、饅頭、卵及び粟粥で昼食とした。行き会う小車に載せた貨物は麻が最も多い。これは泰安地方から出るとのことである。午後六時張夏に到着した。行程八十清里(約32キロ)。宿には門の対聯に
    昨馬先揮祖逖鞭 聞鶏輙舞劉琨剣
なんぞとえらそうなことを書いてあるが、実に不潔極まるもので、今日初めて中国内地旅行をしているのを実感した。宿の有様は十三陵の項に詳しく書いたから今は省略する。ただ北清ではどこにも炕(カン・オンドルのように床下に火を入れて暖めるもの)があるが、山東では炕の代わりに寝台を用いる。それだけ気候が暖かい。

2012年3月20日 (火)

格闘

 本日は、先日新しく買ったエプソンのプリンターと格闘した。遅い、とにかく遅い。以前友達3人で行った南紀の旅の写真を、2L版のプリントにしたのだが、遅い。しかもインクがぐんぐん減っていく。キャノンよりも明らかに早い。遅くてインクを食う。ただプリントは綺麗で緻密だ。このまま使い続けるのかと思うと何となくうんざりする。

 かなりの時間をかけて友達に送る分をプリントした。無駄になったものがかなりある。使い勝手が悪いので二度プリントしてしまったものがあるのだ。

 その後津波の被災地の写真を10枚ほどA4にプリントしてみた。遅い、とにかく遅い。まるで20年前のプリンターみたいだ。無線LANだからだろうか。

 今度USB接続して試してみよう。それでも遅かったらたぶんいつか捨てるだろう。今のままなら使い物にならない。

 エプソンはどうしてしまったのだろう。とにかくプリントはできるのでクレームというわけにもいかないし、怒りだけがたまった一日であった。

中国ウオッチ・続偽物

 中国の乳幼児栄養食品会社の製品が「くる病(ビタミンDの代謝障害からカルシウムの摂取障害をおこし乳児の骨格異常を起こす病気)」を起こすのではないかと疑われている。乳幼児用健康食品として中国全土に売られているこの会社の製品にはノルウエー産の原料と称しているが実はそうではないと疑われているものもある。この会社は全ての疑いを否定しているが、当局が厳重調査中とのことである。

 北京市のアダルト用品店で販売されていた避妊薬が、有効成分を全く含まない偽物であることが分かり、警察に摘発された。店主はうすうすにせではないかと気がついていたが、試しに妻に服用させたところ妊娠してしまったという。それでも販売を続けたと云うからあきれる。

 そもそも食品や薬のようにもっとも偽物が許されないものに当たり前のように偽物が横行している社会は不健全そのものだ。

曾野綾子著「人にしばられず、自分を縛らない生き方」(扶桑社新書)

 書き下ろしではなく、今までに発表された小説や随筆などからの切り抜きだ。ゲーテの箴言集などのように最初からそのような短文の形で発表されたものはいいのだが、本来の文章の一部のみを拾い集めるのは余り好きではない。曾野綾子の本には時々このスタイルのものがある。長い文章の読めない人向けのものとして買わないことにしていたのに、うっかり書き下ろしだと思って購入してしまった。
 だから余り心に残るものはなかった。ただ、小説の抜粋の中にすばらしい文章のかけらを見たのでその本を改めて購入しようと思った。
 「無銘碑」「雪明かり」「アバノの再会」など。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・歴山

 済南に到着した翌日、内堀君と同夫人、ご子息の太郎君、秋田、上田、井出君らと共に歴山に遊ぶ。夫人は駕籠に乗りその他は皆車に乗る。昨夜遅く灯火の下に見た市中も、白日の下に見ると、思ったよりは清潔である。目抜きとも云うべき街には老舗が軒を並べて商況すこぶる活気がある。しかし市街は極めて狭くて車を並べて走らせることができず、行き遭うときは互いにぎりぎりでようやくかわすことができる。路面はきっちりと隙間なく石を敷き詰めてあるが摩滅がひどくて凸凹が甚だしく、うっかりすると車から投げ出されることがある。小車という一輪車に男子はもちろん盛装した夫人などが乗っているのは一奇観である。屋根を葺くのにわらを用いているのをこの地で始めて見た。
 南門を出ると歴山は眼前に聳えている。山腹に寺院があって岩窟ないに多くの仏像が刻してあるので千仏山ともいう。老檜が林立した得がたい霊場である。高楼に上がると済南城は脚下に見え、右手には武備学堂、警務学堂、左手には商業学堂博物館が見える。左手の方に遠く数里の外に一帯の砂漠のように見えるのは黄河である。濁流滔々ほとんど赭土色であるから、もしその上に浮かんだ白帆がないならば、誰もあれを黄河と思うものはあるまい。山頂には奇巌が屹立している。古の帝舜はかつて歴山に耕したと伝えられる。故に俗にこの山下を舜の耕したところと云うけれども、歴山と称するものは全部で四つあり、一は河中、二はすなわちこの地、三は冀州(きしゅう)、四は濮(ぼく)の雷沢(らいたく)である。舜の古跡は濮州雷沢の辺りなりと宋の羅泌(らひつ)の「歴山考」に説いている。

2012年3月19日 (月)

TVタックル

 TVタックルで、地方自治体からの申請に対して、復興庁が岩手県が90%以上、宮城県が57%の第一次認可だったことについて論じていた。民主党から三人の代議士が矢おもてに立っていたが、これは政権与党であれば自民党でも同じ立場であろう。ただ代議士というもののの醜さが露呈していたのは、この復興の遅れ、岩手県と宮城県に対する待遇の違いに対して、ただひたすら言い訳に終始して、なるほどおかしいですね、申し訳ない、の言葉が全くないことであった。この違いが、小沢さんの力の働いている岩手県の優遇であることが明らかなのに。ある代議士は宮城県からの申請の中に喫緊でないものが含まれていたから、という説明をしていた。こんなことは岩手県にも喫緊でないと判断されていたものもあったろうし、そして宮城県の却下されたものに岩手県よりも喫緊であるものが含まれていたであろうことは誰にでも分かることなのに、すべてがそうであったようなそのような言い訳をした瞬間に彼の政治生命は終わったと考える。男ならそんなときに保身(小沢さんが怖い)を考えるな。みっともない。
 このように若手でしかも意欲のある政治家が何の心にやましさも感じないで平然と国民に無意識に嘘をつくこと、それに慣らされてしまっていることに怒りを覚える。

中国ウオッチ・偽物三題

 ポルトガル政府は摘発した中国タバコ24tを焼却処分した。ヨーロッパの多くの国で中国人犯罪グループが偽造タバコの密輸を行っており、特にスペインとポルトガルへの海路による持ち込みが多いという。そこからさらにフランスなどに運ばれていたようだ。偽造タバコは中国で製造され、中国人、パキスタン人、モロッコ人などが関与している。銘柄はマルボロやキャメルなどだが、品質が著しく劣り、ものによってはニコチンが通常の数十倍あったという。北朝鮮のように国家が偽造タバコを作っているわけではないが、これだけ大量に継続的に供給されていると云うことは中国での取り締まりが異常に甘いことを現している。

 
 中国では文化財や美術品の競売市場で様々な不正行為が横行している。このたび当局は偽物と知りながら競売にかける行為を取り締まることになった。今までは競売は物件の真贋を保証するものではない、と責任逃れを許していた。そのために偽物と知りながら平然と本物として競売にかける詐欺行為が横行していたのだという。これだけ偽物だらけだと、たまに本当の本物が手に入るとますます値打ちが上がるから、かえってオークションに熱が入っていたのかもしれない。

 「蠟筆小新」とは何のことか分かりますか。蠟筆はクレヨンのこと。つまりこれでクレヨンしんちゃんのことなのである。このクレヨンしんちゃんの商標登録が勝手に中国で登録され、しかもその商標権が次から次に売り買いされて、その使用権の訴訟が複雑を極め、ついにそもそもの使用権が抹消されることになったという。本家本元と関係なく、偽物どおしが権利と金の奪い合いをしている話は天下の笑いもの、恥さらしそのものである。これにより、中国ではクレヨンしんちゃんのベビー服についてだけ商標権の登録が抹消された。

大森曹玄著「禅の発想」(講談社現代新書)

 行為としての禅の方法、禅の意味、その目指すものを丁寧に解説していく中で、仏教そのものの考え方が明かされていく。宇宙と自分が不可分であること、極大と極小が同じものであることだと感じられることが悟りというものかと観念的に分かった。それを心の底から分かることで人は新たな境地にいたる。
 分かる、ということには無限の階層があるが、自分が実は何も分かっていない、ということに気がついた瞬間に分かる、という意味が見える。それが無明からの脱出、新しい知の次元への旅立ちなのだ。そのためには雑念を払い、ひたすら考える必要がある。その方法の一つが禅なのだろう。
 西洋人が東洋にあこがれるのは西洋の二元論的な考えの限界を感じているからだと云われる。この二元論の究極がコンピューターであろう。ゼロと1、有りか無しか、善か悪か、美か醜か、若者か老人か、男か女か、全てをあれかこれかで考えて単純化してしまう考え方は確かに科学を発展させたが、世の中には二元論では語れないものの方がはるかに多い。そのような原理主義的思考に汚染された頭脳をもう一度座禅でもして洗い直すとするか。

中国ウオッチ・シーバス・リーガルブランド

 世界的に有名なスコッチ・ウイスキー会社、シーバス・リーガルの名前を勝手に使用して服飾店のブランドにした中国の会社が、シーバス・ブラザース社から提訴されたが、驚くべきことに、この提訴は退けられた。この服飾ブランドについては過去中国で商標登録の際にシーバス社から異議申し立てがあったが、両者の扱う商品の分野が全く異なるからという理由で中国当局から異議は却下されている。
 そこでシーバス社は裁判に訴えて法廷での争いとなっていたのだが、裁判所は「シーバス社のロゴデザインが発表された日付と服飾店が商標登録申請した日時にどちらが先かを示す明確な証拠がない」という理由で訴えを退けたのだ。
 これほど明確なことを明確でない、と明確に言い切る明確さは中国の不明確さを明確に表している。

鯨餅

 新庄名物・鯨餅について触れたが、どんなものかわかりにくかったかもしれないので写真で示す。

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長さ20cm余り。厚さ3cmくらい。昔は30cmほどもあり、かなり大きなものだったが、最近はこのサイズが普通のようだ。これは黒砂糖のタイプ。「久持良餅」と表記している。出来たての時は柔らかいのでそのまま切り分けて食す。堅くなってきたら切り分けて軽く火であぶる。すぐ柔らかくなる。焦げやすいので注意。甘くでおいしい。胡桃入りのも香ばしくて好きだ。

叔母が新庄に嫁いでいたのでよく送ってくれた。一緒にちまきやでんろく豆も送ってくれた。学生時代、金がなくなると食いつなぐために遊びに行った。田舎の大家族のうちだったが皆暖かく歓待してくれた。その叔母もがんで死んでしまった。「おばちゃんあのときはありがとう。鯨餅を食べながらあなたを偲びます」

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・済南府

 八日より十二日まで私は同郷の内堀君を頼りに山東を訪ね歩き、その間あるいは済南の風俗を視察し、あるいは時の巡撫・楊士驤(ようしじょう)氏に面談したが、楊氏は私が山東遊歴のために特に護照(フチャオ)すなわち旅行券を発行し、あるいは曲阜における孔子の後裔に紹介の労を執り、あるいは沿道の地方官に電報を打つなどして至れり尽くせりの便宜を図ってくれた。その好意には感謝にたえないが、これも皆内堀君の周旋のたまものであった。
 済南府は春秋の頃は斉の歴下の地で、すこぶる枢要のところであった。今の府城は唐・宋以来の旧址で、明の洪武四年改めて煉瓦を以て築いた。内城及び外廓の二城壁があり、周囲十二里余り、高さは三丈二尺、厚さ三丈である。四門あり、東を済川(せいせん)、西を濼源(れきげん)、南を歴山、北を会波という。今済南に来たついでを以て私はここに山東の形勢と山東人について一言申し述べる。
 山東は泰山、瑯琊(ろうや)山の山脈が経となり、緯となって、全省丘陵が起伏している。博山(はくさん)の石炭やその他幾多の農産物が無いわけではないが、山東は一体に山国だからその産物は全省の民を養うには足らない。そこで昔斉の管仲などは非常に産業に注意し、商業を奨励し鋭意富強を図ったので、その勢いは一時天下に覇を唱えるに至ったのである。あたかも上杉鷹山公が米沢のごとき山間の痩せ地にあって、非常に産業を奨励したから、米沢の富を増進したようなものである。管仲の遺風というわけでもあるまいが、山東人は天与の恩恵を受けることに乏しいから、かえって反発心を起こさせるものと見えて、一体に進取の気性に富みもっとも商業に巧みである。北京・天津における有力な商人は多くは山東人である。満州における中国人は多くは山東出身である。馬賊の大部分も山東人である。山東人は体質も強壮かつ偉大で、直隷・河南や江南一帯の漢人とは大いに相違があると思う。
 山東から北京までは黄河を渡れば何の険阻もない、斉人が昔燕の患いをなしたのはもっともである。そうして江南一帯の米穀を北清に輸送する大運河は、山東全省を貫通しているから、もしいったん敵が山東に拠ってこの大運河を扼したならば、鉄道が貫通し、海運の便の開けた今日と違い、昔時にあっては北清一帯は直ちに飢饉に苦しまねばならない。元・明の如く都を燕京においたものが、極めて山東を重視するのはそのためである。

2012年3月18日 (日)

墓参りと肩痛

 本日は少し早いが春の彼岸で父の墓参りに行く。妹も久しぶりに来るという。

 今晩には名古屋へ帰る。だから明日からは通常のブログに戻る。中国関連の記事がずっと無いままで申し訳ない。明日からまた勉強し直します。

 それにつけても肩が痛い。テレビや新聞で、腰痛や肩痛に苦しむ人が多いというのでどうも自分だけではなさそうだが、この痛みはなかなかつらい。この痛みを少しでも改善するために温泉に行ったのだが、全く効果が無かった。夜寝ていて肩の痛みで目が覚めてしまうことがたびたびある。痛い左肩を下にしてしまうのだ。

 余り期待できないがもう一度整形外科に行ってみようか。あの待ち時間の無駄がどうにも我慢できないのだけれど。もし少しでも痛みが和らぐなら仕方が無いか。医者が嫌い、病院が嫌い、病院にいる患者たちが嫌い。わがままか。

2012年3月17日 (土)

千葉へ帰る

 朝、鬼怒川を発ち、小雨の中を日光街道の杉並木を眺めたりしながらゆっくりと帰った。予想通り、あちらでもこちらでも事故、渋滞だらけ。それでも午後一時過ぎには母の家に帰り着いた。

 母も疲れただろう。私も疲れた。

 夜、弟は自治会に出かけた。役員をしており、いったん引き受けたら誰も交代してくれないのでもう三年やっている。たぶんまた引き受けることになりそうだという。

 弟と今回の旅の話などしたいが自治会から帰るのを待つことにする。帰ってきたら浦霞の大吟醸・禅で乾杯だ。

2012年3月16日 (金)

鬼怒川グリーンパレスホテル

 伊藤園グループとして一年中定額、バイキングで食べ放題方式のホテルが増えている。今日のこの宿もその一つだ。ここはさらに飲み放題だ。
 湯にゆっくりつかった後、時間になったので母と夕食を食べに行った。金曜日だから人が多い。若い人たちや団体もいる。だからバイキングの料理を取るのも手際よくやらないと人の迷惑になるのだが母はそれができない。たちまち不機嫌になってほんの少しの料理しか取らずに座り込んでしまった。こちらも料理をある程度取った後、ビールを持ってきて飲み始めた。母は料理が少ないからたちまち食べ終わった。欲しいものを言えば取りに行くからと云ってももういらない、という。もう部屋に帰るという。一人で帰るか、というと黙っている。しようが無いから大急ぎで料理を平らげビールを飲み干して部屋に戻った。バイキングでの食事時間10分足らず。今までで最短、最少。うーむ、親子共々不満足。宿が悪いわけでは無い。まして私だって。
 後でラーメンでも食べに行くことにしよう。

マッサージの人

 本日は快晴。今回は天気に恵まれた。明日は雨らしい。
 昨晩母がマッサージを頼んでほしいというので来てもらった。最初全盲であることが分からなかった。ほとんど立ち居振る舞いに違和感が無いのだ。勘のいい人らしい。話し好きでマッサージの間中話をしていた。母が口が不自由なので最初は何とか母と会話を試みていたようだが途中からあきらめてほとんど私との会話になった。
 「何で私だけこんなに不幸な目に遭うのか」と思ったこともあるという。二歳で高熱から失明したそうだ。その後子宮内膜症で全摘出、さらに乳がんで片側を全部切除したという。「神の試練だ」という人がいたそうだ。自分がその身になってみろ、と恨んだという。でも今は健常者の夫とマンションで二人暮らしをしているという。ご主人の話になると身をよじってうれしそうにしていたからよほど幸せなのだろう。「やさしい人なんです」とのろけていた。今はマンションに一人、友達もできたし、マンションの自治会などにも欠かさず出ているという。
 マッサージ師はどんどん減っているのに仕事は少ないそうだ。大きなホテルは派遣されたエステ師などが専属で付いていてそういう所から仕事が来なくなったから、といっていた。マッサージの腕は絶対こちらが上だと思うのだそうだ。ただエステの人にも上手な若い子もいるらしいし、マッサージ師にも勘の悪いのもいるしと笑っていた。

2012年3月15日 (木)

再び被災地へ

 秋保温泉から蔵王が近い。ドライブなら蔵王へ行こうと母を誘ったところ、今日は宿でゆっくりしたいという。それならまた被災地を見てみたい。ただ母は昼を一緒に食べたいという。大急ぎで出発、再び石巻へ。 石巻の曲地区を少しじっくりと歩いた。写真を見ていただきたい。
その後奥松島の被災地区、特に倒れた墓石の写真を撮りに行った。
 写真が多いが、雰囲気を少しでも感じてください。 

12033_8昨日より少し奥の方へ。

12033_11土台だけ残ったところに雑草が。

12033_14_2曲地区の公民館兼体育館。

12033_20窓から体育館のバスケットのゴールが見えた。

12033_21冷蔵庫がばらばらに。

12033_22小型の船。廃棄予定。

12033_27整地が始まっている。

12033_31該当のコンクリートの柱がぐにゃぐにゃに。ミキサーにかけたようだ。

12033_38この辺はがれきもそのまま。

12033_39奥松島で。

12033_40同じく奥松島。

12033_46がれきの山。

12033_54墓石。土台が無い。

12033_59元の場所では無いところに並べられています。

松島に行く

12032_32昼食の場所から松島を見る。遊覧船の発着所の前だった。

12032_38五大堂。

12032_85瑞巌寺参道。

12032_80瑞巌寺仮本堂。

 石巻から奥松島は近い。学生時代に友達のバイクの後ろに乗せてもらって来て以来だから40年ぶりだ。だがここももちろん被災したのだ。小さな半島の先にがれきの山が積まれていた。がれきの仕分け作業をしているようであった。途中、寺が被災したのだろう、墓石が土台なしで、石だけ並べてあるのを見た。
 昔の寂れた漁村がぽつりとあるだけの奥松島のイメージとはずいぶん違った。ほとんど通過するだけのようにして本命の松島に向かう。
 松島で遅い昼食・牡蠣丼を食べた。大ぶりの牡蠣がごろごろしていておなかいっぱいになった。牡蠣も今月くらいまでか。母は五大堂や瑞巌寺を見ないというのでかわいそうだが車の中で待ってもらうことにした。今日の松島は風が強い。五大堂はなんと言うことは無い。昔は海の中の岩の上に建っていて感激したのに。
 瑞巌寺はやはり岩に穿たれた洞窟と仏像が目を引く。本堂は今修復中で見ることができない。代わりに秘仏が全て公開されていた。ただし撮影は厳禁。残念。
 一時間弱で一回りし、土産に浦霞の大吟醸・禅を購入。かえって弟と飲むことにする。松島から三陸自動車道に乗って東北道の仙台南まで一気に走る。仙台南を降りれば秋保温泉はすぐそこだ。
 今日と明日は佐藤屋旅館に宿泊する。

震災現場を見る(14日午前)

12032_6ぽつんと残った家。

12032_8かろうじて立っている。

12032_12こんな景色が延々と続く。

12032_24トラックも。

 今日は宿を移る。同じ宮城県だが仙台の奥座敷、秋保温泉だ。ゆっくりと宿を出たがまだ車には雪が凍り付いていた。温泉方向に南下せず、東の方向・石巻に向かう。今晩のホテルの宿泊コースが被災地支援割引コースなのだ。東北の温泉に行くことだけでもささやかであるが支援につながると思うが、被災地の現場を実際に見ることが何より必要なことのようにも思われたのだ。
 石巻の街は一昨年気仙沼、女川、牡鹿半島を訪ねたとき以来だが、道路は広いのに相変わらず車がやたらに渋滞している。信号が長すぎるのか設定に問題があるのか。とても賑やかだ。震災の痕跡は表面上は全く見られない。かえって震災の復興景気にわいているようにさえ見える。
 海岸方向へ向かう。運河沿いにどんどん走ると普通の車がぱたりといなくなり、大型のトラックばかりになった。突然景色が変わった。母が思わず前方を指さす。ただ人家がまばらになったと思って運転していたのだが、よく見るとそこが津波の被災地だった。とりあえず作られた砂利道に乗り入れる。まばらに見えたのはかろうじて流されずに残った家だった。それも形だけである。とても住めるような状態では無い。そのまばらな家以外の場所は、全て土台だけになってしまった以前住宅のあった場所だった。
 ぞくぞくする。ここに人が住んでいたのだ。何かが迫ってくる感じがする。母も震えていた。車を止めて辺りを見回す。ここから高台ははるか先である。よほど迅速に逃げないと助からなかっただろう。どれほどの人が犠牲になったことだろう。この感覚は現地に立たないと絶対に実感できない。母はここに来ることに反対していたが、来て良かった、と言った。
 そこを離れてかなり走ってスタンドでガソリンを入れた。スタンドのおじいさんに、ここも津波が来たのかどうか聞いたら、来ました、とても恐ろしかったです、と答えた。

新庄(13日10:00~14:00)

12031_30新庄は雪。

12031_25新庄駅構内に展示していた。

 雪景色を見ようと母を連れて西へ50Km余りの新庄へ向かう。鳴子温泉駅を見たいというので立ち寄る。昔家族全員でこの駅に降り立ち、国民宿舎に泊まったことがある。もちろん50年近く経っているので面影は無い。そのまま尿前の関(奥の細道で有名)への入り口を通過、日本こけし館の鳴子側の登り口は雪に埋まっていて閉鎖している。峠を越えたすぐの登り口は、雪が多いが車の轍の跡があるのであるいは開館しているのかもしれない。
 しばらく走って絶景・鳴子峡への入り口も雪に埋もれている。さらに鳴子温泉郷のほぼ西の端、中山平あたりになると雪がかなり多い。その先にもぽつりぽつりと一軒宿の温泉があるが、皆閉まっているようだ。
 山形県との県境を過ぎ、分水嶺を越え小国川沿いに行くと瀬見峡、そして義経が開いたという瀬見温泉がある。瀬見温泉の外れ、弁慶橋を渡るともう新庄は近い。ここは新庄の奥座敷と呼ばれていたと地図にある。
 そのあたりから急に雪が降ってきた。さすがに新庄は豪雪地帯である。
駅前のパーキングに車を止め、お目当ての鯨餅を買った。少し散策したいが母が一緒では無理だ。駅の中に飾り物がしつらえてあったので写真を撮った。一休みしてから来た道を戻る。
 瀬見峡のそばにある道の駅で天ぷら蕎麦を食べる。汁が熱くて多い。しかも陶器の器なのにいとじりまで熱い。中身も多い。セルフサービス式だが値段も安い。かき揚げそば500円。エビ天そば550円である。後で10割そばの鴨南蛮1000円というのがあるのに気がついた。それにすれば良かった。セルフサービスだが従業員のおばさん三人ほどがしゃべり倒している。そんなに暇なら器の片付けくらいしたらどうかと思う。
 そのままホテルに帰着。





2012年3月14日 (水)

鳴子散策(13日7時前後)

12031_3温泉の対岸、ダムと発電所。

12031_4倒産したとおぼしきホテル。12031_6高台を走る陸羽東線。

12031_14_4源泉。左手は足湯。

12031_15温泉群。

12031_16_2駅前小劇場。昼間の光で見ると寂しい。

12031_17_2鳴子温泉駅。

 ホテルから鳴子の中心部まで15分、駅まで20分と聞いた。風が冷たい。後で鳴子のその日の最低気温は-6.8℃と知ったが、たぶん散策しているときでも-4~5℃だったかもしれない。顔がぴりぴりする。 途中に大きなホテルが倒産したのだろう、寂れて立ちすくんでいるのを見た。窓が一部屋だけ空いたままなのがすごい。鳴子温泉は江合川とそれに沿って走る国道47号線の横にあるが町は高台の旧道に沿っている。だから散策路は47号と江合川を見下ろすようになる。川の向こうの山にダムから落下する水のパイプが見える。発電所がその下にある。その発電所の横を通って山を登れば間欠泉で有名な鬼首(おにこうべ)温泉がある。
 その町のさらに上を陸羽東線が走っている。町の中心部で道は大きく屈曲してその陸羽東線をくぐる。そこから先が温泉の繁華街だ。だが朝なので店が開いておらず閑散としている。左の山の方へ曲がる。神社と源泉があるはずだ、吹き上がる湯気が見えている。
 神社への階段は急で雪が凍り付いている。普通の靴では危険なので登るのはあきらめる。源泉の下に大きな駐車場と足湯がある。もちろん誰もいない。道へ戻ってしばらく行くと温泉のホテル群の威容が望めた。その真ん前に小さな劇場がある。たぶんストリップ小屋だろう。朝日のもとではいかにも寂しそうだ。夢千代日記の緑魔子が出てきそうだ。
 少し先の交差点を下れば鳴子温泉駅だ。道にこけしが並んでいる。ここで体も冷えてきたのでホテルへ戻る。不思議なことに来たときより帰りの道の方が遠かった。

展望風呂(13日6:00)

 展望風呂に一風呂浴びに云った。もう先客がいる。朝の挨拶をしてちょっと話をする。東の空から夜が明けてきた。ここから東と云えば気仙沼から仙台方向だ。被災地からの夜明けであることに気がついた。天気は晴れ。換気口から抜けていく湯気の棚引く様子を見ると風がやや強そうだ。明け残る西の空はやはりどんよりしている。その下には雪山。その雪山の向こうは山形県だ。

ホテル亀屋(13日5:30)

 宿泊しているホテル亀屋は六階建て。一階に男女それぞれの内風呂と露天風呂。六階に展望風呂がある。泉質はナトリウム-炭酸水素泉、塩化物泉で湯は透明だが赤褐色をしており、独特の臭気がある。鳴子温泉は源泉がたくさんあり、宿によって泉質が全く違う。以前泊まったところは硫黄のにおいがしていたがここは違うにおいだ。このホテルは鳴子温泉でも一番東側にあり、温泉の繁華街の中心まで歩くと十五分くらいかかる。食事の支度をする女性、布団を上げ下げする女性が皆かわいらしい若い娘だ。これはめずらしい。

 まだ夜は明けない。窓の外を透かし見ると昨晩さらに雪が積もったのだろう、庭一面が真っ白になっている。母はまだ寝息を立てて寝ている。昨晩は腰が痛い、くたびれたと云っていたが今日は回復しただろうか。

メニュー(12日18:00~19:30)

 夕食のメニュー(写真はありません、それに実物よりメニューの方が豪華なのでメニューだけ書いてうらやましがってもらいます)
「食前酒」 梅酒
「箸洗い」 高原蕎麦の実みぞれ冷やし汁
「三種肴」 みずの実養老和え、
      自然薯の実むかご塩炒り
      フカヒレの煮凍り
「造り」  鮪角造り、寒鰤、花烏賊
「鍋物」  天神の杜大泉ポークのしゃぶしゃぶ
「洋皿」  特製ローストビーフ
              パンプキンのパテ添え
「小茶碗」 磯あわびの南禅寺蒸し
「食事」  ずわい蟹釜飯
「香の物」 田舎おみ漬け、大崎べったら大根
「吸い物」 浜あさりの潮汁
「水菓子」 季節の果物
みずの実、蕎麦の実が珍しかった。釜飯は実にうまかった。
メニューで想像してください。明日朝はバイキング。

鳴子温泉(12日17:30)

 先ほどホテルに到着。依頼していたようにエレベーターに近い部屋を用意してくれていた。また、夕食は部屋に運んでもらえることになった。ただし、朝はバイキング式なので食堂へ行かなければならない。
早速一風呂浴びた。六階の展望風呂は眺めもいいし広くて快適だ。千葉から約450Kmの長距離ドライブの疲れが湯に溶けていった。母親はほとんどダウン寸前。腰が痛いとぶつぶつ言っている。今風呂にいかせた。たぶん風呂に入れば元気が回復するだろう。

 残念ながらホテルではインターネットがつながらない。自慢のポケットルーターも圏外である。だからこの文章は後でまとめて流すことになりそうだ。やはりE-モバイルで早まったことをした。ドコモを待てば良かった。遅くても確実につながったはずなのに。

 明日は朝食後に鳴子温泉の散策をしてみる。

2012年3月12日 (月)

温泉旅行

 今日から温泉旅行に出かける。12,13日は宮城県の鳴子温泉、14,15日は同じく宮城県の秋保温泉、16日は栃木県の鬼怒川温泉に宿泊する。本日はこれから一気に鳴子まで走るが、東京都内から東北自動車道までの渋滞が心配だ。葛西から川口までの間はこれまでに三回に二回は事故渋滞に出会っている。東北は本日は雪。たぶん鳴子は30センチ以上は覚悟しておく必要があるだろう。明日は豪雪地帯の山形県新庄市にその豪雪を見物に行くつもりだ。鳴子から峠を越えれば夏なら一時間で新庄だが、倍以上時間がかかると思われる。新庄で鯨餅を買ってくるのだ。鯨餅をご存じだろうか。餅の中に砂糖がたっぷり入った餅で、白と黒と中間の3種類がある。白は白砂糖、黒は黒砂糖だ。中に胡桃の実が入っているものもある。砂糖が入っているので柔らかいが、固まったものをあぶって食べるのもおいしい。ただ砂糖が入っているのでとても焦げやすい。さあ支度して出発だ。旅はいつでも出かけるときが一番楽しくわくわくする。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・山東鉄道

 青島から済南府まで山東鉄道が通じている。むろんドイツの経営である。済南まで二等運賃七弗二十セントである。私は銀塊のほか、主に香港弗を持っていて、メキシコ弗は嚢中ただ六弗と少しである。それなのにここでは香港弗は通用しないというので、ハタと当惑したが宿のものの世話で取り替えてもらって、ようやく車中の人となることができた。車中は宣教師の一群のほかは皆中国人で、私を珍しがって一時英語と中国語の包囲攻撃を受けたが、中国人の例によってまず戸籍調べから始まり、我が国についての愚問、果ては私の服を手にとって、露骨にもこれはいくらぐらいしたものだ、などとうるさい。しかし彼らは失礼だなどとは思っていないようである。
 昔秦の始皇帝が東巡して登った牢山が右手に見える。今は山の中腹にホテルなどもあって外人の遊びに行くところになっているとのことである。朝七時に青島を出発してから一時間あまりして初めて膠州に着いた。駅の北に大きな西洋風のバラックがあるのは、ドイツの兵営跡で今は学校に用いているという。高密、濰県(いけん)を経て青州に至る。いにしえの斉の都はこの北方数十里のところで、今も臨淄(りんし)と呼んでいる。孟子が斉の宣王に説いた雪堂の跡や、牛山などもその地にあるとの話であったが、ただ遠く想像するばかりである。王村の右手に一帯の山脈が見えるのは長白山である。この山については面白い伝説がある。「酉陽雑俎(ゆうようざっそ)」に曰く
    桑門恵霄(えしょう)と云う者この山中を通るとき、打ち叩く
    鐘の声が聞こえたから声を辿りて尋ね行けば、荘厳の一寺があ
    る。訪ねて食を請えば一人の沙弥が桃を与えた。これを食いて
    話するほどにまた桃を与えた。さて、貴僧ここに見えてから久
    しくなったはや御帰りあれというので、暇を告げて立ち出れば
    寺は消え失せた。不思議のこともあるものだと思い帰り来たれ
    ば、弟子迎えていずこへ御出ありしか、和尚の出で給いしより
    早二年となったと云ったとのことである。
この話を思い出してかの山を仰げば、満山一樹無く、仙人の住処があるようには感じられない。棗園店(そうえんてん)を過ぎる頃、いにしえの武蔵野では無いが、夕日が草陰に没するのを見る。ちょうど下総・常陸あたりを走るような景色、山東は山国といえども比較的の話で、このように広大な平野もあるのである。午後七時半、済南南東站(とうてん)に到着し、人力車を雇い東門を入り灯の影くらい狭隘な市街を通って、華家井(かかせい)の内堀維文君の家に到着したのは八時であった。高師(高等師範学校)出身の秋田友作、上田芳郎、飯河道雄の三君及びその他二、三の諸君がちょうど居合わせたので思いもかけない和気藹々とした団欒の会合となった。

2012年3月11日 (日)

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・青島

 小幡領事の紹介状を携え、当地の草分けの一人今村君を訪ねた。談笑中に同じ提督号に便乗した東京商業会議所の前田氏も来られたので、相共に今村君の案内で馬車を駆って青島全部を残らず見物した。
 今村君の談話によって青島の大要を述べればこうである。ドイツが一宣教師の被害を口実として、突然膠州湾を占領して無理矢理にこの地を租借してから、まだ数年にしかならないが、金を費やすことすでに十二億マルク、第一に着手したのが道路・水道・下水道で、これが完成すると漸次その他に及び、大小二個の港には桟橋が三つあり、一万トン以上の船を入れることのできる浮きドックもある。砲台を設け兵営を置き、山東の省城済南(チーナン)に至るまで鉄道を通し、総督府、裁判所、警察署、ホテル及び市街の建築物は美観を極め、娯楽のためには競馬場、劇場及び海水浴場などもあり、伝統、電話はもちろん、ドイツ人につきもののビール醸造場や病院、寺院等、一切の設備が整っている。さすがに山東におけるドイツの策源地としてその力を尽くしている跡を歴々としてみることができる。現在は山東は石炭が出るけれども、貨物に乏しく貿易はふるわず、それなのにドイツがかくの如く不生産的事業に巨額の金を投じて惜しまないことから、志が決して小さくないことが分かる。我らは深くこれに着眼しなければならない。
*このあとの第一次世界大戦でドイツは敗戦国となり、青島は戦勝国となった日本に奪われてしまう。現在の青島は韓国企業の進出が最も多く、韓国人が多い。

母親

 今晩から母親の所へ行く(約450Kmのドライブ)。調子が良ければ月曜から二人で東北方面に温泉旅行に行こうと思っている。ただ、行きたい、と素直に喜んでくれればいいのだが、そしてこちらも恩着せがましく連れて行ってやるなどといっているわけではないのだが、出かけるまでが面倒なのだ。
 年をとるとどうしてあんなに人の気分を萎えさせるような受け答えをするのだろう。たぶん相手を無意識に試しているのだろう。自分が相手のお荷物であることを意識するあまりの屈折した態度なのだろう。
 こちらは時々だからいいけれどいつも相手をしてくれている弟の家族は大変だ(いつもありがとう)。元々は好奇心旺盛で人付き合いも好き、よくしゃべる性格だったのにこの二三年で激変してしまった。自分もあんな風になってしまうのだろうか。

昨晩書きかけで出発、ただいま千葉に到着。

 というわけでしばらくブログの更新も若干少なめになるおそれがあります。どこへ行くのかはまだ決めていません。いつものことですが。
 

2012年3月10日 (土)

映画「雨あがる」

 大根役者が一人いると映画がぶちこわしになることを証明してくれた映画だ。
 原作は山本周五郎、脚本は黒澤明。黒澤明はこれを映画化するつもりだったがついにかなわなかった。代わりに彼の助監督を務めていた小泉堯史がメガホンをとった。2000年公開。出演・寺尾聰、宮崎美子、三船史郎、原田美枝子、吉岡秀隆ほか。
 大根役者というのは三船史郎。確認していないが声も顔もそっくりだから三船敏郎の息子だろう。彼の豪傑笑いが空しく響く。彼の扮する殿様が長押の槍を振り回すのだが、その槍の柄が細いからくにゃくにゃしている。だから穂先がぷらぷら揺れて止まらない。大笑いだ。こんな槍で戦ったら一撃で折られてしまう。監督は本物の槍を見たことが無いのだろうか。
 ところでアメリカ映画に出てくる女はほとんど周りが見えない身勝手でヒステリー持ちみたいに描かれるが、この映画で日本の女性は賢く美しく慎みある姿で描かれていることに改めて気がついた。宮崎美子が押さえた演技で魅力的。ちょい役で出る松村達雄が場違い。この人は庶民の役をやるのはそもそも向いていない。
 それで気がついたけれどこの配役には黒澤映画に対しての気遣いが反映しているようだ。松村達雄は「まあだだよ」で黒澤映画に出ている。三船史郎は三船敏郎を意識したのだろう。隆大介、原田美枝子、仲代達矢などみなそうだ。変な身内の気遣いがせっかくの脚本をぶちこわしにしたのでは無いか。
 その辺を確認したいと思う人はどうぞ。変な映画!

中国ウオッチ・救命胴衣

 福建省アモイの空港で手荷物の安全検査の際に、荷物に不審を感じた係官が女性四人の手荷物を開けさせたところ、四人の鞄から飛行機の救命胴衣が発見され、航空法違反と窃盗で即刻逮捕された。
 四人は意図的な持ち去りではなく、持ち帰っていいものだと思ったと釈明している。持って帰って水泳に使うつもりだったそうだ。この救命胴衣はアモイに来るときの飛行機から持ち去ったものだという。もしかするとその飛行機には救命胴衣の無い席があったことになる。
 たぶん四人のうちの一人が救命胴衣を鞄に詰め込むのを見て、これはいいことを思いついた、とほかの三人がまねしたのだろう。この調子ならこの連中はホテルの備品という備品を鞄に詰め込めるだけ詰め込んで旅をしているのだろう。四人は公務員だそうだ。
 自分が支払った飛行機代と救命胴衣のコストを比べれば持ち帰っていいか悪いか分かるのが普通だが、中国の公務員というのはそんな常識が通用しない人間でも勤まるもののようだ。というより公務員というのはそういう常識がないものなのかもしれない。 

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・膠州湾

 六日正午ドイツ船提督号に乗り込んだ。この舟は天津・上海間を通っているのである。同船のウチにんめいの宣教師は英国人であったが、皆弁髪を垂れ中国服を着ている。これは中国人の拝外思想を融和しようというのであろう。彼らは日本の智慧板(三角形や四角形台形平行四辺形などの板を組み合わせたもの、組み合わせでいろいろな形を作る)をもてあそんでいた。たぶん天津で買ってきたのであろう。日は船中に暮れて明ければ七日、船はすでに山東の角を廻って南下している。この辺り一帯の山脈は全く不毛の地で、山骨が露出して頂は鋸の歯のようである。所々に島嶼が散在している。名にし負う田横島はこの辺りである。昔漢の高祖が長鞭を振るって天下を御したとき、斉の田横は節を折って高祖に拝趨するに忍びず、東海の中に逃れついに自刎して死んだ。その徒五百人が皆この島で殉死した。故に名付けて田横島というとのことである。アア昔はかかる気節を尚ぶ(たっとぶ)人もいたのである。
 やがて青島がすぐ目の前になった。膠州湾はたとえば囊(ふくろ)のようで、膠州はその嚢の底にあり、ドイツ疎開の青島は嚢の口の右端にある。今我が船はその嚢の口を入り右に折れて桟橋に横付けとなった。時に午前十一時である。ここに上陸して青島で唯一の日本旅館松森に投宿した。

2012年3月 9日 (金)

中国ウオッチ・年収の13倍

 今、北京の平均的な家庭が、持ち家を持とうとすると年収の13倍が必要だそうだ。全国平均では年収の7.5倍だという。中国も日本並みになったようだ。
 ただし現在不動産価格が下がりだしており、来年には全国平均では7倍を切る見込みだという。
 年収がGDPの伸びのように7%以上の伸びを続けていてくれれば一時的に借金をしてもその負担は将来みるみる軽くなり、がんばり甲斐があるというものである。日本人の多くはそうやって皆住宅を手に入れてきた。
 問題は年収の伸びが5%以下に落ち込んだときだ。返済が借金の利子に追いつかなくなってしまうとその負担は重くなる。一気に将来に対する不安が増大することになる。今年がもしかすると中国の急成長の限界点かもしれないと言われている。まだ当分は成長は続くだろうが、伸び率が頭打ちになり出すと、全てがマイナスに連鎖し始める。
 中国も少し頭を冷やさないといけない頃ではないか。軍事費の毎年の伸び率14%が大きく負担になる事態になって、歯止めが必要になることを期待したいのだが当分無理だろうか。

中国ウオッチ・毒餃子

 中国の全国人民代表会議の分科会に出席中の中国の高等裁判所に当たる河北省の人民法院(毒餃子事件の審理担当)の院長に、事件のその後について読売新聞が取材した。
 2008年に日本人10人が被害に遭ったこの事件では、当初日本で毒物が混入されたことが明らかであり、中国での調査でも中国側には断じて問題がないと中国側は強弁していたが、その後突然中国人の犯人が逮捕された。起訴された犯人の裁判が不思議なことに未だに開かれていないのだ。取材はもちろんその理由と、いつ開廷するのかその見通しについての質問であった。
 これに対して院長は「事件はすでに解決した」と答えた上で、逮捕から一年半も開廷しない理由を明らかにしなかった。関係筋からは日本側から提供されている捜査資料の翻訳に時間がかかっている、との言い訳が非公式に伝えられている。これは答えになっていない。
 ところで日本側に一方的に原因を求めて、日本側の論理的な言い分は歯牙にもかけなかったことについて中国側からの謝罪は全くない。言いがかりはつけたが、自分に非があって引っ込みがつかなくなったらうやむやにする、という態度は最低であり、恥知らずである。
 またこの事件の犯人についてもどうも釈然としない点がある。どのようにして犯行に及んだのかがどうも信じがたいのだ。犯意もわかりにくいし、あれだけ衛生面で徹底していた工場に単独で簡単に毒物を持ち込んだことなどが不思議なのだ。裁判が開かれなければ犯人の素顔や動機も本当のところは明らかにされない。どうも中国側は明らかにしたくないようである。
 明らかにされないのなら勝手な憶測も許されるであろう。犯人はたぶんこの食品会社の競争会社にそそのかされてしかも単独でなく何らかの共犯者とともに犯行に及んだとみる。その毒物入りの食品による被害が日本で発生したことで日本から調査の依頼が中国にあったとき、中国は何の調査もせずに日本の言いがかりとして国を挙げて処理してしまった。たぶんその直後に犯人もその理由も解明されたのであろう。これでは中国は世界的にみっともないことになってしまう。犯人をどこかに監禁した上で関係の会社にも口止めをした上でほとぼりが冷めるのを待ち、突然犯人が分かったと発表したと思われる。裁判で犯人が表に出てくればその辺の工作が明らかになってしまう。だから裁判を開くつもりはそもそもないだろう。そしてたぶん犯人は永遠に表に出てくることがないだろう。生きていてもすでに死んでいるとしても。この犯人自体も本当に犯人がどうかも私は疑っているのだが(犯人として名乗りを上げれば何らかの利益供与がある、とだまされたという疑いすらある)。

おじさんいらつく

 用事で街に出た。駅周辺は土日でもないのに人であふれている。昔のように人通りが少ないときのことを思えば結構なことだと思うが、広いコンコースや地下街を、もう少し上手に歩けないのかと思う。何も軍隊の行進のように整然と歩けといっているわけではない。三人で五人分くらいの幅でゆっくりと歩かれたりするとぶつからずに前へ出ることができない。前からも人が来るから自分たちが邪魔なことに気がつかないのが不思議だ。ううう、いらつく。仕方がないので一人一人の歩く姿勢を意識して眺めてみた。美しい歩き方をしている人が一人も見当たらない。皆が皆なんだかおかしげな歩き方をしている。自分だってあまり自慢できるような姿ではないだろうと思うが、意識を持って歩くだけでも少しは違うかもしれない。気をつけよう。

 街へ出たのはプリンターを買うためだ。ものというのは順番に不調になってくれない。パソコンが不調なので買い換えたのとほぼ同時期くらいからプリンターがおかしくなった。いろいろユーティリティでメンテナンスを試みるが一時的に回復してもすぐ紙が汚れたり筋が出る。もう7年を超えているので寿命なのだろう。今回は試しにエプソンのプリンターを買った。昔はエプソンを使っていたが最近はキャノンだった。プリントのスピードがキャノンの方が早かったからだ。店で聞いたら今はエプソンも早くなったので変わらないという。しかもキャンペーン中で値引率も大きかった。

 早速帰って無線LANを設定してプリントにチャレンジ。ううう、いらつく。LANは簡単だったがプリントの設定が面倒くさいのだ。ちょっとした変更をするとエラー表示なしに考え込んでただ止まってしまうのだ。そうなったら停滞しているジョブを消去してやらないと動かない。これはパソコンなしでプリンターが動作できるようになっているために、パソコンからの指示とプリンター独自の機能がバッティングしているからのようだ。プリンターの機能を全く触らずにパソコンからだけの指示を受けるようにする設定があればいいのに。用紙カセットに紙が入れにくい。カセットが二段になっているのだが、A4は片方しか使えない。こうなるとA4の方は普通紙と写真専用紙をいちいち入れ替えなければならない。こんな面倒くさいのは問題だ。いらつく。返品したいくらいだ。欠陥品というわけでなくて使い慣れれば我慢できる程度だと信じたいが、買ったばかりの時にこんなにまごつくとものを新しく買った喜びがぶちこわしになってしまう。エプソンはちょっとおかしいのではないか。それとも私があまりに鈍くさいのか。そうなのだろうと思うとまたいらつく。

 健康保険料を近所の銀行に振り込みに行った。国民健康保険ではない。特別に会社にいたときの健康保険を延長しているものだ。ただこれも期限がもうすぐ終わる。そのことは別にして、その振込用紙は四枚組になっている。当然依頼する銀行にも控えが残るようになっている。その用紙には振込先も振り込み人である私の名前も明記されている。それなのに別に振込依頼書を書けという。振込依頼書に振込先の銀行名、支店名、口座、振込先名義人(カタカナと漢字の両方)、私の名前(カタカナと漢字)、住所、電話番号、振込金額を全て正確に書けという(少し書き損じたら書き直しを命じられた)。「なぜこんなことをさせるのか、嫌がらせか」と窓口の女の子に言ったが、困ったような顔をするだけで返事がない。「あんたに言ってもしょうがないか」と聞こえるように独り言を言って我慢したが・・・ううう、いらつく。そういえば振り込みを依頼するたびにこの質問を窓口のおばさんや女の子にしている。全て女の子止まりだ。それが上司に伝えられ、銀行のしかるべき所に伝えられ、そういえばこれは不必要だ、という判断がなされていつの日か振込用紙がある場合はこの振込依頼書がいらなくなるという可能性はこうして消滅する。この振込依頼書は全く何の役目をすることもなく、ただ嫌がらせとして銀行に貯めこまれていくのだろう。日本中の銀行や役所にこのような無意味な書類が嫌がらせとしてため込まれていることを思うと・・・いらつく。

樋口毅宏著「民宿雪国」(祥伝社)

 この本の題名から想像する内容はどんなものであろうか。静かな心温まる人情話のようなものを想像したのであれば裏切られる。
 この民宿(新潟県の海辺の街にある。寺泊が想定されているようだ)の主人である丹生雄武郎は晩年世界的な画家として評価され、97歳で生涯を閉じる。この本はこの丹生雄武郎の人生とは何であったかを明らかにしたものである。
 前半は、彼に関わる重要な人物による大きな事件がいくつか関係者から語られる。読んでいくうちにその展開の意外さに「なんだこれは」と読者は思うだろう。後半はその中で生き延びたルポライター(この物語の全体をまとめた人物)による丹生雄武郎の生誕から死までの時系列に沿った真実の詳伝である。
 妊婦と子供と神経の細い人はこの本を読まないことをおすすめする。当たり前の話に飽きた人には刺激が十分ある(ありすぎる)ことを保証する。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・芝罘

 眠りから覚めて起き出すと、左手には渺々たる黄海の波雲に連なり、右手には山東の連山が夢のように淡く見えている。やがて見えてきたうち連なる島は廟山列島である。それよりさらに幾時間、百九十海里の航海を終えて、五日正午芝罘(チーフ)に着いた。湾内に停泊している汽船の過半には旭日旗が翩々(へんぺん)として翻っている。船舶の数はそのままこの地における我が国の勢力を示すものであるから、その大多数であるのはすこぶる人意を強くするに足りるものであると思った。
 湾は烟台(エンタイ)半島とその前面に横たわっている芝罘島との間にある。それでこの地は芝罘の名で知られているが、実は烟台といわねばならない。秦始皇二十八年、秦の始皇帝がこの地に巡守(巡狩と同じ意、天子が諸国を視察すること)して石に刻し、三十七年再びこの地に来て巨魚を射たことが「史記」に見えている。そしてその当時の石碑が近年までこの芝罘島に立っていたのだが、ある県知事が、大官たちがしばしばその石碑を見に立ち寄るのが煩わしいといって海中に投じたのだという。
 上陸して愛国亭に投宿して服部博士の紹介状を携えて小幡領事を訪ね、山東游歴の志を継げて紹介の労をお願いした。我が領事館は烟台半島の一角にあり、直に芝罘口に望み眺望絶佳である。挨拶を終えて市中を一見し、ドイツ紹介で芝罘から青島行き切符を求めたが、二等で十五弗だった。

2012年3月 8日 (木)

東京大空襲の扶助金請求

 韓国政府は1945年3月の東京大空襲の際に95人の朝鮮人が死亡したことが明らかになったと発表した。併せてその95人の遺骨の返還と扶助金の支給を日本政府に求めた。
 東京大空襲では朝鮮人4~5万人が被害に遭い、1万人くらい死んだのではないかと言われている(日本人は10万人以上が死亡)。韓国側はほとんどが強制徴用で日本に連れてこられたのだから日本の責任だと主張したいのだろう。
 強制徴用で悲惨な目に遭った朝鮮人の話を聞くと本当に申し訳ないことだったと思うが、空襲は日本が行った行為ではない。だから責任は全くないとまで言わないが、もう何でもかんでも被害者でございますというのもいい加減にしてほしい。空襲を行ったアメリカに請求したらどうか。アメリカが払うというならそれに日本も少し上乗せくらいしたらいいだろう。アメリカが払うはずなど絶対ないけれど。

中国ウオッチ・名古屋市長

 南京と友好都市である名古屋の河村市長が南京事件について言及した言葉を盾にとって、いろいろな友好行事が皆ストップさせられている。南京事件があったかなかったかかという話にされているが、河村市長は南京事件はなかったなどと言っていない。そもそも市街戦が行われて市民に死者が出ないなどと言うことがあるわけがない。大方の市民は戦闘の前に逃亡しているが、逃げ遅れたか、または何らかの目的のある市民は残っていただろう。そしてその市民の中に紛れ込んだ兵士も数多くいたとも言われる。戦闘で興奮した日本兵が、そのような市民を通常以上に殺したことはたぶん間違いないことだろうと思う。だから南京で市民が殺されたことを否定する日本人などいるわけがない。ただし、当時の南京市民は30万人もいないし、おおかたは逃亡していただろうし。最初から市民を殺戮するつもりで計画的に虐殺して廻って、その死者が30万人に上る、と断定的にプロパガンダとして主張されると待ってくれ、それは少し違うのではないか、というのはひどくまともなことであろう。
 それを、言い分を全面的に認めないのは事件そのものの全否定であり、歴史認識が間違っている、言い分を全部認めないなら報復する、と言い張るのはいくら何でも変ではないか。
 あの戦争が、というより戦争そのものが間違ったものであることは日本人なら身にしみて分かっている。そして中国大陸で行った戦争が、犯罪的な侵略行為であったことを否定する日本人はほとんどいないだろう。その点は承知していても南京事件をプロパガンダに利用してあたかもユダヤ人虐殺と同列に論じるなどと言うことは日本人として認めることのできないことなのにその違いがなぜ分からないのだろう。
 では東京を初めとした市民を虐殺することだけが目的の大空襲や原爆はどうなのか。兵士だけが戦う戦争などは空想の世界だけの物語だ。戦争では市民も必ず死ぬ。だから戦争を非難する文言は、決して戦争へ導くような互いの国が感情的に対立するようなものになってはいけないのだ。
 中国の領海や領土についての言動はどちらかと言えば世界に対して摩擦を生むようなものばかりだ。世界一ともいえる大国から19世紀にその地位を追われ不遇の百数十年をへて再度台頭してきた中国は、それこそ歴史にもう少し学ぶべきではないか。世界の戦争はいつも遅れてきた国が引き起こしているのだ。中国もそうなのか。

中国ウオッチ・土地譲渡

 北京の日本大使館が老朽化したので、新築して建物の確認申請を行ったところ、当初の計画からわずかな変更があったことを理由にして許可が下りず、建物はできているのに昨年末から引っ越しができない状態が続いていた。この変更が問題視されるようなものなのかどうかは見解の分かれるところだが、伝えられているところではそれに非を唱える方が非常識なような気がする。
 実は単なる嫌がらせではなく(それでもひどい話だが)中国側には目的があった。名古屋市と新潟市に領事館用の土地を譲渡するように申し入れて来ており、その便宜を日本外務省に強要しているのだ。
 中国では土地の売買は存在しない。中国国土は全て国家のものであり、一定期間の借地権としての売買しか存在しないのだ。そのため各国は対抗的に中国には大使館や領事館用の土地は譲渡しない措置を執っている。ところがこの申し入れに対して北京の丹羽大使は中国に対して尽力する旨の口上書を提出していることが明らかになった。たぶん日本政府はそれを踏まえて新潟と名古屋の領事館の土地を譲渡するよう働きかけを行うであろう。実は大阪や東京でも一等地を優先的に用地として譲ることも要求して来ているともいわれる。

 今や日本はアメリカの属国であるとともに中国の属国になりつつあるようだ。

中国ウオッチ・インドの携帯電話

 インドの携帯電話が急速に普及している。昨年のインドの携帯電話出荷台数は約1億8000万台。対前年14.1%増である。
 その中で2008年頃に中国製のコピーブランドメーカーが突然台頭し、2010年には
それまでのトップブランドであったノキアを抜いてシェア21%で首位を獲得するに至った。
 しかしノキアなどの正規メーカーから著作権侵害を指摘されたり、地元インドのメーカーとの価格競争などで苦戦して、2011年はシェアが急落し、3位に転落した。
 だが、ただでは立ち上がらないのが中国の企業である。インドのメーカーも実は製品は中国で作られていた。そこでこのコピーブランドメーカーは携帯電話の主要生産地である深圳になんと「インドブランド」企業を設立。インドブランド製品として売り出したところ大人気となっているという。
 こうなると何が何だか分からない。こういう世界で戦うには日本の企業はまともすぎるのかもしれない。まともが通用しない世界というのは何とも空しい感じがするが、そんなことでは生き抜いていけない時代なのだろうか。こんなことがいつまでもつづくとは思えないけれど・・・まさかますますそうなるなんてことはないと思いたいが。

「清末見聞録(清国文明記より)」・山東紀行・白河

 天津に行き、旅装を整えて、牧野田学士に送られて、大阪商船の大智丸に便乗して天津を出発したのは明治三十九年九月四日であった。白河(はくが)の幅はほぼ隅田川の半分ほどに過ぎない。紫竹林の大厦高楼も高粱に隠れ、舟は両岸の緑の間を下る。この川は九十九曲あって百に一つ欠けているから白河と名付けられたのだという俗説があるほどで、これでもかといわんばかりに意地になって曲がっているようである。その間を巧みに縫っていくうちに、同船の人たちがあそこがもっとも困難なところだと指さすのを見ると、いかにも川は急に八十度ばかりの鋭角をなして曲がっている。その前岸には幾カ所も船首をぶつけた跡がありありと残っている。ここも首尾良く通過して六時間あまりを費やしてようやく河口に到着し、潮の満ちるのを待って渤海湾に浮かび出た。海水は白河と同じく煉瓦色であるが、窮屈な北京城内に蟄居していた身には久々でこの渺々とした大海を見るだけで気も心も伸び伸びとする。今夜は待ち望んだ明月に向かい、独り甲板上で吟嘨(ぎんしょう)し、はるかに祖国の天を眺めた。

2012年3月 7日 (水)

映画「アポロ13」

 1995年アメリカ映画。監督・ロン・ハワード、出演・トム・ハンクス、ケヴィン・ベーコン、ゲイリー・シニーズ、エド・ハリスほか。 人類初の月着陸をしたアポロ11号の後、再度の月面着陸を目指したアポロ13号に起こった事故と、それにより電力喪失から絶体絶命の緊急事態に陥った宇宙船を地球上のスタッフと宇宙船の乗組員が全知を尽くして地球への帰還を達成させるという劇的な物語である。
 原作はトム・ハンクスが扮した船長のジム・ラヴェルの著作である。実話であり、助かったことが分かっているのにはらはらどきどきとさせられる。そして困難なミッションをクリアした乗組員に感動する。

 ところでどうしてアメリカの映画に出てくる女性というのはあんな風に子供じみているのだろうか。いつもその自分勝手さに腹が立つのだが、それについては内田樹先生が解析しているのでそれは置いておく。
 この映画は、DVDを買ってあるのに見ていなかった。実はあまりトム・ハンクスが好きではないのだ。だからつい後回しにしていた。ブルーレイに録画してあったのをようやく見て満足した。本当に面白かった。
 どうもトム・ハンクスが好きになってしまったようだ。

 この映画の電源喪失という場面を見てつい思ったのは、福島第一原発の事故のことだ。事故後の処理に、たぶん原発の現場にいた人は命がけで、全力で被害を最小限にしようと努力していたのだろうけれど、政府や東京電力の関係者は本当に全力を尽くしたと胸を張っていえるような行動をしたのだろうか。いろいろなことが明らかになるにつれて、それを人ごとのように語る感覚に、日本人の病を感じてしまう。では自分は?

佐伯泰英著「祝言日和」(幻冬舎時代小説文庫)

 ご存じ酔いどれ小籐次留書シリーズ第十七弾。どうもこのシリーズはこのところ余りにも幸せな状態が続きすぎている。小躯でモクズ蟹のような顔をしたアラフィフの小籐次が、絶世の美女のおりょう様に慕われて、望外川荘に夫婦同然のひとときを過ごす。今回は乱心して人質を取って立てこもった旗本たちを相手の大立ち回りと、久慈屋の一人娘の祝言、そしてうづの危難の解決の物語である。これだけでは何のことか分からないだろうが、読めば分かります。
 文字がどんどん大きくなってきた。読みやすいのはありがたいが、あっという間に読み終わってしまう。全ての文庫の中で一番大きいのではないか。
 ところであまりに幸せだとそれをぶちこわしたくなるのが作家の性である。親しんだ人に突然大きな不幸が訪れないことを願う。佐伯先生お願いしますよ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城⑦

 年来の宿志を遂げて今は遺憾なしと帰路についた。折から岫(しゅう・山の峰または山の洞穴)からわき上がる雲の様子がただならない気配であるので、ひたすら急ぎに急いだ。時はまさに午後一時。鉄道の苦力たちは路傍の樹の下や石の上に横になって、華胥国(かしょのくに・華胥は想像上の国。黄帝が昼寝の夢の中で遊んだという理想の国)に遊ぶものが多い(昼寝をしているということ)。私はかつて書を読んで樹下石頭に眠る等の句に至ると、常にその風采を想望し超然として塵世を脱する思いがあった。しかし、今現にこの下等労働者たちが樹下石上に眠っているのを見れば、余り詩的なものでもないことを覚った。弾琴峡のあたりからついに雨となり、両山の奇巌峭壁が雲を呑吐し、隠見出没、変幻百態、さらに一層の景趣を添えている。居庸関にいたる頃は旅衣ことごとく濡れ、雨中騎驢関山路(雨の中で関の山道を馬で行く)、私たちは画中の人となった。午後四時南口ホテルに帰着した。
 我らはまた南口に一泊し、十三陵を尋ね、湯山(タンシャン)で入浴して北京に帰ったのは十三日であった。その間雨に濡れ、あるいは走る馬からまっさかさきに落ちたりしたことなど種々の面白い話もあるが、いたずらに楽屋落ちの話ばかりになるおそれがある。それに十三陵や湯山は前項に述べたから省略する。なお現在は京張鉄道が全通したから、北京からは簡単に長城に遊びに行けるようになっている。

*これで北京及び北京近郊についての記述は終わる。次からは山東紀行となる。

2012年3月 6日 (火)

ドン姫が来る

 もうすぐ愛する娘のドン姫が来る。その準備で忙しい。まず部屋の掃除をした。

 「食事のメニュー」 ヤリイカの子供の煮付け。ニギスのゆでたもの・・・ポン酢で食べる。キャベツを電子レンジでチンしてツナと混ぜたもの・・・マヨネーズをあえる。ワカサギから揚げ。タマネギと挽肉を炒めて卵でとじたもの。ここまでが酒の肴。そのあとはシメジご飯。

 そういうわけで本日はこれにておしまい。

 

池上彰著「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」(文春新書)

 仏教、キリスト教、イスラム教の三大宗教、そして日本の神道、さらに日本人の宗教観について、それぞれの泰斗と対話して基本の基本を明らかにしながら世界を考える。締めくくりに養老孟司先生との対話を以て死について考える。
 ユダヤ教を淵源とするキリスト教、イスラム教の原理主義的な一神教とはどんなものか、日本人にはなかなか理解ができない。そもそも理解できていないことにすら気がついていないというのが本当だろう。だから平気で「あなたの信じる宗教は?」と問われて「無宗教です」と平気で答えて、一神教の国の人々に恐ろしいものでも見たような目で見られ、人間ではないかのような扱いを受けてしまう。「無宗教」というのはそのような国では宗教を否定する、と公言したことになるのだそうだ。
 ところが普通の多くの日本人は、相手がどんな宗教を信じようが全く否定なんかするつもりはない。宗教についての認識が違うのだ。そしてたぶん世界が平和であるためには日本人のように相手を否定しない生き方の方が良いのではないだろうか。

 世界の宗教についてきわめてわかりやすく説明されているので、分かっているつもりでいた人も一度目を通してみる価値がある本だと思う。

 今回の東日本大震災で宗教はどのような役割を果たしたのだろうか。人知を超えた災厄の時こそ宗教が正しい役割を担うべき時だったのではないだろうか。それなりに個別の努力をしていた例は見たが、既存宗教がその組織力で何かをなした、という話は寡聞にして知らない。

中国ウオッチ・真っ赤な白身

 山東省青島市で真っ赤な白身の鶏卵が見つかった。生産者に問い合わせたところ「鶏に月経が来たからだ」という答えが返されたという。
 生物学的に卵を産む動物に月経はないのでこの答えは噴飯物だが、平然とそう答える図太い神経にはほとほと感心する。
 専門家は産卵した鶏に何らかの病気があったのか、問題のある飼料を使ったのだろうという。
 中国は広い。数多くのものを作っていると、時にはそういうこともあるのだろうか。
 卵には有精卵と無精卵があり、交尾をした鶏の産む有精卵は、白身の一部に血が混じる。気にしなければ味には違いがないし害もない。有精卵からは21日でひよこが生まれる。普通売られている卵は無精卵なのでいくら暖めても孵ることはない。 
 ところで交尾をしていない鶏がどうして卵を産むのだろう。不思議だ。 

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城⑥

 また振り返って、来た方を俯瞰すると、眼下に小さく見える居庸関は、たとえば井戸を覗きこむのに似ている。故に、もし一度八達嶺を占領したなら、居庸関は一蹴して通ることができるだろう。古人が居庸の嶮は関城ではなくて八達嶺にありと言ったのはもっともである。だから長城は分水嶺の高嶺高嶺を伝って築造されている。その規模の大きいことは実に驚嘆すべきものである。私はかつて人がこの壮観であることを語るのを聞き、またその写真も見たが、本当にこのように雄大なものであるとは思っていなかった。今四方を睥睨し、この大観を目撃して、気宇豁如(かつじょ・ひろびろとしていること)、天下を小とする概がある。
    嶺をこえ谷を渡りて果てもなく
                    ちさとの外につづくこの城
ここで携えてきたウイスキーの杯を上げ、朔風(さくふう・北風)に向かって君が代を合唱すること二回、大日本帝国天皇陛下万歳を連呼すること三回、私は未だかつてこのときほど痛快な気持ちになったことがない。

朝寝坊

 昨日は友達と調子に乗ってお酒をたくさん飲んだ。帰りにまたもう一軒立ち寄って飲むと失敗するので、決して寄らずに帰ろうと心に固く誓って帰ったつもりなのに気がついたらそこで飲んでいた。腹が減っていたのだ。幸い何事もなく帰還してそのまま寝た。

 とにかくとても楽しかった。そのおかげで今朝はやや二日酔い。六時頃目が覚めたがもう一度寝てしまった。久しぶりの朝寝坊だ。今日は久しぶりに夜、ドン姫が来る。朝飯を食べたら飲み食いする材料を考えて買い出しに行かなければならない。

2012年3月 5日 (月)

阿部謹也著「『教養』とは何か」(講談社現代新書)

 この本は先般紹介した「『世間』とは何か」の続編である。実は二冊同時に購入して、先にこの「『教養』とは何か」を読んだ(十年ほど前か)。恥ずかしながら半分以上が分からなかった。何しろここに書かれていることが何で「教養」とは何か、という表題に関係しているのかが分からない。「教養」がおとしめられ、馬鹿にされる今の世の風潮に反発を感じていたところで、さて「教養」とは何だろうかと思っていたのでこの本を選んだのに。
 今ならこの本の言いたいことの半分くらいは分かる。そしてこの本は「『世間』とは何か」を読んでからでないとほとんど理解することは困難だ。ほとんど世間についての言及に終始しているからだ。そして最後の最後でなぜ世間と教養がリンクするのかが明かされる。
 過去、世界には個人という意識は存在しなかった(とこの本は語る)。近代以降、個人というもの、アイデンティティーという考え方が獲得されたために、そういう考え方が存在しなかった時代の人々の意識については想像することができなくなっている。それ(個人が存在しなかった時代の人々の意識)を理解するためには『世間』とは何か、ということを知らないといけない。というわけで前作が書かれた。
 そして現代は社会と世間という二重の囲いの中で個人が生きることになった。過去、個人は世間と融解していた(というより不可分だった)。個人と世間が明快に分離した西洋社会と、未だに分離が曖昧な日本社会を対比させながら、社会と個人との関係を見直さないといけないというのが著者の考えだ。
 教養とは世界観だろうか。西洋では(今では日本でも)個人が個人として教養を持ち、より完全な個人になることが理想とされてきた。教養とはそのような目的で獲得すべきものだった。しかし著者は次の段階を模索すべき時代が来たことを宣言する。
 著者がこの提言をこの本の結論で挙げたときには、著者は全く想定していなかっただろうが、まさに現代のインターネットの時代の知のあり方は、ある意味で著者のいっている、あるべき状況そのものではないだろうか。私のこのブログでの意見表明もまさにそのようなものである。

 ちょっと格好つけすぎか。でも読み終わったときよりも、この文章を書いてみてからの方がこの本に書いてあったことが理解できたことに驚いている。やはり読みっぱなしでなく、考えてまとめてみることに意味があることが分かって大変満足している。

気力

 朝のNHKのニュースで、被災者の気力について報じていた。震災後しばらくしてから、震災直後と比べて気力がプラスになっているかどうかアンケートを採ったという。想像よりもプラスの人が多かったという。約一年後の今回、再び同じアンケートを行ったところ、なんと気力がプラスの人の割合が減っていることが分かった。

 理由は将来に対する見通しがいつまで経っても立たないことにある、ということのようだ。仕事を再開するために資金を調達しようとしても、個人では補助資金が出ることが困難なのだそうだ。だから行政の問題であると番組はいいたいのだろう。

 気力がプラスになっている人と、逆に低下した人にインタビューをしていた。インタビューに応じた人は皆前向きに生活を立て直そうという人のようであった。うちひしがれているばかりの人では番組の趣旨に沿わないから当然だが、なぜ気力がプラスになったり低下したりするのだろう。

 ここからは私が感じたことなのだが、気力が旺盛な人は、その人に役割があると思っている人、つまりその人がいてくれてうれしいと思ってくれている人がいる、と信じることができている人のようだ。そしていくらその人が元気でも、誰かにその人がいてくれてうれしいと思われているという実感がもてないでいる人はついに気力が尽きていくようだ。

 わかりにくい言い方だが、「I MISS YOU」といってくれる存在を確信的に持てているかどうかということだ。MISSは言うまでもなく「あなたがいなくて寂しい」という意味だ。つまり自分がかけがえのない人と思われていると信じられるかどうかということだ。それこそが生きがいというものだろう。

 今日は定期検診の日で、血液検査、診察、生活指導を受けてきた。高血圧、痛風、血糖値は薬のおかげで一応正常の範囲。ただし前回指摘されていたが悪玉コレステロールが増えている。体重と体脂肪率も増えている。酒の回数と量は間違いなく減らしている。食事もそれほど美食をしているわけではない。とにかく運動不足だ、と断定され、万歩計を購入して記録するように指導された。

 まあ予想通り。この検診が終わるとほっとする。さあいつもの友人を誘って今晩は酒盛りだ。早速連絡しよう。るんるん。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城⑤

 名にし負う大行の山(大行山脈)、河内(河南省の黄河の北側)から起こり、直ちに北を指し、燕(河北省北部の古名)趙(北京の西方一帯。昔の趙の国のあったあたりをいうがかなり範囲が広い)の間を走り、常山を包み、環って京都(都・つまり北京のこと)の北に到り、引いて東し、廬龍(廬陵・山の名前)碣石(これも山の名前)に連なり、直ちに海に入る。延袤(えんぼう・長さ)一里余里、燕山河北の恃みて以て固(かため・つまり守り)となすところである。(大行山脈が東の海から北を廻り、西方までぐるりと北京を囲み、その存在がそのまま防衛線をなしていることを述べている。)しかしこの大行山中におよそ八陘(はちけい・八つの山の切れ目)がある。そのうち河北にあるものは四、井陘(せいけい)、飛狐、蒲陰(ほいん)、軍都である。この軍都がすなわち居庸である。そうして八達嶺はその居庸路の絶頂分水界をなすところにある。今私は八達嶺の烽火台の上に立てば、一帯の大山脈が東西に連なり、重畳起伏がさながら波頭のようである。遙かに蒙古路を望むと、平砂(砂漠)遠く連なり、雲際さらに一山脈の走るのを見る。
   白雲の棚引くかぎり見さぐれば
       たもと吹きまくもごりあの風

2012年3月 4日 (日)

映画「アリス・イン・ワンダーランド」

 2010年アメリカ映画。監督・ティム・バートン、出演・ミア・ワシコウスカ、ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アン・ハサウェイ。
 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の後日談として、アリスが19歳に成長して再びワンダーランドへ迷い込んで体験する物語。アリスは子供の時の体験を夢だと思っているが、ワンダーランドではそれは現実の物語である。
 ご存じティム・バートンがルイス・キャロルの世界を思う存分再現してみせる。とにかくこの奔放な空想世界の映像は見ているだけで楽しい。体が伸びたり縮んだりするのも現代の映像では自由自在だ。チェシャ猫もほぼイメージ通りである。あのお茶会のシーンがすばらしくてうれしくなった。
 映像のどのショットも不思議な絵になる。ストーリーはそもそも重視されていないからどうでもよくて、見せたい絵を見せることを出演者とスタッフが大いに楽しんでいることが伝わってくる。この映像は一度だけではもったいない。何度も楽しみたい。

 ところでカラスと書き物机はなぜ似てる?
 

中国ウオッチ・商標権紛争

 2010年、浙江省の灯具商人委託商標代理機構は「iPhone商標」を申請した。「照明、加温、蒸気などの設備」についての商標だという。アップル社は携帯電話についてすでに「iPhone」の商標を獲得しているが、それ以外についてはもちろん申請していない。だが当然「iPhone」の商標をほかの会社が登録することには問題があるとして異議申し立てを行った。
 まだ裁定は出ていないが、灯具商人委託商標代理機構側は、アップルが登録していないものについては当然我々に申請が許可されるはずだと自信満々だという。
 万一これが認可されるようなことになれば、商標そのものに意味がなくなってしまう。しかし中国は先に登録したところに商標が認められるという考え方を貫いている。この結果に注目したい。
 もしかすると中国ではグッチの自転車や、資生堂の鍋、ソニーの胃腸薬なんてのが出てくるかもしれない。

郡上八幡

100この橋の向こう側に宗祇水がある。正面中央彼方にお城があるのだが分かりますか。

99これなら何とか分かりますか。

101宗祇水。

107足下を照らす小さな明かり。

96小駄良川。長良川の支流。あの紅い橋の下に立っている。

109肉桂屋。これで郡上の散策はおしまい。ホントはもう少し歩いたのだけれど。

AIJ

 投資顧問会社のAIJが企業の年金資金の投資を引き受けて、利益があるように報告しながら実は引き受けた2000億円の大半を喪失していたことが分かり、同社の幹部が強制調査されている。
 ここに新たな事実が判明した。旧社会保険庁OBの投資コンサルティング会社社長が、厚生年金基金向けの資産運用セミナーを繰り返し開催し、AIJとの契約を推薦していたという。
 それだけではない。AIJに年金資産の運用を委託していた74の厚生年金基金のうち、少なくとも三分の二に旧社会保険庁のOBが天下りをしていたことも判明したのだ。
 セミナーでAIJを推薦していた投資顧問会社の社長はAIJとコンサルタント契約を結び、年に数百万円の報酬を得ていた。そして2000年代前半からOB人脈を利用してセミナーを開催して勧誘していたという。これでは推薦どころか推進していたのだ。
 ことほど左様に旧社会保険庁というのは社会的に害毒を振りまき続けていたのだ。もちろん社会保険庁にいた人が全て悪い人間ではないだろうが、このような組織にいたのではまともな人間もたぶんかなりゆがんでしまっていると疑われても仕方がない。
 今回のAIJに関係した旧社会保険庁の人間に必ず刑事罰を、それも厳罰を科すことを希望する。それが責任を取るということだ。

郡上八幡博覧館

 博覧館はパネルが多いので、丁寧に見ていると面白いし時間もかかるが、さらりと見ているとあっという間に見終わってしまう。できれば興味を持ってみてほしい(と展示している側は思っているであろう)。展示品も小物が多いので目を見張るようなものは少ないが、結構味のあるものが多い。

75牛鬼。これは等身大で大きい。地元の説話に出てくる鬼である。

70中央にリングがあり、プロレスを観戦しているお雛様たち。リングで戦っているのも人形。

72向こうでは麻雀をしているお雛様たちもいる。

69これは小ぶりのもので壁に掛けてあったが、端正で美しかった。

74郡上八幡は蝋細工の食品サンプルで有名。中央のスイカや右下の焼きそばは本物にしか見えない。

80中庭を覗いたらオオサンショウウオの姿が。もちろん作り物。よくできていた。蝋細工ではなさそうだ。

78ポスター。

83後で気がついたがポスターの場所とほぼ同じ所。写真の下手さがよく分かって恥ずかしい。ただお城はポスターのように正面には見えない。この立ち位置からは右手にある。

79_2これも味のあるポスター。


















「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城④

 皆、異口同音に叫んで
 「アア万里の長城だ!」 といいながら、にわかに勢い込んで鞭を挙げさらに行くこと十里にして、初めて八達嶺(はったつれい・パアタリン)に達した。時に午前十時である。城門高く北門鎖鑰(さやく・錠前と鍵--転じて出入りに重要な地点)と題してある。馬を乗り捨てて城によじ登る。高さは約二丈、城壁上で幅は約二間ある。城壁は下半部は幅一尺長さ二尺ほどの石を畳み、上半部は煉瓦を以て築いてある。その他女牆(ニュイチャン)の構造など全て北京城の構造と同じである。この堂々とした城壁は、蜿蜒として千里の外に連なり、要所要所には烽火台を設けて敵の襲来を警戒し、一旦緩急があれば昼は煙を挙げ、夜は火を挙げて警を報じ、次々に相伝えてこの要塞を厳守する。いわゆる一夫関に当たれば万夫も通りがたき所(李白の詩・蜀道難の一節 一夫当関、万夫莫開 にちなむ。箱根越えの歌もこれによる)真にこれ北門の鎖鑰である。
 城上に箕居(ききょ・箕は両足を投げ出して座ること)してかつ飲みかつ食う。いつの間にか小林君がいない、どこへ行ったのだろうと尋ねていると、応と呼ぶ声が風のまにまに聞こえる。仰げばはるか西方の峰上に聳えている烽火台に立ち、帽子を打ち振って我らを呼んでいる。そこで早速我々も城壁上を登っていくと、所々に穴がある。この穴は城の内部から城上への通路である。あるいは急峻で靴が滑ってほとんど攀じがたいところもある。ようやくたどり着いて同じ烽火台の上に立つと、唐詩にいわゆる
  「欲窮千里目、更上一層楼」
で、この台上からは天下の形勢が一目の下に見える。
*千里の目を窮めんと欲し、更に上る一層の楼。唐の詩人王之渙の「鸛鵲楼(かんじゃくろう・鸛鵲はコウノトリ。鸛鵲楼は山西省永済県にあった楼の名。黄河を見下ろすところにあり、眺望絶佳であったという)に登る」という有名な詩の一節。鸛鵲楼は三層の高楼だったが、この詩は何階で詠まれたのか。当たり前に読めば二階で詠んだと思うが、普通なら最上階にいてその絶景を詠むはずなので、架空のもう一階を想定しているという解釈もある。

2012年3月 3日 (土)

原発事故

 3日の夜、NHKのスペシャル番組で原発事故発生前後100時間の状況を詳しく検証していた。原発が電源を喪失して危険であるという通知が、近隣の自治体に数時間のうちに東京電力からFAXで流された。しかし、混乱状態であるし、停電や機器の不具合で浪江町には連絡が届いていなかった。ほかにも届いていなかったところがあったかもしれない。その後の政府からの避難指示も連絡がなく、町長たちはテレビの報道で知ったという。
 なんなのだこれは。普通、大事な連絡は受け取った方からの返信を確認して初めて伝わったとするのは常識であろう。普通の会社でもFAXの注文では注文漏れがないよう確認の返信を返すのが常識だし、返信がなければ念を押す。
 ましてや尋常ではない事態なら、念には念を入れて確認するするのが当たり前だろう。FAXを流したから役目が終わった、責任を果たした、というような、想像力のない人間ばかりだから想定外で全て済ませてしまうのだ。
 言い訳の言葉は想像がつくから聞くまでもない。本来は自治体と政府、自治体と東京電力の原発現場との情報仲介役をする役目を担うはずの、何とかセンターに詰めるはずの人間たちが、いち早く逃げ出したので、中央と自治体のパイプが機能しなくなったのだ。住民を放置して真っ先に逃げ出す姿は、敗戦の時の関東軍を思い出させる。もっとも無責任で醜い行為だと思う。
 百歩譲って何とかセンターが機能せず、しかも放射能汚染されてしまったことから仕方がないとしても、自分たちの役割があっただろう。そのために報酬をもらって生活の糧にしていたのだろう。自治体と中央とのパイプ役として必死の行動を行った様子はみじんも伝わってこない。安全な福島県庁でぼんやりと机を並べて右往左往していた姿を見た記憶だけがある。自分の役割を全うするためにこれだけのことをしていた、という釈明を是非聞きたいものだと思った。役割には責任が伴い、責任を果たすことで報酬が支払われるのだ。そうでなければ給料泥棒だ。
 自治体に何も伝わっていない、ということすら中央には伝わっていなかったことがこの番組で分かった。伝わったかどうか、誰も確認する人がいなかったのだ。馬鹿じゃないか。外部電源の大きさなんか聞いている場合じゃないぞ。

情けなくなった。

73福寄せ雛。

 郡上八幡博覧館という、郡上八幡の歴史や文化を紹介している展示館がある。明日、その展示物を紹介するが、この雛壇飾りだけ3月3日の今日を外したくないので先に紹介する。

 写真が小さいのでわかりにくいが、いろんなものが飾られていて賑やかで面白い。明日以降も飾られているだろうか。

 明日はこの博覧館の展示物と郡上八幡の景色などを紹介する。ただし用事があって昼前に引き上げたので古い町の面白い店まで回れなかった。

郡上八幡城

 郡上八幡城は山の上にあり、郡上八幡の街を見下ろしている。この城は木造で、昭和八年に建造された。木造の再建されたお城としては日本最古だそうだ。

 山の頂上へは車でも行ける。上りと下りが別の路で、かなりの急勾配急カーブ。うっかりすると廻りきれない。

51正面から撮影。絵はがき風に撮ってみた。

58天守閣最上階から街を見下ろす。右手を流れるのが長良川の支流で吉田川。

54場内展示物の一つ。無銘の刀剣。

50隅櫓。塗り直したばかりなのだろうか。出来たてみたいに見える。

37その隅櫓を外側から見るとこのように格好がいい。

45城の石垣外側から天守閣を見上げる。
















洲原神社

 天気がいいので出かけることにした。目指すのは美濃の洲原神社と郡上八幡の八幡城だ。

 洲原神社にはもう五回目くらいか。しっとりしていて飾り立てていないいい神社だ。

14洲原神社は長良川の側にある。ここから少し階段を登って山門をくぐる。

16本殿前。何か行事でもあるのか旗がたくさん立っていた。いつもは何もない。

23奥の院正面。

20奥の院の屋根、落ち葉が乗ったかやぶきの屋根に木漏れ日が差している。

洲原神社でしばらく休憩して郡上八幡に向かう。










中国ウオッチ・群衆事件対策

 中国では、地方で農民などが集団で争議行動を起こす事件が多発している。以前は政府も必死でその事実を隠蔽していたが、今は隠しても現れるのたとえ通り、全国で数万とも数十万ともいう争議が起きていることが明らかになっている。これを群衆事件というそうだ。
 その群衆事件の発生が頻発しやすい時期に入ったとして、特に事件発生の多い河北省の農村に15000人の官員が派遣された。河北省は北京を囲むような位置にあり、しかも農村人口が7割を占め、中央政府への直訴が最も多いところである。
 今年は大きな政治的な会議が催される年である。その会議が終わる秋までの八ヶ月間、派遣された官員たちは農村で社会秩序維持のための活動を行うのだという。

 まもなく開かれる全人代などの主要会議を控え、チベット自治政府は携帯電話やインターネットなどの管理強化を行うことを発表した。併せて「早めに、どんな小さなことでも、迅速に犯罪の芽を摘み取るよう」指示した。これも群衆事件対策であろう。

 中国はいつまでこのような方策を続けるつもりだろうか。いや、今の体制を続けるにはそれしか方法がないのかもしれない。この無理な方策が破綻したとき、中国がどうなっていくのか、非常に興味深い。何かが大きく変わるというのは不謹慎であるが楽しみなものだ。

 強権を以て国民を管理するためには情報管理が必要だが、携帯やインターネットの出現で、情報管理を完全に行うことが困難になった。みんなが貧しかった時代と違い、豊かな人々が増えれば貧しい人は不満を募らせる。それが自己責任と考えられない(階層社会では格差は仕方がない、とあきらめられていたが、階層は崩れだしている。そうなると貧しいのは自分が悪いのか、そうでなければ誰かが悪いことになる)格差であれば解消を求めて群衆事件が起こる。世界中で起こっている自由化や民主化の運動はそれだろう。
 情報の自由化は、「あなたが貧しいのはあなたのせいではない、ほかに犯人がいるのだ」という考え方を真理として布教したのだ。これは諸刃の剣である。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城③

 南口から十五里、山勢ようやく迫るところ、
 「居庸関」 がある。左は壁立した峰の上から直ちに懸崖を下って川をまたぎ、右は屏風のような峭壁を上りはるかに高峰を越えて、城壁が築いてある。天嶮に加えるにこの驚くべき人工を以てしてある。真に絶険というべきである。関門を入ると関中には住民役百戸、街路の中央に楼門がある。その下は隧道となって車馬を通している。楼門上には昔は寺があり、泰安と称されていたが、今は礎ばかりが残っている。隧道の内部は大理石で築き、これに四天王、千体仏及び漢、梵、西蔵(チベット)、女真、ウイグル、別矢八里(バシュバリク)等の六国語で経文を刻してある(マルコポーロ紀行・ユール註による)。元代の彫刻であるという。これはすこぶる学術上の参考になるというので、その後、寺本婉雅(えんが)君の周旋でその拓本を得た人が数名ある。これより八里にして小城があり、さらに七里にして山勢急迫、危巌が中央に屹立して路はほとんど窮まるかと疑われるところに弾琴峡がある。水勢岩に砕けてその音が琴を鼓するがごとしとしてこの名がある。京張鉄道工事はようやく進行して、今やこの奇巌の中腹を穿っている。この巌を廻ると蜿蜒たる蛟龍の片鱗が、はるかに天際に現れた。

2012年3月 2日 (金)

映画「アーマード 武装地帯」

 2009年アメリカ映画。監督・ニムロッド・アーントル。出演・コロンバス・ショート、マット・ディロン、ジャン・レノ、ローレンス・フィッシュバーンほか。
 イラクで従軍して帰国したタイは警備会社に採用される。父母を病気で失い、身よりは弟だけとなっていた。タイはその両親の医療費の借金に苦しんでいた。いろいろ面倒を見てくれている先輩の警備員・マイクはそこにつけ込んで、大金の現金輸送の狂言強盗を持ちかける。当初それを拒否したタイだったが、借金で家を失いそうであること、弟がぐれだしたことから渋々協力することになる。ただし誰も傷つかないことを信じて。
 やが4200万ドルという大金を二台の装甲現金輸送車に乗せて計画が実行に移される。しかしことがそんなにうまくいくはずがないのが現実である。とある廃工場で現金を取り出し、偽装工作を始めたのだが・・・。
 計画は齟齬を来すほどに破綻していき、やがて血が流れる。

 題名から戦争映画だとばかり思って見始めたのだが、違った。
 大物俳優のジャン・レノとローレンス・フィッシュバーンが脇役に徹している。マイク役のマット・ディロンはひげ面なので最初、ディロンと分からなかった。ひげがなければしゃくれ顔ですぐ分かったのだが。こういう冷たい役をすると似合う俳優だ。
 面白い映画だった。87分という長さがよい。これを100分以上の映画にしたら酷評したかもしれない。

中国ウオッチ・500万匹の野良猫

 アメリカのメディアが、北京には野良猫が500万匹以上いると報道したことを中国のネットが伝えていた。誰が数えたのか知らないが、野良猫は急増しているそうで、夜中鳴き続ける声に悩む人もいるという。
 北京市は北京オリンピックの際に野良猫捕獲キャンペーンを行い数千匹を駆除したことがある。安楽死させたそうだ。ペットが産んだ子猫を市民が捨てるために増えているとしてペットの不妊手術をするよう当局は訴えるが、北京市民に協力する気はなさそうだ。
 30年前に北京や西安に行ったときは犬や猫の姿がきわめて少ないと思ったのを記憶している。当たり前だが生活が豊かになれば人間の周辺で生きる動物の数は増える。結構なことではないか。
 記事では市民が不妊手術に協力しないことを非難しているが、その手間も経費ももったいないし、ペットもかわいそうだと思う気持ちの方が自然であろう。猫に一人っ子政策というわけにも行くまい。

「独居老人孤独死友の会」(もちろんジョークです・念のため)

 内田樹先生のブログ名は「内田樹の研究室」である。リアルタイムで読んでいる人はたくさんいるであろう。私もリアルタイムで読むこともあるが、どちらかというと気が向いたときにアーカイブで過去のものを読み直すのを楽しみにしている。一度読んだのに、最近また2000年から読み直している。2000年の表題が「とほほの日々」、そして今じっくり読んでいる2001年が「夜霧よ今夜もクロコダイル」だ。題だけ見ても読みたくなるであろう。ちょっと椎名誠のまねっぽいけどこれも内田樹先生の文体から来るものだからこれでいいのだ。
 今3月分を読んでいてこの「独居老人孤独死友の会」(略称VSMS)が気に入ったので書き留める(VSMSが何の略かどうしても知りたい人は先生のブログを遡ってみること)。
 人は誰も一人死ぬのである。この存在論的宿命をみすえ、おのれの存在しうることの本来性を大悟徹底するというハイデガー的課題に果然と立ち向かいつつ、「もうすぐ死ぬんだから好きなことやらせてよ」という反論不能のエクスキューズを以て傍若無人不惜身命に現世の快楽を味わい尽くそうではないか、というのがこの会の趣旨である。参加条件は「30歳以上、バツイチ以上」。
 参加資格にぎりぎり当てはまるようなそうでないような・・・。内田樹先生は全く私と同年であり、たどってきた時代感覚が共通だが、生き方そのものは全く違う。いわばあこがれか。かっこいい!

葉室麟著「蜩の記」

 葉室麟はこの「蜩の記」で直木賞を受賞した。直木賞を受賞する前にこの本を買って、いつ読もうか楽しみにしていた。装丁もいいし、久しぶりに本屋で「私を読んで」と呼びかけられた本なのだ。
 夜明け前に目が覚めてしまい、ふと手にとって読み始めたら没頭してしまい、気がついたら読み終わっていた。ラストで涙が止まらなかった。

 どういうわけかしばらく本に集中できないでいた。二週間くらいだろうか。時々そういうことがあるが今回は長かった。頭の中に、本に集中するためのスペースが必要で、何かでふさがっているとどんなに本が読みたくても受け付けなくなってしまうことがある。昔はそんなことはほとんどなかったのに。ただ不思議にそのような状態を乗り越えた後に、心に残るいい本に巡り会うことができる。
 
 人がまっすぐ生きるということはどういうことだったのか、幕末や明治時代に日本を訪れた海外の人が日本人に対してなぜ一目置いたのか、何を今の日本人は失ってしまったのか。
 いや、日本人が、などという考え方がそもそも違うのだろう。他人はどうであれ、覚悟を以て自分の正しいと思う生き方を貫けばいいのだ。そのようにして生きれば日々が楽しくないはずがないことを改めてこの本は教えてくれた。

 人は誰かにかけがえがない人だと思われているというそのことでその人のために死ねる。 

映画「紅いコーリャン」

 あのチャン・イーモウの初監督作品。1987年製作の中国映画。原作は莫言(現代中国作家)の「紅高粱」。主演・コン・リー。
 この作品は10年ほど前にビデオを借りて見た。チャン・イーモウの強烈な色彩と猥雑さが強く印象に残っていたが、今回見直してストーリーをはっきりと思い出した。
 理屈以前の生物としての人間がエネルギーをむき出しにして絡み合う。こういう時代を中国人は生きぬいてきたのだ。
 後半は日本軍の残虐さが強調されるシーンが続くが、あながち誇張されたものばかりでもないであろう。チャン・イーモウは新作の南京事件を扱った映画でも日本軍の残虐な行為のシーンをこれでもかと見せているようで、これがアメリカではかえって不評だったようだ。チャン・イーモウの原点に何かあるのかもしれない。
 この映画は1988年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞している。確かにこの色彩の強烈さは心に残る。ナマの中国が見られる映画である。私はいい映画だと思うが、賛否両論あるであろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城②

 「南口」 は正しくは居庸南口という。北口とともに居民各千戸、元朝の始めにここの護りのために置かれた。現在は百戸余の住民がいる。南口ホテルといえば堂々としたものを想像するが、実はあの昌平州の宿舎と大して違わない陋屋である。このホテルに行くと表座敷は小さい二間に別れていて、一つは応接間にも食堂にもなる。一つは寝室である。西洋人がしばしば長城見物のためにこの宿に入るので、名もホテルなどといっているし、窓には白のカーテンを掛け、テーブルには白布を懸けたりしてすこぶるハイカラぶっているが、室料は一泊一人につき一弗、食事はまた別であるという。あまりに高いから改めて談判の結果、五人で三弗となったのでようやくここに腰を据えた。やがて一人のボーイが農業得業士某という名刺を持ってきたので会ってみると、先に我々と前後して来た中国人であった。彼は保定府農学堂卒業生で目下天津に奉職しているとのことである。保定で日本人の教育を受けたので、何となく懐かしくて尋ねてきたとのことである。
 明ければ十一日、形ばかりの朝食を済まし、昼食として卵三個とパンをポケットに入れ、大行李を残しおいて軽装で出発した。時に午前六時。南口から北は山岳重畳としている中に一道の渓流がある。流れに沿ってさかのぼれば道は次第につま先上がりとなる。時まさに夏深く、頭を圧してそそり立つ両岸の山は全て緑に蔽われ、渓流の両脇の柳樹の、川霧にうち煙っている風情は、河北の平野では実に得がたい景色で、箱根路か足柄越えかという有様である。酈道元(れきどうげん)の「水経注」にここのことを記して、
  山岫層深(山の峰峰は深く連なり)、側道偏俠(道は狭い)、暁禽暮獣(朝に猛禽を見、暮れに獣に会う)、寒鳴相和(物寂しい鳴き声が)、羈官游子(旅に出たあの人は官につなぎ止められている)、聆之者(といっているのを聞くと)、莫不傷思者也(痛ましく思わないわけにはいかない)。などといって、いかにも心細き物寂しい景色のようであるが、我らはこの風景を賞しながら馬上で吟詠して大いに楽しんだ。
 *漢詩の訳は間違っている可能性大です。無理矢理意味を取ってみました。不勉強が恥ずかしい。

2012年3月 1日 (木)

映画「愛を読む人」

 2008年アメリカ・ドイツ合作映画。監督・スティーブン・ダルドリー、出演・ケイト・ウインスレット、レイフ・ファインズほか。舞台はドイツだが全編英語で作られている。この映画でケイト・ウインスレットがアカデミー賞主演女優賞を受賞している。
 この映画は前半導入部が、主人公のマイケルが15歳の1958年、これが全ての伏線になって、次にマイケルが法科の学生である1966年、そして物語上の現代である1998年の3つの時代が語られていく。最初がヒロイン、ハンナとの出会いと別れ、次が意外な形でのハンナとの再会(実際には直接対面はしない)、最後がハンナとの本当の再会と別れであるが、全編を通してナチスドイツの時代のハンナの過去が大きく影を落としている。
 ロマンチックな題名と、坦々としたメロドラマのようなはじまりから予感される展開とは大きく異なり、この映画は人間の原罪について改めて考えさせる感動的なものだった。たぶん原作もすばらしいものだろうと思う。戦争責任について国とか組織の問題ではなく、個人の問題として突きつけてくるこのような本が書かれ、映画が作られるという文化度の高さをうらやましく感じた。日本でこのような小説や映画が作られることがあるのだろうか。
 この映画は記憶に残る、非常にいい映画だった。お金を出して見る価値のある映画である。

中国ウオッチ・多数の乳児の遺体・犯人判明

 山東省徳州市の大量の乳児の遺体遺棄事件の犯人が分かった。
 徳州市の婦幼保険院の職員が、胎児の遺体を捨てたことを認めた。同院は謝罪するとともに責任者の一人を免職処分にしたという。
 「乳児の遺体」とされていたのは奇形などの理由で人工流産を行った胎児と死産の嬰児で全部で八体だという。
 不可解な事件だがこれ以上書いていると不快なのでやめる。

中国ウオッチ・多数の乳児の遺体

 気持ちの悪い話の苦手な人は読まないでください。

 山東省徳州市内の道ばたや溝で乳児とみられる遺体多数が発見された。気味の悪い話である。現在警察が調査中。
 発見者は清掃員で、最初は何かの動物の死骸と思ったという。乳児の死骸と分かったので近くに埋めたのだそうだ。これがよく分からない。「こういうことはしてはいけない」と思ったという。これは自分の行為に対してではなく乳児の遺体を捨てることに対しての言葉のようだ。清掃員をしているとこういうものに出会うことが時々あるような感じがするのは考えすぎか。
 作業していて辺りを見回すとほかにも遺体が散乱しているのに気がついた(想像するとぞっとする)。「医療廃棄物、感染性廃棄物」と書かれたビニール袋に入った遺体もあった。通行人が集まってきて作業を手伝い、通りがかりの警察官も協力して遺体を土の中に埋めたそうだ。
 考えられない行動だが、徳州市ではこれが当たり前のことなのか。
 同市の病院では乳児が死亡した場合、昔は病院が家族の委託を受けて埋葬していたが、いまは火葬するのが一般的だという。
 推察するに、委託を受けた業者がちゃんと埋葬も火葬もせずに遺棄したのではないか。しかし一度にそんなにたくさん死んだとも思えないし、長期間に捨てられ続けていたのならその前に見つかっていたはずだし、よく分からない。まさかこれも一人っ子政策の結果か?
 中国恐るべし。気持ち悪い。

中国ウオッチ・黄砂のせい

 ニューヨークタイムスの記事によるとカリフォルニアのシェラネバダ山脈の降雪量増加は中国の黄砂が関係しているとのことである。
 2009年に、同山脈に二度大雪が降った。この二回のうち後者が前者より40%降雪量が多かったのだそうだ。その違いは後者の一週間前に北京で大量の黄砂が発生していたことだ。これにより大気中の微細粒子が増大し、これが降雪の原因であることが調査の結果分かったのだという。
 人工降雨の際にヨウ化銀などの微粒子を核とすることは知られている。しかし雪も微粒子を核とするというのは知らなかった。
 黄砂が降雪量に関係している可能性がないとはいわないが、たった一回の現象の調査を元に科学的な報告のごとき物言いをするというのは非科学的である。
 これだと今年の日本の大雪も黄砂が原因で、北極海の氷が大量に溶けているのも黄砂が原因かもしれない。もしかすると日本が不景気なのも民主党がお粗末なのも皆黄砂が原因に違いない。

中国ウオッチ・重点人群

 中国は2015年までにHIV感染者の感染者と発症者の総数を120万人程度に抑える計画を発表した。感染者の急増を何とか抑えようということで、重点地区と重点人群を徹底管理し、減少の方向に持って行きたいという。
 重点人群とは、男性同性愛者、生産業従事者と利用者、HIV感染者の配偶者、性病感染者、静脈注射による薬物乱用者、売血者、輸血利用者、HIV感染者を母親とする新生児などである。
 HIVに感染していながら治療していない者も多いので治療を受けている人の割合を何とか80%程度には持って行きたいという。併せて予防措置として性感染症、C型肝炎など、血液に関連して感染する疾病についての知識普及に努める予定だという(先日も予防注射の注射器を使い回して肝炎患者が爆発的に発生した事件が報じられていた)。
 中国旅行にいったらあなたが「重点人群」にならないために夜の誘惑には乗らないことをおすすめする。

 中国は成人感染率では日本と同様かなり低い国ではある(0.1%以下・世界平均は0.8%)。現在世界には約3300万人の感染者がいるといわれているが、中国は絶対数ではアフリカを除けばすでに世界トップクラスのエイズ感染地区であり、東南アジアでもっとも感染率の高いタイなどと接している。また新疆ウイグル地区が今急増中の地区なのだ。意外と知られていないが、ロシアのHIV感染率は1.0%とアフリカ以外では極めて高い。中国の周囲にはそのような国が多いのだ。

中国ウオッチ・閏年

 今年は閏年である。だから二月二十九日がある。
 その二十九日の早朝から広東省広州市で市内のタクシーのメーターが一斉に機能しなくなり、約1000台が営業できなくなった。
原因はこの四年に一度の特殊な日に対してメーターに組み込まれたプログラムが異常を起こしたのではないかとみられている。
 メーターの修理場はタクシーの行列となり、仕事にならない、とあきらめた運転手も多かった。
 このメーターは全て同一のメーカーのものであったが、問い合わせをしても誰も電話に出ない状態が続いているという。
 古い話だが2000年問題というのがあった。コンピューターは西暦年度の下二桁で時間をカウントしているので2000年を境にして誤作動を起こすのではないか、というもので世界中がそれを心配したが、特に何も起こらなかった(ちょうどそのときに子供と中国旅行に行ったので、テレビの取材を受け、心配ではないですか、と問われた。全然心配していないと答えた)。
 しかしこのメーターを作ったようなメーカーが関与していたらどんな事故が起きたか分からない。当時はまだ中国の電子部品は主要なところで使われる状況ではなかったからよかった。今なら「心配です」と答えるかもしれない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・北京近郊の名勝・万里の長城①

 その名が世界にとどろく万里の長城を一目見ようと同志を募ってたところ、小林学士、及び三井からの留学生、都築、鈴木、松本の三君が集まり、明治三十九年八月十日を期して出発することに決めた。旅具の準備は先般明陵に行ったときの経験により、白米五升、パン三斤、大和煮及び福神漬け各三個、醤油一瓶、砂糖一斤、茶一缶、ウィスキー一本、洗面器、鍋釜、茶碗、箸、匙、マッチ、蠟燭等を購入し、その他寝具として各自毛布を携帯することとする。馬はボーイに命じて雇い入れさせ、一日一匹八十銭と決まった。
 十日払暁、床を蹴って起き出せば軒端に雨垂れの音がして雲は低く垂れている。食事が終わる頃には幸いに雨もやんだので勇んで出発した。馬の数は全部で六旗、騎乗するものは五旗で、大行李を載せるものが一旗、馬夫二人がこれに従う。徳勝門を出て元の土城を過ぎ十五清里で清河に達する。これから右に折れれば湯山街道で、長城へは左に行かなければならない。さすがに昌平州、南口を経て蒙古への大道であるから、往来の旅客が絶えない。北京への貨物は獣皮が最も多いようであった。また三十清里で砂河に到る。砂河城は昔のままに今も大道の東にあるが、城中にはもはや家屋は一軒もないとのことである。宿の出外れに大理石造りの一大橋がある。名付けて朝宗橋という。明の万暦年間の建造で規模がすこぶる雄大なものである。ここは北京から十三陵への大道だから明代では歴代の天子もしばしば臨幸されるので、かくの如く堂々とした橋を架けたのであろう。これよりまた十里にして右へ行けば昌平州に入り、左に行けば南口に通じる。清の人が一人同じく騎乗して後になり前になりしていたので目礼を交わす。また行くこと二十里にして西方一帯の山脈がいよいよ近くなり、はるかに高粱の穂末から西嶺の上に蜿蜒たる城壁を望み、あれこそ万里の長城であろうと、皆々同じ心に勇み立ちしきりに馬を急がせた。小河を渡り村落を過ぎ小高い丘の上に立つと、北シナの平原が眼下に広がっていて、一条の鉄路が南から北に通じ、たまたま汽車が三、四両の貨車を引いて北へ走っていくのが見えた。これは北京から北の方張家口まで行く京張鉄道で、このときはちょうど工事中であった(今はすでに張家口まで通じている)。これより龍虎台を過ぎ、日もようやく暮れかかるとき、南口城に達した。先に長城であろうと思ったのはこの南口城であった。

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