« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月31日 (金)

「桜花」は美味しい

 今晩の相手はお酒が得意ではない。でも以前はまったく飲まなかったのに今日はちょっとだけつきあってくれた。話の内容はここで話せるようなことではないが、(このことは承知していたことだが)同じある人の話が全く違う認識であることに今更ながら驚く。

 いろいろ食べたり飲んだりした。山形名物・だだちゃ豆(枝豆なのだが、味が濃くて普通の枝豆の三倍ぐらい美味しい。この時期に山形へ来たら絶対食べるべし)、ほや(海のパイナップルと云われる。食べられるようになるまでちょっとかかった。この話はそれだけで一つの物語なのだが。さしみで食べた。臭みもなく、うまかった。これは夏の食べ物である)、ニシン(とても大きくて焼くのに時間がかかったが、待つ値打ちがあった。数の子がたっぷり入っていた。でも本当は白子が好き)その他いろいろ。食べ過ぎだ。

 生ビールはキリンの一番搾り。むかしはスーパードライのファン(そもそもこの世にスーパードライが出現したばかりから大ファンになり、頼まれもしないのにスーパードライを布教することに全力を傾けた時代があったと自負している。どれだけの人を釈伏したか数えきれないくらいである。あのバドワイザーのドライ感覚にちょっと思い入れがあったので、スーパードライに出会ったとき、これだ、とはまったのだ)だったが、愛する息子が、スーパードライより一番搾りがうまい、というので即座に宗旨替えして今は一番搾りファンなのだ。多くのスーパードライに改宗させた人々よ、すまぬ、でも一番搾りもうまいよ。

 そして酒は山形の出羽桜の吟醸冷酒「桜花」。これは初めて飲んだ。香りが良くてクセがなく、二重丸だ。今は日本酒通の息子よ、大吟醸ではないが、「桜花」はうまかったぞ。二本も飲んで(これだけならいいのにね。つまり他にも飲んだ)いささか飲み過ぎてしまった。

 繰り返すが、今晩の相手とは、今はなきある人の話題で飲んでいるのに、全く違う人の話のようであった。理由は分からないではないのだが、少し哀しい。相手と別れてから、歩いてホテルに帰る道すがら、ちょっと涙が出た。

山形

Dsc_0036蔵王のお釜。雲が晴れて突然エメラルドグリーンの湖面が現れた。

 いま山形駅前のビジネスホテルに入った。もちろん山形も暑い。

 今日は宮城県側からエコーラインを通って蔵王を歩いた。山形側の蔵王温泉は何度も来ているのだが、宮城県側からエコーラインを走るのはずいぶん久しぶりである。30年ぶりかも知れない。この道の勾配はとても険しい。スピードがまったく出ないので、車の馬力がおかしいのではないかと思ってしまう。あいにく霧が出ている。走るのに危険なほどではないが、せっかくの景色が、山が見え隠れしていてよく見ることができない。メインイベントのお釜へ着いても霧のような雲のようなものが次々に流れていく。ところが刈田岳の駐車場からお釜へとガレ場の道を降り出したらその霧がみるみる晴れだした。エメラルドグリーンの美しい湖面をくっきりと見ることができた。

 学生時代に蔵王温泉のダリア園の横から三宝荒神山、地蔵山、熊野岳、そしてこの刈田岳と一泊二日で縦走した。途中に大学の山小屋がある。この辺はスキーや登山で何度も歩いた。今の体型では信じられないが、昔はスリムだったのだ。そして結構スタミナもあった。登山靴なんてないから長靴だ。靴底が柔らかいから岩場はほとんど裸足で歩いている感触だ。山の登りより足が痛いのが一番しんどかった。

 旅の少し前から足がむくんでいた。水分の取り過ぎなのだと承知しているが気分が悪い。それがここ数日大汗をかいたらむくみがみるみる引いてきた。まだ完全ではないが、足が軽い。やはり運動は大事だ。

 今晩はちょっと人に逢う。明日もこちらで用事。明後日は桐生で周恩来に謁見しなければならない。

Img420春のお釜。凍結して雪も積もっている。湖面はまだ見えない。

Img418周辺の様子。

この二枚は三十年以上前の4月の末に取ったもの。涼しんでもらえましたか。

造反有理の呪縛

 在中国大使の丹羽氏の乗った公用車が襲われ、あろうことか車につけられていた日本国旗が奪われた。今朝(31日)のニュースで10人の容疑者が特定された、と中国の公安から連絡があったそうだ。顔も乗っていた二台の自動車のナンバーも明らかなのに回答が遅い。おそらく日本側から証拠が提出された直後に容疑者は特定されていたと想像される。

 あまり迅速に犯人を検挙すると、日本から強要されて犯人を捕まえたと思われて国家にとって不都合だから様子を見ているのだと報じられている。国家が国民の顔色を窺って法律の適用を忖度する。一般的にみれば、ほぼ崩壊直前の政府の行動である。

 韓国もそうだが、中国は国家として反日教育を行ってきた。弱小国が国家をまとめるために外部に敵を想定するのは昔から取られてきた手法であり、中国共産党の存在理由の裏付けとしての意味もあった。しかしこのような方法は国家がそれなりに体裁が整ったときに少しずつ修正されるものである。そうでないと敵国感情がエスカレートして後戻りが出来ない状態にになり、修正が困難になる。日本のように敗戦を機に一気に修正することはもう出来ない。

 史実としての歴史ではなく、意図的に誇張され、修正された歴史をもとに世界観を持たされた人々の悲劇は、中世の教会による異端審問の世界、魔女狩り時代を思わせる。

 その上悲劇的なことに、中国は毛沢東により「造反有理」という言葉が国民に植え付けられてしまった。法律よりも大事なことがあり、そのことのためには法律を破ることは正義である、と云う精神の有り様は国家をも呪縛している。毛沢東をはっきりと否定せず、曖昧にしたことで国家は国民をコントロールできない。

 中国国民に対するアンケート(例によって対照が誰に対してなされたものなのか明らかではないが)によれば、今回の公用車襲撃に対して「やったことは法律的に間違っているが、日本に対するやむにやまれる義憤のもとに行ったことで私は支持する」という回答が80%を越えたそうだ。

 これでは中国政府が、そして公安がびびるのは無理がない。中国は自らの怠惰により、取り返しがつかない呪縛に捕らわれ、国家としての体裁を失いつつある。中国に居る日本人に対しての安全を真剣に留意する必要が出てきたのではないか。このようなとき、中国は言いがかりで微罪で日本人を拘束するのが常套手段だからである。

松田屋旅館

今(31日の朝)花巻の市街に出てネットがつながることを確認。そこから昨日書いたものを流している。

 30日の宿は花巻台温泉・松田屋旅館。一昨年にも泊まっているので二回目である。ここの若主人(ひげ面でもうそれほど若くもないか)から宿代を1000円値引いてくれる手紙をもらったので無理矢理やってきた。なんとここにはクーラーがある。

 今朝は田沢湖高原温泉をゆっくり出発して盛岡へ戻る。そして盛岡から東北自動車道を南下して平泉へ。ところがなんたることか。高速に乗って標識を見たら靑森までの距離表示が出ている。うひゃあ、反対方向に乗ってしまった。次のインターが遠くありませんようにと願いつつ目的地からどんどん遠ざかる。幸い次の滝沢インターまで10キロ程度、それほど大きなロスではない。ロスより精神的ダメージの方が大きい。

 昼前には平泉の毛越寺に到着。念願の庭を見に行ってなんと・・・。東日本大震災のダメージ修復のために池の水を半分くらい抜いている。イメージが損なわれること甚大。しかもアオコが発生している。こりぁもう一度来なければならない。心配していた天気は上々でホントならかなり気合いの入った写真が撮れたはずなのに。東洋大学の学生たちが、観光客にアンケートを採っている。私もかわいい子に声をかけられたのでにっこりほほえんで協力した。藤原氏の遺跡の発掘をしているそうで、中尊寺と毛越寺ばかりが世界遺産になってしまって脚光を浴びているが、本当はもっと値打ちのあるものがたくさんあるそうだ。知らなかった。いいものが見つかるといいね。

 池(かなり広い)を一回りしてから中尊寺へ向かう。駐車場の近くの蕎麦屋で昼食を食べ、本堂への月見坂を登る。この坂はきつい。勾配がかなりある上に一本調子でただひたすら登るのだ。階段もない。大汗をかいて、でも一度も休まず一気に登り切る。鬱蒼とした樹の下に居るときはまだいいのだが、炎天下へ出るとくらくらする。なんでこんなに暑いのだ。

 中尊寺は三回目だが、金堂を初めて見た。やたらに金を取られるのがしゃくでいつも金堂は見ていない。今回見ての感想は・・・クーラーが効いていてまことに快適だった。金堂は・・・あんなものありがたがるほどのものではない。

 時間があるので、平泉から今度は高速に乗らずに地道で花巻に向かう。さっき盛岡から来たときに花巻は通過している。花巻では宮沢賢治の童話館と記念館を訪ねるのだ。賢治はいいよね。記念館は二回目。童話館は初めて。じっくり楽しんで(「貝の火」という童話をブースの中で一人で楽しんだ。いくつか選べる中で15分もかかる一番長い話だ)から宿へ向かう。

 ちょうどいい加減な時間になった。この宿の食事はうまかった記憶がある。楽しみだ。その前にまず一風呂。極楽、極楽。

 ところで財布を覗いたら愕然。予算をかなりオーバーしている。そりゃ使えば減るよなあ。少し余分には持ってきたけど帰るまで持つだろうか。まあ降ろせば何とかなるけどまさか

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・呉門三百九十橋

 滄浪亭の北隣には白楽天が吟筇(ぎんきょう・杖をつきながら詩を読む)を曳いた南禅寺がある。これより北、市中を横断するのに、いくつとも知れないほど数多くの橋を過ぎた。いわゆる呉門三百九十橋というのは決して虚言ではない。これらは皆縦横に市中を流れている溝渠に架けられているもので、その幅は狭いものは二、三間から、広いものは五、六間に及ぶ。市中の貨物運搬の便は皆この溝渠によっている。折から軒ごとに馬桶(マートン)を並べてあり、掃除屋はこれを小型の手桶に移し、さらにこれを橋側に停泊している舟の胴の間に移している。市中はさながら馬桶陳列所の如く、川には尿溺船(にょうできせん)が行き交っている。伝え聞くところではイタリアのベニスに似ているといわれる蘇州は実に水の都であると思われる。

2012年8月30日 (木)

どんぐり山荘

 29日の宿は田沢湖高原の温泉宿、どんぐり山荘だ。ここも暑い。今日は最高気温32℃だったそうだ。着いたのが四時前だったので昼のほてりが残っている。もちろんここもクーラーなんてない。自動販売機もない。冷たいものが欲しければ自分で頼まなければならない。でもここは秋田駒ヶ岳1637メートルの中腹だ。陽が落ちれば間違いなく涼しくなるであろう。

 風呂は硫黄温泉。熱いし、湯の華が半端でなく浮いている。効きそうだ。

 今日は久慈を八時過ぎに出発(言葉にするとなんか変)、しかし昨夜暑さで寝不足気味だったので、にわかに眠くなる。途中の休憩所で仮眠、30分ほど爆睡した。盛岡の手前に渋民村がある。ご存知の通り石川啄木の生誕地だ。啄木の記念館があったので、見学。啄木が卒業し、代用教員をした渋民小学校が記念館の庭に残されている。

 盛岡で早い昼食を摂る。ついでにブログも流す。

 そこから本日のメインの目的地、角館に向かう。角館の武家屋敷が見たかったのだ。これは見る値打ちのある場所だった。ただし炎天下の散策になった。涼しいときならもっと良かったのに。青柳家という大きな武家屋敷を丁寧に見た。広くて見るものがたくさんある。その中に喫茶室があり、そこでイチゴの果肉入りかき氷を食べた。出来れば果肉がない方が良かった。若いおとなしそうな女性が一人で相手をしてくれたのでしゃべっていたら、ちょっときつそうなおばさんが奥から出てきた。写真を撮ろうと思っていたのにタイミングを失してしまった。

 角館から田沢湖まで30キロ足らず。少し早いので湖畔を三分の一周して宿へ向かった。この宿の食事はあまり期待できない気がする。でもお湯はいい(狭いけど)。

 明日はもう一度盛岡へ引き返して高速に乗り、南下して平泉に行く予定。中尊寺も見るつもりだが、是非見たいのは毛越寺(もうつうじ)。
 そこから再び北上して花巻の台温泉へ泊まる。なんだか明日の天気は崩れるような予報である。雨だったらいやだな。

 夜半に雨。開けっ放しだった窓を閉める。やはり夜は涼しい。昨日宿の親父さんが、東北は雨が降っていないのでこのままでは米の出来が心配だ、と云っていた。大雨はいらない、稻が潤う程度降ればいいのだが、と云っていた。この雨で少しは稻は息をつけただろうか。断続的に強く降ったあと、しばらくして雨はやむ。

 4時過ぎ、地震で目が醒めた。すぐテレビをつけてみる。宮城県沖を震源とする震度5強の強い地震だったという。この田沢湖高原での体感では震度2~3と云うところか。奥羽山脈を境にして太平洋側が強く揺れたようだ。前日の久慈に居たら多分もっと揺れを感じていただろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・滄浪亭

 蘇州城の名勝を探るには、あるいは船により、あるいは馬の背に乗って行くことになる。何より驢馬に乗っていくのが一番である。そこで呉門橋で驢馬を雇い盤門を入れば、瑞光寺塔は目の前に立っている。この辺り一帯は長髪賊の乱に荒廃してしまい、いまだ旧に復していない。府学境域の碑のみが原野の中に寂しげに立っている。この隣は文廟で、江南一帯では規模が最も雄大であると云うことだが、門が鎖されていて入ることが出来なかった。
 文廟の東隣は滄浪亭である。亭はもと呉越王銭元璙(せんげんりょう)の池館であった。宋の蘇子美(そしび)が廃されてこの地に来たとき、さらに木石を買い、亭を営んで、滄浪と名付けた。亭を繞らせている小池には、敗荷(蓮)が点々として、水を隔てて遠くに裸になった柳条を望み、すこぶる捨てがたき趣があるけれども、蘇子美の「滄浪亭記」に記されているような林泉の美はまた何れにあるのだろうか。しかし、この亭に遊んで宋の諸名士が盛んに応酬した時代を想えばまた一興がないこともない。現在亭中には五百名の賢人を祀り、また洋務局が置かれている。

2012年8月29日 (水)

侍浜・きのこ屋

これが29日に掲載されているなら、盛岡市内のどこかでつないだものだ。昨日の分は八戸でつないだ。EMOBILEは都市部でしかつながらない。ほとんどの地方ではつながらないようだ。旅は地方に行く。旅先でネットを使うつもりで契約したのに、その意味では役立たずだ。このことは前にも書いたが、本当に腹が立つので再び三たび書く。腹が立つのはよく確認せずに二年契約してしまった自分に対してだ。

 28日の宿は岩手県北部、陸中海岸の久慈、侍浜のきのこ屋という温泉ホテルだった。日帰り温泉施設が宿泊も出来るようにしている、と云う体裁の宿である。高台にあり、窓から海が見下ろせる。ただ部屋が最悪だった。十畳もある立派な部屋なのだが、大浴場の真上なのだ。そのためだろう、夜になっても部屋の温度が下がらない。冬なら最高に居心地がいいかもしれないがこの猛暑ではたまらない。そう、ここもクーラーがないのだ。扇風機をかけっぱなしで、熱気の中でもだえながら夜を過ごした。

 28日は薬研温泉からむつ市へ出て下北半島の東側を南下、六ヶ所村を経由して八戸へ、そこから久慈は遠くないのだが、行きたいところがあった。宮古の北、田老町だ。一昨年ここの民宿へ泊まって美味しい魚を食べた。そこがどうなっているのかこの目で確かめたかったのだ。田老町が甚大な被害を受けたことは承知している。
 久慈から宮古まで90キロ以上ある。往復180キロも走らなければならないが、どうしても見たかった。

 有名な防潮堤防が見えているからこの辺が田老町のはずだ、と思いながら行きすぎて次の峠道を上っていた。おかしい、行きすぎた、と気が付いて引き返した。田老町は国道45号線の両側に商店街のある町並みだ。そして民宿などはその防潮堤防の外側の、海との間に並んでいる。

 町が消失していた。45号線の両側はただの草原になっていた。商店街も郵便局も人家も全てなくなっていた。商店街を目当てに走っていたので、ここがまさか田老町の跡だとは思えなかったのだ。

 呆然とした。まさかここまでとは。そこから工事の車の行き交う堤防をくぐった。堤防は大きく破損している。そしてもちろん、民宿などどこにもない。工事用の宿舎とクレーン車だけがそこにあった。民宿のあったのはもう少し先の方だがそちらは入れない。はるかに遠望するがどこがどうだったかもう分からなくなっていた。

 なんだか頭のなかが熱いようなひんやりするような収まりのつかない状態で、夕暮れの45号線をちょっとスピードをオーバー目にして久慈へ引き返した。

「清末見聞録(清国文明記より)」・蘇州・日本租界

 日清戦役の結果として得た我が日本の居留地は蘇州の南郊にある。前に杭州及び上海通いの運河を控えているから水運としてはすこぶる便利である。しかし、商業の中心は城西閶門(しょうもん)の内外で、我が居留地からおよそ三十町もある。かつ意外にもその当時はとても難しいと思われた滬寗(こねい)鉄道も、城北を経由しているから、閶門外は日を追って繁盛しつつあるけれども、我が居留地は将来発達の見込みがない。それで租界の現状はその後十余年を経過しているにもかかわらず、実に憐れむべきありさまである。通路は縦横に通しているが、家屋は中国街に沿った道路の片側と、河岸に沿った道路の片側とに、粗悪な建物が数十戸あるのみである。我が同胞居留民は百七十乃至八十名であるが、過半は租界外に住んでいる。
 現に道路には桜の樹を植え付けてある。四、五年の間には花見が出来るであろう。旅館には中村、岩本の二つがあり、ともかくも日本風に起臥をすることが出来る。外に料理店もあるとのことである。折角の居留地を花見の遊山地にするのは惜しい。これは果たして誰の罪なのか。

2012年8月28日 (火)

薬研温泉・薬研荘

 27日の宿は下北半島の恐山からさらに北側、山の中の薬研温泉。さらにその奥には奥薬研温泉というのもある。

 靑森では三内丸山遺跡を駆け足で見た。それほど急がなくてもいいのだが、今日は北東北も関東も名古屋もほとんど気温が一緒の暑い日で、三内丸山遺跡のさえぎるもののない炎天下は目がくらむような、そして顔が火ぶくれするような強烈な日差しで、ゆっくりしていられなかったのだ。クーラーの効いている車の中が一番楽だ。それでも一時間弱居た。期待以上のすばらしさで、丁寧に見たら半日でも足りないかも知れない。涼しいときにまた来たい。

 その代わり恐山はゆっくり見た。一昨年、同じ時期に来たときは約一時間で一回りしたが今回は二時間近くかけた。こちらも炎天下、ただしやや山の中なので気温は少し低い。堪能した。でも日に焼けた。

 そしてさらに山越えして薬研温泉へ。着いたのが三時前である。宿のたたずまいを見てがっかりした。古ぼけてみすぼらしい。しかも玄関には「ただいま出かけております。用事のある方は以下の電話番号に電話してください」と札が下げてある。仕方がないから奥薬研温泉を見に行った。そしてヒバの試験林と、薬研温泉と奥薬研温泉の間にある薬研渓谷の遊歩道を三十分ほど散策した。ようやく四時前になったので宿に着くとまだ札が下がっている。車の中で待つことしばし、おばさんが帰ってきた。

 見た瞬間にこのおばさんは出来る!と直感した。若い頃は東北美人だっただろう。案内に随って玄関を入ると、外観を欺く(ちょっと言葉の使い方が変だがそんな感じなのだ)中の清潔で手入れの行き届いていることにびっくりした。おばさんは大きな声で話す。部屋に案内する間も、そのあと部屋でお茶を淹れながらも座り込んで滔々と話す。それが結構ユーモラスなのだ。でもそれに対する私の返事をどこまで聞いているのかよく分からない・・・。この宿は全部で八部屋、本日の客は私だけだそうである。

 部屋に朝日新聞のコピーが置かれていて、おばさんが紹介されていた。
2012年4月29日の記事。一部抜粋する。
(前略)青森県下北半島にあるむつ市大畑町薬研で温泉旅館「薬研荘」を営む原早苗子(58歳)さんは(中略)人呼んで「薬研温泉のカモシカ女将」山菜キノコ採りの名人にして山歩きの達人だ。「カモシカの通れる場所は通れる」と岩場を進み、「どんな山でも自信あり」と豪語したテレビクルーたちを「殺される」と恐れさせ、山を下りるスピードは通常の数倍。目撃した森林管理署関係者が「てっきり滑落してるんだと思った」と驚くほどだ。(後略)

 出来るおばさんなのだ。訛もそれほどきつくないので分かりやすい。愛知県の小牧に住んでいたこともあるそうだ。隣町だ。年齢より若く見えるし、山歩きをしているのにそれほど日に焼けていない。

 もちろんこの宿にはクーラーなどはない。そもそも最高気温が30℃を越えることは年に数日しかない。そんな日でも朝晩は20度近くになるので極めて快適な・・・はずだが、なんとこの日の最高気温が32℃。「日が落ちたら涼しくなりますから」という女将の言葉を信じて早速風呂に入る。
 女将によればここの湯は「肌の当たりが少しきついので実際の温度より熱く感じるが、入っているとそれほどでもない。ただし上がったあとで汗が噴き出す。それも湯に入らなかった顔や頭から汗が出るので長湯をすると収まるまでたいへんです」とのこと。
 汗が噴き出すのは嫌いではない。長湯をしてやろうではないか。

 「薬研地区の上水は湧き水を使っているので冷たくて美味しい。汗をかいてのどが渇いたら水道の水を飲んでみてください」。との女将の言葉もあった。長湯のあと扇風機を最強にして、流した汗を水道で補い、ビールで補い、缶チューハイで補っても汗は止まらなかった。

 夕食は満足するものであった。あとで写真を掲載するのでそこで個別に説明する。夜になって辺りが真っ暗になる頃、窓から入る風は一気に涼しいものになり、極めて快適な夜になった。

 薬研荘の電話番号 0175-34-2779
車でないときは、JR大湊線の下北駅でおりてバスで大畑駅下車。そこからさらに車で15分ほどかかるので予約の際に車で迎えに来てもらうように頼むしかない。念のため、薬研はやげんと読む。

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・揚州の名勝

 中島君に伴われてまず北門外天寧寺に遊ぶ。北京城西の天寧寺には隋大の建築と称する有名な塔があるが、ここには何一つ見るべきものがない。
 ここから驢馬を雇い、連騎して郭北に走ること四、五里、小金山に到る。高さ五、六丈の小丘で正しくは長春嶺という。山上に木蘭亭があり、梵境閑静、紅葉青苔を没している。九曲池山を繞って少婦が槳を盪かして(しょうをうごかして・流れに棹さして)行客を送迎する。池を隔てて法海寺の塔を望む。橋があり、池に架けてある。五亭橋という。道は法海寺に通じている。この地は煬帝が行楽したところで蘇東坡の詩があり、曰く、

  嵇老清弾怨広陵、隋家水調寄哀音、

  可憐九曲遺声尽、唯有一池春水深

 小金山の西北三、四里に甘泉山があり、山上に天下第五泉がある。泉ははなはだ甘(うま)い。それでこの名がついた。欧陽脩がかつて郡守だったとき山上に堂を設け、常に客を連れてこの地に遊び、往々月を載せて帰る。山上より望めば江南の諸山が煙霞の間にあり、檻前に拱揖(きょうしゅう)して山と堂とが同じ高さである。故に平山堂と名付けられている。堂中に乾隆年間に建てられた平山堂碑がある。また乾隆御製の詩碑が二つある。
 天寧寺から小金山、平山堂は皆船を雇って九曲池から遊覧することが出来る。あとでこの地に遊びたいと思うものは、驢馬で行くのも軽快であるが、舟中酒を置いて、行く行く煬帝のあとを偲ぶのもまた興が多いかも知れない。驢馬ならば往復三時間でたりるが、舟で行くとその二倍かかる。

*これで鎮江の項が終わる。次は蘇州である。

2012年8月27日 (月)

靑森から恐山に行く

先ほどの記事に間違いがあったのでちょっと訂正しました。まだまだあると思いますが、本人は気が付いていません。いつでも訂正するので気が付いた人は指摘してくださるとありがたいです。

 本日は三内丸山遺跡を見学してから下北半島の恐山を訪ねる。そして恐山の先の薬研温泉に宿泊する。多分インターネットはつながらないであろう。明日の晩は久慈。ここもネットがつながるかどうか半々。この二三日は、だから更新がなければつながらないと云うことでご海容(この言葉は内田樹先生がよく使う。これから使わせてもらう)戴きたい。ではこれから朝食を食べて出発だ。

陳琳

 陳琳について後漢時代の詩人とした。持っていた人名辞典を参照したからだが、よく知る人には噴飯物だったろう。陳琳は確かに詩も残しているが、名を残したのは詩によるものではない。だから孔融と並べられていたのだ。

 たまたま井波律子著「中国的レトリックの伝統」(講談社学術文庫)を旅に持参して拾い読みを始めたら、冒頭に「悪態の美学-陳琳について」という文章があった。こういうことはときどきある。気にしていたまさにそのことについて捜していないのに向こうから飛び込んでくるのだ。

 陳琳(?-217)、あざな孔璋は、曹操の傘下にあった建安文学のにない手、「建安七子」の一人である。「建安七子」とは、孔融、陳琳、王粲(おうさん)、徐幹、阮瑀(げんう)、応瑒(おうとう)、劉楨の七人をいう。後漢末の乱世に生きたこれら七人の文士たちは、それぞれ一筋縄ではいかない強烈な個性の持ち主たちであった。中でも陳琳は良きにつけ悪しきにつけ、その処世に於いて、乱世文人の典型とも云うべき興味深い存在である。(本文から引用)


 

 陳琳は生涯に三度仕える対象を変えている。最初は後漢の大将軍何進である。三国志に詳しい人なら知っているように何進は異母妹が後漢の霊帝の皇后であったことから将軍になった男で、霊帝が死んだとき、その皇后の産んだ子を少帝として立て、袁紹と共に宮中の宦官の勢力の一掃を図る。この際に陳琳は大反対をするのだが、それを何進は押し切って董卓を呼び寄せた。宦官謀殺の情報は漏れ、何進は宦官に先手を打たれて殺されてしまう。その後袁紹は宦官を掃討するものの、乗り込んできた董卓に実権を奪われてしまう。その董卓が行った残虐非道な行いの数々は中国の歴史の中でも特に悪辣なものであった。

 最初の主人の何進があっさり殺されてしまい、陳琳は袁紹のもとに身を寄せる。袁紹は実権を董卓に奪われた後、諸侯同盟を主催して董卓討伐のために挙兵、陳琳は袁紹のもとで文章の才を発揮し、檄文を作ったり、使者として働いた。

 袁紹と曹操は若い頃はかなり親交があったようで、二人で行った度を超した悪ふざけのエピソードがいくつか残っている。しかしその袁紹と曹操も勢力争いで戦うようになる。董卓が呂布に殺害されて、天下はこの二人のどちらかが握る情勢になった。最後の雌雄を決する闘いが「官渡の闘い」である。このとき豫州の劉備に向けて陳琳が檄文(味方をたたえ、敵をアジテーションし、プロパガンダする文章)を書いた。袁紹の立場に立って書かれた曹操を攻撃するこの檄文の「袁紹のために豫州に檄す」は、「徹底した悪意の文字」(吉川幸次郎)をつらね、絢爛たるレトリックを駆使して、曹操を誹謗し罵倒しつくしている。まさに罵倒の芸術、悪態の美学と入ったものが見いだされる。(井波律子)

 ご存知のように曹操は宦官・曹謄の孫である。もちろん宦官だから子供は出来ない。養子としたのが曹嵩でその子が曹操である。曹謄は貪婪で、不正な金を貯め込んだ。曹嵩はその金を賄賂に使って高位高官を買い取ったと云われる。

 檄文はこの曹操の出自について徹底的に暴き立てて攻撃している。その文章を紹介すると長くなるので井波律子の本を読んで欲しい。但し、ここが肝心なのだが、陳琳は正義の志をもってこの檄文を書いているのでは決してない。たまたま袁紹の側に立っているから曹操を攻撃する檄文を書いた。この個性を井波律子が花田清輝の文章などを引用しながら詳しく解析している。とても面白い。

 結局官渡の闘いは曹操の勝利に終わり、曹操軍は袁紹の軍を取り囲む状勢となる。このとき袁紹が降伏のために送り込んだ使者がなんと陳琳である。悪口の限りを尽くした文章を書いた相手の曹操への使者に平然と立つのが陳琳という男である。

 曹操は陳琳を殺さず、陳琳はとらわれの身となる。「檄文を作るなら私個人を誹謗すればいいのになんで先祖まで引き合いに出すのだ」と曹操は陳琳を責める。陳琳は謝った上で「矢の弦上にあれば発せざるを得ず」と答えた。その答えに苦笑いしてなんと曹操は陳琳を許すのだ。
 陳琳の三人目の主人は曹操である。そして陳琳は新しい主君のために曹操を褒め称え、敵をこき下ろす檄文をせっせと書くのである。その名調子は時にあの有名な曹操の頭痛をなおしたという。

 史上稀に見る悪態の名手であった陳琳は、しかし殺されたりせず、伝染病で他の建安七子と同じ頃死んだ。権謀術数の中を自力で生ききったのである。

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・揚州

 揚州は漢の時代に江都と云いまた広陵と云った。隋の時代に揚州となった。淮河の左にあり、金陵を圧して東南の重鎮である。呉王がかつて兵をここで挙げて漢室を傾けさせかけた。曹丕(そうひ・曹操の息子で魏の初代皇帝の文帝)がかつてここに来て大江に臨み、波濤の洶涌(はとうのきょうよう・波が激しく次々に打ち寄せる様子)を見て嘆じて曰く、これは天がここで南北を分かとうとするつもりなのに違いないと。孫権はしばしば広陵を争ったが手に入れることが出来なかったので大江をもってここを限界とした。祖逖(そてき)が慷慨激越、江を渡り中流で揖(しゅう・不明、揖はもともと両手を胸の前で合わせてお辞儀をすること)を撃ち、誓って中原を清めんと欲せしは、すなわちここである(三国時代を終結させた西晋は八王の乱による混乱とそれに続く周辺異民族の侵入により滅亡した。生き残りが河北、河南、関中を失いながら江南に亡命政権・東晋を打ち立てた。東晋は失地回復のために軍を繰り出し、たびたび北伐が行われた。しかし朝廷内部の権力闘争や軍閥間の不和もあり、足並みはそろわない。その東晋朝廷に北伐のための軍を要請しながら授けられなかった祖逖は、2000名の義勇軍を率いて長江を渡り、北伐を開始。河南の諸塢主を破り、後趙と闘い、石勒、石虎を破って河南を回復した。しかし河北の回復を目指して準備中に朝廷により更迭されて憤死した。回復したか何もまもなく後趙に奪われた)。
 唐、宋以来、江浜洲渚日に増して、江流日に狭く(河岸がだんだん迫ってきて流れが狭まっていると云うことであろう)、現在は揚州から江畔の瓜州に到るまで、およそ四十里あるが、京口の渡しはわずかに七、八里に過ぎない。しかし当時は広陵は直接に江畔にあり、江の幅員は四十余里あったという。京口が全呉の門戸であるのに対して、広陵が中原東南の重鎮であることは見れば分かるであろう。最近でも揚州は直接に運河の要の場所であり、船舶が輻輳して貨物の一大集散地として繁栄を極めているけれども、長髪賊の乱の後は中心が蘇州に移ってしまい振るわない。
 昔聞く、揚州の鶴、今移って蘇州にあり。杜牧之が狂名を大江に流した風流のその後継者は何処にあるだろうか。隋家の宮殿は府西大儀郷にありと聞いているけれどもその遺址を知らず。江都の相董仲舒(とうちゅうじょ・前漢の学者)の故宅に井戸があり、董井(とうせい)と称する。府東にあると云うけれど知る者もなく、孔融(後漢の学者、孔子20代の孫)陳琳(後漢末の詩人)の墓もことごとく湮滅してその場所は失われている。

2012年8月26日 (日)

男鹿半島と青森

Dsc_0178鶴岡のホテルの窓からの朝景色。本日は残念ながら曇り。

男鹿半島を目指す。本日の宿は青森。これが誤算であった。まず距離が思った以上に遠い。そして走る車が思った以上に遅い。男鹿半島に着く予定が大幅に遅れ、このままでは青森にはいつ着くか分からない。男鹿半島に泊まることにすれば良かった。とても景色がいいのにとにかく半島を意地で一回りしただけ。もう一度ここに泊まってゆっくり散策したい。

Dsc_0180ゴジラ岩。唯一ここだけ車を停めて写真を撮った。

Dsc_0189磯場で何か獲れそうだ。

Dsc_0191こんな景色がごろごろしているのにほとんどパス。もったいない。

田舎を走るとやたらに軽自動車が走っている。ゆっくり走り、おもむろに右折して去って行く。

男鹿半島を見てから国道7号線をひたすら青森に向かって走ったのだが、ゆったり走る車が多い上に、交差点でやたらに停まる。メインの7号と交差する道とが信号で同格になっているから赤信号が半分。当然メイン道路は車が多い上に発進が皆のんびりしているから、青信号になってもなかなか進まない。つまり赤信号で停まり、青信号でも停まるから、交差点ごとにほとんど停まる。

今晩停まる青森のホテルは駐車場が少ないという。先着順で、なければあしからず・・・と云ったってどうすればいいんだ。と云うわけで焦ったのだ。幸いその少ない駐車場を何とか確保した。

Dsc_0201青森港のカモメ。すぐ側によっても逃げない。

Dsc_0209_2夕景色の中をカモメが飛ぶ。

Dsc_0216_3青函連絡船・八甲田丸。今は観光船として港に繋留している。

Dsc_0224_2昔はこうやって線路と船がつながっていたのだ。このすぐ左手が青森駅である。

Dsc_0229左手が青森駅のホームの海側の端っこ。

湯殿山

今晩の泊まりは鶴岡。米沢から山形経由で出羽三山の一つ、湯殿山を参拝することにした。湯殿山は社殿を持たない神社で、ご神体は大きな岩である。ご神体のところから湯が沸いている。周辺は全て神域と云うことで写真撮影は禁止。

Dsc_0150大きな鳥居のあるところが参拝の出発点。車はここまでしか入れない。ご神体のあるところまではここから山道を30分ほど登らなければならない。参拝のためのバスが出ている。片道200円、往復なら300円。

Dsc_0172このバスに乗っていく。10分足らずで着く。

Dsc_0158着いてから少しだけ階段の上り下りがある。五分ほど歩けば参拝所に着く。

Dsc_0154参拝の道の脇にこんな湧き水が出ている。今年は辰年だ。

Dsc_0156山全体が神域。

Dsc_0159ご神体に出会う前にここでお祓いをしてもらい、お札に汚れを移して水に流す。もちろん全て撮影禁止。ご神体周辺はさすがにカメラは出せなかった。

Dsc_0174山がにわかに掻き曇り、大粒の雨が降り出した。写真を撮った罰だろうか。幸いたいして濡れずに引き揚げることが出来た。

このあと鶴岡インター近くのホテルに宿泊。こぎれいなホテルで若い人や外人さん(ロシア人風が多かった)の宿泊客で結構混んでいた。中国人は多分いなかった(いればやかましいので分かるし、こういうところは好みではないだろう)。

晩は街まで出かけるのにバスで送ってくれるとのことだったが、ホテルのレストランで食事をした。天ぷらの盛り合わせが山菜や筍でボリュームがあり、それにあわせてお酒もつい余分に戴いてしまった。それでも飲食代はホテル代よりちょっと安く済ませた。



















米沢・上杉神社

ゴールドライン、スカイバレー(しつこいけどもとバレーライン、前回書いたこの話はいつかは書きたかったもの)を通って米沢に入った。前回記したとおり、ここは学生時代に暮らしたところ。通称上杉公園、正式には松が岬公園は住んでいた大学の寮から歩いて二十分くらい。近くに映画館があり、よく行ったホルモン焼きの店もあって、ほとんど連日のようにここには来ていた。今は歴史資料館の立派な建物も出来て人出も多く、昔と様変わりしている。

Dsc_0114上杉公園の中のメインはもちろん上杉神社だが、これは園内入り口横の松が岬神社。

Dsc_0117こちらが上杉神社。

Dsc_0119ほらね、松が岬公園でしょ。

Dsc_0123ここは堀を渡ってすぐ左手の上杉謙信の墓の跡。この高台の上にある。謙信の遺体は越後から会津に運ばれ、その後この米沢に移された。

上杉神社は上杉景勝が越後国から、会津に移封され、さらにこの米沢に移封されたときの居城である。その後上杉氏はここを居城とした。あの直江兼続がもともと米沢を領地としていたが、そのまま主君の景勝の城として明け渡した。後、上杉鷹山が殖産して藩を立て直したことは海外でも知られている。

上杉城は天守閣を持たない。もともと天守閣の無い城はたくさんあったが、観光のために無い天守閣を建てているところもあるようだ。

Dsc_0125謙信公の遺体が埋められていたところ。

Dsc_0127_2上杉景勝と直江兼続。昔はこんな像は無かった。

Dsc_0140_2園内の片隅に蓮池があり、蓮の花が咲いていた。

Dsc_0143_2アップにしてみました。とても綺麗。泥の中にこんな綺麗な花が咲くのだ。

Dsc_0145空を見上げると入道雲。気温は34℃だという。ちょっと歩いただけで汗みずくになった。

このあと遅い昼食を食べて湯殿山に向かう。

















「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・大運河

 鎮江・揚州間は一日数回の小蒸気の便がある。大東、招商局、戴生昌(たいせいしょう)の三会社がその航路を有している。運賃は一等五十セント、二等四十セント、三等二十二セント、四等十六セントである。鎮江から江を遡ること三十分にして、金山寺の対岸、瓜州(かしゅう)に至って運河に入る。運河は隋の煬帝が開鑿したもので、淮水を控え、河をつないで済水に入り、遠く天津を経て通州に達している。海運が開けなかったときはもちろん、現今もなお江南の漕糧の多くはこれによって北京に運ばれている。その後(運河が造られた後)人を裨益することが大きくて、万里の長城がただとてつもない偉観として人を驚かせ、ため息をつかせるだけの無用の長物であることと比べるべくもない。
 煬帝が運河を開いたとき、両岸に柳を植え、十里ごとに亭を築き、佳人を連れてその間を悠遊したのをもって、後人は皆煬帝がいたずらに、おごりの気持ちで国費や人員を費やしたと非難するようである。私が思うに、煬帝は暗愚の主ではない。なんでいたずらに遊興のためにこの大工事を起こしたであろうか。彼は雄志をみなぎらせてその功名の思いを果たすために大業七年かけて自ら大兵を挙げて高麗を征服した。大運河はその準備として漕糧のためにしたものである。彼が運河を悠遊したのは自ら工事の進展具合を巡視したものである。そして、高麗が警戒することを恐れていかにも逸楽しているように振る舞ったのである。後人は今もなお高麗と同じように彼の術中に陥って真実を覚らないのはどうしたことか。
 運河の幅は狭いところでも三十間を下らず、広いところは五十間を超えている。瓜州では長さおよそ四間ばかりの民船の舳先に、旧式の小口径砲一門を備え、水兵が八、九名乗った砲船が十数隻浮かべてある。このような砲船は長江及び蘇州、浙州の運河一帯に配置されていて、その数は万に上るという。全て長江水帥提督徐の麾下に属している。徐はもと長江一帯に出没していた哥老会(かろうかい)の首領の一人であったが、両江総督劉坤一(りゅうこんいち)の按撫によって帰順したものである。聞くところによれば、徐は無学ではあるが、豪傑の風があり、その威は長江を圧しているという。私はその好漢を見る機会がなかったことを残念に思う。
 瓜州から運河を遡ること一時間半ほどで揚州に到着した。

2012年8月25日 (土)

ゴールドラインとスカイバレー

会津若松から檜原湖まで、裏磐梯を越えて行く道をゴールドラインという。昨日奥只見へ行くシルバーラインを走ったが、今日はゴールドで昇格したのだ。このゴールドラインは本来有料道路だが、現在料金を徴収していない。今だけなのか、今後ずっとなのか分からないが、ちょっとうれしかった。

Dsc_0086ゴールドラインの峠付近からの写真。実はこの上方部にかすかに猪苗代が見えているはずなのだが。肉眼でもかすかなぐらいだから写真にはほとんど写らなかった。

Dsc_0089磐梯山の山頂が雲間から顔を出した。標高1819メートル。

Dsc_0094檜原湖に到着。正面がいわゆる裏磐梯。普通は檜原湖の東湖岸を走るが、今回初めて西側を走った。

檜原湖の最北岸からさらに白布峠を越えて米沢に向かう。かなりの急坂と急カーブが続く。この道をスカイバレーという。

実はこの道はもともとバレーラインと名付けられていた。谷間の道、と云うつもりだったのだろう。ところがこのバレーラインというのは隠語で女性の陰裂(割れ目ちゃん)のことを云う。バレーラインを探勝しながらたどるというのは男子の欣快ではあるが、英語を常用語とする人々にとっては赤面と失笑を買うことが分かって慌ててスカイバレーに変更した。しかしこの道筋には今でもバレーラインの表示が残る場所がある。私は今回一箇所だけ見つけた。

Dsc_0099バレーライン、じゃなくてスカイバレーの峠付近から檜原湖を見下ろす。

Dsc_0100ややアップしたもの。この峠付近に紅葉の時期に絶景の場所がある。両親を連れて新庄の叔母(父の妹)を訪ねた帰りに真っ盛りの紅葉を見た。叔母は癌で余命がいくばくもない状態だった。それなのに入院を拒んで独り暮らしをしていたので父が入院するよう説得にいったのだ。いろいろな思いと共に見たその紅葉のすばらしさは忘れられない。その父も今はいない。

Dsc_0103この峠にはアブはおらず、赤とんぼが舞っていた。

Dsc_0113芒の穂が秋の到来を告げていた。この峠を下りれば米沢である。大学時代の三年間をここで過ごした。

会津若松

Dsc_0059会津藩本陣。滝沢本陣横山家住宅。

朝食後、飯森山の麓にある会津本陣を訪ねた。ここも戦場になり、錦の御旗を担いだいわゆる官軍が傍若無人に荒らし回ったあとがある。

Dsc_0069戊辰戦争の時の弾痕。そこら中にある。

Dsc_0070この柱がえぐれたようになっているのは皆官軍がおもしろがって切りつけたあと。

Dsc_0075右側は松平容保侯の肖像画。新撰組を庇護した。京都所司代を辞退したが徳川慶喜に無理矢理押しつけられて悲憤のうちに亡くなった。

Dsc_0076こういうのを見ると慰められる。

Dsc_0081飯盛山。時間も無いし、歩いて登らなければならないようなのでパスした。

只見と会津若松

Dsc_0003眠気に襲われたので仮眠した安曇野のパーキングの朝の風景。なにやら雲行きが怪しい。

Dsc_0006奥只見ダムへ登るモノレール式の乗り物。急傾斜を3分でダム上まで運んでくれる。片道100円。下りは歩いて降りてもいい。

Dsc_0015奥只見ダムのダム湖。美しい。ダムはシンプルで、あまりうまく撮れなかった。

Dsc_0019ダム湖の遊覧船。昔兄貴分の独りがよく兄弟や友達とこのダム湖の奥の方へイワナ釣りに行った話を聞いた。尺イワナが良く釣れたそうだ。確か「釣りキチ三平」でも尺イワナどころか三尺イワナ(だったかな?)が描かれていた。ほとんどイトウだ。

この奥只見ダムまでは蜿蜒二十数キロの道、シルバーロードを走る。90%が狭くて暗い、しかも急カーブのあるトンネルである。トンネル好きにはたまらない。途中に銀山平と云うところがあり、そこから尾瀬にも道が通じている。

Dsc_0029こちらは田子倉ダムのダム湖。車を停める場所がほとんど無い。しかもアブや蜂が群れをなして襲ってくる。

田子倉ダムには思い出がある。只見線が初めて全通したという新聞の記事を見て、三日後くらいにその只見線に乗って田子倉ダムを尋ねた。四十年以上前の学生時代の話である。田子倉ダムで写真を撮りたかったが、アブがこわくて降りるのをやめた。車を停めると車の窓に五、六匹へばりついてくるのだ。車内に入られたら危ない。昔アブに刺されて化膿してえらい目に遭ってるからアブは嫌いだ。

Dsc_0039会津若松、鶴ヶ城のお堀。

Dsc_0040桜の古木。もう夕方だ。

Dsc_0048天守閣への入り口。

Dsc_0053鶴ヶ城天守閣。

城下町というのは散策するには風情があっていいが、道が狭くて変な曲がり角があり、車で走るときは往生する。夕刻の通勤の車の流れも重なって市内は大渋滞だった。何せ信号がめちゃくちゃ多いのだ。市内は歩くに限る。但しかなり広い街だ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・北固山

 帰路は水の流れが急な上に風も逆向きなので、江畔に沿って綱を引かせて三時間あまりを費やしてついに北固山(ほっこざん)下に到る。そこで舟を捨てて歩く。唐の王湾が、

  潮平両岸闊、風正一帆懸、

  海日生残夜、江春入旧年

と詠じたのはこの山下である。山上には甘露寺がある。劉備が呉国と義を結んで孫夫人を娶ったところである。のちひそかに寺を脱した道を古武馬澗(こぶばかん)といい、寺の北にある。北固山は焦山、金山と鼎峙(ていじ・三つのものが鼎の足のように対立している様子)して、共に鎮江の名勝地である。それぞれの山からの眺めはどれもすばらしく、優劣つけがたい。延陵の呉琚(ごきょ)はこの山に題して天下第一江山と称したけれども、金山、焦山ともまたそれに見劣りするものではないと思う。楼に上れば、東は江中に焦山を望み、南は京口城を俯瞰し、西は鎮江の全景を眼に収めて、遠く金山寺の塔を見る。北は大江を隔ててはるかに中原を指している。劉備はこの地にあって、雄志はほとんど消え、楽しんでしまって帰ることを忘れてしまった、と云うのも分からないではない。域内に彭玉麟祠(ほうぎょくりんし)及び御碑文がある。また咸豊年間再建された双麟冢(そうりんちょう)があるけれどもその由来を知る者は居ない。寺僧に尋ねて劉備・孫権の試剣石(しけんせき)を見る。
 試剣石は北固山の南麓、今の操場(現代は体操場・グラウンドのことだがこの場合はどうか不明)の東北隅、小池の中にあり、水成岩の三つの大塊でいずれもほとんど刀を以て両断したような割れ目がありありと見える。だからこそ劉備、孫権が切ったなどという伝説が生じたのであろう。その傍らに北固山には尚試剣石が多く露出していて、今にも崩れ落ちそうになっているところがある。風雨が長年懸けてこの岩を崩落させれば定めし第二の試剣石を生ずることであろう。再び剣を試してみるものがあるかどうかは知らない。

2012年8月24日 (金)

会津の夜

 独り寂しく(るんるんと)会津の夜に飛び出した。ホテルでは二軒紹介してもらったが、万やむを得ざる理由により、安そうな方の店の戸を叩いた。

 カウンターに座って今日のおすすめを聞いたら「鯛と鮪とカンパチ」だという。会津で鮮魚というのも首をかしげるところだが、板前の後ろに大きな水槽がいくつもあって鯛や鰺やいろいろ魚が泳いでいる。そして「沼津から直送」と札が下がっている。

 沼津は会津から遠い。「うちは相馬の取れたての魚が売りだっんですが、今ご存知のように相馬からはまともな魚が入りません」と悔しそうに云う。そしてそれに応えたのが沼津の漁協というわけなのだろう。

 まあそこまで聞けば沼津の魚を食べないわけにはいかない。カンパチと鯛を盛り合わせにしてもらう。それと川エビの唐揚げ、枝豆を「とりあえず」ということにした。

 びっくりした。びっくりしたのは味ではなくて量である。鯛もカンパチも川エビも枝豆も普通の量の倍以上ある。味は・・・沼津から遠路はるばる運んだ味であったが、まずいわけではない。枝豆がいささか鼻につくようなにおいがしたが、気のせいかも知れない。川エビは塩のサービスがちょっと多かった。これではとりあえずの次、が悩ましい。

 生ビールを飲み、地酒の冷酒を戴く。栄川(えいせん)や花春は会津の酒としてすでにおなじみだが、他に会津の地酒が五、六種類ある。昔みたいに全部試していたら体が持たない。迷いながら全種類を味あわないうちにお腹がいっぱいになってしまった。話し好きとも思えない板前が、一生懸命こちらの話に合わせてくれたのをうれしいお土産にして切り上げた。

 ここで切り上げることが出来るようになったのが大進歩である。些かもの足らない気持ちを抱えながら会津の生ぬるい夜風を浴びつつまっすぐホテルに戻ったのであった(ホントだよ)。もうちょっと飲んでも良かったかな?

準備完了

これは昨晩眠い目をこすりながら書いたもの。書いただけでブログにアップし忘れたらしい。

 今晩から北へ旅に出る。明日の晩は会津。昨日からドン姫も留守番のためにやってきた。支度はほぼ完了。ただ毎朝の「清末見聞録」の書きためがまだ終わらない。辞書や辞典を担いでいくわけにも行かないので、今十日分ほど事前に作成中である。一眠りしたら夜中に出発だ。

 と云うわけでしばらくブログの更新が普段より少なくなりますが、旅先での写真を極力掲載しますのでご覧ください。但しネットのつながらない宿の時は一日遅れになりますのであしからず。

 ここから現在に戻る。今会津若松のビジネスホテルについてネットをつないだところである。

 昨日は仮眠するつもりがほとんど眠ることが出来ないまま出発してしまった。だから昼頃から無性に眠くなった。車中の仮眠だけなので何となくすっきりしない。

 どんなところでも、どんな状況でも瞬時に寝ることができると云う特技が失われてしまったのか。車を運転するから寝酒を一杯というわけにもいかないし。

 結局今日は奥只見周辺と会津若松城の見物しか出来なかった。長野道の豊田飯山から地道で十日町から只見への距離が思ったより遠かった。そして奥只見へのシルバーラインというのが狭くて暗いトンネルが延々と続く道で、走り慣れていないと覚しき車が前をふさいでいるのでのろのろ走りになり、余計時間を食った。

 さらにそこから会津までも遠い。初日から運転でくたびれてしまった。

 さあこれから会津若松で飲むぞ。写真は明日。あまりいいのは撮れていないし。

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・焦山

 賀氏の案内で大東嗎頭(だいとうマートウ)で民船を雇い、満帆風をはらんで江を下り、あっという間に焦山に着いた。焦山は江中の一孤島で、漢の焦先字は孝然の隠居したところであったと云うことでこの名になった。孝然は山中に草葺きの小屋を建ててこれを号して蝸牛廬と名付け、その中で文章を推敲していた。後に野火にこの蝸牛廬が焼けて雨雪に晒されるようになったが平然としていた。百余歳で死んだ。皇甫謐(こうほひつ)がこれをたたえて羲皇(ぎこう・伏羲の別名、伝説の帝王)以来の人物という。蔡邕(さいよう)もまた賛する言葉を残している。
 山下に定慧寺(じょうえじ)がある。人勝坊(じんしょうぼう)を過ぎ、四天王門を入れば大雄宝殿があり、その後ろに蔵経楼があり、左に御書楼及び方丈がある。方丈の中には古い銅器がいくつかあり、また唐の大中四年、元存たちが造った陀羅尼経幢(だらにきょうとう)がある。これは端午帥(たんごすい)が長安で手に入れたものをこの寺に寄贈したものである。別に経幢の半分に折れたものが一基ある。方丈の前には有名な瘞鶴銘(えいかくめい)を、壁間に挿入してある。伝えられているところでは晋の王右軍(王羲之のこと)の書であるとされているが、宋の黄睿(こうえい)の「東観余論」には陶隠居(陶淵明のことであろう)の書であると記されている。
 寺の左にかたちばかりの小屋がある。題して 漢三詔焦隠士処 と云う。また、数町行くと、江上に臨んで山骨が露出したところに諸家の題名(名前を書き付けたもの)がたくさん見える。中に陸務観(りくむかん・南宋の詩人の陸游)、米芾(べいふつ・北宋の書家で画家)らの題名がある。頂上には砲台を築いて砲が二門据えられている。対岸の象山砲台と共に長江険要の一つである。その北に吸江楼がある。その地には以前塔があったけれども、明の洪武年間に焼けて、その後再建されることがなかったと云うことだ。大江の水が滔々汨々(とうとうこつこつ・汨々は絶え間なく流れること)として天井より来たり、焦山に向かって奔放している。楼上に登ってこの情景に対すれば、まことに吸江と云う名前の通りだと思った。

2012年8月23日 (木)

原発再稼働反対運動

 国会議事堂前の原発再稼働反対運動のデモは日に日にその数を増しているという。デモは何らかの要求をアピールし、事態を要望する方向に進めるためのものだろう。と云うことで昨日その要求を野田総理に伝えるための話し合いがもたれた。この話し合いは菅直人元総理が仲介してもたれたもので、野田総理としては党内融和のために菅直人氏の顔を立てたパフォーマンスと見られる。

 何人かの代表が主張を述べ、最後に野田総理が見解を述べて話し合いは終了した。

 ある代表が興奮しながら、「我々は決して、決して、決して要求を取り下げるつもりも妥協もするつもりはない」とまず宣言して意見を述べていた。

 よくよく考えてきたのだろう、この言葉が野田総理の演説の「ネバー、ネバー、ネバーギブアップ」を踏まえていることはこの代表も言及しているから間違いない。これこそパフォーマンスそのもので大向こう受けを狙ったのかも知れない。それはそれとして、決して妥協しないと宣言して会話を始める精神とは何だろう。数を頼んで、野田総理が彼らの主張が全面的に正しく、無条件で要求を受け入れます、とひれ伏すのを期待しているのだろうか。

 もちろんその通りなのだろう。だから野田総理はその言葉を聞いた瞬間、二度とこのような話し合いは無意味と判断したものと思う。

 世の中にはいろいろな利害があり意見があって、それを調整しながらよりよい方向に向かって段階的に改善していくことしか出来ない。そのために腐心している相手に向かって「私はあなたがうんと言うまで引き下がらないぞ」といきなり宣言されても「そうですか」と答える意外に答えようがないであろうな、と思った次第である。

 ところで私はあのシュプレヒコールというのが虫酸が走るというか寒気がするというか、死ぬほど嫌いである。リーダーの音頭で皆が唱和する、などというのを見ていると恥ずかしくてその場から逃げ出したい。大昔若い頃デモというのがどんなものか知りたくて初めて参加して、あの「何々を何々せよ!」と云うのに出くわして強烈に違和感を覚えた自分に自分で驚いて、それ以来二度と近づかないようにしている。

愚かさもあまりある

 ソウル市内にある「戦争と女性の人権博物館」で「竹島は日本の領土」と日本語と韓国語で書かれた木の杭が発見された。また、博物館の駐車場の扉や壁に「慰安婦=性奴隷という嘘をやめなさい」「竹島は日本の固有の領土」と書かれた張り紙も見つかった。現在ソウル警察が犯人を捜査中である。

 6月に慰安婦の像の周囲に同様の木の杭が立てられた事件があり、韓国の反日感情の火に油を注いだかたちになっている。その事件では日本の鈴木信行という人物が犯行を実施乃至主導した疑いが濃厚とされている。今回の事件でも同氏のブログで「天皇陛下謝罪要求に対する反撃でソウルに竹島の碑を立てた」との記述があるそうだ。

 その某鈴木氏が実際に行ったかどうか、事実は不明だが、もし日本人がこのような行為をしているのであればこのような行為こそ日本人を冒涜するもので、愚かと云うにもあまりある。

 韓国人が反日行動としていろいろ行動していることの中には愚かにしか見えないものがある。そしてまともな神経なら腹の立つこともある。だがだからといって、相手がしたから自分も同じようなことをする、と云うのは相手以上に愚かなことだと云うことがなぜ分からないのだろうか。そしてそのような行為をする人間には相手を非難する資格が失われてしまう。その人間だけの話ならまだしも、日本人全体が相手の愚かさと同列に引きずり下ろされてしまった。この罪は償いようのない重大なものだと思う。

 これは上陸を認められていない魚釣り島に勝手に上陸をしてパフォーマンスを行った十名の日本人も同様である。そしてそれに快哉を叫ぶ人間も同罪である。物事には筋とけじめというものがある。それを外した行為をするべきではない。

目的が正当なら何でも許されるのか

 今年7月にソウルの日本大使館に小型保冷車で突っ込んだ男が逮捕された。暴力行為等処罰法違反などの罪に問われている。

 その公判が22日に開かれ、検察側は懲役一年の求刑を行った。

 弁護側は被告の犯行動機について、竹島や従軍慰安婦問題に対する韓国世論を喚起する目的での行動であり、国民として正当な動機と適当な手段による行為であったから無罪である、と主張した。

 審理は一日で結審し、9月5日に判決が出るという。果たしてどんな判決が出るだろう。それにしても目的が正当なら法律に違反しても無罪であると云う弁護士の主張は恐ろしい。この論理が許されると何でもありになってしまう。まさか無罪か、ほとんどそれに近い判決が出ることはないと思うが、そのまさかだと、このような行為が連鎖して韓国は無法国家になってしまう。

 野田首相が韓国の李明博大統領に宛てた親書をそのまま日本に返すと云う。正常な国交のある国家同士で親書をそのまま突き返すというのはあまり嶺がないことだそうだ。理由として親書に記載されている「竹島」という記述は本来「独島」であり、間違いなので文書として不備である、と云う。これもずいぶんな言いがかりだ。

昨日の時事通信は、韓国政府内で親書に対してどうするか協議したとある。回答せずに無視するか、韓国の立場を反論する返書を出すか、そのまま送り返すかを打ち合わせたのだが、無視した場合、日本の主張を認めたことになりかねない、また回答なしの送り返しは外交上不適切である、との意見があり、きちんと反論の文書を返信するべきだとの意見が大勢だったという。

 ところがその外交的に不適切を承知の上で、送り返しの措置がとられることが決定して23日に返送されてくるそうだ。

 外交的な非礼も自分の主張が正しいのだから許される、と云う主張が韓国政府でも通ったのであろう。

 この問答無用、と云う態度は戦前の日本陸軍を思い起こさせる。韓国は国の勃興のあと、日本の戦前からの態度をトレースしようとしているように見える。日本の態度を全て国難として国をまとめていこうというのだろうが、それは孤立への道でもあることを早く気が付いて欲しいのだが。

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・金山寺

 鎮江の西にひときわ高く銀山が聳えている。その西十町のところに金山寺がある。金山はもと浮玉と云った。昔裵頭陀(はいずだ)というものが江際に金を得たと云うことから金山と名を改めたという。もとは江中の孤島であったが、今はほとんど陸に連なっている。納豆、味噌などで日本でも広く知られている金山寺はこの山上にあり、正しくは江天寺という。金山の西麓から頂上に至るまで殿堂楼閣が甍を列ねて荘厳な一道場をなしている。頂上には金山慈寿塔がある。塔は梁のときに創建され、薦慈塔と称していたのを、宋、元を経て今の名に改められた。七重の高塔は雲の上まで聳えている。その最上段に登って縦観すれば滔々たる長江が天外から来たり流れて雲に入り、十里の長堤、廬荻は蕭々として白帆が去来するに任せている。塔側に江天一覧亭があり、咸豊年間髪賊の乱に寺も塔もことごとく灰になったけれども、光緒二十六年に至ってこの塔を再建した。大雄殿、蔵経楼、江天閣僧坊など全て乱の後の再建である。寺中に乾隆帝の詩碑が三あり、また天下第一泉がある。「嘯亭雑録」によれば、乾隆帝時代に江、浙は芸林(書物が集められたところ)の藪(そう・ものが集まるところ)であったことから「四庫全書」三部を揚州大観堂文匯閣(ぶんわいかく)、鎮江金山寺文宗閣、杭州聖因寺文瀾閣に分置させたと書かれているが、現在の文宗閣は髪賊の乱に寺と共に焼けて往時の盛観を尋ねようもない。

2012年8月22日 (水)

辛淑玉著「怒らない人」(角川oneテーマ21)

 なるべく意見の異なる人の話も聞かなくてはならないと思っている。自分の世界観が影響を受けて広がる可能性があるからだ。それで思わぬ拾いものをすることもあった。だけどこの本はいけなかった。

 弱者の立場でものを見るのは結構である。しかし世界の解釈が全て弱者の立場で行われ、正義はそこにこそあるのだ、と叫ばれても、頷きようが無いではないか。何かハンディを持っていないとまっとうな人間ではない、と断罪されているような気がする。

 著者の辛淑玉(シンスゴ)女史は舌鋒鋭い論客だが、もちろん理性的で、日本人が何を考え感じているか、韓国人がどう考えるか、どちらもよくご存知である。だから一方的な物言いはしないだろうけれど私はこの人と会話が困難な気がする。彼女は会話によって相手に影響を与えようとするが、影響を受けようという気は全くないように見える。

 理知的な女史ですらこれだから韓国の人の多くとはそれどころではないのだろうな、と考えた。

 このように闘争心の旺盛な女性とは決してお近づきになりたいと思わない。向こうもそうだろうけど。正直読んでいてむかついた。

「主任警部 アラン・バンクス」(英国ドラマ)

 WOWWOWで放映されるドラマは優れたものが多い。映画が好きだし映画を見るのに忙しくてドラマまで手が回らなかったが、面白そうなものを選んでみてみたらやみつきになった。このドラマは全四話、それぞれ約一時間半である。主人公のアラン・バンクスは英国郊外、ヨークシャー署に勤務する、渋い長身の中年の警部。ほとんど笑わないし、馬鹿話が嫌いでジョークにあわせることもない。しかしユーモアが無いわけではない。滅多に無駄なことを云わない。見かけはいかにもクールに見えるが実は熱血漢で結構感情が先走り、手が出てしまうこともある。とにかく知れば知るほど格好がいいし好きになる。

第一話「地下室の悪夢」
 ブロンドの少女の連続誘拐事件が続き、それに皆が翻弄されているさなか、DVの通報が入り、巡回中のパトカーが現地に向かう。声をかけるが返事がないので郵便受けから中を覗くと女性が怪我をして倒れている。救急車を手配すると共に二人の警官(男女のペア)は家の中を捜査する。そして男性警官が地下に降りたところで突然襲われる。慌てて女性警官が助けに駆けつけ、犯人を警棒で殴りつけて逮捕するのだが、男性警官は斧で切りつけられていてなすすべもなく事切れる。やがて救急車が駆けつけ、彼らが地下室で見たものはおぞましいものだった。

 そこにあったのは全裸で切り刻まれたばかりの少女の遺体と、ビニールに包まれた三体の遺体だった。だが連続誘拐事件の被害者は五人である。もう一人はどこへ行ったのか。

 最初に怪我をして倒れていた女性は犯人と目される男の妻であり、日頃からDVをうけていたことが分かる。男は女性警官に警棒で頭を殴られたために意識不明の状態であり、残りの一人の行方を聞き出すことが出来ない。DVを受けていた妻から何とか手がかりをつかもうとするバンクス主任警部達だが・・・。

 やがて犯人がなぜ意識不明になるほど頭を殴られていたのか、なぜ少女たちは殺されたのに妻は殺されなかったのか、DVを通報した人間と夫婦との意外な関わりなどが謎として浮上してくる。いろいろな関係者がその関わりの大小に関係なく調べられていく過程でこの事件の恐ろしい背景が見えてくる。

第二話「危険な火遊び」
 川辺に繋留されていた船が火事になり、その船から死体が発見される。
その死に方が不自然であることから不審がもたれ、放火殺人であることが判明する。その時川面にぽっかりと寝袋に入ったままの若い女性の焼死体が浮かび上がる。実は燃えた舟の後ろにもう一艘舟がつながれていたのだが沈んでしまった上に持ち主から無人である、との確認が取れていたのだが、この女性が舟に潜り込んでいて被害に遭ったようである。

 それぞれの被害者の身元が明らかになり、犯人は誰を殺そうとして放火をしたのか、そしてなぜ殺したのかが捜査される。そうしてまったく接点があり得ない二人の被害者にそれぞれ殺される動機が見えてくる。やがて同じような放火殺人事件が発生する。そこに意外な手がかりが浮き上がってくる。そしてバンクスの部下が手柄を立てるために独走し、犯人の餌食になりかける。バンクスは犯人逮捕と救出の二者を選択しなければならなくなるが・・・。

第三話「背中合わせの悪魔」
 今回の犯人は、冒頭で起こる殺人事件がそのまま見えているので物語を見ている人には最初から分かっている。だから動機の解明が物語の主眼となるのだが、実は被害者は見ている人には明かされていない。

 冒頭のシーンは車椅子に完全固定された、老婆とも若い女性とも見分けがつかない女性が、身動きならないまま首を掻き切られるというものである。その女性は顔面は焼けただれ、しかも脊椎を損傷していてまったく身動きが出来ない体だった。

 この事件現場は実はバンクスにとって忘れられない場所であった。「なぜここなんだ」と首をかしげるバンクスの言葉は、ラストに事件が解明されたとき理由が明らかになる。

 この事件とは別に、ある女子大生がレイプされ、殺されて発見される。常道として発見者が疑われるのだが、その証言には矛盾があり、何か隠していることが明らかなのに決め手がない。

 その女子大生は仲間たちと前夜飲み歩いていて、途中から彼女だけ別れた後に奇禍に遭っている。その仲間たちを調べるうちに彼らの乱脈ぶりが浮かび上がってくる。

 バンクスの若い部下の一人が、連日その辺りを張り込んで不審者を見つけ出そうとする。ところが意に反して彼が不審者に思われてしまい、その上彼も首を掻き切られて殺されてしまう。

 同一犯の仕業なのだろうか。検死官の女性は切り口が違うから違うのではないか、と意見を述べるのだが・・・。この犯人も見ている人には分かっているのだ。そしていろいろな証言と証拠から犯人は追い詰められていき、バンクスは驚愕の犯人を知る。

第四話「報復の行方」
 白昼、ワゴン車の強奪事件が発生して多忙な最中、バンクスは上司のライアル警視正から個人的に自宅に呼ばれ、警視正とその妻から失踪した娘の捜索を依頼される。当然断るのだが、懇望されて引き受けざるを得なくなる。事件を部下に任せて、バンクスは一人でその娘のエイミーを捜しにロンドンにやってくる。もちろん敏腕な彼のこと、たちまち彼女の行方を突き止めるが、彼女は裏社会に通じている危険な男のもとにおり、帰ることを拒否する。やむなくバンクスは引き揚げ、その旨連絡するのだが、ライアル警視正の妻に泣きつかれて連れ戻すことを約束させられる。

 再びエイミーのもとを尋ねたとき、エイミーはドラッグと酒で酩酊状態となっていた。無理矢理引きずるように彼女を連れ去るのだが、連れ去るときに彼女の言った一言が危険な事態を招くことになる。

 エイミーをロンドンのホテルの自分の部屋に連れ込み、酔いを覚まさせて翌朝両親の元に彼女を送り届けるのだが、事態を報告しようとするのにライアル警視正は何も聞こうとせずバンクスを追い返す。

 再び捜査に復帰したバンクスだが、ワゴン車の強奪事件の犯人は殺害され、殺人事件に発展していた。最初の被害者に不審な点があり、彼を追求したところ、いかにも怪しいそぶりをする。彼が犯人なのか。

 そんな最中、再びエイミーが失踪した、との知らせが入る。バンクスの努力は無駄だったのだろうか。まもなくディスコパブのトイレで全身に打撲傷を負った女性の死体が発見されたとの知らせが入る。所持していたIDカードはバンクスがロンドンでエイミーの消息を追ったときに出会った女性のものだった。そしてバンクスがその死体を見ると、なんとそれはエイミーであった。

 バンクスは、エイミーが何か秘密を握っていたためにあの裏社会の男に殺された、と直感する。関係者を全て引っ張り、尋問を重ねていくのだが・・・。

 ワゴン車の強奪事件もエイミーの死亡にも実は深い関係があったことが明らかになる。そしてエイミーの死の真相は想像もしないような恐ろしいものだった。

 とにかく全て上出来の物語で奥も深い。多分この内容で日本のドラマだったら二十話くらい作ってしまうだろう。そう、日本のドラマはちょっと英国のドラマと比べると薄味だ。こういう濃厚で本格的なドラマを見た後だと日本のドラマの薄っぺらさと俳優のリアリティのなさ、それにコマーシャルのやかましさでうんざりする。まあ見なければいいだけだけど。

独島パフォーマンス

 週刊ポストの記事がネットのニュースに取り上げられていた。

 韓国では独島パフォーマンスというのがあるそうだ。よくテレビに映し出されることがあるが、日本大使館前で日本の国旗を切り裂いたり、燃やしたりするのはもちろん、何かの人形(野田総理か?)を踏みつけにしたりもしていた。

 ところがもっと凄いのがあるそうだ。抗議を目的とした焼身や指を切り落としてみせる、などというのだ。焼身はさすがに死ぬところまでは行かないが、大やけどをする人もいる。もちろん一人だけではないのだ。
 
 先日は日本の国鳥である雉を撲殺して大使館に投げ込んだり、その内臓を食べて見せたりしたという。さすがに韓国人の中からもっと違うことをして見せろ、と評判が悪かったそうだが。

 全てパフォーマンスであり、見物がいて喝采を浴びることを目的としている。阪神タイガースが優勝して道頓堀に飛び込んでみせるのに似ている。

 こんな雰囲気の中では冷静を呼びかける人がいても危害を加えられるだけかもしれない。興奮はいつ冷めるのだろうか。韓国の人はサッカーで見ても分かるように人一倍スタミナがあるからなあ。その上それを鎮めるべき国家元首が自ら率先して独島パフォーマンスをやるようでは止めようがないか。

歴史教育

 どの国も自国の歴史について自分の国に都合のいい解釈を行うことは当然のように行われている。国民を統一した国家としてまとめるために一つの粘着剤として一定の意図して造られたイメージを共有させようとする。本当の歴史を知るためにはその与えられた歴史観を脱ぎ捨てる必要があり、そのためには自らいろいろな本を読んで学ばなければならない。

 しかしその国家の意図的な歴史の歪曲があまりにも極端に行われると、事実との乖離が大きくなりすぎてそこから脱却するために必要なエネルギーが多すぎて困難になる。

 日本は戦時中に鬼畜米英などと云う言い方で敵を作り上げ、皇国史観を教育したが、幸い期間が短かったこともあり、敗戦後にはそのような歴史観は払拭された。いや、その反動で日教組が意図的に偏向教育を行ったために国民としての粘着剤が働かなくなってしまって日本人としてのプライドを持ちにくくしてしまったのはやはり極端な歴史教育の弊害の結果だろう。

 それを極端に推し進めたのが韓国と中国だった。国家が虚弱だったときに国民を鼓舞するために外部に敵を想定するための反日教育を行うことは方策としてあり得ることだろう。また、中国の共産党は独裁政権の存在理由として抗日での勝利を名目としているので、日本軍の悪事を暴き立て、さらには誇張すればするほど体制を強化するシステムを作り上げているので、このような歴史教育は中国の必然的行動とも言える。歴史教育をまともなものに戻すのは独裁政権の否定につながってしまう。

 だが韓国には反日教育を時と共に強化していく必然性がない。かつての軍事独裁政権ならば中国と同様のメカニズムが働いていたかも知れないが、現在は反日教育を強化することで国として何の利益ももたらしていない。と云うより損失の方が大きい。

 今の韓国を見ていると反日スパイラルに陥っているように見える。反日が反日をエスカレートさせていき、ほとんど妄想の世界にはまっているように見える。この結末がどこに向かうのか誰にも予想がつかない。

 偏った歴史教育の弊害というのがどれほど恐ろしいか、目の当たりにしている思いがする。

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・竹林寺

 宝蓋山を越えて、南に十余里行くと竹林寺に到る。寺は峡間竹林が叢生したところにあり、竹林の七賢が悠遊したところであると云われる。遠く塵寰(じんかん・人間世界)を離れて清雅愛すべき処である。

*竹林の七賢 三世紀、魏(三国志時代)の末期に、酒を飲んだり清談したりして交遊した七人を指す。阮籍がそのリーダー的存在。政治的な発言もそうでない発言も場合によって讒言されて命に関わる時代であった。この時代の人物については「世説新語」に詳しい。「世説新語」に関しては井波律子の「中国人の機知『世説新語』を中心として」(講談社学術文庫)が参考になる。一年ほど前にこのブログでも取り上げた。読みやすくてしかもレベルが高い名作である。是非一読をお勧めする。

2012年8月21日 (火)

「日本人入場禁止」

 韓国のあるネットカフェでは入り口に「日本人は入場禁止」「日本人が入場を望む場合には『独島は韓国のもの!』と三回叫ぶこと」と表示して評判になっている、と中国のニュースサイトが報じていた。

 韓国では喝采をもって支持する向きもあるが、さすがにこれはやり過ぎだ、と云う声も多いと伝えている。

 それについて中国のネットでは、支持する声も多い一方、愚かなやり方だ、と批判的な声も多い。

 この看板はハングルで書いているのだろうか。ハングルではたいていの日本人には読めない。

 それにしてもこのように騒ぎの尻馬に乗って受けを狙う輩というのはどこにでもいるとはいえ、どんな人間なのだろう。こんな恥ずかしいことをする人間も、それに喝采する人間も、いったいどんな育ち方をしたのだろう。腹が立つよりもかわいそうになる。今に日本でも同じようなことをして喝采を浴び、それをマスコミが取り上げるかも知れない。

 吐き気がする。

暴力的発言

 ネットで匿名で非理性的なナショナリズムを叫ぶ連中をネトウヨと云うのだそうだ。個別に見れば優しくていい奴らしいが、特定のことについては過激を極めた発言とアジテーションを繰り返す。ターゲットにされると極めて恐ろしい存在だと云うことだ。

 その発言は取り上げるのも恐ろしいような暴力的なものである。

 もともと日本のネット上の右翼を指し、本物の右翼もたじたじというか、うんざりという。もちろんそのくくりで云えば韓国にも中国にも存在するわけで、それぞれのネトウヨは絶対に相容れない世界に住んでいる。だがネトウヨがしばしば攻撃するのは不思議なことに自国の人である。まあだいたいそんなもので、自ら敵と直面する勇気のない輩が陰に隠れてわめいている場合が多いからそうなる。

 中国のネトウヨが、尖閣問題をきっかけに日本製品の不買運動を叫んでいるが、その一つに化粧品の不買の呼びかけがある。日本の化粧品は高級品として中国女性のあこがれであり、彼らにはそれが許せないのだろう。

 彼らが言うことには「日本の女はもともとブスなので、化粧品が発達したのだ」そうだ。中国の女性に比べて日本の女性がブスかどうかは彼らの審美眼によるところなのでコメントは控えるが・・・いや、控えたりいたしません。日本の女性はブスなどでは決してありません。彼らが間違っています。

 ことほど左様に彼らの発言は暴力的で事実に反する。

警戒強化

 韓国が、日本人の突発的な竹島上陸を警戒して、上陸阻止訓練を週一回から一日一回にした。そしてレーダー監視員を増員したのだそうだ。さらにとなりの鬱陵島や周辺海域の警戒を強化したという。

 韓国は特別な揚陸艦を進水させたが、現在第二の揚陸艦の建造中だという。名前が「馬羅島」だそうだ。

 「馬羅」で「魔羅」ではない。でもとっても危険だ(若ければ。私は安全だ)。

「叶」(東薫酒造)

 先日実家に帰省したときに、母と弟夫婦、息子と私で佐原(現在香取市)に行った話は以前このブログに書いた。

 その時に弟が是非にと云うことで、佐原の作り酒屋「東薫酒造」の見学に行った。もともと佐原は醸造の盛んな街で、昔は造り酒屋だけで二十軒近くあったらしいが、現在は二軒だけになっているそうである。

 この造り酒屋はいつでも見学できるようだ。但し、見学の時間が決まっていて、案内の人が必ず同行して説明する。見学(二十分くらいか)が終われば試飲することが出来て、お好みの酒をお買い上げ戴いてお帰り願う、と云うシステムになっている。

 案内の人(その日はどうも盆休みなので従業員は休みでおらず、社長自らが案内役だったようだ)が最も力説していたのがここの大吟醸「叶」のすばらしさであった。ここの杜氏は南部杜氏で、しかもその南部杜氏の代表であり、日本酒造杜氏組合の会長である及川さんという人が心血を注いで作り上げたのがこの大吟醸「叶」だという。全国の新酒品評会で十二回も金賞を受賞しているそうだ。

 それは組合の会長くらいなら政治的に受賞することもあるだろう、と話半分に聞き流していた。

 なんと一升瓶一本一万五百円。それでも飛ぶように売れて年の後半には在庫がなくなってしまうと云う。四合瓶で三千八百五十円、それでも高い。

 帰りにはそちらを見ないで普通の吟醸の五合瓶を購入した。すると弟が土産に、と云ってその大吟醸の300ミリリットル入りを買ってくれた。来客した人だけに特別に詰めたもので市販はしていないものだそうだ。

 それを先日息子とドン姫とで嘗めた。

 うーん・・・凄い。香りが尋常ではない。今まで飲んだ日本酒を越えていて違う飲み物だ。ビールを飲んだ後でなしに最初に飲めば良かった。

 結構出来上がった後だったが味はしっかりと分かった。そしてうたた寝してしばらくして飲んだら・・・あら不思議、普通の大吟醸の味であった。時間を置くとフレイバーが飛んでしまうのだろう。つまりこの酒のすごさは雑味ではないエステル油のなせる技のようである。

 興味のある方は是非東薫酒造へ。五合瓶のほうは冷やしてある。

陳情禁止

 中国では大小併せて年間一万件(もう一桁多いとも云われる)を超える争議が起きている。地方進出企業と住民、地方政府と住民の間で起こる争議が毎年頻発している。地方進出企業はたいてい地方政府と結託している。だから住民たちは自力では地方政府に対抗することは出来ない。

 住民パワーが勝って、ものが解決されることも無いことはないが極めて稀である。だから住民は代表を北京に送り込んで、中央政府に実態を報告し対応を陳情する。北京にはその窓口もある。

 しかし陳情件数は膨大な数に上り、中央政府の処理能力をはるかに超えている。だから実際に取り上げられるものは、多くても十件に一件だ(もっとずっと少ないとも云う)。地方の村人がなけなしの金を出し合って送り込んだ代表たちは陳情を受理してもらうまで帰るわけにはいかない。だから陳情受付窓口の周辺には陳情村が出来上がっている。

 以前それをテレビ取材したら人々が殺到した様子が撮されていた。マスコミに取り上げられると陳情が受理される可能性が高まることを期待しているのだ。

 この秋に中国共産党第18回全国代表大会が開催される。ここで次期国家主席など主要なポストが選出される。世代交代である。このため北京警察当局は環境整備と警戒を強めている。

 そして、このたび一般市民が直訴や陳情のために北京を訪問することを禁じる措置をとることになった。また陳情窓口周辺の宿泊施設に対してそのような人たちを宿泊させることを禁止する通達を出した。違反すれば宿泊施設としての営業許可が取り消される。大会が終わるまでは、それらしい客は全て宿泊を断られることになるだろう。

 法律が不備であるのか、その法律が遵守されていないのか、多分その両方だと思われるが、地方政府は利権による収賄にいそしんでいる場合が多いから、陳情の原因は決してなくならない。

 強権を以て陳情団を北京から排除しても、ほとぼりが冷めれば陳情村は再び多くの人がひしめくことになるだろう。

 大会では地方での収賄の役人を何万人処罰した、と云う報告がなされるであろう。それは報告のためのスケープゴートであって全体が少しでも浄化される、と云うような可能性はない。これは中国の古代からの宿痾であり、住民もある程度は必要悪であるとして受け入れてきた。争議はそのある程度を明らかに越えたものに限っての話であろう。

 中国人は平等など決して求めてなんかいない。求めているのは自分が人よりいい目を見ること、それがかなわないなら少なくとも人より損をしないことだけである。

 中国人でなくて良かった。

桜井進著「面白くて眠れなくなる数学」(PHP研究所)

 眠れなくなることはなかったが、面白かった。数学の奥深さを改めて教えて貰い、多くの先人の遺業も知ることが出来た。

 数について自分がイメージしている世界が極めて狭い部分であることを思い知らされた。特に印象に残ったのが大きな数についてであった。

 億や兆や京という数から10の100乗などと云う宇宙全体を著してもあまりがあるような、とてつもない大きな数まで、かなり無限大に使い処まで認識しているつもりでいた。

ところがグラハム数という、読んでも途中で目がくらんで理解が仕切れない巨大な数の話には驚いた。指数で表現しようとしても紙が足らないほどの大きさの数が語られる。コンピューターでも歯が立たない数なのだ。そしてそれよりももちろん無限大は大きい。

 それぞれをここで紹介しようとしても能力を超える。それが平易に語られていてまことに読みやすい。読みやすければ分かり易い、と行かないのは当方のバカの壁のせいで、この本の責任ではない。

 若い人には特に読んでもらいたいし、数学が嫌い、と云うのをファッションのように云うことで、数学を知らずに生きて来てしまった不幸な人にも自分がいかに損をしたかに気が付いてもらいたい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・宝蓋山

 鎮江の全景を見ようとするならば、宝蓋(ほうがいさん)に上るとよろしい。西北の銀山の下、大江に沿った一帯は居留地であって、全市はここから東南に広がり、はるかに北固山に連なる。旧城はその外にあり、山に沿い、陵(みささぎ)に依り、蜿蜒として長蛇の如し。鎮江はもと京口(けいこう)と称し、呉の孫権はかつてこの地に居たが、後諸葛亮の言によって金陵に移った。京口はとうていあの 鍾阜は龍驤し、石城は虎踞す、形勢雄絶まことに帝王の宅、といわれた金陵には及ぶべくもないが、また北には大江を帯び、三面には山を負い、その地勢は例えば我が国の鎌倉に似ていると言えようか。いわゆる呉の国全ての門戸に辺り、形勝の地であることは変わらない。京口がその守りを失いさえしなければ呉の国中が枕を高くすることが出来るのである。

*鎮江  江蘇省西南部、長江(揚子江)下流南岸に位置し、長江と大運河とが交差する地点にある。 西は南京、北は揚州、東は常州、南は金壜と接する。

2012年8月20日 (月)

合意の否定

 国会は何をやっているのだろう。テレビで民主党と自民党の国会対策委員長の言い分を聞いた。それぞれ滔々と自分の主張を述べ、国会審議が出来ないのは相手が悪いからだ、と主張していた。

 それぞれの立場に立てばそれぞれ正しいのだろう。しかし繰り返すがこのままでは国会審議は行われることはない。

 自民党は審議可能のものからかたづけていこうといい、民主党は大事なものから片付けようといい、意見が違うから審議が出来ないのだそうだ。

 自民党は審議が進まないことを理由に責任を追及し、野田政権を解散に追い込もうとしているように見える。民主党は審議が終わらないからと云う理由で解散を先送りしようとしているのだろう。

 国会とは会議であり、話し合いである。そしていろいろな事案について議決をするところである。つまりものごとを決めるためにある。そして決めるためには合意が必要である。自分の言い分が正しいとお互いに主張し合っているだけでは当然何も決定できない。共産党がなぜ国会で軽視されているのか。共産党には合意の意思が最初からないことが今までの行動で明らかだからだ。だから国会に存在していても決定に関与することはない。それは共産党自身も自覚していることだろう。

 つまり意見が違っても、何らかの合意を目指す、という意志が互いに存在していない状態で話し合いをしていても時間の無駄だと云うことだ。今の国会にはものを決めようという気がない集団がひしめいているだけに見える。これでは何も決められないのも当然だ。

 合意を否定する人たちが国会議員であることは自己矛盾である。国が危難のときにすら何も決議できない無能な集団とは何なのだ。特に今の自民党にはうんざりする。素人集団と民社党を罵倒しながら、プロである自分たちが国家のためにアドバイスや協力をするどころか、足を引っ張ることだけに終始している。今の国会議員はその意味で国会議員たる資格がないのだから早く辞めたらよろしい。

 家貧しうして孝子出ず。いまこそ志のある若者よ立ち上がれ。立ち上がってくれ。

ナイロビ

 ケニアの首都ナイロビでケニア人の商店主たちによるデモが行われた。商店主たちは「中国人はケニアから出て行け!」とシュプレヒコールしながら行進した。

 商店主たちによれば、中国人は旅行ビザで入国のたびに大量の荷物を関税を支払わずに持ち込み、その商品を安価で販売するために現地の商店が不利益を被っているのだという。

 これに対し在ケニア中国大使館は「中国企業や中国公民が、ケニアに於いて行っている経済活動は現地の法律に合致している」との声明を発表した。

 事実はどうなのか分からない。しかしとりあえず確認せずに否定する、と云うのがいつもの中国の対応である。事実が紛れもなく、言い訳のしようもなくなったら渋々認める、と云うことの繰り返しは世界中で顰蹙を買っているのだが、それがいささかも変わらないところが中国らしい。

 多分中国では自分に非があるかも知れない、と云う発想が存在しないのだろう。そういう国と交渉するのは本当に苦労する。

いいがかり

 韓国の複数のメディアが報じたところによると、ロンドンオリンピックの日本の体操選手のユニフォームのデザインが旭日旗を連想させるものだったことが韓国内で非難されているという。そこで、韓国オリンピック協会の会長は、第二次世界大戦の被害国に呼びかけて、共同で対処すると言明したそうだ。

 もちろんこのことはサッカー選手の政治的行動に対しての処分を承けたもので、韓国が処分されるのならば日本もユニフォームで政治的主張をしたではないか、というものだ。サッカー選手の行動は偶発的で罪が軽いが、日本の場合は国を挙げてユニフォームというかたちで事前に準備したのだから罪がより重い、と云うのが韓国の論調である。

 こうなると韓国は気が触れたとしか思えない。是非世界にこの韓国の主張を訴えて貰いたい。これに同調するのはアメリカの一部の狂信集団とグリーンピースくらいだろう。反って韓国が笑いものになると思う(韓国にはそんなことを云ったら笑われる、と云って止める人はいないのだろうか、それともまともなことをいうといのちが危険な恐ろしい国なのだろうか)。

 あのユニフォームが旭日旗を連想させるとは思わなかった。思うのは勝手なので仕方がないが、そうなると今に日の出や夕焼けまで日本の政治的宣伝活動と云うことになりそうだ。そもそも今の日本人で旭日旗について認識している人がどれほどいるだろうか。

 何でも陰謀だ、と云われると、もしかすると今の情勢は、韓国を日本と離反させるための誰かの陰謀ではないか、と思ったりする。今の状態を一番喜ぶのはどこだろう。まあ誰にでも分かることだが。

 ところで野田首相は李明博大統領に書簡を送った。内容はもちろん竹島問題での大統領の行動と、天皇陛下に関する発言に対しての遺憾の意の表明である。これに対して韓国はその内容がすでに外務省から公開されていることを非難したうえで、「返信せずに無視する」か、「そのまま差し戻す」か、「説明して反論する文書を返信する」か迷っているそうである。

こういう場合は公開するのが常識で非難する方がどうかしている。

 韓国は外交的非礼を繰り返すつもりが多分にあるようだ。

待たされる

 病院という処は本当に待つことが多い。待つことに堪えるために行っているような気がする。もちろん診療はちゃんとやって欲しい。そして客、いや外来患者か、がむやみに多い。いつ行っても人でごった返している。実際の診療の待ち時間や、会計の待ち時間は作業が想定できるので、待つのは仕方ない、と理解出来ないことはない。しかしカルテが回った後での予約センターに積み上げられた予約票の処理が遅いのが理解できない。医者と患者ですでに決めた予約日を予定表に書き込んで患者に渡すだけである。その待ち時間が三十分。意味のない無駄な時間は大嫌いだし堪えられない。頭が熱くなって本も読めなくなる。だからつい一言言ってしまう。そうするとたいてい向こうも覚えていて、それで早くなることはまずない。いやがらせでもっとおそくなる(ような気がする)。

 自分が気が短いなんて思っていなかったけれど、泰然としている周りの人を見ると、どうも私は普通より気が短いようだ。どうせこれから先の人生も短いのだ。無駄な時間、無意味な時間はこれからも受け入れられそうにない。

 ところで血液検査の結果は今までで一番良いという驚くべき結果であった。女医さんに褒められてしまった。どうも今までサボっていた自分のインシュリンが治療のおかげで少しずつ働き出したようだ。薬がうまく合っていますね、とのこと。ところがその一番効果が出ている薬であるアクトスという治療薬は癌を誘発する可能性が、わずかだがある、と云うことで、この病院では来年一月までしか処方できないことが決まったという。医師としては使いたいらしい。普通の開業医は多分当分使い続けるはずなので、どうしてもこの薬が欲しい場合はそちらに転院するのも一つの選択です、と云われた。もちろん今のままで、来年一月からは先生の判断にお任せすることにした。同じ効果の薬はない、とのこと。

 さあこれで元気復活。週末くらいから北の旅に出るぞ。ドン姫も留守番を快諾してくれた。それにしても朝抜きだから腹が減って目が回りそうだ。めし、めし。晩は飲むぞ。うれしくてよだれが出そう。

定期検診

 糖尿病、高血圧、肩痛の治療中。本日は内科と外科を同時に受診する。暑くなってから、控えめにしていた飲酒も復活し、深酒はしないもののほとんど毎日冷たいお酒を飲んでいた。盆に入れば墓参りがあるので実家に行った。弟と連日飲んだ。帰ってきてからは息子や娘も居るのでまた飲んだ。気が付いたら検診の日が迫っている。慌てて二日ほど飲むのをやめたが、まあ手遅れであろう。折角正常値に収まっていた血糖値はどうなっているであろうか。優しい女医さんの目が突然きりきりっと変わるのが想像されて・・・こわい。体重も推して知るべし。

 外科は一週間ずらして受診していたが、今週末ごろから北へ旅に出たいので今日まとめて受診することにした。痛みは相変わらずで、ときにより前より痛くて眠れないことがある。それが深酒で爆睡するのでその痛い肩の上に寝たりするから激痛で目覚めてしまう。いつになったら楽になるのだろう。その上今度貰った湿布薬は寝ている間にはがれてしまったり、ひどいときはシャツを着るときにはがれてしまって始末に負えない。粘着が弱すぎるのだ。はがすときの痛みがないのはいいが、うまく張れないのでは意味がない、とても腹が立つ。

 ああ、もうすぐ出かけなくては。自業自得とはいえ気が重い。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・駐馬坡

 引き返して漢西門を入り、城壁の内部に沿って三、四町進むと右方に駐馬坡(ちゅうばは)がある。昔諸葛孔明が馬を坡上に駐めて金陵の形勢を達観したところであると云い伝えられている。孔明はかつて孫権を説いて曰く、

  鍾阜龍驤、石城虎踞、真帝王之宅

と。孫権は遂に京口から金陵に移って名を建業と改めた。後の人はこのことからここを駐馬坡と云うことにしたのであろう。坡下に駐馬菴があり、菴の壁の左隅に諸葛武侯駐馬処と題した石を挿入してある。

*以上で南京の項が終わる。次は鎮江である。

2012年8月19日 (日)

損をするのは日本?

 韓国内の反日気運に迎合して李明博大統領自らが竹島に上陸し、韓国にとって存在しないはずの領土問題を、自らが世界に領土問題としてアピールすることになった。またあろうことか日本国の象徴である天皇陛下を引き合いに出して日本人の心を逆なでするような暴言を吐いた。

 これで何も対応しないと云うことはさすがの外務省も民主党政権も出来なくなり、可能な報復的措置を講ずることになった。

 日本政府は先ず第一に国際法廷に竹島の領有権の裁定についての提訴を行うことになったようである。韓国は無視すると公言しているが、そもそもこの問題を意図的に強行にアピールしているのは韓国なので(何せ政治的主張を禁止しているオリンピックの場で世界にアピールしたくらいである)、海外から見れば韓国の態度はおかしい、と受け取られるはずだ。そのように受け取られるようなメッセージを世界に向けて日本は発したら良いだろう。

  そして次に日韓通貨交換(スワップ)協定の見直しを検討しているようである。場合によっては協定の停止をしても良いと思うが、このことについて韓国側は「通貨スワップが中断しても金融市場に打撃はない」と話しているという。もし協定を破棄しても、ウォンが安くなって欧米での国際競争力がさらに上がるので韓国にとって有利であり、日本にはかえって損になるだろうという。

 この見解は強がりにしか見えないが、本当にそう思っているのだろうか。韓国の通貨の信用は、ある部分は日本が支えているとも言える。スワップ中断で、韓国がウォンが安くなると見るのは国際的にウォンの信用が低下することを自ら認めていると云うことである。そうなると輸出企業は有利になるが、韓国は通貨不安によるインフレになるおそれが高い。国民の生活が苦しくなることが考えられるのだ。

 それは韓国の社会不安につながり、さらに反日がエスカレートすることになるだろうが、もともと戦後ずっと韓国は国策で反日を続けていたので、日本にとっては昔に戻るだけである。しかも日本は反韓国政策など一度も意図的に行ったことがない。

 韓国は北朝鮮、ロシア、中国というあまり民主的と言えない国家に取り囲まれている。国家としてどの国と親和的にした方が良いか、少し考えれば分かるはずなのに自ら最も親しくすべき国と離反することを選んでしまった。日本にとっても韓国にとっても損なことだがどちらがより損失が大きいかと云えば、韓国の側であることは明らかではないだろうか。

 半島という微妙な地勢にある国として賢く立ち回ってきた国が、愚かな大統領のおかげで苦難の道に踏み迷ってしまった。そしてそれを誘発したのが日米関係を損ない、弱みを見せたことで日本という国を回り中の国から軽んじられるようにしてしまった原因を作った鳩山由紀夫という政治家であることは間違いない。愚かな人間は国を損なう。

 鳩山由紀夫は現在の日本の外交状況に対して、「私が首相だったときにはこのような国際問題は起こらなかった。私がやめてからこのような問題が頻発するようになった」と演説していた。自分が何をしたのかまったく理解する能力のない、このような恥知らずで愚かな人物を次の選挙で再選させるようなことを北海道民がすることはまさかないだろうが、もし万一再選されるようならその責任は極めて重いと云わなければならない。北海道の皆さん本当にお願いします。

国会に注目

 週明けに国会が開催される。多分尖閣問題について野党が政府の責任を追求するという図式になるだろう。

 中国からは、尖閣に再びさらにエスカレートしたかたちで再上陸を目指す集団が次々に現れる可能性が高い。

 そこで国会で先ず審議しなければならないのは先ず海上保安庁の不法上陸に対する対応権限の強化の法律の審議と議決であろう。これについてはすでに衆議院を通過しているので、参議院で議決すれば良いところまで来ている。月曜日にでも不十分なところがあれば補強して即刻議決すれば良い。

 この期に及んでそれよりも党利党略を先んずるようなことのないように願いたいものだ。注目すべきであろう。

「反撃のレスキュー・ミッション」

 昨年二月にWOWWOWで放映された英国のTVドラマ。1~3話をBDに録画していた。戦争アクションドラマであり、原作のクリス・ライアンのストーリーがよくできているのでとても面白かった。劇場にかけても鑑賞に堪えうるほど金もかけてあり、戦闘シーンの迫力もある。
第一話 イラク スカーフェイス作戦
 イラクで反政府勢力に人質に取られた女性ジャーナリストを救出する。彼女は元イギリス政府閣僚の娘だった。主人公のポーターは交渉人の名目で敵に接近し、自らとらわれの身となって人質の女性を励ましながら救出のチャンスを窺う。実は彼は過去、別の救出作戦で、ある少年(スカーフェイス)と因縁があり、それが突破口になることに賭けていた。その少年は冷酷な敵のリーダーの甥に当たるのだが・・・。過去の救出作戦でポーターは戦友を失い、その責任を引きずっている。物語全体にその時の真相究明が関わってくる。スカーフェイスもそれに関わっている。ラストが悲痛である。

第二話 ジンバブエ アグリー・トレード作戦
 ジンバブエの大統領狙撃犯が逮捕されるが、犯人がイギリス情報部の人間であるとされる。難攻不落と云われる刑務所からその犯人を救出し、真相を究明するのが今回の任務である。ポーターはダイヤの密輸犯として自ら刑務所にとらわれの身となる。刑務所の構造を研究し尽くしたポーターは自らそのチャンスを作り出して救出に成功するのだが、刑務所の外に逃走用に用意されているはずの車が見当たらない。上司の指示で作戦が中断されたのだ。必死で逃げる二人。その中で目の当たりにするジンバブエの人々の悲惨な状況。いつしか二人には友情が芽生え、そしてポーターはこの狙撃犯は間違いなくイギリス情報部の人間であることを確信する。実はポーターは救出後に殺害して彼の痕跡を抹消することを命じられていたのだが・・・。上司のコリンソンは昔の救出作戦の時のチームリーダーでもあった。そのコリンソンは大統領狙撃事件の背景がイギリスを陥れるために仕組まれていたものであることを突き止める。そして作戦は再開される。

第三話 アフガニスタン クロスボーダー作戦
 アフガニスタンの戦闘でイギリスの爆撃機が誤ってアメリカ軍にミサイルを撃ち込む事件が連続して発生する。この事件を追及するためにCIAから切れ者の男が派遣されてくる。イギリスの諜報システムなど全ての情報を知ろうとするアメリカ側に対してイギリス側は必死で防戦するのだが。誤爆の状況の解析から、電子機器の天才の存在が浮かび上がる。ミサイルを直前に誤動作させていたのだ。そのためにはミサイルのセキュリティシステムをすり抜けなければならない。そのセキュリティシステムの構築に関わり、それを破ることの出来る人間はある男だけなのだ。その男はイギリス情報部に所属していたが、精神的に問題があるとして仕事から外されており、しかも家族とともに数年前から忽然と姿を消していた。アフガニスタンの反政府勢力側にその男が居ることを確信してポーターが派遣される。ポーターは武器商人として敵と接触を図る。そして遂にパキスタンに居たその男を突き止めて連れ出すことに成功するのだが、彼の行動は敵に全て筒抜けだった。その男をアフガニスタンに送り込んでいたのはなんとCIAだったのだ。イギリス側とアメリカ側の虚々実々の駆け引きが繰り返される。ポーターの上司、コリンソンは事件の全貌をつかんで自らアフガニスタンに乗り込み、ポーターの救出を図る。パキスタン側から国境を越えて脱出を図るポーターたちを反政府勢力が襲う。そしてアメリカ側も事件を抹殺するためにポーターたちを亡き者にしようと迫る。絶体絶命の状況をどう打開するのか。そして引きずっていた過去の事件の真相が遂に明らかにされる。

 一話約85分、全てを一気に見た。ストーリーは二転三転、しかも危機一髪の連続、ほとんど不可能な作戦に身を投じていくポーターの半ば虚無的な勇気、その背景にほの見える謎、これで面白くないはずがない。アメリカの横暴で横柄な描かれ方からイギリス人のアメリカ観がうかがえたのも面白かった。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・石頭城

 水西門を入り、さらに北の漢西門を出て秦淮に沿って城壁づたいに一里半ほど行った平鏡嗎頭(へいきょうマートウ)辺りは、呉の孫権が築いた古の石頭城の一部である。白は自然の巉巌(ざんがん・高く聳え立つ岩)を削って出来ており、所々に煉瓦を少し補っている。その様子は例えば満面があばた面の巨人を見るようである。故に俗に称して鬼臉城(きけんじょう・臉は目の下で頬の上の部分だが、ここでは顔のこと)という。

# 周恩来さん、コメントをありがとうございます。来週末から北の方へ旅をしようと考えています。今の予定からすると九月一日頃桐生辺りを通過します。周恩来さんの都合がつけば日中会談をどうでしょうか。現在の両国の懸案などを語り合い、融和を図りたいのですが。

2012年8月18日 (土)

正義のようなもの

 正義について論じようとすると、人によって何が正義であるかずいぶん違うことがあり、これが正義だ、と云うことが出来ない。ではこの世に正義などと云うものはないのだろうか。言葉があって人がそれなりにイメージすることが出来るのだから存在すると云っていいだろう。

 それなら正義は相対的なものなのだろう。

 韓国の竹島問題や香港活動家の尖閣諸島への不法上陸での主張を見聞きしていると、自分たちは絶対的に正義で、それを認めないものは全て不正義である、と考えているようである。

 これを原理主義という。

 原理主義者は、別の考えや立場を一切受け入れることも認めることもない。だから相手の意見を聞くこともない。話し合えば分かる、というのが口癖の昔の社会党の人々のような人には理解できないだろう。いや、絶対に話し合えば分かる、と云う原理主義の人々だから、この世には原理主義が存在することを認めない原理主義か。ややこしい。

 原理主義者は昔から存在していた。中世の悪魔狩り、魔女狩りなどはその極端な例だろう。近くは文化大革命の大惨事がある。多くの人が犠牲になった。

 原理主義者を説得することはほとんど不可能である。ただ幸いなことに全ての人が原理主義者になることは今のところない。少数である。

 原理主義者のエネルギーは喝采であり、熱狂だ。原理主義者の猖獗を鎮めるのは周囲の冷静さだけだ。原理主義者にエネルギーを与えないこと、これこそが大人の生き方ではないかと思っている。

 だから韓国の李明博大統領が、国家元首でありながら原理主義的な問題に迎合して彼らにエネルギーを与えたことは罪が重いのである。

 また、韓国ではサッカー選手の政治的行動に対してのIOCの処分は不当であるとの意見が多いようだ。正しいこと(正義)を主張したのに処分されるのはおかしい、日本の圧力だ、などと云っている。オリンピックの場では政治的主張をしてはならない、と云う取り決めを破ったことで処分されたことが理解できないようだ。これもどんな規則があろうが正義を主張することは正しい、と云う原理主義だ。

 今マスコミはその熱狂をあおり立てることで原理主義者にエネルギーを注ごうとしている。これは社会不安を増大させることでしかない。誰が戦争への旗を振ったのか。マスコミはそれを反省することなく、また再び同じことをしようというのだろうか。

 今中国の新聞やネットには尖閣問題から日中戦争を起こせば今度は日本に勝てる、と云う論調が現れている。

見た目

 人は見た目で判断してはならないと云うけれど、実際にお近づきになることが無い人については見た目で判断するしかない。

 今回の尖閣諸島への不法上陸を実行した五人の顔ぶれとその様子をテレビの画面で見ていると、もし機会があっても断じてお近づきになりたくない人物とお見受けした。行ったことに対する不快感を割り引いたとしてもあまりまともな人ではないように見受ける。

 同行した香港のリポーターが口角泡を飛ばしてその行為を絶賛しているが、何日も船の中で行動を共にして、「こいつら、まともじゃない!」と思わなかったのだろうか。それならこのレポーターもかなりまともではないが、多分そう思っているに違いないし、この仕事が終われば今に悪口を言うであろう。リポーターというのは日本と同じく賤業に限りなく近いようである。

 彼らは香港で英雄として祭り上げられている。彼らはここまで祭り上げられると何様になったかと勘違いして、今に道を踏み外してやがて社会の顰蹙を買う存在になりはてるであろう。断言する。彼らを祭り上げた人々は存在するようで存在していない人々である。状況が変われば蜘蛛の子を散らすように消えてなくなり、彼らを罵倒する側に廻るだろう。

 やはり人は見た目である。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・莫愁湖

 莫愁湖は水西門外にあり、佳人莫愁がかつて湖畔に住んでいたというので名付けられた。松本文学士を先達として、両小川、松浦、森の四氏及び小川夫人と同行してこの地に遊んだ。梁の武帝の河中之水歌には、

  河中之水向東流、

  莫愁女児名莫愁(中略)

  十五嫁作廬家婦

と称し莫愁を洛陽の人としている。唐の沈佺期(ちんせんき)の古意に、
  廬家少婦鬱金堂

というのも多分莫愁を詠じたものであろう。韋荘の憶音詩には、

  南国佳人字莫愁

と称えて莫愁を江南の人としており、呉融の詩には、

  莫愁家住石城西

といい、「容斎随筆」にもまた莫愁は鄂州石城の人と書かれている。諸家の説は一つではないけれど、多くは莫愁を江南の佳麗としているようだ。あるいは曰く莫愁は石城の人で、石頭城下の人ではない。何人かはそれを混同してついにここを莫愁の住所として、湖もその名になるに至ったのであるとも云う。いまはどれが本当か分からない。だけれども莫愁は唐以来多く騒人(文人、詩人)の題詠に入り、この湖は金陵の名勝である。柳陰池亭、水を隔ててはるかに石頭城に対す。城上はるか高みにみえるのは清涼山で、そのやや右方に城楼があるのが漢西門である。湖上には敗荷(枯れた蓮の葉)が多い。もし初夏の時期に蓮の花が水面に現れて、朝日を迎えて匂い立つときは、けだし絶好の眺めであろう。莫愁湖畔に華厳菴(あん・草葺きの小屋、庵におなじ)があり、ここで休憩して茗(めい)を煮るべし(茶を点てて飲むべし)。

2012年8月17日 (金)

フローズンプラネット

 今年の初め、NHKのBSで放送された番組を録画していた。
NHKとイギリスBBCの共同製作である。画面にも極地に立ってたびたび登場するナビゲーターが大沢たかお、控えめのナレーションは守本奈美アナウンサー(場面には出ないがかわいい)。

第一集 極地-氷の王国-
第二集 春 -命の目覚め-
第三集 夏 -命わく白夜の大地-
第四集 秋 -氷結する海の攻防-
第五集 冬 -極寒との闘い-
第六集 人 -極地への挑戦-

 それぞれ約一時間、これを昨日と今日で一気に見た。
すばらしい。圧倒的な映像の迫力に圧倒された。よくこれだけのものを撮影することが出来たと思う。過酷な場所で生きる生き物たちの営みを信じられないほど間近から撮っている。音楽も良い。

 南極と北極の映像が多いが、この極寒の地に驚くほどの数の生物がひしめいているのが驚きであった。人間には生きにくい場所だが、ここに生きる生物たちにとっては豊かな場所なのだ。

 もしかすると地球そのものがあのように豊かな場所だったのかも知れない。人間がこの地球を自分に都合の良いように改造したことでその豊かさが失われてしまったのではないだろうか。

 そして今その豊かな極寒の地が豊かさを失いつつある。その原因はもちろん人間である。人間は豊かさを求めて営々と文明をはぐくんできたが、もはやそのピークを過ぎつつあるような予感がする。大きな破綻を迎えるだろう、と予言すると呪いがかかってしまうが、幸いその大きな破綻が来る前に私は退場しているであろう。鄧小平が言うように私たちより賢い新しい世代が登場することを期待することとしよう。

いいわけ

 韓国の李明博大統領が、天皇陛下が訪韓を希望しているが、それならば明確な謝罪を要求する、と述べた旨の報道があり、問題となった。そもそも日本は陛下の訪韓など希望もしていないし、打診もしていないことが官房長官の明言で「明確に」なった。それならあの韓国大統領の発言は妄言もはなはだしく、精神鑑定が必要なほどの失言である。

 韓国政府はその日本の反応に驚いて(もちろん大統領のお粗末さにも慌てふためいて)「大統領の発言について誤解があり、日本側に説明の用意がある」と述べた。

 その後、李明博大統領は、「もし天皇陛下が韓国を訪問したいなら」というのはあくまで仮定の話であってそういう訪韓の要請の事実があると話したわけではないと釈明した。

 さらにその後、この事態はそもそも韓国大統領が大学で行った講演の言葉を、記者が誤って伝えたためにあのような報道になったもので大統領はそもそもそのような発言はしていない、と伝えている。

 韓国の記者は、大統領が言ってもいないことを報道するほどレベルが低いと云うことにして、発言をなかったことにしようということらしい。

 韓国大統領の最近の言動は、日本にとってはもちろん、韓国にとっても不利益な結果を生むものが続いている。一国の大統領が国益よりも保身に走るといかにその害が大きいか、それは日本にも最近幾多の例があるのでよく分かる。まことにそのような人物を国家の代表に戴くことは国民の不幸である。しかも日本はそれを国民が直接選ぶことも出来ないのだ。

三面楚歌

 中国の新聞が開催したネット座談会で、ゲストの国際問題研究者が、今の日本の状況は三面楚歌であると述べた。

 これは韓国が、今の日本の状況は中国、韓国、ロシア、台湾に包囲されていることから四面楚歌であるとしていることを踏まえたもの。台湾には尖閣諸島は台湾領である、と主張する勢力と、李登輝元総統のように尖閣は日本領とする勢力がいるので中国は台湾を除外したとしている。また台湾は中国領である、と云う考えから台湾を一つの国として扱わない、と云う意味もあるのだろう。

 ところで韓国は、尖閣諸島は中国領である、と云う見解だ。これも何となく中国へのへつらいに見えてしまうのはこちらの偏見か。中国は竹島が韓国領だ、と云う公式見解は述べていないようである。

 韓国にしても中国にしてもこのように日本が苦境にいることを承知しているようだ。と云うことはロシアが首相や大統領が北方領土を訪問するという強硬手段に出ると、その尻馬に乗って韓国が竹島問題を騒ぎ、中国はそのどさくさに尖閣諸島に違法な上陸行動を許す、と云う行動に出る。まるで火事場泥棒のような行為であることを承知で行っていると云うことだ。

 たびたび云うが、北方領土についても竹島問題でも尖閣諸島についても、日本から具体的な物理的行動は一切行っていないと云うことである。騒いでいるのも仕掛けているのも日本ではない。それなのに居丈高に日本を非難する、と云うのはさもしい魂胆が見え見えでまことにみっともないことだと思うのだが、世界は大声でわめき立てている国の主張がいつの間にか通ってしまうと云う不条理のもとにある。なかなか身を律して毅然とし続けるというのもしんどいものだが、それでいいのだと覚悟するしかないようだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・鍾山の諸陵

 呉大帝の蒋陵及び歩夫人の墓は、鍾山の南にあり、その地は孫陵岡(そんりょうこう)と名付けられている。朝陽門から外廓、麒麟門に至るまで二十里、その間に十三の岡があって、その第三が孫陵岡だというけれど、明の初めに宋濂(そうれん)が鍾山に遊んだとき、すでにどこにあるか分からなくなっていた。「遊鍾山記」に、

  問蒋陵及歩夫人冢、

  無知者、或云在孫陵岡

と記したくらいだから、今はとうてい見つけるのは無理だろう。鍾山の北、太平門の外十余里の地に、蒋王廟があり、呉大帝を祀る。しかしこれは蒋陵の地ではない。
 鍾山の陽(南)には、その他六朝の帝王及び名臣の陵墓がたいへん多い。またその陰には孔稚圭が「北山移文」を著して、その無節操であることを罵った斉の周顒(しゅうぎょう)がかつて隠居した鍾山草堂がある。はるかに廓外を望めば、丘陵の起伏が遠くまで連なっている。この丘の下には幾多の帝王宰相が長暮(とこしえに暗い墓の中)にあると思えば、恍惚として六朝の人となったようで、空想は空想を追って南朝の歴史が走馬燈のように眼前に髣髴とするのを覚えた。夕陽はすでに没しつつあり、その中を馬に任せて燕雀湖畔を通過して帰る。梁の昭明太子の墓が湖畔にあると云われているが、どこにあるのか分からない。 

2012年8月16日 (木)

オスプレイの安全性

 アメリカがオスプレイのモロッコの事故についての報告書を日本に提示。それによると事故の原因は人為的なミスで、機体には問題がなく、安全であると云う。

 日本側はこの報告を受けて沖縄への配備を了承することになるだろう。しかし考えてみると機体に問題がなくて安全である、と云う報告書が提出されるであろうことは最初から分かっていることであろう。

 なぜなら機体に問題があって危険だというならそもそもアメリカ軍の兵士をオスプレイに乗せるていること自体問題である。事実はどうあれ、安全だから配備して兵士が機乗しているということになっているはずだ。

 だからそもそも日本政府とアメリカとのやりとりは最初から茶番である。問題は住民が暮らしている目の前に基地があること、それが問題なのである。オスプレイの安全性の確認には何の意味もない。

歴史を説明するそうだ

 オリンピックのサッカー日韓戦で、韓国選手が政治的な主張をしたと云うことで問題になっているが、韓国のサッカー協会は国際サッカー連盟(FIFA)に直接説明することを明らかにしたそうだ。FIFAからは経緯を文書で報告することを求められているが、文書では真意が十分伝わらないから、と云うことらしい。

 問題の選手が事前に準備したものではなく、偶発的なものだという証拠写真などを持参するようだが、「問題行為が起きた歴史的背景を説明し、日本に対する韓国人の感情を説明する」そうだ。

 しかしそれこそ政治的行動そのもので、スポーツの場でそういうことをしないと云う決まりに違反したから問題なのに、政治的な主張をするというのはどういう神経をしているのだろう。自分たちの主張は正義の主張なのだから誰でも納得すると信じているようで度しがたい。

おおむね妥当

 今回の尖閣諸島への香港のナショナリストによる違法な強行上陸に対しての日本の対応はおおむね妥当なものであったと思う。中国にエスカレートした行動をする口実になるようなことが何もないように気をつけたことは一部の人から見れば弱腰に見えるだろうが、結果的には最も日本にとって良い行動であったと私は考える。しかもマスコミがこれを取り上げてあおり立てるようなことがなかったことは評価したい。

 日本人は今回は冷静に対処したと思う。もちろん無関心な人も多かったとも言えるが、このような一部の跳ね上がりの人間にいきり立つことがないというのは大人の対応である。

 今回逮捕した不法上陸者を刑法に則って裁くのは難しいだろう。だらだらと身柄を拘束してやむなく解放するのなら、即刻強制送還する方が良いだろう。彼らが香港に帰れば英雄と騒がれるだろうが、一時的なもので、すぐ忘れ去られるはずだ。今回の香港の組織の拠点の留守を守っている連中の顔ぶれを見たらいかにもお粗末な貧相な老人たちの集まりだった。

 出来ればこの機会に尖閣諸島の警備のために警察を常駐するようにするべきだろう。今回のような不法上陸をさせないため、と云う大義名分が出来たのだから、政府は堂々と常駐することを決定できるはずである。そうすれば満点であろう。機会を逃すべきではない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・孝陵

 朝陽門を出て平橋を渡り、まっすぐ東北に向かえば、鍾山の陽(北側)、丹壁を繞らせた孝陵が目の前に見えている。道を右に取り、まず碑亭に行く。亭は紅門の後ろにあり、屋宇はまったく破壊されていてただ四壁だけが残っている。中に
  大明孝陵神功聖徳碑
がある。永楽十一年九月十八年嗣皇帝によって建てられた。ここから小河を渡りやや西北に折れ、およそ七十歩ごとに獅子、獬豸(かいち・牛に似た神獣で不正な人物を見分けて咬むという)、駱駝、象、麒麟、馬が各二対あり、前者は跪き後者は立ち、道を挟んで相対している。小丘の麓を迂回して道はさらに東北に転じ、次に華表一対、及び文武各二対がある。昌平の十三陵に比べて四石人少ない。石人石獣の大きさ及び彫刻は昌平と金陵とは大差ないが、象は金陵の方が大きいものの彫刻の技巧はやや劣るようだ。次に龍鳳門があり、倒れてわずかに礎石のみが残存している。ここから道は北に向かい、橋を渡って門を入る。扁額があり、明孝陵 の三字を刻している。当初の殿宇はことごとく長髪賊の乱により焼失し、再建された小殿がある。中に康煕帝御筆の 治隆唐宋 の四大字及び 謁明太祖陵作、明太祖陵有作 の二詩を刻した碑がある。碑陰には好期二十三年及び三十八年の上諭(天子のお告げ)を刻してある。次に正殿があり明太祖高皇帝之位を安置している。また橋を渡って陵に拝謁する。孝陵は永楽帝の長陵に比べると規模がさらに大きく、煉瓦形に刻んだ大理石で築いてある。故に、雨に流れて表面は涙を垂れたようになっている。陵上に石碑が見当たらないのはおそらく髪賊の乱に破壊されたものであろう。
 陵は後ろに鍾山を背負い、前に金陵を脚底に望み、気象雄絶、形勝の地にある。孝陵からの南京の眺望は、例えば比叡山の中腹から京を望むようである。思うに太祖が陵をここに選定されたのは、永く国の鎮めとして、子孫の万世に昌(さか)んであるのを見届けようと考えたからであろう。それなのに帝(洪武帝・朱元璋)が崩じてその肉がまだ冷え切らないのに燕王(後の永楽帝)が簒奪して恵帝は害に遭った。人生は意の如くならないことは常にかくのとおりである。永楽帝が都を北平(北京)に遷した理由は、一つは北狄に備えるため、一つは永く自分が王であった地(北京は燕の国にある)であるためであるが、実は金陵に居れば否が応でも常に孝陵を仰ぎ見なければいけないのが忍びがたかったからだと云うことをご存知であろうか。

2012年8月15日 (水)

不快

 韓国は、日本が竹島に対して一切事実上の強硬手段を取っていないし、取ろうともしていないのに一人で大騒ぎしている。
何でこんなに韓国は騒ぎ立てるのだろう。騒ぎ立てるものは自らにやましさや弱みのあるもの、と云うのは古来からの真理ではあるが。
 何か魂胆があるのかも知れないが、訳の分からないことに頭を使うのにいささかうんざりしてきた。

 ところで李明博大統領が「天皇陛下が韓国を訪問したいのであれば、従軍慰安婦問題で明白な謝罪を要求する」と云っている。

 天皇陛下が韓国を訪問するという話は初めて聞いた。それもお願いして訪問させていただくことになっているらしい。本当なのだろうか。韓国に反日感情が高まっているときに、陛下がそれを心配されて自らそのような希望を述べられていると云うことなのだろうか。

 しかし陛下は自発的にどこの国に自分が行く、などとは普通おっしゃったりしない。要請があれば誠意を持って行動されるであろうが自らから関与されるようなことは控えられるお方である。

 と云うことはまさか外務省がそのような画策をしているということだろうか。反日感情が盛り上がりを見せ、国家元首自らが反日的な行動に迎合しているような国に天皇陛下に訪問をお願いするのは如何であろうか。

 それでなくとも健康が万全でないお体であり、あの国では身の危険も極めて高い。なにせ日本の首相を暗殺した人間が英雄として祭り上げられている国であることを忘れてはいけない。陛下の身を害することを彼らは英雄的行為と考えかねない。しかも陛下が韓国で謝罪すれば快哉を叫ぶのは韓国であり、日本の国威をおとしめることでしか無いのではないか。

 百歩譲って、関係改善のためにそれでも良いとして、その後韓国の日本を見る目ががらりと変わって親日的になるなどと云うことがあるだろうか。そんなことを信じる人がいるとは思えない。私は多分韓国はカサにかかって反日と対日要求がさらにひどくなるだけのような気がする。

 そんなことは外務省に分からないはずがない(悲しいことにわかっていないらしいけれど)、とすると、この李明博大統領の話は韓国の一方的な妄想話だろうか。天皇陛下を引き合いに出して大統領の権威を回復する方便に使っているなら言語道断である。

 どれもまさか、と思えるが、事実はどうなのだろうか。

尖閣諸島への上陸強行船、島に近づく

香港から出港して尖閣諸島への上陸を強行しようとしている船が、まもなく尖閣諸島に到着する。当初の予定では台湾から共に行動しようとする船と合流する予定であったが、台湾政府の圧力で台湾からの出港は断念された。またアモイからも合流を目指して出発しようとする船も理由は不明ながら出発を取りやめた。当局の暗黙裡の圧力があったから、といっているようである。

 香港からのこの船には香港の報道陣も乗船しており、それによれば遅くとも夕方には尖閣諸島に到着する予定だという。折から台風が接近していることを理由に、台湾政府は人道的見地から特別に寄港を認め、台湾の基隆港で水と食料の補充を受けた。そして今朝まで台湾の巡視船や軍艦が周辺を警護するかたちで併走していたが、昼までに全て離れ、現在は単独で航行しているようである。

 台湾は中国のために日本と事を構えるつもりはないと思いながらも、台湾の巡視船がいつまでも併走していることに危惧を感じていたのでひとまず安心である。

 毅然としてやるべきことをすれば中国にもつけいる隙を与えることはないし、今のところ中国はそれ以上の強硬手段に出るような大義名分がないことはよく承知しているように見える。

 後は領海内に入ったら警告を繰り返し、強行上陸をしたら身柄を拘束する、と云ういつもの手順を繰り返すだけのことである。大騒ぎせず、坦々とことを行えば良いと思う。

 このような事態があることを逆手にとって、これを理由にして、定住者を置くなどの措置をタイミング良く行えば日本政府の対応は満点だと思うのだが。

ジェフリー・ディーヴァー著「追撃の森」(文春文庫)

 土屋晃訳。国際スリラー作家協会最優秀長編賞受賞作のサスペンス。

 もとの文章にレトリックが多いせいか、訳に難があるのか、出だしの部分の登場人物の描写、舞台背景の説明などに文章のリズムに微妙に違和感を感じるところがある。しかしそれでこの本を投げ出してはならない。

 この本のリズム感をつかみだしたら、後は映像を見ているように鮮やかに物語が展開する。二転三転、敵と味方の虚々実々の闘いに手に汗を握る(陳腐だなあ)。六百頁近いこの本が一気に読めてしまった。この作家の物語を生み出す力は半端ではない。

 舞台は国立公園に隣接する田舎のリゾート地。息子を連れて再婚し、表向きは幸せに暮らしているが、息子に問題を抱え、夫との間にも何となくすきま風が吹いている女性警部補ブリンが主人公である。彼女の抱えている問題が非常に深刻で根の深いものであることが物語の後半にかけて徐々に明らかにされていく。再婚相手のグレアムは優しいだけの男のように見え、ブリンの抱える問題に無理に介入するのを我慢していたが、この事件をきっかけに一人の男としてブリンが逃げている問題を突きつける。そのことで二人の仲は決定的になり、別れて暮らすようになるのだが・・・。これはこの小説のうしろに流れているもう一つの物語である。

 このブリンが勤務明けで自宅で家族とくつろいでいるとき、不審電話の確認のためだから、と云うことで森林の側の湖にある別荘を訪れるよう上司から依頼される。実はその別荘では事件が起きていたのだが通報しようとした被害者が事件を伝えかけたところで殺されていたのだ。

 ブリンは別荘の持ち主の金持ちの若い夫婦が殺害されているのを発見するが、犯人に襲われて危うく難を逃れる。通信手段は警察車両の中、しかも銃を失って反撃する手段もない。しかも街までは歩いて行ける距離ではない。森をさまよう中、彼女は一人の若い女性と出会う。別荘に客として呼ばれていた女性であった。

 犯人は二人、一人は筋金入りのプロで、この二人の女性を片付けるために彼女たちを追う。それからは森の中の追撃戦が繰り広げられるというわけだ。絶体絶命の中で彼女たちがどのように危機を乗り越えていくか、と云うのが主な筋なのだが、後半部分に意想外の展開があり、驚かされる。

 この驚きの部分があるために中間までがあると云っていい。是非最初に投げ出さず、最後まで読んで欲しい。満足することを保証する。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・謝公墩

 紫禁城を南北に縦断して、後載門を出て東に行けば城隅に樹木の鬱蒼とした小丘がある。かつて晋の謝安が住んでいたところで謝公墩(しゃこうとん)という。謝公はかつて王右軍(おうゆうぐん)と同じく、ここに上って超然として高世の志を持していたという。その風流は永く昆(子孫、後の人)に伝えられた。宋の王安石もここに退隠(官を退いて隠居)した。かつて詩を賦して曰く、

  我名公字偶相同、我屋公墩在眼中

  公去我来墩属我、不応墩姓尚随公

王安石の人となりがこの詩にも見えて興が少なからずわく。その邸宅の跡は半山寺と云い、墩の前にあって、その墩の上には反山亭がある。半山は正しくは紅土山と云う。この山の朝陽門から鍾山に到るまでの半途にあるので半山と名付けられたという。半山亭中には扁額が二つ懸かっており、一つには 謝公墩、一つには 臨風懐謝 と題している。謝安石がもしこれを知ったならば 臨風懐王 と云うのがないのを不満だというかも知れない。明の太祖が城を築いたとき、墩の半分をさいて城とした。今墩の上に登り、城の物見から望めば、孝陵の石人石獣は真下にあり、遠くは謝公が妓を引き連れて常に優游していた東山が見えるであろう。

2012年8月14日 (火)

佐原

2香取神宮参道の石灯籠。大きい。

 弟夫婦と母と息子と五人で佐原(今は香取市)に出かけた。インターを降りてすぐの香取神宮に先ずお参りした。

 香取神宮は思ったより大きく、立派な神社であった。今回は写真を持っていなかったので弟の写真から。

Photo正門。拝殿は工事中。

1御神鏡。

 参拝の後、佐原に向かう。佐原は小学校五年生の時に来て以来だからおよそ五十年ぶり、ここは伊能忠敬の旧宅があり、その前に伊能忠敬記念館がある。そしてこの佐原は母が小学生時代を過ごしたところでもある。

 佐原は川沿いの旧市街がそのまま観光用に整備されていていて小物を売っている店や食べ物屋があって散策すると楽しい。芋アイスを食べ、黒蕎麦を食べ、酒蔵を見学して大吟醸(の小瓶)を購入、満足して帰宅した。今晩名古屋へ帰るので運転しなければいけない。残念ながら酒の試飲は出来ない。繰り返すが残念であった。


「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・故宮

 南京城の東、満城を横切り満州将軍衙門を過ぎれば、付近一帯には隴圃の間に残礎が累々としている。その東はすなわち明の紫禁城で、俗に称して故宮という。周囲六里半ばかりを城壁が囲んでいる。南に午門があり、北に後載門があり、東を東安門といい、西を西安門という。城壁はただその崩れるのに任せてある。午門は正面に三門、左右に各一門あり、壁上には礎石が今も残っており、当時の壮麗であった様が偲ばれる。門を入れば五龍橋で、橋の北に方文忠公祠があり、方正学(方孝孺)先生を祀る。祠中に八角堂があって血跡石四が蔵されている。方正学先生が義燕王(後の永楽帝)に屈せず、遂に正義を貫いて最期の血を流したとき、その血がこの石に染みて、千載の下、殷々としてなお残っている。堂中に光緒十年、左宗棠が建てた明の靖難忠臣血跡碑記があり、その文によると、この石はもと故宮の階段の西、草茅の間に没していたのを、この堂中に集めたものである。石は縦四尺幅五尺、その最大のものは幅八尺ばかりである。表に黒みがかった紅色の斑紋があってさながら流血の如し。故に、俗に血跡の説を流布されたものであろう。その愚は笑うべきものといえなくはないが、方正学先生の義烈を仰いで、その遺蹟を千載に伝えようという情は憐れむべきである。当時の金殿玉楼の礎を踏んで行けば、紫禁城の中央よりもやや西に偏したところに、梳装台(そそうだい)の遺址がある。三千の宮女が朝に夕に雲鬢(うんびん)を梳り(くしけずり)蛾眉を画いたところで、今は荒草離々の間にある。昔は宮女が玉の肌を洗ったであろう処では、今はその中に豚が棲んでいる。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・台城

 金陵城は鶏鳴寺の前から、玄武湖畔に沿って北に延び、遠く獅子山に連なっている。そうして、古城壁の一部は鶏鳴寺の北からすぐ西に折れて延長およそ三百間ほどが残っている。思案するに、この古城壁は古の台城の北部であって、明の初期に金陵を拡張したときに古城の一部を残したものであろう。「府志」に玄武湖は台城の北にあり、故にまた後湖と云うと記されている。この古城壁は玄武湖の南岸に沿い、鶏鳴寺の北から、西の鶏籠山を包み、遠く鍾鼓楼の方向に延びていたもののようである。

2012年8月13日 (月)

北朝鮮を応援するべきかも知れない

 北朝鮮は日本人を拉致し、原水爆を自主開発し、経済より軍事を優先して国民は塗炭の苦しみのもとにある、と云われる。そして拉致された日本人たちはいろいろな経済制裁を加えてもその後帰される見込みが全くない。

 北朝鮮が理不尽であることは間違いのない事実である。しかし日本人が拉致されたかも知れない、とその事件が発生したときに主張した人々は、主に今の社民党の前身である社会党の議員たちに一笑に付されることで、事件解明のチャンスを失い、あたら無駄な二十年間が過ぎた。

 そもそも自民党の長期政権は、社会党というカウンターライバルの存在があったからこそ可能であったことは今だから分かることだ。だから自民党政権も社会党に迎合してみて見ぬふりをした。その後、役割を終えた社会党は、自民党と民主党に当然のように吸収された。その事実に気づきもせず、取り残された時代錯誤のおばさんたちだけが社民党として残された。社会党の多くを吸収した民主党が自らの過ちを悔いて拉致問題に前向きになることなどさらさらないことがこの二年間でよく分かった。

 北朝鮮は経済復興を志しながら、いま中国にそのなけなしの資産である資源を簒奪され、出口なしの状態である。もしかしたら手をさしのべるのは今かも知れない。
 韓国が反日を盛り上げているときに日本が北朝鮮と融和することは韓国にとって極めて不愉快なことに違いない。日本としては韓国の反日には取り合わず、ただ北朝鮮と融和するだけである。

 そしてその融和が功を奏して北朝鮮が今よりも少しでも国際的にまともな国になれば、日本にとってはたいへん良いことだと思う。

 もし慌てて韓国が日本以上に北朝鮮と融和を図り、韓国と北朝鮮が一つの国になるようであれば、その時は喜んで日本は韓国に譲ればよろしい。もともと民族統一は朝鮮民族の悲願なのだから(そもそもこれが狙いなのだが)。

 その結果韓国は北朝鮮との経済格差の吸収に十年くらいは苦労して、国力が低下し、反日を叫んでもあまり気にしなくていい存在になるかも知れないが、本望であろう。

念を押すまでもなくジョークなので目くじらを立てないでください。

文章にならない

 ブログを更新しようと思っているのだがなかなか文章にならない。

 韓国のサッカー選手が日本との闘いを終えた後、ハングル文字で「独島は韓国の固有の領土だ」と書かれたカードを掲げたこととか、香港のナショナリストの団体が、尖閣諸島上陸を目指して出港して、台湾の同様の団体と合流して尖閣諸島へ向かっていることなど、取り上げたい話題はあることはあるのだが、どうも言葉がエスカレートしそうで少し危うい。これらが日本の政界と外務省の事なかれ主義と問題先送りを続けたことの結果であることは明らかだが、それを許しているのはひとえに我々日本人の責任でもあると思うと、韓国の選手や香港のナショナリストの跳ね上がりをただ非難しても何も変わらない。

 オリンピックというお祭りが終わって日常が戻ってくる。気が付けば消費税の是率のアップはすでに決定され、円高はまったく収まる兆しは見えず、何かそれに対する方策が打たれる気配は毛筋ほども見えない。

 多くの日本人にとって、まことにこの日本は平和で豊かな国だ。未曾有の災害だった東日本大震災すらいつの間にか飲み込んでさざ波が残るばかり。苦しんでいるのはその直接の被害者だけである。

 そうやって先の戦争も乗り越えてきた。だから今更従軍慰安婦の問題など持ち出されても何のことやら理解できない。時代錯誤のお化けにしか見えない。そうして本当に苦しんだ人をだしにしてそれで何かをせしめようという魂胆がちらほら見えたりするともう聞くのも見るのもうんざりしてしまう。さらにそれに一国の大統領が迎合して保身を図る様子を見たりすると、国そのものがどうかしているように見えてしまう。

 今回のオリンピックでの韓国の抗議の数々は世界にどう見えたのだろうか。気になるところである。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・北極閣

 鍾虎牢から東に行き、北極閣に上る。閣は鶏籠山(けいろうさん)にある。中に三層の楼があり曠観亭(こうかんてい)と云う。その亭の最上階に上れば、その眺めは鍾鼓楼に比べてさらに雄大である。東の方、鶏鳴寺及び玄武湖を隔てて鍾山に対しているところなどはすばらしい絵画のようである。閣を降りて鶏鳴寺に行く。梁の武帝が出遊するとき、常に鶏鳴の頃この寺に来たので寺の名となった。あの達磨と語り合ったのはこの寺であると云い伝えられている。寺の南に施食台(せじきだい)があり、伝えるところではこの地はもと古戦場で、元の時代には刑場であった。悲雨蕭々たる夜には往々鬼哭を聞くと云う。故に、明の洪武帝の初め、西蕃の僧惺吉(せいきつ)は、堅蔵(けんぞう)ら七人を迎えてここに壇を設けて施食して幽魂を度した(得度させた)と云う。
 「府志」には、鶏鳴寺の前、施食台の後ろに景陽井(けいようせい)があると記している。陳の後主が、国が敗れたときに張麗華及び孔貴嬪と、この井戸の中に隠れた。よって、また胭脂井(えんじせい)とも辱井(じょくせい)とも云う。この日それを尋ね廻ったが見つからず、後また二日後に再びこれを探ったが遂に分からずじまいであった。

2012年8月12日 (日)

オリンピック、日本のメダル獲得数新記録おめでとう

 本日の競技を以て今回のロンドンオリンピックが終了する。
 本日は親戚一同がうちそろっての宴会だったので、オリンピックはテレビを片眼の横目で見ながらの観戦で、ひたすら飲み食いしながら身内の最長老としてしゃべりたおしていた。

 それでも場の主役は若い姪たちや、弟の三人の孫たち(三人ともやっとおしめがとれたかとれないかという若輩者)である。彼らは何の芸もないのに場を席巻しており、誰も私の話など聞いていない。
 でもおじさんは心が広いので(やや引きつりながらではあるが)にこにことしていたのであった。

 宴もたけなわを過ぎて、少しずつ散会し、弟と息子の三人のみとなり、回りからやや白い目で見られ出した頃、弟が沈没し、飲み会そのものが終了した。まことに血糖値も尿酸値も斟酌するのを忘却した(思えばほとんど日頃から忘却していたような気がするが・・・それも忘却した)楽しいひとときであった。

 つけっぱなしのテレビの新体操を見ながら、その神技とも言うべき各チームの健闘をたたえているときに、男子レスリング66Kg級の選手の金メダルの速報を見た。

 よくやった。終わりよければ全て良し。いい加減かも知れないがこの言葉は真実だと思った晩であった。日本の選手たち、本当によくやった。まことにご苦労様であった。心から祝杯を干させていただいた。
 ありがとう。

 残念ながら酩酊の極みなので、閉会式を見ることは不可能である。私も討ち死にします。お休みなさい。ぐう。

矛盾

 中国の百貨店、小売業の中間決算が発表された。データによると売上高の成長鈍化が目立つという。

 その理由としてマクロ経済の成長が減速していること、そして物価が高騰していることが上げられている。そして下半期も状況は変わらず、低成長が予想されており、しばらく好転する見込みはないそうだ。

 中国のマクロ経済の減速は、ヨーロッパの景気低迷による欧米への輸出減少が思った以上に中国に大きな影響を与えていることから仕方のないことだと言える。

 それよりも物価が高騰している、という点が目につく。一昨年、昨年と住宅など不動産の高騰により、消費者物価が6%も上がった、と騒いでいた。賃金が上がっても生活が苦しい、と云われ、社会不安につながると懸念されていた。だから中国政府は投機的な不動産購入に対して厳しい規制を実施し、不動産の高騰は沈静化したように見える(高止まりしてまだバブルははじけては居ないようだ)。

 このため今年前半の物価上昇率は2%を切ったと誇らしげに発表していたのはつい先頃のことだった。それが、小売業の売り上げ鈍化、つまり国民の消費需要と消費意欲が低下している理由として物価の高騰が挙げられているというのはどういうことなのだろうか。

 中国に進出している企業のほとんどが毎年の賃金の大幅アップに悲鳴を上げている。平均で15%とも20%とも云う賃金の大幅上昇は撤退を検討するほどだとも言われているからその上昇率は間違いのない数字だろう。

 そして中国政府は物価の上昇率は6%であったと云い、今年前半は2%を切ったという。それなら生活は急激に良くならないとおかしいのではないか。消費が落ち込むはずが無いではないか。

 と云うことは中国の物価上昇率というのは全くのデタラメであるのか、その指標としている商品が実勢と違うものを恣意的に選んでいるのかどちらかであろう。こんな経済対策の成果を強調するためだけの見えすいた数字を平然と公表するから、中国の統計は信用できない、と世界から言われるのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・鐘鼓楼

 鐘鼓楼は南京城の中央にある。長髪賊の乱で戦火に遭ってから、市街は南側だけになってしまって復旧しておらず、楼は今市街の北の端になっている。楼に上がれば南京の形勢が目の前に広がる。東は北極閣の上はるかに秀麗な鍾山が対面し、南は市街の甍が波のように連なり、煙霧の間はるかに南門を望む。西は小丘が起伏して石頭山に連なり、木葉黄落、仲冬索莫の光景を呈し、北は大江を控え、はるかに獅子山の砲台を望む。その地勢の雄大であることは真に帝王のいた場所であるにふさわしい。古より気を望むものは称してこの地に王気があると云ったのはもっともである。楚の威王はかつて金を鍾山に埋めて王気を鎮めた。故に、この地を金陵と称し、山を紫金山と云う。秦の始皇帝もまた王気を洩らそうとして鍾阜を鑿ち、この地の名を改めて秣陵という。孫呉は初めて京口(けいこう)から移ってきてここを都とし、建業と称した。さらに晋の元帝は南遷してここを都とし、建康と称した。爾来、南朝の歴代の皇帝が都としたのはこの建康であり、明も当初ここを都として城を拡張し、周囲九十余清里に及んだという。北京が雄大であると云っても、その城壁は内外合わせて六十清里に過ぎない。南京の規模がいかに規模雄大であったかが推察される。

2012年8月11日 (土)

女子バレー銅メダルおめでとう!

 男子サッカーが韓国に敗北したのを見て、女子バレーも同じような結果に終わるかも知れないと、心配すると言うよりほとんどそうなるような予感さえしていた。

いけない! その予感は呪いだ。弟と息子と三人で、真剣に応援した。前のブラジルの試合の時の忌まわしいものを全てぬぐい去って、女神たちは快挙を遂げた。神がかり的に彼女たちは強かった。いや神がかり的というのは失礼だ。彼女たちは神がかりなどと言うものに頼らずに自らの力で栄光を手にした。よくやった。

 勝利を疑った自分を恥じる。 

 韓国よ、これをジャッジのせいにするようなことのないように願う。

韓流ブーム

 独裁国家は情報統制を行う。なぜ情報統制するのか。独裁国家が国民に言っていることが嘘であることが分かってしまって不都合だからである。だが現代は情報の時代であり、そのための機器が普及するのを止めようとしても完全に止めることは不可能である。

 北朝鮮では韓流ブームが拡大しており、韓国のドラマだけでなく、バラエティ番組も大人気だという。今若者達の間では韓国ドラマを知らないと仲間はずれにされるほどだと韓国メディアは伝えている。同じ民族なら根底の感性は同じだろうから受けるのは当然と言えば当然だ。

 北朝鮮では韓国ドラマを見たものは労働奉仕刑(社会奉仕)または労働教育刑(有期刑)、大量にその番組のソフトをコピーして頒布したものは公開銃殺刑にすると定められているが、ほとんど無視されているという。

 それはそうだろう。何で楽しい番組を見ただけで罰則を受けるのか説得力のある論理などないからだ。意図的なプロパガンダよりも独裁国家にとっては最も恐ろしい侵略かも知れない。

 あえて罰則を完全に実施して恐怖政治を敷くか否か、北朝鮮も曲がり角に立っているのかも知れない。

 今北朝鮮は明らかに日本に急接近してきている。現状打開を模索し始めているのかも知れないと期待したいところだが、軍部と一枚岩でないところが難しいところだ。

中国ウオッチ・経験不足

 環球時報が、アメリカ議会調査局がまとめた中国海軍に関する報告書を取り上げて報じていた。

 それによると、中国海軍は2020年までに原子力潜水艦4~5隻、空母2隻、駆逐艦26隻、護衛艦42隻を保有すると予想している。つまり今後とも中国海軍の増強が続くとみているわけだ。

 その一方中国海軍にはいくつかの弱点があると指摘している。そして実戦経験が乏しいことが最大の弱点である、としている。

 いらぬことを云わないで欲しいものだ。指摘された弱点を克服するため、として実験的に実戦をやりかねないではないか。
それでなくても軍隊というのは装備がそろうと使ってみたくなるものだと云われているのだ。絶対反撃のない相手、つまり日本相手に尖閣諸島あたりで試してみたくなっているのではないか心配だ。中国としては尖閣諸島海域は自国領と見なしているから対外的には無理矢理でも言い訳が立つと思っているだろう。

 だからといって日本は実戦経験など踏みたくないし。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・鳳凰台

 聚宝門を入り、城壁に沿って西に行けば城の西南隅に鳳凰台の遺址がある。宋の元嘉十六年、秣陵王が丹羽の子儀名取りが来て台上に遊んでいるのを見た。文彩煥発(ぶんさいかんぱつ・彩りが綺麗で光り輝いていること)、五色燦然としている。その時代の人々はこれを鳳凰であると云った。そこでここに台を設けたのだと伝えられている。李白の 登鳳凰台詩 は人口に膾炙している。台のあたりは地勢が隆起して小丘のようである。当年の楼閣はかなり昔から荒廃がひどい。また遺物に見るべきものもないけれども、遺址の辺りに寺がある。この日、煙霧淡く江や村落に立ちこめ、加えるに金陵の城壁が高く聳えているので、李白が詠じたような 三山半落晴天外、二水中分白鷺洲 の光景はこれを見ることはできなかった。台下には竹林の七賢の随一である晋の阮籍の墓があるけれどもどこにあるのか分からなかった。

* 金陵の鳳凰台に登る 李白

 鳳凰台上 鳳凰 遊ぶ
 鳳去り 台空しうして 江自づから流る
 呉宮の花草は 幽径を埋め
 晋代の衣冠は 古丘となる
 三山 半ば落つ 晴天の外
 二水 中分す 白鷺洲
 総て浮雲の 能く日を蔽ふが為に
 長安見えず 人をして愁へしむ

この詩は崔顥(さいこう)の 黄鶴楼 の詩を原型にしている。数日前にその詩の一部を取り上げたが、ここに全文を載せるので比較されると良い。

 **黄鶴楼 崔顥
  
  昔人 已に黄鶴に乗じて去り
  此の地 空しく余す 黄鶴楼
  黄鶴 ひとたび去って 復た返らず
  白雲 千載 空しく悠々
  晴川 歴々たり 漢陽の樹
  芳草 萋萋(せいせい)たり 鸚鵡州
  日暮 郷関 いずれの処か是なる
  煙波 江上 人をして愁へしむ

2012年8月10日 (金)

中国ウオッチ・インタビュー

 日本の卓球の団体女子チームが銀メダルを取ったその表彰式の時に、イギリスの取材記者が通訳を連れて福原愛選手に取材した。その通訳が話した言葉はなんと中国語だった。

 中国チームに取材するつもりで、ついでに日本選手にも取材したのであろうか。善意に取ればそうとれないこともないが、どうもその取材記者は中国人も日本人も皆中国語が話せると思っていたようだったという。たまたま愛ちゃんだから流ちょうに中国語で答えていた。

 このことがまた中国で話題になっていた。イギリス記者の無知と失礼を非難すると共にそれに反発することなく笑顔で応対した愛ちゃんの株はさらに上がっているようだ。それにしてもその記者が連れてきた通訳の中国語はお粗末で、中国人にも意味不明なことが多く、しかも愛ちゃんの言葉の通訳もかなりいい加減だったらしい。

 「もし中国選手が日本語で取材されたなら、日本語が話せても反発して、愛ちゃんのように笑顔で応対など出来ないだろう。これが日本人と中国人の違いのような気がする。日本人は偉い」と云うコメントがあった。

 そんなことに目くじらを立てない日本人の優しさを自慢していい。愛ちゃんありがとう。


 それにつけても韓国の李明博大統領の竹島訪問という暴挙は歴史に残る愚挙だと思う。日韓関係の宥和のムードを10年くらい引き戻してしまったかも知れない。韓国の一部の極端なナショナリストは多分韓国全体から見ればわずかなのだろうが、多くの人はそれに対して冷静な態度を取ることが許されない空気の中にある。

 韓国は大統領といえど、引退すると石のつぶてを以て遇される国だ。身の危険を回避するための行動だとするとなんと意気地の無い男かと思う。

 それにしても日本の政界は消費税値上げに一致団結するなら、この状況に対して国を挙げて全議員が遺憾の意の表明を即日のうちにするくらいのことをなぜしないのか。情けない。

掃除

 部屋が片付いていないと掃除がしにくい。しにくいから掃除しない。片付けるのがそもそも苦手だから掃除が苦手だ。何もものがなければ掃除ロボットにでも任せて楽だろうと思うが、今の我が家では掃除ロボットは隘路で討ち死にしてしまうだろう。

 片付かないのは収納スペースが足らないからだろうか。そもそもものが多すぎる。収納スペース以上にものがあることが問題である。

 片付けを始めるとあちらのものをこちらに動かすばかりで、ただ分類にいそしんでいたことに気が付く。苦労して整理しても、その時の状況に合わせた整理であって、また何か購入してものが増えると危うい調和がたちまち崩れ去る。スペースが増えなければ片付かないことにこの頃ようやく気が付いた。

 気が付いたことはもう一つあってそれは自分の寿命である。例えばタオルが百本あったとする。百本のタオルを使い切るのに何年かかるだろうか。今は三十本ほどを出して使い回しをしているが、釣りの時にあまりに汚くなったものを捨てるくらいでこの数年でもあまり減らない。旅行に行くと旅館のタオルをまた持って帰ったりする。一生かかっても使い切れないだろう。しかもタオルは百本どころではない。

 タオルは使い切れないほどあるのに寿命はタオルほど残っていないみたいだ。

 いろんなものが使い切れないほどあるのに捨てられない。
 ものが捨てられないから掃除が苦手だと云うことが分かった。
 
 そして分かっても何も片付かないことを残念に思いながら今掃除をしている。父の墓参りから帰ったら子供達が集まるのだ。少しは片付けておくのが親のつとめだろう。敵もやっつけで部屋を片付けたぐらいは先刻承知のことだろうけれど。

中国ウオッチ・シャッター街の理由

 瀋陽の街で閉店する店が続出し、シャッターが降りた店が並ぶ様子はゴーストタウンみたいだという。

 その理由は日本の場合とは全く違う。なんと取り締まりを避けるための自発的な閉店なのだ。中国では公安局と工商局がコピー商品をはじめ違法な商品の徹底取り締まりを行うと見られている。

 噂では爪楊枝売りが「木の伐採許可証」が無いことを理由に罰金三万元(36万円)を課せられたという。役人はどんな言いがかりをつけてくるか分からないし、逆らうことも出来ない、とあきらめて、何も違法なことをしていない普通の店まで店を閉めてしまったのだ。

 役人は理由がつけば成績を上げるためにどんなこじつけをしてくるか分からない、と皆分かっているのだ。安心して店を開いているところは多分その辺はきちんと(袖の下で)話の通っている店なのだろう。

 この状況が中国全土に及ばなければいいが(多分及ぶだろう)、と皆心配しているという。

 中国はやることが極端なのだ。そしてひとびとはそれを何度も繰り返し経験しているからあきらめもするし、時により対策も立て、そしてほとぼりが冷めればまた元の木阿弥、と云う次第となるのであろう。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・方孝孺墓

 雨花台の東北、山の中腹に明の方正学(方孝孺、字は正学)先生の墓がある。高さおよそ七尺、直径およそ三丈の土饅頭で、周囲には牆を繞らしてある。同治五年八月、両江総督李鴻章が再建したものである。正学先生の才学は明一代を蓋い、その義烈は千載の下なお懦夫をさえ奮い立たせる。今その墳に詣でて凜然と襟を正した。東道の(案内役の)佐々布質直君はかつて夏の日にその墓に詣でようとして雨花台一帯を探し歩いたが草茅が人を没するばかりでついにこれを発見することが出来なかったという。今は仲冬(陰暦11月)で草は枯れているので迷うことがなかった。
 雨花台の麓を梅岡(ばいこう)という。「府志」に晋の謝安(謝安石)の墓は梅岡にありと書かれているけれども今回尋ねてもどこか分からなかった。

*方孝孺 明の時代の学者。洪武帝に招請されて教授となり、建文帝の時、翰林院の侍講となり、国政に参与した。燕王の棣(てい・後の永楽帝)が挙兵すると全力を挙げてこれに抵抗、敗れて捕らえられた後、永楽帝から即位の詔を書くことを要求されるが拒否して磔刑にされた。

2012年8月 9日 (木)

中国ウオッチ・愛ちゃん人気

 オリンピックの卓球女子団体は、日本と中国との闘いだったが中国の圧勝に終わった。

 しかし中国でも、敗れた福原愛選手にエールを送る声の方が多かったと伝えている。愛ちゃんは中国にも滞在経験があり、中国語を流ちょうに操るし、その愛らしさで中国では絶大な人気がある。

 オリンピックの映像でも勝利した中国選手ではなく、愛ちゃんのアップだけが映されていたが、中国でそれに反発する声はあまりなく、当然、と云う声の方が多いという。また、今回石川佳純選手の人気もうなぎ登りで、中国中に顔と名前が知れ渡った。

 彼女たちの銀メダルに涙する姿にはこちらもうるうるとしてしまった。良かったね。

アメリカの旱魃の影響

 アメリカが深刻な旱魃に見舞われ、農産物への被害が甚大である見込みについては報告したが、そのほかの想定される問題点がアメリカの気候学者の発表で明らかになった。

・残留農薬
 農場の雑草除去のために除草剤が空中散布されている。この除草剤は雨が降ることが想定されているが、まったく雨が降らない条件だと土壌の除草剤の分解スピードが著しく遅くなり、次の作付け時に残存して農作物に悪影響が出るおそれがある。
・山火事
 旱魃の時には山火事が増える。コロラド州では過去最悪の件数の山火事が発生している。また山火事により森林の保水能力が著しく低下し、さらに降雨時に洪水が起きやすくなる。森林による水の浄化能力も低下するため、水質の悪化にもつながる。
・砂嵐
 地面が乾燥して高熱の場所に雷雨による冷たい空気が触れると竜巻や砂嵐を引き起こしやすくなる。
・害虫の発生
  森林では木喰い虫などの発生が急増するおそれがある。過去にも大被害の事例がある。樹木は水不足により体力が低下して害虫に対する抵抗力が落ちる。また水量が低下して流れが滞った河川に蚊などの発生が増える。現在西ナイルウイルスを媒介するイエカが増えており、感染率も上昇しているという。
・シェールガス
 アメリカのエネルギー問題を一気に解決したと云われるシェールガスは、大量の水に水圧をかけて地下に注入するという方法で採掘している。処がこの水の確保が困難になりそうである。ペンシルベニア州やニューヨーク州の一部ではすでに取水禁止になった。

 ずいぶんといろいろな問題が噴出しているようであるが、食糧問題はもちろんとして、特に頭が痛いのはシェールガスの問題かも知れない。アメリカは常に安価なエネルギーが経済を引っ張ってきた。その牽引車に問題があるとアメリカ経済にさらに暗雲が立ちこめることになりそうだ。アメリカが当たり前の国になると、のさばってくる国が出てくる心配がある。アメリカの独りよがりな「正義」もいささか不愉快だが、いないとなると不都合も起こる。それなりの役割を果たしていると云うことに今更ながら気が付いた。

 アメリカに雨よ降れ!

中国ウオッチ・成人病

 環球時報は、アメリカのフォーブス誌がアメリカのファストフードが中国人の健康に影響を与えている、という記事を取り上げて、中国の経済発展に伴い、食生活が西洋化することで肥満、糖尿病、心臓病などの慢性疾患が急増していると伝えた。

 ある統計によると中国人の死因の85%が慢性疾患によるもので、アメリカの70%、世界平均の63%を大きく上回っているという。

 確かにファストフードが肥満に直結していることは「キングコーン 世界を作る魔法の一粒」という映画で今更ながら痛感したところであった。

 そしてファストフードが中国人の慢性病の増加の要因になっているだろうことは間違いないと思う。しかし、アメリカよりも慢性病による死亡率が高いのはそれが直接的な原因とは言えないだろう。中国人の方がアメリカ人よりもファストフードをたくさん食べているなどと云うことは考えられない。

 昔、中国料理は脂っこいからいかにも太りそうなのに、中国人に肥満の人が少ない、と云われていた。そしてそれは中国人はお茶を飲み、料理に酢をたくさん使うからだ、だから酢をたくさん摂取すると肥満にならないなどとまことしやかに云われていた。

 今中国人に肥満が急増していると聞くと、何のことはない、昔は中国人も生活が苦しかったからそれだけ食事も質素だったのだろう、と云うことがよく分かる。中国人は見栄っ張りだから日本人が思うような中国料理を毎日食べていたように見せていたが、日本人が中国料理店で食べるような料理を毎日食べていたはずがない。

 中国人は食に貪欲である。生活が良くなれば真っ先に食事の質と量が改善されたのだと思う。そうしてたくさん美味しいものを食べるようになれば、肥満になり、慢性病も増える、と云うのは当然だろう。これは豊かになったあかしなのだ。

 さらに豊かになると日本食のような健康な食事を志向する人も増えるかも知れない。危険なものの入っていない日本の食材を是非食べていただきたいものだ。

 ただ日本食によく使われる魚を日本食を志向するために日本の領海にまで獲りに来ることだけはやめて貰いたい。是非しかるべき対価を払って日本から購入していただきたいと思う。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・雨花台

 秦淮から城南の聚宝門(しゅほうもん)を出て、一清里ばかり行くと雨花台に到る。雨花台は聚宝山の最高峰である。梁の武帝の時、僧雲光が経を台上で講じたとき、天地が感動して花を降らせたからこの名がある。俗にその花が凝って石となり、今も台上から出ると言い伝えている。そのいわゆる雨花石というのを拾ってみてみると瑪瑙の小塊である。山中から瑪瑙が出るので聚宝山とも言い、雨花の奇跡も言い伝えられたものであろう。
 台上に立てば南京城は眼下にあっていちいち指摘することが出来る。長髪賊が南京に拠ったとき、曾国荃(そうこくせん・曾国藩の弟)は湘勇を率いて雨花台を拠点にしてこれを攻め、遂に南京を陥れたというのはもっともと思われた。

*曾国荃は太平天国の乱の時、兄の曾国藩が苦戦に陥っているのを見て義勇兵を組織し、曾国藩の命を受けて南京を占領、太平天国の諸将、兵士約十万人を虐殺した。 

2012年8月 8日 (水)

中国ウオッチ・臓器売買

 中国公安部は大がかりな臓器販売ネットワークを摘発し、医師18名を含む137名を拘束した。

 中国では違法な臓器販売が横行しているという。軽い気持ちで臓器を売却した人が後遺症で悩んでいるそうだ。金のためとはいえ自分の臓器を軽い気持ちで売る人間が理解不能である。
 
  父の口癖の一つが「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝のはじめなり(孝経)」だった。自分の体は自分のものであっても親からいただいた大事なものであるから傷つけてはいけない、と子供の頃から教えられた。だからピアスや刺青なんてするべきでないと思っている。ましてや臓器を売るなんて。

 この言葉は中国の言葉なんだけどなあ。

中国ウオッチ・労働コスト

 中国の製造業の労働コストは今のように毎年20%前後の上昇を続けていると、4年後にはアメリカ並みになり、5年後にEU並み、7年後には日本並みになると予測されていることはすでに報告した。

 このまま行くと中国に進出した外資系の企業はコストが合わなくなり、中国から生産拠点をより労働コストの安いところへ移転するだろう。すでにその動きは始まっており、その動きは加速するだろうとみられる。
 
  これに対して中国の経済学者がそんなに短期間に労働コストは上がることはない、と反論した。
 アメリカの製造業の労働者の賃金は、まだ中国の数倍もあり、それに追いつくのはまだだいぶ先のことである。まだ農村部には豊富な労働力があり、賃金が上がれば安価な労働者の供給が起こって賃金上昇は鈍化する。また中国に進出した企業が移転するコストも考えると、まだ余裕がある、というのだ。

 どうもこの経済学者はアメリカの一人あたりのGDPの数字と製造業の労働者の平均賃金を混同していると思われる。アメリカは一部人間が極めて高い収入を得ている極端な格差社会であることは先般のウオール街の格差是正要求デモが示しているとおりである。平均をとるとかなり高収入に見えるが、労働者の賃金はかなり低い。ワーキングプアの階層なのだ。中国の労働者との賃金格差は急激に縮まっているからあのような見通しが述べられているのだ。

 なぜ日本の方がアメリカやEUよりも労働者の賃金が高いことになっているのか。それだけ日本の格差が少ないからだろうと思われる。そして間接的に日本の土地の価格が諸外国に比べて異常に高いことが影響している。それでもかなり土地の価格は下がった。デフレの一要因にそれが関係していると私は思っている(ややこしいから説明しないけれど)。

 中国は自国の安価な労働力を武器として世界の工場の地位を確立した。その中国はアメリカ以上に格差社会であり、労働者の賃金の上昇よりはるかに大きな収入を得ている人たちが、中国の生産コストを引き上げている。さらに中国で生産した場合の流通コストが考慮されなければならない。アメリカへ生産拠点を引き戻した企業によれば、中国で生産してアメリカへ輸送するコストが30~35%かかっているのでその差額分はアメリカでコストが高くても見合う、という。

 さらに中国の国策として沿岸部の経済発展を内地に及ぼそう、というわけで工場を内陸部にどんどん移転させている。これで企業の労働力確保が楽になったこと、また内陸部から沿海部に出稼ぎに行っていた労働者が近郊で働けることなど両面に恩恵をもたらした。しかし輸出企業にとっては製品を内陸部から海岸へ運ぶ輸送コストが大きな負担になっている。港から港までの船便の輸送コストは低額だが、陸上輸送ははるかに高くつくのだ。

 これらの要因を見ないで楽観的なことを云っていると、気が付いたときには雪崩を打って外国企業は中国から逃げ出すだろう。その日はこの5年乃至10年に来てもおかしくない。中国の最盛期は峠を越えつつあるのかも知れない。

中国ウオッチ・養狼計画

 「養狼計画」と云うのをご存じだろうか。北京オリンピックの時に卓球で、中国代表選手が強すぎてメダルを独占することになった。中国だけが強すぎるのはまずいのではないか、他国の選手をライバルに育て上げて卓球界全体を振興させよう、と当時の卓球協会の会長が提唱したものだ。

 この主旨にのってカザフスタンに送り込まれたのが、今回女子重量挙げの53Kg級で優勝した選手と63Kg級で優勝した選手だ。

 中国側は自国の選手が優勝したようなとらえ方をしているが、両選手とも優勝のコメントは中国語を使わず、手放しで喜んでいるようでもなかったという。

 中国でも「売国奴」と見る向きもあり、優勝した選手の実家の人々は胸を張って喜ぶどころか人目を避けるようにしている、と伝えている。

 こんな不自然な計画、猫選手じゃあるまいし、選手がかわいそうだ。

アメリカの旱魃の続報

 アメリカ中西部の旱魃は想像以上にひどそうである。トウモロコシの大生産地帯、いわゆる「コーンベルト」が大打撃を受けており、収穫量は30%以上減少するとみられる。

 まもなく食料価格の上昇が起こり、これは2014年まで影響する見込みで、当然家畜のえさの価格も上昇する為、食肉や乳製品の値段も上がることになる。またトウモロコシの40%はエタノール生産に使用されており、すでにエタノールの価格は20%異常上昇しているという。

 アメリカはこれを見越して水が少なくても育つ、改良品種の導入も検討中だが今年には間に合わない上、収量は従来品より劣るという。

 ミシシッピー川の水位も下がり始めている。農産物の運搬には艀で輸送するのが一番安上がりなのだが、水位が下がると一つの艀の可載重量が著しく減少する。これがコスト上昇につながると共に輸送能力の低下ももたらすことになると懸念されている。まことに経済は流通なのである。

 中国はいち早く食糧確保のため、ウクライナからの調達に動いている。世界全体の食料が減少した場合、ある程度の経済力のある国は調達費用が上昇するだけで確保は可能だろう。しかし経済力の脆弱な、資源も持たない国は深刻な影響を受けることになる。世界が平均的に不足するわけではないのだ。これによる社会不安は紛争の火種として今年後半から燃え始めるおそれがある。しかもアメリカの旱魃は慢性的な要因を持つ、と見る学者もいる(灌漑用の地下水がすでに底をつきつつあると云う)。世界はさらにきな臭くなりそうだ。

 日本の人口減少は、そのような状況を敏感に察知しての防衛反応なのかも知れない。

中国ウオッチ・デモで死者

 デモがあったのは南アフリカのザンビア。
中国資本の炭鉱で、賃上げ要求のデモが発生し、中国人責任者一名が死亡、中国人幹部が二人負傷した。この責任者は騒ぎから逃げるために坑内に逃げ込もうとしたが、労働者達がそれを目がけてトロッコを走らせ、死亡に到ったという。

 この炭鉱では2010年にも待遇改善を求めるデモに向かって中国人幹部が発砲し、数人が負傷するという事件があった。今回は規定の最低賃金の適用が遅れていることに立腹してのデモだった。

 ザンビアは南部アフリカで最も早く中国と国交を結んだ国で、すでに中国企業が300社以上進出している。

 詳しいことは不明だが、中国のアフリカ進出、及び投資は資源と食糧確保が目的で、地元政府と結託して一般国民には恩恵が少ない上に、貧富の差が加速することにつながり、進出国の国民からは反発を受けることが多い。アフリカの新興国は欧米からの独立を勝ち取る過程で軍事独裁政権となった国が多く、中国はそのような政権に投資することで利権を確保することを狙っているが、北アフリカのように軍事政権はいつか倒される。その時、中国が投資に見合う成果を獲得維持し続けられるか、予断を許さないだろう。

中国ウオッチ・今度はスリランカ

 日本や韓国の領海で違法操業した中国漁船が拿捕される事件が続いたが、先日はロシアの領海でも違法操業で拿捕される事件があった。

 そして今度はスリランカ沖で違法操業をしていたとして漁船二隻が拿捕され、中国人37人が逮捕された。スリランカ周辺では漁船の拘束事件が頻発しているという。

 しかし中国からスリランカまではるばる遠征して違法操業するとは中国の漁業者は末期的症状を呈している。

 今回の件について中国政府はスリランカに対して「一刻も早い真相究明と漁船員の釈放」を要求しているという。

 新華社通信は浙江省の台州市の漁港周辺の海がゴミで埋め尽くされている様子を報道していた。成長前の幼魚まで捕るような長年の乱獲と海洋汚染で中国の近海漁業資源は枯渇状態にあると伝えている。
 そのため燃料費や人件費に見合わないので漁に出ない漁師が増えているそうである。

 自然を毀損するのは簡単だが、回復するには長い時間が必要だ。今のように無法な行為を続けていれば世界中から非難を浴び、嫌われる。
 そのあげくに孤立することで暴発することにならないよう、自らを省みることを切に願うのだが、独裁政権というのは自転車操業みたいなもので、自らを立ち止まって省みたとたん、ころりと転げる可能性が大いにあるから行くところまで行ってしまうのかも知れない。大きな火の粉が日本にかからなければ良いのだが、心配だ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・桃葉渡

 夫子廟より一町ばかりの上流に桃葉渡(とうようと)がある。晋の王献之が愛姫の桃葉に与えた歌に曰く、

  桃葉復桃葉、渡江不用楫、
  但渡無所苦、我自迎接汝、

この歌を読めば、渡しの名付けられた縁起は明白であろう。この辺りは秦淮の一支流であり、幅は三、四間しかなくでほとんど跳んで渡ることも出来そうである。風流の士、王献之があの画舫を岸に寄せて自ら客人を迎接した。何という情の深いことであろうか。「府志」には桃葉渡は古の建康の北、大江中にありと見えているが、江北廬荻の間、佳人桃葉の住処があるとは思えない。桃葉といい、秦淮といい、皆金陵にふさわしい。烏衣巷(ういこう)といい、朱雀橋といい、いずれも江南六朝の栄華を語らないものはない。しかし、烏衣巷、朱雀橋とも今は跡形もない。

2012年8月 7日 (火)

ベリンダ・バウアー著「ダークサイド」(小学館文庫)

 訳・杉本葉子。著者は処女作がゴールドダガー賞(英国推理作家協会賞の大賞)を受賞した。これは彼女の第二作である。

 MWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞とゴールドダガー賞、シルバーダガー賞の作品に外れはない。そしてその賞を取った作家の作品はほぼ全て面白い。

 主人公はイギリスの片田舎の村の若い巡査のジョーナス・ホリー。ジョーナスの最愛の妻ルーシーは難病の多発性硬化症で、今のところ何とか身の回りのことは自分で出来るが徐々に死に向かいつつある。そんなある日、村で殺人事件が発生する。落馬事故で全身麻痺になり、寝たきりの老婆が殺される。

 その捜査のために州都からマーヴェル警部達がやってくる。ジョーナスは捜査に加わろうとするが、マーヴェルは無能な田舎の巡査と見てはなから馬鹿にし、捜査に加えない。

 ジョーナスはなすすべもなく、手をこまねいているが、その彼に一通のメッセージが届く。「それでも警察か?」。これに発憤してジョーナスは独自に捜査を開始するのだが、その努力はかえってマーヴェルの怒りを買う。そんな中なんと新たな事件が発生する。殺されたのはジョーナスの幼なじみの母親で、精神を病んで家族に面倒ばかりかけている女性だった。

 なぜ犯人は弱者ばかりを狙うのか、マーヴェルの捜査は当てずっぽうに犯人に決めつけた容疑者の追及と空振りばかりでまったく進展せず、新たな惨劇が起こるに到って捜査陣も村も疑心暗鬼の中に追い込まれる。

 ジョーナスの所に新たなメッセージが届けられ、体の不自由なルーシーの身に危険が迫っていることが告げられる。そのルーシーが絶体絶命の中で見た予想外の犯人とは・・・。そしてジョーナスはルーシーを救うことが出来るのか。じつは事件の背景には忘れ去られかけていた昔の忌まわしい事件が影を落としていたのだが。

 最初は田舎のなんということのないような事件が次第に大がかりな事件につながっていき、クライマックスの緊迫感と驚愕はとても大きい。
 村民や捜査部隊、主人公達の性格や行動が詳細に語られているのでかなり大部の小説だが、中盤以降は一気に読み進んでしまう、というよりやめられなくなってしまう。物語の中に取り込まれてしまう感じだ。本当に面白かった。

 前作、つまりゴールドダガー賞受賞作「ブラックランズ」も舞台は一緒で、数年前の事件のようである。早速購入して読んでみようと思う。

怒りの鉄拳

 男子100mの決勝の際にスタートとほとんど同時に選手たちの後方に何かが投げ込まれたのに気が付いた人も多いだろう。
私は一瞬スタートと同時にああいうものを投げ入れることになっているのかと思ったほどだ。

 あれは酔っ払いが投げ込んだペットボトルだったそうだ。スタートの瞬間の静寂の中、ボトンと重量感のある音がしたように感じた。多分あの感じでは中身がかなり入ったもので、しかも500ミリリットルよりずっと大きなものだった。レースに影響がなかったのは幸いだが万一選手にでも当たっていたら取り返しのつかない事態になるところであった。

 これを投げた犯人は酔っ払いの男だったという。それを見た瞬間、その男に怒りのパンチを食らわせた女性がいた。そのためすぐこの男は警備員に逮捕された。この女性はオランダの女子柔道選手で、70Kg級で銅メダルをとったボスという人だったという。ボスさんはこの事件のために100mの結果を見損なったことを悲しんでいるという。

 ボスさんの鉄拳は全ての観客に成り代わっての怒りの鉄拳だったに違いない。

中国ウオッチ・偽の薬

11031_418

 以前にも同様の事件があったが、今回は悪質の度合いが高い。

 なんと狂犬病のワクチンの偽薬が大量に押収された。説明書と包装材を大量に用意し、生理食塩水を入れただけのものを狂犬病のワクチンとして販売していたという。日本では狂犬病の発生はほとんど無くなったので知らない人も多いが、極めて致死率の高い病気で、ワクチンが唯一の治療法である。

 中国ではこの狂犬病は昔より少ないとはいえ、まだしばしば感染例が報告されている。狂犬病は犬だけでなく、野生の動物でも猫でも咬まれると感染するし、しかも人間にも感染する珍しい病気だ。その時の唯一の救いのワクチンが偽物だと思うと恐ろしい。

 ほとんど間接的な殺人と同じだ。今回押収された数は1万9000頭分。17人が逮捕された。すでに流通したものも多数あるに違いない。

 中国では先日大々的に偽薬撲滅キャンペーンを展開して全国で2億5000万個の偽薬を押収し、1900人以上を逮捕したという。この薬には高血圧治療薬、糖尿病や癌の治療薬などが含まれていた。それには低血糖の副作用を持つ化学薬品や、鎮静剤などを含ませていたという。高度な確信犯であることが分かる。

 金儲けのためなら人の命など何とも思わない、という人間は残念ながらどこにでもいるものだ。だがこれほど多数が平然とこのようなことを行っている中国は異常である。人として踏み越えてはいけない一線を大きく踏み越えてしまった人間が続出しているように見える。これは中国全体が精神的に荒廃していることを窺わせる。中国は明らかに病んでいる。

 中国の役人をはじめとした腐敗の構造がまかり通っている社会が人心の荒廃を招いているとしか思えない。
 振り返って原発の責任を誰もとらない状況や、大津の中学生が自殺に追い込まれた事件の後の学校や教育委員会や警察の責任逃れの態度を見て、我が日本の無責任体制も社会全体に蔓延している病理に見える。
   これはいったい何をもたらすのだろうか。

 一生懸命戦って敗れた選手がメダルが取れなかったといって「ごめんなさい」と謝っている。しかし本当に謝らなければならない人は平然と人のせいにして安眠している。日本は間違った人間に対してやさしすぎる。先ず子供に「ありがとう」と「ごめんなさい」を心から言うことを教えるところから始めなければならないと思うのだが、前途は暗い。

洪水被害

 北朝鮮に7月後半、水害があったことはすでに報道されているが、北朝鮮の朝鮮新報が改めて被害が甚大であった、と伝えている。

 ここまで繰り返し報道していると云うことはSOSのサインであることは明らかであろう。アメリカは公式には支援はしないが特別枠でわずかながら食料援助をするべく準備中のようだ。

 韓国にも支援を要請したい様子が見え見えであり、韓国がどう出るか、注目される。

 北朝鮮の支援はほとんど中国一国になっており、北朝鮮は雪隠詰め状態で、本音を言えば中国だけに主導権を握られるのはまずいと思っているであろう。

 だから今回の洪水被害の繰り返しの報道は、被害そのものよりもこれを機会に改めてパイプをつなぎたいという意思表示なのではないだろうか。援助という名目で会話を再開したいのではないか。

 今まで再三北朝鮮に煮え湯を飲まされてきたアメリカも韓国も、今回は花見劫みたいなもので、面白くない事態になったらすぐ手を引けばいいのだからコンタクトしてみたらどうだろうか。

 一番心配なのは北朝鮮の軍部と中国の人民解放軍の癒着があまり進みすぎると北朝鮮の体制がさらに固定化してしまうことだ。それは中国共産党にとってもあまり望ましいことではない(軍部が強くなりすぎて暴走のおそれを孕んでいる)はずで、今回中国の人民解放軍の幹部将校に大量の人事異動が行われたのは共産党のコントロールを維持しようとする意思の表れだということだ。

割引券

 花巻のある温泉宿から宿泊割引券が送られてきた。

 ほとんど毎年東北に旅行に行く。一昨年の秋にも日本海から下北半島、そして三陸海岸と2500Km以上のドライブ旅行をした。そのとき、三陸で宿泊した田老町の宿は津波で流失してしまったようだ。

 田沢湖、十和田湖を巡ってから下北の恐山を訪ね、大間に泊まり、三陸へ南下して田老の、海岸に近い宿に泊まった後、龍泉洞を見て(洞窟が好きなので)、花巻では宮沢賢治の博物館を訪ねるために台温泉という所に泊まった。その後遠野を訪ねた。

 思い出に残る旅だったが、その台温泉の宿から昨年手紙が来た。温泉が出なくなった、という知らせだった。地震の後、源泉の湧出が止まってしまったというのだ。宿を廃業するかどうかと云うところまで追い込まれた、という手紙であった。

 今回の手紙は、心配いただいたが、幸い源泉が徐々に復活し、元通りに受け入れられるようになっているのでぜひお越しください、というもので、期限なしでの割引券が添えられている。

 これは行かずばなるまい。お盆の父の墓参りを済ませて、8月末くらいから北へ旅に出たいという思いが強くなっていたところである。旅心が強く疼き出した。

213恐山

256_2下北・仏ヶ浦

267_2大間の民宿

305遠野

319

「清末見聞録(清国文明記より)」・南京の名勝・秦淮

 秦の始皇帝が四方を巡狩したとき、金陵(南京の古名)にいたって王気が盛んに天に立ち登るのを見て(隠隠として王気の天に冲するを望み)、これを洩らそうと考えて鐘山を開鑿した。その跡が秦淮(しんわい)であると云う。しかし、秦淮河の形勢を見ると人工のようではない。そのことが事実であるか否かは措いておくとして、ただ面白い伝説であると思う。唐の杜牧がかつて秦淮に宿泊して、

  商女不知亡国怨、
  隔江猶唱後庭花、

と歌った。河は狭いけれども両岸には今も茶楼が相並び、みな阿嬌(あきょう・美人、娘の意味だがここでは娼妓の意味)を蓄え、画舫(絵を描いたり色を塗った遊覧船)が江にたくさん並び、狎客(こうきゃく・たいこもち)があちこちの席を渡り歩いている。私が此の地に遊んだときは白昼で阿嬌の姿を見ることはなく、冬日画舫空し であったが、橋の上に立って秦淮に臨めば、なお杜牧の詩を唱して、六朝興廃の夢の跡を追憶しないではいられなかった。

*秦淮に泊す  杜牧

  煙は寒水を籠め 月は砂を籠む

  夜 秦淮に泊して 酒家に近し

  商女は知らず 亡国の恨み

  江を隔てて 猶唱ふ後庭花

2012年8月 6日 (月)

女子バレーがんばれ

 女子バレーで日本はイギリスに3-0のストレート勝ちを収め、予選リーグ3位で勝ち上がって準々決勝に進んだ。

 対戦相手は韓国とフルセットの末、3-2で勝ち上がった中国である。中国ではなんと対戦相手が日本と云うことに大喜びで、これで準々決勝の勝ちが決まった、メダルをほとんど確定した、といっている。

 こんなことを云われたら意地でも勝つしかないではないか。
日本チームがんばれ。

TPP

 アメリカの共和党候補に決まったロムニー候補が、日本のTPPへの参加を支持しない意向であることを明らかにしたという。
 日本の市場開放に懐疑的で、日本が加わると交渉が長引くだけでメリットがないという考えのようだ。

 FTAとかEPAとかTPPとか、何がなにやらよく分からない。

 でも日本にとって貿易が盛んになるためには自由貿易は欠かせないことだと思うのでTPPも当然いいことで参加する方がいい、と単純に思っていた。

 ちょっとだけ調べたらFTAというのは経済連携協定といい、自由貿易協定のことで、主に物流に関しての障壁の撤廃の条約で、EPAというのは物流に加えて人の移動や知的財産権、投資や政策までを自由にすることだという。ともに国と国が取り結ぶ条約だ。

 そしてTPPというのは環太平洋の経済連携協定、つまり国どおしではまだるっこしいので集団で互いにまとめてFTAを取り結ぼうというものだ。そもそもはシンガポールとブルネイとチリ、ニュージーランドがこの条約を取り交わして、すでに2005年に発効している。それにマレーシア、ベトナム、ペルーなどが加わったところでアメリカがオーストラリアと共に参加しようと云うことになり、日本もそれなら加わろうと云うことになったものだそうだ。

 だが日本には農業保護政策というTPPの精神とはまったく相容れない政策があるためにその参加の決定は遅々として進んでいないのが実情だ。

 日本は工業製品についての関税はとても低いかゼロである。だから海外からクレームがつくような関税障壁は無いと云っていい。TPPに参加したいのはアメリカなどの関税が高いからそれがなくなることが期待されるからだ。いまや関税障壁を設けているのはアメリカなのだ。ただ農産品については日本は異常に高い関税をかけていることは事実である。

 韓国はTPPではなくFTAをアメリカと取り結んだ。ところがFTAのはずなのにEPAのような取り決めが含まれている、ということで騒ぎになっているようだ。

 国と国の取り決めの時にはどこの国も自分の国が有利になるようにしようとする。だから何かを勝ち取るためには何かを譲歩しなければならないのは当然だ。ところが力関係が著しく偏っていると片方が勝ち取るばかり、片方は譲歩するばかり、という事態に陥る。これは交渉力でカバーされることもあるし、もっとひどいことになることもある。外交は武器を使わない戦争である、と云う所以である。

 TPPに日本が加わる、というのは今まで日本がとってきた政策に合致するものではあるけれども、アメリカが主導権を持ち、アメリカだけに有利にものを取り決めようとする姿勢が見えるようならこのさいは潔くあきらめてパスする方がいいかもしれない、とこの頃思えてきた。

 うがった見方をすれば日本国内の意見がまとまらないことを見越してアメリカは日本の参加を歓迎しない姿勢を見せ、日本にとことん譲歩を迫って恩着せがましく参加を許す、という作戦ではないのか。日本が参加するかどうかはTPP全体の成功に大きく関わるだろうことは自明のことだからである。そしてFTAではなく、EPAのかたちでのアメリカの主導権を獲得することを狙ってくるであろう。これでは日本にはデメリットの方が大きくなりそうである。

 ロムニー候補はそれを承知で今回のようなコメントを出したのだろうか。そうでなくてただ日本は面倒くさい国だという気持ちだけで云ったようにもみえるけど。

中国ウオッチ・済州島

Dsc_0044済州島

 韓国の聯合ニューによれば、今年の7月に済州島を訪れた中国人は前年より80%増の22万人に達したという。

 今年1月から7月までの外国人観光客の総数は前年より93%増の89万人、そのうち中国人は56万5000人で全体の64%、次いで多かったのは日本人で13%増の11万5000人であった。

 中国人は前年比144%増と驚異的に増加しているという。

 済州島は東洋のハワイと云われる。韓国で唯一蜜柑が採れる。大規模な工場がないので海はとても綺麗で、島内には景勝地も多く、リゾート地として整備されている。

 中国にはやはり東洋のハワイを自称する海南島があるが、観光客が増加するに伴いホテルやレストランの料金が異常に高騰し、とんでもない料金を請求された、という訴えが続出して評判がすこぶる悪い。

 中国人としても自国内の海南島に行くより済州島に行く方が安心で快適に楽しめるのであろう。

 私も昨年友人達と済州島へ行ってきたが、本当に海が綺麗で、とてもフレンドリーであり、しかも食事も美味しかった。そして中国人の観光客が急増していることも聞いた。
 中国の観光客は大型の観光船でまとめて何千人という数で大挙上陸してくる。そのためそれを受け入れるための大型ホテルが次々に建設されていた。

 ただマナーが悪く、しかも集団行動なのでやかましくて他の客には迷惑になっている、とガイドが言っていた。確かに済州島に限らず、中国の観光客は幼稚園生か小学生の集団のように回りに気を遣うことを知らず、とにかくやかましい。

 済州島は日本から近いし、料金も手頃である。一度は見に行く値打ちがあるが、あまり中国人だらけになるとその良さも半減するかも知れない。何しろ人口55万人の島に一ヶ月で20万人も訪れるようになり、多分これからもどんどん増えそうだから。行くなら早めをおすすめしたい。

「清末見聞録(清国文明記より)」・武漢の名勝・大別山

 武昌には黄庭堅(こうていきん)の詩に、

  江東湖北行画図、鄂州南楼天下無

と詠せられた南楼、鄂州の大観をほしいままに出来る洪山塔や、漢陽には崔顥の詩にちなんで作られた晴川閣や、その他の名勝が少なくないが、蛇山と黄鶴楼に対して、大別山と山下の古琴台とは見逃してはならないものである。大別山はまた翼際山とも、また蛇山に対して亀山(きざん)とも、また山中に呉の魯祝の祠があったから魯山ともいう。長江を隔てて蛇山と相対している。長江は黄鶴、大別の二山の間を流れている。昔大禹が水を治めた遺跡と称して山上に禹王廟を祀ってある。武漢付近で最も高い山である。
 大別山の西の麓に古琴台がある。昔伯牙が琴を弾じて鐘子期(しょうしき)がその音を知ったという話は「列子」の中に見えて有名であるが、この古琴台はすなわち伯牙が弾琴の場所と言い伝えている。そのことを荒唐無稽と誰が疑うだろうか。台は月湖という湖中にある小島で、中に亭榭(ていしゃ・あずまや)があり人々が散策を楽しむ場所となっている。湖中には蓮が多い。初夏の頃には得がたい眺めだという。

*短かったがこれで武漢は終わり。次はずっと長江を下って南京である。

2012年8月 5日 (日)

神山裕右著「カタコンベ」(講談社)

 暗くて狭いところが怖いので洞窟が・・・好きだ。江戸川乱歩の「孤島の鬼」を読んだときは本当に怖かった。親類が長期旅行に行くというので一人で留守番をしたのだが、たまたまその家にあったその本を読み出したらやめられなくなった。孤島の中の鍾乳洞に閉じ込められてさまよい、出てきたときには恐怖で髪が白髪になっていたという話だ。また横溝正史の「八つ墓村」のラストは洞窟の中だ。これも怖い。特に映画の「八つ墓村」は白装束の小川真由美が泣くが如く怨むが如く意味不明の言葉と共に迫ってくるところは夢に見るほど怖かった。

 この「カタコンベ」は第五十回(平成16年)の江戸川乱歩賞受賞作で、全編のほとんどが洞窟の中、と云う物語である。

 黒姫山の近くの未踏の鍾乳洞に入った探検隊の第一陣、五人が縦穴の入り口の落盤事故で閉じ込められてしまう。危惧されていた雨が降り出し、地底の底が水没する可能性が高くなる。なぜこのようなときに探検が強行されたのかは後で明らかにされるのだが、地上での様々な救出の試みはことごとく失敗に終わる。

 このとき第二陣のメンバーの一人が自分の仮説にもとずいて単独で救出に向かう。これが主人公の東馬である。彼には第一陣のメンバーの一人を命をかけても救出しなければならない理由があった。別の鍾乳洞の地底湖が中でつながっているかも知れないという仮説の元に彼は一人で地底湖に潜る。

 雨は降り続く。今までのデータから残された水没までの時間はわずか五時間。彼の仮説は正しいのか。その頃地下の五人には自然の脅威とは別の恐ろしい魔の手が迫っていた。

 ちょっと自然の脅威とは別の危難に関するストーリーに説得力を欠くところがあるが、洞窟の中の暗闇と岩盤の圧迫感を確かに感じる。江戸川乱歩賞に値するおもしろさであった。

映画「PLANET OF THE APES」2001年アメリカ映画

 監督ティム・バートン、出演マーク・ウォールバーグ、ティム・ロス。1968年の名作「猿の惑星」のリメークであることはご存じの通り。猿のメイクアップが巧みなので、猿役の俳優が誰だかまったく分からない。なんとティム・ロスが嫌人派のセード将軍に扮しているのだがチンパンジーにしか見えない。配役を見ていたらそのセード将軍の父親のゼイウスにチャールトン・ヘストンが扮していたのだ。「猿の惑星」の時は人間だったが、今度は猿なのだ。もともとこの人、何もメイクアップしなくても猿顔だけど。

 猿が支配している惑星、と云う設定は前作と同じだが、ストーリーは全く違う。だから主役のレオ(マーク・ウォールバーグ)がその猿の支配する惑星に降り立つ状況もまるで異なっている。その惑星は猿が支配しているとはいえ、数は人間の方が多いことが示唆されており、なおかつ猿も人間も英語を話すのだ。

 猿たちは武器を持っている上に膂力が数段上回っているので、人間は狩られて捕らわれ、家畜のように扱われるか奴隷として使役されている。この世界には火器はない。

 この世界の創造主である猿が地上に降り立った乗り物が禁断の地に存在するという。レオは不時着した自分のポッドから取り出したビーコンがその地を指し示すのを見て、それが宇宙船ではないかと考える。

 その頃噂が広まり、レオこそが救世主であると信じて人間達が各地から集まってくる。人間抹殺を密かにもくろむセード将軍は大軍を率いて、集まった人間達を一気に殲滅しようとする。

 レオ達が伝説のモニュメントにたどり着いたとき、それが何であって、なぜこの星が猿の惑星になったのか、なぜ皆が英語をしゃべるのか知るのだが、その時、まさにセード将軍の率いる猿の大群は目の前に迫っていた。

 と云う絶体絶命の中でレオがどうしたのか、そしておきまりなのだが、衝撃のラストが・・・。

 主人公のマーク・ウォールバーグはちょっとマット・デイモンに感じが似ていて好きである。監督はティム・バートンだし、もっと良いものが作れたのではないかと思う。所々が雑で、少し気合いが足らないという感じだ。今ひとつでした。

集中力

 このブログの文章が夏バテしているようである。いつもならしばらく旅にでも出て充電してやるところだが、暑すぎて出かける踏ん切りが付かない。それに今週末には帰省するつもりである。月末あたりに夏休みの人出が収まった頃に旅に出かけたいと思っている。

 もともと容量の少ない頭を振り回してこぼれ落ちてきたものを書き散らしている状態なので、これをさらに絞り出したりすると種が尽きてしまいそうだ。絞り出したらもう少しましなものが書けるかも知れないけれど、それっきりになりそうでもあり、生来の中途半端な私としては、今はぼんやりとエネルギーがたまるのを待っている。

 オリンピックでがんばっている選手たちに感動しないことはないが、テレビではあまりにも同じシーン、同じようなインタビューの繰り返しを見せられるとその感動も薄まってしまう。いつもならこんなにテレビをつけたままにしないのだが、本を楽しむ集中力が足りないのでついぼんやりテレビを見ている。

 人生の要諦は集中力だと確信している。人は集中したときターボがかかり、自分の普段の実力以上の結果を出すことが出来る。そして自分の殻を破るといささかレベルアップする。オリンピックを見ていてもその集中力の差が勝敗を分けているように見える。出場するような選手は世界のトップクラスだから皆実力は拮抗しているだろう。勝つには勝つ理由があると思う。それが集中力だ、と思うのだ。

 集中力を高めるものは何か、損なうものは何か。例えば柔道の選手の試合の結果を見るとそれが見えているような気がする。負けて謝っている選手を見ていると、これではもともと勝てなかっただろうな、と思う。結果はどうあれ全力で戦えば勝っても負けても満足して良いのだ。競泳の選手たちのチームプレーとその好成績が柔道と裏返しだったことを見たら分かるだろう。皆満足そうな顔で、見ているこちらもうれしくなった。

 出来れば女子レスリングも競泳のように仲良く励まし合って実力を出し切って貰いたいものだ。結果は自ずからついてくるであろう。それでいいのだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・武漢の名勝・黄鶴楼

 黄鵠山(こうこくざん)、一名を蛇山(だざん)と云う。蜿蜒として東から西へ向かい、武昌の中央を横切り、大江に飲み込まれるように終わる。その首が隆起するところに黄鶴楼がある。黄鶴楼に関しては種々の伝説がある。「述異記」の中に、荀瓌(じゅんかい)字は叔偉が潜み棲んで五穀を食わずに仙人の稽古をしていたが、かつて東遊して黄鶴楼上に憩ったという。折から西南に現れたものがある。飄然として霄漢(しょうかん・大空)から降りてくるではないか。しばらくしてやってきたものを見れば鶴に乗った賓客であった。主客歓対、しばらくして客はまた鶴にまたがり空に上り去ったという。後の人がこれを伝えて費文褘(ひぶんい)のこととしているのは多分誤って伝えられたものであろう。唐の崔顥(さいこう)の詩に、

  昔人已乗黄鶴去、
  此地空余黄鶴楼

   昔人(せきじん)已に黄鶴に乗りて去り
   此の地空しくのこる黄鶴楼

と云うのは此の伝説を歌ったものである。楼は度々造り直されては祝融(しゅくゆう・火の神、火事のこと)の災いに遭う。乾隆帝の時代に再建された楼は髪族の乱(洪秀全の太平天国の乱)に焼け、その後再建されたものも今から二十年前に焼けた。その跡には俗悪な赤煉瓦造りの測候所がある。飛簷(ひえん・簷はひさし)舞鶴(ぶかく)にも似た高楼の美観は今は見ることはできない。登仙路などという石碑はあるがその辺りには例の尿溺の悪臭が芬々としている。しかし、遺跡からの眺望はなかなかいい。昔は芳草が萋々としていた鸚鵡州も、今は礎材を置く場所となり、晴川歴々とした漢陽樹のあたりには、製鉄所の煙突が盛んに煙を吐いている。烟波(えんぱ・もやの立ちこめた水面、煙突のけむりと対比させている)蒼氓、人をして愁えしめた大江は、舟楫(しゅうしゅう・舟のこと)の来往は織るが如く、下流の漢口の彼方には、一筋の生気が天に立ち上るのが望める。黄鶴山頭の大観は実に快哉を叫びたくなるような風景であった。

2012年8月 4日 (土)

中国ウオッチ・解禁

 中国新聞社の報道によれば8月1日、山東省烟台市は刺し網漁に限って漁獲が解禁され、漁船4400隻が一斉に漁に出たという。漁が許されたのは渤海湾と黄海沿岸地域。

 中国では夏の期間に幼魚が生育するため、1995年から6月1日から9月1日までの期間は禁漁としてきたが、今年から漁の種類によって段階的に解禁を行っているという。今回は刺し網が許され、8月20日からは大規模なトロール網漁や定置網が解禁になる。

 しかし出漁した漁船はほとんど不漁で、燃料費代の出ない船ばかりだった。そのため翌日も漁に出た船はごくわずかに留まった。漁業資源が枯渇寸前であるとして皆憂慮しているという。

 漁業資源が枯渇寸前だから禁漁期間を設けて再生を図っていたのではなかったのか。それを解禁して漁を許可する神経が分からない。

 ほうっておくと韓国や日本の領海で違法操業をしかねないからやるだけやらせた、と云うことなのだろうか。

中国ウオッチ・緑茶尿

 中国中央電視台が、医療機関に尿の代わりに緑茶を提出して検査を依頼したところ、「白血球やカビ、雑菌が検出された」という診断や「腎臓の機能低下、前立腺炎、副睾丸炎の治療が必要」などの診断が下されたという結果を報道した。

 このような試みは2007年にも行われたことがあり、10箇所に提出された緑茶尿に対して7箇所で「炎症が認められる」との診断が下されたという。

 人間が緑茶の小便をするはずがないので、そんなものを提出すれば異常と判断されるのは正しい診断なのかも知れない。

 だが、専門家は緑茶を調べて前立腺炎の診断が出ることはあり得ないと述べている。白血球が存在するはずがないからだ。

 当局はこのようなおとり取材に不快感を示しながらも、市民の不信感を払拭するために今回指摘のあった医療機関を調査する、としている。

 だが、むしろ私は、中国の緑茶(多分ペットボトルのお茶だろう)は実は結構雑菌が多いのかも知れない、と疑っている。

不平不満

 今回のロンドンオリンピックでの不手際、誤審や抗議による判定の変更、国旗の間違い、国名の言い間違いに韓国が絡んでいるものが多い。

 韓国にとっては不運なことで同情を禁じ得ないのであるが、よりにもよってやや怨みやねたみの念の強いように思われる韓国に対してのこの事態は韓国にさもあろうというリアクションを生じているようだ。

 今回の大会での誤審に対して韓国も日本も抗議しているが、日本の抗議はおおむね正当として訂正されるのに韓国の抗議には受け付けられないものも多かった。

 このことから、このような事態は韓国の国力が弱いからであると受け止める韓国民が多いようである。韓国で急遽行われたアンケートではこのような事態が韓国に続くのは国力が弱いから、とする国民が半数を超え、誤審に対しては徹底的に抗議すべきである、とする人が8割を超えていたという。そして誤審が純粋に審判の誤りによると思う人は36%だったそうだ。

 これはあくまで私の感じていることだが、日本の抗議は明らかに審判の判定が間違っていると思われる場合に行われているように見える。だから覆ることが多いのだ。どちらとも言えない微妙な場合に抗議をすることは日本は過去も今も行っていない。韓国の場合はその微妙な場合にも激しく抗議する傾向があるのではないか。どちらとも言えない微妙な場合には自国の選手が有利に見えてしまうものだ。

 思い出せば、ソウルオリンピックや北京オリンピックで、何度唖然とするような判定に日本が苦汁を飲んだか。しかし明らかな誤審以外は日本は抗議をしていなかった。

 日本の抗議が通ったのを見て、抗議をすれば判定が覆ると見てしまうのも如何かと思う。

 フェンシング・女子のエペ個人の準決勝で韓国とドイツの選手が戦ったが、ラストの一秒になってから三回もドイツ選手が攻撃を行い、決勝点を挙げた。時間が止まっていない限りあり得ないことだとして韓国はいつものように激しく抗議したが遂に受け入れられなかった。計測にミスがあったかも知れないが、チャンスは同等と見なしたのだろう。

 ところがこれで韓国に火が付いた。ネットユーザーは結束して個人情報の収集を始め、ドイツのフェンシング協会の会長と此の審判がフェイスブックで交流があることを突き止めると共に、その審判の電話番号とメールアドレスをネット上に公開した。さらに「謝罪しなければ自宅の住所を明らかにする。そうすれば脅迫状が山のように届くだろう」と脅迫した。さらに対戦相手のドイツの選手にも及び、その選手が以前プレイボーイ誌にヌードを披露していたことを突き止めてそのことに罵詈雑言を浴びせた。そして彼女のフェイスブックに大量の悪口を次々に書き込んで遂に炎上させ、閉鎖を余儀なくさせたという。

 このような韓国の一部の人の行動が、世界が韓国を見る目をどう形成していくのか、その韓国に対する害はメダルを取る獲らないとは桁違いに大きいことに思いが及ばないのは悲しいことである。あまりにも勝敗にこだわりすぎると目がくらんで周りが見えなくなるようだ。

「清末見聞録(清国文明記より)」・武漢の名勝・武漢の形勢

 詩に曰く蕩々江漢、南国之紀と。揚子江と漢水のとが合するところ、武昌、漢陽、漢口は対峙して鼎足の形勢をなしている。武昌は春秋時代の夏汭(かぜい)の地で、呉、楚の両国のせめぎ合ったのは常にこの場所だった。後漢の末には夏江と云った。孫策はかつて黄祖をここで破って覇業が初めて立った。古より形勢の区、江東の雄鎮である。いまはすなわち湖広の首府、人口六十万と称する。漢陽は大江と漢水を控え、大別山の険を擁し、実に江東の門戸であり、武昌の捍蔽(かんぺい・防御しカバーしている場所)である。もし漢陽の守りを失えば、大別山の上からからは武昌を俯瞰することが出来るから、たとえ揚子江で南北を押さえても武昌を支えることは出来ない。故に呉の魯粛はかつてここに要塞を築いて守りを固めた。現今は人口約三十万である。漢口は沮洳(しょじょ・沮も洳も川の名だが、ここでは湿地帯の意味)の地で兵馬が動くときは攻めやすく守りにくいところであると云う。

2012年8月 3日 (金)

中国ウオッチ・水浸し

 先日世界最大の水力発電所である三峡ダムがフル稼働に入ったというニュースが伝えられた。そして大量の雨が降ったがそれを全て受け止めて水害を食い止めた、と三峡ダムの存在意味を誇らしげに述べていた。三峡ダムについては環境に大きな影響を与えたこと、このダムのために百万人を超えた人が移住させられたことなど、批判的な見られ方もしていて前向きなアピールが控えられていた。それが水害のバッファになる、と云う面を主張することが出来てようやく面目を施したのだ。

 ところが、三峡ダムがフル稼働を開始して以来、ダムの下流の長江の水位がどんどん上昇しているのだ。そのため南京では市内のあちこちの川辺が水浸しになっている。水没した後園もあるという。もちろん台風が襲来していることも関係しているのだが、ダムの放流が数日後に下流に影響するという、日本では考えられない長いタイムスパンの影響が起こるのだ。

 今のところ大きな災害につながることはなさそうで、この水量により、長江の汚染物質は一気に海へ流されて少し浄化されたと云う面もあった。。その代わり沿海は再び大きく汚染が進んだことであろう。

 あの膨大な長江の水量をコントロールしようとするこの試みは人為を越える技のように思われる。ダムの底にこれから土砂がたまってくると人間の予想を超えた事態を引き起こしそうな予感がする。杞憂であれば良いが。

映画「メカニック」1972年アメリカ映画

 監督マイケル・ウィナー、出演・チャールズ・ブロンソン、マイケル・ヴィンセント。

 こちらを先に見れば良かった。昔見たときはテンポの良いかなりエキサイティングな映画だと思ったが、ステイサムの映画と比べるとやや見劣りがする。ただ主人公の精神性はこちらの方がはるかにリアルに描かれている。そして弟子入りするスティーヴ役はこちらのマイケル・ヴィンセントの方がはまり役で、平然と師匠を裏切る冷酷さに、いささかの軽薄さが覗いているところがうまく演じられている。

荒山徹著「シャクチ」(光文社)

 普通の本の三冊分以上の読み応えだった。読みにくいわけではない。中身が濃いから読み飛ばすわけにいかないのだ。行も詰まっているしページ数も多い。

 ボリュームのある本が好きな人には堪えられないだろう。

 物語は徐芾(じょふつ・徐福ともいう。秦の始皇帝の命で不老不死の薬を求めて東海へ船出したと云われている)がオオヤマトの原生林をさまようところから始まる。始皇帝の時代だから紀元前三世紀ごろだ。その危難を救ったのが筋骨たくましく、長身のサメマという若者であった。

 このサメマがアマテラスのお告げによりシャクチとなり、徐福と共に大陸へ渡って波瀾万丈の働きをする、と云う物語なのだ。

 物語は始皇帝暗殺を巡っての張良との関わり、項羽と劉邦との抗争との関わり、やがて漢の時代となり、匈奴の中に身を置くシャクチ、さらに遼河を越えて朝鮮建国に関わり、再び漢に戻り武帝と関わる。なんと約120年間に亘り歴史の重要な場面で嵐を巻き起こしては立ち去っていく。これほど荒唐無稽な話はなく、しかも怪物や妖術使い、最後にはよみがえった秦の始皇帝まで現れるのだからたまらなく楽しい。

 ふざけた話だ、としてこのような話を受け付けない人も多いだろうが、こんなのもありだ、として読んだらこんなに面白い小説はない。大力作で私は評価する。

 荒山徹の時代小説をいくつか読んだが、書き損なった五味康祐か山田風太郎みたいな感じで今ひとつだった。だがこの本はスケールが桁違いに大きく、出てくるキャラクターも際立っていてこんなに物語のうまい人だと思わなかった。お見それしました。私が中国好きで、しかも伝奇小説が大好きで点が甘いところがあるかも知れないが、この類いの本に興味のある人は読んで損はない。

 文中に中国、朝鮮、日本に対する著者の熱い思いがシャクチの言葉として繰り返し語られる。著者がそれらの国が大好きであること、そして現在の状況を憂えていることが痛いほど分かる。

基準

 昔まだ若いときに子供の教育相談みたいなことをされたことがある。親というのは子供に対してこうであって欲しい、と思うことがいろいろ多くて悩むものだ。その時にえらそうに答えたこと、
  何でもおいしく食べる
  友達がいる
この二つがあればとりあえず親として良しとしていい。

 何でもおいしく食べるというのは健康だと云うこと。
 友達がいると云うことは性格的に健全であること。
相談者はその二つについてだけは間違いない、とうれしそうにしていた。良かった。

 内田樹先生が若い女性(先生は神戸女子大の教授だから回りは若い女性だらけだった。今は定年で名誉教授だけれど)に結婚相手を選ぶときの要諦として三高などというものではなく、
  何でも美味しそうに食べる
  どこでもくーすか寝る
  人にものをあげることが好き
を基準に相手を見ることを勧めている。もちろん好きでなければならないからこれだけで良いわけではないが、いい男の原石はここにある、と云う。

 大いに賛成である。さらにこの原石を操縦して宝石にするのは賢い貴女である。そしてこの性格の男は操縦も楽なはずだと断じている。

 やさしさやお金の多寡を基準にしている女性は必ずしも幸せになれないと私も思う。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・長沙

 ことわざに湖南は六水三山一耕地と称して、耕地は割合少ないが、湖広熟天下足と称される肥沃の地である。その産物に富むことは想像通り、そして長沙はその省城のあるところで人口およそ五十万、その市街の幅はわずかに一、二間、極めて狭隘なため、坡子街(ひしがい)、南正街、太平街及び青石橋等のような繁華街は、あるものは駕籠を飛ばし、あるいは洋車を馳せ、背負うもの荷うもの、往来は織るが如く、まことに肩摩轂撃(けんまこくげき・肩と肩が触れあい、車のこしきがぶつかり合うほど賑やかで混雑している様)の状がある。粤(えつ)漢鉄道開通の暁を待たずとも洞庭を控え湘江を帯び、水運の便は申し分なく、長沙は実に湖南における貨物の一大集散地である。貿易上のみならず、昔から健児の多い湖南の地は慷慨気節の士もまた少なくない。かつ湖南紳士比地方官大と称せられ、北京朝廷に於いても湖南人は重きをなし、隠然と一勢力をなしている。もし将来中国の局面が展開する期があるならば、湖南人はその重要なる部分を占めることは疑いない。経済上から見ても、政治上から見ても、あるいは私のように中国民族研究上から見ても、湖南は決して忘れてはならない重要なところである。況んや湖南文明はほとんど我が国文明の由来するところかと思われるばかりに類似しており、湘山湘水を見ても郷土を見るようである。ただ、長沙の地は卑湿をよく言われるが、湿気の多い祖国になれた私たち日本人同胞には何らの妨げにもなるまい。具眼の士は出来れば大江に留まらずに直ちに長沙に往くべし。

*これで長沙の項は終わり。引き続き武漢に移ります。
ところで著者の宇野哲人は湖南人が将来の中国で重大な役割をすると予言していますが、まことに慧眼であります。湖南の人と云えば毛沢東がまさしく湖南人です。この文章が書かれた明治四十年は1907年。毛沢東は1893年生まれですからその時14才でした。

ブログを読む

 内田樹先生のブログ「内田樹の研究室」のアーカイブから、2003年12月分と2004年1月分を読む。結構分量があるし、意味が分かりにくいところは二回も三回も読み直すので時間がかかる。気が付いたら四時間くらい経っていた。これでは明日の朝がつらいぞ。でも面白い。特に印象に残ったところは抜き出してメモしている。

 あまり連続して読むと惰性の読み方になって意味がすり抜けてしまうからそろそろやめて寝よう。また何日かしたら2004年の2月から続きを読もう。

 メモした言葉はとっておいて熟成したら自分の言葉に代えてブログに書いてみようか。

2012年8月 2日 (木)

映画「メカニック」2011年アメリカ映画

 1972年、チャールズ・ブロンソン主演の同名映画のリメイクである。チャールズ・ブロンソンが大好きだったので彼が主演した映画はほとんど劇場で見た。この1972年の映画ももちろん見た。

 2011年版はジェイソン・ステイサムが主演だ。彼も「トランスポーター」シリーズ以来気に入っている。何よりもあの声がすばらしい。

 物語はリメイクだからもちろん同じなのだけれど殺しの方法やターゲットはずいぶん異なるようだ。彼が扮するメカニックと呼ばれる凄腕の暗殺者は単独での仕事は完璧で計算され尽くしていて痛快だ。それなのに自分が殺した男・ハリー(ドナルド・サザーランド・友人であり、自分の師匠でもある)の息子・スティーヴ(ベン・フォスター)を暗殺者に育て上げてパートナーにしてからの仕事は不手際が多い。

 ハリーへの精神的な負い目からの行動であり、スティーヴに若き日の自分を見ているのであろうが、この映画の中ではその辺の気持ちが分かりにくい。前作の方がそれが前面に出ていて分かりやすかった。

 物語のラストがこうなることは最初から決まっているようなものだが、ステイサムにはそれに対する苦い気持ちが見えないのがややもの足らない。だけど映画としては私はよくできていると思う。前作もBDに録画しているので明日にでも比較のために久しぶりに見てみよう。

中国ウオッチ・推薦状

 国際教育協会によると、2011年の在米中国人留学生の数は前年比23%増の15万7558人で、留学生全体の21.8%を占めており、二位のインドを大きく引き離している。そのうちの多くが私費の留学生だ。アメリカの私立高校を卒業するには北京市民の平均年収の二倍に当たる20万ドルが必要だという。

 ところがこれらの留学生が留学前に提出する申請書類の多くに「虚偽」が含まれていることが明らかになってきたという。

 イギリスで名門校に中国の落ちこぼれ学生が何人も不正に送り込まれていたことが明らかにされた。また、ニュージーランドでも中国人留学生1800人のビザを徹底調査したところ279人に不正が見つかったこともすでに報道されている。

 アメリカ留学を控える中国人学生250人を抜き取り調査したしたところ90%が推薦状をねつ造していたことが判明。また70%が他人の論文をつぎはぎしたものを提出していた。さらに50%が成績を改竄していたという。

 信じがたい話だが、こうなると書類のねつ造や虚偽の申請というのは中国人にとっては不正ではなくて文化なのかと思ってしまう。文化ならいつも当たり前にしていることで、なぜとがめられるのか理解できないかも知れない・・・そんなことないか。

 少なくとも彼らにすれば自分を良く見せるための方法の一つなのだろう。ユニークすぎるけど。 

道着スタイル

 オリンピックで柔道を見ていての私の妄言である。あくまで妄言なので御寛容いただきたい。

 ポイント制で背中をつけないとポイントにならないという。それならレスリングとどう違うのだ。いっそのことレスリングに統合したらどうだ。レスリングのフリースタイル、グレコローマンスタイル、そして道着スタイル。

 あんな力任せの闘いがどうして柔道と呼べるのだろうか。もう柔道は世界中に普及したのだからオリンピックの種目からなくなっても特に問題ないだろう。その方が日本の柔道選手も楽になるのではないか。今のように金メダルのプレッシャーに押しつぶされそうになって柔道とは名ばかりの競技で力比べをさせられているのを見るのはかわいそうだ。

 そして日本の柔道界は柔道の原点に帰って一人孤高を保っても良いのではないか。その方が東洋の神秘を維持できて奥ゆかしい。

 金メダルがなかなか取れないことへの負け惜しみではない。
 あくまで私の妄言です。

無気力試合

 オリンピックのバトミントンの試合で無気力試合を行った、として中国一組、韓国二組、インドネシア一組の計八人が失格となった。

 どうして負けることが得になるのかいまいち分からないのだが、映像で見るとあまりにも競技のやり方の露骨さに唖然とした。これでは見ていた観客が怒りを覚えるだろう。

 ところで不思議に思うのは、一流の選手ならいかにも一生懸命やっているように見えて、でも負けてしまった、と云う体裁にすることなど簡単にできるはずなのにあんな見え見えのお粗末を演じたことである。

 韓国の監督が、「仕掛けたのは中国の選手で、我々はそれに応じただけだ」と訴えていたそうである。何も相手が仕掛けてきたからといってあわせる必要などない。あわせなければ失格にならなかったのではないだろうか。 私にはどうしてもよく分からない。

中国ウオッチ・代書屋

 中国ではインターネット上に「夏休みの宿題を代わりにやります」という広告が多数掲載されているそうだ。

 もちろん商売としてやるので、ただのはずがない。と云うことは料金を子供が支払うとも思えないから親が支払うわけで、親が公認と云うことか。

 中国は日本と違って宿題の量がとても多い(日本が少なすぎるのかも知れない)。子供がやり残してたまった宿題を仕方なく親が手伝うことが多いのかも知れない。親も忙しくて負担に思えばこのような助っ人に金を出しても良いと云うことだろう。

 だけど誰でも思うことだけれど子供がやらない宿題にどんな意味があるのだろう。

大丈夫か?

 国連の潘基文事務総長は2015年までに世界の貧困を半減を目指す「ミレニアム開発目標」の開発のあり方についての諮問委員会のメンバーを任命した。世界の指導者など26人が選ばれたが、その中にはユドヨノ・インドネシア大統領、昨年ノーベル賞を受賞したサーリーフ・リベリア大統領、キャメロン・イギリス首相と共に菅直人首相(全て元がつくが)選ばれた。

 他の人はいざ知らず、菅直人氏など選んで大丈夫か。この人は首相になっても批判するだけで建設的なことを云うことがほとんど出来ない人だったように見えた。市民運動家として、何でも「政府が悪い、大企業が悪い、社会が悪い、」と云う思考方法から抜け出ることが出来なかった人だ。

 だけど海外のえらい人に逢うと卑屈に下を向いてほとんど口を利けなかった人でもあるから、この諮問委員会でもほとんど口をきかずにうつむいているだけであまり害にならないとは思うけれど。

 自分の国の元首相がこのような名誉な役職に就いたのに心配しなくてはならないというのも情けない。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・賈太傅廟

 廟は長沙府大西門外、濯錦坊にあり、つまり賈誼(かぎ)の故宅である。今廟中に商務総局を置いている。門には題して寓廬最古、流沢孔長と云う。中に治安堂があり、宣室遺賢と題している。廟中には賈太傅の像と神位を安置している。後園に小さな池がある。その池に小さな井戸が有り、これがいわゆる賈傅井(かふせい)で、賈誼の飲んだ井戸である。思うに漢の文帝の時に大臣と云うべきは賈誼ただ一人であった。治安索などというものは三代以下誰が良くこの言をなすことが出来たであろうか。若くして朝廷に入り、大いにその才を発揮しようとしてたちまち讒言を受け、ついに長沙に困苦し、梁で晩年を迎えた。まことに惜しむべきである。李東陽がかつて曰く、
  司馬遷作史記、 徒以弔湘江之賦、
  遂与屈原同伝、 則亦甚矣、

と云ったのは当たっている。賈誼の生命は治安策に有り、そうして(それなのに)太史公(司馬遷)はこれを記録しなかった。班固(漢書の著者)が初めてこれを載せた。班固は賈誼の知己と云うべきである。

*賈誼・前漢時代の政治家。文章に優れ、文中にあるように文帝の時に河南で博士になる。文帝に重用され、儒教と五行説にもとづく制度の実施を建議したが、中傷により長沙の太傅に左遷された。のち梁・懐王の太傅となった。この時代は高祖(劉邦)の死後、呂皇后が専横を振るっていた時代であった。呂皇后の死後、呂一族は誅滅された。
**班固・後漢時代の歴史家。20年をかけて漢書を著す。賈誼と班固は生きていた時代が200年くらい違う。

2012年8月 1日 (水)

何となく酩酊

 夕方から久しぶりにウイスキーを飲んでいる。チェイサーに冷たいビール。ウイスキーは本来苦手なのだが何となく飲みたくなって購入。

 飲みたいときがうまいとき。つまみにホタテのマリネとフィッシュチップ。それに葉生姜と鯛の兜のアラ煮。取り合わせが変なのだが好きなものの組み合わせ。それぞれを味わいながら調子に乗ってぐいぐい飲む。久しぶりのウイスキーは結構いける。もちろんロック。下手をすると飲み過ぎる、と今一息入れているところ。

 と云うわけでただいまブログを書くには集中力を喪失した状態であります。

中国ウオッチ・中国漁師の苦境

 中国の経済誌が「中国漁民の苦境」と題してレポートを掲載した。

 広西チワン族自治区から浙江省の沿岸一帯は、南シナ海は五月半ばから二ヶ月半、東シナ海は六月から三ヶ月間の休漁期間となっている。しかし休漁期間より前から多くの船が出漁していないという。燃料費が高騰し、さらに人件費も高騰しているのに水揚げは減少して出漁しても採算が合わないからだという。

 その上休漁期間にこっそり漁に出かけて成魚になる前の魚を根こそぎ獲るものも跡を絶たないので漁業資源は減少するばかりだという。

 近海が駄目だからと遠洋に出ても、韓国など隣国は違法操業の摘発を強化しているので漁をすることが出来ない。中国の漁師の多くは転職の淵に立たされて苦境にある、と記事は伝えている。

 このレポートは事実を伝えている。だがこんなレポートにどんな意味があるのだろう。中国漁業がなぜこうなってしまったのか、問題点を明らかにして、これからどうしたらよいのか提言しなければただの漁民の泣き言の伝達で、読んだ人は「ああそうですか」で終わってしまう。

 それとも中国ではそこまで踏み込んだ記事を書くことは越権で、当局の逆鱗に触れることになるので書けないのか。
 
 

 中国の海は遠浅で、河川からの水も数多く流れ出していて本来なら再生能力の極めて高い海だろう。それをここまでにしたのは日本や韓国ではない、他ならぬ苦境に立っているという漁師自身であろう。失敗に学び、時間はかかるだろうが再生への手立てを講じるしか道はないではないか。

 それとも困っているのだから違法な漁を認めてあげるべきだとでも云うのか。それでは枯渇した漁場が増えるだけだろう。世界の漁業者が出来ていることがなぜ中国に出来ないのか、甘えてはいけない。

中国ウオッチ・造船不況

 香港の英字紙が中国の造船業界の不況を伝えていた。

 英国の海運、造船市況の分析のデータによると、今年1~6月に受注した船隻数は182隻、昨年の同期は561隻、最盛期だった2007年の2036隻などと比べると大幅に落ち込んでいる。仕事を埋めるために修理や解体でつないでいる状態だという。

 経済は流通である、と喝破したのは宮崎市定だった(アジア史概説のテーマがそれだった)。経済が停滞すれば流通が停滞する。流通が減れば運搬手段である船舶の需要も減るのは道理である。

 その上中国の造船会社は最盛期に乱立して設備過剰、生産能力過剰が著しい。経済の停滞がなくてもかなりの造船会社は撤退する必然性があった。これで淘汰が進み、強力な会社だけが残るだろう。特に中国の場合は国策としての造船需要が一定の数確保されるので日本や韓国よりは有利なところがある。造船のように需要が大きく変動する産業は資本力がものを言うようだ。

中国ウオッチ・労働コスト

 フランスの投資会社の発表では、中国の労働コストは4年以内にアメリカに、5年以内にユーロ圏に追いつき、7年以内に日本と同レベルになるだろうと云う(日本が世界で一番労働コストが高いことに今更ながら驚くが、これは重要な事実だ)。ボストン・コンサルティングも2015年には中国の製造コストはアメリカの一部地域と同じレベルになると予想している。

 すでにそれを見越して中国から生産拠点を移動させている企業が続いている。例えばアディダスは江蘇省の直営工場を10月に閉鎖し、東南アジア(ミャンマーとみられる)に移転する。

 また台湾の新聞でも中国の広州地区に進出した企業が労働コストの上昇と欧州からの受注減で採算が合わずに立ち行かなくなっており、このままでは半数が5年以内に倒産すると伝えている。もちろん東南アジアやインドへの移転もすでに始まっている。

 さらに北京でもオフィスビルの賃料の値上がりが原因で企業の撤退が始まっているという。北京では昨年末からのわずかの間に50%も賃料が値上がりしている。インテル、Amazon、HP、日産、レノボ、百度などの大手企業まであいついて市の中心部から郊外へ移転した。

 中国は豊富で安価な労働力を背景に労働集約型産業を世界中から招来して世界の工場と呼ばれるようになった。だがここ数年、賃金上昇は毎年二桁ずつアップしている上に、その労働者も集まらなくなってきた。

 中国の経済が曲がり角に来ていることはこのようなことからわかる。中国はすでに労働集約型産業だけではやっていけなくなってきた。それなら知識集約型の産業への転換を進めなければならないが、十分育つに到っていないとも云われる。

 今までは外国の企業を誘致し、合弁企業としてそのノウハウを学んできた(半ば収奪してきた)が、外国企業も中国とは何かを学んだ。今までのようなわけにはいかないだろう。

 それに知識集約型の産業は多くの労働力を必要としない。だから中国は大学卒業者の失業率が高いのだ。今後世界はこの優秀な中国の大学生を活用しようという動きもある。

 ところで日本は世界一高い労働コストの国だとすれば、どうすれば良いのか。どうすれば良いのかは分からないがどうなるかはすぐ分かる。日本の賃金はまだ下がるだろうと云うことだ。

亀山さん、コメントをありがとう

 高崎宗司著「反日感情」を取り上げた拙文にコメントを寄せていただきありがとうございます。確かに国策で反日教育をすると云うことはその国の国民にとって不幸なことだと思います。中国や韓国では若い人ほど反日感情が強いというのは本当はおかしなことです。日本が先の戦争以前に韓国や中国に行ったことが全て正しいとか間違っていたとか言い切るのはあまりにも歴史を見る見方としては単純な思考だと思いますが、それでも彼らにとって不快なことであったことだけは間違いのないことで、当時の日本占領下にあった人たちこそが反日を云う資格のある人だと思うのですが、どうもその人達よりも反日教育を受けた若い世代の方がずっと反日感情が高い、と云うのが問題だと思います。

 国家をまとめ、発揚するために外部に敵を策定するという手法は使い古されていますが今でも有効なようです。ただ亀山さんも賛同いただいたように、日本人で有りながら過剰な罪悪感から、その意図的な反日に迎合するような言説は如何なものかと思います。彼らは日本を非難するときは自分は含まれていないと考えているように見えます。ましてその罪悪感が功利的(商売としての日本非難)なものであるならなおさらです。

 健康な人間はそのような歴史認識の善悪にとらわれることなど通常はありません。世界はそういう(ある意味鈍感な)健康に満ちているもので、日本の若者には日教組の軛から脱してそのような健康を取り戻して貰いたいものだと思います。

映画「ラスト・ターゲット」2010年アメリカ映画

 監督アントン・コービン、出演ジョージ・クルーニー、ヴィオランテ・プラシド、テクラ・ロイテン、パオロ・ボナッチェリ。

 スタイリッシュな映画。まるでフランス映画のようだ。アメリカの監督でもこんな映画が作れるとは見直した。ジョージ・クルーニー扮する暗殺者が淡々と仕事をこなし、自分を襲う敵を倒していく。そして指示のもとにイタリアの片田舎に逼塞する。次の任務はなんと狙撃銃の改造依頼だった。そこでは人とは関わるな、との指示だが、人間は生きていれば人と関係が出来る。

 心など失っていたと思った自分の心が人との関わりの中で動き出す。

 初めて心を許せる女と出会った彼が選んだ生き方とは何か、そしてその結末は・・・と云う映画だ。

 この映画、好きである。台詞も少ない。○。

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・曾文正公祠

 長沙府城の北、小呉門街にあり、明治十三年の創建である。廟に入れば俎豆馨香の四字を刻す。廟庭は普段は鎖されて開くことはないが、この日はたまたま修理中と言うことで、入って見ることができた。王文韶が作った廟記はその庭にあり、詳しくその功業を記してある。思うに公の功業文章は誰もが認めるものであり、これを清朝第一流の人物と言っても言いすぎではない。王文韶が
  三大以還、乃有斯人、
  伊呂諸葛、庶幾等倫、
と云ったのは決してオーバーではないと思う。廟の後ろの園中には亭榭廻廊があって、池に臨み、柳の木が青々と水に映っている。その壁間に往々落書があって湖南の人士の思想を窺うことが出来る。曰く
  可恨曾国藩、為満人牛馬、
  而残害同胞、以兄弟之膏脂、
  易一人之富貴、
と、これは湖南の健児の悲憤の声ではないか。彼らは思えば洪秀全が南京を拠点として帝を称したとき、あの湘軍が彼を倒すことなく彼に与したら、天下のことは今のようでなかったかも知れない。千載一遇の好期を逸してあの曾国藩が満朝(清朝)を助けたのは実に恨むべきであると。また曰く
  大地旂旗雍々 同胞不必震驚
  今也天心有授 体天伐罪弔民

  特為祖宗雪恥 願期同徳同心
  恢復江山帰漢 共保黄帝子孫

これは(明治)三十九年十一月瀏陽、零陵に勃興した革命軍の檄文である。その立言などは堂々としているではないか。兵数約三万、そのうち三千は殺され、一敗地に塗れてついに雲散霧消したが、この思想は湖南健児の中に鬱勃として摩滅ないものがあって、ついに今回の革命騒乱になった。知る人は知るであろう。この檄文は簡単であるが、先に武昌革命(辛亥革命の発端になった事件、武昌起義ともいう、これにより清朝は瓦解することとなる)軍が布達した檄文と内容はまったく同じであることを。

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ