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2012年8月24日 (金)

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・焦山

 賀氏の案内で大東嗎頭(だいとうマートウ)で民船を雇い、満帆風をはらんで江を下り、あっという間に焦山に着いた。焦山は江中の一孤島で、漢の焦先字は孝然の隠居したところであったと云うことでこの名になった。孝然は山中に草葺きの小屋を建ててこれを号して蝸牛廬と名付け、その中で文章を推敲していた。後に野火にこの蝸牛廬が焼けて雨雪に晒されるようになったが平然としていた。百余歳で死んだ。皇甫謐(こうほひつ)がこれをたたえて羲皇(ぎこう・伏羲の別名、伝説の帝王)以来の人物という。蔡邕(さいよう)もまた賛する言葉を残している。
 山下に定慧寺(じょうえじ)がある。人勝坊(じんしょうぼう)を過ぎ、四天王門を入れば大雄宝殿があり、その後ろに蔵経楼があり、左に御書楼及び方丈がある。方丈の中には古い銅器がいくつかあり、また唐の大中四年、元存たちが造った陀羅尼経幢(だらにきょうとう)がある。これは端午帥(たんごすい)が長安で手に入れたものをこの寺に寄贈したものである。別に経幢の半分に折れたものが一基ある。方丈の前には有名な瘞鶴銘(えいかくめい)を、壁間に挿入してある。伝えられているところでは晋の王右軍(王羲之のこと)の書であるとされているが、宋の黄睿(こうえい)の「東観余論」には陶隠居(陶淵明のことであろう)の書であると記されている。
 寺の左にかたちばかりの小屋がある。題して 漢三詔焦隠士処 と云う。また、数町行くと、江上に臨んで山骨が露出したところに諸家の題名(名前を書き付けたもの)がたくさん見える。中に陸務観(りくむかん・南宋の詩人の陸游)、米芾(べいふつ・北宋の書家で画家)らの題名がある。頂上には砲台を築いて砲が二門据えられている。対岸の象山砲台と共に長江険要の一つである。その北に吸江楼がある。その地には以前塔があったけれども、明の洪武年間に焼けて、その後再建されることがなかったと云うことだ。大江の水が滔々汨々(とうとうこつこつ・汨々は絶え間なく流れること)として天井より来たり、焦山に向かって奔放している。楼上に登ってこの情景に対すれば、まことに吸江と云う名前の通りだと思った。

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