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2012年8月 2日 (木)

「清末見聞録(清国文明記より)」・長沙紀行・賈太傅廟

 廟は長沙府大西門外、濯錦坊にあり、つまり賈誼(かぎ)の故宅である。今廟中に商務総局を置いている。門には題して寓廬最古、流沢孔長と云う。中に治安堂があり、宣室遺賢と題している。廟中には賈太傅の像と神位を安置している。後園に小さな池がある。その池に小さな井戸が有り、これがいわゆる賈傅井(かふせい)で、賈誼の飲んだ井戸である。思うに漢の文帝の時に大臣と云うべきは賈誼ただ一人であった。治安索などというものは三代以下誰が良くこの言をなすことが出来たであろうか。若くして朝廷に入り、大いにその才を発揮しようとしてたちまち讒言を受け、ついに長沙に困苦し、梁で晩年を迎えた。まことに惜しむべきである。李東陽がかつて曰く、
  司馬遷作史記、 徒以弔湘江之賦、
  遂与屈原同伝、 則亦甚矣、

と云ったのは当たっている。賈誼の生命は治安策に有り、そうして(それなのに)太史公(司馬遷)はこれを記録しなかった。班固(漢書の著者)が初めてこれを載せた。班固は賈誼の知己と云うべきである。

*賈誼・前漢時代の政治家。文章に優れ、文中にあるように文帝の時に河南で博士になる。文帝に重用され、儒教と五行説にもとづく制度の実施を建議したが、中傷により長沙の太傅に左遷された。のち梁・懐王の太傅となった。この時代は高祖(劉邦)の死後、呂皇后が専横を振るっていた時代であった。呂皇后の死後、呂一族は誅滅された。
**班固・後漢時代の歴史家。20年をかけて漢書を著す。賈誼と班固は生きていた時代が200年くらい違う。

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