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2012年8月27日 (月)

陳琳

 陳琳について後漢時代の詩人とした。持っていた人名辞典を参照したからだが、よく知る人には噴飯物だったろう。陳琳は確かに詩も残しているが、名を残したのは詩によるものではない。だから孔融と並べられていたのだ。

 たまたま井波律子著「中国的レトリックの伝統」(講談社学術文庫)を旅に持参して拾い読みを始めたら、冒頭に「悪態の美学-陳琳について」という文章があった。こういうことはときどきある。気にしていたまさにそのことについて捜していないのに向こうから飛び込んでくるのだ。

 陳琳(?-217)、あざな孔璋は、曹操の傘下にあった建安文学のにない手、「建安七子」の一人である。「建安七子」とは、孔融、陳琳、王粲(おうさん)、徐幹、阮瑀(げんう)、応瑒(おうとう)、劉楨の七人をいう。後漢末の乱世に生きたこれら七人の文士たちは、それぞれ一筋縄ではいかない強烈な個性の持ち主たちであった。中でも陳琳は良きにつけ悪しきにつけ、その処世に於いて、乱世文人の典型とも云うべき興味深い存在である。(本文から引用)


 

 陳琳は生涯に三度仕える対象を変えている。最初は後漢の大将軍何進である。三国志に詳しい人なら知っているように何進は異母妹が後漢の霊帝の皇后であったことから将軍になった男で、霊帝が死んだとき、その皇后の産んだ子を少帝として立て、袁紹と共に宮中の宦官の勢力の一掃を図る。この際に陳琳は大反対をするのだが、それを何進は押し切って董卓を呼び寄せた。宦官謀殺の情報は漏れ、何進は宦官に先手を打たれて殺されてしまう。その後袁紹は宦官を掃討するものの、乗り込んできた董卓に実権を奪われてしまう。その董卓が行った残虐非道な行いの数々は中国の歴史の中でも特に悪辣なものであった。

 最初の主人の何進があっさり殺されてしまい、陳琳は袁紹のもとに身を寄せる。袁紹は実権を董卓に奪われた後、諸侯同盟を主催して董卓討伐のために挙兵、陳琳は袁紹のもとで文章の才を発揮し、檄文を作ったり、使者として働いた。

 袁紹と曹操は若い頃はかなり親交があったようで、二人で行った度を超した悪ふざけのエピソードがいくつか残っている。しかしその袁紹と曹操も勢力争いで戦うようになる。董卓が呂布に殺害されて、天下はこの二人のどちらかが握る情勢になった。最後の雌雄を決する闘いが「官渡の闘い」である。このとき豫州の劉備に向けて陳琳が檄文(味方をたたえ、敵をアジテーションし、プロパガンダする文章)を書いた。袁紹の立場に立って書かれた曹操を攻撃するこの檄文の「袁紹のために豫州に檄す」は、「徹底した悪意の文字」(吉川幸次郎)をつらね、絢爛たるレトリックを駆使して、曹操を誹謗し罵倒しつくしている。まさに罵倒の芸術、悪態の美学と入ったものが見いだされる。(井波律子)

 ご存知のように曹操は宦官・曹謄の孫である。もちろん宦官だから子供は出来ない。養子としたのが曹嵩でその子が曹操である。曹謄は貪婪で、不正な金を貯め込んだ。曹嵩はその金を賄賂に使って高位高官を買い取ったと云われる。

 檄文はこの曹操の出自について徹底的に暴き立てて攻撃している。その文章を紹介すると長くなるので井波律子の本を読んで欲しい。但し、ここが肝心なのだが、陳琳は正義の志をもってこの檄文を書いているのでは決してない。たまたま袁紹の側に立っているから曹操を攻撃する檄文を書いた。この個性を井波律子が花田清輝の文章などを引用しながら詳しく解析している。とても面白い。

 結局官渡の闘いは曹操の勝利に終わり、曹操軍は袁紹の軍を取り囲む状勢となる。このとき袁紹が降伏のために送り込んだ使者がなんと陳琳である。悪口の限りを尽くした文章を書いた相手の曹操への使者に平然と立つのが陳琳という男である。

 曹操は陳琳を殺さず、陳琳はとらわれの身となる。「檄文を作るなら私個人を誹謗すればいいのになんで先祖まで引き合いに出すのだ」と曹操は陳琳を責める。陳琳は謝った上で「矢の弦上にあれば発せざるを得ず」と答えた。その答えに苦笑いしてなんと曹操は陳琳を許すのだ。
 陳琳の三人目の主人は曹操である。そして陳琳は新しい主君のために曹操を褒め称え、敵をこき下ろす檄文をせっせと書くのである。その名調子は時にあの有名な曹操の頭痛をなおしたという。

 史上稀に見る悪態の名手であった陳琳は、しかし殺されたりせず、伝染病で他の建安七子と同じ頃死んだ。権謀術数の中を自力で生ききったのである。

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