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2012年8月25日 (土)

「清末見聞録(清国文明記より)」・鎮江・北固山

 帰路は水の流れが急な上に風も逆向きなので、江畔に沿って綱を引かせて三時間あまりを費やしてついに北固山(ほっこざん)下に到る。そこで舟を捨てて歩く。唐の王湾が、

  潮平両岸闊、風正一帆懸、

  海日生残夜、江春入旧年

と詠じたのはこの山下である。山上には甘露寺がある。劉備が呉国と義を結んで孫夫人を娶ったところである。のちひそかに寺を脱した道を古武馬澗(こぶばかん)といい、寺の北にある。北固山は焦山、金山と鼎峙(ていじ・三つのものが鼎の足のように対立している様子)して、共に鎮江の名勝地である。それぞれの山からの眺めはどれもすばらしく、優劣つけがたい。延陵の呉琚(ごきょ)はこの山に題して天下第一江山と称したけれども、金山、焦山ともまたそれに見劣りするものではないと思う。楼に上れば、東は江中に焦山を望み、南は京口城を俯瞰し、西は鎮江の全景を眼に収めて、遠く金山寺の塔を見る。北は大江を隔ててはるかに中原を指している。劉備はこの地にあって、雄志はほとんど消え、楽しんでしまって帰ることを忘れてしまった、と云うのも分からないではない。域内に彭玉麟祠(ほうぎょくりんし)及び御碑文がある。また咸豊年間再建された双麟冢(そうりんちょう)があるけれどもその由来を知る者は居ない。寺僧に尋ねて劉備・孫権の試剣石(しけんせき)を見る。
 試剣石は北固山の南麓、今の操場(現代は体操場・グラウンドのことだがこの場合はどうか不明)の東北隅、小池の中にあり、水成岩の三つの大塊でいずれもほとんど刀を以て両断したような割れ目がありありと見える。だからこそ劉備、孫権が切ったなどという伝説が生じたのであろう。その傍らに北固山には尚試剣石が多く露出していて、今にも崩れ落ちそうになっているところがある。風雨が長年懸けてこの岩を崩落させれば定めし第二の試剣石を生ずることであろう。再び剣を試してみるものがあるかどうかは知らない。

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