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2012年12月

2012年12月31日 (月)

佐伯泰英「散華ノ刻」(双葉文庫)

 居眠り磐音 江戸双紙の最新刊、第41巻である。1月には続けて第42巻も出るという。恐るべき執筆スピードである。「天明の関前騒動」三部作と銘打って、前作の「春霞ノ刻」、この「散華ノ刻」、次いで出る「木槿ノ賦」は一つの連続した物語になっている。

 作者の後書きを読むと、予定では50巻で巻を閉じるようだ。そう言えばこの巻でも佐野善左衛門の姿がちらりと見え隠れしている。後に殿中で田沼意次の息子、田沼意知を殺害した人物である。それを記に田沼意次の権勢も一気に凋落する。関前藩の難題が解決し、最大の敵、田沼意次が失脚するところで物語を終えるつもりなのであろうか。

 前作で藩主の密命を受けて江戸にやってきた関前藩の国家老、坂崎正睦(磐音の実父)は、関前藩を私しようとしていた江戸家老の鑓兼参右衛門に拐かされるが磐音の活躍で救出された。その正睦には磐音にはまだ明かしていない密謀があるらしく潮時を謀っている気配である。
 
 的の首魁、江戸家老の鑓兼参右衛門にたらし込まれてしまった藩主の正室・お代の方を後ろ盾に参右衛門たちが江戸藩邸を牛耳る中、ある知らせを受けるとついに正睦は磐音たちを引き連れて敵陣に正面から乗り込む。もちろん結果は正義が勝つのだが国家老と江戸家老の応酬の正睦の弁舌が痛快である。昼行灯と呼ばれる男はいざというとき底力を発揮する(と期待されるが、その機会のないこと、またはそもそも無能だったりすることが多い)。さすがに物語だ。

 次の巻ではついに藩主が参勤交代で江戸に出府してくる。最後の大掃除が始まるのであろう。実は的の首魁の江戸家老・鑓兼参右衛門の背後では田沼意次が糸を引いていた。田沼の反撃がどのような形で磐音に災厄を及ぼすのか。それに磐音はどう対抗するか。次回をお楽しみに、と云うところだ。

 ところで今年もいよいよ終わり。拙い文章を読んで戴いて本当にありがとうございます。来年も精々駄文を書き連ねて御目を汚しますが、引き続き読んで戴けるよう心からお願い申し上げます。

椎名誠「ロシアにおけるニタリノフの便座について」(新潮文庫)

 全七編の短文集。「ロシアにおけるニタリノフの便座について」。ロシアの便所の想像を絶する汚さをこれでもか、と云う怪文で綴っている。徹底的にその様子を描き尽くすことで読者は眼前にそれをリアルに見、場合によって臭気すら嗅ぐことであろう。

 「万年筆いのち」。失恋の思い出に直結するある万年筆に始まり、こだわり続けた万年筆との数々の物語が語られる。物書きとして万年筆はとても大事なもので、よかれと思って選び抜いて購入した万年筆にも裏切られ、未だに意中の万年筆に出会えない悲しみが綴られる。あまりに悪筆なため、今はパソコンからのキーボード入力になっているが、この文章が書かれた時にはまだ万年筆にこだわっていたようだ。万年筆は椎名誠の物や人へのこだわりを象徴するものでもある。

 「初めての川下り」。カヌーイストの野田知佑氏からカヌーを貰い、二人で椎名誠の故郷の花見川を上流から海まで下る。田園風景の中からやがて人家の中へ進むとたちまち川はその排泄物のたまり場と化してほとんど死にかけている様相を呈する。それを哀しみと共に見つめる。

 「自動車たいへん記」。四十になって一念発起して運転免許を獲得すべく自動社学校へ通う。そこで出会った異常な教員たち。怒りはほとんど沸騰点に達するのだが、免許取得のために彼は堪え忍ぶ。けんかっ早い彼には考えられないほどの忍耐だ。やがて彼等の社会とは乖離した異常さの原因に思い至り、悟りの境地に至る。(至らないか)

 「ストロングな波」。子どもの時から大きな波を見ることに憧れ続けた彼は、ついに八丈島で想像を絶する波の話に遭遇する。堤防で夢中になって波の撮影をしていた彼をオバケ波が襲う。

 「梅雨のかたまりをとびこえる話」。仕事で飛び回り、広島で梅雨入りの知らせを聞いた彼は沖縄へ向かう。糸満の人たちを取材し、さらに南端の島、座間味に向かう。その時沖縄地方の梅雨明けの知らせを聞く。
梅雨のかたまりを飛び越えたのだ。

 「まつりはいいなあ」。日本のあまり知られていない地元だけの祭りを訪ねて歩いたものである。観客がほとんどいない祭りもある。しかしそこには祭りの主役は祭りを行う人たちであって、観光客を喜ばせるものではないのだ、と云う祭りの原点がある。祭りは参加している者のものであり、見物人はあくまでよそ者なのだ。

 怒りを過剰な形容詞に託して読むものを楽しませてくれる。怒っている人は端から見たら可笑しいものだということを椎名誠は承知しているのだ。

2012年12月30日 (日)

論争の歓び

 論争は自ら依って立つ論拠の構築物の見せ合いである。だから勝ったとか負けたとか云う事とは無縁の筈である。自分の依って立つものを説明し、誇示し、それをもって自分自身を明らかにする。同時に相手の論理的構築物を吟味し、自ら足らなければ補うものである。そのことに何の敗北感も生じない。

 アメリカ式のディベートを時々テレビなどで見聞きする。このディベートは勝ち負けを問題にする。ディベートは時に折伏である。宗教的に相手を征服することに似ている。ここには互いに高め合うという発想が見られない。

 酔った勢いもあって一方的な自論の展開を行ったら、息子から突っ込みがあった。事実と推論は区別して話すべし、という。

 その通り。しかし自然科学ではないものには事実の積み重ねでの論などそもそもあり得ない。もちろん突っこまれた通り私は推論を断定的に語っている。

 だが事実の背景の検証にこだわるな!現実世界の向こう側に何があるのか、全知性を傾けて世界を空想して認識せよ、と私は云いたい。

 こうして論争(といえるほどのことでもないが)をすることで私は彼に私を明らかにし、私を伝える。そして彼のメーセージを記憶に留めることで彼を受け入れる。これが歓びでなくて何であろうか。

シンガポールの見識

 シンガポールで「釣魚島」という店名のレストランが出現した。これに対して市民から「日中問題」をシンガポールに持ち込もうとしている、とクレームがつけられ、現地警察が調査に乗り出したという。

 この店は2ヶ月ほど前に華僑の夫婦が開店したもので、店内には尖閣諸島は中国領であると主張するための資料が数多く掲示されているのだそうだ。

 シンガポールの法律では、公開される広告は論争の存在する社会問題に対して両者を煽ったり、偏った指示をすること、また論争のある国家間の話題や政策を宣伝することを禁止しているのだという。

 明らかにこの法律に違反するとしての告発らしい。

 このことを取り上げた中国のメディアは、日本人観光客の反発を恐れたシンガポール市民達が訴えたのだと説明している。

 シンガポールはリー・クアンユー首相が「日本を見習い日本に続け」、と号令をかけて、日本の戦後復興をモデルとして、そして日本人の美徳を学ぼうという方針で国を作り上げてきたと云う歴史がある。

 今では日本がシンガポールの美徳を見習わなければならないくらい礼儀多々しく、謙譲の精神を持つ国である。同時にシンガポールの70%以上が中国系だ。だが彼等は同じ中国系とは思えないほどシンガポール人でもある。ここで中国の影響を放置することは、今まで積み上げたシンガポールの美徳を失わせ、中国の拝金主義、覇権主義を蔓延らせることになる。

 市民がこのような政治的プロパガンダに不快感を持つというシンガポールの見識に敬意を表する。そして韓国と中国以外の多くの国が多分同様の受け取り方をしているはずだと思いたい。そして韓国や中国でもある程度の見識のある人は同様に感じていると信じたい。

2012年12月29日 (土)

極度のストレス

 中国の胡錦濤国家主席が、地方視察を終えて北京に帰った直後に風呂場で意識を失って倒れ、緊急入院していたことが明らかになった。二日後には退院したので深刻な状態ではなかったようだが、もともと彼は糖尿病、心臓病や顔面神経痛の持病があると云う。

 11月の党大会以後、胡錦濤は江沢民や習近平との権力闘争に疲れ果てたのか、精神的にも肉体的にも衰弱が激しく、自宅で静養していたのだが、無理をおして地方視察に出かけた結果のことのようだ。

 これにより、国家主席引退後の発言力は一層低下するとみられている。

 胡錦濤をここまで追い詰めたのは、彼の必死の中止の懇願にもかかわらず尖閣の国有化を強行するという野田元首相の行動だったのではないか。あれで胡錦濤は日本に舐められた、国の面子を失わせた男として、中国の共産党の中で記憶されることになったのだ。中国では面子を失うことは命をなくすことに等しい。

 野田佳彦という(と云うより民主党の)無知な、しかも場の雰囲気を読めない男は、胡錦濤の名誉と権力だけでなく、健康までも失わせることになった。その気などかけらもないのに歴史を変えるとはさすがに日本の首相だけのことはある。

銃の購入ブーム

 チャイナネットで、コネチカット州の小学校での銃乱射事件の後、銃器店ではセミオートピストルなどの販売が急増している、と報道していた。

 世界最大の銃器メーカーにはわずか72時間に過去3年半分の注文が殺到したそうだ。

 これはアメリカの異常さを表すものだ。建国の時代からの歴史的背景を理由にその正当性が語られるが、何度聞いても納得することが出来ない。ほとんど宗教的な信念に基づいているもののようで、そう言えばアメリカは宗教立国であることに思い当たる。

 それと同時に、みんなが銃を持っているのに自分だけ持っていない、と不安に思う心理も働いているのだろう。今に規制が強化されて銃を手に入れられなくなったら自分だけ無防備になる、と焦っているのだろう。

 そんなアメリカでも銃を持っている人の方が少数なのだ。信念を持って銃など持たない人も多いのだが、銃の保有者が一定数以上になるとそれがひとつの権力になっているようだ。

 信念のもとに銃を持たない人、信念のもとに銃を持つ人は今更銃を買わない。そしてその中間の人々の一部が、いま銃による惨劇の後に銃を購入すべく銃砲店に駆けつけている。こうして銃による事件の度に銃を持つ人が増えていくことになる。

御用納め

 昨日は御用納めの日。おつとめをしている人は今年の仕事に区切りをつけ、机のまわりを片付けて、打ち上げなんかしたのだろう。

 そういう私は、気が付いたら御用納めのない年末はもう三回目なのだった。御用納めの代わりに昨日は朝から丸一日かけて家中を片付けて掃除をした。そこら中に散らばっている本をざっと整理整頓し直したら結構さっぱりした。やれば出来るのだ。でも一週間もしたら元の木阿弥だろう。

 今日は息子が広島から帰ってくる。娘は年末年始がかきいれの仕事なので一段落したら帰ってくることになっている。

 明日は兄貴分の人(この歳でも一応年長者として敬意を表しているのだ)と千葉で飲む約束だ。一人で小さな会社をやっているが、雇われ人ではないからかえってやめるにやめられないといってまだ働いている。前回は御馳走になったから、今回は息子に送ってもらった「獺祭(だっさい)」と云う日本酒を土産に持って行くつもりだ。

 のんびりしようと思ってテレビを見ていたら、今更ながらあまりにつまらない番組ばかりなのにうんざりして見るのをやめた。どうしてみんなたいして面白くないことに一々笑うのだろう。無理に笑っていることが見え透いている。目を見れば分かるから、多分お約束なのだろう。そんな事に目くじら立てるのもこちらが小うるさい年寄りになった証拠だろうか。イヤイヤ世の中の方が間違っている!とジイさんは一人でひそかに思っているのだ。

2012年12月28日 (金)

暴行はいじめか

 大津の中学生の自殺について警察の調査報告で、暴行が繰り返されたことが明らかにされた。暴行を繰り返していたのは三人だが、二人が書類送検され、一人が児童相談所への書類送致になったという。ただ、暴行が自殺の原因かどうかは不明としている。

 ところでそのニュースを解説委員が解説している時、女性のアナウンサーが「でも、いじめがあったことは間違いないのでしょう?」と質問していた。当たり前に聞こえる質問だけれど、びっくりした。

 暴行、つまり傷害事件を「いじめ」と言い換えることで学校は責任逃れをしてきた。見て見ぬふりをし続けたのだ。だから警察も手を出さなかった。傷害事件は親告罪ではないから、事実が認められれば警察は検挙しなければならない。それを「いじめ」という言い方で傷害事件ではないかのようにごまかしてきたのだ。

 この女性アナウンサーはその詐術にまだ目が醒めていない。「いじめ」ではなく、傷害事件だった、と警察は認定したのだ。この女性アナウンサーにとっては「いじめによる自殺」という言葉が頭にこびりついていて、いじめがなければ自殺が起こらなかったと考えたらしい。暴行傷害があったのだ。いじめよりレベルの高い、犯罪行為があったのだ。学校はいじめを見逃したのではなく、犯罪を見逃し、放置し、守るべき生徒を見殺しにしたのだ。自殺した少年は、暴行を受けたことと共にそれが放置されていたことに絶望して死んだのだ。「いじめ」という言葉にこだわっては本質を見逃している。

 昔学生運動が盛んだった頃、警察権力を学内に入れるな、と云うことがよく言われた。警察は権力である。その権力に対して異議を唱えているときに権力の走狗を学内に入れるな、ということであった。

 同じようにイデオロギーを優先していた日教組は「教師は労働者である」として教師を聖職から引きずり下ろしておきながら、学校を聖域とした。だから警察権力を学校に入れることなどあってはならないことであった。それを正当化するために子どもを盾にしてしてきた。だから傷害事件ではなく「いじめ」だったのだ。マスコミも学校の聖域化に荷担した。その果てに聖域という名の治外法権の学校で暴力事件が放置され続けてきたのだ。少年の自殺は、ある意味で他殺であって、暴行を続けた少年達と、それを放置した学校の共犯である。そして未だに暴行傷害事件を「いじめ」と言い続けるマスコミも共犯者である。全国で「いじめ」という名の傷害事件が見逃されているのではないか。

キャッチコピーかレッテル貼りか

 CMは高いから、短いフレーズで印象を残すキャッチコピーが有効である。特にテレビはキャッチコピーの旨い人たちの独壇場である。そこで世の中はキャッチコピーだらけになった。だから言葉を尽くして真摯にものごとを語る人はけむたがれる。

 レッテル貼りという行為がある。今は心に思っても云う人はいないが「あいつはアカだ!」などというのが最も端的なものだろう。相手を攻撃したり揶揄したりする時に有効である。政治的な意味で使われてきたことが多い。あの男は「マザコンだ」などというのもある。云われるような事実があるなしにかかわらず云われた方はかなりダメージを受ける。

 レッテル貼りは差別につながることがないとは云えず、かなり毒のある行為であるが、弱者が強者にゲリラ的に使うことも多い。これを強者が行うと強力すぎて相手を抹殺する武器になる。共産主義の国などの独裁国家ではこれが横行することは歴史が示している。

 社民党の福島瑞穂党首がことあるごとにキャッチコピー風レッテル貼りを行っている。蟷螂の斧でしかないが、あまり繰り返すのでいささかうんざりする。そう言えば女性の政治家にこのキャッチコピー風レッテル貼りを多用する人が多いような気がする。そう言えば「あなたは疑惑のデパートだ」というのもあった。

 今それが最も得意なのが田中真紀子だ。「寸鉄人を刺す」とは云うけれど、これでは寸鉄だらけで身内も傷つけてしまう。しかも自分では「旨いキャッチコピーでしょう」と鼻高々そうなのが鼻について、ついに落選してしまった。落選しても自分に問題があった、と云う反省はかけらもなく人のせいにしていた。

 そこで目につくのがみんなの党の渡辺喜美党首である。この人もキャッチコピーを連発している。旨いキャッチコピーを思いつくことに頭を使いすぎて、肝腎なことが人に伝わらなくなっているような気がする。

 政治家は言葉を使うプロである。だからキャッチコピーやレッテル貼りが得意なのは分かるが、多用するとどうも中身が空っぽに見えてくる。やはり言葉よりも実行することが肝腎で、キャッチコピーの多い政治家は言葉だけ、と思われるらしい、とそろそろ気が付くべきだろう。

2012年12月27日 (木)

嵐山光三郎「妻との修復」(講談社現代新書)

 2008年出版の本。新刊の時すぐに購入して読んだ・・・つもりでいたのだが、前半までしか読んでいなかったようである。改めて読み直した(ボケているので読んだことを忘れたのだろうか。途中で止められるような本ではない)。

 「妻と修復」をしたいわけではないし、もう修復などと云う次元ではないのだが、ここに書かれている無数の夫婦=男と女の関係が無性に面白いのだ。

 嵐山光三郎は編集者として文壇を始めとして裏話の博物館みたいな人である。そこから止めどなく「実は・・・」という話が出てくる。しかも交友も広く、しかもその友人が普通でない人も多いからユニークな話が多い。

 文中にT.S君(寺田定男・仮名)などと書いてその人の逸話が述べられるのだが、本当に仮名なのか、お遊びなのか分からない。時に「仮名」のところが「実名」となっていて笑わせる。かなり具体的なのだが、全てこの人の創作なのかも知れない。だってこんなに具体的なら彼の友人達なら嗚呼、あいつのことだ、とすぐ分かってしまうではないか。

 かなり露骨に結婚の実態を書いているので女子と小人は決して読んではいけない。子どもにはまだ早いし毒である。また女性はこれを読めば激怒するであろう。

 だがしかし、この本を笑いながら読む女性がいたら是非お茶のみ友だちにお誘いしたい。

 本屋の棚を探してでも読むべし。面白いこと限りなしである。最初からこの本を読んでいれば結婚相手をもう少し吟味したか・・・結婚しなかったであろう。まあ子どもがいるから良いけれど。

知的財産権裁判の改革

 中国の最高裁判所に当たる中国最高人民法院の王長官は、中国の知的財産権の保護に向けて裁判の改革を進めていくと述べた。経済の成長に伴い、知的財産権の重要さがましている中で、保護の強化や裁判の改革を進めるのだという。

 中国では知的財産権がないがしろにされていて、世界中が問題視していたところであったから、改善が期待されることを良いことだとする向きも多いだろう。中国の特許出願件数も日本を抜いてアメリカに次ぐものになっている(取るに足らないものがかなり多いようだが)こともあり、中国自身にとっても必要なことは間違いない。

 ただ私は懐疑的である。中国の司法は共産党の下部機構である。司法は独立した存在ではなく、共産党の意向に沿って裁判を行うことに決まっている。知的財産権の保護や強化は中国優先となる可能性が高く(何せ「中国の」知的財産権の保護が目的である)、場合によって今まで以上に日本や米国の知的財産権がないがしろにされることになる事態を危惧する。杞憂でなければ良いのだが。

2012年12月26日 (水)

セリアック病

 アメリカでセリアック病の患者が増えているという。絶対数が分からないので何がどのくらい増えているのかは分からない。

 セリアック病という病気は初めて聞いた。これは小麦や大麦、ライ麦などに含まれるタンパク質の一種であるグルテンに対する免疫反応が原因なのだという。この病気の人がグルテンを摂取すると、小腸の小突起が自己免疫作用で攻撃されて破壊されてしまい、小腸から栄養が摂取出来なくなるという病気だという。

 グルテンを含む食物と云えばパンを始め小麦粉を使う食品、つまり粉食の食品は全て含まれるから該当する食品は無数にある。この病気になったらとにかくグルテンを含むものを摂取しないようにするしかないのだそうだ。またグルテンは添加物として使われることも多いから食べられるものは極めて限定されてしまうらしい。

 従来は遺伝的な原因だとみられていたが、増え方から見るとそれ以外の原因がありそうである。これも食物アレルギーの一種と云えるだろう。

 このことを伝えた記事によると、1980年代と比べて倍増しているのだそうだ。専門家によると、前年まで何ともなかった人が突然この病気になることも珍しくないという。何となく花粉症を思わせる。

 人類の滅亡への道は案外こんなところにつながっているのかも知れない。花粉症や食物アレルギーの増加の原因を、人類は果たして摑んで対策することが出来るのだろうか。

マスコミによる洗脳

 中国のメディアが野田首相の退陣を前にして、「公約を履行出来ない上に公約にない消費税を強引に通過させた」と指摘すると共に日本のメディアもそれを批判するどころか荷担したという記事を掲載した。

 1970年代に、消費税を導入していれば救えた財政危機を、日本のメディアが消費税に大反対の論陣を張って攻撃してやめさせ、今日の事態を招いたのに、今回は経済危機なのに手のひらを返したように公約違反の消費税導入を「やむを得ないこと」としていることは奇妙なことだ、としている。野田首相は完全に財務官僚の代弁者となりはて、脱官僚主義を唱えた民主党の公約と全く相反する行動をして国民との約束に背いたから敗れたと分析している。

 当然と云えば当然の分析なのだが、「消費税増税はやむを得ないことだ」という、日本国民の過半数が多分共通で了解していることが、日本のマスコミの洗脳によるものであった、と云う可能性が大いにあることに気が付いた。

 マスコミが積極的に国民を洗脳しようとするほどの意志を持っているとは思えない。それよりはマスコミが官僚からリモートコントロールされていると云う事、官僚のマスコミによる国民の洗脳の可能性、と云うことだ。洗脳、などと極端な言い方は違うかも知れない。ただ官僚達が国民にこう考えて欲しい、と云う意図のもとに発信する情報をそのままマスコミが流せば、結果的に世論は誘導される。

 日本の記者クラブ、と云う存在を批判する本(マーティン・ファクラー「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」)を先日読んだ。日本の新聞は官僚の発表する情報を鵜呑みにして垂れ流す傾向があることを批判していた。

 野田佳彦という人が財務大臣になった時、またたく間に消費税推進者として財務省に取り込まれたのが見て取れた。私はその時点では消費税増税よりはやるべきことがあるだろう、と思っていた。それが何時の間にか増税やむなし、の意見になっていた。これでもか、と云う日本の負債の話の洪水に洗脳されていたのだ。

 官僚は増税を渇望する。そして自らの予算が削られることを極端に嫌悪する。何の事はない、行政改革をすれば消費税は上げなくてすむ、と云って政権を獲った民主党は官僚の手のひらで踊らされて、行政改革は形だけ、官庁は無傷で消費税だけ上げることになった。官僚にとっては完勝である。

 そして自民党が政権を獲った。

グリーンランド

 世界地図を見ていると、とてつもなく大きな島が目につく。デンマークの旧植民地で世界最大の島、グリーンランドである。2003年に高度の自治権が認められて自治政府があるが、デンマークに帰属する。国民投票ではデンマークからの独立希望が多数を占めているので、独立の可能性もある。大部分が北極圏で、島の80%以上が氷と万年雪に蔽われており、沿海部の一部のみ居住民がいる。人口は約54000人。

 そのグリーンランドが中国人労働者3000人を受け入れる方針であることを発表した。鉱業資源分野の大規模事業を請け負った中国企業が派遣するものである。

 これに対してデンマークの労働組合が強硬に反対している。極めて低賃金で、しかも週に60時間も働くと云う中国人労働者は受け入れがたいというのだ。

 しかし自治政府は、デンマークには労働力が極めて少なく、中国人労働者を受け入れても既存の住民に労働問題が生ずることはない、と主張している。グリーンランドの経済にこの事業が大きく寄与することを期待しているようだ。

 人口の5%以上の労働者を中国から受け入れるというのは大変なリスクである。この労働者達が移民として定着する可能性はあるのだろうか。さらに追加でどんどん受け入れているうちに気が付いたら中国人だらけになってしまうことはないだろうか。中国が資源を求めて世界中でどんな行動をし、地元とどんな軋轢を起こしているか良くグリーンランドも調べた方が好い。

 ただ、シンガポールのように移民として大量の中国人を受け入れながら、教育と規制によって、中国本土の中国人とは違う、中国系シンガポール人を作り上げている国もある。グリーンランドが経済だけを考えて中国人労働者を受け入れて中国企業のやりたい方題にさせることのないように注意して欲しい。

 そうでないとデンマークからの独立どころか、気が付いたら中国領グリーンランドになってしまうかも知れない。

2012年12月25日 (火)

映画「テイカーズ」2010年アメリカ映画

 監督ジョン・ラッセンホップ、出演ポール・ウォーカー、マット・ディロン、ヘイデン・クリステンセン、ゾーイ・サルダナ。

 マット・ディロンは若い頃異相だと思っていた。歳をとって、顔に丸みが出たら結構いい顔になっている。

 最初に鮮やかな手際で行われる銀行強盗のシーンがある。テイカーズを自称する犯罪者のグループの仕業なのだが、あまりに鮮やかなのでこのグループに肩入れした気分で物語を追っていくことになる。

 そのグループを必死で追う刑事がジャック・ウェルズ(マット・ディロン)とその相棒のハッチ(ジェイ・ヘルナンデス)である。ジャック達を応援しながらテイカーズにも応援する複雑な気分になっていく。

 完璧な犯罪は些細なことで破綻する。昔グルーブの一員だったが、負傷したために逃げ遅れて逮捕され、刑務所に入っていたゴーストと云う男が出獄して、刑務所で手に入れた大きな話を持ち込んでくる。

 彼を疑い、話に乗るべきではない、と主張する仲間と話に乗ろうとする仲間がいるが、あまりに魅力的な話なので結局計画を立てて実行することに決まる。

 メンバーそれぞれに関わりのある人間がいて微妙に計画に影響を与える。また追うジャックとハッチにもそれぞれの家庭の事情がからんでくる。

 全ての状況が提示された後、現金強奪の計画が実行されるが、計画に狂いが生じて銃撃戦になり、かろうじて現場からテイカーズのメンバーは脱出するのだが、ジャックとハッチに執拗に追跡されてメンバーの一人が追い詰められてしまう。だが・・・。

 ゴーストが持ち込んだ計画はそもそもロシアマフィアが計画したものだった。ロシアマフィアは激怒し、ゴーストに迫る。しかしゴーストにはある計画があった。

 途中から物語は急展開し、激しい銃撃戦と目まぐるしい追跡劇が連続する。結末は・・・。なるようになっていくのだが実に楽しめた。

年賀状完成

 昨晩から年賀状の作成に着手。先ほどようやく完成した。多分今までで一番早い。いつも28日から31日頃出していた。昨年末は父が死んだので出さずであったが、一月に入ってから賀状をもらった人には一応返礼を書いたので、一月の方が忙しかった。

 これから郵便局へ持って行く。一仕事終えた気分だ。

 年の初めに年賀状をもらうととても嬉しいものだ。

 池波正太郎は夏を過ぎると年賀状の準備を始め、一枚一枚心を込めて書いて出していたという。もらった人は嬉しいだろう。見習いたいところだが凡人の哀しさ、結局年末ぎりぎりになってしまう。だからいつもメインを旅の写真にして、書き込みもほんの一行くらいしか書く余裕がない。皆さん御免ね。

食物アレルギー

 先日小学生の女児が給食を食べて食事アレルギーにより急死した。給食の食材に含まれていた粉チーズが原因だったのではないかと云われている。

 そのことに関連してテレビで食物アレルギーの子どもについて取り上げていた。取材を受けていた医師によると、昔は食物アレルギーというのは極めて珍しいものだったが、今は赤ん坊の10人に一人、小学生で40人に一人が食物アレルギーだという。親を始め、まわりの苦労は見ていて大変なものだと思った。特に学校はよくぞここまで特別扱いをして対応をしているものだと驚いた。これはある意味ではやむを得ざる差別であるが、他の問題のない子どもに与える影響や、時間的、経済的、労力的コストは全国あわせれば膨大なものになっていると思われる。

 赤ちゃんのアレルギーの率と小学生の率が四倍も違うのは、体力がつき、抵抗力もついて通常の食生活をしても大丈夫になる子どもも多いからだという。ところで食物アレルギーの統計的資料はあるのだろうか。簡単に検索した範囲ではきちんとしたものは見当たらなかった。ただ昔は少なかったと医師が言うのだから増えているのは間違いないだろう。

 食物アレルギーを引き起こす直接物質のリストを見てみると、なんでもあり、である。人によって違うらしいが、これに対応する学校側は大変だ。だがそもそも食物アレルギーになる原因は何なのだろう。そしてそれを予防する方法、そして治療する方法はあるのだろうか。

 食物アレルギーの子どものどれだけが成人になってもそのアレルギーを引きずるのだろうか。そしてその体質は遺伝していくのだろうか。どうも症状が増えているのにその対策が追いついていないように見える。今回のように死にいたる事態もありうるとすると、事態は深刻で、その対策のための社会的コストは今後急増するような気がする。

 化学物質の蓄積が原因なのか、しかし今は数多くの規制が施行されて使用される種類と量は一時よりも激減しているはずである。それなのに規制がまだなかった時代よりも今の方がアレルギーが増えているようなのはどうしたことだろう。

 いろいろなことを考えさせられた。食物アレルギーについて簡単にまとめた新書が出たら読んで見たい。

2012年12月24日 (月)

種田山頭火

 詩が苦手だと自分では思っている。特に和歌。そして俳句。その私がある時期傾倒したのが自由律俳句だ。種田山頭火、そして尾崎放哉。

 種田山頭火は、捨てて、捨てて、捨てきれない自分を抱えて旅をした。その彼の見た世界が彼の句から見える。その彼の句の世界だと思って見たものは実は私の世界だ。私は私の世界しか見ることはできない。

 彼の生き様を理想の生き方と思いながら、当たり前の生き方をして、今本当のやりたいことが出来る自分をクリスマスイブの夜に祝福して乾杯。

映画「エレクトリック・ミスト 霧の捜査線」2009年アメリカ・フランス合作映画

 監督ベルトラン・タヴェルニエ、出演・トミー・リー・ジョーンズ、ジョン・グッドマン、メアリー・スティーンバージェン。

 アメリカ南部のバージニア州の田舎で未成年の売春婦の惨殺したいが発見される。地元刑事のデーヴ(トミー・リー・ジョーンズ)は捜査を開始するのだが、濃い霧に蔽われた森の中に彼は南部の兵士や将軍の幻影を見る。アルコール依存症からようやく脱したばかりの彼にとって、幻影は現実でもある。彼の捜査の様子がずっと映されるのだが、何となく中途半端であり、真実に近づいているのかどうかがいつまで経ってもはっきりしない。

 やがてデーヴの昔の友だちであり、マフィアのつながりで財をなして再び生まれ故郷に帰っている男(ジョン・グッドマン)が捜査線上に浮かぶ。

 そして再び惨殺死体が発見される。そんな中、情報提供者と名乗る女性から呼び出しがあり、呼び出されたデーヴはいきなり銃撃を受ける。反撃した後の現場に残されていたのは丸腰の女性の射殺死体だった。

 さらに彼と間違われて女性が殺される事件も発生。それだけ彼の捜査が核心に迫りつつということでもあるのだが、題名の通り細かい部分は霧の中で曖昧なままである。それなのに夜の森の中で彼の見る南軍の部隊や将軍の姿はますますリアリティを帯びてくる。

 事件が全て一応の解決を迎えた時、観客にだけ驚愕の事実がそこに提示される。多分そうなるだろうと思っていたが、それでも驚きである。
この映画は酷評する人が多かったらしいが、警察の捜査なんてこんなもので、私としてはそこそこ面白い映画だと思った。だいたい全ての事実が観客に明かされる、と云うことの方が本来あり得ないので、何となく事件が終わる、と云うこの形に不快感はない。

裵淵弘「中朝国境をゆく」(中公新書ラクレ)

 著者の裵淵弘(ベ・ヨンホン)は東京生まれのフリーのジャーナリスト。朝鮮半島を主なテーマに執筆活動を行っている。副題は、「全長1300キロ」の魔境。

 労作である。それだけに新書なのにすらすらと読みにくい。中身が濃いのだ。読むのにだいぶ時間がかかった。

 最初は中朝国境で脱北者を取材したルポだと思って読んでいた。確かに中国と北朝鮮の国境を走破し、脱北者に北朝鮮の状況を聞き、その手助けをしている人たちにインタビューを試みているのだが、そこから脱北者がなかなか韓国に受け入れられない現状。中国の脱北者に対する極めて冷酷な仕打ちの背景が明らかにされていく。

 これ程までに韓国政府が脱北者を迷惑な存在として扱っているのか知らなかった。それはなぜなのか。

 北朝鮮はいまに自壊すると言われ続けてきた。最もあり得るのが金正日が死んだ時であろうと云われていた。何も起こらなかった。これは韓国も中国も北朝鮮が変わることを望んでいないと云う事だ。だから脱北者の存在は現状維持を望む中国や韓国にとっては迷惑な存在なのだ。

 中国の東北三省には多数の朝鮮族がいた。今その数が激減している。他の地方に意図的に移住するよう仕向けられてきたようだ。以前は地域の半数以上が朝鮮族だったところが漢族が優勢になっている。2020年までには朝鮮族は分散して勢力ではなくなる見込みである。

 中国は北朝鮮有事の際にこの朝鮮族が、地域紛争の火種になることを恐れている。その火種はあと十年足らずで解消の見込みだ。

 韓国政府は民族統一を恐れている。東西ドイツの統合の際の、特に経済に及ぼした混乱は甚大なものがあった。あれだけの資産を持っていた西ドイツでも大変な負担を背負うことになった。今韓国は経済的に急成長している。とはいえ経済格差がこれだけ大きな北朝鮮を背負い込むことは韓国経済にとって大ブレーキになることは間違いない。日本に対してえらそうなことが云えるのも、経済が成長しているからである。

 そうして今北朝鮮の国民は塗炭の苦しみの中で、希望から見放されている。

 この本では朝鮮の歴史、中国との関係、国境が確定されるまでの紆余曲折が詳しすぎるくらいきちんと書かれている。朝鮮半島についての知識を得る一助となる本である。

 最後に在韓米軍の位置づけの変化が記されている。このような動きと韓国の反日運動が連動しているような気がする。そしてその背後には中国がいる。

映画「しあわせのパン」2012年日本映画

 監督・三島有紀子、出演・原田知世、大泉洋、平岡祐太、森カンナ、八木優希、光石研、渡辺美佐子、中村嘉葎雄、本田力、池谷のぶえ、中村靖目、あがた森魚、余貴美子、大橋のぞみ(モノローグの声)。

 北海道洞爺湖を見おろす丘の上のパンカフェ「マーニ」を営む夫婦の元を訪れた人の物語。夏の物語、秋の物語、冬の物語の三つの話がオムニバス形式で語られる。そしてエピローグの春の物語が最後にさりげなく語られて終わる。

 童話をプロローグとして、若い二人の恋の物語が語られる春の物語が始まると、大甘のスイーツのような、若い女性向けの夢物語を延々と見せられるのかと思った。幸いちょっとだけ我慢してみていたら夏物語の少女・未久(八木優希)の不思議な魅力に物語に引き込まれた。

 全体を見ての評価を問われたら、○と言おうか今ひとつと言おうか悩ましい。結構感動して胸が熱くなったのだが、感動した、と云うことが照れくさいような気もする。

 ラストの、矢野顕子と忌野清志郎の歌う主題歌が物語とものすごくマッチしているなと思っていたら、何と監督の三島有紀子がこの曲「ひとつだけ」にインスパイアされて脚本を書いているのだから当然だったのだ。

 あがた森魚が不思議な常連客の一人として出ている。久しぶりであった。「赤色エレジー」以来この人、好きなのだ。「夢千代日記」でストリッパーのヒモみたいな役で出ていたのが忘れられない。

 余貴美子がやはり不思議な地獄耳の芸術家役で楽しそうに出演している。

 心が通い合う、と云うがその通い合い方にもさらに高次レベルの状態がある。そんな事が分かる人には分かる映画だった。

2012年12月23日 (日)

高校駅伝と年賀状

 高校駅伝と年賀状には直接何の関係もない。

駅伝を見ながら年賀状のための住所録整理をしたのだが、両方中途半端になってしまった。男子は西脇工業を応援していた。これは昔からで、今年は優勝候補筆頭と云う事で期待していたのだが、ぶっちぎりの二位(ヘンな言い方だが、見ていた人なら分かるはず)と残念なことであった(ブレーキになった二区の君、しょげずにがんばれ!人生は挫折を経験したものに輝くぞ)。

 その後しばらくして、住所録の整理は終わったのだが、疲れ果てたので、整理だけ。年賀状そのものには手つかずである。正直やる気が失せてしまった。

 次にやる気になるのはいつであろうか。

 何か食材でも買い出しに行って酒でも飲もう!

 息子から山口県の銘酒、獺祭(だっさい)が届いているが、一人で飲むのはもったいないので今日はこれは飲まない。

高校駅伝始まる

 本日は高校駅伝大会の日だ。私は年末のスポーツではこれが一番の楽しみである。今、女子がスタートした。

 三十年以上前に友人から勧められて見始めてからやみつきになった。年明け早々の箱根駅伝と年末のこの高校駅伝は同じくらい面白い。出来ればビールでもみながら応援したいところだが、正月ではないので珈琲で我慢しておこう。

 暮れで忙しいと思うが、是非見ることをおすすめしたい。楽しめるはずだ。

2012年12月22日 (土)

世界の終わりは来なかった

 マヤの暦が今年12月21日で終わっていると云う事で、この日が世界の終わりだ、と云う騒ぎになっていたが、幸い何事もなかった。

 中国ではこのことで新興宗教団体が1000人も摘発される事態となった。

 そして何と今年春にあの小沢一郎がこのことを取り上げて、今年の末に何かが起こる、と予言していたと、さきほど報じていた。

 今回の衆議院選挙の小選挙区では未来の党の小沢チルドレンが全て落選した。小選挙区では彼本人しか受からなかったという。彼はそれを天変地異として予言していたらしい。それはそれですごいことだ。

 幸い世界の終わりは来なかったが、小沢ワールドでは終わりが来たようである。

ゴロンドリーナ

 この題名が良いのかどうか知らない。この歌が流れる中をウイリアム・ホールデン達が、馬に背に揺られて緑の枝がかぶさる中を夢の中のように行く風景が私にとって男とは何かを教えてくれた。「ワイルド・バンチ」こそ私にとっての西部劇の全てである。今はなきアーネスト・ボーグナインの目を剥いた姿こそが歓びである。私は今ウイリアム・ホールデンであるべきか、ロバート・ライアンであるべきかとちょっと考えたりする。でも最初から答は分かっているので、「WHY NOT」と云うしかない(意味が分かるかな、分からないだろうな)。

 人生は「WHY NOT」だ。そう思った時、このラ・ゴロンドリーナの響きこそ男にとっての歌となる。

 確かゴロンドリーナとは燕のことだったかと思うが自信はない。

 あのさわやか響き、ラ・ゴロンドリーナ、最高。

誉田哲也「インビジブルレイン」(光文社文庫)

 テレビで放映されていた「ストロベリーナイト」の映画版はこの小説が原作である。このシリーズはいくつか読んでいるが、どれも読み出したら止められなくなるほど面白い。テレビドラマは残念ながら見ていないが映画化されたものをWOWOWで放映したら必ず見るつもりだ。

 主演が竹内結子(姫川玲子役)というのがどうなのだろうか。違和感はないと思う。竹内結子は昔から好きなタイプだ。この本の最後に作者の誉田哲也と竹内結子の対談が収録されていて期待させてくれる。

 チンピラの惨殺事件が発端で物語が始まる。それなのに警察の内部に「柳井健斗」という若者についての捜索だけはタブーであるとの厳命が下される。

 そんな厳命が下されれば必ずそこへ突っこむのが姫川玲子である。それをカバーする男達がいる。彼等こそ警察の良心である。姫川良子は単独捜査で「柳川健斗」に突っ込んで行く。その時に出会ったある男に結果的に心を奪われてしまうのだが、その男の正体というのが・・・。

 そして全ての事実が柳川健斗が犯人であるように収斂していくのだが、その中でなんと殺されたチンピラの遥かに上の幹部のヤクザが殺される。そしてそれも「柳川健斗」の犯行である、という状況証拠が次々に現れる。

 玲子の感情全開の姿がとても魅力的だ。この複雑な玉虫のように変幻万化の色を見せる女性の魅力、旨いなあと思う。これこそが女の魅力、可愛らしさだと思う。

映画「ワイルド7」2011年・日本映画

 監督・羽角英一郎、出演・瑛太、深田恭子、中井貴一、椎名桔平、宇梶剛士、要潤、本仮屋ユイカ。原作は望月三起也の同名漫画。

 はっきり云ってテンポが少し緩くてダサい。台詞回しがかったるいのだ。それで全体の緊張感がボケてしまった。出だしが衝撃的なのに、そのリアリティがたちまち損なわれてしまう。

 映画を見ている人を馬鹿にしてはいけない。登場人物がだらだらと説明をするような映画はカスだ。どうせ説明するならそれぞれのバイクの性能でも説明した方が面白かったのではないか。この半分以下の会話で大抵観客にはストーリーが伝わるはずだ。バイクやパトカーやエキストラを大量動員すれば良い映画になるなんてことはないのだ。

 と此処まで手ひどく酷評しなくてもそれなりに面白くないことはないのだが、もう少しやりようがあったと残念だ。

 ワイルド7のメンバーのそれぞれの背景を旨く描き込んだら良かったのではないか。深田恭子に関連するものだけが描かれているが、全員について同じように描いて、本来のストーリーはプロローグと、もう一つをラストにコンパクトにまとめれば、次回作期待の面白い映画になったのになあ。

剣道の起源

 韓国は自国が起源であると主張する、という病気を持っている。これは中国という、宇宙の中心を唱える国に隣接して来たなかで、プライドを維持するための風土病かも知れない。

 韓国は手当たり次第に韓国起源説を唱えている。中国でもその韓国の主張にはさすがに反発する向きも多い。既に韓国は国の起源を四千年とか五千年前と言い出している。中国に対抗するためであろう。だから日本民族も韓国が起源だと今に言い出すだろう。だが、韓国の起源がはっきり歴史的に検証出来るものは自国内にほとんどない。中国との戦いや、自国内の戦い(内戦のこれ程多い国も珍しいようだ。韓国の時代劇を見ているだけでもよく分かるであろう。王朝交代の時だけではなく、同じ王朝での世代交代の時にもそのたびに戦いで沢山死んでいる)が繰り返される中で、記録が悉く失われているのだ。だから韓国の歴史は中国の史料か日本の史料で当たるしかなく(日本が正当に手に入れた資料を、強奪したものだと言いがかりをつけて返還を求めている。朝鮮併合時に日本に持ち込んだ資料については既に返還している。そんな事をするのは日本くらいだ)それもない古代については全く不明なのである。その上近代の韓国の文献や、中国、日本の史料は漢字で書かれているのに、漢字を教えない、と云う政策をとってきた。だからそもそも韓国民は歴史を資料に基づいて学ぶと云う事が出来ない。だから事実と全く関係ないねつ造でも何でも国に言われたら信ずるしかなく、国家のやりたい放題である。言ったもの勝ちである。

 今度は何を言い出すかと思ったら日本の剣道は韓国が起源だと言い出した。もちろん空手も柔道も韓国起源と言っていることはもちろんである。剣道が韓国起源などと言われて、そうかも知れないと思う日本人がいるとしたら病院に行った方が好い。日本剣道連盟が正式に反論しているようだが、無視して憐れんでいれば良いのだ。おかわいそうに、また病気が出たようですが、今に良くなるといいですね、と。

 これ程韓国というのはコンプレックスの塊なのかと今更哀れを催す。

 その韓国民が歴史認識、などと云う。他国に対して歴史を云々するのなら、韓国民それぞれが、それ以上に自分自身の目で近代の歴史を学び直したらどうかと思うのだが。

 だがその日本人に歴史認識がたらないことについての指摘は正しい。それを認めざるを得ないのが悔しいけれど。

教育再生プログラム

 受刑者に対して矯正のために教育再生プログラムによって教育を行っているという。その成果を検証したところ(つまり再犯率を見たのだろう)、性犯罪者についてはそのプログラムに効果が認められなかったという。

 性犯罪者というのは教育しても矯正するのが難しいと云うことなのだろうか。そんな気もする。

 同時にこのような教育プログラムはいったん開始されると成果があろうとなかろうと惰性で行われることが当たり前だろうと思われていたが、きちんと検証して効果がなければ改善しようとしていることがわかった。時間はかかるだろうが、希望のある話である。

 原子力発電所についてもそのような思想のもとに検証を繰り返していれば、多分事故は起きなかったことであろう(電源喪失しなければ原子炉の冷却に問題は起きず、炉心の融解は起きず、水素爆発もなく、そもそも事故そのものが存在しなかった。電源喪失の危険は指摘されていたことであり、その対策は簡単なことであった。そして事故が起きなければ、未曾有の大地震にかかわらず原発は大丈夫だ、安全なものなのだと云うことになっただろう)。事故後の検証では問題点の指摘に対して犯罪的にそれを無視していたことが明らかになった。ところがそれを無視した人間の名前は明らかにされず、責任が問われることもない。これでは原発が信用されるはずがないことが未だに分かっていない。彼等の罪は人類の科学に対しての信用喪失という極めて重いものも背負っていることに気が付くことはあるのだろうか。彼等は歴史に永遠に断罪されるだろう。ほとんど性犯罪者並の人間だと軽蔑したい。責任を問われないことそのことが不幸だといつか知るだろう。

椎名誠「焚火オペラの夜だった」(文藝春秋)

 週刊文春連載のエッセイ・赤マントシリーズの第12弾、2001年刊行の本の再読である。椎名誠の子ども二人は既にアメリカ暮らしをしており、夫人も何度目かのチベット長期滞在中である。この本の中では夫人と中国で合流し、成都からチベット旅行をしている。

 二十代や三十代の時とは違うからあまり無茶もしていないが、それでも五十過ぎのおっさんとは思えないほどエネルギッシュだ。何より感心するのは殆どドライデー無しでガンガンとビールを旨そうにのみ、深酒をしていることだ。この人は本当に肝臓が強いみたいだ、うらやましい。

 この人は四六時中旅をしている。うらやましいことである。私も懐さえ許せば毎日旅をしたいところだが、今は自重している。出かけたい思いがある程度たまったら、またカメラを担いで出かけることにしよう。月並みな言い方だが、旅で見る世界は普段見ているものとは違って新鮮なのだ。

2012年12月21日 (金)

映画「完全なる報復」2009年アメリカ映画

 監督F・ゲイリー・グレイ、出演ルーカス・フォスター、ジェラルド・バトラー。

 映画は余程ひどいのは(それが結構しばしばあるので腹が立つが)別にしてまことに面白くて楽しめる。この映画はその中でも出色の出来だった。感動したりするようなものとは違うが、とにかく次はどうなるのだろう、と思いながら、あっと驚いたり、どきどきしながら見ていた。

 アメリカの法制度、特に司法取引というのが日本人には理解出来ないおかしな仕組みだけれど、それを徹底的に告発する形になっている。ある意味では復讐談の現代版なのだが、その怒りが個人だけではなく法制度そのものへ向けられているのが新しい。

 ただかなり残虐なシーンがあるので、子どもには見せない方が好い。

 ラストに主人公がニヤリと笑うところが完璧であった。復讐する話が好きな人は(好きな人が多いと思うけれど)機会があったら是非見る値打ちがある。私も家族が理不尽な目に遭ったらこのような完璧な報復を夢見ることだろう。

映画「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」2011年アメリカ映画

 監督ジョー・ジョンストン、出演クリス・エヴァンス。ヘイリー・アトウェル、トミー・リー・ジョーンズ、ヒューゴ・ウィーヴィング

 正しいアメリカのヒーロー映画。時代は第二次世界大戦中でナチスが猛威を振るっていた。強い愛国心から兵役を志願しているスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)は虚弱体質のために審査を落ちて入隊することが出来ない。そんな中、たまたま軍の科学者のアースキン博士に見いだされたスティーブは口添えにより入隊を果たすが、軍の訓練になかなかついて行けない。だが博士には彼を入隊させた目的があった。
 博士は超人血清の研究をしており、スティーブにその血清を打って活性化させることで超人にしようとしたのだ。実験は成功してスティーブは強靱な肉体と運動能力を獲得するのだが、その技術を盗もうと紛れ込んでいたスパイにより、アースキン博士は殺害されてしまい、超人はスティーブただ一人が産み出されただけに終わった。

 実はアースキン博士はもう一人超人血清を打っていたが、未完成だったために副作用でその男シュミット(ヒューゴ・ウィーヴィング)はレッドスカルという悪の権化となり、ナチスの一員として世界を破壊しようとしていた。

 と云うわけでいろいろあった末にめでたくキャプテン・アメリカとなったスティーブはレッドスカルを退治するのだが、アメリカを救うために北極海の藻屑と消える。

 その北極の氷の中から彼が発見されるところから映画が始まり、それがプロローグとなっており、ラストが70年ぶりに生き返った彼にニック・ヒューリー(サミュエル・L・ジャクソン)が近寄ってくるところがエピローグという形になっている。つまり後でつくられるであろう本編となるべき映画の、予告編としての誕生物語、と云う体裁なのだ。

 この前に見たグリーン・ホーネットと比べると大真面目な分こちらの方が映画として好感が持てるが、アメリカこそが正義、と云う相変わらずの脳天気さが笑える。もしかしたら意図的で、まじめなパロディなのかも知れない。だから腹が立たないのか・・・。

いやな笑い

 中国社会科学院の教授が、テレビに出演して、出稼ぎ労働者が凍死したという事件についてコメントしたのだが、その際に笑みを浮かべていた、と非難されている。

 悲劇的な話はにこやかにコメントしてはならず、哀しい表情でないと誤解されると云う事だろう。この教授はテレビの取材に答えて「笑っているように見えるがもともとこう云う顔である。しかも凍死した件よりも政策についてのコメントをしたつもりだった。それでも人々の感情を傷つけることになったことは申し訳ない」と謝罪した。

 人はあざけるような笑いに敏感に反感を覚える。その気がなくてもそのように見えることもある。

 以前このブログにも書いたが、私は記者会見の際に藤村官房長官にそのような笑いを一度ならず見た。損な人なのかも知れない。たまにそのような人を見かける。みな嫌いである。

倒壊

 浙江省寧波市で6階建ての集合住宅が倒壊した。この建物は1989年に建てられたもので、原因を調査中だが、防水工事が不十分だったので、住人が床に撒いた水(!)や雨水が浸透したことに加えて構造部分の経時劣化が疑われている。

 さらに驚くべきことに、一階部分を店舗に改造して壁や柱を抜いたことも影響しているのではないかという。

 要するにこの建物は自壊したわけである。そして同時代に建てられた同様の建物は無数と云っていいほどある。中国ではこのような話が時々伝えられる。

 しかしこの感覚で超高層ビルも建てられている、なんてことはないだろうね。

2012年12月20日 (木)

宗教集団の摘発

 中国当局は邪教と認定したキリスト教系の宗教組織「全能神」のメンバー千人近くを拘束した。「全能神」は古代マヤ歴にもとづく終末論を唱えていた。明日12月21日が世界最後の日になるのだという。

 ノストラダムスの予言を始め、終末論は度々世間を騒がすが、科学的根拠は全くないものばかりであり、普通の国は余程のことがなければ本気でこのようなことを唱えている団体を取り締まったりしない。

 なぜ中国はこのような新興宗教に神経質なのであろうか。しばらく前に「法輪功」に対しても徹底的に弾圧を加えたことが思い出される。

 実は中国の王朝が倒れる時には必ず農民による暴動が起きている。そしてその暴動を指揮するのが新興宗教集団であることが多いのだ。中国の歴史をひもとけばその例は実に多い。

 つまり現在の共産党王朝もその歴史を熟知しており、各地の暴動とこのような新興宗教活動が結びつくのが最も恐ろしいのだ。

 考えてみれば、共産主義というのもある意味で新興宗教のようなものであった。

マーティン・ファクラー「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」(双葉新書)

 著者はニューヨークタイムズの東京支局長。日本語で書かれたものなので翻訳ではない。

 東日本大震災の報道、そして一連の原発事故についての日本の大新聞の報道(テレビもそうだ)がどうも変だ、と思った人は多いと思う。

 政府や東京電力などの報道を垂れ流すのみで、独自の取材をしている様子がないこと、政府の発表内容が二転三転してもそれに対する追求が極めて手ぬるいように見えたこと、しかも原発の現場に赴くことがなく、フリーのルポライターだけが駆け回っていたように見えたことなどが何となくジャーナリストとして勇気に欠けるように見えていた。

 しかも被災地の報道が大抵同じ町や村であり、独自の報道という物をあまり見なかった。何だか修学旅行のように記者達が集団で行動して同じ記事、同じ映像を流しているように見えた。杜絶されて人がまだ行けない島の実情をなんとか一番乗りしてスクープした、などという記事に出会うことは殆どなかった。

 それに比べて著者が同じ時期に現場で駆け回って報道した記事を知らされると日本の記事との違いに愕然とする。

 ところで現場の被災者へのインタビューに、人間として出来損ないにしか見えない若い記者が、あり得ないようなお粗末な質問をしているものが度々放映されていた。馬鹿な記者もいるだろう。だが、それを放映するかどうか判断するのはその局の責任ある立場の人間である。こんなインタビューはつかえない、と云う判断が出来なかったのだろうか。あまりひどかったらベテランを送り込めよ、と思うことも多かった。

 こう云うこと全てに対してこの本はなるほどそうなのか、と云う答を教えてくれる。

 ジャーナリストというのはこう云うものである、と云う理想がある。そしてその理想を追うことにかけてアメリカの記者も日本の記者も違いはない。だがなぜこれ程日本の記者がお粗末なのか。多分心ある人は是非知りたいと思っているはずだ。それならこの本を読んでみることをおすすめする。

 日本のマスメディアがどう云う状況にあるかを知ることは、日々のニュースにかかっているバイアスを知ることであり、正しいことについて思いをいたすための最低知っておくべき知識である。著者が繰り返し述べているようにアメリカが日本より優れている、などと云うことをこの本は述べたい訳ではない。心ある記者は日本にも沢山いる。この本を多くの人が読んで日本のマスコミの問題点が白日の下にさらされた時、日本のマスコミも変わるかも知れない(そう期待したいが時間はかかりそうだ)。日本の大新聞は中国の御用新聞と変わらないか、自覚がないだけもっと低レベルかも知れないことがあらためてよく分かった。

2012年12月19日 (水)

帰って来たら

 本日は同じ愛知県に住んでいる兄貴分の人と忘年会をした。四時から開いている居酒屋で飲んだ。兄貴分の人は私より弁が立つので、だいたい7:3でしかしゃべれない(これは喋るのが好きな私にとってはかなり我慢のいることだが、この兄貴分の人とはいつものことなのでどうということはない)。お互いの消息と手持ちの情報交換をして、後はひたすら飲んだ。この頃酒量が落ちているので早めに帰ることになるだろうと思っていたのだが、甘かった。何とか追い出される前に切り上げた。

 帰って来てテレビをつけたら、平原綾香のライブが放送されていた。もちろん放映されることは知っていたから録画をセッティングしてある。音量をちょっと上げて、今見ている。素晴らしい。

 平原綾香は歌姫としても、女性としても完璧だ。ドライブにはほとんど平原綾香のCDを聞き続けている。何回聞いても良い。聞けば聞くほど良い。今見ながら録画しているライブも新たな宝物のコレクションだ。

しかし彼女のあの腕、あの胸、あの眸、あの唇・・・・・。

超高層ビル

 中国では超高層ビルの建設が相次いでいる。江蘇省の蘇州には現在なんと700mのビルが建設中である。また、シャンハイでは632mのビルが、そして湖北省武漢市では636mのビルの建設が予定されている。さらに湖南省長沙市では838mのビル(!)の建設を計画中だという。世界に存在する超高層ビルの三分の一以上が中国にあると云う。

 広東省深圳には100m以上の高層ビルが既に300棟以上建っており、建設予定の超高層ビルが20棟を超えるそうだ。中には588mの「平安国際金融ビル」の予定も含まれる。

 深圳市と云えば過剰投資が行き詰まり、海外企業が撤退を始めているとも云われる街だ。大きな船が急には方向転換が出来ないように、状況の変化について行けない事態がやってきた時、このような超高層ビルは一体どうなるのだろうか。人ごとながら気にかかる。野次馬気分の高みの見物をさせてもらおう。いろんな意味でこのようなビルには上がりたくないが。

販売急増

 アメリカコネチカット州の小学校で起きた銃の乱射事件は悲惨なものだったが、それでも銃規制まで及ぶことはないと云われている。文化の違いとは云え、日本では信じられないことだ。それでもオバマ大統領は何らかの対策を打ち出すに違いないとの観測もある。

 と云う訳でこの事件に使われた同型の自動小銃の販売が急増しているのだそうだ。分かるだろうか。この自動小銃が規制される前に手に入れようと皆が銃砲店に殺到しているのだ。ダメだこりゃ。

改憲批判

 中国外務省の副報道局長が、定例記者会見で自民党の安倍総裁の「憲法改正」の動きを批判した。これは中国の公的な発言である。

 日本国憲法は日本国民のためのものである。憲法とは国民を縛るためのものと云うより、国民を国家権力から守るためにある。だからアメリカが敗戦国日本を統治していた時代にその指導の下に造られたものであるなら日本国民自身が書き直すのは当然と云っていい。憲法の内容は日本国民自身が決めるものだ。

 その日本の憲法の改正について他国の政府が公的に言及すると云うのはそもそもあり得ないし、あってはならない。逆であったらどのようなリアクションがあるか想像したら分かる。中国は東南アジアの周辺国同様、日本を対等な国家と見なしていないものと思われる。

2012年12月18日 (火)

池波正太郎「ないしょ ないしょ」(新潮社)

 剣客商売シリーズ番外編。新潟の新発田生まれのお福という女性の波乱の生涯の物語である。

  十六歳のお福は独り身の剣術道場主の神谷弥十郎のもとに下女として奉公に上がる。そうしたある日、その弥十郎に手込めにされてしまい、身の不幸を歎くのだが、その弥十郎の自分に対する態度が少しずつ変わってくるのを感じていた。しかしその矢先に弥十郎は襲われて殺害されてしまう。

 既に両親がいないお福には行き場はない。同じく住み込みで働いていた五平という老爺に一緒に江戸へ出ないかと誘われて同行することにする。五平は主人の神谷弥十郎が殺された件について何か知っているらしいのだが、お福には明かしてくれない。二人が江戸へ出立する直前、城下の剣客、松永市九郎が出奔したことを知る。彼が犯人だったのではないかとの噂が流れる。

 江戸に着いたお福は五平の甥の久助の口利きで、一人住まいの御家人・三浦平太郎の住み込み女中になる。三浦平太郎は老人であり、武士だが刀を持たない生き方をしている。風変わりな主人だが心優しく、お福の美質をすぐに認めて彼女を一人前に育ててくれようとする。そしてあるきっかけから三浦老人に手裏剣の手ほどきを受ける。生まれつき天分があったようでお福は見る見る腕を上げるのだが、三浦老人は手裏剣を習っていることを決して人に話してはいけないと諭す。「ないしょ ないしょ」と云う所以である。そんな日々にお福は初めて心から幸せを実感する。三浦老人を通じてお福は秋山小兵衛とも面識を得る。そんなある日、五平が、そしてお福が松永市九郎の姿を見かける。しかも松永と三浦老人が関わっていることに気が付いた二人は激しく不安を感じるのだが・・・。

 ついにお福は仕えた主人二人を手にかけた仇を秋山小兵衛の助太刀で討つことが出来るのだが、そのとき、お福は自立したすばらしい女になっていた。その後のお福の人生は目を見張るものであった。

 ほんとうにいい女というのは強いだけでなく、美しいだけでなく、愛されるべき可愛さのようなものを持つ女性なのだと思う。

 お福がまさに一生を閉じる時の死の床での至福感を読んだ時、思わず感動して胸が熱くなった。生きると云う事は好いことなのだ、そして悔いのない人生を生きれば、死ぬことも至福であると信じることが出来るような気がした。

恫喝に屈した?

 シンガポールの新聞が、アメリカの国力低下について論じている記事が伝えられた。

 アメリカのオバマ大統領は、中国封じ込めのためにアジア重視の政策を表明していたが、アメリカに直接利害関係のないことでは中国に対して積極的に行動する気がないという。そして南シナ海の問題にも尖閣問題でも中立を公言して関与しようとしていないのがその証拠だという。中国もそれを見越しているので強硬な姿勢を変更する様子がない。

 記事の中で特に気になったのは、九月に反日デモが最も盛んな最中に、アメリカのパネッタ国務長官が日本を訪問し、続けて中国を訪問して習近平副主席と面談した。その際に習近平はバネッタ氏に「尖閣問題に口を挟むな!」と恫喝したのだという。その後アメリカは暴力的な反日デモについても尖閣問題でも、一切中国批判をすることがなく、中立の立場を続けたというのだ。

 こんな記事が伝えられて、パネッタ氏やオバマ大統領は反論しないのだろうか。それとも余程アメリカの痛いところについて脅しを受けたというのか。

 ただこのような不快な思いを我慢しているとすれば怨みは深い。今に中国が危難に陥った時、中国に組みするのは北朝鮮だけになるだろう。

 こんな風に力で相手をねじ伏せることを続けていれば、今に世界中が中国の没落を望むようになるだろう。

自爆テロ解散

 田中真紀子文科大臣が、閣議後の記者会見で、野田首相の解散を批判して「自爆テロ解散」と揶揄した。民主党に厳しい選挙だったことは認めるが、それなりに評価されて勝ち残った人もいる。田中真紀子おばさんは、父親の田中角栄という金看板を背負って誰よりも有利に戦えたはずである。それが敗れたのは野田総理がしなくてもいい解散をしたから自分は負けた、と云う認識でいるようだ。この人を落とした新潟の地元の有権者の英断に心から拍手したい。自分自身の問題点を見つめ直すことが出来ない彼女には復活は無理だと断言したい。

 この人は外務大臣時代に合意間近の北方四島の返還交渉をぶちこわし、日本に不法入国していた金正男を即日超法規的扱いで北朝鮮に帰して拉致被害者の返還交渉のチャンスをつぶした。日本の国にとってどれほどの損失を与えたか分からない人だと私は思っている。野田首相は選挙対策に、人気のある田中真紀子を起用したのだろう。それだけ人を見る目はもちろん、国民の意向を見る目もない人だと云う事が暴露されてしまったのだ。その上その田中真紀子に批判されては立つ瀬がない。

重要な二国間関係

 安倍総裁が、衆議院選挙の後、日中関係に言及して「日中関係は日本にとって最も重要な二国間関係のひとつ、粘り強く中国との対話は続けながら、良好な関係に改善をしていく努力をしていきたい」と述べたことが中国には前向きにとられているようだ。

 安倍氏が首相に初めて就任した2006年には最初の海外への訪問先として中国を訪問して「戦略的互恵関係」という考え方を打ち出し、小泉首相時代に冷え込んでいた日中関係が大幅に改善されたことなどが併せて報道されている。

 安倍氏がタカ派で日本を軍国化しようとしている、と断ずる論調もある中で、このような前向きの報道があるのは、中国側にも現状を改善したい意向があるとも受け取れる。

 野田政権時代には中国側に全く日中関係の改善の意向が見えなかったことに比べると様変わりに思える。これは民主党政権の外交がお粗末であったことの表れとも云えるかも知れない。何も期待されていなかったし信用もされていなかった、つまり相手にされていなかったと云う事ではないか。

 同時に中国の思惑として、経済的な面で中国にとっても現状が日本側のダメージ以上に中国に負担であることから、改善したいと云う事であり、あわよくば、尖閣諸島を「領土問題」として交渉の材料に引き上げようと云う事なのだろう。気をつけなければいけないと思う。覚悟を決めて交渉すれば安易な妥協をする必要はないはずだ。

内田康夫「神苦楽島(上)(下)」(文春文庫)

 浅見光彦シリーズの文庫本新刊(単行本は平成22年発刊)。

 巻頭に「古事記」の国産みの引用がある。イザナギ、イザナミの二神が日本の国を産み出すにあたり、本州などに先立って淡路島が産み出される。この物語は淡路島が主な舞台であり、淡路島が古代からの神社や遺蹟が多い事が背景となる。浅見光彦シリーズでは「太陽の道」と呼ばれる謎の北緯三十四度三十二分に関わるものが過去にも取り上げられている。奈良県の箸墓古墳、伊勢斎宮(いつきのみや)、そして今回は淡路島の伊勢岩上(いわがみ)神社はこのラインの上にある。

 今まで母親の反対で携帯電話を持つことを許されなかった浅見光彦が、ついにお許しを得て秋葉原へ携帯を買いに行き、そこで遭遇した殺人事件から物語が始まる。若い女性が浅見光彦の腕の中で息絶えるという衝撃的な事件だったが、その女性が淡路島の出身であり、最近淡路島の神社でタブーを犯したことをひどく気にしていたことを知る。しかも淡路島を題材にした取材の仕事が舞い込んだことから勇躍淡路島へ乗り込むのだが、そこでもう一つの殺人事件があったことを知る。誰も結びつけなかった二つの事件に何か関連があると確信した浅見光彦は、本来の淡路島の歴史ルポの取材を進めるうちに淡路島の土俗的な因習や民間信仰が事件の背景として浮かび上がってくることに気が付く。そしてついに「太陽の道」を信仰のベースにする「陽修会」という宗教団体が事件に深く関わっていることをつきとめる。

 このシリーズでは浅見光彦が出会う女性は大抵魅力的である。今回のヒロイン・松雪真弓も賢く、明るい女性で、浅見光彦にどんどん惹かれていく。いつものように彼は相手に好意を持たれながらついに積極的な行動に出ることがない。現在の収入では女性を幸せに出来ない、と云うのが彼が自分自身にしている言い訳なのだが、そんなものは乗り越えられない壁ではない。それよりも彼は今の自由な生き方を最優先にしたいという思いが強いのだろう。女性は結婚すれば生活が大事になるものだし、それが当たり前のことだからだ。

 物語は大変面白くてどんどん読み進められるのだが、このラストの納め方には賛否があるだろう。私はやや釈然としない。ただ物語の方が現実的なものだと云う事は分かる。正義感だけでは世の中は片付かないのだ。

2012年12月17日 (月)

映画「グリーン・ホーネット」2011年アメリカ映画

 監督ミシェル・ゴンドリー、出演セス・ローゲン、ジェイ・チョウ。

 下らない映画であった。アメリカではこんな映画を面白い映画だと云うらしい。興行成績は不思議なことに大黒字なのだ。

 私にとっては全く時間の無駄の映画で、即消去した。内容については語る気にもならない。

活字中毒者

 本日は整形外科の受診日。何と予約時間より二時間も早く行ってしまった。内科の受診時間と勘違いしていたのだ。

 読みかけの本を一冊持って行って読み始めたのだが、三十分以上前に読み終えてしまった。いつもなら必ずもう一冊持って行くのに今回に限りうっかりしていた。

 読むものがない。仕方がないから病院の広報紙を読んだがあっという間に読み終えてしまう。予約時間までどうして良いか分からない。その上時間になったのにどう云う訳かなかなか呼ばれない。時間だけが過ぎていく。繰り返し広報紙を読んでも、一度読んだものはちっとも面白くない。

 怒りもだえる一時間あまりであった。本は必ず二冊以上持参することを深く心に誓った。

驚きか当然か

 オセロゲームのような自民党の大勝だった。民主王国と云われる東海地区も自民党が圧勝した。

 思えば野田首相が菅直人政権の財務大臣として、財務省の論理に従い、消費税増税という方針を不退転の決意で実行する、と決めた時、今回の結果へ突き進むことになったと云っていい。だから彼は信念を貫いたのであり、政治家として本望だろう。

 マスコミからの問いかけに対し、安倍さんも石破さんも、冷静な受け答えをしていたのが好感が持てた。前回の選挙の時、民主党の大勝に鳩山、菅直人氏などが笑いが止まらない顔で、興奮状態だったのを思い出した。あの轍を踏まない、と自戒しているのだろう。願わくは自民党の諸士が舞いあがることなく、党主と同様冷静に対処して欲しい。

 今回の自民党の隠れた勝因(隠れてはいないが)は最近の円安と株高ではないだろうか。安倍総裁がインフレターゲットを2%以上に設定する意向を示し、日銀をねじ伏せてでも景気浮揚を行うと明言しての結果と云っていい。国民は景気浮揚を最大の眼目とみている、と云うのはアンケートからも明らかであり、争点をそこに置いた自民党が勝つのは当然だったとも云えるだろう。

 それにひきかえ、原発を争点においた未来の党や共産党、社民党は票を伸ばすことが全く出来なかった。とくに未来の党は小沢一郎氏の影を国民が嫌ったことが明らかなようだ。

 現在の国難に対し、自民党が解決すべき問題に迅速に対処してくれることを願う。勝ちに驕って私腹を肥やそうなどと云う邪念を持てば、次の選挙で大敗することを肝に銘じて欲しい。

 昔は選挙などでは何も変わらないよ、と云う虚無感が支配的だった。選挙でがらっと変わるのだ、と云う事が前回と今回の衆議院選挙で示されたことは何よりのことだと思う。

2012年12月16日 (日)

接戦

 愛知県の現在の開票状況は接戦である。もともとこの地区は民社王国だから、前回は全国どこよりも民主党に風が吹いた。それが今回はかなり際どい戦いとなっている。不謹慎ではあるが、長時間楽しめそうだ。

 だけれど、どうして開票したばかりなのに出口調査だけで当選確実が出るのだ。もし間違いないにしても、開票が少しでもされてから当選確実を出すべきではないか。楽しみが減るではないか。

 大変申し訳ないが、未来の党と社民党の票が伸びていないことは日本人の良識であると思う。既に退場すべき状況であったと云う事だ。

 願わくば大勝ちしたことで自民党が民社党と同じように、再び勘違いをしないことを願う。そんな事をすると次にはまた惨敗するぞ。

手羽先スープ

 選挙にも行ったし、今晩の開票速報を見るのが楽しみだ。大好きな手羽先のスープを作って、テレビを見よう。

 手羽先、キノコ(椎茸以外なら何でも・今回はシメジとマイタケ)、人参、タマネギ、ジャガイモ、セロリ、キャベツに生姜とニンニクを加えて塩味でじっくり煮込む。

  実はもらったトマトが残っているので加えるかどうか迷っているところだ。野菜盛りだくさんのこのスープを味わいながら、安いワインを開けることにしよう。さて下ごしらえにとりかかろう。

 明日は病院にいく日だが、整形外科なので二日酔いでもかまわないのだ。

荻上チキ「僕らはいつまで『だめ出し社会』をつづけるのか」(幻冬舎新書)

 副題・絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想。

 どうもこう云う長い題名には良い印象を持てない。こう云う題名しかつけられない、と云うことは著者と出版社に知恵がたらないか、此処まで内容を明らかにしないと読者は馬鹿だから興味を引かないだろうと思っているのか、どちらかであろうと勘ぐってしまう。

 想像通り、云いたいことは題名と副題に言い尽くされており、この論点から隘路にある日本の現状からの脱出法を考えよう、ということである。犯人捜しや問題点探しだけでは物事は解決しないという指摘には全面的に賛成である。

 ただそのことにほんとうに気が付いている人が少数である現状の中で何が出来るのか。「あいつが悪い」「社会が悪い」「俺は運が悪い」「俺にも分け前をよこせ」と叫ぶ多くの人たちの中で、どのように世の中を変えていこうと云うのか。

 著者は具体的にどのように行動しているのか、それが最後に提示されている。これが一つの回答だ、と云うことで納得出来るかどうか。

プロフィール

 本日は衆議院選挙の日だ。今回は政見放送も聞くことが出来たし、公報も目を通した。

 その公報にプロフィールが書かれていない候補がいる。投票の選択肢に入る候補なのだが、プロフィールのないのが気にかかっている。まさか忘れるはずもないし、忘れていれば注意する人もいるだろう。プロフィールは大事ではない、と云う信念のもとの結果なのだろう。よって残念ながらその候補は選ぶことから外さざるを得ない。

 党だけで選ぶのならばプロフィールは不要という意味だろうか。プロフィールを明らかにしようとしないその態度に私は賛同出来ない。肩書きだけは記載されているのだが肩書きはプロフィールではない。プロフィールで全てを語ることは出来ない。だから何をプロフィールとして記載するかという選択の中にその人の主張も見えるものなのだ。それをあえて避けるというその態度にうろんなものを感じてしまうのだ。

2012年12月15日 (土)

映画「グリーン・ランタン」2011年アメリカ映画

 監督マーティン・キャンベル、出演ライアン・レイノルズ、ブレイク・ライヴリー他。アメリカンコミック原作のSFヒーローもの。

 どうしてどれもこれもアメリカ映画のヒーローと云うのはこのようなお調子者なのだろう。そのお調子者には実は隠された人並み優れた資質があって、特別に選ばれてとてつもない力を持つことになり、危機一髪でヒロインを助け、地球、または宇宙を救う。そんな奴に宇宙の運命が託されてはたまらないのだが、結果オーライで終わるのだ。これは正にアメリカ自身が描くアメリカの自画像そのものなのだろう。

 と、こき下ろすばかりではこの映画に申し訳ない。陳腐なヒーローのキャラクターを我慢さえすれば、とてもよくできた面白い映画だ。思ったよりかなり楽しめる。

 グリーンのリングとランタンが瀕死の宇宙の英雄から授けられてハル・ジョーダン(ライアン・レイノルズ)は宇宙を救う戦士となる。

 選ばれる過程はまるでお粗末でご都合的すぎるが、その宇宙観はなんとなくE.E.スミスの「レンズマンシリーズ」に似ている。多分殆ど状況設定はぱくりに近いだろう。悪の化身の宇宙最強の敵の細胞のかけらがとりついただけの相手に苦戦するのに、超巨大な敵の本体とは単身で互角の戦いをするとは驚きである。

 どうも突っこんでばかり、良いところ無し、みたいで申し訳ない。でもSF特撮ものが好きなら結構楽しめることを請け合う。貴重な休日の時間を割いて見ても時間の無駄にはならないはずだ。

日本人は劣化したのか

 日本人と云っても一億人以上いる。それだけ沢山の個人の集まりだから、これが日本人だ、と云ったところでそうでない日本人は山ほどいる。そしてもし日本人でいることを嫌悪している日本人がいても、当たり前だけれど日本人は日本人である。だから日本人が劣化した、と云うのは相対的なもので、私にとって好ましいと思えない日本人が増えているように思われる、と云うことだ。

 このことを典型的に感じたのは震災のがれき処理の引き受け反対の人々の姿を見たときである。安全である、と云う政府や専門家の言葉が信頼出来なくなったと云う気持ちは分からないことはない。今回の原発事故の起きた原因とその後処理のまずさは専門家の信頼を失わせた。

 だが未曾有の災害を受けた地域の復興の手助けを日本人全員が引き受けるのは当然だ、となぜ思わないのだろうか。困った時はお互い様だ。もちろんリスクはなるべく少なく、そして拡散させずに出来ればそれに越したことはない。だから最低限のリスクであるものから引き受けを依頼し、なおかつそのリスクの継続的な確認も行う体制での依頼である。それを金切り声を上げて絶対反対と叫び、甚だしいのはがれき処理を引き受ければその地区が汚染されたという風評被害を受けるなどと反対する理由を語る。その顔を見ると自分の意見と云うより、市民運動家のアジテーションの言葉を、無知の故に鵜呑みにさせられて人の言葉で語っているのが見え見えだ。

 このような人々こそ風評被害を生み出して震災被害者をさらに苦しめてきた。しかもマスコミは数少ないこのような人々の声が大勢であるかのような報道を繰り返し、それに振り回されて自治体はがれき処理引き受けを拒否する。事なかれ主義もここにきわまれりだ。こう云う時ほど住民投票をしたら良いのだ。多分殆どのところでがれき引き受けに賛成の結果が出るのではないか。

 常識と見識のあるサイレントマジョリティの意見を伝える能力を失い、ヒステリックなクレーマーの声ばかり伝えているマスコミの害悪は計り知れない。そしてポピュリズムはそのような声をエネルギーにする。

 そのような声とはどのような声か。党首討論の時の社民党の福島瑞穂女史の姿をつい思い浮かべてしまう。他人が意見を述べている時に言葉をかぶせて自分の意見を述べ、他人の意見は全く聞かない。自分の正しさに酔っているその姿は見ていて極めて不快である。いつからあんな非常識なおばさんになりはてたのだろうと哀れみを感ずる。

 このような声の大きな人の意見だけがマスコミで取り上げられ、人々はそれが多くの人の意見だと思わされていくと云う状況が続いて久しい。それを打破すると云われるインターネットも、最近は文言がエスカレートして極端な物言いのものが増えているように見える。

 これは韓国や中国でも同様のようだ。ほんとうは多くの人が冷静なのにそのような声は黙殺されて、一部のヒートアップしたものだけが国民の声のように喧伝されている。

 日本は早くこの劣化スパイラルから抜け出さないといけないのだが、誰か良い方策を持たないだろうか。私に出来るのはこのブログに意見を書くことと、自分の子どもたちを真っ当に育てることくらいだ。

池上彰「日本の選択 あなたはどちらを選びますか?」(角川oneテーマ21)

 「先送り出来ない日本」の続編。改めて今日本が抱えている問題を取り上げ、それぞれについて国民として何を選んでいくのか、そのための情報と論点を整理して提供したうえで、問う。

 取り上げられているテーマは
消費税増税の是非。
社会保障は高齢者重視か次世代重視か。
これからも「安くていいもの」を作り続けるのか。
領土問題は強行にすべきか穏便にすべきか。
日本維新の会に投票するか否か。
大学の秋入学に賛成か反対か。
教育委員会制度は存続すべきか廃止すべきか。
原発ゼロに賛成か反対か。
選挙制度改革について。一票の格差は許せるか。
がれきの広域処理は受け入れるべきか否か。

 どの問題もこれからの日本の進む方向を左右するものばかりである。これはそのまま明日の衆議院選挙の投票にも参考になるものとも云える。自分が選んだ道と同じ選択をして行くであろう候補と党を選べれば幸いだ。公報で候補と政党が謳っている文言を良く読み直してみているところである。

 今日は土曜日。まだ間に合うので本屋へ行ってこの本を購入し、明日までに読了する時間は十分にある。

2012年12月14日 (金)

映画「クライシス・オブ・アメリカ」2004年アメリカ映画

 監督ジョナサン・デミ、出演デンゼル・ワシントン、メリル・ストリープ、リーヴ・シュレイバー、キンバリー・エリス。

 湾岸戦争の英雄で、副大統領候補のレイモンド・ショー(リーヴ・シュレイバー)は名門の一家の出身で、母親(メリル・ストリープ)も上院議員である。

 ショーの英雄的行為に助けられたベン・マルコ太尉(デンゼル・ワシントン)は今は少佐となって講演活動を行っている。ある日、彼を訪ねてきた当時の部隊の部下が、悪夢を繰り返し見る、と打ち明ける。その夢をイラストにして記録したノートも見せられるのだが、マルコは医者に診てもらえ、と云って彼を追い払う。しかし実は彼も同じ夢に悩まされていた。夢の方が現実の記憶よりもリアリティがあることにどうしても納得出来ず、彼は真実を追い始める。

 ところが彼を訪ねた部下は失踪し、後に変わり果てた姿で発見される。マルコはついに副大統領候補にまで登り詰めたショーのもとへ向かうのだが・・・。

 ショーがただのマザコンで、母親に頭が上がらないだけだと思ってみていると、やがて母親の凄まじい狂気的、そして確信犯的な正体が明らかになっていく。メリル・ストリープ恐るべし。彼等親子がそれをリードしていると確信して荷担している巨大な陰謀が明らかになる頃、マルコにもある指命が下される。悪夢の裏に仕掛けられた恐るべき罠からマルコは逃れることが出来るか?

 ラストがスティーヴン・キング原作、クリストファー・ウォーケン主演のある映画に似ているのだが、ストーリー展開は全く違う。デンゼル・ワシントンの孤軍奮闘の姿はいつもの通り。こんな役に彼はぴったりだ。面白かった。

南京事件記念日

 昨日12月13日は、中国が主張する南京大虐殺事件があった日から75周年に当たるとして南京の記念館で行事が行われた。この公式行事が終了後、日本人男性記者が中国人二人に襲われた。襲った二人はすぐ警察官に取り押さえられたが連行されたのか逮捕されたのか不明だという。幸い襲われた記者には怪我はなかった。

 このことが中国のインターネット上で話題となり、「自業自得」という意見もあったが、多くは襲撃した中国人を非難するものだったという。このような冷静な反応をする中国人が多い事を念願する。

 尖閣諸島の中国領有を主張して、8月に不法に上陸した香港の団体「保釣行動委員会」のメンバーが、昨日12月13日に東京の靖国神社を訪れ、旧日本軍旗や東条英機の位牌を模したものを燃やした。

 二人は警察官に取り押さえられ、簡単な尋問を受けた後釈放されたという。

 あろうことか、在日中国大使館は「合法的な抗議活動だ」と云うコメントを発表したという。

 昨日中国の飛行機が尖閣諸島の上空の日本の領空を侵犯した。それに対して外務省は中国大使館を通して中国に厳重抗議を行ったが、中国大使館はけんもほろろの対応であったという。

 日本も舐められたものだ。経済的な優位性が失われたことが大きいと云われる。それなら日本人は歯を食いしばってもう一度日本を立て直そうではないか。国を変えるためにも若い人が投票をしなければならない。若い人ほど棄権が多いというのは残念なことである。年寄り優遇を打破するためにも若い人は投票すべし。お願いだから投票して欲しい。

映画「カイジ 人生逆転ゲーム」2009年日本映画

 監督・佐藤東弥、出演・藤原竜也、天海祐希、香川照之、松山ケンイチ、山本太郎、光石研、佐藤慶。
 福本伸行の漫画「賭博黙示録カイジ」を原作とした映画。テレビアニメにもなった。

 自堕落に暮らす伊藤開司(藤原竜也)が、以前他人の保証人を引き受けたものが利子が膨らんでとても返せない金額になっていて窮地に陥る。そこに高利貸しの遠藤凛子(天海祐希)から命を賭けたゲームの誘いを受ける。集められた数十人の見るからにくず人間の集まりに対して、利根川(香川照之)という男からゲームのルールの説明がある。

 ルールは極めて簡単なのだが偶然に頼っていては勝ち残ることは困難だ。その時カイジは、船井(山本太郎)という男から二人で組めば絶対に勝ち残る方法がある、と持ちかけられる。欲をかかずに引き分けを続ければ良いのだ。カイジはその申し出に乗る。そして船井の仕掛けた罠にまんまとはまってしまう。

 残りの持ち札は既に船井に明らかにされた中で、カイジは再度船井に闘いを挑む。船井は負けるはずのない戦いを受けるのだが・・・・。

 落ちこぼれのおっさん(光石研)に同情したためにカイジは負け組として地下の強制労働所につながれ、僅かな給料も高額のビール代に搾取されて借金を返す当てもない。そんな中、命がけのギャンブルに参加して勝ち抜けば自由の身になれる、と云う募集があり、カイジ達はそれに応募する。

 佐原(松山ケンイチ)という男とたった二人だけその試練を乗り越えるのだが、生き延びたカイジには利根川との明らかに分の悪い勝負が与えられる。そこでの利根川との虚々実々の駆け引きがこの物語のクライマックスである。頭脳明晰で、相手を馬鹿にしている利根川のそのおごりこそがカイジのつけいるすきである。

 負け組にも意地がある、と云う話ととるか、そもそもカイジは最初から負け組などではないととるか。極限状況に追い込まれた時、諦めてしまう人間と、全身全霊を賭けてそれに立ち向かう人間とがある。そしてカイジはその一瞬だけが生きがいの存在である。

 香川照之が扮する利根川のいやらしさが絶品。藤原竜也は感情表現が巧みすぎてちょっと重い、舞台にはちょうど良いのだけれど。天海祐希はミスキャスト。あと15分くらい削るともっと良い映画になるだろう。

 第二作も2011年につくられている。見るのが楽しみだ。

「世間」とストーカー

 テレビでストーカーの実例を度々報道している。時に悲惨な事件にまで発展することがあり、被害者にとってはその理不尽さは恨んでも恨みきれないだろう。

 そのストーカーが若い人ばかりではなく、高齢者にも増えているのだという。寂しくて、しかも金と時間があるからいったん思い込んでしまうと止めどがなく、警察は相談を受けても余程のことがないと取り合わないようだ。

 このような心の病を抱えているとしか思えない人々が、人に迷惑をかけるような行為を実行してしまうのはなぜだろうか。まともな人ならば思いとどまる歯止めがきかないのはなぜなのだろう。

 今、日本人に自分のことしか考えていない人が増えているからではないだろうか。アメリカのルース・ベネディクトが解析したような、恥の文化を日本人が失いつつあるからではないだろうか。西洋人はキリスト教という宗教を倫理の基準としている。世界の多くは倫理の基準を宗教に置いているが、日本の倫理は恥を基準としているようだ、と云うのがベネディクト女史の分析である。

 言葉を換えれば、世間に顔向け出来ないこと、世間に恥をさらすことはしてはいけないこと、と云う暗黙の倫理規定が日本人にはあった。その世間が言葉と共に融解してしまった。今、日本人の倫理基準は自分自身である。自分自身が倫理基準というのは子どもと同じである。正に今、中国人がそのような倫理基準(そもそも基準が個人に寄すること自体が矛盾である)のもとにあるように見える。中国は文化大革命で倫理基準を破壊した。そして今破壊されたままである。日本はマスコミと日教組が倫理基準を破壊した。

 ストーカーはそのような社会の闇の表れの一つであろう。この数十年で失われたものは大きい。自己中心的な人間が急速に増えつつあることに恐怖を覚える。

2012年12月13日 (木)

剛力彩芽と明子

 剛力彩芽のコマーシャルを初めて見た時、その可愛さに驚いた。こちらもいい歳なので、恋愛対象としてではなく、こんなかわいい娘がいたらなあ、と思った。こんな娘がいたらお父さんはめろめろになってしまうだろう。

 彼女のドラマは見たことはない。だからCMでしか知らない。

 何も知らずにあえて云えば、巨人の星の星飛雄馬の姉の明子によく似ているようにも思う。だからCMで、花形満が結婚を明子に迫る時、同時に彩芽ちゃんに迫っているように見える。父親としては「NO!」と答えるしかない。このCMをたびたび見るので「NO!」と云うのに今は忙しいのだ。

映画「恋するナポリタン~世界で一番おいしい愛されかた~」2010年日本映画

 監督・村谷嘉則、出演・相武紗季、眞木大輔、塚本高史、市川亀治郎。

 事故で二人の人間の魂?が入れ替わってしまう、と云うストーリーは使い古されていて、またか、とうんざりする。と云っても片方は死んでしまうので、厳密には入れ替わる訳ではない。

 相武紗季はえくぼが魅力的で、とてもかわいいが、この映画を見ていて結構いろいろな表情があり、思ったより美人に見える時があることを知った。彼女の扮する佐藤瑠璃という女性のキャラクターこそがこの映画の主要部分である。

 あり得ない出来事を周囲が受け入れだしても、瑠璃だけは頑なにその事態を拒否し続ける。そして誰もが思い描くであろうストーリーを辿らずに物語は進んでいく。そして彼女の本当の気持ちが見ている我々にも得心された時、心からおめでとう、と云う言葉の意味が分かる。

 EXILEの眞木大輔も相武紗季も決して俳優として優れてはいないから、やや危ういところはあるのだが、ストーリーの良さに助けられて一応破綻せずに映画は終了する。嘘くさい設定だったが、映画として一応合格である。

椎名誠「日本細末端真実紀行」(日本交通公社)

 椎名誠の旅の本、第二冊目である。昭和五十九年発刊。なつかしい。何せJTBではなくてまだ日本交通公社なのだ。主に旅の雑誌「るるぶ」に連載していたもの。

 旅の雑誌は男性よりも女性の方が読んでいるように思う。その雑誌に連載しているのにアンノン族をあざ笑うような記述が多い。最初の方はアンノン族の行きそうな所がわざといくつか選ばれている。神戸の異人館、渋谷のスペイン坂通り、倉敷の蔵の町並み、幕張の人口浜など。

 恥ずかしいところは椎名誠でなくても恥ずかしい。そして女性がわあきゃあ言う場所は大抵恥ずかしい。そして行き先は女性の好みを離れて恥ずかしいところに展開していく。

 男が一人旅に出かけて、観光地での賑わいを斜めに見ていると、観光客を含めてなにやら恥ずかしい。人は日常を離れたものを求め、観光地は非日常を仕掛ける。そんなものが透けて見えてしまうからだろう。

 でもそうやってたった一人で格好をつけている自分が最も恥ずかしいことを椎名誠はよく分かっているのだ。かくいう私も。

詐欺メール?

 携帯に調査会社を名乗るところから、電子消費者契約法に基づく依頼により、未払いの料金請求の代行を行う、とのメールが来た。電子消費者契約法というのは何だろうと調べてみたら、消費者が過誤により、電子的手続きで契約したものを救済する法律らしい。

 あなたはうっかり有料サイトと契約してしまったが、この法律で解約を代行します。ついては連絡が欲しい、無視したら法的手続きをとるぞ、と云う。こんな新手の詐欺があるのだ。詐欺であることが間違いないのは何しろ私はメールと電話以外携帯を使ったことがないので、そのようなサイトにアクセスは全くしていない。していないものはうっかりしようがないのだ。

 これで何の事か問い合わせでもしようものなら、相手にこちらを特定されて、あらゆる脅かしと共に請求が来るのは間違いない。こんなのは最近二回目で前回同様早速消去した。触らぬ神にたたりなし、連絡など取ったらえらいことになる。でも自信を持って思い当たるものがないから良いが、ちょっとでも、もしかして、と思う人は不安になるだろうなあ。

 電話でも時々おかしなのがある。以前は息子や娘に友人と名乗る人物から電話があったが、聞いた瞬間におかしな奴はすぐ分かるので、適当にかまをかけるとすぐ嘘だと分かる。これだからみんな過剰に個人情報を保護せざるを得なくなるのだ。全く世の中どうなっているのだ。もっとまじめに生きろよな。

パワハラ

 就業者のアンケートで、四人に一人がパワハラを受けた経験があると答えたそうだ。パワハラもいじめの一種のような捉えられかたをする。ただ何がパワハラで何が教育的指導なのか、明確な定義などある訳ではないから、パワハラを受けた人に対して、自分がパワハラをしたと自覚している人はほとんどいないのではないかと愚考する。

 同じ教育的指導を受けてもパワハラと感じる人もいれば、パワハラだとは感じない人もいるだろう。人には好き嫌いがあり、日によって機嫌のいい日とイライラしている日とがある。当たり前のことだが、本来問題にしなければいけないのは、常識を外れて理不尽なものなのだろう。

 逆説的な言い方になって恐縮だが、四人に一人がパワハラの経験がある、と云うことそのことに異常を感じる。本来問題にしなければならないパワハラと、人々の云うパワハラが違いすぎるから、対策として誰を目がけて何をしたら良いのか分からなくなってしまう。自分が不快を感じたらパワハラだ、などという感覚でパワハラを論じていてはほんとうのパワハラは其処に埋没してしまうだけだろう。

 組織にとって尤も扱いにくくて、出来れば採用したくない人というのは、上司の叱責を人格否定された、などと捉えてしまう人である。組織は民主主義ではない。組織の中では人間は平等ではなく、役割にもとづいた行動を強制されるのだ。パワハラというのはその組織の中での関係を逸脱して人格に深く関わるところまで力を及ぼそうとする暴力のことを云うのだと思う。その境目は明確な線が引けるものではないが、それを見分けるのが常識というものだろう。

2012年12月12日 (水)

外人だらけ

 本日午後、いろいろ買い物などがあって名古屋駅へ出かけた。名古屋駅のコンコースにはいつものように人があふれていたのだが、その三分の一以上が外国人であることに気が付いた。名古屋駅は普段でも外国人の多いところだが、こんなに沢山いるのを見たことはない。その上新幹線の改札口からは次々に外国人があふれ出してくる。そしてそれを出迎えるのも外国人だ。

 これでは今に名古屋は外国人に占領される。

 そうだ、今晩豊田でコリンチャンス(ブラジル)とアリアハリ(エジプト)の試合があるのだ。応援のブラジル人だけで一万人以上が来場すると云われる。そりぁあ外国人だらけになる訳だ。迫力満点。すごいなあ。

椎名誠「はるさきのへび」(集英社)

 椎名誠流の私小説集(短編三編)第六弾である。

第一話「階段の上の海」。不倫と云うにはかなり成り行き任せの恋愛が描かれている。常に退路を何となく横目で見ながら、男は恋をする。ずるいというのは酷であって(と言い訳するのは私が男だからか)、やはり人間はいつでも恋をしたいという気持ちのエネルギーはあるのであって、でも自分には妻も子供もいて、と云う宙ぶらりんの思いというのは苦しいものだ。苦しいけれど生きている実感と云うか躍動感みたいなものもあったりする。

第二話「海ちゃん、おはよう」。椎名誠が後にも先にもこれ一つ、と云う、子どもを産んだばかりの女性の視点で描かれた短編。些細なことに不安を感じたり、怒ったりしながら彼女は女という立場に母親と云う役割を加えていく。こうして女性は家庭の主導権を握り、世間に立ち向かっていくのだ。彼女には今、海ちゃん、がいるのだ。

第三話「娘と私」。椎名誠は「岳物語」、「続岳物語」と息子の岳の物語を書いたが、実は岳君の上には葉という姉がいる。岳物語を書き出した時、短編にするはずだったので家族を単純化して描いたが、案に相違して長い物語となって今ささら娘を登場させることが出来なくなった。そこで娘を改めて登場させたのがこの短編である。全くのマイペースで生きていく娘を母親(椎名誠の奥さん)は100%信頼して見ている。もともと椎名誠もとやかく口を出す方ではないが、その奥さんの泰然とした育て方で育った娘がどのように成長し、巣立っていったか。マイペースと云えば、かなりマイペースの娘を育てた私は、この短編を読んでとても嬉しい気持ちになった。とてもはらはらするけれど、親は信頼して見守るしかない、と覚悟するしかないのだ。親は子どもにまつわりつくべきではない。

映画「あぜ道のダンディ」2011年日本映画

 監督・石井裕也、出演・光石研、田口トモロヲ、西田尚美、森岡龍、吉永淳。

 学歴もなく、妻にも先立たれて男手一つで浪人中の息子と高校三年生の娘を育てている宮田(光石研)と云う男が主人公である。彼には、男はこうでなければならない、と云う強い思いがある。その思いに反して子供達には口もきいてもらえず、二人の子供がどこを受験するのかすら知らない。

 彼は運送会社に勤めているが、無口で人と打ち解けず、最近はあまりの無愛想さに孤立している状態だ。唯一の親友の真田(田口トモロヲ)と飲んでも些細なことに突っかかり、突然怒りを爆発させたりする。

 どう見ても彼の理想とするダンディとはほど遠い、人に一目置かれるような男などでは決して無い、いやなやつだ。だがそれは彼にある屈託があることから来るものであることがやがて分かってくる。

 最近彼は胃痛に苦しんでおり、酒以外の食べ物を胃が受け付けなくなっているのだ。若死にした妻の様子に酷似している症状に、自分が胃がんであることを確信せざるを得ない。

 病院へ行って検査を受け、死への準備を始めた彼は、後を真田に託す。

 その真田は長いこと寝たきりだった父親の介護に疲れた妻に逃げられ、父の面倒を見るために職を失い、その父親の死をようやく看取ったところである。幸い死んだ父親にいささかの資産があり、今はたった一人になったが、働かなくでも食べていける。気持ちの支えは親友の宮田なのだ。宮田はこの親友を見下しているように見える。でも友だち通しの間柄は二人の間で了解していればそれで良いのだと云う事を、映画を見ている内に改めて納得させられる。

 姿形はともかく、自分もダンディでありたいと思う男の一人として、この宮田という男は見ていて好きになれない。その好きになれない宮田のもがきを延々と見せられているうちに、子ども達二人と同様、この男を何時の間にか仕方なく受け入れている。

 この映画は120分ほどだが、私は90分くらいのところのクライマックスで終わった方が好いと思う。もちろん宮田がいやな奴のままで終わってしまうがそれで良いのだと思う。どうだろう。

 蛇足だが、死んだ妻の役の西田尚美は好きな女優だ。

2012年12月11日 (火)

無罪放免

 泌尿器科の検査の最終結果は白であった。無罪放免である。

 と云うことで泌尿器科は年に一度検査を受ければ良いことになった。さあ今日はちょっと料理を少し余分に作って一人で祝杯を挙げよう。

 ところで隣の部屋で工事が始まったようだ。コンクリートをはつるのかドリルで穴を開けているのかわからないが、ずうっと振動音が響いている。普通工事をする時には音が響くだろう先に対して、いつからいつまで迷惑をかけます、との挨拶があるものだが、今回はいきなりだ。だからいつまでこの音が響き続けるのかわからない。たまたま留守だったにしてもメモくらい置いておくのが礼儀だろう。不愉快だ。

 もともといま工事をしている部屋(壁の向こう)は、月に一度くらい若い男の泣きながらわめく声が聞こえることがあるおかしなところだ。建物の構造上、同じ階で壁の向こうなのだが、縦のラインが全く別なので、どんな人たちが住んでいるのか全く見たことがないから知らない。勝手に想像すると(かなりわめき声が大きいので内容も少しは聞こえているから全くの妄想という訳ではない)、引きこもりを続けたままもうすぐ三十歳という男と、その親が暮らしている、と私は想定している。自分が引きこもっているのはお前達親が悪いからだ、と云うことをくどくどと一時間から半日泣きわめく。ベランダ越しに覗ける様子では鉢植えも沢山おいてこぎれいにしているようなのだが・・・。そして犬を部屋で飼っている気配がする。もちろん普段は殆ど音は聞こえない。犬の吠え声がたまにするのとその泣きわめきの日(幸い多くても月に一度程度)だけである。其処から工事の音がする。

 もしかして何かあって住人が入れ替わるのかも知れない、などとも思っている。二、三ヶ月泣きわめきの声を聞かなくなれば多分そうだろう。

 さすがに五時を過ぎて工事の音が止まった。明日もうるさいようなら出かけようか。

座椅子

 寒くなったらこたつ守になっている。出かける以外は殆どこたつに入ったまま本を読み、映画を見、ブログをやり、食事をし、ゲームもする。だからこたつの上には大抵のものが乗っているし、脇にミニテーブルを置いて七つ道具を乗せて立たずに何でも出来るようにしている。

 ただこたつだからあぐらをかくか足を伸ばした状態で坐っている訳で、長時間そうしていると腰が痛くなる。そう云ったらドン姫が座椅子を買ってくれた。

 少し大きめで、肘掛けもついている。とっつぁんは大きいからおしりが入るかなあ、などと云っていたが、問題なくすっぽりと収まる。とっても楽である。王様になった気分だ。

 ただますますこたつから離れられなくなりそうだ。うー極楽極楽。

結果は如何に

 日曜日は姪の結婚式であった。JR新浦安駅のそばのホテルでの挙式だったので、娘のドン姫と車で行った。息子は広島から直接合流。

 中々良い結婚式だった。映像を旨く使っている。式場の一方的お仕着せの式ではなく、列席した人たちがそれぞれ自分が参加していることを実感出来るような、心がこもった大変良い式だった。

 昨日は息子と娘と三人で名古屋に引き返し、息子は一息入れてから広島へ帰った。次に会うのは正月だ。みんな一人前になってしまい、親父面してえらそうに云うのが何だか照れくさい。

 本日午後は、先日精密検査した泌尿器科の最終結果を聞きに行く。念のためのがん細胞培養試験が白なら、泌尿器科については現時点では無罪放免だ。来週は肩痛の治療で同じ病院の整形外科へ行く。来月は糖尿病の定期検診と栄養相談。何時の間にか病院通いの爺さまに成り下がっていたのだ。好い加減にしないと寿命を延ばしているのか縮めているのかわからない事態になりそうだ。マズイ。病院通いしながら健康のことばかり考えている、なんていう生き方だけはしたくなかったのに。

椎名誠「地球どこでも不思議旅」(小学館)

 多分これが椎名誠の海外旅行記の最初の本である。

 プロレス好きの椎名誠が最初に選んだのがメキシコ、覆面プロレスラーの国だ。メキシコシティに降り立った彼はルチャ・リブレと呼ばれるメキシコプロレスの熱狂に圧倒され、テキーラを痛飲して猛烈な二日酔いとなる。メキシコシティは高度二千メートルなのだ。酸素の薄いところでは二日酔いがひどい。煙草を咥えさせられて胃袋をはき出す蛙のように、自分の胃袋を裏返しに吐き出して洗濯したくなるような二日酔いの苦しみは身に覚えのあるものにしかわからないだろう。

 次に京都を訪問。修学旅行以来の訪問で彼は京都をこき下ろす。京都タワーをこき下ろし、金閣寺をこき下ろし、八つ橋をこき下ろし、平安神宮をこき下ろす。何だかひねくれ高校生の修学旅行旅のようだ。良いところもあるのだが・・・。でもここまで徹底するとその痛快さに手放しで賛同したくなる。

 この調子で出雲へ行き、竜飛岬へ行き、四国の高松へうどんを食いに行く。手当たり次第にこき下ろしながら、しかしうどんだけは正直にそのうまさに感動している。

 次に大好きなラーメンのルーツを訪ねて中国へ渡り、ついにはシルクロードの街、敦煌まで行く。だが旨いラーメンに出会うことがなく、さまよい歩いた果てについにこれだ、と云う懐かしい味に出会うのだがそれは何か?

 中国で旨いラーメンを食べたかったら日本のラーメン屋を捜すべし。これは中国人も認める事実なのだ。中国にはほんとうに旨いラーメンはない。一度だけシャンハイで骨付き鶏肉ごろごろの中国ラーメンを食べた時旨いと思ったことがあるが、あの中国のごつい包丁で鶏肉を骨ごとぶった切ってあるので参った。鳥の骨は猫もいやがるような骨片が尖った割れ方、砕け方をするので骨の破片だらけなのだ。中国の人はその骨のかけらをぺっぺっとそこら辺に吐き出しながら平然と食べているが、中々真似出来ないもので、口の中でごにょごにょしていると鬱陶しいこと甚だしい。

 椎名誠が若くて血の気が多かった時の勝負旅の話、自分の若い時を思い出して楽しめる。

2012年12月10日 (月)

テレビの沈黙シリーズ

 沈黙シリーズと云えばスティーヴン・セガールだが、日本ではセガールが主演した映画は内容に関係なく「沈黙の・・・」と題をつけるのが普通になってしまった。そのセガールが主演するテレビドラマ六部作をWOWOWで放映したものを録画しておいたので通しで見た。

 ケイン(セガール)がリーダーのシアトル警察特別捜査課が扱う事件の物語である。部下は男女二人ずつ、ハイテンポで凶悪事件を解決していく。
第一話「沈黙の宿命」ロシアの麻薬密売組織との対決。
第二話「沈黙の啓示」猟奇連続殺人犯を追う。
第三話「沈黙の背信」毒物入りのドラッグ密売組織を追う。
第四話「沈黙の弾痕」市会議員の暗殺未遂事件とカルト集団を追う。
第五話「沈黙の挽歌」日本ヤクザの武器密輸組織を追う。
第六話「沈黙の神拳」連続レイプ殺人事件、ダイヤ密売事件、ケイン自身の過去にまつわる事件が錯綜する。

 ケインの格闘技は圧倒的に強くて誰も歯が立たない。結局それに尽きる。それぞれ90分あまり、ストーリーもよくできているし、テンポも速く、映像も綺麗で脇役もしっかりしている。だからだれるところがなくて楽しめるが、一気に見るのは結構疲れる。テンポが速過ぎて物語が見えにくくなるとところがあるが、これは字幕の限界かも知れない。少なくとも時間の無駄ではなかった。

クレーム

 米ぬか入り入浴剤を漬け物に入れたら食べられなくなった。
 料理酒をお酒として飲んだらまずかった。
 飲みかけのジュースをロッカーに入れておいて十日後に飲んだら腹をこわした。
 缶ビールを冷凍庫に入れておいたら破裂して冷凍庫が汚れた。

 クレーマーが世の中をおかしくしていると何度も云っている。上に掲げたのはNHKで取り上げていたメーカーが受けた大真面目なクレームの一部だ。消費者の常識の著しい欠如が窺われる。何度も言うようにお客様は神様である、と云うキャッチフレーズほど亡国の言葉はないと思っている。こうして膨大な社会的コストをかけるようになり、安全のための無駄が凄まじいものになっている。しかもそれは日本人の多くが生きる力を失うことにつながっている。そして産婦人科医や小児科医は激減している。クレーマーのなせる結果である。

 何処か韓国や中国の反日運動に似て、訴えている側は正義の立場を確信して、自らに問題かあるかも知れない、などとは毛筋ほども考えることがない。わかっていちゃもんをつけているヤクザよりたちが悪い。

 生産者受難時代だ。本当に理不尽で可哀想だと思う。平和で安全すぎるせいかもしれない。それこそ大都市で大災害でも起きないと目が醒めないことだろう。

小沢昭一・続き

 小沢昭一の最期の様子が伝えられた。自宅で夫人に見守られながら静かに逝ったそうだ。

 病院で管だらけにされていつ死んだのかよく分からない死に方をするのが普通の時代に自宅で死ぬというのは小沢昭一らしい。

 そう言えばこの人、水洗便所にすることに抵抗し続けてずいぶんいつまでもくみ取り式だったと聞いた。

さらば小沢昭一

 今日小沢昭一が死んだ。あの放送回数1万回を超える「小沢昭一の小沢昭一的こころ」と云う番組を続けることが出来なくなったのを知り、この日が来るかも知れないと恐れていた。残念ながら再起はかなわなかった。どれほどあの番組を楽しみにしている人がいたかと思う。黙祷。

 多分小沢昭一はテレビが好きではなかったと思う。テレビはなぜ小沢昭一に好かれなかったのか。其処にテレビの提供するエンターテインメントの問題点があるのだと思う。

2012年12月 7日 (金)

東へ行く

 東へ行くと云っても今回は姪(弟の娘)の結婚式だ。今晩、ドン姫と夜中に出発する。結婚式は9日の夕方から。息子も広島から来る。少しくらい雪が降ってもスタッドレスをはいているから平気だ。

 ところで今日の三陸沖の地震は、名古屋でも揺れた。ゆったりと長周期の揺れがしばらく続いた。まだ天変地異の可能性が高い状態が続いているようだ。

 日曜日の結婚式では乾杯の挨拶をするように弟から依頼があった。乾杯の音頭は短いほど良いし、決まり文句でかまわないだろうから引き受けた。

 と云う訳でブログは月曜日に帰ってくるまで休み。

池波正太郎「浮沈」(新潮社)

 剣客商売シリーズ第16弾・特別長編。

 この巻にはいつもの中一弥の挿絵がない(文庫本には挿絵がない、私は単行本で読みかえしている)。表紙も違う。何と池波正太郎自身が装幀と表紙の絵を描いている。表紙の秋山小兵衛と覚しき老武士の顔がまるで違う。池波正太郎のイメージはこうなのだろうか。これなら藤田まことでもおかしくない。もしかしたら藤田まことが配役されたのでイメージを合わせたのか。中一弥の挿絵通りなら藤田まことはあり得ない。私は中一弥の挿絵のイメージであるから、月形龍之介が明るい顔をして演じたら良いくらいに思っている(もういないけれど)。

 現在66歳の秋山小兵衛が40歳の時、頼まれて敵討ちの付き人を引き受けた。結果として相手の付き人と闘うことになったところから話は始まる。小兵の小兵衛に対して相手の山崎勘助という武士は巌のような強力の剣客であり、小兵衛も苦戦を強いられるが、敵討ちは首尾良く終わり、小兵衛も相手を倒す(この苦戦の後、小兵衛は自分の未熟さを覚ってさらに研鑽を積んだとある)。

 そして時を経て、この山崎勘助の息子、山崎勘之介との意外な出会い、そして小兵衛が助太刀した小兵衛の弟子であった滝久蔵との関わりについて物語は展開する。

 滝久蔵はめでたく親の仇を討って国元に帰った。しかし数年後には小兵衛に手紙すらよこさなくなっていた。小兵衛は滝久蔵がどのように暮らしているかおよそ想像がついていた。その滝久蔵の変わり果てた姿を小兵衛は偶然目にする。そして陰ながらその住まいや暮らしを見守る。

 小兵衛が昔世話になった金貸しの御家人がこの滝久蔵と関わり、悲劇が起こる。異様な面体で如何にも悪相なこの御家人は人に嫌われていたが、小兵衛はその質が善であることを良く承知して気に懸けていた。

 山崎勘之介、滝久蔵、そしてこの金貸しの平松多四郎とその息子、伊太郎の運命が転変する。そして理不尽なものに対して小兵衛の怒りの剣が振るわれる。今回は大治郎の出番は少ない。

 それにしても大治郎の子、小太郎が殆ど描かれていない。もっと書かれて良いはずなのだが。そう言えばエッセイなどでも池波正太郎は家族のことは殆ど書くことがない。妻女と母親についてはいささか記述があるが、子供のことは全く言及しない。書かないことに決めているのだろうか。

 平松多四郎の運命について、救いがない。ただ息子の伊太郎がそれを怨みとして残さず、乗り越える様子を描くだけである。時に運命は残酷で理不尽ある。そのことを池波正太郎は読者に突きつける。何もかもハッピーエンドという訳には行かないのだ。

欠礼挨拶

 年末になって「喪中につき年頭の挨拶を失礼させて戴きます」との欠礼挨拶状が次々に届く。昨年末は私も欠礼挨拶状を送らなければならなかった(父が5月に死んだので)のだが、サボった。年賀状はもちろん出さなかった。父の訃報を知らせなかった人も多いので当方からの年賀状が来ない理由がわからなかった人も多かっただろう。だから年賀状を戴いた人達には、松の内が明けた後で理由を書いた手紙を送った。

 昨晩兄貴分の人から縁のあった人の訃報をもらった。昔新人時代に東京でお世話になった、営業所の主と云われたおばさんだ。今年の8月に亡くなっていたのだという。二回り以上違うから九十近かっただろう。
 初めて会った時に別室に呼ばれて面白いことを云われた。「関西の人は信用出来ないから注意しなさい」というのだ。もともと会社は大阪が本社だから社員は西の人ばかりである。

 そう言えば新人研修を受けて配属希望をきかれた(あまり例がないことだったらしい)時、地元が関東と云う事もあり、東京を希望した。配属先が希望通り確定して辞令が出たら、仮寓していた会社の寮で先輩達が口々に「東京へ行くのか、大変だなあ」と声をかけてくれた。まるで伏魔殿に行くのを慰めてくれるような口ぶりだった。

 東京には鬼のような駐在重役とそのおばさんがいる、取って食われるぞ、ということのようであった。そう思われていることを承知しているからそのおばさんも頑なになっていたのかも知れない。

 いや、当時新人の私にとって年齢から云えばもちろんおばさんに違いないのだが、いつもおしゃれだし、若い時はそこそこ美人だったろう、と云う面影が残っていたから私は悪い印象を持たなかった。だからその後、結構えこひいきをしてもらうことになった。営業所の旅行や社内旅行などには必ず参加した。大きな鞄に衣装を詰めこんで、夜の宴会にはすてきな衣装を着飾っていたのが忘れられない。

 その後10年ほどで転勤してしまってからは年に一度くらいしか会うことがなかったけれど、容色はいつまでも衰えることがなかった。ずっと母親の面倒を見続けて独身であったから、寂しくはあっても対人関係の苦労は少なかったのかも知れない。

 久しぶりに懐かしい人を思い出した。これで供養とさせてください。

2012年12月 6日 (木)

映画「シャンハイ」2010年アメリカ・中国合作

 監督ミカエル・ハフストローム、出演ジョン・キューザック、コン・リー、チョウ・ユンファ、渡辺謙、菊地凛子。

 時は大戦直前の1941年秋、舞台はシャンハイの租界地区。レジスタントによるテロが横行し、不審人物を容赦なく追い詰めては逮捕したり、抵抗すれば射殺する日本軍が街にあふれていた。
 アメリカの諜報員ポール(ジョン・キューザック)は友人で同じく諜報員のコナーの死の知らせを受け、香港にやってくる。コナーはスミコという日本女性とつきあいながら何かを探っていたらしいのだが、それが何だったのかわからない。そしてそのスミコという女性の姿もない。

 ポールはコナーの隠し部屋を発見。其処には沢山の写真が残されていた。その写真に写っていた人物を洗っていくのだが・・・。

 シャンハイの裏社会の首魁であるアンソニー(チョウ・ユンファ)に接近したポールはアンソニーの夫人のアンナ(コン・リー)が実はレジスタントであることをかぎつける。レジスタントを徹底的に取り締まろうとするタナカ大佐(渡辺謙)がポールやアンナに迫る。

 その執拗な追求に何か裏があるとポールは気が付いた。それをコナーは知ったために殺されたのだ。ポールはついに日本の軍艦が不審な行動をしていることに気が付く。その秘密を知るのはスミコという女性(菊地凛子)だった。そのスミコをレジスタント達はかくまっていたが、スミコは重症の麻薬中毒にかかっていた。

 そのスミコのもとにポール、アンソニー、アンナ、タナカ大佐達が集まってくる。明らかにされた秘密とは何か。

 もう少しひねりがあっても良いが、よくできている。香港の当時の租界の様子や群衆の姿もとてもよくできていてリアリティがある。

 エスピオナージとしてはまあまあではなかろうか。

過剰な悔やみ

 勘三郎が死んだ。歌舞伎界の至宝が失われた、などとその死を悼む声が多い。だがまだ勘三郎は至宝ではなかったと思う。多分これから10年くらいこそが歴史に残るような名演技を見せる所だったように思う。今までは沢山の交遊などでいろいろな物を蓄え続けてきた時代で、それを自分の血肉として表現に厚みと奥行きを加えていったのではないか。それを永遠に見ることがかなわないことを悼む。

 10年ちょっと前に志ん朝が63歳で死んだ。肝臓癌だった。この人も本物になってきた所で、このまま行けば親の志ん生を超えるかも知れない、と思われた。至芸をこれから見せてくれるはずのところで死んでしまった。

 志ん朝については落語はもちろんだが、池波正太郎の鬼平犯科帳の朗読が忘れられない。その中の「血闘」と云う物語で、おまさが悪人達にとらわれの身になった所へ平蔵が単身で飛び込んでいく。その迫力、おまさの心もち、平蔵の怒り、全てが朗読の中に込められていた。名人芸だった。

 テレビでは朝から晩まで競争で延々と勘三郎を追悼する番組を繰り返している。あのハイエナのようなルポライター達が神妙な顔で勘三郎の身内のような話をしている。

 過剰な悔やみは死者を安らげない。彼等は勘三郎の死をとっておきのネタとして悔やみを演じているように見える。好い加減にして静かに送ってあげないか。

宮崎正弘「現代中国『国盗り物語』」(小学館新書)

 副題「かくして『反日』は続く」。

 現代中国の共産党政府はどうなっているのか、そのことについて歴史的背景と共に明快に説明されている。このようなとらえ方は皮相的だとして嫌う人もいるかも知れないが、私はとてもよく分かったし、普段感じていたことがあまり間違っていなかったと云う事に安心感を覚えた。

 意見を異にする人もこの本を一度そのまま読み通してもらいたい。そしてこの二十年間の中国のニュースの数々、そして日本に対しての行動、東南アジアに対しての行動などを思い返してもらいたい。著者の云っていることが決して偏った思い込みではなく、現実であることに気が付くだろう。

 日本人は中国について思い込みで幻想を持っている所がある。それは中国四千年の歴史を背景にしての漢文的知識の中国像だ。私もそれを根深く持っている。しかし現実の中国はそのようなものではない。共産主義で国をまとめて以来そのようなものでなくなったのではなく、もともとそのようなものではなかったのだと云うことは、中国を知るほどにわかってくる。

 中国が現在共産党王朝であること、初代の毛沢東から主権がどのように引き継がれていったのか。その引き継ぎにどのような権力闘争があったのか。そして最新の習近平という皇帝は如何なる基盤のうえにあるのか、中国の現在抱えている問題に何処まで対処出来る人物なのか。

 反日の背景と、日中関係は今後に希望はあるのか。それについてはこの本を読んだ後に自分なりに考えてみたら良いだろう。そのための材料はこの本に山盛りに盛り込まれている。

*この本の中に日本軍が『三光作戦』についての言及がある。中国で、日本軍の残虐行為をあげつらう時に必ず引用される言葉なのだが、この本で疑問に思っていたことが氷解した。三光とは焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす、ということである。「光」という字に日本ではそのような使い方はない。このような意味で使うのは中国のみである。中国の用語を使って日本がそのような作戦を展開した、と云うのは考えにくいことで、中国が後でねつ造したものであることがうかがえる。

**本多勝一という朝日新聞の記者であり著名なルポライターがいる。知床の自然保護などの運動もして尊敬もしていた。文化大革命の最中に中国で取材して日本軍が如何に残虐な行為を行ったかというルポを行っていたが、私は不思議なことにその記事に違和感を感じていた。多分記事が殆ど一方的に中国側の提供している情報を検証無しに事実として書き連ね、日本をひたすら誹謗する文言にあふれていたからだ。日本軍がこんなに救いがたいほど悪人だらけだったという主張は明らかに嘘くさいではないかと感じたのだ(私の父親も日中戦争に従軍していたから特にそう感じた。戦争だから父親が敵を倒したことはあっただろうが、悪逆非道なことをする人間だとは思えない。殆どの日本軍兵士がそうだったろう)。

 この本の中でとても重要な部分だと思ったのは、中国共産党の軍は、いくつかの戦闘以外は殆ど日本軍と干戈を交えていないと云う事である。日本軍が戦っていた中国軍というのは国民党の軍隊、蒋介石の軍隊であったことである。そして中国共産党は、国家の主権を握った根拠を日本軍と戦い、中国大陸から日本軍を駆逐して独立を勝ち取ったことに置いていると言うことだ。実は日本に戦勝したのは国民党が支配する中華民国であった。だから国際連合は中華民国を常任理事国とし、正式に中国を代表すると認めていたのだ。中国共産党は投降した日本軍の武器を奪い、日本軍との戦いに疲弊した国民党軍をゲリラ的に駆逐していってついに中国大陸から追い出すことによって中国に王朝を打ち立てた。それから後の事はこの本を読んで欲しい。

2012年12月 5日 (水)

BS時代劇「猿飛三世」

 録画していた一話45分、全八話を一気に見た。計算上は六時間である。

 舞台は京都、伝説の忍者・猿飛佐助の孫、同じ名をつけられた猿飛佐助が主人公である。残念ながらこの孫は祖父の名を汚すような意気地無しである。血を見るのが嫌い、ましてや人を殺すなどと云うことは全く出来ない。その佐助が、守るべき女性のために身を捨てて成長していく、と云う物語である。

 このドラマの対象年齢は小学生くらいだろうか。中学生以上になるとけっ!などと云ってたちまちテレビの前から去って行くであろう。

 対象年齢が低いのは、私のような幼稚なものには我慢出来ないことではないのだが、いい加減にしてくれ!と思う所が頻出する。例えば武家の娘が上座(床の間を背にしている)に座ったまま父親が入室するのを待つ姿などと云うのは今だってあり得ない。

 舞台になった時代は江戸時代である。身分制度は厳格に適用されていて人々はそれが当たり前だと思っていた。ところがこの物語では人々が民主主義に目覚めつつあるかのようだ。年下で目下の者が自分より目上の人に平気でため口をきいている。いくら何でもひどすぎる。これでは子供が江戸時代についての認識を間違ってしまう。

 などと目くじらを建てるのも大人げないのだが、細部のリアリティをここまでおろそかにすると全部が嘘くさく、薄っぺらになってしまう。

 その上格闘シーンが殆ど一昔前のカンフー映画である。五発も十発も殴ったり蹴ったりしているのに何度でも立ち上がる。グローブをつけている訳ではないのにこいつ等不死身か。殴れば手も痛いし殴られれば怪我もする。

 何だか仮面ライダーの時代劇版みたいだ。だから小学生向けだと云ったのだ。ちょっと期待外れだった。疲れた。

右傾化をチャンスとみる

 アメリカの中国系新聞が「日本の右傾化は中国にチャンスをもたらす」と云う記事を載せた。

 中国は、尖閣諸島を国有化したことを日本の右傾化の流れの象徴とする。さらに安倍自民党総裁の憲法改正の主張や、石原慎太郎の核開発の言及などを右傾化と非難している。

 ではなぜそれが中国にとってチャンスなのか。

 中国は核兵器の先制使用はしない、そして核を持たない国への核攻撃はしない、と言明している。だから日本を核攻撃することはしないし出来ないことになっている。

 しかし日本が右傾化しているのだから、日本を核攻撃することの大義名分が立つから日本を核攻撃出来るチャンスである、と云う訳だ。

 何と云う傲慢な考え方であろうか。このようなマスコミの煽り方は中国政府に影響を与える。中国政府はやや弱体化しているので民意を反映させざるを得ないのだ。このような記事が民意を反映している訳ではないが、このような記事が民意を作り出す。(日本がむかし、新聞が同様にして軍部に迎合して民意を煽り、戦争へ突き進んだことを忘れてはならない。その新聞が政府の戦争責任をなじるが、自らが当時を省みて反省したことはない)。

 多分社民党や共産党はこのような記事を見れば、だから日本の右傾化は他国を刺激して戦争の危険が生ずるのだ、と云うだろう。だから国民から見放されるのだ。

 日本が軍国主義化していると断定している中国と韓国の見方に異常にゆがんだ認識を感じるのが正常な神経であろう。日本人は日本が軍国主義だなどと云われても何の事かと思う。いいがりをつけておいて一方的に相手を悪人扱いする国は敬して遠ざけておくにしくはない。

2012年12月 4日 (火)

水が漏れ出すダム

 カンボジアの水力発電用のダム建設プロジェクトを中国が請け負い、現在4箇所で建設中である。

 その最大のダムの排砂口から突然水が漏れ出し、10人が水に流され、道路が冠水して寸断状態になったという。幸い数名の負傷者はあったものの死人は出なかったという。これでは水が漏れたと云うより決壊に近い。

 このダム建設の責任者によれば「貯水水位が高く、その水圧で突然水か漏れ出した」のだそうだ。責任感など微塵も感じられず、平然たるものである。

 貯水水位が高いと漏れ出すようなダムではまずいのではないだろうか。つくってからの補修は可能なのかどうか心配になる。当然安全を見越して設計されているはずだから、それでも漏れるのは何か手抜きがあったのだろう。

 先般のASEANではカンボジアは必死で中国の肩を持っていた。中国に借りがあるからだ。でもこのようなプロジェクトも中国に食い物にされていると気が付いた時には、他の東南アジアの国々と同様に、中国に対して反感を持つようになるであろう。

トンネル崩落について

 中央道の笹子トンネルの天井板崩落について、今朝の時点ではトンネル上部で支えていたボルトが腐食により抜けたことが原因かのような報道がされている。現象からそう推定しているのだろう。

 専門家も同様なコメントを出しているので多分そうなのかも知れないが、130mにも亘って一斉に脱落したというのが不審である。ボルトが全て一斉に抜けたというのだろうか。それとも一部が抜けたのでドミノ倒しのように波及していったというのだろうか。

 ボルトは上面のコンクリートに接着剤と共に埋め込まれていたようである。私の憶測だが、コンクリートと接着剤とボルトの支え合いが、ある範囲で一斉に効かなくなったような現象があったのではないか。

 トンネル工事の際には破砕帯で苦労することがある。130mと云う範囲と位置はそれに合致していたと云うことがなかったか。地震がここのところ頻発していた影響がなかったかどうか。上面のコンクリートが破砕帯の水の影響を受けてボルトと接着剤に影響していたと思うのだがどうだろうか。それならこの広い範囲での一斉の崩落と云う事も説明出来るのではないか。素人の意見で申し訳ないがそう愚考した。

安保適用

 アメリカの上院で日米安保条約の尖閣諸島への適用を確認した国防権限法案の修正案を可決した。下院でも間もなく可決する見込みで、オバマ大統領が最終的に署名することで確定する。

 中国政府は「アメリカは尖閣問題については特定の立場をとらない」と云ってきたのにこれは言行不一致であるとして、断固反対を表明した。

 断固反対、と云ったってよその国の決議に中国が参加する訳には行かないのだ。それに最初からアメリカのクリントン国務大臣は、尖閣諸島は安保適用範囲である、と言明していた。だから首尾一貫している。言行不一致などではない。中国を訪問した人間が中国を刺激しないように言葉を選んでいたに過ぎない。

 アメリカのこの決議は、中国に軍事行動をさせないことにつながる。だから中国は何年かかっても軍事行動一歩手前での威嚇示威行動を続けていくことだろう。日本もひたすらそれに耐え続けなければならない。海上保安庁がんばれ。それにつけても海上保安官の募集に応募が沢山ある、と聞くと日本の若者は捨てたものではないと嬉しくなる。たとえそれが「海猿」の影響であろうとも。いや、だからこそか。意気に感ずる若者がちゃんといると云うことなのだから。中国では海監のなり手がいないらしい。

2012年12月 3日 (月)

映画「カウボーイ&エイリアン」2011年アメリカ

 監督ジョン・ファブロー、出演ダニエル・クレイグ、ハリソン・フォード、オリヴィエ・ワイルド。

 西部劇のカウボーイとエイリアンが闘うという、かなりB級チックな話を大真面目で作っている。

 記憶を失って砂漠で目覚めた男(ダニエル・クレイグ)。腕には奇妙な腕環が嵌められて腹には怪我を負っている。其処へインディアンから剥いだ頭の皮を鞍にくくりつけた三人の賞金稼ぎのような男が通りかかる、と云う所から物語は始まる。

 最初はその息子とのいざこざで敵役になる地元の顔役ダラーハイド大佐(ハリソン・フォード)だが、後には共にエイリアンと闘うことになる。

 記憶を失った男の名はお尋ね者のジェイク・ロネガンであることが明らかになるのだが、本人は全く覚えがない。そのジェイクにまとわりついて協力を頼んでくるなぞの女・エラ(オリヴィエ・ワイルド)。

 西部の小さな街で顔ぶれが揃った所へエイリアンの襲撃があり、町の人々が連れ去られる。ダラーハイド大佐と牧師、ジェイクやエラ達はエイリアンを追う。

 アパッチインディアンやジェイクの昔の手下達も途中で加わって、ついにエイリアンとの死闘が始まる。

 このエイリアンは「エイリアン」シリーズのエイリアンにやや似ているが、明らかに違う。もう少し知性的で、エイリアンとプレデターをまぜてもう少し敏捷にしたようなものだった。ただしプレデターのように姿が消えることはないから闘いやすい。

 感動的に面白い、と云うことはないが、大真面目でつくっているので結構のめり込んでみることが出来る。こんなのもありだ。面白かった。

一人っ子政策

 中国では一人っ子政策を実施していることはご存知の通り。しかしそのために人口構成にゆがみを生じ、特に男女比にも著しいアンバランスを生じている(出生する男性が女性の1.2倍以上と云われる)。

 この一人っ子政策がそろそろ見直されるだろうという噂が出ていた所、先日国家人口計画生育委員会の委員がメディアのインタビューに答えて「この政策の修正案として、都市部の夫婦は第二子を産むことが許されることになる見込みが高い。また農村部でも二人以上の子供を持つことが許されるだろう」と述べた。現行制度では一人っ子どおしの子供に限り例外的に第二子が許されることもあるが、更にその枠が拡がるだろうと云う事だ。

 ところが当局はこの発言を否定。これは個人的見解であり、正式の政府の発表ではない、と全面否定した。どうなっているのだろうか。

 一生のうちに女性が産む子供の数を統計的に合計特殊出生率という。男子と女子が同数であると仮定するとこの合計特殊出生率が2.0で長期的に見れば人口は増減せず横ばいとなる。現実には男性がやや多いのが自然なため、2.08が均衡線と云われる。日本はこれが1.3前後で推移しているので人口は減りだしている。

 中国が一人っ子政策を厳密に適用しているとするならば、理論的には合計特殊出生率は1.0以下の筈である。全ての女性が子供を産むとは限らず、また、男女比も中国では著しく偏っているからである。

 ところが、やや古いデータしか中国は発表していないのだが、中国の合計特殊出生率は何と1.75なのである。一人っ子政策を実施している国が何もしていない国よりずっと出生率が高いのだ。

 ちなみに統計値の年代がバラバラなのだが、韓国が1.15、台湾が0.909、アメリカが2.12、インドは3.11、ベトナムも3.11、タイが1.80である。

 いかに中国の一人っ子政策というのがインチキか、よく分かるであろう。二人目の子供をどうしても産みたい場合は、巨額の罰金を支払わないとならない。大金持ちだけがなし得ることなのだが、実際は当たり前に二人目を産んでいるとしか思えない。このからくりはこの一人っ子政策を監視する役割の委員達の懐に入る巨額の裏金である。罰金を支払うよりはその監視委員達に払う金の方が安くてすむ。持ちつ持たれつなのである。

 こんなに旨い汁が吸える一人っ子政策を止めるはずがないではないか。

民族英雄

 韓国で、日本大使館に火炎瓶を投げ込んだ罪で裁判にかけられている劉強と云う男は、昨年末に日本で靖国神社に火炎瓶を投げ込んだ罪も犯していたことがわかっている。

 日本と韓国では犯罪者を引き渡すという条約を結んでいる。その条約に従えば、現在の裁判がおわり次第日本での犯罪を裁くために日本に身柄が引き渡されることになる。

 この男が中国系である、と云うことで、中国では「民族英雄」を日本に引き渡すな、と云う声が高まっている。(マスメディアが盛り上げているのだが)。この声に韓国メディアも同調している状態で、韓国政府は板挟みになっている。

 国際的には、通常の犯罪者は引き渡し条約に従って引き渡されるが、政治犯については例外とされる。中国政府と韓国メディアはこの男が政治犯であると強弁している。

 韓国政府は当初単純な犯罪者と見なしていたが、この状勢を見て困惑。政治犯であるかどうかを裁判所の判断にゆだねることにした。

 ところが何と中国大使館が韓国政府に対し、日本に身柄を引き渡すな、中国によこせ、と申し入れを行ったという。さらに裁判に敏腕弁護士五人を送り込んだ。

 中国が日本に身柄を引き渡すな、と云う主張をすると云うことは、韓国の裁判に対して国家として介入することと云ってもいい。韓国は反日であれば自分の国の主権が侵されてもかまわないというのか。

 中国は政治が司法の上位にある異常な国であるが、韓国はそうではないはずだ。もし裁判所の判断が政治犯だ、と云う判断であった場合、その判断は裁判所が独自に行ったものか、中国の圧力によって為されたものか分からなくなる。だから他国がこのような介入をすべきではない。韓国はいつから中国の属国になったのか。実はとっくにそうだったのか。

2012年12月 2日 (日)

地下鉄のマナー

 中国の大都市では急ピッチで地下鉄建設が行われ、殆どの都市で2012年までに完成し、操業が開始されている。あまりの拙速な工事のために、地上の道路の陥没や地下鉄構内の壁面崩落などの事故報告が相次いでいる。どこの国でもあることながら、特に中国に甚だしいのは工事予算が工事そのものへ投入される割合が低いらしいことだ。関係先への金のばらまき、資材や工事の手抜きが当たり前のように横行していると噂されているのだから当然の結果とも云える。

 それとは別に地下鉄でのマナーについても問題があると云われる。

 天津市の地下鉄と新聞社が市民にアンケートを採った。
「許せない地下鉄車内のマナー」
1.痰を吐き捨てる。
2.駅構内や車内での排泄。
3.駅構内や車内での喫煙。
4.乗り降りの順序を守らない。
5.異臭のするものを持ち込む。
6.座席に横になる。
7.ペットを持ち込む。
7.ガムを吐き捨てる。
9.ゴミを捨てる。
10.線路にものを捨てる。

 これは実際に見ることが多いから指摘されたことばかりなのだろう。日本では普通の人はまずやらないことばかりである(チンピラ高校生などがわざとこのようなことをすることがあるが、ただのバカである)。
中国人が特に地下鉄に限らず、顰蹙を買うことのある行為ばかりであり、これは中国が反日愛国教育などに力を入れる前に、子供に一から教えるべきマナーであろう。やらなくて良いことをやり、やらなければならないことを怠ってきたことのツケがこのような恥ずかしいアンケート結果となったのであろう。

 そして「良識のある行為」の答が
1.高齢者や病人、障害者や妊婦に席を譲る。
2.譲り合って乗降し、順序を守る。
3.落ちているゴミを拾ってゴミ箱に捨てる。
4.子供に車内で排泄をさせない(!)。

 成る程と思うと共にそもそもあり得ない物もあって笑ってしまう。
車内(!)で子供に排泄させるのが普通のことらしいことがわかるであろう、なにしろ排泄させないことが良識ある行為なのだから。

わめき合い

 衆議院選挙の公示を前にテレビの報道番組は各党の代表をそろえての議論が喧(かまびす)しい。各党と云っても一時は15も16もあったから雛壇に二段になるほどの数だ。今はやっと11くらいに絞られたとはいえ、番組にはそれだけの人々が顔をそろえる。

 集まった人の半分は人の話を聞けない人だ。だから人が話している最中に割り込んで自分の主張をわめき倒す。特に社民党の福島瑞穂さんはそれが甚だしい。殆ど強迫観念に駆られているような興奮ぶりだ。他にも主張を始めたら止まらない人は多い。自分は正しい、と信念を持っていることは善しとしよう。しかしだから自分以外の意見は間違っている、と云う原理主義的な主張の仕方には非常に不快を感ずる。

 そもそも政治家というのは国民を代表するものであり、国民の意見を善く聞いてその代理とならなければならない。しかし人の話が聞けないような人が国民の声を聞くことなど出来るはずがない。もちろん本人はちゃんと聞いている、と主張するであろう。しかし彼女や彼が聞いているのは自分の考えと同じ人の声だけだ。彼等にとって自分と違う意見の人の声は存在しないに等しく、国民の90%が自分と違っても平然と自分の意見を主張し続けるだろう。

 人の話は聞く耳持たぬ、と云う姿勢で、自分の意見を聞け、と云うその態度に非常に不快感を感じる。

 今度の選挙の判断基準をここに置いても良いかと思う。

2012年12月 1日 (土)

映画「アパルーサの決闘」2008年アメリカ

 監督エド・ハリス、出演ヴィゴ・モーテンセン、エド・ハリス、レニー・ゼルウィガー、ジェレミー・アイアンズ、ランス・ヘンリクセン。そうそうたる出演者たちなのに日本では劇場公開されなかった硬派の西部劇。原作はあのロバート・B・パーカーの同名の小説。

 アパルーサの町の保安官が行方不明になり(実は殺されている)、ヴァージル・コール(エド・ハリス)とその相棒エヴァレット・ヒッチ(ヴィゴ・モーテンセン)が保安官に任命される。

 顔役のブラッグ(ジェレミー・アイアンズ、実は保安官殺害の犯人)を怪しいと睨んだコールとヒッチはその一味を挑発する。

 町に流れ者の女アリソン(レニー・ゼルウィガー)がやって来てコールといい仲になる。

 やがて証人が現れてブラッグの犯行が明らかになり、裁判の結果有罪判決が下される。コールとヒッチ、そして州の保安官も含めてブラッグを列車で護送することになるのだが、護送中にアリソンを人質に取られてやむなくブラッグを釈放せざるを得なくなる。そしてコールとヒッチの追跡行が始まる。

 アリソンの不思議なキャラクターに男達が翻弄される。品があり、知性があるのに淫乱で男を選ばない哀しい女の役をレニー・ゼルウィガーが好演している。邪気のなさそうな寂しげな笑顔で男は皆彼女を許してしまう。

 エド・ハリスが扮するコールという男も直情径行で暴力的な男なのだが、無口で女にシャイな一面があることで憎めない。西部劇の時代は人がシンプルで、屈折していない。エド・ハリスは監督としてその時代の男達、そして女の純粋さをかけがえのないものとして描いている。

映画「アリス・クリードの失踪」2009年イギリス

 監督J・ブレイクソン、出演ジェマ・アータートン、エディ・マーサン、マーティン・コムストン。

 出演は三人だけ。二人の男が何かをひたすら準備している。工具やインテリアを買い込み、部屋を改装する。全く会話がないままその支度らしきものが一段落した後、突然女性の誘拐シーンに移行する。

 この誘拐される女性がアリス・クリード(ジェマ・アータートン)で、彼女は大金持ちの娘であり、彼女を人質として身代金を手に入れようというのだ。

 映画は誘拐犯とアリスのみを最後まで追い続ける。最初は全く関わりを持たないはずの三人の間に人間関係が生ずる。物語は二転三転、完璧な準備のもとに行った誘拐事件が次第に破綻していく。

 イギリス映画独特のパンフォーカスでクリアかつダークな味わいの映像がとても良い。ストーリー展開もすばらしく、少しもだれることがなくて意外性に富んでいる。いやあ楽しめた。

信号は守ろう

 中国で初(!)の「全国交通安全デー」がもうけられる。12月2日がその日であり、交通安全が呼びかけられる予定だ。

 それに先がけてアンケート調査が行われた。それによると67%の人が「信号無視をしたこと」があり、72%の人が「信号無視は交通マナー違反である」と答えた。

 そして93%の人が信号は守らなければいけないと認識していたという。

 大都市では交通量も多いことから信号は比較的に守られるようになった。それでもしばしば幅の広い道路を平然と横断する人がいる。地方に行くとまだ信号は臨機応変のところがある。

 日本では無条件に信号は守るものと云う考えがしみこんでいるが、中国では知識として知っているけれど其処まで身についていないようだ。

 善悪が中国では相対的に捉えられ、状況によって変動するものであることの一つの表れとみたら大袈裟だろうか。法律がある程度そのような運用のされ方をすることはあり得るが、更に云えば、中国では倫理的なことまで弾力的に見える。「造反有理」は毛沢東の発明なのか、中国人の血なのか。

良心ある政治家

 政治家だって良心はある。しかし韓国のメディアで「良心のある政治家」とたたえられる政治家はまことに希有なことである。

 この政治家は民主党を離党した衆議院議員・土肥隆一と云う人である。なぜ離党したのか。2011年2月に日本の竹島領有権の放棄を求める「日韓共同宣言」に署名したからである。国会で問題視され、文書を良く確認しないまま署名してしまったという言い訳をした上で、責任をとる形で離党した。

 この土肥氏は今回の選挙には出ないと云うことである。年齢も73歳といい歳であるし、出ても無所属では勝てないと思ったのだろう。不出馬宣言に対して、韓国メディアは「日本の良心ある政治家が不出馬」と次々に報じた。

 本人は確信的ではなく、うっかりしていただけなのに「日本の良心」と讃えられて面映ゆいことであろう。いっそのこと韓国に帰化して韓国で代議士になったらどうだろうか。

在庫が三年分

 中国の大手アパレルに衣料品の在庫が少なくとも三年分以上あると云う。もちろん世界的な需要の冷え込みが大きな理由なのだろう。しかしもともと過当競争による生産過剰の状態だったのかも知れない。

 日本でも衣料品はあふれていて、各家庭のタンスの中には何年分もの衣服が眠っている人が多いだろう。中国もそうなりつつあるようだ。

 大量生産すれば製品も安くなる。ものが不足して手に入らない時代には、安いものがふんだんにある世界は幸せな世界なのだと思っていた。今は幸せだろうか。

 ものをひたすら作り続け、需要のない所に心理学を駆使してまで無理矢理購買意欲を刺激し、それを流通させようとしている。消費者はものを買うことに疲れ始めているように見える。

 我々が苦労してものを手に入れるという歓びを見失って久しい。

 ところで、そもそも中国は共産主義の国であり、計画経済の国であるはずだ。ものを無計画につくるより、計画生産すれば無駄も無くてコストも安く出来るはずだが、計画生産していた時代にはものが手に入らなかった。不思議なことである。そして自由経済体制となった。

 中国がほんとうの共産主義国家だった時期は僅かだったような気がする。そもそも共産主義国家が成立するためには独裁的でカリスマのある指導者がいなければならないように見えるのはどうしたことだろう。国民の平等を目指すイデオロギーが、独裁者を必要とするのは矛盾だ。そもそも人間は平等など求めていないのかも知れない。

 独裁者が支配する国家は王朝国家だろう。今の中国は共産党という名前の(共産主義とは無関係の)組織が支配する王朝国家にみえる。その王朝国家が覇権主義を推し進めている。その経済的裏付けはものをひたすら作り世界に売り込むことにあるようだ。だがものの生産が過剰になり、市場が飽和すれば経済的な裏付けを失って国家の求心力も低下する。

 太陽光パネルに続いて衣料品も過剰な在庫を抱えだしたと云うことは、中国王朝の落日の兆しなのかも知れない。早晩自動車の生産過剰の日が来るだろう。

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