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2013年5月

2013年5月31日 (金)

ひとり酒盛り

 ただいまビールを飲みながら天ぷらを揚げ終わった。

 山盛りの天ぷらで、これからひとり酒盛りをする。天ぷらはピーマン、人参、茄子、椎茸、海老とタマネギのかき揚げ。大根下ろしもすった。

 酒はバーボン、チェイサーは発泡酒。ちょっと天ぷらとは異質だけれどそれで良いのだ。そういう気分なのだ。

 基本的に酩酊する酒は友だちと飲むときに決めているけれど、今日は何となくひとりで酩酊したい気分。

 二三日前に娘のドン姫がきて泊まった。あまり会話はしなかったけれど(いつものことだが)とても自然な関係になってきたような気がして心地よい。たぶんドン姫が私以上に成長したと言うことだろう。喜ぶべきことである。それにも祝杯をあげるとしよう。

 さあ飲むぞ。そして酩酊するぞ。世界が全て祝福したくなるような至福の時間でありますように!

映画「裏切りのサーカス」2011年イギリス

 監督トーマス・アルフレッドソン、出演ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、トム・ハーディ、ベネディクト・カンパーバッチ、ジョン・ハート。

  ストーリーに入る前のタイトルバックで、初めて原作がジョン・ル・カレの傑作スパイ小説「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」であることを知った。面白くないはずがない。

 これはWOWOWの「W座からの招待状」、と云うセレクトの映画の一本で、上映前の紹介で、小山薫堂と安西水丸が「実に面白い映画だけれどいちど見ただけでは話が分からない」と話していた。

 それはそうだろう、この映画では台詞がとことんまで切り詰められていて、視線や物音に語らせていることが多い。それが絶妙である上に、場面転換が意表を突くほど早いので展開についていくのに苦労するはずだ。

 舞台はまだソビエトが存在していた1970年代。イギリス情報部の中の組織に「サーカス」と呼ばれる部署がある。その主要メンバーに「もぐら」と呼ばれる二重スパイがもぐり込んでいる、と云う情報がもたらされるのだが、皆目その正体がつかめない。それから虚々実々のスパイ同士の駆け引きが続く。

 30年以上前に原作を読んでいるのでおぼろげに結末は承知しているのが残念であった。初めて出会う人はそれを楽しんで欲しい。たぶんいちどではどう云う流れか分からない部分があるだろう。伏線に次ぐ伏線なので、全体が分かっているとたぶん二回目もちがう味わいでさらに楽しめると思う。ストーリーは言わぬが花。アメリカ映画のようにラストのラストに無意味などんでん返しを付け加えるようなことはしていないのが有難い。

 原作が傑作だが、この映画も傑作だ。コレクションに残してまた楽しみたい。いつも同じ事を云って恐縮だが、色調など映像がイギリス映画らしくダークでしかもパンフォーカスでクリア、好みの画だ。

 若手の「サーカス」の職員、ギラム役のベネディクト・カンパーバッチが良い味を出している。この人、テレビドラマの現代版シャーロックホームズ役で一躍有名になったけれど、これからますます伸びそうだ。

たまたま

 一冊だけを集中して読むときもあるが、ときには四、五冊を同時並行して本を読む。

 読みかけの本に松本栄一「チベット 生と死の知恵」(平凡社新書)があるのだが、これは再読で、最近買った渡辺一枝「消されゆくチベット」(集英社新書)という本を読む前に、チベットについてあらためて読み直そうと考えたから読んでいる。そしてさらに全く関係なしに椎名誠の新刊「ぼくがいま、死について思うこと」(新潮社)という本を今日読み出した。

 椎名誠の名前を見て気が付いた。チベットに詳しい、チベットが大好きな女性は、インドの好きな女性が多いようにけっこういる。私の敬愛するおねえさん(私の歳でおねえさんというと誤解されかねないが、年上だけれども賢く素敵な女性で、毎年四人で海外旅行に行く仲間のひとりだ)もチベットやインドがお気に入りのようで一度ならずでかけている。だから渡辺一枝という人はそのような女性のひとりだと単純に思っていた。

 椎名誠は結婚して姓を妻の名前の渡辺に変えている。だから今の本名は渡辺誠である。その夫人がチベットに毎年長期間滞在して、日本人だかチベット人だか分からないくらいであることは有名だ。渡辺一枝というのはまさに椎名誠夫人であることに気が付かずにこの本を購入していたのだ。

 そうしたら椎名誠の本の、チベットの鳥葬の紹介のところでまさに夫人のことが書かれていた。

 全てチベットに関連することだから当然なのだが、たまたま並行して読み出した本が全てつながってることが私には驚きだった。

 でもこう云うことはけっこうある。本が勝手に向こうから寄ってくるのだ。

内藤明宏「なぜ中国はこんなにも世界で嫌われるのか」(幻冬舎新書)

 シノフォビアという言葉がある。中国嫌悪と云うことで、世界中で通用する言葉だ。この本はそのシノフォビアがなぜ世界中で起きてしまうのかを分かりやすく書いた本だ。

 中国の言動に不快感を感じる人、少なくとも不思議だ、訳が分からないと感じる人はこの本を読んでもらいたい。必ずある納得が得られるはずだ。自分自身の固定観念が揺さぶられることを喜びとする、理性ある人には必ず読んで良かった、と感じてもらえると確信する。このような本こそ良い本だと思う。

 最初に中国が世界のあちこちでどのように嫌われているのかを具体的に列記していく。しかし誤解しないで欲しい。以前のブログで予告編のようなかたちで書いたように著者はシノフォビアでは決してない。

 この本では統計的な中国の経済についての記述や政治的な勢力図などはない。ただ中国とは、そして中国人とは何か、どんな思考様式であるのかを、著者の経験を元に考えたことが書かれているのだ。

 そして著者が考え抜いた中国、そして中国人とのつきあい方が提案されている。日中関係に詳しい識者から見たら甘いと言われるかも知れないが、私は原点を見直すために著者の意見について各自考えてみる必要があると思う。自分がいかにある思考様式のみに捕らわれているか気が付くだろう。

 巻末に著者の新婚の妻女・メイさんが、中国人としての意見を書いている。素直にほほえましい。ただし著者の言う通り、中国人らしくない中国人だから彼女は著者と結婚したようだ。このような素直な中国人は普通の中国人ではないということらしい。

隠し子騒動

 中国の有名な映画監督のチャン・イーモウには子供が七人もいる、として先日から話題になっていた。一人っ子政策の中国では違反すると年収に応じた巨額な罰金が科せられる。彼の場合は約27億円と試算されてそれも話題だった。

 ところが本人は「何処に七人の子供がいるのだ」と身に覚えがないことを主張しているそうだ。「泥水を浴びせられたようだ」と歎いているという。

 この騒動を受けて、江蘇省と無錫市の衛生・計画生育委員会は調査を開始していたが、マスコミの取材に対して、半月以上たった現在も調査に進展がないと答えたという。

 隠し子をさらに隠したとでも云うのだろうか。監視の徹底した中国でこのような調査にそれほど時間がかかるとは思えない。隠し子がいたのかいなかったのか、いたなら何人、または隠し子に当たる子供は実はいなかったかすぐ分かるはずで、なぜ調査に進展がないのだろうか。

 一人っ子を監視する衛生・計画生育委員会というのは役職として実入りの良いものとしてあこがれの仕事である。巨額の罰金を払うよりはここに賄賂を送る方が安くつくから金持ちはそのようにして第二子や第三子をもうけて合法的なかたちにする。

 だから衛生・計画生育委員会が調査をすると云っても、みずからの悪事を暴くことができないから調査に進展がない、と答えるしかないのだろう。

 中国の少子高齢化は急激に進んでいる(一人っ子政策なら当然だ)。そこで一人っ子政策を止めよう、と云う議論が少し前から盛んに行われていて、今回の全人代では大幅な緩和策が発表される、と誰しも思っていた。ところが何の発表もなかった。

 衛生・計画生育委員会が強硬に政策変更に反対したという。そのためにたくさん金がばらまかれたことだろう。政策を変えないまま、彼等の権限で緩和の方策を金に換えながら実施した方が莫大な収入につながるからだろう。鉄道省と同様にこの部門は巨額の利権構造を持っている。

 チャン・イーモウはすることはしているから「隠し子」などいない、と云っているのだろう。彼にとって全て合法的な子供なのだから。金はちゃんと払っているし。

2013年5月30日 (木)

北方謙三「楊令伝 第三巻 盤紆の章」(集英社)

 北方の遼と金との争いは幻王(楊令)軍の働きで金の優勢のもとにある。さらに燕雲十六州を宋にゆだねるとの盟約がなされている。金が遼を倒し、勢力を拡大すれば宋にとって不都合なのだが、開封府の宋の皇帝の望みは燕雲十六州の奪還と燕京(今の北京)への帰還であった。

 南の方蠟軍は次第にその恐るべき姿を明らかにしつつあった。みずから命を捨てることを祝福と信じる信徒が数十万集まりつつある。江南一帯はほとんど方蠟軍で蔽われてしまう。宋の地方軍は方蠟軍と戦うが、殺しても殺してもその死骸を乗り越えて迫る不気味な信徒達とその背後に潜む方蠟の正規軍に敗北する。

 今、梁山泊軍の主力は太湖の中の島、洞庭山に置かれているが、太湖周辺も方蠟軍で覆い尽くされている。さいわい方蠟軍には水軍がない。船により、太湖と海を通じて北の部隊との連携は保たれている。

 梁山泊を壊滅させた最強の禁軍を率いる童貫は、再生梁山泊軍こそ最大の敵だと考えているのだが、宮中内の画策により、燕雲十六州の奪還と方蠟軍の討伐を同時に命じられる。

 童貫は禁軍を二つに割いて北に趙安将軍を向かわせ、みずからは南へ向かう。

 戦いを前に子午山の王進のもとを訪ねた楊令は、ついに成長した張平を梁山泊軍にともなう。そして洞庭山に現れた楊令は梁山泊軍の全てを指揮することを宣言する。

 先の戦いで生き残った呉用(智多星)は秘かに趙仁という名で方蠟軍に参画していた。方蠟に重用されるうちにいつの間にか梁山泊の呉用か、方蠟軍の趙仁か定かでなくなっていた。

 北も南も一触即発、戦いの日は迫った。

話せば分かるか

 「話せば分かる」という。それを素直に信じている人も多い。「話せば分かる」というのは確かに間違いないことだと言えないこともない。

 ただそれを信じている人には二通りある。ひとつは、もともと同じ人間なのだから心の底の価値観は共通しているはずで、誤解を解くにはよく話し合えば分かり合えるはずだ、と云う考え方の人たちだ。

 そしてもうひとつは、人は互いに全く考えや発想、価値観が違うものだ、だからその違いを受け入れて理解し合うためには話し合いが必要で、話せば分かるはずだ、と云うものだ。

 アメリカ人の多くは典型的に前者であり、日本人は戦後教育でとことんその考え方を刷り込まれたのでアメリカ人以上にそう考える人が多い。これは善意の無理解を産む。

 アメリカはこれだけ世界に尽くしているのになぜ反発を受けるのか、前者の発想で自分の考える正義を押しつけるからで相手には相手の論理と文化的思考様式があることを受け入れようとしない。

 討論番組などを見ていると、互いの違いを受け入れずに自分の正しいと思うものをひたすら主張している人々が多く見られる。彼等はあれで話し合いをしているつもりなのだろうが私には争っているとしか見えない。特に政党を代表してその席にいる女性にそれが顕著に見えるのは私の偏見か。自分が正しいことをこれだけ真剣に訴えているのに、それを認めないのは相手に悪意があるからだ、と決め付けているようだ。

 「話せば分かる」の意味をもう一度よく考え直して話し合いを進めてもらいたいものだ。「話し合い」がコミュニケーションでなければ話し合ったことにならないのだが、信念の人はなかなか分かってもらうのに苦労する。

熱中症?

 神戸の公園で突然若い男が老人に殴りかかり、全治五ヶ月の重傷を負わせた事件の裁判の判決が下った。なんと判決は「無罪」であった。

 男は突然背後から老人の後頭部を殴り、昏倒した老人をさらに殴り続け、顔を足蹴にした。これは目撃者も多数いる事実で、男は駆けつけた周辺の人に取り押さえられた。男は警察で「自分が悪いことは分かっている」と自供している。老人は今も記憶障害に悩まされているという。

 ではなぜ無罪なのか。理由は熱中症による心神喪失だったから罪に問えないという裁判所の判断によるものだ。

 当日は記憶28℃、湿度60%以上というやや蒸し暑い日であった。

 この男は出張で大阪に来ており、神戸に立ち寄った晩に帰りの新幹線に乗り遅れたので野宿していたところ、現金やカードなどを盗まれてしまい。二日間飲まず食わずだったと主張している。その疲労が重なった上の熱中症だと言うことのようだ。

 テレビに問い合わせを受けた熱中症に詳しい医師は、そのような状態で熱中症になれば動けないはずで、人に殴りかかることなどあり得ない、と答えた。

 それに対してある精神科医は熱中症により心神喪失はあり得る、自分が何をしているのかわからない状態であったのだろうという。

 その男は今まで暴力的な言動が全くなかった、と知人達が口をそろえて証言しているのだそうだ。判決文からそれが裁判所の判断の最大の根拠になっているという。

 凶悪犯罪を起こした犯人について、近所の人が「あんなおとなしくて静かな人がそんな事をするなんて信じられない」とコメントするのを何度となく見ている。事件を起こすまでその予兆のないことも多いのは経験的な常識だろう。

 ところで毎年熱中症で亡くなった人の話は数多く聞く。熱中症にかかる人は所ジョージをはじめ、全国に数多くいることだろう。しかし熱中症にかかった人が他人に襲いかかったなどという話は聞いたことがない。

 今回の事例は極めて珍しい事例であり、被告は災難だった。無罪で放免されたのだから、マスコミは実名と所在を明らかにして熱中症の怖さを世間に知らしむべきである。

 そのことでこの被告に対し数多くの非難が浴びせられ、危害が加えられるとしたら、それは裁判所の(この裁判官の)判決が一般の感覚とかけ離れていることの証明にもなる。

 今後熱中症による犯罪が多発することになるだろう。

 こんな馬鹿な裁判官や無罪を勝ち取った優秀な(多分そうだろう)弁護士、そして熱中症の専門でもないのにコメントする精神科医は、裁判そのもの、精神科という存在の信頼を大きく喪失させたことで「有罪」であろう。

山岳部隊

 中国の李克強首相がインドを訪問して、中国とインドの国境付近で中国側の兵士が越境して以来きな臭くなっていた両国の関係を修復し、有効をアピールしていたことを御記憶であろう(その後ヨーロッパを歴訪している)。

 そのインドが予算を日本円で一兆円以上投じ、人数にして約9万人の山岳兵士をチベットとの国境へ派遣することになった。すでに予算は内諾されている。

 この派遣はまさに李克強がインド訪問中に検討されていたものだとインドの新聞は伝えている。

 インドのシン首相は今日本を訪れて安倍首相と会談、新幹線や原発のビジネスを積極的に進める姿勢を示している。

 日本の新聞は日本の対中国包囲網の一環だろう、などと云う見方を示しているが、どう見てもインドこそ中国包囲網を形成したいと考えていることが分かる。日本とインドは共同の軍事訓練を実施する方向で話し合いに入っている。

 中国政府や日本の新聞は日本だけがひたすら中国に敵対的に包囲網を敷こうとしているかのような言い方をするが、韓国以外の中国周辺国はそれぞれの国が自分の意思で中国包囲網を形成しようとしていることが分からないのだろうか。

 中国は中国自身も認めているように大国になった。そして軍事力を急激に増大させている。それを背景に周辺国に恫喝を加え、領土領海の拡張を画策しているのは誰が見ても明らかである。

 そしてこれに対抗するには個別の国では不可能なこともみな承知している。しかもアメリカは今軍事予算を縮小せざるを得ないので頼りにならない。となれば周辺国は協力して包囲網を形成して中国を牽制するしか無いではないか。

 これは中国が唱えるような、中国に戦争をしかけようなどと言う意図では全くない。今時そんな発想をする国は北朝鮮と中国しかない。そうではなくて中国がしかけてくることに対応しているだけだ。

 しかし中国はそれを口実にさらに軍備を増強させるだろう。中国の経済はいつまでも7%や8%の経済成長率(この統計数値も真実かどうか当てにならない)を維持し続けるはずがない。それなのに毎年10%以上の伸び率で軍事予算を増大させ続ければ、早晩その負担は国民に重くのしかかるだろう。

 その上治安活動、特に国民の抗議行動に対する公安部の予算は名目上軍事予算を上回っている(軍事予算は実際は公表の2~3倍と云われるので比較にはならないが)。驚くべきことだが、これもますます膨らむことだろう。中国はどんどんいびつな国になっていくように見える。

2013年5月29日 (水)

マナー

 中国の観光局が公式サイトで国民に対して海外旅行の際のマナーや注意点を公表した。

1.痰やガムをところ構わず吐かない。ゴミはポイ捨てしない。喫煙ルールを守る。

2.大声で騒がず、列にはちゃんと並ぶ。

3.生態環境を保護し、無暗に動物に危害を加えたり植物を抜いたりちぎったりしない。

4.文化財に落書きしない。登ってもいけない。写真撮影はルールに従う。

5.ホテルや公共物を損傷させてはならない。

6.人に向かってくしゃみをしない。公共施設を長時間占拠しない。現地の風習を尊重する。

7.礼を以て人に接し、下品な言葉は使わない。公共の場で上半身裸にならない。

8.性的なサービス、ドラッグ、違法賭博に関わらない。

公式サイトで観光局が国民に呼びかける、と云うことは、このような行為をするものがとても多いと言うことなのだろう。中国人観光客が世界中で顰蹙を買っているのは当然だ。

 今回のこの呼びかけはもちろんエジプトの遺蹟への落書き(世界中で話題になり、これを書いた男の両親が謝罪したという)がきっかけであることはご承知の通り。

映画「ミッシングID」2011年アメリカ

 監督ジョン・シングルトン、出演テイラー・ロートナー、リリー・コリンズ、シガニー・ウイーバー。

 面白そうな予感はしたが期待以上の映画だった。出だしは普通の高校生の主人公ネイサン(テイラー・ロートナー)の生活が綴られていくのでなんだこれは、と思うが、父親の格闘技への傾倒が尋常でなく、ネイサンをとことん鍛えている様子が徐々に異常な何かを感じさせる。

 ネイサンは同じ悪夢を繰り返し見る。そのために精神科の医師(シガニー・ウィーバー)に定期的なカウンセリングを受けている。

 ある日、社会学の宿題で失踪児童について調べることになり、隣家で幼なじみのカレン(リリー・コリンズ)とインターネットでいろいろな資料を集めているうちに失踪児童のファイルを目にする。その資料は操作すると、現在の児童の成長した想像される顔も見ることができる。

 そこでネイサンはふと気になる一枚の男の子の写真を発見する。そしてその想像された現在の姿はなんと自分によく似ているではないか。カレンがとめるのを聞かずに思わずそのファイルに記載された連絡先に電話をするのだが・・・。

 ここから物語は一気に加速する。
 
 ネイサンは母親を問い詰め、自分が両親の実の子ではないことを認めさせる。詳しいことを知ろうとしたまさにそのとき、母親と父親は家を襲撃してきた暗殺者達に殺されてしまう。ネイサンはカレンとともに林の中へ逃げ、さらに川を渡って逃走する。理由が全く分からない中、逃走を続ける二人を助けたのはなんとあの精神科の医師・ジェリだった。

 彼女は彼が追われる理由を話し、両親と自分はネイサンを護る役割だったと伝える。ハイテクを駆使して彼等を追求する敵に、ジェリはおとりとなって二人を逃がす。

 全ては彼の本当の父親が握っている情報が目的だった。さらにCIAがネイサンに接触してくるが、ジェリは信用出来る人物は二人だけ、後は信用出来ないと言い残していた。今はCIAからも追われる二人であった。

 逃走に逃走を重ね、危機一髪で切り抜けるネイサン達。やがてそこへ父と名乗る人物から電話が入る。

 本当に際どい戦いが続くのだが、それにあまり嘘くささがない。プロの殺し屋に素人が立ち向かうことなどあり得ないのだが、それなりに違和感の無いように物語が組み立てられている。気が付くと夢中になって映画の中にのめり込んでしまう。

 栴檀は双葉より芳し。ネイサンもその世界に身を投じるのだろうか。

 ネイサンは、つまりテイラー・ロートナーはあまりハンサムには思えないが、物語が進むにつれて魅力的に見えてくる。役柄というのは見え方に大きく影響するものだとあらためて感じた。

池波正太郎「草雲雀」(文藝春秋)

 実直で火付け盗賊改めの勘定方を一人で任されている同心・細川峯太郎は無口で人付き合いも悪い。その峯太郎に嫁をやりたいという相談が長谷川平蔵に持ち込まれる。盗賊改め方の同僚の伊藤同心の願いであった。峯太郎の勤勉実直ぶりを見極めた上のことであったが、残念ながら娘の器量はいささか落ちる。平蔵は早速峯太郎にその娘を嫁にするように云うのだが、峯太郎は言を左右にして承知しない。

 そんな矢先に平蔵は市中探索中、俄雨に降られて作業小屋のような建物に飛び込む。そこで細川峯太郎が女と雨宿りするのに出くわす。平蔵は外の声が峯太郎であることに気が付いたので素早く身を隠していた。

 雨宿りの最中にけしからぬ振る舞いに及ぼうとする峯太郎と女だったが、そこにここをねじろにしていた無頼浪人が現れて・・・。

 平蔵に助けられた峯太郎は、弱みを握られたことで同僚の娘を嫁にもらわざるを得なくなる。そこは若い娘との二人暮らしである。それなりに仲むつまじく新婚生活を送ることになった。

 峯太郎の人となりを見極めた平蔵は、彼を探索方に回し、娘の父親を峯太郎の後釜とする。腕に覚えはないが、峯太郎は真面目に任務に精を出す。

 やがて峯太郎は同僚達とも打ち解け、親しく会話もするようになった。平蔵は「たぶん同僚達が命がけで働いているのに自分は勘定方という安全な仕事をしていることを引け目に感じていたのであろうよ」と言う。

「馴馬の三蔵」
 平蔵が使っている盗賊上がりの密偵でも最古参の粂八が昔縁のあった老盗賊の姿を目にする。粂八はどうしてもそのことを平蔵に告げることが出来ない。しかし平蔵は粂八のわずかな様子からその苦悩を見て取り、見て見ぬふりをする。事件が解決した後粂八は男泣きに号泣する。

 初めて読んだときは、伊左次のように粂八が命を落とすことになりはしないかとはらはらしたことを思い出した。

「蛇苺」
 ニンフォマニアと云う。日本語で言えば女性の色情狂のことだ。そんな女がからんだ事件の物語。その哀しい結末が淡々と語られる。
 
「一寸の虫」
 平蔵の密偵の中でも時々登場する仁三郎が仕事と私情との板挟みになって苦悩する。

 そして仁三郎は突然それを解決する方法を悟る。「一寸の虫」の男の心意気だがそれは平蔵にとってつらい結果をもたらす。

「おれの弟」
 平蔵は若い頃、高杉道場で弟弟子であった滝口丈助の姿を見かける。彼はひとりではなく、平蔵の見知った人妻と一緒であった。不審を感じた平蔵は秘かに丈助の身辺を探索する。

 やがて彼が死地に赴く様子を見て後を追った平蔵が目にしたのは・・・。

 最後に平蔵の怒りの刃が敵に振るわれる。

「草雲雀」
 再び細川峯太郎が登場する。「俄か雨」の話が伏線になっている。

 峯太郎は非番の日に両親の墓参りに行くことを思い立つ。だが両親の菩提寺の近くにはあの女のいる店もあった。最初はそのつもりがなかった峯太郎だが、にわかにあれきりになっていた女のもとへ行きたくなる。そこへ向かう道で峯太郎が目にした男は手配書の似顔絵に似た男であった。もちろんその男の後をつけ、ついにその住処を突き止める。

 事件解決後、平蔵は峯太郎を呼び、手柄を立てたことを褒めるとともに「非番の日にまた女のところへ行こうとしていたのではあるまいな」とぎろりと睨む。慧眼に峯太郎がすくみ上がったのは言うまでも無い。

衝突(2)

 南シナ海西沙諸島(現地名パラセル諸島)沖合で就業中だったベトナム漁船を中国船18隻が取り囲み、体当たりを繰り返した。漁船は損傷を受け、この行為に対してベトナム政府は中国政府に抗議を行った。

 ベトナム政府は中国側に漁民への補償と再発防止策を講じることを要求するとともに、ベトナムの主権を尊重するよう求めた。当然のことである。

 これに対して中国政府の回答として洪磊報道官(この人の冷たい言い方と態度は外交的にはかえってマイナスではないかといつも感じる。同意する人も多いのではないか)は「ベトナムの漁船が違法に中国の領海で操業したことに対する正常な法執行行為であり、非難されることではない」と述べた。

 中国にとっては常に自分の行為は正しい行為だ。だから正しい行為として海外の領海を勝手に自分の領海と主張し、ついには占拠する。

 この自分勝手な国にとっては抗議を受けることは快感に違いない。力を背景に抗議を却けることは国民に対する最高のアピールになる。これは昔中国が列強に、そして日本に簒奪を受けて国がぼろぼろにされたトラウマが尾を引いているからかも知れない。

 されて不愉快であったことは自分はしない、と云う気はないらしい。非難されることは心外でしかないようだ。

衝突(1)

 上海の中心部で住民数千人が警官隊数百人と衝突して10人ほどが負傷した。

 公的な発表は一切無く、住民からの情報を香港の人権団体が受けて明らかになった。

 騒ぎの発端は住宅街の道路を突然フェンスで囲われ、住民の車が通行出来なくなったからだという。その周辺を購入して再開発するために開発業者がフェンスで囲ったものだ。

 驚くべきことは、地元政府が売り払ったのは土地ばかりではなく、道路ごとだったことだ。

 これに怒った住民達が道路のフェンスを強引に撤去しはじめた。それを阻止するために大量の警官達が動員され、衝突が起きたという。

 最後は住民が引き上げて騒動は終わったそうだが、利用する住民達へ何の説明もなく道路を塞ぐと云うことは中国と北朝鮮以外には考えられないことに思える。そういう国だと承知しているつもりでも驚かされる。

ゆがみ

 私の歯は現在29本ある。つまり親不知が一本余分にあると云うことだ。昔は人間の歯は32本あったと子供のとき教わった。36本あった時代もあるらしいとも聞いた。だから親不知が四本生えればそれは親不知ではない。

 小学校六年生のときに郡市の歯のコンクールで二位だか三位だかになって賞状に副賞をどっさりもらった。一位ではなかったので県大会にはエントリーされなかった。

 父も六十歳で歯槽膿漏になるまで歯医者にかかったことがなく、歯が丈夫だった。親譲りで丈夫な歯をもらい、虫歯知らずで、小魚の骨などばりばり平気で食べていた。歯が丈夫だと胃腸にも負担がかからないから消化器系も人一倍丈夫だった(ストレスに鈍感なだけかも知れない)。

 二十数年前左下に親不知が生えた。狭いところに無理矢理生えてきたから少し方向がずれて生えて斜めに伸びた。生えても向き合う歯が無いから無用の長物だが、いたくも何ともないからほうって置いた。

 その無用の長物が狭いところでがんばるからほかの歯と押しくら饅頭をする。押されれば少しずつ押されてほかの歯がずれてくる。親不知が生えて数年後、ある日突然奥歯が縦に割れた。かみ合わせが狂って無理な力がかかって割れたのだ。

 割れ目にものが挟まることがしばしばとなって不快に思っていたらしばらくして突然歯が疼き出した。生まれて初めての虫歯の誕生であった。そして生まれて初めて自発的に歯医者に行った。

 それからも歯のずれは解消することはなく、次々に歯が割れた。歯医者によると私の噛む力はずいぶん強いそうだ。左右の奥歯がやられて虫歯となり、削って金属のかぶり物をしている。ほかにも割れた歯が何本もある。

 そうして今度はそのかぶり物をした歯が下の歯を削りだした。どうやらかぶせた金属は歯よりも堅いらしい。

 歯はずれて割れるしすり減るし、惨憺たることになっている。この頃は夏みかんを食べると沁みて食べられなくなり、ついには葡萄すらつらくなってきた。

 かみ合わせが狂うと体がゆがむという。肩が凝り、腰が痛い。とても痛い。親不知を馬鹿にしてはいけないようだ。すぐ抜くべきだった。息子にはそのことを伝えたので、彼は大学卒業のときに三本いちどに抜いてしまった(もう一本生えていればよかったのかも知れない)。

 肩が凝って腰が痛いのは歳のせいかもしれない。

2013年5月28日 (火)

マスク

 雲南省昆明の近くの安寧市ではマスクを購入する際に購入者の実名を確認することが義務づけられた。店舗は購入者の姓名、身分証番号、購入したマスクの種類と数量などを記録に残して当局に報告する。

 アメリカで銃を購入するより厳しい。

 この安寧市では石油化学工場建設反対の大規模デモが二度起きている。このときに顔を隠すことと環境汚染をイメージすることの二つの目的で多くの参加者がマスクをしていた。

 当局はこのデモの参加者を特定し、押さえ込むための圧力をかけようとしていると見られる。

 これをあの南方都市報(中国政府から強制的に正月の記事の差し替えを命じられた南方周末と同じグループの新聞で、購読者も多い。反骨の編集者が繰り返し処罰されている)が報道、ネット上などで批判的な意見が殺到した。これに驚いた市当局はこの指示を撤回した。

 市当局はこのような指示が問題視されるとは思ってもいなかったことだろう。たぶん中国全土でこれに類することが今までは公然と行われていたし、今も行われているものと思う。これを報じたマスコミがあったことでそれに対して批判が行われ、結果的にこの指示が撤回された。中国は昔より自由になったのだろうか。

 今後南方都市報はさらに当局に睨まれることになるであろう。そうして批判を生じさせる可能性のある記事は今まで以上に規制されることだろう。今ある程度批判を許しているのはそれが特定出来ていて体制に大きな影響がないと判断されているからでしかない。

面子

 日本人の使う面子の意味と中国人の面子の意味は少しちがう。その説明に好例があった。

 ニューヨークポストの報道によると、ニューヨークのデパートで衣類を万引きして女性が逮捕された。女性はニューヨーク駐在の元の中国領事の妹で、親族訪問ビザでアメリカ旅行中だった。

 その女性を引き取りに来た領事館の職員と女性は警察の取り調べに対し、机を叩いて怒鳴り散らして横暴な態度だったという。

 この女性の裁判が開始されたが、裁判所は審議を止めるべきかどうか思案中だという。中国側から何らかの圧力があったものと見られる。

 これで何の処罰もされないことになったとき、中国人は面子が立った、と云う。

 つまり中国では権力を笠に着て力で相手をねじ伏せた場合面子が立ったと考え、通用しない場合は面子がつぶれたと考えるのだ。

 日本人はそもそも万引きが見つかった時点で本人も元領事も、そして中国そのものも面子がつぶれたと考える。根本的にちがうのだ。これに直面した人はみな中国人が嫌いになるのは当然だが、中国人はそれが悪いことだとあまり考えない。ただし中国でも馬鹿でなければそれが通用するのは中国国内だけであることは分かっている。

理由

 尖閣諸島のみならず、沖縄まで本来は中国領で日本が奪ったものだから奪還する、と中国は公言している。

 中国の機関誌の環球時報は、日本とアジア諸国の争いに日本は必ず敗北するだろう、と云う社説を掲げて日本を批判した。

 中国と韓国以外で日本がアジアと争っているなどと思っている国はない。しかも日本から見れば争いをしかけているのは明らかに中国と韓国だ。

 そのことを論理的に説明することも出来る。

 だがなぜ中国は明らかに嘘としか思えない言いがかりをつけてくるのか。

 内藤明宏「なぜ中国はこんなにも世界で嫌われるのか」(幻冬舎新書)と云う本を今読んでいる。もうすぐ読み終わるのだが、この中になるほど、と膝を打つような意見がたくさんあった。

 その中の一つに「中国人は身内や友人以外に対しては、嘘をつくことは罪悪であるとは考えない。だからすぐばれる嘘でも平然とつく。だから中国人の主張の内容を云々しても意味が無い。時間と精神的エネルギーの浪費である」として、「中国人の話を聞くときは、内容ではなく、なぜそのようなことを主張するのか、目的を考えるべきである」と云う。

 卓見である。著者は中国で起業しており、昨年中国人の女性と結婚している。だから中国が嫌いなわけではない。この本については読了した後にまたまとめて紹介したい。

 その意見に従えば、尖閣諸島について日本に帰属することについて歴史的に正しいとか間違っているとか云っても中国はびくともしないことになる。理窟には動じないし、理窟はきらいなのだ。

 中国は尖閣諸島について中国の海洋覇権と海洋資源が欲しいから、あれは自分のものだ、と主張しているだけなのだ。だから国際ルールなど屁とも思わない。

 そういう国だと云うことを分かっていないからあまりに非論理的な主張の数々に世界は振り回される。論理的な説得は北朝鮮と同様、中国には通用しない。通用しないことを前提につきあえばもしかすると道が開けるかも知れない。

 これは中国に対して強気に出た自民党が比較的に中国とうまくやってきたのに、中国に親和的な態度に終始した民主党が日中関係を修復不能まで破壊したことを見れば頷けることである。民主党は中国と話し合えばわかり合えると信じていたようだ。そしてもっとも大事な中国の首脳の面子をつぶして激怒させ、しかもそのことに気づきもしなかった。たぶん今も気が付いていない。

2013年5月27日 (月)

人権無視

 ヨーロッパを訪問中の李克強首相がスイスを訪問し、両国はFTA締結の覚書に調印した。正式には7月に協定が締結される。

 スイスはすでに日本など各国と協定を結んできた。そしてどの協定にも前文で「人権の尊重」が明記されている。スイスの伝統である。

 ところが今回の中国との協定には「人権尊重」が明記されていないのだという。これは中国がそれを拒否したためだ。

 スイスは経済を優先して人権尊重の文言を無視した。スイスの一部のメディアや各種団体は議会に対してこの協定の批准の拒否を呼びかけている。

 中国の言い分を受け入れる前例がこうしてまた作られた。金の力は絶大だ。中国の横暴を抑えるには中国経済の失墜を待たなければならないようだ(それは世界にとって望ましくない事態を招く、と云うが本当だろうか)。

 本日は昼過ぎまで病院の定期検診(前回より体重が数キロ落ちているので診断結果は良いに違いない)、その他雑用があり、夕方から犬山の兄貴分の人と会食(飲み会)の予定。次のブログの更新は晩になる(書ければ、だけれど)。

五月病

 中国でも日本で言う五月病が普通に通用する。五月頃、倦怠感を感じ、何もする気が起きず、気分が落ち込む状態として認識されている。そして中国でもこの五月病を訴える会社員や大学生が多数いるのだそうだ。

 しかしちょっと待って欲しい。日本の五月病は四月に会社に入った新入社員や、四月に大学に入った新入学生が環境の大きな変化に張り詰めて対応してきた疲れが、ちょうど五月頃にピークに達したときにかかるのが五月病である。

 中国は期の替わり目が四月ではない。九月である。それなら十月病でないとおかしいのではないか。

 確かに春先は木の芽時、と云って昔から精神的に不安定になりやすい時期である。精神を病んでいる人が悪化しやすい時期とも言われる。でもそれを五月病というのは使い方が間違っている。

 中国の精神科の専門家は「五月病を怠けの口実に使ってはならない」と云っているらしい。どうも中国の若者たちが口々に五月病を訴えているのは、春先のけだるさから来る怠け心の口実に五月病という名前がぴったりだからのようだ。

 中国は確かに豊かになったらしい。

本気にする?

 ドイツを訪れている中国の李克強首相がベルリン郊外のポツダム(あのポツダム宣言の地)で演説を行った。

 その中で沖縄の尖閣諸島について言及し、「日本が中国から盗み取った」と訴えた。

 一国の首相が他国を訪ねた先で他の国を盗人呼ばわりするなどと言うのは見識を疑う。

 しかしドイツ国民のみならず世界のまともな人々は、一国の首相がそのような主張をする、と云うことはそれだけに余程のことであり、言っていることは真実である、と思って演説を信じてしまうかも知れない。

 国家というのは自分に都合の良い主張をすることはみな分かっているけれども、それにも限度があるはずだ。この演説はそれを明らかに越えている。しかし限度を超えているからこそ世界は本気にするかも知れないと心配する。アメリカに対抗するような自称大国がまさか嘘は言うまいと思うだろう。

 中国はそのまさかを平然と言う国なのだが、世界は、特にヨーロッパの人々はそこまでとは思っていないのではないか。ドイツの新聞が李克強首相の演説をどう論評しているのか知りたいところだ。

2013年5月26日 (日)

映画「アイアン・スカイ」2012年フィンランド・ドイツ・オーストリア合作

 監督ティモ・ブオレンソラ、出演ユリア・ディーツ、ゲッツ・オットー、クリストファー・カービイ、ウド・ギア。

 パロディ映画はあまり好きではないのだが、この映画は面白そうだと思った予感は外れていなかった。とにかく驚くほど面白い。WOWOWからの録画で見たが、必ず再映されるはずだと思うので是非見ることをお勧めしたい。

 2018年、アメリカは大統領の人気取りのために久方ぶりに月面に有人の探査船を送り込む。月の裏側に降り立った宇宙飛行士はそこで驚くべきものを見る。巨大な建造物と月面を走り回る乗り物であった。宇宙飛行士のひとりは殺され一人は捕虜となり、その建造物の中に連れ込まれる。

 なんとそこはナチスの建設したものであった。ナチスドイツが敗れた1945年に、ナチスは大挙して月の裏側に移り住み、第四帝国を建設していた。

 第四帝国は地球への侵攻の準備を着々と進めており、その機が熟したと思われる頃に現れた宇宙飛行士をスパイと断定、地球人の情報を得ようとする。

 ナチスは宇宙飛行士が黒人・ジェームズ・ワシントン(クリストファー・カービイ)であることに驚き不審に思う。アーリア人種至上主義の彼等にとってはあり得ないことだったからだ。

 地球の状況探査のための宇宙船にこのワシントンと次期月面の総統と目されるアドラー(ゲッツ・オットー)が乗り込み地球へと向かう。その船にはアドラーの恋人でナチスのマッドサイエンティストの娘・レナーテ(ユリア・ディーツ)が秘かに乗り込んでいた。

 この三人の地球での珍騒動が大真面目に演じられる。やがてなかなか情報の来ない状況に業を煮やした月面総統(ウド・キア)が大艦隊を引き連れて地球に乗り込んでくる。

 ナチスの地球攻撃が開始される。それに対処するための国連の会合が抱腹絶倒の台詞の応酬でその毒気と皮肉が強烈だ。当初地球は甚大な被害を受けるが、やがて劣勢を挽回、地球の各国の軍事宇宙船がついに月への逆襲を開始する。

 俳優のレベルは高く、台詞は絶妙を極め、特撮も文句の付け所がないほど素晴らしい。

 結末はどうなるか、是非直接楽しんで欲しい。見てがっかりすることはないはずだ。

 月面総統役のウド・キアがいつも通り怪演している。この人、存在そのものが怪奇だ。あのアンディ・ウォーホル監督の映画「悪魔のはらわた」でのフランケンシュタイン博士役は強烈な印象を与えてくれたので忘れられない。

柳沢保正「へそまがり写真術」(ちくま新書)

 写真術と銘打っているが、この本は写真撮影の技術的な知識を得るというような本ではない。それにコンテストにエントリーするとかプロにでもなるつもりでなければ写真の技術的な本など読まなくても今のカメラはちゃんと写ってしまう。

 オーディオマニアという人たちがいる。音楽そのものを楽しむ人とは別に音響装置にこだわる人々だ。アンプやスピーカーに数十万、時に数百万かけることをいとわない。

 写真を趣味にする人にも撮影を楽しみ、良い写真を撮ることを追求する人とは別に、ひたすらカメラにこる人々がいる。そういう人は何台どころか何十台とカメラを持ってそれを眺め、いじることに無上の喜びを感じている。中にはクラシックなカメラ、大判のカメラなどに淫する人もいる。

 そしてライカマニアという一群もいたりして、けっこう奥が深い(この本にも屈折したライカとのつきあいが語られている)。

 この本はそういうやや写真とカメラにこころが捕らわれ気味の人にとって楽しい本だ。ちょっと古い(初版2001年・再読)のでデジタルカメラに関する記述は時代遅れだが、フィルムカメラの方にウエイトが置かれているので特に違和感は無い。この本の後半はクラッシックカメラについての記述が満載で、しかも映画の中で取り上げられたカメラについての部分などはその映画をそれを確認するためだけに見たくなるほどだ。

 小学生低学年の時に、叔父がコーワの単焦点カメラをくれた。あのコルゲンコーワ(叔父は興和新薬のプロパーだった)と同じグループにカメラやレンズを作っている会社があったのだ。コーワシックスというカメラを知っている人は知っているだろう。今もあるかどうか知らない。もらったカメラはベスタ判という特別のフイルムが必要なカメラで、露出もピント合わせも二、三段しか変えられない。当時はカラーなど高嶺の花だったし、白黒のべた焼きで、それでも家族旅行に持って行って、それなりの写真を撮った。

 その後セミ判(ブローニーフィルムを使う。一コマ6×4.5センチ)の蛇腹式のカメラを年上のいとこからもらって愛用した。ミノルタの初期のものだったと思う(実家にあるはずだ)。

 高校生の時にプロのカメラマンを目指している級友がいて、一眼レフカメラを初めて手にした。猛烈に欲しいと思ったけれど、それこそ高嶺の花である。カメラ雑誌を買って眺めるのがせめてもの慰めだったが、そのカメラ雑誌を買うこと自体が懐に負担であるからどうしようもない。

 だからそのカメラ雑誌(アサヒカメラとカメラ毎日)をとことん読んだ。それこそ表紙からコマーシャルまで目を通していないところがないほど何度も読んだ。ついには各メーカーのカメラ名、スペック、それぞれのレンズのスペックまで暗記してしまった。人生であれほど集中してものを読んだことはあとにもさきにもない。

 大学も光化学がやりたいと考えて山形大学の工学部に進んだのだが、なんと希望の講座に入ったときには光化学の講義は無くなっていた。

 大学に入ってから念願の一眼レフを手に入れた。そして独学で写真について囓った。そして寮の写真同好会に入り、暗室作業も覚えた。写真を撮るセンスはないことが自分で分かったが、写真が好き、カメラが好きであることはその後も変わっていない。

 今はデジタル一眼で写真を撮り、それをプリントアウトすることを楽しんでいる。暗室作業のかわりに写真の編集をやりたいところだが、たくさん撮りすぎて手が回らない状態だ。子供たちが小さい頃の写真はだいたいフイルムをデジタル化して取り込んでファイル化してある。

 気が付くといつの間にか沢山のカメラとつきあってきた。そんな事を思い出しながらこの本を読んで楽しんだ。

 写真について書き出すと止めどなく書きたいことが出てくるけれど、キリがないのでここまで。

忍耐力低下

 テレビで政治的なニュースや討論番組、国会中継などを見て、いろいろな意見を見聞きし、それについて考えるのがきらいではなかった。私が苦手な共産党や社民党の言い分もきちんと聞いてから、それに対しておかしいな、と思ったことを心の中で突っ込みをいれて楽しんでいたものだ。

 ところが近頃そのような意見をきちんと最後まで聞くことがつらくなってきた。ほとんど妄言に近いような意見や、他人の言っていることは一切聞こうとしない態度に耐えられなくなってきたようだ。

 精神的なエネルギーが低下しているのだろうか。

 中国や韓国のニュースを見ていても、一部の極端な愛国主義を標榜する人々に迎合するような論調が多くなっていることに我慢しにくくなってきた。

 極端な愛国者というのは何処にでもいる。だからそういう人は敬して遠ざけるだけのことなのだが、それが世論の主流と勘違いしてそれに迎合する文言が我慢出来ないのだ。このような人々は世の中の風向きが変われば全く違うことを公然と口にするだろう。

 それが世の習いとしてそれを直視し、おかしな処を自分なりに分析(大袈裟だが)してそれに染まらないようにしたいと考えているのだが。

 最近のテレビにもいささかうんざりしている。

 民放のコマーシャルの割合がますます増えているように感じている。その上切り刻まれた番組のつなぎにその前の数秒を繰り返すのが特に腹立たしい(このことは以前にも述べた)。コマーシャルで途切れてしまった視聴者の記憶をこれで繋いでくれている親切心から出たものなのだろう。

 もちろんそのようなことは建前で、とにかく番組を短くすることに全力を注いだ結果だと見ている。デフレでコマーシャルが集まらないからダンピングしてコマーシャル料が下がっているのではないか。だから番組の制作費をたたき出すにはたくさんコマーシャルが必要になる。さらに番組そのものの時間を短縮すればさらに制作費を切り詰めることが出来る。だからコマーシャルはますます長く、多くなり、しかも刻まれた番組の繰り返しはますます長く、しかも多くなる。今に番組を見ているのかコマーシャルを見ているのか分からなくなるだろう(そうなりつつある)。

 衛星放送は時間帯によっては全てが通販のコマーシャルと言う時間帯がある。それでもそれを楽しんでみている人がそれなりにいるという。だからテレビ局は、コマーシャルは多くなっても大丈夫、と考えているのか。

 ただほど高いものは無いとこの頃つくづくそう思う。番組を楽しむつもりが、貴重な時間を望まないコマーシャルに浪費されてしまう。

 そうか、人生の終点が近くなると限られた時間の浪費が耐えられなくなっているのが忍耐力の低下の理由であったのか。

2013年5月25日 (土)

映画「怒りの河」1951年アメリカ

 監督アンソニー・マン、出演ジェームズ・スチュアート、アーサー・ケネディ、ジュリー・アダムス、ロック・ハドソン。

 正統派の西部劇。オレゴンの奥地へ新天地を求めて移動する幌馬車隊の道案内をしているグリン・マクリントック(ジェームズ・スチュアート)は昔ミズーリ州の無法者だったという過去を持つ。

 彼が幌馬車隊に先行して道を確認しているときに今まさに数人の男に縛り首にされようとしているエマーソン・コール(アーサー・ケネディ)と云う男を助ける。馬泥棒の濡れ衣で吊されそうになった、というコールを幌馬車隊に迎え入れたマクリントック達は河のそばの草地で野営をすることになる。

 みなが夕食を食べ終えてくつろいでいたそのとき、一本の矢がリーダーの娘ローラ(ジュリー・アダムス)の肩に突き刺さる。インディアンの襲撃だった。マクリントックとコールは川向こうのインディアン達に逆襲する。さいわい相手は少人数だったので互いに助け合い、全員を倒すことが出来、二人に友情らしきものが目覚めるのだが、互いが名の知れた無法者であったことを確認する。

 一行は中継地の町で冬越えの食料を調達、そこからは蒸気船で河をさらに遡ることになった。コールはこの町に残る。そしてローラも肩の傷の治療のために残ることになる。船は幌馬車で行くよりも早いし楽なのだが、途中に滝や急流があるのでそこまでで、後は道無き道を行くことになる。

  やがて彼等が目指す場所に到着、開拓村の設営に精を出す。ところが秋になったが、秋までに届けられることになっている食料が来ない。雪が降り出すまでに食料が届かないと深刻な事態となる。食料とともにローラも送られてくるはずなのだがそのローラも心配だ。

 そこでリーダーとマクリントックは再び町へ向かう。そこで見たものは異常に賑わう町の様子だった。山の中で金が発見されてゴールドラッシュに湧いていたのだ。食料をはじめとしていろいろな物資が奪い合いとなり、ものの値段も急騰していた。リーダーが購入契約を結んだ食料は町の顔役によって差し止められていた。顔役は金を返すから契約は破棄する、と云う。

 その上コールはその用心棒に収まり、ローラは金の取引の手伝いをして働いており、しかもコールと恋仲になっていた。

 マクリントックは顔役の理不尽さに激怒、港に積み上げられていた自分たちのもののはずだった荷物を強引に船に積み込む。それを阻止しようとする顔役達と撃ちあいとなるが、コールは命の恩人であるマクリントックの味方をして彼等と行動を共にする。さらに若い賭博師のウィルソンも行きがかり上ついてくることになる。船長の協力で間一髪で船は出港するのだが、顔役達も馬で急追してくる。このままでは馬の方が先行して待ち伏せされる。

 ここから追いつ追われつしながら状況は二転三転する。最後には馬も銃も奪われて絶望的な状況に追い込まれたマクリントックだったが彼には不屈の闘志があった。

 最後はわずかな人数で困難な山越えの道をたどり、ついに開拓村に辿り着く。マクリントックの横には彼を見つめるローラの姿があった。

 ローラ役のジュリー・アダムスはえくぼの可愛い美人である。

 よく考えると、マクリントック達のやっていることはけっこう乱暴で、反対側から見れば彼等の方が悪人という見方も出来るかも知れない。そういう時代だったのだと言うことだろう。

ホフマン「砂男」(ホフマン短編集より)

 砂男は子供が夜更かしをしているとその目に砂をどっさり投げ入れて、血まみれになって飛び出した目玉を袋に入れて持ち帰り、月に住む自分の子供にそれを食べさせる。

 ナタナエルにとって砂男は実在する。子供の時眠らずにいると深夜に階段を上り父の部屋へ向かう足音を耳にすることが幾度かあった。砂男の足音だ。その正体を突き止めようと、ついにナタナエルは父の部屋を覗く。

 父とその男コッペリウスが恐ろしい形相で話しているのを見て、ナタナエルはこのコッペリウスこそ砂男だと確信する。そしてそのときに恐ろしい体験をする。

 何度目かのコッペリウスがやってきた晩に、父が爆発によって急死する。

 成人したナタナエルには親友の妹のクララという許嫁がいる。そして彼女を残して故郷を離れて大学で勉強中の身である。今では父とコッペリウスが二人で錬金術の研究をしていて誤って爆発が起こったらしいことも知っている。そしてコッペリウスが弁護士であることも分かっている。

 そんな彼の下宿にコッペルと云う男が晴雨計を売りに来る。ナタナエルはこの男とコッペリウスを混同し、彼をたたき出して騒ぎになる。自分が見誤ったらしい、と認めながらなおその疑いが拭いきれない。

 彼が師事する教授のもとを訪ねたナタナエルは半開きの扉越しにそこに静かに坐っている若い女性の姿を見てこころを奪われる。完璧なまでの美しさ、しかし彼女は微動だにせず、こちらに気づきもしない。

 しばらくして教授の屋敷でパーティが開かれる。再び彼女に会うことを期待して屋敷を訪れたナタナエルは壁の花となっているそのむすめ、オリンピアをダンスに誘う。ダンスには自信のあるナタナエルだったが、オリンピアの完璧さにはついて行けないほどだった。何人かのダンスの誘いをオリンピアは全て無視、ナタナエルとばかり踊るのだった。

 ナタナエルのこころからクララは遠ざかり、今はオリンピアだけが全てだった。友人達はそんな彼をいさめ、オリンピアを「あの女は変だ」という。しかしナタナエルの気持ちは変わらない。

 そうして事態は突然悲劇へと至る。

 教授の元を訪れたコッペリウスが教授と激しい諍いを起こす。だがナタナエルにコッペリウスと見えた男は晴雨計売りのコッペルだった。このコッペルの恐るべき行動によってオリンピアの正体が暴かれてしまう。

 砂男の妄想とオリンピアへの愛の喪失でナタナエルは異常な行動を取る。彼は全てを失う。自分の命さえも。

 砂男は妄想だったのか。

 オリンピアの正体は物語を読み進むと分かってくるのだが、ナタナエルだけが最後の最後までそれを信じようとしない。それこそがこの物語の奇妙に恐ろしいところだ。

お騒がせ

 このことは誰か(内田樹先生だったか?)の受け売りなのだが気に入ったのであえて言う(慣用句に目くじらを立てても仕方が無いのだが)。

 何か問題が起こると問題を起こした当事者や責任者が「お騒がせして申し訳ありませんでした」と言って謝罪する。お騒がせしたことを謝罪しているのだ。でも謝っている面々が騒いでいるわけではない。騒いでいるのは事件が起こると大挙してピラニアのように獲物に群がり、正義の味方の顔をしてマイクを突きつけているマスコミの連中だ。

 では彼等の謝罪は、マスコミの騒ぎをマスコミに替わって謝罪しているというのだろうか。

 もちろん騒ぎのもとを作ったのは謝罪している面々であると云う理窟は成り立つのだが、彼等が騒いでいるわけではないし、その騒ぎを謝罪したことで問題に対しての謝罪になどなるわけではない。

 「お騒がせして申し訳ありませんでした」という謝罪にいつも違和感を感じていたのはそういう理由だったようだ。

 夫婦ゲンカがエスカレートして近所の人々が仲裁に入り、ようやく収まった後に「お騒がせして申し訳ありませんでした」というのは言葉通りで違和感がない。

 どうもこの感覚でこの言葉を謝罪の言葉にするのは、謝罪回避をしながら謝罪のポーズを取る、と云うだけのことのようで、しかもそれをマスコミが鬼の首を取ったように報道する。騒がれているものが「お騒がせ」だけを謝罪して、騒いでいるものがそれを受け入れている図式がまかり通っているという国も変な国だ。他の国でもそうなのだろうか。

 今朝の東海村の放射線被曝事故でもこの言葉で責任者達が「お騒がせしたこと」を謝罪していた。

就職難

 中国で今年、間もなく卒業する大学生は700万人(!)いる。このうち就職が決まっているのは三割程度だという(中国は7月が学期末)。今までで最大の就職難だと中国のメディアが報じていた(この事態こそ中国の右肩下がりの兆しと見ることもできる)。

 一人っ子政策により、親はたったひとりの我が子に投資を惜しまない。高額の教育費を惜しみなく注ぐ。その負担は並大抵ではない。子供はそれに応えるために夜遅くまで塾に通い、勉学に励む。中国の子供は本当によく勉強する。それが当然だと仕込まれているからだ。

 親子でそこまでがんばったことでようやく大学に入ることが出来る。その大学を出たのに希望する就職先がないのだ。

 中国の高学歴者はホワイトカラーを目指す。国家公務員や大手企業を目指す。これまで大変な苦労をして大学に入ったのだから、それに見合う仕事に就きたいと誰もが願う。

 中国ではブルーカラーは階層としてホワイトカラーよりも一段下に見る社会風潮がある。これは韓国でもそうだ。生産現場に直接関わる職場に就職することなど考えない。

 だが中国ではすでに毎年の大量の大学卒業者がホワイトカラー層に殺到したために飽和状態になっている。新たな口は毎年どんどん減っているからその競争率はどんどん高くなっている。これが三割前後の就職内定率の理由だ。

 働かなければ食べていけない、と云うわけでブルーカラーの職に就こうとすれば、親や親族から心ない非難が殺到する。今まであんなに金をかけたのに何でそんな職に就くのか、と。

 優秀なブルーカラーの人材は、実は強く求められており、こちらは就職することはそれほど難しくない。だが上のような背景があって大学生はブルーカラーに向かわない。

 そうして職にあぶれた失業状態の大学生が都会の底辺で鬱屈しながら数多く暮らしている。彼等は高学歴であるから批判精神も旺盛で、もちろん社会に対しての不満も強く抱いている。

 日の当たらない部屋で、生活費を切り詰めるために友人と同居しながら細々と生きている彼等こそ中国の社会変革の火種の一つなのだ。

 ただ彼等は今のところ糾合することがなく、組織だった勢力にはなっていない。だから中国にはジャスミン革命の火は煙すら立たなかった。

 しかし毎年こうして大量の若者が滞留してくれば、今にそれを糾合するものが現れるだろう。大学生がブルーカラーにもどんどん就職することを受け入れた頃にはそのブルーカラーの口もなくなっているかも知れない。中国共産党のもっとも畏れる集団が育ちつつある。

2013年5月24日 (金)

サイン入り

 「楊令伝」全十五巻を読み始めたことはすでに書いた。それに続くのが「岳飛伝」である。第五巻が出たので名古屋駅の三省堂へ買いに行った。つい新書や文庫、ハードカバーなどを10冊ほど購入してしまう。本のことになると懐工合は関係なくなってしまう。ほとんど病気だ。

 大変嬉しいことにその「岳飛伝」第五巻に著者のサイン入りが何冊か置いてあった。喜んでゲット。北方謙三のサインと落款の入った本が書棚に並んだ。とても嬉しい。

ラインを踏む

 車で走っているとたまにラインを踏んで走る車をみる。たまたま踏むことはあるだろう。しかしそうではなく、踏んだり踏まなかったりしている。センターラインではなくて二車線や三車線の道路での話である。どうも気持ちとしては跨がって二車線分を占有したいように見える(さすがに三車線分は無理だろうが)。

 みていると危険だと思うと同時に不快感を感じる。なぜラインを跨ぐのだろう。どちらの走行車線で走る方が自分にとって得だろう、と迷っているように見える。走行していれば前にも脇にも車はいる。少しでも前に出たい気持ちで損得を考えているのではないか。

 図々しい人には二種類ある。自分の損得が最優先で他人に対する忖度など出来ない鈍感な人、そしてそのような人に先を越されて損をすることにおびえて思わずその真似をする人である。ともにお近づきになりたくない人たちである。

 ラインを踏む人にそのお近づきになりたくない人がうかがえて不快になるのかも知れない。

池波正太郎「鬼火」(文藝春秋)

 新鬼平犯科帳第五巻、通巻では第十二巻である。これも長編。

 冒頭で書かれているのだが、この事件はたまたま長谷川平蔵が関わったことによって明るみに出たものだが、そうでなかったら全ては闇から闇へ葬られてしまっただろう。もちろん事態は全く違う結末になっているはずだ。

 巣鴨の大百姓・三沢仙右衛門(長谷川平蔵のいとこであり、平蔵の生母の生家の当主)を訪ねた平蔵は帰りがけに、仙右衛門の話していた居酒屋を見かけて立ち寄る。そのときにこの居酒屋を見張っている男がいることに気が付く。気になった平蔵はその店を出た後もしばらくその店の様子を人知れず見張っていた。

 そこへ浪人者が数人、この居酒屋へ押し入り、亭主を襲撃する。平蔵が後に続いて店に飛び込み、その一人の足を切りとばして襲撃を阻止するのだが、亭主の妻女である老婆が切られ、その間に亭主も行方をくらましてしまう。老婆を役宅に担ぎ込み、介抱に勉めて訳を尋ねようとするが、老婆は口をつぐんで何も語ろうとしない。

 やがてこの亭主や老婆の昔を知る人が見つかり、火盗改めで事情聴取をするのだが、そのあとにその証人が殺害されてしまう。余程知られたくない事情があると睨んだ平蔵はこの調べに火盗改めの全力を投入していく。

 しばらくして、この居酒屋を訪ねてきた身なりの良い老武士があった。居酒屋には平蔵の手配によって常時張り込みが続けられていたので、この老武士の身元は間もなく判明する。

 調べが進むうちにこの事件にある旗本が関与しているのではないかという疑いが浮上する。さらに火盗改めに縁のある岡場所で、平蔵襲撃をたくらんでいる浪人の存在が明らかになる。

 これが探索している事件と関わりがあるかどうか不明だが、平蔵は直感で関係があると睨む。そしてみずからがおとりになり、襲撃を待つ。

 やがて平蔵は腕利きの浪人達に襲撃され、命を落とす。

 清水門外の長谷川平蔵の役宅から平蔵の姿が消え、沈鬱な空気が流れる。

 やがて不穏な集団が蠢き出す。それぞれのねぐらが密偵達の必死の探索で次々に明らかになる。だが不穏な集団がどう云う手立てで何を企てているのかいまだに分からない。

 やがて全ての背景のつながりが見えたとき、事態は一気に展開する。その根の深さは当初の事件からは想像も出来ないほどのものであった。

 もちろん平蔵は無事であった。そうでなければシリーズが終わってしまう。

 平蔵の役宅に担ぎ込まれた老婆の身元は驚くべきものだったのだが、これは最後の最後になって初めて判明する。この老婆の境遇については惻隠の情を禁じ得ない。

金瓶梅

 山東商報と云うから中国の新聞か雑誌だろう。ここに神奈川大学外国語学部中国語学科の鈴木陽一という教授が「金瓶梅」について寄稿した。それがニュースに採りあげられていたものを見ただけなので原文は読んでいないが、取り上げられた鈴木教授の説にはいささか疑問を感じた。

「金瓶梅」は中国の明代の小説で、「三国志演義」、「水滸伝」、「西遊記」と並んで中国の四大奇書と云われている。これが「水滸伝」のスピンアウトであることを知る人は知っている。と云っても物語としての関わりはほとんど無い。「金瓶梅」はほかの小説とは全く違って西門慶という金持ちの色男が、いろいろな女性と浮き名を流す話だ。

 もちろん日本でも昔からよく読まれている小説だが、官能描写が多いので、それを秘かに楽しむために読まれることが多かった。

 鈴木教授によれば「金瓶梅」は日本軍の中国侵略の教科書だった、とおっしゃりたいらしい。帝国主義を推進する当時の指導者が侵略した占有地を有効的に統治するためにこの本で中国の風俗を学んだのだという。

 「金瓶梅」を知る人なら噴飯物の説だろう。金瓶梅は明代の小説である。作られたのは日本で云えば戦国時代や安土桃山時代だ。しかも描かれているのは宋代、つまり平安末期頃の時代設定だ。そんなものを中国の風俗の参考にするはずがない。しかも登場人物は富裕な商人やその家族だ。中国国民の中のごく一握りの人の風俗を参考にしようとしても何の参考にもなるはずがない。

 鈴木教授という人物は当時の日本の指導者や軍がそれほど馬鹿だったと言いたいのだろうか。

 さらに日本の民俗学に「金瓶梅」が大きな影響を与えており、その民俗学がさらに軍部の思想に影響を与えたと言っている。確かに当時の民俗学が思想に影響を与えたというのは全くの出たらめではないだろう。しかしその民俗学が「金瓶梅」に影響を受けていたかのごとき説はとてもではないが頷ける話ではない。

 戦後日本の知識層は戦争を反省するとともに中国文化の研究を再開したが、「金瓶梅」は性描写が多い事でわいせつ物扱いされ、その文学的評価が正当になされていないという。日本国民はそのために「金瓶梅」を完全な形で読むことが出来ないでいるのだそうだ。

 しかし「金瓶梅」の性描写など今時の週刊誌の官能小説の性描写などよりはるかに表現が詩的で間接的であり、これで春情を催すことはあまりないだろう。

 教授は最後に「収益の観点からもたとえ「金瓶梅」の完全翻訳が出来ても出版社は何処も出版しないだろう」と結んでいる。

 どうもこの教授、今の日本人のほとんどが「金瓶梅」を知らないことを良いことに自分の妄言、妄想を並べ立てて中国のマスコミに迎合したもののようだ。

 「中国の小説は素晴らしい。特に金瓶梅について私は研究してきた。これが日本の軍部に中国風俗の参考にするために利用されたことを遺憾に思う」と言いたいらしい。

 ところでこの鈴木教授は「金瓶梅」を読んだことがあるのだろうか。

落ち目

 イギリスのBBCが世界25カ国を対象に、国際社会に対する各国の影響についての調査を行い、それを毎年発表しているのだという。この中の今年の中国に対する評価の部分を中国のメディアが伝えていた。

 中国にもっともマイナス評価なのはフランスだった。フランスが68%、次いでアメリカ、ドイツ、スペインが67%、日本は64%、韓国は61%。オーストラリアは55%であったが、昨年は29%だったと云うから大きく変わっている。

 反対にプラスの評価が高かったのはパキスタンの81%、ナイジェリア78%、ガーナ68%、ケニア58%だった。

 中国に対する評価は、アフリカ諸国以外は昨年から比べてマイナスがいずれも増えて、今年が最大となっているという。世界の国々の政府や財界が中国にすり寄ろうとしているけれど、国民感情は別物のようだ。

 日本に対しての評価の数字もあるのだろう。知りたいような気もするが、どうせあまり良くないだろうから調べないことにする。

 前から懸念していたことだが、中国経済の先行きに黄色信号がともったようだ。これが赤信号に変わる可能性もある。ここに赤信号がともるようだと、せっかく持ち直しかけた世界経済が再び失速しかねない。

 現に昨日の日本の株の急降下(大暴落は言い過ぎらしい)の理由の一つが、予測以上の中国の経済指標の悪化だという。

 中国は落ち目なのかも知れない。どうもそれを内心期待している自分がいるようで、いけない。

神の懲罰

 韓国の主要新聞の論説委員が書いたコラムに、広島・長崎に投下された原爆を「神の懲罰である」と書かれていたことがニュースで再三取り揚げられていた。これに対してはテレビのコメンテーターの云っていた言葉のいくつかがほとんど的を射ているように思うのでそれを記して記憶に留めることにする。

 「不見識である」、「常軌を逸している」、「国民の反日感情に迎合するつもりで筆が走ったのだろうが許される言葉ではない」。

 このコラムに対しての日本大使館からの抗議にこの新聞社は「論説委員の個人的見解である」と釈明したらしい。寄稿された文章にしてもそれを採用して掲載するかどうかは新聞社が決めることだ。ましてや自社の論説委員の書いたものである。これを新聞社が責任がないかのような言い訳をするというのはそれこそみっともない。

 韓国国民の総意だなどとは誰も思わないが、それなら韓国国民の世論がどのようにこのことに対して反応するのか、興味がある。

 反日の世論が支配していて誰もこのコラムの主張を批判出来ないなどと云う事であれば、韓国という国そのものが批判されることになるであろう。広島や長崎では朝鮮半島の人も少なからず犠牲になっている。彼等にも「神の懲罰」が下ったとこの論説委員は言うのだろうか。

2013年5月23日 (木)

媚びる

 韓国の新聞が、記事の中で朴槿恵大統領に助言をした。

 何を助言したのか。北京での演説を中国語で行うよう助言したという。これを中国の新聞が採りあげていた。

 今まで海外の元首が中国語で演説したのはオーストラリアの前首相のケビン・ラッド氏ただ一人だという。ただラッド氏は中国に駐在した経験があり中国語に堪能で、みずから中国名も持っているほどだったから中国語を使いたかったのだろう。

 通常元首が他国を訪問した場合、訪問先の国の言葉に堪能であっても挨拶以外は自国語で通すのが通例である。これは特に善悪を論ずるまでのことはない、感覚的に分かるもので、国家の代表としてのプライドに関わるものだろうと思う。

 朴槿恵大統領は語学に堪能だと言われており、中国語も独学で少し話せるらしい。韓国の新聞の助言によれば「たどたどしい中国語で演説することで、謙虚さと親近感をアピール出来る。大事なのは発音ではなく誠意である」という。(私は安易に「誠意」という言葉が使われると虫酸が走る。「北の国から」で田中邦衛がこの言葉を口にしたときに菅原文太が「誠意って・・・何ですかね?」と問い返したときにぞっとしたことが忘れられない。このニュースとは関係ないけれど)

 韓国は今年に入って円安の進行から対日貿易の赤字が急増して経済的に困難な状態に陥りつつある。それを凌ぐにはとにかく中国との経済的な関係の強化が必要だと考えられている。つまり中国にすり寄っていくことで経済破綻を回避しようとしているのだ。

 中国語で演説することを助言する韓国メディアの心性は中国に対する媚びではないのか。

暴落

 午後三時のニュースで、日本の株価が今日一日で1143円も暴落したと報じていた。リーマンショック以来の下げ幅だという。いくつかの理由が挙げられていたが、特に気になったのが、中国の経済の失速が日本の経済に大きくマイナスに影響しそうだ、と云うものだ。

 報道されていることとは別に、株が暴落するほど深刻な何か情報があるのだろうか。韓国や中国の株価はどうだったのだろうか。

 この反動でどの程度明日株価が回復するのか、とても心配だ。その不安が不安を呼んで、再び景気が低迷しないことを祈りたい。

夜郎自大

 韓国の朴槿恵大統領が先日アメリカを訪問した。これは韓国の新大統領が必ず行うことであり、慣例である。慣例によれば、その次ぎに日本を訪問する。しかし朴槿恵大統領は日本を訪問する予定は今のところ具体的に計画して居らず、六月には中国を訪問することで調整中だという。このことが日本のメディアで異例のこととして報道された。

 しかしメディアが言うほど日本国民は異例などと感じてはいないような気がする。「あっ、そう。だから?」と云うところだろう。

 日本人は朴槿恵新大統領に特に反感を感じたりしているわけではないが、もともと来日をそれほど期待してはいない。不逞の輩が朴槿恵大統領に失礼なことをする心配があるし、それこそ間違って危害でも加えたら大変なことになりかねないから今は来ない方がいいくらいだ。それは天皇陛下や安倍首相の韓国訪問についても同じ事だろう。

 ところが韓国メディアは、日本のメディアが朴槿恵大統領が日本より先に中国訪問をすることに対して「慣例を破った」と深刻に受け止め、焦燥感をあらわにしていると報じたそうだ。

 韓国のメディアが日本の報道を見聞きしてそのように感じたとしたならば、日本の報道が日本の国民の意見とは乖離していると言うことだし、そうでなければ韓国が自国を誇大に妄想している夜郎自大の国だと言うことだ。

 このニュースを見たら中国は我が事のように喜ぶに違いない。勝手に喜んだらいい。

ホフマン「ファールンの鉱山」(短編集より)

 スウェーデンのファールン鉱山はむかし大落盤を起こし、その無残な落盤の痕跡が地上からも見えるままに残されている。

 父の後を継いで船乗りとなったエーリスは、よく働くし健康な肉体も備えていたので無事に長い航海を終えて港へ戻った。ただ内向的な性格なので人と酒を飲んで騒ぐのは苦手だった。船乗りは馬鹿騒ぎをする。久しぶりの陸の上にいることがうれしいのだ。しかしエーリスはその騒ぎを横目にいつも以上に沈鬱な態度で、ついに仲間と一触即発となる。

 人混みを避けて暗がりでたたずむエーリスに大男の老人が話しかけてくる。エーリスにそんなところで一人でいる訳を尋ねられて、エーリスは理由を語る。長い航海で無駄遣いをせずに貯めた報酬の金貨を手に、自分の帰りを待っているであろう一人暮らしの母のもとへ向かったところ、母は三ヶ月前になくなっていた。自分が帰ることを喜んでくれる母のことだけを考えていたので乱痴気騒ぎに加わる気にならないのだと。

 その彼にその老人は船乗りをやめて鉱夫になることを勧める。エーリスならいつか鉱区を任されるような立派な鉱夫になることができるし、場合によっては自分の鉱山を持てるようになるだろう、と言う。そして鉱山の地底での仕事のすばらしさを語る。

 船乗りたちの騒ぎに嫌気がさしていたところでもあり、心動かされたエーリスはファールンへと向かうことにする。鉱山はもちろん山の中である。ファールンに近づくにつれ山は深くなり、次第にエーリスの心は冷めてくる。そしてファールンの町を見下ろす峠でエーリスは大落盤のあとを目の当たりにする。奇怪な地獄の裂け目じみた大崩れの惨状を見て彼の心は凍りつく。

 エーリスは、ファールンの町で一泊したら引き返そうと心に決める。

 彼はそのファールンの町で盛装した鉱夫たちの群れにであう。彼らは鉱山の持ち主の元へ向かっているのだ。今日は彼の屋敷で鉱夫たちをもてなす日だという。鉱夫たちは馬鹿騒ぎをすることもなく、しかし楽しげにその屋敷で過ごしている。それを外から眺めながら、エーリスは船乗りとの違いを感じ、好感を持つ。

 そのとき鉱山主とその娘が現れて、鉱夫たちにねぎらいの言葉をかけ、鉱夫たちの挨拶に答える。その美しい娘を見たエーリスはたちまち娘に心を奪われる。思わず戸口に近寄ったエーリスに娘が声をかけ、父の承諾をうけてその集まりの中に誘う。

 鉱山主からなぜここにいるのか問われたエーリスは、自分が船乗りであり、しかしその仕事を辞めて鉱夫になることを老人から勧められてここへ来たのだ、と語る。そしてここで働かせてほしい、と願う。もちろん娘に心を奪われたことで港へ帰る決心はふきとんでいたのだ。

 鉱夫たちは口々にその大男の老人は大落盤の時に行方不明になった老鉱夫に違いないという。行方不明なのだがその姿を見た、と言うものは何人もいるのだという。

 翌日からエーリスは鉱山の地下に入る。地底には暗がりと閉塞感の恐怖があるのだが、老人の言った地底世界のすばらしさのイメージと、今は鉱山の娘への思いから彼は必死で働き、たちまち鉱山主から後継者と認められるようになり、もちろんその娘の心もつかむことになる。

 二人の婚約も決まり、婚礼の日取りが決まった頃、エーリスはいつの間にか地底で見る幻覚に心を奪われ出す。その幻覚こそこの物語の中核なのだがそれはこの物語を読んでもらわないと伝えられない。地底に見た地下の女王の姿に心が奪われ、次第に娘から心が離れだしたとき、事態は暗転する。

 再びの落盤事故によりエーリスは行方不明となる。そして鉱山主は破綻し、町を去ってしまう。

 そして長い月日がたち、人々がそのことを忘れた頃、鉱山の地底から生けるがごとき若い鉱夫の死体が発見される。人々が誰だろう、とざわめく中、一人の老婆がその死体に駆け寄り、その死体をかき抱いてほおずりする。老婆は至福の表情のままその場で息を引き取るのだが、そのとき若い鉱夫の死体はたちまち崩れ果て、灰となる。


  
 肝心のエーリスの見た地底の世界の様子と地下の女王の姿は文章を読んでもらわなければなりません。とにかく不思議な読後感の小説でした。ホフマンは皆そうですが。

日常に戻る

 昨晩弟が仕事から帰ってくるのを待って、千葉を出発、夜中過ぎに名古屋へ帰着した。首都高はいつものように渋谷のあたりから池尻までが渋滞していたが、そのほかはスムーズに流れていた。新東名では走りやすいのでついスピードを出してしまうのだが、昨晩は何となく雰囲気が違った。トラックが多いこともあるのだが、すべての車の速度が控えめに感じた。私もいつもより速度を出さずにゆっくり走った。

 そういえばパトカーもいつもより多く見たし、覆面パトカーに止められている車も見た。相変わらずそんな中を猛スピードで行く車もあるが、あの車はちゃんと捕まっているのだろうか。猛スピードを出してよく捕まるのなら、それにこりて猛スピードを出さないようになるに違いない。だからうまくすり抜けているのだろう。

 実家にいてもただごろごろとして本を読んでいるだけだったから、弟夫婦には「すまなかった」と挨拶した。無為徒食の身を顧みて本当にそう思ったからだ。母には「又来る」とだけ行った。聞こえたのかどうかよく分からない。ぼそっと言ったので聞こえなかったか、返事をする気がなかったのか。それでも母が、去って行く私にしきりに手を振っていたのがバックミラーに見えた。

 帰ってくれば一人で家事万端をしなければたちまち家の中は乱雑を極めてしまう。一人だけだから話す相手もなく、孤独だ。しかし母と二人で顔をつきあわせながら会話がなければ、二人でいる孤独だ。

 一人だけの孤独より二人でいる孤独の方が居心地が悪い。「又来る」と言ったけれど次は何時いけるだろう。いろいろと予定していることはあるし、忙しい。

 そうしてすべてを弟夫婦に任せて母から目をそらそうとしている自分がいる。

2013年5月22日 (水)

ホフマン(神品芳夫訳)「黄金の壺」(岩波文庫)

 ホフマンの系譜を継ぐものと言えば、ポーやカフカだという。その怪奇性はポーに、幻想性はカフカに見ることができると言えるかもしれない。

 この「黄金の壺」は完成度も高く、彼の傑作の一つと言われている。怪奇性はわずかで、幻想的で詩的な物語世界が展開する。ドイツロマン派と呼ばれるのも頷ける。

 物語は第一夜の話から第十二夜の話にまとめられている。物語を要約すると何のことか分からなくなるだろう。たとえば第一夜に作者がつけた要約は「大学生アンゼルムスの災難-教頭パウルマンの衛生用たばこと金緑色の蛇たちのこと」である。

 主人公はこの大学生アンゼルムスで、彼は純情そのもので悪意などみじんもないのだが、何かを真剣に行おうとするごとに必ず失敗する。

 折しも彼が走り抜けようとしたドレスデンの黒門あたりで、みにくい老婆が売っているリンゴや菓子の入ったかごに飛び込んで品物を蹴散らしたために、老婆から呪詛の言葉が投げつけられる。

 この老婆は魔法使いである。

 そしてアンゼルムスが川辺で一息ついたそのとき、そこにあったにれとこの木に巻き付いた緑がかった黄金の小さな蛇を見、その蛇の瞳に魅入られて恋に陥る。というのが物語の発端である。

 なぜ彼が走っていたのか、そして彼に関わる人々について第二夜から語られていく。こんなアンゼルムスに恋する乙女もいる。

 やがて彼は不思議な縁である仕事に就くことになる。それがきっかけで彼の恋はついに成就する。そして彼を呪った魔女は激しい争闘の果てについに倒される。

 なんだか他愛ない話のように聞こえるけれど、不思議な人物たちの不思議な会話、不思議な屋敷の不思議な部屋など、細かく書き込まれたその世界を楽しむことができる。これをアニメにしたらずいぶんおもしろいと思う。結構映像的な文章なのだ。

 ただしディズニーだけはやめてほしい。子供向けの勧善懲悪にしてしまったら物語がぶちこわしだから。

 学生の時に読んで以来だから再読は四十年以上になる。細部はほとんど忘れていたが、緑色の瞳の輝きはかすかに記憶していた。

 幻想小説もたまに読むとおもしろい。フーケーの「水妖記」でも引っ張り出してみようか。

内田百閒「第三阿房列車」(旺文社文庫)

 今回の運行先は
 「長崎の鴉 長崎阿房列車」
 「房総鼻眼鏡 房総阿房列車」
 「隧道の白百合 四国阿房列車」
 「菅田庵の狐 松江阿房列車」
 「時雨の清見潟 興津阿房列車」
 「列車寝台の猿 不知火阿房列車」

 例によって目的のない列車の旅である。同行のヒマラヤ山系こと平山三郎氏によれば、百鬼園先生は注文はうるさいが、列車に乗ってさえいればご機嫌だという。

 しかし「隧道の白百合 四国阿房列車」の旅では体調を崩してしまい、不本意なものになってしまった。文章にも生彩がないし、心配になる。

 そのあとの「菅田庵の狐 松江阿房列車」「列車寝台の猿 不知火阿房列車」とも、夢ともうつつともつかないものを百鬼園先生は見ている。それは先生の幻覚か、それとも錯覚か。だがその不思議なものが先生の名文で描き出されるとき、その不気味さがなにやら迫ってくるようで怖い。

 阿房列車の旅はこの「第三阿房列車」でおしまい。阿房列車は戦後に書かれたものだが、次の巻は時代がさかのぼって昭和初期に書かれた「百鬼園随筆」である。これが発表されて世に随筆ブームが起こったと言われる。

ニート

 ニートとは学校にも行かず、就業も就業訓練も行わないものを指す。

 ILO(国際労働機構)は世界の国々の若者のニート率の統計を発表した。10%未満の国は、ルクセンブルグ7.1%、ノルウェー8.5%、スロベニア8.8%、スイス9.7%、日本9.9%。これらの国が最も低い。
 
 主要先進国では、アメリカ16.1%、イギリス15.9%、ドイツ12.0%、フランス16.7%。
 
 お隣の韓国は19.2%であったことが韓国のマスコミで問題として取り上げられている。日本の約2倍もいることが信じられない、と言うことのようだ。

 この数字は若者の失業率とは別の統計だ。働きたくても働けない若者がこの数字に含まれているのかそうでないのかはそれぞれの国によって違っているかもしれないので単純に比較はできない。

 とはいえ、働くことも学校へ行くこともない若者の数の比較としては意味があるだろう。身の回りを見ても引きこもりなども含めて親に食わせてもらっている若者を何人も知っている。その若者がもうすぐ若者でなくなったとき、親も収入が限られて生活が成り立たなくなる事態が目の前に来ている。

 一定数のニートは必ず存在するもの(昔は遊民といった。ただし親の遺産の利子で食べるなど、収入はあった)だろうが、日本のニートたちの多くはバブル時代の申し子だと私は思っているので、たぶん長期にわたる不景気が日本をニートの割合の少ない国にしたのかもしれない。

 そして韓国は・・・今までバブルだったのかもしれない。人ごとながらこれからが思いやられる。

 人は多少の豊かさや貧しさで、あるべき姿を見失ってしまうものなのだろうか。あるべき姿こそ道徳に基づくものかもしれない。

大国

 六月早々、中国の習近平主席がメキシコなどラテンアメリカなど三国を訪問したあとにアメリカを訪問する、と中国外交部が発表した。

 マスコミや中国のネットでは「世界の二大大国が交流を深める」ことを大々的に歓迎している。アメリカが世界一の大国であることは万人が認めるところであるが、今や中国も自他共に認める世界第二の大国になったらしい(時に未だに「発展途上国」、などと自ら名乗ることがあるのが気に障るが)。

 その中国でバスの運転手が住民に襲撃された。

 その理由が、バスの停留所に止まらなかったからだという。では運転手にも非があったのか。

 そのバスの運行区間は乗客も限られているので停留所の間隔もだいぶ離れており、停留所まで遠い人も多い。そこで住民が考えたのは停留所の設置であった。自分たちの都合のいい場所に停留所を立て、停留所名を手書きで書き込んでバスを待つことにしたそうだ。

 バスの運転手はそれがバス停とは考えていないから素通りした。

 後日そのバスの運転手を、その私製のバス停に止まらなかった、と言うことで、数人の男が襲い、煉瓦で頭を殴りつけたのだという。幸い命に別状もなく、無事であったそうだ。逃走した犯人は、乗って逃げたバイクのナンバーをバスの乗客が覚えていたためにまもなく捕まった。

 自分たちが必要であり正しいと考えたことは、世の中がどういう仕組みであれ正義である、と言う思想を毛沢東は中国人たちに教え込んだ。それを阻むものは敵であり、排除してかまわず、体制も打破してよい、と教え込んだ。鼠すして染みついた中国人の心性はどうも拭い切れていないようだ。

 この思想こそそれを教え込んだ中国共産党の最も恐れているものだ。向かう先がバスの運転手や日本であるあいだは安泰だが、世界の大国の中国の国民が、なぜ自分にその恩恵がないのか、と考える集団が育ちつつある。すでに分け前の不公平は限界に達し、今更余分にかすめ取ったものを粛正しようとしても手遅れだ。

 中国そのものが毛沢東のくびきから脱皮しなければ立ちゆかなくなっている。それを高みの見物することとしよう。

2013年5月21日 (火)

帰ることにする

 母が食事をするときに食べたものをこぼす。ほんの少しだけだけれど、見ていると悲しい。飲み物を飲むと時にむせる。誤飲するのだ。

 日常のことは料理以外はすべて自分でする。新聞も読む。発語障害以外は今まで気にならなかった。それが以前に増して足元がおぼつかなくなり、温泉に誘っても行く、と言わない。無理に誘えば来たかもしれないが、つきっきりになることは間違いなく、それを母の方が気を遣ったのかもしれない。

 顔をつきあわせていてもほとんど会話がない。こちらは本ばかり読んでいるから母は寂しいだろうが、どうも無理矢理何か話しかける気にならない。つまり私は冷たいのだ。むかし父にはそう言われたことがある。母ももちろんそう思っているだろう。

 だから明日の晩に名古屋に帰ることにした。

 一緒に暮らす弟たちはどこにも帰れない。

脅威論をあおる

 日本の領海の接続水域を再三にわたって某国の潜水艦が潜行したまま航行していることを日本のマスコミが報じている。

 某国が中国であることは誰にも明らかなのだが、日本政府は明確には名指しをしていない。

 これに対して中国のメディアが軍事評論家の意見として論調することには「中国に対する脅威論をあおっている」、「これは中国海軍にとっては看過できない脅威である」。確かにマスコミはこの潜水艦がほぼ中国のものであるとした論調が多いけれど、これにそのような反論を加えるというのは潜水艦が中国のものだとほとんど自ら認めたようなものだ。

 脅威論をあおっている、と言うのも中国側から見れば間違っていないのだろうが、挑発を繰り返して脅威を与えているのは中国であって日本ではない。脅威を与えておいて脅威を感じるな、と言うのもどうかと思う。

 それとも「恐れ入りました」と平伏しろというのだろうか。なんたる傲慢か。暴力団ではあるまいし。

 ただ、列強が19世紀後半から20世紀前半に行ってきたことはこういうことであった。そしてそれを日本はまねをして中国をはじめ、アジアに国々に同様の行動をとった。

 そのとき列強は日本を非難した。すでに時代はそのようなことを許さなくなっていたのに日本はそれに気づかなかった。

 中国は今になって当時の日本と同じようなことをしている。時代はさらに変わったのだが、中国はそれに気がつこうとしない。それを非難すれば日本の歴史認識が間違っていることを叫ぶ。しかしそれを叫んだところで中国の理不尽さが許されるわけではない。

 中国が世界のあるべき姿に目覚める日は来るのだろうか。気がついてほしいけれどいまのところなかなか難しそうだ。

 日本が行ったような軍部の暴走だけはしないことを心から願う。

女性の自由

 今朝の天声人語を読んでいたら安倍内閣の「生命と女性の手帳(仮称)」についての批判が書かれていた。

 まず産めよ増やせよを国策として閣議決定した1941年の「人口政策確立要綱」から説き起こされている。現在から見れば時代錯誤のこの政策を現在の時点から批判するのはアンフェアだ。では朝日新聞はそのときにこの政策を批判したのか。たぶん賛同し、推進するために啓蒙を行っただろう。

 続いて、六年前に第一次安倍内閣の時のある閣僚が「女性は産む機械」と言ったことを取り上げている。このときは世論もマスコミもこの閣僚を袋だたきにして辞任に追い込んだ。

 そうして天声人語は、今回の「生命と女性の手帳」について、要するに女性は早く子供を産んだ方がいい、と言っているとし、国による「人口政策」を批判しながら「今回もそうだとは思わないが・・」と子供を産むか産まないか、早く産むか遅く産むかは女性の自由であり、それに口出しすることを批判している。

 国力は人口に大きく関わっていることはすでに認められていることで、安倍内閣が日本再生再浮上を果たすためにもっと子供を増やしたい、と意図していることは確かだろう。だが意図していようがいまいが、今の女性は子供をいつ作るか産むか産まないかは自分で決めている。

 それに女性が子供を産むのにあまり高齢になると、ほしくてもできなかったり、健康ではない子供が生まれる確率が高くなることも事実なので、子供は早く作る方がいい、と言う啓蒙は間違いではない。問題は安心して子供が産める社会についてのビジョンも提示すべきだと言うことだろう。

 それにしても「そうだと思わないが・・・」と言いながらあえて批判するために1941年の「人口政策確立要綱」を気にあげ、「産む機械」という言葉をあげたうえで「生命と女性の手帳」について論じている。

 このような読者に先入観を与えてから批判するやりかたは、相変わらず朝日新聞らしい、と感じた。

内田樹・釈徹宗「いきなりはじめる仏教入門」(角川ソフィア文庫)

 この本の後に続く「はじめたばかりの浄土真宗」を先に読んだら、何となく釈然としないものを感じた。こちらを先に読んだ前提で話が続いているからだ。あれをもう一度読み直しをしないとすっきりしない。

 内田樹先生は「内田樹の研究室」というホームページを開設している。読者の多いそのホームページにリンクした形でいろいろなコーナーが開設されている。その一つに「持仏堂」があり、内田先生の依頼により、そこで大学教授で浄土真宗の釈徹宗氏が仏教の講義を行っている。

 この本はその持仏堂での内田樹先生と釈徹宗氏とのやりとりをまとめたものである。内田樹先生はユダヤ教を基礎にした哲学者、レヴィナスの研究者であるから、ユダヤ教そのものの研究も長年にわたって研究している。しかもミッション系の女子大学の名誉教授でもある。宗教については語るべきものを豊富に持っている。

 まず日本人は宗教を持っているか否か、そこから宗教とは何か、が語られる。そして「因果論」についての問答が行われる。ここでの勧善懲悪についての内田樹先生の説が、かねがね私が思っていたことを明快に解きほぐしていたことに驚きと喜びを感じた。

 「なぜ銭形平次はいつも犯人逮捕に尽力し、鮮やかに事件を解決しているのに、なぜ事件の解決が長引くと人々は平次を非難するのか?」この理不尽な大衆の態度が不満でしようがなかった。大衆は今までの平次の功績を評価しない。その理由がこの勧善懲悪についての先生の解釈で初めてすっきりとした。ここでは説明しない。分かりたい人はこの本を読むべし。

 因果律から宿命論へ、そして仏教の本質論へと一気に話は核心へと続く。さらに死ぬことと武道についての卓見が内田先生から発せられ、「悟り」についての講義へと至る。そしてふたたび日本人の宗教性について。一神教の絶対神を信仰する人々が今まで世界を動かしてきたが、日本的な宗教観の新しい可能性に言及する。

 最後に欲求と欲望、そして「善性」とは何か、が論じられる。これが次に続いていくのだ。

 幕間狂言として、釈徹宗先生の宗教論、仏教史、日本仏教の流れが簡潔な講義が入る。その豊富な知識と見識に圧倒される。坊さんは訳の分からないお経を読んでいればいい気楽な商売ではないようだ。

 薄い本だから値段も安いし手に取りやすい。しかし内容は深いので飛ばし読みすると何が書いてあるのか、大事なことを見落としてしまうので注意。

2013年5月20日 (月)

内田百閒「第二阿房列車」(旺文社文庫)

 今回の阿房列車の運行先は、
 「雪中新潟阿房列車」 上野-新潟
 「雪解横手阿房列車」 上野-横手-横黒線-大荒沢
 「春光山陽特別阿房列車」 東京-京都-博多-八代
 「雷九州阿房列車 前章」 東京-八代
 「雷九州阿房列車 後章」 八代-熊本-豊肥線-大分-別府-日豊線-小倉-門司

 内田百閒先生、目的のない鉄道の旅の第二弾である。常識人から見ればわがままで贅沢な旅だが、無目的の快味が分かるだろうか。旅の車中でも、行った先の宿でも、ひたすら酒を飲む。

 車窓の景色も時には楽しみたいのだが、いつもお供するヒマラヤ山系は見事なまでに雨男なので、肝心の所で雨に降られないことがない。「雷九州阿房列車」などは大雨のために彼らが通過したあとを水害や列車不通が追いかけてきた。不思議なことに危機一髪で辛くもその事態は逃れるものの、雨中の車中、雨中の宿ではますますそこにいる意味がない。

 だが百鬼園先生、全く動じず、である。大まじめで振り回す珍説は先生にとっては冗談ではない。それに対するヒマラヤ山系の受け答えはひょうひょうとして、先生も煙に巻かれる。その珍問答は実に楽しい。

 こんな相手と飲むのは楽しいだろうなあ。読んでいると旅心が増してくる。友に会いに出かけたくなる。

 次は「第三阿房列車」だ。

メンテナンスと寿命

 赤字路線やローカル線に乗っていると、ホーム周辺の荒廃ともいえる様子をよく目にする。コンクリートの隙間や線路脇に雑草が生え放題になって、待合室などもまことに薄汚い。高速道路でも以前ほど雑草の除去に熱心では様子が見て取れる。電車などの外周や窓の清掃の回数が少ないのか、汚れたままなものが多い。ビルの外壁もなんだか薄汚れたままなのが増えている。

 経済が停滞している影響で、このようなところへ金がかけられず、人手も足りないままになっているのだろう。

 以前台北に行ったとき、都心部とすぐその周辺のビルの外壁の汚れ方が大きく違うのを見て、台湾の経済が、中国にシフトしていることを実感した。都心部のみにしか金がかけられなくなっていること、スクラップアンドビルドによるリフレッシュが止まっていることを感じたのだ。

 先日の中央高速のトンネルの上部壁が落下した事故もメンテナンスにコストがかけられなくなっている事実を明らかにしていた。これから次々に同様の老朽化による事故が発生することだろう。そもそも耐用年数の設定そのものが想定されていないものが多いらしいから、事故が起きるまでは表面化しない危険がたくさんあるのではないか。

 中国のある新聞が「中国の建築物の平均寿命は30年で、高層ビル群が巨大な浪費を生んでいる」とする記事を掲載した。

 中国は好調な経済に支えられ、建てては壊し、新しいものを建てる、ということを続けてきたから、多少の老朽化や手抜きがあっても表面化する前に危険を回避することができてきた。

 しかし高層ビルを巨額の費用で建築すれば、そうそう建て替えるというわけにもいくまい。しかも中国経済が今のまま右肩上がりを続けるとも思えない。そのとき、浪費だけの問題ではなく、手抜き工事やメンテナンス不良による事故の危険が急増するのではないか。現にエレベーターが使えなくなるトラブルが頻出しているというニュースを聞く。

 日本も景気が回復するとともに再生していくことだろうが、まずメンテナンスに先に力を入れることが必要ではないだろうか。日本を薄汚れた国にしないようにしたいものだ。

続きが読みたい

 まだ実家にいる。十冊ほど本を持ってきた。ハードカバーは「鬼平犯科帳」二冊と「楊令伝」二冊。そのほかは新書と文庫である。ハードカバーと新書は読み終わってしまった。

 母は口がきけないので会話がほとんど成立しない。顔を見てたまに声をかけるだけである。映画を見る設備もない(ビデオしかないのだ)。だからほとんど本を読んでいる。

 鬼平犯科帳と楊令伝の続きを読みたいが、ないものは如何ともしがたい。今週いっぱいいるつもりだったけれど、名古屋に帰ろうか。温泉に母を誘ったが、いかない、という。だいぶ足元もおぼつかなくなったので不安らしい。昨日も父の墓参りについてこなかった。

 でも母は私が今週ずっといると思っているかもしれない。話はしなくてもまだそばにいることを喜んでいてくれているかもしれない。「まだ」というのは、あまり長くそばにいればお互いにうっとうしくなってくるけれど「まだ」そうはなっていない、ということだ。

 でも、ないと思うほど続きが読みたい。

北方謙三「楊令伝 二 辺烽の章」(集英社)

 遼の衰退と金の勃興など、時代が風雲急を告げる頃、江南の地に「方臘」という喫菜事魔(マニ教)を中心とする宗教集団が蜂起しようとしていた。梁山泊の再蜂起にはうってつけの状況が生まれつつあった。

 旧梁山泊の「替天行道」の旗印にふたたび結集した面々の前についに楊令が姿を現す。なつかしい人々とともにその子や、甥たちの若い世代の参加も見られる。彼らを鍛え上げ、最強兵団にふたたび作り上げるとともに兵站の手立ても着々と整いつつあった。

 梁山泊を破った宋の童貫が率いる禁軍は楊令に備えて北を向いている。その勢力を南へ向けるため、公孫勝は方臘の決起を早める画策を行う。

 梁山泊を導く人々の志には反乱の先に新しい国が見えていた。だからこれはただの反乱ではなく、革命でもある。歴史上国が倒れるきっかけに宗教集団の蜂起が見られることが多いが、その指導者には自分が皇帝になるというビジョンはあっても国の形については特に考えていないことが多い。そのためにいったんその勢いに影が差すと瓦解するのも早い。

 この巻では新生梁山泊を立ち上げるための同士たちの役割とその働きが詳しく述べられていく。そしてラストではついに方臘が決起するところでこの巻は終わる。

 岳飛がこの間に登場する。この「楊令伝」シリーズが終わったあとが、「岳飛伝」だからこの辺からかぶってくることになる。もちろん楊令も「水滸伝」の後半では重要な役回りでずっと登場していた。

 史実ではこの方臘軍の鎮圧に禁軍が投入されるのだが、官軍に投降した宋江が梁山泊軍を率いて方臘軍の鎮圧に加わったとの記述もある。異論も多く、その記述はあとで加えられたものだともいわれているが、北方水滸伝ではすでに宋江は死んでいるので討伐軍に加わることはあり得ない。この戦いに旧梁山泊軍はどう関わっていくのだろうか。次の巻のお楽しみだ。

2013年5月19日 (日)

北方謙三「楊令伝 一 玄旗の章」(集英社)

 あの北方水滸伝の続編というべきこのシリーズを全巻そろえて、何年待っていただろう。満を持して読み始めた。

 本当に読みたいものだと、読み終わってしまうことが惜しくていつまでも手がつかないことがある。そんな感じだった。

 梁山泊の首領・宋江の最期を看取り、行方をくらました楊令の出現を梁山泊の生き残りたちは今密かに心待ちにしていた。

 この第一巻では生き残ったものたちの消息が語られながら、次第に楊令に近づいていく。そしてラストの数行でついに楊令がその姿を現す。なんだか読んでいるこちらがじんときてしまう。

 時代はすでに大きく変わり始めている。宋の当面の敵であった遼の向こうには女真族の金が勃興し、遼を侵食し始めていた。宋は遼と結んでいたが、密かに金とよしみを結び、遼を牽制しようとする。

 その頃、金には幻王という騎馬集団を率いた謎の人物がいることが密かに知れわたる。幻王は金の皇帝・阿骨打(あくだ)の弟だということになっているのだが・・・。その幻王を訪ねて武松たちが北の地へ赴く。

 梁山泊の残党たちは密かに連絡を取り合い、残党狩りをしのぎながら結集を始め、拠点作りを始める。新たな戦いへの機運が熟しつつあることを彼らもそして敵の宋の闇組織、青蓮寺側も気づいていた。全く蚊帳の外にいるのは時の皇帝のみ。こうして新しい物語が始まる。

池波正太郎「影法師」(文藝春秋)

 新・鬼平犯科帳の第四巻。短編が六編収められている。

「影法師」
 いささか人間が軽くて火盗改めの中では異色ながらにくめない性格で、長谷川平蔵からもかわいがられている同心の木村忠吾は、婚礼を十日後に控えていた。

 数年前、平蔵の供で京都へ赴いたとき、京都奉行所の与力・浦辺彦太郎に気に入られ、その娘・妙と婚約した。しかしその後妙が病死したため、独り身を通していたのだが、同僚の娘と恋仲になり、めでたく祝言をあげることになったのだ。

 この木村忠吾、妻を娶ればなかなか遊びもできなくなると、不埒なことに非番の日に岡場所へいくことを思い立つ。そこへ心浮かせて向かう道すがら、彼を引き留める出来事がいろいろ起こる。

 彼と酷似した「さむらい松五郎」の話があったが、その「さむらい松五郎」に恨みを持つ盗賊が、木村忠吾を見かけたことで話が急展開していく。

 結局木村忠吾の思いは叶えられないのだが、代わりに手柄を立てることになる。しかし平蔵から「非番の日にどこへ行こうとしたのだ、まさかよからぬところへ行こうとしたのではないだろうな」と鋭く指摘される。お見通しなのだ。

「網虫のお吉」
 足を洗って人妻となった鼠賊の女をその前身を理由にいたぶる同心は火盗改めの中でも嫌われ者だったが、それなりの実績を上げてもいた。その所行の一部が平蔵に報告され、ついには平蔵によって断罪されることになる。そして哀れなことにその女も人妻としての暮らしを失い、再び闇に消えていくことになる。

「白根の万左衛門」
 新婚の木村忠吾は誰彼かまわずのろけ話をするので皆から煙たがられている。そんな矢先に密偵が盗賊の手先を発見する。たちまち手配りが行われ、盗賊の拠点と思われる場所が突き止められる。昼夜兼行の張り込みが行われたことは言うまでもない。

 ところがその一味の首領・白根の万左衛門は死の床にあった。彼が今まで盗み貯めた金をめぐり、我が物にしようという者たちがうごめき出す。それを死の床で自嘲とともに見つめる万左衛門。そして隠し金のありかを三人の人物に伝えて事切れる。殺される者、殺されかかる者があり、ついに一網打尽となるのだが、すでに隠し金は使い尽くされた後であった。

 長い張り込みの途中で、木村忠吾は一度家に帰りたい、と平蔵に願い出る。平蔵は黙したまま、すさまじい目つきで忠吾を睨みつける。恐怖ですくみ上がる木村忠吾であった。

「火つけ船頭」
 寡黙で人付き合いのよくない船頭の常吉はあるきっかけから火つけを始めてしまう。当時の火つけは犯罪としては最も極悪と考えられていた。被害が甚大だったからである。その常吉が今夜も火つけをしようとかがみ込んだその先に闇にうごめく黒い影を見る。その影は一人ではない。ある大店の商家に押し込む盗賊の姿を偶然に見てしまったのだ。しかもその密かな話し声の中に恨み骨髄の男の声を耳にする。火つけを始めたきっかけを作った男でもあった。

 そこで常吉は人が気がつくような場所で用意の油をまき、火をつける。この騒ぎで盗賊たちは金を奪うことができずに逃走する。これでは治まらず、常吉はついにその憎い男を火盗改めに訴人する。もちろん火盗改めは手がかりさえつかめれば、盗賊が逃れることはできない。

 そして火つけがぴたりとやんで一年、ふたたび常吉の病が再発、暗がりにかがみ込んだそのとき、平蔵から声がかかる。

「見張りの糸」
 密偵が見つけた盗賊の姿を手がかりにそのすみかを見つけ出し、張り込みが始まった。その張り込みの場所を依頼された仏具屋は快く引き受ける。ところが実はその仏具屋は京・大阪で数多くの盗みを重ねて、今は引退した盗賊であった。

 火盗改めたちの地道な活動と、仏具屋の人々のあぶられるような不安の日々が続く。そんな膠着状態を思ってもいない事件が突き崩す。たまたまその晩その張り込み所にいたのが長谷川平蔵と沢田小平次のあたりだった。この仏具屋を浪人たちが襲ったのだ。もちろん仏具屋の前身を知り、隠し金を奪おうとした者たちだった。

 事件が二つ、一度に解決することになる。この仏具屋が元盗賊であったことを明らかにするのは仕事かたがた木村忠吾の婚礼祝いに京都からやってきた与力の浦添彦太郎であった。

「霜夜」
 長谷川平蔵は若き日に、高杉銀平道場で平蔵の弟分であった池田又四郎の姿を見る。又四郎は二十年以上前に出奔したまま行方知れずになっていたのだ。

 人知れず長谷川平蔵は又四郎の後をつける。又四郎が今尋常な暮らしをしているとは思えなかったので声がかけられなかったのだ。そこで平蔵が目にしたものは・・・。

 悲しい結末となり、平蔵は又四郎が出奔した理由を知る。それは平蔵の若き日の苦難と大きく関係したことであり、又四郎の出奔の理由は平蔵にあるとも言える。苦い酒を飲む平蔵。平蔵の妻久栄はめずらしく平蔵の涙を見る。

批判を批判する

 飯島内閣参与の突然の北朝鮮訪問を韓国が批判した。その韓国の批判に対して北朝鮮は「会談の内容も知らないのに口を出すな」と批判した。

 韓国は、北朝鮮が日韓を分断する意図から飯島氏の訪朝を受け入れた、としてそれに乗った日本を批判しているのだが、抜け駆けが許せない、というのが本音だろう。

 北朝鮮に日韓の分断や日米韓の結束を毀損しようという意図があることなど、わざわざ韓国やアメリカから指摘されなくても子供でもわかることだ。

 ただ手詰まりの現状の中、チャンスがあれば会話の糸口をつかもうとすることは非難されるようなことではない。

 問題はどのような内容の話であったか、である。批判すなら安易な妥協が日本から提案されていたことが判明したときでいい。

 それをいち早く批判(というより非難)する韓国の論調というのは、そもそもこんな事態がなくても日韓が分断されていることを表しているようだ。日本のすることなすこと全部腹が立つ、ということか。

 では韓国に何らかの手立てがあるというのだろうか。

2013年5月18日 (土)

琉球独立

 沖縄に「琉球独立研究会」が発足したという。元々琉球という独立した国が日本に一方的に帰属させられたことは歴史的な事実であるから、それについて詳しく研究することは違法なことではない。ただし今沖縄が日本の領土であることも世界的に公認されている事実であるから、独立運動を行うことは合法的なことではない。

 中国の環球時報が社説で沖縄の独立を支持しよう、と呼びかけた。

 元々中国が、沖縄は琉球国という独立国であったから中国領である、というまともな人間なら首をかしげる主張を行ったのが発端である。さすがに沖縄が日本の領土であることは世界が認めているから沖縄が中国領だ、とストレートには主張できない。だから沖縄はむかし琉球国という独立国だったと主張したのだが、だから中国領だ、というのはいかにもむちゃくちゃだ。

 それに呼応するように沖縄で「琉球独立研究会」が発足したわけである。それに対してうさんくさいものを感じない方がどうかしている。

 早速中国では環球時報の呼びかけに応じたネットへの書き込みが殺到し、独立を支持し、しかる後に中国領とせよ、という意見が寄せられている。

 沖縄の独立を研究するということは今の時点では最終的に中国領になることにつながるように見えるが、はじめからそれを意図しているのか。

 沖縄の人々が日本に失望しているのはわかる。しかし沖縄のマスコミの論調と沖縄の人々の真意とは乖離が大きいとも聞く。沖縄の人々の本音はどうなのだろうか。

 まあまともに取り上げるような話題ではないし、まともに取り上げるほど中国の思惑にはまることになってしまうのでここまでとする。

 チベットや内モンゴルが今中国領であることの歴史も、「琉球独立研究会」はよく研究した方がいい。

奪われたのか、追われたのか

 選挙を前に民主党の一部の人が「政権を自民党に奪われたが、参議院選ではこれを取り戻すための足がかりにしよう」と述べているのを聞いた。

 民主党に政権を与えたのは日本国民であり、期待に応えられなかったからその民主党が見限られて自民党に政権が移ったのだ。

 政権は国民に選ばれるもので、他党と争って奪うものではない。

 国民によって民主党は政権から追われたのだ。どうも民主党にはこの自覚が未だにないようだ。これでは復活は無理だろう(誰も、民主党自身にも政権復活を信じているものはいないだろうけれど)。

 先日の「大反省会」で菅直人が、「東日本大震災のあと、自民党に大連立を持ちかけたのに、自民党は民主党打倒を優先して応じようとしなかった」と語っていた。自民党のせいで震災処理がうまくいかず、民主党が批判されて選挙で敗北したと言いたいようだった。

 これについてはさすがにそれを聞いた政治評論家たちから、「車で三分、歩いてでもいける自民党本部に自ら足を運ぶこともせず、電話で申し入れただけだった」と暴露され、電話を受けた当時の谷垣総裁が、突然の申し入れに絶句して黙っていたら、「受ける気がないならもういいです」と電話を切ったのは菅直人だったという。

 たとえば企業の合併をしよう、という話を社長から相手の社長に電話してイエスかノーかを問う、などということは常識ではあり得ない。事前の打ち合わせの上、たびたび面談して条件を整えるものだろう。

 このことは当時も話題になったことだが、改めて「大反省会」で自民党のせいで民主党が悪者になったと語る、菅直人の非常識と無反省のその感覚に開いた口がふさがらなかった。この人、ほとんど異常である。これでは政権を奪われる(正しくは追われる)わけである。

橋爪大三郎・大澤真幸・宮台真司「おどろきの中国」(講談社現代新書)

 三人とも社会学の教授。どうも社会学者というのをあまり信用していないのだが、それは大学時代に受けた社会学の講義が原因だ。教養部の必修として一年間受講してついに社会学とは何か理解できなかった。多分に自分の知力が足らないせいではあるが、教授にも責任が少しはあると思っている。

 橋爪大三郎氏は夫人が中国人であり、中国情報に詳しい。著書も読んだことがある。大澤、宮台氏も著書を読んだことがあるのだが、宮台氏は私の感覚とは合わない。

 この三人が橋爪氏の案内で中国を訪問し、中国の学者たちと面談したり、歴史のポイントになった場所を訪ねたあと、中国、そして日本について鼎談したのがこの本である。

 内容が盛りだくさんなので個別に意見を述べるのはここでは控える。

 橋爪氏の意見は私の思うところに近く、宮台氏は違う。そしてそれをつなぐのが大澤氏である。意外なことにこの本によって初めて宮台氏の言うことに正当な論理があることを了解した。

 全く受け入れられないと思っていたことに見方を変えればなるほど、というものがあることを理解したのだ。そういう意味では大変有意義な本であった。

 そういえば橋下徹氏が慰安婦問題その他について発言したことが物議を醸している。言っていることをよく聞くと間違ったことを言っているわけでもない。ただ言えるのは、誰もが内心では認めていることでも、口に出してはいけないこと、口には出さないことようなことをあえて言うことは非難を浴びることなのだ。

 興味があるのは橋下徹氏を非難するそれぞれの政治家やマスコミの物言いの中に、その裏の思惑が見え隠れすることだ。社民党はじめ泡沫政党のいかにもうれしそうな口ぶりに、内容はどうあれ、記者から意見を求められる喜びが満ちあふれている。よほど取材が少なくて寂しかったのだろう。

池波正太郎「雲竜剣」(文藝春秋)

 新・鬼平犯科帳の第三巻。長谷川平蔵が見る悪夢のシーンから始まる。逆光の前に対峙する姿の定かでない敵に、平蔵はどうしても打ち勝つことができない。ついに追い詰められて敵の剣が迫るところで叫び声を上げながら眠りから覚める。寝衣は汗にまみれている。

 これは半年前に彼を襲った敵の姿そのものであり、辛くもそのときは虎口を脱したが、いまだにその敵を倒す工夫が思い浮かばない。そのとき彼は亡き師の話を不意に思い出した。亡き師の体に残っていた刀傷と、その傷を受けた決闘の話から、自分の敵との共通点を感じたのだ。

 まさにその矢先に火盗改めでも屈指の腕利きの同心が斬り殺されて発見される。その刀傷からうかがえる太刀筋こそ平蔵を襲った敵のものと思われた。ついに敵が牙をむいてきたのだ。続いてさらに若い同心が殺される。

 思い出した師の話から彼は友である剣友、岸井左馬之助を牛久に送る。師の語った堀本伯道という剣客の消息を調べてもらおうと考えたのだ。 
 さらに火盗改めの手伝いをしている老人(元盗賊の首領)から鍵師の情報がもたらされる。大きな盗みの仕事に合い鍵を作る名人が牛久の近くへ向かうとの知らせであった。平蔵はこの符合に偶然ではないものを直感し、牛久への探索を増員する。

 数々もたらされる情報の意味を、平蔵はあらゆる可能性を考え抜くことで直感に結びつけ、部下への指示の決断を行う。この集中力こそが彼の真骨頂である。

 鬼平犯科帳は短編集なのだが、中にいくつか長編がある。この本はその長編の一つ。いつもは簡潔に語られる捕り物にはどれだけの細部があるのか、このような長編により明らかにされる。

 特に今回は張り込みをかける先が何カ所にも及ぶ大捕物となるのだが、それには大きな理由があった。それは読んでのお楽しみだ。

 心身をすり減らし、命をかけて仕事に励む火盗改めの面々とそれを補佐する密偵たちは、それぞれに生命が輝いている。それは長谷川平蔵という男を信頼し惚れ込んでいることの表れであり、そうして命をかけることに彼らは生きがいを感じている。命がけであることこそ彼らの喜びでもあるのだ。

 だが平蔵はそれをすべて背負わなければならない。

2013年5月17日 (金)

加藤隆則・竹内誠一郎「習近平の密約」(文春新書)

 著者二人は読売新聞社の中国駐在記者。

「密約」というのはなぜ習近平が主席に選ばれたのか、ということのタネアカシのようなものである。

 習近平の権力基盤は江沢民派であったことはたぶんその通りだけれど、江沢民派も胡錦濤に切り崩されてひところほどの力を持たない。江沢民もすでに老齢である。確かに常務委員の七人のうち、五人が江沢民派だが、すべて五年後には定年で退くことが決まっており、次の常務委員の候補はたぶん胡錦濤派が主体になるだろうと見られる。

 だから習近平は今のところ江沢民にすり寄っているが、力を蓄えたら豹変するかもしれない。短期間に力を蓄えるために最も肩入れしているのが中国解放軍との親和のように見えるのがとても気になる。

 この本ではそのような中国政権内の権力争いについて、具体的な現象を元に説明してくれている。ただこれを読んでいた時期に集中力を欠いていたようで、自分の考えとこの本の見方のすりあわせが十分できなくて、何をコメントしていいかまとまらない。申し訳ない。

 ただ習近平個人についての情報がふんだんに書き込まれているので、興味のある人は参考になるだろう。

 再読する機会があればそのときにもう少し意味のあるコメントができると思う。

リハビリ(続き)

 母に付き添って病院へ行った。発話(病院では発語ではなく、発話のリハビリと言っていた)のリハビリはいわゆる母音を主体の発声練習をする。「あ」「お」「う」は何とか発声しているのだが「え」と「い」がむつかしいようだ。繰り返しやっているとみるみる母が疲労していくのがわかる。それほど言葉をしゃべるというのは大変な作業なのだ。

 疲れたのを見て取った先生(若い女性のカウンセラー)は、気分転換です、といって簡単な知能テストみたいな検査を始めた。見ているこちらも力が入る。

 自分が思っている母と、今検査を受けている母とはあまりに違う。今のところ認知症とは診断されていないけれど、ずいぶん脳力が衰えているのに驚かされる。衰えているからか集中力も落ちているようだ。

 そのあと歌を歌う。『ふるさと』と『花』をカウンセラーと大きな声で歌った。歌は嫌いではないし、知っている歌なので一生懸命歌っているのだが、悲しいことに言葉はほとんど聞き取りがたい。

 リハビリは一時間足らずで終了し、そのあとその結果を基に脳神経科の先生の診察を受ける。目新しい話はなし。これが毎週繰り返される。今回が三回目。少なくとも半年は続けることになるそうだ。

 少しでも改善すれば本当にうれしいのだけれど・・・。

野口悠紀雄「『超』整理法」(中公新書)

 ものの整理と情報の整理は違う。整理法については多くの本が書かれているが、この本が出た頃(初版・1993年)はまだものの整理と情報の整理は全く違う、とは認識されていなかった。たぶん今でもその違いがわかっていない人が多いかもしれない。

 片付けるのと整理するのと分類することの違いについては別の話なのでここでは置いておく。

 この本では情報は時系列に並べておくことが提唱されている。それにも問題があることは認めているのだが、最も手間がかからずに問題点も少ない方法であると説明されている。

 なるほど、情報は生ものだから古くなったものは価値が落ちていく。時系列による配列が合理的であるゆえんだろう。

 情報を分類して整理する作業を行い、検索を容易にする、という行為は労が多いばかりで費用対効果が低すぎると断ずる。確かに検索のためのキーワードをそれぞれの情報につけていくといくつものものにまたがったり、分類不能のものが出たりして収拾がつかなくなる。

 今はパソコンの能力が十分なので、情報そのものを時系列に並べておけば、その中のキーワードを直接検索すればいいから整理する必要がないのだ。

 などということがこの本に書かれている。この本が出た当時は画期的な提案だっただろう。

 私にとって『超』整理したいのは本と写真と映画のBDやDVDである。何度かチャレンジしたが、整理した尻から新しいものが増えるので、永遠に整理分類は終わらない。終わるのは新しいものが増えなくなったときで、私が死んだか死んだに等しいときである。

リハビリ

 老母の介護を弟夫婦に任せきりなので、リハビリの手助けくらいはしないと申し訳ない。というわけで、夜中に名古屋を出発して今朝千葉の実家へやってきた。

 母は失語症ではなく、発語障害で言葉がうまく話せず、何を言っているのか、書いてもらわないと伝わらない。なかなか難しいが、今は発声練習のリハビリを受けている。足腰も弱っているので歩行訓練も少しやる。

 実家から病院まで約30分、誰かがずっと付き添っていないとならない。弟の嫁さんもつい先日姉を亡くしたばかりで、実家の静岡と行ったり来たりで、そちらの介護の手伝いもしていたので疲労しているはずだ。

 母の調子がよければ温泉にでも数日つれて出れば、彼女も一休みできると思っている。私が滞在していればそれなりに気も遣うだろうし。

 どちらかといえばおしゃべりで社交的な母が発語障害、というのはどれほどつらいことか、と思うのだが、案外苦にしている様子はない。でもリハビリをいやがらずにいく、というのはそれなりに会話を取り戻したいと思っているのだろう。

 向こうも聞くだけ、というのはつらいだろうし、こちらもしゃべるだけ、というのはかなり疲れる。お互いにコミュニケーションしたい、という意思があるから何とかなっているけれど。

2013年5月16日 (木)

アウトプットか?

 電車の中でまわりを見回すと五人に三人はスマートフォンを出して小さな画面を眺めたり、さわったりしている。

 液晶の精細度がとても向上したので小さな画面でもとてもクリアで綺麗だ。

 あまり行儀が良くないが、ネクタイを締めた男性の男性の後ろから覗きこんだらメールのやりとりをしている。一行か二行の短い文章が瞬時にやりとりされているようだ。打ち込みも早いが返事も早い。会話をしているみたいだ。ああなると話し言葉と書き言葉がほとんど同じになっているのかも知れない。本来は書き言葉と話し言葉は違うもののはずなのだが(そう言えば昔、得意先との会話をそのまま仕事のレポートに書く、と云う信じられない荒技を使っていた人物を思い出した)。

  ほかの人は何か一生懸命検索しているみたいだ。あの小さな端末を使えば膨大な情報にアクセス出来る。ひとむかし前では考えられないことで夢のようだ。

 そうして得られた素材としての情報達を、彼等は自分のものにしているのだろうか。生のまま取り込み、生のまま取りだして伝えているだけではないだろうか、と感じた。話し言葉と書き言葉が違わないと云うことはそこで使われている書き言葉は、自分の頭を素通りした、ほとんど生ものそのものを扱う言葉だと言うことでは無いか。だから瞬時に言葉が書き込まれ得るのかも知れない。

 相手と相対しての会話から電話の会話が多くになり、今はメールになった。相手の表情や息づかいがますます遠のいていく。相手のメッセージが何処まで伝わるのだろうか。

 コミュニケーションはアウトプットを通して成り立つと思う。相手のマーキングのあるアウトプットの交換こそがコミュニケーションだと思うからだ。情報が過剰になり、その意味をほとんど斟酌する余裕のない時代なのだと云うのが回りのせわしげな動作から感じられた。

だから昔より頻繁に他人と連絡を取り合っているのにコミュニケーションは成立しにくくなっているような気がする。

 彼等が行っている発信はアウトプットか?

アウトプット

 行きがかり上アウトプットについての考えをごく簡単に述べる。

 インプットが自分の意識世界の中に、情報に意味づけを与えて取り込むこと(関係性を与えること)だとした。そうするとそれは閉じた世界の話になってしまう。そうして蓄えられたものを再度外部との関係に曝して鍛え上げないと独りよがりになってしまう。物知りの自己満足だ。

 ここで話を乱暴にはしょってしまうと、こうしてブログを書くことは私にとってのアウトプットであり、インプットで自分なりに意味を与えた情報を通しての自分の考えの開示である。これは全て私自身との関係を関係づけられているものだ。「こんなことを見ました、聞きました、知りました、読みました、そしてこう思いました」と語ることは、つまり「私はこう云う人間(らしい)です、よろしく」と云う長い自己紹介をしているようなものなのではないかと思っている。

 もちろんこれだけがインプットに対するアウトプットではない。自己紹介も相手によって変わるように全てをあからさまにすることもないし必要ではない。私にとってブログを始める前は、友達などとの会話(ほとんど飲みながらだけれど)が主要なアウトプットだった。今も私にとってもっとも大事なものであり、こちらから友を訪ねる楽しみはほとんどそこにある。

 コミュニケーションとは互いのアウトプットを通して相手を知ることで、情報の交換ではない。

 ということで、電車の中でのスマートフォンに集中している人たちを見て思った、という話につながる。長い前置きだ。

インプット

 人間は情報を取り込むことが好きな生き物のようだ。動物は生きるため、つまり危険を察知して生き延びるために、そして食べ物を得るために外部の情報をとる。時には子孫を残すために伴侶を求めて情報を集める。しかし目的のない情報を積極的に集めるようなことはしない。多くの情報は使い捨てで、経験として忘れてはならないもの以外は蓄積されることはない。

 ところが人間というのはそのような目的を持たないまま、情報を集めたがる。好奇心を持つ動物はかなり高等な種類だけで、つまり知能の高度であることと好奇心は相関しているのだと思う。

 世界はどうなっているのか、そのことの全てを知ることは神に近づくことである。この世の成り立ちの全てを知るのは神である。人間は神に近づくために情報を集めたがるのかも知れない。

 しかし情報量が増えるだけではただ箱の中身が増えただけのことで、意味は付与されていないからそれこそ無意味だ。博覧強記は知識に関連性を与えて初めて評価されうる。ただ量が多いだけならコンピューターにかなわない。

 意味を与える、と云うのは取り込んだ情報の意味を考えること、自分の意識世界の中で位置づけを与えることだ。世界は関係だ、と云う哲学者(例えばキルケゴール)が多いのはそういうことかと思う。

 自分の意識世界は新しい情報を取り込むごとに影響を受ける。そもそも自分、と云うものは自分自身の意識の中の絶対的な点に存在するものではない。電子雲のようにあるぼんやりした範囲の中に存在するもので自分自身にとっても明快なものでないことは感覚的に分かって戴けるだろう。

 新しく取り込んだ情報を自分の世界に取り込むことで、その情報と自分自身との位置関係が定まる。そのときに不思議なことに新しい情報を足がかりに不明瞭な自分自身の位置もわずかだが定まる。新しい情報が自分に揺らぎを与えていると言えようか。

 ただし情報を取り込むというのは自分自身との関係を与えること、ほかの取り込まれた情報との関係を与えることで、その操作を経ないままの情報には意味が無い。このブログでたびたび言及した「インプット」というのは私にとってそういう意味である。

 朝からちょっと堅い話で申し訳ない。実は電車の中でスマートフォンなどにかじりついている人を見て感じたことを語ろうとして、インプットとアウトプットのことを考え、こんな話になってしまった。

2013年5月15日 (水)

三十三間堂から智積院

13051415_2息子が三十三間堂の写真撮影禁止のうるささはちょっとむかつく、と言っていた。

静かに拝観している人の横でフラッシュを焚いたりしたら迷惑だろうから、禁止することに理屈はつくのだろう。だがそれならフラッシュ禁止にしたら良い。三十三間堂にはそこら中に撮影禁止と書かれたプレートや紙が貼られており、しかも繰り返し写真は撮らないようにとマイクで叫んでいる。それでも撮影するようならカメラをとりあげる、とまで注意書きがしてある。

昔は撮影は禁止ではなかった(かなり昔だけれど)。だからずらりと並ぶ千一体の観音菩薩の写真を撮ることが出来た。この菩薩は、昔は金色に光っていたように記憶している。ところが今回見て驚いた。全てが煤ぼけて輝きがない。

写真撮影をこんなに神経質にとがめる暇があったら堂内の掃除をもっと心を込めてやったらいいだろう。ほこりを払い、煤ぼけた観音菩薩をもっと昔のように輝くものに修復し直したらどうだ。

撮影禁止そのものは了解出来ないことではないが、その押しつけがましさが過剰であることが不快感を催させる。外国からの客も不快に思うだろう。写真ぐらい撮らせろ!

13051415_18三十三間堂のすぐそばにある養源院。

13051415_26養源院の庭の楓の花(?)。この可愛いピンクの色がとても良い。

13051415_37その又隣の法住寺には後白河法皇の御陵がある。

13051415_44三十三間堂の後ろ側、大きな道路を挟んで真言宗智山派総本山智積院がある。ここの庭園は素晴らしい。ここで汗をかいた体を涼しい風に当てながらゆっくり庭を眺めて休ませてもらった。

13051415_43庭の正面上部。借景ではなく庭がそのまま高台へと続く。

13051415_57ゆっくりしているうちにいつの間にか人が増えていた。

とにかく暑い日だった。このあと京阪の七条の駅まで歩き、そこから大阪へ。夕方天王寺で友だちと兄貴分の人と三人で飲んだ。兄貴分の人は病み上がりなので早めに切り上げたのだが、家へ行ってからまた飲んだので結局飲み過ぎてしまった。

申し訳ないことに兄貴分の人は夜中にちょっと不調だったという。爆睡していたのでちっとも知らなかった。

翌日は兄貴分の人の娘さんに駅まで送ってもらった。かえって迷惑をかけてすまなかった、と云うと「また父の相手をしに来て下さい」と言われた。とても嬉しい言葉であった。

ドン姫よ、これくらいのことが言えるようになってくれ!

大阪市立美術館・「日本美術の至宝」

 昨日と本日は京都と大阪にいた。昨日の京都は三十三間堂界わいを歩いたが、その話は後ですることにして、本日の大阪市立美術館での展示品に感激したのでそのことを先に記す。

 大阪市立美術館とボストン美術館などが主催で、今「日本美術の至宝」という展覧会が開催中である。昨日泊めてもらった兄貴分の人が、素晴らしいから見に行け、と強く勧めるので見に行ったのだ。

 大阪近辺のひとは是非見に行くことをお勧めする。兄貴分の人の言っていたことはオーバーではなかった。前日の三十三間堂でやや腹立たしい思いをした後だけにひとしおであった。

13051415_60大阪市美術館。

13051415_62大阪市美術館前から通天閣を臨む。

大阪市美術館は天王寺公園の中にある。案内があるので分かりやすい。先日名古屋のボストン美術館を見てきたばかりだが、そう言えば大阪市美術館の展示のポスターを見た。

何に感激したのか。名品ばかりであることはもちろんだが、その保存の素晴らしさ、修復技術の素晴らしさによって、それぞれの絵や仏像がいっそう見事なものになっていたことだ。ボストン美術館にあることは日本人として悔しいが、これらがそのまま日本にあったらこれだけの保存状態で残っていたかどうか。

 平日なのに人が多かった。兄貴分の人はそれほど人がいないからゆっくり見られるよ、と云っていたが、やはり口コミで人が増えているのだろう。だからじっくり見られなかったものもあり、図版を2000円で購入した。それだけの値打ちのある図版だ。

13051415_64ちょっと傾いてしまった。

たちまち二時間近くが過ぎた。疲労困憊したが、地下の展示室で篆刻展をやっている。ふらふらになりながらそちらもじっくり堪能した。点数が多くてとても全部は見られなかったが、いつか篆刻をやりたいと思っているので参考になった。

13051415_61


昼飯も食べずに三時間あまり、くたびれた。

残された時間

 年齢とともに体力が落ちてくる。それが今年になって一気に来た。そんなに急に来るとは想定外であった。自分に残されている時間は思っているより少ないのかもしれない。

 名古屋から京都に向かう電車の中でとりとめのないことを考えていたらちょっと悲観的な思いをした。

 先日「TIME」という映画を見た(既報)。その映画では時間が貨幣の代わりとして流通していた。貨幣はクレジットだ。だから石ころでも紙でも何でもいいもので、みんながそれを貨幣と認定すればそれが貨幣として通用する。そもそもは信用を失えばほとんど価値のないものでもある。

 ところが時間は信用とは無関係に価値のあるものだ。それが何かに兌換されるということの意味を考えた。

 時間に価値があるのは人間にとって時間が限られているからだ。それが兌換されうるとしたら、人間には限りなく時間が与えられ得る。

 確かにこの映画では人間が不死となってしまい、人口調節のために、つまり社会の管理のために寿命が設定されているという前提となっていた。

 映画の結末では管理されている時間から人々が自由になることを暗示していた。

 たぶん何かの管理から人間は常に逃げだそうとする。人間を永遠に管理することはできない。

 だが、人間が不死になることと、時間を管理することが不可分であることをお気づきだろうか。

 人々が永遠の命のまま生き延びていく世界の人口問題はどうなるのだろうか。管理は宿命として浮上するだろう。

 などと夢の話ではない。

 私に残された時間は限られている。限られていることが人生に価値を与えている。生き急ごうとは思わないが、無駄にはしたくない。そう思うと世界は美しい、などと考えた。

2013年5月14日 (火)

言論統制

 子供の時、当時のソ連が言論統制をしていることを知り、そんな国がこの世にあることが信じられない思いがした。その後共産主義というのは独裁国家なのだというので驚いた。共産主義というのは素朴に国民がみな平等であることを目指すものだと思っていた。

 そして中国や北朝鮮はその本来の平等を目指す共産主義の国らしいという話を聞かされた。ソ連は恐ろしい国で、中国や北朝鮮は良い国、と云うのが当時読み出した朝日新聞(家ではずっと朝日新聞だった)などの論調だったと思う。その後起こった文化大革命も、徹底した平等を求めているものだと書かれていた。

 でも紅衛兵(要するに子供である)が集団で世の中を正すのだと言い、学校ではテストを見せ合って同じ点を取るように提案した子供が毛沢東に表彰されるのを見て何だか変だと思いだした。

 そのころから「現代」や「宝石」という月刊誌を読み出した。そこに書いてあった皮肉交じりの文章が忘れられない。「このまま平等を徹底していくと、体重も身長も平等を目指すのではないか。身長が高すぎたら足の骨を切り、足りなかったら繋ぐというのか」。

 もちろん冗談だが、人には違いがあるのが当たり前なのにそれを無理矢理一緒にすることに疑問を感じだした。平等には機会の平等と結果の平等があることを知ったのもこの頃のことだ。そして結果の平等が進められた結果、共産主義の国は、実際には人々の労働意欲が低下して経済が停滞していると云うことを知らされた。

 こんなことは誰でも辿った、ものを知る過程のひとつだろうからここまでとする。

 結局階級打破を叫んで革命によって成立した共産国家は、徹底した階級社会であること、その階級社会を維持するために徹底的に管理社会であること、そして言論統制は必然であることを理解したわけである。

 このたび中国共産党は、大学に対して「報道の自由」「司法の独立」「共産党の歴史上の過ち」「公民権」「普遍的価値」など七項目を授業で触れる(つまり言及することも許さない)ことを禁止した。

 この報道は香港のメディアが採りあげたもので、もちろん中国のメディアはこれに言及はしていない。

 習近平が言論統制の強化を進めるだろう、と云うのが記事の予測だ。

 ここであらためて明らかなことは、中国が公平な裁判をする国ではないこと、歴史に学ぼうとは考えていない国であり、学ぼうとすることを禁止する国であること(他国に歴史認識を云々する資格などあろう筈がない)、言論統制をする国であることである。

 つまり現代世界の、人間に対する前提となるべき基本的人権を、国家管理の範囲でしか認めない国であることがわかる。北朝鮮とほとんど同じなのだ。ただその管理が巧妙でゆるやかだっただけである。

 その管理を強化する、と云う姿勢を打ち出したと云うことは、それだけ体制に対する批判が増えているという実感とそれに対する危機感があると云うことなのだろう。

 オーウェルの「1984年」という全体主義の国を描いた小説の世界を再び思い起こさせた。そう言えば「1984年」では国の危機を訴えるために敵国を想定して、連日国民に対して声高にプロパガンダが行われていた。「反日」を国で教育し「日本が軍国化している」「開戦も辞さず」と叫び続ける中国の今の行動の、なんと「1984年」に酷似していることか。

 何のための管理なのか。国家を維持し、国民を管理することが中国国民にとってもっとも幸福なことだ、と云う理念が少なくとも建国当初はあった。

 しかし今、その理念は不要となったように見える。それでも管理する、と云うのは共産党独裁体制を維持することのみが目的になっていると云うことだろう。それを中国国民が知らないはずはない。情報は統制されているとは云え、「1984年」の世界とはちがって遮断はされていないのだ。それでも唯々諾々と管理を受け入れるのであれば、中国国民自らの意思によるもの、と云うことなのではないか。ほとんど私はそれを確信している。

 本日と明日は京都と大阪へ行く。大阪の兄貴分の人の家に泊まるので今晩はブログ更新が出来るかどうか。では行ってきます。

2013年5月13日 (月)

E.T.A.ホフマン

 久しぶりにホフマンの短編を二編ほど読んだ。ホフマンをご存知だろうか。ドイツロマン(幻想)派の作家であるが、今は幻想小説など流行らないから一部のマニアしか知らないかも知れない。

 ホフマンの作品はいろいろな影響を残している。ワーグナーもホフマンの作品から霊感を受けたことを認めているし、バレエの「くるみ割り人形」やオペラ「ホフマン物語」は直接ホフマンの作品を題材にしている。

 高校生の時、図書館にあった河出書房の世界文学全集(グリーン版)のホフマンの巻を借りだして読んだのが出会いであった。「マダム・ド・スキュデリー」、「黄金の壺」、「悪魔の美酒」などが収録されていた。

 この「悪魔の美酒」というのが大変な傑作で、それまでに読んだ全ての小説の中で最高だと当時は考えていた。ちょうどその頃河出書房は倒産(会社更生法で再建し、今は河出書房新社)。

 このグリーン版のホフマンを買おうとしたがどこにもなかった(探し方も雑だったけれど)。だから「悪魔の美酒」は高校の時に読んだきりである。今は残念ながらあの本をもう一度読むだけのエネルギーがない。

 その代わり岩波文庫でホフマンの本が三冊出ているのでそれを持っている。時々取り出して読む。「悪魔の美酒」は収められていない。

 今回読んだのは「クレスペル顧問官」と「G街のジェズイット教会」。語り手である私と、奇矯で不思議な人物が関わり、その人物の不思議さの理由が次第に明らかになっていく。それなのに突然物語は終わり、宙ぶらりんのまま読者は取り残される。

 ホフマンの作品の内容の紹介は無意味だ。この名文にのめり込んで彼の語る世界に入り込まないとストーリーを語っても何の事か理解出来ないだろう。ホフマンに登場する主人公以外の人々、ものを見ながらものを見ていない多くの人々には、この世界の裂け目のようなものは存在していない。

 現代の精神病理学的解釈をすれば、たぶん作品に描かれているこの奇矯な人々はほとんど病気として決め付けられるかも知れない。しかし、世界は一皮剥けばそんな解釈が吹き飛ぶようなものが顔を出すこともある。

アニメ映画「ベルセルク 黄金時代篇Ⅱ ドルドレイ攻略」2012年

 原作・三浦建太郎、監督・岩窪俊之。

 世界的に読まれているダークファンタジーアニメの映画化である。

 娘のドン姫が愛読していたので20巻くらいまでは読ませてもらったのだが、彼女がひとり住まいするために家を離れたのでその後を読んでいない。とにかく強烈に刺激的な物語で、ドロドログチャグチャというイメージを持っている。

 その中でもこの黄金篇はまだリアル世界での話なので、ドロドログチャグチャには至っていない。この黄金篇もⅠからⅡ、そしてⅢになるにしたがって過激な描写が増えていくのだと、これはドン姫から聞いている。ドン姫の友人はすでにⅢを劇場で見て、思わず目を伏せたという。

 Ⅲは今年の三月に封切りされているので遅くとも秋にはWOWOWで見ることができることだろう。

 時は中世のヨーロッパと覚しき世界、チューダー国とミッドランド国は百年戦争を闘っていた。そのミッドランド国に雇われた傭兵集団「鷹の団」を率いるグリフィスという美青年に誘われて団に加わったガッツという巨大な剣を使う青年が主人公である。そのいきさつは「黄金篇Ⅰ 覇王の卵」に描かれている(既報)。

 長年に亘り、両国の戦いが続くのに膠着状態のままなのは、チューダー側のドルドレイという難攻不落の城の存在のゆえであった。再三の攻撃にもかかわらずこの城はびくともしない。ここで傭兵団の身でありながら、グリフィスが国王の直々の命令があればこの城を攻略してみせる、と公言する。ほかの将軍達から怒りを買うが、国王はグリフィスに攻撃命令を出す。城側は三万のチューダー最強の軍勢が守り、攻める鷹の団は5000の軍勢のみ。城の攻略には少なくとも十倍の兵力が必要だが、策略はあるのか。

 両軍対峙の中、グリフィスは川を背にした布陣を敷く(背水の陣である)。そしてなんと正面からまともな正攻法で攻撃を開始する。衆寡敵せず、じりじりと劣勢になる鷹の団。城からは、一気に壊滅させようと主力兵も押し出してくる(略)。

 グリフィスはドルドレイ攻略の功績で貴族に列せられることが決まる。その様子を見ていたガッツは鷹の団を離れる決心をする。団を離れることを許さないグリフィスはガッツに対して剣を向ける(略)。

 ガッツは鷹の団を離れて去って行く。その後、鷹の団を待ち受けていたのは過酷な運命であった。そしてグリフィスにはそれ以上の死に勝るような試練が襲う。ここで黄金篇Ⅱは終わるのだが、たぶん黄金篇Ⅲでは世界そのものが変貌を遂げはじめるような気がする。

 物語が面白いのであっという間に終わってしまった。続きが早くみたい。この物語は子供向けではないのでアニメだからと見せたりしない方がいいと思うが、今の子はこんな程度のことは平気だろうか。こんな過激な描写が平気な子供というのもちょっとどうかと思うが。

大反省会?

 民主党が行った大反省会を今朝、テレビでとりあげていた。全体を見たわけでは無いし、ピックアップされている断片にやや偏りがあったかも知れないが、おおむねどのようなものであったのかの想像はついた。

 ところで鳩山さんはすでに引退しているようなのでいざ知らず、野田元首相がいないのは如何にも異様である。彼の不在が民主党の「大反省会」が反省などではないことを表しているように思う。

 菅直人、枝野幸男、長妻昭の三氏がいろいろ反省するという設定なのだが、どうも反省より言い訳に終始したようで、マスコミもおおむねそのように受け取っていた。

 枝野氏が「スピーディについて官僚に聞いたら、それは使っておりません、と答えたので、そのままそれを事実として伝えてしまった。つまり嘘をつかれたのです」と言っていた。嘘だと分かったのはいつだったのか。嘘をつかれたことについては釈明の余地がある。枝野氏が役割を果たすのはそれが嘘だ、と判明してからのことである。

 嘘をついた官僚とその組織に対してどのような処分をしたのか。スピーディが使われていなかったというのは嘘であった、と公表したのか。自分が責任をとりたくないから全て不問に付してうやむやにしてしまったこと、そのことが反省すべきことではないのか。誰かのせいにしたら反省したことになるのか。枝野氏にしてこのていたらくである。

 菅直人になると、にこやかに小沢一郎を非難し、鳩山由紀夫が思っていた以上に宇宙人だったから、と訳の分からない理由を述べ立てて自分に非がないがごとき言葉を並べ立てていた。

 記者(?)から「もう一度首相になったらどうしたいですか」と聞かれると、しばし考えた後「首相になどなりたくないですね」と答えた。

 反省というのは、もしあのときこうしていれば、と云う思いから、そう出来なかったことを次にはこうする、と云う行動につなげるものであろう。それを、二度と首相になりたくなど無い、と答える元首相が「大反省会」で語る、と云うのはパロディであり、恥さらし以外の何ものでもない。こんな人を首相にしていた日本人は、責任も大いにあるものの、大変不幸なことであった。

 日本人は大反省をして二度とこのようなことのないようにしなければならない。

 この「大反省会」を見て、野党が今ほど弱体化したときはない、と政治評論家が批評していた。野党の劣化は与党をも劣化させる、と云う。確かに野党の劣化にともない自民党は劣化した。だから国民は民主党に政権をゆだねた。だがその民主党があまりにも幼稚な集団であることで日本は、そして日本国民は甚大な被害を受けた。

 自民党は強力な野党として与党民主党に対峙していたが、あまりにも与党がお粗末なために、野党に鍛えられるどころかつぶされてしまった。誰が見ても自滅であった。

 民主党は社会党左派勢力だったという、何でも反対していれば存在意義が保てていた烏合の衆をかかえている。あろうことか北朝鮮を理想の国と讃え続け、拉致問題をでっち上げとして非難し、事実が判明した後もそれについて反省の一言もなかった党である。それをかかえている間は再生が無理だし、反省すべきはその点なのだが、その親玉が「大反省会」で反省(?)しているのだからそもそもパロディでしかないのは当然だったろう。

追悼・夏八木勲

 俳優の夏八木勲が膵臓癌で亡くなったことを知った。

 この人の出た映画やテレビドラマはとても多い。だからほんのその一部しか見ていないが、それでもずいぶん見た。主役を演じたものは少ないが、特異な風貌とともに忘れがたいものが多い。多くの人が夏八木勲の出演した映画やドラマについて思い出を語るだろうが、私の特に印象に残っているものを思い出すままにあげてみる。

 映画では「白昼の死角」の鶴岡七郎役。高木彬光原作で、1979年の東映映画で、ここでは主役を張っている。映画では「太陽クラブ」、と云う組織の運営者であるが、これは「光クラブ」という、大学生が組織した詐欺集団の実話をもとにしたものである。原作もとても面白い。

 同じく映画では「八つ墓村」の冒頭シーンに出てくる尼子氏の落武者の頭領。村人にだまされて惨殺されるのだが、この凄惨なシーンの恨みの形相は忘れがたい。この恨みが八つ墓村の事件に二重に関わって行く。ちなみにこの映画での小川真由美の哀しい恐ろしさも夢に見るほど強烈だった。

 また、私の大好きな映画「冬の華」でも高倉健の脇役として重要な役柄を演じている。この映画は倉本聰の脚本で、不思議なやくざ映画だった。この中で夏八木勲が「シャーガルあるか?」と脅す場面がある。これはシャガールのことなのだが、シャガールなど彼には縁がないし知らないからシャーガル、となる。笑うところなのだが、この言葉が脅しにかえって迫力を増すことにつながっている。彼にしか出来ないシーンだ。この映画では池上季実子の相手役になる三浦洋一も印象的だった。彼も若くして死んでしまった。

 映画についてはキリがないのでこれだけにして、テレビドラマでは、朝の連続ドラマ「鳩子の海」での脱走兵役が強く記憶に残っている。この時の思い出が鳩子を強く支えることになる。

 さらにあまり言及する人はいないと思われるところでは、NHKドラマ「いちばん綺麗なとき」での役柄だ。ここでは八千草薫の亡くなった夫の友人役として出演している。この中で八千草薫の身体の求めるのだが、二人ともすでに初老である。しかし次第に八千草薫もその気になっていくときの心の動きがとてもエロチックで何だかとても素敵なものを感じた。一途に迫る夏八木勲がとても好きだ。今、自分もその年になって特に思い出すドラマだ。この中で八千草薫の姉の役が加藤治子、さらに妹たちもいるので、だからテレビの「阿修羅の如く」の姉妹たちみたいに感じて、原作が向田邦子だとばかり思っていたが山田太一作であった。

 夏八木勲の出た作品をこれからも見るし、またいろいろ思い出すこともあるだろう。そのことが彼への追悼になると思う。とにかく作品は残るのだ。俳優や芸術家はそれこそが命だろう。

2013年5月12日 (日)

組長

 今年は住んでいるマンションの組長を引き受けている。組長などと言うと暴力団組織の長みたいだが、4棟・700世帯弱のマンションを60組弱に分けて、年交代の輪番制で行事や雑用をする係のことである。

 自治会はこの中から互選で選ばれる。住んでいるマンションは、30年以上前に建てられたときから、外部委託を一切せずに完全自治で運営されている。完全自治を続けているマンションは珍しいと言うことだ。

 夏祭りや運動会もずいぶん大がかりにやる。そのほかにも行事がいろいろあるし、草むしりや資源ゴミの管理(好い加減な出し方をする者がいてそのままでは業者が引き取らない)、募金集め、災害に備えた訓練、回覧板配りなど、組長になるとけっこう忙しい。月に最低一回総代会と称して連絡会議が行われる。

 その総代会が本日あった。今までも三回ほど組長を引き受けたことがあるが、今度の自治会長は話がてきぱきしていて思ったより早く片付いた。まあ社会貢献と言うほどの大袈裟なものではないが、与えられたことはなるべく引き受けることにしようと思っている。

 今年の組長達はみなおとなしそうな人ばかりで、つまらない質問でだらだら会議を長引かせるような人がいないのでほっとした。他人の時間を無駄にすることが平気なそのような人は本当に迷惑だ。

メタボ健診

 20年以上前に初めて中国に行ったとき、ほとんど肥満者を見なかった。中国は美食の国で、しかも油をふんだんに使う料理が多いのに肥満者がいないのはお茶を飲むからだと言われていた。

 朝、ホテルのまわりを散策すると公園などの広場では多くの人が太極拳をはじめとして、集団で身体を動かしているのをよく見かけた。これも肥満の少ない理由かと思った。

 しかしその後出かけるたびに肥満者を見かけることが多くなり、今は日本とかわらない。やはり食事の量と質が豊かになれば肥満の人も増えるので、昔はやはり質素だったと言うことだろう。

 いろいろな種類のお茶も健康に効果がないことはないが、飲めば肥満しない、などというものではないようだ(私の実際の経験だ)。

 中国メディアが、中国人の肥満者がこの三十年で大きく増加したことを伝えていた。そして日本人の肥満者が少ない、しかも日本は国を挙げて肥満者を減らす努力をしている、と報じた。

 日本を訪問した多くの中国人の実感は、中国に比べて肥満者が少ないことだというのだが、本当だろうか。

 その報道の言いたいことは、日本政府が2008年からはじめた「特定健診・特定保健指導」という制度のことだ。いわゆる「メタボ健診」である。組織や地域のメタボの割合を調査し、その低減に努め、その成果によって職場や自治体への後期高齢者医療制度への財政負担が10%の範囲で増減される、と云う制度のことだ。

 肥満者の割合が多いと健康保険の負担が明らかに増え、数が減ると負担も減ることは統計的な事実であるようだ。このような施策は適切に運用すれば政府にとっても国民にとっても良いことであると云っていい。

 中国メディアの記事はそのような日本の考え方を是として、その結果が日本人の肥満者を少なくしているのだ、と伝えている。

 もし日本人の肥満が減っていることが事実であるとすれば、それは中国で肥満が増えていることの裏返しでもあるのではないだろうか。それは日本の経済が右肩下がりとなり、日本人の食生活が質素になってきたからではないか。

 そして今、円安になってきてますます食材が値上がりするから当面肥満はさらに減ることであろう。ただし日本経済が上向きになったのにともなって人々の収入が増え、食生活がまた豊かになったら肥満も増えるに違いない。

2013年5月11日 (土)

映画「ウインターズ・ボーン」2010年アメリカ

 監督デブラ・グラニク、出演ジェニファー・ローレンス、ジョン・ホークス、シェリル・リー。

 傑作である。アメリカのダーティゾーンで生きることの過酷さが、日本よりはるかに厳しいものであることが思い知らされる。そんな中で、男はただヒロイックなだけでは生きていけないから不機嫌となり、女はその男の顔色を窺いながらおびえて暮らしている。

 男が誰かの為に動くときは命を賭けなければならないが、時にそのために虫けらのように命を落とすことになる。

 南部の田舎に住む17歳の少女・リー(ジェニファー・ローレンス)は幼い弟と妹の面倒を見ながら、精神を病んだ母親の世話をしてして暮らしている。近くに親類が何軒かあるのだが、助けはあまり期待出来ず、リーも頼ろうとはしない。

 父親は犯罪者で、覚醒剤の製造に関わった罪で逮捕されている。その父親が保釈されたというのだが、家には寄らずしかも失踪したと知らされる。家族の持ち物であるリー達の住む家や周辺の森が保釈金の担保にされているため、裁判までに父親が出頭しないと家を追い出されることが通告される。

 リーは父を捜そうと走り回るのだが、誰も助けてくれないばかりか、父を捜すな、と脅迫を受ける。

 それでもわずかな手がかりから父の仕事に関わったグループのリーダーの男を突き止めるが、会うこともかなわず追い返される。

 八方ふさがりの中、再び危険な場所へ乗り込むが、集団で殴る蹴るの暴行を受け、命も危うい状態になる。そこへ危険を承知で伯父(父の兄に当たる)がやってきてリーを助け出す。

 そうした必死のリーの行動が、ついに父の消息を知ることにつながっていく。しかし時すでに遅く、父親不在のまま裁判の日が過ぎてしまう。

 進退窮まったリーを、集団暴行した者たちが誘いに来る。リーは同行を拒むが、父親の消息を明らかにするからと云う言葉に単身でついていく。

 そこであるものを受け取って、リー達は家を追い出されずにすむことになるのだが、そのいきさつは凄まじい。ここが全体の中の山場と云っていいだろう。物語はそうしてある結末に至るのだが、それはこれから果てしなく続く今までと変わりない生活の始まりでもある。

 主演のジェニファー・ローレンスが素晴らしい演技だ。この演技でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたのだが惜しくも受賞を逸した。しかし2012年の「ハンガー・ゲーム」で見事主演女優賞を獲得した。

 全く違うストーリーなのだが、「トゥルー・グリッド」(既報)を思い出した。あの映画での少女・マティ(ヘイリー・スタインフェルド)の不屈の姿に重なるものがある。

 アメリカの女性は愚かな弱者として扱われる。映画では特にそうだ。それが少女という、まだ女になる手前のところでは男以上に勇気のある強い存在として描かれるというのも何か象徴的な気がする。少女はまだ女ではないのだろう。

 繰り返すが、この映画は傑作だ。見終わった後にずしりとくる。「ハンガー・ゲーム」も近々放映されるので楽しみだ。

何処にもいるけれど

 美しい海で有名なインド洋の島国、モルディブにも中国人観光客が押しかけている。

 そのモルディブから帰った中国人観光客が、持ち帰った珊瑚の写真を撮ってネットに公開した。これを見たモルディブの観光客相手のダイビングインストラクターが「海洋環境を護ってください」と書き込みをした。

 珊瑚を持ち帰るのは違法である。当然の書き込みだ。

 モルディブのホテルで中国人の宿泊客が持ち込んだ電気ポットをホテルの従業員が回収したことでもめ事になった。レストランで一切食事をせずに部屋でカップラーメンを食べてばかりいたからだという。

 このことから中国ではモルディブに対して数多くの非難が寄せられていた。しかしこのたびの珊瑚持ち帰り事件をきっかけにさすがに中国でも中国人のマナーに問題がある、と気が付いたらしく、珊瑚を持ち帰って写真で公表したことを批判する書き込みに賛同するものも出て来たという。

 何処にでもこのような、していいことといけないことの区別の分からない人がいる。海外旅行に行くくらいの人はその区別のつくひとが多いはずだが、中国人はどうもそうではない人が数多く海外に出かけるようになったらしく、世界中で顰蹙を買っているという話を聞く。

 今回のモルディブでの話も何が悪いか分からない人の方が多いことを自ら認めるような中国の記事での採りあげ方であった。

 中国は自分に非があるとき、歯切れが悪いことが多い。その代わり相手に非があると断じたときには、そのことの何倍もの謝罪を要求し、相手が完全に屈服するまで非を鳴らし続ける・・・ように見えるのはいささかひがみすぎだろうか。こんな人が周りにいたら暮らしにくくて仕方が無い。

イギリスよ、お前もか

 イギリスのキャメロン首相が議会の答弁で「イギリスはチベットが中国の一部であることを承認し、チベット独立を支持しない」と述べた。これを中国のメディアは大々的に報じた。

 昨年五月、キャメロン首相は中国の強硬な抗議を受ける中で、ダライ・ラマと会談を行った。その秋に予定されていたキャメロン首相の中国訪問予定は無期限の延期となったままで、中国とイギリスの関係はイギリスメディアによれば「亀裂の入った状態」が続いている。

 中国を激怒させたことを今までもイギリスメディアは批判していたが、このたびフランス首相一行が大挙して中国訪問したことを受けて、その批判がいっそう激しくなっていた。

 イギリスは中国に対してインフラ整備などの巨額の投資が進んでいたが、関係悪化にともない、ほとんど停滞したままとなっている。メディアはこのことによる莫大な損失の責任を騒ぎ立てていたのだ。

 チベットに対する中国の理不尽な行動はヨーロッパでは知らないものは無い。それを報道していたのは同じメディアである。中国が反対するダライ・ラマとの会談を強行したのはキャメロン首相の見識である(もちろん大衆受けを狙った面もあるだろう)。人権は金より大事だと、当たり前のことを基本に考えたのだと思いたい。

 ところが中国の怒りが経済に及ぶに至って変節した。

 イギリスメディアも「人権より金である」と言って、はばからない。イギリスも落ちたものである。恥を知るべきである。これでフランスに続いてイギリスも中国に膝を屈した。たぶん中国は手のひらを返したようにイギリスとの国交正常化を行うだろう。

 ひとり日本だけは中国との関係に「亀裂が入った」ままである。もちろん修復しようとしても相手が受け付けないのだから如何ともしがたいが、いくら経済界が懇願しようとも、中国にみっともない妥協だけはして欲しくないものだ。毅然としていることが、将来日本の名誉になることだと信じている。

 しかし世界の正義なんてこんなものだ。

2013年5月10日 (金)

今頃?

 東京電力が、福島第一原発の非常用の電源は地震ではなく、津波によって喪失したというデータが見つかった、と発表した。鬼の首でも取ったような発表の仕方に首をかしげる人もいるかも知れない。

 事故調査委員会では非常用電源が失われたのは地震の時か、津波の後かが大きな問題とされていた。なぜか。地震だけの被害なら事故にはならなかったことが証明されれば、津波対策が万全であれば再稼働が可能だ、と云うことになる可能性が大きいからだ。

 しかし東関東大震災から丸二年を過ぎている。この時点でそのようなデータが出てくることは如何にも不自然である。すでにあったデータならとっくの昔に出て来たはずだろう。

 そんな大事なデータなら必死で捜しているはずである。それでも見つからなかったものが二年過ぎて出てくるはずがない。誰かが隠していたとでも云うのか。それとも矛盾のないデータをでっち上げるのに時間がかかったのか、と勘ぐってしまう。どう考えてもおかしい。

 そのデータが今まで出てこなかった理由と、それを管理していた人間を明らかにしてその責任を明確にした上で、分かるように説明してもらいたい。たぶん出来ないだろう。

 

更迭

 朴槿恵大統領の訪米に随伴していた韓国の報道官が、ワシントンの在米韓国大使館の臨時女性職員にセクハラ行為を働いたとして騒ぎになり、即座に更迭されたことがニュースとなった。

 これでは日本に対する従軍慰安婦問題を非難する矛先も鈍ろうというものだ。それともそれとこれとは別なのか。

 セクハラを受けたのは韓国人の実習生だったらしいが、韓国側の発表ではこの女性の尻を触った、と云うのだが、どうも実際は、この報道官はホテルの部屋に彼女を呼びつけて、良からぬ行為に及ぼうとして、ことがあったかなかったかは知らないが、午前0時30分に現地の警察に駆け込んだという。どうも言い訳が利かない状況だったようだ。

 韓国は女性が被害に遭う事件がとても多いようだ。それに性を生業とする女性の数も多く、海外へも多数進出しているというニュースをたびたび目にする。

 そのような国の感覚から従軍慰安婦というストーリーを過剰な思い込みで作り上げている面もあるように思う。もちろん日本が無謬であったなどと言い立てるつもりはさらさら無いが、実際にあったことと彼等が思い込んでいることの間にとんでもなく大きな違いがあるのではないか、とつい思ってしまう。

子供が七人

 日本なら子供が七人と言えば甲斐性のある男と健康な妻による賑やかで幸せな家庭が思い浮かぶが、中国ではそうはいかない。原則として子供は一人だけと国家が決めているし、例外が許されても二人か三人がいいところだろう。

 映画監督のチャンイーモウに子供が七人いることが暴露されて騒ぎになっている。

 前妻と現在の妻との間に四人、ほかの女性二人との間に三人の子供がいるのだそうだ。チャン氏の妻の戸籍のある江蘇省が事実関係を調べはじめたという。

 一人っ子政策に違反した場合は、年収と同額か、場合によって数倍の罰金が科せられることになっているので、試算では1億6000万元(約26億円)の罰金を払うことになるそうだ。

 こんなもの、役所の担当部署に手を回してほとんど公認だったはずだ。それが暴露されたと言うことはチャンイーモウも落ち目なのかも知れない。もちろんこの程度の罰金はなんてことはなく支払えると思うけれど。

水に落ちた犬

 水に落ちた犬を叩け、と云うのは残酷な国際社会の常識だ。

 日本は水に落ちかけながら辛くも踏みとどまって20年以上が過ぎた。しかし民主党政権になって全ての外交ルートを著しく損なって、国際社会からはついに水に落ちた犬と見なされるようになったようだ。

 その水に落ちた犬を叩いているのは中国であり、韓国である。アメリカも本音では叩きたいだろうけれど、なんとか自制していたようだ。

 韓国は一時期経済的にデフォルト寸前になって水に落ちる寸前まで行った。それを支えたのが日本だったのだがすっかり忘れているようだ。もちろんそんな事思い出したくもないだろう。

 ところがアベノミクスのおかげで日本が水から這い上がろうとしている。だから韓国も中国もいっそう日本叩きに励んでいるのだが、今のままなら彼等にとって不本意ながら這い上がってしまうことだろう。

 それと裏腹に、韓国が水に落ちる可能性が高いと私は見ている。韓国は日本を踏み台にして中国との経済関係によって浮上した。しかし中国の経済もそういつまでも好調というわけにも行くまい。問題も山積だ。

 韓国ウォンもどんどん値上がりし、海外から資金が韓国にどんどん流入している。経済基盤が日本よりも小さい韓国にとって、海外の投機の対象になった上に、何かのきっかけで流入した外資が一斉に引き揚げるというのは恐怖のシナリオだ。あのデフォルト寸前の危機の再現だ。

 日本は韓国に対して韓国との友好を重視して、そのための融資枠を拡大して準備していたが、李明博前大統領の再三の反日行動に対する措置としてデフォルト危機以前の枠に大きく縮小してしまった。それに対して韓国は「全く問題ない」と言った。今度危機が訪れたとき、日本は韓国を助けないだろう(民意が許さない)。アメリカが韓国を助けるほどの余裕があるとも思えない。韓国はそのとき中国に助けを求めるのか。

 水から落ちた韓国を中国は助けるのか叩くのか。助ける為に韓国は如何なる見返りを要求されることになるか。こわいこわい。

掛川城

130509_39掛川城。

天浜線の東の終点、掛川で降りた。駅前で遅い昼食を摂り、掛川城へ向かう。掛川城は天浜線の駅のある北側なので余分に歩かなくてもすむ。お城まで500メートルあまり、有難いことに近い。

130509_33掛川城へ向かう道筋に、ねむの木学園で作られた手作りの小物を売る店があった。右側の白い壁の建物がそのお店である。誰もいなかった。

130509_35お堀に架かる橋の上から太鼓櫓?(右側)と天守閣を臨む。

130509_41天守閣はやや高台にある。そこまでの石の階段の一段ごとの高さがやや高いので膝が少し痛い。遠足の中学生達がきていた。みな元気で私をすいすい抜いて登って行く。そのたびに「こんにちは」と大きな声で挨拶する。学校で仕込まれているのだろうか。とても気持ちがいい。こちらも「こんにちは」と大きな声で答えた。

130509_44天守閣の中にあった、この城を建てた山内一豊の銅像。それほど大きなものではないが、かたちがとても好い。

天守閣の最上階で辺りを眺めて、かいた汗を風に当てていたら大阪の兄貴分の人から電話があった。天浜線を走った後に掛川城の天守閣にいることを伝えると、いっしょに行きたかったのに、と恨み言を言われた。「すまぬ、すまぬ」と謝って、来週大阪へ遊びに行くつもりであると伝えた。

130509_52掛川城御殿。掛川城は安政の東海大地震で倒壊してしまい、この御殿など一部だけが残った。その後再建はされなかった。だから今の掛川城は平成六年に木造で再建されたもの。

このあと東海道線で名古屋へ帰還。天気も好く(ちょっと暑かったが)気分のいい一日であった。帰ったらあまりにもビールがおいしくてつい飲み過ぎた。

資金調達出来ず

 差し押さえにより競売に付されていた朝鮮総連の建物を落札した鹿児島の宗教法人が、購入の資金調達が出来なかったことで購入が断念され、再度落札が行われることになった。競売入札の手付け金の5億円は返還されない。

 この宗教法人の代表は資金調達の為に銀行に交渉したが、受けてくれるところがなかったのだが「政府が金融機関に圧力をかけたからどの銀行も資金を貸してくれなかった」と発言した。

 この宗教法人はこの施設を購入したら朝鮮総連に貸し出すと公言していたので、如何にも政府が圧力をかけた、と云う事実があったように聞こえる。

 しかし日本では、圧力などかけなくても世間や政府の意向を忖度して銀行は自発的にそれに沿った判断をするのが普通である。政府は何も圧力をかける必要など無いのだから、圧力があったから、と云うのは間違いであろう。しかし日本の銀行もこんなところに金を貸すとは節操のないことだ。

 それにしても落札の時にはそれなりの資金の目処が合ったはずであろう。全てを日本の銀行に借りなければならない状態なら落札などしなかったと思われる。たぶん北朝鮮から何らかのルートで資金援助がされるはずだったのではないか。

 しかしご承知のように、最近中国の銀行が立て続けに北朝鮮への資金を凍結した。これでこの宗教法人も万事休したに違いない。

 それにしてもこの宗教法人は北朝鮮出身者が運営しているのだろうか。そうではないようなので、幹部や代表がその関係者なのかも知れない。宗教法人は経費がかからずに資金調達の出来るうまい商売らしく、しばしばその裏に北朝鮮や韓国の人物が関わっていたと云う話が今までにもあった。

 この宗教法人に参加していた人たちも仰天したのではないだろうか。多くの人がこの宗教法人から離れていくだろう(と思いたい)。

 この汗っかきの代表もたぶん北朝鮮にがんじがらめにされて走狗になりはてている人物だと思われるが、金がなければ如何ともなし難いであろう。これからは身の危険におびえながら生きていくしかない。自業自得とは言え哀れなことだ。

天浜線続き

気賀駅辺りから浜名湖から離れる。この辺から先は引佐(いなさ)地区である。昨日触れたようにこの引佐地区には方広寺、竜ヶ岩洞(りゅうがしどう・鍾乳洞)、竜潭寺(りょうたんじ)などの名所がある。ただし駅からみな遠い。

常葉大学前駅を過ぎると次の次の駅がフルーツパークだ。

130509_27駅前で待っているフルーツパーク行きの送迎バス。

フルーツパークと言えば、名古屋市守山区にある東谷山(とうごくさん)フルーツパークがある。昔、出不精の父が珍しく名古屋までやってきてしばらく泊まっていたとき、ドライブに出かけた。そのときにこの東谷山フルーツパークへ行くことになった。父はとても楽しみにしていた(と思う)。しかし道を間違えてしまって全然違う方へ出たので寄らずにしまった。父はそれをとやかく言うようなことは無いので黙っていたが、がっかりしただろうと思う。そのことを急に思い出した。父を連れて行きたくてももう取り返しはつかない。フルーツパークという名前に父の死を急に強烈にこころに感じた。

しばらく走ると天竜川を渡る。この辺りから天竜地区だ。広々とした景色が続くが、もうあまりめぼしい景色はない。

130509_28車窓に見えた茶畑。そういえば崩落した茶畑は浜松市の天竜地区、ここから遠くないはずだが、どちらか分からない。

新所原から天浜線終点の掛川まで約二時間。天竜川から先はおまけのようなものであった。だから途中の西鹿島(にしかじま)で遠州鉄道に乗り換え、新浜松へ出ても良かった。でもせっかく掛川まで行ったので、掛川城を見て行くことにした。

2013年5月 9日 (木)

周大兄様

桐生の周大兄様 お祝いの言葉をありがとう。風薫る季節に生まれたかも知れないけれど、今は加齢臭が香る歳になってしまいました(自分では分からないけれど)。

五月八日の誕生日と言えば大兄もよくご存知のあの四国のやんちゃ坊主の兄貴も同じ誕生日なのです。そして榊原郁恵さんも同じ誕生日のはずです。ほかにもいろいろいるのでしょうがそれしか知りません。

五月生まれは賢いと言います(ほんとかね)。その賢さを活かすことなく、しかしながらおかげさまでなんとかつつがなく日を送らせて戴いております。またそちら方面に参りますのでその節はよろしくお願いします。来週は大阪のU島を訪ねるつもりです。

みなさん、私信をブログに書いて読んでもらってしまい、申し訳ありません。

天竜浜名湖鉄道

昨日の晩、急に思い立って天竜浜名湖鉄道に行くことにした。名古屋から東海道線に乗り、豊橋の二つ先、新所原(しんじょはら)で乗り換える。ここが天竜浜名湖鉄道の西の端だ。ここから終点・掛川まで。浜名湖の北側を走る列車で、こちらでは天浜線となっていた。

名古屋駅の切符売り場でぐるりと回る、名古屋-新所原-掛川-名古屋という切符を作ってもらおうとしたら駅員が悪戦苦闘の末、「出来ません」という。それはそうだ、考えたら天浜線はJRではないのだった。仕方が無いから新所原までの切符と、掛川からの帰りの切符だけ作ってもらった。駅員がしきりに謝る。申し訳ないことだったが、窓口の駅員もちょっと勉強不足だった。JTBの窓口に行けば良かった。

130509_2天浜線の新所原駅。駅の窓口と一緒にうなぎ屋がある。中で食べられるし、お弁当も売っている。おいしいという話だ。

130509_5待機中の天浜線の車両。ここは単線で一両編成(一両では編成ではないか)、しかもワンマンで無人駅だらけ。運転手は忙しい。左手はJRのホーム。天浜線には電線がない。ディーゼルなのかも知れない。

沿線には見所もあるようだが、駅から遠いものばかりのようで、あらためて今度車で回ることにする。どちらにしても途中下車は不可だそうだ。

130509_20車窓右手には時々こうして奥浜名湖の景色が見える。トンネルもけっこう通る。単線のこのトンネルは小さいから列車が通れるのかな、と一瞬不安になる。両側は木々が列車にかぶさるように蔽い、枝先がこすれる。線路には雑草が生えていて手入れがあまり出来ていないようだ。

奪い合い

 やはり人民日報に、「中国人はなぜモノの奪い合いに走るのか」と云う記事が掲載された。

 鳥インフルエンザに対してある漢方薬の予防効果が高い、と云われると薬局に殺到して我勝ちに購入した。これはSARSのときにも効果があるとされて奪い合いになった漢方薬だ。東日本大震災で福島原発事故が起こり、放射能に対する不安が拡がると、塩が奪い合いになり買い占めも発生、たちまち値段が高騰した。先日の「世界終末の日」の前にも蠟燭が奪い合いになった。

 今中国では金がブームである。人々は金地金はもちろん、金のアクセサリーなどの金製品を争って買いあさり、店頭には何もない状態になっている。金の相場はすでに高止まりしていて、後は下がるばかりで投資の意味は低くなっている(世の中何があるか分からないが)。それでも中国人は金を買う。中国政府は対策として30トンあまりの金を市場に放出したがこれも焼け石に水だと言うからすごい。

 ところで中国の大学卒業者が過去最多になった。全国の普通大学を卒業した学生数は699万人だという。中国の教育委員会は、この学生達の就職内定率は30%を切っていると発表した。この中にさらに大学院に進むものも多いので、実際に失業状態になるものがどれほどか分からないが、少なくとも過半数以上がまだ就職先が決まっていないと言うことだ。企業による学生の募集も例年に比べて低調のようで少ない就職先を奪い合う状態のようだ。

 なぜ中国人は奪い合うのか。

 これはつい一世代前まで極端にものの無かった時代だった記憶の残る中国人のトラウマだろう。つまり不安のなせることだろう。待っていては決して手に入らないと云うことが頭に染みついているのだ。

 ではなぜ不安なのか。中国は豊かになり、ものもあふれているではないか。

 これは金の買いあさりから推定出来るのではないか。金は社会不安の時に買いあさられる。社会が揺らぎ出すとき人々は紙幣より現物を信用するようになる。日本人はあまりその傾向がないが、世界はほとんどそうである。

 つまり中国人は不安なのではないだろうか。多くの人が、実は無視出来ない何かが進行していることを敏感に感じ取っているのではないか。

 中国が放置していた課題、公害や公務員の腐敗、一人っ子政策による少子高齢化などが社会を蝕みはじめている。そして経済は停滞期に入りつつあるのではないか。これら全てを解決していくのは困難を極める。すでに手遅れと云っていい。

 それらから国民の目を逸らす為に、周辺諸国に対してことさらに事をかまえることを繰り返している。しかしそれでは追いつかないところまできていると云うことの表れが、不安からくる奪い合いであろう。

 つぎに中国政府が採る方法は、他国に戦争をしかけることしかないだろう。多少の被害など何とも思わない、と云うのが毛沢東の時代からの中国政府の本音だ。習近平は、そして共産党のトップは戦争こそ全ての課題を雲散霧消させる方法だと見極めつつあるように感じられてならないのだが、考えすぎだろうか。

2013年5月 8日 (水)

朝貢国は中国領

 もなさんも採りあげていたが、人民日報が「尖閣諸島はもちろんのこと、沖縄も本来は中国領だが日本に奪われたものである」と云う論説を掲載した。

 その根拠は、もともと沖縄は琉球王国という独立国であり、中国(当時は清国)に対して朝貢していた。沖縄は中国にとって冊封国である、と云うものだ。冊封とは、中国を宗主国として朝貢している国に対して称号や印章などが授与される、君臣関係のようなものを言う。

 その理窟で言えば朝鮮も中国の冊封国である。だから朝鮮半島はそもそも中国領なのだろう。昔南越といったベトナム北部も冊封国だ。だからベトナムも、それどころか東南アジアは全部中国領だと思っているのだろう。南シナ海の海は中国から見ればずいぶん離れているのに領有権を平然と主張するのももともと中国のものだという考えから、中国にとっては当然の主張なのだろう。すでにチベットは独立国だったのに強引に版図に組み込んだ。

 いま世界の国が中国に朝貢している。フランス然り、アフリカ諸国然り、中近東の国然りだが、今に中国領にされてしまうぞ。

 北朝鮮に対して中国が今日初めて銀行を閉鎖する措置をとった。これも金正日は朝貢していたのに、金正恩という若い奴は中国に挨拶に行かない。朝貢をやめた状態になっていることは中国にとって許すベからざることで、それに対するお灸であろう。決して国連の制裁決議の一環などではない(ジョークですよ)。

ありがとう

 もなさん、コメントをありがとう。いいね!をいつもいただいている皆さんもありがとう。楽しんでブログを続けられるのもいつもアクセスしてくれる皆さんのおかげです。おかげで本を読んだり映画を見ても、もう一度反芻する習慣がついて、ボケの進行が少しは食い止められているようです。

 本日docomoのモバイルルーターの契約をしました。これで多分日本全国どこに行ってもその場でブログを送信出来るようになります。いままではE-モバイルだった(ようやく契約が切れる)ので、都市部は快適ですが、東北の温泉などではつながりにくかったりつながらなかったりしていました。今回はXiの高速タイプなので、自宅の光通信より早いぐらいです。

 こうなるともっと小さな10インチくらいのパソコンが欲しくなります。息子はタブレット型にしろというのですが、キーボードへ打ち込まないと気分が出ないのでタブレットは使いたくありません。タブレット用のシート型のキーボードもあるらしいのですが、食指が動きません。Acer の旧型の格安品でも捜してみようかな。

めでたくはないけれど祝杯

 本日は熱田神宮創建1900年の日、そして私が生まれて63年目の日。もうめでたくはないし、長寿を祝うほどの歳でもない。ちょっとこまごまとした料理をテーブルにそろえて一人で祝杯をあげている。

 明日も天気が良さそうなので少し遠出をしてみようかと思っている。

ゴミ大国

 中国は遅くとも2030年にはGDPでアメリカを越えると自認している。世界の専門家もそのように予測している人が多い。

 私は中国の成長もそろそろ頭打ちになってきていると予測している。これは願望でもあり、そしてつまり呪いでもある。

 しかしすでにアメリカをはるかに超えているものがある。ゴミの量である。

 中国の中部地区経済社会発展研究センターの主任は「現在中国が作り出すゴミは、世界全体の三分の一に相当する。2030年にはアメリカの三倍になるだろう」と語った。

 ゴミは環境を破壊する。そしてゴミを何とかしなければならない、と云う当たり前のことに手を打てない愚かな精神は、国家をもじわじわと破壊する。大気汚染や河川や地下水の汚染、海洋汚染、田畑の農薬や過剰の肥料による汚染など、今すぐ手を打っても今までの蓄積が減って行くまでにはしばらくタイムラグがある。分かっていながら対策が不十分である状態が続くとそのツケは甚大なものになるだろう。

 中国は支払うべき環境対策という費用を省くことで国際競争力の一助にしている。安い人件費というアドバンテージが消滅していく中、環境対策にコストをかけられないジレンマにある。これが中国の右肩上がりはもう限界だという所以である。

 中国は2013年のGDPの成長率を8%と発表している。7%を切ると社会不安が起こるとも言う。過去どこの国が7%や8%などと云う成長をいつまでも続けることが出来たか。そんな事はあり得ない。曲がり角は渦中にいるときには気が付かないものだ。

国際法に合致する

 中国が国連に提出した海図は、中国の基線が尖閣諸島の魚釣島、南小島、久場島の外側を囲んだかたちとなっていた。

 これに対してアメリカ国防総省は「不適切に引かれたもので、国際法と矛盾している」と中国を批判した。

 中国は早速「国際法に完全に合致したものであり、米国は領土の争いの一方に立つようなことはしないと云いながら言動に矛盾がある」と反論した。

 国際法は本来どの国に対しても公正であるべきものだし、公正であるはずだが、今までそうであったかどうか。そのときにもっとも力のある国の意向が強く働いてきたのではないか。アメリカが力を背景に、アメリカにとっての公正を勝ち取ってきたことはなかったか。

 中国はそれが分かっているから、今は自らの力を恃み、中国にとっての「公正」を主張している。中国国内を見ても分かる通り、中国人は公正など信じるほどお人好しではない。だからそもそも公正を信じていない国に公正を求めても空しい。

 こうなると力も経済も衰えて二流国(いや三流国か)になった国の悲哀を感じてしまう。一流国でなくても良いではないか、といってサボってきた結果がこれである。草食系の若者ばかりの国は肉食の国の餌食になるしかないのだろうか。

 アベノミクスが急激に奏効しているように見える。これが続いて日本の復活と、中国、韓国の停滞を夢見るが、はてそれが現実化するかどうか。

 中国に世界の国から朝貢しているニュースが連日報道される。やはり世界は金がまわしているらしい。これでは国際法も頼みにならない。

映画「スノーホワイト」2012年アメリカ・イギリス

 監督ルパート・サンダース、クリスティン・スチュワート、シャーリズ・セロン、クリス・ヘムズワース、サム・クラフリン。

 原題はSnow White & the Huntsman。この原題に大きな意味があることは映画を見ると分かる。勿論この映画はグリム童話「白雪姫」をベースにしていることは云うまでもない。だからストーリーは複雑化してあるものの、おおむね白雪姫のままである。

 白雪姫の継母の王妃がシャーリズ・セロン。邪悪な魔女なので、普段のセロンとちがって可愛げはかけらも見せず冷たい表情に徹している。それにしても自分が最も美しい存在の時は若さと美貌を保持出来るが、自分よりも美しい存在が現れると老化が進むというのは残酷なことだ。世の中は、自分がベストだと思っていても必ずそれを上回るものが現れるものだからだ。

 お約束通り小人が七人出てくる。小人が隠れ潜んでいる場所は夢のように美しい。ただし小人達はつらい経験を経てきたせいか、猜疑心も強く、闘争的だ。

 最後は白雪姫が軍隊を率いて魔女の城を攻撃して魔女を倒すのだが、「ジョン・カーター」の中のシーンとイメージがかぶる。城を攻める、と云うのは見せ場として盛り上がりやすいようだ。

 いつも思うが、魔法使いなら倒したい相手を簡単に倒すことが出来そうなものなのに手をこまねいていることが多い。いろいろ理屈はつくが、どうも自分が倒されることをあきらめているのか、または自ら倒されたいと思っているのか。魔物になった自分を破壊したいと心の底では思っているのかも知れない。だから魔女は時に哀しそうな顔を見せる(この映画の中のシャーリズ・セロンも自分の運命を悲しんでいるように見えるシーンがある)。

 白雪姫が誰と結ばれることになるのかこの映画では描かれていない。こころが誰に向いているのかは観客には分かっているのだがあえて描かずに終わらせるところがにくい。

2013年5月 7日 (火)

ならなくて良かった

 見た目だけで話をするのをお許し戴きたい。

 環境大臣として公務をこなしている石原伸晃氏を見ていると、何かというと書かれたものに目を落としている姿ばかりで自分の言葉で喋っていない。何だか面白くなさそうな顔ばかりしていてやる気がちっとも見て取れない。

 日中韓の環境会議でもどれほどの存在感が示せているのだろうか。

 政治家は見た目も大事である。はっきり云ってあれでは見た目が悪すぎる。

 あれが首相の坐を争った人間だとはとても見えない。次の代とか次の次ぎの代の候補などと言われているが、この人は首相にならなくて日本の為に良かったし、これからもならない方がいいような気がする。何だか燃え尽きてしまった人みたいだ。

映画「ジョン・カーター」2012年アメリカ

 監督アンドリュー・スタントン、出演テイラー・キッチュ、リン・コリンズ、サマンサ・モートン、ウィレム・デフォー。

 ウィレム・デフォーが重要な役割で出ているのだが、素顔ではないので全く分からない。

 原作はE・R・バローズの火星シリーズ第一作「火星のプリンセス」(1917年)である。太平洋戦争以前のアメリカでは、このシリーズや、少し時代が後になるが(1930年代)R・E・ハワードの英雄コナンシリーズなど、異世界のヒーローの物語が百花繚乱していた。コナンシリーズは当時まだ無名だったアーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化されている(「コナン・ザ・グレート」、「キング・オブ・デストロイヤー」。カルト好きでSF好きな私としてはもちろんビデオでだが見ている。ここでシュワルツェネッガーを知り、「ターミネーター」を待ち望んで映画館で初日に見ることにつながった)。

 少し前まではこのようなヒーローものの映画化はカルト映画にかぎられていたのに、最近はメジャーが金をかけて大真面目に製作するようになった。特撮も素晴らしいのでそれなりに面白いのだが、ちょっと違和感があることが多い。続編ばかり作る風潮に似てちょっと安直な気がするからだ。

 この作品もそのようなものかと思ってみていたのだが、終わり方がしゃれていたので私としてはぎりぎり合格であった。いろいろと突っ込みどころが満載であるが、それはご愛敬というところだろう。一つ言えばジョン・カーターが最初、火星の異人種の言葉が全く分からない(当たり前だ)のに話が進むうちに突然普通に会話が成り立っている。こんなに短時日で会話が出来るようになるとはなんたる天才か。ご都合主義はそこら中にあるがそれにこだわると楽しむことはできなくなってしまう。

 ラストがしゃれている、と云うのは冒険家のジョン・カーターの甥の青年が、E・R・バローズであるという設定だ。原作者が登場してしかもある役割を果たすのだ。 

 南北戦争の後、南軍の将校だったジョン・カーターは、いつまでも新しい政府に馴染まず、無意味な抵抗を続けていた。ついに砦にとらわれの身となるのだが、そこから脱走、岩山の洞窟に逃げ込んだところである転送装置によって火星へ飛ばされてしまう。

 火星は地球より小さいので重力も当然小さい。だから驚異的な身体能力のあるヒーローとして活躍する、と云う話になる。しかし月の直径が地球の4分の1だがそんなに驚異的な跳躍力が発揮出来るわけではない。ましてや火星は地球の直径の80%なので映画のようなジャンプ力は期待出来ないはずなのだが・・・。いけない、これでは先へ進めない。

 最初に出会う、と言うか捕らわれるのだが、異族の長がウィレム・デフォー(らしい)。その異族の中でも権力闘争があるのだが、族長はカーターが気に入り、目をかける。もちろん目の敵にする奴もいる。

 どうも火星には人間もいるらしい。そんなとき敵対する人間の飛行船が空中戦を始めるのに遭遇する(物語の設定ではジョン・カーターは明治維新頃の人間だから飛行機を知らない)。その空中戦からカーターが救出するのが火星のプリンセスである。彼女は国を救うため敵の将軍と結婚させられることをきらい逃亡するところであった。

 彼女の国は圧倒的な勢力を誇り、火星全体を平和に統治していたのだが、敵国に強力な味方がついたことでその勢力は一気に逆転しつつあった。その味方というのがカーターが火星に転送される原因を作った超科学を操る連中であった。これが全編を通じてのカーターの敵である。

 あれこれ不思議な出来事や戦いが繰り返された後、異族の協力もあってプリンセスの国が勝利する。そしてプリンセスとカーターは結ばれてめでたし、めでたし。とはならないで、カーターはその陰の敵に再び地球に飛ばされてしまう。

 ここで冒頭のシーンとつながる話となり、しゃれたエンディングとなってジ・エンド。

 この映画は最初から三部作で計画されているそうだから、続編が作られることだろう。若干インディ・ジョーンズを意識しているところもある。

 今回の結末で、地球とのリンクが切れて、単純に火星だけの物語とした方がシンプルに楽しめるかも知れない。ジョン・カーターは地球人である必要はない。

身に沁みる

 息子と娘が連休を通してずっと家にいた。昨日二人とも「行ってきます」と言って自分の住処に帰っていった。

 普段は一人暮らしだから何となくほっとしたような、しかし同時に寂しさが身に沁みるような気がした。

 何だか何もやる気が起きないような気分だ。だがこれからもずっとこの状態が定常なのだ。日常がまた始まった。旅に出たい気がする。

2013年5月 6日 (月)

病死豚の肉

 中国公安部は食品犯罪の知り締まりキャンペーンを行い、特に悪質だった10例を公表した。

 そのひとつが、湖南省や広東省で病死した豚の肉を食肉として販売していたという事件だ。冷凍庫には病死した豚の肉が山積みされており、当局は併せて32トンを押収した。調べではすでに40トンあまりが販売済みだという。

 この事件で3人が逮捕されたが、その内二人は地方政府の職員だった。この職員達は病死した豚を回収して処理する担当だったが、食肉として売れば金になると考えて犯行に及んだのだという。

 販売された豚肉はすでに食卓に上ったものと見られている。

 全く金にさえなるのなら何でもあり、と云うのは恐ろしい精神の荒廃だ。勿論彼等は決して豚肉は食べなかったことだろう。

踏切を切る

 踏切の遮断機が下りたまま中々開かないことに腹を立てた男が遮断機のバーを鋸で切ったというニュースがテレビで報じられた。

 中国での話ではなくて日本の話だ。愚かな怒り方をする中国人を笑っていたが、日本にも馬鹿がいたようだ。これでは愚かな中国人を笑えないではないか。

 踏切バーの車両による破損が最近特に多いとも聞く。でもわざわざ鋸を持ち出すというのは尋常ではない。きついお灸を据えることが必要だろう。

ガラスが叩いた

 今朝、北京故宮博物館の事件を報告したが、犯人は22歳の地方の男だと云うことで、取り押さえた係官に対して「俺がガラスをたたき割ったのではない、ガラスが俺を叩いたんだ」と叫んでいたそうだ。

 なるほど作用、反作用の法則か。

 エジプト人の召使いは決して自分の非を認めない、という話を聞いたことがある(エジプトだけではないのだろうけれど)。誤って皿を割ると、「私が皿を割ったのではない。皿が割れだのだ」と言う。何事も決して自分の責任とは認めない、と云う。

 それにしても「ガラスが自分を叩いた」、と云う主張はすごい。

 何だか世界中が権利だけ主張して責任をとらずに済まそうという風潮のようで嘆かわしいことだ。

映画「TIME/タイム」2011年アメリカ

 監督アンドリュー・ニコル、出演ジャスティン・ティンバーレイク、アマンダ・サイフリッド、キリアン・マーフィー、オリヴィア・ワイルド、マット・ボマー。

 近未来、人類は不死が可能になる。人類は25歳までは普通に成長するが、そこからは生き続ける限り25歳である。しかしそれでは人類が増えすぎてしまう。

 そこで考え出されたシステムが、時間を通貨として使うというものだ。人間は労働によって通貨のかわりに時間が与えられる。しかし食物や雑貨は勿論乗り物に乗るにも何にでもその時間が消費される。

 下層階級で低賃金の人々は、つまり一日の労働で得られる時間がぎりぎり二日分とか三日分である。その時間がゼロになった瞬間その人間は死ぬ。時間は互いにやりとり出来る。家族を養っている人間は自分の稼いだ時間を分け与えることで家族を生かしている。

 そのわずかな時間を奪うギャングも存在する。少し余分に時間を持っていることが知れるとたちまち襲われてしまう。
 
 世界は富裕層の居住する区域、中間層の区域、下層階級の住む区域などに別れていて、その区域間の移動には一ヶ月とか二ヶ月の通行料が必要であり、実質上隔離されているのと同じ状態になっていて下層階級はほかの区域について何も知ることが出来ない。

 主人公のウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、バーで100年以上という恐ろしいほどの持ち時間を持つ男をギャングから救う。救われた男は自分の持ち時間のほとんどをウィルに与えて自らは高い橋の上から身を投げて自殺してしまう。

 ウィルは親友に時間をお裾分けし、母(といっても同じ25歳なのだ)の残り少ない時間を気にしながら出かけた母を待つ。街に出かけていた母は帰りのバスに乗ろうとするとバスの料金が倍になっていると告げられる。全ての料金や物価がこのところ急激に値上がりしているのだ。母の持ち時間ではそのバス料金には足らない。乗車を拒否された母親は必死でウィルのもとへ走る。ウィルもそれを察して必死で街に向かって走り母に時間を渡そうとするのだが、彼の目の前で母の時間が切れてしまう。

 ウィルは時間で管理されている現実を根底から覆そうと決意、ふんだんにある自分の時間を利用して上層階級の区域に乗り込む。そこには千年以上の時間を持っている人間がごろごろしていた。時間を賭けたポーカーでさらに時間を増やしたウィルは、その賭の相手で莫大な時間を持つ男の家に招待される。

 時間は時間管理局によって管理されており、時間の異常な流れはチェックされる。やがてウィルの存在が管理局の知るところとなり、彼は逮捕される事態となるのだが、その家の娘を人質にして危地を脱出する。

 管理局に追われ、さらにギャング達にも追われるようになったウィルは次から次に彼等に襲われることになる。そんな中、この社会の矛盾に気が付いた人質の娘といつの間にか恋仲になり、二人の逆襲が始まる。

 蟷螂の斧のような危うい抵抗がどのような結果をもたらしていくのか。それがラストのクライマックスへの物語となる。

 陳腐だが、時は金なり、をそのままに、時間を通貨とする社会を想定して社会の矛盾を風刺している。アクション映画としても、SFとしてもそこそこ面白い映画になっている。

お知らせ

先般とりあげたNHKのドラマ、「ながらえば」がNHKBSで再度放映されます。10日の13:45からです。よろしければ御覧下さい。おすすめです。見た上でご意見など寄せてくれればさいわいです。時々コメントを戴く「岩佐」さんは私と同じ時に見たと云う連絡を下さいました。

どうしてそんなに怒るのか

 北京の故宮博物院で、来場者の男が陳列品の外側の硝子をたたき割り、そこにあった清代の「銅鍍金轉花水法人打鐘」という貴重な時計を破損した。

 そばにいたほかの見学者の証言によると、男は建物の中が撮影禁止だ、と係員に言われたことに腹を立てていたようだったといい、突然硝子をたたき割ったところ、この貴重な時計が1メートル以上の高さから転げ落ちて壊れたという。

 中国のニュースを見ているとこのように突然激高して我を失う事件がしばしば見られる。どうしてそんなに怒るのだろうか。

 この事件でも弁償するとなれば天文学的な金額となるかも知れない。さいわい修復可能だと云うことだが。

 怒りを発散したことで得られる自分の気持ちの収まりと、それについての社会的な責任の重さとが全くアンバランスである。そもそもそのような考慮をすることすら出来ないかのようだ。

 中国人全てがそのように愚かであるはずもないが、あまりにもそのような子供じみた怒りの発散の事件が多いのは、それだけ中国人に怒りのエネルギーがたまっていると云うことなのだろうか。

 触らぬ神に祟りなし、だから敬して遠ざけたいところだが、隣人ともなればそうもいかず、向こうから怒りをぶつけられればそれなりに対処しなければならない。社民党の福島瑞穂女史は話し合えばいいと言うが、このような愚かな怒りを怒っているものは話し合いが通じるものではないことはまともな大人ならよく分かっていることだ。困ったことだ。

2013年5月 5日 (日)

小沢昭一「芸人の肖像」(ちくま新書)

 小沢昭一は昨年12月に亡くなった。この人の記憶力のすごさは「小沢昭一の小沢昭一的こころ」というラジオ番組を聴いていた人なら知っている人も多いだろう。戦前の戯れ歌や童謡、歌謡曲など歌詞やメロディーをことごとくそらんじてみせるその技には唸らされる。

 小沢昭一は冬季用の写真館の息子として生まれているので、幼いときから写真に馴染んでおり、彼の撮った写真は玄人はだしである。

 小沢昭一は大道芸をはじめとして、消え行く芸能を惜しみ、それを写真として残そうという活動を若いときから積極的に行ってきた。そのセミプロ級の写真の中から抜粋したものに彼のエッセイをつけて本にする企画があったのだが、その途中に完成を見ずに逝ってしまった。

 この本はその彼の意志を継いで筑摩書房が編集したものである。

 この本の写真を見ると、昭和という時代が甦ってくるような気がする。いかがわしいものも含めていろいろ失われたものの中に、何か大事なものも見失ったのではないか。

 サーカスや見世物小屋のあのときめきは、今どこに行ったら出会えるのだろうか。無料の、テレビという媒体の安直さの駆逐したものは闇に潜むものだけではないのではないか。

NHKドラマ「ながらえば」1982年

 原作・山田太一、演出・伊豫田静弘、出演・笠智衆、長山藍子、中野誠也、佐藤オリエ、宇野重吉、堀越節子。

 NHKドラマで一生忘れられない三本が、この「ながらえば」そして「冬構え」「今朝の秋」である。全て山田太一原作、笠智衆主演。

 このうちの「ながらえば」がBSで再放送された。実は1982年に放映されたとき、ビデオに録画、それをDVDにして保存してあるのだが、今回のBSの方が画質も良く、早速コレクションに加えた。

 久しぶりに見たこのドラマは初めて見たときと変わらず、というより初めて見たときよりも私自身が老人の仲間入りしただけ胸に迫るものがあった。

 歳をとると云うこと、夫婦、家族というのは何なのか、これ程深く考えさせてくれるドラマを知らない。不覚にも涙を禁じ得なかった。

 笠智衆と宇野重吉の共演はこの作品だけ、ということだ。二人が冷や酒を酌み交わしながら、言葉少なにしみじみと語り合う場面は、その間(ま)、表情、仕草の全てが素晴らしく、芸術作品のようだ。

 男というものがどれほど含羞を含んでいるものか、そしてそれを心の底から分かっている伴侶に恵まれるとき、どれほどしあわせなのか、それは二人だけにしか分からない世界のようだ。

 勿論いまはこのような含羞の男などと云うのはほとんどいない。恥知らずほど拍手喝采を浴びる世の中というのはなんと底の浅い醜いものか、と思う私は時代錯誤なのだろう。

 この物語のストーリーを説明はしない。このドラマの緊張感には、先入観や事前の知識がない方が良い。主人公の立場に立ち、不安の中に放り出される状況を共有することで感動があるのだから。

 繰り返すが本当に久しぶりに見て、あらためて深い感動を覚えた。

 NHKには残りの二本のドラマも放映して欲しいものだ。リクエストしようかしら。

ビル倒壊の直接的原因

 バングラデシュの首都ダッカで八階建てのビルが倒壊し、死者543人、行方不明100名以上の大惨事となった。犠牲者の多くがこのビル内の縫製工場の従業員だった。

 縫製業という産業は人件費が経営を左右する。日本国内の縫製業も地方の人件費の安いところへ移転を続け、東北や九州を拠点にしたあと力尽きて中国へ移転していった。

 日本の繊維産業は分業制で、糸を製造するメーカー、織物工場、ニット工場、染色工場などが全て別々の企業体によって運営されてきた。その連環の環のひとつの縫製業が海外へ移転しはじめたときから、日本の繊維産業の衰退が運命づけられたと言える。縫製だけ海外に委託していてもいつか限界となる。

 そのような産業である縫製業だから、中国でも人件費が上がれば東南アジアに、そしてバングラデシュに移転し続ける運命なのだ。この産業は低賃金と多くの労働力に支えられなければ存続出来ない。長時間の労働も強いられる。しかし労働者(特に女性)にとっては貴重な働き口でもある。

 バングラデシュ政府は今回の事故原因を調査しているが、現在までの見解では、このビルが手抜き工事で強度が著しく損なわれていたこと、縫製工場の大型発電機4機がフル稼働してその振動がビルに負荷を与えていたこと、さらに2000台以上の工業用ミシンの振動がそれに加わりついにビルが耐えられずに崩壊したものだと推察している。

 家庭用のミシンではなく、ジーンズの生地のような厚手の生地を縫う工業用のミシンの振動は想像以上に大きい。私もマンションの階下の人が内職にこの工業用のミシンを使っていて、その振動がかなり神経に障っていた。普段は仕事に出ているが、休日などに部屋でごろごろしていても、階下でミシンが稼働をするとそのブーンと云う音が耳についてつらかったものだ。私は直接苦情を言うことはなかったけれど、誰かがクレームをつけたらしく、半年ほどでその音と振動はなくなった。

 それが2000台ではビルも大変だし、ほかのテナントも大変だったろう。何だか今度の事故が、縫製業の哀しい宿命の象徴のような気がしてならない。

表紙に日本人が問題

 韓国の小学校の国定教科書の表紙に、日本人と思われる人物の写真が使用されているとして問題となっているという。

 韓国メディアは、登場する人物は二重(ふたえ)で頬骨がなく、典型的な韓国人の顔とは明らかにちがう、と指摘した。

 出版社は不注意であったことを認め、経緯を詳しく調べることを約束するとともに、表紙の写真を差し替えるなどの修正作業を行う予定だという。

 韓国教育省もこの写真が使用された経緯について詳しく調査する方針だそうだ。

 その写真が本当に日本人だったかどうかはどうも確実ではなさそうだが、こんなことが問題になることは異常な気がする。韓国人にもいろいろな顔の人がいるだろう。これでは日本人に近い顔の人はこれから迫害を受けかねない。

 韓国人は、典型的な韓国人の顔でなければならないというのか。これからは韓国の整形手術は典型的な韓国顔に治療する手術が急増するだろう。

 ところで記事によるとその国定教科書は小学校一、二年生の児童約87万人が使用するものだという。ということは韓国の教科書というのはこの国定教科書の一種類しかないことが分かる。

 なるほどこれなら反日教育をするのに都合が良かろう。

2013年5月 4日 (土)

映画「キラー・エリート」2011年アメリカ

 監督ゲイリー・マッケンドリー、出演ジェイソン・ステイサム、クライヴ・オーウェン、ロバート・デ・ニーロ。

 元イギリスSAS隊員であった作者が書いた小説が原作で、実話に基づく映画だそうだ。つまらないフィクションよりずっとスリリングで、これが実話だというのに驚かされる。

 暗殺を得意とする傭兵のダニー(ジェイソン・ステイサム)はある事件をきっかけに引退し、自分の故郷である田舎で平和に暮らしていた。そこへ届いた一通の封書には彼の師でありパートナーでもあったハンター(ロバート・デ・ニーロ)がとらわれている、という知らせだった。

 ダニーは幼なじみで恋人を置いてハンター救出の為に中東へ飛ぶ。そこでハンターがほとんど不可能としか思えないような仕事を高額の報酬の為に引き受け、頓挫した為にとらわれていることを知る。依頼者はもとオマーンの部族長で、巨額の富と石油の利権を持っている長老だった。四人の息子のうち三人までを殺されたことを恨み、復讐するのが彼の願いなのだが、彼の息子達を殺したのはイギリスSASの隊員三人だった。そして正体の判明しているのはただ一人、残りは調べださないとならない。しかもその暗殺の条件は、対象者に自白をさせ、証拠を持ち帰ること、そして事故に見せかけて暗殺であることを悟らせないことである。

 ハンターを救出する為にこの依頼を引き受けさせられたダニーは仲間とともにSASの本部のあるロンドンで作戦を開始、まず正体の明らかなターゲットを事故に見せかけて殺すことに成功する。

 しかしSASの背後にはSAS出身者達を過去の行動の報復から護る「フェザーメン」という強固な秘密組織があった。「フェザーメン」達は即座に隊員の死に疑問を持ち、背後関係を調査しはじめる。その調査の網は次第に絞られ、ダニーの仲間がその網に引っかかり、危機が訪れる。

 そのフェザーメンとの戦いを凌ぎながら次のターゲットを補足、ダニーは極めて困難なミッションを成し遂げる。そして第三のターゲットに向かうのだが・・・。すでにフェザーメン達はダニーの目的を察知、強力な罠がしかけられた中でダニーがとった行動は意外な結果をもたらす。勿論それもダニーの計算だった。

 そして無事ミッションを成功させたダニーなのだが、ここで話は終わらない。今度はダニーの恋人が付け狙われ、その背後の敵を倒さない限りこの作戦に終わりがないことを感じたダニーはハンターとともに再び戦いに赴く。

 なかなか盛りだくさんで手が込んでいて楽しめる映画であった。ジェイソン・ステーサムの出る映画はテンポが良いし切れがあるものが多くてたいてい楽しめる。これもアタリの映画であった。

熱田神宮

熱田神宮へ息子と行ってきた。五月八日が熱田神宮創祀千九百年大祭と云う事であった。私も五月八日生まれだが千九百年と63歳ではずいぶんちがう。

130503_6大楠。

130503_8信長が桶狭間の戦勝を祈願して願いが叶ったので寄進した土塀。

130503_10新緑が眼にまぶしい。

130503_19人だかりがしていたので覗きこむと子供たちが棒術の演武をしていた。大祭を記念して連日イベントが行われるが、この日は愛知県棒の手保存会の演武奉納の日であった。

130503_20お日柄が良いのか結婚式も行われていた。

130503_23お宮参りに来ている家族も多かった。赤い着物の女の子は赤ん坊のお姉ちゃんか。

このあとボストン美術館へ行き「ドラマチック大陸 風景画でたどるアメリカ」を見た。先月出かけたのに休館日で見られなかったもので、期待に違わず素晴らしかった。写実を極めると幻想に通じると云うことが分かった。

2013年5月 3日 (金)

中町信「模倣の殺意」(創元推理文庫)

 本屋の店頭に平積みになっていたので新刊だとばかり思っていたら、文庫としての初版は2004年、最初に刊行されたのは1972の雑誌での短期連載によってであった。

 この推理小説はどのように解説しようと思ってもネタバレにつながりかねない。この本の巻末の解説も決して本文の前に読まないように注意している。

 所々著者が意図的にヒントを与えてくれているのだが、最後の方まで著者のしかけたトリックを見破ることが出来なかった。分かってみればなるほど、ということになるのだが、ちょっとずるい仕掛けだ、と思わないこともない。でもインチキだ、といって腹が立つようなことはない。

 わずかな手がかりをもとにある男の死の真相を二人の人間がそれぞれ別々に追う。その経過が読者に対して交互に提示されるのだが、なかなか二人がクロスしない。その二人がついにクロスしたとき、全てが明らかになる。あっと驚く為五郎なのだが、私はそれほど意外に思わなかった。

 真相を追う経過が面白いので途中で読むのを中断出来なくなってしまう。たぶん時間が許せば誰でも一気読むすることになるだろう。

宮崎正弘&石平「2013年後記の「中国」を予測する」(WAC)

 習近平新国家主席を中国共産党王朝のラストエンペラーと揶揄しています。現在の共産党独裁体制の矛盾が限界に来ているという見方の理由を次々に挙げていき、国家主席の任期10年を全うすることはかなわないだろうと予測しています。

 それぞれに中国について誰よりも豊富な情報量のある二人ですが、データよりも感性から中国をとらえた見方で語り合っています。二人の思い入れが影響するので正確さにはかけますが、こちらの気持ちにはよくフィットするので、いささか痛快な読み物になっています。

 痛快だというのは中国についての将来を悲観的にとらえているからで、そうであって欲しい、とこの頃考えている私にとっての感覚ですが、共感する人も多いことでしょう。それが分かっているからこの二人もそのような見方を少し誇張気味に語っているのかも知れません。

 それほど現在の中国の周辺国に対する居丈高で一方的な行動は不快なものです。

 習近平が軍部に対して傾倒しすぎていることが具体的な事実を交えて語られていますが、ちょうど私もそれを懸念していたところなので、そうだろうな、と納得しました。

 極端なことを云えば中国に対する呪いの予言が語られている、ということも出来ます。予言が当たることが世界にとって好い事かどうかは分かりませんが、この予言は現状を放置すれば確度が高くなるものとなることでしょう。

2013年5月 2日 (木)

表に現れない

 鳥インフルエンザの罹患者の数の発表が毎日ではなく、一週間ごとに変更された。これは何かをごまかそうとするためのものではなく、毎日一喜一憂するすることはかえって混乱を招くから、ということらしい。しかし一週間の間に何らかの新しい情報があっても報告が遅れるおそれがある。

 ところでいま中国で心配されているのは、具合が悪くても医者にかからない人の存在だ。貧困層の人たちは勿論保険にも加入していない。だから具合が悪くても医療費が払えないので余程の状態にならないと医者にかからない。そのような人たちが鳥インフルエンザにかかっても、医療機関にかからなければ、患者として表に現れない。

 中国政府は鳥インフルエンザが社会保険の適用になることの啓発や、医療機関に対して治療費が払えない患者を放置しないように通達をだしたという。つまりそのような人たちや、その恐れがあると云うことのようだ。

 もしそのような人の持っている鳥インフルエンザが人から人へ感染するウイルスに変質したものであったら、突然爆発的に感染者が増えるかも知れない。

 ウイルスは宿主を失うことを避けるように働くので、自然界で分散して棲息している野鳥を殺し尽くすようなことはない。しかし集団で存在している家禽、鶏やアヒル、ガチョウなどに対しては多少殺してもウイルスが生き延びる可能性が高いので戦略を変え、変異して宿主を殺すようなものになるという。

 それ以上にひしめいている人間の集団に対して、更にその戦略を強化するように働く可能性が高いのだ。

 今のところ中国の鳥インフルエンザに収束の気配は見えない。ということは変異の可能性がますます高まっていると云う事でもあるのではないか。そしてその変異は強毒化の可能性が高い。

映画「ダーク・シャドウ」2012年アメリカ

 監督ティム・バートン、出演ジョニー・デップ、エヴァ・グリーン、ミシェル・ファイファー、ベラ・ヒースコート、クロエ・グレース・モリッツ、ヘレナ・ボナム・カーター。

 山場らしい山場が最後にしかない。だから皮肉の効いた台詞回しと、このキャラクター設定を面白い、と思うよう出ないとこの映画は途中で少し飽きるかも知れない。

 魔女に扮するエヴァ・グリーンが怪演している。この人の眼の力はすごいのだけれど、それをさらに強調してけばけばしい化粧をしているのでこれがあの美女のエヴァ・グリーンか、とびっくりする。たぶん本人はとてもこの役を楽しんだことであろう。

 ジョニー・デップはいつも通り、最高である。所々で意識的にマイケル・ジャクソンを思わせるような出で立ちをしているのだが、それがとてもおかしくて笑わせてくれる。

 コリンズ家の末裔の娘にクロエ・グレース・モリッツが扮している。この女の子は美少女なのだが、跳んだ役を平然とこなす天才だ。彼女が唇をゆがめると、ここまで人間は唇をゆがめることが出来るのか、と感心するほどである。自分の体裁を意識することから跳んでいる。これからも期待が大きい少女だ。

 物語は、18世紀にイギリスからアメリカに渡ってきたコリンズ一家が巨額の財をなし、コリンズポートという町を発展させ、巨大な邸宅を建てるのだが、その息子のバーナバス(ジョニー・デップ)が遊びでつきあって捨てた女アンジェリーナ(エヴァ・グリーン)は魔女であった。彼女はコリンズ家に呪いをかけ、バーナバスの真に愛した女性ジョゼット(ベラ・ヒースコート)の意思を奪って断崖から身投げさせてしまう。続けて身を投げたバーナバスは魔女の呪いでヴァンパイヤにされており、不死のために恋する人の後を追うことが出来なくなっていた。

 魔女はバーナバスに復縁を迫るのだが全く相手にされない。それを恨んで彼がヴァンパイアであることを町の人に暴露し、彼を棺桶に閉じ込めて地中深くに埋めてしまうのだ。

 それから二百年、時は1972年、このコリンズ家も没落して、残るのは荒れ果てた巨大な邸宅とわずかに資産だけであった。このコリンズ家に家庭教師として赴任してくるのがヴィクトリアというジョゼットに酷似した女性(ベラ・ヒースコートの二役)であった。

 ひょんなことからバーナバスの閉じ込められていた棺桶が掘り出されてしまいバーナバスが二百年の時を越えて復活する。今このコリンズポートの街を牛耳っているのは魔女・アンジェリーナであった。
 
 こうしてバーナバスとアンジェリーナの虚々実々の戦いが始まる、というのがこの物語である。何でこんなややこしいことをするのか、と思うような訳の分からない戦いが続くのだが、これを理窟で解釈しようとすると討ち死にすることになる。

 私はけっこう楽しめた。

 言い忘れたが、コリンズ家の子供の精神的な治療のために屋敷に滞在している医学博士役のヘレナ・ボナム・カーターが相変わらずのエキセントリックな演技で笑わせる。この博士も物語の途中で命を落とすのだが、ラストにぎょっとさせる。

 ティム・バートンの映画は好みが分かれる。嫌いな人にはあまり受けないかも知れない。

義援金を出さない

 香港議会では今回の四川省大地震に1億香港ドル(約12億6000万円)の義捐金を送る提案が出されたが、強い反対意見が多く、この提案は否決された。

 理由は、汚職の横行する中国政府に義捐金を送っても無駄になるから、というもので、ネットでも義捐金を出すな、と主張するものが多く見られたようだ。

 それというのも、2008年の四川大地震の時には香港から多額の義捐金が送られ、多くの学校が建てられたのに、その過半数が手抜き工事だったことが報道されたからだ。

 これに対して人民日報は、「ごく一部の香港人が義捐金に反対している」として「その理由は正しいのだろうか」と疑問を呈した。

 香港では中国本土から愛国教育の義務化をめぐって大々的な反対運動が起きている。中国本土の共産党体制、特に腐敗構造に対しての報道に対して強い反発があることも、この義捐金拒否に現れているのだろう。

 人民日報の「拒否の理由は正しいのか」という問には、「正当な理由がある」と香港議会は答えるだろう。手抜き工事による橋の崩落や道路の陥没、地震での学校の倒壊の例は枚挙にいとまが無いほどだ。地震の度にどの建物よりも学校が甚大な被害を受けて児童が犠牲になってきたことを人民日報はどう説明するのだろうか。手抜き工事などないと言える中国人はほとんどいないだろう。

 中国では、日本で災害が起こる度に学校が避難場所となっていることに驚いている。

2013年5月 1日 (水)

これは脅迫となるのか?

 中国の武漢の空港で、搭乗待ちをしていた子供連れの夫婦が、フライトの遅延に怒り、二歳の我が子を航空会社のカウンターに乗せ、「何とかしないとこの子の面倒を見ない!」として職員を脅したという。

 当日は悪天候のため、40便近くのフライトが遅れていた。悪天候は航空会社の責任ではなく、悪天候で飛行機を飛ばすわけにも行かない。

 困った航空会社は警察を呼び、警察官にその若い夫婦を説得してもらった。子供は泣きわめき、カウンターの職員は困り果てている中、ようやく夫婦は払い戻し手続きに応じて子供を連れて立ち去ったという。

 子供を連れた子供みたいな夫婦だが、悪天候で飛べない飛行機を脅迫すれば飛ばすことができると本当に思ったのだろうか。ただ感情的になったということのなのだろう。ヒステリーである。

 とにかく中国の空港の案内は不親切極まりない。何がどうなっているかほとんど分からないし、聞いても木で鼻をくくったような答しかもらえない。たぶんこの夫婦もなぜ遅れているのかよく理解出来ないまま放置されて切れてしまったのだろうなあ、ということは想像出来る。しかしそんな事では中国人はやっていけませんぜ。

風強し

 本日は朝早く起きて、息子と二人で南伊勢まで釣りに出かけた。

 仕掛けを作り、息子が竿を入れるとすぐ手のひらサイズのグレ(メジナ)がかかった。釣が底まで落ちる前に餌に食いついたようだ。慌てて自分の仕掛けを準備する。こちらも入れて待つ間もなくヒットした。とにかくアタリはすぐある。面白い。

 ところがなんたることか。風が強い。時々強い風が吹いていたのが、しばらくしたら間なしに吹き続けるようになった。フカセ釣りに近い釣り方だったが釣りにならないので噛みつぶしを一番大きいものにした。

 それでようやく風の合間に釣ることが出来る。ほとんど必ずアタリがある。ただ釣れるかどうかは腕次第、運次第だ。

 いつものように一人なら一時間もしたら切り上げていたところだ。だがわが息子は粘り強い。集中して楽しんでいる。そして小さなサイズは正しく海にお帰り願っている。

 海風はけっこう身体が冷える。車の中に入るとほっとする。

 ようやく息子も切り上げた。グレが30匹あまり、三番叟(小型の石鯛)が一匹、カワハギが一枚、リリースした小メジナは数知れず。伊勢道を飛んで帰る。帰ってまず小出刃を研ぎ、次々にさばいていく。

 カワハギだけ肝を残して煮付けにした。ほかは夕方からカセットの卓上コンロで塩焼きにする。グレはエラとはらわただけとって鱗を引かない。皮ごと塩焼きにするとウロコ付きの皮が面白いようにめくれる。白い身に醤油を垂らして食べると誠に美味である。これで酒がいくらでも飲める。今夜は酒盛りだ。

 五月はドン姫と私の誕生月だ。生まれた日が二日だけちがう。今日まとめてお祝いしたいところだが、たぶん帰ってくるのは遅いだろう。何匹残しておいてやろうか。早く帰ってこないとなくなるぞ。

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