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2013年6月

2013年6月30日 (日)

尿前の関

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このあたりは奥の細道の街道筋でもある。写真は尿前の関。「しとまえのせき」と読む。

これは奥の細道の中で芭蕉が詠んだ句「蚤虱、馬が尿する枕もと」にちなんでいる。この尿する、を「しとする」とよむか「ばりする」とよむかで古来より論争がある。

東北には馬屋、という鍵の手になった作りの住宅が普通であった。馬が同じ住宅内に暮らしていたのだ。旅客としての芭蕉が床をとったのはその馬の目の前であったのだろう。

そこには蚤と虱がいて寝られない。そんな夜半、ざーっと云う音とともに馬が小便をしたのだ。情けない思いとともに、そんな自分の姿に何となくおかしみを感じて詠んだ句であろう。

だから私はその馬の小便の勢いとおかしみをよむなら、「ばりする」とよむ方が芭蕉の気持ちに合っていると思うがどうだろう。

鳴子の温泉街から奥羽山脈の峠越えの坂道にさしかかるところにこの尿前の関がある。鳴子温泉郷を貫く国道47号線の道の脇から急な階段を降りたところだ。

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これが昔の奥州街道のたたずまいだ。

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レガ尿前の関跡の全景。

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これが芭蕉の句碑。ちゃんと「蚤虱、馬が尿する枕もと」と彫られている。

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この句碑はこの社の前にあるのだが、木が倒れかかり草はむして蒼然たる姿であった。

潟沼

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東鳴子温泉の後背地の山の向こう側に潟沼(かたぬま)がある。急勾配の急勾配の多い道を上り、峠を下りるあたりから硫化水素のにおいが車の中に漂ってくる。

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沼は神秘的なたたずまいで、こんなに近くにこんなところがあるとは思わなかった。この近くに射撃場がある、という看板があった。ライフルの射撃音だろうか。次々に轟音が響き、それが山に反響している。沼のほとりに遊歩道がある。一回りしているらしいが、右手側に数百メートルだけ歩いた。

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左手の斜面にあちこちに噴気をあげている場所がある。硫化臭素のにおいはここから上がっているのだ。手前に「有毒ガスが発生しているので立ち入り禁止」の看板があった。

羽虫や蚊の蚊柱がそこら中にたっていて歩くと体中にまつわりつく。手で払いながらほうほうのていで車に逃げ込んだが、車のなかも蚊だらけになった。


混浴に二つ

 先ほどの記事に、いさぜん旅館の湯種が三つですべて共同源泉から引いたもののように書いてしまったが、共同源泉からの湯は男湯と女湯のほうであり、混浴の風呂に二種類の自噴の温泉がある。共同源泉は重曹泉、自噴のほうは炭酸泉と鉄分を多く含んだ鉄泉だ。だから湯船が二つある。今まで混浴のほうにはおばあちゃんたちが良く入っていて入りにくかったのだが、たまたま空いたので今入って分かった。ちょっとぬるいけれどゆっくり浸かっていると体中がばらばらに解体されるような快感がある。

 浴場のすぐ裏手の土手の上を陸羽東線が通る。樹木や草で見えにくいとはいえ洗い場で裸で立って見上げると車両がよく見える。ということは向こうからも見れば見えていると云うことだ。ただそのつもりでない瞬間のことだからまじまじと見られるわけではない。向こうは、しまった、もっとよく見ればと思ったかどうか。

 恥ずかしいというのは無関係どおしではあまり感じないものだと思う。今回も瞬間だけの縁だからほとんど無関係と言っていい。

 今日は近場を散策しただけで昼過ぎには戻っていた。久しぶりに昼寝ををして買い出しに出かけた。ビールとつまみなどをしこたまかついで帰ったら、宿の女将さんに「おうおう、ずいぶんたくさん買い込んだこと」と笑われた。

 今混浴の風呂を上がり、このブログを流したらビールを楽しむのだ。風呂上がりの、それも温泉上がりのビールは最高!

東鳴子温泉

Dsc_0142東鳴子温泉はこの陸羽東線鳴子御殿湯駅で降りる。泊まっている宿はここからすぐそば。かわいらしい駅である。

Dsc_0146滞在しているいさぜん旅館。砂善が元々の名だが今は仮名にしている。典型的な湯治宿。東鳴子温泉の共同源泉から3つの源泉を引いている。男湯、女湯、混浴の3つの風呂があり、男湯と女湯は適宜交替している。交替のタイミングはいまだに不明。ある日は朝から夜中まで変わらないし、二時間ごとに変わったりする。主人の気の向くままみたいだ。

東鳴子温泉神社に行ってみる。陸羽東線をくぐって山を少し登ったところにある。階段の段差はあまり高くないのはいいのだがその分幅もないので足の置き場がない。

Dsc_0149ここをくぐって右手に階段がある。

Dsc_0150東鳴子温泉神社。

Dsc_0151朝まで降っていた霧雨でクモの巣が濡れている。

温泉街の中には廃業したらしい宿もいくつか散見される。早く日本が豊かさを取り戻して、お年寄りが安心して温泉で金を使えるようになるといいと思う。

雨の神様

 今回は雨の神様にたたられている。今日も山は分厚い雲に隠れている。ここ宮城県など、東北の太平洋側の雨の確率は50%前後で、外を見ると今はやんでいるけれど道路はぬれている。

 この三日間このあたりは細かい霧雨が降ったりやんだりだ。昨日分水嶺を越えて山形側に行ったら快晴とは言えないものの影ができる明るさだった。ほんの10キロほどでまるで天気が違う。

 今日は時間つぶしと買い出しに少しだけ近場の散策に出るだけにして、ごろごろすごそうと思う。そもそも湯治に来たのに走り回っていては趣旨に反する。

 土日は海外ニュースが少ない。いろいろなことが起きているのだろうけれど、休日なので報道が少ないのだろう。ブログネタも尽きてしまう。

 ときには空白と沈黙も必要だろう。

2013年6月29日 (土)

湯本香樹実「ポプラの秋」(新潮文庫)

 ついこの間、湯本香樹実の「夏の庭」を原作とした映画「夏の庭-The Friend-」を見たので、この「ポプラの秋」を引っ張り出して読んだ。

 「私」はあることがあってうちひしがれていた。そんなとき、母から、「おばあさん」が死んだと佐々木さんからの電話のしらせを受ける。「私」はすぐにおばあさんの通夜に駆けつける。

 おばあさんは「私」の祖母ではない。子供のとき、父が死んで母と二人で移り住んだ、大きなポプラが庭にあるアパートの管理人だ。数年住んだ後、母が再婚してそこを引き払った後、「私」はそこを訪ねていない。

 子供だった「私」がおばあさんとどういう交流をしたのか、その物語が語られていく。多感な女の子が、夫を喪った母親の悲しみを過敏に受け止めて心身ともに破綻に瀕しているとき、それを支えたのがおばあさんだった。

 そして今、そのおばあさんの死に直面し、彼女は子供のときに自分が書いておばあさんに託した手紙、そしてその頃同じように母が書いた手紙と再会する。

 彼女の呪縛が過去の記憶とその手紙によって解放される。ポプラはそれを黙って見下ろしている。

 おばあさんの、そしてアパートにともに暮らした人たち、そして母のやさしさが、熱く胸に迫る。

 人の哀しみには理由がある。そしてそれを乗り越えるにはそれ以上の哀しみを知る大人のやさしさが必要なのだ。この人の本を読むと、やさしさとは何か、考え直させてくれる。

 こんな感性の豊かな女性と縁がなかったことを何となく寂しく思ったりしたのは一人暮らしのせいか。今更遅いけれど。

鳴子峡

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鳴子の絶景と云えば鳴子峡である。たびたび鳴子に来ているのに鳴子峡は立ち寄っていなかった。秋にはここが紅葉に彩られる。すばらしい景色らしい。今日のように霧雨の天気でもこれだけの迫力なので、秋にはまた来てみたい。

今日は銀山温泉まで足を伸ばして日帰りの風呂にでもつかろうと思ったのだが、結局温泉の手前で引き返した。

銀山温泉は狭いので自動車での進入は禁止である。温泉の入り口に駐車場があり、そこに車を置くことになっているのだが、満杯の上にあきまちの車が行列をなしている。そういえば本日は土曜日であった。これでは待ってもらちがあかない、と思って引き返したのだ。

代わりに温泉手前のそば屋でうまいそばと天ぷらを食べた。大好きな太うちの山形のそばだ。

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だんご屋、とあるがそば屋である。店内に「だんご屋は屋号で、だんごはありませんのであしからず」と張り紙がしてあった。板そば、というスタイルで供され、歯ごたえのある太いそばで香りがいい。銀山温泉が無駄足になったが、ここで満足。

銀山温泉は新庄へ行くついでに月曜日に再チャレンジをするかもしれない。鳴子へ来たら新庄で「くぢら餅」を買わなければならないのだ。これは大好きなので自分用の土産だ。新庄に住んでいた死んだ叔母が、私が好きだからと子供の頃よく送ってくれた。叔母の自家製のちまきと、緑色の香ばしいきな粉、それにでん六豆もたくさん詰めて箱詰めで送ってくれたことを思い出した。

有備館

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有備館は仙台伊達家の支藩・岩出山伊達家の家臣子弟の学問所として立てられた。その庭園がすばらしい。

実は建物は先日の東日本大震災で全壊してしまって今はない。寄付と補助で平成27年中に再建の予定だという。補助金申請の署名を頼まれたので記帳してきた。

庭園の写真を撮ったので見ていただく。

Dsc_0062_2庭園は廻遊式の池泉庭園。池の中に茶島、鶴島、亀島、兜島などが散在している。

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気がついたら一時間ほど経っていた。いい庭園だ。鳴子からたかだか10キロ程度の隣町にこんないいところがあったとは。この鯉、大きいのは50センチ以上ありました。


 中国のブログが紹介されていた。誇張があるかもしれないが、イメージはよく理解できる。

 中国の河川は8割が枯渇している。

 中国の三分の二の草原が砂漠化している。

 中国の668の都市がゴミに埋もれている。

 中国では一年に200万本の木が伐採されている。

 中国では3億の農民が安全な水を口にできない。

 中国では4億の都市住民が汚染された空気を吸っている。

 中国では年に400万件の刑事事件が起きている。

 この国は信じがたい部分がある。信じがたいのはこのような事実ではなく、このような事実が改善されることなく放置され続けているように見えることだ。

 毛沢東はソ連で核戦争について演説し、世界の人口が半分になろうがそれがどうした。中国には6億の民がいる。半分死んでも3億残る。そう述べて会場の人々を凍りつかせた、と記録にある。

 その衣鉢を継いだ共産党だもの、国民の犠牲など何ほどのこともない。

日常茶飯事

 アメリカ系製薬会社の社長が従業員に軟禁されていたが、6日ぶりに解放された。まずは良かった。どのような要求をのまされたかは知らないが。

 環球時報がこれを伝え、このような事件は日常茶飯事のように起きいるとコメントしている。法に頼るよりもこのような実力行使のほうが有効であるし、これしか方法がないからだそうだ。
 
 中国は、問題を法的に解決することが期待できない、ことがよく分かる。

 中国では、こうして自分の主張が正しければ違法な解決法が許される、と言う共通認識が定着していった。こうした認識(これこそ毛沢東の願った理想の状態だろう)を持った民衆を育成した中国共産党は自らの足元がますます危うくなっていく。

朴政権に学べ

 朴槿恵大統領が中国を訪問し、大歓迎を受けているらしい。韓国でも、中国の歓待に好感を持ち、中韓の接近を良しとして、朴槿恵大統領の株も大いに上がっているようだ。

 中国の世界新聞報はこのことを受け、「中国と韓国はともに近寄り共同目標に向かっている(どんな目標か分からない。同床異夢のような気がするが)。中韓が結びつきを強める中、安倍政権は歴史認識を後退させ、右翼化することで日本を孤立化させている」。だから「安倍政権は朴政権に学べ」という記事を掲載した。
 
 確かに中韓が日本を敵視することで共同歩調をとり、結びつきを強めていることから中韓に対して日本は孤立している。

 しかし世界から中国は孤立しつつあるように見えるのは私だけだろうか。だから中韓は互いに近づくことで世界から孤立する方向に向かっているのではないか。日本は中韓と孤立しているかもしれないが、世界から孤立しているとはとても思えない。中国式の札びらでほおをたたきながら行っている世界との友好関係は、むかし日本がかえって反感を持たれたように、またはそれ以上に中国に対しての反感を招いているように見える。

 中韓から日本を孤立させようとしているのは中韓であり、それによる孤立は今更じたばたしても改善するとは思えない。潮時を見るための時間が必要ではないか。

 だから朴政権に学ぶ必要など毛筋ほどもない・・・。いや言い過ぎた。韓国が先行きに不安を感じて中国にのめり込み、迎合することで失っていくものを見つめて、そこから学ぶことは大いにあるかもしれない。

 朴政権に学ぼう。

ポーラ・ゴズリング(山本俊子訳)「逃げるアヒル」(早川文庫)

 巻末の訳者の後書きに、この映画をヒントにシルベスタ・スタローンが脚本を書いて映画にしたのが「コブラ」という映画だ、とある。訳者は「似ても似つかない物語だ」と云っているが全く同感だ。

 サンフランシスコの海を見下ろす公園の駐車場でぼんやり海を見下ろしていた主人公のクレアは、たまたま二人の男を目撃し、その後そのうちの一人とふたたび出会う。そのまま何事もなければそのままだったのだが、男が口の開いた鞄から落としものをしたことを注して、彼と言葉のやりとりしてしまったことが彼女を危機に陥れる。

 この男・エジソンは超A級の暗殺者で警察やFBIもその正体の分からなかった男であることが後で分かる。

 彼女は勤めている会社のすぐ近くで狙撃される。混雑した道なので誰かに突き当たられたために弾はそれて軽傷で済んだ。

 狙撃場所を捜査した警察はエジソンの犯行ではないかと疑うが、ある事実から、たぶん愉快犯の均衡と考える。

 ところが彼女が治療を終えて恋人(彼から求婚されたのだがそれを断ったことで物思いにふけっていたのだ。彼とは別れるつもりであった)と自宅に戻った直後に冷蔵庫に仕掛けられた爆弾で恋人が即死する。クレアはたまたま浴室にいたために軽傷で済む。

 ここで警察は彼女が狙われていると断定、彼女が何か知っているはずだ、とにらんで彼女から詳しい状況を聞く。そして彼女の目撃した二人の男と、戻ってきた一人の男の話からこれがエジソンの犯行であり、彼女はエジソンに狙われていることが判明する。

 その公園の近くで男が殺されており、エジソンの犯行と疑われていたところだったからだ。警察は直ちに彼女を極秘に警察の秘密の隠れ場所に隠し、厳重な警備体制が敷かれる。

 彼女を尋問し、彼女のそばについている警官は無愛想で押しつけがましい。この警官こそマルチェックという警部補でベトナム戦争のときに超A級のスナイパーであり、暗殺者だった男だ。エジソンに対抗できるのはこの男しかいない、と言うことで選ばれたのだが、クレアとはこどごとく対立する。

 ところがこの秘密の隠れ家が襲われるのだ。

 マルチェックは瞬時に内部情報が漏れていることを感じ取り、クレアと二人だけで逃亡することにする。いがみ合っている二人だが頼るのはお互いしかない。互いに強がっているが、それなりに弱みもあるのだ。しかもマルチェックには重いマラリアの持病があり、持ち歩いていたその薬を銃撃戦で失ってしまう。

 二人だけで極秘で行動しながら、マルチェックが唯一信頼する上司にだけ連絡していたのだが、マルチェックが病に倒れ、万事窮したクレアは警察に連絡する。だがそれで敵に居場所が筒抜けになり、二人は追い詰められていく。

 エジソンとマルチェックでは、策謀ではエジソンが上だが、暗殺技術そのものはマルチェックのほうが勝るようだ。だから著者はマルチェックにマラリアによる発熱というハンディをつける。クレアという足手まといと病気の二つのハンディをどう克服するか、誰にも想像のつくことで、またその通りにハッピーエンドとなる。

 ラストの攻防は緊迫感のあるシーンの連続だ。女流作家にしては戦闘シーンに迫力とリアリティがある。それに加えて止めどなく繰り出されるクレアの饒舌さは女流作家にしか書けないものかもしれない。ただクレアの軽口があまり好みでない人もいるかな。

 1990年に文庫に収められたから、書かれたのはそれより古い。何せベトナム戦争の英雄がヒーローなのだから。

2013年6月28日 (金)

牡鹿半島

U島君 君を含めて三人で東北旅行に行ったね。そのときに牡鹿半島の鮎川浜、と言うところの民宿に泊まったことを覚えているかい。港まで行ってあたりを散歩しただろう。鯨の歯や骨の細工品を造っている店を冷やかしたではないか。その後ずらりと並んだ土産物店も歩いた。鯨の肉を売っていただろう。漁港のすみのほうで鯨の肉のブロックを隠すように売っていたところもあったじゃないか。みんななくなってしまったよ。鮎川浜のあの交差点周辺の店や住宅はすべて跡形もない。民宿のあったあたりも草ぼうぼうでどこだか分からない。あの信号のあった橋のたもとを曲がって川沿いに山側へ少し入ったところのはずなのだけれど、辺り一面何もないのだ。

 想像していたことだけれど、絶句したよ。ただ民宿から高台は思ったより近そうだった。だから民宿の人たちはきっと助かっただろうと思う。

Dsc_0044民宿は画面の正面やや左のはずだ。木もすべてなくなったので見当がつかないけれど。

Dsc_0040君たちが岸壁でたばこを吸った場所からの景色だ。右手の大きな船は元々あのときも陸地にあった。そしてそこから左手にずらりと土産物を売る店が並んでいたのだけれど今は跡形もない。真ん中の高い建物は金華山フェリーのための建物だったと思う。今のその前はフェリーの発着所だ。桟橋しかないけれど。

Dsc_0023鮎川浜は牡鹿半島の先端に近いけれど、そこへ近くなるほど工事している箇所が多くなる。半分以上がまだ砂利道の状態だ。

Dsc_0025なぜなら道路がこんな状態だからとにかく舗装部分をすべてはがさなければならないのだ。ここは道路ではなくて展望台の駐車場だ。当然後回しということみたいだ。

Dsc_0012もちろん鮎川浜だけではない。海岸に面したところの住宅はことごとく土台だけになっている。今回は石巻から牡鹿半島、そして女川から気仙沼、と走ったけれど、すべて同じ状態だった。自然の破壊力のすごさを改めて思い知らされた。人間は無力だと感じたよ。

 

土産話をもって遊び行くからまた大阪で飲もう。

愚か

 市立習志野高校の生徒が同級生の左胸をナイフで刺して重傷を負わせた。理由は授業中に、ちぎった消しゴムを投げられたからだという。

 ちぎった消しゴムを授業中に後ろから投げられたら誰でも腹が立つ。問題はそのこととナイフで相手の左胸を刺し、殺人罪で逮捕されることのバランスの悪さだ。

 昔の任侠映画には、再三の嫌がらせに忍耐を続けた主人公が身内を殺されたり傷つけられたりしたことでついに堪忍袋の緒が切れて立ち上がり、相手に報復する、と言うパターンが多い。それは相手から受けた仕打ちと主人公の報復が等価であることを観客が了解しているおり、主人公の行為に共感して気持ちがすかっとするから成り立つ物語だ。

 これが消しゴムをぶつけられたから、と言う理由でドスを抜いて相手を刺し殺したら、馬鹿じゃないか、と思うだけで誰もそんな映画を見ようとはしないだろう。だいたい敵役は些細なことで過剰な暴力に出ることで自滅する、と言うのがパターンだ(ときに身内で挑発に乗って暴走するものが出る。たいていそのことで死んでしまう)。

 犯人の少年はこの敵役の愚かしさを自ら実行した。もちろん消しゴムを投げられたことより以前にいろいろな嫌がらせがあったことも想像される。少年なりの理があることだろう。

 だがそのことがすべて明らかになっても少年がこの犯罪、殺人未遂を犯したことで失ったものと、彼の怒りの解消とは全く見合わない。彼は一生元犯罪者という烙印を背負うことになる。家族は犯罪者の息子や兄弟を持ったことで迫害を受けるだろうし、本人は刑に服さなければならないし、出所しても就職が困難だろう。暗い人生しかないだろうと、その将来は誰でも想像できる。

 こんなことも分からないほど愚かなのだろうか。事件を見聞きするたびにその愚かさにあきれることが多い。

田舎はドコモ

 E-モバイルをドコモのモバイルルーターに変更したことは先日ここに書いた。今滞在している鳴子温泉地区ではE-モバイルはつながらなかった。田舎の温泉に行くと、都市部から離れているとつながらないことが多い。田舎で使うにはE-モバイルハムは向いていない。ただし都市部ではとても早いし快適に使える。都市部のビジネス用ならこちらの方が料金も安くておすすめだ。

 と言うわけで田舎の温泉でこうして快適にドコモのモバイルルーターでブログを流すことができることを確認した。

 昨晩は雨。今朝は山は下の方まで曇に隠れているが雨はやんでいる。朝風呂につかり、朝の冷気を浴びると快適だ。風呂場から見える庭に赤い皐月とピンクと赤の絞りのツツジが満開の様子が見える。雨に洗われてとても鮮やかだ。ただし皐月とツツジの見分けには自信がないので、両方皐月かもしれないし、両方ツツジかもしれない。または皐月をツツジと、ツツジを皐月と勘違いしているかもしれない、などと、どうでもいいことをぼんやりと考えた。

2013年6月27日 (木)

東鳴子温泉

 先ほど今回の湯治場所、東鳴子温泉に到着した。千葉からここまで約450キロ、それを地道で走り通した。平均時速50キロ弱、途中食事や休憩をしたので11時間近くかかった。くたびれた。

 今一風呂浴びてクーラーに当たっている。湯治場に素泊まりするので食事は出ない。幸い宿の周辺には食事をするところも飲むところもあるので不自由しない。一息入れたらちょっと夜の散策をするつもりだ。

 お湯は黒い。透き通っているけれど黒くて少し熱め。重曹泉だそうだ。24時間入り放題。さあ本格的に湯治をするぞ。

 鳴子温泉郷は七つとも九つとも云う温泉群で、たびたび泊まっている川渡(かわたび)温泉は一番東側、その次にあるのがこの東鳴子温泉、そして中心の鳴子温泉、と続く。そこから西へ少し高台に上れば、中山平温泉などいくつかの温泉がある。さらに鳴子温泉のまえの川を渡り北側に鬼首温泉などの温泉がいくつか散在する。ここは知る人ぞ知る東北屈指の温泉郷だが、やはりひところの温泉ブームは去り、何となく寂れ始めている気配がある。まあそれもまた風情の一つなのだ。

 東鳴子温泉は別名御殿湯温泉といい、昔は仙台藩主や岩出山城主の御湯として造られた。最寄りの駅は鳴子御殿湯駅である。

うらやましいに違いない

 鳩山元首相が(またまた)あろう事か「尖閣諸島は日本が盗んだものだと中国が主張しているが、そう思われても仕方がない」「尖閣諸島には領土問題が存在する」と公言し、中国から絶賛を浴びている。

 鳩山氏も鼻高々だろう。ただその後になっていつものように、そんなことは言っていない、などと言い出しているのでなんだか訳が分からない。

 ところで鳩山氏が日本人として、それも元首相としてはいかがなものか、と言う発言をしても、日本では非難されることはあるものの逮捕されたり身に危険が及ぶことはまずない。

 もし中国で、胡錦濤や温家宝が「尖閣諸島は元々日本の領土である」などと言ったらたぶん拘禁されるか少なくとも軟禁されて、場合によって身に危険が及ぶだろう。元国家主席や元首相でなく、普通の人でもそういう目に遭うかもしれない。

 中国人よ、日本は何を言っても良い自由な国なのだ。うらやましいだろう。絶賛するならそのことを絶賛したまえ。

2013年6月26日 (水)

デヴィット・ウィルツ(汀一弘訳)「我が故郷に殺人鬼」(サンケイ文庫)

 久方ぶりの海外ミステリー。海外ミステリーも好きなのだが最近読むことが少ない。全般に長いものが多いし、物語の山に入るまで、少なくとも100ページくらい読まないといけないものが多いので、気力がついていけない。情けない。ただ海外ミステリーの書き込みの偏執的なしつこさは日本のものにはない粘着度で、はまると読後の満足感は大きい。その点日本のミステリーはだいたい淡泊だ。

 一時期売れていた日本のミステリー作家の作品の10本分くらいが濃縮されて一冊に盛り込まれているのが海外ミステリーだと感じている。

 この本ではFBIで鳴らしたヒーローの捜査官が、ある事件をきっかけにFBIを退職し弁護士として生活を始めるために故郷に帰ってきたことで起こる連続殺人事件が語られる。

 冒頭にFBIを退職するきっかけの事件について語られていくのだが、主人公の本当の気持ちは分かるようで分からない。

 それが事件の経過とともに、一人息子との関係の中で次第に明らかになり、同時に息子の大人への脱皮と家族の再生が語られていく。

 だからときに著者は神の視点で、ときには息子の視点で物語を語る。

 登場人物たちはきわめて特異な人物が多い。しかし誇張されているとはいえ、田舎の町というのは外見は平凡でも実は住人はそれぞれ特色のある人物で構成されているのかもしれない。

 町外れに一人で住み、多くの町の男と関係を持ったと言われる寡婦が殺される。続いてやはり尻軽の若い女が殺される。さらにやはり若い女が突然姿を消す。それらの背景を知っている地元新聞の編集発行人で、主人公の友人が襲われ、植物人間になってしまう。

 最初は地元の警察の郷里よく要請を拒否していた主人公もついに事件の捜査に参画する。そこで明らかになっていく、知りたくなかったことが主人公を精神的に追い詰めていく。しかも犯人を何人かの容疑者から絞り込むことができなくなってしまう。

 そこで主人公は犯人に二重三重の罠を仕掛ける。そこには自らをおとりとして仕掛けていた。

 題名がやや軽いので内容を誤解しそうだが、全般に重苦しい展開で進んでいく。主人公にはもうちょっとプロらしくやれよ、と思うけれど、読後感は結構いいので許す。

 海外ミステリーを乱読していたときに読み残した本なので古い。奥付に昭和63年発行とある。そんな本が百冊以上あったが、読む可能性のないものはすでに処分した。

 ところで明日は早朝から東北へ出発する予定。やや天気が心配。

 そういうわけで次のブログは明日の晩になる見込み。

干物よ、おまえもか

 広東省で干物を製造していた漁業関係者が摘発された。

 使ってはいけない工業用の塩を使っていたこと、虫除けに殺虫剤をまいていたらしいこと、極端に鮮度の落ちていた魚や、養魚場で死んだ魚を使っていたことが摘発の理由だ。

 検出された殺虫剤の残留量は国際的な基準値をはるかに超えていたという。

 摘発された地区では魚の干物の販売が全面的に禁止された。その地域では同様の干物の製造が常習的に行われていたのかもしれない。

 しかし中国というのは食品に毒物を使うことに何の躊躇もないらしい。元々汚染されている海や川、土地などからとれた食品に毒物を添加していることになるわけで恐ろしい。

 まさかスーパーに並んでいる干物が中国産と言うことはないだろうなあ。

言葉尻

 相手の言葉尻をとって揶揄するのは品に欠けた行いとされている。それを承知で「国際麻薬乱用撲滅デー」という中国のニュースに笑ってしまった。

 これでは、麻薬は乱用しなければ問題ないように感じられる。乱用しなくても麻薬は医療用などの特定用途以外は撲滅すべきものだろう。

社長を軟禁

 北京にあるアメリカ系製薬会社の工場で、アメリカ人社長が従業員に軟禁されている、と環球時報が伝えた。

 この会社は操業を始めて10年、一部部門をインドへ移転することが決まり、その部門の従業員30名を解雇することになった。ところがこれが工場すべてが移転するので全員解雇される、と誤解され、多くの従業員が賠償要求を始め、ついに社長の軟禁にまで発展してしまった。

 こうしてチャイナリスクが増大する。新たな投資や企業の進出はますます抑制され、中国以外への移転が加速するだろう。軟禁されている社長は「今まで中国の雇用に貢献してきたのに」と嘆いているという。

 ところで軟禁しても中国の公安(警察)は動かないのだろうか。

 「ならぬものはならぬ」はずだが造反有理の国では従業員に「有理」と考えるのだろうか。

七月危機?

 中国の株が下がっている。短期的な現象かもしれず、それをもって中国経済が今後大幅に悪化する兆しだ、というのは言い過ぎではないかと思っていたが、実はかなり深刻な理由があると言うことが分かった。

 経済通の人にはなにを今更、と言われるかもしれない。表面的なことしか知らなかったので、シャドーバンキングという言葉を手がかりに少し調べてみた。

 中国では銀行から資金を借りられない企業が多数あり、ノンバンクや迂回融資で資金調達を行っている。貸し手は高利で利益を上げることができるし、借り手は資金を調達することが可能になる。

 中国政府はサブプライム問題のとき以来中央銀行に巨額の資金を投入してきた。だから市中に金がだぶついた状態が続いている。銀行に金は大量にあるが、さすがにリスクの大きな相手に貸すことはできない。しかし優良企業には低利で貸すことができる。その優良企業などが、低利で銀行から資金を借り、資金調達に困っているところに高利で融資して利ざやで稼ぐのをシャドーバンキングと言うらしい。融資先は地下銀行や市中金融業者だ。その金はさらにどこへ行くのか。多くが不動産投資に回っていると言われる。

 そしてここに地方政府が大きく関与している。地方政府は不動産開発で巨額の利益を上げて味をしめた。何しろ土地は公有財産だから二束三文で取り上げ、デベロッパーに売りつける。そして不動産開発、企業誘致などに金を注いでさらに利益を上げ、それが懐に入るのだから笑いが止まらない。

 しかし開発を続ければどこかで天井にぶつかる。金がだぶついているからいくらでも資金は調達できて金が金を産んできた構造に限界が来ている、と言われ続けてきた。

 中国の短期金融市場で銀行が資金を融通し合う銀行間取引金利が5%から数日のあいだに瞬く間に13%以上に跳ね上がった。資金調達に急ブレーキがかかったのだ。

 これがどのような結果を生むのかまだ分からない。

 中国政府は、今まではこのようなときには資金を投入して調整してきた。ところが今回は放置した。このままでは大手銀行の中にも資金破綻をするところが出ると噂が飛び、ようやく資金供給をしたので8%程度に収まったようである。

 この事態が中国株の大幅下落を招き、24日のアメリカの株価が200ドル以上下がった原因であることはニュースで報じられたとおりである。

 今回ぎりぎりまで資金供給が行われなかったのは習近平の指示によるとも言われている。地方、そして中央の共産党員がこのシャドーバンキングや不動産開発で巨額の利益を上げていることが腐敗の大本だと見なしており(地方での、年間20万件とも言われる争議がこの土地問題であると言われる)、ある程度のリスクを覚悟でその資金供給を絞ろう、と考えたのだ。その本気度を見て関係者が震え上がり、激震が走ったと言うことらしい。

 地方政府が抱える負債が収拾がつかないほど膨らんでいる、と言われ、その返済が本格的に始まるのが7月だとみられている。金が回ってこなければデフォルトする地方政府出るのは必至である。そうすると芋づる式に連鎖していき、ついには銀行の破綻にまで影響が及ぶだろう、と言うのが7月危機説の根拠なのだ。

 これは構造的にサブプライム問題とよく似ている。つまりリスクの高い投資にリスク分散する格好でいつの間にか巨額の投資が行われ、それが膨らんだ状態で導火線に火がついたように破綻する。今まさに中国バブルがはじけようとしているのかもしれない。

 これは最悪のシナリオを想定しての話だが、習近平もあまりの市場の反応に驚いていることだろう。このシナリオの修正に全力を挙げることになるだろうが、歯車は今までと逆回転し始めたように見える。弥縫策をとればとるほど破綻が大きなものになる恐れがある。

 生かじりのお粗末なまとめ方で、読みにくくて申し訳ない。

2013年6月25日 (火)

谷沢永一(たにざわえいいち:本名は谷澤栄一)

 しばらく谷沢永一の新刊を店頭で見ていないな、と思っていたら東日本大震災の三日前になくなっていたことを今日知った。うかつなことであった。

 谷沢永一は関西大学の名誉教授(国文学)だったが、歯に衣を着せぬ書評家として知られた。この人には「紙つぶて」という書評本で出会った。

 短い文章の中に簡にして要を得た批評を行った。書評ではこの谷沢永一と向井敏のものが博覧強記を尽くして良いものはよい、悪いものは悪いと断罪して最も優れていると思う。著者が有名がどうかはいささかも斟酌することはなく、大学者の看板を上げているのに内容のお粗末なものなどに対しての酷評はすさまじく、痛快であった。

 晩年は渡部昇一などと同様、現代日本についての批判や嘆きの文章が多く、マスコミからは右翼的なとらえられ方をしていた。言っていることにはおおむね賛同するが、だんだんヒステリックになっているように感じたので遠のいていた。

 友人だった開高健についての文章などはすばらしく、元々好きな開高健がさらに魅力的に感じるようになった。又、司馬遼太郎を高く評価し、そこからあるべき日本を論じたりしていた。

 書評のおもしろさ、厳しさを教えてくれたのは谷沢永一であった。遅ればせながら敬意をもって追悼したい。

高速学習とパクリ文化とサイバー攻撃

 なにやら三題噺みたいだが、すべて同根ではないか。

 高速学習というのは短期間で楽に学べる、と言うたぐいの学習法の中国式の呼び名である。無駄な勉強法があるように、効率的な学習法というのは確かにあるだろうが、CMで言うほど簡単でしかも楽に学べるなら誰でもそうするはずで、それは方法として定着すると思うがそうならないから、うたい文句ほどのことはないのだろう。 

 やはり学問はしっかりした基礎固めをしてそこに構築していかないと本物にならないし、応用も利きにくい。さらなる高みを目指すには裾野の広さが必要だろう。

 パクリ文化は中国の模倣文化のことだが、日本もその模倣文化の国でもあったので一概に非難はできない。ただオリジナリティを尊重し、合法的な模倣をすることが求められるのは当然だ。まねをするにはそれなりのベースが必要でもある。

 中国は世界の生産工場をうたい、海外企業を誘致してその技術を模倣し、パクリ商品を安価で販売する。追いつき追い越すためという言い訳の元に「高速学習」しているわけだ。

 しかしの最先端企業はその命とも言うべき技術の部分はもちろん秘匿するし、中国進出企業でその部分の部品の生産をするところはない。日本の自動車会社も9割は現地生産だが、本物のノウハウの部分の1割の部品は日本から輸出している。

 アメリカも中国も、北朝鮮までもサイバー攻撃を行っている。個人情報を勝手に収集している、とCIAの元職員が暴露したことが話題になっているが、これは中国のサイバー攻撃をアメリカが非難したことに対抗して仕組まれたものであろうことは誰にでも想像がつく。

 だが中国のサイバー攻撃は本質的に違う。明らかになっていることは、中国軍が、つまり中国国家が世界の有力企業に対してハッカー攻撃を行い、そのノウハウを盗み取っている、と言うことなのだ。

 これも中国の高速学習法らしい。

 中国は火薬や羅針盤、紙などを発明した国だ。基礎がないわけではない。ないのは国際ルールを守るのが当たり前、と言う最低の倫理意識だ。

 このような「違法な高速学習」で最先端に追いついたとして、その先にあるのは何か。基礎の裾野を持たずに新たな技術開発ができるはずがないではないか。こんな手法はそろそろもう通用しなくなるだろう。

人のことより

 アベノミクスへの期待から一本調子で上がり続けた日本の株価が、突然天井に頭をぶつけたように急落し、そのあと乱高下した。中国は、アベノミクスは張り子の虎で中身がない、日本経済は実体が伴っていないから上昇はない、と盛んにアベノミクスをこき下ろしている。

 その中国の株価がここへきて大きく値を下げている。さらに短期金利が高騰している。ホットマネーが中国から流失しつつあるらしい、などいろいろな理由が考えられているけれど、今はまだ分からない。だがこのように急激に短期金利が上昇すると、中国政府は中央銀行の介入で調整するのに、今回は傍観している。

 これは中国国務院(中国政府)が過剰融資をコントロールする意思を表しているのだそうだが、中国経済が減速する方向であるように見える。金融大手は2013年、2014年の中国の経済成長予測をわずかだが引き下げた。

 中国メディアは日本の経済を悲観的にばかり報道するより、自国の経済をしっかり分析して心配したらどうだろう。

2013年6月24日 (月)

信じられない

 韓国の起亜自動車が日本法人を設立して21年、一台も売れなかったので日本から撤退する、と言うニュースが先般流れていた。

 起亜のエンブレムをつけた車を日本で見ることはきわめてまれだけれど、全くないわけではない。だから一台も売れなかった言うのは信じられない。

 日本には在日韓国人を始め、韓国車の購入能力があり、購入するつもりの人間が一人もいないなどと言うことがあり得ようはずがない。まして韓国車に乗っていたら石を投げられる、などと言うことはない。売る気なら売れないはずがない。

 だからこれはガセネタだと思っていたのだが、中国のネットでこのことが取り上げられて話題になっているという。

 確か起亜より大きな自動車会社の現代(ヒュンダイ)が少し前に日本市場から撤退している。日本人は韓国の自動車をあえて買うことがないようだ。それだけ日本車のブランドが定着している。

 だがベンツ、BMW、アウディ、プジョー、ミニローバーなどは普通に日本の道路を走っている。ブランドの問題だけではないし、ブランドの問題でもあるのかもしれない。

 その韓国では日本車が優勢に販売されている。

 中国では韓国車の売れ行きが大幅に伸びている。中国のネットでは、韓国人が買わないものが中国ではよく売れている、なぜだろうと疑問が提示された。なぜだろう。

 車に詳しくないのにあえて言えば、やはりオリジナリティの問題と言うことになるだろうか。模倣(パクリ)の国、中国ではオリジナリティに価値を見ないのだろう。

話をする

 老母と話をする。母は発語障害なので会話ではなく、私だけが話す。普段私も一人暮らしなので必要なことを話すだけで会話はほとんどない生活をしている。だからだんだん会話が下手になっているような気がする。それでも何とか思いつつままに話しかけると、表情でおもしろいと思っているのか興味がないのかだいたい分かる。

 母はリハビリを受けているので「あ、い、う、え、お、」などと大きな声で発声練習をする。気のせいか、以前より音がわかりやすくなってきた。恥ずかしがらず、いやがらずに声を出している。

 心なしか足元の危うさも少しましな気がする。今日も散歩に出かけた。帽子をかぶり、杖をついて元気よく出かける。

 しかし残念ながら温泉には同行しない、と言う。

 ということで木曜日からは一人で東北に出かけることにした。

対中投資

 人民日報が、2012年の日本企業の対中投資は引き続き増加する傾向を示していた、と伝えた。日本企業は引き続き中国市場を重視しているとしている。昨年10~11月に日本企業にアンケートをとっても52%の企業が引き続き中国の業務を拡大すると答えたという。

 2012年の外資による投資は全体としては3.7%の減少だったが、日本の対中投資は16.7%も増加したとして今後も増加することを楽観している、と結んでいる。

 この数字が本当だとしたら、中国は楽観するどころか深刻に悩まなければならないのではないか。

 日本貿易振興機構が行った企業アンケートでは、2010年以降、中国に進出した日本企業の経営は一貫して低迷していると答えている。ほとんどの企業が人件費の高騰をその理由に挙げているが、去年後半からの反日デモと反日暴動による売り上げ低迷はそれに輪をかけているに違いない。

 対中投資が、他の国がことごとく減少したのに、日本だけが突出して増加し、全体としてプラスになっている、と報じられていたのは昨年9~10月頃であった。それは反日デモ、反日暴動以降、日本企業の対中実績が著しい低迷(たとえば自動車会社は軒並み3~5割売り上げが減少した)を始めたと報じられる前の統計値である。

 全体としての対中投資のプラスが、全体としてマイナスに変わったと言うことは、日本の対中投資が昨年後期に大きく減少したことを表しているのではないか。

 中国は楽観視しているのかもしれないが、日本企業は深刻に対中投資の今後について悩んでいるだろう。売り上げは徐々に回復している、とも言われるが、尖閣問題での中国の強硬姿勢が変わるとは思えない。いつまた昨年のような事態が起こるか分からないのだ。

 日本の対中投資は引き続き増加する、と言う報道はただの強がりか、中国の得意な、意図的な統計の読み方のマジックではないか。

 中国は日本との高官どうしの話し合いに応じる気配を示しはじめている。アメリカとの首脳会談の結果も手放しで喜べるようなものではなかったようだ。ヨーロッパとの関係もぎくしゃくしている。経済的な点から反日を放置するわけにはいかない状況に徐々になっていくだろう。

 ただし今回の報道のように日本を上から見下ろす姿勢は決して変わらないだろう。居丈高の時ほど実は妥協の潮時を見ているのかもしれない。

みんながそうだというわけではないだろうが

 韓国の済州島警察からの通報を受け、中国国家観光局が海外へ出かける観光客に対して、自らの行動を抑制し、現地の風俗習慣文化伝統、宗教信仰を尊重するように注意を呼びかけた。

 済州島では、中国人観光客のマナー違反どころではなく、法律違反がここ数年多発しているという。道路の無理な横断(中国ではこれが当たり前に見られる)、禁煙場所での喫煙、たばこの吸い殻やゴミのポイ捨て、公共の場所での大声、酒に酔って騒ぎ、それらのことからの地元民とのいざこざが頻発して、市民の強い反発を招いているという。大きな騒動にならないように済州島の警察が中国の観光局に注意するよう申し入れたらしい。

 たまたまこんなニュースが飛び込んできた。北京のカラオケ店で、酔った客が店内に放尿、店員が注意したことに腹を立て、騒ぎになったが、店の通報で駆けつけた警察官が介入し、その客と仲間は引き上げた。

 ところがしばらくして30名ほどの仲間を従えてふたたび店に現れると、店内を破壊しはじめたという。店側は30万元(約480万円)の損害となった。犯人は店の売り上げも奪い去ったという。

 最初に警察が事情聴取をしたときには犯人(こうなると犯人と呼ぶしかない)は「仲間の前でメンツをつぶされた、店員に謝らせようとしたが謝らない。店が悪い」と語っていたという。

 みんながこんな風に悪質なわけではないけれど、自分のやったことは棚に上げて注意した方を逆恨みする。すべて自分は正しく相手が悪い、と言う思考法は、毛沢東の「造反有理」の精神に根ざしているように見える。

 この精神構造は反日デモから反日暴動に発展した精神の働きそのものではないのか。これをすり込まれてしまった中国人は、自分に問題点があることに気がつくことができない。きつい言い方をすれば精神のかたわになってしまったのだ。みんながそうだというわけではないだろうけれど。

2013年6月23日 (日)

湯治

 持病の肩痛と左手の不調(手術した小指はどうにか良いのだが薬指がだんだん曲がってきて伸ばすと痛い。握力も旧に復さない)で不快な思いが続いている。

 急に思い立って今晩から実家に二三日滞在して母親の顔を見、それから湯治に何日か行くことにした。母親が同行するなら群馬県の老神温泉あたり。行かないというならいつもの鳴子温泉に行こう。温泉に行ったからといって改善はあまり期待出来ないけれど、気晴らしにはなる。

 そう思い立つと、もうこころがうきうきする。

江戸川乱歩「孤島の鬼」(創元推理文庫)

 およそ30年ぶりにこの本を読んだ。三回目だ。最初は高校生になったばかりの頃だったろうか。

 母方の祖母がミステリー好きで、作り付けのガラス棚に雑誌も含めてけっこうの数の本がしまってあった。山手樹一郎(これは時代小説)、木々高太郎、高木彬光、横溝正史、松本清張、江戸川乱歩の本などがあって遊びに行くと時々引っ張り出して読んだ。

 あるとき爺さん婆さんが一週間ほど旅行に行くというので、夏休みでもあり、小遣いもあてにして留守番をすることになった。暇に任せて手当たり次第に読み散らしているうちに、奥の方から黄色くなったわら半紙に印刷したような本を見つけた(戦後すぐに買った本だろう。もっと沢山あった戦前購入した本は空襲でことごとく焼けてしまった)。

 それがこの江戸川乱歩の「孤島の鬼」だった。夏だというのにやや肌寒い、雨の降る夜更けにこの本を読み始めた。年寄り二人の暮らす家なので何となく薄暗いし、暗がりの馬鹿に多い家なのだ。そのときに読む小説としてはあまりにもシチュエーションがはまりすぎている。

 朝になって読もうと思いながらページをめくる手を止めることが出来ずに一気に読了した。

 主人公は若いのに異様な姿をしている。三十前なのに全くの白髪なのだ。そのわけをいつも聞かれるのでその煩わしさに耐えられず、そうなった次第をまとめた文章がこの物語だ、と言う書き出しだ。しかも彼の妻は裸になると醜い大きな傷がある。そのわけもこの物語で明らかにされている。

 この物語はマトリョーシカ人形のような展開をする。それもふたを開けるとだんだん大きくなるマトリョーシカ人形みたいだ。

 まず主人公が恋仲になった女性が殺され、その復讐を誓った主人公が友人の探偵に調査を依頼したらその探偵が殺され、意外な犯人が分かりそうになるとその容疑者が殺され、と云う次第で、本来重要な役回りで最後まで物語に登場し続けるはずの人が次々に死んでしまう。それも密室だったり、衆人の見ている前などの摩訶不思議な状況で殺される。

 すでにちょっと書きすぎなのだが、前半途中までのことで、物語の興を著しく削ぐほどのことはないはずだ。

 ラストの舞台は横溝正史の「八つ墓村」に似ている。この舞台、だから私は好きなのかも知れない。どんな舞台かはあえて書かない。

 「八つ墓村」が横溝正史の最高傑作だと私は思っている。同時にこの「孤島の鬼」が江戸川乱歩の最高傑作だと私は思っている。それは舞台のせいも多分にある。ここまで書くとどんな舞台かすぐ分かってしまうが。

 巻末の解説で中井英夫がやはり江戸川乱歩の最高傑作はこの「孤島の鬼」だと書いていて意を強くした。乱歩ファンで同意する人はあまり多くないかも知れないが。

 そう言えば、先日岡山県津山に行った。津山と云えば津山事件を思い出してしまうし、八つ墓村を思い出してしまう。あっこれはこの間書いたか。 

規制を歓迎?

 中国政府は抗日ドラマを規制することになった。あまりにも粗製濫造が目立ち、荒唐無稽なものばかりになったことが中後国内でも批判されていた。こんなものをまともに見ているのは狂的な愛国反日の洗脳を受けてしまった一部の若者だけで(これが反日暴動の中心となったのかも知れない)まともな知能のある人はうんざりしていた。これではかえってマイナスと気づいた中国政府が規制しようと乗り出したのだろう。

 空を飛ぶ美人兵士が一撃で日本軍兵士を素手で打ち倒す、などという場面があるそうだ。

 このことはどうでも良いのだが、中国メディアが「日本のメディアが一斉に報じた」と伝え、「抗日ドラマの規制を歓迎している」と報じた。

 よく読むと朝日新聞が抗日ドラマの状況を伝え、この規制について報じたらしい。「日本のメディアが一斉に歓迎した」などと云うことは中国のニュースで知ったことで、連日テレビのニュースを暇に任せて眺めているのに私は知らなかった。中国にとっては朝日新聞が日本のメディア全体を見る基準らしい。

 新聞は読者を想定して記事を選んで報道する。朝日新聞が中国への迎合記事らしきものを書く傾向があるように見えるのも中国読者を想定してのことだったのか。

 ところで日本人で、中国の抗日ドラマが多いことに心を痛めていた人などいたのだろうか。そんな人など私は知らない。と言うことは抗日ドラマが規制されても、日本人がそれを歓迎することなどないわけである。朝日新聞は心を痛めていたのだろう。

統一を望まない理由

 作家で台湾の文化大臣の龍應台氏が「台湾人はなぜ中国との統一を望まないのか?」と題した文章を発表した。詳しい文章はそれを伝えるニュースを見て欲しいけれど、特に納得する部分を抜粋する。

 (台湾では)当局のビルは開放されていて、入館するときに衛兵に身分証明書の提示が必要ではない。手続きをするときにも受付番号を手に入れたら列の割り込みなども気にせずに良い。応対する公務員も威張ったり意地悪をしたりしない。もし対応が悪ければ市長を次の選挙で替えればいい。

 (台湾では)本を出版する場合、厳しい検閲や審査を受けることがない。当局の年度予算は公開されており、社会の厳しいチェックがある。不正が判明すれば関与した役人は処分される。

 (台湾では)大学の人事は教授たちの選挙で決まり、「えらい人のコネ」は関係ない。法律で人権は守られているから警察権力はおそれる必要はない。私有財産が補償されているから不動産を安心して購入することが出来る。入院するのに賄賂の必要がない。批判的な発言をしても逮捕されない。子供の受験に不正や不公平がない。

 この反対が今の中国という国だ。台湾人の誰が中国と統一を希望するというのか、と私もそう思う。中国人もこれを読めばそう思うだろう。しかし中国ではそんな事を言ったらそれこそ身に危険が及ぶだろう。

台湾の報道

 台湾が世界遺産新規登録の報道をした。ひとつは富士山の登録、ひとつは中国新疆ウイグル自治区の天山の登録、そして雲南省の棚田の登録である。

 富士山の新規登録については歴史的、文化的な背景を詳しく紹介した上で、審査員の評価も高かったと好意的に伝えている。そして富士山が近く台湾の玉山(昔日本領だったときに新高山(にいたかやま・3952メートルあり富士山より高い)と呼ばれていた)と姉妹山となることも伝えている。

 新疆ウイグル自治区の天山については、直接的にではないが、ネットユーザーの意見として「これで天山地区に民度の低い中国観光客が殺到して天山の自然が蹂躙されるだろう」という意見があることを伝えていた。

 台湾でも富士山の人気は高い。玉山は自然保護のために入山が制限されているが、富士山は誰でも登ることができることも好まれる理由だ。

 台湾を訪れる中国本土の観光客もますます増えているらしいが、天山のコメントを見ると韓国同様あまり歓迎されていないような気がする。

韓国料理の世界化事業

 李明博大統領の在任中に、夫人が主導、推進して韓国の農林水産食品省が実施していた「韓国料理の世界化」事業で、予算の流用、無駄遣いなどの問題があったと韓国監査員が発表した。

 大統領夫人の肝いり事業と言うことで2009年から2012年まで実施されて、最終年度にはその予算が325億ウオンに膨らみ、合計で931億ウオンが計上されたが、関係のない事業への転用や過剰見積もりが見つかったという。

 中には女優のブルック・シールズがスーパーでコチジャンを購入する写真を使って、彼女が韓国料理が好きでアメリカで話題なっている、と宣伝したが、そんな話題は現地で報道されたりしていなかった。そのような広報事業に巨額の予算が投入されていたという。

 毎年開催された「大韓民国食品大展」も韓国料理と関係の薄いイベントがかなりあったのだそうだ。

 正規の官僚ではない韓国の大統領夫人にそこまで予算を使える権限があるらしいことが驚きだが、そのことよりもまた引退した大統領の弾劾が開始される気配が見えるような気がする。韓国の歴代大統領は退任するとほとんどが弾劾訴追されて晩節を汚している。財閥との関わりが特に深い李明博大統領のことだから、叩けばほこりは誰よりも多いことだろう。

 権限があると身内が潤うこと、そして功成り名を遂げたものをみなでよってたかって叩くこと、これはほとんど韓国の病気だ。

2013年6月22日 (土)

本当だろうか

 中国共産党が、青海省チベット自治州の寺院に対し、
(1)今後ダライ・ラマの肖像を寺院に飾ることを認める。
(2)ダライ・ラマを侮辱しない(侮辱してきたことを認めているのだ!)。
(3)寺院で事件があっても軍や警察をみだりに送りこまず、寺院側での対処をまず認める。

との方針転換を通達した。

 一部の専門家は、習近平は今までの中国指導者と違い、チベットに対して強硬路線は採らないようだ、と分析している。ダライ・ラマも習近平の国家主席就任前に、「新たな指導者に期待する」と発言していた。

 チベットに対しての侵略的な統治の仕方は世界の批判を呼んでいる。宗教弾圧、そしてチベット語の教育を禁止するなどはもちろん、その文化的なことごとくを排斥してきたことに抗議して沢山の僧侶や若者が焼身自殺している。

 それが緩和されるのであればほんの少しだが明るい話題である。もちろん理想はチベットの独立だがそれは遠い将来のことだろう。

 しかし中国はいったん手綱を緩めて批判的勢力をあぶり出し、あとで再び弾圧する、と言うことを繰り返し行ってきた国だ(過去何万何十万の人間がこれで投獄の憂き目に遭い、命を失っている)。今回の方針転換がそういうものでなければ良いのだが。

映画「そして友よ、静かに死ね」2011年フランス映画

 監督オリヴィエ・マルシャル、出演ジェラール・ランヴァン、チェッキー・カリョ、ダニエル・デュバル。

 犯罪映画で色調が特にダーク、ハッピーエンドとは言えない結末。このような映画を私はフィルムノワールと呼ぶのだと思っているが、狭義の意味ではちがうかも知れない。

 アラン・ドロンやジャン・ギャバンなどの出演する映画にこのタイプがしばしばある。嫌いではない。この映画もコレクションに残すかどうか迷った。

 今は足を洗っている大物ギャングだったモモン(ジェラール・ランヴァン)は今は家族と平和に暮らしている。そんなとき幼いときからの親友でギャング仲間の一人だった、今は逃亡生活を続けているセルジュ(チェッキー・カリョ)が13年ぶりに現れ、警察に逮捕されたという知らせが入る。

 仲間たちはセルジュを助けよう、とモモンに声をかけるが、今の生活を考え、躊躇する。迷った末、自分たちがおとりになって警察を引き受け、セルジュの娘婿たちが実働部隊になってセルジュの奪還に成功する。

 なぜセルジュが13年も逃げ回っていたのか、モモンが問いかけるがセルジュは口を閉ざして答えない。ただモモンの嫌う麻薬取引に関わったらしいことはうすうす分かる。

 セルジュを追っているのは警察だけではなかった。麻薬組織のボスであるゼルビブも執拗にセルジュを追い求め、モモンの仲間が次々に襲われて拷問を受けたり殺される。

 セルジュが口を閉ざしている秘密とは何か。やがてモモンは悲しい事実を知ることになる。

 映画はモモンとセルジュの子供のときの出会い、そして銀行強盗や現金輸送車の強奪をしていた仲間たちとの若い日々が、現在の彼等の姿に重ね合わせて回想されていく。

 モモンの生き方には彼なりの美学がある。犯罪シーンは壮絶だがそれなりに美しい。フィルムノワールの魅力に満ちた映画だった。フランス映画も良い。

歴史認識

 中国や北朝鮮と同様、韓国も日本の歴史認識を問題にする。確かに日本では近現代史の教育をあまりにもおろそかにし続けた結果、日本がアメリカと戦争をしたという事実すら知らない若者がいるという。その指摘は頷けるものがある。ただし韓国の感情的としか思えない歴史認識というのが、歴史認識として正しいかどうかは大いに疑問である。歴史は事実であって善悪ではない。善悪は倫理か宗教の問題だ。

 その韓国の高校生の7割が、朝鮮戦争をしかけたのは韓国だった、と認識しているそうだ。朝鮮戦争中、そして戦後しばらくは、北朝鮮と韓国は互いに相手がしかけた、と言い張っていたので、真偽が定まらず、日本では社会党や共産党は韓国がしかけた、と言っていた。

 その後いろいろな事実からやはり北朝鮮が攻め込んだことが間違いない、と世界的に見なされるようになった。さらにソビエトが崩壊したあとに極秘だった外交文書が公開され、金日成、毛沢東、レーニンの間の手紙や電報のやりとりの記録から、金日成がソビエトの了解を受けて戦争をしかけたことが明らかになり、事実が確定している。これについてはその外交文書をまとめた本が出ており、日本でも翻訳されていて私も読んだので間違いない。

 それなのに韓国の若者がそれを知らないどころではなく、間違って認識している、と言うのはどう云うことか。正しい歴史認識を他の国に言う資格があるのか。ところでこのような間違った認識をするにはそれなりの理由があるはずだ。金大中ほか、かなり北朝鮮寄りの大統領がいた。そのときにマスコミ、政界などに数多くの北朝鮮シンパがもぐり込んだと言う(それより先にすでに沢山いたからこのような大統領が誕生したとも言う)。教育界にもそのようなシンパがいたのではないか。知らないのではなく、間違って教えられたのではないか。問題は案外根の深い深刻なことかも知れない。考えすぎだろうか。

迷い道

 中国メディアが日本について言及する記事はほとんどが、マイナス評価のものである。アベノミクスについては、見かけ倒しで中身がない、とこき下ろし、日本の株価が下がれば、それ見たことか、と嬉しそうに報じる。

 安倍首相が海外で外交活動を行えば、偏執的な価値観外交、と訳の分からない評価を下し、ことごとく中国敵視が目的だ、と被害妄想を書き立てる。さらに日本はどんどん右翼化し、軍備を増強していると誇大に言う。尖閣諸島の国有化は中国から日本が強奪した、と伝えてもともと日本が領有していた事実を隠し続けている。

 日本は技術が衰退しており、将来性はない、と決め付け、日本国民の生活はどんどん悪くなっていると言う。そうであって欲しい、と思っていることを、事実であるかのように書く。

 この様子を眺めていると、いじめられっ子が泣き出したとたんにわめき散らして回りにくってかかるのに似ている。昔いじめられっ子だった記憶がいまだに抜けきらず、自分が今はいじめっ子になったことに気が付いていないみたいだ。

 現状認識が正しくないと正しい判断が下せない。マスコミの役割は正しい現状認識のための情報を提供することにあると思うのだが、中国メディアはそれが分かっていないか許されていないようだ。

 あまりに国民を好戦的な気分にさせるとその矛先は体制に向かうおそれがあるのではないかと心配になる(内心期待したりする)。いくら反日が盛り上がり、日本と戦争をしたいと国民が思ってもまさか漁船に乗って日本に乗り込んでくるわけにも行くまい。だからといって軍隊として日本と開戦をしたくても、今の状態では大義名分が立たず、国際的に認められるはずがない。だから尖閣諸島では挑発を繰り返し、日本から手を出してくれることを願っているようだ。今日も領海侵犯をしている。今年、29回目だと云う。

 (特に日本について)間違ったことを報道し、真実を隠すという、中国マスコミの今の報道の仕方は国民を誤った方向に向かせているように見える。

 この頃そんな記事がやたらに目につくので一言。

映画「ハンガー・ゲーム」2012年アメリカ映画

 監督ゲイリー・ロス、出演ジェニファー・ローレンス、ジョシュ・ハッチャートン、ウディ・ハレルソン、ドナルド・サザーランド。

 あの傑作「ウインターズ・ボーン」で惚れ込んだジェニファー・ローレンスが主演した映画なので見るのを楽しみにしていた映画だ。ジェニファー・ローレンスは「ウインターズ・ボーン」でアカデミー賞にノミネートされたが惜しくも受賞を逃し、昨年この映画と「世界にひとつのプレイバック」に主演して、「世界にひとつのプレイバック」でアカデミー賞の主演女優賞に輝いている。

 こちらの「ハンガー・ゲーム」は残念ながらアカデミー賞の対象になるような映画ではなかった。家族設定が「ウインターズ・ボーン」に似ているのは偶然だろうが、ものがりのシリアスさではかなり劣る。もちろん物語が近未来か、別世界かの設定だから当然なのだが。

 一年に一度、12の地区から各2名、合計24人の少年少女(12~18歳)が選び出され、しつらえられた山中(実は人口のドーム内の山)で殺し合うというのがハンガーゲームだ。こんなものが実施された理由が映画の中で説明されるが、これは設定だから是非を言っても始まらない。これに妹が選出してしまい、代わりに志願したのがカットニス(ジェニファー・ローレンス)だ。

 出場する若者の中には以前も選出されて勝ち抜き、今度はみずから参加している者もいる。いわゆる生き残りをかけたサバイバルゲームなのだが、若者が殺し合うところなどは日本の「バトル・ロワイヤル」みたいだ。

 このカットニスという少女はなかなかそのサバイバル能力に優れ、不屈の精神を持っている上に反骨精神も旺盛で、魅力的だ。これ以上のストーリー紹介は映画を見る楽しみを損なうから止めておく。

 大統領役のドナルド・サザーランド(キーファー・サザーランドのお父さん)が不気味で傲慢なキャラクターを演じて映画に箔をつけている。

 過去にこのゲームを勝ち抜き、カットニスにアドバイスをするアル中のひげ面男・ヘイミッチ役がウディ・ハレルソンだとはラストクレジットを見るまで気が付かなかった。

 あまり評価していないように見えるかも知れないが、期待が大きすぎたせいで、映画としてはそれなりに面白い。ただ、もう一度見たいかどうか、となると・・・。

2013年6月21日 (金)

加藤隆則「『反日』中国の真実」(講談社現代新書)

 この本のページを開くと活字の濃度が高い。漢字が多いのだ。その上白い部分が少ない。本文280ページはほかの新書の350ページくらいの実感であった。読み始めから読了までに半月かかった(もちろんほかの本を並行して読みながらだけれど)。

 著者は読売新聞勤務で、現在中国総局長。あとがきで、記者生活を中国で全うしたい、とその覚悟を述べている。

 中国の政治状況を中国の上層部から末端の反日デモの参加者、さらにそれを批判する人に取材してそれをこの本で報告している。だから直接的な情報がたくさん盛り込まれている。

 もちろん直接情報の羅列では木を見て森を見ず、と云うことになるおそれがあるが、著者には確固たる自分の立ち位置があるので、反日の人とも、親日の人とも、さらに反日に批判的で、中国で特に目をつけられそうな(実はもっともまともな)人ともかなり突っこんだやりとりをしているようだ。

 メディア、特に新聞の存在意味についての著者の見解は正しい。日本の新聞が太平洋戦争時代に大本営発表をそのまま報道したり、国民の戦意発揚を扇動したことを良く自覚してそれを戒めるとともに、今の中国のメディアが、当時の日本のメディアと同じように愛国を唱え(反日を煽り)、一方的な歴史観のみを報道していることがよく似ていると見る。

 みずから中国内にたくさんある戦争記念館を訪ねてその展示品、そこに書かれた文言を読んで紹介している。ほとんど子供に見せられないし、見せるべきではないような残虐なものが多数並べられ、一回りすると必ず日本を憎みたくなるようなものばかりだという。そこを修学旅行で子供たちに見せているのだ。

 世界の戦争記念館との比較で、鋭い指摘をしている。ヨーロッパや日本、東南アジアの戦争記念館でも悲惨な展示がないわけではない。しかしそれは「だから戦争はしてはならない」という結論に導くためのものばかりである。ところが中国の戦争記念館は「これほどひどいことをした日本を打ち破ったのは中国共産党である。中国国民はその日本を憎み、再び中国に敵対する日本に勝たなければならない」という論調である。つまり日本を憎み、戦争をして勝つことが正義である、と入館した人々に刷り込むのだ。子供などひとたまりもない。

 この論理で軍備をひたすら増強し、日本が右翼化して軍国化しているのに対抗しなければならない、と云うのが中国なのだ。

 それが日中関係をどれほど損なっているのか計り知れない。そしてそれは日本と同様中国も深く傷つけている。日本は太平洋戦争時代に鬼畜米英と叫び、戦争に懐疑的なものや西洋の図書を持っているだけで「非国民」として犯罪者のように扱われた。

 反日デモのとき、日本車に乗っていただけで襲われ、日本製品を排斥するという行動はよく似ている。親日的であることは「漢奸(売国奴)」として断罪され、一斉に非難が集まり、身の危険が生ずる。

 つまり反対意見を唱えることを許さない空気という奴だ。あえて異を唱えれば身の危険を覚悟しなければならない。普通の人にはとても出来ないことだ。

 このことは言論が自由な日本にいては実感出来ない。中国人の置かれたその不幸がこの本でいささか理解出来た。この本ではそんな状況でも何とか日中関係を修復するための著者の考えが述べられており、希望の具体的な例がいくつか挙げられている。

 どうも文章がうまくまとめられずに半煮えになってしまった。申し訳ない。

映画「夏の庭」1994年日本映画

 監督・相米慎二、出演・三國連太郎、坂田直樹、王泰貴、牧野憲一、戸田菜穂、根本律子、笑福亭鶴瓶、寺田農、柄本明、矢崎滋、淡島千景。

 人の死に興味を持った少年三人が、一人暮らしの老人に目をつける。大人があの老人は先が長くない、と言っていたのを聞き、その死に方を見ようと、老人の家を覗くのだ。

 彼等は老人の行動を監視する。最初は彼等に怒りを向けていたその老人(三國連太郎)もいつの間にかそれに慣れてくるとともに彼等を雑用に使い出す。それを面白がった子供たちは、いつしか草ぼうぼうの庭の草を刈り、濡れ縁を補修、屋根のペンキを塗り直したりする。

 そうして老人との話を楽しむようになっていく。子供たちの一人は家庭に悩みをかかえている。そのことから虚言癖があるのだがほかの二人はそれを理解し、とがめない。その子が老人になぜひとりでいるのか、家族はないのか、結婚しなかったのか。と問いかける。やがて老人が昔結婚していたこと、そして戦争で経験した忌まわしい記憶まで聞き出すことになる。

 子供たちはそれにショックを受けるが、老人から聞き出した女性の名前を手がかりに彼女を探し始める。

 原作は湯本香樹実の「夏の庭 the Friends」である。この原作はその本が新潮文庫の文庫本で出た頃に読んだ。とても感動した。とても良い小説なのだ。今でも探せば店頭にあるはずなので、是非一読をお勧めする。薄い本で子供でも読めるやさしい文章だが中身は濃い。

 この本が原作かも知れない、と思ってこの映画を見たのだが、原作と映画は当然ずいぶんちがう。良いところ、悪いところの両方があった。

 最初、死んだようなうつろな老人の目が次第に生気を取り戻していくのがありありと分かる。これは本を読んだときには見えなかったもので、三國連太郎の演技のすごさだろう。

 そして最後の方で、半分呆けている老女(淡島千景)が30年の歳月を飛び越えてしまう姿が素晴らしく、思わず胸が熱くなった。こんな場に立ち会った少年たちは何と云う貴重な体験をしたのだろうか。

 草を刈り、そこに撒いたコスモスが一面に花を咲かせている中で少年たちが見る幻想的なシーンがラストなのだが、ここは作りすぎだと思う。ほかにいくつか映像を作りすぎているようなシーンがあった。それを楽しむ、という見方もあるけれど、この物語に関しては私は不要に感じた。

 原作が素晴らしい上に、この映画では俳優も素晴らしいので文句なしに満足した。苦言はあえて述べただけである。

 亡き三國連太郎と寺田農に哀悼を捧げる。

池上彰「池上彰のニュースから未来が見える」(文春新書)

 「週刊文春」に連載しているコラムの2011年から2013年にかけての分をまとめたものだが、体裁を整えるためにかなり加筆修正をしたという。

 とにかくそんな事は知っているよ、とつい言いたくなるほどこの本は特に基礎的なことから書かれているのでとても分かりやすい。知っているつもりのことでもその関連性を含めて、池上彰の世界を俯瞰する視点から説明されるとまた理解が深まるというものだ。

 池上彰の本は次々に出版されるしテレビ番組も頻繁にあるのだが、またか、と云う気がしないのは、こちらがザル頭で、前に聞いたり読んだりしたことを忘れているからかも知れない。だから繰り返し触れて少しずつ自分の視点を高見にあげていくことが必要だと思っている。そうしているうちにいろいろなニュースの意味をより深く理解することが出来るかも知れない、とひそかに心に期しているのだが。

映画「バトルシップ」2012年アメリカ映画

 監督ピーター・バーグ、出演テイラー・キッチュ、浅野忠信、リアーナ、リーアム・ニーソン。

 うーん、面白かったのは面白かったのだけれど・・・。

 何だか姿を変えた西部劇を見せられたような気もする。アメリカ人にとってインディアンは倒して駆逐するのが当然の敵として描かれていた。ドイツ軍も日本軍も悪の存在とみなして戦った。朝鮮戦争では北朝鮮軍と中国義勇兵、ベトナム戦争ではベトコンは倒すべき敵だった。そしてアフガニスタンでもそのように戦った。

 しかし自分が正義で相手が敵だ(つまり倒すべき悪の存在)、と云う信仰がベトナム戦争あたりから揺らいできた。それはそうだろう。本当に自分は正しい戦いをしてきたのか、という疑問を、映画は映画なりに「ディア・ハンター」などをはじめ、色々な形で見直すようになってきた。よく考えてみれば空襲、と云う一般市民を無差別攻撃する攻撃法や、原爆が心の中に罪悪感をもたらさなければ人間ではない。

 戦争はどちらかが一方的に正しい、と云うものではない。それがようやく分かってきたから何とか戦争を起こさないことに世界は心を砕くようになってきたのだ。

 前置きが長くなったが、だから絶対的に人類の敵がいれば、それを打ち砕くのは絶対的に正しい。そのような敵があれば、アメリカは心おきなく戦うことが出来る。地球を侵略しようと襲ってきたエイリアンを倒すことは人類にとって全く迷うことのない正義だ。

 これに命を賭け、犠牲を払い、勝利する。これほどの名誉があるだろうか。

 インディアンを倒した騎兵隊が勝利に胸を張ったのと同じなのだ。

 こんな理屈は理屈として、SF的にも突っ込みどころが多い。地球とよく似た惑星の存在が見つかり、ハワイから強力な通信波を発して人工衛星で増幅してそこに送るというプロジェクトが実施された。敵はその信号で地球の存在に気づき、そこから飛来した、と云う設定である。

 しかし、太陽系に最も近い星でも数光年の距離がある。プロジェクトが発足して間もなく敵が飛来したとなると、まずその星に通信が届くまでに少なくとも数年かかるはずだ。それから敵が飛んできたというのなら時間を遡ったうえに光速以上のスピードで飛んできたのだろうか。まずそれがあり得ない。

 それとエイリアンがハワイの通信波発生装置を乗っ取り、自分の星に通信を送ろうとする(自分の通信用の宇宙船が事故で失われたからだけれど)が、そこを破壊してそれを阻止しようとしているけれど、それより増幅用の衛星を破壊する方が早いと思うけれど誰もそれを思いつかないのも不思議だ。

 また理屈を言ってしまった。

 浅野忠信が格好のいい役割で出ている。こう云う映画をいくつも見ていると、アメリカ人の日本に対する印象は良くなるだろう。残念ながらこの映画はアメリカでは不評だったらしいけれど。

 二億ドルもかけた映画で、日本では大ヒットだった。世界中でけっこうヒットしてだいぶ利益も出たらしいが、映画評論家からは酷評されたという。確かに主人公のキャラクターを説明するための出だしの部分はうんざりするくらい陳腐だ。

 私もあまり好意的に書いていないけれど、ただ時間つぶしに楽しむには文句なしに楽しめる。文句を言わなければ。

2013年6月20日 (木)

豆腐の味

 子供のときから豆腐が大好きだった。母に聞くと、小さいときに豆腐屋の裏手の家に住んでいたという。そこのお婆さんにかわいがられていたので(私が、ですよ)朝から晩まで豆腐づくりを眺めて過ごし、毎晩のようにかたちの崩れて売り物にならない豆腐をもらい、おからの売れ残りをもらって食べていたという。それでも毎日「おいしい」と言って機嫌良く食べていたそうだ。

 その頃父は失業し、母は競輪場にパートで通っていたからそうして面倒を見てもらうしかなかったのだ。母はもともと結婚前は銀行に勤めていてそろばんが得意だったから競輪場の計算係をしていたという。

 だから豆腐は私の体の一部だ。

 その私がこの頃ずっと豆腐がうまいと思えなくなっていた。やはりスーパーの豆腐はうまくないのか、と思っていた。旅先で朝、出来たてのおぼろ豆腐などを食べるとそのうまさに感激するのに。

 あるとき、豆腐は冷たくしすぎるとおいしくない、と云う話を聞いた。そう言えば冷や奴の味こそ豆腐の味、と思っているから豆腐のうまいまずいは冷や奴の味のことでもあり、いつも氷に浮かべて冷たくして食べていた。

 そこで冷たくしないで食べてみたら、あら不思議、同じ豆腐か、と思うほどスーパーの豆腐でもうまい。ちゃんと豆腐の味がするのだ。豆腐は冷たくしすぎると味が分からなくものらしい。新しいものを冷たくしないで食べる、これが一番。

 今晩はその冷や奴と鮪の切り落とし、椎茸のあぶったもの、レタスのイタリアンドレッシング和え、鶏の唐揚げ等々で一杯。梅雨のうっとうしさを吹き飛ばそうと思っている。豆腐を見て豆腐の味のことを思い出したので一筆。

養老孟司「こまった人」(中公新書)

 たまたま久しぶりに手にとって読み始めたらそのまま最後まで読んでしまった。再読である。物理的に全部読むのが不可能なほど本を積んでいるのについ再読してしまう本がたくさんある。時間があと五十年ほど欲しい。でもそのときにはまた新しい本を買ってしまうからキリがないけれど、永遠に生きるわけにもいかないし・・・。

 この本で繰り返される言葉「それとも私がボケたのか?」の意味がこの歳になるとよく分かる。帯にも書かれているけれど、こんな当たり前のことがどうして通じないのかと思う。しかし同時に私もそう思われているだろう、と云うことだろう。

 人間が、特に日本人が自然と乖離してしまったことが人間そのものをおかしくしてしまったというのが先生の持論である。なぜなら人間はそもそも動物であり、人工物だけに囲まれていることはそれこそ不自然だからである。だから自然に囲まれた田舎と人工物ばかりの都会とを半年交替で参勤交代する暮らしを本気で提唱しているのだ。

 虫を見ると悲鳴を上げ、蝉やトンボにも触れない子供、と云うのは間違いなく異常だ。先生の言う通り、子供は人間としては自然物に近い存在のはずだからである。テレビで見るばかりでは無く、身の回りでそのような子供を見ると私は母親の顔を見る。子供を人工物にねじ曲げて育ててしまい、とくとくとしているそのような母親がどれほど子供に対して罪が重いか、と思うが、そんな事は決して気づかれることはないだろう。

 さいわい息子と娘は小さいときから時々山野に連れだしていたし、ツクシやセリ採りもした。釣りにも連れて行った。だから魚をさわるのも平気だし、餌のゴカイやイソメも普通にさわれる。虫など当たり前につかむ。中国ではサソリの唐揚げを平気でぱくついていた。

 だから虫がさわれない子供を見るとそのことに怒りさえ覚える。もちろんその子供に対してではない。土にさわることも出来ない子供さえいるという。どろんこ遊びも出来ない子供など子供とは言えない。

 話が自分の思いばかりに走ってしまったが、そう思うから先生の言うことにいちいち同感する。特に先生は虫好き、と云うかセミプロだから、虫についての論文も書いているほどだ。その先生に言わせると、ヨーロッパの森は虫が少ないし、目新しい虫に出会うことがほとんどないという。知られているようにヨーロッパには自然林がほとんどない。

 日本はそういう意味でまだ自然が残されている。それを人工的な自然に置き換えようとすることがいかに偽善的で愚かなことか、先生に教えられた。林の木を切り払い、公園を作って木を植える、などというのは愚行そのものだ。過疎化が進んでいる今、先生の言う参勤交代方式での田舎暮らしは真剣に考えてもいいことではないか。それが里山、と云う自然を残すことにつながるし、ワークシェアリングともなる。収入は減るかも知れないが、生活は豊かになるのではないか。

 もちろんそういう生活を豊かだと感じなければ始まらない。そう考える人が絶滅しない前に手を打って欲しいと思うが夢に終わりそうだ。

 本の内容とほとんど関係ないことばかりで申し訳ない。

映画「ライアーゲーム 再生」2012年日本映画

 監督・松山博昭、出演・松田翔太、多部未華子、濱田マリ、要潤、小池栄子、船越英一郎、高橋ジョージ、芦田愛菜、渡辺いっけい、江角マキコ。

 「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」と設定は同じだが、物語として続いているわけではなく、新たな投資者によるゲームの再開と云うことだ。今回のゲームは椅子取りゲームなのだが、ひとつずつ減っていく椅子をどれにするか、それを決める人間を投票で決める、と云うルールである。細かい設定は映画を見てもらいたいのだが、ただの椅子取りゲームの単純さとは全く違ってかなり複雑な駆け引きがある。

 これも仲間を増やすことがポイントであることはすぐ分かる。しかしそこにそれぞれの思惑や情がからんでけっこう奥が深い。

 今回のヒロインは多部未華子。私は彼女が今一番可愛いと思っているのでトイレ(未華子さん、ごめんね)に彼女のピンナップを貼っている。

 あの秋山深一(松田翔太)は篠宮優(多部未華子)の大学の心理学の講師。篠宮優がライアーゲームに招待されて相談を受けるのだが、そのときは冷たく突き放すものの結果的にゲームに参加する。

 参加者は三つのグループに分かれる。そして当初秋山深一のグループが優勢にゲームを進めていくように見えるのだが、仲間の裏切りで一気に劣勢に追い込まれてしまう。

 篠宮優があまりに頼りなくてはらはらする(というよりややいらつく)のだが、逆にその頼りなさを利用して秋山深一が罠をしかける。

 ラストの意外性は楽しめる。ただし映画としては前作の方が出来が良いように思う(未華子ちゃん、ごめんね)。

 新興宗教の教祖の役で船越英一郎が怪演している。でも私はこの人、あまり好みではない(というか嫌い、嫁さんはもっと嫌い)。しゃべり方が特に気に入らない。まあこの映画はそれなりで問題なかったけど。 

映画「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」2010年日本映画

 原作・甲斐谷忍(漫画)、監督・松山博昭、出演・戸田恵梨香、松田翔太、鈴木浩介、吉瀬美智子、渡辺いっけい、田辺誠一、濱田マリ、永山絢斗、松山雄基。

 漫画原作の人気テレビドラマを映画化したもの。だからドラマを見ていたひとにはそれぞれの役柄の性格設定などはお馴染みなのだろうけれど、初めて見ると最初はやや戸惑う。しかしよくできているから設定は呑みこみやすい。

 小さな孤島に呼ばれ、一億円単位で金が動くというゲームに参加した人々が欲望をむき出しにして互いに相手をだまし合う。

 この物語では「エデンの園」、と云うゲームが争われる。ゲームの詳しいルールは映画を見て欲しいが、簡単に言えば各人がゴールドの林檎、シルバーの林檎、赤い林檎を選んで投票する、と云うものだ。基本的には全員が赤い林檎を選ぶことが原則で、全員が赤い林檎を選べば全員にポイントがつく。ところが裏切ってほかの林檎を選ぶとたちまち赤林檎を選んだ人間はマイナスとなり、裏切った人間にポイントが加算される。裏切りが多い場合は数の多い林檎を選んだものに加算され、負けたもの(ゴールドが多ければシルバーを選んだもの)はマイナスとなる(もちろん赤もマイナス)。さらにいくつか付帯ルールがあり、それがとても重要だが、それを詳しく話すと映画の楽しみを損なうので止めておく。最初のルール説明を聞き逃さないようにして欲しい。

 みんなのためを思うか、自分だけが得をするか、と云う選択が13回繰り返されていくのだが、もちろん欲望むき出しのメンバーの全員が一致することはあり得ない。たちまちグループ化が行われ、その数が競われる(数が多ければ当然ポイントが稼げる)のだが、付帯ルールを利用して虚々実々の駆け引きが行われ、秘かに裏切るものも当然現れる。

 最終勝者にはなんと50億円が与えられる。そして5億円以上のマイナスをしてしまうと退場になり、ゲームから外されて負債だけが残る。

 神崎直(戸田恵梨香)はほかのメンバーと異色で、常に全員に赤林檎を選択しようと呼びかける。彼女だけは裏切らない、と全員が認めている。しかしメンバーは彼女に賛同するふりをしては裏切りを繰り返す。そして彼女をあざ笑う。そして天才的な頭脳と冷静さで全体を徐々に支配していくのが秋山深一(松田翔太)だ。しかし彼を上回る陰の人物がいた。

 ひとより賢いと過信して、他人を裏切ったあとにだまされた者をあざ笑うような人物はたいてい間抜けだ。他人の心理を読み、付帯ルールで許されるぎりぎりのトリックを駆使してだまし合うその駆け引きがこの映画の面白さだ。

 まことに面白くて楽しめた。良くこんなことを考えつくものだと感心する。映画の出来としては上等だと思う。

2013年6月19日 (水)

謡曲集を眺める

 高校生のときに古典と世界史が苦手だった。今と比べて当時は人並みの記憶力があったから、なぜそんなに苦手だったのか分からない。

 自分以外に理由を求めれば先生が悪い、と云うことになる。この二つの授業は聞いているだけで苦痛になるような、眠りを誘う授業だった。先生は教えることにも教えている内容にもまるで魅力など感じていないように見えた。つまらない連中につまらないことを、仕事だから仕方なく教えている、と感じていたのは私だけだったのだろうか。

 もちろんそれと正反対の授業をする先生もいて、そういう授業はみな熱が入り、楽しかった。先生によってずいぶん結果が違う。

 でも古典はたぶん面白いものに違いない、と云う気はしていた。だから今昔物語集や宇治拾遺物語を図書館で借りて面白そうなところだけ拾い読みしたりしていた。芥川龍之介にはまっていた時期でもあった。

 そんなとき、謡曲の「隅田川」を少し分かりやすくしたかたちでまとめて、それを評論している文章に現代国語の教科書で出会った。梅原猛だったのか誰だったのか、記憶が定かではない。シテの狂女が千鳥を指して都鳥と云い、「伊勢物語」で有原の業平が詠んだ句、「名にしおはばいざ言問わん都鳥わがおもう人はありやなしやと」をあげて、さらわれた我が子を尋ねて都からはるばる東国にやってきた胸の思いを語るところに感動してしまった。

 云うまでもなく「伊勢物語」では想う人は恋人である。しかし「隅田川」では行方不明の我が子への母の思いだ。

 今、本棚には数が少ないものの小学館の「日本古典文学全集」が何冊か並んでいる。もちろん「今昔物語集1~4」「宇治拾遺物語」そして「謡曲集1~2」もその中にある。

 昨日の晩、久しぶりに「隅田川」を眺め、修羅物といわれる一連の平家の武将の物語、「実盛」「敦盛」「忠度」などを眺めた。不勉強が祟って、読む以前の眺めることしか出来ないことを後悔していたら、何だか眠れなくなってしまった。

 謡曲には亡霊が登場する。亡霊とは時代と空間を越えた存在のことなのだと思ったりした。

熊掌(ゆうしょう)

 内モンゴル自治区満州里の税関で大量の熊の手が押収された。ロシアから中国に密輸しようとして、予備タイヤの中などに隠して持ち込もうとしたものでその数はなんと213個もあった(なぜ偶数ではないのか、右手だけだったのだろうか)。この件は、もなさんのブログ(アラフィフの海外で節約生活)に写真入りで詳しい。

 熊の手は熊掌料理として中国では有名で、満漢全席などの一品として供される。もともとは宮廷料理だろう。西太后なども食べたらしいが、あまり好みではなかったようだ。強いものを食べると自分も強くなれるのではないか、と云うのは古代からの人間の思いだったからこんな料理が食べられたのかも知れない。食べるまでとても手間のかかる料理だと物の本で読んだ。

 そもそも一般の人が食べるような料理ではないし、簡単に手に入るものではなかったはずだが、それが今では御馳走として金さえ出せば誰でも食べられるものになっているらしい。需要があるからこんな密輸密猟をする輩が出てくるのだ。

 強壮剤として中国ではサイの角を珍重する。そのためにサイが絶滅するおそれがあるという。

 昔北海道に出張する機会が多かったときがあり、熊や鹿、トドの肉などを何度か食べた。部位にも寄るが、鹿は馬よりうまかった。熊はちょっとクセがあるが食べられないことはない。トドはクセがありすぎてあまりおいしくなかった記憶がある。

 熊も内臓や肉など、全て食べてあげればまだしも、手を取るだけのために殺されたのではあまりにも無惨だ。こんな料理がもてはやされるところに中国人のおごりを感じてしまう。

2013年6月18日 (火)

映画「麒麟の翼」2012年東宝

 原作・東野圭吾、監督・土井裕泰、出演・阿部寛、新垣結衣、溝端淳平、中井貴一、松坂桃李、三浦貴大、劇団ひとり、田中麗奈。

 よろよろしながら日本橋の欄干にもたれかかった男がそのまま倒れるのを目撃した警察官が駆けつけると、その胸にはナイフが刺さっており、そのまま男は事切れた。間もなく駆けつけた刑事たちにより、犯行現場は江戸橋の地下道で、そこから瀕死のまま歩いてきたことが分かる。

 間もなく緊急手配の警官が不審な若い男を発見し、職務質問をしようとすると逃げ出す。道路に飛び出したその男は車にはねられて意識不明となる。その男の持っていた鞄などが被害者のものであることが分かり、警察は男を犯人として裏付け捜査を始める。

 いくつかの疑問点や被害者の行動に不審を抱いた日本橋署の警部補加賀恭一郎(阿部寛)は独自の捜査を開始する。

 この映画を見ていないひとは絶対に見るべきである。面白いし感動する。ここから先は全て物語を楽しむために知らない方が良いことばかりなので紹介はここまでとする。こんな警察官が多ければ冤罪はなくなっていくだろう。

 東野圭吾の本は全く読んだことがない。だから好きでもきらいでもない。なぜ読まないかというと、たぶん読み出したら次々に読みたくなりそうだから。この映画を見てもたぶんその考えに間違いはないと思われる。そのようにしてあえて読まない作家が何人かいる。それでいいのだ。

 繰り返すが実に面白い映画なので見ていないひとは是非どうぞ。

民度

 民度とは、ウィキペディアによれば「特定の地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟の程度を指すものだが、明確な定義がなく、あいまいに使われる言葉である」。

 中国では反日的な言論がもっぱらだが、この民度だけは「日本の方が高い」というのは誰にも認めざるを得ないことらしく、一般的な認識だ。東日本大震災での日本人の姿にそれを強く感じたことも大きいだろう。

 だから中国で「民度など語るのは意味のないことだ」と云う主張が話題になるのもそういう背景がある。「中国には14億人もいるから生きていくのが大変である。民度など何の役にも立たない」と云い、「みんながカンニングしているときに真面目にテストを受け、みんなが悪いことをしているときに正義を貫いて、高い民度を誇っても貧乏になるだけだ。金持ちは嘘偽りで生きてきて金持ちになった」と続けている。

 これに対する反論もたくさん寄せられている。賛同する人もいるが、正論として、やはり民度は大事だ、と云うものが多い。人口の多さと民度は関係ないだろう、と云う反論もあり、その通りだと思う。中国には民度などと云っていられないほどの生活のきびしさがあったことは事実だろう。しかし今中国は豊かになりつつあるのではないか。それなら民度を取り戻す、または高めるべきときではないのか。

 この「民度など役に立たない」という主張をした人は、実は中国人の民度が低いことを誰よりも嘆かわしく思っている人のように感じた。

含有量

 ニューヨークでアジアからの移民の血液調査を行ったところ、中国本土からの移民にカドミウム、水銀、鉛などの重金属の含有量が高いことが分かったという。これらの重金属は、いったん体内に取り込まれるとほとんど排出されないため、中国本土で取り込まれたと見られている。

 中国では土壌汚染が進んでいると云われ、カドミウムなどに侵されたカドミウム米が流通しているとも云われる。中国政府は全国の土壌の汚染状況を調査してその統計資料があるはずなのだが、その公開を訴えた研究者たちに対して、「国家機密である」として公開を拒否している。

 昨日、中国のピータン製造をしている食品会社が摘発された。ピータン製造に工業用硫酸銅を使用していたことが判明したからである。ピータンはアヒルの卵を灰の中で二ヶ月ほど熟成させて作る。しかしこうして自然に熟成させて作るのは時間と手間がかかるので凝固を促進させる目的で一酸化鉛を使うことがあり、そこから鉛が人体に取り込まれる危険があるために問題視されていた。

 ところが硫酸銅をその代わりに使うとさらに簡単に熟成させることが出来るのだという。しかし工業用の硫酸銅には不純物が含まれている。鉛やカドミウム、水銀などである。これを食べることで重金属が体内に取り込まれ、非常に有害だ、と云うことで摘発されたのだ。

 こんなに簡便にピータンを作る方法がこの食品会社でだけ行われていたのがどうか。中国は模倣の国である。何処かのノウハウはたちまち伝えられていく。工業用の硫酸銅ではない何かそれに変わるものが使用されているかも知れない。

 日本で食べられるピータンは中国から輸入されているものが多い。あの独特のアンモニア臭と硫化水素臭は癖になるうまさであり、私も大好きなのだが、こんなものが使われているとは知らなかった。しかしさいわい好きだと云ってもそれほど食べる機会がないからその量は知れている。中国人でピータン好きの人は今頃青ざめていることだろう。

 中国人は化学物質汚染の人体実験場の実験動物のようなイメージがしてきた。金持ちはますます輸入食材を購入して食べるようになるだろう。貧乏人は中国産の食べ物を食べ続けざるを得ない。

2013年6月17日 (月)

情けない

 昨日、新大久保のコリアンタウンで騒ぎがあったらしい。今までも右翼が数十人、週末にここでデモを行っていたのだそうだが、今回は数百人に増えた集団が街宣車を先頭にして威嚇的なデモを行ったという。

 ニュースで報道されたのだろうか。このことを知ったのは中国のメディアの記事である。だから何処までの規模だったのか、記事の通りかどうか分からない。しかし日本のマスコミがこれを大々的に取り上げないで無視し、煽るようなことをしていないとすればそれは見識である。

 この集団は、22日に「全日本反韓デモ」の開催も予告しているという。

 韓国の反日デモを真似したようなこのような行動を目の当たりにすれば、一般の日本人は恥ずかしいという気持ちがするだろう。これでは韓国の異常な、狂気とも言える反日行動を非難することなど出来ない。

 

 そもそも新大久保の人たちは非難されるべき何も悪いことをしていない。韓国や朝鮮半島の人だと云うだけである。それに対してこのような恫喝を加えるなどと云うのはあるまじきことである。情けない気持ちがする。

陰謀説

 元CIAのスノーデンという人物が、CIAが個人の情報を秘かに収拾していたことを暴露した。

 アメリカが秘かに世界中の電話やネットを盗聴し、キーワードに引っかかったものをピックアップしているというのは、映画やドラマで繰り返し描かれており、実際にそういうことはあるだろう、と云うことは誰しも感じていたことだろう。

 だからそれが事実だったという告発は、やっぱり、と云う受け止め方をされている。

 だがこの告発のタイミングが問題だ。アメリカのオバマ大統領が習近平との会談で中国のサイバーテロ攻撃を非難した、と云われるまさにそのタイミングに合わせたような告発だったからである。しかも当のスノーデン氏は香港にいるのだという。香港は中国である。

 アメリカ議会は中国のサイバーテロを非難決議するとともにそれに対する制裁を提案するところであった。その矛先が鈍ったことは間違いない。

 この告発がスノーデン氏の正義感から出たなどと思う人はほとんどいないと思う(中国人は別だが)。ではスノーデン氏の告発にはどんな目的があったのか。

 普通に考えれば、スノーデン氏に何か中国に脅される理由があり、利用されたのだろうとしか思えないではないか。なぜならこの告発でスノーデン氏にもアメリカにも失うものばかりで何も利益がなく、中国だけが自分のサイバーテロの行為の告発を免れるという利益を得ているからだ。サイバーテロと盗聴とは悪意においてずいぶん違いがあるような気もするが、具体的に何をしていたのかが明らかでないのでよく分からない。

 スノーデン氏は二度とアメリカの土を踏むことは出来ない。故郷を失ってまで中国に利する行動を取らざるを得なかった理由は何だったのだろうか。

値下がり

 先週、韓国のサムスン株が大きく値を下げ、サムスンの一年間の利益に相当する金額(約二兆円)が失われたのだという。誰でも知っていることかも知れないが、そのニュースを昨晩初めて知った。

 サムスン株を持っている投資家がサムスン株を売り浴びせたために大きく値下がりしたのだという。ウオン高が韓国経済に警戒感を抱かせていることや、度重なるアップルとの訴訟合戦などを懸念してのことらしいが詳しく知らない。

 ただ韓国の経済が減速する中、サムスンだけは世界で一人勝ちをしていて韓国を支え続ける、と云われただけに韓国にとっては心配なことだろう。

 サムスンの売り上げは韓国のGDPの2割を占めると云われる。

 アジア各国の通貨が大量に買われて値をつり上げた上に売りを浴びせられ、通貨危機が起きて東南アジアや韓国が深刻な経済危機になったことは記憶に新しい。あのときは韓国はデフォルトが噂されるほど深刻だった。だから日本は韓国に対して通貨スワップを組み、アジア開発銀行は巨額の融資をして韓国を救った(と思っていた)。

 アジア開発銀行総裁は歴代日本人である。資金をどこの国よりもたくさん出していると言うことでそれは揺るいだことはないし今回の新しい総裁も、中国などから不満が出たものの圧倒的支持で日本人が総裁に就任した。

 日韓の通貨スワップの一部が、韓国からの要請がないために再契約されないことになっている。最大額700億ドルだったものが136億ドルに縮小し、これが7月には100億ドルになる。

 韓国メディアは、韓国が日本との通貨スワップ契約延長をしないことを日本のメディアが大々的に報じていると云い、日本は大騒ぎをしている、と書き立てているらしい。韓国はもうそんなものは必要ないし、日本は韓国を救ったつもりらしいが、その手は食わない、と豪語しているようだ(何のことか)。

 日本でそのことが大騒ぎになっている、と云うが私は知らない。日本人でそれを話題にしている人はほとんどいないだろうと思う。通貨スワップが解消しても、それが必要なければそれで全くかまわないし、日本にとっては痛くも痒くもないことだろう。だから竹島問題で700億ドルの枠を当初の136億ドルに縮小したのだ。

 サムスンの株の値下がり(暴落と表現しているニュースもある)が韓国経済に何処まで影響があるか、短期には分からない。だが万一韓国が深刻な事態になったとき、要請があれば日本は再び韓国を助けることになるだろう。しかしこのたびのような韓国の報道や態度では、韓国人にとって日本の救済は屈辱であり、恨みをますことにしかならないような気がする。

 つくづく不幸な国民だと思う。ふり返って日本が韓国の立場なら、恨みは忘れ、救ってもらうことにはこころからの感謝を捧げるだろうことは間違いないと思う。

2013年6月16日 (日)

WOWOWドラマ「死刑基準」

 原作・加茂隆康、監督・水谷俊之、出演・山本耕史、小澤征悦、戸田菜穂、柏原崇、京野ことみ、光石研、柄本明。

 死刑制度について問うドラマなのだが、死刑制度だけではなく、人が人を裁くということ、そして今の裁判制度のあり方についても考えさせてくれるドラマだ。

 私は人が更生する、と云うことを信じないわけではない。しかし更生が期待出来そうもない者もいるし、更生では犯した罪に見合わない犯罪もあると考えるので、死刑制度は必要だと考えている。その代わり冤罪を決して出さないという事も同時に強く求められると思っている(当たり前だけれど、物理的に限られた人員と時間の中で捜査すれば、過ちを犯すことは常にあり得る)。問題は過ちに気が付いたときや疑問が生じたときにどれだけそれに真摯に取り組むか、と云うことで、往々にして成り行きに流されてしまうことが冤罪につながっているようだ。

 幼い女の子が変質者に襲われ、変わり果てた姿で発見される。半狂乱になる若い両親。しかし裁判の中で犯人は悔い改めた、として被害者の両親に謝罪の手紙を書き、裁判官に改悛の手紙を提出する。これにより、判決は死刑ではなく、無期懲役となる。この判決を勝ち取ったのはかねてから死刑制度廃止を唱えている大伴弁護士(小澤征悦)であった。

 この裁判を傍聴していた大学の法学部の講師・水戸祐介(山本耕史)は大伴弁護士の親友であったが、この裁判の結果から死刑制度について考え込む。そして地方の検事を遍歴して、大学時代に仲の良かったもう一人の長瀬麻梨子(戸田菜穂)が東京に帰ってくる。この三人が後にある事件の裁判の場で相まみえることになる。

 事件の被害者は大伴弁護士の妻。縛られた上、包丁で刺し殺されていた。やがて犯人として逮捕されたのはあの女の子の父親・蟹江(柏原崇)であった。犯人を死刑にさせなかった大伴弁護士に対する恨みの末の犯行と見なされた。近所の主婦の目撃証言もあり、ほぼ蟹江の犯行と断定された。大伴弁護士は身重でもあった自分の妻を殺した蟹江が許せない。身内が殺されることの恨みがどんなことか今更ながら思い知らされ、今までの主張を撤回し、蟹江に死刑を求める、とコメントする。

 この事件の弁護を最終的に引き受けたのが、弁護士になった水戸祐介。そして検事は長瀬麻梨子であった。

 裁判がどのように展開されていくのか。このほとんど間違いないと思われる犯人の犯行にわずかな疑問が生ずる。息詰まる検察と弁護団の駆け引き、それを助ける定年間近の刑事對島(柄本明)の働きもあり、事件は意外な真相を明らかにしていく。

 面白い上にいろいろと考えさせてくれて実に良いドラマであった。

避難訓練

 午前中は避難訓練。梅雨の合間の快晴で、暑かった。

 まず応急的な担架の作り方を教わり、自分で担いだり乗ったりした。私は重すぎるので、担ぐ方に専念。マンションなので階段で運ぶことが多いと想定される。だから普通のものではなく、坐って運ぶ方式のものの練習をした。三人乃至四人で担げば重そうな人も案外楽に運べる。

 そのあと簡易トイレについての講習と実演。詳しい説明を聞いてみると参考になることが多かった。猫用の脱臭剤や、吸水剤(小便を吸い取ってゲル化するもの)なども用意しておくといいかもしれない。

 炊き出しの方法、特に電気釜が使えないときの御飯の炊き方が参考になった。お湯さえ沸かせれば炊ける。あとで防災管理官の説明のときに試食したけれどもけっこういける。

 いざというときに何を使ってどんな工夫をするのか、いろいろなヒントをまとめた資料をもらった。答は各自で考えるように、と云うことであった。結構面白かった。

 私の住んでいるのは名古屋市の北側に隣接する街だが、10万人足らずの街で、南海トラフ大地震の想定死者数が100人弱、被災世帯数(全壊)が4000棟弱とのこと。軽症を含めると一割以上の人が怪我をし、三分の一の家が何らかの損壊をする可能性があると云う。落下物や家具の転倒による怪我、それと火事の危険が大きいと言う。火事の原因は電気製品の加熱だそうだ。阪神大震災のとき、停電後、電気が復旧してから、破損した電気製品からの出火が意外に多かったそうだ。

 知っていること、実際に体験したことはいざというときにずいぶん役に立つだろうと思った。いい経験をした。

 サボらずにいちど参加してみることをお勧めする。

学ばないひと

 イギリスのフィナンシャルタイムズが、中国漁業の実態をレポートした記事を掲載した。それによると東シナ海の魚は乱獲でその数が激減しており、漁獲量も当然減少している。繁殖力の強い太刀魚だけは比較的に水揚げ量が安定していたが、それも今年は前年より40%も減っているという。

 漁師に聞くと、獲れる魚の80%が稚魚や幼魚で売り物にならない、と歎いているという。記事では成魚になる前にほとんどの魚が捕らえられてしまっているようだという。漁師たちは「私たちは海に頼って生活してきたが、現状のままでは仕事を辞めて転職するしかない」と口々に言っているという。

 この漁師たちは幼魚や稚魚が成魚になっていくと云う事を知らないらしい。稚魚や幼魚まで根こそぎ獲るような愚かな漁業を続けていることに問題があることが分からないようだ。そして日本近海や韓国沖、または南シナ海の海に魚を獲りにいく。目の細かい網(これは国際的にも違法なのだが、中国は全く規制をするつもりがないように見える)で根こそぎ獲る、相変わらずの漁法を繰り返し、周辺国で顰蹙をかっている。中国政府はそのような漁業者を指導することもせず、彼等を護る、と云う名目で軍事力を行使しようとしている。

 漁業者が生活出来なくなってわずかに残った魚が息を吹き返して再び繁殖すれば救いがあるが、そうなればまた根こそぎ獲り始めることだろう。 

 漁師が海から何も学ばないのなら救いがない。漁業だけではないが。

週末の喜びの喪失

 定年でリタイアする前は一番嬉しいのは週末、金曜日の晩だった。土曜日、日曜日に何をしようか、と考えるとわくわくした。そしてやろうと思ったことが出来たときはこころから満足した。その代わり思いだけで行動せず、ごろごろしたりして過ごしたときの日曜日の午後三時は体から力が抜けていくような焦燥と憂鬱を感じた。森本哲郎先生は「ひとは日曜日の午後三時に哲学的になる」という。それを実感した。
  
 毎日が日曜日の生活が始まったばかりの頃はまだ週末に何となくうきうきした。その代わり、ウイークデイにうろうろすることにやましい気持ちがしたものだ。それから三年以上経過するうちに日々のメリハリが消え失せ、週末の喜びもウイークデイのやましさも感じなくなった。

 やりたいことは常にある。だから決して今の生活に不満があるわけではないのだが、あの週末のときめきが懐かしい。いつの間にか「日曜日の午後三時」ばかりでなく、日常的に哲学的になっているような気がする。

 昨日はハリー・ポッターの最終話、「死の秘宝」第一部、第二部を一気に見た。併せて約280分である。養老孟司先生が漫画やファンタジーが好きなことはよく知られている(自分で言っているから)。このハリー・ポッターも本で読んでいるはずだが、映画は見ただろうか。そして本と映画の違いについてどう考えたのか聞きたいところだ。

 映像化することで本よりもイメージが膨らんだのか、映画で損なわれたのか、どうなのだろう。私としては今更本を読もうとは思わないので、映画のイメージしかない。よくできた映画で楽しく見たのだが、何となく第一話の頃のアメージングとは異なり、善悪の闘いばかりがこれでもかと繰り広げられて、バットマンの「ダークナイトライジング」と似たようなものを見せられた気がした。この映画の詳しい紹介はしないことにする。

 本日はマンションの避難訓練である。年に二三回行われているのだが、今までサボってきた。今回は役割があるので参加する。ここでは貨物車みたいな大きなコンテナに救援物資が用意されているし、連絡網もきちんと決められている。後は避難訓練で、いざというときにどうするかを疑似体験すると万全だろう。今までサボってきて申し訳なかった。

2013年6月15日 (土)

映画「劇場版SPEC 天」2012年

 監督・堤幸彦、出演・戸田恵梨香、加瀬亮、福田沙紀、神木隆之介、栗山千明、伊藤淳史、竜雷太、浅野ゆう子、麿赤児、戸田恵子、カルーセル麻紀。

 エキセントリックな映画である。この堤幸彦という監督の作る映画はみなエキセントリックと云っていい。好みの分かれるところだろう。仲間由紀恵と阿部寛のコンビの「トリック」シリーズもこの監督の作品だ。この「SPEC」シリーズ、そして「ケイゾク」のシリーズもテレビドラマで人気を博したが全て堤幸彦監督作品だ。

 この「SPEC」は「ケイゾク」の世界観と舞台を引き継いでいる。実はこの映画の前に「ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer」を見た。こちらは主演が中谷美紀、渡部篤郎、何だか江戸川乱歩の「パノラマ島綺談」を彷彿とさせるような殺人ラッシュ、謎解きミステリーらしきところもあるのだが、描きたいのはそんなものではない。ほとんど妄想の世界だ。しかしここまで徹底しているともうその世界にどっぷり浸かってその中でたゆたうしかない。俳優もそれぞれ楽しみながらやりたい方題やっている。渡部篤郎がとても若い(2000年の映画なので)。

 最初に警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係の野々村係長(竜雷太、これはケイゾクでも同じ役割)から若き恋人雅(みやび)に渡された手紙の内容が読まれていくのだが、これが全体の伏線になっている。

 野々村係長の部下である当麻紗綾(戸田恵梨香)と瀬文焚流(せぶみたける・加瀬亮)のコンビが主役である。

 SPECと云うのは超能力のことらしい。その超能力を悪用する者がいることを懸念して、それを排除しようとする御前会議と呼ばれる権力者たちの動きと、結束して逆襲し、逆に権力を掌握しようとするSPEC HOLDERと呼ばれる超能力者たちとの闘いが描かれるのだが、監督が描きたいのはその超能力を映像化することで、ストーリーはあまり重視しているようには見えない。

 「ケイゾク」よりは映画らしい構成になっているが、こちらもそれぞれの俳優がそれぞれのキャラクターを全開して楽しんでいる。麿赤児のはちゃめちゃぶりなど珍しいものを見ることができた。最後にはさすがに息切れしていたけれど。浅野ゆう子にこんな役を振るというのもユニークだ。超能力者の役を嬉々として演じている。また栗山千明は超能力者ではないけれど、不思議な言葉遣いを駆使してこれは笑えた。こんな台詞、覚えるのが大変だったろう。いったん染みつくととれなくなるのではないかと心配になる。全般に台詞は過剰、演者は苦労しただろう。

 この監督の作品をこれからも見るかどうか迷うところだ。もう若くないので疲れる。クレジットにはないけれど、向井理が顔を見せない形で出演している。

 ラストに雅の背後に荒廃した東京の姿が映し出されている。何を暗示しているのか。ラストクレジットに戸田恵梨香が「続編はないよ」、と云いながら続編を予告していた。

ブラックジョーク

 民主党の元幹事長、岡田克也氏が、アベノミクスを批判して、国家の財源がないのに財政出動を繰り返しており、方向が間違っている、と述べた。

 民主党の緊縮政策、つまり赤字減少のための支出削減を図るべきだ、と云っている。

 民主党には本当に期待していた。公務員の削減、予算の無駄の削減など、自民党時代に肥大化した官僚の作成する予算に大なたを振るい、国家財政の赤字削減に方向性が見えるのではないか、と思ったのだ。

 その結果が蓮舫議員の「一番でなければならないのですか。二番ではいけないんですか」という迷言だけが残り、ほとんどが手つかずに残された。そして国民には重苦しい閉塞感がのしかかった。

 その上外交では何一つ成果らしいものが見られず、日本の地位を大幅に低下させることにだけ貢献した。日中関係、日韓関係の破綻はもちろん、その他の国々とも新たな関係の構築は見られなかった。サミットでも列に並んでいるだけ、誰からも相手にされないという寂しい姿しか見られなかった。しかも首相は(特に野田氏は)積極的に海外に出かけようとしているようには見えなかった。

 民主党が政権を獲ったことは国民の責任でもあるが国民の不幸でもあった。そしてそれは民主党にとっても大きな不幸だった。国民はその責任の痛みを思い知らされた。

 民主党が安倍政権を批判するのであれば、やろうとしたことが出来なかったのはなぜか、その真実の解析と反省をしてからではないのか(やったのは大反省会という茶番劇だけだった。小沢氏の悪口を言ってその怨み節を並べただけに見えた)。予算削減と公務員の削減が出来なかったのは党の体質に本質的な問題があったからではないのか。

 反省に立脚した、真摯な提言を含んだ批判であれば耳を傾ける向きもあるだろうが、それをあろうことか「アベノミクスはブラックジョークだ」と揶揄している。こんなキャッチコピーにはうんざりだ。

 まず東京都議会議員選挙で再び国民の厳しい審判が下されるだろう。

2013年6月14日 (金)

映画「ダークナイト・ライジング」2012年アメリカ・イギリス合作

 監督クリストファー・ノーラン、出演クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ゲイリー・オールドマン、アン・ハサウェイ、トム・ハーディ、モーガン・フリーマン。

 上映時間165分という長さに見るのを逡巡していたが、この新しいバットマンシリーズは第一作、第二作ともよくできていて面白かったのでようやく見る決心がついた(それほどのことでもないが)。

 前作で、ハービー・デントの罪をかぶり、彼を英雄とすることでそのデントを殺したバットマンは姿を隠した。前回の闘いで満身創痍となったブルース・ウエインはこの世の全てから目を塞ぎ、邸宅の奥深くでひっそりと暮らしていた。

 そんなブルース・ウエインの邸宅に盗賊が入る。母の形見の真珠の首飾りが盗まれるが、実は目的はそれではなかった。金庫に残されていた彼の指紋が写し取られていたのだ。

 バットマン不在でも何事もなく平和なゴッサムシティだが、ウエインには暗雲が立ちこめているように見えた。実は最強の敵、べインがゴッサムシティに災いをもたらそうとしていたのだ。

 間もなく盗まれた指紋を使ってブルース・ウエインは邸宅以外の全ての財産を失ってしまう。それがペインの陰謀の第一弾であった。突然凶悪な事件が頻発する。そしてついにバットマンが現れる。

 ベインとの対決は、しかし圧倒的にべインが勝り、バットマンは打ち倒されてしまう。そこでベインからゴッサムシティを壊滅させる企てを知らされた上で、異境の地下牢獄に幽閉されてしまう。

 その地下牢獄から脱出したものは過去一人だけ。バットマンも脱出を試みるが何度繰り返しても成功しない。そんな中、ベインの計画は着々と進行し、ゴッサムシティ壊滅の日は迫る。
 
 ベインの計画とは核融合炉を核爆弾として、ゴッサムシティを破壊しようというものだ。そしてゴッサムシティへの出入り口にあたる全ての道と橋は封鎖された。

 バットマンは現れるのか。ベインの企てを阻止出来るのか。警察長官のジム・ゴードンは、部下のジョン・ブレークとともにかなわぬまでも一矢報わんと秘かにほかの警察官たちと立ち上がる。

 圧倒的に強力な敵に対して勝つことが可能なのか。不可能は可能になるのか。精神力は肉体を越えるか。

 人間は諦めなければ何とかなる、と云うけれど、本当だろうか。なかなか現実にはそんなわけにはいかない。

 165分はそれほど長く感じなかった。終わってほっとしたけど。

 ゴッサムシティというのはニューヨークであり、アメリカそのものなのだと思う。

韓国に関する話題

 韓国聯合ニュースが報じたところによれば、韓国の観光収支は2012年6月以来11ヶ月連続で赤字になった。

 これは円安の影響で韓国を訪れる日本人観光客の激減と、日本を訪れる韓国人の増加によるものだと説明されている。しかし円安は2013年末からのことである。明らかに李明博大統領の竹島上陸以降のやや異常な反日行動が始まりだったのではないか。

 それにしても代わりに中国の観光客が急増しているのではなかったのか(今や日本人の数より中国人の報が上回っているはずである)。中国の観光客は日本人よりもたくさん金を落としているのではないのか。

 韓国政府は不動産投資移民政策を実施した。これにより、中国人の済州島への投資が急増、中国人の所有する済州島の土地面積はこの2年でなんと約10倍になった。今に済州島は第二の海南島になるのではないかと心配されている。そんな事になる前にこの東洋のハワイと云われる美しい島に行っておいて良かった。そのときにも中国人がクルーズ船で大挙して押しかけているという話を聞いた。あまり歓迎しない口ぶりだった。

 竹島問題をきっかけに日韓関係が冷え込んでいるが、韓国の強硬な態度に日本としてはこのままでは日韓通貨スワップの延長をしない、と通告していたことはご承知の通りである。これに対して日本は韓国から何らかのアクションを期待していたようだが、韓国は無視している。

 もともと130億ドルのスワップ協定だったものが、700億ドルに引き上げられていたが、これは契約継続の要請がなかったために失効し、残りの130億ドルのうち、30億ドル分が7月に失効する。

 このスワップなどで韓国は過去金融危機によるデフォルトを回避することが出来た。その後漢江(ハンガン)の奇跡と云われる復興を成し遂げ右肩上がりの成長を続けてきた。だから日本の手助けなど今更要らない、と云うことなのだろう。

 しかしその韓国経済にもウオン高により暗雲が立ちこめている。この事態も日本のせいで起きたことだと決め付ける論調もあり、韓国政府も日本にすり寄ることが出来ないのだろう。

 その韓国が今月行われるG8サミットで「円安が韓国の輸出を阻害している。円安は世界経済に予測不可能な悪影響を及ぼしている」として日本の通貨政策を非難し、議題にあげるべきだと主張しているようだ。韓国はやはり円安の影響を受けているドイツに共同歩調を取るよう働きかけているそうだ。

 日本が過度の、理不尽な円高でどれだけ苦しんできたのか、その恩恵を韓国がどれほど受けてきたのか、と云うことは全く考慮にはないようだ。韓国も必死なのだろう。

 韓国は電力不足だという。今年に入って5回目の電力供給警報が発令された。これから夏の電力需要がさらに増える中での事態であり、今後が懸念される。 

 その理由が原子力発電所の稼働率にある、と中国のメディアが報じた。現在韓国は23基の原発を持っているが、現在10基が停止している。その理由のひとつが基準を満たしていない部品なのだという。品質の劣る部品が汚職を背景に供給使用されたことが原因だと報じている。部品に添付された成績証明書も偽造されているともいい、現在その調査のために稼働が停止されているのだそうだ。中国に云われるくらいだからよほどひどいのだろう。

 その中国メディアが韓国の高齢者虐待を報じていた。韓国は日本ほどではないが高齢化社会を迎えようとしている。出生率が日本より低い韓国は将来日本以上に深刻な事態を迎える可能性がある。

 その韓国で高齢者がその両親や配偶者を虐待する「老老虐待」が深刻化しているというのだ。自分自身が老齢化して介護が困難になっていることから、虐待に及んでしまうケースが多いという。

 韓国は世界でも珍しい長幼の序を重んじる国であった。その厳しい規律による忍耐を続けてきた自分の面倒を見てくれるものは居らず、自分だけが自分の老親の面倒を見なければならないことを理不尽と感じてしまうのかも知れない。我慢してきた甲斐がない、その怒りが敬うべき親に向かってしまうのだろうか。

 韓国も拝金主義に侵された国になるのか。

気になる

 中国安徽省宿州市の総合病院で、呼吸器内科の看護師四人が発熱などの症状を示し、さらに医師二人が同様の症状を示した。全員が次第に高熱を発してことから、隔離入院の措置がとられた。病院で原因を調べているが、何の病気か分からない。

 さらに別の病院から医師が派遣されて徹底的に原因を調査しているが、今のところ鳥インフルエンザではない、と云うことしか分かっていないという。

 わざわざニュースとして報じられるくらいであるからもしかすると事態は深刻かも知れない。特にこのニュースの続報が出されず、うやむやになった場合、より深刻と考えた方がいい。重大な事態は隠すのが中国だから。

入江康範「源家の海 西行と義経」(廣済堂出版)

 源氏と平家の戦いの物語を書いた子供向けの本を叔父が買ってくれた。その頃は本をほとんど持っていなかったから、同じ本を何度も読んだ。義経はヒーローとして描かれていたから好きになったが、なぜ頼朝にあそこまで嫌われるのかが理解出来なかった。

 今ならそのような人間の感情も分からないことはないし、京都の後白河法皇をはじめとする公家たちの画策も理解出来る。

 義経の悲劇は人々の同情を買い、義経は平泉で死なずに北海道に逃れた、と云う義経伝説を産んだ。さらに大陸へ逃れてジンギスカンになったという話まである。高木彬光の「ジンギスカンの秘密」は神津恭介が文献だけを駆使してその真偽を推理するベッドサイトストーリーである。

 あとがきによると、著者の入江康範という人は、長年住んだ東京を離れて宮城県の仙台市郊外の名取に移り住み、ここの名取熊野三社を取材してこの地と義経との関わりを知ることになる。当時この辺りは奥州藤原氏の版図であり、義経は平泉ではなく、ここに暮らしていたのではないか、と著者は考えている。

 さらに奥州藤原氏と義経の関係を繋いだのが西行である、と設定し、その西行と朝廷との秘かな関わりを義経の悲劇に重ねる。

 物語そのものは義経の生涯をたどるものであるが、熊野水軍との関係など、常識とされていることとはちがう認識が示されている。京都・五条の橋の上での弁慶との闘いは描かれず、弁慶は平泉の藤原秀衡が義経の護衛としてつけた人物とされている。

 奥州との関わりについての著者の説は見るべきものを感じる。しかし西行の役割は作りすぎに感じるし、義経と平家軍との戦いがほとんど描かれていないことなど、もの足らない。もちろん著者が書きたいのはそこではないだろうが、義経と云う人物が生き生きしていないことが残念だ。

2013年6月13日 (木)

生姜とミョウガ

 生姜とミョウガが好きだ。生姜は特に葉生姜が好き。葉生姜に生味噌をつけて囓る。これは酒のつまみにすることもあるし、御飯のおかずにもする。でもこの頃は葉生姜が高い。だから時々しか買えない。毎日でも食べたいのに。

 ミョウガも大好き。昔住んでいた家にはミョウガを生やしていた。梅雨時の今頃には次々にミョウガが採れる。うっかりすると花が咲いてそれも見逃すと食べる時期を外してしまう。花が咲く直前が一番おいしいのだ。それを刻んで味噌汁の薬味に使う。香りが良くてとてもおいしい。酢漬けでもぬかみそ漬けでもおいしい。

 私は冷や麦の薬味にミョウガを使うのが大好きだ。この時期だけの楽しみだ。

 私はいも生姜、と勝手に名付けているが、新生姜の酢漬けに使うあの生姜がこの時期にスーパーの店頭に並ぶ。これを紅ショウガのように切って酢に漬ける。食紅は入れないが、浸かるとピンク色になり、とてもおいしい。

 このいも生姜(私しか通用しない)を葉生姜の代わりに適当に切って生味噌で食べてみると、葉生姜には劣るがけっこういける。

 今、そのいも生姜を囓り、ミョウガを薬味にした冷や麦を食べるところだ。付け汁には息子が京都に行った土産に買ってきてくれた七味をたっぷり振る。これはできあいのハウスやS&Bの七味では絶対駄目。京都のちょっとうっかりすると湿気てしまう生っぽい七味でないとおいしくない。息子はそれを外さずにいい七味を買ってきてくれた。

 大阪の兄貴分の人がくれた極上の梅酒をウォッカで割って氷を大量に抛りこんで、いい気持ちになったところで大好きなものを好きなように食べる。極楽、極楽。

創造的な姿勢

 中国に偽フランスワインが出回っているという。中には、メーカー名が「ロマネ・コンティ」、ブランドは「シャトー・ラフィット・ロートシルト」、産地は「モンペリエ」とラベルに記載されている奇想天外なものもあった。全て実在の名前だがあり得ないワインだ。

 有名どころがラベルにあればもてはやされるという成金趣味そのものの匂いがする。中国は今や世界第五位のワイン消費国だが、そのブームの底が浅いことが良く見て取れる。

 フランスの、実際のラフィット・ロートシルト側は「我々が直面しているのは、中国人の創造的な姿勢だ」とコメントしている。

 中国では偽輸入ワインが急増し、今は輸入量と同じくらいの量の偽ワインが流通していると見られる。

 中国は、太陽光パネルに対してEUがダンピング課税するのに対抗して、ワインにダンピング課税をしようとしている。そうすればワインの値段は上がるだろう。偽ワインのうまみはさらに増すわけである。

 こうしてEUのワインが規制されても逆に中国の輸入ワインはますます大量に流通し、中国人は何の心配をすることなくワインを賞味出来る。まことにめでたい。

映画「メン・イン・ブラック3」2012年アメリカ

 監督バリー・ソネンフェルド、出演ウィル・スミス、トミー・リー・ジョーンズ、エマ・トンプソン。

 このシリーズ、あまり好きじゃない。でももしかして、と期待して見たら当たりであった。前二作よりはずっとおもしろい。エージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)の若き日の役のジョン・ブローリーがやや間抜け面なのはご愛敬としておこう。

 月面にある銀河系刑務所から最兇の犯罪者ボグロダイト人ボリスが脱獄する。彼は隻腕だが、これは昔Kに撃たれて失ったものだ。ボリスは地球を滅ぼそうとしていたが、Kにより地球は守られた。その復讐のために過去に遡ってKを殺しに行こうというのだ。

 Kの相棒エージェントJ(ウィル・スミス)は無口なKに打ち解けないものを感じていた。そんな矢先、事件の通報があり二人は中華料理店に急行する。そこで見つけた宇宙海老や宇宙魚がボリスの好物であることに気が付いた二人はボリスの脱獄を知り、彼の追跡を開始すが取り逃がす。

 ところが翌日JがMIB本部に出勤すると誰もKのことを知らないという。Kの存在が消されたのだ。と云うわけで、Jは過去に戻ってKを救い、宇宙の平和を取り戻さなければならない。

 過去に戻る方法もユニークだし、相変わらず全ての物語がはちゃめちゃなのだが、ウィル・スミスは別として、トミー・リー・ジョーンズや、エマ・トンプソンまで大真面目な顔をしながら徹底的に遊んでくれる。

 特にエマ・トンプソンが宇宙人の真似をして奇声を発するところなどはあまりのことにあっけにとられてしまう。すごい。

 まあいつものようにドタバタの果てに事件は解決するのだが、それにはジンとくる因縁があったことが明らかとなり、Kの無口な理由が解けるのだ。

 これほど金とエネルギーを注いでこんなお遊びな映画を大真面目で作るアメリカというのはすごい、と改めて感心する。ほんのちょっと外したら全くのぶちこわしなのだが、どっぷり不思議な世界に浸からせたまま、我に返らせることなく最後まで見せる力はたいしたものだ。今回は映画の勝ちであった。

 「ワイルド・ワイルド・ウエスト」以来久しぶりにウィル・スミスも悪くない、と思った。

平和度

 オーストラリアのシドニーに民間の調査機関「経済・平和研究所」というのがあって、平和度について2013年度のランキングを発表した。この平和度、と云うのは治安、軍備拡張度合い、戦死傷者数、テロの危険性などを数値化して算出したもので、この調査機関は毎年それを発表しているのだそうだ。

 それによると1位アイスランド(3年連続)、以下、デンマーク、ニュージーランド、オーストリア、スイス、日本、フィンランド、カナダ、スウェーデン、ベルギーと続く。

 日本は尖閣問題が響き、5位から6位にひとつランクを下げた。

 ちなみにアメリカは99位、中国は101位、北朝鮮は154位、最下位はアフガニスタンの162位であった。

 ところでお隣の韓国は47位で、昨年より5つランクを下げた。これは北朝鮮に接しているというリスクに加えて日本との緊張関係が評価を下げる要因になったという。もともと徴兵制の国だし。さらにランクの低い中国に接近すればもっとランクが下がるのではないか。

巨竜の成長は続いているのだろうか(中国雑感)

 専門家ではないので特別なデータがあるわけではない。ただ日々目にするニュースを元にあれこれ考えているだけなのだが、中国の経済状況は期待するほど成長が続いているわけではないのではないかと感じている。

 欧米や日本では、中国が世界の工場から巨大な消費国に変わりつつある、と見て相変わらず中国に期待しているようだ。中国独特のカントリーリスクから海外企業がもっと撤退するかと思ったが、それほどではない。今更引けない、と云う企業も多いのかも知れない。 

 中国当局の発表では工業生産の伸びが昨年に比べてほんのわずかだが低下した。投資額、銀行融資額も減少している。1-3月期の成長率は7.7%で、その前の期の7.9%から微減している。

 五月の輸出額は減少し、この10ヶ月では最低を記録した。さらに輸入額も減少した。これは予想に反するという。これは偽インボイス(税関書類)の取り締まり強化の結果なのだと説明されている。取り締まりで統計額が減少するほどの不正がある、と云うことなのだろうか。

 地方政府の債務総額は3兆8500億元(約62兆円)と発表された。返済のためにさらに借金を重ねている地方政府も少なからずある。ほとんどが不動産やデベロッパーへの巨額投資であり、地下鉄、高速道路、空港などの公共事業に充てられている。

 しかし中国全土の地下鉄は一部大都市以外は今年でほとんど完了している。空港は乱立し、採算割れの空港が多いと云う。不動産の価格は高止まりして、都市部の一般市民には自分の住居を新たに買うことが困難になった。今は賃貸住宅ですら高くて手が出ないというニュースがあった。更にその賃貸料も一方的にしかも短期間で値上げされるという。

 物価上昇率はひと頃、年6~7%と発表されていたが、今は2~4%程度に収まっていると当局は発表している。食料品や不動産の価格から見てその統計値には首をかしげてしまう。賃金は毎年二桁の伸びを示してきた。それなら生活はますます豊かになり、消費の伸びは大きくなることだろう。巨大消費が見込めるという見方の理由だ。

 だが生活がますます苦しくなっている、と云う声も良く聞かれる。そうなると当局の統計値がおかしいのではないか、という疑問も感じてしまう。

 確かにますます潤っている人々がいる。外国人が接するのはほとんどそういう人たちである。また海外メディアがテレビで映し出すのもそのような人々だ。だがそういう人たちは一握りの人なのではないかと思う。ただ、中国は大きいから、一握りが巨大だ。とはいえ数億の豊かな人、と云うのは幻想で、もっとずっと少ないだろう。

 それよりもますます生活の苦しくなっている人がはるかに多くいる。中国では所得の再配分のシステムがうまく機能していない。うまく機能していないからとてつもなく豊かな人が生ずると言える。

 しかもその恩恵を受けている人々が中国を支配しているのだから、再配分に熱心ではないのは当然だ。アンフェアを続けながら不満を抑え込もうとすればますます強権を以て国民を管理するようにならざるを得ない。併せてますます日本をはじめ、周辺国を外敵として強く名指しすることだろう。習近平という人はそれをますます進める意志のようだ。富の再配分についてはほとんど手を尽くす様子が見えない。腐敗撲滅を声高に言うのは強権で国民を管理することの裏返しだろうと私は見ている。そして軍隊にさらに肩入れしていく様子が見える。日本にとってはあまり良い将来を期待出来ないのではないだろうか。

 韓国はますます中国にすり寄っている。日本との関係悪化を奇禍として漁夫の利を期待しているのだろうが、得るものと失うものとよくよく考えないと、国を危うくするような気がする。考えすぎだろうか。

 それよりも中国への旅行の魅力がどんどん薄れていく。それにどの観光地に行ったところで大量の中国旅行者の大声と傍若無人に接すると思うと行きたい気持ちが失せてしまう。そう思う人も多いのではないだろうか。日本語のガイドの人たちが日本人観光客の激減で困っているだろうな、と過去世話になったそれらの人々の顔を思い出したりしている。

2013年6月12日 (水)

何が問題か

 この二年間、プロ野球の打球が飛ばなくなっていた。ところが今年は去年よりも五割もホームランが増えている。だからみな球が変わっているだろう、と云っていたのだが、日本野球機構はそれを否定していた。ところがこのたび、科学的に否定出来ない球の違いが指摘されるに及んで、日本野球機構は球が変更されていることを求めた。

 日本プロ野球の球のメーカーは五社あったが、一昨年から一社だけになった。飛ばない球をこの二年そのメーカーが作っていたと云う事である。あまりに飛ばないしホームランも激減していたからだろう、球が変わったらしくて、今年はホームランが昨年よりも5割も増えた。

 投手と打者のバランスを考えて球を変えることはかまわない。しかし問題は「球が変わったのではないか」、と云う問い合わせに「変わっていない」と回答したことである。しかもメーカーに対して野球機構が変えたことを言うな、と指示していたことである。
 変更は許されるが、虚偽は許されることではない。その上、虚偽をメーカーに強要するのは言語道断である。

 先ほど野球機構の代表の記者会見があった。あろうことか私は知らなかった、と述べた上で、だから私には責任がないので進退は考えていない、と答えた。

 進退は本人が決めることである。勝手にしたら良い。だが組織の長が組織がついた虚偽、しかも外部に対して虚偽を強要したことに責任がない、などと平然と言う。

 責任はあるのだ。まず責任がある、と云うことを自覚せよ。

 拝見するといいおじいさんだ。この歳でこんな当たり前のことも分からないというのは恥さらしそのものである。それも分からないというのはぼけているのだろうか。可哀想に。

映画「鬼神伝」2010年(公開は2011年)

 監督・川崎博嗣、(声)小野賢章、石原さとみ、中村獅童。

 この映画は実写映画だと思い込んでいた。アニメである。それと「鬼神伝」は「おにがみでん」で「きじんでん」ではない。これは私が勝手に間違えていた。

 「鬼」についてはいろいろな説がある。単に盗賊のたぐいを「鬼」と呼んでいた、という説もあるが「まつろわぬ民」と云う意味がある、という説も有力だ。

 この物語ではいろいろな寓意が込められていて、鬼が支配者に抵抗するものであるとしながら、縄文の民と弥生の民の抗争のような描き方もされている。さらに体制と真言密教が表裏一体であるような描き方もされている。

 源の頼光(らいこう)とその四天王(渡辺の綱や坂田の金時など)も権力側についた存在として描かれている。彼等は鬼退治で有名だから当然と言えば当然だ。さらに八岐大蛇(やまたのおろち)や草薙剣(くさなぎのつるぎ)まで登場する。

 真言密教の僧侶・源雲により、時空を越えて現代から平安時代に誘(いざな)われた主人公、平凡な中学生の天童準。彼は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の血を受け継ぐもので、八岐大蛇を操る能力を持つものであると云う。その証拠に体にはそれを表す痣がある。

 優柔不断な準は自分の役割が納得出来ず、戦いに加わることをためらう。あるきっかけで鬼の一族の部落に迷い込んだ準は鬼が敵である、と云うことが信じられなくなる。しかも鬼達は準こそ救世主である、と云うのだ。

 準が迷う中に鬼と権力者の代表である源雲たちとの戦いは最終局面に突入していく。頼光や四天王たちは源雲により帝釈天などに憑依させられ、超人的な存在になって鬼たちを打ち倒していく。

 準は源雲の野望が許されざるもの、と見極め、ついに八岐大蛇を引き連れて戦いに加わる。源雲の幻術は超絶的なものになり、誰もそれにかなわない。そのとき準の真の力がついに発揮される。その背後には素戔嗚尊の姿が浮かび上がる。

 準の父親は踏切で女子高生を助けたことで死んでいるのだが、準はそんな父親の行為を英雄的とは考えられないでいる。理不尽なことを見て見ぬふりをすることにやましい気持ちを持ちながらも何も出来ない。

 彼が再び現代に戻ったとき彼はどう変わっているだろうか。と云うところで映画が終わる。

 源雲の声は堤真一だとばかり思って聞いていた。最後に中村獅童だと知った。これも間違っていた。いろいろと勘違いの多い映画であった。

映画「アンフェア the answer」2011年東宝

 監督・佐藤嗣麻子、出演・篠原涼子、佐藤浩市、山田孝之、阿部サダヲ、加藤雅也、吹越満、大森南朋、寺島進、香川照之。

 そうそうたる出演陣である。前作の「アンフェア」の続編と云っていい。

 前作で警視庁を追われて北海道の西紋別署に飛ばされた雪平(篠原涼子)は大きな事件のない中、自分のやりたいことをやりなから日々を送り、上司の刑事課課長上条(佐藤浩市)と恋仲になっていた。

 そのころ東京ではネイルガンによる連続殺人事件が発生していた。死体は血が抜かれ、ネイル(釘である)を全身に討ち込まれた状態で放置されている。そしてその現場には有力な犯人の手がかりが残されている。ところがその容疑者が次の被害者として発見される。さらに次の容疑者が次の被害者となって発見される。

 そして次の容疑者として浮かんだのが雪平の元の夫佐藤和夫(香川照之)であった。その連絡を受けた雪平は佐藤がそんな殺人事件など起こすはずがない、と確信する。やがて佐藤が北海道に逃亡して雪平を訪ねてくる。事件は冤罪であると訴える佐藤は雪平からあずかっていた大事なUSBを返却する。雪平から託されていた調査が中途であることを詫び、これから海外へ逃亡するつもりである、と告げる。

 このUSBは前作で雪平が手に入れたもので、警察、さらに日本の背後の日本を支配するシステムの情報が隠されたものらしいのだが、このUSBそのものには情報は書かれているわけではなく、その秘密の情報へのキーにあたるものらしいと言うことが佐藤から知らされる。

 送る、と云う雪平を振り切って佐藤は去って行く。

 翌朝、雪平を西紋別署の刑事たちが急襲、佐藤がネイルガンで殺され、そのネイルガンに雪平の指紋が残されていたので犯人として検挙にきたのだ。必死で抵抗するが彼女は逮捕され、収監されてしまう。

 刑事たちの尋問が繰り返される中、検察庁の若手エリート検事村上(山田孝之)が西紋別署にやってくる。警察内部に不審あり、と云う村上は単独で雪平の尋問にあたるのだが、それは雪平の逃亡を助けるための行動だった。半信半疑ながら雪平は彼と行動を共にしながらこの連続殺人事件の単独捜査を開始する。そして東京での連続殺人と北海道で佐藤が殺された事件が酷似しているものの微妙な違いがあることに気が付く。

 捜査の果てについに犯人と覚しき人物の家を突き止める雪平なのだが、そこでおぞましく、不気味なものを見てしまう。

 なぜ雪平が単独でたどり着いた犯人に警察は行き着かないのか、なぜ佐藤を殺したネイルガンに雪平の指紋がついていたのか、これらが次第に明らかになり、意外な犯人とその驚愕の裏幕が暴かれていく。

 事件が解決したように見えた後の雪平の復讐が痛快だ。

 映画の本編が終わった後に、事件のからくりの細部が、細かいショットの連続で明かされる。しゃれている。

 加藤雅也が何処に出ているのか分からなかった。鑑識の検死官がそうだったことに最後に気が付いた。

 犯人の洋館の内部を雪平が一人で一部屋一部屋調べて回るシーンは、子供のとき「怪人二十面相」の映画を見た時みたいに怖くて気持ち悪かった。「羊たちの沈黙」の同様のシーンを思い出した。怖いけど見たい、と云う奴だ。

 ただ、前作もそうだけれど犯人とその黒幕と、更にその黒幕と次々に現れてついにこの人もか、あり得ない、と云うところがある。ひねりすぎもかえってリアリティを損なう。

自分勝手

 習近平国家主席とオバマ大統領がどのような会談(怪談と変換されて笑ってしまった)をしたのか、その内容はあまり明らかではない。習近平が中国の常識は世界の常識とはちがうようだ、と少しでも気が付いてくれればこれに越したことはないのだが、今のところ分からない。もし気が付いても中国国内の、被害妄想的世界観(特に江沢民によって教育を受けた若い世代)の持ち主たちがそれを許さないかも知れない。

 その習近平国家主席がオバマ大統領に「尖閣諸島は中国の核心的利益であると認識している」と伝えたことが明らかになった。今更、とも思うのだが、これは普通の言葉に替えれば、「尖閣諸島は、中国が、俺のものだと決めたから俺のものだ、と認識している」と言ったのだ。

 あんなに広大な国土を持ちながら何処まで欲張るのか、と思う。もちろん軍事的な意味や海底資源が欲しいと言うのが理由だろうが、つまり欲張りなだけだろう。

 金持ちほど欲張りだというのは普段良く感じることであるが、中国はすでにどこの国よりも沢山のものを持っている。これ以上欲しがらないでほしいものだ。
 
 中国外交部は、台湾に対して「釣魚島」の資源開発について、中国、台湾、日本による三者会談をすることを提案した。あわせて「釣魚島」は古来より、中国固有の領土である、と述べ、東シナ海の合法的権益を守ることは中華民族全体の利益を護ることであり、台湾同胞の責任でもある、とした。

 これは馬英九台湾総統の、尖閣についての話し合いを日本へ呼びかけたことに呼応するものだが、「台湾は中国領である」との前提にもとづく呼びかけであることがあまりにもあからさまで、台湾国民には極めて不快な呼びかけではないか、と思うのだが、尖閣ほしさのあまり目がくらんで、尖閣諸島ごと台湾が中国にすくい取られることに気が付かないかも知れない。

 台湾が中国に接収されないのはアメリカが台湾を護っているからである。アメリカは中国と国交回復をしたとき、中国を国家と認めた代わりに台湾を国家とは認めない、と云う約束をした。つまり台湾には国家としての主権は認めない、と云うことである。ただし、現実に施政権が台湾政府にあることは譲らなかった。それを楯にとって台湾を中国から防衛しているというのが建前である(だから台湾国民が中国に帰属しても良いよ、と云う態度を示したら、アメリカは引かざるを得ない)。

 なにやら領有権には言及しないが施政権は日本にある、と云う尖閣諸島に対するスタンスによく似ている。このレトリックは分かりにくいものであり、それを分かる気のない中国にとっては無意味な論理に見えているのではないか。ただ、手を出したら何をされるか分からない、と云うことを感じて手を出さないでいるだけだろう。

2013年6月11日 (火)

報復ではないはずだが

 EUが中国の太陽光パネルをダンピングと断定し、高額のダンピング課税を行うことを決定した。中国の太陽光パネルメーカーはEU域内のメーカーではとても太刀打ち出来ない価格で怒濤の勢いで輸出攻勢をかけたために沢山の会社が倒産に追い込まれた。これに対する措置である。

 これを中国は不法な判定であるとして反発、突然EU産のワインをダンピングの疑いがあるとして調査を開始した。これは報復関税にあたるとしてEUが中国の行動を牽制した。国際的なルールではもちろん報復関税は違法である。

 中国政府はこれは報復措置ではない、と反論している。

 中国メディアは一連の成り行きを論評し、太陽光パネルの輸出額(2兆円近い)とワインの輸入額(750億円程度)ではその規模がちがいすぎてEUには痛みを与えることにはならないという記事を掲載した。

 中国メディアの記事は中国の政府から検閲を受けており、政府の意見に反する記事は掲載出来ない。と云うことは政府の意見だと言うことだ。つまり、「報復ではない」と言っているけれども「(実は)報復である」と言っているわけである。

 こう云うのを語るに落ちる、と云う。

映画「TEKKEN-鉄拳-」2010年アメリカ

 監督ドワイト・リトル、出演ジョン・フー、ケリー・オーバートン、ヒロユキ・タガワ、イアン・アンソニー・デイル。

 ナムコのゲーム「鉄拳シリーズ」をベースとしてこの映画がアメリカで作られた。その後2011年にアニメ映画で「鉄拳 BLOOD VENGENCE」が作られ、それを先に見たので、てっきりこちらもアニメだと思っていたら実写だった。「鉄拳 BLOOD VENGENCE」はこの「TEKKEN-鉄拳-」の続編(それも最終的な、と云うか究極の物語)にあたるが全く違う。この実写版はプロローグのようなものだった。

 ほとんどストーリーと云えるものはなく、ただ格闘の理由をつけるためだけに筋がある。最初の実力から見てあんなに短期間にレベルアップするのはおかしいのではないかと思うが、そんな事はお構いなしだ。登場人物のキャラクターも世界設定もただ格闘シーンのためだけにある。

 格闘シーンをただ楽しむためなら面白いかも知れないけれど、ちょっとひどすぎる脚本だと思うが、ゲームもこんなものなのだろう(知らないけど)。

 録画したブルーレイがたまりすぎたので、とにかく見るだけ見て初期化することにしているのだ(今はBD-REに録画しているので)。そうでないとまた新しいメディアを買わないといけないし、キリがない。そういうわけで時々つまらない映画を見ることになったりする。

アニメ映画「図書館戦争 革命のつばさ」2012年・角川書店

 監督・浜名孝行。原作は有川浩の「図書館戦争」シリーズ。今年、監督・佐藤信介、出演・岡田准一、榮倉奈々で実写映画が公開されて好評だった。このアニメはそれに先立つものだ。

 物語の設定では元号が平成ではなく、正化となっている。ほぼ現代に近い2019年ということのようだが、日本はメディア良化法という法律が制定され、公序良俗に反するメディアをメディア良化隊が強権で規制することが出来ることになっている。特に出版物については徹底した検閲が公然と行われるようになっているのだが、一般市民は自分には直接関係がない、と太平楽を決め込んでいる。

 それに対抗するために図書館法を楯に図書隊が結成され、かろうじて言論の自由を護っている。メディア良化隊も図書隊もともに火器の使用が黙認されている。そのために両者の争いは戦争寸前の状態にある。

 そんな中、原子力発電所を狙ったテロが発生、さいわい鎮圧されるのだが、それは小説家の当麻蔵人の作品を模倣したものだ、と云う論理で、彼の作品の書店からの撤去と彼の作品執筆の停止がメディア良化隊により、執行されようとする。

 これを阻止するために図書隊が当麻蔵人の身柄を保護、逆にメディア良化隊の行動が憲法違反である、と裁判所に提訴する。この映画はその裁判(最終的には最高裁)の結果が出るまでの攻防と顛末の物語である。

 と云うことなのだが、実際には図書隊の新米で唯一の女性図書特殊部隊員、笠原都と上官・堂上篤のゆったりした恋愛物語である。原作を読んでいないので実際はこの恋愛がどれほどの比重なのか分からないが、このアニメではこちらがメインみたいだ。今時の女性はこんな恋愛物語に感情移入するのだろうか。

 検閲制度は憲法で禁止されている。ただし公序良俗に反しない限り、と云うことである。この公序良俗をどう解釈するのか、これは時代により変わる。猥褻についての判断がどう変わったかを見れば明らかだ。

 社会秩序を損なうか否か、と云う判断を拡大解釈すれば、恐ろしい社会となることはあり得ないことではないのだが、それに歯止めをかけるのはメディアであり、国民の良識である。それがどちらも劣化すればこの物語のようなことが起こる(もちろんお話だからデフォルメされているけれど)だろう。

 ラストの、車で非常線に突っ込むときにあれだけの銃弾を浴びながら無傷というのは漫画にしてもあんまりだ。装甲車なら別だろうが、レンタカー屋で借りた車なので、不自然すぎる。あれで全体がぶちこわしとなっている。それにメディア良化隊の恐怖感をもう少し織り込むべきだろう。おんなじ人間なのだから、などと云うことにこだわりすぎている。同じ人間なのにこんなことをする、と云う恐怖を語るシーンこそこう云う物語には必須なのだ。

新空港

 北京新空港が来年2014年に全面的に着工する。地下鉄三本が直接乗り入れする便利な空港となる見込みだという。第一期工事では四本の滑走路が建設される。併せて840億元(1兆3000億円あまり)をかけて空港新都市の建設も行われる計画だという。

 新空港の建設場所は詳しく分からないが、いくら中国は国土が広いと言ってもそこで生活している住民もいることだろう。中国は一党独裁の国で、こう云う場合空港や新都市を建設するとなれば有無をいわせずそこにいる住民は立ち退かされる。成田闘争を思い出すが、日本ではそんな事をすれば大騒ぎになる。そういう点ではこう云う国は話が早い。

 中国は民主主義よりも今の中国の制度(共産主義とはとても言えない。あえて言えば共産帝国か)が優れている証拠だと胸を張ることであろう。

 そう言えば今の北京空港は建設費用の半分が日本からのODAでまかなわれたというのは「日本では」有名な話だ。中国では全く報道されなかったので中国国民は誰も知らず、日本政府がこれに抗議したところ空港内に日本からの援助があったと書かれた小さなプレートが掲げられた。

 しかし誰もそんなものを読むものはなく、しかも二三ヶ月でそのプレートは撤去された。

 今回の新空港は全部自費でまかなえるのであろう。まことにめでたいことである。

2013年6月10日 (月)

映画「ドライブ・アングリー」2011年アメリカ

 監督パトリック・ルシエ、出演ニコラス・ケイジ、アンバー・ハード、ウィリアム・フィクナー、ビリー・バーク、デヴィット、モース。

 タイトルバックにかぶさる最初のシーンが、この世のものとは思われない景色の中を爆走する車なのだが、それが意味するものが分かるのは最後の最後である。

 ニコラス・ケイジはこう云う毛色の変わった映画にも良く出演する。この映画の前に見た「ドライヴ」とはまるでちがう映画だ。こう云うテイストの映画は苦手な人も多いかも知れない。

 (たぶん)はずみでオカルト教団に入ってしまった娘が教祖のヨナ・キング(ビリー・バーグ)に殺され、その赤ん坊が生け贄にするためにさらわれる。復讐のために教団を追うミルトン(ニコラス・ケイジ)はたまたま知り合った女性・パイパー(アンバー・ハード。美人)を巻き込んでしまう(後で意図的であったことが分かる)。

 さらにそのミルトンをFBIのバッジを持ち、監察官と名乗る男(ウィリアム・フィクナー)が追う。この監察官と名乗る男は超人的な力を持ち、平然と人を殺す。

 教団とミルトンとこの監察官が三つどもえとなり、血で血を洗う抗争が繰り広げられる。赤ん坊を取り戻すところまで後一歩まで迫るミルトンだったが、教祖のヨナ・キングに銃で顔面を撃たれ、ミルトンは倒されてしまう。そしてパイパーは赤ん坊とともにさらわれてしまうのだが・・・。

 だんだん話が現実離れしていき、収拾がつかなくなるかと思いきや、それなりに収まるものは収まり、最初の不思議な風景に戻る、と云う仕掛けになっている。面白いことは面白いが、もう一度見たくなる映画ではない。

映画「ドライヴ」2011年アメリカ

 監督ニコラス・ウィンディング・レフン、出演ライアン・ゴズリング、キャリー・マリガン、ブライアン・クランストン。

 クールなヴァイオレンス映画。監督はデンマーク出身ということだが、デンマークが個人的に好きなのでそれも嬉しい。暴力シーンはかなり過激。R15+指定である。

 主人公(ライアン・ゴズリング)は、昼は映画のカースタントや自動車の修理工場で働きながら、依頼があれば犯罪者の逃走を助ける天才ドライバーだ。寡黙で人との関わりを避けて生きてきた彼だが、隣人の子連れの女性(キャリー・マリガン。小顔の田畑智子みたいで、えくぼの可愛い女性。とても魅力的)が車の故障で困っているのを助けたことから関わってしまう。彼女の夫は強盗事件で刑務所に服役中である。彼女の息子からも慕われ、徐々に深みにはまっていくのだが、そんな矢先に夫が出所してくる。

 主人公(映画の中では名前が語られない。ハードボイルドだ)は以前仕事を請け負った犯罪者に偶然遭遇してしまう。身元が明らかになることを懸念してその男の周辺を洗っているうちに、その男とその仲間が彼女の夫を襲撃しているのを見る。

 夫に事情を聞くと刑務所に服役中に借金をしたが、それが雪だるま式に膨らんで、再び犯罪をしないと返せない状態に追い込まれているのだという。断ったことで暴行を受け、家族の身まで危ういという。

 主人公はその仕事を手伝うことを申し出る。しかしその仕事には罠があった。

 それからは一気呵成にヴァイオレンスシーンの連続となる。相手が銃で襲ってくるのに銃を持たずに平然と乗りんでいく。倒すときは相手の息の根が止まるまで徹底的に破壊する(まさに破壊するとしか言いようがない)様は鬼気迫るものがある。

 ライアン・ゴズリングはどちらかといえばやさしい顔で、口角をややあげて笑顔を見せるときは人なつっこい。それが無表情で必要な言葉以外はほとんど喋らないことで、かえって不気味な迫力を出している。確かにこう云う人の方が強面の男より怖いかも知れない。

 この映画は2011年のカンヌで監督賞を取ったらしい。全編緊張感が漲っており、記憶に残る映画だ。

定年延長に反対

 中国の新聞社の報道によれば、民間の調査機関が発表した世論調査で、定年延長に反対する人は過半数に達したそうだ。

 中国の一般労働者の定年は、男子60歳、女子55歳、中国政府はこれを少なくとも五年以上引き上げようと検討中である。もちろん少子高齢化対策であり、同時に増大する年金、福祉等の負担軽減のためでもある。日本と同じだ。

 日本では定年延長に反対する人は思った以上に少ない。やはり働くことが生きがいであり、働くのが好きなのだ。問題は年金が延長になることで定年が延長になることではない。

 その辺が中国はややちがうのかも知れない。中国の物価上昇は国の発表より高いと思われる。生活を考えれば、定年延長は結果的に受け入れられていくだろう。ただ、定年延長により、さらに若い人たちの雇用が圧迫されることになると、中国の社会不安は増すことになるだろう。  
 私は60歳定年の最後の世代だ。仕事が不得意だったから、たいした蓄えもなしに定年という大義名分が立つのでこれ幸いとリタイアした。さいわい暇を持て余すこともなく、つましいながら楽しい日々を送らせてもらっている。もっともしあわせな最後の世代なのかも知れない。勤労者諸兄諸姉、誠にお世話になり感謝しております。

2013年6月 9日 (日)

絶対善!?

 元商社マンで、中国で起業した人物が述べている意見がネットのニュースで紹介されていた。その文言に驚いた。

 「私は日本で教育を受けてきたので、初めて"悪の独裁国家"中国に来たときには『中国の国民は参政権も与えられず、独裁者に抑圧された暗い毎日を送っている』と思い込んでいた」という。そして「人は参政権がなくてもけっこう幸せに暮らせる」と感じたそうだ。

 さらに「天安門事件で中国に民主化が実現していたら、これだけ多くの人が幸せに暮らせるようになっていただろうか」と続ける。

 「アメリカや日本など西側先進国は民主主義を絶対善と決め付け、中国の一党独裁を悪と決め付ける。そして中国の民主活動家にノーベル平和賞を贈って物議をかもした」そうだ。

 この人、本気で言っているのだろうか。それとも中国へのリップサービスなのだろうか(多分そうだろうけど本気なら怖い)。

 そもそも民主主義が絶対善などと言うことはあり得ない。民主主義によってドイツはヒトラーの全体主義を呼び込んだ。国民みずからが国民みずからの責任において体制を選択出来るのが民主主義の建前だから、絶対善であり得ようはずがない。民主主義と絶対という言葉は全く相容れない概念だ。

 ところで日本の何処で「中国が独裁者に抑圧された国家で国民は暗い生活を送っている」などと教育しているのだろうか。よほどの馬鹿でない限り、テレビでほとんど毎日中国の現状をテレビで見ているから、みんな明るく元気に金儲けにいそしみ、余暇を楽しんでいる様子を目の当たりにしている。

 この人は北朝鮮と中国を勘違いしているのだろうか。北朝鮮だって報道されている平壌の市民は暗い顔などしていない(それが怖いところだ)。

 たぶん中国政府が中国国民に思い込ませたい民主主義について、この人は代弁しているつもりなのだろう。中国共産党党員に是非推薦したい。

映画「トランジット」2012年アメリカ

 監督アントニオ・ネグレ、出演ジェームズ・ガビーゼル、ジェームズ・フレイン、ディオラ・ベアード、エリザベス・ノーム。

 現金輸送車が四人組の強盗団に襲撃され、警備会社の社員が二人射殺されて現金400万ドルが強奪される。直ちに付近一帯に検問が張られ、車で逃走していた犯人たちは追い詰められる。検問突破のために現金を家族ずれの車の荷物に紛れ込ませ、銃を処分して、からくも検問を突破した犯人たちは金を取り戻すためにその家族連れの車を追う。

 現金が自分の車に積まれていることを知らない家族は突然凶悪なグループに襲われる理由が分からない。しかも父親はやむを得ず手を染めた不動産詐欺で服役し、刑期途中で仮釈放中の身であり、家族の絆を取り戻そうと旅行に赴く途中だったのだ。

 敵から逃げるときにスピード違反を警察にとがめられ、父親は理由を説明しようとするが、前科があることを理由に警察は彼の必死の釈明を公務執行妨害と一方的に決め付けて逮捕してしまう。このままでは仮釈放は取り消されてしまう。しかも家族はますます彼と離反してしまう。

 彼が留置場に入れられたその晩、再び犯人たちがモーテルに泊まっている家族を襲う。さいわい通報で犯人たちは目的を遂げずに逃走するが、このことで警察は父親の話が嘘でないことを確認し、彼を釈放する。

 家族は旅を続けるか引き返すか話し合う。両親と息子二人の四人の家族は、父親の必死の説得で旅を続けることにする。再び犯人たちが家族の車に迫る。

 上の息子は父親が犯罪者であることを毛嫌いし、ことごとく反抗する。下の息子は父親が好きであるし、昔の仲の良かった家族に戻ることを願っている。妻は父親に対して愛憎半ばする気持ちを持っている。

 いちどは家族から見放されながら満身創痍で家族のために戦う父親の姿を見て、そして家族が根本的な誤解をしていたことに気が付いて、全員が自ら敵に立ち向かうことで、再び家族の絆が取り戻されていく。

 家族再生の物語なのだが、とにかく痛い映画だ。父親(ジェームズ・ガビーゼル)はぼろぼろになるが、主演のこの俳優はそういう役柄がとても似合う俳優でもある。見ているとその痛みがこちらにも感じられてしまう。

 凶悪犯罪者というのは血も涙もないものだ(当たり前だけれど)と言うことを徹底して描いており、戦わなければ生き延びられないと言う極限状況を切り抜けなければ、家族の再生はかなわないのだ、と映画は告げている。

2013年6月 8日 (土)

肉が泣いている

 明日はマンションの組長の総代会。メインの議題は夏祭りだ。模擬店の割り振りがあるはずで、出来れば焼き鳥店をやりたい。肉を焼くのはある程度自信がある。肉は強火で、しかも焦がさずにちょうど中まで火を通す。下手な人は焦げるのをおそれてちびちび焼くので肉が硬くなってしまうし、強火だとぼんやりして焦がしてしまう。

 ちびちび焼くのはしみったれ、ぼーぼー焼くのは馬鹿ったれと言う通りだ(馬鹿の大足間抜けの小足、中途半端のろくでなし、なんて言葉も思い出した)。

 子供にも肉や魚の焼き方だけは何処へ出しても恥ずかしくないように仕込んだと自負している。焼き肉屋で他人のテーブルの肉が硬くなって焦げたり燃えたりしているのを見ると、肉が泣いている、と思う。

 焼き鳥は以前もやって好評だった。ポップコーン屋もやったが、あまり面白くなかった。焼きそばは出来るのに時間がかかりすぎて、客は多いがつかれる。ほかにもいろいろあるが自分でエントリーしようかな。だいたい早い者勝ちだし。

映画「ブレイクアウト」2011年アメリカ

 監督ジョエル・シュマッカー、出演ニコラス・ケイジ、ニコール・キッドマン。

 ダイヤモンドの仲買商カイル・ミラー(ニコラス・ケイジ)は妻のサラ(ニコール・キッドマン)、娘のエイヴリーとの三人暮らしであった。家はプール付きの豪邸でセキュリティーも万全のはずだった。

 そこを保安官を装った強盗に襲われ、家族の命と引き替えにダイヤモンドと金が入っている金庫を解錠するよう迫られる。

 強盗は男三人、女一人、主犯格の男と、その主犯格に指図する大男は同じ仲間と思えないような間柄であることが次第に明らかになる。しかも主犯格と、もう一人の若い男が兄弟であり、覆面をしているものの、その若い男にサラは見覚えがあることに気が付く。

 家族の身に危険が迫っているのにカイルは頑として金庫を開けようとはしない。確かに金庫を開ければ皆殺しになる可能性が高いとは言え、その頑なさは普通ではない。やがてついにやむを得ず開けられた金庫の意外な中身を見て事態は急展開をはじめる。

 次第に強盗たちの間に亀裂が入り始める。助かるチャンスが再三訪れるのだが、それはことごとくうまくいかず、ついに絶体絶命のピンチに立ったカイルたちは全員窮地を逃れられるのか。

 けっこうはらはらどきどきさせられるうえにそれぞれの関係についてミスリードさせる伏線が用意されていて最後まで飽きさせない。

 それにしてもアメリカの思春期の娘というのはどうしてああ馬鹿娘ばかりなのだろう。まあエイヴリーはかろうじて踏みとどまって両親の元に帰ったからいいけれど。もし踏みとどまらずに無軌道なままなら奇禍に遭わなかったわけでもあり、ちょっと複雑だ。

高野史緒「カラマーゾフの妹」(講談社)

 第58回江戸川乱歩賞受賞のミステリーである。受賞のときの題名は「カラマーゾフの兄妹」。

 題名の通りこの物語はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の世界が背景となっている。あの父親殺しの事件から13年後、今は未解決事件の特別捜査官という立場にある次男のイワンが、あの事件の真相を明らかにするために故郷に帰ってくる、と云うところから始まる。

 「カラマーゾフの兄弟」はあれだけの大部の小説なのに実は第一部であって、ドストエフスキーは続編となる第二部を書くことを公言していたが果たせなかった。だからこの本はドストエフスキーの替わりに書かれた続編と云う事になる。

 「カラマーゾフの兄弟」を読んだことがあるだろうか。あの延々と続くイワンとアリョーシャとの神学論争を読み通すだけでも大変な力業が必要だ。露西亜人というのは粘り強くて忍耐強い(ねちこい)。

 もちろん学生時代に私も読みかけて、途中で話がどちらに向かっているのかさっぱり分からなくなり、ほうりだした。そんなとき、ソビエト映画で「カラマーゾフの兄弟」が映画館にかかった。

 上映時間約四時間という長い映画だったが、夢中になって見た。その中には神学論争もきちんと描かれている。若くてエネルギーにあふれていたから見ることができたのだと今なら思う。

 そのキャラクターが頭の中で生きているうちに、と思って映画を見たその晩からあらためて原作を読み始めた。徹夜で読み続けて翌日の夕方には読み終わっていた。登場人物や背景が映画を見たばかりだから頭の中でリアルに映像化出来る。しかも映画では描き切れていない興味深い膨大な細部があふれている。興奮して読んだ。

 だから私にはこの「カラマーゾフの妹」という小説の背景や登場人物には馴染みがある。ただし13年後なのでずいぶん登場人物は性格が変わっているものもある。特に変わっているのはアリョーシャだ。

 無実を訴えながら、父親殺しの罪で20年の流刑に服していた長男のドミートリィはイワンの奔走で刑を13年に短縮してもらったにもかかわらず9年目に強制労働中に事故にあい、すでに死亡している。前作ですでに要の人物、スメルジャコフは自殺してしまったし、三男のアリョーシャはゾシマ長老の死後宗教家の夢を捨て、いまは教師になっている。

 イワンが何をもくろんで故郷の村に帰ってきたのか、そしてそのもくろみが外れて意外な事実が明らかになったとき、再び殺人事件が起こる。

 もちろん元の小説を知らなくてもこの本だけで極上のミステリーを楽しむことができる。だから江戸川乱歩賞を受賞したのだ。だけれど原作を読んでいればそれ以上に楽しめる。そしてこの本を読んだ後に興味を持ってドストエフスキーを読んだら意外と面白い小説だと云う事を知ることが出来るだろう。

 狂言回しとして、トロヤノスキーという高級貴族で心理学や犯罪学に詳しくてホームズ(シャーロック)の探偵術を極めようとしている人物が、イワンと同行する。彼の存在は話を進める上では必然的ではあるものの、人物造形が今ひとつ、の感が否めないのが玉に瑕だろうか。彼が読者の替わりに行動し、考えてくれているかたちなのだがややイワンとかぶるような気がする。

 イワンの精神錯乱の絵解きは現代流の解釈だけれど、だから読んでいて違和感がないとも言える。

 この本でヒョードル(兄弟の父親)殺しの真犯人を知った上で映画を見直したら矛盾があるのだろうか。興味のあるところだ。

2013年6月 7日 (金)

映画「GANTZ PERFECT ANSWER」2011年

 監督・佐藤信介、出演・二宮和也、松山ケンイチ、吉高由里子、夏菜、戸田菜穂、綾野剛、伊藤歩、田口トモロヲ、山田孝之

 漫画「GANTZ」が原作となるこの映画は二部作構成になっており、今回見たのは後編にあたる。一年くらい前に前篇を見たので、細かいところがうろ覚えになっていたが、最初に前篇のあらすじをやってくれたので思い出した。

 物語の説明は難しい。興味のある人はすでにこの映画を見ているだろうし、少なくとも原作の漫画を知っているだろう。興味のない人にとっては説明しても何の事やら皆目訳が分からないと思われる。それほど不条理な展開で話は進む。

 とにかく黒い球体の命ずるままにターゲットとして指定された人物を抹殺しなければならないという設定になっている。そのターゲットは異星人で、人間に紛れて生きているのだが、追い詰められると意外に強力な抵抗を示し、ときに逆襲されて死んでしまうこともある。

 この後編ではその設定とは異なるような異常事態が発生し、死んだり生き返ったりが目まぐるしく、何がなにやらわけが分からなくなり、ついに仲間割れで互いに戦う事態となる。戦うことに最低の意味が与えられていたはずなのにそれすら失われてしまい、不条理がますますエスカレートしていく。異星人もとてつもなく強力になり、歯が立たない敵まで現れてどう収拾するのかと思っていたら突然それなりのつじつまが合って終わる。でも異星人はどうなったのだろう。

 強力な異星人として綾野剛が登場するが、この人そういう役柄がぴったりはまっていた。あの眼は異星人みたいな眼だ。さらに強力な異星人が登場するが誰がそうなのかは種明かしになるので書かない。

 140分近い長い映画だけれど、だれるところがなく一気に楽しめた。繰り返すがなんだこれは、と首をかしげているような人には面白くない映画かも知れない。私は好みだけれど。

シングルマザー報道

 ドン姫がサクランボを手土産に持って来てくれたので、久しぶりに食べることが出来た。自分で買うことはめったにない。昔、学生時代に山形にいたので手軽に食べていたが、その後どんどん高価なものになってしまって食べそびれることも多くなっていた。

 話はそのことではなくて、二人で見ていたテレビの話である。幼児を抱えて月収が一月15万円というシングルマザーの生活の苦しさが取り上げられていた。食費には3万円しか充てられないという。そして冷蔵庫の中身が紹介されていた。「無駄なものはなく、必要なものしか買えません」と訴えている。

 すかさずドン姫が「それが普通だろう。もっと小さい冷蔵庫にしろ」と突っこんだ。離婚したのではなくて子供が出来たと知って男に逃げられた末のシングルマザーだという。どう見ても家族四、五人用の大きな冷蔵庫だ。これにどっさり食べ物が入っていたら親子二人で一月は暮らせる。電気代もかかるだろう。無駄なものが冷蔵庫に入れられないと歎くというのも変な話だ。

 三人の子供をかかえて月収20万円の女性も取り上げられていた。働いておらず、生活保護と子供手当で食いつないでいるという。こちらも大きな冷蔵庫だが、この中身はがらがらだった。「中にいろいろな食べ物を入れておくと子供が勝手に食べてしまうんです」という。コーラなどの飲み物だけはふんだんに用意しているようだ。ドン姫と二人で絶句したのは三人の子供のうちの一人は19歳だという。親に食わせてもらっているらしい。困っているなら働かせろ。

 番組ではシングルマザーの困窮の様子を伝えたつもりらしかったが、見ているこちらから見たらなんと贅沢な暮らしをしているのだろう、としか映らなかった。本当に困っている人もいるだろう。先日のように誰にも頼らずに餓死した親子もいた。

 しかし餓死した親子や本当に困っている人と、番組で取り上げられていたシングルマザーには千里のへだたりがあるように思える。月に3万円の食費でも工夫次第でどうとでも食べていける。そのほかの経費を少しずつ切り詰めればそれを3万5千円にも4万円にもすることが出来そうに見えた。

 取り上げられたシングルマザーたちはそれなりにがんばっているのだろうから何も悪くないが、これを恰も困窮家庭のように紹介し、世の中のひずみの被害者のように取り上げるマスコミの感覚に腹が立った。こうしてがんばっている人たちに被害者意識を植え付けることで何が社会に生まれるのだろう。

 こうしてあれが被害者なら私だって被害者だ、と勘違いする人たちをどんどん増やしていくことが社会にとってプラスかマイナスか、それすら分からないのだろうか。世の中はアベノミクスで右肩上がりの世の中が再来するような錯覚に陥っているが、世界はゼロサムに向かって(エントロピーの法則だ)日本人だけが豊かな生活を送ることが許されることなどもうない。

 限られた収入の中でやりくりしていく生き方が求められるし、政府に何もかも助けてもらうわけにはいかない。誰かが助けてくれるから助けてもらえるので、みんなが助けてもらおうとしてもそれは不可能だ。マスコミはそろそろ助ける側の美徳にウエイトを置いた番組を作るようにして欲しいものだが、どうも特権意識がぷんぷんする連中らしくて、国民はみな貧民に見えているらしい。

不正輸出

 日本の環境省の調査によると2011年に廃棄されたエアコン77万台以上が国外に不正輸出された。これは全体の23.4%に相当するという。そのほかテレビ、冷蔵庫、洗濯機を合わせた不正輸出は362万台に上るという。

 その不正輸出されたもののほとんどは中国へ運ばれた。それらの処理の際の管理がずさんなために現地の環境が深刻な被害を受けている。

日本では家電の廃棄の費用を消費者が負担し、メーカーはその回収とリサイクルに責任を負うことが法律で定められている。ところが一部の回収業者はスクラップの名目でこれを不正に輸出しているのだという。日本政府はこのような違法な輸出を防ぐことを計画している。

 中国ではこのような日本の不正により、中国の環境が汚染されていることを問題視して日本を非難している。

 しかし日本が不正に輸出していることは事実ではあるものの、それを輸入しているのは中国である。しかも輸出されているもののほとんどが中国向けだと云うことは、中国にそれを商売として成り立たせているという事実があるわけで、日本の輸出を非難するまえに、そのような中国側の組織のほうを摘発したらどうだろう。日本は日本でやることをやると言っているのだから。中国のリサイクルはどうなっているのだろうか。

 同様のスクラップの中国への輸出はイギリスでも問題になっていて、そのニュースを見た記憶がある。

 寿命のきた家電の処理には面倒な思いをする。買い換えるのなら簡単なのだが、そうでないものが家の中にいくつか積んである。それを処理してくれる業者が現れるとそこに委託してしまう。しかし業者の中には無償で回収すると云いながらこれは例外、などと言いがかりをつけて不当に高い費用を請求するものもある。日本のリサイクルシステムも粗大ゴミや家電についてはまだうまく機能していない面があるように感じるのは私だけだろうか。

 先日は古い布団の処理に頭を悩ませた。昔は布団綿が再利用されてその専門業者があったが、今はほとんど焼却ぐらいしか処理先がないらしい。片付けていくときのもっとも大きな難問だ。

やり放題

 沖縄を日本に返還する際に、尖閣諸島を日本に返却するかどうか、ホワイトハウスで論争が行われ、返還すべきだというキッシンジャーの意見を取り入れたニクソンの決断で、日本に返されることになったという秘話が、昨日から録音テープを元に報道されている。

 返還すべきか返還すべきでないかの判断がアメリカの繊維産業を護るかどうかという点にあり、台湾(当時の中華民国。常任理事国の一つで繊維製品をアメリカに安価で大量に輸出していた)に恩を売ることで繊維の輸入を制限したいという思惑があったのだという。

 太平洋戦争が終了した直後、トルーマン大統領は沖縄を中国に(中華民国)あげようと蒋介石に提案した。蒋介石は後で日本との関係がこじれるのを嫌ってこれを断った。再度トルーマンは蒋介石にこの提案を繰り返したが蒋介石は再度断ったのでこの話は立ち消えになった。知る人は知る話だ。

 戦勝国というのはやり放題である。だから戦争は勝たねばならない。勝てる見込みのない戦争をした者はその責任を取らねばならない。東京裁判のA級戦犯のみならず、日本国民はその責任を負うている。中でも戦争を煽ったばかりか、日本の敗勢を誰よりも知りながら大本営発表を唯々諾々とそのまま報じ、敗戦後はそれを反省することもなく、口を拭っているマスコミの罪は重い。正義を口にするならまず自分が何をしてきたかを明らかにしてからでなければそれは偽善だ。

 脇道にそれてしまった。戦勝者は勝手なものであり、戦争とはそういうものでもある。なぜ尖閣問題についてアメリカの歯切れが悪いのか、このニクソンたちの判断の話を知ることで明らかになった。

 しかしこれだけは感心するのは、いったんある判断を下したならば状況がどう変わろうと断固それを貫き通す態度だ。秘密の打ち合わせでも記録をきちんと残し、歴史に後で断罪されないようにしている。人が見ていなくても神が見ている、と云うキリスト教精神が生きていると云うことだろう。

 それにひきかえ中国や北朝鮮のころころ変わる言動は不節操極まりない。日本にはキリスト教の神はいないが「恥」の精神がある。中国や北朝鮮には何があるのだろう。それらの国を天国と讃えた一部マスコミがそれによく似ているのは当然か。彼等は他国目線で日本という国を非難する。

 アメリカの今回の外交秘話の公開は彼等に嬉しくないことはない話だろう。中国はどう反応するのだろう。

2013年6月 6日 (木)

火の玉

 どうして祖母とそんな夜中に人気のない町を歩いていたのか分からない。見上げた中空に青白い火の玉がふわふわと漂い流れていくのを見た。後ろに長く煙のようなものが尾を引いていた。

 その後二度とそんなものを見ないから、それが現実にあったことかどうかも定かではなくなったが、今でもありありとそのときの様子は思い出すことが出来る。

 ひとり旅をしていると、幾部屋もある大きな宿に、泊まり客は自分だけ、と云うこともある。そういう宿で不思議なことに出会うこともないことはない。もともと恐がりだからどうしてこんな所にひとりで泊まることになったのか後悔するけれど、如何ともしがたい。

 明るいときは何ともないのに夜が来ると世界が一変する。物音や気配が意味を持ち出す。夜の闇というのは本当にこわい。だから山の中でひとりで野宿する人というのは本当に勇気があると思う。

 今回の旅ではさいわいそれほど不思議なことには出会うことがなかった。

 マンションにひとりでいるけれど、考えたら上にも下にも左右にも中空にいろいろな人が暮らしている。そして生きている人の気配と物音がする。だから怖くない。

夢を見る

 最近仕事をしていたときの夢を見る。仕事の夢ではない。仕事の夢はほとんど見ない。夢を見るほどの仕事をしなかったのかも知れない。

 今朝の夢には営業所で一緒に仕事をした女性が登場した。仕事がよくできる女性だったがあまりつきあいの良い女性ではなかった。と云っても人妻だったから当然でもあるけれど。彼女を中途採用するとき、ずっと子供が出来ないので長く働いてもらえる、と云うことも期待の中にあった。その彼女が子供を作ることに努力していることをあとで知った。

 努力の甲斐があって子供に恵まれたのだが、ご想像通り別の問題が生じることになった。

 顛末はそのときに自分の考えに素直に従うことにしたのだが、そのことをすっかり忘れていた。夢の中で何だか彼女とずいぶんいろいろやりとりしていたけれど良く覚えていない。彼女に不満を言われていたのか、それとも子供自慢をされていたのか、どちらだったのだろう。

 今は年賀状だけのつきあいだけれど、彼女、どうしているだろう。娘も大きくなっただろうな。

 本日は娘のドン姫が夜遅くにやってくる。

 敦賀で何か魚でも買おうと思ったら、ろくな物がない上にやたらに蟹を売りつけようとする。広い駐車場に車も少ない。季節のせいかもしれないけれど、鮮魚が少なければ客は減り、客が減れば鮮魚も並べられなくなる。ここも今に先細りか。干物を買っても仕方がない。ソフトクリームを食べただけで引き上げた。

 ほかに土産は用意している。帰ってからスーパーの魚屋で良さそうな刺身を見繕い、手巻き寿司の用意をした。ドン姫、早く来い。馬鹿親父はすでにいささか酔っているぞ。

曽野綾子・金美齢「この世の偽善」(PHP)

 物事の善悪の判断は、状況や判断する人、その立場などによって変わる。ある場合に悪であったからと言ってそれを排除していくと、世の中がよくなることより偽善に満ちた嘘だらけの世界になってしまう。

 この本でも取り上げられているが、「ちび黒サンボ」弾劾の顛末を見るとその正義の味方の人々の快哉の姿に感じたあるむなしさを思い出す。ある年齢以上の人ならほとんどの人が知っている有名な童話なのだが、最後に虎がバターになってしまう不思議さと愉快さが忘れられない話だ。

 この話は黒人蔑視である、と言う意見があり、この童話をこの世から消し去ろうという運動がある国で起こった。これに日本の市民運動家の人たちが賛同し、日本でも幼稚園や小学校から「ちび黒サンボ」の本が集められ、焚書された。そして出版社に対してその出版を差し止めるよう運動した。さらに各家庭にあるこの本を集めて焼却するところまでエスカレート、出版社も出版できなくなった。

 もちろんこれにマスコミが賛同したからここまで運動が盛り上がったとも言える。皆正義の味方である。ところでこの人たちは本当にこの「ちび黒サンボ」を読んだことがあるのだろうか。この本を燃や尽くしてこの世から抹殺しまわなければならない、と言うほどの悪書だと本当に思っていたのだろうか。

 熱が冷めてみればなぜそれほど夢中になってこの本を非難したのか、と首をかしげたのか、それともいまだに正しいことをした、と満足し続けているのか。

 この本によれば、「ちび黒サンボ」はどこの国でもいまだに出版され読まれている。完全になくなったのは日本だけだという。

 市民運動家のこの正義の行動の中に、太平洋戦争の時の国防婦人会の亡霊を見るのは私だけだろうか。街頭に立ってパーマの女性の髪を切り、スカートの女性にもんぺを強要したあの国防婦人会の人々は自分の正義を信じていた。

 黒人蔑視はいけないことだ。そんなことは長い歴史の中でようやく人々が確立することのできた認識である。だが「ちび黒サンボ」の話がその認識を覆すような悪書だろうか。黒人や土人(いま土人と変換しようとしたらできなかった。いまに黒人もできなくなるに違いない)と言う言葉が物語の中に記載されていたらすなわち悪書だというのだろうか。

 きりがないし、収拾がつかなくなったのでやめる。

 この本ではいろいろな事例について二人がやり玉に挙げて、偽善者を、そして正義の味方を斬って捨てる。二人の意見はおおむね近いから片方が取り上げたことに相手が賛同することになってしまう。私もほとんど同意することばかりだ。そうだとすると、取り上げられた実例は何なのだ、と思う。人々がとくとくと正義として振りかざしているものが偽善に満ちたものばかりというのは、この世は偽善の世界だ、と言うことの表れだと言うことだ。

 偽善と善との境目は曖昧だ。この世は曖昧なものだ。悪に似たものを断罪していると、ついにこの世は悪ばかりに満ちている、と言う妄想の世界にいたる。魔女狩りは続いている。異端審問官を任じているマスコミのコメンテーターの仮面の下には悪魔がのぞいている。

2013年6月 5日 (水)

丹後半島

海の美しさなら丹後半島も負けてはいない。特に経ヶ崎から伊根にかけての断崖上から見える海はこれも絶景だ。

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この一枚でその美しさが分かってもらえるだろう。

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伊根の道の駅から舟屋を見下ろす。ここでソフトクリームを食べて一息入れた。ここからの景色は何遍見てもいい。舟屋を直接見に行ってもいいけれど狭いところに車で入っていくのは迷惑なだけだと思って我慢した。ここから宮津は近い。今回は日本海を堪能させてもらった。

香住・竹野・城崎

山陰国立公園の香住から竹野、城崎にかけての絶景は日本の海の中でも特にすばらしい。何枚か見てもらう。

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本当の絶景の場所では車が止められないことが多い。写真のものは、だから絶景よりやや落ちレベルの絶景という位のものだ。断崖の上から時々のぞく海は青く透明。日本の海はそもそもこういう色をしていたのだ。




丹後由良の宿

先ほど宮津の舞鶴寄り、丹後由良駅の近くの宿に着いた。無理すれば今日名古屋まで帰れるのだけれど、明日どこかでおいしい魚でも買って帰ろうかと思っているので、もう一泊することにした。

今日は日本海の絶景を堪能した。風呂に入り、食事が済んでから写真を整理するのでそれから紹介する。

今日の宿は9部屋の小さな宿だ。部屋から海が見える。

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パソコンの前に座ったまま撮った。窓際まで行けばもっと海がちゃんと写るけれど、横着をした。

ところでこの宿の急須は

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立派な急須なのだけれど、持ち手に指が入らない。これは私だから入らないのではなくて(元々私の指は見かけによらずそんなに太くない)、普通の女の人でも入らないと思う。結構重い。どう持てばいいのか。

こういう体裁だけのものを道具に使う宿って・・・大丈夫かなあ。

さあ風呂に入って汗を流そう。一応温泉らしい。

奥津温泉

奥津温泉を散策した。

Dsc_0159温泉遠景。

Dsc_0162河原には露天風呂があった。今は足湯として使われている。

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川沿いに行くと「歌の小道」という遊歩道があった。奥津温泉にはむかし与謝野鉄幹、晶子夫妻がしばらく湯治で逗留したという。二人の歌の石版が所々にある。

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これは与謝野晶子の歌。全般に歌に関しては晶子のものの方が分かりやすいし、できもいいように感じた。分水嶺はこの少し先のようだ。

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宿の下駄で散歩した。下駄で歩くのはしばらくぶりなので歩きにくいし疲れる。宿の近くの日帰り温泉の前に温泉スタンドがあった。20リットル100円、100リットル300円であった。

仁木英之「僕僕先生 童子の輪舞曲」(新潮社)

 シリーズ第七作。久しぶりの短編集だが、おもむきが今までと違う。今まで進んできた物語を振り返り、それぞれの物語に関連した短編を一編ずつ付け加えることで全体を振り返る構成になっている。

 さらに後半の二編ではスピンアウト風の、僕僕も王弁も出ない物語を語ることで、世界の空間と時間の広がりが無限であることをうかがわせる。特に最後の話は突然時代が現代に設定され、何のことかと戸惑うが、僕僕先生の仙人としての永遠性というのは昔話だけではないのだと言うことをちらりと見せてしゃれた終わり方をする。

 永遠は神への道だ、と言う私の思いと同様、永遠は仙人への道でもあるようだ。だからここで話が完成してしまうと永遠ではなくなってしまう。杜子春は何度チャンスがあっても仙人にはならないが、仙人にならないことで仙人に無限に近づいていく。

 今回はちょっと軽めのファンタジーにできあがっている。あらためての入門編かおさらいと言うところか。

2013年6月 4日 (火)

奥津

津山から179号線で北上、奥津へ向かう。今晩は奥津温泉に泊まる。

Dsc_0144奥津湖。

奥津湖を遠望し、途中から旧道を奥津渓谷沿いに進む。

Dsc_0146奥津の甌穴。

Dsc_0147_2奥津渓谷。

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奥津温泉は吉井川沿いのひなびた温泉だ。ゆっくり風呂に入り、夕食。一つ一つは量が少ないけれども品数がたくさんあって気がついたら満腹となった。ヤマメの塩焼きが絶品。山菜をいろいろな料理で食べられたのもうれしい。小さな宿で部屋も六畳と狭いけれども料理がいいので満足。宿の女将さんが話し好きで、津山の話になったら止まらない。こちらも食事をそっちのけでしゃべっていた。

津山城跡

かんちゃん、ホルモンうどんは焼きうどんだったのですね。いける味でした。店によって味が違うようなので、ほかのところでも食べてみたい気がします。

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観光センターに車をおいて津山城跡、つまり鶴山公園を散策しました。津山城は大きくて立派な城だったようですが、明治に入って建物はすべて破却されてしまったと言うことです。復元が進められていて、備中櫓のみが完成しています。

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右上の建物が備中櫓。平山城と言われるお城の形なので、とにかく階段だらけ。昔の人は足腰が丈夫だったのでしょう。一段一段の段差が大きいので上るのに骨が折れる。おまけに改正で日が照っているので汗が噴き出しました。

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木陰のあじさいを見て一息入れました。

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天守閣の石垣跡。この上にも上れます。ここがこの公園の最上部。

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天守跡から備中櫓を見下ろしました。

鶴山公園は全山桜の木が植わっています。春には桜が見事だと言うことです。藤棚の木陰のベンチから津山の町を見下ろしてしばらく休憩しました。

ところで津山がこんなに大きな町だとは知りませんでした。お見それしました。

不思議な空間・奈義

鳥取と岡山を結ぶ国道53号を南下すると途中に津山がある。峠をいくつも越える道だが、奈義というところへは急坂でも降りきらないのでループ橋になっている。

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ループ橋の下には車を止めるところがなかったので、少し離れたところから全景を撮った。高低差41メートル。上の道路と下の道路は連続している。昨日は湯村温泉の近くでもこれと違うループ橋を通っている。

この辺から道の勾配はやや緩やかになり、奈義の町が近くなる。そこに現代美術館があるというので立ち寄ることにした。

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これが奈義の現代美術館。田舎(奈義には失礼だが)にしては立派な美術館だ。図書館が併設されている。磯崎新の設計だそうだ。右手の丸いドームのようなものには中から入る。

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不思議な空間。ここを歩くと自分の足音が大きく響く。空気もそして音も増幅される仕組みになっているらしい。

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あのドームの内部のらせん階段を上るとさらに不思議な空間がある。竜安寺の石庭を模したものが壁面にしつらえられている。縦横は間違っていない。あえて言えば右手の壁なのだ。下の床も平らなところが全くなくて曲面になっている。これは実際に言って体験しなければ説明のしようがない。

館内特別展としてアニメのNARUTOのポスターやセル画が展示してあり、映画も上映されていた。作者がこの奈義の出身なのかもしれない。

さあ腹が減った。津山は近い。かんちゃん推奨のホルモンうどんを食べに行こう。

椎名誠「ぼくがいま、死について思うこと」(新潮社)

 歳とともに死の便りを聞いたり身内の死に出会うことが増える。年上の死もあるし、時にはずっと若い人の死を聞くこともある。それぞれに自分と同じようにものを思い、喜怒哀楽を感じていただろう人がこの世から退場してしまう。やがて自分もそうして退場していく。

 この歳になると少しずつ死ぬことがただ恐怖としてではなく、来たるべきものとして受け止められるようになってくる。椎名誠のように若いときに死に対する恐怖を強く感じる(作家などにはそのような人が多い)人とは違い、私はそこまで深く考えなかった。ただ、不死については強くあこがれていた。永遠であることが神への道である、と言うテーマがSFにはある。そのことについてはたぶん普通の人より深く考えてきた。

 この本では友の死の様子、身内の死などから始まって、死者の弔い方について火葬、土葬、鳥葬、水葬、風葬など世界中の実例をかなり詳しく紹介してくれる。普段そのようなものに直面することのない日本人にとっては怖気をふるものもあるだろうが人は必ず死ぬもので、世界の人はそれぞれそれが最も死者を弔う方法としてベストと思う方法で死者を送る。

 繰り返すが、人は必ず死ぬ。だから人類発祥以来この世に生まれた人は必ず死んで死骸を残し、今も痕跡を残すか自然に帰るかした。そう思えばこの世界は死に満ちているとも言える。

 椎名誠が死について考える、などというと意外に思えるかもしれないが、この人は意外に死の近くにいた。辺境を旅すれば常に死と隣り合わせである。ガンジス川に漂う、鳥に目をくりぬかれた死体を目の当たりにしたりすれば、死について考えない人などいない。椎名誠だから書けた本だろうと思う。

曾野綾子「人間関係」(新潮新書)

 いくつかとても共感した。金棒引きと言う言葉をご存じだろうか。人の噂をあることないことあちらでもこちらでもせっせと話して回る人のことを言う。

 むかし住んでいた家の近所のおばさんに典型的に金棒引きの人がいた。よく我が家の縁側で延々と母とおしゃべりをしていたから仲がいいのかと思っていた。ある程度私が大きくなってから母が実はそのおばさんが苦手であることを知った。「だって相手をしないとよそで何を言われるか分かったものじゃないもの」といったのだ。

 人の悪口は蜜より甘い、と言う。私も悪口を肴に酒をよく飲んだ。悪口を言わない人は立派だと思うけれども悪口の楽しみからは抜けられなかった(いまもそうだ)。ただその悪口に悪意があって相手を陥れるほどのもの、それも自分は正義の側にたっている、と言う体のものは確かに不愉快だ。それが無意識にできている人とはお近づきになりたくない。悪意を悪意として認識している人の方がまだつきあえる。

 金銭関係は友情を傷つける。金は貸さない、と決めている。もし貸すときはやったつもりで貸し、約束通り帰ってくれば喜びとするが、なに借りるほどの人は約束など守れないことがほとんど、ふたたびみたび借りようとすることが多い。親しいほど金は絡ませないことが肝要だ。

 人は互いに理解し合うのはとても困難だ。しかも人は心変わりがするものだ。自分でも自分のことがよく分かっていると言い切れない。そうだと分かっていないと裏切られることの繰り返しになると思う。裏切られたのではない、勘違いしていただけのことなのかもしれない。

 むかし小原信という人の「状況倫理の可能性」という本を読んだ。内容は忘れたけれど「状況倫理」という言葉がとても強く心に残った。倫理も状況で変わる。そう思うことで世界ががらりと変わる。このことはいつも意識の中にある。世界は見方一つで無数の様相を見せるものだと教えられた。

 以上、この本に直接書かれていることではないけれど読みながら思ったことをいくつかあげた。

 最後に曾野綾子が寅さんシリーズを見るのが苦手だというのが興味深かった。身内にあのような人がいたときのことを真剣に考えてしまうのだという。とてもよく分かる。テキ屋のおじさんがあんな風に美人たちと親しくなるというシチュエーションは現実にはあり得ないと私も思っているし、おじさんにあんな人がいたら家族中が困ることが多いだろうと思う。でもお話だから、ね、曾野さん。

天つゆで食べたい

 天ぷらを塩で食べさせられることが多くなった。抹茶塩とかしそ塩とかそれなりにおいしくないことはない。塩にもこだわって天然の塩、藻塩とかどこかの岩塩とかが使われていることをうたい文句にすることもある。

 でも天ぷらは天つゆで食べたい。薄すぎない天つゆに大根おろしを入れてそれにつけながら食べたい。私はそちらの方がずっとおいしいと思う。

 山菜の天ぷらを食べるときに、塩の方がいいと思うときがある。根まがり竹の天ぷらなんかそうだ。山菜の天ぷらや春菊の天ぷらを天つゆでぐずぐずにするのは見た目もよくない。

 でも実はぐずぐずも嫌いではない。残った天ぷらを翌朝味噌汁に一つか二つ放り込んで衣がふわふわになったのを食べるのが好きだ。なすの天ぷらなんかがこれに合う。

 なんだか流行り物みたいに塩でばかり食べさせられることが増えているような気がする。本当にみんな塩のほうがおいしいと思っているのだろうか。でも天つゆ派もいると思う。

 私はできれば普通の天ぷらは天つゆで食べたい。

2013年6月 3日 (月)

山陰(3)余部陸橋

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余部鉄橋は架け替えられてコンクリート製の余部陸橋になっていた。強風で列車が落下、犠牲者が出たことがある。

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慰霊の観音像(だと思う)が建てられ、道の駅ができていた。駐車場は車でいっぱいである。皆階段を上って空中の余部駅まで行くだ。

近くに余部灯台方向という標識があったので坂道を上っていった。道は狭く、車がすれ違うのはぎりぎりだ。でも一応カーブミラーもあるし、所々ガードレールもある。1キロくらい行けば灯台に着くだろうと考えて走っていたら、1.5キロくらい行ったところにあと2.9キロという標識があった。もういやになったので引き返したいがUターンするようなスペースがない。ようやくUターンできたのが「平家村」の駐車場だった。

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ここから先はさらに道が狭いというのであきらめて引き返した。しかし平家村もすごいところにある。

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平家村の近くから海を見下ろす。

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峠道をほとんど降りかけたところで余部の橋が正面に見えた(登りの時には背にしているからもちろん見えない)。

浜坂の宿にそのまま直行。浜坂温泉保養荘は大きな建物で、バリアフリー、車いすで二階に上がれるスロープもある。私の今夜の部屋はトイレ付きの八畳の四人部屋に一人なのでゆったりしている。晩飯は部屋へ運んでくれる(朝飯は食堂)。風呂はもちろん温泉で、大きな展望風呂。気分爽快である。

朝から走り通しでいささか疲れたの。今日はもう一風呂浴びたら寝る。明日も天気は良さそうだ。



山陰(2)

舞鶴から丹後半島へ向かわず、福知山へ向かい9号線に乗り換えて鳥取の手前で日本海に出た。浦富(うらどめ)海岸の見事に青い海を見た。そこのドライブインで海鮮丼を食す。イカ、ガスエビ、ホタテ、鯛、ブリが乗っている。それに味噌汁と香の物がついて1050円という感激の値段だ。磯定食とか言う2000円近い定食もあったが、それを頼んだ客もいた。テーブルにのりきれないくらい次から次に料理が運ばれてきてうれしい悲鳴を上げていた。若いときならたくさんあるのもうれしいが、今はこの海鮮丼くらいがいい。近くへ行ったら是非よってみるといいと思う。ほかに店がないから間違えようがない。ただし、料理が出るのは遅い。

ここはもう鳥取県、さらに西の網代と言うところから遊覧船が出ているらしいのでそちらに向かう。海から浦富海岸を遊覧するのだ。

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とにかく海の色が美しい。たっぷり40分遊覧して1200円は値打ちである。しかもあまり揺れない。たぶん船に弱い人も大丈夫だろう。




山陰(1)

名古屋から兵庫県の浜坂まで、一切高速に乗らずに行くことにした。国道22号から21号、そして8号、27号、9号、鳥取の手前で178号に乗り、浜坂を通過して新しい余部鉄橋を見学して引き返し、今、浜坂温泉保養荘と言う宿に入って一息入れたところだ。

27号線は原発銀座だ。知っているだけでも敦賀原発、大飯原発、高浜原発と並んでいる。

Dsc_0001大飯原発のある島へ渡る高架橋。

Dsc_000227号線沿いにある。大飯原発の関連施設。広大な敷地に数多くの建物が建てられている。町の体育館や運動公園もとても立派だ。原発が稼働しないとなると、予算が落ちなくなって町はどうするのだろう。

ところで右手の手すりの下の海をのぞき込んだら、30センチくらいの黒鯛らしき姿がうじゃうじゃ見えた。こませをまいたら入れ食いだろう。たぶん釣りは禁止だろうけれど。

朝のうちは曇り、山にはガスがかかっていた。

かんちゃん、コメントありがとう。明日津山に行ってホルモンうどんを探してみます。




2013年6月 2日 (日)

出かける

 明日早朝から三、四日ドライブ旅行に出かけることにした。明日の宿だけとった。浜坂という兵庫県の日本海に面したところだ。以前泊まって感じが良かった宿があるのでそこを予約した。詳しいことは明日の晩。

 翌日はたぶん津山方向の何処かの温泉に泊まるつもり。奥津温泉辺りに行って見ようか。その後は日本海側に戻って東へ走り、丹後半島辺りを考えている。

 久しぶりのもの思う行き当たりばったりのひとり旅だ。

 先日悲しい話を聞いた。事情があって話すことが出来ないが、それを聞いたときには絶句して、どう慰めて良いか分からなかった。

 人生にはつらいことがある。何事もないことのしあわせをつい忘れていた。

 年金をまだ満額もらっていない年金生活者に、ドライブ旅行はいささか贅沢だが、気分転換しないと持たない気分になっている。ブログもいささか気合いが足りなくなっているから良い潮時かも知れない。

 では行ってきます。お仕事の人、まことに申し訳ありません。

池上彰「知らないと恥をかく世界の大問題 4」(角川SSC新書)

 副題として「日本が対峙する大国の思惑」とある。

 アメリカとソビエトという二大国が世界の情勢を左右していた時代から、ソビエト崩壊後はアメリカが唯一の大国として世界をリードしてきた。そのアメリカの勢いにも陰りが見えて、同時に中国の著しい台頭があり、再び二大国の時代が来たという見方もある。

 しかしアメリカは昔日の勢いを失い、中国は大国と云うにはあまりにその振る舞いに未熟なところがあり、しかも国内に沢山の問題を抱えている。だから今はG2ではなく、G0(ゼロ)の時代だ、とも云う。

 この本ではまずアメリカの抱えている問題、その未来はどうかを論ずる。そしてEUについてもそのかかえる本質的な問題点、構成国それぞれの事情を語る。そしてエネルギーを軸としての世界について、そしてアラブの春のその後について、さらにアフリカの現状をまとめる。

 もちろん続いて中国を中心にしたアジア情勢が述べられていく。さらにそうした世界情勢に対して安倍政権はどのように見られているのか、そしてどう対応すべきなのかを考察する。

 池上彰は当たり前のことを細部をおろそかにせずに基礎から教えてくれる。知っているはずのことをいかに自分が知らないでいたのか、いつも思い知る。本当にものごとを知っている人は、難しいことでも分かりやすく説明することができると云うことが分かる。だから彼の本を読んでも、テレビの番組を見ても、必ず何か新しい知識を得ることが出来る。

 このシリーズもいつの間にか4冊目になった。それだけ世界情勢は目まぐるしく変わりつつあると云うことだろう。

松本栄一「チベット 生と死の知恵」(平凡社新書)

 著者はカメラマンとしてチベットへ行き、チベットの魅力に捕らわれ、ダライラマに接する機会を得てチベットを再三訪れるとともに、ダライラマの亡命先のインドにもたびたび行き、ダライラマやチベット仏教僧たちに面談してチベットの思想について造詣を深めている。

 この本が出版されたのは2002年、チベットの悲劇についての言及もあるが、主な部分はチベット仏教の思想の紹介である。そのためにそれに興味がないと読み進むのが少し苦痛だが、著者がカメラマンであるために沢山の写真が掲載されていることで、それを楽しんでいる内に読了出来る。再読だがこれを読んだのは渡辺一枝「消されゆくチベット」を読む準備の参考書とするためだ。

 今チベットは祖国をもう一度取り戻そうというチベット人の思いとは裏腹に、中国人による開発が凄まじい勢いで進められ、チベットのアイデンティティが失われつつある。もちろん中国の狙いもそこにある。

 チベットを知ることは尖閣問題を考える上での中国の狙いを知ることにつながる面もある。このことは世界中が知りながら中国に対してチベット問題を突きつける国がない。日本が右傾化、と云われながら、領土保全のためには必要な軍備を備えざるを得ないと考えるか否かの分水嶺の目印だと思うが、左派、平和主義者と云われる人々は不思議なことにチベットについては知らん顔を決め込んでいる。

 繰り返すがこの本は、チベットの思想について紹介する部分が中心で、人間の生き方、価値観について根源的な質問と回答というかたちで書かれている部分があり、興味のある人には参考になるだろう。

 エジプトの雄大な景色についての記述とそれに添えられた写真はそれだけでも読む値打ちがある。ただ思想の部分はやや文章がこなれていないような気がする。著者自身がまだ修行中と云うことかも知れない。

思考能力が劣る

 チャイナネットが、「日本の学生は、中国の学生よりも思考能力が劣る」と云う学者の意見を報じた。

 この学者によると、「中国人は思想家のDNAを持っており、中国の学生の思考スピードは早い。中国で講演などを行うと、独立的な思考能力と分析力を示す質問がよくあるが、日本ではそういうことがない。日本には中国の大学生と同じレベルの学生はいない」と云うことだ。

 そう、この学者というのは日本の先生なのだ。ある中国の大学の客員教授で、日本の国語作文教育研究所の所長である。

 確かに日本の学生全体と中国の学生全体を比べれば中国の学生のほうがはるかに良く勉強していると思う。しかし「中国の学生と同じレベルの学生が日本にいない」というのはリップサービスにしてもいいすぎだろう。優れた思考能力を持つ中国の学生がいるように、日本にも優れた思考能力の学生がいる。

 この先生、どんな日本の学生に出会ってきたのだろう。

 国語作文教育研究所というのをネットで検索してみたら、財団法人で、この先生が切り回しているようだ。この先生、ずいぶん手広く商売をされている。作文や読書感想文の指導者を育成し、教室も開いているらしいが、子供が読書感想文を書くことが嫌いになる原因は思考能力が劣るからなのかも知れない。

2013年6月 1日 (土)

賑わう敦煌

 敦煌へのアクセスが格段に便利になったことで、訪れる観光客の数が前年と比べて六割近く増加したという。

 十年前に子供二人を連れて敦煌に三日ほど滞在した。北京から三十人乗りくらいの小型ジェット機に乗り、蘭州、酒泉と燃料を給油しながら飛んで行った。鉄道も敦煌は通らず、最寄りの駅(柳園だったと思う)まで100キロくらいあったはずだ。だから観光客は敦煌へ行くには飛行機かバスしかなかった。

 それが今では成都や西安からの直行便が飛ぶようになり、鉄道もつながった。観光客が増えるはずである。そしてこれからますます増えるだろう。

 有名なわりに敦煌の街は小さい。十年前は中心部の人口は三万人くらいだと言っていた。信号がなくて、街の端から端まで歩いても三十分もかからない。たぶん今は人口も増え、街も拡がっているかも知れない。

 当時、主要な観光地の莫高窟や鳴沙山では観光客は外国人がほとんどだった。しかし今はたぶんほとんどが中国人だろう。

 歳をとったらもう一度ゆっくり訪ねたいと思っていたけれど、中国人でごった返している莫高窟など行きたいと思わない。狭いところなのだ。シルクロードをゆっくり回るのは夢で終わりそうな気がする。中国へのあこがれが消えていく。

Img910_2莫高窟中央大仏殿。

Img130鳴沙山から月牙泉を見おろす。

本屋

 本屋でトイレに行きたくなる、と云う人がけっこういるらしい。実は私もそうだった。これを調査したところがあって、23%の人が本屋へ入るとトイレに行きたくなる、と答えたそうだ。

 理由があれこれ挙げられているのだが、どれもなるほどと頷けるものがない。

 私は単に本を見ると緊張状態になりやすい人がその結果としてトイレに行きたくなるためだと思っている。だからトイレに行きたくなる人ほど本好きだとも考える。この緊張は興奮と関係していると思うのだ。私は図書館でもトイレに行きたくなる方だった。

 過去形で話すのは、不思議なことに今は特にトイレに行きたくならなくなっているからだ。歳のせいだろうか。

北方謙三「楊令伝 第四巻 雷霆の章」(集英社)

 楊令、史進、呼延灼たち新梁山泊軍と禁軍が初めて本格的に激突する。趙安旗下の葉超はその戦いに敗れ、自信を喪失する。さらに北部に派遣された禁軍は燕京を落とそうとして遼の元禁軍と激突。遼の最強の軍団に敗北し、葉超は戦死する。

 南方(江南)の禁軍を率いる童貫元帥は百万とも言われる方蠟の信徒の群れに立ち向かう。童貫の側に侍するのは岳飛。ついに本格的な戦いが始まり、一方的な殺戮が繰り返され、数十万の方蠟信徒が血の海に沈む。童貫は兵たちが精神的に正常を持続出来るかどうかを危ぶむ。

 方蠟の旗下で軍師をしている趙仁(呉用)は今は童貫との戦いに全知能を絞り尽くしている。梁山泊の公孫勝は秘かに呉用を連れ戻しに方蠟軍の陣深く入り込むが、戦いにのめり込む呉用の姿を見て連れ出すことをあきらめる。

 宋の禁軍を破り、金からも遼からも独立した燕国を建てようとしていた耶律淳が暗殺され、北方の情勢は再び混沌とする。新梁山泊軍は次第にその存在感を示し始めていた。しかし南方を平定して童貫が北へ向かうことを想定して準備を急がなくてはならない。

 殺されることがしあわせだという方蠟の信徒たちの様子に狂信の恐怖を感じるとともに、禁軍の殺戮のすさまじさは想像を絶する。

 しかし、太平洋戦争末期、再三の東京大空襲や全国都市の空襲、広島長崎の原爆での殺戮ではやはり数十万の人間が無辜に殺された。大量殺戮は物語だけではなく、つい68年前にあった事実でもあるのだ。

GOOD IDEAR?

 昨晩酩酊した状態で阿川弘之の「食味風々録」というエッセイを少し読んだ。とても面白く感じた。これ程面白く、中身の濃いものだったのかと感じていた。その勢いで今度は哲学書を読み出した。高校の時に読み始めて、いまだに時々眺める(だから読んだとは言えないのだが)世界の名著全集の中のキルケゴールだ。特に歯ごたえのある「哲学的断片」の冒頭の部分なのだが、不思議なことにそれがびしびしと理解出来るのだ(夢ではないか、と思ったが、今朝あらためてそれを読み返したら昨日のようには読めなかったから夢だったのかも知れない)。

 その次ぎに曾野綾子の「人間関係」という新書を読んだ。いつものように、なるほどなるほどと思うことばかりが書いてある。
 
 そのときにあるアイデアがひらめいた。母が発語障害(発話障害とも言う)なので会話が成り立たない。コミュニケーションがとれないのはお互いに寂しいことだ。しかしこちらが一方的にシャベルのもかなり疲れることで続けるのは困難だ。その母は本もそこそこ読み、しかも曾野綾子はお気に入りで、私の読んだかなり数が母の本棚に並んでいる。その本も最近はあまり読まなくなってしまった。

 アイデアというのは、曾野綾子のエッセイで母が気に入りそうなものを朗読して聞かせる、と云うことだ。そしてそれに私なりのコメントを入れ、母の意見を求めてみよう、賛同するか、そうでないかくらいなら答えることは出来る。頭はまだそれほどぼけてはいないから理解することは出来るはずだ。

 とても良いアイデアに思えた。

 そして今朝になってみたら・・・本当に良いアイデアかどうか、何となく自信が持てなくなった。どう思いますか?

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