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2013年7月

2013年7月31日 (水)

せめて英語で

 サッカーアジア大会の決勝で、韓国が日本を非難する言葉が書かれた巨大な横断幕を掲げたことが問題になっている。これを日本がFIFAに提訴する、といったからか、韓国の新聞では日本の応援団が旭日旗を持ち出して振ったことを問題として、韓国も日本を提訴するべしとしているようだ。

 ただし、主催者側から旭日旗を振ることを止められたために日本の応援団はすぐそれに応じたが、韓国の横断幕は前半終了までずっと掲げられていた。この片手落ちな対応についてはさすがに韓国の新聞も主催者側に問題あり、とのコメントとをつけている。

 韓国では旭日旗が反感を買うことは日本の応援者も知らないとは思えない。それをあえて振ってみせるのは挑発ととられても仕方がない。その意図がもしなくても控えるのが良識というものだろう。

 たびたび韓国の応援団は政治的なスローガンを掲げて物議をかもしてきた。これがスポーツの場ではしてはならないことを承知でやっていることだろう。

 しかしどの横断幕もハングルで書かれている。普通の日本人にはたぶん読むことが出来ないだろう。もし読めるとしたら韓国が好きで韓国のことが知りたいと思ってハングルを勉強した人だけだ。まさか韓国が嫌いだからハングルを勉強するという人はあまりいないだろう。

 だとするとあの横断幕は誰に向かって掲げられたものなのだろうか。日本人に向けて掲げるのなら日本語で書かないとアピールにはならないではないか。ほかのアジアの人々も含めてアピールしたいならせめて英語で書かないと韓国人以外誰も分からない。

 あの横断幕は日本向けではなくで韓国の人々に向けて掲げられているとしか考えられない。つまり自国民に向けて格好をつけて見せているだけのただのパフォーマンスらしい。それをマスコミが大きく取り上げる。狙いどおりというところだろう。だからこれからもたびたびハングルの大横断幕は掲げられ続けることだろう。

女湯の年齢制限に関する論争

 朝鮮日報によれば、韓国で女湯には入れる男児の上限年齢について論争が起こっているそうだ。

 女湯に入ってみたい、というのは男の夢だと言うが、私はあまり女湯に入ってみたいなどと思わない。本当に男はみんな女湯に入りたいなどと思うのだろうか。

 韓国では、昔は満7歳以下の男子まで女湯に入ることが認められていたが、2003年から満5歳以下に改められた。その年齢制限を今回さらに引き下げようというのだ。

 「男の子に好奇心一杯の目で見られるのが不愉快だ」という女性からの苦情があるかららしい。

 最近の子供は早熟になったと言われるが、満5歳以下でそのような眼でじろじろ女性を見つめる男の子がいるのだろうか。どうも信じられないことだ。

 苦情を申し立てている女性に申し訳ないけれど、そういう女性は2歳の男の子が見つめても不愉快だと感じるのではないだろうか。それは見つめている側の問題よりも見つめられている、と強く意識する女性の側にいささか過剰な感性を感じてしまうのだがどうだろう。


 
 韓国に銭湯のような公衆浴場があるとは知らなかった。父親が男湯の方に連れて行ければいいが、父親が仕事で忙しく、母親しかいなければ、小さな男の子はひとりで男湯に入らなければならないことになる。常識的に見れば5歳の制限でも厳しすぎるくらいだと思うのだが、さらに引き下げさせようという自意識過剰の女性の裸など、子供でなくて私でも見たくない。失礼ながらよほど変わった身体をしているのかもしれない。

 ニュースを見ていると韓国は性犯罪が多いらしい。また性的なサービス産業も異常に盛んだという。女性が過剰に意識するのはその反動かもしれない。

前非

 中国製冷凍餃子に毒物を混入した罪で、食品会社・天洋食品の元社員が裁判を受けている。罪を認めているので有罪はほぼ間違いない。最低懲役10年、場合により死刑になるという。

 裁判でこの犯人がそれ以前の2007年に日本輸出用の餃子に注射器でメタミドホス(あの事件に使われた農薬)を注入していたことが明らかになった。

 注入量が少なかったのか、被害が出なかったとみられている、としている。

 しかし実際には何かの被害があったのではないか。具合が悪くなったとしても症状が重篤でなければ、餃子に毒が入っているとはまさか思わないので体調の不良として見過ごされたかもしれない。

 被害がなかったという判断は調べた上でのことではないようで、訴えられなければなかったことなのだろうし、中国は調べるつもりもないようだ。そもそもそんな事実はなかったのかもしれないような気もする。

 なぜ犯人はわざわざ過去の犯罪を告白したのだろう。これによって犯人は罪がさらに重くなることはあっても何も得はない。

 この毒物はそれほど危険ではないのだ、ということをアピールしたいのだろうか。それをアピールしたいのは犯人よりも中国のような気がする。

 そもそもなぜ毒物を混入したのか、一応の説明があったとはいえその動機がいまいち分からない。

 いちばんわかりやすいストーリーは、誰か(この天洋食品の対抗会社のライバルなど)に金をもらってそそのかされて、この犯罪を行ったというものだ。これならつじつまが合う。

 そんな話があったとしても、なかったことにされているのかもしれない。それにわざわざ前非を明らかにするのもこのストーリーをぼかすためかもしれない。

2013年7月30日 (火)

スティーヴ・ハミルトン「氷の闇を越えて」(ハヤカワ文庫)

 先日読んだ「ウルフ・ムーンの夜」の前作に当たるこの本はこの作家の処女長編小説で、アメリカ探偵作家クラブ賞(NWA)の最優秀新人賞などをトリプル受賞している。NWA賞を取った作品はたまにスカもないことはないけれど、たいていは傑作だ。

 「ウルフ・ムーンの夜」の中の主人公アレックスのキャラクターがなぜあんな風なのか、その理由がこの本のなかにほとんど語り尽くされている。

 探偵の資格を取って間もないアレックスのもとに、病的にギャンブル好きな友人エドウィンから電話が入る。あるモーテルに至急来てくれ、というのだ。そこで人が死んでいる、という。

 駆けつけたそのモーテルの一室には血の海の中に男の死体があった。その男はギャンブルの負けの金の取り立て屋だった。エドウィンは金を支払いに行ってその死体に出くわすことになった。誰が何のためにこの男を殺したのか。

 警察への届け出が遅れたことで警察に連れて行かれてさんざん嫌みを言われた後、すみかのコテージに帰ったアレックスのもとに不可解な電話が入る。この事件がアレックスが警察を辞めることになった十四年前の事件の犯人との関わりをほのめかすものだった。

 やがてまた一人ギャンブルの取り立て屋が殺される。そしてアレックスのコテージにさらに詳しいことが書かれた手紙が残される。そこには昔の事件の犯人とアレックスしか知らないと思われることが書かれて署名まであった。

 その昔の事件とは、アレックスと相棒がある狂気の犯人に銃で撃たれ、相棒は即死、アレックスは三発の銃弾を受けたが奇跡的に生き残ったというもので、そのうちの一発の銃弾はあまりに心臓に近いところにあるため摘出が出来ず今でもアレックスの胸に残っている。 

 その事件の犯人ローズは無期懲役で服役中であり、出所しているはずがないのだが、アレックスはそれが信じられない。警察から何度も問い合わせるが、もちろんローズは服役中で脱走などしていない。

 そしてついにまた一人犠牲者が出る。

 後半でついに犯人が判明するのだが、この事件とアレックスの過去の事件との関わりが今ひとつ釈然としない。犯人の狂気のなせる犯罪であることの証拠も完璧に残っており、疑うようなことはないのだが。

 ラストに驚愕の真相が明らかになる。すべてのつじつまが合うのだが、そのことがもともと厭世家だったアレックスをさらに沈み込ませる。

 そして続編に続いていくわけである。この私立探偵とも言えないような中年探偵アレックスの物語はアメリカでは好評で十作まで書かれているらしい。ただ日本では三作しか翻訳されていない。しかも今も店頭にあるのはこの第一作だけと言うことだ。

 読後感のインパクトは強烈。NWA賞の値打ちは確かにある。

心をつなぐ教えを求めて・韓国

 NHKBS、五木寛之の21世紀・仏教の旅、第二回。

 韓国は五木寛之にとって物心ついてから中学生まで暮らした故郷である。その韓国に人口の約四分の一近く、一千万人の仏教徒がいることはあまり日本人に知られていない。

 まず韓国のテンプルステイが紹介される。日々の暮らしに追われて見失った自分を見つめ直すために僧侶と同じ修行、同じ食事、同じ暮らしをする。日本にもそのような僧坊がある。

 韓国は日本以上に格差社会である。人口あたりの自殺者は日本より多い。この厳しい現実の中で自分の生き方を問い直す人々の姿は見習うべきかもしれない。そこには宗教への逃避、などという弱さは見られないようだ。

 韓国の仏教の基本は華厳経だ。七世紀、高句麗、百済、新羅の三国時代の後、新羅によって半島は統一された。その新羅が敵対していた人たちの心をまとめるために取り入れたのが仏教であり、中心に据えたのが華厳経だった。日本で華厳経と言えば奈良仏教、という印象である。その華厳経は大部(八十巻)で難解とされる。それがなぜ韓国では一般大衆に受け入れられたのか。

 それを尋ねるために五木寛之は吉祥寺という寺に韓国の名僧・法頂(ポプチョン)師をおとずれる。この吉祥寺は富豪がポプチョン師に巨額の寄進を行い、その金で10年ほど前に創建された寺だ。ポプチョン師は普段は山中の寺に暮らしているが月に一度この吉祥寺に講話のためにやってくる。

 華厳経では、人や物事は単独で存在しているものはない、とする。それぞれが互いに関係しており、その根底はつながっているというのだ。だから人と人は互いに分け合わなければならない、心を開き合わなければならない、そして受け入れなければならないという。

 五木寛之はポプチョン師との面談の後、難しい話の問答になることを覚悟していたのにとてもわかりやすかったことに感動していた。

 ポプチョン師は言う。仏陀が民衆に布教するとき、難しい言葉で話したら受け入れてもらえなかっただろう、たぶんわかりやすい言葉で優しく話したに違いない、と。

 韓国仏教は、華厳経の教えを人々の心をつなぐものとして広めたようだ。だから民衆も数多く帰依した。

 14世紀、朝鮮王朝が半島を統一した。朝鮮王朝は中国にならい儒教による支配を行った。仏教は徹底的に弾圧され、寺は破壊、僧は還俗させられた。逃げ延びた僧は山中深くにこもって細々と布教を続けた。

 韓国の僧は戒律が厳しく、妻帯することは出来ない。そういう歴史的な背景もあるのかもしれない。

 五木寛之は韓国の有名な寺をいくつか訪ねるのだが、浮石寺という寺の話が興味深かった。七世紀に浮石寺を創建したのは義湘という僧である。彼が韓国に最初に華厳経をもたらしたとも言われている。その開祖・義湘にはおもしろいエピソードがある。

 彼が中国に修行に行っているときに、善妙という美しい娘に見初められる。しかし彼は僧であるからそれに応えることは出来ない。修行がなり、韓国へ帰るために舟に乗り込んだ義湘を追い、善妙は海岸から身を投げる。そしてその身は龍と化す。その龍の庇護により義湘は無事韓国に帰り着くことが出来る。

 その後義湘は浮石寺を創建し布教に努めるのだが、異教徒の妨害で困難を極める。身に危険が及ばんとしたとき、龍が現れ、石を浮かせて異教徒を追い払ったという。もちろんその龍は善妙の化身である。

 浮石寺には今もその浮石が残されており、小さなお堂には善妙の美しい絵が収められている。

 五木寛之がまだ幼いときに何年か暮らした町を訪ねる。ほとんど記憶がなくなっているが、唯一そこにたたずむ巨大な石の観音像は彼の心にしっかりと残っていた。父や母に手を引かれてその前で手を合わせただろうことを思いだしているのだろう。ほとんど言葉を失うほどの感動がそこに見えた。

 今回の韓国の仏教を訪ねる旅で見えたものは、お参りする人々の前向きなお参りの仕方であった。観光気分ではなく、真摯に手を合わせるその姿を見ると、日本とはずいぶん違うと強く感じた。

 そういえばどこの国へ行っても仏教の寺、道教の道院を問わず、誰もが心から手を合わせていた。宗教が心のよりどころであることに日本人が再び気がつく日は来るのだろうか。多くの日本人は心というものを見失っているように見える。

不眠

 不眠とは眠れないことであり、眠らないことでもある。

 眠れない、という人の話をしばしば聞く。私など眠れないことなどほとんどない。眠りたくないのに眠くて仕方がないことが多いし、目をつぶれば何か考える間もなく寝てしまう。だから眠れなければ起きていればいいだけのことだと思う。いつかは眠くなって寝るはずだ。

 昨晩はなかなか眠ることが出来なかった。消灯して横になっても眠気が来ない。そこで本でも読もうとしたのだが、なんだか気が高ぶっていて集中できない。ああこれが眠れない、と悩む人の心持ちなのか、と思ったりした。

 滅多にないが、そういうときはナンクロという数字パズルかクロスワードをする。ところがクロスワードを数問解いたらちょうど一冊終わってしまった。

 そこで本格的に起き出して戦争物のシミュレーションゲームを始めた。やり慣れているゲームだが少し戦い方のパターンを変えてみたら、おもしろい。ますます眠気がなくなっていく。いくら何でもそろそろ寝なければ、と思った。思って気がついた。眠らなければ、と思う気持ちが入眠を妨げているのだ。

 もういいや、と思ってぼんやり暗闇の中のほとんど見えない天井を見上げていたら・・・いつの間にか寝ていた。

 なぜ眠りにくいのか、分かっている。一週間ほど禁酒しているのだ。何となく物忘れが多いし、集中力が衰えている気がしていたので、一度からだから完全にアルコールの影響を取り除いてみようと思ったのだ。この間の事故のこともあるし。

 酒を飲まなくても眠れないことはないな、と思っていたら、一週間したら影響が出始めたようだ。それともうひとつ、もともと少し遠かった左の聴力がさらに低下していることも分かった。どおりで携帯の相手の声が聞こえにくかったわけだ。補聴器を考えないといけないかもしれない。あーあ。

2013年7月29日 (月)

仏陀最期の旅・インド

 NHKBSで2007年に放送された番組、「五木寛之の21世紀・仏教の旅(全五回)」がアーカイブスとして再放送された(だいぶ前です。たぶん一、二年前か)。それを録画したものを見た。

 第一回は「仏陀最期の旅・インド」。仏陀が80歳の時、霊鷲山(りょうじゅせん)からスリナガルまでの約400キロを半年かけて歩いた旅を五木寛之がたどる。

 若い愛弟子ナーランダたちを引き連れて、仏陀はこの旅で自分の人生の締めくくりをすることを覚悟していたと思われる。

 途中の名もないような村にみごとな仏像を収めた堂宇がある。田畑に囲まれた中の景色は夢のように美しい。五木寛之がその景色を見ているその視線のままわたしもこの景色に目を奪われる。ナーランダから約90キロのところにパータリの町がある。当時パータリ村と呼ばれた寒村は今は百万都市になっている。

 仏陀はここからガンジス川を対岸に渡った。ガンジス川と言えば黄色く濁った泥のような流れを思い浮かべるが、このあたりの水は青く美しい。もともとガンジス川はこのようなきれいな川だったのだろうか。

 五木寛之もこの川を舟で渡る。彼が川を渡る、というとき、当然彼が朝鮮半島から引き上げるときにわたった川が同時に念頭に浮かぶ。五木寛之の両親はふたりとも教師であり、彼が物心ついたときにはソウルにいた。その後各地を転々と転勤し、彼が中学生のときに終戦を迎えたときには家族は平壌にいた。

 終戦から二年後に引き揚げるときには母は死んでいた。多くの人が死んだ。父は母の死が受け入れられずに廃人同様になった。家族を支えたのは中学生だった五木寛之だったのだ。

 平壌から日本に帰るには大河を越えなければならない。どのようなことがあったのか、多くを語らないが、彼はまともな弔いが出来なかった母のその遺髪だけ一握り持ち帰った。この旅にその母の遺髪を一筋持参してきた彼は、舟の上でそれを焼き、ガンジスに流した。ようやく親孝行らしいことをした、と安堵したような表情が心を打つ。

 五木寛之の引き揚げのときの過酷な思い出は彼の初期の小説にはしばしば書かれているので、知っている人は知っているだろう。

 川を渡る、ということは彼にとってそういう深い意味があることであるし、同時に仏陀にとっても意味のあることであった。死期を悟り、川を渡る、ということがどういうことか想像がつくであろう。

 五木寛之は49歳の時に一度筆を絶っている。そして龍谷大学に仏教を学ぶために入学した。仏教を通して自分や世界を見つめ直そうとしたのだ。

 旅は後半に入り、ヴァイシャリーという町にいたる。ここは当時16国に分かれていたインドの国々の一つ、ヴァッヂ国の首都であった。この町の郊外のマンゴー畑の中に修行と布教のための拠点をしつらえて仏陀は数ヶ月をここに滞在する。雨季のため、旅を続けることが困難だったからだ。

 ここで高級遊女であったアンバパーリとの関わりが語られる。彼女の招待を快く受け入れた仏陀を非難する人々も多かったが仏陀は意に介しなかった。ここで仏陀は重い病にかかる。死はそこに迫っていた。修行が手につかないアーナンダを仏陀は優しく諭す。

 幸い何とか病は癒え、雨季も明けたので一行はクシナガルへの旅を再開する。途中で仏陀は弟子たちに自分の命はあと三ヶ月だと預言する。嘆き悲しむ弟子たちにこの世に永遠なものなどなく、生じたものは必ず滅するのだ、と語る。

 やがて仏陀たちはクシナガルに近いパーバ村というところへさしかかる。カクッター川という澄んだ川の畔のひなびた村で、仏陀はここでむかし布教をしたことがあり、鍛冶工のチュンダもそのときに仏教に帰依した。このチュンダの招待を受け、彼の家で料理をごちそうになる。そのとき出されたキノコ料理を一口食べた仏陀はチュンダにそれをすぐ捨てさせる。

 チュンダには何事もなかったように振る舞い。そこを後にした仏陀は出血を伴う激しい下痢に襲われる。

 パーバ村から目的地のクシナガルまでわずか20キロ、ここを耐え抜いてついに仏陀はクシナガルに到着する。沙羅双樹の木の根元に弟子たちを集め、自分が死ぬことを皆に伝えるとともに、チュンダには全く責任はなく、彼の供えた食べ物で天寿を全うすることは自分の幸せである、といいきる。

 そして仏陀にニルヴァーナがおとずれる。仏陀入滅である。そのとき季節ではないのに沙羅双樹の花が突然咲きみだれ、やがてその花びらがはらはらと仏陀に散りかかったという。

 五木寛之は、旅先で死ぬことが理想的な死だ、という。仏陀はその理想的な死を死んだ。

 病、老い、死という三大苦を必然ととらえ、それを受け入れることを説いた仏陀であるが、五木寛之はこの旅の中で、珍しく人生には楽しみもある、という言葉を発していることに注目する。そう、苦の中にこそ楽しみがあるのかもしれない。救いである。

武器の購入

 台湾の退役将軍が、「台湾は中国から兵器を購入することが出来る」と発言して物議を醸している。

 台湾はほとんどの武器をアメリカから購入している。それに対して中国は強い不快感を示し、クレームをつけることが多い。

 だからこの将軍は中国との摩擦を避けるために中国から武器を買えばいいし、そうすればすべてアメリカの言いなりのような今の事態が改善される、と考えているようだ。

 ところで台湾はなぜ武装しているのか。どこを敵国と想定しているのか。台湾という国は日本から独立した後、もともと中国共産党と戦って敗れた国民党が押しかけて今の国の形となった。だから中国は台湾は中国の領土であり、台湾を中国に統一して初めて中国の戦いは完了する、という立場だ。

 台湾の国民の意思を考慮せず、武力での統一を図って台湾に対して威嚇をくりかえし、危機一髪の事態がたびたびあった。そのときに中国を抑止してきたのはアメリカであった。その状態は変わらない。日本もそれを承知している。

 だから中国は最近武力での侵攻は控えようという姿勢に変わったが、台湾で独立の動きがあれば豚を殺すような騒ぎ方をする。李登輝に対しての過剰反応はその現れだ。

 というわけで、台湾の軍備はとにかく中国に対してのものである。その兵器を中国から購入してもかまわない、という発想は(日本が中国から兵器を購入すること以上に)そもそもあり得ない。

 この将軍が退役していて幸いである。中国からどれほどの働きかけがあっての発言なのか分からないが、とんでもないことを言う人間がいるものだ。

国民性

 韓国生まれのの評論家で拓殖大学教授の呉善花さんが仁川空港で入国を拒否され、やむなく日本に引き返した。彼女は親族の結婚式に行くために韓国へ入国しようとしていた。

 彼女は2007年には母親の葬儀に済州島に帰郷しようとした際にも空港で入国を拒否されて参列できなかったという。

 呉善花さんは韓国と日本の文化や国民性を比較して評論する文章を書いてきた。ときに日本に辛辣に、ときに韓国に厳しく書かれたその文章は独特な視点を持っていて嫌いではないが、やや暴走気味のところもないではない。まあそれだけに痛快でもあるのだが。

 最近(といってもそれほど読んでいるわけではないが)韓国に対して特に批判的な文章が多くなり、日本人以上に日本びいきの論調となっていた。それが韓国でも反感を持たれているのだろう。

 しかし母親の葬儀に参列することを許さなかったり、親族の結婚式への参加を許さないのは理不尽である。韓国は親族の冠婚葬祭を大事にする国だと聞いているし、いかなる理由であれそれを妨げるというのは人の情としてもあるべきことではない。

 国を転覆させようなどという政治犯や、犯罪者だというなら説明もつくが、ただ韓国の今の風潮を批判したというだけで入国を拒否するというのは国際的にも許されないことではないのか。

 日本では自国を批判しあしざまに言う文言を逆に好むようなところがある。自虐的、とも言われるが、それだけ批判を受け入れる懐の深さとゆとりがあるともいえる。

 それに対して韓国は自国に対する批判を聞く耳を持たず、批判したものを許さない国民性のようだ。これではもし本当に問題があってそれを指摘してもらっても直すことが出来ない。

 隣国でありながら国民性はずいぶん違うものだ。

 ただ、韓国の国民が本当にすべてそうなのかどうかという疑問もある。実は呉善花さんの批判を素直に受け取る人も実はずいぶんいるのではないだろうか。数少ないものの出会ったことのある韓国人を見ると、批判される韓国の問題点について確かにこれでは良くない、と感じている人も多いような気がする。

 このブログでも再三書いたが、韓国の問題は、そのような素直に物事を見据えて判断できる人が、是々非々でものを言えないということだろう。日本の言うことも一理ある、といったとたんに四方八方から矢が飛んできて身の危険を覚悟しなければならない社会のように見えることこそ韓国の最大の問題点だろう。

 サッカー東アジア大会の日本対韓国戦で、政治的な巨大な横断幕が掲げられた。スポーツの国際大会では他国が不快になるようなものを掲げないというルールであることは、韓国に対して再三伝えられてきたのに韓国は再びこのようなことをする。韓国の普通の人々の感じただろう恥ずかしさは察するにあまりある。これが定常的になり、海外からの批判を韓国民のほとんどが拒絶するように変わっていく時代(むかし日本がまさにたどった道だ)が来ないことを願う。

2013年7月28日 (日)

移民村

Dsc_0044済州島

 中国の不動産開発会社が済州島に中国人向けの巨大施設「ハルラ・ビレッジ」を建設するという。面積は150万平方メートルと巨大で、物件のうち半数はオーシャンビューだという。

 韓国政府は済州島不動産投資移民制度というのを制定しており、済州島に対して50万ドル以上の不動産投資をする外国人には居住資格を与え、韓国内に五年以上滞在すれば永住権が与えられる。

 済州島は漢拏山(ハルラサン)という巨大な火山から出来ている島で、農業には適しない。そのために韓国でも貧しい場所だったが、気候が温暖で景色も良く、海もきれいだ。東洋のハワイとも呼ばれ、韓国で唯一ミカンが採れる。韓流ドラマの舞台にも良くなるので韓国人や日本人がよく訪れるところだ。近年は観光で豊かになりつつある。

 わたしも何年か前に友達と島巡りをしたが、とてもいいところだった。ただし、歴史的には悲惨な経験をした島で、太平洋戦争後に島民の虐殺が行われ、21世紀になってようやく詳細が明らかにされだしている。

 私が訪れているときにも言われていたが、最近中国人の訪問が急増している。大型客船で数千人単位でやってくるため、受け入れのための大型ホテルがあちこちで建てられているところだった。

 済州島がこれからどのように変わってしまうのか、とてもいいところだったので気にかかる。

クレイ・ハーヴェイ「ヴァーンスの死闘」(扶桑社ミステリー)

 アメリカの銃の問題は根深い。昨日も乱射事件があったと報道されていた。

 この本の作者は銃器関係の本を長年執筆してきた。そのこともあって当然銃社会擁護の立場だ。だから銃に反対する人はそのことだけでこの作者の小説を酷評する。

 この小説の銃撃シーンや格闘シーンは凄まじい。まさにバイオレンスそのものだ。時には主人公の五歳の息子もそれに参加する。

 「おれ」は田舎町で五歳の息子と平穏な生活を送っていた。あるとき用事があって銀行の駐車場に車を乗り入れたとき、四人組の銀行強盗に遭遇し、瞬時の判断でふたりを射殺する。彼らは単純な銀行強盗ではなかった。射殺した一人はそのボスの弟であり、弟の敵を討つべく「おれ」を執拗に襲う。

 警察は「おれ」の行動を一般市民の枠を逸脱した過剰なものと見なして好意的ではなく、「おれ」の家族を真剣に守ろうとしない。

 「おれ」は実はむかし韓国の非武装地帯で特殊任務に就いていた。そこでの話は極秘であり、もし漏らせば家族を守るどころではない事態となる。強力な友人の助けを借りて必死で家族を守るために「おれ」は戦うのだが、不思議なことにかくまっていた家族の居場所が敵に知られてしまう。

 「おれ」はついに護りから攻勢に転じることにする。

 というわけで主人公は満身創痍になりながらプロの殺し屋たちと渡り合う。強敵を倒し一段落したと思った後にまた危機が訪れるのだが、意外な人物がその窮地を救いめでたしめでたし。

 この小説はこの作家の第一作だというが、ジャック・ヒギンスやロバート・B・パーカーが絶賛したらしい。わたしも読み出したらやめられなくなって一気に読了した。

 正直、もういい加減にここらで相手を倒してくれ、と祈ったくらい敵は賢く、強力で、それに屈しない主人公たちの精神力には脱帽した。会話も洒脱でとてもおもしろい小説でたっぷりたのしめた(昨晩は風呂の中で読んでいたらたちまち一時間半くらい経っていた。もちろん湯はぬるくなっていたが、それにも気がつかなかったくらいだ)。

民度

 あのウィキリークスの創設者でいろいろ話題になったアサンジ氏はオーストラリア出身なのだそうだ。そのアサンジ氏が、年内に行われる予定のオーストラリアの上院選に出馬する意向であるという。すでに政党登録も済んでいるらしい。

 アサンジ氏は自らの行ってきたことは正義の行為だと確信しているはずだ。そしてそれはオーストラリア国民にも了解されているはずだと考えているのだろう。それとも一連の報道で自分の名前は有名になったはずだから出馬したら勝てると思っているのか。

 ウィキリークスが行ってきたことに意味がなかったと言い切れないところはある。ただあのような手法で膨大な情報をリークすることが社会的に正しいことであったのかどうか大いに疑問だ。

 膨大な情報はすべてを網羅して把握することが出来ない。彼らはそのごく一部をそれも彼らの価値観に基づいて選択してリークしている。情報は選択した時点で操作に近いものになっているという自覚があったかどうか。権力が握って支配しているなにものかをお裾分けしてもらって、自らも神のごときもののように錯覚し、正義の味方だと自己陶酔していたのではなかったか。

 オーストラリアの人々は、アサンジ氏が有名人だから、とか正義の人だから、といって彼に投票するのかどうか。オーストラリア人の民度、見識は如何

否定の論理

 韓国ドラマはどこの国でも人気があるようだ。日本でもBSなどは時間帯によっては韓国ドラマだらけでどこの国のテレビかと思うことがある。韓国ドラマには優れているものがあることを認めないわけではないが、あまりの粗製濫造で、最近は食傷している人も多いのではないか。

 韓国ドラマはとにかく安いらしい。日本のテレビ局も予算不足でちゃんとしたドラマを何本も作りにくくなっている中、安い韓国ドラマで時間を埋めることが出来て好都合ということなのだろう。だから内容は二の次だ。

 中国でも事情は同じらしい。それでも韓国ドラマが大好きで熱心にテレビにかじりついている人もいる。

 その中国で調査したところ、韓国ドラマを好むのは低学歴で定収入の階層の人々であることが分かったと発表され、話題を呼んでいた。

 これに対して中国を訪れた韓流スターのイ・ミンホが記者会見で「韓流ドラマは家族みんなで見るもので、学歴も収入も関係ない。私の出会ったファンは皆勉強好きだった。ドラマの好みを学歴や収入に結びつけるべきではない」と述べた。

 統計の事実(中国ではしばしば疑わしいが、これはたぶん事実だろうと思う)を否定するのに「~すべきではない」という言葉をもってするのはいかがなものだろう。それでは論理的とは言いがたい。

 私は、この事実は韓国の夜郎自大的な世界観に違和感を感ずることなく韓国ドラマを見続けることが出来るのは知識のない人々で、知識のない人は多くが貧しいということだろうと見ている。

 韓国ドラマにはいいものもある。ただお粗末なものも多いのに善し悪しを見分ける力がないのはやはり知的レベルが低いといわれても仕方がないだろう。それに貧困層は仕事がないから暇が多くてそんなものでも見て時間をつぶすしかないのかもしれない。豊かな人ほどせっせと働いているからそんなもの見てる暇がないのだ。やはり見る側の問題なのだ。これを「家族で見るもの」、といわれても子供がかわいそうだ。

2013年7月27日 (土)

阿川弘之「食味風々録」(新潮社)

 阿川弘之はご承知の通りあの阿川佐和子嬢の畏父だ。遠藤周作、吉行淳之介、開高健とは親友。北杜夫、三浦朱門、安岡章太郎とも深い交友がある。広島生まれの硬派の作家だ。たくさんは読んでいないが、私の好きな作家のひとり。志賀直哉の門下である。

 この本は装丁が渋くて体裁がとてもいい。もちろん体裁以上に中身もいい。風々録とかいて「ぶうぶうろく」と読ませる。本も内容も極上と言っていい。

 表題の通り、食べ物と一部酒の話が収められている。食べ物や酒は、もちろんそれそのもので話題になるが、当然それにまつわるいろいろな曰くや思い出がふんだんにちりばめられていて、単なる食通の自慢話などでは決してない(ちょっとそう感じさせるところもないではないが)。

 おいしいものが大好きで、そうでないもの、いい加減なものを嫌悪するそのこだわりはなにやらだだっ子みたいだ。美食を楽しむが、高ければ旨いものと盲信する味音痴は毛嫌いする。ただ本当にいいものには金がかかることを承知している。その兼ね合いが難しい。 

 この中にいくつか作ってみたい簡単な料理も紹介されている。今度試してみようと思う。金をかけなくても旨いものももちろんたくさんある。

悪評なし

 中国人は世界へ大挙して押しかけているようだ。そしてあちこちで顰蹙を買うような事件を起こしているように見える。どうもマスコミの伝える中国人の話がそのようなものばかりなのでついそう思わされているのかもしれない。

 これはイタリアの話だが、ふたりの中国人が、捕獲許可証を持たずにイタリアの川でザリガニを捕ったとして罰金を科せられた。ふたりが獲っていたザリガニは絶滅危惧種のザリガニで、現地では捕獲が禁止されていたものだった。

 どうせ獲るなら普通の中国人のように鳩でも獲って食べれば良かったのに。

 世界中で、中国人は・・・といわれているが、アルゼンチンでは中国人に対する印象は、礼儀正しく友好的、というものである、と新華社が伝えていた。

 そのアルゼンチンにはほとんど中国人はいないし行かない。なぜならばアルゼンチンは中国人に個人の観光ビザの発給をしていないからだ。アルゼンチンを訪れる中国人は、公的な活動をしている者か、学術交流団体の者ばかりだという。

 当然マナーもわきまえているこのような人たちがまさか顰蹙を買うような行動をすることはないだろう。

 でもそんな国の評判を引き合いに出さなければならないというのも新華社も苦しいところだ。

影響を探っていた

 あの中国毒餃子事件の初公判がようやく今月の30日に開かれることが決まった。

 事件が発生したのは2008年、犯人が明らかにされて起訴されたのが2010年、そして初公判が2013年とはどういうことか。

 中国の裁判は即断即決、起訴されて公判が行われればたちまち判決が下され、ひどいときには数日で死刑執行が行われたりする。

 それだからこそ逆にこの事件のように初公判まで数年かかる事態もあり得るのか。

 この件は中国から日本大使館に伝えられた。そして公判が遅れたのは「尖閣での中国漁船衝突事件で日中関係が急激に悪化したため判決が中国社会や日中関係に与える影響を考慮し、開廷の時期を探っていた」からだと説明したそうだ。

 裁判の判決に世間の影響がないとは言えないのは事実だろう。しかし建前としては行った犯罪に対して法律に基づいた判決が下されるはずではないのか。よくこんな説明を恥ずかしげもなく行えるものだ。

 ところであのとき中国の警察幹部が、この毒物は日本で混入したもので絶対に中国ではない、と断言し、日本のねつ造であるかのように言い立てていた。あれは間違いでした、という謝罪はあったのだろうか。調べもしないであのような発言をしても責任を問われないのか。日本相手なら何を言っても許されるのだろうか。そのことが何より腹立たしく思い出される。

 この事件の犯人も、真犯人かどうか、なにやら疑わしいような気もする。なぜなら調べもしないで平然とでたらめを言う警察だったら、犯人のでっち上げも平然とするだろう。

早速購入

 「SFはこれを読め!」という本の紹介のなかで「タウ・ゼロ」をアーサー・C・クラークの作品としてあげてしまった。そのときにおかしいな、と一瞬思ったのだけれど調べずに見過ごしてしまった。申し訳ありません。もちろんポール・アンダーソンの作品です。

 名古屋に本を買いに出かけた。何冊か目当てがあった。もちろん、SFの項であげたもの、そして昨日読了した「ウルフ・ムーンの夜」の前作に当たる「氷の闇を越えて」、そして仁木英之の千里伝シリーズの第二巻「時輪の轍」(これは全四巻で第二巻だけが欠けている)。

 アーサー・C・クラーク「白鹿亭綺談」
 仁木英之「時輪の轍」(文庫しかないので文庫で購入)
 ポール・アンダーソン「タウ・ゼロ」
 スティーヴ・ハミルトン「氷の闇を越えて」

 このほかに新書を五冊ほど購入。今回はハードカバーがないので一万円でしっかりとおつりが来た。

 身体が夏の暑さに慣れてきたのかそれとも今日は少ししのぎやすいのか、炎天下を歩いても暑さがそれほどつらいと思わなかった。来週はマンションの夏祭り、そしてそのすぐ後に病院の定期検診。しばらく後には息子が帰省してくる。せいぜい読書に精を出し、出来れば散歩をしようかな、と思ったりする。

スティーヴ・ハミルトン「ウルフ・ムーンの夜」(ハヤカワ文庫)

 スティーヴ・ハミルトンはアメリカの人気作家で、写真に見覚えがある。たぶん何冊か読んでいるはずだ。しかし本人はこの写真に納得しているのだろうか。作家の顔で本を選ぶなら、この人の本は買わない。

 原題は「winter of the Wolf Moon」だから夜ではなくてウルフ・ムーンの冬なのだ。とにかく寒くて冷たい物語だ。読んでいると皮膚感覚で痛いほど冷たい。正統派のハードボイルドであり、主人公の、ときに無関心、ときに極端にこだわる姿のちぐはぐさに何となく真の男の格好良さを感じてしまう。自分の価値観がぶれない強さ、時に自分のすべてをなげうっても妥協しない姿勢に共感するのだ。

 カナダとの国境に近い町の郊外でロッジを経営しているアレックスは14年前まで警官であった。相棒とともに撃たれ、相棒は殉職、自分は三発の銃弾を受けたが奇跡的に助かった。そのうちの一発は心臓のそばに今も残っている。心臓に近すぎて取り出せないのだ。

 その後退職し、父の暮らす田舎のこの町で今は亡き父とともにロッジを経営する傍ら、私立探偵をしていた。ある事件がきっかけで私立探偵の看板を下ろしたつもりになっていたのだが・・・。

 この、ある事件というのが前作「氷の闇を越えて」という物語らしい。

 そのアレックスをドロシーという女性が訪ねてきて、助けを求めた。暴力的な恋人、ブラックマンから逃げたいというのだ。迷惑に感じたものの断り切れず、ロッジの一つに彼女をかくまう。ところが翌朝彼女のロッジを覗いてみると、中が荒らされて彼女の姿がない。

 ここからドロシーの行方を求めてアレックスのハードボイルドな行動が始まる。ロッジのひとつにすむインディアン、親友のヴィニー、結果的にアレックスを手助けする保釈請負業者でスノーモービル売りのリーアンなど、魅力的なキャラクターが次々に登場する。

 ウルフムーンというのは一月のこと、かくまうためにロッジに向かうときにドロシーに教えられた言葉だ。そう、季節は極寒、雪と氷の風景の中でさまようアレックスに次々に危難が襲いかかり、読者は痛い冷たさを主人公とともに実感することになる。

 立て続けに寒くて冷たい世界が舞台のミステリーを三冊読んだが、暑い夏向けに納涼のために選んだわけではない。たまたまだ。

 ところで前作を読んでいない。こうなるといつか探して読みたくなるというものだ。

2013年7月26日 (金)

化粧品事故

 カネボウの美白化粧品についてテレビで報道していた。白斑のトラブルは二年前から消費者によって報告されていたという。メーカーから医師の受診を進められて受診したところ、化粧品が原因というよりも体質的な問題でしょうという診断だったそうだ。

 そのため相談窓口はフォローの必要のない相談と判断したという。その後もそのような報告が次々にあったようだが、医師が体質によるもの、という診断をしていたというのがカネボウ側の言い分らしい。

 今年の5月にある皮膚科の医師から、化粧品そのものに問題があるのではないか、という問い合わせがあり、初めて社長まで報告が上がったが、その時点での販売継続検討は成された形跡がない。5月から今までに40件近いトラブル報告があって初めて公表したという。

 医師の診断の責任についてはおいておくとして、消費者の体質によってこのような事態が起きるかもしれないことは担当者は分かっていたはずである。化粧品を使わずにこのような白斑が出ているのなら別だが、体質によって起きるのは体質のせいではなく、化粧品のせいである。そんなこと、改めて言うまでもない。

 これからは無責任な想像だが、担当者が自分の机の中だけにこの事実を隠していたとはとても思えない。もしそうなら論外だが、普通はすべての案件は上司に報告されるのが通常である。

 たぶんこの化粧品は巨額の宣伝費を投入し、大々的に売り出していた商品なのであろう。だから担当者もその上司もこれを問題として社内に投げかけることが出来なかったのだろう。まして5月といえば夏を前にして紫外線も増える時期であり、美白をうたった化粧品を売り込む時期である。そのときに問題が報告されても、それを止めることが出来なかったのはカネボウという会社の体質と非難されても仕方がないであろう。

 しかしそのためにカネボウは会社を傾ける事態にまで陥るような気がする。化粧品などというものはイメージのものだ。それを大きく損なって、もとのように戻れるなどということを夢見ているのならとんでもない。これから事実が次々に明らかにされてバッシングは当分続くだろう。

 それにことはカネボウのみにとどまらない。この化粧品は世界10カ国に販売されているという。ひとりカネボウのみにとどまらず、日本の化粧品そのものの信用を大きく失墜させた結果は甚大だ。

 さらにいえば日本の商品そのものの信用にまで不信感を与えた被害はどれほどか計り知れない。真面目なカネボウ化粧品の社員たちには気の毒だが、この会社は社会から退場を突きつけられることになるかもしれないと感じた。たぶん関係者はそんなところまで認識はないだろうけれど。

 消費者のクレーム窓口は非常につらい立場に立たされる過酷な職場だが、そこが機能しないと担当者の身ばかりではなく、会社そのものを危うくする部署だということをカネボウは自覚していなかったようである。

谷岡一郎「SFはこれを読め!」(ちくまプリマー新書)

 この本はすでに一度読んでいるけれど、最近SFをもう一度読みたい気分になって、その参考のために読み直した。たくさんの名作があげられているので、自分の好みとつきあわせて選定することにした。

 小学生くらいからSFは大好きだったことはここでもくりかえし述べた。それも30歳前後からほとんど読むことが減ってしまった。光瀬龍や小松左京がSFらしいSFを発表しなくなり、若手の作品には何となく違和感があって、遠のいてしまった。その後は海外の傑作を時々読む程度になった。

 今回この本で取り上げられているものに自分も読んでいるものがあればうれしくなり、是非手に入れて読みたい、と思う作品もあった。

 SFにもジャンルがあり、好みが分かれるところで、私としてはショート・ショートを除いては本格ハードSFが好みだ。ところがこの本格ハードSFはとてつもなく分厚い本が多い。だから読みたいと思いながらつい後回しになってしまうのだ。

 この本で取り上げられていて私も傑作だと思うもの

 アーサー・C・クラーク「(地球)幼年期の終わり」
 アーサー・C・クラーク「宇宙のランデヴー」
 スタニスラフ・レム「ソラリスの陽のもとに」
 小松左京「果てしなき流れの果てに」
 ジョージ・オーウェル「1984年」
 ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」
 トム・ゴドウィン「冷たい方程式」
 田中芳樹「銀河英雄伝説」
 ラリイ・ニーヴン「リングワールド」
 J・P・ホーガン「星を継ぐもの」
 ダン・シモンズ「ハイペリオン」
 アイザック・アシモフ「ファウンデーション」
 フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
 ラリイ・ニーヴン「中性子星」
 ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」

 この本で取り上げられていて読みたくなったもの

 ロバート・A・ハインライン「異星の客」
 広瀬正「マイナス・ゼロ」
 ロバート・A・ハインライン「月は無慈悲な夜の女王」
 ロバート・L・フォワード「竜の卵」
  アーサー・C・クラーク「タウ・ゼロ」

 この中で取り上げられていないけれどすばらしい作品がたくさんある。

 あえてあげれば

 光瀬龍「百億の昼と千億の夜」
 光瀬龍「黄昏に還る」
 小松左京「神への長い道」
 スタニスラフ・レム「砂漠の惑星」
 E・E・スミス「レンズマンシリーズ」

 そのほか筒井康隆やブラッドベリの作品など、あげていけばきりがないのでここまでにしておく。SFの奥深さは底知れないほどだ。確かにつまらないものも多いので、そんなのにつまづくこともあるが、こりずに是非名作といわれるものでそのすばらしさを知ってもらいたいものだ。

 本棚の奥に、まだ読んでいないSFがたくさんある。どれから読もうか。考えただけでわくわくする。

責任

 「敗北の責任はわたしにあります」と言って福島瑞穂氏が社民党の党首を辞任することになった。敗北の将の、しかも女性に(これは差別か)対して言うのも何だが、本当に責任を感じたのだろうか。責任を感じると言うことは、こうすれば良かったのにそうしなかったことを認識している、という意味ではないのか。

 彼女の本音としては自分は正しいけれど、国民が間違った選択をした、という思いがありはしないか。それでは国民に選択してもらえる政党には永遠になれないのではないか。他者を糾弾することのみに狂奔している言動には自分は正義としてしか認識することが出来ず、反省は難しいのではないか。

 敗北には理由がある。正義の人にはその理由を見つめる勇気がないようだ。

 ところで民主党の菅直人氏が党執行部から離党を薦められたにもかかわらず居座り、しかも党内には擁護する人が多くて曖昧な処分に終わりそうな様子だ。孤軍奮闘していた細野氏が、差し違えてでも、と党のために行った行動を握りつぶす民主党の姿勢はますますこの党の迷妄を明らかにしてしまった。このことでも党内の意見は分裂しており、国民はますます見放していくだろう。

 菅直人氏は自分の責任を言葉にすらしない。この人ほど自分は正義であると盲信している人はいない。しかし党の会合での様子を見ていると、眼がきょろきょろと泳いでいる。案外気の小さな人なのだろう。

 気が小さいから自分が正しいと盲信しないと不安になるのかもしれない。他人の意見を聞き、自分の意見を修正するのは勇気のいることで、菅直人氏には反省する勇気はないようだ。もちろん責任をとる、などという発想はこの人にはなさそうで、そんな人を総理大臣としていただいて東日本大震災の惨禍を受けた日本人は誠に不幸なことであったと、今更ながら思った人も多いだろう。

2013年7月25日 (木)

内田百閒「百鬼園随筆」(旺文社文庫)

 内田百閒、本名は栄造、ときに百鬼園と号した。

 この本は最も初期の随筆集である。昭和八年に三笠書房から初版が発行され、大人気となり、洛陽の紙価を高からしめた。

 一人称で書かれたものも、また自分を他人のように三人称で書いたものもある。独特の文体と文章の展開をするので慣れないと読みにくいかもしれないが、一度ツボにはまるとやみつきになる。

 作家・森田草平を語る「大人片傳」など、語られている森田草平にしたらずいぶんむちゃくちゃな書かれ方をして腹を立てるかと思えば、やはり大人らしく、茫洋としてつきあいを続けている。一方的に金を借り続け、踏み倒し、催促されても次の借金をする、という間柄は時に凄まじい。

 前半には借金の話がくりかえし出てくる。というより内田百閒は常に借財とは縁が切れなかった。収入など関係なしに使い、借りた金をその帰り道で使ってしまうなどと言うことは日常茶飯事であった。文章を書けば出版社は原稿を待ち望んでいてすぐ金が手に入るが、書きたいときに書きたいことしか書かないし、ほとんど書きたくなることがないから教授としてのわずかな俸給しか定収がなく、それも右から左へ消えてしまう。

 ついに高利貸しに金を借りに行く話が「地獄の門」。新聞の広告を見て高利貸しの家を訪ねて借金をする顛末が描かれているのだが、スリラー映画のように不気味な印象を受ける。その前後の話や、逆に高利貸しの側から書かれた「債鬼」という話など、不思議な恐怖感を感じる。世間というのは裏へ回るととても恐ろしいところだと言うことを改めて感じる。

 内田百閒は夏目漱石の最後の弟子とも言われる。この随筆集の中にもいくつか漱石先生に言及しているが、その漱石の死の当日にたまたま内田百閒が漱石山房の泊まり番にあたったときのことから書き始められた「フロックコート」という一文は、内田百閒の不思議な感性、価値観を知らせてくれる。

 一読するとすらすらと書かれているように見えるが、実はたいへんな手間と時間をかけている。いろいろな物事を心の中で延々と暖め、発酵させてからたいへんな集中力で書かれている。

 内田百閒をすべて読むのはよほど好きでないと無理(この文庫で三十九冊ある。もちろん全部そろえているけれど)だけれど、せめてこの「百鬼園随筆」だけでも探して読んで見ることをお勧めする。読みにくいものは飛ばしてもかまわない。短文が多いので一気に読む必要もない。日本の随筆の白眉と言われるこの人の随筆を知らないのは日本人としてもったいないと思う。 

 私は旺文社文庫で読んでいるが、すでに旺文社文庫そのものがない。いくつかの出版社で内田百閒は文庫になっている。ただ、旧仮名遣いはたぶんこの旺文社文庫だけだと思う。だからこれは私の宝物だ。

楽観視

 中国経済の成長が鈍化し始めているのは間違いのない事実だ。それを世界の多くのメディアは中国経済の先行きを不安視した論調で伝えている。

 しかしひとり韓国メディアだけは中国経済の先行きに楽観的な見方をしている。中国共産党にとってこの事態はあくまで想定内のことであり、経済は中国国家のコントロール下にあると評論している。

 それよりも、日本やアメリカの経済復興は特別な要因によるもので、継続的とは思えない、としている。中国に頼る韓国経済としては中国経済が悪化することは想定したくないようだ。

 中国と欧州を結ぶ新シルクロード(貨物鉄道路線)が開通した。今後ウルムチなどの新疆ウイグル自治区にフォルクスワーゲンの工場などが建設される予定だという。欧州は安価な労働力が得られるこの地区に今後資本投下を進めるとみられる。日本もすでに新シルクロードの終点となる鄭州市などに日産自動車の工場などが稼働している。

 これによりいっそう中国と欧州の経済的な結びつきが強くなるとみられるが、そのために、韓国の欧州市場での競争力が低下する恐れがある、という(韓国・朝鮮日報)。財閥系企業が巨大資本投下をして、量産によるコストダウンを行い、その競争力で勝利してきた韓国経済も、ウオン高により急激に収益が悪化している。

 中国は絶対認めないが、国家で為替を操作しているから元高は押さえられているが、韓国はそういうわけにはいかない。そうなると元に対しても当然ウオン高になるわけで、中国との貿易額は伸びても利益確保は難しくなることだろう。

 どこの国にとっても厳しい状況が続くのだろう。日本も余分なコストになっている官公庁の権益がらみの規制を早く取り払わなければならないのだろう。ただ、その権益を利権として絡みついている自民党議員も多いに違いない。なまじ選挙に勝ったからそれがのさばることが心配だ。

 だからTPPが案外その規制撤廃などに外圧として働いて、反って日本のためになることもあり得るかもしれない、と思うと皮肉な感じがする。

中野孝次「自分らしく生きる」(講談社現代新書)

 中野孝次は1925年生まれ、私の老母と同年生まれである。生きていれば今年88歳だが2004年に死去している。作家であり、評論や小説など著書は数多い。愛犬との日々を描いた「ハラスのいた日々」は映画にもなった。「清貧の思想」もベストセラーになった。バブルの時に、あえて質素な生き方を提唱したことで話題になった。

 この本は「自分らしく生きる」という表題からも分かるように、時流や世間に流されて見失っている自分自身を探し求めろ、と提言している本だ。ある意味では自分探しを勧めている本だ。

 この本が書かれたのは1983年、私も若かったからこの本に啓発されたところもあった。この本に影響されて、ではないけれど、多くの若者が、この後定職に就かずにフリーターとして自分探しの生き方を選んだ。その生き方がその後の人生にプラスになって心豊かになったわずかな人と、定職を得られず、貧困に陥った数多くの人とが生じた。

 自由に心からあこがれながら、私は定職に就き、定年まで何とか勤め上げた。今は「自分探し」など自分の忍耐心のなさの言い訳に過ぎないとまで思うような人間になってしまった。

 しかし定年後、実際にあこがれていた自由の身になって、改めて原点の一つとしてこの本をもう一度読み直してみた。

 そこで分かったことは「自分らしい生き方」「自分探し」というのは人間としてcomfortableとは最も遠いところにある、ということであった。現代社会のあらゆる快適で安楽な暮らしの中にどっぷりとつかったままではかなわないものが「自分らしい生き方」なのだ。

 だからcomfortableにどっぷりつかったまま自分探しをした若者達の多くが自分を探し損ない、路頭に迷うことになった。この本の中に書かれているような生き方や思想はその意味で万人に簡単に行えるものではない。真に精神的なエリートにしかかなわないものかもしれない。

 そもそも世の中は著者の言う意味での「自分らしい生き方」など毛筋ほども考えたことがないし、考えるつもりもない人がほとんどだろう。そういうものだろうし、それでいいのだと今なら思う。

チャイナタウン

 韓国政府が中国人観光客向けのビザ発給の条件を緩和したことから、韓国では中国からの観光客が急増している。

 今年上半期の中国人観光客は174万人で、対前年46%増であった。

 免税店での売り上げも、日本人観光客とともに減少していたが、中国人の増加で持ち直し、1~6月期は10%の増加となった。ホテルの売り上げも再び増加に転じているという。

 ロッテの免税店を訪れた今年上半期の日本人観光客は130万人で、対前年18%減少、このところ毎年20~30%ずつ減少している。中国人観光客は同時期、同じく130万人だったが、これは対前年85%の増加だった。

 一方いいことばかりではなく、不法入国する中国人も急増しているという。ビザなし(大型の定期船での入国はビザが不要になった)や観光ビザで入国し、不法滞在している中国人は推定で1万3500人とみられ、対前年25%増だという。

 韓国政府は不法滞在を防ぐために取り締まりを強化する予定だと言うが、徹底的に防ぐのは難しいだろう、と悲観的だ。

 中国の人口は韓国の20倍をはるかに超える。犯罪者の絶対数もその割合で多いわけだ。中国国内よりも韓国の方が居心地がよさそうであり、受け入れの審査も甘くなったとなれば雪崩を打って押しかけるだろう。日本でも一時期中国人犯罪者の急増に手を焼いたことがあった。善意だけでは国の管理は難しいらしい。

 世界中にチャイナタウンがある。一部の国ではチャイナタウンは治外法権地域みたいなところもある。ところが韓国だけこのチャイナタウンがない。しかし中国人による土地の取得が増えていると言うから、まもなく韓国にもチャイナタウンが自然発生的に作られることになるのではないかと思われる。

2013年7月24日 (水)

入札

 ブラジルのリオデジャネイロ-サンパウロ-カンビーナスをつなぐ高速鉄道の入札が今年の9月に行われることになった。予算は約178億ドルと巨額であり、各国は手ぐすね引いて準備している。

 ところでこの入札に、中国はエントリーできない。あの温州市の事故があったからだ。ブラジル政府の規定では、5年以内に重大な事故を起こした会社は入札に参加することが出来ない。

 日本にとっては強敵の一つが消えたことになる。しかしブラジル経済はここへ来て停滞し始めている。この高速鉄道計画が予定通りに行われるのかどうか、いささか心配な点もないことはない。

1100平方キロメートル

 中国国家海洋局によると、この10年間で埋め立てられた中国の海の面積は1100平方キロメートルに及ぶという。

 埋め立てられているのは沿岸部や湾内なので、中国の海岸線は直線的になっていく。専門家の一部には、海岸線の変化が失われると海岸の動態バランスを破壊する、と懸念が表明されているという。

 動態バランスの意味は何となく分かるような気がする。当然生態系にも大きな影響があることだろう。中国の海岸は大河がいくつも注ぎ込むことから砂や泥が堆積して遠浅であり、埋め立てが可能なところが多いのかもしれない。しかしそのようなところこそ、魚介類の揺籃の場所であろう。

 農薬や肥料を大量に含んだ水や、生活排水、工場排水などで汚染し尽くした海をさらに埋め立てていくことで、中国の海はますます無機的な死の海になっていく。海の再生能力を奪うような、野放図な埋め立てを行って自国の土地が増えたことを喜んでいると、大きなつけを払うことになるだろう。

 日本でも干潟を次々に干拓していくことで工業用地や農業用地に転換していったが、それによって得たものよりも失ったものの方が大きかったことにようやく気がつきつつある。中国がそれに気がついたときには取り返しがつかないことになっているような気がする。だからますます他国の領海周辺に手を伸ばそうというのだろうが、もういい加減にして欲しいものだ。

 自ら持っているものを大事にし、人のものには手を出さない、というのが国際的なルールであり、そもそも人のルールでもあるだろう。

 自分が欲張りだと自覚している欲張りはまだ救いがあるが、被害妄想から自分だけ損をしているように思い込み、結果的に欲張りな行動をしている欲張りは、自分が欲張りであることを分かっていないだけにそれを止めることが難しい。迷惑この上ないことだ。

既読無視

 事故以来何となく自分のリズムを見失っている。ふと北陸や山陰、東北などに出かけたいな、と思ったすぐ後に今車がないことに気がついてちょっと気落ちする。時間とともに回復するのだろう、まだ一週間も経っていないのだし。

 テレビをぼんやり見ていたら、「既読無視」という言葉があることを知った。LINEでのメール(というのかどうか知らないが)に対し、それを読むと自動的に相手には「既読」の表示が出るのだそうだ(LINEをしていないから知らないが)。そして着信にはただちに返信するがお約束らしい。返信しないのを「既読無視」と呼び、非常に失礼なことなのだそうだ。

 子供たちの間では「既読無視」がきっかけでいじめに遭うことがしばしばあるという。確かに無視は不愉快だが、着信に常にすぐ返信しなければならないというのもずいぶんストレスだ。

 何かに追いまくられるように着信と発信を繰り返しているために勉強も手につかない子供がいる、という。思ったより事態は深刻なようだ。

 電話はこちらの都合を考えずに出ることを強要する。それがメールが多くなり、こちらの都合のいいときに、よく考えてから返事が出来るようになったことを喜んでいたら、電話以上に強制的に応答を求めるものが普通になってきたようだ。

 このようなツールはまだ過渡期で、試行錯誤の最中だと言うけれど、子供たち(ばかりではないらしいが)が精神的にストレスの高い状態におかれて、ものを考えたり感じたり、勉強したりする時間を削がれているらしい。

 よく考えると変な話で、考えさせられた。

2013年7月23日 (火)

ポーラ・ゴズリング「ゼロの罠」(ハヤカワ文庫)

 最近この著者の「逃げるアヒル」を読んでここで取り上げたばかりだ。主人公を追い詰めていくプロの暗殺者の迫力が印象に残った。

 この「ゼロの罠」の方は全く違う物語で、中近東から飛び立った軍用機がハイジャックされる。まもなくその飛行機は発見されるのだがそこに乗り合わせたはずの9人の乗客の姿が見当たらない。
 
 9人は薬品で昏睡させられ、目覚めたときには真冬の雪に閉ざされた大きな屋敷の中に取り残されていた。外は極寒で、完全防寒でなければ外へ出ることは出来ない。屋敷には暖房も食料もあるが、自然によって監禁された人質となったのだ。

 やがてそこがフィンランドの森林の奥であることが分かる。定期的にヘリコプターがやってきて、武装した男たちによって写真を撮られる。人質が無事であることを知らせるためだ。

 この人質たちの様子と、交渉人と称する人物との人質解放のための交渉が並行して描かれる。そこで出された犯人側の要求は一つではなく、しかもその関連性が不可解なものばかりだ。目的が不明、そして人質のとらわれている場所の手がかりがないままに困難な交渉が続けられる。

 とらわれている9人には偶然乗り合わせた人物もいるが、実はある目的を持っているものもいた。犯人側は人質に危害を加える意図がないらしいことが分かってくる中、ひとりの人物が殺害される。残った8人の中に犯人がいるはずなのだ。

 やがて安全なはずの屋敷がそうではなくなる。その上定期的にやってきた男たちも来なくなってしまう。屋敷の暖房機能が止まってしまい、皆は互いを疑いながらも協力して生き延びるための手立てを尽くす。

 人質のひとり、一見目立たずひ弱そうな女性・ローズが主人公。彼女は次第に芯の強さを見せていく。そして寡黙な天文学者のスキナーが彼女を助けて全員を統率していく。
 
 しかしそれにも限界があり、死が目の前に迫るとともに互いが感情的に敵愾心を向きだしに争うようになる。助けが来るのが先か、力尽きるのが先か。

 途中から夢中になって、読むペースが加速していく。ラストもさわやかで女性にもお勧めだ。

三十四回

 広東省江門市の警察はひき逃げされた男性の死体を回収した。この男性の死体には無数の衝突根やタイヤの跡が残されていた。その後の捜査により、この男性は大型車にはねられた後、三十三台の後続車にひかれていることが分かった。そしてどの車も停まることがなく、まして通報も一切しなかった。

 先日ここでも取り上げたが、同じような事件があって、そのときは何台目かの運転手が警察に通報した。ところがその後被害者の遺族がその通報した運転手を訴え、裁判所はその運転手に賠償金を払うように命じる判決を下した。

 これがニュースで大々的に取り上げられたのだから、誰も通報などしないようになるだろう、と危惧したが、その通りのことが早速起こったわけである。なんだか凄まじい話だ。

中韓友好か反韓か

 朴槿恵大統領の中国訪問によって韓国ではいっそう親中ムードが盛り上がっているらしい。経済的な関係も観光などの人的交流も急増しているようだ。

 ただし中国人の中には、韓国に対して良い印象を持たない反韓の人も多い。いわゆるウリジナル、という何でも韓国が発祥という夜郎自大的な韓国の主張が中国人には極めて不愉快なものと映る。中国が発明したと言われるもののほとんどが実は韓国人の発明だ、という奇説がとなえられ、中国の偉人も多くが朝鮮系だ、などという。韓国ドラマ、特に歴史物では史実とあまりに違う描き方に不快を感じる中国人も多い。

 中国では韓国ドラマを好むのは知的レベルの低い下層階級だ、とまで言われるのは、知識がないものはこのような韓国ドラマに違和感を感じないからだ、という意味がある。

 そこに今回のアシアナ航空機のロサンゼルスでの事故の報道である。死んだのが中国人で良かった、という不用意な言葉が中国人の反感を生んだ。

 中国のネットでは、一部の韓国人が日本の東日本大震災を喜んで祝福した事実をあげ、そういう国だ、といっているものもあった。

 ジャパンアズナンバーワンなどとおだてられて自分を見失い、バブルに酔いしれた日本は世界の反感を買うことになった。

 韓国も飛ぶ鳥を落とす勢いに心を高ぶらせて不用意な発言を繰り返すと日本の二の舞になる。それこそ日本はオリジナルで、韓国はウリジナルだ。先達の失敗を見ることが出来るという有利な立場なのだから韓国も少し冷静になる方がいいのではないか。人ごとながら心配する。

マーク・T・サリヴァン「リトル・クロウは舞いおりた」(文春文庫)

 雪に閉ざされたカナダの森林の奥、トロフィー級の鹿狩りのツアーの一行が、毎日ひとりずつ襲われて殺されていく。

 ある理由があって夫や子供たちと離れて参加したダイアナもそのひとりだった。彼女の祖父はインディアンであり、幼い頃から父や大叔父(祖父の兄弟)に森で生きることを教えられ、リトル・クロウと呼ばれていた。極限状況の中、そのリトル・クロウが目覚める。

 ダイアナがなぜたったひとりで参加したのか、それが物語の中で語られていく。彼女の生い立ち、自然との関わり、父や母、大叔父との生活、そして母の死の後の父との決別。彼女は自然を離れ、大学に入り、ボストンでソフトウェア会社で働き、その後結婚、子供ふたりに恵まれ、幸せに暮らしていたはずだった。

 彼らを襲うものは誰か。その理由は何か。その伏線は冒頭部分にあるのだが、それが明らかになるのはもちろん後半である。

 襲われる側の彼らもハンターである。外界との連絡を取るために手を尽くし、逆襲のチームを組んで対抗しようとするのだが、相手は人知を越えた存在のように能力が高く、その姿は全く捉えることが出来ない。

 ダイアナはついに単独でこの敵と対決しようとする。その直接対決の中で、彼女はこの敵の襲撃の理由を知ることになる。それと同時に彼女の父との決別の理由も明らかにされる。

 想像を絶する彼女の過酷な戦いが繰り広げられる。彼女がこの孤独な戦いで克服したものは、彼女の隠していた心の傷の克服でもあった。

 これでもか、という厳しい状況での戦いは手に汗握るもので迫力満点である。映画になっているのではないか、と思ったが、なっていないようである。

2013年7月22日 (月)

一年で220階

 中国の長沙市で世界一高いビルの建設工事が始まった。完成すると現在世界で一番高いビル、あのアラブ首長国連邦の首都ドバイにあるブルジェ・ハリファより10m高い838mとなる予定。

 何より驚くのは今基礎工事に着手して、来年の4月には最上階が完成するという異常な工事の速さだ。遅くとも来年の6月にはテナントの入居が可能だという。1~5階が学校、幼稚園、老人ホーム、病院、6~15階がオフィスビル、16~170階がマンション、171~202階がホテルになるそうだ。

 たぶん倒壊するまでは大丈夫だと思うけれど、こんな高層ビルには決して入りたいと思わない。

 この勢いで工事をすれば、事故を起こした福島第一原発を覆うような建造物はとっくに出来ているのではないだろうか。いつまであんな野ざらしみたいな姿をさらしているのだろう。

 事故と言えば、先週起こしてしまった交通事故について、当日とその翌日くらいは目をつぶると衝突の瞬間の映像がまざまざと浮かんだりしたが、今になるとそれは収まったものの、今度はあのときにこうすれば、とか、出かけるのをやめていたら、とか、たらればをつい考えてしまうようになった。

 今更そんなことを考えてもしょうがないので、今後二度とそういうことのないようにすることを考えればいいとは分かっているのだが。

 車で出かけるのは大好きなので、やはり車は欲しい。車の処理をディーラーに頼むために事故車をレッカーしてもらった。それが着いたというので見に行き、ついでに次に買う車についてディーラーの若いお兄ちゃんと相談した。そしていくつかの選択肢を決めて粗見積もりをしてもらった。

 息子にはあまり慌てて車を買うな、少なくとも2~3ヶ月は控えろ、と言われてしまった。

 そんなに待てない。でも息子の言うとおりなのも分かっている。

評価

 今回の選挙の結果について海外メディアの反応が報じられ始めた。

 中国の新華社は、尖閣問題から日中首脳会談はおろか外相会談すら行えない事態であると伝えた上で、中国の安定的経済成長維持や、中国の海洋進出を警戒するアメリカとの対立を回避するためには、いつまでも日本と接触しないままでいるわけにはいかない、と認識する共産党関係者が増えている、と報じた。ややこしい言い方だが、日本とそろそろ話し合いの場を持つことも必要だ、という雰囲気を作ろうとしているように見える。

 対日圧力を緩和することは当面ないのだろうけれど、少しずつ関係改善を模索するようになるような気がする。希望的に過ぎるだろうか。

 ニューヨークタイムズは自民党の大勝を伝え、日本国民が安倍首相の経済再生計画に承認を与えた、と報じた。

 そしてねじれ解消により、政治力を増した安倍首相が、日本経済の長期的な健全化に努め、アジアとの隣国関係に改善が期待できる、とみている。

 弱い政権は国民の批判を恐れて適正な妥協が出来ない。しかし政権が強ければ、観念的な非難を気にせずに、信じた行動を実行することが出来るだろう、と見ているのだろう。

 今回の選挙の候補者、当選者の顔ぶれや発言を見ていると、いささか懸念を覚えたり、情けない人物に見える人も散見される。民主主義の限界を感じるが、長期的に見れば必ず淘汰されると信じたい。

 野党は自民党の中に巣くうシロアリのような人物たちの蠢動に対する批判を的確に行うことでその存在意味を発揮して欲しいものだ。それが自分の存在意味を高めることにつながり、ひいては国のためになる。その結果政権を担うチャンスも生ずるというものだろう。民主主義は中国の共産党体制と違って時間がかかるのだ。

セミの声

 心配して来てくれていた息子が、セミの声が聞こえないね、といっていた。言われてみれば、例年なら今頃はうるさいほどのはずだ。

 それが今朝窓を開けたらセミの声がする。それも一斉に鳴き出したような鳴き方だ。気温などで同じような頃に羽化するだろうことは分かるが全く同じ朝に揃って羽化しているらしいことは不思議な感じがする。

 昨晩は選挙の結果をテレビで見ていたが、開票が進まないうちから大半の結果が明らかになっていくことに今更ながら驚いた。

 「お約束します」「助けてください」「最後のお願いです」の連呼が終わったらと思ったらセミが鳴き出した。

 民主党の惨敗は予想通りだが、反省の弁が「国民の期待に応えられず、その失望を新たな信頼につなげることが出来なかった」だ。

 その通りだが、国民の失望の理由を本当に反省し、国民に謝罪した、と感じている国民は多くないだろう。東日本大震災という未曾有の災害が民主党が政権を担っているときに起こったことは日本にとって二重に不幸なことであったと皆感じている。

 復興の遅れ、原発事故の処理の不手際は強く記憶に残るところであり、民主党でなかったら、という思いを感じさせた。試しに民主党に政権を預けてみたらもしかして、という国民の判断が裏目に出たことを何より反省しているのが国民自身だろう。

 今回の選挙の結果を見て、韓国のメディアは「日本は右傾化が加速する。だから関係は当面冷却するしかない」と報じた。

 朴槿恵大統領もまだ政権基盤が定まっていない時期でもあり、日本に妥協的な姿勢が打ち出しにくいだろうが、本音は日本との関係修復を望んでいるだろう。そのときに日本の政権が揺らいでいない状態であれば、本気で交渉できる、と内心では喜んでいるのではないか。

 民主党政権では百家争鳴、約束したことすら党内で反対を受けるというていたらくだった。これではどこの国も日本と本気で話そうとは思うまい。その意味でもねじれが解消し、政権が安定することは喜ばしい。

 しかし自民党の過去を知るものからすれば、これで慢心して自分の懐ばかりを肥やそうとする輩が蠢動する恐れもある。しかしそのことで次の選挙に自民党の惨敗をもたらすことが出来ることを国民は忘れてはならない。

 中国も韓国も、国民の支持を受けて盤石な安倍政権は脅威だろう。ここで経済も回復するとますますやりにくくなる。だから盛んに日本に「右傾化」の傾向があると強調して非難する。だから安倍総理は少しトーンをソフト化する方向に舵を切ることが必要かもしれない。つまり憲法改正の優先順位を少しランクダウンするのがいいような気がする。

今回出来もしない夢のようなことばかり言い続けた泡沫党がほとんど票を集められなかったことは国民の見識だろう。今朝の福島瑞穂氏のうろたえぶりは哀れであった。

2013年7月21日 (日)

葉室麟「月神」(角川春樹事務所)

 月形半平太という架空の人物がいる。幕末の志士の象徴のような人物だ。芸妓と夜道を歩きながら「月さま、雨が」「春雨じゃ、濡れて参ろう」という台詞は有名だ。東映映画では確か大川橋蔵が演じた。幕府の捕吏に取り囲まれ、ざんばら髪となって凄絶な最期を遂げる。

 この月形半平太はふたりの人物をモデルにしていると言われる。ひとりは武市半平太、土佐の勤王の志士で坂本龍馬の盟友である。そしてもうひとりがこの小説の前半の主人公、月形洗蔵である。

 幕末の福岡藩の尊攘派の代表のひとりであり、薩長同盟を成功させた人物のひとりだ。福岡藩はその尊攘派が一時は実権を握ったが、幕末の最後の最後に、藩主によって尊攘派は粛正され、月形洗蔵は切腹も許されず、斬首されている。そのために維新にたいへんな功績があったのに福岡藩はほとんど酬われることがなく、版籍奉還を最も早くに強制された藩となった。

 後半はその月形洗蔵の薫陶を受けた年下の従兄弟である月形潔の物語である。月形潔は北海道のあの有名な樺戸集治監(かばとしゅうじかん・刑務所のことである)を創設し、初代の集治監の所長になっている。福岡藩士出身者にはそういう役割しか与えられなかったのだ。

 洗蔵も潔も高い志を持ちながら脚光を浴びず、不遇な一生を送った。特に月形潔は集治監を経営する中で、囚人に対して理想とはかけ離れた苛烈な処断を繰り返さなければならない。過酷な環境もあり、精神も肉体もぼろぼろになっていく。自分の生には何の意味があったのか、と悩む彼に洗蔵の言葉「世の中に無意味なことなど何もない」が思い出される。

 樺戸集治監については映画「北の蛍」に詳しい。仲代達矢の演ずる集治監の所長は月形潔がモデルだったのではないか。ここに収容された囚人は重罪犯で、その多くが政治犯であった。北海道の道路や鉄道の工事に従事させられ、その2~3割が死亡したと言われる。政府は囚人経費の節減になるとしてその死を歓迎したという記録も残っている。真冬に暖房もなく、薄着のままで重労働を強いられたその過酷さは想像を絶する。

 葉室麟によって、歴史の中に埋もれているこのような人々の思いが伝えられる。日本の国はあるがままに今のようになったのではなく、このような多くの人たちの志ある営為の上に作り上げられてきたのだ。このことを改めて教えてもらった。葉室麟の小説は読み出すと途中で止められなくなる。それだけ引きつけ引き込む力があるのだ。

2013年7月20日 (土)

曾野綾子「国家の徳」(産経新聞社)

 産経新聞に連載しているエッセイをテーマ別に編集したもの。掲載している新聞社に併せてやや硬派の文章になっている。というよりこの文章は朝日新聞では掲載されにくいかもしれない。

 愚かであること、欲深であることに辛辣な言葉を投げかける。愚か、というのは知識の量の問題ではないことは言うまでもない。そして思想を持たない政治家、変節を恥と感じない政治家を痛罵する。

 まさに明日参議院選挙だが、選挙の決まり門とはいえ出来もしない「お約束」を声高に訴える候補者に多くの国民がうんざりしていることに政治家はなぜ気がつかないのだろう。

 「皆が安心して暮らせる生活を」と泡沫党の党首が選挙演説で叫んでいる。理想は理想として、具体的な方策のないそのような空言に未だに耳を傾ける人もいるのが信じられない。出来ない約束はするべきではない。二言目には大金持ちと資本家が国民が得るべき利益を搾取しているという。その金を取り上げてばらまけば国民は皆幸せになる、というのだろうか。つまり幸せは金だという点でそのような金持ちと同じ価値観のように見える。今回は自民党と公明党が大勝するだろうという。それは野党の自滅の結果だが、アンチ自民党の票が行き場所を失い、共産党へ流れて共産党も倍増するだろうという。東京都議選に続いての躍進となるかもしれない。国会討論でのあの共産党の議員の常識を逸脱した理解しがたい状況認識に基づく質問を聞く機会が増えるのか。 

 日本人の徳、について世界は日本人が思う以上に評価している。あの中国や韓国でも心ある人はそれを認めている。これは経済よりも大きな日本の財産だ。これを損なうことなく、維持強化するためには何が必要なのかもう一度日本人自身が見直すべき時かもしれない。

 この選挙もそのための一つの試金石かもしれない。日本人が皆被害者意識を持つような世界だけにはなって欲しくない。

大丈夫です

 いろいろご心配をおかけしましたが、打撲した胸がまだ少し痛いだけで特に異常はありません。おかげさまで大丈夫です。

 事故の連絡をしたら、来なくていいというのに息子が広島からやってきました。娘のドン姫も来たので昨晩は例によって三人で酒盛りとなりました。こちらも事故のせいかハイテンションで、やや盛り上がりすぎました。でもうれしいことでした。

 これから事後処理がいろいろあり、煩わしいことですが、これは自ら招いたことですので致し方ありません。

2013年7月19日 (金)

初めての経験

 出来れば経験したくないことを同時にいくつか経験することになってしまった。

 初めてストレッチャーに乗せられて救急車に乗ったこと、エアバッグのパンチを食らったこと、パトカーに乗ったこと、等々。

 回りくどい言い方で申し訳ない。要するに車で事故を起こしてしまったのだ。三重県の尾鷲から熊野のあたりを走っていて車どおしでぶつかってしまった。我が愛車はご臨終となった。胸を強打して息が出来なかったのだが、救急車で運ばれているうちにだんだん回復、レントゲンで見たら打撲だけで骨に異常は見られないという。車の破損の様子から警察も救急隊の人もよくこれで無事だったと驚いていた。

 

 

 こちらが右折しようとしたところに相手の車が正面から当たっているので私の責任が重いそうだ。こちらも相手を視認しながらぶつかるわけがないので、本当に突然のことであった。幸い相手があまり悪い人ではなさそうなので助かった。ふたり乗っていて、助手席の人がわたし同様胸の痛みを訴えており、診断書を警察に提出したので人身事故扱いになる。ただ処罰は人身事故としてはかなり軽い方になるはずだ、と警察の人が言っていた。ただ運転には自信がなくなった。

 

 救急車というのは狭いものだということが分かった。病院で診察の後、現場へ戻って現場検証、そこから最寄りの駅が遠いので、パトカーで熊野の駅まで送ってもらった。何となく照れくさい。駅で、送ってもらったお礼を言っていたら周りの人がじろじろ見ていた。

柴田聡、長谷川貴弘「中国共産党の経済政策」(講談社現代新書)

 中国が公式見解を発表するときの木で鼻をくくったような一方的な物言いは極めて不快に感じる。私ばかりかと思ったら、そう思う人は多いようで、それは日本人ばかりでもないらしい。北朝鮮くらいむちゃくちゃな言い方になるとあまりのばからしさに笑えるけれど、中国のは妥協の余地のないもので、関係修復に絶望感を覚えていっそ絶交した方がいいと思えてしまう。にべもない、という言葉が浮かぶ(ちなみに、にべ、というのはイシモチなどのニベ科の魚を言うらしい。中国の高級料理に使う黃魚というのはこの仲間だ。かんけいないけど)。

 あの物言いは中国独特の表現で、まず原則をあげて相手の妥協を引き出すための手法だという。だから決してそこで妥協してはいけない。そこで妥協しないからと言って中国が本気で怒ったりすることはない。それをわきまえれば中国の一言一言に過剰反応する必要はないのだ。ただ互いに相手の気持ちを忖度することに慣れている日本人は、そのような交渉には大きなエネルギーを必要とする。しかし中国人はそんなことは当たり前と思っているから何ほどのこともない。

 著者ふたりは中国の日本大使館に駐在して、中国で生活し、中国の要人から役人、一般人との折衝を経験し、親交を深め、生の声を聞いてきた。中国の統計値、その政策、特に経済政策についての分析には見るべきものがあり、今までにない見方を教えてくれる。

 最初にあげた中国についての話は、中国に接した人には常識である。それを日本人的価値観で表面的に中国を判断すると誤った受け取り方をしてしまい、時に感情的になり、時に絶望する。しかし実際に著者たちのように地道に中国との関係を積み上げ続けている人たちのことを知ると、自分が薄っぺらなことを思い知る。中国で経済活動をしている数多くの日本人たちもたいへんな苦労をしながらも、あきらめずに努力しているのだ。

 この本を読んだのは、中国経済が減速期に入ったと昨今言われているが、経済の減速はすなわち中国の破綻だ、という極端な見方をする向きもあるが実際はどうであるのか、それを知るためである。そして中国政府は、特に習近平政権はどのような政策で経済を運営しようとしているのか、それは今中国が抱えている多くの大きな難問に対して有効に働くのか、ということを知りたかったのだ。

 この本では中国の抱える問題の深刻さを取り上げながらも、中国が大きな破綻に至る可能性はあまり(絶対ないとは誰も言えないから)ないと楽観的である。だから日本は中国との関係を、経済の関係を基盤として引き続き強化していくべきである、としている。

 私は中国リスクについてはますます大きくなっている、と認識しているが、今後の日本にとってやはり中国との関係は最重要として地道な努力が必要なのだと知らされた。

 そういう国(理不尽とも言える身勝手な言動をする国)と承知しながらもあきらめずにその国とつきあっていかなければならないことは承知している。そのためにたくさんの人が努力を続けている。それを外野にいながら一時の感情に流されて批判ばかりしてはならないのかもしれない。

 この本は内容が詰まっているために新書なのに読むのに苦労した。少しずつ読んでひと月くらいかかった。途中で投げ出さずに読了して良かった。

本日は少し早めに起きて遠出(日帰り)をしようと考えている。目指すは海。しばらく家にこもっていたから少し潮風に当たってこよう。

2013年7月18日 (木)

デンマークドラマ「ゾウズ・フー・キル 殺意の深層」

 前編 死を支配する者
 後編 偽りのユートピア

 このドラマは女性刑事カトリーネとプロファイラーのトーマスの事件簿である。

 前編はシリアルキラーの犯人捜し。森の中で白骨化した女性の死体が発見される。トーマスは、その森にはまだ死体があるはずだ、と見抜く。やがて新たに四体の死体が発掘される。わずかな手がかりから犯人を追い詰めたカトリーネは逆に犯人にとらわれてしまう。絶体絶命の危機をどう切り抜けるか。

 前編でカトリーネは事件のトラウマで自宅に帰れなくなってしまう。上司も周りも彼女を心配するが、気丈に事件の捜査を続ける。後編はサイコキラーの話である。不可解な家族殺人事件が相次ぐ。なぜか幸せな家族が殺される。その共通点は何か。犯人の目的は。それが明らかになったとき、すでに犯人は新たな犯罪に着手していた。カトリーネたちはその家族を救うことが出来るのか。

 デンマークのミステリードラマは出来が良くておもしろい。つまらないギャグ(センスのいいギャグならOKだ)や緩みがない。独特の暗鬱な背景の中で起こった事件を分析して犯人を淡々と追い詰めていく。カトリーネだけがチームの中でやや感情的な捜査をするので上司からたしなめられる。何か彼女にトラウマになった事件があるようだ。シリーズ2、シリーズ3(シリーズと言ってもそれぞれ前後編のみだが)の中で明かされていくのかもしれない。両方すでに録画している。引き続き鑑賞することにしよう。

時代の終わり

 「たかじんのそこまで言って委員会」というテレビ番組がある。時事ネタを、コメンテーターをひな壇に並べて論じ合う番組だ。時にはゲストを呼んで意見や情報を聞く。

 日曜日の午後はこの番組を楽しみにして、出かけるのを控えたこともあった。それほどおもしろい。

読売テレビの番組なので当初は関西圏のみで放送していたようだが、現在はある地区を除いてほとんど放送されている。ある地区というのは東京エリアだ。

 しばしば暴走気味の発言も飛び出すためにいつ批判にさらされて番組が終了するか分からないスリリングなところがあり、それが番組の魅力でもあるのだが、東京で放映されたらたちまち放送が止められるだろう、というのが番組側も視聴者も共通した認識だ。つまり東京はそれだけ偽善者が多いと言うことを暗に言っているわけである。

 東京の人でこの番組見たさに関西でビデオに録画したものを送ってもらうという人も多いらしい。また海外でもこの番組は興味を持っていてそのビデオが見られていると聞いた。

 狂言回しはやしきたかじん、番組進行は辛坊治郎、番組を締めるのは重鎮・三宅久之であった。

 この番組も、やしきたかじんは病気で長期欠席、三宅久之を喪い、辛坊治郎が孤軍奮闘していたが、おそらく嫌気がさしたのだろう、ヨットで太平洋横断をする、といって離脱した。

 三宅久之の定席を継いだのは津川雅彦、それなりの見識はあるもの先任との差は覆うべくもない。番組の重しになっていないのである。

 今は各人が言いたいことを言い合うばかり。しかもその感情的で物事の一面しか見ない愚かしいような井上某という人物が、人の話を聞くこともなく、自分のみが正しいとわめいていた(まだ勝谷誠彦には自分を自嘲する理性があった)。これでは福島瑞穂と変わりがない。

 辛坊治郎なら話をそらしながらたしなめることも出来るが、もう無政府状態だ。過去のレギュラーの何人かは参加を拒んでいるような気がする。三宅久之が去って後、番組の魅力は半減した。だから最近は見ないことが多くなった。もし見始めてもあまりのお粗末にスイッチを切ってしまう。先日久しぶりに見てさらに劣化していると感じた。この番組も終わりだ。

 大げさだけれど、なんだかひと時代が終わったような気がした。

2013年7月17日 (水)

都江堰決壊

 都江堰をご存じだろうか。成都の近く、今は都江堰市にある堰である。李氷親子によって作られた堰であり、四川が穀倉地帯になったのはこの堰が出来たおかげてあることは中国人で知らないものはない。

 この堰が出来たのは秦の始皇帝の時代よりもやや昔(紀元前3世紀)である。爆薬も重機もない時代に毎年氾濫を繰り返す岷江を、この都江堰を作ることで分水し、四川を大穀倉地帯にすることが出来た。三国志の蜀の国の基盤はこの穀倉地帯であり、それを生み出したのはこの都江堰である。

 それ以来岷江は2000年以上都江堰により、コントロールされてきた。それが決壊し、岷江が氾濫した。

 この事実はもなさんのブログ(アラフィフの海外で節約生活)で知った。これは衝撃的な事実だ。

 成都に行ったら何よりも先に都江堰が見たいと思っていた。2000年以上昔に奇跡の治水をしたその現場を見てみたかったのだ。三国志の遺跡よりもずっと見たかったのに。

 都江堰は李氷親子がそれを完成した後、長い歴史の中で次々に新しい堰や分水の設備が作られてきた。それはどうなったのだろうか。

 もなさんのブログには写真が添えられている。都江堰の上流の山々が崩れたためにその土石流で都江堰が決壊したようだ。その山がなぜ崩れたのか。人為的なものだという報道のニュアンスのようだ。

 中国は都江堰を再生させることが出来るだろうか。都江堰の喪失は中国にとって物理的なだけではないものの喪失を伴っている。

NHKBSドラマ「外事警察」2009年放映

 椎名誠のエッセーを読んでいたら、眠れない夜に録画していたこのドラマを見たらとてもおもしろくて全部見てしまった、と書かれていた。私も録画してあったことを思い出して、引っ張り出して見始めたら、全六回分を一気に見てしまった。途中でやめられない。夢中で見てしまった。

 原作は同名の麻生幾の小説。この本を持っているがまだ読んでいない。ドラマと本をどちらから見ようとしたのか忘れた。エスピオナージという言葉がある。スパイとかスパイ小説のことだ。題名には警察とあるが、ほとんどエスピオナージだと思う。

 外事警察はあの公安警察に属する。警察でありながら警察ではない。警察から毛嫌いされる組織として描かれることが多い。ハムとあだ名される。

 このドラマの主人公住本(渡部篤郎)はその外事警察第四課、テロ対策の担当部署の班長で警部補だ。そこへ刑事課から抜擢されて派遣されたのが松沢陽菜(ひな・尾野真千子)だ。彼女が選ばれた理由は後で分かる。

 外事四課が以前から内偵していた外人相手のバーが日本に潜入しようとしているテロ組織に関係している疑いが高まっている。

 折しも日本でテロ対策のための国際会議が開かれようとしている。そんなときにテロが起きれば世界的に日本の信用は失墜し、テロ組織のアピールになってしまう。しかし政府を代表する官房長官村松(余貴美子)は日本でテロなど起きるはずがないと一蹴する。

 外事警察の活動を描きながら、その非人間的なところと、大義との間の葛藤にもがく姿が切ない。このような形の極限状態というのもあるのだ。

 国のために働きながら誰からも理解されず、真実を語ることは許されない存在、そして役目のためには同僚すら信じられず、ほかの部署も無視していく。存在自体が知られてしまったらその場で退場しなければならない仕事だ。

 渡部篤郎の不思議な魅力が全開、それに張り合うように毛嫌いしていた組織の中で脱皮していく女性刑事の役を尾野真千子が好演している。ラストの上司の前でのほほえみがすさまじい。

 外事警察の協力者に仕立てられていく女性役の石田ゆり子がすばらしい。こんなに見事な女優とは知らなかった。

 文句なしにおもしろいドラマであった。

同性婚の法制化

 同性結婚が法律的に異性結婚(これが一般的だけれど)と同様の権利を認められている国はすでに十数カ国あるそうだ。先日はフランスで同性婚が法制化され、このたびイギリスでも同性婚の合法化の法案が可決した。

 世界で同性婚が認められていくと、遠からず日本でもその是非について論議が行われるだろう。テレビで、いわゆるおかまさんが日常的に登場している。将来日本でも同性婚の合法化があり得るのかもしれない。

 私は男性に性的な気持ちを持つことが出来ないけれども(最近は情けないことに女性にも)、世の中にはいろいろな人がいるから同性愛を否定するものではない。でも旧約聖書の創世記のソドムとゴモラの街の話を引き合いに出すまでもなく、男色(英語でsodomy)に退廃的な色合いを感じてしまう。生物的にもやはり自然なことではない。カタツムリのように異性同体なら別だけれど同性婚では子供が生まれることはあり得ない。

 同性婚の合法化には人権尊重の意味合いが強いらしい。どうもこの過剰に思える人権尊重というスローガンにいささか偽善的なにおいを感じるのは私だけだろうか。

 人権尊重を唱えるなら、チベットや新疆ウイグル自治区で行われていることを始め、これより優先する問題があるのではないか。

 鯨やイルカの「人権」が人間より優先するような運動にもやはりソドムとゴモラのにおいがする。

山の色

 山頭火の句、

 山の色澄みきつてまつすぐな煙

 彼が三十五歳の時に彼の醸造所は破産した。その頃に読んだ句だ。金子兜太は、この煙は醸造所の煙、と解釈している。

 その解釈は間違いないと思うけれど、私はまっすぐに上る煙は火葬場の煙だと感じてしまう。焼かれた人の魂が天へ昇る煙だ。ユーミンが「飛行機雲」で歌った雲だ。

 山頭火の母親は彼が幼い頃、夫の放蕩を苦にして家の井戸に入水自殺している。山頭火は、引き上げられたその死体を目の当たりにして一生それが心につきまとうことになる。

 醸造所の煙を見ながら、彼の心に映し出されているのは彼の母親が煙になって天に昇る姿ではなかったのか。それは彼にとってもしかするといささかなりと救われる思いだったのかもしれない。

 青い山の色を背景に立ち上る白い煙。あの青い山の向こうを訪ねてさまよう彼のあてのない旅が予感される。実際に妻子を捨てて放浪の旅に出るのはその9年後、四十四歳のときだが。

2013年7月16日 (火)

見て見ぬふり

 中国では事件や犯罪の被害者を見て見ぬふりをすることが多いという。ひき逃げされた女の子が誰にも助けられないままにされて、手遅れで死亡した事件などもあった。

 何というすさんだ社会かと思ったら、その理由の一端が分かるような話が報道された。

 成都での話だが、道路を横断しようとした60歳の男性が自動車にはね飛ばされた。目撃者の見ている前ではねた車は逃走、次々に後続の車がこの男性をはねていくが一台も停まるものがなかった。

 やがてある車がこの男性をはねたあと急停車し、携帯をとりだして警察に事故を通報した。はねられていた男性はすでに死亡していた。

 その後、通報したこの車を運転した男性は死亡した男性の遺族から訴えられた。

 判決は、逃げたほかの車は特定できないから、通報したこの運転手が全責任を負て賠償することになった。幸い保険が適用されたため、運転手の負担は8000元のみとなったようだが、運転手は上告しても判決が覆る可能性がないとみてあきらめたそうだ。

 目撃者がいても通報したのは運転手のみ、逃げ得のこのような事例が報道されればこれからますます誰も通報せず、被害者は放置されることになるだろう。

 目撃して通報しただけでも時にとばっちりが及ぶこともあるという。見て見ぬふり、というのは長い年月をかけて培われた中国社会の常識らしい。こんな社会はいやだ。

映画「Dr.パルナソスの鏡」2009年イギリス・アメリカ

 監督テリー・ギリアム、出演クリストファー・プラマー、ヒース・レジャー、リリー・コール、助演ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル。

 撮影中にヒース・レジャーが急逝したので、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが代役で助演している。ストーリーの中で、異世界であるパルナソスの鏡の中では外観が変わるという仕立てにして、三人が演じているので違和感はない。

 テリー・ギリアムの描く世界はユニーク(ユニークすぎる)だから普通のストーリーを追うようなつもりで見ていると訳が分からなくなる。この映画は特に意図的に意味を喪失させるようにしているから慣れない人は腹が立つかもしれない。

 フェリーニやパゾリーニも単純な解釈を受け付けない展開と、異様な舞台設定、そして衣装と化粧で自分の世界を見せていたが、ギリアムも書き割りのような世界を繰り広げてみせる。

 このような監督の作品は、俳優のレベルが高くないと、全体がぶちこわしになってしまう。ヒース・レジャーが死んだとき、トム・クルーズがエントリーしたらしいが断られたという。イメージが違うという理由だけではないような気がする。

 悪魔が通俗的なのがとてもいい。パルナソス博士(クリストファー・婦ラマー)の娘ヴァレンティナ役のリリー・コールが少女のような、成熟した女のような不思議な魅力がある。

映画「モーターウエイ」2012年香港映画

 監督ソイ・チェン、出演アンソニー・ウォン、ショーン・ユー、グオ・シャオドン。

 8000回転で時速2Kmのスピンターンなどという超絶ドライビングテクニックが披露される。半分以上がカーチェイスのシーンである。

 伝説の黒社会のドライバーと、むかし張り合った引退直前のベテランパトカー隊員、そして彼に指導を受け、その志を受け継いだ若手のパトカー隊員の戦いを描いたものだ。

 運転が下手だと確信を持って認める私には、この映画に出てくる運転など決して出来ないけれど、自分が運転しているような気持ちになって見てしまった。ストーリーは単純そのもので、取り立てて言うほどのことはない。ただプロのドライビングテクニックを楽しめばいい。

 「ワイルドスピード」シリーズとは違った本物の迫力がある。車は無茶すれば壊れるものなのだ。

椎名誠「流木焚火の黄金時間」(毎日新聞社)

 サンデー毎日に連載しているエッセー、なまこのからえばりシリーズ第七巻、最新刊である。

 ダイオキシン騒ぎで今は焚き火が毛嫌いされている。しかし世界中で未だに薪で煮炊きをしている人々は無数にいる。そういうところでダイオキシンでばたばた人が死んでいる、などと言うことは聞いたことがない。ものを燃せばダイオキシンがでるかもしれないが、実害のあるレベルとは何桁も違う話が、売名のための似非学者に惑わされて狂ったように焚き火を害悪のように言う無知な連中がいる。

 父が薪で風呂を焚くのが好きで、ほとんどの家がガスで沸かす風呂になっても薪で焚いていた。薪で焚く風呂釜が手に入らなくなったので、石炭用の釜を探して、それで薪を焚いた。学生時代、帰省すると父の定席の焚き口の前を横取りして薪を燃やした。父は恨めしそうに見ていたが何も言わなかった。

 たき付け用の材木は、近所で樹木を伐採したものや、古い家屋を壊した廃材をもらいに行って家の横にいつも積んでいた。斧ではなく、まさかりで材木を薪の大きさにそろえるのはちょっと技が必要だったが、子供の時から手伝っていたから得意だ。

 小枝や葉っぱなど、焚きつけにならないものなどで、冬は時々焚き火をした。火を見ていると心が何となく励起される。焚き火は人間の本能を刺激する。焚き火がしたい、と椎名誠のエッセーを読むたびに思う。

 この本は玉石混淆である。すばらしいエッセーがあるかと思うと、どうしてしまったんだシーナは、と思うようなつまらないものもある。こんなにつまらないものが混じることは今までなかったのに。歳のせいだろうか。

2013年7月15日 (月)

映画「タイタンの逆襲」2012年アメリカ映画

 監督ジョナサン・リーベスマン、出演サム・ワーシントン、リーアム・ニーソン。

 「タイタンの戦い」のリメイク版の続編。実は「タイタンの戦い」そのものだと思って見始めて途中で続編であることに気がついた。ストーリーには見るべきものはないけれど、あまりにひどい映画「デス・リベンジ2」を見た直後だったから、とてもよく出来ていると感じてしまった。アンドロメダ女王役のロザムンド・パイクが好みの女優なので、それだけで合格。楽しめる。

 神様も死んでしまう。ニーチェが「神は死んだ」と喝破したが、実は大昔に死んでいたのだ。

映画「デス・リベンジ2」2011年アメリカ映画

 監督ウーヴェ・ボル、出演ドルフ・ラングレン、ナターシャ・マルテ。

 近年まれに見るひどい映画だった。この映画を見て楽しめる人がいたらお目にかかりたい。カルト映画の屈折した楽しみすらかけらも味わうことが出来ない。物語が意味不明、役者が大根、台詞がだらだらして山場はない上に無意味な殺人が繰り返される。

 ファンタジーアクション映画だそうだが、なんなんだこれは。

 もともとドルフ・ラングレンといえば「ロッキー3」でアポロを殴り殺したあのロシアの怪物のような男だが、そのドルフ・ラングレンがいつも疲れたような仕草でのろのろと画面を動き回る。ヒーローがどこにも覇気を見せない映画というのもすさまじい。今に目が覚めると思いきやついに最後までそのまま。サブキャラにすぐ殴り倒されるし、ちっとも強くない。何を言いたいのだろうか、監督は。

 間違ってもビデオ屋でこの映画のビデオやDVDを借りてはならない。時間と金の無駄である。でもここまで書くとどれほどひどいのかと思って借りる人もいるのだろうなあ。知らないよ。あとで怒り狂っても。

 WOWOWさんもこんな映画、放映しないで欲しいものだ。ちゃんと誰か見た上で放映したのだろうか。

放浪以前

 種田山頭火の自由律俳句に傾倒していた頃があった。もともと詩は苦手である。詩のイメージに自分の心がシンクロしない。だからその言葉から紡ぎ出される世界がよく理解出来ない。自分のその能力のなさに情けない思いをしていた。

 そんなときに山頭火の句に出会った。その句のイメージが心の中に映像として拡がって驚いた。山頭火の句集を持ち歩いて時々気に入った句を拾って眺めていた。その句集はほとんど解説がない本だったから詠まれた状況と、わたしの描いている世界は全く異なっていたかも知れない。

 今久しぶりに山頭火の解説書をひろげている。金子藤太の書いた「放浪行乞」と云う本だ。

 その中のまだ山頭火が妻子を捨てて放浪に出る遙か以前に詠んだ句、

 「今日も事なし凩に酒量るのみ」

と云う句にしびれた。

 「女は港、男は船よ」という言葉が好きだ。港にいるのは仮の姿で、そもそも男は果てしない海原をあてもなく行くものだ。放浪こそ男の真実だ、とわたしは思ったりする。

 それは現実逃避だろうか。そうかも知れない。でも逃げ出した生活より放浪の生活の方が遥かに苦難に満ちていることが明らかでも男は放浪に出るだろう。

 山頭火は若いとき、父と造り酒屋を始めた。その日常の中で詠まれたこの句に、放浪の萌芽が潜んでいる。

 日常が日常として実感されると、あてもない旅に出かけたいという思いが強くなる。旅先で一枚めくれた世界をちらりと垣間見たときに恐怖とともに生きがいを感じる。

2013年7月14日 (日)

椎名誠「うれしくて今夜は眠れない」(毎日新聞社)

 サンデー毎日連載のエッセー「なまこのからえばり」シリーズ、第六巻である。  

 この中で今までに出版されている椎名誠の本が、文庫本を除いて、二百二十八冊だと書かれている。もちろんこの本はまだ出版されていない時点の話だ。

 椎名誠の本は処分しないで(飛ばし読みしているので再読することが多いので)残している。ざっと見ても百冊は超えていると思う。実家に置いているものもあるし。初期の本「さらば国分寺書店のおババ」などが見当たらないから一部は実家で処分されているかも知れない。ただ最高傑作「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」は手元にある。

 椎名誠が育った千葉の海を少し遅れて見て育ったわたしは、その光景の描写にとてもシンクロする。そしてその光景がわたしが中学生くらいから埋め立てられてしまって様変わりしたことをリアルタイムで体験している。

 文体が軽いわりにけっこう精神の深淵を覗きこむようなところがあるのも好きだ。友だちが多くて数多くの旅をしてビールをおいしく飲んで・・・。あこがれる体力と才能と魅力がある。彼の文章を読んで彼の体験を追体験することはわたしにとって大いなる癒やしである。

正論と個別の事情

 マンションの総代会に出席していた。700戸弱の戸数の代表60人ほどで、自治会役員のいろいろな報告を受け、方針を決める。

 今回の主要議題は8月の夏祭りと駐車場の使用に関してであった。

 夏祭りの担当はわたしの希望通り焼き鳥係になった。総員4名、顔ぶれを見ると真面目そうな面々なので良かった。勝手にサボる人がいると一気に負担が増える。前にも書いたが焼き鳥は経験があるし、肉を焼くのは自信がある。

 問題は駐車場についてであった。マンションの戸数に対して駐車場は350箇所程度と半分強しかない。空き待ちの人が150人以上だという。わたしなどはとっくにあきらめて空き待ちの申請すらしていない。

 空き待ちの人が腹に据えかねたのだろう、マンションの管理規約に反したものがある、と云う告発があり、それがずっと問題になっている。

 駐車料金を払わないもの(これははなから問題外)、マンションを出たのに駐車場を借りたまま利用しているもの、駐車場だけ他人に又貸ししているもの、此処までは駐車場を明け渡してもらうのは当然だろう。

 難しいのは普段使わないけれども、介護のひと用や、近所に住む身内の人が車を置くために確保している人、転勤などでマンションを駐車場ごと貸している人などだ。個別の事情を聞いていくとなるほど、と云うことも多く、規約だけで線引きするのは難しい。

 これについては自治会の副会長が正義感の持ち主らしく、厳しい管理を提案したが、それは行きすぎだという人もあり、各員が自分の意見を述べ合い、ややホットになった。確かに老齢者は自分の車は不要になっても駐車場を確保しておいて娘や息子などが駐めやすいようにしておきたい、と云う事情はよく分かる。

 問題のあるものに対しては毅然と、そして個別の事情についてはファジーにという大人の対応に落ち着きそうで、これはなかなか賢いことだと思う。

2013年7月13日 (土)

横溝正史「八つ墓村」(角川文庫)

 先月岡山県の津山に行ったので、この「八つ墓村」を読みたくなったのだが、どう云うわけか見当たらない。仕方がないので文庫本を買い直した。

 先日読んだ江戸川乱歩の「孤島の鬼」とこの「八つ墓村」は洞窟が主人公と云っていい。洞窟の暗闇と閉塞感がたまらなく怖い。と同時にそのどきどきするときめきが何となくクセになる面白さでもある。

 この小説を読んだのはずいぶん久しぶりだけれど、そして犯人は最初から知っているから意外性が無いのは残念であるけれど、面白さはそれほど損なわれない。この小説が傑作である所以であろう。

 正直言って横溝正史は文章があまりうまくない。江戸川乱歩と比べるとだいぶ落ちるが、横溝正史が作り上げる小説空間、その設定が素晴らしいのだ。その土俗性を帯びた閉鎖世界が異次元世界のように見える。それが魅力的に感じる人にとって横溝正史の小説は永遠である。

 この「八つ墓村」では金田一耕助はほとんど何もしない。探偵としては無能である。そもそも出る幕がないのだ。本当はもう少し役割を与えたかったのだろうけれど、小説を書いているうちに出番がなくなってしまったのだろう。まあ横溝正史の探偵小説では、連続殺人がほとんど終わった頃にその動機とトリックを金田一耕助が解き明かすものばかりで、未然に犯行を止めることがほとんどない。

 ところで映画の「八つ墓村」では渥美清が金田一耕助を演じている。肝腎の時には八つ墓村を離れていて、必要がなくなってから再登場する。原作と映画は基本的に同じだが、細部がだいぶちがう。映画の方が格段に怖い。わたしはあの映画を見た後で何度か悪夢を見たほどだ。だからまた見てみたい気もする。

曽野綾子「不幸は人生の財産」(小学館)

 曽野綾子のエッセーはその主張に共感することが多いので好きである。気が付いたら手元に数十冊もたまっている。彼女は世界中を、特にアフリカやアジアの超貧困地区に赴くことが多いので(彼女が関係しているNGOの寄付先への寄付金の使途確認などに行くことが多い)、全く知らなかった世界を知ることが出来る。

 そのような世界から見た日本の現状はパラダイスだという。だからその日の食べ物にこまるようなこともないのに貧困などと云い、社会を非難することに疑問を呈する。生きるために何でもする覚悟さえあれば、日本では生きていくことは容易である。

 社会に頼ることばかりを覚え、自立するこころが育っていない人間が多すぎる。人からの助けばかりを求め、人を助けるという発想がない。これは若者ばかりではない。最近は年寄りにその傾向が強くなった。

 自分で出来るはずのことを人に頼っていると、身の回りのことの出来ない年寄りになる。してもらって当たり前と思っている年寄りは感謝のこころがないから嫌われる。

 出来ることはする、してもらったら感謝の言葉を返す。このことだけで世の中はずいぶん住みやすくなるはずなのだが。

 彼女の自己責任についての確固たる信念の言葉は時に反発を受けるのだが、彼女の文章をよく読めばその意味が理解出来るはずだ。でも反発する人はたぶん丁寧に彼女の文章を読むことがなく、常に言葉尻で不快を感じてしまうのだろう。確かに強いお婆さん(80を過ぎているからお婆さんでも良いでしょう?)だけれど、こう云う頑固爺さん、頑固婆さんがいることが社会には必要だ。何せ猫なで声の偽善者が世の中には多すぎて辟易する。

入れて出す

 人間は入れたものを出す、と云うことで成り立っている。息を吸えば吐く。ものを食べれば排泄する。生物的なことだけではない。収入があれば使い、人に世話になればお返しする。これら全てがどちらかに偏れば危うい。

 世の中に不運ばかりを歎く人がいる。その人を見ていると、受けることばかりを考えて、与えることを知らない人のようだ、と曾野綾子が書いている。

人間性

 曾野綾子の新刊(「不幸は人生の財産」)を読んでいたら彼女自身が経験したこんな話が書かれていた。

 ホームで列の前の方に並んで電車を待っていたのだという。そこへ電車がはいってきた。ドアが開いた瞬間後ろから強く押されてよろけたが危うく転倒は免れた。何かがあって誰かが倒れ込んだのかとふり向いたら脱兎の如く電車に飛び込む少年の姿があった。

 小学校高学年と思われるその少年は自分の席を確保したことが誇らしいような顔で坐っていた。その前には(そのあとの談笑している様子から)両親と思われる男女が吊革につかまって立っていた。

 それだけの話である。

 昨日宝塚市役所で火炎瓶を投げて放火し、その上油を撒いた男がいた。税金を滞納し、督促を受けたことに腹を立てての犯行なのだという。放火犯と云うことで逮捕されたが、人がいて燃えるもののあるところに火炎瓶を投げれば時には人を殺傷することになる。弁護士は殺意はなかったと言い張るだろうからか、殺人未遂という言葉は昨日のニュースでは一度も聞かれなかった。

 税金は時に過酷である。しかし収入も資産も最初からないものに税金がかかることはない。課税に見合う何ものかがあり、それに税金を用意するのは国民の義務である。それを怠ったことで払えなくなったものを市役所を逆恨みする、などというのは言語道断である。

 彼の意識では自分は弱者であり、権力に理不尽な要求を受けた、と云う被害者意識だろう。被害妄想と云っていい。

 たぶんマスコミのコメンテーターの中にはしたり顔に彼の弁護をするような文言を語るものがあるに違いない。その瞬間にその人物はわたしにとって社会の害毒者という分類をするつもりだ。

 最初の、他人を突き飛ばして自分の席を確保する少年、しかもそれをとがめるどころか談笑する両親。このような、人間性を欠いた育ち方をした人間が今回の放火犯(どう見ても殺人未遂犯)のような人間に育っていく。

 彼等は社会の制裁を受けてもなお自分が被害者だと思い続けるだろう。そのように普通の、自立出来るはずの者を、弱者で被害者だと洗脳している人々こそ社会を害するものだと日頃思っている。弱者はあなたではない。

 それにしても放火犯は63歳、わたしと同年である。いやはや。

酒は相手

 カンちゃん、「ビールの夢」にコメントをありがとう。

 酒の味は相手で決まる、と云うのが私の持論です。どんな高価な大吟醸酒でも一人酒の味は友と飲む天王寺の場末の安酒に劣ります。

 毎日酷暑の中お仕事ご苦労様。またU島君も含めて飲む機会があると良いね。

2013年7月12日 (金)

ビールの夢

 サイダーやラムネが大好きだった。あの炭酸の刺激が好きだ。ゲップをそのまま鼻に抜くと痛い。うまく抜くことはすぐ覚えた。

 中学生くらいの時に生まれて初めてビールを飲んだ。正月に親類が母方の祖父母の家に集まる。祖父母も(つまり祖母も)母の兄弟たち(つまり叔父)もいける口だった。ところがわが父は酒が飲めない。だから中学生くらいからわたしが父の代わりに酒の席に座っていた。最初にビール、それから日本酒になるのだけれど、とにかくビールがうまいのだ。「苦いだろう」などと叔父たちが云うけれど、苦さなど感じないでうまいとだけ思った。それなのにコップに二三杯ですぐ日本酒になってしまう。それもうまいけれどビールをもっと飲みたかった。

 そうして大学生になり、未成年とはいえおおっぴらで酒が飲めるようになった。しかし金があまりないし、大学が山形だからすべてが日本酒主体である。その日本酒を暴飲する訓練を受けるうちに何とか人並みに飲めるようになった。

 そうして夏になった。米沢では上杉公園で毎週末ビール園が開かれる。アルバイトの何人かは友だちだ。しかもその窓口の女の子は先輩の彼女で顔なじみだ。そこで生まれて初めて生ビールを飲んだ。

 当時の大ジョッキは大きかった。それを両手でかかえて一気に飲んだ。この世にこんなうまいものがあるか、と思った。友だちと先輩の彼女のおかげで一杯のビールのチケットで大ジョッキを7~8杯飲んだ。

 ビールを飲むと、最初の一杯がうまい、と云う。もちろんうまい。その上わたしは最初の一杯とほとんど同じように7杯目も8杯目もうまい。ずっとうまい。嬉しくておいしくて笑いたくなるほどうまい。

 会社に入って先輩の家で、金曜日の晩から翌日の土曜日の晩まで延々とビールを飲み続けたこともある。

 ビールについてはほとんど楽しい思い出しかない。いちどだけビールで二日酔いをしたが、そのときは三日目もつらかった。ビールの大瓶を二時間で14本くらい一気飲みしたのだ。ちょっと無茶だったのでそれからはそんな事はしないようにしている。

 それなのにあのビールの味を忘れてしまった。ビールが悪いのではないはずだ。わたしが変わってしまったのだ。

 ビールの味は仕事でかいた汗、そして友との語らいがともなってこその味なのだろう。仕事を定年でリタイアしたことで唯一残念なことはあのビールの味を失ったことだ。

 あのビールの味を再び味わいたいと夢見て、時々友だちを訪ねる。

映画「ぱいかじ南海作戦」2012年

 原作・椎名誠、監督・細山徹、出演・阿部サダヲ、永山絢斗、貫地谷しほり、佐々木希。ほかにも個性的な俳優がたくさん出演している。

 この映画を見たので、これから阿部サダヲの評価をワンランク上げることにした。この人の笑いに含まれる哀しみをいい方にとれるようになったようだ。もともとそういう俳優なのをうすうす知ってはいたのだ。
 
  この映画自体はリアリティを云々する映画ではない。だからこの物語に自分をシンクロさせるまでにしばしの時間と気持ちの飛ばせ方が必要だ。最後まで無理な人もいるかも知れない。でもシンクロが済むと文句なしに楽しくなってくる。

 現代ではあまり経験出来ないサバイバルの物語でもあるけれど、金さえあれば何とかなる中で、あえて無一文、無一物の状況に自分を追い込んだままで生きる主人公の意地にとても共感する。

 サバイバルの先達者たちとの楽しい日々、そしてたった一人になったあとの絶望の状況、やがていろいろな人との出会いから次第に改善していく日々は、加わった者たちのおかげなのだが、同時に主人公の存在自体が彼等をいやしていることに主人公は気が付いていない。

 もちろん冷静に云えばファンタジーでしかないけれど、このファンタジーを見ることで観客である私もとても良い気持ちにさせてもらえた。わたし的(物語の後半に出てくるADの口癖を借りる)には楽しくて良い映画でありました。

意味のある数字

 北京智能経済研究所と北京工商大学世界経済研究センターが「中国経済2013年中期分析予測報告」を発表した。2013年度上半期の世界経済と中国経済を分析し、それに基づいて下半期の世界経済や中国経済の予測をしている。

 細かい内容は目新しいものではない。それよりもその統計数字だ。上半期の中国経済の成長率は7.7522%だったと云う。そして下半期の予想は7.7613%ということだ。

 この小数点以下4桁という数字に不信感を持つのだ。そもそも経済の統計値は誤差を含んでいる。数学的な計算で出て来たものだと云えばそれまでだが、精度としての意味を持たない。

 特に予測値については恣意的なものも含まれてきて誤差のバイアスはとても大きい。それなのに小数点以下4桁の数字をあげるという神経そのものが不審である。

 すでに明確な計画数字が決められていて、それにもとづく計算をしたのではないか、とこちらは勘ぐってしまうわけである。それに中国経済の下半期が上半期より成長率が高くなる、と云う予測自体が現実の情報とは全く反するものであるからなおさらだ。

 このような予測値は、結果が出た後にその違いを解析して次の予測に反映させていかなければ精度が上がることがない。どうもそのような作業をしているようには見えないが、それが中国式だろうか。それとも中国はすでにタイムマシンの完成を見ており、それにもとづいているから下4桁の精度に自信があるのだろうか。それなら御免。

椎名誠「ごっくん青空」(文藝春秋)

 週刊文春に連載しているエッセー、赤マントシリーズの単行本化、第22弾である。

 相変わらずの椎名誠だが、私の六歳年長、ようやく老化による衰えの自覚が言葉のはしはしに現れるようになった。当然と云えば当然だが、元気なことである。

 とにかく元気があってもなくても「ビール命」、徹底している。その徹底ぶりに張り合ってきた当方もいささか息切れ、脱帽するしかない。ただ控えようと思っていてもこの人の文章を読んでいると喉が、そしてからだがビールを要求してしまう。テレビのビールのコマーシャルと共に無意識に缶ビールを開けさせる。まさに「ごっくん」。

 そう言えば数日前に「ぱいかじ南海作戦」という映画をWOWOWで放映した。題名からパスするつもりが、椎名誠原作、と云うことで録画した。昼からこれを見てみることにしよう。阿部サダヲは何となく肌が合わないが、大好きな貫地谷しほりさんが出ているし。

温度差の理由

 外務省の斉木次官と韓国外務省の次官が会談を行った。これは先般久しぶりに(約10ヶ月ぶり)にブルネイで行われた岸田外務大臣と韓国外務大臣の会談を受けての実務者会談だと思われる。

 会談について斉木次官は「友好的だった」と云い、韓国の次官は「両国関係の改善には日本が歴史問題解決に誠意ある対応をするように行動することが前提だ、と伝えた」と述べ、この会談についての温度差を感じさせた、と報じられた。

 このことは今更懸念するようなことではないものと思う。韓国側は日本に妥協的、友好的な態度を示すと、一部の反日的国民から激しい反発を受けることを承知している。だから今回のようなコメントを云わざるを得ない。問題は会談の内容だ。このままの日韓関係ではお互いに、特に韓国にとって不都合であろう。

 今回の朴槿恵大統領の中国訪問による韓国と中国の急接近は、両国の意図の通り、北朝鮮への大きなアピールになった。北朝鮮無視の状況は北朝鮮にとっての最大の脅威である。案の定北朝鮮は開城工業団地の再開のための会談に応じた。北朝鮮のブラフは無視されている。アメリカからも中国からも韓国からも無視された。無視されることは嫌われたり憎まれるよりも悲惨である。

 そして韓国は中国接近によって暗黙のメッセージを日本にも送っていたと言える。日本を無視する、と云う態度の中に日本からのアプローチを熱望しているというメッセージが込められていたのだ。だからブルネイでの外務大臣会議に応じたのだろう。そしてそこでさらに実務者の会談が約束され、今回の斉木次官のソウル訪問につながったのだろう。

 韓国は日本を無視など出来ない。この流れの中にアメリカの強い指示があったのかどうかは分からないが、なかったとは思えない。韓国は日本との関係を疎遠にして中国と接近しても、中国に呑みこまれてしまう恐れが大きい。中国経済も舵取りに失敗すると大きな破綻を生じかねない危険な状況にある。リスクは分散しなければならない。

 過去の政権の作り上げた反日(多分に北朝鮮の工作があると私は思っている)、と云う国民感情を考慮せざるを得ない。成立直後の政権を危うくするおそれがあるからだ。だから表向きは従来通りの路線を継続する物言いをしながら実務的に両国関係の修復を図ろう、と云うことだろうと私は考えている。

 これが両国の発表の温度差の理由だろう。

2013年7月11日 (木)

ドラマ漬け

 アメリカの犯罪ミステリードラマ「アンフォゲッタブル 完全記憶捜査」というドラマを見終わった。全部で22話。3日かかった。

 主人公のキャリー・ウエルズはいちど見たことを全て記憶してしまうという女性捜査官である。この能力は「超記憶症候群」と呼ばれ、全米でも五、六人という特殊なものなのだそうだ。

 ただ、このキャリーの優れている点は記憶した映像から(自分が意識したものでなくても)過去にさかのぼって情報を取り出すことができると云うことあり、何が必要なものかを判断する鋭い分析能力があることである。ただ見えているだけでは何も出来ない。

 彼女はシラキュース警察というところでアル・バーンズと組んで働いていたが、わけがあって退職し、ニューヨークに出て来て認知症の母親のいる施設でボランティア活動をしている。

 そんな中出会ったのが今はニューヨーク市警に警部補として働いているアル・バーンズだった。彼に再び警察で働くよう説得され、いちどは断ったキャリーだったが、ある理由からアルのチームに加わることになる。そこで出会う数々の事件にキャリーの能力が活かされて・・・と云うドラマである。

 チームの面々も魅力的だ。テンポも良いし、台詞の掛けあいも楽しい。チームの内、ロー・ソンダースという一番若手の刑事が特に好い感じだ。

 実はキャリーの顔があまり好みではない。だから最初はあまりドラマになじめないところもあったが、だんだん慣れてきた。親しみさえ湧けば好みは我慢出来る。

 特に「なんか嫌なことがあったのか?」と同僚に聞かれて、ジョークで「豚の血をバケツでかけられて最悪!」と答えたところで好きになった。あのスティーヴン・キングの「キャリー」のシーンを誰でも思い出すだろう。同じキャリーという名で、ある意味の超能力の持ち主であることをジョークにしたのだ。

 このキャリーがどうしても思い出せない記憶がある。それが物語の縦糸として全編に関連する。後半に行くとかなりハイレベルの知能犯も登場する。とにかく22話を飽きさせずに見せてくれた。

 最終話でその縦糸の事件がだいぶ明らかになるのだが、疑問が残される。つまり続編に含みが残されているのだ。ネットで調べたら、今年第二シーズンが放送予定だと云う事である。

 一日六時間以上このドラマを見ていたことになる。眼がいささか疲れた。しかもサラウンドのヘッドホンで音量を上げていたので老化した耳にも負担をかけてしまった。でも録りためたドラマは山ほどある。

漫画を読まない人

 マイクロソフト日本法人の元社長だった成毛氏が雑誌の「プレジデント」の対談の中で、「知的な人間は漫画なんか読まない」と発言したことが批判を浴びている。

 この対談では収入による階層ごとの愛読書アンケートをとりあげて、年収500万クラスの人間は漫画やファンタジーを好むとし、それはファンタジーに逃げ込んでいるからだ、と揶揄した上で、そもそも高収入で知的な人間は漫画なんて読まないよ、と述べたのだ。

 明治生まれの祖父も大正生まれの父も漫画なんて読まなかった。でも私が漫画を愛読しているからと云ってそれを取り上げるようなことはしなかった。やるべきことをしていれば問題としなかった。

 そういえば連続ドラマの「ゲゲゲの女房」のなかで、母親の集団が有害図書として漫画の貸本屋を非難して、押しかけて商売を妨害するシーンがあった。当時、少年雑誌の中の一部の漫画を有害だと騒ぎ立て、学校で禁止させたり、出版社に掲載を中止するように働きかけたりしていたこともあった。

 こう云う人たちが「ちび黒サンボ」は差別的だから出版停止、販売禁止を訴えたりする。

 こう云う母親たちは極めて知的で正義感に富み、子供の教育にも熱心で自分の子供には決して漫画など読ませなかっただろう。だからその子供たちは優秀な子供として育ち、高収入の階層にいてしあわせなことだろう。

 もちろん成毛さんもそのような人なのだろう。まことにけっこうなことである。

 そのような母親たちは自分の子供の友だちも峻別し、自分の子供を損なう可能性のあるような、愚かだったり、貧しい友だちとのつきあいを排除したに違いない。まことに差別などない正しい生き方である。

 私は子供が漫画を読むことを止めたりしなかった。それどころか自分で率先して買って読んでいたし、子供が長ずるに及んでは子供の持っている漫画を楽しみに読ませてもらっていた。

 まあ知的な家庭ではないし、高収入の家庭ではなかったが、子供たちは真っ当に育ち、親しい友人もおり、健康に暮らしている。なにより「ちび黒サンボ」を差別的だ、などといったり、漫画を読む人々をさげすむような、ゆがんだ考え方だけはしないように育ったことを自慢したい。

 それで十分しあわせだ、などと云えば、だから金持ちになれないのだ、と云われるだろうなあ。別に六本木ヒルズになど住みたくないからどうでもいいけど。

呪いの言葉

 連日のように中国や韓国のメディアやネットで、日本が右傾化し軍国化が進んでいると云う文言が飛び交っている。しかしそのような文言は日本人に向かって書かれているのではなく、自国民にアピールされているように見える。

 特に今回の日本の防衛白書についての中国と韓国の反発は異常とも言える。

 中には日本は重篤な病にかかっていると断じるものまである。このままでは日本はブレーキを失ったトラックのように暴走し、最終的に壊滅的な深淵に陥るおそれがある、そうだ。

 このようなことを声高に述べ立てて、実際に日本が不調になれば、彼の予言は正しかったことになる。彼は日本を呪っているのだ。

 日本がアベノミクスで長い間の低調な状態から回復しつつあることは中国にとっても韓国にとっても不愉快でたまらないことらしい。それだけ日本は意識されている。だから思い切り日本を呪いたいのだろう。

 呪いに負けないように日本人は頑張らなくてはならない。

 魔女狩りを正義の名のもとに行おうとする者は魔女よりもしばしば邪悪である。負けてはならない。

また始まった

 韓国の検察は、情報機関である国家情報院の元世勲・前(李明博政権時代の)院長を収賄の罪で逮捕した。元世勲は李明博前大統領の側近中の側近だった。

 大統領が交代すると必ず前政権の旧悪が暴かれ、告発される。韓国の恒例の行事がついにまた始まった。間もなく李明博にも告発の手が伸びるだろう。

 韓国は、日本では想像出来ないほど身内を大事にする。身内とは親族や友人のことである。自分の権力が上昇すればそれにともなって身内に恩恵を施すのが当たり前であり、もしそれをしなければ人でなしのように云われてしまう。それは長い期間に培われた文化のようなものだが、当然合法的なものでも公平なものでもない。叩けば必ずほこりが出ることになる。告発のネタを持たない権力者などあり得ないのだ。だから権力者が権力の座から降りたら必ず叩かれる。

 分かっていて権力者になりたがるというのはどうしてだろう。自分だけは別だとどうして思えるのだろう。

2013年7月10日 (水)

賠償

 ソウル高裁が新日鉄住金に対し、強制徴用された韓国人に賠償責任があるとの判決を下した。今まで個人の対日請求権を認めていなかった韓国の裁判所が前例を覆し、新しい判断を行ったことになる。個人で対日請求を行っている事案は数多くあり、今後は続々と同じような判決が出る可能性がある。

 日本側は日韓請求権協定で、個人の請求権は消滅した、との判断だが、韓国ではそのような常識は通用しないようだ。

 慰安婦問題も含め、歴史認識がどうのこうのと云うがとにかく金を出せ、と云うことだろう。早急に全ての案件にどれだけの金が必要なのか試算しておく必要があるのではないか。

 これは実際に払うかどうかとは関係ない。たぶんひとつでも支払えば、われもわれもと押しかけることになるだろう。例えば自称慰安婦も百万人くらい出てくるかも知れない。だが韓国というのはそういう国なのだ。ここで全てに対して賠償金を支払ったらいくらになるのか、例えば日本国民一人あたり何万円になるのか、それを日本人として認識しておく必要があるのではないか。

 韓国の言い分を、自分とは無関係と思っている日本人がほとんどだろう。だがこの賠償金を支払うために、東日本大震災の時のように国民全員が場合によって金を拠出するかどうか考えるべきではないのか。要は覚悟の問題だろう。これもひとつの災厄だと考えたらどうか。

 朝日新聞や社民党、共産党は率先して選挙の論点にしたらどうか。それが自分たちが偽善者かどうかを明らかにすることにつながる。

 場合により国民一人あたり何万円かの支払いで済むのなら、安いものかも知れないではないか。まさか韓国の国民全てが賠償請求はしないだろう。もしそんな事をすれば世界の笑いものになるだけだ。

 北朝鮮?国交のない国には支払いようがないではないか。

 いったん譲れば果てしなく払わなければならない、とおびえるよりも、具体的にいくら払えば良いのか、その見通しが立つと、案外恐るるにたらないことかも知れない。

 たちまち予想される正義の味方の言い分は、そんな負担は国民が負うべきではなく政府が追うべきだというものやら、貧しい人と大金持ち(二言目には共産党や社民党はそういう)が同額だというのは不公平だ、と云うものだろう。老いも若きも貧しい者も富める者も同額を拠出することに日本人としての責任の取り方があるはずなのだが。

操業禁止

 中国農業部はこのほど年内の北朝鮮東部海域での漁船の操業を禁止すると発表した。この海域は日本、韓国、ロシアと領海を接している。理由は操業する中国漁船が増えていることによる不測の事態を回避するため、と云う。

 中国と北朝鮮は漁船の操業について協定を結んでいる。ところが北朝鮮側から中国漁船は北朝鮮の港で給油することを要求したことから中国側がこれに反発し、今年の協定は凍結となった。

 もともとこの海域での中国漁船の違法操業が問題にもなっていた(ほとんどの海域で違法操業しているのが中国漁船だが)。

 北朝鮮の要求にはどう云う意味があるのだろうか。北朝鮮には十分な漁船用の燃料があるとは考えにくい。つまりこれを理由に中国からの原油の供給を期待していると云うことだろうか。

 これは推察だが、違法操業がやりにくくなった中国漁船は北朝鮮やロシアの漁船から魚を買い付けているのではないだろうか。これが北朝鮮への外貨流入につながっていることを止めようという中国側の思惑があるのかも知れない。それと中国漁船が何らかの密輸を行っている可能性もある。それとも先般北朝鮮に立て続けに拿捕された中国漁船の釈放に苦労したのを中国政府が嫌ったのだろうか。これも北朝鮮の外貨稼ぎのひとつらしいし。

 日本海で操業する日本の漁船も注意が必要だ。とんでもないところで拿捕されて身代金を支払わされることになるかも知れない。

小皇帝と軍隊

 新華社が中国解放軍兵士の紀律のなさが問題になっていると伝えた。

 これは一人っ子政策の影響が大きく、一人っ子は「小皇帝」と呼ばれて家庭内でわがまま放題に育てられていることが多い。

 軍事演習中に音楽プレーヤーを携帯していたものもいたという。

 「大戦略」というシミュレーションゲームがある。いろいろな種類があるが、中国軍は段違いに弱い。ただし弱さ以上に低い資金で部隊が揃えられるから、物量作戦で戦うという戦術を採ればけっこう使える。

 今現実の中国の軍隊は、装備が格段に良くなっているからそう安く揃えられなくなっているだろう。その上兵士になる若者の数も減少している。その上「造反有理」を子供のときから刷り込まれた若い兵士達は、消耗品として上官の命令に従うだろうか。

 中国軍は使いにくい軍になりつつあるらしい。

討ち死に

 吉田所長と云えば日本人なら誰でも分かる。福島第一原発事故の時の原子力発電所の所長である。原子炉冷却のための海水注入に対して政府官邸と東京電力本社の間で方針が二転三転して(誰も責任を取って決めることが出来なくて)いるときに自分の責任で海水を投入した。

 この吉田所長がいなかったら原発事故はもっとひどい様相を呈していただろう、と専門家は云い、大方の人はそれに賛意を示すだろう。

 その吉田所長が食道ガンで死去した。58歳である。

 原発事故の被爆は直接の原因ではない、と断ずる専門家がいるが、そんな事は厳密に云えば誰にも分からないことだ。ただ、激務のために早期発見が遅れたのではないか、と云うことは想像出来る。その点だけでも壮烈な討ち死にだったと云えるだろう。

 折しも当時現場に乗り込んで居丈高にわめき倒して事態を混乱させ、判断を遅れさせ、迷わせた張本人の菅直人氏が豪邸を新築して入居した、と云うニュースが流れていた。

 この人が、政界を引退したらささやかな家で質素に暮らす、と語っていたことを聞いた覚えがある。

トンガとニュージーランド

 中国は世界中に積極外交を展開している。南太平洋の島国、トンガとも友好関係を強化(経済支援を約束したのだろうが、詳細は知らない)、トンガはその見返りに航空会社の航空機として中国機を全面的に採用した。ところが採用以来航空機の故障や事故が頻発、現在まで11件のトラブルを起こしているという。

 もともとトンガに対してニュージーランドは経済的な援助を続けて来た(ニュージーランドにも利益のある観光発展のためであろう)。しかしあまりの事故の頻発にニュージーランドはその航空機の使用を止めるように警告した。ところがトンガがそれを無視した。さらに新たな発注を行ったため、ニュージーランドは援助を凍結した。凍結解除のための条件は明らかではないが、トンガにとっては中国の援助を受けることと隣国の援助を失うことではどちらがより重要か、考えるまでもないことのように思える。

 この中国の航空機は採用した国の多くで事故を起こしており、評判が悪い。中国の超ベテランパイロットしか乗りこなせないのかも知れない。安いことは安いらしいが。

 今のうちならトンガに行って命がけのスリルを味わうことが出来る。

2013年7月 9日 (火)

続・ドラマを見る

 「リゾーリ&アイルズ2」の第2話から最終巻第15話まで(9話だけ録画出来ずに欠番)を昨日と今日で全て見た(外は暑いし)。

 ジェイン・リゾーリのハスキーな声とボーイッシュな出で立ちがとても格好が良くてほれぼれする。それに笑顔がチャーミングなのだ。特に自分が美人だなんて思っていないところが素敵だ。

 第十五話の終わり方からすると第三シリーズがあるな、と思っていたら、エンドクレジットに第三シリーズは年内放映予定とのこと。楽しみだなあ。

 日本の警察ドラマと比べるとテンポが良くてしかも嘘くさくない。相棒シリーズも良いけどね。

 次は「アンフォゲッタブル(完全記憶捜査)」全22話を見るぞ。

報道規制

 中国の株価が大きく値を下げたあと回復したように見られたが、再びみたび下げが続いており、旧に回復する見通しがなく、さらに少しずつ下がり続けるだろうと見られている。

 大幅に下げたときには中国政府の引き締めによる金利上昇が原因だったが、それに対して当局が資金投入したと云われている。しかしいつまでもそのようなことが続けられないのは明らかで、今後に対して悲観的な観測が多い。

 中国政府は国内メディアに対して
(1)市場での資金不足や株安の問題を大きく取り上げてはならない。

(2)中央銀行(中国人民銀行)の政策を「肯定的に」正確に報道する。

ことを通達した。つまり悲観的な状況や材料は事実であっても報道しないようにせよ、と云うことである。

 これが日本の株価が大幅に下げたときに「アベノミクスの失敗が明らかになった」と各メディアに口をそろえて報道させた同じ中国政府の通達である。今日本の株価も出来高も比較的に安定していることはずいぶん口惜しいことであろう。

 中国は来年度予算を5%削減する緊縮財政にする方針を発表した。ただし軍事費は10%以上の伸びを維持する予定である。何を削るのだろう。それに首脳外交でアフリカや南米に対して大盤振る舞いを約束している。打ち出の小槌でもあるのだろうか。

ドラマを見る

 「リゾーリ&アイルズ」というアメリカのドラマの第二シーズンを見始めた。第一シーズンはとてもおもしろかった。全十話のラストで、警察署を襲ったギャングの人質になったリゾーリ刑事が銃をみずからに向けて発砲して後ろの犯人を射殺したところで終わっている。

 ジェイン・リゾーリ(アンジー・ハーモン)はボストン市警・殺人課のイタリア系女性刑事。男勝りで攻撃的、だが実は繊細なやさしさを持つ魅力的な女性だ。モーラ・アイルズ(サッシャ・アレクサンダー)はボストン市警の女性検視官。知的でおしゃれで上流階級出である。この二人は親友で、意見や生き方、価値観が全く違うのだが、お互いを尊敬しており、その違いを受け入れている。

 前回重傷を負ったリゾーリが後遺症に悩まされながら、自分と共に英雄としてボストン市の勲章を受けた女性兵士の爆殺事件に取り組む。モーラが死体から摘出した弾丸がアメリカ軍が使用しているものであることが判明。同僚が疑われるのだが、疑われた少尉も続いて爆死する。

 リゾーリとモーラとの掛けあいが絶妙で楽しい。物語はテンポ良く進んでいき、余分な葛藤は極力省かれる。予告やタイトルバックを入れて一話約45分。アメリカではたぶんコマーシャル入りの一時間番組なのだろうと思う。

2013年7月 8日 (月)

砂漠化防止

 中国の砂漠化防止活動が著しく成果を上げて、最近は砂漠面積が減少していると中国国際放送局が報じた。

 重点整備地区では植物による被覆率が20%に改善し、生物多様性指数が大幅に向上し、砂嵐の発生が減少しているのだそうだ。

 これは砂漠地域の産業構造が大きく変わり、中国国民のエコに対する認識が浸透していることの成果なのだという。

 本当ならこんなに素晴らしいことはない。だが現実に報じられている多くの事例とこの報道とはずいぶん異なっているように思う。

 中国では主要河川の上流での水量が減少し、農業用の水が供給出来ないために旱魃が頻発している。砂漠化は北京のすぐそばまで迫っている。北京市は人口増加に水道水の供給が間に合わない事態になりつつある。現実に黄砂はますますひどくなっていることは、日本にいても分かる。

 内モンゴル地区などの草原は表層部分しか植物が棲息出来ないが、都市開発や地下資源の開発のためにその表層部分が損なわれている。長い年月でかろうじて維持してきた植物層が損なわれると再生は極めて困難で、砂漠化は一気に進んでしまう。

 このような実態が繰り返し報じられているのに今回の「砂漠化防止活動は著しい成果を上げている」という報道は信じがたいものだ。

 たぶんこの「砂漠化防止活動」には公的資金が投入されているのだろう。だから成果が上がろうが上がらなかろうが「著しい成果」が上がったと報告したのだろう。それはごく一部の成果の上がった場所の話を全体の話として語っているのか、そもそもそんな事実と関係なく来年も予算を獲得するためにこのような報告をしているだけかも知れない。

 中国の統計資料は信用出来ない。これは再三経験している。成果が上がった、とまず報告し、その報告に合わせた統計数字をでっち上げるのは「大躍進」や「文化大革命」の時代から、いや遥かに古代からお手の物の国だから。例えば「大躍進」の時には数千万の餓死者を出しながら、食料は余っている、と云う報告がなされ、大量の食料がソビエトに輸出されていた。

反対のネット署名

 2020年のオリンピックを東京で開催することに反対する署名運動をネットで呼びかける人物がいて、3月から現在までに2万4000人の署名が集まったと云う事である。今までのところ署名しているのは大半が韓国人だそうだ。これからは中国人にもっと働きかけたい、と云う。

 この運動はアメリカの請願サイトに置かれている。呼びかけているのは中国系アメリカ人の物理学者だそうだ。

 理由は日本政府が旧日本軍の非人道的虐殺行為を謝罪しないことから、そのような国でのオリンピックの開催は認めない、からだとのこと。

 このような人の正義感というのが私にはどうしても理解出来ない。クジラやイルカを護るために時には人に危害を加えることを辞さない人と同じように「いい人」なのだろう。絶対におつきあいしたくない。

 こんなことに情熱を傾ける暇があったら世の中のためにもっとやることがあるだろうと思う。

トキ外交

 韓国の朴槿恵大統領の訪中を機にジャイアントパンダのレンタルの話が持ち込まれていたのだという。いわゆるパンダ外交だ。

 検討の結果、費用がかかりすぎるとの判断で見送りになったのだという。試算では150億ウオン(約13億円)が必要だそうだ。しかし韓国の中国フィーバーぶりを見れば何ほどのこともない金額に思えるけれど今のような中韓の親密な間がらは長く続かないと承知しているのだろうか。それとも韓国政府はそれだけ金に困っているのか。あとになって無駄な金を使った、と批判されることをおそれているのかも知れない。

 代わりに中国から繁殖のためにオスのトキ二羽が送られることになった。して見ると韓国にはすでにメスのトキがいるようだ。これを韓国ではトキ外交として歓迎しているそうだ。

書店の減少

 日本でも書店は減少を続けているが、中国でも書店の経営が成り立たずに閉鎖に追い込まれている店が続出している。

 出版関係者は、電子書籍やオンライン書店の普及が書店の存続を脅かしている、と云う。そうだろうか。

 少し前に、中国の児童の所有書籍の数は日本の20分の1、などと報じられていた。日本の児童もそんなにたくさん読んでいるとは思えないが、持っているだけなら親が買い与えているからたくさんあるのかも知れない。それが漫画ばかりでないことを願うが。

 中国ではそもそも本を読む人が少ないのかも知れない。たぶん出版点数も日本よりはるかに少ないのだろう。少し前だが王府井(ワンフーチン)の(外文書店だったか)書店に入ったとき、大きな店構えのわりに客がそれほど多くないこと、店内の書籍の種類が思ったより少ない気がしたことを思い出す。上海のこぎれいな書店でもそうだった。

 それとたぶん中国には日本のような再販制度がないだろうから書店の負担は大きいだろう。売れ残ると傷んだ本がそのまま棚に並ぶことになる。

 むかし西安の、小雁塔の境内の木陰のベンチで本を読んでいる人を見てとても印象的だった。思い出すと、本を読んでいる人を見たのはそれくらいだ(道ばたでぼんやりとしている人は数多く見るが)。

 本屋がない街はいくらきらびやかな装いをしていてもみすぼらしいと私は思う。本屋の少ない街、本屋の少ない国は貧しい。

西洋式民主主義批判

 中国の各メディアはエジプトの政変についてアラブの春は軍が介入することでアラブの悪夢に変わった、と言う論評が多い。

 ある中国メディアは「西洋式民主主義に転換するには2つの前提が必要となる。第一に経済の自由。第二に国民がルールを守ること。道路の信号すら守れないような社会では民主主義のルールは簡単に覆されてしまう。経済が遅れた人口大国に西洋式民主主義を強要するとどうなるか。それが現在のエジプトの姿だ」と論評した。

 このまま読むと、中国国民に対して「中国は民主化するのはまだ早い」と言っているとしか思えない。ところでエジプトは「西洋式民主主義を強要された」のか。アメリカの陰謀だったとでも云うのだろうか。

 中国政府はエジプト政変に対する評価を正式には明らかにしていないが、中国メディアはほとんど政府の意見であるから、中国政府の本音は上記の論評の通りなのだろう。

 「道路の信号すら守れない国」とは何処のことを言っているのだろう。エジプトか、中国か。中国ほど国民も国家もルールを守らない国はないと思うのだが。だから民主化はまだ早いと云うことか。

2013年7月 7日 (日)

保釣委員会

 香港保釣(尖閣防衛)行動委員会が8月に再び尖閣上陸に向かうと表明したニュースを伝えたが、このメンバーたち20数名が香港の日本領事館前でデモを行った。

 「打倒軍国主義」「日本国民は自民党に投票するな」というスローガンを叫び、旭日旗を燃やすなどのパフォーマンスを行った。

 他国の国民に向けて選挙の投票先に注文をつけるなどと云うのは世界でも聞いたことがない。一体自分たちをなんだと思っているのだろうか。ここまで異常な行動を取るというのはほとんど病気である。

 なるほど20数名しか参加していないのも当然だ。彼等の行動は無意味でしかないし、それを報道するのもおもしろニュースになるだろうけれど、結果的に反日デモの愚かしさを強調することになるとしか思えない。

 もしかして日中対話再開のために中国国民の反日意識を冷ますための巧妙な戦術だとしたら中国もやるものだ(冗談だけど)。

再び尖閣へ

 あの尖閣へ強行上陸した香港の反日団体が、8月に再び尖閣上陸を目指すことを明らかにした。

 マスコミの報道ではこの団体が英雄視され、賛同者がさも沢山いるように報じているが、実際のところ多くて数十人の団体で、献金も集まらず、パトロンだった人物が手を引いたために組織は崩壊寸前である。

 この表明は売名のためのパフォーマンスでしかないことは誰の目にも(中国人から見ても)明らかで、みんな、またか、と言うところだろう。

 今回本港出港の費用が集まるかどうか(何か事が起こって欲しいテレビ局がまた金を出してついてくるだろうか)、また香港政府なり中国当局が彼等をどう扱うのか、興味深い。

 日本政府は?尖閣上陸まで放っておけばいい。上陸したら捕まえて強制送還すれば良いだけのことだ。それよりもたぶん出港しようとしたところで中国側が止めるだろう。あまりのばかばかしさに国民が尖閣問題に愛想を尽かすことの方が中国にとって損だからだ。それに強制送還という結果は尖閣諸島が日本領だという事実をさらに明確にしていくことにつながるだけなのだ。

事実と願望

 ネットのニュースに海外のメディアが日本の参議院選挙を報道する姿勢を比較する記事があった。

 欧米の記事では今回の選挙でねじれが解消するかどうかがポイントであると伝えている。今までねじれのために政権が長続きせず、重要な法案も成立させることが出来なかった。しかも短命な内閣がずっと続いてきた。このねじれが解消すれば強い権限を持つ安倍政権となり、TPP交渉や雇用規制の緩和などが進められてアベノミクスが良い方向に進むだろうとしている。もしねじれが解消出来なければ日本に悲観的な事態になる、と見ているのだ。

 それに対して中国では同じくねじれの解消がポイントであると云う見方を示しながら、「アベノミクスは大企業と金持ちにしかメリットがない。自民党が選挙に勝てばより傲慢になるだろう」という、ある批判的な日本国民の声を取り上げている。「退職した女教師・匿名」という人物がコメントしたとしている。教師の退職金は大企業に勝るとも劣らない高額なものだ。しかも女性でも男性と差はなく、年金も手厚い。だからこの「退職した女教師・匿名」が大企業と金持ち、と批判するまさにそちらの側の人物なのだが、その自覚はさらさらなく、弱者側に立った正義のコメントをして良い気分になっているのだと云うことがうかがわれる。

 社民党や共産党が云うことを口移しに唱えたものだろう。たぶん組合活動にも熱心な先生だったことだろう。

 日本はアベノミクスが功を奏しなければデフレ不況が続き、借金は増え、年金や国民保険などの社会福祉は崩壊するのが目に見えている。いずれにせよ強権の政権で物事の決定を速やかに行い、国家を立て直さなければ国民の生活が改善する見込みが立たない。それによる副作用は当然あるだろうが、副作用をおそれて選んだ民主党がどれほど日本を停滞させてしまったか、記憶しているまともな人の方が多いに違いない。世の中は全てが良いようになどなりはしないのだ。

 中国は参議院選挙で与党が過半数を取らないことを望んでいる。日本の国力が弱まるほど今以上にやりたい放題なことが出来ることを願望している。だから「退職した女教師・匿名」のような少数意見をさも日本国民の代表の意見のように掲げるのだろう。

一気読み・続き

 池波正太郎の一気読み
「梅安乱れ雲」シリーズ第五巻

「梅安影法師」シリーズ第六巻

「梅安冬時雨」シリーズ第七巻・簡潔直前で絶筆

 一先ず池波正太郎のシリーズものはこれでいったん打ち止めとする。

 池波正太郎はもともと新国劇の舞台脚本を書くことから出発している。だから会話の部分に生彩があり、映像的である。会話の部分が多いと余白が多いのとリズムが出てくるのでテンポ良く読み進むことが出来る。それにしてもちょっとハイペースで読み過ぎた。この数日で池波正太郎以外は佐伯泰英の居眠り磐音シリーズの新刊「徒然ノ冬」しか読まなかった。

 奥付を見ると、鬼平犯科帳は昭和四十三年から、剣客商売と藤枝梅安のシリーズは昭和四十八年から出版開始されている。それぞれを購入して読み出したのは昭和五十一、二年から頃らしく、新刊直後(第一刷)を買い出したのはその頃からであることも分かる。出るのを待ちかねて読んだ。もともとどのシリーズも月刊誌に連載されたものを単行本にしたものだ。

 当時月刊誌も時々買っていたけれど、池波正太郎のこのシリーズのところは読まなかった。単行本になるのを待っていたのだ。

2013年7月 6日 (土)

池波正太郎の一気読み

 湯治の旅に鬼平犯科帳を4冊持って行った(もちろんほかにもいろいろ持参した)。4冊全て読み、旅から帰ってさらにシリーズの残り2冊を読み終え、続けて梅安シリーズを読み始めていま第五巻にかかろうとしている。

 いまさら一つ一つ内容を紹介していくのもちょいと面倒なので、記録として書き残しておく。

「霧の朝」鬼平犯科帳通算第十四巻

「助太刀」鬼平犯科帳通算第十五巻

「春の淡雪」鬼平犯科帳通算第十六巻

「迷路」鬼平犯科帳通算第十七巻

「炎の色」鬼平犯科帳通算第十八巻

「誘拐」鬼平犯科帳通算第十九巻
 これが絶筆で、話は完結していない。気のせいか文章に乱れがある。

「殺しの四人」仕掛け人・藤枝梅安シリーズ第一巻

「梅安蟻地獄」シリーズ第二巻

「梅安最合傘」シリーズ第三巻

「梅安針供養」シリーズ第四巻

 「てなもんや三度笠」という超人気番組があった。藤田まことと白木みのるがレギュラー出演し、京唄子、鳳啓助や財津一郎がよく共演していた。毎回腹を抱えて笑った。一週間の楽しみのひとつだった。

 でも必殺仕掛け人の藤田まことは嫌いだ。それはこの藤枝梅安シリーズを読んでもらえば分かる。このシリーズには中村主水などという人物は登場しない。仕掛け人の非情さと哀しみが藤田まことからうかがうことが出来ない。

 剣客商売の秋山小兵衛を藤田まことが演ずるというのも虫酸が走るほど不愉快だ。池波正太郎はどう思っていたのだろう。

楽しい酔っ払い

 若い娘の酔っ払いを久しぶりに見た。と言ってもわが娘のドン姫だが。

 普段無口な娘のドン姫が、少し口数が多くなる。色白の顔の頬のあたりが赤みを帯びる。やたらに動き回る。箸を転がす。

 酒を次々に冷蔵庫からとりだし、ぐいぐい飲むのでやはりわが娘、と何となく感心した。

 最後に自分の布団を敷いて、ついでに私の分も敷いてくれて、着替えもせずにごろりと横になって気持ちよさそうに寝た。

 なかなかやるものだ。でも二日酔いになっても知らないよ。

2013年7月 5日 (金)

ルール無視

 中国が一方的に東シナ海のガス田の開発を進めていることが明らかになった。この地区のガス田開発については日中双方の戦略的互恵関係に基づいてしばらく棚上げになっていたはずであり、再開するときには双方の協議を行うことになっている。だから日本政府は正式に抗議を行った。

 これに対して中国外交部は「自国の海域で探査活動をしているだけで、日本の抗議は受け入れられない」と回答した。

 一応ガス田開発が棚上げ状態にあることについては暗黙に認めていることが分かる。現在開発の進められている場所は日中の中間線の周辺で、中国側である。しかし掘削がかなり進められていて、日本側に掘り進んでいるらしいことが強く疑われている。

 そもそも中間線というのを中国は認めていない。日中の境界は、中国の言い分によると日本の海岸線かと思うような一方的なものでしかも明確ではない。

 ただこの中間線というのは世界が守るべき海洋法のルールであり、勝手に自国のルールを作ることは国際的に認められていない。中国は軍事力を背景にそれを無視しているのだ。

 このような行動はある意味では中国が声高に非難している戦前の日本の行動によく似ているように見える(当時は国際法もややあいまいだったが)。その中国が日本の戦前の侵略を非難するのは自国の行動の正当化のためにしか見えない。おごる者は久しからず、と思いたい。

交渉の前提

 安倍首相は、韓国に対しても中国に対しても門戸は常に開かれている、いつでも首脳会談をする用意がある、と述べている。

 これに対して中国は、尖閣に領土問題があることが前提である、と応えた。安倍首相は問題があるから話し合うので、話し合いの前に前提条件をもうけることは受け入れられない、と述べた。

 まことに正論である。お互いの言い分を話し合う前に、自分の言い分を認めるなら話し合おう、と言うのはフェアではない。

 中国のこの態度を見てその尻馬に乗ったように(きつい言い方で申し訳ない。品格がないので)韓国外務省は「韓日首脳会談を行うかどうか回答するのは時期尚早だ」と述べ、「日本が正しい歴史認識を持ち、隣国との友好関係に努力するなら対話の雰囲気が出来るだろう」と言明した。

 歴史認識を韓国の云う通りに認めるなら首脳会談をする気になるかも知れない、と言っているらしい。韓国には韓国の、そして日本には日本の歴史認識があるのだが、韓国は、自国が戦後になって作り上げた歴史認識のみが正しいと日本は認めなさい、それが首脳会談の前提ですよ、と言っているのである。
 
 ある意味では中国と同様に首脳会談拒否を回答しているというように聞こえるのは私だけだろうか。これ以上書き続けると言葉がエスカレートしそうなのでここで止めておく。

品格がない

 中国とロシアの軍事合同演習が日本海のロシア海域で行われている。

 日本がこの演習に懸念を表明していることを受けて中国の軍事専門家は「日本は第二次世界大戦で中国にもロシアにも侵略の手を伸ばそうとした国で、しかもいま軍国主義が強まっている不名誉な国だ」とし、「日本は自信がないから他国に罪を押しつけようとしている」、「こそ泥は人を見るたびに警察かも知れないとびくびくするものだ」と日本の懸念の理由を分析している。

 他国を「こそ泥」と言ってのける軍事専門家も、その記事を掲載するメディアもまことにえげつないと云うか北朝鮮並みに品格がない。

 みずからにやましい気持ちがあるとそれが言葉にも表れるものだ。

ありえること?

 武漢市で運行中のバスの窓ガラスが砕け散ると云う事故があった。中国の新聞は「窓ガラスが自動爆裂した」と報じた。さいわいけが人はなかったらしい。乗り合わせた乗客がネットに投稿したことで話題となっている。

 バス会社は「窓ガラスが自己爆発することはあまり多くない」と答えている。「今年は初めてだ」そうだ。

 記事では「ガラスの自己爆発は、直射日光により光がガラス内部で熱エネルギーに変換して温度上昇し、ガラスが熱応力に耐えられなくなったことにより起こる」とわけの分からない解説を加えている。そして、自己爆発の起こる確率は0.2~0.5%であると云う。

 これは何の何に対する確率なのだろうか。意味不明だが、単純に考えると、それこそ1000枚のうち2枚から5枚が自己爆発が起きるのが中国のバスの窓ガラスらしい。バス一台に何枚の窓ガラスがあるだろうか。そうしたら何台に一台かの割合で毎日何処かで自動爆裂が起きていると云うことで壮観である。

さかのぼる

 法律は施行された日からあとに適用されるのが原則であることは常識である。さかのぼって適用出来るようにすると不都合なことが起きることは少し考えれば分かる。新しい法律と古い法律は必ず矛盾する部分がある。だから新しい法律が作られたわけで、施行以前に許されて合法的だったことをあとで違法として処罰していてはキリがない。

 韓国で元公職に合ったものの追徴に関する特例法の改正案が国会で可決された。これにより、追徴期間が延長され、時効の迫った全斗煥大統領の不正蓄財に対する追徴があと7年間延長されることになった。

 この法律はそのために「全斗煥追徴方」と呼ばれている。

 韓国でも法律の遡及性が原則禁止であるのは法治国家として当然だが、今回は例外だ、としている。

 ナチスを裁くために「人類に対する罪」という法律を新たに作り適用した。これが法律の遡及禁止に違反していることは明らかだが、連合国はそれを例外的に認めた。それを東京裁判でも戦犯に適用し、日本の戦犯の多くに死刑判決が下され、執行された。勝てば官軍、のこの行為は非常に大きな問題を残したがそれは別の話だ。

 第二氏世界大戦のあとのこの措置より以前は、戦犯はその国みずからが裁くことはあっても戦勝国が敗戦国の人間を裁くことはなかった。体裁上は敗戦国みずからが裁く形を取った。そうでないと裁判だか復讐だか分からなくなるからだ。

 もちろん昔は遡及禁止などと云う概念はなかったが、その矛盾から学んだことにより、この概念は長い間に確立した法律の大きな柱となっている。繰り返すが、法治国家では法律はその施行された日からあとに適用される。

 韓国は法治国家ではないのかも知れない。盗難で持ち込まれた対馬の仏像の返還を韓国の裁判所が差し止めるなどと云う、あり得ないことをする国である。まだ法律のなんたるものか分かっていないか、分かっていても民意が法律の原則に優先する国だと云う事である。

2013年7月 4日 (木)

テロリズム

 定年になったらシルクロードを時間をかけて旅したいと思っていた。シルクロードに関する本もたくさんあるし、写真集もある。以前子供たち二人と敦煌まで行ったことは何度もここに書いた。敦煌からさらに西へ、ウルムチやトルファンに行きたいと思っていたし、ベゼクリク千仏洞や火焔山をこの眼で直に見てみたいと願っていた。

 だが新疆ウイグル自治区に漢民族の開発の手が入り、ウルムチなどが大都市になるに従ってイスラム系の地元の人々と中国からなだれ込んでくる人々との軋轢が大きくなり、テロが時々起きるようになった。

 特に最近は人が死ぬような事件が頻発するようになっている。以前は報道も規制されて伝わらなかったが、最近は海外メディアがここから情報を発信しているので中国当局が隠そうとしても、事件が自然に洩れてくる。

 先月後半にも30人以上の死者の出た事件があったようだ。中国当局はテロ集団が警察を襲ったことでテロリストと警察双方に死者が出たように伝えている。本当は事件そのものを隠したかっただろうが隠しおおせなかったようだ。

 その後も小競り合いが続いているらしく、警官が発砲して10人とも15人とも云う死者が出たと海外メディアの消息筋が伝えている。
 
 イスラム教の寺院を強制的に地元政府が封鎖したことでデモ隊が押し寄せ、それに警官が発砲した、と海外の情報筋は報じたが、中国政府は相変わらずテロリスト対抗する措置をとったという報道に終始している。地元政府に反対の行動は全てテロリストとして扱っているのはチベットでの行動と同じだ。

 ウィグル族には彼等の言葉や宗教がある。それを禁止したり制限したりすれば反発が起きるのは当たり前だが、中国共産党には「みずからが正義であればそれに反対するのは敵であり悪である」という二元論の考え方で強引に事を進めていく。こうして本物のテロリズムが横行し始める。

 シルクロードへ行く夢はだんだん遠のいていきそうだ。中国そのものの魅力がだんだん薄れていく。

英国の屈服

 5月に英国のキャメロン首相が中国訪問を打診したが中国から拒絶された。これはキャメロン首相が、昨年中国の強硬な反対を押し切ってダライ・ラマと会談したことが原因であると見られている。

 経済停滞の打開のためにドイツやフランスが中国との友好に心を砕き、経済的実利をあげている、と見なしている英国マスコミや英国議会はこぞってキャメロン首相を非難していた。

 そこでイギリス外相はこのたび「英国はチベットが中国の一部であることを認める」と王毅中国外相に正式に伝え、この結果、キャメロン首相と李克強首相との会談が年内に行われる見通しとなった。

 中国は今回の英国の態度に大いに気をよくしているようだ。

 天下の英国も中国に屈服したようである。げにおそろしきは金の力よ。

深慮遠謀

 日本の内閣は猫の目のように替わる。日本の首相や外務大臣が、他国の首脳と会談して多少打ち解けても翌年にはちがう人に替わっている。これでは本気で日本の代表と親しくなっても努力が無駄になるばかりだ。大事な話が出来るわけがない。過去外交でそれなりの成果を上げた内閣は長期政権のときだったと思う。やはり時間をかけて互いに信用を積み重ねる必要がある。

 今中国と韓国は安倍首相を酷評し、互いに接近している。日本国民にも安倍首相は極右だ、と盛んに喧伝しているように見える。それを我が事のように共産党や社民党が口移しのように語り、世界中が安倍首相が右翼だと云っている、と言う。

 では日本人は安倍首相が右翼だと思っているだろうか。右か左かと問えば右、と見るだろうが、右翼だ、などと本気で思っているひとは少ないだろう。

 中国が尖閣などで挑発行為を繰り返していることを不快に思い、何らかの対応が必要だとほとんどの国民が感じている。だから安倍首相の中国包囲網戦略は当然のことだと考える人が多いだろう。

 今度の参議院選挙で安倍総裁の率いる自民党が勝利するのはほぼ確実だろう。民主党は大事な法案を反古にして、首相の不信任案に賛成するという愚かなことをして、泡沫党への転落を確実にした。国民のために大事な法案を通すことより党利党略に走ったことが国民全てに見えてしまった。もともと国のことなど考える余裕のない烏合の衆だったのかも知れない。

 その他の政党も国民の心をつかむような主張がほとんど打ち出せていないように見える。政党代表たちの討論会を見ても互いにわめき合うだけで、時間の無駄にしか見えない。好い加減に泡沫党は退場して実のある話の出来る党だけになって欲しいものだと願うのは私だけだろうか。

 野党の自滅的な言動と、中国と韓国の中傷誹謗とを見て、このままでは日本国民のうちの多くが自民党に票を入れることだろう。

 中国と韓国は安倍政権を害毒のように声高に主張することで、日本国民と自民党を離反させるよりは、日本を一致結束させて安倍内閣の元にまとまっていく方向に推し進めている。

 これが結果的に安倍政権を長期化させることにつながるかも知れない。

 ここではたと気づいた。中国、韓国、アメリカ、ロシアは安倍内閣の長期政権化を狙っているのではないか。そこで初めてまともに日本とじっくりした交渉を始めようと考えているのではないか。きっとあの民主党政権時代によほど懲りたのだろう。

 そう言えば鳩山由紀夫という愚かな人が首相であったこともあった。あんな信用出来ない人とは誰もまともに話し合うことが出来ないと思ったとしても当然だ(今まさに本人がそれを証明している)。

 日本を変えるために、中国と韓国が日本を右傾化している、とありもしないことを騒ぎ立てるのは、安倍政権の長期化を図る両国の深慮遠謀であることに今気が付いた。有難いことである。

2013年7月 3日 (水)

雑用

 しばらく留守にしているとけっこう雑用がたまっている。それを片付けがてら名古屋へ出かけた。やはり名古屋は蒸し暑い。

 気が付いたら本屋で10冊ほど本を購入していた。ほとんど病気だ。高速代を浮かしたのがたちまち雲散霧消した。

長時間の運転で首と肩がばりばりだ。娘のドン姫に無性にあいたいと思っていたけれど、肩を揉んでもらいたいからなのかも知れない(そればかりではもちろんありません)。

 これから社会福祉協議会の募金集めに回らなければならない。みんな在宅してくれていれば良いのだが。それで本日の雑用はひとまずおしまい。

日本の良心

 新大久保で右翼団体がデモを行い、コリアンタウンの人々が身の危険を感じていた。毎週末にこのデモは繰り返されていたのだが、それに対してこのたびは一般市民が右翼団体を阻止、コリアンタウンに入れないようにした。警察も騒動を防ぐために右翼団体を別の場所に誘導したようだ。

 韓国ではこのことが報じられて日本の良心がコリアンタウンを護った、と報じた。

 本当によくやったと云いたい。

 この報道を聞いた日本人なら、間違いなくコリアンタウンを護った市民に賛同し、右翼団体を不快な連中だと感じることだろう。コリアンタウンの人々の味方をしても非国民などと云われることはない。

 では韓国に日本人街があって、歴史認識がどうのと云って韓国の愛国者たちが押しかけたら、韓国の一般市民はそれを阻止しようとするだろうか。

 韓国では親日家は売国奴と同義である。

 そう呼ばれることをおそれて何もしないし出来ないだろう。内心では愛国者に不快を感じているにしても。これが韓国の、そして中国の悲しい現実である。日本は本当に良い国だ。

 あの鳩山さんですら日本人として認めているし、誰も石をぶつけたりしない。ぶつけたい人は沢山いるだろうけれど。

おまけ(2)日本海

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山形県の日本海側は雲混じりながら晴天で海がとてもきれい。早くも海水浴をしている人を見た。

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この工事の場所はまだ海へ出るまえ、最上川沿いに走る47号線。標識の戸沢村は私の父の生まれたところ。この最上川沿いの古口というところから支流を山の中へさかのぼったところだ。古口は芭蕉が船下りをしながら奥の細道で「五月雨を集めてはやし最上川」と詠んだところだ。芭蕉が船に乗り込んだところは今の船下りの場所よりだいぶ上流。下船したところにも碑がある。そのあたりに今は堰が設けられているのでそれ以上は船で行くことはできない。

父の生家は今はなく、父のいとこがいたのだがその人もすでに亡く、その息子は顔も名前も知らない。生家の跡は今はヒメマスの養殖場になっている。

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山形県の南、新潟県の村上市に近いところに笹川流れという絶景の場所がある。トンネルだらけで車をゆっくり止めるところが少ない。とにかくこんなに海のきれいなところは少ないだろう。海の中も透けてよく見えている。

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おばさんが一人海の中を覗いていた。ここは巻き貝がとれる。看板に魚介類を捕ること禁止、と書いてあるが、知っている人はよく家族連れで採っている。

この辺までは快適であったが、新潟を過ぎてから難行が始まったのだ。

今回の旅の報告はこれでおしまい。これからしばらく家でおとなしくしているつもり(すぐまた気は変わるだろうが)。

おまけ(1)瀬見峡

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鳴子から峠を越えて山形県側に瀬見温泉がある。ここは義経と弁慶が発見した温泉、ということになっている。それくらい古い。温泉街の近くの国道沿いに瀬見峡がある。ここにドライブインがあり、よく立ち寄る。ここには梁があり、夏は鮎が食べられる。ここのそばは安い。かき揚げそばで500円だ。量も多い。ただしできあがったら自分で取りに行き、食べ終わったら自分で食器を片付ける。土産物もつまらないものは置いていないからコーナーは少ないけれども買いたくなるものが多い。今回は干しぶどうとイチジクの干したものを購入した。

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鮎釣りが解禁になったらしい。

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ドライブインの横に渓流を見下ろすあずまやがある。風もさわやかである。夫婦で旅行、いいなあ。

神経の興奮

 昨晩は予定通り真夜中過ぎに名古屋に帰り着いた。

 ルート選定に問題があったことと、いつものように道に迷ったりしたために100キロ以上余分に走り、のろのろ運転の中に突っ込んで時間的にも数時間余分にかかった。

 来たときと同じように四号線で宮城、福島、群馬と走るつもりでいたのが、同じ道を走るのはおもしろくない、と日本海側から帰ることにしたのだ。鳴子から峠を越えてふたたび新庄へ、さらに西へ向かって鶴岡へ、それからはひたすら海岸線沿いに海を見ながら走った。新潟までは快調であった。

 それが長岡の前後からのろのろのトラックや軽自動車に囲まれてペースダウン。そのまま8号線を富山まで行こうと思っていたのに17号線に行く道にはまり込んでしまった。小千谷から十日町、さらに長野へ抜けるコースに仕方なく変更したのだが、これがとんでもないことに。

 100キロあまりの道をなんと6時間もかかってしまった。時速20キロ以下、すべての信号に引っかかった。この道は以前にも苦労したことを走っているうちに思い出した。二度と走らない、と心に誓う。

 これだと長野から19号線に乗って名古屋へ行くコースになる。長野で19号線に行くために何度道を曲がらされたか分からない。いったいどちらを向いて走っているのかさっぱり分からなくなってきた。しかも長野と松本は仲が悪いことを象徴するように18号線(高崎から東京へ)から19号線(松本から名古屋へ)への道路案内はほとんどない。以前間違えて変な山道へはまって真夜中にうろうろしたので今回は慎重に走り、無事松本まで。

 そのまま松本から名古屋まで走れるはずだったのである。ところがどういうわけか塩尻を過ぎたあたりで道を間違えていつの間にか153号線を走っていた。

 この道は飯田方向へ向かう道だ。だからかえってショートカットになっていいかと思ったのが間違いだった。とんでもないアップダウンの道を延々と走る羽目になった。おまけにこちらもやたらに曲がる。もう夜遅くなっているので自分がどこにいるのかますます分からなくなった。疲れで目はかすみ、標識もほとんど読めない。

 飯田で19号に戻れるとばかり思ったらそのまま飯田街道を南下する方へ誘導されていき、結局100キロ以上のロスとなった。

 今回の旅はちょうど2000キロ。本当はもっと少ないはずだった。今日だけで850キロも走ってしまった。馬鹿みたい。

 帰り着いたら夜道を走り続けたために精神が興奮状態になっていて静まらない。やたらに心臓がどきどきしているような気がする。身体は何時までも揺れている。脈を測ると普通に打っている。酒を飲んで落ち着こうとしたが、なかなか治まらず、疲れているのに眠れなかった。

 あのまま8号線を走っていたら疲れは半分だっただろうになあ。

2013年7月 2日 (火)

湯治

 湯治にやってきたはずなのにあちこち走り回ってしまった。酒も控えるつもりが普段より飲んだ。いい気持ちになりながら本も読んだ。ずいぶん忙しいことであった。なかなか無為を楽しむ、というわけにはいかない。

 しなかったのは「考える」ことだった。想念は駈け巡るけれども何かをじっくり考えることがなかった。

 明け方いやな夢を見て目が覚めた。どこかの私鉄の駅で、切符を買おうとしたのだが、どこまで買うのか分からなくなってしまい、うろたえていると、駅員が怒り出してしまった。誰かに行き先を教えられて(これも変なことだが)駅員に駅名を告げると、もう売らない、と云う。そんな理不尽な、と今度はこちらが怒り出してしまった。なんだか駅員には私に対してすでに含むところがいろいろあるようで、頑として売ってくれない。

 いったいどんなわけがあるのだろうか。とても不安を感じた。

 何という駅だったのか、どこへ行こうとしていたのかそのときも目覚めた今も分からない。

 明日ささやかな用事ができたので今回は途中で友人を訪ねたりせずにまっすぐ名古屋に帰る。ただし帰りは高速で帰る。(重ねるのは嫌いだが)ただし料金を安く上げるために深夜料金になるような走り方で帰るので、次のブログは明日になる予定。

2013年7月 1日 (月)

銀山

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上下は逆ではありません。銀山への登り口のところに、銀山の水抜きの洞がある。坑道は述べで1000メートル以上あったとみられるが、今は130メートル分くらいしか入れず、ほかはほとんど崩落してしまった。山全体が白銀公園、という公園になっている。わざわざ一番山のてっぺんまで登ってから坑道に入り、出口から銀山川の渓流沿いに歩いて銀山温泉に戻った。ゆっくり歩いて40分くらいか。ただし山は急な階段を上るので汗みずくになる。

むかしこの銀山を友人と見に来たが、当時は整備されていなかったので坑道の入り口を覗くことしかできなかった。

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山の頂上にこのような石像が立っている。大きなものだがどのような人の像なのか知らない。ここからさらに階段を降りると突然坑道の入り口がある。

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坑道の中。誰もいない中を薄暗い洞窟の中にいるとざわざわする。それが何とも言えず好きなのだ。

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これは坑道の出口。入り口よりずっと広い。

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「夏知らず」の坑道口。この前にベンチがある。坑道から冷風が吹き出しており、ジェットクーラーのまえにいるように涼しくて気持ちがいい。

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渓流沿いの帰り道。鉄分が多いせいだろうか、川底が鉄さび色をしている。水は澄んでいる。

最初、階段を上がるときに膝がきしんで痛かった。それがしばらくしたら何ともなくなった。やはり運動不足で油が切れているみたいだ。ときには負荷をかけてやらないといけない。

銀山温泉

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銀山温泉に行った。今回は駐車場もがらがらであった。銀山温泉に来たのは学生のとき以来だから40年ぶりか。そのときは友人と二人できた。部活の仲間ながらそれほど親しくなかったのだが、成り行きで同行することになった。ジャガイモみたいな顔の、ぼくとつそのものの男でにくめない。久しぶりにその男のことも思い出した。

二人で泊まることにしたのだが当然手元の金には余裕がない。大きな宿は皆高くて泊まれない。観光案内ででも相談したのだったか、小さな安い宿に持ち金の範囲で泊まることができた。

今はどうか知らないが当時は皆混浴だ。風呂に行ったら乳飲み子を抱えた若い女性が入っていた。もやの中でその身体が白く輝いて見えた。女性は恥ずかしがる風もなく軽く会釈をした。今も思い出す夢のような記憶だ。

銀山温泉は銀山川の両脇にへばりつくように温泉宿が並んでいる。そのつきあたりが滝になっている。

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この滝の上が銀山である。むかし実際に銀を採掘していた。

銀山については次回に。

ところで銀山川を橋から見下ろすと清流に魚が見える。

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大きいのは30センチ以上のものもいる。ニジマスだろうか、ヒメマスだろうか、それともまた違う肴なのか。

銀山温泉は狭いので車が乗り入れられない。共同駐車場は一番温泉から遠いところにある。500メートル以上坂を上り下りしないといけない。それだけでもかなり汗をかく。今回は一時間ほど銀山も歩いたのであせぐっしょりになり、帰りには上半身だけ全部着替えた。さすがに下までは・・・。

安重根

 韓国の朴槿恵大統領が、中国に対してハルピン駅頭に安重根の石碑だか銅像だかを立てるよう提案した。安重根はハルピンの駅で伊藤博文を暗殺した人物であり、朝鮮では英雄とされている。

 伊藤博文はそのとき朝鮮総督であった。朝鮮を日本が併合して植民地としたことは現代の価値観からすれば非難されることだろう。私も朝鮮併合などしなければ良かったと心から思う(勝手にソ連に蹂躙されれば良かったのだ)。だがその時代には日本にはそれなりの理由もいきさつもあった。

 しかし伊藤博文が朝鮮の支配の中でやろうとしていたことと、伊藤博文以降の総督が行ったこととを比べてみれば、朝鮮の人々にとってどちらがより幸せであったのかは分からない。伊藤博文が殺されなければ台湾との関係のようになったかもしれないとも云われる。それほど伊藤博文以降の総督にはできの良くない総督がいた。恨まれる理由もいくつもあった。

 たら、とか、れば、は歴史で言っても詮ないことだけれど、伊藤博文の死は日韓両国にとって不幸なことであった。それをもたらした安重根というテロリストの銅像を今になって立てようという朴槿恵大統領の提案は、まさに韓国国内へのパフォーマンスと、中国に対するおもねりそのものである。

 暗殺というものを美化することの恐ろしさに思いをいたさない為政者は、今に自らが凶弾に倒れることになるかもしれない。

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