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2013年9月

2013年9月30日 (月)

リトルワールド・おまけ

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リトルワールドには屋内展示場がある。あることは知っていたが、はじめて入った。

 

大阪万博の跡地の広大な公園の中に国立の民族博物館があり、その展示物がすばらしいことは以前紹介した。また行きたいと思っている。

 

リトルワールドの展示品は数ではもちろん国立博物館に負けるけれども(コンセプトもやや違う)展示されている物のすばらしさでは負けていない。

 

今回はバスの時間があったので少し早足で見てしまった。今度こちらをメインに見てもいいかもしれない。

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ちょっと覗きたくなるでしょう。ゆっくり見ていたら一時間以上必要です。これでリトルワールドはおしまい。

カイヅカイブキは親日の印か

 朴槿恵大統領の父親である朴正煕元大統領の生家や、生家のある街の公共の建物のまわりにカイヅカイブキが植えられていることが韓国で問題になっている。

 その理由というのがカイヅカイブキは日本原産の樹だからだという。
 
  カイヅカイブキは植木や生け垣、街路樹などによく植えられている普通の樹だ。日本と中国が原産らしいが漢名は龍柏というそうで、厳密に言うと少し違うのだろうか、中国でも日本同様当たり前に植栽に使用されていて、台湾でも普通に見ることが出来る。

 日本統治時代に独立運動を行った人物の銅像のまわりにも日本原産の樹木が多数植えられている、として問題にされたらしいが、60年以上の樹齢のものなので移植を控えていたそうだ。いまに伐られるだろう。

 「日本原産の樹木は日本帝国主義の残滓だから取り除け」という話から、日本原産の樹木を植えていると親日派として認定されて迫害を受けそうな気配までただよっているという。

 韓国の反日はいささか狂気を帯びてきた。一握りの人間が暴走しているのだろうが、誰にもそれが止められないというのが韓国の不幸だ。

 日本が鬼畜米英を叫んで、横文字の本を読んでいただけで憲兵に検挙された恐ろしい時代があったのに似てきた。韓国は何を目的にこんな行動に走るのだろう。自分でも訳が分からなくなっているのではないか。
 
 いまに日本の本もアニメも歌も禁止されるかもしれない。なんだかその狂信性はアルカイダみたいに見える。

リトルワールド寸景

リトルワールドには何回か来ているが、丁寧に歩くと新たな発見も多い。

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立派なシーサー。

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台湾の民家で。この飾り提灯は中国や東南アジアでもよく見かける。とても美しくて好きな風物だ。

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リトルワールドは犬山郊外の広い丘陵地にある。まわりは緑に囲まれ、日差しは強かったが吹き渡る風はさわやかだった。秋が輝いていた。

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バリ島の金持ちの家の、立派な石の門の彫刻。

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その屋敷の中の廟の柱の彫刻。祖先を祀っているのだろうか。

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おなじく拝壇の天井に掲げられている彫刻。すばらしい。東南アジアのカラフルな飾り物はインパクトがあって好きだ。

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特にどこの国のもの、というものではない。

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カンボジア(だったと思う)の不思議な文字が架けられている石の塀。このあたりの空間がほかと異なるものであるような不思議な雰囲気がある。

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トルコ館の内部。折からの青空とよくマッチしている。しかも絨毯が干してあることが妙にうれしかった。

ほかにも山ほどあるけれど、きりがないからここまでとする。

2013年9月29日 (日)

リトルワールド

朝、急に思い立って犬山のリトルワールドへ出かけた。目的がある。

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入場券を入って野外展示場へ向かうと、乗り合いバス(普通は向こう側のバス、こちらの派手なバスは貸し切りかもしれない)が待っている。一日券500円で乗り降り自由だ。けれど今日は歩くつもりなのでバスは利用しない。

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ドイツ館のこのビールが飲みたかったのだ。黒にするかどうか迷ったが、結局黒にした。つまみはソーセージにザワークラウト。入り口からドイツ館まで全周の半分近く歩いたので一汗かいているのだ。

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テーブルの横に置いてあった。ハローウィンは近いのだろうか。

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レジのお姉さん。ドイツの女性らしい。小柄でチャーミング。声をかけて写真を撮らせてもらったのだが、かえって表情が硬くなってしまった。

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フランス館では白ワインを飲んだ。やや辛口で渋みが強い。ドイツのモーゼルの方が好きだ。

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アフリカ館でダチョウ肉とワニ肉とラクダ肉の三本セットを頼む。やや硬めの肉ばかりだがうまみがあり、結構いけた。特にラクダがうまい。飲み物はアップルタイザー。よく冷えていた。

このあとトルコ館でジェラートを食べたのだが、絵にならないので写真はなし。

リチャード・ニーリィ「日本で別れた女」(早川書房)

 ミステリーファンならリチャード・ニーリィと聞いてにやりとするだろう。彼の本を読んでラストのどんでん返しに嵌まった覚えがあるはずだからだ。

 彼はラストを書いてから本を書き進めているに違いない、といわれる。あの鮮やかなラストにあっと驚くのはほとんど快感だ。

 はじめて読んだ彼の本は「心引き裂かれて」だ。このラストの強烈な後味は一生忘れられない。そして「殺人症候群」、「オイディプスの報酬」と立て続けに読み、この「日本で別れた女」を購入(昭和57年)して・・・実は三十年が経っていた。買ったのに本の山に埋もれて見失い、そのまま読まずにいたのだ。

 先日読み終わった本の山だと思って手をつけていなかった一角を整理していたら、そこに紛れていたのを見つけた。

 読み始めたらやめられるはずがない。そしてニーリィだから必ずあっと驚く仕掛けがあるぞ、と思いながら注意して読み進めたのに、やはりあっと驚かされた。すべてが巧妙に張り巡らされた伏線で、みごとにやられた。

 たいへん結構でした。ニーリィを知らなければ一度探して読むことをお勧めしたい。絶対だまされる。そして不思議なことにその伏線の巧妙さを確認したくて同じ本をもう一度読みたくなる。

 そういえば「プラスティックナイトメア 仮面の情事」というトム・ベレンジャー主演の映画はリチャード・ニーリィの小説が原作だ。むかし画質の恐ろしく悪いビデオで見たけれど、あっと驚く結末はやはりすばらしかった。探してでも見る値打ちがあると思う。

2013年9月28日 (土)

時間と距離

 先日の豊川稲荷と蒲郡散策の際に時間と距離について少し考えた。

 豊橋の先の豊川に行くには、東海道線で行く。安城あたりからすぐ近くに、そしてときにはだいぶ遠くに東海道新幹線が見え隠れする。

 こちらの東海道線も快速なのでそれなりの快適なスピードで走っている。ところが新幹線はこちらをお構いなしのぶっちぎりのスピードであっという間に去って行く。

 新幹線でこれならば、リニアだったらどれほどか。

 距離が遠ければそれだけ時間がかかる。しかしスピードが速くなるほどかかる時間は短くなる。

 若い頃、杉浦康平たちが作成した旅行時間マップというのを見た。通常の地図は実際の距離をもとに作られる。それを距離ではなくて移動にかかる時間を元に作ったものだ。

 だからその地図は距離を元にした地図から見たら大きくゆがんでいる。

 高速化して移動にかかる時間を縮めていくということは、観念的に等価であった距離の地図と時間の地図が、ゆがんでいくことに他ならない。

 私はだからスピードを上げて時間を縮めることはそのまま空間をゆがめていくことなのだなあと車窓から眺めながらぼんやり考えた。

 人間は時間を限りなくゼロに縮めようとしているのだろうか。そうして空間のゆがみも大きくなり、ついには同時に二カ所に、いやあらゆるところに存在することを目指しているのだろうか、と妄想した。

ニラの花

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ベランダのニラに花が咲いた。花が咲くとニラは冬ごもりに入るらしく、花は種となり葉は枯れる。ごま粒みたいなその種を採っておいて春に蒔けば再び芽が出てニラになる。

 

でも放って措いても地に落ちた種から芽が出る。このニラも十年くらい種を蒔かずに毎年春には芽を出し続けている。露地で生えたものではないからちょっと葉は硬い。だからめったに採って食べない。

 

この花によく似ているのが野蒜の花だ。野蒜の花は白ではなく、薄いピンクの色をしている。それを目印に根元を掘り、野蒜球と言われる根茎を採る。らっきょうに似ているが、らっきょうより丸みを帯びている。エシャロットと言われる食材があるが、日本で売っているエシャロットはほとんどがらっきょうらしい。時期には酒のつまみによく食べる。本当は違うものだと言うが。

 

野蒜の根茎はエシャレットより辛くて香りも強い。味噌をつけて生で、またはちょっと辛すぎたらさっと熱湯にくぐらせて食べると野趣があり、まことにうまい。

 

残念ながらニラにはニラ玉というのは出来ない。ニラ玉には卵が必要だ。

小松左京「果てしなき流れの果てに」(ハルキ文庫)

 光瀬龍「百億の昼と千億の夜」とともに私の宇宙観を変えたもう一冊のこの本を久しぶりに読み直した。解説の大原まり子が書いているように、この本が書かれたのが1965年だというのがまず驚きである。今書かれた本だと言われても全く違和感がないだろう。日本の歴史に残るSFの傑作だ。

 先日NHKBSで「神の数式」という番組を見た。あらゆる自然現象は最終的に一つの数式で説明できるはずだ、という。これが正しいかどうか。その一つの答えがヒッグス粒子の発見であった。

 これは「標準理論」と言われる数式から導き出された推論を裏付けるものであり、この数式が正しいことを証明するものでもあった。

 さらにこの宇宙の物理法則はアインシュタインの「一般相対性理論」の数式によって著すことが出来る。

 そして、現代の理論物理学者と数学者は「標準理論」の式と「一般相対性理論」の式の統合を目指している。現在この二つの式を含む「超弦理論」と呼ばれる数式が天才たちによって提示されるところまで来ている。

 これは極小の素粒子と極大の宇宙の世界を統合しようとする試みであり、無限という世界に限りなく近づこうとする試みでもある。

 この「超弦理論」に異を唱えたあのホーキング博士はブラックホールに関する特異点を難問として提出した。

 しかし「超弦理論」はそれにも回答を与え得るらしいことが分かり、ホーキング博士は潔く自分の考えを変更することを表明した。

 いま「宇宙は十次元でなければならない」という。これは「超弦理論」から導き出されたものだ。こうなる私などの理解をはるかに超えた世界なのだが・・・

 ながながと本題と離れた話、それもほとんど理解できていない話を述べたのは、この「果てしなき流れの果てに」という物語が垣間見せている、時間と空間という四次元の世界を越えた想像を絶する宇宙の姿を語っているからに他ならない。

 無限大と無限小の中に生命があり、人間があり、認識があり、愛がある。そのことの不思議な関わりが壮大な世界の中にちりばめられているのがこの小説だ。

 いわば小松左京が生み出した壮大なほら話が、実は真実の宇宙の姿を直感する入り口に通じているかもしれないのだ。人間の想像力のすばらしさを感じさせてくれる傑作として是非読んでみて欲しい。SFの苦手な人はその世界観に入るのに少し苦労するかもしれないが、読み終わったときには感動と満足感を約束します。

やれば出来るのに

 世の中には才能や素質がないと、努力だけでは乗り越えられない壁というものがある。そして向き不向き、得意不得意というのもあって同じ努力をしてもひとによって結果が大きく違う。

 でもそれは努力をしなくてもいいことにつながらない。やれば出来るのに、と言うひとは、人並みの努力をしていない。ひとは多かれ少なかれ努力をしている。そして努力が高く評価され、酬われるのは人並みよりも努力をした結果だ。

 私は努力するのが苦手だったから、多くのことに人並み程度の努力すらしてこなかった。だから自分に対する評価には不満を感じることはほとんどなかった。することをしないで酬われようなどという虫のいい考えを持っていない。

 ただときには越えなければならない山を越えるのに、努力をしなければならないこともある。そのときにはコンセントレイションという方法で、つまり努力する時間をなるべく短時間で済ますために自分にターボをかける方法で乗り切った。瞬間的には人並み以上の力を出すことが出来る。残念ながら持続しないが。

 ひとは人並みに努力をしていることに思いが及ばず、努力の果ての壁である才能や素質を言い訳にして、自分が人並みの努力すらしないで自らの不遇を託つひとを見ると、いささか怒りを感じる。

 社会に問題がないとは言わないが(問題のない社会などというものが現出するとは思えないが)不遇の理由には必ず自らが招いたものが含まれる。自ら招いた部分についてはあきらめるか努力するしか出口はないと観念するしかないだろう。それ以外の部分については他人が、つまり社会が助けるべきだろう。 

 どう見ても人並みの努力をしていると思えないひとが、すべてを世の中の不公平を理由として不満をならしているのを立て続けに見聞きしたので、ついえらそうな文章を書いてしまった。

   天は自ら助くるものを助く

2013年9月27日 (金)

映画「ダーケストアワー 消滅」2011年ロシア・アメリカ合作

 監督クリス・ゴラック、出演エミール・ハーシュ、オリヴィエ・サールビー、レイチェル・テイラー、マックス・ミンゲラ。

 モスクワが舞台のSF映画。アメリカからモスクワへビジネスソフトのプレゼンにやってきた若者二人が、突如襲来した宇宙人によってほとんど壊滅状態になったモスクワの街で逃げ惑い、生き延びてついには逆襲の糸口をつかむ、というお話。

 宇宙人というのが実は姿が見えない。あとで分かるが電磁波生物なのだ。だから電磁波をシールドすれば相手にも姿が見えないことがだんだん分かってくる。

 科学的に言えば(科学的に言うほど科学が強くない私でも思うのだが)シールドされた中にいれば通信も出来ない(はずである)。それが時々無視されている。まあいいけど。それに最後の方では電磁波人間の実態らしきものも見えたりする。電磁波は見えないだろうと思うが・・・。

 主人公たちが生き延びたくらいなら、もっと生き残りがいてもいいような気がするが、それも置いておく。

 モスクワの五車線くらいの道路に、車だけが放置されて人影のないシーンはちょっといい。

 敵の姿が見えない、というのは低予算で映画が作れていい手だな、などと思うようではちょっとクールすぎたか。

 絶望的な状況(ほとんどなすすべがない)を打開していく主人公たちの不屈の精神にはいつもながら頭が下がる。私ならあきらめているだろう。

 何もこだわらないで絶望的なシチュエーションからのサバイバル物語と考えればそれなりに楽しめるだろう。でも人類はこれからたいへんだ。

 ところで冒頭の飛行機の機内での主人公の勝手な言いぐさはちょっと彼に感情移入しにくくさせるところがある。私だけだろうか。

蒲郡・竹島水族館

竹島から橋を渡って戻り、竹島水族館へ行く。水族館の横にいくつか店があるが、ウイークデイのせいか閑散としている。申し訳ないが全般にみすぼらしく感じた。

水族館はこぢんまりしている。でも水族館は大好きだ。

カメラの感度を上げて何枚か魚の写真を撮った。もちろんストロボは絶対に炊かない。ストロボは他の人の迷惑だし、魚にもストレスを与える。

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ハタの仲間か。つい食べたらうまそうだ、と思ってしまう。

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昔房総半島の白浜で、シュノーケルで泳いでいたら、やたらにウツボがいてとても怖かった。こんなにごちゃごちゃウツボがいたら、と思うと思わずザワリとする。

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このしましまの魚の塊をゴンズイ球(だま)という。15センチくらいのドジョウに似た、ひげのある魚で、黄色い縞がある。味噌汁にするとうまい、と漁師が言っていた。ただし、素人は絶対手を触れてはいけない。何カ所かの毒針を持ち、刺されると屈強な漁師でも泣く、という。たまに釣りでかかってしまうことがある。このゴンズイと、ミノカサゴ、そしてアイゴは釣り人にとって要注意の魚だ。私はアイゴの棘刺(きょくし)に触れて一時間ほど脂汗を流したことがある。

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ご存じオウムガイ。生きているとは思えないほど美しい。

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これは淡水魚。ナマズの仲間だろうか。うまそうだ。

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こちらが見ているのか、向こうから魚に見られているのか。

水族館を楽しんだあと、駅にほど近い「生命(いのち)の海科学館」に行く。三階のシアターのある展示階以外は無料。

その有料(700円)の展示は地球の成り立ちから生命の誕生、そして現在までがコンパクトに試料とともに並べられていてなかなかためになるし面白い。特に巨大な隕石や鉄の鉱床の実物など、とても珍しいものがある。

ここでは撮影禁止と言われなかったが写真は撮らなかった。

シアターで惑星誕生から生命の誕生、そして進化の様子が子供でも分かるように(子供向けなのだ)作られたビデオを見た。

実は開始時間数分前に入り口に行ったところ「入場は係員が案内するのでしばらくお待ちください」という札がかかって入り口が閉鎖されている。そのまま待っていたら開始時間が過ぎても誰も来ない。シアターの中では上映が始まったらしい音が聞こえてきた。しかたがないので入り口をすり抜けて中に入って一人で鑑賞した。

ところが終わって出ようとしたら女性が出口に立ちはだかっている。「どこから入ったんですか」と切り口上で言う。「チケットを拝見させてください」と息を荒げて言うので、チケットを見せた上で事情を説明したのだが、分かったのか分からなかったのか済みませんの一言も無しであった。

なんだか睨み付けるような視線を背中に感じながらちょっとむっとして退場した。

そのまま蒲郡から名古屋に帰る。晴天で気持ちのいい一日であった。

蒲郡・竹島

 むかし蒲郡は担当地区のひとつだったので仕事で再三通ったけれど竹島や水族館に入ったことがなかった。

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竹島へは蒲郡の駅前からバスで二停留所目。歩いても二十分ほどで島へ渡る橋の手前に行き着く。橋の手前には竹島水族館がある。水族館は竹島への帰りに寄った。

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島へ渡る橋は四、五百メートルある。折からの台風の吹き戻しの強風が吹いていて、橋桁が不気味な音で鳴っていた。

竹島は島全体が神社の神域になっている。

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島の入り口の鳥居をくぐると階段があり、島の山頂の神社へと続く。それほどの高さはないからあっという間だ。

メインの神社も含めて五つの社が祀られている。

さすがに樹が鬱蒼としているので風はほとんどない。神社の間を抜けると島の向こう側に降りる階段がある。降りたところが竜神岬だ。

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竜神岬には若い二人連れがいた。三河湾は強風の中にある。ここから右手に曲がると海辺沿いに島を廻る遊歩道があり、橋まで戻れる。

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島から眺めた蒲郡クラシックホテル。旧プリンスホテルである。銅葺きの屋根と楼閣がいい。昔ここの喫茶コーナーでコーヒーを飲んだら千円以上取られた記憶がある。今はいくらするか知らない。景色は良かった。

日本人と中国人

 中国人のあるブログがニュースで取り上げられていた。だいぶ変なのだが、多分それでおもしろがって取り上げられたのだろう。以下はその意見。

 日本人と中国人は外見が似ているが性格や考え方は異なる。日本人は何事も真面目でいい加減さがない。何事にも厳しいがユーモアがない。心が狭く、いつまでも人を恨む。弱いものに厳しく、強いものに巻かれる民族だ。

 日本人は、中国人のような仁徳がないので、仁者と言うことが出来ず、忍者というところだ。中国人は人を思いやる心を持っている。中国人は、憎しみは努力して除きさるべきもので、懺悔こそが憎しみを取り除く要素だと考えている。

 それなのに日本人は過去の罪を認めず、中国の日本に対する憎しみはいつか消滅する、と勘違いしている。

 これが大まかな主張の内容のようだ。

 日本人にいい加減さが少ない点は認めよう。そしてユーモアもいささか足りないかもしれない。だが真面目で他人を思いやる心があることは先日の東日本大震災のときの日本人の行動を見れば分かる。

 日本人の心は狭いかもしれないがいつまでも人を恨むことはない。そのような執着心は日本人からほど遠いものだ。中国人の憎しみは消滅しない、と言い切るのは語るに落ちる。

 世界の人々で中国人を仁者だと評価する国があるとは思えない。それに仁者は自らを仁者だ、などと決して言わない。

 ここで言われる忍者の意味が皆目分からないが、ただ韻を踏んだだけか。本人はうまいことを言ったつもりだろうが、何のことはない、日本人はとにかく謝れ、謝るという日本の努力がまずなければ憎しみ続けるぞ、という脅しらしい。そして謝ったら次には尖閣諸島を無条件に中国に贈呈し、中国に朝貢せよ、というところが本音ではないか。

 考えすぎだろうか。

 中国は、日本に対して、そして世界に対して何を妄想しているのだろうか。

2013年9月26日 (木)

豊川稲荷

130926_22犬みたいに見えるお狐様

 

思い立って豊川稲荷と蒲郡の散策に出かけた。

 

豊川稲荷には、だいぶ昔に正月の挨拶回りの途中で仕事仲間と来たことがあったが、ちらりとしか見ていない。だから本格的に訪れたのは初めてである。

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豊川駅前には狐が思い思いの格好で待っていた。

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豊川稲荷山門。ここは神社ではなく、寺、らしい。

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本堂の上空には昼の半月がかかっていた。空は快晴の青空。

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すばらしい庭(有名らしい)と回廊。

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平日なのに人出が多い。

 

豊川稲荷は豊川駅から歩いて五分ほどと近い。中は三十分も歩けば一通り見ることが出来る。お昼のためにいなり寿司でも買おうかと思ったら、少し早すぎて(十時頃)まだ売っていなかった。ここから引き返し、豊橋経由で蒲郡に向かう。

中国例外論

 韓国の新聞が「中国例外論を認める必要がある」という記事を掲載したことを、中国の環球時報が取り上げていた。

 韓国知識人の間では最近「中国解読法」が流行語になっているそうだ。中国は複雑で独自の世界観があり、海外の基準で結論を下すことは出来ないという。韓国では今まで西洋的な視点で中国を評価してきたが、中国は「違う」と言うことを認めなければならないという。

 まず中国は19世紀以来苦難を受けてきたことを理解しなければならない。「いじめられてきた」過去による心理的な傷があるのだ。

 韓国では最近中国人の思考方法で中国を理解し、受け止めようとする人が少なくないのだそうだ。

 出来れば日本に対してもそうしてもらいたいものだが中国に対してだけの思考方法らしい、残念。

中国もそんなことを言ってくれることが滅多にないから環球時報もわざわざ取り上げたのだろう。

 ただし、記事は「中国が強大だからといって」、低姿勢、弱腰に対応することは出来ないとしている。尊重に値する対象にも「例外」があることを中国に知らしめるべしと強調している。それこそ「強大で意欲ある国家」だ、といっているが、その「強大で意欲ある国家」というのは中国のことだろうか、それとも韓国のことだろうか、よく分からない。

 
 日本人は相手の立場に立って考えることが出来る人が多いと言われる。中国人にはそもそもそんな発想が見当たらないように見える。韓国人は・・・中国に対してだけはやれば出来るらしい。

養豚場でフカヒレ

 中国浙江省徐州市の養豚場で大量のフカヒレが見つかった。養豚場の場内には原料と設備、食品に使用が禁止されている化学薬品なども発見されている。

 もちろんこのフカヒレは人工的に作られたものだ。これはある加工業者を有害食品の製造の容疑で取調中にこの養豚場の存在が判明し、摘発されて分かったと言うことのようだ。

 この人工フカヒレは周辺地域や都心の市場などに卸され、高級ホテルなどでよく売れていたらしい。

 日本でも人口フカヒレや人工イクラなどがあるが、「人工」と明記されている。値段も全く違うから間違える人はいない。中国ではそれを本物として売るから利益も莫大になる。利益があれば違法業者が後を絶たず、しかも管理されていないから有害な物質が使用されることになる。

 「人工」であることを明らかにして、原料や添加物をきちんと管理すれば問題がなくなるはずだが・・・高く売れずに利益も取れない。

 中国の食品に対する不信と不安の闇は深い。実害は様々なアレルギーなどのかたちで子供たちに現れ、違法業者が得た利益よりもはるかに大きな損害を社会にもたらすことになるが、その因果関係はなかなか明確にたどることが出来ず、うやむやになることが多い。

 私から見れば韓国が騒ぐ放射能汚染よりも桁違いに実害が大きいように思える。ただし放射能汚染が存在しないなどと暴論をはくつもりはない。比較として持ち出したのであって、東京電力と民主党政権の責任は免れないところだ。

 災害は予測できない。想定を越えた災害の責任は問うことは出来ない。

 しかし災害が発生したあとの行動で防げたはずの二次災害については「するべきことを行ったかどうか」と言う点から責任者が責任を問われるのは当然のことである。

 その責任を「災害が予知できたか」という論点にすり替えることで免責を受ける判決が続いている。それでは責任者はそもそも存在する意味がないではないか。するべきことをするために責任者は存在し、その責任の下に責任を問うのは当たり前ではないか。その責任を負う、ということを担保することで、その地位と高額のお手当を戴いているのが責任者なのだから。

 責任を負わない責任者が多すぎる。日中戦争から太平洋戦争にかけての、責任を負わなかった恥ずべき責任者たちの姿がそれに重なる。やむを得ざるいきさつによってその責任を負うことになった、というのは責任者には許される言葉ではない。

 本題と違う方へ走りすぎたか。

 天気が良いので本日は日帰りでささやかな列車旅に出かける。

2013年9月25日 (水)

映画「パーフェクトブルー」1998年日本

 先日、筒井康隆原作の「パプリカ」を見て、その完成度の高さと才能に感心したので、同じ今敏監督の作品を見てみることにした。

 サイコスリラーアニメ映画とでも言おうか。

 かなりインパクトが強い。こういうのが苦手な人は無理して見ない方がいい。日本ではR-15指定だが、海外では18禁らしい。

 アイドルグループのひとり、霧越未麻(きりごえみま)は女優に転身すると宣言してグループを脱退する。熱狂的なファンの中にはそれが受け入れられないものもいる。

 女優として割り当てられる役には不本意なものが多い。女優として認められるまでは、と自分を殺して仕事を引き受けるのだが、レイプシーンのある役やヘアヌード写真を撮る仕事なども引き受けているうちに、次第に仕事をしている自分とアイドルのままの方が良かったと思う自分に気持ちが乖離し始める。

 しかも彼女は自分ではない誰かが自分の名でホームページを開いているのを知る。そこにはどういうわけか自分の行動が詳細に書かれている。そして押し殺している自分の気持ちまでそこにはあからさまに語られていた。

 現実に自分を騙っている誰かがいる、と思いながらも、もうひとりの自分の幻影におびえる主人公。

 そんなある日、彼女のまわりに殺人事件が発生する。

 次第に精神的に追い詰められていく主人公だが、さらに新たな殺人事件が発生する。

 映画を見ている観客にはサイコなファンの姿が明かされているのだが、その男が主人公の前に姿を現し始め、さらに現実に彼女の脅威として迫ったあと、突然新たなもうひとりの彼女が出現する。

 その現れ方は唐突で、物語の流れとつながらないのだが、それが逆にとても不気味だ。そこまで何となく解釈できた物語が違った様相を示すからだ。

 ストーリーとしてはそれなりの収まり方をして終わるが、私の気持ちはねじれたままで重い。

 ただのエンターテインメントにしてはしんどい映画だが、これが面白い、と思う人も多いだろう。

映画「愛しきソナ」2011年韓国・日本

 監督ヤン・ヨンヒ、出演ソナ、ヤン・ソンヒとその家族。

 監督のヤン・ヨンヒは在日コリアン二世の女性。この映画は、彼女の姪のソナを中心に描いたドキュメンタリーである。

 この映画は22日の深夜にWOWOWでヤン・ヨンヒ監督特集の三作品が放映されていたので録画した。その晩は雷と激しい雨が降った。そのひとつ、「ディア・ピョンヤン」は電波障害で画質不良、と表示されたがこの「愛しきソナ」は大丈夫だと思っていた。

 ところがこの映画も途中でノイズが入り始め、半分過ぎで突然録画が中断されていた。

 それなのになぜ取り上げるのか。半分過ぎまでしか見なくてもいい映画であることが分かったからだ。来月(10月)の28日に再放送があるので録画し直すつもりだ。

 監督のヤン・ヨンヒの両親は済州島の出身である。生活の向上を目指して(つまり食い詰めて)戦前に大阪(現在鶴橋に在住)へ移住。息子三人と末っ子のヤン・ヨンヒをもうける。息子三人は現在ピョンヤンに在住している。ヤン・ヨンヒ自身は東京在住。

 済州島出身者は韓国では差別を受けることが多い。そのために日本に移住した人も多い。済州島出身者は北朝鮮のシンパが多いのはそういう背景があり、ヤン・ヨンヒの両親も朝鮮総連の幹部として活動してきた歴史がある。

 済州島の血塗られた歴史(太平洋戦争終結後、虐殺された島民が当時の人口の一割とも二割とも言われる事件が起きた。死者数万、未だに総数が分からない)については21世紀になってようやく公にされだした。済州島出身者や在住者にコミュニストや北朝鮮シンパが多いことはそれが原因であり、また結果である。このことが分からないと、ヤン・ヨンヒの家族の状況が分かりにくいかもしれない。

 戦後、朝日新聞などが「理想の国」として北朝鮮を賛美した。ヤン・ヨンヒの三人の兄たちは日本では進学や就職の差別があることから、その夢の国、北朝鮮に渡ったのである。三人ともまだ十代であった。

 その長兄の娘、つまりヤン・ヨンヒの姪がソナなのだ。

 ソナが5歳の時からの映像がこの映画の主体である。ソナには兄がふたりいる。そのふたりの兄の母親は病死、ソナの実母は後妻である。

 ソナやその家族の映像はもちろんヤン・ヨンヒ自身が撮ったものだ。これは両親にピョンヤンの家族の姿を伝えるために撮影したプライベートなものだが、そこに普遍性があるのは才能のしからしめるところだろう。

 その後ソナには母の死という悲劇が襲う。その悲しみを乗り越え、家族が互いを支えながら生きていく、というところで映画は中断。

 続きは来月末に見ることになる。拙文で興味を持たれた方はご覧になってはいかが。淡々としたプライベート映像を通して、思想信条とは別の、人間の情の襞の奥が見える映画である。珍しい、北朝鮮の人々の生の暮らしも見ることが出来る。

 ヤン・ヨンヒは「ディア・ピョンヤン」という映画を公開してから北朝鮮への入国が出来なくなっている。だから現在はソナとも兄たちとも会うことが出来ない。

後悔先に立たず

 中国の60歳以上の高齢者に「年老いて最も後悔したこと」のアンケート調査を行った。

 第一位、75%が「若いときの努力が足りなかった」。
 第二位、70%が「職業の選択を誤った」。
 第三位、62%が「子供の教育に失敗した」。
 第四位、57%が「パートナーを大事に出来なかった」。

 後悔している内容はどんな時代や世代、国の人間にも共通したもののように見える。

 中国で60歳以上と言えば、20歳でもまだ改革開放の恩恵に浴していないひとが多い。教育も十分に受けられないような時代でもあった。そのために希望の仕事にも就けず、就職先での地位向上もままならなかった世代だ。そのために子供や連れ合いにいささか軽んじられる思いもしただろう。

 一見同じように見えて、実は中国の高齢者のこの後悔は案外深いものがあるのではないか。

 私自身は過ぎたことは悔やんでもどうにもならないから後悔するのは嫌いだし、意地でも後悔しないことにしてきた。それでもふっと気が抜けたときなどにうっかりと「あのときにこうしなかったら・・・」などと思うこともある。どうも気が弱くなっているのかもしれない。

  ふるさとへ回る六部は気の弱り

2013年9月24日 (火)

正義の名の下の犯罪

 靖国神社に不法侵入した男を逮捕したところ、引火性の液体やライターを所持していた。警察は靖国神社に放火する目的で侵入したと見て取調中。男は韓国のパスポートを所持していた。

 韓国メディアによると、韓国外務省関係者と面談した際、「日本が歴史を歪曲し、妄言を繰り返すので腹が立ち、火をつけようとした」と犯意を認めていたという。

 これが伝えられた中国のネットでは「よくやった」「中国人より韓国人の方が気概がある」などと称賛する声が寄せられている(もちろん非難する意見もあることはあるようだ)。

 このまま行けばいつか靖国神社は遠からず燃えてなくなるだろう、と物騒な予測をするものもあった。

 靖国神社や警備する警察はくれぐれも気をつけて欲しい。

 しかし反日という大義があれば犯罪行為も称賛される、というのは極めて危険なことだ。

 これをテロリズムという。テロリズムはアナーキスト、つまり無政府主義者の武器だ。テロが社会を不安に陥れ、ついには社会そのものを破壊してしまうことを承知しているのだろうか。国家が最も恐れるのがテロリズムであることは東西を問わない。

 今のところ韓国での称賛の声は届いていない。韓国政府はまさか犯人の引き渡しを日本に求めてくるようなことはないだろうと思うが、もし求めてきたら韓国は国家としてテロを容認する国と自ら認めることになる。そういえば安重根というテロリストが英雄とされている国だから、あり得ないことではないかもしれない。おそろしい・・・。

中国があるではないか

 韓国の全国経済人連合会が民間の経済専門家にアンケート調査をしたところ、回答者の90%以上が「韓国経済の低成長が深刻な状況だ」と答えたそうだ。

 専門家たちは、韓国が日本の「失われた20年」に匹敵する長期不況に陥る可能性が高い、と回答しており、その理由として、「消費・投資の不振」「出産率の低下と高齢化」をあげている。

 しかし韓国はGDP第三位の日本とは意図的に疎遠になる道を選んでいるものの、第一位のアメリカや第二位の中国との経済関係を強化している。

 特に中国では、日本が反日でダメージを受けた隙間にうまく入り込み、急激に貿易量を増やしているではないか。心配することはない。中国を頼ればいいではないか。韓国はチャイナ・プラス・ワンではなくてチャイナオンリーで行けばいいのだ。

 北米の低所得層や中南米などで圧倒的なシェアを誇っていた韓国は、いま急激に台頭する中国品との競合にさらされ始めている。うまく棲み分けできるだろうか。

 同盟でも結んで、せいぜい競合を回避する方途を探ることだ。

 ただしそうするとアメリカとの関係が悪化するし、中国は真義などあまり期待できないから、袖にされたときにはそのダメージは致命的かもしれない。

 でもそれが日本と決別し、中国を択んだ韓国の宿命の道ではないのか。

シルクロードに傾注

 シンガポールの新聞が「中国はシルクロードの復活に力を注いでいる」と報じた。

 習近平国家主席がカザフスタンなど中央アジアを頻繁に訪問して結びつきを強化しようとしていることを取り上げたものだ。

 習近平はカザフスタンでの講演で「シルクロード経済帯建設構想」を提唱した。これは中央アジアとの貿易を拡大するばかりではなく、アジアとヨーロッパとの貿易ルートを再建しようという狙いもある。

 さらに南シナ海の各国との軋轢により、万一の時のルートを確保する狙いもあるだろう。シルクロード貿易ルートが確保されれば、南シナ海やマラッカ海峡ルートの依存を減らすことになると専門家は言う。

 またアメリカや日本が東南アジアとの結びつきを強めていることに対して中央アジアとの結びつきを強めてバランスをとることも考えているだろう。

 しかし元の時代や清の時代に持っていた覇権の復活が根底に無いとは言えないのではないか。さらに今中国の火薬庫と言われる新疆ウイグル自治区の治安強化につながることが最も期待しているところだろう。

 新疆ウイグル自治区では、情報が漏れているだけでも頻繁に武力闘争事件が発生している。イスラム教を強引に押さえ込もうとしてテロの頻発を招いているとも言われる。抵抗と言えば非武装で、抗議は焼身自殺くらいのチベットと異なり、新疆ウイグル自治区では武器の供給も行われて武装闘争になっているようだ。時間が出来たらゆっくりとシルクロードを旅したいと思っていたのにとても残念なことだ。

 考えてみれば中国という国は、日本との尖閣問題、東南アジア各国との南シナ海問題、インドのカシミール地区をはじめとした領土問題、そしてチベット問題、新疆ウイグル自治区の独立運動問題など、まわり中に問題を抱えているのだ。

 相手替われど主替わらず、という。中国自身に問題がある、と誰でも気がつくことなのだが、中国にはかけらもその自覚がない。その自覚がないことが最も問題だ。

 不満と不信を抱えながら世界は「経済」という一点で中国との関係を維持している。「経済」というのはつまり「金」ということだ。

 かつて日本はその「金」で世界の中での自分の立ち位置を確保したつもりでいた。しかし「金」を生み出す力が衰えたとたん、どんどんその地位を失っていった。

 東日本大震災という未曾有の災害のときの日本人の行動を見て世界が日本を見直した、というのは皮肉なことである。

 中国は、世界はもちろん自国の国民も、ただ「金」でつなぎ止めようとしている。中国経済に影が差している、という意見もささやかれるようになった今、もし中国経済の成長が止まったらどういうことになるだろうか。高みの見物をしたいところだが、そこからの津波は世界に波及し、日本にも甚大な影響が及ぶ。あまり人ごととばかり言っていられない。

2013年9月23日 (月)

ドラマ「今朝の秋」1987年NHK

 脚本・山田太一、音楽・武満徹、出演・笠智衆、杉浦直樹、杉村春子、倍賞美津子、樹木希林、加藤嘉。

 今朝NHKBSで放映したこのドラマをいま見終わった。

 1987年にリアルタイムで見たときと違い(思えばそのときは37歳だった)、いまは父親の笠智衆に年齢が近づいているからそのインパクトはずっと強かった。

 昨日お勧めしたからすでに見たか、これから録画したものを見るひとだけは分かることだけれど、父親と息子の関係というのはまさにこんなものだと思う。あえて内容は語るのをやめよう。

 私には笠智衆が死んだ父親に見えてしかたがなかった。

 傑作だと思う。本当にすばらしいドラマだと思う。今度、息子や娘と一緒に見てみたい。分かるかなあ。

 ところで三部作のもう一つ、「冬構え」の放送がいつになるか分からないから、NHKオンデマンドで購入しようかな。それともリクエストで放送を待つことにしようか。

布施克彦「男なら、ひとり旅。」(PHP新書)

 再読。だから飛ばし読みをしようと読み始めたのだが、結局全文を読んでしまった。

 わたしも著者同様、友人と旅に行くことがあるものの、基本的にひとり旅である。ひとり旅の良さはもちろん人に気を遣うことがない自由気ままさにある。そして私には連れ合いとの旅というのはさいわい、無い。

 この本の最後の方に書かれているけれど、そんな気ままなひとり旅は、楽しい、というより寂しい。著者はだからひとり旅を長く続けるのは苦しいようなことを言っている。二、三泊程度の旅がひとり旅に適してると言うが、それは著者は引退した、と言いながらもそれなりに不定期の仕事を抱えているからだろう。

 わたしもひとり旅は寂しいと思う。でも金さえあれば何日でもひとり旅が続けられる。長い旅は持参する本や着替えを始め、荷物が多くなるのである程度限度があると言うだけだ。里心などあまりつかない。

 強がりではないけれど、私にとって寂しさは苦痛よりも快感だ。日常生活で鈍磨した精神が、旅の寂しさによってちょっとだけ鋭敏になるのが心地いい。三界に家無し、というのは女性ではなく、私自身の実感だ。

 帰る港を持たない船か。(女は港、男は船よ!)

 著者はひとり旅にテーマを持つよう勧める。その通りなのだろうけれど、今更面倒くさい。一期一会の出会いがあったりなかったり(あれば良し、無ければそれも良し)、それだけで結構だ。

 ただ、人に「ここへ行ってきた」と自慢するためだけに行く旅だけはあまりしたくない。ブログの写真も、だから見たままを写し撮ったものばかりだ。特に著者に賛同するのは、観光地でも何でもない、知らない街を歩いてみたい。

 傍観者として通り過ぎる異邦人、祭りに決して参加できない存在の哀しみこそ旅人の宿命であり、それこそが私の(ちょっと屈折した)楽しみなのだ。

反省しなくては・・・

 小学生のとき、講堂のひな壇横の壁に「我日に三省す」という額がかかっていた。生意気だったから、済んだことを今更考えてもしようがないではないか、反省など決してするものか、と心に思っていた。反省と後悔を間違えていたのだ。

 反省は、過去ではなく、未来の自分のために必要なものらしい、と気がついたのはだいぶ後になってからだった。 

 毎日ブログを書き散らしているのに、他の人のブログをあまり見ていない。参考にするために最近時々まとめて拝見している。

 ユニークな文章や美しい写真を目にする。本当にたくさんの人がそれぞれに何かを表現したり語りかけたり訴えたりしている。

 残念ながら肌合いの合わないものも多い。多分そう感じるようなものを書いている人は私のブログを見てもそう思うだろう。お互い様だ。

 物理的にそんなに丁寧に、しかも数多く見ることは不可能だからたまたま出会って気に入ったものに「いいね!」を入れさせてもらい、ときにはお気に入りにリストアップして継続的に見ることもある。

 意見が同じであることにはこだわらない。ずいぶん違っていても「へえ、こんな考え方もあるのか」とか「こんな話があるのか」と思えれば喜びだ。特にたくまざるユーモアが感じられるものに特に惹かれる。それが不思議なことに女性のものに多い。今は女性の方がセンスがいい人が多いのかもしれない。

 神がかり的なものや一方的なもの、絵文字だらけのものはちょっと敬遠する。

 ペットの写真が多い。子供の写真ではプライバシーの公開になることを心配することもあるけれど、ペットなら心配いらないからだろうか。皆手放しの愛情が感じられてほほえましい。でも似たようなのが多くてちょっと食傷する。

 力が入っているのは分かるが、長文過ぎるのも善し悪しだ。もう少し文章を切り詰めてまとめるとずっと面白いはずなのに、と思うものが多い。ただし最近発見した「CZT」さんのブログのように、内容の濃度が高くてじっくり読むことを楽しめるようなものもあるから油断がならない。

 自分のことを棚に上げてえらそうに書いているわけではない。他の人のブログを見て、自分が独りよがりになっているのではないか、「反省」しなければ、と感じているところなのだ。

2013年9月22日 (日)

車は必需品か?

 車無しの生活が2ヶ月続いた(半年くらい続いたような気がする)。車か無ければ生活できないか?と聞かれれば、別に無しでも生活は出来る、と答えるしかない。

 でも旅心は常にうずいているので、テレビの旅番組や、雑誌を眺めていると「あっここに行きたい、ここで写真を撮ってきたい」とたびたび思うのだが、「そうか、車が無いのか」と思い直すことになる。列車旅で遠出をすると金も時間もかかる。思ったよりかかる。それに常に時間の制約がある。

 これから少し涼しくなってくると、釣りにも行きたい。車が無いから行けない、と思うと無性に生きたい。

 ときには親元へ行って母親のリハビリの手伝いもしたいのだが、車が無ければリハビリの場所へ乗せて行くことも出来ない。荷物を提げて新幹線に乗るのもおっくうだ。

 なんだか買うための言い訳ばかりしてるみたいだ。

 ある人物から「車なんて無くても大丈夫よ!」と言い切られたのが何となく腹に据えかねて、ついに車を買うことにした。

 息子から「少し控えたら」と言われたので自分では3ヶ月くらい車無しの生活をすることに決めていた。内心決めていた車絶ちの期限の10月末が過ぎるのを機に車を買うのだ。

 車種は前に乗っていたのと同じ。もちろんマツダ車である。ディーラーに聞くとさらに燃費が良くなっているという。今度はカーナビをつける。だから道に迷ったり、無駄な走行が減るから二重に効率が上がるだろう、などと今はそのことばかり考えている(本当は無駄に走るのが嫌いではないのだけれど)。

 ただし生活はかなりこれから締めていかなければならない。本の購入も最小限にして、読んでいない本や再読したい本をせっせと読むことにしよう。それでも読み切れないほど積んであるし。

 幸い食事は減量のためにかなり質素なものに慣れてきた。酒も減らせば健康のためにもいいから幸いだ。よーし、がんばるぞ。

 車が来たら一度実家に試運転で走ってみよう。そして11月には兄貴分の人と遠出をする約束もした。楽しみだなあ。

「今朝の秋」

 明日午前9時からNHKBSでテレビドラマ「今朝の秋」が放映される。1987年のドラマだけれど、忘れられないドラマの一つだ。脚本は山田太一。

 山田太一の三部作といわれる「ながらえば」(先日放映されたので紹介した)「冬構え」「今朝の秋」の一つだ。すべて主演は笠智衆。

 「今朝の秋」のもうひとりの主演は杉浦直樹。

 画質は昔のドラマだからそれなりだが、その内容は一生記憶に残るものとなるはずだ。是非直接見るか、少なくとも録画することをお勧めしたい。

 私がこの三部作で最も気に入っているのは「冬構え」だ。このドラマで、寝たきりの小沢栄太郎の存在感に圧倒された。すでに放映されてしまったのだろうか。もしこれからなら絶対に見逃さないようにしたい。ビデオからDVDに落としたものを持ってはいるのだが。

岡崎武志「蔵書の苦しみ」(光文社新書)

 当たり前のことだが本は読むためにある。そして本を読むには時間がかかる。購入した本とそれを読了するのにかかる時間を考えたとき、物理的にすべてが読み切れないことが明らかなのにさらに本を買い続けるという、越えてはならない一線がある。

 実際には今ある本にさらにこれからも買い足していくのだし、残してある本を再読三読するのだからその越えてはならない一線は思ったよりずっと手前にある。

 この本に取り上げられている著者自身を含めて、その一線の越え方の尋常でない人々の想像を絶する本との格闘の物語は、本好きでちょっとだけ一線を越えているわたしなどにとって、涙無くして読めないが、そんな一線を感じたこともない人にとっては笑い話でしかないだろう。

 つまり本に狂っている人の話はどんな人にも面白い。

 著者は自分の蔵書2万冊、と一口に言うが、どうもそれよりはるかに多そうだ。あふれかえって数えようがないのだ。蔵書数では桁違いだった井上ひさしが死んだあと蔵書を整理したら13万冊あったという。地方大学の図書館の蔵書数より多いだろう。谷沢栄一は阪神淡路大地震のときにすべての本棚が倒れ、傾き、棚の本が崩れて茫然自失、それを自嘲的に文章にしていた。この人の蔵書数も想像を絶するものがあった。

 著者は「蔵書の苦しみ」と言いながらいかにもうれしそうにその悩みを語っている。ある意味では自慢しているのだが、これだけのエネルギーを一つのものに注ぎ込んでいるのは自慢されても仕方が無いと思う。

 自分ごとだが、私が最も数多く持っていたときは7000冊を超えていた。古本屋などへ処分することを繰り返して今はようやく半分以下になった。それでもすべての本を本棚に並べることは不可能だ。本棚には奥と手前の二段に本を入れているから奥に入れてある本は書名が分からない。あるはずの本を探すとき、手前の本を引き出さなければならない。

 その本棚の様子を写真に撮ろうと思ったけれど、あまりに雑然としているので恥ずかしくなり、やめた。

 再読に耐える本を500冊、というのが理想の蔵書数だという。まことにそう思うのだが・・・。

 電子書籍など思いもよらない。多分死ぬまで利用しないだろう。内容ではなく、本そのものに淫しているのかもしれない。

女性のプライド

0403525沙州(敦煌)市場

 中国のある男性が家族に紹介された女性とお見合いをした。

 ふたりはレストランで会食、彼は当然勘定を支払うつもりでいたところ、女性は「ここの勘定は私が持ちます」といい、彼から伝票を奪い取るようにしてさっさと支払いをした。

 中国ではこれが話題になる。

 メディアが、ホワイトカラーの経済的にゆとりのある独身女性にインタビューしたところ、6割以上の女性が、「デートで食事したとき、食事代を持ちたいと思う」と答えているそうだ。これは従来の習慣となっている「男性が支払うのが当たり前」という考えを否定するものだ。

 中国の女性は、自分が勘定を払うことは男性のプライドを損なう、と従来は考えてきたが、「独立心と自主性」が芽生えた女性がその習慣を破ろうとしているのだと専門家は解析している。

 そして男性は、女性が支払ったからといって決して卑屈にならず、女性の自立を尊重すべきだ、と付け加えている。

 ところで冒頭の男女はその後デートを重ねているのだという。この男性は女性を尊重しているのだろう。

 私などは女性が伝票を奪うようにして支払うというのは、このお見合いはこれで打ち切りにしましょう、という意思表示かと思った。相手に払ってもらうことの精神的負担を感じたくないからだ、と思うではないか。

 このような場合、日本なら割り勘、という手がある。ところが中国ではこの割り勘というのはほとんどしない。割り勘こそ最も相手を見下す支払い方法と感じている節がある。不思議な思考方法だが、中国人相手には注意が必要だ。もちろん日本に暮らしているような中国人はよく分かっているだろうけれど。

 そういえば以前敦煌に子供ふたりと旅行したとき、子供が世話になるからとガイドの女性に少し余分に包んでお金を手渡したところ、なかなか受け取ろうとしない。ようやく受け取ったあと、彼女にごちそうになることになり、結果的に手渡したものをほとんど返されてしまった。確かに彼女にはプライドをはっきりと感じた。シャイだけれど、きびきびした感じのいい女性だった。(先頭の敦煌の市場の門での写真・右端がガイドの女性、次が娘のドン姫、そして息子)。

世界ギネス級

 四川省成都市で麻雀大会が開かれ、2380人が同時に麻雀を打った。

 5月から予選が始まり、延べ7万人が参加してきたが、9月19日に勝ち上がってきた人たちによる本大会が開かれたという。

 この2380人が同時に打つ状況を「これぞ世界ギネス級!」と新聞は伝えている。

 多分ギネスの人を呼べば間違いなく認定されるだろう。

 先日「数ではかなわない」という題のブログで、2万人が同時に足湯につかり、ギネスに認定されたことを取り上げた。

 人数の多さで勝負する記録を登録し続ければ中国にかなうところがあるわけがない。ことごとく数の多さを競うものは中国が席巻するだろう。中国の中の競争しかなくなれば、誰もそんなギネス記録に見向きもしなくなっていくだろう。

 中国人が、世界一数が多いことがすでにギネス級なのだ。

2013年9月21日 (土)

明窓浄机とは行かないが

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いま岡崎武志「蔵書の苦しみ」(光文社新書)を読んでいる。本は整理し切れていないであふれているので、机の上だけ記念に撮影した。前のカーテンを開ければ窓の向こうがベランダなので、昼間は明るいが、今は夜だ。たいてい本は机ではなく、転がって読む。

このパソコンでブログを書く。DELLの17インチなので見やすい。壁紙は木になったままのドラゴンフルーツ。

本を読み終わったら蔵書の話しを含めて明日ブログを書くつもりだ。

「休むことなく」日本を「騒がす」!

 アメリカ国防総省によると、ここ数年の中国の無人機研究開発ペースは世界一だという。

 イギリスのタイムズ紙は東シナ海上空8000メートルを40時間飛行できる能力を持つ無人機が中国で次々に生産されていると報道した。

 この無人機の目的は極めて安価に、東シナ海に「休むことなく日本を騒がす」ことだとタイムズが報じたことを、環球時報が引用して掲載した。

 「休むことなく騒がしい」のは日本にとってとんでもない迷惑だ。日本に撃墜されることを心から期待している軍部が行っていることなのだが、こんな馬鹿なことをする国が国連の常任理事国だというのも情けない話しだ。これで日本の過去の行動を批判する、というのも自分勝手に過ぎないか。

 中国は過去の歴史から日本の行動を学びすぎて、その過ちまで模倣し始めている。もしや中国は、実は日本にあこがれているのかもしれない。

しないのか出来ないのか

 ジェトロ(日本貿易振興機構)が発表した報告を元に日本企業が「チャイナ・プラス・ワン」を進めていることを環球時報が伝えた。

 90年代以降、日本はその投資の中心を中国に移して来たが、人件費の値上がりや尖閣問題の影響などのリスクが顕在化したことにより、中国への投資が減少化している、としている。

 しかし日本にとって中国は依然として最大の貿易相手国であることは変わりなく、日中韓のFTAの締結への交渉も進められている。日本政府関係者も「日本企業のこうした動きはリスク分散のためで、中国からの撤退を意味するものではない」と語っていることを引用して、問題視する必要が無いと論評している。

 2013年の上半期、日本の東南アジアへの投資は約103億ドル、前年同期比で55%の増加、中国への投資は49億ドルあまり、31%の減少であった。これは歴然とした投資先の変更を意味する。

 中国進出企業の本音はチャイナ・プラス・ワンではなく、チャイナ以外・プラス・中国ぐらいにしたいところも多いだろう。中小企業などはリスクにくわえて人件費の増加が負担で、もう中国から撤退したいというところも多いと聞く。

 しかし中国は撤退する企業に対して過酷な要求をする。採算が合わないから撤退する工場に対し、工場従業員に対して莫大な補償を求め、工場はもちろん、設備機器すべての持ち出しを禁じる。

 だから中国に進出した日本企業、特に中小企業は中国から撤退しないのではなく、撤退できない、というのが本当のところではないかと思う。

序列に異変?

 中国のトップの序列に異変が起きているかもしれない、という情報がもたらされている。

 共産党のトップのほとんどが参列するような重要人物の葬儀などでの席次から推測されているという。

 昨年すべての公職を引退した胡錦濤は5月までは習近平たち現役幹部7人、さらに江沢民に次いで序列9位であった。ところが最近、習近平に次いで序列二位の席次に座っていることが観測されている。しかも温家宝前首相も李克強現首相に次いで第四位に列席していた。

 専門家やジャーナリストは胡錦濤が勢力を盛り返してきていることが明らかになった、と見ている。それは同時に習近平の立場が弱くなっていることの表れだ、としている。

 たまたまなのか(そんなことは中国では考えにくい)どうか、分からないが、気になる情報だ。

 習近平が勢力を盛り返そうとすれば、ますます軍事的な行動に傾斜するおそれが高いような気がするからだ。

2013年9月20日 (金)

大沢在昌「海と月の迷路」(毎日新聞社)

 毎日新聞に連載していた小説の単行本である。大沢在昌と言えば新宿鮫をはじめとしてハードボイルド色の強いものが多い。しかしこの小説はハードボイルドではない。

 舞台はN県H島とされているが、明らかに長崎県の端島、通称軍艦島がモデルである。今は無人島だが、この物語の時代には炭鉱労働者とその家族など五千人の人間が居住していた。

 主人公はこの島の交番に新たに赴任した若い警察官である。冒頭でこの若い警官が警察学校の校長として定年を迎え、昔話として語り出したある事件の話、として物語が始められる。

 島には島のルールがあり、警察官といえどもそれを無視できない。すでに島に赴任している、先輩警官は夫婦もので、その島のルールに従って平和に暮らしている。島は当時世界一の人口密度と言われていた。他人の目から逃れることが出来ないし、犯罪を犯しても港を封鎖されれば島全体が密室となって逃れることは不可能というシチュエーションにある。

 主人公がようやく島の地理や人々の暮らしについて把握し始めた頃、中学三年生の女子中学生の溺死体が発見される。もうひとりの先輩巡査は事故として処理しようとする。主人公は何となく不審を感ずるものの事件としての証拠がなくそれに従う。

 やがてその不審がぬぐいきれないものになり、密かに調査を進めるうちに次第にいろいろな事実が明らかになってくる。そして実は8年前にも同様の少女の溺死事件が起こっていたことが判明する。

 若い一巡査に出来ることは限られている。しかも島は閉鎖社会である。主人公が島のルールにはまらない行動を起こしている、と見られて次第に彼は孤立していく。しかも島には鉱夫と組夫とがいがみ合う構図がある。次第にそのいがみ合いがエスカレートする気配が高まる。

 無力に近い主人公が真摯に事件に向き合う中、次第に彼に積極的に協力するもの、仕方なく協力するものが現れる。そして犯人とおぼしき者が絞られていくのだが・・・。

 560頁という大部の本だが、読み出したらやめられなくなり、一気に読了した。もちろんこの事件は軍艦島に起こった事件などが下地にあるわけではない。100%フィクションである、と著者は後書きに記している。ただあの軍艦島のイメージは、それを知るものにとってこのような事件の背景として、まことにふさわしいような気がしてしまう。
 
 文句なしに面白い。お勧めだ。

懐かしい

 NHKBSで「五つの赤い風船」結成四十周年記念コンサート(2007年)が放映された。大好きなフォークグループだったのでとても懐かしい。

 音楽を論じるほど音楽に詳しくない。だからただ好き、嫌いしか言うことが出来ない。

 このグループは当時のフォークブームの草分け的存在だったと記憶している。このあとに吉田拓郎や泉谷しげる、高田渡たちをはじめ多くのフォークシンガーやグループが輩出した。

 ちょうどそのブームの時代が私の学生時代にあたるからその歌声や歌詞が身体に染みついている。いちばん感度のいい時期だったからだ。

 「五つの赤い風船」の歌う歌は全般にペシミスティックなものが多い。日本がまさに右肩上がりの時代だったのにペシミスティックな歌が歌われるのは多分漠然とした将来への不安、そして物質主義の時代への批判だったのだろう。

 昔より歌がうまくなっている、と感じたのは録音技術、音響効果の向上だけが理由ではないようだ。ヴォーカルのメインはもちろん西岡たかしだが、女性ヴォーカルの、女性にしてはやや低い声の藤原秀子は相変わらずとても魅力的だ。

 この番組に運良く気がついて、見ることが出来てうれしかった。

譲歩しない

 中国は譲歩しない。信念があれば理不尽なことでも譲歩しない。理不尽であることを承知していても譲歩しない。

 安徽省の亳州市で二台の車が道路をふさぐという事件があった。細い道ながら、どちらかが譲ればすれ違うことの出来る道で、向かい合わせに二台の車が向き合ったまま延々と言い争いを続けた。

 ついには互いの車に鍵をかけて運転手は自宅に帰ってしまったという。

 翌日再び現れたふたりはさらに激しい言い争いを始めた。収拾がつかず、双方の家族と地域住民が間に入り、一日半後についに車を移動させることが出来た。それぞれの運転手はともに女性!

 周りの迷惑はもちろんのこと、自分たちも時間とエネルギーを空費した。そのことと相手の譲歩を勝ち取ることの価値は考えるまでもなく釣り合わないはずだが、中国人は譲歩しない。

2013年9月19日 (木)

曾野綾子「人間にとって成熟とは何か」(幻冬舎新書)

 帯には40万部突破、とある。

 曾野綾子はいつでも曾野綾子だから、書いてある意見や主張は基本的に同じである。それなのに本が替わるといつも新たな発見がある。特にこの本では、当然のこととして知っているつもりのことを少し深いレベルで感じさせてくれる記述にたくさん出会った気がする。

 引用して紹介したいが、読んでもらう方がいい。何も難しいことが書いているわけではないからとても読みやすい。読みやすいから見過ごしてしまいそうなところに深い洞察がある。もったいないから丁寧に読んで欲しい。 

 生きがいを伴う老化を「成熟」として前向きにとらえるために拳々服膺すべき意見があふれている。

 といいながら本文の流れとは全く異質の部分だけ、あえてひとつだけ引用する。

「わたし、浜田雅功は東京招致できたら、開会式のどこかのシーンで必ず見切れます。YAHOO!®JAPAN ニッポンのために、インターネットが出来ることを。GREE あなたの公約も募集中。www.ko-yaku2020.jp」(この本からそのまま引用、誤字ではありません)。

 これは2013年1月5日付の読売新聞にオリンピック誘致に関して全紙(紙面まるまる一頁)を使って出された広告だという。

 これを曾野綾子は意味のさっぱり分からない広告として引用し、周りの人たちに聞き回って分かったことを元に論評している。

 わたしもこの広告の意味が皆目分からない。「見切れます」とはなんだろう?曾野綾子だけではなく、わたしも分からない。

 しかも広告なのだから誰でも知っていること、という前提なのだろうか。

 ここから最近の広告表現の異様さが見えてくる、という言及には全面的に賛同する。

 表現が受け手への贈与である、というのは内田樹先生の本を読んで教えてもらったことだが、曾野綾子も同様の視点からこの広告を論じていて興味深い。

 曾野綾子がついにこの広告の意味が理解できなかったようにわたしも未だに分からない。そして知りたいとも思わない。

 特に不快に(曾野綾子に、ではなく、引用されたこの広告に、である。念のため)気持ちに引っかかったことなので取り上げた。

訪問目的の深読み

 韓国が日本の水産物の輸入禁止措置をとったことが、私には韓国国民に放射能汚染に対しての過剰な不安を与えているように見えるのだが、日本としてもこの禁輸措置は見過ごしに出来ないので、水産庁の幹部が韓国を訪問して日本の放射能汚染対策と輸出品の管理体制について説明をして禁輸措置を解除するよう求めた。

 これとは別に、日本の民主党も大畠幹事長が韓国を訪問することを明らかにしている。当初岡田代表が行くと聞いていたが替わったらしい。

 これに対して韓国メディアは一斉に、「日本政府に続き日本野党まで韓国政府に輸入規制を解除するよう圧迫している」と伝えた。

 深読みというか妄想というかここまで来ると病的だ。このように何でも圧力だ、と断じていると、もし規制を解除すると、屈服だ、という反応しか出来なくなる。自らの行動を自ら縛ることになるのに気がつかないのだろうか。

バレバレ

 韓国のソウル警察は偽造した日本国債を韓国国内に持ち込んで売りさばこうとした男ふたりを偽造有価証券行使容疑で逮捕した。

 これを報じた記事によると、男たちは64歳の男性に額面が5000億円の偽造国債三枚を10億ウオン(約9200万円)で売りつけようとした。男たちは「国債は韓国大統領府と在韓日本大使館に確認してあるから心配いらない」とだまそうとしたが、男性から相談を受けた知人が警察に通報して発覚したという。

 しかし額面5000億円の国債三枚と言えば1兆5000億円である。1億円の額面の国債を8000万円くらいで売るのなら、もしかして、と信用したかもしれないのにあまりの桁違いさで、これではバレバレだ。

 1兆5000億円を9200万円で売るといっておかしいと思いながらもだまされそうになるというのも凄まじい。知人が冷静で良かった。

 記事には逮捕されたふたりがどこの国の人間か書いていないので多分韓国人なのだろう。押収された偽造国債は200兆円分に上るそうだ!

 日本の国家の負債総額の五分の一に当たる途方もない金額だ。もし犯人が日本人だったら韓国の裁判所は正義の名の下に額面どおりの金額の賠償請求を日本政府にしてくるだろうか。近頃の常軌を逸したいくつかの判決を見ていると、絶対無いと言えないところが恐ろしい。

白山長滝神社

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これが乗ってきた長良川鉄道の列車。電車ではない。気動車だろう。ご覧の通り一輌編成(編成してないけど)。左にちらりと見えるホームが白山長滝駅。

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無人駅。長良川鉄道の駅の多くが無人駅だ。もちろん改札も切符売り場もない。

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白山長滝神社は白山信仰の白山神社の中心的な神社のひとつ。ここには長滝白山神社と天台宗の長龍寺が同一境内にある。明治時代の神仏分離により分けられたようだ。写真は長龍寺。あとでここの堂守をしていた、という人に駅で出会った。自分のときはいつでも堂内に入れるようにしていたのに今管理している人は閉めたままにしているとのこと。それが不満のようであった。夫人が病気で亡くなり、引退したらしい。

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神社の拝殿。とても大きくて天井も高い。これについては別に記す。この後ろに本殿がある。

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白山長滝神社の本殿。

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拝殿内部で天井を見上げる。高さは5メートル以上あるのではないか。1月6日の「延年祭り」には天井から下げられた花飾りを男たちが積み重なるようにして上によじ登ったものがその花飾りを引きずり落とし、皆でそれを奪い合う。テレビでもたびたび取り上げられていたから見たことのある人もいるだろう。これでは怪我をするものもでるだろう。本当に高い。

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参道にはすすきが輝いていた。そういえば今日は仲秋の月だ。晴天らしいから久しぶりに団子でも買って花見でもしよう。

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再び長良川鉄道に乗って帰路につく。田には黄金の稲穂。点在している曼珠沙華の花が美しい。

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途中の駅のホームで円空仏が見送ってくれた。そう、ここは円空のふるさとでもある。

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長良川にかかった梁(やな)。長良川は鮎でも有名。もう少し下流では多くの釣り人が腰まで川に入って長い竿を振っていた。

 

これにて長良川の旅はおしまい。こんな小さな旅でも旅はいいなあ。

2013年9月18日 (水)

長良川鉄道車窓風景

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美濃市駅から長良川鉄道に乗ったらごらんのように座れないほど混んでいる。第三セクターの路線が平日なのに混んでいるのはまことにけっこうなことである。多分郡上八幡あたりですいて座れるだろう。

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車窓に見える長良川の景色である。

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車両の天井には提灯がぶら下がっている。岐阜県は岐阜提灯の産地。そしてその紙は多分美濃紙だ。

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思った通り、郡上八幡を過ぎたあたりから乗客はどんどん減って、最後はご覧の通り。

 

終点の北濃駅まで行くつもりだったが、予定を変更してひとつ手前の白山長滝駅で降りることにした。

 

長良川鉄道はもともと越美南線というJRの線として計画された。福井から来る九頭竜からの越美北線とつながるはずであったが、越美北線は九頭竜駅まで、越美南線は北濃までで、福井と岐阜はつながることなく終わってしまった。

鯖、大好き

 鯖が魚の中でいちばんおいしいと思っている。

 近くのスーパーに買い物に行ったら、なんと真鯖の生の切り身、それも厚くて幅広の大鯖の切り身があった。ずいぶん久しぶりにこんな大きな切り身を見た。

 早速買って味噌煮にする。味噌煮といっても味噌で煮るのではない。醤油と砂糖で煮て、味噌で臭みを消すのだ。さらにショウガを入れるとなおよろしい。そこで思いついた。新生姜の酢漬けの食べ残しがある。そこでその酢漬けの生姜と、つけてあった酢を煮汁に加えてみた。

 いける。鯖は柔らかく煮え、臭みもなく、思った以上に美味である。鯖の皮が黄金色に輝く。この皮の味は豚の角煮の上を行くうまさだ。

 幸せだ。

美濃市

1309_38長良川鉄道美濃市駅

 

長良川沿いに車で走るのが大好きで、何度も通っているのだが、今回は車がないので列車旅。美濃市駅を歩いたのは初めてである。美濃市は「うだつ」の町並みが残っていることで有名。そして古くからの紙の産地である。美濃市駅を降りて振り返り、撮った写真がこれである。

 

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こちらは旧名鉄美濃駅。名鉄は紙の街・美濃から岐阜まで通じていたが、昭和40年代に廃線になってしまったそうだ。一緒に降りたおじさんが「30キロ足らずの距離を一時間半くらいかけてのんびり走っていたものだ」と教えてくれた。

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うだつのある町並み。

 

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こちらも同じ。

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この看板が気になり、帰りに寄ろうと思ったのだけれど、列車の時間が迫って寄れず。どんな靴下なのだろう、気になる。

 

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美濃市は城下町でもある。城跡は小倉公園となっている。後ろの山の上に天守閣らしきものが建てられているのだが、とても時間がない。何せ次の電車に乗りそびれるとさらに一時間待たなければならない。大慌てで駅まで引き返した。

 

ガイドブックには美濃市駅から小倉公園まで15分、となっていたが、とてもとても15分で歩くのは無理だ。

 

長良川鉄道は美濃太田駅から北濃駅まで約二時間を一輌で走る。美濃市駅は美濃太田駅から30分程度。美濃市を過ぎると長良川沿いに列車は走る。

南水北調

 南水北調とは水の不足している中国北部に水の豊かな中国南部の水を供給して水不足を補うプロジェクトのことである。

 北京市は長江から水を引くめどが立ち、来年10月からその水の使用が可能になる、と発表し、浄水施設や汚水処理施設を内外メディアに公開した。これにより危機的状況だった北京市の生活用水500万人分が確保されるという。

 中国で最も心配されている資源が水だと言われる。水は今後世界的に貴重な資源となりそうで、それが原因の紛争も強く懸念されている。中国はあれほどの大河を持ちながら生活用水の確保に不安を抱えている。

 中国の大都市のホテルでは水洗トイレの水量が絞られているので、日本にいるときの感覚で大量のトイレットペーパーを流すとたちまち詰まる。今はだいぶ良くなったがむかしはトイレットペーパーもごわごわで日本のように水で簡単に溶解しないからなおさらだった。トイレが詰まったときの恐怖はわたしも体験したのでよく分かる。

 その貴重な水を中国は汚し放題に汚してきた。今たくさんあるところから足りないところへ供給するのはやむを得ざる措置であろう。しかしそれが水の循環全体のことをしっかり想定しているとはとても思えない。この弥縫策のくりかえしが将来どのようなツケになって返ってくるのか、人ごとながらいささか心配している。  

 本日は長良川沿いに美濃から長良川鉄道の北の端・北濃まで出かけようと思う。少し散策して写真でも撮ってこよう。

2013年9月17日 (火)

鈴木譲仁「ルポ『中国製品』の闇」(集英社新書)

 著者は「『猛毒大国』中国を行く」(新潮新書)・未読、を上梓している。だからこの本も中国製品全体の品質問題について書いているのかと思ったら、ほとんどが、中国から雑貨扱いで輸入されている「義歯」についての問題点のルポであった。もちろん店頭でざっと中身を見ているので承知して購入している。

 そして、中国の問題はすでに周知のことであるけれど、その実態を承知しながら、日本側が危険な「義歯」を意図的に規制せずに放置している実態をこそ問題として暴いている。

 本一冊(薄いし、ページ数もしれているとはいえ)を費やして詳細にルポしているのだから文章には力が入っている。ちょっと入りすぎだが、しかし考えてみればこれは著者も言っているように氷山の一角であり、この事実と同様に国民の健康などいささかも考慮せずに規制の穴があちこちにあるかもしれない、と気づかせてくれる。

 この本がきっかけとなってこの中国製の「義歯」の問題がクローズアップされることを期待するが、どうだろうか。

 この本を読む人が多ければそれが期待できるし、無視されれば花火は上がらないだろう。

 歯の調子が悪いので歯医者に行こうと思っていた。多分かぶせものをつけることになる。だけれどこの本を読んでちょっと考えてしまった。

映画「シンクロ」2011年アメリカ

 監督グレゴリー・オア、出演ステラ・メイブ、アレクサンダー・ナイフォン。

 怖いもの見たさで恐怖映画を見ることがあるが、あまり怖いのは苦手だ。この映画の冒頭から前半は、正体不明の何者かの影とおどろおどろしい音楽で、ちょっとえらいものを見始めたかな、と感じていた。

 舞台は島である。それも大きな湖の中にあるようだが、詳しいことは分からない。男ふたりと女ひとりの若者がボートに乗ってキャンプにやってくる。そこには古い邸宅があって・・・。キャンプだからトイレがない。女性は無断でその邸宅に侵入してトイレを借りる。

 その晩大雨が降りキャンプ場が水没、三人はその邸宅に駆け込む。人が暮らしているようなのだが誰もいない。住人が帰ってきたら不法侵入で訴えられてしまう。翌朝心配していたとおり住人の中年夫婦が帰ってくる。逃げそびれた三人は地下室に隠れるが、そこで見つけたものは恐るべきものだった。

 やがて住人に見つかり、三人は見つけたものを処分させられる。それは住人とうり二つの二人の死体だった。

 そしてその夫婦に口封じのために襲われるのだが、それを助けたのはなんと三人とうり二つの男女だった。

 この辺になるともうちっとも怖くない。あとはいったい何が起きているか、という詮索と三人対三人の葛藤の話しである。

 そして結末は・・・想像していたとおりであった。

 台詞がかったるい。しらけるほど演技が下手というわけではないが、テンポが悪い。おかげでたいして恐怖感を感じずにすんだのは幸いであった。やたらに辻褄の合わないことだらけだけれど、もともとこのような不条理劇に整合性は必要ないからいいとしよう。

和田秀樹「『依存症』社会」(祥伝社新書)

 日頃おぼろげに感じていたことのいくつかが得心のいくものとなった。帯には「依存症に依存する国」日本の実態を暴く、とある。

 冒頭に推計値として依存症と見られる日本人の人数が上げられている。アルコール依存症230万人、ギャンブル依存症560万人、インターネット依存症270万人、そのほか、睡眠薬・精神安定剤依存症、ニコチン依存症、ゲーム依存症、買い物依存症、セックス依存症などをすべて併せると2000万人だという。驚くべき数字である。

 これによる社会的な損失は計り知れない。

 日本では、依存症になるのは本人の意志が弱いせいだ、というのが一般的な認識だ。しかし今世界の先進国での認識は、依存症というのは意志が破壊されることによって起こるものだ、と見るのがトレンドになっているのだという。精神科の医師としては脳のプログラムが書き換えられてしまう、という見方をするようである。  

 先進国ではたばこのCMが厳しく規制されているのはご承知の通り。日本でもそれに倣ってたばこのCMが見られなくなった。さらに欧米ではアルコール飲料のCMも厳しい規制が行われるようになった。原則としてアルコール度数の高い蒸留酒のテレビCMは禁止され、その他の弱い酒も放映時間を限定されている。日本では公的規制はないが、自主規制で放映時間を限定するようになったという。

 著者が特に問題視するのは、パチンコ、酒、ゲームのCMの氾濫である。日本の主要産業の一角かと思うほど(そうなのかもしれない)数多く流されている。

 そして駅前の一等地や街道筋などいたるところに見受けるパチンコ店について、それを異様だと感じないことが問題だ、という。

 物質に対する依存症、たとえばアルコールや覚醒剤、ニコチン依存症などは規制することが比較的に容易で、治療はなかなか困難といえ、その方法も検討され、治癒の可能性もある。

 ところが行為に対する依存症についてはまだ依存症としての認識が浅かったり、そもそも依存症として考えられていないことにより、適切な規制や治療がなされていない。パチンコなどのギャンブル依存、ネット、ゲーム、ケータイ依存などである。常識を逸脱したり、しかかっていても依存症という病として考えられていない。治療法も確立しておらず、治癒は極めて困難である。

 こわいのは、依存症は放置すれば必ず悪化する、という事実である。

 依存症になりやすい人となりにくい人というのがあることは誰でもうなずく事実だろう。精神科の医師の経験によれば、孤独な人、他者とのコミュニケーションが苦手な人が依存症になりやすい、という。これもうなずける。そしていったん依存症にはまり込むと、他者とのコミュニケーションよりも依存するものへすべてが注ぎ込まれるために、孤独が深まり、悪循環の中で一層悪化する。

 治療は極めて困難だ。幸いニコチン中毒は治療法も確立し、成功率も高くなっている。ここでも自分の意志でやめられる人は少なく、医師の治療なら高い確率で治癒するという事実がある。つまり依存症は意志の問題よりも病である、と考えるべきだというのだ。

 だがそのほかの依存症では様々な試みがなされているが、画期的なものがない。最も効果が認められているのが、自助グループに参加することだ、というのは意外であった。酒なら断酒会に参加する、というものである。そんな迂遠な方法が最も効果が認められているというところに依存症の怖さを痛感する。

 現代のCMはサブリミナル効果を狙った、計算され尽くしたものだと言われる。視聴者を無意識のうちにその気にさせて取り込み、とりこにすることを目指している。つまり依存症を蔓延させることを知らず知らずに行っている。依存者を作ることが商品やゲームのヒットにつながる。著者のいう「依存症社会」というのはそういうことだ。

 著者は依存しやすいものへの規制をすみやかに実施することが必要だ、と強く訴えている。実に同感だ。ところがテレビ局はCMで成り立っているからスポンサーを規制するようなことが出来ない。

 テレビはたばこ、酒、パチンコのCMにあふれている。最近は増毛発毛養毛カツラのCMも数多い。このようなCMで成り立っているテレビ局というのは何なんだろう、と思っていたが、この本を読んでその問題点の一部が分かった。

 民放テレビは無料に見えるが、結局ずいぶん高くものについているのかもしれない。

政府に代わって謝罪する?

 中国の環球時報が、日本の民間団体が政府に代わって「慰安婦問題」を謝罪した、と報じた。

 日本の民間団体「日本軍『慰安婦』問題関西ネットワーク」が韓国の日本大使館前で「慰安婦問題」を解決するための定期デモイベントを開催したという。

 この団体はすでに21年間活動を続けている団体で、「政府が解決に乗り出さないので我々が日本国民として謝罪する」とコメントした。そして橋下徹の「慰安婦問題」に着いての発言についても批判したそうだ。

 実はこの団体は2008年に結成されていて、在日韓国人による在日韓国民主統一連合の下部組織、在日韓国民主女性会のメンバーが代表のひとりを務める団体で、韓国の団体と共同で、日本政府に謝罪を求める運動を実施している。

 しかし環球時報はこの団体について「日本の団体」としか伝えていない。

 日本政府に謝罪を求める団体が、韓国で日本政府に代わって謝罪した。しかもそれは在日韓国人の団体である(もちろん正義に駆られて参加している日本人も含まれるに違いないが)。環球時報はそれを承知していないとは思えない。在日韓国人は日本国籍を有さない人たちだと思うが、その人たちも日本人なのだろうか。

 環球時報は「日本の団体」というのは日本にある団体のことだ、とうそぶくに違いないが。

 韓国に長期在住する日本人が、日本にある韓国大使館の前で「竹島問題を韓国政府に代わって謝罪する」と言ったら構図がよく似ているけれどどう違うのだろう。

 同団体についてはウィキペディアを参照されたい。

2013年9月16日 (月)

映画「シャドウ・チェイサー」2012年アメリカ

 監督マブルク・エル・メクリ、出演ヘンリー・カヴィル、ブルース・ウィリス、シガニー・ウィーバー。

 主人公のウィル(ヘンリー・カヴィル)がアメリカからスペインにやってくる。自分以外の家族が父親(ブルース・ウィリス)の仕事の関係でスペインで暮らしているからだ。

 久しぶりに家族が集まり、ウィルの弟の恋人も交えてヨットで楽しむ家族だが、ウィルがたまたまヨットを離れている間にヨットから家族の姿が消えてしまう。警察に駆け込むのだが、理不尽なことに無理矢理拘束され、どこかへ連れ去られそうになる。

 ここから言葉も地理も分からないウィルの、スペインでの家族を探しての絶望的な戦いが始まる。

 父親の本当の仕事がやがて明らかになり、ある資料をめぐっての陰謀が背景にあることが次第に明らかになっていく。

 シガーニー・ウィーバーの暴走が見所。相手はエイリアンではありません。

 プロのテロリストやCIAらしき連中のプロらしからぬお粗末なところがやや気になるが、素人が絡んで活躍するためにはそうでないと話が始まらないから仕方がないだろう。

 その辺にこだわらなければ(本当は大事なところなんだけど)それなりに楽しめるだろう。

日本に損害賠償請求

 韓国野党の議員が福島第一原発事故の影響で韓国の水産業が打撃を受けているのは日本の責任であるから賠償請求をすべきだと述べ、複数の韓国メディアがそれを取り上げて報道した。

 韓国の水産物全体の売り上げが40%以上減少している(本日のブログ・「風評被害」参照)。韓国は日本の水産物の輸入を禁止したが、韓国政府は国民の命と主権を護るため日本政府に被害の責任を問え、と主張している。

 これを韓国政府が取り上げて賠償請求を日本に対して行うかどうか分からない。

 しかし裁判所に訴え出たら、今までの例から見れば請求が認められ、韓国政府は日本に賠償請求しなければならなくなるかもしれない。

 とにかく日本に対しての賠償請求は、国際法上あり得ない請求でもことごとく正義の名の下に裁判で請求が認められてきた。

 今回もこの議員は「国際法上、理由を問わず事業者は責任を負わなければならない」と強調している。彼も裁判所も韓国政府も国際法など本気で遵守する気があるように見えないが。

 ところで韓国が独自に日本からの水産物の放射能を検査したところ、64件のうち62件で基準値を超えた放射能が検出されたのだという。どんな検査機器で計ったのだろう。目盛りでも違うのだろうか。一度その検査の機械を借りてすりあわせをする必要がある。多分貸してくれないだろうけれど。

 日本の水産庁の幹部が、韓国政府が実施している日本の水産物の輸入禁止措置に抗議を行い撤廃を求めるため、韓国に行くという。飛んで火に入る夏の虫、どれほど不愉快な目に遭って帰ってくるか目に見えるようである。仕事とはいえご苦労様。

数では勝負にならない

 ギネスブックの記録というのがある。簡単に世界一をとることはできないことはよく承知しているが、その記録にもすごいなあと素直に感心できないものもある。

 中国江西省宜春市で、一度に足湯をする人数の世界一、という挑戦をして、ギネスの認定員の立ち会いの下にみごと1万83人という記録を達成、正式に世界一の認定を受けた。

 私が首を傾げるのはこういう記録だ。人数で勝負するだけなら次々に人を集めていけばいいだけのことで、数だけなら最後は中国にかなうものはない。こういう意味のないものを乗せているとギネスブックそのものの値打ちがなくなるような気がする。

 同じように感じている人はいるはずだ。もちろんこんなものジョークなのだろうけれど。

豪華客船の差し押さえ

 中国初の豪華客船が韓国の済州島で差し押さえられた。

 この客船を保有している会社が負債を払わないことに業を煮やした債権を持つ中国の会社が、済州島の法院(地方裁判所)に対して差し押さえを申請し、それが認可されたことによる措置だ。

 乗客と乗組員併せて2300人あまりは身動きがとれない状態となり、現在専用の飛行機4機が手配中だという。

 客船を保有するこの旅行会社は保証金を支払う意向と言うことだが、週末のためその手続きがとれないとしている。そしてこの旅行会社は今回の強引な措置に対して済州島法院に損害賠償請求を行う方針だという。

 中国の会社が中国の会社に対して債務請求の訴えを韓国の地方裁判所に行うと言うことがどういうことかよく理解できない。それが認可された、ということは法律的に韓国では筋が通っているのだろう(韓国の裁判所の判断は常識を逸していることもあるのでよく分からない)。

 しかしなぜ中国で中国の裁判所に訴え、中国当局に差し押さえを申請しないのだろうか。

 多分中国ではこの会社を訴えても受理されない理由があるのだろう。人脈か裏金か。こんな話から中国の裁判所の問題点らしきものも推察されたりする。

風評被害

 何か災害が起きるとまやかしやデマが流される。不安に耐えられない一部の人間が妄想から発したものが自己増殖していく。

 このデマを打ち消す情報が伝えられると多くの人は正気に戻り、正しい判断をする。

 ところがデマの方を信じる人間というのは必ずいる。一度刷り込まれたことからなかなか抜け出すことが出来ない、思い込みの激しい人である。そしてこのような人々が一定数以上に達すると風評被害を生み出す。そして自分が風評被害を広げていても、自覚がない。

 君子危うきに近寄らずで、危険の可能性があるとき、それを回避しようとするのは自然な行動である。ただその危険に対するセンサーの感度が不安で増幅されて不必要に高い状態になると身動きがとれなくなるということだろう。

 韓国政府は、日本、特に事故のあった福島原発の周辺8県の水産物の輸入禁止措置をとった。危険性の問題に対する過剰反応の要素もあっただろうが、東京オリンピック開催を阻止するための意図的な嫌がらせだったと、韓国国民以外は、皆分かっている。

 結果的に国家とマスコミが国民の不安を大きく煽った。こうしてみごとに風評被害の発生する下地が作られた。現在韓国の水産市場は売り上げがなんと半減してしまったという。そして韓国は日本から水産物を全面輸入禁止にしようとしている。

 水産物の輸出に当たり、日本は国際基準よりも厳しい基準に基づいて安全性を確保している。しかし韓国政府はその事実を無視して、風評被害を国家が生み出すという恐るべきことを行っている。

 不安センサーの過敏さの増幅が止められなくなったのが精神疾患者である。一部の精神疾患者には病識がないが、韓国にもその病識がないようだ。精神疾患者には、幸い現在はよく効く薬があるけれど、国家に効く薬はあるのだろうか。危ういことである。

 そうだ、多分反日行動をやめればいいのではないか。そのことに気がつくかどうか。

2013年9月15日 (日)

酩酊

 ストレスフルな午後を過ごし、帰宅した。精神的な疲れを癒やすにはは酒に限る。今、酒でなにものかを洗い流した。

 人間、思うようには生きられないようだけれど、思うように生きてやる、とあらためて心に誓った。

 さあ、ひとり酒は控えていたけれど、飲むぞ!

 何かが片付いたわけではないけれど、新しい自分に乾杯。

 寄らば斬るぞ!

 明日は二日酔いだ。酩酊、ご免。

うれしいこと

 あることを決めるために、息子と娘の意見を聞かせてもらった。念押しするような訊き方になってしまったが、ふたりとも真剣に考えて答えてくれた。ふたりともとうに大人なんだ、と言うことをあらためて感じてうれしかった。

 娘のドン姫が手土産を持って帰ってきた。その上中古のプレステ2を持ってきてくれた。

 むかしFFのⅣとⅤを子供たちと競い合ってやったことがあった。少し前にまたやりたいと話していたのだが、それがやれるようにプレステ2を探し出して手に入れてくれたのだ(なかなか簡単には手に入らないのだ)。

 早速久しぶりにゲームで遊んでいる。思えばあのゲームを子供たちと楽しんでいた時代というのは、そのときには気がつかなかったけれど、人生の至福の時代だったのだ、などとちょっと感傷的な気分になったりしている。

 そしてそれを感じられる今がある、というのもとてもうれしい幸せなことなのだ、と思う。

日本が二位、に思う

 中国の大手旅行サイトが日本のゴールデンウイークに当たる国慶節の期間の海外旅行先のランキングが発表された。

 最近一ヶ月のホテル、航空券、ツアー、個人旅行の予約データを元に推計したものだという。

 それによると、ベスト10は韓国、日本、シンガポール、モルディブ、タイ、マレーシア、フランス、ドイツ、イタリア、スイスの順だった。

 特に韓国や日本へのフェリーでのツアーに人気があり、期間中はすでに満席なのだという。

 韓国というと朝鮮半島が大陸と地続きだから、ついそのまま車でも列車でも行けそうに思っていたが、(中国人だから)北朝鮮に入国することは簡単でも38度線を越えるのは無理だろう、と気がついた。

 韓国は特に済州島が手頃で人気なのだという。その頃は中国人だらけになっていることだろう。韓国へ行く日本人の旅行客が激減する中で中国人が替わりに増えている。韓国で聞くのが中国語ばかりならますます日本人観光客は減るだろう。

 しかし日本から韓国や中国に行く人が激減しているのに、日本に来る韓国人は逆に増加しているし、一時急減していた中国人も最近また増加してきているらしい。

 実際に日本を訪れ、日本を経験することで反日感情がいささかでも減ずることを期待したいが・・・なかなかツアーでぞろぞろやってくるだけだと先入観を払拭するところまで行くかどうか。

 日本にやって来て、自分の日本に対する偏見に気がつくような人は、そもそも恣意的に作り上げられた反日感情をあまり持っていない人だろう。そしてごりごりの反日の人は日本に来ないことだろう。

 互いの反感が修復されて昔のように良い関係になるには長い時間がかかりそうだ。良好な関係を破壊し、反感を作り上げるのに短時間しかかからなかったことを思うと、なんだかむなしい気もする。

2013年9月14日 (土)

中野美代子「カニバリズム論」(福武文庫)

 文学的エッセイと評されているが、ほとんど論文といっていい文章が9編収められている。まだ一部しか読んでいないが、一番目の文章で表題と同じ「カニバリズム論」があまりにも強烈だったので取り上げる。

 中野美代子は中国文学をベースにした評論を続けている。元々は北海道大学の教授である。この人の本は『孫悟空の誕生-サルの民話学と「西遊記」』(名著だ)をはじめ何冊か読んでいる。いずれも刺激的で読み応えがある。 

 カニバリズムの意味はご承知だろうか。人肉嗜食(人肉を喰うこと)のことである。人間の根源的なタブーのように思われながら、実は古来カニバリズムの記録は無数に残されている。

 日本でも飢饉のときや難破漂流船での記録が残されている。小説では武田泰淳の「ひかりごけ」が有名である。ただしこれらは嗜食とは言えないが。アンデス事件を思い出す人もいるだろう。

 中野美代子は中国文学者であるが、ここでは中国に限らず古今東西の記録や小説を例に引いて、カニバリズムについて論じている。人間の表面的な世界を両手で思い切り持ち上げて、めくってみせる。目を背けたくなるようなものを冷静に論ずることで人間の真実に迫ろうとしている。しかしその具体的な例の多少やタブーの強さには民族や地域によって大きく違いがある。そこからそもそもの文化の違いも見えてくる。

 日本と中国の差は思っている以上に大きい。

 魯迅の「狂人日記」が当然のこと論じられる。ここでは寓意として語られているとも言えるが、中国ではカニバリズムのタブーがあまり強くないことがいろいろな記録から明らかにされていく。

 だいぶ昔に読んだけれども、開高健の「最後の晩餐」というエッセイ集の最後が「最後の晩餐」という文章でそこでもカニバリズムが語られている。究極のグルメがカニバリズムだ、という日本人(というか常識人)には想像もつかない発想の世界があるのだ。

 私がカニバリズムで即座に想起するのはフェリーニの「サテリコン」という映画だ。ソドムの町が舞台の不条理映画なのだが、この中で大金持ちの死後、「その死体を食べたものに遺産を分ける」、という遺言が残され、人々がその遺骸に群がって、そのあとにもぐもぐと口を動かす様が映像化されている。

 この本で、実はその映画が紀元一世紀のローマの作家・ペトロニウスの「サテュリコン」という話が底本であることを知った。中野美代子はそのことを知っているが、フェリーニの映画は見ていないという。

 この「カニバリズム論」を真剣に受け止めすぎると刺激が強すぎて精神に傷を負う向きもあろうかと思う。精神が一定以上強靱な人のみにお勧めする。子供が読むなど論外である。

偽造チケット

 フランスの新聞が伝えた偽造チケットの話を環球時報が取り上げていた。

 ルーブル美術館で、偽造チケットで入場しようとした中国人観光客が相次いだという。このチケットで入場しようとしたのは中国の団体観光客たちで、その場で中国人ガイドが逮捕された。

 このガイドは一貫して「知らなかった」と容疑を否認している。

 偽造チケットの横行が見られるため、最近はチケットの電子化が進められているが、ルーブル美術館はまだ電子化されておらず肉眼による識別しかしていなかった。

 実は8月末にベルギー税関が3600枚のルーブル美術館の偽造チケットが入った中国からの小包を押収したところであった。

 今回使用された偽造チケットは、本物と比べると紙質も劣り、手荷物と違和感がある、というが、ベルギーでの摘発の情報が伝えられたので、気をつけていたから発覚したのだろう。

 発覚したのは今回が初めてと言うが今までもずいぶんたくさんの偽造チケットが使用されたに違いない。

 ルーブル美術館は即座に電子チケットの導入を決めたそうだ。

 この事件には続報があり、粗雑な偽造チケットの摘発のあと、チェックを念入りに行うようにしたところ、ほとんど本物と区別できないような精巧なものが使用されていることが発見された。もちろん使用したのは中国人観光客である。

 現在フランス警察は中国人ガイド数人から事情聴取中だという。

 中国人が海外で金を使うのはどこの国も歓迎しているが、落ちるべき金が実は中国に落ちているのではかなわない。ルーブル美術館に倣ってほかのところも至急防衛が必要だろう。

 こんなニュースが流れればまた中国人観光客の評判が落ちるし、中国そのものの信用も低下する、と心配するが、そもそも信用なんてあまり気にしていないのかもしれない。

訪問客減少

 北京市の統計局の発表によると、今年1~8月に北京市を訪れた(台湾を含む海外からの)観光客は288万8000人で、昨年同期間よりも14.1%減少した。

 主要国別の総数と減少率を見ると、アメリカが48万8000人で3.9%減少、韓国は25万3000人で19.4%減少、ドイツは14万9000人で6.7%減少、イギリスは11万2000人で4.6%減少、香港・マカオ・台湾地区は40万5000人で8.4%の減少だった。

 日本は・・・15万8000人で53.6%の大幅減だった。

 日本以外は多分大気汚染を嫌っての減少だろう。その中の増えていても良さそうな韓国の減少率が大きいのが不思議だ。やはり韓国人は汚染恐怖症なのだろうか。

 日本は・・・もちろん身の危険を感じての減少だろう。わたしもそうだから。

2013年9月13日 (金)

Chinese Cabbage

Chinese Cabbage とは白菜のことだ。私のささやかな英語辞典で調べてもそうなっている。

 韓国政府は「キムチ」を世界無形遺産(無形文化遺産)に申請中である。申請に伴い、白菜の英語名をChinese Cabbageから「Kimchi Cabbage」に変更したそうだ。

 そもそもキムチは、中国の白菜の漬け物が韓国に伝えられたものを起源にしているとされている。

 だからキムチを世界無形遺産に申請するのはともかく、白菜の英語名まで変えようというのはいかがかと思う。中国でこのことが報道されると「またか!」という反応が数多く寄せられている。それに白菜はキムチ用ばかりではないし・・・。

 このニュースに添えられて、韓国が中国の書道に当たる「書芸」を無形文化財に申請するとの話があり、中国書道界から激しい反発の声が上がっているという。

 それはそうだろう。確かに韓国にも書道家はいるだろう。しかし国民の多くが漢字を読めない、書けないというのが韓国の現状である。文化を継承しない国が文化遺産を主張するというのも韓国らしいと言えば韓国らしいが、常軌を逸しているし物笑いにしかならない。

 それとも寡聞にして知らないがハングルの「書芸」でもあるのだろうか。

映画「ハーツ・アンド・マインズ」1974年アメリカ映画

 副題:「ベトナム戦争の真実」。監督ピーター・デイヴィス。

 この映画は1975年のアカデミー賞の最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞している。

 文化大革命とは何だったのか、ベトナム戦争とは何だったのか、そして太平洋戦争とは何だったのか知りたいというのが、今考えると私にとっての人生の宿題だった。太平洋戦争と文化大革命についてはそれなりにいろいろな本を読んでいるけれど、ベトナム戦争についてはアメリカ映画を通してのイメージがほとんどだ。

 10月に友人たちとベトナムへ行く。ベトナムは二回目だ。前回はホーチミン市(昔のサイゴン)周辺、つまり南ベトナムだった。今回はハノイとその周辺、つまり北ベトナムに行く。

 そこでこのドキュメンタリー映画を見ることにした。

 この中でのアメリカは今から見ればとても独善的だ。そしてその確信的な独善が揺らぎつつあるとはいえ、未だにそこから脱皮していないのはアフガニスタン、イラクでの行動で見てきたとおり、シリアはどうなるか分からない。

 政治的、軍事的な意味づけの前にそこに生活と生命を持った人間が住んでいることが無視されることは驚くばかりだ。爆弾を投下してきた兵士が「人間なんて飛行機から見えない。流されただろう血ももちろん見えない」と語る。

 写真でしか知らないベトナム戦争の衝撃的なシーンが映像としてあからさまに写し取られている。あのゲリラをピストルで射殺するシーン、ナパーム弾で焼けただれ、皮膚が垂れ下がった幼児を抱えて泣き叫びながら走っていく母親、そして服が焼けてしまい全裸でやけどだらけの少女(確かこの写真がピュリツァー賞を取ったはずで、この少女の現在の姿も最近報道された)が、ショックで呆然としている様がそのまま映し出される。

 この映画でしか語り得ない真実がある。ここで要約することはほとんど意味が無い。この映画で受けた衝撃を記憶に留めてベトナムを見てこようと思っている。

犯罪コストが低すぎる?

 中国では食品に有害物質を使用して摘発される事件が続発していることはご承知の通り。

 なぜこのような事件が後を絶たないのか。週刊朝日に中国在住の日本人や中国のジャーナリストの意見を取り上げた記事の内容がネットで紹介されていた。

 中国は「犯罪コストが低すぎるからだ」という意見もあったようだ。

 しかし中国では、このような事件により摘発されれば間違いなく犯人に対して日本より重罪が課せられているようだ。だから罪が軽すぎることはないと思われる。

 この場合、犯罪コストというのは、違法なことをして得られる利益と、犯罪が露見して受ける罰との軽重によるものだとすれば、犯罪を行う個人にとってはリスクは利益に見合わないもののように見える。

 しかし中国国民にとっては、その犯罪で受ける中国国民全体の損失と事件発覚によって裁かれる制裁とは全く見合っていないと言うことなのか。

 日本で食品汚染などの事件が発覚すれば担当者は処罰され、メーカーも社会的信用を失い、存亡に関わる事態となる。

 ところが乳児用粉ミルクへのメラミン混入で集団食中毒事件を起こした中国の乳製品メーカーは、ほとんどダメージを受けていないように見えるという。 

 犯罪コストという考え方は、つまり罪が重くなれば犯罪の発生が抑止される、という考え方だろう。そして摘発の強化が提唱されていくのだろう。

 しかしそれでは犯罪の抑止にあまりならないのではないかと思える。

 ある行為が犯罪である、との判定は過去、国家や為政者が行ってきた。理不尽な判定がしばしば行われてきた。民主主義というのは、その理不尽を無くしたい、自分たちの手に判定を取り戻したい、という思いから推進されてきたという面がある。

 上からの一方的な判定ではなく、なるべく多くの人に平等の判定を国民自身が求めるとき、民主化は成る。

 中国国民が「共産党」という絶対権力に判定をゆだねざるを得ない状態が続く限り、国民に自発的な犯罪抑止力が機能することは難しいのではないか。多少の損をしても自分は正しく生きる、という生き方をすることが困難な状況が、結果的に自分だけは得をしたい、という生き方を生み出しているような気がする。

2013年9月12日 (木)

汚染恐怖症

 韓国が、オリンピック直前の原発汚染水流出に対応して日本からの水産物の輸入を停止したことが話題になった。意図的な嫌がらせだと思われていたが、どうも本気で放射能汚染を怖がっているようだ。

 韓国ではスケソウダラが食材として人気がある。そのロシア産のスケソウダラの消費が前年に比べて30%以上も減少しているという。理由はもちろん放射能汚染の恐怖である。ロシア産のスケソウダラはもちろんロシア海域でとれたもので、福島海域から2000キロ以上離れている。「放射能検査を厳格に実施しており、全く異常なものは発見されていない。安心して食べられる」と韓国遠洋漁業協会が呼びかけているが、消費が回復する兆しはないという。

 替わりに、というわけではないが、免疫力の改善に高麗人参が良い、と言う話が伝わり、贈答品などを始め、販売が急増しているそうだ。

 韓国だけでなく、中国でも日本でもこの際だからしばらく魚類の捕獲を控えたらどうだろうか。燃料代も高く、採算が合わないから乱獲する、という悪循環である。休漁すれば漁業資源の保護と再生のためになるとともに放射能汚染(実際の汚染の事実はともあれ大義名分となる)の懸念も考える必要が無い。しかも何年かしたら水産資源の大幅な回復が期待できるのではないか。ハタハタは休漁することによってあれほど回復したではないか。蟹やエビなども捕りすぎだ。ちょうどいいではないか。

 もちろん漁業者にはそれなりの補償が必要だろう。それでも長い目で見れば安いものかもしれない。

 ちょっと現実的ではない粗雑な意見だったか・・・。

映画「裏切りのスナイパー」2012年フランス・ベルギー・イタリア合作

 監督ミケーレ・プラチド、出演マチュー・カソビィッツ、ダニエル・オートゥイユ。

 強盗団が次第に破綻していくピカレスクロマンなのであるが、案外話は複雑になっている。

 強盗団の首領ヴァンサン・カミンスキはプロのスナイパーである。強盗実行犯をヴァンサンが援護することで犯行に成功してきた。

 警察に密告が入り、この強盗団は警官が罠を張っている中で犯行に及ぶが、ヴァンサンが次々に警官を射撃、辛くもそこから脱出する。

 一味は五人だったが、警官との撃ち合いで運転手のライアンは死亡、ニコが腹部に銃撃を受けて重傷となる。逃げ延びた四人(ヴァンサン、ニコ、エリク、ダヴィド)のひとりであるエリクの知り合いの闇医者フランクの元へニコを担ぎ込む。金は後日山分けする、ということでヴァンサンが持ち去り、どこかへ隠す。

 ところが密告により、二日後にヴァンサンは逮捕されてしまう。

 警察の指揮をとるマテイ警視は、仲間の裏切りがあることをヴァンサンに伝え、仲間の情報を自白するよう強要する。しかしヴァンサンは無言を通す。そしてヴァンサンは女弁護士カトリーヌを指名する。

 実はカトリーヌは過去ヴァンサンの恋人だった。そしてヴァンサンはカトリーヌに金の隠し場所を伝え、密かにある依頼をする。

 ところがこのカトリーヌが惨殺死体となって発見される。そしてダヴィドの姿が消える。

 ヴァンサンの真の正体の秘密を直感したマテイは軍の友人に情報を知らせるように迫る。そこでマテイ本人と意外な関わりがあることが明らかにされる。

 さらに闇医者フランクのおぞましい裏の顔が次第に明らかになっていく。

 怒りに燃えて、非常手段によって脱獄したヴァンサンは、逆にマテイ警視を利用してフランクをあぶり出していく。マテイは利用されていることを百も承知でフランクを探し出し、逮捕する。護送のときこそヴァンサンがフランクを襲うときだ。

 完璧に張られた罠の中にヴァンサンはどのような手立てをとって現れるのか。やがてクライマックスと、静かなラストが突然おとずれる。
 
 ハリウッド映画と全く違う、重量感と苦みのある、なかなか見応えのある映画であった。

成功の鍵

 中国人の経済評論家で日本のテレビにもコメンテーターとして出演することもある宋文洲氏が中国メディアのコラムに「東京五輪招致の成功の鍵は招致委員に一流の起業家がいたことだ」という一文を掲載した。

 「東京有利」と見られていた情勢が、直前の福島原発汚染水流出のニュースで危うくなったのに、結果として大差をつけて東京が勝利したのは「情緒的な」プレゼンテーションによるものではなく、日本の五輪招致委員会の「売り込み能力」によるものなのだそうだ。

 特にトヨタ自動車の張富士夫名誉会長とローソンの新浪剛史社長の名をあげている。

 張氏は「私の著書を販売戦略担当者に勧めてくれた」そうだし、新浪氏は「10数年来の私の友人で、私は彼の経営顧問をしている」そうだ。このような彼らが、一流企業の販売戦略と同様の手法で陰で働いたから今回の招致が成功したのだ、という。

 「そして功労者は何も語らずひっそりと自分の仕事場に戻っていった」、と結んでいる。

 うーん・・・。今回の招致の成功は総力を挙げての関係者の人々の功績である。だから取り上げられたふたりも大いに寄与したことは間違いないだろう。

 しかしこの宋文洲氏の文章からうかがえるのは、今回最も功労のあったのは産業界のふたりであり、しかもふたりはわたしに縁があり、私が手助けもしている、だから私は偉い、という自慢のようだ。

 五輪招致をネタに自分を売り込んでいるわけで、中国のこのコラムを読んで彼に商売のチャンスが増えることをさもしく期待しているのだろう。

 開催地投票直前のあのプレゼンは日本人だけではなく、世界の多くの人の心に届いたと思う。これは金銭とは別の、心の話だ。もちろんそれが成功のすべてだなどとは思わないが、大きく影響したことは間違いない。

 金こそすべてとしか考えられない人間にはその意味や価値が理解できないからこのような文章を臆面も無く書くことが出来るのだろう。

 これはこの人の問題だろうか。中国人がそのような拝金思想に犯されていることの表れなのか。やや言いすぎか。

2013年9月11日 (水)

当てつけに聞こえる?

 オリンピックの最終プレゼンテーションで日本が強調したことが二点あった。歴代の日本のオリンピック選手もパラリンピック選手もひとりもドーピング違反者は出していない、ということ、そして食の安全については全幅の信頼が置けること、その二点である。

 確かにこれは事実である。

 この点を中国のスポーツ評論家があらためてツイッターで紹介したところ、「こんなことを持ち出すとは日本は邪悪な国だ」と批判が続出しているという。

 なぜだか分かりますか。

 そう、食の安全や選手の不正が中国で横行していることを中国は自覚しているし、強く気にしているからだ。

 だから多くの中国人が、日本が強調したこの二点は「中国への当てつけ」、と受け取ったようだ。

 そう言われた日本の方が驚いてしまう。当てつけるつもりなど無いからだし、問題があるなら改善すればいいことであって、問題が無いことに腹を立てられても何とも言いようがない。ひがまないで欲しい。

愛国者のボイコット

 中国には2020年のオリンピックの東京開催が決まったことに反発している人もいる。ネットで「日本製品と東京オリンピックをボイコットしよう」という呼びかけをしているものもいる。

 ただし全体としてはそんな呼びかけには批判的で、「ボイコットして何の意味があるのだ!損をするのは中国の方だ」というものが多い。

 日本製品の不買には賛同するものが少なからずいるもののオリンピックのボイコットについては「中国人のメンツをつぶすだけだ」「中国の出場選手を応援して日本で中国の国旗を揚げ、国歌を歌う方が愛国的だ」と至極まっとうな意見がほとんどのようだ。

 「愛国をとなえる君は国に愛されているのか?中国という国は国民を愛してくれているのか?」と深い問いかけをするものもあったようだ。

 そう言われれば日本人である私たちも国に愛されているのだろうか。

 まあ国家は国民を愛してなどくれないものだ。国家なんて普段はどこにあって何をしてくれているのか分からない方がいい、と中国の古い話にあるではないか(鼓腹撃壌)。国家、国家とわめく人間が大勢いる時代はあまりいい時代ではないのはご存じの通り。

 お祭りなのだから普段の争いを忘れて楽しめばいいのだ。そのためにお祭りはあるのだから。

光フレッツの解約

 先日、光フレッツの解約連絡をし、本日NTTから機器取り外しの人が来て電話周りがすっきりした。

 問題があったわけではなく、ドコモのモバイルルーターを使っているのでそちらでネットは用が足りるからだ。

 光フレッツが段違いに早い、というなら話は別だが、マンションの共用タイプだから光なのになぜこんなに遅いのか、と言うようなことが時々あった。モバイルルーターで全く問題ない。それに重いデータをやりとりすることがないから十分だ。

 年金暮らしは一円でも削れるものを削らないと年間にすると馬鹿にならない。とっくにやっておくべきことだったことだがようやく一つ片付いた。
 
 こまごまと片付けたいことがまだたくさんある。でも片付けなければいけないことが残っているというのはある意味ではゆとりでもある。

 携帯があるから固定電話も無しにしていいのだが、とりあえず残すことにした。これもゆとりの一つだ。

スパイ容疑

 朱建栄・東洋学園教授が出身地である上海を訪れたあと、行方不明になって50日以上が経過したが、国家安全省に取り調べを受けているということが明らかになった。複数の中国筋から共同通信に情報がもたらされたという。

 行方不明らしい、という時点でそうではないかと見られていたが、今回それが確からしいことが判明した。しかし朱建栄という人は、日中問題を論じる日本のマスメディアの場にしばしば登場し、日本人から見れば、中国側に立った立場で強引な物言いをしていた印象が強い。

 多くの(日本人から見ても少し感情的に過ぎて興奮した)日本側の論客たちを向こうに回してびくともしない姿勢は、ときに感心させられるほどだった。

 だから中国当局に目をつけられる可能性は低いと思っていたから意外である。

 ところが見かけによらず日本政府筋にも中国にも人脈を持ち、日本政府の陰の情報源だったのだ、という噂もあったらしい。だから見かけの中国側に立った発言は保身のカモフラージュだった、という見方もあり得るわけだ。

 今回の取り調べの容疑は、中国国内で違法な情報収集を行ったスパイ容疑だという。そうすると噂が本当かもしれない、と思われてくる。

 その真偽は私には知りようがないが、中国という国は個人の身柄を拘束してもそれがずっと明らかにされないことが当たり前の国だと言うことをあらためて知らされた。

 今回この事実が明らかになったのも当局の意図的なリークによるものだろう。もしリークがなければ、多分そうだろうと思われながらその人物は地上から消滅することがあり得るということだ。

 今回事実が明らかにされたのは、多分当局が隠し続けるのが面倒くさくなったからだろう。それとも日本政府に対するブラフでもあるのだろうか。考えすぎか。

 しかし習近平という人、案外恐ろしい人かもしれない。

2013年9月10日 (火)

世の中こんなもの

 ブエノスアイレスでJOCの竹田会長とKOC(韓国オリンピック委員会)の金会長が会談し、韓国で開かれる2018年の平昌冬季五輪と2020年東京五輪の成功に向け、両国は全面的に協力することで合意した。

 韓国では、2020年の東京オリンピック開催の韓国経済への波及効果に期待するコメントが相次いで報じられた。航空業界、観光業界などは大幅な顧客の増加を見込んでいるという。

 北京オリンピックのときには大気汚染を嫌って日本で事前の練習をした各国の選手がいたが、そのとき韓国に滞在した選手も多かった。日本の放射能汚染を心配して各国の選手が韓国で滞在することを当て込んでいるらしい。

 あれほどネガティブキャンペーンを繰り返していた韓国メディアは東京開催が決まったとたん、こぞって「東京での開催を隣国として祝福する」と報じた。「長い景気低迷と東日本大震災の傷を癒やし、日本の復興に寄与することを望む」と泣かせる文章を並べている。

 もちろん「オリンピック成功の鍵は正しい歴史認識である」と付け加えるのは忘れないが、これは決まり文句のようなものだ。

 今までの流れから考えられないような論調だが、世の中こんなものだ。そういう意味でも東京での開催決定はめでたいことだ。もし落選していれば、ぼろくそに言われ続けるだけだったろう。

 中国と韓国は、自分たちが思うほど世界は日本に対して反感を持っていないことを実感したに違いない。それどころかどちらかと言えば好意的であることに驚いたのかもしれない。論調の急激な変更はそれを表している。中国の論調も変わり始める兆しが見える。

 オリンピック東京開催を前向きにとらえようではないか。

会田雄次「日本的権威の論理」(PHP文庫)

 副題「日本のリーダー像とその肖像」。

 あの名著「アーロン収容所」を読んで以来、会田雄次の著作をいくつか読んでいる。自分が漠然と感じていることを明快に文章にしてくれているように感じる。この人の本を読むと「そう、これが言いたかったんだ」と思ったり、「そうかそういうことだったのか」思うことが多い。

 そして今回読んだこの本も頁をめくるたびにその実感を持たせてくれた。

 感じたことを書き出すと収拾がつかなくなるほどいろいろなことを考えた。だからこの本の中の一部から自分の言葉に代えたものをあとで逐次文章化しようと思ったりしている。

 元々は雑誌「Voice」に掲載した論文六編を一冊にまとめたものだ。ただし当初から全体としてあとで本にすることが想定されていたと言うことで、論旨は連続している。

 超辛口の文章だが論理に矛盾がないからとても読みやすい。ただし市民運動家の正義感のようなものを毛嫌いしている人だから、その傾向のある人には不快そのもので、受け付けないかもしれない。私はどちらかと言えば、この本をニヤッとしながら読むような人の方がつきあいやすいタイプだ。

 例によって古い本で初版は1984年、文庫本になったのは1991年だ。しかし内容は新しい。というよりここに書かれている内容は現在の方が時代状況に適合している。それだけ優れた本だと言うことだ。

誤報

 中国の国営メディア、新華社と中国中央テレビが、オリンピック開催都市を「東京落選」と大誤報をしたことが話題になった。

 ところが日本でもあの大新聞の朝日新聞が公式のツイッター上で「東京、落選しました。第一回の投票で最小得票、決選投票に進めませんでした」と発信していたらしい。もちろん直後に間違いであることに気づき、すぐ訂正されたので気がつかなかった人がほとんどだ。

 朝日新聞には慰安婦問題や歴史教科書の検定問題でも裏付けをとらずに結果的に誤報を流した前科がある。

 中国のメディアやネット上ではこの朝日の誤報をめざとく取り上げて、中国だけではなかったことを喜んでいるようだ。

 中には「朝日新聞は中国のニュースにもとづいて報道しているからこういうことになったのだろう」という皮肉なものもあって笑わせてくれる。

 中国のメディアは、東京落選を願望していた向きがある。だからあの曖昧な発表から勘違いしたものと思われる。多分朝日新聞も似たような心情が社内にあるのだろう。原発事故処理とオリンピックという、同時に論じてもしようがないものを同列に論ずる正義が大衆受けすると計算していたのかもしれない。

 もし落選していたら大々的に原発の汚染水漏れ追求のキャンペーンを張って拍手喝采を浴びるつもりだったのだろう。

 しかしオリンピック開催が決まったからこそ汚染水対策の強化推進が盛り上がる、と考える方が前向きではないのか、と私などは考えるのだが。

 「新華社や中国中央テレビは誤報を決して謝ったりしないけれど、朝日は謝るだろうか?」とそのことを話題にする人もいる。多分今までの流れからいえばなぜ間違えたのかを言い訳するだろうけれど、謝らないだろう。

子供を貸し出します

 中国・南京市の女性が、マイクロブログに「二歳半になる私の子供を一日520元(約8500円)で貸し出します」と投稿した。

 これが騒ぎとなり、非難する書き込みが増えると、「子供好きでまだ子供のいない既婚女性などに貸し出すつもりだった」とこの母親は釈明し、「子供の世話をすることで根気強さを養うことが出来る」と効用を協調したという。

 マスコミがこの女性に取材したところ、「ネット上で自分自身を貸し出す人がいることを知り、自分を貸し出すくらいなら子供も貸し出してもいいと思った」と答えたそうだ。

 子供を貸し出す行為について問われたある弁護士は「子供を有料で貸し出す行為は法律で認められていない」と回答した上「取引の過程でトラブルが起こったとき、法律による保護を受けることは一切出来ない」とコメントした。

 子供を借りよう、という人間は善意の人ばかりではないということが問題になって非難されているワケだ。確かに子供を商売で誘拐する集団がたびたび摘発される国だ。極めて危険であることは間違いない。

 ところで子供自身の立場に立ってこんな行為が許されるかどうかが論じられているものが見当たらない。日本人は相手の立場に立ってみる、ということを大事にする。だから子供に対しても甘くなるかもしれないが、この場合、貸し出された子供自身の精神的な負荷がいちばん問題だろう。

 中国人は日本人と反対に相手の立場に立つことがいささか足りない(全く無いのではないか、と思うこともしばしばある)気がするのは私だけではないだろう。子供の気持ちを考えないからお金ほしさにこんな発想をするのだ。

2013年9月 9日 (月)

隠蔽しなかった

 2020年のオリンピックが東京で開催されることになった。これは素直に喜びたい。

 ところで開催地決定投票の前に東京電力福島第一原発の貯蔵タンクからの汚染水漏れが発覚し、各方面から日本での開催を危ぶむ声が上がった。どうしてこのような最悪のタイミングでこんなことが明らかになったのか、と腹立たしい思いをした人が多かったことだろう。わたしもそうである。やるべきことが常に不十分にしか出来ないという東京電力に対して日本国民の多くは怒りを覚えたに違いない。

 韓国や中国はこれをネガティブキャンペーンの好機ととらえて大騒ぎをした。世界のマスコミも大きく取り上げることになった。

 しかし日本にとってこのニュースが不利であることは誰が考えても分かることである。しかしこの事実は何の隠蔽もされず、最悪のタイミングにもかかわらず公表された。どこかの国だったら絶対隠蔽されただろう。

 それを考えれば日本という国は自国に不利でもそれを明らかにするという、信頼するに足る国だということの証明でもある。

 IOC委員たちはそのような(他の国よりも)公明正大の国、日本を評価したのではないか。その日本の代表である安倍首相が安全を約束したのだから信用しよう、ということになったのではないか。

 韓国のマスコミは「日本は経済的な効果を期待するのも良いが、もし隣国に痛みを与えた歴史を無視し、放射能汚染水流出問題を隠蔽し、招致に成功したからといってさらなる露骨な右傾化を進めれば、2020年の東京オリンピックは多くの周辺国がボイコットする大会になるだろう」と社説で述べた。

 もしボイコットをする国があるとしたら、韓国だけだろう。しかしその韓国はボイコットなど決してしないだろう。ただしまたハングル文字の「反日」の横断幕を掲げるかもしれない。

 もともと古代オリンピックは戦争が続く中、休戦のために行われたともいう。クーベルタン男爵はそれを知り、私費を投じて現在のオリンピックを提唱した。だからスポーツに政治や国の争いを持ち込まないことを信条としたのだ。

 もちろんそれは理想である。しかし理想はそれを求めることで理想としての意味を持つ。理想を無視してスポーツに政治を持ち込むことが正義だ、などと思う人々こそオリンピック精神に反するのだから自発的にボイコットして欲しいものだ。

2013年9月 8日 (日)

安眠

 屈託がある。いつも安眠するのに屈託があるおかげでなかなか眠れなかったり夜明け前に起きたりする。

 なぜ屈託があるのか。私が善人だからである。私が悪人なら眠れないはずがない。

 だから今晩、「悪人になれ!」と云われたのは正解である。

 でも「悪人でもいいよ」と言ってくれるだろうことが分かっている人に相談したらそういう答えが帰ってくるだろう。それならずるい、と思ったりする。

 ずるくても人がどう言おうともいいではないか。私自身を最優先にしてもそろそろいいだろう、と思ったりする。

 ものを捨てる、というのはそういうことか。

 桐生の夜はいつも通り私を温かく迎えてくれた。

 周先生、また来ます。

鈍行はつながらず

1309_8軽井沢駅・長野新幹線の勇姿(これは反対ホームなので長野行き)

 本日の目的地は群馬県の桐生。

 これまで名古屋から中津川、中津川から松本、松本から長野、と鈍行を乗り継いできた。しかし桐生への中継点である高崎までは鈍行ではつながらない(もちろん大きく遠回りすれば理論的には可能だが)。

 普通に行くなら長野から新幹線で高崎まで一時間足らず。しかし行くところまで行くつもりなら「しなの鉄道」で行くという手があるのに気がついた。

 残念ながら高崎までは行けないが、軽井沢までなら行くことができる。ところが直接軽井沢へ行く列車にタッチの差で乗り遅れてしまった。のんびり出過ぎたのだ。

 どうせ急いでも仕方がない。というわけで長野から上田、上田から小諸、小諸から軽井沢、と乗り継いだ。外は雨。せっせと降ってやむ気配なし。雨に煙る田んぼや山をぼんやり眺める。

 軽井沢から高崎は長野新幹線を利用。軽井沢から高崎まで乗車券は760円なのに自由席の特急券だけで1770円もする(料金はちょっと記憶違いかもしれないが、併せて2530円だった気がする)。いくら何でも特急券、高すぎる。乗車時間わずか15、6分、ほとんどトンネル。そんなに急いでないのに・・・。

 高崎からは両毛線に乗り換え。桐生まで50分ほどだ。軽井沢への直行に間に合わなくて良かった。それでも3時過ぎには桐生に着いてしまったではないか。

川中島(八幡原)古戦場

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武田信玄に馬上から上杉謙信が斬りかかるの像。

バスで松代から川中島古戦場へバスで向かう。心配していた雨はぎりぎり小雨で収まっている。ここには古くからあったと云われる八幡原神社の周りに古戦場の史跡がある。

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八幡社。

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逆槐(さかさえんじゅ)。土塁の土留めのために槐の木を逆さに打ち込んだところ、やがて芽が出て大木になった。左が八幡神社。

雨がだんだんまともに降り出した。ぬれてしまうからカメラを出していられない。切り上げて長野へ帰ることにした。ところがバスがだいぶ遅れていて結構ぬれてしまった。傘は持たずに出てきたのだ。

おまけ

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木槿(むくげ)の美しい花。木槿は韓国の国花。槿花(きんか・木槿の花)一朝の夢、と言われるように木槿の花は朝に咲き、晩にはしぼんで落花する。はかないもののたとえだが、次々に咲くのでずっと花が咲き続けているように見える。

これで長野周辺散策は終わり。雨は激しく降り続く。

このところいろいろ思うところがあってよく眠れなかったり夜中に目が覚めてしまって寝不足だったが、この晩は熟睡した。朝起きてすぐテレビをつけたらオリンピック開催が東京に決まったという。とりあえずめでたい。

松代象山地下壕

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何の写真か分かりにくくて申し訳ない。太平洋戦争の末期に本土決戦を期して、大本営、仮皇居、政府機関などを松代一帯の地下に軍部などが極秘で掘った地下壕である。

総延長にして10キロメートルを超えるというものだが、象山の下に掘られた一部だけが公開されている。入山無料。

ヘルメットを貸してくれる。すべて手堀りで、むき出しの岩肌に頭をぶつければけがをする。ヘルメットは必需品だろう。中はライトのあるところ以外は真っ暗。コウモリが時々目の前を飛ぶ。ひんやりした風が吹き抜ける。

中は碁盤の目のようになっていると云うことだが、直線部分だけしか公開されておらず、横洞はすべてフェンスで閉じられている。

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この地下壕を掘るために朝鮮半島から6000人以上の人々が強制徴用された。戦争末期のきわめて貧しい食糧事情と劣悪な環境の中、突貫工事が行われ、多くの人が犠牲になった。また一体の住民は住居と土地を強制収容され立ち退きさせられた。

この石碑は朝鮮の人々の犠牲者を追悼するために立てられたものだ。

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地下壕を見学したあと帰り道で見かけた見事な朝顔。この写真以上に鮮やかな青が目に飛び込んできた。

おまけ

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このあと真田宝物館を最後に見学した。宝物館の裏手に恩田木工の銅像が立てられていた。このあたりは彼の邸宅跡らしい。

こうして二時間半ほど松代を歩き回ったあと、松代駅まで歩き出したらついにぽつぽつと雨が降り出した。頭の、雨を感じるセンサーが人より感度が高い状態なのだ。

長野へ帰る途中の川中島古戦場によるかどうか迷う。

2013年9月 7日 (土)

象山神社

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象山神社の中にある佐久間象山の像。やや微妙。

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象山神社。

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この姿なら象山らしい。京都で川上彦斎に暗殺されたときも馬上にあって下から斬り上げられた、と記憶している。

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碑に曰く、「余(われ)年二十以後即ち匹夫も一国に繋り(かかわり)あるを知り三十以後即ち天下に繋りあるを知り四十以後は即ち五世界に繋りあるを知る」。

うーん、全く同感である。

ほかにも興味のある碑があった。

このあとあの有名な松代の地下壕まで足を伸ばす。

文武学校

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象山神社の前に文武学校を覗く。これは剣道場。右奥に剣道着を着た初老の男性が、携帯でメールを打っていた。実際はもっと暗い。

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これは弓道場。文武学校と云いながら文は振るわず、武が盛んだった、と看板に書かれていた。しかしその松代は佐久間象山を生んだ。

 

ところで松代の人は佐久間象山のことを「さくまぞうざん」と言う。象山神社は「ぞうざんじんじゃ」である。そして神社の背後の山は「象山(ぞうざん)」である。

真田邸

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真田邸は江戸時代末期に藩主の義母のために建てられたが、明治の廃藩置県後は藩主の隠居所となった。紋は当然六文銭。

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廊下から庭園が見える。

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一番奥の部屋。奥には風呂や厠がある。

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真田邸の塀。広い屋敷なのだ。

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真田邸のまえの公園にすてきな裸婦のブロンズがあった。

 

周辺には武家屋敷がたくさん散在している。開放しているところもあり、丁寧に見ていくと大変興味深い。

 

このあと樋口家を見学、その後白井家にしつらえられている休憩所に立ち寄った。ここにはボランティアのおばさんやおじさんたちが詰めていていろいろ話しかけてくる。おいしいお茶と漬け物、ついには梨までごちそうになった。いろいろ見所を教えてもらい、さらにここから足を伸ばして象山神社に向かう。

松代城跡

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松代城を最初に建てたのは山本勘助だった。川中島の合戦の陣を敷くために武田信玄に命じられて、千曲川のほとりに建てたものがはじめであるが、水害を被ることが多く、のち、川から少し離れた場所に移された。のちに真田氏がここに移封され居城とした。本丸は入り口の門だけが再築されているがほかの建物は残っていない。

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本丸を囲む堀と石垣。

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碑には海津城址となっている。松代城は別名を海津城と云った。

 

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松代城跡は長野電鉄の松代駅のすぐ裏にある。山に雲がかかり怪しい雰囲気。

 

松代には長野から電車でも来ることができるが、直接ではなく、須坂で乗り換えとなる。ぐるっと遠回りなので料金も時間もかかる。長野からならバスの方がずっと便利だ。

長野の朝

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夜が明けたばかりの長野のビジネスホテルの窓からの景色。

 

どんよりと雲が垂れ込めて山にかかっている。本日の天気予報は曇りのち雨。松代に行きたいと思っているが何とかもってほしい。朝飯を食べたら早めに出かけることにしよう。

 

松代は真田家が関ヶ原のあとに上田から移封された場所である。大好きな池波正太郎の真田太平記で真田一族には少し思い入れがある。さらに池波正太郎が評価されだした小説「恩田木工(おんだもく)」(惜しくもこのときは直木賞を逸す)もこの松代が舞台だ。恩田木工は疲弊した松代藩を立ち直らせた忠臣だ。

 

さらに松代は佐久間象山の出身地だ。さらにさらにここは終戦直前に大本営を移す予定の地下壕が造られた場所である。皇居もあるらしいが一般の人は立ち入ることができない。松代はいつかは訪ねたいと思っていた場所だ。ようやく願いが叶う。

 

駅前から松代へはバスに乗っていく。

長野善光寺

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善光寺の仁王様。わらじが供えられている。

 

松本を出てしばらくしたら雲が切れてきた。そして長野に着く頃には秋の青空になった。晴れたのはいいのだが、陽の光が強くて暑い。駅のロッカーに荷物を預けてバスで善光寺へ向かう。

 

善光寺大門まえで下車。参道の入り口にあるそば屋で昼食。さすがに信州、そばがうまい。

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参道横の六地蔵。右が地獄界の地蔵菩薩で左端が天上界の地蔵菩薩。人間界は四番目か五番目だった。つまり六道それぞれの衆生の迷いを救うために存在するのだ。よく見ていただけると分かるが、地獄界の地蔵だけ左足を踏み出している。一刻も早く救いたいという気持ちが表されているのだそうだ。

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山門も本堂もでかい。撮影禁止なのに本堂の中で写真をとったおばさんがいた。坊さんに大声で叱られていた。

 

見所はいっぱいある。一回りしたあと、市内方向へ戻る。バスの車窓から目星をつけていたお焼きの店へ行ってみる。

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なすのお焼きと野沢菜のお焼きを頼んだ。サービスでお味噌汁とお茶が出て全部で340円。お焼きは結構食べ応えがある。

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ここではいろりでお焼きを焼いてくれる。おじいさんとおばあさんが汗を拭きながら焼いていた。いろり端で食べたからこちらも汗だくだ。その代わり外へ出たときにはとてもさわやかな気分になった。しばらく街中をぶらつき、早めにホテルに入った。

2013年9月 6日 (金)

長野の夜

 長野駅前のビジネスホテルに早めにチェックインした。

 ブログの更新をしたら五時過ぎになっていた。夜の気配が見えてくるとふらふらと外へ出かけたくなる。自宅ではそんなことはないのだが旅先では必ずそうなる。六時を待ちきれず駅に近い繁華街をぐるぐると歩き回る。いくつもの店を飲み歩くつもりはないから一つだけを選ばなければならない。

 結局「六方 はちべえ」という店に入った。これが幸い当たりであった。しめさばもムツの醤油漬けの焼き物も焼き鳥もうまい。野菜のぬかみそ一夜漬けもいける。酒の種類も豊富で、特に日本酒の銘柄がずらりと並んでいる。私はあえて燗酒を頼んだ。銘柄は桂正宗だそうだ。すっきりして後味のいい酒だ。

 たまたま「ひょうたんの柴漬け」というのが目に入った。それも注文。赤ちゃんひょうたんを酢漬けにしてあるのだ。ややしょっぱい。確かにひょうたんそのものである。ひょうたんは空洞ではなかった。

 突き出しも野菜でありがたい。生キャベツはおかわり自由。女の子も客あしらいがすばらしい。また明日も行きたくなるではないか。でも明日はドライデーにしようと思っている(明後日は桐生の周恩来御大に拝謁する日だ。当然おいしい酒を酌み交わす)。

 明日は川中島の古戦場と松代を訪ねる。佐久間象山の記念館も覗くつもりだ。

 ということで、善光寺の写真は明日の朝。

旧開智学校

1309_32旧開智学校・ちょっと左手に余計なものが映り込んでしまった。

 

旧開智学校は松本城の裏手、一キロ足らずのところにある。どういうわけかここへ行くと休館日であり、中に入れない。

 

今回初めて休館日ではなく、入ることができた。

1309_36この唐破風風の飾りが特徴。昔は上の塔まで上がれたらしいが、今回は立ち入り禁止だった。

1309_46教室風景

 

私の子供の頃はこんな机と椅子だった。これほどぼろではなかったけれど。

1309_42ガリ版

 

学級新聞をつくるためにガリ版切りをしたことを思い出した。

 

1309_43これも懐かしいダルマストーブ

 

煙突がついていたものだ。ここに石炭を入れて燃やすのだが、一日分を一度に押し込んで燃やしたらしばらくして煙突が真っ赤になって、ストーブがごうごうと言い出した。

 

あとで先生にひどくしかられた。

 

開智学校を見学してから信州大学の大学病院を目指す。そこから友人の家が近い。三キロ近く歩いただろうか。着ているものが汗でぐしょぐしょになった。松本は比較的に涼しいからまだ良かったが、名古屋なら熱中症で倒れている。

 

友人宅で早速着替えた。さっぱりしたところで明るいうちから酒盛りを始める。そうして気がついたら布団に寝かされていた。当然今朝は二日酔い。

 

10時過ぎ近くまでゆっくりと友人と馬鹿話。それから松本駅まで送ってもらい本日の目的地、長野へ向かった。

 

当然鈍行。二両しかない列車なので結構混んでいた。幸いすわれたけれど、人が邪魔で景色があまり見えない。姥捨駅で久しぶりにスイッチバックを経験した。

松本城

1309_22
昨日は予想通り、酔いつぶれて寝てしまった。友人の家の、あるだけのビールと酒と焼酎が飲み尽くされたらしい。

 

本日も昼頃まで二日酔いであった。

 

話を戻すと、名古屋から松本まで、特急なら二時間半くらいでつくけれど、暇があってお金のない私は鈍行で行くことにした。中津川で乗り換え、ここで早い昼食をとり、さらに松本へ向かった。通しで買うよりも中津川までと中津川から松本へ別々に買う方がわずかだが安い。

 

朝九時過ぎに名古屋をたち、松本到着は午後二時過ぎだった。天気はどんよりしている。雨が降らないだけましだ。

 

松本駅から松本城まで歩く。友人のところに行くたびに松本城は訪れているのだが、お城が大好きだから何度でもいいのだ。

 

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今回は天守閣には登らず。というのはこのあと旧開智学校を見て、さらに友人の家まで歩いて行こうと思ったからである。体力の温存だ。

2013年9月 5日 (木)

汚職取り締まり

 中国のニュースを見ていると、このところ汚職取り締まりの話題をよく見る。習近平が贅沢を禁止し、汚職を一掃する、という方針を出しているからなのだが、どこまで本気か信じがたいと思っていた。

 習近平自身は身辺に自信があるようだ。といったって自力の資産だけで頂点にのし上がれるはずもない。相対的なものだろう。

 今さかんに報道されているのは大手石国有石油企業の蒋潔敏前会長の身辺調査だ。彼が会長をしていた「中国石油天然ガス集団」は国内のみならず海外にも巨額の資産を持ち、中国最大の利益集団として隠然たる影響力を行使してきた。

 蒋潔敏の前から高級幹部三人も取調中であり、いずれ皆逮捕されて告訴されるだろう。彼らのさらに上部には習近平が首を狙う本命のターゲットがいる。周永康前政治局常務委員である。彼に対する調査も開始されている、という報道もある。

 彼らは、先日裁判が行われた重慶の書記長・薄熙来の支持者といわれる。周永康は薄熙来が逮捕されたあとも公然と彼を擁護する発言をしたという。

 だから見方によればこれは汚職摘発を名目にした権力闘争だ、とも言える。

 しかし「中国石油天然ガス集団」と言えば、日本の「東京電力」よりもはるかに大きな組織と利権の集団だ。日本で東京電力に大なたが振るえる政治家はいないだろう。だから今の汚染水のていたらくがあるのだ。

 そういう意味では背景に権力闘争があるとはいえ、「ハエも虎も一掃する」という習近平の汚職撲滅の方針は思ったより本気のようだ。

 中国はこの腐敗で巨額の金が闇で動き、経済に大きなコストを課している。しかし考えてみればそのコスト込みでも海外と戦ってきたのだ。そのコストは中国の「ゆとり」の部分でもある。そこを掘り出せば中国のお宝はまだある、ということでもあるのだ。

 本日から5日ほど長野県と群馬県を旅する。車がないから列車の旅だ。金がないから出来るところは鈍行旅行をする。車窓を思い切り楽しむつもりだ。本日は松本の友人のところへ行くが、相手がウワバミ(若いときは二升飲んで平気だった。今は少し衰えている・・・当たり前だけど)なので本日のブログの更新は難しいと思われる。

軟化を目的に姿勢を修正

 中国訪問中の横路前衆議院議長が中国最高指導部序列四位の兪正声と会談した。その席で、「中国は日本の国会議員や民間団体との交流を活発化させる意向である」ことを伝えた。

 これは「かたくなな態度をとり続ける安倍政権」に軟化を促す狙いがあるのだそうだ。

 かたくなな態度をとっているのはどちらか、はともかくとして、せめて民間交流だけでも以前のようになって欲しいものだ。日本と交流したい中国側の人々が行動しやすくなるように対日姿勢が修正されるのならなによりのことである。「かたくな」な方が軟化しなければ関係修復は始まらない。

 中国の反日が損得勘定や別の目的であることは中国人の多くの人が承知している。今回の修正にも目的があるのだろうが、「反日」を宗教の教条のようにしてしまった一部の連中のために、修正することが出来なくなってしまった韓国よりは柔「軟」であることは間違いない。

2013年9月 4日 (水)

言論の封殺

 韓国のある教科書メーカーの高校歴史教科書が革新派の議員たちから「歴史を歪曲している」と激しく攻撃されている。

 この教科書には「日本の植民地支配には韓国の近代化に貢献した面もある」と記述している。また「独裁者」として悪者呼ばわりされることの多い李承晩大統領や朴正煕大統領を肯定的に記述する一方、「2000年に金大中大統領が行った南北共同宣言は、宣言だけに終わった」としている(実際、事実である)。

 この教科書のほかに7種類の歴史教科書があるが、この教科書だけが違っていて学生の混乱を招く、というのが革新派議員や一部学者の言い分だ。

 関東大震災のときに、デマにより、たくさんの朝鮮人が殺害された件や慰安婦問題についての記述が少なすぎる、というのも非難されている理由らしい。

 しかしこの教科書は韓国政府の国史編集委員会による検定を受けて合格の判定を受けている。私などから見ればごくまっとうな教科書に思えるし、それをあえて反日気運の高い今、このような教科書を出す出版社は立派だと思うし、それを検定合格にした委員たちもすばらしい。

 戦前、美濃部達吉の「天皇機関説」をめぐって軍部と右翼がこれを攻撃、ついに美濃部教授の本は発禁にされた。言論封殺の象徴とも言える事件であった。大正デモクラシーから軍国主義への転換点ともいえる。「天皇機関説」は今見れば少しもおかしな話ではなく、昭和天皇もそこに書かれていることを「その通り」と述べておられたと言う。

 一方だけに与することが書かれている教科書とは思えない。どちらかと言えばまともなものを、よってたかって封殺しようとする。そんな国は極めてきな臭いいやな国だ。韓国は日本の愚かだった時代をまねようというのか。

 韓国の革新派議員というのは日本の右翼に極めて似ている。

人体実験

 人間の腸内というのは細菌の繁殖に有利な環境が整っているのだそうだ。

 ある調査によると、中国人の腸内の細菌には欧米人と比較して薬に耐性のある遺伝子がはるかに多く存在することが分かった。  

 この原因は明らかで、中国の医者は他の国よりもかなり多くの抗生物質を使用し、処方しているからだ。これは中国も認めている。更に魚類の養殖や牛や豚の家畜に大量の抗生物質が野放しに使用されていることも分かっている(中国だけではなく、製薬会社の努力で世界中(もちろん日本も)その傾向があるが、特に中国がひどいと言われる)。

 これにより、耐性菌が生まれ、それが繁殖すると抗生物質が効かなくなるおそれがある。伝染性のものであれば、これは中国だけにとどまらず、人類の深刻な脅威になるおそれがある。

 実験室で培養する代わりに国民を使って中国はそのような人体実験を行っているに等しい。中国が起源と見られる、治療の困難な病気が近年しばしば発生しているのもそれと無関係とは言えないのではないか。

永遠の微笑

 韓国ソウルの美容整形外科医院が、微笑んでいるような表情を永久に保てる手術法を開発し、特許を申請した。費用は日本円で20万円弱。仕事で笑顔が必要な人の間で人気が高まっているのだという(ということは手術を受けている人がいると言うことだ)。

 もともと欧米にもこのような手術法があったらしいが、施術を受ける人がほとんどいなかった。この韓国の医院では、従来の方法は筋肉バランスを考慮していない。今回特許を申請した方法はその点が改良されている、のだそうだ。

 韓国では素顔のままでは就職が難しい、として美容整形をすることが特別なことではなくなっていると言うが、このような、いつでも笑顔に、という手術はさすがに驚かされるもので、中国やアメリカのメディアもこれを取り上げて話題にしている。

 モナリザではあるまいし、微笑を顔に固定化する、などと言うことは異常なことだ。表情というのは感情の発露である。人は言葉だけではなく、表情でも会話する。怒ったり悲しんだりしているのに微笑みを浮かべている人なんて、生きている仮面をかぶっているようで気持ち悪くてお近づきになりたくない。

映画「神弓~KMIYUMI~」2011年韓国

 監督キム・ハンミン、出演パク・ヘイル、ムン・チェウォン、リュ・スンリョン。

 2011年の、韓国で興行成績トップだったヒット映画だそうだ。

 確かに面白くないこともないが、これがそれほどの人気映画というのがよく分からない。主人公のナミ(パク・ヘイル)がこのような歴史アクションにむいた顔にちっとも見えないのだ。

 もちろん好みの問題もあり、韓国ではあの手の顔が受けるのかもしれない。

 だいたいあのような半弓程度の弓で簡易的とは言え遠方の敵の厚い革の鎧を貫くのは無理だろう。弦もあまり強そうでないし、その上矢羽根がよれよれだ。あれではどこへ飛んでいくか分からない。それが思い通りに命中するというのもリアリティを欠いている。

 それだけでこの映画に対する思い入れがしぼんでしまった。期待していたのに。

 17世紀前半、清が朝鮮半島侵攻をした丙子の乱が舞台だ。このように、韓国側から見れば暴掠の限りを尽くされたのだが、このことで中国を恨んでいるという話を聞いたことがない。この映画がヒットした、というなら韓国人は中国人(映画では満州人)に何らかの意趣を持たなかったのだろうか。秀吉の朝鮮出兵にあれだけ恨みを抱いているのに変な国だ。

 敵の猛将ジュシンタ役のリュ・スンリョンは別格的に迫力があった。この酷薄な眼が戦う男の眼だ。彼と彼が率いる部下たちだけがこの映画の見るべきものだった。それ以外に見るべきものはない。

 ラストシーンで、ナミの妹ジャイン(ムン・チェウォン)とその夫ソグンの二人が鴨緑江を渡って国に帰る。国に帰ることは禁止されているはずなので、岸辺に着いたところでハリネズミにされるようにすると映画全体がしまって少しは悲劇性が増し、値打ちも上がっただろうに。

2013年9月 3日 (火)

映画「キック・オーバー」2012年イギリス

 監督エイドリアン・グランバーグ、出演メル・ギブソン、ケヴィン・ヘルナンデス、ドロレス・エレディア。

 久々にメル・ギブソン出演の映画を見た。メル・ギブソンはこの映画の脚本と製作にも関わっている。

 とにかく頭が切れる人間は勝負に強い。腕力はそこそこあればいい。いざというときの腹のくくり方と臨機応変の対応能力、そして相手の考えを読み取る力が優れていると、敵がいかに強力でも最後には笑うことが出来る。

 映画の最後で、画面から子供たちに、「誰でもこんな風に出来ると錯覚してはいけない、ごく限られた人間だけが出来ることなのだから」と語りかける。その通りだ。

 マフィアから大金を奪い、メキシコ国境を越えたところで逮捕された男(メル・ギブソン)は金を警察に奪われ、世界最悪と言われる刑務所に収監されてしまう。

 その刑務所は何でもありの刑務所で、金さえあればドラッグでも酒でも女でも手に入り、殺人が日常的に行われている治外法権の場所だった。

 そこで彼はキッドと呼ばれる少年(ケヴィン・ヘルナンデス)と知り合う。少年を情報源にしながらこの刑務所の仕組み、勢力関係を読み切り、自分の金を奪ったメキシコ警察の警官たちへの復讐と、自分を追ってくるマフィアへの反撃をはかる。

 原題はGet the Gringo。つまり友達をつかめ、というわけで、キッド少年が映画全体に大きく関わってくる。

 人を利用することだけで生きてきた男がこのキッドのためにどのように行動するのか、これがクライマックスだ。

 とにかく悪人が主人公なのに痛快きわまりない、というか、悪人だから痛快なのだ。善人には決してこんなことは出来ないし、善人は人を助けない。

 Wikipediaではアメリカ映画となっているが、WOWOWではイギリス映画としている。この映画の公式ホームページを確認したらイギリス映画が正しいようだ。

記憶に残る判決

 韓国メディアによると、韓国憲法裁判所設立25周年を機に、国民と記者3600人に、この憲法裁判所が下した最も記憶に残る判決を調査したところ、「親日派の財産没収は合憲」という判決だったそうだ。

 法律を作ってからそれ以前の過去をさばくことは法律の遡及性の禁止、といって原則的に許されてはならないというのが法律に携わるものの常識である。

 そうでないと法律に矛盾が生じてしまうのは少し考えれば分かる。あるときに合法的だったことがあとで違法と断罪されていたら何を信じたらいいか分からない。これを認めてしまうと何でもありになってしまう。

 韓国では法律より上に正義がある。その正義とは何か。「反日」である。「反日」であれば条約を無視しようが、法律と矛盾しようが正義の名の下にそれが優先される。

 「親日派」として断罪されている人々には問題のある人もあったことだろう。しかしその時代に朝鮮人民のために良かれ、と信じて親日を選んだ人も数多かったのに違いない。日本と朝鮮人民の間に立って苦労した人もいるだろう。そのうえすでに戦後68年経っている。また、それぞれの人はそれなりに経済的、社会的な何らかの制裁を受けてきたのではないか。

 それを今になって更に私有財産を没収することが憲法裁判所によって合法化されるというのは信じがたいことだ。そもそも法律とは何か、ということが分かっていない人が憲法裁判所に揃っているようだ。それとも分かっていながら「反日」だけは法律を適用しない、というつもりか。それならそもそも法律も裁判所も必要ないことになってしまう。

 世界の常識とは乖離しているこのようなことについては韓国は北朝鮮とほとんど酷似しているように見える。民族性なのだろうか。

 冗談ではなく、今に韓国は豊臣秀吉の朝鮮出兵の補償を要求し、それを憲法裁判所は合法と認めるに違いない。

はなざかり

 ほとんど毎日のようにブログを書いているが、他の人のものは限られた人のものしか見ていない。それでも時々は時間をかけて他の人のも丹念に眺めてみる。この二三日少し丁寧に拾い読みし、意見が合う合わないは別にして、読んで興味を引いたものには「いいね」を入れさせてもらった。

 しかしたいへんな数の投稿があるものだ。読んでいる尻から洪水のように次々に更新されてくる。美しい、または印象的な写真も数多い。しかし多くはプライベートなもの、ペットの写真やその行動についての話だ。

 それぞれ好みがある。私としては自分の考えに影響を与えてくれそうなものや、知らなかった場所や景色の話が興味深い。残念ながら趣味が全く合わないものもある。もしそれを書いている人が私のものを読んだら全く同様に飛ばすだろう。

 出来れば定期的に拝見したいものを選びたいのだが、枠を広げると物理的に読み切れない。選択幅を狭めるとほとんど継続的に見たくなるものがなくなってしまう。もう少し自分に波長が重なりやすいものだけ事前にセレクトできないものか、と感じている。

 ブログという手段による表現が千差万別の考えの基にあふれかえっている。はなざかりで結構なのだが、あまりも数が多くて本当におもしろいものを見そびれているような気がする。まして私はニフティのブログしか見ていない。ほかのプロバイダにも見るべきものはあるに違いない。

 とにかく時々は時間をかけて自分の好みにかなったものを探してみるしかないか。しかし世の中にはずいぶんいろいろな人がいるものだ。

引退の理由

 宮崎駿監督が引退を表明した。以前にも引退を表明したけれど再び作品を作って復帰した。しかし年齢から見てさすがに今度は引退後の本格的な復帰はないかもしれない。

 多くのファンがその引退を惜しむ声を寄せている。海外のメディアも引退を惜しむ論調が多い。その中にユニークなものがあった。

 いくつかの韓国メディアが、宮崎駿は「安倍政権の右傾化に失望したのではないか。そして自身の政治的発言の波紋に負担を感じたのではないか」と報道した。

 この報道にはびっくりさせられるが、いちばん驚いたのは宮崎駿本人だろう。

 今回の宮崎駿監督作品「風立ちぬ」を政治的なものとして騒いでいるのは世界中で韓国と中国だけである。まして安倍政権を右傾化ときめつけ、それと宮崎駿の引退とを結びつけるというのはほとんど妄想の世界だ。


 
 自分で騒ぎ立てておいてそれが引退理由だ、などとまことしやかに報道するというのはいわゆるマッチポンプというやつで、唖然とする。

 こんな報道を見せられ、聞かされ続けている韓国国民はまことに不幸な国民だと感じる。日本もややそれに近いが、ここまでひどくない。

カタカナの起源

 カタカナの起源が朝鮮半島にあった可能性がある、と広島大学の名誉教授が発表した。この教授が韓国の研究者たちと新羅時代に日本に渡った巻物の研究をしていて分かったという。

 日本だけでなく、韓国でもメディアが取り上げていた。韓国では「これまではカタカナは平安時代に日本で作られた、というのが学説の主流であった」と伝えている。

 この巻物は「大方廣佛華厳経」というものだそうだ。ここに本文の横に細字で書き込まれた文字がいくつか見つかり、それが漢字を略したらしく、カタカナの起源に見える、というものだ。

 今後更に研究が続けられて、もう少し詳しく分かることだろう。

 何でも韓国が起源だと主張することの多い韓国にしたらうれしい発見に違いない。

 もともとその仏典も本文が漢字で書かれているようだから中国からもたらされたものであろう。それならば新羅の人にとっても異国の言葉である。それを読みやすくするために自己流の簡略化した文字で注釈を入れた可能性が高い。そしてそれがカタカナの原型かもしれない、と言うことはありうることだろう。

 カタカナの起源が新羅にあった、ともしはっきりしたところでしかし日本人にとって別に何ほどのこともない。漢字の起源が中国にあってもいっこうに差し支えがないのと同様だ。アルファベットの起源がヨーロッパにあったところで何も問題がない。

 起源がどこかだから使えなくなるというなら別だけれど。

 どうであれ、文字などというものはそれを現在使いこなしているかどうかなのである。韓国ではカタカナが発展して使われているのか?漢字すら捨て去ってしまって、自分の国の過去の文書を読めるのは一部の研究者だけ、という国だ。そもそも韓国には過去の文書がほとんど残されていないともいわれる。今回でも日本に残されたもので研究したのだ。

 まさか韓国はカタカナの使用料を要求はしてこないと思うが、韓国の司法は異常だから過去にさかのぼっての請求を取り上げかねない。それが心配だ。

2013年9月 2日 (月)

映画「のぼうの城」2012年

 監督・犬童一心、樋口真嗣、出演・野村萬斎、佐藤浩市、榮倉奈々、成宮寬貴、山口智充、上地雄輔、山田孝之、平岳大、市村正親、夏八木勲。

 和田竜の同名小説が原作の映画だが、原作がとてもおもしろかったので期待して見た。「のぼう」役を野村萬斎がやるというのははまり役だと思っていたが、期待以上に楽しい映画であった。野村萬斎以外ではこの映画の成功はあり得なかっただろう。この人は不思議な魅力がある。

 舞台となった忍城(おしじょう)は埼玉県の行田市にある。ただし城郭は明治時代に棄却されており、お堀しか残っていない。行田には忍城とともに古墳群が残されていて広大な公園になっている。この古墳のひとつの山頂に石田三成が陣を構えたようだ。日本最古の鉄剣が出土したことでも知られる。

 むかし7~8年ほど仕事の関係で熊谷に住んでいた。行田は隣町で、親しくしている人も住んでいたのでよく訪ねた。足袋の産地としても有名だ。熊谷も行田も利根川と荒川に挟まれた平地にある。今も利根川から農業用と飲料用の用水路が行田市外を東京まで流れている。二つの川をせき止めて忍城を水攻めにすれば、ひとたまりもない。

 石田三成が総大将となって忍城を攻めた攻防戦がこの物語なのだが、石田方総勢二万、迎える忍城側の武士はわずか500、農民が3000ほど城にこもっているが女子供もいるので戦力としては当てに出来ない。城攻めには十倍の兵力が必要と言うが、なんと四十倍の差があったのだ。

 これが互角以上に戦うのだから痛快無比の話になる。しかも実話である。エンドクレジットに現在の行田の様子が映されていて懐かしかった。

やかましい声

 用事があって名古屋に出かけた。雨なのに車がないから電車である。今日は始業式なのだろう。早く学校が終わったので高校生が大勢乗ってきた。とたんに電車の中は彼らの話し声で喧噪の世界になった。必要以上の大声で話しているものがいる。お前らは中国人か!(やかましくない中国の人、申し訳ありません)

 幼稚園生や小学校の低学年の子供の集団は同様にやかましい。しかし年齢とともに周りが見えるようになり、そこまでやかましくはなくなる。

 いつから高校生が幼稚園児並みになったのだろう。もちろんこの高校が幼稚園児並みのレベルなのかもしれない。

 周りが見えないのは幼児と一緒だ。だからやかましくて傍若無人な中国人はこの高校生たちと同様幼児並みなのかもしれない。

 女子と小人(しょうじん)は養い難し、か。この場合、小人は子供のことではなくて教養や常識のないひとのことだけれど。(女子の人、申し訳ありません、・・・謝ってばかりだ)

ワースト二位のデマ

 中国では、「国連が国民民度、道徳水準の世界調査の結果を発表した。それによると中国は調査された168カ国中167位とワースト二位であったという。最下位はインド。上位は日本、アメリカ、フランスの順だった」という情報がネット上で話題になっている。

 中国の新聞社が国連にその調査について問い合わせたところ、「国連はそのような調査をして国をランキングをするようなことはない」との回答を得た。

 専門家は「確かに中国には道徳的に問題がないとは言えないが、ワースト二位と言うほどひどいとは思わない」と意見を寄せている。

 国民のすべてが民度が低いのではないだろう。日本だって残念ながら民度の低い人は少なからずいる。これは教育によるところが大きいような気がする。日教組の人権主義は利己主義を蔓延させ、拝金思想を奨励したと私は思っている・・・つい余計なことを言ってしまった。中国の話だ。

 この国民民度の調査結果はでまであるようだが、そのデマがまかり通ると言うことは中国人自身にそれを真実と受け取るような認識があると言うことだろう。日本を非難するのも、日本をおとしめると自らのポジションが上がると錯覚しているからかもしれない。

 これは中国人自身の自覚の問題で、迂遠だが教育を見直すしかないだろう。日本に歴史認識を問う前に、自国の歪曲された歴史を正しいものにするのが先だろう。嘘で塗り固めていても矛盾が現れてしまう。それこそが国民のやましさにつながっているのではないか。これは日本の教育にも言えることだが。

 香港の大学がアジア7カ国の紙幣の汚れ具合をばい菌の量で比較した。比較したのは香港、中国、パキスタン、カンボジア、フィリピン、北朝鮮の7カ国。

 そうしたらダントツで中国の人民元紙幣が汚れていることが明らかになった。菌量は17万8000個で、第二位の香港とカンボジアの紙幣よりも16万個多かったという。比較にならない汚染度だ。

 人民元紙幣は汚い。そして中国人は汚いのが定常だと考えているらしく思われる。空港などで交換した新札で買い物をすると、ためつすがめつしたあげくぐちゃぐちゃに揉み込んではじめて本物と確認してくれる。ときにおつりの中に一部破損してほとんどゴミにしか見えないような紙幣を紛れ込ませてわたされることもしばしばだ。そんなお金を使おうとすると受け取ってもらえない。ばば抜きみたいなものだ。

 そんな経験をしている人は多いだろう。こちらはデマでなくて事実だ。

2013年9月 1日 (日)

成井浩司「意外とこわい睡眠時無呼吸症候群」(講談社+α新書)

 睡眠時無呼吸症候群は略称をSAS(Sleep Apnea Syndorome)という。この本ではその略称を主に使用しているのでそれに倣う(何せ長いので)。SASについては最近盛んに語られているのでその症状については今更説明する必要はないだろう。

 SASは企業の生産性の低下、欠勤、遅刻、早退をもたらし、更に交通事故の原因になるなどその社会的、経済的損失は無視できないものとなっているという。

 ある調査ではSASの人はそうでない人の5倍の事故率だという。アメリカの長距離トラックの事故の調査ではその75%がSASであったという統計もある。

 実はSASは子供にもある。SASは睡眠のの質を著しく低下させる。睡眠時に盛んになる成長ホルモンの分泌が阻害され、心身の発育が大きく妨げられるのだ。いびきをかく子供は治療が必要な場合が多いという。乳児の突然死の原因のひとつがこのSASであることも最近分かってきた。またADHD(注意欠陥多動性障害)児童もSASが原因である場合があり、その治療が劇的にADHDの改善につながることもあるという。

 SASは寿命を縮める原因となる。また高血圧や狭心症、心筋梗塞という合併症を引き起こす。また糖尿病患者の割合も高い。これは肥満者がSASになることが多いから、ということが言えるのだが、SASになると肥満が更にひどくなるという事実からどちらが原因とも言えない関係だ。つまり肥満→SAS→肥満という悪循環が生ずるのだ。この辺のメカニズムは本書に詳しく語られている。

 睡眠時に多く分泌される成長ホルモンは子供にだけ分泌されているものではない。成人も分泌され、睡眠の質が低いとその分泌量が低下する。この成長ホルモンは体内の脂肪を分解する働きをしている。つまり上にあげた悪循環に関係しているのだ。

 また女性は女性ホルモンのおかげで通常SASにはなりにくいとされている。ところが閉経期を過ぎて女性ホルモンの分泌量が低下すると、SASになる割合はほとんど男性と変わらなくなるのだという。

 この本では後半でSASの検査法、そして治療法が語られている。

 この本は5年ほど前に興味深く読んだのだが、最近睡眠の質が悪くなっているような気がするので読み直してみた。ひとり暮らしなので自分の寝ているときの状態は分からない。

 むかし今より更に肥満していたころ、社内旅行のときにSASの状態をビデオに撮られて自分の睡眠がどんなに異常か知らされた。確かに突然眠くなることがしばしばあって、会議のときなどは実につらかった。

 減量するとそれが改善することも自分で確認した。というわけで、この本を読み直し、とにかく治療の前に減量をしようとあらためて決意した次第である。

小松左京「結晶星団」

 ハルキ文庫の同名の短編集に収められている。

 遙かな未来、ワープ航法が当たり前となり、宇宙のほかの知性体との交流も進んで、地球人も宇宙のネットワークの一員となっている時代、宇宙の一画に不思議な星団が発見される。

 全体は14個の星で構成されている。六角柱の各頂点に当たる12個と更に上下の六角形を底辺とした六角錐の頂点の各1個の星、つまり水晶の結晶のような形をしている星団だ。しかも不思議なことにそれぞれの星はすべて同一の大きさと質量である。

 その星団をはるかに仰ぎ見る惑星に調査隊が派遣され、その惑星の考古学的な調査と、その星団の中心部の探査が進められる。その惑星に住む人々(もちろん人類ではない)はその星団についての伝説を持っているのだが、詳しい情報は明かされない。

 何度かの星団内部の探査の結果は驚くべきものだった。そこはあらゆる物理法則が成立しない不思議な空間であった。ほぼ同じ頃、その惑星の調査隊はその結晶星団を模した不思議な浮遊する石の遺跡を発見する。ところがその遺跡のちょうど異常な空間に当たるところに触れたとたん、その遺跡は瓦解する。

 人類の人工知性を搭載した調査船がまさにその空間に打ち出されようというそのとき、それを引き留めるべきだ、という状況が出現するのだが・・・。

 因果の地平には何があるのか、その空間には何が閉じ込められているのか、それは宇宙の成り立ちそのものに関わる秘密につながっているのかもしれない。

 壮大なほら話をシリアスに楽しませてくれる。人類はついにパンドラの箱以上の、開けてはならないものを開いてしまうのかもしれない。

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