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2013年11月

2013年11月30日 (土)

藤井省三「現代中国文化探検」(岩波新書)

 北京、上海、香港、台北の四都市の歴史と文化を上から目線ではなく、その街の中に住む住人の視点から描く。

 まず各都市の20世紀初頭から20世紀末まで(この本が上梓されたのが1999年なので当然21世紀に入ってからの記述はない)のたどってきた歴史が概説される。現在の各都市から見ると意外な一面を知るところもある。

 そして各都市に関連した文学について代表的な作家とその作品を例として取り上げ、その作品世界の意味をそこに暮らした人々の目線から解釈する。

 そしてさらに同様にその街に関連した映画を取り上げて同様にその描かれていることの裏側の意味が分析されていく。

 この本はそれぞれの都市を説明しながら文化比較を行ったものだ。そしてその比較を通して逆にもう一度中国の近現代史を実感として描き直す。

 著者は各都市を訪問者としてではなく、滞在者として暮らした経験を持ち、その変貌を自分の実感として見てきた。彼が勧める各都市の見所を頼りに、機会があればそれぞれの都市をもう一度(香港だけはまだ歩いたことがないけれど)自分の足で歩いてみたいと思った。今までよりはこの本を読んだおかげでディープな視点からそれぞれの都市が見直せるのではないかという気がした。

映画「コロンビアーナ」2011年・アメリカ・フランス

 製作・脚本リュック・ベッソン、監督オリヴィエ・メガトン、出演ゾーイ・サルダナ、マイケル・ヴァルダン。

 コロンビアの黒幕に両親を殺された少女カトレアはシカゴに住む叔父を頼ってアメリカに渡る。彼女の父はその顔役の手先としてダーティな仕事をしていたらしい。そして叔父のダニー(マイケル・ヴァルダン)も暗殺を引き受けるエージェントだった。

 冒頭はカトレアが女の子としては信じられないアクロバテックな能力を発揮して皆殺しに来た男たちから逃れるシーンが続く。

 そして15年、プロの暗殺者として叔父の仕事を引き受けているカトレア(ゾーイ・サルダナ)の姿が映し出される。小柄で細身の彼女はさながら女忍者のようである。

 依頼された仕事をしながら、彼女は自分の意志で次々に殺人を行う。それは両親を殺した男をあぶり出すためのメッセージだった。そしてそれをCIAがいち早くかぎつける。その黒幕を情報提供の見返りにアメリカに呼び寄せて保護しているのはCIAだったのだ。

 完璧に仕事をこなしていたはずのカトレアにも恋人が出来たことから齟齬が生じ始める。しかも敵に叔父の行方が掴まれてしまうのだ。

 危機に陥る彼女が紙一重で窮地をくぐり抜けながら敵に迫っていくところがとてもスリリングだ。ラストの闘いは度肝を抜くスケールで胸がすく。

 さすがにリュック・ベッソンの脚本。たまに外れがあるけれど、観客を楽しませることに掛けては文句なしにピカイチだ。面白い。

映画「ストロベリーナイト」2013年日本

 監督・佐藤祐市、出演・竹内結子、西島秀俊、武田鉄矢、大沢たかお、三浦友和。

 原作はもちろん誉田哲也の「姫川玲子シリーズ」。このシリーズはテレビドラマ「ストロベリーナイト」になっていたけれど民放のドラマはCMでいらつくので原則見ない。

 このシリーズの原作の第一作が「ストロベリーナイト」だが、この映画はシリーズ第四作の「インビジブルレイン」が原作だ。「ストロベリーナイト」の方が映画として面白いと思うけれど、すでにテレビドラマで使われてしまったのだろう。

 題名に合わせて全編に雨の中のシーンが多い。ところで勝俣刑事役を武田鉄矢が演じているとは知らなかった。なるほどこれは原作のイメージを損なわない。もう少し粗暴なイメージを抱いていたけれど、武田鉄矢のイメージの方が正解かも知れない。

 組織暴力団の幹部・牧田に扮する大沢たかおが、決して人に見せないその哀しみをみごとに表していている。女はこういう男に魅せられるのだろう。こんなのに勝てるわけがない。

 西島秀俊の菊田刑事はもうけ役だ。女はこういう男にあこがれるだろう。こんな男に勝てるわけがない。

 もう別に勝つつもりもなくなったのについ勝負したくなるのが男というもので、我ながら身の程知らずと言うところか。

 ストーリーはネタバラシになるからやめておこう。原作に忠実にしかもよく出来た映画だと思う。原作を読んで結末を知っていたけれど最後まで物語に引き込まれて見ていた。

映画「バトル・ハザード」2013年アメリカ・シンガポール

 監督クリストファー・ハットン、出演ドルフ・ラングレン。

 題名から想像されるとおり、「バイオ・ハザード」のストーリーを模倣している。何しろ「バトル・ハザード」だ。さらに「ニューヨーク1984年」を取り込み、先日見た「ロックアウト」を味付けにした映画だ。

 バイオ産業を誘致して栄えていた東南アジアのある都市が研究施設から漏出した病原体により汚染されてしまう。これに感染すると脳死の状態のまま凶暴化して生き続けるというゾンビのような症状となる。

 感染を免れている人々もいるがその人々も含めてその年は完全に封鎖されて出入りが出来なくされている。

 その指揮官に極秘でその娘・ジュードを救出するように依頼されたのがマックス(ドルフ・ラングレン)である。小部隊で空から送り込まれるのだが、無数の感染者たちに襲われて次々に仲間を失っていく。何しろ何十万もいるから倒しても倒しても切りがないのだ。

ついに二人だけになったところで逃走用のヘリに救出を要請する。そして最後の生き残りをヘリに乗せたあと、マックスは一人で再び街に向かう。探索を続けるうちにひとりの若い娘と出会うが、それが探していたジュードであった(なんたる幸運!)。ジュードは数人の生き残りの仲間のところへマックスを連れて行く。ところでこの生き残りがなぜ感染していないのかが全く説明されない。

 グループのリーダーは隔離された街に今頃救出に来たというマックスの言葉に疑念を持つ。その疑念の通り、マックスはジュードのみを救出するよう指示を受けていたがそれを言うわけにはいかない。そしてジュードの身元についてもグループは知らない。

 実はジュードの父親こそこの事態の責任者だったのだ。しかも街はまもなく住民ごと焼却されることが明らかにされる。そのタイムリミットに向けて脱出劇が開始される。

 ストーリーはつぎはぎだらけだが何とかつながっている。やがてジュードが妊娠していることが分かり、そしてマックスには救出のほかにもう一つ使命があったことも明らかになってくる。

 出来の悪い西部劇がひたすらインディアンを撃ち殺すことに終始するのと同じく、ここでも感染者がただただ次々に殺される。さいわいこの感染者は一度殺されると再び立ち上がることはない。ところでこの感染者たちは何を食べて生き続けているのだろう。人間を襲って食いつくけれど、共食いをしないのだろうか。共食いすればすぐ絶滅するのだが・・・。

 タイムリミットが思ったより早くおとずれ、絶体絶命になったマックスたちにさらに無数の感染者たちが襲いかかる。

 あのロッキー3で圧倒的なパワーを見せつけたドルフ・ラングレンもよく見ると頬もこけ、年をとってくたびれ果てている。腕力は相変わらずありそうだが、その動作は緩慢で、息切れしながら演技しているように見えるのが痛々しい。

2013年11月29日 (金)

名古屋市美術館

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白川公園の中にある名古屋市美術館の特別展はハイレッド・センターの「直接行動の軌跡」展であった。ハイレッド・センターとは何だろう。高松次郎=Hi、赤瀬川源平=Red、中西夏之=Centerのことで、この三人が1960年代に実際の行動をすることで日常に芸術を持ち込もうと試みた軌跡を展示している。

 

五十年前のこのような芸術活動は現代美術をかじるなかで多少知っていたが、あらためて目の当たりにすることが出来た。

 

いちばん有名なのは赤瀬川源平が、千円札をコピーしたり、細密な模写を行ったことで訴追され、裁判で有罪判決を受けたことだ。この経緯やそのときに証拠物件として収監された作品が展示されている。

 

紙幣というのは化けの皮を剥げばただの紙切れである。虚構の最たるもので、それを無意味化することこそ芸術だ、という問題提起は分からないことはない。

 

それを犯罪とする当局との駆け引きこそパフォーマンスの極致だったことがこの展示で分かる。

 

赤瀬川源平は当時「現代の眼」というアナーキーな雑誌に連載を載せていて、この裁判の様子もパロディとして描いていたことを思い出した。

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名古屋市美術館。

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美術館の中空には人が浮かんでいた。

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美術館を出て近くのコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、白川公園の紅葉を見ながら昼食を食べた。近くには科学館に引率されてきた子供たちがたくさんいて賑やかだった。時間を見計らってこのあとプラネタリウムを見に行ったのだ。

プラネタリウム

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プラネタリウムを生まれて始めて見たのは今から50年以上前のことになる。渋谷の東武(だったと思う)の中にあったのを叔父に連れて行ってもらった。当時SF少年になりかけていたし、宇宙の話が大好きだったから、大感激であった。このあと星の名前や星座の名前、その位置を一生懸命覚えた(今はほとんど忘れてしまった)。望遠鏡も自作した。倍率100倍くらいの屈折型で土星の輪もかろうじて見ることが出来た。ただ安いレンズで作ったから周辺部で色収差を生じて凄まじい色が見えたりした。三脚まで作れなくて工夫して何とかいろいろな物に乗せて見たものだ。空にこんなに星があるのかとびっくりしたのを思い出す。

名古屋市科学館には世界一のプラネタリウムがある。一度見に行こうと思いながら機会がなかった。今朝急に思い立って出かけた。写真は開演直前の映写機だ。

久しぶりに天文少年のわくわくする気持ちになった。

ちょうど今日この日にアリソン水星が太陽のすぐそばを通過したのだという。見込みではそのときに太陽の熱で彗星の氷が溶けて大きく尾を引くはずだったが、それが観測されていないという。ということは多分接近しすぎて彗星自体が砕け散ったのかも知れないのだそうだ。

満天の星空を見上げてとても満足した。

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名古屋市科学館。丸いのが世界一のプラネタリウム。手前にH2ロケット。

ここは名古屋の白川公園の中にある。このすぐそばには名古屋市美術館もある。実はあまりぎりぎりに行ったら満席でその次は二時間後、ということだった(間に小学生の団体が入っていたので二回待ち)。仕方がないので名古屋市美術館に先に行ったのだが、その報告はこのあとで。

無知について

 内田樹先生の「修行論」という本を読んでいる。その中に「無知」についてある哲学者の言葉が引用されていて、先生も全面的にそれに賛同している。私もはっきりと意識はしていなかったものの、思い当たることがたくさんあるのに気がついた。

 「無知とは知識の欠如ではない。そうではなくて、知識で頭がぎっしり目詰まりして、新しい知識を受け入れる余地がない状態のことを言う」。

 そして内田樹先生の言葉として
 「人は物を知らないから無知であるのではない。いくら物知りでも、今自分が用いている情報処理システムを変えたくないと思っている人間は、進んで無知になる。自分の知的枠組みの組み替えを要求するような情報の入力を拒否する我執を無知というのである」
と述べたあと具体的な例を挙げて説明している。

 ひとは見たい物を見るが、見たくない物は眼前にあっても見えない。同じように、知りたくないことは受け入れない。これをどれほどたくさん見てきたことだろう。

 何のための読書なのか、旅なのか、映画鑑賞なのか、あらためて教えてもらった気がする。こんな無知な私でも、さいわい薄々とは感じていたことなので、何とか先生の言うことが分かってうれしい。

2013年11月28日 (木)

天野祐吉「成長から成熟へ」(集英社新書)

 天野祐吉は今年の10月に亡くなった。1933年生まれと言うからちょうど80歳ということか。

 天野祐吉は博報堂に勤務し、後独立し、「広告批評」という雑誌を立ち上げた(この雑誌は役割を終えたとしてすでに終刊している)。この本は、半生を広告というものに関わって生きてきた彼が、広告を通して戦後から現代までを見てきた備忘録のようなものである。

 広告は物を売るために、ほかの物から区別して優位性を伝えるものとして始まった。差別化の伝達である。人々が何か欲しい物があるときに広告の情報を元に選ぶことが期待されていると言っていい。
 
 しかしすでに人々は何かをあまり求めなくなって久しい。家には何でもあふれるほど物があるから欲しいものがあまりなくなってしまった。そこで広告は欲望をかき立てるための手段となる。すでに持っている物を陳腐化して新しい物をほしがるように仕向け、古いものを捨てさせようとする。

 現代はさらにそれすら過去のことになり、物ではなく、こと、が広告される。すでに物があふれているのであふれないもの、旅や情報などが取り上げられる。ゲームの機械ではなく、ゲームが、つまりソフトが売り買いされ、それがさかんに広告される。本が書籍という紙の媒体ではなく、デジタルブックで内容だけが売買され、それがコマーシャルされる。

 これは私のつたないイメージであって、この本にははるかに深い思索と知識に裏打ちされた天野祐吉の考えた広告のくわしい変遷が、多くの具体的な広告の例を挙げて語られている。

 いままでこんな窓から世界を見たことがない。

 天野祐吉は語り口も穏やかで分かりやすいが、文章も平易でそのいわんとするところが理解しやすい。彼のようなクールでありながら説得力のある論客を失ったことは日本にとって大きな損失だったと、大げさではなく感じている。

 読みやすい本で、あまり出会うことのないような内容の本だと思う。試しに読んでみたら案外面白く読めると思うのでお薦めしたい。意外な発見があるだろう。

過剰反応のワケ

 生物に痛覚があること、不安を感じるのは、危険を回避するためだ。過剰では生きにくいし、足りなければ命を縮める可能性が高くなる。

 安心と安全は違う、という。安全はある程度計数的なもの(つまり科学的なもの)で安心は心の問題だからだ。

 韓国の水産業が原発汚染水への恐怖から大打撃を受けていて収まる気配がないらしい。韓国の政府やマスコミにすれば全て日本が悪いと言うことだろう。それはある面では事実なのだが、韓国の沿海で獲れている水産物まで汚染を恐れて売れないという事態はどう見ても過剰反応だ。

 これは韓国の報道が事態を科学的な事実に基づかないで針小棒大に伝えてきたからに他ならない。安全の基準など全て信用できないと決めつけて、不安を煽り続けてきたからに他ならない。

 ニュースでは、数年前に韓国のテレビ局が「韓国人は狂牛病にかかりやすい体質だ」と報じたことからパニックになり、全国的な反米デモが起きたという事実が合わせて取り上げられていた。狂牛病にかかりやすいかどうか知らないが、韓国のメディアは事実ではないことや過剰な装飾を施した報道をする体質があるようだ。そしてそれに乗せられやすいのが韓国国民なのだろうか。だからマスコミも国会議員たちも反日を利用して正義の味方を標榜するのだろう。

 しかしマスコミにも少しは国民の利益を考える気持ちはあっていいはずなのだが、このような不安を煽る報道は国民に対して不利益しかもたらさないように思えるのだがどうなのだろう。

 現に韓国経済はウオン高だけではなく、日本との関係が冷え込んだことによって大きくダメージを受けているらしいではないか。正義のためには国民が大きな不利益を受けてもかまわないのだろうか。マスコミや国会議員の役割とは何だと思っているのだろう。

日本の痛みを突く

 日本の初代総理大臣であり、初代の朝鮮総督であった伊藤博文はハルビンの駅頭で朝鮮人・安重根に暗殺された。

 韓国では安重根は独立運動の英雄とされている。その安重根の像をハルビンに建てようという働きかけが韓国政府から再三中国政府に対して行われてきたが、中国政府は拒否してきた。ところが先日朴槿恵大統領が訪中した際に再度中国に懇請し、像が建てられる可能性が高まったという。

 このことは韓国のマスコミで大歓迎されているようだが、中国の一部メディアにも賛同の評論が乗せられている。その見出しが「(安重根の像をハルビンに建てることは)日本の痛みを突くものだ」。

 彼らの言う日本の痛みとは何だろう。伊藤博文を殺されたことの悔しさを言うのだろうか。記事では「日本の右傾化が日本の東アジアでの孤立を招いていることに気がつかない日本国民」などと続くことから見ると、どうも意味が違うようだ。

 どちらにしても安重根の像が建つことは、心ある日本人の多くにとって不快であることは間違いないが、痛みを突かれるというような、やましさを背景にした感情を感じるなどと言うことはあり得ない。

 もし痛みを感じるか、感じるふりをする人が思い浮かぶとすればただひとり、鳩山由紀夫くらいだろうか。多分中国メディアにとって鳩山由紀夫が普通の日本人と見えている(見ようとしている)のだろう。

映画「ゲットバック」2012年アメリカ

 監督サイモン・ウェスト、出演ニコラス・ケイジ、ジョシュ・ルーカス、サミ・ゲイル。

 前半は四人組の窃盗団の仕事の模様が緊迫した雰囲気で描かれる。緊迫しているのは当然で、実はその様子をFBIがじっと監視していることが観客には分かっているからである。しかしリーダー、ウィル(ニコラス・ケイジ)にとっては想定済みのことで、FBIが彼らの侵入先と考えていた宝石交換所はフェイクだった。

 ほぼ計算どおりのタイミングで犯行を成し遂げ、まんまと逃走に成功しかかったとき、たまたま臘警備員に見とがめられてしまう。若い仲間のヴィンセント(ジョシュ・ルーカス)は顔を見られたから、とその警備員を殺そうとするのだが、絶対に殺しはしないことを信条にしているウィルはそれを止めようとして争いになる。銃が暴発し、ヴィンセントは足を負傷、何とか車に乗せ、金を取りに戻ったウィルを待ちきれず、彼を残して仲間は逃走してしまう。

 それからウィルとFBIのカーチェイスが延々と続くのだが、衆寡敵せず、ついに捕縛される。ところがウィルは奪ったはずの金を持っていない。そして服役すること8年、彼が出所してくる。

 ここからが本来のストーリーとなる。FBIは彼がどこかに金を隠していると確信して彼につきまとい、厳重な監視を続け、少しでも問題があれば再び捕縛しようとしている。そして同じように考えている者がほかにも居た。

 ウィルが最初に会いに行ったのは最愛の娘アリソン(サミ・ゲイル)。幼い女の子だったアリソンも思春期の少女に育っていた。当然のことだがアリソンはウィルを受け入れない。気まずくふたりは別れる。

 タクシーで去るアリソンが奇禍に遭うとは、ウィルは全く思っても見なかった。預かり物としてFBIでて手渡されていた紙包みがそのとき音を立てる。紙包みは携帯電話であった。電話はヴィンセントからで、娘のアリソンの身柄と引き替えに金を持ってこい、というのだ。ウィルは金はないのだ、と説明するがヴィンセントは取り合わない。  

 窮したウィルはFBIに駆け込み助けを求めるが、ある事実からFBIはウィルの話を全く信じず、金を隠すための狂言だ、と断定して彼を追い返す。ヴィンセントはすでに死んでいたのだ。

 そこから娘のアリソンを救うためのウィルの疾走が始まる。ノンストップで次々に難局を切り抜け、再び追い詰められたときに彼がとった手段とは・・・。

 テンポが良い映画でとても楽しめたのだが、どうしてこうアメリカ映画というのは娘を誘拐して主人公を脅す、というものが多いのだろう。敵が卑劣である、ということを表すのに最も効果的なのかも知れないが、なんだかアメリカの病理を表しているようにも感じる。

2013年11月27日 (水)

沢木耕太郎「流星ひとつ」(新潮社)

 今年八月、藤圭子が飛び降り自殺した。若い人にとっては宇多田ヒカルの母親としての認知度のほうが高いかも知れない。

 この本は藤圭子が28歳のときに突然歌手を引退すると発表し、そのさなかに沢木耕太郎がホテルのバーで長時間のインタヴューをした会話を文章にしたものである。

 なぜ今頃それを出版するのか。その理由は巻末の後書きに書かれている。

 この本は前編全て会話のみで綴られていて一切地の文のないという特異な形式で書かれている。だから藤圭子の外観については一切記述がない。顔色も表情も衣装の記述もないし、沢木耕太郎の質問に答えたときのリアクションも会話から推測することしか出来ない。

 沢木耕太郎はノンフィクション作家として脚光を浴び始めた頃で、当時いろいろな手法での表現を試みていたという。この本もそのようにして執筆された。そして書き上げたあと出版するかどうか迷いに迷った末にただ一冊のみを製本して藤圭子に送呈したのだという。いつか出版する日もあろうかと思いながらコピーを一部だけ手元に残し、そのままになっていたという。

 藤圭子が自死したあとに、宇多田ヒカルがマスコミにコメントを寄せた文章がある。この本の後書きにそのまま収録されている。ここには藤圭子が精神の病に苦しみ続けていたことが明かされている。宇多田ヒカルにとっての藤圭子はこのインタヴューで明かされている輝くような個性と魅力にあふれた藤圭子とはまるで違う。

 だからこの本をあえていま出版したのは宇多田ヒカルへの、彼女の知らない母の真実を伝えるメッセージであり、同時に多くの藤圭子ファンに対するメッセージなのだ。彼女がなぜ歌手を突然引退したのか、真実はもちろん分からないが、この本で語られている言葉に虚構があるとは思えない。ひとりの人間が生きて、そして死んだ。その人生の輝きの記憶がこのような形で残されたことは彼女への鎮魂になると信じる。

誉田哲也「感染遊戯」(光文社文庫)

 姫川玲子シリーズの第五作目だが、姫川玲子はほとんど出てこない。いくつかの連作になっていて、それぞれの事件に意外な関係があることが次第に明らかになり・・・というスタイルになっている。

 このような事件はこれから現実に続発するかも知れない。「天網恢々疎にして漏らさず」というが、天ではなく、正義の味方を自認する狂気の人間が自分の論理で悪を断罪すると言うことだ。このような正義という名の狂気は感染する。いまのネットでの言説がまさにそのようなものの蔓延を予兆させる。

 社会悪は常に存在する。日本(日本だけではないのだろうが)では社会正義より自らの属する組織の利益を優先することが公然とまかり通っている。特に官僚にその傾向が著しいと国民は感じている。これは事実以上にマスコミのアジテーションがそう思わせている面もあるのだろう。何事も限度を超えて行われればそれに対しての制裁が働く。その役割を国民はマスメディアに期待していたが、どうも同じ穴の狢ではないかと思わされることもしばしばある。

 そうなれば正義のために法を犯してでも行動する人間が出現するのは必然なのかも知れない。ネットでエスカレートした扇動があればたちまち火の付く人間というのがいるものだ。それを意図的に行うものがあれば社会の秩序は一挙に崩壊する。それもこれも責任をとらずに限度を超えた貪欲がまかり通っているからだ、といえば私も扇情者か。

2013年11月26日 (火)

映画「モンテ・ウォルシュ」1970年アメリカ

 監督ウィリアム・A・フレイカー、出演リー・マービン、ジャンヌ・モロー、ジャック・パランス。

 どうやらいい男にコンプレックスがあるらしくて、そうでない俳優が好きだ。リー・マービンとジャック・パランスのコンビなんて最高ではないか。特にジャック・パランスは昔から大好きだ。

 モンテ・ウォルシュはリー・マービンが扮するカウボーイの名前だ。西部劇の時代の末期、近代化の波が押し寄せ、牧場経営が成り立たなくなってカウボーイたちは職を失い消え去ろうとしていた頃の物語だ。

 むさ苦しい男だけの世界、男どおしの友情、話すより殴り合う方がわかり合える関係。あのなつかしい西部劇の時代が哀愁豊かに描かれている。それがいい男ではない二人が演じるのだから最高だ。

 モンテの相棒チェットもついにカウボーイ稼業を辞めて金物屋の亭主に収まることになる。そしてモンテの働いていた牧場も閉鎖され、モンテがカウボーイをやめたら一緒になろう、と約束していた外国生まれの商売女(ジャンヌ・モロー)も病で先立ってしまう。

 カウボーイたちはどこへ消え去ったのだろう。消え損ねて犯罪に走った者との対決を制してモンテ・ウォルシュも画面から消え去っていく。

 良い映画だった。音楽も最高。

 ちなみにいい男ではないから好きな俳優。ジャック・パランス、アーネスト・ボーグナイン、リー・マービン(この人、鼻の下が長すぎるから異相なので、髭を蓄えると意外にいい男だった)、リノ・バンチュラ。ほかにもたくさんいるけれど切りがない。サル顔の男もいかにもヤンキーっぽくて好きだ。スティーヴ・マックィーン、マット・デイモンなど。

片田珠美「他人を攻撃せずにはいられない人」(PHP新書)

 他人を攻撃する、ということは単に相手に暴力を振るったり、言葉で相手を非難罵倒するということだけではない。いかにもおためごかしでやさしく親切にみえても、その裏に相手を支配し屈服させようとしているものをも含む。著者によれば攻撃の目的は支配なのだ。

 支配しようとする攻撃者にその自覚があることもあるが、多くは無自覚ではないかと思う。そして攻撃を受けている側にもそれが自覚されずにいることも多い。この本では攻撃対象になりやすい人についても詳しくその性格の傾向が述べられている。

 この本では、そのようなあまりお近づきになりたくないような攻撃者の事例が繰り返し、しかも数多く挙げられ、その心のからくりが説明される。そして最後にそれに対する防御法が書かれているが、それがいかにも心許ないことを著者も認めている。

 つまり「他人を攻撃せずにはいられない人」に対して対処するのはほぼ不可能なのだ。なぜか。そのような人は自分が正しいという確信の元に行動しているので、それを否定するいかなる物言いも全て自分に対するいわれのない攻撃としてしか認知できないからだ(私が正義の味方が嫌いなのはその故である)。ある意味で自分の負の部分を認めることが出来ない弱い精神の持ち主とも言える。

 この本に興味を持ったのはこのような攻撃的な人の心理を知りたいと思ったことと対処法だったが、それ以上に、もしかして自分自身がその「他人を攻撃せずにはいられない人」かも知れない、という内心の不安があったからだ。しかし人は時に攻撃的になり、時に人の攻撃を受けるもので、常に「他人を攻撃せずにいられない人」というのはこの本であげられた極端な人を除いては少ないだろう。そしてそれはある相手との関係で生ずるものでもあるのだ。

 人の関係は不思議なもので、自分にはどうしても苦手な人が他の人には平気だったり、その逆があったりする。支配や攻撃も相手によるのかも知れないが、この本では煩雑になりすぎるからか一方的なものが主にあげられている。

 この本を読みながら人間関係だけではなく、国と国の関係もそんなものかと思ったりした。中国と日本との関係、韓国と日本との関係をこの本の見方になぞらえれば、その関係の修復はあまり望めず、敬して遠ざけるしかないことがあらためてよく分かった。

 この本を読んで身の回りを見直せば、いろいろ思い当たることだらけだろう。しかしあまりその見方にこだわると生きにくくなるかもしれない。まあ、何事もお互い様で、ある程度の忍耐も必要なのがこの世の中だ。中国や韓国に言ってみたいが相手にされないだろうなあ。

映画「アイリス」2001年イギリス・アメリカ

 監督リチャード・エアー、出演ジュディ・デンチ、ケイト・ウィンスレット、ジム・ブロードベンチ、ヒュー・ボネヴィル。

 輝くような知性と美貌にめぐまれ、若いときは奔放に生き、伴侶に恵まれてからは哲学者として、そして小説家として多くの作品を残したアイリス・マードックという実在の女性の半生を、夫君の手記を元に描いた映画。

 冒頭、水中のシーンが続く。水草の様子からそれが海ではなく、川か湖であることが分かる。全裸で泳ぐ若い女性(ケイト・ウインスレット)とやや太めの男が水中で戯れる。それに続くように老齢の女性(ジュディ・デンチ)と男が楽しげに泳ぐ様子が映し出される。二組の男女が、やがて現在と過去の一組の男女の姿であることが分かってくる。

 哲学者で作家として著名になったその女性・アイリスは講演や執筆に忙しい。そこには、いまは大学の語学講師をしている夫のジョンの姿が常にあった。そこから、彼女が認知症になって次第に仕事が出来なくなっていく様子が克明に綴られていく。そしてそこに過去の彼女の若き日々がフラッシュバックのように挿入されていく。

 決してエンターテインメントではないのに映画に引き込まれてしまうのは、自分が認知症になる不安を抱えているからだとばかりは言えない。人生の終末とはどのようなものか、それをあからさまにリアリティをもって描いているのに無惨なだけにみえないのはそこに夫のジョンの深い愛情があるからだ。

 老老介護には限界がある。生活がほとんど破綻に瀕する。それでもできる限り相手と格闘するように面倒を見ていくことで相手との絆が深まる関係もあるのだと思わせてくれる。

 意地悪な見方をすれば夫の手記だから自分を美化しているところが無いとは言えないだろう。しかし限界まで彼女を愛し続けたことは信じられる。このような伴侶を得たことは彼女の幸せだが、関係した(肉体関係のあった)数多くの男の中から風采の上がらない、髪も薄く吃音のジョンを選んだという彼女の確かな眼、賢さがあってのことだろう。

 主演のジュディ・デンチは007シリーズでイギリス情報部MI6のMを長いこと演じていたおなじみの顔だ。彼女の演じるアイリスが認知症となり、次第に症状が重くなっていく様子は真に迫っている。過剰な演技が一切ないのがとてもいい。画面で人ごとで見ていられるから良いが、自分の親や自分自身のことに思いを戻すと、いたたまれないところもある。しかしそれが人生の現実の一部なのだ。

 若き日のアイリスを演じたのはケイト・ウィンスレット。この人は「タイタニック」のローズ役で記憶されるが、あの映画ではやや太めであまり知性を感じなかった(ディカプリオがあまり好きではないので「タイタニック」という映画自体があまり良い映画として記憶されていない。だからケイト・ウィンスレットに良い印象が残っていないのかも知れない。ただ音楽は良かった)のに、この映画ではスリムで輝くような知性を感じさせる女性を好演している。特に相手を見つめる眼がすばらしい。同じ女性と思えないぐらいだ。水中で揺れ動く彼女のおっぱい(乳房などという印象ではない)が忘れられなくなった。

 こういう映画を見るのもときには良いものだ。続けてみるのはかなわないが。

2013年11月25日 (月)

映画「やがて哀しき復讐者」2011年中国・香港合作

 監督ロー・ウィンチョン、出演アンソニー・ウォン、リッチー・レン。

 いわゆる香港ノワール映画。あくが強く、周りを支配してのし上がった男が自分が築き上げたものの虚しさに気づかされることになる。

 悪徳不動産王のウォン(アンソニー・ウォン)はある村を買い占めて再開発することに全力を尽くしていた。しかし村はあげて反対運動を行い、計画は進まない。彼には娘と息子がいるが、妻が死んで再婚した頃から娘は非行に走り、いまはドラッグ中毒になっている。病院に入れて更生させようとも思うが言うことを聞かない。

 そんな娘がボリビアの塩湖に行きたい、と言い出すが、ウォンは一蹴する(冒頭のタイトルバックとラストシーンはウォンがこの塩湖にたつシーンだ)。腹を立てて家を飛び出した娘・デイジーだが、しばらくしてウォンの元へ娘を誘拐した、という電話が入る。

 ドラマはウォンの用心棒で片腕でもあるイウが誘拐犯を追い詰めていく物語とウォンの行動が、時間を前後させて交錯して展開していく。

 ウォンは金に困った娘の自作自演かも知れないと疑いながら、誘拐犯のいうとおりに行動するのだが、娘は戻ってこない。

 やがて娘を発見したとイウから連絡が入る。

 後半はウォンから依頼されたイウが誘拐犯たちを一人づつ追い詰めていく復讐の物語だ。最後に意外な共犯者が明らかになり、それを知ったウォンとイウがとった行動は何だったか。

 製作はジョニー・トー、この人の映画はたいてい面白い。先日の連作映画だけはいただけなかったけれど。

 人を支配するために攻撃的な言動しか出来ない人間が、自分自身のすがたに気がつくことがあるのかどうか。よほどのことがあれば気がつくのかも知れない。実はいま片田珠美「他人を攻撃せずにはいられない人」という本を読んでいるのだ。もうすぐ読み終わる。

大沢在昌「ブラック・チェンバー」(角川文庫)

 昨年5月にハードカバーで出版されたものの文庫版だが、もしかして一度読んでいるのではないか、と内心心配したが初読だった。最近は自分の記憶に自信がないのだ。

 主人公の刑事・河合の風采は中年で「ずんぐりとして色の浅黒い男」だ。そしてそれ以上の描写はついに最後まで無い。だから新宿鮫の鮫島警視のような、よく見れば格好のいい男ではない。

 この河合がロシアマフィアらしき男を外人バーで張っているときに拉致されて殺されるところから物語が始まる。車に押し込まれ、密かに殺されて埋められるのが必至の状況から助け出したのが「ブラックチェンバー」という秘密組織だった。

 こうして彼を拉致した人間たち共々行方不明というかたちでこの世から消えた河合は、一年後その組織の一員として活動を開始する。台湾に潜伏して一年、訓練を受け、最初の使命でタイに渡り、自分の抹殺を計ったと思われるロシアマフィアの男の尾行を開始する。そしてその男が接触したヤクザと接触を図るのだが・・・。

 そのロシアマフィアが河合の目の前で殺され、事件は急転する。不可解な展開に翻弄されながら河合はタイから日本に戻ることになる。

 巨大組織になった日本のヤクザの山上連合とロシアマフィアとの関係を追求するうちに、その目的が次第に明らかになるにつれ、河合は自分がなぜブラックチェンバーにスカウトされたのかを知ることになる。

 河合のボディガードとして常に行動を共にする小柄な女性・チヒは元北朝鮮の凄腕の工作員だった。とりつく島の無いチヒとのやりとりの中で次第に心が通い出すところが切ない。

 いったい背後に何があるのか。謀略の全貌が明らかになるとともに、河合たちは絶体絶命の状況に追い込まれる。これ以上はネタ晴らしが過ぎるのでここまでとする。とにかく大沢在昌の小説は必ず楽しめて外れが無い。この本も読みだしたら一気に読める面白い小説だ。

映画「明かりを灯す人」2010年キルギス・フランス・ドイツ・イタリア・オランダ合作

 監督アクタン・アリム・クバト、出演アクタン・アリム・クバト、タアライカン・アバゾバ、アスカト・スライマノフ、アサン・アマノフ。

 珍しいキルギスの映画。シーンごとの展開は理解するために必要な情報がぎりぎりにそぎ落とされていて、観客が想像力で補わなければならないので、集中せざるを得ない。80分という短い映画だが、中身は濃い。

 キルギスのある村が舞台。国の政権が交代したらしく騒然たる雰囲気が村にも及んでいる。小さな村議会らしき会合の場面から、平和で牧歌的だった村がいまは貧困にあえいでいることがうかがわれる。

 その村の、人の善い電気工が主人公である。彼の夢は風の強い谷に風車を並べ、風力発電によって村全ての家に明かりを灯すことである。彼は自分の家の前に自作でその風力発電の風車を建てている。

 その彼が告発されて村長の前につきだされる。電気メーターに細工して電気を盗んでいる、というのだ。村長に問いただされると「電気代の払えない、貧しい家にだけ細工した」と答える。村はほんの一握りの有力者のみが豊かで他の人は極貧という状態だ。電気代を払っている人間が電気工を告発したのだ。職を失うことを覚悟した電気工だが、村長は彼を許す(許すシーンはない。仕事を続ける彼の姿で分かるのだ)。

 村長は村を何とか昔のようにしたいと心を砕いているが、村を再開発する、と称して村の土地を奪おうとする人物(村出身で国会議員に立候補しようという有力者だが、周りにヤクザまがいの男たちを従えている)が村で暗躍を始める。その人物は電気工を家に呼び、その夢を語らせてその夢に協力しようという。電気工は単純に「いい人だ」と思う。

 村長と電気工が草原で酒を飲みながら語り合う。村長は高齢なのに無茶な飲み方をする。電気工は心配する。これで村長の苦労と健康に問題があることがうかがわれる。

 そのあといくつか小さな物語が続いたあと村長が死ぬ。その葬式の集まりの場にあの人物が現れ、次の村長を勝手に指名して公然と村を仕切り出す。次の村長に指名された男は電気工の友人だがあの人物に取り込まれていき、人が変わったようになっていく(これもそのようなシーンはなく、以前は仲良く酒を酌み交わしていた新村長が、いまはつきあってくれない電気工に泣き言を言うシーンから何となく分かる)。

 ここで電気工が工事でしばしばおとずれる老婆の家での会話が挟まれる。その会話からその老婆は若い娘と二人暮らしで、若い娘の両親は貧困に耐えきれずに出稼ぎに都会へ行くといって出かけたきり村に帰ってこないことが分かる。そして娘は働いて自分を養っていること、さらに両親にまで金を送っているという。娘は優秀で大学へ行く能力もあるのに自分がいるから村から離れられない、死にたい、と老婆は嘆く。この中で、貧しい村の娘が老婆を養うだけでなく、両親に仕送りまでしていることに気がつかなければならない。

 この娘は美しく、電気工が密かにあこがれている娘である。電気工は電信柱に登るから、高みからいろいろなものを見ているのだ。電気工には妻とかわいい四人の娘がいる。だから娘に対する気持ちはあこがれの域を出ない。

 ついにあの人物が公然と村の再開発を進め始める。そのために中国人たちを村に招待する。その飾り付けが行われ、電飾のために電気工も呼ばれ、接待の酒席に参加させられる。電気工にとってその接待は不快なものだった。やがてその接待は次第に卑猥なものに変わっていく。

 そこに供されたのはあの娘だった。ついに電気工はいたたまれず「やめろ!」と怒鳴っていた。そのときに娘が発した言葉が電気工を打ちのめす。

 そのあと座がどうなったのかは語られない。後日電気工はあの人物から呼び出され、いやがるところを無理矢理拉致される。湿地で男たちになぶりものにされるシーンがしばらく映されて映画は終わる。

 クレジットに重なるように電気工の自転車が疾走しているシーンが映されるが、足元だけなので乗っている人物は分からない。ただ工事用の工具のガチャガチャいう音はしている。

 見る機会があまりない映画だと思うので、あえて詳しく書いた。もし見る機会があったら忘れてから見て欲しい。主人公の顔がとても良い。

2013年11月24日 (日)

アイデンティティの確立

 韓国は「世界一」「世界最高」「ワールドクラス」という言葉が好きで、さかんに多用する。そもそも国名も「大韓民国」とわざわざ「大」が付いている。

 また韓国は文化や偉人の起源が韓国であるという説を唱える。日本の空手、華道、茶道、剣道などは全て韓国起源だと主張している。先般は仮名も韓国起源だという奇説を日本のある学者が唱えたところ、日本では誰も相手にしていないのに韓国でだけ盛り上がっていた。また中国の発明である紙や羅針盤や漢字も韓国発祥だと主張しているし、孔子はもともと韓民族らしい。

 しかし起源であると唱えている国が、その文化を全く継承も発展もさせていないのはどうしたわけであろうか。日本の植民地のときに失われたとか奪われたといいたいのだろうが、さすがにそれは無理だ。

 この韓国の心性を韓国や中国の学者が解析している。この特異な韓国の民族主義は、韓国の劣等感によるものだというのだ。中国に対しても日本に対しても対等の国という自信が持てないことの裏返しの心性が、このような主張をさせている、というわけだ。

 韓国は未だに自国のアイデンティティを獲得できていないということのコンプレックスがこうした過剰な自己主張につながっているのだ。つまり韓国はまだ自立していないということ、真に独立を果たしていないということなのだろう。だから無謀であっても日本に戦争を仕掛けて勝ちたい、というのが本音なのではないか。

 このような国と友好関係を結ぶのはほとんど絶望的なことであり、安易な妥協は韓国を侮辱することになる。韓国の自立を援助する、というのは矛盾だったのだ。今後は毅然と、かつ敬して遠ざける方が良いだろう。朴槿恵大統領もそれを望んでいるようだ。

一人っ子政策と高齢者の急増

 中国の一人っ子政策がようやく緩和されることになった。遅きに失したと思うが、これでまたすぐ人口爆発が起こる、と懸念する向きもあるらしい。心配のしすぎのような気がする。

 南京市の60歳以上の人の割合が実質(学生や駐在軍人を除く)20%を超えたという。この人々はひとり暮らしや老夫婦だけの場合が多く、今後この人たちの介護が問題になってくると報じられていた。

 この報道を見て当たり前のことに気がついた。これらの老人の子供たちは一人っ子であることが多いのだ。この老人たちの面倒を見るのが期待される子供にはそれぞれ両親がいる。結婚していれば夫婦ふたりで四人の老人の面倒を見ることになるわけだ。老人が長寿になれば、この老人の孫の時代には、その孫は何人の老人の世話をしなければならなくなることだろう。 

 中国経済が右肩上がりを続けている間は何とかなるかもしれないが、いったん経済停滞が始まったときはどうなるのだろう。子供に期待して十分な老後の蓄えをしていないひとも多いような気がする。見捨てられた老人たちの悲劇がこれから始まる。

 出生率の低い日本もそういう意味では同じことだろう。今更いっても詮無いことだが、団塊世代の老人は自立するのに必要な蓄えが必須なようである。あーあ、手遅れか。

2013年11月23日 (土)

軍艦島

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今回の九州旅行で特に記憶に残ったものは軍艦島(端島)であった。この島を舞台にした浅見光彦の物語があったと思うが、最近では大沢在昌の「海と月の迷路」という小説がH島としてここを舞台にしたミステリーだった。最盛期には5000人以上の人が暮らしていた、という。1974年に閉山にともない無人となった。

この写真を撮ったのは長崎半島から。肉眼ではこれほどはっきりと島の細部は見えない。折から寒風が吹き、白波が立っていた。小説などでイメージが作られてしまったので、いっそう凄愴な感じがした。

この島の高層住宅が日本で最初の高層アパートなのだという。人がたくさんいたときはそれなりに賑やかだったのだろう。

ここがユネスコの遺産に登録申請されるという。それに対して徴用工の問題から韓国が激しく反対しているらしい。事実はどうであったのか知らないけれど、この軍艦島のたたずまいはアルカトラズに匹敵する異様な存在にみえる。

ここが朽ち果てたとしてもそれはそれで良いではないかと思う。むやみに手入れをすることには何となく賛同できない。人の営みというのはむなしいものだという象徴として遠望する方がこの島の最後にふさわしい気がする。

九州からの帰還

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九重の筋湯温泉というところに泊まった。有名な黒川温泉に近い。一緒に行った兄貴分の人と相談して、これで切り上げて帰ることにした。ということで九州から大阪、そして名古屋まで一気に帰るという大長征をすることになった。

写真は九重から大分に抜ける途中のインターのパーキングから見た由布岳。上には雲と雪がかぶっている。

大分からさらに佐賀関まで行き、ここからフェリーで四国・佐多岬の三崎港まで渡る。

佐賀関のフェリーで乗船を待っているときにちょっとトラブルがあった。興奮状態になったおじさんが真っ赤な顔をして激高していたが、無視する。もうちょっとで車を降りて相手をしそうになったが大人げないので自重した。

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さらば九州。また来る日まで。時間があれば関鯖、関鰺を食べたかった。

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関鯖や関鰺を釣っていると思われる船が見えた。潮目があるのか、船がいるのは水面にさざ波が立っているところであった。

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三崎港から佐賀関港に向かうフェリー。こちらの船と同じ大きさ。片道70分である。

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あの細長く突き出た佐多岬が見えてきた。三崎港は伊方原発に近いところにある。

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これは佐多岬の先端にある灯台。ここへ行くのは佐多岬を行き止まりまで走り、駐車場に車をおいで20分以上掛けて歩いて行かねばならない。駐車場までは3年ほど前に行った。先っちょが好きなのだ。

このあと先輩の人の希望でしまなみ海道を渡って山陽道へ、ひたすら大阪を目指す。

その後ちょうど夕方のラッシュに巻き込まれ、大阪で先輩の人を下ろしたのは7時半頃だった。さらに名古屋の自宅に帰着したのは10時をだいぶ過ぎてから。朝7時半に宿を出て延々15時間の強行帰還だった。帰っても頭がふらふらして酒を飲んで風呂に入りようやく少し治まったが本格的に元に戻ったのは今朝だった。

2013年11月21日 (木)

阿蘇・九重

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南阿蘇に泊まり、朝一番で噴火口を見に行った。山頂は雲に隠れている。頂上に着いたら予想通り雲の中であった。その上噴火口への有料道路は閉鎖されている。しばらくしたら係のおじさんがやってきて、8:30からいけます、ということであった。外気温2℃。風があるのでもっと寒い。ようやく噴火口へいけたと思ったら写真のように全く見えず。

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ごらんのように頂上は雪が残っている。お願い地蔵さんには何もお願いをしなかった。

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広々とした野原には牛の姿が点々と見えた。阿蘇の赤牛である。

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阿蘇の南側から東回りで北側へ走る。阿蘇の五峰の一番東側の根子岳。奇峰である。

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阿蘇の主峰。

仙酔峡を目指す。

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仙酔峡から眺めた阿蘇主峰。やはり北側は荒々しくしかも雪景色がきつい。つい数年前までここからロープウエイが噴火口まで行っていたが、今は運休中。再会の可能性はほとんどないようだ。もったいない。

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榎木孝明の美術館に寄った。ここは二回目。彼の水彩のスケッチが大好きだ。前回同様、今回も一冊画集を購入した。

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九重夢の橋、という吊り橋を見た。

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吊り橋から見える滝。兄貴分の人の話では水量が少ないらしい。

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これは反対側の展望に回り込んで見た吊り橋。揺れる。

今晩は黒川温泉が近い筋湯温泉という地熱発電所のそばの温泉宿である。

残念ながら明日は大分から四国経由で帰る。

2013年11月20日 (水)

南阿蘇温泉でしゃぶしゃぶ

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これは特別料理をたのんだのではない。しゃぶしゃぶだけれど牛ではなく、豚のしゃぶしゃぶである。三年ほど前に泊まって大変気に入ったので兄貴分の人(向かいに座っている)に了解してもらってここに泊まった。

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二人とも美食してはいけないのにお腹いっぱい堪能してしまった。満足満足(写真だけで申し訳ない)。

明日は四国経由で帰るような話にもなっていたのだけれど、ちょっといい気分なので九重高原の温泉にもう一泊することにした。やった!

ということでおまけ。雲仙岳の平成新山の写真。

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噴火のあと標高が120m高くなったそうだ。

雲仙

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雲仙に行った。雲仙温泉の地獄谷。

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雲仙岳は冠雪していた。

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雲仙岳、平成新山。

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島原市から雲仙岳を見る。左手は雲仙普賢岳の前に出現した平成新山。

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島原市は前だけが火砕流を遮ったので助かった。火砕流で埋まった家屋が残されている。

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これは屋内の展示場。

このあと島原の口之津からフェリーで天草へ渡った。

天草五橋を渡り、宇土へ、海の景色がすばらしいのだろうけれど、雨が降り出して残念ながらかすんで写真にならない。

宇土から迂回して阿蘇へ。今晩は南阿蘇の温泉の宿に泊まる。

2013年11月19日 (火)

伊勢エビ

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今晩のお刺身。野母崎の脇岬は伊勢エビで有名なところだそうである。これは樺島灯台で出会ったバードウオッチングを趣味としている夫婦に教えてもらった。

泊まった民宿は四畳半に二人で泊まるような宿だが、料理だけは参ったか、というほどであった。この刺身のほかに山盛りのフライにおでんまでついていてそのほか小鉢もあるからご飯を食べる余地はない。

もちろん伊勢エビの殻は味噌汁にしてもらった。刺身より味噌汁がうまかった。

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強者どもの夢のあと。

残念ながらお酒はまずい。

軍艦島と樺島灯台

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広島から一路長崎へ。本日は長崎市からさらに南下したどん詰まり、野母崎の脇岬の民宿だ。長崎から海岸沿いに499号線を南下。途中海の向こうに軍艦島(正式には端島)が見えるではないか。

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実際にはこんな感じの距離感。本当に軍艦みたいだ。ここはユネスコの遺産に登録を申請することで話題になっている。

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脇岬のさらに先には樺島という島が橋でつながっている。景色が良いというので樺島に渡り、灯台まで車で登った。狭い道で車がすれ違うのは不可能。そんな道が延々と続く。思ったより遠かったが、ごらんのような姿の美しい樺島の灯台を見ることが出来た。

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灯台から見下ろした海は青くて美しい。

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無人の灯台の横には資料館がある。

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展示品の一部。

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灯台から樺島の漁港に戻ったら驟雨が降り出し、それがたちまち晴れてごらんのようなきれいな虹が見えた。メインの二時の左側にもう一つうっすら見えているのが分かるだろうか。赤いのは樺島橋。

今晩は伊勢エビを食べる予定。

文化振興

 韓国の朴槿恵大統領が韓流とその関連文化産業の振興に国家予算の1.5%に当たる5000億円を投じる、というニュースを見た。ずいぶん巨額の金を投じるものだ。しかし韓流文化というのは国民の税金をそこまでつぎ込むだけの値打ちのあるものなのだろうか。

 偏見かもしれないが、芸能界へ流れ込む金は裏社会へも流れる、というようなイメージをつい考えてしまう。華やかな芸能界の裏面にはそのような影がつきまとうものだというではないか。

 キムチ文化がユネスコの文化遺産に登録されそうだ、というので韓国は大はしゃぎしているようだ。あまりのことに商業主義に利用される恐れがあるようなら登録を認定しないかもしれない、とユネスコに釘を刺されているが、どこ吹く風だ。もし認定されないとまた日本が裏で動いた、などと言いかねない。

 自分の国の文化にプライドを持ち、盛り立てるのは悪いことではない。しかし底の浅いものをいくら飾り立ててもそれは一時的な華やぎに終わるだろう。韓国の文化を評価をするのは韓国以外の人々のはずだ。自画自賛ばかりしているとそっぽを向かれてしまう。現にそうなりつつあるような気がする。

 それにしても韓流文化に国家予算の1.5%とは!

 朴槿恵大統領も国民の人気取りばかりしていると墓穴を掘るぞ。それともそうせずには延命できないほど弱体な政権だと言うことなのだろうか。育ちが良すぎて案外気の小さい人なのかもしれない。

広島の夜

 昨晩は広島、流川界隈の賑わいが一段と華やかだった。胡子(えびす)様のお祭りだということで、熊手の飾り物の店をはじめ、夜店がたくさん出ていた。夜10時を過ぎても人の賑わいが続いている。

 昨晩は息子がアテンドした店で飲んだ。バカ爺さん二人は酔うほどに勝手なことをほざき、ちょっとだけ息子をいじったりした。若いときに年寄りにいじられるのは光栄なのだ、などと知るのは自分も年をとったときだ。でもとにかく賑わう広島を見た。台北の夜市や東南アジアの夜のマーケットのようなパワーまではないけれど、子供も含めてたくさんの人が集まっているのを見るのはそれなりに楽しい。

 残念ながらカメラを持たずに出かけた(いままでカメラを持ったまま酩酊してろくなことがなかった)のでただ眺めただけだけれど。

 酩酊してホテルにようやく帰着した。ちょっとだけ小腹が空いていたのでもう一度出かけるかどうか迷ったが、出かけなくて正解であった。繁華街の中にあるホテルなのでブレーキがきかなくなったかもしれない。

2013年11月18日 (月)

安芸の宮島

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兄貴分の人と大阪空港で待ち合わせて広島に向かった。中国道を走ったのだけれど、峠道ではみぞれが降り、広島はどうなのか心配したが、写真の通り快晴。

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月曜日だというのに人がいっぱいであった。

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屋根がとてもいい。

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参道の商店街で揚げもみじまんじゅうを食べた。この店は息子に教えてもらった店だ。うまい。

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駆け足で一回りしてふたたびフェリーに乗って戻った。

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もう夕日が落ちかかってきた。これから広島に戻ってホテルに入り、息子と合流して広島の夜を楽しむ。







2013年11月17日 (日)

 しばらくじっとしていると出かけたくなる。明日から旅に出ることにした。

 明日は息子のいる広島に泊まる。そのあとは九州方面に出かける、と決めているだけでどこに行くかまだ未定。日本国内で足を踏み入れていないのは長崎と沖縄だけなのでとにかく長崎だけにはこの機会に行こうと考えている。

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10071_38兄貴分の人のリクエストで宮島にも行く。右に映っているのは息子。

 今回はひとり旅ではなく兄貴分の人(この歳で兄貴分の人、というのも変だけれど、歳を追い抜くことは出来ないからずっと兄貴分の人だ)とのふたり旅だ。兄貴分の人は去年大病をしたので、以前のようなバカ酒を飲むわけにはいかないのがややつらいが、自分のためにもそれで良いのかも知れない。

 東北に湯治に出かけたい気もするが、それは帰ってきて一息入れて、冬用のタイヤに交換してからということになる。

使えなくなる

 北京の地下鉄に導入されたドイツ製の自動改札機がたびたび故障するという。修理のためにメーカーの技術員はドイツと中国を頻繁に往復しないとならないそうだ。その間機械はまさか止まっているわけではないだろうがたいへんだ。

 誰が経費を持つのだろう。多分メーカー負担も大きくて、嘆いているのではないか。

 この故障の原因は、前の人が入れた乗車券が向こう側に出る前に無理矢理次の人が乗車券を突っ込むからだそうだ。ドイツメーカーは2、3秒を想定していたらしいが中国では0.5秒でも遅いそうだ。

 ある海外メーカーは中国でのマニュアル車の販売を中止した。あまりにも渋滞がひどく、ギアシフトシステムがトラブルを起こすことが多くて持たないからだという。

 我がちに殺到すると収拾が付かなくなり、かえって物事の処理が遅れるのに中国人が気がつくのはいつなのだろう。 

ヨーロッパと日本などが開発した豚の糞を利用した発酵技術を利用した装置が中国に導入された。糞の処理が期待されたが使えなかったそうだ。発酵のためのバクテリアがすぐ死滅してしまうからだ。中国では豚のえさに抗生物質がふんだんに使用されており、その抗生物質がバクテリアを殺菌してしまう。そもそも豚にはメタンガスを発生させる菌が棲みついているが、調べたら中国の豚にはその菌が見当たらないのだそうだ。日本でも家畜に抗生物質が使用されるがあまり問題にならない。使用量の桁が違うのかも知れない。

 海外の技術を導入した排水処理やゴミ処理のシステムも、あまりの量と汚染のひどさに処理が対応できなくでダウンすることがしばしばだという。中国対応の強力なものを開発しないといけないようだ。

 なんだか中国は、手のつけられないゴミ屋敷の状態みたいにみえてきた。限界を超えると片付けるよりたまる方が多くなるのがゴミだ。

人口爆発

 中国の三中全会が終了した。決定事項として発表されたものは観念的なものが多いが、「一人っ子政策」の見直し決定は数少ない具体的なものだ。国家衛生計画出産委員会というのが巨額の利権の温床であり、再三「一人っ子政策」の見直しが言われながら先送りされてきた。

 今回の決定は夫婦のうちどちらか一方でも一人っ子であれば第二子の出産を認める、というものだ。「合理的な労働力を確保し、高齢化の加速を抑制する」ことが出来るとしている。

 いま出産制限が緩和されたからと言って、これから生まれる赤ん坊が労働力として参画するのは20年くらい先になるだろうから遅きに失しているけれど、しないよりはましであることは間違いない。

 この決定に対する抵抗勢力からの「人口爆発が再び起こるのではないか」という懸念に対して中国政府は「短期間で出生人口が大幅に増えることはない」 と答えている。

 短期間から先のことはいまの中国政府にとっては関係がない事柄だ。政界を引退してすでにこの世にいない可能性が大きい。

 ところでこれから子供を作る夫婦は1980年以降に生まれた人がほとんどであろう。一人っ子政策が施行されたのは1979年だから、一人っ子ではない人はあまりいないはずだ。つまり二人までは子供を持っても良いと決めたということになる。

 中国は男性の数が女性よりも10%以上多い。これは一人っ子政策の隠れた弊害だ。結果として女性の価値が高くなり、自立する女性が増えれば安易に結婚しない女性も増える。確かに中国女性で結婚しない女性が増えているという。そうなると結婚できない男性が大量に出現することになり、現にそうなっているようだ。日本でも生涯未婚の数は男性の方が遙かに多い。

 自然界でも雄は雌とつがうことが出来るものがわずかであることが多い。人間の雄も厳しい競争にさらされるのは自然界の摂理と言うことなのだろう。こちらはもう用済みなので人ごとだけれど。

三国共同教科書

 朴槿恵大統領が日中韓共同の歴史教科書を提唱している。それに対して一部識者が賛同している。その根拠としてドイツとフランスが共通の教科書を検討して一部実験的に進められていることをあげている。

 遙かな未来に東アジアにユーロ体制のような体制が達成できたときには可能なことかも知れない。そのような理想的な未来を描くことが出来れば子孫にとっても幸せなことである。

 しかし現状ではいくら何でもあまりにも歴史認識が違いすぎる。朴槿恵大統領は日韓の融和を不可能なことを条件にしているのだが、これは融和をする気がないというメッセージなのか、それとも本気で言っているとしたら理想主義に過ぎて政治家としての資質が疑われる。

 それならまず韓国と中国で共通の教科書を作成して実施して見せてもらいたいものだ。互いに譲歩することの苦手な国がどのような妥協が可能なのか見せてもらいたい。そもそも中国は共産党が国家を独占的に支配する国である。イデオロギーが根本的に違う。共通認識を真に得るためには体制を同じにする必要があることは自明である。歴史認識と教科書は体制とは別だ、などという者がいるなら、その人は教科書をあまりに軽視しすぎている。教育をおろそかに考えすぎている。

 ドイツとフランスの例を引き合いに出すのはあまりに中国という国を知らなすぎるというべきだ。それとも知りながら日本が中国の体制に合わせることを狙っているということか。

 中国経済が減速しているのは誰もが認める事実である。減速してどうなるのか、いま世界中が注視している。韓国のように中国との結びつきを進める(日本との関係が冷えたから必然的なことなのだが)よりも、ある程度距離を置いて静観していく方が良いのではないか。韓国や中国が好きなことを言っているからといってそれにいちいち反応する必要はないだろう。マスコミは騒ぎすぎる。

 日中間の共同教科書などと言うものは子孫の叡智にゆだねようではないか。

2013年11月16日 (土)

映画「ストレンジャー」2010年アメリカ

 監督ジョン・ドイル、出演コリン・ファース、オーランド・ブルーム、エレン・バーステン、パトリシア・クラークソン、アンバー・タンブリン。

 題名といい配役といい当然アクションかサスペンス映画だと思ってじっと見ていたのだが、なかなか事件が起きない。

 むかしタバコ産業で栄えた街、ノースカロライナ州のダーラムはいまは寂れた田舎町だ。地元の没落したタバコ王の邸宅には老婆になったタバコ王の娘・ジョージアナ(エレン・バースティン)が独りで住んでいる。

 そのジョージアナの持ち物である大きな倉庫が貸し出され、そこに有毒廃棄物が置かれることになる。何も知らされていなかったジョージアナは貸し出しの契約を廃棄するかどうか迷い、姪のウィラ(パトリシア・クラークソン)に相談するのだが・・・。

 廃棄物処理業者の担当者ガス・リロイ(コリン・ファース)は言葉巧みに街のためにもなる事業であることを訴え、契約破棄を思いとどまらせる。

 その間に、警官(オーランド・ブルーム)とその元恋人とのすれ違いなど街の人々の日常が描かれていく。それぞれの人にとって切実な日々なのだが、それが坦々と進んでいく。

 そして事件は最後に起こる。それは事件というより事故なのだが、映画を見ている人間の期待とは全く違う展開で終わる。こんなのもありなのだ。

 この映画は結末を知らずに見なければならない。ネタ晴らしは厳禁である。

映画「強奪のトライアングル」2007年香港・中国

 監督ツイ・ハーク、リンゴ・ラム、ジョニー・トー、出演ルイス・クー、サイモン・ヤム、スン・ホンレイ。

 映画が終わってほっとした。ようやく終わってくれたか、という気分だ。香港映画(中国映画も)は昔から猥雑で不潔な感じのものが多い。それを我慢できるくらいエネルギッシュだと良いのだが、この作品は最後までその不快感がぬぐえなかった。

 有名な三人の監督が30分ずつ受け持って一本の映画にしたそうである。一応ストーリーはつながっているけれど、はちゃめちゃでちっとも面白くない。久しぶりにとんでもない駄作を見た。

映画「ザ・バッド」2009年アメリカ

 監督ピーター・ヒューイット、出演モーガン・フリーマン、クリストファー・ウオーケン、ウィリアム・H・メイシー、マーシャ・ゲイ・ハーデン。

 「ディア・ハンター」も、だけれどスティーヴン・キング原作、クローネンバーグ監督の映画「デッド・ゾーン」 でのクリストファー・ウォーケンに魅せられて、それ以来の大ファンだ。ほとんど無表情で、眼だけで演技する人だけれどそれが決まっているのだ。彼の出ている映画は主演でなくてもたいてい見ている。この映画も以前から見ようと思っていてようやく見ることが出来た。クレジットはモーガン・フリーマンが上だけれど、どう見ても主演はウオーケンだ。

 美術館の警備員のロジャー(クリストファー・ウオーケン)はある画(海岸を見つめる若い女性の絵・とても美しい)に魅せられている。その美術館が展示物を大幅に変更するためにその画をデンマークに移してしまうという。絶対に許せないロジャーだがなすすべがない。同じようにある画(フェルメールの絵のようだ)に魅せられている別の警備員チャーリー(モーガン・フリーマン)、ある彫刻に魅せられている警備員ジョージ(ウィリアム・H・メイシー)がいて、その三人が結託して自分の愛する画や彫刻をその美術館から奪う計画を立てる、というのがこの映画だ。もちろんずいぶん身勝手な理屈だが、これは初老の男のためのファンタジーだ。

 当然だが美術館の警備は厳重で、展示品を奪うのはほとんど不可能にみえるのだが、デンマークへ移送するタイミングを狙って決行することが決まる。奇想天外な方法が編み出されてほとんど成功するかに見える。

 ロジャーの妻ローズ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が何も知らずにロジャーを振り回す。どうしてアメリカの女というのはこんな風なのだろう。本当にアメリカの女性はこうなのだろうか。内田樹先生は、アメリカ映画は昔から(もっとマイルドな言い方だけれど)アメリカ女を馬鹿として描いてきた、という。アメリカの男はこんな女性にかわいらしさや愛情を感じるのだろうか。それとも映画(映画人には根底に女性蔑視の思想が潜んでいるらしいから)だからで、本当のアメリカの女性は違うのだろうか。

 こんな映画を見てアメリカの女性は、かわいい女、愛される女、というのは馬鹿であることだ、と刷り込まれて、せっせとそうなろうとしている、なんてことはまさかないと思うけれども。もっとも、それに気がついたからフェミニズム運動が盛んになったということはあるのかも知れない。

 とにかく愉快な映画だ。しかし変な甘さのあるラストは意外に毒を含んでいる気がする。

安岡章太郎「文士の友情」(新潮社)

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 個人全集はあまり持っていない。その数少ない一つが安岡章太郎の全集だ。ただし、全十巻のうち六巻しか揃っていない。しかも読んだのはほんの少しだけだ。ほかにエッセイの本が何冊かある。

 安岡章太郎は、第二戦中派として島尾敏雄、遠藤周作、吉行淳之介とは親友であった。同じ第二戦中派の阿川弘之、三浦朱門などとも交友があった。

 この本では前半がその親友たちとの交友の様子が綴られている。特に吉行淳之介との交友、そしてその文学についての私感がとても良い。この本の後半は遠藤周作との対談や、吉行淳之介と、島尾敏雄の葬儀のあとに対談したもの、小林秀雄との文学論についての対談などが収められている。

 その安岡章太郎も今年死んでしまった。これで親友たち全てがあの世に行ってしまった。

 この本は多分彼が書いた最後の文章が収められているものと言って良いようだ。収められている文章はとても良い。私も年をとるほどに安岡章太郎の文章がしみじみと良いなあ、と感じられるようになった。肌合いが合うのだろうか。これを機に全集をきちんと読んでみたいと思っている。

日本人を代表して

 鳩山元首相が(元首相というのも虫酸が走るが)また中国を訪問して日本人を代表したつもりになって謝罪を繰り返している(謝罪すべきこととそうでないことを全く理解していないこの人は、相手の言いなりに全て謝罪しているから問題なのだ。必要な謝罪はすでに日本政府は再三行ってきた)。菅官房長官ではないけれど論評する気にもならない不快な行為だ。この人何とかして欲しいけれど、日本には言論の自由があるからどうしようもない(中国なら反国家的行為をしたとして極刑かもしれないけれど)。まさかゴルゴ13を頼むわけにも行かないし。

 日本の恥のようなこのような人物を代表とした民主党を選んだ日本国民に対する天罰かもしれない。

 鳩山氏に対して中国ではこの人こそ真の中国の友達、と絶賛が集まっているらしい。中国にとってはこんな都合の良い人物はいないからそれは歓待するだろう。

 それがうれしくてまた何度でも中国を訪問するに違いない。この鳩山由紀夫という人、何の根拠もなく日本の二酸化炭素の排出量25%削減を世界に約束したり、あてもないのに沖縄の基地を沖縄以外に移すと公言したり、アメリカの大統領に「トラスト・ミー」と言って約束を破ったり、とんでもない嘘つきだ。

 日本では彼の言うことなどもう誰も信じないし、相手にする人もいない。信じたふりをするのは金が目当ての人間だけだ。中国もこの男の利用価値が思ったほどないことに気がつけばいまに弊履の如く捨て去るだろうけれど、いつになることやら。

 中国国民へ。鳩山由紀夫は日本人代表ではありません。宇宙人です。

2013年11月15日 (金)

追加支援

 中国政府が、フィリピンの台風被害に対して、1000万元(約1億6000万円)の追加支援を行う、と発表した。

 当初中国政府は紅十時(日本の赤十字に当たる)と合わせて20万ドル(約2000万円)を援助する、と発表していた。そのあまりの少額に世界中からだけでなく、中国のメディアも批判的だった。

 どういういきさつであれ、その批判、嘲笑を受けて慌てて追加支援した、としか受け取られないだろう。さすがの大国の中国も、今更取り返しの付かない格好の悪さだ。それにしてもアフリカなどには数億元の金をほいほい出すのに、追加で1000万元とは自分の金を出すわけでもないのにやはり習近平(が決めたかどうか知らないが、意見は聞かれただろう)はしみったれだ。

遅くて少ない

 フィリピンの台風被害は歴史的な災害だった。各国は緊急援助隊を送り、援助の金の拠出を決めている。日本も1000万ドル(約10億円)の拠出を即座に表明、今日追加で20億円の援助を決めたようだ。

 ところで中国は昨日ようやく習近平主席が哀悼の電報を送ったそうだ。そして中国政府と中国紅十字会、合わせて20万ドル(約2000万円)の義援金を提供すると表明した。

 これには各国のメディアが「大国の中国は度量を示すチャンスを失した」と揶揄している。

 中国の政府ご用新聞・環球時報もさすがに「フィリピン支援に冷たい態度をとるのは大きな損失だ」という記事を掲載した。

 習近平という人は腐敗防止に厳しい態度で臨んでいる。自分の身辺も比較的にクリーンで、贅沢をしている様子は全く見られず、どちらかと言えば必要以上に質素なようだ。

 でもそれは本人がケチであることから発しているらしい。日本を凌駕した経済大国になった中国が、日本の百分の一以下の金しか出さない、というのがどれほどみっともないのか習近平には理解できないらしい。周りにアドバイスする人はいないのだろうか。

景気回復

 テレビの街頭インタビューで「景気が回復していると思いますか」とか、「景気回復しているという実感はありますか」などと質問しているのをよく見る。中には「給料が増えましたか」という質問もある。

 言うまでもないことだが、景気というのは「気」が入っているように気分のものだ。そもそも生活に苦労している低収入の人たちにとっては景気回復の実感など感じ全く無いことだろう。そのような人たちを除けば不景気は気分のものだったのではないか。

 将来に対する閉塞感、つまり不安感が必要以上に財布のひもを締めることにつながっていたのではないか。だから円安とそれにともなう株高により閉塞感が少しでもはらわれれば気分は明るくなり、景気が良いように感じる。

 インタビューの質問が、景気が良くなったと感じているか、という質問ならば、そう感じる、という回答が普通になるだろう。しかしあなたの収入が増えたか、とか実際に実感する状態か、と問われれば「まだ給料に反映していない」と答える人がほとんどだろう。

 アベノミクスに批判的な人は、だから気分だけで実際の生活はまだ良くなっていない、景気は良くなどなっていない、という。共産党や社民党なら「大企業だけがもうけている」と非難するだろう。

 乱暴に言えば景気はすでに回復しているのだと思う。多くの有識者が言うように、それが一般の人の収入に反映するのにタイムラグがあるためにこのような回答の違いが生ずるのだと思う。だから安倍首相が一生懸命企業に対して給料を上げるよう要請しているのは正しい、と思う。

 景気が回復して、企業の収益も改善し、それが給料に反映され、しかる後に税収が増え、低所得の、援助が必要な人たちへの所得の再配分が可能になる、というのが正しい手順だろう。

 それを逆に回そうとした民主党が破綻したのは当たり前だ。アベノミクスを批判する人に二通りある。その施策の優先順位に異論のある人と根本的にデフレ脱却を目指すことそのことを非難する人だ。

 どんな意見があってもいいが、後者の場合は民主党政権の方が良かったと考えているのだろうか。あのまま野田政権が続いたとして日本がどうなっていたのか想像力が働かない人なのだろうか。信じられない。

カンニング

 世界日報の報じたところによれば、アメリカの大学に留学している中国人学生の一部にカンニングが横行しているという。     

 ところで世界日報とはどこの新聞かと思ってWikipediaを見たら、統一教会系として、韓国の全国紙(セゲイルボ)、日本の世界日報社が発行する日刊紙、中国の聯合報系として、北米の大都市で発行されている中国語の新聞、同様にタイとインドネシアで発行されている新聞などがある。

 多分これは聯合報系の新聞だろうと思う。

 カリフォルニア州で行われたTOEFULの試験(受験者の9割が中国人)で、試験官が事前に「もしカンニングをしたら受験資格を失います。この試験会場でカンニングにより受験資格を失った人が過去にもあったので承知するように」と警告した。その試験会場でひとりの女子学生のカンニングが発覚、しかし女子学生は頑強にそれを否定しつつ付け、会場から連れ出されると、最後には「中国では誰もがやっていることだ」と開き直った。

 ルイジアナ州のある教授は「カンニングをしたものには厳しい処分をする」と警告しているにもかかわらず、複数の学生の回答が全く同じだったり、インターネット上の情報と一字一句違わないものがたびたびあると語っている。カンニングをするのは中国人学生以外にもいるが、「みんながやっている」と言い訳するのは中国人学生に特有の言い訳で、「文化の違い」を理由に弁解を繰り返すそうだ。

 この教授もその言い訳に「文化の違い」を感じているに違いない。

 中国ではカンニングがそれほど当たり前なのだろうか。しばしば有力者の子女がその能力と関係なしに試験で優遇を受けることは公然たる秘密だという話を聞く。ズルをしても結果が良ければそれでいいというのが中国式なのだろう。

 確かに共産主義は結果を尊重する。それに対して資本主義社会は機会を尊重する。機会を与えられた上であとは本人の努力次第で結果が現れる、と考えるのが資本主義社会だ。カンニングして資格が与えられてもその能力がともなわなければ組み込まれた組織でついて行けないことになる。ズルしても能力が上がるわけではないからだ。

 ところが中国ではズルが許される人々が多数存在していて、それが当たり前であり、能力がなくても地位が獲得できればやっていけるという社会らしい。中国の腐敗は贈収賄だけではないのだ。

 そういう意味ではカンニング学生の言い訳はウソを言っているわけではないけれど、中国でならいいが、アメリカで就職したら能力以上の役割を与えられたとたんに化けの皮が剥がれて苦労するだけだ。

 何のために学ぶのか、そもそもの原点を見失った人間は中国以外では厳しい目に遭うのだ。日本は大丈夫か?

2013年11月14日 (木)

論調の変化?

 韓国の朝鮮日報が、対立する日韓関係について「根本的に解決する方法は、我々がより合理的で信頼できる国になることである」というコラムを掲載した。これはいままでのように何でも日本が悪い、という論調から大きく変化したもののように見える。

 「日本の集団的自衛権行使に反対するのは世界中で中国と韓国だけらしい」「原発の放射能汚染にもかかわらず、東京オリンピックは圧倒的な支持を受けた」「現在の韓国の日本に他する態度が合理的と考える世界の人がどれほどいるだろうか?」と記事は語っている。

 また先日韓国日報は「政府は司法判断とは別に現実的な解決策を探るのが正しい」という社説を掲載している。これは徴用工の賠償問題について、日本企業に賠償すべきとした韓国の司法に対する批判である。

 朴槿恵大統領がヨーロッパを歴訪しながら連日のように日本非難、安倍内閣批判を繰り返し、「日韓首脳会談は現状ではしない方がまし」と述べたことを、「対話が理解の始まりであることを(韓国)政府は認識しているのか」と問題視している。

 朴槿恵大統領の支持率は反日発言をともなう欧州歴訪が評価されて4週間ぶりに支持率が回復したという。まさにそのような時期にあえて反日に自省を促したのだ。

 反日を先頭切って煽ってきた韓国メディアが一部とは言え論調の変化を感じさせる記事を掲載したのは特筆に値する。なぜだろうか。

 経済的な要因(見かけ以上に韓国経済の衰退の兆候があるのかもしれない)だろうか。アメリカから強く日韓関係の改善を求められたのかもしれない。多分日本との関係悪化は結果的に韓国の方が遙かに大きなダメージを受けていることが分かってきたのかもしれない。

 韓国の五大自動車会社の国内の車両販売数がほとんど増加せずに停滞している。日本車、欧米車は二桁前後の伸びを続けているというのに、だ。韓国では自動車も電化製品も国内で高く売って利益を稼ぎ、海外で廉価販売してシェアを上げるという方法で拡大してきた。だから海外メーカーは韓国で価格競争が出来るのだ。ここで韓国メーカーが価格を下げて防衛しようとすれば利益が急減し、海外での安売りが不可能になってしまう。それでなくても中国の台頭で安値競争は限界に来ている。

 ニュースで伝えられたところによれば、韓国から欧米の金融機関が相次いで撤退しているという。金融界の大手だけではなく、ヘッジファンドや保険会社も撤退しているという。ただその穴埋めに中国の金融機関が次々に進出していると言うことだ。

 関連して気になった韓国のニュースをいくつか。

 韓国の女性家族部の調査報告。昨年度、児童・青少年を対象とした性的暴行犯罪者のうち、半分が実刑を免れ、執行猶予にとどまったという。許すべからざる犯罪だと思うのにどうしてだろう。韓国の司法、というのはこういう正義の感性なのか。

 韓国の崇礼門(通称・南大門)が放火による焼失からようやく復元され、今年春に朴槿恵大統領も参列して大々的に復元記念式典を挙行したが、半年足らずで手抜き工事により塗装の剥離や柱のひび割れが生じた。当初日本の接着剤が原因だとして責任を日本に押しつけて責任逃れをしようとしたが、次々に不具合が起こり、大統領も激怒して原因究明と責任追及を指示したという。これも司法判断をするのだろうか。

 高麗大学の教授が「旭日旗」のルーツは韓国であるという主張を行った。この教授によれば「韓」という文字は「朝の日差しを表す旗」の意味だという。「旭日旗」は「韓」の意味を強力に形象したものだから日本の旭日旗はそれを模倣したものなのだそうだ。教えられなくても子供だって太陽を描くときは丸に日が差す形で描くものだ。これは世界中どこでも同じだ。この教授は太陽は韓国がルーツだと言いたいのかもしれない。それよりもこれでは「旭日旗」を反日のターゲットにしている人々が困りはしないかと心配になる。ところで日本のワールドカップのユニフォームをご覧になっただろうか。あれを見て「旭日旗」を連想する、と言うのはもはや狂気に近いと思うがどうか。

 韓国の観光地などで「歓迎光臨」の文字があふれているという。これを「韓国は日本人観光客を見限って中国の観光客を歓迎している」と韓国メディアが伝えていた。見限ったのは韓国ではなく、日本の観光客だと思うけれど。それに中国からの観光客は激増しているものの、中国以外のほとんどの国からの観光客が減少していると言うことは報じていないようだ。

 今月初め、ソウルのPM2.5の値が120となった。これは中国大陸からのものらしい。今後日本より遙に大きく大気汚染の影響を受け続けるのだろう。こちらの方が日本の放射能を心配するより先だろうと思うのだが。

 韓国政府もそろそろ日本との関係回復についての落としどころを模索しても良い頃だろう。関係回復の必要度が大きいのは韓国ではないだろうか。

宮家邦彦「語られざる中国の結末」(PHP新書)

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 この本は現在の中国の台頭がこのまま進んで行ったら結末がどうなるか、を考察し、考えられるシナリオをいくつか提示したものである。

 もちろんシミュレーションに基づくもので、前提が変われば大きく結果は変わり、しかも捨象した要因も多いので現実がこの提示されたシナリオのどれかにぴたりと嵌まる、と言うことはないかもしれない。

 中国は、アメリカを凌駕する大国になることまでは(今のところ)目指してはいないが、アメリカと対抗する大国になろうとしており、現になりつつある。それは必然的に西太平洋でのアメリカの権益を排除することを目指すことになる。それはアメリカにとって承認できない事態であり、必然的に米中の衝突につながることになる。実際に戦争になるかどうかは分からないが、局地的な争いはあり得る、と思われる。なぜそうなるのか、アメリカがなぜ西太平洋にこだわるのか、これは後半のシナリオを見れば理解できる。また全面戦争があり得ない、とするのは互いに相手国に対しての領土的野心がないからである。これはアメリカとソ連が全面戦争にならなかったことを見れば頷けることだ。

 まず本書では現状認識を語っていく。最初に現在の情報戦、いわゆるサイバー戦争が現在すでに熾烈に戦われていることが明らかにされる。サイバー戦争の目的は何か。それは現実の兵器兵員による物理攻撃が開始された時点でいかに、有利にその攻撃がはじめられるかが決まる、ということである。実際の攻撃が始まった時点でほぼ趨勢は決してしまう、というのが現代の戦争だ。特にアメリカは全てがコンピュータ化された装備なので、サイバー攻撃に対して脆弱であるとも言える。それを中国は狙っているのだ。ニュースで伝えられているサイバー戦の攻防は氷山の一角がたまたま漏れ伝わっただけだ、というのは多分皆感じていることだろう。

 中国政府の機関紙・人民日報とその兄弟紙・環球時報が尖閣諸島の領有を主張する記事を掲載し続けているが、さらに沖縄は本来日本の領土ではなく、日本が不法に占領した、という歴史学者の論文をたびたび掲載していることはご存じだろう。さすがに沖縄は中国領だ、とまでは言っていないが、沖縄は日本から独立し、中国に帰属した方が良い、という論調である。

 中国はなぜ西太平洋の権益拡大を目指しているのか。それは北側、ロシアとの領土的な係争が解決していること、西側新疆ウイグル地区にも火種はあるが独立を進めるほどの組織もそれを支援する国家もないこと、同じく南方のチベットについてもチベット独立を進める強力な組織もなく、中国と対抗するインド自身にチベットを中国との緩衝地帯として承認しているところがあり、チベット支援に動く様子が見られず、中国との係争地区でのカシミールなどについても今のところ大きな戦争が発生する可能性がないことが背景にある。

 つまり中国はいま全力を西太平洋を目指し、東シナ海、南シナ海に傾注することが出来るのだ。過去一度も中国の海軍がここまでフリーで増強されたことはない。従来は列強および日本がそれを押さえていたからだ。中国は西洋列強、そして日本に対して強烈なトラウマを抱えている。それを打破するのが海洋覇権だと無意識に考えている、と著者は言う。それを阻むのはアメリカであり、日本であるからそれを敵視するのは当然だと考えるのだ。

 ここから本書は中国をめぐる近代史を概説する。中国のトラウマの原因となった過去の侵略の歴史だ。これを歴史と考えるのか、現代の価値観から善悪で考えるのか。中国の歴史観は当然マルクス史観であるから歴史の必然性などとは考えるはずがない。恨みを晴らし、逆襲することは正義なのだ。

 もちろん中国政府は世界の中での中国のあり方、損得を考えている。だからこんな単純な思考をしてはいない。しかし中国共産党の主要メンバーであり、中国政府から完全に独立している人民解放軍は上記のような思考をしていると見られる。

 さらに著者は中国経済の今後の推移を考える。バブル崩壊をきっかけに中国経済が大幅に減速する、という説がしばしば聞かれるが、著者はそれはあり得ないと考えている。若干の減速はあっても当分は一定の経済成長は続くと予想する。ただしそのために中国が抱える問題点が温存されることになる。これは今後の中国を考えるときの大きな要素となる。

 こうして中国の行く末を地政学的な面(特にアメリカとの関係)、歴史認識と人民解放軍の行動様式、中国経済の動向を全て勘案した上で、アメリカとの直接的な係争をきっかけとしてシミュレーションして行き、7つのシナリオを提示する。これが本書のテーマなので実際に読んでもらいたい。

 最後にそのシナリオを想定した上で日本がとるべき道を考察する。

 この本の帯には「米国・中東も知る宮家氏の複眼的な分析力を信頼している」という内閣総理大臣・安倍晋三の言葉が大書されている。

2013年11月13日 (水)

山本博文「歴史をつかむ技法」(新潮新書)

 著者は歴史は科学である、と言い切る。歴史教育には歴史の知識を得ることに偏重しているきらいがあるが、本来歴史を学ぶ、ということは歴史的思考力を身につけ、それを磨いていくことであるのだ、という。

 歴史の事実を、現在自分が措かれている時代の価値観で見ることは正しい歴史的思考とは言えない。このことを私は小学校のときに先生から教えてもらった。

 マルクス史観という歴史観がある。この本でも取り上げられているが、歴史を進歩史観でとらえる考え方で、一時期は日本の歴史学者はこの史観にたたなければ学者が出来ないほど一世を風靡した。現在ではそれがようやく下火になったが未だにその亡霊が出没する。学校の先生の多くがその進歩史観で教育を受けていたので、その先生たちに教えられた多くの日本人が未だに影響を残している。

 私にそれが間違っていることを教えてくれた先生は、だからすばらしい先生であったことがいまなら分かる。この本ではあらためてそのことをきちんと説明してくれている。

 もともと著者は専門が日本史、それも江戸時代に詳しいが、この本では歴史的思考についての自分の考えを詳しく説明したあと、日本の歴史の流れを概観してくれる。新書の中での概観だから極めて簡単なものだが、これが具体例となって著者の言う意味がよく分かるようになっていると思う。同じ歴史でありながら目から鱗の部分もあり、もともと嫌いではない日本の歴史をもう一度きちんと見直したくなった。

 この本では司馬史観に対しての著者の考えも語られており、全面的に私もその意見に賛同する。正しい認識は正しい知識と正しい思考によって獲得できるという当たり前のことを教えてくれる良い本だった。

WOWOWドラマ「配達されたい私たち」2013年

 原作・一色伸幸、監督・古厩智之、小林聖太郞、出演・塚本高史、栗山千明、長谷川京子、堀部圭亮、柄本佑、(第一話)有森也実、藤田弓子、大和田獏、(第二話)石黒賢、(第三話)黒谷友香、京野ことみ(第四話)大地康雄、中尾明慶、根岸季衣、(第五話)田畑智子、近藤芳正、古村比呂。

 見応えのあるドラマであった。ラストでは感動で胸が震えた。

 鬱病で自殺願望の強い男・澤野始(塚本高史)が廃館になった映画館で首をつって死のうとして失敗、そこでたまたま見つけた郵便配達員の鞄を見つける。多くの手紙がぼろぼろだったが、7通だけ完全な手紙が残されていた。仕事がいやになった配達員が捨てたものだろう。

 自殺に失敗すると再び実行しにくくなる。そこで澤野始はこの7通の手紙を配達し、それが終わったら再度自殺をしようと決心する。人生のカウントダウンにしようと決めたのだ。

 第一話(澤野始は家族を見た)では一通目と二通目が配達される。一通目では父が死んでひとりぼっちになったばかりの床屋の娘・有(栗山千明)への配達。10歳のときに男と失踪した母(有森也実)の娘への謝罪と最後の願いを伝える手紙であった。手紙はその男からのもので、母が七年前に死ぬ直前に書かれていた。澤野始は、有に無理矢理その手紙の内容とその意味を聞かされた後、有になぜ今頃こんな手紙を配達したのか問いただされる。

 ドラマは実はここから唐突に始まり、そこから澤野始の病気と手紙を入手したいきさつが語られていく。そして有がこれからこの男につきまとい最後まで関わっていく。これは有の、母を受け入れるまでの再生の物語でもあるのだ。二通目は魚屋のおばさん(藤田弓子)への配達。無口で不器用な夫が7年前に死んでいるが、死ぬ前に彼女に当てて出した手紙であった。直接言葉に出来ずに手紙でその気持ちを伝えるものが入っていた。おばさんは死んだ亭主の優しさに触れて心から喜ぶ。さらに有は澤野始の家族に関わっていく。

 第二話(澤野始は夢を見た)は元世界的なマラソンランナーだった男(石黒賢)への配達。いまは落ちぶれて小さなお好み焼き屋を営んでいるが、店は荒れ果てていた。手紙は男のファンであり、彼の姿を撮り続けていたカメラマンであった。手紙には、カメラマンをやめること、別の人生を歩むことが書かれており、男のマラソンランナー時代の生き様を励みにします、とあった。逡巡する男を焚きつけてその元カメラマンに連絡するよう促す有、そして彼を店に招待するとともに澤野始の家族、妻と子供も一堂に会することになる。そこに遅れてやってきた元カメラマンの姿に皆は絶句する。なんと盲人になっていたのだ。酒は飲まない、と語る彼に無理矢理乾杯のためにビールのグラスを待たせたとき、その元カメラマンが自分のいまの姿の意味、手紙の意味を語り出す。

 第三話(澤野始は友を見た)では女性(黒谷友香)への配達。それは彼女の親友(京野ことみ)から7年前に出された手紙だった。遠く離れて暮らし、一年に一度沖縄で会うという関係だったふたりだが、心は強く結ばれていると信じていたのに7年前に突然音信不通になっていた。それをなじる手紙に対しての返信だったのだが、届いていなかったのだ。澤野始は彼女たちの関係、そしてその親友の音信不通になったわけを手紙を読まされることで知ることになる。

 澤野始は病気のせいで人生の全てが張りぼてに見え、何に対しても感情が動かない。そしてどんな感動的な話を知ってもその裏を読み、感動を陳腐な物語にして解釈してみせる。

 7年ぶりに女性が友に祈るような思いで携帯で電話する。そして・・・。それをあざ笑うように見ていた澤野始の目に涙が浮かぶ。澤野始は自分が涙を流したことを不思議に感じる。

 第四話(澤野始は父を見た)は教師を引退して車いす生活をしている男(大地康雄)への手紙の配達。手紙は元教え子からの告白の手紙だった。ある盗難事件で教え子が退学となった。しかしそれはえん罪で、犯人は自分である、と書かれていた。愕然とする元教師。澤野始に車いすを押させてその教え子の元へ走る。土下座して謝罪する元教師。いちばん苦しんだのはその生徒だったと知ったからだ。そしてその教え子がえん罪で退学になった生徒と親しくつきあっていることを知らされる。

 澤野始の父親も教師であった。自分の意気地なさを常に冷たく見つめている父親の目が忘れられない。それが鬱病の原因だとまで考えてもいる。その父親も二年前に死んでしまったから永遠にその冷たい目から逃れられない。しかし元教師は父親の気持ちはよく分かる、言う。そこから澤野始に対して個人的な授業が始まる。

 澤野始には世界を股に掛けて飛び回っていた時代があった。一流ジャーナリストになるのが志望だったのだ。滞在先のバンコクで知り合ったのが妻の正美(長谷川京子)だった。彼女の妊娠を知り、結婚して日本で就職することを決めてジャーナリストの夢をあきらめたのだ。

 第五話(澤野始は言葉を見た)ではある主婦(田畑智子)への最後の手紙の配達をする。結婚して姓も変わり転居していたので探しあぐね、ようやくたどり着いたのだ。その手紙は彼女が知りたくない事実を伝えていた。彼女は死刑廃止運動に参加する中で、ある死刑囚と文通するうちに強く心惹かれ、ついに結婚を決意するするにいたる。周囲の猛反対を押し切り、結婚届に自分の欄だけ書き込み、承知であれば書き込んで返送するように手紙を出した返事であった。何の音沙汰もないために彼女はその後結婚し、ふたりの子供をもうけていた。七年後に澤野始が配達した手紙には男の欄に書き込みのある結婚届が入っていた。

 澤野始のカウントダウンはついに終わりを告げたが、その前に妻の正美から手紙が届けられる。その手紙を見ることなく破き捨てた澤野始は再び廃映画館に向かう。そして遺書として携帯に残した文章を妻に送る。薬を大量にのみ、準備万端整えたところで、捨てたはずの妻の手紙を開く。捨てきれずに持ち帰ったのだ。その断片をつなぎ合わせて読み始める澤野始。そこへ正美から連絡をもらった有が駆けつける。正美の手紙には何が書かれていたのか。

 ここのシーンでの有とのやりとり、入ってきた正美の電話に対しての澤田始の言葉、これが強烈に胸に響く。切れ切れの彼の言葉に、生きることの意味の重さがずしんと伝わる。

 原作者自身が鬱病を経験しているので鬱病者から見える世界がとてもよく分かるように描かれている。新型鬱病については私もまだいささか懐疑的だが、鬱病という病気は深刻な精神の病であることは承知している。本人もつらいがまわりもたいへんな苦労をする。これはそこからの再生へのファンタジーだ。再生を信じたい。

中断

 海外のホテルで衛星放送を見ることが出来る。NHKを見ることが多い。日本語の放送が入ればそれを見るし、NHK海外放送の英語のニュースでも分かりやすい。

 中国の人も日本に興味のある人はよく見ているらしい。中国ではそのNHKのニュースが時々ブラックアウトする。当局が常に監視をしていて、政府に都合の悪い場合に即座に放送を中断するのだ。

 先般の天安門前の事件の時もそうだったが、昨日は中国共産党の三中会に民主活動家の取り締まりを伝える場面で画面が真っ暗になった。

 中国ではこのようにある事実があたかもないかのように隠蔽される。しかしある程度の知識のある人間は、事実が隠蔽されていることは百も承知である。当局に規制されないところでいろいろな方法で情報を入手している。もちろんその情報には限りがあるけれど。

 韓国では事実がこのように隠蔽されているなどとは認識されていない。ただ日本で見ていると、メディアが事実を歪曲しているように見える。そして中国よりも巧妙に事実が隠蔽されているように思う。

 真実を伝えるのが使命だ、などとメディアは言う。しかし真実など伝えようがないと私は思っている。伝えられるのは事実だけだ。それもメディアなど情報伝達手段のフィルターを通した限られた事実だ。

 日本のメディアが伝えている事実が中国や韓国よりましなのは多分間違いないのだろうけれど、メディアが思い込んでいるよりもバイアスがかかっているらしいことは、心ある人は感じていることだろう。

 中国の放送中断のような露骨な形でないとそれがわかりにくい。そのためには歴史や政治、経済についての情報を少しでも入手し続けることで常に補正が必要なのだろうと思う。

2013年11月12日 (火)

映画「ロックアウト」2012年・フランス

 監督・脚本スティーヴン・セイント・レジャー、ジェームズ・マザー、脚本リュック・ベッソン、出演ガイ・ピアース、マギー・グレイス。

 西暦2079年と最初にキャプションが出る。つまり近未来だ。地球上空の宇宙ステーションに重犯罪の囚人収容施設を訪れた大統領の娘が、集団暴動に巻き込まれて人質になり、元CIAの凄腕のエージェントで、CIAの局長殺害の濡れ衣を着せられてとらわれの身になっていた「スノー」という男が救出するために強制的に送り込まれる。

 暴動に加わった囚人の数500人、ここへ単身乗り込み、使命を果たさなければならないのだが、実は「スノー」には目的が別にあった。

 なんのことはない。これはジョン・カーペンター監督、カート・ラッセル主演の映画「ニューヨーク1997」のリメイクそのものではないか。

 「ニューヨーク1997」ではマンハッタン島が隔離された囚人の収容所になっていて、そこに捕らわれた大統領をプリスキン(自称スネーク、カート・ラッセル)が単身で救出する物語だった。私の大好きな映画だ。

 主人公が口の減らないタフガイというキャラクターも全く同じだ。ただ「スノー」は「スネーク」より強くない。強くないけれどもタフだ。男はやはりタフでないといけないようだ。

 囚人の暴動のきっかけを作る男のむちゃくちゃさがちょっとすごい。

風評被害

 風評被害とは風評によって経済的な被害を受けることだ。風評が起こるのは、正確な事実や正確な情報でないものがうわさで広まることにより発生する。正確な情報が公表されなかったり、意図的に隠蔽された場合や、受け取る側が科学的知識に欠けていたり、論理的思考能力に問題がある場合に起こる。

 11月11日はポッキーの日だ、などとテレビで言っていた。何のことやら、と思っていたら韓国も同様で、棒状の菓子の日だったそうだ。どちらが発祥なのか知らないし、もちろんどちらでもかまわない。

 韓国では「ペペロデー」というのだそうだ。ぺぺロというのは韓国ロッテの菓子の名前だ。その菓子に放射能汚染の懸念のある日本の原料が使用されている、と韓国の環境団体が主張したことから騒動に発展したという。この団体は公式ホームページで放射能汚染地域の福島産などの原料が使われている可能性が高い、と発表した(環境団体というものの中にしばしば教条主義的なものがあり、強い思い込みから意図的な情報の誇張や操作を行う。真面目にやっている団体も多いが、白い目で見られることも多いのはその政治性が過剰なところだろう)。

 メーカーは2012年以降日本産の原料は使用していないから安全だ、と説明反論しているという。

 こういうのは犯人が明確に分かる風評であり、それにより菓子メーカーが経済的に損失を受ければそれが風評被害である。日本の水産物は韓国の輸入規制により風評被害を受けた。そして韓国の水産物まで消費が激減して韓国水産業は日本以上に風評被害を受けている。

 韓国には「反日は正義」、という旗印の下にどんなこじつけでもいいから日本のものを排斥しようとする一部の人々がいる。正義の名の下に正しい情報を隠蔽したり、誤った情報を流しているのはそういう人々だが、それがマスメディアだったり政府だったりするからおそろしい。

 ジョージ・オーウェルの「1984年」さながらではないか。この物語でも「敵」国が想定され、情報が操作されている。正しい情報を語るものは排除される。いま韓国で、韓国人でありながら日本は悪い国ではない、韓国にも問題がある、などと公言しようなら「親日」として断罪されてしまう。韓国で「親日」というのは国を裏切る売国奴という意味である。これは韓国では犯罪行為と認定されており、時効がない犯罪として法律となっている。しかも過去にさかのぼって断罪できるという、法律の遡及性禁止を無視したいわば超法規的法律だ。

 そう考えると、北朝鮮と韓国は全く違う国に見えるけれど、実はほとんどうり二つなのかもしれない(同じ民族だから当然か)。そういえば早川書房のSF全集では、ジョージ・オーウェルの「1984年」とオルダス・ハックスリーの「すばらしい新世界」が一冊になっていた。かたやディストピア(ユートピアの反対)、かたやユートピアの世界を描いていながら実はともにディストピアが描かれていた。

2013年11月11日 (月)

映画「ル・アーブルの靴みがき」フィンランド・フランス・ドイツ合作

 製作・脚本・監督アキ・カウリスマキ、出演アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン、ジャン=ピエール・ダルッサン、ブロンダン・ミゲル。

 いい映画だ。

 妻と二人暮らしの初老のしがない靴みがき、マルセルが主人公。前身には曰くがありそうだが映画では何も説明がない。冒頭に突然事件が起こるがそこから何も物語は展開しない。

 マルセルの日常が坦々と描かれていく中で、妻が病気であるらしいことが次第に分かってくる。ついに倒れる妻。病院に駆け込んで入院することになる。医者が病名や症状を本人に対して行うというのがフランス流らしい。回復が期待できない病気らしいが、妻は夫にはそれを隠して欲しい、と医者に言う。日本ではあり得ないパターンだ。

 ル・アーブルは港町である。その港に積まれたコンテナに潜んでいた密航者の家族が見つかる。皆難民収容所に送られるのだが、ひとりの少年が逃げ出す。

 偶然この少年をかくまうことになったマルセル。普段はマルセルにあまり好意的ではないように見えた近隣の住民は意外なことにマルセルに協力的で、積極的に手助けをする。ただそんな中にも密かに警察に密告する者も居る。

 少年の希望する目的地はロンドンであった。ロンドンへ少年を密航させるためにマルセルは奔走し、必要な金を作るために慈善コンサートなどを開いたりする。このコンサートのロック歌手リトル・ボブというのは実際にル・アーブルの人気歌手で、ロベルト・ピアッツァという人らしい。

 コンサートで集めた金と妻と爪で火をともすように蓄えた金を全てはたいて少年を密航させてくれる漁船に届けたところに警察が駆けつけてくる。絶体絶命の状況のあと何があるのか・・・

 ぶっきらぼうな物語展開、説明のない人物像はかえって見る方の想像力をかき立ててくれる。そこはかとないユーモアと温かさがとても気持ちの良い映画だ。

 この映画はWOWOWの「W座からの招待」という番組で放映されたが、ちょうどその100本目だそうだ。この番組は安西水丸のイラストに小山薫堂が文章をつけて紹介してくれる。そしてふたりが映画の裏話も教えてくれる、という楽しい番組だ。しかも選ばれる映画は劇場公開があまりされていないようなものが多いけれど、見逃せないようないい映画が多い。ふたりがW座の100本目にふさわしい映画だ、といっていたけれどその通りだった。

心配

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台風30号による甚大な被害でフィリンピンのレイテ島などでは一万人を超える人が犠牲になったのではないかという。

その台風が衰えたとはいえそのまま北ベトナムに向かっている。先月北ベトナムに行ったばかりなので人ごとではなく心配だ。写真はハロン湾の朝の風景。

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この風景が変わってしまうようなことのないことを願う。

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ハロン湾の中にはこのような水上生活している人々がいる。台風などの時にはさらに湾の奥深くに移動して難を避けるのだそうだが、大丈夫だろうか。

2013年11月10日 (日)

映画「96時間 リベンジ」2012年フランス映画

 監督オリヴィエ・メガトン、出演リーアム・ニーソン、マギー・グレイス、ファムケ・ヤンセン、製作・脚本リュック・ベッソン。

 前作の「96時間」は抜群に面白かった。あれは2008年の映画だった。あの映画で、誘拐された娘を救出し、犯人たちを葬り去った主人公のブライアンだったが、犯人のリーダーだった男の父親が復讐のために今度はブライアンと娘のキム、そして元妻のレノーアを襲う。

 三人はブライアンが警備の仕事で訪れていたトルコのイスタンブールで家族の団らんをすごそうとしていた。たまたま娘が父と母をふたりにしたいと気を利かせたために別行動となる。そしてブライアンとレノーアが拉致されることになる。同じようにホテルで襲われた娘のキムは辛くも難を逃れ、ブライアンの密かな指示でブライアンを援護する。

 もちろん最後は前作同様ブライアンが逆襲に出るのだが・・・。

 本当にテンポが良くて緊張感のあるいい映画だ。プロというものはこうでなくてはならない。緊張感というのは集中力だ。集中力がわずかな情報をもとに敵の位置の手がかりつかむことになる。

 リーアム・ニーソンを初めて見たのは「ダークマン」というコミックが原作のダークヒーローの映画だった。有名になったのは「シンドラーのリスト」あたりからだけれど、シブイ外観に似合わずもともとアクションシーンは得意なのだ。

石浦章一「ボケない、老いない脳」(WAC)

 副題が「これで認知症にならない生活習慣!」。

 残念ながら高齢化すれば一定の割合の人は認知症になる。なぜ認知症になるのか、そのメカニズムはまだ解明されていないことが多い。だから副題にはやや疑問を感じる。

 しかしそんなところにこだわっても仕方がない。この本でも書かれているけれども、認知症になることを少しでも回避する可能性のある生き方があるのなら、誰でもそれを知りたいと思うだろう。

 年をとれば物覚えがどんどん悪くなり、物忘れがひどくなる。そのことはとても不安だ。しかし物忘れが気になって、不安を感ずる人はまだ認知症ではないのだそうだ。認知症になると物忘れをしている自覚がなくなり、不安すら感じなくなると言う。

 私自身のことを考えてみれば、物覚えが悪くなり、物忘れもひどくなっている。でもそのことを自覚しているから認知症ではない、と安心出来るのか?

 突然認知症になるわけではない。物忘れから認知症への間のグレーゾーンというのがあるだろう。いまの科学では器質的に脳にどのような変化が起こっているのかが解明されつつあるというが、それは自分自身には分からないことだ。だから早期発見して治療するといい、といわれても結局どうしたらいいのかが分からない。しかもその治療は進行を多少遅らせることが出来るだけだという。

 人は高齢化したら必ず認知症になるともいえる。しかしその認知症になるのが100歳なら、その前に死ねば認知症にならずにすむ。寿命より早く(不本意なことにかなり早く)認知症になるから問題なのだ。

 認知症になるのを少しでも遅くしたいとき、この本に書かれているような意識的な生活の仕方が有効だと信じて心がけたいと思った。どんな生き方か。ちゃんと本を読んで欲しいところだが、飽食をしない、節酒、喫煙をしない、適度な運動、読書・出来れば読んだ内容を咀嚼して人に伝える、人と出会うことを心がける、身だしなみを整える、好奇心を持つ、etc.だ。

 当たり前だけれどリタイヤしてひとり暮らしをしていると、気を抜くとすぐルーズになりそうなことばかりだ。あらためて著者の提案を拳々服膺したい。

 ところで認知症になると認知症である自覚がないから悩みもなくなるのだという。それは幸せなのか、不幸なのか。私は不幸だと思うがそんな思いすら失うだろうことがおそろしい。

ニュースアラカルト

 ワシントンポスト紙のウェブサイトの報道によれば、イギリスの金融グループが「中国とタイが、外国人が生活するのに最も適した国だ」というリポートを発表したという。その理由があれこれ書かれていたが、どうも金儲けのチャンスが大きい国が評価されているらしい。金融会社らしい評価基準だが、こんな価値基準で生活する人とはあまりお近づきになりたくない。

 国連総会の人権理事会の理事国選挙で中国、サウジアラビアなどが選ばれたという。中国が人権を云々できる国であるのかどうか、人権が守られている国の人なら首を傾げるだろう。さらにサウジアラビアと言えば女性の社会活動をさせない国、行動での女性の運転を禁止した報道のあった国だ。国連というものがどうも理想とは大きく違うという象徴のようなニュースだ。それとも人権の守られていない国をあえて理事国にすることで自ずから人権を護らせようという深慮遠謀であろうか。

 韓国メディアが、日本のワールドカップのユニフォームが「旭日旗」を連想させる、として大騒ぎしているが、中国のネット上では韓国の妄想だ、理解に苦しむ、とのコメントが大勢を占めている。中国のネットでは現実の中国国民以上に反日がエスカレートする論調が多く、旭日旗にも強い反発がある。その中国のネットですら韓国メディアの今回の日本に対する非難は異常に映るらしい。それなら中国以外の国ならなおさらだろう。

 福祉の第一原発事故による放射能汚染に対して周辺諸国は神経質になっている。当然のことで、そのことに対しての日本の責任は重い。韓国は反日宣伝の一環として汚染問題を煽っているので特に過剰に神経質になっている。第一原発の汚染水の海への流出が止まっていないと認識している韓国国民は、日本の水産物を強く嫌っている。それどころか水産物そのものを全て敬遠する事態が続いており、韓国の水産業全般に深刻な消費減少が続いているという。海はつながっているからね。韓国メディアは自ら風評被害を広め、正しい情報を伝えないから韓国の沿岸で獲れた魚も健康被害が出るほど汚染されている、と疑っているらしい。日本では誰も気にせず魚を食べているのに。

 中国の環球時報のウェブサイトに「日中はどのような形で開戦するか」とする記事が掲載された。記事では日本は着々と軍備を整え、開戦の準備をしており、日米開戦の時のように奇襲攻撃を計画しているのだそうだ。ここにも妄想を広めるメディアがいる。中国もよほど内実がおかしくなっていることの表れかもしれない。

2013年11月 9日 (土)

映画「東京オアシス」2011年

 監督・松本佳奈、中村佳代、出演・小林聡美、加瀬亮、黒木華、原田知世、音楽・大貫妙子。

 小林聡美が演じる女優・トウコが出会う人たちとの関わりが、ストーリーらしいストーリーがないままに綴られていく。会話のシーンはほとんどカメラが固定されたままで長回しされている。感情を込めたり、坦々とした受け答えだったりしながら台詞のやりとりをしなければならないから役者はたいへんだろうなどと思ってしまう。

 「カモメ食堂」(とてもいい映画だった)のスタッフが製作した映画だそうだ。

 トウコと関わった人それぞれにその人の人生がある。そんな当たり前のことがじんわりと伝えられていく。最初は「なんだこの映画は」と思ってみていたけれど、だんだん映画の中に引き入れられてしまった。

 九十九里浜でトウコが「青空」と言う空は白っぱくれていてとても青空ではない。ラストシーンで高層ビルから望む空も晴れているはずなのに白っぱくれている。そこに大貫妙子の歌声がかぶさる。絶妙に映画となじんでいてあらためて大貫妙子の音楽性の高さを感じさせてくれる。

 人生は劇的でもなく、悲観的でも楽観的でもない。そんな当たり前のことをしみじみと感じた。

映画「燃えよ剣」1966年松竹映画

 監督・市村泰一、出演・栗塚旭、和崎俊也、内田良平、天知敏。

 もちろん原作は司馬遼太郎、主人公は新撰組の土方歳三だ。なんと1966年製作なのに白黒映画。闇夜のシーンにソラリゼーションのような効果を狙っているのだが、デジタル化のためにこうなったのかもしれないが、映像がぶちこわしになっている。フイルムの時はどうだったのだろう。

 主演は栗塚旭。この人の旭は「あさひ」と読む。この人が主演していたテレビの時代劇「風」というシリーズがとても好きであった。このシリーズが好きだったのは栗塚旭が魅力的だったこともあるけれど、共演していた土田早苗を見て大好きになったことも大きい。くノ一だから網タイツ姿になる。それがとてもいい。

 話がどんどんそれていくが、時代劇の女忍者と言えば、NHKの「真田太平記」でのお江役、遙くらら、同じくNHKの「腕に覚えあり」(原作は藤沢周平の「用心棒日月抄」)の嗅ぎ足組のくノ一・佐知役、黒木瞳などチャーミングなお色気があって忘れられない。黒木瞳などこの役の時以上に輝いたのを見たことがないくらいだ。

 栗塚旭が土方歳三、和崎俊也(この人も不器用だけれど昔から何となく好きな俳優だ)が近藤勇である。原作の「燃えよ剣」に沿っているのだがだいぶ違うイメージの作品になっている。この映画では池田屋事件とそのすぐ後に続く土方歳三と宿敵・七里研之助の闘いでジ・エンドとなっていてそのあとの新撰組の運命は全く描かれていない。新撰組を描いた、ということになっているが新撰組については添え物となっている映画だ。

 ややこしい背景のないシンプルな時代劇を楽しむことが出来た。

矢月秀作「もぐら 凱」(上)(下)(中公文庫)

 「モグラ」シリーズもこれで7作目。2作目まで読んだところでこれは長くなると思い、もう新しいのが出ても買わないことにしようと思っていたのに気がついたら全て読んでしまった。さいわいこの第7作でシリーズは完結したので悩まなくてすむ。

 格闘シーンなどがよく描かれていて面白いからどんどん読み進められる。だから昨日の夜から読み始めて半分徹夜で上下二冊を読み終わってしまった。

 それなのになぜ買うのに逡巡するようなことがあったのか。

 はっきり言って主人公たちが賢いのかアホなのかよく分からない。そして敵の目的もなんだか合理性を欠いているように思う。ただ凄まじい闘いを設定するためだけに全てが組み立てられているのだ。復讐に燃えるためには仲間が殺されなければならない。その仲間がどれほど大事でも無意味に殺されてしまう。そしてどう考えてもおかしい人物が実権を握ったりする。

 物語はそうしたものだ、と言ってしまえばそれまでなのだけれども、あまり無理があると嘘くさくなってしまう。そして登場人物たちの動きに歯がゆさを感じてしまう。

 警視庁の中に「モール」と呼ばれる極秘の部署がある。通常の犯罪ではなく、テロリストや重火器などの武装組織を調査し、その行動を阻止して逮捕するのが役目だ。モールというのは言うまでもないがモグラのことだ。

 極秘であるはずなのにそのモールのメンバーがターゲットにされ、襲われ、重傷を負う者、ついには死ぬ者も出てしまう。

 この時点で内部からその情報がリークされているのが明らかなのにそちらの徹底的な調査がなされないままだというのが信じられない。オトリ情報でも流してあぶり出せばいいのに、狙われていることが分かってもひたすら聞き込みなどをしている。

 主人公は前作で「モール」から離脱して沖縄で暮らしていた影野竜司。敵の最重要ターゲットであることが判明し、自らも襲撃されたことから「モール」に復帰してその超絶的な戦闘力を発揮する。

 そもそも一握りの人しか知らない竜司の居所がなぜ知られたのか、それをたどるだけでスパイが分かるし、読者には明らかにされている。こんなところを見逃しておいて仲間がさらに見殺しにされる事態を招いている。

 まあこんな悪口を書くのも死んで欲しくない者が死ぬからで、こちらが甘いのかもしれない。

2013年11月 8日 (金)

島倉千代子

 先ほど島倉千代子の訃報を聞いた。

 明治27年、日清戦争時代に生まれた祖父が、島倉千代子が好きだ、といって、明治38年生まれの祖母がやきもちを焼いていたことを思い出す。

 歳が一回り違う夫婦で、ふたりは女学校の教師とその教え子という関係だった。祖父は、祖母が卒業したその日に祖母の両親に結婚の申し入れをしたらしい。

 だから祖母は、祖父には自分だけを見ていて欲しいのに、あろうことか年若い歌姫の島倉千代子に目を奪われている。ことあるごとにちくりと嫌みを言っていた。

 本気で焼いているわけではなかったのだろうが、何となくほほえましかった。  

 だから私も島倉千代子を意識したし、好きだった。

 島倉千代子が野球選手と結婚し、破綻し、乳がんにかかり、大きな負債を抱えて・・・ということ全てを気にしていた。

 彼女は私にとってかわいい女性だった(祖父がそう感じていたように)。本当の姿など知らなくてもいい。かわいい女性こそ心を向けるべき女性だと思っている。女は愛嬌と言うではないか。女性にしたら心外なことだろうけれど、私はそう思っているのだから仕方がない。

 そのかわいい島倉千代子が亡くなったことを追悼して・・・乾杯。

紅葉と分水嶺を見に行く

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紅葉を見たくなったので長良川に沿って北上した。新しい車に慣れるためのドライブでもある。去年手術した左手の筋も本調子ではないのでついでに日帰り温泉にも行くつもりだ。

東海北陸道で美濃まで行き、そこからは長良川と長良川鉄道に沿って国道156号線を走る。郡上あたりまでは紅葉らしい紅葉は見られず、ただの茶色い枯れ葉色の木しか見られない。長良川鉄道終点の北濃のあたりから一気に登り坂になる。紅葉も進んでいていい景色だ。

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つづら折りの道を長良川の源流に沿って登り切ればひるがの高原だ。この入り口に分水嶺がある。

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右へ行けば日本海、左へ行けば太平洋に注ぐ。つまり左が長良川となり、右が多分御母衣湖へ流れ込んだあと、庄川となるのだろう。

ここからさらに御母衣湖沿いに北上すれば白川郷だが、今日はここまでとする。

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帰りにこの湯の平温泉に立ち寄った。このこぢんまりした日帰り温泉は東海北陸道の高鷲インターの近くにある。湯の詳しい成分は表示がないので分からないが、肌がぬるぬるするのでアルカリ温泉であることは確かだ。岐阜県は単純泉かアルカリ泉が多い。ここの露天風呂はやや浅いのが不満だが、湯温はちょうどいい。この時期になるとアブもいない(この温泉ではほとんど見ていないけれど、山の温泉の露天風呂はアブや蜂がよってくるので苦手だ)ので安心してゆっくり出来る。

車は快調。遠出を計画中。

誉田哲也「歌舞伎町セブン」(中公文庫)

 「ジウ」三部作、「ストロベリーナイト」などで知られる著者の作品だ(そういえば今月、WOWOWで竹内結子主演の映画「ストロベリーナイト」が放映される)。

 この「歌舞伎町セブン」は過去の事件が繰り返し回想されるので前作があるのかと思ったが最後まで読んだところではそうではないようだ。しかし巻末の解説によれば続編に当たる小説が書かれているらしい。

 テイストは馳星周か。馳星周の「不夜城」からの一連の小説は新宿歌舞伎町が舞台の無国籍小説だ。「不夜城」は金城武の主演で映画化されている。

 しかしこの「歌舞伎町セブン」は無国籍小説とは言えない。馳星周の深い悲しみを底に秘めた冷酷さは見られない。私は馳星周の方にはるかにリアリティを感じて好きだ。

 誉田哲也の小説はあくまでエンターテインメントに徹している。だから面白い。ただ主人公に感情移入するという、小説にのめり込むことによる興奮はない。

 歌舞伎町に「セブン」という暗殺者集団がいた、という都市伝説が密かに語り継がれていた。その「セブン」を公然と追う動きが起こる。しかも知るものがないはずのセブンの中核メンバー、欠伸のリュウの名前までが知られているらしい。

 歌舞伎町セブンというのはその名の通り7人の集団であった。しかしある事件により、その集団は壊滅していた。生き残りは息を潜めて歌舞伎町で生き続けていたのだが、それが次第にあぶり出されてくる。

 誰が動いているのか。しかもなぜ今頃になって・・・

 そんな中、歌舞伎町の町会長が死体で発見される。全く外傷もなく薬物も発見されないことから心臓病による病死として処理されるのだが、それが事件の始まりだった。

 バーの店長の陣内陽一(欠伸のリュウ)をめぐって展開していく。潜んでいる立場から追われる立場になり、ついに反撃が開始される、というストーリーだ。

 なぜ知られるはずのないことまで敵は知っているのか。そしてその敵を背後で動かしている人物は・・・意外な黒幕の正体は著者の得意とするところだ。しかしそれが意外すぎてリアリティを損なっているのもいつものことだ。

映画「コンフィデンスマン ある詐欺師の男」2012年・カナダ

 監督デヴィッド・ウィーバー、出演サミュエル・L・ジャクソン、ルーク・カービー、ルース・ネッガ。

 殺人事件の犯人として25年の刑期を勤め上げたフォリーは天才詐欺師と言われた男だが、いまは初老の男となり、カタギで暮らそうと心に決めていた。

 そのフォリーを昔の相棒で親友だった男の息子・イーサンが訪ねてくる。その親友を射殺した罪で彼は服役していた。復讐に来たのかと身構えるが、意外なことにイーサンはフォリーと組まないか、と申し出る。

 昔の仕事をするつもりがないことを告げ申し入れを拒否するのだが、イーサンはアイリスという女をフォリーに仕向けてくる。それも拒否して立ち去ったフォリーだが、ひょんなことから再びアイリスと出会い、彼女の危急を救うことになる。

 互いの境遇を知ることで急激に惹かれ合ったふたりは恋仲となる。真面目な仕事に努めるフォリーだが、つまらない事故でその仕事も棒に振ることになる。

 次第に追い詰められていくフォリー。そして知らされる驚愕の真実。全てが仕組まれていた罠であることを知ったフォリーだが、アイリスを人質にされて仕方なくイーサンの仕事を引き受けることになる。

 仕掛ける男は街の裏を仕切る顔役。紳士然としているが冷酷で残虐な男だ。準備万端整えて仕掛けをすませ、実行に移すのだが思わぬ齟齬が生じて・・・・

 つまらないチンピラにしか見えないイーサンが、次第にその父親譲りの狡猾さを表していく。フォリーがなぜ親友だったイーサンの父親を殺したのか、それが物語の中で明らかにされていく。

 脚本の出来がいいから緊張感が最後まで破綻しない。ゆったりとしたテンポだがそれが物語にリアリティを与えている。そしてアイリスの哀しみを自らの哀しみとするフォリーの25年間の服役の重みがずしりと伝わってくる。

2013年11月 7日 (木)

映画「ヴァルハラ・ライジング」デンマーク・イギリス合作映画

 監督ニコラス・ウィンディング・レフン、出演マッツ・ミケルセンほか。

 台詞が極端に少ない映画だ。主人公はしゃべれないのかしゃべらないのか最後まで沈黙している。

 ヴァイキングの時代、北欧にもキリスト教がひろまり、それに従わずにキリスト教徒による迫害を恐れて辺境に暮らす異教徒の集団に、鎖で捕らわれている片目の奴隷戦士がいた。彼は後に彼の世話をする少年アーにワン・アイと名付けられる。

 ワン・アイは次々に戦いを強制され、圧倒的な強さで敵を斃していく。そしてある日たまたま川で水浴中に鉄のヤジリを手に入れ、それを密かに磨いて武器とし、自分をとらえていた男たちを皆殺しにする。

 ただひとり殺されなかった少年アーは黙ってワン・アイに従う。

 ふたりはやがてキリスト教のヴァイキングたちの一行に出会う。彼らはエルサレムを目指すのだといい、ワン・アイたちもその一行に加わる。船で海へこぎ出した一行だったが、幾日後かに、深い霧と無風の中に立ち往生してしまう。

 水もなくなり万策尽き果てたとき、ワン・アイが船の外の水を桶で汲んで飲む。海水を飲むのは死ぬときだ、といわれているのだが、ワン・アイの差し出した桶の水は真水であった。船はいつの間にか川に迷い込んでいたのだ。

 やがて霧が晴れ、川岸に上陸した彼らは食料となる獲物を探すが手に入れることが出来ない。

 そのあと見えない敵に襲われて一行は次々に行方不明になったり殺されたりしていき、ワン・アイはアーをつれて再び海を目指す。

 ワン・アイは語らないがその言わんとすることはアーには不思議と理解できる。ワン・アイには言葉がない代わりに予知能力があるらしい。 
 ラストに、敵は先住民たちであることが明らかになり、その集団に向かって、武器を捨てたワン・アイは静かに歩いて行く。

 これが北欧の説話に題材をとっているのかどうか知らない。しかしこの物語らしい物語とも言えないものから新たに説話が生まれてもおかしくないのかもしれない、と思う。ダークで過剰にシャープネスを効かせたパンフォーカスの映像が荒涼とした世界を描き出している。

 ただし寓意的な展開に終始しているので、この映画にハリウッド的なエンターテインメイトを期待すると当てが外れる。

言いがかり

 日本が2014年のワールドカップに着用するユニフォームが発表された。これが「旭日旗」を連想させる、として韓国メディアが非難している。

 興味のある方はこのユニフォームを確認していただきたい。濃いめの青色の上着である。ただその中にややうす青の放射状のラインが模様としてデザインされている。

 これを見て旭日旗を連想するというのは誰が見ても言いがかりとしか思えず、常軌を逸している。韓国メディアはナチスのハーケンクロイツになぞらえて旭日旗を非難しているが、韓国式の言いがかりの付け方だと、多分十字架もハーケンクロイツに見えるだろう。

 このユニフォームの写真に韓国メディアの非難の文章を添えて世界中に配信し、アピールしたらどうだろうか。世界中が韓国メディアの異常さに初めて気がつくことだろう。韓国はいまに日本の国旗の日の丸も非難するだろう(もうしているか)。そして赤い色をしているだけで旭日旗を連想すると言い出すに違いない。

 欧州歴訪中の韓国大統領の朴槿恵氏がさかんに日本を非難し、「中韓との関係改善の努力を改善するよう日本に求める」とコメントしている。それなのに日本側からの首脳会談は拒否している。

 日本との関係改善の努力をしていないのは韓国だとしか思えないが、韓国側からすれば韓国の主張を全面的に認めない日本とは首脳会談をしない、という論理らしい。

 竹島を放棄して独島として認め、従軍慰安婦を国家として認めて賠償し、日韓条約を白紙に戻したら日本の誠意を認めよう、というのが韓国メディアの主張であろう。これが国際的に見ていかに理不尽な、一方的な要求であるのか、朴槿恵大統領が分からないはずがない。

 それなのにその主張に迎合するしかない立場に立たされているのも、哀れと言うべきか。上り調子だった韓国経済に陰りが出てきて、反映に隠れていた問題点が現れだしている。李明博大統領同様保身のための反日に頼るしかないと言うことか。何しろ韓国では大統領職を損なうと失脚では収まらず命の危険がある。

 このような常軌を逸しているとしか思えない言説がまかり通っているということは、韓国全体に何か終末的不安感が感じられているせいなのではないだろうか。韓国とはあまり性急に関係改善などの行動をとらない方がいいような気がする。これは日本人の多くが感じていることだろうけれど。

葉室麟「潮鳴り」(祥伝社)

 藤沢周平が自分の生まれ故郷の庄内地方に創造した海坂藩を舞台にした小説を数多く書いていたように、葉室麟も自分の拠点である北九州・豊後を舞台にした小説を数多く書いている。

 この小説はいままでのものと味わいがだいぶ違う。葉室麟に登場する人物は清冽で、死の覚悟を元に達成困難な事態を打開していく。武士は死の覚悟があることが当然だと言っても、戦争が日常であるときならいざ知らず、本当に死の覚悟をすることはやはりなかなか出来ることではない。

 死の覚悟とは自分の生き方の信念に殉ずる、ということだろうか。節を曲げない勁い生き方をするのは普通は誰にでも出来ることではないが、しかし目的が明確にあるとき、武士でなくても誰にでも可能になる。

 目的とは何か。それは自分ではなく、かけがえのない誰かのためである場合だ。かけがえがない人とは誰か。自分が生きていることを祝福してくれている人、「あなたがいてくれることがうれしい」と心から思っていてくれる人だ。しばしば親は子の危難に対して自分の死をいとわない。

 しかしこの小説では主人公の伊吹櫂蔵は武士の死の覚悟をすら超越しなければならない。自分を捨てるつもりになれば死ぬことなど簡単だ、というところまで追い込まれた櫂蔵は、かけがえのない人たちのためにどんな苦難も正面から引き受けて生き続けることを選ぶ。

 死なないことを覚悟する、ということがどれほどのことかが描かれている。人が生きると言うことはそもそもそういうことなのだが、死をないもののように念頭から消している現代の人々はそういう意味では真に生きていると言えないのかもしれない。

 ただ人間は晩年が近づけばいやでも死を思う。死を思った上での生は輝かねばならないことに気がつく。それをもっと若いときに知りたかったと思ったりする。

 ヤクザものにまで襤褸蔵(ぼろぞう)と蔑まれるまで落ちた櫂蔵が、弟の死を知り、その真相を知るために、そしてそんな自分をすら慕ってくれる人のためにどん底からついに這い上がる。

 なぜ弟は死ななければならなかったのか。それを解明していく中で次第に仲間が出来、ついに弟を死に追いやった者たちへ鉄槌を加える。ラストは痛快の極みであるが、涙を禁じ得ないほど痛切でもある。

2013年11月 6日 (水)

映画「エージェント・マロリー」2012年アメリカ・アイルランド

 監督スティーヴン・ソダーバーグ、出演ジーン・カラーノ、ユアン・マクレガー、ビル・パクストン、マイケル・ファスベンダー、アントニオ・バンデラス、マイケル・ダグラス。

 主演のジーン・カラーノという女優は知らないが、知っている俳優がぞろぞろ出ている。みんな一癖も二癖もあるという役柄を楽しげに演じている。いい人はマロリーに無理矢理つきあわされる素人の青年以外は出てこない。

 優秀な女性特殊工作員・マロリー(ジーン・カラーノ)はある任務を果たした後に不可解な仕事を次々に引き受けさせられる。そしてその仕事に直感的に身の危険を感じる。案の定襲われるのだが、その理由も誰がそれを仕組んでいるのかも分からない。この映画はその逃避行と逆襲の物語である。

 マロリーはやや太めで怒り肩、筋肉質の女性。だから格闘シーンなどではややキレに欠けるものの、打撃のパワーは男勝りで迫力がある。最初はそれほど魅力的に見えないが、危機を次々に切り抜けていく内にだんだんカッコよく見えてくる。

 物語の流れが前へ進んだり過去にさかのぼったりしながら次第に全体がつながってきて、マロリーの立場がはっきり分かる。映画の冒頭のシーンは物語の後半に当たる。そしてついにマロリーの報復が一つ達成され、最後に全てを仕組んだ男のもとをマロリーが訪れて・・・ジ・エンド。

 あまり期待していなかった映画だったがさすがにソダーバーグ、充分楽しめた。ただし最近の映画ほどのハイテンポではない。早すぎるのも話を見失うことがあるからこれくらいがちょうどいいか。

美容整形

 朴槿恵大統領が最近整形手術をしたのではないか、とうわさになっている。近頃の映像では二重まぶたになっているからだ。これに対して側近は、公務が忙しくて疲れがたまり二重になったのだ、と整形したことを否定している。

 韓国の若い女性の半数が美容整形をしているというニュースを見た。統計的な事実かどうか知らないが、それが情報として一般化すれば美容整形をしていない女性も美容整形をするべきではないかと考えるだろう。

 韓国は儒教の国だと言われ、孝行の国だと言われる。孝経に「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり。」とある。孝行こそが何にも優先するはずなのに美容整形するというのは明らかに矛盾している。

 そんな理念よりも見た目の方が大事だ、と考えるのが韓流なのか。

 人は年をとる。年をとれば顔も老化し、いろいろ緩んでくる。緩んでくるのは致し方ないが、新しい調和の中でその人自身の内面が現れてそれなりの見るべき顔になる。

 ところが美容整形したところは人工的な部分なので老化しない。何となく異様になった顔をテレビでしばしば見る。それを見たひとは正視に耐えず、密かに顔を背けて見て見ぬふりをするから本人は気がつかないか、気がつかないふりをする。

 韓国の美容整形がさかんになったのはそんなに昔からではないだろう。いま妍を競って美しい女性たちも、しかし30年後には互いに顔を背け合うような女性ばかりになるだろう。

 そのような作られた美を良しとしてきた男たちは、それだからこそ年老いた美容整形女性を拒むだろう。

 韓国は男性化粧品の消費金額が世界一だそうだ。男性の美容整形もいまに当たり前になるに違いない。そして少子高齢化の果てにゆがんだ美形たちの老後がやってくる。

諸井薫「幸福の本質」(ワニの本)

 著者の諸井薫は編集の仕事が長かったが、プレジデント社に社長として招聘され、経営者としても功績を挙げた。さらに作家としても数多くの著書がある。2001年に死去。Wikipediaでは1931年生まれとなっているが、この本の奥付では1930年生まれである。

 この本は三章からなり、半分以上を占める第一章は著者独特の小説仕立て、第二章と第三章は時事評論風の文章である。すべて数頁の短文からなる。著者独特の小説仕立て、というのは著者自身を「男は」という語り口で第三者風に仕立てて書かれた文章である。しかし私生活を描いた私小説、ということではなく、著者が自分の思いを仮託した、想像上の「私」である。著者の小説はおおむねそのようなものが多い。山口瞳の「江分利満氏」のシリーズに似ているといったら分かりやすいだろうか。ただ違うところはある写真のようなワンショットで過去と現在を語るようなものが多いところが違うかもしれない。文章もさらに短い。

 幸福は相対的なものである。気の持ちよう、考え方で幸福かどうかも変わる。不遇に暮らしていればささやかな幸運が幸福に感じられるだろうし、順風満帆に生きて苦境を知らなければわずかな躓きが不幸に感じられるだろう。そんな人生のある出来事から「男」、が感じた、人生に対する思いがしみじみと語られている。それは著者自身そのものでもある。

 どういう人生でも、かけがえのない自分だけの人生だ。あるきっかけでその人生を振り返り、それをどう受け止めるか。著者はそれをいろいろな人物になりきって心に去就するものを見つめている。そこには読者である「私」もいる。

2013年11月 5日 (火)

映画「東京ゴッドファーザーズ」2003年・日本映画

 アニメ映画。監督・今敏、(声)江守徹、梅垣義明、岡本綾。

 ペーソスにあふれているのにまことに楽しい映画。こんなに手放しで楽しいと思ったのは久しぶりだ。

 銀チャンという中年が終わりかけの男と、やはり同じ年頃のおかまのハナちゃんは段ボールとブルーシートに暮らすホームレスだ。そこに居候として家出娘のミユキが同居している。

 この三人がゴミ捨て場をあさっていたときにそこに捨てられていた赤ん坊を見つける。おかまのハナはほかのふたりの反対を押し切って赤ん坊をキヨコと名付け、自分の手で面倒を見ようとする。その赤ん坊をめぐって物語が二転三転していくのだ。

 物語の展開とともにそれぞれの人間の抱えている過去、そしてホームレスや家出娘になった事情が次第に明らかになっていく。それは自らが語っていたものとはまるで違う別の物語であった。

 そしてこの赤ん坊のキヨコのおかげでそれぞれの過去と直面することになる。

 ラストに題名の「東京ゴッドファーザーズ」の意味が明らかになる(題名で、分かる人には最初から分かっていることだが)。

 人間の弱さと哀しさを感じさせながら笑わせてくれる。喜劇とはそもそもそうしたものだろう。

中国の癌患者

 中国の天津でアジア太平洋癌学会が開かれているそうだ。

 席上中国の専門家が、中国の癌患者数は毎年増加しており現在世界の20%を占めている、と報告した。特に肺がんが死因のトップだという。

 世界の20%と言うと多いように思うが、考えてみれば中国人の人口は世界の20%だから驚くには当たらないのだ。癌患者数の増加は、中国も医療が進んだことで癌患者の認定数が増えているからだ、と見れば特に騒ぐほどのこともないように思える。

 問題は大気汚染や河川や海の汚染、土壌の汚染が深刻な事態になっていることが癌などの疾病にどのように影響しているかだろう。

 中国新聞網は中国環境保護部の専門家の「ほぼすべての汚染物質で中国は排出量世界一だ」と述べたという記事を掲載した。

 しかし記事では、汚染をともなう経済成長を遂げた後に対策に取り組むのだからこうした現状に中国は恐れることはない、と続ける。真に恐れるべきは対策を取りだしてからも汚染を垂れ流し続けることだという。さらに取るべき対策を行わないことだという。

 中国はこの40年で環境保護対策を全くのゼロから大きく前進し、現在ではGDPの1.4%に相当する資金が汚染対策に投じられるようになったそうだ。

 原発事故の処理が戦力の逐次投入という最もお粗末な進め方をしてきたために、収まるどころかますます事態が悪化しているように見える。これは東京電力という一企業に、経営を考慮しながらの対策を認めていたからだ。会社が存続することを前提にした資金投入なら逐次投入しか出来ないのは当たり前だ。

 莫大な資金を国が投入して、借金として電力会社に負わせるシステムにすべきことは誰にでも分かることなのに民主党は東京電力の非をならすだけでいまの事態を招いた。国の資金を入れることで民主党の責任と言われるのを恐れたのだろうか。起こった事態には不可抗力の点もあったが、起こった後の対策の不備は全面的に関係当事者にあるのは当たり前だ。原発事故の報告書はすべて事故が発生した時点の問題を明らかにすることに終始している。その後の事後処理の問題点とその責任をたださなければ、後世にその知見を残す意味がないではないか。

 出来たはずのことを怠った罪は問うことが出来る。

 中国の汚染対策は強力に推進されつつあるのかもしれない。しかし投入された資金がどれほど有効に使われているのか危ういのが中国という国だ。汚染物質を垂れ流している企業への補助のかたちで投入されたりしていれば、どれだけ汚染を止めることにつながるか疑問だ。そもそも中国には社会正義、という認識が薄いように思う。正義は反日にしか無いのではないか。

 こうして汚染対策が不十分なままこの事態が続けば汚染物質による健康被害はますます、というか急激に深刻になるに違いない。そのとき中国の癌患者が世界の20%などという数字ではなく、もしかすると30%などという数字になるのではないか。

 さらに勘ぐれば、中国の癌患者数の統計自体が本当かどうかも疑わしい。中国の人口が世界の20%だからそれに合わせておこう、という意図による操作がないとは言えないのだ。

 中国の子供たちの未来が危ぶまれる。

2013年11月 4日 (月)

映画「千年女優」2002年・日本映画

 監督・今敏、アニメ映画。

 映画会社「銀映」の古い撮影所が老朽化を理由に取り壊される。これを機に、むかしこの銀映の花形スターであった女優・藤原千代子へのインタビューが行われる。

 藤原千代子は三十年前に突然引退していて、インタビューを一切受け付けないとされていたが、今回のインタビュアー・立花の「お土産がある」との言葉にそれを受け入れたのだった。

 そして藤原千代子の大ファンだったという立花が千代子に手渡したのは古い鍵だった。それは「一番大切なものを開ける鍵」であった。そこから千代子の回想が始まる。

 その回想は、千代子自身の過去と彼女の出演した映画の世界が混じり合い、時代を超えていく。その回想の中に立花も、同行したカメラマンも取り込まれてゆく。

 あの鍵は千代子が少女の時に、ある人から預かったものだ。千代子の一生はそのまま「あの人」を求める旅でもあった。「あの人」がこの鍵を「一番大切なものを開ける鍵」だと教え、「いつかまた必ず会おう」と約束したのだ。

 この鍵をなぜ立花が持っていたのか、そして結末はどうなるのかは映画を見ていただくしかない。ラストはこうでしかないと思う。

 実写映画では絶対にこの余韻は作れないだろう。アニメだからこそ、今敏監督だからこそしみじみした感動があるのだろう。人生の終末にいささかの希望を感じさせてくれる。その前に寂しい長い時間はあるけれど。

中野美代子「なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?」(岩波ジュニア新書)

 岩波ジュニア新書はジュニア向けという建前なのだろうが、シニアが読んでも面白そうな本が並んでいてそのうちの何冊かを読んだことがある。

 著者の中野美代子は1933年生まれと言うから御年80歳のはずだが、西遊記に隠された数字パズルを絵解きして見せるその頭脳のさえはこちらがついて行けないくらい鋭い。あやかりたいものだ。

 中野美代子は岩波文庫で「西遊記」全10冊を翻訳している。この「なぜ孫悟空のあたまには輪っかがあるのか?」という本では、その岩波文庫を脇に置いて読むように勧めている。細かいコラム形式に西遊記を分析していくときの引用がこの訳本だからだ。

 誰でも知っている「西遊記」だが原文を訳したものを通しで読んでいる人は少ないだろう。そしてこの物語の本当のおもしろさはストーリー全体の流れよりも100回に別れている小さな物語の連続の中の細部にあるのだ。

 物語全体の構成をその細部が矛盾なく強固に支えていることを著者は明らかにしていく。考えすぎであり、こじつけだろう、と最初は思うけれども、次々にそれを裏付ける事実が提示され、ついには納得させられる。これはジュニアには荷が重いしもったいない本だ、と思うけれどもやはりジュニアの柔らかい頭にこそふさわしいのかもしれない。

 「カプレカルのループ」などという数学がひょいひょいと飛び出すあたり、この中野美代子という人、なかなかすごい。脱帽して楽しませてもらった。岩波文庫版「西遊記」、揃えてみようかな。

2013年11月 3日 (日)

室谷克実「悪韓論」(新潮新書)

 時事通信社の政治部記者としてソウル特派員の経験のある著者が、韓国に対して歯に衣着せぬ論評をしている本だ。

 ただしそこで文言の根拠にしているものはほとんどが韓国の代表的な新聞などの記事であり、それぞれ出典を明らかにしている。もちろんどんな記事を選び出しているか、という点には著者の恣意が働いているが。

 この本を韓国の人が読んだらどのように感じるのだろう。同じもの(取り上げられている記事)を見ても著者のような見方をしないのだろうか。それとも内心ではその通り、と思うのだろうか。どちらにしても最後まで読んだとしたら韓国の人にとっては不愉快だろうな、と思う。

 この本に書かれているように、事実の抽出から導き出されるこれからの韓国の悲観的な未来図はどこまで当たるだろうか。ここまで悲観的ではないけれど、あまり明るくないような気は私も最近の韓国のニュースを見ながら感じているところだ。

 韓国の観念的な反日報道が、ここにあげられた韓国自身の抱える数々の問題点を露呈させないためのカモフラージュだとすると、その問題は解決されることなく先送りされ、遠くない時期に取り返しがつかない日が来るかもしれない。

 

 実家にしばらく滞在したが明日は名古屋に帰る。老母の発語障害はリハビリの成果もなく全く改善しない。さらに会話をしないことにより、嚥下障害が悪化している。立ち居振る舞いによろけることが多くなっていて散歩も困難になったようだ。車いすに乗るしかなくなるのはまもなくかもしれない。認知症も、認めたくないけれど進行し始めたようだ。話しかけてもこちらの話がどこまで伝わっているのか心許なくなってきたのが寂しい。弟夫婦には世話を掛ける。

マッコリの冬

 マッコリの需要が激減しているそうだ。

 マッコリの海外消費は近年大巾に増加していた。海外輸出の90%が日本向けであった。その日本市場でのマッコリの需要が激減している。さらに韓国国内でも2011年をピークに減少を続けており、マッコリは今、冬の時代を迎えている。

 専門家は日韓関係による影響もあるだろうが、日本人がマッコリに飽きたのが原因だろう、と語っている。

 その通りで私もマッコリを時々たしなんでいたが、アルコール度数が低すぎるし、味に今ひとつパンチとうまみがないので近頃は全く飲む気がしない。以前は酒屋に何種類ものマッコリが並んでいたけれど、今は見つけるのが難しい。

 たぶん韓国焼酎はマッコリとは違ってそれなりに売れ続けているのではないか。でも韓国で飲む韓国焼酎と日本で飲むそれとはずいぶん味が違うような気がした。

 空気や食べ物が違うからだろうが、それ以上に根本的に違う味がしたように感じたがなぜだろう。もちろん韓国で飲んだ方がずっとうまかった。

北折充隆「迷惑行為はなぜなくならないのか」(光文社新書)

 副題 「迷惑学」から見た日本社会

 名古屋大学の大学院で社会的迷惑行為の研究が行われてきた。その研究に携わり、現在金城学院大学の心理学の准教授である著者がその研究を継続している。それを「迷惑学」と称しているので、認知されるのはまだこれからになるだろう。

 「社会的迷惑」とは専門的に言うと「当該行為が、本人を取り巻く他者や集団・社会に対し、直接的または間接的に影響を及ぼし、多くの人が不快を感じるプロセス」と定義されるそうだ。

 社会的迷惑には
「明文化されたルールや法律に違反した行為」
「ルール化されていないが、他者に実害が及ぶ行為」
「実害はないが、他者に不快感を与える行為」
の三種類がある。それぞれの明確な仕分けはどうしても曖昧になる。主観的な要素が大きいし、時代や地域、文化によって迷惑かどうかが異なることが多いからだ。

 この本ではあえてそれぞれに分けて実例を数多く挙げながら具体的に説明していく。そしてなぜ迷惑行為をする人がいるのか、そして人はなぜそれを迷惑と感じるのか、それを心理学的に解釈しようと試みている。

 迷惑行為は社会的損失を招いているとも言える。一人一人では些細なことでも、野放しにすることはその行為の蔓延を招いてしまう恐れもある。「迷惑学」の究極の目標は迷惑行為をいかにして減少させられるか、という解答を求めていくことにあるだろう。

 この本でもいくつかの提案が述べられているが、「迷惑学」がまだ端緒にについたばかりのせいか残念ながら画期的な解答は見当たらない。

 迷惑行為をしない人間の方が大多数である。迷惑行為をする人が大多数ならそれは認知されていて迷惑行為とは見なされないだろうから当然である。中国のように行列に割り込む人が当たり前になれば誰もそれに目くじら立てなくなる。

 いけないことと承知しながら「列の後ろに並ぶのはいやだ」「うまいことやってやろう」と思って割り込む人間がいる。一人それがうまくいくとまねする輩が現れる。こうして数をたのんでいけないことがいけなくないことになることを期待する。「他の人もやっている」というのは常套句だ。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」だ。そういえば中国では赤信号も平気で渡っていた(今はだいぶ少なくなったけれど)。  

 たぶん「迷惑学」によって迷惑を減らすための解答は一般の良識ある人を対象にしていては永久に得られないであろう。このように迷惑のきっかけを作る人には、迷惑行為を禁止する言葉が一番届かないと言っていい。その最も届かない人に届かせるための画期的なアイデアこそが必要だろう。

 まだ生まれて間もない「迷惑学」だからこの本も突っ込み不足の感があるが、とてもユニークな研究であり、今後に期待したい。

 中国の、海外でひんしゅくを買っている一部の観光客にマナーを理解してもらうときなどに参考になるアイデアが出てきそうな気がする。

2013年11月 2日 (土)

楡周平「『いいね!』が社会を破壊する」(新潮新書)

 「いいね!」というからブログのあの「いいね!」ボタンのことかと思ったら違った。その「いいね!」では社会は破壊できない。

 著者は経済小説のベストセラー作家である。この本では便利になっていくことが本当にいいことなのか、ということを論じている。便利になるのだからいいではないか、と誰でも思うだろうけれど、そこには大きな社会的な問題が存在するのだ。

 著者は元々コダック社に勤務していた。作家として独立して退社したけれど、古巣であるその業界に当然詳しい。だからまず便利になることで失われたものの実例として写真のデジタル化が取り上げられている。

 デジタルカメラが市場に登場したときにはその画質はフィルムに遠く及ばず、子供のおもちゃみたいなものだった。いつかフィルム並みの高画質になることは予想できたけれど、まさかこんなに短期間にその時代が訪れるとは想像できなかった。私も当初はフィルムカメラにこだわっていた口だけれど、ある理由からデジタルカメラに移行した。

 ある理由とは街の写真屋、いわゆるDP屋の粗雑さに対する怒りである。現像、引き延ばしを依頼すると自分の思っていたものとはほど遠い写真が渡される。そしてあらためて焼き増しを依頼すると最初のものとは全く違う写真にできあがったりしていた。だから高かったけれど、フィルムスキャナーを購入し、フィルムをデジタル化して、プリンターでプリントするようにした。信じられないほどきれいに撮れているではないか。

 デジタル化が進むとともにDP代は安くなり、プリントの仕上がりは恐ろしくお粗末になっていった。自動化された機械でDPしているのだが、細かい調整など全くせず、ピントすらずれたまま、しかもコストダウンのために薬品をけちって疲労した液で印画するから色調もへんてこりんだ。さらにひどいのはフィルム現像の水洗が不十分なために色が変わったり、乾燥不十分でカビが生えたりする始末だった。

 カメラのデジタル化が進むにつれ、当然街のDP屋は商売が成り立たなくなったから店舗数は激減した。これを加速したのはDP屋自身だと私は思っている。

 それはともかく、このデジルカへの急激な変化について行けなかった、超優良企業だったコダック社は2012年会社更生法を申請した。

 コダック社は手をこまねいていたわけではない。いち早くデジタル化の波に対応するための設備投資や組織変更を計画していたのだが、まだデジタル化がそれほど普及していないのにそのような過大な投資は時期尚早である、という株主からの猛反対で計画は頓挫、結果的に手遅れとなってしまった。

 デジタル化が進むことでDP屋がなくなっただけではない。フィルムの生産が激減したからその工場も縮小された。印画紙の需要も大きく減少しただろう。当初はプリントした人たちも、今では画面で見るだけになっている。つまりそれに携わっていた多くの人たちや設備が不要になり、デジタル化であらたに生まれた需要よりも、それで失われた雇用と需要の方がはるかに大きい。

 これはメディア(CDなど)を必要としないデジタルメモリー機器の普及も同様である。CDの販売店はどんどん淘汰されつつある。音楽CDの生産は今後さらに減少し、それに従事している人たちや設備が不要になっていくことだろう。

 さらに電子書籍。紙の本を愛する人たち(私もそうだ)は今後も一定数残るだろう。しかし一定の部数販売するから紙の書籍を出版し続けることが出来るのだ。今出版界はほとんどが自転車操業に陥りつつある。新刊の部数を少なくし、点数をむやみに多くすることでリスク分散をはかりながら延命している。若い人はすでに電子書籍にこだわりなく移行しつつある。日本の書店は再販制度という制度に助けられて存続してきたが、その書店数は急激に減少している。地方の小さな町では書店のない町も増えている。出版点数が多いから店舗の規模の小さいところは対応が出来なくなっているのだ。また万引きの被害も甚大だ。

 今ガソリンスタンドがどんどん減っている。特に車の必要性が高いはずの過疎地でのガソリンスタンドの廃業は深刻な社会現象となっている。ガソリンスタンドのガソリンタンクの更新の経費が出せない、というのが直接的な廃業の理由だが、それ以上にハイブリッドやエコカーの普及による需要低下が大きいだろう。このことが過疎化を促進することになるかもしれない。

 まだこの本で取り上げられているものはいろいろあるが、個別には承知していてもそれぞれの社会的な意味を統合して考える、ということはしていなかった。

 著者が言いたいことはここから始まる。ネット社会による流通革命が、社会そのものを大きく変えてしまう。それは便利な方向を目指しているように見えながら、実は社会を破壊する危険もはらんでいる、と警告する。それはなぜかはこの本を読んでほしい。

 さらにLINEやフェイスブックをはじめとするネット産業の危険性を個人情報開示の点から強く懸念する。私も全く同感だ。

 「すでに出来たものはなかった昔に戻せない」とは山本夏彦の至言だが、核兵器と同様様々な便利な道具やシステムが実はその陰に恐ろしい未来を潜ませているのかもしれない。人類はそれを乗り越えられるだろうか。

中国敬遠

 中国を訪れた外国人観光客は2013年度上半期約494万人であった。これは最も多かった2008年の上半期の約614万人と比べると大きく減少している。

 世界経済フォーラムが発表した「2013年観光業競争力報告」によると世界140カ国のランキングで中国は45位。「観光客を手厚くもてなす」順位ではなんと130位であった。

 観光客が中国を敬遠する傾向がはっきり現れているが、最も大きな理由はPM2.5などの深刻の大気汚染かと思っていたら、観光客に対するあしらいに大きな問題があるらしい。日本人観光客はそれ以上に激減している。その理由はもちろん身の危険を感じさせるほどの中国の露骨な反日プロパガンダにある。

マーク・グリーニー「暗殺者グレイマン」(ハヤカワ文庫)

 グレイマンはシリーズになっている。書店で第三作が新刊として棚に並んでいるのを見て、おもしろそうなので第一作に当たるこの本を購入した。

 抜群におもしろい。CIAに命を狙われながら、たった一人で世界12カ国の殺人チームと闘うというスーパーアクション小説だ。このおもしろさはたった一人でマフィアを敵に回して闘うというマック・ボランシリーズを思い出す。あれも痛快な物語だった。マック・ボランシリーズは12話か13話までで読むのを止めたけれど、その後もアメリカではシリーズが続いていたはずだ。

 帰ったら早速このグレイマンの第二作と第三作を購入して読むことにしよう。

 グレイマンとは人目につかない男という意味らしい。身を隠すのが巧みな暗殺者と言うことだ。ところがこの第一作ではのっけからグレイマンの個人情報が敵に明らかにされてしまう。

 絶体絶命の淵に追い込まれ、満身創痍で戦い続ける不屈の闘志にはらはらどきどきするのも楽しい。続編があるから絶対死なないことは分かっているし。

 理由の話から田舎でCIAを解雇され、命を狙われているグレイマンは、民間警備会社の暗殺の仕事を請け負って生き延びていた。引き受ける仕事は困難なものばかりだが、暗殺はどうしても抹殺しなければならない人物に限るという制約を守っていた。

 冒頭、アフリカで困難な仕事をやり遂げ、そこから逃走するシーンから物語は始まる。ここで起きる出来事からグレイマンの性格のイメージが読者に伝えられる。

 この暗殺の波紋により、グレイマンは窮地に陥ることになるのだが、その理由の理不尽さや敵のグレイマンを追い詰める手段の悪辣さがこの戦いを正義と悪との戦いとして際立たせることになる。

 主人公をこんなにぼろぼろにしなくてもいいではないか、と思う。普通なら死んでいるか途中で動けなくなるだろう。

 読んでいてページをめくるのがもどかしくなるくらい夢中になれるおもしろい本である。

2013年11月 1日 (金)

酩酊

申し訳ありません。現在酩酊の極みです。

また明日。

事実には違いないけれど

 昨年、日本の尖閣諸島の国有化に対して中国が激しい反日デモから暴動となったことは記憶に新しい。

 野田元首相が「小泉政権時代からすでに国有化の交渉を行っていた」と述べたことが中国の環球時報で伝えられた。

 この発言の全体像が分からないけれども、この発言の部分のみが中国で伝われば、尖閣国有化の元凶は小泉元首相だ、と受け取られる可能性が大きい。

 小泉元首相は安倍首相同様中国では評判が悪い。言うべきことを言い、中国に迎合しないからだ。もちろん言うべきことを言うタイミングというものがあり、それを外せば言わない方がずっといい、ということはある。まさに野田首相が胡錦濤主席に対して最悪のタイミングで「尖閣国有化」を告げ、胡錦濤からその公表を控えるよう要請されたのにその意味が分からず、二日後に公表したことで胡錦濤のメンツは丸つぶれとなり、その晩節を大きく損なうことになった。胡錦濤と温家宝は苦境に立たされ、日本に対して激怒し、反日デモから暴動に至ったときもそれを止めようとしなかった。

 野田元首相にはその自覚がない。その上尖閣国有化は小泉首相時代から進められていた、と語るのは確かに事実かも知れないが、この言葉には自分は尖閣国有化にはあまり責任がない、と言い逃れしたい気持ちが見え見えである。どういういきさつであれ、反日暴動のきっかけに自分が関わっていた責任について無自覚だというのはまことに情けない。

 この人政治家にむいていないと思う。

嫌韓デモが増加

 韓国の議員が、日本の「嫌韓デモ」が三年間で10倍に増加していることを明らかにした、と韓国・中央日報が伝えた。

 2009年には30件だったものが、2012年には301件になっているという。

 メディアの伝えるものを見る限り、日本の嫌韓デモには感情的なスローガンが多いようだ。韓国で反感を持つのは当然だろう。多くの日本人も嫌韓デモを支持している人はほとんどいないように思う。

 しかしそれが増加している、ということは嫌韓デモに共感する人が多少なりとも増えていることを表しているのかもしれない。何の反響もなければデモなど盛り上がるはずがない。

 ところで韓国の反日デモはどのくらいの件数あるのだろうか。日本にとっては竹島問題も慰安婦問題も反日行動に見えるから、それを含めれば嫌韓デモよりもその数は桁違いに多いだろう。

 韓国の反日行動に嫌気が差した日本人の気持ちの反映が嫌韓デモだ、という面もありやしないか。ただし韓国人街で「韓国人は日本を出て行け!」などと叫ぶ姿を見ると同じ日本人としても恥ずかしい気がするが。

 ただ少なくとも日本の嫌韓は韓国のように国家やマスコミがあおったりしていない。韓国の場合は国民よりも国家やマスコミ、学者がエキサイトしている。韓国に詳しい人や本を読むと韓国民は伝えられているほど反日ではないようだ。

 嫌韓デモなどよりも、誰にもあおられていない日本人がじわじわと嫌韓意識を醸成していることの方が韓国の議員も問題として感じた方がいいような気がするが。

ウォシュレット

 中国でウォシュレットが本格的なブームになりつつあるという。中国メーカー品もいろいろな機能をつけて品揃えをしているそうだ。

 ウォシュレットは快適で一度使い出すと止められないものだ。中国でも普及が加速するだろう。ただ水が豊富ではない中国の場合、その普及の影響はどうだろう。洗浄水が増える程度ならかまわないのだろうか。

 テレビで見たけれど温水や便座のヒーターの不具合による事故がまれにあるのだという。火災につながったこともある。実際に中国製のウォシュレットの不具合も報告され始めており、性能や安全の基準を作ろうという動きが出てきているらしい。

 中国の常として故障してもメンテナンスの体制は整っていない事だろうから、機能がありすぎるのも善し悪しかもしれない。トイレが使えないのは誠に困るものだ。

期待してしまう

 中国政府系のシンクタンクの担当者が「国内の地方都市で不動産バブルがはじけ始めた。不動産ががバブルであることは否定できず、中国経済の予測不能なリスクになっている」と懸念を述べた。

 中国のバブルがはじけて経済が停滞することは社会不安につながり、深刻な事態となることも予想される。日本やアメリカを始め、中国に進出している企業は大打撃を受けて甚大な影響を受けることも間違いない。

 とは分かっていても何となく中国の経済が失墜することを期待してしまう。日本にとって今の中国は傲慢に見えて、一度頭を冷やしたらどうか、と日頃思っているからだ。

 中国は賢い人も多く、施策も迅速かつ大胆に実行できるから、日本のバブルのようにはならないと思うけれども。でも・・・

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