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2015年4月

2015年4月30日 (木)

鬼押出し

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 軽井沢から北上、浅間山の山容が迫るあたりに溶岩の流れた後を目にすることの出来る鬼押出しという奇勝がある。

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 昼近いのでやや霞んでいるが、浅間山は目の前。

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 この門をくぐって表参道を行き、裏参道でぐるりと廻ってくることができる。

 昔はこんなに歩きやすくなかったはずだが、今はハイヒールでも歩ける。

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 この奇勝を鬼押出し園として20世紀になってから観光園をつくった。同時に上野の寛永寺から分院して観音堂を建立した。江戸時代、天明の噴火でたくさんの犠牲者が出たのを鎮魂する意味がある。

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 ただの溶岩ではなく、噴出した岩石がそのまま固まったものらしい。前を行くのは友人。

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 この岩の塔の高いところに松が根付いているようだ。ほとんど土らしい土がないところに根付くというのは凄い生命力だ。

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 これは石割の松。根元をよく見て戴くと根が食い込んで石を割っているのが分かる。

 まだこの奇勝が形成されてから時間がたっていないので、風化が進んでいないのだろう。岩石にとっては数百年というのは僅かな時間なのだ。

 このあと小諸の懐古園へ行く。 
 

ドラマ「贖罪の奏鳴曲(ソナタ)」(WOWOW)全四回を見る

11041_96 人間としてなにかが欠けているのか?

 冒頭で、夜の雨の中、死体を車で運び、水辺に流すシーンが映される。このシーンで犯人が最初から明らかになっているように見えるのだが・・・。

 だれもが有罪必至とみる裁判を無罪にしてしまう敏腕弁護士・御子柴(みこしば)を三上博史が演ずる。御子柴は、困難な裁判を高額で引き受けることで知られる弁護士だ。当然被害者側からは強く怨まれるが平然としている。その御子柴がときどき国選弁護を引き受けることがある。それは贖罪行為のようでもあるが、本人は売名行為だ、とうそぶく。

 彼がたまたま目にした保険金殺人事件を自ら引き受ける気になったのも、そのような気まぐれからだったはずであった。しかし実は彼には人に知られたくない過去があり、その過去が彼に仕向けたことが次第に明らかになる。

 冒頭の殺人事件を追う刑事(リリー・フランキー)により、御子柴の過去、そして保険金殺人事件の関係が次第に明らかになるにつれて、人間の心の闇が浮き彫りにされる。

 少年犯罪を犯したものが成人になって社会に出てからどう生きているのか、というあまり知られていない実態が明らかにされる。

 少年犯罪は、罪に対して罰が軽すぎるとの批判があるが、そのことの結果がどういうことをもたらしているのか。彼等の罪の意識はどうなのか。罪を真に認識したとき、その贖罪というものが可能なのか。

 過去を変えることはできない。では犯した罪はどう償うのか。償うことができるのか。ちょっと考えさせてくれる、シリアスなドラマだ。脚本も俳優も好い。

 リリー・フランキーの声が小さくて聞き取りにくい。役柄からこのような押さえた語り口になるのは分かるが、それに合わせて音量を上げると音楽がうるさすぎる。もう少しバランスを取って録音して欲しかった。

2015年4月29日 (水)

妙義神社

 桐生から北関東自動車道に乗り、藤岡から上信越自動車道に移り富岡を横に見て松井田妙義インターで降りる。

 この辺りから碓氷峠までの山は、粘質の高い溶岩でできているのか、奇妙な形をした山がたくさんある。ほかではあまり見ないかたちだが、残念ながら写真がない。実際に行って見るとびっくりするはずだ。
 インターを降りてすぐに妙義山の麓の妙義神社がある。

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 妙義神社の駐車場から撮った妙義山。あまり近くで撮ったのでてっぺんのあたりだけ。あまり近いと山全体を見ることができない。

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 妙義山神社山門。ここは坂と階段がずっと続く。前日深夜まで飲んだのでつらい。

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 こんな感じ。リュックを背負った人がたくさんいるのは、ここが妙義山の登山口でもあるからだ。本殿横に登山登録カードの申請場所がある。

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 この辺で友人ともどもギブアップ。昨日の酒が戻ってきて汗だくになるし、腹具合まであやしくなってきた。
 二年ほど前の嵐で大木が倒れたり、奥殿が損傷したりしたと聞いている。修復がすんだのは一昨年の暮れか昨年初めのはずだ。

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 ツツジが満開であった。

 ここから高速に戻らずに碓井バイパスを通って軽井沢へ。さらに軽井沢から北上して奇勝の鬼押し出しに向かう。

池内紀「私はこうして読書をたのしんだ」(中央公論社)

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 前半は個人別の評論集。文庫の解説や自らか選んだ選集の文章が集められている。後半は読書日記のようなものである。

 とりあげられた人々を列記する。
小川未明、野尻抱影、内田百閒、白井喬二、佐藤春夫、石川淳、神西清、堀辰雄、坂口安吾、花田清輝、長谷川四郎、吉田健一、柴田錬三郎、丸谷才一、田辺聖子、寺山修司、丸山健二、川本三郎、宮本輝、村上春樹。

 この中で私が愛読してきた作家、内田百閒、柴田錬三郎、宮本輝。

 大半は少しは読んだことがあるけれど、あらためて読んでみたくなった作家、佐藤春夫、石川淳、堀辰雄、坂口安吾、田辺聖子。

 後半の読書日記を読むと著者が本当に楽しそうに本を読んでいるのが感じられる。

 ちょっと好いなと思った文章

 専門家によると、鳥は自分の領有空間を宣言するために鳴くのだそうだが、カニは甲羅に似せて穴を掘る式のクダラナイ意見である。むろん、小鳥たちは楽しいから鳴くのである。だからこそ、その鳴き声はこよなく美しい。

 男の思い出など、女にとっては単なるアクセサリーに過ぎず、男がいくらいい気になっても、女は男のほんの一部分しか覚えていないものなのだ。そして男の未練など、しょせんは女にとって紙くずのごときものであって、別れてからいくらかき口説いても、彼女は、紙屑になにを捨てたかなど、思い出しもしないのだ。

(金子光晴の詩集『女たちのエレジー』のなかの「洗面器」という詩を引用した後に)

 私は読書家と呼ばれるタイプとはほど遠い。むしろどちらかというと、読まない側にいるのではあるまいか。それに「どんな本を読んだところで、自分が学べる以外のことは学べない」というファウストのことばを骨身にしみて知っている。人はまったく、自分が読みたいようにしか読まないものだ。
 しかし、私のようなナマケモノは、もし本を開かなかったら、学べることすら学べなかったし、こんな風にして洗面器に「しやぼり しやぼり」と落ちる女のやさしい尿の音も知らなかった。

2015年4月28日 (火)

日光東照宮

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多くの人が行ったことがあると思うので目新しくないが、日光東照宮を訪ねた。ここは何度見てもその豪華さに感心する。ちょっとキンキラキン過ぎるところがあるが、陽明門が工事中なので、それが少し緩和されている。平成31年まで工事が続くそうだ。

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カバーが掛かっているのが陽明門。

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だれでも知っている、見ざる言わざる聞か猿の彫刻。
これだけではなく続き物になっていて全体で物語があるそうだ。

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唐門。ここの彫り物は特に見事。

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このすばらしさ。いくら見ていても飽きない。

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門柱の龍の彫刻は木目を活かしながら、目力があって生きているようだ。

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これも有名な眠り猫。小さい。初めて見た友人は思っていたイメージとの違いに驚いていた。

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多くの建物の屋根の四隅にこのような象の彫り物がある。象は神聖な動物と考えられていたのだろうか。

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奇妙な姿勢の唐獅子。

鳴き龍も見たけれど、ここは撮影禁止。説明をするお坊さんの話がわかりやすくて、英語も流ちょうだったが、ちょっとうますぎて商売っ気が感じられた。

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二荒山神社のそば、東照宮の裏側の駐車場に車を駐めた。その参道はこのように灯籠がずらりと並んでいる。こちら側の駐車場は比較的に駐めやすい。

このあと再び足尾を通って桐生へ。途中にある富弘美術館に立ち寄った。友だちはこういう絵が好きなので(私も嫌いではない)。もちろん撮影禁止。

夜の桐生で楽しい一夜を過ごしたことはすでに書いた。



足尾銅山

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足尾銅山は日本有数の銅山として昭和48年まで稼働していた。日本の産業の一翼を担ったけれども、同時に有名な足尾鉱毒水問題も起こした。田中正造による告発は日本で最初の公害告発と言われる。渡良瀬川が製錬工程で生ずる有毒排水による鉱毒水からようやく救われたのはつい最近のことである。有害物質を流したと言うことではなく、穴を掘って地下深くに産めたはずのものが浸潤し漏出し続けたことにより、これ程長期にわたる被害を及ぼしたといわれる。

銅山には「足尾銅山を世界遺産に」というのぼりが立てられていた。世界遺産にするためには銅山坑内だけでなく、町を挙げての整備が必要だろう。若い人たちの結束と見所を揃える必要があるだろう。私にはまだそのような熱気が感じられなかった。

坑内には時代別の採掘の様子が等身大の人形で表されている。坑道はときどき水がしたたっている。こういう暗くて狭いところで作業するのは苛酷なことであったろう。

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坑道の最後に展示室があり、機械や実際の鉱石、粗銅であるアノード、インゴッドなどが展示されていて、さらに映像で当時の様子が見られる。

行動の外へ出ると資料館があり、ミニチュアの人形による銅銭製造の工程を見ることができる。

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作業場に入る前の身体改めの場所の様子。

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貨幣の展示。欲しくなる。このほかに、一両を銅の文銭にするとどれだけの量になるかが現物でわかる。なんと12キロ、何枚だったか忘れた。

足尾から日光は近い。友人は日光に行ったことがないという。ここから東照宮に向かう。

2015年4月27日 (月)

赤城越え

老神温泉は赤城の北側、この赤城山を越えて足尾へ向かう。急勾配、急カーブの連続する道だ。大沼は赤城山のカルデラ湖らしい。

赤城山の大沼の傍に赤城神社がある。国定忠治や水戸天狗党もここで祈念した。

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神社の手洗い場。よくおかれているこの龍が好きだ。

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朝なので、神社の前で巫女さんが掃除していた。そばへ行ったら向こうから元気よく「おはようございます」と挨拶された。ちょっと気分が好い。

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覚満淵に立ち寄る。浅いけれど、水は透明。周辺は小さな湿地帯になっている。この水が大沼へ流れ込んでいる。ここにはまだ春が訪れていないようだった。

ここから桐生をかすめるようにしてみどり市経由で足尾に向かう。

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足尾銅山に寄る。通洞坑入り口。ここへはトロッコ電車で入っていく。構内は延べ1200~1300キロに及ぶ。基準坑道の上部20階、下部12階という巨大なものだ。坑内の写真は次回に。


吹割の滝

今回の旅で最初に泊まった老神温泉のすぐ近くに自称「にほんのナイアガラ」・吹割の滝がある。吹割と書いて「ふきわれ」と読む。この滝を訪れるのは3度目で、ブログにも以前紹介したが、また紹介する。


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滝の落ちる先は割れ目になっていて、こちらからもそこへ水が落ち込んでいる。ただしここからはあいだをのぞき込むことはできない。

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このようなかたちの滝は、ほかではあまり見ない。友人は「滝でもあり急流の渓谷だな」とコメントしていた。
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凄い岩盤、川底も岩盤。正面の岩が顔のように見えるのに友人はしきりに感心していた。言われてみれば鬼の顔のように見える。

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雪解け水を集めて水量が以前よりずっと多い。手前から向こうへ流れる水を見ていると、自分まで流されていくような感じがする。

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一番迫力のある場所。

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水煙が立つ。

水煙が風向きによってしぶきになって降りかかる。
滝は映像だけではなく、その音が重要な要素だ。残念ながら写真では音が出せない。興味のある方は直に見て欲しい。一見の価値あり。

おまけ。

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吹割の滝へ行く途中で見た、満開のしだれ桜。

谷沢永一「読書人の風紋」(潮出版社)

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 辛口谷沢永一面目躍如の時事批評。1996年のものですが、論じている内容よりも、谷沢永一が見ているのは人間そのものなので、古くない。

 いわゆる学者というのは、明治以後、先進国でできた理屈を取り寄せてきて、その横文字を縦に直して講義すると、一生飯が食えるという商売です。ですから、丸善に非常にめずらしい新刊書が三冊入ると、三冊とも買って、二冊は庭で焼いて一冊を自分のものにしておけば、二年ぐらいの講義はやっていける。私自身がそうですから、こういうのが日本の大学教授であると確信を持って断言できると思います。

 ほんまかいな。(谷沢永一は具体的な事実を知っていてそれに基づいて言っているのですが)

 なかには「オオカミが来るぞ」とわめき立てる評論家の方々がいます。

 今もいる。それが主流である。

 人間は常に自尊心の満足を求める。そのためにはまず自分と他人を比較する。そして自分のほうが何らかの点で他人より秀れていると思いたい。しかし世間はいたって冷たいから、そうだそうだ貴方の方がエライよ、という風には、なかなかやさしく認めてくれない。そこで自分の優越を確証したい志向を、ひとひねりもふたひねりもして、他者を貶める方向へと転化させる。そして自分は正しいのだと言い立てるかわりに、彼奴は間違っている曲がっていると、嵩にかかって批判し、罵倒する。自尊心の満足を求める衝動があるかぎり、他者を弾劾する情熱の炎は、いつまでもなくならないであろう。

 まことにその通り。自分も知らず知らずそうしている気がする。自戒せねば。

 昨晩は息子と娘が来て酒盛り。そのままごろ寝してしまい、今朝はやや二日酔い。

Img134 息子

Img272 どん姫

 今回の旅の土産。

 蜂の子、芋がら、椎茸、味付けしてあるフクロタケ、松本市の郊外の山辺ワイナリーで買った白ワインとロゼワイン、巨峰の干しぶどう、ソバと辛み大根、取れたてキュウリと松本の金山寺味噌、足尾銅山で買った銅の茶さじ。それに友人が土産に持って来てくれた神宗の塩昆布(お茶漬けに絶品)。

いつもほとんど土産を買わないのだが、今回はちょっとスイッチが入ってしまった。

旅の写真はこれから少しずつ掲載します。

2015年4月26日 (日)

宮部みゆき「返事はいらない」(新潮文庫)

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 現代物の短編集。ある出来事の背景にひそむ、人間のさまざまな思いがひょんなことから表面に現れる。表面に現れたものはその一部でしかない。隠れたその世界をひょいとめくりあげてみせるのが宮部みゆきの
短編だ。

 奇妙な味わいのもの、苦い味のもの、あたたかいもの、すべて揃っています。

 昨日から滞在している宿はネットがつながりにくい。コールタールの海で泳いでいるみたい。

 ところでネパールの地震のニュースをネットニュースで今朝知った。さっそく朝6時のNHKのニュースを見てみたが、なんとまったく報じない。どういうことか。民放では報道していた。NHKはネパールは報じる価値のない国と考えているのだろうか。報道員がネパールには入れないのかも知れないが、他の国のニュースを引用することもできるはずなのに。

2015年4月25日 (土)

宮部みゆき「龍は眠る」(新潮文庫)

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 宮部みゆきの超能力もの。主人公の雑誌記者(こちらは超能力を持たない)が嵐の夜に遭遇した少年と関わったために経験する出来事が綴られている。彼は超能力を目の当たりにしながらも、半ば信じ、半ば疑う。その疑り深さはかなりしつこい。しつこいことで次第に読者に超能力が本当であることを感じさせるところは絶妙だ。読者の方が先に信じて主人公の疑り深さにいらだつというわけだ。

 物語は意外な展開となる。主人公の過去の婚約者が、主人公のせいで事件に巻き込まれ、驚くような結末を迎える。冒頭のプロローグに書かれているように、二人の少年が登場し、一人は死んでしまう。それがどういう理由なのかがこの物語の本筋である。

 文庫とはいえ600ページを超える長編だが、おもしろいから一気に読める。

丸谷才一「梨のつぶて」(晶文社)

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 丸谷才一は作家であり、文芸評論家。歴史的仮名遣いの文章にこだわっていたが、この本は現代仮名遣いである。出版されたのが1966年で、歴史的仮名遣いにこだわる前の若い頃の文章だ。2012年死去。

 文学全体について評論している。全体というのは日本文学、古典、世界文学すべてを網羅した上での批評であり、古今集から私小説が文学としての隘路に陥ってることを批判したり、明治以後の小説がヨーロッパの19世紀の文学からの影響のみに偏していることなどを分析し、18世紀以前、そして20世紀のヨーロッパの文学についての知見を披瀝する。

 そもそも日本の私小説というものが閉じられた出口のない世界にはまり込んで特殊な技巧に走っている、というのが丸谷才一の批判である。だから志賀直哉についても採点は辛い。私は好きだけど。

 引き合いに出される知見が広範で詳細、しかも濃厚。読むのにふだんの三倍くらい時間がかかった。特に後半のジョイスの「ユリシーズ」やエミリー・ブロンテの「嵐が丘」などの西欧の文学の評論の部分は基礎知識なしに読むことが困難で、その基礎知識がないこちらはほとんどついていけずに、ただ字面を追ったようなことになった。「こんなことくらいは知っているでしょ」といわれても、不勉強のこちらは「ごめんなさい、知りませんでした」と首をうなだれるしかない。恐れ入りました、というところだ。自らの不才に赤面する。

 それにしてもどんな頭をしているんでしょうね、丸谷才一は(敬服しているのだ)。

 読了してホッとしたが、知ったかぶりに腹が立つ、というようなことがなかったのは、中身が本物であるらしいことをこのニワトリ頭でもかろうじて感じられたからだろう。

2015年4月24日 (金)

一期一会

 会うは別れのはじめとて、さよならだけが人生だ、などと言う。

 だから久しぶりに会いたい人に会えたときは、これが最後の出会いであるかのように思いのたけを語りたくなる。

 語りすぎると気持ちは伝わりにくい。すべてを説明されると思いが薄れる。

 衣衣の別れの余情を友と語ってはいけない。そこには何ほどかの節度が必要だ。それはまた再び会うためだ。再び会いたければ語り尽くしてはいけない。

 一期一会ということばは大好きだけれど、だからこそ、再びのために別れはクールでなければならないと思う。

 酩酊。語り足りないことこそ再びの出会いへの道。それだけ思いが深いと言うこと。

 今晩つき合ってくれたIさん、ありがとう。貴女はとてもすてきです。美女姉妹と美人のお母さん、また来ます。最高の夜をみんな、ありがとう。

谷沢永一が薦める本(多すぎる!)で私も影響を受けた本

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宮崎市定「アジア史概説」 
 東洋史であるが、歴史の見方を大きく変えてくれた本。中公文庫に収められている。少し厚いけれど、おもしろいので読みやすい。歴史嫌いでも読める。歴史とは人であること、人の流れであること、交易であることが分かる。

森本哲郎「ある通商国家の興亡」
 カルタゴの歴史を語ることで日本の国のあり方が分かる。森本哲郎には若いときに大いに影響を受けた。PHP文庫に収められている。写真も多い。あのチュニジアにカルタゴの遺跡がある。カルタゴは交易で栄え、栄えたことでねたまれて滅ぼされた。

武田泰淳「司馬遷」
 史記を書いた司馬遷のことを書いた本。史記のことも宮刑を受けた司馬遷の絶望的な心持ちもこの本を読めば知ることが出来る。講談社文庫に収められている。司馬遷が今そこに現に居るような思いがする。武田泰淳は作家だけれど、中国に対する素養は群を抜いている。

ほかにも数々あるが、とりあえずこの三冊を。

温泉宿にて

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夜明け直後、宿の窓から見える景色を撮る。
片品川を見下ろし、画面中央の小さな渓流が沢の音を鳴らす。
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木々の新芽が美しい。腕が悪いから分かりにくいけれど。片品川は水が美しい。
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遠く、対岸には咲き残りの桜が見える。
さすがに朝はひんやりする。友は朝の散歩、私は朝風呂へ。
金精峠が通れないならば、大間々から足尾を通って日光へ行こうか。さあ今日は赤城越えだ。

2015年4月23日 (木)

 宿の部屋部屋は四階で、片品川に面している。片品川は利根川の支流で、川の水面ははるか下、のぞき込むとけっこう谷は深い。 夕方吹割の滝を散策したときは汗ばむ程だったが、夜遅くなると窓を開けるとひんやりした空気が入ってくる。

 老神温泉も残念ながらほかの温泉と同じように一部閉鎖したホテルなどがあって昔の面影がない。そもそもこの温泉に来るようになったのは母が友だちと来た時の楽しい思い出があると聞いたからだ。母が寝たきりになる前は小さな家族的な宿にふたりで何度か滞在した。

 今、その片品川のせせらぎを聞きながら同時に友の寝息を聞いている。なんという幸福な静けさだろう。

せせらぎ

 宿の部屋は四階で、片品川に面している。片品川は利根川の支流で、川の水面ははるか下、けっこう谷は深い。 夕方吹割の滝を散策したときは汗ばむ程だったが、夜になると窓を開けるとひんやりした空気が入ってくる。

 老神温泉も残念ながらほかの温泉と同じように一部閉鎖したホテルなどがあって昔の面影がない。そもそもこの温泉に来るようになったのは母が友だちと来た時の楽しい思い出があると聞いたからだ。母が寝たきりになる前は小さな家族的な宿にふたりで何度か滞在した。

 今、その片品川のせせらぎを聞きながら同時に友の寝息を聞いている。なんという幸福な静けさだろう。

飲み放題付きのバイキングの哀しさ

 今晩の宿は飲み放題食べ放題の夕食。ほとんど満席だから食べ物も飲み物もなかなか速やかに手に入れられない。残念ながらそのエスコートをするおねえさんが、えさに群がる豚に対して見るような目をして応対するので、友とともに若干むっとする。ちょっと問題のある巨大なおねえさんであった。

 人は哀しいことに多少さもしいところがある。それを他人ごとに見ているときは良いけれど、自分もそう見られているような気がすると、ちょっと哀しい。

 とはいえ一番最後まで飲み続けて、最後に帰るように促されたのは私たち二人であった。

 二人とも他の人よりあまり食べていない。ただ、ひたすら話が盛り上がるなかで飲み続けただけ。彼女にはただそれが迷惑だったようだ。すまなかった。

 友はもう自爆したから寝るという。私は風呂に行く。

 老神から丸沼を見て、金精峠を越えて日光に行こうと思っていたら、なんとまだ峠は通行止めだそうだ。明日はどうする。

読書五原則

谷沢永一が提案する読書五原則(要約)

(1)買う 本は是非とも買うべし。身銭を切って買った本は愛着もわく。ただし買うか買わないかは自分の直感に頼るべきで、新聞雑誌の書評などに惑わされないこと。

(2)捨てる 慎重に選んで買った本でも、つまらないと思ったら無理して最後までつき合わず、潔く捨てるべきである。自分の本を選ぶセンスを磨くための授業料だったと観念せよ。

(3)線を引く 感銘を受けたところ、役に立ったところには線を引く。後日のためというよりも、どこがポイントであるかを考えるためである。それが叙述の急所をつかむ訓練になる。後で読み直して役に立たなかったら、その線を引いたときより自分の把握力が向上したと考えればいい。

(4)インデックスをつくる その本の役に立つ箇所の指標とページ数を見返しに記入しておく。

(5)ワタクシの文庫をつくる こうして篩にかけた選り抜きの少数精鋭を自分自身の文庫とすることに喜びをもとう。

 残念ながら私が心がけて実行しているのは(1)の、本は必ず買う、というところだけである。本屋をうろつき、買う本を品定めするときのときめきは若いときも今も変わらない。本に使う金は惜しくない。

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今群馬県老神温泉にいる。写真は近くの吹割の滝。詳しいことは後ほど。これから友人とバイキングの夕食。

反嫌韓デモ?

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 ソウルで日本人数百人が「日韓は仲良くしよう!」「私は韓国が好きだし、韓国は私が好きだ」などと書かれたプラカードを掲げてデモ行進したことを韓国のネットが取り上げて伝えている。

 その紹介のしかたが「日本人がソウルで反嫌韓デモをした」というもの。

 日本の嫌韓デモなどで騒ぎを起こしているのは、日本人全体から見ればごく一握りの人々で、たいていの日本人は同じ日本人であることが恥ずかしいと思ってそれを見ているだろう。

 しかし問題は日本国内でヘイトスピーチをするような連中のことではない。それに不快を感じるあたりまえの日本人たちすら韓国に対して嫌気がさしはじめていることだ。韓国は、日本人はどんなに罵詈雑言を浴びせても、韓国が嫌いにならない人々だと誤解しているのではないか。

 だから日本人が反嫌韓デモをしたと聞くと、韓国ネットでは好意的なコメントが殺到している。

 今回のソウルでの反嫌韓デモが本当に数百人もいたとは思えないし、もしいたとしても、掲げている文言は嫌韓反対をうたっているというわけではなく、「私は韓国が好きだ」というラブ・メッセージであり、「だから私を好きになって!」というお願いをしているだけのように見える。

 それを反嫌韓と捉えるのはどうかと思うし、そもそも反嫌韓デモをわざわざソウルでするというなら、一体だれに向かって訴えたのだ。ソウルに嫌韓デモをする連中がいるとでもいうのか。

 もし本当に反嫌韓デモを意図した行動なら、それはただの韓国に媚びるパフォーマンスに過ぎない。

 それにしても日本人のこんな行動をわざわざ取り上げていることや韓国のネットの反応が、日本や中国、アメリカに置いてきぼりされそうな韓国民の不安の表れと見るのは考えすぎか。

谷沢永一の本から(12)

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西山弥太郎の信念と決断

 戦後日本の経済界に進路の模範を示し、占領政策のもとで意気消沈していた経営者企業家に勇気を与え、一斉に積極的な構想へと向かわせた人物、それは逸早く銑鋼一貫製造の千葉製鉄所を建設した川崎製鉄の西山弥太郎であった。彼の歴史的な壮挙を感動的に描いた会田雄次の、『歴史を変えた決断の瞬間』(角川書店)第一章は、戦後史の必読文献として指を屈しなければならぬ。西山弥太郎が我が国の進路を切り開いた次第を、会田雄次は次の如く要約している。

 千葉製鉄所の完成、川鉄躍進が経済界に与えた衝撃は巨大極まるものであった。それは戦後日本の躍進を告げる巨大な烽火となった。折も折それはもはや戦後でないという言葉が自信なげではあるが、ともかくやっと口にされるようになったときである。それまで堅実という名のもとにおずおずと経営していた日本の経営者も西山の成功を見て態度を一変、世界が驚くほど大胆に借金し、大胆に設備投資をするように変貌した。日本の技術者が自信をとりもどしたのもこれを契機としてである。鉄鋼大手三社も新規の大規模投資にふみ切り、住友金属、神戸製鋼もこれに続いた。これは国を挙げてといってよい。まさに地鳴りのするような日本製鉄業の前進であった。この鉄という母体の伸びを基盤に日本企業は飛躍する。技術も躍進するがごとく伸び続ける。いわゆる日本の高度成長、世界の奇跡はこうして実現するのである。この日本の製鉄産業の躍進がなかったらその後の造船、自動車、重電をはじめとする重化学工業はもちろん家庭電機をはじめとするエレクトロニクスも成立しなかったろう。その意味で西山は今日のために巨大な関門を開いたというべきなのであり、その西山の日本を運命づけた決断は正に一万田(日銀総裁)の婉曲な阻止行動に対し、逆に闘志を燃え上がらせた瞬間に確立したのである。

『西山弥太郎追悼集』(西山記念事業会)巻末の「西山弥太郎小伝」によれば、戦後直ちに直面したのは、「東の東宝、西の川崎」と言われる大争議であった。

 西山はこの争議に対して、会社の存続と銑鋼一貫製鉄所建設への夢をかけ、政治目的を持つ組合とは絶対に妥協しない、長期にわたっても、徹底的に共産系分子を排除するという固い決意をもって事にあたった。

三洋電機の後藤清一も『叱り叱られの記』(日本実業出版社)に記している如く、戦後の主要な経営者は悉くと言ってよい程、「政治目的をもつ組合」との対決を通じて、経営者としての耐久力を身につけ信念を固めた。その意味で日本共産党は戦後の経済人を鍛えに鍛え、足腰を丈夫にするために砥石の役割を演じ、結果として高度成長に大きく貢献したのであった。

それはさておき西山弥太郎は、将来をどのように構想していたか。

 終戦後の混乱期にあって、西山を中心とした川崎重工業株式会社製鉄所幹部は、しばしば会社の寮に集まり、今後の日本の進むべき道について真剣に話し合った。その席上、西山は「故郷のあるユダヤ人になろう」ということを提唱した。すなわち貿易立国によって金持ちの国になり福祉国家を作ろう、それにはユダヤ人のようにかせぎ、しかも祖国愛を失ってはいけない。重化学工業をおこし、貿易立国として立つ以外に武力を失った日本の進むべき道はない。日本の鉄鋼業は、これまでの欧州式の小規模生産方式から、米国式の大量生産方式に切りかえ、コストダウンをはかり国際競争力をつけていかなければならない。大規模生産を行うには溶鉱力をもつ銑鋼一貫製鉄所の建設が必要であるということであった。

かくのごとく西山弥太郎のグランド・デザインは、戦後の日本に可能な唯一の方向を、的確に予想する鮮明な構図であった。西山弥太郎に代表される戦後のリーダー達は、我が国びとの勤労意欲と愛国心とを深く信じた。それ故にこそ戦後の日本社会が成立しえたのであり、逆に言うならば我が国の新しい後継の世代が、もし勤労意欲と愛国心とを欠如するようなことがあれば、戦後日本社会の充足状況は、槿花一朝の夢と振り返られること必至であろう。
    昭和60年8月1日『Voice』増刊号

  長文を読んで戴いてありがとうございます。

*「槿花一朝の夢」・・・槿花は木槿(むくげ)の花。朝開いて夕方にはしぼんでしまうので、はかないことのたとえとされる。そこから転じて「槿花一朝の夢」とは栄華を極めた王朝などがはかなく滅びることをいう。漢詩などに使われる。ちなみに木槿は韓国の国花だったはずだ。

2015年4月22日 (水)

夜走る

 あけがた前に愛車のアテンザで自宅に帰り着いた。年金生活なので少しでも始末したい。というわけで深夜割引のある時間帯に到着するようにしているのだ。深夜の高速道路はトラックだらけ。最近は特にその数が増えているように思う。パーキングやサービスエリアには時間調整のために仮眠するトラックがあふれかえり、入り口や出口あたりにも行列で停車している。

 スピードは出ないし、前が見えにくいしで走りにくい。以前なら次々に抜いていったものだが、今はおとなしくゆっくり走る。おかげで燃費も上々である。2000CCのガソリン車なのにリッターあたり17キロ以上はすばらしい(前にも言ったかな?)。しかし、それよりも日本の経済活動が盛んであることを言祝ぎたい。経済は移動であり、物流である。経済の改善の現れがトラックの増大なのだから。

 明日から、先日ようやくリタイヤした年来の友人とドライブ旅行に出かける。早く辞めろ、と声をかけ続けたのは、ともに旅をし、語り合いたいからだった。それがようやく叶うのだ。

Dsc_0043こんなところへ行きたい

 二人で共通の友人の群馬の周大人を訪ねる。もう何日も前から待ち遠しくてわくわくしていたのだ。なんと予定の日程のあいだ天気はずっと晴れの予報。一応三泊四日の予約はしたが、気分次第で延長してもいい。それが終われば連休で子どもたちが帰省してくる。楽しくて嬉しいことばかり。

Img820 息子 

Img897 愛するどん姫

谷沢永一の本から(11)

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 終戦直後、湛山老がまだ東洋経済新報社長だったときのことだ。日本は海外領土を失って四つの島に閉じこめられ、そこへ出征軍人と、外地移民が続々と、なだれをなして帰ってくるので、実業界ではみんな、さなきだに敗亡の国家が、根こそぎに破滅しそうな恐怖にとらわれた。そのとき石橋氏ひとりは、いや、この急激の国土縮小、人口過剰こそ、日本が再起復興のできるチャンスだという議論をかかげたのである。
 これを読んだ小汀利得氏は自身が名うての横紙やぶりの論客で、また世にきこえた多読家だが、さすがにあきれ返り、東洋経済の社まで出かけて、(当時小汀氏は日本経済新聞社長)
「おい、君んとこの社長は頭がへんだぞ。もう社説は書かさぬ方がいい」
と親しい先輩のことを心配して忠告したという話がつたわっている。しかし今になれば日本は見るが如きアラビアンナイト式繁栄をしてきだしたので、ある人が石橋氏に、
「先生の予言があたりましたね」
といったら、
「いや、僕もこんなにまで日本が盛んになるとは、思っていなかったなあ」
と、めざましい日本の発展ぶりには、われながらびっくり顔だったという。

そして木村毅は石橋湛山の、根底をなす思考態度を次の如く適切に要約している。

 左翼の、悲観絶望的経済学説とは真反対の現象が起こって、「資源の乏しきは憂いとするに足らず、頼みの綱は国民の英知と、創意と勤勉なのだ」とする石橋学説が、完全に勝利をおさめたのだ。

要するに少なくとも今までのところ、日本の将来に見通しを立てるに当たっては、国民を深く信頼する立場に立つ推定が、殆ど常に的中していたように思われる。
 即ち其の典型ともいうべきリーダーが現れ、戦後の混迷を力強く打破する役割を果たしたのである。
(続く)

2015年4月21日 (火)

谷沢永一の本から(10)

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石橋湛山の破天荒な予想

石橋湛山が戦後の日本経済を構想した論理は、『東洋経済新報』の昭和二十年八月二十五日から、連続して次々と展開されていった。
 その根本をなす認識は敗戦を不利益と見做さず、逆に今後の日本にとって有利であると考える判断である。

 昭和二十年八月十五日をもって発途した更生日本の前途は、洋々として希望に輝くものであることを疑いえない。しかもその針路を想像するに、断じて荊棘に満ちたるものではなく、坦々砥のごとき大道がわが眼前に展開することを見るのである。必要なのはただわが国民が自ら心眼を閉じて、その大道の眼前に存するのを見ず、求めて荊棘の邪道に踏み込まざる用意である。(九月一日号)

 湛山の言う「邪道」とは差し当たって、戦勝国に対する卑屈な追従と、それと表裏をなす自暴自棄を指すのであろう。そして湛山の危惧するところ、我が国びとの一部にはその種の傾向なきにしも非ず、故に彼は当初から念を押して国民に訴える。

 万一連合国もまた(一部日本人が疑惑する如く)非常識で、(我が国民生活を脅かすような)そんなばかな真似をしようと考えているとすれば、われわれは堂々とその愚を指摘し、これを拒絶すべきである。(九月八日号)

なぜならば今回の我が国は、国家全体を挙げて無条件降伏をしたのではないのであって、そのような無条件降伏は、国家が存立している以上あり得ないのである。湛山は次の如く明解な解釈を示す。

 いわゆる無条件降伏とは、かの要求事項の明文が示すごとく、軍隊に対する要求に過ぎない。いかなる方式で、いわゆる保障占領を行うかのごときは、今後彼我の交渉によっていかようにも定められるところで、要は彼にその保障の目的を達せしめれば足るのだ。(九月八日号)

そして湛山はおもむろに植民地問題の、ともすれば忘れやすい本質に説き及ぶ。

 日本は従来朝鮮、台湾その他の海外領土を有した。そしてそれらの土地から諸種の物資あるいは労力の供給を受けた。しかしそれらにはすべて日本からもまた対価として物資あるいは労力を移出したのである。(十月六日号)

この肝心な事情に想到せずして、植民地の喪失が直ちに我が国の破滅を招くなどと、感情的で軽率な絶望に走ってはならぬのである。湛山は日本の将来を次の如く的確に指し示す。

 以上のごとく見てくると、領土の縮小はもちろん不利益を免れない。しかし国際貿易が自由に許されるならその不利益は経済的にはほとんど問題にするに足らず、また国際貿易が許されざる場合でも、国内の産業の能率の増進にて、これを補うことが可能である。要は国民の工夫と努力しだいであって、一般に世人が想像するごとく、国運の開拓に救うべからざる傷害を与えるものではない。(十月六日号)

湛山の予言は悉く見事に的中し、いや事態が寧ろ予想を遙かに上廻った事は、その後の歴史経過に照らして明白である。
 しかし当時は湛山の度重ねての言説が、根拠なき無茶な放言としてしか一般に受け取られなかった。
 その一例を木村毅が『丸善外史』(丸善)の一節に記録している。
(続く)

谷沢永一の本から(9)

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中山伊知郎は回想を続ける。

 その何回目の会合であったか、その日はヤルタ会談の内容が議題になって、これを受けた場合の日本経済のあり方がとりあげられた。議長役の石橋氏は、ヤルタ協定の内容は、もはや動かぬものとして受け取らねばならぬし、それで日本はやっていけるという主張であった。

ヤルタ会談は一九四五年の二月上旬であるから、時期は其の月か三月であったろう。いずれにしてもヤルタ協定を受諾するしか対応の方法がないという時期であった。そして中山伊知郎でも石橋湛山の主張が容易には呑みこめなかったのである。

 私は正直にいって、この人口を四つの島で養っていけるかどうか不安だった。従って植民地支配というようなことは、敗戦国日本として当然返上しなければならないにしても、当時の朝鮮や台湾との経済的交流は、なにかの形でこれを続ける方法はないものか、という立場で石橋氏に食い下がった。

もちろん中山伊知郎の論理の方が寧ろ当時の常識であったし、戦後の日本人の殆ど全員が等しく実感として受けた打撃であったろう。
 しかし石橋湛山は年来の植民地放棄主義の論者であった。東印度会社の昔と決定的に違う二十世紀の現実に於いては、植民地経営が利に合わぬ事を最も早く見抜いたところに、石橋湛山の感歎すべき独創性があった。香山伊知郎は簡潔に要約して言う。

 石橋氏の論拠は、(中略)植民地の維持経営には案外に大きな負担がかかっている。戦敗の結果この負担が一気になくなることは、それだけ日本が身軽になったことで、将来は大いに望みがある、という筋のものであった。この議論はどうせ取り上げられるものに未練を残しても仕方があるまいという居直り的なうごきもないではないが、しかし、あの時、あの状態で、四つの島で生きていけると立派にいい切ったのは達見であった。

そして石橋湛山は、何よりも先にわが国民を信じること篤かった。彼は明治以来の論壇に跳梁跋扈した、いわゆる“叱り評論家”とは対蹠的に、近代日本を築き上げた国民の能力を高く評価していたのである。中山伊知郎は言葉を続ける。

 この達見は、その後の日本経済の復興と成長とによって、一つずつ証明されていった。四つの島で生きていけるということは、日本人の働く意欲と能力に信頼をおくということである。

石橋湛山の予測能力は見事であったが、二人の討論をこれほど率直に伝えた中山伊知郎も、また実に立派であったと言わねばならぬ。(続く)

宮部みゆき「魔術はささやく」(新潮文庫)

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 まったく関係がないと思われた女性二人の自殺二件と交通死亡事故が事件の発端。。その死亡事故を起こした運転手の甥の守(まもる)が主人公。

 優良運転手の叔父は、被害者の女性が突然飛び出してきたこと、自分の側が青信号であったことを訴えたが、深夜のことで目撃者がおらず、逮捕されて一方的にその責めを負わされる。

 守は幼いときに父が失踪し、その後母も死んで叔父の家に暮らす高校生。叔父を信じる守は被害者について調べ始める。叔父の証言の証明はなかなかできないけれど、次第にいろいろな事実が明らかになっていく。その事実には被害者の意外な顔が隠されていたのだが・・・。

 そんなとき事故の目撃者が現れる。何故今まで黙っていたのか、警察が追求するが、その理由も証言の内容などもすべて裏付けのとれるもので、しばらく後にようやく叔父は放免される。

 守は自分のつかんだ事実を封印する。あえてあきらかにする必要のないことだったからだが。ところが火の粉が今度は守に降りかかってくる。父の失踪の真実、そして自分を陰から見守る男、それと自殺した女達の自殺の理由が絡み合い始める。そして驚くべき真相が知らされる。

 三人の女性たちの死に脅えるもうひとりの女性がいた。彼女は次は自分だと確信していた。その女性を守は救うことができるのか。彼女たちが災禍に遭う理由とはなにか。怖いですねえ。でもおもしろいですねえ。

谷沢永一の本から(8)

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 それにしても我が国は実に甚だしく好運であった。第一次大戦の場合は勝利国の群れに連なり、火事場泥棒のように戦争の利益を満喫している。
 そして第二次世界大戦では最後まで戦ったが、そのときは戦勝国は賢明な反省を経由していたから、第一次世界大戦におけるドイツの如き、残忍な報復措置を全く受けなかった。日本はおそらく世界史上に初めて、決定的に敗北しながらも、奴隷的な辱めの待遇を受けずに済んだ国家なのである。
 しかもプレトン・ウッズ協定は、極端な保護貿易とブロック経済が、改めて復活するのを阻止して呉れていたから、戦後の日本は自由貿易体制を十二分に活用し得た。思えば日米安全保障条約によって、軍事的な諸問題を甚だしく有利に治定し得て、更に其の上プレトン・ウッズ協定により、自由陣営諸国との間に活発な自由貿易を、これまた甚だしく有利に展開し得たのであるから、連合国側による第二次世界大戦の戦後処理は、天恵の如く我が国にすべて幸いしたのである。
 以上は我が国の努力に俟たぬ純然たる外的条件であるが、翻って日本の国内に於いて、戦後への構想はどのように練られていたか。はるか後に中山伊知郎(全集第十一集の序文)は次のように回想している。

 昭和十九年の十月、終戦の少し前に、石橋(湛山)さんを中心として「戦後経済特別調査室」というのができた。これは時の大蔵大臣石渡荘太郞氏の肝煎りでできたもので、メンバーには、石橋氏の外に荒木光太郎、大河内一男、湯本豊吉(以上東京帝大教授)、井上敏夫(日銀調査部長)、工藤昭四郎(興銀調査部長)、難波勝二(正金銀行調査部長)、それに私の八名、名称は世をしのぶ調査会であったが、実際は日本再建の研究であった。もっとも戦時下の極秘の会合だったからメンバーも公表されず、会議の内容ももちろん発表されなかった。

 さすがに達見の士は一人や二人ならず、戦後の再建策が慎重に論議されていたのであった。政界における例えば近衛文麿の如く、あるまいことかソ連に終戦の仲介を期待するなど、滑稽きわまる発想が大真面目に検討されていたのに比しても、エコノミストたちの見通しは現実直視に徹していたと言えよう。そして此の研究会で最も的確な予見を示した者こそ、ほかならぬ石橋湛山であった。(続く)

2015年4月20日 (月)

クロスワード

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 弟の嫁さんが、古い日曜版の束を手渡してくれた。朝日新聞の日曜版、2012年頃のもの、数十部である。いまは土曜日に挟まれているから土曜版だが。

 母が溜めてあったものが見つかったという。母はクロスワードが好きで、何冊か私も本を買ってあげたことがある。日曜版のクロスワードを解くのを楽しんでいたのだ。やりかけのものが二、三部あって他は手つかずだ。

 やりたいと思いながら遂にほとんど解けなくなったのだろう。そのときの母の気持ちが思われた。

 あまりひねりすぎた問題はなく、それほど苦労しなくても解くことができるので、寝たきりの母の傍で代わりに私が解いている。せっかく溜めておいたのに、と母が怒ることはもうない。

谷沢永一の本から(7)

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 画期的なプレトン・ウッズ協定が成立した所以を、前掲書は次の如く簡潔に要約している。

 これを然らしめた契機は要するに前大戦後ヴェルサイユ体制以後の失敗の経験である。ヴェルサイユ=国際連盟体制は戦争そのものについては種々の考慮を払ったが、戦争の基本原因となった経済的社会的要因については十分の認識を欠いていたために、平和克復の後相次いで起こった経済異変を処理する力を持たなかった。破綻は相次いで起こった。しかもその破綻の度毎に各国は独自の立場から分離的な自己防衛の策を講じ、かくて世界経済は分裂の一路をたどりつつ遂に一九三九年を期として再び大戦争に爆発するにいたった。隠して世界平和建設の時期とすべきであった一九二〇年代、三〇年代は、全く反対にいみじくも「両大戦間期間」の汚名を着ることとなってしまったのである。それに加えて今回の大戦はその当然の結果として前大戦のそれとは比較にならぬ大きさの戦禍を世界に普き遺産として残し、世界経済は新しい困難の中に立っている。

その後の経過が事実を以て明瞭に示す如く、第二次世界大戦は“勝利なき戦争”であった。
 勿論敗戦国の激甚な惨禍は言う迄もないが、戦勝国の殆どもまた経済的社会的な極度の疲弊に陥り、且つ社会風潮に於いても徒労感と自己嫌悪を拭い得なかった。その証拠に大戦の勝利を契機として、国力を増進した自由主義国家は見当たらぬのである。
 しかしまた、一方に於いてこれ程に賢明であった連合国側が、戦争裁判という典拠なきリンチに執心したのは、戦争によって情念の奥深くに生じた怨念の吐け口を、せめてものこと戦争犯罪人なるものを勝手な理屈で選び出し、止むに止まれぬ報復の衝動を、この分野にのみ集中した結果であろうか。
 戦争犯罪という論理が捏造される以前に、E.H.カーは『危機の二十年』の序で次の如く指摘している。

 戦争への激情が、かき立てられると、この破局を単に一群の僅かな人々の野心と傲慢とのせいにしてしまって、それ以上の解明を求めようとしない状態になりがちであるのは、ほとんど宿命的のようである。しかし、戦争が現に行われつつあるときですら、この悲惨事の直接の個人的な原因を求めるよりも、むしろその根底にひそむ深い意味をもつ原因の分析に努力を向ける力が実際には重要であると思われる。

第二次世界大戦後の連合国側は、「根底にひそむ深い意味をもつ原因の分析に努力を向け」ながら、同時に特定個人にリンチを加えるという、“人間的な至って人間的な”「宿命的」行為にもまた執着したのであった。(続く)

谷沢永一の本から(6)

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プレトン・ウッズ協定の意義

 しかし二十年後に予想通り起こった第二次世界大戦は、その規模に於いて「健闘試合」という類の比喩を無効たらしめ、極端に凄絶で無意味な惨劇を生んだ。それ故にこそ交戦国のうち優位に立った各国は、戦争の終息を待つことなく実に早くから、更にもう一度の世界大戦が決して起こらぬようにと、第二次世界大戦という非常な代償を無にすることなく、痛切な反省に基づく戦後体制の模索を始めた。
 そのせいかが戦後の経済体制を巡る高層、即ちプレトン・ウッズ協定である。
 東京銀行調査部が適切に纏めた『プレトン・ウッズ構想 研究並びに資料』は、その「目的と意義」を次の如く要約している。

 連合国はこのたびの第二次世界大戦を遂行するに当たって、戦闘は戦闘として、他方早くから着々として戦後世界の秩序とその運営についてその原則から細部に至るまでの考慮を進めていた。その洞察と余裕は、とかく応急の策に追われ勝ちのわれわれのまさに学ぶべきところであるが、いまここに研究の対象とするプレトン・ウッズ両機関も、そうした意図の下に生み出されたものの一つであって、両三年にわたる連合国間の協力による準備を経た後千九四四年七月米国ニュー・ハンプシア州プレトン・ウッズに開かれた四十四カ国参加の連合国通貨金融会議においてその生誕が決定されたものである。四四年七月といえば、まだ終戦の一年前サイパン陥落の頃にあたるが、そのときすでに今日の世界秩序の一部は極めて精密な技術部門にいたるまで設計を見ていたのである。

「両機関」とは国際通貨基金と国際復興開発銀行を指す。それにしても、第一次世界大戦の報復的な戦後措置に較べて、なんと甚だしく雲泥の差が見られることか。こういう経緯で戦後の再建が慎重に設計されたのは、言う迄もなく嘗ての愚かな講和方式への深い反省に基づく。
 やはり人類はときに誤謬を犯しつつも、そして名状し難き莫大な犠牲を供しながらではあっても、少なくとも経験に学ぶだけの智恵を持っているのだと確認され、安堵の気持ちを最小限には抱き得ると言えよう。
(続く)

谷沢永一の本から(5)

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それでは一体なにが議せられていたのであるか。容易には信じ難い程であるが、そこでは二度と再び大戦を引き起こさぬようにという配慮が、当事者すべての脳裏になかったとしか思えないのである。ケインズは言葉を続けて鋭く切り込む。

 四巨頭会談は、ほかのことに気を奪われて、これらの問題に注意を払わなかった--クレマンソーは敵国ドイツの経済生活を粉砕することに、ロイド・ジョージはうまく取引して、一週間で、要求される程度に達するようなものの獲得に成功することに、(ウィルソン)大統領は公正でないことは何一つしないでおくことに、それぞれ気をとられていた。彼等の眼前で飢え、崩壊しつつあった、一つのヨーロッパの根本的な経済問題が、四巨頭の関心をひき得ない問題であったということは、驚くべき事実である。(同上)

そして漸く経済が念頭に浮かんだ場合も、戦後措置としてはもっとも古臭く、蛮族の首狩りにも劣る実に子供っぽい“物取り”姿勢であった。

 経済分野まで彼等が事の序でにふみ入れた主な目的は賠償だったのであり、彼等自らその運命を操りつつあった自国の経済的前途の問題を除いては、すべての角度から見て、彼等は賠償を進学・政治・選挙目当てのはったりなどの問題として取り決めたのであった。(同上)

では如何なる根拠が此のような近視眼を生み、且つ其の姿勢が堂々と罷り通り一致したのであるか。
 ケインズは他ならぬクレマンソーの哲学に注目している。おそらくクレマンソーは次の如く考えたのであろう。

 現在の戦いの結果はフランスの勝利(このたびはイギリスとアメリカの援助によって)に終わったにしても、ヨーロッパの内乱はこれを正常な、あるいは少なくとも、将来もまた繰り返されうる事態と見なすべきものであり、過去数百年にわたって行われたような、団結した強国間の闘争は次の数百年もまた続くであろうという見解を取るものの目から見れば、フランスのこれからの地位は依然として不安定なものであった。

確かに第一次世界大戦という時点にあっては、クレマンソーの危惧はリアリストの予測として、無理からぬ愛国心の発露であったろう。それを一概に邪悪な怨念と見なすには、時代が早すぎたと冷静に理解すべきなのである。
 ケインズは更に言葉を重ねる。

 将来に対するこういった洞察に従えば、ヨーロッパの歴史は永久に果てしのない健闘試合のようなもので、今回のラウンドにはフランスが勝ったけれども、この勝負が最後というわけでないことは確かなのだ。(同上)

然り、「健闘試合」に情け容赦は介入し得ないであろう。

 旧秩序は、常に変わることのない人間性に基づいていて、本質的には変わらないという信念からすれば、そしてまた、そこから生じた、国際連盟に表象されるような類の一切の教義に対する懐疑からすれば、フランスの、またクレマンソーの政策はその論理的な帰結であった。(同上)

そうしてクレマンソーは次なる「健闘試合」を、避けられぬ必然と観ずる故に、その哲学が第二次世界大戦を確定的に準備するという、歴史に課せられた皮肉な役割を演じたのである。

2015年4月19日 (日)

谷沢永一の本から(4)

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ケインズの的確な批判

 しかしそれにしても悲劇を招くに至った諸悪の根源は、史上に有数と言いたいほど愚かで、まことに苛酷なベルサイユ条約の押し付けであった。狡智の限りを尽くしたドイツへの報復が、巡り巡って自国の惨状を必然ならしめると、予測できなかったベルサイユの驕者たちを、年月の隔てを置きながら改めて振り返る時、誰しも複雑な感情を強く抱くであろう。人類はそれぞれの時代の“ベスト・アンド・ブライテスト”に率いられ、不幸への行程を勇んで一歩一歩と辿り行く、群れとしての特性を本来的に持つのであるかも知れない。
 だが、講和会議が開かれ議案が示されるや否や、事態の本質が甚だしく危険であり、将来に恐るべき禍根を残すに過ぎないと、明晰に見通して怒りを発した人物も確かにいた。ケインズは次の如く辛辣な批判を直ちに公表したのである。

 講和条約には、ヨーロッパの経済的復興のための条項が一つとして含まれていない--中央ヨーロッパの敗戦諸帝国を友好的な隣人にするための条項も、ヨーロッパ新生諸国の安全をはかるための条項も、ロシアを矯正するための条項も、何一つ含まれていない。この条約は連合国自体の間の経済的連帯に関する取り決めを促進するものでは決してない。フランス、イタリア両国の混乱した財政金融を建て直すための協定や、新旧両世界の体制間の調整をはかるための協定が、パリにおいては一つも成立しなかった。(「講話の経済的帰結」)

それでは一体なにが議せられていたのであるか。(続く)

谷沢永一の本から(3)

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(高橋亀吉の引用)
 敗戦国側、特に独逸、オーストリア、ハンガリー其の他の敗戦国は、現状では、繁栄を取り戻すという希望は到底持てない。彼等が現在持ち得る唯一の希望は(中略)それはベルサイユ条約を破棄する、領土の地図を元へ還す、ここに彼等唯一の希望があるのである。併し、ベルサイユ条約の破棄と云うことは、領土を元へ還すと云うことは、結局戦争をやると云うこと以外に現在のところ期待できない。斯う云う考え斯う云う状態、是が欧州再戦争の一番大きな理由だと思うのであります。(同上)

すなわち勝利に驕ったベルサイユ条約こそ、戦争の終息ではなく全く逆の、より大規模な戦争の火種を準備したのである。
 更に、高橋亀吉の観察は見事に冴え渡り、繰り返して記憶に留めたいのだが、昭和九年一月に、早くも次の如く情勢の展開を的確に予見していた。

 ベルサイユ条約に関する紛争は、御承知のようにフランス側が、一歩一歩と譲歩し、妥協しつつありますから、これで問題は解決されて行くかの様に一見考えられ易いのでありますが、併し(中略)フランス側が譲歩すれば、一寸二三ヶ月は鎮まるけれども、独逸側は、其の次には其の譲歩された有利な基礎の上に、ヨリ大なる次の要求を持って来る。益々形勢が悪くなり、最後の爆発点まで愈々切迫する、斯う云う風に思われるのである。(同上)

そして現実は高橋亀吉が予測したとおりに進行した。もしフランス及びイギリスの為政者に、高橋亀吉の如き達観の士が一人ならず居れば、事態は全く別な経過を辿ったのであろう。
 しかし彼等は根本的に予想を誤った。さらにはそれぞれ国内の空想的平和主義者の、感情的な喚き声を過大視するのあまり、臆病な自縄自縛に陥ったのであった。平和主義論者の合唱は常に必ず、対立国の国益に大きく寄与して、侵略を容易ならしめる効果を生むものなのである。

(続く)

谷沢永一の本から(2)

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 「読書人の蹣跚」のなかの「戦後日本を構想した男たち」という文章を全文紹介する。一度では長すぎるので、数回に分けて紹介するが、ここで取り上げられるのは高橋亀吉、石橋湛山、西山弥太郎。なぜいまこの文章をここに紹介するのか。第二次世界大戦はどうして起こったのか、それについて新しい知見を得ることができるのではないかと思うからだ。これが正しい、とか間違っている、ということではなく、いろいろな見方があり得るなかで、新しい断面を提供出来るのではないかと云うことなのだ。

高橋亀吉の悲壮な予言

 第二次世界大戦は何故おこったか。勿論のこと単純には断定できず、議論は果てしなく広がるであろうが、その根底に経済問題があった事情は、何人と雖も簡単に否定できないであろう。
 とりわけ昭和七年七月のいわゆるオタワ協定は、戦争誘発の引き金になったと観察し得よう。
 高橋亀吉は次のように感慨をこめて批判している。

 世界恐慌は昭和八年いっぱい続いたが、これに対処する方法として、各国はブロック経済方式をとった。特に昭和七年七月のオタワ協定は、英帝国の露骨なブロック政策採用の画期をなすものであって、ブロック外の諸国に対し大っぴらな差別待遇を実施した。当時、世界の各地に広大な領土を占める英国のこのブロック政策は、領土狭小人口過多の日本、イタリア、独逸に深大な影響を与え、これに処する方策が重大課題となった。当時私は、英国のこの政策をもって、世界戦争を誘発する性格のものだと批判したほどであった。(「高橋経済理論形成の60年」)

そもそも交易は人類の歴史とともに古く、地球の各地に散在する文化文明は、必ず交易の糸により繋がれていた。しかし当然のこと実に長い間、交易は必ず保護貿易の性格を持した。それだけでもすでに紛争を生み易いのに、加えて広範なブロックを形成し、他国を“蚊帳の外”に置く措置は、いまから振り返って大いなる愚策であったと、痛嘆せざるを得ないのではないか。
 従って“蚊帳の外”に締め出された各国としては、叱るべく自衛の策を講じなければならぬ。高橋亀吉は言葉を続けて次の如く指摘している。

 満州国の問題が、わが国民当初の反対にも拘わらず、後に「日満ブロック政策」の名において、国民の支持をかち得るに至った根底には、そうした世界のブロック経済化の大勢が大きく作用していたのであった。同時に、独伊のファッショ化の裏にもそれがあったことを看過すべきではない。(同上)

単に理論上の推定にとどまらず、昭和八年の末に欧米諸国を視察した高橋亀吉は、帰朝報告演説の冒頭、一言を以てその勘所に触れている。

 第一は欧州に戦争があるかどうかと云うことであります。これは欧州戦争であれだけの惨禍を蒙ったのであるから--その苦しい経験が生々として居るのだから、まさか戦争をやることはなかろうと思っていたのでありますが、事実は反対で、成程、是では戦争は必然だと云う風に、私自ら感じた点を先づ申上げて見たいと思います。(「世界資本主義の前途と日本」)

昭和八年という早い時点で、逸早く第二次世界大戦の必然性を、喝破した慧眼は並み並みではなかろう。そう判断せざるを得ない理由は、ほぼ、次の如くである。(以下次回に続く)

2015年4月18日 (土)

谷沢永一の本から(1)

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 「読書人の蹣跚(まんさん)」(潮出版社・1993年出版)の中の「いま、知の時代」から

 世のなかの出来事いろいろ、ひとびとの反応もさまざまである。好感をもったり反感をいだいたり、その強い弱いは人により異なるであろう。さしあたり始めのうちは、身勝手な思いこみもあるかもしれない。
 しかしまた一方でひとびとは、他人と思いが通いあうことを願う。おおよそのところ、だれもひとりぼっちはいやである。自分の個性はもちろん尊重したいのだが、とはいうものの、孤独にはとうてい耐えがたいのであろう。
 そこで必要とされるのが、それぞれの思いを通じあう場である。話しあう機会である。情報の交換の基地である。それはひとびとの気持ちをみたすために、非常に重要な要求であったと思われる。
 江戸時代、いや明治になってもであるが、ひとびとは実にこまめに手紙を書いた。それに払われた労力はまことに驚嘆にあたいする。まるで後世の歴史家に役立つよう願ってであるかのように、近世の人士は多くの手紙を書き続けた。
 しかしそれだけではまどろっこしい。会っての会話が望まれる。そこで江戸城の溜の間、すなわち控え室から、式亭三馬えがくところの床屋つまり理容の待ち合い時間、そして露地うらの井戸端会議にいたるまで、ひとびとは意見交換の場を求めた。
 幕末、いわゆる勤王の志士たちは、おおよそ三千人くらいであったかと思われるが、この人たちが切にもとめたのは、全国を足で歩いて、名士の見解を聞くことであった。対面の時代、と呼んでもよい。明治維新は、志士たちの全国にわたる意見交換に発したのである。

(後略)

 ここから谷沢永一の本論が展開されるのだが、このプロローグからいくつもの展開が可能だ。現代のネット社会批判も可能であろう。実際はここから新聞、そして日本のマスコミの歴史とその問題点への論になる。このプロローグがそれだけ人間というものについて本質的なことを述べていると云うことが分かる。根底にある視点がこのように本質をついていれば、その論は人を頷かせるものとなる。

 現代は事象の上澄みをあれこれ並べ立ててそのわずかな違いを賢しらげに語るものばかりだが、まず人間というものをどう捉えているのか、そこが耳を傾けるに足る論者かどうかの判断の基準だろうか。大いに自戒しなければならないことを、さらりと教えてくれるのが谷沢永一なのだ。よく読み、そしてそれ以上によく考えなければ。

谷沢永一を読む

 むかし我が家に友人たちがときどき泊まって痛飲することがあった。あるとき友人の一人がトイレに入ったきりずいぶんしばらく出てこない。二日酔いは仕方がないが、体調不良がひどいことになったのかと心配していたら、「この本を読み始めたらおもしろくてやめられなくなって」と云ったのが、トイレで読むために私が置いてあった谷沢永一の「紙つぶて」という書評の本だった。

 簡にして要を得た短い文章で本を次々に紹介していく。不備のある本は完膚なきまでにその瑕を叱り、その本に精魂を傾けた著者には賛辞を惜しまない。著者の学閥や背景など斟酌しないで本当の値打ちを見切るその痛快さに、ふだんあまり本を読むとは思えないその友人が思わず引き込まれたと云うほどおもしろいのだ。

 谷沢永一は開高健の友だちであり、関西大学の文学部教授を長く務めた。後名誉教授。惜しくも2011年、心不全で死去、81歳。自らを虚弱体質で鬱病と認識していたから81歳は彼にとって望外とするところだろう。谷沢永一の蔵書は一時20万冊を越えたという。書誌学について完璧さを求めるその姿勢はときに敵を数多く作ったが、彼を慕う在野の学究は多い。彼を評価するかどうかで私は本物かどうかをとりあえず分類する。ただし、彼を正当に論難する人は一目置くことにしている。正面切って論争するにはこれほど手強い相手はいないのだから。

 彼は何よりも左翼リベラルを毛嫌いする。ときに右翼的な位置づけで見られる(確かに晩年はそう取られても仕方がないところがあり、そこが彼の本から私が距離をおくことになった理由でもある)が、彼が学生時代に共産主義組織にほんの一時期属していたことを自ら明かしている。そこでほとほと日本の左翼運動者や左翼リベラルに愛想が尽きたようだ。理念先行で実体が伴わない空論者を何より嫌うのだ。

 谷沢永一の本と云えば手当たり次第に購入してきたのだが、あるとき急にあきて、大半を処分してしまった。たまたま残っていた10冊足らずの本をいま読み直している。

 どうして処分してしまったのか、残しておけば良かったと思う本が多々あって、いま悔やんでいる。備忘録として、思うところのある文章を、これらの本から引用するつもりだ(一冊をそのまままとめて感想を言うにはそれぞれの本の中身に思うところが多すぎるので)。

Img615 早春の蔵王お釜

蔵王が噴火する恐れがあるそうだ。

Img418 アップで

 

何とかなる

 実家(弟が老母の面倒を見ているので、弟の家)に老母の介護の手伝いのために滞在している。義妹(弟の嫁さん)の姉が昨年亡くなったので、三回忌の法事のため、早朝から弟夫婦は義妹の実家の静岡県まで出かけてしまい、明日の晩まで帰らない。

 二日間は一人で介護と自分の食事などの家事をこなさなければならない。妹(私の妹)が近くに住んでいるので手助けを要請したが、向こうも旦那の母親の介護があるから無理だという。「大丈夫、なんてことない、一人で出来るよ!」と一蹴されてしまった。確かにその通りだ。

 介護の手順とやり方一切は、いままで一通りやってきたので問題ない。それより食事などの自分の雑事だ。なにせ弟の家とはいえ他人の家だ、どこに何があるのかよく分からない。まず今朝は味噌汁のお玉がどこにあるのか分からずあちこち探した。収納の個性というのは人によってずいぶん違うもので、そこに踏み込むのは多少煩わしい。相手はもっとそう思うだろう。

 母は事態を認識しているのだろうか。「おはよう」と声をかけたらじっとこちらの顔を見つめている。もしかして不安なのかも知れない。それはそうだろうなあ。

150114_80ご加護をお願いします

映画「キック・アス ジャスティス・フォーエバー」2013年アメリカ・イギリス

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 監督ジェフ・ワドロウ、出演アーロン・テイラー=ジョンソン、クロエ・グレース・モリッツ、クリストファー・ミンツ=プラッセ、ジム・キャリー他。

 配役を見ると、ジム・キャリー以外はみんなうんざりするほど名前が長い。内容には関係ないけれど。ところで自警団のリーダーであるストライプス大佐を演じていたのがジム・キャリーだとはエンドクレジットを見るまで分からなかった。どこかで見た人だとは思ったが。

 この映画はコミック映画の体裁だが、テーマはジャスティス、つまり正義である。悪がはびこり、警察は無力の状態の中で非力な市民たちの一部がヒーローにあこがれて覆面姿で立ち上がる。ヒーローは匿名である。大衆はヒーローに喝采を送るが、警察は悪を正すよりも、ヒーローが法を犯す存在であると見て、ヒーローの方を追い回す。

 ヒーローは報われない。しかし大衆が支持すればそれで好い・・・はずなのだが、大衆は些細なことでヒーローを見放す。私は「銭形平次現象」と名付けている。次々に難事件を解決した銭形平次が困難な事件で息詰まると、それまで喝采していた大衆は銭形平次を非難し始める。

 正しく生きている人は、だからヒーローにあこがれる身内を叱る。その運命を知っているのだ。ヒーローはやはり報われない。正義とはこんなものであって、独りよがりなものなのだ。アメリカは世界の正義のために戦っているつもりわのようだけれど、実はこのマスクをかぶったヒーローたちのようなものなのだ、と笑っているのだろうか。

 前作の「キック・アス」がすばらしかったのでこの映画も期待したのだが、正直な気持ち、評価は半々という処だ。

 ただしクロエ・グレース・モレッツのチャーミングであること、彼女の独特の唇に魅せられたのは前回同様であった。彼女はドラマの中でも別格のヒロインだ。まさかヒラリー・クリントン?

2015年4月17日 (金)

目黒孝二「活字浪漫」(角川書店)

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 濫読の達人(こんな言い方はないけれど)目黒孝二の読書人生のあれこれが書かれた本(平成九年出版)。

 この中で私の読書と重なった、つまり同じ本を読んだり、同じことを感じた所をもとにいくつか記す。

 アーサー・ケストラー「機械の中の幽霊」。この本は目黒孝二にとって青春の書であるという。ニューサイエンスというジャンルのこの本を私も若いころ買って読んだ。フリッチョフ・カプラーの「タオ自然学」やライアル・ワトソンの「生命潮流」とともに読んで、この「機械の中の幽霊」だけがよく分からなかった。だからさすがに目黒孝二は読解力が私より上だなあ、と思ったら、今読み直したらよく分からない、と書いてある。なんだか嬉しい。このニューサイエンスを突き抜けるとスーパーサイエンスの世界にはまり、ついにはオウム真理教の世界に飛び込む恐れもあったのだ。くわばら、くわばら。

 藤沢周平「三屋清左衛門残日録」が引用されている。私は藤沢周平の連作集のうち、この作品が一番好きだ。特に今の年齢になったので主人公の心境になじみやすい。目黒孝二は隆慶一郎に出会うまで、時代小説には一切手をつけなかったという。もちろん手を広げすぎると収拾がつかないから、本能的に避けていたのかも知れない。つまりおもしろすぎてはまり込んでしまうことを予感していたのだ。私は違う。小学校五年生のときに、生まれて初めておとなの読む文庫本を買った。それが柴田錬三郎の「孤剣は折れず」だった。もっとも好きな作品で何遍読み返したか分からない。多分家のなかを探せば四冊くらいあるかも知れない。目黒孝二があげた柴田錬三郎は「運命峠」であった。「孤剣は折れず」「美男城」「運命峠」は別の話だけれどシバレンの三部作とも云われる。ニヒリストのシバレンの作品なのに「運命峠」だけがラストが悲劇的ではないので、もっとも人気のある作品だ。もちろん目黒孝二の読書はそれをきっかけに時代小説というジャンルを加えたことは言うまでもない。

 コリン・ウィルソンの「賢者の石」がたびたび取り上げられる。私がコリン・ウィルソンに出会ったのは「アウトサイダー」。とても衝撃を受け、無意識と意識と云うことをいつも考えるようになってしまった。読む前の自分には戻れない、読んだあとの自分は別の自分になったと思う。それほど影響を受けた。「賢者の石」についての意見は目黒孝二とは大分違うけれど、これも忘れられない本だ。意識は時空を越えられる、という感覚が印象に残っている。この感覚こそあのスーパーマン俳優のクリストファー・リーヴが主演した「ある日どこかで」という不思議な恋愛映画にシンクロする。ある意味では意識で時空を越えるというSFでもあるこの映画は、私にとっての隠れた名作だ。

 この「活字浪漫」の中で、目黒孝二は月刊雑誌の小説を講評している。こんな文章を読んでいると私も「小説現代」や「オール読み物」などを買って読みたくなるではないか。思えば高校生のころ、親に隠れてこれらの雑誌や「小説宝石」などを小遣いの続く限り買って読んでいたものだ。そこで野坂昭如、五木寛之、井上ひさしなどの小説をリアルタイムで読んだ。今あの頃のときめきで小説が読めるだろうか。

 お陰で受験勉強はそっちのけ。だから地方の大学に行った、と言うのは言い訳で、なに、元々の頭の出来がそこまでだったと云うこと。でも山形、米沢での四年間は私にとっては至福の時代だった。大学の勉強はしなかったけれど、本をひたすら読み、映画を金の続く限り鑑賞し、酒を飲んで友人たちと語り合った。そのときしか出来ないことをやったという満足感がある。いまリタイヤしてそのときと同じような生き方をしている。楽しくないことがあろうか。

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映画「グランドピアノ 狙われた黒鍵」2013年スペイン

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 監督エウヘニオ・ミラ、出演イライジャ・ウッド、ジョン・キューザック、ケリー・ビシュ他。

 世界で二人しか弾けないという難曲を「一音でも間違えたらお前を殺す」という脅迫を受けながら、ステージ上で弾かなければならなくなった天才ピアニストの息詰まる緊張のドラマ。おもしろい。

 彼が見えざる敵の姿を追い求めてもがくうちに、条件は更に厳しくなり、楽譜すらなしに弾かなければならなくなる。そして楽屋裏ではついに殺人事件が発生する。

 絶体絶命な中で、彼を脅すために更に最愛の妻まで標的にされていることが分かる。一体なぜこんな事態になったのか。犯人の目的は何か。

 実は最初のタイトルバックの映像に秘密があるのだが、ラストにならないとその意味は分からない仕掛けになっている。

 最後の最後にピアニストの取った窮余の一策はなんだったのか、それに対して犯人はどうしたのか。

 イライジャ・ウッドがトラウマを抱えた天才ピアニストを演じているが、不自然ではない。彼の大きな目が主人公の追い込まれた窮地を良く表現していてはまり役だった。

 ジョン・キューザックは最後に少しだけ登場する。

2015年4月16日 (木)

映画「インベーダー・ミッション」2012年スペイン

 監督ダニエル・カルパルソロ、出演アルベルト・アンマン、アントニオ・デ・ラ・トーレ、インマ・クエスタ他。

 この映画を観た人は「なんたる題名か!」と思うだろう。まるでSFもののようではないか。実際は戦争ミステリー映画である。

 主人公はイラク戦争の多国籍軍に参加したスペインの軍医。小部隊でイラクの田舎の村々に潜むゲリラを掃討している。部隊が砂丘の合間を通り抜けようとしたそのとき、地雷を踏んで前の装甲車は跡形もなく大破し、主人公の乗っていた装甲車は転覆、部隊で生き残ったのは負傷した同僚と主人公だけとなる。

 移動手段のない二人は砂漠のなかを歩きつづけ、ようやく小さな集落にたどり着く。

 そこで何があったのか。

 主人公はそこで重傷を負い、記憶も喪失した状態で結果的には救助されるのだが、何が起きたのか断片的にしか思い出せない。家族の元へ帰り、療養している中で、政府から派遣されたという妖しげな人物が接触してくる。ともに助け出された同僚も無事であると知らされたのに、連絡を取ろうとしても一切返事がない。

 時間とともに記憶がつながり出す。だがどうしても不明な部分が残ってしまう。それを知るためには連絡の取れない同僚を訪ねるしかない。彼が自分の記憶の穴を埋めるはずだ。そうしてようやく戦友と会うことが出来るのだが、彼は口をつぐんで何も語らない。

 やがて二人に危機が迫る。ついに真相を知ってしまった彼が自らの身を賭して取った行動とはどんなことだったのか・・・。

 真実にこだわるこの姿勢に、正義などというレベルを超えた宗教的な倫理を感じる。私だったら妥協して口をつぐんでしまうような気がする。

映画「パトロール」2013年イギリス・モロッコ

 監督トム・ペッチ、出演ナヴ・サイダ、オウェイン・アーリー、ベン・ライトン他。

 アフガニスタンのタリバン掃討作戦に参加したイギリス軍の斥候部隊の様子が描かれている。パトロールが終わったあとの隊長の聴き取りインタビューがナレーションのようなかたちで入りながら、部隊に何があったのかが次第に明らかにされていく。

 自分たちが戦う目的を見失い、部隊は次第に厭戦気分に蔽われていく。隊長のみが督戦を唱えるが、敵は民間人なのかゲリラなのかまったく見分けがつかない中の戦いなのだ。明日で任務が終わり、という日、無線であらたな指令が伝えられる。任務を続行せよ、との指示だ。部隊の士気は更に低下し、統率も乱れ始める。

 二台の装甲車で砂漠のなかを進むのをバイクで遠くから見つめる現地人がいる。それが敵なのか、たまたまそこにいるのか分からない。その直後部隊が狙撃される。そして一番隊長に反発していた隊員が重傷を負う。装甲車も一台損傷を受けて動かない。辛くも危機を脱した部隊はヘリでの負傷者救助を要請、瀕死の隊員が離脱する。それなのに撤収の指示は出ず、引き続き任務を続行するよう厳命される。

 そうして部隊全体がばらばらに崩壊していく。最後はどうなったのか。それがこの映画のミソであるが、それは見てのお楽しみ。

 たんたんと進行する物語を見ているうちに、自分が隊員の一人になったような気分にさせられる。戦争というもの、戦場に立つと云うことがどういうことか、を実感として感じさせられる。

 これが次ぎに観た「インベーダー・ミッション」というスペイン映画につながっていく。こちらはイラク戦争が舞台だけれど(もちろん関係があるわけではない、似ていると云うことだけ)・・・。

宮部みゆきの短編時代小説

 新潮文庫に収められている宮部みゆきの短編時代小説を一気読みした。先般「英雄の書」や「荒神」など、宮部みゆきを読んで、あらためて最初から読み直したくなったのだ。初期のものが多いからそのつどばらばらに読んで来たが、すでに処分済みなので、今回文庫を買い直した。


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 不思議な味わいの作品が多い。そしておもしろく、余韻が残る。人の心とその現れかたの齟齬は意外な誤解を生み、ドラマが生じる。他人との関係で人は変わる。そして時間が人を変えていく。ときに美しく、ときに醜く人は変わる。そんな中で淀んだ何かがどこかで塊になって成長し、不思議を為す。

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 一つ一つを語っていたらきりがないので読んだ本の表紙だけあげる。引き続き新潮文庫に収められている別の本も読むつもりだ。

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2015年4月15日 (水)

朝日新聞社「同時代を読む 1981-1985」

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 「週刊朝日」の書評をしていた面々の座談会がそのまま文章として本になっている。一番最初にこの五年間の総括としての特別座談会が納められている。これはすべて対談者の名前が明記されているが、それ以外はABCD・・・と匿名である。

 各年のベストセラー20傑が、フィクションとノンフィクションに分けて掲載されていて、その時代の雰囲気がよく分かり、なつかしい。ただしノンフィクションにはタレント本のようなものが多く、そのときだけの流行り物がベストセラーになることが分かる。しかしその中でもこれは別格というものもないことはない。

 おもしろいので各年の、私がめぼしいと感じたものをランダムにあげてみる。 

1981年
フィクション
一位「人間万事塞翁が丙午」青島幸男
二位「何となくクリスタル」田中康夫
三位「吉里吉里人」井上ひさし
四位「青春の門(再起編 上下)」五木寛之

ノンフィクション
一位「窓際のトットちゃん」黒柳徹子
三位「この愛いつまでも」加山雄三
五位「飛鳥へ、まだ見ぬ子へ」井村和清
九位「第三の波」アルビン・トフラー
十五位「ノストラダムスの大予言Ⅲ」五島勉

1982年
フィクション
一位「吉里吉里人」井上ひさし
二位「峠の群像(上中下)」堺屋太一
四位「化粧」渡辺淳一
五位「菜の花の沖(1~6)」司馬遼太郎
赤川次郎が二十位までに三冊入っている。

フィクション
二位「悪魔の飽食」森村誠一
七位「気くばりのすすめ」鈴木健二
八位「積木くずし」穂積隆信
十九位「富士山大爆発」相楽正俊

1983年
フィクション
一位「二つの祖国(上中下)」山崎豊子
二位「探偵物語」赤川次郎
三位「ひとひらの雪(上下)」渡辺淳一
七位「三毛猫ホームズの運動会」赤川次郎
このほかに赤川次郎は五冊はいっている。

ノンフィクション
一位「続 気くばりのすすめ」鈴木健二
二位「和田アキ子だ文句あっか!」和田アキ子
六位「気くばりのすすめ」鈴木健二
十一位「女らしさ物語」鈴木健二

鈴木健二については太宰治といささかの関係があったことを、針小棒大に語ったエッセイを読んだことがあり、それから大嫌いになった。相楽正俊は、オオカミが来るぞ、と叫んで商売していた、ピーターみたいな気象予報士のおじさん。

1984年
フィクション
一位「箱根の坂(上中下)」司馬遼太郎
二位「三毛猫ホームズのびっくり箱」赤川次郎
四位「愛のごとく(上下)」渡辺淳一
六位「やみ狩り師(1・2)」夢枕獏
赤川次郎はこのほかに四冊、西村京太郎が五冊はいっている。

ノンフィクション
一位「プロ野球知らなきゃ損する」板東英二
三位「プロ野球これだけ知ったらクビになる」板東英二
二十位「ピーター・パン・シンドローム」ダン・カイリー

1985年
フィクション
一位「首都喪失(上下)」小松左京
赤川次郎七冊、西村京太郎五冊。

ノンフィクション
一位「プロ野球殺られても書かずにいられない」板東英二
七位「洋子へ」長門裕之
野球ものは江本孟紀も毎年登場している。

 当時を知っている人にはなつかしいはずだ。

 座談会は、このベストセラーについての言及もあるけれど、それぞれが推奨する本についてのコメントが主である。その批評には見るべきものも多いけれど、イザヤ・ベンダサン(山本七平)や渡部昇一に対する酷評など、いかにも朝日新聞的なものがある。その論拠が適正であれば良いのだが、私には自分たちが正しいのだからそれに反するものは悪である、と云っているように思える。論拠として引用する本について、感情的でいささか問題はあるが、としながら内容は正しいとしている。

 そのような本を論拠にして自分の意見とする、いささかずるい引用の仕方に、リベラルを標榜しながら実は左翼であることの姿が見られて鼻白む。この評者たちの中で、丸谷才一は匿名であってもどれだか分かりやすく、そういう論調には沈黙してコメントを差し控えているのが分かって好感が持てる。評者たちの、山本七平の聖書に対する造詣はたいしたことはない、という決めつけも、評者の知識から語っているのではなく、引用した本の、いささかエキセントリックな文章を元にしているらしく、裏付けのあるものではないらしいように見える。

 このあと谷沢永一の本を続けて再読しているのでなおさらその辺に対しての印象が強い。谷沢永一はすべて自分の意見の裏付けがあり、引用の文章の検証をしている。それを見ているから、歳をとって、頑固爺さんは本に書いてあることをそのままに受け取らなくなったのだ。

映画「ロゼッタ」1999年ベルギー・フランス

 監督リュック・ダルデンヌ、ジャン=ピエール・ダルデンヌ、出演エミリー・ドゥケンヌ、ファブリッツィオ・ロンギーヌ他。

 カンヌ映画祭パルムドール賞受賞作。主演のエミリー・デュケンヌも女優賞を受賞している。

 「仁義なき戦い」のように手持ちのカメラが主人公の少女(もう成人しているらしいが少女と呼ぶ方がふさわしい)ロゼッタ(エミリー・デュケンヌ)の視線で出来事を追っていく。

 ロゼッタはアル中の母親と、公園に隣接するキャンプ場に据え置きのキャンピングカーで暮らしている。生きるために身につけた様々な仕掛けの中で、せっかく見つけた仕事をクビになってしまい、ロゼッタはある若い男・リケを頼る。

 究極のどん底暮らし、絶望的な母親との関係、しかしそれを何とかしながら生き抜く彼女にさらなる試練が襲う。それをどうしのいでいくのか。彼女の日常が、淡々と揺れ動くカメラが追い続ける。

 それだけの映画なのに衝撃が走る。エンターテインメントとはいえないけれど、記憶に残る不思議な映画だ。森の中の土管の中に隠した靴を履き替えるシーンが彼女の外部と内部の境目を繰り返し映し出す。

観光振興

 日中韓の互いの観光客の増加を図ることで三国は意見の一致を見たそうだ。特に韓国は2018年に平昌の冬季オリンピック、日本は2020年の東京オリンピックに向けて海外からの訪問客を増やすことを目指している。2020年には三国合わせて3000万人を目標とするらしい。

 大韓商工会議所によれば、2014年度、韓国旅行会社の43%が原価以下の価格で中国人観光客を誘致したことがあるという。まったくそういうことをしていないのはわずか13%だった。

 もちろんそのままでは商売にならない。穴埋めのためにショッピングやオプションを増やし、内容も低下させざるを得なかったという。そんなことをしていれば観光客には不満が残り、リピート客を減らすことになる。

 ちなみに2014年の中国から韓国への旅行者は613万人、韓国から中国への旅行者は418万人で、合わせて1000万人を超えた。

 中国の観光客のコメントは、日本に対しては好意的、韓国に対してはやや批判的なものが多いように思う。日本で紹介されるから日本人が喜ぶものが多く選ばれて紹介されているのかも知れないが、実態と違っているわけではなさそうだ。

1 ソウルのこの店で現在愛用している青磁の盃を買った

 韓国の方が日本より観光客の受け入れのインフラが遅れているというコメントが多い。日本に来る外国人は当分右肩上がりで増え続けそうだが、韓国はどうだろうか。安くするから来るだけの客では早晩頭打ちになるのではないか。だいたいショッピングばかりを強要されるほど観光客にとって腹の立つものはない。

 ところで繰り返しいっていることだが、昔たくさんあった中国各地へのツアーが最近ほとんどなくなっている。行きたい人がいないわけはないはずで、観光会社もリスクが大きいからツアーを組まないのだろう。韓国への日本人観光客の激減同様、中国への観光客も減少の一途だ。私も中国へ行きたいと思いながらつい二の足を踏む。

 二十年前、十年前はよりどりみどり、良かったなあ。臆病だから今は身の危険の方を先に考えてしまう。習近平が替わるまで無理だ。つまりもう二度と行けないかも知れない。哀しいことだ。

2015年4月14日 (火)

戦時中の日本みたい

 ソウル市当局が「日本式漢字語など日帝残滓行政用語23語を韓国語や簡単な表記に変更する」ことにしたそうだ。

 主なものをあげると
「切取線」→「切る線」
「仮処分」→「臨時処分」
「行先地」→「行く所」
「呼出」 →「呼ぶ」
「回覧」 →「回し見る」
「納期」 →「出す日」
「ラッシュアワー」→「混雑時間」
「節水」 →「ムル(水)節約」

  今後直すべき日本式漢字語を見つけた市民は市のホームページにどしどし意見を寄せて欲しいそうだ。

 韓国語はまったく分からないけれど、しばしば日本の単語が混じってそこだけ分かることがある。それほど日本語は韓国に取り込まれている。日本に西洋由来のカタカナ語がたくさんあるのと同様だ。

 すでに日本語になじんでいたそのことばを、日本では戦時中鬼畜米英のことばとして無理矢理日本語に言い換えさせられた。韓国が鬼畜日帝として日本を敵視することがここまでとは。韓国は日本と戦争しているつもりなのだろうか。いささか常軌を逸している。

Photo 南北朝鮮国境にて・まだ両国は休戦状態で戦争は終わっていない

 韓国のニュースはその常軌を逸しているところが滑稽でつい取り上げたくなる。

あたりまえのことのように思えるが

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 韓国政府が民間団体と共同で「慰安婦被害者後述記録集」という冊子を作成した。英語版も2万部刷り、アメリカとカナダの学校や図書館、そして政治家に配布したそうだ。

 ところがアメリカの政治家の多くが受け取りを拒否したという。このことが韓国で話題になっているらしい。特に共和党の議員はほとんどが拒絶、民主党の議員もやんわりと断るものが多かったという。

 その理由を韓国のマスコミが分析している。「安倍首相のアメリカ議会での演説を控えて、日本政府の顔色を見ている」からだそうだ。そして「この冊子を受け取ると、強大な資金力を持つ日本政府と財界が支援を拒否することを懸念しているのだろう」という。

 これをアメリカ国民やアメリカの政治家が見たらどう思うだろう。明らかにアメリカの議員を馬鹿にしていると怒るに違いない。アメリカの政治家が日本の顔色を窺うことなどあり得ないではないか。

 受け取ることを拒否するのがあたりまえだと思うのは私が日本人だからだろうか。アメリカの議員たちも韓国にうんざりして関わるのが面倒くさくなったのだろう。

 安倍首相のアメリカ議会演説をやめさせるために韓国政府は再三アメリカに働きかけてきた。そんな申し入れをする方もどうかと思うが、演説が本決まりになったことを韓国では、韓国外交の大敗北、大失態である、という糾弾の声が大きい。

 多分今回の冊子の受け取り拒否も韓国外交の失態となじられることだろう。

映画「アメイジング・スパイダーマン2」2014年アメリカ

 監督マーク・ウェブ、出演アンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーン、ジェイミー・フォックス他。

 前半はうんざりするほどだらだらしている。スパイダーマンが街を飛び回る姿はそれなりにすばらしいけれど、ピーター(実はスパイダーマン)と恋人グウェンの煮え切らない関係は冗長すぎる。それが強烈なラストの伏線であるにしても、映画がぶちこわしになっている。

 確か140分近くある映画だったが、100分以下の内容しかないし、短くした方がはるかに良かったはずだ。

 前作がリメイクのわりにおもしろかったので期待したが、はっきり言って駄作。3が出るらしいが、ガーフィールドは替わる、との話もどこかで読んだ気がする。プロデュース側の問題かと思ったら、ガーフィールドの方が嫌気が差した可能性もある。

 この10日間ほどのあいだに観た映画やドラマのメモを見ながら少し書いてみる。他のことを書いていたので書きためたメモがたまっている。今は老母の介護中なのでしばらく映画を観ることが出来ない。

2015年4月13日 (月)

映画「ホワイトハンター・ブラックハート」1990年アメリカ

 監督クリント・イーストウッド、出演クリント・イーストウッド、ジェフ・フェイヒー他。

 不思議な映画だ。まったくストーリーも性格も違うけれど、グレゴリー・ペック主演の映画「キリマンジャロの雪」1952年アメリカ(ヘンリー・キング監督、ヘミングウェイ原作)を思いだした。どちらの映画もどのように受け止めて良いのか戸惑うような映画なのだ。わけが分からない、ということではない。こういう物語を受け止める精神的なものがこちらに無いのだ。

 ではまったく理解の外か、というと、そうではなくて、何か今まで知らなかった世界の一部をこれらの映画がちらりと垣間見せてくれたようなそんな気のする映画なのだ。

 多分宗教的なものに根ざした原罪のようなもの、そしてアフリカに対して西洋人が抱いている理解不能の暗闇を見る不安のようなもの、そして植民地として支配してきたアフリカに対する罪の意識が主人公たちの精神に影を落としているのかも知れない。

 こういう映画を作ろうとするクリント・イーストウッドの奥深さに敬意を表する。誰もが何も感じないなかで、彼等だけがアフリカと自分自身を発見した。

誰の仕業やら

 男女交際、それもかなりいかがわしそうな掲示板に、私が交際を募集していることになっているらしい。そこには私のメールアドレスが公開されているようで、週に一二度かそれ以上の回数「寂しくてひまな女性」から「連絡が欲しい」というメールが届く。

 残念ながらその気が全くないし、見ず知らずの人とお近づきになりたい気もない。

 よく見ると連絡をくれた女性のメールアドレスが極めて桁数の多い変なものである。今まで受けたものがすべてそうである。これはおかしげなサイトが女性名を騙ってこちらを引っかけようとしているような気がする。

8 こんな女性だったりして

 というわけで、そんなメールを見ると即受信拒否扱いにしてから削除している。今のところそれ以上のこともないのでわざわざアドレスを変更するまでもないと思っている。変えたら連絡しなければいけないところが多すぎて面倒だし。

 しかし一体私のメールアドレスをどうして知ったのだろう。メールアドレスを特別に秘密にしているわけではないから以前は書き込む欄があれば書き込んだこともあった。どこから流れたのかは調べようがない。

 そもそもそんな掲示板が存在するのかどうかも知らないし、確認するなど飛んで火に入る夏の虫である。一体誰の仕業なのだろう。鬱陶しいことである。

線を引かない

 デジタル書籍があたりまえになって紙の本がなくなってしまう、などといわれる。レコードがたちまちCDに変わってしまったようなことが起こるのだろうか。

 読書論の本が好きで(そもそも本が好きで)ある。読書論や書評を語る人はそもそも本好きで、しかも人間業とは思えないほどたくさんの本を読む。だからみなその蔵書が膨大になってスペースの確保に苦労している。本を購入するためと蔵書のスペースの確保にかかる費用を捻出するために書評の本を出しているようなところもある。

 その苦労話は、しかしその苦労が実は楽しくて、多少自慢話めいているのは何となく分かる気がする。

 昨日から老母の介護で実家に帰っている。毎回本を抱えて帰る。決まったことをやるほかは時間がたっぷりあるから、ひたすら本を読むのだ。今回は読書に関する本が10冊ほど、他は宮部みゆきや梨木香歩の本など。
前回は新書とSFが中心だった。全部読めるわけではないが何が読みたくなるか分からない。

 話が戻るが、読書に関する本を読むと、多くの人が本に線を引いているようだ。その本のポイントをあとで見直すとき、それを手がかりにするためだ。

 私は本に線が引けない。そもそも本のページを折ったり出来ないし、端が何カ所も折れて本がふくれていたりするのを見るとぞっとする。だから付箋をつけたりしおりを挟むのがせいぜいで、これはやり過ぎると本がやはりふくらんでみっともない。

 古本として処分するためにきれいなままにしておきたいという気持ちもないではないが、そうして処分するのは読み捨てにする本ばかりなので線など引く必要もなく、たいていきれいなままだ。

 ブログに読んだ本のことを書くために、読んだあともう一度見直したりするが、ニワトリ頭のためにもう何がどこにあったのか忘れていて、困ることも多い。そもそも覚えていない。そんなとき線が引いてあれば見やすいのだろうけれどどうしてもそれが出来ないでいた。

 思い切って傷めても惜しくない本に線を引いてみた。

 確かに見やすい。ううう、しかしどうもいけない。何十年もやらないでいたことは抵抗がありすぎる。やはり私は本に線は引かない。

2015年4月12日 (日)

妄想

73

 水の惑星というくらいだから、地球上には水があふれている。それなのに水不足の地区が多いし砂漠化も進んでいる。海水ばかりで、人間が使用出来る淡水の比率が低いからだ。

 そこで昔からその対策を考えていた。

 砂漠に海水をひいて湖をつくれば良いのではないか。砂漠の熱でたちまち塩湖になるであろう。その塩湖から塩や海水に含まれるいろいろな金属などを取り出せばいい。微少成分もこうして太陽熱で取り出すことができる。目的は海水を砂漠の太陽熱で蒸発させることだ。蒸発した水蒸気はどこかで雨となって再び降り注ぐ。それが陸地に降ることが期待される場所に塩湖をつくれば良いのだ。

 問題は海水をひくためのポンプを稼働させるエネルギーだ。それは太陽光発電でまかなえば良いのではないか。砂漠ならいつでも晴れている。稼働率は高いはずだ。もうひとつの問題は海水の塩分に耐えられるパイプと、塩分がパイプの詰まりを起こさせないための対策だろう。これも研究で解決可能ではないか。原発よりは問題が易しいと思う。

 砂漠と海が遠くない場所で蒸発した水蒸気が陸地で雨になりやすい場所、そして塩湖で採れた海水中の成分を分離して輸送が可能な設備を設置出来るもっとも良い場所を選定すればあとは金だけの問題だ。北アフリカなどもっとも適しているのではないだろうか。

 海水中には膨大な資源が溶け込んでいる。地球温暖化を海水の砂漠での蒸発熱で多少は奪うことが出来はしないか。

 ずっと前から妄想していることである。

理由

 一昨日免許の更新をしてきた。免許を取って四十年になる。学生時代に取っていなかったので、営業に配属されて会社命令で免許を取得した。金も出してもらった。

 それからすぐに自分の車を手に入れた。最初は先輩が処分しようとしていたいすゞのフローリアンという厚い鉄板で蔽われた重い車をブランデーと交換でもらった。車検など手続きはすべて自分でやった。二台目もフローリアン、三台目は別の知人から二束三文でへこみ傷だらけのコロナを購入した。

 その後名古屋に移って自分で探した中古車屋から購入した。親しくなると店頭価格よりいささか(ときには大幅に)安くなるし、手続き費用なども大幅に引いてくれる。だから定年直前までずっと中古車しか乗らなかった。

 理由があって初めて定年一年前に新車を購入した。子どもたちが巣立って、新車を購入することも可能になったのだ。それが先代のアテンザだ。13万キロ(足かけ五年)乗って事故で廃車となり、今のアテンザに交替した。

Dsc_3617わが愛車のアテンザ


 とにかく気持ちよく走る。ドライブするというのがこれほど楽しいものだとは知らなかった。だから走り回った。

 中古車は長くて五年、ときには三年で交代してきたからずいぶんいろいろな車に乗ってきた。新車を知らなかったわけではない。会社から支給される社用車はカローラやサニーばかりだけれど、新車があてがわれることもしばしばだった。でも運転が楽しいということはなかった。

 燃費が良くて、安い上にこれだけ運転が楽しい車が、なぜもっと売れないのだろうと思う。最近マツダ車を目にすることも増えた気がするからそれなりに評価が上がってきたのだろう。地方へ行くと目にする頻度が高い。ときにはマツダ車を数えたりする。

 ところがどうしたわけか私の住んでいる一帯でのマツダ車の割合が極端に低いのが気になっている。私のマンションでは駐車場に二百台くらいあるけれど、以前は二台しかなかった。いまようやく三台である。周辺でも滅多に見ない。

 自分が営業をしていたからこういうことが気になる。なぜこの辺りだけこんなに少ないのか。理由はいくつか思いつく。他社の営業マンが優秀でまったく割り込めないのかも知れない。しかしマツダ車よりもスバルや三菱車が多いし外車も何台か目にする。マツダだけが少ない気がする。

 となれば、考えられるのはこの地区のマツダ車の営業員の販売力が特に劣るのか、サボっているのかだ。

 シェアが低ければ拡大の余地は大いにある。何しろ分母が小さいのだから。上司だったらそうハッパをかけるだろう。

 拡販のてこ入れにはその辺をもう少し見直したらどうか、などと妄想している。

 本日から愛車のアテンザで千葉に走り、しばらく老母の介護の手伝いをする。さあ、出かけようか。

2015年4月11日 (土)

身障者用駐車場

Dsc_3936 韓国の人形ではありません 

 高速道路のサービスエリアは設備も良くなり、魅力的な店もたくさんできていつも賑わうようになった。今や立ち寄る場所というより滞在する場所になっている。だから土日や行楽シーズンばかりではなく、ウイークデイでもなかなか駐車スペースを見つけるのが難しいことがある。そうは言ってもさすがに空いている障害者用の駐車スペースに車を駐車しようとは思わない。

 その障害者用の駐車場所にしばしば乗っているのは健常者ばかりとしか思えない車が駐まっていることがある。そういうことは何となく分かるもので、まわりの人はそれとなく眉をひそめて見ているものだが、彼等はうまいことをやったという満足感の方が人の眼よりも優先するらしく、却って傲然としている。

 そういう車はたいていベンツだったりクラウンだったりと高級車であることが多い。渋滞のときに路側帯を平然と走る車もいい車が多いのに似ている。そんなことができるのは違う人種だとあきらめて見ているが、中にはそれを真似るものもいる。だが、日本ではなだれを打って真似る、ということがないのはさいわいである。

 アメリカではスーパーやホームセンター、コンビニなどに障害者用駐車場を設置することが法律で義務づけられているそうだ。違反すると高額の罰金が科せられる。韓国のニュースを見ていたら、韓国人の経営しているコンビニ300社がこの障害者用のスペース設置違反で検挙され訴訟対象になったという。

 ニューヨークでも韓国系の人が経営している店が多い。だからアメリカ全体の店の数が分からないので300店が割合として多いのかどうか分からない。そして今回の検挙が韓国の店ばかりを対象にしたものかどうかも分からない。

 しかし伝えられているこのニュースに対する韓国のネットの反応が、「アメリカは訴訟大国で金のために韓国系の店を狙って検挙した」「アメリカ人は韓国人を差別している」のようなものが多かったのに唖然とした。

 もちろんネットの書き込みはちょっとおかしなものが多いが、それにしても問題点は無視しての被害妄想的物言いに韓国のコンプレックスというか、ひがみ根性みたいなものが見えた。

 セウォル号の引き揚げが本決まりしそうだが、その作業を請け負う企業について、日本企業のみが排除されることが本決まりしたと報じられている。日本が歴史を歪曲しているからだそうだ。これが国際的なルールに則ったものではないことは明らかだが、韓国の正義は歪んでいる。韓国は、自分が正しいのだから相手が間違っている、と言う確信で言動する。

 「任那の日本府」という歴史的な存在すら「日本の歴史的な歪曲による間違った事実である」と言い出した。歴史を歪曲しているのはどちらだろう。

 韓国人が「自分のほうが間違っているかも知れない」と思い出すのはいつ頃だろう。永遠にないということはないと思いたい。

2015年4月10日 (金)

貧すれば鈍する

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 韓国銀行による韓国のGDP伸び率予想が3.1%に下方修正された。海外の経済分析では2%台の予測をしているところが多い。これは韓国経済が近年になく減速してということらしい。

 韓国は通貨危機(IMF危機)に陥り、一時はデフォルトも心配された。そのときに日本が通貨スワップで救助の手をさしのべたけれど、なんたることか、韓国では韓国が日本を助けたかのような伝わり方をしていることに驚く。その日韓通貨スワップが解消されたことは日本には痛くもかゆくもないが、もしあのときのような事態になればどうしようというのだろう。AIIBは韓国を救援するのか。

 2014年の韓国の大学卒業者の就職率が56.2%であったという。これはIMF危機のときの58.3%を下回る。

 景気の減速、不景気への突入は後からでないと分からないことが多い。今から手を打っても減速はすぐには止まらない。ましてや韓国内政は混乱して有効な経済政策が打ち出せていないようだ。日本の失われた二十年を嘲笑し、好景気に胸を張っていた韓国は、日本と同じような苦しみを苦しむかも知れない。だがさいわい日本というお手本があるのだ。日本ほどひどくならないことも可能だろう。

 ところで産経新聞の元ソウル支局長の出国禁止があまりに長期にわたっている。ソウル駐在の外国人記者団が朴槿恵大統領に「憂慮」を伝える文書を送った。朴槿恵大統領が一言言えば問題解決しそうなのに無言である。国際的に見ても尋常ではない。韓国の評価が下がるばかりではないだろうか。

  まことに貧すれば鈍するである。

書き下ろしエッセイ「読書と私」(文春文庫)

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 1980年刊行。

 作家29人が読書について語る。自分の幼児時代からの読書体験を述べたものあり、自分が感銘を受けたり強く影響を受けた本について語るものあり、活字中毒ぶりを自虐的に語るものあり、読書の習慣など不要だと言い切るものありでおもしろい。

 それぞれの作家が取り上げた本の書名一覧がアイウエオ順で巻末にまとめられている。昔この本を読んだときに私自身が読んだ本にチェックが入っていてなつかしい。

 それぞれについて書き留めておきたいことがあるがそれは別のときにする。

 ひとつだけ。

 巻末の渡辺淳一「読書について、断片的に」という文章がスノッブ的で鼻につく。もともとこの人が好きではないからだろうか、いかにもそれらしい文章をやっつけ仕事的に書いたように感じられる。他の作家たちがこのような小文の要請に対して真摯に自分を語っているのに較べて、読んだらその違いがよくわかる。

 まだ読んでない本が棚や押し入れにたくさんあるし、新刊も次々に購入していて読み切れていないというのに、こういう古い本を引っ張り出して読んでいるのはどうしたことか。ところが、たまたま引っ張り出した本は私を呼び止めた本であり、読み出すとやめられないことが多い。たいていの場合ほとんど覚えていないから、初めて読むのと同じなのだ。

2015年4月 9日 (木)

「高倉健 千里を走る」

 2005年11月にNHKBSで放映されたが、先日再放送された。録画したものを今朝見た。副題は「チャン・イーモウとの心の旅」。映画「単騎千里を走る。」(チャン・イーモウ監督)の撮影の様子をドキュメントにまとめてある。

 映画「単騎千里を走る。」はすでに三回見た。見るたびに泣ける。其の映画のときよりもこの「高倉健 千里を走る」の方が涙ぐむことが多かったのはどうしたことか。朝で、少し感受性が敏感になっていたのかも知れない。
11031_592 麗江古城のシンボルの水車

 定年でリタイヤして雲南省に行った。蒲郡で世話になった中国通の人に「雲南省の麗江に行くなら早いほうが良い、俗化が進んでいる」と云われていたのがきっかけだ。その麗江はすでに俗化が完了していて麗江古城の街は土産物屋ばかりになっていたけれど、玉龍雪山を源とする澄んだ水が流れる美しい景色を見ることができた。
11031_410 雲坪平から見た玉龍雪山

 こちらの希望もあったのだけれど、結果的に「単騎千里を走る。」の撮影場所となった昆明、麗江、そして石鼓村を訪ねることになった。石鼓村ではガイドがしきりに「ここで高倉健さんが・・・」と説明を繰り返した。中国では高倉健は特別な存在なのだ。そのことはこのドキュメントでもよく分かる。
11031_676 石鼓村の高台からの景色・かすかに見えるのが長江の源流

 病気で余命が短い息子は自分に会おうとしない。民俗学者の息子が中国でやり残したことを自分が果たそうと単身で中国に行く男、高田を高倉健が演じている。チャン・イーモウに懇望されてこの映画に主演した高倉健は、実際に単身で中国に行き、すべてを監督に委ねて撮影に臨んだ。その信頼の厚さに監督は感激している。

 高倉健以外はすべて出演者は素人。だから監督のOKがでるまで何度もテイクが重ねられる。高倉健の生涯でこれほどテイクを重ねるのは初めてだろうとナレーションが語る。ナレーションは広瀬修子。この深い声に昔から惚れている。こんな声の人と縁があると嬉しいだろうなあ。

 とくに印象的なのはチューリン、実際の麗江の通訳が本業である。この頼りなく、日本語もほとんどおぼつかない通訳だけが高田の頼る男となる。すぐあきらめようとするチューリンが高田の熱い思いに次第にほだされて、いつしか高田以上に熱心にその希望を叶えようと動き出す。

 そして目的の男・李加民。彼は役柄同様実際に地元の地方劇の俳優だ。彼が手放しで泣く姿(鼻水や涙が流れ放題)は強烈だ。ここで高田が自分の感情をさらけ出す李加民に羨望を覚える。高田は常に自分を抑え続けて生きてきたからだ。それが結果的に息子との隔意につながっているのだろう。

 そしてもっとも印象的なのは李加民の息子・ヤンヤン。この子役がこの映画を成功させたと言っても良いだろう。ヤンヤンが、父親の李加民に会いたくない、と言い張る姿に高田は自分の息子の姿を見ている。そしてヤンヤンの土林の中での失踪。それを追う高田は、ヤンヤンと同時に自分の息子の姿を追っている。

 そういうことをこのドキュメンタリーを観ながら反芻していた。

 できたら息子や娘たちとこの映画を観たいと強く思った。

 チャン・イーモウは最近大作が多いけれど、私が好きなのはこの映画もそうだけれど「初恋の来た道」「あの子を探して」などの小品だ。「初恋の来た道」のチャン・ツイィーは今の姿からは想像もできないほど可憐であった。だから「グリーン・ディスティニー」で再び巡り会ったとき度肝を抜かれたものだ。

 きりがないのでこの辺で。

 「別れることに涙しても、必ず別れがある。旅とはそんなもの」

2015年4月 8日 (水)

ひとりごと

 日本では(違う日の国も多い)今日が花祭りの日。お釈迦様が生まれた日を祝って花を飾り、甘茶を可愛い仏像にかける。昨年は思い立って浅草に出かけたので、浅草寺の花祭りの賑わいを見た。隅田川の川下りをして咲き残りの桜を見物もした。

140408_20 花祭り

140408_73 隅田川遊覧船

 今年は名古屋にいる。花祭りと云うには底冷えのする寒の戻りの日。少し早いけれど免許の更新に行こうかどうか迷っている。予定が立て込んでいるから何事もてきぱきこなしておかないと後で慌てることになるのが分かっているのだけれど。


 部屋が散らかり放題になってきた。いったん箍が外れると収拾がつかなくなる。気を立て直してあるべきものをあるべき場所に片付け、掃除をしなければならない。いろいろくさくさすることもあり、この頃寝そびれてしまうこともたびたびだ。

 眠れなければやりたいことはいくらでもあるので好いのだけれど、昼間眠くなってしまってリズムが狂ってしまう。リズムが狂うと元に戻すのが大変だ。独り暮らしのあいだは好いけれど、介護の手伝いに出かけたときにつらいのだ。介護は自分のペースというわけにはいかない。

 小雨も収まってきたようなので、思い切って免許更新に出かけるとするか。一昨年事故を起こしたので、違反運転者として講習二時間を受講しなければならない。これから支度していたら一日仕事になりそうだ。

サムトの婆(ばば)

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 柳田國男の「遠野物語」の中の好きな話。

 黄昏に女や子供の家の外に出て居る者はよく神隠しにあふことは他(ほか)の国々と同じ。松崎村の寒戸と云ふ所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまゝ行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或日親類知音の人々其家に集りてありし処へ、極めて老いさらぼひて其女帰り来れり。如何にして帰って来たかと問へば人々に逢ひたかりし故帰りしなり。さらば又行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。その日は風の激しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆(ばば)が帰って来そうな日なりと云ふ。

 この話を文語体ではなく、分かりやすいことばに換えて物語ったのをラジオで聞いたことがある。語ったのは渥美清。

 木枯らしの吹く夜の情景が眼前に見えるようで、サムトの婆のたどった人生とその思いが惻々と胸に迫ったのを覚えている。

2015年4月 7日 (火)

準絶滅危惧種

120605_58 長良川支流の板取川
 
 長良川の鮎が岐阜県から準絶滅危惧種に指定されることになった。あの鵜飼いの長良川の鮎が準絶滅危惧種になるのだ。
 この指定に関わった大学教授は「鮎が川と海のあいだを行き来することが阻害されていることが大きな理由だろう」と言う。
 塩害を防ぐという目的で多くの反対を押し切って強行された長良川河口堰。工事をすることだけが目的としか思えない無用な河口堰だと私は感じていた。御用学者たちは河口堰設置後も生態系は変わらない、と強弁したが、河口付近では大きく生態系が変わってしまった。
 そして今回の鮎の激減である。河口堰があれば鮎が海へ降りることも海から川への遡上もできない。魚道を体裁だけ作ってお茶を濁すようなこともしているらしいが、結果はこの通りである。
 長良川の景観はすばらしい。川沿いに工場がないので排水の流入もなく、水も青く澄んで美しい。長良川に沿ってドライブするのが大好きだ。だから長良川が大好きなのだが、河口堰によって犯されている。
 誰のための工事だったのか。できてしまったものはできる前に戻すことはできないのか。「生態系に影響がない」と言った学者の責任は問われないのか。

宮崎正弘「中国、韓国は自滅し、アジアの時代がやってくる!」(海竜社)

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 ううむ、どうもこういう本ばかり読んでいるようだ。それは自分の「こうなったら好いな」と思うようなことが書かれていることを期待して店頭で手に取るからだろう。それがあまりに極端な嫌韓論や嫌中論だったり、事実と明らかに違う荒唐無稽なものなら手を出したりしない。

 著者はチャイナ・ウオッチャーとしてリアルな中国に詳しい。チャイナウオッチャーには二通りあって、中国が大好きだから中国びいきの言動をする人と、中国が大好きだからいまの中国があまりに自分の思いとかけ離れているために中国を憎んでいるかのように批難する人だ。中国が本質的に嫌いな人は中国を論じないし、もし論じても中国についての知識が足りないから荒唐無稽なものになってしまう。

 かくいう私も中国が大好き人間だから、いまの中国に腹が立っている人間だ。だからその中国の実態を知りたいと強く思い、そして中国がいまと変わってくれたら、と強く念じている一人だ。

 ただ、この本は中国そのものというよりも東アジアから南アジア、そして西アジアまですべてを含めた国々と中国との関係を主に語っている。その国と中国がどういう状態にあり、どう中国を見ているのかが主題である。中国が覇権主義であることは、ここまで露骨にその本音を表しているからそれが見えないものなどほとんどいない(沖縄のマスコミは違うようだが)けれど。

 現在著者はアジア各地をまわり、その国の実態と中国との関係をウオッチしている。中国ウオッチャーではなく、いわばアジアウオッチャーなのだ。

 もちろん見たいものを見てものを言っているから、その論調に偏りを見ることもできる。そもそも中国のいまを批判する立場の人間ならあたりまえの姿勢で、それをどう読み取るかはこちらの問題だ。ただ、半端な情報をパッチワークしたやっつけ仕事ではなく、自らその国を何度も訪れて、人に会い、自分の目で見てきての、裏付けのある論評であるからその事実に嘘はない。

 会社によっては中国と経済的に関係のあるところも多いだろう。引くに引けず、いまの中国にハラハラしているに違いない。ところがこちらはもうリタイアして何のしがらみもない。ただ中国に興味があるというだけだ。不謹慎ながら、それなら何か波風が立つ方がおもしろい。韓国もそれに準ずる。最近の韓国のニュースはとてもおもしろい。

 そうしてこのような本を楽しく読ませてもらっている。

2015年4月 6日 (月)

立て直し

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 遺族から強い要望のあるセウォル号の引き揚げについて、朴槿恵大統領が前向き発言をしたために実現の可能性が出て来たそうだ。いまだに遺体の上がらない9人の行方不明者がこれで見つかるかも知れないし、事故の原因の確定にも寄与するかも知れない。

 とはいえ、引き揚げのコストとそれにより得られる成果とをはかりにかければ、引き合わないことは明らかだ。引き合うならとっくに引き揚げていたはずだ。

 ではなぜいま引き揚げようと朴槿恵大統領が言ったのか。今回の海難事故での補償金がずいぶんと高額であることに驚いたばかりだが、それも含めて朴槿恵大統領の人気回復のための方策と見て良いのではないか。しかしこれに対して韓国国民は、高額すぎる、とか、引き揚げまでしなくても良いのではないか、と言うことができない。

 朴槿恵大統領が「世界最高の高速鉄道」と自画自賛して開通したKTX湖南線に、開通初日から連日トラブルが続いている。応急処置にガムテープで補修して走った、などというニュースを見ると笑ってしまう。しかも鉄道部の担当は「内部規定に照らして問題ない」と述べたとあって、さすがに韓国国民も憤然としているようだ。これでは「内部規定」の方に問題があるということか。

 韓国地下鉄の工事が終わり、運行開始したらその周辺の地面が陥没したり傾く事態が続発して、自動車がはまり込むやら通行人がつまずいたりしているというニュースにはあきれてしまった。

 桜の起源が韓国である、と言うわけのわからない主張を韓国が叫び続けているが、そんなことを言う前に韓国の足元を見直したらどうか。

 桜の起源論争は「桜そのものの起源」と「ソメイヨシノの起源」との二つの論点がごっちゃに論じられているのでわけがわからない妄想の世界となっている。結局世界中で「日本の桜」が認証されていることに異を唱えたいというそれだけのことなのだ。済州島に行ったときにガイドのおねえさんが「ソメイヨシノの起源は済州島の王桜です」と断言していた。反論したかったけれど、仲間もいたし、ガイドが気分を害して不愉快な旅にしたくなかったので、言い負かすほどの反論は控えた。

 ソメイヨシノは江戸時代、交配によってつくられたことは記録にもある事実であり、しかもソメイヨシノは種ができない。だから世代交代はあり得ず、継ぎ木で苗を増やすしかない。つまりすべてのソメイヨシノはクローンだ。だから韓国の言い分は学術的にあり得ない。

 ただし、桜そのものは種類も多く、中国や韓国にも自生した桜があることも事実だ。どの桜が一番古いか、と言う話になれば現代の科学では結論の出しようのない話であり、勝手な主張はそういう意味で間違いだ、とも決めつけられない。

 だから日本の学者で韓国の主張に迎合するような意見を述べる人がいるのを見ると、私は売名行為だな、と感じている。韓国の学者もそのことは分かっているはずで、まともにとりあうべき話題ではない。ここには韓国人の自国起源に異常にこだわる心性だけが見える。これは誇るべきオリジナルの少ない国のコンプレックスの裏返しにしか見えない。

 日本の教科書に「竹島は日本固有の領土」と明記されることになった。これに対して韓国から批難が寄せられている。これも遅ればせながら日本が、国を挙げて「独島は韓国領」と教育してきた韓国に習ったわけで、この辺は日本がまねしていることは間違いない。

 韓国もなんだか迷走しているように見える。少し気を落ち着けて足元を見直し、立て直しを図った方が良くないか。余計なお世話だろうが。

内田樹&中田孝「一神教と国家」(集英社新書)

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 副題・イスラーム、キリスト教、ユダヤ教。この3つの一神教はもともと系統を同じくしているのだが、その驚くべきことをしばしば忘れがちだ。

 考えてみれば、世界の主要な宗教の中で一神教はこの3つだけであり、他の宗教は多神教と言って良い。

 ユダヤ教徒で、ホロコーストを経験しているユダヤ人思想家・レヴィナスの哲学を主な研究テーマとしてきた内田樹先生が、いま悪い意味でもっとも注目を浴びているイスラムについて、イスラム教徒でありイスラムについての研究者である元同志社大学教授、中田孝氏にイスラムとは何か、そしてイスラムたちの世界観と中田孝氏の唱える「カリフ復興」論を聞く。

 二人の共通の認識は、アメリカのグローバリズムが世界をゆがめているということ、そしてその価値観とイスラムの世界観とはまったく相容れないものであるということである。

 内田樹先生のアメリカングローバリズムの問題点の指摘は繰り返し拝読してきてそのユニークな視点に敬服していた。あたりまえだと思っていたことが実はそうではないことが世の中にはある。そのことを教えてもらえるのが本を読む喜びでもある。とくに内田樹先生の本はそうだ。

 ところが正直私にとってこの本はおもしろくなかった。私の集中力が持続しないために、この分かりやすいはずの本が難しく感じてしまったからだ。責任は私にある。イスラムとは何か、知りたい気持ちが薄いのか、どうでも良いことのように感じているらしいことに改めて気がついた。

 本来のイスラム教とは何か、ということと、いまの原理主義的なスラム世界で起きていることの関係がどうしても理解出来ない。その上二人とも原理主義を必ずしも排除するわけでもないからなおさらだ。

 どこかで歯車が合わない。内田樹先生の導きでも不可能だったのだから、多分私は死ぬまで合わないみたいだ。私は決してイスラム教徒にはなれないようだ。

2015年4月 5日 (日)

予断を許さない

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 平昌五輪開催についてマスコミやネットで批判が続いているようだ。地元の江原道の財政破綻や環境破壊が懸念されているらしい。そもそも冬季スポーツの競技人口の少ない地区の開催らしく、オリンピック終了後の残された施設の利用が見込めず、赤字が不可避となることが明らかだという。

 そういう理由もあり、分散開催が良いのではないかという意見も根強かった。中には日本との共催を言うものもあったらしいが、日本は正式には要請を受けていないし、あのワールドカップの共催で日本国民は懲りているから、もし要請を受けても断るだろう。分散開催については朴槿恵大統領が「論外だ」と鶴の一声を発して検討されないことになったそうだ。

 もちろん開催が近くなればムードも替わり、マスコミの論調も一変すると思うけれど、競技場などの施設の建設が遅れているという報道もある。韓国経済が右肩下がりになるという懸念のなか、実際にいまより悪化したら批判の声は更に高まるかも知れず、予断を許さない。

 前大統領の李明博が推進したイランへの投資が大きく焦げ付きつつあり、下手をすると二兆円ほどの損失となるかも知れないという。日本が手痛い目に遭ったイランから撤退した後、中国と韓国が割り込んだかたちになっていたようだ。李明博はいろいろなことで過去の業績の破綻が問題視されだしている。韓国の大統領というのは余生を安泰に送ることのできない本当につらい仕事のようだ。

齋藤孝「余計な一言」(新潮新書)

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 余計なことを言ってしまって後悔したことがしばしばある。だれにも経験のあることだろうが、私は人より多かったのではないか(そうだ!と言われている気がする)。歳とともに多少はマシになった気がしているが、他人からどう思われているのか自信はない。

 その余計な一言について書かれたのがこの本だ。この本を読んで気がつくことも多い。いや、気がつけばそれはさいわいだ。直すことができるかも知れない。しかしこの本に書かれているようなことを口にしながら、自覚がなければ直すことができない。他人はわざわざ教えてなどくれない。読んで初めて気がついたと言うことは、それまで私も無自覚であったということだ。

 だからこの本は案外恐ろしい。人と口をきくのが怖くなるかも知れない。言って良いことと悪いことについて考えすぎてしまう知れない。相手の言い方が気になり出すかも知れない。知らない方が幸せだったのか。

 人は知らず知らずのうちに傷つけ合っている。あまりに神経質になれば人間関係は築けない。

 著者も云っているように、いまは余計な一言をネット上で取り上げて罵倒し、相手を社会的にずたずたにするような事態がしばしば起きている。怖い社会だ。おとなとして注意するべき口の利き方というのはもちろんあるが、うっかり言った本音をあまりに過剰に弾劾する風潮はコミュニケーションを破壊する。正義の味方のつもりで人間疎外の社会を生み出しているそういう人たちこそ恐ろしい。

 もっと口の利き方に気をつけることにしよう。このブログもそうだ。

金沢城

東茶屋街から金沢城へ向かう。歩いてもそれほど遠くない。


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金沢にゆかりの深い泉鏡花の記念館。奥の方に神社が見える。この近くに住んでいたのにこんな神社があるのを知らなかった。

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乙剣宮というらしいが詳しいことは分からない。

近江町の市場に近いところに住んでいたので、いつもは黒門口から金沢城に入るのだが、東茶屋街からは大手門口からの方が近い。
Dsc_3733 大手門口

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広い新丸広場から五十間長屋と菱櫓を見上げる。

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新しく再建された河北門への坂を登る。この坂の途中で突然立ちくらみのような状態になった。ガス欠になったみたいに脱力してしばらく動けなかった。こんなことは初めてだ。

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しばらくして動けるようになったので、真新しい河北門を見る。

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河北門から三の丸広場に抜け、五十間長屋を横から見る。
金沢城の瓦には鉛を使っているので白く見える。戦時には弾丸にするためだともいう。この五十間長屋は向こう側から中に入ることができる。そこだけが有料。内部はすばらしいので見学をお勧めする。

金沢城の天守閣は再建されていないのでまだない。

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体調が良ければゆっくり金沢城を廻りたかったけれど、石川門へ抜けて兼六園前からバスでホテルに帰る。

さいわいホテルでビールをぐい呑みしたらほとんど回復。その後約束していた金沢の若い友人たちと会食することができた。

これで金沢行は終わり。翌日は雨だったのでどこにも寄らずに名古屋へ帰った。

2015年4月 4日 (土)

金沢・東茶屋街

Dsc_3710東茶屋街のベンガラ格子の料亭。


Dsc_3698 浅野川に架かる大橋。

Dsc_3699 浅野川の桜は咲く寸前。

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これを撮ったのは3月31日だから、もう咲いているだろう。

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東茶屋街も観光客が多い。新幹線効果だろうか。

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外国人も多い。

城端(じょうはな)

城端は304号線を五箇山から山を越えてトンネルを抜けるた所にある。ここは急坂の下りである。峠から見下ろす城端の街の景色が好きだ。

Dsc_3680 峠の石碑

Dsc_3681 城端を見下ろす

散居式の集落というのだそうだ。

Dsc_3686 山にはまだ雪が

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城端の町の善徳寺は一度寄りたいと思っていた立派な寺だが、なんと修復工事中。残念。

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Dsc_3694 山門の彫り物

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駐車場の近くの喫茶店の壁の絵。
祭りの風景だろう。

なかなか金沢に着かない。



2015年4月 3日 (金)

最も重要な隣国

 最新の日本の外交青書では、韓国を「最も重要な隣国」という位置づけに変更した。どのように変更したのか。従来は「自由民主主義、基本的人権などの基本的な価値及び地域の平和の安定の確保などの利益を共有する国」とされていた。つまり価値観が共有出来て利益を共有出来る国とは必ずしもいえなくなったと言うことだ。

 これが韓国で大きく取り上げられて批判されているのが不思議な気がする。現状から考えれば、従来のような位置づけでは正しい表現とはいえないことが明らかであるからだ。

 韓国で問題視されるのは、やはり日韓の関係悪化を日本が正式に表明したことになるからだろう。それがまずいことであるとの認識が韓国にあるからに違いない。

 韓国マスコミやそれに同調するネットの意見では、安倍首相がいなくならない限り、日本と韓国は価値や利益を共有出来ない、と言うものが多い。

 しかし普通の(普通でない人も多々いる)日本人から見れば価値や利益を共有出来ない状況をつくっているのは韓国であって安倍首相ではない。安倍首相はあまりに一方的な韓国の言い分には応えようがない、と言う態度を取っているだけで、積極的に関係を損なおうという言動は一切行っていない。

 ただ過去の日本の政治家は相手が強硬に言い立てると妥協し続けてきたけれど、安倍首相は妥協しない。そもそもこうして妥協してきたことが相手の国を勘違いさせ続けたことをようやく日本国民は気がつきだした。

 すでに限界線に達しているのに、さらなる妥協を求める国とは価値や利益を共有するのは難しい。韓国民の多くはそれに気がついているけれど、それを表立っていえない空気に支配つれているらしいことが恐ろしい。

 韓国の新しく開通したばかりの地下鉄の周辺で道路陥没などの事故が相次いでいる。韓国は国として劣化しているのではないか。

ニュース雑感

 セウォル号の海難事故で死んだ高校生たち約250人への賠償額が平均約8900万円支払われることになるらしい。教師たち11人には平均1億2400万円が支払われるという。その他の一般乗客は4900万円から9800万円だそうだ。

 事故を起こした海運会社が支払えるはずもないので、これは韓国政府の予備費から支払うことになる。

 命に値段はつけられないとはいえ、ずいぶん金額が多いような気がする。遺族が沈没した船を引き上げろ、と要求しているとも言うし、韓国政府も大変な負担だ。しかし支払いすぎではないか、と公然とはいえない空気なのだろう。

 しかし国民が、内心では「いくら何でも多すぎる」と思っているなら賠償金をもらう遺族はこれ以上騒ぎにくい。それも大盤振る舞いをする政府の狙いか。どうせ自分の金ではないし。

 危うく助かった息子や娘を見ながら「死んでくれたら8900万円だったのか」と思う親は・・・まさかないだろうけれど。

 韓国焼酎の輸出の7割が日本に売れていたが、それがこの数年激減しているという。またマッコリもまったく売れなくなっているらしい。物珍しいときは飲まれたけれど、ずっと飲み続けたい飲み物ではない。日本酒も日本の焼酎も最近はまずいものが淘汰されて、安くてしかもうまくなっているからなおさらだ。代わりに日本からのビールの輸入が30%も伸びているという。安くてうまいのだ。

 韓国の3月度の輸出総額は470億ドル、対前年同月比4.7%減、
輸入は386億ドルで対前年同月比15.3%減だった。貿易収支は史上最高の黒字となった。貿易全体が縮小しての収支の黒字は不況型だ。物価も原油の値下がりの要素を考慮するとマイナスとなり完全なデフレ状態である。

 これは日本が円安誘導をしたからだ、と日本を犯人のように言うものもいるが、では韓国もウオン安に誘導すれば良い。

 ところが韓国は、実は日本が円高で苦しんでいるデフレ時代に輸出攻勢をかけるためにかなり無理矢理ウオン安にしてきたという背景がある。本来不況対策としてとるべきウオン安を、輸出拡大のための方策に使ってきてしまったからこれ以上ウオン安にすることは難しいのだ。

 だから経済対策は中国という市場にものを売るしかない。それは薄利多売を余儀なくされると言うことだ。韓国のメーカーは、国内で高価格高利益を確保し、海外に安価で売ることで競争に勝利してきた。国民も経済が右肩上がりだったからそれを我慢してきたけれど、そのからくりが分かりだしたから財閥メーカーに対して厳しい見方をし始めた。

 韓国は楽をしてきたツケを支払わなければならないらしい。

 本日は大阪で友人の送別会がある。私と違って65才まできちんと勤め上げた。ずいぶん久しぶりに会う人もいるので楽しみだが、天気が悪いのがちょっと残念。

2015年4月 2日 (木)

相倉集落

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合掌造りの集落は白川郷が有名だけれど、他に菅沼集落と相倉(あいのくら)集落がある。すべて世界遺産登録されているはずだ。今回の金沢行ではこの相倉集落に立ち寄った。

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駐車場脇に集落の案内の石碑がある。

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石碑の裏手の広場にはややとけて崩れかけの「かまくら」が残されている。 この辺は豪雪地帯なのだ。

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除雪の進んでいないところはこのようにすっぽりと雪の中。

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除雪作業中。雪運びのダンプがひっきりなしに往来する。

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この雪の高さ!

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それでも山の雪はとけ出している。

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除雪の済んだ道ばたには蕗のとうが。もう春なのだ。

正論だけれど

 マタハラが罰せられることになったという。働く女性が妊娠したら会社を辞めないといけないような事態はいままで多かった。本人は出産したら再び仕事に復帰したいと希望しても叶わないことが多い。

 それが本人の希望が尊重されるようになり、いままでのようにやめることを暗に強要すると罰せられると言うことだ。

 言っていることは正論でまことに結構なことだけれど、実際には困る企業や職場が多いに違いない。出産する女性が数ヶ月、ときには一年以上職場を離れたときに、その仕事の代わりをだれがするのか。

 大会社なら、または多人数の職場なら、融通が利くだろう。しかし数人の会社や出張所のような職場で一人の人間が長期で休めばその職場にあらたな人間を投入しなければならない。そして本人が仕事に復帰したときには補充の人が浮いてしまう。その人の処遇をどうしようというのだ。

 結局そういう小さな職場では、最初から出産の可能性のある女性を採用しない、と言う方向になって行くであろう。こうして妊娠、出産の可能性のある若い女性の就職の機会が減っていくことになるような気がする。

 理想論はときとして反対の結果を生む。

2015年4月 1日 (水)

子どもの声は騒音か?

 保育園を新設しようとしたら建設地の周囲の住民が反対運動を起こして計画が中断している事例が続いているという。その理由が、子どもの声がうるさいからだという。騒音反対なのだそうだ。

 すでにある保育所や幼稚園の周囲からも苦情があったり、訴訟が起こされる例が頻発しているという。

 子どもの声はうるさい。それは確かにそうだ。

 だからといって騒音公害のように言うのはいかがなものかと私は思う。子どもが周囲に気を遣って静かにしている、などというのは自然ではない。やかましいから腹は立つだろうが、夜には静かになる。これはおとなとして忍耐してもいい事柄ではないだろうか。

 自分が不快だと感じたら、即座に訴訟を起こしたり反対運動するというのはイヤな風潮だ。老人は耳が遠くなるものだけれど、高音だけは聞こえてしまうのだそうだ。だから子どもの声が耳障りになりやすいのだとも言う。とはいえ良寛ほどではなくとも、子どもが元気であることをこの世の幸せと考えるくらいの懐の深さを持ったらどうかと思う。

 五階のわが部屋からすぐ目の下に幼稚園がある。園の庭で子どもたちが大きな声を出すのがよく聞こえるけれど、それほど不快ではない。それよりも先生がマイクであれこれ指図したり名前を繰り返し呼ぶのが、音量が大きすぎて耳障りだ。

脱水症状?

 今朝の金沢は雨。新幹線がつながったことでリフレッシュした金沢駅の写真でも撮ろうと思っていたが、雨ではその気にならない。

 話が前後するが、昨日タイヤ交換を終えてホテルに荷物を置き、金沢市内を散策した。東茶屋街に直行し、ぶらついたあと、金沢城へ。金沢城内で急に脱力した。目がくらんだようになり、体が重くなり(もともと重いが)、吐き気がする。こんなことは初めてだ。しばらくベンチで休むが、なかなかおさまらない。ふらふらになりながら城内を横切って石川門へ抜け、兼六園前からバスでホテルに戻った。

 ホテルで缶ビールを一気飲み、しばらく休んだらようやく人心地がついた。これでは若い友人たちとの会食ができるかどうか心配だ。しかし約束だから店に向かう。金沢は新幹線が開通したこと、春休みであることから人であふれている。それにしてもその店も凄い混み方だ。友人たちが「今日は年度末で、打ち上げの人が多いのです」と言い、理由が分かった。仕事を離れて、年度末という感覚を喪失していた。

 彼等と会話しようとしたら声がかすれてしまう(これはときどきあること)。「どうしたのですか?」と心配される。体調不良を伝え、とにかく酒を飲み始め、美味しい刺身を食べていたら、いつの間にかいつもの自分に戻っていた。「アア、普通に戻りましたね」と友人たちも安心したようだ。

 あとは楽しく飲み、語り、気持ちの良い一夜を過ごした。また来るからね!

 今朝はホテルの朝食も美味しく食べられて身体に異常はない。あれはなんだったのだろう。脱水症状か?低血糖か?
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気分はこんな感じだった。

五箇山・岩瀬家と行徳寺

 国道156号線を長良川に沿って北上し、荘川の分水嶺を越えて御母衣湖の脇をとおり、白川郷から五箇山へと下る。途中から304号線に折れて金沢へ至る。これが私のよく走る金沢への道だ。


 ただ御母衣湖の横の道はもともとダム用につくられた道だから狭いトンネルがいくつもある。トンネル内をトラックとすれ違うときなどちょっとこわい(大型トラック通しはすれ違えない)。ましていまのアテンザは横幅が大きいからなおさらだ。

 だから今回は東海北陸道で白川郷ICまで走って(つまり御母衣湖をパスして)から国道156号線に降りた。しばらく走ると五箇山のいくつかの集落をつぎつぎに通過する。街道筋に岩瀬家がある。とても大きな合掌造りの建物だ。横に行徳寺というちょっとたたずまいの好い寺がある。残念ながら行徳寺は本堂修理中であった。
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道路や水路を補修中の人。岩瀬家の人であろうか。
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行徳寺。雪が残っている。
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鐘楼。
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駐車場の横にもう水芭蕉が咲き出している。

この156号線は川を渡るたびに岐阜県と富山県に交互に変わる。橋の上から見る川は雪解け水が満々としている。とても景色の良い道なのだが、あいにく車を止めるところがない。しばらく走り、304号へ左折して急坂を一気に登る。登ってすぐの所に合掌集落の相倉(あいのくら)集落がある。

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