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2015年6月

2015年6月30日 (火)

六十五の手習い

 いろいろな方のブログをなるべく毎日拝見している。書かれていることがわたしの興味のあることもあるし、まったく知らないこともある。それでも続けてみているのは何となく波長が合うところがあるからで、意見が似ているのに続けて読みたいと思えないものもあるのは、残念ながらしっくりしないからで、不思議なことである。

 いつも感心するのは鳥や虫や木々や花の名前を皆さんよくご存じだったり、よく調べておられることである。ものを知るためにはまず名前を知ることからだと分かっていながら、知らないまま人生を過ごしてきたことを今になって残念に思う。

 詩が理解できない。特に和歌や俳句が分からない。それが自分の好みの問題だと思っていた。せっかく分かりやすくそのイメージを教えてくれる本をいくつも読みながら、読み飛ばしてきた。

 最近、昔読んだ本を読み返しているうちにそのことに気がついて愕然とした。自分は何を読んできたのだろう。旅をして見る景色や旧跡に、一体自分は何を見ていたのだろう。ただ読んだ、ただそこへ行った、それだけではないか。その場所に時間的奥行きを感じるために必要な素養が有ると無いとではどれほどの違いがあるのか。

 芭蕉が旅をしながらそこに西行をはじめとする先人の世界を重ねて見ていることの、時間的空間的広がりを感じなくて何を見たというのだろう。そこにある花鳥風月の名も知らず、それに先人たちが何を感じていたのか、それを知らずに何を見たというのだろうか。

 考えても恥ずかしいことに、むかし、ひとに素養のあるなしで失礼極まりないこちを言ったことがある。そんなことを言える自分ではないことに今頃気がつくのだから慚愧に堪えない。

 それに気がついたということは、かすかながら詩歌に感じる心が芽生えたのではないか。気を取り直してそう前向きに考えたい。分からないなりに漢詩や和歌、俳句を繰り返し読み返し、古典をひもとく機会を持ちたいと思っている。六十五の手習いである。旅を一からやり直したい気持ちだ。

*蛇足ながら本来は六十の手習い。ものを習うのに遅すぎることはない、という意味だが、最近は四十の手習い、という言い方もあるようだ。

 来月から、つまり明日からいくつか雑用があるので、今晩千葉から名古屋に帰る。弟たちはもう一週間くらいいて欲しそうだがこちらも多少くたびれた。なにせ本を読むしかやることがないのだ。いくら好きでもいささか飽きる。

 夜の運転は注意が必要だ。そのうえ今晩は雨が降り出しそうだ。慎重に休み休み行くことにしよう。帰ったら久しぶりに娘のどん姫に会いたいのだが、都合がつくだろうか。けっこうクールだからなあ。

谷沢永一・渡部昇一「読書談義」(大修館書店)

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 「読書連弾」(1979)「読書有朋」(1981)を合本して1990年に出版されたもの。博学才穎の二人の対談集である。

 書籍について該博な知識を持つ二人が、互いに打てば響くようなやりとりを重ねていく。どうしたらこれ程までに広くかつ深く書籍について蘊蓄を語ることが可能なのだろうか。それなのに二人ともその分野の碩学の名を次々にあげ、「それにははるかに及ばないが」と謙遜している。

 本は無数に出版されてきた。得意の分野に限ったところでそれを網羅して読破することはもう不可能だ。そうなれば自分よりも目利きの人の言を頼りにするしかない。だれを頼るのか、だれの評価を信じるかが、運命の分かれるところである。頼るべきでない人を信用すれば人生の貴重な時間と労力を無駄にする。

 大いに回り道をしてきたが、うさんくさいものと本物を嗅ぎ分けることが多少は出来るようになったと思えるのは、この二人のような先達と出会うことが出来たからだ。

 この本の中で森鴎外と高山樗牛を比較して取り上げている。森鴎外は高山樗牛より劣ると低い評価を下している。特に長編の『渋江抽斎』、『北条霞亭』、『伊沢蘭軒』の三作を酷評している。わたしもこの三作は長すぎて読み切れていない。それなのに森鴎外は文豪として名を残し、高山樗牛はほとんど忘れ去られようとしている。こんな話を知ると高山樗牛の本を探して読みたくなるではないか。

 この二人、谷沢永一の本と渡部昇一の本を一時は集めていた(全部読んだ)のに、大半を処分してしまった。残念だが後悔しても仕方がない。この本で話題になった本を神田などの古本屋で探してみるのも一興か。まだまだ人生やりたいことがあるではないか。

2015年6月29日 (月)

一番知りたいことを言わない

 ギリシャが債務不履行になるとデフォルトになってたいへんなことになる、と繰り返し言う。

 ではデフォルトになったらギリシアはどんなことになるのか。

 一番知りたいことを誰も言わない。デフォルトになった国が出来なくなることは何なのか、どんな困難がその国民に降りかかるのか。

 だれも知らないのだろうか。予想もつかないのだろうか。そんなはずはないので、知っていて恐ろしいから言わないのだろう。

 そういえばアルゼンチンがデフォルトを経験している。そのときに何があり、それをどう乗り越えたのか、マスコミはそれをまず教えて欲しい。そうして初めてギリシアの置かれている深刻さがこちらにある程度理解できるはずなのに。

 たいへんだ、たいへんだ、と騒ぎながら何がたいへんなのかがちっとも解らない。騒いでいるマスコミが解らないぐらいだから日本国民はもっと解らない。お化けは、だから妄想のなかで膨らむばかりだ。

たてなければ予想は外れないが

 予想しなければ外れることはないが、当たることもない。ギリシア情勢は時々刻々と変わるだろう。それを興味深く見続けるためにもあらかじめ予想を立ててみたい。

 細かい予想を立てても細かく外し続けるだけであるから、大枠で予想する。ギリシアの現政権は「EUの脅しである」と反発している。こんな風に言われたら、ここでEU側から歩み寄ったらそれこそ「脅し」であったことを認めることになるから却って妥協の余地をなくすことになった。しかし、これでユーロは値を下げるだろうが、それほど大幅ではないと思う。対応策がすでにとられているし、EUからその説明がなされるはずだ。

 イタリアやスペインに波及するという予想をする向きもあるが、すでに両国はEUの意向に沿って緊縮財政に取り組んでいる。ダメージはあるだろうが破綻が連鎖することは心配せずに良いと思う。しかしヨーロッパ全体としては経済活動に多少ブレーキがかかることはやむを得ないから、大きな影響を受けるのは多分中国であろう。

 中国の経済の伸びが鈍化している大きな要因はヨーロッパへの輸出減少だとも言われる。中国は韓国ほど輸出比率の高い国ではないが、ヨーロッパの経済停滞はもっとも中国に大きく響く。

 ドイツにとってユーロが下がることは実は歓迎すべきことではないか。円安で日本が潤うよりもはるかにユーロ安でドイツは潤う。そもそもEU圏内でドイツが一人勝ちなのは、自国の経済力が強いのに通貨が安いことが大きな理由だ。これでドイツの輸出競争力はさらに高まる。その利益はギリシアへの負担増大よりもはるかに大きい。ソフトランディングさえ出来ればドイツにとってはほくそ笑む事態だろう。

 世界は20世紀末の通貨危機や、21世紀初めのリーマンショックで苦い経験をした。だから今回のギリシア債務問題ではそれを見越してさまざまな手立てを水面下で講じているにちがいない。しかも事態は急激に起こったことではなく、長期間の準備期間を持つことが出来ていた。

 とはいえ減速した中国に予想以上のダメージを与えることになれば事態は予測を超えて甚大なダメージをもたらすかもしれない。中国株はすでにここ二週連続で大幅下落をしており、バブル崩壊の予兆とも言われている。それに対して中国政府は細かい対応を取っているが、こういう場合、「戦力の逐次投入」は無駄に終わって奏功しないことが多い。

 中国株は世界のほかの地区と異なり、機関投資家ではなくて個人の素人の比率が極めて高い。それだけ些細な事態に軽挙妄動する要素をはらんでいて、バブル崩壊が懸念されるのもそのような個人投資家の動きが懸念されるからだ。注目したいところだ。

 もし中国経済に激震が走れば韓国は大ダメージを蒙るだろう。日本にも影響が出る。中国の習近平政権がどのような対応を取るのか、場合によって歴史が動くきっかけになるかもしれない。

 一番こわいのはISなどのテロ組織が跳梁跋扈することだ。社会不安は彼らのエネルギー源だ。フランスで起きているテロはこのようなEUの状況と無関係ではない。これがギリシアに飛び火し、中国に飛び火するのが何より恐ろしい。すでに中国では新疆ウイグル地区で頻繁にテロが起きているようだが、ほとんど中国では報道されないので解らない。中国が混乱すればはるかにその頻度と規模が拡大するだろう。

 当たり前の、だれでも予想するようなことしか予想できないが、同じ情報を元に考えるのだから当然か。さて如何なることになりますか。大山鳴動して鼠一匹、というようなことで終わればまことに平和でよろしいが。(29日・朝記す)

 

自ら招いたことだと知ることが出来るか

 週明けの銀行業務を停止する、とギリシア政府が発表した。EU側が支援を停止すると通告したことでギリシアはデフォルト状態になりそうだ。

 すでにギリシアの人びとは、銀行から制限内で下ろせるだけの預金を引き下ろしてきたが、月曜日からは下ろすことが出来ない。それにしてもいままでよく銀行の取り付け騒ぎが起きずに済んだものだ。

 どうせ何とかなるにちがいない、と高をくくっているギリシア国民の気持ちの表れだったのかもしれない。EUのせいでギリシアが困っているのであって、ギリシアがEUを離脱すれば困るのはEUだから、かならず支援が行われると思い込んでいた人がほとんどなのだろう。

 多分EU側は最後はギリシアを救済するだろう。損得を考えればそのほうが良いと判断するだろう。しかし今のままではただ現状がだらだらと引き延ばされていくだけでらちがあかないし、ギリシア国民の甘えはかえって大きくなって行きかねない。

 いったん破産状態を作り出し、銀行の倒産、年金支給の停止などを実際に経験させて、ギリシア国民にいま自分の国がどのような状況にあるのか、何を覚悟しなければならないのか身にしみて味合わせないと仕方がない、と決断したのだろう。

 EU側は、一時的なデフォルトによって生ずる傷に対してのシミュレーションはとことん行って、準備はしているはずだ。

 ギリシアがこの措置に対して腹を立て、EUを離脱してロシアに与する、という懸念があるというけれど、ではロシアにどんな利があるというのか。地政学的に魅力的な場所にあることは間違いないけれど、産業もなく、勤勉さもあまりない国民の経済を支援することは、ロシアにとってたいへんな負担になるではないか。

 EUを離脱することでギリシア国民は生活が楽になるだろうか。一時的に借金のくびきから逃れることが出来たとしても、そもそも財政的に問題があるのだからどちらにしても立て直しのための苦しみは変わらないだろう。それなら国民の不満は変わらない。

 唯一の観光資源もEUだからフリーパスで来られることによって多くの人が訪れたけれど、離脱すれば大きく減少するだろう。社会不安が増大すれば中東地区と隣り合わせの国である。たちまちテロ集団の餌食になる恐れが大きい。

 だからEUは最後は手をさしのべるだろう。

 今日の株価はどうなるのか。世界がどうこの事態を見ているのか。人ごとで申し訳ないがとても興味深い。これでまた大きくもうける人と損する人がいるのだろうな。

長山靖生「日本人の老後」(新潮選書)

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 2007年に出版された本で、著者は私より12才年下、だから老後について考えているとはいえこの本を書いたときもいまも老人ではない。だから老人について分かるはずはないとは言わない。日本人が迎えている高齢社会について丁寧に目配せを利かせて考えられることを網羅していることは評価したい。

 そんなこと知ってるよと言ったらこの本に目新しさがないことを指摘することになる。ただ、既知のことを整理してもう一度老後について考え直すよすがとなると言えるかもしれない。

 著者は現役の歯医者で文筆家。多少うんちくを語りすぎる点があるが、老後をだしに自己アピールをしようというわけではなく、まじめに老後を考えている。

 では前期高齢者の私がこの本から新しいなにかを得られたかと言えば、残念ながらほとんど何も得られなかったと言うしかない。遡ってこうしておけば、と気がついたところでどうしようもないことばかりだからだ。ではこれから老後を迎える人のために役に立つか。まじめに読めば役に立つだろう。しかし老人になってからしか分からないことを想定して準備を勧められても、たいがいの人は聞き流すだけに終わることだろう。人間の想像力などそんなものだ。

 知っていることと解ると言うことは別物らしい。

2015年6月28日 (日)

森本哲郎「空の名残 僕の日本十六景」(新潮社)

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 プロローグで、日本人は夕暮れを好む、日本人は古来から「夕(ゆうべ)」に思いをこめた詩歌が多い、と書き出して夕べを詠った和歌や俳句を取り上げていく。その詩歌のイメージを自分の体験と重ね合わせていくことで映像的な光景が浮かび上がる。

 そして『徒然草』の第二十段の短い文章が紹介される。

--某(なにがし)とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

 この世に何の絆も持たない身ではあるけれども、空の名残だけは別れるのが辛い、と洩らしたある世捨て人の言葉に、兼好は心から共感を寄せているのである、とした上で、「空の名残」を多くの解説者は「自然の移り変わり」、「四季折々の風物の姿」と解しているようだが、森本哲郎は、文字通り「空の余光」、それこそ「信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空の色(島木赤彦の句)」と受け取りたいと語る。

 夕暮れの空は何と微妙に移り変わっていくことだろう。じっと見つめていると、心もそれにつれて深い思いに浸される。その思いは人間であれば、だれもが、どんな状況に置かれていようと、魂を奪われずにいられない空の余韻だからである。
 フランクルが、それを証言している。ユダヤ人ゆえにナチの強制収容所アウシュビッツに送られたこの精神医学者は、収容所の冷静な記録『夜と霧』のなかで、じつに感動的な、次のような話をつたえている。
 食べるものもろくに与えられず強制労働にかり出された囚人たち(フランクルもその一人だった)は一日のノルマを終え、ものを言う気力もなく疲れ果ててバラックの小屋へ戻ってくる。戻るや、みんな死んだようになって土間に横たわっていた。凍りつくような寒い冬の夕刻だった。
 と、そのとき、一人の仲間が駆けこんできて、みんなに外の点呼場へ来るように告げる。何事かと思って囚人たちがそこへ行ってみると、西の空に燃えるような夕焼け雲が、「この世ならぬ色彩」をひろげているのだった。
 沈黙の数分間ののち。一人が、思わずこうつぶやいた、というのである。
 「世界って、どうしてこんなに綺麗なんだろう」
 これこそ、「空の名残」そのものではないか。
 空の名残。それを思い描くたびに、僕は旅に出たくなる。
 そして漱石の文章に関連した思い出、李商隠の詩『楽遊原に登る』のイメージ、そして映画『静かなる男』のなかのビング・クロスビーの歌う主題歌からアイルランドのゴールウェイ湾の夕日を訪ねたときの話へ跳ぶ。まことに自由自在なのだ。
 世界各地の夕日と、これまで、僕はどれほど向かい合ったことだろう。僕の旅の記憶は「限り無く好」い夕陽(せきよう)に収斂されているような気さえする。ギリシア半島の突端、スニオン岬の先端に立つポセイドン神殿を訪ねた帰路、ふりかえると、落日が神殿を後光のように包んでいた。イスタンブールでガラタ橋からながめると、彼方のファティ・モスクの塔の向こうに沈んでゆく夕日が、金角湾を深紅に変えていた。
 『カルメン』の舞台を訪ねてスペインを訪ねて歩きまわったときのことだ。コルドバから馬で一晩、思い余ったホセ伍長が、ついにカルメンを馬から下ろして刺し殺したという、その「寂しい谷間」から見上げると、世界はまさしく血のように染まっていた。
 インダス文明の廃市ハラッパーから、この大河に沿って南下し、アレクサンダー大王がついにインドへの東征を断念して、そこから引き返したという河口の岸に立ったときも、落日の寸前だった。動くとも見えぬインダスの流れが夕焼けの空を映して、鮮やかな朱色に染まっていた。あたりが紫の世界に沈んでいくまで、僕はアレキサンダーの夢に浸っていた。
 しかし、ぼくが何よりおどろいたのは、西アフリカを湾曲して流れるニジェール河畔に栄えたソンガイ王国の古都ガオの砂だらけのホテルに戻ろうとしていたときだ。太陽はサハラの彼方に傾きかけていた。砂漠を歩き回ってヘトヘトに疲れ、ホテルを目の前にして、ふと、目を落とすと、自分の影が信じられないほど長く砂の上にのびていたのである!
 こんな長い影法師を引きずりながら、ぼくは夕日のなかをさまよっていたのだ。
 ぼくは、ぎょっとし、驚きが過ぎたあと、ただ呆然と、その自分の影を見つめていた。

 どうですか。これが森本哲郎の文章です。そしてプロローグを

 だが、夕日というなら日本を忘れてはなるまい。昔から夕日に惹かれてきた日本人の風土こそ、夕陽が「限り無く好」いにちがいないからである。そして、その「夕陽」は日本人の心に長い長い影を落としているはずだ。ガオで見た自分の影のように。
 ぼくは、あらためて、「空の名残」を求めつつ、日本を逍遙することにきめた。
 わが影を後ろに長く長く曳きながら。

と結んでいる。本文はこれから。日本各地の旅が始まるのだ。

 読みたくなるでしょう?

*「楽遊原に登る」 李商隠
  晩に向かいて意(こころ)適わず
  車を駆って古原に登る
  夕陽限り無く好し
  只だ是れ黄昏(こうこん)に近し

2015年6月27日 (土)

ドキュメント昭和2「上海共同租界」(角川書店)

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 第一巻の「ベルサイユの日章旗」がすばらしかったので期待したのだが、この「上海共同租界」はややまとまりを欠いていて視点が定まらず、事実の羅列に終わっているような印象であった。ディレクターの違いによるのか。

 現代の価値観で歴史を語ると、その時代が見えなくなってしまう。善悪ばかりが強調されてしまい、その時代に立って見ることができないからだ。これはある意味で神の視点に立っているような錯覚をもたらす。左翼の歴史の見方であり、中国や韓国の歴史の見方がそのようである。

 その時代の人がどのように考え、どのような行動をしたのか、それをありのままに知りたい。そこで初めてその時代を感じることが出来、歴史を実感できる気がする。

 自分の過去を振り返ってあのときはこうすべきだったと繰り言を言っても仕方がない。あのときはなぜそうしたのかを思い返し、では今度はどうすべきか考えれば良いのだ。

 こんな言い方をすれば中国や韓国は反発するだろうが。

 「ベルサイユの日章旗」が優れているのは、その時代のなかにいささかでも自分を置くことができたからであり、この「上海共同租界」ではそれが叶わなかったからだ。

 日中戦争といえば、満州地区での関東軍の暴走がきっかけであり、多くがその地区での戦いとして語られることが多い。この本では上海がその時代にどのような街であったのか、どのような人たちが租界に住んでいたのか、日本人はどのような状況で暮らしていたのか、激しい反日は日本人たちにどのような影を落としていたのか、それが詳細に列記されている。そして第一次上海事変勃発をもって巻は閉じられる。

Dsc_0067 蘇州河を望む

 上海が抗日の拠点であったこと、中国共産党が発足したのもこの上海であることは偶然ではない。そのことをあらためて認識した。

Dsc_0005 変貌する上海

 上海には仕事も含めて10回近く行っている。初めて行ってから最後までに約20年ほどの時間が流れた。それだけの間でも急激に変貌した。特に上海万博の前後では町並みが激変した。外灘(わいたん)の古い西洋建築や周辺地区を除いて、下町の古い居住区の多くの建物はほとんど毀壊されて消滅してしまった。

Dsc_0094 古い町並み

 その程度で上海を知っているとはとてもいえないけれど、イメージする手がかりはある。中国はこれからも大きく変わるだろうが、その変化の目玉が北京よりも上海であることは間違いないと思う。

Dsc_0117 すべて壊された

 上海を、そして中国を考えるときの時間の物差しが少し長いスパンになった。

三代の蔵書

 張岱(ちょうたい)という明末清初期の文人がいる。紹興の人である。この人の「陶庵夢億」という本が好きで、いま三回目を読んでいる。一気に読めるような本ではないが、短い話が多いので少しずつ読める。自宅にも実家にも一冊ずつ置いていつでも読めるようにしている。陶庵というのは張岱の号である。その中から一つ紹介する。

「三代の蔵書」巻2第30話

 わたしの家には三代にわたって積まれた蔵書が三万余巻あった。祖父(張汝林)はわたしにいった。
 「数ある孫のなかで、おまえだけが書物好きだ。おまえが見たいと思う書物は、勝手に持ってゆくがよい」
 それでわたしは、太僕公(張天復)と文恭公(張元汴)及び祖父の書き入れがあって手沢の存しているのを選び集めて、これだけくださいとお願いすると、祖父は喜んで、舁(かつ)いでゆくように命ぜられた。それが約二千余巻あった。
 天啓五年、祖父が世を去ったとき、わたしはちょうど杭州に行っていた。父叔及び諸弟、門客、職人、下男、下女の連中が勝手に分け取りしてしまって、三代の遺書は一日にしてことごとく失われた。 わたしは垂髪の子供の時から書物を集めること四十年、三万巻をくだらなかった。乙酉の年(明亡後二年目)、兵乱を避けて剡渓(せんけい・地名会稽山中にあり)に入ったとき、いくつかの箱に詰めて少し持って行ったが、あとに残った分は、邸を占拠した方(方国安)の兵が、毎日ひき裂いては煙にし、また銭塘江の岸に舁いで行って、鎧の中に敷いたり、矢玉を防ぐしろにしたりして、四十年間に積んだものが、これまた一日にしてことごとく失われた。これがわたしの家の書籍の運命であってみれば、いまさら誰を咎めよう。
 私はそれにつけても嘆ずる次第であるが、古今を通じて蔵書に富めること、隋・唐に過ぐるはあるまい。随の嘉則殿では書籍を三類にわかち、紅瑠璃、紺瑠璃、漆の軸で見分けがつけられるようになっており、殿には錦の幔幕を垂らし、ぐるりに飛仙を彫刻してあった。帝が書庫におでましになって、隠されたバネ仕掛けをお踏みになると、飛仙が幕をかかげ、本箱の扉が自然に開く。帝が出て行かれると、またもとのとおりに閉じる仕掛けになっていたそうだ。随の蔵書はおよそ三十七万巻であった。
 唐のときには、宮中のお庫の書籍を東宮の麗正殿に移し、修文・著作の両院学士を置き、名前を届け出たものには出入りを許された。太府からは毎日蜀都(成都)の麻紙五千枚を給せされ、季ごとに上谷(河北省)の墨三百三十六丸を給せられ、年ごとに河間・景城・清河(以上みな河北省)・博平(山東省)四郡の兎の毛皮千五百枚を給して筆を作らせた。甲乙丙丁に分けて、唐朝の書籍はおよそ二十万八千巻であった。
 わが明朝の宮中の秘籍は、それこそ数えることが出来ないくらいで、『永楽大典』の一書だけでも、いくつかの書庫にうず高く積み上げられている。わたしの蔵書などはそれに比べればたかが九牛の一毛にすぎず、物の数でもないのである。

*『永楽大典』明の永楽帝の勅撰による大百科事典。編纂に従事するもの二千百人余り、六年の歳月を費やして完成。およそ二万二千余巻、一万二千冊。その後、火災や戦乱で消失散佚して、今日わずかに二百余冊を存するのみ。

 張岱のこの本は松枝茂夫訳で岩波文庫に収められている。わたしが持っているのは二冊ともワイド版。一冊は風呂で読んでいるうちにうとうとして取り落とし、慌てて取り上げて何とか修復したが、上の方が少しよれよれになっている。それも何となく古書の雰囲気で気にいっている。

 ところで紹興といえば魯迅・周作人の生地である。魯迅がこの『陶庵夢億』を愛読していたことはこの本の訳者の前書きにある。

2015年6月26日 (金)

購読を止めるという

 死んだ父の時代からずっと購読してきた朝日新聞を弟が止めるという。私が朝日新聞を批判したことばをたびたび伝えてきたことが影響しているらしい。

 今日(26日)の朝日新聞のコラムで、池上彰が朝日新聞の偏向性を批判している。同じことを伝えるのに間違った伝え方をしているわけではない。しかし他の新聞がすべて伝えているのに朝日新聞だけが伝えなかったことがあった。自分の会社の論調と違うから報じなかったとすれば、それは中国や北朝鮮、韓国の新聞とかわりがない。朝日新聞の読者だけが知らされていないことがあるなら問題だ。

 今までだったらこんなコラムは掲載されなかっただろう。それが掲載されたのは、先般の経験で朝日新聞は懲りたからだろうけれど、体質が何も変わっていないことを再び知られてしまった。

 池上彰に何の悪意もない。

 しかし朝日新聞はまだ自分の新聞の偏向性にまったく気がついていないらしい。

 留守番をしていたら朝日新聞のディーラーがやってきて購読を続けることを私に懇願する。泣き顔であった。

松本健一「三島由紀夫と司馬遼太郎」(新潮選書)

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 三島由紀夫と司馬遼太郎を比較して論じるというのはいまだ誰もしたことのないことだろう。共通点がありそうもないからだ。そのまったく正反対に見える価値観こそがこの本の手がかりでもある。

 三島由紀夫の自決事件について、司馬遼太郎はふだんのこの人に似ない激しい論調でそれを批判している。司馬遼太郎の論理と三島由紀夫が死をもって目指そうとしたもの、それを対比させながら戦後日本は何を得て何を失ったのか、この本はそれを考えさせてくれる。

 司馬遼太郎がイデオロギーを毛嫌いしていたことは明らかである。私もそうだからそれを感じる。この人は合理主義の人であり、写実主義の人である。だからこそ正岡子規にあれだけ傾倒するのだろう。戦前戦中の(空想的)天皇至上主義的な軍部のやり方など、司馬遼太郎にとってもっとも嫌悪すべき事態であったろう。だから司馬遼太郎は天皇についてほとんど語らない、と著者は指摘する。言及しなければならないときも極力避けているのだという。次々に例を挙げられてみると、納得する。

 本文から

 「ロマン主義とは、美しいものを見ようと思ったら、物事の本質を知ろうと思ったら、目をつぶれ、という精神の構えである。三島由紀夫がその意味で、ロマン主義者であったことは間違いない。」

 「これに対して、リアリズムとは、現実をあるがままに見よ、という精神の構えである。美も、物事の本質も、現実のなかにある、という考えである。司馬遼太郎がその意味での、リアリストであったことも事実だろう。」

 このように両者の違いを明らかにした上で、具体的な文章が次々に取り上げられ、比較されていく。でも違うものを較べて「ほらこうして違うだろう」といわれたところで、「なるほど」と答えるしかない。そこに何らかの意味が了解されなければならない。

 それを全体で語っているのがこの本なのだ。その意味を見いだすだけの材料は揃っている。

 こんな本を読んだら三島由紀夫をまた読まなければならなくなるではないか。私はロマン主義の徒でもある。正岡子規の写実主義より、芭蕉や蕪村のロマン主義、古典主義のほうに美を感じる。

 司馬遼太郎がなにかを語るとき、眼前の机の上に次から次へといろいろな事実をならべたてるのを、こちらはあれよあれよと眺めることになる。そのときにほとんどすべてを取り出しているように見えながら、実はまったく提示されていないものがある、意図的に語られないものがある、というのが著者の指摘なのだ。そして著者が言うようなことが本当かどうか知るために「街道をゆく」全巻を読み直したくなるではないか。でもいろいろ忙しいからそれはちょっとあとにさせてね。

2015年6月25日 (木)

葉室麟「蒼天見ゆ」(角川書店)

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 葉室麟の新刊を書店で見かければ迷わず買う。買ったらすぐ読む。

 というわけで昨日神田の三省堂で購入して今日昼には読了。

 幕末、九州・福岡藩の支藩・秋月藩中で傑物として知られた臼井亘理(うすいわたり)は、藩の要職にある身として京都や大阪で自分にできることに心身を砕いていた。時勢は急変している。しかし国元にはその時勢の変化を理解できず、亘理を変節漢となじる者たちがいた。亘理の才をねたむ城代家老の使嗾もあり、亘理は失脚、藩に戻ってしばらくした後、暗殺者たちに愛妻ともども惨殺されてしまう。

 そして世は明けて明治時代、亘理の息子六郎は父を斬った人物を討つことを心に誓っていた。仇が東京にいることを伝え聞き上京して付け狙うが、敵はすでに官吏として要職にあり、たちまちそれを知られてしまう。

 自分の至らなさを思い知らされた六郎は伯父の勧めで山岡鉄舟に師事し、人間的に鍛えられていく。更にその縁で勝海舟にも知己を得、成長する。

 政府から帯刀禁止、仇討ち禁止のふれが出ており、仇討ちをしても罪に問われるだけであるが、六郎の仇討ちの決意は揺るがない。

 そして月日がたち、ついにその機会がやってくる。

  雨過天青雲破処

 「蒼天を見よ」。六郎が父から言い残されたことばはこれであった。

 仇を討ち果たしても蒼天を見ることができなかった臼井六郎が、ついに蒼天を見たのはいつだったか。恩讐を超え、彼がたどり着いた境地とはなにか。そのときいまは亡き師の山岡鉄舟は空の彼方で頷いていたのではないか。

森本哲郎「旅の半空(なかぞら)」(新潮社)

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 旅を思うとき、森本哲郎の本を読み返す。この人は海外の旅が多かったけれど、実は国内の旅についての名文も多い。そもそもこの人に出会ったのは朝日新聞の日曜版での文章だ。沖縄の舞踊の写真に添えて、蹴上げからちらりと見える赤い色の色気について書かれたものを読んで全面的に信服してしまったのだが、実際に森本哲郎の本に出会ったのはそれから数年後であった。

 「生きがいへの旅」というその本に出会ったことで、私の人生観は大きく変わった。視界にかかっていた靄が晴れたような気がしたことを今でも覚えている。わけも分からずに哲学の本などを読んで格好をつけていたこと、そのことに意味を見いだせたのはこの人のお陰である。

 この本は、その森本哲郎が芭蕉や蕪村や漱石などをはじめ、多くの人の文章からイメージした場所を実際に訪ねて回った紀行文である。

 私もすでに行ったことのある場所も多いけれど、これだけ深い素養と知識を持って見れば、その場所の意味はまったく違ってくる。知ること、認識することのレベルにこれほどの違いがあるものだととことん思い知らされるけれど、自分の無知を嘆くよりも今はそれを知った上で私も再び同じところを訪ねたい気持ちの方が勝る。

 この本の文章を手がかりに訪ねたい場所がいくつかできた。いつかそれを自分のことばで紹介できることもあるだろう。たびごころがますますうずく。

  京まではまだ半空や雪の雲  芭蕉

九段(2)

Dsc_4731この馬は?


Dsc_4722 九段の坂上から坂下を望む

靖国神社出口からお堀側、つまり北の丸公園側へ渡る歩道橋の上から神田方向を見る。

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歩道橋の向こう側にはこんなものが。灯台みたいだが、説明がないのでなんだか分からない。向こうの方に武道館の屋根が見える。

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品川弥二郎の像。明治の元勲の一人。松下村塾で吉田松陰門下生。「宮さん宮さんお馬の上(?)でひらひらするのはなんじゃいな」という官軍が行進するときに歌われたザレ歌(日本初の軍歌だともいう)の作詞をしたといわれる。もちろん錦の御旗である。

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陸軍元帥大山巌の騎馬像。そう、あの馬はこれ。木立の向こうは皇居のお堀で、さわやかな風が吹き抜ける。

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お堀沿いに九段の坂を下る。

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向こうに九段会館が見える。誰か身内がここで結婚式を挙げたような・・・。思い出せない。そういえば東日本大震災のとき、天井が崩落して女子大学生などの犠牲者が出たような記憶があるが。

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坂を下りきったあたりに昭和館がある。戦後70年写真展を開催中。立ち寄りたいがパス。

その先、高速の下になっている俎(まないた)橋を渡ればもう神田神保町だ。

このあと数軒の古本屋を物色。今回は中国の志怪小説をメインに探す。

「剪燈新話」「幽明録・遊仙窟」「唐代伝奇集1」「今古奇観1~4」などをゲット。今古奇観は残念ながら第五巻が欠本。唐代伝奇集は気長に探せば見つかると思うが、今古奇観は難しいかもしれない。

数軒でくたびれ果てたのでそば屋で昼食。その後三省堂で新刊書を買い込んだ。ナップザックがずしりと重くなったので、そのまま御茶ノ水の駅まで歩いてJRで実家に帰った。

なんだか気持ちがふわふわしている。

2015年6月24日 (水)

九段(1)

母親の介護に休みをもらって神田の古本屋に出かけることにした。どうせ行くならJRで市ヶ谷まで行き、靖国通りから九段の坂を下って神保町まで歩こう。久しぶりに靖国神社に寄りたい。


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若い頃、実家に大事なものを忘れてしまい、珍しく父がわざわざ日本橋にあった会社(営業所)に届けてくれたことがある。所長が、せっかくだから二、三時間二人で出かけておいで、と気を利かせてくれた。父の希望で靖国神社に二人でお参りした。父のすぐ下の弟が戦死してここに祀られているし、父の戦友もたくさん戦死しているのだ。

後にも先にも父と二人だけでどこかに行ったのはこれきりかもしれない。そのときはなんということもなかったが、今はとてもなつかしく思い出される。

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大村益次郎。

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珍しい形の唐獅子。

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もう片方。

靖国神社にお賽銭500円を奮発して二礼二拍手一礼した。
それで良かったのかどうか知らない。

長い参道を下り、このあと九段の坂上の北の丸公園の端っこをちょっと覗いた。

映画「蠢動(しゅんどう)」2013年・日本

 監督・三上康男、出演・平岳大、若林豪、目黒祐樹、中原丈雄、さとう珠緒、栗塚旭ほか。

 監督の三上康男が自主制作で撮った同名の映画を、メジャーになってからあらたに撮り直した映画だそうだ。

 正直な感想としては惜しい映画である。色彩を極力抑えた映像といい、いい線を行っているのにところどころに不満がある。

 主演の平岳大は私が最近気になっている俳優の一人だ。気がつくとテレビや映画の脇役としてそこら中に出演している。意識して見たのは東山紀之主演のNHKBSテレビ時代劇「大岡越前」に徳川吉宗役に出たときからだ。大味で、器用な役者には見えないけれど、何となく好感が持てる。悪役でも何でもこなすから本当は才能があるのだろう。見ているうちにだんだん好きになった。

 この映画でも好い演技をしているのだが、若林豪がいけない。もともと新国劇出身のこの俳優、昔は嫌いではなかったのだが、台詞回しに癖があってテンポが映画に合わない。もともと演技かうまい俳優でもない。藩のために苦悩する城代家老を演じているのだが、その苦悩が見えずに空回りしている。

 さとう珠緒も残念ながらミスキャストだ。あのやや鼻にかけるぶりっこしゃべりを極力抑えて頑張っているのだが、武家の女の哀しみが全然感じられない。

 久しぶりに栗塚旭を見た。歳をとって台詞回しにテンポのずれはあるものの、この人は声が好い。それがそれなりの重厚さと狡猾さを感じさせてさすがであった。

 藩のために若い武士が無実の罪で追われる非情さと思わぬ逆襲による大人数の死が武家社会の空しさを伝える・・・はずだったのだが、あの「切腹」のような名作にはなれなかった。

2015年6月23日 (火)

ドキュメント昭和1「ベルサイユの日章旗」(角川書店)

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 太平洋戦争(日本にとっての太平洋戦争)とは何だったのか。なぜあのような無謀な戦争を始めたのか。それが私の大学生以来持ち続けているテーマのひとつだ。

 NHKが「ドキュメント昭和」という歴史ドキュメンタリー番組(全九回)を放送した。その取材記録をまとめたものがシリーズ本として出版された。テレビ番組を一部しか見ることができなかったが非常に感銘を受けたので、このシリーズの本を揃えてじっくり考え直すことにした。しかし忙しくてほとんど拾い読み程度にしか読めていなかった。

 全九巻、すべて昭和前期、太平洋戦争突入までの記録である。そして今回読んだ第一巻「ベルサイユの日章旗」は1919年、つまり大正8年のベルサイユ条約締結までの半年間の交渉で何があったのかがテーマである。まだ昭和ではないがここが歴史の転換点であり、太平洋戦争へ突入する原因をはらんでいると見ることができる。

 だれでも歴史で習い、知っているつもりのことばかりだが、詳細を知ると、実は自分は何も知らなかったことに驚く。

 それらのことをこの本から引用したいのだが長文になるものが多く、機会を別にして紹介したい。

 この本が出版されたのは昭和61年(1986年)なので、多分普通に手に入れることは難しいかもしれない。貴重な歴史記録である。

R.H.ファン・フーリク「中国のテナガザル」(博品社)

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 中野美代子・高橋宣勝訳。

 10年以上前、仕事の待ち合わせ時間に福井駅前の古本屋でこの本に出会った。見た瞬間に中を見ずに買うことを決めた。定価3800円の本がなんと1000円だったのも嬉しかったけれど、探し続けた本に出会ったような喜びが大きかった。もちろんこんな本の存在は知らなかったのだけれど。その感じが分かってもらえるだろうか。

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 中野美代子女史の『孫悟空の誕生-猿の民話学と「西遊記」』というとても面白い本がある。東南アジアや中国の猿の民話が次第に西遊記の孫悟空に形を整えていく様子が語られている。東南アジアの各地で猿の像に出会ったし、バリ島のケチャもインドの「ラーマーヤナ」の話とハヌマーンという猿の民話が混交している。だから特に探していたわけではないが、猿についてのこのような本には興味があったのだ。

140925_186 バリ島で

 犬山に霊長類研究では世界有数のモンキーセンターがあり、たくさんの種類の猿が飼育展示されている。日本では猿と一言で片付けてしまうけれど、類人猿(ape)、猴(monkey)、猿(gibbon)など(もっといろいろある)まったく分類としては違うものだ。この分け方で言えば本来ニホンザルは猴であるが、それにこだわると日本人にはなんだかわけが分からなくなる。

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 さてこの本は中国のテナガザルについての中国の歴史を背景にした考察である。長い序では生物学的考察を行い、次に本文としてⅠ「上代から漢代まで(紀元前1500年頃から紀元前202年まで)」、Ⅱ「漢代から唐末まで(紀元前202年から907年まで)」
、Ⅲ「宋・元・明代(960年から1644年まで)」に分けて、中国の文献や記録に残されたテナガザルについて論考している。それ以降がないのは中国でテナガザルが激減して人の目に触れる機会がなくなってしまったからである。

 著者のフーリクはオランダ人で、外交官として戦前も戦後も日本に長期滞在している。戦時中は中国に滞在していた。後に日本のオランダ大使となったが任期中にオランダに一時帰国したときに病で亡くなっている。外交官であるが中国通でディー判事シリーズという有名な探偵小説も書いている。ディー判事というのは狄仁傑という実在の人物で、日本で言えば大岡忠相みたいな人物だ。映画「王朝の陰謀 ディー判事と人体発火怪奇事件」というのはこのフーリクの探偵小説を荒唐無稽に膨らませたものだ。アンディ・ラウが主演していた。ブログをいつも拝見しているジョニー・タピアさんによれば、このディー判事が主人公の新作が作られて封切られるという話だ。

 この本は装丁もすばらしいし、何より紙質が良い。ずっしりと重いのだ。旅先にこの重い本を何度持って出たか知らないが、ページを繰るのがもったいなくて、ついに今まで読了しなかった。今日は思い切ってこの本を一気読み。まことに楽しい時間であった。

 昔、長江の三峡では通過する際に断崖の上からこのテナガザルの啼く声が聞こえたという。李白の詩などに哀切な響きとして「猿声」と詠われたのはこのテナガザルの啼き声である。漢詩に興味のある人なら「猿声」について知っているだろう。ところで三峡と言えば先日遊覧船が転覆して多くの死者が出た。

 例によってとりとめのない文章になってしまって申し訳ない。残念ながらこの本は多分それほどの部数が出た本とも思えないので、見つけるのは難しいかもしれない。

 神田の古本屋街でも散策してみたくなった。思わぬ拾いものがあるかもしれない。

2015年6月22日 (月)

映画「アースレイジ 合衆国最期の日」2013年アメリカ

 監督ダニエル・T・ラスコ、出演キャスパー・ヴァン・ディーン、マイケル・ビーチ、サラ・ヴィングほか。

 近未来の世界終末ものの物語は嫌いではない。しかしこの映画のお粗末さはこれまで観た映画のなかで最低クラスだった。この陳腐な造り、合理性のかけらもない話の展開、台詞のひどさ、何より登場する人物たちがバカばかり。

 ここまでひどいと逆に途中で見るのを止めることができなくなってしまった。これも作戦だろうか。

 核融合と地球の自然エネルギーを融合する?ことで世界のエネルギー問題を一挙に解決するプロジェクトが稼働実験に入る。画面には数人しかいないし普通のパソコン画面が数台だけで、なにやらインチキ臭い連中が秘密基地で悪さを企んでいるようにしか見えない。ところがのっけから核融合装置から発射するビームのコントロールが不能となり、地球の気象に異常を与えてしまう。科学的な理屈を多少は語るのだがまったく意味不明。

 実はこのプロジェクトの一番の頭脳である人物は当日家族と気球大会に出かけていて参加していない。しかしさすがに彼は気象の異常にいち早く気づき、気球をすぐ降下させて家族と車で逃走を始める。その車を異常気象で発生した巨大竜巻が追いかける。ひたすら逃げる家族とそれを追いかける竜巻。どうもこの竜巻、意志があるようで逃げるこの家族の車だけを追いかけているらしく見える。というのは遙か彼方に見える道路の上には何事もないようにのどかに走る車が見えているからだ。

 それよりもイライラするのは後ろの座席に座っている息子が「早く、早く」などとやたらとせかし、それに対して助手席の妻が「うるさい、静かにしなさい」と絶叫し、「どうしてこんなことに」「それにしてももっと早く走れないの?」などとバカ息子の百倍くらいやかまし騒ぎ立てることだ。それに対して主人公が「これでも精一杯だ」と言い訳しながらハンドルを無意味に左右に切り続けるのだ。

 どうして「やかましい!」と一喝しないのか分からない。多分そうした瞬間にこの母子は彼の元を去って行くのだろう。そのことはこのあと映画を観ていくとよく分かる。「人類のためより私のためにここにいて」などという。ただただひたすらバカ息子とバカ女なのだ。それなのに危機がさらに迫ったとき、あたりの惨状を見て息子が「もう何も残っていないね」というと「俺たちには家族が残っているではないか」などとほざくのだ。

 人間は愚かなものではあるけれど、いざとなればそれなりに知恵を働かせて自分の役割を知るものだと信じたいものだが、この映画に出てくる登場人物たちでは絶望的である。とはいえ最後にはこのバカ息子とバカ女もそれなりの仕事をする。するけれど主人公も含めて不手際きわまりなく、こんな連中に地球の危機が握られていると思うと目の前が暗くなるではないか。しかし風速200メートルの暴風が吹き荒れているという異常気象の中でどうして普通に行動できるのだろうか。

 この映画は、もしかしてアメリカ人はこれほどバカであると世界に宣伝して、実はロシアや中国を油断させるための高等作戦かもしれない。私もまんまとそれにはまってしまった。そうでなければそんな映画なのに最後まで観てしまった理由が分からない。

梅棹忠夫「サバンナの記録」(朝日選書)

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 もともと1965年に出版されたものが1976年に朝日選書に収録されて再版された。私の持っているのは1977年の版。何十年ぶりかで読み直したけれど、これは名著であると思う。

 アフリカのタンガニイカ湖周辺(現在のタンザニア)の文化人類学研究基地周辺での見聞録である。学術的なものではなく、基地に出入りする現地の人たちからの聞き書きであり、自分の体験したことなどを含めて短い文章にエッセイ風にまとめたものだ。アフリカ版の「遠野物語」のおもむきもある。

 いま、アフリカにこんな生活を続けている人たちがいるのだろうか。殺傷力のある武器が簡単に手に入る時代になり、大きく変わってしまっているのではないか。それならば、ここに書かれている世界は極めてわずかな期間の、奇跡のように平和で豊かな時代のことだったのかもしれない。

 素朴、といってしまうと自分が文明人でありかれらを未開人として見る、上から目線になってしまうが、著者も基地の人たちもそういう意識から自由である。だから現地の人たちの愛すべき純朴さも見えるし、同時に小ずるいしたたかさも見えるのだ。彼らは科学的知識がないだけで、人間的な賢さは同じである。

 中身を紹介したいけれど、引用を始めると全部引用したくなるので、できれば読んでもらいたい。名著だし朝日選書だから今でも購入できるだろう。

2015年6月21日 (日)

内田樹vs鈴木邦男「慨世の遠吠え」(鹿砦社)

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 もともと学生運動にも関わっていたこともあり、どちらかと云えば左寄りの内田樹先生(私はこの人にも密かに私淑している)は、現在護憲派の論客の立場での発言が多い。私は憲法は見直すべきだと思っているから立場は違うけれど、先生の論理はなかなか明快で、なるほど、とうなづかされることが多い。ともすれば中国の理不尽とも見える行動に観念的に反発を感じて、安倍首相にシンパシーを感じるけれど、先生の意見などで少し頭を冷やさないと危ないとは感じている。

 右翼の論客で活動の先頭に立っていた鈴木邦男氏は最近テレビに出ることが増えた。テレビに出るようになったからか、極めてソフィスティケートされた言動はとても右翼の論客に見えない。

 二人の対談を収録したこの本では護憲派と改憲派の激突でもあるのかと期待したけれど、年上の鈴木氏がひたすら内田樹先生の談論風発に敬意を表し続けていて、右翼の凄みとか怖さをまったく見せていない。右翼の中でのし上がった人だもの、そんなにやさしい人であるはずはないので、そのにこやかであることに却って不気味さを感じないことはない。

 内田樹先生の基本的な認識は、日本がアメリカの属国である、ということである。すべてはこの自明のことを、さもそうでないかのように振る舞い続けてきた日本のねじれ感覚の象徴が安倍政権の安保法制改革であるというのだ。これは先生の本を読まないと分かりにくいロジックなのだが、確かに日本がアメリカの属国であることは日本人以外の目には明々白々に映っていることなのかもしれないと思わないことはない(なんだかグジャグジャした言い方で申し訳ない)。

 論理展開ではなくて対談なのでいっそう分かりやすく安倍政権の問題点が語られている。念を押すが、私は安倍首相にシンパシーを感じている。今ほかに日本の総理を務めるに足る人物も見当たらない。しかしこの本を読んで、安倍首相が増長して歴史に禍根を残す方向にオーバーランしないようにこちらも注視しておく必要があると感じた。

たびごころ

 先日の鉄道・絶景の旅は三時間のスペシャル版「奥の細道 絶景列車紀行」だった。東北本線をたどり、小牛田から陸羽東線、そして陸羽西線を経由して酒田までの旅だ。鳴子の尿前の関や、最上川舟下りで知られる古口は、しばしば立ち寄るので自分の故郷を歩くようであった。父の出身はこの古口から最上川の支流を山の中に入った肘折温泉の近くである。

 「船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎うる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす」と芭蕉は記している。人生が旅であることにおいては昔も今も変わりはない。われわれは「日々旅を栖と」している。人生の旅を実感するために私はときどき旅に出かける。男は旅立つ者なのだ。「女は港、男は船よ」である。

Dsc_4699 私の種本

 芭蕉の旅は予定の立つような旅ではないし、宿に予約して泊まるようなものでもない。尿前の関から出羽の国に入るときには、そもそも用のない人間が入国することを咎められてなかなか関を通してもらえなかったという。

 それに較べれば車での旅はエアコンも効いて快適な旅である。それこそ旅と呼ぶには値しないのかもしれない。それでも我が家をひとたび出れば、それは「旅」なのだ。

  門を出ずれば我も行人秋のくれ

  花にくれて我家遠き野道哉

 ともに蕪村の句。芭蕉が遠方に旅したのとは違い、蕪村は近場にいて旅を思った。心は旅の空にあったのだ。

 時間が取れたら今度は東北へ行こう。


 旅ではないが今日からまた母の介護手伝いでしばらく名古屋から千葉の実家に行く。

2015年6月20日 (土)

とりとめのないこと

 ドライブ旅行していると、とりとめのないことを考える。

 たとえば山陽道を走っていて、和気(わけ)という地名を見れば、和気清麻呂はここの出身ではないか、と思う。和気清麻呂と言えば、あの弓削の道鏡に皇位を譲るという託宣の確認を女帝から命じられて、その託宣は偽であるとして否定したために、分部汚麻呂(わけべのきたなまろ)などと改名させられて九州の鹿児島の方に流された。のち女帝が崩御して道鏡も失脚したから皇室も事なきを得、清麻呂も復権した。皇室の危機であったのだ。後で調べたら和気清麻呂はやはり和気の出身だった。

 しばらく行くと吉備という地名がある。吉備と言えば吉備真備の里のはずだ。これは知識として知っている。阿倍仲麻呂たちと遣唐使として唐に渡り、阿倍仲麻呂は二度と日本には帰れなかったが、吉備真備は無事帰国して高官になった。少年向けの阿倍仲麻呂の伝記を子供の頃読んだが、吉備真備のことはあまりいい性格で書かれていなかった。それが多少頭に偏見として残っている。和気清麻呂とほぼ同時代のはずで、故郷が近いことから互いの交流はなかったのだろうか。実は和気清麻呂も一緒に遣唐使船に乗ったような気がしていたけれど、和気清麻呂は唐には行っていないようだ。

 吉備と言えば上田秋成の「雨月物語」に「吉備津の釜」という話がある。あの磯良という不幸な女性の怨霊の怖さを思いだした。祝福されない結婚はたたるのだ。雨月物語をもう一度読み返してみたくなった(帰ってから「吉備津の釜」だけ読んだ)。

Dsc_4692 「吉備津の釜」の挿絵(半分) 変わり果てた磯良の姿に驚く正太郎

 ところで吉備津の釜の神事は盟神探湯(くがたち)となにか関係があるのだろうか。同じ熱湯を使うけれど、占うものは違う。しかしなにか関係があるのかもしれない。吉備津の釜の神事にしても密教的な要素を感じるけれど、もしかして吉備真備が唐から持ち込んだ儀式と言うことはないだろうか・・・。

 もっともっと関連したことを次々に連想するのだけれど、連想した尻から忘れるのでとりとめがない。たまたまこのことを息子と酒の席で話したのでかろうじて覚えている。
 何人かの方のブログをほとんど毎日楽しみに拝見している。ところがこの頃更新が途切れがちな人が増えているのが残念だ。なかなか読み続けたくなるようなブログを探すのは面倒で、あらたなブログをほとんどお気に入りに追加していないけれど、そろそろ少し探索してみようかと思っている。

変わった石・補足

宝石も中国の玉(ぎょく)もいわば石である。あの故宮の至宝の中でも特に人気のある焼き豚もどきの石や白菜に虫の彫り物も石である。


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写りが悪くて申し訳ないが豚肉石と名付けられ石。実物は本当に豚肉にしか見えない。

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これはヒスイを彫刻したもの。中国産である。かなり大きい。

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光る石。一部自分で光るものもあるけれど、多くは紫外線などによって発光したり、蓄光して光るものなどがある。

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幻想的な光景であった。まことに光の景色である。光を感じるには暗がりが必要なのだ。

ミュージアムを出ると夢から覚めたような気分になった。

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駐車場へ向かうと円山川からさわやかな初夏の風が吹いていた。知らないおばさんをあえて撮しこんだ。

2015年6月19日 (金)

化石

言い古された言い方だけれど、化石は時間が固形化したものだ。意識して化石から時間を感じることができると楽しい。


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今まで見た三葉虫の化石ではもっとも見事なものだ。

Dsc_4652 シーラカンス

Dsc_4654 始祖鳥

Dsc_4655 孔子鳥、孔子鳥?

Dsc_4656 スッポンに似たもの、らしい

Dsc_4657 きれいな海老の化石

Dsc_4658 ヱイだろうか

Dsc_4659 珍しい蛇の化石

Dsc_4660 元の形不明

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どうしてこんなにきれいな化石ができたのだろうか。

じっくり見ていると不思議な気持ちになる。

玄武洞ミュージアムはあとちょっとだけで終わります。

変わった石

玄武洞ミュージアムで珍しい石を見た。鉱物を見るのは好きなのでいろいろ見てきたが、ここのは特に変わった石が多くて楽しめた。


好みがあるので私が感心したものでも「なんだ、ただの石ではないか」と思うひともいるだろうなあ。

Dsc_4622 菊花石

Dsc_4627 菊花石

Dsc_4628 菊花石

菊花石は玄武岩に見られる。

Dsc_4626 方解石など

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Dsc_4633 方解石

こんな色と形の方解石もあるのだ。

Dsc_4635 硫黄の結晶

Dsc_4636 アマゾナイト

Dsc_4637 菱マンガン鉱

Dsc_4638 菱マンガン鉱の断面

Dsc_4643 白雲母 雲母?

Dsc_4647 なんだか忘れた

Dsc_4648 石膏 石膏?

Dsc_4632 展示室の様子

このあと化石を見る。

2015年6月18日 (木)

玄武洞

玄武洞は兵庫県豊岡市にある。あの城崎温泉に近い。城崎も今は豊岡市である。城崎温泉には数回行っているが、この玄武洞には寄ったことがない。


玄武洞にはいくつかの洞があるが、そのうち青龍洞と玄武洞だけ見た。青竜、白虎、朱雀、玄武と来れば四方をさす中国の神獣である。この玄武洞にもすべて揃っている。

Dsc_4676 青龍洞。

Dsc_4678 青龍洞。

洞といってもここには洞窟がない。昔はここで石を切り出していたそうだ。

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近畿地方には噴火を起こす恐れのある火山はないそうだ。しかしこの玄武洞は昔の火山の溶岩が冷えて固まってできたものだそうだから、大昔は火山だったわけだ。

その名残の余熱で城崎温泉(有馬温泉もそうだという)でお湯が出るのだと地質学者がテレビで言っていた。

Dsc_4685 玄武洞。

玄武洞には洞窟がある。しかし落石があるので危険なため、中には入れない。洞窟好きの私としてはまことに残念。

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かなりときめく洞窟だ。奥は深いらしい。

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玄武洞は円山川のすぐそばにある。この川はいつも水が満々としている。対岸右手は城崎(ここからは見えない)。

このあと玄武洞ミュージアムを見学。鉱石や化石が展示してある。石も好きだ。

見事な展示物だったのだが、それは次回。




天滝(てんだき)

岡山県の県道48号線の若杉峠を東に越えてしばらく行くと日本の名瀑100選の一つ「天滝」がある。


目指してここへ行ったわけではない。思いついて行きそびれていた玄武洞に行くことにしたら、その途中にここの看板が目についたので立ち寄ったのだ。とにかく放浪じいさんの行くところは行き当たりばったりなのだ。

まさかあんなにしんどい思いをするとは思わなかった。山歩きをする人にとってはどうということのない山道だろうが、汗みずくになった。

駐車場には天滝まで1.1キロとある。多少の登り降りがあってもなんとか行けるだろう、と高をくくって滝を目指した。

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こんな景色が随所にある。

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ただしひたすら朽ちた枯れ葉の坂道や階段を登る。

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夫婦滝、などと言う場所などいくつも名前がつけられた滝が散在する。天滝は一番奥だ。

ずいぶん歩いたのであと300メートルくらいだろうか、と思ったところへ

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天滝まであと600メートルの標識。まだ半分も来ていないのだ。嘘だ!ここに四阿があって休憩できる。さらに行くかどうか休みながら考えた。

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落差98メートルという天滝を見てみたい気持ちが勝ってさらにひたすら登る。息が切れるし汗は流れ落ちる。飲み物は持たずに来た。しかしここで引き返すのはしゃくではないか。

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ついに天滝を拝むことができた。期待以上の息を呑む迫力だった。

この場所からさらに鉄の階段で100メートルほど上ると滝の正面に出る。ええい、ふらふらだけれど行くところまで行くぞ!

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滝全体は先ほどのところからの方が見渡しやすい。しかし間近の滝の轟音はやはり登ってこそである。

下りは登りより滑りやすいし膝に来るので慎重に降りた。もう疲労困憊、写真を撮る元気もないのであった。

ここへ行くときは靴はしっかりしたものでなければあぶない。登り口に杖代わりのストックが置いてあるので、できればそれを使う方が良いだろう。

2015年6月17日 (水)

今朝の宿

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宿の部屋からの眺め。山の夜明けは少し遅れる。朝日が木立の間から輝いた。この木立からウグイスの声が聞こえていた。

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手前は風呂の屋根。その向こうに漆喰壁の家が見える。

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ちょうど遙か彼方を智頭(ちず)急行線の電車が通った。

体調が戻ったので、まっすぐ帰らずにうろうろすることにした。

どこに寄ったのか、それは明日。

秋芳洞2

岡山県の佐用町に近いひなびた温泉に泊まっている。朝起きたらウグイスの声が間近に聞こえる。今まで聞いたウグイスの中では一番声が好い。窓を開けると冷気がさわやかだ。


さて秋芳洞の続き。写真で見るより実際は洞内は暗い。中国の鍾乳洞などは赤や青のサイケデリックな照明をしていて何を見せたいのか分からないが、秋芳洞は暗がりを見せてくれる。洞窟の天井、地底湖、地の裂け目などは暗がりだからこそ迫力があるのだ。

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太古から長い長い時間を掛けて作られた造詣だが、その間光はなかったのだ。

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中国の人たちに追いついた。とたんに賑やかになる。

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出口も近い。

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これは洞に入る前の道の脇にある「秋芳洞」の碑。

秋芳洞はこれでおしまい。

昨日は雨が降ったり止んだりでどこにもよらずに早めに宿に入ってゆっくりした。今日も特に予定はないのでこのまま帰ろうかどうかぼんやり考えている。それよりまず朝風呂に行こうか。

2015年6月16日 (火)

秋芳洞1

私は恐がりである。だから洞窟の暗がりの陰になにかが潜んでいるような気がしてドキドキする。だから鍾乳洞などの洞窟に入るのが好きだ。シーズンはずれなどのだれもいないときに小さな鍾乳洞に独りで入ると早く出たいと思って早足になる。そんなときには特にときめく。


子供のとき裏山の崖に戦時中掘られた小さな防空壕がいくつもあった。奥行きはせいぜい10~20メートルだけれど、一番奥にはあまり光が射さないからけっこうドキドキする。そんなところで人骨が出た、などという噂もあって、みんな怖がりながら良く中に入った。次第に崩れてきて危険だということですべて埋められてしまったが、あれが洞窟好きの原点かもしれない。とは言ってもまったく未知の洞窟に入りたいなどとは思わない。せいぜい観光洞に入る程度である。

秋芳洞も三回目。いつも写真がうまく撮れない。今度こそと思って感度を思い切り上げて撮ってみた。少しは洞窟の雰囲気が出たものが撮れた気がするがどうだろうか。

Dsc_4472 秋芳洞入り口。

Dsc_4481 中側から外を見る。

Dsc_4482 中は湿度が高い。

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画質は荒いがそこそこ洞内の様子は分かる。

すべてストロボなし、三脚なしの手撮りである。



津和野寸景3

昨晩は息子と広島の夜を歓談した。私よりも日本酒に詳しい息子に銘柄をまかせて次々に杯を重ねて、このばか親父は酩酊した。


さて津和野の続き。
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石州赤瓦の塀の上に赤瓦の鳩。あちこちで見かけた。

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武家屋敷の前。風雅のあるたたずまい。

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そんな武家屋敷の中に立派な教会がある。少しも違和感がない。

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山上の津和野城址への途中の山腹に太皷谷稲成神社がある。

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稲荷神社であるから狐がいる。赤いよだれかけが面白い。

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元宮。右手の門は歩いて登る山道。赤い鳥居が並んでいる。高台にあるので津和野の市街が見下ろせる。城跡からの方が見晴らしがいいらしいが、そこへ上るリフトは四時半までで、すでに終了していた。

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安野光雅美術館。とても広い。この中で根を詰めて絵を眺めたり解説を読んでいるうちに立ちくらみした。

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半ば脱水症状にでもなったのか。宿に入って一息入れた後、飲み屋を探しに出かけたが、どこも閉まっている。昼はたくさんの観光客で賑わっていたが、日曜日なので夜になったらだれもいない。これでは店を開けても仕方がないのだろう。

ようやく見つけた店に入る。

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食べかけで申し訳ない。切り子のグラスが涼しげ。サヨリとイカがうまかった。

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タイのかぶと煮を頼んだら凄いボリューム。仕方がない、もう一本。

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ふだんは酒を飲むときはご飯を食べないのだが、仕上げにうずめ飯を食す。三度目にして初めて。具だくさんのお茶漬けと言うところか。本来はご飯が具で埋まって見えないというのが名前の由来らしいが、よく見えた。萩焼の器も良いではないか。

これで津和野は終わり。多分また来るだろう。


2015年6月15日 (月)

津和野寸景2

津和野の武家屋敷通りの石畳の上を歩いていたら、なにか異様な鳴き声がした。


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舞いおりたのはサギ。

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すぐそばまで寄っても逃げない。津和野の人はいじめないことを知っているのだろうか。近くで見ると結構大きい。

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すぐ近くには鷺舞の像がある。

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背景も津和野らしい。

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そういえばこんなポスターが架かっていた。

津和野寸景1

昨夕飲み屋を探しながら津和野を散策。そのときに目に入ったもの。


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Dsc_4418 津和野駅

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Dsc_4423 津和野は酒屋が多い

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Dsc_4445 藩校・養老館

森鴎外はここで学んだ。この学校の先輩、西周を頼り、上京する。

Dsc_4429 津和野は水が豊か。水道水も美味しい。


2015年6月14日 (日)

疲れた

名古屋から津和野まで600キロあまり、それを一気に走った。昔はそれくらい何ともなかったのにさすがに疲れた。 ついてそのまま願成就温泉に直行(願成寺温泉ではありませんでした。うっかり間違いです)。しかも津和野からすぐなのにここは島根県ではなく、山口県。津和野は県境にあったのだ。

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ゆっくりじっくりと湯に浸かる。

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温泉の前に静御前の像がある。??
静御前は義経と別れてから頼朝に捕らえられ、義経を慕って舞を舞ったことはよく知られている。その後義経の子を身ごもっていることが判明し、男児を出産したが闇に葬られた。失意の静御前は許されて京都に戻される。再び東北まで義経の後を追おうとするものの、義経の死を知り絶望して尼になった。そしてこの願成就温泉の近くで死んだのだそうだ。ゆかりがあるのだ。

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温泉のそばに十二支の石像があった。真ん中が私の干支
の寅。漫画チックな石像。

津和野と言えば赤瓦。
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高いところから。
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森鴎外記念館に行く。
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記念館の隣には鴎外の生家。

しかし鴎外は10歳の時にこの津和野を離れてから死ぬまで一度も津和野に帰っていない。だが死ぬ直前、「石州人 森林太郎」として葬るよう書き残している。

このあと安野光雅美術館に立ち寄ったが、途中でふらふらしてきた。一通り館内は見たけれどガス欠になったようなので、早々に宿に入ったところである。

映画「新撰組始末記」1963年・大映

 監督・三隅研次、原作・子母沢寛、出演・市川雷蔵、城健三郎(若山富三郎)、天知茂、藤村志保、田崎潤ほか。

 主人公は新撰組の探索方として知られる山崎烝(市川雷蔵)。近藤勇が城健三郎、土方歳三は天知茂が演じている。東映のような、正義と味方のはっきりした描き方ではなく、その時代の新撰組の実態をクールに描いた映画だ。ラストのクライマックスはもちろん池田屋討ち入り。だから「始末記」とあっても新撰組の敗走は描かれていない。

 山崎烝は近藤勇という人物を信じて新撰組に入る。しかし初代新撰組局長・芹沢鴨(田崎潤)の専横で隊内の雰囲気は暗い。京都の町の評判もさんざんである。それをただすべく、土方歳三はまず芹沢鴨の右腕、新見錦を隊規をたてに切腹させる。山崎烝は芹沢鴨を同じように隊規で処断するよう近藤に迫るが却下される。それなのに土方たちによって芹沢は暗殺され、外部からの侵入者の仕業として処理されてしまう。山崎は近藤に不信感をいだき、入隊したことに後悔を感じる。

 そんなさなか、隊士が私闘で相撲取りを切り捨てるという事件が起き、その隊士は京都奉行書に拘束されてしまう。新撰組は無礼討ちを主張し、奪還をはかるが、強硬な与力のために拘束が解かれない。沖田総司らはその与力を暗殺するという暴挙を企て、山崎を無理に同行させる。行きがかりからその与力を斬る羽目になった山崎は表向き隊を抜けたかたちにされる。

 会津藩からもたらされた勤王方の情報を追って町人に姿を変えた山崎烝は池田屋を探索、浪士たちがなにか事をなそうとしていることを感づく。やがて山崎の報により、勤王方の主要人物である古高俊太郎が捕らえられ、勤王方の集合場所、その企てと実施日時を白状させるためにすさまじい拷問が行われる。

 土方が聞き出した古高の自白では四国屋に集合するということだが、山崎烝の探索では池田屋である。こうして新撰組は二手に分かれざるを得ず、山崎を信頼しない土方は主力をつれて四国屋へ、近藤はたった六人を引き連れて池田屋へ向かう。

 いずれもよく知られた話だが、描かれ方が微妙に違う。あの桐生の新撰組フリークの美人がこの映画を観たらどう思うだろうか。

 城健三郎は大映時代の若山富三郎の芸名。だから大映制作の座頭市には城健三郎として出演している。当初東宝に若山富三郎として入り、大映に移籍して城健三郎に改名、その後さらに東映に移籍して元の若山富三郎に戻った。勝新太郎の実兄。

 この若山富三郎がテレビ(東京12チャンネル)の「風雲児半次郎」という時代劇ドラマで中村半次郎を演じていた。好きなドラマで記憶に残っている。勝新太郎よりもこの兄の若山富三郎の方が私は好きだ。一時安田道代(後に大楠道代)と同棲していた。この女優も大正か昭和の初めの雰囲気のある地味な服の似合う独特の女優で、忘れられない。

 市川雷蔵については眠狂四郎シリーズばかりではなくいろいろな思いがあるが、きりがないのでまた機会があれば。

2015年6月13日 (土)

たびごころ

 先日紹介した森本哲郎の「読書の旅」の表紙の絵は安野光雅。安野光雅は津和野の出身である。津和野出身といえばまず森鴎外、そして西周(にしあまね)、そのほか多士済々。あのさだまさしの「案山子」という歌はこの津和野の高台から町を見下ろした景色を唱っている。小さな町だが見所の多いところで、二度ほど訪れているのに安野光雅の美術館は覗いていない。

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 息子に会いに広島に行くついでに津和野にも寄り、安野光雅の美術館を見たいと思っている。どういうわけか津和野へ行くのはいつも梅雨時、それも大雨のことが多い。今回も天気は良くなさそうだ。というわけで明日は津和野、明後日は広島に行く。

 母の体温が上がったり下がったりしておさまらないので入院することになったと弟から連絡があった。そんなときに出かけるのもどうかと思うが、却って病院にいればすべて任せられるので安心でもある。

 津和野の高台に願成寺温泉という願いが叶うという温泉がある。前回は休みだった。今回は入ることができるだろうか。母の回復を願いたいところなのだが。

李真実(リ・ジェンシー)「残虐の大地」(扶桑社新書)

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 胸が悪くなるような「事実」がならべられている。本当のことだろうか。中国製の爪楊枝や割り箸を使うのがいやになった。といってそんなものに「中国製」かどうか明記されているわけではない。しばしば変な臭いのするものがあるが実はそれは・・・などと思うとぞっとする。その意味はこの本を読むと分かる。

 一部はすでに告発されていることだけれど、信じ難いものも多い。こういう暴露本はあまりに過激だと内容に疑いを持たれかねないのだが。 

 中国では犯罪を見ても関わらない方が良いという。著者もたまたまほんの少し被害者に関わっただけで繰り返し不快な目にあったという。中国では子供が事故に遭っても見て見ぬ振り、年寄りが倒れていても助けたら賠償を求められた、などという話はしばしばニュースになっている。

 著者は中国の元共産党員で、18年前に日本に留学し、その後日本に帰化している。彼はそのような中国人の人心荒廃は、共産党という存在がもたらしたものだとして、密かに収集したそのような共産党の犯罪行為を伝えているのがこの本だ。

 この本ではわずかしか触れていないが、「大躍進」のときや「文化大革命」のときにどれほどの数の命が奪われたか、どんなひどいことが行われたかについては、すでに何冊かの本で知らされているので、中国ではときに命が鴻毛の軽さで扱われることは知らないわけではない。

 著者は法輪功にシンパシーを持っているか、法輪功信者かであるらしく、記述の多くが法輪功の弾圧で拘束された多数の信者たちがどのような目に遭っているのかというのがこの本の多くの部分をなしている。

 法輪功はもともと気功をもとにして集まった集団で、それが宗教色を帯びた団体だが、オウム真理教のようなものではなく、日本人から見れば社会に積極的に害をなす存在には見えない。その数は最盛時に数千万人ともいわれ、多くの共産党員も参加していた。

 それが当時の江沢民主席により「中国社会に害をなす」として徹底的な弾圧を受けたのだ。このことは日本人には理解しにくいところだが、中国の王朝は過去たびたびこの宗教団体によって危機に瀕し、それが要因で倒れたという歴史があるため、共産党にとって危険だ、と見做すのはある意味で当然でもある。

 そもそも共産党独裁政権というものは集団を形成すること自体を毛嫌いする。集団を組織するリーダーというものを共産党は特に恐れる。デモやストライキは原則として禁止であり、それが黙認されるのは当局が押さえきれなかったか、背後で共産党が指示しているかのどちらかしかない。先般の反日デモの暴走は当局がバックにいたことがほぼ明らかだが(金をもらってバスで動員されたという証言も多いし、きれいに印刷されたプラカードや旗や幕が使われている)、それが想定以上にエスカレートした。

 中国では臓器移植を受けることがどこの国よりも容易である。人口が多いからというわけではない。死刑囚の臓器を使うというのは公然たる事実だといわれている。だから需要に応じて鮮度のいいものが供給できる、などと病院がうけあえるのだ。

 その臓器が実は死刑囚ばかりではなく、拘束された法輪功信者の臓器が使用されているとこの本では告発している。それもときには生きたまま臓器が抜かれている、などというから胸が悪くなるのだ。

 死刑囚の臓器を利用していたことは世界の非難を受けて、中国はその利用を自粛、現在は公然とは行われなくなった。しかし臓器の供給にいささかの問題もないらしい。

 数多くの法輪功信者は信者であることを止めるよう矯正された。多くは信者を止めたが、中には矯正を受け入れないものもある。そのまま家族から引き離されて消息不明のままの人間の数は分からない。その教育機関である「強制労働教養所」の強制労働の実態とすさまじい虐待の様子が伝えられている。  

 共産党統治体制が変わらないかぎり中国の人心荒廃は変わらないと著者は明言する。習近平は体制を維持しながらなんとか中国を改善しようとしているように見える。中国人もこのままでいいとは思っていないだろう。しかしこの本のようなことを知らされると体制を維持しながらの改善などあり得ないような気がしてしまう。

2015年6月12日 (金)

自称従軍慰安婦の死

 韓国のニュースで従軍慰安婦の一人が死去したと報道があった。年齢は八十歳。慰安婦であると明らかにしている女性の中で一番年少だったそうだ。

 それはそうだろう。終戦の年から今年で70年になる。しからばこの女性は当時十歳かそれ以下の従軍慰安婦だったというのか。今の十歳なら栄養も行き届いて発育もいいからもしやと思うが、当時の食糧事情であればその年齢では本当に子供でしかないと想像される。

 明らかにおかしいと思うのは普通の(あえて普通の、とつけるのは韓国の言い分のみを頭から信じ込む正義の味方の日本人もいるので)日本人だけで、韓国ではそのような幼い少女も慰安婦にされた、と言い張るだろう。そういえば慰安婦の銅像は少女であった。
 
 まだ初潮もないような子供を相手にするのを変態といい、そのような子供を慰安婦にするなら鬼畜の仕業である。韓国は日本人はそのような変態であり鬼畜であると歴史教育で教えていて、日本人もそれを認めろ、と強要しているのだ。だから韓国の人は日本に来ると、自分の教えられた日本人と実際の日本人の違いに驚く。

 自分の正義のために相手を貶めることに馴れると、その人は知らず知らずに信用を失っていく。本当の戦争責任や侵略の歴史がそのような過剰な言動で却って見えなくなっている。

思い出す

 弟が父や母の若い頃のことやその親類について知らないことが多いというので、先日酒を飲みながら思い出話をした。するとそれを書いたものに残して欲しいと言われた。

 試しに書き出すと次々にいろいろなことが思い出されてとりとめがない。私が書いたものが我が家の歴史になってしまうけれど、しかし他人に見せるものではないからいいだろう。多少の記憶違いがあっても今となってはとがめるものもない。

 まだ書き出したばかりだが、当たり前に日々暮らしていると特に目新しいことなど何もないつもりでいたけれど、振り返ってみればそれなりに盛りだくさんだったことが分かる。

 そういえば時期違いだけれど「いろいろなこと思い出す桜かな」という句があったなあ。

 昨日、義弟(妹の夫)の母親の葬式があった。92歳と高齢でもあり、ガンで療養中でもあったから身内はみな覚悟していたことだが、さすがに花をぎっしりと敷き詰めていざ棺を覆うということになると、姪(妹の娘)たちもハンカチを目に当てていた。

 故人にもいろいろな歴史が山ほどあったのだろう。そのことが記録に残されるかどうかは知らない。しかしそれぞれの参列者の記憶の中に残されたものは確かにある。高齢者の葬儀には高齢者の参列者が多い。その高齢者もやがて退場し、記憶は薄れ忘却の彼方に消えていく。

 それでいいのだ、と思った。私は葬式など大げさにする必要がないと思っている。自分の葬式は自分がするわけではないからどうでもいいけれど、では自分の親の葬式を粗末にできるかというとなかなかそうはいかない。葬式は死んだ人のためというよりも残されたもののためにするものだからだ。

 母の具合は一進一退。午後になると高熱が出て座薬の解熱剤で平熱に戻している状態だ。こうして体力が削がれていく。

 高熱の原因の検査結果がまだなので、医師も入院するかどうか決めかねているようだ。訪問看護師に聞くと、在宅介護ではしばしばあることで、今まで平穏に来られたことがめずらしいことでした、という。医師や看護師がばたばたしないのを見るとこちらも安心できる。

 それを見て昨晩名古屋に帰った。夜の雨中の運転はこわい。こわいと思えば慎重になるので夜半に無事到着。案外疲れなかった。

2015年6月11日 (木)

宮本雄二「習近平の中国」(新潮新書)

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 著者は2006~2010年の駐中国大使。2010年に外務省を退官。現在宮本アジア研究所所長。

 真摯な人柄が本を読んでいてうかがえる。感情を抑え、中国の現状を分かりやすく、しかも偏らずに伝えたいという心情にあふれている。その熱い気持ちが最後に抑えきれずに今の中国に対する懸念のことばになって表れており、中国が大好きで、だから中国が嫌いな私の心に伝わった。

 あとがきから一部引用する。

 私は、中国の将来は、すべてうまくいってアメリカをいずれ追い抜くベストのシナリオから、すべてがうまくいかず中国共産党の統治が崩壊し中国が大混乱におちいる最悪のシナリオまでの間をさまようものになるだろうと思っている。私個人の皮膚感覚としては、ベストのシナリオよりもワーストのシナリオの方が可能性は高いとも思っている。どのシナリオに落ち着くかは、この本の冒頭で述べたように、中国の抱える問題の深刻化のスピードと中国共産党の統治能力向上のスピードとの間の相関関係で決まる。
 中国社会はこれからさらに変化し、それに対応して中国共産党も変化していく。これが常識的な将来予測だ。つまり早すぎる変化を経て、中国の経済成長のスピードも遅くなり、社会の変化も次第にゆっくりしたものになっていく。そして中国社会の自己反省も始まる。
 この自己反省はすでに始まっており、拝金主義にどっぷりと浸かった社会の風潮に対する反発は強まっている。仏教やキリスト教、それに道教といった宗教に対する関心も強まっている。中国社会の価値観や倫理観も、伝統的な価値観の影響を強く受けながら、これから大きく変わって行くであろう。
 つまり中国のベストシナリオに恐怖するのでもなく、またワーストシナリオを渇望するのでもなく、その二つの可能性があり得ることをしっかりと頭の片隅に置きながら、それでも中国は着実に前に進んでいく蓋然性が高いと想定しておくべきである。
 つまり中国は深刻な問題を抱えながらも、社会の安定はギリギリ確保され、経済はギリギリ指導部の想定内で発展し、軍事力は比較的早く増大し、中国の国際社会における重みはさらに増す、と見ておくのが無難だ。

 そして中国に対し日本はどう向き合うのか、最後にその考え方を示している。

「ベストシナリオに恐怖するのでもなく、ワーストシナリオを渇望するのでもなく・・・」 という言葉にしびれた。

高島俊男「本が好き、悪口言うのはもっと好き」(文春文庫)

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 先般、「週刊文春」に連載されていたエッセイをまとめた「お言葉ですが・・・」を紹介した。これはシリーズになって文春文庫に収められている。その文春文庫に収められた高島俊男の第一冊目は、そのシリーズではなく、この「本が好き、悪口言うのはもっと好き」という本である。

 この本は第11回講談社エッセイ賞を受賞した。長短取り混ぜて厳選された文章が集められていておもしろくてためになってしかも読み応えがある。

 解説として東大教授の坂梨隆三氏が一文を載せているが、その一部を引用する。

 こわい名文家の、しかも講談社エッセイ賞(第十一回)をもらったような本の解説を書くというのは何とも気の引けるものである。ただ、この書に対する思い入れの強さだけなら人後に落ちないものと思っている。この本の誕生以前から、この本とは少しばかりの縁が私にはあるのだ。
 本書の大半は、かつて大修館書店の雑誌『しにか』に「湖辺漫筆」として連載されたものである。1991年4月に始まり、1994年3月の第35回まで続いた。私はその愛読者だったのだ。高島さんとはむかし岡山で同僚だったから、たまたま雑誌『しにか』を見て、「あれっ、高島さんが書いてる」というので読み始めたのであった。
 そこには高島さんの身辺雑記もあり、その近況を知ることもできた。また文章が面白い。かならず笑わせてくれる。声をたてて笑ってしまう。高島さんの声や姿を知っているので、その文章から高島さんの言動を人よりも思い浮かべやすいということはあったかもしれない。一見冗談も言いそうにない高島さんが、志ん生ではなくて円生の語り口で笑わせてくれるのである。
(後略)

 このあと本の内容について本当の解説が続くのだが、この本のおもしろさについてはこの紹介で必要十分である。特に円生を引き合いに出すあたりがにくい。先日来寝付くために円生の落語をいくつか寝物語で聞いたところで、その符合になんだか嬉しくなった。

2015年6月10日 (水)

「属国化扱い?」は変だった

 見直してみたら、昨日のブログの表題、「属国化扱い?」は変だった。「属国化?」、乃至「属国扱い?」のどちらかであるべきであろう。さっそく訂正した。恥ずかしい。

 今実家である弟の家に到着。母の様子を見ると眼をしっかり開いて顔色も尋常である。昨日医者の往診があり、抗生物質の点滴を加えてから平熱に下がっているという。どうも誤嚥が原因の発熱ではなく、膀胱炎かなにかの発熱でもうろうとして誤嚥をおこした、ということではないかという。血液と痰と尿を持ち帰り、現在検査中とのこと。このまま抗生物質の投与で容体が安定していれば、入院の必要はないようだ。

 一安心した。

千葉へ行く

 妹(千葉在住)の嫁ぎ先の母親がガンで死んだので、通夜と葬式に参列するために千葉に行く。このために予定していた九州旅行は延期を余儀なくされたが仕方がない。ところが毎月介護の手伝いをしている自分の母親が誤嚥から高熱を発し、具合が悪いと連絡があった。熱が下がれば良いが、下がらなければ入院することになるだろう。

 こういうことというのはどういうわけか重なって起きる。大事が無ければ良いのだが。

 これから出かける。

2015年6月 9日 (火)

属国扱い?

0012 韓国・ソウル

 前回取り上げた日暮高則「こんなに脆い中国共産党」のなかに、こんな文章があった。

[中国はすでに韓国を属国化扱い]
 韓国の地政学的位置を見ると、クリミア半島と同じく大陸の端にあり、大国の回廊となっている。これはすなわち、周辺の大国の影響下に置かれることを余儀なくされることだ。
 このため、朝鮮半島の国家自身も歴史的に事大主義に陥りやすく、かつては清朝の配下にあったり、帝政ロシアになびいたり、日本にも頼ったりした。時代ごとに、どの大国と結びつくことが得策かを巧みに嗅ぎ分ける習性がある。
 韓国は今、経済的にも安全保障的にも中国に頼ることが得策と考えているようだ。米国や日本との自由主義同士の連携を忘れたかのように中国にべったりとなり、中韓で反日の大合唱を行っている。ただ、忘れてはならないのは、大国に頼ることは属国化を意味することだ。韓国はそこまで意識しているか。
 2014年5月、韓国とフィリピンの国防相会議が行われた際、韓国の金寛鎮国防省はフィリピンの要請にこたえ、多目的の上陸用舟艇一隻と高速艇十六隻を引き渡すことに同意した。韓国側は中国への配慮からかこの協議内容を秘匿していたが、フィリピン側が後日暴露してしまった。
 中国側は、フィリピン支援の動きに敏感で、韓国の艦船売却を知った直後に「米国の対中包囲網形勢に与するものだ」として韓国に撤回を要求。ソウル駐在の中国大使館武官らが韓国外交通商省や国防省を訪問し、「もし計画通り進めるならば、首脳会談開催を含めて中韓関係に大きな影響を与える」と警告した。
 これを見る限り、中国はすでに韓国を属国扱いしている。中国の高圧的な態度に良識ある韓国政府の役人が不快感を持ち始めたようだが、すでに宗主国-属国、いや、かつての王朝-冊封国の構図が出来上がってしまった。
 韓国は事大主義の国だから、中国の孤立が一段と進み、自国にプラスにならないと分かれば、やがて再び日米韓の自由主義国家同士の安保体制重視の姿勢に戻るのかも知れない。だが、機を見て敵、味方を嗅ぎ分ける国は結局、嫌われる。

 今の韓国が、自らを置いている立ち位置がよく分かるし、私も全く同感だ。そして不思議なことに、朴槿恵大統領を筆頭に韓国はほとんどそのことに気がついていないらしい。

*事大主義
 定見がなくて、ただ勢力の強いものに従うやり方。

日暮高則「こんなに脆い中国共産党」(PHP新書)

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 中国共産党の現状を表側と裏側からの情報をならべて紹介し、その崩壊の可能性と、もし崩壊するのであれば考えられるシナリオをいくつか提示する。

 いまにも崩壊すると予言する識者もあるけれど、実際のところ中国共産党の崩壊はなかなか起こりえないだろう。このことは著者も承知していることであるし、この本を読めば読者はそれを感じるだろう。しかし崩壊を論じられるということは、中国共産党自身に内包する問題点が厳然と存在し、それが解決されることが今のところなさそうであることから、想像以上にいきなり崩壊へ進むこともあり得るともいえる。

 この本に書かれているなかの特に興味深い点は、この数年の共産党内部の権力闘争の実情である。薄熙来以後の数多くの有力人物の逮捕失脚の背景にある権力闘争と、それらの人脈の関係とが次々に解き明かされる。習近平が自らの権力基盤を確立するために、自分を主席にまで引き揚げたあの江沢民を標的にしていることはすでに多くの人が認めるところだが、なぜその恩人に牙をむくのか。

 前主席の胡錦濤は江沢民との権力闘争に力を使い果たし、ほとんどその主席としての権限を揮うことができなかった。江沢民憎しの気持ちはだれ一倍強い。それを習近平は見てきた。自分が江沢民の傀儡として実権をつかめないことを何より危惧した。だからある意味で胡錦濤と手を組んで江沢民派の粛清に乗り出したのだ。

 これは一度始めたら引き返すことのできない道である。江沢民派が完全に復活できない状態にまで追い込むだろう。そうでなければ自分自身が危ういからだ。こうして表向きに見えていることの背後にこの黒い戦いが熾烈に繰り広げられているのだ。

 この間に中国経済は徐々に勢いを失い始めている。具体的な問題、たとえば環境問題などが挙げられるが、何より食品の安全性軽視に象徴されるような人心の荒廃がボディーブローのように中国をむしばんでいる。私が取り上げてきた中国ニュースもそれを顕著に示すものばかりだ。

 心ある中国人は、このままではいけないと思いだしている。その思いがうねりを持って力として働き出したとき、中国は変わるかも知れない。それがまだまだ先なのか、それとももうすぐなのか、そのときが来るまで分からない。

2015年6月 8日 (月)

階上の不在

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 以前書いたことがあるが、私にとって階上の住人は騒人である。朝5時過ぎになると歩き回る気配があり、雨が降っていないかぎりベランダのガラス戸を開けたり閉めたりする音が聞こえる。その回数が尋常ではない。造りのしっかりしたマンションなので耐えられないほどの、騒音と言うほどのことではないものの、気になり出すと気になる。

 その階上の住人の物音がしばらく前からぱったりと止んでいる。旅行にでも行ったのか、数日物音がしないことはいままでもあったけれど、今回は長い。所帯数の多いマンションなので引っ越しのトラックをしばしば見るが、もしかしたら移転したのかも知れない。

 マンションの、私の属するグループは私の階の階層から下なので上の階は別グループとなり、行き来はない。こちらの天井とあちらの床とのしきりを挟んだ隣人なのに、引っ越ししたのかどうか知らない。男の独り暮らしは人に出会えば挨拶はするものの交流がほとんどない。こんな暮らしでは孤独死予備軍そのものだ。

 だからといってマンションの回り持ちの役割の時以外は積極的に人と交流するつもりはない。わずらわしい気持ちが先に立つ。

 こんな生活をしながら周辺の住人の気配だけを感じている孤独老人というのが多いのだろう。そこで妄想が働けば迷惑行動に出るものもあるだろう。これからますますそういう人が増える。階上の物音が絶えたことをきっかけにその一員であることをいささかながら感じた。

WOWOW「ザ・ミッシング 消えた少年」全八話

 それぞれほとんど正味一時間、全八話だから通しで観ると八時間かかる。当たり前だけれど、かなりハードだ。

 幼い息子とともにフランス旅行していたイギリス人夫婦の車が地方都市で故障する。修理にしばらくかかるというので、紹介された「エデン」というホテルに泊まることを余儀なくされる。子供にせがまれ、父と子はプールに出かける。そこで飲み物を買うためにバーカウンターへ向かうのだが、折からサッカーのワールドカップの試合中で、店内は大勢の人でごった返していた。

 つないでいた手が離れたと思ったとたん、子供の姿が消えていた。狂気のようになって子供を探す父親。警察が捜索を開始するが、少年はそのまま行方不明になる。パリから敏腕のジュリアン警部(チェッキー・カリョ)がやってきて事件の捜査の陣頭指揮をはじめるのだが・・・。夫婦は捜査状況を知らせてくれない警察にいらだちを覚えていらだつ。父親のトニー(ジェームズ・ネスビット)は暴走をはじめる。自分の子供が行方不明になれば私でも半狂乱になるだろうが、この父親はいささか常軌を逸している。

 その事件があったのは2006年。現在少年は生きていれば13歳になっている。トニーはいまだに息子の行方を捜し続けている。たびたびイギリスからこの街にやってきては誰彼かまわず聞き込みをするのでいまではだれも相手にしない。そのトニーがかすかな手がかりをつかむ。

 こうして2006年の事件捜索時の回想シーンと、現在のあらたな捜査の様子が交互に語られ、少年の行方不明の事件からあぶり出されてくるさまざまなことが描かれていく。それは事件と直接関係があるものも、そうでもなさそうなものもならべて描かれ、それがその後の展開の伏線になっている。

 事件を境に夫婦の運命はこわれ、リゾート地だった街もこの事件をきっかけにさびれた街になってしまう。当初は同情的だった街の人も父親のトニーを鼻つまみのように扱うようになっていた。

 脚を負傷して、いまは警察を引退しているジュリアンがトニーの手がかりをきっかけに事件の捜査に協力をはじめ、新しい発見がある。やがて判明する少年の運命。

 関連するエピソードがたくさん描かれていくので進展が遅く、多少もどかしい思いがする。事件は一応真相らしきものがあばかれて終結するのだが、謎が残される。

 そして第二シーズンが予告される。

2015年6月 7日 (日)

甘えの構造

 日本の金融緩和による円安は「隣国の韓国を窮乏化させている」、だから、「この非道を国際社会に訴えよ」と朝鮮日報は述べている。韓国財務当局は金利を下げて対応しているが後手に回ってその効果が出ないのだそうだ。

 もし本気でそんなことを思っているのなら、韓国は甘えていると言わざるを得ない。円高で日本が苦しんできた中で、韓国は未曾有の好況を続けた。日本が韓国をターゲットに金融政策をとっているかのごとき言い方を韓国の主要新聞が恥ずかしげもなく言うことに驚いた。しかも韓国政府は本気でそれを訴えかねない状況のようだ。

 日本は自国の経済立て直しのために金融緩和政策をとり、ようやく経済も持ち直しかけてきたところだ。これはただ自国の利益を考えてのことである。いったい世界のどこの国が他の国をターゲットに金融政策をとるというのか。

 自国の経済が如何に他国の政策の影響で悪化しても、自分の国でその責任を取り、建て直さなければならないことは考えるまでもない冷厳な事実だ。単に恨みに思うのは構わない。勝手にしたらいい。しかしそれを国際社会に訴えよ!と新聞が国民に呼びかけ、それをもし政府が本気に受け取って行動するならほとんど幼児に近い。

 韓国が困ったときは反日で切り抜ける、という甘えの手法をとり続けてきたことのツケが現れているのではないか。どこの国もそんな韓国に同情などしない。そういうときにおためごかしを中国が言うとしたら、それは中国にとって都合のいいことがあるからで、そんな中国を味方だと思うと韓国はさらに痛い目を見るだろう。

 韓国の記者がアメリカの専門家に会うたびに、「韓国が中国寄りに行動しているように見えるがそうなのか」と質問されるそうだ。確かにそう見えるからそう聞いたのだと思うが、この朝鮮日報のコラムは驚くべきことを続けて書いている。

 アメリカの専門家たちにそのような考えを刷り込んでいるのは日本であり日本政府だというのだ。ここにも日本が陰謀を巡らしている、という妄想が見える。

 AIIBに積極的に参加し、中国で中国語でスピーチを行い習近平主席と満面の笑顔で握手する朴槿恵大統領の姿が報道されているのを見れば、日本にわざわざ言われなくても、アメリカの専門家が「韓国は中国に接近している」と見るのは自然だろう。

 その朴槿恵大統領に拍手喝采して支持したのはだれか。

ニュースの遅速

 6日、韓国保健当局はMERSのウイルスは中東地域のウイルスと同じもので、「変異していない」と発表した。きちんと確認したのだろうか。そう疑うのは、そもそも中東地域のコロナウイルスは、「人から人への二次感染はしない」と言われていたからだ。しかし韓国では二次感染どころか三次感染まで起きている。だからこそ変異が疑われているのであり、もし変異していないのなら、そもそも中東のコロナウイルスも韓国と同様に二次感染が発生していたはずだからだ。

 今朝の「サンデーモーニング」で、韓国のMERSについて説明するコーナーで、感染者の数と死者の数が昨日6日の朝の韓国発表の感染者50人、死者4人だった。しかし今朝8時41分の時事通信のネットニュースでは、韓国当局の発表として「あらたに14人の感染者が確認され計64人となり、、死者も一人増えて5人となった」ことを伝えていた。この数字はネットニュースよりも早く報じられているはずで、TBSが確認できないはずがない。

 テロップをすでに作成済みだから新しい情報を追加しなかったのだろうか。こういうニュースは時々刻々状況が変わるのだから迅速最新を旨とすべきなのにお粗末なことである。

 ところで、朴槿恵大統領のMERS対応が危機感に欠ける、と韓国で批判されている(私もニュースを見ていてそう感じる)が、あらたにMERSの治療スタッフを激励している大統領の姿が映像で放映された。これで前向きに対応している姿をアピールしたのだろう。

 ここで私が違和感を感じたのは、いつもに似ずにこやかなその表情だった。いつもどこか具合でも悪そうな暗い顔のことが多いのに、このときは和やかとも言える表情だったからだ。これはただ私の感想で他意はない。

 このときの写真が中国でも報じられた。ここでの中国のネットでの批判になるほど、と思わされた。朴槿恵大統領は治療が行われている病院を訪れている。スタッフは治療中らしく、全身を防護服に身を包み、マスクをしている。その前で朴槿恵大統領は普通の服でマスクもせずににこやかに激励の言葉を掛けていたのだ。「こんな不用意な大統領は異常だ」「このまま中国に来たりしないでくれ」「習近平主席と会うな!」と書き込まれている。

 福島第一原発の高放射能地区に防護服なしで安倍首相が慰問に訪れたら、やはり批判されるだろう。一国の元首がこのようなことでは本人も粗忽を批難され、それを注意しない側近も愚かと言われるだろう。

 朴槿恵大統領は今月14日からアメリカへ行くはずだ。まさか朴槿恵大統領は中国の依頼を受けて、ウイルスを身につけてアメリカにMERSを振りまくつもりだろうか。タイミングもぴったりだし。

 もちろん冗談です。まさか本気にするひとはいないと思うけど。

WOWOWドラマ「闇の伴走者」全五話

 高名な漫画家が病気で死に、遺稿を整理したところ未発表の画稿が見つかった。最終稿の状態なのに未発表というのは通常あり得ない上に、内容が漫画家のものとは思えないものであることから、その画稿が本当にその漫画家のものであるのかどうか、未亡人(真野響子)から調査が依頼される。

 依頼された調査会社から、むかし警官だった調査員(松下奈緒)が派遣される。こうして彼女の調査が始められる。その画稿が本当に漫画家のものなのか、一体いつ描かれたのか、なぜ未発表なのか、それを読み解いていくのだが、彼女は漫画にまったく知識がない。やがて彼女は出版社の編集長からある男(古田新太)を紹介される。漫画についてはもちろん、いろいろなことに博覧強記のこの男は、この画稿が漫画家の遺稿ではないと断言し、この漫画が描かれた年代の特定をする。

 この漫画には異常な殺人事件が描かれているのだが、やがてその特定された年代に、何人かの女性が行方不明になった事件があったことが判明する。これは実話ではないか、果たしてだれが描いたのか。行方不明の女性はどうなったのか、そして最大の謎は、連続した事件がなぜ突然終わったのか。

 死んだ漫画家にあまりにも酷似している、いやそれ以上にうまい画稿から、当時のアシスタントの中の人物が浮上する。しかしその所在がどうしてもつかめない。そんな中、再び若い女性の行方不明事件が発生する。

 そしてある男の急死により、調査の過程で感じられた違和感の正体が明らかになり、彼女も次第に事件に巻き込まれていく。そして彼女にも危機が迫る。

 事件は二転三転、見ている者を翻弄していく。いくつか疑問点がないわけではないが、全体としては良くできていて楽しめる。

 私個人はあまり大柄の女性は好みではないが、この松下奈緒という女性はだんだん好みの女性になってきた。人柄からくるらしいはにかみの部分が女らしさを感じさせてくれるからだ。古田新太はこの癖のある役柄にぴったりで、さすがにうまい。このキャラクターがこのドラマを成功させている。

2015年6月 6日 (土)

映画「ワイルド・レンジ 最後の銃撃」2003年アメリカ

 監督ケヴィン・コスナー、出演ケヴィン・コスナー、ロバート・デュヴァル、アネット・ベニングほか。

 正統派の西部劇だが、インディアンも黒人も出てこない。そういう意味ではリアリティに欠けると言われるかも知れないが、テーマを際立たせるためにこのような設定にしたのではないかと思う。

 ボスと呼ばれるスピアマン(ロバート・デュヴァル)、もとガンマンとおぼしきチャーリー(ケヴィン・コスナー)、太っちょのモーズ、メキシコの少年バトンの四人は牛を追って草原を移動するカウボーイだ。

 町へ買い物に行ったモーズが戻らないのでスピアマンとチャーリーが探しに行く。モーズはけんかをしたという理由で留置場に入れられていた。モーズはかなりの抵抗をしたものの相手は多勢だったらしく袋だたきに遭って怪我をしていた。

 町を牛耳る牧場主は流れ者のカウボーイを嫌い、言いがかりをつけて彼らを追い払おうとしていた。保安官も牧場主の手先である。二人は怒りをこらえてこの町を引き払うことを受け入れ、モーズをひきとる。

 しかし牧場主は想像以上に悪辣な人物だった。ボスとチャーリーは牛を奪おうとする相手に先手を打って、牧場の牧童たちを逆に闇討ちにして懲らしめたのだが、その間にモーズとバトンが襲われ、モーズは殺され、バトンは瀕死の重傷を負う。 

 バトンの命を助け、報復をしなければ男が立たない。

 こうしてたった二人の戦いが始まる。

 もともと放牧は定住ではなく、こうして移動を続けるものだった。だから彼らは自分の土地を持たない。それが囲いをして自分の土地を持つような牧場主が現れると諍いが起きる。定住するのは農耕民で、元々は遊牧していた牛飼いが定住して農耕民のようになり、所有の原理が異なる集団の争いになる。そもそも土地はだれのものでもなかったはずなのだが。 遊牧式のカウボーイはやがて消滅していく。それが西部劇の消滅でもある。そのことをこの映画は象徴的に描いている。

 あの「シェーン」もまさにそのような映画だった。チャーリーはシェーンでもあるが、彼はついに運命を受け入れる。時代は変わるのだ。

 医師の妹の中年女性をアネット・ベニングが演じているが、気丈な美しさが魅力的だ。アメリカ映画では女は愚かで弱々しいことが多いが、この女性は女らしいのに愚かでも弱くもない。さすがケヴィン・コスナーはアメリカの隠れた女性蔑視を脱している。

 雨の後の道のぬかるみや銃撃戦のリアルさがすばらしい。

 子供の頃「荒野の星」という、キット・カースンというカウボーイを主人公にした本を買ってもらったことがある。ぼろぼろになるほど何度も読んだ。キット・カースンが預けられ、たくましく成長していった幌馬車隊のカウボーイたちの世界が思い出された。

2015年6月 5日 (金)

森本哲郎「読書の旅」(講談社)

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 「私淑」ということばがある。辞書には「尊敬する人に直接には教えを受けられないが、その人を模範として慕い、学ぶこと」と書かれている。だから「私淑」した師は、私のことを知らない。つまり勝手に弟子になることを言う。

 私は若いときから森本哲郎に私淑している。

 この本は昭和56年に出版された。副題に「愛書家に捧ぐ」とある。森本哲郎の体験的読書論であり、本に対する愛着、彼のたどった哲学的思索と本との関係、古本屋での本との出会いの楽しみなどが20章に分けて語られている。

 本は楽しむためのものである。たとえその本が難解でいくら読んでもほとんど分からなくても、その本を手に取ること、ページを繰ることだけで嬉しくなる本があることを私はこの本で教えてもらった。

 気がついたらとても読み切れないほど本が家にあふれていた。でも、その本の背中を眺め、表題を眺めるだけで幸せな気分になる。ひとりでにそうなっていたと思っていたが、この本を読んで森本哲郎の影響を強く受けていたのかも知れないと気がついた。 

WOWOWドラマ「テミスの求刑」全四話

 厳しく犯罪者を告発する検事(岸谷五朗)が殺人事件の容疑者として追われることになる。全ての状況や監視カメラに残された映像から彼が犯人であることは確かなように見える。

 主人公はその検事の補佐をする、検事をめざす事務官の女性(仲里依紗)。彼女は司法試験を受けるために勉強していた三年前、警官だった父が交番勤務の晩に暴漢にバールで惨殺された過去を持つ。その際に犯人を自白に追い込んだのがその検事だった。

 その犯人が有罪判決を受け、半年後に刑務所で自殺したことをその裁判の時の弁護士から知らされる。そして弁護士はその事件は冤罪ではないかと疑って調査中なので協力して欲しいという。どうやら真犯人を追っているらしい。

 弁護士は検事にも接触してきて、自分があの事件の見直しをするきっかけになった犯人のメモを見せる。検事は事件の記録の見直しを行い、自白を供述させたときのビデオを繰り返し見て、そのときに感じたかすかな違和感を思いだしていた。

 そしてその弁護士がナイフで刺殺される。現場にいたらしい検事が犯人として追われることになった。

 果たして三年前の巡査の惨殺事件の真相は?そして検事は本当に弁護士を殺したのか?

 検事局は組織を守るためにそもそものきっかけとなった事件の冤罪の可能性を隠蔽しようとする。やがて検事はある理由から検事局に現れ、逮捕される。検事局は動機など無視して何が何でも有罪に持ち込む姿勢で対処しようとする。動機を追及すれば冤罪が露見する恐れがあるからだ。そして敏腕検事が派遣されてくる。

 残念ながら(意図的なのかも知れないが)真犯人は勘のいい人なら最初から見当がつくだろう。逆に登場人物たちがどうして気がつかないのかもどかしい思いがするかも知れない。

 仲里依紗は司法試験に合格するような女性に見えないけれど、熱演していて好感が持てる。自殺した男の父親役の世良公則が加害者の家族のつらさを実感させる。実は事件に関わっていることがラストで明らかになる。

 岸谷五朗の演技が下手くそだ、という文章を読んだことがあり、それからそのことが念頭から離れない。そのつもりで見るからこのドラマでも岸谷五郎の演技が臭く感じて困った。本当に下手くそなのかも知れない。ファンの人に申し訳ない。こうして私もその観念をばらまいているのだから。 

具合でも悪いのか

 韓国ではMERSが問題になっている。今日もすでにあらたに医師など5人の感染が伝えられていて、合計35人となり、感染が疑われる隔離者は1667人になったという。いまもさらに増えているかも知れない。

 当局の初動に問題があったのではないかとマスコミなどから強く批判されている。最初の感染患者が判明した際の保健当局の危機感のなさは批判されても仕方がないものだったようだ。そもそもそういう想定が全くなかったのかも知れない。

 批判の論調はセウォル号遭難事故発生の初日と同じだ、というものでその気持ちはよく分かる。今回はセウォル号のときとは違って朴槿恵大統領の所在は判明していたのだろう。特にそのことは批判されていないから。ただ、このMERSについての役人への大統領の指示はなんだか気合いの入らないもののように見えた。報じられている映像からは当たり前のことを言っているだけ、つまり言っても言わなくてもいいことを言っていた。この人は本当にパフォーマンスが下手だ。危機の時こそ名誉挽回のチャンスなのに。事態が長引けばまた支持率がダウンするだろう。

 そんな中、韓国軍は北朝鮮全域を射程圏とする弾道ミサイルの発射に成功した。ニュース映像では軍の幹部と朴槿恵大統領が空を見上げるシーンが映されていた。ここでも朴槿恵大統領はなんだか元気がない。もともと前屈みの姿勢で、視線にも力が感じられない人だからそう見えてしまう。どこか身体の具合が悪いのではないだろうか。まさかMERSではないだろうけれど。

2015年6月 4日 (木)

中国はすばらしい

Photo 長江上流にて

 中国政府系新聞の環球時報が、長江のクルーズ船転覆事故について、日本をはじめとする海外メディアが中国政府の開かれた姿勢に賛辞を送っていると報じた。

 これは海外メディアの記者たちを船に乗せて現場のすぐそばまで連れて行って取材させたことを指している。これだけ見聞きすると、確かにいかにも自由に報道させていたように思えてしまう。

 しかし昨晩までは、現場近くには軍隊まで出動して記者や遭難者の家族をシャットアウトし、なにがどうなっているのかまったく知らせない姿勢をとり続け、あまりのことに批難が殺到、ついには家族たちがデモ行進を始めて小競り合いまで起きていた。

 当然海外メディアはそれを見て報道する。これではまずいと思ったのだろう、掌を返したように船で現場を見せることになったのだ。ただし現場には10分足らずしか滞在せず、質問も一切受け付けないからなんだかわけが分からない。このことについてはNHKBSの海外ニュースをずっと見ていたので海外の報道により顛末がよく分かった。

 日本の民放のニュースはコマーシャルだらけでいらつくのであまり見なかったが、環球時報が、特にTBSが中国のこのたびの措置(現場を見せたこと)を報じたことを伝えているから、多分中国に好意的に報じたのだろう。船に乗れたからか。

 海外のメディアはおおむね批判的だ。しかし環球時報は欧米メディアも中国の新華社や中国中央テレビの報道をそのまま引用している、と伝えて、あたかも中国の報道を信頼しているかのように思わせている。何のことはない、報道管制が敷かれているからそれしか情報がないのだもの、それを伝えるしかないではないか。

 ところで、中国版ツイッターで最も多く転載された文章が、長江の水量を抑えるために三峡ダムの放水量を減らしたことに対しての賛辞だと、中国共産党のニュースサイトが伝えた。ネットでは中国政府の今回の転覆事故に対してその迅速で的確な活動を絶賛するものばかりだそうだ。批判的なものがないはずはないから全て削除されているのだろう。

 国家をあげて救助活動に全力を傾け、国民はその国家に対して賛辞を送っている・・・ことにしたいらしい。

 韓国は中国がうらやましいだろうか。少なくとも朴槿恵さんはそうだろう。

池上彰「知らないと恥をかく世界の大問題6」(角川新書)

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 池上彰は知っているようでよく知らないことを分かりやすく教えてくれる。なにかを考えるためには、基礎になる知識が粗雑であっては考えも粗雑にならざるを得ないから、このように分かりやすくまとめてくれた本を読めるのはたいへん有り難い。

 このシリーズもすでに第6巻になった。同じようなことを同じように書いてあるようにも読めるが、世界の情勢は常に動いていて、しかもその速度は加速しているようだ。

 歴史的経緯はすでに確定した事実であるから変わらない。そのことをきちんと確認した上で、新しい展開が説明され、そこからどうなっていくのか想像し、考えるのは読者である。

ニュース雑感(7)

 中国の長江クルーズ船転覆事故のニュースを見ているが、救助の遅々とした様子が歯がゆくてたまらない。

 船は完全に上下逆さまになっているが、いまは川底に船の上部が着底している状態だという。水深は約15メートルというから船の大きさから考えて間違いなくこれ以上沈むことはない。転覆してから流されたのだろうが、浅いところで引っかかっている状態ということだろう。

 何が言いたいかといえば、船底に穴をあけることが可能だろうということだ。もし船底の空気でかろうじて浮いているだけ、ということなら穴をあけることはできない。穴をあけると沈んでしまうからだ。

 テレビのニュースで、当初から専門家がなぜ穴をあけないのだろう、と首をかしげていた。

 映画「ポセイドン・アドヴェンチャー」にもあったように、船底に残った空気を頼りに生き残った人がいるにちがいない。実際に救助隊がハンマーで叩いて、船内からなにか聞こえているらしき様子が映像で映されていたように見えた。

 水温が低く流れが速いため、潜水作業からの救出は困難を極めていると繰り返し報じられている。しかも船内は机などの家具類などが通路をふさいでいる上、部屋に鍵のかかっている部分もあるらしい。そもそも生存者を発見したらどうして船から連れ出すというのだろう。だから60歳代の女性を発見したきり、救助の知らせは全くない。

 早朝のニュースを見たらようやく船底に穴をあける作業を始めていた。こちらがいらいらしているせいか、いかにものんびりと作業しているように見える。切迫感が感じられない。考えてみれば、今できるということは、最初から穴をあけることができたということだろう。もともと船の上に何人も作業員が乗っているけれど、ただ右往左往しているだけでなんのためにいるのかよく分からない。

 水温が低ければ、生き残った人も濡れてからだが冷え切り、体力が尽きつつあるのではないか。それを思うと歯がゆくてたまらない。私などがそう思うくらいだから、遭難者の家族のいらだちの気持ちはいかばかりだろうか。一人でも多く救助されることを祈るばかりだ。

 李克強首相が陣頭指揮をして救助にあたっているが、マスコミはほとんどシャットアウトし、報道管制を行い、救助のパフォーマンスだけに終始しているとしか見えないが、これはあの高速鉄道脱線転落事故の時の様子を思い出させる。

 このままでは政府批判を防ぐはずのいろいろな対処が結果的に政府批判の原因になるようなことになりそうだ。

2015年6月 3日 (水)

曽野綾子「人間の愚かさについて」(新潮新書)

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 曽野綾子を感情的に嫌う人と、その言説に共感する人と、大きく別れる。私はここでたびたび曽野綾子の本を取り上げることから分かるように、曽野綾子の辛口のこういう本が好きである。

 先般来、曽野綾子が南アのことを書いた文章が人種差別であるとして盛んに攻撃を受けていた。この本の長いあとがきに、その顛末が詳しく書かれている。それを読むだけでこの本を買う値打ちがあった。本文はいつもの曽野綾子節で、気持ちよく読めるけれど、こんなに本当のことばかり書くといやがるひともいるのだろう。あまりそういう人とはお近づきになりたくない。意見が合わないと思うからだ。

 曽野綾子は何十年にわたってアフリカの各地を訪ねている。アフリカのすさまじい実情をだれよりも知っている一人だと思う。日本にいてなんの苦労もなく生きて、困ったときは政府が助けるべきだ、などという感覚しかない人にはアフリカの現実は到底理解できないだろう。私も彼女の本でそれを想像するばかりだ。

 その前提で命がけで彼女は語っている。それを言葉尻を捉えて彼女に攻撃を加えている人権団体と称する人びとの名前や組織が列記されている。彼女はこの件ですぐに日本にある南アの大使館を訪れ、南アの大使に状況を説明し、誤解を解いている。そもそも誤解すらなかった。

 「曽野綾子は安倍総理のアドバイザー」で「アパルトヘイトを称賛した」とロイター電が伝え、海外のメディアがそのままそれを伝え、それをまた日本のマスコミの一部が取り上げた。しかし曽野綾子は安倍総理のアドバイザーを務めたことは全くないと明言している。個人的な関係もないと断言しているのだからこれらは全くの誤報である。訂正を求めても知らぬ顔だという。

 そして人権団体は曽野綾子に文章の謝罪と撤回を要求している。

 この様相に言論弾圧の臭いを強く感じるのは私だけだろうか。日本はいつから作家が自分の考えを表明することを許さなくなったのだろうか。そのことが恐ろしい。

 曽野綾子と意見を同じくしようが異にしようがこの騒ぎは異常だと感じる理性だけは持ちたいものだ。

個人情報

 日本年金機構の情報漏洩の問題が話題になっている。この組織のお粗末さは救いがたい。報道ステーションで、日本年金機構の人が、匿名で顔を隠して今回の問題について釈明をしていたが、こんな人ばかりだったら総入れ替えをしなければならない、そう思った人が多かったのではないだろうか。そもそもそうすべきだったのにそうしなかったことのツケがいま表面化したのだ。

 賢くて悪い人は必ずいる。だから起こった問題は悪いやつの問題である。その責任は悪いやつにある。しかし問題が発覚した後、その対処を怠ったり、その問題の対処が理解ができない人間は、その後の事態に対して責任がある。問題は起きたけれど、それに対して対処する、そして穴をふさぐ、というのは当事者の責任である。その認識のないのが、今回の覆面の年金機構の人のことばでよく分かった。

 驚くべきことは、報道ステーションはこのことを理由にマイナンバー制度を全否定する立場で報道していたことだ。

 確かにマイナンバー制度も危うい。しからばどうすれば良いか、という視点はかけらもない。制度がなければ問題も起きないという主張には、車がなければ交通事故も起きないから車をなくせという論と同じような意味で賛同しかねる。問題点としてあげているプライバシー漏洩の例として古館氏のあげている事々が、全て問題とはほとんど関係のない枝葉末節のことであることに唖然とする。別に知られて問題であるほどのこととも思えないものばかりに思えたけれど、そう思わない人も多いのだろうか。

 私もプライバシーは守りたい。しかし別に知られても構わないことも山ほどある。古館氏が列挙したことは、ほとんど、だからなんなのだ、と言うものが多い気がした。

 マイナンバー制度にしてもなんにしても、導入することで大きなメリットのあるものは導入したら良い。問題を想定した準備を行い、それでも問題が起きたらそれに対処すれば良い。怠慢な者には厳罰を処し、悪いやつには制裁を加えれば良いのだ。

 だれが見てもマイナンバー制度に反対しているのは税金をごまかしている者なのに、その側にたち、プライバシーがどうのこうのいう人間を私は信用しない。そもそも普通に暮らしている人間には自分が思うほどプライバシーなどもともと大してありはしない。

 悪用した者に厳罰を科す法律と対策を。そして怠った役人や公的な組織の人間に制裁を。酩酊しているのでいささか言い過ぎたか?(6月2日夜記す)

 プライバシー問題で不快感を感じるのは見ず知らずの会社などから郵便、メールが送られてきたり、勧誘電話がかかってきたりすることだ。独り暮らしで在宅しているとそのようなものにわずらわされる。こちらが必要としないことを匿名で売り込まれたくないし、勧誘されたくもない。

 今度法律でそのような電話勧誘は禁止されるようになるらしい。まことに時宜にかなったことである。必要ならいまはいくらでもネットなど調べて自分の意思で買うことができるのだから、勧誘は不要である。これを禁止すれば、そもそも個人情報の意味も減少する。

 先日来私のメールアドレスが交際サイトに掲示されているらしく、二、三日に一度位の頻度で女性名でお誘いのメールが入る。自動的に迷惑メールに分類されるので、受け取り拒否に登録して削除している。煩わしいがアドレスを変更するのも面倒なので放ってある。こういう悪意のあるいたずらをだれがしたのだろう。どういう報復が可能なのだろうか。調べるすべを持たないから如何ともなしがたい。こういうことがあるから個人情報の過剰保護が叫ばれてしまうのだろう。

 人間は社会的存在として義務と責任を引き受けるとともに恩恵も受ける。その際に個人情報確認が必須であることは否定できない事実だ。世捨て人でない限り全てを秘匿して生きることはできない。問題は個人情報を悪用する一部の者たちだ。それにどう対処するか、それに期待したいし、そのための経費はみなが負担せざるを得ないだろう。日本は保護のための予算が少なすぎるという。新しい時代が来たのだ。対応せざるを得ないだろう。

2015年6月 2日 (火)

なりゆきでいく

 妹の夫の母親が危篤で、二、三日が山だろう、という連絡があったのが土曜日。本日名古屋で兄貴分と飲みながら、もしかしたら、と思いながら飲んでいたが、何の連絡もない。医者は悲観的な予想を言うだろう。予想より早く死んだら何を言われるか分からないのが現代だ。

 危篤である本人は必死で生きようとしている。そのことが分からないわけではないけれど・・・。

 こちらの予定が立て込んでいるいまでなくても良いのに、というのが申し訳ないけれど、こちらの気持ちだ。日曜日から九州旅行で、その足で広島の息子にも会う予定にしている。それも用事があってのことである。

 こうしていろいろなところにしがらみの何ほどかにしがみついて影響を与えるのが、この世を去るときの一つの儀礼なのかも知れない。こちらはただ待つだけ。

忘れられない映画(1)

 むかし自分の映画のベストテンを作って遊んだことを書いたら、忘れられない映画のことがとりとめもなく頭に浮かんできた。

「ネレトバの戦い」
 いまは分裂してしまったユーゴスラビアが舞台の、ナチスドイツとパルチザンの戦いを描いた戦争映画。圧倒的劣勢のパルチザンが虎口を逃れるまでの苛酷な戦いを描いていて、登場人物たちの犠牲的精神の行動を見ていて涙が止まらなかった。学生時代に見た映画だが、なけなしの金で何度も映画館に通った。あの映画を思い出すと、あのチトー大統領というカリスマがいたからユーゴスラビアという国が成り立っていたことがよく分かる。彼が死んで、必然的に分裂した。シルバ・コシナという北欧の女優(と記憶している)が化粧なしで恋人のいる女兵士を演じていた。なにか叫びながら突撃していく姿が忘れられない。思い出すといまも涙が湧く。残念ながらWOWOWもNHKBSも放映する気配はない。ドイツ側の状況も良く描かれていてすばらしい映画なのだがなあ。

「ジャワの東」
 こんな映画があったことすら知られていないようだが、私にとっては忘れられない。二十世紀初頭、インドネシアのクラカトゥア火山の大噴火とそれによって起きる津波がクライマックスの映画だ。おんぼろ船で密輸する船の船長が主人公。特に気球でジャワの山のあいだを飛ぶシーンが夢に出てくるほど強烈に記憶に残っている。その夢に限って必ずカラーなのだ。これももう一度ぜひ観たいと思うけれど、もしかしたらがっかりするかも知れない。思い出としてそっとしておいた方が良いのかもしれない。

「ラムの大通り」
 アメリカの禁酒法時代、カリブ海から酒が密輸されてくる。それを「ラムの大通り」と呼んだ。その密輸船の船長がリノ・バンチュラ。ヒロインが、盛りを過ぎた無声映画の女優、ブリジット・バルドー。リノ・バンチュラが酒の飲み比べで、ラム酒の入ったショットグラスをずらりと並べて次々に飲み干していくシーンが好きだ。これも「ラムの大通り」にちがいないと思っている。ラストシーンで、映画館に一人すわるリノ・バンチュラが、あこがれだった女優のブリジット・バルドーをじっと見つめている。そしてカメラが少しずつ回り込み、スクリーン側からリノ・バンチュラの顔を映し出す。このとき私たち観客こそリノ・バンチュラに見つめられていることに気がつく。しみじみとしてしゃれたラストだ。この映画はDVDを持っている。

 ほかにも次々に頭に浮かぶけれど、きりがないからここまでとする。気が向いたら続きを書くつもりだ。

 今日はこれから犬山の兄貴分の人と久しぶりに名古屋で会う。会えば酒。いろいろ泣き言を言ったら聞いてくれるのだが、たいてい兄貴分の人のほうが早口で声も大きいので、私が聞くことになることが多い。多分今日もそうだろう。いつになっても友だちと会うのは楽しい。

評価する

 最近はあまりしないけれど、若いときは自分の映画ベストテンを良く作った。手帳にもその記録がいくつか残っている。そのリストにいつも載る映画と、入れ替わる映画がある。新しい映画を観ればランク変更があることは当然だ。

 ただ、よく見ると映画そのものの出来の良さでベストテンを決めているわけではない。あくまで自分がその映画でどれだけ感情を揺さぶられたかで決めている。だからそのときの気持ちのありようや経験してきたことがおおきく影響している。年齢でもランキングが変わるのだ。

 映画を観ても見落としていることが多い。ほとんど見落としているのかも知れない。映画評論家の書いたものなどを見ると、自分の表面的で浅い見方を知らされる。

 読書でも同じだ。本は読者に対するメッセージだ。それなのに私は書かれていることのほんのわずかしか受け取っていない。そのことは読書家の書いた評論を読むと思い知らされる。

 それは絵画を見てもそうだ。もちろん音楽でも。表現されたものは、受け取る側の能力でずいぶん違って見えるものなのだろう。

 絶対音感というのがあるが、あるしっかりとした座標軸があれば、それを基準に物事の評価をすることが出来る。その座標軸を確立するためにはおびただしい数の作品を集中して真剣に見ることが必要なのだろうと想像する。自分と作品との距離感がぶれなくなるまでその世界のそれぞれの作品を位置づけできるようにならなければならない。

 およそ私の可能なことではない。プロの仕事とはそういうものなのだろう。もちろんそれは理想であって、それを達成することは人知を越えているのかも知れないが、その理想を持たなかったり、見失っているのは真の批評家とは言えない。

 私は残念ながらその能力がないからそういう職業を選ぶことがなかったので、観た映画や読んだ本の話を気楽にぶれまくった視点から書き散らしている。

 だから私の話はあくまで、私にはそう見えましたよ!というもので、同じものを見たり読んだりしたらそこから私が見えるかも知れない、と言うようなものだ。たびたび書いているように、つまり自己紹介なのである。

 とりたてて書くほどではないことをだらだら書いた。

ニュース雑感(6)

 中国のとんでもない話から

 中国陝西省の村で、男二人が自作のエアライフルでトキを撃ち殺した。一人は気がついた村民にとらわれ、まもなくもう一人も捕まった。二人は村の出身者ではないが、現地で小売店を開いていた。

 取り調べに対し、暇つぶしのために撃ったと答えている。エアライフルを自作すれはなにか撃ってみたくなるだろう。生き物ならなおさらだ。まとが大きくて動作の遅いトキは格好の標的だ。彼らはトキが貴重な鳥であると認識していたのだろうか。そもそも貴重なものは損なってはいけない、という考えすらなかったのかも知れない。

 こういう理不尽でおかしな人間はどこにでもいる。人は武器を手にすると使いたくなる。その武器を莫大な金をつぎ込んで配備し続けているのが中国という国だ。いまその武器を使ってみたくてたまらない。だからまわりの国に徴発を繰り返し、ついにはアメリカに対してまで挑発を行っている。暇つぶしに撃つのではないか。

 それにそなえるための集団的自衛のはずなのだが、そんな事態は起こらない、という前提の一部野党がいる。自衛が必要な事態であると思うかどうか、それが集団的自衛権に対する賛否のポイントだろう。

 在韓米軍が高高度防衛ミサイル(THAAD)の配備をすることに中国が強硬に反対し、中国の顔色をうかがって、韓国は配備に対してあいまいな態度をとり続けている。中国が嫌っているのは、このミサイルシステムが、中国全土の軍事行動を感知できるレーダーを備えていることだ。

 世界の多くの国が中国の覇権行動を懸念している。その抑止のためにTHAADが有効であることは、中国がここまでしつこく強硬に反対していることからよく分かる。よほどイヤなのだろう。

 

2015年6月 1日 (月)

ニュース雑感(5)

 東アジアのニュースばかり見ているので、たまにはほかの地区のニュースも見てみようと覗いたら、どこにも興味深いものがあるものだ(そういうのを集めるのがニュースだからあたりまえだけど)。

 パリのセーヌ川に架かるポンテザール橋の一部が破損した。理由はなんとそこを訪れる恋人たちが、互いの愛を誓うために次々に欄干に南京錠を掛け、その重みに耐えられず破損したということだ。

 パリ市当局は橋に掛けられた「愛の南京錠」の一斉撤去を行ったところ、その総数約100万個、重量にして42トンに上るという。これでは橋も耐えられまい。

 日本でも灯台などあちこちで恋人たちが愛の誓いとともに鍵を掛けてあるのを見かける。日本だけかと思ったら世界中で行われているのか。しかし愛が破れても鍵は残る。永遠の愛はこの鍵の総数よりはるかに少ないことは間違いない。

 サンパウロの公園でウサギが異常繁殖しているという。数ヶ月前に何者かが20羽ほどのウサギを放置したらしいが、いまは数百羽に増えてしまった。ウサギはこんなに短期間で増えるのだ。日本でもどこかの公園に捨てられたニワトリ(ひよこから大きくしたが飼い切れなくで捨てたのだろうと見られる)が野生化してたくましく繁殖しているのが、木に飛び乗ったりしている映像とともに、ニュースになった。

 ウサギやネズミに繁殖力があるのは、弱い動物だからで、天敵に襲われて捕食されることを見越しての繁殖力だろう。それが異常繁殖するのは天敵がいないということだ。たとえば野犬が一頭いれば、たちまち数十羽のウサギなど食い殺されてしまう。サンパウロには野犬がいないのか。それともいつでも肉にありつけるから、わざわざウサギなど補食する必要がないのか。サンパウロは犬にとっても食事に困らない豊かなところなのかも知れない。

 リオデジャネイロのペニンシテン墓地では、新しい分野の開拓を開始すると決めたそうだ。決めたのは「プラスサイズの墓」。この墓には体重500キログラムの人まで入ることができる。

 ここで分かるのは、まずブラジルにはそういう需要があること、つまり大肥満の人が多いと言うことだ。同時にブラジルは火葬ではないということである。火葬なら骨壺が大きくてもたかが知れている。

映画「狩人の夜」1990年アメリカ

 監督チャールズ・ロートン、出演ロバート・ミッチャム、シェリー・ウィンタース、リリアン・ギッシュ、ピーター・グレイヴスほか。

 恐ろしい映画だ。ホラー映画などよりもずっと怖い。福音伝道師の姿をして神の教えを説きながら、平気で人殺しをする男をロバート・ミッチャムが演じる。彼にとっては、自分のことばと神の教えと自分の行動がなんの矛盾もない。なんの罪の意識もないそのことがとてつもなく恐ろしい。

 彼は刑務所で同室の死刑囚が盗んだ大金を隠したままであることを知り、出所後巧みにその死刑囚の未亡人の家族に近づいていき、なんと未亡人と結婚する。隠された金を見つけ出そうとするうちに、幼い息子と娘が金のありかを知っているらしいことを嗅ぎつける。そして子供を脅しているのを妻に知られた彼は・・・。

 子どもたちは母親の運命を知らないものの、新しい父親の異常さに気がつく。そして危機一髪で二人の子供は男から逃げ出す。その逃避行の様子と、執拗な男の追跡がこの映画の主要部分である。

 ラストに、捕まった男をリンチに掛けろ、と叫んで大衆を扇動する老女が、死刑囚の妻とこの男を結び合わせた女であり、夫が、あの男はおかしい、というのを一笑に付したのもこの女だ。

 自分の過ちをこういう狂信的行動で糊塗しようとする心性こそ、主人公とよく似た行動であり、アメリカの心性でもあるような気がしたのは考えすぎだろうか。

 そもそもアメリカの福音伝道師という存在そのものがかなりいかがわしいものであり、無教養で狂信的な人間が普通だったらしい。

 リリアン・ギッシュが最後に子どもたちを救う毅然とした女性に扮している。信仰の無力さと救いが描かれている。神は謎である。

ニュース雑感(4)

 少し前のニュースだが、びっくりしたものなので遅ればせながら取り上げる。ソウル市は漢江に架かる楊花大橋の一部の橋桁と支え台を撤去する工事を行った。大型のクルーズ船などを通すために、現在の橋桁の間隔を42メートルから112メートルに拡げたのだ。

 この橋桁を撤去したまさにその場所で投身自殺した者がいた。警察がその遺体を捜索したのだが、そのとき川底に大量のコンクリートや鉄骨が投棄されているのが見つかった。なんと橋桁の撤去工事を請け負った会社が、撤去した橋桁の廃棄物をそこに投棄していたのだ。

 そもそも船を通すための工事が、船を通すのが危険な工事になっていた。およそまともな国では考えられないことだ。もしこれが投身自殺者によって発覚せず、ここを大型船が通過したら、座礁する恐れが大きい。

 セウォル号沈没事故をはじめ、韓国のこのような不正の絡む事件が目につく。日本をワルモノだ、と騒ぐ前に、自ら省みる必要がある気がする。それともこれらの事件も日本のせいか。 

 インドネシアでプラスチック米(プラスチックでできた米か、表面にプラスチックがついているだけなのか分からない)の混ざった米が見つかった。インドネシアは中国から持ち込まれた疑いがあると発表。これに対して中国政府は「即座」にこれを否定した。「中国は米の輸出を特定の会社が管理しており、管理に問題はない。しかも2008年以降、中国からインドネシアに米は輸出されていない」というのだ。

 こういう場合、中国は「即座」に反論する。インドネシアも根拠なしに中国由来である、などとはいわないはずだ。確かに公的な流通ルートではないかも知れない(これも疑わしいが)。しかしこういう場合、現在のところ考えられないとしながらも、インドネシア側の言い分を問い合わせ、調査して問題があれば対策をする、というのが普通だろう。

 「あり得ない」と言い切ってしまえば、あの毒餃子事件のように問題が拡大しない限り、問題はなかったことになる。こうしてあらゆるところで問題は隠蔽される。臭いものにするフタが無尽蔵にあるのが中国か。ところでプラスチック米は食べられないのだろうなあ。だとするとなぜこんなものを混ぜるのか。どんな意味があるのだろう。理解不能だ。

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