« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月

2016年3月31日 (木)

日本土鈴館(3)

Dsc_8761


こんな顔の子供を知っている。好きなタイプ。

Dsc_8743

なぜベロを出しているのだろう?

Dsc_8745

北海道のアイヌの土鈴。

Dsc_8748

意馬心猿と言うけれど。何を抱えているのかな。

Dsc_8749

枝で股ぐらを隠しながら、横着寝。干支にちなんだ猿の土鈴のコーナーにて。

Dsc_8750

道祖神の土鈴。男女親密なものが多い。

Dsc_8751

七福神なのだが、なんだか顔がこわい。

Dsc_8755

上から誰かがなにか言ってるの?

Dsc_8757

歌舞伎の役柄の土鈴。これも沢山あった。

Dsc_8759

手招きされてもねえ。

次回は河童がテーマ。

密かに心ときめくお天気キャスター

  NHK夜7時からのニュースの時間のお天気おねえさん、寺川奈津美さんを見るたび、密かに心ときめいている。以前は番組終わりの挨拶のあとで、首をちょっとだけかしげて、わずかにほほえむのがたまらなく可愛く思っていたのに、いつからか首をほとんどかしげなくなった。誰かに注意されたのではないか、といらぬ注意をした人間を憎んだものだ(ブログにこのことを一度書いた気がする)。

 その寺川さんが4月1日、つまり明日の晩を最後にNHKのキャスターからフジテレビのキャスターになるのだそうだ。大変残念。フジテレビはコマーシャルが異常に多い(私の印象)し、ろくな番組がないのであまり見ない。寺川さんを見るためだけにフジテレビに合わせるかどうか、悩ましい。寺川さん、あまり俗っぽくならないでね。

 本日名古屋城あたりに桜を見に行こう、と思っていたのだが、昨日から花粉症がひどくなった。花粉症だと思っていたら、どうも鼻風邪のようである。昨晩が最悪。いつもより熱燗にした酒を飲んで早めに就寝。今朝も不調だが、だいぶマシになった。

 来週友人に会いに大阪に行くことにしているから、これ以上ひどくならないよう、大事を取って出かけるのをやめることにする。今晩もしかすると小雨が降るかも知れぬという。桜が台無しにならねば良いが。

星亮一「黄河 歴史街道」(光人社)

Dsc_8728

 著者は近現代史を主なテーマにする小説家。だから歴史に詳しいとはいえ、中国史は専門ではない。

 この本では2000年に黄河の源流に近い青海省などチベット高原から、西安、北京など、黄河に沿って歩いた紀行文、ということなのだが、著者はこの旅以外にもたびたび中国を訪ねているらしく、その旅の話も同時に盛り込まれているので、いったいどこをどう歩いているのか混乱してしまう(こちらの読みが浅いからなのだろう)。

99120094 2000年元旦日の出直前の八達嶺

 メインの話はチベット高原のチベット仏教寺院についてのもののようだ。しかしその中国についての歴史的知識がやや浅いように思われる。作家なら、もう少し目に見えるものの背後にあるものを見抜いて語ってほしい気がする。文章も、作家と言うにはややもの足らない。素人っぽいのだ。こんなことを言えるのも、自分がプロではないからで、金を取れるプロはそれなりに大変なのだろうが。

 やや期待外れ。

2016年3月30日 (水)

日本土鈴館(2)

Dsc_8739


仲良し。

Dsc_8735

百人一首の面々。

Dsc_8736

これで土鈴なのである。

Dsc_8737

百人一首のカルタとりを楽しむ美女たち。ガラスケースの反射がどうしてもさけられない。

Dsc_8740

笑顔が良いけれど、ほっぺの膨らみはコブ?

Dsc_8741

何を咥えているのだろう。よく見ると穴が見えるから縦笛だろうか。

Dsc_8742

犬を抱くおばさん。ほっぺの膨らみと思ったら、これは耳らしい。

日本土鈴館(1)

Dsc_8836


入り口に「ギネス認証世界一」とあるが、展示物の数のことであろう。しかし、たぶん認証のためにその数を数えたりしていないだろう。中に入ってその圧倒的なボリュームに接すれば、数えるまでもないことが分かるからだ。

Dsc_8729

左手の陰になったところに入館料の受付のお嬢さんがいる。誰も入館者がいないので、照明を落としていた。私のために次々に照明をつけ、ガイドをしましょうか、という。

Dsc_8732

見よ!この数。これでほんの一部。部屋が四つほどつながっていて、つなぎの廊下も隙間なく展示物がある。

Dsc_8734

天井を見上げれば、そこにもこんなものが。この提灯だけでも全部合わせればこの3~4倍ある。

だいぶ前だが、一度来て説明を聞いているので、ガイドをお断りし、写真を撮る了解を求める。「どうぞご自由に」とのこと。

次回は個別に眼にとまったものを紹介する。一回ではとても紹介しきれない、「顔」の好きな私としては宝庫である。


昨晩は

 昨晩は金沢の夜を楽しんだ。夜を楽しむといっても私の場合は酒と魚である(昔からそうである)。

 近頃、ちょっとさみしい夜が多かったので、昔のように食べたいものを食べ、飲みたいものを飲むことにした。

 大きなブリカマがあったので、それを塩焼きに。能登のなまこがあったので、焼き上がるまでそれをつなぎに飲む。昼を抜いているので、空腹を埋めるため、牡蠣フライを頼む。大きな牡蠣フライで、ちょっと酒のつまみには量が多いが、それで一息入れる。

 たちまち日本酒が三合ほど空になる。ブリカマが大きい。しばらく格闘する。

 次に泥鰌の空揚げにするか(小ぶりでとても美味そう)、店に入る前に、まず目についたカワハギの肝和えにするか、迷う。

 昔なら両方たのむけれど、いまは迷いを楽しむ。

 ご想像通り、カワハギの肝和えを注文、これが絶品であった。

 久しぶりに(というほどでもないが)美味い魚と酒を楽しんだ。そのあとのことはおいておく。

 この店はむかし金沢で一緒に仕事をした若い人たちに教えてもらった店で、予約をしないと入れない。今回は開店早々の六時に入店したら、カウンター席のはしっこに座ることが出来たが、そのあとは覗く客はすべてお断り。入り口に一番近い席にいたから、私が申し訳ないような気持ちになった。

 場所が分かりにくいのに、これだけ客が来るのは美味いからであろう。

 お店の名前
  駅前酒屋 狼煙(のろし) 昔はマルといったような気がする。
   金沢市本町2丁目19-33
    076-231-0584

  こうして紹介するのは、文句なしに美味しい魚と酒が飲めるからである。

 今日は輪島に行く。

2016年3月29日 (火)

安達誠司「中国経済はどこまで崩壊するか」(PHP新書)

Dsc_8721

 著者は経済アナリストであり、中国の専門家ではない。だから「--どこまで崩壊するか」と言うような、崩壊が前提であるようなことをこの本で述べているわけではない。出版社側が読者を釣るためにつけた題名であろう。

 中国経済の現状を分析し、これからの中国の経済がどうなるのか、三つのシナリオを提示し、そのそれぞれの可能性について論じる。そのために、過去の世界の国々が同じような状況の時にどのような行動を取り、結果がどうなったかが、検証されていく。もちろん戦前戦後、そして現代の日本についても論じられる。

 そして、予測の当否を語っても意味がない、と補足する。経済現象は一国で起きるものではなく、世界のいろいろな動き、つまり外部要件によって大きく変動するからで、当たり前のことなのだが、予測が当たったか外れたか、ばかりにこだわる風潮があるのは確かである。

 結構経済用語が多いので、それにこだわると読み進めにくいが、どうせ分からないから、分からないなりにどんどん読んでしまうと、それなりになるほど、と得心がいく。

 この本は、今年二月の二日間ほどで一気に書き上げたのだそうだ。信じられないスピードだ。世のなかにはそんな人もいるのだ。

 中国経済の予測について、意外に拾いものの、優れた分析のような気がする。中国は体制を維持しながらのソフトランディングがきわめて困難なことがよく分かった。

東海北陸道を行く

 本日はタイヤ交換のために金沢へ行く。予約は夕方なので、途中、合掌集落に立ち寄ろうかと思う。合掌集落と言っても、白川郷ではなく、五箇山の相倉集落が菅沼集落のどちらかによるつもりだ。

 昨年の今頃、同じような時期に寄った時は、雪がまだたくさん残っていたけれど、今年はどうだろうか、それを見に行く。タイヤ交換が夕方なので、金沢に泊まることにする。駅前のどこかの店で魚で一杯やろうと思っている。翌日は能登に足を伸ばす。

 昨晩は久しぶりにグラタンを作った。ワインが少ししか残っていなかったので、あとは日本酒でグラタン。ワインを買いに出れば良かった。

 来週、大阪の友人二人と会うことにした。もちろん飲む。

 春本番で、虫だけではなく、私も動き出したようだ。ではいってきます。

2016年3月28日 (月)

エドワード・ルトコック(奥山真司訳)「中国(チャイナ)4.0 暴発する中華帝国」(文春新書)

Dsc_8720

 著者のルトコックは著名な戦略家だそうだ。ルーマニアのトランシルヴァニア出身、イタリアやイギリスで教育を受け、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学で経済学の博士号取得、アメリカ国防長官府に任用され、現在はワシントンの大手シンクタンク、戦略国際問題研究所の上級顧問。   

 中国にも滞在していた経験はあるが、専門の中国研究家ではない。著者もそのことはよくわきまえており、この本でも中国崩壊論や中国暴発論を唱えたりしていない。彼の「逆説的論理」という戦略論をもとに、現在およびこれからの中国の行動を予測し、それに周辺国はどう対処するべきか提案しているのだ。

 ちなみにこの本はルトコックの著書を訳したものではなく、ルトコックが来日した際に、六回ほど訳者がインタヴューした内容を本にまとめたものである。すでにルトコックの本は日本でも訳されている(訳者が訳した本もあり、よくルトコックの論理を承知している)が、難解な点があり、十分理解されていないので、中国問題をテーマにして、具体的にその論理を紹介しようというのがこの本である。

Dsc_0136

 表題の「中国4.0」というのは、1.0が平和的台頭フェイズ、2.0が対外強硬路線フェイズ、3.0が選択的攻撃フェイズであり、1.0で中国は成功を収めたが、それを力として2.0で強硬路線に転じて失敗、修正して3.0の路線を進めている。しかしそれも破綻しつつあるのではないかとみる。そして中国は4.0としてどのような戦略的行動をとるのか、ということがテーマである。

Dsc_0135

 ルトコックの逆説的論理にもとずく分析では、

・大国は小国に勝てない
・中国は戦略が下手である
・中国は外国を理解出来ない
・「米中G2論」は中国の妄想である
・習近平は正しい情報を手にしていない
・習近平暗殺の可能性がある
・日本は中国軍の尖閣占拠に備えるべきである

0145

 興味深い項目が列んでいる。分かりやすいし、本も薄いので読むのにあまり苦労しない。普通の中国論とは全く違う側面からの分析であり、変な感情論は一切なく、面白いと思う。

曽野綾子「老境の美徳」(小学館)

Dsc_8723

 週刊ポストに連載しているコラム、「昼寝するお化け」の編集本の最新版である。曽野綾子のエッセイは沢山あるけれど、私はこの「昼寝するお化け」が最も好きなシリーズだ。以前は第何集、と明記されていたけれど、いまはそれがないので、いったい何冊目なのか分からない。

 なぜこのシリーズが好きかといえば、新聞社系に掲載された文章は、新聞社の過剰な自主規制が働いているためで、出版社系、特に週刊誌のものはずいぶん自由に書けているからだ。というより、むしろ論争を挑むようなところもあって面白いのだ。

 いまはマスコミはことごとく過剰な自主規制のなかにあり、それはしばしば言論統制に近い。マスコミ、特に新聞社の言論自主規制の姿勢は、自ら言論の自由を損ねている。しかしそれに自覚がないことは驚くほどである。正義の味方を標榜し、弱者擁護を旗印にするあまり、逆差別を助長していることは、心ある人が感じていることだろうと思いたい。思いませんか?

「不思議なのは、『平和運動』を標榜する人たちは、そうでない人たちを、平和が嫌いで戦いが好きだと思っているらしいことである。」
「平和と食事は、誰もが好きなのだ。しかしそれに到達する方法にさまざまな考え方の違いがあることくらい、知っていてほしい」

 まことにその通り。

 表題に沿う部分を引用する。

「最近、私は予定と予定の間の数十分間か数時間かを、ぶらぶらと過ごすようになった。若い時にはあまりしなかったことだ。加齢のせいに決まっているのだが、そうして無為な時間というものを持てるようになっただけ、自分が少し上等な人間になったように気さえする時がある。上等というのは、つまり自分の能力の限度を知って少しは謙虚になったということである」

 そうか、それなら私も少しは謙虚になったのだ。

Dsc_0052 謙虚な私

 引用したいところは山ほどあるが、何処に感じるかは人それぞれであろう。この本は出版されたばかりで、店頭ですぐ手に入るから、是非彼女の正論を楽しんでほしい。

2016年3月27日 (日)

乱れまなこの勝手読み(38)

 新生なった民進党代表の岡田氏が、今年の総選挙で勝てなければ次回の党代表選に出馬しないと述べた。負ければ代表を辞めるということだ。民進党が勝利するとは思えないから、代表引退宣言のようなものだ。もう代表にうんざりしているのかも知れない。それが証拠に新党の会合で新党名を言い間違えたそうだ(新進党と言いかけたという)。

 世界の労働者の年間労働時間の統計が発表された。それによるとOECDの加盟国の平均は1770時間だったそうだ。そんなものなのか。世界一労働時間が長いのがメキシコで、2228時間であった。そして韓国が第三位で、2124時間、四位ギリシャ、六位ロシア、アメリカは十六位の1789時間、イタリアが二十位で1734時間。

 では日本は何位なのか。何と二十一位の1729時間とのこと。イタリアより少ないとは驚きだ。韓国とは400時間近い差がある。

 日本人は働き過ぎだ、というのはマスコミの決まり文句であったが、それはウソだったことが分かる。受験戦争、受験地獄などというウソと同じだ。日本人はたっぷりと休んでいるのだ。たぶんこれは日本が世界でも祭日の日数が多い国だからではないか、と思う。

 アメリカ共和党大統領候補・トランプ氏が、記者のインタヴューに対して、積極的ではないが韓国や日本の核保有を容認する、と述べた。在韓、そして在日米軍の撤収を考慮しても良いと語ったそうだ。

 その理由は、アメリカが日本やアメリカを巨額の軍事費を投じて護るようなゆとりがアメリカにはもうないからだそうだ。米軍基地のお陰で軍事バランスが保たれていることは認める。だが少なくとも日本はアメリカにお願いして米軍基地にいてもらっている、というのは一方的な言い分に過ぎる。出来れば米軍基地などない方が良いのだ。アメリカが基地を置きたくて置いているという歴史的な経緯があり、それが日本にも都合が良いから、基地が存続している。

 本気で撤収をするなら撤収したら良い。日本人はそれに反対などしない。トランプ氏は反対すると思い込んでいるらしい。

 それが証拠に、撤収されるのが嫌なら日本や韓国はもっと金を出せ、と言った。やくざのみかじめ料の値上げではあるまいし。ほんとうにゲスな男だ。

嫌われる

0035

 今朝の東海テレビ(フジテレビ系)で、教科書問題について、あの韓国のめばりの濃い金切り声の女性(某日本の大学の教授)がまくし立てていた。いつものように他人の話は一切聞かず、人の話している最中にもどんどん口を挟み、その上最後に言うことには、「私が一言言うと、みんなから集中攻撃を受ける」。

 この人は韓国の立場に立ち、弁護や主張をしているつもりらしい。つまり韓国は自分のように日本人に誤解されているという前提で、自分がそれを訂正させる意気込みのようだ。

Dsc_0372

 しかし、これを見た人が彼女の意見を受け入れて、韓国の言い分をなるほどと思い、考え直すことはあるだろうか。多少は韓国に親和性を持ち、言い分を聞いてもいいと思っていた人ですら、彼女の剣幕に不快感を覚え、それが結果的に韓国人とはこういう人たちなのかと思い、韓国が嫌いになることにつながるのではないかと心配する。

 そもそも人の話を聴かないで一方的に自分の主張をまくし立てる、というのは、礼を失する行為であることは人間としての常識だ。これでは議論は成立しないで対立感情のみが残る。このような女性を大学教授として擁している大学はどんな大学かと思う。「学者は平気でウソをつく」(by 和田秀樹)、とあきらめているのか。

Dsc_0054

 マスコミがこの女史を引っ張り出すのは、単に面白いからだろう。しかし、いまどの番組で拝見しても彼女の暴走を司会者がほとんどコントロール出来ていない。時間枠のなかで、たぶん半分以上は彼女がしゃべり続ける結果になり、視聴者の感情を逆なでし、彼女の主張をまともに聞く気にさせない。

 待てよ!そもそもマスコミはそれを承知で使わざるを得ない何か理由があるのではないか。彼女を使って日本国民を韓国嫌いに導くような陰謀が巡らされているのかも知れない。韓国は彼女を排除しないと、日本人の反韓がますます進んでしまうぞ!

 これでは韓国に非常事態が起きても、彼女のせいで日本が手をさしのべることに日本人の多くは反対してしまう。いや、それでも日本人は人が好いからなあ。

森本哲郎「戦争と人間」(文藝春秋)

Dsc_6474

 1988年出版の本で、戦争を論じて、人類は20世紀を乗り越え、来世紀を迎えられるだろうか?と不安を語っているが、幸い人類はちゃんと21世紀を迎えることが出来ている。森本先生、大丈夫でしたよ!安心して下さい。

 安心して下さい、といったけれど、本当に先生に草葉の陰で安心してもらって良いのだろうか?とたちまち不安がよぎる。それは、この本に挙げられている、人類発生以来の数え切れないほど数多くの戦争のなかから選ばれた20の戦争についての考察を読めば、現代はもう戦争など起きない時代であるとは、とてもいえないからだ。

 戦争にテーマなどというと語弊があるが、それぞれの戦争にキーポイントとなることばを添えて考察している。すべてを下に記す。

「教育」    スパルタ
「情報」    モンゴル
「馬 その一」  アッシリア
「馬 その二」  アレキサンダー
「経済摩擦」  カルタゴ
「文化摩擦」  十字軍
「友好条約」  ヒッタイト
「野心」    インカ
「勇気」    ケルト
「宣伝」    ヒトラー
「人材」    始皇帝
「情念」    スペイン
「弱者」    庶民
「反乱」    ユダヤ
「後継者」   イスラム帝国
「土地」    ポーランド
「秩序」    パックス・ロマーナ
「民族」    地球・1988
「責任」    子どもたちに平和を

 先日トランプ氏のプロパガンダの手法が、ナチスドイツのヒトラーやゲッペルスの語る「宣伝」に酷似していると述べたのはこの本を参考にしている。

 それぞれについて詳しく紹介したいが、そうするとこの本をすべて引き写さなければならなくなる。時間も手間もかかるし、読む人が自分だけとなりそうなのでやめておく。

 この中の「経済摩擦」カルタゴ、については「カルタゴの遺書 ある通商国家の興亡」(PHP文庫)という本で詳しく紹介されている。いわゆるハンニバルが活躍(象を引き連れてアルプス越えをした話をご存じだろうか)したポエニ戦争のことである。カルタゴはいまのチェニジアの地中海沿岸にあった小国だが、貿易の利益でローマを脅かすほどの財力を持ち、ポエニ戦争ではローマに勝利しながら、ついにはローマに完膚なきまでに打ち砕かれ、文字通りの意味で抹消されてしまった国である。ことごとくが徹底的に粉砕されて、遺跡すらほとんど残っていない。

Dsc_8726

 何故カルタゴにこだわるのか。それはジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、アメリカからねたまれていた当時(この本が書かれた当時)の日本の状況が、まさにカルタゴそのものであったからだ。幸いアメリカに物理的には抹殺されなかったが、経済的にはずいぶん苛酷な制裁を受けた。

 テーマがこのように多岐にわたっているように、戦争もいろいろな様相で顕れる。しかしながら、戦争は人間が引き起こすもので、いろいろな様相を呈するのは、人間そのものの性格が多様に表れるということで、人間には戦争をやめることの出来ない性(さが)がまとわりついている、ということなのかもしれない。

 だから冒頭のような不安を抱かざるを得ないのだ。人間は科学だけは高度化(これが進歩かどうか、言い切れないのでこう言う)したけれど、知性はほとんど高度化していない。戦争の道具だけは人間を大量に短時間で抹殺出来るようになってしまった。だから大きな戦争はもう起こせない、よって大きな戦争はもう起きない、という。

 しかし、戦争を起こせば自らも破滅するから大きな戦争は起きない、などとどうして言えるのか。そんな保障は誰にも出来ないではないか。少なくとも、小さな戦争はますますこれから起こる可能性が高くなるような気配を私(だけではないだろう)は感じている。そしてそれがたちまちのうちに拡大しないとは限らないのだ。

 どうすればいいのか。戦争は常に起こりうる、ということを自覚した上で、それに対処する覚悟を持つしかいまは出来ない。少なくとも平和憲法を神棚に上げて拝んでいれば、日本は平和を維持出来る、などという神頼みは何のたすけにもならない。そんなもの、神風を頼むのとちっとも変わらないことがわからないのだろうか。

2016年3月26日 (土)

タイヤ交換に金沢へ行く

120410_36 兼六園

 私の冬用のスタッドレスタイヤは金沢のリース会社のものを使用している。自分で買って管理するよりももちろん割高だが、交換も管理も夏用タイヤの預かりもすべて頼めるので重宝している。金沢にいたときからだからもう十年以上のつき合いで、それなりに料金のサービスもあるし、タイヤが摩耗すれば多少の割り増しを追加することで新品に変えてくれる。だからいつでも安全なのだ。

120410_3 近江町市場

 それ以上に金沢に定期的に行けることもうれしいことだ。以前は在籍していた会社の金沢営業所に顔を出し、営業所の女性たちや若い友人達と会うようにしていた。でも金沢を離れて五年以上になるので昨年の春を最後に控えている。それに新幹線が金沢まで通じたので観光客が増えたのか、安いホテルがなかなか予約出来ない。

120410_19 金沢城

 今回は29日の夕方、タイヤ交換することになった。例しにいつも泊まる金沢駅前のホテルに予約を入れてみたら、何と一室だけ空きがあった。キャンセルでもあったらしい。さっそく予約した。日帰りだと帰りは夜走ることになったところだが、これで安心だ。

Pict0050 能登見附島

 カメラバッグに輪島の朝市で買った、酒を搾るときの濾布で作ったバッグを愛用している。ずいぶん長いこと使っているので、ぶ厚くて丈夫な布もさすがに一部傷んできた。金沢に泊まるなら能登へ足を伸ばし、輪島で同じようなバッグを探してみようと思う。となると能登でもう一泊するかどうか、悩むところだ。

人工知能、洗脳される

 マイクロソフトがツイッターをする人工知能「Tay」を開発した。ツイッターを受け取ってそれを学習し、それに基づいて自ら自分の考えをツィートするのである。

 ところが十数時間でこの「Tay」のスイッチが切断され、記憶が消去されてしまった。

 なんとナチスを賛美し、ホロコーストなんてでっち上げだ、などという意見を言うようになり、下品で読むに堪えないことばを吐き散らしはじめたからだ。

 この実験的試みに対して、意図的にこのようなことばを繰り返しツィートして「Tay」に吹き込んだ連中の仕業だということだ。つまり人工知能が洗脳されたのだ。

Dsc_8725

 人工知能が囲碁で人間に勝つ時代である。「Tay」は知識もあり、頭脳の働きも人間よりはるかに高速なはずである。そもそものソフトに欠陥があったのかもしれないが、しかし、このことは考えさせられることだ。

 前回、オウム真理教に、知能優れると思われる医者や科学者が加わっていたことについて言及した。洗脳というのは知能の高さ、知識の多寡とは関係ないのかもしれない。却ってそのような人のほうが洗脳されやすい場合もあるのではないか、ということをこのニュースは教えてくれる。

 このような洗脳に、簡単に染まらないのが知性というものだと思うが、知性とはあらためてどういうものなのだろうか、と考えさせられた。私が、付和雷同が嫌いな理由はここにあると思っているのだが。

遠藤誉「毛沢東 日本軍と共謀した男」(新潮新書)

Dsc_8719

 集中力が衰えはじめているので、中身が濃い本は以前より読むのが疲れるようになった。この本は(私にとって)中身の濃い本であった。

 毛沢東の事跡を、主に日本軍との関係を軸に書いたものだ。すでに知っている人には意外ではないが、多くの人は驚くかもしれない。

 中国政府が反日をあおり、南京事件を声高に糾弾したのは、中華人民共和国の建国以来のことだと思っている人が多いであろう。ところが毛沢東はほとんど南京事件について言及していないし、それについて日本を非難していない。南京事件を問題にしたのは、東京裁判で日本の戦犯に対して、ナチスに対すると同様に、人道上の罪を問うための材料として、南京事件をクローズアップしたからであって、それを糾弾したのはアメリカ(特に左翼的なアメリカ人)軍であり、中華民国であった。

Photo

 この本にも書かれているように、国家を挙げて反日プロパガンダに火をつけたのは、江沢民である。江沢民が、自分の父親が日本軍の仕事をしていたことを秘匿する目的で、自らの反日姿勢を強調をするのが目的だった。それがきっかけで、反日は権力者にとって非常に使い勝手の良い道具であることに、歴代の権力者は気が付いた。しかも日本にはそれに迎合して、あることないこと材料を自ら提供する人々が数多くいる。

0007

 毛沢東時代にも、訪れる日本人という日本人が、毛沢東に深甚な謝罪を述べることに毛沢東がうんざりしていた、というが、わかる気がする。謝罪を免罪としようとするのが見えるからだろう。

0056

 中国共産党勢力を育て上げ、拡大していくために、毛沢東が日本軍との直接戦闘を避け続けたことは歴史的事実である。国民党軍と日本軍の戦いによって漁夫の利を得ようとしたのだ。抗日で建国した、というのは事実に反する神話である。

 この本は日中戦争の裏面史である。毛沢東と日本軍が諜報機関を通じて情報交換をしていたこと、毛沢東が入手した国民党軍の情報を意図的に日本側にリークしていたことなどが語られている。そしてそれに関わった諜報機関の人間が、ほとんど粛清されて抹殺されたことが明らかにされている。知られては困ることだからである。

 丁寧に紹介すると止めどなく長くなるので、是非この本を読んで欲しい。そしていまの中国の反日とは何なのか、あらためて考えてみて欲しい。このような権力にとって都合の良い道具は、一度手にしてしまうとエスカレートするばかりで収拾が付かなくなる。嘘の上に嘘を重ねざるを得ないからである。それは結果的に中国共産党を蝕むことになる、と思いたい。 

 巻の最後の部分に著者・遠藤誉女史の、幼少時の中国での自らの体験が語られている。「卡子(チャーズ)中国建国の残火」という彼女の自伝にはそのすさまじい体験が詳細に語られている。出来ればその本も読んで欲しい。戦争とは何か、とことん思い知らせてくれる本だ。

2016年3月25日 (金)

加藤淳「清河八郎伝」(財団法人 清河八郎記念館)

Dsc_8718

 先日清河八郎記念館で買い求めた清河八郎の事跡伝である。120ページほどの冊子だが、幕末の草莽の志士の一人としての清河八郎についてうまくまとめられていて、とても参考になった。

 少し前に長谷川伸の「相楽総三とその同志」(講談社学術文庫)という本で、草莽の志士についていささか思うところがあったが、この「清河八郎伝」にも相楽総三や益満休之助などの名前が登場する。
 
 相楽総三も益満休之助も伊牟田尚平も非業の最期をとげる。官軍側のダーティな部分に関与したことを秘匿するため、ほとんど汚名を着せられたままである。

 ある意味で清河八郎は薩長の志士たちよりも先行して尊皇攘夷や倒幕のために奔走した。そのことは明治政府にとってはあまり有り難くない事実であったから、彼の名誉の回復は明治の末年になってようやくのことであったという。

 彼の妻お蓮は、彼の逃亡の罪に連座して入牢する。ようやく出獄して庄内藩江戸屋敷に預けの身になった晩に急死しており、毒殺されたのではないかといわれている。庄内藩はしばしば藩にとって都合の悪い者を毒殺した例があるという。

 思えば恭順の意を示していた幕府が、薩摩藩の使嗾による浪士たちの御用金強奪などの暴挙(テロである)に耐えかねて薩摩藩江戸屋敷を襲撃したことにより、官軍の倒幕軍の大義が成立しているが、薩摩屋敷を襲撃した藩のひとつが庄内藩である。

 そんな庄内藩の出身者であるから、清河八郎のバックには誰もいない。虎尾の会という同志たちだけである。その筆頭が山岡鉄太郎(鉄舟)であり生涯の友であった。
 
 幕末のドラマを描くとき、脇役で登場する清河八郎は、傲岸でしかもハッタリ屋、陰謀の人のように描かれる。はたしてそれは実像なのだろうか。なぜならあの英傑の人である山岡鉄舟が生涯、清河八郎を友と呼んでいたのだ。

 新撰組成立のいきさつ(京都に滞在していた将軍警護の名目で、江戸で浪士を募集してかれらを引き連れていき、その浪士たちを尊皇攘夷の浪士隊に仕立てた。浪士たちを裏切り、幕府を裏切ったことになるが、賛同者も多かった。もとより最初からそのつもりで浪士を集めたのである。後の新撰組だけがここから別れる)がそのように見られる原因であるかもしれない。清河八郎というと、このことばかりが取り上げられるのは残念なことである。奇策は時に顰蹙を買うのである。桐生の新撰組フリークの美女などは、私が清河八郎を評価しただけで眉をしかめるかもしれない。 

 どうも文章がまとまらなくてとりとめがないが、草莽の志士について、特に清河八郎については、しばらくこだわってみたいと思っている。もう一度藤沢周平の「回天の門」(主人公は清河八郎)を読んでみようか。

 先般、清河八郎記念館を訪ねたときのブログで、彼が母親と旅した日記の書名を「西遊書」としてしまった。記憶違いである。「西遊草」が正しい。ここに訂正してお詫び申し上げる。

 先日名古屋の三省堂で岩波文庫を探したが、なかった。今度別の本屋で探してみようと思う。

和田秀樹「学者は平気でウソをつく」(新潮新書)

Dsc_8098

 日本人はあまり宗教的ではない。だから海外で宗教に関する論争や抗争の話を見聞きしても、それがどういうことなのかよくわからない。逆に宗教を生活の基礎に置いている人々から見れば、日本人のそういうところは理解を超えているらしい。

 何でそんなものを信じるのか?と日本人は思うけれど、では日本人には宗教心はないのか。日本人が宗教の代わりに信じているものがある。それが科学というものだ、という実態が本書の背景にある。科学、と名が付けば絶対的なものと思い込む。そういうところが日本人にある。

 科学、というのは実は仮説である。今のところ事象がその仮説で整合性のある説明が付けば、それを基盤に置いていく、というのが科学なのだ。だから矛盾する事象があったら、さらにそれをも説明出来る新しい仮説を立てていく。それが科学の進歩である。

 ところが学者なのに、この「科学は仮説である」ということを見失った者がしばしば見受けられる。この人たちは平気でウソをつく。表題の所以である。

 そのウソとはどんなものか、この本ではその実例がたくさん俎上に載せられ、批判されている。およそ権威を持って、取り巻きにおだてられて学会に砂上の楼閣を作って君臨している学者などという者は、嘘つきが多い。なぜなら自説に誤謬が生じても、その権威のために訂正することが出来なくなってしまい、正しいことをいう者を学界から締め出す、などということがしばしば行われている。嘘つきでなければできない業だ。

 医学界、経済界、教育階、社会学会などがやり玉に挙がっているが、特に精神医学については著者の専門分野であり、その舌鋒は鋭い。彼が本をたくさん出版して、著名人に名を連ねたのは、自らの功名心もあるだろうけれど、学会から干されることにたいして防衛のための部分も大きいのではないか。

 社会科学や人文科学に「科学」が付いていることに若いときから不審を抱いてきたが、その私の疑念は正当であったようだ。

 テレビに出てくる学者と称する方々に、あまり敬意を表したくない思いがしてきたが、それは本来の自分の専門でないことに、平気でえらそうなコメントをするからである。

 日本では学者であれば必ず正しいことをご託宣下さる、と思い込む人が多い。これが宗教家に対する思いとどう違うのか。

 日本では「科学教」が最強の信仰対象のようである。

  この本、肯くことだらけだし、痛快で面白い。

2016年3月24日 (木)

前園実知雄「中国歴史紀行」(新泉社)

Dsc_8090

 著者が1982~3年にかけて北京に留学(約一年語学学校に、そして残りを北京大学に留学)し、その間に中国各地を旅した紀行文である。その頃はまだ中国は外国人が旅行出来ない地域が多かった。旅行可能地域でも、旅行するには当局や留学先の正式の許可を必要とした。まだ文化大革命が終わって間がない時代だったのだ。

 考古学者で仏教研究家(現在大学教授でありかつ僧侶)でもある著者が、当時の旅行記録をもとに本としてまとめたのが本書で、2015年12月発行、新刊である。

11031_206

 紀行本は好きで、特に中国に関する紀行本には眼がない。

 古くは桑原隲蔵(くわばらじつぞう・東洋史学者で桑原武夫の父)の「考史遊記」、芥川龍之介の「上海游記」「江南游記」をはじめ、繰り返し読んでいる本が多い。それぞれについて語り出したら止まらないおそれがある。

11031_106

 この本での著者の行動を見ていると、何事にも積極的で、旅先でいろいろな人との交流も物怖じせずに行っている。ずいぶん嫌な思いもしているし、理不尽な対応も受けているが、それをいつまでも引きずらず、そんなこともあるさ、とさばさばしている。大事なことであろう。愛すべき人間は生きやすい。

11031_266

 このような人と共にこの時代を楽しんだらどれほど思い出に残るすばらしい旅行が出来ただろうか。本を読みながら、自分がその場にいるような思いがした。貴重な写真も数多く、わかりやすい。

11032_398

 自分も行ったことのある場所も何カ所かあるし、行きたい、と思う場所も沢山ある。中国に行きたい気持ちがつのる罪深い本だ。

*このブログの写真は私が雲南や桂林で撮ったもので、この本とは関係ありません。

認知症を予防する

 認知症はアルツハイマー型が一番多い。アルツハイマー型の認知症はアミロイドベータという蛋白質が脳内に蓄積し、脳の神経を破壊してしまうことで起こることがわかっている。

Dsc_0212

 昨晩のBSフジのプライムニュースで、このアミロイドベータを蓄積させないための画期的な方法が提案されていた。人間の身体はアミロイドベータに対する抗体を作ることが出来る。その抗体を作らせるためのワクチンの研究が実験されたが、アルツハイマーの患者に実施したところ、副作用が発現しただけで、認知症の症状はまったく改善されなかった。

 これはすでに脳神経細胞が破壊されてしまった患者に投与したので、抗体を作ってアミロイドベータを減少させたとしても、神経細胞は復活しないから当然と言えば当然のことであった。

 東大の石浦教授と云う人が、遺伝子組み換えした、アミロイドベータを含むお米を開発した。これを月に数回普通のご飯に少し混ぜて炊くだけで、抗体を発言させることが期待出来るという。しかもワクチンのように急激な投与ではないから副作用もなく、安価に生産出来るという。遺伝子組み換え米は安全性が高いことが実証されている。そもそもアミロイドベータは、自然の食品にも多少含まれているもので、経口摂取して毒性のあるものでは無いのだ。

 石浦教授はすでに二年以上、自分でこのアミロイドベータ米を摂取し続けていて問題ないという。

 日本では、医療とは病気になったものを治療する、という概念で、予防に対しての認識が低く、このような手法に対して予算は付かず、賛同者もいないらしいが、残念なことである。

 もし手に入るなら私も欲しい。たぶん番組を見て問い合わせが殺到していることだろう。

 世界の趨勢は予防に力が入りつつあるというのに、日本ではまだ予防よりも治療にしかなかなか予算が付かない、というのは残念なことだ。認知症が65歳以上の四分の一に発病しているというのに、その予防にあらゆる手立てを尽くそうという体制にないのはどうしたことだろうか。認知症予備軍として歯がゆいことである。

2016年3月23日 (水)

キューバ

 オバマ大統領がキューバを訪問して、いちおう歓迎されているようだ。

Dsc_7039

 アメリカとの国交が順調に回復し、アメリカ主導の厳しい経済封鎖が解除され、世界中から簡単にキューバに旅行が可能になれば、キューバのキューバらしさが失われるだろう、との思いから、その前に見ておこうと、昨年秋にいつもの友人達とキューバ旅行に行った。

Dsc_7298

 キューバは想像通りというか、想像以上に貧しい国だった。だからといってキューバの人たちが不幸せで暗い顔で暮らしていたかといえば、そんなことはない。それなりに明るく脳天気に暮らしているように見えたし、活気もあった。なにより、豊かな人に対するうらやみや嫉妬のようなものが、あまりないことに好感が持てた。

 キューバのすばらしさは、革命により権力を握った人たちが、みな国民と同じような貧しい暮らしをしていることであろう。豪邸に住み、自分たちだけはご馳走を食べている、などということがないらしいのだ。これはベトナム(北ベトナム)と似ている。ソ連や東欧や中国や北朝鮮とまるで違う。

Dsc_7545

 みんなが貧しければ、妬みは起こらない。中国で毛沢東時代が良き時代と思い返されるのはそういうことだろう。あれだけ沢山の人が死んだ時代でも、みんなが貧しかったから、なつかしく思われるのだ。いまの中国は経済的に豊かになったけれど、しあわせになった人々が生まれると同時に、不幸せな人々も大量に生み出した。

Dsc_7557

 アメリカはキューバに人権問題の改善を強く要求している。キューバは民主主義ではないから、自由な言論も自由な競争もないのは確かだ。だが、それをキューバに言うなら、同じことを中国に言ったらどうだ。いまの習近平がどれほどひどい言論弾圧をしているのか、日々のニュースを見ていれば誰にでも明らかだ。経済的な関係が強いから中国には強く言わず、キューバには経済封鎖を武器に強気で言う。

Dsc_6911

 経済封鎖がどれほどキューバにとって苦しかったのか、アメリカは理解していない。キューバの人々がどれほどアメリカを怨んでいるのか、アメリカ人はわかっていない。そのキューバ人の思いは、わずかな滞在の間に私たちが出会ったキューバの人のことばの端端に聞き取れた。

 どうもアメリカ人は、カストロやゲバラが北朝鮮の金王朝のようなものだと勘違いしているようだ。国民を弾圧し、政治犯は牢獄にあふれ、自分たちは贅沢三昧している、と思い込んでいるのだろう。

Dsc_6889

 キューバがそういう時代だったのは、独裁政権だったアジェンデ政権時代のことだ。そのアジェンデを支援していたのがまさにアメリカだった。独裁政権や特権階級は国民を搾取し、富を独占していた。アジェンデの利益はそれ以上にアメリカの利益だった。それを維持するためにどれだけの血が流されていたことか。だから革命が起きたし、わずかな人数から始まった革命なのにそれが成功したのだ。

 アメリカに亡命したキューバ難民の多くは、みなそのような特権階級の人々だった。だからその難民からアメリカ国民になった人々はキューバに恨みを持ち、国交回復に猛反対している。

 キューバの国民が貧しいのは断じて為政者のせいではない。アメリカのせいである。そのことの自覚をアメリカは自覚していないし、将来もしないだろう。そしてアメリカとの国交が完全に回復すれば、キューバはいまより豊かになると共に貧富の差が大きくなり、アメリカは恩恵を施した、と胸を張り、キューバ国民の多くはさらにアメリカを怨むだろう。

 オバマのしたり顔を見ていて、リベラリストの認識の底の浅さを強く感じた。

シンシアリー「韓国人による嘘韓論」(扶桑社新書)

Dsc_8099

 著者のシンシアリー(ペンネーム)は、自称韓国に暮らす韓国人の歯科医師である(本当かどうかはわからない)。匿名であるのは当然で、身元が判明すれば袋だたきに遭うだろう。

 嫌韓論は血の気の多い日本の国粋主義者の専売ではない。そんなものは、たいていわずかな怪しげな情報をもとに妄想を加えたもので、読むに値しない。しかし、なかには実際に韓国のマスコミでニュースとして報道されている、韓国の実情や論調らしきものときわめて整合性の高いものもある。

 著者の韓国論はこれで五冊目である。特に今回のものが出来がいいように思う。韓国に見られる、うんざりする部分、つまり反日、についてここまで露骨に、しかもそうだろうな、と思わせながら説明しきったものは少ないだろう。

 嫌韓論らしきものを書きながら、著者は韓国が嫌いなわけではない。たぶん反日こそ愛国、などという歪んだ思想の韓国人よりもはるかに愛国的だ。韓国の反日の異常さが韓国人の意識をいかにゆがめているのか、それを心から憂えているのだ。しかもそれが自国民に訴えることが出来ずに、日本でそれを発表するしかない。哀しみをそこに読むことが出来る。

 読んでいて韓国の反日の深い闇をいまさらのように感じるとともに、絶望的な気持ちになる。

2016年3月22日 (火)

子母沢寛「味覚極楽」(中公文庫)

Dsc_8045

 昭和初期、子母沢寛がまだ作家としてデビューする前、「東京日日新聞」の記者として、著名人に食についてインタビューをしたものをコラムで連載していた。それを戦後、昭和三十二年に編集し直し、そのインタビューをもとに、その相手のひととなりを思い出として語りながら、自分の食についての思いを加えて本にした。さらにそれを文庫化したものがこの本である。 

 名著として食に詳しい著名人がしばしばこの本を挙げる。その評価に賛同する。ただし、丁寧に読まないと、インタビューの相手が語ったことなのか、子母沢寛が語ったことなのか混乱する可能性がある(私が粗雑な読み手だからかもしれない)。相手によっては、先日ちょっと批判した魯山人のようなきわめて完璧な美食追求の人もいる。それに対して子母沢寛は食に対して比較的にふところが深いのである。

 私は食通は同時に健啖家であるべし、という考えであるから、食の美味のわずかな差を絶対的な善悪にしてしまうような態度は嫌いである。何を食べても(よほどいい加減な料理で無い限り)たいてい美味しいと思い、それでも不味いと思ったらよほどのことと腹を立てることにしている。わずかに劣るから、不味い、などという人間の、食についてのことばは信用しない。

 世の中グルメブームがつづいているけれど、一度こういう本を読んで食というものを見直しても良いかもしれない。ただ、この本で挙げられている美味しいという店はほとんどなくなっているか、残っていてもこの本で論じられている頃のものとは違っているものと思われる。

 残念なのは、健啖を自分の得意技にしてきたのに、糖尿病のためにその技を封印しなければならなくなって、いまは胃袋も少々縮み、加齢と共に味覚も鈍麻して、ほんとうの食の楽しみを楽しむことが出来なくなっていることだ。

 若者よ、楽しめるときに食の味わいを楽しみたまえ!

プロパガンダ

 「宣伝は誰に向けるべきか?学識あるインテリに対してか、あるいは教養の低い大衆に対してか?宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである!」

 「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目指すものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。それ故獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的高度はますます低くしなければならない」

 「宣伝は短く制限し、これを絶えず繰り返すべきである。それが成功に至る第一の、かつ最も重要な前提である」

 「望ましい結果を生む宣伝はみな良い宣伝で、それ以外の宣伝はみな悪い。宣伝を目して、これは粗野だとか下品だとか公正を欠くなどと批評することは見当違いも甚だしい。そんなことはみな問題ではないのである」

 まさにこの手法の通り、最低級の大衆に対して、小学生にもわかることばで、粗野で下品で公正を欠いたプロパガンダを、繰り返し繰り返し、演説し続けているのは・・・トランプ氏であり、熱狂的な支持を受けている。


 前出のことばは、ヒットラーとその宣伝相だったゲッペルスのものである。

2016年3月21日 (月)

魚津埋没林博物館

Dsc_8706


魚津埋没林博物館は一度来たことがある。埋没林はいろいろな植物が発掘されているらしいが、メインは杉である。

Dsc_8699

この入り口から地下をくぐって道路の向こう側、海側にある建物へ行く。整備されてきれいな博物館だ。

Dsc_8717

埋没林の説明。

Dsc_8707

海中にあった状態のままの埋没林の展示室は暗い。不気味な暗がりに木の根がぼんやりと見える。

Dsc_8709

水面に反射して上下にあるように見える。ガラス面に自分が映り込まないように撮影するのに苦労する。

Dsc_8711

乾燥した根っこも展示されている。

Dsc_8712

実際に手を触れることが出来る。

Dsc_8714

結構見学者も多いのだ。

Dsc_8716

現在も魚津に流れ込んでいる片貝川の上流には写真のような、年を経て複雑に変形した杉が現存している。洞杉という。

この博物館には魚津の蜃気楼についての展示もある。蜃気楼の謎と仕組みを説明してくれる。又、蜃気楼や埋没林についてのハイビジョン上映があって楽しめる。

見たかった埋没林を見て写真も撮れたことに満足し、帰路についた。

魚津の信号と相性が悪いらしく、10回以上続けて赤信号に停められた。ありえない、ものすごくむかつく。

そのあと富山では大渋滞にはまる。富山じゅうの人が富山じゅうの車を繰り出して、道路はすべて車で埋め尽くすことにしたようだ。

その上ナビは高山から郡上へ抜ける、せせらぎ街道を案内する。景色はいいけれど、それが正しい帰り方とはとても思えない。とはいえ無事帰宅出来たので、よしとする。

まあまあ楽しめた。

魚津水族館(2)

Dsc_8688


水族館の後半。美味しいのはもうない。

Dsc_8659

クラゲも光の加減で美しい。不思議な生き物である。それも人間から見れば、であるが。

Dsc_8661

ドチザメ。サメは無表情な眼をしている。感情そのものがないのであろうと思わせる。

Dsc_8662

ピラニア。骨が硬そう。食べられそうだが、美味いのだろうか。

Dsc_8663

何という生物だったか、名前を忘れた。小さい。

Dsc_8664

毒々しいカエル。ヤドクガエルといい、猛毒。

Dsc_8665

エボシカメレオン。もっと色が鮮やかなのだが・・・。

Dsc_8670

ちょっとだけ水族館の中側を見せてもらえる。エアカーテンをくぐるとむっとして少々生臭い臭いがする。野生の生き物の臭いだ。

Dsc_8673

ピラルクー。大きいものになると、ウロコが靴ベラに使えるという。これは美味いらしい。だから乱獲されて数が激減したという。

Dsc_8667

ウツボ。海のギャング。掃除をする係の海老が付いている。

Dsc_8684

アザラシ君、何をのぞき込んでいるの?

Dsc_8687

お友達がいるのだ。あとで大声で啼いていた。

Dsc_8694

人魚の像、のはずだが、下半身は魚ではないような。

Dsc_8696

官能的な人魚にお別れを言って水族館をあとにした。雨は降りつづく。次は埋没林博物館。


2016年3月20日 (日)

魚津水族館(1)

Dsc_8658


水族館、大好き。魚が好き。美味しそうな魚、奇妙な魚、不気味な魚みんな好き。

Dsc_8697

魚津水族館に行った。小雨交じりの朝イチ(九時開館)入場。

Dsc_8625

ヤマメ、塩焼き食べたい。

Dsc_8628

小さいとき、こんな蛙に殺生をした。子供時代は残酷だった。すまなかった。

Dsc_8629

亀。昔飼っていたけど、もてあまして近所の池に放した。外来種ではなかったから大丈夫だと思うが。

Dsc_8630

ナマズ。白身で美味しい。お千代保稲荷で蒲焼きが食べられる。

Dsc_8631

おちょぼ口で餌取り名人。カワハギ釣りに夢中になった時期もあった。結構デリケートで難しい。美味い。特に肝が絶品。私はアンコウの肝よりこちらが美味いと思う。

Dsc_8636

ウマヅラハギ。大型なら結構美味い。カワハギと較べるとちょっと可哀想だが。

Dsc_8637

ミズダコ。食べたことがない。あまり美味くないかもしれない。

Dsc_8639

甘エビ。生まれて初めて食べたときに、この世にこんな美味いものがあるのか、と思った。

Dsc_8642

アジ。大好き。九十九里ではたくさん取れたからよく食べた。刺身、たたき、塩焼き、煮付け、どれも美味い。

Dsc_8648

ブリかカンパチか。区別がよく分からないが、やんちゃ坊主の顔ではないからブリだろう。ブリしゃぶ、美味い。

Dsc_8650

ホタルイカ。昨晩沖漬けを食べた。

つづく

花粉症?

 七、八年前から花粉症かな?というような症状が出ている。眼の周りがかゆく、時々くしゃみが出て、鼻水がでたりする。でもそれほどつらいというのではなく、多少鬱陶しいくらいだ。

 今回の旅では周りの山々の杉は、みな赤っぽい色をしている。花粉がたっぷりの杉の花が咲いているのだ。そんななかを走り回っているので、窓を閉めていても外気の取り込み口から花粉が侵入しているのだろう、今までにないくらいくしゃみや鼻水がひどい。目をこすると痛痒い。どうやら本格的な花粉症らしい。

 本人は減感作療法のつもりだが、強感作療法になっているようだ。それでもたぶんそれほどひどくならないような気がしている。根拠は全くないが、脳天気なのである。でも花粉症などに効果があるという乳酸菌のヨーグルトくらいはしばらく摂取してみようか。

乱れまなこの勝手読み(37)

 旅に出るときにはドコモのモバイルルーターを持参して、それでネットにつなぐ。ドコモの携帯がつながる場所ならこのルーターも必ずつながるので便利である。ただ電波の弱いところだと、つながりにくく、更新のダウンロードなどで重いファイルを読み込むときなどは遅くてイライラする。

 いま一番イライラするのがニフティを開くときだ。動画のCMなどが貼られているとなかなか開かないし、それ以上にブログが開きにくい。利益を確保するために必要なのだろうけれど、あまりCM過剰だと使い勝手が悪くなりすぎである。ふだんは光でつないでいるから気が付きにくいけれど、旅先で感じることだ。それに較べると、ヤフーはそんな環境でもたいてい快適につながる。

 日本の教科書に「竹島は日本の領土」と明記されていることを韓国が問題視して騒いでいる。日本から見れば、大韓民国の初代大統領李承晩が、どさくさ紛れに違法占拠しているのは歴史的事実なのだが、韓国では違う認識であることは御承知の通り。

 このことは韓国が無法だと思うが、韓国がこれを認めるとは思えないから、それはいまは論じないが、問題はこれが慰安婦問題に波及する可能性である。昨年末に、電撃的に日韓の政府間で、慰安婦問題の決着が付いた・・・ことになっている。

 しかし、過去幾たびこれで打ち止め、ということを条件に日本が謝罪を繰り返してきたか、普通の日本人は身にしみて実感している。慰安婦問題にもそういうことがあったが、そのあとの某朝日新聞などの誤報で教科書問題(日本政府が歴史教科書のアジア侵略の記述を書き換えさせた、という報道だったが、実はそんな事実はなかった)が発生、それを理由に慰安婦問題が再燃、さらにエスカレートすることになった。

 またしても教科書問題である。歴史認識にまちがいがあれば過去の約束など反故にするのは当然である、というのが韓国の「約束」であることはさんざん見せられてきた。あろうことか国家間の条約まで平然として無効という国である。約束より反日という正義が上なのだろう。

 今回の教科書問題を韓国は(内心は)歓喜と共に報じているだろう。言いがかりをつけることが出来れば、慰安婦問題の約束を反故にすることが出来るからだ。しかし竹島問題を日本が譲ることは、日本側としてはあり得ないから、永遠に言いがかりの材料はあるわけだ。

 今回の慰安婦問題の電撃的な妥協は、アメリカの強い要請によるもので、韓国政府の本意ではなかっただろう(韓国国民を納得させることが難しいだろうから)が、中国に経済を偏重しすぎたために、中国の経済変調にダメージを受けている韓国経済を、いざというとき救済可能な国は日本しかないことも考慮してのことだろう。日本国民の反韓感情を緩和しなければならない、と計算したということだ。

 それが証拠に日本人の反中国が80%以上なのに、反韓国は60%台におさまっているというアンケート結果であった。反韓は多少ながら減っているようだ。日本人は人が好いのである。私などは逆だけれどなあ。

2016年3月19日 (土)

今日と昨日

今朝の秋田駒ヶ岳。


Dsc_8619

山の上部が雲に隠れている。小雨。

Dsc_8617

昨日の秋田駒ヶ岳。

黒森展望台(宿のすぐ近くにある)からの昨日の田沢湖。

Dsc_8609

今日の同じ場所から。

Dsc_8621

雲海のなか。

Dsc_8623

雲海の端っこ。

ナビによると今日の宿、魚津まで700キロ。ほとんど高速を使っても夕方になる。朝八時過ぎ、食事してすぐ出発。

まず東へ東へと走る。そして東北自動車道の盛岡インターに乗る。何と盛岡の近くまで北上していたのだ。ここからなら八幡平など行きたいところだらけだけれど、次の機会にしよう。来たばかりなのにまた来たくなる。

あとはひたすら東北道を郡山まで南下。そこから磐越道に移る。会津を右手に見ながら新潟へ。小雨交じりの雲間から、突然磐梯山の勇姿が眼前に見える。

停めるわけにはいかない。磐梯山というパーキングに着いた頃には肝心の磐梯山はまた雲のなかに消えていた。

磐越道は途中から一車線の対面通行になり、しかもトンネルだらけとなる。ここで大型トラックや低速の車がいると、たちまち流れが悪くなる。今回は追い越し設定箇所がタイミング良くあって、思ったよりロスがなかった。

新潟を過ぎて北陸道へ。五泉や見附など、昔仕事で走り回ったところを通過。なつかしい。

小雨が本格的な雨になる。前を走る車の水しぶきで視界は悪いし、車がドロドロになる。

長駆700キロ、予定の五時より少し前にホテルに到着。
10階なので海が見える。もちろん蜃気楼は見えない。

明日は水族館と埋没林を見る予定。まだ元気である。

神秘の田沢湖

Dsc_8614

宿の窓から見える秋田駒ヶ岳。

Dsc_8616

アップで。

宿に入る前に田沢湖を一周した。

Dsc_8553

斎藤茂吉の歌碑の前から。

Dsc_8552

歌碑。本人の字のようだ。

Dsc_8555

田沢湖の静かなたたずまい。

Dsc_8582

御座石神社に立ち寄る。

Dsc_8579

由緒書き。ここは辰子像の原型があるところ。

Dsc_8584

辰子像。永遠の若さ飛びを願ったら、それがかなえられた代わりに龍になった。龍というより半身が蛇身となったようだ。

自分の美を誇りながらも、蛇身になったことを後悔して苦悶する像だそうだ。哀しい。

Dsc_8565

神社の前から湖底を覗く。

Dsc_8569

湖は深く、青く、人を吸い込むような怖さを感じさせる。

Dsc_8591

これは湖岸から見た秋田駒ヶ岳。宿からの山と方向が違う。

本日帰路につく。ただ、一気に帰るのはさすがに無理なので富山の魚津に泊まる。それもずいぶん遠いのだが、田沢湖の神秘的な深味を見たので、魚津の埋没林を見たくなったのだ。

今日はひたすら走る。

2016年3月18日 (金)

角館(かくのだて)

鳴子から帰るつもりがさらに北へ流れている。


いまこんな所にいる。

Dsc_8611

ホテルの窓からの絶景。秋田駒ヶ岳である。この宿はその中腹にあり、もう少し(あと2キロほど)行くと有名な乳頭温泉がある。水沢温泉郷というこの辺りの小さなペンションに泊まったことがあるけれど、ここは初めて。

今朝はゆっくり出発して、角館に行った。

ナビに従えば、鳴子から鬼首温泉を通るのだが、尿前の関の手前から新しい道路が通じているので、ナビを無視してその道を行く。なにもない道を走ると、広くてトンネルの多い快適な道である。ナビは沈黙している。以前は鬼首へはダムのそばの狭い道を走らなければならなかったから、これでだいぶ楽になった。

二時間あまりで角館に到着。

Dsc_8517

角館は雪か桜か、その時期が最高なのにその時期に来たことがない。混むのは嫌いだし。

Dsc_8522

おなじみの景色なのだが、緑が少なくて今ひとつ、らしくない。

Dsc_8524

いつもの青柳家は今回はパス。この右手の塀がそうである。角館に行ったら青柳家は絶対寄るべし!

Dsc_8529

みな、しだれ桜。

Dsc_8535

このように主要な樹には番号が付いている。

Dsc_8531

岩橋家、というところを少し覗いた。

Dsc_8532

屋敷内は人が住んでいて入れない。ただ、11時半頃から、昔話をしてくれるので、時間を合わせて尋ねるとよろしい。

Dsc_8544

ここでそばを食べたかったが本日は休み。

Dsc_8550

こちらで手打ちうどんをいただいた。稲庭うどんのやや平たくつるりとした細打ちのうどん。キノコそばを頼んだらキノコもうどんもたっぷりで汁も美味しかった。

Dsc_8549

店内に桜の時期の写真が。しだれ桜の古木が満開だったら、さぞ見事なことであろう。

このあと田沢湖へ行く。田沢湖は秋田駒ヶ岳の麓にあるのだ。

帰り道

清川から宿へ帰る帰り道、二カ所ほど立ち寄りした。


Dsc_8497

清川から国道47号線に戻ろうとすると、大渋滞している。
工事していた場所もあったがここからは遠い。最上川へ目を転ずると、雪どけ水を集めて速い流れに浮かんでいるものが見える。

写真では粟粒のようにしか見えないが、凄いスピードで流れに乗っている。カモなどの渡り鳥のようだ。飛ぶより流れに身をまかせて距離を稼ごうというのだろうか。

交通事故でもあったのか、パトカーが何台もいたけれど、処理が終わったのか、いつの間にか渋滞は解消した。

Dsc_8500

古口の戸沢藩船番所。ほんとうの船番所があったところはもう少し西寄りで、石碑が建っている。ここが古口の遊覧船の発着所になっている。

Dsc_8510

四季折々の船遊びの名目が書かれている。

Dsc_8499

ここで昼食。ざるそばと芋煮のセットをいただく。そばは太うちで腰がある。まだ寒いからか、客がほとんどいない。

Dsc_8503

乗船場の方へいってみる。

朝霧や 船頭うたふ 最上川

 という子規の句碑がある。

Dsc_8504

おキヨさん、最上川舟歌ですよ。ただし中国語の最上川舟歌。

Dsc_8505

こちらは英語。最上川舟歌は歌い方によってとても哀調があってしんみりした歌なのだが、普通は元気よく歌われる。
大学の先輩が唱う最上川舟歌は絶品だった。それ以上のを聞いたことがない。

Dsc_8506

舟が出て行く。

Dsc_8508

流れが速いからあっという間に離れていく。

このあと封人の家(ほうじんのいえ)を見に行く。もう鳴子に近い。

Dsc_8511

蚤虱 馬の尿する 枕もと

  芭蕉の句である。尿はここでは「ばり」と読ませるとされているが、「しと」だという説もある。鳴子の坂を下りたあたりに「尿前の関」という昔の関所跡があり、そこに芭蕉の像もあるが、ここは「しとまえのせき」と読む。

Dsc_8513

封人の家もまだ冬支度のままで、休業中。入れないし覗けない。芭蕉はここに二泊した。

Dsc_8515

分水嶺があるのだが、遊歩道は雪の中。ぼんやりそちらを見ていたら、リュックを背負った初老の男が分水嶺の方からひょっこり現れた。

足元が雪用の装備だけれど、それでも大変だったらしい。写真が趣味だそうだ。聞いてみたら、雪が溶けてから観た方が好い、とのこと。

このあと、尿前の関に立ち寄ろうかと思ったが、駐車場から急な階段を降り、さらに山道を少し歩かなければならない。たぶん雪が残っていて滑るおそれがありそうなので断念した。

買い出しをして宿に帰り、温泉に飛び込んで「うーっ、極楽極楽」と小声で呟いた。

その宿も本日引き払い、田沢湖の近くの山荘へ行く。

2016年3月17日 (木)

再び清川へ

清河八郎記念館をどうしても訪ねたくて、もう一度清川へ向かった。


Dsc_8484

国道47号線を西へ。こういう軽で枯れ葉マークの車が前に次々に現れるので、なかなかスピードが出せない。遠くの山にはまだ雪が残っている。

Dsc_8485

よかった!今日は開いている。

Dsc_8496

先日の雪囲いのなかの清河八郎座像、というのはこういう姿なのである。

Dsc_8495
清河神社は御祭神が清河八郎なのであった。

清河八郎記念館の中は撮影禁止。女性の館員が二人でしっかり見張っているのだ。「どうしてもだめか?」と聞いたら、「ごめんなさい、きつくいわれているのでだめです」とのこと。

館内は寒い。ひとまわり館内を見まわしたあと、ストーブに当たっていたら、御茶を出してくれた。

清河八郎についての事跡と交友関係、系図などを見る。そして頭山満や山岡鉄舟、徳富蘇峰などの大きな額などが目をひいた。彼の愛用したいくつもある落款がすばらしいので写真に撮りたかったのになあ。

清河八郎は34才で暗殺された。

Dsc_8516

この冊子を購入。今回の収穫はこの冊子と、彼が母親と伊勢参りや安芸の宮島などを周遊した日記が残されていて、それが「西遊書」という署名で岩波文庫に収められていることを知ったことだ。帰ったら探して購入しよう。

右の地図をもらって芭蕉が下船した場所へ行ってみる。

Dsc_8486

芭蕉上陸の地の石碑。坂の上が最上川の土手である。

乗船したのは古口のさらに上流、本合海(もとあいかい)というところで、そこにも碑がある。

Dsc_8491

芭蕉の石像。後ろは清川小学校。

Dsc_8488

「五月雨を集めて早し最上川」の石碑。

Dsc_8494

清河八郎生誕の地、と立て看板はあるが、それだけ。

このあと古口の乗船場へ行ってみることにする。

こんなところに滞在している

Dsc_8472_2

こんなところに滞在している。風呂場は大きく深く、湯は黒色がかった茶色で独特の臭いがある。天井は高く、大きな梁が通っている。完全な自噴泉の掛け流し、加水も加温もしていない。震災のあと湯量が減り、露天風呂は冬の冷気に冷めてしまうので、四月まで使えない。

鳴子温泉郷は川渡温泉、東鳴子温泉、鳴子温泉、中山平温泉、鬼首温泉の五つの温泉の総称で、いまいるのは川渡温泉の外れ、東鳴子温泉寄りの宿だ。

湯治宿のようだが、残念ながら自炊設備はない。だから食事は食べにでるか、買い出しに行ってそれを温めて食べることになる。お湯を沸かすことは出来るし、電子レンジもあるので、何とかなる。冷蔵庫にビールをしこたま買い込んで、夕方湯に入ったら、そのあとはつまみをつまみながらチビチビとやっている。ビールのあとは地酒の浦霞、まことにうまい。

温泉三昧と読書三昧をするつもりなのに、ついでかけたくなってうろうろし、そうでなければゴロゴロとしていつの間にか寝込んだりしている。

昔テレビで「紅はこべ」という白黒映画を観たけれど、主人公が、「疲れを取ろうとして風呂にはいりたおしたら、却って風呂疲れしてしまった」という台詞があって、それがずっと忘れられない。

「紅はこべ」というのはフランス革命時代に無為に殺される貴族を助ける義賊集団の親玉で、怪傑ゾロのような仮面を被っている。実はイギリスの若い貴族なのだが、その正体が露見しそうになったそのとき、とっさに追及をかわすために言った台詞なのだ。

ストーリーはほとんど記憶にないのに「風呂疲れ」ということばが頭にこびりついてずっと離れないのだ。まさにいま、そんな状態か。

レストハウスはまだ閉まっているのを承知で鳴子峡のドライブインに行ってみる。

Dsc_8473

いつもならまだ雪で入れない駐車場は、水浸しながら侵入可。

Dsc_8476

展望台への道は雪が残っていて歩きにくい。

Dsc_8479

レストハウスはクローズしている。

Dsc_8475

有名な鳴子峡の景色。紅葉の時は絶景なのだが。下の遊歩道は雪だらけで、もちろん入ることができない。

買い出しして宿に戻る。

Dsc_8469

部屋の窓からの風景。日差しが暖かい。

Dsc_8471

角部屋なので、もうひとつの窓からはまだ雪の残る山が見える。

読みかけの本が三冊、たぶん今日中に読み終わるだろう。

次回は、昨日もう一度訪ねた清河八郎記念館の話など。

岩出山城址

Dsc_8448

有備館の目の前が有備館駅。そこに伊達政宗の騎馬像が置かれていた。数年前に来た時には無かったものだ。この像の善し悪しについてはコメントを控えておく。

Dsc_8449

有備館駅はフレンドリーな駅とでもいおうか。有備館に来たい人は東北新幹線に乗って古川まで、そこから陸羽東線に乗れば良い。このおばさんたちもそうしてやって来たようだ。

Dsc_8457

有備館の隣は広々とした公園になっていて、後ろの砂岩の山が岩出山。上が岩出山城のあったところ。

車で上まで行けるのだが、もともと人が上り下りすることしか考えずに作られた道だから、狭い。すれ違うことは不可能。狭い道は大嫌いなのに、滝やお城が好きだといつもこういうところへ来てしまう。

Dsc_8458

岩出山城址の石碑。苔むしている。誰もいない。

Dsc_8462

岩出山の町を見下ろす。

Dsc_8460

ぎょっとするような大きく白い伊達政宗象。

Dsc_8463

よく見るとちゃんと隻眼である。

Dsc_8465

伊達政宗の立像については由緒書きの通り。

お城の上には桜の古木があるから花が咲いたらきれいだろう。いまはこの政宗立像以外にはなにもないし、誰もいない。

2016年3月16日 (水)

有備館

Dsc_8443


有備館は岩出山にある。岩出山は鳴子の隣町。伊達政宗が生まれ育ったのはこの岩出山で、江戸時代は伊達氏の支藩だった。

有備館は藩主が隠居したあとの隠居所として岩出山の山城の下に建てられ、後に庭園内に藩の学問所が併設された。それを有備館という。

2011年の東日本大震災の時にこの有備館は倒壊してしまい、再建中だったが、ようやく再建が完了したところだ。

Dsc_8451

有備館の入り口。現在入園料は無料。何故か。

実は建物は再建されたけれど建物内の備品の設置がまだなので建物には入れないのだ。4月1日から入れるようになるが、そのかわり有料となる。

Dsc_8398

再建された有備館。美しい。

Dsc_8399

庭園もすばらしい。この庭園は以前訪ねている。

Dsc_8400

有備館の濡れ縁。

Dsc_8409

庭園の散策路に椿の老木がたくさん列んでいる。

Dsc_8408

こういうことである。

Dsc_8412

梅も美しく咲いている。

Dsc_8414

茶室のある茶島。入れない。

Dsc_8413

手入れが行き届いている。

Dsc_8433

池の反対側から有備館を望む。

Dsc_8436

山桜の老木。桜が咲いたら美しいだろう。

Dsc_8435

桜の由緒書き。吉野の桜なのだ。

Dsc_8441

椹(さわら)という樹。

Dsc_8442_2

こんな樹である。

ここは兼六園や銀閣寺の庭に匹敵する美しさだと思う。ただし大きさはそれほどではない。近くに寄ったら訪ねてみて欲しい場所だ。

このあと、この庭園の背後にそびえる岩出山という山の上の岩出山の城跡へ行く。

角川(つのがわ)

芭蕉が最上川の船下りをしたのは、現在の遊覧船の発着場よりもずっと上流の古口、というところである。遊覧船は船着き場から遡ってから下ってくるが、当時は船外機など着いていないから、下りは流れに沿って櫂だけで下り、帰りは岸辺からロープなどで引っ張ったものと思う。


その古口が、角川という支流が本流の最上川へ合流する場所である。角川はさらに細かな支流に別れていて、それぞれに集落が点在する。

Dsc_8385

角川である。昔はもっと水量が多かった。このように雪に埋もれている。それでも今年は雪が少ない上に雪どけが早い。

父は子供の頃、この山野を「猿(ましら)のごとく駆け回り、角川の淵に潜って魚を手づかみした」(本人談)そうであるが、あまり運動神経が発達している方ではないように見受けたので、話半分に聞いていた。ただし川で泳ぎを覚えたから、泳ぎはうまかった。

Dsc_8386

まったく記憶が定かではないのだが、この場所が父の生まれた家があった場所ではないかと思う。

Dsc_8389

角川村の鮭の孵化場と看板が掛かっている。ここは以前姫鱒の養殖場だったはずで、それなら父の生家の跡にちがいない。ちょうど昼時なので誰もおらず、尋ねようもない。

ここはとっくに処分したと思っていたら、貸していたということがあとで分かった。その貸し賃(わずかな金額だろう)をずっと叔父(父の一番下の弟)が受け取っていたらしい。叔父が死んでそのことが分かり、関係者一同、村にひきとってもらうことにしたと父に聞いた。詳しいことは分からない。

確認出来たので満足し、最上川沿いの国道47号線まで戻る。そこからさらに東に向かい、新庄を経由して鳴子へ向かう。

途中、瀬見温泉という古い温泉場がある。ここは義経が発見した温泉だという伝説が残る。小国川沿いのひっそりとした温泉で、大きな車は入りにくい狭いところだ。川に架かっている橋のひとつを弁慶大橋という。いつかは寄って温泉に入りたいと思っている。

この辺りから山形県と宮城県の県境の峠までは一軒宿のような小さな温泉が点在する。豪雪地帯である。奥の細道の史跡も点在する。以前吹雪のなかを走ったこともある。そのときも三月であった。

瀬見温泉のはずれに大きなドライブインがあり、休憩にちょうど良い。

Dsc_8391

ドライブインから小国川を望む。

ここで撮った母の写真が遺影に使われた。

母とは何度も鳴子温泉や新庄にきた。父の妹が新庄に一人住まいをしていて、いとこたちが一緒に暮らそうと声をかけても頑として動かなかった。体の具合が悪くなったので、父と母と一緒にこちらを引き揚げるよう説得にいった。

ついに叔母が折れて千葉県の病院に移り、いとこや私の両親が交互に見舞いに行けるようになった。父に先立って亡くなったが、最期を看取ることができた。この叔母は私が学生時代ほんとうに世話になったので、いとこたちとも親しいのだ。

叔母は後妻なので、いとこたちとは血のつながりはない。自分の子供を作るとどうしても自分の子供をひいきにしてしまう、といって子供を作らなかった叔母である。だからいとこたちは、叔母が継母であるなどと思ったことはない、と口々に言う。

Dsc_8393

ドライブインの横にあるこれは何だと思いますか?

夏はここで鮎のヤナ漁をする場所である。いまは鮎の代わりに木ぎれなどのゴミが引っかかっている。

峠を越えて鳴子温泉に入った。

排除する、という選択肢

 北朝鮮の金正恩がますます異常な行動を取りだした。これは世界がどうなっているのかわかっている人から見れば異常な行動であるけれど、金正恩にとってはおかしなことであるとはさらさら考えられないことのようだ。

 普通は取り巻きが、「殿、それはいくら何でも・・・」と諫めるものだけれど(そうでないと自分にとっても不都合だから当然のことであろう)、そんなことを言えばたちまち機関砲で躰を粉々に破砕されるということを覚悟しなければならないとなれば何も言うことが出来ないのであろう。

 そうなると、北朝鮮に対してどんな制裁を加えたところで、金正恩が、自分が間違っているかもしれない、などとはけっして思わない、ということだ。

 つまり制裁は彼の異常な確信を強固にするだけのことで、なにかが希望的方向に向かうことはあり得ない、ということだ。

 ではこのまま手をこまねいていて良いのか。手をこまねいていればどんどん異常者の確信が強固になり、犠牲者が増えるだけ、という事態が続く。

 正義の名のもとに排除もあり、という状況がいまそこにある。

 さあ、誰がそれを決断するのだ。

 決断しないことの結果を想像出来ない人々は、けっして責任を取らずに逡巡する。そして事が済んでからそれを正義の名のもとに糾弾する。

2016年3月15日 (火)

清川町と最上川

Dsc_8373


これは誰でしょう。清川出身の清河八郎です。

Dsc_8372

清河八郎座像は、雪よけのために木箱のなかにいれられ、まん中だけ見えるようになっていた。

私の父は清川町の隣の戸沢村の出身である。というより、もともと角川村、といった最上川の支流の角川を肘折温泉の方に入ったところの豪雪地帯である。

そういう縁もあり、この清河八郎が単に策士であるとして切り捨てられない関心を持っている。やはりこの地方、庄内に生まれた藤沢周平が、清河八郎について小説を書いていて、その思い入れがなんとなく分かるのである。

そういえば維新の志士たちはいまでいえばテロリストであり、策士が多い。どうして清河八郎だけがあれほど憎々しげに扱われるのか。

人間的に倨傲なところがあった、ともいわれるが、それだけだろうか。東北出身であったことのハンディがあったのではないか。たとえばことばの問題なと。いろいろ思うことはあるので、清河八郎記念館で何か知識を増やしたい、と思ったのだけれど。

Dsc_8371

ということで、清河八郎記念館を一度訪ねたいと思ってやって来たのであるが・・・。

なんたることか、休館日であった。口惜しい。

清河八郎記念館は清川神社の前にある。

Dsc_8377

今年は雪が非常に少ない、といってもこの通りである。

Dsc_8375

社殿はまだ雪の中。雪用の長靴がないと行くことが出来ない。

一度最上川まで戻り、遊覧船の発着場を見に行く。

Dsc_8378

最上川は満々と水を集めている。

五月雨を集めて早し最上川ではなく、もう雪どけ水がどんどん流れ込んでいるのだ。

Dsc_8380

下流の酒田方面と遊覧船の発着場。遊覧するのはここから上流方面、最上峡といわれるあたりだ。

冬だから遊覧船はでていないのだろうと思っていたら・・・。

Dsc_8382

何と運行しているのだ。

Dsc_8384

やがて発着場に近づいてきた。

時間はあるので舟に乗るか、父の生まれたあたりを見に行くか迷う。結局角川村方面に向かう。

好きな場所

他の人にはそれほどでも無さそうなのに、好きな場所というのがある。何度立ち寄っても、又近くへ行ったらそこへ行きたくなる。


名勝・笹川流れは、10キロあまりの、奇岩がつづく海岸の総称で、笹川村(現村上市笹川)にあるのでそう呼ばれた。海岸から沖への強い潮流があることから、流れ、というらしい。遊覧船もでている。海側から見たらさぞすばらしい景観だろう。

車を停められる場所はそれほどないけれど、この場所が私のお気に入り。

Dsc_8352

白い車は愛車のアテンザ。階段から下におりられる。

Dsc_8353

もう少し海側へ視線を移すとこうなっている。

Dsc_8356

左手の道路の下側の砂浜は満潮の時には水没する。あるとき潮が上げてきて、ぐるりと海水が回り込むのを見たときはちょっと感動した。

Dsc_8359

下へ降りて洞窟になっているところをのぞき込む。向こう側へ通じているのだ。

足元の岩場は海藻などで滑るので、危ない。若いときはテトラの上を飛ぶように渡って釣りをしたのに、いまはよろよろしているのが情けない。でもこんなところで転んだら怪我なしでは済まない。

Dsc_8365

降りてきた方を見返る。トンネルとトンネルの間のわずかな場所なのだ。羽越本線が並行して走っている。

Dsc_8368

向こう側に回り込むと、向こうにも洞窟が見えるが、そばにはよれないようだ。

Dsc_8369

こんな石碑があった。頼山陽の孫の賴新という人のこの笹川流れの賛だ。こう読めたけどそれで良いのか。

松島

   美簾ありて

      この奇抜なし

男鹿

   この奇抜ありて

      この美簾なし

つまり笹川流れは美しい上に奇抜だ、すばらしい、ということなのだろう。

このあと鼠ヶ関から酒田をぬけて清川というところに向かう。
何を目指しているのか、それは次回。

日本海を北上している

村上から三面川を渡り、海岸沿いに北上している。


小雨交じりだった天候が、次第に回復して雨が止んだ。

Dsc_8330

こんな天気だったのが、

Dsc_8341

おお、何と青空が覗きだしたではないか。

Dsc_8336

カモメが沢山いる岩場が見えたので、見に行く。粟島も見える。鳥居があるから、この島がご神体なのか。

Dsc_8338

みゃあみゃあと泣いているから、海猫か?花の名前、木の名前、鳥の名前、虫の名前、ほとんど知らないのが残念だ。ものを知るにはまず名前からなのだけれど、教えてもらってもすぐ忘れるし、区別がよく分からない。魚だけは結構自信がある、図鑑もいくつか持っているし、水族館も大好きだから。

Dsc_8344

カモメが飛んだ。

Dsc_8347

駐車場にこんな石碑が。

人は海 とわに かなしき 愛 こぼす
         冬樹

と記されているようだ。なるほど、海もこぼすのか。

いまとりあえず目指している名勝・笹川流れはもうすぐだ。


2016年3月14日 (月)

今朝の写真

Dsc_8468


 鳴子温泉の湯治宿にいる。買い出しをすませ(とにかく食事なしなので、食べにでるか自分で調達するか、自分で料理しなければならない)。そのかわり、四泊でジャランのポイントを使って、1.5万円ちょっとである。それで風呂は24時間入り放題。


 いま、途中で手に入れた「浦霞・辛口純米」を飲みながらつまみをつついている。この酒、美味い、浦霞は昔パイロット店が神田にあって、そこで初めて飲んで好きになった酒である。宮城の酒で、この鳴子も宮城県なのだ。

 今朝の話に遡る。朝のブログを流したあと、散歩がてら数枚写真を撮ったので、紹介する。

Dsc_8321

これがホテル前にぶら下がっていた鮭。ほんとうに大きいのだ。

Dsc_8322

これが泊まった宿、「磐舟」、もともとそば屋だったらしい。左手高台が風呂になっている。

Dsc_8328

源泉を持っているのだ。

Dsc_8325

かろうじて見えているのが粟島。

Dsc_8327

この方向に佐渡が見えるはずなのだが。小雨交じりで寒い。ところが宿を出て、笹川流れに向かって走り出したら・・・。

次回に続く

粟島しか見えない

 朝食バイキングは向かいの大観荘ホテルへ食べに行く。すばらしい眺望の食堂だ。たぶん部屋からも、風呂からもすばらしい眺望にちがいない。しかしながら今日は小雨にけぶり、かろうじて粟島が見えるだけである。

 ホテルの入り口に大きな(ほんとうに大きな)鮭が二十本ほどぶら下げられている。小さな値札が付いていて、みな一万円を超える。でもその値打ちは充分ある。脂がのって焼いて食べたらうまそうだ。

 バイキングの種類はそこそこ、それぞれに美味しい。ハタハタの燻製風に干したものが珍しい。鮭も小さな切り身が山盛りで、はらみのとこばかりを選んで取ってしまった。ごめんなさい。脂っこくないのが好きな人もいるであろう。

 こういうとき、野菜はほとんど取らないけれど、温野菜が美味しそうなので、少し余分目にいただく。あまりないことである。

 何とか天気が上がってくれると好いのだが・・・。天気予報を見ると、北関東や信州は雪が降るらしいが、こちらは雨が降ったり止んだりで、昼過ぎには上がる模様だ。ここからに三十分の処にある、笹川流れ、という景観の好いところへ寄るかどうか思案中。青空と青い海だからこその景色なので。

 夜には、もし取れたらその写真を掲載するが、ないかもしれない。

爆睡する

 村上市の瀬波温泉にいる。夕食後にゆっくり風呂に入る。露天風呂は照明がなく、内風呂から漏れる明かりのみで、足元が暗い。酒も入っているし、滑るのがこわいので、やめておいた。どうせ景色は見えないし。

 地酒がたくさん用意されていて、好きな酒を選ぶ素焼きのコップになみなみとついで、受け皿にもこぼしてくれる。八海山、〆張鶴、久保田、越乃寒梅、雪中梅、菊水ほか、八種類ほどの酒が飲める。みんな飲み比べたいけれど、菊水と雪中梅の二杯だけにした。

 お陰で昨晩は本は読みかけ、明かりはつけっぱなしで爆睡した。夜中に明かりを消して再び爆睡、こんなにぐっすり寝たのは久しぶりだ。寝覚めはとてもさわやかである。

 今朝は小雨。朝食は向かいの海岸側の大きなホテルでバイキングとなっている。雨だからうっとうしい。

 本日は日本海側を北上し、酒田あたりから最上川沿いに東に向かい、新庄を経由して峠越えし、鳴子に入る。雨ではなあ。

2016年3月13日 (日)

日本海を前にしている

Dsc_8313 富山を過ぎて、魚津あたりで立山を撮影

 今日は高速に乗らずにすべて地道で走るつもりなので、朝五時過ぎに出発した。本日の目的地は新潟県の一番東、もうすぐ山形県という村上市の瀬波温泉だ。

 普通なら小牧から東名高速に乗り、小牧ジャンクションで中央高速に移り、岡谷から長野道を北上、上越でさらに北陸道へ、というのが定番コースだ。

 それを小牧で高速に乗らず、そのまま国道41号線を北上、高山を経由して富山へ、そこから国道8号線をひたすら東へそして北へ向かう。

Dsc_8314_2 立山の特に険しいあたりをアップで

 走行距離500キロあまり、途中眠くなったので仮眠したり、食事したり、トイレ休憩したりで結構休んだ。宿には4時前に到着。

 地道の走行は高速よりもずっと時間がかかるから疲れる。田舎はやたらに遅い車、信号が変わってもなかなか発進しない車などが多くてストレスもたまる。大型トラックや軽自動車が前にいると運転しにくい。特に枯れ葉マークの車で、スピードを上げたり下げたりしている人はどんなつもりでいるのだろう。ちゃんと走っているつもりなのだろうか。

 天気は曇り、青空は望めなかったが、そのかわり暖かい。

Dsc_8318 親知らずの手前にて。北陸は山が海に迫っている。

 一番の難所は親知らず。ここは道が狭いのにトラックが多く、しかも飛ばすので雑な運転をするとひやっとする。途中、崖の上で車を停めるところがあるのだけれど、曇り気味なので、写真はあまり期待出来ないと思ってパスした。

 立山が、春の曇り空のわりにはけっこう姿が見えた。ただ肉眼で見えても写真には写りにくいようだ。

Dsc_8319 ようやく親知らずを超えて一息入れた。

 宿に到着してざっと一風呂浴びた。ハロゲンの臭いがする。成分を見たら、臭素成分が多い。うっすらと茶色い色をしたお湯で、床がすべりやすい。食後一息入れたらゆっくりと入り直すつもり。

 風呂は展望風呂で、日本海が目の前だ。右手に粟島、左手奥にうっすらと佐渡が見えている。

 この近くの小さなホテルに母と泊まったことがある。そのときは夏だったので花火が上がった。村上市は母が幼い頃何年か暮らした場所だというので、駅前や三面川(みおもてがわ・鮭漁で有名)のあたりを車で走り回ったら喜んでいたことを思い出した。

今朝の「北へ流れる」というブログは、中身を貼り付け忘れたらしい。寝起きで、下書きを一太郎で作成して貼り付けたつもりで忘れていたのだろう。

いまさら遅いけれど、貼り付け直しておいた。

北へ流れる

 漂泊の思いやまず(おおげさな!)、今日から一週間ほど北へ流れる(小林旭大好き、裕次郎は好きではない)。本を少し余分に抱えて、のんびりするつもりだ。一ヶ月くらいさすらいたいが、いまはまだそれはかなわない。

 今晩は新潟県、明日から数日、いつもの鳴子温泉、ただし宿は初めての湯治宿、食事はなしで、自炊か外食とする。そのあと田沢湖近くの山荘に立ち寄り、富山に一泊してから帰宅する予定で宿をとった。安宿と地道主体のケチケチ旅行を楽しむ。

 今回は写真を撮ると言うより、命と心の洗濯をして読書三昧、そこで思ったことをブログに書くということになりそうだ。

 では行ってきます。

2016年3月12日 (土)

笠寺観音と一里塚

笠寺観音は正式には笠覆寺(りゅうふくじ)という。天平時代(8世紀)に創建されたが、その後荒れ果てた。百年ほど後、藤原兼平という人がここへさしかかったとき、雨に降られた。その時、屋根なしで雨に濡れている地蔵尊に笠をかぶせている若い女を見初め、彼女を妻とした。そしてこの寺を復興させたという。


Dsc_8269

笠寺観音の山門。庶民的な雰囲気。

Dsc_8270

だいぶ古ぼけて傷んでいる。

Dsc_8272

六地蔵由緒書きがある。笠地蔵も関係あるのだろうか。

Dsc_8273

二重の塔。前の石碑をよく見ると・・・。

Dsc_8274

今川義元の処に人質に出されたはずの幼少時の家康は、尾張の信長に奪われる。後、結局今川に渡されることになる。ここがその交換の場所だったらしい。

Dsc_8275

本堂。幟がにぎやか。

Dsc_8278

罰当たりなことに写真を撮る。

Dsc_8281

墓地の手前に相撲取りの墓があった。大ノ山という相撲取りは知らない。

Dsc_8288

山門前には池がある。

Dsc_8287

よく見ると亀が・・・。放生池らしい。生き物を放すと御利益があるのだろう。

このあと近くにあるという一里塚へ向かう。

Dsc_8290

一里塚のあとを示す石塚。

Dsc_8289

一里塚の横には榎などを植えて目印にしたという。それがこんなに大きくなった。名古屋近辺では昔のまま残っている一里塚はここだけだという。

Dsc_8284

さらに成海神社へ向かう。少し遠い。椿の花が咲いている。

Dsc_8299

花びらが散り敷いて赤い絨毯になっている。

Dsc_8303

成海神社は郷社だが、立派な神社であった。

Dsc_8308

創祀千三百年というから古い。

Dsc_8309

若い女の人が、ぽつりぽつりとお参りにくる。なにかとくに御利益がある神社なのだろうか。

成海神社というのは鳴海という地名と関係あるのだろう。

有松や鳴海は絞り染めが有名で、古い町並みが残されているという。そちらへ向かうつもりが、いつもの方向音痴の病が出て、まったく方向違いに歩いてしまい、疲れ果てたので、次回又来ることにして帰途についた。

川童(かっぱ)の話(柳田國男「妖怪談義」から)

 柳田國男が収集した川童(カッパは河童と書くのが普通だが、この本では川童としている)の話

(一)肥後の天草には川童多く住み常に里の子供を海へ連れて行き水泳を教えてくれる。その言う通りにすれば何の害もせぬが、機嫌を損じると甚だ怖ろしい。子供らは時々親に頼み川童を喚(よ)んでご馳走をする。その姿小児らの目には見えて父母には見えず。ただ物を食べる音ばかりして帰るときには椀も茶碗も皆からである。これは佐賀の藩士の宅へ奉公に来ていた天草の女中の談。

(二)佐賀白山町の森田藤兵衛なる者かつて対馬に渡り宿屋に泊まっていると、夜分に宿の付近を多人数の足音がして終夜絶えなかった。翌朝亭主にどうしてこう夜歩きする者が多いのかと聞くと、あれは皆川童です、人ではありません。川童は昼は山におり夜は海へ出て食を求めるので、このごとく多くいても別に害はせぬものだと語った。

(三)肥前では人の川童のために殺さるる者あれば、その葬には火を用いしめず。衣類から棺まで白い物を用いさせぬ。これを黒葬といい、黒葬をすればその川童は眼つぶれ腕腐って死ぬものだという。

(四)佐賀高木町の商家の娘十一二歳の者、寺子屋の帰りに隣家の童子に遇い、観成院の前の川で遊ぼうと約束しておいて、家へ戻って食事をし出て行こうとする時、親がこれを聞いて用心のために竈の神様を拝ませ、荒神様守りたまえとその子の額に竈の墨を塗って出した。約束の童子つくづくと娘の額を見て、おまえは荒神の墨をいただいて来たからもう一緒に泳ぎたくないといって憮然として去ったとある。それで川童であることが顕われた。

桶狭間古戦場

司馬遼太郎の「街道を行く」最終巻、「濃尾参州記」を見て、桶狭間の古戦場に行きたいと思っていた。

調べたら名鉄で一本でいける。最寄り駅の中京競馬場前までは普通電車でも一時間かからない。古戦場跡は駅から五分くらいとすぐそばである。
Dsc_8237
伝説地、とあるからとりあえずここということにしておこう、ということなのかもしれない。
Dsc_8238
小さな公園になっている。手入れが行き届いて緑も多く、気持ちの好い公園である。
Dsc_8242
ここで今川義元が討たれたと記され、今川義元の墓が建てられている。遺骨は納められていないようで、明治時代に建てられた墓のようだ。
ほかにも戦死した武将の小さな石碑や、歌碑などもある。
この公園の前の道路を挟んで、高台に高徳院という真言宗の寺がある。もともとは高野山にあった古い寺で、こちらに移されたものらしい。
Dsc_8248
名鉄の線路は一番低いところを走っており、この高徳院は高台にある。道路が谷筋のように駅に向かって下っている。
そして線路を挟んで中京競馬場や大学や住宅街が広がっているのだが、そちらも高台になっている。
Dsc_8250

高徳院の境内に今川義元の本陣跡がある。ここは高台なので、駅方面の低いあたりから、その向こうに後背地となる高台を望む、ここに陣を敷いたものと思われる。

Dsc_8251

香川景樹という歌人の歌碑。

Dsc_8252

大好きな石仏。沢山あって撮り出すときりがない。

Dsc_8258

広い墓地の向こうに塔が見えたので行ってみる。

Dsc_8259

何の塔だか分からない。

Dsc_8256

梅が香っていた。

Dsc_8260

山門の外にも石仏が列んでいる。

Dsc_8268

駅へ戻ると、行くときに気が付かなかった銅像があった。

お節句のときの家族の容子を像にしたものであろうか。それにしても全員無表情。像だから命あるものではないが、これでは冷たすぎるように感じた。

どん姫が来まして・・・

 バカ親父として生きていますが、娘のどん姫に甘えたいときもあるわけで、声をかけたらいつものようにちょっと間を置いて、やって来てくれました。

 娘がしっかりして、親父が酩酊して、いつものように夜が更けていきます。とはいえ、どん姫は仕事の疲れもあって、先程から眠りにつきました。私は酩酊のまま、酒を飲み続けています。

 お休みなさい。

2016年3月11日 (金)

平野雅章編「魯山人味道」(中公文庫)

Dsc_8058
 子母沢寛の「味覚極楽」を読んでいるが、ついでにこの「魯山人味道」を繙いた。北大路魯山人は通人として著名である。食通であるだけではない。料理も自らつくるし、料理を供する器も自ら作陶する。芸術家であり鑑定家でもある。
 巻頭の「序に変えて」で
 私たちが料理をとやかく言ったり、美味い不味いを口にしますと、ぜいたくを言っているように聞こえて困るのですが、私が言うのはそうじゃないのです。
 料理の考え方ひとつで、仕方ひとつで、物を生かして美味しくいただける工夫、すなわち経済で美味・・・それです。心なしの業で物を殺してしまっていることが往々にありますが、それをもったいないと言うのです。よいものをわるいものにして食べている事実を見るたびにそう思います。
 良い材料を殺して、つまらないものにしてしまうのは、第一、造物主に対して、済まぬことであり、罰が当たるでしょう。自分としても損失であり、恵まれないことでもあります。

 なるほど、その通りだな、と思う。思うので読み進めていくと、やたらに何処其処の何は美味いの不味いの、そればかりが延々と書かれていて、どうも読み進めるのがしんどい。
 言っていることは確かなのだろうけれど、あまりにも自分の好みばかりが表に出ているようで、しかもその材料に対する潔癖さは過敏に過ぎるように思われる。
 そう思うこちらが鈍感粗雑であることは認めるが、当方は食通は健啖を持って多とする、と思っているので、肌合いが違いすぎる。どうも読了することが出来るかどうか、危ういので途中で紹介だけしておく。
 食通を自慢したい向きは、この本を拳々服膺、蘊蓄を語れば、知らない人に感心されることだろう。

濃尾に残る類似の伝説(柳田國男「妖怪談義」から)

 いずれも木曽の川筋にあるから、源流はすなわち一つであろう。尾張の犬山でもヤロカ水、美濃の太田でもヤロカ水といって、大洪水のあったという年代は別々でも、この名の起こりはまったく同じであった。
 それは大雨の降りつづいていた頃の真夜中に、対岸の何とか淵のあたりから、しきりに「遣(や)ろうか遣ろうか」という声がする。土地の者は一同に気味を悪がって黙っていたのに、たった一人が何と思ったか、「いこさばいこせ」と返事をしたところが、流れは急に増してくる、見る間に一帯の低地を海にしたというのである。
 これと同様の不思議は明治初年に、入鹿池の堤の切れたときにもあったというが、それも一種の感染としか思えない。
 木曽の与川の川上では古い頃に、百人もの杣(そま)がはいって小屋を掛けて泊まっていると、この杉林だけは残しておいてくれという、山姫様の告(つげ)があった。それにもかかわらず伐採に取りかかると、やがて大雨が降って山が荒れ出した。そうしてこれも闇の夜中に水上の方から、「行くぞ行くぞ」としきりに声をかけた。小屋の者一同が負けぬ気で声を合わせ、「来いよ!」と遣り返すとたちまち山は崩れ、残らず押し流されてたった一人、この顛末を話し得る者が生き残った。
 話しはこういう風にだんだんと怖ろしくなってくるのである。

 尾張名古屋地区に住むので、なじみの地域の話しとして興味深い。木曽川は水量が多く、古来水害が頻発した。私の記憶でも十年に一度くらい記録的な大雨が降って大きな水害が発生しているような気がする。特に水害の多い地区には、農家などの軒下に木船が置かれているのを見る。入鹿池はあの明治村の前の大きな池で、村内の、池を望む場所に水害の記録などが残されている。

柳田國男「妖怪談義」(講談社学術文庫)

Dsc_5269

 この文庫に収められたのは1977年、もとの本は1956年に刊行されている。内容は、民俗学者の柳田國男が雑誌や研究誌などに書いた文章をまとめたもので、ほとんどが戦前に書かれている。民俗学の論文ではないから、いろいろ地方で取材したものや、収集した民俗学的な話のなかから、不思議な話を大まかに分類しながら、簡単な考察を加えた体裁となっている。だから学術に偏らず、読み物として面白い。ただ、戦前の文章をそのまま新仮名遣いにしてあるだけだから、こういう本に慣れないと読みにくいかもしれない。

 取り上げられている話に、是非紹介したい話がどっさりあるので、何回かに分けて引き写してみたい。

(路の怪)
 昔正直な爺様が夜の山路を通ると、しきりに路脇から「飛び付こうか引ッつこうか」と呼ぶ者がある。あまり何度も言うので「飛び付くなら飛び付け」とつい答えると、どさりと肩の上へ重いものが乗りかかった。家へかついで戻って燈の下でひろげて見れば、金銀一ぱいの大きな袋で、これによってたちまち長者になる。これを大いに羨んで隣の慾ばり爺が、同じ時刻に同じ処を通ると例のごとく、これに答えて「引っつくなら引っつけ」というや否や、どさりと背一面に落ちかぶさったのは松脂(まつやに)であった云々。

類似の話

(薩摩の阿久根の近くの山中の、「半助がオツ」という名の崖の由来)
 四助と三助という二人の友だちがあった。或日四助は山にはいって雨にあい、土手の陰みたような処に休んでいると、どこからともなく「崩(く)ゆ崩ゆ」という声が聞こえ、あたりを見まわしても人はいない。四助はこの声に応じて「崩ゆなら崩えてみよ」というと、たちまちその土手が崩れて、沢山の山の薯が手もかけずに取れた。三助はこの話を聴いて大いにうらやみ、やはり同じ山に往って松の木の下を通ると、又どこからともなく「流る流る」という声がする。「流るるなら流れてみよ」と答えたところが、今度は松脂がどっと流れて来て、三助がからだを引き包んで動けなくなった。三助の父親の半助、炬火(たいまつ)を持って山へ捜しに来て、おーいと喚ばわるとおーいと答えるので、近寄って松の火をさしつけたら、たちまち松脂に火が移って三助は焼けてしまい、父の半助は驚いて足を踏みはずして落ちた。それで半助がオツと称するという。

2016年3月10日 (木)

乱れまなこの勝手読み(36)

 民主党の高木国対委員長が、北朝鮮の短距離弾道ミサイル発射について「強く抗議したい」そうだ。

 さらに「政府に対しては、国民の生命、財産、安全を守るために万全の態勢を求めたい」と語った。

 安保法制を戦争法案と決めつけ、全否定する民主党の高木氏の言う「万全の態勢」というのはどんな態勢なのか問いたい。ことばだけで対案がなく、とりあえず言ってみただけ、としか聞こえないが、違うのか。何をせよというのか。

 ネットの産経新聞ニュースで、あの自殺した広島の中学三年生の在籍していた学校がどんな学校だったのか、わかった気がする。そもそもあり得ないまちがいを、たまたま起こしたにしてはあまりに異常なまちがいだと思ったら、そもそもこの学校が異常な学校だったようだ。

 二年前、自殺した生徒とは無関係の、複数の生徒による万引き事件が起きたのは休日であり、その連絡があったとき、宿直の教諭しか学校にいなかった。本来は担任の教師などに連絡することになっているのにそれを怠り、自分で現場のコンビニに直行し、保護者たちを呼んで店に謝罪させて始末した。翌日この件を生活指導担当教諭に報告、この担当教諭はメモも取らずにこの報告を受け、それをあとでパソコンからサーバーに記録したが、この時に間違えて、自殺した生徒の名前を記入した。

 その日に校内暴力事件(生徒による教諭への暴行事件)が発生。担当教諭はその対応に追われたという。後日、この万引き事件が校内の生徒指導委員会で明らかにされた際、配付された資料の生徒名のまちがいが指摘された。教員全員がそれを確認し、そこで資料の訂正が行われたが、サーバーの記録は訂正されずに残ったというのがまちがいの真相である。

 このことについて校長は「サーバーを訂正するという習慣はなかった」と言い訳しているそうだ。馬鹿かこの男は!

 これらのことから想像するに、校内暴力あり、万引きあり、のかなりすさんだ学校なのかもしれない。しかも、まちがいが当たり前に起こり、まちがいがあってはならないという意識もない教師達が雁首を揃えていた、ということだ。自殺した生徒が「どうせ先生に言っても仕方がない」と洩らしていたのは、たぶん担任が本人の抗弁を一切受け付けなかったことの結果だろう。

 体調不良を理由に姿を現さない担当教師は、沈黙しているならいざ知らず、この生徒が万引きを認めたかのようなことを言っているようだ。死んだ者はもう抗弁出来ない。自分に都合の良いように言い訳しているとすれば、唾棄すべき人間で、教師である以前に人間として失格だ。

 「粗にして野だが卑ではない」ということばがある。城山三郎の、石田礼助の評伝の題名にもなっている。好きなことばだが、これも私の友人を選ぶ際の基準になるものである。

 卑とは、人の手柄を自分のもののように言い、言うことをころころ変え、強いものにこびへつらい、平然と人を利用し、他人を貶めることが自分のポジションを上げることだと思っているような人物のことである。

 思えば世の中のいろいろなことに腹を立てることが多いが、そのような卑である人に強く怒りを感ずるようである。

 たとえばアメリカの共和党大統領候補、トランプ氏のような・・・。ほかにもぞろぞろいるけれど、あまり拡げると、いつの間にか自分も含まれそうなのでやめておく。

影響を受ける

 子母沢寛の本を読んでいたら、ある人のことを思い出した。得意先だった200人ほどの会社の社長である。あるときその社長が私が勤めている会社を訪ねたい、と言うのでご一緒した。

 そのときに「O君、銀座の高級クラブの女性は知識も豊富だし、気配りも出来る。どうしてか分かるかね?」と質問された。そんなところに行ったことなどないから答えに窮していたら、「それはね、彼女たちが日ごろ接する人たちが、一流の人ばかりで、その人たちの影響を受けるからなんだよ」と教えてくれた。「彼女たちはせいぜい高卒で、それほど勉強もしてこなかった。けれど、社会的な素養を身につけなければ勤まらないから必死で勉強するし、相手のレベルにひとりでに引きあげられていくのだ」という。

 「だから君もなるべく積極的に偉い人、一目置ける人と出会うようにして、その人たちから良い影響を受け、自分を磨かなければいけないよ」

 残念ながら、その教えを守ることが出来ずに人生の過半を過ごしてしまったが、ただ、つき合う人を選ぶ基準のようなものの根柢にそのことばが生きている気がする。

 自分に悪い影響を与えるような人とは、本能的に合わせることが出来ない。そのことがそのときにはマイナスでも、自分のためには良かったと信じている。

 私のいまつき合っている先輩諸氏、友人諸氏はすべて私にとって良い風を送る人たちばかりだ。ただ、後輩たちに対して、私がそういう存在では無かったことは申し訳ないと思っている。

2016年3月 9日 (水)

もてなし

 いま、子母沢寛の「味覚極楽」という本を読み始めたところだ。作家の子母沢寛が、まだ新聞記者時代に、これは、と云う人を選び、その人に食をテーマにした人生観を聞く、というコラムを担当した。それを集めたのが「味覚極楽」である。

 序に「(自分で読み直してみたら・引用者註)単に何処其処の何がうまいとかうまくないとかいう果敢(はか)ない味覚を語るだけの本ではなかった。良き時代に生まれ、良き時代に育った達人たちが、然(さ)り無げに味覚に托して、人生を語り、その処するの道を論じているのである。」とある。

 一つ一つの話が濃密で、ゆっくり味わいながら読み進めているので、読了するのはいつになるか分からないが、例として一番最初の、子爵・石黒忠悳(ただのり)氏からの聞き書きから一つ引用する。

 牛込早稲田に赤沢閑甫と言う茶人が住んでいた。わしよりは三十くらいも年長だが元気な老人であった。作州津山の藩主松平さんの茶道だったが、お気に入りだったので、御維新の際に茶室を賜った。閑甫翁はその茶室のかたわらに、六畳一間の粗末な家を建て、ばあさんと二人ここに住んで、光風霽月、終生茶を楽しんで終わった。

 わしは友人五、六人と共にこの庵へ招かれたことがある。老人は貧乏、すべて簡素なこしらえで、その茶料理のめし、汁、むこうづけ、とりざかな、ゆずゆもの、香のもの、菓子、茶と型どおりに品は出るが、この汁(味噌汁)の実がしじみ貝、やきものが薩摩いもであった。金にあかした品々よりも茶料理としてはこの方におもむきが多い。わしは汁を吸いながら貝のからを一つ一つお椀の蓋の上へ並べてみた。

 そして「どうもお心づくしの結構なお料理、ことにこの汁はうれしく思います」というと、老人は非常に喜んで、「その汁にお目をおとめ下さってなによりも有難い」といった。しじみの貝がみんな同じ大きさで、つまり粒を揃えたところに老人の心がまえがある。金がないので心で食わせる料理であった。近頃は同じ茶をやってもただ贅沢ばかりで、こんなおもむきのあることをする主人はいなくなった。

*光風霽月(こうふうせいげつ)・・・春の柔らかな光をのせて吹く風と、雨上がりの晴れた空に出ている月。転じて、心が清らかで、何のわだかまりもないこと。

 この子母沢寛の「味覚極楽」を名著であると絶賛する、食に詳しい文人は多い。昔の文人の、何とその懐の深さ、レベルの高いことよ。それを楽しみながら読み進めたい。

飛騨高山(8)

Dsc_8224


陣屋の蔵はこのように大きい。いくつもの部屋に別れていて、いろいろなテーマに従い、展示物が並べられている。

Dsc_8213

火伏石。この石で火事のときに換気口をふさぐ。

Dsc_8214

年貢米が積まれている。飢饉のときなどはこれを供出したのだろうか。

Dsc_8218

大原騒動という、大原親子の圧政に農民が反抗した記録。ほかにも明和騒動、安永騒動、天明騒動など、その他にも一揆が何回もあったようである。そうすると、天領でも農民は楽ではなかったということか。

Dsc_8225

これは蔵ではないけれど、御白洲(おしらす)。拷問道具や罪人運搬の駕籠などが置かれている。

Dsc_8226

こんな拷問を受けたのだ。

Dsc_8215

屋根葺きのくれ板の説明。

Dsc_8217

石を置いた屋根。

Dsc_8203

実際の使われ方。

これで高山陣屋はおしまい。

Dsc_8312

このあと高山のお酒二種類をお土産にして帰途についた。

長々とおつきあい、ありがとうございました。

おためごかし

 広島・府中町の中学生が自殺した。理由は万引きの前科があるから推薦出来ない、という学校の意向に絶望したかららしい。あろうことか、その万引きした、という話が、実はいわれのない、事実と反することであった、ということで問題になっている。

 府中町の教育委員長はそのことを教育界を代表して謝罪した。学校側は、以前その生徒について万引きの事実がないことをその時点では確認していたが、どういうわけか、それが記録が残ってしまった、申し訳ない、といっているという。

 何のことだ。

 事実でないことを事実であると記録を残してしまって、一人の子供の人生をむちゃくちゃにしたのみならず、命を絶つまで追い込んでしまったことを何だと思っているのだ。

 こんなこと、誰かがするべきことをしていないから起きたことではないか。間違った記録を抹消する、という、当たり前のことを怠った誰かがいる。

 そんな明らかなことを表に出さず、教育界として全体で責任を取るが如き謝罪をしながら、結局誰の責任でもない、と口を拭うといういつものパターンだ。こうして誰も責任を問われず、犯人は教師生活を全うし、退職金を満額受け取って知らん顔である。

 おためごかしの謝罪は、ただ、立場上のパフォーマンスに過ぎない。死んだ人間に対しての罪の意識などかけらも感じていないことが、さかしらげな「かけがえのない命を・・・」という常套句を語るその顔に浮かんで見えたのは、私の錯覚か?

 朝のテレビやネットニュースを見ていたら、この誤った非行記録は、確認すればまちがいだったことが調べられるようになっていたようだ。友人達の証言でも、自殺した生徒がそんな子供ではなかったことが分かる。つまり担任の教師は、この生徒がそんなことをするはずがない、おかしいな、と思わなかったと言うことだ。生徒なんかみていないのだ。ただ、資料だけを見ていたのだ。案の定、昨晩開かれた保護者会にはこの担任は出席しなかったという。具合が悪いのだそうだ。

 私は万引きをするような生徒は許せないと思う者である。しかし、教師はそんな生徒でも何とか社会的に巣立たせよう、と生徒の側に立つ者であるということも承知している。世の中はそれで良いのだ。その役割を担えなかったことで、この教師が弾劾されるのは、たとえうっかりミスだとしても仕方がないことであろう。それが責任を取る、ということだ。


 ところで巨人軍でまた野球賭博の逮捕者が出た。責任を取って渡部恒夫最高顧問が辞任するという。当たり前だ。

 野球賭博で次々に逮捕者を出し、清原など薬物使用者も、巨人在籍時代にすでに使用していた疑いもあるのではないかと言われる。巨人は根本的に問題を抱えているのではないか。

 私がアンチジャイアンツであるのは、別に理由があったのだが、もともとは千葉県生まれで、子供の時の郷土の偉人は長嶋茂雄だった。だからジャイアンツファンだったわけで、それがけっして再びジャイアンツに気持ちが動かないのは、このジャイアンツの汚染されたチームの臭いを感じていたからではないか?などといまは思っている。ますます大嫌いになった。

 原元監督は、それが分かっているからうまいこと逃げたのではないか。それは言いすぎか。どちらにしてもうんざりしていたのだろう。

2016年3月 8日 (火)

梨木香歩「雪と珊瑚と」(角川書店)

Dsc_0106

 久しぶりの梨木香歩。枕もとに置いてある本の一冊だったのだが、ようやく順番が回ってきたのだ。梨木香歩の本は、読後の心に残るものが重くて大きいので、なかなか手が出ないし、一度読むと次には間を置きたくなる。それだけ内容を受け止めるのにエネルギーがいるのだ。難しいことなど書いているわけではないし、この本だって、読み始めればさらさらと読み進む。

 「雪と珊瑚と」の珊瑚は主人公の女性の名前で、雪は彼女の産んだ赤ん坊の名前である。この物語は、主人公の珊瑚のビルドゥングスロマンと言えるだろうか。ビルドゥングスロマンとは、日本では普通「教養小説」と訳されるが、誰がそんな訳をつけたのか、ひどい勘違いを生み易い。もうひとつの「成長小説」という訳の方が本来の意味に近いだろうか。

 未熟な主人公がいろいろな経験を重ね、周りの助けを受けて、外面だけではなくて、内面も大きく成長していく姿を描くものをビルドゥングスロマンという。

 私はこのビルドゥングスロマンの話が好きだ。しかしこの小説はそれだけではない。ここで語られているのは、生物である人間と自然とのあるべき関係、他人との関係、自分自身の価値観、その総てについて問いかけ、それに必死で答えを見出して、自分の立ち位置をつかもうともがく若い女性の真摯な姿の美しさであり、強さである。

 高校を中退し、未婚で妊娠し、あわてて結婚するが、たちまち離婚、一人で子どもを生み、赤ん坊を育てながら生きていく珊瑚は、そう生きざるを得なかった事情があった。その生き方に悔いなどなく、強く生きる珊瑚を、助ける人もあれば、嫌う人もいる。泣くことなどなかった彼女が、ある日自分が涙を流していることに気が付いて驚く場面は、とても強く胸を打つ。

 こういうすてきな女性もいるのだなあ、と嬉しくなる。イヤイヤ女性というのはこういうひとばかりで、なかにちょっとだけお馬鹿さんも混じっている、ということかもしれない(よりによって・・・・。というのは愚痴で、自分のせいだから仕方がないが)。

 冗談はさておき、この本はおすすめである。梨木香歩を読んだことのない人もこれならスムーズにその世界に這入ることが出来る。生きる元気が出てくる上に、泣けます!

飛騨高山(7)

Dsc_8227

まだ高山陣屋にいる。

Dsc_8198

女中部屋。行灯と化粧台が置いてあるが、現代のような鏡はない。手鏡くらいしかなかっただろう。女中部屋は何部屋もあるわけではないようなので、たぶん何人かがおなじ部屋で寝起きしていたのだろう。

Dsc_8195

かまど。ここは土間ではない。

Dsc_8196

土間(漆喰か)には大きいのから小さいのまで、沢山のおけが。味噌や醤油、漬け物など、皆自製していたと思われる。

Dsc_8197

長い冬に備えて、炭俵も積まれている。

Dsc_8193

ばんどり。昔のレインコートだ。

Dsc_8194

屋根を葺くためのくれ板。これはあちこちに大量にあった。厚い板をこのような薄板にするのは、けっこう技術が要る。
切るのではなく、割っていくのだ。

Dsc_8208

小さな囲炉裏を覗いたら、灰に模様が描かれている。しゃれている。

Dsc_8200

ここは入側といって、来客が気楽に上がり降りする場所らしい。

Dsc_8206

こういう濡れ縁と靴脱ぎ石のある風景、好い。なにも考えずにここで猫でも抱いて、ひなたぼっこしたら極楽だろう。

Dsc_8212

坊さんの駕籠らしい。どこから寺の持ち物を借りておいてあるのだそうだ。

このあと蔵へ行く。 つづく(次回で終わりにします)

檀一雄「わが百味神髄」(文春文庫)

Dsc_8053

 食を語る資格はこの人にこそある、と断言して良いだろう。檀一雄は檀ふみさんのお父さんだ。

 若い頃、檀ふみに少し似ている女性に、心ときめいたことがある。残念ながら声をかけずじまいに終わったから、悲しい片思いだ。檀ふみと言えば、「俺たちの祭」という青春ドラマで、中村雅俊の相手役だった。少し引っ込み思案の静かな女性のイメージで、いいなあと思ってみていた。「俺たちの・・・」という名のドラマがいくつもあったが、家族中が大好きで、父以外はいつも夢中で見ていたものだ。

 本からどんどん離れてしまう。

 閑話休題 

 日本全国のみならず、世界中の食の話、それも檀一雄自身の体験した食の話が、これでもか、というほど満載されている。あるテーマについての数ページだけの間で、次から次へいろいろな食材や料理が語られているのだが、それはただこんなものがある、というだけではなくて、それにまつわる話がほとんど付随している。しかも多くを檀一雄本人が料理して見せている。

 食べものは、その食べものに出会ったときの、自分だけのドラマがあって初めて立体的な記憶として残される。これは私のむかしからの思いである。「何がおいしかった?」と問われたら、その食べものを、どこで、誰と、どんな状況で食べたのか、を語らないと、それに答えることなど出来ない。それが付随していないおいしかった食べものなどあり得ないと思っている。

 この本の中には、大げさに言えば、檀一雄の遍歴してきた人生が詰まっている。檀一雄は昭和五十一年に死去。この本は講談社からその昭和五十一年にハードカバーで出版されている。私の持っているのは昭和五十八年版の文庫本だ。いまでは手に入らない食材、訪ねても、もうない店、すでに出会うことの出来なくなった人々がいて、それがなんだかなつかしくも哀しい。

2016年3月 7日 (月)

ぶり大根を食べながら

 本日の血液検査などの結果は案に相違して良好。美人の女医さんもにっこり。約束どおり、また薬が一錠減ることになった。美人だけれど、ちょっと冷たい感じだと思っていた先生が、にっこり笑うとさらに美しく、案外とやさしく見える。

 夜眠れないことがある、と相談したら、そういうときだけ飲む薬を処方してくれた。これで安心だ。

 帰ってからテレビを見たら、中国の医療紛争についてのドキュメント番組をやっていた。医者にかかったのに、症状が改善するどころか悪化したり、死んでしまうことがある。それに対して患者や家族が激怒して、病院を襲ったり、医者を襲って危害を加えたり、という事件が頻発しているのだという。

 医者や病院側に問題があることも少なくないらしい。だが、みていると、どうも医者にかかったら、どんな病気でもどんなに手遅れでも直すのが当たり前で、それが治せなかったら医療過誤だ、というとらえ方をする患者や家族が普通にいることに驚かされる。

 医師が「われわれ医師は万能ではない」と嘆いていたけれど、それはそうだろう。これは中国国民が、医療というものについてあまりにも無知であることが原因かもしれない。日本のテレビ番組で、医療の番組がけっこうあるのは、あながち悪いことではないようだ。人間の躰がどうなっていて、病気が何故おこるのか、それを知らなければ、壊れた部品を修繕するように医師は必ず治せるものだ、などと思い込むのかもしれない。

 しかしそれ以上に、すべてを誰かのせいにする、というのが中国人の普通の考え方だ、というのがおそろしい。自分自身にも社会にもどうしようもないことがあるのだ、という、当然のことが理解出来ていない人々がひしめいている国の怖さを感じた。

 そういえばアメリカ大統領候補トランプ氏のアジ演説のすべては、このことは誰のせい、これは中国や日本のせい、とただひたすら誰かを犯人に仕立て上げてこき下ろし、それを打ち破って強いアメリカを取り戻してみせる、とわめいている。

 このトランプ氏やトランプ氏を支持するアメリカ人こそ、アメリカの没落をもたらす犯人そのものであることに気が付いていないのはこっけいであるが、それが主流になることは中国と同様おそろしい。せめて日本だけはまともでいて欲しいけれど、民主党は相変わらず、安倍政権のせいで日本がすべて悪い方へ向かっている、とわめいている。こりゃだめだ。

 いま大根がとても安い。ぶりのアラが、それほど安くはないが、沢山入ったパックがあったので、昼過ぎから大根と煮ている。あくを取り、砂糖と醤油と酒だけで味付けし、生姜を入れ、タイムをふりいれて臭みを抑える。大根もやわらかく煮えてきた。それを盛りつけ、七味をたっぷり振りかけて、それを肴に酒を飲み始めたところである。

うーん、うまい! 三日ほど酒を我慢していたしね。

飛騨高山(6)

高山陣屋前にいる。


Dsc_8177

三時過ぎなので、朝市の広場には誰もいない。右奥が陣屋の正門。

高山は金森氏の領地だったが、奥州・出羽に国替えとなり、それ以後高山は幕府の直轄領になった。つまり代官所が置かれたわけで、それがこの陣屋である。

それは高山が要衝の地であり、しかも豊かな場所だったからであろう。大名が統治しているよりも、代官の統治の方が年貢はずっと安いのである。だからますます高山は豊かになり、これだけの文化が栄え、残されたのだろう。

Dsc_8175

陣屋の近くの交差点にこのブロンズ像がある。今回初めて誰のブロンズ像だか分かった(実は違う人と勘違いしていた。誰と間違えていたのか恥ずかしいから言わない)。

あの幕末の偉雄、山岡鉄舟の若き日の像である。父が高山の郡代として赴任したときに家族とともにここに移り、青春時代を高山で過ごしたのだ。剣、禅、学問、すべて高山で基礎を身につけた。それだけの先生がいた、ということだろう。

Dsc_8176

像の裏側の由緒書き。

Dsc_8180

玄関を上がると正面の床の間に花餅が飾られている。おりからこの日は3月3日であった。

Dsc_8186

雛人形が飾られている部屋があった。

暗いところなので、感度を上げてもこれが精一杯(ストロボはけっして使わない)。

Dsc_8187

前によって、お内裏さまをアップ。

Dsc_8189

となりに高山の土雛が飾られていた。

Dsc_8182

こういう囲炉裏のある家に住みたい。火を見ながら暖まるとほんとうに癒やされるのだが。

Dsc_8181

てあぶりと呼ぶにはひとまわり大きいから火鉢か。そういえば子供の頃さらにもう二回りくらい大きな火鉢が家にあった。

Dsc_8191

大きな部屋や大事な部屋にはこのような額が下げられている。

Dsc_8192

特にこの額を選んだのは、李白が友人の晁卿衡が死んだと聞かされ、それを悲しんで詠んだ詩、だからだ。晁卿衡は、すなわち阿倍仲麻呂である。しかし阿倍仲麻呂は難破しながらも奇跡的に生きのび、いまのベトナムあたりから生還する。そして彼は死ぬまで日本に帰ることがかなわなかった。

あの「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山にいでし月かも」という歌は、異境でふるさとを詠んだ悲痛な歌として有名だ。

でも李白のような天才と友人だった、と知れば、阿倍仲麻呂はただ孤独であったわけではないようで、救いがある。

まだ高山陣屋の中をあるく。 つづく

定期検診

 本日は定期検診の日。諸般の事情で深夜に深酒をすることがあったりして、リバウンドしてしまい、先週からあわてて摂生したけれど、血液検査はどうであろうか。体重は何とかむりやり修正出来た。

 今日は検査が朝いちなので、このあと出かける。ブログの更新は昼過ぎに帰ってからあらためて行うつもり。

 やや気持ちが乱れることがつづいているので、先生に精神安定剤でも処方してもらおうか。気持ちが乱れると眠りが乱れ、結果的に健康にも良くない気がするので。

2016年3月 6日 (日)

長谷川慶太郎・小原凡司「南シナ海での習近平の誤算 米中激突で中国は敗退する」(東洋経済新聞社)

Dsc_8088

 二人の共著だが、章立てで、それぞれの記名の上で交互に書かれており、一部が対談となっている。題名を見ると、アメリカと中国が戦争を始めるかのようだが、その可能性はないとは言えないものの、ふたりの認識では、もし戦争になれば圧倒的にアメリカが優位であることを中国側も認識している、ということで同意している。

 ただし、現在の南シナ海の中国海軍の異常な覇権行動が、どうも習近平主導による中国政府のコントロールを受けていない暴走の可能性が高いことも共通認識である。だから、大々的な戦争はなくても、一部の跳ね上がりの指揮者や現場の兵士による局部的な熱い戦争がないとは言えない。

 中国の海軍は、北海海軍、東海海軍、南海海軍の三つで構成されているという。尖閣での威嚇的な行動で名をあげた東海海軍に対し、中国国民は拍手喝采した。これに対抗して張り合おう、というのが今回の南シナ海での南海海軍の行動だ、というのである。

 名をあげる、ということの意味が分かるだろうか。とうぜん功績を挙げ、国民から拍手喝采を受けた軍は軍事費をたくさん獲得出来る、という思惑があるのだ。そんなばかな、と思われるかもしれないが、戦前、日本の軍隊の暴走の根柢にあったのが、この精神構造による競争だった。

 暴走により名をあげ、これに国民は喝采し、マスコミもそれに追随してエスカレートした扇動を行い、政府はそれを追認し、という繰り返しが中国大陸でのあの戦火拡大につながった。

 戦っても勝ち目がない戦争などするはずがない、などと言うけれど、では欧米列強に勝てる、と太平洋戦争を始めたときの軍部は本当に思っていたのか。それほど馬鹿ではなかったろう。しかし騎虎の勢い、というものがある。アメリカは日本を追い詰めすぎた。窮鼠が猫を噛んだのだ。

 だから、今、北朝鮮も南シナ海も非常に危険な一触触発状態なのである。それなのにいまのアメリカの大統領選挙の様相は何だ!

 中国経済失速は予想通り、深刻である。取るべきときに対策を取らずにいたツケをいま支払わなければならないが、それはますます経済減速につながるであろう。ゾンビ企業をつぶし、構造改革を断行すれば、必然的に膨大な数の失業者が生まれる。

 これはいつ本格的な暴動につながるかもしれない危機的な状況につながる。習近平は、それを押さえ込もうと、政府批判、共産党批判の言論に対する弾圧を、あの毛沢東時代のように行っている。それほど危険水域が目前だ、と感じているのだろう。

 そうすれば、いつものように、外部に敵を措定し、反日を再びあおり立てるかもしれない。国のためだもの、何でもありなのである。そして、アメリカとの小競り合いでもあれば、それに軟弱な態度を共産党政府は示すことが出来ない。国民の不満の矛先が向けられてしまうからだ。

 その空気を読んだ軍部は機会と捉える可能性がある。軍備を持ったら使いたくなるのが軍部であって、それを抑えるのがシビリアンコントロールなのだが、そもそも中国は、政府と軍部がそれぞれ共産党のもとに独立して存在している。軍は国軍ではなく、共産党の軍隊ということになっている。しかも党の支配すら十分ではない。そのため、いま習近平は必死で軍のトップを入れ替えて自分の支配が及ぶように組み替えようとしているが、それに対する軍内部の反発も大きい。

 外部的な要因も内部的要因も、中国の暴走を抑える方向にはない。

 最悪の事態を想定した覚悟をしておくことが必要な時代がやってくる。日本はどうすべきか、アメリカにどうあって欲しいか、中国に進出している日本の企業はどう対応するべきか、そんなことは分かるはずがない。ただ、とんでもないことが迫っているかもしれない、と考えておくことだ。

 そのときは、てんでんこ、である。

 本の紹介の途中から、本から得たことからの、私の考えにほとんど変わってしまっている。本の紹介は最初のところだけになってしまった。この本では、戦争が起きるかどうか、についての辻占的なことよりも、現在の中国の経済的、政治的、軍事的な状況を、互いの専門分野について持っている情報を駆使しながらそれを交換することで、中国のいまがどうなっているのか、と云う視点を教えてくれている。

飛騨高山(5)

屋台会館から飛騨国分寺に向かう。少し歩く。


Dsc_8153

交差点の標識。飛騨国分寺の表示はない。

Dsc_8154

私は「顔」が好きだ。顔は生命力を感じさせてくれる。

Dsc_8157

飛騨国分寺のシンボル、大イチョウ。

Dsc_8159

その向こうに見える本殿。何か祭祀があるらしく、礼装の人が沢山いた。

Dsc_8160

鐘撞き堂。車などが邪魔だが如何ともしがたい。わざわざこれを撮ったのは理由がある。

Dsc_8161

二階の鐘撞きの場所へ登る階段。むかし子どもたちと一日高山を歩き回ったときに、この国分寺で休憩した。そのとき娘のどん姫が、登るな、と書かれたこの階段を登った。

母親が出て行ってまだ間もない頃だから、休日などは出来るだけ子どもたちと出かけた。まだ小学校の二年生か三年生だったどん姫も、淋しかっただろうが、そぶりもみせずにおどけて見せたりしていた。そのことを突然思い出したのだ。

Dsc_8163

飛騨国分寺のもうひとつのシンボル、三重の塔。もちろんこちらがメイン。たいへん美しい塔だと思う。

Dsc_8166

境内には仏像や石碑がいくつもあるが、特に目をひいたのがこの悲母観音像。インパクトがあるのだ。

Dsc_8167

由緒書きを読んで、なるほど、と思った。中村久子女史についてはWikipediaを参照して欲しい。

Dsc_8168

山門の外側に高山の「さるぼぼ」がたくさんぶら下げられていた。こういう棚が四つほどあるがそれでも掛けきれないほどであるようだ。

Dsc_8172

これはとても大きなもの。

Dsc_8171

普通はこんな感じでぶら下げられている。

Dsc_8170

願掛けなでさるぼぼ、とあるが、パスした。

余談だが、九州の女性は「ぼぼ」ということばはちょっと言いにくいかもしれない。理由は略す。

次は高山陣屋に向かう。 つづく

飛騨高山(4)

まだ桜山八幡宮にいる。


Dsc_8134

奥社から急な階段を降りると、そのまま絵馬堂に入る。賽銭箱を回り込まないといけないのが面白い。

Dsc_8119

絵馬堂を外側から。

絵馬堂の奉納額をいくつか見ていただく。

Dsc_8135
Dsc_8136
Dsc_8137
Dsc_8138
Dsc_8139
Dsc_8140
Dsc_8141

奉納されたのが戦前より前の者は絵文字も消えかかって判別しにくい。多くは昭和20年代から30年代のもの。丁寧に見たわけではないが、平成のものは見当たらなかった。

Dsc_8117

神社のすぐ手前に高山祭屋台会館がある。入館料820円、ただし、もうひとつ、桜山日光感という展示館との共通券になっている。あえて値段を書くのは、内容に対してちょっと高いのではないか、と思ったからだ。

Dsc_8151

屋台は見事ではあるものの、ただこれが展示されていて、関連する資料り展示があるものの、それだけである。

Dsc_8144

この神輿は大きい。だいぶ重そうだ。

Dsc_8149

こういう山車が本来は専用の蔵に収納されているのだ。
このあと少し離れているけれど、国分寺に向かう。

見殺し

 昨晩、NHKのドキュメント番組「原発避難 7日間の記録」を見た。巨大地震、そしてそれによる大津波が、予想を超えたものであったことは確かである。確かであるが、起きてしまったのだ。しかもそれにより、あろうことか原発が電源を喪失し、冷却不能に陥り、炉心溶融を起こして放射能の拡散という最悪の事態を招いてしまった。起きてはならないことであるが、起きてしまったなら、最善の対処は何なのか、その場であらゆる事を想定して行動しなければならない。

 避難指示を出す、待機命令を出す、というのは避難民がどうして良いか分からないときの指針として、とうぜんのことであろうが、それに応えられない人、応えられない事態は必ず生ずる。例外的なそれらに、臨機応変に対応することは指示命令違反である。さはさりながら、そのために少なくない人が、どうしていいか分からずに見殺しにされ、見殺しをさせられたことが報告されていた。

 その直接的な責任があるとはいわないが、あのときの、避難民の不幸の原因の少なくない部分が、民主党の無能無策、想像力の欠如や隠蔽にあったことを、静かな怒りと共に感じていた。そのためにどれだけの人が無用な苦しみを苦しみ、余分な苦労をしたことだろう。

 そのことは、民主党の面々以外の国民が、等しく心の底にためている怒りであろうと思う。だから民主党を許し、政権を再び持たせてみよう、などと思うのは、よほどあの震災のときのことを何とも感じない人か、物忘れの非道い人だけだろう。

 彼らは国民に正しい情報を与えるとパニックになるから、なるべく知らせないようにしようとした。彼ら(政府の人々)は賢く、国民は愚かであるから、彼らがコントロールしてやらなければならない、と信じて行動した、ように私には見えた。だから次々にいうことがかわり、実は、に次ぐ、実は、という話だらけだった。言い訳に次ぐ言い訳、小出しに出される情報に怒りを覚えなかった国民などいなかっただろう。

 もちろんそのとき自民党が政権を担っていたらまったく問題がなかったかどうか、など分からない。ただ、だいぶマシだったような気がする。あのときのことを思い出しながら番組を見ていて、再び腹を立てていた。見殺しにされた人々の恨みはいかばかりであろうか。たたるべし!

2016年3月 5日 (土)

日本経済新聞社編「中国バブル崩壊」(日経プレミアシリーズ)

Dsc_8097

 中国が変調を来しているらしい、という声が高まっている。そうなのだろう。この本は、日本経済新聞社の取材記者が、総力を挙げて取材した情報をもとに書かれている。

 ただし、出版されたのが昨年の十月と、少し前であり、中身もほぼ八月までの情報である。買おうかどうか、迷ったけれど、却っていまその時点を振り返るのも良いかもしれない、と考えて購入した。

 人はその渦中にいると周りが見えにくい。少したって初めて、ああ、あのときがターニングポイントだった、などと気が付くものだ。  
 次々に出版される最新の中国状勢分析の本を見るために、当時を見ることも必要か、と思ったのは、大正解であった。さすがに日経である。当時表面に現れている事実がきわめて詳細多岐に集められて記述されている。それがいま結果としてどうなっているのか、それを考えると、これからの中国がかなり危うい、ということがあらためて見えてくる(気がする)。

 日本企業は、すでに昨年の時点でずいぶん中国から撤退を始めていたことが分かる。そしてそれがいかに困難なことなのか、この本に書かれている。進出より撤退が難しいのだ。難破船から鼠が逃げ出すように、逃げる手段のある者はいま必死だろう。

 だから韓国と台湾の企業が、いまは一番困難に直面しているのかもしれない。マスコミや学者の方が、情勢の把握が遅れていることもよく分かる。

 このあと、長谷川慶太郎・小原凡司の「南シナ海での習近平の誤算 米中激突で中国は敗退する」を読むつもり。これは出版されたばかり。

飛騨高山(3)

桜山八幡宮にいる。


Dsc_8124

仁徳天皇時代(5世紀!)の創建というからきわめて古く、由緒もある神社である。

Dsc_8118

本殿に登る階段の横に神馬がいる。

Dsc_8120

手を洗い、口をすすぐ。

Dsc_8125

拝礼拍手して参拝。

Dsc_8128

境内には天満神社(菅原道真を祀る・もちろん学問の神様)、琴平神社(厄除け)、秋葉神社(火除け)、稲荷神社(商売繁盛)、照前神社(歯の神様)などの摂社がある。

それに列んでこの筆塚があった。筆で柄の文字をなぞると、字がうまくなるのだろうか?墨で黒くなっている。

Dsc_8131

本殿を横から。なかなか好いたたずまいだ。

社殿の横から背後の山へ登る急な石段があり、奥の院のような建物がある。登っても由緒書きなどがなくて、よく分からないが、社の横に面白いものがあった。

Dsc_8133

この石である。石のいわれが横に掲げてある。

Dsc_8132

「狂人石」とある。神域を汚したり犯したりする者は、この石に触れると罰が当たって狂人になるというからおそろしい。

写真など撮って大丈夫だろうか。例しに触ってみようかと思ったが、やはりやめておいた。

別の方向の急な階段を降りると絵馬堂のなかへ通じている。 つづく

飛騨高山(2)

高山を歩いている。

駐車場から久しぶりに桜山八幡宮に行くことにする。

駐車場から歩き出してすぐにおおきな瓦屋根を見た。鍵の手になった坂道を登る。

Dsc_8101

坂の横は石垣。雪が溶け残っている。

立派な山門の前に出る。

Dsc_8102

高山別院照蓮寺だ。親鸞聖人のご遠忌750年法要が営まれるらしい。

Dsc_8104

境内は広々しているが、本堂はそれほど写真に撮りたくなるたたずまいではない(撮っているけれど)。

Dsc_8105

桜山八幡宮へ向かう道へ戻る。わき溝の雪の色が白い。高山の空気がきれいなことがよく分かる。

Dsc_8106

こういう風景がある街が好きだ。

Dsc_8109

高山らしい景色のなかを、スマートフォンらしきものに目を落とし続けたまま、のろのろと歩いている男性。

Dsc_8111

高山にはこのような小さな社がそこら中にある。それぞれに手入れをする人、お参りする人がいるのであろう。

Dsc_8112

ようやく桜山八幡宮の鳥居が見えてきた。一位一刀彫りの店などが並んでいる。(つづく)

2016年3月 4日 (金)

心理的なもの?

(食事中に読まないでください。・・・そんな人いないか)

 若いときは胃腸が丈夫で、朝一回一日さわやか・・・が自慢であった。それがいまは夢のようだ。

 転勤が決まった三十過ぎに、各地の代理店や得意先が次々に盛大に送別会を開いてくれた(当時はまだ景気が悪くなかったのだ)。何しろ芸のない男であるから、鯨飲馬食をして見せて、それに応えるしか謝意が示せない。

 連日の暴飲暴食がたたったのか、それとも生ものにあたったのか(イカの刺身がちょっと怪しい。そのあとしばらくイカの刺身をまったく食べたくなくなったからだ。躰の方がわかっているような気がする)、ある晩、夜中にホテルのベッドで飛び起きた。激しい腹痛が襲ったのだ。悪寒もする。あわててトイレに向かったが、痛みが激しくて立てない。這うようにしてトイレにしゃがんだ。ほとんど朝までトイレとベッドを往復した。

 翌日からまだ一週間以上、出張はつづいた、得意先に寄るたびにトイレを借りながら。いつもの元気はないが、もちろん夜は飲み続けだ。出張中のある日、たまたまいただいた梨や柿が、冷たくて下痢腹のせいで渇いている口に気持ちが良くおいしかったのだが・・・。

 一週間後、ようやく医者にかかる。腸カタルを起こしている、といわれた。下痢しているのに梨や柿を食べるなどもってのほか、と叱られた。

 後遺症はずいぶん長くつづいた。そのままずっと完治していないとも言える。いわゆる過敏性大腸症候群なのだろうか。テレビで見たけれど、下痢をあまり繰り返すと大腸の末端部の皺が伸びてつるつるになり、過敏になり、水分を十分に吸収しきれない上に、便を止めておくことも出来にくくなる、のだそうだ。

 もちろん私はあまり神経過敏ではないから、ストレスで腹がゆるくなることはあまりない・・・はずであるが。

 どういうわけか太ると腹がゆるくなるのだ。たとえば85キロのときにはそれを2、3キロ超えるとたちまち下痢しやすくなる。それに慣れてしまうと、基準が変わって90キロをベースに同じようなことが起こる。この繰り返しで、どんどん下痢をしながら太っていった。

 それを数年かけて、いま10キロ以上減量した。増やすのは簡単だが、減らすのはかなりたいへんだったのだ。

 ところが、いま再び下痢が始まった。ご想像通り、私の躰は不要な食物を拒否するのだ。おいおい、リバウンドはまだちょっとだけだよ。

飛騨高山(1)

Dsc_8228

昨日、朝になって急に飛騨高山に行きたくなった。思い立ったのが10時前だったので、仕度して家を出発したのが10時半、高山に到着したのは午後二時半過ぎであった。
ほとんどノンストップ、昼食も摂らない。国道41号線を飛騨川に沿って北上する。ふだんなら飛騨川の景色を写真に撮るところだが、それは次回とする。
Dsc_8230

橋の両側の手長足長の像は、是非写真に撮りたかったもの。

Dsc_8231

上三之町入り口。

Dsc_8232

外国人観光客が多いと聞いていたのだが・・・。

日本人だと思ったらほとんど中国人であった。
実はこの近くの駐車場に車をおいて、二時間以上歩き倒し、最後に上三之町をちょっとだけ歩いた。だからもう夕方になっている。

Dsc_8234

土産物を買おうかどうか迷ったが、結局お酒にした。

Dsc_8236

こんな店もある。ろうそく屋さんだと思ったら、もちろんろうそくも売っているけれど、本来はろうそく立てを作って売る店だということだ。

高山の散策は明日以降順次掲載する。

小公子とアメリカ大統領選挙

 子供の時、自分の本があまりなかったので、同じ本を繰り返し読むしかなかった。特に繰り返し読んだ本が「はまだひろすけ童話集」と「小公子」だった。数十回は読んだから、背表紙が外れかけてばらばらになる寸前だった。二冊ともぶ厚いから、読みでがあった。

 「小公子」は、あの「秘密の花園」や「小公女」を書いたバーネットの代表作だ。主人公の少年セドリックが、実はイギリスのドリンコート伯爵の孫であったことが分かる。父は伯爵の三男で、アメリカに渡り、伯爵の反対を押し切ってアメリカ女性(セドリックの母、エロル夫人)と結婚し、絶縁状態であった。その父も死んでしまい、セドリックは母と二人暮らしだったが、エロル夫人の優しく、しかし毅然としたしつけのおかげで周りの人から愛される、明るく利発な少年に育っていた。ところが伯爵の息子達は次々に亡くなり、継承者はセドリックだけになってしまった。

 伯爵にイギリスに呼び寄せられた二人だったが、伯爵はエロル夫人が許せない。だから二人をひき裂き、セドリックだけを手元におく。エロル夫人はなげくセドリックをなだめ、おじいさんを大事にするよう励まして自分は身を引く。

 頑迷で傲岸なドリンコート伯爵だったが、明るく優しく利発なセドリックの愛らしさに、次第にそのかたくなな心がほぐれていき・・・という思い出してもうるうるする話なのだ。そのあととんでもない事態が生じ、それがきっかけでハッピーエンドになるのだが、話したいのはその話ではない(ここまで書いておいてそれはないか)。

 セドリックが伯爵にアメリカの話をする。最初はアメリカが嫌いだし、孫が可愛いなどと少しも思わなかった伯爵なのだが、セドリックの一生懸命さと素直さが分かってくると、彼が祖父のために話しかけていることが次第にわかってくる。セドリックは母の言いつけどおり、祖父を大事にすること、つまり、愛そうとつとめていたのだ。

 次第にセドリックの話に耳を傾け始めた伯爵に、セドリックがアメリカ大統領選挙の話をする。共和党と民主党の話、予備選挙の話など、伯爵にとってはなかなか理解の出来ない話で、時々質問をする。ここでセドリックが、知らないことは知らないといい、しかしその選挙のときの興奮と楽しさを熱心に話す場面は忘れられない。

 アメリカ人にとって(セドリックはアメリカ生まれのアメリカ人なのだ)大統領選挙がお祭りであり、とても興奮し、楽しいものだ、ということを、私はこの本で知った。

 いま、トランプ氏が共和党の大統領候補としてパフォーマンスを演じているのを見ていると、ああ、そういえば大統領選はお祭り騒ぎなのだなあ、まじめに政策を論じる人よりも、お祭りを盛り上げる人が人気があるのはとうぜんなのだ、とあらためて得心しているところだ。

2016年3月 3日 (木)

東海林さだお「ショージ君の満腹カタログ」(文春文庫)

Dsc_8086

 題名が題名なので、食べものの本の中に紛れ込んでいたが、食べものの話ばかりではない。「ショージ君」シリーズの第十番目の本で、巻末には著者による「このシリーズを十年続けてきたけれど、これで終わります」のことばが添えられている。実際に終了したのか、もしかしてまたつづいたのか、確認していないので知らない。

 東海林さだおのエッセイはまさに雑文そのもので、読んでためになるようなことはほとんどないし、そんなことは死んでも書きたくない、と思っているのが東海林さだおである。だから軽薄で表面的なことだけがだらだらと書き連ねられているだけ・・・にみえるが、どっこい、その文章力をなめてはいけない。

 とにかくさらさらと読み進みながら、そこに描かれていることが眼前にありありと見えてくる。ありありと見えてくるのは風景や事実だけではなく、心の働きまで見えるのだ。この人のセンサーは過敏なくらいだが、それがユーモアにくるまれて語られる。

 そういえば、私も一目置く、作家だったか書評家が、東海林さだおの文章を誉めていたのを見て嬉しかったことを覚えている。誰だか忘れた。谷沢栄一だったかしら。

 そのおもしろさの一端を紹介する。「伊豆にて自主トレ」という一文のなかから、漫画家の野球チームが、伊豆で自主トレと称して国民宿舎で一泊二日の合宿をしたときの話である。チーム結成以来初の併殺を達成したエピソードだ。

 ランナー一塁で打球はショートゴロ、ゆるいゴロをショート(ぼく)はゆっくりと待ちうけ、ややファンブルしつつ捕球し、しかるのちに重厚な動作でふんわりとセカンドに送ると、セカンド(しとうきねお)は、ややわななきつつこれを捕らえ、しばしの躊躇と思案ののち、けっしてあわてることなくファーストへふんわりと送球した。
 これだけの出来事が山積したにもかかわらず、超鈍足の走者は一塁でアウトになった。
 だが併殺は併殺である。
 6・4・3と渡ったダブルプレーであることにはちがいがない。
 ぼくとしとうは、試合終了後も声高にこの壮挙を回顧し、人々の賛同をうながし、宿舎に帰って入浴のときももう一度声高に回顧し、食事のときにもう一度回顧したのであるが、賛同者は次第に少なくなっていくのであった。

乱れまなこの勝手読み(35)

 韓国の1月の経常収支が大幅な黒字を記録し、過去最長となる47ヶ月の黒字の連続記録となったという。国際収支基準の統計では、輸出が379億ドルで、対前年同月比15.8%の減少、輸入が297億9000万ドルで対前年同月比23.1%減であった。

 だが、これは不況型の黒字で、懸念される事態なのだそうだ。

 でも、あまり物を売らなくても原料を安く買えて、差し引きお金が残ったのだから良いではないか。外貨も貯まって安心だ。

 それなのに、韓国に対する外国人の投資も減少し続けていて、8ヶ月連続のマイナス。12月が-40.4億ドルだったのに対して、1月は-45.3億ドルだったそうだ。8ヶ月で累計233.87億ドルの外国人投資資金が流出したという。何を心配しているのだろう。

 あまり冗談ばかりでは顰蹙を買う。それにしても輸出の前年同月比が、二桁マイナス続きというのは、さすがにまずい状態だろう。それなのにフィリバスター(前回ブログを参照)だからなあ。

 ところでイランの100億ドル(韓国で凍結されていたイランの資金、制裁解除で引き揚げ可能になっている)はどうなったのだろう。もう引き揚げられてしまったのだろうか。泣きっ面に蜂だね。

(以下は昨晩遅くに書いたもの。今朝、決議案が採択されたと報じられている)

 国連の北朝鮮制裁決議は、ロシアの申し入れで延期になっている。いつの間にか例外規定が追加されて、少しずつ骨抜きになっているともいわれる。

 アメリカと中国は裏交渉で、韓国配備交渉中のTHAADを材料にしたのではないか、と噂されている。中国はこれが嫌で、これを取り下げるならアメリカの提案する北朝鮮制裁を受け入れる、とか何とか言ったのではないか、ということだ。

 しかし中国とロシアも裏で交渉していて、制裁の内容をロシアが骨抜きにして、中国はTHAADの韓国配備を阻止することに成功したうえに、北朝鮮を温存することにも成功した、なんてことになってはいないだろうか。

 これで割を食うのはアメリカ、ではなくて韓国の朴槿恵大統領だろう。あれだけ親しかった中国を袖にして、アメリカの力を借りて北朝鮮に制裁を加え、あわよくば金王朝崩壊に持ち込んで南北統一を狙ったけれど、結果はただ中国とアメリカの手の上で踊っただけ、ということになるかもしれない。

 無能無策のツケを南北統一という起死回生の機会で逆転しようとしたのに、残念なことになりそうだ。みんなしたたかだなあ。

 私の勝手読みの妄想です。

乱れまなこの勝手読み(34)

 韓国では、テロ防止法案に反対するため、野党がフィリバスターという手法で抵抗していた。初めて聞く方法だが、日本の牛歩戦術に似て、もっと政治家らしい手法のようである。一人ずつが演説を無制限に行い続けて法案の決議をさせない、というやり方だそうで、なかには世界記録を更新するような、五時間以上の演説をした議員もいた。この辺が肉体的な限界のようだ。テレビで見ていたら、与党議員はあきれて議場をあとにしてしまい、議場には野党の議員の一部のみがパラパラといただけに見えた。

 200人以上の野党議員が演説を続けてきた。国会の会期は3月10日までなので、そこまで頑張るのかな、と思っていたら、3月1日、ついにギブアップしたという。力尽きたのだろう。無意味なことに思えてきたのかもしれないし、国民の、何をやっているのだ、という批判的な空気を感じたのかもしれない。

 ところが中断したことに対して、応援してきた市民団体や有識者から激しい非難が浴びせられている。「こんなときに戦えるように国会議員にしたのに」などといわれている。「人権がこれで失われるおそれがある」のだそうだ。「フィリバスターをすることで次の選挙に負けるおそれがあるから何だというのだ。民主主義を示せればそれが政治ではないか」という勇ましいものまであったという(自分でやってみろよ!聞く人がいないのに五時間もしゃべり続けるなんて、あのさんまさんでも無理だと思うぞ)。

 テロ防止法案じたいに問題の部分もあるらしいが、よく知らない。ただ、テロ防止に反対している、となれば、テロに賛成か、と早とちりする向きもある(私みたいに)。韓国でISがテロを起こすことはあまり考えにくいが、北朝鮮がテロを起こすことはきわめて蓋然性が高い。それを考慮しての法案だと思うが、違うのだろうか。

 と、いうことは、テロ防止法に反対し、結果的にテロを容認するように思われてしまう人々は、北朝鮮のシンパということか。韓国にはかなり多数の北朝鮮シンパが公然と潜んでいるというではないか。

 韓国政府が、テロ防止の名前を借りて、人権を制限するのに反対する、という意味での反対であることを承知で暴論を言った。私は人権の名を借りてテロを容認する人々の方がこわいから。

2016年3月 2日 (水)

葉室麟「神剣 人斬り彦斎」(角川春樹事務所)

Dsc_8087

 葉室麟はせっせと書く。だから本が次々に出る。だから次々に買い、こちらはせっせと読む。

 通称「人斬り彦斎(げんさい)」、熊本藩出身の攘夷派の志士・河上彦斎は、色が白く小柄で、女性のような外観だった、と書かれている。いままであまり河上彦斎のことをメインに書いた本を読んだことがないし、ドラマでも見たことがない。ただ、馬上の佐久間象山を斬った暗殺者として記憶されているだけだ(佐久間象山の乗馬は象山が自慢する名馬で、大きい。馬上の象山を小柄な彦斎が惨殺するのは至難のことで、彼の剣技が尋常でなかったことが分かる)。

 河上彦斎はどのような人物だったのか。ほんとうに葉室麟のこの小説のようであったのだろうか。比較するなにもないので分からない。ただ、こうであっても好いではないか、という思いだけだ。

 尊皇攘夷思想により、外国との通商を強行した幕府に対する怒りが高まって倒幕につながり、明治維新をもたらしたことは周知のことだが、その結果成立した明治新政府が、攘夷を断行したか。とんでもない。そんなことをすれば、清国の二の舞になるか、下手をすると日本が消滅してしまう。明治政府は諸外国と通商を拡大し、幕府の結んだ不平等条約の改正に全力を注いだ。

 攘夷は草莽の志士たちの命がけの旗印であった。だから明治新政府の行った諸外国との積極交易は、彼らにとって驚天動地のことであったろう。廃藩置県、廃刀令などにより、武士階級は実質を失っていった。それについて行けない草莽の志士を中心とする不平士族たちは、熊本の神風連の乱、筑前の秋月の乱、長州の萩の乱、そして薩摩の西南戦争によって散っていった。

 人斬りとして名高いといえば土佐の岡田以蔵、薩摩の田中新兵衛(「人斬り」という映画で、勝新太郎が岡田以蔵を演じ、田中新兵衛を三島由紀夫が演じた。田中新兵衛の切腹するシーンを三島由紀夫が壮絶に演じていた。現実に切腹することになるとは、そのときは思わなかった)と中村半次郎(桐野利秋)(おおむかし、テレビドラマで、若山富三郎が中村半次郎を演じていたのが忘れられない)、そしてこの熊本の河上彦斎である。岡田以蔵と田中新兵衛は維新より前に死に、桐野利秋は明治十年、西南戦争で西郷隆盛と共に死に、河上彦斎はそれに先立つ明治五年、刑死した。 

 思えば新撰組も人斬り集団であり、この本でもほとんど川上彦斎と紙一重の存在として描かれている。至誠であることの違いを川上彦斎は意識しているが、殺される側からすればそんなもの、少しも理由にならない。

 彼らは現代のわれわれから見れば、テロリストである。そのテロリストである川上彦斎に心が動くのは、何故であろうか。考えるだけではない、熱く行動するものが美しくみえてしまうのはどうしてなのだろう。河上彦斎はほかの人斬りとどう違うのか。彼が自分の考えで行動していたからだ、と葉室麟はいいたいようである。私もそれはよく分かる。私がデモやシュピレヒコールに唱和するのが大嫌いなのはそこである。

 しかし世の中は、アメリカ大統領選挙予備選の様相を見れば分かるように、扇動に応える大衆によって動いていくものらしい。ポプュリズムが民主主義の必然だ、という見立てがあるが、私は民主主義というより、もっと違うもののような気がするが、それはよく考えてみてから語りたい。本筋から離れてしまった。

乱れまなこの勝手読み(33)

 民主党と維新の党の、統合という名の吸収合併は、維新の党が吸収といわれたくないために党名変更をするよう民主党に泣きついて(某辛口の評論家の言)、民主党も名より実を取るとばかりにそれを了承して、形の上で(まったく解党していないけれど)解党的な合併の運びとなった、ことになっている。

 こんなもの、ただ後ろ足で砂をかけて党を脱退し、除名処分を受けた面々が、もとの民主党では帰りづらいから、と体裁づくりをしただけのことだ。民主党も、除籍したものをそのまま受け入れるのではさすがに節操がないから(節操などと言うものが分かっているようにはみえないが、世間の風当たりだけは感じるようだから)、名目づくりをしたつもりだろうが、さて、出戻りで見かけの数が増えても、そのことが選挙にどう影響するのか。結果的にますます人気が落ちて、泡沫党へ転落するのを早めるだけのような気がする(いまのままなら、そうなって欲しい気がする)。

 そもそも橋下維新は、松野氏以下の面々と合流することで存在の大義がみえなくなり、結果的に衰退することになったのではないか。もっと時間をかけてゆっくりと育てるべき政党だったような気がする。いまさら言ってもしようがないけれど。

 それにしても党名はどうするのだろう。これだけ時間をかけているのだから、少しは党が目指すものが分かるような「なるほど」と思うような党名案が出て来そうなものだが。以前、現在の民主党が目指すものが分かりやすい、「社会党」にしたらどうかと提案した。民主党にいる右派の人たちは、この党名なら出て行きやすくていいではないか。それとも今度は共和党とでもするか? やりかねないなあ。

2016年3月 1日 (火)

強がりをいっているけれど

 むかし、「北の国から」という、傑作ドラマがあった。仕事が忙しかったし、放映当時はビデオも持っていなかったから、ほとんど見ることができなかった。そこでビデオを買ってから、貸しビデオ屋で借りて見た。違法であるが、コピーガードキャンセラーを手に入れ、ダビングをしてコレクションを作った。画質の劣化は甚だしいが、ドラマの良さは堪能出来た。

 そのあと、年に一回くらい後日談のスペシャルが放映され、これはリアルタイムで見たし、テレビから直接ビデオにダビングした。私自身が小学生の息子と娘を抱えて妻のいない三人暮らしを始めたから、これらのドラマは私にとってほとんど身内の実話である。何遍見直し、勇気づけられたか分からない。父親というもののあり方を教えてもらった。

 このスペシャル版の一つのなかで、裕木奈江の叔父にあたる菅原文太が、田中邦衛に向かって、「誠意、誠意とあんたはいうけれど、誠意って何ですかね?」と静かに問う場面がある。田中邦衛は答えに窮する、というシーンだ。

 田中邦衛は息子のしでかした過ちについて、謝罪している。そのなかにいささかの計算がないとはいえないけれど、計算がなければ謝罪も成り立たない。当たり前のことだ。このことでついに黒板五郎(田中邦衛)はいままで築き上げてきたものすべてを失う。その自己犠牲によって、彼が父親として息子をいかに愛しているのか、分かりすぎるくらい分かる。少なくとも私には皮膚感覚で分かる。

 私はこのシーンを見たあと、菅原文太を憎んだ。大嫌いな俳優になった。この時の菅原文太の姿は、繰り返し頭に浮かび、その姿と声と語り口に、私は耐えられない。菅原文太は年を経て、農業をやって見せ、政治や環境問題に口を出し、老醜をたださらした。何様になったつもりなのだろう、ちやほやされた自分の愚かさがみえないのか。彼は役柄としてではなく、菅原文太という自分自身のことばとして、あのシーンでこの台詞を言ったと私は感じた。

 いま私は「誠意とは何か?」という論法で窮地に立たされている。

 そのことで多くを失い、老後の人生設計が根底的にこわれてしまう事態になりそうである。そのことを考えると口惜しくて夜眠れなくなる日が続いている。しかしよくよく考えてみれば、失うことで得られることもある。そのよろこびはいかばかりか、金には換えられないものだ。

 もちろん強がりだけれど、生きていけないことはない。ただ、いままでのような脳天気な生き方は望めない。しかし、そのときは子どもたちが助けてくれるだろう。それが信じられるから、強がりが言えるのだ。

「鴨川食堂」終わる

 NHKBSで放映していたドラマ「鴨川食堂」全八話が日曜日で終了した。私は録画したものを見るので、昨晩最終回を見た。

 忽那汐里、萩原健一、岩下志麻などをレギュラーに、京都・東本願寺近くの、のれんも看板もない食堂を舞台にドラマが展開していく。

 この食堂、主人の鴨川流(かもがわながれ・萩原健一)は元刑事。娘のこいし(忽那汐里)はその手伝いをしながら、鴨川探偵事務所の所長でもある。雑誌に「あなたの思い出の食探します」という一行広告を載せている。それを見て訪ねてくる依頼人の、その求める食にまつわる話がドラマのテーマであり、それはそのままその人の人生そのものの話でもある。

 限られた時間(たいてい二週間)のなかで、相手の求めるものを探し当て、再現してみせるのだが、話をきくのは所長のこいしで、実際の探索は普通主人の流が行う。

 どなたかがブログで、萩原健一の味のある演技を取り上げていたけれど、私もこの人の雰囲気が好きだ。むかし、「拝啓、おふくろ様」というすばらしいドラマがあった。確か倉本聰が脚本を書いていた。料亭の新米の板前(板長は梅宮辰夫)の主人公を萩原健一が演じていた。大好きなドラマだ。

 だから萩原健一が料理をする姿はなつかしいし、実際板についている。

 ドラマでは刑事時代の流と、いまは亡きこいしの母親(財前直見・最終回の回想シーンで初めて登場)の諍いとその原因が、謎として全体を貫いている。これは前回に一応解明された。

 人生のなかの、父と子、母と子、夫と妻、恋人たち、それぞれの出会いと別れ、誤解と和解がドラマとして語られるが、多くはすでに相手はこの世にいない。そのことを思うとこちらの胸も熱くなり、うるうるしてしまう。

 なかなか良いドラマだった。終わったのが残念。

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ