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2016年5月

2016年5月31日 (火)

オーバーラップして見える

 韓国在住の外国人は約200万人、そのうち中国人が50.7%で100万人を突破したという。そのうち、もともと朝鮮族である中国人が過半数なのだが、それにしても5000万人あまりの韓国で、100万人以上の中国人が暮らしているというのは多い。

 先般、韓国側のいう朝鮮人被爆者があまりに多いことに違和感を覚えたところだが、戦前そして戦時中の日本在住の朝鮮人の数はわたしの想像以上に多かったのかもしれないと思い直した。

 韓国側は、その総てが日本から強制的に連れてこられたような言い方をする。しかし今の韓国への中国人の流入の様子を見れば、当時の朝鮮半島から日本にどのように人々が流入していたのか想像できる。

 強制徴用がなかったとはいわないが、ほとんどは自発的に日本にやって来たのであろう。その証拠に戦後、自由に朝鮮半島に帰れるのに多くの人がそのまま日本にとどまって定住し、子孫を残し続けているではないか。強制的に故郷から連れてこられたのなら、帰るだろう。

 韓国在住の中国人が自発的に韓国にいるように、当時の朝鮮の人々が日本にやって来たのが見える気がする。その日本で苦労したことは理解できる。しかし終の棲家として祖国より日本を選んだのだ。

 ロボットによる労働者の仕事を失う職場のことを「自動化リスク職場」などというようだ。韓国は、OECDの中でその比率が最も低いレベルの国だという韓国・中央日報の記事を見た。

 韓国は労働者全体の学力レベルが高く、ロボットによる労働者の雇用喪失は起こりにくい、と自画自賛している。

 日本では職場のロボットはときに愛称までつけられて大事にされることはあっても、ロボットが雇用を奪う、と労働者から反発されるという話は聞かない。ところが欧米では自動化に反対する労働者によって省力化が進まないことがあるという。

 日本は現場作業者でも、才覚があり、能力があればいくらでも出世することが可能である。しかし欧米での階級意識は強固で、現場労働者が経営者側に昇進することはまずあり得ないという。ある仕事に従事したら、ほとんどその仕事に専任化したままだ。それであればロボットの導入は、雇用を奪う、と考えるのは当然である。

 では韓国は日本と同じ思考なのか。そうではないのではないか。先般書いたように、そもそも韓国では現場仕事、汚れ仕事を蔑視する傾向がある。そもそも誰もやりたがらないことをロボットがするのであれば反対しないということではないのか。

 そういうことが通用するのも、韓国経済が今まで順調であったからだろう。失業率が高い、特に若者の失業率が高い、といいながら中小企業は求人難だというのがその象徴である。日本でもその傾向があるのが少々心配だ。

 上昇志向はけっこうだが、鶏頭になるとも牛後になるなかれ、ともいう。鶏腹程度であった私が言うのもなんだが、人間、自分の能力に見合った職場のほうが幸せに暮らせることもあるのだ。あまり高望みをすると疲れるぞ。それが好きならいいけれど。

海の鰐

 「因幡の白うさぎ」の皮をむいて赤裸にしたワニは海にいたけれど、これはワニとはいっても鮫のことだからわかる。

 オーストラリアのビーチで女性二人が海水浴のために海に入ったところ、1人が鰐に襲われて行方不明になったという。警察が捜索中だが女性は発見されていない。

 鰐は川や湖にいるものと思っていたら、海にもいるのだ。そういえば先日読んだ「年を歴た鰐の話」でも、ワニは海を渡っていった。鰐が海でも生息できるのをわたしだけが知らなかったのか。恥ずかしい。

 ところで、ウガンダの外務大臣が、ムセベニ大統領が北朝鮮との軍時協力を中断する、と朴槿恵大統領に表明したことを認めたそうだ。これで朴槿恵大統領は面目を失うことがなくてよかった。

 韓国政府側は、今回の件で、ウガンダ側がそれだけ北朝鮮にシンパシーがあるからウガンダ政府も混乱したのであって、その困難な状況でこれだけの結果を引き出せたのだ、と成果を強調しているそうだ。そういう言い方もあるのか。しかし、しばらくしたらもとの木阿弥になる可能性もあるのではないか。もらうものをもらったあとで、また変節するのはありうることだ。ウガンダにとってはどっちでもいいのではないか。

 本日は娘のどん姫の引っ越しの日。今日荷物を積み出して、明日転居先でひきとる。だから引っ越し手伝いをしたあと、今晩どん姫は実家であるわが家に泊まる。早めに帰れればなにかおいしいものをつくるつもりだが、遅くなったらどこかへ食べに行くことにしている。

 どん姫がてきぱきとおとなの行動をしているのを見ると、うれしいようなたのもしいような、少し面はゆいような不思議な気持ちだ。

ふれあい

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 先般読んだ、池内紀「ニッポン旅みやげ」の前に出た「ニッポン周遊記」という本を読み始めた。同時に購入したのだけれど、こちらの方が厚いのであとになってしまったが、本当はこちらから読むのが普通だろう。

 「ニッポン旅みやげ」がふらりと訊ねた街角、村はずれで見かけた心に残ったものを取り上げているのに対し、「ニッポン周遊記」はそこへ行きたくて行き、見たいものを見に行っている。

 本全体のことは読み終わってから書くとして、途中に、ちょっと好いな、と感じたところがあったので、書き留めておく。

 愛媛県の久万高原町を訊ねたレポートの締めくくりの部分。


 同じ通りを引き返してきたら、細い露地との角に石が据えてあって、太字で「今吉」と彫りこんである。その前の三階建ての建物は二階と三階に手すりがつき、手のこんだ飾りがほどこしてある。かなり荒廃しているが、どことなく艶っぽい。以前は料亭として夜ごとに賑やかな声が漏れていたにちがいない。

 飾り窓に陶磁の壺や大皿が置かれていた。古伊万里の皿のセットが目をひいた。引き戸が細めにあいている。そっとのぞくと、小さなポッテリとした頬のおばあさんが、広い土間に椅子を据えてすわっている。眼が合ったので、ゆっくり立ち上がり近づいてきた。
「いいお皿ですね」
「みなさん、そうおっしゃいます」

 つづいて「わたしには皆目わかりませんが」とつけたして、ニコニコした。童女のような顔に品があって、こよなくやさしい。「今吉」の意味をたずねると、今治からやって来た吉次さんが始めた店。
「わたしのおじいさん」

 それが祖父のことなのか、「おじいさん」と言い慣れていたつれ合いさんのことか、どちらともつかなかったが問い直さなかった。

「お達者で」

 そっと肩に手を置くと、とろけるような細い目になった。つぎの角で振り向くと、やはり石像のようにじっと戸口に佇んでいた。


 このおばあさんの人生を想像してしまうではないか。こんな文章を読むと、旅でほんの一言声を掛け合っただけだけれど、忘れられない人たちのことを思い出す。旅心がうずく。

2016年5月30日 (月)

丁寧という名の手抜き?

 定期検診の結果はグレイ。血糖値はギリギリセーフだが、体重がリバウンドしており、そして肝機能の一部が悪化していた。バカ酒が結果に表れているのだ。体重がリバウンドしたといっても2キロ弱多くなっただけで、私から見たら誤差範囲なのでそう言ったら、ちょっと医師がむっとした。いままでの医者のときは摂生していたのに自分になってそれを怠っているのは自分が舐められている、と感じたのかもしれない(考えすぎだと思うけれど、でも顔はむっとして見えた)。

 今回はいままで通りの薬でいいけれど、次に改善しなければ薬を増やす、と脅す。ちょっと一言言いたいけれど、我慢した。それにこれからも少々楽しく飲み食いしたい予定がたくさんあるのだ。

 運動不足を痛感しているので、意識して身体を動かすことにしよう。それしか食べることと摂生は両立しないのだから。

 ニュース番組が好きで、同じようなネタしかないのを承知で、あちこちのニュース番組をつけっぱなしで眺めている。NHKBSのニュースに続けてNHKの定時のニュースを見たりする。似ていても多少ニュアンスが違ったりすることもあり、ネタのあつかいの優先度もわずかだが違うのが面白い。

 このごろとみに思うのが、ニュースのネタが少ないことだ。ニュースがないわけはないだろうから(特に悪いニュースが少ないならめでたいことだが)、ひとつのネタでほとんどの時間を使い切り、ほんの付け足し程度の別のニュースが添えられていると云うことが多い。

 特集番組でワンテーマで論じる番組ならいざ知らず、定時のニュースのネタが少なすぎるのはどうしたことか。これではいつも同じ内容を繰り返し長々と見ることになる。そしてニュースのあとにそのネタの特集番組が組まれていたりするからびっくりする。

 取材に金をかけ、人出を使っているから詳しく報じたいのかもしれない。しかしそうして集めたものから選び抜いたエッセンスを報じるのがニュースというものだろう。これは丁寧に報じる、という体裁をとった手抜きではないのか、などと暇人はぶつぶつと不満をつぶやいている。もっと知りたいこともあるのだ。

また、よしなしごと

 朴槿恵大統領がアフリカ諸国を訪問している。

 ウガンダはアフリカ諸国の中では主要な国で経済規模も大きいが、この国は数少ない北朝鮮と国交のある国だ。軍事的にも密接な関係にある。しかし今回の国連の北朝鮮非難決議に対応し、三月には北朝鮮の核実験に反対を表明している。

 韓国大統領府は、朴槿恵大統領とウガンダのムセベニ大統領との首脳会談で、軍事的にも経済的にも協力していくことで合意したと発表。さらにムセベニ大統領は朴槿恵大統領に対し、「ウガンダは北朝鮮との軍事協力を中止する」と表明した、と成果を強調した。

 確かに成果である。

 ところがその後、ウガンダ政府の副報道官が、「そのような話が公になることがあるわけがない。そもそもそんな話は事実ではあり得ない。」と全面的に否定した。

 これは韓国大統領府のムセベニ大統領のリップサービスかレトリックを勝手に解釈した勘違いなのか、それともウガンダ側が内部不統一であるのか、どちらだろう。どちらにしても、朴槿恵大統領が了解しないものを勝手に大統領府が発表することはあり得ないから、朴槿恵大統領が早とちりした可能性があると云うことだ。

 外交的成果をうたい上げようとしたのに却って笑いものになりかねない結果になったようだ。普通はそのような話を公表していいかどうか、相手の国に確認をとってからにするのが常識だが、それを怠ったのだろうか。それなら韓国の外交についての無知をさらけ出したことになる。

 韓国はたくさんお土産を持参したに違いない。それで相手はこちらの言いなりになると思い上がったのか。それなら中国によく似ている。

 話が大きく変わるが(変わりすぎるが)、笑点の新司会者が春風亭昇太になった。私は予想していたわけではないけれど、良い決定だと思う。昇太はむかしあまり好きではなかった(顔が嫌いだった)が、イヤミはないし、ことばが丁寧で、けっこうかわいげがあると思うようになっていまは好きである。しかし代わりの新メンバーが三平になったことが残念だ。

 正蔵(!)、三平兄弟が、この名跡に値しないのに名を継いだのは、母親のごり押しであると私は感じている。この兄弟は身の程知らずであること、それに気づいていないことに怒りすら覚える。それに話し口調が最低である。口先をとがらせて知ったかぶりをしゃべり(正蔵)、嫁さんをダシに番組でたびたび共演し(三平)、家族ぐるみで公私混同の甚だしいのには辟易する。

 三平の参加で笑点の大喜利がつまらなくなりそうな気がしている。好楽のどや顔の場違いで観ている方が恥ずかしいところ、木久扇の本当に呆けたボケ(ろれつも回っていない)など、かなりがたが来ていたのに、もう一人見ていて場違いなのが混じったら、この番組、先がないのではないか。楽しみに見ていたものとして哀しい。  

 ただの私の好みのことなのに、ちょっと興奮しすぎた。

よしなしごと

 韓国の若者の失業率が高いとしばしばニュースで聞く。ところが中小企業は求人難なのだそうだ。大企業と中小企業の給与格差は日本以上に大きいらしいから、みな大企業を望むのであろう。当然中小企業は求人難となり、若者の失業率は全体として高くなる。中小企業の方がずっと件数も多いし、労働者数も多いのだから、当然の結果だろう。

 韓国の教育熱の高さは日本の上を行くというから、よく勉強するのだろう。そして高額な教育費は家計の大きな負担になっている。そこまで無理をして仕込んだのだもの、親は大企業に勤めてもらいたいと思い、頑張って勉強してきた子どももそれに応えようとする。中小企業なんかに就職できないわけだ。

 中小企業を勤め上げた私から見れば、つまらないこだわりだと思うが、韓国にはそのような文化が根柢にあるようで、特にブルーカラーは蔑視されやすいなどと聞く。額に汗して現場で働くと云うことは下層階級の仕事と見なされるのだ。知識人はそんなことは恥ずかしくて出来ないのだ。

 そんなおかしな階級意識のない日本に生まれて本当に良かったと思う。日本では優れた職人は昔も今も尊敬される。韓国では考えられないらしい。

 こうして激しい競争に勝ち残った優秀な若者が大企業、つまり韓国では財閥企業に集まるのだから、韓国の大企業は強いだろう。しかしメーカーなら、現場でものをつくる人が優秀でなければ、いつかは頭でっかちとなって破綻する。大丈夫か韓国。

 国連事務総長の潘基文が、韓国で次期韓国大統領に立候補することを示唆する発言をしたとして、国連のブリーフィングで記者団につるし上げになっているという。

 事務総長の任期が終わったあとならいざ知らず、総長としての権限のある任期中に、そのような政治的発言をすることを非難されるのは当然だろう。この人、どうも人間的に軽い。いままでも韓国寄りの発言を繰り返して日本を非難してみたりして、国連事務総長として中立性に欠けている。日本人なら却って日本に厳しい態度をとるだろう。国民性なのか、ご当人の資質なのか。こんな人が次期韓国大統領になったら、韓国はますますこれから大変だろう。そういえばこの人も確か中国贔屓だ。

 本日は定期検診の日。今回はほとんど摂生していないので、検査結果は悪いと覚悟しているとはいえ、ちょっと不安。

 誰も知りたくないだろうが、結果は今晩報告予定。

2016年5月29日 (日)

無明から無明へ

 魯迅、そして中国のことを考えている。

 魯迅が、医師になることをやめ、中国人の身体を治すことよりも精神を治すことをめざして文筆家になったことは述べた。

 その頃の中国人は無知で、自分の置かれている立場というものが見えていなかった。その蒙昧からの覚醒を働きかけようとして、魯迅は中国人の姿を小説の形で、そのまま、あるいは誇張して目の前にさらして見せた。

 チャン・イーモウの「紅いコーリャン」や「菊豆(チュイトウ)」などの映画も、そんな自分たち中国人の姿をさらけ出して見せたものだと思う。自分の姿を知らなければ、そこから覚醒することは出来ないと考えたのだろう。

 無明(むみょう)という仏教用語がある。真継伸彦という作家の「無明」という小説と、それの前作にあたる「鮫」という小説で、無明ということばの意味を教えてもらった。ものを、世界を「識る」、ということ、それは知識の問題ではなく、自分の認識している世界は一皮めくれる(私流で分かりにくくて申し訳ないが)ということ、そこには違うレベルの認識があると云うことを「識る」と云うことなのだ。

 魯迅は世界はめくれる、ということを、いま自分を取り巻く世界はみえているままの固定的なものではなく、違う見方、有り様があるのだと知らせたかったに違いない。つまり無明からの覚醒である。

 中国は長い長い無明の時代から脱却し、第二次世界大戦後、新生中国が希望と共に始まった。ほとんどの人はまだまどろみのなかにいたとはいえ、知識人達を先頭に、次第にその眠りから覚めていった。

 魯迅が生きていれば、それを言祝いだに違いない。

 そして文化大革命がおきた。これが権力闘争であった、と歴史家は云う。その通りなのだろう。高校生のころ以来、私は文化大革命についてずっとこだわってきた。権力闘争について、そしてどんな悲惨な事態だったか知るために、何冊本を読んだか分からない。

 文化大革命以後、そして天安門事件があり、知識人は、つまり無明から覚醒した人たちは、徹底的に共産党の支配する中国では弾圧されてきた。無明からの覚醒を中国共産党王朝は恐れたのだ。文化大革命は、実は文化の抹殺、知識人の抹殺の時代でもあった。中国を旅すれば、いたるところにその傷跡を見たものだ(いまは隠蔽されていることが多い)。共産党が民衆の覚醒を恐れ、弾圧してきたことは歴史に明らかだ。それは中国だけではなかったことを、いまは誰でも知っている。

 そして中国の民衆は無明から覚醒しかかったところで、ふたたび無明の闇に戻ることを余儀なくされている。知識があることが覚醒をもたらすのでは、断じてない。だからインターネットで情報が飛び交っても、無明の闇から脱することが可能だとは限らない。

 いまの中国がふたたび無明の闇にいることを、魯迅ならばなげくだろう。

 豊かであることが覚醒をもたらすとは限らない。そのことはいまのアメリカや日本を見ていればよく分かる。

 私は少なくとも自分が無明であることを、覚醒した先人の本を読むことで気づかされた。そのことは必ずしも幸福をもたらさないが、良かったこと、有難いことだ思っている。まだまどろみの中で、無明のときより混沌としているけれど。

 ソクラテスの云う「無知の知」、「自分は知らない」、ということを知っている、という言葉が無明からの出口、出発の原点だろうか。

 優れた人は洋の東西を問わず、同じことを考えるものだ。それが考えぬかれた上の正しいことだからだろう。

G7で了承?

 消費税引き上げが延期されるようだ。そのことの是非は考える基準によって変わる。景気を重視すれば引き揚げしないほうが良さそうだし、赤字財政から考えれば、延期は問題だし、社会福祉にしわ寄せが来るおそれもある。

 民進党をはじめとする野党は、鬼の首を取ったように、公約違反だ、アベノミクスの失敗だ、と責任を問う姿勢だ。それを見ている私は、では民進党がいま政権党だったら景気は、税収は、雇用はどうなっていただろうか、と考える。今よりも良かったはずだと思う人がどれだけいるだろうか。私は思わないが、思うとすれば、よほど物忘れのひどい特殊な人ではないか(失礼)。

 あれだけ明言していた消費税引き上げを延期した理由は、たぶんG7サミットで各国の了承を取り付けたからだろうと推察する。日本の消費税引き上げは国際公約と受けとられていて、それを変更するのだから、サミットをその根回しのチャンスとしたのだろう。違うだろうか。

 こうなると、安倍首相の責任を問い、野党は内閣不信任案を提出するのがいままでの流れから筋であり、手順だろう。そのために衆議院選挙があるとして統一候補などの準備をしていたに違いない。

 ところが、不信任案は出さずに、内閣は総辞職すべし、などと言い出した。自ら辞めろ、というのだ。自ら辞めればふたたび安倍首相が総理大臣になることは難しい。とにかく安倍晋三という人間は「悪」であるからそれを排除すれば正義である、と野党は言い続けてきた。確かに首尾一貫している。

 では野党の面々に問いたい。日本の現状をどう認識し、どういう日本にしたいのか、そしてそのためになにをするというのか。安倍内閣の非を叫ぶ声ばかりしか聞かず、日本をどうしたいのか、民主党時代のここが間違っていたから今度はこうする、という言葉を寡聞にして私は聞いていない。

 幼児が、積み上げた積木を気にいらないからとガラガラと崩して、あとは知らない、片づけもしないしその気持も能力もない、というのに似ている。

 多くの国民はそんなことを知り抜いているだろうから(そう思いたいが、アメリカのトランプの例もあるから不安だ)、選挙で民進党がふたたび政権を取ることはまず考えられない(もしとったりしたら恐ろしい)。それならばふたたび自民党政権で、安倍さんがなるか、誰か別の人が首相になるだけだろう。

 岡田民進党党首は選挙で負けたら党首を辞めると力強く公言した。負けたら誰がなるのか、それが楽しみだ。

先崎彰容(せんざきあきなか)「違和感の正体」(新潮新書)

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 久しぶりに新しい視点を知る喜びを教えてもらった。内田樹老師以来かもしれない。標題や帯の文句から、単純なリベラル平和主義批判かと思うかもしれない。私もそんなつもりで購入した。読んでいて正義の味方に対しての痛罵が気持ちいいと感じることもあるからだ。

 ところがそんな揚げ足取りの本ではなかった。帯の端に書かれた「本格社会評論」というのがこの本の正しい位置づけなのだ。

 なぜ国会前のシールズの集会やそれに和しているリベラル政治家や音楽家がうさんくさいのか、それをうさんくさいと感じるこちらに問題はないのか、そんなレベルのことを論じた評論ではないのだが、読み終わると結果的にそれに自分なりの答えが出て、すっきりしてしまう。

 デモや集会についてのテーマでは、カール・シュミットが、教育論では福沢諭吉が、時代閉塞論では石川啄木が、反知性主義論では北村透谷とエマソンが、平和論では高坂正堯が、沖縄論では吉本隆明が、震災論では江藤淳が、時代を読み解く診断士の役割を与えられて、その言説を手がかりにそれぞれの新しい見方考え方を提示する。

 だからそれぞれの論を読みながら、診断士(つまり石川啄木や江藤淳たち)の人たちの見方考え方を知り、それを通して自分の頭にこびりついたものの見方考え方の洗い直しを迫られる。それが快感なのだからこの本は私と相性がいいのだろう。

 著者はこの春から日大の教授。福島県在住で、原発から40キロ圏内に住んでいて、埼玉に自主的に転居した経験を持つ。破綻した生活からようやく再建の過程にあるらしい。

 生活が全面的に崩壊した経験は、観念的な平和論とは別のものではあるけれど、観念的な考えなどは生活の危機の前では吹き飛んでしまうのだ。そのことは経験者のみしか分からないことで、私は母の空襲体験と、焼け出されたあとの苦労話を子供の時に再三聞かされていたから、実感として多少は分かる。実感と観念のどちらを優先して思考するのが正しいのか。この本はその当然のことを原点から見直す必要があることを知らせてくれる。そしてその実感のたたき台が、過去の優れた思索をしてきた人たちの文章のなかにちゃんとあることを気づかせてくれる(ちょっと分かりにくい。この本を読めば分かるだろうか)。

 幸福のみしか知らず、家族に問題もなく、人生の波風の経験のない人にしばしば冷たい人がいる、ということを何度か書いた。これは私の経験から云っている。眠れないほどの、自分の力ではどうしようもないつらい事態の経験のない人には、人の痛みは分からないものだ。

 なぜ突然そんなことを言うのか。脳天気な平和主義者の集まりに、しばしばそのような幸福そうな人々が集っているのを感じるからだ。イルカのために頑張っている人にとてもよく似ている。

 苦労を知らない人がしばしば弱者のために論を張り、ときに弱者を装う。

 そしてそれらの言説にまともな人はしばしば違和感を感じる。その違和感は正当であることをこの本は懇切丁寧に裏付けてくれている。良書である。

2016年5月28日 (土)

小さな出来事(魯迅「吶喊(とっかん)」から)

 少し長いですが、出来れば最後まで読んで下さい。


 魯迅をご存じだろうか。中国の大文豪である。代表作の「狂人日記」や「阿Q正伝」などを読んだことのある人もいるだろう。彼は日本への国費留学生として仙台医専にやってきた。そのときに見せられたスライドを見て医師になることを辞め、文学者になることにしたのは有名な話である。医学を修得して中国人の身体を治すことより、まず文学から精神を治さなければならない、と考えたのだ。

 どんなスライドだったのか。ロシアのスパイであるとして日本軍に逮捕された中国人が、引き据えられて日本刀で斬首される様子を映したものだ。魯迅が見たのはその様子を眺める同胞の中国人たちの姿だった。

 魯迅の初期の作品集である「吶喊」には、そのような中国人たちの姿が描かれている。「狂人日記」や「阿Q正伝」もここにおさめられている。ここに描かれている中国人は、現代風にいえば目覚めていない。ただ、いまの中国人が魯迅の期待したように目覚めているのかといえば、それも心許ない。日本人だって同様だ。

 そんな「吶喊」の中に「小さな出来事」という小文がある。今回ちくま文庫の魯迅文集を拾い読みしていて、思うところがあった。反芻するためにここに全文を紹介してみたい。


    「小さな出来事」  魯迅(竹内好訳)


 私がいなかから北京へ来て、またたく間に六年になる。その間、耳にきき眼に見た国家の大事なるものは、数えてみれば相当あった。だが私の心にすべてなんの痕跡も残していない。もしその影響を指摘せよ、と言われたら、せいぜい私の癇癖をつのらせただけだ--もっと率直に言うと、日ましに私を人間不信に陥らせただけだ、と答えるほかない。

 ただひとつの小さな出来事だけが、私にとって意義があり、私を癇癖から引きはなしてくれる。いまでも私はそれが忘れられない。

 それは民国六年(*)の冬、ひどい北風が吹きまくっている日のことである。私は生活の必要から、朝はやく外出しなければならなかった。ほとんど人っ子ひとり歩いていなかった。ようやく人力車(**)を一台つかまえ、S門(***)まで行くように命じた。しばらくすると北風がいくらか小やみになった。路上の埃はすっかり吹ききよめられて、なにもない大道だけが残り、車はいっそうスピードをました。やがてS門に行きつこうとするころ、不意に車のかじ棒に人が引っかかって、ゆっくり倒れた。

 倒れたのは女だった。髪は白毛まじり、服はおんぼろだ。いきなり歩道からとび出て、車の前を横切ろうとしたのだ。車夫はかじを切って道をあけたが、綿のはみ出た袖なしのうわ着にホックがかけてなかったために、微風にあおられてひろがり、それがかじ棒にかぶさったのだ。さいわい車夫がはやく車をとめたからよかったものの、そうでなかったら、ひっくり返って頭を割るほどの事故になったかもしれない。

 女は地面に伏したままだし、車夫も足をとめてしまった。私は、その老婆がけがしたとは思えなかったし、ほかに誰も見ていないのだから、車夫のことを、おせっかいな奴だと思った。自分からいざこざをおこし、そのうえ私にも迷惑がかかる。

 そこで私は「何ともないよ。やってくれ」と言った。

 しかし車夫は、耳も貸さずに--聞こえなかったのかもしれないが--かじ棒をおろして、老婆をゆっくり助けおこし、腕を支えて立たせてやった。そして訊ねた。
「どうしたね」
「けがしたんだよ」

 私は思った。おまえさんがゆっくり倒れるところを、この眼で見たんだぞ。けがなどするものか。狂言にきまってる。じつに憎いやつだ。車夫も車夫だ。おせっかいの度がすぎる。それほど事をかまえたいなら、よし、どうとも勝手にしろ。

 ところが車夫は、老婆の言うことをきくと、少しもためらわずに、その腕を支えたまま、ひと足ふた足歩き出した。私はけげんに思って前方を見ると、そこは派出所だった。大風のあととて、外は無人だった。車夫は老婆に肩を貸して、その派出所をめざした。

 このときふと異様な感じが私をとらえた。埃まみれの車夫のうしろ姿が、急に大きくなった。しかも去るにしたがってますます大きくなり、仰がなければ見えないくらいになった。しかもかれは、私にとって一種の威圧めいたものに次第に変わっていった。そしてついに、防寒服に隠されている私の「卑小」をしぼり出さんばかりになった。

 このとき私の活力は、凍りついたように、車の上で身動きもせず、ものを考えもしなかった。やがて派出所から巡査があらわれたので、ようやく車からおりた。

 巡査は私のところへ来て言った。「ご自分で車をひろって下さい。あの車夫は引けなくなりましたから」

 私は反射的に、外套のポケットから銅貨をつかみ出して、巡査に渡した。「これを車夫に・・・」

 風はまったく止んだが、通りはまだひっそりとしていた。私は歩きながら考えた。しかし考えが自分に触れてくるのが自分でもこわかった。さっきのことは別としても、このひとつかみの銅貨は何の意味か。かれへのほうび?私が車夫を裁ける?私は自分に答えられなかった。

 この出来事は、いまでもよく思い出す。そのため私は、ここ数年の政治も軍事も、私にあっては、子どものころ読んだ「子曰く、詩に云う(****)」と同様、ひとつも記憶に残っていない。この小さな出来事だけが、いつも眼底を去りやらず、ときには以前にまして鮮明にあらわれ、私に恥を教え、私に奮起をうながし、しかも勇気と希望を与えてくれるのである。

*民国六年・・・1917年。辛亥革命のあった1911年の翌年1912年を民国元年とする。

**・・・人力車は明治初年に日本で発明され、中国でも普及した。日本のものと違い、中国の人力車はかじ棒が長い。車夫はかじ棒の根もと、客に近いほうを持って走るので、しばしば先で人に当たることがあり、わざと当たるものもいたという。

***S門・・・宣武門。北京の故宮の西側の門。

****子曰く、詩に云う。経書のこと。 

注釈は竹内好の註から一部引用。

 中国は、この小文に書かれた魯迅の気持ちを受け止めているのか。そういう私はなにを見失っているのか。引き写しながらいろいろなことを考えた。

お手伝い

 本日は午後から娘のどん姫の引っ越し準備のお手伝い。実際の引っ越しは月末だが、今日も車で来て欲しいと頼まれている。なにか運ぶのであろう。

 いままでシェアハウスで友だちと岐阜市内に暮らしていたけれど、今度から名古屋市内での独り暮らしに戻る。新しい住まいは、私が名古屋へ出るときの名鉄沿線なので、いままでよりも彼女の実家であるわが家にずっと近いし、通勤は楽になるし、帰りが遅くなっても安心だという。

 あまり片付けが得意ではないどん姫なので、今度の引っ越しを機にものを整理して、私が訪ねたら、あがってお茶でも飲めるようにしておいて欲しい、と注文を付けてある。さてどうなるか。私だってずいぶんだらしがなかったけれど、歳とともに多少は片づけられるようになった。出来ないことではない。

 来週月曜は定期検診日。いつもは一週間以上前から酒も控え目にし、体重を抑えめにするのだけれど、今回は全く出来ていない。検診の結果は想像できるので、諦めている。それにしても思った以上に身体の切れが悪くなっている。せめて散歩でもして筋力を保持しないと老化が加速してしまうのを実感している。でも暑いし、歩こうとすると雨が降ったりするしなあ。
 
 やはり出かけてあちこちウロウロする方がいいみたいだ。

2016年5月27日 (金)

地主と小作

 北朝鮮の人民軍兵士の糧食は、協同農場の農産品を国家の取り分と農民の取り分とに分けられて、その国家の取り分から供出されるのだそうだ。

 軍隊は自分の農地も持っているが、慢性的に不足しているばかりではなく、本来の協同農場からの分配からの供出でも足らず、農民個人への分配分からの強制徴用が常態化しているという。さらに都市住民に対しても供出が強要されるというから末期的だ。

 農民の不満があまりに高まったことを受けて、昨年、農民の取り分は自由に処分できるように定められた。餓死者まで出たというからよほど深刻だったのだろう。生産意欲がようやく回復した矢先に、ふたたび軍糧米の強制徴用が行われる事態になった、と報じられた。

 生きるか死ぬかの強制供出であるから、命がけで拒否するものもいるようだ。しかしそんなことが許されるはずもない。一人許したらみんな拒否してしまう。

 ところがその供出米がひきとられない事態もしばしばあるという。軍用車がないともいい、燃料がないから軍用車が動かせないともいう。その軍糧米を警備するために兵士が派遣されているのだが、その兵士がこっそり備蓄米を闇市場に売って酒に替え、捕まった事件もあるそうだ。

 農民からは「いまの朝鮮は、国家が地主で農民は小作農だ」などということばが聞かれるという。

 苛斂誅求な収奪を行った地主に支配されていた時代の方が、いまよりマシだ、と農民たちは思っているのかも知れない。よほどのことがなければ餓死するまでのことはなかっただろうから。金王朝は歴史にそのような国家として名を残すだろう。すでにそうか。

非寛容の世界

 フランス全土でいわゆるゼネストが起きているのを今朝の海外ニュースで見た。フランスの放送局はもちろん、イギリスの放送局も取り上げているからヨーロッパ全体の関心事であるのだろう。

 なにを求めてのゼネストか。労働法の改正反対の抗議が目的である。今朝初めて知ったくらいだから詳しいことを知らないが、フランスは労働者の権利が過剰に認められていて、それでは企業にとっては負担が重すぎるので、修正しようというものだそうだ。

 雇用や解雇についての企業の裁量権を拡大することが盛り込まれているらしい。現在でも失業率が高く、特に若者の失業率の高いフランスだから、民衆は今以上に労働者が苦しみ、失業も増える、と反対しているのだろう。

 フランスの企業の競争力は他の先進国と較べて劣る。それが労働者の権利が過剰に保護されているからだ、という事実があるが、それは労働者にとって既得権であるから、それが少しでも損なわれることに反対するのは当然だと労働者は思う。彼らにとって労働法改正は企業の都合を優先する悪の行為である。

 しかしフランス政府から見れば、現在の労働法のままではフランス企業はそれに足を引っ張られて競争力を持てず、ドイツなどとの経済格差はますます拡大してしまう。そうなればフランスはいよいよ勢いを失い、失業がさらに増えてしまう。フランスは没落してしまう。労働法改正は過剰の是正であり、他国とのバランスをとらざるを得ないやむを得ざる措置である。

 ニュースを見ていると、政府は改正案の多少の修正も考慮しているらしいが、労働者側は政府側の説明を一切聞く耳を持たず、絶対反対、改正案撤回要求を貫くつもりのようである。非寛容の世界では妥協案が模索されようもない。落としどころが見えないのだ。

 画面ではガソリンスタンドの前に並ぶ、車の長蛇の列が映されていた。製油所のゼネストなどでガソリンの供給が滞っているのだ。原子力発電所の前にも多数の人が集まっていて、現場放棄のために稼働率低下が余儀なくされているという。

 これではいまに電気もガスも供給に影響が出て市民生活に支障が起きるだろう。道路封鎖をしている労働者達に食ってかかる市民の姿もあった。「我慢比べだ!」と叫ぶ労働者達。我慢比べをしている間にフランスはどんどん出口を見失う。自分の首を自分で絞めている姿に見えるのだが、どうなのだろう。

 フランスはどこの国よりも労働者が優遇される社会主義の国だとも言われている。社会主義の国は本質的に崩壊へ到るらしい。オランド大統領も祖国をはるか離れた日本でやきもきしていることだろう。

高峰秀子「私の渡世日記 上・下」(文春文庫)

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 先般所用で千葉へ行った際に弟の家(実家)に宿泊した。私の本がたくさん積んであるので、本は持参せず、積んであるなかから手に取ったのがこの本だったことは先日書いた。

 読みかけのままだったので今回の旅に持参したのだが、毎日酒を飲んでばかりであまり読み進めず、帰ってきてからようやく読了した。

 高峰秀子は私の母の一歳年上(1924年生まれ)。2010年に肺ガンで亡くなっている。ヘビイスモーカーだったという。

 子役で天才といわれて、おとなになって名優になることはない、といわれるが、天才子役で名女優になった希有な例がこの人だ。

 むかしの子役(子役時代は戦前)は児童福祉法などないから引っ張りだこで、彼女はほとんど学校に行くことができなかった。松竹から東宝への移籍の条件として、なんとか女学校へ行かせてもらったが、それもほとんど出席できず、一年足らずで退学している。

 この本は彼女の生い立ちと五十歳までの半生記だが、同時にそれは日本の映画史でもあり、彼女の交遊録でもある。しかしなにより、自分の母親との壮絶な闘争記でもある。高峰秀子は実母を五歳で亡くし、実父の妹である平山志げの養女となる。この平山志げの芸名が高峰秀子であり、子役になるときに養母が彼女の芸名とした。

 とにかく凄まじい養母なのである。ほとんど一生をこの母親に食い物にされたといっても過言ではないのだが、それにめげずに耐え抜いた高峰秀子という女性の強さに脱帽する。人間力が尋常ではない。

 そのあたりは巻末の解説に沢木耕太郎がまとめてあり、それがすばらしいので、この本を読み終わったら是非この解説も読んで欲しい。

 前にも書いたが、私は高峰秀子が嫌いだった。しかし映画を見たりその文章を読んだりして、がらりと見方が変わった。そしてこの本を読んで大好きになった。

 彼女は、自分は嫌われやすい、と自覚している。それは当然だ、と思っている。演技でないときの自分を飾ることをしないひとなのだ。それは俳優であることと本来の自分とのバランスをとるためかも知れない。ここに彼女の人生のほとんどがさらけ出されている。ここまで書くことで、また人から顰蹙を買うかも知れないと承知しながら、書かずにいられない彼女の気持ちがよく分かる。

 特に女性には是非読んでもらいたい本だ。人生観が多少変わるかも知れない。凄い本である。

2016年5月26日 (木)

松本で酩酊、お土産のこと

群馬県の老神から長野県の松本へ向かう。これも地道を行くことにして、ナビの有料回避コースを指示してそれに従う。


思ってもいないコースを走る。17号線をひたすら南下、前橋、高崎と渋滞ルートを走らされる。途中から18号線に乗り換え、軽井沢から上田に向かう。来るときに走った道に近くてつまらない。妙義山を遠望し、かすんだ浅間山を見ながら走る。

松本は学生時代からの友人の住む場所で何遍来たか分からない。とにかく出不精なのでこちらが行かないと会うことができないやっかいな友人だ。バカ酒飲みで、私の倍くらい飲む。学生時代、わが家に彼が来るときは日本酒が三本必要だった。一升瓶が、である。

今回は赤城の酒、「水芭蕉」の大吟醸の一升瓶を張り込んで友人へのみやげとしている。これでは足りないけれど、彼もたぶん酒を買い込んで待っているはずだからいいのだ。

上田を過ぎたら突然山道を走ることになった。国道143号線、青木峠越えの道。あまり好きではない狭い曲がりくねった道だが、ガードレールがあるだけマシか。

友人に青木峠を越えてきた、といったらなんでそんな道を、とあきれ、笑っていた。

夕方から二人で飲み続ける。気がついたら二人ともそのまま寝ころがっていた。もちろん妻女が布団を掛けてくれてはいたが。翌日はもちろん二日酔い。ゆっくりと朝飯をいただいてから昼前に帰路についた。友人の妻女はあきれ果てていたが、これもいつものことだ。

帰りに近くの山辺ワイナリー(松本市郊外)に寄ってワインを買う。

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このワイナリーのワインは絶品。いつも白を買う。正面右手がレストランになっている。

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左手がワインがずらりと並んだワインセラーと地元のジャムなどが売られている。今回はいつも買うナイアガラという白ワインの辛口を買う。前回はやや甘口を買った。それとシャルドネの樽熟成ワイン。これはナイアガラの倍もするが、なにか祝い事でもあったら飲むことにしよう。

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左が自分用に買った水芭蕉・大吟醸の四合瓶。今度6月に友だちが来るのでそのとき飲もう。右がナイアガラとシャルドネ。

これと別に、つまみ用に蜂の子の缶詰を購入。高い。買うたびに値上がりしているような気がする。しかしいまに手に入らなくなるかも知れないからいいのだ。

これらは高速に乗らず、地道で走ったことで浮いた分をつぎ込んだと思えば良いのだ。だから松本からはもう意地を張らずに高速で一気に名古屋へ帰った。

楽しいなあ。でもちょっぴり疲れた。

6月には大阪の友人が遊びに来て、高山や合掌集落に行く予定。円空に興味があるというので穴場へ連れて行くつもりだ。

今回の旅はこれでおしまい。おつきあい、ありがとうございました。

丸沼

金精トンネルは栃木県と群馬県を分けている。奥日光から群馬県側へ抜けてしばらく坂を下りると、緑の木立に囲まれた菅沼、そして丸沼がある。光の具合によってとても神秘的なところである。


丸沼のすぐ近くにリゾートホテルなどがあり、丸沼高原へのロープウェイがある。途中から見下ろす丸沼などの景色もいいし、山上の露天風呂も楽しい。もちろん目の前の日光白根は絶景である。

ところがところが・・・、日曜日(22日)なのに「本日ロープウエイは休止中」の無情の看板が立てられている。土木用の大型自動車が何台も駐車場に見えたから、なにかの補修工事なのだろうか。このロープウエイに乗るために日光を早上がりしてきたのに恨めしい。

仕方がないから丸沼そのものに行く。ここに環湖荘というホテルがあり、高原の湖水を前にしたとてもいい場所である。

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環湖荘の前の標高1430メートルという標識。
駐車場が満杯である。いくら日曜日にしてもどうしたことかと思ったら、ホテル前の庭で表彰式が行われていた。

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釣り大会があって、その釣果発表と表彰が行われていたのだ。正面が環湖荘。

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湖水は木立の先、目の前である。この二人も服装から見て釣り大会に参加したのだろう。表彰式とは離れてのんびりしている。残念な結果だったのかも知れないが、木陰で高原の風を感じるのは最高である。

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丸沼の湖面。右手は浅く、左手はやや深い。朝早くの霧の中で見ると、とても神秘的な沼である。

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左手奥の水没木の向こうに、アングラーたちが寝そべっている。こちらも表彰式に名を呼ばれる可能性のない人たちか。

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右手の浅いところで水音がした。魚がヒットしたらしいのだが、そのあと手ぶらで帰ってきた。私が見ていたのに気がついていたらしく、「バレた」と苦笑いしていた。

近くの店でソフトクリームを頼んだら、不格好でしかも半分くらいのソフトクリームを手渡された。手渡したお兄ちゃんは、機械の調子が悪いからこんなのしかできなかった、お代は要りません、と頭をかいた。

お言葉に甘えて遠慮なくその不細工なソフトクリームをただでいただいた。味は問題ない。

このあと宿へ早めに戻り、すぐ昼間の温泉にゆっくり浸かる。日曜だから却って少し客が減るかと思ったら、駐車場は満杯。バイキング会場も満杯だった。みな暇なのだ。人のことはいえないけれど。しかし小学生くらいの子供連れが今晩もいるのは不思議だ。

学校はどうした!明日は月曜だぞ。

2016年5月25日 (水)

奥日光・湯の湖

湯元温泉には小学校の修学旅行のときに泊まった。いまから五十年以上昔である。ふざけて風呂に飛び込んだら思ったより浅かったので膝を打って痛かったことを思い出した。


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湯の湖にはアングラーたちがいた。

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湖面にはボートがたくさん浮かんでいる。湖の周囲には木製の遊歩道が巡らせてあって、気持ちよく散策できる。

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砂州になっているところでは立ち姿のアングラーたちも見える。女性も少なからずいる。日差しは強いが湖面を渡る風は心地よい。帽子を持って来るべきであった。いつもそう思って忘れる。

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高台からの湯の湖の眺め。いいでしょう。日光まで来たらここまで足を伸ばす値打ちはあります。

このあともう一度金精トンネルを抜け、群馬県側に戻る。時間もたっぷりあるので、ロープウエイで丸沼高原へ行くつもりだったのだが・・・。

湯本温泉・温泉神社

奥日光、湯の湖は風景の良いところである。湯元温泉はその湯の湖のほとりにある。駐車場がいつも満杯で、おくのに苦労する。ところがよく見ると奥の方にもたくさんあるのに今回初めて気がついた。湖からだいぶ遠くなるけれど、一番奥に駐めることができた。


その駐車場の前の道をしばらく湖の方へ歩いていると、交差する形で温泉神社通り、と標識がある。立ち寄ってみよう。

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温泉神社入り口。右手の建物はおみやげ屋が廃墟になったものらしい。朽ち始めている。

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階段を登る。温泉神社はたいていこういう高台にある。

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階段途中で右に目をやると、石楠花が咲いている。

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そのすぐ下はあの廃墟のみやげ物屋の自然に戻りつつある姿。左端に石楠花が見えている。

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反対側にはお地蔵さんたちが並んでいる。この赤いよだれかけが緑の中で目に鮮やかに映る。

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湯元温泉・温泉神社。御幣が新しいし、掃除もされているから手入れはされているようだ。

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振り返ればホテルの背後に金精山がそびえている。

2016年5月24日 (火)

湯滝

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湯滝は湯の湖からの水が段差を流れ落ちているもの。傾斜があるので完全なフリーフォールではない。しかし70メートルの落差は迫力がある。

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正面からの全景。滝は轟音も景色なので、音がないとその見事さが伝わりにくい。

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暑い日だったが、ここだけはしぶきで涼しく快適。

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遊歩道もあるけれど、パス。せせらぎが日光にきらめいている。

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倒木の苔が美しい。自然はこうして循環しているのだ。

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駐車場で愛車を撮影。木立の緑が気持ちいい。

金精峠と半月山展望台

日光へ行く。老神から日光中禅寺湖まで40キロ足らず、スムーズに走れば一時間ほどである。天気の良い週末の行楽日和、車が多いだろうと予想したが、金精峠越えまで全く渋滞もなく、問題なく走る。


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金精トンネルを抜けて栃木県側に入る。峠を少し下ると車を置く場所がある。金精山を振り返る。

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アップで見るとなるほど金精様である。屹立している。こんな時代もあった。

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下を眺めれば湯の湖と男体山がかすんで見える。

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湯の湖は美しい湖だが、かすんでいるのが残念だ。

これでは次に向かう半月山の展望台からの眺望が心配だ。

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中禅寺湖まで降りて、湖畔を走り抜け中善寺の前を通り、半月山展望台まで山道を登る。知らない人が多いが、ここは展望台としては屈指の絶景場所。道をまちがえたかと思うくらい、かなり登る。心配したほど景色はかすまず、男体山がちゃんと見えた。

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男体山の左手を見れば、まん中奥にちょこんと頭の先を出しているのが金精山だ。

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湖面はいまも美しい。この景色がスイスなどのヨーロッパの山の景色に似ているとして、明治以降、海外の大使館の別荘が建てられた(ブラタモリでやっていた)。

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ふだんならほとんど人がいないのに、日曜日とあって駐車場に車は多いし、観光バスまで来ている。

展望台からふたたび山道を下り、中善寺そばの駐車場に車を置いて湖畔の景色や中善寺を見ようとしたが、どこにも空きがない。空くのを待っている車もいる。即座に諦める。

イタリア大使館の別荘のセレモニーの看板が出ていてそこに人だかりがしている。もともと混む駐車場だが、これでは満杯になるはずだ。

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この鳥居をくぐって奥日光方面に戻る。鳥居は二荒山神社のもの。

そもそも男体山は別名二荒山である。男体山が二荒山神社のご神体なのだ。

二荒山神社中宮社の前も駐車場は満杯。当然竜頭の滝の駐車場は、上下とも満杯。

戦場ヶ原の駐車場には空きがあるがパス。湯滝に向かう。

2016年5月23日 (月)

日本のナイアガラ

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吹割の滝(ふきわれのたき)は自称、日本のナイアガラである。ナイアガラとはスケールがずいぶん違うけれど、普通のただ上から下へ、ひと幅の水が落下するものと違う、ユニークな滝だ。アメリカ人あたりが見たら、滝ではなくて急流だ、というかも知れない。

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滝への入り口にこんな店が何軒か軒を連ねている。コメントは差し控えるが見てのとおり。

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片品川沿いに遊歩道がつくられていてそこを歩く。岩盤の上を歩くことができるが、先の方は淵に落ちこんでいる。行く気になれば川に飛び込める。短い間隔で、危ないから川の縁に近寄るな、と放送ががなり立てる。日本語、英語、中国語で繰り返されてうるさい。危ないことをする連中が少なからずいるのであろう。

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ここは滝も凄いが岩盤の崖も凄い。

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いつもここの造詣に面白さを感ずる。

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どう見ても口を開けて叫んでいる魔物がそのまま石になったように見える。

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固い岩盤の上を水は流れている。このように水に落ちようと思えば落ちることができる。あとは知らない。

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段差があれば水はこのように落下するしかない。穴は甌穴だろう。

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水量と高さをべつにすればナイアガラといえないことはないか。

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滝好きが思い切り滝を楽しんで、老神温泉の宿へ向かった。

宿は朝晩バイキング式で、特に晩は酒も飲み放題。質素な旅行には有難いのだが、他の客を見ていると、中に少し哀しくなる人も見受けられてそれが苦手である。言っていることは分かってもらえるだろうか。

ときに子供がいると興奮状態に近くなり、走り回り、食べ物を持っているから危ない。今回は土日に宿をとることになったからなおさらだ。

夜半まで子供が騒いで走り回っているのが耳障りだった。親が叱る声はついに聞かず。怒鳴りつけようかとも思ったが、こちらが興奮で寝られなくなるのでやめた。

爆睡。

赤城神社と志賀直哉

赤城神社は赤城の大沼というカルデラ湖に浮かぶ島に建てられている。


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島だからこのような橋を渡る。

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神社入り口、当然周りは大沼である。

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赤城大沼。周りはすべて赤城の山々。一番高い黒檜山で1828メートル。

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赤城神社。真っ赤すぎて荘厳さに欠ける。

なにかめぼしいものはないか、と見まわしたら石碑が列んでいる。

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これは志賀直哉のサインではないか。志賀直哉が赤城が好きで、山小屋に三ヶ月ほど滞在したときに書いた文章の一節が彫られている。この島の名前は小鳥島というのだ。

そう言えば志賀直哉の祖父は古河鉱業の足尾銅山開発に関わっている。志賀直哉の父との長い諍いは有名だが、足尾の鉱毒水の問題も関係していると言われる。今回の旅に志賀直哉が関わってくるとは思わなかった。

近くに石仏と共に小鳥が島という碑もあった。

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なにをお祈りしてくれているのだろうか。石も手入れをしないとこのようにだんだん浸食されて朽ちていく。

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他に佐佐木信綱の歌碑もある。
なんとか読み取れないことはないがそれで良いのかどうか自信がないので書かない。

何度もここへ来ているのに、こんな碑や石仏があるのに気がつかなかった。なにを見ているのだろう。

宿に入るには時間がまだ早いので、山を北側に下りて、これもおなじみの吹割の滝へ立ち寄ることにする。宿から近いのだ。

2016年5月22日 (日)

オタマジャクシ

大沼は赤城山のカルデラ湖である。その大沼のそばに覚満淵という池がある。ここが好きで、赤城へくると必ず寄る。


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車を置いて、鹿よけのネットをくぐり、藪の中を少し歩くとこのような広々とした水の広がりを見る。

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いつもは右手を歩くだけだが、初めて左手から周囲を一周した。

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対岸はいつも歩くあたり。

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足元にこんな山菜が。ゼンマイとは違うようだが・・・・。

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一番奥から全体を望む。

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水の中を見ると小さな黒いものがうごめいている。

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よく見ればオタマジャクシ。

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どこにもここにもうじゃうじゃいる。そう言えば蛙の鳴き声がしきりにしている。

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ずっと水辺を睨んでも、オタマジャクシだけで、蛙の姿は見られない。子供の頃はめざとくみつけられたものだが、反応が遅くなっているのだろうか。

しかしこんなにたくさんのオタマジャクシが全部蛙になったら、覚満淵中蛙だらけになってしまうだろう。大丈夫なのだろうか。

このあと赤城神社へ立ち寄る。

(三夜沢)赤城神社

桐生から赤城越えをして今晩の宿の老神温泉へ向かう。


まずナビを赤城神社に設定しようとしたら、私の考えている赤城大沼のほとりの赤城神社ではない赤城神社があることを知った。そこに立ち寄ることにする。三夜沢にあるので三夜沢赤城神社という。

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駐車場に車を置いて神社に向かう。

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大沼の赤城神社よりずっとこちらの方が神社として風格が感じられる。

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樹が繁茂して静かで雰囲気がいい。

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参道を振り返る。

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この碑石はなんだろう。なにが彫られているのか全く読み取れない。

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神代文字と云う日本独自の文字が有った?うーん、信じ難い。

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ここの狛犬の顔はすばらしい。魔は除けられるであろう。

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神池はあまりきれいではないが、木立を写し込み、鯉もいてそれなりの絵になる。

このあとナビの示す赤城山への道は狭い道のコースだったが、遠回りでも安全な道のほうを走ることにする。一気に1400メートルまで登るのだ、狭い道のほうがたぶん時間を食うと考えたのだ。とにかく凄い登り道である。

つづく。

高津戸峡

足尾からわたらせ渓谷鉄道を引き返す。


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通洞駅のホームにあった石。人工的につくったようでもないけれど、どうしたらこんな風になるのだろう。

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花輪駅のホームにあるウサギとカメ。この花輪が作詞者のふるさとだそうだ。

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目的地の大間々駅に着く。ちょうど上りと下りの交換で停車中。

車で桐生から足尾経由で日光へ行く道は、渋滞もなく、わたらせ渓谷を横目に見ながら走れる快適な道だ。大間々は桐生に近い。ここから日光方面と赤城方面に道が分岐する。

大間々でしばしば「高津戸峡」の標識を見るが、一度も言ったことがなかった。行きのわたらせ渓谷鉄道の車窓から気になる銅像と高津戸峡が眼に入ったので、帰りに寄ることにしたのだ。

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気になった銅像というのはこのカラス天狗。駅から五分ほどの高津戸峡の周遊路の手前にある。

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この地図を時計回りに周遊した。

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最初の橋から渓流を見下ろす。

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川面に近いところから。

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このような道を上ったり降りたりするが、それほど急な階段はない。しかし前日の妙義での山歩きで、足が痛くて階段が少しつらい。

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新緑の木陰から渓流を見下ろす。

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ゴリラ岩、と看板が出ていたが、そう見えないこともない。

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あの橋も渡った。

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駅の近くの神明宮に立ち寄り、大間々駅から桐生に戻った。

この晩は周大兄と桐生の夜を堪能した。

周大兄様、いつもつき合っていただいてありがとうございます。癒やされます。

2016年5月21日 (土)

足尾駅界隈

足尾は、いまは日光市に編入されている。銅山があった時代に栄えたが、閉山してからさびれてしまった。観光で盛り返そうと、銅山観光に力を入れて、足尾銅山を世界遺産にしようという動きもあるようだが、残念ながら可能性は低そうだ。

わたらせ渓谷鉄道も、銅山観光のある通洞駅界隈は多少の賑わいがある。しかしその先の足尾駅には見るべきものがあまりない、と思っていた。たまたまわたらせ渓谷鉄道の、トロッコ列車(土日祝日のみ運行・要予約)のチラシを見たら、古河掛水倶楽部という建物が紹介されていた。100年ほど前に銅山の迎賓館として立てられたもので、資料館も併設されているという。それを見に行こう。

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足尾駅。だれもいない。降りたのは私一人。

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海抜640メートルもあるのだ。ここから日光まで、車なら一時間もかからない。

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駅から200メートルほど歩くと煉瓦造りの建物が見える。あれが掛水倶楽部か。フェンスのなかはテニスコートである。しかし草ぼうぼうで、テニスはもうできないだろう。

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なんと、閉館中。開くのは土日祝日のみ、トロッコ列車のときだけなのだ。

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門から中を覗くと建物がいくつか見えるが、残念ながら入れない。

次の帰りの列車まで四、五十分ある。どうしよう。少し先に橋が見える。渡良瀬川をまたいでいるその橋から川でも眺めようか。

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橋のたもとにこの川が渡良瀬川と名付けられた由来が書かれていた。えらいお坊さんが修行の旅の途中にこの川を渡ろうとした。浅瀬があって渡ることができたので渡良瀬川と名付けたのだそうだ。

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橋に軍手が重ねて置いてある。乾しているとも思えない。誰かが忘れたのだろうか。だれもいない。

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橋から下を覗いて驚いた。すばらしく澄んで透明な水が流れている。

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渡良瀬川と言えば鉱毒水で有名で、汚染された川と思いがちだが、もともとはこのようにきれいな川だったのだ。それにこの辺りは銅山より上流だからずっと変わらずきれいだったのだろう。

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これが下をのぞき込んだ渡良瀬橋。木立のなかに古河掛水倶楽部がある。

ここから少し足を伸ばすと、たくさんのトタン葺きの住居がある。

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銅山に働く人々の社宅だろう、とすぐ分かった。

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人が住んでいるやらいないやら、と思って眺めていたら、一軒の家でテレビの音がした。

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高台にも住居が。こちらはやや大きな一軒家だから、少し偉い人が住んでいたのかも知れない。

通りがかりの老人がややうさんくさげにこちらを見ている。
この辺りは銅山にはたらいていた人の社宅ですか、と尋ねると、そうだ、いまはほとんど住んでいないけれどなあ、との答え。自分を含めて6家族くらいしか暮らしていないのだという。

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目の前の建物を指さし、ここは生協で、みなここで買い物をして賑わっていたのだけれど、ここも今年中に閉めるそうだ、とさびしそうに言う。住人がいなければ店もやっていけない。残された人はどうするのだろう。

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駅に戻る。駅の前には小さなディーゼル機関車が置かれている。またふたたび鉄路に乗ることはなさそうだ。


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足尾駅のホーム出戻りの列車を待つ。ついに私以外だれも乗客の姿を見なかった。

次は途中駅の大間々というところに立ち寄る。

かすむわたらせ渓谷鉄道(行き)

わたらせ渓谷鉄道は渡良瀬川に沿って桐生と間藤を結ぶ。JRではないが、桐生駅では改札が一緒である。桐生駅のすぐ目の前のホテルに泊まっているので、ホームまで五分もかからない。


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レトロ感のある車両。むかしの省線(両親は国電を省線と言っていた)の色である。でもなんだか薄汚い。

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出発間際でもガラガラ。ちょっとさびしい。でも中はきれいだ。

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電車が走り出した。

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小中駅のレストラン・清流は列車の車両である。よく見ればこれは東武鉄道の車両ではないか。確か浅草と日光間を走った特急の「けごん」の車両だ。

しかし写真がかすんでいる。

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これもかすんでいる。

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これもかすんでいる。

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しつこいけれどこれもかすんでいる。

これは窓が汚いからなのだ。では窓を開ければいいのだが、実は乗って最初の頃、窓を開けていたのがえらい目に遭った。

突然目から涙が出るわ激しいくしゃみが立て続けで止まらなくなるわついにはのどまで変になった。のどちんこが腫れたようになって、首から上が耳以外全部不調になった。

窓から入ったなにかに激しいアレルギー反応を示したらしい。あわてて窓を閉める。

一時間くらいして、ようやく目と鼻は収まり、くしゃみも出なくなったが、のどの不調は昼過ぎまでつづいた。いったい何があったのだろう。さっぱりわからない。

だから窓が汚くても窓を開けるわけには行かなかったのだ。

わたらせ渓谷鉄道に苦言を申し上げる。人出がなくて大変だろうが、観光を売りにするなら窓くらいきれいにして欲しい。

通洞駅が足尾銅山観光に近い。しかし銅山観光は少なくとも三回見ているので、パス。そのつぎの足尾駅まで行く。

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通洞駅と足尾駅の間で銅山の精錬工場かなにかの工場が見えた。廃工場かと思うが、車が何台も止まっている。なんだろう。

つづく。次は足尾駅界隈。

2016年5月20日 (金)

限界

まず謝らなければならない。前回大黒様、などと書いたが、どう見ても大国主命である。訂正します。

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階段下のお不動様のところで手を洗い口を漱いで・・・。
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この急な階段を登る。一段一段の段差が大きく、自称足長の私でもつらい。とても一気には登れず、途中で一息入れる。
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そこから見下ろせば、こんなに急。降りるのがこわい。
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巨大な大国主命も下に見える。

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岩に食い込むように建っている中之嶽神社。

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横から見るとこんな感じ。

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神社の横手にこんな標識がある。見晴台まで410メートル、もうひとつ、見晴台まで500メートルというのもある。

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下の地図で見晴台の位置は確認済みだが、そんなに近いのならと行って見る気になる。妙義山周遊コースで10キロ、ほんのとば口ではないか。片道で30分もあれば行けるに違いない。

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自然石の積まれた石段を登り始めてしばらくするとこんな標識が。でも山を縦走するつもりはないから関係ない。しかし神社から100メートルしか進んでいないのに息が上がりかけている。

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こんな道が延々と続く。小休止しても息が治まらない。それよりも石段をよじ登るとグラリとする。平衡感覚に異常が来ているのか。こんなところで転んだら、一巻の終わりである。

そう言えば昼飯を食べていない。低血糖になっているのかも知れない。あと100メートルもないあたりまで必死で登ったが、もう限界だ。

それよりも下りがこわい。段差が大きいし、足が笑い出しているから危険だ。もう写真を撮る元気もない。カメラをバッグにしまって両手をつくようにして這い降りた。

山登りはしたくないからしなかった。いま気がついた。いまはしたくても山登りはできなくなったことを。

妙義山神社に寄って参拝するつもりだったが、ギブアップ。横目で見るだけにして宿に急いだ。

大汗をかいたからビールが飲みたい!

中之嶽神社

本日は車を使わず、わたらせ渓谷鉄道で足尾へ往復する予定。車窓の写真を撮る。


では妙義山の続き

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富岡街道から下仁田に到る前に左折して中之嶽神社へ向かう。

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富岡街道は交通量は少ないが、トラックが多く、しかも工事箇所も多い。上の写真も工事箇所が一方通行で右へ迂回するところ。

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妙義山の異容が姿を現した。

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あまり日本では見かけない山の姿だ。ここへ来るといつもわくわくする。

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行って見たくなると思う。

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先程の写真は中之嶽神社の駐車場から撮った。

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ここの巨大な、そして金ピカの大黒様も異様である。

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大黒神社は縁結びの神様らしい。一応ささやかな賽銭を奉じてお参りした。

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境内から山を眺めていたらここにも藤の花が。

大黒神社の横手に急勾配の石段が天に向かって伸びている。この石段の上に中之嶽神社がある。まだ元気なので登ってみることにする。

それから先は・・・つづく。

2016年5月19日 (木)

荒船山

 予定どおり6時前に出発し、地道を走ることに徹することに決めて国道19号線を走る。国道19号線は、諏訪まではむかしの中山道とほぼ似たルートを走る。もちろんトンネルなどではるかに短縮されているが、山の景色は同じだろう。

 むかしの人は歩くしかなかったとはいえ、よくまあこのような道を歩き通したものだ。途中にある馬籠、妻籠、奈良井宿など立ち寄りたいところだらけだ。御嶽山にも行ける。

 塩尻から国道20号線に移り、諏訪へ。
諏訪大社に寄ろうか思ったけれど、パス。今度にしよう。

 諏訪から国道142号線で和田峠を越える。この道も中山道である。ここから佐久、軽井沢を越えたのだろう。いま旧道を工事しているから有料の新和田トンネルを通るしかない。以前旧道を走ってみたけれど
道路は整備されていなかった。険路で道は狭いしカーブは多いし運転しにくい。この新和田トンネルだけは最初から通るつもりであった。

 途中の道の駅(ほっとぱーく浅科)で小休止。いつも見る浅間山と全く違う浅間山の姿(磐梯山みたいな姿だった)が見えたが、かすんでいて写真にならない。空気の澄んでいるときにもう一度来て写真を撮ることを決める。
 
 この辺りは国道142号線はそのまま国道254号線である。佐久をかすめて本来の国道254号線、通称富岡街道を走る。いまはコスモス街道と呼んでいるらしい。秋はきれいだろう。

 一気に山間に入る。難所の内山峠も、いまは内山トンネル
で一気に越えられる。内山トンネル手前で面白い山容の山が見えた。

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 そろそろ妙義に近いので、山の姿が面白くなってくる。
トンネルを抜けると荒船山が目の前に見えた。

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 屏風のような崖が平らに列んでいる。

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 少しだけアップにしてみた。実際に見るととても面白い形なのだが、小さな写真ではなにが面白いか分からない。これでも荒船山は1423メートルの標高なのだ。写真を撮った場所は峠で、標高900メートルとなっていた。

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 その峠からの遠望。この辺りから先は奇妙な形の山がぞろぞろあって楽しい。

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 アップしてみた。ふだんあまり見ない形である。

 車を停めたところから少し歩いて橋の上にいる。この辺は緑も深くて山がよく見えないが、橋の上は眺望がいいのだ。

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 野生の藤の花がいま真っ盛りで、紫色が美しい。

 ここから妙義山は近い。(つづく)

ところどころ字がとても大きくなる。
どうして字が突然大きくなるのか分からない。
べつにいいけど、わざとやっているわけではない。

出発

 本日は、高速ではなく地道で走るために、早朝の今(午前五時過ぎ)から東へ走る。国道19号線で諏訪湖へ、そこから和田峠を越え、富岡方向へ、さらに下仁田の手前から北上して妙義神社を拝観し、そこからは高速に乗って群馬を予定しているが、時間が早ければそのまま地道で目的地の桐生まで走る。

 夜には多少の写真をブログで見ていただけるものと思う。

 では安全運転で行ってきます。

2016年5月18日 (水)

過労死

 残業時間が多いと過労死になる率が上がるという。それはそうかも知れない。厚労省は残業時間の規制をするための法整備を検討中とニュースで報じられた。

 同じ仕事をしてもてきぱきと片づけられる人と、だらだらと要領の悪いやり方をしている人といる。同じ時間働いても、終わらずに残業をしなければならない人と定時に終わってしまう人とがいる。

 もしそれぞれが残業をするとき、残業による疲れはどちらが大きいだろうか。身体としては仕事量をこなしている人のほうが大きく、そしてだらだら仕事をしている人のほうが精神的な疲れが大きいような気がする(経験上いろいろな人を見てきてそう思う)。

 ある百人ほどの工場の会社の若い社長と仕事で縁があった。ひとまわりほどその人のほうが若いが、私はそのバイタリティと前向きな姿勢に敬意を感じて一目置いていた。私が儀礼的ではなく、心から敬語が使える人だった。

 一日三、四時間しか寝ないという。早朝、自分でボイラーに火を入れ、工場の準備をし、従業員に朝の指示をしたあと、仕事をする。現場で働き、来客の相手をし、営業に回り、ときには大型トラックで大阪に配達に行った。そこでもちろん相手の会社と折衝もしてくる。夜帰ってきてからどうしてもその日にしなければならない現場の仕事を最後まで片づけると深夜になる。だから睡眠時間は三、四時間しか取れないのだ。

 これが休日以外毎日続く。休日も休日しかできない仕事をしていた。即断即決、気にいらない来客には、二度と来るな、とはっきり言う。大会社の社長だろうが海外だろうが、思い立つとその場で電話を入れる。

 この人は日々の人生の半分が世の中の人の言う残業だった。もちろん経営者だからそれを残業とは言わないが。過去形で言わなければならないのは、この人が四十代前半で過労死したからだ。仕事関係の人たちも含め、葬儀に参列したすべての人が涙を流している葬式を、私は生まれて初めて見た。

 同一労働同一賃金という。大変けっこうなことだ。しかし労働は行った仕事量で評価するもので、同じ仕事量を倍の時間をかけてやっていたらそのとき賃金を半分にするのだろうか。人には能力があり、向き不向きもある。仕事の評価をだれがどのようにするのか、そこがあいまいなまま、労働時間だけを仕事量としてみるしかないらしい世の流れを見ていると、平等とはなんなのだろう、と思う。世の中はもっとファジーでもいいのではないかと思ったりする。不満があれば辞めればいいだけのことなのだから。
 
Dsc_4088 長時間労働であったろう


 ブラック企業のような犯罪的な企業を規制するためであることは分かるが、ロボットの仕事を評価するように人間の仕事を評価しようとすることの是非を、もう少し原点から見直す必要がないだろうか。

 過労の問題も、心身が弱いから過労になる人と、丈夫で仕事に生きがいをもち、人の分まで引き受けざるを得ないこともあって、過労になってしまう人とがいる。どちらが過労死するか。人は限界を超えていることに気が付かないことが多い。私は仕事のできる人ほど過労死しているかも知れないと思う者で、その点では過労死は社会の大きな損失だと考える。

 過労死の問題や同一労働同一賃金をとなえる人の中に、楽をしたい人たちに迎合するにおいを感じてしまい、本質的な問題が後回しのような気がする。大事なことなのだが、今の規制の流れに、現場の仕事の現実と少しだけ違和感があるのは、私がおかしいのだろうか。

 だらだら書いたが、なんだか伝えたいことがうまく書けなかった。たぶん、仕事というものをマルクス主義的にとらえている現代社会の常識が問われているのだけれど、そんなことを言い出せば、私自身がわけが分からなくなってくるのでここまでとする。

目薬の効果

 最近しばしば眼がかすむ。目をぬるま湯で洗うとしばらく良いが、すぐまたかすむ。かすみ目に効くという目薬を買った。「すべての有効成分を最大濃度配合」と謳い文句にある。

 目薬をさすと目の前のもやが一気に晴れる。世の中がクリアに見える。しかもそれがけっこう持続する。一日二度、三度で十分だ。目薬がこんなに効果があるとは知らなかった。仕事をしていたときにも疲れ目用に目薬を使っていたことがある。一時的な刺激ですっきりするけれど、効いているのかどうかよく分からなかった。だからたいてい半分も使わずに机の引き出しの奥にころがることになった。

 子供の頃、父がホウ酸水で目を洗っていた。薬局でホウ酸を買って溶かして薄め、自分でつくっていた。私にもそれで目を洗え、といってむりやり使わされたが、いやがるのでいつの間にか言わなくなった。そう言えば父はホウ酸水をいつまで使っていたのだろう。

 父もたぶん眼がかすんでいたのかも知れない。でもある年齢くらいから、暇があるとゴロゴロしていびきをかいて寝ていたから、それほど眼を使わなくなったので、かすんでも気にしなくなったのだろう。

 父は近眼でめがねをしていたが、老齢になったらめがねをしなくても見えるようになった、といってめがねをあまりかけなくなった。

 気がついたら私も目薬をさし、テレビをめがねなしで見ている。

2016年5月17日 (火)

陳舜臣「中国任俠伝」(文春文庫)

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 俠者とは他人のために、自分の身をかえりみない者である、と著者は書き、任俠映画のやくざ、あるいは暴力団のたぐいは、自分たちのグループの利害しか念頭にないから、任俠とは言えず、博徒、無頼--中国語では「流氓(りゅうぼう)」と呼ぶべき者であろう、と書く。

 いまはそれほどではないが、ひところやくざ映画や任俠映画が好きであったから、陳舜臣先生に反論したいところだが、現実のやくざや暴力団に、任俠映画に出てくるような、他人のために自分の身を捨てて生きる人物がいるとは思えないから、うなずくしかない。

 ただ、任俠映画の中の主人公達は、他人のために自分のすべてを投げ出すことをいとわないことも確かである。現実にはまずいないと承知しているものの、いるのではないかと願い、または多少とも自分もそうでありたい、と思わないこともない。

 この本には8話が収められている。ほぼ「史記」の世界の人物達である。最初が荊軻の話(秦の始皇帝暗殺を依頼され、あと一歩及ばず失敗した)で、これが第一に挙げられることで、著者が任俠というものをどうとらえているのか分かる。そして話は孟嘗君など、戦国の四君とその食客たちの話に転じていく。さらに季布、郭解、朱家などの典型的な俠者の話となると、男伊達を標榜することで、自らがそれにしばられて俠者としての生き方を選ばざるを得なかったという、皮肉な話に変じていく。

 とはいえ、そのような生き方を貫いたという点で、傑出していたことは確かであり、後世に名を残しているというのも事実である。そもそも他人のために身を捨てるという生き方をできる人間は滅多におらず、それは昔も今も変わらない。むかしはそれでもそのような生き方を美とする考えがあったが、今の中国ではそんな者はただの愚か者とみなされるだろう。

 しかし本の中で指摘されているように、そのように名を残すような人ばかりではなく、大事のために自らの身を捨て、しかも全く名を残していない人がいる。実はそのような名も残さなかったような人こそ、本当の俠者といえるのではないかと著者は云う。その通りであろう。歴史にはこのような人たちの屍が累々としていると言って良い。

 だからこの本は歴史に名を残した人と、それが記録されている文章を元に、著者がかなりフィクションを交えて、そのような名を残さなかった人を書き加えている。小説だから当然である。だからある面で任俠の士を貶めるかのようなところもある。著者も、この小説を歴史の勉強のつもりで読むようなことはしないでくれ、とわざわざあとがきに書いている。

増毛駅なくなる

 今年の12月4日で、JR留萌線の留萌-増毛間16.7キロが廃線となる。

 この増毛駅は高倉健主演の映画「駅 STATION」の主要舞台になっている。私にとっての日本映画ベストワンはこの映画なので、数年前に北海道へフェリーで渡り、自分の車で道内旅行をしたときに、この増毛にももちろん行った。

 あまり感激したので増毛駅の写真を撮るのを忘れた。

Dsc_0078 増毛でなくて同じく映画の舞台となった雄冬にて

 この増毛への道や鉄道は過去たびたび崖崩れが頻発し、長期間休止することがあった。そうなると船で行くしかなかったという。鉄道がなくなれば道路しかないわけだ。さいわいいまは整備された国道が走っている。トンネルも新しくなっているからたぶん大丈夫だろう。

Dsc_0083 雄冬の海岸にて。冬は凄まじく荒れる。

 北海道は開拓当初、点状に開拓され、それをつなぐ道路や鉄道で線状となり、やがてそれが面となって広がっていったのだが、今はその逆のコースで過疎化しつつある。線が失われれば、点も残ることができない。

 若い頃仕事で数十回北海道内を出張で走り回った。だから北海道が舞台の映画やドラマには人一倍思い入れがある。「駅 STATION」はもちろん、「幸せの黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」「北の蛍」「北の国から」など、忘れられない作品がたくさんある。

 北海道の大学に行きたかったが、親に反対されて諦めた。とにかく北への思い入れが強いのだ。

 今は北海道は過疎化しているけれど、温暖化が進めば、将来は住みやすいのは北海道になるかも知れない。ひと世代なんとか頑張れば、北海道の時代がくるにちがいない。そのころ私はもういないけれど。

2016年5月16日 (月)

納得させないのか、納得しないのか

 不明の息子の手がかりを見つけるために、両親が震災住民達にチラシを配っているというニュースが目にとまった。

 あの熊本大地震のとき、阿蘇大橋崩落現場付近に車で通りかかったと思われる大学生の両親である。大人数での、危険な土砂の除去作業を伴う捜索から半月経った5月1日に、すでに捜索は打ち切られている。

 詳しいことは知らないが、ここで遭難したことが明らかななのだろう。親の気持ちとしては息子が見つかるまで捜索して欲しい気持ちは分かる。人の親なら皆そうだろう。

 その気持ちが分かった上であえて云う。

 もう諦めてあげたらどうだろう。この事態では生存の可能性は全くないのは明らかだ。あの崩落現場は画面で見ても危険である。あの土砂の山をすべて除去するつもりではないと見つけることはできないだろう。

 それをチラシを配って息子の消息を求め続けるという行為は、生きていて欲しいという切なる願いの表れだろうけれど、両親が「もういいから成り行きにまかせます」と言わないかぎり終わらないことに対して、「意地でも終わらせない」という決意表明をしているようなものではないか。

 あえて苦言を言えば、彼らは作業中の捜索現場でただ見ていただけであった。もちろん現場に入ることは危険だから親は入れさせなかっただろうが、私なら自分のできる手伝いを無言でする。場合によっては現場を手で掘ってでもと思う。子供を半狂乱になって求める姿があって、そして今チラシを配るのなら分かるけれど。

 両親が、危険を顧みずに作業している人たちに、感謝の気持ちを表しているのも見ていない。その気持ちがあればたぶんもういいです、と自発的に言うのではないか。

 世のなかにはいつ何があるか分からない。自分の力では如何ともしがたいことは、ときには諦めることも必要ではないか。そうでないと、この両親自体が一歩も前へ進めない。

 それともこの両親にパフォーマンスをさせている誰かがいるのだろうか。まさかとは思うが、マスコミがそのように追い込んでいることはないか。チラシを配るという行為は、なにか犯罪に巻き込まれた可能性があるというなら分かるが、天災に遭遇したことによる行方不明のときに行う行為としては違和感があったので、こんなことを書いた。

 怒る人もいるだろう。

非礼の呪い

 エリザベス女王が、半年以上経ったあとのいま、中国の習近平のイギリス訪問の際の警備の責任者に慰労の言葉を掛け、あのときの中国の態度は非礼であった、と洩らした。たまたまそのことばを集音マイクで拾われてしまい、ニュースになった。

 いったい何があったのだろうか。憶測ですら、なにも報じられないからさっぱりわからない。ただ、さもありなん、と思った日本人は多いだろう。習近平政権になってからの中国は、胡錦濤のときよりもずっと居丈高で攻撃的だ。

 相手の立場や気持ちを歯牙にもかけないから、外交的にはあまりうまくいっていない。だからやたらに金をばらまくことになっているようだ。金で仲良くなっているだけなら、金が滞れば離れていくのは世の習い、だからつい中国経済の先行きが悲観的であることを願ってしまうのは、私だけではないだろう。

 ネットニュースを眺めていたら、韓国の中央日報に中国の「無礼外交」という記事があった。

 韓国の全斗煥大統領が訪英したときに、警備上の要望を伝えたとき、イギリス側からはにべもない拒否の返事があったことを紹介し、イギリスは自国の警備に自信もあるし、プライドもあることを報じたうえで、そのイギリスが中国を非礼、というのだからよほどのことであろう、と述べたあと、イギリスメディアの情報として、トイレの問題や随行員の部屋の家具が風水に合わないとして訪問をキャンセルすると脅した、クローゼットを勝手に赤く塗り直した、晩餐メニューは中国側の了解を取るように申し入れてきた、晩餐会場の座席配置を勝手に換えようとした、客室サービスの入室を拒否した、などが列記されている。

 事実かどうか知らない。どうもそれ以上の非礼もあったのだろう。そうでなければエリザベス女王が警備員にそんなことばを洩らすはずがないではないか。

 日本人はいざ知らず、イギリスでは中国に対して不快感を高めていることであろうと推察する。習近平のイギリス訪問は結果的に大きな失態だったことになった。キャメロン首相は自国の経済を振興するために、アメリカと多少の軋轢が生じても中国と親和する道を選んだ。AIIBにいちはやく参画すると名乗りを上げたことはアメリカにとって不愉快なことだったろう。

 今回のパナマ文書の公開で真っ先にキャメロンがやり玉に挙がったのは、アメリカの陰謀だ、とまで言われているのは、そういう状況を背景にしているのだろう。

 すでにオバマ大統領も、習近平のアメリカ訪問のときの態度に不快感を示しているようにみえる。習近平の無神経さが中国の心象を損なうことになっている。貧すれば鈍するを絵に描いたようになっているように思えるが、どうか。

おなじみのところから始動

 しばらく出かけるのを控えていた。その気にならなかったというわけでもないが、自ら封印していたこともあった。封印していたのは出かけることそのことではないけれど、そのことは言わない。その封印を切ることにした。

 来週、歯医者やその他所要を片づけたら北関東へ行く。そう決めたのでさっそく桐生の周恩来大兄に電話で連絡した。有難いことに、どうのこうのなしのOKであった。嬉しい。

 前後四泊ほど宿をとる。毎年何度も行っているところなので、おなじみだ。おなじみのところでゆっくりするのは今の気分としてはぴったりする。テンションを上げていったら、今度は初めてのところに予約なしで行くことにしよう。

 長野県の友人のところに寄るかどうか今思案中。学生時代からの馬鹿酒を飲む相手で、しばらくぶりなのだ。

 友人に電話した。手ぐすね引いて待っているそうだ。

2016年5月15日 (日)

相棒

 昼間、暇なときに再放送の「相棒」を観る。リアルタイムで観たことはないが、一度見始めると面白いので最後まで観てしまう。ただ、あの後半のCMの洪水には辟易する。そこで録画してCMを飛ばして観ると極めて快適である。民放の番組はニュースを除いてすべて録画して観るに如かずである。

 こうしてドラマなどを観ている人は多いだろうし、どんどん増えているだろう。一時間ドラマといっても実際は55分足らず、CMを除くと正味40数分だから時間の無駄を省ける。

 CMが限界を超えてきている。その限界が番組の二割の人もいれば三割の人もあるだろう。感覚的にいえば、番組後半で番組そのものとCMが、ほとんど交互に同じ長さに感じるのが限界点だろう。私には現在のCM量が限界点か、すでにそれを超えているように感じる。しかも間に挟まれるCMが1分半から2分になり、さらに2分半、甚だしいときは3分に及びだした。

 それなら視聴者は防衛上録画して、CMを見ない方策をとるだろう。高額の経費をかけてCMを流しながら、それを見る人が減り続けるというのはジョークみたいなものだ。これは経済活動だからなくすことなどできないけれど、そもそもテレビがNHK以外はタダであることがCM氾濫の原因であろう。

 タダで見せているのだもの、その対価としてCMを見るのは当然、と放送局は思っているのだろう。衛星放送など、昼間は番組すべてがCMなどという時間帯(それ以外は場面転換もなく、カメラも固定の、学芸会以下のレベルの陳腐な韓国ドラマ)が山のようにある。そんな番組を見る人などそのCM提供会社の人間だけではないか。

 放送休止しないためにそんな番組で埋めているだけであろう。まだまだ日本は金余りの豊かな国なのだということなのだろうが、愚かなことである。

 CMの話をしようと思っていたのではないのに、つい熱くなった。

 「相棒」というドラマのことである。一度録画して見始めると、続けて観たくなる。スペシャルを含めて第三シーズンをすべて観た。水谷豊が少し若い。明日からは第六シーズンが放映されるようだ。どういう順番になっているのだろう。

 水谷豊といえば、最近の水谷豊と、ときどき旅にご一緒する兄貴分の人がなんとなく似ている。そのことを本人に言ったら、あまり愉快そうでない反応が返ってきた。兄貴分の人には若い頃の少しちゃらちゃらしていた頃の水谷豊のイメージが染みついているようだ。

 北方謙三の小説「逃れの街」を原作とする同名の映画(工藤栄一監督)で観た水谷豊は、そんな時代の水谷豊だった。忘れられない映画だ。だから私は水谷豊が好きなのだ。蘭ちゃんの旦那でもあるし。

 沢口靖子主演の「科捜研の女」シリーズもたまに観ると面白そうだ。沢口靖子と言えばデビュー映画の「刑事物語」(武田鉄矢主演)で注目の大物新人と騒がれたのに、それほどでもなかったのは残念だが、この映画を劇場で見て、可愛かったのをよく覚えている。

 こんな風に手を広げるとドラマばかり観なければならなくなりそうで、危ない。ほどほどにしなければ。CMさえなければタダでしかも安く楽しめる。

新日本風土記

 NHKBSで放映している「新日本風土記」をときどき観る。自分の知っているところ、行ったことがあるところ、行ってみたいところのときに録画しておく。

 テーマ音楽がすばらしく、毎回それが流れるだけで涙ぐんでしまう。最初に必ず松たか子が、「風の中に土のにおいを見つける。日本を見つける」と、つぶやくように語る。これもいい。その瞬間、私も風を感じ、土のにおいを感じる。

 NHKの錚々たる面々が交替でナレーションをする。それもいい。特に好きなのは高橋美鈴アナウンサー。

 今回のテーマは常磐線だった。東京と仙台を結ぶこの線は、東日本大震災で寸断された。通勤客の多い東京に近い地区の人々のいろいろな人生のドラマを垣間見せたあと、宮城と茨城の人々の常磐線に対する思いが紹介されていた。早く復旧して日常を取り戻してもらいたいものだ。常磐炭鉱の没落のあと、あの常磐パラダイスのフラダンスによって復活した姿の中に復旧復興のモデルがあるような気がする。

 しかしいつも思うけれど、みんな明るい。いつまでもめそめそしないで前向きに生きている。生きていくためには気持ちを奮い立たせなければならないし、そうすることで力も湧いてくるのだろう。なんとなく鬱々とするときもあるけれど、そんな人たちを見ると、自分はなにをくよくよ考えているのか、と気づかせてもらえる。

 こういう番組を見ていると、行きたいところだらけになってしまうが、思い立ったら行けばいいし、今ならいけるのだ、と思うと楽しくそして嬉しくなる。

揚げ足をとるが

 舛添都知事が会見して一連の疑惑について釈明し、一番の問題である政治資金規正法に抵触する疑いのある家族旅行の経費を会議費用として計上したことに対して抗弁した。旅行先のホテルの部屋で何人かと打ち合わせしたことは間違いないので、会議したことは事実であるが、家族との旅行費用をそれに加えて計上したことは不適切なので返金するという。

 しかし、だれと、そして何人の人と会議と称するものをしたのかは明らかにしていない。これではホテルのボーイと立ち話をしても会議だったといいかねない。彼にとっては、誰かと打ち合わせれば会議となるらしいから、家族と談笑しても会議かも知れない。とはいえだれとどんな会議を明らかにしないのだから、会議がなかったということを証明するのは不可能である。あったことは証明できるが、なかったことはこの場合証明するのが難しい。

 李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず。

 公人たるもの、疑惑を招くおそれのある行動を厳に慎むのが当然であろう。

 彼の疑惑の解明については今後に待つとして、一連の釈明でたびたび常套句を聞いたのでその揚げ足をとる。

 会見前までに、舛添都知事は「ご迷惑」と「ご心配」をおかけして申し訳ないと述べていた。だれに対して言ったのか。都民であり、今回の騒動をニュースで興味津々で見ている人たちに対してであろう。

 週刊誌の記事が出るまで、都庁で知事に直接関わっている人以外は、知事がこのようなことをやっていたことを知らない。確かに都税が無駄に使われていたなら都民が、政党交付金が無駄に使われたなら国民が迷惑を受けたと言えないことはないが、彼は合法的であって責任はない、と明言している。どんなご迷惑をかけたのか、彼が迷惑をかけたと言っている対象者は、迷惑を受けた自覚がない。

 ましてや普通の人は「ご心配」など全くしていない。彼の役割がこれから全うしにくくなることで迷惑をうけることを心配する当局者はいるだろうけれど、それは別の都知事に交替すれば解決することである。

 お騒がせしてご迷惑をおかけしました、ということだろうか。このお騒がせをニュースで見て、それぞれの人が自分の意見を言うことは、ある意味でストレス解消の娯楽である。この私のように。

 然らば「ご迷惑」と「ご心配」なのは言っているご当人のことなのだな、とだれでも感じているだろう。

 今回の会見ではそれを反省したのであろう。「疑われるようなことをしてお騒がせし、たいへん申し訳ありませんでした」というような妥当なものになり、たびたび頭を下げていた。公私混同の事実を認めることは留保しながらも一応謝罪したつもりなのであろう。

 さらに都知事は「ご懸念をおかけして済みません」と繰り返し言った。「懸念」を手元の国語辞典で見てみると、「気にかかって不安がること。心配」とある。気にかかって不安がっているのはニュースを見ている側ではない、ご当人である。ことば巧みなこの人の、このようなことばの使い方にこの人の感性の粗雑さを見てしまう。

巧言令色鮮仁。

2016年5月14日 (土)

茂出木心護「洋食や」(中公文庫)

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 文章にはしばしば人格が出てしまう。品性下劣だが文章に品格があるというのは、ないことはないが稀である。

 そういう意味で、著者の茂出木心護という人は優れた人格の持ち主であろう。文章は平易で分かりやすく、書かれている内容は心優しい。

 洋食屋の泰明軒に奉公に入り、苦労してのれん分けを受け、「たいめいけん」という洋食やを開業した。その修業時代の苦労や、開業してから交流のあった人々との思い出話は、ともすれば自慢話になりがちである。そんな自慢めいた部分は、文章の中に片言隻句もない。すべて書かれていることは心からのことばである。

 料理のノウハウめいたものは少ない。それより料理する者の心構えが静かに胸に響いてくる。こういう人のつくる洋食を食べてみたいものだ。

 ほぼ二ページにひとつの話。もちろんほとんどが食にまつわる話だ。昭和48年に刊行された本を昭和55年に文庫化した。著者は明治44年生まれ、昭和53年に物故している。

 本文からふたつほど。

     ホテルのカレーライス
 ホテルの食堂のテーブルにつく。急ぎの仕事があるので思いきってカレーライスを注文する。ボーイさんはやや期待はずれか、きちんとセットしてあったスプン、ナイフを片づける。あとに残ったのはホーク一本だけです。カレーライスを注文したのに間違ったのかしら、スプンがない。内心の不安をむりにおしかくして待つとカレーライスがくる。ほっとしたのもつかの間、カレー汁と御飯は別、薬味も銀製のうつわにもってある。スプンをくださいと言いたいが、気おくれしてホークで食べてしまう。
 この話、ホークが正しいのです。平らなお皿にもられた御飯はホークで食べるものなのです。ピラフも同じですが、慣習上スプンが出てくる場合が多いのです。以前、私の店で岩下志麻さん、清水まゆみさん主演の映画のロケがあり、カウンターでチキンライスが出る場面を撮りました。正式はホークですがスプンにしますか、監督さんにたずねますと、「映画は日本全国を回るので、一般の方が使っているスプンにしましょう」というお答えでした。

        もしもし
「もしもし、豚肉、ピーマン、玉葱、キャベツがあるのですが、今晩のおかずの作り方を教えてください」
「もしもし、生まれて一年半の幼児一人と私たち夫婦の夕食のおかずが、一度にできるお料理ありませんか」
「もしもし、梅酒を作ろうとしてホワイトリカー一本と清酒をまちがえて一本ずつ入れてしまったのですが、大丈夫でしょうか」
「もしもし、梅干しの作り方は」(全部話を聞いてから)「手間がかかるのでやめます」
「もしもし、さっぱりして手早くできる料理ありませんか」
「もしもし、三年前に買った上新粉、使えますか」
「もしもし、きゅうりがあるのですが、酢のもの以外の料理ありませんか」
「もしもし、きゅうりを煮ることできるの」
「もしもし、玉葱だけしかないのですが、なにか、おかずにできませんか」
「もしもし、高血圧の主人に悩んでいるのですが、どんな食事がいいのでしょうかしら」
「もしもし、レストランのようなハヤシライスを家庭で即席に作る法は」
 五月の下旬、テレビ番組の夕食物語にでて「お料理の電話相談を致します」といったばかりに、そのあと四、五日は一日七、八十回、電話が鳴り通しというありさまでした。おしまいには、まな板の前に立っていたほうがよいのやら、電話の側にいたほうがよいのやら、まごまごしました。
 テレビの力もさることながら、みなさまと料理人がじかに話しあえることは年来の望みでした。私たちの気づかないところにお悩みもあるようです。
「もしもし、今、気がついたんですけどお醤油がないんです。どうしたらいいでしょうか。料理は作りはじめちゃっているし」
「はい、お隣へ走っていって借りていらっしゃい」

謝罪要求(前回に関連して)

 予想通り、韓国の被爆者を支援する団体が「オバマ大統領の広島訪問を機に、日本政府とアメリカ政府は原爆で被害に遭った韓国人被爆者に謝罪し、その要求に関心を持って欲しい」と声明を発表した。本当に謝らせることが好きな国だ。謝らせることで何を期待しているのか。見当はつくけれど、それ以上に謝らせた側と謝った側との上下関係にこだわる国民性を強く感じてしまう。これはあの国の根深いコンプレックスであろう、とつい分析してしまう。

 こんな国の指導者は大変だ。カリスマ性がなく、無能との評価がもっぱらの朴槿恵大統領では、如何ともしがたいだろう。国の精神が変わらなければ、つき合うのも今以上にほどほどにした方が良いと、どこの国も思うだろう。最近中国も韓国に冷たいようにみえるのはご愁想様である。

 ところで広島と長崎の原爆で朝鮮人(この場合被爆したのは韓国人ばかりではなく、北朝鮮の人もいるはずで、朝鮮半島の人という意味で)が7万人被爆し、約4万人が死亡したという。生存者のうち2万3千人が帰国し、現在の生存者は2500人、平均年齢は82歳、被爆者と認定されたひとは韓国から10万ウオン、日本政府から30万ウオンが月々支給されているそうだ。日本もちゃんと払うものを払っているのだ。

 この数が真実かどうか知らないが、日本の被爆者や死者に対しての朝鮮人の比率が異様に高い気がする。広島や長崎だけでこれだけいたなら、日本中に何百万人もの朝鮮人がいたことになってしまう。それとも広島や長崎は朝鮮人の街だったのか。

 ところで被爆者を支援しているという団体の代表たちは、はたして被爆者やその家族なのだろうか。そういう人もいるだろうけれど、往々にしてこのような活動を飯の種にしている輩が多いからなあ。となれば目的は明らかであろう。

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韓国は清く正しい儒教の国だもの、お金にこだわるはずなどあり得ないのだ。

謝罪は求めない

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 オバマ大統領がアメリカ大統領として、初めて広島を訪れることが決まったらしい。このことについていろいろな意見があるようだ。

 韓国や中国のように、加害者である日本が被害者であるかのような見られ方をしてしまうのは悪いことだ、といって反対するのは、いくらなんでも広島被爆者に対して失礼だろう。日本は悪であるから被爆者は被爆しても仕方がない、と言っているとも取れるからである。

 戦争の犠牲者を追悼するという行為は、戦勝国も敗戦国も互いに行うことのある大事な行為である。そこに、偽善的な部分がないとはいえないものの、戦争はあってはならない、という意識への道があると信じたいからだ。それを理解せずに、中国や韓国のようなものの言い方見方をするというのはどういうことか。

 追悼にそのような意味があると考えれば、今回のオバマ大統領の広島訪問に謝罪を求めない、という日本の姿勢は当然だろう。アメリカが広島に原爆を落としたけれど、オバマ大統領が落とすように指示したわけでもない。日本とアメリカの関係に残るとげがひとつでも減ることを素直に喜びたい。

 ここでオバマ大統領に強く謝罪を求めるような人々もいるだろう。いろいろな考えのひとがいて、全く理解できないことではない。しかしその考え方は、韓国や中国が戦後70年過ぎた今になっても国を挙げて日本の戦争責任を問い、何度謝罪しても謝罪が足りない、と言い続ける考え方と似ている。

 日本人はそのような、繰り返し謝罪を求める韓国や中国にうんざりしている。だから謝罪を求めない、と云う日本政府の表明に、ほとんどの日本人が同意しているらしいのは当然だと思う。多くの日本人はまともなのである。

2016年5月13日 (金)

吸収力五倍のトイレットペーパー

 日清紡ペーパープロダクツはトイレットペーパーの新商品「シャワートイレのためにつくったトイレットペーパー 吸収力5倍」を全国のスーパーなどで売り出したそうだ。従来品の「吸収力2倍」に較べて紙の厚さを倍に厚くしながら、やわらかい仕上がりになっているという。

 なるほど、シャワートイレでは便を拭くことより水を拭き取ることがメインの用途となる。従来のものでは紙が薄くてたくさん巻き取らないと濡れるおそれがある。厚くしてしっかり吸水してくれれば目的にかなうわけだ。

 そのかわりミシン目の間隔を短くしたという。とはいえ従来の紙のときのくせかついているからしっかりと巻き取って使用してくれると思われ、たぶん値段も少々高いだろうから、メーカーとしては一石二鳥三鳥になるかも知れない。アイデアである。

 だいたいトイレットペーパーのやたらに薄いのがあるが、結果的にたくさん巻き取ることになって面倒だし、却って不経済な気がする。公衆トイレなどでカラカラ、カラカラと止めどなく、どれほど巻き取っているのか、と思うほどの音を聞くことがある。ほとんど病気だ、と思うこちらがおかしいのだろうか。ものは必要に応じて使いたいものである。

公僕

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公僕のイメージ。都知事は選民ではありません。


 「選民」は本来宗教的なものを根柢にするが、ここでは他の人に対して自分が優越であるから、特別あつかいされて当然だ、という考えを持つ者のことをそう呼んだ。

 優れていることは、優先的な特別あつかいを要求する根拠になるわけではない。

調べないと分からない?

 舛添都知事が政治資金問題で火だるまになっている。昨晩そのさなかにBSフジのプライムニュースに生出演していた。反町キャスターが、現時点で指摘されている数々の案件について質問をした。それに対して都知事は「きちんと調べてご返事します」という答えに終始していた。

 私用としか思えない出費の疑惑を問われているのだ。それに対して「調べないと分からない」と答えている舛添氏に、大いに失望した。もともと何も期待もしていないけれど。

 自分がどういう場合に公用とし、どういう場合に私用とするのか区別をしているということに自信があれば、証拠があろうがなかろうが、そして記憶があろうがなかろうが、「調べる」必要があるはずがないではないか。だれだって自分がこの時にはこうすると決めているはずだからだ。勘違いはあるだろう。それはたまたまのレアケースとして処理できる。

 繰り返すが、そんな時はこうする、と決めていれば良いだけのことで、それが出来ていないなら、バレなければ私用に使っても良いと考えるときもあった、と認めているに等しい。

 そういえば「調べてみなければ分からない」という言い訳に終始しているのを見ていると、あの甘利さんの答弁によく似ているような気がする。これはどうも同じパターンで辞職することに間違いなさそうだ。

 番組ではいろいろと言い訳していたが、見苦しいかぎりであった。

 これは、私が彼のいままでが問題であるという前提で偏見の元に見ているわけではない。見ていて、釈明そのものが論理性を欠いていることが見苦しいのだ。湯河原の問題にしても、高速で二時間足らずの場所だから、というけれど、一朝首都直下地震が起きたら、道路も寸断されるだろうし、決して二時間では都庁に戻れるはずがない。遅れるばかりではなく、戻れないかも知れないではないか。危機管理意識の欠如が明らかだ。責任者の釈明とは思えない。

 舛添氏も、これは辞職必至だと感じているに違いないと思いたい(感じていないならそれこそ人間的に問題だ)。ただ、それを決心するまでの、とりあえずの言い逃れをしているということなのだろう。

 番組の中でいろいろの自分の仕事を滔々とまくし立てていた(そういうことこそが見苦しいのだ)が、そのことばは空回りし、空しい響きを伴っていた。自覚していたのだろうか。辞職が遅れれば遅れるほど、舛添氏の今後が損なわれるだけだろうと同情する。

 普通はこのようなかさにかかったような非難は嫌いである。しかし、次々に明らかになる話が、舛添氏の感覚が本質的におかしいのではないかと疑念を抱かざるを得ないものであり、しかもそれに答えるに、お粗末な論理性を欠いた言い訳に終始し、「調べてみなければ分からない」というのでは、逃れることも、なにもなかった昔に戻ることも不可能なのではないか。書きながらうんざりしている。

2016年5月12日 (木)

燗・ふたたび、その他

 燗について、たいめいけん(泰明軒から独立)主人の茂出木心護箸「洋食や」という本に書いてあった。短いので全文を引用する。


          酒の燗
 何が難しいといったって酒の燗ほど大変なものはありません。それだけに燗がよいとあの店は色気がないし料理も別にこれというほどのことはないが、おかみさんの燗がおれの好みにどんぴしゃなので、ついつい足が向くという常連ができます。昨今では、勘ではなく、科学的にエレキ応用のいろいろ便利な道具も出回っておりますが、これはだいたい風情がない。酒はなんてったって気分で飲むものですから。
 亡くなられた小津安二郎監督さんは、たまに店にみえると、とんかつでお酒がお好きでした。
 小津監督の「東京暮色」という映画を見ていますと、笠智衆さんがおでんや酒を注文するところがあります。
 おかみさんがハイと返事して徳利に酒を入れ燗をする。徳利の底をちょいとさわってお待遠さま。
 見ていた私は、あれではぬるいのになあ、と思っておりますと、おかみさんの台詞「あとから熱いのがついてきます。はじめはぬるいのでやっていてくださいな」。
 商売柄、鵜の目鷹の目で見ているわけではないのですが、大監督ともなればどんな小さいことにも神経がぴんと一筋通っているものだ、とつくづく感心致しました。
 

 まことに酒の燗は難しいし、そこに気が回っている店や、客で呼ばれたときのお宅でそれが感じられるととても嬉しいものだ。さて、では自分は?「科学的にエレキ応用のいろいろ便利な道具」である電子レンジなどを使用して、えらそうにいうな、といわれそうだ。

 さて今晩はちゃんと徳利を使い、湯煎で燗をしようか・・・・しかし紙パックの酒ではなあ。


 明日の晩からNHKBSで「立花登 青春手控え」という時代劇ドラマが始まる。主演は溝端淳平だそうだ。
 原作は藤沢周平の「獄医立花登手控え」で、「春秋の檻」「風雪の檻」「愛憎の檻」「人間の檻」の四巻本として講談社から文庫化されている。藤沢周平の小説の中では好きなもののひとつだ。
 わざわざここに書くのは、以前NHKで連続ドラマ化されたことがあり、とても面白かったから、今回も期待しているのだ。そのときは立花登を中井貴一が演じていた。柔術の得意な牢獄の医師という立場から、彼が出会う犯罪者たちのさまざまな人間模様や人生が描かれる。
 東北・庄内から出て来て、江戸で開業している伯父のところに寄宿して勉強するはずが、いつの間にか叔父の代わりに獄医を務めるようになる。いとこのおてんばなちえに振り回されるのだが、その関係から江戸の若者の世界や庶民の暮らしが垣間見える。
 前回はちえを宮崎美子が演じていたが、今回は宮崎美子は叔母、つまりちえの母親を演じているのが面白い。
 普通、ドラマは前回が面白いと次は期待外れになることが多い(「御宿かわせみ」など)が、今回は期待できそうな気がするのでここで紹介した。

 名古屋の伏見に大甚という居酒屋がある。名古屋の酒飲みなら知っている人が多いだろう。職場から歩いて行けたので、名古屋に転勤してすぐにこの店に行くようになった。読んだ本でこの店のカワハギの肝の旨さが書かれていたからだ。大きなカワハギの煮付けの肝のことである。しばしばウマヅラハギだけれど、絶品である。

 テレビなどでたびたび取り上げられている。女性客も多いし、ガイドブックに載っているのだろう、外国の人がおっかなびっくり入ってくることもある。自分が海外でおっかなびっくり店に入るときの気持ちを思いだしてほほえましい。

 ときどきその店に行くという先輩を誘って初めて行ったとき、さっそくカワハギの煮付けを注文したら先輩はびっくりしていた。この大甚という店は、小皿や小鉢に三十種類くらいの料理が盛りつけられてテーブルに並んでいて、各自が勝手にそれを自分の席に持っていって食べ、酒だけ注文する。おいしい肴だらけなので、それだけで充分満足できる。だからそれだけの店だと先輩は思っていたのだ。

 特別に頼みたい刺身や焼き魚、煮付けなどは時価で別に頼まなければならないから、それを知らずに呑んでいる人も多いのだ。

 いわゆる入れ混みというスタイルの店であり、いつでも混んでいるので、ほとんど隣の人と肩を接するようにして坐らなければならない。いまは禁煙席と喫煙席が別れたけれど、むかしはそんな区別はなかったから、へたに隣に煙草を吸うような人がいるとつらいときもある。ちゃんと吸えばまだよいが、灰皿に火のついた煙草を置いておいたり、ひどいのになると話に夢中になって、自分が煙いからか、火のついた手の煙草を自分から離してこちらの鼻先に突き出す輩もいる。

 この店で特に気にいっていたのが酒の燗である。酒は普通は賀茂鶴、頼めば菊正、その大きな菰樽から銚子に汲んで湯煎して燗をする。その燗が絶品だったのだ。過去形で書かなければならないのはまことに残念なことで、最近はあまりにも人気が出て客が多すぎ、燗に神経が廻りきれなくなっていてしばしば熱燗になるようになった。酒の味を知らずに、ひとつ覚えの熱燗を頼む客が多いのかも知れない。菰樽の酒を熱燗にしたら味も香りも台無しではないか。

 この店にはこのごろほとんど行かなくなった。混みすぎていて、なかなか入れないこともあり、よくここで呑んでいた呑み仲間が名古屋から転居してしまったからだが、それ以上に燗も雑になった気がしているからでもある。

 家では紙パックの菊正を少し熱燗にして呑む。そうして呑むとそこそこの酒の味がする。出かければその地の地酒をみやげに買って帰り、それは燗をせず冷やで飲む。燗はヤカンで湯を沸かし、大きめの徳利に酒を汲んで湯煎で燗をする。ゆっくり温めた酒はひとクラス上の味に化けるものだ。

 それを面倒に感じて電子レンジで燗をするようになってきた。味よりも酔うことにウエイトが行っている。感性の堕落である。

2016年5月11日 (水)

ぴったりすぎるのも・・・

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 千葉へ車で行き帰りしたら腰が痛くなった。愛車のシートは腰をしっかりホールドしてくれるので、長距離を走っても、たいてい平気なのだが、ほとんどとんぼ返りに近かったので、さすがに堪えたらしい。

 大阪の親友を呼んで家で粗餐を食べてもらい、彼が行きたいと言っていた合掌集落巡りに行くつもりだったが、彼のほうがかなりひどい腰痛になってしまって治療中であり、先延ばしになっている。こちらもそれがうつったのだろうか。

 先程歯の治療で左奥歯の被せものを新しくして来た。一発でぴたりと嵌まり、全く狂いがない。前回は収まるまでしばらくかかったし、他のところもたいていぴたりとくることはなかったので、有難いことなのだが、あまり最初にぴたりとしていると後で狂うことになりはしないか、と要らぬ心配をしている。

 物事は最初からそんなにぴたりとすることはないものだ。

 他にいろいろ雑用があり、ゆっくり本を読んだり映画やドラマを観る暇がないし、その気分にもなれない。歯医者の帰りに柔らかめの食材ばかりを買い込んだ。それを簡単に料理して今晩はそんなに噛まなくても良い肴でチビチビやりながら、中国の旅番組の録画でも観ることにしよう。

知らないと誤解する

Dsc_8989 表紙は梅原龍三郎の絵

 用事で弟の家(親が健在のときは実家)に泊まった。一冊だけ本(岩満重孝「百魚歳時記」)を持って行ったが読了したので、実家の本棚を眺めていたら、高峰秀子の「わたしの渡世日記 上・下」を見つけた。この本、探してもないので、どこに行ったのかと思っていたが、母に読ませるためにこちらに持って来ていたのだ。

 まだ読み始めたばかりだし、上下巻とも四百ページ近いので、ぼちぼち読むつもりだ。高峰秀子を知っているある程度の年齢の人なら面白く読める本だ。彼女のエッセイは定評がある。彼女の交友相手のレベルの高さには瞠目するはずだ。そこから人間をみる眼が養われているということなのだろう。良いものをいつも見ていると目利きになると言うではないか。

 高峰秀子をほとんど知らなかったとき、私は彼女が嫌いであった。ほとんど憎むに近かった。知らないのに嫌うにはもちろん理由がある。私が中学生か高校生の頃、彼女は田辺製薬のCMに出ていた。その印象があまり良くなかったのだ。そして田辺製薬はスモン禍の問題で矢面に立つことになった。

 田辺製薬の胃腸薬に整腸成分としてキノホルムという薬剤が使用されていたが、それによってスモン病という重篤な病気を発症するのではないか、と疑われたのだ。

 当初一種の風土病である、などの説もあり、キノホルムが主原因であることがなかなか検証できなかった。田辺製薬は反論に終始し、この問題に真摯に対応しなかった。次第にキノホルムが犯人であることが分かってきたとき、実はすでに田辺製薬側がキノホルムが原因であることを、可能性として認識していたらしいことが明らかになり、悪質であるとして社会問題となり、スモン訴訟として名を残す薬害訴訟の走りとなった事件である。

 この時に私は田辺製薬の対応を注視していたから、まさにその田辺製薬の胃腸薬のコマーシャルをしていた高峰秀子を田辺製薬そのもののように憎んだのである。

 彼女にはなんの責任もないから、責められるいわれなどないことはいまなら分かるが、そのときは田辺製薬はこちらに見えないから、私にとって彼女が田辺製薬そのものに見えたのである。田辺製薬はその後三菱ウェルファーマと合併し、三菱田辺製薬と名を変えている。

 先程田辺製薬をWikipediaで見てみたら、キノホルムによるスモン病の問題が記載されていないことに驚いた。どういう人がこれを書いたかよく分かる。自分に不都合なことは書かないのだ。

 私が高峰秀子を嫌う様子を見て、母はなにか言いたそうだったが黙っていた。それからずいぶん経って、誰かの書評でこの「わたしの渡世日記」を薦めていたので、読んでみたのだ。

 内容については再読終了後にあらためて紹介するとして、文章の確かさとその素養に感心した。つまり品位があるのだ。偏見が一挙に払われた。この本を読んで高峰秀子についての気持ちが大きく変わったと母に告げたとき、母はちょっと嬉しそうだった。この本を読みたいと言うので、こちらに持って来ていたことを思いだしたのだ。

2016年5月10日 (火)

岩満重孝「百魚歳時記」(中公文庫)

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 著者については全く知らない。著者紹介のところには大正十年生まれで、(ほとんど)独学で絵を学ぶ、とある。画家であり、俳人かと思われる。著書もいろいろあるようだ。

 歳時記とあるから当然春夏秋冬に分けられていて、季語としての魚を紹介しながら、その魚にまつわる俳句がいくつか取り上げられている。見開き二ページで魚が一種類、そこに彼自身の魚の絵が添えられている。表紙も彼の絵だ。

 たびたび言うが、私は俳句がよく分からない。この本に挙げられている俳句でも、すぐ分かるものもあるけれど、意味がちっとも分からないものも多い。イメージが結ばないし、そもそも漢字が読めない。無用なところにふりがながあって、普通知られていないものにふりがながないのは不親切だ(著者がもともと読めていないなら別だが)。

 俳句をやるくらいのひとは、この程度のものは瞬時に分かり、イメージが浮かんで大きくうなずいたりするものなのだろうか。出来れば句の意味を教えて欲しい。分からないままなのはとてもじれったい。

 ひがみで言えば、こちらが分からないのを見透かしているのではないか。分からなくて申し訳ありませんね!

 絵も今ひとつぴんとこない。私もひところは釣りをずいぶんやったし、水族館も大好き、魚類図鑑を眺めているだけで楽しい、というほど魚好きだから、ここにあげられているような魚についてはたいてい実物がよく分かるし、味も知っている。ちょっと違うんじゃないか?と思うものもなかにはある。

 私の知らないこともいろいろあるけれど、知っていることについてはどうも浅薄な知識の感じがするし、ときどき魚を擬人化して語る語り口にユーモアを持たせているつもりらしいが、ひとりよがりでちっとも面白くない。

 見開き二ページでは書けることも知れているから仕方がないのだが、そのわりには無駄も多いし、他の魚と重複したエピソードがしばしばあって、少々興ざめである。

 ちょっと辛口の批評をしてしまったが、この人の本はけっこう人気があるらしいので、私との相性が悪いだけなのだろう。

2016年5月 9日 (月)

自発的か、おためごかしか、使嗾されているのか

 日本の領海である沖ノ鳥島の周辺で漁をしたとして台湾の漁船が拿捕され、罰金を支払って釈放されたことに対して、台湾国民党の馬総統が、日本は不当であると噛みついたことを以前取り上げた。

 馬総統はさらに、「このままでは日台関係に悪影響が出る」、「日本は意地を張るな」と日本を批判しているという。

 台湾のニュースを注目していたら、馬総統のこの件に対しての対応に批判が出ている、と言う記事を見た。さもありなん、と思って内容を読むと、野党の国会議員の「馬総統の対応は日本に対して弱腰過ぎる」、という批判であった。なんだこれは。

 5月20日に新総統に就任する蔡英文氏は、日本の若手議員たちと面談(就任祝賀の席では話がほとんど出来ないだろうというので少し早めに訪問したとのことである)した際、「抑制的に、出来るだけ早く終息させたい」と述べたそうで、これは当然のことばであろう。

 国民党は、沖ノ鳥島に台湾の軍艦を派遣すべしと主張している。それに対して、次期駐日大使の謝氏(元行政院長=首相)は「軍艦派遣は戦争も辞さない、という意味合いがあり、反対である」と発言している。これに対して国民党からは批判が続出しているらしい。

 国民党のある議員は「中国が南シナ海は中国領であると主張していることに対して、アメリカは軍艦を派遣した。それは中国に対する宣戦布告に当たるのか?」と指摘したそうだ。馬鹿ではないか。宣戦布告であるとは中国ですら考えないけれど、アメリカはいざとなれば戦争になってもかまわない、という覚悟を持っていることを中国に意思表示をしたのである。

 国民党の議員にその覚悟などありはしない。そもそもそんな覚悟が必要な事態などどこにもない。台湾の領土を日本が侵略したとか、台湾の国民が日本に拉致され、危害を受けたというのなら話は別だが、今回は日本の領土について台湾は認めがたいという話だけである。

 今回の国民党の言動は、この問題を国民的もり上がりに結びつけて自党の支持挽回に結びつけたい、という下心が見え見えである。それは台湾にとっても日本にとっても、害のみあって全く利のないことである。亡国の愚かな言動で、ここまで国民党は末期的なのか、と哀れを誘う。

 しかし人は扇動されるとしばしばそれに乗せられる。台湾国民たちがこの国民党のアジテーションに扇動されて盛り上がらないとは限らない。台湾が反日的になるのは国民党にとってはもちろん、何より中国の歓迎するところだろう。

 国民党の今回の言動は、自党に支持を取り戻すための自発的なものなのか、中国が喜ぶ(これは馬総統がひたすら台湾国民よりも中国のために行動したものを受けている)ことをしようとするおためごかしなのか、それともまさかとは思うが、中国の使嗾によるものなのか。

 今のところ日本でそれを報ずることが少なく、日本人は台湾に対して不快感を感じることはほとんどないが、台湾が反日的な色に染まりだせば、日本人もそれに反応するだろう。そうすれば、台湾を訪れる日本人は激減し、台湾は中国からの観光客ばかりになるだろう。そしてなし崩しに台湾は中国領に取り込まれていくだろう。まさかと思うことも、あのトランプ氏のような人物が大統領候補指名を受けるように、起こるのが世の中である。

 台湾国民がこの件をどうとらえるか、注意して見ていきたい。

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 蒋介石ならどう思うだろう。

柳原敏雄「味をたずねて」(中公文庫)

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 著者の肩書きに割烹近茶流宗家とある。料理に関する著書が多いので料理研究家のようである。明治45年生まれ。

 あとがきによると、昭和30年頃から各地の伝統料理や食材をたずね歩き、それを日本経済新聞に連載していた。それを本にまとめたものが出版されたのが昭和40年、そして私が今回読んだのは、昭和56年に文庫化されたものである。

 だからここに書かれている各地独特の料理や、それを食することの出来る場所は、すでに失われていることが多いと想像される。それを意味があるものとして楽しむか、幻となってしまったものなど読んでも仕方がないと思うか、人によるだろう。

 食べ物がテーマではあるけれど、それぞれの食材や料理のルーツについても考察され、しかもその地の風土も紹介されている。写真が適宜配されて、3ページでひとつの話。これを12ヶ月に分けて各月6話から7話でまとめられている。

 過去を偲ぶよすがとしての風物誌として私は読んだ。すでに一度乃至数度訪ねた場所もたくさんある。残されているものもあるけれど、著者が訪ねた頃とは様変わりしているであろう。それを同時に思うことで、いっそうその地についての感懐が深まる気がする。そしてここに書かれた場所を折ある毎に訪ねて、この本の記述を手がかりに、その地を再発見するという楽しみを楽しんでみようと思った。

 機会があれば、この本で知った知識を紹介したい。知っているようで知らないことがいくつもあった。知らないのは私だけなのかも知れないが。

 この本を楽しむにはある程度の年齢の人、まだ日本がいまのようになる前のことを知る人、テレビのない時代も知っている人が向いているかも知れない。今が昔のままあってこれからも同じようにずっとある、とあたりまえに思っている人にはこの本の面白さはわかりにくいだろう。

 本日と明日は所用で不在。いただいたコメントには必ず返事を書くようにしているが、今回は遅れて、早くても明日の晩になると思うのでご容赦ください。

2016年5月 8日 (日)

分からないことは分からない

 分からないことを分かろうとすることは大事なことであると思う。なにかのきっかけで分からないことが分かったときは嬉しいものだ。しかしそのように分かるまでは、分からないことは分からない。それなのに分かろうとしても分からないことを、分かったような顔をしているのは恥ずかしいことである。

 いつもブログを拝見しているマケイヌイカさんのブログに東野圭吾の「片想い」という小説を読んで感じたことが書かれていた。私は読んでいないけれど、性同一障害がテーマらしい。マケイヌイカさんはそのことを自分なりに考えている。

 そのことを私もちょっとだけ考えてみたけれど、分からないことは分からない、と思った。世の中は同性婚があたりまえに認められるようになってきた。いままでは激しくバッシングされてきたことが、いまは胸を張って堂々とできることになった。そのことを非難するつもりは少しもないが、それを積極的に支持して祭り上げている人々はなんとなくうさんくさい。

 おうおうにしてそういう人は以前にはバッシングする側だったりする。戦争をあおった人間が、掌を返して平和主義を唱えるのを今まで見てきた。

 普通の人は積極的に同性婚に反対も賛成もしない。男が女の気持ちを、そして女が男の気持ちをわからないのだもの、同性を愛する気持ちはさらにわからない。分からないことは分からないのだ。ただ、それがどういうことか、これらのニュースを見てなんとなく考えてはいるはずだ。

 おかまとかホモと呼ばれる人がテレビにしばしば出るようになって久しい。眉をひそめる人もいるが、私はそれほどでもない。ただ、中に好きな人と、ひどく嫌いな人とがいるのは、それ以外の人を見るときと全く同じである。嫌いな人の名を挙げたいが、やめておく。

いくらなんでも

 朝の「時事放談」で浜矩子女史が、あのアメリカの、暴言を繰り返すトランプ氏と日本の安倍首相を同類だ、よく似ていると断じているのを聞いてびっくりした。

 女史が、安倍首相が大嫌いであることはいままでの発言で承知しているけれど、いくら何でもそこまで言うのはいかがなものか。そうだ、と同意する人がいるなら、ずいぶんと極端な思考の持ち主であろう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは言うが、ずいぶんと違うものを同じように見てしまうようでは、そもそも女史の世界観に疑念を抱かざるを得ない。

 その後、そのような視点からしか世界が見えない人の話を聞く気になれないからチャンネルを替えてしまったので、詳しい主張は分からない。女史と同じレベルでものを言えば、女史の化粧は異様である(同感の人は多いだろうが、あまり大っぴらには言いにくいから誰も言わないと思う)。自分で変えられないものをけなすのは罪であるが、化粧についてはささやかな感想くらい言わしてもらっても良い、と勝手に言う。

 ああ、私も彼女のレベルに落ちてしまった!反省。

 そもそも自国の首相をあのトランプ氏と似ている、というのは最大の侮辱以外の何物でもない。しかし、安倍首相が反論するわけにはいかないだろうから、こうして私の感想を正直に言わずにおれなかった。

誕生日

 本日は私の誕生日、66歳になる。先日娘のどん姫にも話したのだが、そんな歳になったことが自分で信じられない。

 明日は用事があって千葉へ行く。とんぼ返りは疲れるので、弟の家に泊めてもらう。「今晩から来たら良いのに」と弟は言ってくれたが、今晩は独りでささやかに誕生日の祝杯を挙げる。明日は朝早く出かけなければならないから、たいがいにしておかなければならないが。

 たいがいにしておけ、という言い方は、名古屋風かも知れない。たしか、てぇぁがいにしやぁ、とか、てぇぁがいにしとかにゃあいけんよ、というはずだけれど、河村名古屋市長以外、いまはそんな言い方は聞かない。名古屋弁、尾張弁、三河弁とそれぞれ歴然と違いがあるらしいが、その区別がよくわからない。だから間違っていたら申し訳ない。その名古屋弁にしても庶民の使うものと、上品な言い方とずいぶん違うらしいのだ。


 パソコンに向かい、テレビで録画したドラマを観、本を読み、と眼を酷使しているせいか、眼がかすむことがしばしばある。もともと涙腺がゆるくて、興奮すると涙が勝手に出る。これは祖母からの遺伝で、祖母はいつもガーゼのハンカチで眼を拭きながら話をした。

  気がつくと目薬をさして眼を休めるようにする。一時的には良いが、すぐかすむ。てぇぁがいにしとかにゃぁいけんにゃあ。

2016年5月 7日 (土)

リズムがずれる

 年をとると早寝早起きになるとよくいうが、どうも私はだんだん寝るのが遅くなって、朝も起きるのが昔より遅くなっている。最近リタイアした友人は、貸し農園で土いじりするのが楽しいといい、汗をかいて一風呂浴び、ビールを飲むと9時頃から眠ってしまうようになったそうだ。一緒に旅に出るとリズムがずれる。

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 寝る時間が遅くなるのに合わせて、昼寝をすることがしばしばある。昼寝をしようと思ってしているというより、横になって本を読んだりしているうちにひとりでに眠っている。春眠暁を覚えず、というが、春とはいえ、もうその時期は過ぎたけれど、ますますうつらうつらすることが増えた。そうすれば寝付きが悪くなって夜更かしするのはあたりまえなのだが、元に戻せない。

 寝起きが良いのが自分の特技だと思っていたけれど、夜更かしが習慣になると寝起きのさわやかさが得られない。起きた直後から全開100%だったのに、いまはしばらくしないとスイッチが入らない。そんな状態が続くと、集中力も低下して、当然頭の働きも悪い気がする。

 ただ、それは睡眠のリズムのせいなのか、年齢によるものなのかわからない。昼寝をするのは暇すぎるからだろう。さすがに出て歩いている先では昼寝をすることがないから、夜も早く寝る。だが、夜中の思わぬ時間に目覚めてしまうことが多い。体内時計がずれたままなのだろう。 

 近頃家にこもっていることが多くなっている。いろいろ理由もあるが、そろそろあちこち歩き回るのによい季節になった。大型連休も終わったから、ぼちぼち出かけるとするか。

支持率回復

 朴槿恵大統領の支持率が、選挙の前後で30%を切り、過去最低にならんだと報じられたが、このたび35.6%にめでたく回復したそうだ。

 これは彼女がアメリカとイランの国交回復を受けて、いちはやく大規模な経済協力をみやげにイランを訪れ、大きなプロジェクトをいくつも決めてきたことが報じられたからである。なんとその規模約4兆円。経済の右肩下がりにある韓国にとっては、大いに歓迎すべき成果と評価されたのだろう。

 韓国はイランからの原油輸入比率が高かったので、イランと韓国は経済的な結びつきが強い。イランは韓国の銀行に巨額な資金を預けていた。韓国の保有外貨の大きな一部なのである。ところがアメリカがイランを経済封鎖したため、韓国にあるイランの資金も韓国で封鎖されていた。

 このたびアメリカの経済封鎖解除に伴い、イランは石油を売ることができるようになり、インフラ整備を大々的に行うことも確実で、ここで始まるいろいろなプロジェクトに参入すべく、各国は次々にイラン詣でをしている。イランは中東で最大の人口を抱える国であり、フル稼働すればサウジアラビアをしのぐ経済規模の国なのである。

 経済封鎖下にありながら、韓国はイランから原油を大量に輸入してきたと言われている。支払いは現金では出来ないから、さまざまな物品がひそかに送られたとみられる。その恩義をたてに、いろいろな約束をとりつけてきたのだろう。あわせて韓国にあるイランの資金の引き上げをしないよう申し入れたに違いない。

 イランにしてみればインフラ整備や工場再開には巨額の資金がいるから、韓国の申し入れは受けられない。然らば韓国にプロジェクトの優先権を約束する、ということになるわけである。

 ところがハンギョレ新聞はこの成果は水増しだ、と報じた。大部分が拘束力のない了解覚え書きであり、実際の契約とはほど遠い。成果を高らかにうたうのは「過大包装である」と批判している。

 例として、今回の成果としてあげられた建設プロジェクト30件を解析すると、了解覚え書きが13件、取引条件協定4件、契約条件交渉3件、業務協力合意覚え書き3件、仮契約2件、その他となっている。これは仮契約の2件を除けば、ほとんど拘束力がない。

 これらは「これからうまくやっていこう」というもので、実際の契約や事業につながるかどうか現段階ではわからない、と記事は伝えている。

 イランは韓国にある資金を必要としているから引き揚げるだろう。いろいろなプロジェクトが仮に成約したとしても、韓国を利するには時間もかかる。韓国経済は輸出が減り続ける事態がずっと続いているが、さいわい貿易収支の黒字も続いているから、外貨はたぶん大丈夫で、あのデフォルト状態のようなことは危機は今のところ心配ないだろう。

 しかし中国経済が今のままで、原油価格でも上がり出すと、国際金融ブローカーのターゲットになりかねない。ある意味で韓国は手頃な大きさの国なのではないか。若者の失業率の異常な高さなどもあり、朴槿恵大統領の支持率はジェットコースターのように上がり下がりしそうな気がする。

山本夏彦「世間知らずの高枕」(新潮社)

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 「夏彦の写真コラム」シリーズ。平成元年から三年にかけて、週刊新潮に連載されたもの。

 山本夏彦の文章が好きなので、影響を受けている。自分のブログにそんな部分が混じる(つまり、真似である)ことがあるのを自覚しながらやめられない。それほど好きである。

 日本の文章は論理的ではないといわれる。確かに哲学や思想を語るには不向きかも知れない。それだけ情緒的だとも言えるし、中国から漢字と共に中国思想が大量に入ってきたことにより、本来の日本語による思想の進化が止まったままとなって、思想を語るには漢語で済ますことになったからとも言われる。

 日本語はことばとことばがきっちりつながらずに展開していく。墨が紙ににじみ、そのにじみがかすかになったところと次のにじみがかろうじてつながるようにイメージがつながっていく。俳句の世界はもともと連歌から発展しているが、句と句のつながりはそのようなもので、それが日本人になじむのは、もともとそういう連想を楽しむ傾向が日本人にあるからだろう。

 こんな考えはどこかで読み散らしたことばかりだけれど、それぞれなるほどと自分で感じたことだからそれを私のものとして書くことをご容赦いただきたい。

 何が言いたいのか。山本夏彦は文章をひたすら削りに削り、かろうじて意味がつながるかつながらないか、ぎりぎりの書き方をする。彼がしばしば書くように「わかる人には一言で瞬時にわかり」、「わからぬ人には千言万言を費やしてもわからない」。だから彼の書いたものは読み慣れた私でも意味が読み取れずに途方に暮れることもある。私はその山本夏彦の文章こそ日本の文章そのものだと思うのだ。

 そこに書かれていることばから、その裏にあるものを想像し補って読む。ギリギリ次へつながって行くその文章が読み取れたときは、山本夏彦の笑顔が見えるようで嬉しい。書いた人と読むこちらがつながる。

 そのまま字面で読むと、前の文章と後の文章が全く反対のことを書いていたりするが、それは視点が変わっているのだ。彼は時空を越える。ときに過去の人になり、子供になり、女性になる。それは仮になるのではなく、まさになりきって書く。当然言っていることが変わる。

 わかる人には読めばそのことの意味が瞬時にわかるが、わからない人には永遠にわからない。私は彼の文章をにやりとしながら楽しむような人と友だちになりたい。

 この本に限らない、彼の本は文庫でたくさんでている。ときに歯ごたえのありすぎるものもあるので、読みやすそうなものを選んで一度お試しあれ。

2016年5月 6日 (金)

不正提供で統計数値の発表を中止?

 中国の、統計値を集計して発表する国家統計局の職員が、公式データを私的利益のために不正利用したとして、汚職監視機関である中央規律検査委員会から告発された。

 なんと313人(!)が起訴される方向で取調中だそうだ。流用されたのは原油や金属に関するデータだという。

 実は中国の統計局の統計値のうち、この原油や金属だけではなく、石炭や鉄鋼、電機に関するデータも年初から発表が停まっている。昨年秋から停まっているものもあるそうで、すでに統計局の局長は解任されている。

 先日、高橋洋一「中国GDPの大嘘」という本を紹介したばかりだ。中国の統計値は矛盾が多く、信用しかねる、と伝えたが、今回の統計局職員の大量摘発はどういうことだろう。

 インサイダー取引に似た、情報のあつかいの不正が摘発されたかに見える。しかし統計値が流用されたからといって、だれにどれほどの利益があるのかよくわからない。

 それよりも、そもそも統計値を操作していたことを隠蔽するための措置のにおいがしてしまうのは、あの本を読んだからだろうか。

 それとも、統計値そのものが、いちじるしく中国経済の悪化を表しているために、こういうわけのわからない理由を、統計値の発表取りやめの口実にしているのかも知れない。もしそうなら中国は深刻な事態なのではないか。

 あまり嬉しそうにそんな勘ぐりを書いてはいけないかな?

中国式非論理的論理

 フィリピンは経済的に中国との関係が大きく、南シナ海での中国の信義を踏みにじる一方的な行動に憤激しながらも、妥協点をさぐらなければならない苦しい立場にいる。フィリピンから、南シナ海問題に対して妥協案が中国に対して提案されたが、中国はそれを一顧だにせず拒否した、と海外ニュースの中国放送は伝えていた。

 いつものあの木で鼻をくくる物言いをする洪磊報道官が、「中国の主権のある南沙諸島の問題に対し、フィリピンが何らかの提案をすることがそもそも違法行為である。フィリピンとはこのことでいままで交渉を一切行っていないのに、このような提案がいきなり行われたことは不当なので拒否した」と述べた上で、「中国は国際的な法を遵守してきたし、それに基づいて行動している」と胸を張った。

 中国の行動は無謬であって正しいのだから、それに反するものは違法だ、といういつもの中国式の論理である。中国の違法合法の基準は外部には存在しないと公言しているのに等しい。つまり国際法など中国には噴飯物の法律で、中国の言うことが法律なのだから、他国はそれに従え、ということであろう。

 アメリカに対してだけはそう言いきれないことは中国にとって残念なことだろう。日本がそれに従わないことにも不快感を示している。アメリカや日本がリードして、東南アジア諸国が同様の姿勢に転じつつあることに、中国は内心で憤激しているだろう。面倒を見ているのに言いなりにならないのは理不尽だ、とでも思っているに違いない。

 そのような考えだから次々に中国から離反するということが理解できないようだ。他者を対等に扱うことが出来ず、相手の立場を考えるという思考様式を持たない国が目覚めることはあるのだろうか。中国がおとなしくなるために、つい中国の経済的破綻を望んでしまうではないか。それは世界に大きな災厄をもたらすことが分かっているけれど・・・。

池内紀「ニッポン旅みやげ」(青土社)

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 以前にも紹介したが、著者の池内紀(おさむ)はドイツ文学者でエッセイスト。旅の本もたくさん書いている。この本もその一冊で、比較的新しい(2015年4月発行)。

 この本には観光地の紹介が書かれているわけではない。ふらりと立ち寄った街や村の片隅で、興味を引いたものを取り上げている。普通なら見過ごして通り過ぎてしまうものに、目が行く。それに目が行くのは著者がそのような好奇心と、深い知識を備えているからだ。日本全国40カ所ほどを一カ所に付き3~4ページで簡潔に紹介している。

 内容は実際に読んでもらわないと、私の力ではうまく伝えられない。それよりも、ふだん私は何をぼんやりと旅しているのだろうか、と反省した。

 著者は基本的に列車やバスによる一人旅で、予定はほとんど立てず、思いつきで行きたいところへ行っている。リタイア後の私はふだん車の旅だが、しばしば予定をあまり立てずに旅に出て、行った先で宿をとることも普通だった。ところが最近事前に宿を予約するようになって、行動が制約されるようになってきた。

 諸般の事情でそれも仕方がないところがあるが、浮き世の義理にこだわりすぎていることを少し後悔している。そのようなものにとらわれていると、見るもの感じるものを見逃してしまうことを、この本で思い出させてもらった。本当にもったいないことである。

 観光地の写真を撮ってブログに載せて、見ていただくのも良いけれど、著者のように、ときには自分の視点で面白い光景などを加えたいものである。旅に出かけたくなる本である。

 前にも書いたが、どうも池内紀にはまりそうである。彼の本はすでに四、五冊は持っているはずだが、さらに探せば本屋でたちまち十冊二十冊手に入るはずだから、積ん読だけにならないように少しずつ揃えないといけない。他にも山ほど読みたい本があるし。

 今回はもう一冊「ニッポン周遊記」という、この前に出た本も買ってある。続けて読むのも芸がないので、ちょっとあいだを置く。

2016年5月 5日 (木)

「わかりやすいこと」についての山本夏彦のことば

 「自分のよく知ることを全く知らない人に知らせることを、難なく出来ると思う人は絶対に出来ない人である。それはもっともむずかしいことなのである。十年あまり前私は「エントロピー」とは何か某新聞の科学記者に、ひと口で言ってくれと頼んだことがある。その記者はひと口で言えるほど自分は知らないことにいま気がついたと答えたので、私はかえってその人を尊敬した」

 夏彦節はこんなかんじである。

 いま池内紀の「ニッポン旅みやげ」という本(これもとても面白いので明日にも紹介したい)を読み終わりそうので、次に山本夏彦の「夏彦の写真コラム」シリーズの一冊、「世間知らずの高枕」でも読もうと思っている。短文でワサビのきいた文章満載で楽しめる。

 前々回のブログで、高橋陽一「中国GDPの大嘘」という本が読みやすい、と書いたのはこういう意味である。

 あえて蛇足を言えば、わかっていない人ほど難しいことばでくどくど言う。つき合うのは時間の無駄である。ただし、うっかりすると中身がなくて、同じことの繰り返しがときとしてわかりやすいと勘違いしやすいので注意が肝要。

「言論の自由度が低い日本」という評価の理由

 日本人にとって日本の言論は自由度が高いと思う人が大半だろう。一部アフリカ諸国よりも下、なんと韓国の70位よりも下位の72位と評価されたことを、意外に思わない人は少ないのではないか。これが秘密保護法などが制定されたからだ、などと鬼の首を取ったようにいう勢力もある。しかし秘密保護法の手本にしたアメリカが41位であるから、どうも説得力がない。

 ネットニュースで日本の記者クラブのことが話題として取り上げられていた。これで、「そうか!」、と得心がいった。

 今回の国別ランキングをしたのは、国境なき記者団という組織らしい。もちろん彼らは日本でも取材活動を行っただろう。そこで日本の「記者クラブ」というものに出会った。取材に差別があることを身にしみて実感したにちがいない。

 彼らは、「政府の情報をそのまま報道していて、政府にコントロールされている」、「これは日本のマスコミが政府の圧力のもとにあることに外ならない」、「日本の報道には独立性が足りない」とコメントしている。

 日本の「記者クラブ」の存在は以前から問題視されてきた。記者クラブは、権力の圧力に個別のマスコミでは対抗できないから共同で対応する、という趣旨で発足したものと思う。ところがそれが仲良しクラブに堕し、自分たちを護るために外部を阻害し、独自取材を怠けるという状況になっている、と批判されている。

 いかにも反権力を標榜しているのに、その記者クラブのぬるま湯にどっぷり浸かっている大手新聞社がいるという。この体質が継承され、結果的に中国や韓国の取材でも、同じ行動をしてきたのではないか。だから産経新聞ソウル支局長が韓国であのような仕打ちを受けても、外国記者ほど批判が盛り上がらなかった。

 海外ニュースについては日本の大手新聞社のニュースはつまらないものが優先されていて、本質を読み取ることができないことが多い。これについては、現地記者の経験のある人たちの、匿名座談会でのことばを読んで愕然としたことがある。大事な情報を次々に本社に送電するのだが、本社では相手の国を慮って取り上げられないことがしばしばあり、埋め草のような記事ばかりが取り上げられるというのだ。

 これを考えれば、外国の記者達が日本の言論が不自由である、と評価するのは当然である。

 思えば日本のマスコミは、戦時中「大本営発表」をそのまま報道することを強いられた。その体質がそのまま残されているのだろう。ヨーロッパにいた特派委員達が、次々に重要な情報を入手し、世界情勢について正確な事実を送電したにもかかわらず、当局を慮り、編集局が自発的に握りつぶし続けた、という歴史的事実がある。国民を目隠ししたのは政府だけではない。

 安倍政権を批判し続ける大手新聞社は、この日本の言論の自由度が低位であると評価されたことを、自分の問題として受け止めているのだろうか。これも安倍政権の強権政治のせいだ、と強弁して恥じないのだろうか。自分が批判されているのだぞ!

高橋陽一「中国GDPの大嘘」(講談社)

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 書かれている内容は、基本的に他の本で読んだことのあるものが多いけれど、この本ではそれがとても分かりやすくまとめられている。わかりやすいのは大事なことだ。

 著者は中国経済の現状と今後について、かなり悲観的な見方をしているが、その根拠のひとつが標題の「中国のGDPの大嘘」なのである。中国のGDPの統計値の信頼が疑わしい、というのはしばしば言われていたことだけれど、その他の統計値との比較を易しく説明することで、矛盾を明らかにし、そこから実態を推察する。

 しばしば中国経済はそれほど悲観的ではないと強弁する中国専門家がいる。例えば中国の統計値の信頼性について李克強が疑問を呈し、いわゆる克強指数といわれる指標を見る方がよい、と述べたことがある。実は克強指数は中国全体について述べた話ではなく、彼が遼寧省のトップだったときのことばで、遼寧省の実態について述べたものだ。だから李克強指数で中国経済を悲観的に見るのは間違っている、というのが彼らの反論である。

 特にそのひとつの鉄道輸送量という指数は、鉄鉱石や石炭を輸送するときに顕著に変動する指数で、現在のようにトラックによる輸送が主要になっているから参考にならない、というのである。確かにそうかも知れない。しかし鉄道輸送量は対前年で10%以上減少しているのは事実である。そして少なくとも重厚長大の産業のメインの輸送手段はいまでも鉄道である。それなのにGDPの伸びが7%近い、というのが信じられるだろうか。

 このようにして中国のさまざまな統計値と実態経済との乖離と思われるものが次々に取り上げられて、中国の報告する統計値に疑問を呈する。それは中国の社会主義体制の必然的な現象だと見る。

 そもそも独裁体制はそのような欺瞞を生むのだ。それは東芝の粉飾決算や、三菱自動車の数値改竄などとおなじ体質ではないか。上からの至上命令に、無理なことでも「できません」といわせない体質なのだ。

 著者は内閣参事官などを歴ていまは大学教授。安倍総理に経済諮問を受けることもある。

 中国経済について書かれた本には詳しすぎて難しいもの、感情的で一面的すぎるように思えるものがしばしばあるが、この本はとてもわかりやすい。悲観的な見方は私の気持ちにはマッチしているが、それを違う、と考える人も、一度この本を読んでみるのがいいかも知れない。

 中国経済の実態はやはり悲観的かも知れない、とわたしは思った。そう思いたいから思ったところもあるのを否定できないが。

2016年5月 4日 (水)

「昇進拒否権」のニュースから

 朝鮮日報掲載の面白い記事を見た。現代自動車の労働組合が、今年の賃金と労働協約の交渉で、一般社員と研究職社員の課長職への昇進拒否権を認めるように要求したという。

 昇進は異動とおなじように会社の業務命令のようなものだろう。上昇志向の高い人には嬉しいけれど、意に沿わない場合も当然ある。責任を持ちたくない、という考えの人もいることだろう。しかし「拒否権」とはなんたるいいかただろうか。人間として業務命令を拒否することは可能であり、もちろん許される。しかしそれを拒否することで引き受けなければならないことが生ずることも覚悟するのは当然だ。

 「拒否権」という言い方は、その拒否したことで引き受けなければならないことが生ずることを「拒否する権利」ということでもある。会社は営利組織であって、民主主義で運営されているわけではない。どうもそのあたりまえのことがはき違えられているようだ。

 組合が拒否権を主張した意味を新聞はこう推察している。課長になると労働組合員の資格がなくなることで、人事考課の対象となり、組合の庇護が受けられなくなるからだろうと。

 護られ続けたいと願う人と、組合員を確保し続けたいという組合との利害が一致したから、このような主張になっているのだろう。会社は優秀な人を昇進させたいと考えて辞令を出すものだろう。そのような人が昇進を拒否するだろうか。それも不思議なことだ。韓国も有能無能にかかわらず昇進させる年功序列システムなのだろうか? それとも責任だけ重くなって賃金のなどの待遇がそれに伴わないのだろうか。


 差し障りがないとは言えないが、ずいぶんむかしのはなしなので自分の経験したことを書く。当人が読むことは考えにくいが、もしものときは申し訳ない。

 残念ながらあまり仕事ができない営業員がいた。不真面目ではないのだが、相手の気持ちの動きを読み取ることの苦手な人で、会話が否定語に終始するきらいがある。自分が営業としての役割で相手と折衝しているということが理解できずに、自分自身がつい表に出て来てしまう。その上気が小さい。これらがそろっていることは営業として致命的である。

 営業以外の部署に異動させるることも検討されたらしいが、引き受ける部署がないためにそのままになっていた。そして私が彼の上司になった。彼は気が小さいので、自分の失敗を正直に報告できないことにまず気がついた。こちらは経験から彼の行動をほとんど読み取れる。指示を出し、結果の報告を求め、進展がなければ得意先に同行して援助する。そのうちに同行をいろいろな理由で回避しようとしはじめた。

 得意先の中には彼の気の弱さにつけ込む人もいる。無理難題を突きつけてくると、彼はそれをことわりきれない。しかもそれを報告したら私に叱られることがわかっているから報告できない。板挟みで苦しんでいるのが見て取れた。強引に彼をそれらの得意先に連れて行き、すべて片付けた。そのときの彼の晴れ晴れした顔は忘れられない。可哀想だ、と思い、営業を外れてもらうことになった。

 その彼は、私とほとんど年は近いので、その当時の私とほぼ同格の待遇の管理職だった。彼がエスカレーターのように管理職の階段を上がることに反対する人(もちろん私も)がいたのに、その彼を次々に昇進させた人がいる。彼のことをよく知っているはずなのに、平等を勘違いしたのか、彼だけ遅らせると彼に傷がつくことを可哀想に思ったのか、それは知らない。

 その結果、社内の人たちの中に不満が高まっていた。それは結局彼にとって不幸なことになったのだが、残念ながら彼は他人の気持ちを忖度する能力がない。自分がただの被害者だと感じていたか、それともなにも感じていなかったのか。最後は、会社は彼に退職を勧奨することになった。彼からはそのあと、お礼の手紙が来た。気持ちが楽になったことを喜んでいるように読み取れたが、儀礼的なのか、本当のお礼の気持ちなのか、わからない。

 「昇進拒否権」というニュースから、そのことを思い出した。

おめでたい

 4月の速報によれば、韓国の貿易収支が51ヶ月連続で黒字であった。毎月儲かり続けているわけで、めでたいことである。

 ただ、日本の貿易収支が大赤字から小赤字に改善した理由と同じく、原油や原料の価格低下による輸入額の減少によるものであり、輸出額も減少していることは、輸出に多くを依存する韓国にとって心配なことだろう。

 貿易額は16ヶ月連続で減少し、輸出額の減少も同じく16ヶ月連続であった。最悪だった1月の対前年同月マイナス18.9%の大幅元から、二月三月と減少幅が縮小していたが、四月はふたたび拡大の様相を見せている。理由は明らかで、海外での競争が激化して、輸出産品の価格が下がっていること、中国と競合する部分での中国企業のシェア拡大により、韓国の主要輸出国である中国向けが頭打ちになっていることからであろう。

 いま韓国は曲がり角にいる。日本の二の舞にならないためになにができるのか必死で探すことだ。そしてそれが不幸にして間に合わなかったときに、どのようにしのぐのか、考えることだ。ウリジナル(何でも韓国起源ととなえること)などという妄想から脱して、少なくとも日本とまともにつきあえるようにすることが必要ではないのか。日本は人が好いから、これだけの仕打ちを韓国から受けても、韓国が本気で頼ってきたらそれなりの援助をするだろう。簡単ではないけれど。そのような覚悟のある新しい大統領が出てくればめでたいことなのだが(いまの某朴槿恵女史では無理だろう)。

 朝鮮日報の記事で、自動車部品メーカートップ100社の中に、韓国は5社しかないということを問題としてあげていた(日本は30社で一位)。世界の主要部品メーカーの多くは自動車を生産しているわけではない。ところが韓国の5社は自動車メーカーに従属するする会社であって、製品をほかのメーカーに自由に販売できないから、韓国には実質的に主要部品メーカーは存在しない、というのが朝鮮日報の指摘だ。

 つまりこのことが韓国の自動車メーカーの競争力に影を落としているのではないか、という。部品を自ら生み出さず、それを組み立てること(アセンブリという)だけで製品を生産するというのは、いままで韓国がとってきた手法だ。これは巨大財閥が巨大資本で行うことで強い競争力を持つ。規模が大きい方が優位であるからだ。さいわい韓国は財閥がリードしているから、めでたく経済伸長を続けることができた。

 ところがさらに上を行くアセンブリを行う競争相手が台頭した。中国である。こちらは国有企業だから巨大さでは韓国財閥もかなわない。そこで競争力を持つためには技術力が必要なのだ。それが危ういのではないか、その現れが部品メーカーの少なさに表れているのではないか、というのが朝鮮日報の言いたいことであろう。

 これがいわゆる中進国の罠といわれるものらしい。韓国の夜郎自大のプライドは維持できるのだろうか。

誕生月

 亡くなった私の父と娘のどん姫と私の三人は、日はちょっとずつだけ違うけれど五月生まれ。互いに誕生祝いなどいまさら、という気分だけれど、ちょっと良い発泡ワインなどを用意した。久しぶりである。やって来たのがいつものように夜遅いので、こちらは少々待ちくたびれているし、彼女も仕事で疲れている。わかっているけれど話したいことが山ほどあるので延々と呑み、かつ食った。

 どん姫は、(お父さんの)話を聞かせてください、とこちらを泣かせるような殊勝なメールをくれたうえでやって来た。ずいぶんおとなになった。こちらの愚痴や泣き言を半分眠りかけながらも一生懸命聞いてくれて、バカ親父はとても幸せだった。

 いまは岐阜でシェアハウスしているが、今度名古屋市内に引っ越して独り暮らしに戻るという。引っ越しの手伝いを約束する。わが家と岐阜は車ならよいが、電車だと線が違うので、アクセスが悪い。今度はもっと来られるからね、とのこと。バカ親父は嬉しい。もともと無口なたちなのだが、それにしても愛想がなさ過ぎると心配していたけれど、それなりに優しく育ってくれたのだ。

Img759 ちょっとすねてるどん姫

2016年5月 3日 (火)

葉室麟「辛夷の花」(徳間書店)

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 葉室麟の新刊。おいしいものを後に残して楽しむように、脇にこの本を置いたまま後回しにしていた。読み始めたら葉室麟の世界にどっぷりつかり、途中で本を置くことができない。読み終わってみれば、いつものように気持ちのよい感動がある。

 子供ができずに離縁され、実家に戻った勘定奉行の娘・澤井志桜里は、隣家に不思議な男が転居して来ていることを知る。その男・木暮半五郎は、母の遺命であるとして紐で縛って刀を抜けないようにしている不思議な人物だった。共に生き方にこだわりすぎる故に、生きにくい生き方をしている二人が、次第に心を通わせあうようになる。

 折から、藩は藩主と藩を牛耳る三家老の確執で一触即発の状態にあった。藩主・小竹頼近は志桜里の父である勘定奉行の澤井庄兵衛を信頼し、三家老を排除しようとする。三家老はその動きを掴み、庄兵衛を亡き者にするべく画策する。半五郎はその庄兵衛を守るよう藩主の密命を受けていた。

 そんな中、志桜里を離縁した婚家から復縁の話が持ち上がり、志桜里の心は揺れる。心を寄せ始めた半五郎が、生涯妻を娶るつもりはないと告げたからだ。そしてある事情から、ついに婚家先に戻る。

 藩主と家老たちとのあいだは険悪となり、ついに藩主を押し込めて、澤井庄兵衛を上意討ちの名目で、家族もろとも討ち取るための家老配下の一団が屋敷に攻め込んでくる。

 寡兵でそれを防ぐ澤井家の人々と、藩主を救出する人々の危機一髪の闘いが繰り広げられる。

 もちろんハッピーエンドになるだろうことがわかっていても、ハラハラし、それを切り抜けたあとにも、もどかしいあれこれがあって、最後の最後に、なるようになって感動するのである。

 本当に大事と思う人のためであれば、人は力を発揮することができる。そのことを信じさせてくれる。葉室麟、良いですねえ!

人材流失、技術流失のこわさ

 韓国は半導体の生産で世界をリードしており、技術的にも確立している。その優秀な技術力を支えている技術者を中国がヘッドハンティングしている、と産経新聞が伝えている。すでに台湾の技術者のヘッドハンティングが進んでいて、中国側は「年俸五倍、三年保証」の条件で勧誘しているという。

 韓国の半導体の技術者は人材不足の事態が起きているという。すでに中国に引き抜かれた人材が多いのかも知れない。

 これは日本の企業から技術家技術者が流出した歴史をなぞるものである。日本経済が停滞し始めたとき、企業経営者はリストラという安易な方法で利益確保に走った。経営者は会社にとってあまり必要のない人材をリストラしようとしたであろう。ところがそのような他でつぶしのきかない人材は必死で会社にしがみつく。どこでも再雇用してもらえる、腕に自信のある人はリストラをチャンスととらえて退社を恐れない。そういう人にヘッドハンティングが行われるのはもちろんである。

 愚かな経営者が計画通りかそれ以上のリストラに成功して喜んでいるうちに、気がついたら会社にとって必要な人材とそれに伴って技術が、そしてノウハウが流出していた。リストラで得られたコストダウンよりも、失ったものがどれほど大きかったのか、どれだけの経営者が気がついていただろうか。

 ノウハウは長い時間で蓄積された貴重な財産であり、一朝一夕に取り戻せるものではない。保身で行ったことが会社の資産を大きく失うことになったことの責任を、経営者は自覚していただろうか。 

 私は観念的にこのことを語っているのではない。営業としていろいろな会社の技術者と折衝する機会があった。この人は優秀だ、と直感することがある。わかるものなのだ。ところがそのような人はたいてい上司とぶつかる。ときに上司に毛嫌いされていることもある。年功序列だけで上司になった人間の多くが、自分より優秀な人間を使いこなせない。

 このように優秀な人が突然こちらの折衝相手ではなくなり、現場のどうでもいいところへ移転させられるのをしばしば見たものだ。そしてあとに据えられるのはろくでもない人間だったりする。人の二倍三倍働く人はときに邪魔者あつかいされる。これらの人々を見る人は見ている。そして五年後、十年後、私が海外で出会ったのはその人たちだった。

 そういう人たちを何人も失った企業は・・・ほとんどなくなってしまった。

 淘汰されていく企業というのは、数字として計数化できない、積み上げた信用、ノウハウ、人材を失うことの意味が理解できない会社だったことを私は実感している。それが韓国で起きているのなら、韓国も日本と同じような停滞を招くだろう。

2016年5月 2日 (月)

光瀬龍「百億の昼と千億の夜」(ハヤカワ文庫)

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 このSF小説の単行本での初版は1967年。その前にSFマガジンに連載していたのを私はリアルタイムで読んで、ぶっ飛んだ。それを読んでいたのは中学生のときだったろうか、それとも、もう高校生だったか。世界の果てが、それまでの太陽系のわくから、銀河のはてどころかこの宇宙の果ての向こうまで広がってしまった。

 私が読んだSFのベストワンは、たぶん死ぬまでこの「百億の昼と千億の夜」であろう。私のバイブルであり、宇宙観の原点であり、神とはなにかということを考える原点でもある。

 この本を読んだ頃はまだよく知らなかったが、ビッグバンによって宇宙は始まったというのがいまは定説になっている。その説を唱え、それを分かりやすく書いたガモフの啓蒙書を、大学の生協の古本コーナーで買った(よくわからないけれど、相対性理論のことを書いた本も買った)。それを読んで私の宇宙観や宗教観(!)はさらに形が整った。

 内容を説明するのはとても難しい。例えば登場人物を何人か挙げれば、プラトン(=オリオナエ)、シッタータ、アシュラ、ナザレのイエス、ピラトゥス(端役・もちろんイエスを処刑したローマ帝国の司法官)、弥勒(敵役)などなど。なんのこっちゃ、と思われるであろう。

 彼らが宇宙の滅亡を前にして、それぞれの無意識の使命の元にその原因を求めていく、ということになるのだが、語られている物語は、時代を過去からはるか未来にかけてまたがっていて、しかも断片的なので、うまく乗らないとついて行けないであろう。私は最初から乗りまくってしまったというわけだ。

 SFに淫しているような人なら苦もなく乗れるが、不慣れな人は残念なことになると思う。

 恥ずかしいからほとんどだれにも話していないが、私は自己流の宇宙論と死後の世界についての考えを持っている。もう数十年そのことは心の中であたため続けているので、私にとって確信なのだが、人に話せば妙な目で見られかねないので黙っている。

 それほどこの本は私に影響を与えた。この文庫では最初のものに一部加筆がされている。初期のハードカバーもどこかにあるのだが、今回は文庫で読んだ。何回目だろうか。

 実は先日ヘッセの「シッダールタ」という本を読んだので、そのつながりでこの本を思い出して読みたくなったのである。

 なんたる飛躍!

自分で言うな!

 中国共産党の序列第五位である劉雲山常務委員が、北京を訪問した元自民党副総裁の山崎拓氏と会談し、「中国の発展はチャンスであり、脅威ではない」と強調して「正しく中国の発展に向き合う」ように求めたそうだ。

 脅威は相手が感じるかどうかということで、脅威を与えているほうが「脅威ではない」などと言うのは明らかにおかしい。

 これは「脅威だと思うな!」、「中国の発展(覇権主義)を無条件に受け入れろ!」という命令をしていることに外ならない。中国は日本の宗主国として、支配国に命令するというスタイルでしか外交ができなかった前世紀までの感覚(中華思想)が、いまだに抜けないようである。

イタチの何とやら

 沖ノ鳥島の排他的経済水域で漁をしたとして台湾の漁船が日本に拿捕された。その後罰金を支払い解放されたのだが、それに対して馬英九総統がクレームを付けている。

 「そもそも沖ノ鳥島はただの岩だから、日本は領海を主張できない。日本は意地を張るべきではない」というのだ。領海でなければ公海であるから、拿捕の権利はないということである。場合によって国際社会に仲裁を求めるつもりだそうだ。

 日本にとって沖ノ鳥島の問題を云々されるのは非常に不愉快なことである。だからいままでどの国もそこには触れない。それをわざわざその領海で漁をして係争しようという姿勢は、馬英九の仕掛けたものではないかと疑われても仕方がない。よしんば意図的ではなくともそれを理由に喧嘩を売ろうとしているとしか思えない。

 台湾では漁業関係者たちが馬英九の強硬姿勢を歓迎しているというが本当か。馬英九は漁業関係者だけではなく、台湾国民あげて盛り上がって欲しいと期待しているのだろう。そうなることは日本にとってだけではなく、台湾にとっても益のないことであると思う。

 馬英九は沖ノ鳥島について不服を申し立てるというなら、南シナ海での中国の行動について問題視する発言をしているか。少なくとも沖ノ鳥島は満潮時でも水没しない、れっきとした陸地である。それにクレームを付ける態度はまさに中国政府と酷似したものだ。中国に媚びを売っているのではないか、と勘ぐりたくなる。

 多くの自立した台湾国民にとことん嫌われた馬英九が、日本と対立してみせることで、少しでも引退後の自分の評価を引き上げたいという意図が見え透いている。そのことが少しも国のためではなく、自分のためであることも、見え透いている。

 自分のためにあとの人たちに火種を残す、このことはまさにイタチの何とやら、ではないか。愚かな人である。

2016年5月 1日 (日)

トランプ難民

 大統領選挙がにぎやかなアメリカで、トランプ候補が共和党の代表候補に決まり、そのまま大統領に選ばれてしまう可能性が出て来た。日本で、他人事として見ていても心配なくらいだから、ある程度良識のあるアメリカ人の中には、ずいぶん深刻に事態を憂慮している人もいる。

 日本に長期滞在しているあるアメリカ人が、トランプが大統領になったら日本に帰化したい、と言っているのをテレビで見た。全くの冗談ではないように見えた。アメリカでも、隣国のカナダに移住しようという人々が少なからずいるという。カナダ人に簡単になれるわけではないが、カナダには移住を受け入れる姿勢があるので、手順を踏めば十分可能であるらしい。

 実際に、ジョージ・ブッシュの二期目のときに、カナダへの移住者が急増したことがあるという。

 トランプが大統領になるような国には希望がない、と考える人の気持ちがわかるような気がする。トランプはアメリカをどういう国にしたい、と言うビジョンなどないように見える。ただただ大統領になってみたい、と思っているだけで、なってからのことなどなにも考えていないとしか見えない。

 彼を支持するのはブルーカラーの人々、いまのアメリカという国に不満をつのらせている人々で、誰かのせいで自分が不幸せになっている、と心の底から思っている人々である。だからトランプが、エスタブリッシュたちが悪いと言えば喝采し、中国や日本が悪いと言えば拍手喝采する。敵を示してくれるということは、自分の不幸は自分には一切原因がないと思わせてくれて、快感なのだろう。

 だから、いま不幸せではないアメリカ人たちにとって、トランプが大統領になるような国は、トランプだけではなく、国民の多くがそのような幸せな(つまり豊かな)人を否定する可能性が大いにある、と感じているのだ。そのことが直接的に危機感を感じさせるし、トランプのような思考の人々が支配する国の将来が、明るいものであるはずがないことも感じているはずだ。つまりアメリカが(一時的かも知れないが)著しく衰退してしまうかも知れない、と感じているのだろう。

 香港の、特に豊かな人々が、香港の中国への返還が決まってから、移民としてイギリスや台湾などへ大挙して移動した。中国は少なくとも一国二制度を認め、香港を中国式にしない、とイギリスに、そして香港の人々に約束したけれど、それが有名無実になりつつあることは結果が示している。最初は移民した人々の杞憂である、と笑っていた人々も、いまはそれを考え直しているだろう。香港経済も中国にどんどん吸い取られて、次第に香港の資産は失われ、香港の香港らしさも消滅しつつあるのではないか。

 アメリカが、トランプによってそのようにおかしなことになるかも知れない、というのは杞憂だろうか。私はあながち杞憂ではないと思う。トランプが大統領にならなくても、多くのアメリカ人の考えがそのような排他的で利己的で、内向きなものであることをトランプは明らかにしてしまった。そうなればクリントンが大統領になったとしても、そのアメリカ国民の意向を無視することばできないはずだ。

 世界にとって恐ろしい時代がくるような気がする。

関谷文吉「魚味礼賛」(中公文庫)

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 著者は昭和23年生まれなので、わたしより二歳ほど年上だが、ほとんど同年代である。浅草の老舗の寿司屋「紀文寿司」の四代目として、深い知識と感性と経験に基づく魚介類の、そして鮨についての話が惜しげもなく披瀝されている。それぞれの魚の食味の違いやその旬による味わいの違いを、その歯触りや香りを主体に、ときにクラシックの名曲にたとえられながらなんとか読者に伝えたい、という熱い思いが読み取れる。昭和62年から二年半にわたり、月刊誌「Will」に連載したものをまとめたのが本書である。

 この本は本物である。食通と称する人の語る蘊蓄の是々非々を歯に衣着せぬことばで論破している。明らかに間違っているものについてはにべもなく切って捨てている。本物の人は、知ったかぶりが堪えられないのであろう。

 もちろんここまで繊細な感性で魚を選んで食べられるのは、老舗の一流寿司店の店主であるからなので、よほどお金にゆとりのある、食にこだわれる人を除いて、普通の人には無理な食生活であろう。しかしここに書かれていることを識っていると、ニセモノは避けることができるし、多少は味覚に感性を取り戻せるかも知れない。

 個別の魚についての話もそれぞれ紹介したいが、それは本を読んでもらいたいので、最後の方に書かれた以下の一文を紹介して締めとしたい。


 「わたしは魚と心中するのではないか」と、ふと感じることがあります。特にすしに対する偏愛ぶりは自分でも尋常ではないと思います。
 買い出しの帰り、気がつくと自然に足が向いている市場のすし屋でつまむすし。忙しい昼の仕込みどき、小腹がへってさっと握ってつまむすし。知り合いのすし屋で晩酌のあとに付けてもらうすし。
 実際ここ二十年ほどは、三食すしという日が四、五日続くのはあたりまえでしたが、そのことでなにか支障を感じたという記憶は一度もありません。すしが体の一部と化しているような錯覚さえ覚えることがあります。
 しかしこうも食べ続けていると、「ああ!おいしかった」という感動はほとんど湧いてきません。そうかといって、ほかのものを食べてみても、最初のひと口ふた口はおいしいと感じますが、半日もするとまたすしが食べたくなるのです。それでは惰性で食べているのかというと、そうではない証拠に本物以外はのどを通らないのです。こういうことを言うと、人は毎日すしを食べられる私のことをうらやましがりますが、こちらにすればそうとばかりも言えません。
 どんなにおいしいものでも、毎日毎日機械のように食べ続けていると、必ず飽きが来るものです。飽きの上にさらに飽きを重ねていくと、そのうちにそのものが嫌いになります。
 しかし、食べ物の味わいはそういった状態になって初めて客観的にとらえることができるようになり、本当の味が理解できるようになると思えるのです。ですから、おいしいと感じているうちは、食べたいという欲求の陰に隠れて真味はわからない場合が多いのです。食べ飽きるということが食味における一種の悟りのように思えてなりません。
 もちろん、このような食べ方は例外で、食べる側としては悟りも糸瓜もありません。食べておいしければそれでよいことですし、なまじ悟らないほうが幸せに違いありません。しかし、私の本音では、飽きを重ねることができた本当の理由は、それ以上に何度も何度も、心を揺さぶられる感動を魚や貝から与えられたからです。

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