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2016年7月13日 (水)

聖徳太子の話(4)(「今昔物語集」から)

 物部守屋にこう告げたものがある。「太子は蘇我の大臣と謀議をはかっているようですよ。軍勢を揃えたほうがよろしい」そこで守屋は阿都の家に立て籠もり、軍勢を集めた。中臣の勝海は加勢の軍勢を寄越して加担した。

 この二人が天皇に呪いをかけていることが噂に聞こえたので、天皇は蘇我の大臣と太子に、軍勢を率いて守屋を討つように命じた。守屋は城を固めて防戦した。守屋軍は非常に強力で、太子達の軍勢は三度打ち掛け、三度退却せざるを得なかった。

 このとき聖徳太子は十六歳。軍勢の後ろに立ち、戦闘指揮官である泰の川勝を呼んで「木で四天王の像を刻み、髪に挿し、鉾の先に捧げよ」と命じた。そして自ら願を発し、「われらをこの戦に勝利させてくれれば、必ず四天王の像を作り、寺塔を建てましょう」と誓った。蘇我の大臣もそれにつづいて同じく誓いを立て、戦った。

 守屋の大連は大きな櫟(いちい)の木に登り、物部氏の氏神に祈請しながら矢を放った。その矢は太子の鐙に当たって落ちた。

 太子は舎人の迹見の赤榑(とみのいちい)に命じて四天王に祈って矢を放たせた。その矢は遙か遠く飛び、守屋の胸に命中したので、守屋は木の上から真っ逆さまに転落した。

 これで守屋軍は敗勢となり、味方は攻勢に出て、ついに守屋の首を斬り落とした。そして守屋の家の財宝をみな寺の所有とし、領地も寺領とした。そして玉造の岸の上に四天王寺が創建された。

 また、太子の伯父の崇峻天皇が即位された。天皇は、政をみな太子にまかせると仰せになった。そのときに百済の国の使いの阿佐という皇子が来朝した。太子を拝してこう言った。

 敬礼(きょうらい)救世大悲観世音菩薩
 
 妙教々流通東方日国

 四十九歳伝灯演説

 その間、太子の眉の間からは白い光が放たれていた。


このあと、太子の不思議な話がつづく

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