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2016年7月27日 (水)

封人(ほうじん)の家

「封人の家」とは国境を護る役人の家のことで、奥の細道で「封人の家」と書かれているのは、仙台領と境を接する新庄領堺田村の庄屋の家、旧有路家住宅のことである。

   大山を登って日すでに暮れければ、
   封人の家を見かけて宿りを求む。
   三日風雨荒れてよしなき山中に逗留す。

      蚤虱馬の尿する枕もと

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封人の家。

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入り口に立つ芭蕉翁と門人曾良の二人。

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二人が見つめるものはなにか。

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入り口から邸内を見る。

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奥が床の間のある部屋だが、芭蕉たちは手前の部屋に泊まったらしい。

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この人が案内人の中鉢さん。この仕事について10年になるという。しばらく雑談した。

中鉢という名字は山形県側ではなく宮城県側の鳴子に多い。中鉢さんによればそもそもは自分も宮城県側の人間かもしれないという。この封人の家の辺りは山形県最上郡だが、もともと伊達藩領であった。伊達と最上義光との戦いで伊達側が敗れ、この辺り一帯が最上領となって以来、宮城と山形の県境も宮城側に食い込んだ形になっているのだという。

いろいろ歴史的なことや、近くの温泉の情報を教えてもらう。関連する資料を頂戴した。湯治宿も教えてもらい、なかなか評判が良くて予約が取れないので、自分に任せてもらえばもしかすると宿が取れるかもしれないから声をかけるようにいわれる。名刺も頂戴した。大事にしたい。

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入り口そばの厩。ここは曲がり屋ではないが、雪深いところであるから屋敷内に厩がある。尿(ばり)をしたのはここの馬である。

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前庭に芭蕉の句碑が。これはそのまま読める。

尿前の関で時間を食い、この封人の家に泊まらざるを得ず、しかもそのあと嵐で足止めを食ってここに二泊三日間滞在した。

時間を食ったのは当時、用事もないのに中山越えして出羽国に入るものなどいなかったので、怪しまれたためらしい。

あの句を詠んだのは馬の小便のけたたましさが印象に残ったのであろうが、尿前の関を意識していることは明らかだ。

尿前の関はもともと地名に由来するもので、芭蕉の奥の細道より前の時代からあり、この句が由来ではないようだ。

長々と旅の話を続けたが、ここで終わりとする。
おつきあい、ありがとうございました。

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コメント

相変わらず博学で、いつも勉強になります。

封人の家、立派な梁や柱、素敵ですね。。
このような所に一度訪れたいものです。

藤子様
このような場所は、まだ日本にたくさんあります。
そのつもりで調べれば、タイムカプセルのようなそんな場所で過去を追想することが出来ます。
たぶんアメリカにもあるでしょう。

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