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2016年9月

2016年9月30日 (金)

歯が・・・

 左上奥歯の二本は金属がかぶせてあるが、しばらく前に取れてしまった。一番奥の自分の歯の残存軸が欠けて固定出来なくなったためらしい。歯医者に予約を入れてようやく今日治療に赴いたが、その前にとなりの歯の一部が欠けてしまった。ものが食べにくくてかなわない。

 歯医者にいつも言われるのが「Oさん(私のことです)は噛む力が必要以上に強いようです」。今日も同じことを言われる。一番奥の、すでに神経が抜かれ、軸だけ残された歯が虫歯に侵されているらしい。それを削り、欠けた部分を補填し、仮処置をしてもらった。次は新しくかぶせる部分を作り直すという。

 俗に、歯、眼、何とやら、というが、順番はとにかく見事にガタが来てしまった。耳はもともと問題を抱えているから、まことに高齢者らしい高齢者になった。せめて足元がおぼつかなくなる前にもう少し遊び回らないともったいない。とはいえこの空模様。続けて晴れることがほとんどない。秋雨前線の停滞は10月半ば以降まで続くという。

 長老と兄貴分の人から10月後半に長野方面の旅行にいこうと誘われている。その頃には歯も治り、秋晴れになるだろうか。

センタースピーカー

 朝、窓を開け放つと、部屋にこもっていた温気が出ていき、涼しい空気と入れ替わるのを感じる季節になった。

 快適な季節は短い。その貴重な季節に雨が多くて、なんだかもったいないように思うのは、どこかへ出かける気を損なわせるからだろう。くすぶりながらテレビで映画やドラマを鑑賞している。

 映画やドラマの迫力は音に左右される。映画館のサラウンドの大音響は大画面と相まって物語世界に引き込んでくれる。だから映画を観るときは、遮光カーテンを廻らせ、ささやかながらアンプを通してサラウンドに音を鳴らせて観る。

 ところがセンタースピーカーの音が今ひとつで、台詞が明瞭でなく、不満である。スピーカーがわるいわけではない。アンプに合わせてそこそこの大きさのヤマハのセンタースピーカーをセッティングしている。

 新しいAVアンプが欲しくなったのも、このセンタースピーカーをちゃんと鳴らして、もっと台詞を聞きやすくしたいからだ。以前はもっときちんと聞こえていたから、こちらの耳が劣化したことも聞き取りにくい理由だろう。もともと耳が少し難聴気味だし。

 AVアンプとセンタースピーカーの接続や設定をいろいろいじって、ようやくセンタースピーカーの音量を多少改善することが出来た。いままで特に日本の映画の台詞が聞き取りにくかったのが、だいぶましになった。

 まだ不満はあるが、これは装置の問題より、俳優の発声の問題や録音技術の問題もありそうだ。俳優によってきちんと聞き分けられる人と、台詞がこもって何を言っているのか分かりにくい人との違いがある。舞台で発声を鍛えた人はおおむね明瞭である。

 聞き取りにくい台詞は飛ばし聞きして想像で補う。いらだってばかりでは興趣を損なう。

 本と同じで観るより録る方が多かった映画やドラマのコレクションの、消化が多少ながら進みそうである。それに新しいコレクションをむやみに増やさないことにした。一日に使える時間に限りがあることにようやく気が付いたというわけである。

 さて、新しいAVアンプをどうしよう。裁定で支払う金額が想定以内なら、覚悟させられけれど浮いた金である。少々贅沢に使うのもありだと思っている。その結果で決めることにするつもりだ。いやなことにも楽しみを貼り付けることが出来るものだ。

また長い映画

「花と龍 青春編 愛憎編 怒濤篇」(1973年)加藤泰監督を観た。これも168分と長い。

 原作は火野葦平の「花と竜」。火野葦平は芥川賞作家。芥川賞受賞作「糞尿譚」を高校生の時に読んで驚嘆した。こんな小説もあるのかと思った。石原慎太郎の「太陽の季節」なんか足元にも及ばないと思った。火野葦平は「麦と兵隊」で知られる。そのことは母に教えてもらった。

 これはその火野葦平の父親・玉井金五郎の物語であり、半ば実話である。火野葦平自身もその息子・玉井勝則(成人してから竹脇無我)として物語に登場する。

 配役は「人生劇場」に重なるものが多い。玉井金五郎が渡哲也、妻のマンに香山美子、お京に倍賞美津子、栗田の銀五に田宮二郎、おお、石坂浩二が唐獅子の五郎と十郎の二役で登場する。そしてあの任田順好がどてらのお銀ばあさん役で怪演しているではないか。

 この映画も学生時代に映画館で観ている。そして田宮二郎はこの映画に出演したあと間もなく自殺した。

 北九州の若松が舞台で、当時はここが石炭の積み出し港であった。ここの沖仲仕の元締め役として玉井金五郎が男を上げていく中で、命をかけた義理と人情の世界が描かれる。大正から昭和にかけて、時代は戦争に向かっている。石炭が日本の産業のエネルギーとして重要な役割だった時代のことである。

 そこには利権がからみ、理不尽も横行していた。そこで筋を通すことがどれほどすさまじい生き方だったのか。義理と人情はほとんど両立しない。両立しないものを押し通せば血の雨が降る。その血の雨を浴びながら生き抜くのも死ぬのも人生なのである。

 猥雑さにあふれる映画でもあるが、それが生命エネルギーの噴出であることを実感する。大好きな、そして不思議な西部劇である「夕陽のギャングたち」(ロッド・スタイガー、ジェームス・コバーン)という映画を思い出す。

2016年9月29日 (木)

長い映画

 WOWOWで放映された「人生劇場 青春・愛欲・残侠篇」(1972年)を観た。167分という長い映画だ。加藤泰監督のこの映画は学生時代に劇場で観ている。

 尾崎士郎の原作のこの物語は10回以上映画化されていて、ほかに深作欣二などの東映版も劇場で観たし、テレビでの再放送だが、沢島忠監督の作品も観ている。

 飛車角と吉良常を演じているのが誰か、そして宮川を誰が演じているかで作品の重みや好みが大きく分かれるところだろう。私は今回久しぶりに観た加藤泰のものが一番好きだ。飛車角は高橋英樹、吉良常が田宮二郎、宮川を渡哲也が演じている。尾崎士郎自身である青成瓢吉は竹脇無我が演じているのも好い。ともすると青成瓢吉役がミスキャストで全体がぶちこわしになることもある。沢島忠の作品では吉良常に月形龍之介が配されてすばらしい貫禄だったが、青成瓢吉を梅宮辰夫が演じていた。梅宮辰夫が文士であるなど想像の外で、彼の登場部分は目を背けたいような気がした。

 三州横須賀、いわゆる吉良が冒頭部の舞台である。吉良といえば吉良上野介であるが、物語では荒神山の喧嘩で死んだ吉良の仁吉の故郷でもある。幕末にあった荒神山の出入りの話は浪曲などで有名だが、詳しくは知らない。

 吉良常はその吉良の仁吉の甥であることが自慢の侠客である。その吉良常が大旦那と慕うのが青成瓢吉の父である青成瓢太郎、この映画では森繁久弥。瓢吉の母親役は津島恵子で、お歯黒をしているのがいまなら目をひく。大正時代でもお歯黒をしている女性がいたのだということが分かる。

 映画は侠客の生きざまを軸に描かれるが、すでに大正という時代は侠客が時代遅れの存在になっている。そこに無理に男を通せばその男にまつわる女たちが無惨なことになる。女に執着しながら女を二の次にするこんな男伊達など、現代ではあり得ない世界だがどちらが正しいという話ではないような気もする。

 人生を自分の信じる価値観に殉じて貫くことの美学は無理筋であるからこそ美しい。もちろん普通の人にはこんな生き方を出来ないし、当時の人だってしようと思わなかっただろう。現代ではなおさらだ。この映画のような人生を美しいと感じる世代は我々世代くらいまでかもしれないような気がする。ラストの吉良常の死のシーンが絶品。田宮二郎畢生の名演だ。

 そういう意味では夢のようなはかない世界が描かれているのかもしれない。そもそも人生などそんなものか。ただしこの映画は出入りの血まみれのシーンも多いし情交シーンもふんだんにあるから子ども向けの映画ではない。

 この映画で忘れられないのが任田順好という女優である。一時期よく見た。けっして美人ではなく好みの顔ではないし、若いのか年をとっているのか、どうしてこういう役割が振られるのか分からないが、不思議に強烈な印象を残す人である。

 もう一本、長い映画を録画してある。北九州の玉井金五郎が主人公の「花と龍」である。火野葦平が父、玉井金五郎を描いた小説を映画化したもので、これも何回か映画化されている。火野葦平などといっても今の人は知らないだろうなあ。

2016年9月28日 (水)

眼の調子が戻ったので

 眼の調子が戻ったので、控えていた読書や録画した映画やドラマの視聴を再開している。

「ALWAYS 三丁目の夕陽」三部作を続けて観た。昭和30年代は私が小学生から中学生の時代で、そこに描かれている世界は自らがリアルタイムで体験した世界であるから、登場人物達、特に少年達の心情にはこちらの気持ちも同期する。

 当時は表通り以外の裏道横道は舗装されていなかった。それが当たり前だったことをあらためて映画を観て思いだした。地面が掩われずにあることのやさしさをいなかのたんぼ道などで感じるけれど、あの頃は都会でもそうだったのだ。

 漫画雑誌に文章主体の読み物があるのは普通だった。そして漫画雑誌はみな月刊誌だった。それがこの時代に少年サンデーと少年マガジンという週刊誌が同時に発刊され、月刊誌は次々に廃刊となり、文章主体の読み物もなくなっていった。

 主人公の茶川龍之介(吉岡秀隆)は小説家だが、糊口をしのぐためにその少年向けの読み物を書いていた。彼に養われている淳之介(須賀健太)がそんな茶川を尊敬し、敬愛する気持ちがいたいほど感じられる。

 貧しいと言うことと不幸せとが同義でない時代があった。貧しくても幸せであることが当たり前にありえた時代があった。いまは貧しいことは即、不幸せであると決めつけられる。

 幸せは金に換算されるものになってしまった。しかしそれは空しい幸せで、だから人は幸せを見失ったのかもしれない。

 最初から金と幸せが不即不離だと思い込んでいる人にこの映画のあたたかさが分かるだろうか。分かればまだ希望があるのかもしれない。 


「ベルセルク」という長編の漫画がある。この世と異界がつながってしまった、まがまがしい世界が描かれている。人が大量に、そして簡単に、かつ無惨に死んでいく。救いのない世界に巨剣で立ち向かう呪われた主人公の物語だ。

 この漫画を娘のどん姫が読んでいたので、それを借りて読んだ。娘はたぶん全巻読んでいるかもしれないが、私は転勤したので途中までしか読めなかった。娘も私も好きな漫画だ。

 この物語世界の、世界が魔界に犯され始めるまでの承前に当たる部分がアニメ映画化されている。三部作となっていて、人間が人間を虐殺する世界が描かれている。そこに次第に人間を越える何者かの出現の予兆が挟まれる。

 その映画に続く、すでに世界に魔界が重なり、それに人が気づき始めた世界の話が、テレビアニメとして放送されている。WOWOWでは第一期12話として放送があった。第二期は来年になると予告されている。その1話30分、全12話を録画したので続けて観た。

 この物語の寓意の解釈はさまざまあるだろうが、今はそれをあれこれ考えるよりもただ、想像を超えたその世界をたのしんだ。血まみれな世界はエロチシズムに通じることをこの漫画は思い知らせてくれる。  

 録画したものをブルーレイにダビングしたので、どん姫にあげるつもりだ。さすがのどん姫も漫画なら楽しめるけれど、アニメだときついかもね、というようなことを言っていたが、楽しんでもらえるだろうか。

江國滋「男性作法」(旺文社文庫)

Dsc_1020 表紙の絵も江國滋

 この本を笑いながら読むような女のひととお酒を飲みながらお話ししたい。

 この本を読めば多くの女が目くじらを立てるだろうと想像する。阿川弘之先生ほどではないにしろ、その女性観には容赦がない。しかし男に対しても同じかそれ以上に辛辣なのである。もちろん自分自身に対しても。そこまで読み取ってもらわなければ。

 大変面白い本なのであるが、残念ながら本屋の店頭で買うことは叶わない。何しろ収録されている旺文社文庫そのものがなくなってしまった。この旺文社文庫に収められた江國滋の本は数々ある(たいてい所蔵している)が、一部が現在でもちくま文庫や河出文庫、新潮文庫などに再収録されているもののこの本はすでにないのである。

 古本屋かそのネットワークで探すしかない。

 江國滋と言えば、あの江國香織さんのお父上である。本当は、江國香織さんは江國滋の娘である、と云うべきところだが、江國滋も死んでもう二十年近くになった。

 江國滋に出逢ったのは、出張の夜汽車の中で読んだ文藝春秋の巻頭随筆の中である。そこに内田百閒の死を知ったときのことが書かれていた。その文章の素晴らしさにうたれて、内田百閒の本格的な愛読者になり、旺文社文庫で全巻を揃えるようになった。

 江國滋が山本夏彦を敬すること大であり、つまり私の中ではみんなつながっているのである。

2016年9月27日 (火)

漢字復活なるか

 韓国で漢字教育を復活しようという運動がたびたび起こされていたが、今回は実現化するかもしれない。早ければ今年中に学校でハングルと漢字の表記を教えることが決まりそうだという。このニュースは中国のメディアが報じていた。

 韓国は1970年代に漢字の教育を廃止し、ついには新聞書籍の漢字の使用を禁止した。

 漢字を廃止することは一日で出来る。漢字が使えなくなるには一世代経過すれば良い。すでにその時間は経過した。1970年代以前の漢字とハングル併用の新聞書籍を読めない韓国人がいまは普通になっていることだろう。

 韓国人は過去の文書を読むことが出来なくなっている。文化の継承こそが民族の継承なら、韓国は自らの民族のアイデンティティの継承を放棄したのだ。

 そんなことは時間を掛けなくても分かることで、それに今頃気がついたのだろうか。しかし失われたものを取り戻すには、失うまでにかかる時間よりはるかに長い年月を必要とする。漢字を廃止した人はそれをどう思っているのだろうか。

 中国人のコメントが面白い。

「韓国が漢字を世界文化遺産に申請するのが心配だ」
「漢字は韓国が発祥だというに違いない」

 果たして韓国の漢字教育は復活するのだろうか。

根拠がおかしくないか

 民進党はTPPが国益に反するから反対だという。よって立つ立場で賛成も反対もあって良い。

 反対の理由をいろいろ挙げているが、その一つが「アメリカの大統領候補二人がそろって反対しているような条約は問題があるからで、反対だ」というものだ。

 多くのTPPの反対理由はこの条約が成立すると国内の産業にマイナスになる、というものである。アメリカリードでアメリカに有利な条約だから国益に反する、というのが大方の反対理由であろう。

 然らばアメリカの大統領候補が二人とも反対するというのは、TPPがアメリカにとって国益に反すると考えられているからだろう。アメリカに一方的に有利なものでないことの証拠ではないか。

 そのアメリカの大統領候補が反対しているから反対だ、という民進党の主張は論理的に矛盾している。おかしいのではないか。

 ついでに言うが、野田元総理は日本と中国との関係を大きく損なうことになった張本人である。東アジア情勢を危機に追いやり、尖閣問題を先鋭化させた。それなりに本人にはつじつまが合っての行動だったかもしれないが、結果は最悪であった。その自覚がないのだろうか。ないから民進党の幹事長という重職を平気で引き受けたのであろう。

 人間的にわるい人ではないのかも知れない(そう見えるのが唯一この人の取り柄だろう)。しかし私は自分の責任に自覚のない人間は醜悪に見えて大嫌いである。国のためを口にしながら国益を損なったことに自覚がないのは愚かである。彼はただの口舌の徒である。国益を口にする資格が野田氏にあるとは思えないが、本人は何を言われても蛙の面に何とやらであろう。その顔がドジョウどころかガマガエルに見えてしまう。ガマガエルが気を悪くするか。

 暴言陳謝。

デジタルがよく分からなくなっているけれど

 五十歳を過ぎたころから、デジタル機器の進歩に追いつけなくなった。得意ではないにしても最新の機器については興味は常にもっていて、それなりに知識は取り入れていたつもりだった。

 パソコンにしても普通の人より早く購入したから、自慢ではないが黎明期から知っている。オーディオやAVもそれなりに揃えて楽しんできた。

 五十歳を過ぎたころというのは、考えてみれは仕事にかなりのめり込んで、そういう趣味を楽しむ余裕がないほど忙しかった時代である。仕事のストレスを酒で洗い流していた。なかなか洗い流しきれないから酒の量も増え、つまみなしには飲めない性分だから体重も増えた。酩酊していてはそんな趣味を楽しむ時間などない。

 デジタル機器の使いこなしは若い人に任せたほうがずっと早いし楽なので、自らが使いこなす努力を怠っていた。自らそれを使いこなす努力を怠っているうちに、技術の進歩に取り残されていた。六十歳でリタイヤして、任せる人、教えを気軽に乞う若い人がそばにいなくなったからその懸隔に途方に暮れた。そして途方に暮れたままである。

 いま使用しているAVアンプは二十年近く前に購入したものだ。だからHDMI端子がない。サラウンドで映画が見たくて、名古屋のアメ横に何度も足を運んで店員に教えを請い、YAMAHAの新古品を買った。いわゆる型落ちの売れ残りである。通常なら自分の予算の倍くらいの価格レベルのアンプである。いろいろ見較べ聴き較べて、たいした聴く耳を持たない私でも、違いが歴然と分かった。7スピーカーと2サブウーハー出力端子のある、当時としては本格派だった。

 いまでも問題なく使える。使えるのに、新しいAVアンプが突然欲しくなった。欲しくなると新しいAVアンプについて知りたくなる。その機能を、違いを知りたくなる。AVアンプのカタログを集め、雑誌を購入し、毎晩ためつすがめつしている。

 ところが書かれていることの言葉の意味が半分以上分からない。読書百遍、意自ずから通ず、と信じるものとして、あきらめずに繰り返しそれらを読んでいるうちにたぶんこういうことか、というのが見えてきた。

 そのなかにデジタルオーディオやインターネットオーディオの機能が書かれている。何だこれは。ハイレゾ音源を楽しむ、というのはよく見聞きするけれど、まだ実際に聴き較べたことがない。そういえば電気店でもハイレゾ機器のコーナーがあった。

 さっそく名古屋の大型量販店で試聴した。確かにいい音である。現代は、音楽はデジタルで配信されるのが普通になりつつあるという。

 そうなるとハイレゾとは何か、音楽配信とはどんな仕組みか、有料配信された音楽をどう保存するのか、そのシステムはどう組むのか知りたくなるではないか。いまAVアンプから派生してデジタルオーディオについて読みかじり始めているところである。

 そこで表題に戻るのである。デジタルがよく分からない。いろいろ知れば知るほど分からないことだらけだ。なんだか自分のいまいるレベルより何段階も高いレベルをいきなり目指しているような気もするが、正直分からないことがそれほど口惜しくない。知らないことが目の前にあってほんの少しずつにしても分かることが出来てくるとわくわくする。

 久しぶりに電機製品にわくわくする自分が面白い。

2016年9月26日 (月)

ビール礼賛

 ネットニュースに小田切ヨシカズというサーファー医師がビールの健康効果について語っていた。嬉しいことばかりなので気にいったところをまとめて書き写しておく。

 ビールは適量を心がければ健康効果をもたらしてくれる飲み物である、というのが主旨である。

1.ビールにはプリン体が含まれていて、尿酸値を高め、痛風になると言われるが、それほど多く含まれるわけではない。レバーや海老、干し椎茸よりも少ないくらいである。

2.ビールは糖尿病の予防に効果がある。特に2型の糖尿病に効果がある。いわゆる肥満型のひとがなる糖尿病である。ビールに含まれるアルコールには糖尿病を予防するインスリン感受性を高める効果がある。

3.ビールには大麦麦芽とホップ由来のケイ素が多く含まれている。ケイ素は骨の細胞に作用し、強くする働きがあるので骨粗鬆症を予防する効果がある。

4.ビールのホップにはYセクレターゼという物質が含まれていて、アルツハイマーを予防する効果があるとされている。

 うわあ、こりゃ嬉しい話であるが・・・ 。どうもどこまで信用して良いのか怪しい気もする。みのもんたや関口宏の「××は身体に良いよ!」というご託宣程度に聞いておくことにしようか。

 どちらにしてもビールは美味い。こんな美味いものはない。美味けりゃ良いのだ。

 さあ、今日は少し早めに飲も飲も。

むげには出来ない

 病院での検診結果は予想していたよりわるいものではなく(おおむね基準範囲内)ほっとした。残念ながら薬を減らすことにはならなかったものの、医師からは体重をもっと減らすようにとの注意があったのみ。

 これでたかをくくるとリバウンドがひどいことになることは経験済みである。心しなければ。すぐにもビールが飲みたいが、日が暮れるまで我慢我慢。

 病院はどういうわけか以前と比べてすいている。それにすいているからだけではなく、不要な事務がなくなって、受付から会計までスムーズに進むようになったのは有難い。

 そのわりに病院の前の薬局は時間を食う。どの客も山のように薬を貰っているから、その薬を取りそろえるだけでも時間がかかるのは致し方ないのだろう。

 病院でも薬局でも、窓口で停滞しているのはそこで何やら食い下がっている人たちがいるからである。何かを問い合わせているのか、向こうから説明を受けているのか、相手の話が理解出来ないらしく、繰り返し繰り返し同じ話をしている。近くで聴いていても何を訴えているのかよく分からない。そもそも訴えているけれど、相手の言うことはほとんどあるいは全く聞いていない。

 本人も何が分からないのかが分からなくなっているようである。「あなたはこのことが分からないのですね。それはこういうことで、こうすれば良いのですよ」と言って欲しいのである。言って欲しいのであるが、最初の部分が本人にも明らかでないからやりとりは空回りする。

 私が何を知りたいのか誰か教えてくれ、と背中が言っている。

 窓口の向こうで根気よく相手をしている人たちに本当に頭が下がる。仕事とはいえその精神的な疲労はいかばかりであろうか。あらゆる窓口の最大の無駄はこのような人たちとの応対であろう。ここに人的資源と時間が浪費されている。

 とはいえそれはないようにすることの出来ないものである。高齢化社会はますますそのようなマニュアル化となじまないロスを抱えることになるのであるなあ、と自分も窓口のこちら側に並び掛けている身としてぼんやり眺めている。

今日は検診日

 今日は久しぶりの検診日。いつもは5週前後の間隔だが、事情があって今回は7週間ぶりである。旅行に行ったり、休肝日をおくのをサボっていたこともあり、体重が3キロあまり増えていたので、この一週間で減量に努めた。本当は元に戻すだけでは不十分なのだが、それすらきわどい。

 さて検診結果はどうであろうか。体重だけ頑張っても血糖値や血圧が基準値に入らなければ薬を減らしてもらえない。診察の間隔も長くしてもらうことが叶わない。

 好きなように飲み食いして節制をサボったのに診察結果を心配してもしようがないのだが、まことに後悔先に立たずである。

 どうせ診察結果がどうあれ、診察が終わった晩には美味しいものをたくさん買い込んで料理してたっぷり食べ、たっぷり飲むのだ。何しろ節制を解禁したあとの酒の美味いこと。

 懲りないおっさんである。今晩は何を作ろうかなあ。天ぷらでも作ることにしようか。

2016年9月25日 (日)

内田樹「困難な成熟」(夜間飛行)

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 久しぶりに安倍政権批判などの政治的色合いの全くない老師の本を読むことが出来た(最近対談本などにその傾向が強くてちょっとうんざりしていたところだ)。これが本来の内田樹の本である。あとがきにもあるように老師の本としてはきわめて分かりやすくやさしく書かれている。老師の本の入門書としては最高かもしれない。

 老師は(といっても私と同年生まれ同学年であるが敬してこういう)、言葉を発するときは人の言わないことを言うことにしているという。人と同じことを言うなら受け売りで繰り返しで、そもそも言うまでもないことが多いのである。

 人と違うことを言い人の発想しないことを言い、しかもそれをなるほどと言わせることに心を砕くこと、それが師のモットーである。凡人に出来ることではない。そしてそれを文字通り達成して本にしたのがこの本である。

 そんなこと出来るはずがない嘘だと思うなら、この本を読んで欲しい。驚くことそして目からウロコが落ちる気持ちがすることを請け合う。

 内田樹の本は本屋の思想・哲学の本のコーナーにあることが多い(大きな本屋の話しで、そういう本屋ではないとこの本は見つからないかも知れない)から、ふだん立ち寄らないそのコーナーを勇を鼓して覗いて探してみて欲しい。

 けっして難しい本ではない。読んで時間と労力が無駄になることはないとおもうけれど・・・。

パンドラの匣

 毎日のニュースを見ていると災厄と悪と愚行に充ち満ちていて、暗い気持ちになる。ニュースとはそういうものだと分かっていても、絶望的な気持ちになる。世の中はどうなっていくのかと思う。

 ゼウスは土産としてパンドラに匣を与えた。匣は決して開けるな、という言葉とともに。そんなもの開けるに違いないことをゼウスが知らぬはずがあろうか。乙姫様のくれた玉手箱と同じだ。

 もちろんパンドラはどんな善いものが入っているかと匣を開けた。そこからでてきたのはあらゆる災厄、悪、愚行の数々だった。パンドラはそれに驚愕してあわててふたを閉じたが遅かった。

 そして匣に唯一残ったのが希望だったという。人類には希望が残された。

 災厄や悪や愚行が世にまき散らされ、蔓延しているという事実は日々のニュースを見てよく承知している。

 ところでパンドラはあわてて匣のふたを閉じて、希望を閉じこめたままなのではないか。

天罰はくだらないか?

 神様すら信じなくなったのだから、天罰など信じない。天罰は、天罰を信じるものにしかくだらない。数少ない天罰を信じるものは、あまりの世の中に天罰がくだるのではないかと思うが、天罰を信じないものには天罰はくだらない。わるい奴ほどよく眠るのである。

 昔は悪人も天罰を信じた。自分の犯した悪におびえた。そうして悪は露見した。天罰はくだったのである。

 こうして天罰がくだらなくなったことをいいことに、悪がはびこってとどまることを知らなくなっていく。世の中がどんどんわるくなっていく。

 真っ当な人々が衰退し、減り続ければ悪はそこから収奪することができなくなる。やがて世界そのものが衰退する。こうして神様は時間を掛けて天罰を下すのである。

2016年9月24日 (土)

山本夏彦「完本 文語文」(文藝春秋)

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 平成12年に刊行された本で、再読。そのときには分からないことが多くて、無理して最後まで読み通した記憶がある。いま読み直して、多少はましだが、やはり理解出来ない部分が残った。多少ましになったのは、自分も多少成長したからかもしれない。

 この本は書き下ろしではなくて山本夏彦翁のこだわりの文語文について書かれた文章を編集したものである。だから重複する内容が少なからずある。翁に傾倒していない人にはわずらわしいかもしれない。

 私も同じことを繰り返すが、文語文らしきものにスピリットを感じたのは中島敦の「山月記」を読んで以来である。その中島敦について翁もたびたび言及している。

 ただひとり中島敦があるから別項にあげた。中島敦は昭和十七年「山月記」「李陵」その他がようやく認められると同時に死んだ薄命の作者である。明治四十二年生まれ昭和十七年数え三十四歳で没したというから現代人である。漢学者一家に生まれた人は山ほどいる。昭和になって漢詩文の文脈を伝えた人は中島敦ひとりである。

 中島敦の著作は二十編一巻を出ない。死後すでに四十余年になるのになお読む少青年があるのは、絶えて久しい漢文脈に接して少年の読者の中なる血が騒ぐからである。

 中島が用いる字句は昨今の高校生には見なれないものばかりである。それにもかかわらず理解は電光のように成るのである。ただ中島の衣鉢をつぐ作者はもう出ないだろう。そもそも中島があらわれたのが奇跡だったのである。

 この文章を読むと少年だった自分のあのときの感動がよみがえり胸が熱くなる。漢詩文、文語文が散りばめられた本なので、読み慣れないとつらいかもしれないが、そのリズム、長い間に培われてきた日本人の精神文化の奥深さを感じさせてくれる。明治時代の本が読みたくなる。特に著者の推奨する二葉亭四迷や内田魯庵の文章に接してみようかと思う。いつになるか分からないけれど。

どんどんわるくなるのか?

 海外ニュースで野生のチーターの赤ちゃんが段ボールケースに入れられて密輸出されているのを見た。何頭もの赤ちゃんが無造作に詰め込まれ、輸出先に着いたときには多くが死んでいるという。もし生きのびても、買われた先で二年もすると死ぬという。チーターは絶滅危惧種である。赤ちゃんがそこら中にいるなどということはないだろう。それが映像で見る限り何頭も何頭も売買されているのである。

 誰が買うのか?金持ちである。金持ちが子どもの愛玩用に買うのである。金があまっているのだろう。高かろうが死のうがかまわないのだろう。絶滅危惧種であろうがそんなことは気にもしない。そんなことを気遣うようなヤワな神経では金持ちになどなれないのだろう。

 昨晩は象の密猟のニュースを見た。象牙を採るだけに象を殺す。殺されて数日たった象の死骸は無惨である。この密猟が収まるどころかどんどんエスカレートしているという。高く売れるのである。買う人がいるのである。密猟者はいまISなどのテロリストの集団的なものに変わっている。テロの資金源にするのである。人を殺すのを厭わない輩である。野生動物なら平気で殺すだろう。神のためである。正義のためである。

 ヤフーの持つ個人情報がハッカーに盗まれたという。その数は信じられないほどのようだ。インターネットの世界のハッカーの横行はとめどなく、次々に報じられるニュースを見ていると、やりたい放題である。ヤフーによれば国家的なハッキングだという。どこかの国が関わっているという。ハッキングはサイバーテロであり、サイバーテロはもうテロというより実質的にはサイバー空間での戦争そのものらしいが、よく分からない。

 インターネットが不完全なものであるらしいことがどんどん明らかになるが、その便利さの故にいまさらインターネットのない世界に戻ることは出来ないようだ。然らば不完全なものを改善して問題点を解決しなければならないと思うが、だんだん良くなるよりもだんだんわるくなっているように見える。

 中国の漁船が世界中の海で魚介類や珊瑚などを根こそぎ乱獲して争議をおこしている。国際的に許されない目の細かい網で稚魚幼魚まで乱獲するから海の再生能力を越えていてその被害は甚大である。世界中から非難されているので中国政府は取り締まりをおこなっているが、実際は形だけだともいう。袖の下でお目こぼし、といういつものパターンだ。

 中国の近海はすでに乱獲で魚のほとんどいない海になっている。そのうえ河川から汚染された水が流れ込んで、死の海に変わりつつある。だから中国の漁民はまず北朝鮮の海になだれ込んだ。北朝鮮の海では中国の漁船は自由に魚を捕ることが出来る。そういう約束なのである。北朝鮮政府は自国の漁民のことなど知ったことではない。そのことで中国からなにがしか恩恵があれば良いのだ。その北朝鮮の海の目の前が韓国の海である。海はつながっている。中国の漁船が行かないはずがあろうか。そしてさらにその先は日本海である。その向こうは日本の海である。小笠原の珊瑚を公然と盗むくらいだもの、やりたい放題であろう。何しろ海はみな中国の海らしいのである。

 サンマが鯖がマグロがサワラが乱獲されていくだろう。蟹がイカが乱獲されていくだろう。そして獲り尽くせばほかの海に行くだろう。あとには再生能力を超えて収奪された瀕死の海が残されるだろう。

 中国は金の卵を産む鶏を殺して食べることを何とも思わない。自分の国のものでなくとも、他国のものを奪うことに何の斟酌も覚えない。異常な国であることに自覚はない。自分が過去やられたことだからという。13億の民が生きのびるためだという。13億の民が生きのびるために世界は疲弊する。

 世界中にテロが横行し、とどまる気配がない。どんどんエスカレートしているように見える。自らの体を蝕む癌細胞のようである。

 これらのニュースを見続けていると、人類は滅びに向かっているようにしか見えない。分かっていてもどうにもならないでいる世界に、世界中の人々が絶望を感じ始めているのではないか。その先に何があるのか、生きているうちに見ずにすめばと思う。あとは知らない。

2016年9月23日 (金)

乱れまなこのニュース斜め読み

 韓国の政府は度重なる核実験やミサイル発射をおこなう北朝鮮にいっそうの制裁強化をおこなう姿勢だ。その北朝鮮で水害が起こり多数の死者行方不明者が生じている。

 北朝鮮の水害は長年にわたり山林の木を根こそぎにし続けた結果で、山には保水力がなく、少し雨が降らなければ旱魃となり、多少の雨で洪水を起こす。国家的人災といえる。ましてや地球規模の異常気象の時代である。いわば自業自得の結果だが、しかし北朝鮮の人々が災害にあって苦しんでいるのは紛れもない事実だ。
 
 韓国政府の方針に対し、韓国野党は「人道的支援」を訴えている。韓国の余剰米を北朝鮮の水害被災地に送るのは「人間の最低限の道理だ」という。しかし過去、人道的支援がおこなわれて北朝鮮の被災者が救済された、というニュースは聞いたことがない。支援に感謝する、という北朝鮮政府のコメントを見たこともない。支援物資がそして支援金がどうなったのか、誰も知らない。

 もし余剰米を北朝鮮に送ったならば、そのまま食糧不足の北朝鮮軍部に供給されるだけであろう、という指摘もあり、たぶんその可能性が高いだろう。

 韓国のマスコミ、野党、司法界、教育界などには北朝鮮にシンパシーを持つ人々が多いという。北朝鮮の支援を受けて学校に行った、そして韓国の中で北朝鮮のために働いている、などという陰謀説までまことしやかに語られている。

 窮鼠猫を噛む、という。北朝鮮国民もとことん追い詰められれば立ち上がるのではないかという期待がないわけではない。外部から見ていると、どうしてここまで虐げられても唯々諾々と金王朝を推戴し続けているのか不思議である。ましてや三代目はだれが見ても身の程知らずのただの愚か者である。

 気狂いに刃物というけれど、まともではないからこそ恐ろしいのかもしれない。

 ところで日本でも日教組の影響を受けて育った世代がだんだん世の中の中枢から引退し始めているように(朝日新聞批判が多くなったのはこれと連動していると思われる)、北朝鮮にシンパシーを持つ韓国の世代も世代交代を始めているのではないだろうか。韓国世論も「人道的」な支援は当然だと思う人々が少数派になってきているのではないだろうか。もう北で何が起ころうと他人事になりつつあるのではないか。

 韓国のマスコミも次第に金正恩批判を強めていて、人道支援を訴えなくなったように見える。それは韓国国民の気持ちを読み取ってそれに合わせざるを得ないからではないか。たぶん反日もそれと同様に次第に下火になるような気がするが、それは希望的に過ぎるだろうか。

 北朝鮮軍総参謀部のスポークスマンは、米軍がB1戦略爆撃機を韓国に派遣したことに対し、「挑発の本拠地グアム島を地球上から消し去る」と核攻撃を示唆するような声明を発表した。

 金正恩政権はアメリカにそして世界に何をして欲しいのだろうか。自分自身の王朝を早く打ち倒して欲しい、そうでないと北朝鮮はもうどうしようもない、と訴えているようにしか見えない。

 然らばやむを得ないとして最小限の範囲で軍事行動の行使もあり得る気がしてくる。金正恩はそのときを待っているのではないか。アメリカと中国と韓国の三国共同で、または単独で動く気運が高まっていないか。

 戦争はあってはならないとはいうものの、戦禍による被害よりも救済される人が多いと見なせば、正義の名のもとに究極の選択がなされるかもしれない。

 ニューヨークで安倍首相と面談した中国の利克強首相は北朝鮮に対して「対話と交渉」を主張したそうだ。「対話と交渉」は互いに一致点、つまり妥協点がありうるという前提の元におこなわれるもので、それが北朝鮮にあるという確信を中国が持っているとは思えない。それなしの主張はただ「何もしません」の言い換えであろう。

 もう中国は「何もしません」では通らない事態になっている。

安倍首相がキューバ訪問

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 安倍首相がニューヨークの国連会議のあと、キューバを訪問してカストロ兄弟と相次いで会談している。

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 キューバは貧しい。キューバの人々は長年にわたるアメリカの経済封鎖がその理由であると考えているし、それは事実である。アメリカは、キューバが共産主義国であり、アメリカののど元にあってアメリカにとって危険な国だから経済封鎖しているのだとその正当性を主張してきた。

 世界の中で共産主義を標榜している国は減り続け、キューバはその残り少ない国の一つである。どうして共産主義国は減り続けているのか。権力が腐敗すること資本主義国より甚だしく、平等の建前と現実が著しく違うからだと思う。

 ところがキューバは権力者が豪勢な暮らしをしていない希有な国であるように見える。少なくとも国民はそう感じていない。そもそも権力者が豪勢な暮らしをしたくても貧しすぎて叶わないといえなくもないが、餓死者が出ているともいわれる北朝鮮で、金正恩が美食飽食の果てに肥満し、痛風糖尿病であることは国民に歴然と見えている。しようと思えば出来たのにキューバの権力者は贅沢をしていない。

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 私も昨年の秋にキューバに行ってきた。アメリカと国交が回復すれば、アメリカの、そして世界の金がキューバになだれ込んで、キューバが大きく変化してしまうだろう、いまのキューバが見られるのは今のうちだ、と友人がキューバ旅行を提案し、賛同したのだ。

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 確かに貧しかった。しかし貧しいからみなが黙ってうつむいていたというわけではない。そこには金儲けに狂奔し、金に追いかけられている人は(少しはいたのかもしれないが)見られず、ゆとりと明るさが感じられた。ただ地方の貧しさは想像以上であった。

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 しかし早晩そのゆとりと明るさは損なわれるだろう。豊かになる人がでてくればそれに続けとばかりに人々は金に群がるだろう。しかし成功する人は一握りである。貧富の差が大きくなるだろう。国が豊かになっても貧しい人は貧しいままで、自分は貧しいのだ、という思いは格段に強くなるだろう。

 ある意味では共産主義とはこういうものだろう、ということを見せてくれたのがキューバであった。そのキューバがアメリカの経済封鎖が解かれることで中国のような国家になるのか、ベトナムのような国家になるのか。せめてベトナムのような形のステップを踏めたらいいが、と思う。しかし拝金主義のアメリカや中国がキューバに豊かさの範を示せばそれに倣うだろう。それを押しとどめるにはカストロ兄弟は老いすぎている。

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 キューバは北朝鮮の数少ない友好国である。安倍首相は親日国であるキューバに日本の企業の進出を申し入れるとともに、北朝鮮に対する制裁の協力をカストロに申し入れたと思われる。キューバはどうそれに答えただろうか。

 キューバは親日国であり、アメリカの経済封鎖の時、日本には輸出入を継続するよう希望していた。日本の企業はそれに応えたかったのだが、キューバと交流した企業はアメリカでの商売を禁止する、とアメリカに脅されて仕方なく撤退したという経緯がある。それでもキューバが日本を恨まずに親日であるのは、陰で努力した日本人らしい日本人たちがいたからであろう。同じ立場、同じ行動をとった韓国がキューバでは嫌われている、とキューバのガイドが言った。まさか韓国の悪口を日本人が喜ぶと知ってのリップサービスではあるまいと思う。

李久惟(リジョーウェイ)「台湾人が警鐘を鳴らす“病的国家”中国の危うさ」(ワニブックスPLUS新書)

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 日本人受けを多少意識しながら、台湾人の立場から中国を論じている。それは中国を論じながら、日本を、そしてもちろん台湾を論じることになる。

 台湾は常に中国の脅威にさらされ続けてきた。その危機感は日本人には実感のないものだ。だから著者の中国に対する見方は多少辛辣だ。しかし列記する中国のおこなってきた所業については、マスコミが意図的に報じないけれど私もよく知るものが多いので、うなづけることが多々ある。

 台湾は日本と同様民主国家であり、共感出来ることが多いが、中国はまったく異質の国である。そのことをつい忘れて、中国も共通認識が可能な国だと錯覚すると大変なことになるぞ、と思い出させてくれる本だ。

 11月の後半に友人達と久しぶりに台湾に行く。今度で四回目か。いままでは台北周辺ばかりだったが今回は中部も南部も訪ねる。台湾はフレンドリーでまことに居心地のいいところだし、食べ物も美味しい。その台湾の現在をよく見てこようと思っている。

2016年9月22日 (木)

精神障害者の犯罪は無罪か?

朝日新聞デジタルの記事の冒頭部
 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件で、横浜地検は21日、入所者19人に対する殺人容疑で送検されている植松聖(さとし)容疑者(26)について、精神鑑定のための留置に入ったと発表した。横浜地裁に請求し、認められた。期間は来年1月23日までの予定で、地検は刑事責任能力の有無を見極めたうえで、起訴するか判断する。

 犯罪がおきれば、その犯罪を犯した犯人は罪に問われる。罪を問われた犯人は司法によって罰を受ける。ただし、犯人に犯罪を犯した動機や事情について考慮すべき点があれば情状が酌量され、罰が減じられたり執行されないことがある。

 有罪が確定されないあいだは建前として犯人は容疑者である。それ以外の犯人が存在しないことが立証されれば犯罪は確定される。

 しかし今回の障害者施設の犯人の犯行は多数の目撃者があることや、本人が明白に自供していることから、事実として植松某が犯人であることは明らかである。

 ここで精神鑑定がおこなわれ、彼に責任能力がないと鑑定されれば、彼は罰が減じられるか、場合によって罰を免れる。これは世界共通の精神異常者に対する対処であるから致し方ない。

 しかし問題は彼が無罪であるか否かである。しばしば精神障害者だから無罪になったという。それは正しいのか。

 犯罪があって被害者がいて、明白に犯行をおこなった人間がいて、その犯人が無罪であったというなら、犯罪は存在しなかったと言うことか。被害者は浮かばれないではないか。

 精神鑑定の結果による無罪という言い方はおかしいのではないか。与えられるはずの罰が執行されないだけで、有罪であることは間違いないのではないか。無罪であれば前科はつかないのか。

 法律上のことは知らない。しかしマスコミはその罪と罰の違いを正しく区別して報じているのだろうか。犯罪者の人権に配慮することの重いマスコミが、精神障害者に肩入れするあまり、その混同をおこなっていないか気になっている。そのような偏りこそ、逆の偏りを呼び寄せるものであることは想像すべきことではないか。差別が逆差別を生み、その逆差別が差別を助長する。

フランス人は恥ずかしがるか?

【AFP=時事】ニュージーランドの小さな町からヒッチハイクで移動しようとしたフランス人旅行者の男が、4日間誰からも車に乗せてもらえなかったことに腹を立て、道路標識を壊すなどの大暴れをした。

 この乱暴狼藉をしたフランス人の行為は、ニュージーランドでは禁固刑に相当するらしいが、今回は標識の弁償に当たる罰金のみで、国外退去となるようだ。ニュージーランドもこんな男がいつまでもいて欲しくないのだろう。

 誰が聞いてもこのフランス人はただのバカだと思うだろうが、このフランス人になぜそんなことをした、と問えば滔々と理由を説明するであろう。彼には彼の立派な理屈があるに違いない。屁理屈は何にでもつくもので、おとなの常識とはまったく相容れないことが多い。

 常識にはたいてい理屈がつかない。その常識を認めない、という人間に常識の話をしても通じない。常識は共通の思考様式の中に存在するもので、共有されていない間柄では通用しないのだ。

 日本人が海外でこんなバカなことをすれば、常識のある日本人は恥ずかしく思うだろう。しかしフランス人はどうだろう。バカなことをしたフランス人はただの個人である。自分には関係ないと思うかもしれない。然らばフランス人には常識がないこと中国人に似ていることになる。フランスではこの男はどう報道されているのか。報道すらされないような気がする。

 このニュースがフランス人のものなのでフランスを言うが、フランスを貶めるつもりは全くない。そもそもフランスに行ったことはないし、フランス人の知人もいないからよく知らない。たとえ話である。「お国柄?」の続きのつもりなのである。誤解なきよう。

飛び降りた車掌

 近鉄電車の車掌が、人身事故で乱れたダイヤにいらだつ乗客に迫られて口論となり、突然制帽と制服を脱ぎ捨てて列車から降り、高架下に飛び降りて重傷を負った。

 これをマスコミは車掌の異常行動として報じている。確かに追い詰められての行動とはいえ聞いたことのない話で、尋常ではない。会社も車掌のとった行動を謝罪している。

 しかしここで私がイメージするのは、激しく車掌をなじる乗客の姿である。すべての責任は車掌にあるとして何とかしろと迫る乗客の大声である。乗客は今すぐ電車を走らせろと要望している。しかし車掌にそんなことは出来ない。そもそも理由があって(この場合は人身事故)電車は止まっているのである。事故処理が終わり、順次電車の運行が回復しなければその電車を動かすことなど出来るはずがない。

 これらがイメージ出来るのは、しばしば同様の激高する乗客を見た経験があるからだ。何らかの事故や災害で遅れた列車の乗客が、大声で駅員や車掌に自分がいかに迷惑を受けたかを言い立て、食ってかかる姿を見た。答え方が気にいらなければただではおかぬぞといわんばかりの剣幕である。

 乗客が気にいる答えとは何か。ひたすら謝罪し、すぐに要望に対処します、という答えである。しかし謝罪はともかく情報が不確かな間は対処の約束も出来ない。せいぜい努力します、しておりますという答えであろう。 

 三波春夫は「お客様は神様です」と言った。乗客は神となっている。神様が怒っているのである。神様になっている人間をみるのが私は虫酸が走るほど嫌いである。自分に絶対的正義があると確信している人間は大嫌いだ。

 今回の異常行動をとった車掌のニュースに、車掌を追い詰めている神様の姿があったかもしれないと思ったりした。

2016年9月21日 (水)

お国柄?

 海外ニュースで、フランスの列車が駅に停車したまま立ち往生したというニュースを見た。何があったのか。運転手がいなくなったのだ。

 運転手はどこへ行ったのか?自宅に帰っていた。具合でもわるくなったのだろうか。

 理由を問われた運転手は「交替時間になっても交替の運転手が来ないから、帰った」と答えたそうだ。

 無責任な呆れた運転手だ!と日本なら非難されるだろうが、フランスではどうか。もちろん非難もされるだろうが、それなら仕方がないか、と思う人も多いのではないか。そういう空気があるから、その運転手もそれほどやましい気持ちを持たずに帰宅したにちがいない。

 仕事には責任が伴う。仕事をおろそかにすると、たいてい誰かに迷惑を掛けることになる。これが社会での役割というものだろう。

 社会は公であり、それに対して個人の生活があって、これは私である。私が大事なことももちろんである。だから公私のどちらに重きを置くかは、おとなとして大事なポイントであろう。

 過去、私はなかったか軽んじられた。そもそも私という現代のような考え方はなかった。近代は私を勝ち取ってきた歴史でもある。それなら私を至上とする考え方は一つの到達点であろう。

 フランス革命という輝かしい歴史を持つフランスが、私に重きを置く国であるのは偶然ではないのだろう。フランスは労働組合の強い国である。労働者の権利はどこの国より重んじられている。

 そのフランスの企業が労働組合によって国際競争力を失いつつあることは知られている。アメリカ式グローバリズムの中で生き残るために企業が対応しようとしても、労働組合の賛同が得られず、体質改善が出来ないからだ。

 あの半国営で巨大企業のアレバ社は重症であるらしい。今朝も巨額の投資をした海上風力発電の建設が、資金が持たずに中途で頓挫したというニュースが報じられていた。

 運行の途中で帰宅してしまった列車の運転手は当然責任を問われるだろう。裁判になったら彼は自分の行動について堂々と説明するだろう。そしてたぶん無罪または微罪になるだろう。

 私は大事なのである。いま世界は公ではなく私の世界になりつつある。国と国との公は国連だが、北朝鮮を見よ、中国を見よ、ロシアを見よ。

 北朝鮮は国民の私を圧殺してただ一人の金正恩の私を至上としている。マスコミも、その私を至上とする啓蒙に全力を傾けている。

 そういう私も私至上人間かもしれない。

2016年9月20日 (火)

大雨

 名古屋の北側の郊外に住んでいる。マンションの窓から見ていると昼頃からどんよりと黒い雲が空を掩い、断続的に強い雨が降っている。テレビの雨雲レーダーの様子と雨の強さが相関しているのを感じる。当たり前なのだけれど。

 名古屋駅から10キロあまりしか離れていないけれど、名古屋駅の雨風の様子と自宅から見える雨風の様子がだいぶ違う。不思議なものだ。

 この地区は、雨がこれから夜半まで強く降り続くと予報されている。風はときどき強く吹くがまだたいしたことはない。これから台風の接近とともに急に強くなるのではないかと思う。

 ベランダの排水溝や排水口は八月に掃除した。多少のゴミでも大雨でたちまち詰まる。ベランダにゴミの元になるものがないようにしてある。これで心配なく外を眺めていられる。

 台風で被害を受けている人は大変な思いをされていることだろう。他人事ではないのだが、なんとなく大風や大雨を眺めたい気持ちもあるのは否定出来ない。冠水した道路を長靴の中にまで水が入るのもかまわず歩いた子どもの時と同じ気持ちがある。

 危ないところには近づくな!と繰り返し警告されているのに、出かけていって被害に遭う人のなかにもそんな気持ちがあるのだろう。そもそもテレビのレポーターの大雨大風の中でのレポートにも、そんな異常気象を自慢そうに語り、楽しんでいる気配がうかがえないこともない。そしてそれを見ている我々の心にもそれはある。大げさに言うわりにたいしたことがないと、突っ込みを入れる人は多いことだろう。レポーターも残念そうである。

 安全な場所にいながら危ないものをわくわくしながら見る気持ちは、被害を受けている人たちには腹の立つことだろうが、抑えられないものがある。大きな事件や災害のスクープの視聴率が高いのはそういう理由だろう。

 さあ、台風は今どこだろう。だいぶ風が強くなってきた。

クラシックを聴く

 手持ちのCDは種々雑多。新しい音楽はなじめないからほとんどない。なかにはクラシックのコレクションも40枚ほどある。

 眼を休めるためにそのクラシックを久しぶりに聴いた。モーツアルトのバイオリンコンツェルト、ショパンのピアノ曲など。

 ちゃちなミニコンポを持っているが、CDプレイヤーが不調で音飛びをときどきおこす。そこで最近は使わないでお蔵入りしていたDVDプレイヤーをミニコンポの外部入力につなぎ、それをCDプレイヤーとして使うことにした。

 そのミニコンポのスピーカーはポピュラーを聞くには好いけれど、クラシックを聴くにはちょっともの足らない。そこでこれもがらくたの中から使い古したヘッドホンを引っ張り出して来た。少なくともミニコンポのスピーカーの音よりはましである。

 目をつぶって聴いているとピアノという楽器の素晴らしさをあらためて思い出させてもらった。ちょっと気持ちが癒やされた。

 癒やされたのではあるが、活字中毒者の悲しい性の故か、気がついたらあたりの本を手にとって字面を追っていた。

いやなことは身体にわるい

 離婚調停は不調に終わり、今後の扶養費などの金銭的なことについては合意が成立した。さらに先方から過去にさかのぼっての扶養費の請求がなされ、別居期間が長いから累積額が多額であったが、このことについては先方の申し立てに対して当方が拒否して調停不成立となった。

 ところが相手から再び同様の金額で裁定申し立てがおこなわれた。終わったと思った話を蒸し返され、極めて不快である。しかもその申立人が90歳を超えた妻の母親で、本人が申し立てているとはとても思えない内容であり、先方家族全体の悪意を感じる。

 その裁定申し立ての文書を弁護士からもらい、繰り返し内容を精査して反論の文書を作成した。感情的で観念的なものにならないよう注意しても、つい言葉がエスカレートする。繰り返し書き直してようやく完成、先ほど弁護士にPDFで送付した。

 予定では11月に裁判所の裁定がおこなわれる。どのような裁定がでても、これで最後にしたい。

 いやなことは身体にわるい。長年放置していたことのけじめをつけるための交渉を始めて一年あまり、そのストレスは想像以上に大きなものだった。寿命を縮めたことは間違いない。

 まったく払えない金額ではなし、金銭で済むのなら意地を張らずに犠牲を払うほうが自分にとって損が少ないという気持ちになっている。金を惜しんで心身を損なうのは愚かなことであろう。それに先方の言い分を全面的に認める裁定がでるとも思えない。ただ、互いの中を取って、などということになる可能性はないとはいえない。法律なんてそんなものなのかもしれない。それでもいいではないか。

 それでなにがしか支払ったとして、その金は妻やその母親に渡されることはないような気がする。しかしもうそんなことは当方の関知することではない。早く終わることを願うのみである。蓄えがなくなったらそれに見合った生活をすれば好いだけのことである。いっそさばさばする。

2016年9月19日 (月)

眼が悲鳴を上げている?

 録りためた映画やドラマを見続け、パソコンに向かい、夜遅くまで本を読んでいたら、眼が悲鳴を上げだした。何しろトイレにいても本を読み、風呂にも本を持ち込んでいる。やたらに涙が出て(もともと祖母譲りで涙腺が弱い。感情が波立つと勝手に涙が出る)くるし、眼がかすんでピントが合わない。

 数日前からそんな調子である。旅から帰って以来、少し眼を酷使しすぎているようだ。それにしても自分の趣味が眼を使うものばかりであることをいまさらながらに思い知らされた。スポーツはまったくする気がない。音楽の趣味も人並み以下だ。

 そういうわけで昨日から多少眼を休める時間を作るよう意識しだした。眼が、もういいよ!と言うまで音楽でも聴くことにする。だからブログはしばらく間隔が空くことになるかもしれない。

 そうは言いながらぼんやり音楽を聞いていても、音楽を聴くことに集中出来ずにあれこれ考えて、そのことを書きたくなったら、またたわごとを書くことになるかもしれない。

2016年9月18日 (日)

沈才彬(しんさいひん)「中国の越えがたい「9つの壁」」(角川新書)

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 この本でいう、中国の抱える9つの壁とは「中所得の罠」「アメリカ」「南シナ海」「TPP」「AIIB」「人民元」「北朝鮮」「台湾」「日中関係」の各問題を指す。

 中国に少しでも注目している人なら、それぞれについてニュースを見聞きして承知している問題であるし、自分なりの考えを持っておられることだろう。かくいう私もザル頭なりに、こうであろうか、ああであろうか、と思うことがある。

 それは、これから中国がどうなっていくのか考えるときに必要な問題点であるからで、それは結果として日本にどのようにはね返ってくるのか知っておきたいからに外ならない。自分自身、そして次世代である自分の子どもたちの将来に大きく関わる問題であると思うからだ。日本の近未来は中国状勢を抜きに考えることは出来ない。

 だから中国について書かれた本が店頭にあると、つい似たような本でも手に取ってしまう。

 今回読んだ本もそのような本の一冊と言ってよいけれど、大きな違いは視点が中国人側にあることだ。中国側にあるといっても、中国外務省の報道官のような事実を歪曲した一方的なものというわけではない。そんな本なら読んでいて腹が立つだけだろう。そうではなくて、中国側から見ればそれぞれの問題点はこのように見えていますよ、というものである。

 もちろん本当に中国の普通の人がこの本を読んだら、ほとんど日本側の立場に立って書かれた本だと感じるかもしれない。何しろ日本人向けに日本で出版されることを前提として書かれている本なのだから。しかし、それでも多くの中国について書かれたいままでの本にくらべて、中国の視点からの部分が多々ある。

 そしてそのことがとても目新しく感じた。賛同するかどうか別にして、相手の立場に立ってものを考えることもときには必要であることを思いださせてもらった。

 AIIBという、いかにも中国に都合のいい、うさんくさそうななものが、どうしてあれほど多くの国の賛同を得て発足したのか。それはアメリカが生み出したのだ、という逆説的な意見には目を開かされた。 

 IMFはアメリカ主導で運営されている。そしてそのアメリカ主導はエスカレートしすぎて組織そのものが膠着化し、機能不全に陥っていた。そこでIMF改革が各国から提唱され、改善されるはずだった。ところがアメリカ議会がこれに反対を続け、改革は頓挫していた。そのスキをついて中国からAIIBが提唱され、アメリカの一方的な行動にうんざりした各国が賛同した。

 そしてAIIBが具体化して半年後、アメリカ議会はようやくIMFの改革を了承した。しかしときすでに遅し、発足してしまったものは元に戻せない。これが著者の言うAIIBの陰の生みの親はアメリカであるという所以である。

 TPPも同様であろう。アメリカ議会はTPPを承認しそうにない情勢だ。反対することがアメリカの利益である、などと言い立てている大統領候補ばかりなのだから当然だ。しかしたぶんTPPはアメリカに利益のあるもので(そもそも推進していたのはアメリカである)、これを承認しないことはアメリカの将来を大きく損なうことになるだろう。

 TPP発足をもっとも恐れるのは中国で、いまアメリカ議会がTPPを承認しない事態をもっとも喜んでいるのも当然中国だ。アメリカは中国を押さえ込む武器を自ら封印し、自国を衰退に追い込もうとしている。

 このようなことがこの本を読むと分かる。それは中国視点を採り入れているからであることがご理解いただけるだろうか。

 最後に著者は、中国がこれらの壁を打破するには中国の民主化が避けられない、と結論づけている。これは多くの中国国民も望んでいることだろうと思うがどうか。

2016年9月17日 (土)

どん姫

 昨晩遅くに仕事を終えてどん姫が帰って来た。用意した料理を美味しそうに食べ、東北土産の岩手の「蔵人の酒」という酒を飲んだ。アルコール分17.5度というちょっと強い酒で、あっという間に二人ともいい気分になる。

 旅の話やちょっと調停などの話などをしているうちに、お嬢さんの瞼がさがってきた。お仕事で疲れているのだ。今日(土曜日)は休みだからゆっくりする、と言ってどん姫は眠ってしまった。

 私は飲み足らないのでビールを飲みながら、「ALWAYS 三丁目の夕陽」を観た。以前から観たいと思いながら見そびれていたのだ。須賀健太君の熱演にグッときた。

 東京タワーの出来たのは確か昭和33年だから、昭和25年生まれの私はあの時代をリアルタイムで生きていた。東京タワーが出来てすぐのころに親に連れられて東京タワーにも登った。

 テレビのある家が珍しかった時代、テレビのある家に当たり前のように上がり込んでテレビを見せてもらったものだ。親はやはりそれが気になるから、無理をして自分の家もテレビを買うようになった。そうして一気にテレビが普及した。

 テレビがなかった時代を知っている人と、生まれたときからある人とでは、やはり世界観が違うような気がする。これは携帯でもそうだろう。知らない人間には、なかった時代を追体験することは出来ない。

 映画に対する思い入れや、読書の楽しみは、やはりその世代の違いに大きく差がある気がする。そんな話をどん姫と話したかったが、気持ちよさそうに寝息を立てているので黙って映画を楽しんだ。

 本当は、どん姫は今日の休みに家の片付けをするつもりだったのだと言い、先ほど、雨が降り出す前に「いってきます!」と言って、東北のお土産を手に帰って行った。  

 またおいで。美味しい料理と酒を用意するから。

文語文

 山本夏彦老の「完本 文語文」を読んでいる。その一節から、

 明治二十五年生まれの芥川龍之介は文語育ちのしんがりのひとりである。大正五年海軍機関学校の教官だったころ、弔辞を頼まれて書いている。弔辞はむろん文語中の文語である。春夫、犀星、朔太郎もこの前後の生まれで文語育ちである。

 荷風は最後まで口語に抵抗した人である。春夫は文語の美しさを捨てかねて、詩はもとより序文、跋文(ばつぶん)にも好んで文語を用いた。

 口語文ならかゆいところへ手が届くと思ったのが運のつきだったのである。言葉は電光のように通じるもので、説いて委曲をつくせるものではない。言葉はすこし不自由なほうがいい、過ぎたるは及ばないのである。

 何より口語文には文語文にある「美」がない。したがって詩の言葉にならない。文語には千年以上の歴史がある。背後に和漢の古典がある。百年や二百年では口語は詩の言葉にはならない。たぶん永遠にならないだろう。

 荷風散人や谷崎がいまだに読まれるのは、口語のふりをした文語だからである。荷風は漢詩文の、谷崎は和文の伝統を伝えている。荷風はボオドレエルの「死のよろこび」の一節を次のように訳した。

 われ遺書を厭(い)み墳墓をにくむ。死して徒(いたずら)に人の涙を請(こ)わんより、生きながらにして吾寧(むし)ろ鴉をまねぎ、汚(けが)れたる脊髄の端々(はしばし)をついばましめん。

  ボオドレエルを口語に訳したものはほかに数々あるが、荷風訳に及ぶものはないのではないか。

 私は文語にかえれといっているのではない。そんなこと出来はしない。私たちは勇んで古典を捨てたのである。別れたのである。ただ世界ひろしといえども誦すべき詩歌を持たぬ国民があろうかと、私はただ嘆ずるのである。


 この本に中島敦についての言及がある。私は高校の教科書で「山月記」に出逢い、恩師の黒須先生にその素晴らしさを教えていただいた。文語文の素晴らしさを知った。いま高校で明治の文豪の文章が教えられることがなくなりつつあるという。何たることか。私もただ嘆ずるのみである。

2016年9月16日 (金)

腰を打った

 天井と壁の境目に木枠が廻らせてあるのだが、それが剥がれて取れかけていて見苦しい。補修しようとしたら接着剤が古くなっていて二メートルあまりにわたり全部剥がれてしまった。

 上部を両面の粘着テープで、壁部をボンドで接着することにした。椅子の上に乗り、端から固定していったところで椅子から転げ落ちてしまった。昔ならあり得ないことだ。最近平衡感覚がおかしくなっていて、しかも踏ん張りがきかなくなっているからバランスが取れなくなったのである。

 直接床に落ちたと云うより、テーブルや座椅子に当たってそのあと床に落ちたのだが、腰を打った。骨がどうこうしたということはなさそうだが、変な風にひねったので痛い。

 仕事がやりかけなので、痛みをこらえてもう一度慎重にやり直し、木枠の取り付けはうまくいったが、そのあとしばらく横になって安静にしていた。

 今晩仕事のあとに娘のどん姫がやってくる。部屋の掃除や料理の材料の買い出しや仕度をしなければならない。うーむ、われながら情けない。

 下の階の人は物音に何事がおこったのかと思ったことだろう。

警察署長ジェッシイ・ストーン

 アメリカで大人気の「警察署長ジェッシイ・ストーン」シリーズ第9作「四番目の真実」をWOWOWで観た。アメリカでは昨年放映されたものだ。

 パラダイスという、ボストンに近い地方都市が舞台の警察ドラマで、今回は四件の殺人事件で逮捕された犯人が、四件目の事件だけ犯行を否認していることに不審を抱いたジェッシイ・ストーンが、独自にその再捜査をおこなうという話だ。

 犯行の手口が酷似していること、そして公表されていない手口まで同じことから、同一犯と断定されていた。

 ジェッシイ・ストーンを演じるのはトム・セレック。口ひげの濃い風貌は役柄にはまっている。無口で、聞きたいことだけ聞き、「O.K.」が口癖で、それは「イエス」であり、「ノー」であり、「なるほど」であり、「そうかも知れない」であり、「反論はあるけれどそういうことでもかまわない」であり、その場によって異なる。それは言い方で微妙に違うものであり、ドラマを丁寧に観ていれば必ず分かる。

 ずいぶん古くからのドラマで、年に一作作られているのかどうか。放送されれば必ず観る大好きなドラマだ。

 何しろ原作がロバート・B・パーカーである。このハードボイルドの名手の作品は傑作ばかりで、一時期はよく読んだ。アメリカのハードボイルドでこの人の作品は外せない。登場人物の寡黙さと、しかし数少ない言葉に込められたウィットにうならされる。そして主人公が親しくする人たちがそれに対して輪を掛けた絶妙な受け答えをするのがしゃれているのだ。日本のドラマでは残念ながらまずお目にかかれない会話の妙である。

 今回のこのドラマでは、被害者や加害者、関係者の人生はそれほど深く掘り下げられておらず、ジェッシイ・ストーン自身の人生がしみじみと描かれている。そして以前失った愛犬とそっくりな犬の無言の視線に、彼の淋しさと、自分の弱さを自覚することで、それに耐える強さが伝わってくる。

 自分の弱さから眼を逸らす者は強い人間ではないのだ。

2016年9月15日 (木)

取り越し苦労の女

 内田樹老師の「困難な成熟」という本を読み始めたら、「取り越し苦労の女」というキーワードで、不幸を呼び寄せる生き方を論じていた。例として、中島みゆきの歌詞に登場する女性があげられていたのが分かりやすくて、正直ちょっと笑ってしまった。

 物事を悲観的に捉えることで保身をはかる生き方というのがある。どうせうまくいかない、と思っていれば、うまくいかなかったときに、やっぱりそうだった、と納得出来て自分の責任として悩む必要がない。あらゆる出来事をマイナスのサインとして受け取り、それに身構えるのが「取り越し苦労の女」だ。

 これは「女」と云っているけれど、べつに女に限らないのはもちろんである。

 中島みゆきの歌に出てくる「女」はしばしば失恋するし、もともと叶うはずがない恋をするし、たまたま恋が叶っても破綻することが「分かって」いたりする。

 こういう考え方、生き方が周りの人を惹きつけるとは思えない。目前に不幸と幸福があるとき、不幸しか目に入らなければ常に不幸を引き寄せることになる。望んでいるわけではないのに、不幸を引き寄せるのが「取り越し苦労の女」なのである。幸福は向こうから勝手に押しかけてこない。

 人生には良いこととわるいことがおこって、ときにそれが偏って押し寄せてくる。差し引きで勘定が合えば良いけれど、ときに他人には良いことばかり、自分にはわるいことばかりがおこるように思えることもある。

 そのときに「取り越し苦労の女」になっていないか、自分を他人の目で見るのが必要かもしれない。考えてみればけっこう楽しいこともあるのに、それを忘れがちな自分に気がついたりする。 

 中島みゆき、好きですけどね。今回のドライブでも、聞いていたのは主に平原綾香、中島みゆき、テレサ・テン、柳ジョージ、ビー・ジーズだったもの。

鎮魂

花巻・台温泉から一気に名古屋に帰るのはさすがにつらいので、新潟に一泊することにした。湯田上温泉という五泉や新津に近い小さな温泉である。ただ、中途半端に時間が余る。


猪苗代湖か会津に立ち寄ることも考えたが、天気が思わしくない(朝小雨)。突然牡鹿半島へ行くことを思いついた。まったく方向違いの遠回りだが、昨年友人と行きたかったのに、ちょうどあの鬼怒川氾濫の大雨に遭遇し、東北の浜通りは道路が冠水して、行くのを断念した。

震災前、石巻や田老町、牡鹿半島の民宿には、何回か泊まっている。震災の半年前に牡鹿半島の鮎川港のすぐ近くの民宿に、友だちたちと三人で泊まった。そのあと二、三度訪ねている。昨年も行こうとして果たせなかったのだ。

牡鹿半島の先へ行く道は一昨年にはまだ半分くらいしか復旧しておらず、工事中で砂利道の場所が多かった。今回は、道路工事をしているところがやはり多いものの、ほぼすべて舗装は完了していた。しかし海岸の集落はほとんど壊滅のままだ。みな高台へ移転しているのだろう。

ここへ行くのは亡くなった人たちのことを思い、冥福を祈るためである。あの震災を忘れないためである。だから無理をしても寄りたいと思った。

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鮎川の港。右手の陸に船があるのが分かるだろうか。この正面にはたくさんのみやげ物屋や食べ物屋が軒を並べ、賑わっていたのだが、跡形もない。

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ここは金華山への観光船がでる場所である。ちょうど前を通った。発着所は正面にあったのが、このだいぶ左手のほうへ移されているようだ。工事の都合かもしれない。陸の上の船は、以前は建物の上に置かれていたと記憶する。

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この正面のまん中の木の左手に、私達が泊まった民宿があった。つぶれたガードレールのある小さな橋も渡った覚えがある。

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左手にもたくさん家があったけれど、いまはなにもない。

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右手の高台に盛り土をして家が造成されている。みなこちらへ移り住むのであろう。

民宿のご主人と女将さんはどうしただろう。助かっていれば良いのだが。ここでも多数の人が亡くなっている。

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民宿を出て、左手から川沿いに道路へ、そして正面の信号のある交差点の向こうの港へ散歩に行き、店をひやかして歩いたのが夢のようだ。

しばし黙祷をして立ち去った。

石巻の海岸も寄りたかったが、文字通り林立するクレーンを眺めるだけにした。

このあと東北道に戻り、郡山から磐越道を通って宿に向かう。途中道筋を一本まちがえたために、ナビはまたとんでもない山道を案内した。

宿の女将に、えっ、あんな山道こわかったでしょう!地元の人もいやがります、と驚かれた。

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最後の宿、湯田上温泉。大きく遠回りしたので、この日の走行距離は500キロを超えた。

そして翌日は名古屋まで400キロあまり。どこにも寄る元気はなく、ひたすら帰り道を急いだ。

今回の旅の総走行距離2500キロ弱。燃費はリッター約17キロ。山道が多かったわりには良好であった。

以上旅の報告終了。

以前撮った写真を探していたら、鮎川港の以前の写真がでてきた。

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こんな風に賑わっていたのだ。記憶違いで、あの船は建物の上ではなかったようだ。


ストーンサークル

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十和田湖の南に大湯と云うところがある。そこにストーンサークルがある。

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日本語で環状列石という。

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どういういきさつで発見されたのか記された石碑。

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広い芝生の原っぱにいくつかの遺跡群がある。

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五本の木の柱は建物のあった場所らしい。三内丸山遺跡を思わせる。ここも縄文遺跡なのだろうか。日本にも古代文明があったのだ。

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高床式の建物が再現されている。

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中心部だけ遺された遺跡の一つ。

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これが環状列石。

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何の目的で作られたのだろう。

いくつもサークルはあり、ぐるりと回れるように遊歩道が廻らされている。ストーンサークル館という説明のための建物もあったが、なんとなく入る気がしなかったのでパスした。

このあとさらに282号線を南下するはずが、通行止めの箇所があるので迂回します、とナビが告げ、その通りに山道を走ったら・・・。ガードレールのないヘアピンの連続の山道を延々と走ることになった。自分の車の幅しかないところが多く、対向車が来たらどうしようもない。恐怖の10数キロを何とか走り終えて元の282号線に戻る。

たぶん通行止めの箇所はあったのだろう。しかし、そのすぐ近くの迂回路を通れば済むはずだったと思われ、こんな恐ろしい峠道を走る必要はなかったのではないか。

思ったより花巻に早く着きそうなので、花巻の新渡戸稲造の記念館に立ち寄る。ここは宮沢賢治記念館のすぐ近く。

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花巻新渡戸稲造記念館。中は撮影禁止。ビデオで新渡戸稲造の事跡を教えてもらう。お札にまでなるひとであるのにほとんど知らなかった。

新渡戸氏一族は、この花巻の名士である。

「願はくはわれ太平洋の橋とならん」は新渡戸稲造の遺した言葉。太平洋戦争に向けて孤立しつつあった日本のために命をかけて奔走し、カナダでついに客死した。

時間も良いので花巻、台温泉の宿に向かう。

2016年9月14日 (水)

長谷川慶太郎「「世界大波乱」でも日本の優位は続く」(PHP)

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 日本に明るい希望を持たせてくれる長谷川慶太郎の本をまた読んだ。物作りに投資を続けてきた日本が、韓国や中国に経済的に負けるはずがない、というそのご託宣に溜飲が下がるのだ。

 中国や韓国の理不尽な言いがかり、特に最近の中国の発言には論理もなにもないむちゃくちゃなものが続いており、発言している当人は本気で言っているのか、と顔を見直してしまう。たぶん立場上言わざるを得ないから言っているのだろうが、本気なら北朝鮮と同様常軌を逸している。

 とにかく災害を除いて、他の国より日本が平和であることは間違いないようだ。それは日本がまだ経済的にゆとりがある(富に偏在が生じ始めていることは確かだが)からであろう。将来に対する不安は他国ほどではない。

 確かにいままでのような豊かな暮らしを望むのは無理なようだ。その豊かな暮らしが可能だったのは、中国を始め、多くの貧しい人たちの存在があったからで、私の持論の、世界は平準化する、ということから見れば、貧しい人たちがどんどん豊かになれば、日本やアメリカだけが豊かであり続けることなどもうないのだ。

 トランプがアメリカを取り戻し、再びアメリカだけを豊かにしてみせる、などと豪語するのは、だからとんちんかんな、世界を見ていない妄言なのだ。彼が本気で言っているから彼の愚かさが際立つ。それを支持する者も同類だろう。まともなアメリカ人は呆れていると思いたい。

 アベノミクスが日本を再び豊かな国にする、というのも日本国民をなだめるための方便で、世界情勢を見ながら本気でそう思う人はあまりいない。それを本気で非難する野党の面々は、ある意味でトランプと同じ精神構造で、安倍首相の向こうを張って、私ならこうして国民を豊かにする、などと喚いている。そんな方策は具体性もなくほとんど空論で、耳を傾けるに足るものは見当たらない。

 明らかなことは、もう昔のような豊かな暮らしなどたぶんあり得ないということだ。ただ、世界の国々とくらべれば、相対的には豊かさを日本は維持顕示することができる国であるぞ、というのが長谷川慶太郎の本から感じられることだ。世界の最大の問題は、経済的なことに限って云えば、富の偏在が行きすぎているのをどう是正するかと言うことだろう。

 いま世界は王様と貴族だけが過剰に豊かであった時代のような様相を呈している。これは文明の進化とはとてもいえまい。そういう意味ではアメリカロシア中国とも文明的に言えば遅れた国なのではないか。

 本の話からずっと離れてしまった。この本はG7以後の世界情勢を鑑み、世界の今後の見通し、そして日本の行く末に明るいものを感じさせてくれる本である。あまりに楽観的と言わば言え。

 ところで問題は、その日本の未来を担う子どもたちの教育にかかるけれど、先生方がまともであるかどうかだ。しばしば熱心な先生ほど社会を悪の巣窟のように見過ぎるきらいがあるのが心配だ。社会を罪悪視したからと言って自分の正義度が高まることはないけれど、まじめな人はそこにはまりがちだ。日教組がつけ込んだのは、そんな教師の社会を知らない純粋さだったのだと思う。

 社会を悪の巣窟だと見なすと、わるいことだけが目につくようになり、悪を引き寄せてしまう。自分が世界を悪と唱えたことで、その持論を証明するようなわるい事態を願うようになってしまうからだ。だから私が言ったではないか、と言いたいために。

 朝日新聞はそうして日本の社会に害悪をもたらしているとこじつけることもできる。正義の味方は悪人を呼び寄せる。

 だから長谷川慶太郎のような楽観的な言説の存在意味があるのだ。

十和田湖

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八甲田から十和田湖は近い。谷地温泉から次の宿の花巻まで、それほど距離はないので、地道で行くことにした。奥入瀬渓流沿いに十和田湖を抜けていく。

写真はいままで立ち寄りたいのにいつも駐車場が一杯で見ることができなかった銚子大滝。ようやく見ることができた。

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滝壺で釣りをしているひとがいる。

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奥入瀬渓流をあちこち見て歩いても良いのだが、何度も来たことのあるところなので、ほんのちょっとだけ写真に納めて切り上げる。

このまま十和田湖の子ノ口(ねのくち)に到る。バイパスができていて快走出来るが、瞰湖台と言う展望台を通らない。ここからの眺めが良いので、バイパスを逸れてそちらへ向かう。

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空が晴れてきた。ここからの眺めはパノラマですばらしいのだが、残念ながら広すぎて全体が画面に収まらない。

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ちょうど遊覧船がやって来た。

このあと元へ戻り、和井内から発荷峠を越える。途中にやはり展望台がある。ここのながめもすばらしい。

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雨上がりなので空気がクリアだ。

このあとこの国道103号線から国道283号線へ。大湯という処を通る。

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大湯環状列石の標識が。いわゆるストーンサークルではないか。寄らないわけにはいかない。これが予想以上の見物であった。
  (つづく)

眠れない

 昨晩、弁護士から電話。先週裁判所の判断もあり、妥協して終了したはずの調停が、突然先方から再交渉の強い申し入れがあり、ご破算になったという。

 交渉時に加わっていた人間とは別の誰かが、不満を唱えたのであろうか。こちらの弁護士も詳しいことが分からず、先方の弁護士と連絡を取り直しているという。急遽明日弁護士事務所で今後について打ち合わせることになった。

 一年以上不愉快な交渉でうんざりしていたが、それはたぶん相手側もそのはずで、どちらにしても裁判所から落としどころの提案があって、互いに不満があってもそれで折り合おう、と言うことで落着したはずであったのに。

 なにがどうなっているのか分からないから、くよくよ考えても仕方がないのだけれど、あの長いストレスたっぷりの時間は何だったのか。あまりのことに腹が立って眠れなくなった。

 意気地のないことに心拍数が高いままで治まらない。かかりつけの医師にはこういうときのために軽い精神安定剤をもらっている。ついに服用せざるを得なくなったようだ。

2016年9月13日 (火)

荻原浩「海の見える理髪店」(集英社)

先程新潟県の湯田上温泉から名古屋までの450キロを一気に走破して帰宅。ナビは上越から長野道、中央道経由を示さず、富山県の砺波まで行って東海北陸道経由を案内する。そのほうが近いのだろうか。それに従った。


さすがに疲れたので、旅の報告は明日にすることにして、旅先で書いた本の話をつなぎとして掲載する。

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 第155回直木賞受賞作。めったに直木賞や芥川賞受賞作を買って読むことはないが、なんとなく表題に惹かれた。
 短編集で、表題作で直木賞を受賞したのだろう。私も一番印象を強く受けた作品である。
 「私」が海辺の、古そうな小さな理髪店に入る。中には店主一人だけ。調髪が始まるとともに店主がいろいろ語りかけ、いくつかのやりとりのあと、あまり話に乗らない「私」に、店主は次第に一人語りになっていく。
 目の前の大きな鏡には海が見える。店主がそれが気にいってここに店を開いたという景色が見える。丁寧な調髪の間の店主の話は、初老の店主の長い人生の物語になっていく。
 「私」とは誰か。それは読み進めるうちに次第に感じられてくるのだが、それは物語の中の「私」であると同時に、それを読んでいる私自身でもあることを感じる。どうしてそう感じるのか語ると物語をこれから読む人の興を削ぐのでやめておく。読めば分かる。
 映画が好きだが、最近はテレビドラマのほうをよく見る。海外ものはほとんどミステリーだ。そのミステリーでも考えてみると犯人や、被害者、そして事件を解決する人の人生がリアルであるものが好きである。そこに感情移入出来るものが好きだと云うことだ。
 十年以上前にアメリカでヒットしたという「コールドケース」というシリーズなど、何年もお蔵入りだった未解決事件を一時間足らずで解決するのは現実的ではないと言えるけれど、主人公が事件に着手するのは、解けなかった事件の手がかりを得たからであって、ご都合主義ではない。
 もちろん未解決になった事件の多くがずさんな捜査であったことも多い。真剣に取り組めば解決したはずのものが放置されたことで、どれだけの人生が損なわれたかがこのドラマではリアルに描かれている。それがこのドラマが好きな理由だ。
 この「コールドケース」を吉田羊主演でドラマ化するようだ。なぞ解きに偏してその良さを失うものではないことを願いたい。予告編の雰囲気ではちょっと危うい。吉田羊が好きだから必ず見るつもりだけれど。
 好きで見直している「相棒」シリーズでも犯人や被害者の人生を考えさせてくれるものが多い。だから好きなのだと思う。そういう意味では、犯罪というのは人生という劇場での大きな山場だから当然そこが描かれることになるわけだ。
 話が脱線した。「海の見える理髪店」を読んでよかった。心にジンとくる。

雪中行軍遭難の地

ロープウエイの駅で映画「八甲田山」のロケ写真を見た。そういえばここに来る途中に雪中行軍遭難の地と後藤伍長の銅像がある場所への標識があった。そこへ行ってみることにする。

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ロシアとの戦争に備え、陸軍は厳冬の八甲田山で雪中行軍をおこなった。このとき青森第五連隊第二大隊の210人が吹雪で道を失って遭難、199名が凍死、生存者は11名のみ。

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遭難の地。

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白樺も雪の重みで歪んでいる。

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この木の様子を見れば、厳冬期の八甲田の雪中行軍がどれほど苛酷だったか分かる。

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銅像は高台にあるのでそこまで坂を登る。

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後藤伍長の銅像。

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後藤伍長はこの立ち姿のまま凍死していた。その立ち姿が目印となって救援隊は遭難した隊を発見することができた。

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後藤伍長の視線の方向を見る。八甲田の峰が雲間に覗く。

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道の横に咲き残りのアザミの花が。

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やはり道の脇にキノコが。気温が下がり、雨が降ればキノコがどんどん湧いてくる、と薬研荘の女将が言っていたのを思い出した。食べられるキノコかどうか知らない。よく見るとあちこちに似たようなキノコがあった。

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通り道の 酸ヶ湯。

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一度泊まろうと思いながら果たせない。日帰り入浴の人でごった返していた。駐車場もほぼ満杯。酸ヶ湯はもともと鹿湯がなまったものと聞いた気がするが確かではない。

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酸ヶ湯のすぐ先にあるじごく沼。

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小さな滝かと思ったら、湯気がでている。酸ヶ湯温泉の湯が流れ込んでいるようであった。

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赤いものが目についた。八甲田の冬は早い。夏が過ぎて短い秋がもう始まっているのだろう。

2016年9月12日 (月)

八甲田ローブウエイ

下北半島は前日と打って変わって晴、仏ヶ浦は土曜日だから観光客も多いだろう。その下北半島をあとにして谷地温泉に向かう(話が前後して申し訳ない)。


谷地温泉は八甲田山中にある。薬研温泉から200キロあまりと近い。昼には八甲田に到着。

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岩木山展望所、そして八甲田春山除雪隊の碑がある峠。

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向こうに岩木山が見えるはずなのだが・・・。

時間があるので八甲田のロープウエイに向かう。天候は思わしくないので眺望は望むべくもないが、散策くらいできるだろう。

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ロープウエイ乗り場に到着。気温16度、寒い。上はもっと寒いだろう。重ね着をする。

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上から下りてくるゴンドラ。百人乗りだそうだ。けっこう客が乗っているではないか。

20分間隔で運行。所要時間10分あまり。

窓口で、上は霧と雨で景色は見えませんよ、と言われる。でももしや、と思って切符を買う。えっ、雨?

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出発!

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駅が雲のなかに・・・。

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だんだん霧が濃くなり・・・。

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ついにはこんな風に。おまけにゴンドラの屋根を叩く雨の音が。

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帰りのゴンドラとすれ違う。画像が歪んでいるのは、激しい雨で窓硝子が濡れているから。

山は凄い。山頂駅は風と霧と雨で外へ出るどころではない。
それでも山の案内人が待機していて、散策したい人は声を掛けてくれという。

実際についていった人がいたのに驚いた。

山を舐めていてごめんなさい、と心の中で謝って、すぐ下りのゴンドラに乗る。

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下の駅には映画「八甲田山」のロケの時の写真が展示してあった。高倉健の勇姿も。

仏ヶ浦を歩く

下北半島へ戻る。


念願だった仏ヶ浦の遊歩道を歩く。駐車場から坂道を下っていく。

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熊出没注意、と言われてもなあ。もし熊に遭遇したら、だから言ったでしょ、と言うために看板を置いてあるのだろうか。何でも責任を取れ、と言う世の風潮がそんな皮肉を思わせる。

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最初はこんな坂だからどうということはない。

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原生林のなかを下る坂は次第に急勾配になっていく。

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半ばからはこんな階段が続く。当たり前だけど海までずっと下り。

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一度そばで見たかった仏ヶ浦の奇岩が目の前に。それにしても下ってきただけなのに膝ががくがくする。

空はどんよりしていて降らないのが不思議。

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海の中まで遊歩道が作られていて、そこから眺めることができる。ここには舟が着けられるようだ。昔は舟でしか来られなかった。

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全体の風景。最初の駐車場から見下ろす風景とはだいぶ違う。

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アップにすると迫力が増す。不思議な景色だ。

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あとで聞いたら、遊覧船は大型船だけが出港したそうで、それも観光バスなどの予約客で一杯で、当日の個人客はほとんど乗れなかったらしい。

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海の中を見ると小さな魚がたくさん泳いでいる。

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どうしたらこんなにとげとげになるのだろう。

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浸食され、傾き、次第に崩れていくようだ。

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こちらはできかけている岩。

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足元の岩も奇妙な造形を見せる。

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こんな面白い岩もある。なにかの獣が天に吠えかけたまま固まったようだ。

このあともと来た道を戻ったが、息を切らし、休み休み必死で登った。まったく行きはよいよい帰りはこわい、である。とにかく登らなければ帰れない。良い運動になった。

宿に戻り食後の一風呂を浴びて、気がついたら寝ていた。

2016年9月11日 (日)

谷地温泉

 いま(11日朝)谷地温泉というところにいる。日本三大秘湯だと自称する。ほかの二つがどこか分からない。場所はあの五メートルを超す豪雪記録を持つ酸ヶ湯温泉から近い。八甲田の六湯だか八湯だかの一つである。

Dsc_0928 谷地温泉(一軒宿)

 確かに秘湯である。ここは自家発電、電線が来ていない。テレビはあるが、部屋にあるのは、おお懐かしい小さなブラウン管テレビだ。テレビが古いから映りも芳しくない。

Dsc_0929 谷地温泉入り口

 携帯はつながらない。圏外である。当然のことにモバイルルーターもつながらないから役に立たない。ネットで何か調べ物をしたくてもできない。

 六畳の部屋で、トイレは外。部屋数は多くて入り組んでいる。継ぎ足しに継ぎ足していったのだろう。畳の部屋にベッドが置いてある。寝るには快適だが、狭い。

 私は西館と称する部分にいるが、ほかに本館と東館がある。東館の一番奥に「源氏の間」という名前がつけられた部屋がある。瀬戸内寂聴がここで源氏物語の第九巻(早蕨、宿木、東屋)の翻訳を執筆したのだそうだ。

 昼は日帰り入浴が可能。ここは八甲田山中なので、そこを訪ねた人々がここに立ち寄る。若い女性も多い。女湯は賑やかそうだ。中は見てないけど。

 西館は風呂に近い。風呂は霊泉と呼ばれる冷泉で39℃、そこになるべく長く浸かって湯に身体をなじませる。そして42℃の温泉に浸かる。濃度は見るからに濃そうで、硫黄臭がする。

 それほど長湯をしなかったのに、最初湯あたりのようになった。部屋に戻ったら疲れがどっと出たような状態になったのだ。一時間ほど寝ると元に戻った。ここにしばらく湯治でもしたらリフレッシュすることは間違いない。さはさりながら、ネットも携帯もつながらないでは、私は友人知人から行方不明に思われかねない。そう思うのは自分だけかもしれないが。 

Dsc_0930 谷地湿原

谷地とはそもそも湿地帯のことである。温泉前にも広大な湿原が展開しているという。高台に登ると全体が見えるらしい。

Dsc_0932 山の上へ登る人

 朝風呂に浸かり、窓を開けると涼気と云うより冷気が入ってくる。湯でほてった身体には気持ちが良いが、これからは次第に寒くて窓が開けられなくなるだろう。雪が降り出すのも下界よりずっと早いはずだ。あまりに人家と隔絶したようなところにいるので、次はなじみの花巻温泉に泊まることにする。疲れが出始めているからのんびり帰ることにする。

仏ヶ浦へ

雨はやんだ。


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西海岸のハイライトの一つ、願掛岩。男女が抱き合う姿だと云われる。もちろん右側が男。古くから縁結びの岩として信仰されているそうだ。残念ながら願いたい相手がいない。

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西海岸の前の海も津軽海峡なのである。嘘のように静かな海。

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仏ヶ浦駐車場から仏ヶ浦を見下ろす。この圧倒的景観が見たかったのだ。ここからは一度見たことがある。仏ヶ浦には車で行くことができない。この辺りはずっと断崖絶壁の連続なのだ。

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アップでその迫力を。

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さらにアップで。

この駐車場の二キロほど先に、仏ヶ浦へ下りる遊歩道がある。今回はそれにチャレンジしようというのだ。かなりきついのを覚悟している。何とか雨は降らずにいてくれているようだ。
  (つづく)

2016年9月10日 (土)

雨の津軽海峡

今回の旅の目的の一つ、仏ヶ浦は佐井村にある。


宿に置いてある下北半島旅ガイドの佐井村の案内によれば、「下北半島をまさかりの形に例えるなら、その歯の部分。津軽半島に面した半島最先端に位置する」とある。

これは歯ではなく刃であろう。誤植か、勘違いか。

宿の薬研温泉はまさかりの上部に近い東北部のすこし山に入ったところにある。

昨晩からの強い雨は収まっているが、朝起きても雨は降りつづいている。やがて雨はやみそうな天気予報なのだがはっきりしない。迷っていると仲居さんが、「薬研が雨でもあちらは上がっていることが多いですよ」とそそのかす。せっかく来たのだから思いきって出かけるべし、ということであろう。雨をついて十時過ぎに出発した。

薬研から西へ行くダートの道があるのだが、現在通行止め。先日の台風の余波である。どちらにしても危ないから通行止めが解除になっても勧められない道だという。

というわけで、西北の海岸の大畑町に出て海岸沿いに大間へ周り、大間から南下するというコースを走る。遠回りだが、二時間すこしでいけるはずだという。まさかりの上部に沿って走り、角を曲がって刃を南下するわけだ。

下風呂から風間浦村へ。風雨ますます激しい。

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津軽海峡は波が逆巻いている。

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風間浦の家々も雨の中。

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やって来た西の方角。

これはただドライブするだけだな、と覚悟する。運転に集中しよう。

北の方に北海道が見えるはずだが、もちろん見えるべくもない。

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ところが大間に近づいたら波が穏やかになり、おお、北海道が見えてきた。雨も小やみになってきた。

大間崎によっている余裕はないので大間の街に入らずに西海岸のほうへ廻る。そこに大間展望台という標識が。

すぐそばの山の上らしい。よらざるべからず。

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展望台の案内所に車を置き、坂を登る。雨はほとんどやんだ。風力発電の風車がたくさん据えてある。そばによると風切り音がする。

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人がいないことをいいことに、からすがたくさんうろついている。登ろうとする小さな展望塔でも、からすが愛をささやきあっている。

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大間を見下ろす。この坂を登ってきた。向こうは北海道。

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ややアップで。一番突端に近い海峡荘という民宿に泊まったことがある。残念ながらまた泊まりたいとは思わない。名前は良いのに。

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本当に北海道は目の前だ。

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かなたに津軽海峡をタンカーが行くのが見える。北海道の町並みがうっすら見える。

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南の方を見れば、山は雲に煙る。明らかに雨が降っている。さて、仏ヶ浦は大丈夫か。期待と不安が交互する。
   (つづく)

奥薬研とヒバ林

薬研温泉のさらに奥に奥薬研温泉がある。そこのシンボルはカッパである。カッパの湯とも云う。


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リアルな立ち姿。ちょっと気になる股間。

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噴水がときどき噴き出す。濡れてカッパのヌメヌメした感じが強調される。

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後ろ姿。甲羅がはっきり分かる。夜になると川で徘徊するのではないか。

ここから橋を渡り、林の中へ入っていくとヒバ林がある。ヒバは檜(ひのき)の仲間。檜の薬効成分であるヒノキチオールはじつはヒバの方がずっと多い。虫除け効果に優れるのだ。

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大きな鉄橋を渡ったあと、林の中へ通じるこの木の橋を渡る。暗くてちょっとこわい。

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この先は実験林なのである。

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実験林の木標。

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むかし林業用のトロッコ列車が走っていた線路跡沿いにヒバが植えられている。ヒバにも産地があり、北海道、東北、関東など各地区のヒバが植えられている。

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どんどん奥に行く。白い木札にそれぞれのヒバの原産地が書かれている。横道に入る。

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何がいるか分からないような水たまりがあった。こんなところに足を踏み入れることを想像して背筋ガザわっとする。

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林の奥に朽ちかけている倒木が。気味がわるいけれど、こう言うのを見に行きたくなる。ドキドキするのが好いのだ。

しばらく林の中を散策してカッパのところまで戻る。

こんな散策も思い出に残る。

霊場恐山(3)

昨日はまだ小雨が降りつづくなか、雨は上がるはずと決め込んで念願の仏ヶ浦に向かった。その結果はどうだったのか、これは後日報告する。


今回は最後の恐山報告。

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文面はそのまま読み取れると思う。

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宇曽利湖を背にして結跏趺坐する仏様。誰のために祈るのか。

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不気味な宇曽利湖。

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大きな湖なのである。

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女の人二人が楽しそうに岸辺を歩いていた。こういう旅もある。

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岸沿いに丘を越えて現世に戻る。

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箸塚。

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よく見るといろいろ不思議なものが供えられている。

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門を出れば結界の外である。

これで恐山はおしまい。

2016年9月 9日 (金)

霊場恐山(2)

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本堂脇の霊場入り口から異界に入る。置いてあるのは何の仏像なのかもう分からなくなっている。このままでなにかが宿っているのだ。

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人間をやさしく見守るお地蔵さん。特に子どもを見守っているのだろう。

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こんな風景が続く。ところどころ噴気孔があり、強い硫黄臭、硫化水素臭がする。

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みたま石とあるが、何のみたまなのだろう。

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まとまっておかれている風車。ここに何か感応するものがあるのだろう。

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荒涼としていることが、生命の危うさを表しているし、同時に生命について思い知らせるものになっているのか。惻々と迫るものがある。

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賽の河原のような場所を通り抜けると宇曽利湖が見えてくる。

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黄色い水がわずかな流れになって宇曽利湖に流れ込む。

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この仏像の後ろにコブのようなものが着いている。これはすべて手である。千手観音様と云うことらしい。

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水子供養。命を授かったのに日の目を見なかった子どもたちが供養されている。あの世ではお地蔵様に抱かれて幸せに生きているはずだ。

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小雨交じりで風も吹いている。カメラをタオルでくるみながら、ぬれないように注意して写真を撮っているが、ぬれないわけにはいかない。

山にはますます雲が垂れ込めてきた。
   (つづく)

霊場恐山(おそれざん)

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いかにも霊場の入り口に見えるが、ここは閉まっている。

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横には霊場に入る人々、つまりこの世とあの世の境を見に来た人を六地蔵が見守る。

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恐山山門。

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山門手前にお地蔵様とたくさんの風車。この風車が異界の景色とも見える恐山に不思議に似合うのだ。

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この辺りに、以前は口寄せをするイタコのいる長屋があったように記憶しているのだが。

口寄せとはあの世の故人がイタコに乗り移って語るもの。ここへ来れば死んだ人に会えたのだ。今はイタコがいないのだろうか。

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参門をくぐり、左手あるバラックは温泉である。誰でも入れる。日本でも有数の濃度の温泉という。

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正面が本堂。本堂の横から結界の向こう側、恐山の異界に入る。
     (つづく)


三途の川

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恐山霊場へは三途の川を渡る。三途の川に架かる赤い太鼓橋を渡るのだが、そこには奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんねおう)がいる。

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太鼓橋の脇の駐車場には三途の川のプレートがある。

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三途の川は宇曽利湖へ注ぐ。この杭は何なのだろう。水は清んでいるが、強い硫黄臭がある。

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奪衣婆はあの世へ三途の川を渡る亡者の衣をはぎ取る。
しかし横顔はこころなしか哀しそう。その役割に思うところでもあるのだろうか。

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それが正面から見るとユーモラスに見えるから不思議だ。

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懸衣翁は奪衣婆の奪った亡者の着物を傍らの柳の枝に掛け、その枝の垂れ下がり具合から生前の悪行の軽重を推測する。
しかしよく見ると奪衣婆にくらべて以外と若い。

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宇曽利湖。地図では宇曽利山湖となっているが、恐山霊場の案内ではただ、宇曽利湖である。小雨が降ったりやんだりしている。

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湖の彼方に霊場の入り口が遠望出来る。
恐山霊場は次回。

薬研荘

昨日は男鹿半島を早めに出発。日本海沿いに国道101号線を北上。狭くて国道とは思えないような道路で、例によって軽自動車がとろとろと前を行く。


八竜インターから秋田自動車道へ。ここからは無料提供区間。米代川沿いに大館へ。小坂北で東北道に入る。さらに北上して終点の青森へ快走する。青森の手前くらいから小雨、外気温は一気に下がり、17~19℃。これでは今日恐山に立ち寄っても見物は無理だろうか。

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野辺地を過ぎたあたりから雨はやんだ。しかし山に雲がかぶさっていて、いつまた降り出すか分からない。

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野辺地から陸奥湾沿いにさらにさらに北上。横浜あたりで陸奥湾を撮る。海はどんよりと鉛色。画面では分からないが、強い風が吹いている。

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下北半島方向は雲が垂れ込めている。雨が降っているのだろうか。

しかし恐山は霧雨程度だったので、何とか写真を撮ることができた。カメラをタオルでくるみ、早足で一巡りした。恐山の写真は次回以降に掲載する。

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晩の宿のある薬研温泉へ橋を渡る。

橋の上からの景色。

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薬研温泉の薬研荘。

見た目はいまいちだが、中はおかみが磨き抜いていて居心地がいい。リピートの多い宿だ。かくいう私もここは二回目。

おかみは美人だが大声で快活に話す。通称カモシカ女将、山奥の急坂をものともせずに登り、下りる時は滑落しているかと思った、といわれるほどのスピードで下る。山菜やキノコはすべて自分で採ってくる。その女将さんに会いたくてこの宿にやって来たのだ。

二泊するが昨晩は私一人。休もうと思ったのにあんたの予約が入ったから、とカラカラと笑う。

私のためにむつ市まで魚を仕入れに行ってきたという。

それにしても涼しい。16℃だという。風呂に入って暖まる。晩飯は最高。また食べ過ぎてしまった。

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夜半から強い雨。朝も降りつづく。昼前には上がると云うが、どうか。今日は出かけずに読書三昧か。

今日は週末、客が多いという。

2016年9月 8日 (木)

なまはげを見る

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伝承館でなまはげの登場を待つ。大晦日の設定であるから、神棚にはお供えと御神酒があげられている。

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主が挨拶し、なまはげを待つ。

まず先立がやってくる。

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挨拶を交わし、先立が口上を述べ、すでになまはげが隣家に来ているという。

激しい音で家鳴りがして・・・

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なまはげがあらわれる。戸の開け方も激しく、足を踏みならす。ヤワな家では、これでは壊れてしまうほどだ。

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怠けずに一家励んでいるか、と問う。子どもは勉強に努め、嫁もちゃんと働いていると主は弁解に努め、酒食を出して酒を勧める。

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主の言い分を聴いたあと、なまはげは台帳を開いて主を問いただす。山の上から見ていた様子から、主が家族をかばっているのではないかとなじる。すべてお見通しなのだ。

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再び暴れ出そうとするなまはげを三宝にのせた餅を渡すことでなだめる主。厄を祓ったあと、来年こそは怠けずにしっかり働け、とさとしてなまはげは去って行く。

私も肩を叩かれて、厄を祓っておいたぞ、無事で暮らせ、と云われた。ありがたいことである。

やりとりはすべて地元の言葉だから、分からない人も多いだろう。私は東北で暮らしたことがあるし、秋田の友人もいるのでほぼすべて分かった。

この真山村のなまはげには角がなかった。それはこの村のなまはげは真山神社の神の使いなので、角がないのだという。

それにしても凄い迫力であった。そんな中で主とのやりとりがとてもユーモラスで楽しい。とにかく面白かった。体験して良かった。それに写真を自由に撮らせてくれるのが有難い。

こちら方面に来たらここを見逃す手はないと思う。

大榧(かや)

なまはげ館の展示とビデオを見たあと、伝承館のなまはげ実演まで少々時間があるので裏の山の大榧を見に行く。


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光飯寺という寺はいまはない。

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慈覚大師が手植えの榧という。

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あれが大榧か。

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確かに大榧である。

榧の樹は碁盤として最高なのである。いまは大榧そのものがほとんどなくなったので、新しい榧の碁盤など作ることができない。

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こういう大木は生命感が迫ってくる気がする。

もっと散策したいが開演の時間である。

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伝承館概観。

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伝承館入り口。正式には男鹿真山伝承館。真山はしんざんとよむ。ここは真山村。近くに真山神社がある。残念ながら時間がなくて立ち寄れなかった。

なまはげの実演は次回。(間を持たせるなあ)

おまけ・なまはげの意味。
なまはげはナモミを剥ぐという意味である。ナモミとは炉端にずっとかじりついたままでいると手足にできる火型のことで、ナマケモノの証拠とされる。つまりナマケモノを戒めるための行事がなまはげなのである。

男鹿へ

昨朝、新潟県の大湯温泉でナビに男鹿温泉を入力したら、なんと440キロもあるという。たぶん300キロあまりだと思っていたから驚いた。地道で行くどころではない。高速を使っても着くのは夕方六時近くなると云うのだから。


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胎内市のあたりからうっすらと鳥海山が見えた。胎内市というネーミングはユニークだ。あまりいうと地元の人に怒られる。それなりに理由があるのだろう。

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七月に立ち寄った象潟(きさかた)にまた立ち寄る。今回は鳥海山が見えた。前回は小雨の中でまったく見えず。今回は小雨まじりだが、全景が見えた。象潟は鳥海山スカイラインの入り口に近い。ここにまた立ち寄ったのは、息子が美味しいと云った飛良泉の大吟醸をまたみやげに買うためだ。

Dsc_0592 なまはげ館入り口

四時頃ようやく男鹿半島にたどりつく。ナビの案内に従い、なまはげラインを走っていると、なまはげ館、伝承館などの案内表示がある。展望台に行こうかと思っていたが、こちらの方が良いではないか。

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なまはげ館の前にこんな奇妙な球体が。高さは優に二メートルを超える。

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なまはげ館の入り口を入るとなまはげのお出迎え。なまはげは大晦日の行事だから、雪のなかなのである。

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展示されているなまはげ像。

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館内はとても暗い。このなまはげは角がある。角があるのが普通であるから、あえて云うのは理由がある。それはあとで。

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なまはげ大集合。反対側にも同じくらいならんでいる。男鹿一帯の六十何ヶ村にそれぞれなまはげの行事が遺されていて、村ごとの面はすべて違う。それぞれの村名が足元の木札に書かれている。

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こんな顔や、

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こんな顔がある。ここにあげたのはどちらかというとユーモラスなもの。あとで伝承館で見たものは凄い迫力であって恐ろしい。その伝承館の話はあとで。

2016年9月 7日 (水)

男鹿温泉

いま男鹿温泉にいる。


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ホテルの窓からの景色。

ずっと向こうには日本海が見えているのだが、分かりにくい。
はめ込みの網戸で、開けられない。網戸越しの撮影である。

大湯温泉から男鹿は遠かった。ひたすら走ってようやく五時前に宿に到着。

それでも宿に入る前になまはげを体験することができた。実に楽しかった。絶対に体験すべきである。面白い。

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詳しい話はあとでゆっくりさせていただく。

六時から食事で、大慌てで風呂に入り、ピールを一本開けて一息入れているところ。これから食事に合わせて生ビールと地酒の飛良泉の冷酒をいただくので今晩は旅の話の追加はできない。なにせ贅沢にも部屋食なのである。

申し訳ないが、明日の朝をお楽しみに。

天候は大丈夫か

大湯温泉のホテルの窓からの朝の景色。


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晴れてはいないが、天気は持ちそうだ。朝の涼しい空気が気持ちいい。その後晴れてきた。

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床の間(十畳敷きの和室である)では可愛いおかみさんがご挨拶している。

先日食べ過ぎについて書いたばかりなのに昨晩は食べ過ぎた。

ホテルはバイキング式。食べ過ぎたのはとても料理の種類が多いのと、おおむね美味しいからだ。それと、周りの人たちの健啖ぶりに影響されたことも大きい。

さらに新潟の地酒が五種類ほど一升瓶で冷やしてあり、それが飲み放題なのである(主に菊水の辛口を飲んだ。この酒、冷やすと特に美味しい)。頬が緩んで、ついでに節制の決心も緩んで気がついたら食べ過ぎて、かつ飲み過ぎた。

名古屋式に言えば「うみぁーでいかんわ」。

温泉はぬるい。本来はアツ湯が好きだが、ぬるいと長いこと浸かっていられるからそれも好い。浴場が広々していてそれも好い。

ここは友だちを連れて、また来てもいいところだ。満足して宿をあとにした。

煙草のにおい

 吸ったことが全くないわけではない(生涯で一箱に満たないくらい喫煙しただろうか)が、煙草は吸わない。しかし煙草を吸う友人は多かったし、営業で出会う人にも喫煙者が多かったから、煙草を吸われてもそれほど不快に感じることはなかった。

 その友人達もほとんど煙草をやめてしまった。いまも吸っているのは一人だけ。最近はその友人以外はまったく喫煙者との接触がなくなったので、煙草のにおいに敏感になった。

 昨晩泊まった部屋は喫煙者の泊まる部屋のようだ。そういえば禁煙ルームに変更の希望があれば何とかする、というメールが入っていたが、面倒なのでそのままにしていた。その部屋にしみこんだ煙草のにおいが思いのほか強く感じる。ヘビイスモーカーが泊まったばかりなのか、私が過敏になったのか。

 高峰秀子は若い時は煙草を吸わなかったが、映画のシーンで吸うことを覚え、それ以来ヘビイスモーカーになった。死因も肺ガンだが、彼女が煙草を吸わなければ良かった、と思ったかどうか。たぶん彼女のことだから煙草の害を言い立てる人を笑っただろう。

 嫌煙権などと言って喫煙者の肩身は狭い。自分は煙草を吸わないし、マナーのわるい喫煙者には怒りを覚えるけれど、あそこまで徹底して差別され、排除をされているのを見ると、生来の臍曲がりの虫が騒ぎ出す。そこまで悪者にすることはないではないか。

 煙草が身体にわるいことは統計的に明らからしいから、自分の子どもには喫煙者でないことを望むが、吸い出したら仕方がないとも思う(でも吸うなよ!)。吸い方のマナーをわきまえていることを信じているからだ。ヘビイスモーカーでも長生きした人は山ほどいる。その人が煙草を吸わなかったらもっと長生きしたかどうか、一人で二つの生き方を体験することはできないから分からない。

 学生時代、寮生活をしていた。棟割り長屋のような寮が四階建てのビルに建て替えられて、その数年後に私が入寮したから、全体で200人近い寮生がいた。その中で非喫煙者は私一人であった。

 私の部屋はたまり場の一つであったから、常時友人がいた。みな煙草を吸う。狭い部屋だから、いつも煙草の煙でかすんでいた。受動喫煙そのもので、喫煙者と変わりがない。そうなると却って意地になって煙草には手を出さなかった。いたずらに煙草を試したのは会社に入ってからである。営業にはそんな気持ちになることがあるものだ。それでも煙草でむせたりしなかった。くらくらっとする酩酊感が気持ち良かった。すでに煙草に身体が慣れていたのだろう。

 その私が喫煙者の泊まった部屋のたばこのにおいを強く感じている。それは匂いではなく、明らかに臭いであった。

 喫煙者はさらに迫害され、煙草は廃れていくのだろうな、と思った。

蛇足
 煙草はおとなしか吸ってはいけないことになっている。昔は主に男が吸うものでもあった。
 だからピーターパンであろうとする少年以外は、少年は煙草を吸おうとする。自分がおとなになったと表明したいのだろう。また女性が煙草を吸うのは心の底で男にあこがれるか対抗する気持ちがあるのではないか。それらは危なっかしいけれど、時にほほえましいこともある。そうして形から入り、人は形だけはおとなになる。
 本物のおとなの男の煙草はさまになっていて、私もあこがれる。そして煙草がさまになっている女性はまれにいて、おとなの女を感じる。

2016年9月 6日 (火)

大湯温泉

先程温泉に到着して一風呂浴びたところである。

南魚沼の大湯温泉というところなのだけれど、それがどこにあるのかよく分からないのでいま地図を見ていた。十日町からどんどん山のほうへ入ってきたのだけれど、このまま行くと奥只見湖に近いことが分かった。その向こうは会津である。そういえば昔懐かしい小出のそばを通った。

今朝は六時半頃出発。時間に余裕はあるし、天候も良くないから途中どこにも寄らないことにして地道を走ることにした。

名古屋からひたすら19号線を走り続ける。この道はトラックの多い道である。峠を登り、そして下り、の連続だから、信号が坂道の途中にあることもしばしばで、当然登りの信号で止まればトラックはなかなか加速ができない。当然渋滞する。

それと田舎は本当に軽が多い。トラック以外は八割が軽自動車だ。中にしばしば枯れ葉マークの車がいる。信号が変わってもなかなか発信しない。続く車もドッコラショという感じでしばし間を置いて動き出す。

こちらがせっかちなのか向こうのテンポが遅すぎるのか。
軽自動車は道路の途中で突然止まり、右に行き、左に行く。交差点など関係ない。自由自在である。

田んぼ中の道なら仕方がないが、幹線道路でこれはないだろうと思うが、あわせるしかない。幹線とはいえ地道で走ろうというこちらがわるいのだ。

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木曽を過ぎるまでは写真のように小雨交じりのどんよりとした天気。外気温も25℃前後と涼しい。

それが塩尻を過ぎたら青空が覗きだした。塩尻から松本の間はいつ走っても慢性的な渋滞で、今回もそうだった。ナビはこの先1.8キロで渋滞、とか3キロ先で渋滞とか、しきりに言うが、その渋滞箇所と次の渋滞箇所の間ものろのろなので、つまり全部渋滞しているのだ。外気温を見ると33~35℃もある。木曽とはまるで違う。

松本を過ぎて多少流れが良くなったが、大型車と軽自動車は常に前にいるから軽快に走るというわけにはいかない。こうなると意地である。

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大岡という特産センターのある道の駅でトイレ休憩。このワラで作った道祖神は国際民族博物館で見ている。この辺のものなのだろうか。こういう、顔のあるものが好きなのだ。
この先、なんだかあちこち道路を乗り継いで、気がついたらナビは信州中野から野沢温泉方面に案内する。

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これを右に行けという。もちろん指示に従ったか、この道はスピードが出せない道なのだ。以前何度も走ってよく知っている。

天気はどんどん良くなるし、ところどころ景色がいいけれど、
車をとめて写真を撮るような場所がない。気持ちにもゆとりがあまりない。

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どういうルートで上越新幹線の浦佐駅の前を通ることになったのか、よく分からない。あとでまた地図をよく見直してみるつもりだ。

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車窓を見るともう秋なのである。天候は残念ながらどんどん悪化。霧雨のような雲行きである。宿はもう近い。走行距離380キロ。高速の五割増しで疲れる。

今回は東北、特に北東北がメインで、そのつなぎがこの大湯温泉である。ここで一息入れて、明日は男鹿半島に向かう。天気はあまり良くなさそうだ。

さて、晩飯前にビールでも飲むか。

どきりとした

 旅に出かける前に思い出したこと。

 昨日、用事で名古屋に出かけるために最寄りの駅に行った。ホームのベンチに座ってスマホをいじっている女の子(二十代には見えるから、女の子というのは変か)を見てどきりとした。

 娘のどん姫かと思ったのだ。似ている。一瞬声を掛けようと思ったくらいだ。髪型、私に似ない色白の小顔、面白くなさそうな口もとなどがそっくりだ。

 しかしよく見ると肩甲骨の下にピアスがある(つまり胸の最上部)。さすがにわが娘はこんなところにピアスなどしていないから、違うことを確信した。

 そんな見間違いをした、などとどん姫に言ったら、おこるだろうなあ。お土産買ってくるからね。

2016年9月 5日 (月)

とりあえず一段落

 本日は弁護士事務所で電話調停。案件は二つあったが、一つは調停不調で今回で終わり。もう一件の経済的なことは、こちらの覚悟している落としどころの範囲だったので、互いに調停案を受け入れ。これでとりあえず一段落。

 ここに書けない事情があって、今回の結論はやむを得ない。とにかくストレスフルな日々が一年あまり続いたが、それが片付いたので自分としてはめでたい。

 いま自分に乾杯。

 これで明日からの北への旅は、そのことを念頭から振り払えるのがありがたい。

 今晩は早めに寝て、明日は雨の中をのんびりと新潟へ向かう。

 明日の更新は晩になると思う。走りながら何を考えることになるのだろうか。

習近平の愚かさは演技か本物か

Dsc_0311 西湖夕景

 中国の杭州でG20が開かれている。杭州には数回行った。中国でもっとも好きな街である。特に西湖の周辺は美しい。

Dsc_0088 銭塘江を挟んで杭州新市街を望む

 杭州の空港は西湖の周りの旧市街ではなく、銭塘江を挟んだ新市街のほうにある。広い工業団地などもそちら側で、もともとの杭州の美観を損ねることがない。

Dsc_0164 西湖遊覧

 その杭州の空港にエアフォースワンからオバマ大統領が降り立った時、ほかの首脳の時のような赤い絨毯は敷かれていなかった。そのあと、空港職員とオバマ大統領に随行した職員とのいざこざは世界中で取り上げられている。日本の新聞はどうだったのか知らない。まさか報道していないことはないと思うが。

 空港職員の怒号が響き渡ったというから、これは客を出迎える国の態度ではない。

 このような失礼な態度をとることは、まさか習近平が指示したことではないと思うが、意を汲んでいる可能性は否定出来ない。それならばその責任は習近平にある。

 中国のマスコミの中には、習近平がアメリカ訪問した時にオバマ大統領に冷遇された恨みを返したのだ、というような論調もあったようだ。それなら中国人は今回の空港でのオバマ大統領に対する失礼な態度に快哉を感じているということか。そしてそれを習近平は計算していたのだろうか。

 この事実は当然アメリカでも報道されているだろう。そしてオバマ大統領はアメリカでは情けない大統領といわれるかもしれない。しかし同時にアメリカ人は中国に侮辱されたと感じるだろう。そのような感情は一度染みつくと拭いがたいものになるおそれがある。

 習近平はTHAADが韓国に配備されることに激怒していて、それがこのような態度に表れているのだと解説されている。ではこのような失礼な態度をとったらTHAAD配備は撤回されるのか。ますます強行する方向に進むだけであろう。

 どうも習近平は中国国内だけしか見ていないようだ。外国にどう思われるかよりも、国内でどう見られるかをはるかに優先しているようだ。

 中国人は面子を極めて重んじる。尖閣問題が深刻化したきっかけは、直接的には当時の野田首相が胡錦濤主席の面子を踏みにじったからだと私は見ている。公然と面子をつぶされた胡錦濤は権威を失い、次期習近平政権に対する影響力を喪失することになった。

 それを見ていた習近平が何より面子を重視するのは当然である。仲良くしてやっていた朴槿恵が裏切って、THAAD配備を決めるなど、彼にとっては面子をつぶされたことに外ならない。ここで厳しい態度を韓国にとるのは彼にとって必然だと考えているようだ。

 オバマにはアメリカ訪問の時に煮え湯を飲まされている。習近平は描いていたストーリーを木っ端微塵に撃ち砕かれ、なにも成果がないまま帰国せざるを得なかったことにたいして恨み骨髄であったろう。

 これはオバマが弱腰外交を続け、中国に対しても過剰な融和外交していたことから、その延長として習近平が描いた夢が、オバマの変節で撃ち砕かれた。オバマもさすがに自分の外交が世界をとんでもない方向に導いているようだ、と感じ始めていたのを、習近平は読めなかったのだ。

 習近平を勘違いさせたのはオバマである。しかしながら、オバマがどうして態度を変えたのかを考えず、面子にこだわって、自分が中国の将来のために何を優先すべきか習近平は考えることができていないのではないか。

 習近平は目に見えているようなままの愚かな人物なのか、それとも計算づくの演技なのかよく分からなくなってきた。貧すれば鈍する、というけれど、茫洋として大人(たいじん)の風格に見えないこともなかった習近平が、じつは無能力で鈍感そのものの人物のように見えだした。

 どこからやって来たのか、二、三ミリの黒い小さな虫が部屋の中をウロウロしている。コガネ虫の極く小さいもののような形で、やや硬いが指で簡単につぶせる。生意気なことに羽で空を飛ぶことができる。あの米びつは丁寧に掃除したから、そこが由来ではないと思う。

 大発生というほどのものではなく、ときどき二、三匹発見する程度だが、たまに肌の上に乗って這うといやな気がする。噛んだり刺したりはしない。生ゴミはなるべくこまめに片付けているし、その辺に特にいるということもない。ただ、レンジ周りで見かけることが多いかもしれない。もしかしたらどこかほかの部屋から、レンジフードを伝ってきているのだろうか。

 一週間ほどで、次第に見かけることが少なくなっているのはさいわいである。

2016年9月 4日 (日)

行者ニンニク

Dsc_0268k 宝仙湖・今壁紙にしている写真

 前回の田沢湖や遠野へ旅行に行った時のお土産の一つに、マタギの宿で購入した行者ニンニクの醤油漬けがある。行者ニンニクはその名のとおり匂いがかなり強い。北海道でアイヌネギというのはこの行者ニンニクであろう。

 この行者ニンニクの醤油漬けを炒め物に加えるとまことにうまい。鶏皮とキャベツの炒め物、豚肉入りの野菜炒め、なすと豚肉の炒め物などに加えると、とても美味いし、夏バテに効果がある気がする。

 問題はその強烈な匂いだ。換気を強めにしていても、しばらくの間は部屋中に匂いが残る。そして、添加量は次第にエスカレートしていく。たぶん同居人がいたらいやがられるだろう。

 それも昨晩で底をついた。火曜日から車で北への旅に出かける。またこの行者ニンニクの醤油漬けを買うつもりだけれど、部屋の匂いが消えなくなるなおそれがある。どん姫にいやがられるのはいやだしなあ。どん姫はスパイスのきいたものが嫌いではないし、子どもの時からパクチーでもおいしそうに食べていた。この行者ニンニクのきいたものも美味しく食べてくれるだろうが、マッサージ師という接客業だからなあ。

天気が心配

 6日から北への旅に出るつもりでいるのに、天気予報は芳しくない。6日は新潟県泊まり。台風12号が同行する。翌日は男鹿半島泊まり。ここにも台風(たぶん熱帯低気圧になっているであろう)が同行予定である。そのあと下北半島に行く。ここが今回の旅のハイライトで、できれば仏ヶ浦を歩きたいが、雨の可能性がある。

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 仏ヶ浦は断崖の上から覗いただけで、現地に行くのがかねてからの念願である。天気がわるければ、たのしみにしている魚も獲れたてが食べられないかもしれない。重ねて残念なことである。

 友人に雨男がいて(本人には自覚がない)、彼と同行すると雨のことが多い。昨年の鬼怒川氾濫のまさにそのときに、北関東から東北を二人で走り回っていたのだ。今回の雨が予報どおりか、それとも意外に早めに回復に向かい、台風一過の晴天のなかをドライブ出来るかどうか、私についている晴の神さまの力が問われるところである。

迷いに迷って

 迷った時はやめておく、というのがわたしの信条である。迷った上で決行してロクなことにならなかったことがしばしばある。

 明日、5日(月)は弁護士事務所で電話調停。あとは金銭的なことばかりで、すべて任せることにしてあるが、当人がいないといけないのでわずらわしいことだが仕方がない。

1208_70 恐山・宇曽利山湖

 そのあと、6日から北へ旅に出かけようかどうかずっと迷っていた。7月の東北旅行は不完全燃焼で、本当は下北半島まで行きたかったのだが、果たせなかった。
 5日が済んでから決めようと思っていたが、昨晩旅に出かけることを決心した。最初の3日ほどだけ決めて、あとは成り行きで追加していく。二日目には男鹿半島、三日目には下北半島にたどりついているはずだ。下北半島には連泊するつもり。恐山の近くの温泉民宿で、一度行ったことがある宿だと思うが、その宿が取れたのが決心するきっかけだ。

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 そういうわけで、来週からしばらく旅の報告が出来るかと思う。

 決めてしまえば迷いは吹き飛び、わくわくする思いばかりだ。

 読み切れるとは思わないほどの本を車に積んでいく。どんな本が読みたくなるか分からない。読めるのは三冊かもしれないし十冊かもしれない。

 一度訪ねたところも多いけれど、何を新たに見つけることができるだろうか。自分自身の何に気づけるだろうか。先日も友人達に言ったけれど、もう人参をぶらさげて生きなくても良くなったのだ。やりたいことから優先的にできることの幸せを堪能出来るのだ。

 さあどこに立ち寄るのか、地図を眺めて今日明日は楽しむことにしよう。いやなことの先に楽しいことが待っている。わお!

2016年9月 3日 (土)

乱れまなこの斜め読み(4)

 先月末に、韓国最大手の海運会社、韓進(ハンジン)海運が「法廷管理」手続きに入った。債権団体がソウル産業銀行で開いた緊急会議で韓進海運の経営改善案を受け入れなかったためだ。債権団体はこれ以上支援しても再建は困難と判断したのだろう。

 韓進海運はこれで資金不足により、経営の持続が困難となる。韓進海運の負債額は5兆6000億ウオン(約5200億円)、今後は優良資産を現代(ヒュンダイ)商船に売却し、清算される可能性が高いという。しかし国の業界トップ企業が見放されるのは異例なことである。

 当然のことだが、韓進海運の船舶45隻が世界各地で運航に支障が生じている。 日本やアメリカ、中国など7カ国で、延滞した荷役料が支払われないでいるため、荷役企業が荷役を拒否しており、荷物の積み込みも積み卸しもできず、船舶が入出港できない事態なのである。エジプトでは通航料が支払えないため、スエズ運河の運航を拒否された。

 これらの商船に積まれた荷物はどうなるのか。誰が最終的にその処理のための資金を支払うのか。輸出が国を支えている国が物流に支障を生じているのである。韓国は国の信用に関わる事態になっているようだ。

 朴槿恵大統領は高高度防衛ミサイル・THAADの配備について、インタビューを受け「北の核の脅威が取り除かれればTHAAD配備の必要性も必然的になくなるだろう」と答えた。

 中国やロシアがTHAAD配備に強く反対していることに対して、あくまでもTHAADは北朝鮮の脅威に対するもので、中国やロシアを想定したものではないということを強調しているつもりなのだろう。アメリカの意図は別だろうが。

 これは韓国がアメリカとTHAAD配備で合意し、アメリカ寄りにかじを切り直したことを不快であるとして、にわかに韓国に対して強硬姿勢に転じた中国に対する言い訳であり、合わせて中国が北朝鮮に対して然るべき行動をとらないからこうなったのであり、対処さえすればTHAAD配備はしないと牽制したつもりなのであろう。アメリカの了解のうえかどうか知らないが。

 中国が北朝鮮の金正恩排除に動く口実を周りが整えはじめているのではないか、などと裏読みするのは妄想に過ぎるだろうか。G20での首脳の個別会談で、思わぬ話がこっそりと話し合われるのではないだろうかと、わくわくしながら期待している。   

 民進党の代表選挙に立候補した三人の話を見聞きしているが、どうも面白くない。観念的な話ばかりで、むかしの鳩山さんの空論とどう違うのかよく分からない。ただ、明らかなのは、岡田代表が進めていた共産党も含む無条件の野党共闘には、みな賛成ではないということだけは分かった。野党共闘が却って民進党から国民を離れさせたと感じているのだろう。

 民進党が解党的出直しをしなければ国民の支持を再び取り戻すことができないことは、大なり小なりみな感じているようだ。しかしそのために何をしなければならないか分かっていて、しかもそれを口に出すことができない。

 あたりまえのことだが、旧社会党勢力の切り離しが何より必要なのであって、それができない限り、党内の意見統一など出来るわけがない。百家争鳴が解消しなければ何も決められない党のままである。そんな党に国民の支持が集まるはずがないではないか。

 身を切る改革を自らすることなく、人を批判する資格はない。前原さんも土下座を口にする前に、そのことを口にしたらどうだ。党が割れて勢力は縮小するが、まともな党になる見込みが生ずる。そう見る国民は必ずいるはずだ。

曾野綾子「生身の人間」(河出書房新社)

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 一編3ページの短い文章がたくさん詰め込まれている。今まで読んできたことに似ていて、しかも新しい。そしていちいち「そのとおりだなあ」 と同感する。

 この前のブログに書いた「食べ放題」という私の文章もこの本を読んで、自分なりに感じたことだ。同感する、ということは自分もそのことでなにがしか同様の思いと記憶があると云うことだろう。

 それはそれぞれの人がこの本を読んで感じることで、そんな話を話題にして話す相手がいたらそれもいいなあと思ったりする。

 ところで、本の内容とは違うけれど、語学をきちんと身につけることのなかった自分の人生を深く後悔している。

 英語でも中国語でも、他国の人とその言葉で話すことができたらどれほど良かったか、と思う。言葉を習得出来なかったのは、もちろん私の能力が低いこともあるが、何より努力不足、怠け心のせいである。

 そのツケが自分の世界をどれほど狭くしているのか、今頃気がついても手遅れなのだ。もし生まれ変わったら語学を身につけたいと思うが、人間に生まれ変われるかどうか危ういし、そもそも生まれ変われるかどうか分からないものなあ。

食べ放題

 183センチ、90数キロの巨漢だったので、昔は大食漢であった。鯨飲馬食、何を食べ、何を飲んでもみな美味しい。その報いで痛風になり、糖尿病になった。

 それでも何人かで卓を囲む時、自分の分はわきまえて、人の分まで食べるようなことはしなかった。たいていみながもうこれ以上食べられない、と云う頃を見計らって残りを平らげる。それで充分満腹になる。

 そういうわけでバイキング方式、いわゆる食べ放題は有難かった。気兼ねが一切なしに食べられる。しかし、食べきれないほど皿に山盛りにして、それを食べ残しているひとを見ると怒りを覚える。

 食べ残したものは残飯として捨てられることになる。食べることが好きだから、食べ物を粗末にするのが許せない。それがまともな神経だろうと思う。

 金を払ったのだから元を取らなければ損だ、食べたくないけれど、元以上に食べてやろう、という姿を見ると、そのさもしさに顔を背けたくなる。

 健康保険でも、払ったからにはあまり必要なくても使わなければ損、などと公言する人を見ると鼻白む。

 今はバイキングでも人並み以下しか食べないし、食べられない。むかし自分がどのように他人に見えていたのかを思うと恥ずかしくて、穴があったら入りたい。それでもよほどの理由が無い限り、手元に持ち込んだ食べ物を食べ残したことはない。

 さもしい人は虫酸が走るほど嫌いだ。食べ放題はこわい。

2016年9月 2日 (金)

澤田瑞穂「鬼趣談義 中国幽鬼の世界」(中公文庫)

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 文庫とはいえ、500ページ弱あり、1ページに2~3話の話が取り上げられているので、全体としては軽く1000話を超える。前回のブログも含めて、何回か取り上げた中国の幽鬼の話は、埋め草としてこの本から引用した。

 それにしても参考文献の数が凄い。それだけ中国の志怪小説や奇談が多いと言うことである。それでも失われた物語はそれ以上にあるらしいから、中国人というのはどれほど想像力がたくましいのだろう。

 しかし、こういう話をまとめて後世に残した人は、いわゆる文人といわれた人たちで、近世はいざ知らず、昔は創作小説のたぐいは作らないものとされていた。作り話をするものは一段低く見られていたからだ。ではなぜこれだけのものが書き残されたのか。

 中国では事実を書き残すことこそが文人の役割だとされていた。そしてこれらの不思議な話の数々は、すべて語り伝えられたり、実際に身内や友人から聞いた、「実話」として記録されたものなのだ。勿論信じていなかったり、創作して実話の体裁をとった場合も多い。

 そんなことがあるはずがない、と頭から否定せず、世の中にはそういうこともあるかもしれないね、という考えで書き残されたのだ。科学的ではないといえばそれまでだが、しかし科学で何もかも説明がつく、と考えるのも一つの迷妄かもしれない。

 精神の自由さ、人間の不思議さを読み取る楽しさもあるのだ。

 それにしても著者の澤田瑞穂氏の該博な知識には脱帽し、敬意を表する。

 巻末にあげられた書物の数々を概観し、一度神田の古本屋ですこしあさり直してみようと思ったりする。

著者云う
 今や革命中国では、寺廟叢祠の多くは廃棄または閉鎖され、神像土偶の類も悉く遺棄せられたというから、こんな土偶妖異の談も伝承の根拠を失って、ほとんど消滅に帰したことであろう。ただ、旧記に遺されたものを点綴してみると、かつてはこんな怪異談も随所におこなわれ、庶民は聞いて驚きかつ笑い、さらに好事の人々によって欣んで筆録せられたということを知る。これを今また採録するのは、時代に反した、やくたいもない無聊の閑事と譏(そし)られようとも、これまた凡庶の精神史を窺う研究の一端ではなかろうか。

妖は伐つべきか

 人に似せたものは土偶、人形、絵画であっても、やがては生あるもののごとく行動して、ついに妖魅をなすことがあるという。

 南中に僧院あり、院内に九子母(鬼子母神)の像があった。寺の年若い一行者、衆僧に召し使われていたのが、数年ならずして痩せ衰え、神思恍惚のさまとなった。ある僧、この行者が夜になると九子母堂に入って寝るのを見た。よく見ると、一美婦人が行者を引き入れて同寝している。これが一年近くも続いた。僧は塑像が怪をなすと知ってこれを壊したところ、行者の異常は治った。やがて落髪して沙門となった。(「玉堂閒話」)

 建昌郡の兵卒の王福というもの、乾道年間に宿直して巡警に当たる。半夜に一女子に遇う。女は長官の宅の乳母の娘だといって、王福を誘う。彼は喜んでこれを寝所に伴う。女は夜が明けると去った。これより人に代わってまで宿直し、数月もたつと幽鬼のように痩せ衰えた。父親が詰問して実情を知り、女が訪れた時に燈をさげてこれを捕らえようとする。女は狼狽して天王祠に逃げこんで消えた。翌朝しらべると、それは化粧道具の箱を捧げた侍女像であった。ついにその像を撃ち砕く。王福は顔を掩って泣いたが、旬日して死んだ。(「建昌王福」)

 妖鬼に魅入られたとしても、魅入られた当人は幸福ではなかったのか。妖鬼を伐つことが果たして善であるのかどうか。

 超覚寺の九子母堂は山頂にあった。一行者が香火をあげに登る。土偶中の乳婢の乳が外に垂れているのを見て、ゆくたびにこれを撫でては惜しいものだと感嘆する。やがて偶人の目が動き、ついに歩き出して手を取って物陰に入り、これと交わる。これより日ごとに交わって月を重ねるうちに、やがて病にかかったが、それでも無理して山に登る。主僧がこれを窺うに、山の中腹まで登ると女が出迎えて笑いかける。翌日その跡を尾けると、女がまたやって来たので、杖で撃つと、ガラリと音して地に倒れた。砕けた土の中から数ヶ月の一胎児らしいものが見つかった。行者に持ち帰らせ、日に乾かして屑にし、薬に混ぜて飲ませたところ、行者の病は癒えた。(「夷堅志」)

 「白蛇伝」でも感じることだが、妖魔を伐つものに常に必ず正義があるとは思えず、妖魔に哀れを感ずることもしばしばある。

四天王寺(3)

回廊の外へ出て仁王門の仁王像を見に行く。


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左手の吽像。

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右手の阿像。
両像とも力感にあふれている。

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聖徳太子の聖霊院・前殿。
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横から奥殿に行けるようだが、あまり待ち合わせ時間まで残り時間がなくなったので行かず。

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回廊前から奥殿を望む。

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奥殿の上の相輪。

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聖霊院の門の彫り物。こういうのが好きなのだ。

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太子井戸建屋。その向こうにあべのハルカスが見える。

時間なので天王寺駅まで戻ろう。歩いて約15分。炎天下なのでやや疲れる。のどが渇いた。ビールがうまいであろう。

2016年9月 1日 (木)

四天王寺(2)

四天王寺は広い。丁寧に観ているとみものも多い。大阪の人たちはいちおう四天王寺はよく知っていて、来たこともあるけれど、わざわざ拝観料を払って金堂や五重塔を見たりしていないようだ(これは友人達から聞いたので、友人達が例外かもしれないが)。


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入り口を入って、金堂や五重塔を囲んでいる回廊の内側に立つ。寄進された釣り燈籠がずらりとならんでいる。

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右手が金堂。左手が五重塔。

金堂の中に四天王寺の本尊である救世観世音菩薩(聖徳太子の守り本尊である。今昔物語集によれば、聖徳太子はそもそもが救世観音の生まれ変わりである)の大きな像がある。そして四方には四天王寺の名の由来である、四天王がならんでいる。すばらしい像ばかりで、これだけで拝観料の値打ちがある。中はとても暗い。もちろん撮影は厳禁。残念だが仕方がない。回りの壁に釈迦の生涯を描いた大きな壁画がある。中村岳陵画伯の絵だという。

現在講堂は修復中なのか、入れなかった。

五重塔は中に入って登ることができる。

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靴を脱いで中のらせん階段をぐるぐると登る。情けないことに一気に登ると息が切れる。格子の隙間からかろうじて景色が見えるが、塔内も撮影禁止。

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塔の上の九輪が日に輝く。

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金堂と五重塔のあいだの燈籠がとても美しい。特に水煙がすばらしい。右の階段が五重塔へ登る外階段。

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一番大きな門は仁王門だが、ここは閉ざされていて出入り出来ない。あとで一度外へ出てから仁王像を見に行く。屋根上の鴟尾(しび)が飛鳥時代を思わせる。
  つづく


四天王寺(1)

昨日、天王寺で待ち合わせだったので、早めに行って聖徳太子ゆかりの四天王寺を訪れた。


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大日本佛法最初四天王寺。石の大鳥居。

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極楽門から入ると左手に親鸞聖人の旧跡が。

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親鸞聖人のお顔。

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右手には弘法大師が。

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弘法大師。頭が大きい。

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鈴なりの銀杏。

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六時堂。手前は石舞台。

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放生池であろう。放生された亀がたくさん。

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甲羅干しする亀たち。

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回廊越しに五重塔を望む。回廊内の五重塔、金堂などを見るには拝観料300円を払って中に入る。
    つづく

渡部昇一「日本人論」(扶桑社新書)

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 渡部昇一は山形県出身で、父の郷土が山形で、大学も山形である私にはシンパシーがある。そういうわけで若いときはずいぶんこの人の本を読んだが、今回は久しぶりである。というのも、この人だんだん右傾化がひどくなって、さすがの私もついて行けなくなったからである。

 彼の価値観ですべて組み立て直して見れば、日本の歴史もこのように見えるであろう。そういう意味では首尾一貫しているし、従来の主張と整合性もある。ただ、以前読んだこの人の主張、考え方から進化が見られず、ただ深化し、強化しただけで、新しい知見はあまり得られなかった。

 すらすらと日本の歴史を渡部昇一流に詳述していき、これが正しい歴史だ、とおっしゃっているが、こう決めつけられると、それが韓国式の歴史決めつけとどう違うのか首をかしげたくなる。ただ、韓国の場合は意図的な嘘が混じっているが、著者の場合は嘘というほどの間違いはないかもしれない。とはいえ記述していること、取り上げている内容に偏りがあり、感情による解釈の歪みがありそうな気がするだけである。

 結論からさかのぼって歴史を記述するとこうなる、という見本のような本で、そう思ってみると面白い。

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