« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月

2016年10月31日 (月)

中国はすばらしい

 中国の鉄鋼生産が過剰であることが各国の鉄鋼産業に著しいダメージを与えている。中国では、採算を度外視して赤字を垂れ流している国営企業と、低賃金、または賃金の支払いをしないで粗悪な鉄鋼を続けている地方の中小鉄鋼メーカーが、狂気の過剰生産を続けている。そもそも同じ条件での競争ではないところに問題があるのだ。赤字で勝負するなら価格競争に勝つのは当たり前である。

 日本にやって来た中国鉄鋼業協会の会長は、今後5年間かけて生産能力の1割強に当たる1億4千万トンの生産削減をする予定である、と述べた。生産過剰に対処するには出来ればすぐにも3割、5年なら5割削減する必要があるのに、何たることか。

 会長は「中国政府が重大決意をして強力な政策を打ち出しており、削減目費用は達成出来る」と胸を張ったという。

 同じ頃、中国工業情報省は、政府が進めている鉄鋼と石炭の過剰生産能力の解消に対する削減目標の達成率が80%を超えた、と成果を強調した。目標が低ければ達成出来るのは当たり前である。何のための目標か。

 しかし中国が削減に動き出したのは事実である。すでに中小メーカーはばたばたとつぶれ始めている。ところがその結果、石炭と鉄鋼の価格が上昇し始めた。こうなると死んだふりをしていたところがまた生産を始めるであろう。前途多難である。

 パリのOECD(経済協力開発機構)で世界的な鉄鋼の過剰生産問題を話し合う「国際フォーラム」の準備会が開催された。9月に、中国の杭州で開かれたG20の首脳会議の宣言に盛り込まれた主要な議題として決まったことである。とりまとめたのはそのときのG20の開催国であり、世界の鉄鋼生産量の60%を占める中国であるのはもちろんである。

 ところがこのパリの「国際フォーラム」の準備会に、中国は何の連絡もなしに欠席して関係各国は唖然としている。

 中国の1-9月の貿易統計によると、累計鋼材出荷量は2.4%増加、その輸出額は14.9%減少している。つまりさらなるダンピング輸出をまだ続けているのである。

 こんな事態では「国際フォーラム」に出席しても批判の的になることが明らかだから逃げたのである。中国に信義はないと知られているにしても、これではますます信用を失うばかりだ。

 ところで先日発表された今年の第三四半期の中国のGDPの年間換算での成長率は6.7%であった。中国が目標にしている今年の成長率に正確に合致しているのは、さすがに計画経済の国ですばらしい。ちなみに第一四半期の成長率は6.7%、第二四半期の成長率は6.7%である。よって、1-9月の累計の成長率は年換算で6.7%である。中国はまことにすばらしい国である。

 嘘くさくなるから少しくらい数字をばらつかせればいいのに。中国はバカ正直な国で国民は幸せだろう。うらやましいことである。

どん姫きたる

 昨晩、娘のどん姫が、これから行く、と突然連絡してきた。早めに言ってくれれば美味しいものを作ってあげたのに。仕方がないのであり合わせのものを簡単に用意する。

 元気そうなのが嬉しい。酒を美味しそうに飲むのを見ていても嬉しい。いつの間にか酒の腕が上がっている。いいことやらわるいことやら。

 先日行ってきた旅の話やらなんやら、いろいろ話す。会話が出来ることが嬉しい。バカ親である。来週も用事があるのでまた来てくれることになった。

 今日は遅番だけど一度家に寄るから、と朝飯を食べてから「いってきます」、と元気に帰っていった。

2016年10月30日 (日)

追憶

 つい先日亡くなった、世話になった元上司のことをいろいろ思い出していた。そのまま忘却するのも哀しいので書き留めておくことにする。

 中国に造詣が深く、わたしの遙か高みを行く知識の人だった。諸橋轍次博士の大漢和辞典を全巻揃えて持っているのが自慢だった。ただ、今の中国があまりお気に召さないため、中国には行かず、わたしの中国旅行の話を面白がって聞いてくれた。

 彼とは別の上司と行き違いがあり、わたしがその上司に暴言を吐いたために関係がぎくしゃくしたとき、社内的にわたしのわるい噂が流れた。人を介してそのことを心配していることが伝えられたときはとても嬉しかった。

 当時は妻が家を出てしまい、小学生の子ども二人を抱えてわたしも少々荒れていた。その相談をしても一切受け付けてもらえずに追い詰められて、それが暴言に繋がり、結果的に自分の首を絞めた。そのことは深く反省している。

 自分が社内の上層部からかなりひどい評価をされているらしいことは漏れ聞いていたけれど、それをかばってくれた人もたくさんいた。そのうちの特に世話になった二人を今年立て続けに失ったのは本当に残念だった。翻ってみれば自分はそのように自分の部下に世話になったと思ってもらえるような人間だったのか考えると、忸怩たるものがある。

 夏前に電話で話して体調が優れずに検査入院すると聞いた。そのあともう一度様子を聞くために電話したら、検査結果は胃がんであると知らされた。社内の人にはけっして知らせるな、と強く言われたので、加減がわるいらしいとだけ人には伝えていた。秋になったら見舞いに行かなければ、と頭では思っていたのに、ついに電話で話したのが最後になってしまった。

 病気のせいで食べ物を身体が受け付けず、死に顔は頬がこけて面変わりしていたのが哀しかった。豪快な笑い方をする人で、酔うと口ぐせのように「拙者は・・・」と言った。物事をとことん考えぬく人で、わたしが安眠しているあいだに寝ずに作戦を考えてくれる人であった。厳しいけれど楽しく、そして心やさしい人であった。

 退職されてから、車で一時間足らずなので、毎年正月にあそびにいってご馳走になっていたのだが、こちらも子どもを連れて帰省することも多く、いつの間にか間遠になってしまった。

 名古屋に出て来てもらって会食したこともある。人の話を目を細めて聞いてくれるので、いい気分で飲むことが出来る。それだけ気を遣ってくれていたのだと思う。

 人はみな死ぬのだということを思い知らされることが続いている。そうしてそういうことに覚悟が出来て、受け入れられるようになっていくようだ。

大川小学校の判決に思う

 東日本大震災で、石巻市の大川小学校の多数の生徒と先生が津波で犠牲になった。この犠牲の責任を問うことができるのかどうか。それを問う訴訟が遺族側から起こされ、一審では学校側の責任を認める判決が下された。

 このことでは兄貴分の人は、論外の判決である、との見解であった。確かに災害のときの被害の責任を誰かに問うことについては議論のあるところだろう。兄貴分の人の論理では、天災の責任を問うことで補償金を求めることは功利的である、という受け取り方なのであろう。

 しばしば不可抗力の被害に公的な責任を問うことは、正義の名のもとに功利的なものが見え隠れして、いささか不快な思いをすることがある。しかし今回の件はどうもそういうとらえ方をすべきではないように思う。

 事実として伝えられていることは、地震のあと、校庭に全校生徒が集合させられて50分あまりそのまま待機していたこと、市役所の広報車が周辺で津波のおそれがあることを伝えて廻っていたこと、生徒の中に早く逃げよう、裏山に逃げよう、と言う者がいたこと、そして先生の中にもそれに賛同する者がいて、当時の責任者の教頭(校長は出張中で不在だったはずである)にそのように進言していたことが明らかになっている。

 それなのに便々と時を過ごし、裏山は危険だから行ってはいけない、として川沿いに移動を始めた。そこに大津波が遡上して全員が波に呑まれたのだ。わずかに助かったのは、波に呑まれながらなにかに引っかかったかどうかの僥倖でしかない。

 ここで石巻市役所が判決に反論しているのは、そもそも大川小学校は河口から4キロと離れていて、津波の想定区域ではなかったのだから、津波は想定出来なかったというものだ。

 今回の地震も津波も想定をはるかに越えたものである。では想定されていなかったところでは大川小学校のように多数の犠牲者が出たであろうか。じつはそうではないのである。この大川小学校は逃げることが可能なのに多数の犠牲者を出したという例外的な場所であることを忘れてはいけない。逃げることが可能だったところでは多くのひとが助かっていて、手をこまねいていたのは極めて例外的なのである。

 大川小学校の、奇跡的に助かった生徒や先生からの聴き取りで分かったことは、山へ逃げようという生徒や先生の声があったことである。ところが不可解なことにこの事実が記録から抹消されている。そして聴き取りの文書記録そのものが廃棄されて存在しなくなっているという。

 つまり補償や責任追及を逃れるためかどうか知らないが、都合のわるいものが隠されているということである。しかし奇跡的に助かった生徒や先生は生きている。その人の口に戸は立てられない。その人たちが、自分が証言した事実が隠されていたことを明らかにしている。それが露見したことが今回の判決に繋がったのだろうとわたしは見ている。

 石巻市役所の言う、そもそも津波の被害が想定されていないところだったから責任はない、という論理は危機に対する認識としてとても問題のあるものだと思う。これでは同様の危機に教訓がまったく残せないではないか。こういうときにどうすべきか、学習することが出来ない。

 公的に想定されていてもいなくても、危機に対してどう行動すべきか、その結果に対して誰かが責任を問われなくではならない。判断を遅らせて手遅れになったこと、誤った判断で多数の犠牲者を出したことは、今回については有責であろう。一部の人は危機に対してのセンサーを持っていて、それを働かせたひとがいたのにそれを押しとどめたことの責任は問われて当然だというのがわたしの考えだ。

 有責の、教頭をはじめとする教師達はすでに死者である。かれらを鞭うつに忍びないが、今回は有責であるという裁判所の判断を支持したい。 

下野庚申堂と松川

長老と兄貴分との三人旅は、いつもは3泊4日である。今回は土産にリンゴが買いたいと言うので、兄貴分の人の提案で信州飯田の手前、昼神温泉にもう一泊することになった。


石徹白から昼神まで走る。まず国道156号線を郡上まで南下し、郡上から国道256号線を東へ走り、下呂の南端部に到り、国道41号線を経て国道257号線へ、さらに南東へ走る。付知(つけち)を抜けて再び国道256号線を東へ。国道19号を経て妻籠宿、ここからの国道256号は通称清内路街道と呼ばれる。この国道は飯田まで続いているが、昼神はその手前である。

途中257号から257号へ移ってすぐに日本三大庚申堂の一つ、下野(しもの)庚申堂があるので立ち寄る。

Dsc_1281

日本三大庚申堂というけれど、それほど大きなものではない。そもそも庚申堂は大きな社を構えるものではないのかもしれない。

Dsc_1276

堂への小さな階段の上の左右に鶏と猿が置かれている。

Dsc_1277

見ざる言わざる聞か猿が何でここにあるのか知識がないのでよく分からない。

Dsc_1278

堂の前にある庚申尊。

Dsc_1282_2

猫かと思ったら可愛い猿のようである。猫の石像がこんなところにあるはずはないか。

何を大事そうに抱えているのか、よだれかけが邪魔してよく分からない。供えられたらしい柿が、鴉にでもつつかれたのか穴があいている。

昼神温泉の宿は高級そうな宿。何とロビーの奥に狂言の舞台がある。兄貴分の人は、なんだかもったいぶった宿だなあ、とつぶやいた。

夜、狂言の実演があった。「木賊(とくさ)」という演目で、瀬戸内寂聴の作とのこと、新作らしい。最初に物語の背景や狂言の楽しみ方のレクチャーがあり、お陰で大変楽しく拝見することが出来た。

宿でリンゴの買えるめぼしい場所をいくつか教えてもらい、中央高速の飯田の先の松川インター近くへ行くことにする。

Dsc_1286

最初JAのやっている店へ行ったが今ひとつ品揃えがない。いくつか覗いてこの直売所で購入することになった。

Dsc_1284

背後を見上げれば、木曽駒ヶ岳の前峰が見える。手前はリンゴ。

Dsc_1285

農園の前ももちろんリンゴ。

Dsc_1288

南の方を見ればりんご園の向こうに南アルプスが霞んで望める。

このあと恵那へ送ってもらい、わたしはそこからJRで帰宅した。

旅行中も咳が続き、寝汗がひどかったけれど、多少の山登りも出来たし、同行の二人にあまり迷惑をかけずに済んだのは幸いであった。

ところが兄貴分の人は最後の晩から咳が出始めた。しばらく続いたが、繰り返しイソジンでうがいをしていたら軽快化したという。大事に到らずに良かった。

今回の旅の報告はこれでおしまい。

今月末には台湾へ行く。次の旅の話は12月の初めになる。



2016年10月29日 (土)

疲労困憊の浄安杉

これから見に行こうとする浄安杉には伝説がある。


Dsc_1244

文字が小さくて読みにくいようなら申し訳ない。ここには埋蔵金があるらしい。勇んで浄安杉に向かったのだが・・・。

とにかく急坂と階段の連続である。その坂も道が獣道のようになっていて分かりにくいところがある。あまり人が行かないのかもしれない。

Dsc_1248

道の両脇にはこんな年を歴た樹がある。

Dsc_1245

長老はふだんアスレチックに通っているので元気だが、さすがに途中で息を切らしていた。わたしは長老についていくのがやっと。兄貴分の人は遅れがちで、先に行け、と手で指図する。結局あと三分の一くらいのところで座り込んでしまい、断念した。

Dsc_1250

おお、あれが浄安杉だ!存在感がある。

Dsc_1253

目の前に立つ。

Dsc_1257

見上げればのしかかるようだ。

Dsc_1254

反対側、山側から撮る。長老も登ってくる。

Dsc_1260

長老が浄安杉の言葉を聴いていた。長老なら理解できるであろう。

時計を見れば確かに15分あまりで登ったことになる。しかしどこにも休憩する場所なしの、ただひたすらの登りは運動不足の身にはつらい。汗みずくになり、疲労困憊した。

こういうときは下りがこわい。木の葉が道に積もっているし、木の根が引っかかることがある。多少膝にもきている。情けないことである。

下へ下りたら、おばさんたちがけっこう早く登ってきたねえ、と感心してくれた。うれしがらせてくれる。
(つづく)

白山中居(ちゅうきょ)神社

石徹白(いとしろ)いうところにいる。この一帯は白山山系の南側にあたり、石川県側と同様白山信仰の盛んなところである。有名なところでは、あの高い天井からさげられた花飾りを人の山に登って奪い合う祭で有名な白山長滝神社がある。地図をよく見ると白山神社と名のつく神社がそこら中にある。その一つを訪ねる。


Dsc_1218

宿から車で10分あまりとほど近いところに白山中居神社があるというので、宿泊した翌朝訪ねた。

Dsc_1221

神社の前にちょっとした地元の物を売っているおばさんたちがいる。さっそく兄貴分の人と長老がひやかす。こうしていろいろな話を聞くことが出来るのだ。一週間前に秋祭りがあって賑わったが、それも終わりもう冬支度だそうだ。

Dsc_1222

神社の鳥居周辺のたたずまいは予想以上に荘厳で、杉の巨木が参道にそびえている。実はこの神社を訪ねた目的は神社の参拝ではなくて、杉の巨木を見に来たのである。そのことはこのあと記す。

Dsc_1225

ここが岐阜八景であるという石碑が建てられている。

Dsc_1227

参道にそびえる杉と紅葉の始まったカエデ。

Dsc_1219

参道横から杉木立を見る。

Dsc_1230

紅葉が美しい参道を行く。

Dsc_1232

杉の巨木を見上げて写真を撮る兄貴分の人。神社本殿には階段を少し登る。

Dsc_1240

本殿は囲いがされている。

石徹白には石徹白大杉という国指定の天然記念物の杉がある。樹齢1800年といわれる。この中居神社からさらに狭く険しい山道を車で20分あまり登り、そこから急な階段を419段上ったところにあるという。宿で聞いても神社前のおばさんたちに聞いても、私たちの姿を見て首をかしげる。あからさまにやめておいた方がいいという顔なのである。

その石徹白大杉を出発点として銚子ヶ峰1810メートル、さらに別山2399メートルと北上縦走し、最終的に白山の剣ヶ峰に到るのが岐阜県側からの白山参拝コースなのである。

わたしは病み上がりだし、兄貴分の人は数年前に頸動脈梗塞で手術して心臓に爆弾を抱えている。わたしより10歳年上の長老が一番元気だが、石徹白大杉への挑戦は断念した。

しかし、もう少し近いところにもう一本大杉があるのである。

Dsc_1265

神社横のこの坂道を登ると浄安杉という幹回り10メートルを超える杉の巨木があるというのだ。登り口から歩いて15分ほどというからおじさんたち(気持ちはおじいさんたちではないのだ)でも行けるだろう。

それがそれが・・・。
(つづく)


2016年10月28日 (金)

人に害を与えるのは論外であるけれど

 人に害を与えたことは理由の如何を問わず論外であるけれど、元自衛官の爆死事件には考えさせられるものがあった。

 仄聞するところでは、三女が統合失調症となり、当然のことに元自衛官は医療機関による治療をさせようとしたが、妻は新興宗教にすがり、医療を拒否した。妻はその新興宗教に三女の病を払うため多額の寄付を行い、まじないの壺などを購入し、蓄えの1500万円あまりを消尽してしまったという。

 当然夫婦の間に激しいいさかいが起きた。その傍らに治療を受けずにいる統合失調症の娘がいれば、そこは修羅場であったろう。元自衛官も妻や娘におもわず手をあげたことがあったであろう。わたしが彼の立場でも、たぶん手をあげたと思う。

 そして妻と三女は出て行き、彼は一人きりになった。その後妻の申し立てで離婚裁判となった。結果として彼の行動が全面的に不当であるとして、妻の全面勝訴となったようだ。

 彼は家を失い、たくわえを失い、借金をして離婚の慰謝料を払うことになった。高齢で無理して借金をしたものをどうしたら返済出来るというのだろう。

 人はときに鬼になる。彼は追い詰められて鬼になった。鬼なら人の迷惑など斟酌するだろうか。この世を恨み、呪い、文字通り爆発した。

 以上のことが正確かどうか知らない。ただわずかな情報からこうだろうか、とわたしなりに推測したものである。裁判では妻と精神疾患の三女の人権が尊重されたのであろう。妻側の弁護士の大勝利である。

 人権の名のもとに、場合によっては理不尽としか思えないことが通用するのが司法の場であることを、私もこの一年あまりで経験している。互いの主張の妥協点をさぐるのが民事だと思っていたら、ときに人権が絡むと一方的な裁定がでてしまう。敗訴した側がそれに耐えられれば良いが、耐えられないと今度のような事件に繋がってしまう。

 最初に言ったように人に害を与えることは論外である。だが論外であることを生み出すきっかけを人権が生んだかもしれないと、この夫婦の離婚訴訟の弁護士や裁判官は少しでも感じただろうか。

 何も感じていないだろう。そして人権の名のもとの不公平が理由で鬼になった人によって、同様の事件がこれからも起きるだろう。

北朝鮮と関係はないのか?

 朴槿恵大統領が年来の友人チェ・スンシル氏に、大統領として知り得た国家機密に属する情報を洩らしていたことが明らかになり、韓国は大騒ぎになっているようである。大統領が一私人に国家機密を洩らすなど、どんな釈明も通用しないありうべからざることであるから当然の騒ぎである。

 昨年秋から、このチェ・スンシル氏に関わる金の疑惑が取りざたされていたという。韓国の国家予算が10億単位で次々にチェ・スンシル氏に関わる財団に投入されてきて、しかもその使途が不明と言うから驚く。その税金投入の認可は大統領府の指示で即日に近い形で認可されてきたそうだ。

 その疑惑を追及するためにチェ・スンシル氏の住むドイツに赴いたマスコミが、彼女の廃棄されたパソコンを入手、そこで情報漏洩が明らかになったという経緯らしい。

 逃れぬ証拠があるため、朴槿恵大統領も事実を認めて謝罪したけれど、それで沈静化をもくろんだはずが一気に批判が爆発した。

 ここまではニュースを見ていれば明らかなことだが、いまのところまだ誰も言わないのは、チェ・スンシル氏に北朝鮮の影がないかどうかということだ。彼女は統一教会との関係もあるようだ。統一教会には北朝鮮の影があるという噂もある。

 国家機密や巨額の資金が流れていた先が、北朝鮮ではないかと疑うのは自然なことであろう。しかしまだ事実が判明していない時点では、マスコミも軽々にいえないだろうからわたしが憶測で言う。

 朴槿恵大統領は北朝鮮に対する制裁を叫びながら、じつは友人を通じて資金を北朝鮮に提供していた、などということになれば、知らなかったといえ罪が重い。

 チェ・スンシル氏が滞在するドイツはもともとスパイが横行する場所だという。北朝鮮スパイも山ほどいるだろう。関係を疑う理由になるだろう。

 貧すれば鈍するというが、韓国は経済も政治も大ピンチに陥っている。経済と政治は互いに同じ根のところで腐朽化しているのか。

 ところで、さらに憶測を重ねれば、今回のこのような事実の暴露は、じつは北朝鮮自らが、あまりに北朝鮮に対する攻撃的な言辞を続けている朴槿恵大統領に対して放った強烈な一矢ではないか。もともと裏に北朝鮮が介在したものであれば、それを暴露することは簡単であろう。

 身から出た錆とはいえ、韓国は自ら選んだ大統領を廻って大騒ぎが続き、沈滞していくことになりそうだ。

夫婦滝

白川郷から国道156号線を南下、ロックヒィル式ダム(岩石を野積みしたような外観のダム)の御母衣ダムを越え、御母衣湖を左手に見て荘川町へ、さらにそこからひるがの高原へ。


ひるがの高原の外れにある分水嶺を越え、峠を一気に下る。
急カーブの連続の下り道の途中に長良川源流・夫婦滝がある。

Dsc_1207

ホワイトロードのふくべの大滝の迫力にははるかに及ばない小さな滝だが、美しい滝である。しかも道路のすぐ横に数台駐まれる駐車場があって、その駐車場から五分ほどで滝のそばまで行けるのが有難い。

Dsc_1208

滝の落下地点も美しい。

Dsc_1214

岸壁に這うツタ状の葉が美しく色づいている。

Dsc_1215

駐車場へ戻って崖を見上げた兄貴分の人が指さすのを見ると、大きな蜂の巣がある。さいわい襲われなかった。

下り道を下りきると高鷲である。ここに湯の平温泉という温泉があり、わたしは日帰り温泉にときどき行く。

このままくだれば郡上白鳥(しろとり)だが、途中から右折して白鳥高原方向に再び坂道を登る。ここには日本100名瀑の一つ阿弥陀ヶ滝がある。しかし三人ともここには何度も行っているのでパス。機会があれば一度見に行くことをお勧めする。それほどある数に見ることが出来るし、姿の良い滝だ。夏なら流し素麺もある。

急坂をさらに登るとウイングヒルズ白鳥リゾートの一角に日帰り温泉「満天の湯」があり、その横の1年前にできたばかりの「満天の宿」が今晩の宿だ。高度約1000メートル、満天の宿と言うより天空の宿と言うところか。

ここの地名は石徹白(いとしろ)という。石徹白には見所がある。翌朝はそこへ行く。
(つづく) 

2016年10月27日 (木)

等価

 少し哲学的なことを書くが、難しかったり分かりにくいことを書こうとは思わない。そもそもわたしは難しいことを書くほど哲学的な人間でもないし、その知識もない。

 学生時代に、人と人との関係は貸し借りの関係だと言って、ある友人と激しく口論になったことがある。相手に一方的に依存するのは正しい人間関係ではないというのがわたしの考えだが、友人は、友達というのはそういう貸し借りの関係ではないと言う。

 「管鮑の交わり」という。(以下引用)

「【管鮑之交】とは、春秋五覇の先駆け、斉の桓公に宰相として仕えていた管仲と、管仲を桓公に薦め、自らはその下に就くを好しとしていた鮑叔牙の【交わり】についてです。『史記』管晏(カンアン)列伝に詳しく記載されていますが、そのいくつかをまとめてみました。

① 管仲と鮑叔が一緒に商売をした時、その利益を、鮑叔より余分にとりました。
 しかし鮑叔は管仲を欲ばりとは言いませんでした。管仲が貧乏なのを知っていたからです。
② 鮑叔の為を思ってやったことが失敗して、鮑叔を窮地に陥れたことがありました。
 管仲をおろか者とは言いませんでした。事には当り外れがあるのを知っていたからです。
③ 管仲は何度も仕官しては、馘(くび)になりました。それを無能だとは言いませんでした。
 まだ運が向いてこないのを知っていたからです。
④ 戦の時に、何度も敗けて逃げ出しましたが、それを卑怯だとは言いませんでした。
 管仲に年老いた母のあるのを知っていたからです。

後年、管仲の鮑叔に対する述懐です。
『私を生んでくれたのは父母だが、私を知ってくれたのは鮑叔牙だ』」(引用終わり) 

 これを一方的な依存関係と考えるかどうか。わたしは、鮑叔は経済的、政治的には管仲を助けたが、管仲の能力が全面的に評価されて花開くのを見ることで充分鮑叔は報われたのであり、互いの貸し借りはバランスがとれていると考える。

 借りていると思うことはまだ良い。それを返そうとすることは相手にプラスであるからだ。それに対して、相手に貸していると思うことは、相手が借りているという様子が見えないとき、次第にわだかまりに変わるおそれがある。それが人間関係を損なう可能性があるというのがわたしの考えだ。

 それを自然な形で配慮して、バランスを取ることで人と人の関係は安定化する。

 しかし昔論争した友人のように人間関係を計量化するような考え方そのものを打算的である、と決めつける人もいる。そのことが直接的な理由ではないけれど、その友人とはいつの間にか疎遠になってしまった。

 母が寝たきりになったとき、それ以前から発語障害だった母は、して欲しいことが相手に伝わらないことにしばしばじれて不満顔をすることがあった。わたしは介護で二人きりのときに何度も何度も、「ありがとう」という顔をするように説いた。気がついたら、母はヘルパーさんや弟の嫁さんにかすかにほほえむようになった。

 みなが、母がほほえんだことを心から嬉しそうに語った。

 母がしてもらっていたことと、母のほほえみはそのときバランスがとれていたのである。
 
 疎遠になった友人は、わたしが人間関係を計量化することを非難した。しかしその計量化することの価値観に対する考えが違うだけで、たぶん説明すれば分かることだったのかも知れない。

 今すべてを金の問題に置き換える計量化が絶対的に流通している。わたしはそのような計量化は、もっとも人間関係を損なうものであると考えている。ほほえみは金には換えられない。

 親指と人差し指で金(かね)のサインをひたすら繰り返すトランプはアメリカのグローバリズムの象徴であり、それを称揚するアメリカ文化の底の浅さ、精神的な浅薄さが世界を掩いつつあるとき、世界の人間関係が薄っぺらになりつつあることを憂える。

 世界はバーチャル化して、精神を含めての人間関係のバランスを考慮に入れることを見失っている。ゲームに夢中になってトラックで少年をひき殺した運転手のように、情報とバーチャルという、生き物の世界とは無縁のデジタル世界が世を掩いつつある。

 その世界は無臭である。若者が体臭を含めて臭いを嫌うことは異常なほどである。煙草ぎらいもそこに根ざしているような気がする(わたしは煙草は吸わないが、そう思う)。

 セックスレスが増えていることと、文明社会の人間の生命力の低下が関係しているだろうことは誰にも想像がつくだろう。セックスの興奮は体臭に励起されるものだ。人はみな無味無臭であることを自分にも相手にも求め、次第に物質化していく。

 子どもの時、祖父母の臭いにとても心安らいだ。今思い出せばノネナール臭だったのだが、それが嫌なものなどではけっしてなかった。あのころの世界はその意味で優しかった。

白山白川郷ホワイトロード

Dsc_1195

濁河温泉から高山へ向かう。本来は国道361号を行くのだが、ショートカットの県道435号を走る。道は急カーブの連続で、車がすれ違うのも困難なくらい狭い。わたしはこんな道は嫌いだが、兄貴分の人は嬉々としている。運転を任せて申し訳ない気もするが、その様子を見ているときが楽になる。

高山から中部縦貫道、そして東海北陸道を通って白川郷へ。今回は白川郷には立ち寄らない。

今は白山白川郷ホワイトロード、昔は白山スーパー林道と言った。入り口で料金を払う。本当は石川県まで抜けて、白峰温泉に宿泊する予定だったが、以前このブログにも書いたように、何と予約した宿から一方的に解約を通告されてしまった。

そういうわけでこの晩は、白鳥高原のウイングヒルズ近くに泊まることになっている。だからホワイトロードを途中から引き返すのだが、料金所で確認したら向こう側へ抜けなければ片道料金です、という。安心した。

空模様が怪しいが、何とか持ちこたえている。

Dsc_1186

途中の駐車場で車をとめて紅葉の写真を撮る。赤が混じるといっそう鮮やかな色合いになる。

Dsc_1176

長老も兄貴分の人もゴキゲンであった。

Dsc_1185

白山は多数の峰が連なる連峰である。これは一番奥の剣が峰など。少しシャープネスをかけている。

Dsc_1190

ホワイトロードのハイライト、ふくべの大滝。実際に見るとその迫力に圧倒される。滝が好きだが、特にこの滝はすばらしい。

Dsc_1197

滝の近くの紅葉。

このあと白川郷に戻り、高速に乗らずに国道156号線を走る。御母衣湖沿いの狭いトンネルもだいぶ整備されてきた。
昔金沢に単身赴任していたときは毎週この道を通って名古屋と往復したものだ。冬は積雪が凍結して、夜走るときは怖かった。
(つづく)

訃報

 昨朝、上司として世話になった人が25日の晩に亡くなった、とご子息から電話をいただいた。昨晩はお通夜で、今回旅行で一緒だった兄貴分の人も縁があったので大阪からやって来た。昨晩はわが家に泊まり、今朝はこれから二人で春日井の式場の葬儀に参列する。

 具合がわるいらしいとの話を聞いたので、7月始めに電話をしたら、声に元気がない。8月に精密検査して9月に入院する予定だという。気にはしていたのだが、こんな急に亡くなるとは思わなかった。

 今年はこれで縁の深かった人、三人の訃報を聞くことになった。自分に近い人の訃報が特別なことではなくなってきた。

2016年10月26日 (水)

濁河散策

宿泊した濁河温泉の部屋には暖房の設備が見当たらない。しかし部屋は快適な温度である。温泉の熱を不凍液に熱交換して床暖房しているそうだ。だから寝るととても温かい。


快適な目覚めをした翌朝、近くに滝があるというので朝食前に散策に出かけた。

Dsc_1154

坂を登って数分で白糸の滝という表示が見られる。背後の滝が白糸の滝。

Dsc_1156

木の間越しに滝が見えるが降り口はない。

Dsc_1153

アップで。

さらに100メートルほど登ると公営の駐車場があり、御嶽山の登山口がある。

Dsc_1157

ここには御嶽山最高峰の剣が峰まで5.5キロとなっているが、その先にもうひとつ標識があり、剣が峰まで6.6キロとなっている。どちらにしても登るつもりはないし、今は山頂である剣が峰まで登ることはできない。

Dsc_1164

橋を渡ると御岳大明神の鳥居がある。ここを回り込むと御嶽山の登山道である。

Dsc_1165

渡ってきた橋の上から渓流の写真を撮る兄貴分の人。

Dsc_1170

宿泊した濁河温泉朝日荘の看板。若い夫婦がメインで経営している。日本秘湯を守る会会員だそうだ。聞くと、御嶽山の噴火のときは火山灰や噴石は長野県の方に主に降り、こちらの岐阜県側は多少火山灰が降った程度でほとんど被害はなかったそうだ。

Dsc_1171

道の横にキノコがある。よく見るとそこら中にある。食べられるのだろうか?
(つづく)

野麦峠

朴の木平から松本方面に走り、トンネルを次々に抜け、奈川渡ダムを右折する。しばらくダム湖に沿って遡上し、寄り合い渡でさらに右折、乗鞍の南側を西に走る。これが野麦街道にである。野麦街道は北に乗鞍、南に御岳のあいだを抜ける道なのだ。


Dsc_1128

野麦峠にいたる。野麦峠から乗鞍を望む。

Dsc_1129

峠の展望台から下を見下ろす。針葉樹も多く、期待したほどの紅葉ではなかった。

Dsc_1131

すぐしたに小さな池が。紅葉は全般に鮮明ではなく、少し焼けているようである。

Dsc_1136

野麦峠と言えば「女工哀史」。女工哀史と言えば大竹しのぶを思い出す。

この石像の兄に背負われている娘がもう少し可愛いと好いのに、と兄貴分の人が言った。

Dsc_1137_2

石像のいわれが木の碑に手書きされている。

ここから峠を下り今晩の宿、濁河温泉に向かう。

Dsc_1146

チャオ御岳リゾートの近くに今は使われていない大きな駐車場があり、見晴らしが良い。TBSが番組に使った場所らしき様子があるがよく分からない。

御嶽山をバックに兄貴分の人と彼の車を写す。

Dsc_1144

御嶽山の向かいには乗鞍の雄姿が見える。

Dsc_1142

御嶽山をアップで。煙は出ていない。

ここから濁河温泉は近い。
(つづく)

2016年10月25日 (火)

乗鞍スカイライン

畳平から乗鞍スカイラインを下る。


Dsc_1081

バスは指定席ではないが立ち席はなし。定員しか乗れない。すでに終業直前のCダイヤで本数が少ない。乗り切れないのでもう一台予備のバスが出動した。

Dsc_1084

バスは山をくだる。車窓は少しスモークがかかっていてしかも開けることが出来ない。

Dsc_1086

次々に絶景が見られる。

Dsc_1092

山が三重四重に重なって見える。

Dsc_1093

右下にちらりと池が見える。良い景色だな、と思った瞬間に方向が変わったり遮るものが現れたりして、写真を撮るのはなかなか難しいものだ。

Dsc_1095

こうして道はどんどん下っていく。絶景は右の車窓でも左の車窓でも見られるが、登りは右側、下りは左側に坐るほうが良いと思う(ただし岐阜県側からの場合)。

Dsc_1098

遠くの霞んだ山の連なりがとても美しいと思う。

Dsc_1112

お馴染みの槍が見えるところもある。

景色を楽しんでいたらあっという間に朴の木平に到着した。
このあと、今度は安房トンネルを抜けて長野県側に行き、途中から野麦街道の野麦峠を越えて御嶽山の麓、今晩の宿である濁河温泉に向かう。
野麦峠越えは兄貴分の人のたっての希望である。
 (つづく)

本日歯医者に行く。左上奥歯の被せものが出来ていたので装着。かなりしっかりしたものが出来ていたので、これで明日から食事が楽になる。旅行中は右だけて噛んでいたので食べにくかった。今晩は硬いものやべたつくものは控えるように言われたので、やわらかいものを食べることにする。

乗鞍・畳平

朝、山にかかっていた雲も朴の木平の駐車場に行く頃には次第になくなって、薄曇りとなった。バスに乗り換えて乗鞍スカイラインを登る。高山方面は雲海となっている。車窓の景色がすばらしいが、登りは肉眼で楽しんで目に焼き付けることにする。下りで写真を撮るつもり。


45分で畳平に到着。

Dsc_1054

畳平、標高2702メートル。写真は兄貴分の人と長老。私も重装備してきたが、思ったほど寒くない。ここは三年越しのチャレンジで、ようやく登ることができた。いちおう10月いっぱいはバスが運行することになっているが、10月終わりに雪が降ると、即運行終了になってしまう。昨年も一昨年もタッチの差で見られなかったのだ。

この場所からは北アルプスは見えない。ここからは階段を登ってさらに60メートルほど上に登らないといけない。

Dsc_1057

登る途中から畳平の駐車場を見下ろす。すり鉢の底のようなところなのである。

Dsc_1063

近くにこのような小さな池もある。名前は忘れた。

Dsc_1065

ようやく北アルプスの見える高さまで登る。左手前が焼岳、中央のとがっているのは槍ヶ岳、右手は奥穂高岳。

Dsc_1068

槍ヶ岳を最大限のアップで。本当に尖っている特異な山頂だ。

Dsc_1070

奥穂高岳。上高地から見上げるおなじみの景色だ。

Dsc_1071

手前が焼岳。今日は噴煙が見えない。左手には笠ヶ岳があったのだが、写真を取り損なっている。

Dsc_1076

畳平周辺はこんな景色が取り巻いている。みんな火山の火口なのであろう。

病み上がりに60メートルの登りはきつかったが、登って良かった。私は40年近く前に友人の車で登っている。当時は乗り入れ規制はなかった。そのときはこの60メートルを何の苦もなく小走りで登ったのに・・・。
(つづく)

2016年10月24日 (月)

安房峠から

先ほど長老、兄貴分の人と私の、男たち三人の小旅行を終えて帰宅した。旅の報告を綴る。

初日は中央道から松本へ、そして上高地方面に向かい、安房峠を越える。兄貴分の人と長老は大阪からなので、私は中央線で恵那駅に行き、そこで拾ってもらう。体調は80%程度。

松本から上高地方面は、まだ紅葉が始まったばかりであった。兄貴分の提案で、安房トンネルではなく、安房峠を行くことにした。峠は紅葉がだいぶ進んでいる。

Dsc_1035

峠の途中から上高地方面を望む。前方の山の向こうが上高地で穂高連峰などが見えるはずなのだが。頭がちょっぴり見えるのは焼岳であろう。

Dsc_1037

思い切りアップにしてちょっとシャープにした。これが焼岳のはず。煙は出ていない。

Dsc_1039

山々は紅葉が進んでいる。実際にはもっときれいなのだが、腕がわるくてこの程度にしか写らない。

Dsc_1047

翌日は乗鞍山頂、畳平に行く予定。乗鞍は一般車の乗り入れ禁止なので、岐阜県側は平湯、そしてこの朴の木平を経由して山頂へ行く専用バスに乗る。その時間の確認に朴の木平の駐車場に行き、窓口のおねえさんにいろいろ教えてもらう。この日の山頂の気温は朝3℃、昼でも6℃だったそうだ。

Dsc_1046

朴の木平から乗鞍方面を望む。まん中に見えているのは乗鞍の一つ、猫岳。横に線が見えるのはバス道路。畳平はあの向こう。

Dsc_1050  

少し早めに福地温泉の宿に入る。部屋の窓からの景色。目の前の朴の木もほとんど葉が落ちている。

Dsc_1053

翌朝の窓からの景色。
山に雲がかかっている。乗鞍は大丈夫か。(つづく)

2016年10月22日 (土)

同志と思うが違うだろう

 中国西安で、ゴミ焼却場の建設に反対する市民らが抗議デモをおこない、武装警察による鎮圧で、子どもを含めて100人以上が怪我をした。

 日本でもゴミ焼却場が建設されるとなると反対運動が起こる。火葬場でも老人ホームでも病院でも、甚だしいのは保育園や幼稚園の建設でも反対運動が起こる。しかし警察が反対運動の人々に危害を加えることはない。

 この中国の反対運動に参加した人数は2万人を超えていたことを地元政府も認めている。日本のものとは規模が違う。違うのは規模だけではない。そもそも中国ではゴミ焼却場が出来ると環境汚染による健康被害が起きることが多い。反対運動はそれこそ命がけなのである。

 日本でも反対運動は自分たちの生命を守るという大義名分を掲げているけれど、ほとんど自分たちの住処の値打ちが下がるからという経済的なものがほとんどで、実際にゴミ焼却場によって甚大な健康被害が起きたなどという話は聞かない。あればそれこそマスコミが大騒ぎする。

 日本の活動家は中国の反対運動をしている人々を同志と思うかもしれないが、そのように受け止めることこそ中国の抗議デモで身体を張っている人々の真剣さを軽んじることになりかねない。同志と思うかもしれないが似て非なるものである。

2016年10月21日 (金)

辞退するかしないか

 ボブ・ディランがノーベル文学賞を授与されることになったが、スウェーデン・アカデミーはボブ・ディランと再三連絡を取ろうとしたがかなわず断念したという。ボブ・ディランの知人や関係者とは連絡がついているので、授賞式には出席するであろうとしている。

 ボブ・ディランにノーベル文学賞というのは奇手である。誰も予想しなかったことで、意外に思わなかった人はあまりいないであろう。ただ、選考会で以前から名前が挙がっていたらしい。

 今回の奇手はノーベル賞を軽んじるものであると見る人も多いだろう。今までも平和賞に政治的な思惑がありすぎて、何だかなあ、と思われていたけれど、あれはノルウェーが授与するものだから、もともと軽いものでもある。しかし文学賞については、文学とは何かという問題まで巻き起こすことになってしまった。

 こんなことならノーベル音楽賞でも新設して、そこでボブ・ディランを選べばよかったのである。それならボブ・ディランもすんなり受賞を受け入れたことだろう。ボブ・ディランも自分がノーベル文学賞を受けることを世間がどう思うか想像するだろう。それならすんなり受け入れる気にならないのもわかる気がする。

 自然科学や社会科学なら、その成果がある程度正当に評価しやすいであろう。しかし文学賞はどうだろう。世界中に無数の文学作品が生み出されていて、それを比較検討することなど物理的に不可能なことである。言語的な違いも大きく影響するだろう。ノーベル賞は存命でないと受賞出来ない。しかし文学作品はある一定の時間を経てからでないとその真の評価は出来ない。残っていく作品こそ良い作品であるからだ。

 ボブ・ディランを否定するつもりはないし、若いときには良く聞いたものだ。けれど、彼が文学賞にふさわしいかどうか、疑問があって受け入れがたい。一番戸惑っているのはボブ・ディランではないか。それをボブ・ディランが神様でもあるかのように称揚する連中が、テレビでわが事のようなはしゃぎ方をしているのを見ると目を背けたくなる。

2016年10月20日 (木)

抗議殺到

 青森県黒石市の写真コンテストに入賞した写真の被写体が、自殺した少女であったことから「祭の写真としてふさわしくない」として入賞を取り消されたことが明らかになり、黒石市役所に抗議が殺到しているという。

 写真は良く撮れていて、この少女が存命なら文句なしであったろう。

 この写真の入賞が取り消されず、じつは自殺した少女が被写体である、とあとで公になったらどうであったろうか。「祭にふさわしくない」と抗議をするのは、今市役所を非難しているおなじ人たちではないのか。

 黒石市役所は事なかれ主義だ、と批判されている。正義の味方の抗議はうるさい。だから入賞を取り消したのであろう。一概に批判は出来ない気がする。

 ただ、写真は写真として優れていたから入賞を取り消さずにいて、「祭にふさわしくない」という抗議にも毅然としていれば一番良かったと思うけれど、いまさらどうしようもないからほとぼりが冷めるのを待つしかないだろう。正義の味方は本当に鬱陶しい。

 昨日この記事を書いたが、夜になって賞の取り消しを取り消すことになったと報じられた。それで言いたいことが変わるわけではないのでこのままとする。

出発

 本日から小旅行に出かける。当初は長野を旅する予定だったが、いろいろあって乗鞍や白山を廻る旅となったので、長野県は最後にちょっと立ち寄るだけとなる。私の体調のこともあり、今回は兄貴分の人が自分の車で大阪から来て、中央線の恵那駅で私を拾ってもらう。運転もほとんど兄貴分の人がすることになると思う。

 長老には宿代などを大幅に頼り、運転は兄貴分の人に頼む。宿はテレビの旅番組などで、こんな贅沢な宿に泊まれたら良いなあ、というところに泊まるのである。一生に何度もないような旅を楽しんでこようと思う。

Dsc_4900 こんな景色が見られると良いな。

 今晩は奥飛騨温泉の一つ、福地温泉泊まり。囲炉裏と個室の露天風呂のある宿。個室の露天風呂の宿など生まれて初めて泊まる。明日は濁河温泉。

 今回は自分の車ではないので、着替えとカメラと洗面具だけを持っていく。いつも持参のラップトップは置いていくので、旅の報告は24日か25日になる予定。しばらく更新は出来ない。

2016年10月19日 (水)

西崎みどり

 今日は西崎みどりを聞いている。私にロリータ趣味はない。それでもこの西崎みどりには女の色気を感じてしまった。彼女がまだ少女時代のことである。

 題名もストーリーもよく覚えていないのだが、なにかの映画と併映されていたドリフターズの映画の可愛いヒロイン役で出ていたのを観たときだ。ただの女の子の顔にちらりと覗く女の色気にぞくっとした。

 あの「レノン」という映画のナタリー・ポートマンの女の子の中に時折り現れる女の色気とはだいぶ違うけれど、少女というものの、男にはけっして分からない不可思議さという点では共通するものがあるのかもしれない。

 そもそも女の人が分からないくせにご託を並べても何が言いたいのか伝わるはずがない。

 それでも西崎みどりの当時の歌声を目をつぶって聴いていると、なんとなく幸せな気持ちになった。

 女の人が此の世にいることに祝福を!

いっそのこと

 アメリカは自分が思っている以上に世界からあまり良く思われていないような気がする。そのことをアメリカは薄々気がついているから、世界への関わりを撤収した方が好いとアメリカ人は考え、それを代弁しているトランプに支持が集まった。

 金と人名をかけて世界に関わったのになぜ好感を持たれないのか。それは世界のためではなくて、アメリカのためにアメリカがおこなっていることだからだ。

 イギリスがアメリカと距離を置きだしたら、今アメリカが手放しで信頼出来るのは日本だけになった。オバマは任期末になって初めてそのことに気がついたように見える。その認識のズレが東アジアの不安定に繋がっていることにいまさら気がついても手遅れである。 

 覇権国が没落するとき、それはゆっくりではなく急激に起こる。アメリカの没落が始まったことの表れがトランプという大統領候補の出現だと考えると象徴的である。

 そのトランプが民主主義の根幹である選挙制度そのものに疑念を表明している。その選挙制度に則って大統領になろうしていることの矛盾を感じないこの男の支離滅裂さがアメリカの理性の喪失を示しているのでなければ幸いであるが。

 そんなアメリカにとってマイナスでしかないようなトランプがいっそのこと大統領になったら面白い、その結果による被害がアメリカ以外に及ばないのであれば、多くのひとがそう思うことだろう。トランプが大統領になりかねないことを心配しているのは、ひとえに彼が暴走したとき、被害が世界に及び、自国に及び、自分の生活に及ぶことを予感しているからである。

 日本でも、いっそのこと民主党に政権を取らせてみようか、と多くのひとが思った。その結果がどんなもので、それが尾を引いてどれだけのマイナスをもたらしたか、まともな人ならよく覚えている(忘れている人も少なからずいるのは驚きであるが)。

 おまけに東日本大震災という未曾有の災害が起きた。あのときの不手際は思い出しても身震いするほど腹立たしい。では自民党ならもっとましだったかどうか、それは残念ながら再現不可能だ。それに尖閣問題の処理の不手際。それがその後の日中関係と日韓関係にどれほどマイナスをもたらしたか、いまだに民進党には自覚がないのは、野田氏がまた表に出て来たことで分かる。

 試しにやらせてみたら、というのがどれほど恐ろしいことか、日本人の多くの人は分かっている。だから日本人は、なぜトランプのような人が大統領候補として支持されているのか首をかしげながら、けっしてトランプにやらせてみたら、などとは思わないし、言わないのである。

2016年10月18日 (火)

急落するだろう

 トランプ氏が選挙に不正がある、などと言い出した。これは大統領選挙に負けても選挙が不正だったと言い立てるためだそうだ。つまり選挙に負けそうだと自覚し始めたということなのであろう。

 そもそもこんな候補が罷り通っている事自体が異常なことなので、その責任の半分はクリントン候補の魅力のなさにあると思う。もしかしてトランプは今までにない、なにかをしでかしてくれるのではないかと期待されていたけれど、それは良いことであるよりもどうもアメリカにとってわるいことではないか、とさすがのアメリカ人も感じ始めたのだろう。いくら何でも品性の下劣さは掩いようがない。

 そもそも幻想の上に乗った候補であるから夢が覚めればただの案山子である。支持は次第に落ち、それは一気に急落しはじめるだろうと予想していたが、それが想像以上に遅かった。たぶん選挙を始める前に結果は歴然とするだろう。こんな予想は誰もがするだろうけれど、先に言ったつもりである。

2016年10月17日 (月)

ちあきなおみ

 風邪が本復しない。咳がいつまでも続いている。やたらに寝汗をかく。なんとなく風邪だけではないような気もするが、20日から旅行に行くのでねじ伏せたいと思っているが大丈夫だろうか。

 今日はちあきなおみのCD2枚組のアルバムを聴いている。一枚はアレンジがシャンソン調で、なんとなくなじめない。とはいえちあきなおみは歌がすばらしくうまいことをあらためて感じる。

 夫の郷鍈治が死んで突然引退してしまったちあきなおみだが、「喝采」を聞くと引退の意味が分かるような気がする。郷鍈治は宍戸錠の実弟で、やくざ映画の脇役などでしばしば見かけた。一度見ると忘れられない風貌をしていた。

 山口瞳原作、高倉健主演の映画「居酒屋兆次」で焼き鳥屋の店「兆次」の向かいのスナックのママさん役で出ていたちあきなおみが忘れられない。歌手なのにあえて最後まで歌を歌わない。そのかわりに映画ではカラオケキチガイの男が重要な役回りを演じている。まさに人間の精神の闇を見せられたような鬼気迫るものがあった。だからちあきなおみには歌わせなかったのである。

 ちあきなおみを繰り返し聞いていると、この人は自分の歌に常になにかの試みを加え続けてきた人だということが分かる。それがうまくいったりキャラクターに合わなかったりしているけれど、引退などせずに歌い続けていれば、もっともっと好い歌を聴かせてくれたのではないかと悔やまれる。

蟻の一穴

 柏崎刈谷原発の再稼働が争点となっていた新潟県知事戦は、野党統一候補が勝利した。新潟県民は原発再稼働ありきの与党と東京電力にNOを突きつけたわけである。

 自民党もまさか負けると思わなかったかも知れない。これで全国の原発再稼働は当分の間進展しないだろう。

 私は、新潟県民は共産党や社民党のように原発再稼働に絶対反対であるわけではないと思う。ただ、現職の泉田知事が主張しているように、原発再稼働には福島第一原発の事故原因の徹底解明が必要だ、現状ではまったく不十分で不満足だ、と思っているのではないか。

 だれが見ても福島第一原発の事故原因の調査は不十分である。原因が明らかにされないままの対策が十分であるわけがない。責任者の責任も不問に附されてしまった。これで安心安全などといわれても信じられないのは当然だ。

 自民党も東京電力も国民をないがしろにしているように見える。やるべきことを避けてうやむやにしてなんとかなると思うのは驕りであろう。これがきっかけで再び自民党の政権が揺らぎ出すのであれば、替わるべき政党を持たない日本の国民にとって不幸である。

 今回の新潟知事選挙を真剣に受け止めて、原発再稼働は当面凍結するしかないのではないか。いまさら福島第一原発の原因解明や責任者の処罰をしても手遅れであろう。どんな再調査結果も信用を得られると思えない。

 私は原発再稼働は検討すべきだと思う者である。そもそも然るべき対策を取っていればあのような甚大な事故にならなかったと考える者である。炉心溶融のような事故さえなければ、日本の原発の信頼性が再評価され、多くの原発難民を生むことはなかったものと考える。当然復興もずっと速やかに進んだことであろう。

 その事故対策を怠った責任者がいたはずであって、その責任は問われなければならないのに誰もそれを問わないのは、日中戦争や太平洋戦争の責任者を問わなかったこととよく似ている。東京裁判は連合国による責任者の処断であったが、それは連合国にとっての都合を考慮したもので著しく公平性に欠ける。日本が自らその責任を裁かなかったことがいまだに周辺国に胸を張ることの出来ない事態を招いたと思っている。

 東京電力に真剣味が見られないことが腹立たしい。真剣に考えているのかもしれないがそのように見えない。凍結を前提に今後の対策をそれこそ真剣に考えるべきだろう。再稼働しなければ、そして政府が金を出してくれなければつぶれるかもしれないがそれでも良いのか、と国民を脅しているように見えていることを自覚しているのか。それともやけになって開き直って見せているのか。すでに経済の論理を越えた事態になっていることに目をつぶっている。極めて不快である。

 安倍政権はわが世の春を謳っているが、今回の新潟県知事の争点が蟻の一穴となって破綻する恐れに気がついているのか。気がついたときには堤防は決壊しているであろう。

2016年10月16日 (日)

松尾和子

 男でも恋に恋するときがある。いや、男ではなく私のことであった。若いときに恋に似たものにであい、本物の恋になる前に終わった。それでもしばらくはずいぶんうちひしがれた。

 その頃たまに行くバーで松尾和子の歌を聞いた。歌の中へ吸い込まれるような気がした。胸に沁みた。

 今回アマゾンでCDを数枚購入した。松尾和子、石川ひとみ、ちあきなおみ、西崎みどりのアルバムである。それぞれにそれなりの思い入れがあるので笑わないで欲しい。

 松尾和子のCDを繰り返し聞いている。薄暗く、もやがかかったような空気を感じる。官能的な歌声に好い気持ちになっている。

自己流

 私も男だから女の子にもてたくないことはない。ただ、ガールシャイだったから積極的にチャンスを求めることはなかった。でも高校生時代に哲学書を読み始めたのは、女の子に良い格好をして見せて、もてたいと思ったからではない。

 高校生時代は列車通学だったので、混雑する車内のなかでひたすら本を読んだ。しばらくある哲学者の本を必死に読もうとした。ほかの本より分かりやすいものだったけれど、言葉が分かっても意味が分かるわけではない。繰り返し読んでいるうちになにかが頭の中でフラッシュすることがある。もう少しでなにかに手が届きそうなのに、それが何か分からない。

 ある著作の出だしの一ページで引っかかって、繰り返し読むうちにいつの間にか丸ごと暗記してしまった。そうなると言葉がイメージになって頭の中に現れるようになる。言葉を発した哲学者のものではない、自分のものであるイメージが立ち現れる。いままで数回だけだがそんな経験があってそのときが初めてのことだった。

 どうしてそんな読んでも分からない本と格闘したのか。それは読み始めてすぐに、ここに自分にとって大事なことが書かれているらしいという確信が感じられたからだ。どうしてちゃんと読まないうちから、そして分からないうちからそんな気になるのか不思議だが、確かにそういうことがあるといまなら自分の経験で断言出来る。

 だいぶ前にその自己流の解釈をブログに書いたのだが、哲学に詳しい方からそもそものその哲学者その著作の主旨はこうでありますよ、というご教示をいただいた。それはその通りであることを私もいろいろな解説書などで承知している。キリスト教的な基盤なしにその哲学者の文言を解釈するなどあり得ないのだ。そして私にはそのような素養はない。

 その哲学者にしても、君のようなとんでもない受け取り方をする人間がいるとは思わなかった、と言われるかもしれない。そのことを承知しながら、なお私は私に見えたなにものかを自分の宝物だと思っているし、人生の思考の原点の一つにしている。

 具体的なことを書かないのは以前ご教示いただいた方がこれを読んで不快に思うかもしれないからである。

 哲学者は何かを伝えようとしている。その哲学を解釈することは大事なことで必要なことだろう。しかしその哲学者はその前の哲学者の考えを知り、それを自己流に解釈し、新たな考えを考えだす。そうして前代から受けたものを引き継ぎ自分の新たな考えとして次へ送り出す。哲学にもっとも必要なことは解釈ではなく、受け取り、自らの言葉を書き加え、自分のものとして次の人に送り出すことだろうと思う。

 ずっとこのことが気にかかっていたので書き留めておくことにした。いまはその哲学者に私の考えを説明したら、面白がってくれそうな気がする。贈り物は受け取ったら送り主にお返しするのではなく、次の人へ自分のものを贈り物として送ることなのだ(by内田樹)。使い回しは贈り物ではない。

2016年10月15日 (土)

鬼の話

Dsc_5277

 いつのころからか妖怪や鬼の話に興味が向いていた。中国の志怪小説、今昔物語集などを気の向くまま読み散らしている。

 西遊記や雨月物語などを小学生のころから読んだのがきっかけかもしれない。芥川龍之介に夢中になって今昔物語に行きついたことは前に書いた。

 臆病なくせにこわい話が好きなのは、そのようなこわい話に普通の人よりリアリティを感じるからかもしれない。あり得ないと決めつけるよりも、あるかもしれないと思う方が世の中は面白い。

 中国で鬼と言えば普通は亡霊のことである。つまり死んだ後の人間だ。死んだ後も人間のように見なすのは中国の普通の考え方で、日本のように幽霊になるのが稀であるのとはずいぶん違う。だから中国では死体損壊は重い罪であったし、重罪の場合はその死体は損壊された。

 日本の鬼としてすぐ思い浮かぶのは酒呑童子や桃太郎の鬼ヶ島の鬼か。源頼光麾下の四天王のひとり、渡辺綱の鬼退治の話も思い浮かぶ。そんな鬼の系譜をたどり、日本の鬼とは何かを論じている近藤喜博「日本の鬼」(講談社学術文庫)を読んでいる。

 一日10ページ程度しか進まないので、年内に読み終わるかどうかわからない。だから途中経過を覚え書きとする。この本は1975年に刊行されたものを学術文庫に収め直したものである。

 渡辺綱が鬼退治をした話は複数あるようだ。巷間知られているのは、綱が鬼と格闘して、天に掴み上げられたときその腕を名刀髭切で斬り払ったというものだ。この切り払った腕を戦利品として持ち帰るのだが、後に鬼が奪い返しに来るというもの。

 この渡辺綱の出身がどこであるのか、複数の説があること、そこから東国の鬼女である安達ヶ原の鬼婆の話に展開していく。そもそもなぜ鬼婆は鬼婆になったのか、その系譜をたどると意外な話に繋がるのではないかという。東国の武士が都の姫君に懸想し、奪って東国に逃れた、という話がいくつも残されている。

 その関係とそれに関連する橋姫伝説との繋がりになるとどうしてそれを関連させていくのか飛躍に過ぎるように見えるが、あれよあれよと不思議な鬼の世界に誘われ迷い込んでいる。

 まだ本の前半少ししか読んでないのにたくさんの説話が引用されていて惑乱するばかりである。これからどうなっていくのか。

引用されている浅草明王院にまつわる話。「廻国雑記」より
 
 ここにも人間どもを食い殺す嫗がいたという。

 此里のほとりに、石枕といへる不思議な石あり、其故を尋ねければ、中比の事にや有りけん、なまざぶらひ侍り、娘を一人もち侍りき、容色大かたよの常也けり、かの父母、娘を遊女にしたて、道行人に出むかひ、彼石のほとりに誘ひて、交会のふぜいをことゝし侍りけり、兼てより合図のことなれば、折を計らひて、かの父母、枕のほとりに立ちよりて、共寝したりける男の、かうべを打砕きて、衣装以下の物取りて、一生を送り侍りき。
 さる程に、かの娘、つやつや思ひけるやう、あな浅ましや、いくばくもなきよの中に、かゝるふしぎの業をして、父母諸共に悪趣に堕して、永劫沈淪せん事の悲しさ、先非におきては悔ても益なし、これより後のこと、様々工夫して、所詮我父母を出し抜て見むと思ひ、或時、道ゆく人ありと告て、男の如くに出立て、彼の石にふしけり。いつもの如くに心得て、頭を打砕きけり。急ぎものども取らんとて、引かつぎたるきぬを挙て見れば、人ひとり也。怪しく思ひて、よくよく見れば我娘也。心もくれ惑ひて、浅ましともいふ計(ばかり)なし。
 それよりかの父母速かに発心して、度々の悪行をも慚愧懺悔して、今の娘の菩提をも、深く弔ひ侍りけると語り伝へけるよし、古老の人の申ければ、

 罪とがのくつる世もなき 石枕
 
       さこそは重き 思ひなるらめ

と見えている。 

 娘の哀れさが胸にしみるではないか。

引きこもりか

 直近の調査での朴槿恵大統領の支持率が、就任以来最低の26%に落ちたそうだ。

 ネットの韓国のメディアで最近の朴槿恵大統領の話題を見ることが減っている。善し悪しは別にしてなにかすればニュースに取り上げられるはずだから、たぶんいまは何もしていないのだろう。

 韓国はサムスンのギャラクシー7のトラブルや、現代自動車などの労働争議、韓進海運の破綻などで経済的に不安要素が重なっている。そんな事態なのであるから何か抜本的な対策を打ち出さなければならないと思うが、朴槿恵大統領が何をしようとしても、与野党がばらばらの意見を言いだして何も先へ進まないのにうんざりしたのか、傍観を決め込んでいるようだ。もともとこの人にとっては他人事なのか、もう大統領職に飽きてしまったのか。

 知日的(親日的と言われると韓国では売国奴になるらしい)な大統領でも任期の最後には支持率回復を狙って反日的な行動をとる。これがいままでの大統領の常套手段だったが、朴槿恵大統領は最初から反日的な態度をとっていた。だから支持率回復に反日行動が使えないのは残念なことである。それにもう韓国国民も反日に飽きているのではないか。反日を謳い上げてさて韓国国民が少しでも幸せになったかと言えば、もちろんそんなことがあるわけがないからだ。

 反日と経済とを手土産に中国にすり寄ったけれど、韓国は中国と対等のつもりでいても、中国にはそんなつもりはないから属国として朝貢してきた、というくらいにか受け取られていなかっただろう。だから韓国が北朝鮮問題をきっかけに独自路線をとりだしたとたんに「裏切りもの」といわんばかりの仕打ちが続いている。北朝鮮は韓国と中国が離反していくのを見て手を叩いて喜んでいることだろう。

 韓国国民にしてみれば、なまじ中国にすり寄ったことが却って韓国を窮地に追い込むことになったと感じているのではないか。その責任は朴槿恵大統領にある、と思えば支持率が下がるのも当然である。

 そんな中、韓国中央銀行が今年度の経済成長率の見通しを2.9%から2.8%に下方修正した。サムスン、韓進海運、現代自動車の韓国経済に与えるダメージを考えればこの修正は少ないように見える。事態の過小評価は対策の遅れと不足をもたらす。そうして結果的に戦力の逐次投入を続けていると大きな破綻へ繋がることは歴史が教えてくれている。

 朴槿恵大統領は引きこもっているときではないはずなのだが。

2016年10月14日 (金)

無責任

 来週後半から友人達と三人で乗鞍周辺や白山周辺を旅行する。

 昨晩予約を入れていた白山山麓の白峰温泉の望岳苑という宿から電話が入った。部屋が取れなくなったからキャンセルにして欲しいという。わけが分からない。ただひたすら済みません、申し訳ありませんを繰り返すばかりでラチがあかない。ダブルブッキングになったと言っているようだ。代わりの部屋か、ほかの宿を紹介せよ、といったがまたしても「済みません、申し訳ありません、出来ません」を繰り返すばかりである。

 しまいにはうんざりしてきた。それが狙いの謝罪言葉の繰り返しなのだろう。電話を切った後、舌を出して、うまくいったと言っているような気がしている。本当に手違いによるダブルブッキングなのか、それとも常連さんのむりやりの要請にこたえて私の予約を取り消しにかかったのか。そんな風に勘ぐりたくなるような釈明のあいまいさであった。

140920_265 電話口の向こうはこんな人?

 ちょうど紅葉シーズンである。宿を新たにとるのは至難である。周辺を探しても、良さそうな宿は満杯で見つからない。仕方がないので別の場所でかなり予算オーバーのところを見つけ、友人達の了解を得て予約した。

 予約したのに宿から断られたのは初めてである。謝りの言葉に誠意は感じられないし、代わりの宿を探そうともしない。無責任極まる。ちょっと憤慨している。

平岩弓枝「湯の宿の女」(角川文庫)

Dsc_9611

 平岩弓枝は小説家デビューして間もなく昭和34年に「鏨師」で直木賞を受賞した。幸運な出発だった。今回読んだこの本はそのあとの昭和35年から昭和44年にかけて雑誌に発表された短編を集めたものである。

 平岩弓枝が好きであるが、多作なので主に時代小説を読んできた。もともと長谷川伸の門下で、池波正太郎の妹分に当たる。読み始めたのは「御宿かわせみ」からである。このシリーズは長いので買いためた本も数十冊になる。いまも「新・御宿かわせみ」として続いている。

 時代小説以外も平岩弓枝の小説は面白い。だから何冊か現代小説もある。今回読んだこの本に収められた短編もすべて現代小説だ。

 人生には運命の女神がほほえんで夢のような幸福が訪れることもあるし、苛酷で残酷な不幸が出現することもある。ときに不運にあらがい、術策をめぐらせて幸福を射止めたかに思えても、そのことが結果的に自分で転落の渕に追い込んでしまうこともある。

 主人公はそれぞれの運命を生きている女性たちである。私は暗い話よりハッピーエンドが好きだ。それはやさしさではなく弱さの故かもしれない。

 短編小説だから、人生が破綻を見せてからくどくどとその後が書かれることはない。それを引き受けてもう一度運命に立ち向かうべく立ち上がったのか、うちひしがれて絶望のまま過ぎるのか、それは読者の想像に委ねられる。ハッピーエンドの物語でも、あまりにうまくいきすぎていれば、思わぬ挫折がその後に控えていないとは限らない。

 しかしそれは運命のせいばかりではない。運命よりはその人の生き方、考え方、他人に対する接し方すべての結果がその人の人生にかかっているので、運命はまさに本人の生き方と考え方によって大きく左右される。

 小説の中の主人公の心の動きが語られるうちに、彼女の過去、そして未来が見えてくる。主人公とともにものを感じ、他人を主人公の目で見る。そして訪れる大きな人生の岐路。それをここまで感情移入させてくれるのは平岩弓枝の力量だろう。

2016年10月13日 (木)

訃報

 兄貴分の人から、三歳年上の、会社にいたときの同僚の訃報の連絡があった。

 一時期親しくしていたけれど、事情があってこの十年ほどは年賀状だけのつき合いとなっていた。五十代で愛妻を亡くしたときにはその悲嘆の様子にこちらも涙を誘われたが、こんなに早く向こうへ会いに行ってしまうとは思わなかった。

 知らせをくれた兄貴分の人も詳しい事情を知らないとのことで、葬儀に行って聞いてきたら教えてもらうようお願いした。葬儀に参列しても良いのだが、兄貴分の人もお前はそこまで必要ないだろう、と言う。

 若いとき、その人と張り合ったり、一緒に飲んだりした。お互いにザル碁を撃つので、家に泊めて何番も打ったこともある。その頃まだわが家には連れあいも一緒に暮らしていた。当時彼は浜松にいたので、誘われて浜名湖に釣りに行ったこともたびたびあった。

 そんな時代のあれこれを思い出している。これも一つの供養であろう。安らかに眠ってくれ。

酸っぱい葡萄

イソップの「酸っぱい葡萄」(または「キツネと葡萄」)の話。(Wikipediaから)
 キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

韓国中央日報のコラムより
 金大中(キム・デジュン)元大統領がノーベル平和賞を受賞したからといって韓国が平和になったわけではない。むしろ北朝鮮の核のため危機感ばかり強まった。韓国の科学者1人がノーベル賞を受賞したからといって科学強国にならないのも当然のことだ。基礎体力が不足した状態で1つや2つの分野のノーベル賞は後に別の負担をもたらすこともある。ノーベル賞は当分忘れるのがよいだろう。いや受けてはいけない。まずは「能率と実質」の気風がもっと重要ではないだろうか。

 今回は引用ばかりで手抜きしました。

2016年10月12日 (水)

安全不感症

 韓国人が安全不感症になっている、というネットニュースが紹介されていた。うーん、文意から見てこの場合、安全不感症というより危険不感症ではないかと思う。

 想像力の欠如によるものか、危険な兆候が周辺に起きつつあるのに、自分は大丈夫、とか自分とは関係ない、と見過ごしているうちに奇禍に遭ってしまう事件をしばしば見聞きするが、そのことを言っているのだから。

 そういえば北朝鮮の問題について、我々日本人が思っているよりも韓国人は深刻に受け止めていない気がする(実際は知らない。私がそう感じるということである)。そもそも韓国の人口の半分を擁する首都ソウル周辺は北朝鮮との国境に近く、北朝鮮が攻撃すれば防衛のしようがないといわれるから、危機感を感じても仕方がないとあきらめているのか。

 普通どうしようもない危機にこそ不安を感じるものだと思うのだが(どうにか出来るなら対策をとるはずだし)。

 杞憂という言葉がある。杞という国に異常に心配性の男がいた。ついには天が落ちてくるのではないかと心配で眠れなくなったという。心配するにもほどがあり、考えても仕方がないようなことを心配することを杞憂という。

 杞憂と言えば、韓国が竹島の防衛に血道を上げている様子を見ていると、杞憂という言葉どおりの滑稽さを感じる。韓国では油断すると本気ですぐにでも日本が竹島奪還に来ると信じているかのようだ。これは日本がそんな国だという教育を幼児時代からおこなっているから不安が擦り込まれているのだろう。それを見ると必ずしも不感症とはいえない気がする。

 韓国の安全不感症か、危険不感症のことはさておく。 

 日々見聞きする事件にこの危険不感症を感じる。実際に事件で被害者になるのだから、被害者はその前に危険なことが自分に起こるかもしれないと感じる場面がないはずがないと思うのだが、それを経験し、危険を感じながらどうしてそこから逃走しなかったのかと思う。恐らく同様の立場にいて多くのひとはそこから逃げ出しているけれど、それが出来なかった事情もあるのだろうし、だからこそ事件になったのだろう。

 少年の集団暴行事件など、どうしてそんな集団と縁を持つことになったのか、と私は思うが被害者はそう思わなかったのだろう。そう思わなかったことのツケを理不尽に払わされて気の毒だが、殺されると思えばもっと死にものぐるいで逃げ出す算段をしたら良かったのに、とつい思うではないか。

 それを危険不感症と言っては酷だけれど、結果的に生きのびる力が足らなかったことは事実なのである。そう、危険を察知し、それを回避するのは最も大切な生きのびるための能力だと思う。

 だから子ども、特に幼児のようにまだその能力の備わっていないものに対する残虐な行為は普通の事件と峻別して極刑を科すべきだと思う。

 親が子どもにまず仕込むのはこの生きのびる能力の涵養であろう。どうすれば良いか。それは自分で考えるしかない。結果的にその能力の劣るものは淘汰されてしまうのは生物界の厳然たる掟である。

 「安心で安全な社会を・・・」などという謳い文句を語る連中こそがもっとも危険不感症であることを知り、それを反面教師にしたらどうだろうか。

塗装とアマゾンの日

 本日は塗装予定の日。マンションベランダの手すりや物干しの塗装を業者がいっせいに補修する。私の部屋のベランダの作業予定が今日なのである。

 作業する人が玄関から入ってベランダに行くので、部屋を多少は片付けなければならない。ようやく体調が八割方回復したのは幸いであるが、部屋は惨憺たる有様である。昨日やろうと思ったが身体が動かないので今朝からウロチョロしている。

 流し回りの山はすでに片付けた。シンクも私なりにきれいにした。シンクの排水口や生ゴミの三角コーナーのゴミ入れはどうして短期間でこんなに汚らしくなるのだろう。たぶん微生物が繁殖しながらせっせと有機物を分解してくれているのだろうが、仲良く暮らそうとは思わない。

 ベランダの物干し竿を片付け、洗濯物を片付け、部屋中に散らかる本を片付けている。早くしないと作業の人が来てしまう。

 古いミニコンポを持っている。コレクションしているMDを聞くことの出来るのはこのコンポしかない。すでにこのコンポのCDプレイヤーは道化て来て、レコードみたいに音飛びをおこす。そこで古いDVDプレイヤーを引っ張り出して来て、ミニコンポの外部入力につないでCDプレイヤーにしていることは以前書いた。

 しかしMDがいつ聴けなくなるか分からない。むかしいろいろな人からCDを借りてせっせとMDにリッピングしてコレクションを作ってあるのだが、それが烏有に帰すことになる。そこでそのうちのいくつかを中古CDで補完することにした。

 久々のアマゾンである。もともと現物を確認してから買う主義なので、試しに何度か利用したことはあるが、ここ数年とんとご無沙汰であった。数枚を購入。

 これで調子に乗って今度は本を試してみる。全集の欠本などを何冊か探すと、見つかった。欲しいものがそろったわけではないが、足りないものはそろったときに連絡をくれるようマークしておいた。オークションになるのだろうか。

 古本屋だと全集はバラで購入することが出来ないのが普通だが、アマゾンだとバラ買い出来るのが有難い。

 そういうわけで本日は塗装の日であるとともにアマゾンの日となった。うーん、またちょっと散財してしまった。

2016年10月11日 (火)

集団催眠か?

 トランプ氏の手振りがとりわけ不快である。右手で三つほどの仕草を繰り返しているのが、彼の異常さを無意識に表現しているように感じる。しばしば人差し指と中指で丸を作る。アメリカでもあれがお金を表すかどうか知らないが、もしそうだとすれば、あれはお金が大事またはすべてだといっているように見える。またむやみに人を指さす。

 人は無意識に人を指さすことがあるが、意識的に指さすとき、相手が不快に感じると思うがアメリカではそうではないのだろうか。ヒラリーもしばしば誰かを指さす。ほかではないあなたを見ていますよ、と言うメッセージのつもりであるらしいが、私は指さされたくない。アメリカ人は有名人に指さされるとよろこびを感じるのかもしれない。だからトランプの指さしは優越感の表れそのものではないか。ほかでもないこのオレ様がお前を指さしてやったぜ!

 指さしといえば、上司ではないがひとまわり以上年上の同僚のなかにやたらに指さしをする人がいた。癖なのだろうか、ときに中指で人を指さす。私は不快に思いながらも我慢していたが、しばしばその仕草に腹を立てて噛みつく人もいた。しかしそれが相手に不快な思いをさせている、とついに気がつかない人だったから、改まることはなかった。

 トランプ氏の仕草が不快なのは、仕草そのものに理由があるけれど、もちろん彼の言動がすべて不愉快だからでもある。ついに馬脚を現して、女性を侮辱するような会話が公開されて顰蹙を買っている。それでも「私は女性を誰よりも大事にしてきた人間だ」とは何たる言い訳だ。

 ところがそれを見聞きしてなおトランプを応援する女性がいる。彼女はいったい何を見ているのだろう、何を聞いているのだろう。人は聞きたくないもの、見たくないものは聞こえないし、見えないものだと言うが本当だ。

 トランプ支持者はいったいあのトランプに何を期待しているのだろう。損なわれているアメリカの正義をただすことを期待しているのだろうか。トランプの掲げるアメリカの正義はコミックヒーロー(時に一方的すぎて反感を買うことが多い)ですら思いもよらないほど歪んだものに思えるが、それが輝いて見えている人々がたくさんいるのに驚く。

 アメリカ人は集団催眠にかかっているのか。それならいったいいつになったら醒めるのか。醒めたらどうしてあんな人間を応援していたのか不思議に思うようなら良いのだけれど、しかしもともと催眠にかかっていないとしたら恐ろしいことである。

誉田哲也「硝子の太陽 Rouge」(光文社)

Dsc_9871

 この本は先般紹介した「硝子の太陽 Noir」と装丁がほとんど同じなのに出版社が別なのである。これは著者の二つののシリーズを出版してきた会社が、そのシリーズが交錯するそれぞれ独立した物語をコラボレーションして出版したということのようである。

 二つの物語で進む捜査によって明らかになる事実が互いに関係しているというのに、片方を読んだらもう片方のストーリーが分かってしまうということが全くないのがすごいところだ。時系列がほぼ同じであってしかもどちらから読んでもかまわない小説、これは読んでみると分かるけれど、とても難しいことだろう。

 姫川玲子が再び警視庁の捜査一課に警部補として戻り、祖師谷で起きた一家惨殺事件を捜査する。証拠はいくつか挙がっているのに捜査は遅々として進まない。そんな中、姫川玲子は別件のジャーナリスト殺人事件の捜査班に移るように命じられる。その捜査の過程で新宿署の東警部と交錯するのである。そこで彼女は意図せずに重要なヒントを東警部にもたらしている。それはあの勝俣警部の裏工作によるものであったことにうすうす気がついてはいたのだが。

 いつものように姫川玲子は当初の祖師谷の事件にこだわっている。やがて殺されたジャーナリストが祖師谷の事件に酷似した二十数年前の一家惨殺事件との関連をしらべていたことを知る。その資料から未解決のその事件を単独で追ううちに、その事件がなぜ未解決となったのかが明らかにされ、やがて五里霧中だった祖師谷の事件の新たな手がかりが浮かび上がってくる。ジャーナリストの事件が解決に向かいつつあるなか、姫川玲子は元の祖師谷の事件に戻ることが許される。独走していた彼女はようやく捜査班の面々と共同歩調をとるようになり、ついに犯人の特定に到る。

 この事件の背景が犯人のモノローグのかたちでところどころに挟まれている。犯人が自分の犯行が暴露されることを覚悟したとき、痛憤の結末がやってくる。

「姫川、お前は死に神だ」という勝俣警部の言葉が彼女に突き刺さる。

2016年10月10日 (月)

ぶり返す

 もう良いだろうと床を上げてうろうろしていたらまた具合がわるくなった。思ったよりダメージが大きいらしい。寝直したら、おかしげな夢を立て続けに見た。突然口の中を噛んで目覚める。一時睡眠時無呼吸症候群がひどかったとき、息が苦しくなると口の中を噛んで強制的に目覚めさせられたことがたびたびあったが、同じような無意識の反応らしい。これが時に口内炎に繋がることがある。

 今回は悪夢から覚めるためと歯の噛み合わせが狂ったままであることの両方で口内を噛んだものと思われる。思い切り噛むのでかなり痛い。

 よく寝たらすっきりしたけれど、まだ咳は残っているし、油断するといつまでも全快しないおそれがある。さいわいあと一週間くらいは何の予定もないので今度こそおとなしくしていようと思っている。

 それにしても風呂に入りたい。熱い湯にざっと浸かろうか。

 そうだ!横浜がジャイアンツに勝った。ジャイアンツに勝ったことが何より嬉しい。良くやった。優勝に等しいよ!

誉田哲也「硝子の太陽 Noir」(中央公論新社)

Dsc_9992

 熱のあるときの自分の寝床の汗の臭いは独特で「ああ自分はいま調子がわるいのだなあ」と思い知らせてくれる。そんな中でもただ寝ているのに飽きてくると、枕もとの本を引き寄せてしまう。静かに寝ていなければと思いながら、そう思えば思うほど本に集中してしまう。雑念を持つにはそれなりのエネルギーがいるらしく、具合がわるいとそれが形になり難いだけ、邪魔をするものがなくなるのか。

 この「硝子の太陽 Noir」は「硝子の太陽 Rouje」と対の二冊で同時発売された。これではどちらから読んだらいいか分からない。分からなくてもかまわないらしいから、ノワールの方から読み始めた。前作の「歌舞伎町ダムド」で歌舞伎町セブンと新宿警察の東警部が接触することになったが、この本ではその絡みがもう少し深まる。何しろ歌舞伎町セブンの重要なメンバーがめった刺しにされて殺されるのだ。

 その犯人の捜査とその背景が語られていく。歌舞伎町セブンと東警部の関係はどう発展するのか。歌舞伎町セブンは仲間の復讐を遂げることが出来るのか。

 事件に沖縄基地問題が深く関係していく。日本の、そして沖縄の置かれている立場について著者なりの光の当てかたをしていて面白い。

 警視庁特捜に戻った姫川玲子がほんの少しだけ東警部と交錯し、そこから得たヒントで東警部の捜査は急進展するが、そのとき彼はどんな決断をしたか。警察官という組織の一員しての立場と、ひとりの正義を貫く男としての立場をどう折り合いをつけるのか。

 ノワールとは黒という意味である。そしてもう一冊のルージュは紅とか口紅という意味であるから、そちらは姫川玲子の追う事件の話ということであるようだ。然らば互いが関係しながら並行した物語ということらしい。それなら続けてそちらも読まなければ。 

 面白いから途中でやめられない。気がついたら読み終わっていた。

2016年10月 9日 (日)

フワフワしている

 ようやく風邪も峠を越したらしく、寝ていることにも飽きてきて起き出した。なんだか身体の重心が定まらなくてフワフワしている。

 食事とトイレ以外は昼間から寝ているので、逆に夜中になって目が覚めて眠れない。ごそごそと何かやり始めると急に調子がわるくなる。どうもリズムが合わない。

 熱がそれほど高くないので(もともと熱が高くなりにくい体質である)医者の診察を受けに行くほどではないと勝手に判断して回復を待っていたのだが、思ったより時間がかかった。

 のどが痛くなり、ついで鼻が詰まり、痰が出て熱が出るという症状からしたら風邪としかいいようがないのだが、こんな風に何日も寝込んだのはずいぶん久しぶりである。

 これは勝手な想像だが、自分の体質が年齢相応に変化した現れなのかと思う。このような変化は坂道のようになだらかにではなく、階段状に起こるようだ。そういえば成長するときもそうだから、衰退するときもそうなのだろう。

 お見舞いをいろいろいただいた。ひとりで寝ているけれど、自分のことを多少なりとも気にかけてくれている人がいると思うことほど励みになることはない。

 本当にありがとうございました。

Dsc_3995 横向きで失礼

 娘のどん姫に連絡すればすぐ来るのは分かっているけれど、呼ばなかった。どん姫はマッサージ師という人に接するサービス業だから、風邪をうつしたら彼女だけではなく迷惑をかけることになると思ったからだ。

 いまの問題は流しがひどいことになっていることだ。料理をしたらその都度洗って片付けていくことにしているけれど、洗い物が億劫でそのまま積んである。誰もやってくれないから、まずそれを片付けなければならない。洗濯は寝ているときにもやった。これは洗濯機がやってくれるから干すだけの手間である。

 食材は一週間くらい買い物に行かなくでもなんとかなるだけのものがあったし、体調不良の兆しがあったときに予感が働いてそれなりの買い出しもしておいたのだ。

 なんだか書いていることまでフワフワしている。

引き続き病欠

風邪が本復しませんので引き続き病欠します。

2016年10月 8日 (土)

病欠

本日は伏せております。


いただいたコメントはあとで必ずご返事致します。

2016年10月 7日 (金)

じっとしている

 回復していると思った風邪が、悪化した。いま寝ている。やや熱が出て来た。うつらうつらしているあいだに寝汗がぐっしょり。こまめに下着を替える。やはり行くところまで行かないと治らないようだ。

 咳も出て来た。問題は歯医者の予約をキャンセルしなければならないことだ。こんな状態では歯の治療は受けられない。

 まいったなあ。

Dsc_3984 まいっている私

鈴木淳「関東大震災」(講談社学術文庫)

Dsc_1023

 都市直下型の大地震はいつ発生するか分からない。プレート移動が原因で起こる大地震については、そのメカニズムの知識が次第に詳細になる中で、対策の検討が具体的に進みつつある。

 しかし都市直下型の地震は活断層が原因で起こるもので、まだそのメカニズムがほとんど分かっておらず、そのために阪神淡路大地震や、熊本大地震のように予期しない場所で大きな地震が発生する。日本中どこで起きてもおかしくない地震ということである。

 この本は、阪神淡路大地震の後に書かれた。関東大震災という首都直下型の地震が発生したあとにどのような災禍が人々を襲い、その災禍に対する消防、救難、医療、などがどのような困難に直面したのかを、残された資料から詳細に記し、その対処についての問題点を明らかにしている。

 この本の内容と、阪神大震災の資料を比較検討しながら、やがて必ず起こるであろう首都直下地震にどのような対策をするべきか考えることが必要であろう。

 東日本大震災の時に起きた福島第一原発は、電源を失ったことで原子炉の冷却が出来ずに炉心溶融を起こし、甚大な被害をもたらした。津波が起これば電源を喪失するかもしれないという自明のことを「あり得ない」と根拠もなしに無視したことで多数の人びとに苦難を強いた。いまだに誰が「あり得ない」と津波対策を却下したのか明らかにされていない(これは分からないのではなく、明らかにしようとしないだけであろう。こうして本当の責任はとられずに済まされる)。

 このように地震対策をいろいろ準備したのにそれが役に立たないという事態が発生しうる。そのヒントがこの本の中にたくさんある。関東大震災の死者の多くは建物の倒壊によるものではなく、火災によるものである。特に被服敞跡およびその周辺に非難した人々を襲った惨禍は想像を絶する。

 関東大震災での東京の焼失面積は、市内34平方キロメートル、郡部1平方キロメートル、横浜市は13平方キロメートルであった。1平方キロメートルは100万平方メートルである。阪神淡路大震災の時の神戸市の焼失面積は0.66平方キロメートルであることで、関東大震災の火災の規模が想像できるであろうか。ちなみに3月10日のアメリカ軍による東京大空襲での焼失面積は13平方キロメートルであった。

 首都直下地震が火災対策を最優先にする必要があることが分かる。

 関東大震災の時、消火栓からの給水が水圧の低下で出来なかった。水源からの給水管が寸断されていたのだ。ガソリンポンプで、河川や防火池などからくみ上げて消火することしか出来なかったが、そのガソリンがすぐ底をついてしまったという。消火栓が役に立たなくなることを想定した対策は考えられているのだろうか。

 また消火活動や救難活動が、それを統括して人員配置するシステムが存在していなかったことにより、本当に必要なところに廻されなかった。当時は軍人、および予備役の人々が多かったので、当初は彼らのみが統率された活動をおこなうことが出来た。災害時に自衛隊が有効に活動出来るのも同様であろう。

 役所の人々にしても災害時の対策マニュアルが出来ていることだろうが、自分の家が、そして家族が被災しているなかで、どれだけの人が実際に公的活動を優先して働けるだろうか。それがどれだけ想定されているのか。

 こういう災害対策は想像力の勝負のようなところがあるのではないか。平時の状態を前提に「そんなことはあり得ない。そこまで考える必要はない」という言葉ほど無責任なことはないのであって、それをあとで悔やんでも仕方がない。とことん考えぬいておくことが必要だろう。

 関東大震災は、1923年9月1日午前11時58分、神奈川県西部に起こったマグニチュード7.9を本震として始まり、約三分後に東京湾北部を震源とするM7.2の余震、その2分後に山梨県東部を震源とするM7.3の余震、その後12時48分に東京湾を震源としてM7.1、一日経った2日の午前11時46分に房総半島勝浦沖でM7.6、同日午後6時27分に九十九里沖を震源にM7.1の余震が発生している。

 熊本大地震が二度の地震で被害を甚大にしたけれど、関東大震災はこれだけの数の地震が起きていたのだ。活断層による地震はこのように周辺におおきく影響を与え、地震が多発するようである。

 ちなみに阪神淡路大地震はM7.3である。関東大震災がどれほどの規模だったか分かる。

 当時九十九里の近くに住んでいた母方の祖母の話では、東京方面の空が赤く染まり、翌日以降に着の身着のまま、ヤケドを負い茫然自失した人々が列をなして歩いてきたのを見たという。祖母の家は東京日本橋あたりから50キロほどである。

 この本は実際の惨禍の様子についてはほとんど記述がない。著者も参加については吉村昭の「関東大震災」を読んで欲しい、と書いている。著者の書いたのは震災後の消火、救援などについてである。

 最後に朝鮮人虐殺のことが記録に基づいて淡々と語られている。

舐めたり囓ったり

 自分で獲得したメダルであるから、舐めようと囓ろうと好きにしたらよいのであるが、マスコミに対してや、映像を通じて我々にそれを見せることが、何か喝采を誘うかのように思い込んでいるらしいことに違和感を感じる。

 最初にその仕草を見たときには、金メダルが金無垢かどうかを囓って確かめるというパフォーマンスなのかと思ったものだが、どうもそうではないらしい。恐らく誰かが始めてその真似をしているのであろう。

 自分でとったものだもの好きにしたら良いが、それを当たり前のことのように見せられると意味が分からなくてイライラする。それともとても大事な意味があって、私だけが知らないのであろうか。別に知りたくもないが。

2016年10月 6日 (木)

内田樹「街場の読書論」(太田出版)

Dsc_1026

 アメリカ大統領候補トランプ氏がなぜ支持されているのか分からない。彼の言っていることには同意出来ない。しかしトランプの語りかけに熱狂的にこたえている人たちがいる。トランプがこの自分に対してメッセージを伝えようとしている、と感じている人々がいる。

 人はコミュニケーションを求める。この自分に語りかけた言葉が自分に対してのものなのか、誰でも良い誰かに対してのものなのか聞き分ける。私には感じられなくても多くのアメリカ人には感じられるものがあるに違いない。

 この本のあとがきに、この本の主題は「言葉が伝わるというのは、どういうことか」であると問いを立て、その答えの一つは「このメッセージは私宛てだ」ということである、と結論づけている。人はそれを感じたときにそのメッセージに耳を傾け、それを受け取る。そのメッセージの真偽を考量して受け取るのではない。

 問題はメッセージの内容ではなく、宛先であり、そもそもメッセージは贈り物なのだ、という。

 これだけでは分かりにくいけれど、それをさまざまな本を読んでの感想、評論の中で具体的に説明している。

 私が本を手に入れるとき、その本が秋波を送ってくるように感じる。この私に読むように誘惑して来るのである。まだ読む前にその本が私にメーセージを送っている、と感じられるのはとても不思議なことであるが、確かにそうなのである。

 そのことが素直に得心される本なのである。

 その得心をちょっと応用してトランプがなぜ支持されるのか理由を考えてみたのである。そういう意味ではトランプはただの道化ではないのかもしれない。

 友人に孫が出来た。娘と孫が天使に見えたという。孫を抱き、手放しで喜んでいる様子が目に浮かぶ。

 数年前に妻女を亡くしているから思いはひとしおかもしれない。

 自分の息子や娘は独り身なので、孫は手に抱けるかどうか分からない。友人がうらやましい気持ちはあるが、息子や娘にせがむつもりはない。彼らは彼らなりに自分の生き方を生きている。

 私の生き方が彼らに影響しているであろうが、その生き方は私が選んできた生き方で、それを悔いるつもりはない。やり直しの出来るものではないし。

 兄貴分の人と電話で打ち合わせて、10月の旅行のスケジュールを決めた。まかされたので、私が宿の予約を入れた。長老がある程度負担してくれるので、ふだんの自分の旅行の宿から較べてかなり贅沢な宿を予約する。長老はゆとりがあるので甘えさせてもらえるのだ。あとは天気が良いことを願うばかりだ。

 風邪気味の体調がなかなか治らない。ひどくならないのを善しとしておこうか。台風が去ったので天気も回復した。出かけたいけれど、自重することにする。

 テレビで旅番組を見て、出かけたい気持ちがつのる。二、三日前は出かける意欲も失せていたので体調とともに気持ちも回復してきたみたいだ。もうすぐ風邪も治るだろう。

2016年10月 5日 (水)

誉田哲也「歌舞伎町 ダムド」(中央公論新社)

Dsc_1025

 少し古い(1973年)が、「悪魔のはらわた」という映画がある。監督ではないが、あのアンディ・ウオーホールが監修し、フランケンシュタイン博士役のウド・ギアが怪演した。若いころはこういう血まみれ映画を見るだけ神経が太かったか、あるいは鈍感だった。

 フランケンシュタイン博士は屍体のパーツを集めて理想の人造人間を作ろうとした。しかし出来上がったのは化け物だった。魂が去ったあととはいえ屍体にも尊厳がある。その死体を損壊する行為はおぞましいものであり、正視に耐えるものではない。

 「悪魔のはらわた」のすさまじいのはフランケンシュタイン博士の屍体に対するさらに異常な行為であるが、それは詳しく説明する気にならない。

 そんな映画を思い出させるような殺戮と死者に対する冒瀆のシーンがこの本のプロローグの部分で描写される。このような世界はたぶん絵空事ではなく、現実にもあることは、ばらばら死体事件などのニュースでも明らかだが、普通の生活の中にはないものとして人は生きている。

 つまりこのプロローグは異世界への入り口なのだろう。人はふだん見ている世界を一皮めくった裏側を見てはいけないのだが、それをのぞきこんだというところか。

 江戸川乱歩の小説にはいくつかのジャンルがあるが、そのような一皮めくった、見てはならない世界が描かれたものもある。

 そんな世界と、むかしハードロマン(何というネーミングだ!)と呼ばれた暴力と性描写をふんだんに盛り込んだ西村寿行の小説の系譜をついだのが誉田哲也の「ジウ」シリーズで、この「歌舞伎町ダムド」もその「ジウ」に繋がる話である。

 「歌舞伎町セブン」の新メンバーが新宿署の東警部と絡む話、ということなのだが、シリーズを読んでいない人には何のことか分からないだろう。意外な人物に出逢うことになる。 

 この本はハードボイルドではない。こういう劇画調の物語はそろそろ読むのを控えようかと思いながら、いままでのつき合いからつい新作がでると読んでしまう。この「歌舞伎町ダムド」は「硝子の太陽」という新作の前の作品なので、つなぎとして読んでおくために買った。ようやく最新作を片付けることが出来る。

池内紀「亡き人へのレクイエム」(みすず書房)

Dsc_9617

 親しかった人、わずかな関わりながら強く印象が残る人、すでに亡い人たち28人を語る。

 ここで語られるのは、この世を去った人が残したもの、その人となりであり、その関わりを通じての著者自身であり、そして死についての著者の受け止め方である。

 巻末に著者が感じている死のイメージを、短いいくつかの不思議な文章にしてまとめてある。池内紀という人がどのような想念の世界にいるのか、垣間見える。私にも向こう側がちらりと見えたりする。

 それにしてもこれだけ多分野の錚々たる人々と縁のある池内紀という人は、いったいどんな人なのだろう。この人の文章を読めば読むほど奥が深くて分からなくなる。

2016年10月 4日 (火)

山本夏彦「『室内』40年」(文藝春秋)

Dsc_0561

 山本夏彦翁はインテリア雑誌「室内」の編集兼発行人であった。翁が死んで間もなく、この雑誌は休刊してそのままのようである。

 昭和三十年一月、「木工界」という名で月刊誌として創刊、後「室内」と名をあらためて四十年たったのを記念し、編集員と山本夏彦が「室内」の歴史を語ると共にその雑誌に関わった人、世相の変遷などを12回にわたって語り合った。それを本にまとめたものである。

 山本夏彦の対談相手の編集員は若い女性である。レトリックに富み、漢語や明治の言い回しを好んで使う山本夏彦の言葉がしばしば分からない。その分からないところを分かるように説明しながら話が進んでいく。編集員のとんちんかんな受け答えは、時に山本夏彦の意表を突いて、やがて場は和気藹々となる。

 言葉を知らぬものは言葉を知るものと話すために言葉を学んでからでないと話せないのだろうか。そんなことはないのである。語る人に伝えたいこころがあり、聞く方に聞く意志があれば、話は曲折することはあっても伝わるのである。

 山本夏彦のシニシズムをすり抜けはぐらかし、そこに意図せぬ絶妙なユーモアが生まれる。ここに取り上げられたテーマは月刊誌「室内」に関連したものとはいえ、それを遠く離れた世相批判、そして人間観察の数々である。ふだんの山本夏彦の本ではレトリックに過ぎて、しかも文章をぎりぎりに切り詰めてあって意が通じないこともあるけれど(これはひとえにこちらの能力の不足の故である)この本では日ごろ山本夏彦の薫陶を受けているとはいえ、何しろ私よりもものを知らない編集人が相手であるから、意味が分からなければ分からない、と言われてしまう。時には突き放すが、たいがいは分かるように例を挙げ、噛んで含めて説明している。

 冒頭部(まだ対談は始まっていない)

 高位高官でワイロをとる者が絶えないと怒る人が多いが、私は怒らない。吏は賄賂をとりたがるものなり、責むるはヤボなり、いくらとりかえても同じことなり---とむかし荷風散人は言った。
 怒るのはワイロがとれる椅子に座らないか座れない人で、座ればとるに決まっているから、その怒りは本当の怒りではないと思うが、むろん怒る人はそう思わないから争わない。浮き世のことは笑うよりほかないと思うことにしている。

 これが山本夏彦のシニシズムである。これを楽しむための入門編のような本である。

退屈

 これがやりたい、と強く思うものがない。何をやっても自発的にやっているのかどうか分からなくなってきた。

 退屈は気力を削ぐ。それとも気力が低下したから退屈になっているのか。

 一昨日、のどと鼻の奥が変調を来し、久しぶりの風邪の予感がしたので、そのあと自重していたが、微熱の状態が続き不快である。それとともに何やら悲観的な気分が襲ってきて、生きていることの意味すら分からなくなってきた。やり残したことは山ほどあるけれど、それにそれほど未練があるわけではない。むやみにため込んだものがわずらわしいような気までしている。

 なにかのきっかけがあればそんなものは吹き払えると分かっているのだが、それがつかめない。そもそもつかむべきものが見当たらない。

 まったくちょっと体調を崩しただけなのに何と意気地のないことか。いまはぼんやりと体調の回復をまっている。

2016年10月 3日 (月)

橋下卓典「捨てられる銀行」(講談社現代新書)

Dsc_0569

 こういう金融関係の本は苦手である。新書だから一般の人向けになるべく専門用語を使わないようにしてくれていても、分からないことが続出して投げ出してしまう。

 それなのになぜあえてこの本を読んだのか。

 長谷川慶太郎が、これから地方銀行の淘汰が進められる、と書いてあったことが頭に残っていたからだ。

 だから表題の「捨てられる銀行」に惹かれた。長谷川慶太郎の言っていた淘汰の詳しい理由が見えるかもしれないと思ったからだ。

 銀行は誰に捨てられるのか。

 当然護送船団方式で政府に保護されてきた銀行が、個別に生き抜くことを求められて、ついていけないものは政府に捨てられるのだと理解していた。

 本書巻末の部分を引用する。

 ある地銀の話だ。
 ある医療法人が地元の地銀二行に利益改善策を提案するよう求めた。するとA行は医療法人に対して試行錯誤しながら改善提案をしてきた。もうひとつのB行は、貸出残高ではA行を上回るメインバンクであったが、支店長が医療法人からの依頼を甘く見たのか、要請を放置した。営業目標への貢献にも繋がらないからだろう。余計なコストを負いたくないという思いもあったろう。
 しばらくして、医療法人からB行に通告が入った。借り入れている全額をA行に移すと。メインバンクの交代だ。しかも地域金融の支店においては看過出来る融資額ではない。文字通り激震が走った。
 思わぬ医療法人の行動に面食らったB行はあわてて本部に報告し、本部から担当役員が飛んできて医療法人に謝罪し、メインバンク変更の見直しを求めたという。それでも医療法人は首を縦に振らなかった。
 事態の重大さから、後日、ついにB行の頭取自らが医療法人を訪問したという。B行としては最大限の誠意を示したつもりだろう。
 B行の頭取は医療法人の理事長に対し、
「どうか考え直していただきたい。そうでないと私は支店長を更迭しなければならなくなる」
 と、支店長のクビはあなたの一存にかかっていると言わんばかりに理事長へ翻意を促した。
 すると、理事長はため息をついて言った。
「あなた方はいつもそうだ。何も分かっていない。顧客の方を見ていない。私は利益改善提案をお願いしたのに、提案はせずに、いまだに部下を更迭せざるを得なくなるとか、困るとか自分の話ばかりされる。私たち客には何ら関係のない話だ。だから私はメインバンクを変更するとお伝えしたのです」
 こういう信じ難い話が地域金融の現場で数多く起きている。笑い話では済まない。顧客と語ることばを失い、「捨てられる銀行」となりつつあるのだ。(後略)

 銀行は政府に捨てられるのではない。顧客に捨てられるのだ。

 地銀がこれから生き残るために何をすべきなのか、そのことの答えの一つがこの本に詳しく書かれている。その答えが正しいかどうか、神様でなければ分からないが、私はこの答えを自ら見つけ出した地銀のみが生き残れるだろうと信ずる。

 いま広島に活気があることは誰もが感じていることだろう。カープは優勝し、マツダも元気が良い。ここにじつは広島銀行の隠れた功績があるのではないか、というのがこの本の冒頭に書かれている。地方創生も含めて地方の活性化は、地方の企業の活性化にこそその答えがあり、そこには地方銀行の役割があるはずだ、というのがこの本の主旨であり、いま金融庁改革を断行している森金融庁長官とそのスタッフの行動原理であるらしい。

 銀行の話なのにけっこう心ときめくものになっている面白い本であった。正直ちょっと分かりにくい言葉もあるが、二度三度違う曲面でその言葉を使うことで、立体的に理解出来るように導いてくれているのが有難い。

2016年10月 2日 (日)

小人閑居して

 小人閑居して不善を為す、という。

 どこへも出かけずにぼんやりしていると身体も油断するのだろうか。朝起きたら、のどの奥と鼻の粘膜が痛い。熱はないようだが、大事をとることにする。昨日は本を読む気にも映画を観る気にもならず、うっかり涼しい風に当たりながらうたた寝したのがわるかったのだろうか。

 そういえば昨日は夕方までココログがつながらず、ニフティのメールも開けなかった。読んだ本が二、三冊あるので、そのことを下書きでもしておこうと思ったがそれも億劫に感じた。たぶん昨日から不調だったのかもしれない。

 本日はマンションの防災訓練の日。申し訳ないがサボった。

 ときどきガス欠になる。その頻度が増えているような気がする。ときどきは出かけて世間の風に当たらないと自分のためにならないらしいと承知はしているのだけれど。

 日曜日の午後二時のアンニュイ、と森本哲郎師が名付けた時間のなかにいる。休日もそろそろ終わりに近くなり、いまさらどこかへ出かけるには遅い、無為に過ぎた時間をなんとなく憂鬱に感じる時間、という意味だ。仕事をしていたときは、その言葉を強く実感する時間帯だった。久しぶりにそのことを思い出していた。いまは毎日が日曜の生活だから、そんなアンニュイがないといえばないが、毎日そんなアンニュイを感じているともいえる。

 これでは、小人閑居して不善すら為さず、だ。

2016年10月 1日 (土)

阿川佐和子「強父論」(文藝春秋)

Dsc_1024

 私自身のことを言えば、父など死んでしまえばいいとまで思っていたことがある。死んでしまえば憎まなくて済むからだ。しかし憎むことと嫌うことが違うことにも気がついていた。憎んでいたけれど父が嫌いなわけではなかった。それはうまく説明出来ない。

 私が就職してしばらくして父は教師をリタイアした。頑固さは変わらないけれど、だんだん物言いがおだやかになっていった。むかしの感情の激発がなくなった。

 父を憎んだのは、父が感情を爆発させると止めようがなかったからである。父は当時としては筋肉質の長身でいわゆる大男であり、しかも柔道の有段者、高校生の時に体格が父とかわらないほどになっていた私だったが、いとも簡単に投げ飛ばされたことがある。

 学生時代に格闘技の部活動をした。誘われたからだが、父に腕力で勝てるようになりたいという思いがあった。父を憎んだのは、自分が父にかなわないことへのコンプレックスからであることがいまなら分かる。

 父とまとまった会話をしたのは、自分の子どもが生まれたときである。息子の名前を決めかねていくつか候補を挙げて意見を聞いた。そのときに息子の名前を決めた。

 それからは父と普通に会話ができるようになった。父を乗り越えたという自信はついに最後までつかなかったけれど、もうどちらでも良くなっていた。たぶんそれが父という壁を越えたか破ったかしたときなのだろう。

 志賀直哉に「和解」という短編小説がある。父との長い確執の果てに、ついに父と和解するという小説だが、強く感銘を受けた。

 息子は父を越えるか突き抜けるかしなければ一人前になれないと私は思っている。そのためには父親は優しくてはいけない。子どもに迎合する父親は子どもをおとなに出来ない。子どもはおとなになるために回り道をして別の苦労をしなければならなくなるだろう。

 さてようやくこの「強父論」の話に戻る。阿川弘之は時に暴君であったことが描かれている。いまの若い人にはこんな男は信じられないかもしれない。私も彼の息子ならさっさと逃げ出すだろう。

 しかし最初に書いたように父親を憎むことはあっても嫌いにはならない。尊敬する気持ちを失うこともないだろう。

 何より、歳をとって衰えた阿川弘之という父親に対し、阿川佐和子が優しいことが、わがことのように嬉しい。阿川佐和子がそんなおとなの女性に育ったのは、もちろん阿川弘之の娘だからである。

 「論」などとなぜ題名につけたのかと思ったが、父親とは何かを語っているのであって確かに父親論なのである。ビートたけしが帯で絶賛しているのもそういう意味だろう。父親は時に憎まれても良いのである。それに耐える強い父親であるべきなのである。

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ