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2017年2月

2017年2月28日 (火)

腰が痛い

 ブログの保存のためにハードコピーをしていたが、写真が多いとスペースの無駄があるのと、不要な部分が印刷されてわずらわしい。しかも書かれているのが新しいものから古いものへの順番なので読みにくい。

 内田樹老師のアーカイブは古い順に並んでいて要らないものがなく、とても読みやすいし、画像がほとんどないか、あってもとても小さい。それを真似たアーカイブを作ることにした。

 とても原始的なのだが、ファイルを作成して(私は一太郎で作成)、月々の一日から順に必要部分だけをコピーして貼り付ける。画像は何が写っているか分かるぎりぎりの大きさに圧縮する。いただいたコメントと、それに対して自分が返したコメントも貼り付ける。こうして毎月々のファイルを作成していくことにした。とてもすっきりして読みやすいものになった。

 ただし画像が多いと一枚ずつ処理しなければならないので大変である。この二三日で今年の一月と昨年の12月、11月分が出来あがった。一月ごとのファイルにして保存する。思ったより作業が大変なので、一気にやるのは無理だ。これからのブログを翌月にアーカイブ化することを優先し、ヒマなときにボチボチ遡ろうかと思う。

 それにしてもずっと作業をしていると腰が痛い。ほどほどにしておくことにする。

もっと悪事が露見しないと困らないか?

 韓国の特別検察が捜査している朴槿恵大統領にはめぼしい悪事が見つからないようである。大統領府を家宅捜索出来なかったこと、直接朴槿恵大統領に事情聴取が出来なかったことが調査結果が不十分になった理由だとしており、捜査期間の延長を申請したが却下された。

 捜査期間を延長しても結果は変わらないと判断されたのだろう。捜査を続けているうちに大統領の任期が来てしまえば空騒ぎの冗談にしかならない。どちらにしても、任期が過ぎてただの人にもどれば訴追されて哀れな末路をたどるだろうことは、歴代の大統領の末路と変わらないような気がする。

 大統領職という権力を利用して私腹を肥やしていた、というのがみなが期待している彼女の悪事である。しかし一般の韓国政治家と異なり、彼女はあまり私腹を肥やすことに熱心ではない性格のように見える。彼女に対する韓国国民の非難は、彼女がチェ・スンシルと結託して私腹を肥やしていたはずだという思い込みによる怒りから発している。韓国ではほとんどの権力者が私腹を肥やすものだという思い込みがあり(現実にそうなのかもしれない)、朴槿恵大統領もそうに違いないと確信している。

 ところがいい目を見ていたのはチェ・スンシルだけで、朴槿恵大統領自身にはなにもないということになると、振り上げたこぶしのおろしどころに困ってしまう。彼女が極悪大統領であってくれないと、あれほど盛り上がった怒りが何だったのか分からなくなる。

 朴槿恵大統領は自分は何も悪くない、と主張している。チェ・スンシルに頼り、チェ・スンシルにいいようにさせてしまったことだけは後悔し、反省していると抗弁している。チェ・スンシルに依存したことは悪いと認識しているのだが、自分自身には何も利になることをしていないのだから悪くないといい、そして多分本気でそう思っている。

 自分から引退しないで、したたかに事態を見つめている、などという見方もあるが、引退したら袋だたきに遭うのが目に見えていれば、それを先延ばしにするのは当然である。潔い出処進退というのは、強さがないと出来ないことだと思う。それにその判断はチェ・スンシルがいなければ出来ることではない。二人で一人なのであるから。

 朴槿恵大統領を擁護する人々が少なからずいて、非難する人々と激しくぶつかっている。擁護する人々には、朴槿恵大統領が皆が言うほどの悪いことをしていないではないかという思いがある。彼等には弱った朴槿恵という女性をみなでよってたかっていじめているように見えているのだろう。

 なんだかそのようにも見えるではないか。そもそも朴槿恵という女性は、チェ・スンシルのような人間に頼るしかない弱い人間なのではないか。可哀想に両親を相次いで殺され、自分は顔を傷つけられた。本来は静かに暮らしたかったのではないか。しかし朴正煕の娘であるという出自が、人々の神輿として担ぎ出されることにつながった。

 それすら拒否できないほど弱かったのかも知れない。彼女はおびえていたように見える。公的な場に登場するときの彼女の堅さはおびえのあらわれではなかったか。そもそも大統領職は弱くて務まるものではない。物理的にも彼女の父親のように側近に殺されるのではないかという恐怖もあったのではないか。だから大統領府にいてもほとんど人と会おうとせず、書類報告のみを受け付けていたという。

 しかも大統領としての実績に何があるというのか。韓国の力は経済の力である。その経済に陰が差しても何も手を打つことが出来なかった。そもそも実際の経済がどうなっていて、どうすべきであるのか理解していたのだろうか。つまり無能だったのだ。

 多分彼女は無能であることも自覚していたか、または途中で気がつかざるを得ないことになっていたのではないか。それもおびえの要因である。どうしていいか分からない、そのことがチェ・スンシルに頼ることにつながったのではないか。チェ・スンシルにしても新興宗教家の娘であって大統領にアドバイスするような能力も知識も持ち合わせていない。そのアドバイスは行き当たりばったり、国のことなど考えていない。

 しかし権力のようなものを思いがけず与えられてしまえば、それに乗って多少は私腹を肥やすことが出来ることだけは学んだようだ。もともと新興宗教家の資質を受け継いでいれば、ご託宣のように自信を持った言い方でアドバイスが出来る。大統領はそれで安心する。もともと根拠など無いのだ。

 反日も中国に擦り寄ったのも、突然中国とたもとを分かつような動きをしたこともみな行き当たりばったりである。セウォル号事故の時にはチェ・スンシルが側にいなかったのではないか。だからどうしていいか分からず途方に暮れ、手をこまねいていたのかも知れない。

 このような大統領を清廉潔白であることを理由に選んだのは韓国国民である。その朴槿恵が裏切ったから引きずり下ろすという。その理由が私腹を肥やしたはずだという思い込みであれば、その事実がないことに困るだろう、と韓国の国民に同情するのである。

2017年2月27日 (月)

基準になるもの

 ものを判断するときの基準になるものは「正しい情報」だと思われている。しかし「正しい情報」とは何だろうか。正しいと判断する基準は何か、などと考えだすとわけが分からなくなる。

 トランプ大統領がマスコミと敵対していると報じられている。彼がマスコミを非難する理由は、マスコミが偽ニュースを流すからだと云う。トランプ大統領を支持し、トランプ大統領の云うことをそのまま報じるマスコミは、彼にとってあるべき正しいマスコミで、彼に反対するのは偽ニュースを流す悪いマスコミと云うことらしい。

 アメリカのマスコミの多くは大統領候補時代のトランプを批判するニュースばかりを報じていた。そしてトランプはクリントンに勝てない、と最後の最後まで予測し続けた。

 その予測は外れた。

 予測が外れたことは、トランプ大統領にとってマスコミが偽ニュースを流すと主張する根拠となっている。彼にすれば、マスコミは間違っていた、現に自分は大統領になったではないか、というわけである。

 人々はマスコミの報じるニースを情報として受け取り、それを基準として世界を見てきた。マスコミが時に間違いはあるにしても、嘘を言うはずかないという確信らしきものがあった。ところがトランプ大統領はマスコミは嘘つきだという。確信が揺らいでしまえば基準が揺らぐ。それでは不安でいられない。ではどうするのか。

 ネットにあふれる無数の情報をひたすらかき集め、その情報量で情報の正しさを支えようと考える。間違った情報もあるかもしれないが、全てを網羅すれば真実らしきものに近づくという思いがあるのだろう。

 残念ながら人が集められる情報には限りが有り、しばしば、というより必ず人は自分の受け入れやすい情報を無意識に選別してしまう。山のように集めたつもりでも、それは全てかたちを変えた同じものである。

 そもそも私には、トランプ大統領という人が自分が正しいと言い張る基準となる情報こそ、歪んでいるし、偏っているように見える。それを見て批判する声がアメリカ全土、いや世界中に氾濫している。それなのにその声が今のところトランプに届かない。なぜならその声はトランプ大統領にとって偽ニュースだからだ。

 反知性主義という言葉がひところよく言われた。ここでいう知性とは何か。「自らが間違っているかも知れない」と懐疑することが出来る能力のことである(by内田樹老師)。アメリカはしばしば反知性主義の蔓延する国で、宗教はその弊をもたらしやすい。それを乗り越えた宗教だけが歴史を生きのびたのだが、宗教はその宿命を常にはらんでいる。

 自分とは異なるものを排除しようとする思考様式は反知性的である。差別ももちろんそうである。トランプ大統領が反知性的であるのはイスラム排斥を唱え、移民で成り立ってきたアメリカそのものを否定するに等しい移民排斥を掲げていることに象徴的される。アメリカは常に先に来た者があとから来る者を排斥し、次の者がやってくると今まで排斥されていた者たちが仲間に繰り込まれるという歴史を繰り返してきた。今まったく同じことを繰り返しつつあり、そのことへの自覚のなさに呆れるばかりである。

 アメリカのマスコミが再び基準の発信者として立つことが出来るのかどうか。どうしたら復権できるのか、これは世界にとってとても重要なことのような気がする。

 蛇足だが、朝日新聞を私があしざまに言うのは、その正義の判断の基準者を自認することが過剰のために、何とそれこそ正義のための偽ニュースを乱発することで自らの存在意味を否定してしまったからであり、どれほどの災厄を世の中にもたらしたのかの自覚がないからである。偽ニュースはマスコミの内部の致死性の毒であろう。

 だから中国や北朝鮮や韓国のマスコミも自家中毒にかかっているような気がする。ここから脱却しないと世界の人々は基準を見失う。

 そもそももう基準など必要ないのだろうか。そんなはずはないと思うのだが。

おかめはちもく

 岡目八目とも傍目八目とも書く。お面になっている、あのおかめさんの目が八つもあるわけではない。

 傍目八目はもともと囲碁から来ている。対局している二人よりも傍で観戦している人間の方が全体を見渡せる。囲碁は囲う盤面の地を争うもので、その地は一目二目と勘定するから、観戦者は八目有利と見る。ハンディのようなものである。だからしばしば観戦者は対戦者の気がつかない手に気がついて口出しする。

 相手が気がつかないことを期待していた対戦者は、だから怒り、しばしば喧嘩になる様(さま)を想定しての傍目八目ということばであって、プロやアマ高段者の対戦は想定されていない。ザル碁の光景である。

 ドラマや映画をよく観る。ヒロインや若い娘がしばしば自ら危地に陥るのを観ていて歯がゆいのを通り越し、座視していられない心持ちがする。そんな行動をすれば必ず悪いことが起こることくらい分からないのか、と思うからである。危機に対する感度が低すぎる!

 あまりにも女性が愚かな行動をしていると、脚本家は女性を愚かなものと決めつけている、蔑視していると腹が立つので論外だが、リアリティのある危機は現実にあり得ることで、たまたま観客である当方はドラマだから何か起こるだろうという予見をもっていたり、実際の犯人の姿を画面から承知しているのだから、傍目八目どころではない。残念ながらヒロインに「そんな方に行ってはいけない」などと口出しするわけにはいかないが。

 そういえば昔、近所の友達のおばあさんが、そういう場面になるごとに「よう、やだよう」と身もだえするのでうるさくて仕方がなかった。でも気持ちは分かる。

 最近そのおばあさんの境地に近づきつつあるようで、ヒロインがこれでもか、というほど苦境に陥ったり苦難にさらされたりするのを観るのが苦痛になってきた。敏感になってきたとはとても思えない(明らかに鈍感になっているはずである)から、自分と登場人物との区別がつかなくなりつつあるのかもしれない。自他があいまいになりつつあるのか。それは良いことなのか、それとも・・・。

2017年2月26日 (日)

多少の蘊蓄

 いろいろなことに興味があり、いろいろなことを読み囓り、人に聞いてきたので、自慢するほどではないが多少の蘊蓄はある。しかし世の中にはどの分野にも本物の蘊蓄家がいて、生半可なことを言ったり書いたりしていると低い鼻なのにへし折られる。

 そもそもこちらは「多少」の蘊蓄でしかないなのである。より深く詳しい人に出会えば素直に脱帽し、自らのレベルの低さを痛感する。しかしそのことで自己卑下はしないし、奥が深いものだなあと感心し、もっとそのことを知りたくなることも多い。いつか相手のグランドで対等に話せるほどになりたいものだと思うばかりである。へし折られた鼻は痛くても、さいわい昔から回復は早い。

 それより見かけ倒しだったり、自分の無知を恥ずかしげもなく自慢するような人はちょっと苦手である。せめて「多少」は自分の蘊蓄を語るくらいのことが出来るように努力する人であって欲しいと思う。そういう人ならその人の蘊蓄からなにがしかの贈り物をもらえる。

 蘊蓄は知識の量のことではない。その蘊蓄を語る人の興味の赴くところがどこにあり、それをどう考えているかを知ることで、その人自身を知る手がかりとなるものである。だから無知はつまり世の中に興味がないということかと見えてしまう。

 知ったかぶりは鼻持ちならないが(自戒を込めて言っている)、人が意外なことに詳しいことを知ったときには嬉しくなるものだ。その人が興味をもつことを知ることでその人自身が見えるからである。知ることは好きになることの第一歩なのだから。

 だから私は知ったかぶりに見えてしまうことを承知の上で「多少」の蘊蓄を自己紹介として語る。御寛容いただきたい。

藪の中

 金正男氏暗殺の真相はまだまだ明らかになりそうもない。日本やアメリカのような、情報がほとんど開示されている国ですら、いろいろな事件の真相というものが明らかにならないことはしばしばである。北朝鮮のような情報がほとんど開示されない国ならましてやのことだろう。情報が乱れ飛び、憶測が憶測を呼び、さまざまな解釈がテレビで語られている。

 北朝鮮の国ぐるみの犯行と見るのがほぼ間違いなさそうに見えるが、結果的に北朝鮮になんの利益があったのか、却って友好国のマレーシアとの関係の悪化や中国の石炭輸入停止措置など、マイナスがもたらされているように見える。犯行のお粗末さから、北朝鮮の言う、韓国の謀略でそれにマレーシアが加担したものだ、というのが絶対に事実ではないとは言い切れないところもある。何しろ犯行が露見することが最初から仕組まれていたようにすら見えるからだ。

 可能性として、中国が金正男氏を処分して、北朝鮮に対する軍事的行動、または金正恩排除の口実を醸成しようとしたのだ、という説を立てることも可能だ。そもそも中国がアメリカとの防波堤として北朝鮮の存在を必要としている、という前提が事実であるかどうか私は疑わしいとすら思っている。北朝鮮が中国に有用な役割を担っているとは思えないのに、外交評論家はみな同じ前提に立っている。別になくてもかまわないけれど、もう少し中国に都合の良い国であったらもっと好い、くらいには思っているだろうけれど。

 北朝鮮の存在が必要だという理由として、北朝鮮は中国と同様な独裁共産主義国家であるが、中国よりもこんなにひどくて惨めな国であることが、中国の人民支配に役立つという意味なら分かる。となりよりも中国はずっとマシだ、という意味で。それもいまさらそれほど役に立つとも思えなくなっている。

 国際世論が中国の実力行使容認に傾いたことが確認できれば、中国は行動を起こしそうな気がする。目の上のたんこぶの排除はすでに検討済みだろう。

 さはさりながら、北朝鮮が犯行に及んだことはほぼ確実であるから、どうして金正男氏が護衛無しだったのか、または護衛がいたはずなのにそのときにだけ離れたのか。そして暗殺されたことがあれだけ短時間に露見したのはなぜなのか。それは北朝鮮の想定外だったのではないか。わざとスキが作られたといえないこともない。そしてあまりにも早く芋づる式に関係者の正体が明かされてしまった。北朝鮮の言う、韓国の謀略、というのはそういう意味なのだろう。

 韓国か、中国か知らないが、暗殺を誘い込んだという意味の謀略は否定しきれない。直接犯行に及んだ二人の女性を見ていた四人の北朝鮮工作員を、さらにどこかで見ていた誰かがいたのではないかと思うのは無理筋ではない。

 しかしこれらの憶測はスパイ映画の見すぎによるもので、彼を付け狙っていた北朝鮮工作員が、ただ金正男氏の油断を見すまして強行しただけのことで、そもそもワンチャンスに賭けただけだから、お粗末な結果になっただけかも知れない。それほど本国から矢の催促があったのだろう。そして、マレーシア側にこれを暗殺とすぐ見抜いた人間がたまたまいたということかも知れない。マレーシアの警察は優秀だということだから。

 マレーシアは航空機の事故などで国の威信を落としていたから、今回の事件ではことさら毅然とした態度を貫くことだろう。それは北朝鮮にとっては想定外で、結果的に得たものよりも失ったものの方が大きいことになりそうで、そもそも暗殺などと云うものはそういうものなのだろう。まさかいまの日本では暗殺なんてないと思うし、自分が暗殺される可能性は絶無だと確信する。このブログにもあることないこと書いているものの、それほど影響が及んでいるはずはないし、そんな連中が読んでいるとも思えない。それこそ無意味な念押しか。

こだわりの価値

 嗜好品にこだわる人を見てもあまり共感しなかった。

 ドラマの「相棒」では水谷豊扮する杉下右京は紅茶にこだわる。映画「カモメ食堂」ではコーヒーの淹れ方で味がまったく変わることを見せてくれていた。愛読書の張岱の「陶庵夢憶」ではお茶にとことんこだわっている。

 紅茶やコーヒー、緑茶やその他のお茶を飲むのは好きである。こだわることが理解できなかっただけだ。ただの贅沢、ただのスノッブに見えていた。

 つい数年前まで中国によく行っていたので、いろいろなお茶を土産に買って帰った。それを飲みながら旅先でのことを思い返すのが楽しみだった。茶葉を選ぶときに茶店で試飲するが、そのときに飲むお茶がとても美味い。ところが同じ銘柄を買って帰ってもそこまで美味しく感じられない。どうも淹れ方が問題であることにようやく最近気がついた。

 茶店で儀式のようにこだわりをもって淹れているのを真似してみる。茶葉の量、湯温、湯の量、淹れる時間などによって味が多少違うことは知っていたけれど、こだわってみると多少どころか全然違うことが分かりだした。

 この違いは高価な茶葉を使うほど際立つ。高価な茶葉でも淹れ方が雑だと安いお茶の味がする。こだわるほど美味しくなる。多分私の淹れ方では本来のお茶の美味しさのほんの一部しか引き出せていないなあと思う。台湾で買ってきたちょっと高価なウーロン茶をいろいろ試しながら飲んでそれを実感している。

 こだわりとはそういうものかとようやく気がつきだしたところである。ずいぶん遅い。遅いけれども美味しいお茶を香りと共に喫するときの、安らぎの気持ちをとても大事なものに思っている。贅沢とは無駄とおなじではないという、当たり前のことにこの貧乏性の男はようやく気が付いたのである。

 その台湾のお茶もほぼ尽きかけている。台湾や中国まで買いに行くのは次の機会を待つとして、どこか美味しいお茶が手に入るところを探しに行かなければならない。

 今のところ道具や水にまでこだわっていないが、旅先で良い茶の器があったら買いたい気持ちになっている。

2017年2月25日 (土)

朝寝をする

 昨晩はいつもより早めにどん姫が来たので、さっそく酒盛り。どん姫も絞りたての新酒を「美味い、美味い」と呑んでいる。「いつもの酒とは全然違うね!」と分かったようなことを言う。いつからこんな酒飲みになったのかと思うが、仕込んだ責任が私にないとはいえない。

 残念ながらアンコウ鍋は今ひとつ。鮮度がやや落ちていたのか、かすかに生臭さが感じられた。味噌仕立ての鍋に生姜を投入してだいぶマシになる。あん肝はそれでも絶品。やはり本物のアンコウの肝は美味い。キスは小ぶりなので中骨を取るのが大変。手抜きして大きいものだけ開き、あとは頭を取り、はらわたを丁寧に取り除いてそのまま揚げる。皿に山盛りあった。

 あとはもやしやキャベツなどの野菜の煮たもののあんかけ、結構いける。

 気がついたら三時を過ぎている。どん姫はこたつでうつらうつらしている。布団に寝かせて宴会の後片付け、それから風呂に入る。一息ついたら五時である。あわてて寝る。

 そんなわけで目覚めたのは十時過ぎ。こんな時間まで寝たのは久しぶりだ。どん姫はまだ寝ている。

 安心しきって寝ているのを見ると親としての幸せを感じた。

2017年2月24日 (金)

豊浜漁港

新師崎の写真を追加で一枚だけ。


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さぞかし美味しいであろう。

釣をしていると、ここに泊まった人が良く覗き込んだ。釣れたウミタナゴを見て、「フナですか?」と聞かれたときには絶句した。おい、ここは海だぜ!

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豊浜旧漁港。魚市場前。豊浜は新師崎から知多半島先端の師崎を回り込んで、西側にある。こちらは風が弱い。これはたまたまではなく、知多半島では西側はたいてい風が弱く波もあまり高くない。

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春になればこの防波堤は小アジ釣りの人が鈴なりになる。
もうすぐだ。

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豊岡漁港入り口。向こうは三重県。鈴鹿の山か。

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今日は船が出ていないのであろう。閑散とした市場。

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この時期にはシラス漁やコウナゴ漁が始まるはずだが、何にもない。漁場には風が強くて出られないのであろう。知多ではあまり大型の漁船はないのである。

漁港を散策したあと、漁港のそばにある魚ひろばに行く。

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この建物の中に鮮魚店がある・・・はずなのだが、今は本当の鮮魚を扱っているのは一軒だけ。あとは干物や瓶詰めや加工品の店ばかりになってしまった。このなかに食堂が二つほど出来ていた。これではだんだん客も寄りつかなくなることだろう。

いろいろ物色して、小ぶりのアンコウをさばいたのを一箱、そして小ギスを一山(それでも30匹以上ある)購入。アンコウは鍋に、キスはフライにしよう。しめて1300円、黒鯛のいいのがあったけれど、ちょっと高い(2600円)し大きすぎる。帰ってきて、買わなかったことをちょっと後悔していないことはない。

知多ビーチランドの水族館に寄ろうかな、と思ったけれど、ちょっと喉がいがらっぽい。冷たい風で風邪でも引きかけたのか。大事を取って帰ることにした。

知多

知多半島の先端は師崎といい、そこからフェリーや近くの島までの海上タクシーが出ている。


知多半島には知多道路、南知多道路が縦貫していて、名古屋高速からそのまま乗り入れてほとんど先端まで行くことが出来る。夏は海水浴などの観光客が多くて混むが、ふだんは快適に走ることが出来る道路だ。

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終点から左、つまり東側の海へ向かう。目的地の魚ひろばは西側なのだが、昔良く来た釣り場を久しぶりに訪ねようと思う。海へ出ると冷たい風が強く吹いている。天気が良いけれど寒い。すぐ北側の河和とそのさらに北の武豊の間にある火力発電所が遠望できる。白波が立っている。

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海には鴨(だと思う)が群れている。そろそろ越冬を終えて帰る仕度に入るのだろうか。風が冷たくて手がかじかむのに、彼等は水に浸かっている。さぞ冷たいことであろう。

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トンビが飛んできたが、強風の為にほとんど進まない。

ここからさらに南下して、師崎の少し手前、新師崎というところに行く。ここが昔良く来た釣り場で、小アジ、子鯖、ウミタナゴ、子メジナなどを釣った。子どもを連れてきたこともある。

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この岸から釣った。右手がヤンマーの船の修理工場である。周辺の景色は大きく代わり、今は釣をする場所ではなくなっているようだ。正面の島は日間賀島。

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日間賀島まで海上タクシーで20~30分。目の前である。ここには釣り好きの得意先の人と良く宿泊釣行に行った。晩に魚を食べ、翌朝船を仕立ててもらって釣をする。釣果が少ないときは、この新師崎にある赤羽という生けすを持つ鮮魚店でお土産を仕込む。浜に上がった漁船の魚の中の、売り物にならない小魚を安く分けてもらうことも出来る。

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その日間賀島。ずいぶんホテルなどが増えたようだ。一度魚を食べにまた行ってみたい。知多は蛸がたくさん獲れる。蛸で作る日間賀島の蛸飯は絶品である。薄いピンク色の蛸飯はとても上品な味がする。

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バブル時代に作られたチッタランド。分譲のリゾートマンションである。作られてすぐにバブルが崩壊した。入居者は埋まっているのだろうか。宝くじでも当たったら買いたいと思ったこともあった。

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テトラの並ぶ護岸。昔はここに浮き桟橋がいくつが設営されていて、漁船がここで魚果を荷揚げしていた。その浮き桟橋で釣りをしたこともある。船が来たら手早く撤収。子どもが覗き込んだら、魚を分けてくれたこともあった。

女の人が海を眺めていた。右手の女性が分かるだろうか。

突き当たり、左手のほうが新師崎の新しい漁港になっている。

このあと豊浜というところに行く。そこが魚を買うつもりの魚ひろばのあるところだ。(つづく)


知多へ出かける

 昨日はネットオフから段ボール箱が届いたので、処分する本を整理して詰め込んだ。昔はブックオフに頼んでいたはずなのだが、今はネットオフに引き取ってもらうことになっている。ブックオフがネットオフになったのか、そもそも違うものなのか知らないが、箱を届けてもらい、箱詰めして引き取ってもらうのは同じである。

 どうせ二束三文である。思い入れもあって処分したくない本もあるけれど、未練である。引き取りは明日。

 今日は天気も良さそうなので、久しぶりに知多半島へドライブに出かけようかと思う。潮風を浴びてストレスを解消し、魚ひろば(知多半島の先の鮮魚や干物を売る店が並んでいる場所)で魚などを買い込んで、晩にやってくる娘のどん姫にちょっと旨いものでも食べさせてやろうと思っている。何しろ先日の新酒会の生搾りが届いているのだ。

 どん姫は参加したいと言っていたのに、仕事の都合で行けないのを残念がっていたので、喜んでくれるに違いない。

 何人か絞りたてを密栓した生酒を送った。送った相手は一緒に呑みたい人ばかりである。密栓しないと炭酸が抜けて本来の味と違ってしまう。ただし、味はどんどん変わっていくから、早めに呑まないと味を損なう。次々にお礼の電話やメールが来た。弟や息子からも連絡があった。ちょっと良い気分になる。

 その新酒、今年は20度まではないけれど、それでも度数の高い酒である。すぐ酩酊する。またあの酩酊を今晩も楽しむことにしよう。

2017年2月23日 (木)

伝法水滸伝

 伝法水滸伝は天保水滸伝のもじりである。天保水滸伝は飯岡の助五郎と笹川の繁蔵の出入りをテーマにした浪曲の外題であることは、知る人は知っているだろう。いわゆる「利根の川風たもとに入れて~」である、玉川勝太郎であり、平手酒造であり、三波春夫である。

 私が生まれた場所であり、幼稚園から中学校の途中まで育ったのが、九十九里に近い東金(とうがね)という場所である。九十九里浜まで8キロくらいで、地引き網であがった小魚を、自転車やバイクに乗せて直接売りに来る小魚を食べて育った。

 だから魚が大好きで、釣も好きで、若い頃、飯岡には投げ釣りでずいぶん通った。飯岡が天保水滸伝に関連することはだから承知していたが、どんな話かよく知らなかった。

 山口瞳の初期短編集「伝法水滸伝」を読み出している。全七篇のうち、「伝法水滸伝」と「繁蔵御用」の二篇が天保水滸伝に関わるものであり、それはただの物語ではない。飯岡の助五郎のもとにわらじを脱ぎ、その一宿一飯の義理から出入りに参加している富士松という男は、山口瞳の祖父のまた祖父なのである。

 山口瞳は自分の出自をさらけ出し、出入りの時の富士松の心臓の激しい鼓動を描く。その激しい鼓動は山口瞳の鼓動であり、読んでいる私の鼓動である。話は出入りに近づいて、そして離れる。

 富士松が出入りのあとどのような生き方をし、その子孫がどんな運命をたどったのか、そして山口瞳自身がどのように生を受けたのかを克明に語る。その通底する生き方は「軽率」である。

 軽率をこれほど勁烈に語る文章を知らない。

 飯岡の助五郎と笹川の繁蔵がどんな出入りをしたのか知らない。それぞれに言い分があったのだろう。それに関わった無名の数々の人間がいた。その中の一人が自分の先祖であることを知って、とことんそれにこだわり、そこから自分の生き方の癖のようなものの理由を感じる山口瞳の感性に震える。

 山口瞳はやがて「血族」という小説を書く。

熟睡は大事らしい

 録画していた「ためしてガッテン」を見た。毎回必ず見ているわけではないが、昨日のは血糖値を下げるデルタパワーの話という、面白そうなものだったので録画しておいた。

 脳波には熟睡時にだけ出るデルタ波というものがあり、それが出るとインシュリンの活性を上げるホルモンが出て、結果的に血糖値を下げることが分かったらしい。

 ストレスが糖尿病と関係があることは承知している。これはこのデルタ波とも関係するのかも知れない。ストレスがあれば安眠できない。これは自分で実感している。だから今睡眠薬を処方してもらっている。

 番組によれば、血糖値の下がりにくい人に睡眠薬を投与して熟睡させると劇的に血糖値が下がることが多いようだ。しかも副作用も連用性もない睡眠薬が開発されているという。私はそれをもらっているのだろうか。ストレスで眠れないという私の訴えに、医師が嬉しそうにこの薬を処方していたから、そうかも知れない。

 肥満していたときには睡眠時無呼吸症候群で、寝ているあいだに本当に呼吸が停止していることを社内旅行の時にビデオに撮られて驚いた。一時ではなく、十数秒息が停まり、苦しそうに顔が歪んで顔色が変わり、突然大きく息を吸い込む。この繰り返しである。熟睡どころではない。

 その頃は昼間突然眠くなり、あわてて車を停めて数分だけ仮眠することがよくあった。典型的な症状である。

 医師が糖尿病を改善するにはとにかく運動と減量が大事であると言ったのは、全て関係しているのである。実際に減量したら血糖値は(薬さえ飲めば)ほぼ正常値範囲である。

 あとはとにかくストレスを減らすことで、今よんどころない事情でストレスフルな状態なのを早く解消することである。相手のあることで、自分の意の通りにはならないが、それが何より自分の健康に大事であることを確信した。

 安眠と減量と運動と安らかな気持ち、これが全部関係しているというのは、考えてみれば当然なのかも知れない。デルタパワーは大事なのだ。

歴史に学んでいるか

 歴史のことを考えている。

 歴史を学ぶと云うことは、歴史を模倣することではなく、歴史から教訓を得て同じような破綻への轍を踏まないことであろう。

 中国の歴史に興味があり、中国史の本をいくつも読んできた。それを読むと、人間というのは歴史に学ばないものだということを痛感する。

 すぐ思い起こされるのはお隣の韓国のことである。歴代の大統領の末路を見ていると、本当に歴史に学ばない国だと思う。

 最近の世界を見ていると、歴史に学ばないどころか歴史を模倣しているように見えてしまう。人類は科学知識は進化しても、文化的には進化しないものなのかも知れないと思えてくる。

 このような先祖返りは、実は人類の未来は隘路に通じている証拠なのかも知れない。隘路の先は行き止まり?

2017年2月22日 (水)

雪恥(せっち)

 雪恥の雪は、「雪(すす)ぐ」という意味である。前回の項で紹介した蒋介石の日記の、ある時期からあとに頻繁に出てくる言葉である。自分の、そして自国の受けた屈辱、恥を雪ぐという意味である。

 孫文は日本に留学し、革命行動が挫折するたびに日本に雌伏した。その孫文の元をたくさんの人が訪れたが、そのなかに若き日の蒋介石もいた。蒋介石は日本の軍学校(越後高田)で砲学を学んだ。わずか一年ほどで武昌蜂起を知り、脱走して中国へ走る。もちろん除籍され、追われるが、日本人に身なりを替えて辛くも脱出に成功している。

 辛亥革命後は孫文によって新しく設立された軍学校の初代校長に任命されている。ここで育てた多くの若者が蒋介石に心酔し、国の為、彼の為に命を捧げた。

 その蒋介石が日記に雪恥と書き込むようになったのは、日本が中国を侵略し始めた頃からである。彼の知る日本人はみな立派な人ばかりであった。その人達がいる日本が中国を、彼の故国を侵略したのである。裏切られたという思いはいかばかりであったろうか。

 彼は単身田中義一(当時首相)に面談し、日中の将来の為には戦端を開くべきではないと説いている。田中義一は答えなかったという。そして満州事変が勃発、そして盧溝橋事件、さらに上海への日本軍の進軍侵略、そして当時の首都であった南京占領へいたる。南京で大虐殺があったかなかったかは論のあるところだが、そもそも他国の首都を占領する大義が日本になかったことは明らかである。

 それを目の当たりにした蒋介石が、日記に「雪恥」と書いた気持ちにどれほどの思いがこもっていたか、それを私は想像する。

 蒋介石夫人・宋美麗がアメリカで反日の熱弁を揮った。アメリカ議会では万雷の拍手だった。これがアメリカの排日につながり、日本は日米戦争に追い込まれたといえないことはない。

 戦争が日本の敗北で終わり、蒋介石は「以徳報怨」と中国国民に語りかけた。怨みに怨みで報いると怨みの連鎖は繰り返し、果てしがない。怨みには徳を以て報いようと呼びかけ、戦後賠償を放棄した。

 彼はこのとき雪恥を達成したのか。

 中国国民は彼の呼びかけに答えたのか。そもそも彼の声は彼等に届いたのか。蒋介石は日本との戦争をひたすら避け続け、まず国内を統一しようとして共産党軍と戦い続けた。これがおかしいとする国民の声を背景に西安事件が起き、国共合作が成り、そして蒋介石の率いる国民党軍の刃は遂に正面から日本に向かい、日本の敗勢につながった。日本軍は敗れ、日本との闘いに疲弊した国民党も新たな敵である共産党軍に敗北して大陸を追われ、台湾に逃れることに
なった。

209 西安事件銃弾の跡

 共産党の率いる今の中国という国を生み出したのは日本であると言えないことはない。まさに歴史はあざなえる縄の如しである。その後の台湾の歴史についてもやはり思うところは多い。

 台湾南部の高雄の澄清湖のほとりに蒋介石の別荘がある。その湖畔に蒋介石が好きな彼専用のベンチがあり、そこに独りで沈思することを好んだという。彼は何を思ったのだろうか。どんな夕焼けを見ていたのだろうか。それはついに二度と帰ることができなかった、彼のふるさとである浙江省の奉化県の夕景ではなかったか。

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「1911」が観たくなった

 「1911」というのは、ジャッキー・チェンが総監督を務め(監督はチャン・リー)、熱演もした映画である。映画のテーマは辛亥革命であり、ジャッキー・チェンは孫文の盟友・黃興を演じている。

 辛亥革命は1911年10月10日、武昌での武装蜂起から始まった。中国ではこの日を双十節という。2011年が辛亥革命からちょうど100年なので、NHKで特集番組が作られた。それを録画して、当時一度観ているのだが、久しぶりにもう一度観た。

 第一回が「孫文と辛亥革命と日本」。辛亥革命に命をかけた人々と日本との関わりはとても大きい。この番組の中でジャッキー・チェンの「1911」が紹介され(もちろんこれも辛亥革命から100年を記念して作られたのである)、ジャッキー・チェンは「辛亥革命にこれほど多くの日本人が深く関わっていることを始めて知った」と語っている。中国人は知らず知らされず、日本人もほとんど知らない。

 第二回は「ラストエンペラー溥儀 満州事変と満州国の真実」。あれほど孫文の理想に共感して援助した日本人がいたのに、日本は中国への野望を膨らませ、関わりは変質していった。溥儀の転変の生涯が詳細に語られ、彼にずっと付き添っていた日本人の話が語られる。

第三回は「蒋介石 初公開 日記が語る日中戦争」。蒋介石は若いときからずっと日記を付けていた。それは非公開で、アメリカにあるようだ。膨大なその日記を二年半掛けて書写した中国の研究者がいる。中国、台湾、そして日本の研究者がその日記と実際に歴史として記録されていることとをつき合わせ、その意味、蒋介石が何を考え、どう行動したかが解析されている。まだ研究は端緒についたばかりのようだが、今後始めて明らかになる事実もありそうだ。

 興味深かったのは西安事件に関するくだりだ。この事件に関しては張学良本人のインタビューが添えられているが、核心部分については遂に語らなかった。周恩来と蒋介石は何を話し、何に合意して国共合作に至ったのか。何が秘密にされているのだろうか。西安事件のあった華清池の宿舎を二度ほど訪ねたので、歴史の話と云うより、リアルな実感のある事件なのだ。窓にはいまも銃弾の跡が残されている。蒋介石が逃げた華清池の背後の驪山に霧のかかった景色が忘れられない。

 それぞれ約90分、すべてを一気に観るのはずいぶんハードであったが、歴史の中にのめり込んだ。ジャッキー・チェンが辛亥革命についてどう描いているのか、それを知りたくて「1911」が観たくなったというわけである。

 何より思ったのは、日本はいつから理想よりも損得に走ったのか、ということである。もちろん理想に燃える人もあり、損得利害で生きる人がいるのはどこにでもどの時代にも共通しているが、どちらがより力を持つかで時代の様相が一変する。明治維新もそうだったけれど、満州侵略、日中戦争への日本の暴走に至った時代を思った。日本の国の為にといいながら自分の利を求め、遂に国を滅ぼすことになった人々は自分の行動をどう釈明するのか。

2017年2月21日 (火)

楽に入りました

 朝一番で胃カメラ検査を予約していたが、二番手になった。どうも緊急の検査が必要な人がいるらしい。看護婦たちが次々に済みません、済みませんと私に謝るけれど、こちらは別にかまわない。

 看護婦たちのはっきり聞こえる囁き声から推察するに、昨日診察した患者で緊急入院が必要だと判断されたのに、帰ってしまった。入院しないと言っている、今日も来るかどうか分からない、人がいるらしい。

 やがて定時少し前に、四十代と覚しき顔色のあまり良くない男性がやって来た。この人が私の先に検査室に入ったから、うわさの人なのであろう。本人は不安であろうし、辛いことだろうと他人事ながら同情する。あとどうなったのか知らない。

 麻酔のどろりとした液体を含ませられてしばし待つ間にその男性の検査が終わったらしく、わたしの番がきた。昔ポリープを取る手術をしているから胃カメラを呑むコツは承知している。まず麻酔の液体を充分舌に乗せ、しばらくしたらほんの少しずつのどに流し込み、口からのどを充分麻痺させておくのがあとで楽になるコツだ。

 胃カメラは最初に口からのどを通過するときだけがちょっと辛いけれど、入ってしまえばどうということはない。看護婦さんが「肩の力を抜いて!」という。力むと入りにくいのだろう。モニターに映し出される自分の体内を眺めながら医師の説明を聞く。

 小さなポリープが三つほど見つかったが、「どれも良性です」と医師は言う。胃炎の症状が見られるが、ひどいものではない。十二指腸の方まで丁寧に観て、最後に二カ所ほど「念のため」と言うことで組織をつまんで検査は無事終了。

 胃が原因である深刻な病気はない、とのことなのでとりあえず安心する。一時間半過ぎたら食事してもかまいませんが、組織をつまんだのでお酒と刺激物は今日は控えて下さい、との注意を受け、無罪放免となった。

 ストレスによる胃炎がみぞおちあたりの違和感の原因だったのだろうか。だから医師の処方した胃薬で違和感が軽くなっているのかも知れない。それならストレスを発散することが何よりの治療と云うことで、楽しいことにいそしむことにすればいいのである。

 今日祝いの酒が飲めないのは少し辛い。

今日は胃カメラ

 今日は胃カメラを呑む日。朝一番の検査予約となっている。今は鼻から呑む胃カメラもあってその方が楽だと聞いているが、今回は詳しく調べたいので太い物を使いたいという医師のアドバイスがあり、いつもの口から入れる物を呑む。十数年前に胃のポリープの切除手術をしたので、のどから呑む胃カメラは何度も呑んだが、本来呑むべきではないものを呑み込むのであるから楽しいものではない。

 少々気が重いが、みぞおちのあたりの違和感はやや和らいでいる。検査で問題ないことを確認できればしばらく安心できるので、それを楽しみにしている。もし異常があったら治療すれば良いだけのことだ、といちおう強がりを言っておく。

 先日娘のどん姫が帰って来ると言ってきたが、蔵開きの新酒が着くのは木曜日以降らしいので、その後にするように連絡、金曜の晩に来るという。その日は知多半島にでも行って魚でも買ってこようかと思う。そんなことを楽しみに、胃カメラをこれから呑みに行く。

2017年2月20日 (月)

弁慶力餅

 清河八郎の「西遊草」を読んでいる。第二巻の中から四月十一日のくだり、柏崎の街を過ぎ海岸沿いに西に行き、鯨波海岸を過ぎて米山の坂道を登るあたりの話。

 夫(それ)よりまた坂を下りてまた登り、壱里半にて弁慶力餅の茶店にいたる。山間(やまあい)に相成りてのぞみ(眺望)はよろしからず。茶店もあまりよろしからず。茶店の老婦の言(いう)、「昔源将(げんしょう)義経公、鎌倉頼朝公の不興を被(こうむ)り、主従十七人山伏のかたちと相成、北国へ没落しける時、加賀国富樫の関にて難義をのがれ、直江の津といふ当所のみなとへ着させ給ひ、寺泊の方に船を向けられしに佐渡の国北山の岳より平家の怨霊あらわれいでて、終(ついに)其為に船を漕ぎ戻し給ひしに、北の方(義経夫人)しきりに御腹いたみ、柳樹のもとにたたずみ給ひしに、遂(ついに)若君亀若を出産し給ふ。時に従者の弁慶自ら金剛杖を以て地上をうがち、清水を掘出しける。則(すなわち)祝していふ、「寿は三浦の大助に似させ給ひ、威は御父君に、乍恐(おそれながら)も力はこの弁慶に似させ給へ」とて、餅壱つ奉りし故、今猶(いまなお)その遺風を以て弁慶の掘出せし泉の水を用ひ、此のちから餅を作りて安産の守(まもり)となし、旅人に商(あきの)う」とやら、如何(いか)さま古跡の所と見へたり。山の下に胞姫(よなひめ)神社を安置し、諏訪明神もあり。また源氏の白茶とてただの湯をいだす。餅は山を登りきたりし故にや至て旨く、我も壱盆傾け、あまり満腹して苦しみにたへず。可笑(わらうべき)の甚
き也。
 茶店より五百歩ばかりへだて、道のかたわらにいわゆる安産水とて弁慶の掘出せしといふ泉あり。

*この話は義経伝説の一つで、謡曲の「船弁慶」では平家の怨霊が出るのは摂津の大物浦(兵庫県の尼崎あたり)、「義経記」では北の方の出産は出羽と陸奥の国境亀割山となっている。
*富樫の関とは、安宅の関のこと。
*佐渡北山の岳とは金北山のこと。
*三浦の大助とは三浦大介義明のこと。討ち死にしたとき八十九才。俗に「三浦の大介百六つ」と言われるほどだったので、長命であると言祝いだわけである。
*胞姫の胞は「えな」、つまり胎盤のこと。亀割坂の胞姫神社は神功皇后をまつり、安産の神として知られている。
*源氏の白茶とは源氏の旗印である白旗の意を掛けてあり、白湯(さゆ)であることを面白がっているのである。

 ほんの一、二頁でこれだけ中身が濃いのである。読んでいて楽しめる。

奇妙な一致

 ネットで見た新聞記事を引用する。

(朝鮮日報日本語版) 金正男殺害:事件の黒幕は朴大統領とサムスン電子副会長⁉
朝鮮日報日本語版 2/16(木) 9:46配信
 
 「弾劾局面でこのように無謀で余計なこと(金正男〈キム・ジョンナム〉氏殺害)をして得(記事では特となっていたがあんまりなので訂正)をするのは誰か。それは朴槿恵(パク・クネ)大統領と与党・セヌリ党、そして国家情報院だ」

 これは、北朝鮮・金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏殺害のニュースが韓国国内で報道された14日夜、インターネット・メディア「タンジ日報」の掲示板に掲載された書き込みだ。あるネットユーザーが「正男氏殺害事件は韓国の保守勢力が主導したショーだ」として、こうした主張を書き込んだ。このネットユーザーは「なぜ弾劾を控えているこの時期に、このようなニュースが飛び出したのか。韓国政府が弾劾局面から抜け出そうとして正男氏をわざわざ殺害し、メディアに流したのだ」と書いた。
(中略)
 陰謀論者たちは1987年の大韓航空機爆破事件や2010年の哨戒艦「天安」沈没事件のように、既に北朝鮮の仕業であることが判明している事件も否定する。タンジ日報の掲示板には「正男氏殺害事件を見ると、大韓航空機858便を爆破した金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚のことを思い出す。金賢姫元死刑囚が国家情報院により仕組まれた人物だったように、今回の事件もそういうことだ」という書き込みが掲載された。当時の政権が大統領選挙を与党側に有利にしようと大韓航空機を爆破し、115人の罪のない人を殺したというのだ。このような主張に対しては、左派陣営からも「全くでたらめなデマを流布すれば、進歩勢力が非難される。自制すべきだ」との批判が出ている。
(後略)

次もネットに載った記事。

(朝鮮日報日本語版) 金正男殺害:北朝鮮大使、会見で韓国に責任転嫁
朝鮮日報日本語版 2/19(日) 21:53配信
(一部分だけ引用)
 また、(駐マレーシアの北朝鮮大使は)韓国に責任を転嫁する言葉も口にした。カン大使は「韓国政府は政治スキャンダルから抜け出すために必死になっている。今回の事件を利用して、マレーシアが敵対勢力と結託してわれわれのイメージを傷つけるのを決して傍観しない」と主張した。

 おお、何たる奇妙な一致。しかし韓国のネットニュース「タンジ日報」の掲示板に書き込んだ人物はどんな立場なのだろうか。北朝鮮を擁護しようというのか。これがいわゆる偽ニュースの類か。

 次は朝日新聞。

正男氏の遺体、北朝鮮へ引き渡しか 死因なお特定できず
朝日新聞デジタル 2/20(月) 0:03配信

 (マレーシアの)イブラヒム副長官は「(引き渡し先は)家族が優先」としながらも、引き取り要請は「死亡後2週間以内」と発言。この間に家族から正式な要請がなければ、北朝鮮大使館に引き渡す可能性を示唆した。また、「今日の時点でだれも名乗り出ていない」と語り、マカオに住む正男氏の家族から要請は受けていないとの認識を示した。

 金正男氏の遺体を北朝鮮に引き渡すとマレーシア当局が示唆したという報道を初めて見た。可能性としてはあるにしても現時点では朝日新聞だけの見方ではないか。朝日新聞の本音が見えそうだ。今度の事件も北朝鮮の犯行ではないと、本当は言いたいのではないか。

上がっているのか周りが下がっているのか

 安倍内閣の支持率がさらに上がって66%になったと報じられた。トランプ大統領と友好を演じて見せたことを評価して上がったのだろうか。それもないことはないだろうが、トランプ大統領に好感をもっている日本人がそれほどいるとは思えないから、彼と友好を深めた様子を見て支持率がさらに上がったというわけではないと私は思う。

 それよりも民進党の見せている何でも反対、国がどうなろうと安倍首相を打倒することが正義であるという前提の言動にみなうんざりしているから、安倍内閣の周りの地盤沈下が結果的に内閣支持を相対的に引き揚げているように見える。

 蓮舫代表は確か、岡田前代表と違って私は是々非々で行きます、といっていたように思うが、「是」を聞いた記憶がない。こうなると「非」だけを看板に掲げていた岡田さんの方が正直で、蓮舫さんの方に誠実さが感じられない。同じことを続けているのだが、結果的に支持を下げて党勢をさらに衰えさせているのではないか。

 天皇退位の問題についても恒久法制定にこだわっている。筋論で云えば、こういう問題は恒久法を制定すべきことは誰にでも分かっている。しかし恒久法ということになればそれをどのような法律にするのか意見はばらばらで、百家争鳴して何も決まらずに長い長い時間を必要とするだろう。今上陛下が永遠に生きるのならじっくり検討したら良いけれど、陛下の意向を汲んで退位を決めようとするのに、結果的に退位をさせないというおかしなことになる。

 そもそもいまの憲法では天皇の退位が想定されていないのではないか。それをある一定期限のあいだに(出来れば一年以内に)退位を認める法律を作ろうとすれば、多少憲法違反になろうとも、暫定法を作るしかないではないか。それがまったく見えずに民進党は正論を唱える。正論は正しいが、人をうんざりさせる。

 現実を観て、正論ではなくとも一つひとつ物事を片付けている安倍内閣に支持が集まるのは当然であろう。たまには民進党も安倍さんの政策に積極的に賛同して前向きなところを見せたら、国民の支持が回復するのではないか。そうしたら旧社会党の連中が離れて、党としても統一した行動がとりやすくなるかも知れない。まあ無理だろうけれど。今のままではただの烏合の衆にしか見えない。

2017年2月19日 (日)

理解できないこともある

 北朝鮮の駐マレーシア大使が金正男氏の遺体の引き渡しをマレーシア当局に強硬に申し入れ、それが拒否されたことを激しく非難していた。彼の論理では、マレーシア政府は北朝鮮に遺体の引き渡しをするのが当然であり、それを拒否するなどということは理不尽なことなのである。

 彼は本国から遺体の引き取りを至上命令として受けていることであろう。北朝鮮のことである。至上命令は命がけで遂行すべきもので、もし叶わなければ本国に帰ったときにどのような処分が行われるか分からない。だから必死の形相である。交渉している相手の国の立場など考慮する余裕はないようだ。

 このような命令を発する人間が、今回の暗殺も指示しているのである。それは私の理解を超えている。

 ISという集団がいる。無意味な殺戮を、そして文化の破壊活動を続けているとしか見えない。これも私の理解を超えている。

 理解を超えていることをテレビでは一生懸命説明しようとしている。この世には理解できないことなどなく、全て納得のいく説明が可能だと信じているようだ。

 世の中には理解できないことがあるのだと思う。理解できないことをむりやり理解しようとすることより、理解できないことがあることを認めて、それにどのように対処するか考えることに注力するほうが良いと思う。理解することで対処する方策を立てることが可能だ、と云う信憑にこだわっても不毛な気がする。

 プロファイリングに熱中しすぎると、しばしばプロファイルする相手にとりこまれることもあるのではないか。無理な絵解きはしばしば空論に見える。

2017年2月18日 (土)

酩酊の日

 本日は酩酊の日。酒を飲めば酔い、飲み過ぎれば酩酊する。たいてい酩酊する前に酒がまずくなるのでそこで打ち止めにする。毎年気持ちよく酔って酩酊できる日が、正月と新酒会の日だ。昼酒は飲まないことにしているが、この日は特別と決めている。

 昼から愛知県津島の先の佐屋という駅から歩いて30分ほどの酒蔵の蔵開きに友だちと連れ立っていく。だいたい五、六人で合流するが現地に行けば顔なじみもたくさんいる。

 桶から絞りたての、まだ炭酸が残っている酒は、アルコール度数20度前後で、ぐいぐい呑めば酩酊しないわけにはいかない。何も足さない、まったく割らない原酒である。香りよく、甘くふくよかで、飲んでいるうちに微妙に味が変化していくのも楽しい。

 酒蔵の社長やその夫人、そして娘や息子も顔なじみになるほど通っている。寒風が吹きさらす場所に座り込み、名古屋駅のデパ地下で購入した肴で呑む。坐ったままではなく、ぐい呑みが空になったら桶から汲み立てをついでもらわなければならないから、立ったり座ったりする。だから必ずまわる。必ず酩酊する。

 かなり酩酊した頃にお開きとなり、また30分掛けて佐屋駅まで歩く。ここでたいてい記憶があいまいになる。多分そのときはまだ意識はあるのだが、駅について温かい名鉄電車に乗るとさらに酒が体内を駆け巡り、前後不覚となる。

 酒に強いかどうかはここからが勝負である。前後不覚になっても人に迷惑を掛けず、何とかわが家にたどりつくのは長年の修練のたまものなのである。とはいえ粗相をしたことが数回あるのでまだまだ修練は足らないのである。

2017年2月17日 (金)

捨てるについて考える

 捨てるというのは失うということだ。人は捨てるときに何から捨てるか。自分にとって取るに足らないもの、大事ではないものから捨てていくだろう。それを考えると、捨てにくさの順番こそが自分にとって大事なもの、価値のあるものの順番であることが分かる。

 「北の国から」というドラマが好きで、スペシャル版も含めて全て観たし、ビデオにダビングしたものをさらにDVDに移してコレクションにしてある。いまちょうどフジテレビが記念再放送をしてくれているのでBDに録画して、DVDのコレクションに替えようとしている。このドラマのシチュエーションが、主人公の黒板五郎(田中邦衛)が男手ひとつで純(吉岡秀隆)という男の子と蛍(中嶋朋子)という女の子を育てる物語になっていて、私が置かれた立場と似ていると勝手に感情移入しているのだ。もちろんドラマの方が私より先行していたが。

 このドラマのスペシャル版の「’92巣立ち」の中で、純がタマコ(裕木奈江)という少女と関係を持ち、妊娠させてしまう。純にはその責任を果たす力も気持ちもない。タマコの保護養育者である叔父(菅原文太)は激怒し、黒板五郎は息子の代わりに謝罪のために彼の元を訪れる。北海道からわざわざ重い野菜などを抱えて土産として持参し、誠意を持って謝罪する旨を伝える。

 そのときに菅原文太(私には、タマコの叔父というより菅原文太としての記憶が定着している)の発した言葉が耳についてずっと離れない。「誠意って何ですかね?」ぐさりとくる言葉である。重い野菜をわざわざ担いで北海道から汽車を乗り継いでやって来た黒板五郎の行動に、そうすることが相手の気持ちをいささかでも和らげるだろうという計算があっただろうことを指摘したのだ。

 この瞬間に菅原文太という俳優が嫌いになった。しかしそれは菅原文太が悪いわけではないことくらい分かっている。その言葉に逃れようのないむき出しの真実を感じたからだといまなら分かる(別の理由で菅原文太を再び好きになることは出来なかったが)。

 黒板五郎は自ら建てた丸太小屋のわが家を火事で失い、その再建のために仕事でこつこつ金を貯めては原木の丸太を一本ずつ買い、自分でその皮をむいて集めていた。それはいつか純や蛍と再び住む家を建てようと彼が夢に描いていたものである。

 彼は誠意を示すためにその丸太を売り払い、全てを失う。また一から出直すしかない状況に自らを追い込む。彼は失うことの出来るぎりぎりのものを「捨てた」のだ。彼にとって純と蛍が自分の家、家族が再び暮らす家よりも大事なものであることを自ら示したのだ。ここにとても重い「捨てる」があると私は感じている。

 最近キーボードのミスタッチが多くなった。物忘れもひどい。イメージは浮かんでいるのに名前が出てこない。呆けが始まったのではないかと不安である。どうも身の廻りの処分よりも、私の身体に私という意識が捨てられそうな気がしてこわい。

捨てられない

 人は何でもとりあえず取っておく。あとで役に立つかも知れないと思うからだ。もったいないという気持ちもある。もったいないというのは、ものに魂を感じることでもあり、捨てられるものに可哀想だと感じる心のように思う。日本人独特の感性だったから、「もったいない」は世界語になったと聞く。他の国の人にも共感を呼ぶ面があったのだろうが、それは捨てられるものに対する憐憫の思いが共感を呼んでいるわけではなく、浪費はやはり良いことではないという単純な考えのような気がする。

 気がつくと使い切れない程ものが家の中にあふれている。経済活動は消費者がものを購入してくれないと成り立たない。心理学まで応用して消費者の気持ちを消費に向かわせ、すぐ必要でないもの、いつか使うかも知れないものまで買わせようとする。気がつくとなくても良いものがあふれ、それに消費者が目覚めたのが現代の不景気の原因だろうと思う。

 「断捨離」などという言葉が流行するのもその現れだろう。人々は不要なものを買わなくなった。それでなくても最大の消費集団だった団塊の世代はすでにほとんどリタイヤして昔のような収入がない。この人たちの蓄えた金を吐き出させようとしても、老後の長さに気がついている人たちの財布の紐は固くなっている。

 「捨てる」ことを考えるということは、消費とは正反対の行動であろう。デフレが不景気の理由ではなく、消費を控えるという行動がデフレを生んでいる。買ってくれなければ安くして売ろうとする。安くしても売れなければ利益を度外視してさらに安くする。それでも不要なものは買わない。そもそもこれが不景気だ、というのは大消費時代を基準にしているからで、じつは当たり前の時代になったのだ。生産活動もそれを前提に考え直す時代になっているのではないか。

 捨てるといえば、橋田壽賀子が九十才を超えて、身の廻りのものの処分をしていると語っていた。女優の清水冨美加が出家するのだという。幸福の科学というのが新興宗教なのかどうかよく知らないが、出家するのだから宗教なのだろう。出家とは究極の「捨てる」ことではないか。

 部屋を片付けていて、自分が死ぬまでに使いようがないほどのものが押し入れや書棚やタンスの中にあふれていることにいまさらながら気がついた。そのほんの一部を処分する決心をしたけれど、全体から見れば知れている。なかなか清水富美加のようには捨てられないものだ。

 究極の「捨てる」行為は、身の廻りのものを処分することではなくて、自分自身を捨てることだろうか。その覚悟があれば何でも捨てられるだろう。今のところその境地からはほど遠いけれど。

2017年2月16日 (木)

休養

 ちょっと張り切りすぎたので、いささかくたびれた。今日は近場を少しだけ散歩するにとどめ、休養することにした。この程度でくたびれるようでは情けないが、身体が休めといっていると勝手に解釈する。

 明後日は新酒試飲会。久方ぶりに友人達と名古屋駅で待ち合わせ。名古屋へ転勤してからすぐに津島酒造組合の蔵開きに参加して以来だから、三十数年続いている。最初は組合の指定する蔵へ行っていたが、組合の蔵開きは空中分解し、この十年以上は新酒会を続けてくれている同じ蔵に行く。

 参加人数が多いから、外で呑むことになる。風が吹いて寒いので震え上がる。中から温めるとはいっても体調万全で行かないと風邪を引く。さいわい一度もこれが原因で風邪を引いたことはない。

 その仕度をしなければならない。仕度というのは、パレットをテーブルに、プラスチックのケースを椅子にさせてもらうのだが、そこに敷くシートなどは、最近私が用意することにしているのだ。ほかにもちょっとした小物が役に立つのだ。例えば両面テープ。風が吹くとシートがめくれてテーブルの上のものが飛んでしまう。この両面テープはとても役に立つ。

 つまみを名古屋駅の高島屋のデパ地下で仕入れて持参する。その買い出しのために少し早めに集合する。昔は酩酊して粗相をするほど呑んだが、このごろはそこまで呑まない。蔵開きの後で名鉄デパートの最上階の牡蠣をみんなで食べに行くのが楽しみなのだ。

 一年ぶりに会う友人もいる。とても楽しみだ。娘のどん姫は今年は参加したいといっていたが、どうしても都合がつかないと残念がっている。行ったらもてただろうに私も残念だ。

発表するだけましか

 中国は鳥インフルエンザに感染した人が150人あまり、うち79人が死亡したと発表した。数だけ見ると致死率が高く、恐ろしい。この鳥インフルエンザの型は韓国や日本で猛威を揮った鳥インフルエンザとは違う型らしい。専門家は、感染した人はいずれも濃厚に鳥と接触する専門業者の人ばかりであり、人から人への感染は見られないので、一般の人は心配するに当たらないという。

 しかしインフルエンザは増殖しながら変異する。鳥から人へ移り、そこで死に絶えるのは鳥インフルエンザも口惜しいだろう。必死でさらに拡大するために変異しようとするに違いない。そうしていまに人から人へ移るようになる可能性は多いにある。

 そもそも人間のかかるインフルエンザも、もともとは中国南部あたりの鳥インフルエンザウイルスが原型ではないかといわれる。もし本当なら、致死性の高い今度の鳥インフルエンザがいつ一般の人に感染する危険なものに変わるか分からない。

 中国はこのような情報を公表しないことが多い。隠しようがなくなってから小出しに明らかにしていくのはいつものことだ。それが今回はそれほどタイムラグ無しに発表したのは少しはマシになったということだろうか。ただ、中国の数字は事実かどうか分からないところはあるが。

 家禽類には病気にならないために餌に栄養剤や抗生物質を混ぜることがある。抗生物質などは使用量を厳密に管理しなければならないけれど、農薬にしても肥料にしても必要量の何倍も使っているのが中国である。抗生物質も過剰投与している可能性が高い。それは人間も同様かも知れない。

 中国は大気汚染や土壌汚染が深刻だ。そのような汚染物質を日々身体に取り込んでいる人々の身体は、いろいろなものに過敏に反応するようになっているのではないか。これは日本で過敏なまでのアレルギー反応をする子どもが増えていることを見れば想像できる。日本はかなりそのような化学物質について管理されているのに、それでもこのような事態になっているのだ。それが管理不十分な上に汚染が深刻な中国で、それ以上のことが進行していてもおかしくないだろう。呼吸器系が蝕まれて感染に弱い人たちが増えている可能性がある。

 そこに鳥インフルエンザの変異したものが人から人へ移るようになったとしたら、どんなことがあるのか考えると恐ろしい。爆発的な感染拡大が起こるかもしれない。しかも抗生物質に耐性が出来ていたら感染阻止がむずかしくなる。いわゆるパンデミックになるのではないか。

 ニュースを見て心配し始めたら不安になった。杞憂に終われば良いのだが。

2017年2月15日 (水)

ようやく片付く

 娯楽室を片付け、イメージに近いオーディオルームが完成した。さっそくCDを聴く。ポール・モーリアやペレス・プラードやビリー・ボーンなどのイージー・リスニングと元ちとせを聴いたが、今までのミニコンポとは段違いにいい音で、同じCDとは思えない。大満足である。

 すでにAVのシステムは改変が済んでいる。ただ、まだ「科捜研の女2」のシリーズを見ただけだから、新しいAVアンプの実力は実感していない。何しろ古いドラマの再放送で画質も音もいまいちなのだ。明日あたり音と画質のよさような映画を見てみることにしよう。

 部屋を片付けるに当たっていろいろなものを処分することになったが、本格的なスペースを確保するには本に手を付けざるを得ない。文庫本を二百冊ほどと、料理と食に関する本を五十冊ほど、新書を百冊ほど、その他ミステリーを百冊ほどより分けた。全て読んだものだ。これをブックオフにひきとってもらう。多分二束三文だろうが、捨てるよりはましと思って手放す。どうせ取っておいても再度読む可能性はない(あると思っても、ほかにも読む予定の本が山のようにありもう時間がないのだ)。

 これだけでずいぶんとスペースが確保できた。さらに娘のどん姫の荷物の一部を勝手に処分する。多分処分しても感謝されることはあっても怒られないだろうと自信のあるものだけにしておいた(そうでないと大変だ。恐ろしい)。

 それにしても片付け始めると次から次に手を付けたくなり、今度はスペースが出来ると新しい書棚が欲しくなるからどうしようもない。まあここのところよく働いたから今日はご褒美にいつもより少し多めにお酒をいただくことにする。

そうだったのかも知れない

 中国が金正男を庇護していたのは、金正恩を排除した後の傀儡政権で彼を首領にするつもりだったからだ、という。なるほど、そうだったのかも知れない。金正男なら直系で正当性もあるし、北朝鮮の国民も納得しやすいだろう。

 金正恩はその気配を鋭く察知して(または情報を入手して)先手を打ったのだろうか。もしかしたら中国はもう金正恩排除直前まで来ていたのかもしれない。なぜならトランプ大統領が突然先に金正恩を排除してしまうかも知れないと恐れたからである。

 金正男を毒殺した二人の女暗殺者はすでに殺されたらしいとの報道があった。どこで殺されたのだろうか。口封じに殺されたのだろうが、思えば哀れなことである。

 これで金正恩体制が強化されたという見方もあるようだが、権力側の人々にとっての疑心暗鬼はいままで以上に深まるに違いない。何しろ実の兄を殺すような人間である。いつ自分が殺される側に廻るか分からない。そうなれば身内からの反逆の可能性が高まると私は思う。人は不安な状態に置かれることにいつまでも耐えることは出来ない。それを感じればますます金正恩は粛清を強化し・・・止めどのない不安の連鎖が起こるだろう。

 北朝鮮の人々の不安こそいかばかりであろうか。

何が起きたのか、どうしてなのか

 金正恩の異母兄である金正男が一昨日マレーシアで殺されたらしい。昨晩その一報をネットの韓国ニュースで見た。夜10時のNHKBSの国際報道2017では、NHKの問い合わせに対してマレーシア側は北朝鮮男性が不審死をしたことだけが確認された、と伝えていた。

 韓国メディアは、金正男は空港で北朝鮮から送られた二人の女暗殺者に毒針で毒殺されたのだと報じている。毒殺は古来非力な女性暗殺者の特技だ。金正男はマカオに戻るところだったそうだ。

 金正恩は叔父である張成沢に続いてまた身内を殺したのだろうか。張成沢は金正恩の父親の金正日の妹の夫であって、血のつながりはない。しかし金正男は異母兄とはいえ自分の兄である。殺さなければならないほどの理由があるのだろうか。

 金正男は中国に庇護されてきたと言われる。金正恩が政権を引き継いでからは身の危険を感じて国外に逃れ、身を隠していたようだ。世襲を批判したことが弟に恨まれる理由だと言うが、本当だろうか。

 一介の亡命者に過ぎないひとりの男(実の兄である)を殺そうと思ったのは、兄を担ぐ者たちがいると思うからかも知れない。実際にそのような者たちがいるのか、それとも妄想か。実の兄を殺すような人間なら、何をするか分からないから排除しようと内心で考える者はさらに増えるだろう。これを恐れてますます疑心暗鬼になっていくだろう。

 朝鮮の歴史ドラマのどろどろした身内争い権力闘争をそのまま地でいっているように見えるが、これは朝鮮半島の人々の血なのか。それとも軟弱な基盤の上に立つことを自覚する金正恩の妄念がさせることか。

 中国は、自分が暗に庇護していた金正男を殺されて不快だろう。韓国メディアは北朝鮮と中国のあいだはさらに悪化するだろうと報じている。

 アメリカはオバマ大統領のように忍耐のないトランプ大統領に代わって、金正恩排除を強行する可能性を検討しているという報道もある。今回のミサイル発射でその可能性が高まったところだ。今回の暗殺でさらにその可能性が高まったかもしれない。

 アメリカによって金正恩が排除される事態となれば、北朝鮮はアメリカの支配下にはいってしまう。中国にとってもっとも望ましくない事態だろう。となればアメリカに先んじて中国が金正恩を排除して傀儡政権を立てて現在の北朝鮮の体制の維持を図る可能性も高い。

 アメリカと中国は互いに相手の出方を窺っている、と云う図も見えないことはない。

 しかし別の見方もある。北朝鮮の存在が日本や韓国の軍備増強の根拠となっており、そのことで潤うのはアメリカだという状況がある。そしてその韓国や日本の軍備増強を根拠にして中国軍部は軍備拡張を行うことが出来ているともいえる。

 つまり北朝鮮は周辺国の一部の人たちにとても大事な存在だといえる。そしてそれを北朝鮮は承知しているからやりたい放題が出来ているという面もあるのではないか。金正恩が排除されてしまうと危機が減ってしまう。それは不都合なことなのである。

 さあ何が本当なのだろう。いったいどうなるのだろう。

2017年2月14日 (火)

閑中忙あり(忙中閑ありではありません)

 朝、出かけるのが遅くなった。今日が確定申告受付の初日だから混むことは分かっていたのに。

 十時頃、30分近く歩いて市の確定申告受付会場へ行ったら、受付のところに「本日は終了」の札が置いてある。いくら何でもまさか、と思ったら、本日処理できる以上の人がやって来たのでもう受付できないと言われた。仕方がないから帰る。まあ往復一時間ほどの運動になったから無駄ではない。

 車の定期点検が近いことを思い出した。考えたら、一月に温泉旅行に出かけて帰ってから、ほとんど車を動かしていない。こんなことはいままであまりなかった。しかもガソリンがほとんどない状態のはずだ。そこで少し遠いが安いスタンドにガソリンを入れに行き、そのついでに一時間ほどドライブする。久しぶりのドライブは快適そのもの。また遠出がしたいと思う。

 帰って確定申告書を郵送する。これで一つ用事が済む。明日はガス漏れ検知計の取り替えで業者が来ることになっているので、在宅していないとならない。だからまた申告会場へ行くわけにはいかないのだ。

 思い立って家の中の段ボール類を、必要と思われるものを除いて全てたたんで資源ゴミ用に括る。あちこちの棚やタンスの上などにあったものが片付いてさっぱりする。それにしてもどうしてこんなにたくさんたまったのだろう。昔引っ越しや単身赴任などで段ボールが役に立ったので、使えそうなのはつい取っておく癖がついているのだ。そういえば本屋でもらうしっかりした紙袋もあふれるほどある。以前母の介護の時には、たくさん出るゴミを入れるのに重宝したけれど、いまはそんなに要らない。

 ついでに雑誌も括る。読みかけだったり、もう一度読もうと思ったりしてとっておいたものもあるけれど、ずっと読まなかったということはたぶんこれからも読まないだろうということだ。必要なところはたいてい買ってすぐ読んでいる。

 明日は資源ゴミを出す日。せっせと運ばなければならないほど資源の山が玄関に積まれることになった。さらについでに部屋を丁寧に掃除する。汗だくになった。

 シャワーをゆっくり浴びてさっぱりする。これで少し部屋が片付いた。明日は私の娯楽室の娘のどん姫の荷物を少し整理しようと思う。もともとこの娯楽室はどん姫の部屋だったのだ。やり出すとやることが次々にある。ヒマではないのだ。

偽ニュース

 デマや捏造ニュースが社会にもたらす害悪はとても大きい。人は明らかに間違いだと思うものも状況によっては信じてしまうことがあり、それはまたたく間に伝播し、事実の如きものになる。ネットで見たニュースの一部を引用する。

[社説]氾濫する「偽ニュース」、このまま放置してはならない
ハンギョレ新聞 2/14(火) 6:28配信

 偽ニュースの生産・流布は言論の自由という民主主義の大原則を歪曲し、その土台を崩す反言論行為だ。情報不足な人たちが、偽ニュースに繰り返し接したとき「何の根拠もなくこんなことは言わないだろう」として信じてしまう心理を悪用しているという点で、危険で不道徳である。特に、偽ニュースを利用して特定人物を虚偽事実で攻撃することは、明白な犯罪行為だ。偽ニュースの製作・流布は、ドイツ国民を嘘でだまして戦争の惨禍に陥れたナチス政権の宣伝扇動行為と変わりない。警察が偽ニュースを取り締まるため、専門担当捜査人員を配置したという。迅速かつ厳正な捜査で犯罪行為を遮断し、犯罪者たちにはしかるべき責任を問わなければならない。ゲッベルス式の嘘が横行するのを放置していては、民主主義を守ることはできない。

 これは全国で盛り上がりを見せている朴槿恵大統領弾劾運動に反対する、朴槿恵大統領を擁護する親朴派のグループが、意図的に偽ニュースを流していることを非難する記事である。

 ものは見る側面によって違う様相に見えることがある。その範囲であればそれぞれの立場による意見の違いとして理解できないことはないが、明らかに間違ったことを言って主張をすれば、その主張は根拠を失う。

 だからハンギョレ新聞の記者の言うことは正しい。マスコミは常に記事の内容の検証を充分に行うことが肝要である。それがいくら自分に都合のいい内容であっても、間違った伝聞記事を鵜呑みにして伝えることなどあってはならないことは言う迄もない。

 ところでこの記事を読んで思ったのだけれど、慰安婦問題は朝日新聞の誤報から発していた。朝日新聞は誤報だと言うが、根拠になった吉田証言を検証した人たちが、慰安婦に関する朝日新聞の記事を間違いだと指摘し続けたのに、長年に亘って検証を怠ってきたことを朝日新聞はようやくにして認めた。そうなるとこれは誤報ではなく、意図的な偽ニュースを流し続けてきたと言われても仕方がない。それが日本、そして韓国にも大きな害悪をもたらしたと私は思うが朝日新聞は思わないのだろうか。

 偽ニュースを意図して流したマスコミはマスコミとして失格である。朝日新聞は、それを正義のためだったと言い訳した。正義のためなら偽ニュースを流して良いと朝日新聞は考えるのか。朝日新聞には福島の原発問題や珊瑚礁事件でも同じような誤報の例があり、会社の体質とも言われる。

 翻って韓国のマスコミはどうか。朝日新聞の誤報を韓国のマスコミは検証したのか。実は検証して、当初吉田証言は根も葉もない嘘だと報道していたのである。ところがいつからか朝日新聞の偽ニュースは事実として韓国に根付いてしまった。ハンギョレ新聞の記事の指摘する通りのことが韓国に起こってしまったのであり、偽ニュースは事実と化してしまった。それにハンギョレ新聞は加担していないか。

 ところで朴槿恵大統領の擁護派が流す偽ニュースで盛り上がっているのは、朴槿恵支援を叫ぶ人たち自身であるようだ。偽ニュースでますます自分の主張が正しいと信じ込み狂信的になっていく。韓国国民というのはどうもそうして狂信的になっていく傾向があるように見えるが、なぜなんだろう。

何が言いたいのだろうか

 ネットの産経新聞の記事。野田さんは何が言いたいのだろうか。

 民進党の野田佳彦幹事長は13日、イスラム圏7カ国からの入国を禁止した米大統領令に関し、内政問題だとしてコメントを避けている安倍晋三首相を藤子・F・不二雄さんの人気漫画「ドラえもん」のスネ夫に例えて批判した。
 野田氏は記者会見で、大統領令に懸念を示しているイギリスのメイ首相やドイツのメルケル首相に触れ、「しずかちゃんは毅然としてものを言っている」と評価し、「日本はのび太になるか、スネ夫になるかだ」と指摘した。
 その上で、安倍首相がトランプ米大統領との共同記者会見でコメントを避けたのを念頭に、「のび太君はびびりながらもモノを言うことがある。(首相は)完全にスネ夫君になったと思われるのではないか」と批判した。

 ヨーロッパでの移民難民問題は自らの直面している問題だから、イギリスのメイ首相やドイツのメルケル首相がトランプ大統領の移民政策に異を唱えるのは分かる。しかし日本にも移民難民問題がないとはいえないものの、トランプ大統領の方針にことさら批判をする必要があるとは思えない。まして客として相手の国を訪問し、誤解のかたまりみたいな相手の攻撃をどう和らげ、日本にとって損のないようにするか心を砕くのが一国の首相の務めだろう。

 相手がアメリカファーストなら、こちらは日本ファーストなのである。正義を貫いてわざわざ相手を刺激しても、日本の国にとってマイナスだろう。もともと日本は軍事的にはアメリカの属国であることは誰でも承知していることで、対等だと思うのは妄想である。力関係が圧倒的に違う場合、時に迎合しなければならないのは残念ながらこの世の習いである。

 国を代表する人は自国の損得をもっとも気にして外交を行うものだ。それを野田さんは理解できない人であることをここでも露呈している。何度も言及したけれど、彼が首相の時の胡錦濤主席とのやりとりが、日本と中国との関係を大きく損なったことの自覚が彼にはない。これは日本だけでなく中国にとっても不幸なことだった。同じことを安倍首相にしろというのか。愚か者め。

2017年2月13日 (月)

なかなか片付かない

 新しいAVアンプをベースに映画やドラマをダイナミックな音場で聞くことが出来るように設定し直した。スピーカーのバランスをアンプが自動で設定してくれるのだが、どうも今ひとつしっくりしない。そこでマニュアル設定をし直した。無線LANも無事設定できた。これでパソコンに取り込んだ音楽を聴くことが出来るのだ。

 部屋のレイアウトも少しいじったのだが、そうなると玉突き状態でものがあちこちにあふれ出して収拾がつかない。どうしてこうなるのか不思議なことである。全部片付くのに二三日必要だ。

 今回引退したヤマハのAVアンプを使い、しまい込んでいたダイアトーンのスピーカーを引っ張り出して、別の遊び部屋にオーディオシステムを組む。愛用していたMDのミニコンポはもう寿命が来ていて、CDが音飛びする。それで古いDVDプレイヤーをCDプレイヤーとして外付けしていたけれど、これからは本格的な音楽が聴ける。こうなると安くても良いからちゃんとしたCDプレイヤーが欲しくなる。MDに録りためたコレクションもあるのだけれど、MDコンポを捨てるかどうか迷っている。

 あれやこれやでなんだかくたびれてしまい、肝心の映画を見る気がしないので、今日は早めに風呂にでも入って寝ることにする。明日は確定申告だ。

来たぞ!AVアンプ

 午前中に待ちに待ったAVアンプが配達された。マニュアルのCDの取扱説明書のファイルを開いて読んでいる。すごい量だ。あまりにも多いのでくらくらする。まだレイアウトの準備が整っていないけれど、とにかく昼からつなげてみることにする。

 しかし書いてあることの三割ぐらいが良く解らない。見当はつくのだけれど、だからどうすれば良いの?、どの設定にすれば良いの?と混乱させられる。いままで使っていたAVアンプだっていろいろな設定の半分も使ったことがないし、それで不都合はなかった。

 とにかくテレビ回りを全て片付けて掃除をした上でアンプを中心に配線を行うつもりだ。新しくして良かったと思える結果は出るだろうか。期待もあるけれど、不安だ。

布団乾燥機の効用

 金沢に単身赴任していた時代があった。マンション暮らしだったから雪下ろしや雪よけの必要がないのは有難かったが、冬は洗濯物や布団を干すことが出来ない。そもそも外に干す場所はなくて、部屋の中に物干しのスペースがあった。

 布団乾燥機は必需品である。最初の冬を迎える前に購入した。その布団乾燥機がいまも現役で活躍している。

 私は身長が高いので、普通の布団では少し短い。私の布団は母が全て作ってくれていて、身長に合わせて市販品よりも少し長い。その母も高齢になって布団が作れなくなり、一昨年には父の元へ旅立った。だからいま愛用している布団はもう10年近く使っている(一度綿を打ち直して皮は替えている)。たっぷり綿を使っているから重い。敷き布団は長年重い体重を支えてきたのでもとの膨らみが失われてきている。

 冬は外で布団を干しても却って冷たくなることもある。布団乾燥機の出番である。最長二時間の設定なのだが、これを少し間隔を置いて二回乾燥する。ふかふかのほかほかになる。この布団に寝ると安眠できる。温もりは心身の健康に良い。しかしその復元もだんだん効きにくくなっている。

 実家には母の作った布団がまだ何組か残っていて、弟が持って行け、と云ってくれている。来月にでももらいに行こうか。ただし、私用の特大布団は残念ながらもうない。

2017年2月12日 (日)

いいことがあるよ

 こういうことをすれば、あとでこういういいことがあるよ、と云う言い方はしばしば聞かれる。もっともありふれたものが、しっかり勉強すればいい学校へ進学できて、成績が良ければいい会社に入れて豊かな暮らしが出来るよ、というものだ。

 そういわれてなるほどそうなのかと素直に勉強して将来いい会社に入る子供もいる。私は素直ではなかったけれど、さいわいそこそこのところにはとどまった。もっと勉強しておけばとは思う。

 人は言われていることが事実であっても、こうするとこういう良いことがある、と言われることに素直に従わない傾向がある。数学の因数分解などおとなになってからどんな役に立つのだ、などと数学を毛嫌いする人もいるけれど、それでもたいていの人はそこそこの結果を出して卒業する。そういう意味では全ての科目のうちで英語ほど後で役に立つことが明確なものはない。ところが日本人の多くの人があれだけ長時間教育を受けながら英語がまともに読み書きできないし話せない。

 これは、人は後で役に立つからと言われるものほどやる気が起きない、と云う性質があるからなのではないか、と云うのが内田樹老師の卓見である。

 つまりこんな良いことがあるよ、後で役に立つよ、と云う言葉はやる気につながりにくいということだ。後で役に立つことというのは自分の為なのだけれど、それならいましたくないからしないのも自分の為だ。どこかにさせられる気持ちを感じると、人はやる気が失せるのだろう。やはりやりたくてやるものほど身につくということだ。

 くどくどと書いているのは運動のことだ。健康のために身体を動かしなさい。そうするとこんな風にいいことがあるよ、と云う。それを繰り返し聞かされるほどやる気がなくなる。素直にやって結果をだしている人をテレビで見せられると感心して尊敬するけれど、
では自分もそれに続いて、とはならない。

 健康のための運動はどうもやる気になれない。その私がいまぼちぼちと運動し始めた。なんだかようやくどこかのスイッチが入ったらしい。これは運動するとこういういいことがある、と云うことではなかなか入らないスイッチだったけれど、とにかく良いことだろう。

 とはいえまだ三日目、少し汗ばむ程度の早歩きと筋トレほんの少々だけをやり始めただけのことだ。今のところ多少の爽快感があり、億劫に想う気持ちにはならずに済んでいる。さあ三日坊主を乗り越えられるのかどうか。

 ここまで書けばあとで、運動はどうした、と聞かれないために少しは続けることだろうと思う。

確定申告

 年金だけしか収入がないし、医療費もジェネリック薬でひところよりずいぶん安くなったし、少しずつ投薬量も減っているので医療費控除にかからない(と思う)。生命保険も昨年65歳になってからは支払いがなくなっている。終身保険ではあるけれど、そのかわり死んでも葬式代くらいしか出ない。

 だから確定申告をしても還付はほとんどないけれど、いつ医療費が急増するか分からないので習慣づけのために今年も申告することにした。毎年ちゃんと税務署からネットでも案内をくれるので、その書式に則って打ち込んでプリントアウトした。案の定雀の涙の還付だが、それでもありがたいことである。

 始めてマイナンバーを記入した。まだカードは作っていない。こういうことは比較的に早くするほうだが今度のマイナンバーカードにはその気をおこさせないなにかがあるような気がする。離婚の係争をしたから(結果的に不調に終わってそのままである)自分の資産が全部オープンになるのが不都合だというのが大きな理由である。

 まったく資産形成に寄与せず、それどころか多くの金を出費させたのに、最悪の場合黙って半分持って行かれるのではあまりに理不尽である。しかし法律ではそういうことになっているらしい。

 いまはささやかに独り暮らしが楽しめれば良いし、それが叶っているのだから不満はない。後は知らない。そういえば扶養者控除はとっくに申告していないし、月々相手に一定額支払っているが、それはたぶん控除の対象だろう。だけれど面倒だから申告しない。そのことで煩わしさが増える気がするからだ(その理由は説明が面倒だ。分かってもらいにくい)。

 管轄の税務署の確定申告の場所は名古屋駅前だが、その前に居住地の近くに申告会場が開設される。歩いて25分くらいのところだから歩きに目覚めたいまなら有難い距離だ。14日が初日らしいからさっそくその日にいくことに決めた。

いらない

 いろいろメールマガジンが送られてくる。やめてしまえばいいのだが、まったく役に立つことがないともいえないのでそのままにしている。ポイント制のものが多い。旅に出かけるときはジャランで宿を予約することが多いので、リクルートからの案内も多い。ジャランポイントも宿代が少しだけだが安くなるので有難い。

 ただ、お薦めの宿というのがたいてい二人で行くことが前提になっているものばかりなので、原則として独り旅の私には対象外だ。

 ポイントがこの時期だけ三倍とか、このアンケートに答えたらポイントを差し上げます、とか、ただエントリーするだけでポイントを進呈とかいうもの次から次に送られてくる。ジュンク堂でhontoのカードを作っているので、いろいろの案内が来る。私が買う本の好みがデータで解析できているのか、推奨する新刊の案内は時に有難い。しかしポイントがどうのこうのというのや、電子書籍のお薦めは私には興味がない。

 ポイントをうまく利用すればそれでたぶん利得があることだろう。ただ、それは買い物をすることが前提になっているはずで、なにもないのに相手に利を与えるなどというのは施しであって、私は故のない施しを受けるつもりはない。そもそも相手はそのポイントを与えることで与えた以上の利得を得るためにしていることは当然のことである。

 いまポイントが有難いのはスーハーのポイントと、hontoのポイントと、ジャランの宿泊でたまるポイントと、電機製品の量販店のポイントのみである。ポイントを得ることで必要ないものに金を使うつもりはまったくないし、そもそもそんなに余裕はない。だからいきなりポイントをくれると言われたら「いらない」と口の中でぶつぶつ言って無視している。

2017年2月11日 (土)

テンション上がる

 いろいろ身体を動かしていたら(傍から見たらどんなふうに見えるか想像すると恥ずかしいが、さいわい誰も見ていない)なんとなく気持ち的に満足感があり、すっきりした。

 そうしたら気持ちがやや高揚し、出かけたくなった。迷っていた新しいAVアンプを購入する決心が突然ついたのである。思い立ったが吉日、小雪の中を出かける。思ったより寒くない。これではたちまち雪も溶けるだろう。

 量販店でかねてから眼をつけていたものを指さして、これを下さい、と云う。HDMIのケーブルを選び、配送を依頼する。13日の月曜日に配送されるという。

 本日はもうひとつふたつ買い物がある。一つはキーボード、一つは無線のルーター。東芝のパソコンが不調であることをこのブログでくどくどと書いた。主な不調はキーボードのキーがタッチを受け付けないという最低のものだ。マンションの窓から下に放り投げたいくらい腹が立っていたから、パソコンを買い換えなければならないかと思っていたけれど、ふとキーボードだけなら外付けを買えば良いではないか、と気がついた。パソコン雑誌でロジクールというところのキーボードを推奨していたので、それを購入。

 わが家はいまフレッツ光回線でネットにつないでいる。フレッツ光にして約一年である。その前はドコモのモバイルルーターのみでつないでいた。それで充分だったのである。そのモバイルルーターにする前は実はフレッツ光をつないでいたのだが、無しでもいけると判断して解約した。

 ところが最近は通信量が飛躍的に増えて、モバイルルーターの月間の限度である7Gを越える事態が生ずるようになった。Windows7から10に変更するときなどやいろいろ差し障りだらけなのでモバイルルーターではパンクする。そこで再びフレッツ光を契約した。

 以前使っていたルーターをそのまま使用していたのだが、いろいろ調べると最新の通信方式が備わっていないことが分かった。そういえばときどき光回線なのになぜこんなに遅いのかと思うことも多い。そこで11ac対応の無線ルーターを購入した。

 新しいAVアンプは無線LANに対応している。これでわが家はネットワークでいろいろつながることになる。パソコンに取り込んだ音楽をそのままAVアンプに送って聞くことができるようになるのだ。

 よく分からないことだらけだけれど、実際にやってみればなんとかなるし、分かってくるものだ。それを考えるとわくわくする。テンションが上がってきた。

 ただし新しいものがはいったらレイアウトを変えなければならない。腹案は出来ているので、ものが到着する前にいろいろ片付けてスペースを作り直さなければならない。忙しくなるぞ。

運動しなければ

 今朝外を見ると白くなっている。今シーズン名古屋で始めて積雪を見た。一月にも積雪があったことは娘のどん姫に聞いていたけれど、そのときは鳴子、那須高原、水上など、大雪の中の温泉にいた。

 人間らしく生きるには心身の健康が大事だとこのごろ実感している。ちょっとした不調でたちまち不安になる。録画していたストレスや認知症についての番組を観た。そこで知ったのは、糖尿病が認知症の発症率を倍に高めると言うことだ。そのメカニズムも理解した。ストレスも重なると心身に異常を来し、時に致命的になる。そのメカニズムも知った。いまストレスを抱え、糖尿病である自分が如何に危険な状況を生きているのか思い知らされた。

 ストレスによる健康障害や認知症を減らすための研究は飛躍的に進歩しているようだ。自分がその新しい治療の恩恵を受けられれば良いと思うけれど、まだその成果が出るには時間がかかりそうだ。それよりも自分が出来ることがある。

 とにかく身体を動かすことだ。歩くことがとにかくストレスを減らすことにも認知症の予防や改善にもこんなに有効だとは知らなかった。身体を動かしているときには身体に良い物質が働き出す。座り込んでじっとしてストレスを感じていると身体に悪い物質が全身を駆け巡る。この違いが長い間に体を蝕むことになるのだ。

 認知症は私がもっとも恐れるものである。私が私でなくなるという恐怖がある。それに自分がまっしぐらに向かっているらしいのである。これはとにかく毎日せっせと歩かなければならない。気がついたら身体をうごかすようにしなければ・・・、と思ったら外は雪なのである。外へ出るのをあきらめて軽い筋トレをすることにした。

2017年2月10日 (金)

石の思い出

 ブラタモリというテレビ番組が好きで、最近は必ず観る。タモリと同行するNHKの女子アナがみなチャーミングに見えるのはたぶんタモリの手柄だが、それは起用されている女子アナが自己主張を見せないタイプだから観ていて好感が持てるからだろう。

 タモリは博識だが、特にこの番組では地学の知識を披露して、解説として登場する人々に感心されて、素直に嬉しそうにしているのも好ましい。あれなら知識をさらに深める気になるだろう。

050429050502_046 山口県須佐のホルンフェルス大断層

 タモリは断層や火山が好きだが、私も大好きだ。暗くて狭いところが苦手なのに洞窟も好きで全国の鍾乳洞にずいぶん這入った。秋芳洞はもう五回くらい行っただろうか。地学で地下の断面図を推計して図面を書くという課題がある。地表の地質と少し離れた場所の、断面が露出しているところがあれば、地層の傾斜などがある程度分かり、断面図を書くことが出来る。これが楽しくて大好きだった。ブラタモリを観ながらそのことを思い出す。

Dsc_4481 秋芳洞

Dsc_4676 城崎の近く、豊岡の玄武洞

 母方の祖父が地学が専門の高校教師(山師の専門学校を出ている)だったのでいろいろな鉱物などに詳しかった。母が旅行が好きで、父にボーナスが出ると年に二回ほど泊まりの家族旅行に行った。そのたびに珍しそうな石を見つけては帰っていたらそこそこのコレクションになった。街の図書館で鉱物辞典を借りてその石の種類を自分なりに鑑定した。祖父にそれを見せて確認して、間違いを正してもらい、夏休みの自由研究の課題に提出したこともある。地味なので注目されなかったが、自慢の報告だった。あの標本はどうなったのだろうか。

Dsc_4632 石、大好き

 特に思い出すのは白い大理石だ。ただの白いざらざらした石にしか見えないが、変成岩だから硬くて密度も高く重みがある。これを水で濡らすとにわかに魅力が増す。キラキラと輝きだし、心持ち半透明な外見に変わる。どこで見つけたのか今となっては思い出せない。あの石だけはいま手元にあったら良かったのに、と思う。

テレビ三昧

 寒いので外にあまり出ない。家にいれば本を読むのだが、12月頃からあまり本に集中できなくて、たくさんの本を読み散らすばかりで読了する本が激減している。普通なら月に20冊は読めるのにいまは10冊読めているかどうか。

 こたつの守人になってテレビばかり見ている。録りためた映画やドラマがあふれているのでそれを次々に消化する。たまるばかりだったのが、今は見る方が上回りだした。その合間にニュースを見る。民放のニュースはニュースよりもCMの方が多いので、見るのに堪えられない。異常である。本気で観るものではなくなっている。だからNHKの地上波かBSのニュースを見る。BSでスポーツ番組だらけの時は寂しい。スポーツ番組を昔のように楽しむことが出来なくなった。

 録りためた映画は玉石混淆で、あまりひどいのに出会うとちょっとだけ腹が立ち、仕方がないから笑う。途中でやめればいいのに律儀に最後まで観るように心がけている。何を伝えたいのか何とか知ろうとするように努めるのが習慣になっているからだ。それにしても「NINJA THE MONSTER」はひどかったなあ。ディーン・フジオカが可哀想だった。

 「ザ・フィクサー 前・後篇」は、世界の大事故の多くが人為的なものであるとしてそれを引き起こしている闇の組織を暴く話だが、今ひとつ主人公が賢くないうえに、ここでも頑固頭のおバカ女が主人公の足を引っ張り続けていてうんざりする。

 「コードネーム:プリンス」は、敵役にブルース・ウィリスが出ていて迫力があったけれど、主人公の弾は相手に当たるのに、相手の弾はめったにこちらに当たらないところが笑わせる。まあ本当に当たればそれで終わってしまうから仕方がないか。コードネームなどというからスパイ映画かと思ったら、ただの裏社会での主人公の昔の通り名であった。

 「デーモン」は、主演がアンソニー・ホプキンス。これは面白かった。出来も良い。林業で細々と暮らす山村で傍若無人に暮らす男に保安官も手を出せない。その男に眼をつけられ身の危険を感じたヒロインがその男に抗議するために助っ人を頼もうとするが誰もが顔を背けて答えない。ようやくそれを引き受けたのはもう老境に入った男(アンソニー・ホプキンス)と少し頭の足りなさそうな腕っ節だけの若い男だった。ブラックウェイと呼ばれるその恐ろしい男をレイ・リオッタが怪演している。こういう男を野放しにするとどのように異常化してしまうのか、それをデーモンと映画では名付けたのか。トランプもデーモンではないのか。

 「アナライザー」は爆弾魔と天才的な分析官とのスリリングな駆け引き映画だけれど、途中で結末の想像がついてしまった。

 「ナンバー10」も主人公の弾は相手に当たるけれど敵の弾はほとんど当たらないスーパーマン映画。イギリスの首相の娘をテロリストから救出した特殊部隊の隊長が部隊の兵士を多数死なせた責任を問われて除隊となる。この救出劇がこの映画の前作らしい。今度はテロリストたちがロンドンの首相府を襲い、首相を人質にとって立て籠もる。たまたま除隊の告知を受け、軍籍を剥奪されたばかりの主人公がそのテロリストたちをばったばったとなぎ倒し、と云う物語。

 「ロスト5」は南軍の捕虜になった北軍の兵士達が気球で脱出して嵐に巻き込まれ、時空の狭間から不思議な世界に迷い込むというもの。何とそこにはノーチラス号のネモ船長がいて・・・。この映画にもおバカ女が登場する。そしてみんなの足を引っ張ってばかりいるその女が最後に突然勇敢な女に変身する。あり得ないこのシチュエーションは(女が覚醒することについて言っている)考察に値する。結末は・・・えっ、これで終わり?

 「タイムチェイサー」はタイムパラドックスもの。子どものころ失踪した父がタイムマシンを発明しており、それで過去に出かけて死んだことを知った主人公は、父を越えるほどの天才で・・・。いかにも科学的な色づけをしてみせるが、細部にこだわることが却ってリアリティを失わせて笑わせる。パラドックスは解消することはない。映画や小説ではそれが可能だ。タイムマシンは人の心にしかないことが分かる。

 こうして次々に三流映画を観ているけれど、もう内容がよく思い出せないものが多い。

 ドラマも山ほど観ているがその話は次回。

2017年2月 9日 (木)

町山智浩「映画と本の意外な関係!」(インターナショナル新書)

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 町山智浩の映画評論はただの映画好きがプロになっただけのレベルとは段違いの本物であると思う。ここまで過去と現在までの映画を次々に取り上げて比較し、その見えないつながりを明らかにしてくれる評論家はいない。いままでにいくつかその評論を読んでいたし、内田樹老師の本にもしばしば登場する。

 今回読んだこの本は、映画と本との関係について書かれている。その博覧強記ぶりには脱帽する。彼の頭の中の引き出しはどれほど膨大なのだろう。あとがきに、自分は映画そのものを観るより見終わった後にその映画のことを調べる方が好きなのかもしれないと書いている。

 事実そうかも知れない。そうしてもともとの知識に調べたことを付け加えて膨大なデータベースが彼の頭の中に構成されているのだろう。問題はそのデータベースをどう取り出して組み合わせ、意味のあるものにしていくかだ。この本を読めばその組み合わせの意外さに驚くと共にその読みの深さにも感心するに違いない。

 この新書一冊に取り上げられている映画はとてもたくさんあって、そのうち実際に自分が観たものはほんの一握りだけれど、その映画についての考察の一言でその映画のシーンがよみがえるからすごい。

 例えば私が始めて購入したLD(レーザーディスク)はなんと「恋人たちの予感」という恋愛コメディー映画である。メグ・ライアンとビリー・クリスタル主演のこの映画は最高だったけれど、どうしてこの映画を買ったのかいまでも自分で分からない。メグ・ライアンが好きだったからではなく、この映画を観て好きになったのだから。この映画がこの本で取り上げられて評論されている。男と女は恋愛感情抜きで親友になれるか、と云うことにこだわり続けた二人の結末は・・・。この映画の意味、メグ・ライアンの演じた女性の想いに込められたアメリカ女性の思いとは何か。おバカ女ばかり出てくるアメリカ映画の女性とは違う主人公の生きにくさのようなものに共感したことを思い出した。彼女の奔放さの中に哀しみを見たのだけれど、うまく説明しにくい。

 「インターステラー」のシーンで時空を超えたところから父親が娘を覗き込むシーンがある。それが巨大な書庫のようなところであることがとても象徴的だった。その感覚は映画を観てもらわないと分かりにくいが、このシーンとこの町山智浩の映画評論の世界がオーバーラップしているように感じられた、と云うと却って分かりにくいだろうか。

 分からないかなあ。分かんないだろうなあ。本好きでなおかつ映画好きの人にお勧め。

落語を聴く

 ずいぶんしばらく落語を聴かなかった。

 寝る前に本を読んだり数独パズルをしていると、つい夢中になって眠れなくなる。眼にも負担がかかるらしく、紙面がうねって見えたり、ところどころ激しく歪んで見えたりする。そこで目を瞑って音楽を聴くようにしていたのだが、CDの並んでいる棚に落語のCDもあるので久しぶりにそれを聴いた。

 私のコレクションはほとんどが円生である。いまの円楽の師匠の先代円楽のその師匠である。子どものときからラジオで落語を聴いた。母が好きだったから一緒に聴いていたのだろう。中でも円生が好きだった。言葉が明晰で聴きやすい。メリハリも効いている。馬鹿話よりもストーリーのある話が得意だった。円生は意識して落語の録音を残した。自己顕示欲の強い人だったが、それが後世に財産として残った、

 一日一席聴いている。落語の良いところはオチがあることで、そのオチを聞いて太鼓のお囃子を聞くと気持ちも落ち着いてすんなり眠れる。

 一昨日は「淀五郎」、昨日は「子は鎹(かすがい)」。「淀五郎」は抜擢された若手歌舞伎役者の淀五郎が芸の道に目覚める話だが、昔は芝居が庶民の話題であり、シェイクスピアが英国人に深く染みこんでいるように、歌舞伎の台詞とその世界観は共有されていた。善悪仁義などが共有されている世界は生きやすい世界だったかもしれない。

 突き放すように厳しさを知らせてそこから這い上がって来るのを待つ四代目の市川團蔵、その仕打ちに死まで思い詰める淀五郎に團蔵の真意を教え、優しく手ほどきする中村仲蔵、その正反対の姿に、師と云うものの意味の全てが込められている。淀五郎演ずる塩谷判官(浅野内匠頭)の「待ちかねたぞ」の台詞がオチとなるのだが、それが落語を聴く人たちの感動と、ほっとする気持ちを誘う。落語を聴きながら忠臣蔵の四段目をまざまざと頭に浮かべ、そのときの淀五郎と團蔵の気持ちと演技がはっきりと見えるのだ。これを語れるのはよほど優れた落語家でなくてはかなわないが、さて、語られる歌舞伎の光景を目にまざまざと浮かべて聞ける聴衆が、今はどれほどいるのだろうか(私だって歌舞伎を実際の舞台で観たことがないのだから偉そうにいえない)。

 「子は鎹」は別れた夫婦が文字通り子どもがきっかけになって復縁する話だが、別れるまでの事情と、別れて約三年の二人の男女の人生が語られて、聴衆はすっと亭主の心持ちに共感させられていく。最後に亭主が頭を下げ、女はそれを受け入れるけれど、いまこんな殊勝な女性なんていないだろうなあ、と思う。何より理屈で言えば亭主は理不尽なのだから、許せるはずがないと言うだろう。どちらが生きやすい世界だろうか。こんな風に私が思うのは、男中心の世界観の持ち主のままだからだろうか。

 こうして語り出すときりがない。これでも語りたいことをとことん縮めたのである。落語は本当に面白い。

2017年2月 8日 (水)

病院に行く

 不安を抱えたままでいるのもイヤなものだから、中一日おいて再び病院に行く。病院は一昨日同様混雑している。今回は予約なしだから待つのを覚悟する。九時に待合室に入って呼ばれたのは十時半、まあこんなものか。

 みぞおち下あたりの違和感を医師に説明する。横になった私を医師が触診。私の予想通り、胃のあたりに異常を感じても、ほかの臓器の異常が原因であることが多い。触診では特別に痛みを感じる場所がないようであり、病変が感じられない。あなたは糖尿病なので、第一に考えられるのは狭心症ですと云う。

 ただちに心電図をとることになる。あまり長時間待つことなく検査へ。ところがその後がずいぶん待たされた。以前取った心電図と比べながら医師の診察を再度受けたときには十二時になっていた。所見では顕著な異常は見られないが、心電図は本当に異常が起きているときにしか異常な波形が見られないことも多いので何ともいえないという。

 あとは胃カメラで見るしかありませんね、とのことである。ところが胃カメラの予定が立て込んでいて、さらにこちらの予定もあって再来週しか検査できない。さらにその結果が出て医師が診断するのは三月に入ってから。そのうえでさらに検査するかどうか決めましょうとのこと。胃カメラを鼻からか口からにするか問われる。鼻からが楽だが、出来たら太い管の入れられる口からのほうが詳しく検査できるようなことを言うので口からにする。苦手だけれど、二度も三度も入れないで済むように詳しく見てもらいたい。

 あれやこれやで昼にかかってしまい、予約センターに人がいなくなって、結局全ての用事が済んで病院を出たのは一時半過ぎである。次回の医師の診断まで約一月、その間の胃腸薬を処方されているから薬局にも寄らなければならない。

 結局わが家に帰り着いたのは三時前であった。バリウム程度は呑んでも良いように朝御飯を抜いて来ているので腹ぺこである。さっそく残り物で食事。

 来週末に毎年行っている造り酒屋で新酒会があり、友人達と出かける。今のところ酒を飲むな!と云うお達しはなかったので、無事今年も行くことが出来る(もちろん医師に確認などしない。確認してストップされたら大変だ)。

違和感

 数日前からみぞおちの下あたりに違和感を感じている。定期検診のときにはまだかすかなものだったので、一時的なものか気のせいかと思って(と思いたかったのかもしれない)いたので特に申告しなかった。

 ところがそれが次第に気になりだしている。場所的には胃のあたりだろう。ほかのことで気が紛れていると忘れているが、ぼんやりしているときには(この時間が多いので)気になって仕方がない。

 人間の身体というのは不思議なもので、痛みの場所と不調になっている場所が違うことがしばしばあるという。まして痛みと言うほどでもない違和感である。原因は胃の異常とは限らないであろう。

 おさまる様子がないので本日病院に行くことにする。

2017年2月 7日 (火)

旅立ち

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 清河八郎の「西遊草」という本を読み始めた。二十六歳のときに故郷の庄内から母親の亀代を連れて、文字通り西遊の旅をしたときの紀行日記である。この旅は八郎が親孝行のために思い立ったもので、実は本文を読み出して知ったことだけれど、清河八郎の父、斉藤雷山が同じような旅をしており、八郎が「西遊日記」と呼ぶ旅行記が残されている。この「西遊日記」三巻は「雲雀日記」と題されている。つまりこの母を連れての旅は、父の足跡をたどる旅であった。そういう意味での親孝行でもあった。ちなみに清河八郎は斉藤家の長男で、清河八郎はのちに自ら付けた名前である。ふるさとは最上川沿いの清川村、川の字を忌み、河と替えている。

 当時伊勢参りの流行があまり激しいので、控えるように触書が出されていた。仕事を放り出して伊勢参りに行ってしまい、いろいろと社会に支障が生じていたのだ。だからこの旅も当面の目的は伊勢参りなのだが、新潟県新発田にある菅谷(すがたに)寺への参詣を名目にして出発している。

 三月十九日、小雨の中、母が鶴ヶ岡に向けて出発した。八郎は翌日すぐに後を追うはずだったが、知人達との簡単な離別の宴が盛り上がってしまう。たまたま家を訪れていた親類の渡辺家の当主と共にようやく出立するが、鶴ヶ岡への道筋の途中の田谷村の渡辺家で引き留められ、また酒盛りとなる。やがて渡辺家を辞し、風雨の中を酩酊状態でようやくのことに鶴ヶ岡に至る。清河八郎はよほど酒好きなのか、しばしば酒の話が書かれている。

 伊勢参りを菅谷参詣と偽って出立したけれど、身内や知人は知っていただろう。だからはなむけの酒宴は大っぴらにするわけにはいかないものの、「まあ旅の無事を祈念してとにかく一杯」となったのであろう。

 ところで当時は舗装などなく、雨が降れば道路は泥濘、日記の中には繰り返しその泥濘に苦しめられる様子が記されている。

 鶴ヶ岡には母の姉・政が豪商に嫁いでおり、そこで待っていた母と合流。この伯母とはこの旅に同行することになっている。翌日ようやく晴れ間が出る中を鶴ヶ岡を出立。湯田川で休憩し、寺など詣でたのち、温海温泉に宿泊(明確に温海温泉で宿泊とは記されていないが、前後からそうであろうと思う)。

 こうして旅が続けられていく。「西遊草」は全十一巻、全てがこの文庫本一冊に収められている。現代仮名遣いに直されているけれど、内容は原文のまま。それでも文意の読み取りにあまり苦労しない。注釈が適切丁寧で、分からないところには必ず助け船が書かれている。

 ようやく第一巻部分を読み終わった。三月末日までで、清川-鶴ヶ岡-村上-中条-新潟の行程が記されている。第二巻は新潟から善光寺までである。

 第一巻に出てくる地名はなじみの場所ばかり。清川、鶴岡、湯田川、温海温泉、鼠ヶ関、瀬波温泉、村上、そして新潟、遠景には佐渡島である。その行程に自分の記憶を重ね合わせれば、浮かぶものがあり、またこの紀行文にあってまた見ぬ場所を訪ねたいと思ったりする。

呪いの言葉

 トランプ大統領が特定の国からの移民入国禁止(トランプは禁止ではないと強弁しているが)の大統領令を発令したが、それは憲法違反だと司法が判断して大統領令の執行差し止めをした。

 それに対し、トランプ大統領は「何か起こったらお前のせいだ」と大統領令の執行停止を決めた判事たちを非難した。

 この言葉は、何か起こったら「それ見たことか、俺の言った通りだろう」とトランプが言うことを確定的に予見させる。それはどういうことか。トランプは何か起こることをひそかに望んでいるということだ。なにかが、つまりテロ行為が起これば、トランプは正しいということになるからだ。

 彼は自分が正しいことを証明するためにアメリカでテロが起こることを希望している。そのような呪いの言葉が「何か起こったらお前のせいだぞ」と云う言葉なのである。誰であれこういう言葉を口するべきではない。

 こうなったらどんな手を使ってもテロリストはテロを起こそうとするだろう。その理路はいま説明する余裕がない。

 ところでトランプ大統領の移民禁止令を支持するアメリカ人は49%もいる、という世論調査が盛んに取り上げられている。これは明らかにおかしい。これはトランプ大統領の大統領令が、テロリストの入国を止めるためのものだと認識している人たちが多数いるということだけだ。反対している人は、テロリストではなく、移民そのものを禁止するのはおかしいと言っているだけである。この数字を前提に語る言説はすべて間違ってるのではないかと私は見ている。

2017年2月 6日 (月)

悲鳴

 今日の病院の話でもうひとつ思い出した。

 小児科の診察室が私の受診する内科の奥にある。病気を治すためだから注射することもあるだろう。だからそもそも子供は病院が嫌いだ。泣き叫びながら親に引きずられるようにして診察室に向かう子をときどき見る。まあやかましいけれどほほえましくもある。

 ところが今日の子はそんなものではなかった。まず絶叫のような悲鳴が聞こえ、「いたいっ!」「いやだっ!」「やめてっ!」と叫び続ける。ここが病院で、小児科の病室から聞こえてくる声でなければ、あたかも身体を一寸試し五分試しに切り刻まれているのかと思いかねない。

 あの悲鳴はもちろん恐怖から発するものだろう。とはいえ普通恐怖に人はすくみ、泣きはしても喚き続けるという行動は取らないような気がする。彼女は(声から察するに女の子のようである)恐怖の対象に抗議し、抵抗していた。なまはげを見ても彼女は同じ行動をとるだろう。

 悲鳴を上げるから必ずしも弱いわけではないかもしれない、などと延々と続く絶叫に感心していた。

周りが見えない

 本日は検診日で病院に行った。予想通り、血糖値は多少レッドゾーンに振れてしまった。体重も少し増えている(頑張って減量したが及ばず)。担当医師は「うーん」と首をひねり、「正月でしたからね」と独り合点をして、「まあまあです。酒をもう少し控え、少しだけでも運動に心がけて下さい」と無罪放免となった。

 これでしばらく酒も美味しいものも食べ放題だな、と病院からの帰り道に思うのだから、懲りない奴だなあと思う。何しろ昨晩はバナナ一本、今朝は絶食しているから腹が減っているのだ。ただし酒は5時半(もちろん午後の)より前には呑まないと決めている。

 今日の病院はいつになく混雑していた。インフルエンザが流行っているからなのだろうか。子供も多い。広い待合室の椅子に坐りきれないで立っている人もいる。人の通る道のまん中で立ち話に夢中になっているおばさんがいる。周りが見えていない。通る人が除けきれずに身体に触れると、そのたびに睨みつけている。もともとそういう人なのか、それとも歳とともに人の迷惑に気がつきにくくなっているのか。

 受付で自分は急いでいるのだから先にしろと掛け合っている人がいる。係の女性は「みな予約の順番どおりなのでお待ち下さい」となだめているが、相手の話など聞く気配はなく、自分の事情を得々と繰り返している。聞いているとだんだん血圧が上がってくる。

 最近は独り暮らしで外に出ることも減り、不特定多数がいるところにくることが少なくなっているので、そういう自分しか見えていない人と関わることがない。その都度注意するほどのことでもないので我慢するしかないが、気になり出すととてもストレスになる。

 まだそれに気がつくだけ自分は大丈夫なのだと思い、それに気がつかなくなったら終わりだな、と思ったりした。

ニュース雑感

 火事のニュースが多い気がする。今年特に火事が多いのだろうか。それもあるかもしれないが、糸魚川の大火の後、やはり火事に対する関心が高いので取り上げられることが増えているのかとも思う。火事を出してしまうと自分も大変困るけれども、他人にまで大変な迷惑を掛ける。そのことをあらためて思うと共に、対岸の火事として見るのではなく自らに戒めたい。歳とともに、年に一二度うっかりして鍋を焦がすようになった。そういう自分になっていることを忘れないで注意したいと思う。

 韓国の文在寅氏が次の大統領候補の最有力候補となっている。はたして無事に大統領になれるのだろうか。どこの国でもそうだろうけれど、政界というのは足の引っ張り合いが日常らしい。特にそれが甚だしいのが朝鮮民族であることは、韓国の歴史ドラマを観るとよく分かる。朝鮮民族は儒教思想の影響もあり、とても家族親族を大事にすると云われる。身内に優秀な子供がいれば親族全員で金を出し合って学問させ、出世させる。出世すればその恩を返すのは当然であると考える。これを期待して応援するというより、応援することも恩を返すのも自然なことと考えるのが朝鮮民族なのだろう。

 こうして権力者が親族に返す恩は、しかしその親族以外のものにとっては罪悪である。それを攻撃材料にしてよってたかって引きずり下ろす。相手を引きずり下ろすことはそのとき正義である。そうして別の者がのし上がり、同じことが繰り返される。

 家族親族が互いに強く結びつき合い、助け合うことが他人の攻撃材料になる。勝利するとその成果を家族親族で分け合う。永遠に果てしがない。家族親族以外はすべて敵であり、それを引きずり下ろせば自分に利があり、その材料は実は自分のなかにもある。そのことに韓国の人々は気がついているのだろうか。反日の構図にもこのようにして擦り込まれた民族性に原因がありはしないか。

 とにかく文在寅氏が現下の状況のまますんなり大統領になるのかどうか、対岸で眺めることにしよう。彼の身の廻りは綺麗なのだろうか。それで偉くなるとはたいしたものなのだが・・・。

 ただ、韓国も次第に核家族化が進んでいて、家族親族が互いに助け合う構造が薄まっていくかもしれない。そのとき、民族の風土が変わるだろう。良くなるかどうかは知らない。

2017年2月 5日 (日)

米澤穂信「氷菓」(角川文庫)

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 米澤穂信に出会ったのは「折れた竜骨」という本を書店の店頭で見たときだった。ほかに買う本を抱えていて迷った末、手に取らずにすれ違いに終わった。再び出会ったのが「王とサーカス」という本だった。これは購入、一読して好きになった。

 続いて「真実の10メートル手前」という本を見たときすぐに購入し、楽しんで読んだ。この二冊は息子に薦めた。読んだだろうか。

 今回読んだ「氷菓」は彼の作家デビュー作で、古典部シリーズの第一弾ということだ。高校の文化部の一つ「古典部」と云うクラブの会員たちの、青春なぞ解き短編集という体裁である。

 一見不思議な出来事が、解き明かしてみれば不思議でも何でもないのだが、それを解き明かす能力は人並み外れていて、それこそが不思議なのである。分かっていることの断片を組みあわせて足らないところを論理的に補足して推測していく。それをすべて物語の中で読者にも明らかにしながら、あっと言わせるてくれる。

 そもそも古典部とは何か。何を目的としているのか。この一冊を読んだだけでは最後までよく分からない。すでにこの古典部シリーズは第六弾まで出ていて、四弾目までが文庫の棚にあったので購入した。

 主人公は折木奉太郎という、面倒なことの嫌いな「省エネ」少年だ。その彼が海外旅行中の姉の勧めで「古典部」に籍を置き、中心になって謎を解いていく。その謎がさらに次の謎につながっていく気配で、面白そうだ。少年少女ものらしく、なかなか魅力に富んだユニークな面々が登場する。

 ところで折木奉太郎という名前に、沢木耕太郎という名前がオーバーラップして感じられてしまうのは私の勘違いだろうか。

 この本の「氷菓」という表題は、古典部の文集の名前である。その意味もこの本で明かされる。あまりいうとネタばらしになるのでやめておく。

減量

 暮れから先月半ば過ぎまで、自己管理制限を緩めていた。自己管理とは主に飲食をもとにした体重管理のことである。もともと人生の長い間、暴飲暴食に身体を慣らしてきたので、少し緩めるとたちまちそれに順応する。苦労して縮めた胃袋はたちまち元に戻る。

 腹が減ってたまらないし、食慾も増進する。すると意外と気力体力も昂進したようになる。結果的に体重はあっとという間に増える。苦労して少しずつ落とし続けた体重がみるみる増えるのに自分で驚く。

 明日、定期検診日である。それに合わせてこの二週間ほど、食事の量と酒量を徐々に減らしてきた。目標の減量の半分は一週間で達成。それはいつも簡単なのだ。残りの半分がなかなか難しい。この数日はさらにレベルを上げている。ただ効果はあることを承知しているけれど断食はしない。この時期に体力を無理に落とすと風邪を引いたりして何のための減量か分からないことになる。身体を損なうだけである。

 毎回毎回医師に注意されないように取り繕う。取り繕うために努力して意味があるのかどうか。私は意味があると思う。それがなければ私は歯止めを失うだろう。友人や先輩達もいろいろ身体に不調を来しているという便りを聞く。そういう年齢になったのだ。歯止めを失えば何が待っているのか解りすぎるほど解っている。それでもつい緩むのは、我慢することの辛さと、身体を損なうことの恐怖との兼ね合いを量る天秤の針が、ちょっとずれているからかもしれない。

エマニュエル・トッド&佐藤優「トランプは世界をどう変えるか?」(朝日新書)

 これは対談でも共著でもない。冒頭にエマニュエル・トッドがトランプ大統領の出現の理由と意味を「民主主義がトランプを選んだ」という文章で解説する。エマニュエル・トッドはフランスの歴史人口学者、家族人類学者だそうだ。「帝国以後」という著作が世界的ベストセラーになっている。最近コメントをいただいたHiroshiさんからも紹介があった。

エマニュエル・トッドはソ連崩壊やアメリカの金融危機、英国のEU離脱を予見してきた。そしてトランプ新大統領誕生も予言していたというのだが、その根拠が冒頭の文章で明らかにされているわけである。

 この文章に続いて、トランプ候補が共和党の指名受諾演説の内容が全文掲載されている。これを読む限り、トランプの目的と意思は明快で、ふだんマスメディアがことさら取り上げているような異常な言説は見られない。たぶんこの演説がトランプ支持者たちがいつも聞き取っているものなのだろう。細部にレトリックはあるが、了解可能な内容である。これをもとに彼を選ぶことはおかしくない。

 トランプを支持した多くのアメリカ大衆とは誰か。彼等は何に怒り、何を正すことをトランプに期待したのか。そのことをエマニュエル・トッドは、ちゃんと理解しないとトランプ登場の意味が分からないと書いているのだ。どのような必然性があったのか、それが分かりやすく書かれている。

 分かりやすいけれど納得しにくいのは、すでにアメリカのマスメディアとそれをただ鵜呑みにする日本のマスメディアの報道に私が影響されているからかもしれない。

 そして後半は、佐藤優が彼なりのトランプ誕生についての考察をまず語る。ある部分ではエマニュエル・トッドに似て、ある部分では全く違う切り口からの考察が行われる。トランプが理想とし、目指すアメリカの意外な姿に驚く。

 最後に佐藤優がトランプ大統領によって当面どのようなことが実行されていくのか、それによって何が起こるのか、そのトランプの行動の思想的根拠を解析することで予測していく。

 この本はトランプ大統領の誕生で、世界はああなるこうなる、とピーターのオオカミのように災厄を語るものではない。誕生の意味と背景、そしてトランプの行動原理の解析を呈示し、これからのトランプの言動を見るための参考に供する本だと思う。

 読みやすいし考えさせられる。考えさせてくれる本というのは、自分の思い込みに見直しを迫るものであり、有用なのである。

2017年2月 4日 (土)

日活ロマンポルノ

 NHKBSのアナザーストーリーズという番組で「ロマンポルノという闘い 日活・どん底からの挑戦」が放送された。日活ロマンポルノには強い思い入れがあるので、録画したものをじっくりと観た。

 日活ロマンポルノの第一作「団地妻 昼下がりの情事」が公開されたのは1971年。白川和子主演のこの映画は衝撃だった。ラストシーンも覚えていた。

 大学一年生のときは教養課程で山形市にいたので、映画館もたくさんあり、よりどりみどりで映画を観ることが出来た。二年生になってから米沢に移り(一年で教養の大半をすませて、二年から専門課程に入る大学だった)、日曜日ごとに映画館回りをしたが、何しろ米沢には山形ほど映画館がない。その頃日活ロマンポルノが始まったのだ。

 日活ロマンポルノは隔週に三本ずつ作られていたと思う。それを日活映画を懸けている映画館で隔週観ていたから、ほとんど観たと思う。寒い冬に暖房があまり効いていない、便所の匂いの漂う映画館で夢中で観た。外に出ると寒さだけではない理由で歯を食いしばっていたので歯の根が痛いこともあった。

 白川和子が一番のお気に入りだったけれど、「ラブハンター 恋狩人」の田中真理や「一条さゆりの濡れた欲情」の一条さゆりや伊佐山ひろ子も忘れられない。

 日活がロマンポルノの制作をやめたのは1988年らしいが、私が観たのは学生時代のわずか3年間のみだった。自分はこんな映画ばかり観ていて大丈夫か?と云う想いがあったけれど、不思議な熱気と魅力を感じていたのは確かである。このロマンポルノは欲情を刺激するものではあるけれど、それ以上の、熱情をもって訴える何かに引きつけられていたと思う。

 映画好きとして、ときどきキネマ旬報を読んだが(買うこともあったが立ち読みもした)、ロマンポルノの作品を普通の映画と同列に論じ評価していた。当時の編集長は白井佳夫。後でテレビで映画評論する姿をしばしば見た。その解説に蒙を啓かれる思いがした。なぜそれほどロマンポルノを(もちろんロマンポルノだけを観ていたわけではないが)そんなに飽きずに観たのか、分かった気がした。

 今回のアナザーストーリーズには白川和子も田中真理も白井佳夫も出て語っていた。懐かしい!そして日活ロマンポルノがある時代の日本の映画を支え、その支えた人々が現在の日本映画界に大きな足跡を残し、後輩たちを生んだことをこの番組は教えてくれた。

羊頭狗肉

 こんな記事が目についた。

“潘基文の落馬”を残念がる日本、その理由とは?
ハンギョレ新聞 2/3(金) 8:44配信

 こんな見出しの記事である。潘基文が大統領候補を降りたことを、日本で残念がっているというのだ。知らなかった。さらに読んでみると、

 1日、潘基文(パン・ギムン)前国連(UN)事務総長の突然の大統領選不出馬宣言は、隣国の日本でも大きな反響を呼び起こした。朝日新聞、読売新聞など日本の5大全国紙は一斉に潘前総長の出馬断念の知らせを1面の主要ニュースなどで扱った。

 同紙はどうして潘前総長の落馬を残念がっているのか。
 日本軍「慰安婦」問題に対する韓日政府間の12・28合意のためだ。同紙が本格的に本音を表したのは1面ストレート記事に次ぐ8面の解説記事だった。読売新聞はこの記事で「潘前総長は、国連事務総長時代、慰安婦問題の日韓合意を評価したが、(これが)左派系メディアから攻撃を受ける原因となった」、「(12.28合意を)否定するなど反日的姿勢が目立つ共に民主党の文在寅(ムン・ジェイン)元代表に(選挙構図が)有利になるものとみられる」と評した。朝日新聞も潘前総長は「慰安婦問題の日韓合意について評価した発言が批判にさらされた」と伝えた。

 日本のマスコミは潘前総長が国連事務総長在職時には、韓日間の主要懸案について“中立”を守っていないとして、批判する記事を少なからず掲載してきた。しかし、昨年末、韓国社会を揺るがした“ろうそく集会”で朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾の危機に追い込まれると、このような危機状況を収拾し、韓日関係を安定的に率いる保守陣営の代案として、潘前総長に注目してきた。

 日本の保守は韓日関係が悪化した原因が、日本の歴史的過ちに反省的な姿勢を示さない安倍晋三政権の歴史修正主義ではなく、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代以降本格化された韓国の「386世代」の反日感情にあると見ている。盧武鉉元大統領の長年の側近であると同時に同僚だった文元代表が韓国の大統領になれば、12・28合意が破棄され、韓日関係が悪化するかもしれないと憂慮しているのだ。

 どうやらハンギョレ新聞の記者の一方的な思い込みというわけでもないようだ。日本人が韓国の状況を憂慮していることは間違いない。それは韓国が隣国であり、その動向が日本に悪影響を及ばさないかどうかを憂慮しているのであって、韓国政界の動向そのものについては他人事である。それにひところよりもその関心は好意的ではなくなっている。それを韓国も強く感じているから、日本の大手新聞が韓国のことを取り上げていることにより強く反応するところもあるかもしれない。

 ただ、潘基文前国連事務総長については、日本ではそれほど好意的に見ているとは思えない。あの中国の盛大な軍事パレードに、朴槿恵大統領と同じように天安門の来賓席で満面の笑みを浮かべて列席していた姿を見た日本人なら、どうして国連の事務総長がそんなところで嬉しそうにしているのか、不快に思った人が多かっただろう。それを忘れるはずがない。

 だとすれば、記事の「”潘基文の落馬”を残念がる日本、その理由とは?」と云う見出しは羊頭狗肉ではないのか。

 実際に日本の新聞が「日本が残念がっている」と書いているのかどうか確認していないけれど、書いていないならハンギョレ新聞の記者の勝手読みであるし、もし書いているのなら日本の新聞が国民の感覚とずれていることになる。

 こんなところにアメリカ国民のマスメディア離れをもたらしたものと同様なものの萌芽があるかもしれないなどと考えた。

2017年2月 3日 (金)

迷う

 月初めにまとめて雑用を片付けるために名古屋に出る。その雑用のついでに本屋に寄る。月初めになけなしの蓄えから生活費をおろし、通帳に記帳して振り込みなどのチェックをする。財布が膨らむので、本屋に行って本を買う。今回は文庫本と新書を主体に買ったけれど、10冊を超えていたので一万円札が飛んでいった。

 係争中の案件で(私にとっては)多額の出費の可能性がある。最悪の金額を想定し、それより少なかったらその範囲内で多少の散財をしようと思っている。その結論が昨年暮れに出るはずが先延ばしになり、つい先日、一月にさらに延期になって、三月にまた裁判所に行くが、それも結論が出るかどうか分からない。

 しかし情勢はかなりこちらに有利な気配となった。ただ、裁判官がちょっと癖のある人らしいので、楽観しすぎるとがっかりすることになりかねない。

 とはいえあれを買い、これを買い、ちょっと良い宿に泊まりに出かけて、と夢見ている。人参を鼻の先にぶらさげて、面倒なことをわずらわしく思う気持ちをなだめているのだ。その人参の一つを名古屋に出かけたついでに見に行った。

 AVアンプとそれ用のスピーカーである。何度も量販店に見に来ている。カタログも繰り返し読み込んだ。良いものを見ればきりがない。しかし防音性が比較的に高いとはいえ集合住宅に住まう身としては、そんなにハイパワーのものを買っても宝の持ち腐れになる。スタンダードよりちょっと良いもので、機能がいちおうそろっている機種をほぼ選定した。

 欲しい欲しいと思いを募らせてきたので、思い切って買ってしまおうかと心に決めて見ていたら、どうしても店員に声が掛けられない。迷いが出たのである。まだ結論が出ないうちで散財は早い、と感じたのか、古いとはいえ問題なく使えているいまのAVアンプでも良いのではないか、とか、迷う理由はいろいろある。

 しかし一番の理由は「欲しい」という強い想いがそのとき弱まっているような気がしたのだ。迷うときはやめる、というのが私の人生の考え方なので(そういいながらやめずに失敗したことも多くて、ますます迷うときにはやめることに決めている)それに従った。

 帰ってきて、いままた「欲しい」という気持ちが募っている。手に入れたらどのようにレイアウトしようか、すでにいろいろ案を考えているのでその結果を夢想している。こうして迷いの振り子が向こう側にたっぷり振れたら、そのときはわが家のテレビの横に新しいAVアンプがおさまっているだろう。

 ただし物が増えたらスペースは減少する。そのために何を捨てるのか、それを決めなければならないなあ。

 人生は迷い多きものなのだ。迷えることこそが幸せなのかもしれない。

マスメディアの劣化

 極論だけれど、トランプ大統領を生み出した原因の一つがマスメディアの劣化ではないかと思う。トランプは弱点を見せた者をとことん叩く。いま、アメリカ国民の多くがトランプがマスメディアを叩くと拍手喝采する。マスメディアの欺瞞性に気付いた大衆はマスメディアの言うことをもう信じない。トランプの問題点をマスメディアが報じると、また嘘を言っていると思う。トランプの作戦勝ちである。いまアメリカはマスメディアを信じない者と、まだ信じる者に分断され、信じない者がどんどん増えているのではないか。

 大統領就任式のときに集まった参集の数が過去の大統領と比べて歴然と違うことが写真で明らかなのに、トランプは昂然と「嘘のニュースだ」と言ってのけた。トランプは「自分の言うことが事実であってそれ以外の事実はない」とうそぶいている。

 マスメディアは大衆に信頼されなければ力を失う。それはトランプの作戦が奏功したからなのか。そもそもマスメディアが長年に亘って信頼を損なってきた結果ではないのか。マスメディアが信頼できないと大衆が感じ始めているとき、トランプはその欺瞞性を誇張しただけである。だからマスメディアがトランプの欠点を暴けば暴くほどトランプの支持が増える。

 トランプはバノンと云う大衆操作の天才をブレインにしている。バノンはこのメカニズムを熟知している。バノンのような、自分が大衆を操作することに快感を感じる人間がトランプを操っている。バノンは正義だの国家の大義だの知ったことではない。自分が参謀としてカリスマ(トランプがカリスマであるかどうかちょっと疑問だが、形の上ではそう見える)を立て、それを利用して世間が右往左往するのが面白くてたまらないのだ。彼には善悪などという価値観はないだろう。

 そんなことはマスメディアに携わる人たちには明確に見えている。それなのに手も足も出ないのはなぜなのか。話が元に戻るが、大衆の信頼を失ったからだ。

 報道に携わる者には正義があった。それが自分勝手なものであるにしても正義を信じていた。いま彼等に正義があるのか。私はひとりよがりの正義を毛嫌いする者であるけれど、正義そのものを否定するわけではない。当たり前だ。善悪が混沌としてしまえばこの世は闇だからだ。そんな世界は生きにくい。

 その正義をマスメディアは経済論理の中に矮小化して押し込めてしまったのではないか。マスメディアはスポンサーを必要とする。情報を収集するためにはコストがかかる。そのコストを情報の受け手である大衆が支払うのであればまだ問題は少ない。正義が損なわれにくいからだ。しかしテレビやラジオはほぼ無料である。スポンサーがなければなり立たない仕組みだ。新聞も販売だけでは成り立たない。それは紙面の半分以上に氾濫する広告を見れば分かる。

 スポンサーが必要であれば、マスメディアはスポンサーに迎合する。スポンサーに都合の悪いこと、不快に思われることは報道を控える。あえて報道して苦情が出ても昔は気骨のある者もいて撥ねのけたという伝説があるが、昔からめったにあることではなかっただろう。そういうところはスポンサーが離れ、淘汰されたに違いない。大衆はそのような気骨に拍手喝采するけれど助けない。

 そのスポンサーたちがクリントン陣営の背後にいることをトランプ陣営は繰り返し指摘したのだ。トランプが金持ちたちを非難したのはそのようなスポンサーたちのことである。それなのにどうして金持ちであるトランプが支持されるのか。ターゲットは金持ちであり、大衆をマスメディアを通じて操作している者たちであると言い、かれらを敵だ、と指さしたのだ。そして自分は大衆の味方だと繰り返した。移民をアメリカに入れない、テロをなくす、貿易不均衡を正す、雇用を増やす、と約束した。

 この熱狂をヒットラーになぞらえる向きもある。ある面で似ていないことはない。しかしまだ始まったばかりで、これからどうなるのかトランプが異質すぎて見当もつかない。じっとしていられなくて立ち上がっても、どうしようもないからまた坐るだけである。これではディオゲネスみたいだ(ギリシャの哲人:戦争が始まる、と云って人々が右往左往するのを見て、自分が住処にしていた大きな木の樽をあちらにゴロゴロこちらにゴロゴロ転がして見せた)。

 マスメディアの劣化とは、ビジネスマインドに報道が呑み込まれてしまった結果であると考える。スポンサーに、そしてスポンサーの背景にマスメディアが組み込まれ、その論理に従い、経済原則に従って報道をするようになった。それに馴れ、その世界観を元にすべてを解釈し、あろうことか大衆を教導しようとした。それは欺瞞の、嘘の世界であるとトランプは暴いたのだ。すでにうさんくささを感じていた大衆はその言葉に目覚めた(と思った)。

 これがトランプ大統領を生み出したメカニズムではないだろうか。氾濫するテレビCMにうんざりし、内容の希薄化にうんざりしている大衆は、アメリカだけではなくて日本にもいることを日本のマスメディアは気がついているのだろうか。

夜更かし

 眠りにつくタイミングというのがあるようだ。人によって違うだろうが、私は10時頃寝につくとすぐに眠れる。ところがそれを過ぎてしまうと入眠がスムーズに行かない。

 このごろほとんど毎晩NHKBS-1の午後10時からの「国際報道2017」を見る。海外ニュースが手際よくまとめられているし、トピックも面白い。そしてアナウンサーの情緒的、政治的なところがないのがありがたい。なにより増井渚アナウンサーが見なれてなじみになるうちに可愛く見えてきたのだ。眼がキラキラしていて口もとに愛嬌がある。

 そのあと11時15分からのNHKの「ニュースチェック11」を見る。こちらも分野別のニュースが手際よくまとめられ、だらだらしていないのが嬉しい。最近のニュース番組は一つのニュースを深掘りと称して無意味に詳しく報じすぎていて、時間の無駄である。そしてこの番組も桑子真帆さんが愛嬌があるのでつい見てしまうのである。有馬アナもフレンドリーで好感を持てる。

 これでは12時まで眠れない。しかしニュースを録画すると云うのもどうかと思うのである。このあと寝床に入ってもすぐ眠れないから、数独パズルをしたり音楽を聴いたりしている。

 夜更かし癖がつかないうちに何とかしなければと思ってはいる。これも翌日に仕事があるわけではないし、時間はどうとでもなるからだが、世間とのズレがますます深まりそうだ。つい昼間うたた寝することも増えるし、あまり好いことではない。

 私のむかしからのモットーは「規則正しく明るい生活」なのである。本当なのだ。

2017年2月 2日 (木)

冗談

 ネットニュースを見ていたら、こんな記事があった。その一部を引用する。

 「あなたは安倍晋三首相に従っていればいいのよ」。トランプ米大統領が長女のイバンカ氏からそんな忠告を受けたとの話を、トランプ氏が28日の日米電話会談で首相に紹介したことが分かった。首相官邸の幹部が明らかにした。

 トランプ大統領が安倍首相にこう言ったというのは事実なのだろう。しかしそれを嬉しそうに洩らすのもどうかと思う。ほとんどトランプ大統領の冗談なのだから。

 トランプ大統領という人物は理不尽な言いがかりや恫喝を行って相手の出方を見ている。そこで迎合したり屈服したりすると、相手の弱さであると見てとことんかさにかかる。いままでそうしてのし上がってきたから筋金入りだ。

 いまは言いがかりには「事実と違う」と明確に否定した上で、言いがかりを前提にした交渉には応じない方が良いと思う。私が何をどう思おうとごまめの歯ぎしりで何の足しにもならないが、トランプに対して世界がどのような対応をしていくのかをその点に注目して見ていきたいと思っている。

 まさか安倍首相はお粗末な迎合をしないと思うけれど・・・。

 迎合はターゲットにされるだけである。自国にも相手国にも得にならない。私が河野洋平や鳩山由紀夫に不快感を感ずるのはそこである。

言い訳

 韓国大統領候補に立候補する意向を示していた潘基文前国連事務総長が電撃的に出馬断念を表明したが、記者会見のとき語ったことばが報道された。

 それを報じた新聞によると

 潘氏は「一部の政治家の旧態依然とした偏狭な利己主義的態度にも非常に失望し、そうした人たちと一緒に歩むのは無意味だと判断するに至った」と述べ、これまで接触した韓国政界と政治家を批判した。

 潘氏は「人格攻撃やうそのニュース」により、自分の評判が落とされたと主張。

 潘基文氏は韓国の新聞やニュースを読んだり見たことがないのだろうか。韓国政界が「人格攻撃やうそのニュース」だらけの伏魔殿であることは、まともな知能のある者なら誰にでも分かるはずである。大統領になって何をしたかったかは知らないが、彼はそのような伏魔殿を少しはまともにしたいと考えたのではないのか。それが早々にしっぽを巻いて逃げ出した。

 韓国内では潘基文氏の出馬断念の後、政界の実態に批判が起きているようだが、韓国政界の諸氏は自分以外の人の話だと思っているから、互いに相手をこき下ろすことをやめないだろう。

 さらに記事ではこのような指摘もある。

 潘氏を巡っては、国連事務総長就任前後に実業家から23万ドル(約2600万円)を受け取ったという疑惑など、金銭スキャンダルが続出。2015年の慰安婦問題に関する日韓両政府合意後に歓迎の意を表していたことも非難を浴びていた。支持率は帰国後に落ち込む一方で、現在は2位だった。

 どうやら潘基文氏の出馬断念はこちらが理由で、このことを「人格攻撃とうそのニュース」と言っているのであって、韓国政界についての批判は言い訳のようである。

 しかし韓国では負け犬はとことん叩かれる。逃げたからといって、いや逃げたからこそ訴追を免れるのは難しいだろう。

因果のむこう

 この宇宙の向こう側がもしあったとしても、人間はそれを見ることが出来ない。宇宙の涯は光速で遠ざかっていて、人間は光より早く移動することが出来ないからだ。それは相対性理論で明らかなのだが、人間の観念は物理法則の地平を越えて想像できるから宇宙の向こうを夢想する。

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 宇宙には始まりがあるという。空間そのものも存在しないようなところから突然生じ、ビッグバンという現象を経て宇宙は誕生したという。その宇宙の誕生してからの年齢は概算で計算されている。ビッグバン直後の極小宇宙の姿は想像を超える。

 しかしどうしてなにもないところから宇宙は誕生したのだろう。そのきっかけは何なのだろう。考えたって解るはずはないのだが、そのことをずいぶんむかしから考え続けている。

 聖書の創世記を挙げるまでもなく、この世を作ったのは神様だという神話は世界中に存在する。やはりみんなどうして宇宙が始まったか知りたいと思い、解らないなりにそれを説明する物語を作ったのだろう。

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 人間は死んだらどうなるのだろう。宇宙のことを考えるのも死のことを考えるのも意識である。意識は脳の働きで、脳が考えているだけだ、と養老孟司師は言う。その通りだとも思うけれど、肉体とは別に意識があるとどうしても思ってしまう。この場合の意識とは魂に似ている。離魂現象というのがあるらしい。自分の意識が自分の肉体を離れて、自分自身を見下ろしているというイメージのようだ。この場合は意識は肉体と別である。

 だがそれを思考しているのは脳ではないか、と養老孟司師は言うだろう。

 唯物論と唯心論とどちらをとるかと問われれば、私は科学系の出身者として唯物論をとるべきだと思いながら、どうしても唯心論的な考えに傾く。

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 ただ、死んで魂魄がこの世にとどまるとは思えない。墓にもいないし風に乗っていたりもしない。意識が物質とは違うものだとするならば、肉体を離れた意識が存在する場所は物理学的な世界とは違うところだろう。

 その意識こそが宇宙の始まりのきっかけを為す、と云うのが私の作り上げた物語だ。これこそが神の御業だ。ただ、意識は物理的存在ではないから、作られた宇宙には存在していない。宇宙の向こう側で自分の生み出した宇宙の森羅万象を眺めているだけである。そして宇宙は与えられた初期条件の不備により、ついには混沌に陥り、消滅する。

 再び三度宇宙は作られる。そしてきっかけのみの役割を与えられた意識は無限の試行錯誤を繰り返し・・・。

 人間は死ぬと神様になるけれど、その神様は寂しいかもしれない、というのが私の物語である。

2017年2月 1日 (水)

出馬せず

 前国連事務総長の潘基文氏が韓国大統領選に立候補しないことを表明した。

 昼頃、ネットでハンギョレ新聞の記事を見たら、スウェーデン出身で元国連監察室長のアレニウス氏(女性)が、潘基文氏について酷評しているのを読んだばかりであったけれど驚いた。アレニウス氏は潘基文氏を批判する文書を残して2010年に国連を辞任したという。

 かねがね潘基文氏が史上最低の国連事務総長だという評判は伝えられていたが、その記事を見ると、そういわれるのも当然だと思う。

 そういう人に取材して記事に載せ、ハンギョレ新聞は保守派を叩こうとしたのだろうか。それやこれやで潘基文氏も選挙を戦う気力を失い、出馬しない決心をしたのだろう。

 これでセヌリ党などの保守派が担ぐ候補がいなくなった。左派とトランプに似た偏見と妄想の候補ばかりになりそうである。保守派は現在大統領代行をしている黄首相を候補に仕立てるべく動くとも伝えられているが、勝ち目のない戦いに乗るだろうか。

 韓国の大統領候補はトランプ大統領のポピュリズムを利用した選挙戦を参考にするだろう。何より韓国がポピュリズムの国であるからそれは有効だろう。そしてここにもミニトランプが誕生しそうである。

 潘基文が立候補を取り下げなくても、結果は変わらなかっただろうけれど・・・。

予測を超える

 大統領候補のときのトランプを見て、あまりの異質さに驚いた。誰もが驚き、こんな候補が大統領になるはずがないと思った。ところが一部の人々に熱狂的な支持を受け、あれよあれよという間に大統領になってしまった。彼が強力だったというより、ほかの候補があの毒気に当てられて霞んでしまったように見える。

 まさかが現実化しつつあるとき、そして現実化したときにその理由の解釈や今後の見通しについてのコメントが百出した。大統領になるために極端な言説で注目を浴びて戦いを有利に進めたが、ブレインに人を揃えるはずなので、大統領になればまともになるというのが大方の解説者の意見だった。

 結果はどうか。大統領候補だった時代の、まともとは思えない約束を次々に実行に移すばかりではなく、異常に歪曲された妄想的世界観に基づく攻撃的な大統領令や言説を次々に発している。私にはほとんど狂気の人に見える。

 ただの下品な拝金主義者かと思ったら、とんでもない怪物だったことが明らかになってきた。彼本人が怪物だというより、アメリカ大統領という権力が彼を怪物にしていると言って良い。

 何よりこわいのは、この怪物を利用して自分の利を謀る者たちが垣間見えることだ。フォードは怪物をそそのかし、トヨタを攻撃させた。朝のニュースを見ていたら、製薬会社は日本の為替政策を攻撃させたようだ。長い低成長の苦しみとリーマンショックの打撃から立ち直るために必死でもがいてきた日本の努力を「不公平」と言ってのけた。根拠など無い。ただ日本がじわじわと回復しつつあるからそれが腹立たしいのだ。フォードは日本での販売戦略に失敗し、撤退を余儀なくされたことに報復しようとしたのだ。製薬会社は日本の健康保険が世界に類を見ない成功を収めていることで、薬価を自由に決められないことに腹を立てており、それを壊したいと思っているのだ。アメリカのように自由に薬価を決めて暴利を貪りたい。それを阻止しようとしたオバマケアは彼等にとっては邪魔者である。だからそれを排除することにした。トランプはオバマケアをやめると言った。アメリカの保険業界も同調して「不公平を正せ」とトランプに吹き込むことだろう。

 トランプは自分がアメリカのためにやっていると信じているのだろうが、それはアメリカのひとり勝ちのための戦略で、自分が勝つために何をするかではなく、相手をたたきつぶして自分が勝つための戦略である。アメリカとまともに戦って勝てる国などないことを承知の恐ろしい戦略である。

 世界が不安になるのは当然である。世界は調和が破壊されて不安定化し、とても不効率な混沌の時代を迎える。恐怖は不安から生じる。恐怖と怒りは戦争への道につながっている。

 こんな怪物を生み出してしまったアメリカという国は自己修復できるのだろうか、それとも末路を迎えるのだろうか。生み出したものが彼を葬るしかないが、可能性はあるのか。大統領を暗殺するのは多くは利の集団だ。ところがその利の集団はいま怪物側にいる。その期待も少ない(期待してはいけないことだけれど、期待せざるを得ない事態がそこにある)。

 怪物はこれから世界にどれほどの災厄をもたらすのだろうか。彼が健康であることは医師に補償されている。そのことはクリントンとの戦いのときにあきらかにされた。病も彼を犯すことが出来ないのか。年齢は彼を蝕むことにならず老耄は彼の怪物性を強化するだけであろう。

 こんな時代を見ることになろうとは思いもしなかった。

(追加)
 昨晩、NHKBS-1で放映された「“強欲時代”のスーパースター ドナルド・トランプ」という番組を先ほど観た。アメリカで1991年に制作されたもので、トランプがどれほどあくどいことをしてきたかがそこに収録されている。ほとんど映画に出てくる極悪なならず者である。これは当時放送できずにお蔵入りになった。トランプが裁判で訴えると恫喝して、それに放送会社が屈したからだ。
 こんな人間が堂々と大統領になれるアメリカという国のすばらしさに感嘆する。アメリカは本当にすばらしい。

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