« 「1911」が観たくなった | トップページ | 歴史に学んでいるか »

2017年2月22日 (水)

雪恥(せっち)

 雪恥の雪は、「雪(すす)ぐ」という意味である。前回の項で紹介した蒋介石の日記の、ある時期からあとに頻繁に出てくる言葉である。自分の、そして自国の受けた屈辱、恥を雪ぐという意味である。

 孫文は日本に留学し、革命行動が挫折するたびに日本に雌伏した。その孫文の元をたくさんの人が訪れたが、そのなかに若き日の蒋介石もいた。蒋介石は日本の軍学校(越後高田)で砲学を学んだ。わずか一年ほどで武昌蜂起を知り、脱走して中国へ走る。もちろん除籍され、追われるが、日本人に身なりを替えて辛くも脱出に成功している。

 辛亥革命後は孫文によって新しく設立された軍学校の初代校長に任命されている。ここで育てた多くの若者が蒋介石に心酔し、国の為、彼の為に命を捧げた。

 その蒋介石が日記に雪恥と書き込むようになったのは、日本が中国を侵略し始めた頃からである。彼の知る日本人はみな立派な人ばかりであった。その人達がいる日本が中国を、彼の故国を侵略したのである。裏切られたという思いはいかばかりであったろうか。

 彼は単身田中義一(当時首相)に面談し、日中の将来の為には戦端を開くべきではないと説いている。田中義一は答えなかったという。そして満州事変が勃発、そして盧溝橋事件、さらに上海への日本軍の進軍侵略、そして当時の首都であった南京占領へいたる。南京で大虐殺があったかなかったかは論のあるところだが、そもそも他国の首都を占領する大義が日本になかったことは明らかである。

 それを目の当たりにした蒋介石が、日記に「雪恥」と書いた気持ちにどれほどの思いがこもっていたか、それを私は想像する。

 蒋介石夫人・宋美麗がアメリカで反日の熱弁を揮った。アメリカ議会では万雷の拍手だった。これがアメリカの排日につながり、日本は日米戦争に追い込まれたといえないことはない。

 戦争が日本の敗北で終わり、蒋介石は「以徳報怨」と中国国民に語りかけた。怨みに怨みで報いると怨みの連鎖は繰り返し、果てしがない。怨みには徳を以て報いようと呼びかけ、戦後賠償を放棄した。

 彼はこのとき雪恥を達成したのか。

 中国国民は彼の呼びかけに答えたのか。そもそも彼の声は彼等に届いたのか。蒋介石は日本との戦争をひたすら避け続け、まず国内を統一しようとして共産党軍と戦い続けた。これがおかしいとする国民の声を背景に西安事件が起き、国共合作が成り、そして蒋介石の率いる国民党軍の刃は遂に正面から日本に向かい、日本の敗勢につながった。日本軍は敗れ、日本との闘いに疲弊した国民党も新たな敵である共産党軍に敗北して大陸を追われ、台湾に逃れることに
なった。

209 西安事件銃弾の跡

 共産党の率いる今の中国という国を生み出したのは日本であると言えないことはない。まさに歴史はあざなえる縄の如しである。その後の台湾の歴史についてもやはり思うところは多い。

 台湾南部の高雄の澄清湖のほとりに蒋介石の別荘がある。その湖畔に蒋介石が好きな彼専用のベンチがあり、そこに独りで沈思することを好んだという。彼は何を思ったのだろうか。どんな夕焼けを見ていたのだろうか。それはついに二度と帰ることができなかった、彼のふるさとである浙江省の奉化県の夕景ではなかったか。

Dsc_1598

« 「1911」が観たくなった | トップページ | 歴史に学んでいるか »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「1911」が観たくなった | トップページ | 歴史に学んでいるか »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ