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2017年4月19日 (水)

内田樹「昭和のエートス」(basilico)

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 子どものときや若いときは映画館から出てくるときは主人公になりきっていて、素の自分にもどるのにしばらくかかった。小説を読めばどっぷり浸かって物語世界こそが自分の現実だった。それだけ真剣に楽しめたということだろう。

 このごろ映画を見る本数が減っている。映画を見るためにはその世界へワープするためのエネルギーが必要なのに、それが不足しがちなのだ。同じように小説の世界へのワープがし難くなって、小説があまり読めなくなった。代わりに今回読んだこの「昭和のエートス」のような本を読むことに楽しみを感じるようになっている。

 内田樹老師の本としては初期の頃の本で一度通読したはずなのだが、いま読み返すと本当に読んだ本なのかどうかと思う。帯に「極上のエッセイ集」とあるけれど、こういうのもエッセイか。いろいろなところに頼まれて寄稿した文章を集めたもので、あとがきにもあるように、寄稿先に合わせて書かれているらしい。

 いつものように、どの一文からも老師のメッセージが伝わってくる。本を読む楽しみは、著者のメッセージを受け取ることだとこのごろようやく理解できるようになってきた。自分にとっていい本というのはこのメッセージが受け取れるもの、そこから感応するものがあってそういう感応した自分を喜ぶことのできる本だろう。

 だからいい本は人によって違う。

 一つひとつの文章にそれぞれの思いがあって、それを書き出すときりがない(本当はそれをやってみたい気もする)から冒頭の「私的昭和人論」について書いてみたい。

 老師のいう昭和人は、昭和生まれの人、あるいは昭和を生きた人という意味ではなく、「私的」という通り、限定されている。

 昭和を語るとき、昭和時代64年のうち、戦争後の方がずっと長いけれど、やはり戦争を抜きにしては語れない。そしてその戦争を経験して、大きな屈折体験をした人々を老師は「昭和人」とよぶのである。敗戦を境に価値観は大きく変わった。そのことは誰もが知っている。しかし「昭和人」を、価値観の転換を大きな喪失として体験したひとだけに限定することで、その「昭和人」の世界観に共感するのである。

 敗戦までの昭和の社会を担ったのは、明治生まれや大正生まれの人である(昭和生まれは敗戦のときにまだ20歳にもなっていないのだから)。その人達は敗戦を体験しているけれども、軍国主義的な思潮を自らの考えとしてではなく、状況として受け入れたのであって、敗戦によって民主主義が正しい、といわれればすんなりと同調することができた。

 昭和に入ってから生まれ、学校で軍国主義を教え込まれ、それに染められた子供たちがいた。その子供たちは敗戦後、ある日突然教え込まれたことが正しくない、これからは民主主義だと教師にいわれて教科書に墨を塗ったのである。信じていたものが間違っていたといわれたのである。

 彼等のうちの心ある者たちほど世の中に対して不信感を抱いたことだろう。真実などないのだと思い、これが正しいと声高に言う者を疑って見る。そのような一群の人々、老師のいう「昭和人」の代表的な例として養老孟司氏や吉本隆明氏、そして江藤淳氏をあげる。とても良くわかる。

 老師は私と同年の昭和25年生まれだから、戦争体験はないし挫折も喪失も屈折もない。しかし「昭和人」を知っているし、他の世代よりはその思考に共鳴するところがある。ただし、なぜ戦争になったのか、その戦争へいたる歴史を知ろうと努めた者だけが「昭和人」とシンクロできるので、同世代が共通の感性であるといえないことはもちろんである。団塊の世代と括られた世代が括られたとたんに、なかった体験を語る立場にいると錯覚するようなものだが、それを説明するのは別の話だ。

 いま彼等からのメッセージを我々日本人は受け継いでいるのだろうか。世の中を見ればわかるように、とてもそうはいえない。そのことの責任を深く感じさせてくれた一文であった。

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コメント

おはようございます
先日は私の拙いブログを見ていただきありがとうございます。
OKCHAN様は昭和25年のお生まれだったのですか。だとすれば私の母と学年は一緒ということになりますね(私の母は昭和26年の早生まれです)
この年生まれの人たちは中々優れた方々がいらっしゃいます。仰るところの内田樹先生もそうですし、今の萌えブームの基礎を作った功績のある吾妻ひでお氏もそうです。
それに比べて・・・、私たちの世代はお寒い限りです・・・。覇気がないというか・・・。
では、
shinzei拝

shinzei様
昭和22年生まれや23年生まれの諸先輩たちと比べて、覇気がないと言われ続けてきた団塊の世代のしっぽの世代です。
産まれたときはまだ戦争の傷が残っていたはずですが、物心がついたときにはもうそれはほとんど見ることはありませんでした。
あの安田闘争などで東大などいくつかの大学の受験がなかった年に受験した世代です。
大学時代前半はまだ学園紛争が盛んで、へそ曲がりの当方はデモやアジテーションを毛嫌いするようになりました。

昭和という時代が終わって30年近くなり、やっと振り子が真ん中に近づきかけてる気がします。

けんこう館様
揺れた振り子はちょうど真ん中で停まることはありません。
世の中は極端から極端に振れることがありますから油断がなりません。

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