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2017年4月

2017年4月30日 (日)

少し四角く掃く

 横着者でずぼらなので、部屋を掃除すると云っても四角い部屋を丸く掃くだけですませている。空気清浄機を常時つけているけれど、埃をすべて吸い込んでくれるというわけにはいかず、部屋の隅をよく見ればその有様にちゃんと掃除をしなければ、などと少しだけ思う。

 息子と娘が帰省してくるので、多少は掃除をしなければいけない、とようやく重い腰を上げて掃除を始めた。丁寧にやると結構大変である。何しろ部屋中にものが置かれている。一つひとつどかさなければ掃除にならない。まず床より高い面の埃を払い、布で拭いたら少しずつ床に掃除機をかける。それがすんだらフローリングの床を専用の洗剤でざっと拭く。半分くらいすんだらくたびれたので、残りは明日に残してあげることにした。

 先日の大風に窓を開けていたら、カーテン(遮光カーテンだから厚くて重い)が網戸を激しく打ち付けて、網が一部外れてしまった。留め込んでいたゴムが浮いてしまったのだ。どうも使用した押さえのゴムが少し細くて押さえる力が弱かったようだ。

 なんだかとてもがっくりしてしまって、すぐ直す気にならない。どうもやることがいい加減だと二度手間になっていけない。世の中が休みのときにごそごそと動き出して、ちょっとしたことで脱力してぼんやりしている。ただ、誰も「役立たず」、と非難する人がいないのは幸いである。

 そうこうしていたら息子から日本酒が届いた。明日の晩飲むためのものだ。たちまち元気を取り戻した。

 明日は頑張ろう。

萩原朔太郎と与謝蕪村

 この冬、北関東を旅したときに萩原朔太郎の記念館を訪ねたが、前橋市内に移設中でかなわなかった。詩全般が苦手で、わずかに萩原朔太郎、中原中也、島崎藤村に感興を覚えるのみである。和歌や俳句はそれ以上にイメージ化ができない。ただ、敬している森本哲郎老師が与謝蕪村について何冊も本を書き、そのイメージを絵解きしてくれているので、それに啓発されていささかの興趣を感じる。

 それでも東北を旅すれば芭蕉の奥の細道の旅の旧跡に交差することがしばしばで、旅を通して芭蕉の句とその心情をぼんやりと感じるようになってきた。全くの勝手読みではあるが、知ることは感じることにつながるものかと思う。

 与謝野鉄幹の詩をもとにした「妻をめとらば」という歌は人口に膾炙しているが、そのなかに

 ああわれダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
 
   石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず

と云う一節がある。好きな部分で、わびさびの心があまり理解できない自分の言い訳にしていたが、ダンテの奇才にもバイロンやハイネの熱も分からないのだから、救いようがないのである。

 萩原朔太郎が「郷愁の詩人 与謝蕪村」という小文を残しており、それが岩波文庫になっていることを店頭で初めて知って購入した。薄い本だからすぐ読了できるが、もったいないのでゆっくり味わっている。

 ここで朔太郎は和歌は好きだが俳句はその興趣を感じないと書いている。わびさびが分からないというのだ。与謝蕪村は没後ほとんど世に知られずにいたが明治時代、正岡子規に再発見されて芭蕉と並べ賞されるほどになった。正岡子規は自分の唱える「写生」主義にかなうのは蕪村だと、芭蕉よりも高く評価したのだ。

 それに対して朔太郎は異を唱えている。蕪村は確かに映像的でイメージの鮮やかな句が多いが、それは写生であるだろうか、と疑問を呈しているのだ。句から来るイメージは眼前するものではなく、眼前のものから励起された蕪村の心的イメージが描いたものではないかと考えているようである。

 これは森本哲郎老師の与謝蕪村についての文章から私が教えられていたことでもあったから、私の思いとも良く合致して理解できる。森本哲郎老師もこの朔太郎の文章を読んだろうか。たぶん読んでいる気がする。ただし、受け売りでないことは私の確信するところであり、ただ、読んだのなら共感したことだろうと思う。

2017年4月29日 (土)

八つ当たり?

 トランプ大統領は就任100日を迎えているのに、なかなか自分の思い通りに政策が進まないことに焦っているのかも知れない。優先的に進めようとしている政策が無理のあるものばかりだから仕方がないけれど、自分に投票した人たちに対する約束の履行でもあるから、いちおうは前に進めなければならない。やはり無理か、仕方がない、と支持者が思ってくれれば良いが、そういう状況を見て理解するような人はそもそも支持者にならなかったのではないか。

 その焦りから来る八つ当たりの向け先がいまは韓国かも知れない。THAADの配備費用は韓国が払え、とトランプ大統領が言ったというので、韓国では大騒ぎだという。今回の設置費用はしめて1100億円ほど。全部を払うことにはならないとしても、国家予算にゆとりのない韓国としては痛い出費である。マスコミや有識者はいっせいに、THAADを提案したのも要望したのもアメリカであって、それを韓国は「認めてやった」のであるからアメリカが全額持つのは当然との主張のようである。

 あのいつもは韓国の新聞としては冷静な朝鮮日報までが、トランプ大統領は「狂人理論」で韓国次期政権に圧力をかけた、とおかんむりである。しかしトランプ大統領にしてみれば、北朝鮮から韓国を防衛するためのTHAAD設置であるから韓国が支払うのは当然と思っているのであろう。それにこのような緊迫した事態でも韓国の北朝鮮暴発に対する危機感のなさはアメリカでも報道されているから、ますますイラついているのだろう。こんなに自分が苦労しているのに韓国は何を考えているのだ、というわけである。

 トランプは外交もディール感覚で行うから、韓国はアメリカとの交渉テーブルに何を乗せているのだ、と不審を感じているだろう。韓国はディールの意味が分からないようだ。トランプに「ただ」はあり得ないことが理解できないらしい。

 トランプは韓国と結ばれているFTAは「ぞっとする」と言ってのけた。「韓国にとって素晴らしく、アメリカにとってはひどい協定だ」と述べ、今年の韓米FTA締結5周年は見直しのいい機会だからすぐにでも見直しを行いたい」と語ったという。

 韓国の国内では韓米FTA協定は韓国が譲らされたことばかりで、あまり韓国に利がないという声が多いが、それでもトランプにはアメリカにとって不都合だというのである。「ぞっとする」のは韓国の方だろう。

 そのアメリカと交渉する権限のある国家元首が決まるのは5月9日である。韓国国内の気持ちに添った政策を打ち出さなければ当選はおぼつかず、韓国国民の心情に沿いすぎればトランプ大統領からさらに厳しい仕打ちを受けることになるだろう。中国も韓国を相手にせず、ますますいじめにかかっている。朴槿恵ひとりに罪をなすりつけても何も事態は解決しない。

 本当に世界というのは弱みを見せるととことんいじめられてしまう恐ろしいところのようだ。グローバリズムなどいいから、内向きにささやかに生きる方が幸せかも知れない。八つ当たりが日本に向かないように願う。いざとなればまた鎖国でもするか。

処分ではなく廃棄?

 このニュースについては他にも書く人があるかもしれないが、備忘のために書き記す。

 京都大学教授でフランス文学者の桑原武夫氏(昭和63年物故)の蔵書一万冊あまりが、寄贈先の京都市によって廃棄されていたことが明らかになった。経緯についてはいろいろとニュースで報じられているけれど、気になるのは「廃棄」されたと報じられていることである。処分なら古本屋などへ払い下げられた可能性があるが、廃棄とは文字通り捨てられたと覚しい。つまり散佚して誰かの手に渡った可能性がなく、この世から消滅したと云うことであろう。

 本好きの人が死んだ後に蔵書の処分に困って地元の図書館などに寄贈を申し出ることが多い。ところが図書館も収納場所が満杯のところが多く、ありがた迷惑であると聞く。図書館は収蔵図書の利用率を気にする。図書館でベストセラーを借りる人が多いからどうしてもそのような本を棚に並べることになる。

 入手困難だったり高価な本を揃えることも大事な図書館の役割だが、そのような本は利用率が高くない。今回桑原武夫氏の本が廃棄されたのはその利用率が低かった故であるという。桑原武夫氏は存在が知られない貴重なものも多数集めていたようだ。となればその目録を明らかにして公知に務めれば利用率も上がったかも知れない。

 驚くべきことは桑原武夫氏がどんな人か知らない人が廃棄した図書館の責任者(右京中央図書館の女性副館長)であったことだ。もし知っていれば廃棄を躊躇して遺族に問い合わせくらいはするだろうし、もし承知しながら廃棄したならずいぶんなことだ。遺族は連絡を受ければ引き取り先のあてはあったのに、と言っているという。

 目録は作成したらしい。目録があるから廃棄していいと判断したという。本好きの人間には信じられないものの考え方だ。たぶん電子書籍ファンなのだろう。本好きにとって本は現物なのである。日ごろ膨大な本の山にうんざりしていたと思われる。そういうひとを図書館の責任者にしては本が可哀想だ。

 私は桑原武夫氏について詳しくは知らない。ただ、彼が交遊した人たちが彼を敬すること山の如しであり、梅原猛や梅棹忠夫、上山春平、鶴見俊輔を世に出したという功績は大きい。

 功績に加えて、何より私が尊敬する史学者の桑原隲蔵(くわばらじつぞう)氏のご子息であるという事実もあり、いささかの本好きのひとりとして、今回の事件には心が痛んだのである。

和田秀樹「『損』を恐れるから失敗する」(PHP新書)

 人間は得をしたときのよろこびと、損をしたときのかなしみとどちらを強く感じるか。比較しようがないように思えるかも知れないが、心理学的実験をして統計を取ることでそれが可能であり、その結果損に強く反応することが分かっている。

 人は利益を得ることよりも損を回避する方に行動する傾向がある。これだけで思い当たる人も多いことだろう。

 アメリカのダニエル・カーネマンは「行動経済学」でノーベル経済学賞を取った。彼は心理学者である。そしてその行動経済学というのは、まさに上に上げたような人間の行動が経済にどう反映しているかを分析したものなのである。

 そしてその「行動経済学」を分かりやすく説明しながら、具体的な実例に則していろいろな社会現象をその切り口によって分析して見せているのがこの本である。

 個別の具体例を挙げていけばとても理解しやすいけれど、それは本文を見てもらうほうが良い。興味深いところを挙げると、日本のニュースが横並びであることの理由が絵解きされている。テレビ番組の質を下げると視聴率が下がる理由、バブルが拡大した理由、デフレが解消されない理由、叱った方が伸びるか褒めた方が伸びるか、コンコルド効果について、振り込め詐欺のテクニックの心理的分析等々。それがほんの一部で、たくさん面白いネタがある。損をしたくない人が規制緩和に反対する、と云う言葉には大いに納得した。

 もちろん世の中はこんな切り口ですべて説明がつくものではないが、結構切れ味が鋭いので、応用が利きそうだ。

2017年4月28日 (金)

コリア・パッシング

 韓国中央日報は「アメリカと中国の合意に韓国がない」というコラムを掲載した。

 習近平主席とトランプ大統領の会談で、両国の対北朝鮮政策の合意はこのようなものであっただろうという推察が書かれている。アメリカが武力行使に踏み切らずに現状維持を認め、中国を為替操作国と認定しないという条件のもとに、中国は北朝鮮に対して制裁を強化し、実行するというものだろうという。

 その推察はおおむね妥当だろう。

 中国の環球時報は「北朝鮮が核実験を強行すれば、中国はアメリカの北朝鮮に対する先制攻撃に反対しないという選択肢もある」と北朝鮮に警告している。それに対してコラム子は「先制攻撃は韓国に対する北朝鮮の報復攻撃を招き、報復攻撃は韓半島の全面戦争を意味する。決して中国が受け入れるものではない」としている。

 さらにコラム子は今後について、最終的な落としどころは現在北朝鮮が保持していると見られる20発ほどの核爆弾をこれ以上増やさず凍結し、北朝鮮を会談のテーブルにつかせて現状の維持を図るというものだろう見ている。これは北朝鮮は核保有国であることをアメリカが認めることにつながるから北朝鮮はその抑止力を保持することで満足し、中国も現状維持できることで満足する。アメリカも北朝鮮の核の脅威を押さえ込むことで満足するというシナリオだ。

 ここでコラム子が怒っているのか嘆いているのか「この落としどころでは韓国には何のメリットもない。ただ戦争が起こらないというメリットだけだ」と云い、「アメリカは力を誇示してアメリカを北朝鮮の核の脅威から守ることしか考えていない」と断ずる。

 その通りである。いままでもそうだし、これからもそうだろう。アメリカが韓国のことを最優先に考えたりしないことは、韓国が自国よりアメリカのことを優先しないことと同様である。それこそ韓国を優先してもアメリカにはメリットはあまりない。

 コラム子は「ただ戦争が起こらないメリットだけだ」という。そして当事者の韓国を無視して合意していることをコリアパッシングと見做して非難している。

 パトリック・ウォルシュ元アメリカ海軍太平洋艦隊司令官は27日にソウルで記者会見して北朝鮮のサイバー攻撃について警告を発した後、2010年に起きた韓国哨戒艦「天安」爆沈を例に挙げ、「すべての証拠によりこの事件は北朝鮮によって引き起こされたことが明白だったのに、事件の後に韓国人は原因は別にあると信じていることを知り衝撃を受けた。いまのように韓半島が危機的状況がある場合、北朝鮮への警戒はもっと徹底しなければならない」と苦言を呈した。

 いったん有事になれば韓国は甚大な被害に遭うことは明らかだから、戦争が起こらないメリットは計り知れない。コラム子の感覚が理解できないのは私が頭が悪いからだろうか。それともコラム子の想像力が私ほど妄想的ではないからだろうか。
 
 韓国人は、同じ民族の上に原子爆弾を落とすはずがない、と心の底から信じているとしばしば聞く。だから原子爆弾はアメリカに、もしくは日本に向けてだけ使用されるものと思っているそうだ。その延長として北朝鮮が韓国を攻撃することもないと考えているのだろうか。想像力が欠如しているように見えていたけれど、実は想像力が私などよりも豊かすぎるのかも知れない。

笑ってばかりもいられない

 韓国の急行電車の漏電遮断器の装置で火災が発生して列車が停まる事故が相次いでいるという。調べたところ、運営会社が遮断器の修理をまともに行っていなかったことが判明した。従来から遮断器の故障が起きていたが、運営会社がガムテープで応急処置を施すだけで放置していたため、異常電力が流れて火災となり、列車が停止する事態となったのだ。

 ガムテープが外観上美観を損なうなどと考えて、上からグレーのペンキが塗られているところもあったそうだ。それなりに気を遣ってはいたのだ。

 韓国の安全軽視のお粗末さは次々に露呈して、驚くよりも呆れる。韓国の人々も大いに嘆いていることだろう。日本人はそれを見て「またか」と笑っていていいのだろうか。

 東日本大震災で生じた原発事故の被害は比較するものがないほどの取り返しのつかない甚大なものだった。韓国人から、「安全軽視を笑う資格が日本人にあるか」と問われたら答えられるか?原発事故の責任はいまだに正しく問われたように見えない。それは再び三度の未来の事故につながっている。堂々と笑えないことが口惜しい。

「日本はなぜ再び中国を敵視するようになったのか」

 ネットニュースによれば、中国メディアが、小渕首相時代は日本は親中政策をとっていたのに「日本はなぜ再び中国を敵視するようになったのか」という記事を掲載したと云う。それを見て驚くと共に、どんな理由だとしているのか興味をもった。

 記事では「政治家の考え方」と「日本国内の一種の空気」によるものだと説明している。この「一種の空気」は自国の政治や経済に失望した日本人が「新型の鬱病」を患うようになったことから生じているそうだ。

 日本国民はその病気による苦しみから逃れるために「社会の敵」を探し求めるようになり、「ゆとり教育」や「官僚」を犯人と見做すようになった。さらに尖閣諸島を国有化したことで「中国を日本社会の敵と見做し、苦悶のはけ口とするよう強制された」のだそうだ。これはアメリカに抑圧されていた日本人の愛国心に訴える力があったので、日本人の心にコントロール不可能な「空気」が生ずるにいったと結論づけている。

 うーむ、理屈づけはなかなかうまくできているではないか。

 しかし日本人が「新型の鬱病」なら、この記事を書いた中国人は事実を認識できない「中国風土病的認知症」で「重度の健忘症」ではないか。その理由を挙げろといわれればお返ししてもいいが。

 それにしてもこんな与太記事を書くということの背景には、最近の日本人の多くが中国を嫌っていることが、中国人には気になっているということの表れであろう。できれば嫌われたくないと思うのはお互い様である。ただ、どちらがより嫌いあう原因となっているかは自明だと思うけれども、そう思いたくないのかも知れない。自分に非があると認めることを死ぬより嫌う国民だから。

2017年4月27日 (木)

飛水峡

昨晩は寝そびれて夜更かししたので朝久しぶりに二度寝した。おかけで爽快。


雑用をすませてからドライブに出かけた。今月は愛車を少ししか動かしていないので、機嫌を損ねても良くない。いざというときの遠出で嫌がらせでもされたら大変だ。

飛水峡の写真撮影、お茶がそろそろ残り少なくなってきたので美濃白川の白川茶の買い出し、そして前回飲んでそこそこ旨かった「蓬莱」という日本酒の買い出し、さらに前回パスした日本最古の石を展示している「ロックガーデンひちそう」の見学が目的である。

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飛水峡は七宗町にある。七宗町は「ひちそうちょう」と読む。だから「ロックガーデンひちそう」なのである。

飛騨川は雪どけの水で水量が多く、薄曇りなのでコントラストが強すぎなくてちょうどいい光加減であった。

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なかなかの絶景なのだが、車をとめて写真を撮れる場所が限られているのでいつも撮り損なう。前回目星を付けておいたので今回はそこそこの結果だったと思う。

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日本最古の石はこの辺りで採取されているはずで、この褶曲した地層は激しい造山活動の痕跡を示している。だから古い石も表出するのだろう。

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やや青みがかった石がたくさんある。晴れて石が乾きすぎると白っぽくなってこの色合いが分かりにくい。

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こんなふうに切り取るとなかなかいい。車窓からではなかなか見るのは難しい。

このあと美濃白川の道の駅「白川ピアチェーレ」でランチを食べる。ここのレストランは道の駅の中ではナイフとフォークで食べる本格的な洋食の食べられるところだったけれど、いまは箸で食べる当たり前のランチになってしまった。しかし味はとても良い。お気に入りの場所である。

ここで白川茶と日本酒「蓬莱」とハムとソーセージを買う。以前はこの道の駅の裏手でハムを実際に造って販売していたのだが、いまは日帰り温泉になっている。だからハムやソーセージは本格的なもので旨い。もちろんゴールデンウィークに帰省してくる息子やどん姫と飲む酒のつまみにするのだ。

最後の目的地のロックガーデン」に行くために道を戻る。

ところが残念なことに本日は休館日であった。石を撮影するのはとても難しい。暗いしその美しさが旨く写せないのだ。しかもきれいな珍しい石はガラスケースに入っているからなおさらだ。それとこの石の博物館には隕石のコレクションがあってそれを眺めて宇宙に思いを馳せるのも楽しいのだが。

又来ることにして帰路についた。

ドライブしたお陰で多少屈託が晴れた。



思い込み

 勘違いするはずのないことを勘違いしていた。自分だけのことならかまわないが、他人が関わることだったので気がついたときにすぐ訂正した。誰にも迷惑をかけないうちに対処できたのはさいわいだった。

 思い込みによる勘違いは、そう思いたい気持ちから起こる。とはいえ、そう思いたいからといってこんな勘違いをしたことはなく、自分が信じられない思いがする。

 人間はうっかりすることがある、と云われても慰めにはならない。どうなってしまったのだろう。どうなっていくのだろう。

2017年4月26日 (水)

決まり文句の謝罪は自覚のなさの表れか

 今村復興大臣は辞任及び謝罪会見の中で、「国民に多大なご迷惑をおかけして・・・」という言葉を挟んだ。国民のほとんどの人が、今村氏から迷惑をかけられたなどとは思っていない。ただの愚か者と感じただけである。不愉快を感じさせたことを迷惑というのか。本当に迷惑をかけた相手は他にあるだろう。

 迷惑をかけたのは自民党と安倍首相に対してであって、国民に対してではない。マイクを向けられれば決まり文句のように「ご迷惑をおかけして・・・」という。決まり文句での謝罪は、実は何も謝罪する気がないことを国民はみな分かっている。謝罪にならない謝罪は無意味なだけで、彼には事態を理解する能力が欠如していることを明らかにしてしまった。

 派閥の長である二階氏は「マスコミは言葉尻を捉えて辞任に追い込もうとする!」とマスコミを批判していた。この人ももう終わりだろう。マスコミがそういうものであることをいまさらのように批判してどうしようというのだ。そんな自明のことを前提にして発言することもできないのなら、政治家を辞めたらいいのだ。それともトランプ流で行くのか。その覚悟もないのに偉そうに言うべきではない。自民党政権を損なうだけではないか。

 ここで決まり文句を言うのも恥ずかしいが、奢るものは久しからず、を見る思いがする。

 国難が迫っているかも知れない時期に、こんな愚か者の失言を元に国政が騒然とすること、そのことは国民には大いに迷惑である。その自覚はあるのか。その責任を今村氏はとれるのか?

住野よる「君の膵臓をたべたい」(双葉社)

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 2016年度のYahoo!検索大賞受賞。年間ベストセラーのこの本は、店頭で見ていていつも気になる本だったのだが、題名が今ひとつ引かせるところがあって、買うまでに至らなかった。

 先日第三作(著者はその前にもたくさんネット小説を書いているけれど、メジャーデビューしてから三作目)の「よるのばけもの」を読んで、一作目、二作目が読みたくなった。この「君の膵臓をたべたい」はその第一作なのだ(第二作は「また、同じ夢を見ていた」)。

 帯に読者の賛辞として、再読三読に値する、泣いた、と云う言葉が連ねられている。

 読み出してしばらくは淡々と話が進行していくので、主人公である「僕」の気持になかなかシンクロしないもどかしさが感じられた。「僕」は高校二年生であり、私は初老の男であるからかと思ったけれど、気がついたら私はいつの間にか「僕」になっていた。「僕」の目で見、「僕」の心で感じていた。

 「僕」は臆病であるから人と関わることの面倒を恐れ、誰とも交わらずに独り黙って本を読む少年だ。それは私自身の高校生のときそのままである。たぶん本が好きな多くの人、この本に感激する人々は本好きな「僕」に自分自身を見た思いがしたことだろう。

 この本は、そんな「僕」がヒロインの「咲良(さくら)」と出会うことで経験する一夏の物語である。賛辞を連ねた人々がみな、泣いた、と書いているから、天邪鬼な私は泣くものかと思って読んでいた。最後には恥ずかしながら目元を拭っていた。だってそのとき私は「僕」だったから。

 こんな魅力的なヒロインとの出会いは「僕」にとって幸せだったろう。私は本で出会っただけだけれど、幸せになることができた。この本を読んだ人はそう思うことが出来ると思う。

 今年映画化されるそうだ。この本を読んだ人が原作から抱いた「僕」や「咲良」のイメージを損なわないものなら良いが、と思う。

そう思っていても言わない

 今村復興大臣が辞表を提出した。東北大震災が「東北で良かった」と失言したことの責任を取らされたのである。復興の責任者がこんな人物では、震災被害を受けた人々はやりきれない思いだろう。

 大震災が東京や大阪の直下で起きれば、その被害を受ける人数は一桁も二桁も多くなるし、経済的な被害も計り知れない。そういう計数的な面からの比較の意味で「東北で良かった」と云ったのであろうことは、誰にも分かることである。

 だれでも内心ではそう思っているはずだと考えて、今村大臣は二階派のパーティのスピーチの席でそう発言したら、みなが凍りついたという。

 政治家は言葉のプロであり、マスコミや野党は文脈を無視して言葉尻を捉えるプロである。政治家が失言するのは政治家として失格であることは言うまでもない。どうしてこんな愚かな発言をするのだ、と安倍首相は天を仰いだことだろう。ハラの中は煮えくりかえっているに違いない。

 今村大臣はまさか、大震災が東北で起きたことそのことが良かったと言っているわけではないだろう。だが「東北で良かった」という言葉尻から、そう取られて非難さてしまうということに想像が及ばないで、いまさらのようにうろたえているのは滑稽である。

 パーティの席上の人々の内心の思いを忖度して発言したつもりで人々の顰蹙を買ってしまったけれど、その忖度のかけらでも東北の被害者たちの心に向けていれば、こんな発言が飛び出すはずはない。そもそも復興相とはどんな役割かについての認識がなかったことを露呈したので、本質的に国民を経済(つまり損得)でしか見ることのできない、政治家として不適格な人間なのだろう。もう再起はあり得ないし、あるとしたら彼を再び選ぶ有権者の見識に問題がある。

 「東北で良かった」という言葉は経済の視点から出た言葉であって、経済の視点と国民の生命財産の問題を区別して考えることができない人間は政治に携わるべきではない。ビジネスと政治は似て非なるものだろう。それがわからなくなっている政治家が自民党に蝟集しているのであれば、そしてそういう体質のままなら、失言はいくら注意しても続くだろう。そう感じさせる失言であった。このままなら自民党の独走は終わるだろう。

2017年4月25日 (火)

迷惑メール再び

 一時期迷惑メールが頻繁に届いた時期があった。迷惑メール設定をすり抜けてくるものもある。こまめに迷惑メールに個別設定して次第にその数は減った。

 先日、迷惑メールの個別設定枠の1000件を超えてしまい、削除しかできなくなってしまった。そこで古い設定のものを半分ほど消去して再び設定が可能になった。

 ここへ来てまた迷惑メールの猛攻が始まった。ただ、その迷惑メールはほとんど内容のない空メールのようなもので、添付に仕掛けがありそうな悪意のあるものとも思えない。ただのいたずらではないかとも思える。

 そんな迷惑メールは不思議なことに波状的にやってくる。何かそのサイクルに意味があるのだろうか。私に嫌がらせをしたい人にはあまり心当たりはないが、全くないこともない。とはいえ私には調べようもないし、その人に聞いて正直に言うとも思えないし、違っていたら恨まれるだけである。

 逆に迷惑メールに罠を仕掛けて反逆するくらいのスキルがあったら面白いかも知れないが、残念なことである。わずらわしいだけで実害はないし、いまのところ件数も多くて一日数件だから我慢している。

 プロバイダに迷惑メール専用のゴミ箱でもしつらえてくれて、そこにほうり込むと自動的に送り先にバグを送り込んでくれる、などと云うことでもあれば有料でも利用するけれどなあ。

致死率が高い!

 中国の昨年の交通事故件数は18万7781件、それに対して日本の交通事故件数は何と49万9201件と中国よりもはるかに多かった。

 中国よりずっと交通ルールを守っているのに、どうして日本の方が事故が多いのか。日本は国土が狭いからだろうか、などとまさかその理由を考えたりしていないだろうか。

 その答えは交通事故の死亡者数を見ればわかる。日本はどんどん減っており、昨年は3790人だった。それに対して中国の事故死者数は5万8022人。事故当たりの死者数の比率は、日本は0.76%、中国は30.2%と桁違いに致死率が高い。

 事故件数は何を事故として計上するのかによって全く違う数字になってしまう。しかし死者は死者だから違いは生じない。日本で事故として扱われるものの大半は、中国では事故と見做されずに処理されていると云うことだ。数字だけ見ると、死亡、乃至負傷者が出たものだけが事故扱いになっているのだろう。

 中国は世界の自動車の3%を所有している。ところが世界の交通死亡事故の16%が中国で起きているという。どれだけ危険な国かわかるだろう。実際に中国でタクシーなどに乗ると、その事故すれすれの危険な運転にハラハラすることが多い。度胸がないと中国では運転できない。譲ると損をすると思うのだろう、ほとんど譲ると云うことを知らないから、強引なことは信じられないほどである。数センチの幅寄せを平気でする。事故が起きない方が奇跡なのである。

 中国の人口は世界の五分の一近い。つまり20%近いわけだから普及率はまだ低いわけで、国土の広さもあるから車はもっともっと増えるだろう。実際に車は年間2500万台以上売れている。それなら事故件数はますます増え続け、事故死者はそれに伴って増えていくことだろう。他人事ながら恐ろしいことである。

 そういえば日本車は車体の鋼板が薄いから安全性が低いという神話が中国で信じられている。ところが実際に調べると、欧米の車とほとんど変わりがなかったと先日報道されていた。どこか欧米メーカーが流したデマだろう。

 中国仕様の車は頑丈さが必要だから、トラック並みの鋼板でも使うといいかも知れない。ただ、そうなると燃費は悪化する。それに衝突事故で車は壊れにくくなるけれど、衝撃エネルギーを鋼板が吸収しないから、却って乗っている人間に対するダメージが大きくなるだろう。しかし中国人は体より車が壊れない方が得だと考えるかも知れない。そういう国である。

いまそこにある危機

 日本政府は朝鮮半島有事を想定して具体的な対策計画を立てている。難民や北朝鮮特殊部隊の侵入対策も考えておかなければならないし、なにより半島に住む邦人の避難保護は最優先で考えなければならない。

 ところが韓国では政府も国民もあまり真剣に危機と感じていないようだ。いまだに大統領選の争点は日韓慰安婦合意問題とTHAAD問題である。日本が騒いでいた太陽節(金日成の誕生日で北朝鮮の祝日)でも何もなかったではないか、大げさだ、という声が多いらしい。なにかが起こる前には何も起こらなかったというだけのことだ。いままで起きなかったことはこれから起こらないことの根拠にはならない。

 危機が眼の前すぎて却って見えなくなっているらしい。それとも事態のあまりの恐怖から眼を逸らしているだけなのか。こうして朝鮮は日清戦争、日露戦争、日韓併合も、当事国でありながら、あれよあれよと見ているだけで、自国の存続のために戦うこともなく過ごしてきた。そのトラウマが反日につながっているのだろう。自分は悪くない、悪いのはすべて日本なのである。そんな呪文は北朝鮮には通用しない。いざというときどうするつもりなのだろうか。アメリカも呆れているだろう。

2017年4月24日 (月)

新都市構想

 中国政府は北京の南西100キロで天津の西100キロの場所に大規模な新都市を建設することを決定した。当初は100平方キロ程度の規模の都市を建設し、最終的には東京都と同じ程度の2000平方キロに拡げるのだそうだ。

 この計画は「千年の大計」と名付けられ、鄧小平が進めた深圳経済特区、江沢民が進めた上海浦東新区に続くものだとしている。それぞれの特区の成功の功績は高く評価されているから、習近平はこの新都市構想で成功を収めて名を残したいと考えているに違いない。なにしろ毛沢東、鄧小平に次ぐ、中国の核心的人物と自分を位置づけたいらしいから。

 すでに北京はあまりに人口集中して巨大化しすぎ、インフラが追いついていない。官庁などを新都市に移して分散させ、公害や交通渋滞を緩和するというのが表向きの目的だろう。新都市構想の場所は河北省の開発が進んでいない地区だと云う。すでにその土地で一財産造ろうというする連中は手を打った後だろうが、実態経済がすでに停滞して投資だけで牽引されている中国経済がこんなことで上向くとは思えない。

 投資したらその資金は回収しなければならない。中国では地方自治体は破綻寸前である。投資に投資を重ねてバブルそのものである。そんな時にさらにこのような新都市構想などを打ち出して大丈夫なのだろうか。見かけ上は破綻の先送りがされたようになるだろう。しかし破綻の規模がその分大きくなりはしないか。

 その前後のニュースでは、中国に長期滞在中の欧米のビジネスマンたちが帰国したり、滞在期間の短縮を始めていると伝えている。もちろん公害のひどさや食品の安全性の懸念に嫌気がさしているからである。本国から交代要員として派遣を命じられても拒否するケースも多く、要員が確保できない会社が増えている、となんと中国のメディアが伝えているのだ。

 そこでそのような役割を中国人が担うことになっていると云うが、それは中国にとってめでたいことなのだろう。しかしそうしてもともとの国との人的交流が薄れると云うことは、撤退の下準備につながる。中国も薄々気がついているはずだ。

 人件費の高騰もあり、中国が世界の生産工場である時代はそろそろ幕を閉じようとしているようだ。たいていの会社は中国が豊かになり、中国の内需が振興することを期待して多少の理不尽を我慢してきた。ところが中国の金は内需に廻るよりも投資に向かっている。実態経済をはるかに超えて投資が続けられればいつかは破綻する。賢い中国人のことだからソフトランディングするに違いないが、曲がり角が見えているような気がする。

 早く見たいなあ、曲がり角。日本もとばっちりを食うだろうが、私自身がそれほどひどい目に遭わないなら少々のことは我慢して、高みの見物を決め込みたい。待ち遠しいなあ。

種田山頭火

①放浪以前
 種田山頭火の自由律俳句に傾倒していた頃があった。もともと詩は苦手である。詩のイメージに自分の心がシンクロしない。だからその言葉から紡ぎ出される世界がよく理解出来ない。自分のその能力のなさに情けない思いをしていた。

 そんなときに山頭火の句に出会った。その句のイメージが心の中に映像として拡がって驚いた。山頭火の句集を持ち歩いて時々気に入った句を拾って眺めていた。その句集はほとんど解説がない本だったから詠まれた状況と、わたしの描いている世界は全く異なっていたかも知れない。

 今久しぶりに山頭火の解説書をひろげている。金子藤太の書いた「放浪行乞」と云う本だ。

 その中のまだ山頭火が妻子を捨てて放浪に出る遙か以前に詠んだ句、

 「今日も事なし凩に酒量るのみ」

と云う句にしびれた。

 「女は港、男は船よ」という言葉が好きだ。港にいるのは仮の姿で、そもそも男は果てしない海原をあてもなく行くものだ。放浪こそ男の真実だ、とわたしは思ったりする。

 それは現実逃避だろうか。そうかも知れない。でも逃げ出した生活より放浪の生活の方が遥かに苦難に満ちていることが明らかでも男は放浪に出るだろう。

 山頭火は若いとき、父と造り酒屋を始めた。その日常の中で詠まれたこの句に、放浪の萌芽が潜んでいる。

 日常が日常として実感されると、あてもない旅に出かけたいという思いが強くなる。旅先で一枚めくれた世界をちらりと垣間見たときに恐怖とともに生きがいを感じる。

②山の色

 山頭火の句、

 山の色澄みきつてまつすぐな煙

 彼が三十五歳の時に彼の醸造所は破産した。その頃に読んだ句だ。金子兜太は、この煙は醸造所の煙、と解釈している。

 その解釈は間違いないと思うけれど、私はまっすぐに上る煙は火葬場の煙だと感じてしまう。焼かれた人の魂が天へ昇る煙だ。ユーミンが「飛行機雲」で歌った雲だ。

 山頭火の母親は彼が幼い頃、夫の放蕩を苦にして家の井戸に入水自殺している。山頭火は、引き上げられたその死体を目の当たりにして一生それが心につきまとうことになる。

 醸造所の煙を見ながら、彼の心に映し出されているのは彼の母親が煙になって天に昇る姿ではなかったのか。それは彼にとってもしかするといささかなりと救われる思いだったのかもしれない。

 青い山の色を背景に立ち上る白い煙。あの青い山の向こうを訪ねてさまよう彼のあてのない旅が予感される。実際に妻子を捨てて放浪の旅に出るのはその9年後、四十四歳のときだが。

映画「現金(げんなま)に体を張れ」1956年アメリカ

 監督スタンリーキューブリック、出演スターリング・ヘイドン他。

 競馬場の売上金を強奪する計画を立てたジョニーは仲間を集めて綿密に打ち合わせ、すべて段取りよく進んだと思われたが・・・。

 スタンリー・キューブリックのハリウッド第一作だそうだ。この題名は、ジャン・ギャバン主演の名作「現金に手を出すな」1954年を意識しているだろう。

 こういう悪漢映画は犯罪の成功を期待してしまう。主人公に感情移入してしまうのだ。しかし必ず齟齬は生ずる。仲間に引き入れた競馬場の窓口の男が妻に計画を洩らしてしまう。

 この妻(マリー・ウインザー)というのが性悪で、夫のちょっとした一言に金の匂いを嗅ぎつけて、手練手管でたちまちのうちに詳しい話を聞き出してしまい、それを自分の愛人に話して横取りを計画する。性悪でありながら、自分の行動がなにをもたらすのか想像力が働かない。ただただ金さえ手に入れば幸せになれると思う浅はかさは却っていじらしいくらいだ。その結果が彼女になにをもたらすのか。

 強奪が実行されてからは一気呵成にラストへ突き進む。この苦い結末は映画を観ている人を無力感に陥れる。それはちょっとフランス映画のフィルムノワールのテイストだ。

 犯罪そのものよりも、女のその場限りの口舌の巧みさとこわさが印象に残った。

2017年4月23日 (日)

学生の幸福感

 OECDが72カ国で学生の幸福感についてアンケート調査をした。その結果によると、比較可能な47カ国のうち、日本の学生の生活満足度は平均以下で、下から6番目という低いものだった、と中国メディアが伝えていた。

 日本でも報じられたのだろうか寡聞にして知らない。しかしなぜ中国がわざわざ日本の学生の幸福感について伝えるのだろうか。中国の学生達が中国の現状に不満を持ち、日本をうらやましがる傾向があるのかもしれない。日本の学生は思うほど幸せではないのだよ、と云って慰めるつもりなのだろうか。

 ちなみに満足度の高かったのは、1位がドミニカ共和国、2位がメキシコ、コスタリカが3位だった。逆に下位は、最下位がトルコ、次いで韓国、そして香港であり、ワースト10位のうちに東アジアが6カ国あったという。

 幸福と思うかどうかを測る絶対的な物差しなど存在しない。幸福感は相対的なもので、本人が幸福と思うか不満と思うだけのことだ。だからそもそも比較することに意味があると思えない。豊かさが幸福感と相関しそうに思えるが、他国から見て豊かでも、本人がそれが豊かだと思わなければ幸福だと云わないだろう。

 上位の国々は日本から見れば必ずしも豊かな国と思えない。東アジアの人々は向上心が高く、より高みを目指す傾向がある。それだけ勤勉でもある。自分が現状に満足していないから、より良くなろうと努力する。それに政治的に熱い国は、学生は特に不満を持ちやすいだろう。格差の大きいところもそうだ。

 こうして日本のことに言及した中国が、どの辺の順位にあるのか、記事は伝えていない。中国ではアンケート結果がしばしば実情を反映しないから、そもそも調査が行われなかったのだろうか。それにしてもこういうアンケート調査をすることにどんな意味があるのか考えてしまう。相対的なものを計数化することにはあまり科学的な意味がない。解釈がさまざまになり、ときに正反対の解釈も可能になるからだ。

 ところで日本の学生の幸福感が低いなどという結果から、またぞろ社会が悪いからだ、格差社会だからだ、などと政権批判の材料にする向きも出てきそうな気がする。彼等はなにより勝手な解釈をするのが得意だから。なに、日本の学生は実は生活に満ち足りすぎていて、幸福を感じることができないだけだと云う解釈も成り立つのである。なにかが足らないとき、それを苦労して獲得すると幸福感を得ることができるけれど、なにしろ平和だからなあ。

 東アジアや東南アジアへの旅行から帰って日本の若者の顔を見ると、その覇気のなさ、のほほんと平和な顔に、日本は大丈夫かと心配になる。危機に対してのセンサーが退化しているように見えるからだ。

あれほど好きだったのに

 昨夕大阪の兄貴分の人から電話をもらった。元気にしているか、と消息を尋ねてくれたのだ。こちらから連絡をしなければいけないのに申し訳ないことだ。互いに情報交換をする。知っているつもりで知らないことがあるものだ。長老と東北に行ったらしい。今度また誘うから、と云うので楽しみである。昨年は共通の知人の訃報が相次いだ。こうして連絡を取り合う相手がいることは本当にありがたいものだ。そうでないと知らないまま、知られないままに終わりかねない。

 五月の連休に息子が広島から帰省してくる。バカ親の薫陶を素直に受けて、お酒、特に日本酒が大好きだ。今回もそれに合わせて日本酒を送るから、と連絡があった。前回は獺祭だったが、今回はまたなにか好い酒を見つけたのだろう。楽しみだ。酒よりも息子の帰省の方が楽しみなのはもちろんである。念のため。

 あれほど好きだった釣りに行かなくなった。九十九里の新鮮な魚を食べて育ったので、魚を食べることが大好きだが、鮮度の落ちた魚は食べる気がしない。だから大学時代、米沢に暮らしていたときは閉口した。だから帰省したときには新鮮な魚を食べるのがよろこびだった。

 就職してゴルフを誘われたけれど、趣味として釣りを選んだ。私にとって釣りは魚を食べるためのものである。キャッチアンドリリースなど魚を弄ぶものだと思っている。もちろん食べない魚や小さすぎる魚はリリースする。それは釣った魚ではなくて釣れてしまった魚だ。

 海の魚を食べて育ったから海釣り専門である。最初は投げ釣りだった。釣り人が増えると共に釣果が落ちてきた。釣りつくしたわけでもないのだろうが不思議なことである。ある程度のサイズを狙うなら船釣りである。金はかかるが釣果が確実だ。釣りに行く前の晩はわくわくして眠れなかったものだ。

 名古屋に移り住んでからも一人で、のちには友人と、知多から、ときには御前崎まで遠征して船釣りに行った。船酔いには強い方ではない。だから冬など波が高くて船が揺れると、寒さも相まって来なければよかったといつも思ったものだが、釣り出すとすべてを忘れた。

 子育てに忙しくなって船釣りに行く回数がめっきり減り、手軽な防波堤釣りにかえた。これならときどきは子どもたちと釣行できる。楽になるぶん釣果と魚のサイズは期待できないが、そんなにたくさんあってもさばくのが面倒なだけである。残れば鮮度が落ちる。

 それほど好きだった釣りに行かなくなった。父が亡くなってしばらく殺生をやめて、一年ほどしてから再開したけれど昔ほどの快感がなくなった。そして母の介護の手伝いで忙しくなり、ほとんどいけなくなってついに釣り道具を出すこともなくなってしまった。

 なにより魚をさばくことが億劫になってきた。自分で釣った新鮮な魚を食べるときのよろこびが薄れている。近頃は海辺の宿で新鮮な魚を山盛り出されても、感激しなくなった。少しだけあれば良い。

 海水が温まってくる今頃からそろそろ三重県の南伊勢辺りの防波堤にメジナが湧いているだろうなあ、とか知多に小アジや小サバが寄ってきてるだろうなあ、などと遠い目をするばかりである。

2017年4月22日 (土)

森本哲郎「書物巡礼記」(文化出版局)

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 この本を読むのは何度目だろうか。本を読むこと、本を買うことがどれほどの人生の楽しみであるかを共感させてくれる本なのである。多読である必要などない。持っている本をすべて読む必要もない。棚にあるだけでも良いのだと励ましてくれる。とはいえ、私の人生の師である森本哲郎老師の蔵書は、この本が書かれた60歳頃にはすでに3万冊を超えていたのだから、一桁違うのである。

 25歳頃、人生に行き詰まっていた。老師の「生きがいへの旅」という本に出会った。文明論のような、そして易しい哲学書のような本だったけれど、これを読んで人生観が大きく変わった。そして生きるのが楽になった。この本でそんな経験をするような人はたぶん私だけだと思うけれど、だからこそかけがえのない本だし出会いだった。

 老師は1925年(大正14年)10月生まれで、私の母と同年で同月である。イギリスのサッチャー女史とはまったく同年同月同日生まれだそうだ。

 老師は本探しは恋人探しに似ている、と云う。だから書評で本は選ばないそうだ。恋人を他人の評価で選ぶひとはいない。そして直接本に巡り会ってこそその本に恋することができる。だから老師は古本屋巡りをする。再びの出会いを期待して待ったりせず、財布をはたいてでも自分の元へ招待するのである。

 中学生の頃から生涯与謝蕪村を読み続け、蕪村についての本もいくつか書いている。詩が苦手な私が老師のお陰でほんの少しだけ俳句の世界が覗けるようになった。その蕪村との出会いについても書かれている。それは生涯の友との思い出の話しでもある。

 老師が人生のさまざまなターニングポイントで出会い、老師を形作ったともいえる本の数々が写真で掲載されていてそれを見るだけでも楽しい。なによりこの本の装丁が素晴らしい。田島隆夫氏によるものだそうだ。左思の漢詩である。私の宝物の本の一冊。

切り替える

 係争中の件で家裁に行くのはいつもは午後なので、その後はどこにも寄らずに帰ることが多いが、今回は午前中だったので、終わったあと開場して間のないJRゲートタワービルに行ってみた。

 名古屋へ移り住んで34年になる(住んでいるのは市内ではないが隣接した街なのでそういう)。その当時の名古屋の最も繁華なところは栄周辺だった。その後名古屋駅周辺がどんどん再開発されて高層ビルがいくつか建ち、名古屋セントラルタワーズ(ツインビルなので複数形)やミッドランドスクエアができて、どこにこんなにたくさんがいたのだろうと思うほど人出が多くなった。

 名古屋駅のコンコースは、東京や大阪の主要駅のようにいつでも人であふれている。昔は土日でもこんなに人はいなかった。10年後のリニア新幹線開業に向けてさらに激しく変貌する計画が具体化しつつあり、なんだか信じられない思いがする。

 セントラルタワーズの中にあって、よく覗いていた三省堂が今年に入ってから急に縮小して東急ハンズに場所を引き渡していたので閉店間近かと思っていたら、新しく開場するJRゲートタワーに移ったのだった。

 JRゲートタワーへ行く主な目的は、開店した三省堂書店を見ることだったけれど、八階の三省堂までエレベーターで行かずに、エスカレーターで店内を眺めながらゆっくり上がった。十三階までのゲートタワーモールは今月17日の開場で地元のテレビでも繰り返し紹介されていたが、平日なのにまだすごい人出であった。

 書店の売り場は広々して棚の間も充分スペースがあり、本が探しやすい。本屋は何度も足を運んで、どこにどんなコーナーがあるのかが頭の中に擦り込まれて初めてなじみになっていく。そうして自分の行きたい場所がロックオン(照準)されるのだけれど、それにはしばらくかかる。以前の三省堂とはいささかレイアウトが違うのでまだちょっと戸惑いの方が大きい。

 とは云いながら、気がついたら十冊以上の本をかかえてレジに並んでいた。記念のトートバック(布製)をもらう。家裁での資料を入れたバッグと本のバッグで両手がふさがってしまったが、もう一カ所覗きたいところがある。

 さらに上の九階と十階がビックカメラになっているのだ。これも見ておきたかった。行ってびっくり。広いというか広すぎて迷子になりそうだ。ここも何度か足を運ばなければどこになにがあるのか頭の中の地図ができない。それでも見たいものを眺めて満足する。

 さらに上の階にはレストラン街があって東京や大阪の名店がたくさん出店しているとテレビで言っていたけれど、荷物もあるし歩きくたびれたので、そちらは次回に行くことにして引き揚げた。しばらく遊べそうだ。

 家裁の件は何の進展もなく、次回は6月末。もう互いに言い分は資料として出し尽くしていると思うので、裁判官が裁定(この場合は審判と云うらしい)を下してくれてもいいような気がするが、そういうものではないらしい。本当に時間がかかる。あまりそれに気持がとらわれると、人生の大事な残り時間が無駄になるので、しばらくそのことは念頭から遠ざけて、気持を切り替えることにした。

 それほどではないけれど、夜はいつもより少し余分に酒を飲んだ。

2017年4月21日 (金)

何々主義者

 これはそのまま高橋義孝先生の短文の引き写しです。

 何々主義者というのは、精神的不作法者で、自分の神様の前に万人をぬかずかしめようとします。ひとが自分の信じている神様の悪口でもいおうものなら、事の是非はさて措いて、何が何でも自分の神様の絶対的な正しさと偉大さとを弁護しようとします。その様子には何かいじらしいものがあります。しかしいじらしいとこっちが思って、あれでは毎日毎日がさぞかし大変だろうと同情なんかしていると大変なことになる。そんなことをすると、その人も自分の神様の信者になってくれるのかと思われたりするから、何々主義者は敬して遠ざけるにかぎります。そうでないと必ずお賽銭をふんだくられたり、あるいは噛みつかれたりしますから、用心しないといけない。

 しかし何々主義者になると、なかなかいい点もあります。とにかくそんな風に紐つきになってしまうのだから、自分で考えたり行動したり感じたりする苦労は要らない。どう考え、どう行動し、どう感じるかは、ちゃんと神様の方できめてくれるから、その通りにやっていれば、神様の方も御満足であるし、自分の良心も満足である。そのかぎりでは、ほかの人に迷惑をかけるということはない。しかし何々主義者には、異端の神々を奉戴している沢山の人々を、もうてんから仇敵視するという、はなはだ面白くない一面がある。自分の神様が一番えらいんだと思っているところは、自分の父親が一番えらいんだと思っている子供のようなものですが、ただ子供とちがうところは、ほかの人たちをも自分の神様の前に平伏させてやろうとすることと、ちがう神様を信じている人や、また神様なんか真っ平御免だといってどの神様にもお賽銭を上げずにいる人たちを、浅野内匠頭が吉良上野介を憎むように憎んでいて、狂犬のように何が何でも噛みついてやろうといつも身構えているということです。

 それから何々主義者のもう一つ面白い点、はたから眺めていて面白いと思われる点は、神様の指図に催眠術にかかった人のように従順この上なく従って、はたから見ればひどい無駄手間と思われるようなことも一向に厭わないということで、何々主義者はこの点、例の強迫神経症者によく似ています。世の中には、はたから見れば全然無意味だと思われるようなことを「強迫的に」やる人がいる。例えば、手を一日百回以上も洗う人がいる。あれは、しかるべき心理的理由、病的障碍からしてああせずにはいられないのです。

 そこで何々主義者は、第一に子供っぽい頭脳の持ち主であり、第二に強迫神経症者の隣人であり、第三に他人を有無をいわさず自分の神様の前にひざまずかせようとする精神的やくざ、暴力漢だということになります。そしてこの何々主義者のために、この世の中がどんなに不愉快なものになっているか知れたものではありません。しかしいったん何々主義者になってしまったらもう治らないものらしい。

 どうです。高橋義孝先生の痛烈なこと。本当にきらいなんですね。全く同感です。だから先生の文章が好きなのです。ただしこんなに直接的な文章はほとんどありません。酒を飲み過ぎてゲロを吐いた話や、金のない話、女性のちょっとした仕草についての考察など、笑わせてくれるものが多いのです。その中に先生の美意識をちらりと感じさせてくれます。

 高橋義孝先生が物故されて久しい(1995年没)。先生は大学教授でドイツ文学者、エッセイスト、横綱審議委員の委員長を長く務めました。内田百閒の弟子としてその系譜を受け継ぎ、さらに先生の弟子には山口瞳がいます。私はこの先生たちの影響を受けています。影響と言うより恩恵でしょうか。もともとあった考え方が大いに強化されたのですが、それを先生達の影響と云ったのです。ブログを読めばわかるでしょう?先生のエッセイの文庫はたくさんあります。母方の叔父は尊敬のあまり息子の名前を義孝としました。

元気が出た

 一昨日(4/19日)書いた「どうしておられるだろうか」というブログに、もなさんからコメントをいただきました。私と同じようにその後のもなさんを気にしておられた方はご面倒ですが、そちらをご覧下さい。

 久方ぶりのもなさん調の楽しくやさしいコメントで、とても感激しているところです。

 実は、もなさんからもご心配をいただいた件で、本日は名古屋家裁に行く日なのです。最近その係争の件で屈託した気持をついブログに書いていましたが、今回はそのことは触れずにいました。そろそろ結論が出る頃です。

 そんな気持の揺れているときに、もなさんから連絡があったので、とても嬉しかったのです。しかもそのことを気にしてくれていたことで、とても元気が出ました。

 いくら歳を重ねても、いや、歳を重ねたからこそ争いごとはつらいものです。そういうときはつい一人で悶々としがちですが、さいわい友人達や子どもたちが心の支えになってくれているので、深酒したりしないですんでいます。もちろんブログを書くことがある意味で生きがいとして自分を支えてもいます。そしてそれを読んでいただいていることがどれほど自分の励みになっていることでしょう。

 もなさんから連絡のコメントをいただいたことで元気が出たというのはまさにそういうときだからひとしおなのです。

  本当にありがとう。

これはもなさんはもちろん、皆さんへの感謝の言葉です。

2017年4月20日 (木)

中国はどうしていいか分からなくなっているのだろうか

以下はネット記事から

中国共産党機関紙「人民日報」の姉妹紙である環球時報とグローバルタイムズは19日、「韓半島(朝鮮半島)の緊張情勢は韓国にも責任がある」という論評を通じてこのように主張した。これらメディアはまず、「北核問題に対する韓国の態度は大変重要だ」とし「韓国は現在の緊張状況に対して一部非難を受ける必要がある」と指摘した。

続いて「韓国を一方的な犠牲者と見るべきではなく、最近の状況展開において、韓国は状況を安定させるどころか緊張をあおる方向に進んだ」としながら「中国が提案した北朝鮮の核・ミサイル挑発と韓米合同軍事演習の同時中断に対して、米国は消極的に反応したが、韓国の拒絶はより断固としたものだった」と非難した。

また「韓国は戦争が起きれば苦痛を味わうことになる。戦争中に北朝鮮政権が崩壊して韓国が韓半島を統一できるなどという幻想は持つべきではない」とし「中国は韓半島問題において武力の使用を反対し、韓国の保守勢力が北朝鮮に向かって無分別に行動すれば、明らかに逆効果となるだろう」と強調した。

 中国は、韓国の北朝鮮に対する姿勢がくるくると変わることが北朝鮮を暴走させているのだと言わんばかりであるが、そもそも韓国がそういう国であることは、いままで歴史的に幾多の経験をしてよく承知しているだろうに、いまさらよくいうよ、である。

 暗に韓米合同軍事演習とTHAAD配備をやめていれば北朝鮮の対応も違ったと言いたいのだろうが、北朝鮮が相手が引いたから自分も引く、などという国ではないことは中国だって分かっているはずだ。そもそも中国という国こそが、相手が引けば自分がさらに押していく、という行動を日本を相手に見せているではないか。北朝鮮はそれを模範としているのだろう。

 こういう記事で中国は韓国に何らかのメッセージを送っているのだろうが、現に北朝鮮の暴発に危機感を募らせ始めた韓国国民がこれをどう受け止めるだろうか。ある意味では大統領選挙に対する文在寅候補への応援のつもりかも知れないが、逆効果のように思える。

 どうも近頃中国の出すさまざまなシグナルはばらばらで、どうしていいのか分からないように見える。相手がそのシグナルをどう受け取ったかで対応を考えるつもりかも知れないが、なにを始めるのかわからないトランプ大統領と金正恩、それに誰も責任者として方針を出すことができない韓国の状態に対して反応を見たところでなにも答えは得られないだろう。

 答えは中国自らが出すしかないことを承知の上で先延ばししているのだろうか。それを見越してロシアは面白がって北朝鮮支援に乗りだしている。食えない国だ。

おどろきの成田空港

 来年、成田空港は開港40周年を迎える。建設が決まってすでに55年経つが、当初の空港の計画はまだ完成していない。空港に反対する住民が立ち退きを拒否したままで、争いの終結の目処が立たないからだ。母方の祖父がこの空港のすぐ近くの生まれで、知り合いが反対闘争に名を連ねていたのを見てぶつぶつ言っていたことを思い出す。

 祖父は成田空港に消極的ながら賛成の立場であるけれど、農民たちがあの辺りの開墾にどれほどの苦労をしていたかわかっていたから、反対する人たちの気持ちも理解していた。それが政治闘争になってしまったことを腹立たしく思いながら見ていたのだろう。

 あの周辺は水利が悪く、関東ローム層なので農地に適しにくく古来開墾が遅れていた。だから江戸時代などは放牧地としてしか利用されていなかった。それを農民たちは苦労して農地に開墾したのだ。

 政府は農地に適さない場所だから、それなりの代価を払えば農家は簡単に土地を売ると考えた。経済的には合理的な考えである。ところが農民の土地に対する考えはそういうものではない。苦労を重ねたからこその土地への執着がある。それを読み違えたから農民の逆鱗に触れることになった。

 このことは祖父の言葉の断片から知った。

 中国メディアが、成田空港がいまだに未完成であることを紹介する記事を書いた。日本最大の国際空港である成田空港が、立ち退きを拒否する住民との闘争が50年以上続く最も建設が困難な空港であると説明している。

 その闘争の経緯も説明されていて、それを読んで久しぶりに祖父と成田空港とのことを思い出したのだ。

  この記事は立ち退かない住民のために説得に説得を重ね、巨額の費用をかけ続けたこと、そしてこの教訓から、その後は巨額の費用をかけても海を埋め立てて新しい空港を作るようになったことを伝えている。

 この記事には、「一人一人の尊厳を尊重してきたから日本は強いのだ」とか、「日本人の良心はやっぱりすごいなあ。ブルドーザーを持って来てあっという間に更地にしたりしないもんなあ」などとコメントが寄せられたそうだ。

 中国では道路や空港などの公共施設を造るとなれば、いちおうの交渉はするけれど、多少の反対などお構いなしに強制的に退去させ、居座ればときに拘束され、建物は重機で破壊してしまうから迅速に工事が進む。

 私はこのことは中国の最大の強みであると前々から思っていた。効率的で合理的なのである。しかしそこには経済論理しか存在しない。その経済論理を基準に考えて、日本の不合理さを笑う目的で記事は書かれたのだろうか。

 しかしコメント氏たちが言うように、人間の社会活動は経済論理だけではないのである。不合理で非効率的な日本を紹介した記事は、結果的に違うことを伝えることになってしまったような気がして面白かった。

本についての森本哲郎老師の言葉

 私は書物とは読むものではない、と思っている。本とは読むものではなくて、いつか読もうと思っているものだ。そのいつかは、それこそ、いつなんどき訪れるかわからない。そのときに手元に本がなければ、彼は永久に本を読むきっかけを失ってしまうだろう。自分の書棚に並んでいる本は、そのときのためのものである。すなわち未来の書物なのだ。だからそこに並ぶ本は多ければ多いほどいいのである(「書物巡礼記」より)。

 私の本棚にはまさにそうした本が並んでいる。読もうと思って買ったのに、数頁拾い読みしただけでいつか読もうと棚に戻したものばかりだ。読み終えてしまった本の大半は処分してしまい、もう一度または何度も読みたいと思う本だけが残されているから、つまり本棚にあるのはこれから読む本、いつか読む本ばかりなのである。

 読み切れないのに新たに本を買うことに空しさを感じることもないことはないが、老師のこういう言葉を読むとそうだそうだと心強く思い、つまらないことで心を悩ました自分を笑うことができるのである。

2017年4月19日 (水)

内田樹「昭和のエートス」(basilico)

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 子どものときや若いときは映画館から出てくるときは主人公になりきっていて、素の自分にもどるのにしばらくかかった。小説を読めばどっぷり浸かって物語世界こそが自分の現実だった。それだけ真剣に楽しめたということだろう。

 このごろ映画を見る本数が減っている。映画を見るためにはその世界へワープするためのエネルギーが必要なのに、それが不足しがちなのだ。同じように小説の世界へのワープがし難くなって、小説があまり読めなくなった。代わりに今回読んだこの「昭和のエートス」のような本を読むことに楽しみを感じるようになっている。

 内田樹老師の本としては初期の頃の本で一度通読したはずなのだが、いま読み返すと本当に読んだ本なのかどうかと思う。帯に「極上のエッセイ集」とあるけれど、こういうのもエッセイか。いろいろなところに頼まれて寄稿した文章を集めたもので、あとがきにもあるように、寄稿先に合わせて書かれているらしい。

 いつものように、どの一文からも老師のメッセージが伝わってくる。本を読む楽しみは、著者のメッセージを受け取ることだとこのごろようやく理解できるようになってきた。自分にとっていい本というのはこのメッセージが受け取れるもの、そこから感応するものがあってそういう感応した自分を喜ぶことのできる本だろう。

 だからいい本は人によって違う。

 一つひとつの文章にそれぞれの思いがあって、それを書き出すときりがない(本当はそれをやってみたい気もする)から冒頭の「私的昭和人論」について書いてみたい。

 老師のいう昭和人は、昭和生まれの人、あるいは昭和を生きた人という意味ではなく、「私的」という通り、限定されている。

 昭和を語るとき、昭和時代64年のうち、戦争後の方がずっと長いけれど、やはり戦争を抜きにしては語れない。そしてその戦争を経験して、大きな屈折体験をした人々を老師は「昭和人」とよぶのである。敗戦を境に価値観は大きく変わった。そのことは誰もが知っている。しかし「昭和人」を、価値観の転換を大きな喪失として体験したひとだけに限定することで、その「昭和人」の世界観に共感するのである。

 敗戦までの昭和の社会を担ったのは、明治生まれや大正生まれの人である(昭和生まれは敗戦のときにまだ20歳にもなっていないのだから)。その人達は敗戦を体験しているけれども、軍国主義的な思潮を自らの考えとしてではなく、状況として受け入れたのであって、敗戦によって民主主義が正しい、といわれればすんなりと同調することができた。

 昭和に入ってから生まれ、学校で軍国主義を教え込まれ、それに染められた子供たちがいた。その子供たちは敗戦後、ある日突然教え込まれたことが正しくない、これからは民主主義だと教師にいわれて教科書に墨を塗ったのである。信じていたものが間違っていたといわれたのである。

 彼等のうちの心ある者たちほど世の中に対して不信感を抱いたことだろう。真実などないのだと思い、これが正しいと声高に言う者を疑って見る。そのような一群の人々、老師のいう「昭和人」の代表的な例として養老孟司氏や吉本隆明氏、そして江藤淳氏をあげる。とても良くわかる。

 老師は私と同年の昭和25年生まれだから、戦争体験はないし挫折も喪失も屈折もない。しかし「昭和人」を知っているし、他の世代よりはその思考に共鳴するところがある。ただし、なぜ戦争になったのか、その戦争へいたる歴史を知ろうと努めた者だけが「昭和人」とシンクロできるので、同世代が共通の感性であるといえないことはもちろんである。団塊の世代と括られた世代が括られたとたんに、なかった体験を語る立場にいると錯覚するようなものだが、それを説明するのは別の話だ。

 いま彼等からのメッセージを我々日本人は受け継いでいるのだろうか。世の中を見ればわかるように、とてもそうはいえない。そのことの責任を深く感じさせてくれた一文であった。

読書についての森本哲郎老師の言葉

 読書に戒むべきは「能率」という概念である。能率的読書などという言葉をよく聞くが、そんなものは到底読書とはいえない。読書というのはおよそ非能率的なものだからである。その点において読書は旅になぞらえることができる。能率的な旅というのはあり得ないことはないが、それはもう旅ではない。出張にすぎない。旅にどうして能率をあげなければならないのか。

 私はこういう言葉を読むと震えるほど感じてしまうわけである。その通りだと思うのである。それを忘れて本を読んだり旅をしてみても、もうそれは読書らしきものであり、旅らしきものでしかない。そこにあるよろこびはわずかなものにしぼんでいる。しばしば人生が旅になぞらえられるように、人生だってそうではないかと思うと、ちゃんとその後にそう書いてある。

 すでに私はどっぷりと森本節に染まっているのだ。世の中に「能率的」であることが善であるものとそうでないものがある。すべてが「能率的」であることが善だと勘違いしていないか。ここで言う「能率的」という言葉は内田樹老師のいう「ビジネスライク」という言葉と同じ意味かと思う。それが必要な場所とそうではない場所がある。「能率的」がそうでない場所を侵食しすぎていないか。それが生きることの深味を損ねていないか。

どうしておられるのだろうか

 毎日一度、いろいろな方のブログを拝見する。どれもそれぞれに面白いし、もっと他にもあるだろうと思うけれど、一度に読める数には限度がある。

 女性のかたの書くものには、たくまざるユーモアのあるものがあって特に楽しみにしている。

 私がブログを始めた頃、数少ない読者だった「もな」さんという方がいて、ときどきコメントを戴いたし、私もたまにコメントをした。彼女はご主人と中国に移り住み、ブログの内容はリアルな中国での生活報告だった(「藤子」さんのブログに似ています)。総菜の値段、いろいろな食材、お住まいの周辺の様子などが書かれていて、いつも楽しみに見ていたが、突然ブログを休止してしまった。

 その後もときどきコメントをくれて、再開するようなことも書かれていたのに、しばらくしてまったくコメントもなくなってしまった。もしかしたら違う名前で再開されたのかも知れないけれど、知るすべがないので分からない。読めなくなって私がもっとも残念に思うブログである。

 そういえば「おキヨ」さんのブログも正月の挨拶があったきり中断されている。記憶が定かではないが、「もな」さんのブログの読者として「おキヨ」さんのブログを知った気がする。「おキヨ」さんは眼の治療のためにしばらく休むとのことだったが、その後どうしておられるのか。

 「もな」さんのブログはリアルな中国生活の報告だったけれど、ときには辛口になることもある。日本では考えられない理不尽なこともあるから当然である。それに対してなにか不愉快なことがあったのか、それともご主人が心配されてのことか、などとつい考えてしまう。

 もし新しいブログなど消息をご存じの方は教えていただければ大変有難い。この二人のことはずっと気にしている。

2017年4月18日 (火)

考える楽しさ

 ものを考えることを最初に教えてくれたのが森本哲郎老師である。初めて老師の本に出会ったのは25歳を過ぎた頃だったけれど、朝日新聞の論説委員をしていたから、それ以前にも朝日新聞の日曜版の署名記事などで文章を読んだことはあった。強く心に残る文章もあったから、店頭で著作を発見したときにはすぐ購入した。

 だからもう四十年以上のつき合い(といってももちろん直接会ったことはない。こういうのをまさに私淑と云うはずだ)で、たぶん著作の八割以上、七八十冊は本棚に並んでいる。もし無人島に持っていく本を何冊か選べと言われたら老師の本ばかりになると思う。

 老師は世界中を旅している。『○○の旅』という題名の本がたくさんある。それは紀行文のようでいて、そうでないものも多い。そこでなければ書けなかったことではないことを、そこに居たから書く、という書き方をしている。

 サハラ砂漠で、掘っ立て小屋のような、ホテルとは名のみの場所に足止めされて何日も無為の時間を過ごしていたときのことだ。老師は旅に携行していた『蕪村十一部集』という句集を読んでいる。同じくそこにたむろしていたフランス人の若者達やホテルの従業員たちが代わる代わる、なにを読んでいるのかと尋ねる。

 たまたま読んでいた箇所の

  燈ともせと云ひつ々出るや秋の暮れ

という句の情景を説明する。みな首をかしげてから彼の元を去って行く。この詩に意味が見出せないのだ。

老師はこれに対応する

  住ム方の秋の夜遠き燈影(ほかげ)かな

という句も説明して日本の秋の夕暮れの情景を、そしてその情景に日本人が感じ取る心を伝えたかったけれど、もう相手は目の前に居ない。

 サハラの夕景はどんな夕景だろうか。乾ききったそれを目の当たりにしながら、日本の夕景を思う。ここにこそ旅の思いが凝縮されているような気がしてしまうのである。

 何度も書いたことがあるけれど、寅さんが夜汽車の窓からポツンとともる灯を見て、「ああ、あそこでは母親が夜の仕度をして、子どもはそこで今日あったことを話しかけ、父親は黙ってそれを見ているのだろうなあ」としみじみと語る。

 私は実際に旅に出かけるのが好きだし、そこでぼんやりとなにかを感じたり考えたりするのが好きだ。それを教えてくれたのが森本哲郎老師であり、その恩は一生忘れない。

 考えるためには自分を見つめなければならないし、旅に出ると自分を見つめやすくなる。それは孤独というのとは少し違う、生の自分が自分と語り合うのにふさわしい場となるからだろうか。
(読みかけの森本哲郎「書物巡礼」の一節を元に所感を書いた)

西研・森下育彦「『考える』ための小論文」(ちくま新書)

 題名から想像がつくように、大学受験や就職試験での小論文の書き方についてのレクチャーである。この本は1997年に発行されているので、もちろん私はどちらの試験もとっくの昔に終わっていたから、その準備のために買ったわけではない。

 その前から手帳に、思うこと考えたことをときどきメモしていた。出来ればそれを膨らませてきちんとした文章にしてみたいものだと夢見ていた。しかし試してみると、出来上がったものは誰かの受け売りか物まねに過ぎないものばかりだった。それを脱皮するにはどうしたらいいのかと思って、この本に出会ったのだ。

 購入していたのだからたぶん読んだはずなのだが、ほとんど記憶がない。処分しようと思った本の中にこの本があった。ブログを書きながら、文章に対する思いは変わっていないので、試しにもう一度読んでみようと思い立ったのだ。

 設問に対する小論文とは、畢竟世界を私はどう捉えているかの表明である、という。これは私のまさに思うところである。設問を自分の経験や実感する具体例と引き合わせながら世界を捉え直す。さらに自分はなぜそう考えたのか自分自身に問うことで、他人にも分かる言葉で文章とする。その自らに問うことで考えを深めるという作業こそが、小論文の意味である。

 他人の言葉ではなく、紋切り型ではなく、自分の思考のあとが見えるものが評価されるという。

 この本には数は多くないが、いくつかの設問のための文章が引用されている。それを丁寧に解釈していく道筋を通して自分なりの答えが浮かんでくる。このように文章を読めれば、どれほど多くのことを文章から受け取ることが出来ることだろう。思えばザル頭はほとんどすくい取れずに流し去り、考える機会を失い続けてきたことだろう。

 書くためには読めなければならない。文章だけではない。世の中のあらゆる事から読み取れるものが無数にあるのに、見ても見えず、聞いても聞こえないまま生き続けてきたのだ。

 あわてて取り戻そうとしても手遅れだけれど、もったいない生き方をしてきたことをあらためて知った。

 もちろんそんなことはこの本には書かれていない。考えるレベルについて教えてくれただけで、自分の思うよりも次元の高い考えが無限の階梯でひろがっているらしいことを気付かせてくれたのだ。

 無明の闇にもがく一人として、闇の中でものを見ようと思い続けたことが無意味ではないことを、そして光はあるかもしれないことを感じさせてもらった。もしかして、光があるのに目をつぶっているのだろうか、私は。

私の朝

 昨夜は台風のような雨風で、隣家のベランダにあるなにかがバタバタと音を立て続けていた。

 朝起きて鉢を見たけれどパセリやモロヘイアは大事なく、元気である。外気は快適そのものだが昼間は気温が上がるらしい。早くも苦手な夏に向かう気配がする。

 なんとなく鬱屈した気分が影を潜めている。昨晩は酒を飲まずに早めに就寝したけれど、近頃では珍しく寝付きが良かった。気持にかかっていたもやが少し晴れたような気がする。安眠は精神の澱を洗い流す。

 これが私の本来の朝だ。

2017年4月17日 (月)

とりとめのないことですが

 ブログを始めた当初からしばらくして、一日複数回のブログを書いていた。整理し直してみると、多いときには五回も六回も更新している。アクセス数は少なかったから、まともに読んでもらっていなかっただろうけれど、丁寧に読んだとしたらくたびれたことだろう。我ながらエネルギーに満ちあふれていたのだ。

 ブログを書くということは私にとって、こんな比喩で申し訳ないが、体液の放出に似ている。いささかの快感と空しさを伴う疲労があとに残る。空しさは書いている内容についてのお粗末さへの悔いである。

 ネタとそれについての具体的な思いがあればすぐ書き出すことが出来る。構成するほどの長文でもないから構成など考えたことはない。書いているうちに勝手に文章になっていくから、書き出せばそれほど時間がかからずに書き終わる。それを下書きとしてそのあとにいちおう読み直す。全くの他人として読むことは出来ないが、なるべく自分以外の人間として読み返してみる。読む人として想定している人は何人かある。

 想定されている読み手は実際の読者や友達や子供たちだけではなく、たぶん私がブログをしていることすら知らない人たちも含む。だから最低一回は読み直して、間違いや言い回しのおかしなところを直すが、全くの他人の目で見ていないから、文意を先取りして読んでしまって直すべきものを見逃すことも多い。構成はしないが校正はいちおうしている。

 昔中学生時代や高校時代に雑誌や新聞を出すのに関わったことがあるので、校正という仕事のやり方を教わった。だから他人の文章の間違いを探すのは普通の人より得意である。それが却って気になりすぎで、肝心の書かれていることを読み損なう。なかなか両立はしにくいものなのだ。

 ニュースから、特に韓国や中国のニュースからネタを拾うことが多い。自分の、つまり日本人としての私の常識と照らし合わせて違和感を感じたものを見つけると、どうしてそう感じたのか考える。それが相手の問題なのか自分の問題なのか、それとも両方なのか。それを考えるのは案外楽しい。違いを考えることこそ相手を知る手がかりでもあるからだ。

 ところがいくらニュースを見ても、ひとつもこちらのセンサーに引っかからないことがある。それはそういうニュースが存在しなかったからなのか、こちらがそれを感じ取れないからなのか。確かに多少の数の違いはあるだろうけれど、それはたいてい自分自身の問題である。

 そういうときは碌なブログが書けないし、そもそもネタがあっても文章が湧いてこない。放出するなにかがまだ貯まっていないのである。そういうときは好奇心も低下しているし、ものを面白がるエネルギーも低下している。

 書きたいという欲望より、書かなければと思う義務感が優ったときには無理矢理書き上げても快感はなく、疲労と空しさがより強く残る。

 精神は高揚しているときと沈滞しているときとがランダムに訪れる。いまなんとなく沈滞のなかにいて、どうも沈滞する回数が増えて、その期間も長くなっているような気がしていて不安である。

 そこから脱する方法をいくつか持っている。それは奏功するが、以前より一時的になりつつある気がしている。なんだか人生の新しい局面に入りつつあるようだ。それは新しい平安のための前段階なのかも知れないと勝手に夢想している。

 いま、大事にしているもの、手に入れるために苦労したもの、二度と手に入らないものを捨てるべきかどうか迷っている。人にあげるようなものではなく、自分だけに意味のあるものだが、それが自分を重くしているものでもある。それを捨てることは必ず後悔することだと思うが、精神のざわめきを修めて身軽になるために必要な儀式かと思い始めている。そのタイミングをどこに置くのか、考えている。

 新しい自分への脱皮のためには、脱ぎ捨てなければならないものもあるはずだ。書いていてようやくなにかが見えてきた。

朝が重い

 目覚めたら、格闘でもした翌朝のような気分である。体はもがきまくり、疲れているようで気持ちも重い。想像するに、久しぶりの無呼吸症候群の眠りだったらしい。

 眠りばかりでなく、生活全般のリズムが乱れている。生活リズムの乱れは精神の乱れである。いろいろなことに投げやりになり、やる気が起こらない。録画した映画のディスクをテーブルの脇に積んでいるけれど観ない。本をたくさん積んでいるが読みかけばかりで読み切れずにたまるばかり。昨晩使用した食器が流しに洗わずに並んでいる。

 どんなに飲み過ぎて酩酊しても翌朝目覚めると食器は片付いている。そのように習慣づけてきた。それが出来ていないと朝の気分が極めて悪い。朝の目覚めがさわやかで、さあ、新しい一日が始まるぞ、今日は何をしようか、というのが私の朝で、一番前向きの時間だ。そこでつまずくと立ち直るのに時間がかかる。リズムを取り直そうと焦ると、すぐ取り直せないこと、そのことにさらに気持が重くなる。案外面倒なのだ。

 プランターがわりに大きな鉢にパセリとモロヘイアの種をまいた。四月の初めにまいたのが、ようやく可愛い芽を出した。別にニラの鉢もある。こちらは秋に枯れても根が残っていて、水さえやれば必ず毎年せっせと生えてくる。

 朝、如雨露で水をやる。新しい生命の成長を見るのは大げさでなしに楽しい。いま水をやって朝の空気を吸い込み、どんよりした自分の気持ちを振り払おうとしている。

 こういう気分に落ちこんでいる原因がないわけではないが、その原因が理由というよりも、それにとらわれすぎている自分そのもが堂々巡りになっていることが自分を重くしている。

 さあ、まず顔を洗って(まだ洗っていないのである)流しを片付けて朝食を作り、出来ることから始めよう。酒量が知らず知らずに増えているから少し控えよう。夜更かしのきらいがあるから少し早めに寝ることに心がけよう。大事な朝の前向きな気分を取り戻そう。

2017年4月16日 (日)

話し合いで

 今朝の時事放談のゲストは丹羽宇一郎氏と田中均氏であった。全部を見ていたわけではないが、丹羽氏は北朝鮮問題についてトランプ大統領の強権的な対応を批判し、話し合いで解決すべきだと強調していた。田中均氏は誰も戦争など望んでいないけれど、手をこまねいていたことで世界が危機に陥っているときにはいざとなれば武力行使もあり得る、それはブラフではない、というかたちで圧力をかけるのは当然だ、と語っていた。

 相手を話し合いのテーブルに着かせるためにどうすべきか、というのが田中氏の言いたいことで、それに対して丹羽氏は話し合いで解決すべきである、と答える。しまいには田中氏もあきれ果ててそっぽを向いていた。丹羽氏によれば日本が中国やアメリカに積極的に働きかけて役割を果たすべきだという。現時点で日本が積極的に役割を果たす場を中国が持たせてくれるとは考えられない。空論もここまでひどいと田中氏ではないけれどうんざりする。

 丹羽氏は中国大使として、乗車していた大使館の公用車の国旗を奪われるという失態を犯している。もちろん大使館の公用車の国旗を奪うというのはありうべからざる暴挙で、奪った者が悪いのであるが、そのあとの大使としての丹羽氏の恬淡として他人事の態度に終始した姿をつい思いだしてしまう。もちろん然るべき中国政府への抗議もどこまでしたのか記憶にない。たぶん遺憾の意をささやかに表明しただけではないかと思う。

 そもそも北朝鮮が話せば分かる相手かどうかは子供でも解ることで、そんな相手に対して話し合いを持つためにはそれなりの手を尽くした上でなければ無理であり、そのためにはなにを為すべきか、と田中氏は問うているのである。

 それを丹羽氏は穏便に相手が暴発しないように話し合わなければならないと繰り返しているのである。彼は北朝鮮が対等に冷静に理性的に話し合う相手であることを前提にしているが、本気でそんなことを思っているのなら知性を疑わざるをえない。元商社マンとして世の中をビジネスライクに捉える思考方式を貫いているのだろうけれど、ルールの違う相手とのビジネスだということに気がついていないのか。そもそも外交はビジネスですらない。

 そういえば古いブログで、民主党政権の末期、自民党が党首会談を申し入れをしたときの当時の民主党幹事長興石氏の返事に怒りのコメントをしているのを読んだばかりである。

「共通認識、共通理解がなければ会談(党首会談)を開く事に意味は無いでしょう。」

 何事も話し合いで、と言い続けてきた民主党の幹事長の言葉である。「共通認識、共通理解」がある相手との会談以外は会談に意味がないのなら、この世に会談の意味はないということになる。認識や理解に違いがあるけれど、何とか目的に向かって少しでも合意を目指すためにするのが会談であろう。

 これが日教組出身、元社会党で民主党の幹事長の言葉で、彼等の語る話せば分かる、何でも話し合いで、という言葉の裏にあるものがどれほど空論なのか分かるではないか。

 政府は北朝鮮に福島瑞穂氏や丹羽宇一郎氏や田嶋陽子氏などを特使として派遣したら良いだろう。高齢だが輿石氏は北朝鮮なら「共通認識、共通理解」の出来る相手だから参加してくれるに違いない。彼等は命がけで話し合いをしてくれるはずだ。もちろん帰れない事態になっても誰も困らない。オブザーバー兼ボディガードとして猪木氏を伴うのもいいかと思う。

 観念的で申し訳ないが、互いのあいだに立ちはだかる山のような壁が話し合いを不可能にしている。だから田中氏は時にそこにかすかな隙間をつくるために壁を一部打ち欠く(または穴をあけてしまう)などの方策が必要だとアメリカは本気で考えている(または相手に思わせたい)と言ったのであって、そもそも話せば分かるとしか言わぬ者には壁が見えていないのであろう。

 目的は戦争をすることではない。戦争でなく話し合うことである。その障害になる壁を少しでも取り除くことから始める必要があるだろう。確かに壁の取り除き方が悪ければ戦争になってしまうから慎重な検討が必要だろう。

 戦略的忍耐を続けてヒトラーに譲歩を繰り返したヨーロッパがどれほどの災厄を招いたか。その歴史を教訓として、もう北朝鮮の状況を放置し続けることに限界が来ているのではないか、と田中氏は言っているのであり、空論で時間を空費せずに日本はそのことに備えることが喫緊の課題であると言っていたのである。

 不慮の事態は突然起こる。空想ではない危機がすぐそこにある。

この項、上手く考えがまとめられなかったが、ここまで記したので残す。

2017年4月15日 (土)

洋楽グラフィティ

 NHKBSの「洋楽グラフィティ」という番組で古い欧米の音楽番組から年代順に抜粋したものを放送している。私は’60年代の途中から気がついたので、そこから録画して順次再生している。

 何しろロックが多いので、ある程度の音量で聴かないと楽しめない(出来るだけ大音量ほどよい)けれど、放送が午前三時からだから、リアルタイムでそんな大音量で聴くわけには行かないのだ。

 出来ればフランスやイタリアのヴォーカルが聴きたいのだが、半分以上がアメリカのロックである。ロックはそれほど好みではない。しかし新しいAVアンプのいい音で聴くとロックも悪くない。その音楽性は、ある程度以上の音量とウーファーによる低音を効かせた音で聴かないと分からないものだ。

 音楽を聴きながらリズムをとったりしたことはあまりない。それが体で音楽を聴くかたちになるとひとりでに足でリズムをとっている自分に驚く。

 今のところ60年代と70年代を聴き終わり、80年代にこれから入る。音楽は聴き慣れるほどに親しみが湧いてくる。だから古い時代の知っている曲には特になつかしさを感じる。

 60年代は私が10代だった頃で、ビートルズが来日したといって騒いでいた頃だ。生来のへそ曲がりだから、ビートルズなど何の興味もなかった。来日のとき曲がニュースで流れているのを聞いて思ったより聞きやすいと思っただけだ。その頃は御三家の時代で、母が舟木一夫の大ファンだったから、繰り返し聞かされてひとりでに歌詞を覚えてしまい、なにも見ないで何曲かフルコーラス歌えるほどになった。

 学生時代はフォークが全盛で、そこら中で曲がかかっていた。その頃ようやく洋楽に興味を覚えたけれど、フランスやイタリアのポピュラーが好みで、グループのロックはやかましいだけだった。それでもトム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクを聞いていたのだから、やかましさの基準は好みによる。

 70年代は山口百恵が大好きで、そのあと輩出した少女歌手の歌などを好んで聴いていた。いまも歌手は女性に限ると思っているから持っているアルバムはほとんど女性だ。80年代になったらほとんど積極的に音楽を聴く暇がなくて音楽の空白期間になっている。

 ある日思い立ってアンプやスピーカーを買いそろえ、FMをエアチェックしてクラシックのアルバムを作ったりした。いい音で聞くと音楽が全然違うものに聞こえることを実感した。貸しレコード屋という商売が始まって、せっせとレコードを借りてカセットテープにダビングした。テープもメタルテープを使い、デッキもちょっと良いのに買い換えた。

 とはいえそんなコレクションをゆっくり聞く暇もなく、子育てが忙しくなって音楽とは再び縁がなくなった。自分でビデオデッキが買えるようになったので、貸しレコード屋が変身した貸しビデオ屋でビデオを借りて映画を見る方が多くなったのだ。

 そして何十年、ようやく音楽に回帰してそれを楽しんでいる。なにより買い集めたCDが新しいアンプで聞くと段違いにいい音で聞けるのだ。ただ、音楽を聴く気になったのは、眼を酷使しすぎたせいか、眼がちょっと悲鳴を上げたから休めるためで、そんなきっかけでいままであまり縁のなかった音楽を聴いている。

土曜日の安らぎ

 今日は土曜日。毎日が日曜日の生活が始まってもう7年近くが過ぎたのに、土曜日が来ると嬉しい気がする。(当たり前のことだが)明日は日曜日で、もう一日休みがあり、今日は何をしてもいいし、なにもしなくてもいい日だ。日曜日になると、特に日が傾き出すと明日から仕事だと思い、休みにはあれもしたい、これもしたいと思っていたのに出来なかったなあと悔やんで、なんとなく憂鬱な気持になる。森本哲郎師が「日曜日のアンニュイの午後」と名付けた気分である。

 毎日が日曜日だと毎日が土曜日でもあるわけだけれど、いささか違う気がする。

 リタイアしてすぐに労働者モードから遊民モードへの精神の切りかえと疲労回復(というほど働いてもいなかったが)のために、一週間あまりのあいだ湯治に出かけた。本物の湯治宿で、食事は三食自炊か買い出しか外食である。

 そのときにぼんやり窓外を眺めながら、ああ、今頃はみんなせっせと働いているのだなあ、と思った。自分だけ安らいでいることにかすかな優越感と満足感がないわけではないが、一番強く感じたのは疚しい気持であった。仕事中にサボっている気持に近い疚しさである。

 その疚しさは年月と共に少しずつ薄らいでいるけれど、まだ完全になくなってしまっているわけではない。だから土曜日になると、世間の人も休みだなあと思い(土日に休みでない人には申し訳ないが、一般的なサラリーマンとしての感覚なのである)、なんとなく働いていた昔の感覚で安らぎを感じているのである。

 毎日が日曜日の中の土曜日の安らぎは働いていたときに近いもので、毎日が日曜日の感覚にはいささかの苦みがあって、私にとっては違うものなのである。

法事

 今年は父の七回忌であり、母の三回忌である。弟から寺と打ち合わせて日を決めたからと連絡があった。日は離れているが、いちどきにやってかまわないとのことで、五月に法事をする。全て弟任せでいつもすまないことだ。

 いま少しずつ自分の古いブログを整理している。つい読んでしまうから作業は遅々として進まないが、自分で言うのも何だけれど、結構面白い。最近書いたこととまったく同じようなことを以前にも書いていたことを知って驚くこともある。忘れているのである。

 定年退社してから母を連れてときどき温泉旅行に行っている。そのときの様子を読むとまざまざと記憶がよみがえる。母は晩年発語障害でほとんど言葉が話せなかったが、耳は聞こえているし、意識もしっかりしていたから、上手く自分の意思が伝えられないのが却って辛そうだった。

 母の気持ちをどこまで聞こうとしただろうか。なにを伝えたいのか、何をして欲しかったのか。お互いに死ぬまでどれほどもどかしい思いをしたか。もう父の元へ行って丸二年になろうとしているのに、聞きそびれたことが山のように残されている気がする。発語障害は解消して、昔のように父に口やかましく言っているのならいいけれど。

2017年4月14日 (金)

団結は恐ろしいそうだ

 中国メディアが日本の教育は中国と大きく違う、と報じた。それはそうだろうと思う。

「日本人は子どものころから社会のモラルを教えられている」

「日本の学校では冬でも薄着でマラソンをする授業がある」「到底信じられないこと」だが、「日本人はこうして体を鍛え、苦労させられることで忍耐力を養っている」

「日本には運動会などのさまざまな催し物」があるが、中国と根本的に違うのは「子供たちが競い合うのではなく、みなで協力し合う内容になっている」

 などと紹介している。

 だから日本人は大きな自然災害が発生しても冷静に行動することが出来、またサッカー大会の会場などでもゴミ一つ落ちていない状態を保つことが出来るとしている。

 こんなふうに書いてあるからほめているのかな、と思ったら、

「教育を通じて団結を教えている日本の教育は恐ろしく、やはり日本は軽視できない国だ」と結んでいる。

 うーん、なにが言いたいのか良くわからん。

 もしかして中国の、競争ばかりの教育には問題がある、といいたくて日本を引き合いに出したら、ほめるようなことばかりになって「まずい」と気がついて、あわてて「恐ろしい」などととってつけたように書き加えるしかなくなったのではないか。

 なかなか不自由な国だなあ。いいところはただほめたって問題ないだろうに。

 でも反日暴動のときなどでは中国人は団結しているように見える。現代の日本人はあんなふうに一致団結して大使館に石を投げたりものを壊したり出来ない。ああいう団結は確かに恐ろしいよなあ。中国の教育もちゃんと成果を上げているではないか。軽視できないもの。

 ところで中国の学校では冬のマラソンがないらしいし、たぶん学芸会みたいなものはないのかもしれない。中国の学校教育はたぶん知識を身につけることだけが目的であるらしいことをこの記事から感じた。最近は日本もそうなりつつあるようだけれど、それがグローバリズムらしい。だからおとなになれない幼児みたいな人間が多いのだろう。団結ではなくて、キーワードは社会性ではないのかなあ。

間違いは正さなければならないと蓮舫代表は言った

 ニュースを見ていたら、蓮舫民進党代表が「現在の一強という政治状況は間違っているから正さなければならない」といつもの口調で語っていた。確かに間違いは正さなければならない。

 しかし問題は一強を生み出したのは、彼女の言う正しくない体制の元凶である安倍政権ではない、国民である。そしてその国民に選ばれない民進党以下の野党である。国民は期待すれば票を投じることはついこの間あったことで、それを彼女が覚えていないはずはない。

 彼女は意図せずに国民が正しくない、と公言したのだけれど、その自覚のないところが彼女の限界か。正すべきなのは何なのか、彼女は理解する能力がないようだ。権力は腐敗する、絶対的な権力は絶対的に腐敗する、とは言い古された言葉だけれど、強権体制の権力が腐敗することは歴史的な事実である。お隣の国を見ているだけでよく分かる。蓮舫代表はたぶんそれを意識していたのだろう。確かに安倍政権にもいくつかほころびが見えていて、替わるべきものがあればそろそろ賞味期限だ、という見方も出来る。

 それを選ぶのは結果的に国民である。体制に間違いがあるから正すと言いながら、その国民に語ることばが「あなたたちは間違っている」では支持を受けられるはずがない。そんなふうに揚げ足取りで皮肉屋の私は彼女の言葉を聞いたのである。そんな感覚で、あろうことか共産党や社民党と肩を組むから、離党するだの役員を辞退するだのという民進党議員が出るのだろう。

 彼等は彼等なりに正しいと思ったのだろう。彼女と同様に。

こむら返り

 夜明け前、突然のいたみに飛び起きて目が覚めた。体が痛みに反応し、そのことに気がついて目が覚めたのである。こむら返りだ。

 年に一二度起きるけれど、頻度が上がっているような気がする。最近はその予兆を感じることもある。あっ、来そうだ、と思ったらそこに意識を集中させないようにすると治まることもある。それでも始まりかけたら足の親指を手前に引っ張ると治まったりもする。来る、来る、とそのことに集中したりすると必ず来る。

 こむら返りは痛い。もともと痛みに強い方ではないし、突然来るから特に痛く感じるのかも知れない。始まってしまえばそれにただ堪えるばかりであるが、さいわい長くても数分で治まる。

 こむらとはふくらはぎのことで、それがけいれんして、触るとかちんかちんに固まっているのが分かる。揉んでもどうしようもない。それが次第に緩んでくるのが不思議であり、いったいどうしてこんなことが起こるのかも不思議である。

 なにかのサインなのだろうか。特に思い当たることもない。気が付いてないなにかがあるのか。なにかの栄養成分が足りないと起こりやすくなる、などと読んだ気がするが思い出せない。体がなにか知らせるつもりにしてはちょっと乱暴で痛すぎるではないか。

2017年4月13日 (木)

国威発揚成らず

 どこの国にもお粗末な人間、社会性のない人間はいるもので、私がブログでことさら韓国や中国のことを取り上げるのは、その件数がたまたま多いからで、日本だって似たようなものだということは承知している。とはいえ、その罪悪感のなさが結果的に件数の多さにつながることになっているかも知れないとは思っている。

 中国の環球時報によると、アイスランドの絶景ポイントに「中国」という文字のかたちに並べられた置き石が見つかって物議を醸しているそうだ。誰が置いたのかわからないが、わざわざ中国を貶めるために中国人以外(例えば日本人)の国の人間が置いたとも思えないから、やはり中国人が置いたのだろう。

 あるドイツ人の観光客は、写真を撮って中国政府に送りつけたらいい、と言ったと伝えられている。

 アイスランドの新聞はエスカレートして、生態系の破壊だとこの行為を非難して、中国に対する侮蔑的な言葉が並んだらしく、中国のアピールは成功しなかったようだ。

 旅行業者(たぶん中国の)は「生態系の破壊とまでいうのは言い過ぎだ。いま最もなすべきことは真実をあきらかにすることだ」とコメントしているらしい。たぶん中国の旅行業者らしい、という意味がわかるでしょう。中国人ではないかもしれないと言いたげだもの。

人権は守られているか?

 京都で初老の男が罵詈雑言を大声で喚き続けて丸二年、ようやく迷惑禁止条例によって昨年逮捕されたけれど、反省した、もうしない、ということで放免された。ところがほとぼりが冷めたとたん、再び近所の人たちに向かって大声で恫喝を始めた。そして数ヶ月、ついに再逮捕されることになった。再逮捕の理由は「刑務所に入れられたってかまわない」という言葉だそうで、それが恐喝になるのだそうだ。

 その男の様子を映像と音声で見たけれど、見るに耐えないもので数分でうんざりした。これをこの男の標的にされた近所の人々は連日連夜、二年以上聞かされてきたのである。この男は明らかに異常者であるが、近所の人たちはその異常者によって精神的な暴力を受け続け、おびえて暮らしていたようである。

 通報を受けて度々警察がやってくるが、それをどうにも出来ないというのが不思議である。しかも逮捕されたあとに放免され、再び同じことを繰り返しながら、なかなかこの男を再逮捕できないのがなおさら不思議である。

 こうしてこの異常な男の人権はめでたく保護され続けた。

 むかしならこんな男は即病院に送られてロボトミー手術でもされたのではないか。もちろんロボトミー手術が人道的に見てあり得ない治療法であることは承知で言っているが、近所の人たちならそれを夢想するだろう。何しろようやく逮捕されて平安な日々が帰って来たと思っていたら、再びの悪夢の日々である。絶望の度合いは深かっただろう。警察に対しての信頼も失っていたはずだ。

 この異常で周りの人たちを苦しめ続けた男の人権が守られるために、どれだけの人々の人権が損なわれたのか。日本では加害者の人権が最優先される。被害者の人権は二の次である。この恐ろしい事実をこの男のニュースは明らかにしていた。

その通り

 昨年、中国国有銀行大手四社が、合わせて約2万人のリストラを行ったそうだ。モバイル決済の普及やネットバンキングが増えたことで従来の業務が減少したためだという。

 それに対してのネットの反応が面白い。

 「人が余っていた割に窓口の作業の遅さは半端ではなかったのに人が減ればさらに遅くなるだろう」

 「いいことだ。無駄飯を食べていたのだから」

 といろいろだが、特に感心したのが、

「本当に無駄飯を食べている人間はリストラの対象にならないものだ」

 世の中の真理を突いている。

 先日固定資産税の納入請求書が届いたので、さっそくその日に近くの銀行に振り込みに行った。窓口で申込用紙を渡されてこれに名前と連絡先を記入しろという。

 納入請求書には名前も住所も記載されている。不要としか思えないことをことをわざわざさせて嫌がらせか、と思わず言ってしまったけれど、窓口のおばさんに言っても仕方のないことで、窓口のおばさんが決めたことではない。彼女が「いいです」というわけにはいかないことは私でも分かる。

 しかし彼女は上司に、顧客からこんなことを言われました、と報告するだろうか。百人いて一人いるか、もしかしたら誰も報告しないだろう。そして報告された上司の百人に一人が報告するか、誰もさらにその上司に報告しないだろう。こうして無駄な規則を作った人には決して顧客の苦情は伝わることはない。伝わらなければそのムダはムダではないのである。

 ときに窓口で激高しているお年寄りを見るが、同じような怒りに我を忘れているのだろう。そこまでやるとさすがに店内全体に伝わるから報告以上の報告となるだろう。ときにはあんな感情的な爆発も意味があるのかもしれない。

 私には今のところそこまですることはできかねるから、仕方なく申込用紙に書き込むだけである。

2017年4月12日 (水)

やりすぎ

 生まれつきは素直なよい子だったけれど、人生の荒波に揉まれているうちに若干臍(へそ)の位置がズレてしまったらしい。

 テレビは昨日から浅田真央一色である。NHKのニュースでもトップで延々と浅田真央のことを流していた。他にニュースはないのか。もちろん民放に至ってはそれ以上である。今日の彼女の記者会見など、昼にはNHKをはじめ、いくつもの局で同じ映像が流れている始末である。これでは局がいくつもあっても一つと同じだ。大事なニュースならわかるけれど、そこまでの大騒ぎをすることか、と私は思うのである。

 名古屋にいて昔から浅田真央の活躍は自分の身内のように嬉しかったし応援もしていたけれど、ソチオリンピック以後は見ていて痛々しかった。彼女の引退を初めて知って「えーっ」と声を上げて街頭インタビューに答える人が多かったけれど、私なら「やっぱり」と答えるだろう。だから絶対に使われないインタビューになるに違いない。

 誰もが彼女の限界を感じて見ていたのに、「まだがんばれるのに惜しい!」などと言う。こういう嘘くさい言い方は尻がむずむずして曲がった臍が騒ぎ出す。「ご苦労様、よく頑張ったね」だけでいいではないかと思う。

 朝から晩まで「マオ、マオ」と連呼されると、文化大革命時代にもどったのかとイヤミのひとつも言いたくなるのである。

 そういえば他にももう一人マオさんがいたなあ。

網戸を張る

 春になって暖かくなり、冷たい風を嫌って閉めていた窓を開けて、部屋にこもった温気を心地よいさわやかな空気に入れ替えるのに好い季節になった。

 花粉症気味なので目のまわりが痛痒いのはつらいが、窓を開けてさわやかさの方をとる。しかし花が咲けば虫が動き出す。その虫が元気よく侵入してくるのはかなわない。五階に暮らしているので、たぶん一階や二階よりは虫が少ないはずだが、それでも頑張ってやってくる。

 網戸が破れたままである。専門家に頼もうかと思ったが、これくらいは自分でやってみようと、網と押さえのゴムと張り替えの簡単な道具を買ってきた。道具というのはゴムを押さえ込むためのプラスチックのローラーだ。

 網戸を外して家のなかにいれて床に置くと、意外に大きいのに驚く。縦にあるものを横にすると大きくなるのは不思議なことだ。簡単に汚れを拭き取り、網を抑えていた枠のゴムを外す。網を取り除き、溝の汚れを簡単に払って新しい網を乗せてゴムを枠に押し込みながら押さえていく。簡単なローラーなのに、面白いようにゴムが溝にちゃんとはまっていく。

 問題は網が動くこと、丸まることである。二、三人いてあちこち持ってくれていれば楽だろうが、私しかいない。網は残念ながらピンとはしてくれないで少したわんでいるけれど、虫が入ることはなさそうだ。上等である。はみ出した網をはさみで切りそろえて終わりである。

 網はスパッタリングのされている、外からは見えずに内からは明るいというものにした。スパッタリングというのは表面に金属を蒸着することで、ものすごく目の細かい金網のように見える。

 網戸をもう一度はめ込むのにも苦労した。どういうわけか外すのは簡単なのになかなかはめ込むのに手こずったのだ。はめ込んで外から見てみると確かに黒い網に見える。内側から見るといままでの網よりずっと明るい。若干たわんでいるのはご愛敬である。あんまり上手くいったら専門家の出番がない。

 それにしてもたった一枚(作業としては上下二枚)貼り替えるのに汗みずくである。体を動かす労働をほとんどしていないから、ちょっとしたしゃがんだままの仕事に体が悲鳴を上げているのは情けないことだ。

 じつは網戸の張り替えをやらなければと思いながら先延ばしにしていた。思い切ってやったのは、今日娘のどん姫がやってくるからである。どん姫は前回来た時に買った網を見ている。「まだやってないの?」と言われたくないからあわててやったのである。どん姫もこういうところで役に立ってくれていてありがたいことだ。

 さて晩の酒の肴はなにをつくろうかなあ。

貧すりゃ鈍する

  ソウル新聞によると、韓国は史上最悪の就職難だそうだ。朝鮮日報には、韓国売り上げ上位の新規採用についての調査結果が報告されていた。韓国大企業の2割が新規採用を取りやめたり減らしたりしており、増やす企業は11%だけだったという。

 韓国の輸出はわずかながら好転している。その大企業でさえ採用を減らしているのであるから、中小企業はもっと採用が減っているのだろう。それに対して日本は全国で求人が求職を上回っており、人手不足気味であること、そして8年連続で大卒の採用がプラスであることをうらやましそうに書き添えている。

 韓国青年層のニートは2008年には76万2000人だったが、2016年には93万4000人に増えているという。全体の中のニートの割合は7.8%から9.9%となっている。

 世界中で若者の失業率が全体の失業率より高いのに、日本では若者の失業率は低い。日本は若い人を採用したがる傾向があるということなのだろうか。人口減少が就職難を解消しているのは間違いない。それに団塊の世代がほとんど65歳を超えてリタイヤしているから、当然企業もその補填が必要なので、会社の就業者を増やさなくても自動的に就職口は増えるわけである。

 そんな韓国で哀しくてしかも滑稽なニュースを見た。

 文化日報によれば、最近人気のすし食べ放題の店で、シャリを残してネタだけを食べる迷惑客が出てきているという。「出てきている」というのだから、一人だけではないと言うことだろう。刺身を食べるよりも安上がりだからと理由を述べているそうだ。

 店員に注意されたある客は「シャリを食べたらすぐにお腹がいっぱいになってしまう。お金を払っているのになぜ好きなように食べられないのか。気分が悪い」と言ってのけたそうだ。

 それを聞いたこちらも気分が悪い。

 文化日報の記事では、これも不況が生んだおかしくも哀しい光景だ、と報じていたが、ネットではそのような客を激しく非難するコメントが飛び交い、不況が理由であることに賛同するものは見られないという。当たり前だろう。

 こんな客は、正しく当たり前に食べている人が大多数だからこそ存在できる。みなが同じようにネタだけ食べ出したら、店は成り立たないから食べ放題をやめてしまい、それを楽しみにしていた客はみな食べ放題を食べられなくなってしまう。渋滞の時に路側帯を走る車と同じで、いかにもさもしい人間だが、本人はうまいことやった、と自慢だろう。またそれを真似するバカもいる。品性下劣で私の大嫌いな人種である。向こうもこちらを嫌うだろうけれど・・・。

2017年4月11日 (火)

約三年

 セウォル号が海底から引き揚げられて遂に陸揚げされた。行方不明者の捜索で残りの遺体が全て発見されることを祈りたい。引き揚げ作業は当初から困難が予想されていたが、実際に従事したダイバーはその苛酷さを乗り越えて作業が終わったことを誇らしげに語っていた。

 苦労した人に対して言うのもどうかと思うが、引き揚げまでに三年もかかったのは想定内のことだったのか。引き揚げにエントリーした会社が何社もあり、その中から中国の会社が短期間で確実に引き揚げてみせると豪語して受注したのではなかったか。それこそ半年くらいで揚げるような話しだった気がするが、記憶が定かではない。

 日本の会社もエントリーしていたし、実績もあり得意な作業でもあったけれど、韓国政府は最初から日本の会社は除外していたようだ。当時はまだ韓国と中国は蜜月時代でもあった。

 もし間違って日本の会社が引き受けていたら、約束の引き揚げに少し遅れただけでも、大騒ぎになっていたことであろう。少しでも不備があれば責任問題になり、最善の結果だとしてもあることないこと言われた可能性が高いのではないかと思うのは考えすぎだろうか。指名されなくて本当に良かったと思う。

 それにしても今回の引き揚げに批判的な言葉が聞かれないのは、中国相手だからなのだろうか。それとも朴槿恵前大統領の問題で頭がいっぱいで、セウォル号事故に対する関心はもう醒めているのだろうか。

 その朴槿恵前大統領は弁護士9人のうち7人を解任したという。残ったのは古くからの側近で身内のような2人だけらしい。これは弁護士の戦略と朴槿恵前大統領の方針が合致しないからであろうと推察されているようだ。弁護士たちは有利な落としどころを模索するつもりなのに、朴槿恵前大統領は完全否認で押し通すつもりであるという。

 意地を張れば却って裁判で心証を害して情状が考慮されないと弁護士は考えるが、悪くないものは悪くないのだから絶対認めない、ということなのだろう。彼女の世界観が現実世界とはズレているのかも知れない。解任された弁護士は名を挙げる機会は逸したけれど、解任されて重い責任から逃れて少し安心したところもあるかもしれない。

 ネットでは、解任ではなくて辞任ではないのか、とか、たった9人の弁護士もコントロールできない人間では国を治めることなどそもそも無理だったのだ、などと厳しいコメントが相次いでいるそうだ。

 大統領になったばかりに人生を棒に振ってしまった。そのことに彼女はまだ気がついていないのかも知れない。それなら哀れな人だ。

受注合戦

 インド最長の橋となる「ムンバイ港湾横断道路」の受注を目指して韓国、中国、日本、アメリカなどがしのぎを削っているらしい。

 トルコの大型吊り橋は、韓国が日本と争って受注に成功している。んかいは日本が巻き返しのために攻勢をかけると見られ、韓国はそれを受けて立つ構えだと、朝鮮日報が報じていた。

 日本には是非頑張って欲しいところだが、中国も韓国も採算を度外視した安値受注をすることが多いので、今回も予断を許さない。れに今回の架橋には技術的な困難さは少ないらしく、とにかく価格面がポイントになるだろうという。

 デフレ時代は技術や安全は二の次で、価格勝負になることが多い。そのときに明らかに採算が度外視されるケースが生ずることがある。私も営業をしていた時代にそのような競争に巻き込まれたことが度々あった。そんな時にはそのことが今後に必ずつながる意味のあることと判断すれば無理をすることもあった。

 ところがそんな意味も考えられないときに、信じられない値段で受注する会社が出てくるから不思議だ。そんな時は受注を目的とせずにぎりぎりまで粘って相手の価格をさらに下げさせて、さっと身を引く。絶対に相手は採算割れに陥るように仕向ける。申し訳ないがこちらが利益を上げることができないなら競争相手の利益を損なうのも時には戦術なのである。
 
 こうして最後は撤収した競争相手も少なからずあった。現に韓国の造船業界はそれで自滅した。

 今回の受注合戦は価格勝負がポイントだとしたら、日本は不利だろう。日本はまじめで手抜きをしないから、材料の質も落とさず工事も完璧にするだろうからだ。だとしたら韓国や中国は価格で攻勢をかけるに違いない。とことんまで粘って採算割れが見えたらさっと身を引くことも戦術としてありだろう。

 ただ、大きな土木工事は作り続けて技術の継承や向上が出来る。チャンスを失い続ければ能力も低下してしまう。参入機会の喪失は損失でもある。その兼ね合いこそが経営者の判断力の試されるところだろう。

 ところで受注合戦といえば、インドネシアの高速鉄道で、日本は理不尽な横やりで中国に敗れてしまった。あれはいくら何でもひどいやり方で、それに乗ったジョコ大統領にはどこかで一泡吹かせなければならない。中国は三年で完成させると豪語し、全て中国持ちで工事すると言った。工事は遅れに遅れており、約束の2019年完成はほとんど不可能だろう。ただ、約束など破ることに平気な中国だから、困るのはインドネシアだけである。しかし至れり尽くせりの約束を中国が履行すれば大赤字は必死である。といって約束をことごとく破れば恨まれて不信だけが残ることになる。

 中華鉄道網というメディアがこのインドネシアの高速鉄道のことを取り上げていた。「この受注は中国にとって成功だったのか?」という見出しだから、批判的なものと言えるだろう。つまりこの受注は中国にとって利益にならなかったのではないかという疑問符である。

 当局の許可なくこんな記事が出るはずがないのが中国だから、それなりの批判勢力があるということだろう。この受注に習近平が関わり、手柄顔にしていたけれど、批判されて矢面に立つ前にいろいろと言い訳の準備をしてもいるのだろう。「インドネシア側と中国側のあいだにいろいろと意見のズレがある」などと書かれているから、多分不利益となっても原因はインドネシア側にあると強弁することだろう。

 習近平は世界中で大盤振る舞いの約束をしている。そのツケがかなりたまっているはずで、批判されてそれに苦しむ習近平が無性に見てみたい。

意外な航空燃料の原料

 中国で画期的な航空燃料の生産が始まったと報じられていた。自慢げに書かれていると読むのは違っていて、じつは皮肉交じりの記事なのかも知れない。

 その原料とは「下水油」である。中国では廃棄された食用油を再生して食用油にしているという話しはずいぶん前から報じられていた。下水に流れ込んだ廃油まで再生しているなどと聞くと恐ろしい。そんな油で料理された物を食べ続けていたら、健康にどのような影響が出るのか、人体実験をしているようなものである。しかしそれがたまたま摘発されたもののことではなく、一般的な食用油として流通しているらしいのだから恐れ入る。

 以前上海の工場地帯にある安い食堂で、工場労働者がどんなものを食べているのか試しに食事を食べてみたことがある。やや酸っぱい青葉の漬け物を刻んで御飯と一緒に炒めたチャーハンのようなものが定食だったのでそれを食べた。出来たての熱いうちは勢いで呑み込んでいたが、醒めてきたら異様な油の匂いがムッと鼻に来た。

 食べ物を残すのは嫌いだったけれど、さすがに完食することが出来なかった。思えばあれも下水油で炒めたものかも知れない。中国の貧しい人はそれを常食にしているのである。

 記事では、下水油から航空燃料を作る事業が推進されていて、すでに試験飛行も行われ、問題は生じていないといい、10萬トンの下水油から3万トンの航空燃料を取り出すための設備が着工予定だという。将来的には高額の炭素税のかかる海外路線便の航空燃料にする予定だそうだ。再生だから特別あつかいになるのだろうか。

 これで中国の庶民は下水油料理とはおさらばできることになるのかどうか。使用済みの食用油から作られた燃料だが「料理の匂いはしない」そうである。

 報じているのが香港のメディアだから、多分皮肉交じりの記事なのだろう。

2017年4月10日 (月)

なぜ中国メディアは「日本人はなぜ結婚しなくなったのか」という記事を書いたのか

 記事では2015年の日本の若者のうち、男性の23.7%、女性の14.1%が生涯未婚になるという厚生労働省の推計を紹介している。さらに2035年には、男性の29%、女性の19%が生涯未婚になるという。

 だから結果的に日本で結婚しない若者が増え続けていることは確かである。ただ、疑問なのは男性と女性では、男性の方が人数が多いけれど、男女で10%も生涯未婚率が違うのは不思議だ。これは特定の男性が何度も違う女性と結婚しているということだろうか。

 結婚は、自分とは育ちも性格も違う他人と四六時中一緒に暮らすということである。性的なことを除けばわずらわしいことも多い。いまはその性的なことさえわずらわしいという者さえいるという。だから「成人すれば結婚は必ずすべきものである」という社会的な圧力がかからなければ、結婚への意欲は盛り上がりにくい。

 愛し合って結婚するなどというのは奇跡に近いことで、多くは成り行きで結婚し、やがて相手が自分にとってかけがえのない存在になったときに本当の愛情が生まれる。そもそも世界中そうだったので、いまのような「愛、愛」とお猿さんみたいに言うようになったのは近代になってのことである。いまの人はそう思い込まされているから、奇跡的にしかない愛による結婚を求めて見つからず、または見つける煩わしさに結婚をあきらめる。

 昔のように世話焼きがいない時代である。おせっかいは毛嫌いされるのが現代である。出会いのチャンスが昔よりずっとなくなった上に社会的に「結婚しないのは普通ではない」という考えもなくなってしまった。いまは親でさえそんなことは言わないし、言えない。

 中国メディアは、日本も経済的な理由で結婚したくても出来ない若者が多いのだ、としているが、問われれば「面倒くさいから」という理由を言うわけにも行かず、とりあえず金銭的なことを理由に挙げる人が多いだけではないのか。そもそも一人で食べていけるなら二人でも食べていけないはずはないので、子どもの問題をべつにすれば結婚したければ出来ないはずがない。

 ただ、子どもの問題は社会的な紐帯がほとんどなくなってしまって再構築が出来ていない現在、新しい基盤が整備されるまでは産んで育てるのはとても難しい時代のようで、同情する。

 バブル時代に土地の値段が急騰し、住宅を取得することが困難になった。結婚しても自分の家が持てない。そのときに「結婚するのが普通だ」という結婚への圧力が社会的に消失してしまったのではないか。そしてそれはついに復活することがなく、負け惜しみとしての独り暮らしの自由さと気ままさが、価値あるものとして社会に定着してしまった。

 中国では長く続いた一人っ子政策の弊害で、男子が女子より3000万人も多いという。男子に限れば、日本よりずっと生涯未婚者は多いに違いない。さらに中国経済は土地バブルである。経済成長率を維持するために投資に偏りすぎている中国経済は、土地に対する投機が日本のバブル時代以上である。少なくとも都市部では若者が自分の家を新たに持つことは不可能である。

 中国はすでに一人っ子の子どもである一人っ子の時代である。舐めさするように祖父母や親に大事にされて育った一人っ子が、他人と暮らすことが困難なことは日本以上であろう。日本の若者が結婚しない状況を語りながら、じつは中国の実態を語っているのか、時治を見て感じた次第である。

 そして今後のことを考えれば中国の方がはるかに深刻であろうと推察している。

「なぜ」の罠

 ネットニュースを見ていたら「教育勅語の復活はなぜ多くの人から問題視されるのか」という中国メディアの記事が目に入った。また「日本人はなぜ結婚しなくなったのか」という記事もあった。

 翻訳の問題もあるだろうが、「なぜ」と問う言葉には問われたことが事実であるという前提が付帯している。そういう事実があるけれどそれはなぜか、と問うことで、その事実は検証なしに読んだ人に事実として受け止められるという仕組みになっている。

 教育勅語が復活しているのか?教育勅語の内容を承知している日本人がどれだけいるというのだろう。私は読んだことはあるけれど、覚えていないし、知っているとはいえない。そもそも読んだことのない人が大半で、教育勅語に猛烈に反対しているひとにしても、森友学園関係の幼稚園生よりも知らないのではないか。


 それが「教育勅語の復活はなぜ多くの人から問題視されるのか」という記事の見出しになれば、中国人は、日本では教育勅語が復活したのだと思うだろう。それは悪いことらしい、と思うだろうが、教育勅語とはなにか、書いている記者も読者も知らないに違いない。ただ軍国主義と単純に結びつけて非難するだけで、そこには非難したくてたまらないときの材料として教育勅語が使われているに過ぎない。

 私は教育勅語がそのまま軍国主義につながるとは思わないけれど、わざわざ戦前の教育勅語を持ち出さなくても教育について見るべきものがあれば、その精神だけを新たな言葉にして語ればいいだけのことだと思う。わざわざ教育勅語そのものを持ち出す精神の底にイヤなものを感じるのは当然である。そのことが結局教育勅語の精神そのものを貶め、教育そのものをゆがめることにつながるおそれがある。

 森友学園問題の不快で嫌な側面がそこにある気がする。そしてそれをことさらに材料にするマスコミ、それを嬉しそうに語る中国メディアになんだか面白くないものを感じてしまう。

 ついでにいえば「日本人はなぜ結婚しなくなったのか」という言葉は、「したいけれど出来ない」というよりも「しない」という意志が感じられて、記事の主旨とは会わない気がする。中国のメディアはこの言葉で、日本をうらやむ中国の若者は多いだろうが、その日本の若者だってお金がなくて結婚できないで不幸なのだぞ、と言いたいのだろうから。

 書店で本を眺めていれば、この「なぜ~なのか」とか「なぜ~でないのか」という類の題名をしばしば目にする。前提を擦り込んで自分の言いたいことにひきずりこむ手法で、私はあまり好きではない。

旅上手

 テレビ番組の中で、旅番組を観るのが好きだ。旅番組はとても多いけれど、面白く感じるものとつまらないものとがある。それは行き先に魅力を感じるかどうかということもあるだろう。これは人によって違う。

 海外旅行なら、私はアジア旅行の番組を優先的に観る。自分が行っているのもほとんどがアジアである。なにより行きやすいし、同じアジア人としての親和性も感じる。そういう意味では意外性を楽しむというよりも、なんとなく昔の日本を見るような、ある種のなつかしさを感じることを楽しむ。

 もちろん似ていると思うのは思い込みの部分があり、じつは違う面の方が多いのかも知れない。その違いを識るにはまず親和性を感じるというところから始めるというのが私流だ。手がかりのあるところから親しみ、そしてこそ違いに気がつけるということだ。いきなり全く違うものの中からむりやり同じものを見ようとするやり方は、それこそ人類みな兄弟、みたいな無理矢理な思い込みから始まっているようで、なじめない。

 楽しめる旅番組は旅人によって魅力的だったりつまらないものになったりする。見るものも見ずに騒がしいだけの旅人が出てくると興ざめだ。

 最近カンボジアとミャンマーを旅行する番組がいくつも続いて、どれも面白く観た。どちらの国もこれから急成長するエネルギーを感じさせる国であり、同時に地方はまだ純朴で、私の子どものころの日本を見るようななつかしさと人の温かさを感じる。共に仏教国であることとその温かさに大いに関係があるのではないかと思う。

 ミャンマーを旅する番組の一つでは、鶴田真由が旅人であった。前後編に別れていて、前編は列車で南から北への旅、後編は北からエーヤワディ川(イラワジ川)を下る旅であった。ミャンマーが仏教遺跡にあふれ文化豊かな国であること、人々が礼節にあふれて優しく温かいことが見て取れてとても良い番組だった。

 これは旅人である鶴田真由の手柄であろう。彼女の笑顔と人なつっこさが見知らぬ人の笑顔を引き出すのだと思う。彼女は田舎の食べ物を食べるのに躊躇をしない。食べたことのないものでも、そして必ずしも衛生的ではない状態で調理されたものでもためらわずにおいしそうに食べる。見ていて気持ちが良い。

 田舎の民家に泊まることもある。私が気になるのはトイレである。東南アジアの農家などで泊まったらどんなトイレなのだろうか。旅慣れない人なら出るものも出なくなるかも知れない。何でも食べることが出来ること、健康であること、トイレがどんなところでも平気なこと、それが海外旅行での旅上手というものだろう。

 それを鶴田真由は感じさせてくれる。彼女の大きな目で見つめられ、にっこりとほほえまれたら、心を開かないでいられないだろう。もちろん旅番組だから、あんなふうに会っていきなり家に寄せてもらえることばかりはなくて、いろいろスタッフが交渉したりしていることもあるのだろうけれど、それはそれでかまわない。

 私もそんな旅上手になりたいと思いながら、でもトイレ一つとってもなかなか海外の田舎のトイレには躊躇するだろうなあ。それでもカンボジアとミャンマーには行ってみたいなあ、と思った。

2017年4月 9日 (日)

立川昭二「年をとって、初めてわかること」(新潮選書)

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 老人になるということはどういうことなのか、もちろん老人になってみなければ本当のことはわからないものだ。老人になるということの意味や姿を描いた、たくさんの文学作品から読み解いていったのがこの本である。

 選ばれている作家や作品の数がとても多い。これらを読みこなし、著者が読み解いたように読みこなすのは至難のことである。ここに選ばれたあるたった一つの作品でもその内容は深く重いのである。

 出来るなら紹介された作品や作家をじっくり読みたいところだが、それだけのエネルギーがないのが哀しい。ただ、いくつかの作品は私も読んでいるし、それなりの感銘も受けた。そのことを手がかりに老人になるということの意味をもう一度考えさせてもらうことが出来たと思う。

 前半には老人のエロスについて書かれた作品が数多く紹介されていて、老人はそんなことを考えているのか、またはそんなことばかりを考えているのか、と思うかも知れないが、実はそうである。特に文学作品を書くような人は、人間の根源的な欲望を直視して掘り下げる人ばかりだから、そのことにこだわることが多い。それが作品になっているのは当然なのである。

 しばしば謹厳で知られて人が、痴呆症になると看護婦や嫁に対して性的な行動に出ることがあると聞くが、他人事ではない気がする。人間は理性の歯止めがなくなればなにをすることになるのか、自分でもわからないのだ。とはいえそのことを直視する気がわたしにはないので、そのへんはこだわらないことにする。

 高齢の夫婦の関係について、そのさまざまな愛の形が描かれた。昇華して純愛に近いもの、互いをかけがえのないものとする美しいものなどいろいろで、これも独り暮らしの私には若干の羨望とあきらめ、そしてある意味で煩わしさからの自由を感じるのみである。

 老いには病と死とが必ずつながっている。病まずに死ぬことを理想とする人もいるし、病んでも一日も長く生きのびたい人もいる。しかしそれは自分では決められない。見事な死は運の善し悪しで決まるのではないか。同じ人が見苦しい死を死ぬし、潔くにこやかに死ぬ。

 老人になっても死から顔を背け続けたとしても、そのときは来るときは来る。それなら真正面からそれを見つめて考える方を私は選ぶ。死の覚悟など出来るかどうか知らないが、考えることで多少は見苦しくない死に方に近づけないかと思っている。なにより死を考えることは生きることを考えることにほかならないからだ。

 老いること、死ぬことを通して、生きることとはなにかを考えることをこの本で多少考えさせてもらった。何年がしたらもう一度読み返してみたい本である。そしてその間にこの本にとりあげられた作品をできるだけ読んでみたいものだと思う。

映画「CAGED-監禁-」2010年フランス映画

 監督ヤン・ゴスラン、出演ゾエ・フェリックス、エリック・サヴァン他。

 最初に少女ふたりがかくれんぼをしているシーンから始まる。一人が鬼になってもう一人を探し始めるが、どこにも姿がない。納屋の中を覗き込んだその少女が見たのは、血まみれでボロ屑のように横たわる友達だった。闇の中から現れたのは牙を剥く猛犬。

 半狂乱になった少女は納屋の中に置かれた廃車に逃げこむ。猛犬は車に向かって狂ったように体当たりを繰り返す。

 そして時が経ち、成人になった少女キャロルはボランティアの医師としてユーゴスラビアの紛争地帯にいる。ようやく任期を終え、同僚達三人と車で撤収のドライブに出発した。ところが途中の道路に地雷があるということで通行止めにあう。古い地図を見ていた同僚が迂回路があるというので本道を逸れた三人だったが、いつしか道に迷いどこにいるか分からない状態になってしまう。

 ようやく見つけた途中の農家で道を尋ねることになるのだが、その農家のたたずまいはどことなく不安を感じさせるもので、彼女は奇妙な既視感を覚える。彼女のトラウマとなっている場所とイメージが重なるのだ。それは恐怖を覚える犬の吠え声のせいでもあった。

 やがて教えられた道を走り出した三人は、突然覆面をして武装した男たちに襲撃されてとらわれてしまう。同僚の一人はその際に銃撃を受け足を負傷する。

 ここから監禁された彼等が体験する身の毛もよだつような出来事が描かれていく。血まみれのシーンがあり、理由の分からない不条理な恐怖が続く。やがてなぜ彼等がとらわれているのかが分かり始める。それは分からないから恐怖だったことが、分かったことでさらに恐怖が増すという仕掛けになっている。

 絶望の中にかすかな希望があり、その希望が粉みじんに砕かれてさらに絶望が深まる、という繰り返しの中で、キャロルは自分のトラウマを乗り越えられるのか、それともそれに押しつぶされてしまうのか。

 彼女を立ち上がらせたのは、一人の少女が同じようにとらわれていることを知ったときだった。彼女に過去の自分を見たのかも知れない。絶望的な状況の中、彼女の戦いが始まる。

 怖がらせ、気味悪がらせ、気持ち悪くさせてくれる映画だがそれだけではないところもある。

倶利伽羅峠

俱利伽羅不動寺からさらに少し細い道を上ると倶利伽羅峠の古戦場に至る。

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源平合戦慰霊の地と石碑にある。
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供養塔へ登る階段。
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供養塔。
倶利伽羅峠の戦いは平家追討を受けて挙兵した木曽義仲(源義仲)が戦勝を続けて勢力を北陸道までひろげたため、
平家が10万の大軍で攻めてきた。当初越前で平家が勝利し、義仲は越中まで後退を余儀なくされ、追討する平家と義仲軍が本格的に激突することになったのがこの倶利伽羅峠なのである。
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木曽義仲は地の利を活かして平家軍を隘路に追い込み、夜襲で倶利伽羅峠の崖から平家軍を追い落として大勝した。
このあと平家は敗走、それを追って遂に木曽義仲は京都を制圧する。
つまり歴史の転換点となったのがこの倶利伽羅峠なのである。
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古戦場を見下ろすが、なにも残っていないからどこでどう攻防があったのか分からない。
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目を上げればはるかに雪山が望める。どちらを向いているのかよく分からないので、立山なのか白山なのかそれとも違う山なのか分からない。

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平家物語には、倶利伽羅峠での夜襲に木曽義仲軍は数百頭の牛の頭に火のついた松明を結び平家の陣に突入させ、それに驚いた平家軍が逃げ惑って崖から転落して死屍累々となったと記している。

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これを「火牛の計」という。

子どものときに読んだ本では、この奇策を進言したのは巴御前だったと書かれていた。

しかし現在ではこの火牛の計は事実ではないとされている。そもそも頭に火のついた松明を付けた牛が揃って平家軍の方向に突進することはあり得ないし、この戦法は中国の戦国時代、斉の田単が行ったものであることが知られている。

田単は牛の角に剣をくくりつけ、しっぽに火を付けて牛を狂奔させ、敵に突入させたという。この方が現実的だ。

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すぐ近くに芭蕉の句碑があった。

「つかもうごけ 我泣く声は 秋の風」

これは源平の戦いのことを読んだのではなく、奥の細道で東北からの帰り道、日本海沿いに南下し、北陸路を西に行き、最後は大垣まで歩いた芭蕉が、金沢の小杉一笑という俳人の死を悼んで読んだもの。この倶利伽羅峠は北陸路の峠であるからそれにちなんでおかれているらしい。

金沢には一笑塚と一笑の墓があるという。

今回の小旅行はこれで終わり。

それにしても立ち寄る値打ちのあるところが日本中にあるものである。

2017年4月 8日 (土)

俱利伽羅不動寺

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俱利伽羅不動寺は石川県と富山県にまたがる歴史街道「北陸道」が走る倶利伽羅峠にある。成田不動尊(千葉県)、大山不動尊(神奈川県)と並んで日本三不動尊の一つである。

地元の津幡町の観光ガイドによれば、もともとは長楽寺という寺があってそこに安置されていたが、源平の戦いで焼失し、江戸時代、加賀前田氏が再建、それも江戸末期に火事で焼失し、明治の廃仏毀釈により、長楽寺は廃され、手向神社となったそうだ。

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だから石柱は手向神社で左の木柱は不動寺である。

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長楽寺由来。

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注連縄のかかる本堂の中から読経の声が聞こえた。これが日本式(神仏混淆)である。

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こういう彫刻を見ると嬉しくなる。

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俱利伽羅とはなにか。岩波国語辞典によれば「岩の上に立てた剣に龍が巻き付いているかたちで、不動明王の化身」だそうだ。それでこの峠を倶利伽羅峠というのだろう。

ちなみに入れ墨のことを俱利伽羅紋々というけれど、背中に入れた俱利伽羅の入れ墨を指していたものが入れ墨そのものの通称になったようだ。

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不動明王像。

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お堂の外にも不動明王の像がある。

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本堂裏のお手洗いを借りたら男用の前にこの札がかかっている。なかなかしゃれている。

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こちらは女性用。もちろん巴御前であろう。ということは男性側は木曽義仲に違いない。

このあとすぐ近くの古戦場を見に行く。

映画「聖者の谷」2012年アメリカ・インド映画(劇場未公開)

 監督ムーサ・シード、出演グルザール・バット、ニーロファル・ハミッド、アブザル・ソーフィー他。ドキュメンタリーを見ているような映画だったが、多分記憶に残り続けるだろう。

 カシミール地方に住む青年グルザール(グルザール・バット)は叔父と二人暮らしで、叔父の世話をしている。叔父はそれを当然のこととしているが、グルザールは自由になって都会に出たい夢も持っている。

 近所の口さがないおばさんたちは叔父に縛られているグルザールの陰口を囁き会う。こんな状態では嫁の口をきいてもらうことは出来ない。

 そのグルザールにはちょい悪のアフザル(アフザル・ソーフィー)という友人がいる。彼の誘いもあり、小金を貯めて叔父を残して都会に出る決心をする。叔父が遠くの結婚式に出席するため、しばらく家を空ける。家出のチャンスがやってくるが、アフザルには出かけるための金がまだ準備できていない。しかも叔父を見送ったあとカシミール地方独立運動の騒動が起こり、当局によって外出制限が行われて身動きが取れなくなる。

 そんな時地元の有力者からグルザールに、ある女性の世話をするように要請がある。その若い女性アシファ(ニーファル・ハミッド)は大学の研究生で、地元のダル湖の水質汚染の実態調査のためにやってきたのだ。グルザールが生活の基盤にしている湖だが、彼女の調査を手伝ううちにダル湖の真の姿が見えてくる。排水は流れ込み、ゴミは捨て放題で湖は絶望的に汚染されていた。その水を生活水に使っている人々はその湖と共に汚染されているが、そのことに気がついていない。

 アフザルもアシファの手伝いを勝手に始めるが、アシファはそれをあまり快く思わない。アフザルの下心が見えるからだ。まじめなグルザールがどうしてアフザルのような男と仲がいいのかアシファには理解できない。やがてアフザルは調査を却って邪魔することになるような失敗を犯してしまう。

 こうして再びグルザールとアシファのふたりだけの調査が続けられ、ふたりの心は少しだけ近くなっていく。しかしもともと育ちの違うふたりのことであるから、淡い関係のまま別れることになる。それが湖の風景と重なってしみじみとした叙情を見せる。

 アフザルは外出禁止のあいだに地元のボスから違法行為の仕事を請け負い、しばしばグルザールも手伝うことになる。きわどいこともあったが何とかそれで小金を貯めたふたりはついに旅立ちの準備が整い、まつりのために外出禁止が解かれたのを機にバスで旅立つ。

 走るバスの窓外にダル湖が見える。グルザールは自分の過去の生活とアシファとの日々を回想する。そして・・・・。

 なんだかインドのカシミール地方にどっぷりと浸かって、観光客としてではなく現地に暮らす人間として生活していたような記憶が残された。余韻の残る映画だった。淡々としているから山場らしい部分は少ないが、登場人物の心の動きが手に取るように分かる。分かることはとても大事なことなのだということもよく分かった。

瑞龍寺・回廊

瑞龍寺の法堂から回廊を左回りに山門まで歩く。


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簡素だがある意味で豪華な回廊。

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すぐ後ろの扉の中は禅堂。この木の魚は参禅の合図のために叩くのであろうか、腹の部分がえぐれている。

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すぐ横にこんな丸いものがあって、何だろうかと思ったが、参禅用の丸い座布団のようである。長時間座禅をするときには、あるとないではずいぶん違うだろう。

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回廊の角に烏瑟沙摩(うすさま)明王像。下の仏様、安産の仏様だそうだ。下というのは下半身のことだろうか?

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山門の仁王様に別れを告げ、瑞龍寺をあとにした。

時間がまだあるので、いつか行きたいと思っていた倶利伽羅峠に行ってみることにした。ここから一時間足らず、小矢部にある、源平の古戦場である。

2017年4月 7日 (金)

石廟

法堂回廊の裏手に出る。


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敷石を歩いて行くと、

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このような石廟がある。

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石廟の彫刻。

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これも表側の彫刻。

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横手にも精巧な彫刻がある。

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石廟は全部で五つ。

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織田信長公の廟もある。

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加賀前田家初代利家公の廟。

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二代目利長公の石廟。

石室の廟は珍しいのではないか。

このあと回廊へ戻り、未見の場所を覗いて歩く。

高岡山瑞龍寺②

仏殿を抜けて法堂に行く。


法堂は仏殿のぐるりをめぐる回廊が左右から集まるところ。

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法堂。この左右に回廊がつながっている。

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法堂内部。部屋がいくつもある。

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内室の天井。狩野安信の四季の百花草が描かれているというがよく分からない。

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右手の土間になっているところにこんな木像があった。

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お顔を撫でると御利益があるらしい。畏れ多いので私は遠慮した。

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その向かいの厨の中に端正な仏像が鎮座している。

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瑞龍寺の扁額。奥は内室で、そのさらに奥に前田利長公の位牌が置かれているそうだ。

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映画「蜩ノ記」の撮影がこの法堂の上段の間で撮影されたそうだ。原作は読んだが映画はまだ観ていない。録画はしてあるけれど、イメージが壊れるのが少し心配なのである。

このあと石廟を見に行く。



高岡山瑞龍寺①

平湯から神岡へ、そこから国道41号線を北上して富山へ向かう。神通川沿いの景観のいい道で、ひたすら下り道である。


タイヤ交換まで時間がある。高岡は仕事で何度か行ったことがあるが観光で来たことはない。観たいところはいくつかあるけれど、瑞龍寺に行くことにした。

瑞龍寺は加賀藩第二代藩主前田利長公の菩提を弔うために第三代の利常公が建立した。利長公は高岡に城を築き、ここで没している。利常公は利長公の息子ではなく、義弟である。

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総門を入ると正面に立派な山門がある。想像していた以上に広々としたお寺だ。

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総門の向こうに仏殿があり、それを取り囲むようにぐるりと回廊がめぐらされている。

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回廊の一部。

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総門から回廊内部を撮す。

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仏殿内部。本尊は釈迦如来。遠くて暗くて分かりにくい。

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横手から失礼して。

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大きな木魚が異様な存在感を示していた。

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仏殿の右手奥の方に中国風の仏像があった。

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本尊の裏手あたりにこんな木像もある。

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元老和尚の木像。開山とあるから初代の人なのだろうか。

このあと仏殿の奥の法堂に行く。

2017年4月 6日 (木)

新穂高ロープウエイ西穂高口駅の展望台から

西穂高口駅がロープウエイの終点。標高2156メートル。

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天候は曇りだが、山ははっきりと見える。青空が背景だったらもっと好いけれど、風もほとんどなく、温かいから上等である。
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焼岳がやや霞んで見えている。この焼岳の向こう側が上高地である。平湯からはこの焼岳の下の安房トンネルを抜けていけば近い。
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ここまで登ると正面に穂高連峰がのしかかるように見える。

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穂高連峰の左手には鋭鋒の槍ヶ岳が間近に見える。

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もう一度じっくりと穂高連峰を眺めてから山を下った。

この晩は平湯泊まり、今日は金沢でタイヤ交換(冬用タイヤはリースタイヤである)して夕方、懐かしい金沢営業所に立ち寄り、夜は若い友人と会食する予定。

新穂高ロープウエイを上へ

平湯温泉から栃尾温泉を通り、新穂高温泉を過ぎた終点が新穂高ロープウエイ乗り場。子どもが小さいときには栃尾温泉の民宿旅館に年二回は必ず来たので懐かしい。だいぶ前に代替わりしてしまい、安房トンネルが開通してからは客も増えたのか、昔のようなリーズナブルな値段ではなくなってしまった。


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ロープウエイ乗り場から山を見あげる。方向から見て笠ヶ岳周辺の山だと思うがよく知らない。

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ちょうど前の便が出たばかりで、改札前は閑散としている。
やがて静寂が破られ、大勢の客がやって来た。大声で語り合っているらしいがなにを言っているのか分からない。ここにも中国人観光客が大挙してやって来たのかと見ていたら、どうも韓国の人々らしい。不必要に大きな声で、笑い合い罵り合いしている。

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ロープウエイは乗り継ぎになっている。高く登るほど見える山も高くなるのは承知しているが、いまでもなんとなく不思議な気がする。

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そういえば改札前にかかっていた張り紙に、強風が吹き出すとロープウエイは運休になるという。そうすると駅内に待機しなければならないという。何日も強い風や吹雪が続いたらどうなるのだろうか。今日は大丈夫だろうか。下で大丈夫でも上は全然違うことはよくあるし。

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ロープウエイの下はこんなに雪が深い。こんなところ歩けるわけがない。

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冬でもこういう雪の中を登る人がいることが信じられない。

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乗り継いだ次のロープウエイは珍しい二階建て。もうすぐ頂上に着く。

朝の窓から

早朝の宿の窓からの景色。


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このように雪がまだ残っている。朝日が差し込んできた。

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四月中は気温が下がれば雪が降ることがあるらしい。

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はるかに遠くの雪山が日に染まりだした。

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こんなふうに少し赤みを帯びて輝きだした。

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気温は思ったより低くない。朝の空気を思い切り吸い込んでから、朝風呂に行く。

2017年4月 5日 (水)

温泉に行く

明日、タイヤ交換に金沢に行く。

ただ行って帰るだけではもったいないので、その前に一泊、奥飛騨温泉の平湯に泊まることにした。

いつもなら早朝出かけるが、今日はゆっくり。ガソリンを満タンにして国道41号線を北上する。高山経由である。

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清流の飛騨川に沿って走る。車の量はそれほど多くはない。ときどき遅い軽自動車がいるけれど、たいていすぐ横道に逸れてくれる。

気温も快適、ただし花粉症気味なので外の風を入れるのはやめておく。

高山を過ぎると雪がところどころ残っている。まだ春本番ではないのだ。

時間があるので新穂高ロープウェイにいってみることにした。

その写真は明日。これから風呂に入り、一息入れたら平湯温泉の街をひやかして歩き、一杯飲む。何しろ晩飯無しのビジネススタイルのホテルに泊まる。ただし、風呂は大きな木の風呂で、もちろん温泉である。とにかく空きを埋めるための特別安い料金なので、その分飲み代に回せるというわけである。

ではまた明日。



名古屋城の桜②

一番内側のお堀を渡る。


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お堀にはたくさんの石が並べられている。ずっと石垣の補修が続いており、そのための石であろう。全て元あった場所を示す番号が振られている。

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天守の礎石。名古屋城は空襲で焼失した。残ったのはこの礎石だけ。ここに集められている。

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赤いものがあると華やぐ。

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天守を正面から見る。こちら側から天守閣や脇の天守の中に入り、見学できる。

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最近完成(昨年から公開されたと記憶する)した本丸御殿。少し陽の光を浴びて色合いが落ち着いてきた。中に入るために行列している。

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ほぼ満開のしだれ桜を撮る。

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夜もあたたかそうだから夜桜を見に来る人も多いだろう。

いつもならこのあと護国神社や那古野神社の桜を見に行くのだが、どうせ満開ではないだろうし、今年はパスすることにして帰宅した。

名古屋城の桜(ちょっと早かった)①

昨日、名古屋城の桜を見に行った。


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地下鉄の浅間町駅から名古屋城に向かう。石垣が見えてくればもう近い。フェンスの向こうはお堀である。

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フェンス越しに見れば、咲きかけの桜がお堀に垂れさがる。

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出店が出ている堀の上の桜は見頃直前。

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城内に入る手前で天守閣の全景が見える。名古屋城もいかにもお城らしい美しい城である。

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金のしゃちほこが春の陽光に輝いている。

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この門で入城料を払って中に入る。昔からずっと500円。

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門を入って右手のしだれ桜は毎年早めに満開になる。

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大変な人出である。団体で記念写真を撮る人も多い。

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この石垣の曲線と天守閣の姿がとても美しい。名古屋城はコンクリートで再建されているが、名古屋市は、と言うか河村市長はこの天守閣を木造で再建し直そうとしている。

予算の問題もあり、名古屋市議会では反対も多かったのだが、このたび木造で再建することがほぼ決定された。

ということは、しばらく工事のためにこの美しい天守閣を見ることができなくなることになるのであろう。


2017年4月 4日 (火)

三橋貴明「中国不要論」(小学館新書)

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 中国が不要と言われても中国人は困るだろう。現に存在しているし、いなくなることもない。誰にとって不要なのか。もちろん日本にとって不要と言っているのである。

 しかし冒頭からの文章を読めば分かるように、著者は本気で中国が不要だなどと思っているわけではないし、それが言いたいわけではない。日本の経済にとって中国が重要であることは誰しも認めるところだが、多くの識者や経営陣が、日本は中国に大きく依存しているので中国との関係を悪くすると日本が大変なことになる、と言うことに対してこの本で反論しているのである。

 日本はそれほど中国に依存していて、中国の機嫌を損ねると立ちゆかなくなる状態であるのかどうか、それを検証し、それほど依存しているわけではないと主張する。GDPに占める対中国輸出依存度を見ると、台湾が15%以上、韓国が10%以上に対し、日本はドイツとほぼ近い3%以下である。万一中国にものが売れなくなってもGDPは3%しか低下しない。それどころか中国に売れているものは中国が工業生産に必要な生産財が多いので、困るのは却って中国ということになるだろう。

 著者が問題にしているのは、現実を見ずに中国に日本が大きく依存しているという信奉がまかり通っていることなのである。

 たしかに中国に大きく依存している業種や会社はあるだろう。それが全体のうちのごく一部であることを知らずに、産業界全体が依存しているとするプロパガンダに惑わされている、と警鐘を鳴らす。これが中国が意図的に行っていることではないかと言いたげだが、そこまでのことはないにしても、それを信じている人が多いことは問題であろう。

 実際には日本の対中国投資は減少している。中国に進出した企業は人件費の高騰で中国で生産するメリットを失いつつある。出来れば東南アジアなどに移転したいけれど、中国はさまざまな形でそれを妨害して進出企業を困らせていることは、良く聞かれることだ。その妨害の仕方そのものが中国式で、コスト以上のコストとして企業を苦しめてきた。中国進出などしなければ良かったと後悔している会社はとても多いだろう。

 私も在職時代に上司に当たる重役から指示されて、中国生産を想定した簡単な調査のために中国を歩いてそのレポートを提出したことがある。その重役は中国進出を進めたい意向だったから、それになるべく沿うように調べて、受け入れ可能の場所まで下話をして報告した。しかし本音は中国に進出するのはやめた方が良いと考えていた。

 すでに合弁などで進出している企業の現地責任者にたくさん会った。中国側の朝令暮改の法律変更やたかり体質の対応などの苦労をさんざん聞かされた。それに、もしその話が先に進めば、その交渉などのために現地に私が赴任する可能性がある。まだ男手ひとつで子どもを育てていたという家庭の事情もあり、それは勘弁してもらいたいと思っていた。

 さいわいトップの鶴の一声でその話はそれまでとなった。そのトップの判断は当時も正しいと思っていたけれど、今となるとその決断は高く評価したい。当時は早く中国に行かないとバスに乗り遅れる、と誰もが口にしていたからだ。そう口にする人間は中国に行って交渉責任者など引き受けるつもりなどない人間ばかりだった。現地で苦労している人がその苦労を報告すると、がんばれ、とか泣き言を言うな、もっとうまくやれ、などという答えばかりが返ってきてこちらの実情を聞いてくれない、見にも来ないと嘆かれたものだ。

 その同じ口だけの連中がいまだに中国は巨大市場だから、進出を是とするという思考から変わっていない。そういう風潮を著者は「中国不要」という言い方で正したいと考えているのだ。

 さらに後半では中国からの移民受け入れや、食料品の中国からの輸入について警鐘を鳴らす。食料品が中国製だと日本人は買うのに躊躇する。農薬入り毒餃子事件だけではなく中国の食品に対する不信感を助長する事件には数知れない。しかし不信感は強いのに食料品の輸入は減らないどころか増えている。一つはデフレなのに食品が値上がりしていることで、それを買わずにいられないこともあるが、多くは加工食品のかたちで輸入されているから中国製だと分からないのだ。

 今、中国との経済的な関係をどうすべきか、どうしてそう考えるのかを統計的な裏付けをもって分かりやすく説明している。テレビで見る著者の物言いにあまり好感を持てない人もいるだろう(私も多少そのきらいはある)。しかし意見の違うところもあるだろうが、中国に対しての見方が多少変わる可能性もあり、この本の内容は一度傾聴する値はあると思う。

近所の桜

マンション周辺の桜が一気に咲き始めた。


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まだ満開ではないが日当たりの良いところの桜は見頃になっている。

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咲きたての桜は色ににごりもなくみずみずしく美しい。

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青空に映える桜を見ていたら、名古屋城の桜を見に行きたくなった。

まだ名古屋城の桜は見頃には早いとテレビで言っていたけれど、明日から二、三日出かける予定である。そのあとの週末は雨の予報で、見るなら今日しかない。

雨のあとの桜は色が少しあせてなんとなくわびしく哀しい。それはそれで風情があるが、咲き始めの桜を見に行こう。

定期検診

 昨日は定期検診の日。今回は事前の節制(血糖値の検査数値を多少下げる目的)が不十分であったが、陽気もよくなってきているので結構歩いている。自分では運動しているつもり。お陰で食欲も旺盛で食べる量が少し多くなっている。案の定体重が前回より若干増加していた。

 医師が新年度でまた替わった。今度はまた女医さん。マスクをしていたので眼だけで顔はよく分からないが、小顔でこちらの冗談をニコニコして聞いているから明るい人のようだ。「体重が増えているのは気になりますが、数値はおおむね良好です。努力されていると分かりますので、節制を続けてください」と励まされる。

 病院もだんだん改善されてきて待ち時間が少なくなってきた。血液検査も結果が出るのがとても早くなり、朝一番の八時半に採血すると十時には結果が出ている。全てがスムーズになり、帰宅が以前よりだいぶ早くなった。

 血圧は自分で測って検査値の用紙を提出するのだが、いつも混んでいる。たまたま自分の前の男性が一度測ったあとに首をかしげてもう一度測り直している。ぶつぶつとなにか言いながらまた首をかしげている。さらにまたもう一度測り始めた。「何回測定しているのだ。後ろで何人も待っているのだぞ」とたしなめると、「数値がおかしい。この機械は調子が悪いらしい。いつも三回以上測らないといけない」などという。確かに血圧は測り方で変動はするが、それは当たり前のことだ。「あなたの血圧が変動するのはなぜか知らないが、間違いなく後ろの人たちの血圧は上がってしまったよ!」というと、ようやく席を立った。私が測った限り装置に異常は感じられなかったからあの男が異常なのだろう。

 その話を女医さんにしたので彼女が笑ったのだ。そして「それなのにこの血圧結果なら上等です」とにっこりした。

2017年4月 3日 (月)

映画「アパッチ」1954年アメリカ映画

 監督ロバート・アルドリッチ、出演バート・ランカスター、ジーン・ピータース、ジョン・マッキンタイア他。

 ニコラス・ケイジ主演の同名の映画があるが、これは戦闘ヘリのパイロットの話で全くの別物。

 アメリカには加害者としてのトラウマがある(と思いたい)。新教徒たちはヨーロッパからアメリカ大陸に渡り、東海岸に上陸してひたすら西へ西へと進んだ。彼等は原住民を追い払い、抵抗する者は殺戮し、土地を略奪した。この映画でも原住民について「先住民」という言い方をしている。文字通り先に住んでいたのだ。

 アメリカ人が西へ西へと向かう性向は根強い。やがて海を越えてハワイを侵し、略奪し、日本に、そしてアジアに向かった。ただ日本に来てすぐに南北戦争が起こり、そこで頓挫した。その間に日本は侵略できない体制を整えることが出来た。中国にはすでに列強が進出していて割り込む余地がなく、アメリカにとっても中国にとっても互いをあこがれの地のままで置くことになった、などという話はこの映画については関係ない。

 そもそもアメリカ大陸には「先住民」がいたのである。すでに住んでいる者を追い払い、寄留地と称する地域に押し込めて隔離するというのは理不尽である。それがアメリカの正義なのである。そういえばアメリカのディストピア映画にはしばしばこの隔離ゾーンが登場する。そこには為政者にまつろわぬ者、悪人たちが閉じこめられている。アメリカのそれは一つの伝説的な手法らしく、それを繰り返しているらしい。日本と戦争中には日系の移民(すでにアメリカ国籍を有していた)を隔離ゾーンに閉じこめていた。

 この「アパッチ」という映画はアパッチ族と白人の闘いがほぼ終焉し、族長であるジェロニモが一族を率いて投降するシーンから始まる。これを潔しとせずに単身で闘いを挑む戦士マサイ(バート・ランカスター)の顛末がこの映画である。

 投降に反対したマサイもついに捕らえられ、一族の主立った者は列車でフロリダの寄留地に送られる。その長い列車の旅でチャンスをつかんだマサイは逃亡し、ふるさとへ向かう。途中目にしたアメリカの現実は彼の想像を超えていた。艱難辛苦してふるさとへ戻ったマサイは、そこで一族の者たちが白人の収奪にあっていることを知る。しかし一族の者たちはすでにそれを受け入れていた。

 ただ一人それが受け入れられないマサイは、単身で再び闘いを挑んでいく。

 古き良き時代の映画で、残虐シーンがほとんどない。実際はこんなものではなかっただろう。だからラストもとても甘い。しかしその甘さが古い映画の良さであり、アメリカの自己弁護なのであろう。

「全ての高齢者に身寄りがない状態」

 ネットを見ていたら、中国新聞網が日本がいかにして身寄りのない高齢者という問題を解決すべきかについて分析する記事を掲載した、と紹介されていた。

 身寄りのない高齢者の問題は社会システムの問題であり、この社会問題を解決しないと「全ての高齢者が身寄りのない状態」になることを防げないそうだ。これは政治の問題で、政策的に防止できるはずだと述べている。

 「全ての高齢者に身寄りがない状態」は「足早に近づいて」おり、この問題の解決には「貧困が実際に生じていることを前提に制度を考慮することが重要」で、身寄りのない高齢者の問題を「自分の利益と密接に関係する問題」と見做すべきだそうだ。

 つまりも身寄りのない高齢者の発生原因は「国や社会体制にある」のであって「高齢者自身や家族に原因があるのではない」と主張している。

 「日本は貧困が存在することを認めるべき」だと論じ、「格差を縮め、真剣に貧困問題に取り組まない国に未来はなく」、「貧困がもたらす悲惨な現実を直視」すべきだという。

 原文を読んでいない(読めない)から、「全ての高齢者に(が)身寄りのない状態」と本当に書かれているのか不明である。全ての高齢者に身寄りがない状態とは恐ろしい。さびしく、しかも恐ろしい社会である。年寄りだけが生き残ったのか?

 訳がおかしいのであろう。「身寄りのない状態の高齢者の全て」であろうか?それもなんとなくしっくりしない。それに引っかかって記事を残しておいたのだが、もう一度読み直して気がついた。

 何のことはない。この記事は中国のことを書いているとしか思えない。身寄りのない高齢者の貧困問題は、日本はもちろんだが中国も日本以上に問題であろう。格差も深刻である。もう子どもに頼ることが出来ない。何しろ一人っ子政策でわがまま放題に育てられた子供たちは、親に面倒を見てもらうのは当然と考えるけれど、その分、親の面倒を見なければならないなどとは考えられなくなっているのではないか。

 しからばその親の面倒は国が政策的に見なければならない。そのことを主張したいのだが、自国の話にすると国家(つまり共産党政権)の現状を批判しているととられかねない。そういうわけで日本を名指しして言い分を述べ立てているのだと思う。日本批判なら何を言っても許される国だし、日本の体制に問題があることを主張したみたいで評価されるだろう。それに読む人が読めば言いたいことは分かってもらえる。なかなか言いたいことを言うにも注意と配慮が必要な国であることは変わらないのだなあ。

ひきこもり(3)

 自分が正義だと何の疑念もなく信じる者ほど度しがたい者はない。その典型をしばしばテレビの画面に見る。都知事選のときの鳥越俊太郎氏や、民進党の蓮舫氏などはそれか。ある意味で森友学園の籠池氏もそのひとりかも知れない。自分が正義の、しかも勝者の一人だと確信していたのに、ある日突然敗者にされた自分に気がついて牙をむいた。群がるマスコミや代議士は皆正義の味方である。自分だけ敗者として断罪されてたまるか!と安倍首相とその夫人その他諸々を敗者に引きずり込もうとして必死であるが、いかんせん蟷螂の斧である。敗者と並んでにこやかにほほえむ共産党、民進党、社民党の面々は自分が正義の味方で、今回は勝者だと喜んでいるけれど、なに、敗者と並んで写っていることが彼等自身も敗者であることを歴然と示していることに気がついていない。

 話が暴走した。

 登校拒否児がそのままひきこもりになるケースはどれほどあるのか知らないが、少なからずあるのではないか。私がしばしばラジオで聞いていた時代からすでに三十年以上経っている。当時の登校拒否児童がまさに40歳以上のひきこもりの世代ではないのか。

 子ども時代なら親がいろいろな面で優越するが、ひきこもり時代ともなれば子どもとはいえ成人になっている。親は年齢と共に衰え、体力的にかなわなくなる。その成人の子どもに親は貢ぎ続ける。

 ひな鳥が成鳥になっても巣に残って巣立たないでいる。自然界の親鳥ならそんなものは放っておいてどこかへ行ってしまう。自然界なら自分で餌を得ようとしないひきこもりは生き残れないだろう。ひきこもりが人間だけの現象であることの意味は何だろう。

 ひきこもりしている者には彼(彼女)なりの理由があるだろう。しかしその理由は彼(彼女)の頭の中だけでしか通用しない理由ではないか。そして多分本人は薄々そのことに気がついている。だからしばしば聞くように、親に暴力を揮う。それは自分が正義ではないことに気がついたことへの向け場のない怒りなのだろう。親が犠牲になっている。そのことを正当化するために親のせいで自分がこうなったと言うが、それは当初は言い訳のためだが、長期にわたれば確信となっている。人は自分が悪いとはなかなか認めることができない。

 このような解釈をしていてその無意味さに気がついた。なぜそうなったかを解析したとしても、ひきこもりをひきこもったところから引き出す何の手助けにもならない。共倒れする親子の将来が見えたと語ったところで何の救いにもならない。すでにここまで長期にわたったひきこもり者は、多分ほとんどがこれから普通の社会生活を送ることは不可能だろう。

 精神科の医師は犯罪者を精神科の対象として取り込むことに熱心である。仕事を増やして業界が栄えることを望んでいるらしい。精神科の対象は、正常な社会生活を営むことが出来ない者は精神に何か病があると考える。しからばひきこもりもまさにそうではないか。精神科に「ひきこもり病科」を設けて重症の患者を治療することにしたら良い。

 精神の病に対する偏見は減ったとはいえまだ残っている。ここで窓口をさらに拡大すれば、その偏見はさらに多少減少するかも知れない。ますます繁盛でよろしい。

 冗談はさておき、目的はまず親の救済である。今のままでは親子共倒れが増えることは明らかだが、それはときに事件になる可能性があり、それは社会的にまず対処すべきことである。親の人生の後期をそこまで不幸に留めておくのはあまりに可哀想ではないか。

 全ては救えなくても、少なくとも社会的に貢献した親だけでも救うことを考えて良いのではないか。ひきこもりを社会的に引き受けることで親は救済され、社会はひきこもりのメカニズムについてもっと研究することが求められることになる。そこからひきこもりが起きないための方策や、ひきこもりしていた者を社会に戻す方策も治療法として確立されるかも知れないではないか。

 ひきこもりがひきこもった人間の自己責任であるとか、親の責任とか言っていてはこの現象は解決しそうにもないからあえて言う。

2017年4月 2日 (日)

ひきこもり(2)

 足をくじいたときなど、最初は患部を冷やす。しかしいつまでも冷やしてはいけない。ある程度治まったら回復のために患部を温める。そうして回復を助ける。

 登校拒否はくじいた心の癒やしのための冷却の時期であろうか。しかし冷却が住んだ頃合いには、放っておくのではなく温かく手助けすることが必要だろう。ときには登校を促すことも必要だし、くじいた心に少しリハビリを加えることも必要ではないのか。そのいたみを乗り越えたとき、くじいた心は前より強くなることもあるだろう。

 教育学者の回答は、ただ冷やすことだけを処方として薦めるばかりで、次の登校へのきっかけのつかみ方を呈示しない。これは子どもによって、そしてくじき方によって千差万別だから一言では言えず、「温かく見守りなさい」などと言うのだろう。個別の相談を直接聞けば、子どもにも接するだろうし、多分そのように処方するに違いない。何しろプロである。

 ところが子どもの悩みをかかえる数多くの親は、そのラジオを聞いてどう判断するだろうか。登校拒否になったら見守るだけにしておかなければならないのだ、と思い込むだろう。

 こうして適切に対処できなかった登校拒否の子どもが全国に蔓延した、などというのは私の妄想であろう。

 いま、学校も社会も競争の原理に支配されている。世の中から競争をなくすことなどあり得ないからそれを否定することには意味がないけれど、競争だけが社会の原理であるというのが問題だと思う。

 競争「も」、一つの社会の価値観の論理であるけれど、他にも人間にはいろいろな価値観が存在している。人間は複雑であり、それが豊かさを生み出している。ところが「競争」だけが原理であると単純化されているのが現代のような気がする。少なくとも最優先にされていて、我々はそのことを疑うことができないほどその競争の価値観が原理だと思い込まされている。

 強いもの、賢いものが勝者で、弱いもの、愚かなものが敗者だと決めつける。勝者は正義で、敗者は社会悪だと見做す。だから敗者を見下すのは正しいことなのである。いじめはある者を標的に敗者を作りだしそれを攻撃するが、それは正しいことであるからなかなか止められない。おかしいと思っても、見て見ぬふりをすることしか出来ない。さもないと悪に加担した者として、自分がいじめに遭う。いじめている人間はいじめているという実感を持たない。何しろ正しいことをしているのだから。

ひきこもり(1)

 少し前のニュースで、ひきこもりの多数が40歳を越え始めており、それを支えていた親が高齢化して共倒れの危機に瀕しているということであった。

 子どもが40歳を越えるということは、父親のほとんどは定年を過ぎているということで、サラリーマン家庭なら年金生活がふつうであろう。よほどの資産を残していれば良いけれど、いまどきはそれほどゆとりのない人の方が多いに違いない。ましてや稼いで少しは親を助けるはずの子どもが親の負担になるのである。

 親はまさかこんなにいつまでもひきこもりが続くとは想像もしていなかったに違いないが、ひきこもっている当人はどう思っているのだろうか。ドラマなどを観ていると、自分がそうなったのは親や周りが悪いからだと喚いて暴力を揮ったりしている。

 ひきこもりする人は他罰的な考えをするからそこから抜け出せないのだろうか。それなら自分自身に問題があるかもしれないと思えばひきこもりから抜け出すことが出来るのか。ドラマなどではそこに気付くことで変化が現れるシーンをよく見るが、あれは本当だろうか。

 登校拒否をする子供が少なからずいて、ずいぶん以前から問題になっていた。登校しない子どもは登校できないそれなりの理由があるらしい。いじめなどがあればもちろん誰だって登校拒否するだろう。しかも問題がなにも解決されなければ、その登校拒否は続いてしまい、登校できなかった歳月の長さが登校をさらに困難にしていくだろう。

 問題がなくなっても登校ができない子供が多いともいう。そもそもどうして学校に行かなければならないのか、そのことを説得できる論理を持たない親や学校が当たり前になっている気がする。登校することに意味が見出せなくなれば、登校はときに苦痛でしかない。

 若い頃営業で毎日走り回っていた。ラジオを聞きながら運転していたが、人生相談の番組を興味深く聞くことがある。他人の人生をそこに垣間見る気がする。夫婦関係や財産問題の話題と共に子どもの登校拒否に悩む親からの相談が結構あった。

 教育学者と称する先生がそれに回答するが、異口同音に言うことは、「登校を強制してはならない。本人が行く意欲を持つまで忍耐強く待ちなさい」というものだった。それを聞いて最初は、なるほど、と思った。親は「放っておけばいいんですか?」と問うたりする。なにもしない方が良いのか、という質問だが、先生は必ずこう答える。「放っておくのではなく、手を出さずに見守るのです」。

 どう違うのか私には分からない。多分親も分からないだろうが、断定的に言われると、「どう違うんですか?」と問いにくい。「そんなことも分からないんですか。だから子どもが登校拒否になるんですよ!」と言われかねない気がするのだろう、そこで口を閉ざす。

池上彰「世界から格差がなくならない本当の理由」(SB新書)

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 世界の人々の格差はますます広がるばかりだ、と言われている。昔のように皇帝や王様などの強大な権力者が、強権を背景にして富を集めるのなら分かるが、今の大富豪はそれと匹敵するかそれ以上の富を強権など用いずに集めている。しかもその富は一度貯まるとひたすら増えているらしく思われる。

 どうしてこんなことが起こるのだろうか。その理由を池上彰が分かりやすく説明しましょう、というのがこの本である。確かに分かりやすくて読みやすい。だからあっという間に読み終わってしまった。

 ではこの本を読んで、誰かに「世の中はこういう仕組みで格差が拡大しているのだよ」とうまく説明できるようになったかと言われると心許ない。それは私が雑に読んだからなのだろうが、私がこの本で「なるほどそうか」と得心がいかなかったからである。

 確かに経済的なメカニズムについてはこの本に書いてある通りなのであろう。グローバリズムというものがこういう富の偏在を生み出していることもよく分かる。しかしそれを生み出している人間の心性にこそ私は興味があり、そこにもう少し踏み込んだところがあっても好いような気がする。物足らないのである。格差の拡大が問題であると認識する者なら、この格差の拡大がこれからも続くのか、どこかで破綻を迎えるのか、その転換点はどのようなことで生ずるのか、それを皆が認めてきたのはなぜなのか。

 この本に書かれていることはいろいろなかたちですでに論じられてきたことだ。それを分かりやすくまとめたという点がこの本の手柄だろう。その先の予測については自分で考えさせてくれるというのもこの本の手柄か。池上彰はそういえばご託宣を述べる人ではなかった。

 グローバリズムは自由競争の社会が正しいという前提である。ところがその社会は強者が正しいと言う社会でもある。つまり弱者は正しくない、自己責任で弱者になったと決めつける社会である。そこにはやさしさが見られない。世界が弱肉強食を正義とするとこのように格差が拡大する。その側面から格差社会の問題を見つめないと、自分の問題として考えることが出来ない。社会が悪いから、と言っていては何も答えは得られないだろう。

 弱者は敗者であり、自己責任でそうなったという思考法に自分もとことん洗脳されている。そこからどう抜け出せるか。それがグローバリズムについての見方を補整させてくれるのではないか。TPPについても、あらためて考え直す必要があるのかもしれない。

2017年4月 1日 (土)

すみませんフェイクでした

 本日は4月1日、というわけで、朝の宗月代「橋」(纐纈城出版)というブログの記事は全て嘘です。こんな本はありません。宗は反対にすれば「うそ」で、つまり「嘘つきよ!」ということです。纐纈城は、国枝史郎の「神州纐纈城」からのパクリです。

 感想部分には中身が全くないことや、宗月代と言う名前からぴんと来た人もいたかもしれません。もし本気にしたならたいへん申し訳ありませんでした。笑って許してください。

無料とフェイク(3)

 人は暗い洞窟のなかにいて、たき火の光によって洞窟の壁に出来た大きな影を見て世界を認識しているという寓話がある。それになぞらえれば、私は、人は狭い部屋にいてそれを自分の世界だと認識していると考える。部屋の壁にはいくつかの小さな穴があいていて、そこから覗くと自分の世界ではない外部の世界を見ることが出来る。こちらを覗き、あちらを覗き、外部世界はこういうものらしいと想像し、彼の世界はひろがっていく。

 それが本だったり、テレビだったり、新聞だったり、というわけである。他にもさまざまな覗き穴があるだろう。壁をそもそも無いものと出来たのがお釈迦様か、などと思うけれど今はその話はやめておく。

 ところでその覗き穴から見えているものがじつは虚像で、事実ではないものが混じっているとしたら、世界についての認識そのものもゆがめられてしまう。それがフェイクニュースの恐ろしさである。

 すでに世界はそうした虚像が無数に氾濫している世界なのかも知れない。それを見分けることはとても困難だけれど、そのベースとなるのは信頼できるニュースソースだろう。

 だからニュースは有料であるべきではないかと私は思う。十分な経費を掛けて信頼できる取材をしてもらうことが必要で、しかもそれが独立して存在できるものであることも必要だろう。大金持ちのオーナーに支配されてはメディアの独立性は失われてしまう。ましてや中国の金持ちに買収されたりしたら、世界が中国化してしまいかねない。

 そのためにニュースが有料になることは仕方がないと思うけれど、そのニュースの信頼をマスコミ自身が損なっていては話が始まらない。ネットニュースを便利に使いながら、そのもとのニュースソースが劣化することを心配している。
( 長文にお付き合い戴きありがとうございした)

宗月代「橋」(纐纈城出版)

 「橋」とは隔てるものを渡すものである。人は橋を渡ることで自分のとらわれていた世界から一歩を踏み出す。その先には今よりも善いことがあるかどうか分からない。もしかしたらもっと不幸になるかもしれない。しかし橋を渡ることは間違いなく希望に向かうことだ。何があっても自分の意思で橋を渡ったのだから後悔はないだろう。

 ここには人生のさまざまな「橋」を渡った話や渡らなかった話が収められている。迷いに迷った末についに渡る者、ひょんなことから自分の世界から踏み出して向こう側に渡ってしまった者、ついに渡りきれなかった者や、橋が見出せなかったらしき者も描かれている。

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 橋を渡る前と渡って振り返って見た世界とが同じであることに幻滅する者もいるし、全く違う世界を見て戸惑う人もいる。それから彼、そして彼女はどうするか。それを想像させてくれることで読者にしみじみとした余韻を感じさせる。

 人生にはさまざまな岐路がある。どちらを選ぶか迷うが、どちらかを選ばなければならない。同時に二つの道を行くことは出来ないし、もどることも出来ないのが人生だ。そんな分かれ道も「橋」に似ている。分かれ道の一方を選ぶことは新しい自分の生き方を選ぶことで、それを「橋」というかたちで表しているのだろうか。

 まったく無名の人(出版社も初めて見た)の本をたまたま見つけて手にとって、意外な読む楽しみを味あわせてもらった。

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