« 私の朝 | トップページ | 考える楽しさ »

2017年4月18日 (火)

西研・森下育彦「『考える』ための小論文」(ちくま新書)

 題名から想像がつくように、大学受験や就職試験での小論文の書き方についてのレクチャーである。この本は1997年に発行されているので、もちろん私はどちらの試験もとっくの昔に終わっていたから、その準備のために買ったわけではない。

 その前から手帳に、思うこと考えたことをときどきメモしていた。出来ればそれを膨らませてきちんとした文章にしてみたいものだと夢見ていた。しかし試してみると、出来上がったものは誰かの受け売りか物まねに過ぎないものばかりだった。それを脱皮するにはどうしたらいいのかと思って、この本に出会ったのだ。

 購入していたのだからたぶん読んだはずなのだが、ほとんど記憶がない。処分しようと思った本の中にこの本があった。ブログを書きながら、文章に対する思いは変わっていないので、試しにもう一度読んでみようと思い立ったのだ。

 設問に対する小論文とは、畢竟世界を私はどう捉えているかの表明である、という。これは私のまさに思うところである。設問を自分の経験や実感する具体例と引き合わせながら世界を捉え直す。さらに自分はなぜそう考えたのか自分自身に問うことで、他人にも分かる言葉で文章とする。その自らに問うことで考えを深めるという作業こそが、小論文の意味である。

 他人の言葉ではなく、紋切り型ではなく、自分の思考のあとが見えるものが評価されるという。

 この本には数は多くないが、いくつかの設問のための文章が引用されている。それを丁寧に解釈していく道筋を通して自分なりの答えが浮かんでくる。このように文章を読めれば、どれほど多くのことを文章から受け取ることが出来ることだろう。思えばザル頭はほとんどすくい取れずに流し去り、考える機会を失い続けてきたことだろう。

 書くためには読めなければならない。文章だけではない。世の中のあらゆる事から読み取れるものが無数にあるのに、見ても見えず、聞いても聞こえないまま生き続けてきたのだ。

 あわてて取り戻そうとしても手遅れだけれど、もったいない生き方をしてきたことをあらためて知った。

 もちろんそんなことはこの本には書かれていない。考えるレベルについて教えてくれただけで、自分の思うよりも次元の高い考えが無限の階梯でひろがっているらしいことを気付かせてくれたのだ。

 無明の闇にもがく一人として、闇の中でものを見ようと思い続けたことが無意味ではないことを、そして光はあるかもしれないことを感じさせてもらった。もしかして、光があるのに目をつぶっているのだろうか、私は。

« 私の朝 | トップページ | 考える楽しさ »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 私の朝 | トップページ | 考える楽しさ »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ