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2017年4月18日 (火)

考える楽しさ

 ものを考えることを最初に教えてくれたのが森本哲郎老師である。初めて老師の本に出会ったのは25歳を過ぎた頃だったけれど、朝日新聞の論説委員をしていたから、それ以前にも朝日新聞の日曜版の署名記事などで文章を読んだことはあった。強く心に残る文章もあったから、店頭で著作を発見したときにはすぐ購入した。

 だからもう四十年以上のつき合い(といってももちろん直接会ったことはない。こういうのをまさに私淑と云うはずだ)で、たぶん著作の八割以上、七八十冊は本棚に並んでいる。もし無人島に持っていく本を何冊か選べと言われたら老師の本ばかりになると思う。

 老師は世界中を旅している。『○○の旅』という題名の本がたくさんある。それは紀行文のようでいて、そうでないものも多い。そこでなければ書けなかったことではないことを、そこに居たから書く、という書き方をしている。

 サハラ砂漠で、掘っ立て小屋のような、ホテルとは名のみの場所に足止めされて何日も無為の時間を過ごしていたときのことだ。老師は旅に携行していた『蕪村十一部集』という句集を読んでいる。同じくそこにたむろしていたフランス人の若者達やホテルの従業員たちが代わる代わる、なにを読んでいるのかと尋ねる。

 たまたま読んでいた箇所の

  燈ともせと云ひつ々出るや秋の暮れ

という句の情景を説明する。みな首をかしげてから彼の元を去って行く。この詩に意味が見出せないのだ。

老師はこれに対応する

  住ム方の秋の夜遠き燈影(ほかげ)かな

という句も説明して日本の秋の夕暮れの情景を、そしてその情景に日本人が感じ取る心を伝えたかったけれど、もう相手は目の前に居ない。

 サハラの夕景はどんな夕景だろうか。乾ききったそれを目の当たりにしながら、日本の夕景を思う。ここにこそ旅の思いが凝縮されているような気がしてしまうのである。

 何度も書いたことがあるけれど、寅さんが夜汽車の窓からポツンとともる灯を見て、「ああ、あそこでは母親が夜の仕度をして、子どもはそこで今日あったことを話しかけ、父親は黙ってそれを見ているのだろうなあ」としみじみと語る。

 私は実際に旅に出かけるのが好きだし、そこでぼんやりとなにかを感じたり考えたりするのが好きだ。それを教えてくれたのが森本哲郎老師であり、その恩は一生忘れない。

 考えるためには自分を見つめなければならないし、旅に出ると自分を見つめやすくなる。それは孤独というのとは少し違う、生の自分が自分と語り合うのにふさわしい場となるからだろうか。
(読みかけの森本哲郎「書物巡礼」の一節を元に所感を書いた)

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