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2017年4月 2日 (日)

ひきこもり(2)

 足をくじいたときなど、最初は患部を冷やす。しかしいつまでも冷やしてはいけない。ある程度治まったら回復のために患部を温める。そうして回復を助ける。

 登校拒否はくじいた心の癒やしのための冷却の時期であろうか。しかし冷却が住んだ頃合いには、放っておくのではなく温かく手助けすることが必要だろう。ときには登校を促すことも必要だし、くじいた心に少しリハビリを加えることも必要ではないのか。そのいたみを乗り越えたとき、くじいた心は前より強くなることもあるだろう。

 教育学者の回答は、ただ冷やすことだけを処方として薦めるばかりで、次の登校へのきっかけのつかみ方を呈示しない。これは子どもによって、そしてくじき方によって千差万別だから一言では言えず、「温かく見守りなさい」などと言うのだろう。個別の相談を直接聞けば、子どもにも接するだろうし、多分そのように処方するに違いない。何しろプロである。

 ところが子どもの悩みをかかえる数多くの親は、そのラジオを聞いてどう判断するだろうか。登校拒否になったら見守るだけにしておかなければならないのだ、と思い込むだろう。

 こうして適切に対処できなかった登校拒否の子どもが全国に蔓延した、などというのは私の妄想であろう。

 いま、学校も社会も競争の原理に支配されている。世の中から競争をなくすことなどあり得ないからそれを否定することには意味がないけれど、競争だけが社会の原理であるというのが問題だと思う。

 競争「も」、一つの社会の価値観の論理であるけれど、他にも人間にはいろいろな価値観が存在している。人間は複雑であり、それが豊かさを生み出している。ところが「競争」だけが原理であると単純化されているのが現代のような気がする。少なくとも最優先にされていて、我々はそのことを疑うことができないほどその競争の価値観が原理だと思い込まされている。

 強いもの、賢いものが勝者で、弱いもの、愚かなものが敗者だと決めつける。勝者は正義で、敗者は社会悪だと見做す。だから敗者を見下すのは正しいことなのである。いじめはある者を標的に敗者を作りだしそれを攻撃するが、それは正しいことであるからなかなか止められない。おかしいと思っても、見て見ぬふりをすることしか出来ない。さもないと悪に加担した者として、自分がいじめに遭う。いじめている人間はいじめているという実感を持たない。何しろ正しいことをしているのだから。

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コメント

おはようございます
私見ですが今の学校の状況を考えれば登校拒否をする生徒が出ても学校は文句を言えないと思います。
私の学生時代もそうでしたが、今の学校は同調圧力など、様々な圧力がかかる息苦しい場所です。
言ってしまえば最早子供を教育する現場ではなくなっています。
もしこの問題を解決したいのなら、教育現場はこの圧力を取り払って学校を風通しのいい場所にしなくてなならないでしょう。
では、
shinzei拝

Shinzei様
教育とは、いい学校に進学していい会社に入り、豊かな暮らしをするためにするものだ、と社会が思い、子どもにもそのように教え込もうとする。
それはまさに社会の経済的要請に応える人間を生み出すための考え方で、文科省もそれに沿った指導要領を呈示していると思います。
そこが昔からなんだか違うのではないかと思っていました。
父をはじめ、身内に教師が多く、教育問題には子どものときから関心がありました。
だから教師という仕事に反発があり、決して教師になるまいと決めていました。
教育は自分で考えられる人間を、つまりおとなを社会に送り出すものだという内田樹氏の意見にいまは賛同しています。

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