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2017年7月18日 (火)

内田樹『最終講義』(技術評論社)

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 内田樹老師は私と同年の1950年生まれである。延長せず60歳をもって大学教授の職をリタイアした。この本はそのリタイアの前に行ったいくつかの講演の筆記録を本にしたものである。

 老師は教育者としての社会的役割をリタイアしたわけではない。大学に奉職するという仕事を辞めただけである。つまり私のように脳天気に楽隠居となったわけではない。楽隠居にはそれなりの厳しい現実もないことはないが、全て自己責任であるという気楽さはある。

 この本では老師が伝えたかったことが熱情を以て語られている。それは今まで繰り返しさまざまな形でブログや本で語ってきたことの繰り返しである。同じことをまた読むようなところもあるけれど、老師の語り口は常に新しい。こちらも初めて読むような気持にさせてくれる。

 言葉はなかなか伝わらないものである。大事なことほど伝わりにくい。分かることは瞬時に分かってもそれが染みこまない。それが自分の考えにシンクロするには、それなりの繰り返しが必要なこともある。なるほどそうか、と思うことがなくなれば読む意味がなくなるが、この本にはその、なるほどそうか、と思うことが満ちあふれている。

 私は本に書き込みをすることが嫌いである。よほどのことがなければ(例えば同じ本を二冊用意するなど)ラインを引いたりしない。しかしあとで引用したいときなど困るので最近はタックシールを貼ることにしている。これなら用が済んで剥がせば本は元通りになる。この本にはそのタックシールがたくさん貼られた。

 どんなところにシールが貼られたか。例えば子供の育て方について、父親と母親の意見が違うことこそ必要なことだ、としている。教育学者がコメントを求められれば、両親の方針は意見を一つにするべきだ、と必ず言う。意見が違うと子供が混乱するからで、それは子供を苦しめることになるというのである。だから老師の意見を読んだら、とんでもないことだと仰天するだろう。

 そもそも父親の論理、世界観と、母親のそれとは全く違うものであり、それを一つにまとめることなどそもそも不可能なことで、世界についての解釈はその違いの広がりのなかにこそあるものなのだ。子供にはその両方の世界を感得させなければ一人前のおとなになることが出来ない。

 老師は早くに妻と離婚し、ひとり娘を男手で育て上げた。老師は父親であるが、あるときは娘に対して母親の役割を意識して引き受けた。どちらかと云えば母親としての役割の方がずっと大きかったという。私も同様に男手で息子と娘を育てたので老師のいわんとすることがとても良く解る。ただ、私の場合は母親としての役割が不十分だったと反省しているが、いまさら取り返しは付かない。

 しかし父親としての役割と母親としての役割を担わなければならないというのは子育てを真剣にすれば、自ずと分かるものである。だから両親は何事も意見を一つにして子育てをするべきだ、などという教育学者の言葉の底の浅さには疑問を感じる。

 子育ての意見の違いから離婚に至る、などという話を聞くが、それはもうそもそも父親と母親の役割の問題以前のことで、それを引き合いに出して反論されても困る。あくまで夫婦関係が調整可能なまともな上での考え方の相違であろう。子供を鍛えて世界観を広ける意見の相違は必要で、子供がひき裂かれるほどの争いの元にされるのは論外なのである。

 シールが貼られた一カ所を読み返しても、このように考えることが沸きだしてくる。これがこの本にはたくさんあるのだ。

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