« 予測の意味が違うだろう | トップページ | 小旅行に出る »

2017年7月 1日 (土)

向井敏『文章読本』(文藝春秋)

Dsc_3259

 文章について書かれた本は書店でその気になって探せばたくさんある。巻末に著者自身が書いていることだけれど、そのような文章について書かれた本のうち『文章読本』と題された本は全て作家の者に限られているのだという。それを作家ではない向井敏があえてその題名にしたのはどういうわけか。そのことはあとがきに書かれている。

 この本は文春文庫に収められているので知りたい人はぜひ手に取ってみて欲しい。

 向井敏は「むかいさとし」と読むが開高健を「かいこうけん」と読みなしているように「むかいびん」と私は読みなしている。谷沢永一と同様文章の目利き、本の目利きであり、もともと谷沢永一の主催した「えんぴつ」と云う同人誌の同人として批評を開始している。開高健やその夫人である牧洋子もその同人である。

 向井敏は百目鬼(どうめき)恭三郎や谷沢永一よりは批評は辛口ではないと思っていたが、言葉口が穏やかなだけで、言っていることは容赦がないことがこの本を読めば分かる。

 この本で取り上げられているのは名文だけではない。悪文をわざわざ対比させたりしている。名文は書こうと思っても凡人には書くことがかなわないけれど、ここまで悪文を手ひどくやり玉に挙げているのを読めば、こういう悪文だけは書かないように注意しようと思うことは出来るのである。

 思えば世には悪文が如何にはびこっているか。何しろ私のような素人すら恥ずかしげもなくお粗末な文章を人に読んでもらっている世の中である。少しでもマシになるためにはこういう本で多少は勉強しようと思うのである。

 ただ残念ながら読んだ尻からほとんど忘れていくのである。

 この本を読むと名文とは何か、どうして名文を名文というのか、そのことが分かる。私でも多少分かるのであるからたぶん誰にでも分かるし、うなずくことがたくさんあるはずである。

 それにしてもこのような本を書くためにどれほどの本を、しかもどれほど深く読み込まなければならないかと思うとそら恐ろしい。レベルの遙かな違いを思い知らされる。

« 予測の意味が違うだろう | トップページ | 小旅行に出る »

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 予測の意味が違うだろう | トップページ | 小旅行に出る »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ