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2017年7月11日 (火)

北原亞以子『慶次郎縁側日記 再会』(新潮文庫)

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 慶次郎縁側日記シリーズ第二弾。

 世の中を生き易く生きている人と生き難く生きている人がいる。自分は生き難く生きていると思い、人はどうしてあんなに生き易く生きられるのだろうと思うが、生き易く生きているように見えている人も、必ず悩みを抱えているものだ。

 悩みを抱えずに順風満帆だけで生きてこられた幸せは、その人をしばしば不人情にする。人の痛みが分からないままの、底の浅い心の持ち主にしてしまうことが多いからだ。もちろん苦労を経験したからといって必ず優しい人間になれるわけではない。苦労がその人の心を歪めることもある。

 この短編集では、その生き難い世をさらに生き難くしながら生きている人たちが描かれている。トラブルがその人達だけに降りかかっているように見えたりする。神様が公平ではないのは誰でも知るところだが、それにしてもあんまりだと思う。

 ところがそれを傍で見ていると、明らかに本人が呼び寄せているとしか見えないことも多いものだ。わざわざ悪運の流れにみずから踏み行ってもがいているのに、自分だけがひどい目に遭うと思い込んで拗ねている。

 ここで元同心の森口慶次郎やそのあとを継いだ養子の晃之助たちは、その流れに立ちすくむ彼等に手をさしのべる。彼等はそれをきっかけにして、そこにある棒杭にしがみつく。自分の周りを見直して、自分がそのような流れの中にいること、どうしたら流れから逃れたらいいのか気がつく。

 或るものはみずから流れから這いだし、或るものは再び流れにながされる道を選ぶ。慶次郎たちはそれをどうすることも出来ないし、そこから先はどうしようともしない。そこから先の生き方は自分で選ぶしかないからである。

 だからしばしばとても物語は哀しいものになる。北原亞以子はだからやさしくない。ときに希望が見えて立ち直る人を描くけれど、みずから流れに沈む人をも描き出す。だから事件になるのだから。

 しかし人間は強いものだ。そうして流れに揉まれるうちに元の人間と同じとはとても思えないような人間になって、したたかに生きていく。そこにあるきっかけが与えられると、身にまとったしたたかさという鎧がちらりと剥がれて元の人間が透けて見えることもある。そんな話もこのなかには収められている。

 あえて具体的ではなく観念的に書いてみた。

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コメント

拗ねてた人が財産家になり、上から目線発言を時々するようになりました。
少し残念な気がします。

けんこう館様
自分の境遇の変化によって物言いが変わるのは多少は仕方がありませんが、その自覚を見失うと人間関係を損なうことになりますね。
『杜子春』の話を引き合いに出すまでもないことですが、世間は冷たいものです。

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