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2017年7月12日 (水)

葉室麟『古都再見』(新潮社)

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 歴史を知ることが、歴史の知識をたくさん身につけていることと同じではないことは、歴史学者が歴史を必ずしも知っていると見えないことがあることからも分かる。

 記憶力を試すだけのような歴史教育を受けさせられた記憶があるのだが、それは私の思い込みかも知れない。そう思い込んでいたから、中学生、高校生の時代は歴史が嫌いで成績も悪かった。

 大学生になって、日本がなぜ勝てるはずのない戦争(太平洋戦争)を始めたのか知りたくて歴史をもう一度おさらいした。太平洋戦争から少しずつ遡り、明治維新について本を読み、中国があれだけの大国なのにはるか遠方からやって来たイギリスやフランスの軍隊にみすみす蹂躙されたのか、そのことを考えた。そのことが背景になければ日本は富国強兵に狂奔することもなかったような気がしたからだ。

 結果として近現代の中国という国について知ることと、はるか古代の中国の歴史を知ることが私の最も興味のおもむくところになってしまった。だから日本の歴史についての知識は(と区別するほど中国についても知らないけれど)断片的でつながりと奥行きのないままである。

 今回読んだ本では、歴史をこのように時代を超えて複層的に見ている人がいるのだということにあらためて感心もし、うらやましくも思った。司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んで、その同時にいくつもの時代と地域を複眼的に見る世界観に心から敬服していたけれど、葉室麟もそのようにものを見る人であることを感じた。

 たぶんそのように見えている人は多くはないけれど、いるのだ。

 そこで思うのは、世界はそのように見ることが出来ないと、薄っぺらいままでしかないということだ。そのような薄い世界観から、時間と空間に広がりと厚みのある立体的な世界観へ脱皮には当たり前のことだけれど、素養としての歴史についての知識が必要であるということである。調べれば分かることだからわざわざ記憶する必要がない、と知識を身につけることをサボる口実にしていると、世界は薄っぺらなマルかバツかの世界になってしまう。

 苦労しても歴史の知識をまず身につけ、それに自分なりの意味づけをしていかないといけなかったことを思い知らされた。焦ってもしかだがないし、いまさら遅いけれど、あらためて歴史について考えてみなければ、と反省した。

 この本は京都という場所を手がかりに歴史という旅へ誘ってくれるすてきな本だ。もう少しじっくりと読み返したいと思うと同時に、その地へみずから足を運びたい場所がいくつか出来たことを有難いと思った。

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コメント

おはようございます
先日は私のブログを見ていただきありがとうございます
歴史に学ぶというのは単に「こういうことがありました。覚えときましょう」ではなく「こういうことがあったけど今にそれをどう教訓にして活かすか?」ということが大事だと思います。日本の歴史教育は残念ながらこれが絶望的にできていません。
一部の歴史好き以外は歴史離れがひどい昨今、これでは教訓を活かせず大衆は同じ失敗を繰り返すでしょう。それが心配でなりません。
では、
shinzei拝

shinzei様
いまを知るために歴史を学ぶ意味があるのですが、そのときに現代の価値観で過去を解釈しがちです。
そうするとどうしても正義という尺度が登場してしまい、意味を見失います。
過去を非難するために歴史を学んでも面白くありません。

知り合いの歴史好きの人は、戦前の軍隊(とくに陸軍)は酷いところだったという視点からしか見てないので、都合の悪いことは目に入らないようです。
浅学でも科学的に観る目を持ちたいと思ってます。(たぶん私も偏ってると思いますが・・・)

けんこう館様
個人の経験と歴史的事実は同じではありません。
ジャーナリズムは個人的経験を積み上げると歴史的事実になると考えているところがありますが、全ての個人的経験を網羅することは出来ません。
そのときに選択が働いてしまいます。
そこに恣意が働いていることを自覚しないといけませんが、その自覚があることは稀です。

歴史学の二重性、あるいは歴史評価は難しいですね。それは歴史認識が実は現在の観察者の位置と無縁ではないからです。その例を私は最初 「フス革命」に学びました。
http://blue.ap.teacup.com/salsa2001/58.html


もともと西欧中世史から歴史にハマった者として、最初は第三者で居れたのですが、その後中国史、特に中国近現代史に興味の対象が移ると非常な難しさを感じ始めました。 それは、歴史が時として過去を語っているようで、実は現代を語る学問でもあるからです。いや、正確に云えば過去を対象にするのはBasic Historyであり、現在を対象とするのがAdvanced Historyと云えるかもしれません。

Basicの方は、現在から過去をみる歴史。Advanceは逆に過去から現在を推定する歴史。勿論Advanceの方がはるかに難しい。例えて云えば。前者は新幹線から富士山を観察して、高さや広さを推定すること。後者は逆に見えている富士山から自分が乗っている新幹線の走っている方向、速度を割り出すこととでもいうのでしょうか?

そこで気がついたことは、 Basicの場合は新幹線に乗ったままでいいが(現代の価値観のままでいいが)、Advanceになる為には一度新幹線から降りてみなければならない。一度徒歩で富士山に登ることも必要かもしれない。これは余程鍛錬しないとなかなか出来ることではないですね。

Hiroshi様
不学ながら、おぼろげにおっしゃっていることが分かるような気がします。
肝心なのは自分がBasicで歴史を見ているのか、Advanceで見ているのかを自覚することなのでしょうね。
しばしばイデオロギー的に歴史を語るときに、そこが混乱しているのが感じられることがあります。

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