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2017年8月

2017年8月31日 (木)

いくらなんでも

 流言飛語はこわい。悪意がない噂でも、伝わるうちに次第にエスカレートして、とんでもない尾ひれが付いていき、ついには暴動にまでつながったりする。正しい情報をなるべく早く伝えると言うことはとても大事なことであることが分かる。

 歴史的にその代表的なものが関東大震災のときに「朝鮮人が日本人を殺しまくっている」「朝鮮人が水に毒をまいている」というデマであった。震災のパニックのなかでこれを信じた人たちが集団で朝鮮人を探して歩き、ついには虐殺した。朝鮮人と見做されて殺された日本人もいた。

 マスコミはだから正しい情報を伝えるという大事な役目を負っているのだ。それがあろうことか慰安婦問題で、朝日新聞は自らが誤報を流すことになった。つまりデマの元を流したのである。しかしそれは人はときに間違いを犯すことがある、として百歩譲って許すとしよう。しかし、その間違いをたびたび指摘されたのにそれを検証し直すことをせずに(内心では間違っていることを知りながら)そのまま自分のデマは事実だと言い張り続けた。つまり流言飛語の元を生み出しただけではなく、正しい情報を流し直すことでそのエスカレートの火を消すことを怠ったのである。

 朝日新聞はジャーナリズムの役割を放棄したのであって、それが私は断じて許せないのである。朝日新聞に流言飛語をなじる資格はない。そもそもジャーナリズムの精神を冒瀆しておいて正義を語る資格などないのである。しかもその自覚すらないとは驚くべきことである。

 ちょっと興奮しすぎた。問題は、このたび関東大震災のときの朝鮮人虐殺被害者遺族の会が結成された、というニュースである。関東大震災は大正12年(1923年)のことである。いまから90年以上昔のことである。遺族は犠牲者の孫かひ孫かはたまた玄孫(やしゃご)か、それとも遠い親戚か。

 彼らは謝罪を要求するのだという。誰に要求するのか。日本政府に要求するのか。日本人すべてに要求するのか。それともデマで暴挙を実行した者たち(当然故人である)に要求するのか。

 日本政府は虐殺の責任者か。日本人は虐殺の責任者か。謝罪とは何か。誰が考えても慰安婦問題と同じように扱ってもらって何かをせしめようという魂胆にしか見えない。

 ニュースによると、数多く(といっても特殊な正義感の持ち主たちのようで知れているが)の日本人が賛同しているという。これも歴史問題だという。こじつければそうに違いない。正義を謳えばよほど気持ちが良いのだろう。

 その正義を煽ったのは誰か、デマを報じておきながら知らん振りをし続けたのは誰か。責任は朝日新聞に問え!

 慰安婦問題につづき徴用工問題、ついには朝鮮人虐殺問題である。今度は秀吉の朝鮮出兵の責任をそのときに死んだ朝鮮人の遺族たちが追及するに違いない。こうなると長い歴史のなかで多分韓国内で無関係の人などほとんどいないだろうから、初めて国民をあげて謝罪と賠償を求めることになる。誰かがいみじくも賠償請求国家と言っていた。うまいことを言う。

 韓国は日本海を東海といえ、と世界に主張している。日本から見たら日本海は西海であることは考慮する必要はないのであろう。朝鮮人という言葉を使うなと言う。朝鮮半島全体の人たちを呼ぶときには私は朝鮮人と呼び、韓国のひとに対しては韓国人と呼ぶ。どこに問題があるのか。旭日旗とそれを連想させるものは全て激しく非難する。子どもが太陽を描けば何人かは旭日旗的になるだろう。それも禁止せよというのか。

 いま韓国では「労働」という言葉をはじめとして、明治以降に日本製の熟語が多数使用されている(中国も同様である)が、それをつぎつぎにやり玉に挙げて韓国独自のことばに換えようという運動が進められている。韓国の言葉である。勝手にしたらいい。しかし「労働」に替えて「勤労」にせよというのに笑ってしまった。「勤労」は日本からの言葉ではないのだろうか。「勤労動員」を「強制徴用」といい替えている国ではないのか。もうむちゃくちゃである。

 まあ日本でも戦時中は敵性語を使うな、といったのだから笑えないけれど、言葉の言い換えを推進している人たちは日本を敵だと見做しているということか。


 ちょっと書きすぎているけれど、勢いで止められなかった。不快に感じた人がいればお許しを願いたい。個別の韓国のひとに含むところは全くないのである。報じられている、どう見ても私に理解できないものに怒りをぶつけただけである。こちらとしては正気に戻ってもらいたいのである。しかし妄想患者は自分の正気を疑わないものだからなあ。却ってこちらがおかしいと言うだろう。尻馬に乗っている日本人もいるし。世の中いろいろである。

高山稲荷神社

津軽半島西岸を走っている。十三湖がもうすぐという場所に高山稲荷神社があるようだ。

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思った以上に大きな神社である。地図にある建物はみな現存している。もともと鎌倉時代から室町時代頃に地域の豪族の安倍氏が建てた三王神社だったが、江戸時代に赤穂城にあった稲荷社を浅野内匠頭の刃傷事件で藩の取りつぶしが決められた際に、寺坂三五郎が奉戴して持参したまま流浪の果てに鰺ヶ沢に棲みついたのだという。
ここで資産を蓄え、渡島(おしま・北海道)へ渡ったのだが、その際に神のお告げでこの地に祀ったのだという。結果的に三王神社が後退し、稲荷神社を総称するようになったのだそうだ。
本殿より先に一番奥の千本鳥居の方へ行って見ることにする。その先から海が見えると思ったのである。この辺りの海岸は七里長浜と言って長い砂浜が続いているはずなのである。
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高山龍神社。
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本殿は後で寄ることにして一山越えて一番奥の龍神社に参拝する。
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蓮池にはちらほらと花が咲き残っている。
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千本鳥居。高台の上に屈強な男たちが談笑している。雰囲気からアメリカ人のようだ。体つきから見て米兵のように見える。よくこんなところを知っているものである。そういえば地図を見ると近くに自衛隊の基地がある。それと関係があるのだろうか。
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高台に登り、千本鳥居を見下ろす。ごらんのように見事に列んでいるのだ。ひとり外人さんが写り込んでしまった。
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崖の方におキツネ様がずらりとならんでいる。まだまだ左右にたくさん続いていて、右へ行くほど小さいキツネになる。
本殿へ向かう。もう一度小山を登る。
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本殿の前にアジサイが咲いている。この季節にこんなきれいなガクアジサイを見るとは。
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本殿。二礼二拍手一礼してご挨拶する。Dsc_4058

高山稲荷神社の額。

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こういうところの彫り物を眺めるのが好きである。見事な彫刻。

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左右にもこのような彫刻がある。

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素晴らしいではないか。

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拝殿前にこのようなものが据えられている。道祖神のように見えるが自然石に違いない。男女が癒合しているように見える。

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なんだかエロチックに見えてしまうのは当方の雑念のなせるわざか。

いろいろ堪能し、感心して神社を後にした。さあこれから十三湖を越えて竜飛へ向かう。この先は急勾配の山を登って眺瞰台を目指そう。ついに北海道を見ることが出来るであろう。

メロンロードで津軽半島西岸の湿原地帯を北上する

鰺ヶ沢から五所川原まで行かずに左折し、屏風山広域農道、通称メロンロードを北上する。この一帯は大湿原地帯であり、小さな湖沼群が左右に続く。その間にひろがる田や畑は多分その湿原を開拓したものだろう。


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振り返るとようやく岩木山の優美な姿が遠望できた。好きな山なので見えただけで感激である。

最終氷期埋没林というのが海岸にあるらしいので向かう。途中の道が狭くてほぼ車幅と同じである。ナビにはこの道はないらしく、道なき道を走っていることになっていた。

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ちゃんとした駐車場があり、看板も立っていた。どんなところなのだろう。ぬかるむ道を海岸に向かっておりていく。

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この黒い地層が埋没林と言うことらしい。なんだかイメージと違った。それにしてもこの地層の一部が、姶良(あいら)カルデラの大噴火の火山灰に埋もれたものだと言うから驚きだ。
姶良は南九州の火山である。世界の気候が変わったというほどだとはいえ、こんなみちのくにも火山灰が堆積したのだ。

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こんな地層が表出したものが一キロほど続いているという。

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海岸では投げ釣りをする人が・・・。駐車場にある車はその人達のものだ。

その先にベンセ湿原という場所があるので行って見る。

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やはりちゃんとした駐車場があり、そこからこのような道を歩いて行く。両側は湿地帯であるけれどほとんど見えない。

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ベンセ湿原案内図。

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ようやくはるか遠くに水面が見えた。手前から水面までも湿地であってなかには入れは沈むだろう。

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何やらやっている人がいる。声を掛けたら植生の研究しているのだという。岩木山はもう雲に隠れ始めている。

次に高山稲荷神社に向かう。ここが意外な拾い物だった。次回はそこの写真。

2017年8月30日 (水)

種里城址

 損得で動く国や集団は、共感が出来ても出来なくても、その行動がある程度予測も立ち、解釈も可能である。理念で動く国や集団はたいてい共感することが出来にくいけれど、こちらも予測や解釈が多少は可能である。


 損得で動く国といえば(損得だけで動いているわけではないのだろうけれど)、中国がまず思い浮かぶ。理念が勝って動く国といえば過去のアメリカであり(損得で動いているように見えるが、私は理念の勝る国だと思っている)、いまの韓国だろうか。今のアメリカはトランプのおかげで理念を失っているように見えるから予測が立たない。韓国は自国内では理念が統一されているように見える。たいいの日本人には理解できないけれど。


 わけが分からない国といえば北朝鮮である。いまの行動が損得にもとづくものと見るものはいないだろう。では理念があるかといえばそんなものがあるとも思えない。わけが分からないから予測も立たないし解釈も不可能である。アメリカがトランプのおかげで多少北朝鮮的になっているというのは皮肉である。


 さて野党は、自民党は損得だけで行動しているとしつこく非難していたが、それなら彼らは損得では決して行動しないのだろう。しからば彼らに理念があるのだろうか。あると主張するが、集団内でまったく異なる理念の者どおしが同居しているのを理念のある集団といえるのか。彼らの行動は予測が付かないわけである。民進党の代表選は理念をなるべく表に出さないで、数集めに動いているともいう。勝つためには必要なことだが、それなら損得で動いているわけだ。国民の共感を呼ばないのもむべなるかな。


 理念を戦わせ、旗幟を鮮明にしなければ、民進党の再生はないと誰もが思うが、選挙後にそれを明確にするのだろうか。それなら分裂は必至のはずだが、それでももたれ合いは続くのだろうか。 


さて旅のつづき

千畳敷を過ぎて鰺ヶ沢に向かう手前に赤石川が海に注ぐ河口がある。そこから右折し赤石川に沿って白神山地方向に南下する。ずっと奥まで行けば赤石渓谷で景色が良さそうだが、地図をよく見るとダートらしい。ライダーには楽しいかも知れない。


赤石渓谷のはるか手前、河口から5~6キロに田んぼのなかに種里城址がある。

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丘があってその高台に種里城址があるらしい。登り口に鎖が張られている。

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駐車場横の地図。白神山地の周辺を南側、西側と散策したが、今回は北側。とはいえ本当の自然の原生林のあるところに入っていないので、白神山地そのものを見ているわけではない。

津軽氏の館は土日祝日のみの営業で、今日は平日なので入れないように鎖が張ってあるのだ。しかし私が見たいのは館ではなく城跡なので、鎖をまたいだ。

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整備された坂がずっと上まで続いている。それほど急勾配ではないが、一気に登ると少々息が切れるし汗もかく。

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館が見えた。もちろん誰もいない。

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南部下久慈といえば三陸の久慈のことであろう。南部右京亮(うきょうのすけ)といえばなにかの本で読んだことがあるがよく覚えていない。大浦氏を称していたようだ。

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光信公の勇姿。

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館の左手奥にひろがる本丸の跡。なにもないからこその城址であって、想像力を掻き立てる。兵(つわもの)どもの夢の跡なのである。

この本丸跡の横の道をさらに進む道がある。

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急な階段を降りる。

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そこに光信公の廟所がある。墓石などなにもない。

ぼんやり見ていたらガサゴソと大きな動物の動く音がした。びっくりしてあたりを見まわしたら、周辺の整備をしているらしいおじさんであった。「ご苦労様」と声を掛けたら相手の方がびっくりしていた。

それにしても熊でなくてよかった。

別の方向へ行く道がある。

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こんな苔道がずっと続いているのだが、次第に山道に入っていくばかり。どうも奥にお城と共に廃寺になった寺の跡があるらしい。特に興味がないので途中でひきかえした。

赤石渓流は土砂崩れでいけない、というので白神山地まで行くのはやめて海へ引き返した。

円覚寺

ふだん会えない友人に会うのは楽しいし嬉しい。周大兄からお誘いのコメントをいただいていたのだが、今回は失礼してあらためて行くつもりだったのだが、温泉でお顔を思い浮かべていたらやはり会いたくなって、弟の家へ行くのを一日延ばしにして旅の終わりに立ち寄ることにした。

ところでこの周大兄のことを実際の周さんという人だと勘違いして苦言まじりのコメントをいただいたことがある。私の言う周大兄は周恩来を自称しての周大兄で、周さんという人ではないので誤解しないでいただきたい。


深浦の宿のすぐ近くに円覚寺という古刹がある。何しろ征夷大将軍の坂上田村麻呂が建てたというのだから古い。


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円覚寺山門。

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円覚寺の沿革。この寺は深浦港の前、国道101号線から一筋入った旧道にある。知らないと通り過ぎる。

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本堂。確かに古そうだ。十一面観音は拝観しなかった。

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全景。

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こんな可愛いお地蔵さんが目についた。左から「慈」「穏」「優」。「慈」のお地蔵さんはあらぬ方を見ている。

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向かい側には「希」「朗」「和」のお地蔵さん。

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境内の横手には不動明王が彫られた大きな石版がある。

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円覚寺のすぐ近くに「風待ち館」という建物があり、北前船が置いてある。

徳川幕府は海外との交易を禁止するために、大型の船舶の製造を禁止した。そのため北前船のような小型の帆船で、当時の蝦夷(北海道)から日本海回りで大阪までいろいろな物産を運んだ。海岸に沿って港港で風が叶ったときだけ搬送することが出来たのである。この先の鰺ヶ沢はその大きな拠点港だったが、深浦もその港の一つだったのであろう。

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いまの深浦港。

このあと、鰺ヶ沢の手前から赤石川をさかのぼって津軽氏の発祥の地、種里城址に向かう。「光信公の館」というのがあるようだ。

西浜街道から千畳敷

宿で仲居さんなどと若干の会話をするが、相手も分かるように話してくれるので不自由はない。しかし津軽の地元の人通しが話している会話はあまり聞き取れない。学生時代山形県で寮暮らしをして、友人にはかなり訛りの強いのもいて、東北の言葉には慣れていても、この津軽の言葉だけは歯が立たない。


学生時代に一人で旅行したときには、いまよりもっと津軽弁がきつかったから、失礼ながら日本語で話しているとは思えないほどだった。たまに分かる単語が混じるのでかろうじて日本語だと分かる。いまはそれほどひどくない。

十二湖から海岸沿いをさらに北上する。この国道101号線を西浜街道と呼ぶらしい。

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南側をはるかに望めば、あれは須郷崎のあたりか。なるほど、こちらから見れば白神山地が海に迫っていることが分かる。

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少し先、深浦に近いところでこんな景色を見た。似たような絵になる景色は常に窓外に見られるが、とにかく車を停めて写真の撮れる場所があまりないのだ。

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こんな場所で写真を撮っている。この西浜街道の道路よりも海側を本当に海すれすれに五能線が走っている。線路が波をかぶらないか心配なくらいである。五能線は能代と五所川原を結んでいるということなのだろう。五能線で社外の景色を眺めながら呑み鉄をしたらそれも楽しいだろうと思う。

深浦には早く着きすぎたのでそのまま少し先の鰺ヶ沢の千畳敷に向かう。

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これが千畳敷。

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親子が潮だまりで遊んでいる。良い景色だ。

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千畳敷の千畳敷らしいところ。

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弘前城主が巡視に立ち寄り、ここに千畳の畳を敷いたから千畳敷というと書かれているが、こんなところに畳を敷いたら使い物にならなくなってしまわないだろうか。その畳をどう調達して、そのあとどうしたのか。忠臣蔵ではあるまいし、どうも眉唾の話だ。

潮吹き岩の話も書かれている。

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こんな風に波が打ち寄せると隙間から潮が吹き上がる。もっと高く上がるがタイミングを取れないのでこれしか撮れず。さらにつぎつぎに別の場所に潮が吹き上がっている。

写真の女性は目の前でその吹き上がる潮の写真を撮っているのだが、このあとしぶきを浴びたらしく、ワアワアキャアキャア言っていた。何か話しているのを聞いたら、津軽弁ではなくて中国語だった。

頃合いも良いので深浦の宿に投宿した。



2017年8月29日 (火)

いささか疲れたのでゆっくりする

 さきほど今晩の宿、碇ヶ関温泉というところに着いた。ここも湯治場の雰囲気満載だ。

Dsc_4093 今朝の竜飛岬。向こうにうっすらと北海道が見えているのだが。青い屋根は海峡亭。どうしても編み目が映り込んでしまう。

Dsc_4094 向こうは泊まった宿。これは青函トンネルの工事で殉職した人たちの慰霊碑。マニュアルフォーカスにしたままだったのをわすれていたので、ピンぼけ。いまさら撮り直しに戻れない。

 今日は一日雨、竜飛を出ていくつか寄りたいところを選んでいたが、ほとんど雨で諦めた。それでも五所川原にある太宰治の生家「斜陽の家」と、これも五所川原にある立侫武多(たちねぷた)の館は建物の中なので、ゆっくり見学することが出来た。あとでゆっくりと順を追って紹介するつもりだ。

 それにしても連日の移動でいささか疲れた。それで選んだのがこの碇ヶ関温泉のこの宿なのである。何とチェックアウトが午後三時。これでは次にいけないからもっと早く立つつもりだが、何しろ一日三食付いて風呂に入り放題、ゆっくりし放題なのである。だから明日はどこにも立ち寄らないで次の宿に行く。なじみの花巻温泉に予約を入れた。

 今朝の北朝鮮のミサイルには驚いた。名古屋にいるときよりは脅威を実感した。それにしても新聞社の記者の質問にはときどき首をかしげるものがあった。盛んに北朝鮮の意図を菅官房長官に問い、あわよくば推測を語らせてそれに突っ込もうという姿勢が見え見えであった。あれではあたかも北朝鮮のミサイルをきっかけに日本がなにかしようとしているというのを聞き出して、日本が戦争を準備していると決めつけたいのかも知れないと勘ぐりたくなる。ミサイルを飛ばしたのは北朝鮮であることが分かっているのだろうか。もちろん某朝日新聞の記者である。

 北朝鮮の意図は北朝鮮以外分かるはずがない。世界中が理解不能なのである。それが知りたければ菅官房長官ではなく、金正恩に聞けば良いのである。朝日新聞なら独自の情報網があるだろう、あれだけ過去寄与したのだから。分からないかも知れないが、朝鮮総連に聞きに行ってもよいのだ。そのうえで分からなかった、という記事でも書けば、それはそれでさすが朝日新聞、といわれるはずなのに、菅官房長官に尋ねているようでは話にならない。

 日本は北朝鮮から恫喝を受けているのである。恫喝している方が悪いのであり、恫喝が実行行為につながらないようにしなければならない。その方法を論ずるのはよい。しかし恫喝されているのは恫喝されているほうに理由があるからだ、という論理が見えた気がしたのだ。

 某朝日新聞の記者は、まさか北朝鮮がこんなことをするのは、日本とアメリカが悪いからだ、という前提で思考していないだろうな。

 疲れから妄想が始まっているのかも知れない。

 この宿の露天風呂に赤湯という湯があり、疲れが取れるというからさあ入りに行ってこよう。それからビール、そして冷酒が待っている。ちょっと体重が増加してきたのが気になる。まあ仕方ないか。

十二湖

十二湖を知っている人はどれだけあるだろうか。津軽半島の十三湖は大きな湖だが、十二湖は湖沼群の総称である。実際には三十三あるともいわれ、三十三湖巡りの自然歩道の散策は地元ではハイキングコースとして有名らしく、深浦の宿にそのポスターがかかっていた。


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ハイライトはこの青池。湖沼群の一番奥にある。

歩いて廻れば一つひとつの池の見所を写せるのだが、車だと池が道路に近くて駐車場所があるところしか立ち寄れない。

そこで撮った写真をいくつか見ていただく。どれが何という池だったか覚えておくつもりだったが、メモしていないので忘れた。

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灰色と茶色の道が車の通れる道。ピンクの道が自然遊歩道。あまりアップダウンがないから普通の靴でも歩ける。

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こんな風に木立の間からしか見えないところも多い。

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水が青いけれどもこれは青池ではない。湖沼群の一番奥の駐車場は有料で、そのすぐ前が鶏頭場の池。その縁を600メートルほど歩いた先に青池がある。

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小さい池である。

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本当に濃い青色をしている。

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水底に埋没した樹木が覗いている。神秘的というよりもいささか不気味悪い。ついこの水の中に入ることをイメージしてしまうからか。絶対いやだ。

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この緑色のものようなものも水中にあるのである。わずかに日が当たる場所なのでこのような植物が繁殖しているのだろうか。

ちょっと珍しいものを見たので満足した。

須郷崎など

 今朝の竜飛岬は残念ながら雨、北海道は見えない。写真が撮りたくてもオーシャンビューの窓は編み目入りの上に開かない。

 旅の話を続ける。

 能代の米代川の河口に風の松原という場所があるようだ。行ってみる。

Dsc_3869 能代港の前に延々とこういう松林が続いているがそれだけである。

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黒松林らしい。

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その数なんと70万本というけれど、外から見るとただ松の木が密集しているだけの場所だった。

 能代から日本海沿岸を北上する。ハタハタで有名(秋田音頭に歌われている)な八森を過ぎてすぐのところに須郷崎というところがある。国道101号線から左に折れてすぐなのだが、知らないと通り過ぎてしまう。地図に小さい字で「白神山地の山並みが断崖となり落ちこむ。絶景」とある。

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確かにすごい。

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荒波が岩を洗う。

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向こうに見えているのは日本海に張り出している深浦のあたりか。位置的に津軽半島とは思えない。あの向こう側に回り込んだところが深浦のはずだ。

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これが海岸に落ちこみつつある白神山地の端っこだろうか。

 愛用している地図はツーリングマップルというバイク用のもので、今回はもちろん東北版の最新版を持って来ている。全国のものを揃えていて旅番組などを観るときは側に置いて場所を確認して楽しむ。道路はどんどん新しいものが出来るので、数年ごとに順番に最新版に買い換えている。ただ、詳しすぎて、バイクなら走れるけれど、愛車のアテンザでは走行困難な道路も記載されているので注意が必要だ。下手なガイドブックより情報が多くて役に立つ。

 昨晩、ニュースで鳥貴族というチェーン店のメニューの値段が上がることを伝えていた。材料の鳥が値上がりしているのではなく、人手不足で人件費が高くなり、従来の値段では採算がとれなくなったからだという。一律で安売りするにも限界が来たということなのだろう。

 給料が上がり、デフレも多少は解消されるのであるから景気回復の一つの表れであるともいえることで、悪いことではない。

 ニュースでは街ゆく若い女性にそのことを伝えてコメントを受けていた。「ヤダア!」「(値上げは)やめて欲しい」などという声ばかりが画面から聞こえてきた。その知性の感じられないコメントについては、どうしてこんなものばかりを選んで放送するのかいつものように疑問を感じた。世の中こんな人ばかりのはずがないのである。それとも鳥貴族はそういう人ばかりが行く店なのか。それとも放送局が鳥貴族はそういう客が行く店と見做して構成しているのか。もっとまともなことを言った人もいただろうにと思う。

 それは高くなるのを進んで歓迎する利用者などいないであろう。安い方がいいに決まっている。当然のことを語らせて、さてニュースは何を伝えたいのか。これだけ反対している人がいるのだから値上げはやめるべきだ、などといいたいのか。人件費が上がることは給料が上がることで良いことだが(まさかそれに反対しているとは思えない)、店はそれでも値上げするな、と主張したいのか。

 報じ方全体としては、貧しい若者達が安くたべられた鳥貴族の値上がりに悲鳴を上げている、と聞こえる。多分憐れんでいたのであろう。報じる人たちは高給取りだから、そもそもそんな安い店に行かないのだ。

 ところでマイクを向けられていた、わあとかきゃあとかまじ?とかいや!、しかいわない若い女性たちは、知性はともかく感性は鋭くて、インタビュアーの意向を察知したのでそれに正しく反応して見せただけかも知れない。

北朝鮮がミサイルを発射した!と携帯の緊急エリアメールがあった。テレビをつけたら、東北地方に飛来の可能性があるという。いまは頑丈な建物のなかにいるから非難は必要ない。町の街頭放送もなにか言っているようだ。

その後この地域の上空を通過した模様、と報じられた。

「ミサイル通過。ミサイル通過。先程、この地域の上空をミサイルが通過した模様です。不審なものを発見した場合には、決して近寄らず、直ちに警察や消防などに連絡してください」(総務省消防庁)とエリアメールが流れた。

2017年8月28日 (月)

久方ぶりの竜飛岬

いま竜飛岬の宿にいる。


六、七年前に兄貴分の人と弥次喜多道中で竜飛岬までやって来たことがある。飲んだくれながらの楽しい旅で、一生忘れられない。

そのときに泊まったのが、

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このバラック建てみたいな民宿、海峡亭である。おばさんと娘さんの二人が切り盛りしていて談笑した。とくに魚が盛りだくさんで喚声を上げたけれど、トイレも風呂も家族と一緒で、風呂は私が入ると湯が半分あふれてしまう。いわゆる釣り宿である。釣り人はうしろの岩山をよじ登り、向こう側で磯釣りをするのである。そもそもこの宿のあるところは帯島という島であった。いまは漁港と一体になって地続きになっている。

ここに一人で泊まるのは兄貴分の人でもいれば別だがちょっとパワーが必要である。

というわけで崖の上にあるこちらの宿に泊まっている。

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やや贅沢だが、部屋は広いし目の前はオーシャンビュー、風呂はもちろん温泉である。

それにしても今日は朝から登ったり降りたりと、かなり歩き回った。日ごろの運動不足を一気に解消するためには温泉で疲れを酒で溶かしだして、温泉で洗い流してしまおうと思っている。

御仕事にいそしんでおられるみなさん、まことに申し訳ない。私なりに今回の旅は理由があって自分に贅沢を許している。

今日の竜飛行については後日ゆっくり順を追ってブログに書く。まだ書き残しているところがいろいろあるのである。

おかげさまで楽しんでいます。

大太鼓と綴子神社と、再び「ナビのバカ!」

 森吉に向かう途中、国道7号線、道の駅・たかのすに立ち寄る。ここには世界一の大太鼓があるという。

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道の駅のなかにある大太鼓の館。

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入り口のところにおいてあるタイの打楽器・クローンエー。

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大太鼓が並んでいる。これは綴子(つづれこ)神社の祭礼のときに使われる。昭和時代は2メートル程度だったが平成になってエスカレートし、いまは3.8メートルのものが作られた。ギネスで世界一として認められているそうだ。

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これは3.71メートルのもの。展示されているものでは最大。

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こんな風に並んでいて、その後ろに大きな絵が掛かっている。

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これらの絵は人つながりになっていて、写真はその一部。こういう絵、好きである。

こんな絵もあった。

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世界の打楽器も展示されていて、それを実際に叩いてならすことが出来る。それを少し鳴らしてみたりした。

このあと祭礼の行われる綴子神社へ行ってみた。

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それほど大きな神社ではなく、駐車場もないから仕方なく路上駐車した。

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ここにも菅江真澄の足跡が。

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大きなカツラの木がある。

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神木千年桂だそうである。

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さざれ石も奉納されていた。このあと・・・

 綴子神社は国道7号線からそれほど距離があるわけではない。神社前でユーターンして戻ればどうということはなかったのだが、ナビはそのまま進めという。戻らずにショートカットの道があるものと思うではないか。そのまま進むと田んぼ中から次第に山道に入っていく。さらに舗装のない砂利道に変わった。しかも整備されていないから穴だらけで、マウンテンバイク用のダートコースみたいである。車はでこぼこ道で跳ね上がる。ここはアフリカか。

 ダートコースを6~7キロ走ってようやく舗装路になる。15キロ走って国道7号線に出ることが出来た。よく見れば道の駅・たかのすから数キロの地点である。何だこれは。ナビのバカ!最近突然こんなおかしなことがごく稀にだが起こる。どうも地図を更新してからだと思う。おかしいな、と思ったら盲信しないほうが良さそうだ。

峨瓏(がろう)の滝

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峨瓏の滝を見に行く。世界遺産センターからさらに北上するがそれほど遠くない。歩くのを覚悟していたが、何と道の横の駐車場から目の前に・・・。

Dsc_3810 なかなか迫力のある滝が見えた。

Dsc_3807 この滝は高さ12メートルとあるが、大雨のあとのせいもあって水量が豊富、大轟音と共に落下していた。

Dsc_3813 正面まで近寄る。この滝は一見の価値ありだ。

Dsc_3808 ここにも菅江真澄の歌碑がある。

ちなみに

Dsc_3799 この周辺で菅江真澄の歌碑のある場所がこれだけある。

世界遺産センターに立ち寄って休憩したら、素波里湖に行き、素波里神社に立ち寄ってみよう。

Dsc_3819 世界遺産センター。

ここで白神山地の自然についての展示物を見学がてら涼む。地形や動物たちの展示がある。

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このポスターはいまでも欲しい人が多いという。秋田美人の写真である。モデルの女性は純粋の本物の秋田美人で、木村伊兵衛が撮った数十年前の写真である。これはこのポスターが欲しいと言っていた兄貴分の人からの受け売りである。本当に美しい。

素波里湖へ向かう。

Dsc_3821

素波里湖はダム湖である。眺望のきく場所がない。

Dsc_3822

下流側を見下ろす。放水はしていないようなのに先の方は濁っている。今回たびたび川を横切ったり川に沿って走ったけれど、どの川も大雨の影響で濁流となり、河原がほとんどない状態で川幅一杯に流れていた。雄物川が氾濫したのも今年一度決壊したところだという。あの水量では仮堤防ではひとたまりもなかっただろう。

ところでこのダムのすぐ近くに素波里神社があるはずなのに見当たらない。見過ごしてしまったのだろうか。探しに戻る気にならず、残念ながら諦めた。

2017年8月27日 (日)

深浦というところにいる

朝は秋田県の森吉の小又渓谷に近い山中の宿にいたけれど、今日は日本海に出て海岸沿いに北上し、いまは深浦というところにいる。もう青森県である。無理すれば竜飛まで走れないことはなかったが、白神山地をもう少し訪ねたかったのである。


Dsc_3966 深浦の宿からの景色。オーシャンビューなのである。夕景がきれいだという場所がこの辺にあるから、ここもきれいかも知れない。とはいえちょうどそのころは旨い地酒で酩酊していることと思う。

朝に戻る。

山中の宿から小又川に沿って一気に下る。上流では渓流だったが森吉ダムを過ぎて、さらに小又川のすぐ側を通ると濁流である。

Dsc_3864 上流から濁流が流れ下ってくる。

Dsc_3867 こんな流れが側を通っていたら気が気ではないであろう。あの大雨からもう二、三日経っているのである。

この小又川は、この先の阿仁前田のあたりで阿仁川に合流する。そう、このあたりはまたぎの郷の阿仁地区でもあるのだ。昨年はもう少し南の打当(うっとう)温泉に泊まった。

Dsc_3875 途中で休憩した道の駅でこんな狸のいちもつを見たけれど、何というところだったか忘れた。向かいに雌もいたけれど、そちらはリアリズムではなかったので面白くない。まあ狸の持ち物のリアリズムかどうかは意見の分かれるところか。

さあ一風呂浴びて夕食を待つことにしようか。

入道崎

男鹿半島はサイの頭のような形をしている。その角の先端が入道崎である。八望台から西海岸に出て北上していく。その海岸の景色は絶景なのだが、どこにも車を停めるところがない。ビューポイントに駐車場をつくってくれれば有難いとは当方の勝手な願いである。


Dsc_3752 入道崎は北緯四十度の地。入道崎灯台がシンボル。

Dsc_3753 北緯四十度の基準点。

Dsc_3754 石が並んでいるからなんだと思ったら、北緯四十度の走っている方向を示しているらしい。

Dsc_3755 海岸へ出ると波が逆光にきらめく。

Dsc_3757 この日本海の向こうは北朝鮮かロシアか。この日はミサイルは飛んでいなかった。

Dsc_3764 岩に打ち付け、洗い続ける波を見ていると見飽きないが、直射日光が熱い。外気温27℃。潮風が心地よいが、日に焼ける。

Dsc_3765 改定透視船があると思ったら、欠航だった。残念。

Dsc_3766 魚や土産物、海鮮丼の店などがずらりとならんでいる。海鮮丼をたべたいところだが、晩飯のことを思って我慢した(それなのにあんな料理とは!・・・ちょっとしつこいか)。

海鮮丼のかわりにソフトクリームを食べた。あっさりとしていてけっこういけた。店のおばさんと雑談した。今年は雨が多くてねえ、とおばさんは嘆いていた。

これで男鹿半島は終わり。


八望台

男鹿へ戻る。


Dsc_3747

八望台は寒風山と同様、展望台があるところだが、命名は高松宮殿下であることをこの木標で知った。爆裂火口湖である一の目潟、二の目潟が見下ろせる場所として一度立ち寄りたいと思っていた。

Dsc_3738 手前左にわずかに水面が覗いているのが一の目潟。二の目潟より大きいはずだが樹木に遮られてほとんど見えない。

Dsc_3742 こちらが二の目潟。樹々に囲まれて神秘的な湖だ。

Dsc_3743 アップにするとよく分かる。すぐ向こうは日本海である。

Dsc_3746 爆裂湖をマールというらしい。噴火口に出来る火口湖はよく見るが、ここのは特別珍しいものらしい。どう違うのか、これでは分からない。

Dsc_3741 男鹿半島の三山のうちの二つ、真山(しんざん)と本山。高い方が本山である。真山山上にはなまはげが棲み暮らし、下界の人間の行動を見下ろしている。悪いことをすると大晦日にそれを暴き立てて人間を叱り、反省させ、来年はもうしないことを誓わせるのがなまはげの行事である。このことは昨年、真山神社の前のなまはげ館で教えてもらった。

Dsc_3744 こちらは先ほど訪ねた、はるか彼方の寒風山を望遠でアップ。

Dsc_3749 ここにも菅江真澄の足跡が残されている。木標だけなので詳しいことは分からない。

Dsc_3750 展望台の横の食堂。逆光なので見えにくいが、「八望台をもりあげる食堂」と看板が掛かっているが、扉は閉まったままである。平日(金曜日)だったからか、閉鎖してしまっているのか分からない。

いまに草に覆われ、朽ちていくのであろうか。

2017年8月26日 (土)

白神山系南側をうろつく

Dsc_3767 窓の網戸に張り付いたアブ。うっとうしいので指で張り飛ばした。


Dsc_3768 男鹿の夜明け。向こうは海なのである。

今日は男鹿から白神山系の南側をうろついた。白神山系は世界遺産であり、人間の手がほとんど入っていないのが自慢だ、しかしそういうところは自分の足で歩き回らないと見る値打ちがない。それなのに、ほとんど歩かなくていいところだけを選んで立ち寄った。昨日廻った男鹿の八望台などは時間が前後するが、明日の朝のブログに掲載する。

ところでいまは森吉の山の中の宿にいる。よくまあこんな山の中に宿を作ったものだと思うようなところにあるが、道路は広くて快適に走れる。このさらに奥は太平湖という森吉ダムのダム湖で、その周辺はハードな山歩きの場所である。

携帯は圏外の場所である。しかし宿ではWiFiをセットしてくれているので、ネットが使える。自分のモバイルルーターよりずっと早い。

ではまず銚子大滝から。

米代フォレストラインの入り口に世界遺産センターという建物があって、ここで白神山地の地形や自然、生き物などが展示紹介されている。ここの話はあとで紹介する(しないかもしれない)。

その遺産センターから横道を上っていくとすぐのところに銚子大滝というのがある。同じような名前の滝はあちこちにある。

Dsc_3784 落差18メートル。この手前の岩の横を通り抜ければ滝の正面に出ることが出来る。

Dsc_3788 似たような景色だが、滝壺が見えるし、しぶきもかかる。実際はもっと周りが暗くてひとりだと少々こわい。

Dsc_3790 滝壺の音としぶきは写真に写し取れない。絵だけでは滝のほんの一部しか伝えられないのだ。滝は現物を見るに限る。

Dsc_3798 滝の入り口にわが敬愛する菅江真澄の歌碑が建っている。滝をバックに写し込んでみた。

このあと近くに大銀杏があるというので見に行く。

Dsc_3806 道路からこんもりとした小さな神社らしきものが望見された。道はあるけれど、狭いので愛車のアテンザでは田んぼにはまりそうである。歩いて行くことにする。

Dsc_3804 由緒書き。弘法大師がここで休憩したときに清水を汲んで、そこで昼食に使った箸を地面に突き立てたのが大銀杏になったそうだ。

Dsc_3802 ちょっとぬかるむ道を上ると社とその左手に銀杏の木が。

Dsc_3803 確かに大銀杏ではあるが・・・。

つづく


寒風山

男鹿半島・寒風山は海からそのまま立ち上がる独立峰なので、高さは355メートルと低いものの山頂に樹木もなく、見晴らしが抜群の景勝地である。冬ならその名の通り冷たい風の吹きさらすところだが、夏にはその風が快適である。


Dsc_3713 山頂にある回転展望台。車で上まで上がってしまったが、この山頂には駐車場がほとんどない。本来は下の駐車場において階段を上がることになっているようだ。仕方がないのでちょっとだけ道路に停めさせてもらって写真を撮った。だから回転展望台には入らなかった。あがりたかったのだが・・・。

Dsc_3709 山頂からの眺め。南西側方向である。

Dsc_3711 南東方向。この海岸のさらに左手は八郎潟の広大な干拓地。

Dsc_3722 下の駐車場に降りた。そこから山頂を見上げる。

Dsc_3726 前にひろがるのが八郎潟の干拓地。潟湖が残っている。

Dsc_3724 八郎潟干拓地と潟湖。

Dsc_3728 ここにも菅江真澄の足跡が残っている。

このあと八望台というところに向かう。

今晩は阿仁のさらに奥、秋田県森吉の山中の宿なので、ネットがつながらないかも知れない。更新がなければつながらないからである。記事がその分ズレていくことになる。

飯がまずい

 最近は旅に出ても宿の実名は書かない。褒めているつもりでも、私には意地悪じいさんの要素も多分にあるから、つい言わでものことを書いていることがある。迷惑を掛けたくないのだ。

 ということで心置きなくいえば、昨晩の夕食はまずかった。何を食べてもたいてい美味しく食べられる得な性分の私がまずく感じたのだから、よほどのことである。料理はあたたかいはずのものが冷たくなっているものが多く、魚も新鮮さに欠ける。男鹿である。目の前が海である。それでこんな魚?焼き魚はみぞるのがとても骨が折れるほどカチカチである。ここは山の中か。いや、いまは山の中でももっとまともなものを出す。

 だしのきいていない冬瓜の煮物の冬瓜の皮側がガリガリする。生まれて初めてこんな冬瓜の煮物を食べた。一緒に煮てあったオヒョウらしきものの片割れは一度干物にしてから煮たような味である。茶碗蒸しが甘い。スイーツみたいである。底の方にほうり込んであったのは、栗の甘煮らしきものである。これが銀杏のかわりのつもりなのだろう。これでは全体がスイーツになってしまう。

 料理が下手なのではなく、材料をよほど安く仕入れた上の手抜き料理と見受けた。実は昨年なまはげを見るために男鹿のこの宿に泊まっている。それほど不満を感じなかったと思うから、料理人が替わったのかも知れない。勘ぐれば安く仕入れて浮いた分を懐に入れていることもあり得る。しばしばある話である。

 おかげで好きな秋田の酒の高清水が美味しく飲めなかった。そのうえ給仕のお兄ちゃんがお粗末きわまりない。何か頼んでも持って来るのに五分以上かかる。地ビールの瓶を持って来るのに五分、あらためて冷酒を持って来るだけで頼んでから五分以上、それぞれ手を掛けるようなものではなくて、冷蔵庫から出してくるだけである。

 その間手持ちぶさたでボーッとしているしかない。ボーッとしている手持ちぶさたの五分はかなり長い(時計を見ながら待っていたから気持の五分ではなく実際の五分である)。隣の夫婦も頼んだきりいつまでもお兄ちゃんが来ないのでぶつぶつ言っていた。どこか遠方で別の仕事でもしていたのだろうか。頼みたいときにはその場にいないし、声を掛けても応答がないのである。

 食事が終わってちょっと腹を立てて部屋に帰ってから30分以上して、お兄ちゃんが部屋にやって来た。「デザートがあります、皿はそのまま置いておいてくださってけっこうです」とのこと。黙って受け取る。信じられないことに出し損ねたのだ。酒を飲み終わり、御飯をゆっくり食べていたから、デザートを出すつもりなら出し損ねることはあり得ない。オーマイガッ。

 本日が大曲の大花火大会である。大仙市は雄物川が氾濫し大変なことになっているが、一度冠水した花火会場も水が引いたと昨晩ののニュースで放送していた。花火大会を実施するかどうかは今朝これから決定されるらしいが、再び大雨が降って冠水するような事態にならなければ実施されるだろう。

 大仙市周辺の観光地はどこも満杯らしいです、と宿のお姉さんは言っていた。この男鹿までお客が流れて来ています、と嬉しそうに言った。宿の駐車場には車がけっこう停まっていたから客が多いのだろうが、さて、その客が再びこちらに来るときにこの宿に泊まるだろうか。経営者はそれに気がついていないようだ。多分このままなら早晩つぶれるだろう。これは私の呪いである。

 食い物の恨みは恐ろしいのだ。

2017年8月25日 (金)

名残の鳥海山と菅江真澄資料館

Dsc_3692 待ちに待ってようやく部屋から鳥海山の一部が見えた。

 未明までの大雨は止み、次第にあたりが明るくなってきた。朝食をゆっくり摂り、チェックアウト時間ぎりぎりまで待って出発した。

Dsc_3693

 ここまでか、と諦めて山を下り始めた。途中までいったヘアピンで鳥海山の姿が見えた。何とはっきりと姿が見えるではないか。鳥海山も名残を惜しむ私にちょっとだけ姿を見せてくれたのだ。山形県側や象潟側からの鳥海山は何度も見ているけれど、北側、秋田県側からのこの姿は初めて見る姿だ。まことに優美である。

Dsc_3694 ちょっとアップで。白いのは万年雪だろうか。

 山を下りきれば日本海の本荘、ここから日本海東北道に乗って北上する。今日は男鹿半島を散策するつもりだ。秋田空港を過ぎたところで秋田自動車道に乗り換え、太平山パーキングというところでトイレ休憩した。そこにこんな看板が。

Dsc_3696

 菅江真澄の資料館があるなら是非立ち寄りたいではないか。秋田県立博物館内にあるという。ナビでチェックするとそれほど遠くない。さっそく立ち寄り地に指定して博物館に向かう。こういうことがあるから旅は楽しい。わくわくするではないか。

Dsc_3698 こういう田舎の田んぼのなかを博物館に向かう。

Dsc_3699 秋田県立博物館正面入り口。

 正式には二階の入り口が正面であるが、博物館の一階に直接菅江真澄の資料館へ行くドアがある。資料館の入り口に菅江真澄がいた。

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 菅江真澄はこのようにいつも頭巾をかぶっていて人前で脱ぐことはほとんどなかったという。この写真を撮って資料展示室に入ろうとしたら、そこに写真撮影はご遠慮ください、と貼り紙してあった。済まぬ済まぬとそこでカメラをバッグにしまい込んだのは言う迄もない。

 さすがに彼の紀行文の原本は展示していないが、実物のままの複製が多数展示されている。思っていた以上に素晴らしものだ。まったく読めないのが残念である。うっとりとそれらを眺め、ビデオを二本観た。合わせて25分ほど、菅江真澄が秋田(出羽地方)にどれだけ足跡を残しているのかよく分かるビデオだった。

 菅江真澄が訪ね歩き、滞在した「家」はたいてい寺や神社、医家、庄屋などの大きな家である。それらの家のことが文章に残されていれば、その家の子孫にとっては自慢である。そこに「自分の家」の歴史が残されているのである。日本の「家」というものの存在意味を全く違う観点から見た思いがする。

 なんだか満ち足りて博物館をあとにする。ここから男鹿半島の景勝地、寒風山に向かう。

そのつもりはなかった、は釈明にはならない

 日本獣医師会の政治団体、日本獣医師連盟の傘下である愛媛県獣医師連盟に所属する獣医師たちがつぎつぎに会費の支払いを拒否していると産経新聞が報じた。会費を支払わなければ獣医師会を脱退することにつながる。その数は半数にもなろうという。

 なぜ獣医師会を脱退しようというのか。加計問題に端を発していることは明らかである。今回の会費支払拒否者の多くが公的機関に属する獣医師たちである。愛媛県の獣医師が不足している実態を肌身に感じている人たちだという。そしてその現象が加速したのは、民進党の玉木議員が日本獣医師連盟から百万円の政治献金を受けていたことが明らかになったからだ。玉木議員はそれを認めている。

 玉木議員といえば国会で加計問題を取りあげて舌鋒鋭く安倍首相などを責め立てて、結果的にほぼ加計学院の獣医師学部の設立をつぶした人間だ。日本獣医師会は加計学園だけではなく、そもそも獣医師学部の新設を拒否し続けてきた。玉木議員はその獣医師連盟から政治献金を受けてその意向に沿った政治行動を公然と行ったことになる。

 玉木議員は「そんなつもりはなかった。それをあたかもそうであるように報じた産経新聞はあまりにひどい」と反論している。そんなつもりがあろうがなかろうが結果的にそうなったのは事実であり「そんなつもり」など本人以外に知りようがないからつもりの有無など証明のしようがない。そのつもりはなかったは釈明にならないというのは民進党の議員の決まり文句ではなかったのか。

 獣医師会は獣医師学部の新設をつぶして欲しくて献金したのは誰でも分かることだから、それを引き受けた上で国会であのような執拗な追求をした意図は誰にでも想像される。維新の党の足立議員が国会が再開されたらそのことを追求すると公言している。すでに献金を受けていたことを認めている民進党のプリンス、玉木議員に逃れるすべはなさそうだ。

 自分がまいた種は自分が収穫することになることになっている。

災害級の大雨

 昨夕早めに鳥海山中の宿に着いたときには雨は上がっていた。傘をささずに駐車場からフロントまで行けたのは、あとで思えば運が良かった。間もなく雨が再び降り出し、前日のブログに書いたように夕食前の風呂に入っている頃からどしゃ降りになったのだ。

 雨は強いか激しいかの波はあるものの振り続けて、夕食時もレストランの大きなガラス張りの窓の外は風雨に激しく揺れる樹々ばかりが見えていた。

 豪雨の中の山道を走った疲れか、昨晩も九時前に寝入ってしまった。おかげで三時頃に目覚めてしまう。昨晩は見られなかったいつも拝見している方々のブログをチェックする。時折激しい雨が強い風で窓に打ちかかる音がする。山中の宿だから窓の外にはまったく明かりがない。だから真っ暗でなにも見えないが、窓を揺らす様子からかなり激しい雨だと分かる。

 今朝起きてニュースを見ると、東北は大雨であちこちで被害が出ているようだ。避難勧告のでているところもあるという。秋田県は特にひどいようだ。大曲の大花火大会も近いけれど、大丈夫だろうか。それよりも私がこれから走る道は大丈夫だろうか心配になる。

Dsc_3689 やや明け初めた頃の窓外の景色。

Dsc_3690 朝風呂から帰ってから見た窓外の景色。たぶんこの向こうに鳥海山の勇姿が見られるはずなのだが、うっすらとも見えない。雨は上がったようだ。

 朝二度寝したら変な夢を見た。南米に旅行に行ったらガイドにはぐれてしまい、見知らぬ場所でウロウロする夢である。意外な人物に助けられるがそれはそれとして、夢のなかで、これは夢だ、夢に違いない、と必死で考えているのである。夢かも知れない、と考えることはあったが、夢に違いない、と確信のような、同時に願いのようなものは初めてだ。それほど困っていたのだろう。

 今日は男鹿半島に行く。前回はなまはげを堪能したが、前回寄れなかった場所を見て回ろうかと思っている。道路さえ問題なければいまいる宿から遠くない。

2017年8月24日 (木)

雨、雨、さらに大雨、そして霧

 朝食のときに泊まっていた雲母(きらら)温泉の宿の女将に、昨晩の雨はすごかったですねえ、と言われる。私は九時前に眠ってしまい、三時過ぎに目が醒めてしまったがそのときには雨音がしなかったから寝ている間のことであろう。雨を知らない、と言うと目を丸くして呆れていた。それほどひどく降ったのだろう。

 それなのに、朝出かける段になったら再び雨が降り出した。小国街道(国道113号線)沿いに東へ走り、宇津峠を越えたら北上して山形道に乗り、月山を横に見ながら鶴岡、酒田を通って鳥海山を目指そうと思っていたのに天気予報通りの雨である。しかも予報でははげしく降るという。

Dsc_3670 宿を出発した頃はそれほどひどい雨ではなかった。

 米坂線沿いの景色はところどころ写真に撮りたいところがあるのに、そういうところに限って車を停めるようなところがない。だから写真でお見せできないのが残念だ。ひとりで車窓の景色を楽しむ。それにしても工事が多い。この雨の中を工事される人たちは大変であるが、それでたびたび長い行列をしなければならないこちらも大変だ。

Dsc_3672 工事待ちで見た山の景色。

 そんななかでちょっと危ないことになった。

 工事で待たされている間に、雨の様子を写真に撮るために窓を開けていたら、大きなアブが車内に飛び込んできた。一瞬のことである。アブにはむかし刺されてひどい目にあったことがある。車を拭くためのタオルではたいたら一撃で落ちた。

Dsc_3674 アブが入ったのは工事待ちの間に横手のこの景色を写真に撮った直後であった。

 一撃で落ちたけれど、アブがそんなものでくたばったとは思えない。蝿ではないのだ。きょろきょろアブの姿を探しているうちに、車は動き出す。復活して刺され出もしたら大変だと思うとちょっとパニックになるが、車を停めるところがない。案の定再びブンブンと目の前を飛び回り始めたではないか。絶体絶命である。

 雨の中、タオルでの攻撃をしつつ窓をすべて全開にしていたら、ぱったりと姿を見なくなった。しばらくして車を停める場所があったので車の中を点検する。アブは見当たらない。しかしどんな隙間に潜んでいるのか分からない。しばらくはアブに気をとられていた。

 そうこうしているうちに山形道へのショートカットの道をうっかりして通り過ぎてしまった。そのために三角形の二辺を遠回りすることになってしまった。悔やんでも仕方がないことで、急がない旅だからあまり腹も立たない。ようやく山形道に乗って走ったけれど雨は降りつづき、月山の麓あたりではますます降り方が本格的になってきた。もちろん月山の姿は見えるべくもない。

Dsc_3675 こんな降り方。写真は目で見たよりは様子が見えている。

 それを過ぎて以前行った湯殿山への曲がり角あたりでは、驟雨となった。前の車や対向車の上げる水しぶきで洗車機のなかにいるような状態だ。車は綺麗になっているのか汚くなっているのか分からない。しかし鶴岡を過ぎて酒田あたりでようやく雨もやんだ。この辺りからなら北上する道すがら、右手には霊峰の鳥海山が見えるはずだが、見えるのは山裾の緑と黒い雨雲だけである。

Dsc_3678 霧が立ちこめてきた。

 象潟の手前から鳥海山へ上る鳥海山ブルーラインという道に入る。途中からナビはいつものように峠越えの細い道を案内する。どこをどう走っているやら、分からない道をナビに従って走る。ただ細いといってもガードレールはあるし、大歩危小歩危の道よりは幅がある。覚悟を決めて走っていると強い風と、霧がたちこめ始めた。何だこの天気は・・・と言っても始まらない。もうどこにも立ち寄らずにひたすら宿に向かう。おかげで無事三時前に到着。

Dsc_3680 ナビはこんな道ばかり案内する。

Dsc_3681 対向車にはついに出会わず。幸いであるけれど。

 さっそく風呂に入り、汗を流し、つぎに露天風呂に入ったら、バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。湯が雨でぬるくなった。ホントの話である。

奇をてらった売名行為

 ネットニュースを見ていたら、テレビ番組で木村太郎氏が民進党代表を退いたばかりの蓮舫氏が最も日本の首相にふさわしい人物だ、と語ったと伝えていた。その番組を観ていないので、そのニュースに書かれていたことを読んで考えたことを書く。

 木村太郎氏は、ほとんどのジャーナリストが予想しなかったトランプ大統領の誕生を言い当てた人として、当時盛んにもてはやされていた。

 その人が蓮舫氏を首相にふさわしいと言ったのだから、みなが注目するのは当然であろう。木村太郎氏は二重国籍問題は、却ってプラスだという。二重国籍は多重文化の持ち主と言うことで、多重文化の持ち主の方が首相にふさわしいではないか、という。視野が広いだろう、ということらしい。そして彼女には華があるのだそうだ。そもそも自民党の議員のなかに首相にふさわしい人物はいないと断言もしているそうだ。

 トランプが大統領候補のとき、トランプは大統領に当選しない、と断言したジャーナリストはあまりいない。彼が大統領にふさわしいと思っていたジャーナリストもほとんどいない。つまり大統領になって欲しくないという思いが大方のジャーナリストには強かったから、アメリカ大衆のトランプ支持を読み違えたことは事実であろう。

 ある意味でトランプ大統領が誕生すれば今の混乱するアメリカのようになることが予想されたから、ジャーナリストとして彼の当選を読み違えたともいえる。ある意味ではアメリカのことを、そして世界のことを思う見識があったともいえる。

 彼等とて、絶対トランプは当選しない、と断言したわけではなく、ヒラリーが優位であるからヒラリーが勝つだろうと予測したに過ぎないので、その中で木村太郎氏がトランプが勝つ、と明言したことがどれほどの根拠に基づいてのものか、私には疑わしく思える。トランプ当選後に盛んに木村太郎氏の言葉が取りあげられていたが、選挙が済んで後付けで言うなら誰にでも言えることを言っていたようにも見えた。

 これをもってほとんどのジャーナリストは間違い、木村太郎氏だけが正しかったなどと考えるのもどうか、と思った人が多いだろう。ただ、このおかげで木村太郎氏の株は上がり、もてはやされた。

 その快感が忘れられないのだろう。蓮舫氏が日本の首相にふさわしい、などと、まず蓮舫氏本人以外は誰も考えもしないことを言って注目を集めるのは、奇をてらった売名行為そのものとしか見えない。

 蓮舫氏の「二番ではいけないんですか!」の剣幕に嫌気を感じた人も多い。彼女にはそれが一生ついて回るだろう。日本という国の根幹を支える技術を二の次にすべきだ、と言ったように聞こえたのだから。日本では、アメリカ大衆がトランプを大統領にしたいと思うように、蓮舫氏が首相にふさわしいと思う人間はあまりいないことに木村太郎氏は考えが及ばないようだ。

 ところが、木村太郎氏が言うなら確かにそうかも知れない、などと考える粗忽者もがいるかもしれない。まあしかし今回はさすがに木村太郎氏も焼きが回ったと考える人の方が多いと予想したいところだ。柳の下にドジョウは二匹もいないという。却ってトランプ当選を当てたのは、ただそう言ってみただけのことだとバレてしまったように思える。

わざわざ買い出しに

Dsc_3668 夜明け直前の宿の窓から。

Dsc_3669 同じく。

 昨晩、ビールと地酒を頼んだら、地酒を切らしていて普通の酒しかないという。がっかりしてしょげて見せたら、その様子があまりに哀れであったのであろうか。酒屋に買いに行くのでビールをゆっくり飲んでいてくれという。「申し訳ないねえ」といいながら、「そこまでしなくても」とはいわなかった。

 風呂上がりでもあり、ギンギンに冷えた生ビールは一気飲みするのが旨い。それを趣旨に反してゆっくりと二杯飲んでもまだ酒が来ない。酒屋はよほど遠いところにあるのだろうか。それはさすがに申し訳ないことであった。

 やがて待ちわびた地酒が来て、ひとり酒盛りも宴たけなわとなり、いろいろの料理を楽しんだ。田舎風の山菜中心の料理で、品数は多いけれど健康的なものばかりであった。ふだんは酒を飲んだら御飯は食べないが、旅先は別である。すべて飲み尽くし、食べ尽くしたら満腹となった。酔った上に満腹なら幸せである。

 今日の天気は残念ながら芳しくなさそうである。それはそれとして、明日以降は北へ行くほどマシな気配なのでそれに期待する。宿は24時間いつでも入浴可能。満腹の腹が少し納まってから、もう一度ゆっくり湯につかった。どうも昨晩の客は私ひとりだったらしい。夕方は下でカラオケの宴会のような音が聞こえていたけれど、それは地元の人のなにかの集まりだったようだ。

 とても静かでいいけれど、風呂に行っても誰も話しかける相手がいないというのはちょっとさびしい心持ちもした。客が多くてやかましければ不満なのであり、勝手なものである。

2017年8月23日 (水)

関川温泉郷

 いま新潟県の北辺、関川温泉郷の雲母(きらら)温泉というところにいる。荒川という川に沿って、湯沢、高瀬、雲母、鷹ノ巣の四つの温泉がならび、それを総称して関川温泉郷という。ここは村上市に隣接する関川村という村である。荒川の河口は北側が村上市、南側が胎内市。

 荒川沿いに東西に国道113号線が走る。この道路は米沢街道とも小国街道ともいう。そしてその道路に並行してJR米坂線が走る。この米坂線はとても懐かしい。米坂線は山形県の米沢から新潟県の坂町(この近く)までだが、実際には新潟まで乗り換えなしにつながっている。

 学生時代、米沢に暮らしていたけれど、生活していた寮が南米沢という米坂線の駅まで10分程度のところにあった。だから新潟へ遊びに行くときはこの米坂線を利用した。当時はまだSLが普通に走っていた。佐渡にもこの米坂線で新潟に向かい、フェリーで渡ったものだ。そのときの米坂線の景色はそのまま荒川沿いの景色なのである。

 愛知県西部のわが家からこの温泉まで、ナビによれば約530キロ、けっこう遠いのである。今回はスピードも出さず、何度も休憩を取って慎重に走った。中央道から長野道に入ったあたりまでは、天気は小康状態だったのであるが、姨捨のパーキングあたりからにわかに雨模様となり姨捨で眼下に広がる景色の写真を撮ろうと思ったけれど当てが外れた。

 上越から北陸道を北上している間も雨が断続的に降っている。しかし長岡のあたりから雨は上がった。とはいえ山側は低く雲が垂れ込めていた。北陸道から日本海東北自動車道へ、そして荒川胎内というインターで降りて米沢街道を東へ走り、関川に至ったというわけである。

 宿は高台にあるけれど、それほど眺望は良くない。まさに田舎の湯治宿の風情である。トイレは部屋の外、しかも目の前である。風呂は歩いて20メートル足らず、すべてにしごく便利な部屋で、しかも10畳敷きと広いのが気持ちが良い。ネットの設備はないが、持参したドコモのモバイルルーターは気持ちよくつながる。

 あたりを散策するような場所でないのが残念だ。荒川まで距離があるので車で行かないといけないので面倒なのだ。明日はさらに東に走り、渓谷になっている荒川を見ることにする。

 夕食はどうであろうか。地酒は何を飲もうか。この近くの酒屋には〆張り鶴や久保田や八海山の看板が掛かっていた。地元なのである。懐かしいなあ。むかし短期間だが仕事で新潟地区を担当してずいぶん飲ませてもらった酒の銘柄なのである。

Dsc_3641 米沢街道沿いの荒川を撮る。大雨が降ったのであろうか。満々と濁った水をたたえている。

Dsc_3647 川鵜だろうか、濁流をものともせず泳いだり飛んだりしている。

Dsc_3666 せきかわふれあいどーむ、というけれど、体育館である。体育館であるけれど、ちょっと見ものがある。外で煙草を吸っていたおじさんに教えてもらった。

Dsc_3665 竹とワラで作った大蛇はギネス記録に認定されているそうだ。それがこのドームに展示されている。

Dsc_3657 これが頭。

Dsc_3662 これがしっぽ。

胴体はこの頭としっぽをつないでドームの内周をぐるりとめぐっている。確かにばかでかい。実はこの荒川は古来洪水被害を繰り返している暴れ川なのである。大蛇はその象徴ということであろう。つい三、四十年前にも大水害が起きていたはずだ。

Dsc_3653 むこう(東側・つまり山側)は真っ黒な雲でいまにも大雨の気配。字は「あら川」。
ここは土手だが川は見えない。右手はドーム。

明日は鳥海山の秋田県側の山の中の宿に泊まる予定。天気が心配。




天気が心配

 昨夕の愛知県西北部ははげしい雷雨に見舞われた。雨が激しかったのは短時間だったが、雷はずいぶん長い間鳴り続けていた。むかし熊谷に住んでいたときは、利根川方向でしばしば恐ろしいほどの雷を経験したが、昨夕の雷はそれに匹敵した。マンションの中からその稲光を眺めているから身は安全である。恐ろしいというよりその激しさに感嘆していた。

 こういうときはテレビは元から切っておく方が安全である。避雷針ではなくアンテナに落雷することがあって、テレビがおシャカになる危険がある。むかし知人がそういう経験をしている。灯りがときどきチカチカした。落雷で変電所が影響を受けていたのだろう。昔なら間違いなく停電するところだ。

 冷蔵庫の食品を処理した。肉は冷凍する。野菜はすべて火を入れて、炒めたり煮てスープにした。大根は煮てから冷凍。野菜は大根以外は晩と今朝の食事で完食。卵は大丈夫とは思うが、念のためゆで卵にして無理して食べた。残りは旅のお供にして昼間食べるつもりだ。

 本日は早めに旅に出るつもりであるが、日本海回りで北上する予定であり、天気予報を見るとこの二三日はあまり芳しくないようである。天候は如何ともしがたい。予報はしばしば外れるので、いい方に外れることを願うばかりだ。天候以上に運転に注意が必要だ。気合いを入れて集中力と、なおかつゆとりを持って走ることを心に期す。今回は無理な長駆はしないことに決めている。だから一番遠い津軽半島竜飛岬に到達するのは五日目くらいになるであろう。

 気持ちが高揚してきた。朝食を食べて片付けたら出発だ。

2017年8月22日 (火)

一段落したので

 今回の審判の件について、先方が結果を受け取ったのが7日で、異議申し立ての期限は二週間以内だから、21日である昨晩の時点ではギリギリまだ異議の有無が不明だったそうだ。私が今朝事務所に行く直前に、私の弁護士から先方の弁護士に確認の電話を入れてくれていた。

 普通はそこまでしないそうだけれど、私が行く前に確認が必要と判断してのことであった。おかげで先方が異議申し立てはしないことの最終確認が出来た。

 今回の件では先方の申し立てがまるまる却下されたことになったので、先方の感情的なものが収まりが付かないだろうけれど、今すぐ次の手を打つことは難しいだろうというのがこちらの弁護士の判断である。これでいくつかの調停や審判の申し立ては、一応すべて区切りが付いた。

 今日の打ち合わせでは、まだ弁護料その他の正確な請求金額が決まっていないという。概算してもらうと、覚悟していた金額よりだいぶ少なかったのでほっとした。成功報酬は相手の申し立て金額そのままを基準とせず、かなり減額して計算することになったという。そもそもの申し立て金額が法外だったという判断である。有難いことである。

 もともとのこちらの目的(離婚)は諸般の事情(事情があって理由は申し上げかねるが、私に原因はないことは明言する)により叶わなかったけれど、いろいろなことがおさまるようにおさまった気がする。なにより世の中がこういう場合に法律的にどう扱われ、どう裁定されていくのかを知ることが出来た。こういう機会がなければ知ることのないことであり、いい勉強をさせてもらった気がする。

 弁護士にはずいぶん世話になった。今後も何があるのか分からないので、引き続き相談をしてくれてかまわないという。心強いことである。心からお礼を申し上げて引き揚げた。

 一段落して心もいささか軽くなったので、帰宅して早速に旅に出る段取りを始める。しばらく我慢していたのである。

 今回は秋田を中心に津軽半島まで足を伸ばそうかと思っている。明後日の24日から出かけようと思っていたが、心がはやり、明日の朝から出かけることにした。とりあえず三日ほど宿の予約をした。そのあとはいつものように行った先で考えることにする。

 一週間足らずで帰ってくるか、十日以上になるか、それは今のところ分からない。帰りがけに弟の家に寄り、旅の話をみやげに酒を酌み交わし、父と母の墓参りもするつもりなので、どちらにしても帰るのは9月になってからになるだろうか。

 さあ大急ぎで仕度をすることにしよう。わくわく。

 そういうわけで、たぶん次のブログの更新は明日の夕方になると思う。さて何を見ることになることであろうか。

弁護士事務所

 係争中の案件についての審判が今月初めに裁判所から下されている。異議の申し立て期限は審判の結果を受け取ってから二週間以内なので、タイムラグを考慮しても、そろそろ異議申し立てはなかったものと考えていいのかも知れない。

 そこで最後の打ち合わせのために、今朝一番で弁護士事務所に行く。当然経費の最終的なものが明らかになることだろう。一応前金で弁護料の半額は支払ってあるけれど、問題は成功報酬だ。先方の申し立てていた請求の何パーセントかそれ以上の金額が成功報酬として請求される。申し立て通りに支払わなければならない場合よりはるかに僅少とはいえ、バカにならない金額だろう。

 この審判の前にこちらの申し立てで離婚調停をしているのでその場合は先方の裁判所に弁護士と共に何度か出かけた。その場合は弁護士が日帰りは無理な場所だったので、宿泊出張になる。私自身の往復の経費も合わせると、10万円近い経費になる。年金暮らしには辛い出費なのだ。時間もかかるしその間のストレスもきつい。

 今回の審判は先方(名目上妻の母)の申し立てなので、名古屋の家裁での審判になった。先方も弁護士の費用は大変だったろうと思う。実は離婚調停のあとに妻の生活費請求申し立てもあったのだが、連続した事案として離婚調停をおこなった裁判所で同じ調停員で連続して行われた。これは諸般の事情を考慮しての裁判所の要請で、同じ場所での調停を断ることも出来たけれど受け入れた。しかしこれは比較的に短時間ですんで有難かった。結論は生活費としての年金の分割の金額を決めるだけのことになり、判例にもとづく数字的なものを決める作業だけとなったからだ。

 とにかく裁判は結論が出るまでにやたらに時間がかかるのに、一回の話し合いはあっという間に終わる。短時間の聴き取りのために費用がかかり、それが繰り返されるのにうんざりするが、そのうんざりさせるのが、双方に結果を受け入れさせるための裁判所の狙いかも知れない。

 最終的な弁護費用が決まり次第なけなしの金を振り込み、処理が済んだら旅に出ようかと考えているが、いつもと違ってまだ何も予約をしていない。打ち合わせで思わぬ事態が生じないという保証はないのである。実は・・・ということがないとはいえない、などと不安に思っている。最近楽観主義から悲観主義になりつつある。心配性は精神に良くないけれど、どうも心配性は精神がやや弱ってきているせいかも知れない。

 ストレスは弛緩した精神に活を入れ、ボケを防ぐ役割があるかもしれないが、過剰なストレスは精神を疲弊させ、老化を促進させてしまう。まあ世の中にはもっとつらい思いをしている人が山のようにいるのはずで、比べてはバチがあたるだろう。

 さあ、出かけよう。これが最後の弁護士事務所へ行く日であることを願いつつ。そしてこんな泣き言を二度と書くことがないことを祈りつつ。

2017年8月21日 (月)

ジェリー・ルイス死す

 ブログを書くときは表題を決めてから書き出す。そうしないととりとめがなくなって何が書きたかったのか分からなくなるからだ。ところが最近はその表題が思い浮かばなくなってきた。浮かぶまで待っているといつまでたっても書き出せない。

 書きたいことのかけらがありさえすれば、とりあえず書き出すことにしたらそれなりに書けることに気がついた。ある程度書いてみて、読み返してみると表題らしきものが頭に浮かぶ。最初に表題を決めて書き出したときと比べるとぴったりこないこともあるけれど、一度思い浮かぶと、もうそれ以外が思い浮かばなくなるものだ。

 ジェリー・ルイスが死んだ。91歳だったそうだ。子どものとき、東京に住む母方の叔父夫婦の家にときどきひとりで泊まりに行った。そのころは叔父夫婦にはまだ子どもがなかったので、やたらに可愛がられた。ご馳走を食べ、お菓子も食べ放題、星が好きだといえばプラネタリウムを見に行き、映画が好きだといえば映画館に連れて行ってもらった。

 そのときにジェリー・ルイスの喜劇映画を見た。小学校五年生だったと思うが、字幕でも別にわずらわしいことはなく、大笑いして観た覚えがある。共演していたのはディーン・マーチンではなくボブ・ホープだったと思う。ボブ・ホープの面白さは分からなかった。ジェリー・ルイスは仕草そのものが面白いけれど、ボブ・ホープはにこりともせず、動きもあまりない。台詞で笑わせているのだろうが、そもそもこちらにはそのジョークが理解できない。

 当時のテレビ番組はアメリカ製ドラマの吹き替えが多かったから、いまよりもアメリカ的な感覚が分かりやすかったのかも知れない。いま観たらジェリー・ルイスに笑えるかどうか疑問だ。団塊の世代は、思えばアメリカの文化にどっぷりとはまっていた。

 どうしてアメリカなどと戦争したのか知りたくて歴史を学んだ。歴史を学ぶと言うことは日本を知ることであり、日本人である自分を知ることだ。そのことによってアメリカ文化にはまっていた自分を修正した。大げさに言えば価値観の修正である。ベトナム戦争などもアメリカ離れをさせた要因だろうか。

 そうしてジェリー・ルイスははるか彼方に遠ざかり、忘却の彼方に去っていた。いま再びその名を聞き、自分の過ごしてきた長い時間のことを思った。

ひとの不明を糾弾する前に

 君子然としながら女子児童の裸の写真を撮る校長や教師がいる。私はロリコンです、などという名札をぶら下げてくれているわけではないから、事実が明らかにされなければその人がそういうひとだと分からないものだ。

 世の中には道徳的なことを口にしながら欲望に従って生きている人が無数にいる。人はしばしば欲望に従って生きるものだと言ってしまえばそれまでだが、さすがに欲望だけに従っているわけではないし、それを何とかコントロールしながら、ひとに後ろ指をさされないように生きているものだ。だからえらそうに道徳的なことを口にすることも控える。それが平然と言えるひとというのはときに見ていてこちらが気恥ずかしくなるものである。たいていそういう人物は胡散臭い。

 籠池某夫妻が再逮捕されるそうだ。園児に教育勅語を唱えさせ、道徳を説いていた彼らが不正を行っていたことはほぼ確実なことのようである。そのような人物の建てた学校の名誉校長に祭り上げられた安倍首相夫人の照惠さんは不明を恥じるべきである。そのことで野党の面々は照惠夫人をなじり、夫の安倍首相の責任を追及した。照惠夫人は夫に迷惑を掛けたのであるから謹慎して然るべきだと思うが、あまり懲りないひとらしい。

 しかし籠池某夫妻がそういう人間だと知っていて照惠夫人もつき合っていたわけではなかろう。最初に書いたようにそういう不正を行う人間かどうかはなかなか分からないものだ。もし感じても手のひらを返すように関係を絶つというのは難しい。

 ところで思い出すのはこの籠池某夫妻と肩を並べて満面の笑みを浮かべて映像に撮られていた野党の面々である。彼らが籠池某夫妻の不正を知ってから、自分たちの不明を恥じている様子は毛筋ほども伝わってこない。根拠も無く籠池某夫妻の言い分だけを取りあげて国会で熱弁をふるっていたのは彼らではなかったか。安倍照惠夫人の不明をなじるなら、彼らも同類ではないのか。

 そもそも森友問題は、国有地の払い下げが不当に安く行われたのではないかという疑いである。検察は籠池氏と並行して払い下げに関連した公務員にも事情を聞いているらしいから、適切な調査を行って欲しいものである。官僚が正式の命令ではなく忖度により、不当な廉売をしたからといって罪は免れないところであるのは当然だ。適正に仕事をしなかったことは罪なのである。言い訳にはならない。

 そして、もし問題がそこにあるというなら、籠池某夫妻は受益者であったということである。野党がその森友問題を追及するなら、受益者の一方的な言い分を聴いた上で、その受益者と肩を並べて満面の笑みを浮かべていたとなると、それは如何なることか。これは不明というにはあまりある異常なことではないのか。

 権力側の不明は糾弾するが、自分の不明は口を拭って知らん顔をする。このダブルスタンダードの恥知らずこそ、日本の昔からの無責任の体質ではないか。このような面々が誰かを糾弾する資格があるかどうか、共産党の小池さんなら答えてくれるだろう。そういえば記憶違いかも知れないが、彼もあそこにいたような。

心の平安

 朝起きて見る寝室の気温は、28℃を下回っていることはない。朝のさわやかで涼しい風を感じることが出来るのはまだまだ先のようだ。水分を意識的にとっているので起きたときには寝汗をかいていることが多い。それでも身体が暑さに慣れてきたのか、タイマーを掛けてあったクーラーが切れても、一時期のようにまたスイッチを入れ直すということもなくなった。

 早めに寝につくように心がけているのだが、上手く入眠できるときと出来ないときがある。眠れないときは寝床のスタンドをつけて本を読むのだが、最近は数独パズルをすることが多い。あまりに難しい問題だと、結局行き詰まってしまって出来ないことに腹を立ててしまい、イライラしてしまう。却って眠れない。そこで中上級の、20分前後で解くことの出来る問題集を買った。

 超難問で苦労したので、ある程度の解答テクニックを身につけているから行き詰まることがないのはありがたい。行き詰まった問題を苦労して解くのは解けたときの喜びが大きいけれど、あまりに精神を集中しなければならないので、目が冴えてしまう。それほど苦労しない問題は、入眠前に適当だと思ったのだが・・・。

 問題が解けるとつい次の問題に手を出してしまう。こうして気がつくと、早めに寝床に入ったのに二時間も三時間も過ぎてしまっていて、スタンドの電気を消しても頭の中にパズルが浮かんで眠れなくなってしまう。頭が興奮状態で、クールダウンが必要なのだ。

 どうしたらいいのだ!

 もちろんそんなパズルはどこかにしまい込んでしまえばいいだけのことなのだが、そうすると別のことを始めて同じように夢中になってしまう。むかしは目をつぶった瞬間に眠れたのに。

 たぶん酒を飲めばすぐ眠れるはずなのだが、相手のいないときは酒の力で眠ることはしないことにしている。それをすると深酒になりやすいし、血糖値が上がることは間違いない。

 こうして寝不足気味になるけれど、その分昼間うたた寝することも多くなった。リズムが狂ってずいぶん久しい。古い話だが、仕事をしていたときはずいぶん無茶な暮らしをしていたけれど、それなりに生活にリズムがあって、きついストレスだって眠れば翌朝は雲散霧消していた。どうも私にとってストレスと血糖値は裏腹な関係らしい。

 リズムを取り戻す、いや、新しく構築し直すことを考えないと心の平安が感じられず、毎日がもったいないような気分になっている。座禅でも組もうかしら。それとも習字でも始めようか。なにしろ気が多い、落ち着かないじいさんなのだ。

2017年8月20日 (日)

不機嫌なじいさん

 いつでも手に入れられるものはそれほど欲しいと思わないものだ。もし手に入っても喜びは小さい。子どものとき、あれほど欲しかったものが、どうしていまは色あせて見えるのだろう。

 それでも高価でちょっと買うのに躊躇するようなものは、手に入れるといまでもけっこう嬉しい。しかしその嬉しさがあまり持続しない。いろいろとカタログやネットの情報を見比べて迷っているときは、あれほどわくわくして楽しかったのに、現物が自分のものとして目の前に置かれると、ときには嬉しさよりもなんだかがっかりしたような気になるのはどうしてだろう。

 ものだけではない。何事に対してもそんなふうになってきた気がする。あまり感激しなくなり、喜びが持続しなくなっている。心が伸びきって弾力性を失ってしまったようだ。これも老化だろうか。

 「堰(せ)かれて募る恋心」という。障害があるほど恋は燃え上がる。障害がなくなると、とたんに熱が冷めるというのは良くある話で、不倫が案外ときめくものであるのはそれに似たものだからか。ロミオとジュリエットは、敵対する家の息子と娘の恋だから命がけになったのだろう。

 もう現実の恋をする歳でもなくなってしまった。そもそもときめく相手はいないし、もしいても哀しいことに相手にされない。

 生きていることにいささか飽きてきたような気がする。だからといって自分で命を縮めようなどとまでは思わない。ただ、見るべきものは見たし、美味しいものもずいぶん食べた。いまは美味しいものにも若いときのような喜びが感じられない。これからますます先の見えた目新しさのない日々が続くのだろう。かといって天変地異で右往左往するのは願い下げだ。だいいち面倒くさい。

 いまや感情が波立つのは、自分勝手だったり自己中心的で、自分の世界観だけが正しいと思い込んでいる人間に対して怒りを覚えるときだけだ。そういう意味で、そのような腹の立つ人間だけが私を活性化している。こうして私は頑固でときどき腹を立てるだけのじいさんになりつつある。

2017年8月19日 (土)

不穏

 ニュースを見ていると世界が不安定化しているのを感じる。トランプなどという人物が登場してアメリカ大統領になってしまったことがこの不安定化の一つの要因か、などとも思うが、それは原因というより結果なのかも知れないと思ったりする。世界が不安定化しているからこそ彼のような本音をむき出しにして恥じない人物が大統領になれたのではないか。

 さいわい日本はまだそれほど不安定化しているように見えない。日本人は他人事として世界で頻発する異常な事件を不安な気持ちで眺めているだけである。それだけ安定して平和な国だということであって有難いことである。

 世界が不安定化することをチャンスととらえる人びとがいる。世界はもう袋小路にいるのだから現在の秩序は一度崩壊させた方が良いと内心で思う人たちである。そういう人たちはますます人びとの不安を煽り立て、パニックになって狂気に走る人間を送り出そうとする。変革こそ正義と思う人びとである。

 これから世界の不安定化がますますエスカレートしていくのか、それともこれではいけないと人びとが気がついて再び秩序を取り戻そうとする動きに向かうのか、私には皆目分からない。過去の歴史を見れば、そのような不安の時代の結果として戦争が起こった。戦争の惨禍が人びとをパニックからようやく覚醒させて、これではいけないと思わせ安定を求めさせる。

 何のことはない、現在の世界はそのくりかえしのなかのまさにある局面、つまり戦争直前の時代にいるということなのではないのか。恐ろしいことであるが、誰かがこれを止めることが出来るとも思えない。悲観的だが、自分が巻き込まれないことを願い、神に祈ることしか一個人に出来ることはないのだ。

 日本のマスコミは正義のための変革を唱える人びとの尻馬に乗り、体制を不安定化させることを正義と信じてますます偏った報道を行うだろう。知らず知らず社会の不安定化をあおり、戦争へ大衆を追い込むだろう。まさに彼らが昭和の前半に行ってきたことを、いま同じ様にたどっているように見えてしまうのは私の妄想か。

 民主党が政権を取る前、マスコミはこぞって自民党の非を鳴らし、国民に政権交代後の夢を見せ、国民はそれに乗った。その結果がどうなったのか。まともな記憶力のある人びとはそれを忘れていないから、再び民進党に夢を見ることがないのは幸いである。あの頃の自民党は確かにひどかった。再び自民党があの時代のお粗末な党に戻ってしまっているのかどうか。

 安倍政権におごりがあり、能力に欠ける大臣をはじめ、知名度だけで人間的に問題のある議員を抱えていることは事実である。しかしこの政権の時代は、国民にとって、特に若者達にとって幸福な時代であるように見える。失業率は過去最低であり、飢えて死ぬ人間はまずいない。救いを求めれば救われるシステムはほぼ適正に機能している。

 マスコミや野党は不完全な部分だけを取りあげてすべてが機能していないが如く言い立てるが、この世に完璧なシステムなど存在しない。不完全な部分をどう解消していくかを問題にするなら建設的だが、不完全をただ言い立ててシステム全体を否定する姿勢は社民党的で、社会にとって害をなすだけである。同じように見えて全く違う問題提起の仕方なのである。いま民進党が旧社会党を抱えたまま存続することで、この悪弊を脱することが出来ないまま衰退しつつある。

 社会を不安定化させるかさせないかは、全否定か問題解決のための不備指摘であるかによる。共産党は本質的に革命を目指す党である。それを指摘されると必ず否定してみせるが、党是からその根本を外すことはしない。そもそもが全否定の党なのであり、それは徹底的に首尾一貫している。そのような党と共闘すること自体の是非が分からない枝野氏のような人が党首になるとしたら、民進党の命脈は尽きるだろう。

 いまマスコミや野党は問題点をあら探しして、それをいい立て続けている。問題点があることを明らかにすることは良いことである。しかしそれが問題解決のためではなく、政権を否定し、システムを否定し、社会体制全体を否定することに知らず知らず向かわせようとしているのであれば大問題である。

 彼らは変革を夢見る。変革にはまず社会をゆるがし、不安定化させる必要があり、それこそが正義だと確信している。せっかくの日本の安定と平和をゆるがそうとしているのは誰なのかをよくよく考える必要がありそうだ。

2017年8月18日 (金)

あなめあなめ

 天明の大飢饉のときにみちのくでは餓死者が大量に生じた。『菅江真澄遊覧記1』でその餓死者たちの白骨の山を見た菅江真澄が思わず「あなめあなめ」とつぶやいたことを引用した。その「あなめあなめ」の意味をあとで説明する、と書きながら後回しにしていたのでここに書いておく。「ブログ記事8/15付け・飢饉の餓死者(『菅江真澄遊覧記』より)」

 在原業平がみちのくを旅したとき、夜更けに女の声が聞こえてきたので野原にさまよい出ると、そこには髑髏が転がっており、「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」と髑髏が歌っていた。

 「あなめ」とは、「ああ眼が痛い」という意味である。髑髏の眼窩には薄(すすき)が生えており、それが秋風が吹くと揺れて眼窩をこするのが痛い、と嘆いていたわけである。

 この髑髏が小野小町のものであることを知り、在原業平が薄を抜いてやると声は止んだという。

 小野小町には美女であるが故の美女変相の話がある。絵物語になっている。絶世の美女である小町、やがて歳とともに容色が衰えていき、老婆となり、死に、死体は腐爛し、朽ち果て、最後は白骨となる。人の世の無常を表す絵物語である。

 それと在原業平の伝説が組み合わさってこのような「あなめあなめ」の話になったのであろう。業平は髑髏の歌う「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ」に対して「小野とは言はじ薄生いたり」と返している。

 その意味は薄が生えているくらいだから小野(小さい野原)とはいえない、ということだが、もちろん小野小町を掛けているわけである。

 菅江真澄は白骨を見、この歌を思い出してつい「あなめあなめ」とつぶやいたわけである。

最初は別だけど

 強い毒性を持つヒアリが全国で見つかっている。たまたま見つかったけれど、実はかなり以前から日本にやってきていたということだろうか。それにしても突然これだけ頻繁に見つかりだしたのも不思議だ。ニュースを見ていると、ほとんど中国から移送された貨物に付いてきたようである。

 もともとは南米原産のアリであるが、中国から、または中国経由の貨物に付随することが多いのは、それだけ中国の検疫や駆除がいい加減だということを表しているのだろうと最初は思っていた。

 しかし、まさかとは思うが、日本で騒ぎになったのを知って意図的に荷物にヒアリをしのばせているなどということはないだろうなあ。今回狭山市で発見されたヒアリの女王アリなど、コンテナからとり出した荷物の梱包のなかから見つかっている。わざと入れたと勘ぐるのは考えすぎか。

 餃子に農薬を入れて送ってくる国だからなあ。

 そういえば武装漁民を乗せた大量の漁船群が尖閣諸島に向かっているらしい。中国政府は正式に尖閣諸島海域での漁を許可したそうだ。関連してさまざまな嫌がらせを繰り返すことになりそうだ。それに対して日本が強硬な態度に出れば、それを口実にさらに行動はエスカレートするだろう。やくざの手口である。

2017年8月17日 (木)

さびしくもあり・・・

 娘のどん姫は昨日の朝、そして息子は今朝、自分の住処に帰っていった。盆休みは終わりである。いろいろな話をしたけれど、話したいと思っていたことのほんの一部しか話していない気もする。子どもたちの話を聞くよりも、つい自分の話が多くなってしまうのはいつものことである。話し足りない思いが次に彼等が来ることへの待ち遠しさにつながる。

 いつも以上に連日よく酒を飲んだ。二人とも若いからよく飲みよく食べるので、私がひとりで食べ過ぎることはない。おかげで思ったより体重が増えていないのは幸いである。今回はあまり手のかかる料理は作らず、席に座る時間が確保できるスピード料理を数多く用意したのは正解であった。冬なら鍋だから下ごしらえすれば坐ったままですむから便利だ。

 それでも独り暮らしの自由気ままというわけにはいかないから、わが息子と娘とはいえ気を遣うことはつかう。だから彼らがいなくなってさびしくもあり、いささかほっとしているところもある。

 どん姫のくれたひとり用の電気サイフォンでコーヒーを淹れて一息ついている。ちゃんとした入れ物がないのに気付いた息子が、コーヒーが酸化しないような簡単な抜気式の豆入れをネットで取り寄せてくれた。むかしもらってしまい込んでいた手動式のコーヒーミルを引っ張り出して来たので、これからは豆を買ってきたらその都度粉に挽いてコーヒーを淹れることができるようになった。ちょっと贅沢な気分を楽しめるのである。ありがとう、子どもたち。

 来週弁護士事務所で最終打ち合わせをしたら、しばらくぶりに東北地方に旅に出ようかと思っている。まだ細かい訪問先はなにも決めていない。今回は移動よりは滞在を考えている。格安の湯治宿に一カ所に二泊とか三泊しながら、温泉と読書三昧をしようといまからわくわくしている。

2017年8月16日 (水)

無責任

 リーダーはチームの責任を負う。責任者はその責任を引き受けることで権限も与えられている。

 昨日の終戦記念日に、NHKがインパール作戦を特集していた。いつもブログを拝見している方々の中にもこの番組について言及されている方が見受けられた。それぞれのご意見についておおむね賛同する。

 日本は国家として戦争責任者を裁くことをしなかった。連合国による東京裁判というかたちで戦犯を特定し、彼等の罪で戦争が起こった、彼等が悪くて国民は悪くなかったというかたちで収めてしまったから、本当の日本人自身による戦争の反省はなされていない。

 それがゆがんだかたちで顕れているのが自虐史観なのではないかと思う。特にA新聞をはじめとする大手新聞社は、戦争へ国民を煽り立てる役割を担っていたのに、それについての反省を私はあまり見聞きしていない。何しろ戦犯が悪い、そして国家が悪かったという論法で自らの責任をあきらかにせずに口を拭ったままである。

 その姿は、あの慰安婦問題についての誤報を指摘され続けても抗弁し続けて、30年も過ぎてからようやく自らの非を認めざるを得なくなった姿に重なる。戦争反対を叫びながら、明日また戦争に国民を煽らないという保証はない。

 インパール作戦が如何に無謀で兵士の命をないがしろにした作戦であったのか。それは番組でも報じられていたように、補給をまったく想定せず、敵の武器や食糧を奪って補給せよなどという命令に顕れている。各方面軍の師団長が敗勢必死で作戦の遂行は不可能と報じてきているのにインパール作戦を遂行した総責任者である牟田口中将はそれを弱腰であるとして罵倒して、つぎつぎに師団長の首をすげ替えた。

 当初三週間の予定の作戦が頓挫したのに作戦中止の指令が出たのは四ヶ月も過ぎてからであり、泥濘のジャングルのなかを食糧もなく、マラリヤや赤痢にかかってつぎつぎに兵士は死んでいった。驚くべきことに戦闘で死んだ兵士よりも病死や餓死の兵士の方がずっと多いという惨状だった。

 番組が牟田口中将ばかりに作戦の責任を負わせているという指摘をしている方もあったが、私の見る限りでは当時の東条英機以下のトップも含めての司令部全体の精神論の横行する無責任さもきちんと言及していたように思う。

 ただ、あのときに牟田口中将のすぐ側にいた斉藤中尉という人の
残した克明な手記がインパールの実態を明らかにしているとして、番組はそのことにウエイトを置いていたので、日本軍そのものの問題について突っ込み不足だという指摘になったものと思う。

 この番組を息子と二人で観た。ラストに斉藤小尉が生存していることが明かされ、自分の手記を見ながら過去を思い、感極まって絶句している姿が強烈にこちらの胸に迫ってきた。

 息子に「戦争反対を謳うなら、このような番組こそが必要だろうな」と語った。インパール作戦とガダルカナルの惨状については、学生時代から知っておくべき戦史だと思っていたので、いろいろな作家のいろいろな立場の文書で繰り返し読んだ記憶がある。そこで学んだ自分の記憶していることを息子に話したけれど、そういう意味では終戦記念日にふさわしい夜になった。

 日本のトップの無責任体質は牟田口中将に象徴されるけれど、それは原発事故の時の東京電力のトップや、東芝、三洋電機のトップの姿にそのままつながっているような気がする。原発事故の時の菅直人首相や枝野氏の時々刻々変わる言動にもそれを見たと私は思っている。日本が日中戦争、太平洋戦争を真に総括できないままであることが日本のトップの無責任体制を生み出しているという点は間違いない事実であると考える。

 当たり前のことだが、責任者は責任をとらなければ責任者ではないのである。

2017年8月15日 (火)

飢饉の餓死者(『菅江真澄遊覧記』より)

 (天明四年八月)十日 朝早く(鰺ヶ沢を)出立する。高い家の二階にならんで、戯れうたを歌う女がいた。この村のゲンボ(この地方で安女郎をこう呼ぶ。鰺ヶ沢は港で、遊女がたくさんいた)という遊び女であるという。

 道をしばらくきて浮田というところへでた。卯の木、床前(にと津軽群森田村)という村の小道をわけてくると、雪が消え残っているように、草むらに人の白骨がたくさん乱れ散っていた。あるいは、うずたかくつみ重なっている。頭骨などの転がっている穴ごとに、薄(すすき)や女郎花(おみなえし)のおいでているさまは、見る心持がしない。「あなめあなめ」とひとりごとをいったのを、うしろの人が聞いて、
「ごらんなさい、これはみな餓死したものの屍です。卓天明三年の冬から四年春までは、雪のなかに行き倒れたもののなかにも、まだ息のかよう者が数知れずありました。その行き倒れ者がだんだん多くなり、重なり伏して道をふさぎ、往来の人は、それを踏みこえ踏みこえ通りましたが、夜道や夕ぐれには、謝って死骸の骨を踏み折ったり、腐れただれた腹などに足をふみ入れたり、その臭い匂いをご想像なさい。
 直も助かろうとして、生きている馬をとらえ、首に綱をつけて屋の梁にひきむすび、脇差、あるいは小刀を馬の腹に刺して裂き殺し、したたる血をとって、あれこれの草の根を煮て食ったりしました。荒馬の殺し方も、のちには馬の耳に煮えたった湯を注ぎ入れて殺したり、また、頭から縄でくくって呼吸ができずに死なせるといったありさまでした。その骨などは、たき木にまぜて焚いたり、野をかける鶏や犬をとらえて食ったりしました。
 そのようなものを食いつくしますと、自分の産んだ子、あるいは弱っている兄弟家族、また疫病で死にそうなたくさんの人びとをまだ息の絶えないのに脇差で刺したり、または胸のあたりを食い破って、飢えをしのぎました。人を食った者は捕まって処刑されました。人肉を食ったものの眼は狼などのようにぎらぎらと光り、馬を食った人はすべて顔色が黒く、いまも生きのびて、多く村々にいます。
 弘前近くへ娘を嫁にやっていた女があって、戸の娘が、自分の母はこの年の飢饉にどうしているか会いたいと、道のりは一日のうちに歩いて行けるところなので、夕方近く着き、互いに無事をよろこびあった。そのあとで母のいうことに、お前がまるまると肥えているようだ、食べたら、うまさはかぎりないであろうと戯れていうのを、娘は母の空言ではありながら薄気味わるくなって、母の寝たすきをうかがい、ひそかに戸をおし開けて夜の間に逃げ帰ったという話もあります。
 このような世間のありさまの恐ろしさは、みな人間のなすわざとも思われません。まるで、羅刹、阿修羅など悪魔のすむ国などが、このようなものではないかと思われ、死ねるものならば死んでしまおう、生きてつらい目にあう苦しさよりもと諦めましたが、天の助けか、わたしどもは藁を搗いて餅とし、葛蕨の根を掘って食い、いままでの命をながらえてきました。今年も先日の暴風に災いされて、農作物が被害を受けました。またも飢饉になるのではないかと案じられます」
 と泣きながら語って、別の道に去って行った。この話は真実であろうか、本当にありとあらゆる家はみな倒れ、ある家は骨組みばかりで、柱だけが立っているのを見ながら、過ぎ去った日の惨状をしのんだ。

 森田、山田、相野、木造を過ぎて、岩木川にでた。綱を引いてわたす船渡しである。この夜は五所川原というところに泊まる。

 菅江真澄が「あなめあなめ」と独り言を言った、その意味が分かるであろうか。小野小町伝説を知る人は承知であろう。このことについては項を変えて説明する。

2017年8月14日 (月)

想像するとシュールだ

 韓国が徴用工の像をソウル市内のどこかの駅前に設置したそうだ。どうやら日本大使館前の慰安婦像のとなりにも置く計画が進められているらしい。ソウル市内を走るバスの座席に、慰安婦像の等身大のレプリカが乗せられて市内を走り、ソウル市長がわざわざ視察しに出かけたという。

 いまにバス停や駅前に、つぎつぎに慰安婦像と徴用工の像が建てられかねない気配である。誰もそれに表だって反対できないのが韓国という国らしい。反対すればもちろん親日的売国奴と決めつけられて社会的に糾弾されることになるであろう。

 さらに像の設置がエスカレートすれば、各会社の門前の左右に慰安婦像と徴用工の像の設置が暗黙の強制となり、さらにさらにエスカレートして各家々の門前にも慰安婦像と徴用工の像を置くことが当然となるであろう。見わたすかぎりに像が建ち並ぶさまを想像するとシュールだ。

 それが韓国にとってどんな意味があると考えているのか、もはや理解不能である。そもそもどんな利益があるのだろう。利益は像の制作会社にだけはあるであろう。しかしチョコレート会社の思惑でバレンタインデーが盛り上がるのとは意味が違う。

 唯一明らかなのは、そんな韓国にまともな日本人は誰も行きたいと思わないだろうということだ。中国人の観光客も減少しているというし、韓国を訪れる外国人のリピート率は日本を訪れる客のリピート率と比べて格段に低いという。一度行くともう行きたくないという人がもう一度行きたいという人よりはるかに多いということだ。

 海外からの観光客が、慰安婦像と徴用工の像をずらりとならべた韓国を訪問して何を感じることだろう。反日を学んで帰ってくれると韓国の人びとは思うのだろうか。

 そのような像は確かに魔除けの効果があることは間違いがない。鬼畜である日本人を韓国から追い払う効果があるだろうから。

 いまに日本と商売をしている企業は、韓国で売国会社と非難されるかも知れない。それならそれを見越してそろそろ韓国に足場を置く日本の企業は撤収を検討する必要があるだろう。まともな会社ならたぶんもう準備は進めていることだろう。気がついたら韓国に日本の企業はいなくなるに違いない。魔除けの効果が出ることになるわけで、韓国にとっては願ったりであろう。
 魔物として韓国から退散した日本は、韓国なしで生きていかなければならないという試練をたぶん乗り越えることであろう。半島と無関係というのは有史以来なかったことであり、想像を絶する苦境であるが、案外なんでもないことかもしれない。頭を永遠に下げろ(何しろ「千年経っても許さない」、と大統領自らが公言している国である)といわれるよりは気持ち的に楽になる。経済的な損失とプライドは比べようがないけれど、お金のためにプライドは捨てられないのが矜持というものであろう。

内田武志・宮本常一編訳『菅江真澄遊覧記1』(東洋文庫64)

 東北地方などの海岸や峠で菅江真澄の石碑を何度か目にした覚えがある。どんな人なのだろうと思っていたが、数多くの日記体の紀行文を残していることを知り、一度は読んでみたいと思っていた。

 東洋文庫は本棚にけっこう並んでいるが、ほとんどが中国関係の本である。だから東洋文庫に菅江真澄の遊覧記が収められているのを知ったのは、百目鬼恭三郎の本で紹介されているのを見てからだ。あわてて東洋文庫の目録を確認したら全五巻で収められている。

 名古屋の大型書店や古本屋では端本しか見つけられなかったのでアマゾンで調べると、書店はばらばらではあるが全巻揃えられる。手配して入手し、先月末くらいから一日10頁くらいずつ楽しみながら読んだ。

 楽しめるけれど読みにくい。原文ではなく現代語訳されているので、読めることは読めるのだが、原文が擬古調のやまとことばにこだわって書かれていることと、やたらに歌(和歌)が散りばめられているせいかもしれない。なにより肝心なところにふりがながなかったりすると気持ちが治まらない。注も不要なところに詳しく、分からないところにはなかったりする。調べても分からなかったのか、当然知っているはずのことを私が知らないのか。

 それでも後半に入ると、それに慣れてきたせいか読み進む速度が上がってきた(ただ雑に読んだだけだが)。リズムがつかめた気がする。同じような時期に、同じように東北や北陸を歩き回った橘南𧮾の東遊記(東洋文庫では『東西遊記全二巻』に収められている)を比較のために読め始めているが、こちらは原文(正し現代仮名遣い)だが総ルビ付きで、原文なのに却って読みやすい。原文そのものが分かりやすいからかも知れない。こちらは日記体ではなく、項目別の小文を集めており、訪問先や時間順になっていない。旅で経験したり聞いた話、見たものを事項ごとに思いつくまま書き連ねてある。

 二つの紀行本を比較したかったのは、天明の大飢饉についての記述である。天明三年(1783)に始まり繰り返し全国を襲った飢饉は、特にみちのくに地獄の惨状をもたらした。

 あとで菅江真澄の遊覧記のその部分を一部紹介するつもりだが、彼は津軽まで歩き、そこから蝦夷地(北海道)に渡るつもりだったが、飢饉のために三年待つことになるのである。

 菅江真澄は三河地方(愛知県岡崎)出身らしく、もともと白井秀雄と名乗っていた。薬学者であり、医師であって国学にも傾倒して交遊した人は数多い。若い頃より各地を旅して歩いたが、31歳の時(天明四年)越後を経て奥羽地方へ旅立つ。そして75歳に秋田県の仙北郡で没するまで、ついに故郷へ戻ることがなかった。

 この本の冒頭は編訳者のひとり、内田武志による菅江真澄の伝記風の紹介である。内田武志は生涯を菅江真澄の研究にかけた人であり、血友病と闘いながらほとんど寝たきりのまま研究を続けた人だという(1980年死去)。名前を連ねている宮本常一は監修的な役割であったのかと思われる。

 菅江真澄は多量の文書を各地に残しており、紀行文も再三書き直している。それでも当然あるはずのものが欠けている部分があり、のちに発見されるものもあるので、研究は続けられているようだ。

 ここに挙げられている地名を元に、彼が訪ね歩いた神社や寺、旧跡をたどる旅がしてみたいと思っている。これから詳細をノートに作り直そうと思う。面白い。

2017年8月13日 (日)

バカなことを

 どんな動物も子孫を残すためにせっせと交尾に励む。たいていの動物はその発情の時期は限られているが、人間は年中発情が可能な特殊な動物だという。

 人間は子孫を残すためよりも快感を求めて行為するから、とめどがなくなりがちで、それをコントロールするために恥じらいという心の働きも備えている。

 「不倫」「不倫」と世間は喧(かまびす)しいが、欲望が人より強くてコントロールの甘い人間をやり玉に挙げて非難するのは古くからの大衆の大いなる娯楽である。

 勝手にすれば好いと思いながら、特に不快感を感じるのは、人のセックスをひたすら追いかけて、それをネタにして正義漢面をする連中である。人の下半身のことにばかり意識を集中させてそれを暴露することに夢中になる人間がいても需要があるからでかまわないが、それは下司である。レポーターというのはこの世の醜業の最たるものだと思うが、それが正義漢面しているのが不快なのである。

 またそれを話題にしながら得々と人のあるべき姿が論じられたりすると虫酸が走る。何のことはない、うらやましいだけではないか、などと思ったりする。知名度や金がある人間が不特定多数のお相手とのチャンスが多いことは確かだろう。金も知名度も優れた容姿もない人間がやっかむのは当然だが、それを人倫で論じるのは恥ずかしい。

 マスコミが多くの時間と経費を割いてそれを報じてコメントしているのを見るとバカではないかと思う。そしてそれをわざわざブログに書くのもバカなことであるのだが。

2017年8月12日 (土)

自家中毒

 自家中毒とは主に子どもに見られる症状で、食中毒のような嘔吐感を伴うことが多い。血中に脂肪が分解して生ずるケトン体という物質が多量に作られ、それにより代謝異常が起こる症状であるが分かっているが、なぜケトン体が多量に作られてしまうのか、明確ではない。過度なストレスがあると自家中毒が起こることが多いことが特徴である。心的要因が大きいのだ。多くはおとなになると共に改善する。

 これは本来の自家中毒についての説明だが、私には韓国の反日が自家中毒症状を引き起こしているように見えている。

 自国の国内に、国の屈辱の象徴である慰安婦像をつぎつぎに建て、日韓合意という、世界に公表されている国と国との約束を国民の気持ちが伴っていないという理由で反故にすることを当然として、マスコミも政界も盛り上がり、すでに戦時中のことは全て解決済みとした日韓条約も、個人の補償は別であるとして三菱重工を訴えた訴訟で、韓国の裁判所はその訴えを認めるというあり得ない判決を下した。

 朴槿恵の父親の朴正煕大統領の時代に結ばれた日韓条約では、当初日本はドイツにならい個別補償を提案していたが、韓国側がその補償は韓国政府が国家として行うので、国に賠償金を払って欲しいと要請されてそれを受け入れたという経緯がある。韓国国民の個別補償は韓国政府が行うと明記されているのだ。かわりに日本が韓国に残した施設や権益全てを放棄することで合意している。韓国はその賠償金で漢江の奇跡といわれる復興を成し遂げて今日がある。

 韓国映画『軍艦島』は事実と異なる部分が多い。確かに苛酷な労働があったことは事実だが、その時代の炭鉱労働とはそういうものだったし、朝鮮人だけがことさら苛酷な労働を強いられていたわけでもなく、また強制的に徴用されていたわけでもない。高給が得られることから自発的に働いていたのである。待遇は良く、日本の一般国民よりはるかに豊かだったのだ。

 この映画について問われた菅官房長官が「事実と異なる創作映画だと考える」と穏やかに答えたことに私は同意する。この映画ですら、韓国内ではマスコミも国民も声を揃えて「親日的な映画だ」と非難している。当時の日本人はもっとひどい人たちだったといいたいのであろう。その非難に対して、監督は「親日的とされるのは心外だ。この映画は骨の髄まで愛国・反日映画だ」と反論していることからも、誇張された反日映画であることが明らかなのに、韓国は親日と見做すのだ。

 日本がナチスよりも悪逆非道であったと思い込んでいるのが韓国なのだろうか。いや実はそうでもないらしいと気がついているらしい。だから韓国から日本に来る観光客はますます増加している。そうして自分たちが思い込まされていることが違うと感じているのだ。

 しかしそうなるとほとんどアイデンティティとして刷り込まれてしまった反日が崩れてしまい、精神の安定を失うことを恐れているのではないか。だから戦後70年を過ぎてますます反日が強化され、幻想が膨らんでいる。それを私は自家中毒と見做すのだ。すでに反日は日本が原因ではないのである。自ら生み出した毒で自らが嘔吐に苦しんでいる。韓国が反日で得るものなどなにもない。

 過去、韓国の反日に迎合、または助長する日本のマスコミもあったが、特殊な日本人を除いて韓国の反日にうんざりして相手をしなくなったのを見て、マスコミも迎合することが少なくなった。読者を失うのは身の破滅である。彼等の正義などそんなものである。

 日本が反論する気も失せて、相手にもしてくれなくなってきたことから、韓国の自家中毒はさらに悪化しているのかも知れない。皮肉なことに、日本でヘイトをする人間はある意味で韓国の自家中毒の解消に役立っているのである。何しろ反日の相手をしてくれるのである。だからヘイトは二重に愚かなのである。

 ところで中国は、伊藤博文をハルビン駅で暗殺したテロリスト(韓国では英雄)安重根の像を韓国に寄贈したそうだ。安重根の像はすでにハルビン駅前の安重根記念館に一体置かれていて、それと同じものらしい。これも日本大使館の前にでも置くつもりなのだろうか。この記念館はあの朴槿恵が反日を旗印に中国と異常に親密になったときに、習近平が建設を約束したものだ。

 その後中国は韓国がアメリカのTHAAD設置を認めたことに反発して情勢は一変し、事毎に韓国に対して嫌がらせをしているが、安重根の像を贈呈するような、韓国がよろこびそうなことをどうしてしたのだろうと思っていたが、韓国の自家中毒を悪化させるための、時間をかけた遠回りの悪意が秘められているのかも知れない。中国とはそういう国である。

 韓国の反日という自家中毒は言葉通り自分自身を蝕んで何の利も生み出さない。それでもそれに囚われているのは、北朝鮮の脅威、いまにも起こりそうな戦禍に対する恐怖から眼を逸らすためのものだ、という解釈もある。しかしそれは理由ではなく結果のような気もする。

2017年8月11日 (金)

楽しい呑みすぎ

 昨日は昼過ぎに車で息子が帰省してきた。朝、混むと思って5時頃に広島を出発したけれど、大事なものを忘れたので一度ひきかえしたために、結局渋滞にはまることになった。京都あたりではずっとのろのろ運転だったそうだ。

 愛車のアクセラをついに買い換えたという。白いロードスターだそうだ。盆休み中はマンションの来客用駐車場はくじ引きになる。くじ引きの日には用事でいなかったので、駅前の駐車場に置いてもらった。だからその白いロードスターをまだ見ていない。

 それでも昼過ぎにはやって来たので、二人で映画『レヴェナント 蘇りし者』を観た。ディカプリオ主演の凄まじいサバイバル復讐映画だ。映像が素晴らしい映画だという評価は承知していたので、見るのを楽しみにしていた。私も息子も大自然の映像の素晴らしさと、描かれるドラマのすさまじさに圧倒された。大迫力の素晴らしい映画だ。

 ディカプリオはもともと好きではない。ところがいい映画に出ていることが多いので、ずいぶんの本数を観ている。俳優として素晴らしいからオファーもあるのであろう。この映画でディカプリオの評価を「好き」に変えることにした。それだけの映画である。

 そのあと息子と呑んだ。つまみは居酒屋風に品数を揃える献立にした。シシトウの醤油煮、オクラのおかか醤油和え、真鰯の煮付け、厚揚げの煮物、息子のみやげのママカリの酢漬け、玉葱と挽肉のパイ風卵とじなどである。酒はビールのあとに、広島から息子の持参した「雨後の月」ブランドの純米大吟醸「吟風咏月」と云う酒を飲む。フルーティな酒である。フルーティすぎるくらい香り高い。「雨後の月」は広島の飲み屋では「賀茂鶴」より一般的な酒だそうだ。知らなかった。

 話がはずんだのでとめどがなくなり、そのあとジンレモンの炭酸割りをぐいぐい呑む。息子の瞼が次第に降りてきて、半分寝た状態で私の話を聞いている。先に寝せる。疲れたのであろう。長時間運転にか、私の長話にか知らないが。

 私はそのあとも燗酒などを飲んでしまった。おかげで今朝は少々酒が残ったが、楽しい酒は二日酔いにはならないのが不思議だ。

 息子は夕方から豊田の友人と合流し、泊めてもらったあと明日から北陸へ小旅行に行くといって出かけた。若いから元気である。帰ってくる頃には娘のどん姫もやってくるので、また酒盛りなのだ。

2017年8月10日 (木)

昨日は

 昨日、旅行会社との打ち合わせ中に、携帯に宅急便から届け物の連絡があった。果物なので今日中に届けたいという。別に用事もあったが、急ぐことでもないのでそのまま帰宅。間もなく荷物が届けられる。

 弟から梨が送られてきた。早めに出来る幸水である。さっそくむいて食べてみると果汁たっぷりでとても甘い。弟が帰宅する頃合いを見計らって礼の電話をする。この梨のお礼がなくても電話しようと思っていたところである。

 昨日は母の命日なのだ。一昨年の8月9日の夜明け前、私の兄弟たち、そしてその子どもたち、さらに孫たち(母にとってはひ孫たち)が見守る中で母は最後の息をひきとった。

 すでに三回忌は済ませてあるが、盆にはお坊さんがきて経を上げる。今年は行けないことなどを弟に伝えたかったのだ。妹の家族は来るという。弟の家族の消息などを聞く。互いに酒を飲みながら話しているから少し長くなる。

 盆があけたら8月末には遠出をする予定であり、その足で弟の家に泊めてもらうことにする。そのときに両親の墓参りをするつもりだ。弟の家族は盆明けに大洗や那珂湊などに一泊旅行に行くという。

 間もなくわが息子がやってくる。

テレビ三昧(2)

 少し前のWOWOWドラマ『山のトムさん』。原作は石井桃子、あの名作『のんちゃん雲に乗る』の作者だ。映画化されたときの主役は鰐淵晴子。子どものときに見たので詳しいことは覚えていないが、母親役は原節子だった。『山のトムさん』のトムさんとは猫のことである。作者と覚しき主人公ハナ(小林聡美)は東京暮らしをやめて、娘と二人で田舎暮らししている友人(市川実日子)の元で暮らし始めている。そこにハナの甥のアキラが加わり、四人の暮らしが淡々と描かれていく。

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 あの『パンとスープと猫日和』のスタッフと出演者が作ったドラマであり、脚本が群ようこ、音楽が大貫妙子であるからその雰囲気が分かろうというものだ。盛り上がりはほとんどない。そのふんわりとした世界を楽しむか、何だこれは!と思うか、評価は人によって大きく別れるだろう。私は猫が好きだし小林聡美が好きだから自然体の演技を見ているだけで気持ちが好くて癒やされた。

 台詞も観客に聞かせるような気配を完全に絶ち、ただ普通に暮らしているなかでの会話になっている。市川実日子のクールなやさしさが見るたびに好きになっていく。もたいまさこが田舎の雑貨屋の女店主で出演しているが、いてもいなくても好い存在を、楽しそうに演じている。この人が空や彼方の山をぼんやり見つめる立ち姿が好い。

 ほとんどなにも事件らしい事件が起きない(アキラが面倒を見ているヤギが逃げたして、近所の畑を荒らすという事件はあるが、それもそういうことがあったというだけであり、激怒したというその人達は登場しない)ドラマの極地の作品だった。田舎暮らしに対するあこがれはあるが、自分のペースで生きられるとはいえ、生き物相手であるからサボることが許されない日常を引き受けるのは、怠け者の自分には無理かなあ、などと思う。

 そういえば、彼女たちの暮らしを取材にきた女性記者が、手伝うというのでお米を研ぐシーンがある。何と彼女は泡たて用の攪拌棒でお米をかき混ぜていた。これで二人の子どもを持つ母親だというのだ。たぶん石井桃子の体験した実話ではないか。松居一代なら、グッジョブというかもしれないが、主人公達はあっけにとられていた。

 これもWOWOWのドラマ『人質の朗読会』(2014)。原作は小川洋子。小川洋子と云えば『博士の愛した数式』を思い出す。これは映画化され、寺尾聰と深津絵里が出演していた。不思議な小説を書く人で、短編集を持っているが、まだ完読していない。『人質の朗読会』には久しぶりの大谷直子が出演している。

 ラジオ局の記者(佐藤隆太)は、尋ねてきた女性(波瑠)から録音データを託される。南米でテログループに日本人が襲撃されて人質になり、監禁され続けるのだが、その様子を盗聴していたときのテープから起こされた音声データであった。

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 人質たちはどのような日々を暮らしたのか。やがて人質のなかに作家がいることから、気力が萎えるのを奮い立たせるためにそれぞれの人の心に強く残っている出来事を文章にして、それを順に朗読するという試みを始める。

 こうしてその出来事を通してそれぞれの人間の人生が、つまりその人そのものが描かれていく。本当に人の人生はさまざまである。この人質のなかに女性(波瑠)の母親(大谷直子)がいたのである。

 ラストに記者(佐藤隆太)はこの盗聴を続けていた兵士のひとりに会いに南米まで出かけていく。ここで渡されたものは、プロローグで兵士が拾い上げた文字の書かれた一枚の板だった。人質たちは政府軍の強行突入の際に全員亡くなっているのである。彼等は死んだが残された音声データは彼等の生きた証として残されたのである。人が生きたということの意味を考えさせられた。

2017年8月 9日 (水)

慣れたのか

 毎年友人達と三人で海外旅行に行く。弥次喜多道中だが、気の置けない仲間なのでこの上なく楽しい。今年は私が幹事で中国の雲南省へ行くことになっている。旅行会社からようやくほぼ手配が完了したとの知らせがあり、最終確認の打ち合わせのために夕方名古屋駅前の旅行会社へ行った。

 三時過ぎの日盛りに出かけたので、最初は熱気で顔が膨れるような気がしたけれど、思ったほどはげしい汗はかかなかった。暑さにようやく身体が慣れたのかも知れない。

 旅行の件もこれで一段落したし、家庭裁判所の審判もこちらから異議を申し立てするような結果ではなかった(おおむねこちらの言い分が認められた)ので一段落である。明日には息子が帰省してくるので、いろいろな用事が片付いて良かった。あとは部屋の片付けと掃除、そして酒の肴の買い出しである。明日の午前中にやることにしよう。

 明日の晩は息子とゆっくり飲める。嬉しいなあ。

 ところで旅行会社の窓口になってくれたお姉さんは、私と誕生日が一緒だそうだ。「初めて誕生日が同じ人と会いました」と嬉しそうに言うのでこれらも嬉しくなった。私はほかに二人同じ誕生日の人を知っている。

自分では分からない

 しばらくぶり(と云っても数日ぶりだが)に「ひるおび」を観ていたら、キャスターの恵俊彰がますます気になりだした。以前からレポーターやコメンテーターの言葉に自分の言葉をかぶせる傾向があったけれど、それがますますひどくなっている。特に出先のレポーターの言葉は技術上ワンテンポずれるから、少しだけ待たないと会話が成立しない。そんなことは長年キャスターをやっているから恵氏も承知のはずだが、ほとんどメチャクチャである。

 お笑い出身(もちろんホンジャマカとしていまも現役)ではあるが、お笑いの突っ込み役をキャスターとしてもやっているつもりなのだろうか。この番組は昼の時間帯としては最も人気が高いらしいけれど、最近だんだん批判が多くなり、視聴率も下がり気味だという。コメンテーターに落語家や赤ちゃんしゃべりの女流作家など、わけの分からないことをいい、見るに耐えないのが並んでいたりして、私が観るのをやめることにした理由でもあるが、番組自体がかなり劣化しているようだ。もともと恵俊彰自体は嫌いではなかったのにどうしたことか。本人には自分の状況は分からないのだろうか。

 外は猛暑だが、出かけさえしなければクーラーの効いた部屋のなかにいるから快適のはずである。それなのにボーッとしている。スランプで集中力を欠いているらしい、などと自分で言い訳している。なにかが空回りしている気分なのだ。しかし、待てよ、と思ったりする。そもそもボケの始まりとはこんな空回りなのではないか。集中力を失い、世の中を紗のカーテンを通して見ているような実感のなさというのは、まさに脳の働きの衰えなのではないか。

 自分では分からない。

やることがあるのに

 やらなければならないことがあると、それではないことに夢中になる。ふだんはそれほどでもないのにやめられなくなる。

 まにあわなくなりかけてあわててやらなければならないことをやるからやっつけ仕事になる。考えたらむかしからそうだ。親にせかされれば「いまやろうと思ったのに!」と決まり文句を言ったものだ。

 いまはせかしてくれる誰もいない。

2017年8月 8日 (火)

テレビ三昧(1)

 眼の調子が少し回復してきたのでテレビを観る。暑くて出かけるのが大儀なので家でゴロゴロしてテレビを観る。頭が空回りして、本を読む集中力がなくなっているのでテレビを観る。家の中の片付けや掃除などの雑用をしなければならないと思いながら、その気にならないのでテレビを観る。

 とはいえ普通の番組はCMだらけなので観ない。最近はNHKまで番宣という名のCMが氾濫し始めた。だからリアルタイムで観るのはNHKのニュースくらいで、ほとんど録画してから不要部分を飛ばして観る。これでかなりの時間の節約になる。それだけ無駄な部分が多いということだ。
 
 『相棒』シリーズや『科捜研の女』シリーズをだいぶ消化したと思ったら、再び連日の再放送である。すでに観たものもあり、観ていないものもある。観たものかどうか実際に観てみないと分からない。始まってすぐ判断がついてすぐ消去することもあるが、このシリーズはたいてい面白いので、そのまま観ているとつい一度観たものでももう一度最後まで観てしまう。これではきりがないのである。

 WOWOWの海外ドラマは韓国もの以外はたいてい面白いが、今は録画するものをとことん絞り込んで『リゾーリ&アイルズ』のラストシーズンのみにしている。NHKのドラマもいまは単発以外は全て録画しないことにしている。『伝七捕物帖』の第2シーズンは田中美佐子が出ているから観たいけれどこれも断念した。

 こうして何とか古い録りためたドラマや映画に取りかかれるようになったところである。藤沢周平のドラマなどを立て続けに観た。BSフジの『遠いしあわせ』『冬の日』『果たし合い』など、なかなか配役も良いし出来もよくて楽しめた。現在は山本周五郎の原作を毎週放映しているけれど、配役がお粗末で出来も悪く、最初の頃は我慢して観ていたけれど、時間の無駄なので観るのをやめた。

 同じく北大路欣也の『三屋清左衛門残日録』も良かった。原作は藤沢周平の作品の中で私が一番好きなものである。NHKは以前これを『清左衛門残日録』としてシリーズで放映していた。こちらは仲代達矢主演でみさ役のかたせ梨乃が良かった(北大路欣也版では麻生祐未)。私はNHKの仲代達矢の方が原作のイメージに近い気がして好きであるが、北大路欣也も悪いわけではない。

 思えば大好きな北原亞以子の『慶次郎縁側日記』シリーズも隠居老人の話である。NHKでドラマ化したときは高橋英樹が慶次郎を演じていた。上に上げた『果たし合い』でも主人公(仲代達矢)は隠居老人のようなものである(この場合ちょっと違いはある)。これらの初老の主人公が、自らの衰えとたたかいながら次第にそれを受け入れていく姿に共感を感じている自分がいる。同時に衰えたりといえど立つときは立つという気概は失わないところにも感動するのだ。

 そういえば、父はよく口ぐせのように「死してのち已む」と云っていた。 
(つづく)

美人

 顔の造作が整っている人は美しい。出来れば肌もきれいであれば申し分はない。美人は三日見ていると飽きる、などといわれるが、飽きるのは理由があると思う。

 あまり整いすぎている美人は冷たく見える。微妙なアンバランスがありながら全体として調和していたりすると魅力が加わる気がする。人の顔が決して左右対称ではないのはじっと見ていると分かることで、真ん中に鏡をおいて右も左もまったく同じだったら、もしかしたら気持ちが悪いかも知れない。韓国の整形美人は、確かに整っているけれど、少し気持ち悪く見えるのもそんな理由だろうか。本来自然であるはずのものが人工的だと違和感を感じるのだろう。

 顔のかたちそのものが整っているかどうかは本人の責任ではないが、かたちとして美しい人がそれほど美しく感じられないで、美人ではない人がとても魅力的で美しく見えたりする。これは写真では分かりにくい。

 人には表情というものがある。本人の反応が表情として顔に表れる。それが活き活きとしている人は美しい。計算ずくの媚びというのもあるけれど、計算ずくに見えさえしなければそれは魅力である。

 若いときには見た目の美しさに目が行って、表情の魅力に気がつきにくかった。いまは活き活きとした表情の女性に美しさを感じる。若いときにそうだったら良かったなあ、と思ったりするが、結果は変わらないだろう。昔も今も見るだけである。

 先日『サワコの朝』でギタリストの村治佳織さんの美しさに目を奪われた。彼女のグラビア写真をたびたび見て、美しい人であることは知っていたけれど、映像としてみたのは初めてだ。表情の輝きを感じて本当に美しい人だと思った。

 女は愛嬌、などというと矢が飛んでくるかも知れないけれど、どう言われても愛嬌のある女性こそが美人であり、当人にとっても回りの男にとっても幸せであることは揺るがない真実のように思う。

 それは松居一代や泰葉を例に出すまでもあるまい。

風が涼しい

 昨晩の台風は台風らしい台風であった。あけがた、窓を開け放つと北側からの吹き戻しの風が強く吹き抜けていく。久しぶりに朝の風が涼しいと感じた。今朝は富山あたりでまだ活躍しているようだ。

 台風がいつまでも衰えないのは、海水温が高いことでエネルギーが日本に近づいても供給され続けるからだという。それならば温暖化が止まらない限り同じようなことがおきる。台風の発生する場所がだんだん日本に近いところに移っているようでもある。日本は次第に亜熱帯化しているのだろう。

Dsc_0196 石林

 昨夕旅行会社の女性から電話があった。観光先とスケジュールを決めて依頼していた秋の雲南省の旅行の最終予約の連絡が、まだ現地の旅行会社から来ないのだそうだ。こちらが連絡がないことを気にしているだろうと察して電話をくれたらしい。何度か打ち合わせで会っているので台風を話題にして互いに軽口をきく。ころころと明るく笑う彼女の声を聞いてなんとなく気分が晴れた。

 そういえばしばらく誰とも口をきいていなかった。ふだんなら盆前に小旅行くらいに行って、旅先で見知らぬ人と会話をするところだが、ちょっとした雑用がランダムに続いていたのでずっと家にいる。おかげで金がほとんどかからずに暮らしているのは好いのだが、もの言わぬは腹膨るるわざ、という通り、物理的にも精神的にもたまらなくてもいいものがたまっている気がする。子どもたちの来るのが待ち遠しい。

Dsc_0305 麗江にて

 旅行といえば、海外に行っても日本食を求める人がいるようだが、私はずっと現地食が続いても平気である。特に日本食が食べたくなったりしない。これが現地駐在ということになれば話は別だろう。仕事で中国の日系企業に勤める人を訪ねたことがしばしばあったが、よく日本食の店で会食することを希望された。たいてい一人か二人で頑張っている人が多かったから、日本語で会話して日本食を食べるいうことがとても嬉しいことなのだと言われた。

Dsc_0426 玉龍雪山

 旅行や出張でする食事と、現地駐在で食べ続ける食事は違うようである。あまり食べるものにこだわらない私でも、食べられないと思えば懐かしく思い、食べたくなる日本食というものもあるかもしれない。友人達との旅行ではまず日本食を食べない。誰も日本食が食べたいなどといわない。それが平気な連中だから楽しいともいえる。何しろ精一杯異国を楽しみ、里心を忘れることの出来る元気ななかまであることがありがたい。

 雲南省は中国の田舎料理ばかりで、素朴だがやたらに辛いものや塩っぱいものはないから結構いける。海の魚がないのは仕方がないが、なければないでもかまわないのだ。いまガイドブックを眺めて楽しみの予行演習をしている。

2017年8月 7日 (月)

台風近づく

 ここ、名古屋の北でも朝から雨が断続的に降っていたが、昼頃から強い雨に変わってきた。昨日から風は梢を揺らし、その揺らぎ方も強くなってきた。これから急激に強くなるおそれがあるという。

 テレビの台風情報を見ていたら、わが街にも避難準備警報が出された。私の住むマンションの周囲はもともと田んぼだったところであり、川(新川)からも近い。豪雨のときには水が新川の堤防を超えることがある。川に近い人は万全を期して非難した方が良いだろう。

 実際に何度か川の周辺で洪水被害があったけれど、住まいのマンションはいままでまったく大丈夫であったし、場所的に駐車場も冠水することはないと思う。

 それよりも心配なのは停電である。むかしはこういうときに停電することがあったものだ。いまはめったに停電などしないけれど、何でも電化されているから、万一停電すると大変だ。この暑いのにエアコンは使えないし、テレビを見ることも出来ない。電灯がつかなければ夜は食事の仕度も出来ない。冷蔵庫が停まったら大変だ。マンションの水道も電気が止まるとタンクからの給水が出来ないはずだ。

 そういえば将来ガソリン車は禁止になって電気自動車になるというが、発電所に何かあったら自動車はいっせいに使えなくなるわけである。そのときはどうするのだろか。ガソリンなら運べるが電気は緊急車両で運ぶことも出来ない。電源車が活躍することになるのだろうか。それは想定されているのだろうか。

 不謹慎ながら、子どものときのように天変地異にはちょっとわくわくするところがある。ときどき強い雨を窓越しに眺めながら、いっそのこともっと降れ、などとちらりと思ったりしている。

この違いはなぜか

 朝日新聞の行った世論調査によると、安倍内閣の支持率は内閣改造前が33%、改造後が35%とほぼ同じ、横ばいであった。これだけ読めば、そうなのか、と思うばかりである。当然紙面ではすでに安倍内閣は信頼を失い、改造したところで変わらないと述べられていたことであろう。

 ところで、すでに朝日新聞以外の各メディアの、内閣改造前後の内閣支持率の調査も発表されている。そこでは、軒並み内閣改造後に10%弱の上昇(改善)が見られている。驚くべき違いである。この違いはなぜか。

 朝日新聞の読者は、安倍内閣をもともと支持しない人が多いからだろうか。しかし改造前の支持率33%はほかのメディアとあまり違わないのである。あれだけ安倍政権の非を鳴らす朝日新聞であるけれど、読者はそれほど偏っていないようである。

 しからば考えられるのは、朝日新聞が内閣改造そのものを評価しない論調であっただろうということである。紙面で代わり映えしない、弥縫的である、好戦体質や腐敗構造を隠蔽するための内閣改造だ、と謳っていたのではないか。それならば内閣改造前後で支持率は変化しないのは当然である。

 紙面を見て言っているのではないから無責任な想像である。しかし他紙とあまりに違うらしいので不審に思い、理由を考えた次第である。朝日新聞を読むとそれだけ違いが出るならば、朝日新聞の今回の内閣改造批判は成功したのである。読者は朝日新聞に影響されたのである。そのことを朝日新聞購読者は認識しておいた方が好いように思う。余計なお世話かも知れないが。

2017年8月 6日 (日)

絶体絶命

パソコン上で猫に取り囲まれ、絶体絶命のネズミ。

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 世界は魑魅魍魎で満ちている。

 子どもたちが小学生の頃から、私は男手ひとつで子どもを育てることになった。彼等のために結界を張り、城壁をめぐらせた。城壁の内部は安全地帯であり、外部の魑魅魍魎から子どもたちを護る。

 やがて城壁は子どもたちを護るものであると同時に、閉じこめるものでもあることに成長した子どもたちは気付いていく。

 息子は城壁を見上げ、そこらのがらくたを積み上げて坂とも階段ともつかないものを作り、それをよじ登って城壁を越えていった。

 娘のどん姫は物理的な行動をとらない。魔道士として空間を歪め、そこに裂け目を作りだして壁を抜けようとした。城壁は父親である私自身である。空間を歪め、破壊することは私にとってダメージであるから修復に努め、どん姫との戦いが始まった。

 やがて私が白旗を揚げ、城壁に出口を設けた。彼女は傲然と胸を張って出て行った。

 彼等が盆休みで帰省する。

 息子は勇者となり、私の城壁を軽々とまたぎ越えて自分の居場所に腰をおろし、私に外界での冒険談を語る。

 どん姫は、いまは彼女が自由に出入りする出入り口から私の世界に戻ると、居心地の良さそうなところに横になり、安心しきった猫のようにすやすやと眠る。

2017年8月 5日 (土)

夏祭り

 本日はこれからマンションの夏祭り。600所帯2000人を超える少し大きなマンションなので、夏祭りもけっこう盛大なのである。夜店もいろいろ出るし、催し物もあって参加者も多い。住人には若干の割引券の配布もあるので、小生も生ビール二、三杯とヤキトリなどを楽しむつもりである。福引きもあるけれど、これにはエントリーしない。福引きがあるのがけっこう遅い時間なので待っていられないのだ。楽しみにしている人も多いし、景品はけっこう豪華なのだが・・・。

 自治会の主催で、実行するのはとても大変なのである。何年かに一度それに参加しているのでよく分かるが、それでも人出が多いと嬉しく楽しいものだ。だいたい収支とんとんになり、ご苦労様の一杯ぐらいは飲める。

 毎年子どもが喚声を上げて楽しんでいるのがよろしい。子どもがわくわくするようでなければ祭りとはいえないのだ。

 さあ無粋なカメラなど持たず、涼しい恰好で出かけようか。

「間違っている」のか「違っている」のか

 久しぶりに夜八時からのBSフジプライムニュースを見た。これはバラエティニュース番組ではない。昨晩は韓国の慰安婦問題の現状と韓国の新政権が今後日本に対してどのような行動に出るのか、新しい安倍政権の河野太郎新外相は韓国でどのように報じられているか、などについて報じていた。

 コメンテーターとして、韓国に詳しい木村氏という学者の人と韓国の学者らしき陳氏という人が座っていた。木村氏は穏やかに韓国での自分の調査に基づいた事実をもとに語っていたが、あの日本から提供された10億円を慰安婦に渡すための組織の理事をしているらしい陳氏は、観念的な言動が多いように感じた。

 ここで陳氏が語った言葉が気になった。キャスターの反町理氏が韓国の報道や日本の報道を伝えた上で、それについて質問をするとしばしば「それは間違っています」とまず言うのだ。その報道が事実と違うという意味なのか、それを取りあげるキャスターの反町氏の受け取り方が間違っているというのか、その根拠を語るのかと思って聞いていると、ほとんど理解不明のコメントが語られて話題のすり替えに転ずることが多く、非情にイライラした。反町氏もしばしば頭を抱えたり、苦笑させられていた。

 木村氏が一生懸命取りなして、なぜ陳氏がそういうのか、と云う説明を加えるのだが、それに対しても「間違っている」というのである。では何が正しいというのかは最後までよく分からなかった。

 途中で、陳氏の「間違っている」というのは、「それは私の認識と違う」という意味らしいと分かってきた。その「私の認識」というのは、彼によれば「韓国の人びとのほとんど大多数の人の認識」でもあるらしかった。縮めてしまえば、韓国の大多数の人びとが思うことと違っていればそれは「間違い」なのである。

 日本の安倍政権はもちろん、日本のマスコミも日本国民の大多数もそういう意味で「間違って」おり、それは正さなければならないことであると確信しているらしいのである。前後の話の様子から、陳氏はたぶん韓国内でも日本寄りと見られているらしく思われる(げんに日本語で普通にしゃべっているほどである)。その陳氏をもってしてこの思考様式であるということは、多くの韓国人がそれがおかしなことだと気がついていないと言うことではないかと感じさせる。

 人はそれぞれ違う。違うからさまざまな意見があり、考えがある。自分と違うから間違っている、と云う思考様式は一種の信仰であり、教条主義と近く、理性的なものとは到底いえない。異なる意見を聞いて互いにその違いを知ることで新しい認識がうまれる。自分が正しいから、自分と違う意見である相手は間違っているという論理はおよそ私には受け入れがたいものである(まともな人なら皆そうだろう)。

 個別の話もあるが、一つだけ強く記憶に残ったことがある。韓国は政権が交代すると一時的に日本と融和的な態度をとるが、政権末期で支持が衰えると支持率回復のために反日を煽る傾向がある、と反町キャスターが語ると、陳氏が「それは間違っている」と指摘した。

 韓国の80%以上の人が反日であり、政権が反日を煽ったからといって反日が増えるようなことはない。支持率は一時的に回復しても3%程度だということはいままでの事実が示している、と陳氏はいう(これには事実誤認の疑いがあるが、彼はそう断言する)。反日である韓国国民は岩盤だから反日を煽られても、いまさらなのだといっているのであれば、そもそも日本と韓国は融和がほとんど不可能だ、と言明しているようなものなのである。それが事実だとすれば、まことに日韓の関係修復の努力は不毛であり空しいものだということになる。

 では陳氏は番組の中で、なぜ安倍首相の謝罪を繰り返し強く要求したのだろうか。それをしないと日韓の関係改善は始まらないというが、そもそも改善は不可能だと自分で言っていたのではなかったのか。謝罪には意味がないから謝罪はしないであろう安倍首相を非難することで、日本との現在の政治的敵対関係を維持し続けることこそが韓国の目的になっているようである。不思議な行動であって、韓国になにも利益を生み出さないどころか、不利益となっていると思う。

 私のこのような受け取り方は「間違っている」のに違いない。韓国は不可解である(不可解だから面白かったりして!)。

連絡があった

 昨晩息子から10日に帰省する、と連絡があった。用のあるときしか連絡をしてこないのは、こちらをまるで心配していないからだろう。まだ心配するような状態ではないと安心しきっているのだ。それはそれでかまわない。向こうも父親に特にぼやくほどの心配事がないのであろう。有難いことである。

 五月の連休以来久しぶりに顔を見る。会うのが楽しみだ。どん姫にも息子の帰省日を知らせたから合わせて帰ってくると思う。しばらく家の中を放置しているのでだいぶ散らかっている。片付けなければいけないけれど、一度にするのは無理だからボチボチやろうかと思う。ふだんの横着のツケがこういうときに祟る。


 民進党の細野豪志氏が離党するようだ。私は民進党に批判的な立場だけれど、何人か一目置く議員もいる。そのひとりが細野氏で、党内にも人望があると思っていた。ところが彼の離党に同調する議員はいまのところいないという。そのことに民進党の有志の覇気のなさを感じた。

 離党して新党の結成をもくろむというが、そのときには同調する意欲のある議員が出ると期待したい。寄らば大樹の陰というけれど、いまはもう民進党は寄るべき大樹ではないと思うがどうだろうか。これが解党再生の一歩だったとあとでいわれるようなものになれば幸いである。

 そのときには合流を受け入れる議員の選別を厳にして欲しいものである。市民運動上がりの正義の味方は加えないで、日本のため、日本の人たちのために働こうという人たちの集まりであって欲しいものだ。時間はかかるだろうが、志を失わずにいて欲しい。若いのだから時間はある。時間をかけてよく勉強し、力を蓄えてもらいたい。

 民進党は枝野氏と前原氏が党首に立候補するようである。枝野氏はあの原発事故の時の悪い印象が拭いきれない。当初は汗をかきながら一生懸命やっているように見えたが、実は菅直人首相(当時)と組んで真実隠しに汲々としていたことが次第に明らかになっていった。

 国民に真実を知らせるのは不安を与えるからまずいと判断したようだが、それが本当に社会不安を抑えるためだったのかといえば、真実が明らかになるにつれて「実は・・・」という話が続出し、かえって社会不安の元となったように見えた。枝野氏は国民を愚民と見做す感直人氏と同じ認識の人物に思えた印象が拭いきれないのである。そういうつもりで見るから、安倍政権を非難する口調が、口先で相手をののしるだけの徒に見えてしまう。

 まだ前原氏の方がまともに見えるけれど、彼には党内での人望がないように見える。彼の考えはそもそも民進党の左派とは相容れないものだ。しかしながら今回は人望がなくても民進党の危機であれば党首になることが可能と計算したのであろう。確かに十分勝機があると見える。とはいえ党首選に勝つためには意見のまったく異なる議員達を味方につけなければならない。それは迎合である。ここで迎合することは民進党の本質を抱えたままにしておくことで、民進党の寿命を縮めることでしかないかもしれない。

 勝っても負けても前原氏は苦難の道を歩かざるを得ないだろう。それをしたくないから細野氏は離党したのかも知れない。

 それにしても党の危機的状況だというのに、党首選は9月だというから恐れ入る。党を立て直すのは一刻も早いほうがいいと誰も言い出さないのだろうか。この空白の長さは国民からの期待をさらに失う冗漫な一ヶ月になるかも知れないと感じないのだろうか。その鈍感さに驚いている。

2017年8月 4日 (金)

晴らしようのない恨み

 八月といえば広島、長崎の原爆投下、そして終戦の記念日が再びやってくる。戦争のことを考える。

 古来終わらなかった戦争はない。だから戦争は始める前にも戦争中にも、戦争が終わったときのことを考慮しなければならないのは自明のことである。だから戦争当事国は趨勢が判然としてきたら手打ちを模索する。趨勢が明らかなのに手打ちをしないと敗勢側の被害は甚大となり、惨禍は取り返しの付かないものになり、恨みが大きくなりすぎる。

 恨みが大きくなりすぎれば雌伏して再び相手を倒そうとひそかに牙と爪を研ぐことにつながることになる。古くは中国の古代、呉越の戦いなどを思い出させるし、新しくは第一次世界大戦後のドイツがある。ナチスドイツがなぜ台頭し、第二次世界大戦が起きたのか。

 戦争は負けたほうが勝ったほうを恨むのが普通である。だから戦勝国はその敗戦国の恨みを如何に巧妙に和らげるかに腐心する。敗者側の戦死者を鎮魂するのは古来から行われる大事な儀式であり、それは欠かすベからざるものである。死者は祟るのである。

 太平洋戦争で、日本は戦争が終わったあとのことを考えていなかったといわれる。まったく考えていなかったとは思えないが、終戦に至る前の無意味な時間の浪費は、なにも考えていなかったと譏(そし)られても仕方がないものであった。空襲、沖縄、そして原爆と兵士ではなくて一般市民が無辜に大量に殺されるという事態を招いた責任はとても重い。

 殺したのは連合軍であり、アメリカ軍である。しかし進駐軍は賢かった。東京裁判という方法で戦争責任を問い、戦犯に戦争の責任を負わせた。日本国民は戦争の惨禍を恨むならその責任は戦犯にあるとしたのである。だから日本国民のアメリカに対する恨みはあれほどの一般市民の大量殺人があったにもかかわらず、少ない。それにアメリカにさいわいしたのは日本人はとてもあきらめが良いことだ。

 自己責任をこれほど引き受ける国民は少ないのかも知れない。先進国の中で自殺率が高いのもそんなところに理由があるのかもしれない。ただ、最近は人のせいにすることを当たり前だと洗脳するマスコミに影響されて、だいぶ変わってきているようだ。自殺も減っている。

 言いたいのはここからである。

 戦勝国は敗戦国を恨まない。それなら中国は日本に勝ったと言っているから戦勝国であるのになぜ日本を恨むのか。理由は二つあると思う。日本は連合国に負けたのであって、そもそも中国は日本に勝ったわけではないということ。つまりある意味で中国は日本に対してほぼ敗戦国である状態のまま宙ぶらりんで独立してしまったから、敗戦国として日本を恨み続けていると考えることも出来る。

 そもそも戦後、中国を建国した共産党があまり日本軍と戦わなかったことは歴史的事実である。主に戦ったのは蒋介石の国民党軍だったのである。人民解放軍は来たるべき国民党との戦いのために兵力を温存し、日本が敗戦と決まったときにいちはやく日本軍の兵器を接収して兵力増強に努めている。

 建国の歴史として中国憲法の冒頭に掲げられている日本に戦勝した、という歴史認識に無理があると思うのは私だけではないであろう。

 それ以上に大きな理由がある。戦勝国は敗戦国に巨額の賠償を求めるのが古来からの戦争の手打ちの条件である。だから戦勝国は敗戦国に恨みをあまり持たないものなのである。償わせた、と云う思いが恨みを和らげる。

 ところが中国は日本に賠償を求めなかった。周恩来は請求を放棄したのである。これは結果的に中国にとって大きな利権と中国共産党の建国の歴史の正当化に寄与した。戦勝国であることを謳い、同時に恨みを持ち続けて日本を非難し続けることを可能にした。

 日本は敗戦国でありながら中国に恨まれ続けという奇妙な立場に追い込まれたままになっている。これは再び中国と戦火を交えて雌雄を決し直さない限り解消しないものだが、それはとうていあり得ないことでもあり、ずっとこの状態が続かざるを得ないらしいことに絶望感すら感じる。  

 ところで韓国である。韓国と日本は戦争をしていない。日本と戦ったと主張するのは金日成だけで、日本軍と戦った韓国軍など存在しない。韓国は日本と共に連合国と戦った国であり、そういう意味では敗戦国である。敗戦の恨みを抱くとしたら連合国に対して抱くべきであろう。それが日本に恨みを抱き続けることの破綻した論理性の中にこそ韓国の矛盾がある。

 韓国が独立したのは自力ではない。日本が敗戦で撤退して茫然自失した中で、アメリカに亡命していた李承晩を連れ戻して傀儡政権として連合国が独立国として作り上げた国だ。どんな植民地でも独立のための戦いを経て独立しているのに、韓国にはそのような歴史がない。

 韓国は日本に負けて植民地になった、日本に敗戦したという歴史を作り上げて日本を恨んでいる。日本は韓国と戦ったことなどないからどうしてそのような恨み方をされるのか理解に苦しむが、韓国では子どものときからそのように教え込むから、戦わなかった戦いの敗戦の恨みを刷り込まれている。

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 韓国がその恨みを晴らすためには日本に戦いを挑み、日本を打ち負かし、日本を韓国の植民地にすることが必要である。だから韓国の日本に対する恨みは現実をはるかに超えた深いものであり、その恨みを晴らすことは叶わず、永遠に日本を恨み続けることになるのであろう。

 中国の場合は共産党政権が倒れたときに日本に対する恨みが解消する可能性がある。そもそも中国国民に、日本に対する恨みがそれほど根深くあるようには私には思えない。しかし韓国にはそのようなきっかけが見えない。隣国とはなかなか仲良く出来ないものだと言うが、これほど絶望的に不仲の要因を抱え込んだ隣国というのも珍しいのではないだろうか。

 以上の妄想的な私の歴史認識から考えるに、韓国の反日は永遠に解消しないだろう。

2017年8月 3日 (木)

映画『あなたその川を渡らないで』2014年韓国映画

 監督チン・モヨン、出演チョ・ビョンマン、カン・ゲヨルほか。89歳の妻と98歳の夫の二人の田舎暮らしを淡々と映像で綴っていく。添い遂げるということがどういうことかを教えてくれる。それが普通でありながら、しかもどれほど奇跡的なことかを思い知らされる。

 相手がかけがえがないと心から思うことこそが愛するということだということを知りながら、それを互いに確かめ合い続ける生き方はなかなか出来ることではないのである。
 
 観ていて父母のことを思い出していた。父母もたぶん互いがかけがえがない存在であると思い合っていたことを私は確信している。自分がそうでなかったことは残念だが、そのことはいまさらとりかえしのつくことではない。夫を喪い、老妻が雪の中で愁嘆にくれるシーンが映画の冒頭とラストにあるけれど、その哀切さが胸に沁みる。人が生きて死ぬということがどういうことなのかをあらためて深く考えさせてくれる。

ドラマ『學』

 WOWOW開局20周年を記念して、2012年の正月に放映されたドラマである。脚本は倉本聰。彼がむかし構想したドラマだが、製作が実現するとは思っていなかったらしい。それは主な舞台となるカナダロッキー山脈の山麓の中のロケがどれほど苛酷なものだったのか、映像を見れば分かる。主演は風間學という名の少年役の高杉真宙、そして祖父風間真一役の仲代達矢。ドラマの出来は素晴らしく、名作映画として劇場で上映する値打ちがある。

 ゲームに夢中の少年・學は、近所の小さな女の子が自分の部屋に入りこみ、ゲームをむちゃくちゃにし、保存データも失わせてしまったことにかっとなって衝動的に女の子を突き飛ばしてしまう。女の子は頭の打ち所が悪く死んでしまい、困った學は遺体をトランクに詰めて廃棄する。

 当然事件は発覚し、間もなく學は犯人として補導される。マスコミは(いつものことだが)狂気の集団となって學の両親を攻め立て、それにいたたまれずに學の両親は自殺してしまう。學はそのとき13歳、少年法により彼は拘束されない。學を引き取ったのは祖父の真一だった。

 年寄り夫婦で山暮らしをしていた真一は學を何とか立ち直らせようとするが、學はまったく口をきかず、スマホを手にして画面に見入っているか、イヤホンで音楽を聴いているのみである。真一は南極の越冬隊に参加したこともあり、冒険でサバイバルを体験している山男である。一年間かけて、信州の山に繰り返し學にサバイバルの方法を伝えようとするが、學は上の空である。

 そして一年が経過し、學は14歳になっていた。真一は學を伴ってカナディアンロッキーの山麓に住む親友の元を尋ねる。そしてそこからヘリコプターでさらに奥地に送ってもらい、一週間の山ごもりをする予定である。

 実はドラマはここから始まる。そこまでの経過は回想シーンで断片的に語られるのである。どうして學が誰とも打ち解けず、口さえきかないのか、次第にわかってきてドラマが本格的に始まるのである。祖父の真一にはある目的と覚悟があった。それは信じ難いものであった。

 ここから始まるサバイバルは想像を絶するもので、厳しい自然の中で孤立無援であることがどれほど苛酷なものであるかがこれでもか、と描かれていく。生きるのに必死になればスマホも何もあったものではないのである。

 何が起こるのか語るのはこれからドラマを観る可能性がある人に申し訳ないのでやめておく。これは少年・學の再生の物語である。再生とは文字通り、一度死ぬ思いをしてそれを乗り越えてこそ達成できることであることをこれほど明快に示したドラマはないだろう。リセットでは人は再生できないのである。生き返るには死ななければならないのである。

 思い出すのは、『北の国から』(もちろん倉本聰脚本である)で、頑固老人(大友柳太郎・このドラマでも役柄として死ぬが、そのあと間もなくして本当に亡くなってしまった)の孫が、四六時中携帯を見続けているというシーンだ。そのときにはその孫に背筋が寒くなるような異常さを感じたのだが、いまそれは周りを見まわせばそこら中に見ることが出来る。バーチャルにのめり込むことで生き物としての生命力を失いつつある人たちに対する倉本聰の警告がこのドラマのテーマだろうか。

2017年8月 2日 (水)

真保裕一『暗闇のアリア』(角川書店)

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 真保裕一といえばベストセラー作家で、あの映画『ホワイトアウト』の原作者だ。私は出版されてすぐに原作を読んでいたけれど、映画もそれなりに面白かった。あの極寒の中を超人的に危難を乗り越えていく主人公(映画は織田裕二が主演。そういえば同じ原作者の映画、『アマルフィ 天使の報酬』や『アンダルシア 天使の報復』も織田裕二が主演だった)の不屈の闘志に感動したものである。

 プロローグはいきなり紛争地帯のアフリカが舞台である。混乱の中でのエピソードが語られていくが、物語とどうこの話が関わるのか、それは中盤にならないと明らかにならない。

 中堅官僚の死体が発見される。死の前に、娘が本人からそれを伝える電話を受けていることから、自殺であると断定される。しかも彼に不審な振り込みがなされており、何らかの不正行為に関わったことが露見することを恐れたものと見做される。

 回りもみなそれで納得する状況なのに、雑誌記者である妻だけが頑として自殺を認めない。本人を最も知るものとして自殺などするはずがないと確信している。繰り返し警察に掛け合う中で、ある理由からほぼ干されている刑事に相手をするようお鉢が回ってくる。

 刑事の妻も過去自殺している。それを頼りに妻は捜査を要請するが、刑事は冷たいあしらいをする。絶望した妻は独力で調査を開始する。やがて彼女はわずかな手がかりを発見する。それを伝えたとき、眠っていた刑事のセンサーが起動する。

 やがて自殺を巧妙に偽装するカラクリの可能性が見えてくる。ついに警視庁はこの事件だけではなく、過去の自殺扱いの事件に共通するような事案がないか、特別チーム三人での調査命令がなされる。そして謎の鍵を握ると思われる男が浮上するのだが、すでにその男はアフリカで死んでいた。

 こうしてプロローグに物語はつながっていく。つぎつぎに明らかになっていく類似の事件、しかしトップからその捜査に対してブレーキが掛かり出す。そんななかあの雑誌記者の妻の独自の調査からまったく新しい展開が生み出される。彼女は単独でパリへ飛び、さらに他の国にと足を伸ばす。

 特別チームも新しい展開から遂に犯人と覚しき人物を絞り出すことに成功する。操作の輪は次第に絞り込まれるのだが・・・。

 このラストは不本意なところもあるけれど、これはもしかしたら続編につながるのかも知れない。

雑感

 見かけは重要である。人は見かけによらないことがあり、知り合うと最初の悪印象が拭われて好感に変わることもある。しかし知り合うことの出来る人の数は限られている。そうなれば見かけで人を判断するしかないのであり、見かけは大事なのである。

 見かけといっても半分以上は顔の印象であろう。その顔に本人の責任はないのか。美醜は生まれつきのものもあって如何ともしがたいが(韓国ではそれを整形するのが普通のことらしく、女性はみな似たような顔になっているのは驚くほどである)、どんなに整っていても内面の卑しさが浮かび出ているように見える人は確かにいる。それでも、私にはそのように映って見えているのに、それをそのまま美しいと見る人もいるから世の中は丸く収まっているのだろう。

 そういえばトランプ大統領政権の報道官がつぎつぎに辞めたり辞めさせられたりしている。報道官というのは政権の顔、ある意味でその国の顔ともいえるから、見た目を大事にするものかと思っていたが、あまり賢そうに見えなかったり、どうしてこんな人をと思うような人が報道官になり、そして辞めていく。あの女性の報道官の顔は、申し訳ないが美醜以前に顔を背けたくなるようなところがある。

 よほどトランプ政権には人がいないのだろうか。もし要請があっても、まともな人なら引き受けたくないような役割だと思われているとしたら、トランプ大統領が政権内部でどう思われているかが分かりそうだ。トランプにもともと人望があったとも思えないし、時間と共に失望に変わりつつあるというところで、任期を全うするのは難しいのではないか。

 中国の外交部の報道官を見ていると、無表情で明らかな無理筋を平然と言ってのけている。まさに習近平政権の顔(共産党独裁政権の顔)としてふさわしい顔である。北朝鮮の報道官はあのお馴染みのアナウンサーなのだろう。あの大仰な語り口はたぶん命がけなのだろう。そうでなければ恥ずかしくてやっていられるわけがない。

 それらと比べれば、わが菅官房長官はまともな方ではないだろうか。ちゃんと感情を表に出すこともあるし、言葉遣いはときに不適切だが丁寧だ。会見場の記者達の、国民に替わって、を自称したつもりの失礼千万な物言いに良く対応している方ではないか。私は彼の顔に悪印象は持たない。

 パソコンがしばしばフリーズに近い状態になる。なにもしていないのにファイルの開くのが遅い。ホストとして使っている東芝のダイナブックだ。これはi7が使われているから本来高速動作をするはずなのだが、ずっとそうである。ハードディスクにいろいろな物を詰め込みすぎているからかと思い、大きなデータはほとんど外付けハードディスクに移したから身軽なはずである。

 持ち歩き用に10.5インチの極安のACERを使っているが、同じことをさせるとはるかに早い。こちらのハードディスクには出先で使うためにデータが詰め込まれているのだが問題ない。ダイナブックのキーボードはそれほど酷使しているわけでもないのにキータッチを受け付けないキーがいくつも出てきて、仕方がないから別付けのキーボードを購入して使用している。

 東芝製品を問題なく使用している人も多いようだが、私とはまったく相性が悪いようで、買う製品はたいてい不具合になる。東芝に嫌われているらしいのでもう二度と買うまいと思うが、まだ動作するパソコンを買い換えるほどのゆとりはないのでだましだまし使っているが、そのストレスにだんだん頭が熱くなっているところである。

 不要と思われるプログラムを一部削除したが変わらない。次はもしかして必要だが不要かもしれないプログラムをばっさり削除してみようか。もうやけくそである。何かあったらそのときのことだ。すでにデータはたいてい待避させてあるし。

2017年8月 1日 (火)

捨てることにした

 長年愛用してきたMDのミニコンポを処分することにした。CDも聴けるのだが、ずいぶん前から機嫌が悪いとときどき音飛びする。知り合いからCDを借りたりしてこのコンポでMDに落としたコレクションがたくさんある。だからそれを聴くためにだけ使用していたが、スピーカーはミニコンポだから音はそれなりで、ハイレゾなどを聴き出したらこのコンポで音楽を聴く気にならなくなった。

 カセットデッキとしても使える。だから古いカセットテープのコレクションも聴けるのだけれど、オートリターンの調子が悪くなってきたし、わざわざカセットで音楽を聴くこともなくなった。そもそもカセットテープのコレクションも以前ほとんど処分してしまった。むかしFMアンテナを立ててエアチェックしたクラシックのテープなどもあったはずだがもう残っていない。

 そういうわけで、カセットテープの残りとMDのコレクションを全て廃棄した。いつか片付けようと思っていたのでさっぱりした。またカーステレオ用にCDのバックアップとしてコピーCDを数十枚作ってあったけれど、こちらも場所をとるだけなので処分した。オリジナルがあればわざわざコピーは不要なのだ。

 こうしてメディアをゴミとして処分して、ミニコンポはお蔵入りとした。あとで燃えないゴミとして処分する。ミニコンポのあった場所とその周辺を掃除してレイアウトを変えたらさっぱりした。

 あって困っていたわけではないが、ほとんど使わないものを思い切って片付けるということが、これからしなければならないことではないかと愚考するけれど、なかなか思い切るのは難しい。人には未練というものがある。手に入れるために投じた金のことも頭をよぎる。撤収の道のりはまだまだ遠い。

葉室麟『潮騒はるか』(幻冬舎)

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 久しぶりの葉室麟。未読の本がまだ三冊も残っている。これがいちばん新しいのだけれど、読みやすそう(ページ数も少ない)だったのでこれから手をつけた。

 舞台は幕末の長崎。脇役として平野国臣やオランダおいねが登場する。脇役ではあるが、著者が書きたかったのはこの人たちを核としたその時代の人びとであり、攘夷や勤王、そして倒幕の動きにどう対応するのかで翻弄されていた各藩の様子だったのではないか。

 平野国臣といえば筑前黒田藩出身の勤王倒幕の志士で、「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば、煙はうすし桜島山」という有名な歌を残している。熱血漢であったことがこの歌でもよくわかる。もちろん燃ゆる思いとは日本という国家に対する思いである。この本の中ではこの歌は紹介されず、別の歌が取りあげられている。

 佐久間象山を暗殺した肥後の川上彦斎とも親交があり、そのことは彦斎を主人公にした葉室麟の別の本にも書かれていた。私がいまこだわっている出羽の清河八郎とも交流があった。この本では西郷隆盛の依頼で僧月照を薩摩に送り届けている。僧月照は結局薩摩領に受け入れられず、西郷隆盛と月照は抱き合って入水する。月照は死に、西郷隆盛は助けられる。そのこともこの本の最後に平野国臣の口から語られる。

 オランダおいねはドイツ人医師のシーボルトの娘である。シーボルトが長崎の出島にいたのでオランダおいねと呼ばれるが、正しくはドイツ人の父と日本人の母との混血である。彼女のことについては吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」や、司馬遼太郎の「花神」に詳しい。日本で最初に西洋医学を学んで女医になった女性である。

 この本のストーリーとしては筑前黒田藩の陰謀により翻弄される女性と、それを助ける人びとの物語であるが、それはこの本を読んで楽しんでもらいたい。陰謀によって人は翻弄されるが、それより大きな、時代という渦が人びとを翻弄する。しかしその中で流されずに生きるためにはどうあるべきか。そのことが長い人生か短い人生かということよりも大事なことであるとこの本は語りかける。

 生きることに意味を見出して生きる人は強い。そして美しいのである。

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