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2017年9月

2017年9月30日 (土)

休酒

 定期検診が近いのでいつもの休酒モードに入っている。前回は十日あまり頑張ったが、今回は始めたのが遅かったので、禁を破らなくても一週間足らずにしかならない見込み。ウエイトコントロールも4キロ減を目標にしているが、あと2キロのところで足踏みしている。つまり水分が少し抜けただけで実質何も減っていないということだ。どうせ増えてもすぐ減らせるからと高をくくって、増えたり減ったりを繰り返しているとだんだん壁を越えにくくなるようである。

 休酒はいつも通りそれほど辛くない。それなのにいつもはあまり苦にならない甘い物の摂取禁止が今度はとても辛い。無性に甘い物が欲しくなる。父親がまったく酒が不調法な下戸だった代わりに、羊羹なら一本食べたい、というほどの甘党だったので、私は大酒を飲み、なおかつ甘い物も大好きという、糖尿病になる素地を身につけてしまった。

 案の定糖尿病になってしまって治療中(一生続くらしい)である。酒も甘い物もそこにあれば、ブレーキをかけないかぎりいくらでも欲しくなる。意志だけでコントロールしているのだが、もしかしたら自動的にからだがコントロールするはずの機能が壊れているのかもしれない。

 今回はその意志のコントロールを越えて甘い物が欲しくなってかなわないのである。危ないから家に甘い物は置かないようにしているが、うっかりすると牛乳に蜂蜜を入れて飲んだりする。考えただけで、ああ、美味しいだろうなあ、と思う。拝見しているブログにも美味しそうな甘い物の記事がたくさんあって、くらくらとする。罪作りである。これはもし低血糖のためでなければ、糖尿病の末期症状の兆候でもあるのだ。

 とにかく来週月曜が検診日なので今日明日の辛抱だ。しかし検診が済んだとたんに我慢の蓋が吹っ飛んで、血糖値の上がる食べ物をむさぼり食い、大酒を飲みそうで怖い。怖いけれどそれを夢見ているのである。

 そのあと水曜日には大阪で会社の後輩の送別会がある。泊まり込みであるから調子に乗りかねない。しかも肉である。肉となるとまたさらにターボが利いてしまうのである。ああ恐ろしい。恐ろしいけれど楽しみだ。早く来週にならないかなあ。しばらく会っていないみんなにも会えるし。

もしかして効果があるのだろうか

 部屋の片付けを続けている。この戦いは、あと少なくとも半月はかかるだろう。整理した一隅が出来ると別の場所に未整理のものが山のように出現する。飽きっぽくてあきらめの良い私であるが、このまま放置して戦線離脱をしても事態は収まらず、暮らし難いだけなので、始めたからには戦い続けるしかないのである。

 そのことはそれとして、最近物忘れがますますひどくなり、気力集中力は低下し、眼はかすみ、もともと悪かった平衡感覚もさらに悪化し、耳はもともと聞こえ難かったのにそれもさらに悪化し、字を書こうとしても手が震えたりすることがあって我ながら困ったことだと思っていた。まだ七十前なのに少し早すぎるではないか。

 娘のどん姫がそれを心配したのだろうか。しばらく前にサプリメントを二種類持って来てくれた。ひとつはオメガ脂肪酸とEPAなどが入ったもの、もう一つがコエンザイムなどが入ったものだ。どん姫はマイペースだからあまり人の心配などしないタイプだが、認知症や寝たきりになったら面倒を見てくれ、と繰り返し言っているから、それはかなわないとでも思ったのだろう。勤めている会社で扱っているのかもしれない。

 私はサプリメントはあまり信じない。だからせっかくのどん姫のくれたものをそのまま放置しておいたら、それを見てほんの少し哀しそうな顔をした。さすがの私もちょっと申し訳ない気がしたのでちゃんと飲むことにした。

 飲み始めて一月半ほどになるが、不思議なことに字を書くときの手の震えがあまりなくなった。その他には顕著な効果は出ていないが、家の片付けをする気になったのはもしかしたら気力が回復し始めているからかもしれない。どん姫が二回目の薬を持って来てくれた。ちゃんと飲んでいることを確認してほんのちょっと「よし」、というようにうなずいていた。調べたらけっこういい値段の薬なのである。今度来たらご馳走して上げなくてはと思っている。

 気力体力の衰えやボケに効果があるのならありがたい。人体実験をしばらく続けることにする。来週月曜日は定期検診だが、なにか異常値が出ていないかだけ確認しておこうと思う。

2017年9月29日 (金)

瞬間的

 とにかく一度本箱本棚からすべての本を引っ張り出し、並べ直している。写真はその、ある一瞬の姿。ここから出し入れしたらたちまちぐちゃぐちゃになるのはいつものこと。

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 右手の文庫本の本箱の奥に、昭和文学全集と古典の文学全集、下の棚には池波正太郎のうち、鬼平犯科帳と剣客商売と真田太平記の全巻と、葉室麟、そして曽野綾子の本がぎっしりと詰め込まれている。そしてその前に読みかけの北方謙三の『岳飛伝』や『史記』、宮城谷昌光の『三国志』や『湖底の城』が積んである。

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 棚には少し格好を付けるような本が多く並んでいる。ふだん読む本は別の部屋の本棚に並べ直すつもりだが、ここに並んだ本の何倍もの本が部屋の床を占領しているので、処分する本を選別しなければならない。

 今日第一陣の段ボール箱四箱を集荷してもらった。池波正太郎は出版されているほとんどの本を持っていたのだが、大半を手放すことにした。たいていの本は二三回は読んでいるので、泣く泣く諦めた。残した鬼平犯科帳や剣客商売はあわせれば数十冊になるが、こちらは五回も十回も読んでいて、また気が向けば読む可能性が高いのだ。

 弟のところに置いてある本もたくさんあるが、母も亡くなったので改築するそうで、引き取らないといけない。すべて持ち帰るつもりだったが、江戸川乱歩全集のみを引き取ることにしてそれ以外は処分してもらう。致し方ない。

 こんなに整然と並んでいるのは瞬間的なことなので写真に撮っておくことにしたのだ。

それが大義か

 前原民進党代表が、解党的な状況の中で希望の党への合流を諮り、反対がなかったから了承された(ずいぶん乱暴な話に思える。どう見ても民主的ではないだろう)という報道があった。みんな事態の急展開にあっけにとられて、自分の意見を言いようがなかったのだろうと同情する。

 赤松氏を中心とした民進党左派系のグループは、もし希望の党に合流を打診しても断られるであろう。もし希望の党が彼らまで丸呑みするなら、これはほとんど乗っ取りである。しかし小池さんという人はどういう態度で出てくるか分からないから、丸呑みしないとは限らない。数を集めておいてあとで追い出すという手を使うかもしれない。

 いまはみんな興奮状態だからなにがあるか分からないけれど、選挙の日まであと三週間以上ある。すったもんだが続く姿が国民の目にどう映るのか、あの民主党大躍進のときのように事態が進んで行くとは私には思えないが、どうだろう。

 ところで前原さんは議員総会の中で「打倒安倍に命をかける」と興奮して叫んでいた。今回の安倍さんの電撃解散を「大義がない」と非難したその口から、打倒安倍が今回の選挙の目標だと叫んだのである。しからば打倒安倍が前原さんの大義か。

 いやしくも国の行方を決める役割を担う政治家が、それも多くの党員を抱えたリーダーが言うことか。社民党ではあるまいし、あまりにも情けない。民進党は党内をまとめることが不可能なばらばらの烏合の衆であることは誰の目にも明らかだが、それをまとめることは不可能と見切って、分裂解党を覚悟しての前原さんの決断なのだろうが、リーダーが目指すものを呈示せず、夢も語れないのでは失格である。

 これは私の想像だが(同じことを言っている有識者もいた)、この年末までにアメリカが北朝鮮に軍事行動を起こす可能性が高いという情報を安倍首相は知っているのではないか。今回の選挙はそれに備えての挙国一致体制へのセレモニーではないかと思う。

 だから見かけ上大義らしい大義が見えない選挙にならざるを得ないのではないか。本当のことをいうわけにはいかないからだ。それは12月に起こる、と予測するいくつかのネット情報もあった。

 どちらにしてもトランプは内外から追い詰められている。こういうときの起死回生策は戦争である。戦争の大義など解散以上にどうにでもこじ付けられる。トランプは12月に北朝鮮に軍事行動を行うと私は予想する。外れて欲しい予想ではあるが、今回の安倍首相の解散強行はそれを裏付けるような気がしている。そんなときに「安倍打倒」が大義だというようなことを言う愚か者がいる。

2017年9月28日 (木)

月刊「東方」編集部編『中国酔いがたり』(東方書店)

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 東方書店のPR誌「東方」のコラムを編集して本にしたもの。1997年に出版された本で、1982年から1997年までの記事が収められている。

 一度読んだ本だと思っていたら、読みかけであった。前半は記憶があるけれど、最初から読み直したらおもしろいのでつい全部読み直してしまった。東方書店は中国関係の書籍を翻訳出版する会社で、この出版社の本は何冊かわが家の本棚にも並んでいる。

 この本では中国の原文がそのまま引用されていることがしばしばあり、読者はそれが理解できる前提で書かれているので簡単にしか説明がない。非才無知の当方としては半分くらいしか分からないのだが、それでもおもしろいのだから全部分かったらもっとおもしろいだろう。残念なことである。

 かたい話とやわらかい話が渾然一体となっていて、著者(神崎勇夫)が特にやわらかい話が大好きであることが分かるし、本人もそれを嬉しそうに認めている。かなりきわどい艶笑小話もたくさん紹介されていて、つい一人でニヤついていたりする。もし傍で見たら気持ちが悪いだろう。

 この文章が書かれた時代の中国は、ようやく文化大革命の大惨害から脱し、自由で明るく前向きになりつつあった中国であり、それが天安門事件で空気が一変した時代でもあった。得に著者が交流のあったのは文化人たちであるから、その時代の流れを強く感じていただろう。

 天安門事件が中国の知識人達にどれほどの挫折を与えたのか、私もあらためて強く感じた。しかしこの本ではそのことをしつこく繰り返したりしていない。抑えた怒りと哀しみをこちらが感じたということである。

 著者は自他共にビール大王と認めるほどビール好きのようだ。私もビール好きであることでは人後に落ちないつもりだから、その独特の酩酊感覚はよく分かる。そんな感覚で中国、本、女をキーワードに語り尽くしているこの本を大いに楽しんだ。

(本文中から)
 今春、三年ぶりに北京を訪れた。
通訳の水準は相変わらずだった。
「センセハ、イツ、ペキンニトドキマシタカ」
何やら、自分が小包になったような気がした。

箱詰め

 処分する本の山が出来たので、ブックオフに買い取り依頼した。とりあえず詰めるための箱を四箱依頼。四箱ではとても足りないのだけれど、あまり多いと集荷のお兄さんが可哀想なのだ。

 四箱で150冊程度だろうか。あと数回間隔を置いて依頼するつもりである。これで500冊以上は片付くけれど、目標のほんの一部である。本箱の棚には前後二段に本が入っていて、後ろ側は見えない。これをすべて一段に入れ直すつもりなので、大量に本が湧き出してくることになる。すべて済むのにしばらくかかるだろう。

 箱詰めしたものには紐をかける。ちゃんとした二本撚りの梱包紐だ。これで横二本、たて二本紐掛けするといくら重くてもかなり持ちやすくなる。しなくてもいいことだが、自分が集荷するとしたらずいぶんありがたいはずだ。

 今回は、アマゾンで中古本を購入したところで本を高価引き取りするというので、頼もうかと思って調べたら、評判がよくないらしいことが分かった。ブックオフでも古本は二束三文でがっかりするけれど、それよりずっとひどいというから余程である。何人もそう書き込んでいるから間違いなさそうだ。そういうわけで今回もブックオフである。引き取られた本がいつか誰かの手に渡ればなによりである。

 雨は上がっているけれど、なんとなく空は暗くどんよりしている。完全に上がったようなら床屋に行こうかと思っている。わずかな髪だから伸びてもなんということはないのだが、襟足が 伸びているのが見苦しい。早くて(洗髪しても30分かからないから寝る間もない)安い隣駅の近くの床屋に行って、帰りは遠回りして散歩しようか。

時間の山

 本棚の一角にブルーレイがぎっしりと詰まっている。一度観て、もう一度観たくて残しているものもあるけれど、観るより録る方が多いためにたまってしまったものが、いつの間にか山になっている。その上さらに録画を続けているのだから、馬鹿な話だ。

 使うより貯める方が多くてどんどんたまるのは、お金ならいいけれど録画ディスクはいけない。お金なら一度にどんと気持ちよく使うことも可能だが、録画したものはどんと一度に観るというわけには行かない。

 考えてみればこのブルーレイの山は時間の山である。二時間の映画であれば観るのに二時間がどうしてもかかるのである。これから一切録画をしないことにすれば別だが、どうしても観たいと思うような映画やドラマは次々に放映される。それなら既に録画したこの時間の山を私が消化することは物理的に不可能である。

 部屋の片付けの玉突き現象のひとつとして、いま録画ディスクの選別をしている。目標は在庫の半減である。すぐに観たいと思うものだけでも山のようにある(だから録画したのである)けれど、それに優先順位を付け、とりあえず録っておこうと思ったようなものから廃棄することにした。次いで迷ったものも廃棄することにした。

 映画やドラマを観るには体力気力が必要である。集中力が必要だし、ぼんやり観ていては楽しめない。けっこう疲れる。以前は一日三本も四本も続けて観ることもできたが、いまは一日一本か二本が限度である。それならこれからは極力録画を減らして鑑賞に努める必要がある。

 録画の山を見て、自分の持っている時間の限られていることを思い知らされた気がしている。

2017年9月27日 (水)

自然に反するか

 この世は混沌と秩序の戦いである。生命はその混沌の中のオアシスのような秩序の泉であるらしい。エントロピーの法則により、常に自然界は混沌に向かう。つまり秩序はついに混沌にかなわないということか。わが家が混沌としているから、秩序を与えようとしはじめたけれど、様相はさらなる混沌を増してとめどがない。そもそもいまの状況から見れば手を付けなかったときのほうが秩序があったのではないか。

 南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)という。儵と忽はたびたび渾沌の領地で会合したが、そのつど手厚いもてなしを受けた。渾沌の厚意に感じた二人は、何かお礼をしようと相談した。

「どうだろう、人間にはみな目耳口鼻あわせて七つの穴があり、それで見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりするのだが、渾沌にはそれがない。ひとつ、顔に穴をあけてさしあげよう」
 
 話がきまると、二人は一日に一つずつ穴をあけていった。そして七日目、渾沌は死んだ。

*儵も忽も束の間という意味。

「荘子」のなかの話で、大好きな話。

 混沌に手を加えるのはもってのほかだったのか。実は混沌には不思議な居心地の良さもないことはない。とはいいながら、混沌が支配する部屋を呆然と眺めている。どうしよう。

シンシアリー『韓国人による未韓論』(扶桑社新書)

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 著者は韓国の歯科医師であるが、今年の春から日本に移住している。韓国の反日の理由と問題点を歴史的背景と韓国人の精神的傾向を分析しながら論じる『韓国人による・・・』シリーズはこれで確か第7巻となるはずだ。

 韓国で親日的であるということは「売国奴」とほぼ同義である。この本や彼のブログは反日扇動者にとっては攻撃のターゲットになることは避けられないから匿名なのであるが、韓国に暮らし続けることが危険になったので歯科医師を休業して日本に移住したようだ。

 読み方によっては嫌韓本の範疇の本であるが、そういう本にありがちな感情的な決めつけは一切ない。日本人にとって韓国の反日は常軌を逸しているように見えるが、韓国の人たちがすべて反日なのか、一部の極端な人たちだけが騒いでいるのか、そのことは日本の報道ではよく分からない。

 歴史的に日本に反感を持つことにまったく理由がないとはいわないが、既に戦後72年も過ぎて、ますます反日がエスカレートしていく韓国とは一体何なのか、普通の日本人には理解に苦しむところである。その理由を韓国人として韓国に生まれ育った著者が、自分に刷り込まれた日本像と実際に知った日本の実像との違いから考察しているのがこのシリーズである。

 同じことが書かれているわけではない。そのときどきに起きている韓国の情勢と絡ませてその分析は深化していく。当然シリーズを継続して読んでいない人も多いので、韓国の歴史的背景を概観するところから書き出さないとならず、その部分は重複するが、そのことは著者も冒頭で断っている。

 今回のこの本は北朝鮮による極東の緊張状態のなかで、韓国がなぜ北朝鮮に対する非難をするよりも日韓慰安婦合意破棄に向かうのか、「軍艦島」の公開を機に徴用工の像をさらに慰安婦像の脇に設置しようとして盛り上がるのか、そのことを解析している。

 日米韓の協調が必要なときに、日本と韓国の間に亀裂を生じさせかねないこのような動きが何故起こるのか。その理由は驚くべきものである、といえば常套句であるが、実はそんなところだろうという思いもある。

 現在の韓国文在寅政権がなにを目指しているのか、どういう政権であるのか、そのことを知るために大いに参考になる本である。いまの韓国の迷走の理由の一端が分かる。それは韓国に極めて危うい状況を招来するという予測につながるものであり、日本人として理解しておくべき情報であろう。

 しかし著者の本当の気持ちとしては、このような本を素直に読んで、韓国人が自分を見つめ直して欲しいところであろう。そういう韓国人も少なからずいるはずだが、彼らにメッセージは伝わっているのだろうか。

2017年9月26日 (火)

感じ悪い

 昨日の小池都知事の会見を見た。感じが悪い。アウフヘーベンがどうのといって、記者達の多くがきょとんとしているのを「意味が分からなければ辞書を引いて下さい」と言ってのけた。

 私だってアウフヘーベンの意味がよく分かっているわけではない。それでもあの会見にアウフヘーベンという言葉を使うことに違和感を感じる程度には知っている。だからあそこでこの言葉を使うことに必然性をまったく感じない。知ったかぶりのいいカッコウしいにしか見えなかった。そう感じた人は意外に多かったのではないか。

 会見全体としては内容が空疎で、なにを目指すための「希望の党」の立ち上げなのかよく分からなかった。今のままでは百家争鳴になりかねない新党を自分が代表になることで「リセット」するのだということを発表したのだというだけで、それで終わりである。

 安倍首相の記者会見の時間を知って、その前に突然のスタンドプレーで割り込み、安倍さんの記者会見のインパクトを打ち消そうという意図だけが見えた。政治評論家は盛んに小池氏の巧妙であることに感心して見せたが、あの小池都知事の会見を見てなにを目指した新党なのか聞き取って分析して説明をしてくれるわけではない。多分言わなかったし、政治評論家にも分からなかったのだろう。

 第2の民主党にはならない、といいながら、目的がはっきりしないまま選挙目的で集まる候補者たちをかき集めて選挙を行えば、出来上がった新党は烏合の衆である民主党とどう違うのか。少なくとも左派は入れないというハードルはあるだろうけれど、それだけではないのか。ここでハードルでも下げてみせれば左派も難破船から逃げ出して合流するだろう。それならただの乗っ取りではないか。

 まさかそこまではしないだろうが、分からないぞ。

 アウフヘーベンは哲学用語で、日本語では止揚と訳される。私が高校のときに倫理社会の教師から教えられたイメージは、袋小路に入ってしまった相反する議論を、袋小路の上空に持ち出すことで袋小路から脱するという手法だという。分かったようで分からないけれど、イメージだけは残っている。確かに空を飛べれば袋小路からは抜け出せる。小池さんはスーパーマンか。

まさかもあり得る

 衆議院解散に対して、多くの野党は暴挙だと安倍首相を非難している。森友問題や加計問題で解散して国民に信を問え、といっていたその口で解散を非難するとはいかにもニワトリ頭である。

 泡沫党の社民党や自由党の幹事長などが、相変わらずのレッテル貼りをしている姿に哀れを感じる。うまいことを言う、と受けを狙っているのだろうが、いまどきは誰も相手をしてくれないから言葉は宙に浮いたままだ。

 そんなレッテル貼りをしたからといって相手にダメージを与えることなど全くない上に、却って自分の中身のなさだけが露呈しているという惨めな姿に気がついていないことに哀れを感じるのだ。空言を語るならせめて理想を語れ!

 今回の解散は小池新党の出現もあり、既存野党の惨敗は必至だとみられている。確かに民進党の凋落は予想以上にひどい。前原代表は彼しか出来ないこと、彼だから出来るはずのことを見うしない、内外の失望を招いている。彼は期せずして民進党を「ぶっ壊している(by小泉首相)」が、これはいままでの民進党に歯がゆさを感じていた国民にとって、なんとなく快感につながっているのではないか。少なくとも私はそうだ。

 安倍首相は、いま解散すれば大敗はあり得ず、そこそこの傷で済めばみそぎを済ませたとしてリセットできると考えているだろう。これは自民党議員達の緩んだ気持ちを引き締める効果も大きいと考えているのではないか。確かにあまりにお粗末な話が続いた。安倍政権の成果の評価を大きく損ない、問題点だけがクローズアップされて身動きが取りにくくなっていたことだろう。

 北朝鮮の狂気(理解不能だから狂気という)としか思えない行動によっていつ不測の時代が起こらないとも限らない。その対応の手を事前に打ち続けてきたけれど、それを理解しようとしない国民も多い。国会前で座り込み、ラップを踊りながら安保法制反対を訴えていた若者達に、水爆実験成功を祝って踊る北朝鮮の人々が重なって見えるのは私がおかしいのだろう。

 選挙は魔物である。枝葉末節にこだわるマスコミに洗脳されている国民は想定以上に多いかもしれない。民主党に政権を渡したときのように、自民党にお灸を据えてやろうと考える人が案外多いおそれがある。その票がどこに向かうのか予断を許さない。

 小選挙区制の必然として大勝か大敗かどちらかになりやすいともいわれるが、そこそこ勝つとかそこそこ負けるという想定は甘いような気がする。いまは国難に対応できる体制を維持する方を優先した方が良いと思うが、国民がとんでもない選択(あとで後悔する可能性の高い選択)をする可能性は少なくないのではないかと心配している。

2017年9月25日 (月)

玉突き

 雑然として収拾がつかなくなっている家の中を、少しでもすっきりさせて居住空間を拡げようと整理を始めた。いままであれをこうしてこれをああして、と何日も頭で考えていただけだったが、ついに着手したのである。

 収納の仕方を工夫する、というのは無しである。ものは思いきって捨てなければ居場所が移動するだけで、なにも片付かないことは繰り返しの経験で身に沁みている。あの徒労感はダメージが大きい。

 やるからにはいままでよりもレベルの高い整理をしなければ、と心に決めて作業を開始したのである。処分する本の山と、無意味にため込んだ雑物の山が部屋を占領した。約三時間の作業の結果である。

 不思議なことに処分するものの山が出来たのに、全体的にはまったく変化がないのである。これだけの戦いのあとに、敵にはかすり傷一つ負わせていないらしい。ものが次から次に出てきてこちらを攻撃し、これはこちら、これは処分、これはあちら、とバッタバッタとやっつけるのだが衆寡敵せず、戦線は拡大する一方である。

 なにかをするとなにかに影響が出る。そのたびに時空が歪み、その歪みが連鎖して新たに虚空から敵が湧き出してくる。一つなにかをすれば一つなにかが片付くと思っていたのはどうも勘違いだったようだ。一つ作業をするとそれが玉突きになって二つも三つも片付けなければならないことが生ずるのである。

 戦線をわが家全体に波及させ、戦場を的確に俯瞰し、敵の逃げ場をなくした上で最適の作戦で対処していかないと、敗戦する気配が濃厚だ。しかし戦いは端緒についたばかりである。それなのに想定をはるかに超えた惨状を呈しているではないか。

 恐るべき敵に戦いを挑んでしまったことを後悔しながら、しかし戦線離脱しても誰もこのあとを引き継ぐ者がいないことを思うと、この泥沼の戦いを気力で戦い抜かなければならないと覚悟する。

 とはいえ今日は疲れた。ここまでとしよう。何とか寝る場所だけは確保してある。

Dsc_6869 戦いに挑む勇気ある私

アグン山に噴火の兆候

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 インドネシア・バリ島の活火山のアグン山(3014メートル)が噴火する兆候が濃厚になっているらしい。当局は警戒レベルを最高レベルにして住民の避難を進めている。避難勧告地域は火口から半径9キロだが、さらに拡大が検討されているという。現時点では航空便は通常通り運航されているが、今後デンパサール空港は閉鎖の可能性もあるという。

140921_130 黒く見えるのは溶岩

140921_131 溶岩は山を流れ下り、

140921_134 一帯を覆い、草木も生えていない。

140921_138 右手の山の下に湖がある。ここに溶岩は流れ込み、湖の面積を大きく縮小させた。それを眺めることの出来る展望レストランでビールと軽食を摂った。

 アグン山は1963年から64年にかけて大爆発を起こし1148名の犠牲者を出している。このとき火山灰の影響で北半球の気温が0.5℃下がったといわれている。地球的規模の影響を与えた大噴火だったのだ。

 2014年にバリ島に行ったとき、ここに立ち寄った。たった50年前のことであり、まだ溶岩流を流れたあとそのままで見ることが出来た。

 地球規模の自然の動きは止めようがない。経過を見つめることしか出来ないが、被害のないことを祈っている。

 インドネシアの火山爆発といえばクラカトア火山の爆発を思い出す。クラカトアとはジャワ島とスマトラ島の中間の島々をいうが、ここで1883年に巨大な火山爆発があった。このときには巨大津波が発生して大惨事となった。火山と津波による死者は36417人。このときにも火山灰が北半球を覆い、地球的規模で気温が低下している。

 この火山と津波のときの様子が描かれているのが「ジャワの東」という映画で、私の忘れられない映画だ。残念ながらまったく知られて居らず、WOWOWやNHKBSで放映される気配はない。アグン山が実際に噴火したら放映されるかもしれない。

 『二ナーの気球』というアメリカの小説にこのときの火山爆発と津波が描かれているというから、これが映画の原作なのかもしれない。映画ではこの爆発直前の火山の側を気球で飛ぶハラハラするシーンがあるのだ。

2017年9月24日 (日)

映画「ダーク・グラビティ」2013年カナダ

 監督ジェフリー・ランドー、出演ロビン・ダン、エイミー・ベイリーほか。

 メチャクチャである。とにかく科学的な装いをしながら科学的なところはかけらもない。これほどでたらめなものをよく恥ずかしくもなく作るものだと思うが、放り出さずに最後まで観てしまった。

 なにしろヒッグス粒子加速器である。そもそもヒッグス粒子とはなにか、まだ未解明なものを加速するなどということがどうして可能なのか、加速するためには捕捉しなくてはならないが、捕捉できないから観測が困難な粒子をどうやって捕捉し、どうやって加速するというのか。SF仕立てなら少しくらいは屁理屈を付けてみろ。

 科学的に無知だからこんな映画を作ってしまったわけではないようだ。とにかくタイムシフトによるパラレルワールド発生の理屈づけをしたかっただけなのだろう。しかし元の世界といまの世界の両方の記憶のある者がいるということがどうしてなのか分からない。ある人は過去の記憶が全くなく、ある人は違う記憶を持ち、悪の親玉は両方の世界の明確な記憶を持っているというのがあまりにもご都合主義である。不思議なことに世界でただ独り、主人公だけは過去の記憶しか持たないのだ。

 主人公は科学者でこの粒子加速器の主要メンバーらしい。その研究の資金を提供したのが悪役の資本家だが、その資本家には別の目的があったのである。加速器のフル稼働の実験の最中に事故が起こる。その前に会社をクビになった男から主人公の携帯に再三の警告が入るのだが、主人公はかたくなにそれを知ることを避け続ける。まるで事故が起こることを知りながら知るまいと努力しているようである。そして事故が起きて世界が一変する。多分物語が始まる前に事故が回避されては物語が始まらないから、監督に警告を受け取らないように指示されていたのだろう(冗談ですよ!)。

 悪者は金儲けのためにこの装置を悪用したのであるが、その結果生じた世界は金など儲けようがない荒廃した世界になっているのにそこに何の矛盾を感じてもいないようだ。そもそも悪用するには主人公よりも装置に詳しい知識を持たなければおかしいのであるが、どうもそうであるらしい。それなら勝手に独りで実験すればよかったのである。それにしてもあんな世界でどうやって儲けようというのだろうか。そもそも世界が破綻しているのである。世界を破綻させることが目的の悪者なら分かるけれど、目的は金だというからわけが分からない。

 もちろん最後は主人公の大活躍により(というよりほんのちょっとだけ悪者と殴り合うだけだが)世界は元の世界に戻り、家族の絆を取り戻すのである(このパターンにはうんざりする)。事故によって起こる世界の変化ならそれは不確定な結果を生むのであって、どうしてすっかり元通りになるはずがあろうか。それでも元通りならば、この物語全体がそもそも主人公自身の妄想によって生み出されたものだというほうが筋が通る。映画の中でも主人公が精神科の医師にカウンセリングを受けている。医師の言う通り、彼が異常なのである。私の妄想ではないのだ。

 多分これは精神病院の中のある患者の描いた異常世界なのであろう。それなら科学的に矛盾だらけでも当然なのである。それならこれは妄想映画の傑作である。カナダ映画畏るべし。

佐伯泰英『空也十番勝負青春篇 恨み残さじ』(双葉文庫)

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 坂崎磐音の息子・坂崎空也の武者修行の旅での十番勝負、第二番である。第一番では、自分に無言の行を課したまま、よそ者を拒否する薩摩に入り二年間を生きのびた。その空也も十八歳になり、前回では薩摩を出ている。この巻は薩摩潜入のときに世話になったゆかりの人の多い、となりの人吉藩に戻っての話である。

 薩摩で尋常の勝負で倒した示現流の酒匂兵衛入道の一刀につけ狙われ続ける空也だが、この巻の最後でその子息のひとりと対峙する。

 居眠り磐音シリーズが終了した時点で佐伯泰英はもう読まないと決めていたのに、なじみの坂崎空也が動き出せばそのあとを追わないわけにはいかない。十番勝負が終わるまではつき合いが続くようである。空也は父親の磐音や母のおこんの性格のいいところを継いで、おおらかでいながら自分に厳しく、当然人に好かれることになる。しかし彼が選んだのは修羅の道である。

 彼の命を救い、彼を慕う薩摩の重臣のお姫様も前作に引き続き登場して、なかなか楽しめた。どうも坂崎親子とは縁が切れそうもないようだ。

映画「モーガン プロトタイプL-9」2016年アメリカ・イギリス

 監督ルーク・スコット、出演ケイト・マーラ、アニャ・テイラー=ジョイ、ミシェル・ヨーほか。

 遺伝子操作で新しい種の人間を生み出す研究所で事故が起こる。モーガン(アニャ・テイラー=ジョイ)と名付けられた新種人間の少女が研究員に襲いかかって傷つけたのである。そこへこの研究を進めている企業から緊急事態対処のためにリスク管理官のリー・ウェザース(ケイト・マーラ)という女性が派遣されてくるところから物語は始まる。

 事態を確認するための心理学者のシャピロ博士の到着が遅れるとの連絡があり、リーは独自に調査を開始する。この研究所が何をしているところなのか、その研究の過程でなにがあったのか、事故はどうして起こったのかが次第に明らかにされていく。研究員たちへの聴き取りで、モーガンは研究所の人々に愛されており、彼らは皆今回の事故に対してモーガンに同情的であることが分かる。 

 やがて博士が到着、モーガンに対して博士の聴き取りが始まる。さまざまな質問に対して答えていくモーガンだったが、博士はそのそつのない回答では彼女の本質が見えないと判断したのか、次第にモーガンを混乱させる質問へエスカレートしていく。無表情で生気のない様子だったモーガンの中でなにかが起こっていることを感じさせるが、博士はそれに気がつかない。

 突然その悲劇は起こる。

 緊急事態に対処するための手順は決められており、所長であるルイ・チェン博士(ミシェル・ヨー)の指示でそれが実行されるはずだったが・・・。

 それからモーガンの暴走が始まり、リーの必死の追走が始まる。リーは過去にも同様の事態に遭遇したことがあることがほのめかされる。ついにモーガンを追い詰めたリーだったが、身体能力に上回るモーガンの反撃で苦戦する。絶体絶命となったリーはどうするのか。

 ラストにプロトタイプL-9の意味が明らかになる。このことに気がついているとラストもなんとなく予想がつくが、気がつかないほうが衝撃の事実に驚くという楽しみが増すであろう。
 
 モーガン役の少女の無機的な表情が化粧とはいえ不気味である。もともとは表情豊かな可愛い少女だったことが過去の映像で明かされていて、皆がモーガンを愛している理由も分かるのだが、自分が人間ではなく研究生物であるということを知るほどに、彼女の中でなにかが増殖し、なにかが壊れていったことが想像される。これは普通の人間が閉じこめられて実験材料にされたとしても同じ反応を示すのではないか。

 リー役のケイト・マーラはいろいろな映画で見たことがあるが、どんな映画のどんな役だったかはっきり思い出せない。調べたら、ルーニー・マーラのお姉さんだという。ルーニー・マーラといえば、あの「ドラゴン・タトゥーの女」のリスベットを演じていた女優だ。なるほど強烈なイメージのある姉妹である。

 ミシェル・ヨーが脇役で登場している。ミシェル・ヨーといえば「グリーン・ディスティニー」での印象が忘れられない。知的なイメージのこの女優が活劇を演ずるのに驚いたものだ。「グリーン・ディスティニー」の意外な女優といえばチャン・ツィイーで・・・と話を拡げていくときりがないのでここまでとする。

 まあまあおもしろい映画であった。

2017年9月23日 (土)

人間嫌い

 人にはしがらみがあって、社会で生きて行くにはさまざまな人間関係を避けることは出来ず、わずらわしいことが多い。

 モリエールの戯曲『人間嫌い』では、レトリックを駆使して本心を隠してつきあう社交界にうんざりし、毒舌で相手をやり込めるアルセストが、その社交界で男たちを手玉に取るセリメーヌに一途に恋い焦がれ、振り回されるさまが描かれているが、本当の人間嫌いはアルセストなのかセリメーヌなのか。セリメーヌがアルセストをにくからず思っていることが明らかになったあと、アルセストは社交界を離れて一緒に隠遁しようとセリメーヌをさそうが、峻拒される。

 人間嫌いは人里を離れて隠遁するものらしい。日本でも人付き合いを避けて隠遁することにあこがれた人は多い。旅に漂泊した人たちもおなじだろう。

 とはいえ孤独で暮らせば人恋しくなるのが人間であろう。そのときに自分を偽らずに話せる相手であれば会いたいと思う。もしかしたら人間嫌いほど人恋しい人であるという逆説も成り立つかもしれない。アルセストがセリメーヌを必要としたように。しかしセリメーヌはにくからず思っているアルセストすら必要としない。だからどちらが人間嫌いか、と思うのである。

 本物の人間嫌いを自称する中嶋義通翁が、人間嫌いの要諦を『「人間嫌い」のルール』という本で、十項目にまとめている。

①なるべくひとりでいる訓練をする
②したくないことはなるべくしない
③したいことは徹底的にする
④自分の信念にどこまでも忠実に生きる
⑤自分の感受性を大切にする
⑥心にもないことは語らない
⑦いかに人が困窮していても(頼まれなければ)何もしない
⑧非人間嫌い(一般人)との「接触事故」を起こさない
⑨自分を「正しい」と思ってはならない
⑩いつでも死ぬ準備をしている

 どうであろうか。世の中のしがらみを拒否する代わりに自分が拒否されても何とも思わない覚悟がいりそうだ。いささか軟弱ながら、ほとんどいまの私の生き方に当てはまる。ただ、非人間嫌い(一般人)との「接触事故」を起こさない、という項目だけは守れそうもない。孤独に強いつもりだけれど、人恋しいときもある。それでは真の人間嫌いにはなれないのであろうか。別に進んでなりたいわけでもないけれど。

伊豆 天城越え

 NHKBSで再放送の「新日本風土記・伊豆 天城越え」を観た。2012年11月放送のものだという。

 最初に川端康成の『伊豆の踊子』の舞台としての天城越えが紹介されたのは妥当なところだが、そこで挿入された映画が高橋英樹と吉永小百合出演のものだった。何度もリメイクされているけれど、私のイメージでは三浦友和と山口百恵の出演したものである。この映画が封切られた当時、私は女性の多い映画館に行くのが照れくさくて、高校生だった妹(山口百恵と同学年である)を連れて観に行った。

 このときの映画で踊り子である山口百恵とおなじ一座の、病弱な少女役を石川さゆりが演じていたことをご存じだろうか。その石川さゆりが、のちに「天城越え」という歌で一世を風靡したことに私は深い縁を感じるのだが、誰よりも石川さゆりがそれを実感しているのではないか。

 番組では「天城越え」の歌の作曲をした弦哲也が、作詞家の吉岡治の思い出とともに歌を作った当時の話を述懐していた。いい歌である。以前石川さゆりがこの歌の歌詞を見て、強い抵抗を感じた話をしていた。ヒットしたのが信じられなかったようだ。しかしそれだけ思い入れもあるだろう。彼女には山口百恵に対するライバル心も人一倍あっただろうし、映画のときに脇役を与えられた記憶も残っていたと私は想像するのである。

 ところで歌の「天城越え」は、不倫の歌だとか、セックスの歌だとかいう解釈があるらしいが、私は松本清張の小説『天城越え』を下敷きにしていると確信している。しかし番組はそういう解釈を取らないようであって、最後まで松本清張の小説を取りあげることがなかった。番組のタイトルと小説のタイトルが同じなのである。言及しないことに私は不満だった。

 松本清張の『天城越え』はテレビドラマになり、少し後に映画化された。天城越えをする少年が出会う女を演じたのが、ドラマでは大谷直子、映画では田中裕子だった。私はNHKのドラマのほうが感情移入した。あのときの大谷直子が忘れられない(そういえば先日観たドラマ『人質の朗読会』で久しぶりに大谷直子を見たことを思いだした)。歌の「天城越え」にこの女の情念が歌い込まれていると考えると歌詞の意味が胸に響くのだが、新日本風土記では松本清張の小説に言及しないのが不満なのである(しつこいな)。誰も関連を言わないから私の勝手な解釈なのだろう。

 若い頃同僚達と伊豆の下田へ旅行に行ったのだが、あいにく私だけ急な仕事で下田へ向かうのが夜中になった。真夜中に車で峠越えをしたら、まったく灯りがない。月もなかったから真の暗闇である。それがめずらしくて、車を停め、真っ暗闇の山の中で外に出てみた。シーンという音が耳に聞こえたあの晩のことをいまでも思い出す。

 一度歩いて天城越えをしてみたいものだと思いながら、ついに果たせていない。半日あれば越えることが出来るそうである。行こうと思えば行けるのだが、さて、もう少し若いときだったらなあ、などと自分に言い訳しながら番組を観ていた。

2017年9月22日 (金)

理由は外貨か

 8月の中国から台湾への旅行者が、蔡総統になって初めて前年同月比で5.2%増加して90万人を超えたそうだ。それに対し、日本からの台湾訪問者数は7.9%減少して17万人あまりだったという。

 台湾では、今年の日本人の年間の訪問者の目標を200万人においているのだが、それが危ぶまれる状況だという。ちなみに2016年に日本を訪れた台湾人の総数は約430万人、不均衡を是正したいところなのであろう。

 ただ、台湾からの旅行者数が多くなりすぎて、日本から台湾への航空券のチケットが入手しづらいという事情も背景にあるらしい。やって来た人はたいてい帰るのだから当然だ。

 日本政府観光局によれば、8月の中国から日本に訪れた旅行者は前年同期と比べて2.1%増の約82万人、単月の新記録だという。ちなみに訪日外国人旅行者数は20.9%増の約248万人で8月としては過去最高とのことである。

 そんなとき、中国政府が旅行会社に対して口頭で日本行きの観光ツアーを制限するよう通達を出したという報道があった。既に年間の旅行者数の取り扱い人数については制限がかけられていて割当制が実施されているが、既に旅行会社の一部は割り当て分一杯まで販売済みであり、事実上の販売禁止に近い措置ともいえる。

 中国は10月1日からの国慶節の連休で日本への航空便はほぼ満席。中国から日本へ来る観光客の4割が団体客で、それが制限されると影響がどうなるのか心配されているそうである。

 理由について、外貨の流出を制限することを目的としている、と見られているらしいが、いったい観光客がどれほどの外貨を持ち出しているというのだろうか。中国の保有外貨は巨額であるから心配ない、と中国政府は胸を張っていたのではなかったか。旅行客の持ち出す外貨で揺らぐほど外貨保有高が危うくなっているのだろうか。

 8月の単月だけ見て、中国人観光客の伸びが2.1%で、外国人全体で20.9%の伸びであったことから見て、日本としては中国人の団体旅行客が減っても、韓国のように観光地で閑古鳥が鳴くような事態にはならないようで安心して良さそうだ。

 中国の言論統制、情報管理が厳しくなっていることを少し前に書いた。中国人旅行者が日本に来れば、自国の問題点に気がつくことも多いであろう。そのことが習近平としては不都合だ、と考えての措置のような気がするが、どうだろうか。

丹羽宇一郎『死ぬほど読書』(幻冬舎新書)

 先般、拙ブログで「歴史認識の違い」と題して丹羽宇一郎氏の文章を批判的に取りあげた。だからというわけではないが、たまたま書店で彼の書いたこの本が目にとまったので、読んでみることにした。帯によれば、彼はビジネス界きっての読書家だそうである。本人を知らずに(以前別の本も読んでいるのでまったく知らないわけではない)批判的な物言いをしているので、ささやかな印税に協力したのだ。ところでこの本の著者印税は中国からの私費留学生の支援その他に全額寄付されるそうだ。

 それにしても死ぬほど読書とは凄まじい。なによりそれが気を惹いたのである。死ぬほど読書といえば、寝食を忘れ、髪振り乱し、目は血走り、本以外には目もくれないという、狂気を感じさせるような読書家を想像する。しかし丹羽宇一郎氏の外観は温厚な紳士で物言いも穏やかである(ちょっと皮肉めかしたところが感じられるが、私の思い違いであろう)。いくら読書家でも死ぬほど読書している人とは思えない。

 読み終わってみれば、なるほど死ぬほど読書家だなあ、とはまったく思わなかった。普通の読書家である。これこそ看板倒れであろう。題名が本の売れ行きを左右するというから、出版社の作戦は功を奏したわけである。

 冒頭に、朝日新聞への21歳の男子大学生の投書が取りあげられている。主旨は、「読書はしなければならないものか?」と問いかけるものだ。私なら即座に「したくなければ読書などしなくてもよい」と答えるだろうなあと思って読み進むと、結局丹羽氏も同じことを書いていた。何事も、したくないのに我慢して無理にやってもおもしろいものではない。

 しばしばそれをすることでどんな得があるのか、とか、どんな役に立つのか、と問うことで、やらない理由にしようとするする輩がいる。やりたくなければやらなければいいので、やらないことで失うもののツケをあとで払うのは自分なのである。損得でしか世の中のことを考えられないようになっている自分に気付けない不幸は、取り返しがつかない。

 まあ読書というのはそのことを気付かせてくれるところがあるけれど、気付くために読むのではなくて、読んでいると気付くものなので「読書はしなければならないものなのか?」と問う人間には分からないだろうなあ。

 いま世の中はすべて損得である。得になることを優先する。どうしてそれがいけないのか?子どもまでがそう問う。読書は損得とは別のもので、極論すれば趣味であるし、おもしろいからするものだし、おもしろいと思わない人には不要のことだ。

 損をしてもいいのだ、などということを私が知ったのも読書によってだった気がする。

 この本の話に戻る。この本に書かれていることはほとんど「その通りだ」と共感するものであった。そして彼が伊藤忠の社長として経験したさまざまな話も多少は知っていたけれどあらためて感心させられた。

 さはさりながら、である。読み終わってだから何なのだ、という思いがした。自分が読む前と読んだあとにこの本からなにかをもらった気がしない。読書は著者から読者への贈与である。それがただのエンターテインメントでもいい。おもしろかった、という体験を贈与されたのである。

 著者の丹羽宇一郎氏は書評を信用しないのだそうだ。私は信頼できる書評は信用する。書評を読めばその書評を書いている人のレベルが分かるものである。それをたびたび目にしていれば、その人の書評の信頼性が確定して、本を購入するときの参考にすることも多い。

 いまこの世には本があふれている。すべて自分の眼力だけで本を選ぶことは難しい。目利きを信頼することは私には必要だと思っているから、書評をまとめた、本のための本が手元にたくさんあるし、それを繰り返し読んで、その中で気持が動いた本を取り寄せることも多い。

 丹羽氏が書評を信用しないと言い切るからには本人がよほどの目利きなのであろう。

 この本には彼の読んだ本が少なからず取りあげられているが、残念ながら、とりあげられたその本を私も読んでみようと思うものが見当たらない。小説もけっこう読んでいるらしいから、多分私が読みたくなるような本もたくさん読んでいることと思うのだが、そういう本は取りあげていなくて、どうだ自分はこんな本を読んでいるんだぞ、という匂いのする本が取りあげられていることが多いのだ。そういう本は応接室の棚に飾っておいてくれ!

 とても善いことがたくさん書かれている。でも私には自慢に見えない自慢話に読めてしまった。この人と肌合いが合わないのだろう。正直一途を信条に生きてきた、と言いきるところにそれを感じるのだ。正直に生きられるほど強い人なのであろう。人はそれほど正直に生きられない。正直に生きる人は強い人で、そしてときに鈍感である。

大輪盛登『書物列伝』(筑摩書房)

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 著者の大輪盛登(おおわもりと)は書評紙「図書新聞」の編集者で社長である。先代の社長の田所太郎が訳あって自死(1975年)したために社長となった。その「図書新聞」に連載していた書評コラムをまとめたものがこの二冊の本である。もともと田所太郎が担当していたものを生前に引き継ぐよう言われて書き出したもので、1976年から1983年までのものが収められている。1931年生まれの彼も、1990年に死去しているからいまから見れば短命である。

 この本に取りあげられている本で、私が読んだ本はほんのわずか(10冊くらいか)である。この本が出版された1085年からそれほどの間もなく読んだはずで、書評に感ずるものがあればその本を次々に読んでもいいのだが、この本の書評をきっかけに本を買った記憶があまりない。

 書評だけで感心してそこで終わってしまうという不思議な書評本だともいえる。でもその本を本屋で探そうと思わない。ちょっと毛色の変わった特殊な本が選ばれていることが多いことも確かだし、当時私が好んで読んだジャンルとも違っていた。いまならもう少し興味が動いたかもしれない。

 当時の文系の人の特徴として、左翼的な平和主義に徹したスタンスの世界観が肌合いに合わなかったのかもしれないが、その博覧強記とぶれない姿勢には一目置いて、この本をきちんと全部読んだ覚えがある。今このようなレベルの高い書評を書ける人はいるのだろうか。命がけで本を読んでいる気配を感じた。目配りといい読み込みの深さといい、とてもかなわない。レベルが違うのである。

この中で私が読んだ本を記録しておく
佐藤信夫『レトリック感覚』
江國滋『読書日記』
多田道太郎『自分学』
河合雅雄『森林がサルを生んだ』
紀田順一郎『古書街を歩く』
巌谷小波『こがね丸』
森銑三『瓢箪から駒』
奥本大三郎『虫の宇宙誌』
野崎昭弘『詭弁論理学』
寺田寅彦『寺田寅彦随筆集』
とりあげられた数百冊の内、読んだ記憶のあるのがたったこれだけなのである。

2017年9月21日 (木)

歴史認識の違い

 元中国駐在大使の丹羽宇一郎氏が、「日本の北朝鮮への対応、戦前を彷彿とさせる」という文章を東洋経済オンラインに載せた。その文章を韓国の中央日報が詳しく取りあげていた。

 丹羽氏は「満州事変をきっかけに反日感情が触発され、その後15年間に及ぶ日中戦争が始まった」「力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる」と主張し、北朝鮮強硬論一辺倒の安倍首相を正面から批判しているそうだ(中央日報からの孫引きなので不確か)。

 歴史を振り返れば、第一次世界大戦以後、青島周辺のドイツ支配地を攻撃して日本は戦勝国となり権益を得た。第一次世界大戦のどさくさの中、日本は中国に対華二十一カ条の要求をして強引に受託させている。

 そもそもの反日感情はここに端を発している。それまでは日本への留学生も多く、日本に対してそれほど強い反感を持たなかった中国の知識人たちは、一気に反日となった。それは戦争終了後五・四運動で大きなうねりとなって拡がった。丹羽氏の言う満州事変は1931年、五・四運動は1919年であるから、反日感情が触発されたのが満州事変であるという丹羽氏の認識は、私にはいささか変に思える。

 それにいまの北朝鮮を見て、歴史を知る人ならば太平洋戦争前の、まさに満州事変前後の日本の姿を思い浮かべるのが普通だろう。国際連盟で非難を浴び、そこから日本は脱退した。連合国は日本に対してABCD包囲網で経済封鎖を行った。アメリカは日本に石油を売るのをやめた。見方によれば日本は暴発に追い込まれたのである。アメリカと戦っても勝算などないのは明らかなのに強がりを続けた。

 そもそもがそのような制裁を受けるような行動を日本が中国大陸で行ったからそのような事態を招いたのである。日本を正当化は出来ないが、当時の日本人の多くは制裁を加える連合国側に悪を見ただろう。

 それが妥当な歴史認識ではないか。それに対して丹羽氏が、北朝鮮に対して強圧的である日本政府に当時の日本の姿を見るというのは同意しかねる。私から見ると、北朝鮮に融和的である中国におもねる意図がこの人にはどことなく見え隠れするのである。

 どういう弱みが中国に握られているのか、それとももと伊藤忠の総帥として、中国にある会社の権益を護る必要でもあるのか。言い過ぎを承知で勘ぐりたくなる。本人のせいではないが、この人が中国大使の時、乗っていた車に付けられてい日本国旗を暴漢に奪われた。抵抗しようとする同乗の係官を止めたともいう。あのとき日本国民に彼が謝罪したという記憶がない。時の政権だった民主党が中国政府に強く抗議したという記憶もない。

 犯人はあとで捕まったが、悪いいたずらだった、で済まされた。明らかに計画的な犯行だったと思われるにもかかわらず、である。

 あそこでずいぶんと脅しでもかけられたのだろうか。北朝鮮への対応を日中戦争当時の日本の満州での行為をなぞらえて批判する、というのはどう考えても歴史認識というよりも別の意図があってのことのようにしか見えない。

 そしてそれを嬉しそうに取りあげる韓国の中央日報の意図も、紹介だけではないように思えるのである。

感情を優先させろというのか

 朝日新聞デジタルで民進党党首の前原氏の言葉が取りあげられていた。

「安倍さんの好きにこれ以上させていいのか」
「私は政策も国家像も大事だけれども、根底にあるのは怒りです」

 前原さんが怒っているのは安倍さんに対してであるらしいけれど、それ以外にも、山尾志桜里議員の不倫騒動や細野氏をはじめとする離党者など、かずかず怒りを覚えることがあるであろう事はよく分かる。

 怒っているのは前原さんだが、いま彼がこう語ったということを朝日新聞が取りあげる意図はなんだろうか。国民ももっと安倍首相に怒りを覚えるべきではないか、と言いたいように感じた。怒りがあまり感じられないことに焦れているのだろうか。


 この時期に政策や国家像よりも怒りを持て、というのは来たるべき選挙の際には政策などを冷静に見ることよりも感情を優先させて投票しろ、などとまさか言いたいわけではないだろうとは思うが(多分そう言いたいのだろう)。

看板倒れ

 ブログを自己流のアーカイブにまとめ直している。ブログをそのままプリントアウトすると本文以外のものが入ってうるさいので、本文だけ月別のアーカイブにコピーして貼り付ける。これだと日付の若いほうから順に出来るので読み直しやすい。写真はテキストではないのでそのままではコピーできない。個別に画像のコピーという作業で貼り付ける。そのときに自分の好みで写真のサイズを大きくしたり縮めたりしてレイアウトを調整する。

 二三ヶ月前から始めていたけれど、ちょっと飽きたのでしばらく中断していた。再開していま2012年の途中である。せっせと駄文を書いているので分量が多いし、つい読み直して誤字や段落の切りかえの調整をしているのでなかなか先へ進まないのだ。それに私と意見の似ているところがあるものばかりなので読んでいて分かりやすい(当たり前だけど)し、おもしろい。

 私のブログは中国ウオッチと旅の記録と読書記録を看板に掲げている。過去のブログを見ると、中国関連のニュースをよく取りあげている。日本ではあまり考えられないような呆れる話が多い。ニュースソースは、ほとんどがニフティかヤフーの海外ニュースである。

 ところが最近のブログではそのような記事があまり取りあげられていない。看板倒れなのであるが、その理由はそもそものネタが激減しているからである。ニフティやヤフーの中国のニュースは、半分が台湾の記事になってしまった。中国本土のニュースは、政治や経済ネタが多く、市井の、呆れるような、日本ではあり得ないようなめずらしいニュースがほとんど見当たらなくなっている。

 これはどういうことだろうか。

 中国はそのようなおもしろいことが起こらない、当たり前の国になったのだろうか。しばらく行っていないから断言できないけれど、そんなはずはないと思う。日本に来ている中国人観光客を見ていてもそんなに中国人が変わったとも思えない(多少行儀がよくなってきている気はするが)。

 それならそのようなニュースをヤフーやニフティが取りあげるのをやめたのだろうか。エンタメのコーナーでどうでもいいニュースを山程取りあげているところを見れば、そんな選別をしているとは思えない。

 となれば中国という国がそのようなニュースを流すことを許さないのだろうと容易に想像が付く。面白おかしく取りあげられることを嫌っているのだろうか。問題があればそれを報じ、それを見ておかしなものは直していく、という効用もあろうはずなのにそれを許さないのだろうか。

 中国政府が言論の封殺を強力に推し進めているらしいという気配は、中国に興味のある人ならばたいてい強く感じているはずである。中国からブログを発していた、もなさんのブログは、ふだんの中国の生活を伝えていただけなのにどうも当局に嫌われて不愉快なことになったらしい。

 当然生活の中で問題点があればそれも伝えてくれていたから、そんな些細なことが不都合と取られたのだろう。悪口だと取ることはあるかもしれないが、日本人が中国が嫌いでいながら中国で生活するはずがないではないか。悪意がないことは読めば分かるのにそれに目くじらを立てる中国の言論統制の恐ろしさを感じる。習近平という人はとても怖い人だと思う。

 そういうわけで中国ウオッチを看板に掲げながらそのニュースが最近少ないのは、理由があるのである。

2017年9月20日 (水)

プリペードカード

 マンションに隣接してそこそこ大きなスーパーがある。だからたいていの食糧や日用品はそこで買えるので便利である。そのかわり買い物に行くことで自動的に多少の運動になる、ということがない。

 そのスーパーのポイントカードが間もなく廃止になる。そのかわり(くどいな)プリペードカード方式に変更になる。もちろん現金も使えるが、そのときはポイントは付かない。昨日このカードの変換を行った。手続きをして、機械に現金を投入し使えるようにする。貯まっていたカードのポイントはもちろん引き継がれる。

 早速いくつか買い物をしたけれど、財布を出す必要がないからとても便利である。ただ、不都合なことがある。大きなお金をくずすのに便利だったし、細かいお金を消化するのもスーパーのレジというのは便利なものだったが、それが出来なくなる。

 そういえば、調べるのが便利なのでジャランで宿の予約をすることが多いのだが、こちらも最近はカード決済の宿が増えている。大きなお金を持ち歩かずに済むのでありがたい。音楽ソフトもアマゾンで買った本の代金もなにもかも、こうしてだんだん現金支払いが電子化していく。

 切符もカード、スーパーもカード、いまに何でもカードになりそうであるが、いったい自分がいくら使ったのか、財布の中を見ただけでは分からないようになっていく。わずかな蓄えと年金のみの限られた金で暮らさなければならないのだけれど、お金の管理が難しくなりそうである。

 やや不安ながら何とかこなせている金の管理も、頭のおとろえとともに次第に困難になっていくとしたら、実体のない電子マネーをきちんと把握し続けることが出来るのだろうか。

 世の中は便利になっているように見えるが、本当だろうか。便利になったことで捨て去った不便さの中に、本当は捨ててはいけないものがあるような気がしている。それがなにかぼんやりしていてよく分からない。

 実体のない不安というのはそもそも実体がないのだろうか。

飯野の風穴(橘南𧮾『西遊記』より)

 日向国霧島山の西北の方に飯野という所あり。ここに大なる穴有りて、時々風を吹出だす。昔より其奥を知るものなし。ある年、那須大右衛門という武士、飼なれし犬を引つれて狩に出でしが、ふと殊にすぐれて大なる鹿一つを狩り出し追かけしに、其走(は)する事風の如くすみやかにして、逸物の猟犬なりしかど追付けかねて見えしが、とある山ぎわにいたり、鹿犬ともに見うしない、いかに尋れどもさらに見えず。声のかぎり犬を呼びしかど、ついにかえり来たらず。大右衛門大いに怪しみ、日暮るるまで草をわけてたずねさがせしかど、たずね得ずしてむなしく家に帰りぬ。年久敷飼置きし寵愛の犬なれば、行方しれずとて扨置くべきにもあらず。殊に又、大右衛門こそ鹿に犬をとられしと人に指さされんも口おしきわざなりとおもいめぐらすに、その夜もいね得ず、明日をおそしと再び飯野にいたりて又たずね求むれども、いずくをそれというべきたよりもなければ、只呆然としてあきれ居りたりしが、つくづくとおもえば、此見渡し広き野原にて見うしなうべきようやあらん。只いぶかしきは此風穴の中なり。鹿の逃入りしにしたがいて、我犬も追い入りしならん。さあらばいかなるあやしき事かありて、我犬の害にあいしもはかり難し。いで此穴に入りて実否を見とどけんものをと思い、いそぎ家に帰り、縄よ、松明よと、しきりに穴へ入るべき用意をなす。妻子朋友此体を見て、大いに驚き、「むかしより底のしれざる彼風穴、いかなる変事あらんもはかりがたし。わずかに壱疋の犬のために此身を軽んずる事ひが事なり」と、口々に諫め、妻子などは泣沈みて留めしかど、大右衛門さらに聞入れず、皆々にいとまごいをなして、彼風穴におもむきぬ。ぜひなくも皆々従い行きぬ。

 大右衛門は腰に細引きの綱を付け、覚ある壱腰を帯し、左の手に松明をともして、「もし穴の底より此の綱を引かば、急に上に引きあぐべし」と約束して、ついに穴の中にぞ入りにける。すぐさま下る所もあり、又斜に行く所も有りて、やや深く下る程に、地やわらかにて綿のごとく平なる所にいたり付きぬ。松明を以てこれを見れば、木葉落入りて年久敷なり、朽たるが積りてかくやわらかなるなりけり。此所より奥は、穴少し細く成りて、左右にわかれたり。いずれの方に入るべきと、地に耳を付けて聞き試むるに左の方の穴の底と聞こえて、かすかに犬の鳴くように聞こゆ。さらばとて左の穴に入る。其深き事限りなし。漸々に入るにしたがいて、犬の声たしかに聞こゆるにぞ、悦びいさみていそぎ下る程に、其犬大右衛門の裾に飛付きけり。是我主人の来たるを知りて、力を得て悦べるなり。其所に落付きて見るに、我犬は恙なし。其地しばらく平にして、向うには大河流れり。「怪敷(あやしき)ものあらば出来たれ」と怒りののしりしかど、答うるものも無ければ、久敷居るにもあらずとて、犬を抱きようように匍いのぼる。千辛万苦して、ようようもとの二道にわかれたる木葉ふりしきし所まで帰り上りぬ。此所よりは道急にしてのぼりがたければ、下げ置きし綱に犬をからめ付けて、其綱を下より引動かせしかば、上には待ちもうけたる事なれば、いそぎ手ん手に綱をたぐりあげしに、犬ばかりを引あげたり。驚きあやしめど、此犬かく上り来るからは、大右衛門も恙なしとさとりて、又綱を下しやりぬ。今上げたりし犬又しきりに穴に飛入らんとするを、人人縄もてきびしくからめ付けて入れず。此犬主人のいまだ上り来たらざるを以て、気遣いて又穴の内に入らんとせし也。大右衛門も綱の下り来るを見て、みずから綱をからみて引き動かせしに、人々悦びいそぎ引あげて、再び死せるもののよみがえる心地して、恙なかりしを悦びあえり。鹿の行末はついにしれず。うたがうらくは、此穴の内、住所なれば逃入りしを、犬の追い入りしにや。大河より奥は犬も翼なければいたり得ずして残れりと見えたり。犬よくものいわば、其時のようすもしるべきにと、人々おしみあえり。すべて薩州領の人はかくのごとく生死をかえり見ず勇猛の気諸国に勝れたり。

2017年9月19日 (火)

ぐっとくる

 酒を飲みながら、「老いは青春と同様に希望であること、昼間見えなかった星の光が見えるようになる黄昏の希望であること」などという文章を読むとぐっとくる。

 夕方、汗をかくために一時間ほど買い物がてら散歩した。マンションに戻ったら救急車がいる。私の棟の前である。そのままエントランスで見ていたら担架に乗せられた人が目の前を通り過ぎた。


 老齢の女性である。はだしの足が血で汚れている。救急隊員が話しかけてやりとりしている。トイレで倒れたらしい。「いつ頃倒れたのですか?」という問いかけに「ずっとトイレにいたので分からない」と声は細いけれどもしっかりした返事があった。


 見覚えのあるようなそうでもないような人だけれど、独り暮らしなのだろうか。見送って階段を上がったら、着替えらしきものを詰め込んだ紙袋を下げた、五十がらみの女性が降りてきた。見かけない人であるが病人の身内であろう。


 なんだか他人事に思えない気持であった。

整理

 家の中が雑然としているのは、もともと怠け者である私の家だから定常状態である。とはいえあまりにも収拾がつかなくなって久しい。ものが必要以上に多いのである。死ぬまでに使い切らないことが明らかなものがあふれている。誰かにさしあげてもいいが、私にはもったいないと思うものでも、他人にはもらって迷惑なものばかりだろう。

 捨てる基準を、子どもたちがそれをもらってよろこぶかどうかに置くことにしようかと考えている。まず大型ゴミに該当するものを列記してみると、ずいぶんたくさんある。何年どころではなく、十年も二十年も使わなかったものがある。なくて突然困ることはない。とりあえず取っておく、から、とにかく捨てる、にスイッチを入れ直さないと家の中の整理など不可能なのだ。

 それらに続いて蔵書の処分を決行しようと考えている。七八千冊あった本も断腸の思いで処分し続けて、いまは多分三四千冊に減っているはずだ。それをさらに二千冊くらいに減らしたいと思っている。それくらいなら棚にすべて並べることができるだろう。いまは納戸や物入れに押し込んでいて、場所ふさぎになっているだけだ。もう一度読むかも知れないという思いが、もう読むことはないだろう、に変わりつつある。人生は短い。しかも読書のスピードと集中力の持続が低下している。

 ミステリーや時代小説は既にほとんど処分した。残している小説類は中国が舞台のものが多い。これに手をつけるとたちまち数百冊減少する。残していた葉室麟もそろそろ退場願うしかないか。迷うのはエッセー類である。これは気が向いてまた読むことが多い。本は捨てるというよりブックオフなどに引き取ってもらうので、多少の小遣いにはなる(実際はほとんど金にならないけれど)し、誰かが読むかも知れないと思えば本に対して疚しい気持は多少緩和される。のこるのは古典と歴史書が中心になるだろうか。

 それに合わせて部屋のレイアウトをほんの少しいじろうかと思う。そのためには本箱を移動しなければならないから、本の処分は必須の作業なのである。レイアウトの変更を考えるとなんだかわくわくする。なにか好いことがありそうに思うのである。

 願わくばルンバが掃除できる部屋にしたいものだが、夢に終わりそうである。整理することすら夢に終わらないように、早めに取りかかることにしよう。

小康状態

 だいぶ前から眼がときどき不調になる。霞んだりぼやけたりするのは酷使による疲労の故だと思いたいが、ときどき眼の中に説明しがたい違和感があるのが不安なのである。

 一年前に飛蚊症と共にその兆候があったので検査をしてもらったら、病理的な異常は見当たらず、年齢相応の衰えであろうと診断された。病院に行っても又同じ結果のような気がする。

 一日二日あまり眼を酷使せずに、なるべく音楽を聴いたりして過ごすと、あまり違和感はなくなり、眼の疲れも軽減する。いまはそういう意味で小康状態である。それでも来月初めの定期検診で念のため再検査してもらうかどうか迷っている。検査はどうしても糖尿病との関連からの検査になっているような気がする。器質的なものをもっと詳しく診てもらうことにしようかとも思う。でも下手になにかが見つかって中国旅行(11月のはじめだからまだ間があるが)に行けなくなったら、などとつまらぬ心配をしている。

 ようやく旅行の日程が確定し、今週支払いと最終打ち合わせに旅行会社に行く。そろそろ陽気もよくなったので、散歩を再開し(ずいぶんサボってゴロゴロしてばかりいる)、体力を取り戻さないといけない。海外旅行には体力が必須なのである。

2017年9月18日 (月)

人生のやり直し

 人生が二度あれば・・・というフレーズの入った井上陽水の歌がある。

 人生をやり直すことができたなら、というのは古来からの人間の願望らしい。確かにあのときにこうしていれば、と思い出すことは数多い。悔いばかり残る人生を送ってきたのは私だけではないだろう。

 でも私は人生をもう一度やり直したいと思わない。人生はやり直しがきかないから輝いているのだ、などと聞いた風なことを言うつもりはない。あんまり輝いていなかったことは自分が一番よく知っている。

 けっこう運良く過ごしてきたと思う。これからなにがあるか分からないけれど、多分それほどひどいことにならない気がしている。ときどき、どうなってしまうのかと背中に冷や汗の流れることや、あとはどうなってもいいから逃げ出してしまいたいことがあった。それに正面から立ち向かったのではなく、いつの間にか何とかなっていた。思い返すと、二度とあんな思いはしたくないというのが本音だ。

 意気地なしで怠け者の自分が、よくもまあ生きのびたものだと胸をなで下ろすことが多いのである。いまこんなに脳天気でいられるのは、運が良かったからだとしか思えないのであり、もう一度人生をやり直したら、多分いまより悪い結果になりそうな気がする。

 もちろんやり直したいことがないわけではない。しかしそれをやり直したら、それ以上に災厄が降りかかる気がしているのである。人生をやり直すなんてごめんだ。

映画「クリムゾン(2015)」2015年アメリカ

 監督シェルドン・ウィルソン、出演ステファニー・ハント、サラ・ダクディルほか。

 ホラー映画は好きではないのについ観てしまう。三流カルトのホラーには突っ込みどころが多くて、いちいちここが変だ、台詞が陳腐だ、などと独り言を言う(さすがに口には出さない・・・いまに声に出すようになる気がする)のが実は楽しいのかも知れない。

 嵐のハローウィンには恐ろしいことが起こり、たくさん人が死ぬ、という伝説のある島へ三人の姉妹が渡ろうとしている。両親を交通事故で失い、頼るのは島に独りで暮らす叔母だけだったのだ。一番下の妹エマは両親と車に同乗していたが、奇跡的に助かっている。そのとき両親が事故で炎上した車の中で焼かれていくのを目の当たりにして精神を病んでいるらしい。その治療のためにも叔母を頼るしかないのである。

 明日はハローウィンである上、いままさに嵐がやって来ようというときに、フェリーで島へ渡ろうとする三人を見た若者が、いま島へ渡るのはやめたほうがいい、と警告する。何かを知っているらしい。一番上の姉サラはしっかり者だが支配的である。真ん中のマーリーは直感で行動するタイプで、島へいくのはいやだといいだすのだが姉のサラに押し切られる。いつの間にかエマの姿が見えなくなる。彼女が問題(つまり足手まとい)であることが分かる仕掛けである。隠れているときに恐怖に耐えかねて叫んでしまうタイプだと分かる。実際にラスト近くで魔物を引き寄せてしまうことになる。

 島に渡ると人影が見当たらないが、彼女たちを見ている視線を感じる。島の人びとは息をひそめて恐怖の時間をやり過ごそうとしている気配である。しかしこの時すでに恐ろしいことがつぎつぎに起こっていたのだが、彼女たちは知らない。

 彼女たちの車が叔母の家の近くで突然ガス欠を起こす。しかも再びエマの姿が消える。エマには不思議な能力があるらしい。夢で過去や未来が見えてしまうらしいのだが、それをうまく言葉にできない。そのために不可解な行動をとるのだろう。なにかの気配を感じてパニックになる姉妹だが、ようやくエマを見つけて叔母の家に向かう。

 そこで叔母の車を見つけた姉のサラが見たものは、眼をえぐられ、血まみれになった叔母の死体だった。あわてて叔母の家に逃げこむのだが、そこへやはり血まみれで命からがら逃げてきた女が転がり込んでくる。なにかが起きている。

 こうして恐怖が高まっていくのだが、その元凶の正体が登場してしまうと恐怖は消滅する。えたいが知れないから怖いのである。

 こうして三人は逃げ惑うことになるのだが、島には死体が累々、生き残ったわずかの人も生きのびるのに必死なために却って恐怖を呼び寄せていく。果たして三人姉妹はハローウィンの終わるまで生きのびることができるか。彼女たちに迫るものを倒すことができるのか。

 しかし気がついてみたら嵐がやって来ないのである。雲行きの怪しさはずっと漂っているのに雨すら降らない。嵐のハローウィンに事件が起こるという伝説は嘘だったのか?多分俳優たちが雨に濡れるシーンを嫌がったのであろう。
 
 伝説と魔物の姿がまったく整合性がないのもいただけない。おかげで怖くないホラーを観ることになって、いろいろと突っ込みどころ満載の映画を楽しませてもらった。カルト映画にしては映像と俳優の演技はそれほどひどくなかったのは救いである。

2017年9月17日 (日)

またニュース雑感

 釜山では反日団体が日本公使館前の慰安婦少女像のとなりに徴用工の像を設置し曄としているらしい。地元自治体がその対応に苦慮しているという。そもそも外国の公館の前にこのような像を設置することは法律に違反しているのである。しかしこれを撤去することは民意に反するから騒動になることは、一度慰安婦像を撤去したときの騒ぎで自治体も身に沁みて知っている。それらの像を毀損しようとする者も少なからずいる。いま、自治体は像を護ることに注力せざるを得ない状況に追い込まれている。

 自治体が法律に違反する像を黙認するだけにとどまらず、護らざるを得ないというのが韓国の実情だ。法律の上に民意という名の反日団体が君臨しているようだ。法律が民意を反映していないというなら法律を改正することである。法律をそのままにしたまま民意で法が枉げられるのならそれは無法である。ところが韓国では法を護るべき裁判所が法を自ら枉げて民意におもねる。司法界に北朝鮮シンパが跋扈しているという噂は本当か。

 (私がいつも拝見している「のんびり生きる」というブログがある。ここに韓国の問題について別の素材で書かれていた。参考になる。このブログはポチッともいいね!もできないしコメントを書く欄もない。しかし非常にクールで地に足のついた内容なのでいつも敬意を払って読ませてもらっている。)


 韓国の出生率の低下が止まらず、当然のことに新生児が減少しているという。2015年の出生率が1.24、2016年が1.17、2017年の推計が1.03だそうだ。推計はあくまで推計だけれど、これは異常な数字である。ちなみに日本の出生率は2016年で1.44。

 韓国では出産した両親に養育費として支給する補助金を一桁上げようという検討が行われているという。養育費教育費に金のかかる韓国の実情が出生率の低下の一因だと考えての施策であろうか。

 生物は危機になると出産が増える。子孫を残すために本能的にそうなる。それなら韓国の出生率が低下しているのは、韓国は危機ではないということなのだろうか。北朝鮮の危機は韓国と関係ないと確信しているのか、経済危機が迫っているというのは妄想で、韓国は豊かさが持続すると国民は確信しているのか。

 もし韓国の将来に不安がありながら、それでも出生率が低下し新生児が減少しているのなら、韓国国民の本能は壊れてしまったのか。もしかしたら本能よりも強い抑制が働いてしまうほど将来に対する不安があるという危機的状況か。それなら金をばらまいたところで新生児が増えることはないだろう。

 イギリスのオックスフォード人口問題研究所は、この数字を解析して「地球上で真っ先に消え去る国は韓国である」と指摘しているそうである。

 そうなるのはずいぶん先であるけれど、その前にその対策として北朝鮮との統一を「本能的」に模索するかも知れない。半島統一は韓国に経済的に大変な危機をもたらすが、それこそ本能にスイッチが入るきっかけになるかも知れないではないか。

ニュース雑感

 昨晩は寝付けないので、ごそごそと起き出していろいろなことで遊んでいたら朝になり、明るくなったとたんに眠っていた。昼前にようやく起き出して、開けた窓から入ってくるひんやりした風を気持ちよく感じている。台風はまだ名古屋から遠いので、風は樹木を揺らすほどでもない。雨もぱらつく程度のようだが、これから雨風が強くなるのだろうか。

 ネットニュースを見ると民進党の離党についてさまざまな報道や個人的なコメントがある。今後も離党が続くのではないかという意見が多い。今のままでは選挙を戦えないと考える議員から離党していくとの情報もある。だから自民党やその周辺で衆議院の解散が取りざたされているのか。確かにいま総選挙をすれば民進党はさらに衰退するだろうが、不要な解散をすれば、自民党に対しての風当たりも強くなる。当たり前のことである。それでは加計問題や森友問題の報復としか見えないし、実際にそうであろう。そんなことをしている場合ではないだろう。安倍首相には軽挙しないでもらいたいものだ。

 民進党を離党した細野氏たちは日本ファーストの会を立ち上げた若狭氏たちとの合流を模索しているようだ。数という勢力を頼むには合理的な考えのように見えるが、果たして政治的な信条は共に闘えるほど近いといえるだろうか。若狭氏には(もともと小池都知事にも)やや危ういものを感じている。言っていることは華々しいが、実務となるとかなりお粗末であることは事実が示している。

 何がお粗末か。責任を引き受けようという様子が見えないことである。築地の問題でも、オリンピック会場の問題でも、一体あれは何だったのか。何かを選び、何かを捨てれば必ず非難が起こる。その非難を引き受けられずに、つまり傷がつくのを恐れただけのように見えるのである。都庁の職員達のあいだでは小池都知事の人気があの石原元知事よりはるかに低いという。実務に疎く、実務をする人をきちんと見ることができていないということの表れだろう。

 すぐに力のある新党を立ち上げたい気持ちは分かるが、ここは隠忍自重して独自の少数政党から、つまり一から始めるほうがよいと私は思う。国民は見ている。若狭氏はスタンドプレーで結局自滅するキャラクターにしか見えない。合流をしないことで、選挙だけのための合流に参じようという議員を選別し峻拒すべきであろう。いまは合流を急ぐべきではないと思う。そうして初めて民進党という烏合の衆から離党した意味が生きるのではないか。

ここからあとで追加
 ひるのニュースで衆議院の解散が行われるらしいと報じられていた。朝寝をしていたので知らなかった。

 もう民進党は叩く値打ちもないのに何だかなあ。一番よろこぶのは共産党かも知れない。

2017年9月16日 (土)

しゃれた言葉(使ってみたい言葉)

 大輪盛登氏の『書物列伝』を読んでいると本人や彼が書評している本からの引用などで、気の利いた文句が目にとまる。本来は前後の文章がないと意味が変わってしまうことも多いのだが、それを承知でいくつか拾い直してみる。

 変わることは美徳なのか、変わらないことこそ美徳なのか。非人間的に加速されている現代の変化のなかで、人間的経験が、古い時代とくらべ、どれほど頼りないものになりつつあるか。

 確かパペーゼに、劣等感、別の名は野心、そんなことばがあった。自分が劣っていることを認めるのは痛苦だが、その痛苦をバネとする、いわば劣等学が澱みがちな思考を活性化させる。 

 ことばが正確すぎ完成に達してしまうと、人は沈黙するほかなくなる。ことばには、人それぞれに読み込みが可能な、正確すぎない部分があったほうが楽しいようだ。

 現在はすべての人のものだが、過去をどうするかはそれぞれの人間にゆだねられている。

 人を哲学に赴かせるのは悪妻や歯痛ではなく、束の間の人生に「永遠」を恋い求める眼差しである。

 死は死者のものではない。死は残されたものの問題なのである。

 賞は観客の熱い視線を集める見世物に似ている。この見世物の舞台で、人は落ち着きを失い、はしなくも人間的脆さを露呈するようだ。

 優れた歴史叙述はことさら物語らない、物語らずともおもしろいということを、あらためて感じさせる。ヘーゲルは「民衆も政府も歴史から何も学ばなかった」と書いた。歴史に学ぶものは多い。歴史は学ぶものだが、たのしめるものでもある。人間がいるからである。すぐれた歴史の叙述は、人間への深い共感を秘めていなければならない。

 芝居というのは、世界を見ることであり、その世界の、目には見えるが気づかれていない特徴を明るみに出す「根源的な社会学」であるらしい。

 きりがないのでこのへんにしておく。

読書という悪習

 大輪盛登(おおわもりと)という人の『書物列伝』を読んでいたら、読書について書いた小文があった。

「読書という悪習」
 朝日新聞の「声」蘭で、さきごろ、二〇歳になる学生が「どうも<若者が本を読まない、困った困った>式の意見ばかりで閉口する」と、やくざの刺青ではないが、ご意見無用といいたて、「とにかく、健全な青少年を、読書などという悪習に染めようとする陰謀には大反対である」と書いていた。健全な青少年は読書などしないものらしい。

 そういえば、読書は精神を働かせるが肉体を不活発にするといった先哲もいるし、無秩序な読書のおかげで観念論を捨てるのに三〇年もかかったといった現代の哲学者もいる。なるほど、読書は悪習かも知れない。

 いや悪習どころか、悪徳だという人もある。読書を「罰せられざる悪徳」と、まことに心にくい呼びかたをしたのは、愛書家でもあったヴァレリー・ラルボーだった。私たちがその中に逃げこみ、閉じこもり、静かな恍惚境に揺れる読書の習慣、私たちを慰め、私たちをはげまし、認識と美へと導いてくれるかの幻想を与える読書という習慣、愉悦にみち、ながつづきするその習慣。読書の習慣をもたない人がみたら、こういう習慣は、なるほど、子どもや未成年者が耽る悪徳めいて、処罰に値するだろう。読書という悪習を広める私たちの仕事などは、もう厳罰か。

 読書などしない健全な精神。そう、かつて文字さえ読めずに幸福で健全であった無数の人びとがいたことを知っている。そしていま、そういう晴ればれと健全な精神をもつ、「声」欄の学生のような、若い人びとがあらわれて、その健全さ・その幸福さで、読書という悪習あるいは悪徳になじんだものを脅かしている。

 読書をやめたら・・・書物がもつ無尽蔵の宝によって思考力や想像力がよびさまされ夢想を楽しむ美しい夜は失われ、豚のような健全な精神とひきかえに、情熱の尊厳にまで高められた悪徳を捨てることになる。

*大輪盛登は書評紙である「図書新聞」の編集長、のちに社長。『書物列伝』はそこに掲載されていた彼の書評コラムを本にしたもの。『Ⅰ』と『Ⅱ』の二冊ある。この小文は『Ⅰ』に収められている。1981年に書かれたものである。

 「若者が本を読まない」というのは、だからいつも言われ続けている言葉なのだと分かる。私は、「読書という悪習」に染まった人はあまりこういうことは言わない気がする。読んで楽しいことを知らない人を可哀想に思うだけだし、読まなければならない、というような強迫観念など不要だと思っているからである。

漫画を読む

 いま『進撃の巨人』を読んでいる。盆休みに息子が土産として持ってきてくれたものだ。もらってすぐに一気読みしたけれど、かなり飛ばし読みしたから読み直しているところだ。飛ばし読みしたのは、既にWOWOWで放映された劇場版のアニメと実写、それぞれ前後編を観ていて頭にイメージがあったからだ。コマとコマの間を埋めて、この物語に特徴的な空間的な動きを読むことができる。

 実はこの物語はけっこう謎だらけで、それを丁寧に読み取ろうとすると飛ばし読みでは本当の面白さを読み取れない。それを読み取りながら読み進めて、はじめて次から次への意外な展開が楽しめる。息子が持って来てくれたのは16巻までだったし、欠巻もあったので、それを本屋で買い足して読み直しはじめたのである。さらに続編もだいぶ出ているのだ。

 しかしコミックの単行本は字も絵も細かいので読みにくい。若い頃は何ともなかった細かさがいまは辛いのである。子どもの時は漫画と言えば月刊誌で、付録が山のように付いていた。欲しくて仕方がなかったが、両親も母方の祖父母(長い休みはほとんど祖父母の元で暮らしていた)も漫画などもってのほか、という考えだったから、買ってもらうことなどあり得なかった。友達の家にある漫画を貪るように読んだし、たまたま親類などに買ってもらった漫画の月刊誌を繰り返し繰り返し読んだものだ。

 少年マガジンと少年サンデーが初めて出たのは小学校三年生頃だっただろうか。付録のない雑誌というのに驚いた覚えがある。欲しくて仕方がなかったけれどもちろん不可である。大学生になって寮で友人達と小遣いを出し合い、サンデー、マガジン、チャンピオン、ビッグコミックなどの週刊誌を毎週購入し回し読みして、子どもの時の夢を叶えた思いがした。

 サラリーマンになっても出張に普通の本と共に漫画雑誌を持参することもよくあったし、電車の中で漫画を読むことに何の抵抗もなかった。その私が積極的に漫画を読まなくなって久しい。そんな時代が来るとは信じられないことである。私よりずっと年長の養老孟司師が今でも漫画を積極的に読んでいると知って、あらためて尊敬している。

2017年9月15日 (金)

こう考える人がけっこういる

 ひるおびをぼんやり見ていたら、当然のことに今朝の北朝鮮のミサイル発射が話題になっていた。ここで専門家がいろいろと説明をしていたのだが、ある女性(ジャーナリストのはずである)が、「もしミサイルが何らかのトラブルで日本に落下するようなことがあったら日本はどうするのか?」と質問した。

 専門家は、「当然PAC3などで撃ち落とします」、と答えていた。そのための設備であるから当たり前のことである。すると質問した女性が「そうすると北朝鮮が、日本が攻撃した、と解釈して戦争になりませんか?」と重ねて質問した。確かにあり得ないことではない。

 だからこう考える人がけっこういるのであろう。誤解を恐れずに言えば、特に女性に多いような気がする。防衛と攻撃の区別がつかない人は多いのである。防衛するから攻撃される危険がます、などという。

 この人たちは、トラブルで落下したミサイルを手を出さずに放っておいた方がいい、といっているのに等しいことに気がついていない。そもそもトラブルなのか攻撃だったのか、その区別は撃った側にしか分からないことである。現に国民に被害が及ぶことが判明したら、国家は国民を護る行動をとることは義務である。

 防衛すると、戦争のおそれを招くかも知れないと心配する気持は理解しかねるのだが、防衛も戦争であって、戦争はあってはならない、という前提だけで世界を見ているとそれが不思議ではないのだろう。

 彼ら彼女らは、日本人に見殺しの被害者が生じたら考えは変わるだろう。多分激変するに違いない。そういう人たちほど、いったん考えが変わると極めて好戦的になることを歴史は教えてくれている。しかしそれを学んでもらうために見殺しの犠牲者の発生を願うわけにも行くまい。

猟犬(かりいぬ)(橘南𧮾『西遊記』より)

 薩摩は武国にて、若き人々山野に出でて鳥獣を猟(か)ること他国よりも多し。すべて山野に猟するにはよき犬を得ざれば不叶事(かなわざること)なり。彼辺の犬、常の人家に養い飼うものは長低(たけひき)く、上方の犬よりも少し小なり。常に座敷の上に養のうて、上方の猫を飼うが如し。至極行儀よく、上方の犬よりは柔和なり。異品というべし。

 又、猟に用いる犬は、格別に長(た)け高く猛勢にて、座敷に養うことなく、上方の犬を飼う通りなり。其猛勢なる事は上方の犬に十倍せり。先年虎の餌のために彼国の犬を入れしに、其犬、虎の喉に咬み付きて虎を殺せし事、世間の人の物語にあるごとくなり。かかる猛聖なる犬ゆえに常々は二三疋寄り集まれば早必ず咬合うて、喧(かまびす)しきに、大勢猟(かり)に出ずる時などは諸方の犬を皆々繋ぎて牽(ひき)行く事なるに、町を出ずるまでは側近く寄れば必ず咬合うて騒しけれ共、既に山に入ると、其犬共常々はいかように中(仲)悪敷(なかあしく)、よく咬合う犬にても甚だ中よく成りて、綱を解(ほど)き離して犬の心任せに馳廻(はせまわ)らすれども、犬同士咬合う事無く、互いに助合うて山を働くなり。是向に猪鹿という敵あるゆえに、犬ども皆一致の味方に成りて、中よき事ぞと。

 是に依りていうに、むかし朝鮮御陣の時、彼地にては日本人いかなる者も皆一致に成りて、相互いに助け合い、至極親しかりしとぞ。向うに異国人の敵あるゆえに、日本人同士は格別に親厚く(したしみあつく)成りける事、尤もの事なり。一家の中にても親子、兄弟、夫婦等の中あしく争い怒る事は内証事にて、畢竟(ひっきょう)は栄耀我儘などとももいうべきにや。もし盗賊にても入らば、いかなる中悪敷(あしき)家内にても一致に成りて防ぐべし。彼故に詩経にも、兄弟かきにせめげども外(ほか)には其あなどりをふせぐとも見えて、他人の親しきよりは中悪敷骨肉の方厚かるべし。此所を心をひそめて考え弁えば、おのずから友愛、弟順の道にも叶いて、親しきより以て疎に及ぶの教をも知るべし。人畜(にんちく)の別なく同種の親(したしみ)、同根の愛は天地自然の道なり。

*犬でもそうなのだから、まことに外部に敵を措定することは挙国への道なのである。鬼畜米英を唱えた日本、反日を唱和する韓国、リメンバー・パールハーバーで参戦したアメリカ、皆同じである。

嫌われる(ちょっと妄想的に)

 中国で嫌韓感情が高まっていると報じられている。これは中国のメディアも韓国のメディアも報じているからどちらか一方の思い込みではないようだ。ただ、それが報じられているほどのものかどうかはよく分からない。

 朝鮮戦争の時に朴槿恵大統領がかなり偏った親中政策をとっていたのを、アメリカや日本も含めたバランス外交に修正したことを裏切りと取ったのだろうか。中国の前に跪いていたのに突然対等だと言い始めたことに不快を感じたということか。韓国民はもともと中国と対等だと思っていても、中国人はそう考えていないのかも知れない。

 中国に進出した韓国企業が苦難のなかにいるようだ。ロッテマートは特にひどい状態だという。中国全土で110店舗以上を展開していたが、そのうち既に80店舗以上が操業停止の状態であり、巨額の損失を免れないようである。サービス業はもともと設備投資の額が製造業ほど大きくないので、中国からの撤退がどんどん進んでいるという。

 製造業についても自動車会社や関連部品工場が、中国の会社との合弁継続が困難になり始めているという。一方的な合弁打ち切りを申し入れられている会社もあるようだ。韓国ブランドの自動車は軒並み中国での販売が激減しているという。これでは中国の合弁会社も合弁を見直さなければならないと判断しているのかも知れない。

 もともと韓国には基幹となる技術はあまりない。技術開発には長い蓄積と巨額の投資が必要だが、それを日本やアメリカから購入することで回避してきた。しかし大量生産によるコスト競争なら韓国よりも中国の方が上手である。いま韓国の製造業が苦難にあるのは同じ分野で中国に負けはじめたからだ。

 韓国メディアは、THAAD配備を嫌った中国による政治的な嫌がらせで韓国企業が不調なのだと繰り返し報じている。たしかにその要因は少なくないけれど、どうも本質的なところで中国での商売がうまくいかなくなってきているようだ。

 中国で行われた調査で韓国が嫌いだと答える割合はもともと少なくなかったのだが、それがさらに増加しているという。中国政府はTHAADを毛嫌いするが、中国国民にとってこの問題が韓国嫌いの要因となっているとは考えにくい。

 韓国に行く中国人観光客が激減している。中国政府も韓国へ行くことを制限しているけれど、禁止しているわけではない。そして制限をする前から観光客は減り始めていたのも事実である。中国人にとってとにかく手軽にいける海外なのだが、リピート率が極めて低いという。格安で行くツアーで不愉快な思いをして帰れば二度と行くまいと思うし、口コミで悪評は拡がる。

 世の中は信用が大事であることは言うまでもない。韓国は信用が落ちたのだろうか。信用は積み上げられていくものである。韓国のさまざまな行動は信用を積み上げるものだったのか。損なうものがしばしばで、その回復の必要性に対しての認識も不十分に見える。

 トランプ大統領は韓国とのFTAを見直すと公言している。実際にアメリカはその方向に動いているが、ビジネスで外交を行おうというトランプだから、韓国の窮乏を知ればますますアメリカに有利な方向にFTAを変えようとするだろう。

 いま韓国は独りサムスンの好調に支えられて経済的には不調に見えない。しかし造船、自動車、そしてついにはスマホまで急激に不振に陥りはじめている。サムスン一社で国を支えることなど不可能である。しかもそのサムスンの総帥は監獄の中である。

 韓国は意外に世界で嫌われているらしい。しかし金の力でそれを糊塗してきた。金の切れ目が縁の切れ目である。日本にとって、韓国による国を挙げての反日プロパガンダの世界への蔓延が、この嫌韓の傾向で緩和されるとすればその点だけは幸いである。

 ただし、韓国は国が不調となれば文在寅大統領の支持率が低下し、歴代大統領のように支持率の回復のために反日を謳うだろう。反日の声はさらに再び盛り上がり、日本人の嫌韓感情はそれに引きずられて高まるだろう。そのときに日本の経済が不調でないことを願う。

 こうして韓国は、韓国を嫌う日本を嫌い、アメリカを嫌い、中国を嫌い、ついには志を同じくする北朝鮮主導で朝鮮半島の南北統一は進み、韓国国民もそれを望むようになっていくような気がする。統一朝鮮はもちろん核保有大国として嫌悪する日本に脅しをかける国になるだろう。好むと好まざるに関わらず(この場合は嫌おうが嫌うまいが、か)朝鮮半島とは敵対関係になる。それにそなえる覚悟が必要だが、そこまで想像力が(妄想力か)及ばないか。

2017年9月14日 (木)

あらぬことで忙しい

 ダイナブックをほとんど空っぽにして身軽にし、できる修復をいろいろと試みていたら、相変わらずの鈍い動きながらなんとか動くようになってきた。危なそうなものは別にして不要なプログラムはどんどん捨てた。使ったことのないものはもともと要らない。

 ここに音楽ファイルの管理ソフトで、CDのリッピングとデジタルアップサンプリングをするソフトが入れてある。CurioSoundというこのソフトが使えるうち(年間契約をしている)に、お気に入りのCDのアップサンプリングをしておこうと思い立った。

 すでに16GのUSB二つ分くらい(CD20数枚分)の作業はやりかけていたけれど、ダイナブックが不調で止まっていた。とりあえず何とか回復したので、生きているうちに(私ではなくてダイナブックが!だが)たくさんあるCDからできるだけリッピングしようというのだ。デジタル音楽のことを知らないと何をいっているのか分かりにくいだろうなあ。普通のCDは48KHzで記録されている。それをソフトで96KHzに変換してくれるのだ。つまり音質がかなり良くなる(はずである)。聞いてみると確かに違う気がするのである(気のせいかも知れない)。

 デジタルデータとなったものをUSB-DACでもいいし、NET-OUDIOでもハイレゾとして聞くことが出来るのである。i-PodなどのMP-3の音などとは段違いにいい音である。本物のハイレゾ音楽はさらに上を行くが、とりあえず手持ちのお気に入りのCDを変換して高音質で楽しめるのである。

 それに飽き足らなくなれば、e-onkyoからハイレゾ音楽を購入すれば良いのだ(これも登録済み)。もともとクラシックやジャズなどの分野には疎いので、歌謡曲やポップス、映画音楽やイージーリスニング主体だから、ある程度音がよければ大満足である。

 というわけでその作業をしているのだが、思いの外時間がかかる。ほかのことができないのでCDで音楽を聞きながらバタバタと作業を進めている。フィルムのデジタル化は大変な作業だったが、それよりははるかにマシである。とはいえ二、三日遊べそうである。
 
 わずらわしい単純作業は苦手と思っていたが、案外なにも考えずに忙しくできるので楽しい。それにしても取り込んだデータを分類して整理するのが又一仕事になるなあ。ああ忙しい。

 それにしてもハイレゾの知識など、半年前にはまったく無かった。興味をもって雑誌を読み込んだりネットで調べるだけでもけっこう新しい知識を仕入れることができた。まだまだ詳しい人が聞いたら笑われるレベルだが、試行錯誤しているとなんとかなるものだ。ボケ防止にもなっていることであろう(それならいいけど)

渡り鶴(橘南𧮾『西遊記』より)

 琉球近き島に、屋久島という島、大なる島にて、むかしは日本の外なる一ヶ国として国史などにも屋久国人来朝するなどと見えたり。此島に、八重嶽(だけ)とて高さ十三里の高山あり。此山より良材を産じて、世に称する薩摩杉などという木も此山より出ずるとぞ。又、此島より良き硯石を出だす。甚だ上品なり。世も一面を得て珍蔵せり。

 すべて南国の鶴、春に至り、北方に渡らんとする時は、数千里の北海を一飛びに越え行く事ゆえに、羽つかれて海中に落ちんことを恐るるゆえにや、此屋久島の八重嶽を廻りて空高く飛上がり、虚空に至りて、それより北に向いて飛渡るなり。中途にて羽つかれて次第に落つるといえども高くより飛事ゆえに、容易に海面まで落つる事なくして、朝鮮の地方へ付く事ぞ。この八重嶽の絶頂より猶々舞々して虚空に入る事なれば、人の目も及ばざる高くに入りて、はじめて北に向かうなり。

 雁などにても小鳥類にても、北地より日本へ渡り来るには、中途にて羽つかれて海中に落ちんことを慮りて、鳥ごとに枯木の枝くわえて来るなり。海中にて羽つかれば、枯木の枝を海面に浮かめて、その上に下り立ちて、羽をやすめ、又其枝をくわえ飛来る事とぞ。それゆえ北海辺にては、秋の初め、雁の渡り来たりし時は、海浜(かいひん)に枯枝おびただしく落ちあるなり。秋の頃は海浜の人、雁の捨置きたる枯木の枝をひろい集めて風呂を焚きて、漁人(ぎょじん)集り浴することなり。是を北海辺にては雁風呂(がんぶろ)という。微少の禽獣といえども相応の智はあるものなり。

*屋久島の杉を屋久杉といわずに薩摩杉といっていたのであろうか。

 雁風呂の話は、別の話も聞いた事がある。鳥が渡るときにはいつも同じ枝を持つという。渡ってきたときに使った枝を海岸に置き、再び渡るときに其の枝を咥えていくが、なにかのことで命を落とす鳥もあり、渡りが終わった後に海岸に残された枯木を集めて帰れなかった鳥たちの供養のためにそれで風呂を沸かす、という話である。
 
 哀れをさそう話であり、好きな話である。

特効薬を試してみた

 何とか気力を奮い起こして部屋を片付け、多少は旧に復した。当たり前のことを始めるとそれなりに元気も出てくる。

 少し歳下の元同僚が退職するそうだ。確か65歳まであと二年働けるはずだが、区切りをつけるようだ。現役ばりばりの若い友人から連絡があった。彼が幹事で、親しかったOBを含めての送別会を設定してくれるという。10月はじめに定期検診があるので、そのすぐあとくらいなら都合が良いと連絡した。予定が決まり次第大阪の宿をとらなければならない。久しぶりに会う人もいるので楽しみだ。

 ますます元気が出たので、復活の特効薬(劇薬)の深酒をすることにした。酒の肴を並べてビール、ワイン、日本酒を心置きなく飲むつもりだったが、やはり相手がいないとそれほど盛り上がらない。

 ほどほどにして(それでも酩酊して)切り上げた。今朝の調子ではどうも特効薬の効きもいまいちの気がする。

 ダイナブックはますます不調。ご臨終が近いのか。既にデータは外付けのハードディスクに回避済みである。今日は復旧のためにいままでリスクがあるからやらなかったことも含めて、できることをいろいろと試みようと思う。多分今日はこれで一日中遊ぶことになるだろう。駄目でもともとだ。

2017年9月13日 (水)

趙曄(佐藤武敏訳注)『呉越春秋』(東洋文庫)

 春秋時代末期の呉越の戦いは『史記』の中でもハイライトの部分であるが、史記が前漢時代に書かれたのに対し、この『呉越春秋』は後漢の時代に書かれたとされる。実際に著者とされる趙曄(ちょうよう)が書いたものはその後改変が甚だしく現在残されているものは原本とはずいぶん異なるものだと解説にある。

 呉越の戦いは日本の源氏と平家の戦いなどになぞらえられるだろうか(これは平清盛が頼朝や義経などの兄弟を、幼いからと命を助けたことを念頭に置いている。呉王夫差は命乞いを入れて越王勾践を助けた)。さしずめ平氏が『呉』で、源氏が『越』か。常用句もいろいろと残されている。呉越同舟、臥薪嘗胆、ひそみにならう、などという言葉はよく知られている。ひそみにならう、というのは西施という絶世の美女が胸の痛みで顔をしかめている姿を見て、みなが美女は顔をしかめていても美しいというのを聞いた醜女が、西施の真似をしたら、みなが逃げたしたという話が元になっている。

 私は「ときに笵蠡無きにしも非ず」という太平記(読んでないけど)の言葉が好きだ。越の賢臣、笵蠡を引き合いに出して後醍醐天皇が隠岐の島に流されるときに、児島高徳が伝えた言葉だ。呉越の話を知る人は笵蠡の賢さとその出処進退の鮮やかさに感ずるところがあるはずである。

 この趙曄の『呉越春秋』は『史記』で知っている呉と越の話ともちろん同じである。歴史であるから違うわけはないのだが、その面白さは多分に『史記』に劣る。ただ、越王勾践という人のいやらしさが強調されているように思う。敗北して王でありながら奴隷のようにして恥を忍んで生きのび、歯を食いしばって再起を図り、ついに最後は宿敵の呉を滅ぼすのだが、その隠忍自重の姿があまりに不自然で、そこまでして生きのびたいのか、と思ってしまう。

 そこまでして生きのびたいという生命力は、同時にひとたび勝利したときには爆発的にそれを取り戻すための行動へ転換する。笵蠡がそれを良く承知して、功を捨てて勾践の元を去って行方をくらますことに痛快さを感じる。勾践の艱難辛苦がこれでもかというほど書き綴られているところに、それなのに勾践に感情移入させない仕掛けがあるような気がする。いちいち臣下に自分のあるべき行動について問う。その会話のくどくどしい記述がわずらわしいのだが、そこに仕掛けがあるのだろう。

 笵蠡は戦いが勝利に終わったあと、同僚である功臣の文種(ぶんしょう)に「命が永らえたければ勾践の元を去れ」、と勧めるのだが、文種はそれが信じられなかった。人生にとても参考になる話である。「狡兎死して良狗煮らる」はむかしからある話なのである。

 呉の側も、呉を隆盛に導いた伍子胥が結局侫臣である伯嚭(はくひ)に讒言されて死ぬ羽目になった。伍子胥の死によって呉国は衰退に向かったと言っていいだろう。

 宮城谷昌光の『呉越春秋 湖底の城』(全七巻・読みかけのまま)ももちろんこの呉越の戦いの顛末が描かれたものだ。

 もともと中華の国々からは、呉や越は野蛮な国として蔑視されてきた。その呉が勃興し、強国だった楚の国を打ち破るようになって、ついに呉王は春秋五覇のひとりになるまで台頭した。時代が変わりつつあったのだ。

 この呉越の戦いの時期は孔子が魯の国の経営に苦心していたときである。魯の国も権力が王から季桓子などの豪族に移りつつあったときで、孔子はそれを食い止めるために腐心していた。中国全体がそういう時代であった。

 やがて下克上が当然の世となり、春秋時代は戦国時代という混沌の時代となる。そしてそれを遂に統一国家にまとめ上げたのは秦の始皇帝であるが、それはこの呉越の時代のずっと後のことである。

 朝晩が涼しくなって、クーラーなしでも眠れるようになったのはありがたい。朝起きて窓を開けると、こもっていた部屋の空気が外のさわやかな空気に入れ替わるのが分かる。関東以北は、既に8月からそういう日があったようだが、名古屋では夏の間は絶えてないことだった。そういえば今年は猛暑というほどの日もあまりなかった。

 涼しくなれば身体も楽になるはずなのに、どういうわけか毎年その変わり目頃に心身が不調になる。若い頃からそうだった。押さえ込まれていた、たまっていた夏の疲れが一度に吐き出されてくるようである。夜の長さが一気に長くなるとリズムが取りきれないのかも知れない。

 今年も、というより今年はそれがさらに強く現れてきた。流しに洗い物がのこる。部屋がどんどん雑然としてくる。とっかえひっかえ本を出して読み始めては途中で放り出す。さらに部屋が雑然とする。片付ける気になかなかならない。映画を観る気もしない。必要な買い物に出かけるのさえも億劫だ。音楽を聴いてもいつものように心に響かない。体がことさら重く感じられてさらにだるい。

 たいてい長くは続かないことは長年の経験で承知しているのだが、スイッチが入るまではどうしようもない。医者に診てもらうほどの不調ではないのだが、目に違和感があることもあってますますテンションが下がっている。
 
 酒でも飲んで(といっても毎日飲んでいるが)とことん酩酊したらと思わないことはない。むかしはそれが特効薬だった。だがそれもあとのことを考えると億劫なのである。ぼんやりと焦りながらなにもせずにいる。

2017年9月12日 (火)

インスタントラーメン

 子どもはそもそも好奇心の強いもので、好奇心の弱い子どもというのは臆病な親に影響されているのだろう。性格もあるのだろうが、虫や食べたことのない食べ物を受け付けない子どもを見ると本当に可哀想だと思う。

 母は目新しいものが好きであった。コカコーラが普通に店頭で売られるようになったばかりの頃に、早速買ってきた。家族で回し飲みして「変な味だね」と言い合った。父はたいていそういうときは「俺は要らない」と言って参加しない。まあ当時の親父というのはそういうものだった。

 チキンラーメンが世に出たのは昭和33年らしいが、大阪が最初だから我が故郷の千葉県で店頭に並んだのは、多分その翌年あたりだろう。わが家もいつものように早速購入して食べた。とてもうまいと思って大好きになった。こっそりなけなしの小遣いで買って食べていたら、母にこっぴどく叱られたことがある。

 不思議なことに買う店によって多少美味い不味いがある。当時は油の酸化などという知識がないから、店頭の日光に当たる場所におかれていたりしたものは、変な匂いがしたような気がする。酸化した油を常食すれば体に良くないから、インスタントラーメンは良くないなどと悪者にされることもあるけれど、いまはそんな心配はないと私は思っている。

 何しろそれ以来インスタントラーメンをどれほど食べ続けたか分からない。学生時代は生協のインスタントラーメン(生協ブランドで、量もほかのものより多い)を箱ごと(30袋入り)買うと500円と格安だったから、それで食いつないだ。一週間三食食べ続けても大丈夫。

 寮では朝晩食事が出るのだが、仕送りを酒や本につぎ込んで、寮費をきちんと払っていないから自炊するしかない。たまにインスタントラーメンのスープが二つ入っていることがあるのが有難かった。さすが生協ラーメンである。寮のおかわり用の御飯を頂戴して、それにスープの素を振りかけてラーメン味のチャーハンを作る。あんな旨いものはなかった。

 しかし私が常備していることを知っているほかの寮生が、勝手に持っていくのが頭痛の種だった。困ったときはお互い様と言ったってこちらもそれで食いつないでいるのである。どんなに隠しても探し出されて持ち出されるのに腹を立てていたものだ。

 いまでもインスタントラーメンは常備してしばしば食べる。いまのお気に入りはサッポロ塩ラーメンである。もやしと豚肉、又はもやしとウィンナソーセージを炒めてラーメンにのせる。炒めるときに桃屋の瓶詰めのきざみニンニクをちょっと入れて黒胡椒もきかせて風味をつける。安上がりでしかも私にとってはご馳走である。

 ネギは束で買って、10センチ弱に切ってポリ袋に入れて冷蔵庫に保存している。これを刻んでのせることもあるが、どうもない方が好いようである。ネギはマーボウ豆腐や蕎麦を食べるときにたっぷり使う。醤油ラーメンにもやしをのせるのは塩に劣る。もやしがうるさく感じられてしまう。ネギをたっぷりのせる方が好いようだ。

 小池さん(藤子不二雄の漫画に出てくる、いつもインスタントラーメンを食べているチリチリ頭のお兄さんである)ではないけれど、インスタントラーメンのない食生活など私には考えられない。

橘南𧮾(たちばななんけい)『東西遊記2』(東洋文庫)

 第一巻が『東遊記』で、第二巻が『西遊記』。西遊記といっても孫悟空ではなく、西側諸国を歩いた紀行文である。

 漢字はそのままに、かなは現代仮名遣いにして、ほぼ原文の味わいを残しながら読みやすくなっている。漢字にはおおむねルビが振られているのだが、ルビがなくても読める字が多いのに、読めないのにルビのないものもあり、そこで読むリズムを失いやすい。漢和辞典で調べれば良いのだが、読めなくても読み飛ばすことができることも多いので、リズムを重視して読み進める。当然知っているはずとしてルビが振られていないのであろう。不明を恥じるばかりである。

 実際には西の方への旅がさきで、東への旅があとのようである。この紀行文は時間順や旅の順番になっていない。「一七 猟犬(鹿児嶋)」、「一九 山女(宮崎)」、「六八 飢饉」などのように項目を立てた短文が連ねられている。

 前編、後編、続編、補遺となっているのは、当時その順番に執筆公表されたのであろうか。『東遊記』も『西遊記』も補遺の文章は長めのものが多い。

 著者の橘南𧮾は医家である。菅江真澄も医家であり本草学者だったが、当時の医家は尊敬されていて、地方には優れた医者もいなかっただろうから、旅に出ても優遇されたようだ。医者には偏見が少なく、好奇心が旺盛な者が多かったのかも知れない。橘南𧮾は身の危険を承知でずいぶん無茶もしているから、冒険心も強かったようだ。 

 今回読んだ『西遊記』では鹿児島の記述が多い。当時外部からの入国を嫌っていた薩摩に楽々と入り、ずいぶん多くの人と交流をし、めずらしいものを見たり聞いたりしている。そもそも薩摩は人の性格がずいぶん違うことに驚いている。地域性の問題もあるが、時代と共に培われた特殊性をきちんと考察していて面白い。

 この本の中で琉球の歴史が語られ、実際に琉球から薩摩に挨拶に来ていた二王子と親しく歓談し、交流している。琉球を通して薩摩が貿易をしていることが公然と語られているが、こんなことを書いても大丈夫だったことに驚く。

 紹介したい文章がいくつもあるのだが、変換が面倒なので疲れるのである。気が向いたときにいくつか取りあげてみたいと思っている。興味があれば是非探して読んでみることをお薦めする。ほんの一部の候文や漢文の書き下し文を除けば、徒然草を読むよりもはるかに楽に読めるから心配ない。

 中学生のときに、表情が豊かで、黒目がちで睫が長く色白で、テニスをしているから短髪の女の子にときめいた。つい彼女を目で追ってしまい、気がつくと彼女のことを思っている自分に驚いたりした。あれが思えば初恋であった。

 その少女(こ)と初めて手をつなぐことができたのはフォークダンスのときで、二人だけのときではない。そんな機会を作る勇気は残念ながらなかった。

 初めて握った手はしっとりして柔らかく、思いがけず冷たかった。冷たく感じたのはしっとりしていたからだったのだろう。あの手の感触を突然思い出し、そのときのときめきを懐かしく思った。

 思えばその後も、女性の手の柔らかさとしっとりした感触に出会うことが何度かあった。本当に女性は素晴らしい。

2017年9月11日 (月)

アクセス数

 アクセス数はある意味でブログの評価である。数が少ないときはそもそもの絶対数が少ないから気にしても仕方がないと思っていたけれど、増えてくると絶対数はもちろん、日々の増減が気になって仕方がなくなった。

 面白いはずだと思う記事があまり読まれず、興が乗らずに埋め草に書いた記事がたくさん読まれることもしばしばで、よく分からない。絶対数を増やしたければ、たくさんのブログを読んでポチッとやいいね!をしまくり、コメントを書き込めば、お返しに読んでくれるようになることも多いけれど、継続して読みたくなるような記事しか読まないし、読み始めればたいていずっと読み続けるようにしているので、そんなに数を増やすことはできない。

 せっかく書いたのだから読んでもらう人が多いことを願うけれど、さて書いている内容から考えれば、それほどのしろものでもない。縁がある人に読んでもらえて、読むのを止めないでいてくれる人がいれば有難いことである。ようやくアクセス数を一時期ほど気にしなくなりかけている。

 執着こそ持続のエネルギーかと思っていたが、実は持続を損なうものらしいと感じ始めている。何しろ執着は疲れるものなのだ。

「なにも考えないこと」ができない

 ぼんやりととりとめのないことを考えていると、書き留めたいことが心に浮かぶことがある。ブログを書くきっかけでもあるし、楽しみでもある。

 それに馴れてきたらいつの間にかブログを書くために考えているような心持ちになっていたりする。なんとなくそのことに面白くないものを感じているけれど、よく考えるとどうして面白くないのか分からない。浮かんでは消えていく考えを多少なりとも明確化することは自分の望んでいたことである。

 無心であることと、なにも考えないということは似ているけれど違うのだと思う。「沈黙が思想を生む」という。初めてそれを聞いたとき、意味が分からなかった。考えるときには沈黙が必要なのだという程度にしか理解していなかった。

 気がついたら、「なにも考えない」ことができなくなっていた。もちろん無心の境地になど至ったことはない。雑念が常に頭の中に渦巻いている。渦巻いているけれど、言葉の形をしていない状態のままであることが普通にあった。いま、沈黙していると(独りでいるからほとんど沈黙している)頭の中は言葉となった雑念が渦巻いてしまってやかましい。

 思想を生み出すような沈黙が無心であることと通じているのであれば、私は以前よりも無心からさらに遠く隔たってしまったのかも知れない。

 なにも考えない、などというと「サトリの化け物(ときにサトルの化け物ともいう)」という話を思い出す。類話が多いのでここでは紹介しないが、面白い話なので知らない人はネットで調べれば出ている。

 「サトリの化け物」は人の心を読む。考えたことがすべて読み取られるから恐ろしいのであるが、その「サトリ」にも「無心」は読み取れないし、「なにも考えない」人間の心は読むことができない。しかし人間は「なにも考えない」ようにしようとすればするほど考えてしまう。何しろなにも考えないようにしようと考えてしまうのだから。

 どうもサトリの化け物の前にいる心地がする。

ついに終わってしまった

 毎回楽しみに見続けて7年、『リゾーリ&アイルズ』のラストシーズン(第7シーズン)の最終回を見終えてしまった。ボストン市警の女刑事ジェイン・リゾーリ(アンジー・ハーモン)と主任検屍官モーラ・アイルズを主人公にジェインの同僚や家族が描かれるこのドラマは、子どものときによく見ていたアメリカドラマの味わいがあって不思議ななつかしさが好きだった。

 とにかくアメリカのドラマは会話がしゃれている。本音をぶつけ合いながらそこにユーモアがあり、強さの必要な厳しい生き方の中に、それでも多少は救いのあるアメリカの現実を良く見せてくれた。終わってしまったことは誠に残念だが、ものごとには必ず終わりがあるもので仕方のないことだ。

 ジェイン・リゾーリ役のアンジー・ハーモンは大柄で顔の造作も大ぶり、男性っぽいところが却って魅力的な美人である。こういうタイプは自分としては好みではないと思い込んでいたから、どうしてこんなにすてきに見えるのか不思議だったが、彼女自身の個性が魅力的なのだろう。

 そういえば中学生の時にテニス部の、日に焼けて色黒のハスキーボイスの女の子が彼女によく似ていた。ガールシャイだった私に気さくに話しかけ、居心地の良い気持にさせる少女(こ)だった。初恋の相手ではないけれど、今でも思い出すのだから、憎からず思っていたのだろう。記憶は気持ちに反映するものらしい。

2017年9月10日 (日)

敗戦のコメントに危惧していた

 U-18野球大会で日本は韓国に敗れて決勝進出がならなかったそうだ。優秀な選手が多く、実力が劣っていたとは思えないから残念な結果である。

 詳しいことは知らないから試合の采配については何もいうことはない。ただ、試合の終わるごとのキャプテンの清宮選手のコメントをニュースで見て感じたことがある。勝っても負けても淡々としているように見えた。

 リーダーにはチームを鼓舞する役割がある。なにもあの元巨人の中畑みたいにただはしゃぎ廻れば良いわけではない。選手が一丸となって盛り上がることが大事なのであって、自分だけ盛り上がっても結果が伴わないことは中畑が采配をふるったときのDeNAが示している(私はDeNAを応援しているし、アンチジャイアンツであるから、中畑には私怨がある)。

 あのコメントをしている清宮君の姿がチーム内での姿でもあるなら、チームを盛り上げるのは難しいだろうな、と思った。淡々としていても盛り上げることが出来る。しかし清宮君にはその迫力も感じなかった。

 このことは最初の試合のあとの最初のコメントの時から感じていたので、結果を危惧していた。

 野球が好きで、野球をすることに喜びを感じる選手たちばかりが集まっていたはずである。その選手たちが盛り上がれば実力以上の力を発揮することが出来るはずである。ほかのチームも同様であろう。短期決戦ほど実力以上にそのことが結果の違いをもたらす。

 それでも、選手たちが大会で戦えたことを喜びとし、結果に悔いがないのならそれはそれでけっこうなことである。外野がとやかく言うことではない。リーダーの役割のことを思ったからそのことを書いただけである。

自分との関係

 私は日本人で、特にキリスト教的な環境とは縁がなかったから(家のすぐ近くに教会があり、付属する幼稚園があったが、母は少し離れた小学校の隣にある公立の幼稚園に私たち兄弟を入れた。日曜日には賛美歌が聞こえていたけれど、日曜学校に行ったことはない)、東洋的な思考様式(それも日本的な)、つまり汎神論的な宗教観を当然とする考え方を身につけたから、一神教にはまったくなじめないように育った。

 そんな私は、高校の時になかばいい格好をしたいために哲学の本を読むことにした。そのときに選んだのが世界の名著というシリーズの中の『キルケゴール』の一冊だった。四つの文章が収められていて、その中の『私にいたる病』というのが目をひいたのだ。ちょうど死の不安について考える年頃である。ほかに『不安の概念』などというやはり興味を引く文章も収められているではないか。

 早速『私にいたる病』を開いて読み始めると、本文のはじめは「第一編 私にいたる病とは絶望のことである」とあり、「A 絶望が死にいたる病であるということ」と章立てされ、文章が始まる。

「人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである(後略)」

以後文章は延々と続く。

 突然何のことかと思われるかも知れないが、この文章の「自己」、というのは「自分」のことであろう。この一読して何のことかさっぱり分からない文章を私は何十回と読み直し、頭にそのまま刷り込むほど読んで考えた。

 これが「自分との関係」という、このブログの表題につながっていく。

 キルケゴールはデンマークの哲学の詩人といわれる思想家である。敬虔なクリスチャンで、彼の思想の基本は神と自分との関係である。もちろんこの『死にいたる病』もそこから描かれているのであるから、絶望とは信仰を失うことといってもいいのであるが、私には出だしのこの部分しか眼に入らないし、ここを突破しなければならないという強い思い込みがあった。

 こんなわけが分からないものは普通ならすぐに放り出すのが常なのに、私が執着したのはここに自分にとって大事なことが書かれているに違いないというなんの根拠もないけれど確信があったからだ。分からないけれど、分かると必ず自分に良いことがあるという確信である。分からないのに分かるということがある。本当に分かっているなら分かる必要がないのである。分からないけれど分かるといいことがあると感じられるものにこそ分かるための努力の価値がある。

 結局いまだに『詩にいたる病』の全文を本当に読んだとはいえないままである。ただ、この冒頭の部分だけは私なりに解釈をすることに成功した。それはキルケゴールが云いたいこととずいぶん違っているかも知れないけれど、私にとってはようやく探り当てた真実なのである。それが「自分との関係」として語りたいことである。

 なんだか前置きばかりが長くなった。

 「自分とは何か」と考えるとき、自分を世界の中で位置づけるという捉え方をしてみる。「自分はどこにいるのか」と考える。これは空間だけのものではないけれど、考えることは出来るであろう。仮に自分の位置を原点として世界という空間を考える。世界はあらゆるもので満ちている。世界、というのは言葉では存在してもここに呈示することの不可能なものだ。

 そのときこの世界という空間の中に具体的なものを思い描く。父でも母でもいいし、ある本でもいいし、あるゲームでもいい。その考えたものと自分との関係を考える。ものとの関係の中で自分の位置がおぼろげに限定される。次に別のものについても同様の行為を繰り返していく。これが「関係」である。自分となにかとの関係、そしてものとものとの関係、それを又自分の原点把握に反映させていく。それらが収斂するのか、それとも極めてあいまいなままであるのか、それは分からない。

 それが世界を認識するということであり、なおかつ自分自身がどこにいるのか、自分とは何かを知ることである、と私は考えたのである。 

「人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである(後略)」

 そういう解釈の元にこのキルケゴールの文章を読み解くと、私には神抜きで「自分とは何か」についてどう考えればいいのか分かった気がしたのである。答えなどないけれど、考え方さえ分かれば世界は私のものだ。「分かる」とはどういうことか。その切れ端をつかんだ気がしているのである。

 駄文の長文で申し訳ないが、今日は日曜だからご迷惑のかけようもいささかは少ないと勝手に言い訳して終わりにする。

養老孟司&名越康文『「他人」の壁』(SB新書)

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 旅に持参していた本の中の一冊で、帰る前に読み終えていた本であり、読んで考えたことの一部は、拙ブログ「同じであること」(9/1)と題して披露した。

 この本にはじっくり考えたいテーマがいくつかあって、その多くは既に長年にわたって私も考えていたことである。どうせぼんやりしていることが多いのであるから、その問題を忘れずにあらためて考えるために、ときどき開いて見る本として、寝床の横に置いておくことにした。

 他人と解り合えるか、話せば分かるか、そのことを考えることはとても大事なことだと思う。そのことを深く考えないと、他人の言っていることを聞くことが出来ないおそれがあるとまで私は思っている。

 テレビで持論を展開している人間の、他人の意見を聞かないことの多いことに驚くが、多分そのへんについてよく考えたことがないのであろう(考えすぎると一方的にしゃべれなくなるけれど)。

 ガラリと話が変わるが(実は私にとってつながっている話なのだが)、「自分とは何か」について考え続けている。「自分探し」というときの「自分」とは何かが分かっていなければ、探しても何を探しているのか分からないということになるし、分かっているのならあえて探しに行く必要もないのであるから、「自分探し」とは変な話だと下らない屁理屈を言いたくなるが、それは置いておく。

 探さなければならないのなら「自分」は失われているのだろうか。自分で自分自身とは何かが分からないということについては、分かる。他人がなかなか分からないように、そもそも自分のことを自分もよく分かっていないものだ、といわれることについて了解する。

 このときに、実は確固たる「自分」というものがあって、それが自分自身によく見えていないから、それを探しに行くのが「自分探し」だとたいていの人は思っている。環境が変わると自分の本質が見えてくると信じているのだろう。そこで自分が発見できると期待しているのだ。

 私は「確固たる自分」など存在しないものだと思っている。そんなものは幻想だと思う。自分は極めてファジイ、つまりあいまいなものなのだという前提でものを考えている。そもそも自分の考えなど、体調により、そして置かれた環境により、運不運により、いろいろな状況で大きく変わるものだ。大きく変わる考えによって考えられる自分が「確固たる」ものであろうはずがあるだろうか、と思うのである。

 考えるのは確かに自分である。だから自分というものがあるのは間違いないと(そこまで疑うと私の手に負えなくなる)いうところを出発点にする。

 話が長くなりそうなので、次回は「自分との関係」という題にしてこの話を続ける。

2017年9月 9日 (土)

与党自民党のためにも健全な野党は必要である

 権力は腐敗するという。ずっと与党を続けていれば慢心し、劣化していく。民主党に政権を奪われて野党となった自民党が、そのことで多少は反省し、目が醒めたところがあると私は好意的に見ている。政権を失う前はあまりにもひどかったから、少なくとも相対的には良くなったのではないだろうか。

 ところが民主党は政権を失ったことで良くなったか?私にはそう見えない。国民もそう思うから名前を変えた民進党の支持率が回復しないどころか、ますます低落しているのであろう。

 細野氏の離党は追随する者がいないことが意外だと思っていたけれど、近々五人ほど離党しそうだというニュースを見た。細野氏に近い議員達らしい。彼らは党首選の結果によって民進党が良い方に変わることを期待していた。党首選で前原氏と枝野氏が互いの主張を正直にぶつけて正々堂々と戦い、その結果を互いに受け入れて新党首が党を結束させることを願ったのであろう。

 ところが互いに言うべきことを言わず、歩み寄るような妥協するような戦いに終始し、党内の意見の相違をそのまま温存する結果となった。本音の論戦をすることで党が分裂することを恐れた結果だろう。しかしそれが結果的に意見の相違を乗り越えるチャンスを失うことにつながった。

 前原氏は党首選に勝つために共産党との共闘の否定という自分の主張を引っ込めてしまった。共産党は、今後も民進党は共産党と共闘せざるを得ないと読み切ったと報じられている。この状況が新たな離党者の行動を後押ししているのだという。

 民進党の離党者はみな民進党内の右派と見られている人たちである。不思議なことに左派の離党者というのは今までいなかったし、今後も多分いないだろう。彼ら左派の人たちは民進党を出れば共産党か社民党に行くしかほとんど道がない。まさか社民党に行っても政治的な活動がしやすくなることは考えられないから行かないだろう。しからば共産党に行くか。共産党の人たちはよく勉強しているし、志があることは間違いない。

 しかし民進党で左派に与してよく勉強もし、志のあるものは、民進党が沈没しかけても民進党に残るであろう。それ以外の左派はどこにも引き取り手のない者たちだけである。つまり離党したくてもできないのである。そういう人たちを数として取り込もうと考えた時点で、前原氏は節を失ったと見られたのである。

 健全な野党が存在することは与党自民党が劣化しないためにも必要なことなのである。それでなければ確かに自民党は暴走しかねない。つまり国民にとっても健全な野党は必要なのである。

 そのためには現在の日本の置かれている状況をわきまえて、日本の国を、日本の国民のことを考える野党が必要だろう。現行与党政権を倒すことが目的と化して、何を優先順位にしたいのか分からないで批判のための批判に終始する野党は必要ないのである。批判のための批判は共産党が一党あれば十分である。

 新たな保守勢力の結集が必要なことは、前原氏も分かっているはずなのに勝つためにそれを見失った。多分離党者が出ればますます民進党は支持を失い、さらに離党者を生み、崩壊していくだろう。そのときに新たな勢力の一人として名をあげるべき前原氏は、党首となってしまったことでその道を失った。

 多分彼は民進党を自分の思うような保守勢力に作り替えることを夢見たのだろうが、その戦力となるべき人たちが雪崩を打って離党することになるだろう。そのとき彼は党内に何を見るのだろうか。

 日本ファーストの会に私は懐疑的である。あまりにスタンドプレー的な部分が過ぎる。細野氏が自分で新党を旗揚げし、そこに少しずつ熱意があって健全な若い保守勢力が集い、切磋琢磨して育っていくことが、遠回りながら最もあるべき野党の誕生につながると思う。夢であろうか。

 ゆめゆめ勉強もしないし意欲もないような知名度だけの人間を、票集めのために取り込むような馬鹿なことはしないことである。そんな候補に票を入れる人間も確かにいるが、まともな人の方が多いと信じることである。そんな候補で票を稼ごうというのは政治をバカにし、国民をバカにしていることにほかならないのだ。

 民進党の低落が自民党の劣化をもたらし、支持率の低下を招いていると私は思う。みんな分かっているし、思っているだろうことをあえて書いた。

呉善花『北朝鮮化する韓国』(PHP)

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 愛しさが過ぎると憎しみに変わるという。もちろん愛しさが相手に受け入れられないからだろうが、実際にそのような転換が理由の愛憎劇はいくらでもこの世にある。

 そういえば中島みゆきの歌詞に「愛しさつのれば憎さに変わる それは嘘っぱち 愛しさ足らず」というのがあった。本当に愛しさがあるなら報われなくても憎しみに変わるはずがないではないか、ということだが、それは自分に対する言い訳であり、負け惜しみだろう。

 呉善花女史の韓国に対する厳しい批判や、石平氏の中国批判はなまじの日本人の嫌韓や嫌中本より激しいものがある。彼らこそ最も祖国を愛するが故に、あるべき姿を見失っているその現実に激しい批判を加えざるを得ない気持になるのであろう。

 彼女はだいぶ前に日本に帰化しているから日本人であるが当然親族知人は韓国にたくさんいる。その彼女は親が死んでも葬儀に出ることすら出来ない。韓国が入国を拒否するからである。日本ではいくら反日を叫んだ人物でも、実際の犯罪行為を行うおそれのない者を入国拒否することは普通ない。これを持ってしても韓国に言論の自由がないことは明らかだろう。

 彼女の韓国に対する批判は時に感情的でエスカレートしすぎているし、裏付けのないことを例として上げることも多いから注意が必要だが、それでも彼女の本をときどき読むのは、世にある嫌韓本にはない鋭い文明批評が見られること、なるほどと思わせるような今までの切り口とは違う考察があるからだ。

 こういう本を韓国のひとが冷静に読める時代がいつか来るのだろうか。参考になるところもあると思うのだが。

 この本には言及がなかったと思うが、韓国が漢字の使用をすべて廃止したことが韓国の劣化を招いた、という指摘がある。日本人は金谷ひらがなと漢字の併用というかなり高度な文字文化を持っていて、それが日本人の知性に多少貢献しているという。韓国もハングルと漢字の併用という優れた文化があったはずなのだが、それをハングルのみにしてしまった。

 それはつまり漢字教育を受けていない世代にとって、漢字を廃止した以前のすべての文献を読むことが出来ないということにつながっている。歴史を自らの意志で読み解くことの出来ない国民は、誰かによって恣意的に作られた歴史を鵜呑みにするほかないのである。自らの国の歴史を当時の文章で読むことが出来ないというのは、日本人である私から見れば不幸なことなのだが、彼らはそのことをもそも知ることが出来ないのである。

 もともと日韓併合時の朝鮮国の識字率は20%前後だったという。それを日本が教育を普及させるためにハングルを学校教育に取り入れて、識字率を飛躍的に上げたという歴史があるのを韓国人は多分知りもしないだろう。

2017年9月 8日 (金)

米澤穂信『満願』(新潮社)

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 最初に読んだ『王とサーカス』という本で、この米澤穂信という人のミステリーにはまってしまった。ミステリーは過去からたくさん書かれてきたけれど、この著者のミステリーは今までにないテイストがあるのだ。目新しいけれど奇をてらっているわけではない。どちらかと云えば感情を抑え、クールで突き放したような筆致がなぜか読後感にのこる。

 これはまったく独立した6編の短編集である。それぞれに味わいがまるで違う。極上のミステリーをいろいろな味付けで読みたかったらこの本一冊まるまる楽しめることを請け合う。

 ミステリーの短篇は中身を説明したらこれから読む楽しみを損なうので書かない。この本は既に文庫本になっているらしい。息子は文庫で読んだと言っていた。この作家を薦めたのは私である。息子も気にいったのだろう。息子とはかなり読む本の傾向が違うのだが、同じ本を面白いと思っているらしいことを知るとちょっと嬉しい。

ただ思ったことを書いてしまった

 民進党・山尾志桜里議員の離党会見に批判が相次いでいるという。一度マスコミの餌食にされると、とことん叩かれて社会的地位を失うのは恐ろしいことだ。

 彼女は、報じられた男性との男女関係はなかったと言明したが、こればかりは当人たち以外には真実を知ることは出来ないことだ。同衾しても男女関係はないと言い張る手合いは普通にいるし、逆にたまたま会って話していただけでもあたかも何かあったようにこじつける輩もいるのが世の中だ。

 ところで彼女は「今回の週刊誌の報道により、民進党、そして各方面の方々にご迷惑をおかけすることになったので、離党することにしました」という趣旨の説明をしていた。

 うっかり聞くと、週刊誌報道が民進党に迷惑を掛けている、と聞こえる。迷惑を掛けたのは週刊誌であり、それが彼女の言うように男女関係はなかったのなら憶測による誤報である。会見場に集まった記者達は、彼女がそのことにどのような弁明と反論をするのか聞きたかったはずである。質問もいろいろあっただろう。

 しかし質問は一切受け付けず、自分の責任で党に迷惑を掛けたという言葉は聞けなかった(あったかもしれないが報じられていないように思う。・・・・その後詳細の報道を観ると自己責任を認めていたが、事実は否定していた。では何を責任と考えているのかよく分からない)。確かに自分の責任を認めれば不倫を認めたと取られることは間違いないから、週刊誌の報道のせいで迷惑を掛けた、としか言いようがなかったのであろう。

 彼女は容姿もよく、弁舌も巧みだから、人気を取ることが出来るキャラクターだったはずだが、その自分のキャラクターを過信し、最近はスタンドプレーに走る傾向があったと今になって批判されている。言い寄る男もたくさんいたに違いない。そこで躓かないのが大人というもので、まして家庭も持っているのである。これから彼女は家族ぐるみで針のむしろに耐えていかなければならない。哀れなことである。

 こういうことを話題にするのはなるべく控えようと思っているのに、つい思ったことを書いてしまった。ミーハーなのである。敷かしこうしてつぎつぎに代議士がやり玉に挙げられていくと、ついには政界は清廉潔白なひとだけになるであろう。それはめでたいことであろうか。清廉潔白な人は面白みに欠け、仕事も出来ないと不満が持ち上がるような気もする。そもそもマスコミの連中は自らがターゲットになることが普通ない。それを暴くルポライターでもいるとそれも面白いかも知れないが、仲間を叩く怖さも知っているだろうから、無理か。

 私はそういう意味で清廉潔白であると断言できる。出来るけれど、その機会がなかっただけ、ということでもあるので、あまり自慢にならない。

化粧する子どもたち

 NHKの「Asia Insight」というシリーズ番組で「化粧する子どもたち 韓国」という特集を見た。韓国の女の子たち、主に中学生たちを取りあげて、化粧するのが当たり前となっている現在の現実をレポートしていた。もちろん化粧道具を学校に持っていったりすれば教師から叱られるし、取りあげられたりもするが、もうだれもかれもが化粧しているから化粧することが悪いなどと、親すら考えないようになっているようである。化粧をしないような子は仲間はずれにされてしまうなどと言う。

 それはさらにエスカレートして、今では小学生でも当たり前に化粧するようになりだしたと報じていた。

 化粧してはいけないという論理をおとなは持たない。美しく見せることに悪意はないのであり、化粧を悪い行為だと世の中が誰も思わなければ、それは問題にされない。そして女子中学生たちの60%が成人したら整形をするつもりであるとアンケートに答えているそうだ。

 私には日本のテレビにおかまキャラがはびこり、パンツ一丁で人前で芸人を自称する人間が大受けしているのと同様、化粧する子どもたちに聖書のソドムとゴモラの町の再現を見てしまうが、それは私がおかしいのであろう。

 化粧する子どもは、たぶん日本でも当たり前になるような気がする。そしてそれが当たり前になれば元に戻ることはもうないだろう。化粧は人工的なものである。都市に暮らせばますます人工的になっていき、生物としての自然な生き方を失って、生命力を低下させていくのだろう。そもそも子どもは自然のものだと養老孟司氏は言う。

2017年9月 7日 (木)

ぐだぐだしている

 娘のどん姫を名古屋まで車で送って、そのついでに本屋に立ち寄り、気がついたらしこたま本を抱えていた。旅の間に読もうと思ってトランクに入れてあった本の大半は読まずに終わったというのに、また読んでない本が増えてしまった。

 録画してあったドラマや映画やドキュメンタリー番組や旅番組がたまっている。これも観るのが追いつかない。家の中を男やもめ風に雑に片付けたあと、録画したものを観て、飽きると本を開いて読んでいるが、気がつくとうつらうつらしたりして、世の中を横に見ながら文字通りぐだぐだしている。

 録りためた番組の中で、NHKBS-1スペシャルの「なぜ日本は焼き尽くされたのか。米軍幹部が語った真相」と言う番組は見応えがあった。太平洋戦争末期、アメリカはB-29の大編隊で日本本土各地に空襲を行った。何万トンという焼夷弾を都市部にばらまき、およそ四十万の一般市民を焼き殺した。

 日本がなぜ戦争に突入したのか知りたい、というのが大学に入ってから独学で歴史を勉強しはじめた理由だが、それは子どものとき以来、母から空襲のときの話を繰り返し聞かされたことがきっかけである。母の両親と兄弟たちは千葉で空襲をうけて焼け出され、家はもちろんすべてを失った。命が助かっただけでも奇跡だったと聞かされてきた。

 とにかくまず都市の周辺部にくまなく焼夷弾を投下し、逃げ惑う市民を追い立て、ついには焼き尽くし殺しつくすのが空襲という行為だ。母の友人や知人も数多く亡くなっている。ナチスの行為を非人道的だといい、そして日本の軍部を非人道的だと裁きながら、この一般市民の大量虐殺は一切不問に附されている。それが戦争というもの、勝者というものなのだ。敗者のみが裁かれる。

 この空襲という一般市民の無差別大量殺戮が実行された経緯をアメリカに残されて死蔵された資料から、NHKの取材班が丹念に追求して調べ上げ、明らかにしている。これは今までにない視点からの真実を見ることになった。思うことは山ほどあるが、今はしばらく頭の中で反芻して発酵させたい気がする。
 
 広島、長崎への原爆投下も、この空襲も戦争を早く終わらせるためだったとアメリカは言い、アメリカ人の大半はそれをその通りだと思っているだろうけれど、アメリカはこの手法を朝鮮戦争の時にも実行し、ベトナム戦争でも実行した。今度北朝鮮に同じことをしないという保証があるであろうか。

 「戦争は常に正義のために行われる。だから正義というものはイヤなものである」とは山本夏彦翁の言葉だが、この番組を観ていてつくづくそう思った。

子離れできない?

 昨晩は深夜ではなく、いつもより早めに娘のどん姫が颯爽とやって来た。旅のみやげを渡したいと連絡していたのだ。

 群馬県で買った「赤城山」の大吟醸を用意していたので旅の話を話題に、飲みながら歓談した。「いいなあ!」とうらやましがられた。

 まだまだ彼女は悠々自適の生活が出来るまでは間があるのだ。

 昨年から仕事先も替わって、新しいところに大満足、というほどのことはないにしても機嫌良く働けているらしいのは親として嬉しい限りである。有休も取りやすくなりつつあるので、連休の時に旅行に行けるだろうという。

 バカ親父は、それなら一緒に車で行こう、と言うのである。どん姫は「それもいいね」とあいまいに笑っている。

 息子も娘もずいぶん昔に親離れしている。いささか冷たいくらいである。そう仕向けた張本人である父親は、実は子離れがまだ出来ていないようである。多分ずっと出来ないに違いない。

 少々二日酔い気味の頭でぼんやりそう考えた。

2017年9月 6日 (水)

孔明の陣太鼓

 橘南𧮾(たちばななんけい)と云う江戸時代の人の『東西遊記』(全二巻)を読んでいる。中身は彼が住んでいた京都を基準に、東側を旅したものを『東遊記』、西側を旅したものを『西遊記』として、合わせて東洋文庫では『東西遊記』と題がつけられている。

 並行して読んでいる菅江真澄とほぼ同じ時期(天明年間)に飢饉のみちのくを旅しており、その描写は凄まじい。『東遊記』の補遺として一章たてて詳しく記されている。一度機会があれば分割して紹介したい。菅江真澄の遊覧記は現代文へ翻訳されたものだが、この『東西遊記』はほぼ原文のままである。しかし多少の知識があれば読むのに苦労しない平易なものであり、いま読んでいる『西遊記』の中には短くて面白く興味深いものがあるので、いくつか紹介してみたいと思う。

 「孔明の陣太鼓」の孔明は、もちろん三国志時代の諸葛孔明のことである。長崎で橘南𧮾がきいた話である。以下にそのまま掲載する。


 唐土(もろこし)、当代になりて清朝と国号をあらため、世々賢明の帝王出で給いて年々月々に四海太平の化をたのしめるに付きて、これまで埋もれ居たりし種々の奇書、珍器出ずる。其中に、諸葛孔明、南蛮の孟獲を征伐の時、かの地にて用いられし陣太鼓八つの内、なかば既に官府に集まりぬ。猶のこれるを、天下に詔をくだしあまねくさぐり求め給いしかど、いずれの所にかくれたるやしれざりしかば、委敷(くわしく)図写して、日本の地長崎までも尋来たりしに、其頃全盛の唐通事職(通訳係)河間氏の家に、年頃久しく炭取となし用い居たり。かかる珍器とはしらずして台所の用につかい居たりしが、此図を見るに付けてつくづくとおもえば、我家の炭取こそよく似たりとて、洗い清めてくわしく見るに、胴の裏に篆書(てんしょ)の銘有り。皮は唐金の如き金を薄く打ち延して張りたり。獣皮は用いず。是は南蛮温湿(うんしつ)の地ゆえに獣皮は用いがたきゆえにやという。其外胴の模様一々清朝よりたずね来たりし図に寸分も違わざりければ、早速彼方へいい送り、値は何程にても望み次第に出だすべく、且又朝廷へ申おくりつれば、のぞみの品は何にてもわきまうべければ、此太鼓所望したき由、唐人よりしきりに乞求めしかども、河間大いに秘蔵して、此太鼓我手に有る事天より我にあたえ給いしなり。むなしく清朝へかえさんは我のみならず日本の恥辱なりと、千万金をかえり見ず、強く申し切りてさし置ぬ。
 其後、河間氏幾程もなく身上(しんしょう)不如意になりしかば、此太鼓を質物となして、銀子三十貫目を借り得、又年久しく過ぎぬ。其後河間氏もいよいよおとろえて、此太鼓は久敷長崎の質屋にありしが、先年東より下向し給いし御人、大金を出だして此太鼓を質屋よりうけ出だし、東都に携え帰りて、今にてはご秘蔵となれりと、長崎の人おしみ語れり。誠にめずらしき事なり。河間氏、利に迷わざりしによりて、かくのごとき珍宝も長く日本の物とは成れり。


 思うことはいろいろある。

思案のしどころ

 かねてよりこのブログで苦言を呈していた東芝のダイナブックが、いよいよおかしくなってきた。キーボードのキーのいくつかがキータッチを受け付けなくなって久しい(これは外付けのキーボードでしのいでいる)。さらにソフトの立ち上がり、ファイルの立ち上がりが次第に遅くなってきた。ゴミがたまっているのかも知れないと、ディスクのクリーンアップを繰り返し行っているが、一時的に改善されるもののすぐに元のように遅くなる。

 近頃は「メモリーが不足したのでソフトを停止します」と表示が出てそれきり作業が中断してしまうことがしばしばとなった。家に居るときはこれをメインに使い、acerの超格安のラップトップを旅には持ち歩いて使用する。こちらはメモリーも最低限のものだし、Celeronである。ダイナブックはメモリーも追加してi5を入れているのだ。それなのに同じことをしてもacerのほうが快適に動くとは如何なることか。

 ネットやメールのCMで、ダイナブックが定価の74%引きなどというのをときどき見受ける。理由がなければいくら何でもこんな値引きはしないだろう。評判が悪いことが想像できる。

 そろそろご臨終が近いのかも知れない。取り返しがつかないことにならないうちにデータをハードディスクにすべて移し直しておくことにする。それにしてもメインコンピューターは必要だ。裁判が済んで、覚悟していたより金がかからなかったとはいえ、年金生活者は大きな買い物を簡単にするわけにも行かない。必要なことは間違いはないし、さてどうするか思案のしどころで迷っているところなのである。

 ダイナブック(私のマシンだけのことであろうとは思うが、それならそれでまた腹も立つ)のバカ!

しまりがなくなる

 旅に出ている間は上げ膳据え膳で楽をしてきたので、食事の仕度や片付けをしなければならない日常にまだリズムがもどっていない。だからつい品数の少ない安直な食事になってしまう。

 娘のどん姫が今晩やって来るので少し料理の種類を増やしてペースを取り戻すきっかけにしたい。帰ってから足がむくんでいるのが気になっていて、それがひどくなった。くるぶしがむくみで埋没している。身体の水分の抜けが悪くなっている気もする。旅の疲れだろうか。風呂でよく見たら、虫に刺された右足はそのあたりが、そしてさらにむくんでいる左足の甲には不思議な筋状の傷がある。湯でそこがしみるのである。

 これもなにか、外的要因のもののようである。

 風呂にかなり長く入り、汗をとことん流して身体の水分を落としてみたら、体重が減ると同時に少し腫れが引いた気がする。今朝見たら、さらにむくみが治まっている。まだ完全ではないが、さいわい泌尿器系の異常が原因ではないらしい。年を歴た男の宿命として前立腺の肥大があるから小便の出がやや阻害されて不快であり、それがむくみにつながるようだと、糖尿病との関係で危険である。

 数年前に膀胱出口あたりに炎症が起きて尿管が細くなり排尿困難でつらい思いをした。さいわい抗生物質を処方されて治ったが、その後もなんとなく違和感が消えていないのである。泌尿器系は私には鬼門である。眼と腎臓は糖尿病の最も悪い症状がでやすい場所なのである。

 母は寝たきりになって最後は排尿困難になり、カテーテルを入れていた。病院で男性のカテーテルもあるのを知った。形状として当たり前のことなのだが、イメージはやや辛いものがある。そんなふうになりたくないものだが、こればかりはそのときになれば仕方がない。せいぜい気をつけるばかりだ。

 若いときのような、ほとばしるような排尿が心から懐かしい。気持ちよく出て、きちっと栓が閉まる快感は、そうでなくなってきて初めて分かるものなのである。

2017年9月 5日 (火)

廃墟と世界遺産

日光から渡良瀬街道を下ると足尾を通る。足尾銅山観光の前には以前は「足尾を世界遺産に」と垂れ幕や看板が並んでいたがいまはどうだろうか。今年一度立ち寄っているので今回はパス。


わざわざせまい旧道を通る。

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こんな廃屋がある。廃屋にはちょっと惹かれる。人が生活していた空間が、朽ちて自然に帰っていく途中の姿が時間の経過を感じさせるからだ。

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人が使わないと建物の荒廃は加速するという。

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多分銅山の関係者の使用していた建物であろう。

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樹木も建物を覆い始めている。

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煉瓦の部分は残るのに木造の部分は自壊している。


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こういう建物によるひとりでいたら怖いだろう。

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人類が死滅したあとみたいだ。

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これはまだ現役の東京電力の変電設備。しかし荒廃の兆しが現れている。

世界遺産への意志と、荒廃の放置が矛盾しているような気がする。

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銅山関係の工場施設。立ち入り禁止で、ここも荒廃が始まっているが、ときどき車の出入りがあるので一部だけは稼働しているのかも知れない。

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このようにまったく補修の様子がない。

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工場の向こうの山を見上げると、こんな姿をしている。ここも採掘場だったのだろうか。

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このように門の上を渡良瀬鉄道が走っている。列車が通らないかしばらく見ていたが来ないので諦めた。

ところが。

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バッグにカメラをしまって歩き出してすぐに列車の音がした。あわてて引っ張り出したがときすでに遅し。何とか通過した後ろ姿を撮影した。

このあとしばらく走り、草木ダムのダム湖の草木湖で一息入れる。

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この時期としては水量はまあまあか。ちょっとだけ覗いているのは男体山か。

駐車場の脇のトイレで。

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何を撮ったか分かるだろうか。

プレートに「和風」とあるのだ。「和式」は分かるが「和風」とは・・・。おかしくなってにやにやしてしまった。

タイルにゆがんだシルエットが映っているのはもちろん私である。

へんな最後になったけれど、これで今回の旅の報告はすべて終わり。

:華厳滝

東北の旅でいくつかの滝を見たので、華厳滝を見たくなった。華厳滝といえば、先年、鬼怒川が氾濫して水害のあったまさにその大雨の日に友人と華厳滝を見に行った。エレベーターで滝の正面に降りた。その日の水量は折からの大雨で毎時60トンを超えている、とのことであった。


平生が1~2トンであるからそのすさまじさが分かるだろうか。あまりの水量に水煙が天まで舞い上がり、まさに滝のなかにいるようで、轟音と水しぶきでなにも見えないのである。一生に一度しか経験できないことだっただろう。もちろん写真を撮るどころではなかった。

それにしてもそんな状態なのによく滝の正面に降りるエレベーターを動かし続けていたものだ。なにも見えませんよ、と言われたけれど、滝の中に入る経験は出来た。

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エレベータを降りる前に上から見下ろす。

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横手の小さな滝が美しい。

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全体はこうなっている。

ここからエレベーターに乗り、岩盤の中を100メートル降りて正面から見る。このエレベーターは昭和四年だか五年だかに作られたそうだ。そんなにむかしからあるとは知らなかった。

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エレベーターを降りれば滝の正面から見ることが出来る。

この日の水量は毎秒1トンだそうだ。それでこの迫力なのである。

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美しい。

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周辺をすべて画面に入れてみる。滝だけよりもこの方が好い気がする。先年の大雨のときはこの崖のはるか上まで水しぶきが舞い上がり、水煙が山と空を覆っていた。なにしろこの60倍の水量が落下していたのである。

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水の造形が千変万化して見飽きない。

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自然は美しいと思う。不思議だと思う。ただ水が下に落ちているだけなのに。

滝を堪能した。来てよかった。やはり華厳滝は好い。

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滝をあとにすると男体山が姿を見せた。半月山の展望台まで山を登れば中禅寺湖と男体山の絶景が見られるけれど、滝の余韻を残したくてパスした。登ってきたいろは坂を再び下る。

2017年9月 4日 (月)

殺生石

那須高原の宿から下る坂道の途中に殺生石というのがある。


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駐車場に車を置いてドアを開けると強い硫黄臭(硫化水素臭)がする。看板によれば、松尾芭蕉は奥の細道行のときにここに立ち寄ったそうだ。

こんな坂道を下からてくてく歩いて登るのはさぞ大変だっただろう。昔のひとは本当に足が丈夫だったのだなあと思う。

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こんな木道を歩いて行く。正面の崖の大きな石が殺生石らしい。

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近くまで行く。石が人を殺したのではなく、多分ときどき硫化水素の濃度が上がり、そのガスの毒で人が死んだのであろう。

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途中に湯の花畑がある。こんな仕掛けで湯ノ花を採取しているらしい。勝手に中を見るわけにも行かないので眺めるだけ。もれる湯気ももちろん硫化水素臭がする。

通り道は二手に分かれていて、帰りは違う道を行くと・・・。

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こんなお地蔵さんがたくさん並んでいる。

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これが親玉(そんな言い方はしないか)らしい。

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とにかくみんな同じ方向を向いて手を合わせている。

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何百体と並んでいる。

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無心の表情が好いので一つずつみんな写真が撮りたくなる。

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お気づきだろうが、みな顔に比べて手が大きいのである。

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登ってきた方を振り返る。青い屋根が駐車場前のトイレ。はるか彼方に下界の那須の街がある。

登り口で茶臼岳の頭の先が見えていたのだが、ここからだと却って見えない。

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駐車場まで降りて、さらに坂道を杜甫で上がり直してようやく山頂が見える場所を見つけて撮影。茶臼岳は現役ばりばりの活火山であり、いま噴火してもおかしくないのである。

噴火口は絶景で見ものらしい。もうちょっと若ければなあ。

これで東北旅行は終わりだが、この晩群馬の友人と会食するので北関東へ宿泊。時間があるので日光に立ち寄り、大好きな渡良瀬街道を走って下界に降りることにする。

一気に南下

碇ヶ関の宿で疲れを取るために、昼過ぎまでゆっくりしたので次の宿泊地・花巻へは移動するだけだった。


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途中のパーキングで岩手山を見る。空はもう秋の気配。

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望遠で。岩手山も独立峰だから雄大な姿を見せる。

時間があれば八幡平の山中を走っても好いのだが、時間もないし天気が今ひとつなのでまた今度にする。

その晩の宿は花巻温泉だったが、今ひとつだったことは先日報告した。相性の問題だと思う。だから書くことがない。

翌日は朝小雨交じりだったものの南下するに従って次第に空は晴れてきた。その晩は那須高原。茶臼岳のロープウエイに近い山上の宿だ。

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急勾配の坂道を一気に登っていく。途中の展望台に立ち寄る。

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那須岳全体の姿。

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右下に白く見えているのがロープウエイの駅。快晴となった。

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下界を見下ろす。

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このあと宿の前を通過してロープウエイに向かう。看板はロープウエイ山頂駅前にあるもの。ここが那須の茶臼岳の九合目に当たる。

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茶臼岳山頂までここから約五十分というが、私なら一時間以上、もしかしたら行きつかないかも知れない。それに行ったら帰ってこなければならない。と言い訳して諦める。

眺望は本当は好いはずなのに山頂駅の作りの問題か、肝心の目の前の山が見えない構造になっていて腹立たしい。

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この写真も建物やほかのものに遮られている中をかろうじて望遠で撮ったもの。どうして向こう側に展望台を作らないのか理解できない。

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下界はよく見える。雲海が目の下にある。

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ゴンドラは100人以上乗れるという大型のもの。スピードも速い。高低差800メートルあまりを四分で登る。窓ガラスがうすい色ガラスなので(多分偏光ガラスだろう)まぶしくなく景色を見ることが出来るが、写真を撮ると色が変になってしまう。ちょっと補整した。

それにしてもこの景色は山上駅ではロープウエイの駅に遮られて見ることが出来ないのだ。信じられない。見たかったら茶臼岳の山を登らなければならないようだ。

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宿の前からの景色。左手に少し覗いているのが茶臼岳。

宿はとてもフレンドリーで居心地がよかった。風呂もよかった。もちろん温泉である。水がとても美味しい。夜、外で星空を見る会があるということだったが、飲んだくれたのと疲れで残念ながらパスした。何しろ気温が10℃ちょっとくらいしかないから、しっかりした上着がないと風邪を引いてしまう。そんな用意もないし・・・。

翌日、坂を下りながら宿からすぐ下の殺生石というのを見に行く。

2017年9月 3日 (日)

色彩の洪水・立侫武多の館

夕方無事わが家に到着した。わが家のすぐ近くの交差点でバイクと消防車の衝突事故があったらしく、家の手前で足止めを喰らったけれど、自分でなくてよかった。


これからまた日常生活が始まるが、リズムを取り戻すのに少し時間がかかるかも知れない。雑用もいくつかあるので明日は忙しい。

さて旅の私はまだ五所川原にいる。

斜陽館から数キロのところに立侫武多(たちねぷた)の館があるというので見に行った。公営の駐車場に車を置くと、入場券の半券を提示すれば二時間まで無料とのこと。目の前に大きな建物がある。入り口は向こう側なので建物をぐるりと半回りしないといけない。

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何だこれは!と思うほどでかい。

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下から見上げると首が痛くなるほど大きい。高さ二十数メートルあるという。想像していたよりもはるかに大きい。

展示している立侫武多は三体。三年使われてから破却されるので、ここに展示しているのは今年作られたもの、昨年作られたもの、一昨年作られたものの三体である。毎年テーマを決めてそれに基づいて冬から作りはじめるという。

青森県には30カ所以上ねぶた、またはねぷたの祭があるが、有名なのは青森のねぶた(横に大きい)、弘前のねぷた(扇形)、そしてこの五所川原の立侫武多である。

南部と津軽の軋轢があり、青森県は西と東に二つに別れると言われる。だからねぶたとねぷたと呼び名まで違うのである。その歴史的背景は聞いたことがあるけれど詳しくはない。

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もう一つの立侫武多。実はこの後ろにももう一体あるがすぐ近いので、上からしか全体が見えない。

ある程度眺めてからエレベーターで四階まで上がる。それが最上階で、一番上から見下ろすことが出来る。

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上から見るとこうなっている。豪華絢爛、たくさんの付属物がそれぞれに素晴らしい。

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顔。

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顔。

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顔。

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手。・・・いちいちいわれなくても見れば分かるか。

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こんな絵がいくつも描かれている。とにかく色彩の洪水なのだ。

定時ごとにライトが消されて壁面の巨大スクリーンに立侫武多の歴史と実際の祭の様子が描き出される。立侫武多は一度廃れてしまい、技術も失われたが、1996年に図面が発見されて、二年掛けて再生したという。

祭の盛り上がりもよく描かれていた。いろいろなことに感情移入してしまって、ものすごく感動してしまい、涙があふれてしまって止まらなくなった。どうしてそんなに感動したのか我ながら不思議だったが、ハンカチが濡れるほどだったから半端ではない。明るくなったときにはちょっと恥ずかしかった。

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下の「雲漢」の文字の意味は、天の川である。

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建物の周りをこのような回廊がらせん状にめぐっていて、高さ違いの絵柄をじっくり見ることが出来る。ちょうどここが橋になっていて、この橋は跳ね上げて開くようになっている。
うしろの壁も開く。

そう、ここがすべて開いて展示されている立侫武多が引き出されるのである。立侫武多が町を練り歩けるように、電線などはすべて地中に埋設してあるというから徹底している。

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五所川原と言えばこの人を忘れてはいけない。

大満足と感動の立侫武多館であった。近くへ来たら見ることをお薦めする。すごいです。

再び酩酊

昨晩も前夜に続いて深酒で酩酊した。

墓参りをかねて、実家である弟の家に泊まっている。
旅の話やその他諸々のことを話していたら盛り上がって、気がついたら深夜の一時をとっくに過ぎていた。

弟は今年で63歳になるが、私と違ってそのまま延長して働いている。
一年ごとに会社と延長契約を交わしているが、来年の期限でやめると会社に申し入れたそうだ。
私の旅の話をきいて「行きたい」と言った。
元気なうちに行かないとあとで後悔するから、良い頃合いかも知れない。

弟夫婦はとても仲が良いから、旅は二人連れになる。
いつでも案内で同行すると約束したけれど邪魔かなあ。
義妹は幼稚園の先生として働いているが、弟が辞めるときには自分も辞めるそうだ。本当に仲が良いのだ。

さすがに旅の疲れと飲みすぎの疲れで昨晩も今朝もブログを書く気力がない。今日は午前中に酒が抜けたのを確認次第名古屋へ帰る。

一部洗濯をしたけれど大半は残っている。帰ったらまず洗濯をしなければならない。そして多分弁護費用の請求書が届いているはずなので、その準備もしなければならない。

どん姫から「いつ帰るの?今どこ?」とメールが来ていた。
ささやかな土産を買ってあるのでその連絡をした。

どん姫が来たらまた酒盛りだ。血糖値は上がっているだろうなあ。体重も3キロくらい増えてしまった。えらいことだ。

2017年9月 2日 (土)

義経伝説と斜陽館

昨晩は酔うほどにハイテンションになり、あらぬ事を口走ったような気がするが、覚えていない。無理に思い出せば思い出せるけれど、思い出したくないから思い出さない。楽しかったことだけを記憶に留めておくことにする。


竜飛からすぐ西の外ヶ浜は義経が蝦夷へ渡海したという伝説の残る場所である。その場所へ立ち寄ってみる。

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外ヶ浜は雨。

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右の木標には源義経渡海の地とある。

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義経は龍神となって蝦夷に渡ったのだろうか。

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何と静御前も一緒だったのだ。

静御前といえば、義経の子を身ごもっていたので、陸奥に落ち延びていく義経一行と別れて身を隠すが、頼朝に捕まってしまい、鎌倉に幽閉される。頼朝は生まれてくる子を女なら助けるつもりだったが、うまれたのが男の子だったのでひそかに殺された。哀れな話である。

その静御前も共に蝦夷に渡り、さらに大陸に渡ってその子がテムジン、つまりジンギスカンになったというのだろうか。

子どもを殺させたのは頼朝ではなくて北条政子だという。そのことから私の母は北条政子が嫌いで、政子という名前も嫌いだといっていた。よほど静御前に哀れを覚えていたのだろう。

この石碑のある場所の向こうに義経寺があるのだが、雨が強くなったので傘をさしてまで行く気にならず、ここを後にした。

ここから津軽半島を一気に南下して、五所川原に向かう。ここには太宰治の生家があり、「斜陽館」として公開されている。

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斜陽館。

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中はとにかく広い。部屋がたくさんある。

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太宰治が愛用していたという黒マント。いわゆる二重回しというやつである。このあと外人さんが着せてもらって大喜びしていた。

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仏壇も立派である。

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こんな階段で二階に上がる。

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こんな洋間がある。

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この部屋は主に母親の部屋として使われたという。

この右から三枚目の最後の文字(落款は除く)が「斜陽」である。

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二階の廊下。

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庭を見下ろす。庭も立派だ。

このあと斜陽館の駐車場横の食堂で太宰治が好きだったというねまがり竹とわかめがふんだんに入ったラーメンを食す。煮干しのだしがよくきいた美味しいラーメンだった。

次に同じ五所川原にある立侫武多(たちねぷた)の展示館に向かう。これはすごかった。

竜飛岬


とにかく竜飛岬に着いた。

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竜飛岬は外ヶ浜町に属するのか。この地図の先っちょの小さな島が帯島である。

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岬から漁港を見下ろす。この岬のすぐ下あたりに階段国道の降り口がある。日本で唯一の階段の国道である。海の向こう、左手奥にちらりと北海道が見えている。

Dsc_4080 一番先端の帯島が抱きかかえるようにしているのが海峡亭。

帯島はその名の通り島だが、漁港からコンクリートでつながっている。帯島には義経伝説があると言うが、どういう話か知る機会がなかったので分からない。

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海峡亭に泊まる釣り人は、このうしろの岩山をよじ登り向こう側へ降りて磯釣りをする。岬を漁港まで降りてみる。

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漁港から岬を見上げる。あの高倉健主演の映画「海峡」で吉永小百合が身を投げようとして健さんに助けられたのはこの岬だったのだろうか。

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海峡亭まで言ってみる。しつこくここのことを書くのは、数年前この宿に泊まったからだ。まさに魚の絵が描かれている窓の部屋の左右に兄貴分の人と私が別々(私のいびきを避けるため)に泊まった。

夜明け前にイカ釣りの漁船があのたくさんの集魚灯を輝かせて港に櫛比していたのを、二日酔いの酔眼で眺めたことを思い出す。

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漁港の東端から東の方を見る。これは下北半島ではないかと思うがどうだろう。


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さらにすぐその先に太宰治の文学碑がある。小説「津軽」でこの竜飛が触れられているらしいが、読んだことがないから知らない。

この文学碑そのものかどうか知らないが、むかしは帯島側の駐車場にあったはずだ。そこには石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の音楽が流れる歌碑もあったような気がする。いまはその歌碑は岬の上にある。

港では石川さゆりの歌声ではなく、海猫の鳴き声がしきりに聞こえて物寂しい気分にさせる。


2017年9月 1日 (金)

眺瞰台(ちょうかんだい)

津軽半島の西岸小泊を過ぎると一気に急坂を登る。ここから竜飛までは断崖であり、海岸を走る道路はない。登っても登ってもさらに上がある。その峠に眺瞰台という展望台がある。


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おお、ついに北海道が見えた。松前のあたりか。

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竜飛岬と北海道を一望に見る。

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眺瞰台の石碑。北海道と共に。

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こうして見れば、竜飛と北海道の近さが分かる。

津軽海峡を行く船がかすかに見える。
数年前、兄貴分の人と敦賀から日本海フェリーでこの竜飛沖をフェリーで通過したことを思い出した。

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南の方向に目を転じればかすかに岩木山が勇姿を見せている。独立峰はそれだけで美しい。天気がよければもっとよいが、見えているだけでも有難いことだ。

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こういう坂をひたすら登ってきた。向こうに見えるのは小泊岬か。

さあ坂を一気に下って久方ぶりの竜飛岬を訪ねよう。

同じであること

 いま養老孟司・名越康文『「他人」の壁』(SB新書)という本を読んでいる。このなかには、かねてから私が考えていたことがいくつも散りばめられていて、強く共感することが多い。

 私が、知っているということと分かることとは違う、ということに気がついたのはずいぶん昔の若いときである。真継信彦の『鮫』という本を読んで、無明という言葉を知った。『鮫』の続編が『無明』であるが、物語としては『鮫』の方が面白い。私はまさに無明のなかにいた。その無明であることを自覚した瞬間が、「人と人は違う」ということに気がついたときだった。自分が無明であると本当に気がついたとき、人は無明の世界から脱している。

 いま読んでいる『「他人」の壁』という本では、最後に「同じ」ということについて深い考察がなされている。A=Bが自明であるのは理念の世界の話である。人間の脳の約束事のようなものだ。そもそもAはBではない。子どもはそれを乗り越えてA=Bを理解して人間になる。動物はついにA=Bを理解することができない。

 名前とは何か。区別するための記号である。そのとき、猫という言葉は、この世の猫すべてを「猫」としてほかの種類の動物と区別する役割を果たす。そういう意味ではこの猫もあの猫もみな同じ猫である。ではこの猫とあの猫は同じか。違うのである。当たり前のこのことを誰でも知っているけれど、実は分かっていない。

 同じであるという概念が人間の世界の認識を進化させた。区別し、分類すること、同じものはひとくくりにすることの積み重ねが、言葉をつぎつぎに作りだしていったのだ。さらに等価という概念が交換を生み出した。この野菜一山とこの魚三匹が同じ価値であると互いに認めるから交換が成り立つ。ついにはお金というものが作られていく。すべての物はお金に換算することで価値が与えられていくことになった。お金で買えないものはないとまでいわれた。

 学生時代、生涯の友とまで思っていた友人と絶交した。きっかけは私にあるので慚愧に堪えないが、いまさら悔いても仕方がない。その彼と最初にはげしい言い争いになったのは、この等価ということに近いことだった。すべてのことにそれぞれに通用する物差しがあるはずだ、と私が主張したことに彼が反対したのだ。彼は私がすべて金に換算できるという意味を含めているように誤解したのかも知れない。このことはしかし絶交の直接の理由ではない。

 私が言いたかったのは、ものごとにはことごとく違いがあるのだから、その違いを明らかにすればそれぞれが観念的に自分の認識のなかで位置づけできるはずだ、と言うもので、まことに分かりにくい。誤解されるのも当然である。

 そのときに考えに考えて、人と人は違うということを本当に理解したのだ。多分その理解にはレベルが無数にあって、とにかく知っているだけという無明から、一段階上がったような不思議な思いがしたことを覚えている。たびたび書いているが、世界が一皮めくれて違うものとして見えた気がした。

 これは人に語っても分かってもらえないかも知れない。分かった人だけが分かることだから。だから養老孟司先生と名越康文氏が分かった上で語り合っているのを読むととても嬉しくもあり、うらやましくもある。私とは分かっていることのレベルが甚だしく違うけれど。

 「同じ」ことと「違う」ことについてもっと深く考えてみたいと思う。ただし、それは「意味」を考えることではないことをこの本では繰り返したしなめている。世界を意味で考えても不毛であると養老孟司先生は喝破する。「意味」こそ等価価値の変換に過ぎないことなのだから。ヴィトゲンシュタインが哲学について、言葉について限界を語ったのは、そこにあるのかもしれない。哲学がしばしば記号論的になるのも当然である。・・・・知らないで知ったかぶりで書いているので知っている人はひそかにあざ笑ってください。

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