« ついに終わってしまった | トップページ | アクセス数 »

2017年9月11日 (月)

「なにも考えないこと」ができない

 ぼんやりととりとめのないことを考えていると、書き留めたいことが心に浮かぶことがある。ブログを書くきっかけでもあるし、楽しみでもある。

 それに馴れてきたらいつの間にかブログを書くために考えているような心持ちになっていたりする。なんとなくそのことに面白くないものを感じているけれど、よく考えるとどうして面白くないのか分からない。浮かんでは消えていく考えを多少なりとも明確化することは自分の望んでいたことである。

 無心であることと、なにも考えないということは似ているけれど違うのだと思う。「沈黙が思想を生む」という。初めてそれを聞いたとき、意味が分からなかった。考えるときには沈黙が必要なのだという程度にしか理解していなかった。

 気がついたら、「なにも考えない」ことができなくなっていた。もちろん無心の境地になど至ったことはない。雑念が常に頭の中に渦巻いている。渦巻いているけれど、言葉の形をしていない状態のままであることが普通にあった。いま、沈黙していると(独りでいるからほとんど沈黙している)頭の中は言葉となった雑念が渦巻いてしまってやかましい。

 思想を生み出すような沈黙が無心であることと通じているのであれば、私は以前よりも無心からさらに遠く隔たってしまったのかも知れない。

 なにも考えない、などというと「サトリの化け物(ときにサトルの化け物ともいう)」という話を思い出す。類話が多いのでここでは紹介しないが、面白い話なので知らない人はネットで調べれば出ている。

 「サトリの化け物」は人の心を読む。考えたことがすべて読み取られるから恐ろしいのであるが、その「サトリ」にも「無心」は読み取れないし、「なにも考えない」人間の心は読むことができない。しかし人間は「なにも考えない」ようにしようとすればするほど考えてしまう。何しろなにも考えないようにしようと考えてしまうのだから。

 どうもサトリの化け物の前にいる心地がする。

« ついに終わってしまった | トップページ | アクセス数 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

雑念が渦巻いてるのが普通で、ごくたまに結果として無心のような状態がなるものと思ってます。
場にあわない不謹慎なことを考えてることもありますが、感情に善悪はない、言動行動を注意すれば良いと思ってます。

けんこう館様
雑念のざわめきが今までにないほどやかましくなっています。
あるきっかけで精神が興奮状態になったまま元に戻らなくなっている状態です。
時間と共におさまれば良いなあと思っています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ついに終わってしまった | トップページ | アクセス数 »

最近のトラックバック

カテゴリー

  • アニメ・コミック
  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • ニュース
  • パソコン・インターネット
  • 心と体
  • 文化・芸術
  • 旅行・地域
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 映画・テレビ
  • 書籍・雑誌
  • 経済・政治・国際
  • 芸能・アイドル
  • 趣味
  • 音楽
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ