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2017年9月10日 (日)

養老孟司&名越康文『「他人」の壁』(SB新書)

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 旅に持参していた本の中の一冊で、帰る前に読み終えていた本であり、読んで考えたことの一部は、拙ブログ「同じであること」(9/1)と題して披露した。

 この本にはじっくり考えたいテーマがいくつかあって、その多くは既に長年にわたって私も考えていたことである。どうせぼんやりしていることが多いのであるから、その問題を忘れずにあらためて考えるために、ときどき開いて見る本として、寝床の横に置いておくことにした。

 他人と解り合えるか、話せば分かるか、そのことを考えることはとても大事なことだと思う。そのことを深く考えないと、他人の言っていることを聞くことが出来ないおそれがあるとまで私は思っている。

 テレビで持論を展開している人間の、他人の意見を聞かないことの多いことに驚くが、多分そのへんについてよく考えたことがないのであろう(考えすぎると一方的にしゃべれなくなるけれど)。

 ガラリと話が変わるが(実は私にとってつながっている話なのだが)、「自分とは何か」について考え続けている。「自分探し」というときの「自分」とは何かが分かっていなければ、探しても何を探しているのか分からないということになるし、分かっているのならあえて探しに行く必要もないのであるから、「自分探し」とは変な話だと下らない屁理屈を言いたくなるが、それは置いておく。

 探さなければならないのなら「自分」は失われているのだろうか。自分で自分自身とは何かが分からないということについては、分かる。他人がなかなか分からないように、そもそも自分のことを自分もよく分かっていないものだ、といわれることについて了解する。

 このときに、実は確固たる「自分」というものがあって、それが自分自身によく見えていないから、それを探しに行くのが「自分探し」だとたいていの人は思っている。環境が変わると自分の本質が見えてくると信じているのだろう。そこで自分が発見できると期待しているのだ。

 私は「確固たる自分」など存在しないものだと思っている。そんなものは幻想だと思う。自分は極めてファジイ、つまりあいまいなものなのだという前提でものを考えている。そもそも自分の考えなど、体調により、そして置かれた環境により、運不運により、いろいろな状況で大きく変わるものだ。大きく変わる考えによって考えられる自分が「確固たる」ものであろうはずがあるだろうか、と思うのである。

 考えるのは確かに自分である。だから自分というものがあるのは間違いないと(そこまで疑うと私の手に負えなくなる)いうところを出発点にする。

 話が長くなりそうなので、次回は「自分との関係」という題にしてこの話を続ける。

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