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2018年12月

2018年12月31日 (月)

酒仙の正体

 奥野信太郎先生が『女と酒』という随筆で中国の面白い話を紹介している。

「むかし、京修という酒屋があった。その京修の店に、ある日、ふらりとひとりの小人みたいな小さな男がはいってきた。酒をくれという。酒屋の京修はこんな小人だから、呑むといってもタケがみえていると思っていたところ、呑むわ呑むわ、たちまち三斗の酒をあけてしまった。すこぶる上機嫌である。相手をしていた京修もすっかり上機嫌になった。
 その男は姓は成、名は徳器というのだと告げた。ふつう年をとるとだんだん酒量は減るものだが、徳器は逆に、老いてますます酒量はますばかりだという。そのうちに手ぶり身ぶりもおもしろく踊り始めた。そしてコリャコリャの掛声も勇ましくぐるぐる歩き出し、戸口のところで思わずよろめいて柱にぶつかったと思う間もあらせず、ガチャンという音とともに、かれのすがたはかき消すようにみえなくなってしまった。あとには陶片が散乱しているだけであった。その徳器という酔客は、酒甕の化身であったというわけである。酒屋の主人京修は、これぞまごうかたなき酒仙であると賛嘆おくあたわなかったという。
 死んだら土にかえり、その土が酒甕に焼かれて、いつも酒びたりでいたいという考えかたは、中国でも特に六朝の晋代にはたいへん流行した。晋という時代は、酒と女の時代であった。詩人も哲学者も、みんな大酒豪ぞろいで、朝から酒を呑み、強精剤を服用して春爛漫の気もちが、長く保ち続けられんことをこい願ってやまなかった」

 今日昼からどん姫がやって来て2日までいてくれる。毎年大晦日の31日の晩から飲み始めて正月2日までは昼間から酒を飲んで酩酊するのが習わしだが、今回は息子が来ないから寂しい思いがしていた。かわりにどん姫を相手に酩酊することにしよう。

 最後に今年一年も拙く書き殴った私のブログをお読みいただいた方々に厚く御礼を申し上げ、来年も引き続きよろしくお願いいたします。

 来年が皆様にとって善い年であることを祈念して今年の納めといたします。

2018年12月30日 (日)

食を読む(4)焼き肉

 さらに『燕京食譜』から。

『正陽楼、東莱順、西莱順は羊肉を嫌わない人である限り日本人の間でも先ず知らないものは無い筈である。これが烤羊肉でなくて烤牛肉(カオニューロウ)となるとちょっと知らない人の方が多いかもしれぬ。宣武門内路東の迂濶(うっかり)していると行き過ぎてしまいそうな小さな店、だが一度店先へ這入ると順番が来るまでかなり待たなければならないほど大勢の人でいつも満員であって、自分でタレをつけながら牛肉を焼いて焼餅(シャオピン)の間に挟んで食べる順序は烤羊肉と同じことである。羊肉に飽きたとき、そして腹一杯に牛肉を食べたいとき、この烤牛肉にまさるものはない。これも冬の間の食べもので、いつも寒い風が吹き始めだすとあの暗算の上手な太った親爺の顔と共に、鉄炉の上で焦げ付く醤油と肉の烟とが眼前に濛々と立ちこめる思いがする。
また北京情趣の一景である」

 私は焼き肉となるとスイッチが入る。悟空ではないが、食のスーパーサイア人になるのだ。ふだんの胃袋が特殊モードに変化し、果てしなく肉を消化する装置と化す。

 大学で山形県の米沢に三年間暮らした。ここは知る人ぞ知る牛肉のうまいところであり、焼き肉屋やホルモン焼きの店がたくさんある。実際には、牛はとなりの高畑というところ(ここが私の父の父のルーツだと教えてくれた人がいるが、確認していないので判らない)で肥育しているらしい。米沢牛はブランドである。先輩に連れて行かれた焼き肉屋でその旨さをとことん教えられた。

 だから暮らした街では必ずなじみの焼き肉屋が二三軒できた。それほど頻繁に焼き肉を食べた。仕事で訪れてその後たびたび行った北見の焼き肉屋などは終生忘れられない。濛々と立ちこめる煙の中でビー酎という焼酎をちょっとだけビールで割る酒をぐいぐい飲みながら食べる焼き肉は絶品である。

 奥野信太郎先生の文章を読んで、その光景を思い出していた。糖尿病になって胃袋の特殊モード変換が封印されているのが恨めしい。

食を読む(3)蟹と箸とお茶

 引き続き『燕京食譜』の中から。

「正陽楼では羊肉のほかに蟹を食べさせる。勿論河の蟹であるが、それが丁度日本の蟹位の大きさである。それを酢醤油で食べるのは日本の食べ方と同じであるけれども、その甲を割るのにめいめい渡された小さな木槌で敲き破るのは変わっていて面白い。肉をほじくる箸の先が日本のように鋭く削っていないのはやや不便であるが、わたくしは正陽楼の蟹を食べる度にいつも箸の先は日本式に削り、日本ではこの正陽楼式の木槌を用いたならば、両方いっそう便利になるだろうと思い思いした」

「正陽楼では食事が終わってから蒲蘆茶(プールーチャー)という赤砂糖を入れた甘茶を一服出してくれる。甚だ下手な感じがするが、これで食べたものが程よくおちついてくる。読んで字の如く蒲(がま)の穂を乾した煮出汁ではあろうが、またこれも一種の風味があるものである。特に注文しない限り出してくれないので、知る人は少ないようである」

 北京の正陽楼ももちろんだが、羊肉を主に食べさせる店は「清真回々」、つまりイスラム教を信奉する人々である。思い出すのは西安の城内、鐘楼の奥のイスラム系の人々の人たちが住み、食べ物や土産物を売る街路のことだ。独特の匂いがたちこめ、中国という異国にいてさらにエキゾチックな気分に惹かれるところである。そういえば今回のウズベキスタン旅行では期待していたほど羊肉を食べられなかった。

 ここで云う蟹はいわゆる上海蟹であろう。上海で何度か食べた。頼めば身だけをきれいに取り分けて出してくれる。同席した中国の人に、蟹の身をみぞるたのしみを人に頼んでしまうなどもったいないと笑われた。蟹と云えば二月に城崎にズワイガニを食べに行く。あんな贅沢な食べ方を続けていれば、いまに蟹も獲れなくなってしまうだろう。そう思いながら若いときの健啖家にひととき戻る。申し訳ないことである。

2018年12月29日 (土)

支持率アップのための陰謀?

 今回の韓国駆逐艦のレーダー照射事件を機に多少日本人の反韓感情は増したと思うが、それが国内的に盛り上がりを見せていると云うほどではないことは日本にいれば分かる。現に年末年始の海外への旅行に出かける観光客へのインタビューでも、「韓国へ行って美味しいものをいっぱい食べてきまあす」などと云う女性客たちが笑って答えていたことでも明らかだ。

 中国と違って、まさかいきなり身柄が拘束されるなどという心配は韓国についてはなさそうだ。もちろんいまどき韓国へ行くなどとはなにを考えているのだ、とお怒りの向きはあるかもしれないが、せいぜい愉しんできてください、行ってらっしゃい、というところである。
 
 ところで韓国のメディアでは、今回の映像公開が安倍首相の指示だったらしいことから、「落ちかけている支持率を回復させるために日本側が問題を意図的に大きくしている」という意見が出始めているようだ。

 なるほど、韓国では大統領の支持率が落ち始めると反日的な行動をエスカレートさせ、一時的にせよ支持率が回復することが多い。韓国の常套手段であることは日本側もお見通しであるけれど、不思議なことにそれが韓国ではいつでも何回でも通用する。

 だから今回のことで安倍首相が支持率を回復させるためにあいまいにせずに問題化したのだ、といいたいらしい。しかしこの問題について韓国に怒る日本人はいても、だから安倍首相をこれからはいっそう支持しようなどと考える日本人がいるとは思えない。もしその可能性があるなら野党が黙っていないだろう。けれど野党が韓国側の意見に与すれば、忽ち支持がさらに低下するだろうことだけは間違いない気がする。さすがに今回は朝日新聞も韓国の肩を持つ気はないようである。

 引っ込まない日本を韓国は初めて見てどう反応していいか分からないようだ。いままではたいていアメリカに裏でなだめられて、日本は歯ぎしりをしながら引き下がってきたが、マティス長官が今年限りとなったことで、アメリカにはそういう役割をする人物が不在なのだろう。そして多分これからもいない状態が続くのかもしれない。それはある意味で勝手におやんなさい、というアメリカのメッセージであり、同時に韓国が見捨てられつつあるということのようである。それが日本にとって善いことかどうかは分からないが、そういう時代が始まったということだろう。

引っ込みがつかない

 韓国駆逐艦の日本の哨戒機への火器管制レーダー照射事件の事実は、ほぼ日本の主張通りのようである。ここで韓国の主張の通りに日本のでっち上げだという主張を信じる人はよほどの人であろう。

 問題はそのよほどの人がどれほどいるのか、韓国の人のどれだけが韓国の国防部の発表をそのまま信じて日本を非難するのか、世界が、特にアメリカがどのような認識をするのか、である。

 軍関係者なら、まず日本の主張の正当性を疑うことはなさそうである。しかし日本と韓国の違いすらよく判らない世界の人はこのいきさつをどう捉えるか、心配である。ここまで日本も公然と韓国の非を鳴らしたのであるから、もう引っ込みがつかない。世界に向けて日本の正当性を判るように主張し続ける必要があるだろう。いままでのように相手のことを考慮して中途半端なことをすると、韓国はとことん日本非難を続けて事実をねじ曲げようとするだろう。いままで再三それで日本は苦汁をなめさせられてきた。

 韓国は、日本からの、韓国駆逐艦のあってはならない行動指摘を認めて、その責任者を処罰し、今後気をつける、と返答すれば終わりの話で、日本側もそれ以上追求するつもりなどなかったはずである。それを言い訳だけを繰り返し、言うことをつぎつぎに変えて日本が悪いとまでいいだし、ついには日本があたかもでっち上げたかのような主張に変わっていった。

 最初に出方を間違えたので、韓国は引っ込みがつかなくなってしまったのだろうが、そもそもそのように強気に反論していると、いままでのように日本は最後は矛を収めてうやむやになると高をくくっていたのであろう。

 日本は民主党政権時代に尖閣近海で中国漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりした暴挙を某仙谷氏の判断で(それすら沖縄の検察のせいにした)うやむやにしようとして、後にビデオが公開されたために大問題になった。

 同じようなことが今回も起こることは大いに考えられる。うやむやにして、のちに事実が暴露されるような形になれば、政権の根幹を揺るがすことになるであろうことは想像がつく。それなら最初からすべてを国民に明らかにする方がよいと安倍首相が判断したらしい。

 それにしても韓国の今回の挑発的なレーダー照射は理由の理解しにくい異常行動だ。軍としてはもちろんだが、韓国や日本にとっても百害あって一利もない行為だ。実はあの駆逐艦の下に韓国の秘密潜水艦が行動をしていて、その行動を偵察機に察知されたくなかったという憶測も唱えられていて、一概に否定できない気になっている。

 興味があるのは、日本の左翼的野党議員の中に今回のことについて、韓国側に立ったり日本側を非難するようなコメントがいまのところ見られないことだ。日本が軍事行動をするからこんなことになった、などといつものようにどうして言わないのか。下手にそんなことを言って袋だたきに遭うのがこわいのだろう。しょせん野党の非軍備平和主義などそんな程度のものなのだろう。

 これだけ歴然とした事実が明らかになっても日本が悪いと言い張る韓国の議員の方が根性が坐っている。

雪が降っている

 夜更かししたので目が醒めたのは7時過ぎ。外を見たら雪が降っている。夜中(2時か3時か)には降っていなかったので夜明け前から降り始めたものか。

 車の上も木々の枝も家々の屋根も白くなっている。昼前にはやんで次第に晴れてくるとのことである。

2018年12月28日 (金)

食を読む(2)肉と酒

  引き続き『燕京食譜』から

「北京は古い都である。したがってうまいものの数もまた甚だ多い。なかでも冬の楽しみの一つとしては、何はさておき羊の肉を挙げなくてはなるまいが、羊の肉と云えば前門外の正陽楼は余りにも有名である。暗い店に這入ると、まず大勢の男が慣れた手つきで刻んでいる羊肉(ヤンロウ)の美しい鮮紅色が眼に沁みる。暗い寒空のもと、中庭の炉を囲んで片足を几に乗せておのがじし羊を焼いて食べる烤羊肉(カオヤンロウ)は豪快な趣そのものといえよう。どうかするとちらちら雪が降り始めた晩など、外套の襟を立てて渦巻き上がる烟と深紅な炎に対するとき、長い箸をとって肉片を焼く我が身が古い世の魔術師の如くさえ思われてくる。烤羊肉に対して野菜鍋の中に羊肉を入れて煮るのを涮羊肉(ショアヤンロウ)と称する。これは煮すぎてはよくない。ほとんど洗う程度で引き上げ、数種類の薬味を自分で好みに調合したものをつけて食べる。羊の肉には不思議に紹興酒よりも白乾児(パイカル)の方がよく合う。白乾児というのは満州で云うところの高粱酒であるが、中でも汾酒(フエンチウ)と称するものを以て最とする。山西省汾水のほとりに産出する白乾児は、古来天下にその名を轟かしている。そこで汾酒すなわち上等の白乾児を意味し、必ずしも汾酒ならずしてその名を冒すことあるは、わが国灘の清酒と一般である。品格から云っても紹興酒と同日に論ずべきものではないが、白乾児には白乾児の味わいがあってまた捨て難いものである。ことに羊肉とよく調和する点など心得ておくべきことの一であろうか」

 羊肉のしゃぶしゃぶ風の食べ方は敦煌で食べたものが忘れられない。冷凍した羊肉を薄くスライスして花びらのようにしたのを野菜鍋にくぐらせて、自分でさまざまな薬味をブレンドしたたれに浸けて食べる。このときは駱駝の肉やロバの肉も食べ比べた。そのときはビールを飲みながらだった。白乾児があったら味わいも違ったろうに、と思わないではない。残念ながら私にはまだ心得がなかったのである。

次回は同じ正陽楼の蟹とお茶の話。

食を読む(1)

 朝、外を眺めたら残念ながら雪は降っていないようである。

 食について書かれた本、料理の本などを読むのが好きで、古本屋などで一時手当たり次第に集めたのでたくさんあったが、ほとんど処分してしまった。それを参考にして料理を作ったり、食べに行ったりするということはあまりなくて、ただその味を想像して愉しむ。

 食について書く人は食にこだわりがあり、こだわりのあるのは味覚などの感性が人並み以上であるからだろうが、そのこだわりがあまりに強すぎるのは少し鼻につく。なにしろこちらの感性は人並み以下でしかない。読んで想像することで著者の感性にあやかって愉しんでいるので、ついて行けないければ想像を超えてしまう。

 自分が大食であったことから、食通とは健啖家であるべきだ、などと若いときは考えていた。いまもそれは変わらないが、自分が歳とともに大食することがかなわなくなりつつあって、美味しいものを少しだけ食べて口腹を喜ばせるというのもありかな、と節を曲げつつある。

 奥野信太郎先生の随想全集を読んでいて、いま読んでいる第六巻の第Ⅱ部には食にまつわる随筆がたくさん収められている。読み飛ばすのが惜しいので、そのうちからいくつか部分的に記録しておきたい。

 清代に書かれた『紅楼夢』という小説がある。『三国志』『西遊記』『水滸伝』と並んで中国四台奇書の一つとされている。どんな物語か知っているが、ちゃんと読んだことはない。奥野信太郎先生は、『燕京食譜』という随筆で、『紅楼夢』を「間口の広い小説」であり建築小説と読むこともできるし、服飾小説と読むこともできるし、料理小説として読むこともできる、と記している。燕京とは北京のことである。

「これは正に一篇の料理小説であって、忽ち花間の小卓に茶名の烟は揺曳し、錦帳裏の宴席に鴨子(あひる)の蒸焼の香が立ちこもる。美事な青花の鉢や赤江の大皿に、桂花の匂いの濃く移ったスープ、烙り肉の気味よい照りがそれぞれ読者の眼前に配列されて如実の味覚を誘い出さずにはおかない。われわれも貴公子宝玉、金陵十二釵と共に美しい器皿を前にして珍羞の分け前にありつける感が深い」

 先生も書によって食を愉しむたのしみを語っているではないか。

2018年12月27日 (木)

忙中閑あり

 暮れも押し詰まり始めて気は焦るのだが、さてなにをしなければならないのか考えると、部屋を片付けてサッパリとした正月を迎えることさえできれば善いことに気がつく。細部にこだわればキリがないが、どうせ片付ける尻からまた乱雑になるのだ。

 手をつけて一時間足らずで他のことを始めたりしている。ドラマやドキュメントを観始めたり、本を読み囓ったかと思うと数独パズルで時間をつぶしたりしていて、落ち着かない。今朝は随分早めに目が醒めてしまったので、午後になったらこたつでうたた寝をしてしまった。喉がなんだかイガイガする。

 現役時代、風邪などの病気で有給休暇を取ったことはめったにない。ほとんどやむを得ない私用である。しかし風邪をひかないわけではなくて、暮れから正月のまとまった休みのときに二三日寝込む。緊張が緩むと寝込むのである。まことに律儀なことであった。

 なんだかそのくせがまた復活しそうな気配である。今日は暖かくして早く寝よう。そういえば名古屋は今晩遅くから明日の未明に雪が降るかもしれないという。雪はいまでもきらいではない。雪景色を美しいと思う。雪国に何年か暮らしたけれど、雪国生まれではないから雪のなかにいてもどこかよそ事なのである。そこからいつでも逃げ出せると思っている。だから雪が降るのを楽しみにしてしまう。

 今日正月用のお飾りを買った。明日は末広がりの八の日だ。明日になったらドアに飾ることにしよう。

またまた出ました韓国由来

 韓国で「クリスマスツリーの木は韓国由来、どうして世界に広まった?」という記事が掲載されたそうだ。欧州でクリスマスツリーとして一番人気のある木は朝鮮半島固有の常緑高木の「チョウセンシラベ」という木で、1907年にフランスの植物学者が済州島の漢挐山(ハルラサン)で採集して世界に知られるようになったのだという。ただ、済州島ではこのチョウセンシラベの森がどんどん縮小しており、絶滅危惧種に指定される状況だという。

 この報道に対して「非常に誇らしい」「世界を相手にロイヤリティの支払いを求めて訴訟しよう」というネットの反響があるという。「絶滅危惧種になっていることが哀しくて腹が立つ」「朝鮮半島では日本やアメリカに多くのものが奪われてきた」とのコメントも見られたらしい。

 一方「また始まった。万物韓国起源説」と揶揄する声もあるようだ。専門家によれば、「チョウセンシラベは観賞用の品種の一つでクリスマスツリーに使われることもあるが、成長が遅いのでクリスマスツリーに一般に使用するのに適していない」という。

 実際のところがどうなのか、そんなことはどうでもよい。それよりも読み方によってはあたかも世界中がクリスマスツリー用として済州島からチョウセンシラベという木をつぎつぎに引き抜いて奪っていったように受け取れかねない点だ。そう読み取るバカもいるだろう。 

 そもそも済州島は火山島で地味が薄いから植物が育ちにくい。だからそのチョウセンシラベも成長が遅いのであろう。その植生がどんどん減少して失われているのは韓国の人々が切りたおしているからにほかならない。

 何でもかんでも誰かのせいでものを考えるいつものパターンがここにも見えて「またか」と思った次第である。韓国民をこんなふうにしてしまったのは反日教育と朝日新聞か、それとももともとそうなのか。

2018年12月26日 (水)

ニュース雑感

 年末にきての株の暴落の原因はいくつかあげられているが、私はマティス長官の解任が最も大きな理由ではないかと考えている。トランプ大統領は人間性に大きな問題を抱えた大統領であることは支持者以外の世界の人が感じていることだが、愚策ばかりともいえず結果オーライの政策もあって、そのことが経済にマイナスをもたらさずに済んできていた。

 それはトランプ大統領周辺に少ないながら世界に対してのアメリカの役割を理解した側近がいて、トランプ大統領をコントロールしてきた結果だった。その最も大きな役割を担っていたのがマティス長官だったことは知る人は知る事実だった。そのマティスを解任に追い込んだことでアメリカ政府の、つまりアメリカそのものがどんなことになるのか予測が立たなくなった。

 多分悲観的な状況になるだろうことはすでに兆候として現れだしている。株価は半年先を見越した変動を現すといわれるらしい。歯止めのきかなくなったトランプがなにを始めるか、やるべきでないことをつぎつぎに始めたり、優先的にやるべきことを後回しにしたりして、アメリカばかりではなく世界に災厄をもたらすかもしれないと世界が危惧したのが今回の株の暴落ではないか。

 韓国は今回の日本の自衛隊哨戒機へのレーダー照射の事実をなかったこととして押し通すつもりのようである。日本側はデータを元に、つまり証拠を元に韓国に抗議している。なにしろ哨戒機である。そこにはあらゆるデータを測定するための測定器と解析のためのコンピュータが積まれているのである。

 各務原の航空機の博物館で哨戒機の中を見学したが、機内のほとんどがコンピューターだった。その哨戒機が提示したデータを証拠として開示しているのであるからそれを否定するのは無理がある。ましてや哨戒機からの問い合わせが雑音でよく聞こえなかった、などという言い訳は噴飯物である。

 日本は韓国と戦おうというつもりなどなく、誤りは誤りとして注意したはずが、そんなことはない、日本の言いがかりだ、という反論をされてしまった恰好である。これでは同じことが繰り返し起こるかもしれない。これは友好国の態度ではなく、敵国の態度でしかない。

 韓国の国防部報道官の国内向けの説明を見ていて、ここで事実を認めて謝罪するとクビになってしまうのがこわい、と顔に書いているのが見えるようであった。それを見ていて、韓国はこれから急激に国として凋落するだろうと予感させてくれた。歴史をねじ曲げることと事実を否定することとの心性には同じ根があるのだろう。

 事実を直視できず、それから顔を背けているとつぎつぎに惨事が起こることは過去に経験しているはずだが、歴史をねじ曲げ続けていると経験を活かすことができない。それは矜持を持たない弱者の態度である。

北岡俊明『日本アホバカ勘違い列伝』(WAC)

 題名にはいささか品性に欠けるにおいを感じたけれど、二ヶ月ほど前に読んだ加地伸行先生の『マスコミ偽善者列伝』が痛快だった記憶もあり、多少は楽しめるだろうと手に取った本だったのだが・・・。

 著者がどういう立場で対象をこき下ろすのか、それを意識し、さらにこてんぱんに批判したことにいささかの自嘲とユーモアをまぶして文章にしないと、それはただのひとりよがりに堕してしまう。読者は置いて行かれて一緒に気炎を上げるわけにはいかなくなる。

 加地先生がマスコミに限定していた対象を、自分の見聞きするすべてに広げて「アホだ、バカだ、勘違いしてる」と著者が喚き立てているように私には見えてしまった。全くないとはいわないが、そうだそうだという思いを感じるよりもうんざりして冷めてしまう。

 私にとって、こんな人と共感したくない、と思わせてくれる本だったので後半は飛ばし読みした。飛ばし読みしたにしても読了したのは、買ったから読みかけにするのがもったいないと思ったからで、中に少しは目新しい情報がないかとの期待もあったからである。

 情報がないことはなかったのだが、あまりに偏奇な物言いが続いた後にそれを読むと、果たして本当だろうか、という気持の方がまさって自分の情報リストに加える気にならない。

 本代を惜しんで、金より大事な時間を無駄にしたというところか。

2018年12月25日 (火)

クリスマスイヴに研ナオコ(昨晩)

 独りぼっちのクリスマスイヴをしみじみと過ごした。今年が初めてではなくて、もう何年もそうしてきたのでことさらのことではない。少し贅沢にテーブルに7品ほどの料理(過半数は出来合)を並べ、シャルドネを開ける。

 ニュースが終わればテレビはつまらない番組のオンパレードなので、音楽をかける。お気に入りの研ナオコの二枚組みのCDをソフトでハイレゾ化したものだ。研ナオコは歌によって歌い方を変える。歌詞の世界観を美事に歌い分ける。むかしは歌に研ナオコそのものしか見えなかったけれど、いまは研ナオコを通して歌詞の世界を幻視できる。ちょっと大人になったし人生経験も積んだ。

 さびしい曲が多いけれど、そのさびしさの向こうに繊細な心の動きが見える。一人のときにはそのようなデリケートさがことさらやさしく聞こえる。私は別にそれほどさびしくはない。さびしさから顔を背けるつもりもない。それに元気で明るい曲はもう必要がない。うるさいだけである。

 だからビジュアルな、そして激しい動きのダンス付きの音楽はまったく見たくも聞きたくもない。紅白を見なくなって五十年以上になる。今年は息子も娘もいない一人きりの大晦日と新年を迎えることになりそうだ。静かに美味しい酒を飲みながら本でも読もうと思っている。

 独りぼっちだけれど、実は一人ではないことを強がりではなく判っているつもりだ。さまざまの人たちが私につながっている。独りでいることで却ってそのことを実感できる。ひと恋しさは甘い。

2018年12月24日 (月)

よく分からない

 今月20日、日本の海上自衛隊の哨戒機に、射撃用の火器管制レーダーを照射したとして、日本が韓国に抗議した。それに対し、韓国国防部は「我が軍は正常的な(この言い方は自動翻訳なのかどうか知らないがいつも不快である。的は不要だろう)作戦活動中だった。作戦活動の際にレーダーを運用したが、日本の海上哨戒機を追跡する目的で運用した事実はない」と明らかにした、というのが最初の韓国側の説明として21日の聯合ニュースで報じられている。

 翌22日の朝鮮日報では、日本側の抗議の理由として、「レーダーの照射は、基本的に火器(ミサイル)の使用に先立って実施する行為であり、これを相手に照射することは不測の事態を招きかねない極めて危険な行為だ」と主張していると伝えた上で、「本件の重大性を考慮して、韓国側に再発防止を求めた」と日本側の意向を報じている。

 続けて朝鮮日報は、韓国国防部の説明として、「大和堆で北朝鮮の漁船が遭難しているとの報に応じて、救難活動のためにレーダーを照射したもので、日本の哨戒機をめがけたものではない」と伝えた。その上で、韓国は日本に気を遣っているのに、抗議してくるのは理解できないと反論している。   

 時事通信では韓国側は「日本の抗議は過剰反応だ」と言い、「日本の反応は度を超している側面がある」のだという見解を伝えている。

 そもそも火器管制レーダーを照射することは本来あり得ない行為だし、敵対行為と見做されてもいい危険な行為だと日本側は言い、韓国は理由があって照射したのにそれに抗議するのは過剰反応だ、と反論していることになる。

レーダーを照射したことは事実のようであり、そのことがもし国際的に危険な行為なら、韓国が間違っているから韓国が謝るのが筋だし、もしそういうことはそれほど神経質になる必要の無いことなら日本側の抗議は確かに過剰反応である。どちらが正しいかまだよく判らない。

 その後、韓国国防部は「哨戒機を目的にレーダーを照射した事実はない」というコメントになった。そしてついに23日になったら、「光学用のカメラを稼働させたがビーム放射はしていない」という言い方に変わった。つまり日本の哨戒機がビームを浴びせられた、という事実そのものを否定しているとも取られかねない言い方に変わってきた。

 24日、ついに反日色の強いハンギョレ新聞は「レーダー事件を騒ぐのは日本が外交争点化を狙っているからだ」とまで報じだしている。

 それでも(日本ではなく)韓国の軍事専門家が「もし韓国軍が日本からレーダー照射をされたら、より深刻な対応をしただろう」とコメントを寄せている。どうも韓国側に問題があるようだ。

 意図してのこととは考えにくいが、韓国の中には、日本は敵国であるとの認識があるようだ。なにしろ竹島ではたびたび防衛訓練をしていると報じられている。竹島を奪いにくると想定されているのは日本しかないのだから、つまり敵国は日本として想定されている。そんな訓練を繰り返せば、当然日本は敵国として兵士に刷り込まれてしまうことだろう。

 北朝鮮と一体になったら、ついに日本海が日本の防衛ラインになることの、今回がきっかけかもしれない。

 それにしても韓国は自分が悪かった、済まなかった、ということを言わない国だなあ。本当にあきれ果てた国だ。まあ中国も北朝鮮もそうだけど。世界中で謝るのは日本だけか。謝るから何度でも謝罪要求をするのか。謝らせるのは痛快だろうしなあ。

連絡する

 昨晩床について、今朝まで一度も目覚めることなく熟睡した。ほとんど飲まずに、つまり酒も睡眠薬の助けも借りずに、若いときのようにそこまで熟睡したのは久しぶりだ。長距離運転の疲れもあったのだろうが、弟や妹たちと歓談したことで心がとても軽くなったことが大きいような気がする。

 さあ年末の最後の仕上げ、年賀状の完成と大掃除を始めようか。

 毎年新酒会に行く酒蔵から来年の案内の葉書が送られてきた。いつもは土曜日なのだが、今年は日曜日だという。何か事情があるのだろうか。無理矢理考えれば、最近あまりに盛会に過ぎるので日曜にしたのではないか。翌日のことを考えれば、日曜に飲みすぎるのは少々つらい人も多いだろう。しかし毎日が日曜日の当方にすれば、いつもと同じだが。いやいや、いつもの仲間にはまだまだ現役のひともいた。大丈夫だろうか。

 その仲間たちにさっそく連絡のメールを入れた。初めて参加予定のかんちゃんは日曜日で大丈夫だろうか。まあそれほど飲みすぎなければ良いだけのことであるのだが。バカ酒飲みのわれわれも、最近は酩酊しすぎて粗相をするようなことはなくなった。

2018年12月23日 (日)

残念ながら・・・

 息子からこの正月は帰れないと連絡があった。正月明け早々に昇進試験があり、その勉強と準備をしなければいけないという。そういう理由ならしかたがない。頑張って首尾良く試験をクリアしてもらいたいものだ。

 そう願いながら、少しがっかりして力が抜けた。・・・だからといって年末の大掃除などを手抜きしてしまわないように気を引き締めよう。正月明け早々に私も定期検診がある。この一二ヶ月は随分飲む機会が多かったし、晩酌の量が少しエスカレート気味である。さらに息子と飲めばおいしいからつい飲み過ぎる。それがなくなるのであるから、自重して節酒気味の正月にしようかな。

 できるかなあ?

兄弟揃う

 昨日は朝方から雨、その雨の中を弟と両親の墓参りに行く。日頃から弟夫婦が手入れしてくれているので、お墓はきれいだ。しかし墓地の周辺には樹が多く、落ち葉が墓にかかり雨に濡れて張り付いている。それを閼伽桶に汲んだ水で洗い流しながらとりよける。線香を上げて来年も家族を見守ってくださいと両親にお願いする。

 途中で昼食を摂り、弟の家に戻る。私から連絡していたので、しばらくして妹夫婦がやって来た。弟夫婦、妹夫婦と私が揃うのは半年ぶりくらいだ。弟も義弟も同じ歳で来年が65歳、二人とも働いているが来年には定年でリタイアである。名古屋を拠点にあちこち旅行に行きたいと兄弟夫婦が言うのが嬉しい。喜んで案内させてもらおう。

 歓談しばし、妹夫婦は帰っていった。兄弟が仲が良いのは本当にありがたいことだと思う。

 今日名古屋に帰る。帰ったら正月を迎えるための準備をしなければならない。それにしても昨晩も弟と飲みすぎた。ゆっくり出発することにする。

2018年12月22日 (土)

むかしの成田中学の話

 中野好夫と奥野信太郎の対談(昭和26年)で、成田中学の話が話題になっていて面白いので引用する。

編集者「中野先生の最初のお勤めは成田中学ですか」

中野「大学を出てすぐは成田中学です。ちょうど中山義秀君と同じ日に就任紹介された、壇上に立たされてね」

奥野「鈴木三重吉もあそこにいたでしょう」

中野「ええ、あの人についてはいろんな逸話が残っていましたね。アイマイ屋に下宿して、街のヨタ者とケンカしたり、学校は欠勤だらけで、小説を書いていたとかね。成田というところはおもしろいところでした。さっきもいった、最初就任したときは中山義秀君と僕とが一緒に壇に並んで紹介されたんです。もちろん偶然です。四月のはじめで、その日は三里塚へ全校あげて花見に行って、夕方帰ってきたら、先生たちが僕ら二人が来たので歓迎の意味も含めて一杯飲もうということになった。そしてどこへ行くかと思ったら、寄宿舎へ十人くらい集まったですかな。そうしたら先生が、五年生の一人をつかまえて、「おい、酒を買って来い」と言いつけると、「ヘーイ」という調子でその生徒が買いに行って、一升瓶を二本両脇に抱えて帰って来たかと思うと、ちゃんとお燗までしてくれるんですよ。驚いたが、とても面白い学校で、たとえば街の料理屋などで教師たちが、芸者なんか呼んで、みな飲んだり騒いだりするでしょう。なにしろ遊興町ですからね、そんなときはたいてい他の中学なら教師と生徒は仇同士だから、そんな光景を見つけようものなら、たちまちあいつはどこそこで酔っ払って、芸者にフザケていた、けしからんなどと大騒ぎでしょうね。ところがあそこは翌日校庭で会うと、「先生、ゆうべは面白そうでしたなア」「うん、おもしろかったね」といったふうで、あんな愉快な中学はなかった。
・・・・
あんな和気藹々とした学校はなかった」

奥野「で、鈴木三重吉でも勤まったんでしょうね」

中野好夫(1903-1985)は英文学者で評論家。中山義秀(1900-1969)は小説家。鈴木三重吉(1886-1936)は小説家で児童文学者。

 良き時代だと思う人もいるし(私もそうだ)、とんでもない時代だと思う人もいるだろう。夏目漱石の『坊ちゃん』を連想する人は多いだろう。

 鈴木三重吉が児童文芸誌『赤い鳥』を発刊し、童話を書いていたことを思うと、ここでの逸話の鈴木三重吉の姿に驚く人もいるだろう。そんなものである。

 ところで三里塚という地名が目を惹く。成田空港建設反対闘争を三里塚闘争ともいう。まさにあの辺りの場所なのである。以前にも書いたが、母方の祖父がすぐ近い多古町の出身で、成田闘争に参加していた面々の中に知り合いの姿を見て、「いい歳をしてなにをやっておるんだ、あいつは」とつぶやいていたのを覚えている。

2018年12月21日 (金)

亡き父母にご挨拶

 いま千葉の弟の家にいる。父母が健在のときにはいまの弟の家が実家であったから、毎年正月はこどもたちと過ごした。年始の朝は、父の「明けましておめでとうございます」のことばにみなで唱和することで始まった。

 両親ともに亡くなってからは、正月はわが家がこどもたちの帰って来る実家になったから、弟の家に集まることはなくなった。そのかわりに、私は暮れに弟の家に行って亡き両親に暮れのご挨拶をし、弟と酒を飲む。そして弟の孫たち(今年6人目が誕生した)に渡すお年玉を託す。

 今晩は、弟は断れない急の忘年会だというので、弟の嫁さん相手にちょっとだけ飲む予定である。本格的に弟と酒を酌み交わすのは明日のことになる。弟の嫁さんは酒は飲まないから私だけ好い気持になってしゃべらせてもらうのだが、それだけ気の置けない義妹なのがありがたい。母の介護をずっとしてくれた義妹であり、私もささやかながら介護を手伝ったので、そういう意味での戦友である。

 昨日は年賀状の宛て書きと文面のプリントをやっつけで終えた。後はそれぞれのひと宛に一言書き添えるつもりなのだが、これがなかなか好いことばが思い浮かばず、つまらない一言になってしまって来年こそ、と毎年思う。今回も多分そうだろう。申し訳ないことである。

 帰ったら、後は本格的な大掃除が今年の最後の仕事だ。

漢学の素養

 先日も書いたが、私の好みの本の多くは多少なりとも漢学の素養のある人によって書かれたものであることにこのごろ気がついた。見方によってはずいぶん時代遅れでしかも偏っている。多分十年もすればそのような価値観での好みの読み方をする人は絶滅危惧種になるのかもしれないが、古典を読むのが好きな人は必ずいるはずで、絶滅まではしないものと思う。

 日本でも、韓国のように漢字を廃止してしまって、国民の大多数が漢字で書かれた古典を読むことができないという事態となれば別であるがそういうことはないと信じたい。

 そういう私には漢学の素養がほとんどないのが哀しいが、繰り返し接しているうちにわずかながらそれが読み取れることもあり、それが嬉しいという程度には親しんでいる。もう少し若いころから集中して読んでいればいまごろは・・・と思うのは後悔先に立たずというものであろう。失われた時間はいまさら取り戻せない。

 その漢学の素養について、前回取りあげた湯川秀樹と奥野信太郎の対談で言及されていて興味深かった。湯川秀樹の実兄は貝塚茂樹という中国史の学者である。兄弟ともに物心ついたころから父親や祖父から漢学をたたき込まれた。もちろん湯川秀樹もその素養があるのである。

 漢学の素養を身につけることについて、奥野信太郎、湯川秀樹、吉井勇がこう話している。もちろん奥野信太郎は中国学の碩学であり、中国に暮らし、終戦も中国で迎え、帰国したのは昭和21年になってからである。

奥野「お父さんのお話が出ましたが、お兄さん(貝塚茂樹)は中国古代史についての権威ですが、湯川先生は中国に興味をおもちですか」

湯川「私は小さい自分に小学校へ入るより以前に漢文、漢籍を、いろいろ『論語』、『孟子』などから始めて随分私の祖父から素読をやらされたのです。だから意味は全然判らん。ただもうその祖父の言う通り、あとについて読むだけですね。なにも意味が判らんのです。随分いろんなものをやりました。小学校へ行ってからもやらされまして、面倒くさいことだなあ、うるさいことをさすもんだと思っていましたが、しかしだんだん大きくなってきますと、そういうものがちゃんと身についていますね。結局判らずにならったものの方が後になってわけが判るものよりも、さらによりいっそう身についてきています。これが不思議ですね」

奥野「直感的にですね」

湯川「ですからいまでも支那のことといえば親しみを感じます・・・」

・・・・

吉井「昔は、湯川さんの時代より僕らの時代がずっと先なんですが、学校へ行って帰ってくると漢学の先生のところへ行くんです。そしてなにかの本を写して、それを坐って読むんです」

湯川「そうです。その通り読むだけのものです。・・・」

 素養というものがどういうものかとてもよく分かる。教育はテクニックや損得ではないのである。それを忘れたいまの教育は教育に似て非なるもののような気がする。

2018年12月20日 (木)

湯川秀樹の西洋東洋論

 『縦横鼎談』という週刊誌の連載記事で、奥野信太郎と湯川秀樹が対談している(奥野信太郎随想全集の別巻に収録)。鼎談だからもう一人、吉井勇が加わっている。昭和27年の8月3日号である。そのとき湯川秀樹はすでにノーベル賞を受賞(昭和24年)し、昭和23年頃から赴任していたアメリカ滞在を終えたじぶんのようだ。

 アメリカ滞在中に西洋と東洋というものを考えたのだといい、新聞にそれを書いたことが対談の話題になって、こう語っている。

「・・・大問題ですから・・・。これはいつかはっきり自分の思っていることを詳しく書いてみたいと思っているんですが、・・・つまり一、二年おるのと違って三年、四年と経ってくると、やっぱりお里が出てくるというわけじゃないかと思うんですが、はじめは珍しいということがありますし、アメリカ人あるいは西洋全体についての理解のしかたも、理窟で押していたんですね。理窟をもってきて割りきれる範囲のことを理解している。よく見ると向うは向うでやっぱり割りきれんものがある。それに伴って自分のほうもだんだんお里が出てきますね。そうするとやはり西洋と東洋とはどこが違うかということが、だんだん気になってきますね。私の感じておることはこれは議論でも何でもないんですが、ごく漠然と考えておることは、つまり西洋というところは、なにかその論理があって、そのロジックを使って合理的に押してゆけばこれは正しいとか、これは間違っているとか、二つのものをもってきて、これとこれは矛盾しているとかつまりどこかに矛盾を見つけ出してそしてその中の正しい方をとるとか、あるいは別の解決があるとか、とにかく終始矛盾がある。対立がある。それでだんだん進んでゆく。ところがその矛盾対立自体が非常に先鋭になって、大きな問題になってくると、どうにも堪えられなくなってるというようなところもだんだん出てくるわけです。まあ私が思いますのに、そういう矛盾対立はだんだん解決してきたわけでしょうが、まさに二十世紀になってきてからだんだん堪えきれぬ矛盾対立になってきて、なかなかそう簡単にどうにもならん。生きるか死ぬかになってしまってみんなが非常に苦しむわけですね。ところが大ざっぱに言って、東洋の方の行き方は矛盾をとり出して、一々の場合の対立をはっきりさして行くという風な行き方じゃないわけです。その反対の行き方ですね。ですからお里が出てくるということは、一つ一つの場合にどこまでも対立を先鋭化していくというのでは堪えきれないということ。・・・それはわれわれが堪えきれないだけでなしに、世界全体としてみても、それは堪えきれなくなりはせんか。堪えきれなくなりつつあるんじゃないか。そういうものを解決するには、いま言ったような意味で、東洋的な行き方というものがもう少し入ってくれば・・・、ごく大ざっぱに言って、もう少し和やかになってほしいと思いますね。それが現在の世界に出てほしいと思いますね。それをもう少し難しく、理窟っぽく言えばなかなかたいへんな問題ですが、簡単に言うのは難しいですが・・・」

 そしてここから宗教の問題に入っていく。そう振り向けたのは奥野信太郎である。

 湯川秀樹は西洋的な矛盾対立の思考法がますます先鋭化して、世界のさまざまな問題の解決が困難になっていると見ている。だからそういう先鋭化が起こらないような東洋的な問題の捉え方が必要ではないかと考えている。

 いま21世紀の世界はさらにその矛盾対立が先鋭化して、いろいろな問題の解決が一層困難になっているように見える。西洋的な思考とは一神教的な思考ではないか、と日頃から私は思っている。もちろんそれだけで説明がつくなどとは思わないが、大きな要素であることは確信している。そして社会主義共産主義もある意味で一神教の宗教みたいなものだと私は乱暴に考えている。

 だからこの東洋と西洋の違いの話に続けて、奥野信太郎が宗教に話を振ったのは彼の鋭い感性を証明している。

 では東洋とはなにか。イスラム世界は見てのとおりで、まさに矛盾対立の世界ではないか。湯川秀樹の言う東洋とは言いがたい。では中国は?韓国は?

 東洋と言いながら、実は、宗教にとらわれず、教条主義にとらわれず、その曖昧さ、先鋭化からまぬがれている思考法の極めて珍しい国が日本という国ではないのだろうか。もちろん日本人にもとらわれのなかにいる人々は少なからずいて、全部が全部矛盾対立から自由というわけではない。しかもますます西洋的思考法が世界に蔓延し、日本にも蔓延し、世界を覆い尽くそうとしている。

 自分がどうであるべきか、どう世界を考えるか、そのことのヒントを湯川秀樹という先達は必死で考えてくれていたのだと感じた。

薩摩芋

 長野の友人から送られたリンゴはひと箱もあって、とても一人では食べきれないので、どん姫に応援を頼んだ。先日やって来たどん姫は残念ながら日帰りだった。どん姫は手土産に薩摩芋を持参した。

 旅行先などで天ぷらを食べるときに芋の天ぷらがあるのを食べることはあるが、自分で薩摩芋を買って食べることはない。千葉県で生まれ育ったから、子供のとき薩摩芋はうんざりするほど食べた。おいしくないとか嫌いというほどのことはないけれど、一生に食べる分はすでに終了している気分なのだ。

「普通に蒸かして食べるよりも大学芋でも作ろうか」といったら、どん姫は「この芋はおいしいから蒸かして食べた方が好いよ」という。そのことばに従い、昨日蒸かして食べた。うまいではないか。薩摩芋をこうして食べるのは何年ぶりだろう。

 子どもの頃食べた薩摩芋は年ごとにおいしくなった。デンプンを取るためだけの、大きさだけ大きいけれどまずい芋から、しだいに甘くおいしい芋になっていったことを思い出した。十三里という芋があったなあ。栗よりうまいという謳い文句だった。九里、四里を合わせて十三里である。黄色いぽくぽくした芋だった。

 黄色ではなくて、身の白い芋で甘いのもあった。これは蒸かして食べるよりも蒸かしたものを切り分けて天日で干して乾燥芋にした。白く粉が吹いたのを火鉢で軽く炙って食べると甘みが増して格別おいしい。いまでも乾燥芋なら食べてもいい。

 とにかくどん姫の持って来てくれた薩摩芋はいままで食べた芋よりもおいしかった。芋も進化しているようである。種類を聞いたけれど忘れた。

 どん姫と遅い昼飯を食べた。「仲良くやっているか」と問うと「うん」と頷いた。それなら何よりである。しばらく話してからリンゴを抱えて帰っていった。

 暮れには息子が帰ってくる。どん姫も正月にはゆっくりやってくるつもりだという。ただ、どん姫の相方は電気工事の仕事の会社勤めなので、暮れから正月は工事がたて込んでいてほとんど休みなしだそうだ。

 どん姫が来るととても嬉しい。でも帰ってしまうと、なんだかいつもよりも元気がなかったような気がするなあ、などとたちまち心配したりする。もともと無口であまり笑わずマイペースの娘なので、いつも通りなのだろうけれど。

2018年12月19日 (水)

改革開放40年

 鄧小平による改革開放から40年になることを記念して中国で式典が行われ、習近平がいつものように長い長い演説をしたと報じられていた。人は一時間を超えて集中することは困難だといわれる。もちろん人によって違うだろうし、面白ければ多少は我慢できるかもしれないが、それがあのメリハリのない調子で、2時間、いや3時間の自画自賛の演説となるとほぼ拷問である。

 中国に混乱をもたらしていた文化大革命も毛沢東の死によって終了し、最終的に実権を掌握した鄧小平によって改革開放が行われた。改革開放とは、共産主義中国に資本主義を導入するということだったと私には見える。共産党一党独裁政権の元に資本主義的手法を導入するという壮大な社会実験が行われた。

 その結果、中国は豊かになった。それは誰もが認めるところだろう。その成果を習近平は共産党によるものだと繰り返し強調した。そして自分が政権を担ってからより一層貧困層が減少し、腐敗はどんどん摘発されているとして、自分が改革開放の旗手であると主張したのである。現在の中国の豊かさは自分の手柄だと誇って見せたのだ。

 改革開放によって中国の経済が大きく拡大し、中国が豊かになったことは事実である。しかしそれは個人が働いたものが個人に帰するという資本主義を導入したことで、個人が働く意欲を持ち、自らの才覚で豊かになろうと努力したことの総和が中国を豊かにしたことにほかならない。

 共産党が豊かにしたのではない。そもそも毛沢東の共産党はそれを阻害してきた存在であって、その阻害を鄧小平がその強権をもって打破したことでもたらされたもので、改革開放は共産主義とはそもそも矛盾するものである。その矛盾を矛盾のまま改革開放を強行できたのは、ひとえに鄧小平の力があってのことだろう。

 毛沢東の問題点を鄧小平たちは身に沁みて分かっていたから、個人崇拝ができないように体制を変えた。ところがその個人崇拝を復活させようとしているのが習近平である。習近平は第二の毛沢東を目指しているように見える。

 それは改革開放の成果を損ない、中国を文化大革命時代に戻そうとする試みに見えてしかたがない。その習近平が改革開放をあたかも自分の手柄の如く語る矛盾。このままなら、中国経済は毛沢東時代のような混乱にはならないにしても右肩下がりになるのは必然のような気がしている。その曲がり角となる演説として、習近平の演説は記録されるだろう、などというのは皮肉が過ぎるか。

2018年12月18日 (火)

奥野信太郎、北原武夫、永井荷風

 少し前に、福武書店(現ベネッセ)発行の『奥野信太郎随想全集』(全六巻別巻一)を揃で購入した。それを、音楽を聴きながら寝床で拾い読みするのが毎晩の楽しみである。ただ、残念なことに新字体、新仮名遣いにあらためられている。東洋文庫では『随筆北京』(522)は旧漢字、旧仮名遣い、『藝文おりおり草』(554)は新仮名遣いである。新字体、新仮名遣いは読みやすいけれど、味わいが損なわれるような気がする。

 その別巻には対談が収められている。二人だったり数人だったりと、テーマによっていろいろだが、錚々たる人との対談、大岡昇平、佐藤春夫、木々高太郎、戸板康二、池田彌三郎、池島新平、草野心平、中野好夫、尾崎一雄、志賀直哉、湯川秀樹、辰野隆、吉井勇等々が相手である。そんな人たちでありながら、対談からは奥野信太郎の碩学ぶりを認めていることが窺われる。 

 奥野信太郎は専門が中国学の碩学だが、永井荷風に詳しく、荷風に関する本も複数書いている。「三田文学」昭和26年6月号に掲載された『永井荷風研究』という対談では、木々高太郎、北原武夫、佐藤春夫等とともに荷風を論じている。

 手当たり次第の読み方和する私も年齢とともに特定の人にこだわった読み方をするようになった。それでも個人全集の蔵書はあまり多くない。その多くない全集の一つが永井荷風全集なのだ。実は飾ってあるだけでほとんど読んでいない。もちろん『墨東綺譚』は読んでいる。これも滝田ゆうの『寺島町奇譚』を読んで玉ノ井界隈のイメージを作ることができてから読めるようになった。映画を先に観なくて良かったと思っている。原作と映画の両方を知っている人なら分かるだろう。映画の出来が悪いということでは決してない。

 この辺を書き出すとキリがないから元に戻ると、なぜ読まない永井荷風全集があるのか。絶対読むべきだと私の感が知らせるからである。その感が外れていないことをこの奥野信太郎の対談からあらためて教えられた。そういえば江藤淳が『荷風散策』という本で荷風とその作品を詳しく書き記している。山本夏彦も晩年の荷風についてたびたび言及している。私は永井荷風の周りをぐるぐる廻っているのだ。

 佐藤春夫と永井荷風、久保田万太郎と永井荷風については逸話も多いがこの対談の時点はそれ以前である。佐藤春夫もほとんど読んでいないが、この対談から一度読んでみたいと思った。なかなか忙しい。奥野信太郎、永井荷風、佐藤春夫の共通点といえば、漢学の素養である。明治人は当たり前のように漢学の素養が有ったが、昭和に生きて漢学の素養が有る人は少ない。その素養があることが私には魅力的なのである。そういえば山本夏彦も現場仕込みのフランス語と漢学の素養がその魅力の原点だ。

 ところで北原武夫である。彼は宇野千代の夫である(のち離婚)。彼との出会いは宇能鴻一郎や川上宗薫の先達としてのポルノ小説である。『薔薇色の門』という傑作は忘れられない。北原武夫は現代文学に名を残す作家の一人でもあり、この対談でもその素養が窺われ、他のひとも一目置いていることも感じられる。久しぶりにその名を見たので特に記した。

手紙を捨てる

 そろそろ年賀状の準備をしなければならない。それに先だってまず手紙を整理して不要なものを処分することにした。まず状差しにあふれかえっている手紙類や領収証を整理する。領収証は特に残す必要のあるものを除き、最新のもの以外を破って捨てた。これは大掃除の口切りでもある。

 手紙は文箱などにあるものを含めると大量に残されている。それをすべて引っ張り出した。手紙は写真と同じくなかなか捨てられないものだ。鬼籍に入った知人達の手紙は特にそうだ。その中からどうしても残したいものだけを除いて思いきって処分した。一割程度になった。

 年賀状はたいていの人の三年分ほどが残されているが、中には古いものもある。古いものは二度と来ることのない人たちのものだ。それもどうしても捨てられないものを残して処分していく。なんだか自分の一部をそぎ落としていくような思いもある。意外な人の古い年賀状が残されていたりして、文面をあらためて読み直したりすると手が止まってしまう。

 亡くなった人、喪中につきとの案内のあったもの、年賀状は今後ご容赦、と云う人のものを分かるように一覧にした上で、いただいた年賀状をアイウエオ順に整理した。できればいただいた賀状の文面に沿った一言を書き添えた年賀状を作りたいと思うが、いつもぎりぎりで泥縄になるのでなかなか心をこめることができない。

 一年に一度だけの便りになる人が大半だが、これも縁である。だから私はお粗末でも年賀状は続けられるあいだは続けようと思っている。毎年少しずつ減っていく年賀状の枚数に人生の黄昏を感じないことはない。

 長野の友人から例年のようにリンゴが送られてきた。一人ではとても食べきれない。とりに来るようにメールを入れておいたので、今日どん姫がやってくると連絡を受けたけれど、いつ頃来るのか分からない。

2018年12月17日 (月)

眼の老化

 湯治から戻ってからも、ほとんど散歩もせずにゴロゴロと無為の日々を送っている。音楽を聴き、本を読んで優雅な生活といわばいえるが、その間散歩にも出ない(寒い)から気がついたら3キロ以上太ってしまった。

 食べる量はむかしから見たら減っているのだが、お茶やコーヒーをよく飲むので、そのお供に口寂しくて自分に禁じていた間食をすることが増えている。スーパーの買い出しに行って、つい無意識のうちに買い物籠に入れてしまうのはほとんど病気である。これは体が欲しているようだ。糖尿病の薬で少し低血糖気味になるからだろうが、そこを我慢しなければならない。もちろん運動不足も原因であろう。

 先日床屋に行って思いきり刈り上げてもらい、全体に髪を短くして襟足を剃ってもらったらサッパリした。格安の床屋なのでひげそりや洗髪まで入れても30分程度で終わるのがありがたい。ただ一駅となりの駅の向こうなので、歩いて行くと30分以上かかる。歩くのはかまわないのだが、床屋に着いたときには冬でも汗をかいていて(私は水分過多で汗かきだ)理髪師に迷惑をかける。だから行きは電車に乗る。

 帰りはもちろん歩きだが少し遠回りして本屋に立ち寄り、眼鏡屋に寄った。眼鏡の度が合わなくなったのか、以前ほどクリアに見えなくなっていた。いまは眼の検査もさまざまあって、初めて体験する検査もあった。あんな検査で良く細かいことが分かるものだと感心する。

「体調は大丈夫ですか?」と眼鏡屋は問う。「特に問題ありません」(体の調子に特に具合の悪いことはない。ただ、眼が疲れているかどうかといえば疲れている)。体調によって視力が変わるのだそうだ。特に歳を取るとその差が大きいという。眼を酷使することが多いことを伝える。

 いまの眼鏡を作ったとき(約6年前だそうだ)は、眼鏡をかければ1.2が楽々見えた。ところが今回は0.8は見えるが1.0が見えない。ぼけずに見えているのだが読み取れない。見える文字がちらついてしまうのがもどかしい。裸眼の視力は0.3~0.4と変わらない。もともとそれほどひどい近視ではないので、眼鏡なしでもあまり生活に不自由はしない。

「度を強くしても見えるのは0.8止まりのようですね。楽に見える度に合わせますが、いまと見え方はあまり変わらないと思います。老眼が進んでいますが、それほどひどくありません」とのご託宣である。

 そうなのか、眼の老化が進んで遠視ではなく視力そのものが低下しているということか。眼を休めたら少しは回復するのだろうか。本を読むと紙面が平ではなくてうねって見えたりする。これも老化によるもので飛蚊症と同じくどうしようもないのだそうだ。哀しい。
 
 遠近両用で少し色の付いたレンズにしてもらい、フレームを選ぶ。いまのものに近い。出来上がりに四、五日かかるそうだ。新しい眼鏡とサッパリした短い髪でパスポートの更新の写真を撮ろうと思ったが、それは来年年明けになりそうだ。

大沢在昌『漂砂の塔』(集英社)

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 潜入捜査官の石上は祖母がロシア人で、ロシア語と中国語が話せる。北海道でロシアンマフィアに潜入し、おとり捜査中に地元警察の不手際で身元が明かされてしまい窮地に陥る。何とか身を隠した彼に上司から新たな任務が与えられる。

 今度の仕事先は北方領土である歯舞諸島の孤島の一つ、ロシア名オロボ島、日本の旧名は春勇留(はるゆり)島、むかし日本人が済んでいたことはあるが、ある事情があって無人島になっていた。その近くの海底に漂砂鉱床が見つかり、ロシアが発掘、中国が精製、日本が発電を分担してレアアースを採取している。漂砂鉱床とは、比較的浅い海底にある、特定の鉱物が集まった地域のことをいい、比重の大きい鉱物が、潮や海流などで分離されて濃縮されたものらしい。

 そのオロボ島で、赴任してまだ間もない若い日本人技術者が殺されるという事件が起きた。しかもその死体の眼はえぐられていた。石上はその捜査を命じられたのだ。しかし現在はロシアが実効支配している場所であり、彼には捜査権はない。極めて不確かな立場で殺された技術者の後任名目で島に赴いた彼は果たしてこの殺人の犯人とその目的を明らかにすることができるのか。

 元KGBの施設長、美貌の女医、ロシアマフィアの影、国境警備隊の将校、ナイトクラブのボスなど、一癖も二癖もある面々が暗躍する中、彼はしだいに島の秘密、殺人の真実を明らかにしていくとともに、自分は絶体絶命の立場に追い詰められていく。

 この本も650ページという大部の小説だが、読み出したらやめられない。主人公の石上は格闘技に優れているわけではなく、知能が抜群というわけでもないが、そのキャラクターが人を引きつけ、敵がいつの間にか味方になって助けられたりする。まさに正統派ハードボイルドの、逃げない、くじけない、自分を突き放して笑えるユーモアを持つ主人公だ。

 立て続けに分厚い本を読んだら眼が悲鳴を上げだした。そのあとは目薬をさして録りためたクラシック倶楽部の音楽を聴いている。年賀状を作らないといけないし、大掃除もそろそろ手をつけないといけないのだけれど、そう思えば思うほど本が読みたくなるのはむかしからのことだ。

2018年12月16日 (日)

アメリカ回想(3)

 中学時代に最も「読んだ」という実感のあった本がM・ミッチェルの『風と共に去りぬ』だ。ページをめくるのがもどかしい思いで読み進めながら、残りが少なくなっていくのが惜しい、という思いがしたのをよく覚えている。そのあと母に勧められてパール・バックの『大地』を読んだ。母はそれほど読書家ではないが、少女時代に感銘を受けたという。

 中学生になってますますSF少年になり、図書館にある本は手当たり次第に読んだ。書店でSFマガジンを初めて手にしたのは創刊からまだ一年もたっていない頃だった。アメリカのSFといえばそのころはまだヒーローものが主流で、バローズの火星シリーズのような荒唐無稽なものが多かった。アメリカに限ればやはりハインラインやアシモフ、アーサー・C・クラークなどが読み始めだろうか。

 アメリカのSFの流れでいえば後にE・E・スミスの『レンズマン』シリーズなどを大いに楽しんだ。あの世界観は頭の中に棲みついてしまった。小松左京や光瀬龍にも影響を与えていると思うし、そういう読み方をついしてしまう。そのあと大学生になって、フィリップ・K・ディックなどにはまったこともある。ようやくSF離れしたのは四十を過ぎてからか。それでもいまでも多少は読む。

 同時にハードボイルドにも夢中になり、街の図書館でチャンドラーやハメットを読みあさった。当時SFマガジンより先にE(Q)Mマガジンという月刊誌が同じ早川書房から出版されていた。これはエラリー・クイーンズ・ミステリマガジンというミステリーの専門誌で、両方購読したいが金銭的にかなわなかった。

 高校から大学にかけては相変わらずSFやハードボイルドを読んでいけれど、O・ヘンリーやサリンジャー、コールドウェル、マラマッドなどの文庫の短編集を読んだ(あまりに変色してしまったのでつい先日処分した)。ヘミングウエイはほんのちょっと読んだだけ。ヘンリー・ミラーの『北回帰線』にはぶっとんだ。

 変わったところでは、アンブローズ・ビアス(『悪魔の辞典』で有名)の全集(全五巻)を手に入れて大いに愉しんだ。蔵書の宝物にするつもりだったのにどういうわけか失ってしまった。実家に持っていって処分されてしまったらしい。マシスンやグリーンの短篇を集めた『奇妙な味の小説集(だったと思うがうろ覚え)』という短編集(十数冊あったはず)も失われた。これも実に残念である。

 アメリカの作家といえば外せないのがスティーヴン・キングだ。若いころは出版されるはしから買って読んだけれど、彼の書くスピードに追い付けず、最近は年に一作くらいしか読むことがなくなった。一番こわかったのは『呪われた街』というホラー小説。

 そういえばアメリカのミステリーといえば、MWA賞というのがあって、この新人賞や大賞の作品は欠かさず買って読んだものだったが、いつの間にかそれも間遠になっている。アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞を通称MWA賞という。これはイギリスの英国推理作家協会のCWA賞の向こうを張っている。こちらは通称ゴールド・ダガー賞、シルバー・ダガー賞という。これらの賞を取った作品はまず外れがなくて、楽しめる。

 取りこぼしたものがたくさんあるが、思い出すままにアメリカに絞って読んだ本をちょっとだけ回想してみた。

大沢在昌『爆身』(徳間書店)

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 凄腕のボディガード・キリが護衛を引き受けるために待ち合わせた顧客が、突然原因不明の爆発的発火で焼死してしまう。直後にキリが現場に駆けつけたときに原形をとどめていたのは指輪を着けた指だけだった。

 依頼を引き受ける前とはいえ、キリはその顧客と死の原因を追求せずにはおさまらなかった。顧客はニュージーランド在住のフィッシングガイドの東洋人で、日本滞在中の三日間だけ護衛を依頼するとのことだったが、誰からどういうわけで護衛するのかまだ会っていないので全く不明。

 そのキリにフィクサーの大物から接触がある。死んだ顧客は日本人で、五年前までそのフィクサーの片腕であり、相棒だったが、仕事を辞めてニュージーランドへ移住したのだという。そしてキリはそのフィクサーから正式の依頼を受けてボディガードではなく顧客の死の真相を調査することになる。

 与えられた手がかりを追ううちに彼がたどり着いたのは謎の呪殺集団の噂だった。そしてそれは彼の古武術の師匠に関わりがあるかもしれないという事実だった。噂の呪殺集団とはどんな組織なのか。そして人体発火などという超能力は実際に存在するのか。

 500ページを超える長編だが一気に読んでしまった。久しぶりのことである。それだけ面白かったということだが、深夜まで読みふけったのでいささか疲れた。ボディガード・キリが主人公の小説は『獣眼』という前作で読んでいて、キャラクターにはなじみがある。そちらも面白かった。

2018年12月15日 (土)

アメリカ回想(2)

 次の本はちょっと変わっている。『荒野の星』という西部劇の本なのだが、小学校四年生の時に母に買ってもらった。母に本を買ってもらった記憶があまりないし、どうしてそんな本を買うことになったのか記憶がはっきりしない。西部劇の話なのに著作者は関英雄という日本人児童文学者である(ネットで調べて分かった)。主人公はキット・カースンという人の話で、実在のアメリカでは有名な人だが、その伝記を関英雄が子供向けに書き直したものと思われる。

 少年キット・カースンが西部へ向かう幌馬車隊に加わって旅をしながら成長する。母親との別れ、西部の男としての装備の説明、特に革製品についての説明があったりした。ローハイドのことも書かれていた。苛酷な旅で半人前の彼が鍛えられていく。やがて銃を与えられ、バッファローの群れに遭遇すればそれをみなで撃ち倒す。インディアンとの戦いもある。

 後年彼はインディアンとの宥和友好に尽力することで特に有名になるのだが、さまざまな体験の蓄積が彼を男にしていく。ビルドゥングスロマンというのはたいてい感情移入しやすくておもしろいものだ。翌年わが家に遅ればせながらテレビが鎮座するようになり、毎週木曜日の『ララミー牧場』が大のお気に入りになったのも、この『荒野の星』という本の記憶が関わっている気がする。

 それと前後して出会ったのが『モヒカン族の最後』という小説である。ジェイムズ・クーパーの原作はかなり大部の小説で、まだ小学生だったから私が読んだのはその一部分の抄訳だったけれど、ホークアイが父のチンガチクックと森のなかを獣のように駆け抜けていく姿が眼前に見える思いがした。音、色、匂いなど五感をすべて全開にして自然と一体になっていく彼等に胸が震える思いがした。

 この話は繰り返し映画化されていて、私はダニエル・デイ・ルイス主演の『ラスト・オブ・モヒカン』(1992)を観た。私にとってのベストテン映画の一つだ。敵役のインディアンであるマグアの迷いのない闘争心に怒りとともに妙に感心した。演じていたのはウエス・ステュデイ。純粋なチェローキーインディアンであるこの俳優は脇役としてしばしば強い印象を残す。

 小学校低学年の頃から愛読していたのは江戸川乱歩の『怪人二十面相』のシリーズだった。だからその流れでエドガー・アラン・ポーを読んだりした。『黄金虫』や『モルグ街の殺人』『落とし穴の振り子』などが強烈に記憶に残っている。後年、全集で読み直した。アメリカの作家ではないが、コナンドイルの『シャーロック・ホームズ』やルブランの『アルセーヌ・ルパン』を読みふけった流れでポーに至った記憶がある。同時にSFに興味が行くのはこの年頃のならいで、ハインラインなどのジョブナイルなどをつぎつぎに図書館で借りては読んだけれど、題名はよく覚えていない。

高村薫『冷血(上)(下)』(新潮文庫)

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 週刊サンテへー毎日に連載され、2012年に単行本として毎日新聞社から出版された小説の文庫化である。

 題名の『冷血』はもちろんトルーマン・カポーティのドキュメンタリー小説『冷血』を強く意識しているが、カポーティの方は実話をもとにしていて、高村薫のこの小説はフィクションである。

 事件は歯科医師一家四人の殺人である。上巻前半では被害者家族の様子が語られ、並行して加害者二人の男の行動が、それぞれの内面も含めて詳細に語られていく。そして後半では事件発生の報を受けて警察が捜査を開始展開して逮捕に至るまでの様子が主に主人公の捜査官・合田雄一郎の視点から、これも詳細に語られる。

 下巻は逮捕された二人の犯人の事情聴取を通して事件の詳細が語られる。すべての聴取に主人公が関わっているわけではないので、聴取の際のテープや聴取記録を読んだ主人公の合田雄一郎がそれらを読み、聴いてなにを感じ、考えたのかが詳しく書き留められている。

 とにかく重い小説である。事件は犯人も犯行に至る経緯も詳細に語られるから謎解きの部分はないのだが、理解不能の犯行、動機を明確化することの不可能さの中にこそ謎があるというところか。それはそのまま人間というものの理解不能さそのものかも知れない。

一部を抜粋する。

「・・・しかし、井上という人間の塊が『分からない』というのは、自分たち警察の力不足ではなかったし、今回の結果が特別だというのでもなかった。そうではなくて正確には、被疑者という名の人間の不毛さ、もしくは空っぽさが、いまも眼の前にあるということであり、それだけのことだった。もちろん、あるのは被疑者という名の人間の中身に切り込むことの方の不毛さだったかも知れないし、またあるいは、ある人間に被疑者という冠が付いたとたん、そのこころの中身に踏み込んでゆけると錯覚する捜査の不毛さ、もしくはそうした錯覚する組織の不毛さや、空っぽさだったかもしれない。とまれ、そういう不毛な被疑者が起こした事件自体も最後は不毛な砂漠になって、被疑者の無念を晴らすとか、社会正義を守るといった建前のはるか手前で、自分たち警察もまた立ちすくんでいるのだった」

「しかし、これは敗北だろうか。四ヶ月あまりの捜査の結果、最終的に目の前にあるのは、無辜の一家四人が畑のキャベツのように頭を叩き潰された事実だけであり、結局、そこにどんな理由も目的も見当たらなかったのだが、警察の仕事は、そうした不毛な暴力に対して、社会的に理解可能ななにがしかの説明を付与することではない。明くまで、司法手続きに備えて、そういう暴力があった事実を認定するに止まるのであり、そうだとすれば、警察としてやるべきことをやった時点で、自分たち刑事もまた一般市民として、不毛を前に立ちすくむのが正しいあり方ではないのか。否、むしろ立ちすくまなければならないのではないか。正しく訝り、恐れ、絶望しなければならないのではないか。理解や納得は必要ない。井上克己という人間の塊に、精一杯の忍耐を持って向き合ってきた結果がこれであれば、ついに時間切れで別れを告げるときがきたいま、余慶なものを付け足すことなくありのまま記録すればよい。犯人性と殺意に疑問の余地がない以上、動機や犯意などの構成要素について分からない部分が残ったとしても、そちらの方が事実なら、それでよいというのが、雄一郎の結論だった」

 捜査資料はことばで記述されるが、ことばはすべてを語ることはできない。特に語ることができないのは人間そのものである。突き詰めれば突き詰めるほど拡散していく不毛さは、人間そのものの不思議さということなのかもしれない。

 トルーマン・カポーティの『冷血』は一度読みたいと思いながらついに読む機会がなかった。たぶんもう読む機会はないだろう。彼の本は、若いとき『遠い声、遠い部屋』という本だけ読んだ。そのころはちょっとアメリカの小説を集中的に読んだ。そのころ読んだ本のことを思いだしている。

2018年12月14日 (金)

アメリカ回想(1)

 アメリカには四十代のときに会社の研修旅行で行っただけである。研修旅行といっても合弁会社での研修が一日あっただけで、合弁の会社のあるフィラディルフィアの見物もしたし、つごう十一日間の旅は、あまりまとまった海外旅行の機会のない社員に経験をさせて視野を広めさせようという会社のありがたい心遣いだった。いざとなれば海外勤務もできる覚悟を持つようにという思惑もあったのだろうか。

 そのときはニューヨークやサンフランシスコやロサンゼルスやハワイにも行かせてもらった。若かったし、活気にあふれたニューヨークが一番印象に残った。

 それしかアメリカ体験がないから『アメリカ回想』などというほどのことはないといえばないのであるが、書きたかったのは、子どもの頃からのアメリカとの関わり、テレビや映画や音楽や本のことである。それではあまりに拡散してしまうから、私に刷り込まれたアメリカを構成している小説を中心に回想してみようと思う。

 どうしてそんなことを思ったのかといえば、いま読んでいる高村薫の『冷血』という小説で、トルーマン・カポーティの『冷血』を連想し、そのカポーティの『遠い声 遠い部屋』を思い出し、さまざまなアメリカの小説を子供のときから読んで来たことを思いだしたからである。それらを思い出すままに書き連ねておこうと思い立ったのである。備忘録というか忘れたり失念したことだらけだから忘忘録といおうか。

 物心ついて初めてのアメリカの物語との出会いは『ドリトル先生』シリーズの絵本だろうか。この不思議な物語はいまでも忘れがたい。出会いは絵本だが、小学校に子供向けのシリーズがあったので何冊か読んだ。

 次に覚えているのはバーネットの『小公子』。小学校二年生か三年生のときに叔父に買ってもらった分厚いこの本を何回読んだか分からない、数十回は読んだのではないか。なにしろ自分の蔵書らしきものがほとんどなかったので、『浜田広介の童話集』とこの『小公子』は表紙が剥がれかけて中がばらばらになるほど繰り返し読んだ。

 『小公子』の中で、セドリックが祖父にアメリカの選挙制戸の話を熱心に説明するところがあるのだが、最初は意味不明だったものの、繰り返し読んでいるうちに共和党と民主党の二大政党について、そして選挙というものをおぼろげに理解したものである。

この話題はしばらく続くかもしれない。

床屋とパスポート

 毎月とはいわないが、せめて二ヶ月に一度くらいは床屋に行こうと思いながらつい先延ばしにしてしまい、襟足などがむさ苦しくなってしまう。そろそろ三ヶ月になるので年貢の納め時か。

 来年パスポートの期限が来る。10年通用のパスポートも気がつけばあっという間である。床屋に行ったらサッパリしたその頭で更新の写真を撮ろうか。

 眼鏡の度がどんどん目に合わなくなってきた。合わない眼鏡をかけ続けるのは却ってよくないだろうと思う。それならパスポートの写真も新しい眼鏡で撮る方がいいか。予備の眼鏡がいくつもあるが、みな似たり寄ったりだ。眼鏡はこちらに合わせてはくれない。

 なんだかつぎつぎに出費がかさむが、人生なんてそんなもの。我慢すれば我慢できるが、必要なものを我慢しても仕方がない。できる出費は惜しまないで行くことにしよう。そうでないとあまりにもいじましくて哀しいではないか。

2018年12月13日 (木)

今村与志雄訳『唐宋伝奇集(下)』(岩波文庫)

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 下巻には四十話が収められている。冒頭は『杜子春』で、これは芥川龍之介が翻案しているのでたいていの人は読んだことがあるだろう。この本に収められている『杜子春』の結末は芥川龍之介とは違うが、情というものから人は逃れられないものであることを述べている点は同じである。しかし情と縁を切らないとなることができない仙人とはどういう存在なのか。この話にも別のパターンに変形されたものを読んだこともある。

『魚服記』は人間が魚になるという話で、上田秋成の『雨月物語』の中の『夢応の鯉魚』という話に改作されている。幽霊談、怪異談ばかりの『雨月物語』の中では全く怖さのない異色の一作である。

『嘉興の綱渡り』は司馬遼太郎の『果心居士の幻術』という短篇の中に取り入れられていたように記憶する。『葉限(しょうげん)』は中国のシンデレラ物語ともいうべきもので、原型があって中国に伝わったのか、別々に類似の話が生じたのか。     

『李徴が虎に変身した話』は、中島敦の『山月記』のネタ本ともいうべきものだが、『山月記』のほうが内容に深みを感じるのは私のこの作品への愛着が強いゆえか。この話も変形されたものを読んだ記憶がある。面白い話はいろいろ伝わるうちに脚色されていくようだ。

『崑崙人の奴隷』、『空を跳ぶ俠女』はともに読んだ記憶があるが、今回も特に面白く感じた。不思議な術を身につけてそれを使う話は子供でなくてもおもしろいものだ。

 下巻は短い話が多いけれど、これを膨らませたり組み合わせたらさらに面白い話になりそうで、実際にそういう物語も多数あるに違いない。たまたま日本で翻案されたものを二、三あげたが、多分あれもそうか、と思うものはもっといくつもあるが、確認していないのでここまでとする。

 とにかく伝奇集としては格別おもしろいものが揃えられているのでお薦めの本である。

暖房準備

 昨日ようやくこたつをかけた。たいへん快適である。ただ、こたつの下用の薄い布団の皮が破けて小さな穴があいている。まだひとシーズンしか使っていないのにヤワなことである。打ち込みの甘い織物で手抜きに仕上げてあるのは安いから仕方がないか。その皮の代わりに薄い不織布のような毛布でそのこたつ下用の布団を丁寧にくるんでみた。いままでよりも暖かいしこれなら破ける心配も無い。

 こたつを出す前に暖房としてガスファンヒーターを引っ張り出して使い始めていたのだが、だいぶ年期がいっているし、なによりガスホースが硬くなってしまって取り回しがしにくくて仕方がない。そのせいで折れかけている。これではガスもれのおそれがある。ガスファンヒーターもときどき変な警告を出す。フィルターが汚れている、というのだが、こまめに掃除しているし、掃除しすぎでフィルターが歪んでしまっているくらいなのに。

 そろそろガスファンヒーターもガスホースも替え時かも知れない。わが家にはガスレンジ用以外でガスの元栓が四カ所ある。それぞれにガスソケットをつけておけば二台のストーブで暖房はできる。いままでは一台が電気ストーブだったけれど、ガスストーブの暖かさとは段違いだ。なによりガスファンヒーターはあっという間に暖かくなる。それに電気器具だらけで、うっかりするとブレーカーが落ちるので電気を食うものは注意が必要だ。

 石油ストーブの方が安上がりなのは承知しているが、いちいち石油を買いに行かなければならないのは面倒だ。いくら最近はにおいが少ないとはいえ、つけたり消したりしたときのあの臭いは大の苦手である。その点ガスはもれさえしなければ匂わないし手間いらずだ。

 そういうわけでさっそくアマゾンでチェック。思った以上にガスファンヒーターは高いが仕方がない。一台購入。それとガスソケットを三つ。さらにガスホースを二本。これでこの冬の暖房は完璧である。いまのガスファンヒーターがいつまで現役でいられるか。場合によって世代交代が必要かも知れない。思えば二十年くらい使っているしなあ。

 寒さに強いのが自慢だったが、さすがに冷えがこたえるようになってきた。無理は禁物である。昨夕手配したので明日にはすべて配達されるはずだ。楽しみだ。

2018年12月12日 (水)

責任を取るということ

 イギリスのEU離脱について混乱が起こっているようだ。メイ首相とWUとの合意案をイギリス議会が承認しそうもないのだという。承認に反対する議員達の理由はさまざまで、離脱後についてのあるべき姿と違うもので不満だという反対と、もともと離脱に反対だからどんな離脱案も反対だというものとが主なものだろうか。

 そもそもメイ首相は離脱には反対だった人、つまりEU残留派の人だ。その人が首相という立場にある人間として、使命感を持って離脱後のイギリスの利益を考えて努力しているように私には見える。普通の人間なら「いい加減にしてくれ!」と首相職を放り出すのではないか。

 国民投票というのは代議制を否定するところがあって、場合によってはムードや感情にながされて禍根を残すことがあることを今回のブレグジットは教えてくれた。だから、もう一度国民投票をしよう!という声も多いようだが、それならあの国民投票はそんな安直なものだったのか。もし今度は残留派が勝てば、離脱派が納得せずに国民はますます強く二分されてしまう。

 そもそもが離脱が決定されたなら、離脱の旗振りをした人々が離脱交渉をするのが筋だろうと私は思うがどうなのだろう。離脱にあるべき姿をイメージしていたから離脱運動を推進したのではないか。その連中がメイ首相を声高に避難している。そんな彼等は、もし「自分でやってみろ」といわれたらあれこれ言い訳して逃げるような気がする。

 それにしてもメイ首相の依って立つ与党にさえ合意案に反対の議員が多数いるというのでは、それこそメイ首相も立つ瀬がない。これでは合意案承認はあり得ないように見える。さりながら、世の中は「まさかのこと」がしばしばあるもので、ぎりぎりのところで突然事態が変わることを見てきた。今回もなにが起こるか分からない。

 しかし、事態の急展開による打開をもたらすものがあるとしても、それは無責任なEU離脱反対派の議員によるものではないだろうと思っている。

お祝い返し

 姪(弟の娘・私の娘のどん姫と同い年)が二人目の子供(女の児)を出産したので私からささやかなお祝いを贈っていた。その姪からお祝い返しが送られてきた。赤ん坊の可愛い写真が添えられている。これで弟の孫は6人になった。

 内祝いは酒のつまみになるものの詰め合わせで、私が喜ぶものをちゃんと分かってくれている。甥や姪たちはみな素直な育ち方をして、私たち兄弟(私と弟と妹)とそのこどもたちが一堂に会すると、父や母は目を細めてうれしがったものだ。これが私たち兄弟の一番の親孝行だったかも知れない。

 その中でも格別に可愛い姪がしあわせに二人目の子どもを生み育てていることを祝って、昨晩はちょっとお酒を余分にいただいた。

2018年12月11日 (火)

打ち合わせがあったのか

 医科大学の入試で合否にハンディを設けていたことがつぎつぎに明らかにされている。特に女子に対して減点していた事例が多い。試験は平等に評価することが前提のはずだから正しくないことをしていたのだ。

 正しくないことだという認識が大学側にあったのだろうか。それぞれに言い訳をしている。言い訳をするということはそれが正しいことだと考えていたのであって、悪いことをしていたつもりがないということだろうか。世間的には悪いことでも本音のところでは仕方がなかったのだという気持がありそうだ。

 女性は扱いにくく、特別扱いが必要でありながら平等を要求する、しからばこっそりとその分をハンディとして設けても当然ではないか、というのが医科大学側の思いのような気がする。時代錯誤であることは確かなのだが、不思議に思ったのは、そのようなハンディを設けたのが比較的に新しいように報じられていたことだ。

 明治のむかしならそういうことは公然と行われていただろう。だからそれを乗り越えた女性医師は優秀な人が却って多かったかもしれない。しかし少なくとも戦後はそのようなことはなかったと信じたい。ところがそれが裏切られることになった。しかもそれが最近のある時期から始まったとしたら、何か理由があるのではないか。もしむかしからのことなら言い訳もそのように言うはずだろう。

 どこかの大学でそのようなハンディを設けることにしたのを漏れ聞き、それに賛同して自発的に自分の大学でもそれを採り入れ、次々に波及したのか、それとも何らかの会合でひそかにそのへんを情報交換して一緒に始めたのか。「赤信号、一緒に渡ればこわくない」だったのか。

 女性は扱いが難しく、特別扱いが必要なのに平等を要求する、と認識するのは時代錯誤である。男性中心の社会を前提にしているからである。そういう存在が女性なのであって、それを前提に社会のシステムを運用するのが現代では当然なのだ。その違いをハンディを設けて補整しようとするなど誰の創案なのだろう。それに「そうだそうだ」と乗った大学の担当者がいたわけである。

 それとも、そう思わせてしまうほど扱いにくい女子医大生が多くて手を焼いていた大学関係者が多かったのだろうか。

2018年12月10日 (月)

現代の姨捨山

 留守の間に録りためたドラマやドキュメントを観るのに忙しい。そんなドキュメントの中に上海の、子に捨てられた老親の話が興味深かった。

 ふだんは企業のコンサルタントをして、週末に困った老人の駆け込み寺のような仕事を、長年ボランティアで続けている上海の女性弁護士を取材していた。子供と同居していた親が、子供が成人して結婚し、孫ができた頃から疎んじられ邪魔者扱いされて、ついには家を追い出されてしまうという相談が多発しているというのだ。裁判にしてしまうと親子関係は完全に破綻してしまうのでこの弁護士は何とか調停しようと苦労している。

 背景にはさまざまな問題があるのだが、形は財産問題としてあらわれる。親が必死に貯めた金で手に入れた住宅や資産を、子供に老後の面倒をみてもらうつもりで預けたとたんに手のひらを返したように邪険にされるようだ。そもそもが二世代三世代が住むには手狭な家やマンションだと、孫ができると年寄りのいる場所がなくなる。

 しかも上海の不動産はどんどん値上がりしているから、子供は親に無断でそれを売り払おうとしたりする。結果的に親には老後のための金が残らないことになったりする。または妻を失った父親などは、息子の嫁の親が孫の面倒を見に家に入りこんだために家を出る羽目になったりする。ここには嫁舅姑の問題、一人っ子政策の結果なども絡んでいるかも知れない。

 子供も親に別に家を持たせるだけの稼ぎはない。だからといって放り出された親は生活が成り立たず困窮するばかりだ。「自分の子供の教育費に収入の二分の一三分の一をかけなければならないのに親の面倒なんかみられるか」と子供はうそぶく。教育費が異常に高いのも中国の問題である。しかしそこまで教育費をかけるのは将来自分がその子供に面倒をみてもらうためかも知れない。自分がしてもらったように。

 金に振り回されているようなその姿を見ているとなんだか哀れな気がする。本人たちは互いに自分の主張を声高に主張し、あるいは泣き崩れる。それを調停していくのだから並大抵の粘り強さではやっていられない。しかもボランティアである。頭が下がる。

 翻って日本はどうなのだろう。同様の話は多分少なからずあるのだろう。しかしこの上海の話ほど多くはないのだと思う。現代の姨捨山は日本ではなく、上海にあるようだ。

 戦前は日本でも子供に面倒をみてもらうのが当たり前だった。しかし戦後親たちは子供に面倒などみてもらわなくても自分で何とかする、と公言してそれが当たり前になった。それは社会的要請でそうなったというよりも自発的なものだったように思う。面倒をみてもらうことを期待してもできないからそういったのかどうか。そもそもそういう気分に導いたのは誰だったのだろう。確かに住宅も手狭で二所帯三所帯の同居は都会では難しい。日本人は諦めがよいのだ。

 上海の姨捨山は単純に中国人が拝金主義だということだけで見てはいけない深刻な問題らしい。いろいろ考えさせられた。

2018年12月 9日 (日)

フランスの騒動を見ながら日産と韓国を考える

 マクロン大統領はフランスの産業を活性化させることで経済の振興を図り、国民生活の向上を目指していたように見えていたのだが、企業に減税をして逆に石油税などの一般国民の税金を増やそうとしたために、多くのフランス国民の反発を招いて全国的な騒動を招くことになってしまった。

 長期的に見ればマクロン大統領の政策はフランス経済を底上げすることになり、妥当な政策のはずだが、国民は目先を優先する視点から、彼が金持ち優遇政策者だと断じているらしい。マスコミは左派的な傾向があることが多いから、その国民の気持ちを煽るし、今回はネットなどで互いに共鳴し合いながらの国民的盛り上がりになってしまったようだ。

 もともとフランスという国はフランス革命が成功したことを誇りにする国だから、このような盛り上がり方をするのをたびたび見せてきた。そして労働組合がとても強い国である。ときには企業活動を労働組合が阻害することもあり、歴代の大統領はその対処に苦慮してきたが、マクロン大統領は若さと人気を背景にそこに大なたを揮おうとしたのではないか。

 ルノーにしても国内工場の労働組合との対峙の中で苦労してきたので、それを経験してきたゴーンはフランスでやりたくてもできなかったことを、日本に来て日産でやってみたのだと思う。もともと日産がトヨタに水をあけられ、利益が著しく減退し、赤字経営になったのは労働組合の対処を誤ったからだと私は見ている。日産の労働組合は強くなりすぎていた。

 しかし赤字となれば強引なことをされても仕方がないという風土が日本にはあったのだろう。旧経営陣に対しては強行でも組合は外国人経営者には抗さずにおとなしく従った。会社を潰してまで労働争議をしないのがいまの日本人である。言い分が通っても会社がなくなれば意味が無いのである。

 ゴーンは優秀な人間が干され、閑職に追いやられていたのを是正した。もともと力のある会社だからV字回復した。これはゴーンの手柄であるのはもちろんだが、そもそも利益を出せる状態を阻害していた要因を取り除けば回復できる素地があったのである。そのゴーンは成功体験から驕り、逆に日産の阻害要因になってしまった。

 ルノーからの技術者を大量に日産に送り込み、技術をルノーに取り込む算段をし、反発する優秀な技術者をどんどん閑職に追いやり、今年の春先にはそれらの優秀な技術者が大量に会社を去ったという。金の卵を産む鶏を失ってどうして会社の利益を確保するのか。自動車産業の大きな変革期にあるいま、優秀な技術者を失うことは自殺に等しい。それらの会社の危機を日産は全社的に感じていたのだろう。それが今回のゴーン逮捕劇の背景のようである。

 いま韓国は左派の親北朝鮮の文在寅政権であり、労働組合はやりたい放題となり、会社がつぶれても雇用が減っても自分たちの言い分を通すことに狂奔している。GMは韓国Gからの撤収に転じているようだし、ゴーンがもくろんでいた韓国ルノー・サムスンへの日産車の生産依託計画も白紙に戻されたようだ。そうなるとルノー・サムスンの稼働率は50%以下となり存続の危機に瀕する。いま日本は韓国に忖度するつもりはないから見直しはないだろう。

 韓国の企業は韓国の会社も外資も労働組合に手を焼いている。自動車産業はすでに危機的状況だと繰り返し報じられている。日産は阻害要因を取り除けば回復できたが、そもそも韓国の企業はアセンブリ企業(組立て企業)であり、基礎開発には投資せずに来たから底力が無いのである。もし組合が妥協しても当分の間は回復は困難だと思う。

 市民運動家の大統領をいただいて、国民的盛り上がりで反日に走り、税金のばらまきで経済を活性化させようとする韓国は、いままでのフランスによく似ている。いまは韓国の方がフランよりも先鋭化しているから、フランスも韓国がどうなるのか参考にしたらいいと思うがそんな悠長なことを言っていられないか。

 考えてみると第二次世界大戦ではフランスは早々にドイツに屈服し、ドイツに支配されていたから国としては見かけ上枢軸国だった。ただ国内にパルチザンがいたし、海外にはドゴールが臨時政府を自称して抵抗を呼びかけ続けたので、戦後は戦勝国の扱いを受けた。これはドゴールの手柄である。

 朝鮮も第二次世界大戦では日本の国の一部として日本人として連合国と戦った。立場はフランスとよく似ているのである。だから韓国の人々はすぐにドイツの戦後処理を引き合いに出して日本を非難する。しかしフランスは自国が戦場になったのに、反ドイツをいつまでも続けたりしていない。翻って韓国は太平洋戦争では主要な戦場にはなっていないのである。戦場になったのは朝鮮戦争のときである。同格に論ずるのは無理がある。そう思いたいだけである。

 労働組合や市民運動家が国を動かす国がどうなるのか、歴史の実験の結果を眺めることにしようか。さいわい日本では当分そういう国になる心配は無さそうだから安心していられる。朝日新聞や立憲民主党や社民党などの面々は不審であり、残念だろうが。

2018年12月 8日 (土)

日本海へ(3)

湯野浜から鼠ヶ関と日本海を南下すれば、山形県から新潟県村上市に入る。村上市はとても広い。県境からこの晩の宿の瀬波温泉まで40キロ近くあった。


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海上に見える島は粟島。冬の日本海の空と海は暗く、波は荒い。

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波は泡をかみ、北西からの風に細かいしぶきが散る。

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冬の笹川流れの景色は春夏とはまるで違う。

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潮がもっと満ちると左下の砂浜も波に隠れてしまう。

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夏ならこの辺りで巻き貝が取れたりするのだが、とても水に足をつける気にはならない。

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岩に波が打ち付けている。風がますます冷たくなってきた。

宿に入る。

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オーシャンビューのホテルの部屋の窓からの窓外の景色。ここからも粟島が見える。

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波消しのテトラの手前の黒いツブツブはどうも鳥らしい。波の静かな場所で羽を休めているのだろうか。
一晩中波の音と風の音がしていた。

この翌日には金沢に入った。金沢は今日初雪が降ったらしい。明日はさらに降るという。本格的な冬の到来だ。魚はますますおいしくなるけれど、暮らす人はたいへんだ。

日本海へ(2)

ナビに従い鶴岡の庄内神社に至る。この神社の横に藤沢周平記念館があるのだ。市営の無料の広々とした駐車場が近くにあるのはありがたい。


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まず庄内神社を参拝する。いまにも雨が降りそうな空で、風も冷たい。

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神社は早くも来年の年賀の仕度を始めている。

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拝殿に参拝。

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こんな立て看板があったので見に行く。「天保お座り事件」とはなにか。この事件についてはそういえば藤沢周平の『義民が駆ける』のあの藩の領民あげての領主移封反対運動のことのようだ。詳しくは本を読んで欲しい。幕府が最後は折れるという希有な事件である。

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この宝物殿の中に絵物語が展示されている。

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横の武者板絵は酒呑童子のようだ。酒で酔いつぶれて寝ているところを源頼光たちに首を切られる。その酒呑童子の首が、源頼光の兜に噛みついたところであろう。

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小さな展示室にはこけしや土人形などがたくさん並べられている。

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野点の風景だろうか。見ていて思わずにっこりしてしまう。

お座り事件の絵物語を読む。藤沢周平はこれも参考にしたのだろうか。ガラスで反射するし、枚数も多いので写真は撮らず。ここは無人で(ただし防犯カメラはある)撮影禁止の表示もないし、無料である。ほかに若干の展示物もあり。

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藤沢周平記念館。おお、何とここも水曜日が休館日なのであった。

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立て看板によれば特別展として『三屋清左衛門残日録』の世界が見られたはずなのである。藤沢周平の作品の中で最も好きなものである。残念。来年3月までとあるから、もう一度来ようかな。ちなみに『三屋清左衛門残日録』の次に好きなのがなのが、いまNHKドラマで放映中の『獄医立花登青春手控え』シリーズ全四作だ。ともに何回読んだか分からない。何度読んでも面白いのはザル頭が忘れてくれるからである。

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大きな松の木も冬支度である。もうすぐ一面は雪に蔽われるのだろう。

このあと鶴岡から湯野浜方面に向かう。つまり日本海に向かうのである。

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ついに日本海に至る。このとき一瞬青空が覗いた。

次回は「笹川流れ」周辺の写真を。

2018年12月 7日 (金)

何はともあれ

 先月30日に出発し、昨晩の金沢の夜をハイライトとして、今日昼頃自宅に無事帰着。本やカメラやパソコンや貯まった衣類などの荷物が一抱えある。さっそく洗濯を始める。

 そして何はともあれ手挽きのミルで豆を挽き、コーヒーを淹れる。それほどのコーヒー好きというほどではないが、今回の旅の最中にはおいしいコーヒーを飲む機会がなかったのだ。わざわざ喫茶店に入るのは好みではない。部屋にコーヒーの香りがただようと、帰ってきたのだなあ、としみじみ思う。心が安らぐ。

 冷蔵庫にはあまり物が入っていないので、一息入れてから隣のスーパーに買い出しに出掛ける。こたつをまだかけていないので、部屋を掃除したらこたつの用意をしよう。日常が始まる。

日本海へ(1)

 5日の朝、滞在していた鳴子の宿を若主人に見送られて発つ。気温はそれほど低くないが強い風が吹いている。温泉街のある一帯と道路を挟んで反対側のこの宿は、周りにほとんど建物がない一軒宿なのでまともに風が当たる。これから西に向かって峠越えをして山形県に入る。

 鳴子から峠を登り始めたらすぐに尿前(しとまえ)の関の近くを通る。看板が掛かっているが、実際の尿前の関跡はそこから狭い階段を降りていった先にある。芭蕉の像もあって何度も立ち寄っている。名所のはずだが人がいたことはない。さらに峠を登れば日本こけし館の入り口が左手にある。こけし館はそこから急坂を登ったさらに高台にあって、いつもなら雪の降り出す12月には閉館しているのだが、今年は雪がないからまだやっているようだ。間もなく閉館だろう。

 鳴子峡の横を通り抜ける。ドライブインはもう閉めただろうか。紅葉のシーズンはすでに終わり、山は冬枯れの景色になってしまった。中山峠を越える。ここが宮城県と山形県の県境だ。中山峠を下ってすぐに芭蕉が泊まったという封人の家がある。すでに雪囲いも万全で、つまり春までは閉館である。このすぐ近くに堺田の分水嶺がある。鳴子峡から東は江合川に合流して石巻まで東流し太平洋に注ぐが、ここから先の川の流れは西流して最上川に合流し日本海に注ぐ。

 しばらく走ると瀬見峡がある。瀬見峡で撮った写真が母の遺影に使われた。いい顔をして写っていたのだ。瀬見峡のすぐ先が秘湯の瀬見温泉。義経や弁慶もこの温泉に立ち寄ったと言われる古い温泉だ。川に沿ったり離れたりしながら国道47号線を新庄に向かって進む。南北に走る国道13号線を横切る。以前工事をしていたバイパスが一部完成していてスムーズに新庄を擦過して進めるようになった。新庄は父の妹である叔母のいたところで、学生のときにはたびたび世話になった。新庄といえば子供のときから大好きなくぢら餅がある。叔母がよく送ってくれた。黒砂糖や豆やクルミが入った甘い餅で、切って炙るととても香ばしい。

 バイパスはすぐ終わりになり、地道の47号線に戻る。少し進めば最上川の本合海に至る。川が合流している場所で、昔はここが船下りの乗り場だったこともある。芭蕉はここから乗船して清川まで下った。途中冬支度のための道路工事がところどころにあって片側一車線である。トラックの多い道路なのでスピードは出せない。古口に至る。いまは古口が船下りの乗船場になっている。この古口あたりの最上川に角川という川が合流している。角川を遡れば父の生まれた場所に至る。思い立って父の生家跡を見に行く。ここも道路工事だらけである。父の生家は私が大学生の頃には跡形も無くなり、姫鱒の養殖場になっていた。いまは鮭の稚魚育成をしているようだ。

2018年12月 6日 (木)

ありがとう

 昨夕、金沢の若い友人達と楽しいお酒を飲んだ。こういうおじいさんを好い気持にさせてくれてありがとう。

 仕事の話し、むかしの話しは極力しないようにしようと思いながらまたそういう話になったりした。申し訳ないことで反省している。それを黙って聞いてくれている彼等もいまはプロの戦士の顔になっていて、まことに頼もしい。多分われわれが仕事をしていた時代よりはるかに厳しい環境の中で苦労していることであろうと思う。

 思い出せば、私でも多少は志というものがあった。そういうものが持てれば仕事は何とかこなせるだろう、私がこなせたのだから。思えば恥ずかしい日々であった。彼等には全体を見る眼を持つことで多少は楽になれるように祈念したい。人生には善いこともたくさんある。

彼等はすでに私が伝えたかったことよりもはるかに大きなものを獲得している。それは私の手柄ではなく、彼等の手柄であることはもちろんである。

酩酊して帰ってすぐにホテルで記す。

今村与志雄訳『唐宋伝奇集(上)』(岩波文庫)

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 中国の志怪小説や伝奇ものが大好きなので、この伝奇集に取りあげられている物語の大半はすでに読んだことがある。しかし翻訳によって物語はずいぶん色合いが異なるものになるし、同じ話でも何度も楽しめる。

 この伝奇集はとにかく註が詳しい。たとえば上巻はちょうど300ページで、前半の200ページが本文、残りの100ページが註である。註は字が小さいから、実感として本文と註のボリュームがほとんど同じに感じる。今回は本文だけを読むのではなく、註も丁寧に読んだ。

 取りあげられている物語の多くは後世にさまざまに脚色されたり翻案されて、類似の物語がたくさん生み出されている。それは日本にも伝えられて、原話に近いものもあるし、すっかり日本の話に形を変えたものもある。

 たまたまそれを知っていたりすると、アッあの話だ、と嬉しくなったりするものだ。上巻は全部で11話。比較的に長めのものが多い。註を詳しく読むことで、物語がどんな意図で書かれたのか、どんな背景があるのか、そしてそれらがどのように変遷したのかが分かって何倍にも楽しめた。

 妖怪や幽霊の話しばかりではなく、恋愛ものもある。女性が自主性を持って生きにくい時代ではあるが、それでも矜持を持って意地を貫いた女性も出てきて嬉しくなる。こんな面白い話、読まないのは損だと思う。

 それにしても色男は軟弱と決まったものだが、それにしてもどうしてこんな男が絶世の美女にモテるのか、お話にしても腹が立つこともある。現代もそのようだ。

ニュース拾い読み(2)

 韓国で、最高裁の判事に逮捕状が請求されたという。徴用工裁判に関して遅延させたり証拠の採用に偏りがあったなどということらしいが、最高裁の判事に逮捕状が請求されるなどというのは前代未聞のことと報じられている。そもそも現職の大統領を引きずり下ろして懲役刑に処してしまうような国だから最高裁の裁判官も罪に問われるのは不思議ではないとはいえ、なんだか哀れである。

 いまの政権に迎合すれば、次の政権から罪に問われるというのは韓国の宿痾のようなものか。要職に就くと、こういう目にあうというのが千年前からこの半島で繰り返されてきた歴史であることは、韓国の歴史ドラマを観れば良く分かる。あまりにも々パターンの繰り返しだからもう観る気がしないほどである。いまも現実に同じことをやっているし。

 ブエノスアイレスの米中会談で、習近平がアメリカから1兆2千億ドルの輸入拡大を約束したと報じられている。凄い金額だが、何となにをいつからいつまでに買うのかが明らかでないので、いつものように中国の大風呂敷のその場限りのことばではないかなどと思ってしまう。とにかくトランプに成果を持たせないとどうなるのかこわくて形を整えたのだろう。

 そもそも中国は世界中に金をばらまく約束をし続けていて、それを合計したらどれほどなのかそら恐ろしいほどである。いろいろな国が、約束してもいつまでたっても金が支払われないとつぎつぎに不平をもらしているという報道もよく見る。習近平はため込んだ中国の金を蕩尽し続ける金持ちの三代目のバカ息子のようだ。今回のアメリカとの約束にしてもがわだけ大きくて実質的な中身はわずかだったりして、却ってトランプの怒りの火に油を注ぎそうな気がする。

 中国のメディアが、日本へ行く中国人観光客が増え続けているのに日本から中国に来る観光客は少しも増えていないと報じていた。以前桂林に行ったとき、ガイドのおばさんが「どんどん日本人観光客が減って、最盛期の10分の1になった」と嘆いていたのを思い出す。日本語ガイドはどこでも仕事が激減し、どんどん辞めている。

 旅行会社のツアーのパンフレットの棚を見れば一目瞭然である。中国へのツアーはほんの少ししかない。企画を立てても人が集まらないのだそうだ。いま中国へ行こうという人は、たいてい中国が大好きな人ばかりである。そういう人は有名観光地はすでに何度も行っている。しかし有名観光地でなければツアーは組めない状態で、結局どうしても中国に行きたい人は割高になるけれど、自分で旅行会社と計画を組むことになる。私も何年かずっとそうしてきた。

 その私でさえ現下の中国、そしてこれからしばらくの中国には行く気がしなくなっている。それなら中国へ行く日本人観光客が増えないどころか減るのは当然である。理由はたぶんこの報道をしたメディアも観光会社もよく分かっているのである。ほかに行くところがないわけではないし、中国へ行くのはいまはやめておくのがいいと日本の多くの人が思っている結果だろう。

2018年12月 5日 (水)

ニュース拾い読み(1)

 時系列に沿わずにニュースの中から私のザル頭に引っかかったことを並べてみる。

 韓国外交部が、日本の「対抗措置」言及に失望したそうだ。韓国外交部は文在寅の青瓦台から軽んじられていると伝えられていて、実際にほとんどその役割をまっとうしていない。その結果外交素人の青瓦台がつぎつぎにお粗末な外交を繰り広げても何も言うことができないでいる。外交には相手がいるということを韓国のいまの外交はほとんど失念しているようだ。ただし、北朝鮮だけは別格のようだが。そういえばいまの外交部の部長も素人だった。

 ところで日本の「対抗措置」というのはもちろん徴用工判決に基づいた何らかの措置、日本企業の資産差し押さえなどが実施された場合には、日本もそれ相応の「対抗措置」を執るということである。国際法違反が明らかなことには断固たる対応をするという日本側の表明のことである。それに失望したという韓国外交部は、いったいなにを希望していたのだろうか。希望があって初めて失望である。

 金正恩が韓国を訪問するよう文在寅が強く要請しているという。できれば年内に来て欲しいと懇願しているようだ。現下の状況ではさすがに年内は難しかろうと思うが、文在寅は「まだ可能性は十分ある」と語っているそうだ。希望的なことばだが、韓国は国民は常に白か黒かに二分される傾向がある国だから、万一金正恩がやって来たら、大歓迎する人々と、襲撃しかねない反対派の人々で大変な騒ぎになることが予想される。

 不慮の事態も起きかねないと思うが、文在寅はそれを心配しないのだろうか。それよりも右肩下がりで落ち続けている支持率を金正恩を韓国に招待することで一気に回復させようという思いばかりが強いように思うがどうか。臆病な金正恩が来るものか。

牡鹿半島に行く(2)

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半島の高台の展望公園へ行くと、山茶花の向こうに金華山が見える。

さらに高台の展望台へ上る。

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柱に間違えようのない案内がある。さらに上に登る。

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金華山。一度は渡ってみたいけれど、いつも時間がない。

鮎川港からフェリーが出ている。

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左は牡鹿半島。右が金華山の左端。

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金華山の右端。

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もう一度左端を。震災のときには島の人たちも大変な苦労をしたことであろう。

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石巻から牡鹿半島を走る途中にある復興国立公園。復興国立公園というのは何だろう、よく分からない。

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この月浦があの支倉常長の遣欧使節たちの出発した港らしい。

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支倉常長の像。

ここは崖の上で、ここから狭い道を降りていくと月浦の港へ出ることができる。しかしそこも工事だらけでどこから出航したのかよく分からなかった。

鳴子から牡鹿半島の先まで往復約230キロ、半島は急勾配急カーブの連続で意外と時間がかかる。むかしよりも道路は整備されたが、それでも片側通行信号待ちの場所がいくつもある。

それに石巻の道路はいつでも渋滞している。距離で所要時間を考えると読み間違えるので注意が必要である。
 

2018年12月 4日 (火)

牡鹿半島に行く(1)

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 2日(日)、天気が良いので鳴子の湯治宿から牡鹿半島に行った。

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 牡鹿半島先端近く、金華山へのフェリー乗り場のある鮎川浜の港に行き、港の端から全体を写す。

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 少しアップする。住宅が高台に増えているような気がする。港のすぐ近くのもとの市街はほぼ壊滅してしまい、いまは一帯はすべて工事中なので、高台へ移ったのだろう。

 牡鹿半島には毎年のように立ち寄っている。震災の前の年に友人達と三人でこの鮎川浜の民宿に宿泊した。そのときの民宿も、散策で立ち寄った港の土産物売り場の店々も、髭鯨や鯨の骨を売っていた骨董店も、鯨肉を売っていた店もみな津波にさらわれて跡形も無くなった。

 そもそも港自体が以前の面影などないほどの被害を受けた。震災の半年後に訪ねたときには、それを見て言葉を失った。毎年その被害に遭われた人々への鎮魂の気持ちも込めてここで頭を下げる。

 いつもは泊まった民宿のあったあたりに車を停めて当時を偲ぶのだが、今回はその辺り一帯も復興工事のフェンスに囲まれていて、立ち入ることができなかった。工事はますます巨大化し、範囲を拡げているけれど、あれからもう7年半、いったい何の工事をしているのだろう。なんとなく工事のための工事をしているだけのように見えてしまう。

 民宿の夫婦や家族は無事だったのかどうか分からない。残っていたのは民宿の前の二本の樹だけだった。その場に今回は立ち寄れなかったのが心残りである。

午後から雨らしい

霞がたなびき雲海のよう。

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今朝の夜明け少し前の窓外。宿のほぼ西側になる。

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仙台は夜から雨だと言うが、山形や秋田はすでに昨日から雨模様。この鳴子も少し早めに雨が降り出すことだろう。明日は西に向かって峠を越えて最上川沿いに山形県を横断し、日本海に出て南下して瀬波温泉に泊まることにした。日本海側はずっと雨続きの予報だ。この時期は普通なら雪が降る。雪が見てみたい当方にとって雨であることがありがたいかどうか。週末には気温が下がり確実に雪だそうだ。

滞在している宿は宿泊客は少ないけれど、日帰り温泉として入りに来る人が多い。昼間に入浴すると六つあるカランがすべて埋まっていたりする。駐車場も広いので、地元の人も立ち寄りやすいのだろう。泉質もいわゆる黒湯で、鉄分を含み、濃厚な感じがする。できれば一ヶ月くらい滞在したいけれど、食べる物の変化がなかなかつけにくくて飽きてくる。

まだ湯あたりは出てこない。湯治というのは湯あたりがでてそれが消えるくらいまで入って初めて湯治らしいから、まだまだである。現代人には難しいことなのかも知れない。

時と場合

 互いの言い分を主張し合い、その上で妥協するのが普通の合意である。しかし言い分が全く妥協の余地がないほど異なっていて、なおかつどうしても双方が合意する必要がある場合も世のなかにはある。そのときには譲れない点を互いに承知の上で、それは今後持ち出さないという約束の下で合意する。そういう合意が1965年の日韓条約だったし慰安婦合意だったと私は理解している。持ち出さないという約束を破れば合意そのものが否定されるのは自明のことだ。

 慰安婦合意の破棄や徴用工裁判の賠償命令というのが、国と国との関係を損なうものだと言われるのもそういう理由からだろう。譲れない点なのに譲ったのが間違いだったというのが合意否定の韓国の大法院の判決理由なのだからである。

 そしてその損なう原因をつぎつぎに持ち出しているのは日本ではなくて韓国である。それなのに韓国が日本に自重を求めるというのはずいぶんおかしな話しだ。ニュースを見てそのことを理解しているだろう多くの日本人がいささか感情的になり、気分を害しているのは当然だろう。

 そんなときにハンギョレ新聞に、石破氏が「日本は独立国だった韓国を併合し創氏改名をした歴史を認識すべき」と語ったという記事が出た。記事によれば早稲田大学の講演での言葉らしい。前後にいろいろなことばがあったはずで、これだけを取りあげられるのは石破氏にとっては不本意だろう。

 このことばに間違いがあるわけではない。文脈の中でも正しいのだろうが、今このようなことばが、韓国のどちらかと云えば左翼的な、親文在寅政権の新聞をうれしがらせ、記事に取りあげられてしまうのは、石破氏の不用意なところだろう。ことばは時と場合によって大きな誤解につながる。正しいことでもわざわざ言わなくてもよいことがあり、わざわざ言うことが却って言わないより悪い結果を生むこともあることくらい、ことばのプロとしての政治家なら分かっているはずだ。

 石破氏がそれを指摘されたら、いまの日韓の状況を気にして多分誰も言わないから自分があえて言ったのだと言うかもしれない。そういう人なのだと思うが、そういう正しい人はときに国を誤らせる。この人が首相にならなくて良かった。

2018年12月 3日 (月)

シンシアリー『朝鮮半島統一後に日本に起こること』(扶桑社新書)

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 著者は韓国人で歯科医師。韓国人による朝鮮半島論というシリーズを書き続けている。この本はそのシリーズの最新作である。反日が正義であるという空気の強い韓国(どうしてそうなるのかは本書を読めばよく分かる)では、彼の書く韓国の実情分析の内容が反感を受け、身の危険を感じて昨年から日本に移住している。

 本の中に日本に帰化する申請をしていると思われる記述がある。帰化するにはあと三年半必要だという。

 いままでの彼の本では韓国を愛するがゆえの韓国の問題点指摘という書き方だったが、この本では韓国の現状が彼の「こうであって欲しい韓国」とはあまりにかけ離れてしまったことへの諦念が読み取れる。

 表題は半島統一後になにが起こるかであるが、それは最後の部分で、読みどころは前半の韓国人の心性の分析である(その分析は一作ごとに深化してきている)。そしてそこから生ずる歴史の異常な解釈と創作が詳しく説明される。「上古史」という、神話よりも夢想的な朝鮮民族の歴史が著名な大学の歴史学者たちによって大真面目に叫ばれている様子は狂気に近い。妄想を自ら生みだし、しかもそれを信じてしまうのはあたかも狂人である。

 この辺の韓国の歴史認識や民族性についての記述がどこまで本当なのか、韓国に詳しいshinzeiさんに論評してもらいたいところだ。

 韓国が「親北思想」に乗っ取られつつあるというのは、韓国についての日々のニュースを見ていれば私にも実感されるところであって、その代表が文在寅大統領であることはまともな日本人には見えているだろうが、韓国の人々はいったいどう思っているのか。どうもそれが全く見えていないか、そのことを善いことだと受けとめているようである。

 どうして善いことだと受けとめているのか。半島が統一されれば国が大きくなり、人口も増え、経済もさらによくなると思っているからのようだ。どうしてそう思うのか。教育の成果とマスコミによる刷り込みである。

 すでに朝鮮戦争は北朝鮮から攻撃したという記述が教科書から削除されているというが本当か。戦後北朝鮮が夢の国バラ色の国だと持ち上げて在日朝鮮の人々を帰国する気にさせた(帰国した人々がどのような運命をたどったのか、検証も報道もしない)朝日新聞(ばかりではないが)のように、韓国の教育界やマスコミから、北朝鮮は日本などが言うような悪いことをしている国ではないのだと教育され、報じ続けられて、韓国の国民はそう思い込もうとしているし、若年者は信じ込んでいるという。

 それなら韓国が経済的に苦しくなれば、やはり日本との宥和をしなければならないなどと考えずに、なおさら北朝鮮との統一を望む可能性が高くなるかも知れない。どうも実際の韓国の動向を見ているとその方向に動いているとしか思えない。

 著者の韓国の実情への諦念は、韓国を「愛する国」から「愛した国」に変えつつあるようだ。そのへんの哀しみはいかばかりかと思う。

湯治宿

 鳴子温泉もふくめての鳴子温泉郷はいくつもの温泉群からなることは以前にも紹介した。私がよく泊まるのは一番東側の川渡温泉(かわたびおんせん)だが、そのすぐ東隣の東鳴子温泉もリーズナブルな温泉なのでときどき泊まる。ちゃんとした料理を食べ、いい部屋に泊まりたければやはり中心の鳴子温泉のホテルである。

 さらに西の中山平温泉まで足を延ばせば泉質のやや異なる温泉に入ることができる。ここは山形県との県境にも近くなるから峠であり、ほんの少しの距離の差なのに雪も多い。中山平温泉からはあの紅葉の絶景で有名な鳴子峡が近い。ここも好きなところだ。

 その中に湯治宿もたくさんある。湯治宿の正式の定義は知らないが、素泊まりで自炊ができて、当然安くて長期間滞在できる宿のことだと思っている。その近くにはたいてい総菜を置いている店もあるし、スーパーでも湯煎すれば食べられるようなレトルトの総菜が何種類も売られている。素材から作らなくても自炊が可能なのだ。

 川渡温泉に一軒、東鳴子温泉に一軒、複数回泊まったことのある湯治宿があり、今回の宿はその二つの温泉の間にある小ぶりな一軒宿である。今回が二度目。ここにはガス台がおいていないから自炊はできない。ただし電子レンジは使えるし部屋に湯沸かしもある。少し歩くけれど食堂もある。頼めば朝食だけは供してくれる。毎日ほとんど同じだけれどまあまあの朝食である。昼は食べないか、カップ麺でしのぐ。夜は食べに出掛けるが、面倒なら弁当を買って暖めればいい。部屋に冷蔵庫があるからビールを冷やしておけるし、近くのスーパーで浦霞の吟醸酒も売られている。不自由はないのである。

 それなら自宅にいるのとどう違うか。当たり前のことだがいつでも温泉に入れるし、体重90キロ、183センチの私には手足を伸ばし放題にして風呂に入る快感は何物にも代えがたい。泉質も素晴らしい。すべてを忘れてゴロゴロできるのだ。

 リタイヤしてすぐに行ったのが川渡温泉の湯治宿で、このときは一週間滞在して、たまりにたまった浮き世の垢を流し去った。素泊まりだったが、しめて約25000円だった。ところで今回はとりあえず朝食付きで5泊することにして、それに近く、普通の旅館の二泊代程度の料金である。安い極楽代である。ちょっと遠いけど。

2018年12月 2日 (日)

『馬渕睦夫が読み解く2019年世界の真実』(WAC)

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 面白い。

 世の中に陰謀論というのがあって、その陰謀論にはお粗末なものから良くできたものまで千差万別である。良くできたものというのは、つじつまが合っているものということである。つじつまが合うというのは、そういう見方をしてもさまざまな出来事の原因が説明できてしまうということである。

 どうして説明できてしまうのか。

 目的を持ち、意図的に出来事を起こす集団が存在して、そのことの積み重ねによって世界が動かされているという説明が陰謀論だが、私にはその真偽は分からない。しかし、ある利害を共通にする集団なり組織が、こうだといいなという一つの思いを抱いていて、しかもかれらが巨大な資本や大きな権力を持っているとき、それがなにかの命令や指示などないけれど、その意向に沿うように事件や出来事が起こることは多いにありうるし、そうであっただろうと想像できる。

 たとえば太平洋戦争の前に、アメリカ政府としてヨーロッパの戦争に参加したいという意向を持ち、そのきっかけとして日本にアメリカを攻撃してもらうと都合がよいな、と内心思っていたとき、日本の真珠湾の奇襲を意図的ではないにしろその兆候の情報を掴んだとしても、それを敢えて無視するということはあり得る。

 そうしてアメリカは日本に戦争するように仕向けたのだ、という解釈は可能であるし、アメリカの陰謀で日本は戦争に巻き込まれたという陰謀論が成立してしまうのだ。

 世の中には不思議な事件が起こることがときどきある。その事件の犯人が公然と指摘されるのだが、その犯人とされた人物がどうしてそんなことを行ったのか理由も説明されながら、しかしよく考えるとその事件によって、犯人とされた人には失うものの方が多くて得るものがあまりあるとは思えないのだが、それが定説とされてしまう。

 たとえば反政府的な記事を書いていたサウジアラビアの記者が、トルコ・イスタンブールのサウジアラビアの大使館内で殺害され、その犯人はサウジアラビアの皇太子だという話しなどは、明白な事実であるようでありながら、いかにも不審である。この事件によって皇太子のダメージは記者を殺すことで得る利益よりもはるかに大きい。もちろん分からないと思ったという説明は可能だが、記者が大使館に行くと誰かに告げている可能性は大きいのであり、大使館で行方不明になったと明らかにされることは誰でも考えるはずだ。

 しかも死体はないのである。殺されたのは間違いなさそうだが、もしかしたら記者は生きているのではないか、などと私は多少疑っている。皇太子の敵は山のように存在するから、皇太子にダメージを与えるための陰謀だ、と考えてもつじつまが合うし、その方が納得しやすいのである。

 本の紹介の前に長々と書いたのは、この本が大変良くできた陰謀論の本だということで、それは実は真実かも知れない、または真実の一端を語っているのかも知れないということである。

 著者はれっきとした外交官で、キューバ大使やウクライナ大使などを歴任している。在野の妄想家ではないのである。キューバについての文章が数ページとわずかだが書かれていて、数年前に私もキューバに行って感じたこととほぼ同じことが書いてある。全く同感である。キューバがあそこまでアメリカに貶められ続けているのはアメリカの陰謀であることは間違いない。

 しかし著者のいうネオコンなどの陰謀で世界が動いていて、しかもときに暗殺などが行われているのだというのが真実なら、それを暴き立てる著者などは当然不都合な存在としてひそかに不審死するのではないだろうか。もしそういうことがあったらもう一度読み直そうか。

湯治宿にて

一昨日、長駆名古屋から鳴子温泉まで一気にやって来た。約770キロ。朝7時に出発し、休み休みで夕方4時半に宿に入る。9時間半は長かった。初日だから疲労はそれほどではなかったけれど腰が悲鳴を上げた。


数日前に不自然な姿勢から体を後ろにひねったときに、体の横から背中にかけて痛みが走った。筋肉だか骨だかを傷めたようだ。たいした痛みではないが、ちょうど湯治にでも出かけようと思っていたのでそこでゴロゴロしながら治すことにしたのに、腰までおかしくなった。

さいわい今日で三日目、腰の疲れと痛みはなくなり、背中の痛みもほとんど感じられなくなった。さすがに温泉の効果絶大である。

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昨朝、夜明けに部屋の窓を開けたら目の前にうっすらと虹が見えたのであわてて撮影。五分後には消えてしまった。夜明け前に小雨でも降ったのか。

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朝日が差し始めた。前日の晩の予報では朝小雪が降るかも知れないとのことだったが、薄曇りながら青空も覗いている。

いまのところ今シーズン初めての雪にはまだ出会えていない。今回は湯治なので、出掛けずに部屋でゴロゴロしながら本を読んでいる。何冊か読めるだろう。あと二三日ゆっくりするつもりだ。

2018年12月 1日 (土)

法隆寺(4)

秘宝展を見てくたびれたので茶所とある無料休憩所でしばし休憩した。一人で長いすに座っていたら中国の観光客達に回り中を囲まれた。ほかに坐るところはいくらでもあるのである。一人が私の横に座ったのがきっかけである。日本人なら先客がいたら遠慮するのに彼等は全く頓着しない。わいわいと賑やかな声が回りに飛び交った。


それでよけるように起ち上がるのも業腹なのでそのまま休んだ。十分休んだので今度は夢殿を見に行く。

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東へ向かう大路。向こうに見えるのは東大門。

東大門を過ぎると露店が土産物などを売っている。さらに進む。

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八角の夢殿が見えてきた。手前の四脚門をくぐって中に入る。

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この夢殿に秘仏の救世観音が布でぐるぐる巻きに巻かれた状態で収められているはずである。そしてここが聖徳太子一族の怨霊を封じた場所だというのが梅原猛の説である。

修学旅行生が次から次に押しかけてきてゆっくり見ていられない。いつものことだが。

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夢殿の上の水煙は不思議な形をしている。そもそもこれは水煙とは言わないのかもしれない。

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横奥に石碑があるが読めない。紅葉がきれいだったので撮影。

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国宝の鐘楼。

すぐ裏手の中宮寺に向かう。中宮寺は尼寺である。

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入り口横の檜皮葺の屋根が好い。

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ここの瓦は菊のご紋だ。

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中宮寺の本堂は水の上にある。ここにあるのが有名な弥勒菩薩。とても美しく、女性的なやさしそうな半跏思惟像である。座り込んでしばしお姿を見つめる。係の女性がいろいろとテープを流しながら説明してくれた。とても癒やされた。

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本堂を囲む池には亀がたくさんいる。何匹か甲羅干しをしていた。放生池なのだろうか。

今回の法隆寺散策はこれでおしまい。おつきあい戴いてありがとうございました。

宮崎正弘・石平『アジアの覇者は誰か 習近平か、いやトランプと安倍だ!』(WAC)

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 2019年中国の真実、と銘打って現在の中国、そして来年、さらに将来の中国を対談で論じる。この二人のことであるからもちろん中国に対して極めて辛口である。昨日のブログ「中国に当分行かないことにした」に書いたように、私も現在の中国にとても不穏なもの、危ういものを感じているのでこの本とシンクロする部分が多かった。というより彼等の言説に多分に影響を受けているということもいえる。

 ちょっと目についた話題は、現在のバチカンの法王が中国に著しく擦り寄っている理由が述べられていたことだ。人権問題などもあり、バチカンは親台湾で中国とは距離を置いていた。それがにわかに台湾を切り捨てて中国寄りになっているという。その目的は中国に潜在的な者も含めて一億人のキリスト教信者がいるが、バチカンのシェアは一割ほどで、それを一挙に増やす狙いがあるらしいとのこと。

 いまの法王は商売のように人権など関係なしに信者拡大をやろうとしているのだろうかと批判している。宗教が勢力を持つことを極度に嫌う習近平は人権問題で叩かれることも嫌っていて、いまはバチカンとの関係向上を利用しようとしているが、当然いつかは強引にキリスト教も管理しようとするだろう。すでに中国の仏教界は仏様より共産党のテーゼを上に置くという状態である。習近平崇拝のお先棒担ぎを仏教界がしている、と二人は笑っている。

 一億台をはるかに超える監視カメラで監視されている中国だが、多くの中国人は「これで犯罪が減るから安心安全だ」と思っているようだと首をかしげる。中国人は皇帝が徹底的に国家管理をすることに安心感を持つように歴史的に刷り込まれているのだと石平は言う。だから習近平が皇帝のように独裁制を強めることに不安など感じていないとみている。私も中国人は習近平が好きらしいことに不思議な気がしている。私はどうしてあんな男がこれほどの権力を持てるのか信じられない思いでいる。

 香港がますます中国本土かする中で、いままでの自由が失われていることがニュースで報じられている。言論の自由はしだいに中国本土並み、つまり中国政府に都合の悪いことは語ることができなくなりつつある。情報が自由でなくなるということは、金融拠点としての香港の力を削いでいる。いま香港の金持ちはつぎつぎに香港から逃げ出している。そうして資本が逃げ、金融センターとしてのうま味がなくなってしまう香港に残るのは、世界一高い不動産だけである。

 そしていま台湾が危ないという。我が意を得た心地がする。台湾の軍隊はいま親中国なのだそうだ。そうなるといざ中国がことを起こしたときに本気で戦わないかも知れない。歯止めはアメリカだけであろう。だから台湾の金持ちもどんどん海外へ逃げたしていくだろう。アメリカや日本に大挙して台湾から難民が押し寄せるに違いない。

 朝鮮半島については中国は積極的に動かないとみる。現状維持がのぞみで、関わることは避けたいと考えているはずだという。それは賢い選択だろう。アメリカも表向きはいろいろ言うが本気で半島に関わりたいと思っていないはずだ。厄介に民族なのをよく知っているので、半島に関わって大損を繰り返しながらそれでも懲りないのは日本ばかりだ。さすがに安倍政権はもう見限っているようだが、次の政権がどうするか危うい気がする。

 朝鮮戦争は北朝鮮が韓国に攻め込んだことは歴史的に検証された事実であるが、実際に主に戦ったのは中国とアメリカである。両国が半島に不信感を持ち、関わりたくない気持が根底にあるのは当然だろう。その攻めてきた北朝鮮を正当の朝鮮民族の国家だと考えているのが文在寅という人だというのは公然たる秘密であろう。それを認識していないのは韓国国民だけである。

 さて、中国の経済は米中貿易戦争にどこまで持ちこたえられるのだろうか。デジタル全体主義に突き進む中国は国民の不満をとことん抑えながら乗り切ろうとするだろう。そういう国だから当分行かないことにしたのであって、もしかしたら二度と行くことがないかもしれない。それはそれでとても残念なことだが仕方がない。

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