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2019年6月

2019年6月30日 (日)

曽野綾子『人生の醍醐味』(扶桑社新書)

 曽野綾子は1931年生まれだから、今年88歳になる。いわゆる戦中派として、平和と安全などという言葉が無意味な時代を体験している。そういう時代の体験をベースにしているから、口先だけの平和主義や、政府が国民すべての安心安全を保証すべきだという言説を見聞きして舌打ちする。そのことで彼女をあたかも保守主義の権化であるかのように毛嫌いする人も多い。

 

 人生には予期せぬことが起きるもので、それを切り抜けるために自分でできる限りの人智を尽くすのは当然だ。それ以前に予期出来ぬことを予感する感性を磨くことも肝要で、なにかが起きてから誰かのせいにしても間に合わないこともあるのだ。君子危うきに近寄らずというのは言葉の上のことだけではない。

 

 いま世界の情勢はあまり望ましくない方向に向かっているような気がする。日本も災害だけでない、人的な思わぬ災厄に見舞われるかも知れないと感じている。安穏な暮らしが突然終わりを告げないとは限らないのだ。そしてそれは何の不安も感じない脳天気な人ばかりであることの中にこそ、災厄に対する危機感の欠如という危機的状況をもたらしている。

 

 自分で出来ることをする、なにが起きつつあるのかを自分で知ろうと努めて考える、拝金主義になっていないか自己反省する、それらのことをあらためて教えてくれるのが曽野綾子なのだと私は思う。

 

 この本の中に「もらえるものはもらっておかなきゃ損」という、いまではあたりまえに思われている考え方に忸怩たる思いをしている曽野綾子に私も同感する。くれるといわれても、もらう必要がないときはもらわないという矜持をもう一度思い出したいと思う。そのことで誰かが得をすることを喜べば良いのだと曽野綾子はいう。心がけたいことである。得をしないことは損をすることではないのだ。

 

読んで感じたことの一端を書いてみた。
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どうでも良いことながら

 今朝の気温は27℃、湿度はなんと84%。ベランダ(南側)から風が吹き抜けているが、じっとりとしている。

 

 私がリタイアして嬉しかったことは数々あるけれど、その一つに革靴を履かなくてよくなったことがある。もともと靴も靴下も大嫌いである。しかし足はそれほど蒸れる方ではない。靴下も殆ど臭くなることはないし、こまめに換える。風呂に入れば特に足は丁寧に洗う。

 

 家の床の多くをフローリングに改装したが、そこを裸足で歩くのは快感である。わが家では誰が来てもスリッパは出さない。そもそもスリッパは一足しかないし使ったことがない。

 

 その床が今日は足にべたべたとする。もう少しだけ気温が上がったらエアコンを入れなければ、などと思っている。昨日は久しぶりに飲みすぎた上に夜更かししたので今朝はいささかぼんやりしている(ぼんやりしているのはいつものことだが)。
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2019年6月29日 (土)

自己流アーカイブ

 デジタルデータをまとめて圧縮して保存することをアーカイブというらしいが、私の場合は自分のブログの記事を時系列に並べ直して月ごとにファイルにまとめることをアーカイブと名付けている。

 

 文章だけならコピーして貼り付けていけば良いのだが、画像があると一つひとつ画像をコピーしてサイズを整え、レイアウトを考えて貼り付けるので少々面倒である。旅行などをすると写真が増えるから一月分をアーカイブするのに三時間以上かかってしまうが、嫌いな作業ではない。

 

 そのファイルはデータとして保存すると同時にプリントアウトしておく。しかしいまプリンターが不調なので画像がうまく印刷できない。数ヶ月分がハードコピーされていない。少し早いけれど今日、6月分のアーカイブを作成した。音楽を聴きながら作業する。快適である。今日はジャズのスタンダードナンバー集と、西崎みどり、西島三重子の歌を楽しんだ。

 

 一段落したのでそろそろ晩の酒と肴の仕度をしようか。来週は定期検診前の休酒期間に入るが、久しぶりにどん姫が来るのでその日だけは解禁とする。だから今日は休酒前の最後の晩酌なのである。

 

 酒の肴の予定は厚揚げの煮物、しじみの佃煮、野菜炒め、グリンピースの塩茹でしたもの、挽肉と玉葱を卵でとじたパイ風のものなど。もちろん一度で食べきらずに残して明日も食べる。いつもよりは少し品数が多い。
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勝手に納得

 G20にやって来た文在寅韓国大統領とホストである安倍首相との挨拶がぎこちなかったとの報道がされている。なじみの薄い人に対しては多少そういうこともあるだろう。安倍首相は他の国の代表とは会う機会が多いが、隣国の代表ながら文在寅大統領とはあまり会うことがなかった。もし安倍首相が韓国を訪問したら身の危険を覚悟しなければならないのではないかと想像されるし、そもそも招待しようなどとは韓国大統領府は考えもしないだろう。

 

 もし天皇陛下が韓国を訪問したら、やはりそういう危険がありうると思う日本人は多いだろうし、どうしてもそう思わされるようなことを韓国という国は感じさせる。熱く暴走する人がいて何をしでかすか分からないと思わせる。なにしろテロリストを英雄とする国でもある。

 

 日本から見ていると、韓国が北朝鮮と同様に、自ら招いて孤立しているように思うけれど、韓国はたぶん孤立しているとは思いたくないだろう。もし孤立しているように見えるなら、日本が韓国を冷遇しているからで、それは日本のせいだと言うだろう。この場合の「韓国」というのは韓国政府であり、韓国のマスコミであり、その見立てにうなずく韓国国民である。

 

思想的確信者である文在寅大統領とその側近たちは、理念を優先して政策や外交を進めている。外交には相手があること、相手がなにを考えているのか、なにを感じているのかを想像する能力が必要だが、それが欠如しているように見える。孤立する所以だと思う。すべてに素人臭い唯我独尊が見えてしまう。政権を担っていたときの(日本の)民主党政権に似ているところがあるが、もっとお粗末かも知れない。そう見えるのは私がそう思いたいからかも知れないと疑って割り引いても、そうとしか見えないのである。

 

 経済政策も同様で、韓国の経済は低落傾向が顕在化していると韓国のマスコミや識者が警鐘を鳴らしている。もともと輸出依存度が高く内需の力の弱い韓国は、輸出に陰がさせば国の経済は低落するのが必然だ。常に次の対策を打ち続けなければならない国である。以前の財閥の総帥は大きな決断をすることで韓国を牽引して来た。日本が韓国や中国に後れをとったのは、経営トップのその決断が遅いからだといわれる。

 

 韓国の政権は、保守革新を問わず国家の経済を考えてその財閥との関係を融和的に保ってきた。それが結果的に金持ち優遇だ、という韓国国民の財閥に対する反発も生み出した。財閥の総帥の交代時期に入り、財閥一族のレベルの低下が顕在化して、さまざまな失態を招き、国民のバッシングが起こっている。その国民の気分と、金持ちは資本家であり悪者だという思想的確信者の文在寅政権が強力に合体して現在の韓国があるというのが私の見立てである。

 

 時々日本の株価と韓国の株価と中国の株価、そして円-ドルレート、元-ドルレートを一度に見られるホームページ(上海総合指数アジア株価リアルタイムチャート)を眺める。世界のニュースとその株価やレートを比較してみていると、その連動性がよく分かる。時に連動していないときもある。それには何か理由があるのだろうと考える。思い当たるときも、後で分かるときもあるし、まったく分からないときもある。考えるのが面白い。

 

 そこで最近感じるのは、韓国が外交的に孤立気味で、経済も低落傾向であることが報じられているのに、ちっとも株価が下がらないことである。殆ど日本とアメリカの株価の変動の中間のような動きで安定している。不思議である。韓国経済が低落傾向だというのは事実ではないのか。

 

 たぶんこういうことかと思い当たったのは、韓国の株の多くが外資系投資家に握られていること、そして韓国の大手企業が工場などを急速に海外に移転しつつあることである。株価の低下を投資家は望まない。いまのところは株価を安定に支えているのだろう。それは逆に、ある時点で海外投資家たちが一気に手をひくリスクがあることにつながる。すでに財閥系企業の一部は主力が海外に移ってしまった。韓国の景気はまだそれほどひどくないのに若者が就職難であることの理由の一端もここにある。いま中小企業まで海外移転が始まっているという。

 

 それぞれの企業が生き残りを必死で模索していることは、投資家にとっては当然に見えていて、株価は安定しているのだろうが、韓国の国内経済は空洞化が進んでいる。それに対して韓国政府は殆ど無策であるという。それではある日クラッシュがないとはいえないから、私はいっそう韓国の株価動向を興味深く見るのである。
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2019年6月28日 (金)

『老いの荷風』補足

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 この本を購入するときに、岩波文庫の佐藤春夫の『小説永井荷風伝』も買った。佐藤春夫の文才は多くの評論家が高く評価しているけれど、ではどれだけの作品がいまも読み継がれているかというとあまり思い浮かばない。私も短篇を二三読んだくらいで、まとまったものは富山房文庫の『退屈読本上・下』のみである。

 

 それを念頭に置いて、江藤淳の『荷風散策』の冒頭部の文章を引用する。

 

 あれは「三田文學」創刊後十周年記念の祝賀会が、銀座の交詢社で催されたときのことだから、いまから二十五年前の話ということになる(1985年の「三田文學」の記事なので、現在から見れば三十数年前の話となる=引用者註)。
 会場の都合でそうなったのか、真っ昼間の祝賀会だったが、奥野信太郎会長に促されてまず挨拶に立った久保田万太郎氏が、かなり離れた一隅に腰かけていた和服姿の佐藤春夫氏を、横目でチラリと一瞥すると、やや甲高い声でこういった。
「そこにおられる佐藤君も、かく申すあたくしも、ともに『三田文學』が今日五十周年を迎えましたのは、まことにおめでたいことと存じます。それにつけても喜ばしいのは、この雑誌の伝統が現に脈々と生きつづけていることであります。先ごろ荷風先生がお亡くなりになった折、実に数多くの荷風論が発表されましたが、その中で一番荷風文学の神髄に迫っていたのは、なんといっても一番若い江藤淳君が、『中央公論』に書いた、『永井荷風論』でした。これなども、さすが三田派ならではのことと、あたくしは、大変心強く思っているのでございます」
 この言葉を聴いたとき、私は、みるみる顔から血が引くのを感じた。奥野会長も、明らかに周章狼狽の態であった。談笑の声が停まって、会場はたちまち水を打ったように静まり返った。
 もちろん久保田氏から身に余る讃辞を呈されて、私が感激しなかったというわけではない。しかし、その場に居合わせた関係者の誰にとっても、久保田氏の祝辞が、、その実かねて不仲の佐藤春夫氏に対する痛烈な当てこすりを意図したものであることは、あまりにも明らかであった。あたかもその頃、佐藤春夫氏は、荷風没後に発表した話題作、『小説永井荷風伝』をめぐって、中村光夫氏を相手取り、華麗な論争を展開中だったのである。
 したがって、私の「荷風論」をことさらに持ち上げることは、当然佐藤氏の『小説永井荷風伝』を、殊更に貶める結果とならざるを得ない。しかも、さらにややこしいことに、
これに先立って佐藤氏は、当時「読売新聞」に連載中の『愚者の楽園』というコラムで、なにを思ったのか私が「中央公論」に書いた「荷風論」を、褒めてくれていた。何のことはない、私の「荷風論」は、いつの間にかサッカーのボール扱いをされて、久保田・佐藤の両大先輩に、右から左から思い切り蹴っ飛ばされているようなものであった。

 

 この後佐藤春夫がマイクの前に立ち、一言もの申すのであるが、それは省く(ちょっとイジワルをする)。

 

 会長が私の敬愛する奥野信太郎先生、そして当時はまだ若くして両大家に翻弄される江藤淳も、私が敬愛する評論家である。先年自死してしまったのはまことに残念である。それにしても面白いなあ。
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川本三郎『老いの荷風』(白水社)

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 私の敬愛する文筆家は永井荷風を高く評価している人が多い。若いころ岩波書店の『荷風小説』という全集全七巻を購入して拾い読みした。浅読みだから本当の面白さ、すごさをあまり理解できていなかったことを評論家の文章を読むことで思い知らされ、読み直してその素晴らしさが僅かながら解るようになってきた。別に、最近古書店で『荷風随筆』全五巻を安価で手に入れて、読むのを楽しみにしている。

 

 この川本三郎の『老いの荷風』は、戦後に発表された荷風の晩年の作品を軸に、戦中から戦後の東京、そして千葉県の市川を舞台にしたその世界を再現していく。荷風が歩いたその場所と時代が顕現していく。作品の背景、荷風のそこに込めた思いが見えてくるような気になる。そこで作品をあたらめて読めば、いままで見えなかったものが見えてくる。

 

 永井荷風は長年済んでいた偏奇館と名付けた自宅を空襲で焼け出され、岡山に疎開し、そこでも空襲に遭い、なんとか生き延びて、戦後、市川に居を構え、何カ所か周辺を移転した後自宅を建ててそこが終の棲家となった。市川の八幡の自宅から京成電車を乗り継いで浅草まで通ったことはよく知られている。独居老人だった荷風は浅草の踊り子たちに親しんだ。なりをかまわないその姿、そしてその果ての孤独死を、文豪の最後としてみじめな晩年であるかのようにマスコミは喧伝した。中学の時の国語の教師が、それを誇張してわたしたち生徒に語ったりした。しかし、そうではないのではないかと私はむかしから想像していた。しがらみを煩わしく思い、孤独の自由にあこがれていたのだ。

 

 この本では反骨の荷風が、孤独をみじめなものなどと思っていなかっただろうことを教えてくれる。子どもの頃に感じた私の直感は正しかったのだ。独居老人は寂しい。寂しいけれど荷風には彼を支える若い友人が常にいた。みじめで不幸せな晩年ではなかった。自分の名声は自分の生きる支えにはならない。名声とはそういうものだ。

 

 最近読んだ荷風の作品のいくつか(『浮沈』『踊り子』『勲章』など)が、たまたまこの本に詳しく評論されていて嬉しい。市川は私が大学を卒業して就職し、東京営業所に配属になって最初に住んだ場所である。荷風が最初に住んだのは市川真間のあたりだから、私のアパートからは駅を挟んで反対側だが、ちょうどそこに会社の先輩のアパートがあって、良く訪ねたところだ。あの矢切の渡しにも近い。江戸川を渡れば寅さんの帝釈天があることは御承知のとおり。真間といえば「真間の手児名」の伝説の場所でもある。万葉集にも読まれている。また、上田秋成の『雨月物語』にも真間の手児名が取りあげられている。

 

 川本三郎は何作か荷風についての評論を書いていて、すでに二作ほどを読んだ記憶があるのだが棚に見当たらない。押し入れの奥か、すでに処分したか。今度読んだこの本は特に身に沁みて読めた。晩年の荷風を多少は実感したからかと思う。

 

 写真に江藤淳の『荷風散策』と佐藤春夫の『小説永井荷風伝』を列べたのには意味がある。そのことも書きたかったが長くなるので次回にする。
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2019年6月27日 (木)

竹生島(2)

宝厳寺本堂から都久夫須麻神社に向かう。

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賓頭盧(ビンズル)尊者の木像。撫でても良いらしい。どんな御利益があるか知らない。

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角を曲がると国宝の唐門にいたる。現在外面は工事中。

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唐門の先の舟廊下を通っていくと

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都久夫須麻神社にいたる。ここには竹生島神社と表記されているが正式名称は都久夫須麻神社。

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神社から見下ろすと茅の輪があり、それをくぐっていく。

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かわらけ投げをして願をかける。

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鳥居の中をめがけて投げる。誰も投げる人がいないのでかわらけを売っている神官も手持ちぶさたである。
こういう時は一人始めるとみなわれもわれもとやり出すものだが、残念ながら誰もやり出さなかった。私はみんながやりだしてもやらないへそ曲がりだからもちろんやらない。

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弁天様。抱えているのは琵琶。琵琶湖の名前の由来である琵琶とはこの楽器のことである。

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港に戻りソフトクリームをゆっくりなめ、日陰で湖面から吹いてくる風でゆっくりした後、船が入ってくるのを待った。
船の写真を撮っていたら、私の後ろにみなが列になって並んだ。結果的に私が先頭ということになった。そんなつもりではなかったのだが。

 

この後まだ早いからどこかに行くことも出来たが、次回にすることにして帰路についた。
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竹生島(1)

琵琶湖は400万年前に出来た古代湖で、バイカル湖、カスピ海に次いで世界で三番目に古い湖だという。知らなかった。竹生島は琵琶湖に浮かぶ島では二番目の大きさ、周囲2キロメートル、広さは0.14平方キロだそうだ。ただ切り立った岩壁に蔽われていて、普通の人がぐるりを歩いて廻るような道はない。古来、信仰の島として知られている。見渡しても観光土産屋の人が暮らす以外に普通の民家は殆ど見当たらないようだ。

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有名な琵琶湖周航歌の竹生島が読み込まれている部分。

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よく見たらはるか彼方に伊吹山が見えた。

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山の上に宝厳寺という真言宗の寺があり、参拝料400円を払って急な石段を登る。百数十段あるという。

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本堂。参拝して中を拝観する。

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前に立派な不動明王像がある。右手の石柱を読むと、竹生島流棒術発祥の地、とある。はるかなむかし、平安時代に流祖が長刀術をこの竹生島の弁財天から夢想奉得した。源平合戦の時、その長刀の刃の部分が元から折れてしまい、某の部分で戦い、それを機に棒術を生み出したという。

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さらに高台に三重の塔があるが、こちらは平成になってから建てられたもの。

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三重の塔の奥から琵琶湖を見下ろす。どう見ても海である。

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高台から降りる途中に観音様がある。

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ボケ封じをお願いする。

 

このあと唐門から都久夫須麻神社を見に行く。

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2019年6月26日 (水)

なにが教育虐待か!

 この世に子どもを殺すほど残虐な犯罪はないと思っている。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では、延々と神学論争が展開されるが、神が存在するかしないかを論ずるとき、「子どもが殺されていくのに放っておくような神は神とは言えないではないか、だから神など存在しない」と次男のイワンが言ってのける。この言葉は私の頭に刻みつけられている。ましてや親が我が子を殺すにおいておや。

 

 子どもに中学受験のための勉強を強要し、いうことを聞かないからと包丁で刺し殺した父親の行為を「教育虐待」と呼ぶそうだ。子どもが自分の意に沿わないことに怒りをつのらせ、ついには子どもを死に追いやってしまう親の話は今に始まったことではない。そんな親が必ずいうのが「こんなに子どものためを思っていたのに・・・」である。子どもにとって自分を守るべき親が自分を追い詰め危害を加えるのだから、子どもは殆ど地獄にいるに等しい。

 

 たまたま一つそのような事例が詳報されるとつぎつぎに似た事例が報告されるのはよくあることで、しばらく類似の報道があるだろうが、ほとぼりが冷めてもこういう事件が減るということはないのだろう。本質的な解決策は残念ながらない。こういう思考をする親は一定の割合で常に存在し、その中の極端な異常者がこういう犯罪を起こすので、それは事前に分かることではない。

 

 ただ、私の最も嫌いな、「社会が悪いからこういうことが起きる」、という月並みな言い方を今回はあえて云わせてもらえば、これは拝金主義が根底にあると思う。良い学校を出ていい会社に入り、良い暮らしをするのがしあわせだと盲信する社会に原因があると私は断言する。そういう価値感をすべて否定するものではないが、よい学校を出なくても、良い会社に勤められなくても、たくさんお金がなくても、しあわせであることができることを知らないし知ろうとしないのが現代社会の病理のような気がする。

 

 良い学校を出ていい会社に入り、それなりの役職について良い伴侶と素直で成績のよい子どもたちに恵まれて、立派な家を持ち、誰も家族に病気の人がいない人を何人か知っている。そんな人たちだからとても好い人である。不幸をなにも知らずに生きている人たちである。

 

 そういう人が他人の不幸に如何に鈍感か、毛筋ほども共感することが出来ないか、わたしはそれも知っている。しあわせであることは本当にしあわせなのか、などとおかしなことを考えたことがある。自分の持っている価値観に疑いを持つ機会を持てなかった人間を私は不幸だと思う。

 

 過去日本で受験戦争、教育ママというのが社会に猖獗を極め、いま韓国や中国で同様の教育熱という熱病が蔓延しているのは、根底にまさに拝金主義があることの証左ではないか。だからどうした、といわれてもどうもしようがないことである。ただ、自分はちょっとそんな価値観から半歩外して生きてきたし、子どももそう言う育て方をしたつもりで、そのことを後悔しないし、逆に胸を張って公言できることをささやかな誇りにしている。それは私がささやかながら不幸を体験したからでもあり、そのことを残念に思う以上にそれがありがたいことだったのかも知れないと思えるようになっている。鈍感そのものの私が、僅かだが人の痛みを感じることができるようになったのだから。
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竹生島へ

出港10分前の乗船案内が放送されているのに間に合う。

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平日なのに乗船客が多い。このほかにクラブツーリズムの団体が別のところに並んでいた。

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船の中。竹生島まで片道30分あまり。長浜-竹生島往復料金は3070円。多くの人が二階やデッキに行ったので一階の船室はゆったりとして快適。

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出航して振り返れば伊吹山が見送ってくれている。

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竹生島が近くなってきた。船は殆ど揺れない。田舎のバスより揺れない。

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私はほぼ最後に船を下りた。なにしろ帰りの船まで80分以上ある。一通り見物しても時間が余るのは明かなので急ぐ必要はないのだ。船は長浜へ折り返すそうだ。並んでいる人は殆どこれから乗る人。

 

さあこれから竹生島の見物だ。
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2019年6月25日 (火)

琵琶湖に行く

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明日こそは出かけようと思い定め、昨晩琵琶湖の地図を見ていたら、長浜港から竹生島(ちくぶじま)に船が出ているのを発見。竹生島は以前から一度は行きたいと思っていたところだ。
朝食を食べて七時頃(本当はもっと早く出たかったのだが、遅くなった)わが家を出発。今回は高速を使わず、地道で長浜まで走ってみるつもりだ。国道21号に向かわずに、一宮から県道18号線を西に進む。濃尾大橋で渋滞に引っかかる。ここはいつでも渋滞している。これから川をいくつも横切るので、そのたびに同じような渋滞にであうことを覚悟する。しかも通勤時間になってしまった。だからもっと早く出たかったのだが。


大垣を過ぎ、21号線にのる。関ヶ原の手前で関ヶ原バイパス(これも21号)を走り出すと信号も少なくスムーズに走るようになった。


それでも長浜の遊覧船の港に着いたのは9時をだいぶ過ぎていた。9時に竹生島往きの始発の船があったが、もちろんいったあとである。次は10時10分発。だいぶ時間があるので近くを散策することにする。


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こうしてみると湖というより海としか思えない。


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対岸はどこになるのかよく分からない。


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合歓の花が咲きだしていた。


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結局長浜城まで歩いてしまった。長浜城はもともと木下藤吉郎が初めて城持ち大名になったところ。名前を羽柴秀吉と変える。長浜城は棄却されているので、このお城は昭和時代に作られたものだそうだ。中は博物館になっている。


時間が迫っているので急いで港まで帰る。
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ころぶ

 勝手知ったるわが家とはいえ、思わぬことが起こる。

 

 昨晩暗闇の中で家のなかを歩いたら、躓いてころんでしまった。はずみでさまざまなものが体にあたり、棚から転げ落ちたもの(祖父母からもらった堆朱の壺)もあったが、壊れたものはなかった。さいわい身体にも異常はない。

 

 以前は椅子の上に乗って鴨居にあたる部分のクロスシートを補修していて転げ落ちた。そのときは娘のどん姫にもらった肘付きの座椅子を破壊し、しばらく腰が痛かったが、今回は高低差のない転倒だからたいしたことはなかったものの、自らの巨体を扱いかねたことの精神的なショックが大きかった。あのころびつつある自分をどうしようもない瞬間の絶望感。

 

 明るいところでも、よけたつもりのものに躓くことがしばしばある昨今、暗ければ危ないに決まっているのである。たまたま普段そこにないものがあることを失念していたことが原因だった。灯りをつけるのをけちったわけではない。大丈夫だと過信したのである。

 

 事故とはこうして起きるものだ。なんだか自分にいっそう自信がなくなった。
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2019年6月24日 (月)

考えがまとめられない

 北朝鮮への帰還事業についてのNHKBA1のドキュメント(6/16放送)を見て、いろいろなことを考えた。そのことを書こうと思って書き出したのだけれどなかなかまとめられない。それだけ思いがあるということでもある。

 

 書きかけで本日のアルコール解禁時間(夏場は17:30)になったので、つまみを揃えていま飲み始めてしまった。つづきは明日に書こうとも思うが、明日は久しぶりに車で出かけたいとも考えている。出かけたくなる程度に体調も回復したということだ。明日は好天の予報、木曜日以降は本格的な梅雨入りで、雨天続きらしい。

 

 それならそれで雨天を楽しむことにするつもりだ。
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いろいろ不具合が

 パソコンが少々気になる不具合を来していることは書いた。最近は放熱不良なのか、とても熱くなるので時々クールダウンのために休止させる。この辺も寿命に関係しているのだろう。さいわいハードディスクに異音などはない。いままで使っていたパソコンの最期はたいていハードディスクの異音が発端で、ついにシステムが立ち上がらなくなってご臨終を迎える。その兆候まで進めば乗り換えの決心もつくのだが、今回は違うパターンをたどりそうだ。

 

 それよりも、ほかの機器に異常が出始めた。まだ五年くらいしか(もっとになるだろうか)使っていないキャノンのプリンターが、「プリンターの機器に異常がありました。印刷作業を中断し、電源を落としてリセットしてみて下さい。それでも回復しなければ修理が必要です」と曰(のたま)う。指示通り電源を切ってしばらくおき、再起動させると何ごともなかったように動作する。それがたまたまだったものが、このごろはたびたび起こるようになった。

 

 もともとこのプリンターは過去に使ったことのあるプリンターたちと比べると使い勝手が非情に悪くていつも腹立たしい思いをしていた。その上一年くらい前から写真をプリントすると黒のインクだけ縦筋が入るようになった。夜景写真のプリントをすると情けないようなものが排出される。補修用のユーティリティでさまざまに手立てを講じてみた。プリンターはたいていそれで直るように出来ている。ところがインクをとことん無駄にされた上にちっとも直らない。写真印刷には使えないプリンターになって一年以上になる。

 

 私はパソコンなどの画面上の文字を読んでも頭に入りにくく、繰り返し確認しながら読むためにはプリンターにハードコピーしたもので読まないとならない。そういうふうに私の頭は出来ているので、気になるニュースや検索したものはしばしばプリントする。普通の人の何倍もプリンターを使うのである。ある意味で酷使しているといえるかも知れない。その用途だけならカラーは不要なので、白黒印刷にしている。それなのにこのプリンターでは赤や黄色や青のインクが消耗していくのである。理由は明らかで、ノズルつまりを防ぐための動作がしばしば行われていて、そこで無駄にインクが吐出されているのである。その頻度と量は怒りを伴うものであって、「いいかげんにしろよ!」というレベルである。

 

 そろそろプリンターも替え時か。次は絶対エプソンにしよう。もちろんエプソンでも同様に怒りを買うことが起きるだろう。実は以前写真印刷の色が美しいからプリンターはエプソン派だったのである。しかしそのあまりの遅さにあきれ果ててキャノンに乗り換えだのであるが。

 

 もうひとつ不具合が起き始めているのがブルーレイである。これも酷使していることは承知である。電源を入れるとハードディスクとディスクのそれぞれをチェックして立ち上がるのだが、一年ほど前からそのチェック作業を延々と続けたままなにも受け付けなくなるということが起こる。対策は・・・とにかく元から電源を切ってリセットし直すしかない。まずそれで復活するからよいのだが、録画予約の立ち上げ時にその現象が起きればもちろん録画は出来ない。

 

 月に一度くらいのたまたまの現象で、たいした実害はなく済んでいるのだが、最近その頻度が上がっている。実害がつづくようになればこれも買い換えを考えなければならない。そういえばこのブルーレイはテレビと同時期に買ったからもう十年近くになる。テレビ同様そろそろお迎えが来てもおかしくないのである。私の目算ではオリンピック後くらいに買い換えを考えていたのだが、無理か。

 

 二千万とはいわないが、それなりの貯えは必要なのだ。パソコンもプリンターもブルーレイもテレビも買い換えられないことはない。買い換えればそれだけささやかな貯えが底をつくのが早まるだけである。ただ95歳まで長生きする可能性はないから、そこまでの準備は不用だ。とりあえず張本人の私自身の不具合はそれほどでもないので、いま自分に何が優先的に必要なのか、何がいちばん欲しいのか、それを考えて決めて良いのだと思っている。
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2019年6月23日 (日)

ニュースの優先順位

 山形県沖を震源とする大きな地震で、新潟や山形を中心に広い範囲で被害が出た。なじみの場所だったので他人事とは思われないというのは先日このブログに書いた。

 

 その地震の報道について、NHKのニュースの取りあげ方が他局に比べて少なかったという非難があるという。ネットのニュース欄で見たのだが、誰が非難しているのかよく分からない。不特定の人のようで、不特定の人とは、いるのかいないのかも分からない人のことだから、そういう非難があると報じているまさにその人の意見なのかも知れない。

 

 地震を報ずる時間の長短については、NHKのニュースで報じた時間が短かったのは事実だったようである。地震の規模の割りに被害が案外少なかったことがそのようなニュースの割り当てになったのだろう。軽んじていたとも見えなかったし、非難されるようなことでもないと思う。

 

 それよりもこのごろNHKのニュースを見ていて感ずるのは、スポーツの報道の割合が増えているように見えることである。過去の時間との比較などしていないから、あくまでそう感じるということである。スポーツに興味がある人にはありがたいことで、スポーツにあまり興味のない私には不都合である。それだけ知りたいと思うニュースを知る機会が減っていると思うからである。

 

 そもそも最近のテレビニュースは報じる件数が少なすぎる。一件を詳しく報道することによる結果でもあるので一概に否定できないが、それに準じて重要だと思うニュースが報じられないことは少なくない。それに同じニュースが繰り返し、時には翌日も同じような比重でおなじ内容で伝えられたりしている。ニュースもずいぶん省エネしているようだ。

 

 むかしは新聞とテレビはニュースを競っていた。速報性では新聞はテレビにかなわない。その代わり新聞は報道の量、そして内容の軽重をレイアウトで表して、しかも繰り返し読むことの出来る利を謳った。いま新聞は殆ど週刊誌的な報道に堕してきて、読む人は激減しているという。この新聞好きの私が購読をやめて久しいのだから、推して知るべしである。

 

 好敵手を失ったテレビは怠惰になったのか。新聞と同様にバラエティ化して堕落した。意見を述べて視聴者に同意を求め、視聴者に自ら考える労を省かせてともに堕落させようとして、半ば成功している。人は楽を好む。

 

 ところでNHKのスポーツ偏重(私がそう思うということである)は大河ドラマ『いだてん』に象徴される。過剰とも思える番宣、関連する過去のスポーツに関するドキュメントの氾濫にも現れている。これがもちろん来年の東京オリンピックへの大々的な協賛であることは理解しているが、過ぎたるは及ばざる如し、私をますますスポーツ嫌いに向かわせている。私と同じような人が増えなければ良いが。
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責任は問われるのだろうが

  神奈川県の愛川町から逃走していた犯罪者がようやく拘束されたと報じられていた。地域だけでなく、凶悪犯はどこにでも行くことが可能な状態だったから、日本中が不安に蔽われていたけれど、これで一安心である。

 

 逃亡を幇助する人がたくさんいたとしか思われない逃走の経緯のようで、その人たちも罪に問われるかも知れない。とはいえ彼等も男気(女気もあったらしい)があると仲間内から賛美されることであろうから、罪を問われたところでなにほどのこともないと思っていることだろう。

 

 ところがこの逃亡犯を逃亡罪に問えるかどうか難しいらしい。逃亡罪とは罪を犯して官権に拘束された犯人が、その拘束から脱して逃亡することをいうのであって、この犯人は拘束される前に逃亡したので逃亡罪に問えないかも知れないそうだ。不思議な話である。

 

 多くの人が、どうしてこのような犯罪者の釈放を許可したのか疑問に思っているし、その後の官憲の不手際もどうしたことかと不審に思っていることだろう。私が特に首をかしげるのは、逃走事件の公表に四時間もかかったらしいことだ。その間犯人は完全な野放しで、どこで凶行があってもおかしくない状態だった。

 

 想像がつくのは、とにかく公になる前になんとかしようとしていたということだろう。責任を問われるのを恐れたのだ。特にマスコミは犯人以上に官憲の罪を問うこと大だから、それを恐れたのかとも思う。そのことで犯人の追跡は後手後手に回ることになった。

 

 この逃走劇によって地域の学校は休校となり、人出は激減してさまざまな被害が生じた。被害が生じればその責任が問われるのは当然のことであろう。私が最も責任が重いと思うのは、保身を考えて初動の手立てに遅れを来した者たちだが、そのへんの責任が問われてどんな処分があったかということは殆ど報じられることはないし、それを追及するマスコミもないことが殆どで、再び三度このような事件がまた起こるだろう。

 

 住民がパニックになるのがもっとも心配、というのがこういう時の責任逃れの常套句で、あの東日本大震災のときの管直人内閣の原発事故の経過報告を思い出してしまう。汗をふきふき嘘をつき続けていた枝野さんを思い出す。
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2019年6月22日 (土)

藤井叔禎編『漱石紀行文集』(岩波文庫)

 わたしは旅が好きだから紀行文を読むのが好きだ。書棚を眺めれば何冊あるか分からないほどである。観光案内みたいな紀行文もあって、それはそれで参考になるけれど、やはり旅をする人の眼を通して場所と時代を超えてそこに居ると実感されるようなものが楽しい。

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 この『漱石紀行文集』は明治終わり頃に書かれた夏目漱石の紀行文を集めたもので、諧謔にあふれているものが多い。それだけ個人的な視点が強い文章だともいえる。一部はその諧謔臭が強すぎて、いささか鼻につく。何年何月のどこの話かというのが本文か注釈にあると良いのだが、あまりそこにこだわっていないように思える。そういう記録的なことは考えていないようだ。

 

 巻末の編者の解説にある通り、ここに収められている文章は同じ著者が書いたものとは思えないほどトーンがさまざまである。前半がこの前に紹介した『満韓ところどころ』という明治末の中国紀行などを主体とした紀行文集で、もともとは病床にあった正岡子規の慰みのために書いたといわれるロンドン留学先からの文章『倫敦消息』もここに収められている。後半は『小品』と題して短文がいろいろ収められている。後半に行くに従い諧謔味が薄れ、最後の一文『初秋の一日』は締めくくりにふさわしい余韻の残る名品である。

 

 写真に『漱石人生論集』(講談社学術文庫)を列べたのは、『小品』のなかにあった『入社の辞』という文章に読み覚えがあり、確認したら同じ文章がこちらにも収められていたので、ついでに拾い読みしたからである。

 

 紀行文としてはその少し後に上海や北京を旅した芥川龍之介の『上海游記 江南游記』(講談社文芸文庫)のほうが私は好みであって楽しめた。

 

 泉鏡花の紀行文集も手元にあり、未読なので近々読もうかと思っている。美文調の紀行文というのも好いものである。

 

 後で備忘のため、紀行文の収められた本の名前を列記してみようか。
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いろいろ地図を拡げながら

 天気が悪いなら悪いなりに過ごし方があるが、出かけたい気持が常にある。雨天の予報はどんどん好転し、出かけられる日が多い。それなのに出かけずにいる。遠出するのは別にして、日帰りならなじみの場所がいくつもある。長良川沿線、髙山方面、琵琶湖方面、伊勢方面など、どれにしようか地図を拡げてコースを考える。

 

 それなのに出かけないのは、風邪の後遺症だろうか、咳が抜けきらずそのために胸がちょっと痛かったりするからだ。痰も出るしそれが切れないからまた咳をする。

 

 気になるのは誤嚥をした後にしばしば同様のことが起きることだ。どうも誤嚥したものが胸のどこかに引っかかっていて、それが痰の原因になり、咳が出るようなのだ。さいわい僅かずつだが軽快化している。

 

 食事をするときは食事に集中すれば誤嚥は起きにくいのだが、生まれつき気が多くて気を散らして食事をするので、時々誤嚥をしてむせる。軽いときもあるけれど、激しく咳き込んで息が止まるように苦しいことがある。たぶん歳とともに回数も増え、ひどくなるのだろう。母の介護を手伝ったときに、医師から誤嚥は時に命取りになるから気をつけるようにと注意された。だからとても神経質になる。

 

 まだ誤嚥を減らすためのとろみ付けまで考える必要はないけれど、食事をするときは気を散らさずに食べものに集中しなければと思っている。
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無題

 ベランダに面したフローリングの床に転がって風に当たりながら本を読む。眼が疲れると、梅雨の合間の夏空を寝転がったまま見上げる。そういえば同じようなことがあった。そのときはまだリタイア前で、だから休日のことであったろう。こんな至福の時間を自由に楽しめれば好いなあと心から思ったものである。

 

 いまそれをほしいままに出来ることのしあわせを、うっかり忘れかけていたようである。とはいえ時間が全部自分の自由になるといっても、生きていればそれなりに屈託があり、それからまで自由というわけにはいかない。そこまで自由に生きるというのは、ある意味で人非人になるに近い。それを覚悟できるほど強くも非人情でもない。中島義道先生には成れない。人はしがらみを煩わしく思いながら、しがらみを捨てられるものではない。雑事はひとをいつも追いかけてくる。

 

 梅雨の合間の夏空は雲も多く、それほど眩しくない。あいまいでぼんやりした雲のかたちと同じくらいぼんやりした心持ちで生ぬるい風にあたっている。
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2019年6月21日 (金)

哈爾浜(ハルピン)駅の兇弾

 いま藤井叔禎編『漱石紀行文集』(岩波文庫)という本を読んでいる。この本の本文の半分以上が『満韓ところどころ』という文章で、その部分だけ読み終わった。この本の感想は読了後にまとめて別に書くが、この『満韓ところどころ』という文章の終わり方が唐突な感じがしたので、それには理由があるはずだと思い、巻末の編者の解説を読んでみた。

 

『満韓ところどころ』は日露戦争が終わって間もないときに、大学予備門時代の同期生だった当時の満鉄総裁、中村是公に招かれての朝鮮、支那、満州の旅の記録である。漱石は持病の胃病で苦しんでいて、ようやく癒えかけたところでの旅であり、しばしば胃痛に苦しんでいる。もちろん中村是公に招かれたというだけの旅ではなく、旅のことを紀行文として新聞に連載することも目的であった。

 

 漱石が訪問した先のひとつに哈爾浜(ハルピン)がある。1909年10月26日、その哈爾浜駅構内で伊藤博文が朝鮮のテロリスト安重根によってピストルで撃たれて暗殺された。当時哈爾浜駅はまだロシアの権益内であったので、安重根はロシア官憲に逮捕され、後に日本の関東都督府に引き渡され、翌年三月、安重根は処刑された。

 

 まさに漱石がこの紀行文を連載している最中(漱石自身はすでに帰国していたようだ)の出来事である。日本中が大騒ぎとなっており、漱石の紀行文どころではなくなっていた、ということも理由の一つだったと思われる。解説にはほかにもいくつか考えられる理由が挙げられている。

 

 この解説に掲げられている当時の新聞が興味深かったのでそれを引用する。事件直後は伏せ字が多い記事なので省くが、明確に報じられた10月28日の満州日日新聞の記事。

 

「本月十八日熱誠なる歓喜と期望とを以て伊藤公を大連埠頭に迎へたる吾人は、まさに旬日後の今二十八日に於て、痛切なる悲哀と涕涙とを以て、茲に大連埠頭に公を送らざるべからざる場合に遭遇せり。人世浮沈多く、転変朝に夕を測られずと雖も、旬日の前後を顧みて、人をして殆ど夢に居るの感あらしむ。天の帝国と帝国の大政治家とに禍する何ぞ一に是に至るや(中略)
 公今回満州に遊びて北の方哈爾浜に入るや、図らずも兇漢ありて公に危害を加ふるに会す、公齢七十有二、壮時維新に際して死生の間に出入し、後亦身命を忘れて国事に尽くし、現に自ら近親に対し毫も暗殺せらるゝを厭わずと語れりと謂ふと雖も、国民の何人が公をして此惨禍に罹らしむるを予期せるものあらんや、公に於ては或は以て非とせざらんも、国民の至情に至つては蓋し忍ベからざる也
 いまや公は本日を以て秋津島に搭乗して帰朝の途に上らる、吾人は謹んで海路の平穏を祈り、さらに公の帰朝後万一の不祥事なからんことを皇天に哀求す」

 

 伊藤博文が暗殺されたその当時をいささかなりと感じる気がしないだろうか。

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山本夏彦『茶の間の正義』(中公文庫)

 読みかけの本がいろいろあるのに、つい寝床でなじみの山本夏彦を読んでしまう。その文章のリズムが心地よく、一つひとつが長くないので就寝前に読むのに最適である。この本も読むのは何度目だろう。もともとは昭和42年に単行本で出たものが昭和54年に文庫化された。どちらにしてもずいぶん古いのだが、書かれている中身は時代を超えている。普遍性があるなどと云ったら翁も苦笑いするだろう。

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 山本夏彦の文体とその文章のリズムは私が模範としたいところだが、レベルが違いすぎる。烏が鷺を真似ても詮ないことである。

 

 その精神の根底に翁のニヒリズムがあることは、彼の本を愛読している人なら分かるはずだ。彼は人間に深く絶望している。そのままでは生きられないところを乗り越えて、雑誌編集者として市井に生きている。彼は諧謔とレトリックを駆使して自分の思いを吐露する。時にまったく相反することを並べたてて読む人を混乱させる。事実は実はそのようなものであって、一面だけを見ては過つ。そのことを伝えようとしているが、分かる人には瞬時に分かり、分からない人には皆目わからない。

 

 彼は自分を他人の目で見ることが出来る。誰にも出来るように思われるだろうが、山本夏彦のように全くの他人になりきって自分を見ることは難しい。自分を他人として見られるのだから、他人を自分としてみることも出来る。時空を超えて、年齢を超えて、男女を超えてそれが出来るとうそぶく彼だが、それが出来るとしたら、彼が本当に自分を他人として見ることが出来ているからかも知れない。

 

 この本から抜き出して紹介したい部分が山のようにあって、付箋をつけ出すとキリがない。選ぶのに窮したので今回は引用しない。
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2019年6月20日 (木)

好漢

 人間として好ましい感じを与える男のことを好漢という。私はまったく好漢ではないが、好漢だと思う友人がいるので、そのことを無上のしあわせと思っている。好漢は男子として模範とすべき者である。

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 東海地区のローカルではあるが、NHKの夕方6:10から7:00まで『まるっと!』というニュースを主体にした番組があって、晩酌を楽しみながらいつも見ている。私は天気予報が好きであり、天気予報をするキャスターもそれ以上に大好きである。どうして天気予報をする人たちはこんなに魅力的なのだろう、滅多に嫌いな人にであわない。

 

 この『まるっと!』で天気に関する解説も含めてレギュラーでそこにいるのが寺尾さんという男性である。申し訳ないがお世辞にも美男子とか好男子と言うにはほど遠い外見なのだが、人目見て好きになって数年経つ。もちろん私はLGBTではないから、彼を好漢と見たのである。

Dsc_0920右が好漢寺尾さん

 彼は私よりずっと歳下だけれど、知り合う機会があれば(たぶんないが)対等の友人になりたいと思うほどである。語り口、その声は最初から魅力的である。彼に惚れ込む女性が山ほどあるだろうと思うが、寡聞にして知らない。妻子があるようであるが、女性なら、惚れるならあんな好漢に惚れるべし、と関係ないのに力づよく断言する。

 

 ちょっと酩酊。

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そなえるべきなのを知りながら

 パソコンを四台持っているが、一台は古いXPパソコンで、ネットやLANにはつながず、囲碁や大戦略ゲームをするためのゲームマシンとして使用している。また、一台はキーが一部死んでいて動作の危ういダイナブックで、これはUSB-DACにつなぐ音楽鑑賞専用端末に使っている。データはすべてほかに移していてすでに瀕死なので、いつ死んでもしかたがないと覚悟している。

 

 一台はデスクトップで、これにはハードディスクも二台ほどつないでいて、データ保存や写真ファイル、音楽ファイルなどの編集や取り込みを行っている。メインのマシンである。

 

 そしてもう一台が持ち歩き用のAcerのラップトップマシンだ。本来はダイナブックをそれに充てるつもりだったがちょっと大きいし、思いのほか使い勝手が悪くて、しかたがないから格安のAcerを購入したのだが、これが大当たりだった。低速のCPUなのにダイナブックよりもはるかに快速快適である。軽いので持ち運びに重宝している。使用を開始して六七年になるが近頃たまに機嫌を悪くすることがある。かなり雑に扱っているから、そろそろ寿命が来てもおかしくはない。

 

 不調は兆しだけなので、まだまだ、と思いながら、過去パソコンの突然の不具合で大変な苦労をしたことが一度ならずあることも思い出している。もう少し早く手当をしておけば、という後悔をその都度しながら今回もそれではあまりに愚かである。

 

 結局実質は二台しかない状態であり、そのうち旅先に持ち出せるパソコンはこれだけなので、そろそろ予備を考えなければならないのだが、先立つものも必要である。思案しているうちに手遅れになるかも知れないと不安を抱えながら日を送っている。
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佐藤信編『古代史講義-邪馬台国から平安時代まで』(ちくま新書)

 ほとんど読み終わりかけていた本なのだが、いま興味が強くあるのが奈良時代なので、この本の平安時代の部分に来ると多少意欲が削がれていたということで、それを乗り越えてようやく読了した。


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 「編」とあるように多くの気鋭の学者たちがそれぞりのテーマを引き受けて古代日本を論じている。ここに呈示されている古代日本の姿は、いままでの学校で学んだ歴史に似ていて、しかしずいぶんと違う様相を見せている。歴史に少しでも興味のある人なら、このような古代史の概観をあらためて学び直すのも良いのではないだろうか。なにしろ日本史が苦手な私が、とても面白いと感じたのだから大丈夫である。

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 ここでとりあげられた歴史の舞台となった場所をもとに、そこを訪ねて自分なりの世界観を構築していくのは案外楽しいものであるように思う。出かける先を探すときのヒントがこの本に満載されている。歴史はこんなに面白い。それを教えてくれたのが編者である佐藤信先生で、BSキャンパスの『古代史講義』という番組での出会いであった。現場に出かけてそれを実感することを先生は身をもって教えてくれた。もちろん先生は私のことなど知らない。
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2019年6月19日 (水)

日韓関係を感覚的に捉えると

 日韓関係が危機に瀕していると日本では受け取られてきたが、韓国ではそれほどのことと捉えてはいない、としばしば報じられてきた。その韓国で経済の悪化が顕在化するに従い、しかも日本からの輸出入も経済投資も減少しているという事態に直面して、さすがに日本は本気で怒っているらしい、とかすかながらも気がつきだしたらしい。

 

「戦犯の息子である天皇(現上皇)や安倍晋三が韓国へ来て謝罪すれば許してやる」と今年初めに高言して韓国国民の喝采を浴びた文韓国国会議長が、訪韓して日本国民を代表して謝罪に歩いている鳩山由紀夫氏と対談した際にその発言を謝罪した、と報じられた。

 

 日本国民のほとんどは現在の鳩山由紀夫氏を国民の代表だと思っていないと確信する。彼は一私人で、国民を代表したような顔をして謝罪して廻る権限はない。それを承知で文韓国国会議長はその鳩山由紀夫氏に謝罪して、それを彼が日本国民に謝罪した、と韓国のメディアは一斉に報じたようだ。ご丁寧にも菅官房長官に「謝罪をどう受け止めるか」と質問した記者がいたそうだ。もちろん一私人に語ったことを政府が公式にコメントすることなどあり得ないのは当然である。

 

 この文議長の謝罪の意味について韓国の某有識者が日本人記者に語った分析は「文議長は当初喝采を浴びていたけれど、最近の情勢から自分の高言が批判されだした気配を察知し、鳩山由紀夫氏に謝罪して見せたのだろう。韓国国民に対して、謝罪したという事実だけを残したのであり、公式に日本に謝罪はしなかった。公式に謝罪すれば国民から集中的に非難されることは明らかだからだ。逆にこれを日本が謝罪と受け取らなければ、彼は日本が謝罪をかたくなに受け入れないと批判できると読んでいるのだろう」。これをしたたかというのか。国益のことなど少しも考慮せず、保身とパフォーマンスだけがそこにある。ドラマの韓国宮廷劇を見せられているようだ。

 

 国と国にはさまざまな問題や思惑が存在する。人間どうしと同じである。妥協しなければ諍いになる。自分が六分引くとたいていうまくいく。相手には五分五分に見えるからである。それが日本の処世術でまことに平和な交渉方法だ。ところが世界はそうではない。互いに六分を、時には八分を勝ち取ろうとする。つまりふっかけるわけである。それで五分よりちょっとマシであれば最後は妥協する、というのが世界の駆け引きである。日本は常にそれにやられてきた。基本姿勢が違うのだからしかたがない。それでも最近はよく学習して戦い方も身についてきたような気がする。

 

 ところがここにさらに異質な国がある。韓国という隣国である。彼等は100%を要求する。日本は六分を譲って妥協する。日本は譲ったと思い、相手は譲られたとはけっして思わない。韓国は100%などあり得ないということを理解することができない国のようだ。そもそも目盛りを持ち合わせていない国のようだ。日本は常に六分を引く妥協を繰り返し、それを相手が多少は評価すると思い込んでいた。しかし韓国という国は100%しか認めないのだから永遠の譲歩しかないことにようやく気がついた。もういい加減にして欲しい、と思う日本人が大多数になりつつある(と信じたい)。

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 韓国の文化や食事に魅力を感じる人がいても全くかまわない。好き好きである。ただ、根底の関係にそのような認識の違いがあることだけは承知しておいた方が良いように思う。
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年金について(前回の続き)

「年金が破綻する」などと安易に口にする人がいる。年金を払う人がいる限り年金制度は破綻しない。払う人が減ればもらえる年金が減っていくだけである。このままだと年金は破綻するから年金を払わない方が良いかの如く眉をひそめてみせることで不安をあおれば払う人がいなくなり、そのとき年金制度は破綻する。つまり「年金は破綻する」という人は、年金を破綻させようと呪いの言葉を吐いているのである。その自覚はあるか。

 

 産経とFNNが合同世論調査したら、これまで(老後には二千万円不足するという報告書が公表される前)に「老後は年金だけで暮らせると思っていたか」、という質問にたいして「思っていなかった」という回答が84.2%だったそうである。もともと大部分の国民は年金だけで暮らせるなどと考えていなかったのである。それはそうだろう。それがまともなひとであると思う。

 

 それを「国民の信頼を裏切った」と喚いて見せている野党の面々は、国民の代わりに「二千万円不足する」という報告書に仰天して見せた。そして国民が、野党の議員たちが国民の代わりに仰天したことそのことにびっくりしているのを見て、あわてて、報告書はよく読んで今後検討すべきである、として矛先を報告書を受け取らない麻生財務大臣に向けた。麻生大臣もうろたえてバカな反応をしたものだ。

 

 野党は風向きを読むことだけには知恵が回るようである。なにしろ年金そのものを追求すると、一度でも政権を担ったことのある者は、自分たちにも後ろ暗いところがあることをよく知っている。消えた年金をどうしようもなくしてしまった責任の一端を握っているのだから。

 

 責任のない共産党だけが夢のような理想論を語っている。彼等にとって年金などどうでも良いのだろう。なにしろ軍備を廃止すれば軍事費がふんだんに年金に回せるし、資本家のところにうなっている金を支払わせれば問題ないはずなのである。それで日本が中国や北朝鮮や、場合によってロシアの支配下に入れば、それらの国がちゃんと面倒をみてくれるから心配ないのだ。

 

 そういえば、一昨日(だったと思うが)のプライムニュースで最低賃金の話をしていた。ちらりとしか見ていないので(なにしろあまり面白くない話題だった)勘違いがあるかも知れないが、日本の最低賃金を現在の目標である時給千円からさらに千五百円を目指すらしい。けっこうなことである。ただ、時給を払うのはそれを提言している野党の議員ではない。最低賃金は大企業の時給ではないだろう。経営の苦しい中小企業の時給と想像される。だから仕方なく最低なのである。それを無理に引き揚げるとどうなるか、お隣の韓国で大々的な社会実験をしている。中小企業がつぶれ、雇用が歴然と減少している。

 

 社会全体が底上げしなければ最低賃金、最低時給は上がらないものである。さらに怖ろしいのは、社会がそのことで疲弊しても、一度上がってしまった最低賃金は、今度はなかなか下がらないということである。経営が悪化しても賃金が高いままなら雇用を減らすしかなく、従業員が減れば経営は維持できない。経済は衰退してしまう。

 

 いま韓国への海外からの投資が減りだしているが、それ以上に韓国の大企業の投資は国内に向かわずに海外に流れ出している。工場もどんどん海外へ移転している。そしていま、中小企業も東南アジアなどにどんどんと移転を開始しているという情報もある。生き残りのためには背に腹は代えられない。

 

 その韓国を引き合いに出して時給千五百円の議員に問いただすと、「そういう提案を受けたので受けとめた」だけであると言い訳していた。受けとめただけなのか。それならしようがないなあ。それでは笑うしかないではないか。

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必要なら必要

 老後長生きすると貯えが二千万必要だという報告書が政争の具とされている。中身はそっちのけである。年金だけで暮らせるかどうかはその人の生活のしかたである。夫婦二人で月二十万円あまりの年金(国民年金だけの人はまったく別である。遙かに少ないから貯えなしなどあり得ないことは当人も承知のはずで、そうでないなら仕事を辞めたとたんに路頭に迷う)だけで暮らせるかどうか。持ち家があればそれでつましく暮らせるという人もいるだろう。しかし年金と別に一千万円必要な生活をすればそれだけの金が必要だし、二千万必要な生活をすれば二千万必要だし・・・以下同文。

 

 それらを平均してこれくらいあると良いね、という話ではないのか。それならそれに合わせての貯えも必要であろう。あればあるだけの生活をするし、無ければ無いなりの生活をするのはあたりまえすぎていまさらいうまでもないのに、あたかも二千万円無いと生きていけないかの如く曲解して騒いでみせる人たちの不見識は笑うしかない。あの口を尖らせて年金を否定して見せて不安をあおっている人たち(蓮舫女史以下)は正義を語っているつもりで悪意をばらまいているように見える。
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レッドムーンであった。

昨晩の地震の震度の大きかった村上市は母が子どもの頃暮らしたことのある場所で、なつかしいからと二度ほど伴って市内の瀬波温泉に泊まった。一人でも別に二度ほど泊まっている。湯治に行く候補の一つとして考えていた矢先なので驚いた。村上市から山形県鶴岡市にかけての日本海の景色、特に笹川流れのあたりは絶景で、大好きなところである。なじみのところでよく知る場所であるので他人事と思えない。被害に遭われた方にお見舞い申し上げる。

2019年6月18日 (火)

池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題10』(角川新書)

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 問題が10あるのではなく、この表題の本がシリーズとして10冊目に入ったということである。世界の情勢は時々刻々と変化する。今回の副題は『転機を迎える世界と日本』である。世界は新たな「冷戦」時代に入ったのではないか、という視点からその状況を概括的に検証していく。

 

 以前このシリーズの初期の頃はそこに書かれている情報やさまざまなニュースの関連性、その背景の分析に感心することが多かった。それが回を追うごとに減り、自分のニュースの把握の確認と補正のバロメーターになってきた。けっして内容がマンネリになっているわけではない。こういう本であるから、総花的になるのはやむを得ないが、それなりにその全体的な世界の捉え方は的確だと思っている。

 

 私が池上彰的なものの見方を多少なりとも身につけることが出来てきたことで、目新しさが減って見えるにすぎない。池上彰氏のお蔭が大である。多少ともそういう概観的なものの見方と最低限の知識、情報の捉え方を身につける人が増えることこそ池上彰氏の望むところだと思う。

 

 ニュースはその名のとおり常に新しい。しかし実はそれは新しくも何ともない、過去のさまざまな事象の結果でもある。それらを時間空間を越えておぼろげにでも知ろうと努めることで、おかしな言説、妄説に惑わされないようになるのだと思う。そのためにもこのような本をときどき読むのは大事なことだ。

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今日はやめておく

 咳が残っているけれど、おおむね体調は定常に回復した。寝汗もかかなくなり、よく眠れる。じっとしていたつもりなのに家のなかは乱雑になった。ものは片付け続けていないと勝手に混沌化していくもののようだ。

 

 気温が高すぎないのはありがたい。窓を開け放っていれば風が通ってエアコンをかける必要はない。汗かきで、暑いのはあまり得意ではない。それが寝込んだ後は暑さに少し鈍感になった気がする。真夏もそうならありがたいがどうだろう。寒さにはすこぶる強かったけれど、発熱体としての自分が衰えるとともに寒さもこたえるようになった。寝ていて足先が冷えるなどということを生まれて初めて実感している。

 

 あたりまえのことだが、年齢とともに体が変化している。今回の旅行のあと、疲れがたまったことによって風邪をひいたとすれば、今までにないことで、衰えの表れを実感させられたことになる。ほかに精神的に少々ダメージのあることが二つほどあったが、そのこともこたえている。気力の衰えも年齢によるものか。

 

 親しい友人が手術をした。さいわい手術は成功し、予後も順調らしい。安心した。自分が大病をせずにいられるのは本当に運の良いことで、ありがたいことなのだとあらためて思う。

 

 そういえば昨晩のストロベリームーンは澄んだ空気にくっきりと鮮やかで美しく、しばらく見とれた。今日は昨日に引き続き天気が好い。夜の濁った空気を払い、朝のさわやかな空気にひたるととても気持ちが好い。こんな空を見ると出かけたくなる。寝込んでいるときに久しぶりに琵琶湖周回ドライブをしたいなあと考えていた。

 

 一度地道だけを使ってほぼ一日かけて反時計回りに周回したことがある。ついこの間のことのように思っていたが、もう十五年も前のことだった。小雨の降る中のドライブで、蓮の花が咲いていたから似たような季節だったのか、もう少し後の時期だったか。

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 地図を眺めて走る道をたどってみる。同時に自分自身の体を考えてみる。問題ないと身体は答える。しかし結論は今日はやめておくということだった。これから梅雨で好天はなかなか望めない、せっかくのチャンスなのだが、そういうときこそ好事魔多し。よくよく考えるとなんだか今一つ気が乗らないのである。無理は禁物。

 

 今日は録りためたドラマや映画を楽しむ日にしようと決めた。
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*予後:手術後の経過の意味でこの言葉を使ったが、なんとなく「予」という漢字と使っている意味に違和感を感じたので辞書(岩波国語辞典)を引いてみた。医学用語で「病気にかかった者について、その病気がたどる経過に関する、医学上の見通し」とある。追加して「病後の経過の意に俗用される」と書かれている。私はその俗用の意味でこの言葉を使ったが、特に問題ないようだ。

久しぶりに

 松葉ボタンはとても性(しょう)が強いようだ。むかし子どもが鉢植えしていた松葉ボタンが生き延びているらしく、種を蒔かないのに勝手に生えてきて、今年は特にたくさん乱れ咲いている。細い葉だが、葉肉が厚くしばらく留守にして鉢が乾ききっていてもへこたれない。

 

 久しぶりに読書熱が昂進して本がどんどん読めている。そうなると一冊読むとそれに関連したり、読んだ本からの発想の展開先にある本を引っ張り出して次に読もうなどと考えていて、気がつくと二三十冊が横に積まれることになる。その展開の飛躍は飛びすぎていてほかのひとには理解不能だろう。

 

だいたい五冊から十冊くらいまでは並行して読んでも混乱しないで読める。一気に読める本と、ときに半年かかる本とさまざまで集中先も移ろいやすい。このペースが衰えてしまうのは、読書意欲が減退するからではなく、昂進しすぎるためだ。昂進しすぎるとあれもこれも読みたくなって集中力が分散してしまって読めなくなってしまうのだ。

 

 久しぶりのいいペースだが、多少危険水域に至りつつある。こういう時は自宅ではなくどこかの安宿で湯治でもしながら脇に本を積んで読書三昧をすると無上に楽しいのだが、いくつか気になることがあってしばらくそれもかなわない。自宅で我慢する。読んでいない本やもう一度読み直したい本が山のようにあふれているので、新たに本を買う必要はない(買うけど)。だからいましばらくはほとんど飲食費以外に金がかからずに過ごすことが出来そうだ。いまは病み上がりでもあり、酒もごくごく控え目にしている。

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2019年6月17日 (月)

仁木英之『師弟の祈り(旅路の果てに)』(新潮社)

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 中国唐の時代、若きぐうたらな薬師・王弁が見かけは少女の仙人・僕僕先生と旅を続ける物語、『僕僕先生』シリーズの第11巻にして最終巻である。ファンタジー好きならこんな面白い物語を見逃すのはもったいない。

 

 一番美味しいもの、一番好きなものは最後にとっておく。とって置いて惜しさが増していつまでもそのままにしてしまう。ちょうど一年前に出たこの本も、そうして棚に並べたまま読まずにいた。今回ついに読了し、この物語を楽しむ旅は終わってしまった。

 

 次第にスケールが大きくなっていったこのシリーズの掉尾を飾るにふさわしく、最後は想像を遙かに超えたスケールで展開していく。いままでの旅の意味、そして僕僕が抱えるはるかな過去の壮大な戦いの記憶がよみがえる。残念ながら、それはこのシリーズを読み通さないとシンクロするのがとてもむつかしい。確か文庫にもなっているのではないか。是非是非読んで欲しい。

 

 神とはなにか、そのことを描いたSF小説がいくつかある。作者がそれを意図したわけではなくても私がそう読み取ったものもある。光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』、小松左京の『神への長い道』、E.E.スミスの『レンズマン』シリーズなどが思い浮かぶ。ほかにもたくさんある。この『僕僕先生』シリーズの最終巻であるこの本もその一つに加えようと思う。

 

 SF少年だったから、若いときから神とはなにかをSF的に考えてきた。そこからある自分なりの考えをまとめてあるのだが、それを語ると笑われる(その経験もある)のでひそかに心に秘めている。哲学の本や宗教に関する本を読んでいると、そこに隠喩や暗喩のかたちで私の考えに近いものをほのめかしたものに出会うことが何度かあった。多分直接的にいうのをはばかっているので、根底は同じイメージを考えていると確信している。

 

 この本のラストシーンにそのことが現れていてとても感動した。
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OBとして

 山形県東根市の女医殺人事件の犯人が現役の山形大学四年生だと判明し、逮捕された。その前後にそれを報じるテレビで山形大学、山形大学生が連呼されていささか気が重かった。私は山形大学のOBなのである。どんな国や組織にもこのような事件を起こす不届き者はいるもので、それをもって国や組織が不届きであるということになるわけではないのだが、報道は犯人にひたすら「山形大学生」の冠称をつけて連呼している。ご丁寧に大学当局が謝罪までしているのを見せられた。

 

 山形大学は地方大学ながら医学部(私の就学当時にはなかった)もそなえた総合大学で、しかも俗にいうタコ足大学である。工学部は米沢市に、そして農学部は鶴岡市にある。工学部の学生も農学部の学生も教養時代は山形市の小白川キャンパスで学ぶ。だからあの映像で見た山形大学正門付近はなじみのものである。

 

 大学まで歩いて10分足らずの、同じ小白川の住宅地の中のお宅に下宿した。父の妹である新庄の叔母の知り合いであった。近くに最上川の支流である馬見ヶ崎川が流れていて、時々小魚を釣りに行ったものだ。河原の枯れ枝で焚き火をして、釣った魚を塩をつけて食べる。目の前に盃山というその名の通りのかたちの山を見ながら食べる野趣あふれる魚の味は忘れられない。芋煮会もこの河原でした。たった一年(普通は二年で学ぶ教養課程の、語学以外のほとんどの単位を一年で取らないと工学部のある米沢に移れず、ほぼ自動的に落第となる)の思い出だが忘れられない。

 

 リタイアしてすぐにその下宿していたあたりを尋ねてみた。おぼろげにこの辺だということは分かったが、四十年も経っていたから家も多くが建て替えられていて様変わりしていた。下宿していた家は娘一人だったから、もし住んでいたとしても姓が変わっていたのだろう、下宿のおじさんおばさんの名前の家はなかった。

 

 女医殺人事件の犯人は私に当時のことを思い出させてくれた。
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2019年6月16日 (日)

梅原猛『万葉を考える』(新潮社)(3)

 国学が志士たちを勤王へと盛り上げたことは事実である。徳川幕府体制ではなく、朝廷を上位に置いた体制にする、というよりも、戻そうという運動につながった。攘夷思想がそれにエネルギーを注ぎ込んだ。どうして国学者の賀茂真淵が『万葉集』を高く評価したのか。日本が中国や仏教の影響を受けていない時代を純粋日本の時代として理想化したのである。これが事実であるかどうかは問題ではない。そういう時代の日本があったと考えたいから『万葉集』の時代はそうだった、と決めつけたのだ。

 

 明治はそのような勤王倒幕の志士たちが政権を担った時代であり、その流れは国粋主義の時代へとつながっていき、日本は戦争の時代へ突入する。

 

 では賀茂真淵が万葉の時代を仏教や中国の影響がない時代とみた見方は正しかったのか。

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 戦後、研究者たちが『万葉集』、そして『柿本人麿歌集』を新しい切り口から詳細に分析してきた。大ざっぱに言えば、一つはその表記法の違いの分析である。その歌を略体歌と非略体歌とに大別し、その違いは何によるのかを研究したのだ。御承知のように、万葉集はすべて漢字で書かれている。まだ仮名は生まれていなかったのだ。略体歌とは助詞が表記されていないもの、非略体歌とは助詞が表記されているものである。そのへんの詳細はこの本を読んでもらわなければならない。

 

 結論からいえば、柿本人麿の歌には仏教や中国の漢詩や文化知識の影響がはっきりと読み取れることが明らかになってきている。そもそも万葉集を漢字を離れて仮名に置き換えて鑑賞してしまうと、その詩の本質を見失い、一部しか読み取れないのだ。同じ言葉が違う漢字で表記されるにはそれなりの理由が厳然としてある。その漢字の意味を付与して読み取らなければならない。それは中国文化に関する素養を必要としたり、仏教の素養を必要とすることがしばしばあるらしいことも見えてきている。賀茂真淵の前の契沖は歴然とそれを読み取っているのに、賀茂真淵はそれを無視したのだ。見たくないから見なかったのかも知れない。

 

 梅原猛によれば、柿本人麿の歌はますらおぶりの歌どころか、古今集につながるたおやめぶりの歌なのだという。だからこそ古今集は柿本人麿を冒頭で歌聖と崇めているのである。それを賀茂真淵以下の国学者は切り捨て、古今集、新古今集を軟弱な文学として唾棄すべきと決めつけた。正岡子規もそれに同調し、さらにその考えを強化した。「写生主義」にそのような背景があることは詩に明るくない私も奇妙なことと感じていた。現代の短歌や俳句が衰退しているのかどうか不明だが、もし衰退しているのなら、そこで隘路に入っているのだろう。

 

 非常に雑にまとめてしまったので、何のことか分かりにくいと思うが、この本では国文学者や詩人との丁々発止のやりとりの中で、梅原猛が次第にその論理を研ぎ澄まして自分の万葉集論を彫琢していく姿を読み取れる。それはそのまま彼の古代日本論につながり、さらに日本論、日本人論そのものへつながっていくことになるのだと思う。

 

 繰り返しになるが、彼は国文学者でも歴史学者でもなく、哲学者である。その彼が哲学的手法を以て万葉集とその時代を解き明かそう、定説を見直そうとする姿を追うことに意味があり、その事実把握の是非はとりあえずこだわる必要はないと思う。不思議なことに彼の打ち立てた仮説は異端として酷評されながら、後になって検証されるか、少なくとも否定できない新しい説として生き延びているのだ。定説を疑う、ということは誰もしたがらなかったようだが、それが無い学問の世界は、ほとんど眠っているに等しい。

 

 本当は取りあげられて解釈されている歌をここに取りあげないといけないのだが、引き写すだけになってしまうし写すのが困難な特殊な漢字がしばしばあるので、それは本を読んで戴きたい。

 

 乱雑ながら以上でこの本のまとめとする。書きながらいまさらながら如何に自分が粗雑か思い知らされた。

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梅原猛『万葉を考える』(新潮社)(2)

 新元号の令和が『万葉集』から引用されたということで、書店の店頭には万葉集に関する本がたくさん並んだ。ブームということだが、ブームというぐらいだから残念ながらすぐ熱は冷めるだろう。そういう本を購入してもどれだけの人がきちんと読んだことか。そういうものだが、しかしそのうちの一握りでもそれをきっかけに万葉集やその時代に興味をもち、知識を深め、そこから日本という国を見つめ直す人が出て来ることがあればそれでよいのだろう。

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 この『万葉を考える』という本は、出版されたのが昭和54年(1979年)だから、今回の元号ブームとは関係がない。私がこれを読み始めたのは元号が公表される前だから、私も新元号に関連して読み始めたのではない。この前に苦労して読んだ同じ著者の『水底の歌 上・下』の後日談だからだ。

 

 『水底の歌』は柿本人麿論である。万葉集第一の詩人である柿本人麿については分からないことが多く、諸説の中で国学者の賀茂真淵の説が定説化されている。それをベースにおいて明治以降の国文学は万葉集を解釈してきた。それに異論を唱え、根底から覆そうとしたのが梅原猛だった。実は異論を唱えている学者はいたのであるが、定説に異論を唱えるのはよほどのエネルギーと論理性を持たなければ潰されてしまう。定説は時に権力なのである。

 

 賀茂真淵-正岡子規-アララギ派や斎藤茂吉や国文学者という系譜が万葉集に一つの固定観念を与えた。『古今集』のたおやめぶりに対しての『万葉集』のますらおぶりという概念である。私も学校でそう習った。正岡子規やそれにつづく子規を信奉するアララギの人々は歌のルネッサンスとして『万葉集』を原点とした。

 

『水底の歌』では斎藤茂吉の『鴨山考』という柿本人麻呂の死の場所について考察した本の問題点を徹底的に批判している。斎藤茂吉は学者ではなく、詩人である。その詩人の直感の優れていることは認めながら、賀茂真淵の説を基準に置いているために妄説になっているとまで断じている。現代では『鴨山考』を批判する学者も多いようだ。

 

 そして賀茂真淵の柿本人麿論の徹底批判に入る。論点は二つ。柿本人麻呂の官位について、つまり身分がどの程度の人であったのか、そして生きていた年代と死んだ年齢についてである。それを柿本人麻呂の歌の解釈を交えながら展開していく。まるで上質の推理小説を読んでいるような面白さがある。

 

 また『水底の歌』の話ばかりで肝心のこの本の話に至らなかったが、この本を書いた後にさまざまな学者達から批判があり、梅原猛なりにさらに研究を重ね、それを元に何度かの講演をしている。その講演と、学者たちとの対談が収められているのが『万葉を考える』という本なのである。それについては次回に。

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2019年6月15日 (土)

梅原猛『万葉を考える』(新潮社)(1)

 昨年、四十年ぶりに開いた『隠された十字架』を読み直して、梅原猛に再傾倒している。同時にむかし読んだときにはほとんど無知に近かった古代日本についても、合わせて少し勉強している。奈良にも何度か足を運ぶ中で、自分なりのイメージをわずかながら掴みつつある。

 

 ものごとはわずかでも足がかりが出来ると、新しい知識が追加できるようになる。地理不案内な街も繰り返し訪ね、なじみの場所が出来ると方向や位置関係が次第に見えてくるのに似ている。大げさだがすべての知識の習得にはそういう作業が必然であることは、私がわざわざ云うまでもない。そういう作業を繰り返すことで次第にものごととものごととの関係、そしてものごとと自分との関係がぼんやりと見えてくる。どんなこともそれぞれが無関係ということはないのである。何しろそれを知ろうとする自分が関係しているのであるから。

 

 デンマークの実存哲学者キルケゴールが『死にいたる病』の冒頭部に書いている、「人間とは何か。人間とは精神である。精神とは何か。関係である。関係とは何か。関係に関係する関係である」というのが私のものの考え方の座標原点である。これが何をいっているのか、自分なりに分かるのに何年もかかった。そして分かったのはそれだけであるが、それでも世界の見え方が変わったのである。それだけで大いに満足している。

 

 古代日本を考え、古代日本人を考え、それらを考えた過去の人々の考察を批判的に考えながら、それを再検討し、再構築しようという梅原猛の思索の筋道をたどることの面白みにはまっているのである。

 

 梅原猛がこれらの思索作業を行って発表したものは三十年、四十年前のもので、現代は随分と新しい事実や反論が明らかになっていることだろう。余裕があればそれらも調べたいが、たぶん私にはその力は無い。それよりも過去の定説を批判し、新しい仮説を考え、それにもとづいて試行錯誤しながら定説を打ち崩していくその梅原猛のエネルギーにあふれる考察が実に魅力的なのだ。正しいとか間違っているとかいうことが重要なのではない。考えることの面白さを久しぶりに思い出させてくれることそのことが重要なのだ。

 

 これはどうも一時的なものに終わらずに、日本古代や仏教などについて梅原猛が考察した思索の道筋を今後ともトレースすることになりそうな予感がしている。

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肝心のこの『万葉を考える』という本の話に入る前に長くなってしまった。ここで一度区切ることにする。
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熱が出た

 熱といっても37度少々だから大げさに言うほどのことはないが、数年ぶりのことだし、もともと滅多に熱など出ない。そういうときは水分をせっせと摂り、長袖シャツに長パッチを着込んで温かくして寝る。氷枕の代わりにいまはアイスノンという便利なものがある。これで頭だけは過熱しないようにする。

 

 熱くても我慢してじっとしているとうつらうつらしてくる。一眠りすると全身が汗みずくになっている。飛び起きて乾いたものに着替えてさっぱりする。水分を補給する。これを繰り返す。体重が二三キロ減る。

 

 長袖シャツや長パッチは防寒用以外には着ることがないが、こういうときには活躍する。今日は一度目覚めてからもう一度寝直す。ようやく昼頃に本格的に起きた。体温は平熱に下がっている。いま着替えたものの洗濯中。何か栄養にあるものを食べなければ・・・。

 

 梅原猛の『万葉を考える』という本を先月から読んでいるが、頭の中を整理するために三分の二ほど読んだところで中断していた。これをうつらうつらしながら読了。頭の整理がついたら(つかないと思うけれど)この本とそこから考えたことを書きたいと思っている。

 

 それが書けたら元に復活したというところか。どうも四五十年前の梅原猛の思索の跡をたどる道筋にはまり込んでいるようで、しばらくは分身の一人はそこで彷徨うことになりそうだ。
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2019年6月14日 (金)

佐伯泰英『いまだ行ならず上・下』(双葉文庫)

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 空也十番勝負 青春篇第五番だが、著者は体調を崩していて、続編はしばらく書かない意向だと巻末に書かれている。再開があるのかどうか。あの『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズの坂崎磐音の息子である坂崎空也の武者修行の旅を描いたこのシリーズだけが、多作でいくつものシリーズを書いている佐伯泰英の中から唯一読み続けているものだ。

 

 最近こういうエンターテインメントの本をあまり読む気がしなくて、買ったまま積んであったのだが、体調不良で気力が萎えているときにはちょうど良い。うつらうつらしながら読んでいるうちに上下二巻を読了していた。

 

 坂崎磐音を中心とする磐音ワールドにはなじみが生じているから居心地がいい。そこに新たに空也を中心とした世界が加わり共鳴していく。しかしそうなると書き込むことがどんどん増えていき収拾がつかなくなる。区切りは必要だろう。

 

 今回のラストの決闘シーンにはいつもの著者の冴が見られないように感じた。面白くないわけでもないし、迫力が無いわけでも無いが、いつもの佐伯泰英ほどではないと言うことだ。もしかするとこれで彼の本を再び手にすることはなくなるかも知れない・・・

 

 いやいや、シリーズの新しい本を書店で見れば買うだろうなあ。
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福田和也『平成批評』(角川新書)

 江藤淳に見出されて福田和也が世に出たのが平成元年だという。この新書で、彼のとらえる平成という時代とそれまでの時代との違いが語られていく。平成という時代の風潮、文化、人間が批評されていくことで、彼自身も総括しているかのようである。批評は常に自分自身に立ち戻る。それなしに語る批評は空論だろう。

 

 福田和也は優れた政治批評をするけれど、文芸批評に優れると私は高く評価している。その意見はしばしばずいぶん異なるけれど、彼の批評を読むことで影響を受けてきた。つまり補整を余儀なくされること、また反論を考えることで自分自身の考えの浅さを自覚することの出来る評論家の一人なのである。

 

 寝床の横に目を向けたら、そこにあったのが『日本人の目玉』(新潮社)と『ろくでなしの恋』(メディア・ファクトリー)の二冊だったので、三冊並べて写真にした。ほかの二冊も今回パラパラと拾い読みしてみた。一から読み直したくなる。

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 日本人が目を背けているもの、そのことの本質が露呈したのが平成という時代だったという。全く同感である。正論の欺瞞性、不毛性を指摘し、それを乗り越えての正論を見出さなければならない時代が来ているようである。そうでないといまの世界の状況という荒波を乗り切ることが出来ないのだと強く感じた。

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2019年6月13日 (木)

不調につきダウン中

尾籠ながら鼻水が止まらず、唾を飲みこむのがつらいほど喉が痛い状態で、ころがっている。

ポチッと、をくれている方々のブログなどを丁寧に拝見したいが、その元気がないのでとりあえずお返しだけさせて戴く。あとでちゃんと拝見するつもりである。熱があるわけでは無いので明日か明後日には復活すると思っている。寝ながら音楽を聴き、本は読めているのでたいしたことはありません。

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 昨夜のBSフジのプライムニュースで、韓国の現状とこれからについての識者の見解を見た。私なりにこうだろう、と思っていたことととても近似していて意を強くした。日本の報道も韓国の報道も見解が両極端なものが多い。ある思い込みがアンカーのようにあって、そこからものを見たものばかりに見える。もっと表に現れた事象を元に、時々刻々にそれらを取り入れて柔軟に解析して欲しいものだと思う。そういう意味では昨夜の鈴置氏をはじめとする識者の見解は矛盾や思い込みが少なく、明快なものであったように思う。

 

 これからの韓国はどうなるのか。韓国の多くの人が、多くのことを他責的に考え続けている限り、多分悲観的なのだろうと思う。

 

 昨日所用と買い物で名古屋に出かけたのだが、クーラーの効いた電車のなかで突然くしゃみが出はじめ、汗が出ながら寒気がするという状態になった。そして喉が痛くなった。用事を済ませ、買い物は文庫本と新書を何冊か購入しただけで早々に帰宅した。熱はないようだが絶不調である。少し早めに床についたのだが、買ってきた文庫を開いたら読むのを止められなくなった。鼻水が止まらないのを拭きながら一冊読了してしまった。

 

 今朝は多少マシ。寝汗をかいたので気持ちが悪い。熱い風呂に入ってさっぱりした。いまぼんやりしている。
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2019年6月12日 (水)

姫路城

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予定では倉敷に泊まった翌日にはどこにも寄らずに名古屋へ帰るつもりだったが、みな元気が復活していたので帰り途上でもあり、姫路城を見にに行くことにした。このお城は最も大きくて美しいと思う。

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時代劇で登城シーンによく使われる坂道。

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天守閣内に入る。外国のお客さんも多い。六階まであり、階段は急である。もちろんエレベーターもエスカレーターもない。

名古屋城を木造に改修しようと計画しているが、エレベーターを設置しないのは障碍者差別だと騒いでいる人たちがいる。木造の城は木造の階段を登るのが普通である。エレベーターを設置するなら木造にする意味が無い。

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天守閣を見学した後、西の丸へ行く。ここには大阪城落城後に千姫が暮らしていた。見る値打ちあり。

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最後にもう一度雄姿を眺めて城をあとにした。

新しい新名神を通って快適にとばしていたら、京都の先から名古屋まで集中工事による渋滞の表示。

断続的に渋滞にであいながら、予定時間より二時間以上余分にかかって疲労困憊して名古屋に帰着した。

無事帰着しただけでもよしとしよう。最後はともかく、弟夫婦も大いに感激してくれて大満足の旅行だった。

ながながとおつきあい、ありがとうございました。

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倉敷美観地区

すでに名古屋に帰着しているのだが、この倉敷の記事は日曜日、9日のもの。日曜日なので、美観地区の駐車場は入場待ちの車がずらりとならんでいて、なかなか車を置くことが出来ない。少し歩くが、駅の近くなら空きがあると表示が出ている。迷ったが、この日は倉敷泊まりなので焦る必要はないのでそのまま空き待ちをした。

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蔵は一つあるだけならそれほどめずらしいものではないが、ずらりとならんでしかもそれを損なう建物がないとなかなか見栄えのする景色になる。倉敷という街の努力がこの景観を作り上げている。

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大原美術館前の石橋にて。このように人でごった返していた。駐車場が混むわけである。

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みんなおそろいの笠をかぶって遊覧船に乗っている。日差しが強くて暑いが、水の上は涼しいかも知れない。倉敷は海にも近い。水運で物資を蔵に搬入搬出していたのだろう。そのための堀だと思う。

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こういう横道にこそ倉敷をより強く感じる。

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浴衣が街にしっくりしている。外人さんがときどき写真を撮っていた。

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街の少し奥に倉敷紡績の工場跡の展示場がある。右手も工場の棟だったが、ツタで蔽われていて時代を感じさせる。中でい草展をしていた。い草の織物や花ござがたくさん展示即売されていた。私はコースターを買った。弟の嫁さんは花瓶敷きなどを買っていたようだ。見ているとどんどん欲しくなる。

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夕方になりつつあるが、日が長いのでまだ日は傾いた感じがしない。歩き疲れたので美観地区をあとにして宿に向かう。

少し街の中心部から離れたホテルに宿をとってある。フロントで近くのお店を教えてもらう。歩いて行ける範囲に思った以上に多くのお店があるようだ。居酒屋やうどん店、居酒屋などが長屋風に並んでいる一軒の店に入る。女性ばかりがメインで経営しているらしい店で、いろいろ変わり種の豆腐や、創作料理があった。弟夫婦は吸い物にちらりと入っているハモしか食べたことがないというので、ハモの梅肉和えもいただいた。焼き鳥も心のこもった焼き方で、美味しかった。つい飲みすぎるほど飲んでしまったが、気がついたら弟の嫁さんが支払いを済ませていた。しまった。

この日はさらに弟の希望でラーメンを食べに行く。

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2019年6月11日 (火)

帝釈峡

今回の旅の目的は広島で息子のお相手のご両親に会うこと、そしていつも私が世話になっている弟がリタイアしたのでそのお礼をかねた弟夫婦の慰安旅行をすることだった。広島でその目的の一つを果たした。

翌日は倉敷泊まりである。弟の家の隣に越してきた若夫婦が倉敷出身で、五月にその若夫婦とそのこどもたち、弟夫婦、さらに弟の末娘夫婦とそのこどもたち、それに私で盛大にバーベキューパティをした。そこで倉敷の街の話にもなり、ついでに立ち寄ることにしたのだ。

その倉敷に行く前に帝釈峡を歩いた。わたしはここが好きで、今年の二月にも来ている。

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こういう渓流沿いを歩いて行く。日が照って暑いが、木陰は涼しい。夏の緑が降るようだ。

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これは、

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「鬼の唐門」という。ちょっとだけ坂を登れば来られるし、くぐり抜けることが出来る。

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ちょっと縦長の岩が立っているだけに見えるが、

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「鬼の供養塔」と呼ばれる岩で、10メートルの高さがあるのだ。

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川に石橋が架かってとても景観が好い。

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岩を噛みながら水が流れ下る。もうすぐ目的地の雄橋。

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天然の岩の橋が架かる。岩の重量感が実感される。ここまで約1.5キロ、高低差もほとんどなく、写真を撮りながらでも30分かからない。途中に白雲洞という小さな鍾乳洞があり、弟たちはそこに立ち寄ったので、もう少し時間がかかった。

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橋をくぐって反対側からも写真を撮る。けっこう人がやってくる。もっとずっと先まで道は続くが、ここでひきかえして途中にあった茶店のようなところで昼食を摂る。風が通り抜ける店で、しかも屋根の上に散水し続けているのでとても涼しい。これなら夏でもクーラーはいらないのだろう。店には扇風機しかなかった。

ゆっくりしてから倉敷の美観地区、あの蔵屋敷の建ち並ぶエリアに向かう。

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二千万円必要

 長生きすると(年金とは別に)老後に二千万円の貯えが必要だ、と金融庁が言ったとか言わないとか。こんなもの人によって違うし、健康か病弱かによっても違うことで、つましく生きれば年金とわずかな貯えで暮らせないことはないし、若いときのペースで使えばもっと必要だろう。平均の話は個人には意味が無い。しかしそれなりの生活をしようとすればそれなりの貯えが必要で、右肩上がりの時代ではないのだから、就業中に納めた年金だけでは足りないのは自明のことである。

だから「百年安心を約束した年金制度はうそだったのか!」と蓮舫女史が怒ってみせていたのに違和感を感じた。彼女は「国民は怒りに震えている」と、激昂した様子で国民のかわりに安倍首相に食ってかかっていた。女のひとがああいう剣幕でものを言うのは何か哀しい。

 そういう彼女に国民を代表してものを言ってもらいたいと思わないひとは多いのではないか。少なくとも私はごめんだ。彼女は税金や補助金の無駄遣いを減らして何兆円も浮かせてみせると豪語していたはずだが、結果としてどれだけの金を節約できたというのか。ただのパフォーマンスに終わり、「二番ではいけないんですか?」と税収の元である産業の振興を抑え込むことが正義であるかような言葉を吐いて失笑を買った。

 民主党が政権時代に出来ていたことで、それが自民党政権になって出来なくなったために年金が減少した、ないしは年金収入が減ったという根拠を示せ。その上でこうしたら年金はもっとたくさん国民に渡すことが出来るはずだ、という試案を示せ。彼等はいつも非難ばかりで対案を示さない。

 少子高齢化による必然的な結果として、年金徴収が増えて支給が減ることはずっと前から分かっていたことで、それが分かっていてもしらんふりをして無駄遣いをしていた年金局の連中の責任はうやむやにしておいて、何を喚いているのだろう。

 怒って見せている方も答弁する方も百年安心なんて絵空事だと分かっていて、もちろん多少なりともものを考えることの出来る大多数の国民はちゃんとそれを分かっているし、事態を想定して自己防衛をしている。政権に絵空事を認めさせたら年金がどこかから湧いてくるのか。相手を非難糾弾することが政治だと勘違いしている政治家が政権を取り戻すことはあり得ないだろうなあ、などと思って見ていた。あんなパフォーマンスを見せられていると、参院選は自民党の楽勝、というより野党の自滅に終わるのではないかと感じた。

 自分の言動や姿が却って自民党に利することになっていることに気がつかない枝野氏が選挙に敗北して代表を辞任することが、立憲民主党の唯一の希望か。では誰が代表になるのか。安倍政権が、その政策が支持されて安定なのではなくて、野党が「安倍打倒」を叫ぶばかりでなんの政策も打ち出さず、自滅しているから安定であることを、誰よりも安倍首相は承知しているだろう。蓮舫女史や辻元女史、枝野氏は、安倍政権は悪の政権で、倒せばひとりでに世のなかが良くなると言わんばかりであり、その空虚さに全く気がついていないように見える。

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宮島の大聖院

厳島神社から高台にある大聖院に向かう。真言宗の名刹である。

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山門の仁王様に迎えてもらう。途中、方向を勘違いして遠回りしてしまった。

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こんな階段を登る。

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ようやく到着。

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ここでは畏れ多くも閻魔大王がお出迎え。真言宗だから閻魔大王や不動明王などがたくさんおられた。

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本堂などはもちろん撮影できないから、しっかり手を合わせただけ。

登りのときに五百羅漢が見えたので、下りにはその前を通る道を選んだ。

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こんな可愛い羅漢さんもある。

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こういうオーソドックスだが表情のリアルな羅漢さんがたくさん並んでいて、写真を撮っているとキリがない。それぞれの像に寄進者の名前がついているようだ。看板を見るとまだ五百に足らないらしく空きもある。今のうちなら参加可能だと思う。

このあとロープウエイの乗り場に向かい、弟夫婦は山に登る。かなりハードなコースなので、私はパスした。しばらくぶらつき、アイスクリームを食べたりコーヒーを飲んでから、五重塔と千畳閣を見物。

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千畳閣は秀吉が安国寺恵瓊に命じて作らせた建物だという。ここは風が通って汗ばんだ身にはとても快適。

下界を見下ろしながら、弟たちが山を下りてくるのを待つ。

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上を見上げるとたくさんの絵馬や扁額が掲げられている。実際はもっと暗い。

随分待ったあと、弟たちと合流し遅い昼食を摂る。彼等は若い。だから元気だ。

このあと早めに広島へ戻り、夕方は息子とそのお相手のご両親と会食。初めての出会いだったがあまり気を使わずに話が出来る方々だったので話が弾んだ。

会食後、弟とその彼女と三人で二次会をして、ホテルまで送ってもらう。広島はおりから御祭で大変賑わっていた。弟夫婦に挨拶させて、二人と別れた。

さすがに多少くたびれた。

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2019年6月10日 (月)

それほど忙しいのか

 旅行の報告は明日また続けるとして、今朝のニュースに思ったことを一つ。

 

 札幌の乳児が虐待死したことについて、札幌市の児童相談所の事態の把握、そして対応が不十分であるとしてマスコミに非難されているようである。確かにその通りのようにも思える。しかしその言い訳の中に、案外事態の深刻さの本質があるのかも知れないと感じた。

 

 児童相談所は児童虐待事件で常にやり玉に挙げられる。しかし児童相談所がかかえている案件はその人員と能力を遙かに超えているという話もすでに報じられている。児童相談所の所員がすべてベテランであり、使命感を持っているわけではない。たまたまそこに配属された人というのがけっこういるらしいのである。

 

 そんな中で、虐待の事例は山のようにある。そもそもは児童虐待が急に増えたわけではなく、昔からあったことで、実は多くが見逃されてきただけなようである。それが報道で取りあげられるようになり、あたかも増えているように見えているのだろう。

 決してあってはならないことだが、人知れず死んだ子供はたくさんいると私は思っている。むかしは口出しをする人が多かったが、時代が変わり、関わりを恐れてずっと見て見ぬふりをする人たちばかりになった。それが最近は警察も取りあげるようになったので、ちゃんと通報するようになったのだろう。

 そうなると児童相談所はかかえる案件が急増する。能力も人員も不足していれば、案件に優先順位をつけるしかない。今回警察に同行を求められたのにそれを断ったのは、ほかにもっと深刻に案件があったからではないか。それだけ忙しいのではないか。その判断の是非は結果でしか分からないところもあるだろう。

 児童相談所に虐待の責任があるかの如く偏った報道を続けるマスコミこそが、事態の本質を霞ませているのではないか。問題は対応しきれない児童相談所の現実のほうにあるのではないか。そしてそのことは多分関係者には自明のことのような気がする。しかしそう言えば、言い訳しているとマスコミは非難するだろう。誰かを悪者にして非難するのは気持ちが好いものである。しかし児童を虐待したのは子どもを持つ資格のない、子どもを虐殺した親なのである。社会が悪い、などと小賢しげに言う評論家が、今回もそんな親を一般化して、あたかも犠牲者のように語っていた。そうして同じような事件が再発する。そしてまたぞろ「二度とこのようなことが起きないように」と言う。

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厳島神社

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日本三景の一つ、安芸の宮島へ行く。

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平清盛がお出迎え。

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鹿もこうしてお出迎え。

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海に浮かぶ大鳥居。この鳥居は地中深くに埋め込まれているのではなく、自重で立っているのだそうだ。

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私のところにもつぎつぎに鹿が寄ってくる。後ろからそっと角で押してきて、何かくれ、と催促する。

いま島内には500頭ほどいて、人のいるところに出没する鹿はそのうちの200頭ほどだそうだ。

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厳島神社に入る。

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いろいろな国の観光客も含めて参拝の人が多かった。いろいろな言葉が飛び交う。

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次第に潮があげてきた。

このあとあちこち見物してから昼過ぎ頃には満潮になり、

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一番奥まで潮が満ちていた。何度か来ているが、全部に海水が満ちているところを初めて見た。

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2019年6月 9日 (日)

秋芳洞

秋芳洞に行く。ここには今年の二月にも来ている。前夜から今朝にかけての大雨で川の水は濁り、川霧のような靄が立ちこめている。

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洞窟までの渓流沿いの道から。いつもはもっと水は澄んでいる。

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洞窟入り口。轟音とともに水が洞内からあふれ出している。靄であたりは霞んでいる。

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入り口近くの洞窟の壁。

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いつもと色合いが違って見える。

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まるで夜の渓流を見ているようだ。

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黄金柱。今回は私はここまで。弟夫婦はこの先の支洞も廻ってきた。

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靄にけむる洞内。湿度は100%。カメラのレンズもくもる。

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ようやく出口。入るときは涼しく感じた外の風が、洞内の気温が低かったのでムッとした暖風に感じる。

このあと秋吉台を見たが、野焼きから時間が経っているので草が生えていて、いつもの絶景ではないので略す。ここから一途広島を目指す。

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萩・武家屋敷

萩城跡から萩の武家屋敷まで歩く。

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大きな屋敷の塀がつづく。壁が汚れたり破損していないのは常に補修管理がされているからだろう。とにかく広大な敷地にたくさんの武家屋敷がつづいている。みな人が住んでいる。

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綺麗ななまこ壁の中はちょっと一般の武家屋敷とは違うようだ。

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中を覗くと萩博物館だった。この横手に駐車場があり、すいていて駐めることが出来る。こちらに車で来れば良かった。高杉晋作の生家を目指す。

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高杉晋作生家。以前来た時は門内に入れなかった。座敷は家人が住んでいるので上がることはできない。

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有名な高杉晋作の写真。令和を祝している。

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高杉晋作夫人と家を継いだ息子。

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高杉晋作の両親。二人とも八十ちかくまで生きたようだ。

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高杉晋作邸のすぐ近くの小さな公園に高杉晋作の銅像があった。

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高杉邸からすぐ近くと思った木戸孝允生誕地は案外遠かった。この頃汗まみれで少々歩きくたびれ始めている。昼食を摂って、次の目的地の秋芳洞に向かう。

弟夫婦は萩に来たがっていたので大満足していた。それを見ているこちらも嬉しい。

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2019年6月 8日 (土)

萩城跡

萩城跡、指月公園に行く。「しげつ」と読むと思い込んでいたら、「しづき」であった。


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後ろは指月山。海に突き出している。


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毛利輝元公がお出迎え。


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立派な石垣。萩城は長州藩が範を垂れるために、明治維新でいち早く棄却された。
そのことがかえって武家屋敷を残そうという機運につながったのではないか。


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内堀は鯉がいたから淡水らしいが、すぐその外側の堀は海につながっている。


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こんなふうに海につながっている。遊覧船で城の周りを見物できるようだ。

このあと指月公園の駐車場に車を置いたまま、武家屋敷まで歩いて行くことにする。萩焼のお店がたくさんある。
義妹は一つひとつ眺めて、気にいったものをみつけて何か買ったようだ。


雨のあとだったので蒸し暑い。歩いていると汗が噴き出す。
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夜明けの虹

昨日は一日あちこち見物して楽しんだ。一昨日は移動ばかりだったので、二日分楽しんだ気分だ。
晩にはホテルお薦めの居酒屋に弟夫婦と行き、ちょっと余分にお酒をいただいた。料理も美味しくて大満足だった。
本日は広島へ来た目的の、息子のお相手のご両親との面談が夕方にある。だんだん緊張してきた。昼間は弟夫婦を宮島へ案内する予定。

 

今朝夜明け前、目覚めて窓外を見たら、虹が出ていた。端っこだけの虹で、しばらくしたら消えてしまった。だから見た人は少ないだろう。


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元乃隅神社

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大雨は朝食を食べる頃には止んだ。弟が風呂で元乃隅神社へ行くことを薦められたので是非行きたいという。黒い雲が空を蔽っていたが、確かに絶景だった。駐車場に車を置いて先端まで行き、鳥居をくぐりながら頂上まで登る。

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こんな景色や、


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こんな景色が見られる。


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こわごわ下をのぞきこむ弟の嫁さん。


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これがわが弟。


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上まで登って鳥居の列を見下ろす。


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お薦め通りの好い景色であった。晴れていたらもっと素晴らしかっただろうが、雨が止んだだけでもよしとしよう。弟夫婦も来てよかったと絶賛していた。このあと萩に向かう。

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2019年6月 7日 (金)

山口県長門・油谷湾に面する温泉にて

朝、記す


朝まで嵐だったが7時頃に雨はほとんど止んだ。


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露天風呂も食事の場所も海に面しているが、部屋は残念ながら山側。雲が低く垂れ込めて窓外は暗く、夜が明けているとは思えない。


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樹木は強風に揺れているが、写真では分かりにくい。


さいわいこの辺りはこれから天気が好転していくという。弟夫婦と朝飯のあいだに見物場所を検討し直す。
山口市や岩国、広島には避難勧告の出ている場所もあるというが、道路は大丈夫だろうか。

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 これは日本中そうだろうけれど、今朝は嵐の朝である。

 

 いま日本海、山口県の長門の西端、油谷湾というところにいる。宿の窓には強い雨が吹き付け、雷が鳴っている。明日昼過ぎまでこの嵐はつづくらしい。この雨と風では傘も役に立たないから観光どころではない。天気が崩れると予報されていたけれど、ここまでとは想像していなかった。


Dsc_0571途中宍道湖を遠望する

 城崎からここまで遠かった。朝八時半過ぎに城崎を出発して、小間切れの山陰道と国道9号線を乗り継ぎ乗り継ぎして走り続け、ようやく五時に宿に到着することが出来た。出雲大社か萩を見物しようと予定していたが、そんな余裕はなかった。距離は400キロあまりだから、高をくくっていた。運転していた私もくたびれたけれど、乗っていた弟夫婦もくたびれただろう。それでも二人は夜八時過ぎのホタル見物に行くバスに乗って出かけた。さすがに若い。見ることが出来たかどうか、まだ聞いていない。私は風呂に入ったあと、爆睡した。


Dsc_0574どこで撮ったか忘れた

 今日は傘をさしても濡れる。車を出るのは辛いだろうから、萩や津和野、秋吉台の車中観光でもしながら目的地の広島に行くことにする。
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2019年6月 6日 (木)

女の湯守さん

 昨夕の城崎温泉でのこと。露天風呂に入ろうとしたら三十前後の青い制服を着た女性が湯温を測っている。ちょっと入るのに躊躇したが、すぐ済むだろうと思って「いいですか」と声をかけたら「どうぞ」というので目の前で入らせてもらった。向こうが平然としているからこちらも気にならない。それにしても若い女性の湯守さんというのはめずらしい。全国にはそれなりにいるのだろうが、私は初めてである。

 湯温を計り、湯をビーカーに採取してから、「湯加減はいかがですか」と問われたので「大変けっこう、好い加減の湯です」と応える。「何度でしたか」と聞くと「41.6度です」とのこと。毎日簡易的ではあるが湯の汚れなどをちゃんと分析しているそうだ。

 奥の方にももうひとつ露天風呂があるらしく、その女性がそちらに去ると、私よりひとまわりくらい歳下と思われる男性が入ってきた。すぐとなりに並んできて「41度」と声を出してから、「実際何度だったですか」と言うので「41.6度だそうです」と返事する。大阪の人だという。温泉が好きで、休暇がとれたのでやって来たのだという。

 ゆっくり入っていたとはいえ、湯冷めがしないいい湯だった。あとで聞いたら弟も露天風呂に入ろうとして、その女性がいたので内風呂にしたのだそうだ。女性の陰で私が見えなかったらしい。

 これは東北のある温泉の湯守さんから聞いたことだが、早朝から深夜まで客がいるし、季節や朝昼晩の気温の違い、源泉の温度も変動することもあるので、湯温を一定に保つのはけっこう大変だという。熱い湯が好きな人もいる、熱いのが苦手なひともいて、苦情を言われることもあるという。

 そういえば奥飛騨温泉の、さびれかけた小さな温泉ホテルに数日滞在したことがある。格安だったのだが、毎日湯温が違う、ある日などは熱くてとても入れないこともあった。湯守がいなくてホテルの主人自らが湯の管理をしていたようだ。まだあるだろうか。
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城崎にて

 昨日、十時過ぎに弟夫婦が車でやって来た。朝四時半に出てきたという。古いナビだがある程度ポイントを教えておいたので迷うことなく到着できたという。一休みしてもらってから荷物を積み替えて私の車で出発。目的地は兵庫県城崎、ナビによると走行予定距離は290キロほど。

 一宮から名神高速に乗り、米原で北陸道へ、敦賀から舞鶴をへて天橋立の先まで自動車専用道を走る。日本海が見たいのにほとんど山の中を走り、トンネルばかりである。丹後半島の首元を横切って久美浜の海をちらりとだけ眺めて峠越えして城崎に入る。四時前だったので、宿に入る前に車で城崎の駅前、そして川沿いの温泉街を見物し、ロープウエイに乗って上から城崎の街を見下ろそうと思ったのだが、本日はロープウエイの休業日だという。残念だがしかたがない。

 城崎から海岸沿いに竹野方向に走って日和山に上り、崖の上の展望台から日本海を見下ろす。絶景に喚声を上げる。喜んでくれて嬉しい。

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 宿に入って温泉でゆっくり汗を流す。ゆっくりと夕食を摂って歓談する。兄弟でこんなふうに旅をするのは何十年ぶりだろうか。皆元気であることは本当にありがたいことだと思う。

 今日は日本海沿いにもっともっと西に走る。今日までは天気が良さそうだが、明日からは雨模様、梅雨入り間近だがもう少しだけ待って欲しいものだ。

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2019年6月 5日 (水)

天気がだんだん悪くなる

 千葉から弟夫婦がやって来た。二人揃ってわが家に来るのは初めてである。きちんと片付けておこうと思ったのに、ウロウロと散らかっているものを右から左に置き直すようなことばかりしていて、こうしたいと思うような整然とした状態にはほど遠いままであった。恥ずかしい。

 弟夫婦を案内して旅行する予定である。いままで親の面倒をみてもらったことを始め、さまざまに世話になってきた。少しでもお返しをしたいが、彼等には毛筋ほどもそういう期待がなくて、ただ知らない場所を私に案内してもらうのを楽しみにやってくるのである。せいぜい心をこめて同行するするつもりだ。

 今年の梅雨入りはやや遅めで、多少の雨は覚悟するがギリギリ天気は持ちそうだと思っていたのに、だんだん天気予報は連日雨が降る予報に変わりつつある。このままだと平年並みの梅雨入りになりそうだ。予報よりも好天の方に外れますように心から願っているのだが。
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留守電

 詐欺電話対策に、固定電話は留守電にしている。必要なら留守電に用件が残されるが、在宅時に電話が鳴って用件が残されることはまずない。用件のありそうな友人知人はすべて私の携帯に電話してくるから当然で、稀に留守電が残されるのは銀行の運用案内の話くらいで、もともと聞く気のないものだ。アンケート風のものもたまに入ったものだが、いまはそれもなくなった。

 連日電話による詐欺電話のニュースや手口の話を見聞きする。どんどん巧妙化し、しかも手口も凶悪化している。どうしてお年寄りは(自分もその一人だが)自己防衛をしないのだろうかと思う。一度会話をしてしまえば相手はしつこくかつ巧妙だから詐欺と分かったところで精神的に大きな動揺を受ける。

 個人が特定されれば、応対の仕方によっては脅しもかかるし、下手をすれば逆恨みを受けかねない。関わりが出来てしまうことそのことがすでに問題なのである。ずいぶん前だが、一度会社に名指しで架かってきた電話のあまりのしつこさに相手を刺激する言葉を投げかけたら、自宅で留守番をしていた子どもに脅迫電話をかけてくるという目にったことがある。家に押しかけるというその電話に子どもはおびえ、警察に通報した。

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 相手は反社会的な連中である。どういうわけで私の個人情報を手に入れたのか。たぶん個人的に恨みを受けていたのかも知れない。仕事で筋を通すと理不尽な要求をする人間がいて、私はそういうのが大嫌いだから当然突っぱねる。そういう人間は逆恨みすることがある。思い当たるひとがいないではないが証拠はないし、こちらも実害があったわけではない。

 電話という匿名性を悪用することで犯罪が成立してしまう。それが分かっていながら電話の匿名性をなくすことは「人権」とやらが盾になって出来ない。どうして電話の匿名性をなくすことが人権侵害になるのか私には分からない。犯罪の温床であると考える所以である。

 これはブログを匿名にするのとは意味が違う。ブログに書いたことを曲解して、おかしなスイッチが入る人間というのが少なからずいる。その人間に匿名性が許されているから、どんな攻撃を受けるか分からない。それがゆえの防衛上の匿名である。みんながまともなら名前を明らかにすることに躊躇する理由はない。
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2019年6月 4日 (火)

正しかったらなぜ隠すのか

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 本日は天安門事件のあった日。当局はその事件で死んだ(鎮圧軍に殺された)犠牲者は四百人たらずと正式に発表しているが、実際には少なくとも数千人をくだらないといわれている。戦車の前に立ちはだかった学生や市民を戦車がひき殺した場面も目撃されている。

 この事件のあった1989年といえばベルリンの壁が崩壊した年であり、もし、民主化、自由化の運動が全国的に盛り上がって共産党政権が倒れたら、いま中国はどうなっていただろうか。案外いまほどの強国にまだなっていなかったかも知れない。

 それがあるから、中国政府は「天安門の違法な暴動を鎮圧したのは正しかった」と内外に表明したのだ。しからばどうしてその天安門事件そのものを報じたり語ったりすることをここまで徹底的に封じようとするのだろう。正しかったのならどうして隠すのか、分かっていても屁理屈屋の私は問わずにいられないのである。
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終わる

 『刑事フォイル』がついに最終回を迎えた。第二次世界大戦下の地方都市の警視正として犯罪捜査に従事したフォイルの事件簿として始まったが、最後の数回は警察を依願退職して保安部のMI5に奉職する。終戦後、もともと戦時中に勤めたかった仕事でもあり、ここでもその優れた知能が発揮される。

 原題が『フォイル’ズ・ウオー』であって、フォイルが刑事という意味の邦題には多少違和感があるが、それは置いておく。このイギリスドラマのテーマは「戦時下」という特殊な状況下での正義とは何か、ということである。正義が絶対的なものではないことは常識のあるものなら理解できることだと思うが、戦時下では物事の優先順位が平時とは著しく異なっている。正義にもさまざまなレベルが生じてしまい、人によって解釈が変わってしまう。

 そこで事件の理非曲直を明快に、そして愚直に解き明かしていくフォイルはときに権力者達から煙たがられる。フォイルはロンドン警視庁で通用する観察力と推理力の持ち主であることは誰もが知りながら、地方都市にくすぶっていたのはそういう背景があってのことだ。

 些細に見えた事件にとんでもなく大きな根があってそれがときに上層部や権力者達の暗部があぶり出されたりする。捜査で出あう人たちの人間性や人生が会話の中で垣間見える。それを引き出すのもその意味を読み解くのもフォイルの力だ。フォイルは無理押しをしない。おだやかに問い、相手が語ろうとしないことにこそ意味を読み取る。

 戦時であることで隠蔽された不祥事がフォイルの正義によって明らかにされる。戦争とはそういうものだ、という言い訳をフォイルはけっして許さない。それこそがフォイルの戦争なのである。戦争というものがどういうもので、人がそのことによってどんなふうに人生を狂わされたのか、そして戦争という名のもとに見逃されてしまいがちなことにも善悪のけじめをつけずにはおかないフォイルの精神の強靱さが強く共感を呼ぶ。

 イギリスのドラマの素晴らしさを堪能できた。終わってしまったのが残念である。脇役のサムことサマンサという女性の魅力もドラマを引き立てていた。
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2019年6月 3日 (月)

仏頂面(ぶっちょうづら)

 いままで随分写真を撮ってきた。ほとんどとるに足らない写真だけれど捨てられないものだ。フィルムで撮った子どもたちの写真をセレクトしてまとめている。そこで気がつくのは、たまにある子どもと一緒に自分が写っている写真の、その自分の顔の多くが笑顔でないどころか仏頂面であることだ。

 

 誰が写真を撮っているかによって表情が変わるのはしかたがないが、それにしても、自分がこれほど世の中を面白くなさそうに生きているように見えることに愕然とする。それでも子供たちは屈託ない顔をして笑っているから、嫌われていたわけではなさそうだ。

 

 祖父母が写っている写真、父母がこどもたちと写っている写真を見ても、仏頂面はしていない。
Dsc_0566_1 夜明けのサツキ

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魅力的な人

 人生は生きるに値するもの、生きているのは楽しいな、という表情を感じさせる女性は魅力的だ。これは美人かどうかとは関係が無い。自分が誰を魅力的に感じているのか、その基準がそこにあることにこのごろようやく思い至った。もちろん男性も同じだが、男性の場合は女性ほど表情が表に出ないので、親しくならないと分かりにくいところがある。

 

 そういう女性はちらりと茶目っ気のような表情を見せてくれる。好きなタレントや女優は皆そういう表情を見せてくれる女(ひと)だ。そばにそういうひとがいたらもっと楽しいだろうが、そもそも自分がそうであるのかどうか。見かけだけでも親しい人にそれを感じてもらいたいと願っている。
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同じことをまた言う

 テレビの放映が始まって間のない頃の人にいまのテレビ番組を見せたら、その精細で色鮮やかなことに驚くだろう。そして私が思うに、それ以上に民放番組のCMの反乱に仰天するだろう。

 いま民放のニュースや天気予報番組は、ほとんどがCMの合間にわずかにニュースや天気予報を報ずるだけという異常さである。いまの若い人は忙しいし、ばかばかしくて民放を生で観ることなどしないだろうから、番組を観ているのはお年寄りか、趣味すら持たない暇でしようがない専業主婦くらいだろう。だから若い人向けの商品のCMを流してもほとんど効果は無いだろうと思う。

 CMは少しずつ番組を侵食して来た。少しずつなら分からないだろうと放送局は高をくくっている。ぬるま湯が次第に熱くなっても、いつまでも気がつかない茹でガエルのように、鈍感な人がCMの反乱をぼんやりと眺めている。

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 番組本編が短くなればなるほど低コストで番組を作ることが出来るだろう。CMの枠を増やせばたくさんのスポンサーを抱え込むことが出来る。高額のCM料が払えない会社も小間切れの安売りの枠なら参入できる。CMされる内容の低レベル化は必然的な結果だろう。高い金を出したCMを作るのは一部の会社に限られていく。こうして番組はどんどんお粗末に成り果てる。テレビ局は病的なまでに劣化し、自らの死期を早めている。

 テレビ大好き人間の私は、土日にはNHKの番組が(私にとって)お粗末すぎる構成になっているので、つい民放を観てしまう。そして観るたびに、そのあまりのことにあきれ果てて、観たことを後悔する。ただほど高いことをこれほど明確に教えてくれる事例はないと心から思う。

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2019年6月 2日 (日)

右のものを左に

 曇天ながらおだやかな日曜日。ピアニストの宮沢明子さんが亡くなったと知ったのは数日前。彼女の『ピアノ名曲ベスト16』というCDを久しぶりに聴いた。私は音楽に疎いけれど、妹がピアノを弾いていたのでピアノにはなじみが深い。同じくピアニストの深沢亮子さんは私が生まれ育った街の出身で、妹の先生も確か弟子の一人だったと思う。ピアノ曲はクラシックでもジャズでも好きだ。

 寝室兼遊び部屋のレイアウトを、オーディオ部分だけ少し変えてみた。わずかだが無駄な空間が減ってすっきりした気がする。根本的に変えたいところだが、重いものや立ち並んでいる本棚をすべて動かさなければならず、一人ではよほどの覚悟で始めないと完遂がむつかしいだろう。だから床に散らばっている本や棚の本を出したり引っ込めたり、右のものを左にしたりしてなんとなく片付けた気分になっている。寝室なので布団を敷くために埃がすぐたまるのは致し方ない。その分こまめに掃除が必要なのにそれが追いつかない。追いつけないのは怠けているからで、自分が悪いのであって、ため息をついてもどうしようもない。

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手前のパソコンはCDプレイヤー内のUSB-DACとつなぐことに特化したダイナブック。キーボードか死んでいる(エンターキーを始め、キータッチを受け付けないキーがいくつもある)ので外付けのキーボードをつないで使用している。別室のNASから無線LANで音楽を取り込んで使用する。その左のオレンジのものはデジタル時計で旅行のときの目覚ましに使用するために買った。懐中電灯にもなるし、温度も分かる優れもの。左奥には学習机があって15年以上使っているXPのデスクトップのパソコンがゲーム用として健在である。もちろんネットにはつないでいない。

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寝室用の本。片付けて、この雑然さ。メインの本は別の場所に並んでいる。

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五条川まで

萼紫陽花が咲き始めている。早いなあと思ったら、もう六月であることに気がついた。

すこし遠出の散歩に出かけた。

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街に芸大がある。この芸大には絵画彫刻系と音楽系があって、わが家から近いのは音楽系の学部であり、絵画系はずっと離れた別のキャンパスにある。音楽系のキャンパスに隣接して附属の幼稚園があり、娘のどん姫はこの幼稚園に通った。

写真はその音楽部の建物。

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横を流れる小さな水路にはこんな大小の鯉がひしめいている。

ここから息子やどん姫の通った中学校の横を抜け、飲料水メーカーの前をとおって五条川方面に向かう。

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五条川に到着。ここより北の岩倉あたりは桜の名所だが、この辺にも桜の木が多い。対岸に渡りたいのだが、遙か先まで行かないと橋がない。

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橋の下で少年ふたりが話し込んでいる。釣りをしているらしいが、こんな昼間ではあたりはないだろう。こんなのんびりした時間に友と語り合ったことがどれほど貴重なことか、まだ彼等は知らない。

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対岸に渡り、川沿いに南下する。帰路であるが随分遠くまで来てしまった。桜の古木が川岸にずっとつづく。

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古木は随分傷んでいる。

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樹の力が落ちると、このように苔が着く。苔はさらに樹の力を奪い、さまざまなものに寄生され始め、傷みがひどくなっていき、やがて寿命を迎える。

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この名鉄のガードをくぐっていく。最寄りの駅までもうすぐだ。

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くぐってからしばらく歩いたら電車の音がしたのでひきかえした。名鉄電車の赤い車両が通過した。

草いきれの中を二時間ほど歩き、汗みずくになった。晩のビールがうまかった。

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2019年6月 1日 (土)

さっぱりする

 来週末に息子のお相手のご両親と顔合わせ会食をするために広島に行く。それに合わせて、まだそれほどむさ苦しくはないが髪を切りに隣駅の先にある格安の床屋に行った。刈り上げて短くして欲しい、との私の言葉を受けて、若い、髭のお兄ちゃんは思いきり刈り上げてくれた。

 いつかは丸刈りにしようと思っているが、踏ん切りがつかない。ようやくその一歩手前まで行きついたというところか。シャンプー不要、石鹸だけで十分になるのはもう少し先だ。往きは一駅先だが電車で行く。歩いて行っても電車に乗ってもかかる時間はわずかしか違わないが、すべて歩くと約30分で、汗かきの私はこの陽気だと大汗をかいてしまう。汗まみれで床屋に椅子に坐るのはいささか気が引けるのである。

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 帰りはもちろん歩きである。せっせと歩いて散歩をかねる。先日のドライブでガソリンが減っている。来週の遠出のために、帰ってすぐにガソリンを満タンにしに行く。隣街の小牧のちょっとだけ安いスタンドがいつもガソリンを入れるところだ。これで旅の準備が一つ片付いた。

 先延ばししていた雑事を一つずつ片付け始めている。掃除をする。台所の流しをざっと磨く。冷蔵庫の中を片付ける。不要な物を捨てる。先日、滝の階段の上りで膝が痛かったので、屈伸運動して少し膝をいじめてやる。中原中也の詩などを朗読する。声を出すことで喉が生き返る。

 来週には弟夫婦がやってくる。それに合わせてテンションをあげていこうと思っている。ようやくスイッチが入った。
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北濃駅と日帰り温泉

湯の平温泉へ向かう。高鷲インターから近い。ここから国道156号線は長良川源流に向かって一気に登り道になり、その先には蛭ヶ野高原があるが、今回はそこまで行かない。

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いつもの湯の平温泉に辿り着いたら駐車場には車が一台もない。定期休業日だ。以前にも休みだったことがある。ちゃんと調べてやって来ないとこういうことになる。

しかたがないので別の日帰り温泉に向かうことにする。その前に長良川鉄道の終着駅、北濃駅に立ち寄る。

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北濃駅入り口。長良川鉄道はそもそもは越美南線として作る計画だった。越前、つまり福井と美濃を結ぶ鉄道で、この北濃からさらに北上して九頭竜へ抜けるはずだったのだが、計画は中断し、この北濃までとなりいまは長良川鉄道といわれている。

越美北線はいまも健在で、こちらは福井から九頭竜までをつないでいる。本数が少なくてまだ乗車したことがない。長良川鉄道は美濃太田と北濃間を走る。こちらは子供が小さい頃も含めて何度も乗車している。わが親子のハイキングコースだった。途中の駅で降りて、川沿いに一駅か二駅を歩くのが楽しい。

水害に遭うことの多い鉄道で、何度も運行休止になっているが、そのたびに復活している。

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駅前の絵看板。ここにあるめぼしいところはほとんど行った。近くは若宮集古館、そして長滝白山神社がある。もちろん阿弥陀ヶ滝も示されている。

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ホームへ出てみたらラッピング電車が停車していた。

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長良川にちなんだ景色と、ちびまる子ちゃんの登場人物達の絵が描かれている。

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ここから先に線路はない。

東海北陸道に乗らずに地道で郡上美並の子宝温泉に立ち寄ることにした。別に急ぐ用事もない。

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日帰り温泉子宝の湯。変な構図になっているのは、ここが駅のホームと直結している温泉であることを見てほしかったからだ。左が温泉で、右側が駅。

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駅に降り立ち、扉を開ければそこは温泉である。温泉を楽しんで、次の列車を休憩場所でゆったり待っていれば良い。待ち時間無しである。

温泉を堪能して帰路についた。

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