二日の朝、少し早めに朝食を食べた後、奈良の古い町並みを散策した。近鉄奈良駅の少し南から西へかけての辺りである。
曇りで風も少しあり、寒かった。
玄関前に下がるのは、高山のさるぼぼに似た釣り飾りで、厄をこれに移すものらしい。
元興寺(元興寺)もむかしは広かったのだ。ここにもたくさんぶら下がっている。
ついこういうものに目が行く。
これは彫物だが、歩道に鹿の糞が落ちていたから、たぶん若草山などからこのあたりにも下りてくるのだろう。
元興寺。朝だが、拝観はできる様だった。しかし、このあと薬師寺や唐招提寺に行きたいのでパスした。
まだシャッターが下りたままのアーケード街。このまま近鉄奈良駅に向かう。奈良から大和西大寺で乗り換え、すぐ次の尼ヶ辻の駅に行く。
一日(日)の朝、新幹線で京都まで行き、弟夫婦の希望で京都駅の中を歩く。一番高いところから辺りを見回すが、方向がよくわからないので、どこに何があるのか説明できなかった。そのあと近鉄で奈良に向かう。大和西大寺で乗り換え。以前はすべてJRのルートを使って遠回りしていた。この辺はようやく覚えた、私鉄を使うルートだ。
この晩の宿は近鉄奈良駅のすぐ近くなので、場所の確認がてら立ち寄り、荷物を預かってもらう。
まず興福寺に向かう。写真は興福寺前の猿沢の池。ここに身を投げた女性がいるという話を何かで読んだ記憶があるが、詳しいことは思い出せない。
猿沢の池の前の階段を上って興福寺の境内に入る。
階段途中の左手に小さなお地蔵さんたちが並んでいた。
興福寺南円堂、八角形のお堂。
中金堂。ここは比較的に最近再建された。大法要がここで催されたのをテレビで見たし、再建中のときも寄ったし、できたばかりの頃に拝観している。仏様も新しいからピカピカしていた。今回は前を通るだけでパス。
興福寺の五重塔は、どっしりしていて好きな塔だが、今は修復中のため周りが囲われていて見えない。今回は、この興福寺国宝館がお目当て。ここに展示されている仏像は、有名な阿修羅像だけでなく、みな素晴らしくて見応えがある。三人でゆっくりと拝観した。
観光バスには中国の観光客が乗っていて、写りこまない様にするのがたいへんである。春節中だからどこにもここにもたくさんいた。人の通り道にたむろし、大きな声を出していたらたいてい中国語である。
このあと奈良公園を横切って東大寺に向かう。そこそこ歩く。
昨夕は、たまっていたドキュメントやドラマを見ながらうつらうつらしていた。やはり疲れていたのだろう。風呂にも入らずに早めに床に入ったら、目をつぶった途端に眠っていた。朝、もしかして外が白くなっていないかとカーテンを開けたが、何事もない朝だった。雪雲は西から東の方に流れて、当地は降らなかった様だ。この歳になっても子供の様に雪を期待してしまうのが我ながらおかしい。
朝風呂に入ったあと洗濯。外ではもちろん乾かないから部屋干しする。ストーブを焚いていればちゃんと乾くし乾燥防止にもなる。あちこちを見ると、弟の嫁さんが細かいところも掃除してくれたのがわかった。香辛料の棚など、細部がきれいになっている。話し相手がいなくなってちょっと寂しい。
寒いけれど、あとで少しだけでも歩こうかと思う。散歩の頻度を上げて足腰を鍛え直して老化を多少は押しとどめ、もう少しあちこちを旅したいから。
今回の奈良の旅の報告は次回に。
本日は、朝ゆっくりしてから弟夫婦の希望で犬山城を見に行く。電車で三十分、さらに駅から犬山城までもけっこう歩く。犬山は冷たい風が吹いて寒かったけれど、途中から晴れてきて、青空にくっきりと映える犬山城を見ることができた。犬山で味噌煮込みうどんを食べる。お店の人に聞いたら、いまは犬山城界隈は九割が外国人だという。中国人、東南アジアの人、インドの人や西洋人もいて、誠に賑やかなことであった。
犬山から帰宅してお茶を飲んで一息入れ、先ほど弟夫婦は車で千葉に帰った。私はこれからゴロゴロできるが、弟はまだたいへんだ。冷たい風が吹いていて、今夜から明日にかけて雪も降りそうだという。今日帰るのは正解である。
とにかくくたびれた。ずいぶん衰えたものだ。今日もほぼ一万歩歩いた。ただし犬山城の天守閣は弟夫婦のみ登って私はパス。あの段差の大きな階段は私にはもうキツすぎる。
1日は弟と蔵開きに行き、2日は弟夫婦と奈良の興福寺や東大寺、3日は奈良の町並み散歩と唐招提寺、薬師寺、さらに飛鳥の石舞台や飛鳥大仏を見て、夜帰宅した。合計で軽く五万歩を超えた。最初は重かった脚が次第に軽くなったのは不思議だ。それなのに体重は却って増えている、それも不思議だ。
今日は三人で犬山城だけ見て、弟夫婦は千葉へ帰る。弟の嫁さんは働き者なので、いろいろ家事をしてもらってしまい、申し訳ないことであった。
旅の写真は今日午後にでも、また報告する。
昨日の新酒会は友人たちと歓談できて、とても楽しかったし、おいしいお酒も飲めた。弟も私の友人たちとなじんで、会話に加わっていた。ただ、絞りたての酒をついでもらう器が年々小さくなり、もらいに行くのがせわしない。そのぶん、行き来に動くから、気がついたら酩酊していたと云うことがないのは有難い。面倒なので二杯ずつもらった。盛況で、人が毎年増えて、始まる前に長い長い行列ができて、待ちくたびれた。ただ立っているのは疲れるし腰が痛くなる。
酒蔵は最寄りの駅から30分以上歩く。歳とともにだんだん遠くなる。友人たちも同じようなことを言っていた。この日の帰宅までの総歩数は、17000歩であった。帰り着いてときにはくたびれてヨレヨレであった。義妹(弟の嫁さん)に夕食の支度や後片付けなど、全部お願いしてしまった。お客さんなのに申し訳ないことであった。
今日は三人で奈良へ行く。一泊する。心配していた天気はどうだろうか。
昨晩は鍋を囲んで弟夫婦と歓談しながらつい調子に乗って飲み過ぎた。今日は弟と蔵開きに行く。友達も加わってまた美味い酒を飲む。それなのに昨晩は二日酔いするほど飲んでしまった。
今日は粗相をしない程度に飲むことにしよう。話し相手のいる酒は本当に美味い。
タレントのフィフィが、フジテレビの会見の際の、質問側の一部記者の振るまいが顰蹙を買うようなものであり、記者そのものに対して反感を誘うことにつながることに気がついていない、とコメントしたらしい。
その通りだと私も思うが、そもそも自分たちが他者に対して配慮を働かせることができない人間、真っ当な人間ではないと気がついていたら、恥ずかしくてああいう振る舞いはしないだろうと思う。気がついていないのではなく、気がつくことができないのだろう。恥知らずとも云うべきか。日本人に恥知らずが増えた様に見える。しかし増えたのではなく、恥知らずでも大手をふるって生きられるような世間になっていると云うことであり、私も含めてみんなが臆病になって、非難しなくなっていると云うことでもあるだろう。
図々しいものがのさばり、それで得をする時代、それを見て、損したくないから真似をする、恥じる気持ちを失って世の中は生きにくくなった。これからますます生きにくくなるだろう。出生率が落ちるわけである。
フジテレビは、CMのスポンサーが下りている間はその部分のCMを無理に入れないようにしたらどうだろうか。その分だけ番組が長くなるのはたいへんだろうが、CMが少ないことに視聴者は喜ぶのではないか。そうして案外なことに視聴率が上がったりするかもしれない。局で働く人たちも、視聴率が上がれば沈滞した気持ちは少しは晴れるだろう。日本人も、いままでのCMの過剰さ、うるささに改めて気がつくきっかけになり、ただほど高いものはないことを思い出すのではないか。
視聴率が上がればスポンサーは戻ってくるかもしれない。もちろんスポンサーが戻れば元の木阿弥だが、少なくとも客離れが多少は引き止められるではないか。CM枠は固定されたものだ、という固定観念を外してみたらどうか。
ごくごく大雑把に部屋の掃除をしている。明日、千葉から弟夫婦が来るからだ。いつも弟夫婦には世話になっているから、ささやかでもお返しできれば嬉しい。娘から都合が付けば行くよ、と連絡があった。少し忙しいらしい。昼過ぎに弟からも連絡があった。千葉は晴れているらしい。名古屋は今日寒そうだね、と言われたが、たしかに三時前でも気温は4℃以下だったらしいから、今日は格別寒い。近くのスーパーに買い物に行ったら、北西からの冷たい風が吹き抜けていた。伊吹山の風花が飛んできそうだ。
掃除はそこそこにして、録りためてある映画以外の録画を消化した。WOWOWのFBIのシリーズ、NHKの『バニラな毎日』、『東京サラダボウル』、『雲霧仁左衛門ファイナル』、アニメ『火の鳥』等々、みんなそれぞれにおもしろい。
手塚治虫の『火の鳥』はハードカバーで揃えて何度も読み直し、背表紙がぐずぐすになるほどだったが、いろいろ集めた漫画本とまとめて処分してしまった。ほとんどストーリーと絵は頭に入っているが、アニメで改めて見直して懐かしい。
池波正太郎の大ファンで、店頭に並んだ彼の本はほとんど購入して揃えていた。もちろん『雲霧仁左衛門』も読んでいる。このNHKの時代劇ドラマでは途中から原作にないストーリーとなっているが、一時つまらないシリーズもないではなかったが、今回のシリーズはそれなりにおもしろい。中井貴一がはまり役になっているからだろう。これを松本幸四郎が演じたりしたらぶち壊しだろう。それにしても新しいシリーズの鬼平を彼が演じるなど原作の冒涜だ(と私は思う)。あのにやけ顔がむかつくのだ。秋山小兵衛を藤田まことが演じたのもイメージを壊して腹が立ったものだ。
『バニラな毎日』はあまり期待していなかったのに、意外におもしろい。期待していなかったのは、主演の蓮佛美沙子があまり好みではないからだ。なんとなく弱さと暗さを感じさせる役柄のものばかり見てきたからだろう。このドラマではそのイメージがとても生かされていて、却ってドラマが引き立つようになっている。一生懸命生きるというのは素晴らしいことで、美しいことだと思う。
『東京サラダボウル』は奈緒と松田龍平が主演しているドラマで、漫画が原作らしいが二人のキャラクターが生かされていて、とてもおもしろい。奈緒という女優はコメディエンヌの素質があると思う。コメディエンヌの素質のある女優は好きだ。初めて彼女の名前と顔が一致したのは、居酒屋放浪記にゲストとしてよばれたときだ。なかなか好いなあとおもった。このドラマは、分類するとすれば警察ミステリーなのだが、そういう枠にとらわれない破天荒さと、同時にシリアスさを兼ね備えていて、たいへんおもしろい。
忙しいはずなのに、のんびりしている。
NHKの世界のドキュメントの、『モダンタイムス チャップリンの声なき抵抗』という番組を見た。映画『モダンタイムス』を見たのは学生時代だった。大学の映画同好会に誘われて、いろいろな映画を見た。この『モダンタイムス』や『キッド』、黒澤明監督の『七人の侍』や『羅生門』、エイゼンシュタイン監督の『戦艦ポチョムキン』などが記憶に残っている。ライブラリーから借り出した、雨降りのフィルムだったが夢中で見たものだ。
この『モダンタイムス』という映画に籠められたチャップリンの思い、それが作られた時代背景がこのドキュメントには詳しく描かれていた。この映画に籠められたチャップリンの思いを、あの頃、私はどこまで理解していたのか。サイレント映画からトーキーへ変わる時代、アメリカの赤狩りで共産主義への過剰な検閲と映画界の自主規制の時代、それらに対するチャップリンの抵抗については、その当時はまだそこまでしっかり認識してはいなかったが、ただ映画そのものに籠められたチャップリンの深い思いは、もしかすると現在の私よりも繊細に受け止めていた様な気もする。
大好きな映画への思いが深まったのは、そういう映画を見たことがきっかけであり、その頃を懐かしく思いだしている。
昨日は強い北風が冷たく吹いていた。北陸や北国ばかりでなく、全国的に雪が降ったところが多い様だ。睡眠のリズムがまた乱れてきて、眠くなったから横になったつもりなのに、寝床に入ると目がさえてしまって眠れない。我慢しきれずにスタンドのライトを灯けて本を読んでしまう。眠れるように、睡眠薬代わりの難しい本を読むのだが、普段は上滑りして内容がつかめない本が、なるほどそういうことが言いたいのか、などと、なんとなくわかった気になってしまう。そうなるとつい読みふけってしまって、読み疲れするところまで読むことになるから、夜更かしの朝寝坊となる。
なんとなく寝不足気味になるから、昼間はうつらうつらするぼけ老人になる。これではなんとなく時間がもったいない気持ちがする。明るい昼間の方が、もっとしたいこと、やらなければならないことができるはずなのに。
明日は弟夫婦がやってきて数日滞在する。だからその準備のために多少は部屋を片付けなければならない。そう思いながら昨日までなにもせずにいた。だから今日は忙しい。手順など考えている暇にせっせと身体を動かそうと頭で考えてぼんやりしている。
拙ブログにいただいたコメントへのお返しを考えていて、おぼろげだったことに少しピントが合った気がした。このブログに、新聞というマスメディアの凋落、そしてテレビというマスメディアの凋落の兆しについて感じていることを何回か書いた。テレビ、特に民放のCMの氾濫は、私には常軌を逸している様に見える。新聞のCMなら読まなければ良いが、テレビのCMは、リアルタイムで見るときには避けようがない。貴重な時間を奪うから、ただほど高いものはない、と書いてきた。
テレビ局は多すぎて、CMの費用対効果は低下しているだろうと想像する。フジテレビの騒動をきっかけに、提供会社がいっせいに引き上げたのは当然の成り行きで、これはたぶん他局にも利がなく、却って波及するのではないか。貧すれば鈍するで、番組内容もさらに劣化していくかもしれない。そもそも芸人やタレントについての幻想から醒めればテレビそのものの虚像が明らかになってしまう。タレントや芸人に人格的な完璧さを求める、などという倒錯した追求が芸能レポーターもどきの記者たちの騒ぎに見られて見苦しい。
記者会見でフジテレビを糾弾する記者たちの、当の本人が同じマスメディアに属するもの、という自覚があったのだろうか。今回の騒動のさまざまな言説に接するとき、なるほどと思うものと不快に感じるものとの差を考えると、自らの立ち位置を自覚して発しているかどうかがあるように思う。前回のブログで、自己顕示欲の観点から記したが、マスコミで語る者たちの、同時に自分とは何者か、なにに属しているのかという自覚があるかないかも重要なことの様に思う。それがないのに正義の味方を標榜して居丈高になっているのを見せられるのはうんざりする。もうこの件については見飽きた。
多いか少ないかはそれぞれだが、誰にも自分の存在を人に認めてもらいたいという欲があるという。それを自己顕示欲と云うそうだが、フジテレビの二回目の記者会見で、質問する側の記者にその自己顕示欲を見せられて、あまりの強烈さに辟易して、最初の部分だけ視聴してテレビを消した。あれを長時間見たというのは、仕事で必要な人は別にして、大した忍耐力だと思う。一般に、記者というのは礼儀知らずだと思われているが、それがあそこまで露骨だと、うんざりである。誰にも頼まれていないのに、断罪する正義の味方の自分に酔いしれる姿が却って醜い。ああいう人たちとお近づきになる様なことがないことを願う。住む世界が違うなあと思った。
あれではフジテレビがかわいそうに見えてしまうではないか。それとも、あれはフジテレビに同情を集めるためのやらせだったのか。
私が高校生時代、世界というものにはじめて目を開かされたのは、中国の文化大革命とベトナム戦争によってだった。その前に、空襲を体験し、家族で焼け出された母から、繰り返し戦争中の、そして戦後の時代の話を聞かされていたから、どうして日本がアメリカをはじめとする世界に対して無謀な戦争を仕掛けたのか、そのいきさつを知りたいとも思っていた。
歴史の授業は明治までで終わりだった。記憶の残る部分の歴史の評価は政治的色彩を帯びるから、教師はそれを忌避し、当時、受験にもその時代の問題は出ないことになっていた気がする。もっとも知らなければならないことが、知らされないままになっていた。日本の若者は歴史認識に欠ける、といわれるけれど、当然であろう。考えてみれば、近現代史が政治的色彩を帯びるのは現在に直結するから当然で、日本の若者はその政治的色合いから遠ざけられて育てられているということだ。とはいえ、そもそも歴史について知るには自ら興味を持って学ぶしかないので、教えられたものはどうしても教える者のバイアスがかかってしまう。中国や韓国を見れば、歴史教育のバイアスという意味がよくわかるだろう。
私の高校時代はまさに学生運動華やかなりし頃で、安田講堂騒動などにより、私が受験した年は東大、京大、教育大(いまの筑波大の前身)は受験がなかった。だから東大を受けられなかったんだ、というのは若い人に私がよく言うデマばなしで、そもそも受けても受かるはずもない。そうして工学部という理科系に進んだのに、在学中、自らはもっぱら文学と歴史を独習していた。まず太平洋戦争についての本を、右側から左側からアメリカ側から書かれたものを濫読した。自分で本を購入もしたし、大学の図書館でも借り出した。
そうして次第に明治という時代について、さらに明治維新について、さらにどうして大国の中国が列強に蚕食されたのか、その背景を調べているうちに、どっぷりと中国にはまってしまった。かたや文化大革命に至る中国の近現代史、中国そのものを知るための中国史について本を読んで、ついに中国の古代にまで行き着いてしまった。いまもそれが継続しているから、書棚にはその関係の本があふれている。
ほとんど身についていないから、二度読み、三度読み、このざる頭はその都度初めて読む心地である。世界がどうしてこんなことになったのか、そのことの正しい答などない。ないからおもしろい。自己流の解釈が許される。但し、その解釈は新しい事実を知ったり、新しい本を読むたびに変わっていく。それでいいと思っているし、だからおもしろい。
言うまでもないことだが、見るべき、というのは、見なければならないという意味ではなく、見る値打ちのある、という意味である。『バタフライエフェクト』というドキュメント番組をときどき見て、いろいろと考えさせられる。今回は『マクナマラの誤謬』、『ベトナム 勝利の代償』の二回にわたって、ベトナム戦争についてアメリカ側、そしてベトナム側からの記録が語られていた。
ベトナムには二度行った。一度はホー・チミン市(旧サイゴン市)を中心とした南ベトナム、そしてもう一度はハノイを中心とした北ベトナムだった。もちろんその時はすでに一つの国であった。とにかく若い人にあふれているという実感だった。若い人があふれているから、街に活気があった。清潔で美しく、伸び盛りの勢いをまぶしく感じたし、人々がよく働くのにも感心した。人々が若いのはベトナム戦争で三百万人以上の死者を出したことによることは明らかだろう。日本も戦後に団塊の世代を生み出し、活気に満ちた時代をもったことがある。しかしその世代が前線から退場し、日本は沈滞して若者の目の輝きは失せていた。そのことをベトナムで強く感じた。
ドミノ理論によって、東南アジアの共産化を阻止する、という目的でベトナムに戦争を仕掛けたアメリカは正しかったのか。中国はともかく、共産化したベトナムやキューバは、人々が圧政に苦しむ国になったのか。キューバにも行ったけれど、キューバが苦しいのは政府のせいではなくて、アメリカの異常な、憎しみに満ちたな制裁によるものであった。そのことはキューバにも行ったのでよくわかる。どちらの国も、腐敗がないという点で、生活は苦しくても人々は豊かだった。共産政権の東ヨーロッパやロシア、中国、北朝鮮の問題は、政権のトップばかりが豪勢な、王様のような暮らしをしていることにある。腐敗が問題であるとする習近平は正しい。
ベトナムは人口が一億を超えてさらに発展するだろう。何より勤勉な人々の国である。その国を結束させた、という意味でのみアメリカはベトナムに貢献した。ベトナムの戦死者は国のために死んだ。アメリカ軍兵士の死者は誰のために死んだのか。もうアメリカは外国のために兵士を死なせることはできないだろう。日本をアメリカが守るなどと言うのは幻想であろう。
ベトナム戦争というのが、アメリカの独善性、異常さの象徴であったことが、このようなドキュメント番組によっていまになって良くわかる。第一次世界大戦のあとに急激に国力を付けて擡頭し、第二次世界大戦によってついに世界をリードする国になったアメリカは、その成功体験を勘違いし、自己正当化の権化の国に成り果てた。
その勢いがついに伸びきったゴムのように、今度は縮みのフェイズに入るのではないか、ということをトランプは予感させる。
前回のブログに書いたことの具体例を『巻末御免』の中から引用する。
『見ない書誌学』
我が国の苗字は多種多様なること諸国に冠絶し、薬袋と書いてミナイと読ませる姓もある。置き薬は信用して中身を見ないのを旨とするのに対し、学問一般は対象を見届けるに始まること常識であろう。いわんや文献の実体を調べ誤脱を訂すべき書誌学が、見ていない事柄を記載するなどありうべくもない。しかるに現代社会のお題目である省エネと経費削減の競争は労を厭い正道を避け手順を踏まず見掛けを装う見ない書誌学をもたらした。
松本勝久が『司馬遼太郎書誌研究文献目録』と偽称する定価八千八百円の書冊に刷られた「著作目録」は、国会図書館のオパック(opaqueか?それなら、不透明な写しか)その他に記録されているデータから、著作者の作品名書名を転写しただけの一覧である。松本勝久は司馬遼太郎の豊富な述作のどれをも自分の目で見ていない。むかし関所を避けて間道を行く者を関所破りと呼んだ。松本勝久の所業は関所破りであり、転記であり、謄写であり、編者の見たこともない文献を、本人の名の下に置き並べた詐欺であり、瞞着である。
大阪の西条凡児は、こんな話がおまんねんや、と語り出すのを常とした。松本勝久は、こんな記録がおましたんや、とのっけから明記する奸策により、誤脱錯繆乱脈は機器の入力に関係した職員の落度であり、我が責任に非ずとの意を籠めている。オパックを信用した経営体が火傷するのは自業自得であるものの、かりそめにも著書を成したものが我に責任なしと言いたてるほど、読者利用者を愚弄した例はかつてない。
作家の書誌を志す者が、例外なくもっとも苦労するのは、散佚(さんいつ)を常例とする随想の探索と集録であった。保存もせず記録もしなかった膨大な司馬遼太郎の随想を六百編以上も独力で発掘蒐集し、『司馬遼太郎が考えたこと』(新潮社)の編纂に貢献した山野博史の明細な書誌記述からの転記をもって、松本勝久の偽装書誌は外面が整った。松本勝久は挨拶して闖入した無恥名声欲の窃盗犯である。
どうです。強烈でしょう。
谷沢永一の選集の、下巻の最後は『巻末御免』と題した、もともと『Voice』という雑誌の巻末に連載されていたコラムを編集した本をもとにしている。この下巻の責任編集と解説を担当した鷲田小彌太が言及しているが、この『巻末御免』の文章のトーンが途中から明らかに変わっている。読んでいて、私もそれを感じた。もともと手抜き、横着に対して厳しい谷沢永一だが、その激しさが増すのである。中身がたいしたことはないのに、いかにも偉そうな者に対して、厳しいのである。レトリックを駆使して、大丈夫か、と思うような激越さで罵倒する。私などいいかげんの極みで生きてきたけれど、まず矢面に立つことはないので安心であるが恐ろしい。コツコツとたゆまず努力している人が報われずに、そのような人物がのさばって安らかに死んでいくのがこの世の中、特に日本という国である。いくつもそういう事例を挙げてあって、谷沢永一に共感して、私も少し熱くなった。
糖尿病の定期検診は、予約変更したので待たされるのを覚悟していたけれど、案に相違してそれほど遅くならなかった。血液を抜かれ、尿検査の尿を出して、売店横の休憩室で持参した本を開き、ゆっくりコーヒーなどを飲んでいたが、もしかして、と思って内科の待合室に移って本を読んでいたら、それほど経たずに名前を呼ばれた。早めに行っておいてよかった。
血糖値は危惧したとおり、今までになく高かった。「正月には誰もが美味しいものを食べたり飲んだりするので高くなります。自覚はありますね?次回も同じように高かったら、減らした薬をまた増やします」と美人の女医さんからやさしく言われる。これも覚悟していたとおりである。休酒をしないでいるとこうなるので、これが定常値と言うことかもしれない。普段から早足の散歩などで汗をかき、食べ物に気をつけなければと思う。いつも思うのである。でもすぐ忘れる。美味しいものや美味しい酒の誘惑に負けてしまう。
病院からの帰り道の足取りが不思議に軽かった。体調は悪くない。今日はなにを肴に酒を飲もうかなあ。
糖尿病の定期検診予約日をうっかり二月の初めにしていた。蔵開きの日と近いので、その前に予約しておくべきだった。そこで急遽本日に変更してもらうように病院に連絡してみたのだが、予想通り満杯である。一応空きを待っての予約という形で頼んであるので、本日は長く待つのを覚悟で病院に行く。先延ばしでは薬がなくなるので不可である。
今回はほとんど休酒期間を設けていないし、正月に食べたいものを食べ飲みたいものを飲み続けて、体重も三キロ以上増えている。このところ、三日に一度は散歩しているけれど、そんな泥縄ではどうにもならないであろう。まあ先生には正月だからといつも言い訳していることだし、今回も血糖値が高いのは覚悟である。待つ間の時間に読む本になにを持って行こうかなあ。
血液検査で空腹時血糖値を測るので、昨晩は酒も飲んでいないしご飯も少なめ、今朝は食事抜きである。(孤独のグルメの松重豊ふうに)、腹が・・・減った。
宮本常一の『塩の道』(講談社学術文庫)というたいへん面白い本を読んでいて、そのまま読み飛ばすのがもったいないないので、印象的に感じた部分を備忘録的として書き留めておきたいと思う。この本はもともと『道の文化』という本から採録された『塩の道』という文章と、『食の文化』という本から採録された『日本人と食べ物』という文章と、『日本人の知恵と伝統』という本から採録された『暮らしの形と美』という文章で構成されている。たいへんわかりやすい本だが、とても大事なことがふんだんに盛り込まれている。
人間にとって、とても大事な塩がどのように作られ、そして運ばれたのか、その研究が日本ではたいへん遅れているし、研究している人も少ない。
塩を煮詰めて作るという製塩法が、現在、化学的に作られる方法に取って代わられて、古来からの製塩産地が激減し、日本の塩の文化が失われつつあるため、塩と日本人との関わりを調べるのが困難になりつつある。
塩がこれほど大事であるのに、日本人にはそれに対しての認識が薄いのはなぜか。塩はエネルギーを生まないからだ、という指摘がある。エネルギーを生む物に対して古来日本人は霊的な物を感じたが、塩はエネルギーを生まないからではないか。穀物などには霊が宿るが、塩に霊が宿るとされる地域は日本にはなく、そのため伝承も記録も残されにくかったのではないか。
製塩のために使われた土器は朝顔型をしている。これは全国に分布して発掘されている。これに海水を入れて煮詰めたと推定されている。壊れやすいので大量に破片が発掘される。製塩法が発達し、鉄器も作られるようになり、鉄釜が使われるようになって、飛躍的に製塩量は増えたが、鉄は錆びるので塩が赤味を帯びてしまう。そのために白い塩を作る目的で石釜が作られて使われた地域がある。その石を削れるほどの鍛鉄が採れるのは、その目的にかなうマンガンを含む鉄の採れる近江地域だった、という話を木地師との関連で先日書き記しておいた。木地師の里のことが書きたくて、少し話が飛躍しすぎ、わかりにくかったかと思う。
ところで、鉄釜の錆による赤味付きの問題はどう解決されているのだろうか。そのことについての言及がこの本にはないので疑問が残ったままである。
谷沢永一の『経験』と題する小文にこんな事が書かれていた。抜粋である。
帝人の再建と成長に貢献した大屋晋三は、昭和三十七年の訓示にこう言った。即ち、この世の中には、非常に深い経験を積み、その道では名人芸に達している人も多い。また、いわゆる物知りとして、知らぬものはないほどに知識の豊富な人も幾多あるが、それでいてその人たちがあまり物の用に立たない場合がしばしばある。
また、作家の徳田秋声は昭和三年、珍しくやや切り口上でこう記した。即ち、書を読まざること三日、面(おもて)に垢を生ずとか昔の聖(ひじり)は言ったが、読めば読むほど垢のたまることもある。体験が人間に取って何よりの修養だと云うことも云われるが、これも当てにならない、むしろ書物や体験を絶えず片端から切り払い切り払いするところに人の真実が研(みが)かれる。つまり、体験に囚われた自負による停滞への警告であろう。
一般社会で経歴が通用するのはほんの一部である。人間の才能を透視することなどできない。実際に何事かをやらしてみなくては、と実務者は誰もがそう見ている。普通に謙虚な人であれば、本人もそのように自覚しているであろう。己が現に接している何人かの信を得ずして、遠く、彼方の群像から、はたして畏敬の念を抱かれるであろうか。
自分のささやかな過去の記憶を振り返れば、まことにその通りだと思う。虚名がまかり通る世の中が不思議だ。
アメリカ国務省は、トランプ大統領の大統領令に基づき、すべての対外支援事業を中止するとともに、検討中の案件も中断を決めたという。
金持ちが金をばらまいているからこそ得られていた輿望のみなもとを打ち止めにして、どうするというのだろう。輿望とは世間の信頼、期待のことである。輿望など、一文にもならず、アメリカは損ばかりしてきたというのがトランプの世界観なのであるから、とうぜんなのかもしれない。
しかし、アメリカはばらまいた金以上のものを世界から回収していたのではないか。輿望というのはそういう効果があったのであって、ばらまかずに金をかき集めようとしても、そうはうまくいかないのがこの世の中というものだ。世界がアメリカ離れをしていくと、金もアメリカから離れていく。そんなことあたりまえではないか。ばらまいた方が得だった(アメリカ以外は世界中そう思っている)かもしれないと、あとで気がついて臍(ほぞ)を噛んでも取り返しは付かない。
集まった金をばらまいて、金を回すのがアメリカの役割だったのだ。自らその役割を下りてしまってどうする。本当に無意味でムダだったものだけを選別すべきではないのか。たしかに、国連というシステムを利用されて、ムダに中国に流れてしまった金がある。それに対する怨みがあるのは理解できないことはないのだが、そもそも中国という国を見誤ったのは、アメリカの責任ではないか。いままではそのつけを払ったのだと思えば良いではないか。
たまに散歩には出るが、ほとんど外には出かけない引きこもり状態が続くと、つい車に乗って遠出をしたくなる。寒いのはどちらかというと平気で、雪道も苦にしないから、冬ほど遠出をしたものだが、さすがにこの歳になると、冬の寒さ冷たさがつらく感じられ、雪道も万一を考えて臆病になる。
普通は出かけようか、と思って地図を眺めれば、たちまち宿の予約をして飛び出す(逡巡するとたいてい行きそびれる)のだが、来週末には新酒会に弟が参加するついでに、弟が夫婦でやってきて数日滞在することになっている。その前に糖尿病検診の予約もある。弟夫婦とは、新酒会の後に奈良を案内するつもりである。だから思い立っても飛び出すのはその少し先まで待つしかない。いま出かける先として四国東部、徳島と高知を想定している。海の青さを思い浮かべている。
昨日からテレビの買い換えのことを考えていたら、いろいろと欲しいものが次々に浮かんできて困った。なまじ先日ビックカメラでいろいろなコーナーの品物を眺めたせいだろう。己の物欲にうんざりした。テレビも通常品よりハイエンド品(機能が最も優れた高い種類)が欲しくなる。ついでにいまは踏み台の頑丈なのをテレビ台にしているが、ちゃんとしたAVアンプやレコーダーを収められるテレビ台が欲しくなる。さらに、いま遊び部屋兼寝室にしている部屋のオーディオセットのアンプを買い換えたくなる。ここで使っているアンプは、もうすぐ買って三十年近くになるヤマハのAVアンプで、本来のオーディオアンプではないし、HDMIもなにも装備されていない。新古品を処分価格で買っているから、ものはいいが、とても年数が経っている。暖まらないと片側の音が鳴り出さないというしろものだ。
スピーカーはもっと古い。ハイレゾを鳴らすのに適しているのかどうか。まあ私の耳なら大した違いはないが、できれば新しいものが欲しい。そんなこんな、いろいろ考えていたら、またネットが不安定になってつながらなくなった。光回線だが、マンションの共同回線なので、ときどき不具合が起きる。しばらく前に工事が行われて、単独回線に切り替えられるはずだが、いろいろ面倒な手続きがあるらしいし高くなるというので、切り替えた人は一握りらしい。どうせ高くなるなら5Gのホームルーターにしようかと思ったりしている。
体力が落ちるとともに愛用のニコンの一眼レフが重く感じられるようになってきている。これも十年近く使っているから、ミラーレスの軽い機種が欲しい。パソコンも、デスクトップは秋までに買い換えなければならない。あれやこれやと欲しいものばかりである。自分の物欲には畏れ入る。もちろん手持ちの金を考えると、優先順位を付けて、おおかたは諦めるしかないものばかりだが、今さら宝くじを買って神頼みするのもなあ。
日本の各地に木地師の里がある。その木地師の発祥地で、全国の木地師のおおもとの里とされる場所が、奥永源寺にある。奥永源寺とは、琵琶湖の南東、愛知川(えちがわ)に沿って遡った場所で、近江国に属する。
湖東三山の西明寺、金剛輪寺(松尾寺)、百済寺を訪ね、さらに足を伸ばして永源寺を訪ね(紅葉が素晴らしかった)、そこから奥永源寺に踏み入って、木地師の祖とされる惟高親王の御陵(惟高親王の正式の御陵は大原にある)を訪ねたことがある。途中に、木地師資料館にも立ち寄ったが、予約しないとならないため、残念ながら中には入れなかった。その時には、どうして近江の山中のこの地が全国の木地師の里であるのかわからなかった。
その疑問が、先日購入した宮本常一の『塩の道』(講談社学術文庫)という本を読み始めたほぼ冒頭の部分で氷解した。もともとの製塩は、単純に海水を土器で煮詰めていた。効率が悪く、少量しかとれないうえに、海水のしみこんだ土器はすぐ壊れた。その時代の製塩場所とされるところには壊れた土器が大量に出土する。その後製塩法が改良されて効率よくなっていくとともに、土器ではなく壊れにくい石で作られた器で製塩が行われるようになり、飛躍的に製塩技術が進歩した。
それを支えたのが石を穿ち、器にするための鉄器の登場である。ただ鉄であればよいというのではなく、それだけの鍛鉄となる鉄がないとその道具は作れない。そしてそのような鉄を産するのが近江の地であったのだ。全国で近江の鍛鉄鉄器が使われた。石を割り、石を削り、木を削るための鉄器である。
さよう、木地師とは轆轤(ろくろ)を使い、木地を回転させてよく切れる鉄の刃(やいば)で木を削り出す職人のことにほかならない。その刃はこの近江の鉄でなければならなかったのである。轆轤の技術だけではなく、その刃の供給元としての木地師の里こそがこの近江の地だったのである。
疑問が解けて嬉しい。読書によるご褒美である。
中国が戦狼外交から転じて、穏健な外交に転じたかのように見えるのは、中国自身が内政に弱みがあるからであることは誰にでも見え見えである。つまり、その穏健さは強面を隠しているだけで、本質には変わりがないということだ。
二階氏から対中国友好の役割を引き継いだ森山氏が、中国で王毅外交担当と固い握手を交わしている図を見ると、相変わらずだなあと思う。そもそも習近平政権の戦狼外交を主導しているのがこの王毅という人だと私は思っている。ただし、信念でそうしているというよりも、ひたすら上昇志向の強い、そして賢いこの人が、習近平の意向を忖度しての行動であろうと想像する。それは一歩間違うと責任をとらされる危険な賭けだが、いまの地位からさらにのし上がるにはそうするしかないと判断したのだろう。
英語はもちろん日本語もペラペラ、多国語を操ることのできる王毅は、知能がとても高いらしいが、その分、たぶん習近平などにはあまり好まれないタイプのはずで、それでもここまでのし上がるには、それこそ命を削るようなたいへんな忍耐と苦労があったはずである。それがいかにも紳士面だったこの人の顔に刻まれて、近頃のあの顔になった。どう見えるかは見る人によるのだろうが、私にはゆがんで見えている。そこまでの思いを乗り越えた王毅に、そこまでの修羅場を経験していない日本の政治家が対等であるつもりで向き合っても、太刀打ちできるとはとても思えない。
これからトランプ政権に向き合うとき、王毅のさらなる活躍か、はたまた習近平に見限られての失脚か、それに注目している。人一倍論理的でありながら、一貫性を歯牙にも掛けないで平然としている外交官ほど恐ろしいものはない。さらにそんな人間を相手にしても、平然と打ち砕いていくのがトランプという人物で、鵺とキングコングでは勝負にならないか。
谷沢永一選集を読んでいるが、極めつけの痛快な毒舌、罵詈讒謗の文章があったので、少し長くなるが引用する。この人は辛口だが、さすがにここまでのものは珍しい。よほど腹に据えかねたのだろう。
石川忠雄に文化勲章を与えたのは驚くべき錯誤であり、学問の正当な評価を蹂躙する暴挙である。『中国共産党史研究』『現代中国の諸問題』に記述されている内容空疎な建前の羅列は、一般に周知の常識にも及ばぬ公開資料の転写に過ぎず、中共が意図的に演出した外面(そとづら)を、無知と偏見で拙劣に合理化する無意味(ナンセンス)な紙屑の束であり、正当な独創の論証が一片(ひとかけら)も見当たらぬ。終始一貫して現代中国に阿諛追従(あゆついしょう)これ努める幼稚な舞文曲筆は、哀れを催す徒労である。
中共を弁解すべく、西蔵(チベット)を含む統一の完成を成果と見做して侵略を祝賀する。百家争鳴運動と称する卑劣な欺瞞(ペテン)による整風運動すなわち残酷な粛清を成功と讃える。独裁の偽称である民主集中制を恭(うやうや)しく肯定する。毛沢東-劉少奇対立説を否定する。農業集団化は順調に進行したと断言して犠牲者には触れない。
大躍進政策の不成功だけは認めるが、その修正過程に内部対立はなかったと強調する。中共の指導者(ボス)は常に和気藹々であったと言いたい。文化大革命は社会主義建設に必要であったと是認する。大衆運動方式は中共の伝統であるとの一言で、紅衛兵を聖化する。文化大革命が鏖殺(おうさつ)と破壊を齎(もたら)した事実には触れない。因みに中共は文化大革命を反省した。
中共の権威を守る為には、当初コミンテルンの支配を受けた事実が邪魔になる。そこで、国共合作方針はコミンテルン代表マーリンの判断であり、コミンテルンは直接に指示したのではないと、まことに奇妙な言い立てを記す。この件に関する資料はないと認めたうえで、己(おのれ)の主張は「一応妥当な見解とみて差し支えないように思われるのである」と臆面もなく言い募る。資料も証拠も洞察的な推論分析もなくして、「一応妥当な見解」が出せると駄弁(ほざ)くとは馬鹿か。石川忠雄の常套語。「ではないように思われる」「といいうるのではなかろうか」「否定しえないように思われるのである」。
子供のころは、朝日新聞に書かれていたことを、ほぼそのまま素直に受け取っていた。その私がおかしいな、と思いだしたのは、文化大革命についての報道の奇妙さ、違和感、そしてひたすら日本を悪者とする本多勝一の中国でのルポを読まされたからである。そのあとさまざまな本を読んで、「大躍進」「文化大革命」でそれぞれ二千万人から四千万人が死んだことを知った。朝日新聞も、この石川忠雄も知らないはずはないのである。
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