2025年1月13日 (月)

映画『スリーパーズ』を見る

 1996年製作のアメリカ映画『スリーパーズ』を見た。内容は承知していて、一度見たつもりでいたのだが、映画の詳細がどうしても思い出せない。そこで見始めたらどう考えても初見である。あらすじを何かで読んだことがあるだけだったようだ。

 

 幼なじみの悪ガキ少年四人組が、たちの悪いいたずらのつもりで人を殺しかけてしまう。その罪で少年院に送られた少年たちが、そこでどんな凄惨な目に遭ったのか、正視に耐えない様子が描かれていく。その仕打ちとは、看守による、性的なことも含めての暴行だった。やがて刑期を終えて出所した四人はそれぞれの道に進み、成人する。互いの交流は続くが、自分の体験したことは決して口にせず、彼らの中で封印される。

 

 この様子を見て、ジャニーズを連想するのは私だけだろうか。

 

 四人のうちの二人はギャングになり、一人は語り手でもある新聞記者シェイクス(ジェイソン・パトリック)に、一人は検事補(ブラッド・ピット)になっている。そのギャングとなった二人が、たまたま看守の中のもっともたちの悪かった男(ケヴィン・ベーコン)に遭遇し、目撃者のいる中で射殺してしまう。

 

 その裁判を検事補の男が自ら望んで担当する。彼がギャングたちと知り合いであることは誰も知らない。あえて検事役となることで有罪に持ち込むふりをしながら無罪に導こうとするのだ。そして弁護を引き受けるのはアル中の弁護士(ダスティン・ホフマン)である。誰が見ても勝ち目のないこの裁判が始まるが、すべてを裏で誘導しているのは検事補であった。そして彼にはシェイクスと組んだ、とっておきの切り札が用意されていた。

 

 どんな人生もかけがえのない人生である。虫けらのように生き、死んでいった人間にもそれなりに友人がいて、それぞれにかけがえのないものが胸の内にある。不条理で残酷な世界にも、輝きとともに記憶される瞬間がある。それを見つめる眼こそが優しさというものなのだろう。それがあるからこそ、たとえば『ゴッド・ファーザー』で描かれていたマフイアの世界にも美しさが感じられたりするのだ。

贅沢な料理

 野菜たっぷりの野菜炒め(ウインナ入り)を作った。中華鍋にたっぷり作った。材料費をざっと考えると、贅沢な料理だなあと思った。こんな事を思うようになるとは思いもよらないことである。それほど野菜が高い。野菜も果物もみな高い。仕方のないことだとわかっていても、わかったからといって財布にこたえることにはかわりがない。

 

 こんな日本でも、海外から来た人には、日本は何もかも安いと言われているらしいから、海外はどれほど高いのだろうと思う。もちろんそれに見合った給料ももらっているのであろう。ただ、それが十分ではない人もいるだろう。そういう人が増えれば政府に対して不満が高まるのは自然の成り行きである。誰かのせいであると皆が思えば、代わりに糾弾してくれる人に支持が行く。

 

 何かに対して糾弾するのがいまの流行みたいだ。些細なことのように見えても対処を間違うとすぐ糾弾される。それだけ不満がたまっているのだろう。ロサンゼルスの山火事のように、不満という乾いた山林に火が付けば手が付けられなくなるだろう。誰かが意図的に火を付けるのが何より怖い。

返事がない

 毎年二月初めに、親しい友人たちと、ある酒蔵の新酒会に参加する。毎月にでも会いたい、一緒に飲みたい友人たちだが、この日だけしか会う機会がない友もいる。私が酒蔵に一番近いので常任幹事を自任している。酩酊するほど絞りたての原酒を飲んで歓談するのが毎年一度の楽しみである。

 

 その酒蔵に今年の開催日をメールで問い合わせたのだが返事がない。来週くらいには公式に蔵から発表があるはずだが、大阪や京都から来る友もいるので、早めに知らせてあげたい。千葉から弟も参加するつもりでいるはずだ。

 

 いま新酒の仕込みで忙しい時期だから、あまり邪魔をしては申し訳ないので催促はしたくないのだが、今朝もう一度問い合わせのメールをいれた。待っているだろう友もいるし、幹事の役目でもある。返事、もらえるかなあ。

2025年1月12日 (日)

映画『散り椿』を見る

 葉室麟の同名の小説を原作とした、時代劇映画『散り椿』を見た。主演の岡田准一は古武道を身につけているだけあって、体捌き、剣さばきがほんもので、それだけでも見応えがあった。

 

 ところで葉室麟といえば、彼の小説の舞台が見たくて日田に行った。その時にお世話になった方に年賀状を書いたら返事をいただいた。またおいでくださいとあって、心が動いた。九州は遠方だから、他のところよりもなじみが少ない。それでも仕事も含めれば十回近くは訪ねている。とはいえまだまだ行きたいところはたくさんあるので、できれば年内に、四国と九州にはまた行きたいと思っている。今度は鹿児島を中心に走り回ろうかと思う。

Dsc_0212_20250112105401日田城址の石垣と堀

 葉室麟は九州在住だったから、九州が舞台の小説が多い。この散り椿は架空の藩が舞台なので九州とは限らないが、そう思って見ていた。藤沢周平が庄内地方の架空の海坂藩が舞台であることが多いのに似ている。

 

 故あって妻とともに藩を離れていた男(岡田准一)が、妻(麻生久美子)の病死のあと、藩に戻ってくる。妻との約束を果たすためなのだが、藩では過去の人と思われていて、しかも戻るはずがないと思われていたこの男の目的がわからず、藩の内部に波風が立ち始める。この男がどうして藩を離れたのか、そのいきさつとなる事件が映画の進行とともに明らかになっていく。

 

 男は妻の実家、いまは妻の両親も亡く、妻の妹(黒木華)と弟(池松壮亮)が暮らしている家に身を寄せる。男が動くごとに藩内が騒然となり、やがて男の目的が、もと友人であり、むかし妻と恋仲だった藩の重鎮(西島秀俊)を助けるためであることがわかってくる。藩を牛耳る家老(奥田瑛二)派との確執、新しい主君を迎えようとする中での藩内の権力闘争が激しくなっていき、ついに実際の武力衝突が起きてしまう。

 

 絶体絶命の状況の中、男の豪剣が振るわれる。

 

 東映の時代劇を見て育ったので、時代小説や時代劇映画が好きである。その期待を裏切らない映画であった。麻生久美子も黒木華も好きだし、もっと好きな富司純子が脇役で出ているのも嬉しかった。この人の和服姿は本当に凜として美しい。

まだ残っているが

 私のパスポートの期限は、今年もいれればあと五年弱残っているが、もう海外へ行くつもりはない。海外旅行は結構体力が必要で、その体力に自信がなくなったし、さまざまなことがデジタル化していて、それらがよくわからないので煩わしい気もする。それでも未だに旅行会社から送られてくる海外旅行案内のパンフレットを打ち切りにせずにいる。それを眺めて夢想するのもささやかな楽しみであるからだ。

 

 昨日届いたパンフレットにはかなり心が動いた。「シルクロードの旅、ウルムチ・トルファン・敦煌・西安の旅」というパック旅行に、である。敦煌から先に、いつか行こうと思いながらかなわないままなので、最後の海外への旅として行きたい気持ちになった。見せられる西域しか見ることはできないだろうが、それは仕方がないことで、想像の目で過去を重ね合わせて見れば良いだけだ。とはいえ習近平政権下の中国に出かけるリスクはとりたくない。どんな言いがかりが加えられるかわかったものではない、というおびえがこころに浮かぶ。わかっていながらの危険を冒したいと思わない。

 

 安心して行けるときに行っておけば良かったと、心から後悔しながら冊子を閉じた。

0403710二十年前の敦煌

 

お茶と漬物

 昔、もう五十年以上前のことだが、新人時代に地方の繊維関係の工場や地元の代理店を担当していた。繊維製品を作り上げるにはいろいろな工程があり、私の就職した会社の一部門では、その工程で必要な資材を生産販売していて、その営業で廻っていたのだ。その繊維生産の工程は長い歴史の中で分業化されていて、産地と言われる地区が全国にあり、全体で有機的に生産が行われていた。

 

 小さな工場や代理店は家族的で、担当者や経営者などが手が空くまで待たされることがしばしばあり、その間事務所や場合によって社長の家の座敷で待つ。その時にお茶を出され、たいてい茶菓子ではなくて漬物が供される。お茶も漬物もとても美味しい。そこで茶飲み話でいろいろささやかな情報を聞いた。私はもともと漬物がそれほど好きではなかったけれど、次第に美味しいと思うようになった。

 

 そういう産地も過当競争の時代になり、さらに海外との競争の中で次々に縮小し、壊滅していった。そういうものを見続けた。

 

 いまお茶を淹れて、自分で漬けた白菜の漬け物などを箸で摘まみながら、その時代を思い出したりしている。懐かしいというのとは少し違う気持ちである。今回の白菜は少し漬かりが浅いようだ。気温が低いからだろうか。塩をきかせすぎたのかも知れない。

2025年1月11日 (土)

手の平側の指の根元を

 暮れにうっかりして皿を割ってしまった。変な割れ方をしていて、それを注意せずにうっかりと拾い上げたときに右手の人差し指の根元を切ってしまった。慌てて傷口を洗ったが、押さえていても血がしばらく止まらなかった。手の平側でしかも屈伸するところだから傷テープもとまりにくい。血が止まるのにしばらくかかった。娘や息子がいてくれたときは洗い物はほとんどやってもらったので、問題なかったが、一人になってからは、自分でやるしかない。しばらく不自由したが、さいわいきれいに傷は塞がった。

 

 安い台所洗剤を使っているせいか、冬はお湯と洗剤のせいで指先がガサガサになる。とくに親指の先の角が硬くなって小さく割れてしまい、沁みて痛い。指先はやはり傷テープでは留めにくい。とはいえ手袋をするのは面倒だ。横着をして、二回分、または三回分の洗い物をため込んで一気に洗うことで回数を減らし、よく手当てしていたら、何とかひどくならずにすんでいる。

 

 わずかな傷で大の男がイライラしている。

 

 新しいコーヒーメーカーが配達されてきたので、早速使ってみた。違うメーカーなので(タイガーから象印に替えた)使い勝手が悪いが、慣れればどうということはないだろう。思ったより出費は大きくなかったので、助かった。

 

 ようやく本を読む元気が出てきた。

正しいことを否定するのは困難だが

 ポリティカル・コレクトネスということばがある。社会的弱者に対する配慮のことで、たとえばマスコミのことば換えはそれを根拠とする。めくらを眼の不自由な人、などとするようになったのをはじめ、保健婦を保健師、看護婦を看護師、スチュワーデスをキャビンアテンダントなどと言い換えるのがそれだ。母子手帳はいつの間にか親子手帳に換わっているらしい。いまはそれが微に入り細を穿ち、マスコミのことば狩りは、あたかもことばの魔女狩りのようである。

 

 そう私が感じるのは、そのことば換えの神経の使い方が異常に過敏であるように感じるからで、しかもその過剰さは弱者に対する配慮という本筋以上に、ことばにいちいち目くじらを立てて糾弾する、ほとんどカスタマー・ハラスメント的な連中に対する防衛のための面が多いように思うからである。どんなことばも悪意を持って使えば差別的になることがあるが、それが全くないのに糾弾されることのなんと多いことかと思う。

 

 お客様は神様です、を私が毛嫌いするのは、カスタマー・ハラスメントを助長するからで、カスタマー・ハラスメントの差別意識ほど虫唾が走るものはない。何しろ客は王様どころか神様になってしまうのだから。

 

 世の中のある程度の見識のある人たちはうんざりしている。ことあるごとにだれかのことばの切れ端を取り上げて騒ぎ立てる風潮に、である。しかしそれは一見正しいことを正しく言っているかのようなので、よほど論理的な知能がないとなかなか否定しきれない。そしてそのような正義にもとづく揚げ足とりの人は、論理的なことばに耳を傾けないのが普通だから、空しいことになることが多い。

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 トランプの出現に拍手喝采が起きていることの一因に、そういうイライラがあるのではないかという気がするが、飛躍しすぎだろうか。なかなか否定しにくいけれどもちょっとやり過ぎではないか、ということに、トランプは無神経にかみついて否定してみせる。論理もなにもないけれど、論理がないゆえに、論理に聞く耳持たない正義の味方に言い勝ってしまうのが、痛快だと思う人がそれだけ多いということではないかと感じてしまうのだ。

 

 民主党は、どうして正しいほうが負けるのか理解できずに呆然としているように見える。世界中のあちこちで正しい者が負けて、論理などくそ食らえの政権が誕生しつつあるように見える。マスコミは正義の味方だから凋落していくばかりだ。立て直すにはもう少し強靱な、不条理な現実を直視した上での視点に立つ必要があるのではないかと思う。正義の味方であることが商売になった時代は終わりつつあるようだ。

米沢の雪

 大学二年生から四年生の三年間を米沢で過ごした。雪の多いところだった。昨日や今朝の米沢の降雪の景色をテレビで見て、当時のことを思い出した。大学受験も米沢だった。当時山形大学は二期校なので受験日は三月の後半で、私の地元の千葉ではもう春になっていたけれど、米沢の宿に着いたら雪景色だった。そして夜からまた雪が降り始め、もともとの雪に、その晩だけでさらに30センチ以上積もった。宿が大学まで歩いて行けるほど近かったからよかったけれど、車や列車の人は遅れてたいへんだったと聞いた。見たこともない大雪だった。

 

 実際に米沢で生活したときには、冬はそういう中で暮らした。寮生活をしていたが、その寮が郊外にあり、大学のキャンパスには近いが街中からは遠くて、さらに雪が多かった記憶がある。米沢は盆地で、すり鉢の底にある。壁のような斜平山(なでらやま)から雪が吹き下ろし、雪が上から降るというより下から吹き上げる。一年間だけ暮らした山形は、雪が降るときは風が止まり静かに降る。米沢は雪が降るときは風が吹く。寮から冬だと歩いて30分以上かかる街中に、吹雪に背中を押されて飲みに行き、帰りは山から吹き下ろす吹雪に向かって帰る。大酒を飲んでも寮に着くと醒めていたりする。コートのポケットには雪が勝手に積もる。風で吹き込むのだ。

 

 雪はいつでも一メートル以上道路脇に積まれていた。寮に雪下ろしのアルバイトの募集があったりする。何度か応募したが、一度高い建物の屋根で怖い思いをしてから、いくら時間給が高くても雪下ろしのバイトはやめた。山岳部の連中は嬉々として学校の体育館などの屋根に登っていたようだ。

Img223寮友だったジュンゾウ

 卒業してからも、何度か冬の米沢に行った。だんだん雪の量が少なくなっているなあ、というのが実感だった。今回の雪でも、むかしなら話題になるほどの量でもないように見えた。もちろん、本格的に積もるのはこれからだろうけれど。

2025年1月10日 (金)

世の中が理不尽であることを直視する

 闘う哲学者・中島義道の本を読みながら、以下のような一節に、頷いたりしている。

 

「大人の要件として挙げたいのは、現実の社会における凄まじいほどの理不尽に立ち向かう能力である。自分を棚に上げて「この社会は汚れている!間違っている!」と叫んで周りの者を弾劾し続ける少年、「人生不可解!」と叫んで華厳の滝から飛び降りる青年は掛け値なしの子供である。大人とは、他人を責め社会を責めて万事収まるわけではないことがよくわかっている者、人生とはある人は理不尽に報われある人は理不尽に報われない修羅場であること、このことをひりひりするほど知っている者である。(いわゆる)正しい人が正しいゆえに排斥されることがあり、(いわゆる)悪い奴がのほほんとした顔でのさばっていることもあり、罪のない子供が殺されることもあり、血の出るような努力が報われないこともあり、鼻歌交じりで仕上げた仕事が賞賛されることもある。いや、そもそも人生の開始から、個々人に与えられている精神的肉体的能力には残酷なほどの「格差」があり、しかもこれほどの理不尽にもかかわらず・・・なぜか・・・「フェアに」戦わなければならない。こうした修羅場に投げ込まれて「成功している奴はみなずるいのさ」とか「世の中うまく立ち回らねば」という安直な「解決=慰め」にすがるのではなく、この現実をしっかり直視する勇気を持つ者、それが社会的に成熟した大人であるように思う。」

 

「子供は自分が他人を理解する努力をしないで、他人が自分を理解してくれないと駄々をこねる。他人の悪口を散々言いながら、自分がちょっとでも悪口を言われると眼の色を変える。濡れ衣を着せられると、もう生きていけないほどのパニックに陥る。いじめられると、あっという間に自殺する。だが、大人は、他人を理解する努力を惜しまず、他人から理解されないことに耐える。悪口を言われたら、その原因を冷静に追求する。濡れ衣を着せられたら、いじめに遭ったら、あらゆる手段でそれから抜け出すように努力する。このすべては・・・誤解しては困るが・・・「善いこと」あるいは「立派なこと」をする能力ではなく、この世で生きるための基礎体力なのだ。私はわが列島の津々浦々に響き渡る「思いやり」や「優しさ」の掛け声に反吐の出る思いであるが、こうした体力に基づいてこそ、他人に対する本当の「思いやり」や「優しさ」が湧き出すように思う。」

 

 こういうことは、大人から子供へ代々伝えられてきたことだったと思う。子供はそれを実社会で体験して大人となり、さらに次に伝え続けてきたはずだが、いつしかそういう伝達が失われてしまったようだ。いや、伝わっている人がたしかにいて、その人たちが、いまのところ、何とか社会を支えているのだと思う。もともとすべての成人が大人であったことなどなかった。しかしその割合が減り、それが本当に失われると、怨みと妬みにあふれた、分断の深まった社会を招来するのだろう。まさにそうなりつつある。

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調子が悪い

 だましだまし使っていた古いラップトップパソコン(Acer)がおかしな動作を始め、いろいろ手を尽くしたが回復せず、ついにご臨終となった。そのパソコンにだけあったデータは、つい先日、すべて別に移しておいたのでとくに大きな問題はない。きわどいところであった。デスクトップもwindows11には移行できない古いものなので、遠からず今後まともに使えるのは少し不満のある現在のノートパソコンだけになる。

 

 コーヒーを飲もうと思ったら、五年あまり使っているコーヒーメーカーが作動しかけては中断して、ついには動作をしなくなった。何かが詰まっているのかといろいろ弄り、クリーニングなどを試みたが、うんともすんとも言わなくなった。こういう機械の五年使用というのはまあまあもったほうかな、という気はする。しかし突然のことなので、困るし腹も立つ。

 

 何より自分自身の気力がいま低下している。さらに、泌尿器科の疾患を抱えているが、しばらく問題なかったのに、このごろ再び尿が濁るようになってきた。棲みついた耐性菌が眠りから覚めて活動を始めかけている気配だ。それによって体調が損なわれて気力が低下したのか、そこのところの関係がよくわからないが、いまはつまらないことが気になりやすい状態にある。そしてその結果、私がもっとも大事だと思っている集中力が低下していることが私を苛立たせている。そういうときは長く本が読めない。

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(悪いのはおまえ自身のせいじゃ!そんなこともわからんのか、バカ者め)

今シーズン初めての雪

 夜半から明け方に、雪がちらつくかも知れないという予報だった。

 いつもなら五時前後に起きるのに、今朝は七時前で、もしやと思ってカーテンを開けると一面が白くなっている。すでにやんではいるが、うっすらと雪が積もっているのだ。雪が降るときは音が吸収されて静かだから、それで目が覚めなかったのかも知れない。

 この程度の雪では子供たちが雪合戦したり雪だるまを作るというわけにはいかないだろう。とにかく寒い。これから出勤、通学する人はたいへんだろう。不要不急の外出は控えるようにということだから、私は今日も引きこもり。

2025年1月 9日 (木)

ただいまテンション激下がり

 ただいまテンションが激下がりし、なにもする気か起きない。読書と映画鑑賞にのめりこみすぎて、エネルギーが切れたようだ。こういうときはなにもしないでぼんやりする。昼からうつらうつらとして、なにもしないで過ごした。正月に年甲斐もなく少し過ごしたので、数日酒を控えめに飲んでいたけれど、今日は酩酊するほど飲もうと思っている。

 

 ポテサラを山盛り作り、肉じゃがも作ってつまみはたっぷり、酒も飲みきれないほどある。さあ酒盛りだ。

人間のロボット化

 人間の身体の動きを検知してデジタル化し、映像化したり機械操作をするセンサーの技術革新がめざましいようである。さらに一歩進めて、脳にセンサーを埋め込み、脳から発する情報を取り出すこともできるようになっているという。脊椎損傷などで動くことができないだけではなく、口をきくこともできない人が、脳に埋め込まれているセンサーによって、モニターからことばを発することができているというニュースを見た。ことばが発せられるくらいなら、すでにかなりのことができるようになっているということであろう。画期的なことである。

 

 日本はロボット好きだから、機械をどんどん人間化することに熱心であったような気がする。しかしいま世界では、人間を機械化することに熱心なようである。それが良いことか悪いことか、いまはまだわからない。善いことがたくさんあるだろうことは想像できる。しかし、そうではないこともあるだろうことが想像できないことはない。善くないことへの歯止めが考慮されているのかどうか、寡聞にして知らない。

あたりまえの発言

 ドイツのシュルツ首相が「国境不可侵の原則を守れ」とトランプ次期大統領の発言に対して苦言を呈した。あたりまえのことである。当のデンマークの代表はともかく、どこの国の代表であれ、トランプのあのような発言には即座に苦言を呈するのは当然ではないか。シュルツ以外にもたぶん同様の発言はあったのだろうが、日本のマスコミはそれを報道しない。少なくとも私の耳にはまだ達していない。日本はどうか。アメリカに苦言を呈しにくい立場の日本政府については百歩譲ったとしても、野党がそれについてコメントしたという報道を聞かないのは不思議なことだ。マスコミが訪ねれば「言語道断」というかも知れないが、問われることもなく、自発的な苦言もないのか。

 トランプはグリーンランドが安全保障上重要だから、中国やロシアからアメリカが守るためにアメリカのものにすべきだ、という。それなら台湾もアメリカのものにするのか、日本もアメリカのものにするべきだというのか、朝鮮半島もアメリカのものにすべきだというのか。世界をアメリカのものにするのか、その論理がプーチンや習近平とどこが違うのか。

2025年1月 8日 (水)

先祖返り

 NHKのドキュメント番組『バタフライエフェクト CIA 世界を変えた秘密工作』を先日見た。CIAが、つまりアメリカが、イラン、東欧、チリなどで、どのような謀略行為を働いたのか、当時の秘密資料が期限が切れて公開されて明らかになったことをもとに再構成していた。それは公然たる秘密だった。なぜ中東で、そして東欧で、さらに中南米で、アメリカがかくも嫌われているのか、その理由がこの番組からも明確に読み取れる。アメリカの正義とは、それはイギリスなどのヨーロッパの先進国も同じだが、いかに自己中心的な利権確保のための建前であるか、改めて教えられた。

 

 キューバに行って、アメリカがキューバに何をしていたのか、そしてなぜかくもキューバを敵対視しているのか、そのことの裏側を知った。行く前に本を読んで勉強したし、帰ってからもキューバ革命の背景についての本を読んだので、キューバで聞かされたことを鵜呑みにしたわけではない。だからチリのアジェンデ政権が軍事クーデーで倒されたのも、キューバでの失敗から学んだアメリカの謀略だったこともよくわかるし、ペルーのフジモリ大統領の失脚も、たぶんCIAが背後にいたのではないかと私は思っている。

 

 ベトナムもそうだし、アフガニスタンでもそうだった。アメリカは結局すべてで失敗した。人心を摑むことができなかっただけではなく、嫌悪される存在になった。それはアメリカがその国の利権を権力者と分け合う構造から脱却できなかったからだ。

 

 トランプはグリーンランドをよこせ、とデンマークに言った。よこさなければ経済制裁を科すぞ、と言い、軍事行動も排除しない、と言った。パナマ運河についても脅しを掛けて、戻せ、と言った。これのどこがプーチンのウクライナ侵略と違うというのか。カナダはアメリカに帰属しろと言った。仮にもよその国である。その国に向かって脅しを掛けて自国に従えというのは、異常なことである。その異常さを承知で公然とそんなことを言う。たぶんトランプ支持者たちは拍手喝采だろう。アメリカの本音の侵略主義が先祖返りで現れた。

 

 冗談ですむ話ではない。これからは武力のある国が弱い国を切り取り放題、などという世界がやってくるというのか。恐ろしいことである。

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映画『湖の女たち』を見る

 吉田修一の同名の原作をもとにした映画『湖の女たち』を見た。監督は大森立嗣、出演は福士蒼汰、松本まりか、福地桃子、浅野忠信など。

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 学生時代、日活映画が立ちゆかなくなりかけ、起死回生のために路線を日活ロマンポルノに変更した。そのころ、そのロマンポルノのさまざまな作品をリアルタイムで見た。この映画を見て、その時代を思い出した。この映画はある意味で社会派のロマンポルノという見方ができる。どちらをメインに表現したいのか、そして受け取る側はどちらをメインに受け取るのか。

 

 私は松本まりかという女優があまり好みではない。好みではないのは、たまたまいままで見てきた彼女の役柄からの印象が大きいが、そういう役柄が誰よりも彼女に似合うとも思う。彼女しか演じられない役柄を見事に演じているということは評価する。

 

 施設入居の寝たきり老人の殺人、人体実験をしたといわれる731部隊事件、薬害事件、それらが絡んでいるようないないような曖昧な展開が続いていく。何かを解明していくというよりも、起こった事をそこに提示してみせるという視点で物語は展開していく。そうして目星を付けた人物を徹底的に尋問して暴走していく刑事たち。

 

 思わせぶりな真犯人のほのめかしで映画は終わってしまう。すべてが絡まり合っているようでもあり、ただ出来事がたまたま並んで起きていっただけとも取れる終わり方だ。たしかなのは、この映画での松本まりかは猥褻であるということだけだ。屁理屈で愚考すれば、人間の業を描きたかったのか。そうとれないことはないが。

こんなことがあった

 團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズをゆっくり味わいながら楽しんでいる。冊数を重ねるほど内容が濃厚に感じられるようになっていくのは、もともとクラシックの作曲家である著者が、文章家として成長しているからなのか、または彼の世界観に、読んでいる私が共鳴していくからなのか。

 

 こんな一節があった。

 

「こんな事があった。遠い親戚のような人から電話で、急に頼みたいことがあるので、銀座でお茶が飲みたいと言う。そこで指定の時間に指定の喫茶店に行ったら、モーニングを着込んだその人物が忙しげに現れて、すぐ自分に付いて来て呉れと言う。付いて行くと、そこは結婚式場で、いまや結婚の披露宴が酣(たけなわ)だった。その人物は、その宴の司会をしているらしく、こちらには何の説明もせずに、アナウンスをして、新郎新婦の将来を祝福して、自分の親戚の音楽家が駆け付けて来たので、これから、結婚行進曲を演奏させます、と言っているのである。魂消(たまげ)た僕が棒立ちになっていると、すでに拍手が沸き起こって、僕は、まったく名前も知らぬ新郎新婦に祝福の結婚行進曲を弾いた。無論、祝福の祈りをこめて弾いたけれども、こういう乱暴な依頼法を執るこの親戚のような男の頭脳構造は、一体どうなっているのかと考えた。その男は、呆然として帰った僕に、その夜電話を掛けて来て、有難かった、自分が面目を施した、面目を施した、と、自分の面目が立った事だけを繰り返して嬉しそうに電話を切った。」

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 こういう話を読んでどう感じるだろうか。いま並行して読んでいるドイツ文学者、中島義道の『人生、しょせん気張らし』(文藝春秋)では、他者との関わりを極力排する生き方を貫く姿勢が描かれている。独り暮らしの私などは、その偏屈さでははるかに及ばないものの、その生き方に共感する部分が多いし、團伊玖磨の生き方も、他者との関わりに対しての節度にひときわ厳しいところがあるので、こういう羽目にあってどれほど呆然としたのか、そしてどれほどの怒りと侮蔑の気持ちがわいたのか、想像する。

2025年1月 7日 (火)

新しい目標

 昨年立てた目標は、八月半ば以降から年末までに映画を百本見る、というものだったが、残念ながら八十八本に終わり、未達成だった。思い立ったのが中途半端な時期だったので、今年は半年で百本ずつ、一年で二百本見ることにした。映画の消化とは時間の消費そのものである。読書は時間が決まったものではないが、映画は誰にとっても上映時間は映画ごとに決まっている。だから時間を用意できれば、映画はよほど見るに堪えないもの以外は、消化できるはずである。だから見る映画は時間との交換であり、時間は貴重だから択ばなければならない。

 

 読書記録を記した手帳によれば、昨年読了した本は百五十七冊。この数年、ほとんどそんな冊数しか読めていない。現役時代は百五十から二百冊ほど読んでいたから、時間があるのに却って減っているのだ。理由は読み飛ばせるような小説をほとんど読まなくなったからで、代わりに時間のかかる歯ごたえのある本が多い。だから内容的な読書量はそれなりだった。たぶん今年ももこんなペースだろうから目標を百五十冊にした。ただ、この数年、ときどきひどい読書スランプになって、半月くらいまったく本が読めないときがある。以前にはなかったことで、それがひどくならなければ良いが、と心配している。そういうときは何も考えずにひとり旅に出る。

 

 あたりまえだが、年金暮らしで年金以上の金を使っているから、手持ちの金が少しずつ減っていく。それを気にし出すと、金が気持ちよく使えなくなってしまう。ある間は使う、なくなったらおとなしくする、それでいいのだと気を取り直す。そのための本と録画した映画は、使い切れないほどあるのだ。

使い切るとうれしい

 消耗品だから使い切るのが前提なのに、なかなか使い切れずに捨てることが多い。食品ではしばしばあって、野菜でも冷蔵庫の隅でいたんだりさせてしまうことがたまにある。賞味期限が多少過ぎた瓶詰めなど、あまり気にしないけれど、あまり古くなればさすがにまだ残っていても処分することになる。服でも、もう身につけるのは無理だな、というところまで着倒すのは、よほどお気に入りのもので、大して使わずにタンスの肥やしになっているものの方が多い。

 

 いろいろなものが丈夫になっているので、壊れにくい。壊れなければ買い換える気にならない。普通の寿命以上に使って、それで壊れると納得もできるし、なんとなくうれしい。寿命を全うさせたという満足感と、新しいものにできる喜びがあるからだ。必要以上に持っているものが少しずつ減るのもうれしい。靴下やタオルがもうさすがに使うのは無理だなと納得できる状態で捨てられたりするのはことのほかうれしい。ボールペンを使い切るなどというのもうれしい。ありそうであんがいないものだ。メモ帳やノートも、最後まで使い切るとうれしい。これもありそうであんがい少ない。

 

 一生使い切れないほどあるのになかなか減らないものがある。減ったと思っても、もらったりする。ありすぎるとイライラすることがある。それはたぶん普段忘れている自分の寿命を思い起こさせるからかも知れない。いままでありすぎても平気だったし、自ら増やしていたものでは、録画したたくさんの映画に対してイライラが少し起きている。まったく我ながら捨てるのが苦手だと思う。本質的にケチであるし、子供の時からしつけられた、もったいない、という気持ちが染みついてもいる。

 

 今のところまだ大丈夫なのは本で、すべて読み尽くすのが、つまり使い尽くすことが前提とは考えていないからだ。ある意味で、とうにあきらめているところもある。読んだら処分するような本は使いきったものといえて、ほぼ処分し尽くしたが、いま残されている書棚の本は、たいていもう一度読みたい、読まねば本当に読んだことにならないと思う本ばかりだ。本当に読む、なんて、本当はできないことなのだけれど。

映画『居眠り磐音』を見る

 映画『居眠り磐音』は、佐伯泰英の時代小説シリーズを原作とした2019年の日本映画。このシリーズは本編だけで文庫本で51巻、サイドストーリーや主人公の息子空也の『空也十番勝負』に続いており、全部で何冊もある。そして私はそれをすべて読んだ。新刊が出るのが待ちきれず、出たらすぐ買い、その日のうちに読んだ。そこに描かれた世界は私の頭の中ではひとつの現実世界でもある。登場人物についても、それぞれの運命に感情移入したという、時代小説愛好家の私にとって忘れられない小説だ。

 

 NHKの連続ドラマにもなった。主人公を山本耕史が演じていた。第一シリーズ、第二シリーズ、第三シリーズ、正月スペシャルなど、長いあいだ楽しませてもらった。こちらもすべて見た。原作の雰囲気をあまり損なわずに、しかし独自の世界を構築していた。

 

 そしてこの映画も作られた。しかしテレビドラマでの山本耕史のイメージがあまりに強く定着してしまい、一度ならず衛星放送で放映されていたのだが、つい見そびれていた。今回NHKで放映されたので録画して見た。もともとの導入部は少し暗い。主人公の坂崎磐音の性格は春風駘蕩、明るい性格なのだが、この導入部での凄惨な事件を彼がどう乗り越えていくか、そして多くの人との関わりが彼を成長させていったかが物語の肝である。映画はその導入部をクローズアップしている。そこがメインといってもいい。作品全体のほんの初めだけであるが、それはそれなりに完結している。

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 松坂桃李の坂崎磐音は悪くなかった。おこんは、テレビでは中越典子、映画は木村文乃で、こちらは不思議なほどイメージが似通っていて違和感なし。映画は少し原作を改編している部分がある。一話で完結させるにはその必要もあったのだろうが、そこは少しおもしろくなかった。磐音の許嫁の兄であり、親友でもあった小林琴平(きんぺい)は、ある事件が理由で磐音と決闘し、討ち取られることになる。その琴平役を演じた柄本佑が今さらながら素晴らしかった。この人、やはり上手い。

2025年1月 6日 (月)

氷と火の国

 自分としては、海外旅行に結構行った。それは一緒に行く友人のおかげだったともいえる。自分だけなら中国と台湾ばかり行っただろう。キューバやウズベキスタンなどに行けたのも、友人が行こうといったからである。ヨーロッパには結局どこにも行かなかった。強いていえばトルコのイスタンブールのヨーロッパ側に足を踏み入れたことがある、というだけだ。

 

 ヨーロッパの国であえて行こうと思えば、まず第一にデンマークに行きたかった。思い入れのあるキルケゴールとアンデルセンの国である。次に行くとしたらアイスランドである。氷と火の国、そしてバイキングの国、まったく未知の場所を訪ねる楽しみと、アイスランドの北欧ミステリーのアーナルデュル・インドリダソンの描く世界の舞台が見たい。

 

 そのアイスランドを大沢たかおが訪ねた、紀行ドキュメント番組『氷と火の国のバイキングスピリット』を見た。いつも海外に一緒に行ったF君が亡くなり、コロナ禍もあって、もう海外旅行に行く気が失せてしまったから、代わりに大沢たかおがアイスランドを案内してくれたと思って見た。

 

 大沢たかおは沢木耕太郎の『深夜特急』をテレビドラマ化した番組で初めて見た。最初は大沢たかおと沢木耕太郎とを同一視してしまった。まさに演じている大沢たかおは沢木耕太郎自身としてしか見えなかった。この番組をきっかけに沢木耕太郎の著作も書棚に並ぶようになった。大沢たかおがしばしば個人的に海外旅行に行くようになったのも、この『深夜特急』がきっかけではないかと勝手に想像している。

 

 案内してくれる人が良いと、自分が行ったような気分にさせてくれる。この番組はそういう意味で好い番組だった。

11042-65阿蘇の火口

今日が雨のようなので

 大晦日に息子とぐるっと回って約一時間のコースを散歩した。久しぶりに長く歩いたが、最後まであまりペースも落ちず、息子も大丈夫そうだね、と安心したようだ。元旦には近場の塩竈神社に息子と二人で初詣に行く。ここにはほぼ毎年お参りしている。そのあと刺身などを買い出しに行って歩いたので、その日も五千歩のノルマを達成した。そのあとはあまり歩いていなかった。

 

 今日が雨のようなので、昨日暗くなる前に散歩に出た。あまり風はなくて、せっせと歩けば寒くもない。それでもたまに木枯らしが吹き抜けることもある。もう正月気分はどの家からも感じられない。何とかノルマの五千歩を達成。明日は雨だから引きこもって本を読み、映画を見ることにしよう。

 

 江國滋の『俳句とあそぶ法』という本を読了した。この本は初心者に俳句の楽しさと面白さ、そして奥の深さについてわかりやすく教え、句作の世界に誘い込んでくれる本だ。初心者以外に読まないでほしい、などという章もあったりする。

 

「旅先で一句というと、すぐに、山だの、川だの、草だの、木だの、と、みなさん、なんでそうそっちのほうばかりきょろきょろなさるのか。旅イコール風景イコール自然という公式に、あまりにとらわれすぎておられる。山川草木もとより結構だが、それは、すっと、詠めたら、の話であって、初心のうちは、なにも自然の景色にこだわることはないのである。町中の田仲のビラでもいい、パチンコ屋の看板でもいい、カサカサのほっぺたが林檎を思わせる少女でもいい、通学ホームにあふれた学生服のにきびの行列でもいい。土地の人情、土地の料理なんかは最高の素材なんだし、地酒に方言ときたら、ますますよろしい。句になるものはいくらだってごろごろしているではないか。」

 

「初心者だからといって、臆することはないのである。こんな句を詠んだらはずかしいとか、笑われるとか、みっともないとか、そういう弱気がいちばんいけない。」

 

ということで、散歩途中に浮かんだ句


  木枯らしと人と車とぬける道

 

やはりもう少し勉強してからにしよう。

2025年1月 5日 (日)

いちばん醜いこと

 現役の人たちの多くが明日から仕事であろう。今回は長い休みの人が多かったようだが、終わってみればあっという間だったに違いない。休みとはそういうものだ。テレビの集団馬鹿笑い番組の氾濫が終わり、正月気分も終わって日常が始まる。私も酒でふやけたざる頭はなかなか定常に戻らないままだが、祭りが終わればなにがなし寂しく哀しい風かふき、少しずつ醒めていく。

 

 今年は、または今年こそ良い年でありますようにと願ったけれど、ときどき見るテレビニュースやネットニューを通して世界を見回せば、明るい話題が例年以上に少なく、将来に不安を抱かせるようなものばかりが目につく。

 

 そんなときに、読んでいる江國滋の本の中に引用されていた、福沢諭吉の人生訓の第一条


「人間にとっていちばん醜いことは、人をうらやむことであります」


ということばが胸にしみた。

 

 妬み心から発する言動は恥ずべきことだというたしなみが、建前ではあったとしても、日本の世間では共通認識だった。損得が価値観の中心に据えられるようになって、そのたしなみがほぼ失われてしまった。だからこそ、人をうらやむことだけは控えよう、と思った。

夫婦別姓

 選択的夫婦別姓の論議については前にも書いたことがあるが、日本の法律で夫婦は同一の姓を名乗ると決めていることが不都合であるという主張の根拠は、便宜上の旧姓使用を認めることで解決するものばかりのような気がする。その旧姓使用がしにくいシステムがしばしば取り上げられて、選択的夫婦別姓の必要が主張されたり報道されている。とはいえ、女性が社会で男性と同等に働くこのご時世なら、選択的夫婦別姓を認めることに理解のある人が増えていくのは自然の成り行きであろう。別姓にしたい人はそうすれば好いということである。

 

 問題は選択的夫婦別姓は過渡的なもので、めざすのは選択的を取り除いて「夫婦別姓」だとする者たちの主張だ。それこそが男女同権で、海外ではもともと夫婦別姓の国がいくらでもあるではないか。それで不都合はないのだからそれをめざそう、という人たちだ。もともと夫婦別姓の国で、古来から男女同権だったかといえば、そんなことはなくて、男女平等は現代になってようやくあたりまえになったことである。男女別姓が男女同権を支えたという事実はないと思う。

 

 夫婦同姓だった多くの国でも、やはり女性の社会進出とともに選択的夫婦別姓を認めるようになっていったということであろう。それに対して日本が遅れている、という言い立てはあまり主張の根拠にならない気がする。なにが不都合か、どうすれば解消するのか、ということについての論議があまりに少ない気がする。

 

 日本の社会が自然の成り行きで夫婦別姓に移行するにはたぶん多くの時間が必要だろう。それが受け入れられる時代がいつか来るならそれでかまわない。しかし正義の名の下に夫婦別姓を主張しようとしているように見える立憲民主党などの言い立てには、「選択的」の部分がほとんどかすんで見えないほど小文字で書かれているように見えて気になる。

タフなのか繊細なのか

 自分には詩才どころか詩を解する能力すらないことを子供の時から強く実感していたので、却って詩にあこがれる。かろうじて定型詩にはリズムがあるので、そのリズムの助けでおぼろげに何かを感じた気持ちになったりする。だから漢詩や藤村の詩集、上田敏の『海潮音』などを、声に出して読んでみたりする。リズムがイメージ想起の助けになるのである。

 

 俳句という定型詩は日本語の曖昧さとマッチして、ことばの意味がじんわりと墨絵のようににじむところが好い。短いから解釈が多様で、読み方で、つまり想像力と素養の深さで見える世界の広がりが違うようだ。だから私などは、優れた解釈の助けが必要で、それによってイメージを喚起する。

 

 江國滋の本を楽しみながら一冊ずつ読み直している。彼は編集者であり、文筆家であるが、落語についての造詣が深いからその方面の本も多いし、テーブルマジックではプロをうならせるほどの腕前でもあった。俳句では『東京やなぎ句会』の一員であり、俳句についてもたくさんの本を残している。


  おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒


が辞世の句であるのは有名。

 

 その江國滋の『俳句と遊ぶ法』(朝日新聞社)という本を読んでいる。 その中の、『人の悼み方』という文章に久保田万太郎の俳句を評しながら、

 

「追悼句でも作らなければ悲しみにおしひしがれてしまいそうで、いてもたってもいられなかったのか、そのへんの心の襞(ひだ)をのぞくすべはないけれど、次から次へと相ついだ人生の凶事のたびに、これだけかたちのいい句を、とにかく詠めるというところに脱帽せざるを得ない。よほど神経がタフなのか、よほど神経が繊細なのか、どっちかに違いない」


とある。

 

 この、神経がタフであるか繊細であるかについては、私はどっちか、という問題ではないと思っている。鈍感であるか繊細であるかは同時にはあり得ず、どっちかでしかないが、タフであり繊細であることは同時にあり得ると思っている。繊細な神経がたくさんあって束になっていれば、繊細な感性を持ちながら、しかもタフであり得るのだと思っている。通常は繊細な神経がたいした本数しかないからか弱いが、細いものがたくさん撚りあつまっている場合は、鈍感な太い神経より強靱なのである。

 

 繊細でタフ、というのが人間として望ましいと思っている。

2025年1月 4日 (土)

買収阻止命令に対しての非難

 日鉄のUSスチール買収に対して、バイデン大統領が中止命令を出した。以前から買収反対を公言していたこともあり、この結果は予想されていたことでもあるが、専門家は間違った判断だ、と批判している向きが多いようだ(そういうものばかりが日本で報道されがちだったかも知れないから、たしかなことはわからない)。そもそもこの買収は日米双方にとって有益で、安全保障上の脅威があるという理由は理解しがたいものだ、と批判者は言っている。冷静に見ればそうだろう。

 

 組合が猛反対していて、その組合はアメリカ人国民で、国民と国家のために重要な基幹企業を買収されるのは国家の安全保障に関わる、というのがバイデン大統領の反対のための建前である。しかしすでにUSスチールは危機に瀕しており、このまま推移すれば経営危機は深刻となり、縮小廃業へまっしぐらに進むことになりかねない。そのことは組合の幹部も承知のことである。いまそれを挽回するには、買収により、資金投入し、老朽化した古い設備更新のための設備投資をしていくしかない。その力は単独ではUSスチールにはすでにないのである。そして買収することにより、中国の過剰生産鉄鋼製品と対峙するしかないのである。

 

 買収反対は却ってアメリカの国益に反する。選挙用に反対はしていたけれど、たぶんバイデン大統領もわかっている。それなら賛成に転じたら良かったのに、なぜ反対をしたのか。どうせ賛成しても、トランプに覆されるに決まっているから、同じことだと考えたのだろう。賛成すれば、そのことをもってトランプはバイデンをとことん罵倒するだろう。そうしてUSスチールの末路の責任を引き受けるのはバイデンではなく、トランプなのである。バイデンの側近は賛成するようにアドバイスしたらしいが、もともとバイデンは国家のことなど考えていないか、計算ずくか、やけくそか。

 

 ところでUSスチールのCEOが、バイデンの判断は「恥ずべき腐敗したもの」と最大限の痛烈なことばで非難したという。よほど腹が立ったのだろう。しかしこのCEOも、会社のため、従業員のため、国家のために腹を立てているのではないのだと私は思っている。というのは、そもそも日鉄とUSスチールの買収の合意にあたり、組合など労働者の了解を取るための責任はこのCEOにあったのである。ところが一切表面に立たずに顧問弁護士に任せっきりであり、しかもその顧問弁護士も真剣な交渉を行っていなかったという。さらにこのCEOに対して買収成立のあかつきには巨額のロイヤリティが支払われることになっていたことも明らかになっている。

 

 組合は弁護士からの一方的な通告のみという事態と、無能な、会社を危機に追い込んだ責任のあるCEOに巨額のロイヤリティが支払われるということに激怒したのである。すでにその時点で、会社の存続などをはるかに超えた感情的なわだかまりが生じてしまったのである。それにようやく気がついた日鉄側が、副社長直接の交渉によって何とか糸口を見つけかけたところで今回の買収中止命令に至ったのであるから、日鉄にしたら非合理的で信じられない結果だっただろう。

 

 中止命令に対して、痛烈に非難したCEOは、ただ自分の懐に入るはずだった金が手に入らなくなったことに激怒しただけなのではないかと私は勘ぐっている。日鉄は任すべきではない者に任せたことの責を引き受けるしかない。

余秋雨の慨嘆

 敦煌・莫高窟の貴重な文物が、奪うようにして持ち出されてしまったことに対して、もしその場にいれば身を挺してそれを止めたいと願う士は多かった。余秋雨もそう思った。しかしそう願ったのはすべてが取り返しがつかなくなってからのことで、空しい。そのこともよくわかっている。しかしそれよりも大きな慨嘆がある。

 

 そのことを以下に引用して、結びとする。

「ぼくは、またも溜め息をついた。牛車隊を本当にひき止めたら、それからどうしよう。ぼくも、当時の都に運ぶほかなかっただろう。輸送代を無視できたとしても。しかし、当時、洞窟から文物の一部がまちがいなく都に送られたではないか。その情景たるや、木箱に入れず、ムシロでいいかげんに縛っただけのものを、道々役人どもが巻き上げるわ、宿を取るたびに、いくつもの梱包を残すわで、そのあげくの果てに、都に着いたときは、バラバラの無残な姿に変わり果てていた」

「中国は広大なれども、数巻の経文すら蔵することができないというのか!役人たちにないがしろにされるよりも、大英博物館に預けた方がよっぽどましだと、ときには心を鬼にして叫びたくなる!こんなことを口にするのは畢竟、気分のいいものではない。ぼくに引き止められた牛車隊はどこに行くべきか?どこもかしこも難しいなら、砂漠に踏みとどまってもらうほかなく、それからぼくは思いのたけ泣きたい。」

 

 まさにそのような事実を王家達は『敦煌の夢』で記している。膨大な量だったために持ち去られずに残された敦煌の文物もあった。しかしそれのどれほどが中国の博物館に収められたのか。ほとんどが四散してしまった。奪われて失われたものは、現に外国の博物館に収められ、保存され、研究に供することができる状態である。しかし中国に残されたはずのものは本当の意味で失われたのである。わずかに金持ちや文化人に私蔵されていたものも、多くが文化大革命などによって失われた。そして運良く北京の故宮博物館の地下まで運び込まれたものも、死蔵されたまま目録も作成されないで、あるやらないやらいまだにわからないという。

 

「ああ恨めし!」と余秋雨は慨嘆したが、中国人でない私も同じ気持ちになるのである。

2025年1月 3日 (金)

三十年ほど前に

 三十年ほど前、四十代前半のときに、胃の定期検査でポリープが見つかった。食道を過ぎてすぐの、胃の天井部分なので、よく見つけてくれた、というところであった。さいわい悪性のものではなかったが、そのポリープはヒドラ状で、いくつもの突起をもち、食べ物が通過する際に引っかかって根元が裂ける恐れがあるという。裂けると胃壁から大出血をする。そうなるとかなり危険なのだと言われた。

 

 医師のすすめもあり、入院して切除することになった。ただ切腹はせずに、内視鏡でポリープ全体を輪になった電熱線で切り取るのだという。手術そのものはそれほどたいへんではないが、切除したあとが穴になるので、それが塞がるまで日数がかかる。当然絶飲食である。手術前から数えて丸五日、点滴で過ごした。腹の減るのはあんがい我慢できたが、喉が渇くのはつらかった。手術は全身麻酔。看護師さんたちには、「重かったー」と笑われた。お世話になった。

 

 とにかく人工的にできてしまった胃の穴が塞がるまでの養生であるから、手術が済めばとくにどこかが痛いということもなく、暇である。夜明けから消灯までのあいだ、ひたすら本を読んだ。一日四五冊は読んだ。息子と娘が見舞いに来るたびに、どこの本棚のどんな本をもってくるように指示してもってこさせた。延べ十一日間の入院期間で三十冊は読んだと思う。人生で一番集中して本を読んだ。

 

 その時にもっとも感激して、涙を拭いながら読んだのが、前回のブログで言及した、王家達の『敦煌の夢』という本だったのだ。帯の文章から引用すると


「大砂漠の中での非人間的な生活と迫害に耐え、人類の至宝「莫高窟」を愛し命をかけて守り抜いた人々がいた。日中両国の敦煌への思いが、熱い涙となってあふれ出す」


と書かれている。

 

 文化大革命は、当時の朝日新聞や社会党が絶賛するようなものではなかった。革命ですらなかった。毛沢東が仕掛けた権力奪取を目的とした権力闘争であり、そのために乗せられた紅衛兵や労働者の暴走であった。古いものは悪いもので、破壊しなければならない、と彼らは狂ったように寺院や文化財を破壊しまくった。そして敦煌の莫高窟もターゲットになったのである。それを守ろうとした人々がどれほどの苦難に遭ったのか、それが詳細に書かれている本なのである。

0403515_20250103152401莫高窟

 その『敦煌の夢』の第一章は『王道士の「功徳碑」』という文章で、王圓籙(おうえんろく)の犯した過ちと、その顛末、敦煌文書のその後にについての詳しい経緯が記されている。さらに探検家という名の略奪者たちが敦煌壁画の最も優れた部分を剥がして持ち去ったことが記されている。

 

 そういう背景を知っているので、いま読んでいる余秋雨の『文化苦旅』の中の『道士塔』に書かれている意味が、たぶん普通の人よりも胸に響いたのである。さらに書き足しておきたいことが少しあるが、長くなりすぎるので次回にする。

王圓籙の道士塔

 井上靖の原作をもとにした映画『敦煌』の最後のところのシーンで、莫高窟の洞窟にたくさんの書物や絵画などが隠され、壁に塗り込められるシーンがあったのを覚えているだろうか。そのシーンは井上靖の創作だと思われるが、しかし実際に膨大な量の文物が隠されていたのは事実であった。なぜ、そして誰が隠したのか不明であり、井上靖はそれに彼なりの想像の筆を加えたのだ。

 

 千年後、隠されていたこれらの歴史的資料が暴かれた。暴いたのはここに棲みついていた乞食道士の王圓籙(おうえんろく)である。それは十九世紀が二十世紀にまさに変わるときだった。経緯を知るものは、彼が行ったことは、中国文物の災厄であったと断罪する。ほぼ同じときに英仏軍などによって破壊され尽くし焼き尽くされた、円明園に対する暴挙に匹敵する災厄だというのだ(by王家達)。たまたま壁の割れ目から覗いて、何かが秘蔵されていることに気がついた彼の、愚かな行為によって敦煌文物は世界に四散してしまった。

 

 彼の写真が残されている。その写真の姿を余秋雨はこう描写する。

 

「ぼくは彼の写真を見たことがある。布製の綿入れを着て、目はぼんやりとし、おろおろしている様子は、あの時代どこでも見かけるありふれた百姓のものだった。もともと湖北麻城の農民だった彼は、飢饉から逃れるため甘粛にたどりつき、道士になった」
「いくたの曲折を経て、莫高窟の主として、中国古代の燦然たる文化を牛耳ったことは、なんとも不幸なことだった。彼は、外国の冒険家からわずかばかりの金と金目のものを握らされただけで、おびただしい敦煌文物を箱ごと持ち去るに任せた」
「憤怒の洪水を、彼にぶつけてしかるべきである。しかし、彼はあまりにもちっぽけで、取るに足らず、愚昧だったため、力の限り罵倒しようとも、糠に釘、ぼんやりとした表情と取りかえるのがおちだろう。この重い文化のつぐないを、彼の無知な体躯に負わせることは、我々でさえナンセンスなことだと思う」
「これはこの上ない民族的悲劇だった。王道士などはこの悲劇の中で、出番を間違えた道化に過ぎなかった」  

 

 これはいま読んでいる余秋雨の『文化苦旅』という本のなかの『道士塔』という文章からの引用である。彼が敦煌の莫高窟を訪ねたとき、そこにいくつかの円寂塔(円寂とは仏教で言う涅槃のこと。円寂塔とは功績のあった僧の墓のことである)があり、その中でも比較的状態のよいものの碑文に王圓籙の名前を見たのである。彼の功績が記されていた。そのことについては王家達の『敦煌の夢』という本にも詳しく記されている。これは涙なくしては読めない本である。中国の哀しみが胸にしみる。その哀しみとは、魯迅が感じたものと同じである。それで魯迅は医学の道を捨て、文章を書くことにしたのだ。

0403506_20250103071701莫高窟前の円寂塔

 どうも思いが強すぎて、書きたいことの欠片(かけら)しか書き切れない。考えがまとまったら続きを書こうと思う。

«天才がとことん頭を絞り抜いても

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