Eテレの世界史の番組を見ていて、ローマ帝国が滅亡し、主権国家が誕生した、というくだりで帝国というものの意味をいまさらながらに考えた。帝国というのは多民族多宗教を緩やかに束ねて支配するという体制であって、その支配は緩やかで移動もかなり自由だったが、主権国家は画然とした国境を境に支配が強固になり国家間の競争、そして戦争が常態化した。当初は王制だった主権国家も、フランス革命、続くナポレオンの出現で、その王制の主権国家は倒れていき、自由平等を旗印にする国民国家となっていった。それは同時に徴兵による国民皆兵体制へと変わり、つまり国力を賭けて国と国が戦う時代となった。軍隊対軍隊の戦いが、一般市民を巻き込む総力戦に、そして大量の死を生むようになった。
国民国家よりも帝国の方が、いわゆる一般市民にとってしあわせだったのではないか、などとざる頭は考えたりした。ヨーロッパの世界への拡大が、宗教の押し売りと正義の押し売りにつながったという気がしてしまう。それは未だに続いているのではないか。主権国家というものが本当に帝国よりも好い体制だったのだろうか。主権国家の乱立こそがいまの世界の安定を損なう要因にも思えてしまう。だから理想的な世界統一国家を夢見たりした時代もあった。
いま中国やアメリカが目指しているのは自国が他を圧倒的に支配することで、それはあたかも帝国体制へ戻ろうとしているように見えてしまうが、その目指す帝国は過去の帝国とは似て非なるものではないか。自国のみに正義があり、だから利益も独占しようという思惑が根底にあるようにしか思えない。だから帝国ではなく、帝国主義、というべき過去の亡霊(ナチスドイツなど)の再出現か。
EUという体制は、主権国家乱立からゆるい帝国時代への回帰を目指したものなのかもしれない。各国の、極右と言われる政党の台頭は、主権国家を死守しようとする動きであり、他との交流を厳格に制限しようとする意思(移民排斥など)の表れだろう。だからEUから距離を置こうとする。
ところで、中国の歴史を見ると、漢民族以外の民族が支配していた時代の方が版図が広く、しかも他民族との自由な交流が盛んに行われていたことに気づく。元や清がそうだったし、実は隋や唐の時代もその支配層は多分に北方民族系であった。外部世界の価値観を排除しない支配構造だった。中華思想はそもそも外部というものが存在しないという建前である。それを考えると、いまの習近平が目指す世界支配とは、中華思想どころか、まさに帝国主義でしかないのではないか。
こんなことを考えたからといって何か意味があるわけでもないが、これから世界はどうなるのだろう、ということについて自分なりの見通しくらいは持ちたいではないか。世界史音痴ではあるが、それを考える手がかりの一つかと思っている。
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