2024年7月14日 (日)

中国名言集から(3)

 とんでもない勘違いをしていたことば。

 

  後生 畏る可し

 

 後生はもちろん「こうせい」と読む。後に生まれた者、後輩、若者を指す。『論語』の孔子のことばで、後輩こそ畏敬すべきだ、来者(未来の人間)が現在の人間より劣るなどと決めつけてはいけない、という意味らしい。「近頃の若い者は」などと頭ごなしに否定してはいけないということだ。

 

 私は以前、後生を「ごしょう」と読んでいた。ごしょうと読めば、本来は仏教用語で生まれ変わることだが、この先の未来で、という意味でとれば、いま高をくくっていると、後でろくでもないことになるぞ、などと勝手に曲解していたのである。ざる頭はときどき恥ずかしい勘違いをしている。

友達に声をかけようと思っていたのに

 コロナのあとも、ずいぶんしばらく会わずにいて、そのまま逢いそびれている友人知人が何人かいる。お互いにそこそこいい歳なので、会わずにいて後悔することになるのは間違いない。梅雨が明けたら、まず大阪の友人や兄貴分の人に会いに行こう、出来れば敬愛する奈良の姉上にも声をかけようか、などと思っていたからだろう、明け方にその人たちの夢を見た。

 

 なかにはすでに会いたくても会えない人もいた。

 

 それなのに、コロナがまた再燃して増加しつつあるという。そういえば芸能人などのコロナ罹患のニュースもまたときどき目にするようになった。お互い、「そこそこいい歳」同士であるから、はたしてそういうさなかに親しい人に会うことがよいかどうか、迷う。恨めしいことである。

2024年7月13日 (土)

畏れ入る

 「畏れ入る」ということばがある。逃れぬ証拠を突きつけられて、「畏れ入りました」などと犯人が罪を認める。ミステリードラマなどは、犯人が畏れ入らないと終わりにできにくい。

 

 ところが現実の世界では、明白な証拠があっても、犯人が畏れ入らないことが多いような気がする。これは昔からそうだったのか、最近そういう畏れ入らない人間が増えたのか。海外の人が日本で犯罪を犯すと、たいていが畏れ入らない。日本人はそれを見せられて、畏れ入らなくなったのかもしれないと思う。

 

 往生際が悪いのはみっともない。みっともないのは恥ずかしい。だから畏れ入ったものだが、いまは世の中は恥ずかしいなどということに鈍感になってしまって、往生際が悪いのが当たり前になったかのようだ。警察も大変だなあと思う。どうしてそうなのか、多少思うところはあるが、いっても仕方がないからあきれて眺めているばかりだ。

中国名言集から(2)

  父母の年は知らざる可からず

 

 『論語』の里仁篇にある孔子のことば。「その長命を喜び、そして高齢で不測の事態が起こるのを恐れる」ためには、父母の年を承知しておくのは当然であるということである。

 

 いま、自分の両親の年、生年月日をちゃんと記憶している者がどれほどいるのだろうか。不確かな人間を山ほど見てきた。信じられないことである。

リズムが狂うと

 日常にはリズムがあり、決まったことを手順よく行うことでおさまっている。心身が不調になるとそのリズムが狂ってしまう。リズムが狂うと何が起こるか。部屋が雑然として汚くなっていく。ものが多すぎるのだ。その「多すぎるもの」が、捨ててもいいほどくたびれるまで捨てられない。我ながらバカだなあと思う。

 

 今日はその汚くなってしまった部屋を少しずつ片付けていこうと思う。何日もかけて雑然となった部屋だから、一気に片付けようとするとかえって途中で嫌気が差してしまうので、計画的に少しずつやることにする。さいわい今日は昼過ぎまでは天気が良さそうだ。出ているものをしまい込むだけだから本質的には変わらない。しかし気分は多少さっぱりするはずだ。

 

 さあ、体を動かして汗をかこう、と自分に気合いをかけた。その気になっただけでもいいことなのだ(と思うことにする)。

2024年7月12日 (金)

思っていた以上に良さそう

 注文していた書見台が配達されたので、早速試用してみている。心配したほど大きなものではなく、作りがとてもしっかりしている。普通の単行本や雑誌ならしっかり固定されて、眼の位置への調整もうまく出来る。ただ、いま読んでいる『三国志演義』のような700頁を超える文庫本などには厚すぎるのでちょっと向かない。それは注文するときに承知していたので、問題ない。そういう本は寝転がって読めばいい。

 

 開いた本を両側でそれぞれ抑える金属のバネも、ちょうどいい位置で抑えてくれているので読む邪魔にならない。問題は、私は読むスピードが速いので、ページをめくるときの手間が増えるのがいささか煩わしい。長所があれば欠点もあるもので、長所が勝ると実感できたので良しとする。

 

 その書見台を入れていた箱が手頃な大きさで、しかもしっかりしている。パソコンの台として使って見ると、視線が高くなって首が楽である。スマホ首対策になりそうだ。おまけのありがたい喜びであった。

中国名言集から(1)

 井波律子の『中国名言集』から備忘として書き留めておきたいものをいくつか取り上げていく。実感として特に、なるほどと思ったものだ。

 

 一犬 形に吠え 百犬 声に吠ゆ
     (後漢の王符『潜夫論』賢難篇)

 

一匹の犬が何かを見て吠えると、その声につられて多くの犬がいっせいに吠える。

 

 むかしからそうではあるが、ひとりが、あるやらないやら分からないことで騒ぎ立てると、大勢のものがこれを次々に伝えて騒ぎ出すもので、いまはネットがその手段となって、一層その群集心理に拍車がかかって、何がほんとうなのかわけが分からなくなっている。そういう時代なのだなあと思う。

 あれは犬が吠えているのか。

降りこめられて

 昨夜から雨が降り続いている。今朝は小やみだが、これから昼過ぎまで本降りの雨になるらしい。昨夜は眠れないからいろいろな本をとっかえひっかえしていたが、結局料理レシピの冊子を眺めていたら眠りにつくことが出来た。

 

 この冊子はCGCが出しているもので、毎月近くのスーパーの棚に新しいものが置かれていて、自由に持って帰ることが出来る。季節の素材を使ったものなど、毎月四十あまりのレシピが載っていて、あまり特別な材料を使うものがないから、つくろうと思えば私でもすぐ挑戦できそうなものばかりだ。これがあることに気がついたのは数ヶ月前からで、もっと前からあったらしいから気がつくのが遅かった。もったいない。

 

 とはいえ、そんなにレシピがたくさんあっても仕方がないのであって、そのことはテレビの料理番組の3分クッキングをせっせと録画したけれど、いままでにせいぜい五つか六つ試したに過ぎないことでもわかる。レシピがあったってつくらなければ意味がない。さはさりながら、眠れない夜に眺めているだけで自分がつくることを想像し、それで満足して安眠できたのだから、それなりの役に立ったのである。

2024年7月11日 (木)

からっぽ

 午後になったら、なんだか何もやる気がなくなってしまった。本も読めず、ドラマや映画を見る気もせず、仕方がないから久しぶりにゲームでもしようと思ったが、集中力がなくなっていて、囲碁をしても勝てないし、戦略シミュレーションも凡ミスで完敗である。面白くない。音楽を聴いてもうるさく感じてしまう。まるで、からっぽになってしまったような状態である。こういう無気力状態の時にはジタバタしても始まらない。ただひたすらぼんやりするしかない。そうして飲み過ぎに気をつけながらゆっくり酒を飲んで、詰まっている何物かを溶かし出すしかない。

 

 これからつまみになるものを二品ほど作って、自分の決めたルールに従い、五時半を過ぎたらおいしい酒を飲むことにする。もったいないけれど、東北でみやげに買ってきた純米大吟醸酒の封を切って、独りでちびちび飲むつもりだ。

 

 夏バテにはまだ早いのにこんな風になったのは、ちょっとオーバーヒートしているからかもしれない。もともとパワーのないエンジンを、無理に駆動しすぎたのだろう。酒は私にとってその治療薬だ。こうなるとしばらく続くが、どうせ数日雨模様であるから、引きこもりには最適である。用事も、あと十日ほどはとくに何もない。

『ケの日のケケケ』

 藍染めのプリントに、墨流しのような柄を重ねた半袖のシャツを、シンガポールだったか、バリ島でだったか、みやげに買って帰ったのだが、目立つので外に着て歩くのは少し恥ずかしい。雨が続いているので外へ出ることもないから、いまそのシャツを引っ張り出して着ている。

 

 本を読むことが以前よりも多くなったので、ドラマや映画を見る機会が減っている。どちらも時間を消費する(面白いのだから浪費とは思わない)もので、どちらかが増えればどちらかが減るのは成り行きだ。欠かさず見ているのは『虎に翼』と中国の『蓮花楼』というドラマだ。『蓮花楼』は武侠小説であり、時代ミステリーであり、ファンタジードラマというところで、たまたま見始めたら面白いので、全四十話を最後まで見ることになりそうだ。一週二話ずつで、いま三十話を超えたところだから、あと二月ほどで終わる。ご都合主義そのものの展開だが、気にしなければ映像は美しいし、美人もいろいろ出てきて楽しい。主演のチョン・イーがなかなか好い。誰かに雰囲気が似ていると思ったら、向井理であった。まったく似ていないといわれそうだが、語り口やひょうひょうした表情、仕草が私はとても似ていると思う。

 

 久しぶりに、録画してあった単発ドラマの『ケの日のケケケ』というNHKの特集ドラマを見た。創作ドラマ大賞の受賞作だという。感覚過敏、音や光、味覚、触覚が病的に過敏なひとりの女子高校生の日常が描かれていく。感覚過敏についてほとんど知識はないが、映画やドラマで多少の認識はある。ハンディを持つことと、その人が弱者であることとは全く違うことで、理解されないことはつらいが、同情されることはそれよりつらいことだというのがとてもよく描かれていた。ましてや「普通」を強要することの無神経さは暴力に近い。主演の當真あみは、初めて見たけれど好演していた。今後注目したい。

 

 相手のためを思うことが、相手を苦しめてしまうことになることを普通の人は理解できない。理解できているのは苦しんでいる人の側であるということをドラマは明確にしめしてくれた。主人公の少女は弱者ではなく、じつはとても強い心の持ち主であることを、彼女は校則を変えるために生徒会長に立候補することでしめした。その辺の経緯が一気に進んでしまうのが物足らない気もするが、一話ドラマなので時間が限られているので仕方がない。見た後に、満足感、好い気持ちを与えてもらった。他人を思う、思いやる、ということがどういうことか考えさせられた。

違う論理

 中国が、フィリピンが実効支配している珊瑚礁の海域を自国の海域と主張し、その海域の水質調査を行った。そして「水質はたいへん良好である」という調査結果を発表し、自国海域であるというアピールを行った。フィリピンは自国海域を主張するために古い軍艦を沈没させ、そこを拠点に活動をしており、それを海域の環境破壊だ、と中国は強く非難しており、その裏返しとして中国支配海域(じつはフィリピンの海域)は環境が良好だ、という主張の展開でもある。いま、沖ノ鳥島の周辺の、日本の排他的経済水域で、中国はブイを浮かべ海域調査を開始しているようである。「日本」の林官房長官は、「遺憾である」といつものように白旗を掲げて見せている。遺憾砲は常に空砲である。猿だって最初は驚くが、すぐ馴れる。ましてや中国人なら・・・。

 

 珊瑚礁の海域は地球環境に極めて重要なもので、その環境保持が必要である。その珊瑚礁を次々に埋め立てて人工島をつくっている中国が、恥ずかしげもなく環境をアピールする。中国の論理は理解不能だ。分かってやっているのか、そもそも中国にとっては何の矛盾もないのか。

 

 ここで私は森本哲郎の著作で読んだ話を思い出した。少し長いが引用する。

 

異質のメンタリティ
 雑誌『みすず』(99号)にミッシェル・フーコーという人の著書が紹介されていた。『ことばともの』と題されたその本は、大変難解なものらしく、紹介者の仲沢紀雄氏は、一ページ読むのに何時間もかかることさえあったそうである。
 フーコーという人は、現在チュニス大学の教授で、このほかにもたくさんの著書があるが、とくにこの『ことばともの』が最近フランスで非常に評判になっているとのことであった。
 私はひどく興味をそそられた。というのは、フーコーの思想が「さる支那の百科事典にのっていた動物の分類」から出発していると書かれていたからだ。その分類とはつぎのようなものである。
「a皇帝に属するもの、b防腐処理を施したもの、c乳のみぶた、d人魚、e架空のもの、f放し飼いの犬、gこの分類に含まれているもの、h気の狂ったようにあばれるもの、i数しれぬほど多いもの、jらくだの毛の細筆でえがいたもの、kその他、l今つぼをこわしたもの、m遠くからハエに見えるもの・・・」
 フーコーはこの分類を見て、あまりに奇抜なその考え方に思わず考え込んでしまったという。同じ人間でありながら、よくもまアこんなに違った発想が出来るものだ!そして、ここから彼の『ことばともの』という著書が生まれるわけなのであるが、その本の内容については仲沢氏が詳しく書かれているから、それを読んでいただきたい。私が興味をひかれたのは、じつは、このようなフーコーの思索の出発点であった。
(中略)
『支那の百科事典』の分類のように、一見ナンセンスのように思え、非論理的のように見える思考の様式も、それを成立させている基盤があるに違いない、というのがフーコーの予感であった。

 

 中国の思考の基盤がそもそも我々とは違うのではないか、そのことをよくよく考慮しないと、その意図を推察することも、対話も成り立たないのかもしれない。

2024年7月10日 (水)

もしかして有効か

 ストレートネック、通称スマホ首のせいで肩や首や、背中や腰が痛い。座椅子に座ってパソコンに向かっていると以前よりも疲れやすい。読書していても、集中しているあいだはよいのだが、一息入れると肩や首がバリバリいう。この頃は本を寝転がって読むことが増えた。子供の時はほとんどこの寝ながらスタイルだった。母からは、なんという格好で本を読んでいるのだ、などとあきれられたが、それが最も楽だった。いまは自分の体が重くて持て余しているので、必ずしも楽ではないのだが、すわっているときの首や肩の痛みはない。

 

 ただし、集中力が途切れるとすぐ眠ってしまう。夜も寝て、昼間も寝て、いったい一日どれほど寝るのかと思うが、これはたぶん今回の旅の強行軍の疲労も関係しているようだし、体が眠りを必要としているなら別に誰に迷惑をかけるわけでもないので良しとしている。ただ、少し時間がもったいない気はする。

 

 思い立って卓上の書見台をネットで探してみた。ピンからキリで、値段もさまざまだが、重い本もあるから、あまりちゃちなものでは安物買いの銭失いであろう。それなりのものを発注した。それですわったまま本を読んでも首や肩の痛みがなければ何よりである。使えればいいけどなあ。書見台を思いついたのは、松江の武家屋敷の、主人の私室に置いてあったのを見たからだ。格好良く見えたのだ。

井波律子の本

 中国文学者の井波律子の『中国名言集』(岩波文庫)を読み始めた。箱入りで表紙もしっかりした辞書風の本で、もともとは京都新聞に『井波律子の一日一言』として連載したものをまとめたもの。こういう本は、読む機会がありそうでなかなか全部読むことがないものだ。日付順に一日一頁になっているが、時期に関係なく通読するつもりである。よく知っていることばもあるし、初めて知ることばもある。思っていたのと意味を少し勘違いしていたり、読み方が誤っていたことを教えられている。

 

 あとでその中からいくつか取り上げて、自分なりに感じたことなどをこのブログに取り上げようと思い、面白そうなものに付箋をつけている。恥ずかしながら井波律子の説明がありながら、それでも理解できないものがあったりする。たぶんその説明の背景となっている知識が、著者には自明だが、私がそれを知らないためのようだ。恥ずかしい。

 

 井波律子(1944-2020)は富山生まれの中国文学者で、長く金沢大学の教授を務めた。彼女の本に出会ったのは、『中国人の機智(『世説新語』の世界)』(講談社学術文庫)という面白い本だった。人に勧められて読み囓った『世説新語』は、竹林の七賢たちなどの逸話が収められた本で、面白いけれど私の知識ではわかりにくいところもあり、その解説を期待してこの本を読んだのだが、分からないものは分からないなりに、分かるものはとてもわかりやすく書かれていて、少なくとも『世説新語』という本の背景だけは多少分かった気になった。この人の本を続けて読みたくなった。折にふれて買い集めていたら、かなりの数が手許に残った。

 

『中国人の機智』(講談社学術文庫)
『中国的レトレリックの伝統』(講談社学術文庫)
『酒池肉林(中国の贅沢三昧)』(講談社学術文庫)
『中国侠客列伝』(講談社)
『中国文学の愉しき世界』(岩波書店)
『破壊の女神(中国史の女たち)』(新書館)
『史記・三国志英雄列伝』(潮出版社)
『トリックスター群像(中国古典を小説の世界)』(筑摩書房)
『水滸縦横談』(潮出版)
『一陽来復』(岩波書店)
『中国人物伝』Ⅰ~Ⅳ(岩波書店)

 

以上は全て既読  

 

未読として
『中国名言集』(岩波書店)
『三国志名言集』(岩波書店)
『三国志演義』(一)~(四)(講談社学術文庫)

 

があり、これを順次または並行して読むつもりである。

 

 著書はこれ以外にもたくさんあり、新著も期待していたのに近年亡くなったのはまことに残念であった。

 

 さらに『水滸伝』全五冊がやはり講談社学術文庫から出版されていて、『三国志演義』を読了したら購入するつもりである。どちらも各巻700頁前後の分厚い本で、春に行った、平家物語(全七巻)の通読と同じようなチャレンジとなる。

グラタン

 グラタンは好きだが、つくるのが面倒だと思っていた。しかしインスタントのマカロニグラタンを使えば思ったよりも簡単にできることを知って、いまはお気に入りのメニューである。よくつくる。タマネギと鶏肉と牛乳だけあれば出来るが、私はそれにシメジを刻んで加える。材料をグラタン皿に半分入れたら溶けるスライスチーズを置き、残りをさらに上に盛る。粉チーズをたっぷりふり、バターをひとかけら置いてオーブントースターで焼く。

 

 昨年オーブントースターを新しくしたのだが、どうもサーモスタットの効きがよすぎて消えたりついたりが頻繁であり、焼き上がるのに時間がかかる。しかも満足がいくように焼けない。グラタンのおいしさの肝である焦げ目が不満足なのだ。

 

 エアコンを昨年新しくした。パワーがあるものにしたので電気を食う。電気を食うのは仕方がないのだが台所とリビングに振り分けられた電流の量が限定されていて、電気を食うものが重なるとブレーカーが落ちてしまう。だから電子レンジやオーブントースター、電気ケトルなどを使うときはそれを考慮しなければならない。それらを使うときはエアコンを切るようにしている。グラタンを焼くには時間がかかるから、部屋が暑くなる。焼き終わったらすぐエアコンを入れればいいのだが、忘れていたりして、やけに暑いなあ、などと思うことがしばしばだ。

 

 そこで思いついたのがガスレンジのグリルである。このレンジも昨年新しくした。新しいレンジについているグリルは水なしで焼くことが出来、洗いやすい。しかも上下の火力を別々に調節できる。これならエアコンとかぶらない。火力と時間を適当に設定して焼いてみたら、オーブントースターよりも早く焼き上がり、焦げ目もしっかりつけることが出来た。だいたい見当がついたので、これからはこちらで焼くことにしようと思う。

2024年7月 9日 (火)

納涼物語『玉藻の前』

 岡本綺堂の『伝奇小説集』(原書房)全三巻を持っていて、ずいぶん久しぶりに納涼を期待して再読している。第一巻が長編の『玉藻の前』である。大変読みやすい文章なので、ただ物語としてさらさら読み飛ばしてしまうとどうということもないかもしれないが、平安末期の闇夜のなかのさまざまなあやかしを映像的に想像しながら読むと、その恐ろしさが実感できる。それが想像できるかどうかが、こういう物語を楽しむ必須条件であろう。

 

 岡本綺堂(1872-1939)は戯曲『修禅寺物語』や捕物帖の傑作『半七捕物帳』で知られる作家で、いずれも若いときに読んだ。私はそもそも、ちょっと不思議な、奇妙な味のする小説が好きなのである。伝奇小説といえば中国のものが棚にずらりと並んでいる。日本でいえば、国枝史郎や小栗虫太郎、角田喜久雄などを一時期耽読したが、いまなら夢枕獏(一時期夢中で読んだものだ)などがその代表だろうか。

 

 妖狐の化身である玉藻の前と陰陽師との戦いは古来から有名で、その妖狐は、あの殷の紂王の妃、妲己(だっき)の正体である九尾の狐とされる。それが時代を超え、国を超えて、ある少女にとりついて起こる怪異の物語が『玉藻の前』で、それを岡本綺堂は怪異譚でありながら、美しい恋の物語にしている。 

 

 こういう面白い話がいまはあまり読まれていない気がする。何より物語を読むためには、平安時代の風俗や、世界観をある程度承知をしていないと分からないところがあるかもしれない。分からなければ分からないままに読み進めればいいのである。知らないことは後でゆっくり調べたらよい。何より面白くない読み方は、現代の価値観を物語に持ち込んでしまうことであろう。そういうひとはこういう物語の方から「読んでくれなくていい」と拒否するであろう。主人公とともに悩み、苦しみ、哀しみ恐れることがこういう物語を楽しむのに必須であることはことさらいうまでもない。そうして読めばこんな面白い物語はない。読後の余韻も残るというものだ。

長生きしにくくなる

 地球温暖化による暑さは猛暑をもたらし、エアコンなしで過ごすことが出来なくなっている。当然エアコンは電気を食う。電気を生産するためにはエネルギーを消費するし、エアコンを使えばそこでまた熱を発生するから、二重に地球温暖化を加速する。いまエアコンを使って暑さがしのげている人々は快適だが、経済的にまだエアコンを使えないひとたちの方が世界ではまだ多いだろう。それでも世界が豊かになればエアコンを使える人が増えていく。ますます地球温暖化は加速して、人口が増え続ける限り、もう後戻りは無理なのではないか。

 

 その先がどうなってしまうのか、想像は出来るが、たぶん現実は想像を超えるだろう。地球そのものが周期的に冷える氷河期でも来ない限りどうしようもないが、その周期とこの温暖化とのスピードとは桁が違うだろう。それに寒冷化に対処するのもまたエネルギーを必要とする。エネルギー源はすでにかなり消費してしまって、その時には温めるものがないことになってしまうだろう。どちらにしても私が生きているあいだはなんとかエアコンも使えて暑さがしのげることを願うばかりである。自分のことばかりで申し訳ないけれど、では何が出来ると行って、地球温暖化対策にエアコンを切ってまで頑張って、自分の寿命を縮めるというわけにもいかない。

 

 数年前までは、エアコンのタイマーで眠りにつき、タイマーが切れても多少の寝汗をかきながら朝まで眠れたものだが、いまは連日の熱帯夜で、タイマーが切れてしばらくすると暑さで目が覚めてしまう。つけっぱなしで寝ればそういうことはないが、その代わり、朝の寝覚めがなんとなくだるい。目が覚めても体がなかなか始動しない。春や秋の快適な眠りとそれに続く目覚めとは行かない。エアコンの眠りは体力や知力を回復する眠りとはいえない気がする。それは年齢のせいなのだろうか。

 

 それでも、うだるような暑さでエアコンなしで暮らしている人から見れば贅沢な話である。すでに海外では40℃を日常的に超えている地域もある。当然体力のない人間は寿命を縮めている。長生きは出来ないだろう。そういう気温にも耐えられるような人間が少しずつ生き延びて、ついには耐熱型の人間が生ずるかもしれないが、まだだいぶ先の話だろう。未来はもしかしたらわずかに生き延びたそういう耐熱人間の世界かもしれない。

 

 エアコンで快適な暮らしをしていても、ずっと引きこもっているわけにも行かず、病人や寝たきりでない限り、生活のためにどうしても外気温の中に出ていく必要がある。その温度差が体に与える影響は大きい気がする。それは体にダメージを与えるだろう。どちらにしても人間の寿命はすでにもうこれ以上のばすことは出来ずに、次第に短命になっていくのではないか。暑さでさらにぼけだしたざる頭でそんなことを考えた。

遺憾である

 「遺憾」を手許の岩波国語辞典で見ると、「思い通りでなく残念なこと」、とある。中国は、日本が「遺憾である」といえば、抗議したとは毛筋ほども受け取らず、「残念だ、何もすることが出来ないのは残念だ」と、諦めを表明しているだけだと受け取っているのだろう。 実際に結果は中国の受け取ったとおりになっているように見える。

 まことに私も、国民も、遺憾である。

2024年7月 8日 (月)

都知事選

 結果が歴然としているので、目新しいことをいいようがないけれど、都知事選のこの結果は、都政を、そして都知事の仕事というものをまともに考えた都民が判断した結果だということだ。

 

 蓮舫氏陣営が、演説の場にあんなに熱意のある聴衆が集まり、支持をしてくれていたのにこの結果は・・・と首をかしげているように見えた。多分どの候補よりも盛り上がっていたことは事実なのだろう。それなのに敗北したのは共産党が応援したことが嫌われたからか、などと分析していた。たしかにそうだともいえるし、共産党との共闘は敗因の本質ではないともいえる。聴衆がたくさん集まって熱心に聞いていたのは、蓮舫氏の演説が耳を傾けるだけの面白いもので、共感を感じさせるものだったからだろう。彼女が反省していた「力が不足していた」というのは、演説に関しては謙遜に過ぎるだろう。

 

 彼女は自民党批判、小池批判を痛快に展開していたのだろう(聞いていないから知らないけれど、想像は出来る)。だから日頃の鬱憤を晴らすために多くの人が聴きに行き、溜飲を下げたのだろう。世の中には不条理と感じられることが多い、なんで自分はこんなに生活が苦しく、面白くないことばかりなのだという不満が、じつは誰かのせいである、と明快に語ってくれれば、面白くないはずがないではないか。たぶんほかの候補の多くもそういう誰々のせいでこういうことになっている、と批判を繰り返していたことだろう。

 

 一般の議員の選挙ならそれで票が取れるのである。人気投票ならその巧拙で票が取れる。そういう人気投票なら蓮舫氏は一番人気だったかもしれない。都知事選挙をそういうものだと勘違いしていたのが蓮舫陣営で、立憲民主党も敗北分析の時の首のかしげ方に、未だにその勘違いに気がついていないことがうかがえた。

 

 都知事として都の行政をになうということがどういうことであるのか、それを実感的に理解しているのは小池氏と石丸氏である、と投票者の多くが感じたのであろう。今回は無党派層の票が多く、その票がこのふたりに集中していたように見えたことがそれを表している。都知事を選ぶなら、都政を担えるひと、という基準で選ぶとき、蓮舫氏はその基準に合致しないと考えた人が多いということなのである。

 

 これを見ると、人気投票的な投票にはたぶん、かなりの票を野党が集めるけれど、国や地方の行政を任せる、という視点からはまだまだだと思うのはどうしてなのか、野党はそのことに気がつかないと万年野党に甘んじるしかないだろう。まともな都民や国民はちゃんとそのことを理解している。あまり馬鹿にしてはいけない。

紀行文(14)

 紀行文についてのこのブログを下書きだけして忘れていた。番号が飛んでいたので気がついたから、付け加えておく。

 滞在記が紀行文であるかどうかは意見が分かれるところであろうが、私は紀行文だと思っている。中国に滞在しての文章の三冊、青木正児(あおきまさる)の『江南春』、石田幹之助『長安の春』、奥野信太郎の『随筆北京』は全て東洋文庫に収められていて、とくに『長安の春』と『随筆北京』は愛読書として繰り返し読んでいる。中国に興味がある人なら必読本だと思っている。

99120059北京にて

0037西安にて

 私が初めて海外へ、中国へ行ったのは北京と西安で、行く前に読み、行ってから読み、思い出してはまた読んでいる。もちろん私が行ったときにはすでに本に書かれているようなむかしの中国の風情はかなり失われていたが、かすかに幻視することが出来たこともあった。たぶんどんどん風情は失われ、ついには過去をたどるよすがもなくなってしまうであろう。それをかすかでも垣間見ることが出来たことを幸せだったと思っている。

朝一なら

 今回の旅行中にも歯磨きは欠かさずしていたつもりだが、処置中の右下奥歯の歯茎が少し化膿した。腫れたり引いたりして痛みはないのだが気持ちが悪い。土曜日に歯医者に連絡し、月曜日の朝一番なら診察してもらえるとのことだったのでお願いした。

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 これから出かけて治療する。そろそろ神経を抜いてもらうしかないかもしれない。その覚悟をこちらがするのを医者も待っている気がする。

2024年7月 7日 (日)

教育は難しい

 父が教師だったので、それを知る同級生などからは、お前も先生になるのだろう、などと言われた。だから意地でも先生にはなるまいと心に決めて、先生にならなかった。いまのモンスターペアレントなどの話を見聞きするにつけ、先生にならなくて本当によかったと思っている。子供のしつけも教育も先生のせいにして、何の疑いも持たない人間(一部の親やマスコミ)が多すぎる。子供に問題があれば、まず親である自分の責任を胸に問うてからにせよ、といいたい。何でも学校や先生のせいにして糾弾者になったり被害者という名札を下げて恥ずかしくないのか。もちろん、学校や先生に問題があることもあるのはもちろんである。だが全てがそうか。

 

 集団で教育するということは大変難しいことである。親が自分の子供をしつける、教育することだって難しいのは、親を持ったことのある人間なら分からぬはずはないし、それでも分からないなら親になる資格がそもそもない。学校教育というのはそういう問題を孕んでいる。それでもある意味で社会生活の体験、集団生活で味わう理不尽を体験することに意味があるとあえていいたい。

 

 新・プロジェクトXで、トットちゃんこと黒柳徹子が小学校を退学になり、そこでともえ学園に入ったことで自分自身に目覚めていまがあることを誇らしげに語っていて、個別の子供を見守る教育ということを実践した小林先生を賞賛していた。集団生活になじめない子供、耐えられない子供というのは必ずいる。問題児として扱われてしまうが、じつは感受性や強い好奇心があるために集団行動がとれない場合がしばしばあって、それをきちんと見守れば、才能が開花することはエジソン以来よく語られることだ。そのことはよく分かる。だからといって全ての子供にそのような個別教育を実践することが可能かどうか。

 

 教師の能力と意欲が人一倍要求される個別教育に耐えられる先生が、いまどれだけの割合いるのか考えると、理想は理想として、出来ることと出来ないことがあるのではないか、と思う。そういうことをわきまえてこの番組がつくられているのかといえば、理想を現実にすべきだ、という匂いが強くていささかお花畑的な感じを受けてしまったのが残念だ。語り継がれる小林先生が独りいて、たくさんいなかったからこそ賞賛されるので、たくさんいるべきだ、と念仏を唱えても、空念仏でしかない。

 

 ところで、ともえ学園開園の年、昭和12年は、「くしくも日中戦争が始まった年で」などと番組で言っていたが、くしくもは、「奇しくも」であろう。奇しくもは「ふしぎにも(by岩波国語辞典)」ということで、おかしいだろう。この場合なら、「おりしも」というところが妥当ではないのか。違和感を感じた。

親不知

我が家から東北へ行くときは中央道、長野道を乗り継いで上越へ出るから親不知を通らない。金沢や富山へ立ち寄ってから東北へ向かうときにはもちろん通るのだが、北陸道を走ってしまうので、親不知の絶景を見ることが出来ない。親不知を見るには国道18号線を走るしかない。そしてその国道8号線に、親不知の断崖から見下ろすことの出来る場所がある。

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その場所をブラタモリで教えられた。

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むかしはこの断崖の上の道はなかった。はるか下に見えるわずかな浅瀬を波の間に間に走り渡るしかなかった。いま見ているこの場所の真下もずっと同じ状態である。

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芭蕉も、橘南谿も、この道ともいえない道を行った。

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この方向のむこうに能登半島があるはず。

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この方向に佐渡島があるはず。

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船がまったく見えないと思ったら、小さな舟が一艘、波に浮かんでいた。

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親不知の成り立ちの図。

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私の泊まったのは、まさにその親不知の展望台のある場所のホテル。よくまあこんなところにホテルを建てたなあ、というようなところにある。国道8号線はカーブが多く、しかもトラックも多いから、運転に慣れない人にはいささか怖いところである。運転に夢中になるとこの場所はたぶん眼に入らないから見過ごしてしまう。ここにあるはず、と思って意識しないと立ち寄るのが難しいところなのだ。

ブラタモリの後にすぐここに来て写真を撮った。今回親不知にホテルがあると知り、たぶん、と思ったらやはりここだった。

オーシャンビューの素晴らしい絶景の宿で、もちろん魚はまことに美味しい。その上ボリューム満点で腹一杯になる。宿の主人は、場所が分かりそうでわかりにくいですからね、と笑った。

これで今回の雨交じりの急ぎ旅の報告は終わり。

玉川ダム

秋田から盛岡へ至る国道47号線を、角館を過ぎてしばらくして国道341号線を左折すれば、そこが田沢湖へ至る道である。そのまま田沢湖を通り過ぎていくと、玉川沿いに仙北市、そして鹿角市に至る。途中右折すればもう八幡平である。この道を通って八幡平に何度か行った。鹿角からさらに北上すれば十和田湖である。

それとは別に、田沢湖の西側の国道105号線を北上すればマタギの里、阿仁に至る。阿仁を右折すれば打当温泉がある。ここにも二度ほど泊まった。このあたりはふつうに熊も出没する。田沢湖からはさまざまなところへ通じていて、ゆっくりめぐりたいところなのである。たぶん縄文時代から豊かなところだったところなのだと思う。その痕跡もさまざまあるようだ。稲作文化とはなじまない土地だから、その後過疎地になった。

以前玉川沿いに走って、その青さに魅せられたが、立ち寄る時間がなかった。玉川には玉川ダムがある。今回そのダムとダム湖を訪ねた。ダム湖を宝仙湖という。宝仙湖ブルーが見たかった。

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ダムの下へ降りる道があったので降りてみた。

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発電所からの放流口。

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この絵のように、普通のダムからの放水ではなく、地底から水が流れ出しているのだ。

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上へ上がって見る。

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なんとあの夢にまで見た宝仙湖ブルーの青さがないではないか。

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このポスターの下の部分の青さ、これが宝仙湖ブルーで、以前この色に感激したのだ。雨で濁っていたのであろう。残念だが仕方がない。

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先ほど下で見た放流口を上から見下ろす。

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ダムの展示館をのぞく。暗くて熊がはっきりしないが、さまざまな生き物がいるらしい。

玉川温泉の近くまで行って、時間なので田沢湖高原の宿まで引き返す。玉川温泉は日本で有数の強酸性温泉で有名だ。一宮の年下の友人が、息子さんとこの温泉に行ったと話していたのを思い出した。息子さんは仕事の関係でこの秋田に赴任していたのだ。

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田沢湖高原より少し下にある水沢高原から秋田駒ヶ岳を見上げる。このあたりにはスキー場が多い。

2024年7月 6日 (土)

御座石神社

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田沢湖といえば西南岸に立つ金ピカの龍子姫像が有名で、みんなそこをめがけていく。田沢湖に行ってきました、といえば金ピカの龍子姫の写真を撮らぬとならぬようである。私も誰かを連れて行くときはそこを見に行くが、一人の時には行かない。田沢湖の北岸に御座石神社(ござのいしじんじゃ)という神社があり、そこに私のイメージする本物の龍子像がある。

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神社の拝殿登り口の横にこんな石碑があるが、たぶんこの場所が優れていることを記しているのだろうと思う。ここがまさに私の好きな田沢湖ブルーの場所だからだ。

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神社の拝殿。大きな神社ではない。拝んでいる女性は、前の茅の輪くぐりをしてから手を合わせていた。この右手に・・・。

 

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龍子像がある。

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究極の美しさを求めた果てに、願いは叶ったものの半蛇身となってしまった女性の哀しさを感じる。

美しさとは何か。ただ美しいことと、誰かにその美を認められて愛でられること、そのことに気がついたときにはすでに彼女は取り返しがつかなくなっていたのだ。

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以前はこんなものはなかった気がする。龍子姫が美の守護神だなどとは・・・。彼女の哀しみをともに悲しむことこそが彼女への供養であって、彼女に何かを願うというのはどうなのだろう。それとも私が勘違いをしているのだろうか。

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この鳥居の向こうが田沢湖ブルーが最も美しく見られる場所である。鳥居は北岸にあるから南面している。なまじ青空ではないから田沢湖の神秘感が感じられた。このあともう一つのブルーを見に行く。

紀行文(15)

 あとであれもあったこれもあったと思うものが出てきそうだが、切りがないので今回を打ち止めとする。東洋文庫では司馬江漢の『江漢西遊日記』は棚にあるのに全くの未読。早いうちに読もうと思う。川路聖謨(かわじとしあきら)の『島根のすさみ』は、佐渡奉行として赴任する旅と、佐渡での出来事を日記にしるしたものだ。島根への旅ではない。先日佐渡へ行く前に拾い読みしたが、まだ通読していない。

 

 そういえば椎名誠のエッセイは旅の話が多い。出るたびに買って読み、読み終わってたまるとその都度処分してきたので、手許にはほとんど残っていない。今ふいと思い出したの『わしもインドで考えた』とか『ロシアにおけるニタリロフの便座』などで、つよく印象に残っている。パタゴニア紀行の本もあって、彼の写真付きでこれはなかなか好かったが、題名を忘れた。

 

 宮本輝の紀行文も優れている。『異国の窓から』という、ドナウ川の源流を訪ねていく紀行文は、後に『ドナウの旅人』という小説に結実する取材旅行だが、私はこの人の紀行文に不思議な魅力を感じた。

 

 以上で自分にとっての『紀行文』について、ひとまず終了とする。

田沢湖ブルー・・・

田沢湖まで足を伸ばしたのは、田沢湖ブルーが無性に見たくなったからである。

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ここがとくにおすすめの場所。

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おお、田沢湖ブルー・・・。しかしちょっと。

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雨が続いたせいか、白っぽく濁っている。本当は湖底まで透き通って見えるほど澄んで青いのだが。

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写真ではわかりにくいが、代わりに二十センチほどの魚がたくさん泳いで見えた。

2024年7月 5日 (金)

日常モードに戻す

親不知から途中どこにも寄らずに我が家に直帰。安全運転でいつもよりもゆっくり走ったけれど、昼過ぎには我が家に無事に帰り着いた。猛暑の炎天下に今年最高の気温を体感した。エアコンを入れ、洗濯物をすぐ洗濯する。この陽気だから夕方にはちゃんと全部乾いていた。昼間に水をやるのもどうかと思ったが、鉢の植物たちに水をたっぷりやる。なんとかへたらずにいてくれた。朝顔の蔓がずいぶん伸びていたのでベランダに絡ませてやった。

洗濯が済んですぐに買い出し。野菜などの日持ちがしないようなものは全て食べておいたので、それを補充する。ひととおり片付けたら途端にぐったりした。今回の旅は歳を考えない強行軍のスケジュールになってしまった。日常モードに戻してしばらくおとなしくするつもりだ。

旅の報告が中途半端なので、残りは明日から二三回に分けてブログに書くつもりである。

紀行文(13)

 紀行文が読みたくて、東洋文庫にめぼしいものがあるといろいろ取り寄せて楽しんできた。とくに中国の旅が私のお気に入りである。明治時代の漢詩人の竹添井井(たけぞえせいせい・1841-1917)が蜀を訪ね、山峡下りをする紀行文『桟雲峡雨日記(せんうんきょううにっき)』はその中でも読み応えがあって面白いものだった。漢詩人であるから、漢詩がたくさん取り上げられ、自らが詠んだ詩もある。漢詩は調子が好いから嫌いではないが、詩興をちゃんと楽しむほど理解力があるわけではないので、その点は中途半端であるのが残念だ。ここでも竹添井井が見ている景色に、過去の人たちが見た景色が時代を超えて重なって、時空の厚みが自分の胸郭を広げてくれる心地がする。

 

 同じような旅をもちろん中国の文人もしていて、南宋の陸游の『入蜀記』、同じく陸游と並び称された南宋の范成大の『呉船録・攬轡録(らんぴろく)・驂鸞録(さんらんろく)』も東洋文庫に収められており、范成大の方はなんとか通読したが、陸游の方はまだ拾い読みだけで通読していない。これから人名辞典と中国の地図を脇に置いてチャレンジしようと思っている。

朝焼け

昨晩早めに爆睡したので四時前に目が覚めてしまった。遮光カーテンを開けたら空が赤くなっていた。

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しばらくしたら

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少し明るくなり、

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かなり赤くなった。

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空に青みが加わり始めて、このあと赤みはなくなってしまった。

夜明け前に空を見ていない人はこの赤さを知らないだろう。

今日はこの親不知の海から出発して、帰路につく。名古屋は36℃の猛暑の予想だ。

2024年7月 4日 (木)

計算間違いと絶景

 今朝は濃霧の中、田沢湖高原の宿を出発した。朝風呂の時にはほとんど雨はやんでいたのに、朝食の頃から激しい雨に変わった。これでは駐車場に行くまでにずぶ濡れになってしまう。様子を見ていたら小やみになったので、すぐ車に乗る。ナビを設定したら、今晩の宿まで650キロあまり、到着は六時頃になるという。距離をよく考えずに予約したのが大きな計算間違いとなった。

 自分のつもりでは日本海をたらたらと南下するつもりだったが、それだともっと時間がかかる。東北道から磐越道で日本海に出るのが一番早いとナビはいうが、本当だろうか。

 途中は雨だったり晴れていたりと天気がめまぐるしく変わる。一気に650キロはいまの私にはかなりハードだ。今晩の宿は親不知。ちょっとスピードを出したので、いまさっき到着した。まさかというところにホテルがあった。

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これがいま宿の窓から撮った写真である。まさに眼下は断崖と親不知の海である。以前ブラタモリでここを歩いていたので、追っかけて見に来たことがあるが、そこのレストランの隣にホテルがあったのだ。すごいところにあるホテルである。魚がうまいと自慢していたが、さて、まず一風呂あびて運転の疲れをほぐし、食事にすることにする。食事はちょっとゆっくりめにしてもらうことにした。地酒は何があるかな。

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