2022年10月 2日 (日)

世界はロシアと中国になるのか

 これは私の妄言であると断っておく。

 

 ロシア人の兵役のがれのための出国が相次いでいる。周辺国はその対応に苦慮し、ロシア人に対する入国制限がはじまった国もあるようだ。ロシア政府は出来るはずなのにそういうロシア人を厳しく取り締まり、出国制限をしないのはどうしてだろうか。

 

 実は、内心ではもっとたくさん出国して欲しいと思っているのだ。一定数のロシア人が棲みついた国が増えるのは、ロシアにとって望ましいことだからだ。そのロシア人を迫害から護るためにロシアは軍隊を派遣することが出来る。百人のロシア人だけで独立することだって出来るかもしれない。独立を阻止しようとしたら、ナチスだと非難すればいいのである。

 

 そんなことは通用しないのかと思ったら、誰もそれを止められない。止められないということは通用するということである。そんなことで通用するなら面倒はない。真似をするかもしれない国がお隣にいる。中国人は世界中に散らばっている。アフリカなんて、ロシア方式で中国人を護るためと称していくらでも中国は軍隊を派遣し、選挙で中国支援国として独立させることが出来る。中国もロシア同様に国連の常任理事国のひとつで、誰もそれを止めることが出来ない国である。国連の仕組みはそうなっているらしい。

 

 ドミノ倒しのように次々にロシアと中国は各国を吸収して膨張し、ますます強大になり、ますます止めどがなくなり、やがて世界はロシアと中国だけになるだろう。その次はロシアと中国のたたき合いになるかもしれないが、私はその頃にはもう生きていない。いや、案外生きているうちにそれを見ることになるかもしれない。あり得ないことが現実に起きているのだから。

薬を捨てる

 食器棚の一角に薬類を収納している。使いかけを放り込んで、必要に応じて引っ張り出す。取り出してみると期限の切れた薬がたくさんある。一ヶ月や二ヶ月なら気にしないのだが、さすがに一年以上前に期限の切れているものはまずいだろう。

 

 古い湿布薬などが結構ある。どんどん捨てていったら、棚の薬が半分以下になった。娘のどん姫にもらったアルコールと噴霧器は、ちょっと使っただけでしまい込んだままだった。すまぬことで、もっとせっせと使えば良かった。ところでその食器棚には何年も使っていない食器がどっさり入っている。今度はそれを取捨選択しなければ。使えるのに捨てる、というのがどうしても抵抗があるんだよなあ。

2022年10月 1日 (土)

レンジ磨き

 ガスレンジを新しくしたいと思っているが、出費の負担を考えて依頼を迷っている(旅にかける金は惜しまないが、こういうことにはケチなのである)。錆と汚れがこびりついて取りきれなくなっている。大きな歯ブラシ状のワイヤーブラシ、専用の洗剤を買い、ゴム手袋をはめて昼過ぎからとことん磨き上げている。汗だくになるほど頑張ったので、だいぶ良くなった。もともとこまめに磨いていればこんなことにはならなかったのだが、後悔先に立たずである。

 

 こういうことには勢いがつく。これもしよう、あれもしようと思う。勢いがあるうちにどこまで出来るだろうか。今日は水回りを重点に張り切ったのだが・・・。

読んだ本を引用することについて

 ざる頭の私なりに、いろいろなことを考える。考えは「よどみに浮かぶうたかたのように」浮かんでは消えて、とりとめがない。少し考えを深めようと思っても、何を考えていたのか忘れてしまうので、常に考えはあさはかなままだ。ブログを書くようになって、浮かんでは消える考えを書き留めるようになった。お粗末なりに、以前よりはバラバラだった考えと考えが関連し始めて、たいへんボケ防止に役立っているように思っている(思っているだけかもしれない)。

 

 同じように本を読んだら読みっぱなしで、それを反芻することがなかった。読んだ本のことをブログに書くことで、読んだ本のことを考え、自分が何を感じたのか書き留めることによって、多少は記憶に残るようになった。ブログに読んだ本の一部を引用するのは、そこに私なりにアンダーラインを引きましたよ、と言う表明である。

 

 以前、私にとってのブログは公開日記であり、匿名の長い自己紹介であると書いたことがある。そうしたら、公開日記や自己紹介なんかちゃんちゃらおかしいからブログに書くな、というコメントをいただいてびっくりしたことがある。不愉快だったらしい。しかし私はブログを読むことを「強制」するつもりもないし、できるはずもない。不愉快なら読まなければいいだけのことだ。読んでもらってありがたいものの、めんどくさいのはきらいだ。 

 

 引用した筆者の意見ばかりで私の考えが述べられていない、という指摘をいただいた。その筆者の本のその部分を引用した、ということに私の考えの一端があると思っているが、他人の言葉で自分の考えを語るな、という批判であるようだ。

 

 戦後しばらく経っての世の風潮について書かれたものを引用したことにたいする指摘であったが、私としてはその時代を自分の時代として生きていない。その文章から、いまをどう捉えるかを考えようとしてブログに書き留めた。両親や叔父叔母からその時代のことを聞いていて、それぞれちがう。それらが総合して影響し、私の歴史認識につながっていく。私としては、その本を読んでいない人にそういう考えを紹介しようという意図もある。

 

 私は面倒なことがきらいで、それなのに自分が面倒くさい理屈っぽい人間でもあった。ずいぶん迷惑もかけたが、歳とともにそうではなくなっていると思う。ある時期、個人的な事情で、最もきらいな、面倒くさい人たちと関わらざるをえない時期があって、疲労困憊した。ああいう思いはこりごりである。多少みっともなくても面倒くさいものは回避することにしている。「回避している、逃げている」と指摘されたら「はい、そうです」と答えるしかない。それでいいと思っている。ご承知おき願いたい。

訃報

 昨夕、円楽の死を知った。72才は私と同年である。他人事に思えない。当意即妙、頭の回転の速さはピカイチだった。いまの「笑点」は、円楽なしではそもそも成り立たない。いままで変則的なメンバーでつづけていたが、はっきり言って面白くない(特に関西から来た文枝(元の三枝)のときなど、ひどいものだった)。毎週楽しみに観ていたけれど、この番組も円楽とともに寿命を終えることになる気がする。

 

 私は先代の円楽の師匠である三遊亭円生が好きで、CDのコレクションを持っていて、時々聴く。先代の円楽はあまり好きではなかった。いまの現役の落語家の話を聴くことはほとんどなくなった。久しぶりに円生か、先代の正蔵(彦六)のCDでも聴こうかと思う。

 本日、名古屋の最高気温は32℃の予報。朝から暑そうな気配。

2022年9月30日 (金)

はてしない

 出したら仕舞う、開けたら閉める、とこどもたちに繰り返し私が言っていたのは、実は半ば以上自分に対してでもあったのだが、情けないことにこどもたちは「そんなこと言われていたっけ」などと首を傾げる。そんなくらいだから、私が家を見回せば、かけ声だけだったなあと思わざるをえない。

 

 昨日掃除したのだから今日はしなくていいというわけにはいかない。昨日食べたから今日は食べなくてもいいというわけにはいかないのと同様だ。それでも根っからの不精者だから、掃除は常におろそかになり、しなければならなくなるときは大掃除になってしまう。掃除をルーチンに出来ていた両親がいまさらのように尊敬される。ゴミ屋敷の住人だって、汚いのが好きなわけではないだろう、などとあらぬ事を連想する。

 

 ゴミ屋敷にならないうちに片付ける。したくないけれどブツブツぼやきながら掃除をする。果てしない戦いだなあ、などと思う。

 

 午前中、掃除と洗濯をして、くたびれたのでぼんやりしている。来週初めに糖尿病の定期検診。その次の週には弟夫婦と妹がやってくる。それがあるからぼちぼち掃除もはじめなければ、というわけである。

 今日で九月も終わり、明日から十月だ。なんだかあっという間に時が過ぎていく。焦っても取り戻せないのだけれど、やろうと思っていたことをたくさん忘れたままにしているような気がする。

立ったまま

 ちょっとした段差や、何かをまたぐとき、自分が思っているようには足が上がっていなくて、よく躓くようになっていた。よろけて倒れたことも二、三度ある。それが、このごろはほとんど躓かなくなった。

 

 立ったままパンツを穿くことも難なく出来るし、なんと靴下も立ったまま履くことが出来る。足がほぼ自分の思っているように上がるようになった。

 

 学生時代、ちょっとだけ格闘技をしていたので、腿上げや、身体の柔軟性を鍛えられ、一時は前屈で胸が床につくほどだった。足が上がらないのは腿が上がっていないのだと考えたが、立ったまま腿上げすると不安定で倒れる危険がある。そこで横着ながら、仰向けに寝た状態で足を引き上げ、腿を胸に付けるようにする運動を始めた。胸には着かないがそう意識して引き上げるのである。引き上げた足をのばしたら足を床に着けずに浮かせておく。それを当初は左右に二十回、一月つづけていまは五十回ずつ行っている。寝たままの動作だから、大してむつかしい動作ではないが、丁寧にやると身体が少し温かくなる。

 

 寝起きと寝付くときに行う。腰が痛かったり億劫だったらやらない。その運動の結果が躓かなくなることにつながったのだと思っている。

 

 ついでに軽い腹筋運動と前屈運動、肩甲骨を回す運動をする。身体が温かくなるせいか、寝付きも良い。自分としては珍しく三日坊主の峠を越えてつづけることが出来ているのは、それだけ楽な運動だからで、それで効果があればありがたい。

謝罪だけですむことなのか

 J-CASTニュースが、安倍元首相の国葬の祭壇がハリボテに見えた、祭壇の写真はトリックアートのようだった、と指摘されていると報じた。そういう声があったという言い方で、自分の言いたいことを報道するやり方は、ネットニュースでしばしば見る。最近はメジャーのメディアまでそれを真似する。そのことに何の恥ずかしさも感じないらしい。

 

 経費を切り詰めれば祭壇もハリボテにならざるを得ないだろう、と想像させるが、実物を見ていないので、わからない。それをことさら報じることの意味もわからない。

 

 テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」のレギュラーコメンテーター、玉川徹氏が「菅氏の弔辞」について述べたコメントについて「事実ではありませんでした」と述べて謝罪したそうだ。芸能リポーターにしか見えないこの人が嫌いでこの番組は見ない。だから実際の発言は見ていないが、とんでもないことを言ったようだ。

 

 安倍元首相の国葬で、盟友であった菅元首相が弔辞を読んだ。その弔辞に安部夫人もハンカチで涙を拭っていたし、会場にはその弔辞に胸をうたれた人が多いように見受けられた。私もそうである。二人の関係はだれもが知ることで、菅氏が語った言葉は、心からのものと聞こえた。

 

 その弔辞が「一番胸に刺さった」と羽鳥アナが言ったのに対して、玉川徹氏は「これこそ、国葬の政治的意図だと思うんですよね」とコメントした。つづけて「僕は演出側の人間ですからね。テレビのディレクターをやってきましたから、それは、そういう風に作りますよ。とうぜんながら、政治的意図がにおわないように制作者として考えますよ。当然、電通入ってますからね」と述べたそうだ。

 

 それに対して、ネットでは「玉川さんのコメントですっきりした」「玉川さんに100%同意する」などの意見が寄せられたそうだ。

 

 菅氏の弔辞に感動したという羽鳥アナに対して、「電通の演出だ」と述べたことは、弔辞そのものも電通が作成したものだ、という憶測を呼ぶような物言いだったとして問題になったようだ。

 

 今回の国葬に電通が入っているという玉川徹氏の発言は、事実だったのか。そんな事実はなかった。「私が安倍元首相の国葬に電通が関与しているという風にコメントしたんですけれども、この発言は事実ではありませんでした。さらに、電通は全く関わっていないということが分かりました」と、事実誤認による発言だったことを玉川徹氏が認めて謝罪したそうだ。

 

 事実誤認というのは勘違い、ということである。しかしこの場合、事実ではないことを自分の想像で語ったのであって、勘違いではなく、嘘をついたということである。そう思いたい人に向かって「なるほどやっぱりそうだったのか」と思わせるような嘘をついたのである。案の定そう思った人が少なからずいた。

 

 謝罪ですむことかどうか、これからどうなるのか知りたい。テレビ朝日は不問に付すのだろうか。事実無根の嘘をつくようなジャーナリストはこのままコメンテーターをつづけるつもりなのだろうか。

2022年9月29日 (木)

認識の大きな隔たり

 日中国交正常化50周年を記念したニュースの中で、野田元首相のインタビューを観た。尖閣国有化断行により、中国との関係を紛糾させたことについての彼の考えが語られていた。胡錦濤政権末期の尖閣国有化である。この国有化は胡錦濤にとって、自分へのダメージが大きいことを危惧して強く国有化をやめて欲しいという懇請があったことは(前後の報道を見る限り)事実である。なんの国際会議のあとだったか忘れたが、野田首相に取りすがるようにしていた胡錦濤の姿を目にした記憶がある。

 

 しかし野田首相はそれを拒否して国有化を断行した。インタビューでは「強権の習近平では反撥が強すぎると判断した。政権末期の胡錦濤時代にしておく方が反撥が少ないと判断したのだ」と誇らしげに語っていた。

 

 習近平が強権であることはその時点では明らかではなかった。野田元首相は説明に現在を基準にして言い訳しているようにしか思えない。話は原因と結果を逆にしているとすら私には思える。歴代の中国のトップは、政権を退いても次代に影響力を残すことに腐心する。そうでないと自分の身が危ういからだ。政権末期に尖閣国有化を日本に許したことは胡錦濤の責任として共産党内部で激しく糺弾された。結果的に全く次代に、つまり習近平政権に影響を残すことが出来なかった。

 

 政権交代前後、二月近く習近平は姿を殆ど見せなかった。権力抗争で最後の反撃に遭うという身の危険を感じたのだ。結局、軍も行政もすべてを政権発足当初から習近平が掌握することになった。胡錦濤の影響を払拭することに成功したのだ。

 

 野田首相はある意味で「強い習近平」を産み出すことに貢献し、現在の中国の横暴を産み出す功労者になったのだ、と言うのが私の見立てで、ことほど左様にものの見方、認識というのはちがうものだなあ、と感じた次第である。

併合

 選挙と称する茶番劇で、ロシアがウクライナの東部などの州の独立を承認し併合に向けて既成事実を積み重ねようとしている。こんなことがまかり通ることは、本来あり得ないのだが、国連は、そして世界は誰も止められないで手をこまねいている。

 

 これが通用するなら、ロシア周辺国は恐ろしくてしようがない。どの国も国内にロシア人やロシア親派の人たちを抱えているからだ。現にモルドバはそのような地域を抱えていて、首相は今回のロシアの暴挙に対して反対を表明している。トルコだってクルド地域を抱えている。理屈上住民投票と称するものを実行して独立することだって出来ない理屈はないことになる。

 

 中国は、台湾について同じ手法で併合することは可能だと言えるのだが、そんなことをすれば、インドがチベットをバックアップして独立することも出来るだろうし、新疆ウイグル自治区だって、どこかの強国(たとえばロシア)が介入して住民投票したらまず独立可能だろう。台湾以外の独立は、インチキをしなくても、正しい選挙してさえ可能ではないのか。中国としてはこの手法は諸刃の剣となるのだろう。

 

 これは妄想だが、沖縄にどんどん中国人が棲みつけば、沖縄が日本から独立する可能性は大いにありそうである。国家元首は現在の県知事か。そうなると米軍は行き場を失うなあ。無理が通れば理屈は引っ込む、無理を止めるシステムが働かない世界は無秩序に突入してしまうのか。冗談でも他人事でもない事態が進行している。

軽さが気持ち好い

 小川糸『グリーンピースの秘密』(幻冬舎文庫)を読了した。彼女の2018年の一年間を日記で綴ったエッセーだ。このときはベルリンで暮らしている(2020年に帰国)。ベルリンの四季の風景、人びとの暮らし、ドイツ人の考え方などが、彼女流の何でも受け入れるものの見方で軽やかに語られていく。

 

 旅と、そこで暮らすということは根本的にちがう。知りたければそこで暮らす必要がある。旅人や観察者では祭りに参加したことにならない。異国で暮らすことはさまざまな困難に出会うことだと思うけれど、泣き言を書かずに軽やかに語れることに羨望するが、実際はそんなにらくらくと暮らせているわけではないだろう。

 

 それを乗り越えられるのは、知らないことを知ることに喜びを感じる好奇心を持ち合わせているからだろうと思う。それは彼女が料理好きであることと無関係ではないはずだ。とにかくやってみる、と言うチャレンジ精神がないと、新しい料理のレパートリーは増えないものだ。料理をする女性が魅力的に見えるのは、理由がある。

 

 もし彼女の本を読んだことがなければ、こういうエッセーを読む前に、ぜひ彼女の小説を読んで欲しい。『ライオンのおやつ』なんて、お勧めだ。題名が軽そうに見えるけれど、内容はとても重い話で、人生観に影響を受けるかもしれない。『ツバキ文具店』でも好い。料理好きなら『食堂カタツムリ』も好いし、『つるかめ助産院』もいろいろ考えさせてくれる。

 彼女が山形生まれの山形育ちであることも、大学を山形で過ごした私として多少思い入れがあるかもしれない。母親との確執が彼女を重くしていないように見えるのは、彼女が乗り越えたものの大きさを思わせる。

2022年9月28日 (水)

戦争責任(2)

 前回につづく

 

「この奴隷状態を存続させた責任を軍や官にだけ負わせて、彼らの跳梁を許したばかりか、進んでそれを手伝った自分たちの罪と愚かさを反省しなかったら、話になるまい。ところがいったん戦争に負けると、これまでいやに卑屈な格好をしていたのが、金切り声で軍官を責め、国民をおだてるようなことがはじまった。軍や官の許しがたいことはいうまでもないが、われわれ国民がどんなにダメだったかということ、これをぬきにした言論には、黙っていられない反撥を感じないわけにはいかなかった。戦後二十年になるが、われわれの情けないメンタリティに変わりはないと僕はみている」。

 

 このあとしばらく雑誌『展望』に関連しての言論人批判のあと、だいじなことを書いている。

 

「たとえばこういうことがある。戦没者慰霊祭などは、革新勢力が提唱して、国民の名において戦後早い時期にやるべきだった。三百万という犠牲者のおかげで、絶対主義と軍国主義日本が、近代国家に生まれ変わることができた。戦争が知らないうちにはじめられ、知らないうちに終わってしまうなんてことはありえなくなった。それだけが戦没者の霊を慰めることのできるゆえんであることをはっきりさせて慰霊祭をやるべきであった。が、それどころか、戦没者や遺族に肩身の狭い思いをさせるような雰囲気をかもし出し、ついに反動勢力が、靖国神社の境内で、天皇の参拝つきでやってのけるというふうに、何もかもさらわれてしまった。適時適切なくさび打ちを忘れて、戦争の犠牲でかちとったものを、なし崩しに崩したのは、革新勢力の責任ではないだろうか?」

 

「戦争中、ひっきりなしに国民を叱ったり、おどかしたり、おだてたりした右の金切り声がたまらなかったように、戦後の向きを変えた左の金切り声もやりきれなかった。右と左とちがうといっても、金切り声に変わりはなく、国民をおだてて利用することにおいてはそっくりだった。まず、その金切り声だけでもやめてくれ、人さまのことを考えてくれるのもいいが、たまには自分の心の中をのぞきこんでみてはどうだろう?」。

 

 私には右も左も同じにしか見えないときがある。私も金切り声が大きらいだ。金切り声で他者を責め立てる人間にとって、自分は別扱い、対象外だから、常に彼は無謬で正しい。私はまず自分を対象として考える。そして考えたことをこのブログに書いている。そして他人に同意を強いるつもりは全くない。「弔意の強制反対」などと叫ぶ人間は、弔意を強制できるものと考えているらしいことにうんざりする。私は強制などされない。ひとを馬鹿にするのもほどほどにしてもらいたい。

戦争責任(1)

 私としてはかなりゆっくりと『臼井吉見集』という評論集を読んでいる。そういうことがあったのか、とか、確かにそうだなあ、と思うことが多々あって、読み飛ばせないのだ。筑摩書房を起こした一員として、そして戦後すぐに雑誌『展望』の編集人として携わってきた臼井吉見だったが、『展望』もついに休刊のやむなきに至る。その休刊の弁を語る文章の中に、戦争責任について書かれていて、私が日ごろ思うところと重なるものがあった。

 

腹の虫がおさえかねたのが・・・で始まる以下の文章

 

「戦争に負けてからは、戦争中とは別の角度から、相変わらず、国民をおだてるような言論が始まっていた」

 

「映画監督の伊丹万作(伊丹十三の父・引用者註)が、敗戦の翌年の夏、戦争責任の問題について書いていた。僕などの考えていたことが、実にはっきりと書かれていた。多くの人が今度の戦争でだまされたという。では、誰がだましたか?軍や官や資本家だという。軍や官の中では、上からだまされたという。すると、最後に残る一人や二人によって、一億の人間がだませるはずがない。このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばからしさや、さては町会、隣組、警防団、婦人会など、民間の組織がいかに熱心に自発的にだます側に協力したかを思い出せばはっきりする。脚絆を蒔かなければ、外を歩けないような滑稽なことにしてしまったのは、軍でもなければ官でもなく、まして資本家なんかではなかった、われわれ国民自身・・・隣組であり、警防団であり、婦人会であり、学校だった」

 

 連想するのは、石油パニックのとき、トイレットペーパーや洗剤を買いあさり、メーカーや商社を糺弾し、備蓄の倉庫を無理やり開けさせて、「ほらここにある!」と叫んでいた主婦たちとそれを報じるマスコミだ。朝ドラの『ゲゲゲの女房』で、子供たちのわずかな小遣いで楽しめる漫画の貸本屋に押しかけ、作家である水木しげるの家に押しかけ、まなじり決して「漫画のような不良図書は許さない」と、極悪非道を行うものとして糺弾していた主婦たちだ。『チビクロサンボ』を書店、学校、図書館から駆逐した正義の人たちだ。

 

 戦前も戦後もおんなじなのである。本当に誰かがだましたのか。だまされたから自分に責任はないのか。

 

「戦争の期間を通じて、誰がわれわれを直接に連続的に圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかといえば、近所の主婦であり、大工であり、小商人であり、百姓であり、小役人であり、労働者であり、会社員であり、教員だった。ことごとく身近な人たちだったのだ。これらは、そのメンタリティにおいて、ことごとく軍であり、官であった。一億官僚だったのだ。国民同士がたがいに監視し合い、密告し合い、苦しめ合った。新聞や雑誌やラジオや学校がそれを助長する役割を積極的にはたした」。

 

 長くなったので次回につづける。

二兎を追うものは

 土曜から月曜にかけて、せっせと本を読んで、結構読み進むことが出来た(二冊読了)。そうするとドラマや映画が観られない。そこで昨日は溜まっているものをせっせと観ていたら一日過ぎてしまい、本が殆ど読めなかった。ほどほどに両方こなすということは、私の脳力ではどうしても無理なようで残念だ。

 

 二兎を追う者は一兎をも得ず、どちらも中途半端に終わってしまう。わかっていたつもりでわかっていない。時間を惜しむあまり、かえって時間を無駄にしているようだ。朝の片付けが終わったあとは、今日はどちらにするか決めて片方をあきらめる方が良さそうだ。

 

 ところで今日は本を読む日にしようと思う。並行して読むために積んでいる本の山に、一冊新顔が加わった。小川糸の『グリーンピースの秘密』。重い本を読んでくたびれたときの合間に読むのに軽くて良さそうだ。この本(2018年時点)では、彼女はベルリンで暮らしている。この本は料理のことがたくさん書かれた日記風エッセイである。思えば彼女との出会いは、映画『食堂 カタツムリ』の原作者としてであった。次がテレビドラマの『つるかめ助産院』、本として読んだのは『ツバキ文具店』が最初で、これは多部未華子(超大好き)の主演でドラマにも成った。もちろん続編の『キラキラ共和国』も読んだ。娘に貸したけど読んだだろうか。『サーカスの夜に(これもドラマになった)(これもドラマになった)も感激して読んだ。気持ちが洗われるというか、イヤされるというか、好いんだよなあ。彼女の本。

2022年9月27日 (火)

二分

 マスコミは、国論を二分しての安部元総理の国葬、という報じ方をしていた。この二分というのが国葬に賛成か反対か、という違いによるものであることは明らかだが、反対の立場にはさまざまな色合いがあって、そのことを国葬の当日に冷静に見ておきたい気がする。

 

 現在、反対している人たちは、大きく分けて、安倍元首相が国葬にふさわしくないから国葬に反対だという立場、そして国葬決定の経緯が法的、手続き的に正しくないから反対だという立場などがある。安部元総理については、モリカケ問題や政治姿勢が反対だからきらいである、と言う強固な反対者がいる。しかし、そこそこそれなりに頑張っていた、と言う見方をしていたのに、時間とともに国葬反対に転じた多くの人たちがいる。

 

 今となっては国葬決定は拙速だったように思える。日ごろ、なかなか決定をしないように見える岸田首相が、どうして国葬についてあんなに簡単に決定したのか。そこに国葬にすることが自分の政権の強化につながる、という思い込みがあっただろうと想像される。一歩踏みとどまり、過去の国葬、国民葬、党葬などの違いなどを振り返り、その経緯に学び、国葬の是非を考慮するという、とうぜんすべきことを経た気配は全くない。学ばなければ想像力も働かない。いまの状況は彼にとって心外そのものだろう。明らかな読み違いだ。

 

 本来、安倍元首相殺戮者に、そしてその原因を生み出した元統一教会にこそむくべき怒りのエネルギーが、どうして国葬反対のエネルギーに転じてしまったのか。それこそ岸田首相の無能無策のなせる技のように私には見えている。拙速でもいいから迅速にすべきことは、元統一教会に対する自民党のみそぎ行動だったはずで、それを怠った失敗は歴史に残るだろう。それこそが最もだいじなことだと気がつかない愚かさは哀しい。国民はそれに怒っているのだと私は考えている。

 

 ところで二分とは少し違うが、ロシアで部分的動員令が発令されて、徴兵が始まったことに反対運動が起きている。それを報じるマスコミの、ミソもクソも一緒くたにしている雑な報道の仕方にうんざりする。

 

 今回の反対運動の多くは、動員令に対してのもののようである。ひとごとだと思っていた兵役が、自らや身内におよぶ現実に気づかされて、動員令に反対しているロシア人が殆どだろう。ところが、ロシア人も動員令を機に再び戦争反対に転じはじめた、などと語るニュースを観る。しかしいち早く動員令発動を察して国外脱出している連中への海外のインタビューを見ると「今回の戦争はウクライナが悪い。だからロシアがウクライナに侵攻するのは正しい。しかし自分が戦争に行くのは厭だ。だから逃げるのだ」と語っている。だいたいいち早く危険を察知する人というのはこういうものだろう。戦争に反対ではないのだ。

 

 ロシア人の多数が戦争反対に転じる、などと言うのは、もしあるとしても、まだまだ先のことだろう。いまの反対は、あくまで動員令に対してである。そしてそのことが最もプーチンの恐れていることでもあると思うのだが。ロシア人の戦意はますます低いのである。

第三部が始まる

 人形劇による平家物語(原作は吉川英治の『新・平家物語』)の第三部が始まった(NHK)。一部十二話ずつ、第二部で平清盛が病死したところで終わっていた。第三部は木曽義仲と平家の戦いが主軸になるようだ。最後には、平家は義仲によって都を追われる。

 

 どうして人形劇が人間によるドラマ以上に心に沁みるのか不思議だ。そこにこちらの想像力が働く部分がたくさんあることが理由だろうかと思う。

 

 平家物語をちゃんと読んだことはないので、登場人物について疑問があってもそれが史実とどう違うのかわからない。たとえば木曽義仲の正妻が巴御前であるかのように語られている(私の勘違いか)のはいかがか。彼女は側室であるし、のちに頼朝に人質として差し出された義仲の息子義高の母ではない。

 

 巴御前については、以前木曽街道の近くにある『義仲館』という、木曽義仲の記念館を訪ねたことがあって、そこで教えられて巴御前にまつわる寺や、巴淵(ともえぶち)という場所を見に行ったことがあり、いささか思い入れがある。

Dsc_9476義仲館前の木曽義仲と巴御前

Dsc_9478館内に展示されている木曽義仲と巴御前

Dsc_9553巴淵・巴御前はここで泳いだという

 吉川英治は物語を実在ではない人物を狂言回しにすることで盛り上げるところがある。小説というものはそういうもの、といえばそれまでだが、それが私には少しうるさく感じられる。戦乱の世、そして権力者と庶民を外観的に見続ける、薬師(くすし)で後に医師になる麻鳥という人物が平家物語に本当に登場するのかどうか、一度調べようと思う。この登場人物は吉川英治が語りたいことを語らせるために彼の分身として書きこまれているように思うのだが。

 蛇足ながらこの人形ドラマのナレーションは黒田あゆみ(現在の渡邊あゆみ)である。何度も結婚しているので名前も何度も変わっているが、私は昔から彼女の色気に参っているし、何よりその声の深い響きに参っている。とても好い。それにエンディングテーマを歌うのは尾崎亜美で、これもドラマによく合っている。毎回最後まで聞いてしまう。全体の出来が好いのである。良いものは時間を経ても色あせないことを教えてくれる。

秋モードへ

 数日前まで今日は終日雨の予報だったが、今朝は晴れ。雨が降り出すのは夜になってからのようだ。やや蒸し暑い。身体が夏モードから秋モードに変わりつつあるようで、寝起きがいささか良くない。充分寝たはずなのに、夜中に無理やり起こされたような寝起きの気分で、起きてもぼんやりしている。

 

 今日は安倍元首相の国葬の日だ。世の中は国葬反対一色ででもあるような、つまり安倍晋三の葬儀が国葬でも好いではないかと言いにくいような空気のなかにあったが、国葬がすんでしばらくしたら、その空気もおさまって静かになることだろう。おさまった空気がこれからどう変化するのか、それを見逃さないようにしようと思う。

 国葬でも好いではないか、という人が多かったものが、どうしてここまで国葬反対が大勢を占めるようになったのか、その理由の多くが岸田首相の言動にあるように思っているが、それを騒ぎ立てた人びとが何を目的としていたのか。正義を謳った人びとは何を成し遂げたのか。立憲民主党は国民の支持を再び取り戻し、党勢拡大をするのか。国葬反対のエネルギーが、元(いちいちこれを付けるのが煩わしい。名前は変わっても中身は同じようだから)統一教会を葬るエネルギーになるのが望ましいと私は思うが、国葬がすめばまた見て見ぬふりに戻るような気もする。もともとマスコミも野党もずっと長いこと見て見ぬふりをしてきたのだから。原理主義の恐ろしさをもう少し国民にわかるように伝えるジャーナリストはいないのか、などとよく知らない私は思う。

2022年9月26日 (月)

作家と作品

 臼井吉見の『蛙のうた』の中の『作家と作品』という文章を読んでいる。彼が戦後、『展望』という雑誌の編集者として出会った作家達の話が語られている。それがエピソードを越えてすぐれた作家論になっているのは彼の他の文章と同様である。

 

 その中の斎藤茂吉と高村光太郎の部分について、特に感じるところがあった。二人が疎開していたのが東北であったというところにその理由があるかもしれない。斎藤茂吉はもともと山形県の生まれである。臼井吉見が訪ねたのは、実家ではなく、大石田というところに近い、へんぴな村の、みすぼらしいあばら屋だった。病後でもあり、戦時中の意気軒昂とした様子とは打って変わって、背を丸めて老いて見える姿だった。つぎはぎだらけの浴衣姿に、そのときの斎藤茂吉の心境を想像している。斎藤茂吉が最上川について詠んだ歌を何首か紹介しているが、和歌のわからない私にも多少はその感興がわかる。

 

 むかしはこの大石田から尾花沢に鉄道が走っていた。終点の尾花沢からバスに乗って銀山温泉へ行く。私が学生のときにはまだその鉄道はあって、友人と銀山温泉に行って泊まった。銀山温泉は私の両親の新婚旅行で滞在したところである。それだけのことだけれど、大石田、と言う地名を見るとつい思い入れがわく。このあたりは芭蕉の『奥の細道』にも出てくる。

 

 高村光太郎は、戦意高揚の戦争詩人とまで呼ばれた戦時中を悔やんで、岩手県の花巻の山中の山小屋に隠棲した。臼井吉見は戦後すぐにここを訪ねている。そのときの暮らしの様子は臼井吉見の文章に詳しい。現在高村光太郎の山荘(高村山荘)は当時の様子のまま残されていて、私は花巻の台温泉などにたびたび泊まったので、二度ほどその山荘や彼の記念館を訪ねている。

Dsc_3930_20220926140401高村山荘入り口

Dsc_3934_20220926140401山荘はこの板葺きの小屋だが、それを建物でおおっている。

Dsc_3933_20220926140401独居する光太郎の脳裏に去来したものはなんだったのだろう。

Dsc_3931_20220926140401囲炉裏の廻りのものなど、生活用品やその暮らしぶりについては臼井吉見の文章に詳しい。

 彼を頼ってきた宮沢賢治に対してのつれないあしらいについては、以前ブログに書いた。のちにそれを後悔して、宮沢賢治の素晴らしさを世に広めることに努めたことは有名だ。花巻は宮沢賢治の生まれ故郷であり、拠点であった。東京生まれで東京育ちの高村光太郎が、どうして隠棲の場所を花巻にしたのか、宮沢賢治とは無関係に思えない。

映画の記憶

 作家の金井美恵子は映画雑誌にコラムや批評を書くなど、映画評論家でもある。彼女の書評集を読んでいたら、『成瀬巳喜男の設計 美術監督は回想する』中古智・蓮實重彦(筑摩書房)という本の書評で、

 

「十歳にもみたない子供が、成瀬巳喜男の映画の画面をなぜ、記憶にとどめておくことが出来たのか。それもまるで、親類の家か母親の友人の家に連れられて行って、そこで半日を過ごし、ひどくこみ入って複雑な大人の話を小耳にはさみながら退屈した午後の日差しの差し込む家の中をウロウロしていたような感覚として記憶していたのか、ということが、時々、姉との話の中で出て来て、それはもちろん、それが映画だからだ、と言ってしまえばそれですむことだったのかもしれない」

 

この感覚はとてもよくわかる。というよりさすがに作家らしい、そう、その通り、と思わせてくれる。

 

 私の父は教師で、当時は生徒が許可なく映画館にはいることは許されず、補導の対象であった。時々補導のために映画館に行くようにと、ときどき無料パスを支給されたのだが、父は映画が好きではないし、そういう補導を積極的にするつもりもなかったらしく、映画の好きだった母がその無料パスで映画を観た。そのとき、まだ幼稚園生か小学校低学年だった私を連れて行った。

 

 あとで聞いたところによれば、母が観たのは小津安二郎や成瀬巳喜男の映画だったようだ。私は静かに映画を観ていたらしい。その後弟を連れて行くようになったら、弟は暗がりがきらいで映画館で泣きわめき、観ていられなくなって、母の映画鑑賞もなくなったようだ。無料パスの支給もなくなったのだろう。

 

 後年私が小津安二郎の映画などを観て、妙な懐かしさを感じたのを不思議に感じた。画面に記憶があるのだ。映画の記憶は表層よりももっと深いところに残されている気がした。そのことが、金井美恵子の文章で思い出されたのだ。

 

 蓮實重彦については説明するまでもないが、中古智は成瀬巳喜男の映画の美術監督である。書評で紹介されている中古智のエピソードはなかなか好い。映画に関連して、映画が観たくなる、というのは、書評を読んでその本を読みたくなるのと同様、すぐれた紹介の仕方だと思う。私のように「面白い」と言っているだけではなかなか人を動かさないのだろう。

2022年9月25日 (日)

岩倉具視

 日本の歴史については不勉強であまり詳しく知らない。岩倉具視については、だから断片的なことしか知らないが、谷沢栄一と奈良本辰也の対談で、日本の歴史上の「宮廷政治」家として、後白河法皇と岩倉具視を挙げているのが興味深かった。

 

 二人に日本という国の政体構想があったかどうか疑問である、と語ったあと、自分たちが政権をとるにはどうしたらよいかということだけを考えて、博打的な行動に終始したという。奈良本辰也は「西郷には、仁政思想というものがあって、首尾一貫しているが、岩倉にはそれがないから、西郷などとは合わない。むしろ大久保利通と近いね」と語っている。

 

 それに賛同して谷沢栄一は「岩倉のエピソードの中で、人となりの正鵠を射ていると思うのは、孝明天皇暗殺疑惑です。孝明天皇の崩御はいまだに歴史の謎ですけれども、亡くなられて以後、いまだに岩倉がやったのではないかと思われている。暗殺が可能な立場にあったというだけではなく、岩倉ならやりかねん、という憶測ですね」とつづけている。

 

「岩倉に近づいた者は、利用されるだけ利用されて、弊衣のごとく捨てられている。後白河法皇もね、日本史上これはという人物を三人も殺している。平清盛、木曽義仲、源義経、みな歴史上に燦然と輝く人物ですよ。この三人をみな手玉にとって殺して葬りさっている」

 

 奈良本辰也はそう語ったあとに

 

「岩倉だって同じですね。相楽総三は小さな人物だけれども、岩倉から年貢半減令の許可証をもらって進軍している。いわば敵地に乗りこんで、農民に藩主を見捨てさせた。一番の要因は、年貢の半減だった。ところが明治政府だって収入源は年貢しかない。大隈重信の進言に、岩倉は年貢半減令をすぐさま取り消し、帰るよう命ずる。それどころか相楽らを偽官軍の汚名を着せて、斬り殺してしまう。そんなことを平気でやれる人物なんだね。その最たる者が孝明天皇暗殺の疑惑ですよ」

 

と、岩倉具視の人となりを述べる。

 

 相楽総三の「赤報隊」のことは、長谷川伸の『相楽総三とその同士』(講談社学術文庫)に詳しい。草莽の志士たちというのがどういう存在だったのか、知ることができると思う。幕末史に興味のある人なら、是非読んで欲しい労作だが、相楽総三を「弊衣のごとく」捨てたのが岩倉具視だったことを初めて知った。

 

 赤報隊始末史に革命の本質のようなものを感じていたが、その思いをさらに強くした。

青森のヒバ

 昨晩のブラタモリは、先週の恐山に引き続き、下北半島だった。西北端の大間崎と、東北端の尻屋崎、その間の大畑など、地質、特産物などが紹介されていた。下北半島には三回行った。何度でも行きたい。それだけ魅力のあるところだ。魅力は、日本の他の場所では見ることが出来ないものがたくさん見られるということで、食べるものも美味しい。

 

 風景や地質はべつにして、今回青森の特産である青森ヒバの話があったことで思いだしたことがある。三回行った下北半島だが、そのうち一回は大間に泊まった。もちろんマグロを食べるためである。贅沢な注文をしなかったから、普通に「マグロだなあ」、と思っただけで期待したほど感激しなかった。他の二回は薬研温泉というところに泊まった。恐山の北側にある薬研温泉は、ひなびた小さな温泉で、たいへん居心地が良い。もちろん冬は別だと思うが。

 

 その薬研温泉の奥には薬研渓谷があり、さらにその奥にヒバの研究林がある。むかしは森林鉄道が走り、ヒバを切り出していたらしい。研究林には線路も残っている。二度とも散策したが、誰にも出会わなかった。

1208-156ヒバ研究林

1208-144その標柱

1208-154森林鉄道の線路

1208-140あの橋を渡る

1208-160大畑川源流

1208-161薬研渓谷

 ヒバという木材は軽くて丈夫、しかも防虫効果が高く、ヒノキよりもすぐれているので珍重された。防虫効果を生んでいるのはヒノキチオールという油性成分で、ヒノキの香りのもとでもあるのだが、実はヒノキよりもヒバの方がずっとその含有量が高いのだ。

 

 大畑という津軽海峡に面した町があり、そこへ山から大畑川が注いでいる。その大畑川からヒバを筏で運び、大畑から全国へ伐りだしたヒバの木材を出荷したのだ。そして薬研のあたりはその大畑川の源流近くにあたる。そういうことを知らずにただ歩いていたけれど、今回あらためてブラタモリで知り、また行きたいなあと強く思った。行くとなれば長期間の旅になるので(もちろん車で行くつもりである)いまはマンションの役をしているので、そう長い不在はできない。来春にはそれも終わるはずなので、そのあと出かけたいと思う。

2022年9月24日 (土)

西郷隆盛の仁

 會田雄次の『日本人の忘れもの』を読み終えたので、谷沢栄一の対談集本『歴史活眼』という本を読んでいる。さまざまな人との対談が収められているが、日本近世史の学者である奈良本辰也との対談で、西郷隆盛と大久保利通の違いについて論じたあと、谷沢栄一が西郷隆盛についてこう評している。

 

「そうですね。また、西郷の場合は、この仁が維新まではうまく働いた。坂本龍馬に薩長連合を説かれたときも、西郷はさっと理解しているし、江戸城の無血開城でもスッと勝との話に入っています。
 本来は、江戸を焼け野原にして、とことん破壊してから新政府を建設すべきだという革命家精神を、西郷は一方で持っていましたからね。でも、勝との話で仁の方が上回った。また、その西郷のキャラクターを勝はよく読み切っていたと思います。「敬天愛人」は西郷の座右銘ですが、まさにその人となりを表していますね。」

 

 仁があることが、かえって明治維新後の国家形成時のリアリズムと相容れなかったのだとされているし、私もそう思う。リアリズムとはときに厭なものである。

 

 そういえば、愛知川上流に惟喬親王陵を訪ねたとき、入り口に「敬天愛人」の碑を見たのだけれど、どうしてそれがそこにあるのかわからなかったし、いまだにわからない。西郷隆盛のことを読んだのでそれを思い出した。

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後悔しても

 高野悦子『黒竜江の旅』という本を一ページ一ページ味わいながら読んでいる。中から引用しようとすると、すべて引用したくなるほど内容は濃くて素晴らしい。ふいにこの本を父に読ませたかったと思う。

 

たとえば吉林にて

 

「吉林の松花江は冬でも凍らない。そのために有名な”吉林の奇観”が生まれる。豊満ダムのタービンで暖流となった松花江が市内を流れ、外気の寒さに触れて、立ちのぼる水蒸気が河畔の木々にふれて凍り付き、銀白色の樹氷をつくり出すのである。それは壮麗な風景だと、父からよく聞かされていた。いま私が眺める風景は夏である。これが一面の白銀におおわれ、木々が樹氷と化したらどんなにすばらしいだろう。しばし立ち去りがたいひとときであった。」

 

 父は語学の専門学校の卒業旅行に、友人と中国、満州、モンゴルを旅行した。そのときに出会った満鉄の人に勧められて、卒業後に満鉄の関連の会社に入った。そして終戦後に帰るまで中国で生活した。半分は招集によっての従軍生活だったらしいが。

 

 父がどんな名前の会社に入り、どこにいたのか、聞いていないので知らない。かろうじて聞いたのは、山西省や河北省のあたりの戦場にいたということだけだ。それと仕事で西安の街を訪ねたことがあって、とても美しいと思った、ということだけだ。どうしてもっといろいろ聞いておかなかったのだろう。父が話さなかったのではなく、私が聞こうとしなかったのだ。後悔しても仕方がないが、取り返しのつかないことであった。

 

 私は、父よりは子供たちに自分のことを話した。しばしば自分を美化して話した。正直に話そうと思ってもついそうなる。息子や娘がそれを聞いてどう思い、どう父親像を形成しているか知らない。そう思いながら、父は私をどう見ていたのか、そのことを考える。

 朝起きて、窓を開け放つ。こもった空気が動き出し、外気と入れ替わっていくのを感じる。ベランダへ出て明け初めの空を眺める。台風一過、快適な気温、こういう朝を迎えられるのは、一年のうちそうたくさんはない貴重なものだ。空は次第に晴れ上がり、青空に変わっていく。

 

 今回の台風は、雨は降らせたが風があまりなかった。湿度が高いと、それほど暑くなくても動き回ると汗ばんで不快だった。それを理由に、しなければならないと思いながら掃除も片付けもサボっていた。洗濯、掃除、そして買い出しもしなければ。ついでに久しぶりに軽い散歩でもしよう。

 

 寝しなと寝起きにすることにしているストレッチは、断続的ながら継続している。明らかに足元がしっかりしてきたように思う。跨ぐという動作を意識して試してみると、足が以前より良く上がるのを感じる。躓きにくくなっているのならありがたいのだが。あとはバランス感覚の回復で、これはやはり散歩などで補正しないとならないと思う。歩き出しがギクシャクするのが自分でもおかしい。

 

 テレビを観たり、本を読んだりして目を使うと、目が疲れて目の奥が痛んでくる。目薬を差し、目を温めると楽になるが、目がかすむのが気になってきた。運転していると、ピントはちゃんと合っているのに黄砂でも飛んでいるように視界が霞んで見えたりする。本のページの文字のコントラストがなくなっている気がする。白内障の可能性があるかもしれない。来月初めに糖尿病の定期検診があるので、ついでに検査してもらおうか。どのみち糖尿病は目に症状が現れることがあるので、定期的な目の検査が必要なのだ。

2022年9月23日 (金)

こういう人から見れば

 読みかけたまま放り出してあった會田雄次の『日本人の忘れもの』という本の残りを読んでいる。この本は、『表の論理・裏の論理』『逆説の論理』『日本人の忘れもの』という三冊の本から、抜粋して編集し、一冊にした本である。もうすぐ読み終わる。

 

 その中の『日本人のこころ』という文章から一部引用する。

 

「近江の菜の花畑を学生と一緒に歩いていたときのことである。しきりに雲雀がないている。花のかおりに酔いながら私は荏胡麻(えごま)が菜種に変わった戦国時代のことをふと思い出していたら、いきなり学生の一人が口を出した。「この色が搾取の色なんだ」。私はしばらくなんのことかわからなかったが、彼は、この駘蕩たる黄色の世界から、徳川時代の武士や地主の貪欲さ、そのもとの、さいなまれただけの百姓しか、連想できなかったのである。「美しいとも思わない。先生みたいに春だなあという感傷なんか全然感じない。農民の怨恨だけが、俺の胸に伝わってくるんだ」。とっさの場合(?引用者)、彼が何を言っているのかちょっとわからず、「えっ」と驚きつつ発した私の質問に、彼は突っかかるような態度でこう答えた」

 

「まあ、そういう連想だってできないではないにしろ、菜種の花の美しさも、それがかもし出すけんらんたる春のどよめきも、一切何も感じず、搾取しか思い出せないということは常軌をはるかに越した異常さではなかろうか。もし、気分としてそれを感じていながら、無理に、そういう発言を言い張りつづけているのだとしたら、これまた精神のゆがみは単に病的だとだけではすまされぬ程度のものであろう。このような若者の集団発生を、その論理に矛盾があるとかないとか、マルキシズムの政党かどうかとしか論じようとしないのが日本の先生たちなのである。それはむしろ精神病理学の問題であろう」

 

「最近こんな「わかりきった」ことを痛感したのは、ある週刊雑誌が選んだ読者の手記特集「私にとっての国家」を読んだときである。ここに集められた二十五篇は戦中、戦後派の世代の男女をふくむ、かなり広い世代の人びとの国家観である。すべてが過去、現在の日本に対するすさまじい呪詛に満ちている。その暗さにはただ驚くだけだ。その内容は確かに私たちに痛烈な反省を要求するものを含んでいる。にもかかわらず、明らかにそれらは精神病理学の立場から理解すべきとしか思えぬものが殆どなのである」

 

(小略)

 

「日本の今日の問題は、このもう一種の異常神経としかいいようがない一群の人びとの主張を、正義的反抗人としてもてはやすところにある。そういうマスコミは一体この日本をどうしようというのであろう」

 

 以前にも書いたが、私は学生時代、寮生活をしていた。いつも入り浸っていた先輩の部屋には、他の大学も含めていろいろな学生がオルグ活動(政治的布教活動とでもいうもの)にやってきた。その先輩はみなに一目置かれていたので、その先輩を論破すれば寮で政治活動ができるとみなされていたのだ。

 

 だからここで紹介されているような普通でない学生の世界観や思想を、数限りなく見聞きさせられたので、會田雄次の言うことがわかりすぎるくらいにわかるのである。そういう連中が、安保法制のときもその他のときも国会前の広場かどこかで反対のデモ活動をしていたのを見て、みんな歳とったなあ、という感じを受けたのである。

 

 こういう人から見れば、私なんか保守反動としか見えないだろうなあと思う。私は、歴史を現代の価値観で非難した友人や教師に怒りを覚えた人間である。一面の菜の花を見れば、美しいなあ、とうっとりするし、蕪村の句を連想する。

四十数年前の予想

 昭和55年に出版された會田雄次の『逆説の論理』という本の中の文章を一部引用する。引用といっても時代が違っていて、いまにそぐわない部分もあるので、日本の人的資源が損なわれる、という彼の警告という点に絞って、勝手に省略して引用した。

 

(欧米が日本と違って階級社会であることを説明したあと)
「このように、日本人はある程度、社会的ステータスや収入とか、いろいろな階段を自ら上がっていかなければならない宿命を持っている社会である。良い意味でも、辛い意味でも、上昇を宿命とする社会といってよい。そしてそこに日本の社会の躍動と発展性の根源があるのである」

 

(それらが上昇志向タイプで、「長」となる役割を担う。その代わり、それなりの訓練が必要だと説いたあと、その上昇志向をあきらめるタイプについて書く)

 

「あきらめがごく自然に生まれ、社会の中で許容される場合はそれでよいが、現代の日本のように社会の仕組みの反動として”立身出世主義はいけない”とか”平等でなければいけない”とか、妙に不自然で強制があるところでは、あきらめが歪んだ形をとる。即ち社会正義の名を借りてその不満をヒステリックに吐き出す病状を呈するのである」

 

「一方、屈折した上昇意識、鬱屈した出世主義は、隠微な形で学校教育の上に表れており、(小略)たいへん歪んだグロテスクな病理現象を引き起こしているのである。とりわけ、戦後教育を真正面から受けた人間はかなり重症といえよう」

 

「このように戦後、日本は世界が目を見はるような繁栄を驚異的なスピードで達成したというものの、今後の日本全体の方向を考えるとき、日本唯一の資源、財産とも言うべき人材の質が低下しつつあることは、重大な問題だといわねばならない」

 

 これが書かれたのは、まだ日本がバブルにすらならない時点である。彼の見立てにそのまま同意するわけではないが、このあとわが世の春を謳歌した日本が低落してしまい、いまのような長い長い低迷を続けている理由について、ここで指摘警告されていることに私も思い当たるとともに共感するのである。

 

 日本社会、日本人、マスコミ、政治家、教育界、すべての指導的立場の人たちが「戦後教育を真正面にから受けた」ひとたちであることに日本の低落の要因がありはしないか、と常々思っているということである。

 

 そういう私もその一人であるから何をか言わんやであろうが、そこに疑念を抱くかどうかで、世の中についての見方が大きく変わるのだと思っている。

保守反動評論家

 若いころ、臼井吉見の『蛙のうた』という本にいたく感銘を受けた。どこの何に感銘したのか忘れていたが、いまそのなかの『「第二芸術論」前後』という文章を読んでいてその一端を思い出した。

 

 この中で、彼が「内灘基地反対闘争」、そして京都の「旭ヶ丘中学騒動」について書いたルポの話が紹介されている。それぞれについて詳述するのは避けるが、そのルポは臼井吉見が観念ではなく、自分の見た事実、取材した事実を伝えたものであるが、そのために彼は保守反動評論家として激しい非難攻撃にさらされることになった。

 

 内灘闘争については、たまたまその頃、雑誌に連載されていた五木寛之の『内灘夫人』を断片的ながら読んでいて興味があり、その闘争についても多少は承知していた。また旭ヶ丘中学騒動については知らなかったが、この顛末については、私の伯父が北海道で高校の校長をしていた時代に、マスコミや日教組の教師達から激しい攻撃に遭ったことがあって、それを強く連想させたのだ。伯父からは詳しい経緯を彼の作成したスクラップで見せられたことがある。マスコミの誹謗中傷のすさまじさを改めて知らされた。そうしてマスコミは自らの事実誤認が明らかになると、潮が引くように知らんぷりで去って行く。

 

 自らのみを恃み、大軍を相手に自分を見失わずに孤軍奮闘する臼井吉見の姿に感銘したのだ。この『蛙のうた』はそういう話がいろいろ書かれていて、読んでいて気持ちが熱くなるのだ。本物と偽物の学者についてなど、良い勉強になる。人間にはプライドというものがなくてはならぬ。売名に走る人間が嫌いなのは、そういうものを読んできたからだ。

 

 臼井吉見は、右であっても左であっても真ん中でも、本物を認める評論家で、決して保守反動評論家ではないので念のため。

2022年9月22日 (木)

かろうじて

 ブログをせっせと書いていると、書くことがなくなって窮してくる。それだけ何も考えていないということだ。いまはその場凌ぎでかろうじてつないでいるが、ちょっと休息による充電が必要かもしれない。

 

 「高いところ」という駄文に、「下を見下ろすとエラくなった気分がする」と書いたら、「下を見下ろしてエラくなった気持ちになったことはないなあ!」というコメントをいただいた。なるほどそれが普通かもしれない。それならどうして私はエラくなった気分がするなどと書いたのだろう。

 

 身分の上下とか、立場が上とか下とか、そういうものを高さで表すのは国や民族に共通した感覚かもしれない。偉い人は上にいて、下々を下に侍らすが、逆であるのは見たことがない。権威を象徴する建物が高いのも、そのためだろう。人民大会堂や、北朝鮮の大人数の会議場(何というか知らないので)の天井の高さは圧巻である。

 

 マンハッタンの摩天楼もそうだろう。だからこそテロの標的になった。思えば人類はバベルの塔を高く高く天までとどけと積み上げていって、ついには神の怒りに触れた。

 

 エラくなったような気分、という言葉にそのような権威主義的な心の働きを敏感に感じたから、それを指摘されたのだろう。単純に、子供が「高い、高い」をしてもらって嬉しいように、高さを喜べば好いのだろう。いまはもう、私を「高い、高い」してくれる人も、してやる相手もいないのが残念だが。

 ブログでは、最初に「バカと煙は高いところが好き」と書いた。そして「私は高いところが好き」と書いた。私はだから、「バカ」ですよ、と暗に書いたつもりだ。言うまでもなく、高いところが好きなひとが「バカ」であるわけではないので念のため。もちろんこの「バカ」は、高いところにいるだけで偉くなった気でいる人間のことである。ご指摘の通りなのである。

気象予報士

 好きなキャスターと嫌いなキャスターがいる。もちろん好き嫌いがあるのはキャスターだけではない。自分と意見が異なることは、人それぞれだから別にかまわない。自分の正義感を他者に押しつける傾向がある人が嫌いだ。彼の正義は他者の正義かどうか、それに疑問を持たないらしいことが厭なのだ。それは語り口に表れる。殆ど語り口だけで好き嫌いが決まったりする。しかし私の好き嫌いは私だけのもので、他者に同意を求めようとは思わない。まれにブログを読んで、同意を強制したかのように攻撃的に反論する人がいるが、そんなつもりはないので、腹が立つなら読まないで結構だと思う。事実の間違いを指摘されるのは感謝こそすれ腹は立たない。ただおまえの考えは間違っている、といわんばかりの指摘は受け入れがたい。

 

 テレビにはさまざまな人が登場して、ほとんど画面で見ての印象で好き嫌いを感じているが、実際にその人と知り合いになったら、全く違う感情を持つかもしれない。すべての人と知り合いになるわけではないからそれで仕方がない。年齢を経てたくさんの人と知り合う経験を重ねたので、その記憶と重ねて印象を形成してしまうところがある。厭な思いをさせられた人に似ている人はなかなか好感が持てない。名前がいつまでも覚えられない。思い込みで嫌う場合もあって、あとで訂正したこともないではない。

 

 不思議なことに、気象予報士の人にほとんど嫌いな人がいない。というより好感を感じる。外観から、もし知り合いになったら嫌いになるかもしれない人もあるのに、どういうわけか気象予報士としてみていると好感を持つ。なぜなのだろう。これは男女を問わない。不思議だ。そのかわり、スポーツを報じるアナウンサーがたいてい嫌いだ。変に過剰に元気で明るいのが厭だ。それは私があまりスポーツが好きではないことによるのだが、やかましいのが嫌いだという理由もある。

支配欲

 動物の生態を映した番組などを観ると、自分の遺伝子を残すために雄同士が激しく争う様子が映されるのをしばしば見る。争う前には互いに相手よりも自分が優位であること、上位であることをアピールし合う。負けた方は雌をゆずり、ときには群を去る。上位であろうとするのは、動物の本能に刷り込まれたものなのだろうか。

 

 ママ友に支配されて自分の子供を餓死させた事件で、そのママ友に懲役15年の判決が下された。子供を死に至らしめる行為は厳しく処罰されるべきだと思うから、この判決には納得する。

 

 支配するというのは、相手に対して自分が上位であることを受け入れさせ、自分の意のままにすることだろう。この事件は、そのママ友が上位であるということを常に確認しつづけるために、指示は次第にエスカレートしたということかもしれない。相手の一番大事なものを犠牲にすることを要求するというのは、殆ど宗教に似ている。統一教会による過剰な金銭要求は、ある意味で教会、または布教者の支配確認のひとつの形なのかもしれない。

 

 そういう極端なものは別として、現実世界をその支配欲という色眼鏡で見ていると、大なり小なりそこら中でそういう絵が見えてしまう。人間関係の多くがそういう関係に還元できないことはない。それを気にしすぎると、人間関係そのものがいとわしくなる。

 

 支配欲の強い人というのがいて、常に相手をマウントしないではいられない。たいてい嫌われているが、強いとみると中には積極的に従属するものも出る。学校でのいじめもその構図であろうか。

 

 人間社会そのものがそういう支配欲を基礎に置いているとしたら、プーチンのような人間が出てくるのも宜なるかな、である。そういう世界をなんとかもう少し力関係だけではない方法で弱者も生きやすいようにしようと、賢者はいろいろ考えて方法を提示してきたように思うのだが、21世紀はそれを逆行させつつあるように感じてしまう。

 

 人間も動物だから本能に従う。支配欲の抑制が効かなくなり、コントロールを失い、今まで以上に本能が優勢に戻りつつあるのだろうか。もしかしたら人類の危機を感じての本能的行動だというのだろうか。それは集団自殺するというレミングという鼠と同様の、とめようのないスイッチが入りかけていることではないのか。

 

 それは考えすぎかもしれない。人間の振るえる力がどんどん大きくなったために、支配欲が大きくなって見えているだけなのだろう。しかし結果はそれだけ大きな惨禍をもたらすことになる。気が滅入ってきた。

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