気がついていないはずはないが
中居某のスキャンダル報道をきっかけにした、フジテレビ非難の大合唱を横目で見て、テレビの衰退の象徴だなあと感じている。テレビの興隆期に、時事評論家の大宅壮一は「一億総白痴化」と喝破した。長い期間をかけてその「総白痴化」はすでに達成されて久しい。テレビもその点での役割が終わっているのだろうが、その金切り声とわめき声、CMの異常な氾濫など、お祭り騒ぎ、道化はエスカレートするばかりで、テレビというメディアが衰退していることにテレビ自身が気がついていないはずはないのに、衰退を踏みとどまるためにどうにかしようとしているように見えない。そのあげくがこの騒動なのだろう。ジャニーズ帝国崩壊のコピーに見えてしまうのは私だけだろうか。
テレビが街頭に出現する前に生まれ、父に肩車されて電気屋の前の人だかりとともにテレビのプロレスを見た世代として、私はテレビとともに育ち、テレビ大好き人間であり、いまでも大好きである。どっぷりテレビに染め上げられて、自覚はないがおおいに白痴化していることだろう。だからこそテレビの現状について強い関心がある。
なによりテレビ局は多すぎる。競争よりも共生で、同じような番組をならべて仲良くする時代はとっくに終わっている。しのぎを削って生き残りをかけ、ふるい落としをしなければならないのに、手をこまねいてきたことで、若者の多くはそっぽを向いてしまった。テレビを見るのは暇な専業主婦とリタイア済みの高齢者たちばかりになった。CM提供者はその費用対効果に失望しているだろう。介在して膨らんだ電通などが批判の対象になったのは記憶に新しい。いままで通用していたことが通用しなくなったのだ。それは力を失ったからで、衰退の表れだろう。
テレビ大好き人間の私でも、いまは民放の番組は限られたもの以外はほとんど見ない。テレビの装置は、ニュース以外の多くの番組を録画してから見るので、ほぼモニターと化している。
民放のありがたさは、無料で見られることであった。その無料であることが衰退につながったとみるのは飛躍に過ぎるだろうか。とはいえ今さら有料にすることも出来ない。新聞も衰退が著しい。マスメディアが危機にある。それは外部要因というより自滅なのだろう。
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