2021年5月 8日 (土)

テレビ三昧

 朝から録画した番組を観ている。いつものことであるが、こんなものを観ていた、という紹介をしたい。

 

『川のほとりで』。30分のWOWOWのドラマ。今回が全六回の最終回。河原に掘っ立て小屋を建てて勝手に住む人たち(いわゆるホームレス)の不思議な話で、なかなか好い。最終回ということで、いままで登場した人たちが一堂にそろっての宴会シーンとなる。幻想的ともいえるそのシーンに違和感はなく、自由に生きることの気楽さをうかがわせてくれた。もちろんそんな気楽なものではないだろうが。

 

『美の壺』。今回は紬がテーマ。現役中に繊維関連の得意先との縁があり、繊維について多少の知識と興味がある。結城紬、大島紬、そして天蚕の紬が紹介されていた。いまはどうか知らないが、結城は市域全体がひとつの町名になっていて、結城何万何千何百番地、だったので、住所をたずねるのが極めて困難なところだったことを思い出す。大島紬の大島は、若いころ伊豆大島だとばかり思っていた。テレビで泥染めのドキュメントを観て、初めて奄美大島だということを知った。母は和裁も洋裁も出来たし、若いころは和服を着ることが多かった。これが結城だ、などと聞かされたことがあったのを思いだした。

 

『新日本風土記』。今回は仙台。七夕の話題ももちろんあった。子供のとき、家族で夏休みの家族旅行で青葉城に行ったし、七夕も観た。学生時代に何度か仙台に泊まり、夏にはホヤ、冬には牡蠣を食べた。友人と青葉城を訪ねてもいる。久しく行っていないので、コロナ騒ぎが収まったらぜひ行きたいと思っている。

 

『小吉の女房』。第二シーズンの全七回の六回目。小吉とは勝麟太郎(勝海舟)の父親、勝小吉のこと。小吉は古田新太、女房のお信(のぶ)を沢口靖子が演じている。古田新太の演技は素晴らしいが、それに沢口靖子は見劣りしない。沢口靖子はデビュー映画以来のファンで大好きだが、近年ますます魅力的になってきた。ようやく天保の改革も終わった。時代が大きく動き出す。今回は佐久間象山も登場、佐久間象山はのちに勝海舟の妹の順と夫婦になる。それぞれの変わり者の性格が描かれている。勝小吉がいきなり『夢酔独言』を書き始めるシーンなどあって、楽しめた。このシリーズはまことに楽しい。次回、麟太郎の祝言で第二シーズンは終わるようだ。

 

 このあとBSフジのプライムニュースを早送りで見た。憲法審査会の進展についてのテーマが前半で、後半はG7に関連した中国や台湾についての話題だった。ともにいろいろ思うところのある話題で参考になった。

 

 これでほぼ午前中を費やしている。なかなか忙しいのである。

今日は・・・

 今日は私の誕生日。七十一歳になった。自分が七十一歳なのだということが信じられない。不本意な一ヶ月を過ごしたあとであり、誕生日を機に気持ちを切り替えようと思う。旅に出られないなら独りで酒盛りだ。昨日はあり合わせの中華系の料理で飲んだが、今日は刺身や揚げ物などを買い込んで、ちょっとぜいたくにやるつもりだ。

 

 気持ちが沈滞していたので、いつも拝見している方々のブログもおざなりに読んでいて、コメントを書きたいと思いながらほとんど書いていない。そろそろ前のように丁寧に読んで、挨拶代わりにコメントを書くことにしようと思う。いいね!をいただいている方へのお返しもちゃんと出来ていない。それもなるべくもれがないようにお返ししようと思う。

 

 ひとりでに元に戻るのではなく、自分が戻さなければ気持ちというのは戻らない。そのスイッチを入れなければと思う。

 

 七十一年前に母が私を産んでくれたから私はここにいる。明日は母の日である。母に感謝の気持ちを新たにした。いま生きている人は皆そのお母さんから生まれたのだ。そう思うとあたりまえのことなのに不思議なような気持ちもする。そういえばこのごろ妊婦をみることがほとんどない。出歩かないからみないということもあるのだろうが、実際にいまは出産をひかえているような気がする。少子化にさらに拍車がかかっているかも知れない。年寄りには子供が少ないのは寂しいことだ。

 

 先日、若い友人から見舞いの電話を受けた。その後お加減はどうですか、と声をかけられて、現況を説明しながら長電話になってしまった。現役の彼もこのコロナ禍の中で大変な思いをしているのだろうと思う。電話はとてもありがたく嬉しいものであった。

 

 元気を出さなければ、と思う。

2021年5月 7日 (金)

言い分は伝えた

 保険会社の担当者が来宅した。事故の経緯について、体調について、そしていままでの対応についての私の感じたままをすべて伝えた。今回来たのは事故全般の補償と慰謝料を交渉する男性であるが、わざわざ来てもらったのは車両担当の対応が大いに不満であったこと、それが保険会社としてのこれからの対応への心配につながっているからであることを伝えた。

 

 言葉では謝罪があったけれど、どこまで本気で聞いていたのかわからない。中年の、名刺によればそれなりの役職の人らしく、話しぶりも穏やかであった。今月半ばにいちおう病院の診療が終了する予定であり、その結果を踏まえて具体的な金額の提示をするそうだ。いまはそれを待つしかない。

 

 そろそろ体調も回復してきたので、平常モードに戻そうと思う。四月中は事故の後遺症で気持ちが興奮状態だったけれど、逆に五月になってからその反動で気持ちが少し沈滞している。気晴らしが必要だが、出かけるわけにも行かず、鬱鬱としている。なんとか気持ちを切り替えようと思う。十日後に糖尿病と泌尿器科の定期検診があるので、いつもなら休酒に入る時期だが、今日と明日は飲むことにするつもりだ。明日も飲むのは理由があるが、それは明日ブログに書く。

来客予定

 午前中に保険会社の担当者が来宅する。事故に関連するすべてのこと、事故の状況、病院でのこと、警察や保険会社との電話のやりとり、体調、などをノートに書き留めてある。

 

 昨晩それを読み返しながら、面談では言い忘れることもあるかも知れないと思い、事故の経緯についての私の考え、保険会社に対して言いたいことなどをまとめてみたら、けっこうな分量になってしまった。多少個人攻撃になりそうな部分もあるので、このまま渡すわけにはいかないが、あえて書いておいたのは、それがないとこれまでの保険会社の対応に対するこちらの不満の理由がわからなくなりそうなので、そのままにした。

 

 今回の面談の前に、私から要求したので、向こうの補償に対する基準についての書面をもらっている。そのまま読むと、治療費の支払いと、通院に関連してかかった費用、それにいささかの上乗せが明記されているが、慰謝料はあるのかないのかさえよくわからない。

 

 愛車をなくしてあらたに車を購入しなければならなくなったこと、その間のさまざまな不自由、死にかけるほどの事故に遭っての身体への障害、一ヶ月以上の定常の生活を損なわれたことなど、事故がなければ被らなかった被害に対して、どのような支払いがあるのか、それが知りたい。

 

 もちろんこちらの思いが満足するようなものが支払われることはないだろうと思う。そういうものであることくらいは承知している。しかし、あまりにも不十分であれば示談に応じることは出来ない。そのことがうまく伝えられるだろうか。それは損得の話よりも気持ちの問題である。

2021年5月 6日 (木)

杞憂

 杞憂という言葉がある。むかし中国の杞という国に心配性の男がいて、ついには天が落ちてくるかも知れないと憂えたという話である。心配しても仕方がないことを杞憂と言うが、その心配は絶対にないことではない。いつ巨大な隕石が落ちてこないとは限らないからである。

 

 富士山が噴火する、大地震が来る、と週刊誌などがときどき特集で騒ぎ立てたりする。当たった試しはあまりない話だが、あたかも当たったかのように言い立てるのはたいてい後付けである。もちろんたまたま当たったということもないではない。だから、そらみろ、言わんこっちゃない、と胸が張れるかも知れないと、あることないこといい散らすのは世の常で、それを真に受ける人もいるからおもしろくてたまらないだろう。

 

 本当に心配しなければならないことの中に、そのような功名心からのそらみろ、言わんこっちゃない、が紛れ込んでいて、デマはしばしばそこから拡散する。その境目についていろいろ考えてみているが、それを見極めるためには常識という知性を働かせるしかないと思う。自分の頭でしっかり考えるしかないようだ。

禍転じて福をなす、か?

 今回のコロナ禍で、ワクチンの接種率の高い国は次第に沈静化しつつあるように見える。感染者が減れば医療体制は確保され、治療も万全となり、死者も減らすことが可能なのは数字を見れば明らかだ。

 

 日本は先進国で最もワクチン接種率が低い。それも格段に低い。これはどうしたことか。日本人は我慢強いから、いまにちゃんと確保されて接種が進む、と期待し続けたが、次第に不安と不満が溜まりつつあるのではないか。いままで我慢してきただけに怒りはつのっている。これは明らかに政府の責任である、と考えるだろう。このままではとうぜんのことだが自民党は選挙で大敗するだろう。菅首相にはそのことの自覚があるように見えない。

 

 ワクチンの入手について、たぶんそれなりの交渉をして確保をする目処を立てていたはずだが、その約束は契約としては不十分なもので、口約束に過ぎなかったらしいと報じられている。日本のお役人は契約についての厳しさに無知だったのかも知れないなどと批判されている。もちろんそれもあるだろう。それ以上に、やはりアフリカやアジアに対して、欧米は根底に差別感があることが現れた、というのが本当のところではないかと思わざるを得ない。対等であるような顔をしていても、本音では違うのだ。

 

 そんなことはわかりきったことで、中国の国際ルールを無視したような行動の原点に、そのような積年の恨みの気持ちがあることは考慮するべきであろう。しかしそれでも、いま国際ルールは守るべきであり、それが世界の安定の維持に必要だと考えなければならない。それを前提とした上で、欧米の理不尽な優位を是正することこそが迂遠ではあるけれどあるべき道だろう。

 

 世界は根底的に自国優先であるのは当たり前のことで、善悪などその前では無意味に近い。まず自国を優先し、それから他を考えるのはとうぜんで、そうでなければその国の政権は維持できるはずがない。

 

 日本は少し前まではワクチン大国だった。そのワクチン大国がいまはワクチン小国となってしまった。なぜそうなったのか。世界を信頼して委ねたからである。委ねるべきではないものを委ねたのである。医療行政がお粗末だったことは、すでに繰り返し批判されてきたが、いまの厚労省にはその自覚がない。そのお粗末さが次次に報じられている。

 

 それならいまから大国とは言わなくてもワクチン中国くらいにはなるべく体勢を立て直すことが必要だろう。医療行政についてもさまざまな問題点が顕在化したいまこそ、どうしたらいいか考えるときだろう。平時では出来なかったことであるなら、危機にあるいまこそ禍を転じて福となせる好機であろう。

 

 過去の歴史をふり返れば、禍を転じて福となした話は山ほどあって、日本はそれで再生し続けてきた。しかし近年禍を転ずることが出来ないまま、喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということの繰り返しに転じてしまっているように見える。危難のときには救国の偉人が出るものだが、いまの日本はそのような人物が出ることがなくなった。世のため人のためを否定し続けた、日教組教育とそれに迎合した文科省、朝日新聞的正義と平等のプロパガンダの成果か。

2021年5月 5日 (水)

苦手

 自民党の鴨下代議士はどうも苦手である。新型コロナに関することやワクチン接種の実情について説明するためにゲストとしてたびたび呼ばれている。その話しぶりが紳士的で穏やかであることが、却ってなんだか熱意というか切迫感が感じられず、他人事でしゃべっているように聞こえてしまうのだ。そこまで言わなくても問いに対する答え方に上から目線を感じるのは私の偏見なのだろう。ただ、日本でワクチン接種やPCR検査がなかなか進展拡大しない理由が自分にもあることについて、自覚がなさそうなことは何度か話を聞けば解る。鴨下氏だけの話ではないけれど、代表としてマスコミに出てくればその非難を受ける立場となることはとうぜんだ。

 

 昨日のBSフジのプライムニュースで、医療ジャーナリストとか言う男が、ワクチンが拙速に許可されたことに問題を提起しているらしいこと、まだ医療者がワクチン接種に特別手当が出ることを、生活が成り立たずに困っている飲食業などの人たちにはどう見えるか考えるべきだ、などと批判していて、うんざりした。飲食業の人と医療従事者を同じグランドで論じても百害あって一利なしである。役割がまったく違う話であるし、いまはまずワクチン接種を進めて社会をなるべく早く正常に戻すことが優先で、そうなれば自動的に飲食業も回復するのである。弱者の困窮を引き合いに出して医療従事者の手当を批判して正義の味方を任ずる態度は、私には朝日新聞的な正義として不快である。いまそんなことを言うのは事態を停滞させるばかりで、ただのバカだ。

 

 

連休最後の日

 巷では今日が連休最後の日。自動車会社などは九日まで休みらしいから、連休最後ではない会社もあるようだ。リタイアした日から終わりのない連休が続いているので、私には関係ないはずだが、それでも連休中には出来ないことがあるからそれを意識するし、世の中の人がお仕事にいそしんでいるのに、自分だけぼんやりしていることに後ろめたさもあるから、他の人も休んでいるのだなあ、と思えて、連休は心が安らぐところがある。

 

 なんだかすべてが弛緩してしまって、無為の中にいる。無為の中にいても生まれつきの貧乏性だから、時間がただ空費されていくのはもったいない気がする。数独パズルの本を開いて問題を解き、ボケ防止のために頭を使ったつもりでいるが、なにも生産していないことがむなしく感じられてしまう。それなのにおもしろいから止められない。開き直ってむなしさを味わったりする。映画やドラマを集中して観ているから、眼が悲鳴を上げている。目薬をさしながら観るというのもバカな話だ。

 

 家庭菜園などの楽しみは、そういう意味でなにかを生み出している実感が得られるのだろうなあ、と想像する。ささやかに鉢植えのニラとパセリとバジルが成長しているのを眺めているだけでもそれなりの癒やしはある。

 

 歯医者から定期検診の案内が来ているが、予約を入れる気がしない。少し先延ばしにするつもりだ。廃車の手続きのための書類が来ている。まだ記入していない。それに印鑑証明も必要だから役所に行かなければならないし、郵便局で配達記録郵便として発送しなければならないから、郵便局が開かなければ発送できない。事故担当の保険会社から、私から要求した処理手順書のメモが届いている。明日確認の電話があり、明後日に担当者がやってくる。言いたいことをまとめておかなければならない。

 

 それよりなにより、油断していると家の中が散らかり放題になっている。それを多少は片付けないと気持ちも整理がつかない。独り暮らしなら食事ひとつでも自分で買いだして自分で作らなければならない。生活をしていればほかにもこまごまとしたことがある。生きるということはそういうことを一つ一つ処理することであるようだ。

2021年5月 4日 (火)

映画三昧

 四月中にもずいぶんたくさん映画を観たけれど、ほとんどが頭の片隅に収納されてしまって、いつもと違って記録していないのでなにを観たか思い出せない。忘れないうちに、この数日に観たものを書いておく。

 

『イーダ』2013年ポーランド・デンマーク。モノクロ映画。白黒と言うよりややセピアがかった色調のモノクロである。コントラストが抑えられているのは、カラーで撮ってモノクロ処理したのかも知れない。アカデミー賞の外国語映画賞を受賞している。

 

 1960年代初めのころ、ポーランドの修道院で育てられた孤児のイーダが、正規の修道女になる前に、自分の出生の秘密をさぐる旅に出る。身内であるのに自分を引き取ってくれなかった伯母を訪ね、自分がユダヤ人だったこと、両親を殺されたことなどを知る。その経緯を映像でたどることでイーダの心象が表現され、同時にあの戦争でのユダヤ人の受けた惨劇が強烈に浮かび上がってくる。伯母が身を持ち崩した原因を知り、イーダはある目覚めを感じる。修道院に戻ったイーダのとった行動とは・・・。すべてが淡々と展開するのに、記憶に残る映画と言っていい。

 

『オペレーション・ウルフパック 特殊部隊・軍狼作戦』2019年トルコ。トルコの戦争映画は何本か観たけれど、リアルで迫力がある。

 

 トルコとシリアの国境付近での掃討作戦に向かったトルコの特殊部隊が、的が撤退したはずの村で立てこもる多数の敵に遭遇してしまう。倒しても倒してもあらたな敵が現れる。絶体絶命の中で援軍がくるのを待つ間に次次に味方が倒されていく。ある意味でトルコの戦意高揚的映画の部分もある(クルド人部隊をテロリストと決めつけていたりする)が、この映画もリアリズムに徹していて、アメリカ映画みたいに銃弾を受けたのに元気に走り回る、などと言うことはない。弾を受ければ身動きできなくなるものだと思う。受けたことはないけれど。栄光を掲げながら、戦争のむなしさを表しているようにも見える。

 

『ウオール 絶体絶命』2019年レバノン・フランス。レバノンとイスラエルが一時的に停戦状態になった辺境の村での出来事を描いている。

 

 ベイルートから車で、その村から父を連れ出すためにやってきた主人公が遭遇する出来事。近くの町はがれきの山と化し、村には父の姿はなく、残っていた老人二人に父の消息を聞くが、あいまいな情報ばかりでわけがわからない。ベイルートへ引き返そうとした矢先に子供連れの家族に車を奪われてしまう。茫然自失する主人公。

 

 

 とつぜん砲撃が始まり、停戦が破られる。村はイスラエル兵に占拠されたらしいが、奥深くに潜んでいる彼らには外の様子がわからず、壁越しに聞こえるヘブライ語の会話から、断片的な情勢を知るばかりだ。延々とそのような緊迫した状態が続き、人が死に、イスラエル兵は撤退し、呆然とがれきの中を歩く主人公の姿を映して映画は終わる。

 

 登場人物たちと同じように、私もひたすら忍耐を続けて観ていたけれど、その忍耐の限度を超えかけたところで映画が終わりほっとした。『レバノン』というレバノンの戦車部隊の話も似たような忍耐してみなければならないシチュエーション映画だった。レバノンはずっと忍耐しているのだろう。

2021年5月 3日 (月)

休む理由

 以前からずっと拝見していた「しらこばと」さんのブログは、昨年だったかに、ココログから別のブログに移ってしまった(移った理由はココログに集う人たちなら明らかだろう)。「しらこばとweblog」というそのブログも引き続き拝見させていただいていたが、しばらく休むことにしたそうだ。休む理由は、コロナ禍で出歩くことが減り、ブログを書く材量が少なくなっているからだという。その気持ち、よく解るけれども、内容の濃い、そして写真も美しいブログだったから残念だ。早く再開されることを願っている。

 

 十年ほど前に始めた私のブログの記事数は、今年中に一万を超える見込みである。前にも書いたけれど、さまざまのものを読んだり、観たり、知ったりしたことで頭に浮かぶ想念は、うたかたの如く浮かんでは消え去ってしまう。その想念は断片でしかないけれど、それを書き留めることで、多少はものの考え方が深化するのではないか、と思ったのがこのブログを続けている理由である。ある意味で自分の備忘録であり、読む人を想定しているから公開日記でもあり、長い長い自己紹介でもある。

 

 しらこばとさんではないが、やはり長い引きこもり生活を続けていると、一日二回書くことにしているこの私のブログも、書く材料に困る日もある。いろいろ思うことはある。しかしそれをその都度メモなどに書き留めているわけではないから、ほとんどが消えてしまい、一度消えたものがふたたび浮かぶことはめったにない。どうも消え方が以前より早くて消え方も徹底している気がする。もともとつまらないことばかりなのか、脳の記憶の衰えなのか・・・たぶん両方なのだろう。

 

 今はブログを休むつもりはないけれど、無理にひねり出したものが中身のないものなら、読む人にとって迷惑だろう。どうしたものか。

2021年5月 2日 (日)

AVアンプがフル活動

 夜になると微熱(37℃前後)が出ることが続いたが、鼻がむずむずしてくしゃみが出るのがなくなるとともに、ようやく発熱もなくなって、大げさに言えば体内にいた禍々しい異物が抜け出しかけているような気分である。しかし、まだしばらくは無理は止めておくつもりである。

 

 整形外科の医者からは、五月に入ったら安静からストレッチや散歩などで身体をなるべく動かし始めるように言われている。身体のバランスが事故のダメージで狂っていて、それであちこちが痛むのだそうで、動かすことで正常に戻って行くはずだとのことである。完全に元通りになるには長ければ数ヶ月かかることもあるから、気長にやるように言われているのだ。

 

 いつもなら月に10~15冊くらいは読める本が、四月は週に一冊読むのがやっとだった。おかしなテンションだったのは、前にも書いたけれど、防御反応的に心身が興奮状態だったのだと思う。ようやく集中力ももどりつつある。昨日の晩からたまりに溜まった録画を片端から観ている。

 

 イギリスのミステリードラマ『THE BAY 空白の一夜』全六回を、昨晩から一気観したので、頭が熱くなったし目もくたびれた。そのあとに『ワイルド・スピード スーパーコンボ』という映画を観た。ドウェイン・ジョンソンとジェイソン・ステイサムという強力コンビの痛快活劇で、気分がスカッとした。

 

 目薬をさして少し目を休めて、夜にもう一本くらい映画を観ようかどうしようか迷っている。連休の五日まではとことん映画三昧をしようと思っている。目標、五日までであと10本。AVアンプがフル活動である。ちょっと隣にはうるさいかなあ。もちろん夜は音量をひかえている。

見積もり

 昨日、ディーラーの人が我が家にやってきた。推奨の車種、およびいわゆる店頭価格の目安はすでにいただいていたので、もう少し詳しい打ち合わせをした。装備は極力安全機能を備えること、いままでこだわっていたセダン型ではなく、乗り降りの楽な車を選ぶことにした。長距離を走ることが前提で、しかも弟夫婦を乗せることも考慮して、後部座席が狭くないものとなると、やはり少し大きめの車ということになる。

 

 車はもちろんマツダ車である。お飾り的な削るべき装備は削り、大まかな提案価格に納得したので、結論としてCX-30という車種を選んだ。ディーラーの担当者には今回の事故でも廃車手続きなどすべて頼んだりして、ずいぶん世話になった。それに息子がマツダに勤めているから、値引きがそれなりにあることも当てにしている。事故で死んだかも知れないことを思えば、使うときに使ってしまうのもありなのだ。

 

 すでに廃車になったアテンザの保険は金額が確定している。あとは怪我の慰謝料などがどれほど出るかによるけれど、心づもりはほぼ決まった。ディーラーの人は試し乗りのために、フル装備のCX-30に乗ってきていたので乗せてもらった。もし迷っているようなら乗ってもらって決めてもらおうと思ったと言って笑っていた。それだけ自信があるのだろう。乗り心地、周囲の視認性など、素晴らしい。とても運転がしやすい。早く自分の車にして日本中を走りたいものだ。

 

 今は車両用のICがないので生産が停滞し、納車は下手をすると七月だという。購入を確定しなければますます納車が先になってしまう。というわけで連休明けには契約をするつもりである。息子に連休明けには必要な書類を書いて送るように依頼するつもりである。それでずいぶん安くなる・・・と期待しているのだが、どうだろうか。

2021年5月 1日 (土)

兄貴分の人

 私は大学時代以来、年上の先輩たちに可愛がられることが多かった。下宿していた山形時代の一年間、同じ下宿の四年生のワンゲルのサブキャプテンの先輩には、本当に世話になった。クラシックの基礎から教えられて、いまの私の音楽の知識の原点はこの先輩だし、蔵王や吾妻の山を歩けたのもこの先輩のおかげである。ざる碁ではあるが囲碁をおぼえたのもこの先輩のおかげだ。二年生からは米沢に移り、寮に入った。先輩たちにはおろしがねでおろすように、軟弱な精神をズタズタにされ、酒に耐えるように強制された。さいわいそれに耐え抜いたら、けっこう楽しい寮生活を送ることが出来た。

 

 私は高校時代と大学生になってからは別人である。別人になることを自分で意志していたけれど、それをエスコートしてくれたのは先輩たちである。むちゃくちゃにされることを愉しむ気持ちになれば、先輩の懐に入れる。そのことが就職して営業職になったときにどれほど助けになったのか、はかりしれない。

 

 私はとことん個人主義的な人間で、他人との関わりは最小限にしたいと心の底では思っている。そういう性格だけれど、意識して前に出て、人と関わる生き方を選んできた。だから慰留されたけれど六十歳で退職した。かなり疲労も溜まっていたし、そろそろ本音で生きてもいいかな、という気持ちであった。

 

 会社に入ってすぐに配属された東京の営業所で二人の先輩たちに出会い、本音でぶつかっていった。一人の先輩の家には、近くに下宿していたから留守なのに当たり前のように勝手に上がり込んだりした。まだ学生気分が抜けていなかったけれど、日々が楽しかった。もう一人の先輩には生き方の原点をもう一度考えさせてもらうような付き合い方をした。私自身を考え直すことが出来た。

 

 そのすぐあとにやってきたのが五歳年上の兄貴分の人だった。それ以来の付き合いだから、もう四十年をはるかに超えている。その兄貴分の人とは家族ぐるみの付き合いだし、ずいぶんわがままを言ってきた。この先輩には私のすべてを話してあると言っていい。

 

 ここまでがまくらである。その先輩にはもちろん事故の連絡をしていた。その兄貴分の人がその後の様子を訊ねて電話で連絡してくれたのである。いつも通りの兄貴分の人なのだけれど、我がことのように心配してくれていることを感じて、ちょっとうるうるしている。そのことを書きたくて書き出したのだけれど、まくらだけの話になってしまって申し訳ない。嬉しかったことをそのまま書くのが照れくさいのである。

混々沌々

『武田泰淳対談集 混々沌々』(筑摩書房)をようやく読了した。体調の問題も大いにあって読むのに苦労したけれど、苦労したのは体調のせいばかりではない。

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 この本が出版されたのは昭和45年の3月、対談は昭和38年から44年にかけて行われたものが集められている。対談の多くは、私が高校生から大学に入学したばかりのころのものである。ベトナム戦争の時代、文化大革命の時代、’60年の安保反対運動の余塵と’70年安保闘争の狭間の時代でもある。東大安田講堂の攻防は昭和43年末から44年初めにかけてのことだったかと思う。つまり政治の時代だった。高校生だった私たちは、毎日一時間ほどクラスで討論会をしたり、壇上で論ずる日々だった。デモに参加する者たちも数多くいて、それが当たり前の時代だったのだ。

 

 この本の初めの方は貝塚茂樹や竹内好などとの、中国に関する話題が語られているので、私には読みやすかった。しかしそこには新生中国礼賛の基調が流れていて、「大躍進」の二千万とも四千万ともいわれる死者たちがいた凄惨な事実は語られず(たぶん知らなかったのだろう)、そこでは日中戦争の日本に対する非難と、そこから立ち直りつつある中国の明るい未来ばかりが述べられている。それはそれで日本中がそう思っていたからかまわない。現代の目で過去を批判しても仕方がない。

 

 そのあとには作家、文芸評論家などとの対談があり、さらに科学者や小松左京などとの対談が収められている。科学の発展と日本、そして文学と政治についてのものの考え方がやや硬直的なところは時代の故か。

 

 読み進めなくなったのは、巻末の鶴見俊輔(哲学者、評論家、市民運動やベ平連活動を行った)、野間宏(作家、左派思想で受刑している)との対談あたりである。

 

 私はどちらかと言えば右寄りだと思うけれど、左右どちらであっても聴くべきこと、読むに値するものについては頭ごなしに拒絶しない。それでもこの二人対談対談を呼んでいると、なんだか不毛の空論に思えてしまって、次第に読むのが苦痛になってきたのだ。それなら放り出したらいいのだが、もう少しで読み終わるのなら読み切ろうと、我慢して読み切った。

 

 どうやら私は市民運動家、市民活動家というのが苦手なようである。菅直人、文在寅を引き合いに出さなくでも、わかる人にはわかってもらえるだろう。武田泰淳はそういう人たちとどうにかシンクロしようと努力しながら、どうしても納得できないでいる自分に困っている様子がうかがえる。武田泰淳は正義とは何かについて、正しく認識することの出来る、まともな人なのだと思う。そう思いたいからそう感じられるだけかも知れないけれど・・・。

2021年4月30日 (金)

疲労困憊

 本日30日は、連休に含まれるのか、連休直前なのか。それは人によって違うのだろう。私は二つの用事をこなした。ふだんならどうということのない用事なのに、電車での移動も多いし、けっこう歩いたので疲労困憊した。車があればどうということはないけれど、ないから仕方がない。

 

 まず妻の入院している病院へ。一宮の北にあるその病院へ行くには、我が家から名鉄の犬山線で名古屋へ、つまり南下して、名古屋から名鉄の本線でふたたび北上するのである。名鉄は放射状に鉄道が走り、互いを横断的につなぐ線路ははるか北側にしかない。別の線へ行くには一度名古屋へ出るしかないのだ。むかし、岩倉と一宮をつなぐ路線があったらしいが、三十数年前に私がこちらへ転勤で移ってきたときには跡形もなかった。

 

 九時過ぎにでて、最寄りの小さな駅からてくてく歩いて病院へ。病院での用事は午前と午後をまたぐ覚悟でいたけれど、私が現時点ではなにも結論を出せる状態ではないので、昼にはおしまいになった。

 

 もし早めに終わったら、一昨日に高齢者講習もすんでいるので、免許の更新に行けるように支度だけはしてあった。これは犬山線の名古屋に近い警察で受けつけてもらえる。これも駅からそこそこあるので、てくてく歩いて行く。日差しがけっこうあって汗をかいた。

 

 連休前であるし、混んでいることは予想していた。蜿々長蛇の列、というほど大げさではないが、二階の窓口から階段、階段から警察署の入り口まで列をなしている。こういう時期なので、間隔をあけてならぶから長くなってしまうのだ。

 

 ひたすら順番を待つ。それでもぽつりぽつりと列は進む。暑さと、立ち続けていることで腰が痛んで、まことにつらい。とにかく日ごろはゴロゴロして、立っていることなどほとんどないのである。ただ立っているのはときに歩くよりもつらい。

 

 今回は違反はないので講習もない。あの事故は、私は被害者であるから一切過失はなく、関係ないのである。めでたく新しい免許証をいただく。自分の顔ではないみたいだけれど、他人にはこういう顔に見えているのだろうなあ。警察署からまた駅までてくてく歩き、へたり込みそうになりながらもようやく無事に家に帰り着いた。シャワーで汗を流したあとこれを書いている。

芸術か

 NHKのBSプレミアムで、懐かしい『未来への遺産』を再放送している。私は仕事でリアルタイムでは見られないことも多かったので、その写真と解説が書かれた本(全五冊・ただし一冊行方不明)を買って持っている。繰り返し眺めて愉しんだ。

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 この番組であこがれた場所は数々あって、そのうちのいくつか(カッパドキアなど)に実際に行くことが出来たのは望外の喜びであった。

 

 ただ、この番組を今回観て、構成と音楽があまりにも芸術的で、世界遺産の数々を見る楽しみが大きく損なわれているように感じた。ことに武満徹の現代音楽が、イメージとしては素晴らしいのだろうけれど、私にはうるさく感じられる。ない方がいいくらいだ。

 

 さらに演出の吉田直哉の構成は、イメージ重視に偏りすぎて、それぞれの過去の遺跡が断片的に語られていくのが、それぞれのテーマに沿っているとはいえ、雑然としすぎているように感じる。ましてとつぜんぼそぼそと吉田直哉自身がナレーションを語り始めると、言葉の語尾が弱いので、なにを言っているのかよく理解できない。独りよがりにしか聞こえない。私の想像を勝手に枠にはめてほしくないものだ。

 

 番組を我慢して観ているのは、本をじっくり眺めるためのイメージの補助のためである。我慢するのは精神に良くないからとても疲れる。

2021年4月29日 (木)

感謝

 生理用品も買えないという若い女性がたくさんいて、大学や自治体で無償配布しているという。コロナ禍で仕事もままならず、収入の道を閉ざされての困窮が理由なのだろうが、いくら理由があるとはいえ、世も末だなあ、などと感じてしまう。とうぜん食事も事欠くだろうと思ったら、無償で食事を提供するこども食堂というのもあるそうだ。

 

 困っている人がいれば助けてくれる人もいる。どこかの国や地域ではそんな助けもなかなかないというから、日本はまだまだ救いがあると言える。

 

 生理用品は買えないけれど、携帯の料金は支払える、などということを咎めるつもりはない。世も末、という言い方にイヤミをこめているつもりであるが、あまり本音を書くと袋だたきになるから書かない。

 

 ただ、無償で提供されたものは、誰かが支払ったことで提供されているのであるから、そのことを少しは考えて、感謝の気持ちを持ってもらえたらいい。そして、出来ればゆとりが出来たときにはその感謝の気持ちを社会に返してもらうといいけれどなあ。

高齢者講習

 七十を過ぎての運転免許更新なので、高齢者講習を受けなければならない。あいにくの雨降りだったし、体調もいまいちだけれど、二ヶ月以上前に予約してあったので行くしかない。名古屋の自動車教習所で受講。ずいぶん久しぶりに電車に乗った。去年は二度くらいしか乗っていない気がする。たぶん今年は初めてである。コロナ猖獗のいま、混む時間ではないからいいが、通勤電車は不安だろうと思う。

 

 高齢者講習というから、認知度を見るテストでもあるのかと思ったら、視野角の検査と実地運転のテストであった。視野角は左右とも八十度で年齢より良好とのこと。実地運転のテストは意外に緊張する。コースに慣れていないこともある。大昔の免許を取った時代のことを思い出した。こんなせせこましいところで教わっていたのだ。

 

 テストの結果は免許の発行には関係がないという。ただし、高齢者は違反するとその時に認知度のテストを受けさせられて、問題があると免許が停められてしまうことがあるそうだ。

 

 二時間あまりのテストで受講料5100円。必要な講習ではあるのだろうが、金儲けの手段でもあるような気がする。さあ、受講終了証明書を持って、来月中に免許更新手続きをしなければならない。

 

 今回は12名が一緒に受講したけれど、かなり危なそうな人もいた。ところで枯れ葉マークをどうしようかなあ。愛車を失って、今は車がないけれど・・・。

2021年4月28日 (水)

怯え

 高みに登れば登るほど転落の危険は増す。高みから降りれば危険は去るから、降りればいいのである。しかし高みに登るために他人を踏みつけにしてきた場合には、引きずり下ろされないために、さらに高みを目指すしかないことになる。

 

 高みにあることの怯えがさらなる強権を求めることにつながるのは独裁者の常で、敵対者の粛清や反対者の処刑がエスカレートして行く。金正恩や習近平を見ていると、強さよりも怯えから来る弱さが見えてしまう、というような心理学的な分析を試みても、その強権的な力は現実的に人を支配していて、弱まることはない。革命によって成立した国が、革命を徹底的に排除しようとする奇妙さ。

 

 歴史的に見ればそのような独裁者も寿命には勝てないから、いつか終わりが来ることは間違いないが、そのあとにその反省から独裁者の出現を防ぐための手立てを講じても、またふたたびそのような人間が出現することが繰り返されてきた。歴史の繰り返しを見せられ続けて、凡人の私の人生も終わることになるようだ。世界は進歩して明るい未来がやってくる、などということはないらしいことを日々思い知らされている。

問題点

 新型コロナウイルス感染の日本の対策が、後手後手で不手際であるように感じている国民は多いのではないだろうか。いろいろな要因があるのだろうが、その原因のひとつが厚労省の危機意識の薄さ、真剣さの不足によるものであるらしいことに、国民は薄々気がついている。

 

 厚労省は最も巨大な国家予算を管掌する組織である。それはそのまま最も巨大な権益を持つ組織だということでもある。しかし、年金問題を始めとしてやるべきことをきちんとやっているように感じられない組織でもある。権益があればそれに伴う大きな責任が生ずるが、その自覚があまりない組織のように見える。

 

 今回コロナワクチン接種に関しての作業を厚労省から取り上げて、総務省が行うように菅総理が指示を出したと報じられていた。どうも厚労省にかなり腹を立てての処断らしい。もともと地方自治体との連携が必要な作業だから、総務省が適任というのが名目である。菅総理は、厚労省にはやる気も能力もない、と腹を立てているらしいと漏れ聞こえている。厚労大臣が必死で笛を吹いても馬耳東風、惰眠をむさぼっていると見えているのだろう。ことが治まったあとに厚労省に大ナタが振るわれることになるかも知れない。国民のためにはそうなることが望まれる。

 

 ところでコロナワクチンの入手、そして接種にどうして日本はこれほど立ち後れているのだろうか、と疑問に思う日本人は多いに違いない。お金も力もないアフリカ諸国並みの接種率であるのはどうしてなのか。世界がそれほど日本を好意的に思っておらず後回しにされているのだろうか。EUが日本向けのワクチンに制限をかけているのは公然たる事実であるけれど、それだけではないだろう。そもそものワクチン入手交渉でのしたたかさがかけている国がワクチン入手の遅れを来していると言われていて、その代表的な国が韓国であり、日本であるらしい。その責任は問われるべきだろう。そしてそれらを事実に基づいて報じるのがマスコミのはずだが、そのお粗末さはもう語るのにうんざりするほどだ。

 

 危機にあってその役割を果たせない組織は、罪を問われてしかるべきだが、マスコミが愚かだとその矛先がピント外れになる。そうしていつまでたっても改善されない。日本は明らかに衰退している。

 マスコミは批判するだけではなく、たまにはその問題点をきちんと報じてほしい。

2021年4月27日 (火)

迷う

 明日は運転免許の更新に必要な高齢者講習の日である。万全を期したいので、妻の病院からの要請に応えるために、行くことは可能だろうとは思うものの、今日はあきらめてじっとしていた。体調を悪くして、あした入り口で発熱を理由で講習受講を撥ねらるというのは願い下げである。

 

 昼食を食べたすぐあとに、鼻がむずむずしてくしゃみが出た。悪い兆候である。こうなると微熱を発する。慌てて横になったら、しばらくして眠りこんだ。

 

 気持ちのあまり良くない夢を見た。

 

 娘夫婦と、ある女性と四人で歩いていた。途中から私は大型トラックを運転している。どうして手に入れたのかわからない。同行者たちは私の危なっかしい運転にハラハラして、止めろと言うが、行かなければならないところがあるのだ。それにしても私は大型車の運転免許は持っていない。行き先は、ある染色工場と、妻のいるところだ。してみると、ある女のひとは妻ではないらしいが、よくわからない。

 

 ほかの人たちを車から降ろし、トラックをやや広い場所に停めたらそこが工場の裏である。鞄を持って染色工場に入った。そこから入るな、と制止されたけれど、強引に入った。とてつもなく広い工場で、しかもすさまじく汚れている。排水路が詰まっているのか、化学薬品があふれかえり、異臭がひどい。

 

 私は仕事でたくさん染色工場に行ったことがあるけれど、大きい工場ほどたいてい清潔であるし、大きいと言っても夢に見たとてつもない広さの工場は知らない。インドや中国の工場のようだった。工場の中は迷路のようで、行き止まりになっていたり階の登り降りもどこから行くのかわからない構造となっている。担当者らしき人物から声をかけられてようやく仕事をすることが出来た。

 

 その担当者は私が苦手にしているタイプの男だが、どういうわけか話はトントン拍子に進む。そうこうしていたら、娘夫婦が私を探しに来た、という知らせが届けられた。慌てて案内されると私は五階か六階のテラスのような場所の手すりの前にいて、下にいる娘夫婦とある女性を見下ろしていた。

 

 そこで寝汗をかいた状態で目が覚めた。体温を測ると平熱。不思議なことに、ある女性はついに自分でも誰だかはっきりしない。

 現世(うつしよ)は夢、夢こそまこと(by 江戸川乱歩)

大滝詠一

 録画してあったNHKの『我が心の大瀧詠一』という番組を観た。『クールバケーション』のサウンドは忘れられない思い出である。それでも内田樹老師が大滝詠一を神格的に敬愛しているのは大げさだと思っていた。

 

 一時間半の番組で、大瀧詠一が作曲した曲が流れ、それぞれの曲にそれぞれの私の思い出がオーバーラップした。『さらばシベリア鉄道』、『冬のリヴィエラ』、『熱き心に』など、大好きな曲ばかりである。

 

 むかし付き合っていた女性が、森進一が好きだ、と聞いて、興味があまりなかったのにカセットテープ(当時はまだCDがなくて、レコードもあったけれどカセットテープでもアルバムが売られていた)を買って繰り返し聴いているうちに好きになった。『冬のリヴィエラ』は彼女に失恋してからしみじみと聴いた。番組では横山剣が歌っていてそれなりに良かったけれど、私にはこの歌は森進一の歌である。

 

 私の数少ないカラオケの持ち歌の筆頭が、小林旭の『北へ』で、私は体がデカい割に声が高くて小林旭の歌の音域が比較的に歌いやすい。『熱き心に』も歌ったことがあるが、むつかしくてうまく歌えなかった。これは小林旭が歌った。やはりこの人が歌うと迫力とスケールがあって素晴らしい。

 

 番組では『さらばシベリア鉄道』を氷川きよしが歌っていたけれど、やはりこの曲はオリジナルの太田裕美で聴きたかった。大滝詠一も自分で歌っているうちにこれは女性が歌うほうがいい、といって彼女の歌を先行して発売することになったそうだ。女性の思いと男性の思いがかけあいで歌われるこの歌の壮大な世界がすきだ。

 見終わって録画を消去した。消去することで思い出を心に閉じ込め直した気がした。

2021年4月26日 (月)

ジェノサイド

 中国政府が新疆ウイグル自治区でジェノサイドを行っていると欧米は非難している。ジェノサイドはほぼ事実であろうと思われるから、その非難は不当ではない。チベットでも、モンゴル自治区でも行われてきたことで、それを知りながら中国との経済関係を重視して、見て見ぬふりをしてきたから、遅きに失したと思っている。

 

 その非難の先頭に立つ立場にあるバイデン大統領が、百年以上前のトルコのアルメニア人虐殺をジェノサイドだと認証した。事実ジェノサイドであったことは明らかであるけれど、どうしていままで避けてきたことをとつぜんいまになって認証したのか。私には正義のためと言うよりも、売名行為、点数稼ぎの行為に見える。過去に遡ってあとからジェノサイドを果てしなく認定していけば、アメリカがどれほどのジェノサイドを行ってきたのか、それを認定しなければならなくなるが、その自覚があるのか。

 

 日本に原爆を投下して何十万もの非戦闘員を虐殺したのもジェノサイドではないのか。日本の各地を空襲して焼夷弾を投下して反撃の手段のない市民を虐殺したのはジェノサイドではないのか。世の中はこのように不条理なことが行われた歴史を重ねて現在というものがある。その反省のもとに戦争を回避しようという気持ちが醸成されてきた。過去を蒸し返すことは、歴史学的にはあり得ても、政治的には是々非々があるはずだ。

 

 ここでトルコと敵対的になったとしてもトルコをますますロシア寄りに、そして中国寄りに追い込んでいき、平和だったトルコをジェノサイドの時代に引き戻すばかりではないのか。現にトルコのエルドアン大統領というのは独裁者の相貌を公然と示して、トルコの民を危険な方向に導こうとしている。それなら、いまはトルコを自由主義的な国に引き戻すことにこそ心を砕くべきではないのか。

 

 中国がウイグル自治区で行っていることは、いま現に行われていることである。とんでもない数の行方不明者がいて、さらに次次と人が消滅しているという事態だという。それを非難することと、過去のことを言うことで点数稼ぎをすることはまったく違うことで、過去と現在を同列に論ずることで、現に行われていることを止めさせる力を失わせることになりかねないと危惧している。

愛知トリエンナーレの影

 名古屋市長選は現職の河村氏の勝利に終わった。例によって相変わらずの名古屋弁での河村節を聞かされた。あるがままの河村たかしであった。私は特に河村氏を応援するつもりはないが、前回述べたように、負けた横井氏には応援したくないと感じていた。とはいえ私は川向こうの人間なので、名古屋市民ではないから選挙権はない。

 

 今回の勝因敗因については専門家が解析するのだろうけれど、私の印象を述べれば、大村知事のリコールの署名活動での不祥事を争点の一つにした横井氏に対して、名古屋市民は大きな反発を感じたのではないかと思っている。

 

 愛知トリエンナーレでの、芸術の名を借りた異常な政治的アピールに対して、大村知事の同意的な不明確な対応は、多くの人に不快感を感じさせた。河村氏はだから大村氏のリコール運動に賛同した。河村氏はあの政治的アピールは間違っていると態度を明確にしていたからだ。そのリコール運動の署名に問題があったことを、あたかも河村氏の意図的な犯罪行為であるかのような取り上げ方をして非難したことは、まともな人たちにとって不愉快だっただろうと私は感じている。事実は知らない。

 

 自民党、立憲民主党を支持する人、無党派層のすべてで河村氏へ投票した人が横井氏を上回っていたという事実がそれを表しているのではないか。共産党と公明党の支持者は、横井氏への投票がはるかに上回っているのがなにかを象徴している気がする。コントロールされた投票行動がなにを象徴するのか。蛇足で言えば、名古屋市の市民は、北朝鮮や中国のような行動を拒否したということであろう。愛知トリエンナーレの影が選挙結果に影響した、と私は見ている。正義という名の洗脳を拒否したのだというのは極論か。

 今朝は平熱。朝は大丈夫なのだが・・・。

2021年4月25日 (日)

楽しみにしていたのに

 外には強い風が吹いて窓を揺らしている。心配していたことだが、つい今し方、少し熱っぽいので体温を測ると36.7℃。平熱よりわずかに高い、微妙な温度だ。昨日もこのくらいから夜になって発熱した。

 

 今晩は選挙速報を見るのを楽しみにしていた。参議院や衆議院の補欠選挙などよりも、私が結果に興味があるのは名古屋市長選挙である。与野党が組んで現職の河村市長に対抗馬を立てているのがいささか気に入らない。しかもその候補が市民に対して、当初金のばらまきを語っていたのがおもしろくない。公然たる買収ではないかと思った。野党も河村憎しで与党の推す候補に相乗りするなど、情けない限りだ。

 

 もちろん争点はそこではないが、そういう言葉で投票が動くようなら、名古屋市民も地に落ちたものだと考えざるを得ない。逆に反発を感じてほしいと思うところである。首長というのは、与党に迎合することでうまく運営できるという考え方では、本当にしなければならないことが出来ない時代である。それを語る対抗馬に見識の低さを感じる。そういう人ではお役人に鼻面を引き回されるのが落ちであることを名古屋市民が感じてほしい。

 

 とはいえ早く寝なければいけないから、体制が決するのが夜遅くなるようならいつまでもテレビを観ているわけにも行くまい。残念だ。

格闘

 止めておこうか、と思いながら風呂に入ったのがまずかった。風呂から上がってしばらくしたら目が回る。体温を測ったら37.7℃もある。

 

 昨年、ゴールデンウイーク中に高熱(38.5℃)を発し、ちょうどかかりつけの病院が当番の救急病院だったので、電話した。「自力で来てください、どうしても無理なら救急車を頼みなさい」ということだった。なんとか車で病院に行った。新型コロナで厳戒中だったから、病院外にもうけられた小屋のようなところに隔離され、検査してコロナ感染でないことを確認してからようやく病院に入れてもらった。予想通り泌尿器科の炎症による発熱だった。

 

 その時のことを思い出した。

 

 冷凍庫にあるアイスノンを出し、熱さまシートを額に貼り、体温計を枕元に置いて横になった。うつらうつらしながら二三時間おきに汗で濡れた下着を替えトイレに行き、水を飲む。顔の周りに不快感がまとわりついていたのが次第に治まってきた。朝、気分がだいぶ楽になっている。体温を測ったら36.3℃、平熱である。このまま治まってくれるといいけれどなあ。体重が一晩で1キロ以上減っている。水分が減っただけだろうけれど。

 

 いま起き出して、布団乾燥機で布団を殺菌乾燥している。昨日から溜まった汚れた下着などを洗濯して、このブログを書いたらまた一眠りしようと思う。身体が病と格闘したらしく、体中がそういう疲れ方をしている。

2021年4月24日 (土)

体調不良

 微熱があって体調が本調子でない。このごろの平熱は36.3℃くらいだが、今36.8℃ほどで、発熱しているというほどでもない。ニ三日前から鼻がむずむずしてくしゃみが出ているし、鼻水は止まらないし、目の回りがかゆい。花粉の飛散は少ない、と報じられているのに、きつい花粉症の症状が出ている気がする。

 横になっていると外界の物音がずいぶん近く大きく聞こえたり、反対に変に間遠に聞こえたりして具合が悪い時の気分である。排尿痛が少しあり、排尿の色が濃く濁っている。持病の泌尿器系の炎症がまた騒ぎ出しているのかもしれない。体から何か異物を出そうと頑張っているのかもしれない。頻尿気味である。せっせと水分をとり、我慢せずにトイレに通っていたら濁りも薄まり、色も無色に近くなった。

 安静にするために早めに就寝しすぎて夜中に目覚めてしまうことが多い。そうすると寝られなくなる。かえって寝不足になって昼間うたたねをする。それがよくない気がする。

 咳は出ないし喉も痛くないし味覚異常もないから、新型コロナに感染したのではないと思うけれど、様子を見て、今もなるべく横になっている。眠ると寝汗をかく。すぐ下着を替えてさっぱりする。そうするとしばらく調子はいいが、また鼻がむずむずしたりする。妻の入院している病院から連絡があり、できれば来てほしいということだったが、しばらくは無理であることを伝えた。行くなら連休明けである。

 28日に、どうしても行かなければならないところがある。それまでに体調を整えられたらありがたいのだが・・・。

 

見ているから見えているとは言えないこともある

 いま、武田泰淳(作家1912-1976)の対談集『混々沌々』という本を読んでいる。武田泰淳は『司馬遷』という作品があるように、中国についての思い入れが深く、中国に一兵士として従軍もしている。『ひかりごけ』という問題作でも知られる作家で、私はまだ数冊しか読んでいないが、いつか集中的に読みたいと思っている作家である。

 

 この本は昭和45年に出版されているが、いちばん初めの貝塚茂樹(中国学者1904-1987湯川秀樹のお兄さん)との対談が昭和38年のものであり、文化大革命(1966-1976)の直前とも言うべき時代でもあり、その最中に武田泰淳は文化人のグループとして中国を訪れていて、そのときの話がこの貝塚茂樹との対談や、つぎの竹内好(中国文学者1910-1977)との対談で言及されている。竹内好との対談は文化大革命が盛り上がり始めたころに行われている。

 

 武田泰淳や中国に造詣の深い人びとがその時代に中国をどう見ていたのか、文化大革命をどう捉えていたのか、そんなことが対談からうかがえる。鋭い洞察も多多あるにもかかわらず、新生中国を見る目は好意的であり、希望的である。なにを見たのか、というよりなにを見せられていたのか、ということについてもいろいろ思うことがあるけれど、それを現代の視点で批判しても仕方がない。

 

 ただ、彼らがその後の文化大革命の推移を知り、彼らが知己を得た中国の文化人たちがどのような運命をたどったのか、そのことを詳しく知ったとき、どのように感じたであろうか。この碩学たちは文化大革命が終わるころ、または終わった直後くらいに亡くなっていて、その感想を聞くことができないのは残念だ。

 

 それ以上に思うことは、その文化大革命時代の毛沢東以上に中国という国を異様な国に変えようとしている習近平の行動を知ったとき、彼らがどのように思うのか、そして想像される絶望を私は彼らに代わって実感している。

2021年4月23日 (金)

迫る

 今日私を訪ねてくる予定だった人が来られなくなった。保険の人ではない。職場の人が新型コロナの検査で陽性だったという。本人は一斉検査で今のところ陰性だけれど、確実ではないので自宅待機になったそうだ。

 

 愛知県も、大阪や東京の陰に隠れているけれど感染者は急増している。私の住む街でも感染者がでていることは知っていたけれど、具体的に知っている人が感染者とつながっているかも知れない、という経験は初めてだ。

 

 数日前に市役所から新型コロナウイルス予防接種券が送られてきているけれど、いつ接種できるのかは追って連絡があるという。変異種によって感染が急拡大していて、予防ワクチンの効果がでる前に罹患するおそれが急拡大しているのを感じる。

 

 どうせ安静にしなければならない身であるから、引きこもりの度合いをさらに少し上げて、感染拡大が治まるまで、今まで以上に人に会うのを少なくすることにしよう。来週来るはずの事故処理の保険会社の人に、ことわりの電話を入れようか迷っている。

芭蕉

 小学館の『日本古典文学全集(全51巻)』のうち、特に興味のある『今昔物語集(4巻)』や『日本霊異記』など14巻のみを購入したものが棚にならんでいる。もっと揃えたい巻があるが、いまあるものすら読みかじっただけの状態なので我慢している。

 

 その中に『謡曲集(2巻)』があって、ときどき拾い読みをする。先日『おくのほそ道 全注釈』という本を読んでいて、そこで引用されているさまざまな事柄が、謡曲の世界も含んでいることに大いに啓発されている。謡曲といえば、高校の現代国語の教科書に、梅原猛の『隅田川』という文章が取り上げられていて、そこには謡曲の『隅田川』が全文引用されていた。謡曲というものに出逢ったそれが最初である。その夢幻の世界観にいたく感銘した。

 

 だいぶ後になってからだが、テレビで能の『隅田川』を観ることが出来たのはさいわいだった。

 

 能の演目、つまり謡曲の曲目はたくさんあって、私の持つ『謡曲集』ではその一部である79曲だけが収められている。読んでいた文章に言及されたり引用されたりしたものを、読んでみたくて開いてみると、しばしば収められておらずガッカリする。それだけたくさんあるということかも知れない。

 

 一番目物と呼ばれる『高砂』や『鶴亀』などの脇能、二番目物と言われる男性がシテの修羅物、三番目物の女性がシテである鬘(かずら)物、四番目物と通称される雑物、五番目物の鬼物と言われる切能に大別されるらしい。『隅田川』は切能に分類される。解説からの拾い読みなので詳しいことは知らない。

 

 先日たまたまパラパラめくっていたら『芭蕉』という謡曲があるではないか。鬘物に分類されている。だから女性がシテである。読み出したら、これは俳人松尾芭蕉の話ではないことに気がついた。舞台は中国の山中のみすぼらしい寺で、荒涼たる晩秋の夜、僧が法華経を読誦していると、人の気配がする。不思議に思って外に出てみると、そこには一人の女性がたたずんでいた、という物語である。

 

 その女性の正体は芭蕉の精である。

 

 僧と芭蕉の精とのやりとりと地謡の語りから情景がありありと浮かんでくる。その時間と空間を超越した夢幻の世界が、私にもちょっとだけ感じられた。

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