2023年12月 3日 (日)

顧炎武(こえんぶ)

 白帝社という出版社の中国歴史人物選という叢書があり、全十二冊の内、六冊のみ所持している。きちんと読んだ本と読み囓っただけの本があり、『顧炎武』という巻だけは手つかずだった。この人は明末、清初の時代(日本でいえば江戸時代の初期)の人で、学者である。詳しいことはこの本を読むまではほとんど知らなかった。この時代のことは同時代に生きた張岱(ちょうたい)という人の本(『陶庵夢憶(とうあんむおく)』)に出会って興味を持っていた。

 

 王朝が変わるということは世界が変わってしまうということで、ましてや清朝は異民族の王朝である。その中でどう生きるのか、自ら選び取っていかなければならない。そのことでその人自身の真価が明らかになる。あっさりと死んでしまう人もいれば、なにごとかをなして名を残す人もいる。自分だったらどうしただろう、と思う。その他大勢の中で埋没して終わるだけか。

 

 個人の人生、生き方と、周辺の人間との関わり、その時代の変遷とが絡まり合い、まるでドラマを観ているように面白い。こういうさまざまな人たちが無数にいてこの世が回って来たのだなあと思う。

 

 我ながら不思議なのは、面白いけれどさっぱりわからないまま読んでいるということだ。沢山の人物が取り上げられていくのだが、顧炎武だけでなくほとんど知らない人ばかりだから、それぞれの役割が理解しきれないまま読み進むしかない。むかしなら人物辞典を一人一人引いてイメージを加えていくのだが、手抜きしてそのまま読み進めている。わからないのはこちらの基礎知識がお粗末だからで、そのことを自覚さえしていれば、わからないことはそれほど苦ではない。

 

 明という時代、清という時代をおぼろげにイメージしながら、世界がこうして変わっても、中国というのはいつまでたっても変わらないとも思う。中国だけではないのだろう。人間というのは、実は進歩などしていないような気がする。 

 

 蛇足ながら、張岱の『陶庵夢憶』は、私が離れ島に一冊だけ持っていっていいといわれたら選ぶ本である。できれば漢和辞典の持参も特別に許してもらいたい。この本は岩波文庫の大判で二冊持っている。一冊は風呂に入って読んでいて少し濡らしてしまい、よれよれになってしまったので、新しいのを買ったのだが、開くのはいつもヨレヨレの方である。そちらには私としてはめずらしく、多少の書き込みがある。

やぶにらみ

 今朝、早めに起きてフィリピン沖の大地震のニュースと津波の警報をテレビで観ていたら、テレビというのは、特にNHKは、津波や地震のニュースが大好きで、延々と同じことを繰り返しつづけていて、世界にはニュースはほかに何もなくなっているようだった。こちらはフィリピンにその地震の被害があったかなかったか知りたいのに、その報道はない。テレビ局の人は地震や津波があると「わーい、これでめんどくさいニュースを流さずにしばらくサボれるぞ」と思っているのではないか、などと、いつものように思ったりした。

 

 昨晩の池上彰のニュース解説の番組で、来年のパリオリンピックでは、ペットボトルなどのプラスチック製品は持ち込みも含めて使用禁止だということを知った。レジ袋の有料化も含めていろいろ思うところはある。たしかにそこら中にプラスチック製品が捨てられていて、その結果として海洋汚染にもつながっている。しかし、そもそもきちんとプラスチックゴミを捨てずに処理すればよかっただけのことで、それができないことを前提にしなければならないことに、人間というのはつくづく愚かだなあと思う。

 

なんべんも書いている言葉
「捨てる人は拾わない、拾う人は捨てない」

いまは他人の命まで簡単に捨てる。

りんご

 苹果がりんごのことであることを宮沢賢治の童話で知った。秋はまず柿をせっせと食べる。りんごが店頭に並び出すとこんどはりんごを食べる。最近のりんごは大きいので、半分ずつ午前と午後に分けて食べる。

 

 11月に北関東に行ったとき、りんご農園でりんごを買った。今年は猛暑の上に雹にあたって、散々な不作だったといい、少し傷がついたものを安く買った。弟のところに持っていったのだが、持って行くには少ないので別のところで買い足した。それの出来が良くなかった。

 

 長野の友人からりんごが送られてきた。毎年送ってくれる。いつも格別大ぶりの美味しいりんごである。箱の中にチラシが入っていて、今年は猛暑のせいで出来が良くなかった、と書いてあった。りんご農家はどこもたいへんだったようだ。

 

 一人ではとても食べきれないので、いつものように娘に分けるために電話した。先日来てもらったばかりだから私が届けようとしたら、亭主に頼んでとりにいくという。半分ほどを持っていってもらった。数日早ければ弟や妹にもお裾分けできたのに、と思った。

2023年12月 2日 (土)

のがれられない

 人は自分の語ったことばや行動からのがれられない。恐ろしいことである。蓮舫女史は「一位でなければいけないんですか」と語ったことからのがれられない。前原氏は八ッ場ダム建設を中断させた言動からのがれられない。それらの言葉は、必死で頑張ってきた人たちへのリスペクトがないことで人々の批判を受ける。

 

 日本がコンピューター技術の先頭を行くためにどれだけの人たちが努力し、試行錯誤してトップの座を維持してきたか。日本が工業的に回復し、成長するために電力がどれほど必要だったか、そのダム建設にどれだけの人々が従事し、技術力を磨き、苦労してきたか。振り返れば水力発電は再生可能な自然エネルギーそのものではないか。

 

 たしかにその周りにむらがる利権によって甘い汁を吸う連中というものは存在するのだろう。しかしそういう連中がいるからというその理由だけで、半ばできかけたダム建設そのものを中断していいのかどうか、それを真剣に考えた上のことばには聞こえなかった。そのことにあまりにこだわるのは、その甘い汁を吸えない立場に悔しさでもあったのだろうか。それは勘ぐりすぎとしても、どちらもマスコミ受けをねらったものにしか見えなかった。

 

 その前原氏が国民民主党を脱党して新党を立ち上げた。むかし多少は期待していたのに、なんたるていたらくか。私はこういう人を信用できない。

久しぶりの名古屋城

名古屋城は毎年一度や二度は訪ねるのだが、コロナ禍前に行ったのが最後で久しぶりだった。弟夫婦や妹はとうぜん私より若いから、旅の疲れも一晩寝れば取れたようで、元気である。私は北陸で土産に買ってきた原酒を飲んで飲み過ぎ、それが残っている上に、旅行ではたくさん歩いたから膝が痛くてついていくのがやっとである。

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いま天守閣は中に入れない。木造再建計画が検討されている。合わせて石垣の積み直しが進行中である。

ちょうど10時から無料ガイドを頼めるというので、四人でお願いした。初老の男性に一時間半たっぷりガイドをしてもらった。名古屋城ではいままでガイドなどしてもらったことがないので、初めて知ったことが多かった。

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隅櫓(すみやぐら)を前景に撮る。

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広大な二の丸庭園を見る。ここには再建された本殿より大きな二の丸御殿があったがいまはない。

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やや盛期を過ぎてはいるが紅葉が美しい。

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石垣の説明を聞く。真ん中の石をよく見れば横に文字が刻まれている。マークや文字は担当した大名のしるしである。

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巨大な鏡石(かがみいし)。権力の象徴。上田城(真田氏)の鏡石や大阪城の鏡石を思い出した。

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本丸御殿。この正式の玄関からは入れない。奥の入り口から靴を脱いであがる。

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各部屋には狩野派の絵が描かれていた。格式による絵や天井、欄間の違いなど、詳細に説明を聞いた。

以前初めて来たときは、人がごった返していて説明もなかったから、ただ眺めただけであった。

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釘隠し。釘は平釘という平たいものである。

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こんな釘隠しもある。こちらの方がもちろん格上。

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廊下と部屋を隔てる襖戸の内側に描かれている絵。あたりまえだが部屋の中からしか見ることは出来ない。たまたまこの日だけ室内を見る特別な通路がしつらえてあり、見ることが出来た。ガイドの人も初めてだと感激して写真を撮っていた。

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ここもふだんは一般公開していない部屋だそうだ。将軍の食事を毒味したあと、運ぶ前に置いておく部屋である。

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最上級の部屋のある場所の、廊下の欄間。写真では途中で切れているが三羽の鳥がいる。

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同じ欄間の反対側。こちらには五羽の鳥がいる。一枚の板の両側を掘ってあるのだ。

長い説明と足元の冷えでトイレに行きたくなるし、座りたくなって困った。ようやく外へ出て、天守閣の説明を聞いてガイドは終了。ありがとうございました。

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最後に天守閣と金のしゃちほこ。

このあと将軍が来たときに使う湯殿などの建物の内部を見学して、城内のきしめん屋で昼食を摂り、帰宅した。思ったより時間を食ったので、あまりゆっくりもせずにみな千葉へ帰っていった。

次は春にどこかへ行こう。

夜、「無事についたよ」、と妹、そして弟のそれぞれから電話があった。

お疲れ様でした。これにて今回の旅の報告終わり。

郡上で踊る

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郡上のお城へは急坂急カーブを登らなければならない。ワゴン車はかなりギリギリだし、落ち葉で滑るので弟は慎重にゆっくりと登った。これが歩いて登るしかないならあきらめたところだ。写真のようにみごとな青空になった。

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天守閣から街を見下ろす。

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小さな城門が見える。

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街を流れる吉田川は長良川の支流。

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ここでみんなで記念撮影をしていたら、突然空がまっくらになり、激しい風とともに大粒の雨が降ってきた。突風で身体が持って行かれそうになり、弟などは石垣にしがみついたほどだ。大慌てで車に戻る。

街中(まちなか)では、空は明るいのにときどき小雨が降ったりしたが、やがておさまった。

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街中のあちこちで、このように天守閣を望むことができる。

街中を少し歩いて宗祇水(そうぎすい)などを見る。

郡上八幡博覧館で郡上踊りを見せてもらう。ただし、見ると必ず踊らないといけない。前に一度見せてもらったときは踊りの審査員もする張ベテランのおばさんと三人の若い踊り子さんだったが、今回は説明の上手な若い女性と見習い風の娘の二人だった。前回はいいかげんに踊ったら先生に叱られたが、今回はまじめに教えられた振り付けを踊った。ただし手ぶりだけ。ステップにはついて行けない。いろいろな踊りがあるが、わかりやすい「かわさき」と「春駒」の二曲を教えてもらった。

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このあとみんなで我が家に帰った。

娘に連絡してあったので、カレーを作って待っていてくれた。娘と妹は母の葬式以来で、久しぶりに会う。

2023年12月 1日 (金)

宇奈月温泉にて

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魚津の埋没林を見てから、この晩の宿である宇奈月温泉に向かう。それほど遠くない。写真はトロッコ列車の駅の裏から見下ろした黒部川の下流方向。この左手が温泉街。

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もう薄暗くなっていたが、遊歩道を少し歩く。猿がぞろぞろと歩いていた。すぐそばをボス猿と思われる大きな猿が通っていった。そのあと林の中から猿声が聞こえた。

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紅葉のシーズンはもう終わり。まもなく雪が山を覆う。トロッコ列車も11月30日までである。翌朝、天候が許せばトロッコ列車に乗ることにする。

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翌朝の宿の部屋からの眺望。ごらんの通り雨が降っている。トロッコ列車は断念せざるを得ない。

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雨の中の紅葉は今年の秋の名残。この天候では北陸はどこも雨だろう。ゆっくり出発し、宇奈月の道の駅に立ち寄る。道の駅に街の図書館と博物館が併設されている。刎橋(はねばし)の愛本橋に関するビデオと、黒部川についてのビデオを見せていただき、そのあと刎橋の二分の一のモデルを見学する。ちょうど展示会が終了したばかりだから、片付け中なので無料でいいです、ということだった。外へ出たら大雨。

そのまま名古屋へ帰るのももったいないので、郡上八幡へ立ち寄ることにする。分水嶺を越えれば雨が止むかと期待したが、郡上白鳥まで雨。ところが郡上のお城に着いたらみるみる空が明るくなった。

山田太一の訃報を知る

 脚本家の山田太一の訃報を知る。報じられている代表作の多くは、私にはあまりなじみがない。よく知るのは『男たちの旅路』ぐらいか。私にはそれよりも笠智衆主演の三部作『ながらえば』、『冬構え』、『今朝の秋』が忘れられない。けっこう若い時に見たのだけれど、老境ということ、そして生と死ということ、家族や人生というものをこれほど身に沁みて教えられたドラマはない。

 

 最初に見たのが『冬構え』で、沢村貞子や金田賢一、岸本加世子も好かったけれど、ほんのちょっとだけ出た小沢栄太郎のひとこと、「いけないよ」、がずしりと胸に響いた。そのひとことに万感の思いが感じられた。『ながらえば』では、宇野重吉の名演が、そして『今朝の秋』では共演の杉浦直樹、杉村春子が好かった。どれも私の中の傑作ドラマリストの上位にある。

 

 冥福を祈る。

能登、そして魚津へ

のとじま水族館などを見たあと、氷見の道の駅に行って昼食を摂ったことは書いた。

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氷見から見た立山連峰。

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どの山がなんという山かはよく知らない。しかしこんなにきれいに見えるのはめずらしい。

氷見から高岡へ、そして国道8号線で魚津へ向かう。魚津から今晩の宿の宇奈月温泉までは遠くないが、その魚津への道が思ったより時間を食った。遠回りでも能越道と北陸道を走った方がよかったかも知れない。

魚津へ行ったのは、みなに埋没林を見せたかったからだ。

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埋没林の根っこ。海中にある。杉である。

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かなり暗いので不気味である。それが好いのである。

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これは引き上げて防腐処理された根っこ。

魚津は蜃気楼でも有名。この博物館にはその説明の展示もあり、ハイビジョンの映像を見せてもらう。私は一度見たことがある。

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魚津からも立山が見えた。

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同じような写真で申し訳ない。日が傾いてきた。急いで宇奈月に向かう。宇奈月の渓谷の写真が撮りたい。

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おまけ。逆光の魚津の海。

2023年11月30日 (木)

能登へ行く(3)空を飛ぶイルカ

能登の宿は能登島にほど近い国民宿舎。予約を入れたときには気がつかなかったが、よく見たら一度泊まったことのある宿だった。

柿のフルコースを頼んでいたので、焼きガキ、カキフライなどさまざまな料理でカキを楽しむ。焼きガキを焼いて食べるときに右手の指先をやけどしてしまった。幸いたいしたことはなかったので助かった。飲み放題も頼んだので、酒を飲まない弟の嫁さん以外はみんな酩酊した。酔って熱いものを扱うときは注意が必要だ。みんな良く焼くのが好みで、本音を言えば私は生に近い方が美味しいと思うが、みんなに合わせた。そのほうが安全ではある。大満足。

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翌朝の部屋の窓からの景色。オーシャンビューである。見えるのはカキ棚だろう。夜、雨が降ったようだが爆睡したので気がつかなかった。

近いので能登島に渡り、のとじま水族館を見に行く。魚を撮り出すときりがないので眺めるだけにする。大水槽がいくつかあるので見応えがある。ジンベエザメの泳ぐ大水槽は特に見ものである。

イルカのショーをみんなで見に行く。

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最初のご挨拶。呼ばれると声を出す。

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お姉さんの合図で立ち泳ぎを始める。

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飼育員の合図で、そろって空を飛んだ。イルカショーが動物虐待だなどと言われるけれど、どう見てもイルカたちは喜々として演じることを楽しんでいるように見えた。

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アシカショーもあったが、ユーモラスで見とれていて写真を撮り損ねた。

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横になってお腹を見せてくれた。

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これはアザラシ。

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仕上げに見たイワシの大群の水槽。どうしても魚を見ると食べることを考えてしまう。

このあと近くのガラス美術館前の道の駅に立ち寄り、さらに氷見の道の駅でお土産と昼食を食べる。焼き鯖ずしとますずし、ぶりずしなどを四人で分け合って食べた。美味であった。

能登へ行く(2)

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輪島の港にあるキリコ会館に行く。キリコは夏祭りに使われる大きな灯籠で人間が担ぐ。能登独特のものである。むかしはとても大きなものが多かったが、今は電線だらけの街中では身動きできないから小ぶりになった。私はむかし、珠洲の知り合いの家に寄せてもらい、見たことがある。灯籠だから夜のものである。

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大きなものは2トンもあって100人以上で担いだらしいが、今は400キロくらいのもので20人とか30人で担ぐのがふつうだという。

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回廊式になっていて、上から見ることも出来る。

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輪島から少し先の白米千枚田を見に行く。日が傾いてきた。

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稲がないシーズンオフには、夜は棚田を縁取りしたライトアップがある。

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棚田のすぐ裏手から海を見下ろす。

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ここの海は青く美しく澄んでいるのだが、日が暮れかけてそれを実感できなかったのが残念。

このあと曽々木にある窓岩(チラリと見た)や、塩田村を見られる道の駅に立ち寄って塩作りの様子を見た。日が暮れる前に見附島を見たかったので、半島を横切って急ぐ。

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見附島、通称軍艦島。先日の能登地震で少し崩れた。

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空をよく見たら虹のかけらが浮かんでいた。

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目をこらせば立山連峰が見えるではないか。

宿へ急ぐ。

能登へ行く(1)

25日に弟夫婦と妹が千葉からやってきた。私も千葉生まれ、千葉育ちである。気がついたら名古屋が終(つい)の棲家(すみか)になっていた。東名高速は工事などでとても渋滞したそうである。用意した簡単な料理で酒を飲みながら旅のスケジュールを打ち合わせる。心配していた天気はなんとか保ちそうだ。車は弟のボックス型の新車で行くことになった。結局、全行程を弟が運転した。

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翌朝、七時頃出発。今回は一宮から名神高速に乗り、米原から北陸道を行くことにする。向かうのは能登・輪島。北陸道の南条のサービスエリアで休憩。恐竜がいた。動く。

弟は安全運転なのでスピードをあまり出さない。私はもっとずっとスピードを出すので反省する。ただ想定の時間より余分にかかるし、女性はサービスエリアなどに立ち寄るといろいろとユックリするのでなかなか思ったペースで進まない。私はせっかちなのである。

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金沢の手前の徳光パーキングで日本海を眺める。このへんまでは空には雲がかかっていた。冬の日本海の風情である。

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振り返れば雪山になった白山がはっきりと見えた。曇っているけれど空気は澄んでいるようだ。

金沢東インターで北陸道を降りて、国道8号線を走り、のと里山海道に乗る。長く続く砂浜を左手に見ながら快適に走る。私たち兄弟は九十九里に近いところで生まれ育ったので、こういう砂浜にはなじみを感じるし、弟の嫁さんは静岡の美保の生まれだから同じようなものだろう。

能登の西側の海岸は南側は砂浜だが、途中から能登金剛と呼ばれる断崖の続く景勝地になる。その中の巌門(がんもん)というところに立ち寄る。

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真っ暗な穴の階段を降りると、こういうところへ出る。この奥から出て来た。天井が低いのでうっかりして頭をぶつけてしまった。

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外へ出るとこういう場所に出る。車を降りたときには雨が降りそうな空だったのに、このあたりで晴れてきた。雨のために傘を持ったが、傘を用意すれば雨は降らず、大丈夫だと思うと雨に降られる。傘は雨よけか。

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こういう潮の出入りする洞窟もある。

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高台に登ればこんな景色が見られる。膝が少し痛くて階段が辛いし、息も上がるが、こういう景色がご褒美だ。

時間が押してしまい、輪島の朝市には間に合わない(昼までである)。輪島の港にあるキリコ会館に立ち寄る。それは次回に。

2023年11月29日 (水)

好天の城

千葉から弟夫婦と妹とがやってきて、四人で北陸へ小旅行をしてきた。

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昨日、帰り道で立ち寄った郡上八幡城。

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本日午前中に見に行った名古屋城。

このように望外の好天で城を見ることが出来た。

連日、夜は弟と飲み、昨晩も我が家で飲んだので、さすがに胃腸がくたびれた。

一日目は能登、二日目は能登と宇奈月、三日目は郡上、本日は名古屋を見物した。

詳しい報告を書く元気がないので、明日から改めて最初から順を追って旅の報告をするつもりである。

弟たちもくたびれたろう、無事に帰ってくれることを祈っている。

無事帰着しました

昨夕、能登、そして宇奈月の旅を終えて無事に帰着しました。
昨晩は娘が来て、夕食の支度をして待っていてくれ、みんなで旅のはなしに花が咲きました。
娘と妹は久しぶりの再会です。
私は土産の酒を開け、弟は少し飲んだだけで疲れて(今回の運転はすべて弟でした)ダウンし、私は飲みすぎていつも以上に酩酊しましたが、とても幸せな気分でした。
今日は弟夫婦と妹は帰りますが、午前中に名古屋城を見に行く予定です。
この時期は天候が悪いことの多い北陸なのに、奇跡的に好天に恵まれました。
旅の詳しい報告は後ほど報告します。

2023年11月28日 (火)

タイ(5)

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MRTに乗って市場へ行く。

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MRTは冷房が効きすぎていて寒かった。

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慣れてきたら海外にいる気分ではなくなっていた。

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市場に入る。

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もちろん本物ではない。

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椰子の実ジュース。期待したほど美味くなかった。このあとのんだクラッシュアイス入りのスイカジュースの方がずっと甘くて美味かった。

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バンコク街頭寸景

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焼いているのはバナナ。皮ごと焼く。焼くと中はとろりとして甘い。

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ハッポン通りの夜の準備が始まった。

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夜はにぎやか。

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中は人でごった返している。

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通りの横の店。国籍不明。

おまけ。

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2023年11月27日 (月)

タイ(3)

金色が一杯。

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暑さと金色で頭がクラクラしてきたのでしばらく涼しいところで休んだ。

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なんとなく雲行きが怪しくなり、

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このあとスコールが来た。

おまけ。

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とても大きな寝釈迦像。これも金ぴか。

タイ(2)

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チャオプラヤ川を渡って王宮方面の観光に行く。

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渡し船の乗り場へ向かうところ。このときは渡り板の上は歩けたが、水が多いときはもっと水位は高いらしい。

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降りてくる人と入れ替わる。

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近いからすぐつく。

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こんな風に一生懸命塔を支えてくれている。

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見上げれば遙か彼方にてっぺんがある。昔、どんな風にこの塔を立てたのだろうか。

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いろんな塔がある。どれがどれだかもう思い出せない。

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孫悟空の親類がいた。

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おまけ。

タイ(1)

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東南アジアには、タイ、ベトナム(北と南の二回)、シンガポール、インドネシア(主にバリ島)の計五回行っていて、一番最初に行ったのがタイだった。

写真はついたばかりの夜のホテルのロビーで撮ったもの。

翌朝早く目覚めたので、友人のF君と近くの公園まで散歩に出かけた。

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夜明け前だからまだ薄暗い。

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人々が動き出した。

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夜が明けてきた。

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朝の体操。

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水のある風景は好い。

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青年はなにを眺めているかというと、

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オオトカゲ。そこら中にいた。

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南国の風景。

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帰り道。まだ店は開いていない。突き当たりの高架はMRTの駅。

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ホテルの部屋から見下ろす。向こうの通りが夜は露店街になるハッポン通り。

2023年11月26日 (日)

日光(3)

金精峠を見上げる場所からの景色。

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見下ろせば湯の湖。

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霧が晴れたばかり。

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こういう地肌の出た山の景色が好き。千葉県生まれであまりこういう景色を見ていないからかも知れない。

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前にも別の時期の丸沼の写真を掲載した。ルアーのラインがなんとか写せた。

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湖岸に残った赤い色。もうすぐ冬だ。

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おまけ。

日光(2)

竜頭の滝の写真。流れ落ちる水の激しさを感じていただければありがたい。

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竜頭の滝を見る時は、上の駐車場に停める。滝を眺めながらどんどん下へ降りていくのだが、帰りの登りがこのごろは辛くなってきた。

日光(1)

日光には何度も行っているが、今年は紅葉の時期を過ぎていた。以下の写真は2006年の秋にいったときのもの。華厳の滝、男体山、中禅寺湖など。

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2023年11月25日 (土)

丸沼湖畔

奥日光、群馬県側の丸沼の湖畔の風景。丸沼からはロープウエイに乗って日光白根山へ行くことができる。ロープウエイから丸沼が見下ろせるが、湖畔へ行く人は少ない。

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湖畔にあるホテル、環湖荘。一度だけ泊まったことがある。

吹割の滝

吹割(ふきわれ)の滝は北関東へ行くときによく泊まる老神(おいがみ)温泉からすぐ近い。日本のナイアガラなどというが、スケールの違いは如何ともしがたい。しかしながら、ほかで見ることの出来ない独特の景観で美しい。これは2012年に訪ねたときの写真。

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あまり歩かずに見に行けるし、とにかく滝をすぐそばで見られるのが好い。その代わりあぶない。一度は訪ねる値打ちがあると思う。

弟はやはり自分の車で行こうという。買い換えたばかりの新車を心ゆくまで運転したいのだろう。幸い北陸は明日明後日とも雪は降らずに傘も差さずに済みそうだ。雨さえ降らなければなんとか写真は撮れる。明日は能登・輪島周辺を走る。報告は帰ってから。今晩は兄弟で軽く酒盛りする。

書いておく

 今日、午後に弟夫婦と妹がやってくる。気を遣う必要などないのだが、それでもあまり汚らしいところを見せるのは恥ずかしい。一通り片付けたけれど、もう少しきれいにしようと思う。風呂とトイレは磨き上げた。これから晩の食事の支度もしなければならない。明日は朝早くから北陸へ出発するが、多少は飲みながら旅の予定のことなどを肴に歓談したいではないか。すでに予定表は作成済みである。

 

 いつもは小さなノートパソコンを持参してその都度旅先からブログを投稿しているが、今回は四人での歓談を楽しむために持参しない。だから数日は書きためたものを朝七時、十二時、午後五時の三回、自動的にアップすることにした。コメントをいただいたものは、帰宅して一人になったら必ずご返事するので、遅れるのはご容赦いただきたい。その間のものは過去の旅の写真である。ブログを始めたのは2011年からなので、それより前に撮ったものはブログに載せていない。そういうのを主に選んである。眺め跳ばしていただければ幸いである。

2023年11月24日 (金)

初めての台湾(4)

台北へ行ったら必ず見に行くところ。

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中正紀念堂の蒋介石像。衛兵交代のセレモニーが見物。

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総統府。

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故宮博物館。

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おまけ。

もう少し丁寧に

 ブログを見ていただいている人の数が、あまり減らずにいることが望外の喜びである。私も一定の方のブログを拝見しつづけている。お気に入りには五十人近く登録しているが、定期的に拝見しているのは二十人くらいか。以前はけっこう丁寧に読んでいたのに、最近は読み方が少し雑になっていて、申し訳ないことだと思っている。もう少し丁寧に読まなければ。

 

 楽しみに読んでいたのにココログから移ってしまった人も少なからずあり、残念である。交流はコメント以外にとりようかないのが歯がゆい。どんな方が読んでくれているのか、今はコメントをいただいていない人についてはさっぱりわからない。仕方のないことだとは思うが、コメントをいただければ、早い遅いはあっても必ずお返しするように心がけているので、どんなコメントでも好いからいただけるとありがたい。そのときに、もしブログをしておられるのならブログ名を添えていただければ拝見したいと思っている。

茶葉を混ぜる

 泌尿器系に慢性の耐性菌が棲みついていて、泌尿器科の医師から菌や菌の死骸を貯めないように、水分摂取を心がけて常に洗い流すように言われているので、コーヒー、お茶、紅茶、ときには中国のウーロン茶、プーアル茶などをせっせと飲んでいる。

 

 お茶は淹れ方で味が違う。女性が淹れる方が美味しいのはどういうわけだろう。弟の嫁さんは静岡生まれだから上手い淹れ方が身についているのかも知れないが、妹が淹れても美味しいし、娘が淹れても同じお茶なのに美味しいのである。不思議である。

 

 

 お茶は使い切ったら新しいお茶を茶筒に入れて飲んでいたが、ふと思い立って、使い切らずに残ったところへ新しいお茶を混ぜてみた。なんとなく単独より美味しい気がした。それ以来茶葉を混ぜて飲むことにしている。ステンレスの密封性の高い小ぶりの茶筒を愛用していて、そこに二種類または三種類の茶葉を混ぜて入れてある。適当である。茶好きには混ぜるのはあたりまえのことらしいが、それなりに理屈があるようだ。お茶は奥が深い。とはいえ適当では却ってまずくすることもあるだろう。

 

 残った茶葉はもちろん冷蔵庫に密封してしまってある。

2023年11月23日 (木)

初めての台湾(3)淡水

台湾の合弁会社に出向していた先輩に連れられて台湾郊外の淡水へ行った。台北市内を流れる淡水河が東シナ海に流れ出す河口の街である。

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当時は出来て間もなかった淡水の駅。台北から地下鉄(MRT)に乗ればそのまま一時間で行ける。途中で有名な北投(ペイトウ)温泉へ分岐する。朝早かったので人がいない。

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河口の風景。ゆったりした気分になる場所だ。確かこの頃、陳舜臣がこの淡水に別宅を構えていたと聞いた。住みやすいところなのだと思う。

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河口で獲れた魚介類を食べさせてくれる店のようだ。

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先輩は紅毛城を案内したいという。そこへ向かう途中にこんな朽ちかけた住宅があった。一目でこれが台湾統治時代の日本人の住居だとわかった。

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紅毛城。最初、オランダかここを統治した。それを奪い返したのが鄭成功であることは有名だ。その後、こんどはイギリスが統治した。この建物はイギリスが建てたものらしい。

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今もきれいに残されている。中を見ることも出来る。

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こどもに声をかけたら写真を撮らせてくれた。左を歩いているのは先輩。

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繁華街の方へ回る。看板がにぎやかだ。

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こういうところで食事をしたかったが、昼食は台北で食べた。

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うるさい人混みはあまり好きではないが、こういう市場のにぎやかさは好きだ。どこの国でも機会があれば市場をみてきた。

予想以上に

 週末に弟夫婦と妹が千葉からやってくる。私のところに泊まり、みんなで能登と富山を回る予定だ。弟はつい最近車を買い換えた。現役時代は通勤用にプリウスを、そして孫達も連れて、大人数で出かけるためにワゴン車を使っていたが、ワゴン車が先に寿命で廃車に、そしてプリウスもそろそろ、ということで、ふたたびハイブリッドのワゴン車を購入したのだ。

 

 冬も走り回るからと、すでにスタッドレスに換えたという。だから今回はその車で走り回ろうというのだけれど、弟は雪道を走り回った経験があまりない。千葉はほとんど雪が積もらないからだ。しかし今年は予想以上に寒波の襲来が早く、第二波の寒波が週末にくるという。前回の寒波も11年ぶりという積雪をもたらした。だからその新車は置いておいて、私の車(もちろんスタッドレスに換えてある)で北陸へ行く方が良いかな、と思っているのだけれど、弟はその気になっているだろうし、荷物も大きな車の方が乗せやすい。なにしろ女性は荷物が多いからなあ。

 

 慣れない車で雪道を走るのは私も自信がない。来てから相談してみよう。

 

 三人がくるために部屋を片付け、ふとんを用意して、と思いながらぼんやりしていたが、ようやく昨日からスイッチが入り、シーツを洗ったり、蒲団乾燥機にかけたりし始めた。みんなが来た晩の食事をなににするか、考えなければ。こんなに早く北陸が冬モードに入るとは思わなかったなあ。

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