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2011年6月

2011年6月29日 (水)

映画「四人の復讐」BSにて

WOWWOWで1930年代のジョン・フォード特集をやっていたものの一つ。インド駐留の英国軍人が、策略により不名誉除隊を余儀なくされる。彼はイギリスに戻ると四人の息子を呼び集め、名誉挽回のため、その策略を暴くことを誓う。ところがわずかな隙にその父親は殺害され、反撃のために集めた資料が奪われてしまう。息子たちはわずかな手がかりを元にアフリカ、インド、南米を駆け回り、ついに真相を突き止めて復讐を遂げ、父親の汚名を雪ぐ。ストーリーはシンプルで、後味もよい。植民地問題など、現代を基準に考えれば突っ込みどころもあるが、当然この映画が作られた1938年の時点(まさに世界が戦争に向かいつつあった時代)の世界観で見るべきものであろう。古い白黒映画もなかなかいい。ヒロイン役のロレッタ・ヤングのたれ目が色っぽく、かつ品のある不思議な女を楽しそうに演じている。モテモテのデビット・ニーブンが、初めてめろめろになった女性である彼女だけにもてないところが笑わせてくれる。

呉智英著「健全なる精神」(双葉社)

2007年に出版された本。著者の古い本を続けて読んだのでこの本も読み返した。著者も東京から郷里の愛知県に帰ってだいぶ経つ。考え方も熟成して文章も穏やかになっている。もちろんその中にはかなりきつい毒が含まれているのは変わらないが。いろいろなメディアにコラムのかたちで発表したものを編集している。教育問題、自己責任論、人権主義、その他たくさんのことについて痛烈な皮肉を効かせてばっさりと論じていく。視点がユニークなのだ。他の人と同じことを同じ口調で論じられても、同感はしても刺激にならないし、得るものはない。オリジナルな考えを独自な解釈方法でかたるものこそ本当のメッセージなのだ(これは内田樹先生の受け売り。だから私はまだメッセージを発していないし、発する資格も不十分なのだ。もっと勉強して自分の言葉を獲得しなければいけない)。長年にわたって私塾で続けてきた著者の論語講義は終わってしまったそうだ。聞く機会がなくなったことを残念に思う。

内田樹著「こんな日本でよかったね」(文春文庫)

構造主義的日本論。構造主義的手法で日本人の言語、親族、儀礼、贈与について分析する。そして格差社会について新しい視点が得られる。少子化問題についてはそもそも問題は存在しない、という。これは私が今まで考えていたことと合致した。そして日本辺境論で日本の生きる道を提案する。日本辺境論については別に一冊の本になってかなりの反響を呼んだので読まれた人もいると思う。この本はある程度構造主義についての知見がないと読みにくいかもしれない。知的刺激の多い本である。

五箇山から304号へ

白川街道から白川郷へ寄らずに五箇山集落の一つ菅沼集落に寄る。いつもは集落の中を歩くのだが、今回は上から見下ろして写真だけ撮る。集落の中で飲む甘酒がおいしいし、店のおじいちゃんが話し好きでおもしろいのだが。集落には駐車場からエレベーターで降りることが出来る。そこから少し北上し、富山方面へ向かわずに左へ折れて304号をすすむ。一気に峠道を上る。途中で車を停めて写真を撮る。少し登るともう一つの合掌集落の相倉集落がある。ここも今回は寄らない。峠を登り切るところにトンネルがあり、抜けると大きな紅い橋が架かっている。梨谷川にかかる梨谷大橋?だ。そこで写真を撮って今回は終わり。そのまま金沢に帰った(その頃は金沢に住んでいた)。菅沼集落と相倉集落の写真はまた機会があれば公開します。

Photo_8 菅沼集落。

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Photo_21 梨谷トンネルを抜けると橋が架かっている。梨谷川は遙か下に見える。

Photo_22 橋から見下ろす。

Photo_23 反対側。

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東海北陸道・白川街道

御母衣ダムからさらに北上を続ける。白川街道を庄川沿いに走る。庄川は富山県高岡から日本海に注ぐ。途中大小のダムが続く。日本海側を流れる川は短い距離で大きな高低差を流れるので急流になり、ダムを造るのにてきしているようだ。今回は白川郷はパスして五箇山を目指す。では白川街道沿いの景色を。

Photo 小さなダム湖。水の色が美しい。

Photo_2 鳩屋ダム湖へ注ぐ支流。

Photo_3 よく見ると霧の向こうの上空に白山が見える。

Photo_4 鳩屋ダム近くから南(上流)方向を見る。

Photo_5 庄川沿いにはところどころこういう絶景が見られる。なかなか車を停めるところがない。

Photo_6 時刻表を見るとバスは一日4便。

Photo_7 大きな岩盤のところが淵になっている。もうすぐ五箇山・菅沼集落だ。その写真は次回。

2011年6月28日 (火)

東海北陸道1

名古屋から長良川沿いに北上し、白川郷へ至る道の景色が好きで、幾度となく写真を撮りに行った。そのあと名古屋と金沢を仕事の関係で毎週往復するようになった。これは2007年の秋に撮ったもの。早朝、夜明け前に出かけた。蛭ヶ野のパーキングで一息入れ、荘川で地道におり、御母衣湖を横目で見ながら白川郷に向かった。まだ月が宙天に残っていた。御母衣ダムのすぐ先に遠山家がある。立派な合掌造りの家だ。それを過ぎれたところに平瀬温泉がある。昔は小さな共同浴場に良く入ったが、今は「しらみずの湯」というりっぱな日帰り温泉になって風情がなくなった。そこから白川郷までは白山が見え隠れする。途中に小さな廃橋がある。草むしていて何ともいえない良い感じだ。

Photo 蛭ヶ野のパーキングから夜明けの空を見る。

Photo_2 荘川で地道に入り御母衣湖を左に見ながら進む。御母衣湖はダム湖。途中のトンネルはとても狭いのでトラックとすれ違うときはどきどきする。

Photo_3 遠山家遠景。御母衣ダムから道は一気に下る。遠山家は下りきったところにある。

Photo_4 遠山家全景。写真を撮ったところの後ろに小さな山があり、上に神社がある。何回も登って上からも写真を撮った。

Photo_5 遠山家からダム方向を見る。左手に神社へ上る階段がある。

Photo_6 合掌造りをアップで。ここは無料で中を見学できる。

Photo_7 廃橋。ぐるりと回れば人は行くことが出来るが、草むしている。

Photo_9 霧の中に月がかかっていた。

Photo_10 開け染めの月。霧が晴れだしている。

Photo_11 白山の裏側。もうすぐ雪で白くなる。

Photo_12 また霧が出てきた。

和田秀樹著「テレビの大罪」(新潮新書)

三流の国民が三流の政治家を生み、許容する。テレビは大衆に媚び、大衆の欲することを提供するべく思量してそれを先取りする。だがいつの間にかテレビは大衆をはるかに追い越してしまった。それは社会にとって有意義であることとは無関係に、はるかたかみに君臨するようになった。若者はテレビに出るためには自らをおとしめても何ら恥じることがなくなった。それはいつか若者だけではなく老若男女に及んだ。大衆はテレビのいっていることを半ば真実と受け取るように訓育され、テレビに登場する知識人もどきを価値ある知識人と見なすようになった。そしてテレビの価値観が大衆の価値観となった。これが私の感じるところ。この本では、精神科の医者として著者がその前提を元に具体的な弊害の例を列挙する。曰く、やせ願望からの拒食症、冤罪事件、医療崩壊、ゆとり教育、自殺報道等。なぜテレビに罪があると断ずるのか、明快に説明している。それはテレビの本質的な宿痾のようなものなのだ。テレビは複雑な現実を単純化する。二元論になりやすく、また原理主義的な言論を生み出してしまう。テレビにとらわれてしまっている人は一度その自分をもう少し違う視点から見直す必要があることに気がつくだろう。そうすることで三流から脱して三流の政治家を否定できるようになるのではないか。もうムリか。

2011年6月27日 (月)

香山リカ著「今時の「常識」」(岩波新書)

著者はテレビに良く出ていろんなことにコメントを述べているのでおなじみの精神科医である。テレビでは限られた時間の中で白か黒かを答えなければならないという宿命にあり、その答え方に耐えられる思考様式の人しかコメンテーターになることは出来ない。灰色の解答を繰り返すと、つぎからはお呼びがかからなくなるのだ(この点は和田秀樹著「テレビの大罪」に詳しく論じられている。)。どうも著者は元々はそうでなかったのにそのテレビに著しく影響されてしまっているようで、テーマであげられているいろいろな案件についてきわめて単純に白黒をつけて考えを述べておられる。見事にテレビ的だ。だからとてもわかりやすいが、ここで、待てよ、と思えるようでないと危ういのではないか。幸い内田樹先生やその他の諸先生のおかげで、世の中はそんなに単純でないことに少し気がついているのでかなり突っ込みを入れることが出来た。皆さん、勉強のためにこの本を読んでどこが突っ込みどころか試してみませんか。どんな本でも勉強になるものです。

呉智英著「封建主義者、かく語りき」(双葉文庫)

帯には「民主主義を疑え!」とある。これも著者の若書きの本。ただ自称「封建主義者」の看板は今も掲げている。身も蓋もない言い方をすれば民主主義は少数を圧殺するシステムである。建前としては少数意見を尊重しましょう、ということになっているが、そうなっていないことは今の国会を見ればよく分かる。多数の論理ですべてが処理される。だから菅首相の不信任が否決されれば退陣してもらうことが出来ない。もちろん民主主義が完璧な政治システムだということではない。他の政治システムよりは問題が少ない、ということが一応共通認識となっているから採用されている。運用によって悪いシステムにもなり得る。民主主義の中からナチスは台頭した。封建主義は何が悪いのか。封建主義も運用によっては民主主義よりも良いシステムである、と著者は主張する。アクロバティックなレトリックではあるが、そこから民主主義の問題点が見えてくる。民主主義は大衆すべてが理性的で正しい知識を持ってものを考えているという幻想の元に成立している。それが幻想であることをリアルに認識し、なおかつ理性的でもなく知性的でもない多くの人達を排除することなくグループの中に取りこんでものを進めていく、という覚悟がある前提で初めて民主主義は正しく機能する。そうでなければ封建主義の方がずっとシステムとして有効ですよ、というのが著者の主張である(と思う)。

鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)

鶴見俊輔は1922年(大正11年)生まれの評論家で哲学者、大衆文化研究者、政治運動家。ベ平連活動で脱走米兵の逃亡補助活動などもおこなった。左翼活動家と親交がありながら左翼には属さず、そのことが批判されたこともある。この本は鶴見俊輔が80歳を過ぎてから「図書」に毎月寄稿していた文章をまとめたもの。中学生時代に渡米してハーヴァード大学に進学、在学中に太平洋戦争となる。大学3年生の時に無政府主義者として逮捕されて移民局に収用されるが、収用中の拘置所から提出した卒業論文が受理されて卒業。1942年、捕虜交換船で日本に帰国。これは強制退去ではなく、本人の希望による。この本にも書かれているが、日本が負けることは承知であり、アメリカに残れば安泰であるが、あえて帰国。その考え方はこの本に詳しく書かれている。左翼からも右翼からも批判されながら、自ら信ずる生き方を貫いていることは敬服に値する。自分が青春時代をアメリカで暮らしたために、一般的な日本人の思考の仕方となじまないことを良く承知していること、これが原理主義から自由であることの要諦であることがあらためて分かる。歳と共に記憶力や知能が衰えるような言い方をしているが、まだまだ健在である。ますますの健勝を祈る。

内田樹著「街場の現代思想」(文春文庫)

内田樹先生の本は若い女性も含めてだいぶ前から人気なのだそうだ。ちっとも知らなかった。自分が発見したつもりになっていた。結構そういうひとも多いのではないか。
この本は内田先生の本の中でもっともわかりやすい本かもしれない。先生はフランス哲学、それももっとも難解なもの(私にとって難解ということ。たとえばひところの若者(1960年代後半から1980年頃までの若者。そう、いわゆる団塊の世代が読者の中心であった)がみな読んで感化を受けたという吉本隆明(よしもとばななのお父さんである)の文章など三行読んだら10個くらい意味が理解できない単語が出てきてさっぱり分からなかった。だから自分が普通の人より頭が悪いと言うことはよく知っているので基準にならないが・・・でもみんなあの吉本隆明の本を理解して未だにファンがいるらしい。スゴイ)の一つである構造主義が世界の解釈のベースになっているので、引用される先人の言葉はそのままではほとんど理解不能だが、先生の易しい説明を読むとそれが分かってしまうから不思議だ。特にこの本は人生相談風の体裁になっているのでよりテーマが具体的で誰にでも興味のあること、それに対して何らかの意見を持っていることがあげられている。ところがその結論は意外なものであることが多い。そしてなるほどそうか、と心から思える。いかに人は先入観で世の中を見ているのか、ウロコや色眼鏡を通して見ているのかに自ずから気がつくことが出来る。
まだ内田樹先生に出会っていない人は他の本を覗いて食わず嫌いになる前にこの本を読んでみてください。いつも言うけど世界観が変わるよ。文庫本で安いし。

2011年6月22日 (水)

内田樹著「下流志向」(講談社文庫)

学ばない子どもたち、働かない若者たち、と副題にある。どうして子どもたちは学ばないのか。学ぶことから逃走しているように見えるのはなぜか。彼らは「先生、これは何の役に立つんですか?」と問う。彼らは学びの場で「生活主体」や「労働主体」としての自立を学ぶ前に「消費主体」としての自己を確立してしまっているからだ、と解く諏訪哲二氏の「俺様化する子どもたち」を引用して、子どもたちの、そして若者たちの考え方について分析をおこなう。「消費主体」を先に獲得してしまったものは「等価交換」の論理でしか世界を解釈できなくなっている。彼らはそういう世界観の犠牲者である。・・・何を言っているか分かりますか?この本を読むとこういう言葉の意味がとてもよく分かります。そしてこういう言い方でしか解釈が出来ないであろうこともよく理解できるようになります。そうして世の中はこういう見方で見ることが出来るのか、という驚くような新しい視点を獲得することが出来ます。全くむつかしくありません。問題を認識している人ならばこの本を読むことが出来、一歩踏み出すことで視界が開ける感動を得ることが出来ます。ニートの若者の置かれている悲劇の意味が初めて分かりました。

映画「エレクション」BSにて

香港ノワール、ジョニー・トー監督の2005年製作香港映画。これは香港の「新・仁義なき戦い」だ。暴力シーンに容赦がない。特に最後のシーンは淡々としているからかえって鬼気迫る。ほとんどドキュメント映画みたいだ。原題は「黒社会」。翌年の2006年に続けて撮られた「エレクション 死の報復」も録画したので見るのが楽しみだ。アジア映画はすごい。

井上昌次郎著「睡眠の技術」(KKベストセラーズ)

著者は睡眠物質の研究の世界的な権威で、日本の第一人者である。表題から、眠り方について書いているように思われてしまうかもしれないが、この本は睡眠そのものについて、今分かっていることをわかりやすく書いたものである。睡眠とは何か、なぜ生き物は眠らないといけないのか、というあたりまえだと思っていることから丁寧に説明している。動物は断眠を強制し続けると死に至る。先般10年も20年も眠らないという人がマスコミを騒がしたが、多分自分が寝ていることを自覚していない、きわめて睡眠が少ないタイプの特殊な人だったのであろう。人には睡眠が少なくても平気な人と、10時間以上寝ないとつらい、という人といろいろいる。その違いと、しかし同じ部分とがあることが説明される。著者の専門の睡眠物質の研究はドラマチックでおもしろい。昔から存在が信じられていたのに見つからず、そんなものは存在しない、といわれ出してから意外なところからそれが発見される。そして後から後から睡眠物質と見なせる物質が見つかっている。そしてそれが睡眠だけでなく、生体にいろいろな防御的な働きをもたらしていることが分かってきた。日本は著者を始め優れた研究者がいるのに専門の研究機関がないことを著者は嘆いている。このような研究は一見社会的な有用性を主張しにくいようだが、よく考えればきわめて重要な研究であり、副次的に得られている知見は結果的にきわめて有用であった。こういう本がきっかけで興味を持つ人が増え、この研究がさらに発展することを願う。この本で曖昧だったレム睡眠とノンレム睡眠の違いとその意味が分かった。

笠原嘉著「軽症うつ病」(講談社現代新書)

著者は戦後、精神的な疾患について、一般の人にその時点でえられているそのメカニズムについての知見と、最新の治療の実際を、臨床の意見とその実例を元に啓蒙してきた第一人者である。こういう人達の努力のおかげで精神疾患が不治の病ではなく、誰でもかかりうる病であること、適切な治療がされれば治癒することがかなりあること、などが理解されるようになった。特にこの本で扱ううつ病については普通の人にもその病気についてのイメージが実感しやすいことから、進んで治療を受ける人が増えており、手遅れで重篤な患者が減っているようであることは喜ばしいことである。しかし、だからこそこの病気については軽度であれ、安易に性格的なものと考えずにその正しい対処法を詳しく知ってほしい、との思いから書かれている。昨今自分がうつ病である、と勝手に思いなしているひとも多く見られると言うが、病気の実際をあらためてよく知ってほしいところである。この本で感じたことは、うつ病という病気が、必ずしもストレスなどのきっかけがあって発病するものばかりではないこと、カウンセリングだけで治すことは困難で適切な治療薬が開発されているので、それでまずオーバーヒートしている心の働きをクールダウンすることが何より大切なこと、軽度でも治療には時間がかかること、再発を起こすことが多いのでそれを織り込んで病と向き合う必要があることなどである。この本の書かれたあとさらに病のメカニズムについての知見はふえ、治療薬も進歩しているが、一般の人にはわかりやすいこの本で十分である。

中国ウオッチ・電力料金

中国では多くの省(直轄市を含む15省)で6月から電力料金が値上げされた。燃料の値上がりが原因だが、深刻な電力不足の状態が続いており、段階的値上げの第一弾であり、さらに値上がりするのではないかと見られている。水道料金も全国的な水不足が続いているので年内に値上がりは必至と見られている。電力不足対策としてつぎの値上げには電力使用量が多いほど単価が上がる従量式が導入される見込みである。ところで電力会社は火力発電の燃料が値上がりして採算がとれないとしていくつかの発電所を閉鎖することをほのめかしている。これが値上げのためのブラフではないかと強い反発を招いている。現在石油と天然ガスは政府が価格コントロールをしているが、石油会社大手3社に価格決定の権限を委譲する方向であり、さらに市場原理が働くことになる。電力会社の設置している電力メーターがかなりいい加減で、使用量が大幅に水増しされて測定されているものがあるというのが暴露されており、これからもめるのではないか。中国は国土が広い。そのため送電ロスも大きい。発電量と供給電力にかなり差があるがその改良もされていない。人件費の高騰だけでなく、中国での企業活動のメリットはどんどんなくなりつつあるようだ。

2011年6月21日 (火)

中国ウオッチ・老子

河南省の函谷関に巨大で金ぴかの老子像が造られた。高さ28メートルあまり、重さは60トン、銅像に金箔を施したもので使用された金は33キログラム。老子は実在を疑われている思想家で、後世に道教の神様に祭り上げられた。伝説では函谷間の関守に「老子道徳経」一巻を残して姿を隠したと言われている。それで函谷間に像を建てたのだろうが、そもそも彼の考えた老荘思想は「無為自然」が根本であり、金ぴかの姿はもっとも老子にふさわしくない姿だと思うのだが。そんなことを言えば仏様も現世の欲を離れることを説いたのに金ぴかの仏像があたりまえに残っているから同じか。

中国ウオッチ・ダム

中国長江三峡集団の発表では、長江の上流部に新たに4つのダムが出来る。一つは2012年稼働、もう一つは2013年に稼働する。残りの二つについても建設が急がれている。長江には巨大な三峡ダムがあるが、新たな4つのダムは合わせると三峡ダムの2倍の発電量になる予定である。三峡ダムについては環境に対する影響、今年の旱魃などの異常気象の原因などと言われているが、中国長江三峡集団の社長はその可能性を一蹴して「三峡集団は国家洪水・旱魃防止の政策に基づいて、その対策に役立つよう造られているから問題はない。」と言い切った。
現に起こっている現象すら検証せずにさらなる開発を進めるのは、国家の要請とは言え将来に大きな禍根を残すことになるのではないだろうか。数年を経ずして大きなつけを払うことになると予言しておこう。

北京1

  西安から北京に移動。そのとき北京の空に気球がいくつも浮かんでいた。何か大会でもあったようだ。今見てしみじみ思うが当時(1992年)は北京の空は澄んだ青空だった。市内に入ったあたりでも道路は舗装されているがそのすぐ脇は泥道だった。雨のあとだったせいもあるが、今の市内ではこんなところはない。ホテルに荷物を置いて万里の長城へ。頂上の写真は枚数があるのでキャプションはつけない。八達嶺の左手の方が登るのがきついが、このときはそちらへ行った(そのあと何度か行ったがすべて右へ行った)。降りてきたら武術演舞をやっていた。観客が鈴なりで見ていた。

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Photo_17 快晴だった。

Photo_34 どこが川でどこが道か分からない。

Photo_35 道路脇の公園なんですが。

Photo_18 八達嶺。ここから右か左へ登っていく。左の方が勾配が急で遠い。

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Photo_29 長城の下で駱駝に乗せてもらえる。

Photo_31 子どもの演武に人気。

Photo_32 守りのポーズ。

Photo_33 杖の突きが決まりました。

再び西安市内へ

西安市内へ戻る。大雁塔を見に行く。大雁塔は慈恩寺の境内にある。慈恩寺は玄奘三蔵法師がインドから持ち帰ったお経を翻訳・保存するために造られたお寺である。大雁塔は登ることが出来る。市内を見下ろす。当時(1992年)は緑も多くまだ周辺の整備が始まったばかりだった。現在は整然とした道路と高層ビルの街に変わっている。城壁に登る。南門が観光の場所。土産物屋へ連れて行かれたが少しひやかしたあと、街をうろつく。裏通りに入るとまさにスクラップアンドビルドの最中だった。市場も見物。昔のスーパーマーケットというところか。衣装がまだ昔の中国だ。

Photo 大雁塔。7階建て高さ64m。一気に上まで登るのは結構しんどい。

Photo_2 大雁塔上層部。もちろん一番上まで登った。バカとけむりは高いところが好き。

Photo_3 大雁塔から見下ろす。これは4階くらいから。緑が多かった。今行くと景色がだいぶ違う。

Photo_4 これも大雁塔から。ここも現在の景色はだいぶ違う。

Photo_5 慈恩寺境内。中国は紅いろうそく。

Photo_6 西安城壁。今の城壁は明の時代のもの。周囲20K以上あり、城壁の上を二周するとマラソンの距離になる。城壁の上はもちろん走れる。貸し自転車で回ることも出来る。ぐるっと歩く人は・・・多分いない。唐の時代はこれよりはるかに大きかったそうだ。道路が通っているトンネルはもちろん現代になって造られたもの。通り抜けられたら城壁ではない。

Photo_7 城壁南門。ここから城壁に登る。ここは門なので通り道は昔からのもの。

Photo_8 南門高楼。このときは中には入れなかったが、今は改装されて土産物売り場になっている。上にも登れる。

Photo_9 南門下の井戸。旱魃の時にも唯一この井戸は涸れなかったそうだ。中国の井戸は直径50センチくらいの石造りの丸い井戸。

Photo_10 裏通りへ裏通りへと歩いて行ったら古い家が取り壊されているところだった。

Photo_11 市場。時間がなくてちらっと覗いただけ。自転車だらけだが、今は車か電動自転車(カブみたいなのりもの)が普通。

2011年6月20日 (月)

西安2

華清池のあと兵馬俑を見に行った。写真がほとんどない。今は公然と出なければかなり自由に写真を撮ることが出来るが、当時はうるさかった。当時は外国人ばかりで中国人が少なかった。だから撮っては行けないといわれるとみな撮らなかった。今は撮っては行けないといっても平然と撮るのであきらめているみたいだ。ひとびとの生活はまだ貧しかった。今は観光地周辺の人は観光収入で豊かな暮らしをしている。

Photo_6 兵馬俑博物館の前で。もちろんレプリカです。

Photo_7 博物館の中の葡萄棚の日陰。休憩に良い場所。光が柔らかい。

Photo_8 リンゴと石榴を売っていました。石榴を買って食べたけど大きくて一個食べきれませんでした。

Photo_9 テントみたいなところで家族で食事。うちの中はくらいので昼間は外にいることが多いそうです。

Photo_10 バスの中から子どもに手を振ったら気がついてむこうも手を振りました。道はまだ整備されずにぐちゃぐちゃです。

Photo_11 西安市内に戻ります。バスの中から。

華清池

西安郊外、驪山の麓の華清池を見に行く。唐の時代に玄宗皇帝が楊貴妃を伴って湯浴みした温泉で、今も温泉が湧いている。このとき(1992年)には一般の人も温泉に入ることが出来た。昨年行ったときには見当たらなかったが、場所を移しただけかもしれない。華清池というくらいなのできれいな池がある。池のまわりに柳が植えられていて美しい。10年ほど前に行ったときはこの池に大きな白いセミヌードの楊貴妃がいてげんなりした。雰囲気がぶちこわしになっていた。去年は池そのものが水中ショーの舞台に作り替えられていていてもっと無残なことになっていた。楊貴妃がいないと思ったら別のところに移されていて中国人が記念写真を撮りまくっていた。

Photo 華清池の入り口にある壁画。玄宗皇帝と多くの美姫、そして楊貴妃が描かれている。

Photo_2 華清池。後ろが驪山。西安事件の場所。

Photo_3 同じく華清池。柳が美しい。

Photo_4 現代の楊貴妃。衣装を貸してくれます。

Photo_5 この当時はあまりしつこくありませんでした。

2011年6月19日 (日)

初めての中国旅行1

1992年に初めて中国旅行に行った。1989年に父と行くつもりでいたのに天安門事件でキャンセルとなり、事情があってしばらく行くことが出来ず、やっと行くことになったが、父は痛風の発作などもあり、同行しなかった。今年5月に父は大往生をしたが、天安門事件がなければ父と行っていたはずで、悔やまれる。かえってから中国の様子を話すと、「西安はきれいな街だったろう」と目を細めていた。父は専門学校を卒業するとすぐに中国に渡り、中国で青春を送った(ほとんど軍隊にいる方が多かったようだが)。青春時代に西安に行ったことがあったのだろうか。戦争映画すら戦争を思い出すから大嫌いな父なので若いときの話はほとんどしない。だから中国時代の話はついに聞かずじまいとなった。1992年には西安の新しい空港が出来たばかりだった。バスで市内まで50分くらいだったと思う。突然畑の中に黒い煙をもくもくと出している建物が見えた。ガイドに聞いたら火力発電所だという。黄河の支流の渭河を渡って西安市内に入る。市内に入るあたりまで小雨交じりだったが、気がつくとやんでいた。

Photo_23 早朝ホテルから散歩に出かけた。プラタナスの街路樹に早朝の斜めのひかり、そして自転車がつぎからつぎに通り過ぎていく。この写真は自分が撮ったものの中で一番好きな写真。

Photo_24 火力発電所。実際にはもっと大きく見えている。

Photo_25 渭河。雨のあとなので水量が多い。黄河の支流。古来中国の歴史を見続けてきた河。

Photo_26 バスから見ているとそこら中の塀にプロパガンダが書かれていた。幸い何を書いているか全く分からない。

Photo_27 西安は横道も街路樹が豊富でほこりっぽいけど美しい。

Photo_28 小雁塔。昔は登れたらしいが今は登れない。もっと高かったが地震で丈夫か崩れ少し背が低くなっているという。

Photo_29 小雁塔遠景。13層(昔は15層)。

Photo_30 小雁塔のある薦福寺(せんぷくじ)の中の門。庭園が美しく静かで雰囲気の良いところだった。

Photo_31 同前。切り絵を展示して販売している。磨りガラスに映えて美しい。

Photo_32 同前。庭園。木陰をさわやかな風が渡る。こんなところで一日本でも読んだら最高だろう。

Photo_33 西安城郭の高楼。西安は城郭が欠けずに残っている。旧陝西省博物館の入り口から。

Photo_34 旧陝西省博物館入り口。樹が屋根を突き破っている。たいしたものは展示していなかった。今は大きな博物館に移転している。見るのに一日かかる。

Photo_35 碑林。西安に行くと必ず寄る。そして拓本を一つ買うことにしている。だんだん高価になっている。

Photo_36 ガイドはたどんと言っていたがどう見ても練炭だった。戦前、日本人が中国に教えたようだ。中国のは炭ではなく石炭のクズを固めたものらしい。毎年一酸化炭素中毒でたくさん死ぬらしい。

Photo_37 ホテルの窓からの景色。手前に蒲団を干している光景があり、遠景に城壁とその高楼が見える。

Photo_38 寂しそうに一人ぽつんと立っていた女の子。もう一人っ子政策は始まっていた。

台湾3・淡水

台北市内はMRT(地上を走る方が多い地下鉄みたいな乗り物)とバスを乗りこなせばとても便利で経済的である。そのMRTの淡水線に乗って台北駅から一時間程度で終点の淡水まで行くことが出来る。淡水は陳舜臣が我が心のふるさとと思いなしていたところで、確か別荘を持っているはずだ。淡水は台北市内を流れる淡水河が海へ流れ込む河口の街で、魚介類を食べる店や露天などが川岸にあって散策が楽しめる。川岸には背は低いがマングローブの林も見られる。岸辺から歩いて15分あまりで高台の紅毛城に至る。むかし、オランダが台湾を占領、そのあとイギリスがこの地区を支配した。それを取り戻したのが鄭成功だ。鄭成功は清に滅ぼされた明を再興しようとした鄭子竜の息子で母親は日本人。日本で育った。悲劇の最期を遂げるが台湾では英雄だ。友人がこの紅毛城が好きだというので連れて行ってもらった。子どもが大砲にまたがって遊んでいた。ここから湾に入る船をこの大砲で狙い撃ちしたのだ。紅毛城をぶらついたあと淡水の市場あたりを散策して台北に戻った。

Photo_11 淡水の河口付近。向かいは観音山。

Photo_12MRT淡水駅、終点。

Photo_13 エビなどの料理を食べさせる小さな食堂。

Photo_14 淡水駅前の商店街。

Photo_15 昔日本の役人が住んでいた官舎。今は誰も住んでおらず荒れ果てていた。

Photo_16 紅毛城入り口。ここから急な坂を登る。

Photo_17 紅毛城。紅い、ベンガラだろうか。中は展示館になっている。

Photo_18 イギリスの領事がいた建物(だったと思う)。

Photo_19 同前。緑が美しい。

Photo_20 子どもはどこに行ってもかわいい。

Photo_21 淡水の繁華街。魚の加工品が多い。ウズラや鶏卵の燻製みたいのも有名。堅くてしょっぱい。

Photo_22 淡水の市場。活気があってみてるだけでわくわくする。

台湾2

総統府を見に行く。日本が台湾を支配していたときの総統府がそのまま台湾総統府の建物に使われている。中国本土で国民党が共産党との戦いに敗れ、台湾に逃げ込んだのは1949年だった。台湾は日本の支配からようやく脱したのに再び国民党の支配下に入った。国民党は蒋介石の独裁政権だった。蒋介石自身は今の北朝鮮の金日成、金正日ほどひどい人間ではなかったが、一緒に引き連れてきた国民党の軍隊がひどかった。日本人に教育を受けた多数の台湾知識人は日本の支配を離れたあと、台湾を発展させるために理想に燃えてがんばっていたが、なだれ込んできた国民党の軍人は傍若無人に振る舞うため、あちこちで争いが起こった。そうして数万人といわれる知識人の粛正がおこなわれた。大学卒業レベルの人がほとんどいなくなるほどのひどいものだった。映画「非情都市」はその時代を描いたものだ。長くつらい日々が続いた。しかし台湾は共産体制ではなかったので経済は中国本土の低迷をよそに急激に発展していった。独裁政権は二代で終わり、第三代の総統を禅譲されたのがあの李登輝だった。李登輝は奇跡的に生き延びた台湾の知識人だった。李登輝は独裁政権下で耐えに耐え、自分が政権を取ると一気に民主化を実現し、総統を選挙で選ぶように体制をあらためたのだ。台湾は古くから台湾で暮らしてきた人と、戦後国民党と共に本土から来た、いわゆる外省人との二層構造である。外省人が社会の主立った地位を独占した頃と較べ、今はかなり底辺が融解しているようだ。中国は台湾を編入することを当然と考えている。国民党の支配の悪政に反感を持つ台湾国民は、その反動もあり、日本に対して好感情を持つ。だから親日派の李登輝は中国にとっては都合の悪い存在であり、中国国民は李登輝を悪人として教育されている。中国共産党にとって李登輝を評価することは自己否定と考えているのかもしれない。

Photo台湾総統府。

Photo_2 総統府前の公園。南国の風情を満喫できる。

Photo_3 公園内の亭の屋根。Photo_4 中正紀念堂。蒋介石を記念して建てられている。

Photo_5 紀念堂前の道路。おなじみスクーター。

Photo_6 故宮。蒋介石が中国本土から逃げるときに北京の故宮の主な財宝を持ち去ったが、それを展示している。

Photo_7 同じく故宮。美術品を持ち去ったことは非難に値することかもしれないが、文化大革命による損耗を免れたことは人類にとってかえって良かったと言える。また、北京の故宮にあったら書や絵画は保存が悪く、損なわれていた可能性が大きい。その価値をもっとも知っていたのが蒋介石だったので美術品は大事に扱われたのだ。

Photo_8 故宮前から見下ろした景色。広々として爽快。

Photo_9 これも故宮前からの景色。整然として美しい。

Photo_10 故宮内の庭園。散策も楽しい。

2011年6月18日 (土)

台湾1

台湾には二度行った。日本人が海外旅行に初めていくときに一番ストレス無しにいけるのが台湾だろう。二度とも台北に知り合いがいるときだったので楽しく、そしておいしい旅ができた。今回の写真は2003年、一回目のときのもの。台湾は登り調子が終わり、下降線に入り始めていた。台北も街の中心部は賑やかだが、少し外れるとアーケード街の小さな商店はさびれて、シャッターが閉まっているところが多かった。台北といえば夜市。夜市の喧噪と臭豆腐のにおいは身震いするほど楽しい。毎日でも歩きたくなる。この一回目のときは屋台のものは少ししか食べなかった(だから二回目にいったときは心おきなくいろいろ食べた)。

Photo 夜市の入り口の門。露出のせいで群衆が見えないが、人でごった返している。

Photo_2 大阪焼き?そう、ローマ字でふりがながしてあるように台湾風お好み焼きです。

Photo_3 夜市の中の媽祖廟。

Photo_4 媽祖廟の中。きんきらきんです。

Photo_5 これは夜市の中ではないが、漢方薬の店。ものすごく明るい。品揃えも豊富。

Photo_6 台北市内には道教の寺院が大小たくさんある。朝の散歩で門を撮影。

Photo_7 お供え物をして線香をあげて拝む。

Photo_8 浅草寺みたいです。花がたくさん供えられていました。

Photo_9 こんな道教の寺院もあった。

Photo_10 裏道を散歩。台北はとにかくスクーターが多い。

Photo_11何でもないこんな街の風景が大好きです。

Photo_12 ホテルの近くのアーケード。

Photo_13 朝なので開いていない店が多いのですが、昼間もしまっているものが結構あります。

Photo_14暗くて汚くて通りにくいところも多い。

Photo_15 蒋介石の巨大な像と衛兵。衛兵は交代まで微動だにしません。

Photo_16 衛兵交代の儀式。時間になると見物人がたくさん集まります。ものすごくカッコ良いです。

Photo_17 大好きな青磁。これは特に逸品です。吸い込まれるような色でした。

呉智英著「大衆食堂の人々」(双葉文庫)

先ほど病院から戻ってきた。痛風は発作がちゃんと治まってから治療が始まる。まだ発作の途中、後半なのでもう一週間ほど様子を見てから本格的な治療に入りましょう、ということになった。そういうわけで今回は痛み止めと湿布薬という対症療法のものだけを処方された。また行かねばならない。病院の待ち時間(たっぷりあった)の間に、昨日の晩から読み出した「大衆食堂の人々」のつづきを読んだ。「呉智英」は「くれともふさ」と読むが、本人は「ごちえい」でかまわないといっている。呉智英は市井の論客として、なかなかメジャーにはならないが、私が敬愛し、考え方の参考にしてきた人の一人だ。少し古い本で、著者がまだ若書きしているところがあるが、その分エネルギーも感じる。怒りのエネルギーだ。団塊の世代に学生だった人なら学生時代の気分で楽しめる本だ。そうでない人でも世の中がどうも変だと思っている人なら楽しめるかもしれない。
我慢しきれずに昼飯と共にビールを飲む。ぷはー、久しぶりでうまい。今回は逆療法ではないけれど、何を言い訳にしよう。

中国ウオッチ・殺人ダニ

北京市内で飼育されていた犬からアナプラズマ病を媒介するダニが寄生しているのが見つかった。アナプラズマ病は発熱、貧血、嘔吐、黄疸などの症状を示し、高齢者などでは死亡することもまれではないという。この病気を媒介するダニを殺人ダニと呼ぶこともあり、河南省、山東省、安徽省、江蘇省などではこの半年で280人が発症し、10人が死亡している。このダニは草むらなどに潜んでおり、動物にかみついて血を吸う。今のところ感染した人からさらに感染した例はほとんどないようだが、可能性は否定できないとのことで、外出先から帰ったら衣服を払い、ペットに付いていないかどうか確認するように、と記事は結んでいる。日本でも昔ツツガムシ病というのがあった(今も東北などにはまれに刺されて重篤になることがあるようだが)そのようなものなのだろうか。「つつがない」という、無事であることを表すことばはここから来ていたはずだ。

中国ウオッチ・紙幣をばらまく

広西チワン族自治区南寧市の高層ビルの上層部から何者かが紙幣をばらまいた。気がついた人びとは争って拾い、付近は大混乱となった。中には街路樹に登るもの、車道に飛び出すものなどが続出した。ばらまかれたのはすべて100元札で推定総額数万元がまかれたものと見られる。降ってくる紙幣がなくなってからしばらくして、今度は白い紙が落ちてきた。「小切手だ」と叫ぶ人があり、再びみな争って拾いに走った。そこには白い紙に手書きで「一万元」とあったそうだ。
そういえば昔日本でも同じようにビルから紙幣がばらまかれた事件があったことを思い出した。中国も豊かになったということだろうか。良く理解できません。

2011年6月17日 (金)

痛風その後

痛風の痛みが治まって足の腫れが引いたら靴も履けるので病院へ行こうと思っていた。何とか金曜日(今日)には行くつもりだったが、痛みはかなりましになったものの腫れが引いていないので靴もサンダルも履こうとするとつらいので断念。しかし夕方には思い切って古い靴(ゆるい)をはいてすぐ近くのスーパーに買い物に行った。何日も買い物をしていないので食べるものが限られてきていて買い出しも必要だった。ずっと我慢しているので無性にビールが飲みたい。でもまた痛くなるのはかなわない。明日は土曜日だが病院は半日だけやっているはずだ。ムリしてでも病院へ行って薬をもらおう。予約無しだと時間はかかるだろうが仕方がない。そうしてそのあと少しだけビールを飲もう。薬があれば抑えが効くのではないだろうか。でも医者にそんなこといったら怒られるだろうな。もちろん絶対いわないけど。

中国ウオッチ・FTA

韓国とEUの間で7月にFTAが発効する。これに便乗して韓国製でないものを韓国を経由させて、韓国製と偽って輸出する原産地詐称問題が懸念されている。すでに2009年、2010年と急増しており、FTAが発効して税制優遇が受けられれば今後さらに増えると思われる。ほとんどが中国製と東南アジア製とのこと。韓国は生産地偽装品の撲滅に向けて全力を尽くすと言明している。ICタグなどが活躍していくらしいが「規制があれば対策あり」、の中国のこと、あの手この手ですり抜けをはかることだろう。FTAにしろTPPにしろ韓国は自分の身を削って(一部国民が犠牲になっても全国民の利益を優先する、という苦渋の決断を政府が命がけで選択して)進めているものである。この攻防は熾烈なことになるだろう。

中国ウオッチ・違法添加物

中国では、つぎからつぎに食品に違法な添加物が使用されているニュースが報道されているが、公安当局はこのほどめずらしく現状を報告した。現在、今年に入って1100件摘発され、2000人が逮捕されたという。そして特に重大なもの十件が発表された。
1.遼寧省で亜硝酸ナトリウムや尿素などを添加したもやしの生産者を摘発。
2.山東省で染み抜き用漂白剤を添加した湯葉の生産者を摘発。
3.広東省でパラフィンや墨汁を添加したサツマイモ春雨やタピオカ澱粉の製造業者を摘発。
4.重慶市で廃油の上澄み油を食用湯に加工していた業者を摘発。
5.江蘇省で着色料や蔵燃剤を添加した豚肉加工品や牛肉加工品を販売した業者を摘発。
6.河北省で苛性ソーダを添加した水産加工品の生産業者を摘発。
7.黒竜江省で工業用塩化マグネシウムで干し豆腐を大量生産した業者を摘発。
8.江西省で漂白剤を添加した感想湯葉の生産者を摘発。
9.広東省で有毒添加物を食品に添加して販売していた台湾の業者を摘発。
10.遼寧省で染料のローダミンなどの有害物質を添加した唐辛子面を大量生産して販売していた業者を摘発。
公安当局はさらに取り締まりを続けていくそうだ。ところで9番目の台湾の業者だけ、添加物も食品も具体的に挙げられていないことが妙に気になるのだけれど。そういえば先日日清食品のインスタントラーメンもやり玉に挙がって、日清が強硬に否定していたようだ。実際に摘発もされていないし、中国でシェアも高くブランドの日清のラーメンをデマでつぶしにかかったのかもしれない。韓国のラーメンも同じような仕打ちにあって韓国はかなりエキサイトしているようだったけれど。

池上彰著「先送りできない日本」(角川oneテーマ21)

第二の焼け跡というべき今の日本を復興させるための提言。今日本が抱える問題点について列記し、それが東日本大震災が起こったから問題となったのではなく、この30年間で日本がやるべきことを先送りし続けてきたことばかりであることを明らかにする。グローバル社会とはなんだったのか。そのからくりを説明し、しかしその問題点は問題点としてそれを回避することは出来ない現状を説明する。それに関連して日本の農業問題について、その歴史と農水省および農協のしてきたこと、しなかったことがいかに日本の農業をスポイルしたかを明らかにする。ここまで読めばFTAやTPPに対して日本がどう対処すべきだったかが分かってくる。そう、過去形で語ったのは、著者も本の中で「TPPの加盟国にとって、いまさら日本がややこしい条件を抱えて参加してくるのは迷惑だ、参加してもらわなくてもいい」と思われているだろうといっている。ほとんど手遅れなのだという思いなのだろう。菅首相は震災を免罪符にして期限切れを何とか許してもらう思惑なのだろうが、すでにレイムダッグ化した首相に現状打開の目はないだろう。そうして高齢化に伴う年金や福祉の問題、巨大な国の負債と消費税の問題、マスコミと政治の問題、対中国の問題、と喫緊の問題の数々とそれに対する著者の提言を述べる。この著者の本なのでとてもわかりやすく書かれているので詳しくは是非読んでほしい。今更ながら焦燥感に駆られるはずだ。
農業は、TPPに参加したら壊滅してしまう、と農水省と農協と多くの農民が言う。農業従事者の平均年齢は現在66歳である。10年後には76歳になる。あたりまえである。それならTPPに入らなくても農業は壊滅する。日本人はそんなことも分からないのだろうか。だから問題はTPPなどではないのだ。ところでTPPはすでに手遅れという前提で、日本が参加しなかった世界を想定して、日本がどうしていくかを考えざるをえないように思う。そのことで中国や韓国、その他日本をモデルにがんばっている国がどんどん台頭してくるだろう。そして日本は多分同じグランドでの勝負に勝つことは難しいだろう。すでに心ある各企業はそれを想定して生き残りのための道を模索しているはずだ。日本の低レベルの政治とそれに癒着して国民に正しい情報を伝える能力のないマスコミが国民をミスリードしている。そうであるならばわれわれ自らが目を開いて世界がどうなっているのか識る努力をすること、そしてまともな政治家を選ぶことしか迂遠ではあるが出来ることはないだろう。そのためにまずこの本を読むべし。

中国ウオッチ・豚肉高騰

中国の物価は、5月の対前年同月比で5.5%の上昇。そのうち食品価格は11.7%の上昇であった。特に豚肉は40.4%と大幅。豚肉値上がりの原因は需要増ばかりではなく、買い占めによるものらしい。6月半ばで前年と比較しても、生産者価格で72.4%、小売価格で50~60%上昇している。そもそもは昨年豚肉価格が低迷したため、繁殖可能な雌豚の手当てが遅れたところに病気の発生があり、一時的に供給が滞ったことがきっかけだが、それをもうけのチャンスとばかり、流通業者が遠隔地まで買い付けに走り回って買い占めているためだという。中国では過去15年間に5回もこのような暴騰と暴落を起こしており、この自由価格制度の弊害がエスカレートしている。当局は行きすぎた投機行動に対し、豚肉備蓄の放出をちらつかせて警告を発しているが、需要の減る夏までは高止まりとなりそうである。
各地で起きている暴動の背景には物価高、それも食料価格の値上がりに対する不満があるものと思う。

2011年6月16日 (木)

映画「てぃだかんかん 海とサンゴと小さな奇跡」BSにて

岡村隆史主演。脇役の母親役、原田美枝子と漁業組合長役の國村隼がいい。岡村隆史はムリをしていないのでぎりぎりセーフ。笑っているときや一所懸命の時よりも、うちひしがれているときや脱力しているときが自然でいい。本人自身が精神的に疲労のピークだったときだったからかもしれない。確かこの後しばらくしてしばらく休養に入ったのではなかったか。物語はシンプル。サンゴの再生(養殖)という夢を追う人間がいて、挫折があり、それをまわりが支えてついに夢が叶う、と言うもの。沖縄が舞台だからこそのリアリティだろう。最初の海と空が同じ色のブルーのシーンと、ラストのサンゴの産卵のシーンが美しい。素直に現代のおとぎ話を楽しめばいい。現実にこんな人がいたらまわりの苦労は察するにあまりある。でもこういう人ががんばるから世の中は何とかなっているのかもしれない。沖縄にまだ行ったことがない。いつか行きたい。必ず行きたい。映画に出ているみたいな人がたくさんいるような気がする。

山本夏彦著「男女の仲」(文藝春秋)

山本夏彦こそ自分の美学を貫き、その美学に殉じた人である。山本夏彦は平成十四年、八十七歳でなくなったが、本人も認めているとおり若くしてすでに死んでいる。そうして時間と空間から自由になった存在として、過去の人になったり、女になったりすることが出来る。この本は、彼が創業した、建築誌の発行会社・工作社の「室内」(もと「木工界」)の若い女性社員に毎回テーマを決めて話をする形式になっている。若い女性社員は今の人である。社長である山本夏彦の影響で少しだけその辺の女性より知識があるとはいえ、戦前フランス留学もしていたことがあり、該博な知識のある山本夏彦が繰り出すレトリックに満ちた話に対して、かなりとんちんかんな受け答えをする。それにあきれながら、しかしうれしそうに話を続ける山本夏彦の姿が眼前に浮かぶようだ。この本の最後のコラムが表題の「男女の仲」である。この話はさらに何回か続ける予定もあったようだが、ついににかなわなかった。病床にはつづきの話のメモ書きだけが残っていたという。そう、この本が山本夏彦の最後の本なのだ。
昔、出張先のホテルで文藝春秋の巻頭随筆に、江國滋が内田百閒の死を旅先で知ったときの思いを綴っているのを読んだ記憶がある。それまで小説を濫読するばかりで、随筆やエッセイというのをまとめて読んだことはなく、せいぜい雑誌で拾い読みする程度だった。そのとき、江國滋の短い文章の中に込めている思いが胸を衝った。それから随筆やエッセイを読むようになった。團伊玖磨の「パイプのけむり」から始まり、高橋義孝、もちろん内田百閒、そして山本夏彦、以下数え切れないくらいたくさん読んだ。それぞれ損得などという経済とは違う、高いレベルでの自分の価値観、すなわち美学を持っており、その美学の具体的な表明こそが随筆の肝なのだ。それを感じることで生きがいを持たせてもらってきた。そうしてその中で、好き嫌いでいえば大好きの筆頭が山本夏彦だった。原稿十枚のことを一枚に書く、一枚のことを三行で書く、ということに徹した山本夏彦の文章は、凝縮されており、レトリックに富んで密度が高い。江國滋と同じように旅先で山本夏彦の死を知ったとき、感無量となり文章を書いた記憶があるのだが、どこに書いたか失念した。

曾野綾子著「自分の始末」(扶桑社新書)

著者の、エッセイだけでなく、小説の中からも含めて、生き方について書かれたものが集められている。これは著者の美学の表明だ。美学的な生き方をよしとする人は共感するだろうし、美学的に生きる方がもしかしたら楽かもしれないと思う人がいれば参考になるので読んでほしい。
現代は経済の得失が価値観のベースになっている人がほとんどの時代になってしまった。だから美学を価値観のベースに置いた生き方が理解できない人が多いかもしれない。ある意味では美学を価値観のベースに出来るというのは生活にゆとりがあるから可能な生き方といえる。飢餓や生死に関わる状況の中に投げ込まれれば人はなかなか美学を基準に生きることは難しい。では現代の日本人はそんなに危機的な状態に追い込まれているのだろうか。決してそんなことはないことは自明だ。確かに不安が蔓延しているのかもしれない。ひところは日本人がみんな中流意識を持って、現在から見れば、世界に対してそれなりの自負心を持ち、向上心を持ち、ささやかながら満足感を持っていたように思う。それがなぜ不足感、そして不安感にとらわれるようになってしまったのだろうか。確かに経済的に右肩上がりの時は今日より明日がよりよくなる希望が持てたから、今不足でもいつか、と思うことが出来た。今は感覚的に右肩下がり(多分ほとんどフラットで、下がっているにしてもわずかだと思うのだが)だから今手に入らないものはこれからも手に入らないという絶望感のようなものがあるのかもしれない。CMはあらゆる手法(心理的手法)を駆使して欲望を刺激し、ほしいという気持ちを増幅している。そういう欲望のループを抜け出さない限り、生きることは楽にならない、とおもう。自分自身の生きる基準となる美学を確立しよう。

中国ウオッチ・重金属中毒

河北省個安県東楊村でこの一年の間に二人の人が変病死した。二人とも死ぬ直前まで健康で死ぬ兆候が見られなかったという。村に隣接して亜鉛粉や磁性粉を生産している工場がある。村民はその工場が原因ではないかと疑い、工場を包囲、その後調査がおこなわれたが真相は分かっていない。村民510人を病院で検査したところ、48人に基準を超える水銀やクロムなどの重金属が検出された。その結果を受けて河北省が工場周辺の土壌を調査したが、正常の範囲だったという。さらなる被害者が出た時点で何らかの進展があると思われるが不思議なことである。
国際人権団体が、中国で蔓延している鉛中毒に関して被害を受けた人やその親族からの聞き取り調査した結果を報告した。「地元政府に血液検査を拒否された」「政府に抗議をしたら抗議を理由に逮捕された」などの証言が多数あり、汚染源とされる工場と地元政府の癒着から、問題の対処が適切におこなわれていないものが多いことを批判した。
中国では工場排水で住民が体調に異常を来す事件が頻発している。これは過去の日本と同じだ。日本でも公害という名の私害も多かった。たくさんの犠牲のうえに現在は規制も整備され、規制をすり抜けて得られる利益より、告発されて補償を払う損失の方が高いということが周知されたことが、公害をなくすことにつながったのだと思う。中国ではどうか。告発されても公的な組織と癒着して補償を払わなくても良い状況が解消されない限り、改善されないだろう。日本より時間がかかるのではないか。中国中央政府は強権を持って問題解決に当たろうとするが、たいていいくつかのスケープゴートへの過剰な制裁でお茶を濁されるだけで終わり、という状態が続いているように見える。

中国ウオッチ・チベット観光禁止

中国は外国人のチベット観光を7月末まで禁止する通達を出した。外国人のチベット観光を禁止するのは今年二回目。この措置は実際は8月いっぱい続くと見られている。2008年3月のチベット争乱以後北京政府は一年間にわたり、外国人のチベット訪問を禁止した。そして再び今年3月にもチベット争乱3年を機に禁止の指示があったが、4月に一応解除されていた。何を恐れているのだろうか。ダライ・ラマが高齢を理由に政治活動から身を引く、と表明したのに、かえってそれに対しておびえているように見える。それともチベット内にそれだけ反中国のエネルギーがたまっている兆候でもあるのだろうか。北アフリカの状況などが観光客から情報としてもたらされるのを懸念しているのか。チベットを訪問した人は、特に女性は、チベットに魅せられて何度も行きたくなるところらしい(いってみたいけれどまだいっていない)。せっかく青海・チベット鉄道も出来たことだし、再び自由にいけるようになることを願うばかりだ。

小浜逸郎著「『責任』はだれにあるのか」(PHP新書)

著者は私の敬愛する市井の論客。人が分かっているつもりでいるが、意味を問われると答えることが出来ないようなことを、論理的に解析して答えてくれる。著者自身がその疑問と格闘して一緒に考えてくれるので、読者に、ものを考えるということはどういうことかを教えてくれる。
この本では「責任」について考える。性関係における男女の責任、学校と教師の責任、少年犯罪における親の責任、大人と子どもの責任の違い、刑法第三十九条について、メディアの責任と風評被害について、自己責任について、国家の責任、国民に戦争責任はあるか、天皇の戦争責任を考える、というのが具体的なテーマ。どうです、皆さんそれぞれこのことについて考えたことのあることばかりだけれど、それぞれどう思うか問われたとき、自分はどう考えるかいえますか。もちろん人それぞれ考えの基準が違うので答えもいろいろになると思いますが、この本であらためて考えて見たらどうですか。考えることの楽しさを再発見できると思います。

2011年6月15日 (水)

韓国3

韓国と北朝鮮の国境を見に行った。途中道の向こうに延々と鉄条網が続く。烏頭山統一展望台の入り口のゲートを警備している兵士の若い顔に驚いた。韓国は徴兵制だったのだ。展望台から漢江とイムジン川の合流地点を見下ろす。対岸は北朝鮮だ。善悪の思いなんかを越えた現実がそこにあった。

Photo 右手からのイムジン川が左手の漢江に合流する。

Photo_2 対岸は北朝鮮。こちらから見えていることを承知して豊かな暮らしをしているように見せているという。

Photo_3 烏頭山統一展望台。

Photo_4 望拝塔。

Photo_5 今は尋ねることがかなわない父祖の墓を偲んだものが。

Photo_6 京義線。鉄橋の向こうも韓国なのだが、我々は行くことは出来ない。住んでいる人はいるという。その向こうは北朝鮮。

Photo_7 韓国旅行の最後に食べたチゲ。トッポギが入っている。辛い。でもうまい。二日酔いでも大汗をかいてすっきりする。

中国ウオッチ・西線工事

前述の王光謙氏によれば、南水北調プロジェクトの西線工事計画の着工が検討されているという。西線工事とは何か。チベット自治区の西蔵高原に源を発するヤルツァンポ川、サルウィン川、メコン川などから引水して、中国西北部の旱魃、砂漠化や砂嵐の対策とするものである。すでに1990年から検討されていたが、今回具体化されつつある。引水は新疆ウイグル自治区におこなわれる計画である。王氏によればそれらの河は中国国内では十分に開発利用されておらず、ほとんどインドや東南アジアに流れていくだけである。現在中国では水の需要が急増しているため、黄河や長江流域などを始め中国全体が水不足に陥っており、地下水くみ上げなども限界に達している状態にあるためまず西北部の砂漠地帯に水を引き込むのだという。すでにチベットの河から青海・チベット鉄道から河西回廊を経由して黄河に引き込むことも計画されている。
現在でも中国が上流にダムを建設したことで東南アジアでは水量が変動して問題となっている。今回引水しようとする河は確かに中国国内では十分利用されていないだろうが、下流の国にとっては大いに利用されているものであり、それらの国にとってはこの計画は死活問題につながる話である。中国はこれらの国と十分話し合って了解を取り付けるべきだがまずしないだろう。巨大プロジェクトには巨大利権が付随し、プロジェクトを推進するエネルギーになるのだろう。今中国を止めることの出来るものは誰もいない。ゆゆしきことである。バブルでもはじけて使う金がなくなればストップがかかるだろうか。もどかしいことである。

中国ウオッチ・三峡ダムの影響

中国の政府系シンクタンク・中国科学院の王光謙氏は、三峡ダムによる旱魃の影響について尋ねられると「三峡ダムと旱魃は全く関係ない。旱魃は雨が降らないことによる天災だ。」と答えたうえで「生態に大きな影響を与え、地震発生のリスクを高めた。」と述べた。
確かにダムが出来たから降水量が減った、というのはまだ検証されていないことだといえばいえる。だがダムの下流の水が減って長江の河川や流域の湖水の水が干上がってしまっていることは紛れもない事実だ。それによって生態系に大きな影響が出ているのだろう。ところでダムが稼働し始めてから三峡地区では微震が明らかに増えているというのは初耳だ。どんな因果関係なんだろ
う。本件の関連つづく

中国ウオッチ・東洋最高のダム

建設当時東洋最高のダムといわれた吉林省吉林市の豊満ダムは、戦前の南満州鉄道、すなわち日本が造ったダムである。ダムの寿命は50年といわれる中ですでに造られて70年が経過している。先般3回目の安全点検がおこなわれ、その結果全面的に再建する方向とのこと。幅1080m、高さ90mのこのダムの現在の発電量は約100万KW。発電以外に治水、灌漑、生活用水、工業用水に供されている。再建案では発電量は148万KWになる予定。しかし現在でも需要に十分であるといわれ、あえて作り直して大きくする必要はなく、補修でいいのではないかとの声も多いという。背景には従来の東北電網が中国国家電網の傘下になったことで、中国国家電網の強い意向が働いていることがあるようだ。松花江に架かるこのダムの下流では毎年「中国四大奇観」とされる冬季の霧氷が名物であるが、河川の水量が減ることで凍結してしまい、これが見られなくなると心配する向きもある。
必要性よりも建設そのものが目的となってしまうといういつものパターンではないだろうか。巨大なプロジェクトには巨大な利権が関係する。

2011年6月14日 (火)

内田樹著「子どもは判ってくれない」(文春文庫)

文章を書くときにはその文章は誰に向かって書いているのかを明確に想定して書くこと、というのが内田樹先生のお言葉である。先生は天声人語や日本の新聞の社説のように(神の声のように)一般大衆という存在していない抽象的な相手に反論できない正論を語ることを嫌う(マスコミュニケーションとしてはそれしかできないのは承知の上でおっしゃっている)。反論しようのない正論は語る意味がない。ただそのとおりですね、というしかないからだ。こころしよう。この本にはたくさんなるほどそうなのか、とか私もそう言いたかったのだけれどそれで良いのかどうかよく分からなかった、分かって良かったということが書かれている。若いときはよく勉強しないといけないよ、とかまじめに働かないといけないよ、ということがどうしてなのか分かるように書いてある。そうしないとあとで困るよ、ということを冷たく言い切る。ところで先生は断言することが好きではない。そう考えない人もいるということを常に想定している。だから正論を断言する人が嫌いなのだ。この本ではなかったが、曾野綾子や宮崎哲也が批判されていた。両方とも嫌いではないのでちょっと困るけれど。曾野綾子については先生は教育審議会のメンバーとしての言動を批判的に感じていたのだと思う。もっと曾野綾子の本を読めば少し変わると思うけれど・・・変わらないかな。宮崎哲也についてはほんの少し分かったような気がする。宮崎哲也は膨大な読書量を元にいろいろものを言うが、彼の言葉は情報量とその先取りを開示しているだけで、だからなあに、というように感じておられるのではないだろうか(違うかな、もっと具体的な理由があるのかもしれない)。だから宮崎哲也だからしか言えない言葉、が見えないということではないだろうか。知ったかぶりが多いもんね。確かによく知っているけど。この本に橋本治が解説を書いている。・・・「この本を読むとみな腑に落ちる」という。でも内田さんは「戦場に生きる人」である。それを引き受けてそして「戦うことが嫌いな人」なのである。・・・そして・・・オルテガの「弱い敵と共存する」を公式としている。「異質なものは異質なものとしてその存在を認める」ということであり、「その存在を認めても自分に問題があると考える必要はないよ」ということなのだ。・・・なんとわかりやすい。朝まで生テレビの討論をする人達、ちょっと参考にしたらいいのに。まあああいう自分だけ正しいと思っている人たちはそういう戦い方を受け入れられないのだろうけど。

中国ウオッチ・大暴動拡大

昨日報告した広東省広州市郊外の大暴動は収まるかに見えたが、地方からの出稼ぎ農民が参加して拡大、道路をふさぎ、車や店舗を焼き、政府や警察関連の建物を襲撃する事態となった。これに対し当局は約1万人の警察官を出動させ、装甲車を投入、催涙弾を発射して応酬。現在約100人が死傷し、逮捕者は数百人と見られる。暴動は周辺の村にも拡大中で、ついに軍隊の出動もおこなわれた模様。
これとは別に各地で爆弾事件が相次いでいる。天津市では共産党委員会都市政府の庁舎の門前で爆発が起き窓ガラスなどが吹き飛んで3人ほどの軽傷者が出た。すでに容疑者は逮捕され取調中。5月には江西省撫州市で役所などの連続爆破事件が発生、河南省鄭州市では公安局が爆破された。また、湖南省来陽市でも公安ビルが爆破されている。
中国では金融を引き締めているのにもかかわらず物価の上昇がエスカレートし始めている。大手企業などでは賃金は確かに上がっているが、中小企業は原料高もあり、経営が悪化して賃金不払いなどが起きている。払わないのではなく、払えない状況になっているようだ。そんな状況なのに役人や警察は今までの感覚で利権を行使している。当然群衆の怒りのはけ口はそちらに向かうことになったのだろう。今までならここで反日の手口を使い、外部に敵を作ってエネルギーをそらすところだが、さすがに大震災の処理の最中の日本をスケープゴートにしにくいというところか。その代わりにベトナムやフィリピンとの間にかなりエキサイトする状況を作っているようだ。少し手遅れ気味だし、日本と違って黙っていないから火種を増やして世界中のひんしゅくを買うだけになりそうだ。ついにバブルがはじけることになるのかもしれない。大旱魃のあとに大洪水も起きている。中国は大丈夫だろうか。

保坂隆著「人生の整理術」(朝日選書)

著者は精神科の教授。心が乱れている人は必ずといっていいほど家の中が片付いていないという。「衣服の乱れは心の乱れ」というが、衣服だけではないのだ。ある年齢を過ぎたら、必要なものを残してものを処分していかなければならないと常々考えていた。ものが収納しきれずに机やテーブルの上などにあふれているのは明らかに過剰だ。そうして次に自分自身の過剰を削らないといけない。食事は腹八分目ではなく、半分にしてもいい、と著者はいう。確かにそこまで徹底しないと削減は無理だ。次に人間関係。その整理の仕方のアドバイスもあるがこれはすでに無理なつきあいはしなくなっているので流し読み。そうして人生の終章に向かっての心構えと準備に至る。でもやっと仕事をリタイアした身としてはやりたいことがありすぎて終章に対する心構えをする気にはまだならない。もちろん人生いつ何があるか分からないけれど。それより「日々が楽しくてしょうがない自分」が自分でうれしいばかりだ。これでは整理は出来ない。欲があるからものが過剰になってしまうのだろうか。使う自分を想定してものを手に入れる。そのものを手に入れることがうれしいのではなく、使う自分を想像することが喜びなのだ。それは過剰ではないと思うのだけれど。お金は使うことで喜びとなるものだが、それを使わずにため込むこと、それを倒錯的に喜ぶことこそが過剰というのだろう。この本は精神科の先生として、精神が安定するための生き方を思いつくままに書いたもののようで、自分なりに安定しているつもりの人にとっては「ふーんなるほど」というところか。うちの中は片付いていないけれど心は乱れていないつもりだけどなあ。でも片付けなければとは思っている。

痛風続く

痛風はやや痛みは治まったものの足首から先の腫れはほとんど変わらない。これでは靴はもちろんサンダルも履けない。そうすると医者にも行けない。医学事典を見たら痛風は尿酸などが石灰化して関節に沈着して起こる関節炎だとあった。尿酸の針状結晶が神経に刺さるかなんかして痛いと思い込んでいたら全然違うみたいだ。放っておくと慢性化して腎臓にも甚大な悪影響がある、などと書いてある。早く歩けるようになって医者へ行って薬をもらわなくては。アルコールはプリン体の除去作用を阻害するので特にだめらしい。ウソだろう。今日は終日ころがって読書。足さえ痛くなければ極楽だけど。

韓国2

調べたら韓国に行ったのは2003年の11月だった。7年前ではなく8年前。韓国の古宮を見たあと、南大門界隈の散策と、名前は忘れたけれどしゃれた通りを散策した。南大門界隈の市場と雑踏は大好きな風景。こういうところで地元の人に交じってマッコリでも飲んでホルモンの焼いたのでも食べたら楽しいだろうと思ったがガイドのおねえさんにだめ、といってとめられてしまった。このガイドのおねえさん、長身で170センチ以上、話の様子ではかなりいいとこの生まれのようで、どちらかというと猥雑なところは嫌いな様子。しゃれの効かない人で悪い人ではないが融通が利かない。そのあと名前を忘れたがしゃれた通りをフリーで歩き回る。ここでビルになっているギャラリーを覗く。写真や画などを見学。そのあと青磁を売っている店でたっぷりした杯を買う。色合いが良くて一目で気に入ってしまった。今もその杯で日本酒を飲む。高層ビルに登る。高層ビルから高層ビルを見下ろし、漢江を見下ろし、ソウル駅を見下ろした。夜は明洞で焼き肉。ガイドがコースとして連れて行ってくれたが期待が大きすぎたせいかあまりうまいと思わなかった。だから南大門でホルモンを食べたかったのに。ガイドと別れて明洞の夜を散策し、腹ごなしのあとサンゲタンを食べた。日本語の分からない店員に、何とか身振り混じりで4人で1人前ほしいと伝えたら「一人一人前」と突っぱねられてしまった。私だけ完食した。さすが本場はうまい。焼き肉のかたきはとれた。

Photo 南大門の雑踏。スリにご用心。めがねが安い。

Photo_2 ゆでた豚の頭があたりまえに置いてあった。さすが韓国。中国でもよく見るけど。

Photo_6 裏道。こういうところの店に入りたくなります。地元の人が大声で話しているのが聞こえました。

Photo_3 散策した洒落た通り。名前を忘れた。

Photo_4 ソウルはスクラップアンドビルドの真っ最中だった。古い住宅はビルに替わっていくのだろう。ギャラリービルから。

Photo_5 ギャラリービルから望遠で。韓国の山は樹木があまりない。戦争のせいもあるし、昔鉄製品を作るための燃料として山の木が切られたためとも言う。日本も同様だったが日本は山林の再生力があって回復したが、寒冷地の韓国は回復しきれなかったというのは司馬遼太郎の説。

Photo_7 高層ビルから見下ろす。

Photo_8 高層ビルから高層ビルを見下ろす。

Photo_9 高層ビルから漢江を見下ろす。

Photo_10 高層ビルからソウル駅を見下ろす。

中国ウオッチ・ゴミ拾い

11年間万里の長城でゴミ拾いを続けている英国人がいる。ウイリアム・リンゼーというひとだが、中国人は、リンゼーさんがゴミを拾えば拾うほどゴミを捨てる、と嘆いている。リンゼーさんは11年前に「万里の長城の環境を守る会」を立ち上げて地元村民らと共に定期的にゴミ拾いを続けてきた。万里の長城には「写真以外は何もとるな、足跡以外は何も残すな」という看板があるが、これもリンゼーさんが立てたもの。今までに何トンものゴミを拾ってきたが、アンケートなどで調査したところ、ゴミを持ち帰った人は25%にとどまるという。どうもリンゼーさんたちの活動が裏目に出ているようで、観光客はゴミを処理するスタッフがいるのだからゴミを捨ててもかまわない、と考えるらしい。ゴミを拾っている人にゴミを渡していく人もいるという。以前は3ヶ月に一度ゴミを運ぶトラックをレンタルしていたが、今は毎月レンタルしなければならなくなっている。ご苦労様と言うしかない。観光客はどんどん増えている。このままでは片付けるより捨てる方が多くなってしまうのは明らかだ。ついには片付け切らなくでゴミだらけになり、汚いから行くのをやめよう、と言うことになれば観光客も減るだろう。そうなればゴミも当然減るぞ。どうしたらゴミを捨てなくなるか?ゴミを捨ててはいけない、ということを中国式に徹底的に取り締まるか、時間を掛けて学校で教えていくかだ。家庭で教えるのは無理だ。だって親がゴミを捨てることがいけないと思っていないのだから。

荷物

内田樹先生の文章を読んでいたら良いことが書いてあったので紹介する。
---日本型システムは「everybody's responsibility is nobody's responsibility」(みんなの責任、無責任)と批判されるけれど、個を解消して、集団にリンクする、という発想そのものは悪くないのではないか。ただし、大事なのはそのあとにそのリンクの確保に基づいて「私」をきちんと作り上げていくことである。つまり、「my responsibility is everybody's responsibility」(私の責任はみんなの責任)と言いつのって肩の荷を下ろしたあとに「everybody's responsibility is my responsibility」(みんなの責任は私の責任)という発想に切り替えて今度は人の荷物を担いであげよう。自分の荷物は重たいが、他人の荷物は軽い。(反対に考えている人が多いかもしれないが、よく考えれば分かる。)---
介護のことなんかを考えたらわかりやすいかもしれない。(ただ報酬が伴うことを荷物の重さに替わるものと考えてはだめだ。身内の介護は報酬がないかもしれないが、それ以上の代価があると考えられるから。)他人の荷物を担ぐつもりになると自分の荷物が軽くなる、ということに気がつくことが生きることを楽にすることになるということなのだ。決して自分の荷物を下ろさない人もいる。また他人の荷物を決して担ごうとしない人もいる。そういう人は当然自分の荷物を他の人に担いでもらえないのだ。また話は飛ぶけれど、日本の、中国での戦争責任について、中国人などに迫られても、その考え方で日本人を代表して「とりあえず済まなかった」と言っても良いのだ。いろいろ言いたいことはあるが、かなり非があったことは事実であるから。戦争の時の当事者ではなくても日本人としての荷物を担ぐのだ。そう思えば荷物は重くないと言うことだ。個としての「私」は同時に社会的な存在であり、その外側にいるわけではない。
話は違うが、私は「ゴミを拾う人はゴミを捨てない、ゴミを捨てる人はゴミを拾わない」という言葉を知って電撃に打たれたように感じた。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、当たり前のことが解るということは強烈な経験なのである。前にも言ったかな。「自分がものを知らない」ことを知ることがものを知るための第一歩なのだ。わくわくする。

2011年6月13日 (月)

中国ウオッチ・領土拡張

胡錦濤主席はカザフスタン、ロシア、ウクライナへの歴訪に出発するにあたり、「中国は永遠に覇権主義を唱えず、領土拡張をおこなわない」とするコメントを発表した。胡錦濤という人は元々チベットを武力で制圧して統治の実績を上げ、鄧小平などにかわいがられながらのし上がってきた人物だ。海外の人から見ればずいぶん矛盾することを平然という人だと思われるだろう。だけどそもそも中国の中華思想というのは世界はすべて中国なので、中国以外にはほんらい国というのもは存在しない。だから元々どんなところであれ中国領だったところだから領有権を主張するのは当然なのだ。「永遠に」、という意味はそういうことなのだ。ウソみたいだけど本当で、だから彼の言い分は矛盾がない。その前提で尖閣湾や南沙諸島問題の中国側の言い分を読み直してみてもらいたい。中国の言い分は首尾一貫している。覇権主義なんか必要ないのだ。元々世界は中国のものなのだから「永遠に」領土問題はあり得ないのだ。こんな国を相手につきあわなければならないのだから外交というのはたいへんなんだと思う。世界観が全く違うことを知った上でつきあわないといけない。出来るかなあ。

中国ウオッチ・大暴動

中国広東省広州市で大規模な暴動が発生していると報道された。1000人を超える民衆が加わり、派出所や銀行を襲うなどしたため、治安当局が出動し、25人が逮捕された。騒ぎの発端は四川省出身の露天商夫婦が路上で衣類を販売していたところ、治安当局者が店の撤去を命令し、その際に妊娠している妻を地面に突き倒し、病院に担ぎ込まれたのを出稼ぎ労働者などが付近で見ていて激高したためだという。その女性を殴る蹴るしていた、という目撃者もいる。その後も暴動が収まらないため、当局は当事者の夫婦を連れて会見をおこない、病院に担ぎ込まれた妊娠している妻も母子共に無事であることを説明したため、暴動は一応収まった。この暴動の真の原因は、治安当局が露天商や商店に対して「保護費」の名目で金銭を要求しており、それに対する不満がたまっていたものではないかという話もある。これではやくざと何ら変わらない。まことに中国は権限には金銭がついて回る。この体質は改まることがあるのだろうか。
ところでさっきテレビでこの暴動のニュースを映していた。香港のマスコミが報道したものらしい。

京須偕充著「古典落語CDの名盤」(光文社新書)

我が家にテレビが来たのは小学校5年生の時だった。他のうちより少し遅かったが、でも同世代はたいていテレビのない時代を経験していた。多分テレビのない時代を知っている年代と物心ついたときから当たり前に存在していた年代とは世界観が違うと思う。同様にゲーム機や携帯についてもなかった時代を知っているのと生まれたときから身の回りにあった年代は超えがたい違いがあるように思う。
子供の時にラジオで落語を聴くのが好きだった。特に圓生が好きだった。このあいだ死んだ先代の円楽のお師匠さんだ。粋な圓生の弟子の筆頭が、知識だけ肥大したような田舎くさい円楽というのもかわいそうなことだった。円楽が嫌いというわけではない。実際に口座で聴いたこともあっておもしろかったけどどうしても田舎くさいのが鼻についた。円楽の限界だろう。志ん朝に期待していた。これからと言うときに死んでしまった。高校生の時に授業で落語を聞いた。先生のとっておきのテープコレクションから選んだ三木助の「芝浜」だった。芝浜の、早朝の太陽の光と磯の香り、そして潮水で顔をあらうときの冷たさがリアルに感じられた。落語ってすごいんだ、と心底思った。会社に入ってほんの数回だが鈴本や末廣亭に行った。高座は良いがそれきりになった。どうも肌合いの合う落語家に会えなくなっていた。
今大きなCDショップに行けば落語のCDがたくさん並んでいる。ぽつりぽつりと好きな圓生のCDを集めてきた。この本で少し他の落語家を聴いてみたくなった。正統派で志ん生からか、志ん朝か、談志か、それとも上方の枝雀か文珍か、楽しみが一つ増えた。この本は有名なネタを簡単に紹介しながらそれを聴くには誰のCDが良いかあげてくれている。
ところで先代の林家正蔵(彦六)の「生きている小平次」はすごいよ。怪談話だけど何遍も聴いてしまう。怖いけどうまい。今の正蔵?クイズの司会者じゃないの。残念ながら全く聴いてみたいと思えません。お母さんに名跡を継がしてもらったように見えるのはわたしの偏見でしょうか(言い過ぎてごめん)。

中国ウオッチ・女性ドライバー

中国では5月から飲酒運転に対する罰則が強化され、免許を剥奪されるケースもある。しかし仕事上接待の機会の多い男性は飲まざるをえないこともあるため、夫に替わって運転することが出来るよう免許を取得する既婚女性が急増しているという。中国ではまだ日本のような代行タクシーというのがないようで、夫人が夫の代わりに運転することが増えそうだと記事は伝えている。教習所によればそのような女性は慎重で忍耐強く、男性より安全運転をするようだ、ということだ。記事は最後に接待の機会のある男性は妻に免許取得をしてもらうように勧めている。

韓国1

毎年一度海外旅行に一緒に行く友達がある。女性二人、男性二人だが、連れあいをつれているわけではない。その顔ぶれで7年ほど前に韓国に行った。友達が写っているものは出さないから特にかまわないと思う。飛行機が遅れてソウルに入ったのが夜遅くになり、11月だったが零下5℃くらいでとてつもなく寒かった。ガイドのおねえさんが予定していた焼き肉屋は閉まっていたので夜も遅いので帰ってもらい、自分たちで食事するところを探した。明洞のホテルなので店はあちこちにあったが、結局ホテルのすぐ近くの店に入った。「ソルロンタン」というのが売りの店のようだった。どんなものかよく分からなかったがとにかくそれを注文し、つまみとビールを頼む。ビールをがんがん飲んでただのキムチをばくばく食べる。そのキムチがおいしい。「ソルロンタン」が来た。牛のスープ(具だくさん)だ。うまい。みんな「うまい」「うまい」と大満足であった。店の人は我々がビールを次から次にはてしなく頼むのでびっくりしていた。友達の一人がさかんに店の人の言葉を復唱していた。そしてあっという間にビールの頼み方その他、旅に必要な言葉を習得していた。みな「天才、天才」と言って褒めそやした。そのあとの旅行でも彼はその才能をいつも発揮して皆を助けた。耳が良いのだろうか。うらやましい。翌日は韓国の古宮などを見学した。ほとんどの遺跡は日本の統治時代と朝鮮戦争で灰燼に帰しており、その再現が進行中とのことだった。多分今行ったらもっと充実していると思う。では写真をどうぞ。

Photo 真ん中の緑の看板の店がソルロンタンの店。うまかった。韓国の旅の番組で紹介されるのを見た。案外有名なのかもしれない。

Photo_2 ホテルの前から見えた明洞聖堂。

Photo_3 国立民族博物館。ここから昌徳宮へ行った(と思う)。

Photo_4 トーテム式の石像が迎えてくれた。

Photo_5 高台に立派な五重塔が作られていたがいわれは分かりません。

Photo_6 昌徳宮入り口の敦化門をぬけ、仁政門に至る。

Photo_7 仁政殿。立派な建物でした。

Photo_8 博物館を見学。干支の石像。1m以上あります。

Photo_9 昔の韓国の様子。子供が勉強を教わっているところのようです。

Photo_10 木のトーテム?ユーモラスな顔です。

Photo_11 建物の庇。色が美しい。緑青?青緑?

Photo_12 窓牆。これも美しい。

Photo_13 わかりにくいですが、向こうの屋根の瓦が青瓦。青瓦台ももちろん青瓦だ。多分偉い人しか使えなかった瓦だと思う。

Photo_14 芙蓉池。

Photo_15 宇合楼。芙蓉池のそばの高台にある。書物などを保存展示していたところだそうだ。

Photo_16 芙蓉亭。芙蓉池に張り出して建っている。

Photo_17 晩秋の傾いた日差しが良い雰囲気だった。

痛風

痛風になってしまいました。というより元々一度でも痛風の発作をしたことがあれば痛風持ち、ということなのですが。痛風の発作を三回以上起こすと習慣になってしまいますよ、と医者に脅かされていたのですが、今回が三回目。今までで一番痛い。前回は左足親指だったが今回は右足の親指。親指だけでなく足首から下が赤くふくれて熱を持っています。痛い。立ち上がるだけで痛い。今日が四日目、発作は一週間から二週間続く。一昨日の晩に逆療法でビールをがんがん飲んでみたらとても楽になったのですが、夜中になって熱が出てきました。痛みも尋常でなく(元々尋常ではありませんが)効果はないようでした。逆療法はおすすめできません。ところで右足は運転に絶対必要なところで、収まらないと運転が出来ません。つらい。医者に薬をもらいに行くのも出かけなければなりません。痛くて無理です。治まってからにします。腎臓結石や尿道結石も激痛だと言いますが、どっちが痛いんだろう。両方やった人じゃないと分かりませんな。それと痛みってなくなると忘れてしまうところがあるから同時じゃないと較べられないですね。こんなもの同時になったらたいへんだけどね。痛風はこのあいだ死んだ親父の唯一の持病だったのですが、体質だけ残してくれたみたいです。こんなもの置いていくなよ。

2011年6月 8日 (水)

数日休みます。

帰省のため、数日休みます。なるべくがんばってノートパソコンを購入して出先でもブログの更新が出来るように、途切れないようにしようと考慮中です(わずかな年金収入だけなのであとは購入の決断だけなのですが)。記事の内容についても少し考えてみます。少なくとも本は出先でも読み続けるつもりですので帰り次第読んだ本の紹介をします。しばらく内田樹先生の本が続くかもしれません。考え方にとことん影響を受けながら自分のものにして、考え方を少し改良しようと思っています。そうすると今まで歯が立たなかった本が読めるようになるという予感がしています。また、今まで読んだ本が違う見え方をするので読み返したくなるような気もします。楽しみです。喪中なのでまとまった旅行は控えていますが、撮りためた写真がたくさんありますので、順次公開しましょう。では。

内田樹著「ひとりで生きられないのも芸のうち」(文藝春秋)

内田樹先生の珠玉の言葉が詰まっている。まえがきに、この本が扱っているのは「あまりに(非)常識的であるがゆえに、これまであまり言われないできたことだけれど、そろそろ誰かが『それ(非)常識なんですけど』ときっぱり言わねばまずいのではないか」という論件である。クレイマーが跋扈してはばからない世の中の現状を、どういう思想が裏打ちしているのか明快に解析して警鐘を鳴らす。テーマごとに短い文章で社会をエッセイ風に解析していく。感心と共感の連続で、快感を感じる。説明しだしたらすべてのテーマについて語らなければならないのでやめておく。あまり手放しで絶賛すると読んでいる人(あなたです)が白けるのではないかと心配になってきた。今の日本で数少ない常識の持ち主であり、今の世の中が変だと気がついている人(あなたです)は何がどうして変なのかまでは説明できないでいると思うが、この本を読むと間違いなく「なるほど」と得心がいくはずだ。その得心は快感なので読まないと損ですよ。

中国ウオッチ・チャイニーズスタイル

中国のショッピングサイトに赤ワインの中国式の飲み方が紹介されていた。中国ではお酒と言えば白酒(パイチュウ)だが、アルコール度数が高い上にその飲み方は一気飲みで乾杯を繰り返す中国スタイルである。かなりきつい飲み方になるため、最近はワインを飲むことが増えている。中国のワインの消費量が急増していることは今までも報じられていた。だがその飲み方は一気飲みの乾杯の繰り返しであることに変わりはない。しかしワインは渋みがあるため、一気飲みしにくい。そこで最近はコーラと混ぜる飲み方がはやっているのだそうだ。フランス人もびっくりだが、今後ワインの消費量はさらに拡大するであろうと記事は結んでいる。ちなみに日本人のよく知っている紹興酒は黄酒であり、醸造酒である。江南地方では飲まれるものの中国全体では蒸留酒の白酒が一般的。ワインのコーラ割り、飲んでみたいですか。わたしはごめんです。

中国ウオッチ・自動車自燃

北京の高速道路上で、ワゴン車が炎上した。その日は気温が36℃まで上昇していた。中国では、気温の高い夏場に自動車が炎上する事故が多発するという。原因は電気系統の故障や潤滑油の漏れであることが多い。消耗品の交換時に品質の悪い不良品を使うことが原因となっていると記事は結んでいるが、車両のメーカーが日本製かどうかは言及していない。日本製だったら扱いは別になっていただろうから多分違うのだろう。

内田樹著「街場のマンガ論」(小学館)

内田樹先生のマンガ論。井上雄彦論から始まり、日本語とマンガの重大な関係、手塚治虫について、そして少女マンガについての深い考察に至る。マンガに偏見のない人ならいっていることはすごくよく分かる。そして当たり前に思っていたことに新しい見方や意味を知ることが出来る。井上雄彦の画に武道家としての先生の鋭い目が光る。身体のバランスや動きが理にかなっているという。そしてその台詞にはその言葉しかないことが語られていることに天才を感じる。バカボンドを読んだことのある人なら共感するはずだ。そして養老孟司(この人もマンガ好き)の言葉から表音文字と表意文字を駆使する日本語に習熟している日本人が、画と音声を同時に扱うマンガを読み取る能力につながっていることを明らかにする。表音文字だけの文化で育った人間は日本人のようにすらすらとマンガを読むことが出来ない。そしてマンガは右開きであり、欧米では当初左開きに作り直して日本のマンガを出版していたが、どうしても本来の内容が伝わらないとして、マンガだけは右開きになっているという。その違和感を乗り越え、画と文章を同時進行で読み取るには彼らには特別な能力が必要だという。もちろんアニメとして映像にすれば自動的に音声が付いているのでこれは世界中で受け入れられている。少女マンガ論は数多くの少女マンガを繰り返し読み込んだ先生ならではの論であり、数えるほどしか読んでいない当方にはそうですか、というしかない。といって今からせっせと少女マンガを読む気にもなれないし。娘がかなりマニアックに読んでいたから借りて読んでおけば良かった。繰り返すが、マンガに偏見のない人、つまりマンガを読む人はこの本を読むと思ってもいなかったものの見方を習得できるかもしれないので是非どうぞ。

中国ウオッチ・のぞき穴

中国で、ドアスコープから中を覗くための道具「リバースドアスコープ」が爆発的に売れているという。これを使うと性能の良いものではドアから5メートルあたりまで見えてカメラを取り付ければ撮影も可能だという。料金は100元から265元。今のところ取り締まりの対象にはなっていない。早晩日本でも販売されるであろう。いやもう秋葉原には普通に売られているかもしれない。中国ではドアスコープに目隠しすることを勧めている。

内田樹先生にはまっています。

内田樹先生は先日まで神戸女学院大学の文学部教授をしておられ、フランス語とフランス哲学を専門にしていた。著作多数。また、武道に傾倒しておられ、合気道の高段者である。その言説の明快で理解しやすいことは群を抜いている。わたしは、フランス現代哲学は何を言っているのか今までさっぱり分からなかったが、先生の本を読み出してから、ほんのちょっと分かることもあるようになった(まだほとんど分からないが)。人間はさっぱり分からなかったことでも、たった一つだけ分かっただけで、全体が分かるためのきっかけになる。なにかを知るためには手がかりが必要だが、その手がかりこそ世界を知るための鍵だと思う。古くは森本哲郎先生(朝日新聞の論説委員をしていて旅シリーズの本をたくさん出している。紀行文の中で思索したことを、過去のの著名な哲学家や思想家の考えを例にしてわかりやすく語ってくれた。)に著書を通して20代後半の精神的、思想的な支えとなっていただいた。また、その後は市井の思想家の呉智英先生、小浜逸郎先生の著書に大きくお世話になった。思えばみな難しいはずのことをわかりやすく書いていた。つまりみなとことん考え抜いて、自分の言葉で語ってくれているのでわかりやすかったのだと思う。どうでも良いことを難しく書いてあるのが専門家と思わせる常套手段の時代、希有のことである。ただマスコミに評論家として顔を並べている専門家は、わかりやすいが、大事なことが百あるときに受け手が納得しやすいたった一つか二つのみ語って時間内に語るというテクニックに長けているだけというものばかりだから、わかりやすくても別物だろう。本当に大事なことは語るのに時間が必要なために切り捨てられているのをしばしば見る。
マスコミ批判はきりがないのでやめるが、そうして養老孟司先生の本に出会った。目からウロコの落ちる思いがした。自分がいかに色眼鏡で世界を見ていたのか少し分かった。大事なことは自分が色眼鏡を掛けていることに気がつくことなのだ。掛けていることに気がつけば、見ている世界がゆがんでいるのかもしれないし、他の人には違って見えているかもしれないことに気がつくことが出来る。その養老孟司先生と内田樹先生が対談した本を読むことが出来た。そうして内田先生に出会った。実は内田先生の本をその前にも読んでいた。しかしそのときは流し読みしていてそのすばらしさが分からなかった。あらためて読み直して思った。この人の本を読んだらまた世界観がさらに変わりそうだ、と。ところであらためていうと内田樹は「うちだたつる」と読む。十年以上前からブログを開いている。「内田樹の研究室」で検索すれば出てくる。先生は自分の文章や意見はどんどん引用してかまわない、と公言している。(ただ一部著作には出版社の版権で引用に制限のあるものもあるらしいが、先生の文章そのままの本でも出さない限り心配ないだろう。)今、出版された本を購入して少しずつ読みながら、ブログの古いところから読んでいる。日々のブログの中でいろいろ考察したことが練り直されて本になっているものが多いので、思索の跡をたどることも出来る。もっと早くから出会っていればと悔やまれる。またファンがずいぶん多いようなのでうれしくなる。手放しで礼賛しているが、出会えたことが本当にうれしいのだ。だから内田樹、と呼び捨てにするのは今後やめて内田樹先生、と別格にすることにする。
ところで内田先生の本は、文庫では文春文庫に数多く収録されている。新書も何冊かあるが、ハードカバーの場合は「思想」のコーナーに並んでいる。普通、特に興味のない人は思想のコーナーには行かないと思うが、この機会に覗いてください。私のブログでもすでに何冊か紹介しました。
「逆立ち日本論」養老孟司・内田樹(新潮選書)2011/2/17
「街場のアメリカ論」内田樹(NTT出版)2011/4/7
「日本辺境論」内田樹(新潮新書)2011/4/22
「橋本治と内田樹 対談集」(筑摩書房)2011/5/11
「健全な肉体に狂気は宿る」春日武彦×内田樹(角川新書)2011/5/11
「街場のメディア論」内田樹(光文社新書)2011/5/28

2011年6月 7日 (火)

小浜逸郎著「死にたくないが生きたくもない」(幻冬舎新書)

序章に徒然草の第七段をあげている。「住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交わらん事を思ひ、夕の陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。」こう言った吉田兼好は結局七十近くまで生きた。老いと死は、人間には避けられないものである。そしてそのことは六十という年をさかいめ辺りにして初めて実感として感得される。市井の論客・小浜逸郎が、自分自身を原点として老いと死を語る。彼はいわゆる団塊の世代に属するが、団塊の世代としてくくられることを激しく拒否する。戦後もっとも出生数が多い年代であることを否定しているのではない。団塊世代とされる人の中から「我ら団塊の世代は、」というなつかしげな物言いがされること、またほかの世代から「彼ら団塊の世代は、」というくくり方をされることの中に、あたかもその年代の全員が学生運動をしていたかのような、特別な見られかたが違う、といっているのだ。その当時は大学生は今よりも同年代の中で少ない割合であったし、その大学生にしても実際に学生運動をしていたのはほんの一握りだった。私もその最後に連なるひとりとしてよく知っている。すでに先鋭的に活動していたようなテンションの高い人達はかたや社会から抹殺され、かたや官庁や大学や大企業に就職した。だからほとんどの、年齢だけの意味の団塊の世代の人は当たり前の普通の人として現在定年を迎え、老いと死について考えざるをえない年になった。多数であることの社会的状況は確かにあるが、個人としてはみな同じだ。だから著者は自分自身のこととして、その人たちの心のありようと考え方について思考する。老い、と言うものが観念としてでなく、実感でどういうものか具体的に考えていく。そうして老いと死をどう受け入れるのかの道筋を指し示す。解答などないし、解答は各自で違うのだからどうしたって話は尻切れトンボになるが、そういうものかもしれない、という静かな境地になることが出来るかもしれない。

中国ウオッチ・集団暴行

中国のスピードスケート・ショートトラックはバンクーバーオリンピックで金メダルを取るなど強豪だが、そのメンバーを含む選手団が、雲南省で集団暴行事件の被害にあった。選手団は高地トレーニングのため、現地に入っていたが、練習後に宿舎付近のレストランで食事したあとの帰り道で突然警備員風の男たちに襲いかかられたという。メンバーのうち十人が病院に運ばれた。中には全身を滅多打ちにされて重傷の選手もいるという。この事件は金メダリストの王濠選手がミニブログで伝えたことから明らかになった。理由や背景は今のところ不明だが、詳しい話はこれから続報が入るものと思う。

中国ウオッチ・大脳が半分

中国の新聞が、交通事故で大脳の半分の機能を失った青年が南京の大学をこのほど卒業したと報じた。青年は在学中一回も欠席しなかったという。事故直後には医師もこのまま意識を回復しない可能性が大きい、といっていたという。意識回復したのは事故後10ヶ月後。両親や周囲の懸命の介護とリハビリで徐々に回復、知能や運動機能だけでなく、感情面などを含めた人格を回復できたことが今回の奇跡につながったと報じている。まだ左手と左足が自由に動かない機能障害があるが、彼の向上心なら乗り越えるだろう。彼には二年越しのガールフレンドがいるという。記憶力の回復がまだ十分でないので無理だと言われたが、彼女の励ましで、英語の国家試験四級も合格したのだそうだ。記事は二人は来年五月に結婚すると結んでいる。

中国ウオッチ・当て逃げ

武漢長江大橋の橋桁に排水量1万3000トンの原油タンカーが衝突した。当時現場には濃霧が立ちこめていて、衝突の音と衝撃に通報を受けた警察の船が出動したが、現場には当てたと思われる船の姿はなく、衝突で出来た傷が見つかった。急遽追跡が開始され、20分ほど後、下流5キロほどのところで事故を起こしたと見られる船を発見し、停船を命じたが、全速で逃走をはじめた。しかしまもなく舷側に警察船が横付けして警察官が飛び移り、強制的に停船させた。幸い船からの重油の流出などはなく、橋の損傷も車両の通行に来すようなものではないという。中国は当て逃げが得意なようだ。ところで武漢は河口付近の街ではない。長江をさかのぼること1000キロ近くある。中国は広くて大きいのだ。

中国ウオッチ・靴下の色

中国陝西省西安市のある小学校で、わけの分からない校則がある、というのが紹介されていた。「月・水・金曜日は単色の靴下、火・木曜日は柄物の靴下を着用しなければならない」というものだ。こんなことまで校則にするとはなんと口うるさい学校なのだ、と批判が殺到したらしい。ある記者が学校に取材した。この学校の生徒は約1400名。そのうちの半数が寄宿生で、この校則は寄宿生が特に守らなければならないものなのだという。毎日靴下を履き替える、という習慣のない子供が多く、寄宿舎も学校も夏場などは臭気がひどかったので、数年前からこの校則を作り、自動的に靴下を履き替える習慣をつけるようにしたということであった。学校は子供のためを思ってこの校則を作ったということが分かった。この記者の報告でみな納得したという。

養老孟司著「無思想の発見」(ちくま新書)

無思想も思想であるとおっしゃる。しからば思想でない無思想はあるのだろうか。養老流・般若心経解釈がある。すべては無であり、無こそすべての元という。確かに現代物理学は究極として色即是空と同じことを言っているように見える。ビッグバン理論にブラックホールとホワイトホール、時間の遡及性など、普通の感覚を越えた世界観を真実として提示しているようだ。著者は、日本人が自分を無宗教である、というときの無宗教の意味は、世界で一般的に認識されている一神教の原理主義的な宗教、を想定して、それを信仰していない、という意味の無宗教であり、神も仏も積極的に否定するような西洋人が恐れる無宗教とは違う、という。確かに日本人は子供が生まれれば神社にお参りし、七五三で神社に行き、結婚すれば神様(神式、キリスト色、仏式とあるが)に誓いを立て、クリスマスを祝い、お盆に墓参りをし、死ねば葬式をする。神社仏閣に行けばたいがいの人は手を合わせる。一神教から見れば無節操かもしれないが、無宗教ではないことは明らかだ。思想についても同様だ。思想を哲学と言い換えてもいい。誰も生きていくのに哲学を考えていると思っていない。でもなにかについて考える判断の元になっているのは思想であり、哲学であるといえる。養老流にいえば頭脳が考えている。いわゆる西洋式の思想や哲学は、現実からはるか遠くに飛躍してしまい、生活実感とは関係のない世界に行ってしまったと日本人の多くは思っている。だから自分には哲学や思想はない、というのだ。著者の論理展開は飛び石のように飛び飛びなので話を見失うと置いて行かれてしまう。常にいう。現実があってその中で人は生きている。現実は人の感覚を通してしか理解されない。感覚は脳が受け取って感じたもので、本当の現実ではない。そのことを認識するのも脳であるという。そのとおりだと思う。だから意識すること、認識すること、考えること、そのことの限界と意味を知らなければならない。そうでないから人間にとって哲学や思想が必要であることが分からなくなっている。戦後日本人は無思想であるとの言説が繰り返しなされてきた。その言葉を踏まえて養老流の無思想の発見について述べたのがこの本であり、それまでの無思想論とは全く違うものだ。正直私は途中で置いて行かれた口である。途中であれこれ自己流に考えてしまい、この文章はこの本に書かれていることと書かれていないことが混在している。申し訳ない。もう少し勉強してもう一度読み直してみたい。

中国ウオッチ・枯渇

中国気象局の最新統計によれば、中国二大淡水湖が、旱魃により水位が減少して湖水面積が三分の一程度になっていると発表した。その一つはすでに報告のとおり中国最大の淡水湖・鄱陽湖(はようこ)。前年の34%の湖水面積に減少、この6年間の平均の40%である。第二位の洞庭湖も同様で、前年の湖水面積の約31%、この6年の平均よりも50%も減っていた。しかし、旱魃の影響が大きいことは確かだろうが、二つの湖は中国最大の水量の長江の流域に当たり、「干拓による減少」以外には歴史的にここまで湖水が減少したことはない。旱魃は確かにひどいとはいうものの、どうも長江の水量そのものに問題があるのではないかと疑われるところだ。実際に長江の中下流域でも水位が著しく低下している。最大の理由として誰でも疑うのは近代中国史上最大のプロジェクトといわれる三峡ダムの影響だ。中国国内のみならず、世界中から懸念が寄せられているが、中国政府は頑としてその影響はない、と言い続けてきた。しかし最近になって三峡ダムに最も近い洞庭湖の水量が激減したことを受けて、ついに三峡ダムの影響について渋々認める発言があった。いわく「旱魃防止機能を三峡ダムに求める期待が高すぎるのがそもそも問題である。だが、ダムのマイナス影響について十分な考慮が足らなかった。設計段階でのミスであった。今後貯水量の最適化を検討し、ダムによるマイナスの軽減に努めたい。」。要するに、旱魃はダムのせいではないが、下流の水量低下についてはダムの影響を認める、ということだ。今後三峡ダム関連の議論がさらに白熱することが予想される。しかしこのダムは中国国内ですべて収まる話だが、中国奥地で、メコン川上流などに造られつつあるダムなど東南アジアの水源でのダムの乱立は、今後同様の事態を東南アジア各国に及ぼすことが深刻に懸念される。

中国ウオッチ・小便器

中国のコラムにおもしろいものがあった。日本人の子供が中国のトイレでこんなことをしていた、と題して、「小さな男の子が、ジャージのズボンとパンツを膝の辺りまで下ろし、男性用小便器に向かってつま先立ちになって用を足している。つま先立ちになっているのは、まだ背が低いので、大人用の便器を使うのにこぼさないようにしているからだ。」と伝えていた。当たり前の風景なのでなんのことかと思ったら続けて「我が国では、いつも床に小便が垂れ流しの状態だ。日本人は子供でもこぼさないことが身についている。民度の違いを感じる。一事が万事ではないか。」とあった。なるほど。観光地などで恐ろしいほど汚れたトイレに出くわすことがあった。でも昔から見ると最近はずいぶんきれいになったし、ドアもちゃんと付いているものが普通になった。ずいぶん「民度」も上がったと思う。日本でも昔はずいぶん汚い公衆トイレに出くわすことがあったが、今はほんとにきれいになった。いつも暴飲暴食をするので日本でも海外でもトイレのお世話になることが多いので、私もトイレの状況には詳しいのだ。

2011年6月 6日 (月)

上高地・明神池と明神岳

上高地の写真、最後は明神池周辺です。ここの写真はうまく撮れたことがありません。天気がわるければもちろん良い写真にならないし、天気が良いとコントラストが強すぎて緑が白っぽく写り、実際と違う写真になってしまいます。今回もその傾向がありますが、以前撮ったものよりはましでした。ここまでは景色を楽しみましたが、バスセンターへの帰り道の3.5キロの道はものすごく遠く感じました。そのぶんバスセンターで食べたソフトクリームがたいへんおいしかったです。

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曾野綾子著「なぜ子供のままの大人が増えたのか」(だいわ文庫)

父が死んでその後処理や、少しパワーダウンした母親の話し相手をするため、ふるさとにしばらく帰っていた。四十九日が過ぎるまでは行ったり来たりしなければならないようだ。このブログの更新が出来ず、申し訳ありませんでした。ノートパソコンがあれば持ち歩くのだけれど残念ながらタワー型のデスクトップしか持っていない。
さて本論だが、結論は日本人が平和ボケしているから、そして本当の貧困を忘れたか、知らないから、ということになろうか。命の危険がある状況では子供も短期間に大人にならなければならない、子供のままでいられるわけがない。クレーマーが通用するのも社会がそれを通用させているからだろう。子供に労働をさせるべし、と著者は提言する。自衛隊に入れろ、というのは本当は有効なのだが、反発する向きも多いので、勤労奉仕を提唱するのだろう。今の若者は仕事は他人のためにおこなうものだという当たり前のことすら分からなくなっているので、勤労奉仕はそれを知る良い方法だろう。サボるものもいるだろう、人の分まで働くものもあるだろう、それで良いのだ。その仕事はさせられてするものだが、労働とはなにかを身をもって知ることが出来る。知らずに子供のままの大人になると自分のための仕事を探すようなことになる。自分のことなんて自分が一番分かっていない。だから自分探しなんか始める。自分は他人の評価を通してしか明らかにならないものだ。だから社会的関係が絶対必要となる。他人が存在しなければ自分もない。社会の中の役割こそ仕事の本義だと思う。

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