内田樹著「疲れすぎて眠れぬ夜のために」(角川文庫)
内田樹先生の語りおろしの本だそうである。そのためいつもの書くために書かれた本よりもより平易に語られている。
アメリカ以外でアメリカの価値観を世界の標準の価値観とする、きわめてめずらしい国である現代日本にどっぷりつかって育った私に、それが特殊な価値観であることを気づかせてくれた。
またレイバーとビジネスというキーワードをもとに、働くということはどういうことか先生の考えが語られており、目からウロコの落ちる思いで、なるほどそうなのか、と得心がいった。もやもやとしていた霧が晴れた思いがする。
会社勤務時代を思い出してみると管理職でありながらレイバーの世界観から浮上することの出来ない人ばかりなのにうんざりしたものだ。ひどいのになると役員になってもレイバーというのもいた。もっともひどいのは、上司として部下をレイバーとしてしか扱わず、部下がビジネス観を持って自発的に働き始めると、それを越権行為だとして手足をもぐような輩だった。全て上司である自分が判断するので部下は全てを報告し、全ての判断を上司に仰げ、と言うのだ。それぞれのポジションに応じた責任と権限を与えて能力をフル活用するほうが会社にとってずっと効率が良いはずなのに。
世界の多くの国が階層社会である。階層社会とは貧乏な人とお金持ちが層として別れているような社会そのもののことではない。貧乏人が努力してお金持ちになることに大きな障壁がない社会は階層社会ではない。
階層社会とは労働者は労働者の階層にいるときには何の抵抗もないがその階層を越境することにきわめて大きな抵抗のある社会のことである。たとえば江戸時代に農民が武士になることは例外的にしかあり得なかったような社会である。だからサクセスストーリーが光るのだ。アメリカがサクセスストーリーの国であるということはそのままアメリカが階層社会の国であることを象徴している。
その階層社会的価値観からレイバーとビジネスマンという階層が固定化しつつある。そもそも日本にはその階層差は存在しなかったのではないかと思う。これはアメリカの価値観の長期にわたる刷り込みの結果ではないか。このことについてはもう少し細部を検証してみたいと思っている。ただこの部分の階層化が生むのは、レイバーは自分の労働の対価としての報酬に対する果てしない不満と、ビジネスマン側からのレイバーへの蔑視と不信感だろう。
アメリカ的価値観、レイバーとビジネスというこの本の一部のキーワードから励起され少し愚考するだけで、書ききれないほどのことが出てくる。
この本もそうだが内田樹先生の本は知的刺激に満ちている。
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こんにちは。『疲れすぎて眠れる夜のために』を読んでこのブログを見ました。
私は教員を目指す大学生です。
本当に内田樹先生の本は、知的エンジンを活性化してくれます。
内田先生はビジネスとレイバーの違いをリスクを取るか取らないか、と、コミュニケーションがあるかないか(自分の変化がすぐに評価されるかされないか)とで分類して提示してくれているように感じたのですが、教員とは「自分のしていることの評価が数十年後になってもかまわない」稀有な人間がなるべきものだということに気づいてしまいました。
私は評価されることがとてもスキなので、教員には向いていないかも…と考えてしまいました。
内田先生の本は危険ですw
いきなり失礼いたしました。
投稿: ヤマト | 2014年2月14日 (金) 11時09分