内田樹著「知に働けば蔵が建つ」(文春文庫)
内田樹先生は「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/)というブログを開設している。私も古い順から読んで、今2003~2004年頃まで読み進んだ。先生の著作にはそのブログをコンピレーションしたものが結構ある。この本もそのひとつだ。もちろんブログの文章そのままではなく、編集者が選んで並べたものを書き直したり書き足したりしている。
ブログに書いたときと本になったときとで時間差がある。そしてさらに文庫になったときとの時間差もあるので話題になっている話には、そういえばそんなこともあった、というものがしばしばあるが、それに対する先生の考えは全く色あせていない。なぜならばジャーナリズムの言説が現在ただいまを原点に立ち位置を置いて価値判断をしているために賞味期限が出来てしまうが、先生は常に空間軸だけではなく時間軸を組み込んで語られているから語られていることが古くなることがない。これは先生が師と仰ぐレヴィナスが常に意識していたことを受け継いでいるからだ。
同じ物事に対し、先生と価値観が違っていても先生を尊敬し続けることが出来るのはそこのところが信じられるからだ。
たとえば小泉政治が圧倒的支持を得た状況について書かれたものを、少し長いが引用する。
「『弱者を守れ』という政治的言説は今全くインパクトを失っている。その声を『既得権益』を手放そうとしない『抵抗勢力』の悲鳴として解釈せよと教えたのが小泉構造改革のもたらした知られざる心理的実験である。-中略-それは『弱者』という看板さえ掲げればドアが開くという状況に対する倦厭感があらゆるエリアで浸透しつつあることを意味している。自分がトラブルに遭遇すると、まず『責任者を出せ』と他責的な口調ですごむ『弱者』たちで私たちの社会は充満している。そして、その『弱者の恫喝』に苦しめられている人々もまた『弱者』戦略のブリリアントな成功を学習して、別の局面では自分もまた『弱者』『被害者』『無権利者』の立場を先取りしようとする。弱者であること、被害者であること、無権利であることはしばしばそうでない場合よりも多くの利益をもたらすと云うことを学んだからである。その『弱者の瀰漫』に当の『弱者』たち自身がうんざりし始めている。当然のことながら『弱者が瀰漫する』と云うことは『社会的リソースの権利請求者が増える』と云うことであり、それは『私の取り分』が減ることを意味するからである。『弱者に優先的にリソースを分配せよ。だがそれを享受する弱者は私であって、おまえではない』と人々は口々に言い立てる。この利己的な言い分に人々は(自分がそれを口にする場合を除いては)飽き飽きしてきたのである。『弱者は醜い』という小泉首相の『勝者の美意識』はこの大衆の倦厭感を先取りして劇的な成功を収めた。」
というのが郵政民営化、是か非かで戦った選挙後の自民党大勝利後に書かれた文章である。
だが「弱者」のうまみは国民に染みついていた。だから弱者代表を標榜してばらまきを約束した民主党が、その反動で政権を取ったのではないか。これは私が感じたこと。でも弱者だらけの世の中にうんざりしている状況は変わらない。
だから大震災の時、弱者弱者と騒がない東北のひとたちが美しく見えたのだろう。もう何でも政府のせいにするのはいい加減にしなければならないときがきたと多くのひとが気がつき始めている。
内田樹先生についてはこの本の巻末の解説で関川夏央が書いている。登場した時期、そしてその意味が明解に明らかにされており、多分内田樹先生もなるほど、と得心がいったものとおもう。
読みながら知的レベルを上げられるとても良い本です。
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